中澤が会議室に入ると、飯田以外の幹部は、既に全員顔を揃えていた。
やはり、正気に戻らないのか・・・。治療は続けられてはいたが、もはや飯田の精神は
完全に破壊されてしまっているようだ。
元々、情緒不安定なコやったからなあ・・・。でも、正気にかえらんほうが、圭織に
とっては、幸せかも知れへん。
だが、会議が始まるなり小湊の口から出た言葉は、更にショッキングな内容であった。
「内通者がいるようです。」
色めき立つ幹部達。しかし、市井はいつも通り冷静である。
「最高機密が漏れています。先日も、補給部隊が待ち伏せにあいました。同じような
ことが、この1ヶ月程続いています。どうもその・・・。」
一瞬、小湊が言いよどむ。
「どうした?」
「裏切り者は、幹部の一人のようなのです。」
思わず信田が立ちあがる。
「ばかな??!!!我々の中の誰かが裏切ったというのか?!!」
会議室の中に、言いようのない異様な空気が流れる。
市井の隣には、いつものように後藤が座っていた。表面上はなんとか平静を保っていた
が、心臓から冷たい汗が噴出すのを感じていた。
裏切り者は私。 紗耶香様を裏切ったのは、私・・・・・。
流石に市井の冷徹な頭脳も、そのことを察知できずにいた。まさか己の最も信頼を寄せる
相手が、裏切り者だったとは。後藤の異常に感づくには、今の市井は疲れすぎていたの
かも知れない。
帝国の崩壊は、内側からも加速して行った。
町外れの草サッカー場に集められた志願兵を相手に、銃の使い方を教え、訓練を施す。
志願兵といっても、みな民間人。兵役経験者は少ない。年齢はバラバラだし、女性も多い。
だが、痩せこけた彼らの顔には闘志が漲っている。家族や恋人を守りたい。平和をとり
戻したい。そんな彼らを前に、保田が話し始めた。
「いい?みんな。これから私達が向かうのは戦場なの。そこにあるのは、破壊と殺し合い
だけ。どんな綺麗ごとも通用しない世界なの。そこで、私達は殺されるかも知れない。
あるいは誰かを殺すかもしれない。殺された相手には、家族が居るかもしれない。恋人
が居るかもしれない。遺された人達は、きっと私達を憎むでしょう。私達がしようと
してることは、そういうことなのよ。矛盾してるようだけど、犠牲を乗り越えないと、
平和や自由は戻らないってこと。それを言いたかったの。」
真剣な眼差しで聴いていた50近いオバさんが、静かな口調で話し出した。
「解ってるよ。ケイ。私はこの戦争で、息子を失った。だが、今度は私が誰かの息子を
殺さなきゃならないんだ。それが、戦争。こんな思いは二度とごめんだよ。早く、この
忌々しい戦争を終らせなきゃねえ。」
頷くみんなの心は一つだった。
「ケイ!」
訓練を終えると、ブロンドの髪の青年が走り寄って来る。
「デビッド・・・。」
保田の表情も、まんざらでもない。
大きな木の下で、二人は並んで腰掛けていた。
「今度のスロバキアの戦いが、戦争集結の決め手になるはずだ。」
「うん。帝国側の一大拠点であるあそこを叩けば、形勢は一気に有利になるわね。」
デビッドは保田の横顔をずっと見詰めている。髪を無造作に括り挙げ、擦り傷の残る
横顔は、凛々しく輝いている。 ・・・ケイ・・。
「どうしたの?デビッド。」
視線に気付いた保田が、怪訝そうな顔をする。
「ケイ。戦争が終ったら、僕と結婚してくれないか?」
「え?っな、なに言ってるの?今はそんな話してる場合じゃないでしょう?」
「今だから言うんだ!」
保田の両手を握るデビッドの目は真剣である。
「今。話しておきたいんだ。生きて帰って来るために。」
「デビッド・・・。」
・・・私はあなたの愛に応えられない。
目の前の若いイギリス兵士に、自分の今の本当の気持ちを言うのは残酷だ。
「生きて帰ったら、返事を考えておくわ。」
自分も随分な女だ。保田は自嘲気味に笑って見せた。
その時、無線に連絡が入った。
「・・・真希?」
「どうしたんだ?ケイ」
「ベッカム少尉、キャンプの無線をセットして。チャンネルは・・・。」
保田の口調が変わる。デビッドはすぐに走り出した。
「真希、待って。この周波数じゃまずいわ。チャンネルを替えましょう。」
指示を出す保田も走り出す。
後藤は作戦室から盗み出した情報を、自室のパソコンにダウンロードしていた。
「スロバキア基地の情報と、防衛線の戦力配置よ。今からそっちに送るから。」
小声で話す後藤は、背後に人の気配を感じ取り、恐る恐る後ろを振り返った。
「小湊さん・・・。」
銃を構えた小湊が、信じられないといった顔をしていた。
「まさか・・・。後藤さん、あなただったの?どうしてこんなことを?!」
「とうとう知られちゃったわね。」
「あなた。閣下を、紗耶香様を愛していたんじゃないの?」
「・・・・・・。」
後藤はゆっくり立ちあがりながら、後ろ手に引き出し探る。
「愛しているから、こうしなくちゃいけなかったの。」
「言ってる意味が解らないわ。」
小湊は油断していた。大人しい秘書官の後藤に、人など撃てないと思い
こんでいた。その隙をつく様に、後藤は手にした銃で小湊を撃った。
「っううっ!!」
うずくまる小湊を見下ろす後藤。
「ごめんね。でも、麻酔銃だから安心して。」
後藤は走り出した。・・・・もう、ここには居られない。
さよなら。紗耶香様・・・・。
「そうか・・・。真希が・・・。」
中澤からの報告にも、市井は顔色一つ変えなかった。少なくとも表面的には。
「詳しい報告は、小湊の意識が回復次第行いますが、現場の状況から、無線とパソコンを
使って情報を漏らしていたのは、まず間違い無いでしょう。」
「解った。どの程度漏れているのか確認して、前線に対処するよう、指示を出せ。」
中澤が部屋から出て行くと、市井は窓辺に立って物思いに耽っていた。
真希が何故、裏切ったのか解るような気がした。そして、市井は自分に真希を責める気持ち
が無いことも知っていた。
明日香・・・。私のしてきたことは、間違っていたのか?
「明日香、何が欲しい?」
「あのお星様がいい。」
私は銀河さえ手に入れられると思っていた。だが、現実はどうだ?なっち、真里、平家・・・
私は自分の愛するものさえ守れない。そして、真希も私の許を去った。
自分には、力があると思っていた。自分には、神がついていると思った。どんなモノも
手に入れられると思っていた・・・。
―――愚かな私。
私は一体何の為に戦い、ここまで来たのだろう?教えてくれ。明日香。
市井は生まれて初めて、迷いを感じていた。ためらい、迷うことなど無縁だった人間が、何か
に目覚めようとしていた。
遅過ぎた目覚めではあったが・・・。
スロバキアの前線基地は壊滅した。情報漏れに気付いたところで、もはや連合国軍の勢い
を止める事は、不可能になっていた。
「総統閣下、信田司令長官殿が・・・・戦死されました。」
「そうか。ご苦労であった。手厚く葬ってやれ。」
戦況は、連合国軍の圧倒的優勢にあった。帝国の領土は全盛期の10%にも満たない、
このヨーロッパとロシアの一部のみになっていた。日本すら、もはや帝国の
統治下には無かったのである。外部の武器商人からの補給もなく、国内の生産と供給に
支えられていたが、国民は長引く戦争に、身も心もボロボロになっていた。
国内では暴動や犯罪が多発していたが、それを抑える術は無かった。
何もかも失って行く・・・。
「いよいよかな・・・。」
市井は覚悟を決めつつあった。
「いよいよかな・・・。」
ベッドで眠る、後藤の寝顔を見ながら、保田は決着が近いことを感じていた。
もうすぐ戦争は終るだろう。帝国の滅亡という形で。紗耶香様はどうなうのだろう?
紗耶香様は…。紗耶香様は死んで行くのだろうか?独りで…。
私はどうするの?ここにいていいの?
連合国軍は市井帝国に対し、降伏勧告を行った。受け入れない場合は帝国総統府に向け、
最後の一斉攻撃を仕掛けるというものだ。
その日の朝、出迎えのヘリに搭乗しようとする保田の前に、後藤が現れた。
「真希、あんたは私の部屋で待ってなさい。」
「・・・」
「…・真希?」
「私、紗耶香様のところに戻ります。」
後藤の目には、一点の曇りもない。
「やっと、自分がどうすべきか判ったんだね?」
保田が静かに微笑む。
「いいかい。真希。紗耶香の心の中の人は、もうこの世に居ない。生きている人を支えられるの
は、生きている人だけなんだ。」
「はい!」
「じゃあ、一緒に乗りなさい。うまく帝国領内に戻れるように、取り計らってあげるわ。その代わり
次に会う時は今度こそ敵同士。容赦無くあんたを殺すよ。」
「自分が何を言ってるのか、解ってるつもりです。」
後藤はもう、泣き虫な子供では無くなっていた。
勇壮な狛犬のマークが入ったヘリが、次々と飛び立つ。
紗耶香様。もう真希は迷いません。死ぬときは真希も一緒です。
私、馬鹿だった。自分のことばかり考えてたのは、私のほうだ。今の紗耶香様を支えるのは私
だけなんだ。ずっと前から解ってたはずのことだったんだ。圭ちゃんは、それを知ってたんだ。
「ねえ。圭ちゃん。」
「なに?」
「圭ちゃんも紗耶香様のこと、 愛してたの?」
「私は…」
紗耶香は降伏なんか選べへんやろうな。でも、これ以上犠牲者を増やすようなこと
できへん。やっぱり、私がせなあかんのかなあ。
目の前の軍用銃を見つめる。
これが私の人生やったんかなあ・・。どうして、普通に結婚して普通に暮らす道を選べ
へんかったんやろ?みっちい、なっち、真里っぺ。もうすぐ私も行くよ。
「そや・・。」
中澤は引き出しからポーチを取り出した。その中には化粧道具が入っている。
鏡を見つめ、長い事していなかったルージュを引く。
「なかなかエエ女やんか。」
ウェディングドレス、着てみたかったな…。
「閣下。最終防衛ラインを突破されました。」
「部下を全員連れて、総統府から撤退しろ。投降する準備をしておけ。」
「閣下…。」
「急げ!!」
もう、私には何も無い。
どれくらい時間が過ぎただろう。ゆっくりと人気の途絶えた総統府の敷地を歩く。
結局、私が辿り着いたのは、「あの星」ではなく、この地面の上だ。
私はここでくたばるのだ。
倉庫に火を放つ。じきに燃料に引火して、総統府の建物は、炎につつまれるだろう。
「誰だ?!!」
中澤の声に振りかえる。中澤も残っていたのか…。
中澤の構えた銃の先の人影が、ゆっくりと近づいてくる
「真希…。」
「紗耶香様。」
市井は、皮肉な笑みを浮かべていた。
「真希…。圭のところじゃなかったのか?」
「はい。恥知らずにも、戻って参りました。」
後藤の瞳は、真っ直ぐに市井を射抜いていた。
「紗耶香様。最後のお願いがあります。」
「願い?」
市井の瞳にも、何の憎しみも宿っていない。
「私と踊ってくれませんか?」
3人は迎賓館の大広間に居た。既に炎は総統府の建物全てに燃え広がろうと
していたが、今の3人にはどうでも良いことだった。
「クラシックなら大抵の曲があるで。どれにする?」
「裕ちゃんが決めて。」
「じゃあ…。CDもあるけど、こんな時はやっぱりアナログのほうがエエねえ。」
中澤が見守る仲、二人は漂うようにステップを踏んだ。
市井の見せる笑顔は、今まで誰も見たことのない表情であった。
このまま時間が永遠に止まればいいのに・・・。
「なあ。真希。何が欲しい?」
問いかける市井に、後藤は迷わず答えた。
「何も要りません。紗耶香様の傍にいるだけで、私は幸せです。」
市井は初めて心が満たされるのを感じていた。それは後藤も同じである。
迎賓館にも炎と煙が牙を剥き始めていた。
中澤は銃を取り出した。弾は丁度3発入っている。
紗耶香の分、真希の分、そして私の分…。
紅蓮の炎に焼かれ、崩れ落ちて行く帝国のかつての象徴は、妖しいまでの
美しさを放っていた。
長かった戦争は終ろうとしていた。
【エピローグ それぞれの明日 1】
「店長。ルルから電話で、今日休むって・・。」
「そう。仕方ないわねえ。あなた、今日8時まで残れる?」
「はい。一応、大丈夫ですけど。」
「じゃあ、悪いけどルルの代わりお願いね。」
最近の若いコって、すぐにバイト休むのよね。まあ。平和な世の中だから、当たり前か。
千葉のとあるハンバーガーショップ。保田は時々、昔を思い出す。
戦争が終って、もう随分経つ。バイトのコ達は、店長の保田がかつて戦争中に自由の為
に闘った叛乱軍のリーダーだったことを知らない。
「保田店長ってさあ、もういい歳なのに独身なんだよ。」
「やっぱ、ブスだから結婚できなかったんだろ?」
若い子達が、自分の陰口を言ってるのも知っていた。
うふふ。これでもイギリス人のハンサムのプロポーズを断ったことだってあるんだから。
「どうしてなんだ?ケイ。」
「ごめんなさい。デビッド。私、もう恋愛はできない女なの。」
紗耶香…。あなたをこの手で殺したかった。
市井、後藤、中澤の3人は、総統府の焼け跡から遺体で発見された。
当時、世間は3人が心中したとか、暗殺されたとか、いろんな憶測が飛び交ったが真相
は藪の中だ。最後の瞬間、3人の間にどんなやりとりがあったのか、誰にも解らない。
市井を殺すことで結実するはずだった保田の屈折した愛は、こうして消えてしまった。
後には片思いの感情だけが、永遠に残ったのである。
…紗耶香。あなた、幸せだったの?
【エピローグ それぞれの明日 2】
私の身元引き受け人として現れたのは、彩という水商売風の女性だった。
彩さんは、北海道で御主人とスナックを経営している。少しぽっちゃりした御主人は、
とても気さくな人だ。二人ともとても良い人で、私は店を手伝いながら、居候させて
もらっている。毎日が、とても愉しい。
「圭織。散歩に行こう。」
天気の良い午後、彩さんと散歩するのが日課になっている。
店の近くの川の土手を歩くのは、私の大好きな散歩コースだ。
彩さんは散歩しながら、よく昔の話をしてくれる。楽しかった芸能界でのことが殆どだ。
私には記憶が無い。自分の飯田圭織という名前や、学生時代くらいまでは覚えているのに、
アイドルだったころや、数年前の戦争中の記憶は全く無いのだ。
なんでも、思い出したくない辛いことが一杯あって、それが記憶を封印してしまっている
のだそうだ。私はA級戦犯といって、戦時中に悪いことをした人間だ。戦争が終った時
私は重度の精神障害を抱えていたこと、回復後も記憶を失っていたことが理由で、罪には
問われなかった。もう一人の違う自分が居るようで、なんだか複雑な気分だ。
【エピローグ それぞれの明日 3】
「紅白歌合戦にも出たことあるのよ。」
彩さんは、楽しかったことだけを私に話した。私が嫌なことを思い出さないように、気を
遣ってくれるのだ。最初会った時は怖い人かと思ったけど、本当に優しい人だ。
河原に咲く花や鳥のさえずりを聞いていると、戦争があったなんて嘘みたい。
不意に、強い風が吹いた。
髪をかきあげた私の目に、たくさんの種が空に舞うのが見えた。…たんぽぽの種。
…何故だろう?
涙がとめどもなく溢れてきた。悲しいからなのか、嬉しいからか、切ないからか…
気がつくと、私は無意識に歌っていた。
どこにだって ある花だけど 風が吹いても負けないのよ
どこにだって 咲く花みたく 強い雨が降っても 大丈夫
横を見ると、彩さんも一緒に歌っている。
ちょっぴり「弱気」だって あるかもしれないけど
たんぽぽの様に 光れ
「この歌はね、私が辞める時、あんたが歌ってくれたんだよ。圭織。」
頬に感じる心地よい風が、涙を拭ってくれる。
たんぽぽの種は青い空に吸いこまれていった。 【完】