大滝の残したリストには、総勢1580人の能力者の名前があった。
いずれ、この者たち全員を長野にある<Zetima>で暮らせるようにした
かったようだが、残念ながらいくら”絶対的な者”と呼ばれるほどの能力
者でも寿命には打ち勝つ事はできなかった。
「ばあさんが死んで、もう5年か……」
つんくは、<Zetima>本社にある会長室で重厚な椅子に身を任せて、
近くて遠い時間に思いを馳せていた。
10年前は、つんくもただの青年であった。大学を卒業し、一流企業と
呼ばれる会社に就職したが、そりが合うことができずにわずか1年たら
ずで退職した。
虚無感が漂う生活を送る中、フと目にした”自己開発セミナー”のチラシ。
つんくは直感的に、”これだ”と思った。社会全体に巣くう虚無感に、自
分が巻きこまれないようにするためには自己を見つめなおし精進する事
が何よりも必要な事のように思えた。
このままでは、自分が腐ってしまうような危機感にとらわれていた。
そして、数万円を払ってセミナーを受けたが、”超能力”というものを用い
て自己の能力を上げるという何ら科学的・心理学的に確証のないエセセ
ミナーに失望した。
そのセミナーは、どこかの新興宗教が信者獲得のため名前を伏せて開
いているセミナーで、自分が騙されたと気づくまでにそう時間はかからな
かった。
幼い頃から、”超能力”という非科学的なものにはあまり興味はなかっ
た。幼少の頃に、自分と同年代の少年たちがスプーンを曲げたりして
いるのをテレビで見て憧れたりもしたが、それは幼少の頃であって、いい
年齢になってからは、そんな事にはまったく興味を示さなくなっていた。
「しょーもな」
と、小さく毒づき、そのセミナー会場から出ていこうとした時、ステージに
1人の少女が立たされた。
講師であり、新興宗教の教祖である”グル”と呼ばれていた男は、自分
の超能力でこの少女の中にある潜在能力を引き出す事に成功したといっ
た。その特殊能力は、”どんな傷をも治すヒーリング能力”だとグルは熱く
語った。
つんくは、ドアの前からその様子を眺めていた。どうせ、このまま残って
いてもくだらないショーを見せられるだけだと頭では分かっていたが、そ
の少女が発する独特の雰囲気が、もしかしたらという期待をつんくに与
えて、外へと向かう足を止めさせている。
「信じられぬものはその目で見るがよい。疑うものはその力を感じるが
よい。――そこの君、こちらへ」
講壇から指名されたつんくは、断る間もなく信者らしき若い男2人に両
脇を抱えられて連行された。
そして、理由もなく突然、腹部をナイフで一突きされた。一瞬、会場内が
静まり返った。つんく自身にも何が起こったのかわからなかった。腹部に
何か熱い物が突き刺さった感触がある。
そこに触れた手を目線まで持ち上げると、その両手は鮮血で染まってい
た。それだけでもう気を失いそうになってしまった。
かざす両手の向こうにいる少女が、泣き叫んでいる。
もしかしたら、という淡い期待はその少女の泣き叫ぶ様を見て絶望へと
変わった。わけのわからないカルト宗教のセミナーに参加したせいで、こ
んな無残な最期を向かえるのかと思うと情けなくて涙が滲んだ。
「さぁ、サーヤ。お前の持つその力で、この傷つく者を救いなさい。さもな
ければ、この青年はこのままここで息絶えるだろう」
グルの声を聞きながら、つんくは涙を流しながら少女を見上げた。腹部か
らの出血により、もう立つことさえできなくなっている。
少女は泣きじゃくりながら、首を横に振っていた。
「さぁ、今こそお前の力を出すのだ。さもなければ、この青年は死んでし
まうぞ」
少女は泣きながらも、首を横に振りながらも、つんくの元へと歩み寄っ
てきた。腹部の痛みも相当の物ではあったが、こうして最期の光景が
少女の泣く姿というのもどこか心苦しくもあった。もうすぐ、自分は死ぬ
のだろうと目を閉じた時、心地よい感覚が全身を覆った――。
ゆっくりと目を開けると、そこから吹き出していた血液がピタリと止まっ
ていた。そしてなによりも、鈍痛が嘘のように消えている。
少女は嗚咽を漏らしながら、横たわるつんくの側にしゃがんでいた。
「な……、なんや、いったい……」
つんくの小さな呟きを聞いたグルは、ニヤリと笑うと会場へと視線を向
けた。
「まだ信じられぬ愚かな者たちよ。その怠慢を思い知るがよい。私は、
神である。神を信じぬものはその力に触れよ」
グルが目配せをすると、会場の隅にいた数人の信者が包丁を握って、
会場にいた受講者たちを次々と刺していった。
悲鳴が響きわたり、悶絶するその光景はまさに地獄そのものであった。
「さぁ、サーヤ。この者たちを救うのです」
少女は泣きながら、講壇を飛び降りて会場で横たわる者たちへと駆け
ていった。
そして、つんくは見た。少女が手をかざすと傷は跡形もなく消え失せ、
人々の顔に生気が戻っていく様を――。
つんくの胸の内に突如として、”神を守る使徒”のような使命感が芽生
えた。少女がすべての傷ついたものたちを癒したのを見届けると、すぐ
さま講壇を飛び降りて少女の元へと向かった。
返り血を浴びて泣き叫ぶ少女を抱え上げると、制止を呼びかけるグル
の叫びも無視して会場のドアへと向かって走った。
背中に先ほど感じた熱い痛みが走ったが、それでも止まらずに走った。
自分でもよく分からなかったが、脳が走るように命令していた。
ビルの表の通りに走り出ると、そこに老婦人がいた。
そして、穏やかな笑顔を浮かべながら少女を抱えたまま傷だらけになっ
ているつんくに話かけてきた。
「ご苦労様でした。ここからは、私がお連れしますので」
「な、なんやねん……、急に……。お、お前も、アイツラの仲間か!」
「先に傷の方を治しましょう」
老婦人は、つんくに手をかざした。少女のように直接傷に触れたわけ
ではない。少し離れた場所から手をかざしただけで、つんくの背中に
あった刺し傷がなくなった。
「あ、あなたも……、あなたも超能力者なんですか!」
つんくの問いかけに、老婦人はなにも答えずに穏やかな笑みを浮かべた。
「け、けど、この子は渡しません。ど、どこに連れていくつもりか知りませ
んけど、渡すことはできません」
「では、あなたも一緒についてきますか? もう歳なので、1人では辛く
てね。裕子とあなたにこれから働いてもらいますか」
老婦人が穏やかな声が聞こえなくなった途端、辺りの風景が一変した。
先ほどまでの町の光景がなくなり、つんくの視界には緑の木々が広がっ
ていた。
思考能力がストップして呆然と立ち尽くすつんくの手から、気を失ってい
る少女を抱きかかえると老婦人は木々の向こうにある小学校のような木
造の建物へと歩いていった。
――つんくは、黄色いサングラスを通してその光景を思い出していた。
デスクで鳴った電話が、つんくを過去の思い出から現実へと引き返した。
「――ああ、わかったすぐ行く。――おう」
つんくは電話をきると、デスクの上の書類を整理しだした。
「まさか、こんなビジネスになるとはな。あのばあさんも、そこまでは見え
てなかったようやの」
と、小さく笑った。”金”と”権力”という欲望にとりつかれたつんくには、
過去の思い出などそれほど重要なものではなかった。
5年前に、それまで抱いていた”神を守る使徒”のような使命感がウソの
ように消えた。そして、自分が光子に操られて利用されていたことを知り、
憤怒した。意識の最下層にあった”権力”という名の欲望が、ふつふつと
こみ上げてきたのもこの頃からであった。
社会からドロップアウトした時その歪んだ欲望を正当化して、自分の意
識の最下層にしまっていたのが自分にとっての最大の幸運だとつんくは
思っている。
”精神感応者”は、人格を壊すつもりがなければ意識の最下層まで触手
を伸ばす事はないと市井から聞いていた。そして、それはそのまま光子
の教えでもある。つまらないモラルで、光子は最大の失敗を犯したとつん
くはほくそえんでいた。
市井らの抜けた今、能力者を集める作業は難航していたが、その問題も
もはや解決されようとしている。
市井らのようなズバ抜けた能力者は、もうほとんどリストには残っていな
い。だが、リストの使い道は他にあった。そして、それは市井らの能力に
も匹敵するほどの変化を遂げるのである。
「祭りや……。もうすぐ、祭りやで」
つんくは、デスクの書類をカバンに放り込むと武者震いをしながらドアへ
と歩いて行った。
「エアコンがないってのは、ちょっと辛いよね……」
ひとみは、白い息を吐きながら土間の囲炉裏に当っていた。
日本旅館を住居がわりにして、もうすでに数ヶ月が経過している。
2000年の終わりは、もうすぐそこまできていた。
「でもさ、温泉があるからまだマシじゃん。ね、いちーちゃん」
マフラーに”どてら”姿の後藤が、隣でやはり同じように囲炉裏に手を当
てている市井に訊ねた。
「せめて、石油ストーブでもほしい。っていうか、電気がほしいよな」
「そうですね……」
なんとなく、しんみりとした雰囲気で3人は囲炉裏に当っていた。
「ちょっと、もー最悪」
と、矢口が声を荒げながら土間へと入ってきた。玄関を開けたとたんに、
外の冷たい風が吹きすさび、3人は身体を震わせた。
ひとみは瞬間的に、”雪女”の話を思い出した。
「矢口、寒いからさっさと閉めて」
「あ、ごめんごめん。ちょっとそれよりさ、よっすぃ着替えとってきてくれ
ない?」
その声に、ようやくその場にいた3人が土間の矢口を見た。
矢口は全身雪だらけとなっており、ちょっとした雪だるまのようだった。
「なんですか、それ」
と、ひとみは笑いながら立ちあがった。
「あ、それ、後藤のマフラーじゃん。探してたのに」
「ごめんってば。ね、それよりよっすぃ早くして〜〜」
と、ガタガタと震える矢口の身体を心配して、ひとみは廊下を走っていっ
た。
「屋根の雪かきしてて、落ちたの?」
市井は、もう特に興味がないといった様子でまた囲炉裏の方に向き直っ
た。
「辻と加護が、落とし穴作ってたんだよ」
泣きそうな矢口とは対照的に、後藤はクスクスと笑っていた。
小型の防水テレビを買ってきたのはいいが、電波がまったく届かない
ため、もっぱら付属機能のAMラジオのみが使われていた。
中澤と保田は日がな一日中ラジオを聞きながら、温泉に浸っている。
「なぁ、圭坊」
湯船の縁に頭を乗せている中澤が、やはり少し離れた場所で同じように
している保田に声をかけた。
「この何ヵ月かで、発電所が4箇所も爆破されてんのっておかしいないか?」
「そうかな。安全確認を怠ったせいじゃないの?」
2人は目を閉じたまま、会話を繰りかえす。
「発電所だけやないで、アメリカ軍の基地も何箇所か襲撃されてるみたい
やし」
「襲撃って……。ただの火災事故でしょ。ラジオでも言ってたじゃん、ジェッ
トエンジンの燃料が漏れて格納庫に引火したって」
「まぁ、ほんまにそれやったらええんやけどなぁ」
保田が、額にかけていたタオルをはずして中澤を見る。
「他に何か原因があるの?」
「いや、別に。ただ、どこも”火”が関係してるからな」
保田はハッとして、上半身を起こした。
「まさか、明日香が」
「にしては、行動の意図がようわからんねん」
「うん……」
「ゼティマもあれ以来、まったくの音沙汰なし」
「……1人来たけどね」
「あれは、ゼティマとは関係あらへんやないの」
「……ウチラのこと、もう諦めてんのかな」
「それやったら、ええんやけどな。なんか、不気味やわ」
「……」
保田は、あまり深く考えないようにしてまた湯船へと身体を浸からせた。
「ちょっと、裕ちゃん辻と加護どうにかしてよ〜!」
と、身体にバスタオルを巻いた矢口が、怒りをあらわにして入ってきた。
大人の空間は、矢口の来訪により終わりを告げる。
「宇宙が、人格化しているという事ですか?」
梨華は、飯田の部屋で会話をしていた。
後天性の言語障害という事で、飯田が喋れないのはもう随分と昔に
希美から聞かされていた。
しかし、梨華の能力である”精神感応”で飯田の心の声を聞くことがで
きる。”会話”ではあるが、第三者から見れば梨華は一方的に話してい
るだけである――。
もともと、あまり人と関わるのが好きではないのか飯田は1日のほとん
どを部屋で1人で過ごしていた。
だがここ数日は、梨華がこのように部屋を訪れるようになっている。
きっかけは、ほんの些細なことであった。
ある日、中庭で植物の手入れをしていた梨華に、飯田から”声”をかけ
てきたのである。
(あなた、花が好き?)
初めて聞く”声”に驚き、梨華は振りかえった。するとそこに、珍しく微笑
んでいる飯田が立っていたのである。
(圭織も好き。圭織というよりも、どっちかっていうと地球が好きかも)
飯田の話を理解するのには、梨華も少々時間がかかった。ありとあらゆ
るものを同時に見て感じることのできるチャネリングを行なっているせい
なのか、もともとそういう思考なのかは分からないが、その話には一貫
性が感じられないことが多々ある。
今、話している宇宙の意思についてもそうであった。市井から聞かされ
た”宇宙意思”というものがどんなものなのか、それを感じとれる飯田に
直接訊ねにきたのだがさっぱり要領を得ない。
(人格化というよりも、水辺にかかる虹の橋のようなもの)
梨華の頭は、混乱する。
そこへ、雪でビショビショに濡れた加護と希美が入ってきた。
「ちょっと、どうしたの風邪ひくよ」
正直、梨華はホッとした。先ほどから質問ばかりしては、新たなる疑問
ばかりを答えとしてもらい、一向に理解できなかったのである。
「今から、温泉入りにいくねん」
と、加護は部屋にもともと備え付けられていた和ダンスへと向かった。
「飯田さんも、いっしょにいきましょー。いきましょ。いきましょ。いき
ましょ」
と、希美は飯田の手を引っぱる。飯田は空いていた手で、素早くメモ用
紙に何かを書いた。
それを受け取った希美は、「宇宙のじんかくか? 梨華ちゃんに?」と、
飯田に訊ねた。飯田がコクンとうなずくと、加護と希美の着替えを出し
ている梨華に向かって喋りだす。
「宇宙は、星と星を繋いでいる橋のようなものれす。その橋にはいろい
ろな星の意識が流れてきます。そして大きな意識となり、この宇宙全
体に広がるのれす。宇宙意思は、星の意識の複合であり人格化した
宇宙の意思ではないのれす。宇宙意思はすべての星の意識であり、
すなわち宇宙全体の意思なのれす――って、飯田さんは言いたいの
れす」
加護と梨華が、きょとんとした顔で希美を見つめている。
「意味がぜんぜんわかんない」
と、ひとみは梨華と2人っきりの温泉浴場でつぶやいた。
クスクスと笑う梨華が、「実は、私も」とつぶやく。
「宇宙なんて、スケールが大きすぎるよ。森さんっていう人が、ゼティマ
に連れてこなかったのもわかる気がする。だって、アタシたちには何の
関係もないもん。目に見えるものじゃないからね。そんな話聞かされて
も、あーそうですかって感じ」
「そんな言い方、よくないよ」
「だってさ」
(――――――)
「よくはわからないけど、飯田さんの力とののの力って2人で一つって言
うような感じがする」
「……?」
「たぶん……、だけど……」
白い湯気が濃すぎたせいで、ほんの1メートルほどの向こうにいる梨華の
表情がひとみの位置からはよく見えなかった。
声がどうして暗く沈んでいるのか、ひとみにはよくわからなかったが、さっ
き自分が心の中で思ったことに何の反応を示さないでいるところを見ると、
意識のガードで届かなかったことを知った。
特にこれと言って、重要なことを考えたわけではない。ほんのちょっとから
かうような感じで、”梨華ちゃん、最近、飯田さんの話ばっかりじゃん”と心
の中で呟いただけである。
深い意味はなく、ただ梨華がどういう反応をするか見てみたかっただけで
ある。
しかし、梨華はその声が聞こえていない。
ひとみは、その事が少し気になっていた。お互いいつも声を出して会話す
るようにしているので、梨華が心の声に反応しないのも分かる。
だが、今のはあきらかに心の声で語りかけた。もしも、気を使って会話中
に意識をガードしているのであれば、この半年間<Zetima>の影がしな
いからといって、少し無防備すぎるのではないかと考えていた。
そのことを梨華に伝えようとした時、浴場の引き戸がいきなり開け放たれ
た。湯気がさらに一層濃くなり、1メートル先の梨華はまるで見えなくなっ
た。一瞬、”敵”かと思ったが梨華がなにも反応をしないので、そうではな
いのだろう。いくらなんでも、身の危険を感じればガードを緩めて相手の
意識を読みとり容易に敵かどうかを判断するはずである。
『うわぁ、すごい煙。よっすぃ、梨華ちゃん、いる?』
声の主は矢口であった。
「あ、はい。いますよ」
と、ひとみは濃い湯気を振り払いながら声をだした。
『あのさ、裕ちゃんがちょっと話あるからすぐに集まってって』
「あ、はい。わかりました。すぐ出ます」
『よっすぃ、背中流そうかー?』
「え?」
『アハハ。冗談。待ってるからすぐ来てね。じゃーねー』
と、矢口は去ったようである。
湯気が晴れた後、ひとみの目にはつんと横を向いて拗ねている梨華の
顔が映った。
(なんで、そんな顔してんの〜……)
「先、行ってるから」
と、梨華はさっさとバスタオルを巻いて脱衣場へと向かった。
「……」
矢口が背中を流そうかと言ったとき、ほんの一瞬ではあるが”一緒に
背中を洗いあっている”姿を想像してしまった。どうやら、それを読まれ
ていたらしい。
「ちょっと待ってよ、梨華ちゃん。誤解だって」
ひとみは、あわてて脱衣場へと向かった――。
囲炉裏の炭はもうあらかた小さくなっているので、メンバーは各自自分
の防寒着を羽織ってその周りで暖をとっていた。
もうすでに眠っている加護と希美と、あいかわらず部屋で1人でいる飯
田を除くメンバーがそこに顔を揃えていた。
ひとみと梨華も、温泉の熱はもうすっかり冷めていた。
「中澤さん、話ってなんですか?」
先ほどから熱燗を煽るばかりで一向に話をしようとしない中澤に、ひと
みは業を煮やして訊ねてみた。
「あ、まぁ、もうちょっと待って」
と、中澤はさらに黙って熱燗を手酌で飲んでいる。
数分が経過した――。
中澤の傍らにあるAMラジオが21時の時報を告げて、ニュース番組
がはじまる。
中澤は、ボリュームを上げた。
『では、最初のニュースです。今日午前11時、S県とN県を結ぶ中日
高速道路で熊に似た謎の生物が出現し、下り線を利用していた53名
が襲撃を受け死亡。58名の重軽傷者を出しました。尚、この未確認生
物は依然逃走を繰り返しております。周辺住民の皆様は、夜間の外出
を控えるなどして警戒に当って下さい。この未確認生物は、まだ捕獲さ
れておりません』
中澤がボリュームを下げた。
「なんか、最近、変な事件ばかり増えてると思わん?」
メンバーは皆、青ざめた顔を浮かべていた。
中澤はそれらの顔を一瞥すると、また熱燗を飲み始めた。
「――ここ何ヶ月か、変な事件が多いねん」
「未確認生物って……?」
「わからんから、未確認生物なんやけどな」
と、矢口の問いに中澤が笑って答える。
「ふざけないでよ……、ねぇ、ひょっとしてこれってさ」
「わからん。ゼティマの仕業かも知れん。――けど、未確認生物って言
うのが気になるなぁ。目撃者もおんねんから、襲ったのが人間やったら
人間って証言するやろうし……」
中澤が下唇を触りながら、何か考え事をしている。
皆、その様子をジッと黙って見つめていた。ただ、市井だけがやはり同
じように何か考え事をしている。
「もしも、ゼティマならどうする?」
と、市井が眉間に皺をよせて呟いた。
「……ウチらには直接関係ないことやから、このまんまでもエエかと思う
たんやけどな。これ以上、犠牲者が増えるんもあれやし」
「で、裕ちゃんはどうしたいのさ」
矢口の問いかけに、中澤が軽くうなずいた。
「ちょっと、山を下りてみようかなって」
「裕ちゃん1人で?」
「ちょっと見てくるだけ」
「やめなよ。危ないよ。行くんなら、矢口も一緒に行く」
「相手がどんなヤツかわからんのやで、矢口は残っとり。1人のほうが
動きやすいしな」
「ヤダよ。そんなの別にいいじゃん。ここで、みんなと一緒にいようよ」
矢口は目にうっすらと涙を浮かべ、中澤の腕を掴んで離そうとしない。
中澤は、憂いのある微笑を浮かべて矢口を見つめていた。
「後藤が行ってこよーか?」
後藤が、囲炉裏に手を当てながらさもなんでもないように言ってのけた。
「ゼティマが関係してるんなら、ついでに潰してきてあげるよ」
「ごっちん、あんたまだそんなこと言うてんのか」
「……」
後藤は囲炉裏で赤く燃えつづける炭を、黙って見つめていた。市井と梨
華に、後藤の心の声が響く。市井と目があった梨華は、市井の意識を
読みとる事はできなかったが、言いたい事はわかった。
「あの……、ごっちんは、そういうつもりじゃないんです」
市井と後藤を除く全員が、うつむいて喋る梨華に視線を向けた。
「ごっちんは、その、ここの暮らしをどうしても守りたいから……。前みた
いに、ただ復讐のためってことじゃありません。ここでみんな平和に暮ら
したいから――。そうだよね、ごっちん」
後藤は黙って、炭を見つめ続けた。
「そうか……。ごめんな、ごっちん。けど、無駄な戦いはせんでええ。ゼ
ティマももうウチラのことは諦めてるつもりやからな。もうあれから、半年
近いねん。なんもしてこんとこみたら、たぶんそうやねんで」
「けど」
「けど――?」
「……」
後藤は、囲炉裏に視線を向けたまま口篭もった。
「ウチラで偵察に行ってくるよ」
後藤を見かねたかのように、市井が口を開いた。
「久しぶりに、3人で行ってみよっか」
と、保田が笑顔を向ける。
「大丈夫だって裕ちゃん。アタシがちゃんと、みんなの保護者になるから」
心配そうな表情を浮かべる中澤に、保田が胸を張りながら言った。
翌日、保田は中澤から車の鍵を受けとると、市井と後藤を乗せて山を
下りていった。
見送る者たちにも、それほどの不安はなかった。ゼティマでも最強のト
リオである。ここに、加護が加わればさらにグループとして完全な強さ
と成り得るのだが、一緒に行きたがっていた加護を中澤がムリヤリに
留まらせた。
以前ならば、留める者の手を振りきってでも加護は市井らについていっ
たであろう。幼い頃からその力を疎んじられ、憩いの場を市井らの場所
にしか見出せなかったのである。
だが、今は同年代の友達が近くにいることで納得はしなかったが、中澤
の言う通りにここに留まることにした。
加護は、市井らの乗るワゴン車を見送る間、ほんの少し寂しくて泣きそ
うになったが、となりにいた希美がずっと手を握っていてくれたおかげで、
なんとか涙を堪えて笑顔で手を振ることができた。
「のの、ありがとう」
車が見えなくなってみんなが敷地の中へとひき返すと、加護は小さくそ
う呟いた。
「ん?」
希美が、きょとんと加護を見つめる。
「のの、大好きやでー」
と、加護はその頭をつかむとブチューっと希美の唇にキスをした。
一瞬驚いた希美だったが、キスの洗礼はこれまで幾度となく中澤に受け
ていたので慣れっこになっていた。
「あいぼん、大好きやでー」
と、希美も負けじと加護にキスを返した。そして2人は、笑いながらまた
手を繋いで遊びに出かけた。
その様子を、旅館の庭から眺めていた他のメンバーは苦笑した。
「裕ちゃんの、悪いクセが移ったんだよ」
「ほんまやなぁ」
「そーいえば、中澤さんって保田さんにはあーいうことしませんよね。何
でですか?」
ひとみの素朴な疑問に中澤が答える。
「圭坊大人やし、恥ずかしいやんか」
と、頬に両手を当てて身を捩じらせながら「寒っ」と母屋へと駆け出した。
「あ、待ってよ」
矢口も、その後を追った。
残されたひとみ・梨華・飯田は、顔を見合わせてまた苦笑した。
もうすぐ臨月を迎える石黒は、その大きな腹を持ち上げるようにして愛用
車に乗り込んだ。
アパートの駐車場まで見送りに来た石黒の旦那である真矢は、階段を下
りるだけでハラハラしていたのに、これから車で遠出をする妻のことが心
配でならなかった。
「彩、やっぱりこういうのは止めとこうよ。取材なら、出産が終わってからで
いいじゃないか」
運転席の窓越しに、真矢は語りかける。
「事件は待ってくれないの」
「何のための、産休なんだよ〜……」
「心配しないで。ちょっとインタビューとってくるだけだから。明日にはちゃん
と戻ってくるから」
「やっぱり、俺も行くよ。心配だよ」
「ダメ。真ちゃんは今日大事な会議でしょう」
「そんなことより、こっちの方が心配だよ」
「はい、危ないからどいて」
と、石黒はキーを回してエンジンを始動させた。閉めた窓の向こうで、真矢
がまだ何か言いたそうな顔をしていたが、気づかないフリをして車を走らせ
た。
石黒彩――、彼女は半年近く前に、その手腕をかわれて大手新聞社に取
材記者として再就職することができた。だが、もう既にその頃は妊娠数ヶ月
だったこともあり、編集長としては出産後に就職してもいいという条件を出し
ていたのだが、石黒はそれを断って面接日のその翌日から出勤して取材活
動をはじめた。
政治団体の献金不正流用、検察官の少女買春、等のスクープを短い期間
で取り上げてきた。
そして今、N県の高速道路で起きた謎の事件を追っていた。
その現場で目撃された未確認生物を、伝説のモンスターや宇宙からの侵
略者だと煽りたてる一部のマスコミもあったが、石黒は一笑にふしていた。
そのような”オカルト”がマスコミに横行すること自体、バカバカしいと思う石
黒であった――。
久しぶりに見る街の夜景は、違和感を感じるほど光々としていた。
東京の夜景などはもうしばらく見ていないので、もっと違和感を感じるかも
しれない――と、市井はコンビニの前に停車しているワゴンの中で考えて
いた。
片田舎のコンビニにも、虚無感に包まれた若者たちがいる。店の前で座り
込み、他愛もない話をして時間を潰す若者。動物園の無気力な動物のよう
に、店の中で雑誌を立ち読みしている者。
退廃的な閉塞感は、もはや日本中に蔓延しているらしい――。
市井は、いつかの光子の言葉をおもいだした。
『決して自分の尺度で物事を考えてはいけないよ。人には人それぞれの
悩みがあり成長の速度も違うのだから。人が成すべく事は奢り高ぶり自
分の価値観を押しつけるのではなく、そっと見守り導いてやることだよ』
市井はその言葉をずっと覚えていた。そして、つんくが全権を握った〈Zeti
ma〉のもとで自分たちの仲間を導いているつもりだった。
しかし、それはひょっとしたら自分の怠慢であり自分の手ではすくえきれな
い欲望だったのかもしれない。
あの長野の山奥で暮らしていた頃、そして今、山奥で暮らしていることを
考えると、自然と”復讐”などという事はどうでもいい行為へと変化していっ
た。目の前にいる無気力な若者たちも、やがていつか自分たちの居場所
を見つけられるだろう。
だが、それは自分には関係のないことだと市井は考えている。大勢の能
力者を”ユートピア”に導くことももう自分の使命ではないと考えている。
ただもっと単純に、自分の愛すべき仲間だけを仲間と共に”ユートピア”へ
と導きたいだけである――。
「いちーちゃーん、アイス買ってきたよー」
と、両手にアイスを持ってはしゃぐ後藤。
「遅くなってごめん。新聞売りきれててさ。店のをコピーさせてもらってた」
コピー用紙と日本地図を持って、運転席に乗り込む保田。
自分たちを見て微笑んでいる市井を、後藤はアイスを持ったままきょとん
と見つめていた。
(――自分の大切な人達だけを守りたい。
おばあちゃん、それは両手からこぼれるほどの欲望ですか……)
「ちょっと、アンタら、ええ加減にしなさいよ」
湯船の中澤が、顔面にバシャバシャとお湯を浴びながら叫んだ。
お湯を浴びせさせているのは、湯船の中でバタ足をしながら移動している
加護と希美である。
「ホンマ、もう、ちょっと……」
中澤の声はまるで聞こえていない様子で、2人は笑いながらずっとバタ足
移動を繰り返している。
矢口は頭を洗いながら、頭を洗い終わったら隣の露天風呂でゆっくりしよう
と考えていた。
数分後――。
矢口がのんびりと露天風呂に浸かっていると、となりから大声で叫ぶような
歌声が3人分聞こえてきた。
「裕ちゃん……。一緒になって何やってんだよ……。ったく……」
矢口は、タオルを頭に乗せると軽いため息を吐いて湯船の中へと頭を沈め
た。
しかし、それからまた数分後。
母屋の方には、しっかりと4人分の歌声と騒ぎ声が聞こえていた。
「もうね、ホント、加護と辻とお風呂に入るとあーなるから疲れるよ」
と、ひとみが食器を洗いながら苦笑した。
人気のまったくない冬の夜、空気も乾いているためいつもよりも湯屋からの
声は大きく聞こえていた。
となりで食器を拭いている梨華も、微苦笑を返した。
(圭織はね、いつかその大きな流れと一つになるの)
突然、飯田の声が聞こえてきて、梨華は振りかえった。
土間の八畳敷きで飯田が視線を空中に漂わせたまま、佇んでいる。
「へ?」
梨華は思わずそう呟いた。その声を聞いて、となりで食器を洗っているひと
みが振りかえる。
「飯田さん……」
(星の意識は人の意識でもあるから、もう既に一つになってるかもしれない
けどね。それでもいいの。圭織は2つにはなったりしないから)
「あ、はい……」
と、梨華は目を伏せて申し訳なさそうに返事をした。
(どうしたの? 梨華ちゃん?)
心の声は聞こえているはずだが、梨華はチラリと横目でひとみを見たきり
何も話そうとはしなかった。
(辻にも話さなければいけない。でも、全部話してはいけないの。なぜな
ら、圭織は1つになれないし、辻も1つになれないから)
「あ……。ののなら、あいぼんと一緒にお風呂ですけど……」
(圭織のかわいい妹。とてもとても大事な妹。でもね、本当は圭織は何も
知らない)
「どういう……、ことですか?」
梨華の問いかけをとなりで聞きながら、ひとみはまた食器洗いに戻ろうと
した。だが、梨華の次の言葉を聞いて、フッと食器を持つ手を止めた。
「のののこと、何も知らないって……。3年間、病院で一緒だったんじゃ……」
(一緒だったけど、そうじゃないような気もする。ううん。やっぱり一緒だっ
た)
「……」
梨華の頭はまたも、混乱し始めていた。言っていることがまったく要領を
得ない。このままではまた、いつものようになってしまうと考えていた。
(1度も時間移動はさせてない。コテージは小さいから許した)
「させて……ない?」
(でも、圭織と出会う前は知らない。圭織と出会う前、辻は辻であって、
本当の辻はどこかにいるかも)
「あの……。それってどういうことですか」
(どこからきた辻なのか、圭織知らないもの)
「……! それって、ののがこの世界の人間じゃないって事ですか!?」
梨華の言葉を聞いて、ひとみは驚いた。
「梨華ちゃん、今なんて言ったの」
「あの、それってパラレルワールドっていうのに関係してるんですか?」
――ひとみは、”マズイ”と思った。この手の話は、難しくて苦手なので
ある。
しかし、今、湯屋から聞こえてきている希美がこの世界の住人ではない
というのは信じられないので、黙ってもう少し聞いてみようと思った。
(宇宙には時間はあってないようなもの。そこを移動する辻は、着地点を
知らない。でも、圭織はだいたいわかってる)
「あ、あの……、もう少しわかりやすくお願いします」
(宇宙ができた時から、分岐した枝はさらに分岐してそれぞれの世界を
継続してて、この地球も1分1秒ごとにそれぞれの生物・植物からそれ
ぞれの場所から枝が広がり続けている)
「……」
(遠く離れた世界は大きく違っていて、近くにある世界はそこそこよく似
てる。辻は、着地点を間違えた)
「つまり、ののは時間移動の能力を使っている間に、こっちの世界に来
ちゃったってことですよね」
(ま、ホントは漂ってたのを圭織が呼んだんだけどね。ま、それでもいい。
圭織、疲れたからもう寝る。辻には後で話す。じゃあね)
と、圭織はフラフラと漂うように、廊下を歩いて行った。
「梨華ちゃん……」
ひとみと梨華に理解できたのは、希美がこの世界の住人ではないとい
うことだけであった。
ひとみの動揺を感じ、梨華はソッとつぶやいた。
「うん……。でも、私たちの知っているののは、ここにいるののだから」
「……そうだよね。あんまり、関係ないよね」
「……うん」
うなずいた梨華ではあったが、やはり自分も動揺していた。
加護と希美が作った歌なのだろう、中澤を揶揄している無邪気な歌声
が湯屋の方から聞こえてきていた――。
「「♪とぅえんぃとぅえんてぃとぅえんてぃせぶーん」」
――翌日。
謎の生物が逃走したという方向に向かって、ワゴン車は走っていた。
市井が意識を捕らえるレーダーの範囲を広げ、保田は運転しながらも
透視能力で辺りの様子をうかがっていた。
後藤はまだ眠り足りないのか、助手席で眠っていた。
「圭ちゃん、車……、止めてもらえる?」
「あ、うん」
2人は停車したワゴン車から、ゆっくりと下りた。何の変哲もない、高速
道路から10キロほど離れた場所にある新興住宅地だった。
市井は、そこで目を閉じて意識を集中していた。
保田も透視能力を使って辺りを念入りに探してみたが、どこにもそれらし
い生物の影はなかった。
「残留思念か……」
目を開いた市井が、残念そうに呟いた。
「じゃあ、ここを通っていったのね」
「うん。間違いない。あっちの方向」
市井と保田が再び車に乗り込み、その場を去ってから数分後――。
石黒彩の運転する車が、通りかかった。
石黒は車を道路脇に停車させると、助手席に放り投げていた周辺地図
を取りだした。
「この地域では――、見た限りなんにも起こってない――、と、いうことは
もっと東に移動したって事かな」
石黒は念のため車を下りて、近くを歩いていた通行人に声をかけた。
「あの、すみません」
少女は、足を止めた。
石黒はその時になって初めて、少女の顔を見た。セミロングの少し丸み
を帯びた顔の少女である。
「……?」
(あれ……。この子……。なんか、見たことある……)
石黒は記憶の糸を手繰りよせたが、どうしても思い出すことができなかっ
た。きっと、見間違いだろうと石黒は少女に未確認生物の目撃情報を知
らないかと訊ねた。
少女は、首を横に振るだけで何も答えない。そればかりか、先ほどから
口元の端を微かにゆがめて、石黒の大きくなった腹を見つめている。
(何……、この子……)
石黒は、不気味な悪寒を感じた。軽い礼だけを言うと、すぐに車へと戻っ
た。去り際にルームミラーで後ろを確認すると、少女がこちらを見て笑っ
ている姿が見え、石黒はゾッとしてアクセルを強く踏み込んだ。
市井たちから何の連絡もないまま、もうすでに2日が経過していた。
もっとも、ひとみたちが滞在している日本旅館には電話もひかれていな
いので、連絡をとろうにもとりようがない。
心配ではあったが、待つより他はなかった。
ひとみは、母屋の屋根に降り積もった雪をかきおろしていた。
自分たちもやりたいと下から加護と希美が騒いでいたが、2人にやら
すと遊んでばかりで一向にはかどらないので無視を決め込んでいる。
しばらくして、下から丸めた雪がひとみのいる場所へと飛び込んでき
た。
「わっ」
と、ひとみが驚いてよろめくと、下からクスクスと笑い声が聞こえてき
た。庇の下で隠れながら、雪を放り投げているのだろう。
「もー、おまえら、何やってんだよー」
と、ひとみも負けじとスコップですくいとった雪を、屋根を伝って庇の
下に落とした。
「わー、あいちゃん、助けてー」
どうやら、希美に命中したらしい。笑い声を上げながら、希美が加
護に助けを求めている。
ひとみはその声を聞いて、不意に一昨日の夜のことを思い出した。
詳しい事は分からないが、希美はどうやらこの世界の住人ではないら
しい。だが、どこの世界からやってきたにしろひとみの知っている”辻
希美”は、今、このすぐ下で笑いながら助けを求めている希美であり、
加護といつもイタズラばかりをしている希美である。
ひとみにとっての、”辻 希美”はそれ以外の何者でもない。
うるさくて少々、ウンザリとする時もあるがひとみにとってはとても大
事な歳下の仲間であった。
――そんな事を考えていると、顔面に雪が続けざまに命中した。
「このバカコンビ……」
ひとみは、下で大笑いしている2人に向かって雪を投げつけた。
いつしか3人は上と下とで、雪合戦をすることとなる。
訪問者は、その様子を旅館の外から見ていた――。
「ひとみっ!!」
その声に、ひとみの動きが止まった。
(――お母さん……)
街の一角に、突如として姿をあらわせた異様な生物に、人々は恐怖の
雄たけびを上げた――。
保田はビルの壁を通して、市井は意識の網で、その生物の姿を捕らえ
た。旅館を出発して、2日目の事である。
「何……、あれ……」
その姿を目視する事のできた保田は、ハンドルを握ったまま青ざめた
表情を浮かべた。
幼い頃にテレビで見た、アメリカ映画のモンスターを想像させた。
ただし、どの古い映画に出てくるモンスターよりも素早くそして効率的
に雑踏の中を血の海とかえている。
「圭ちゃん、何が見えてんの?」
と、後藤がその場の空気もかえりみず、のんびりとした口調で訊ねた。
「圭ちゃん、何やってんの急いで」
市井の声に、保田はハッとわれに戻る。
「急いでって、どこに急ぐのよ」
「決まってるじゃない、アレがいるところよ」
「何言ってんの紗耶香、あんな場所で力なんか使ってみなよ。モロバレ
じゃない」
「大勢、人が死んでんの! そんなこと言ってる場合じゃないよ!」
国道はその場所からあわてて逃げ出した車により、大渋滞となっている。
逆送する車。フロントガラスに鮮血を滴らせながら走る車。歩道を走りぬ
け、人を跳ねのけてでも逃げようとする車。
街は一瞬にして、パニックとなった。
「後藤! 行くよ!」
市井は後藤を引き連れて、車を飛び出していった。
「ちょっと、紗耶香っ。後藤っ」
保田の制止は虚しく、車のクラクション群にかき消された。
「大変、ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございません」
と、中澤はひとみの両親に深々と頭を下げた。
「中澤さん、止めて下さい」
ひとみは、中澤の頭を上げさせようとしたが、中澤によってその手を払い
のけられた。
「申し訳ございません……」
「あなたはいったい何の目的があって、このような事をしてるんですか?
うちのひとみもそうですが、あそこにいる2人も見たところまだ義務教育も
終わっていないように見受けられますが」
廊下の柱の影から、そっと土間の方を覗いていた加護と希美があわてて
顔を引っ込めた。
「申し訳ございません……」
「もう、お母さん、いいって言ってじゃん。ここには、自分で来たんだよ。中
澤さんはなんにも悪くない」
「だから、その理由を聞かせなさいって言ってるのよっ。自分で来たから、
はいそうですかって納得できると思うのっ。何の連絡もよこさずに、半年
も……お母さんどんなに心配したか……」
ひとみの母親は、涙で声を詰まらせ持っていたバッグからハンカチを取り
だすと涙をぬぐった。
「お前、知らないだろうけどな……、お母さん、一度心労で倒れて入院し
てたんだ……」
と、父親が目を伏せがちにして言った。
「大事な娘さんを無理に付き合わせていた事は、深くお詫びします」
「中澤さん、アタシ無理に付き合ってなんかいませんッ。全部、自分で決
めた事です」
「ええから……。本当に申し訳ありません」
「警察に捜索願いを出しても、家出と扱われナシのつぶてでしてね……。
方々を自分たちの足で探しまわって、最後にまさかとは思ってここに来
たんです……。もし、ここでもひとみを見つけられなかったら……」
父親の声に、微かな震えのようなものが混じっている。
「よっさん、荷物まとめてき」
と、中澤が小さな声でひとみに囁いた。
「嫌ですッ。アタシ、帰りません」
「ありがとうな、今まで」
「中澤さんッ」
「よっさんは、ウチらとは違う。ううん。一緒やな。うん。一緒や。大事な仲
間や。せやから、お父さんとお母さんの元に返してあげたいねん」
「やめてください……、そんなこと言わないで下さいよ」
ひとみの目に、涙が溢れ出していた。今までのみんなといた思い出が、
走馬灯のように駆けめぐった。
「石川も一緒に連れて帰ってほしいんやけどな、それはでけへんねん。ご
めんな」
「アタシにも、じゃあ、アタシにも力を下さいッ! 梨華ちゃんやみんなを守
れる力をください!」
ひとみは泣き叫んだ。
「ほんま……、よっさんはエエ子やなぁ」
と、泣いてすがりつくひとみの頭を微笑を浮かべて優しくなでた。
柱の影で佇んでいた梨華と矢口も、そして加護と希美も、その様子を感じ
て涙を流していた。
”力を持つ者”と”持たない者”、その2つの違いがこんなにも大きくそして
重いものだとは、ここ数ヶ月ひとみという存在のおかげで忘れていたような
気がした全員であった――。
「いちーちゃん! あいつ、何なのさ!」
その生物と遭遇した後藤は、口を大きく開けて素っ頓狂な声をだした。
市井もその意識の存在は知っていたが、姿を見るのは初めてである。
逃げ惑う通行人を、なぎ倒すその生物は巨大なゾンビのようであった。
身の丈は2メートルを裕に越し、ボロボロになった布をまとい、その全身
は長い毛に覆われてはいるもののその体毛は薄く、皮膚が透けて見え
ている。その透けた皮膚もところどころ剥げ落ちて、中のどす黒く腐食し
た皮下組織を露呈していた。
そしてその両腕は、まるでそこだけを付け替えたように鋭い爪を持った
熊のような腕をしている。
その両腕を振り回し、次々と人々をなぎ倒していった。ある者は直撃を
受けて顔面が骨ごと砕け、運良くその爪がかすった程度の者も長さ数
十センチにかけて肉を抉られた。
逃げ惑う人々をまるで楽しむかのように、右へ左へと追いやり、一まと
めになったところでその両腕を思う存分に振るう。
スピード・破壊力・残虐性、そのすべてにおいて生物は人間の、地球上
の生物の能力を遥かに逸脱していた。
市井は迷った。
相手が能力者であるのならば、後藤と自分の力を使えばほぼ間違いな
く勝てるはずであった。能力を無効化するのである、ESPに意識を操ら
れる事もなく防戦をする必要もない。後藤の意識を守りつつ、後藤が力
を放つだけで良かったのだ。今まであくたの能力者とそうして対峙し、
何人もの能力者のスカウトに成功している。
しかし……、相手の生物は市井の能力は何の意味も持ちそうになかっ
た。そればかりか、ここで後藤の力を放てば生物の被害よりもさらに被
害を拡大しかねない人口密集の街中である。
市井は退却を命じようとしたが、それより一瞬早く後藤がその生物に向
かって力を放った。
後藤の力は、逸れることなく拡大することなく後藤のイメージした通りの
大きさと威力でその生物に直撃した。
その生物のいた場所に瓦礫の粉塵が舞う。
姿に少々驚きはしたものの、その一発ですべてが終わると後藤が考え
ていると――瓦礫の粉塵の中からその生物がものすごいスピートでこち
らに向かって突進してきた。
後藤は呆気にとられたように呆然と佇んでいた――。
ひとみは、部屋で荷物の整理をしていた。
心配そうに見守る矢口・加護・希美の視線を背中に感じてはいたが、ま
た泣いてしまいそうになるのであえて振り向く事はせず黙々とカバンに、
自分の荷物を詰めはじめた。
梨華の姿は、そこにはなかった。
涙を吹きながら廊下ですれ違ったが、特に何も声をかけあう事はなかっ
た。もちろん、心の中で語りかける事もなかった。
「よっすぃ、ホンマに帰んの?」
加護の声に、ひとみの荷物をまとめる手がほんの一瞬止まった。
「なぁ……」
「帰るよ……。帰るけど、また戻ってくる」
「ホンマ?」
「ほんま」
加護と希美は、「やったー」と小さく手を取りあって喜んだ。
「よっすぃ……。無理しないでいいんだよ」
矢口の小さなつぶやきに、ひとみは笑顔で立ちあがった。
「いつか雛鳥は巣立つんです。ウチの場合は、それがほんの少し早い
だけですから」
矢口は、微笑みながら首を振った。
「矢口さんまで……」
「みんなよっすぃのこと好きだよ。好きだからこそ、ここにいちゃいけない
の。よっすぃには、よっすぃの人生がある。けど、自分1人だけの人生じゃ
ない。そこには、ここまで育ててくれたお父さんやお母さんの願いも含ま
れてんだよ。矢口はそう思うから、よっすぃにはもうここには戻ってきてほ
しくない……」
「矢口さぁん」
と、加護が目に涙を溜めてまるでお願い事をするかのように、矢口の腕
を引っ張った。
「加護も辻も寂しいかもしれないけど、よっすぃのためなんだよ。わかって
あげな」
「そんなん、嫌やー。絶対、嫌やー」
加護が泣きながら、部屋を飛びだした。「あいちゃん」と、あわててその
後を希美が追いかける。
ひとみは、また泣いた。15年間で泣いた事はほとんどない。しかし、そ
の付けが今回ってきているように、また涙を流した。
自分が恐れていたのは、こんな別れ方だった。いつかくるとは思ってい
たが、まさかこんなにも早いとは思いもしていなかった。
その爪が届くか届かないかの、ほんの少しの差で市井の触手は生物
の意識下に入り込み運動機能を停止させることに成功した。
「後藤、逃げるよ!」
市井は後藤に声をかけると、早く来いと言わんばかりに駆けだして行っ
た。
呆然としていた後藤だったが、ハッと我にかえって素早く市井の後を
追った。市井はまだ運動中枢を停止させているのだろう、生物はピタ
リと止まったままである。
市井は走りながら、触手で生物の意識下を探ったがそこには人間の
ような”意識の層”はなく、ただ動物に近い本能だけがあった。
初めて垣間見る意識下なので、何をどう操作していいのか分からない。
入り込んだ瞬間は、探る余裕もなく手当たり次第に触手を広げて、その
生物の運動神経を停止させた。そして、その判断が奇跡的に功を奏した。
もし、そのまま生物の動きを止める事ができなかったら、間違いなく後
藤の頭はあの鋭い爪で吹き飛ばされていた事だろう。
市井はそう考えると、ゾッと身震いした。絶命されてしまえば、市井に
はどうすることもできないのである。
建物の影に回りこむと、市井は触手の手を引いた。市井の触手では、せ
いぜい100メートル以内でしかその触手を伸ばす事はできない。
ふたたび、雑踏から悲鳴が聞こえてきたが、市井にも後藤にもどうする
事もできなかった。
そこへ、保田の運転するワゴン車がやってきた――。
静かな日本旅館に悲鳴が響き渡ったのは、中澤がひとみの両親にお
茶を出している時だった。
「な、なんですかっ!? 今のは」
ひとみの母親が驚いて腰をあげた時、中澤はもう土間を飛び出してい
た。
悲鳴の聞こえた庭園に向かって一気に走った。
庭園で、1人花を摘んでいた梨華。帰ってしまうひとみのために、何か
思い出になるようなものでも手渡そうと、庭園に割く山茶花をとりにやっ
て来ていた。
ひとみの考えている事はわかっていた。そして、矢口の事も――。
梨華は、すべてをひとみに委ねようと思った。もし、本当に帰ってきたの
ならばその時は誰よりも温かく迎え、もし帰ってこないのであれば他の
誰よりも強くひとみのことを覚えている事に決めた。
その”影”に気づいた時、その生物はもう梨華の真後ろにいた。
意識のガードをしていたわけではない。現に、部屋にいるひとみの意
識や矢口の意識、こちらに向かってかけてくる加護や希美の意識は
感じていた。いったい、誰なんだろうと思って振りかえった瞬間――、
梨華は悲鳴を上げた。
その生物の全身は、まるで漆黒の闇のような黒さだった。両目と肉の
裂けたような唇にある黄色い歯だけが、異様にギラギラと光を放って
いた。
その生物の姿に呆気にとられ、足が棒のようになってしまった梨華の
耳に、ドスッドスッドスッと何度か鈍い音が響いた。
「あ……、あいぼん……」
影の向こう側に、加護の姿があった。そう、加護が”闇の生物”に向かっ
て力を放っているのだった。
その生物は、梨華の目の前でニヤ〜と笑うと、ゆっくりと後ろを振りか
えった。背中は、直径10センチほど肉が抉りとられている。
しかし、その生物は痛がる様子など微塵も見せずに、ゆっくりと加護た
ちのいる方向へと歩いて行った。
「のの、はよ逃げ」
加護は、近づいてくる生物から目をそらさずに後ろにいる希美に言った。
希美の足はガタガタと震えて、動きそうにない。
「くっ。のの、動いたらあかんよ。ジッとしててな」
加護は、生物の注意をひきつけながらゆっくりと移動した。移動しなが
らも、連続的に力を放つ事を忘れていなかった。ドスッドスッと鈍い音を
何発もたてて、生物の身体に力は当っている。
しかし、何か黒い肉片のようなものを撒き散らすだけで、その身体にダ
メージを与える事はできないでいる。
梨華も触手を伸ばして、生物の意識下を探っていた。
しかし、その生物には何の意識もなかった。ただ、”監視”・”追跡”と
いう2つの本能に近い意識だけが渦巻いていた。
「なんなの……、いったい……」
動きを停止させる神経も、どこにあるのか分からない。梨華は市井の
ように触手を張り巡らせる事を経験的に学んでいなかった。
中澤が庭に到着した時、生物は加護のすぐ側まで接近していた。
「加護ッ! 逃げ!」
叫びながら、中澤は知った。加護のすぐ側には、震えて顔面が蒼白と
なった希美がいる。下手に素早く動くと、残された希美に危害が加わ
る。加護は逃げるに逃げれないでいるのだ。
「加護っ、目だよ! 目を狙え!」
母屋の裏手から、飛び出してきたひとみは思わずそう叫んだ。確証は
なかったが、咄嗟にそう叫んでいた。
加護の力は的確に、その異様にギラギラとした両目を一瞬で潰した。
視力を失った生物は、加護めがけて一気に突進してきた。
すでに加護たちに向かって駆け出していたひとみは、立ちすくむ加護
にタックルをして生物の進路から加護を救いだした。
視力を失った生物だったが、目標を見失ったと知るとすぐに身を翻して
倒れ込んでいるひとみと加護へと突進してきた。
ひとみは、精一杯の力で加護を突き飛ばした。なんとか、加護だけで
もという思いから、咄嗟にそのような行動に出たのであった。
きっとあの太い腕につかまれて、首でもへし折られるのだろうと、目を
閉じて覚悟を決めていたひとみだったが、一向にその気配はなかった。
恐る恐る目を開けると、こちらへ向かって駆け出してくる格好のまま、
生物の動きが止まっていた。
ひとみは瞬時に判断して、後ろを振りかえった。
額に汗を浮かべた梨華が、ひとみの視線に気づくと小さな微笑を浮か
べた。
「間に合った……」
それは、梨華の本心なのだろう。思わずそう口にしてしまった梨華が
なぜかおかしくて、ひとみはクスリと笑った。
駅前の雑踏――、雑踏であるべきはずの場所は閑散としていた。
乱暴な男の子が、イタズラで人形の四肢を引き千切ったかのような
死体がゴロゴロと辺りに転がっていた。
石黒がその現場に到着した時、すでに警察や消防隊そして機動隊が
到着した後であった。
なので、幸いにもそこにある数々の無残な死体を目にする事はなかっ
た。いくら、ジャーナリズム溢れる人物とは言え、現状はあまりにも
凄まじい光景すぎる。現にその現場関係者のほとんどが、卒倒して
救急車で運ばれていた。
身ごもの石黒には、耐え切れるものではなかった。
現場もそうであるが、街全体がパニックになっている。わずか数日の
間に、連続して白昼堂々と惨劇が繰り広げられているのだ。
何かひどく嫌な予感がする石黒であった――。
敗北感漂う市井たちが日本旅館に戻ってきたのは、謎の生物に遭遇し
た翌日の朝だった。
だが、誰の出迎えもなく辺りはしんと静まり返っている。
「石川……、いないのかな?」
いつもなら買い出しに行って帰ってくるまで、心配して意識の網を広げ
つづけているはずの梨華が、なにも感じていないというのはどういうこと
なのだろうかと、保田は首をかしげた。
「みんな――、奥の部屋にいるみたいだけど……」
と、意識の網を広げた市井が、他のメンバーの意識を捕らえたようであ
る。
「今度は絶対に油断しない。街だろーが、どこだろーが、思いっきり力
使ってやんだから」
と、よほど逃げ出したのが悔しかったのだろう。後藤は帰りの車中、ずっ
と同じような言葉を繰り返していた。
玄関を開けたがやはりそこに人の姿はなく、奥の部屋に意識があった。
市井たちは、ギシギシと廊下を軋ませながら奥の部屋へと向かった。
念のため、後藤にはいつでも力を放てることができるように告げていた。
障子を開けると、残されたメンバーのほとんどが部屋の中央に車座に
なって座っていた。続きとなっている隣の部屋を見ると、市井たちの知
らない中年の男女が布団に寝かされていた。
「何やってんの……、こんなところで……」
保田の視線の先には、目を閉じてジッと精神を集中させている梨華が
いた。市井の目には、おびえてガタガタと震えている希美と顔を青ざめ
てうつむいている加護の姿が映った。
後藤の目には、黙ってこちらを見ている矢口と庭が見渡せる窓辺に立っ
ている中澤の姿が――。
「お帰りなさい……」
と、ひとみが呟いた。その両手の甲にはいくつかの擦り傷があった。
矢口とひとみ以外は、やっと市井たちに気づいたらしい。
皆の視線が、障子の前で立っている3人に集中した。
「後藤さ〜〜ん」
と、加護が泣いて駆けよってきた。
「な、どうしたんだよ、加護ちん」
後藤は戸惑いながらも、加護を抱きとめた。しかし、加護は言葉を発す
ることなく泣き続けた。
「ここも、バレたかもしれん……」
中澤が窓の外に視線を向けたまま、ポツリと呟いた。
「まさか……」
中澤の心の声を感じた市井は、窓へと駆け寄った。窓の外には庭が広
がり、母屋に近いその場所にまるで彫刻のように動かない”生物”がいた。
中澤と市井は、それぞれの場所で起こった出来事を報告しあった。
そして、梨華が”闇の生物”の意識を探って知った”監視”と”追跡”の2つ
の意識は<Zetima>がこの生物を使ってひとみと接触する可能性のある
両親を”監視”し接触の際には”追跡”させているのだろうと結論づけた。
互いの話を聞いたメンバーたちは皆、さきほどよりも暗く沈んだ表情で黙り
こくるしかなかった。
ただ1つ救いがあるとすれば、”闇の生物”の意識を探った梨華の言葉
だけだった。
「でも、あの生き物がここにいる限り、ゼティマにこの場所を知られる事
はありません」
情報を伝達する言葉は、その生物は持ち合わせていない。だとすると、
その生物がたどった”道の記憶”あるいは”場所の記憶”を誰かが読み
とらなければならないはずであった。
「ごっちんの力でも、どうにもならんのやったら、アレ……どないせぇっ
ちゅうねん。なー?」
と、中澤は市井らが無事に帰ってきてホッとしたのか、元気を取り戻し
つつあった。
「ね、梨華ちゃん。ちょっと来て」
と、後藤が梨華の手をひいて、廊下へと出ていった。
その様子を見ていた市井も微苦笑を浮かべて、「アイツも、負けず嫌い
だからなー」と呟きながら出ていった。
わけのわからないひとみたちは、しばらくして顔を見合わせるととりあ
えずと言った感じで、表へと出ていく事にした。
梨華が止めていたはずの”闇の生物”は、ゆっくりとではあるが移動し
ていた。玄関の引き戸を開けたひとみたちは、目の前をゆっくりと移動
する生物を見て言葉をなくした。
”生物”ではなく、その生物を声を出しながら表に誘導している後藤に
言葉をなくしたが正解かもしれない。
後藤は、生物を表に連れ出すとゆっくりと辺りを見まわした。
力を押さえなければならないようなものは何もない。
そう判断すると、門扉から顔を覗かせているひとみたちに向かって大き
な声で叫んだ。
「危ないから、来ないでよ。それと、見たくない人は見ちゃダメだから」
ひとみの傍らにいる梨華が、ひとみの腕をぎゅっとつかんだ。
「ごっちん、自分の威力が通じるか試そうとしてる……。ひとみちゃん、
見ない方がいいよ……」
と、自分もうつむいて目を閉じた。
しかし、ひとみは目を閉じるつもりはなかった。後藤の力をあらためて
見ておく必要があった。それが、潜在的にまだ自分の中にある後藤へ
の恐怖心との決別だと考えていた。
――何も後藤に、変化はなかった。生物が敵である後藤の位置を確
かめ、突進した次の瞬間にその生物の下半身が吹き飛んだ。
斜め下に向かって力を放ったのだろう、生物の下半身を吹き飛ばした
力は衰えることなく地面をえぐった。振動は、ちょっとした地震のようで
あった。
その爆風により、舞い上がった生物の上半身めがけて、後藤は自分
が出せる最大の力を放った。
空に破壊されて困るようなものは何もないからである――。
生物の上半身は、塵となって辺りに舞った。
梨華も矢口も見ないつもりだったが、1回目の振動で思わず目をあけ
てしまい空中で弾け飛ぶ様を見てしまった。しかし、あまりにもその威
力がすごかったためか、グロテスクな光景を垣間見ることなく生物は
”塵”となってしまった。
「やっぱ、後藤さんはすごいなぁ……」
加護が、ポツリと呟いた。梨華が励まそうとしたその時よりも早く、傍ら
にいた希美が声をかけた。
「あいちゃんも、15才になったらできるようになるよ」
「なるかなぁ……?」
「なるよ。だってあいちゃん、まだ12才だもん」
「関係あんのかなぁ」
「日々、特訓なのれす」
と、希美はおどけてガッツポーズを作った。
「――よーし。ほな、特訓行こかー」
「おー」
と、2人は手を取りあって駆けていった。
「なんじゃ、ありゃ……」
保田が苦笑を浮かべて、走り去る二人を見送っている。
他の中澤や矢口、ひとみや梨華もそうであった。
「あんなん見たら、うるさいのもしゃーないかって思うてしまうんよな」
「矢口も」
「ほんま、得な2人やで。――さて、ゼティマの怪物の方も終わった
事やし、そろそろよっさんのご両親にも起きてもらおうか」
ひとみの両親は睡眠欲のせいで眠っているのではなかった、生物の
姿を見てパニックを起こしたために梨華の能力で強制的に眠らされて
いたのである。
何となく肩を落とし気味に、旅館へと戻りかける一行。
襲撃の騒動により、ひとみの問題はひとまず棚上げとなっていた。口
には出さないでいたが、皆の胸の内にはずっとそのままにしておきた
いという思いが間違いなくあった。
しかし、そういうわけにもいかない――。それも、皆の中には間違い
なく存在していた。
ひとみは梨華を呼びとめた。
立ち止まる梨華。
メンバーも、振りかえる。
ひとみは清々しい表情で、皆の顔を一瞥した。
「アタシ、みんなとここに残ります」
「――よっさん、そういうわけに」
と、口を開いた中澤の言葉を、ひとみは遮るように梨華に話しかけた。
「梨華ちゃん、ウチの親からアタシの記憶を消して」
「え?」
梨華だけでなく、皆がひとみの言葉に驚いた。
「うーん、考えたんだけどさ、家にはまだ弟たちもいるから完全に消す
ことは無理だとしてもさ、なんか適当な理由で家には戻れない事にし
といてよ」
「ちょっと待ち。よっさん、自分、何言うてんのかわかってんの?」
「ここでの生活が落ちついたら、必ず家には戻ります。今、帰るんじゃ
なくて先送りするだけです。今、帰っても明日には絶対ここに帰ってき
ますよ」
「な……」
中澤は口篭もり、どうしようかと思案を練っているようである。
「アタシには、みんなのような力はないけど、気持ちはみんなと同じ
です。やっつける事はできないかもしれないけど、みんなを逃がす
盾ぐらいにはなれます」
「ひとみちゃん……」
梨華の頭に、”海響館”での出来事がフラッシュバックした。
真希の頭に、10年前の思い出が甦った。
中澤や矢口の脳裏にも、加護を助けるひとみの姿が映し出された。
市井や保田の脳裏にも、ホテルでの出来事が思い出された。
そして、皆の頭の中に”もしも、自分が力を持っていなかったら”と
いう疑問が芽生えた――。
「あかん……。あかんで……」
と、中澤が両手で口もとを押さえながら天を仰いだ。
「なんだよ、裕ちゃん。また、泣いてんの?」
隣の矢口が、キャハハと笑っている。
「違うわ。天気ええから、お日様見てるだけや」
「もう、歳だからね。涙もろくなってんだよ」
市井はニヒルな笑みを浮かべそう言い残すと、母屋へと戻っていった。
「歳いうな」
保田と後藤が、小さく笑いながら市井に続いて母屋へと戻っていく。
「盾になんかなる必要ないで、みんなのことは姐さんが守ったる。みん
な、めっちゃ好きや。なー、矢口ィ」
と、まるで涙を隠すように、いつものように矢口に抱きついた。
「ハハ。もう、やめろよー」
矢口もそれがわかっているのだろう、いつものように笑いながら抵抗し
た。
ひとみはそれを見ながら、微笑んでいた。
そして、その横顔をジッと見つめていた梨華は、ソッとひとみの手を握っ
た。ひとみの温かい感情が、梨華の胸に流れ込んでくる。自然と、梨
華にも笑顔が浮かんだ。
互いに微笑みあうと、2人は母屋へと歩いて行った。
娘。吉澤ひとみは、海外に留学中という事になった――。
あの駅前の惨劇から、1週間が経過した。
一旦東京に戻った石黒は、編集長に取材のための長期出張を申し出た。
身ごもの石黒を心配してなかなか首を縦に振らなかった編集長ではあっ
たが、石黒は出産までにはまだ2ヶ月あるからといって引き下がらなかった。
編集長は渋々ではあるが関東地方限定という事で、長期出張の許可を与
えた。
当然の事だが、夫である山田真矢は猛反対した。
「彩ちゃん、いい加減にしろよ」
アパートの一室で、もうこれ以上話し合っても平行線をたどるだけだと判断
した石黒は、ボストンバックに荷物を詰め始めていた。
「彩ちゃん一人の身体じゃないんだぞ。そのお腹の中にはな、2人の子供
がいるんだ。もしも何かあったら、どうするんだよ」
「――けっきょく、真ちゃんは赤ちゃんさえ無事に生まれればいいって思っ
てんの?」
「もういい加減にしろよ。さっきから言ってるだろ」
「私はこの仕事に命をかけてる。真実を伝えることが、私の存在価値なの。
前にライタークビになったとき、このまま家庭に入るのも悪くないって思った。
でも、やっぱり違うのよ……。真ちゃんも、それに気づいてくれたでしょ。そ
れに気づいてくれたから、仕事続けてもいいって」
「ああ。仕事はどんどん続けてくれても構わない。でも、それは無事に赤ちゃ
んを生んでからも遅くないじゃないか」
「……」
石黒は、静かにそして小さく笑った。
「毎日、電話するから」
石黒は、ボストンバッグを持って立ちあがった。真矢は背を向けたまま、
何も言わなかった。ただ、背中の後ろの方で閉じられるドアの音だけを聞
いていた。
居酒屋『平家』は、今日も賑わっている。
店内のそのほとんどはいわゆる中年の親父たちで埋まっているが、どの
客たちも顔なじみで店はアットホームな雰囲気に包まれている。
平家にとっては、その雰囲気がささやかな幸せだった。
ただ、平家には今も突然失踪した姉妹の事が気になっていた。
2階にあった少ない荷物も、いつ戻ってきてもいい様にそのままにしてあ
るし、街でよく似た少女を見つけると駆け寄っては声をかけていた。
だが、どれもこれも”石川梨華”や”石川なつみ”ではなかった。
決して自分も幸福な人生を送ってきたわけではない。それなりに、不幸の
苦汁を味わったかのように思う。
だからこそ、あの姉妹には特別な感情が平家の中にはあった。わずか10
日ほどしかいなかったので、何をしてやることもできなかったが、いずれは
アパートを世話してやり、望むのであれば小さな店でも持たせてあげたい
と考えていたのである。
「どこ、行ったんやろな……」
焼き鳥の串をひっくり返しながら、平家はポツリと呟いた。その呟きは、テ
レビの音量や客たちの笑い声によって誰にも届く事はなかった。
「みっちゃーん、砂肝3つねー」
と、客の声が聞こえた平家は、すぐに女店主の顔に戻って「あいよー」と答
えた。
店にはその後アルバイトは一人も入らなかった。入ることは入ったのだが、
どれも2日以上は続かずに無断で辞めていった。その度に、平家は石川
梨華のことを思い出していた。
もう2度と会う事はないだろう。
――そんな事は分かっているが、平家はどうしてももう一度会いたかった。
せめて、遠くからでもいいから幸せそうな顔をしている石川梨華の姿を確認
したい。そう願っていた。
客の誰かが適当にかけていた国営放送の”懐メロ”番組が終わり、ニュース
番組がはじまった。
客たちはテレビがついている事さえ忘れているのだろう、誰も見向きもして
いない。
真新しい”寺田生物工学総合研究所”の前には、大勢の報道陣がつめか
けていた。
臨時ニュースという形で、民放全局の番組はすべて中断されて総合研究
所前からの中継が全国に流れていた。
近づいてくる大型トレーラーのヘッドライト。
研究所前にいた雑誌・新聞関係のカメラマンが、そのトレーラーへと駆け
ていく。
トレーラーはカメラマンたちに阻まれ、思うように進む事ができない。
テレビカメラは、研究所の前からその様子を冷静に全国に流している。
やがて、研究所が用意した警備員たちが進路を作り、トレーラーはゆっく
りと研究所の敷地へと入っていった。
『たった今、未確認生物を乗せたトレーラーが寺田生物工学総合研究所
に運ばれました!』
テレビを見ていたものたちは、カメラの前でそう興奮気味に喋るレポーター
に対して”見れば分かる”と思った事だろう。
つんくも、テレビを見ながら心の中で突っ込んでいた。
寺田生物工学総合研究所の窓のない部屋で、つんくは先ほどからテレ
ビの中継を見ていた。
ドアがノックされて、秘書らしき人物が入ってきた。
警戒心の強いつんくだが、なぜか振りかえる事もなく迎え入れた。
「ミュータントの配置、完了いたしました」
「そうか。ほな、あと10分後に頼む」
「かしこまりました」
秘書の女性は、軽くつんくの背に一礼をすると立ち去っていた。
テレビのブラウン管の横に、小さなモニターがある。
そして、そこには文字が羅列していた。
(シシャ。スウセンニン……。カゾク。ニゲルヨウニイッテオイタ)
つんくはその文字を読むと、小さく苦笑した。
石黒は、夜の高速道路を走りながらカーラジオでそのニュースを聞いて
いた。
謎の生物を記者会見場でインタビューに答えた防衛庁の大臣が『ミュー
タント』と呼んでいる所が少し気になったが、その謎の生物が捕獲されて
政府が生態を研究すると発表したのは世間ともども石黒もホッとするニュー
スであった。
しかし、そのわずか十数分後には、世間を絶望させるニュースが舞い込
んできた。札幌・東京・名古屋・大阪・福岡・九州・沖縄の主要各都市が、
無数の『ミュータント』により襲撃され、死傷者は推定で13万人を超えた。
「……真ちゃん!」
石黒は、すぐに携帯電話で自宅のアパートに電話をした。数度のコール。
出ない。もしかしたらという絶望的な思いが、石黒の脳裏を駆け巡ったが、
さらに数回目のコールで真矢が電話に出てきた。
「真ちゃん! 大丈夫だった!」
石黒の叫びをよそに、真矢は眠そうな声を出した。
『は?』
「は? ってね、ちょっとテレビつけてみてよ。早く!」
受話器の向こうから、『なんだよ……』と真矢の呟きが聞こえてきた。
石黒は、車の時計を見た。まだ午後9時30分過ぎである。あんな別れ
方をしたのに、こんなに早く眠る事ができる夫の無神経さに少し閉口し
てしまった。が、声の調子からして、どうやらヤケ酒を煽って眠っていた
ようだった。
『なんだこりゃ!』
どうやら、テレビでは凄まじい光景が映し出されているらしい。真矢は、
電話の向こうで吐いているようだった。
東京でも襲撃場所からは、離れていたのだろう。真矢が無事と分かっ
て、石黒はホッと胸を撫で下ろした。
しかし、局地的な恐怖は、全国各地で渦を巻いてしまった。
石黒があの駅前で感じた嫌な予感は、確実に的中しつつあった。
Chapter−D <祭りの開始>
中澤は、ラジオの電源を消した。
昨夜は雪かきやら建物の修繕などをして疲れていたため、全員風呂から
上がるとすばやく床に入って眠ってしまっていた。
今朝起きて、朝食を食べながらラジオの電源をつけると、そこからはいつ
もの番組は流れてこず、特別報道番組が流れてきて、昨夜全国各地で
起こった惨劇を知ったのである。
全員、何となく箸を持つ手を止めてしまった。
ただ1人、飯田だけがまるでラジオからのニュースなどは聞こえていなかっ
たかのように平然と黙々と食事をしている。
「……どえらい事になってるで」
中澤は誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。
「何匹おんねんな……」
「ウチラは、正義の味方じゃないよ」
と、市井がなぜか怒ったような口調で、呟いた。
「せやな……。せやけど、このままでエエんかなぁ……」
中澤の疑問に、矢口がこの場の雰囲気を明るくしようと笑いながら喋った。
「ウチラがやらなくてもさ、国がやってくれるよ」
「その国も、ゼティマと繋がってんねんで……」
中澤の言葉に、全員、また静かになってしまった。
「ハハ。そだよね。でもさ……」
矢口は言葉を捜したが、何も言葉は出てこなかった。
このままではいけない事は、全員の胸の中にあった事だろう。しかし、誰も
それを口に出す事はない。なぜならば、もうこれ以上、<Zetima>と関
わりたくなかったからである。
中澤らも、市井らも、その生物のタイプこそ違えど実際に『ミュータント』と呼
ばれる生物に遭遇した。そして、自分たちの能力を持ってしても、手ごわい
相手だと肌で感じた。
それが、何匹ともなると……。
さすがの後藤も、恐怖心というものはなかったができることなら関わりあい
たくはない。
関わりあうことなく、静かにこの場所で暮らしていたい。皆は、そう願ってい
た。その日やるべき事をこなしながら過ごしていく。
この地に移り住んで今までそうして来たように、これまでもそうしていきたかっ
た。
「また、ここにも来るのかな……」
ひとみは、庭園を歩きながらポツリと呟いた。
日課である生活用水を汲みに、渓流へと向かっている。
隣を歩いている梨華は、先ほどからひとみの中に広がる不安をずっと
感じてはいたが、あえて何も言いださなかった。
ひとみの言葉を聞いて、ようやく口を開いたのである。
「ここには、来ないと思うよ」
「石黒さん……、大丈夫かな……?」
「……あ、東京だもんね」
「もう、赤ちゃんも生まれる頃だし、無事だったらいいんだけど」
「妊娠――、してたの?」
「アタシが退院するちょっと前だったかな、もう2ヶ月目に入ってたんだっ
て」
「そう……」
「無事だったら、いいんだけど……」
「……アタシもね、1人心配な人がいるんだ」
梨華は立ち止まって、ひとみを見上げた。
「?」
「平家さんって言ってね、安倍さんと一緒に暮らしてた頃、お世話になっ
たの。とても良くしてもらったんだけど……、何の挨拶もしないで離れ
たのがずっと気になってて……」
(安倍さん……)
(どこ行ったんだろう……)
(梨華ちゃんと安倍さんって……)
ひとみの意識が、梨華に流れ込んでくる。
「私と安倍さん?」
「へ?」とひとみが、梨華に視線を向けた。
「私と安倍さんが、どうかしたの?」
「あ、ううん。別に……」
と、ひとみはまた歩き始めた。きょとんとした梨華だったが、すぐにひと
みの後を追った。
「そういえばひとみちゃん、あんまり安倍さんのこと聞かないよね」
「別に……、だって、聞いても仕方ないじゃん。どこにいるのか、誰も
知らないんだし……」
「ううん。そうじゃなくて、私と安倍さんがどんな風に生活してたかとか」
「そんなの……、聞いても仕方ないじゃん」
「そんなに、興味ないんだ……。私の事なんて……」
梨華がうつむき始めたのを空気で知ると、ひとみは軽いため息と共に
振りかえった。案の定、梨華は眉尻を下げて、泣きそうな顔をしてうつ
むいていた。
「そうじゃないってば」
「だって……」
「違うの。違うから、そんな泣きそうな顔しないでよ」
「だって……」
「あー、もう。じゃあ言うよ。聞くの嫌なの。保田さんから、ちょっと聞
いて知ってる。ホテルでその……。抱き合ってたりとか、一緒にイチャ
イチャしてお風呂入ってたとか」
「い、イチャイチャなんかしてないよ」
と、梨華が顔を赤くして反論した。
「だって、保田さん梨華ちゃんに意識読み取られない位置から、ずっ
と監視してたって」
「うそ……」
「ゼティマから連絡があるまで、ずっと張り込んでたんだって」
「……」
梨華は、うつむいた。すべて見られていたかと思うと、恥ずかしくて
顔もあげる事ができない。何もやましいことはなかったが、すべてを
見られていたという事実が恥ずかしかった。
「そんなの……、梨華ちゃんの口から聞きたくないよ」
と、ひとみは少し困ったような表情をしてそっぽを向いた。
――梨華は不意に、何かを思い出したかのように顔を上げた。
このような会話――。
どこかで繰り返したような――。
「ひょっとして……、ひとみちゃん、妬きもち焼いてる?」
そう。梨華は思い出した。数ヶ月前に、今のひとみと同じような態度
を、ひとみに向かって行なった事を――。
そして、それがきっかけで自分自身の気持ちに気づいた事を。
「……なんで、妬きもちなんか」
ひとみは、自分の鼓動が高鳴り、血流が顔に集中していくのを感じ
とっていた。
(何、これ?)(なんで、こんなにドキドキすんの)
(は? なんで?)
(梨華ちゃんが……)(好き……)
(友達として、好き)(違う……?)(わからない)(わからない)
「私、ひとみちゃんのことが好きっ」
ひとみの意識を感じとった梨華は、わけがわからなくなって思わずそ
う叫んでいた。
”好き”という感情を、別のものへと転化させられようとして焦った
のかもしれない。
このままの関係で良いと、自分自身を納得させてこの数ヶ月間を過ご
してきた。それは、正直な気持ちだった。ひとみの事は”好き”だったが、
その想いを伝えようなどという気はここ数ヶ月まったくなかった。
このままでの関係でも良いと思っていたし、どこか自分は間違っている
のかもとさえ悩んでいた。
しかし、ひとみが両親と帰りそうになった時――。
ほんの少しだけ、後悔していた。後悔したからこそ、戻ってくることが
あればちゃんと想いだけでも告げようと考えていた。
だが、ひとみは結局両親とは帰らなかった。そのせいでいったんは、
沈んでいたひとみへの想いが、急激に上昇してきたのだった。
突然の告白を受けたひとみは、困惑していた。
(は? 今、好きって言った?)
(好き?)(好きって?)
(友達?)(友達としてだよね)
ひとみの困惑した意識、もちろん梨華にも届いている。以前の梨華な
らば、先読みして相手の納得した答えを口にしていた事だろう。しかし、
今日の梨華は違った――。
「友達としてじゃない……と、思う……」
梨華は、うつむき加減で小さな声ではあったがそう口にした。
「梨華ちゃん、アタシ」
「うん。ごめん。困ってるのはわかるけど、私、どうしても伝えたかった
の。ひとみちゃん困らせるのわかってたけど、どうしても……」
「梨華ちゃん……」
ひとみは、ポタポタと雪を溶かす梨華の涙に気づいた。
「私にもよく分からない。中澤さんの事も好きだし、矢口さんや市井さ
んや保田さん――。みんなの事が好き。でも、ひとみちゃんは違うの」
「……」
「前に、ひとみちゃん、私のこと”特別”って言ってくれたよね。私ね、
その時初めて気づいたの。私も、ひとみちゃんのこと特別なんだって」
「……」
「ひとみちゃんは、どういうつもりで言ってくれたのか分からないけど……。
私は、その時ひとみちゃんのことが誰よりも好きだって事に気づいた……」
「……」
「ごめんね。こんなときに、変なこと言って」
梨華は素早く涙をぬぐうと、ひとみに笑顔を向けた。無理な笑顔では
なく、どこか清々しさのようなものが漂っていた。
「あのね、梨華ちゃん」
「あ、ほら。早くお水汲みに行かなきゃ。また、遅いって怒られちゃう」
と、ひとみに背を向けて歩き始めた。
「待ってよ、梨華ちゃん」
ひとみは、大きな声で呼びとめた。そうしないと、そのままどこかへ消
え行ってしまいそうな、梨華の背はすがすがしい笑顔とは裏腹にとて
もはかなげだった――。
立ち止まった梨華に、ひとみは駆け寄った。そして、梨華を背中から
強く抱きしめる。その存在を確かめるように、強く強く抱きしめた。
「ひとみちゃん……」
「言ったよ。忘れてたけど、うん、特別だって言った」
「ひどい、忘れちゃってたの」
と、梨華はひとみに抱きしめられたまま小さく笑った。
「あ、そう言ったのは、忘れただけ」
「?」
「でも、あたしの心の中にはいつもある。ありすぎて、それが当たり前に
なっちゃってるから」
「……」
「わかんないよ。アタシも梨華ちゃんも、お互いの中にあるのがなんなの
か。でも――」
「特別なんだよね」
と、梨華がひとみに笑顔を向けた。そして、その笑顔に一瞬見惚れてい
たひとみだが、すぐに自分も笑顔で「うん」とうなずいた。
――数分後。
水を汲み終ったひとみと梨華が玄関を開けると、加護と希美が囲炉裏の
ある部屋で寸劇をしていた。
加護のもとから、離れていく希美。
「待ぁってよ〜ぅ」
両手を胸の前で組み、キラキラした瞳を中空に向けて立ち止まる希美。
走る仕種をした加護が、希美を後ろから抱きしめる。
「特別なんだよー、梨華ちゃーん」
「うれすぃー」
振りかえった希美が加護と、チュっとキスをした。そして何事もなかった
かのように離れると、観客である中澤・矢口・後藤・保田にお辞儀をした。
中澤と矢口と保田は、笑いながら拍手をした。後藤だけが、玄関にいる
ひとみと梨華に気づいたようである。
「梨華ちゃん……。まさか……」
「見られてたの……」
立ち尽くす2人であった。
「おー、お熱いお2人さんやないのー。時間かかってたと思ったら。ほん
ま、最近の子は」
と、中澤がひとみたちに気づき、ニヤニヤと笑った。
「よっすぃ〜、矢口にもして」
と、矢口が笑顔で唇を尖らせる。
保田はフッと笑うと、囲炉裏の上にあるヤカンへと手を伸ばした。
後藤は軽く頬を赤らめると、何も言わずにそそくさと廊下へと消えていった。
「ち、違いますっ! 辻、加護」
ひとみに怒鳴られた加護と希美は、からかうように笑いながら中澤の後
ろへと隠れた。
「とくべつなんだよねー」
「とくべつ好きやねん」
と、2人は顔を寄せ合いまたキスをしようとした。
「キ、キスなんかしません!」
「お前らー、いい加減にしろよー」
と、顔を赤らめながらひとみは加護と希美を追いかけた。
その頃、市井は部屋にいた。
窓の外に広がる銀世界を眺めていた――。
障子戸が静かに開き、後藤がうつむき加減に入ってくる。
「いちーちゃん……」
市井は振りかえらずに、ずっと窓外を見つめている。声は聞こえていた。
聞こえていたが、今は自分の中にある感情と戦っていたかった。
『ミュータント』と呼ばれる生物。その後ろにいる”つんく”。
中澤のように”自分たちとは関係ない”と割りきる事はできている。関わ
りなくこの場所で静かに暮らしたいという思いもある。しかし、もう一方で
心の片隅で”責任”を感じていた。
つんくの思惑に気づかず、つんくの欲望を満たす事のできる地位まで
上りつめさせたのは、間違いなく自分であった。
市井は、自分の欲望のために盲目的につんくを信じた。その結果、つ
んくは自分がゆるぎない権力を手にいれると、まるで不用品のように
市井たちを捨てた。
どのような手段を使ったのか分からないが、国の防衛を荷うという権力
を行使し多額の補助金を使い『ミュータント』と呼ばれる生物を造りだし、
日本を惨劇の場にかえた。
無視を決め込むには、自分は”つんく”と”Zetima”に関わりすぎて
いる。
このような情勢にしてしまったのは、自分にも責任がある。
市井の心は、揺れていた。
「まただね……」
後藤の小さな声。
市井の耳に届いている。
「この前は、裕ちゃんが止めてくれたけど……。後藤は、いちーちゃんが
そうするって決めたら、どこまでもついて行くよ」
「なんのことだよ」
市井は、窓の外を見て苦笑した。
「ううん、別になんもない。ただ、後藤はそうするから」
「……」
きっと、はかない笑顔を浮かべて立っているに違いない。窓外を見てい
る市井だったったが、頭の中にはそんな後藤の姿が映っていた。
復讐でも、正義のためでもない、自分自身の中にある罪悪感。
後藤を――、他の仲間を巻き込むわけにはいかない。
市井は、その罪悪感をソッと胸の奥底にしまいこんだ。
ピピッと侵入者を知らせるアラームが鳴り、つんくは書類から顔を上げ、
デスクの上に設置されているモニターを見つめた。
その人物は、ノックと同時に返事もまたずにドアを開けた。
そして、デスクの向こうで座りながら銃を構えているつんくを見て足をす
くめた。
「き、君……。何のマネだね」
「返事があってドアを開ける。大切なマナーですよ」
と、つんくはニヤニヤ笑いながら銃をしまった。
防衛庁の大臣は、額に汗を浮かべながらもつんくの元へと歩いた。
「秘書からも聞いているとは思うが、今日は政府公式会見の日だ。もうあと、
3時間もない。なのに、研究資料が用意されていないとはどういうことだね」
大臣はソファに座ると、その額に浮かんだねっとりとした汗をぬぐった。
「ミュータントの資料なら、さっきFAXで送ったんですけどね。どうやら、
入れ違いみたいでしたね。ご足労おかけして申し訳ありません」
と、つんくは深々と頭を下げた。だがそこに申し訳ないという気持ちはまった
くなかった。すべては計算上の事である。
「あぁ、それならそれでいいんだが……。そのロシアが送り込んできたとい
うミュータントを少し見せてもらえないだろうか?」
(子供か、このオッサンは)
つんくは心の中で、苦笑した。国民を何人も殺している怪物を、国の防衛を
任されている最高責任者が、このような発言をするのがつんくには笑えて仕
方がなかった。
「厳重な警備でおいそれとは見せてもらえない事は分かっているが、どの
ような怪物と我々は闘わなければならないのか一度この目で確かめてお
きたくてね」
大臣が、ただたんに好奇心だけからここに来たことはわかっていた。
会見に必要な資料を取りに来たというのが、口実である事も分かっていた。
「見ても面白くないと思いますよ。解剖して全形は留めてませんから。それ
よりも、早く戻って資料に目を通した方が……。残念な事ですが、これは明
かにロシアが送り込んできた生物兵器です。そして、さらに残念な事は、そ
の生物は元・人間です。ドイツから呼び寄せたシュタイナー博士による、理
論は実証されました。公に発表するのは恐ろしい事ですが、このまま黙って
手をこまねいているわけにもいきません。全世界の政府が一丸となって、こ
の自体に取り組まなければ」
それまでうつむき加減にとつとつと喋っていたつんくだったが、そこで会話を
きると、顔を上げて真剣な表情で大臣の目を見据えた。
「世界は、破滅です」
日本政府が発表した『ミュータント』についての緊急調査報告は、衛星を
通じて全世界に同時に放送された。
「現在日本国内でその特殊能力を保持している者は、男女年齢を問わず
1580名です。潜在的に能力を保持されていると思われる人数は含まれ
ておりません。日本国内に滞在している海外からの旅行者、留学生、就業
者については把握しきれていません。各国との政治的・人道的な点を考慮
して、政府は半強制的にそれらの海外からの入国者に関し国外退去勧告
を発令します」
「――政府は即急に緊急対策本部を設け、『ミュータント』の一斉討伐を
行なうと共に、今後突然変異を起こしうる可能性のある者に限っては、日
本国憲法下の基本的人権を考慮しつつ保護を目的に一時的な拘束もや
むを得ない事とします」
「ロイター通信によりますと、日本時間深夜0時20分。アメリカ・イギリス・
中国・ヨーロッパでほぼ同時刻に『ミュータント』が出現した模様です」
全世界で、祭りののろしが上がった。
「日本国内はただ今より、『ミュータント』壊滅条例を施行いたします。市民
の皆様は、くれぐれも軽率な行動に出ないように申し上げます。繰り返しま
す。日本国内はただ今より、『ミュータント』壊滅条例――」
人々は狂った。
「アメリカ・ヨーロッパ各政府も同等の公式発表があった模様です。日本
政府は現地に外務省スタッフを送り――」
大国と呼ばれた国は、自国を守ることで精一杯となった。
「緊急対策本部が置かれている国会議事堂が、『ミュータント』の襲撃に
遭い――」
国内の暴動鎮圧により、手薄となっていた議事堂が襲撃された。
「寺田生物工学総合研究所によりますと――」
国民の唯一の救いが、世界的に有名な生物学者・化学者達が集うこ
の研究所だけだった。
「18日未明、ロシアの××基地から数基の核ミサイルがアメリカ本国
に向けて発射されましたが、圏外でのミサイル防衛に成功した模様です。
この自体を受け日本政府では各国との――」
疑惑をかけられた大国は、すでに何者かによりその機能中枢を乗っ取られ
ていた。疑惑の大国から、加害国となったロシアは全世界から集中的な攻
撃を受け、国の機能をほぼ停止させられた。
――毎日。いや、数時間毎に変化する世界情勢を、つんくは爪を噛んで
ニヤニヤと笑いながら見つめていた。
石黒は某県で、もう10日ほど足止めを食らわされている。主要幹線道
路は、警察隊・自衛隊により封鎖されており、緊急警戒警報の発令に
より外出することさえ困難な状態になっている。
小さなビジネスホテルの一室で、石黒は重い腹を抱えるようにして窓の
外を見つめていた。
主要大都市では、市民が暴徒と化し様々な被害が及んでいるらしい。
石黒の目から見える風景は、人の姿こそないもののどこか平和な光景
である。つい数分前に見たニュース番組――いや、もはやニュース番
組というくくりはなくなっている。24時間、各局は国内・世界の混乱した
情勢を放映し続けているのだ。
テレビで見た東京は、異様な光景であった。幹線道路は機動隊の装
甲車に封鎖され、通りには戦車が行き交う。
銃を持った兵士が街を歩き、あちこちでは暴徒による放火が原因で火災
が起きている。
武器を手にした市民は己の命を守るために徒党を組み、別のグループ
と血なまぐさい争いを行なっている。
街の至るところから銃声が聞こえ、悲鳴が聞こえ――。カメラがその先
に向かうと、生々しい死体が転がっている。
「地獄……」
テレビの向こうは、石黒の目には地獄に映っていた。
夫の山田真矢とは、もう10日前に連絡が途絶えている――。
日本政府が発表した『ミュータント』についての緊急調査報告から、わず
か3週間で世界は破滅へと導かれていた。
保田・市井・加護の3名は、3週間ぶりに町へと下りてきていた。
世界で起きている事件の事は、ラジオを通して知っている。このような
時勢に、山を下りるのは危険ではないかと中澤の忠告もあったが――、
食料も燃料も底をつき始め、これからもっと厳しくなる冬を乗り越すため
にはどうしても下山は必要だと市井は引き下がらなかった。
市井のパートナーである後藤は、ちょうどひとみらと裏山の奥へと山菜
を採りに行っていたため、市井は加護を連れていく事にした。
「いいか、加護。力は、絶対に使うんじゃないよ」
市井の言葉に、加護は少し緊張しながらうなずいた。
緊急警戒警報発令中ではあったが、片田舎の町にはそれほどの混乱
もなく、いつも通っているショッピングセンターにはいつもと変わらない
利用客たちがいた。
保田も、無意味に辺りをうかがうことは止めた。その行動だけで、怪し
まれる恐れがあったからだ。
「普通にしてればいいんだよ。普通に」
市井は、緊張してしゅんとおとなしくなっている加護の手を握って、自
分の側へと引きよせた。
「圭ちゃんも」
と、市井は片方の手を保田へと差しだした。
「ヤめてよ、カッコ悪い」
保田は微苦笑を浮かべて断ったが、市井の表情は真剣だった。
「アタシの側にいれば、力は使えないんだよ」
「……あ、そっか」
と、保田は照れ笑いを浮かべながら、市井の手を握った。
「こうしてれば、3人姉妹に見えるかな?」
保田の問いに、緊張のほぐれた加護が笑った。
「あんた、一番下なんだから、お姉ちゃんの言う事ちゃんと聞きなさいよ」
「ほえーぃ」
加護のおどけた返事を合図に、3人は手を繋いだままショッピングセン
ターへと入っていった――。
――ドサッ。
後藤の手から、山菜の乗ったザルが滑り落ちた。
「あー、ごっちん、なにやってんのー」
側で山菜を摘んでいたひとみが、大きな声を上げた。
後藤の落とした山菜は、緩やかな斜面を転がり落ちていった。
ひとみの側にいた梨華が、フッと顔を上げた。
後藤はぼんやりと、宙を見つめていた。梨華はその姿を見て、飯田を思い
出した。
「ちょっと、ごっちん、七草がゆ食べたいんじゃなかったの? どうすんの、
せっかく集めたのに」
と、ひとみが斜面の下の方を覗き込みながら言った。
「アハ、ごめん」
われに帰った後藤だったが、その心の中はなぜか市井のことばかりを考
えている。
後藤の意識を感じた梨華だったが、あえて何も言わずに山菜を採りつづ
けた。どうして市井のことを考えてしまったのか、後藤自身もわかってい
なかったからである――。
アットホームが売りだった『居酒屋 平家』も、最近ではその騒動のために
暗くなってから外出する人も少なくなり、ほとんど客足は途絶えた状態であ
る。
店を開いても赤字になるのは目に見えているのだが、それでも少ないなが
らも以前のように足を運んでくれるなじみの客のために閉めるわけにはいか
ない。
「はぁ〜……、何でここまで義理立てするんやろ」
平家は開店前の店で、赤文字の多い帳簿をつけていた。
自然と、ため息ばかりが漏れる。
つけっぱなしのテレビは、先ほどから”行方不明異能力保持者”の実名を
取り上げている。帳簿をつけているので見てはいない。自分には関係ない
ので、興味もないのではあるが、薄暗い静かな店内にいると気分も塞ぎが
ちになるので、つけっぱなしにしている。
『尚、未成年者の実名報道には報道倫理に基づき、実名およびその顔写
真の公開を控えておりましたが、政府の基本方針・世論の声等を反映して
Fテレビでは未成年者ではありますが今後のことを考慮し実名報道および、
顔写真の公開へと踏み切らせていただきます』
『相原みずほさん。大阪府出身。15才。
相原直行さん。広島県出身。17才。
赤沢留美子さん。新潟県出身。18才。
安倍なつみさん。北海道出身。19才。
・
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飯田圭織さん。北海道出身。19才。
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・
石川梨華さん。神奈川県出身。15才
・
・
・』
その名前を聞いたとき、平家はボーっと梨華のことを思い出した。焼き鳥を
焼く時に小指が立っていたこと、店の軒先に巣を作っていたつばめを怖がっ
ていた事、なつみという姉を一生懸命世話していた事。
そして、ハッと気づいた。
(何で、梨華ちゃんの名前があんねん!)
顔を上げた平家は、ブラウン管の中にある梨華の顔写真に目を見張った。
そして、その数段上にある”安倍なつみ”と書かれた顔写真にも目を奪わ
れた。
(な、なんやねん……。梨華ちゃんとなっちゃんが……、ミュータント……)
『尚、このリストに挙がっている安倍なつみさん・飯田圭織さん・石川梨華
さん・市井紗耶香さん・加護亜依さん・後藤真希さん・辻希美さん・福田明
日香さん・矢口真里さんの他、京都府出身の中澤裕子さん・千葉県出身の
保田圭さん以上の11名は、各地で様々な破壊工作を行なっている模様で
大変危険なテロリストグループでもあります。我々Fテレビが独自に入手し
たテープをご覧頂きたいと思います』
テレビのブラウン管には、破壊されたホテルの映像と監視カメラの前を走る
中澤らの姿が映っていた。