中澤が矢口の死を知らされたのは、昨日の事だ。
なっちも真里っぺも、私より先に逝くなんて・・・。圭坊は敵に回るし・・・。
もう、なにが何だかわからへん・・・。
気持ちの整理がつかないまま、予定通り捕虜収容所の視察を行っていた中澤は、
上の空で所長の説明を聞いていた。
その中澤を現実に引き戻したのは、収容されている捕虜達の現状を、目の当たり
にした時であった。
・・・・なんやねん。これ?・・・まるで豚小屋やんか?!!
捕虜収容所の視察を終えた中澤は、応接室で所長と向き合っていた。
「すまないな。補給が分断され、帝国内の生産も滞りがちなのだ。」
「いえ、国情は承知しております。」
セブンスターに火をつけながら、中澤の口から、ついつい溜息が出る。
捕虜達の健康状態は極めて悪い。この施設も1000人の定員に、2000人近く
が詰めこまれているのだ。明らかに食料は不足しているし、衛生状態も酷い。
「失礼します。」
副所長が、なにやら複雑な表情で入ってきた。
「どうした?」
「はい。たった今、総統閣下からの通達があったのですが・・・。」
心なしか、声が震えている。
「今すぐ、捕虜を全て『処分』しろと・・」
「何やて??!!!」
あまりのことに、中澤が大声をあげて、立ちあがる。
「所長、少し時間をくれ。私が直接閣下に確認する。」
「それが・・・。親衛隊長殿が何を言っても、すぐに決行するようにと・・・。」
副所長は、苦悶の表情で、ファックスを差し出した。
「バカな・・・。なんてことを・・・。」
紗耶香・・・。あんた一体何考えてんねん?!!
既に収容所では、慌しく虐殺の準備が進められていた。
「捕虜を殺すんですか?」
後藤は自分の耳を疑った。
「これまでが、手ぬる過ぎたのだ。これからは、捕虜だけでなく、帝国人民であっても、
厳しく罰をあたえる。やはり愚民どもは、私が厳しく統制してやらねばならん。」
市井の声には、一切の感情が汲み取れない。
・・・紗耶香様・・・。
「あ、それと。先日捕まえた『黄色い狛犬』のゲリラどもな。あいつらは公開処刑しろ。
帝国に逆らったらどうなるか。見せしめだ。」
「公開処刑・・・そんな・・・」
「なんだ?私に意見があるのか?」
凍てつくような市井の目つきに、後藤は言葉を失った。
やはり、紗耶香様は尋常では無い。何かが狂い始めている・・・。
湧きあがる不安に押し潰されそうになりながら、後藤は無意識に、一人の女の顔を
思い浮かべていた。
・・・・圭ちゃん・・・・。私、紗耶香様が解らなくなって来たよ。
難民達は熱狂していた。みな体も心も傷つき、飢えに苦しんでいたが、彼女の勇姿が
人々を勇気付けた。男も女も。老人も子供も。
野戦病院の兵士の頭をそっと撫で、飢えた子供達に、無け無しの食料を配り歩く様は、
まさに聖母のようであった。
しかし、自分を神格化しようとする人々に対し、保田は常に諭し続けた。
「私は聖人なんかじゃあない。普通の女よ。ただ、今の世の中に、ただ黙っている
のは嫌。みんなはどう?このまま、自分や家族の運命を他人任せにしていいのか、
もう一度考えて。強要はしないわ。でも、気持ちが同じなら、私のところに来て。
ともに戦いましょう!」
保田はゲリラ戦において、卓越した戦術を持っていたが、何より彼女の目線の低さ
は、兵士以外の多くの人々の心を一つに纏め上げていた。
「俺はケイと一緒に戦うぞ!」
「私も戦う!亭主の仇をとってやるんだ!」
「俺もだ!!」
農民が、猟師が、ビジネスマンが、主婦が、民衆の力は今、大きなうねりを生み出そう
としていた。
「みんな。戦おう!帝国を恐れるな!自由のために、ケイ・ヤスダを信じよう!」
公開処刑は連日のように行われた。それは日に日にエスカレートし、目を覆うばかり
の惨情が、スタジアムに観客を集めて行われ、TV中継で全世界に放映された。
市井はその日も処刑の様子を楽しんでいた。
「ひゃはははっはは!!最高!!見た?今のあいつ!泣きながら命乞いしてやんの!」
とうとう耐え切れずに中澤が、市井の前に立ちはだかる。
「閣下・・・。いや、紗耶香!!あんた、今自分が何やってるか解ってるん?!
あんたは、こんなことする子とちが・・うぐっ・・・」
市井の右アッパーが中澤を打ち倒す。市井は椅子から立ち上がると、中澤を容赦なく
蹴り続けた。目をぎらつかせ、無言で足を繰り出すその姿は、明らかに狂気を孕んで
いた。 中澤は既に意識を失っている。
「やめて!!止めてください!紗耶香様!!」
後藤が身を呈して間に入る。
「止めて・・・。御願いです。中澤さんが・・・裕ちゃんが死んじゃうよお・・・。」
市井は肩で息をしながら後藤を見ていたが、何も言わずに背を向け、去って行った。
もう、誰も止められないの・・・?
血まみれの中澤の姿に、絶望感を噛み締める後藤であった。
あのプッチモニ合宿の日。紗耶香様は圭ちゃんを、さっきの裕ちゃんと同じように
蹴り続けた。でも、あの時の紗耶香様は手加減してたし、顔だって蹴ったりしなかった。
・・・なのに・・・・。
市井は昔からサデスティックな面は持っていた。しかし、それはいつも計算されたもの
であり、常に冷静であった。
さっきの市井は、完全に「キレて」いた。以前では考えられないことだった。
目の前のベッドに横たわる中澤の顔面は、包帯に覆われていたが、鼻を折られ、赤黒く
膨れ上がっていた。
「・・・なあ。真希・・・。」
「裕ちゃん?目を覚ましてたの?」
「なんか不思議な気持ちや・・」
「何が?」
後藤は椅子から立ち上がり、顔を中澤に近づける。
「あんたがモーニング娘。に入ったばっかりのころ、私、何喋ってええか全然わからへん
かってん。あんたも、私のこと怖がってたやろ?」
10年近く前の事を、懐かしそうに話す。
「だって、私はまだ子供だったし。なんだっけ・・・『あか組4』の時、ジャケット撮影
の移動の車の中、凄く気まずかったね。」
「そうそう。あんた顔ひきつってたもん!」
思わず、二人から笑いが漏れる。
「っつ・・・。イタた・・。」
「裕ちゃん、無理して喋らない方が・・。」
「うん・・・。ありがと。でな。だから、今あんたとこんなふうに接してるんが、なんか
凄く不思議な感じがするねん・・・。」
・・・・裕ちゃん。
「なあ、真希。もう、あのころの紗耶香はおらへんのかなあ・・。」
中澤の声は珍しく弱気で、涙ぐんでいた。
旗艦ミッドウェイでの作戦会議。副官・稲葉は不安に駆られていた。他でもない、
戦線に復帰した飯田の態度である。
飯田の様子は、誰が見てもおかしかった。異常なくらいのハイテンション、飯田
らしくないオーソドックスで、キレを欠く戦術内容・・・。
「さあ、みんな張り切っていこ〜〜〜〜!」
笑顔が不自然に感じられる。
そして、ある日偶然、稲葉は見てしまう。飯田が部屋で独り言をぶつぶつ呟き
ながら笑っているのを・・・。
・・・指令長官殿?
稲葉の不安は、その数日後、的中する。第二ハワイ海戦における、連合艦隊の
大敗という形で・・・・。
その日を境に、帝国軍艦隊の撤退が続くことになる・・・。
「そうだ!真里っぺに連絡して、新曲の練習しなきゃね。」
相次ぐ仲間の死と、急転する戦況が、飯田の精神を確実に蝕んでいた。
市井がシャワーを浴びる音を聞きながら、後藤は放心したように、ベッドにうつ伏せに
なっていた。
このところ、紗耶香様は毎晩のように激しく求めてくる。でも・・・。
「真希、お前もシャワー浴びろ。私は先に休ませてもらう。」
バスローブを着た市井が、事務的な口調で言う。
いつもだ・・・・。昨日も、一昨日も、その前も。
ことが終ると、さっさと身支度を済ませ、自分の部屋に戻ってしまう。
私は単なる欲望のはけ口なの?
思えば、市井の口から直接愛していると言われたことはない。言葉以上の繋がりを
信じて、今まで関係を続けてきた。しかし・・。
紗耶香様の心の中は、今も「あの人」だけなの?真希はいないの?
何度も繰り返してきた想い。確かなものが欲しい。
後藤とて女である。形の無いものを信じるには、今の状況は辛過ぎるものであった。
判らないよ・・・。私、どうしたらいいの?
以前はこんな時、いつも傍らで髪を撫でてくれる人がいた。
その人は、私の前から去る時に言った。
「真希。この番号は変わらないからね。いつでも電話してきていいんだよ。」
でも、あれは7年前のこと。しかも今は戦争中だ。もう、かかる筈がない・・・。
考えとは裏腹に、携帯のメモリーを呼び出し、ボタンを押してみる。
呼び出し音が鳴る。・・・まさか・・?
「はい。保田です。」
変わらぬ優しい声が返って来た。
中立地区パリのとある古びたバー。そのカウンターで頬杖をつきながら、後藤は落ち
つかない様子で、何度も煙草に火をつけていた。
6本目の煙草を吸わないまま灰皿に押し付けた時、懐かしい声がした。
「元気にしてた?真希。」
「圭ちゃん・・・。」
顔を見るなり、後藤の目から、大粒の涙が溢れ出す。
「泣き虫は相変わらずのようねえ。」
後藤の隣に腰掛けると、あの頃と同じように髪を撫でてくれる。
「私はシーバスリーガルをロックで。この子にはマティーニをお願い。」
やがて目の前に出されたグラスを手に取ると、穏やかに微笑む保田。
「さあ、涙拭いて。まずは再会を祝して、乾杯しましょう。」
「うん・・・。」
夜は静かに更けていく。
ほろ酔い加減で昔話に花が咲き、一時を楽しんだ後、二人はホテルの一室に入った。
「お水飲む?」
「ん・・。ありがとう。」
保田が差し出してくれたミネラルウォーターに、口をつける。
「ねえ。圭ちゃん・・・。」
「何?」
「どうして何も訊かないの?」
後藤の問いかけに、保田は暫く腕組をして黙っていた。
どれくらい無言で向き合っていただろう。やがて、保田はゆっくりとした口調で
切り出した。
「そうね・・・。上手く言えないけど、答えはあなたの中にあるんじゃないかな。」
意味がわからず、ぼんやりしている後藤に近づくと、髪を撫で、そっと額にキスをした。
「とにかく、今日はもう、休みなさい。傍についててあげるから。」
優しい言葉に促され、後藤は眠ることにした。
今、この一時だけが、後藤を全ての圧迫から開放してくれるようだった。
翌日、後藤が目を覚ますと、保田の腕枕の中にいる自分がいた。
後藤が寝つくまで、ずっと髪を撫でていてくれたのだ。
気付かれないようにベッドを出ると、バッグの中から、数枚のCDロムを出し、机の
上に置いた。心臓が高鳴る。
・・・これでいいんだ。これで・・・・。
「そのCDロムは何?」
保田の声が、肩越しに響く。
「・・・・圭ちゃん・・・。起きてたの?」
起きあがり、近寄った保田がCDロムを手に取る。
「次の帝国軍の作戦、補給部隊の航路・・・現在の戦力の全てが判るわ。」
「真希・・・。あんた・・。」
俯き、覚悟を決めたかのような後藤の姿に、保田は胸がつまった。
「判ったわ。あなたの思うようにしなさい。私も自分の立場があるから、この資料
は、遠慮なく利用させてもらうわ。」
「また、連絡します。」
帰り際の後藤の顔に、運命の糸に操られて来た女の哀しみが浮かんでいた。
【番外編 砂漠の虎・平家みちよ 1】
帝国軍が、アフリカ戦線において苦戦を強いられた最大の原因は、なんと言ってもその
気候と地形にあったと言えよう。そして、敵を恐れない誇り高き民族の血。
そのアフリカ諸国の将軍達が、唯一恐れ、敬意を払った帝国軍の女・・・。
ヨーロッパ・アフリカ方面軍最高司令官、平家みちよ・・・・。将軍達は彼女のことを
こう呼んでいた。―――「砂漠の虎」と。
「ラウドルップ少佐。」
数少なくなった帝国との同盟国・デンマーク生まれの若い将校に、平家が声を掛ける。
「次の補給が終ったら、一周間の休暇を与える。家族に会って来い。」
「ありがとうございます!・・・しかし、司令官殿は、もう半年も戻られていないので
は無いのですか?」
「私のことは心配いらん。ゆっくり羽を伸ばして来い。子供が生まれたばかりで、奥方
も大変だろう。」
「・・・司令官殿・・。」
部下達の、平家に対する信頼は厚い。冷静沈着で勇猛果敢。そして何より部下を気遣う
優しさがあった。
・・・もう、半年も逢っていないんだ・・。
前線基地の司令官室。そっと引きだしを開けて見る。
故郷の三重に残してきた恋人の、屈託なく笑う姿が眩しかった。
「砂漠の虎」平家みちよ。彼女もまた、女であった。
三重県・四日市市。その日の勤めを終えた青年は、今日も国際電話を掛ける。
「みちよ。来月は帰れそうか?・・・・そうか・・。わかった。じゃあ・・・。」
短い会話を終えると、机の上の小箱をみつめ、溜息えお漏らす。箱の中に輝く小さなリング
は、はめてくれる人の帰りを待っている。
・・・生きて帰ってくれよ。そして、プロポーズするんだ。
「なに?!どういうことだ?!3日後の作戦のための弾薬が、届かないだと?」
平家の顔が、青ざめる。備蓄分の弾薬しかない今、攻撃されたら一溜りもない。
連合軍側の、この前線基地に対する情報を掴んでいた平家は、敵の攻撃の直前にこちらから
仕掛け、敵の主力を一気に叩くつもりだったのだ。
「今回の補給は・・・つんくさん・・・。」
帝国軍は前線での武器弾薬の補給を、国内からではなく、外部の武器商人から仕入れていた。
どういうことなの?つんくさん・・・。
「つんくさん。何故補給が来ないんですか?!」
「悪い悪い!ちょっと、遅れててなあ・・・。来週にはなんとかするわ。」
電話の向こうのつんくは、悪びれた様子もない。
「来週じゃ、遅いんですよ!つんくさん、聞いてます?つん・・・。」
電話を途中で切ると、つんくはその突き出たお腹をさすりながら、ゆっくりと葉巻を
くゆらせた。・・・悪いなあ、平家。お前んとこより、向こうが高う買うてくれるんや。
なんてこと?!!一番近い味方の補給基地でも4日はかかる。間に合わないわ!!
歯軋りをこらえ、平家は全軍に撤退指令を出した。
仕方がない。一旦退いて、機を伺わなければ・・・。
しかし、引き上げに追われていた平家達を、悪夢が襲う。
「司令官殿!!敵の奇襲攻撃です!!」
・・・遅かったか?!!!!
「みな、避難しろ!!」
「司令官殿は?」
「私は一番最後に出る!!」
怒号が飛びかう司令塔から、敵の機影が迫っているのが見える。
弾薬のない基地など、張子の虎のようなものだ。それでも気休めの弾幕が張られる。
・・・・ごめんな・・。私、やっぱり帰れそうもないよ・・・。
平家達の頭上に、激しい雨のようにミサイルが降り注ぐ。
「砂漠の虎」平家みちよ、凄絶に散る。
「社長、市井様よりお電話が入っておりますが。如何いたしましょう?」
「なんやねんな。もう・・・。食事中やっちゅのに。」
テーブル一杯に並べられた豪勢な料理を、名残惜しそうに目で追いながら、舌打ちする。
電話の向こうの市井は、苛立ちを隠さない。
「つんくさん。前線の部隊への納入が、遅延気味のようですが?」
「ああ、その件ね」
つんくの態度は、あくまでも素っ気無い。
「悪いけど、お前のとことはもう取引できんわ。ウチはウチで、他の取引先との兼ね合い
もあるしな。ま、そういうことで。今まで儲けさせてもうて、おおきに!ほな!」
一方的に切ると、執事に電話を放り投げる。
今度は保田に儲けさせてもらおか・・・。戦争のプロデュースは堪えられんなあ。
「くっくっくっくっく・・・」
ビバリーヒルズの高級住宅街。その小高い丘の大豪邸のテラスからは、世界の全て
が見えるようだった。
いやあ、愉快やなあ・・・。
「金♪金♪金♪金♪金〜〜♪」
踊りながら「ちょこっとLOVE」の替え歌を歌うつんくだった。
帝国陸軍は、アフリカからの完全撤退を余儀なくされていた。太平洋艦隊の壊滅に続く
この事態は、「黄色い狛犬」や連合国軍を調子付かせ、帝国の領土縮小に拍車をかける
ことになった。また、帝国の三本柱の一人、平家を失ったことは、戦略的なダメージ
だけでなく、幹部連の中に大きな波紋を呼んでいた。
「みっちい・・・。あんたまで。」
執務室のソファーには、呆然とする中澤の姿があった。
シャ乱Qオーディションで、同じ大阪大会から最終選考に選ばれて以来、中澤にとって
平家はライバルであり、親友だった。デビューしてからも番組の司会を一緒にやったり
して、御互いに「みっちい」「姐さん」と呼び合う仲だった。
「なあ。姐さん。私、ほんとは田舎に彼氏いるの。」
「え?マジかいな。」
「うん。ずっと、待っててくれてんのよ。」
「こいつ!姐さんより先に嫁に行く気かああ??!!」
二人でじゃれあってたのが、昨日のことのようだ。
「親衛隊長殿!閣下より、至急会議室に来るようにとのことです。」
ドアの外の部下の言葉に促され、ソファーから立ちあがる。
立ちあがった中澤の目の前には、壁に掛けられた鏡がある。そこに映っていたのは、
疲れ切った中年女の顔だった。
「・・・ふう。」
溜息をつくたび、何かを失って行くような気がする中澤であった。