TOYコレクター組織の殲滅は、市井にとって大きな命題である。戦闘と並行してTOY達
の開放を続けてきた市井であったが、組織の中心部の正体は、依然つかめずにいた。
膠着する最前線。繰り返し起きる、帝国内の叛乱。問題の多面化は、頭が痛い。
そうだ!TOY開放活動を利用すれば・・?
「真希!」
「はい。閣下。」
「TOYの存在を、世間に公表しろ。」
「え?全てですか?」
「そうだ。我が帝国が行っているTOY開放活動を知れば、世間に帝国の正義を主張する
ことができよう。すぐに準備しろ!」
「かしこまりました!」
後藤は内心、違和感を感じていた。
紗耶香様は今まで、TOYのような子供達の居ない世の中の実現のため、権力を欲していた
のではなかったの?これではまるで、権力を伸ばすためにTOYを利用することにならない
かしら?・・・いや、紗耶香様はそんなこと・・。
市井に対する疑惑を打ち消しながら、後藤は広報部へと足を向けた。
私は紗耶香様を信じるだけ・・・。
極東方面軍総司令官・信田美帆、
ヨーロッパ・アフリカ方面軍総司令官・平家みちよ、
太平洋艦隊総司令官・飯田圭織
以上の3名が、市井帝国軍における攻撃の3本柱である。
中でも飯田は不敗神話を誇る将軍として、帝国内では別格の評価を受けている。
補足すると、総統府付親衛隊長・中澤裕子、総統府付筆頭秘書官・後藤真希、
諜報室長官・小湊美和、占領地区統治 元帥・安倍なつみ・・・といったところが、
現在の主要メンバーの役職である。
ただ、安倍に関しては元帥の称号は残しているものの、実質前線からは引退の身にあった。
市井が彼女に求めたのは、一般層への求心力であり、軍事的な才能ではなかった。
まさに安倍なつみは、モーニング娘。の顔であった。
市井を乗せた軍事車両は、ヨーロッパ北部の最前線に向かっていた。
市井が最前線を訪れるのは、珍しいことでは無い。
現に世界各地に点在する総統府の屋敷は、前線に近いところに建造されていた。
一国の元首が、あえて危険な前線に 身を置くことで、兵士達の士気の
昂揚に絶大な効果があることを、市井は熟知していた。
車両の窓から難民キャンプが見える。憔悴しきった難民達。毛布に包る痩せこけた子供達・・・・。
大勢の「明日香」がいた。あのコ達を救わなければ。早く戦争を集結させねば・・・・・。
「真希、到着したら、私が直接叛乱勢力討伐の指揮を執るぞ。」
自ら起こした戦争とその拡大が、多くの戦争孤児を生みだしているという矛盾に
気付く気配の無い市井の横顔を、後藤はじっと見つめていた。
「まあ!ロベルト!そっちに行っちゃ駄目よ」
広大な屋敷の中を小柄な母親が、ハイハイして逃げる1歳児を追いかける。
イタリア南部の小さな港町。穏やかな気候と風土に恵まれたこの土地で、真里・バッジヨ
―――旧姓・矢口は、子育てに追われていた。
真里の夫は、ヨーロッパで名高いバッジヨ家の御曹司である。有名ブランドの社長でもある
彼は、クーデター騒ぎの直後に日本を離れ、生まれ故郷であるこの土地で、恵まれた暮らし
を営んでいた。
当然ながら真里もクーデター以降、市井とは音信不通である。勿論その後の市井については、
マスコミを通じてよく知ってはいたが・・・・。
真里にはいくつかの気がかりがあった。それは、夫の動きである。どうやら夫はヨーロッパ
連合の中枢を形成する組織「黄色い狛犬」に資金援助を行っているらしいのだ。
事実上、市井と自分は敵対する組織に属していることになる。
そして、もう一つの大きな疑問・・・。それは、ここに来た直後から続いている。
屋敷の有る敷地には、様々な建物が存在する。そのうちの一つが、どうもおかしいのだ。
見た目は何の変哲もない4階建てのマンション風のビルなのだが、夫は真里の立ち入り
を、強く禁じていた。更に、夫は月に2回ほど、そこに入るのだが、奇妙なのは来給q
のある時である。小さな子供を連れた人々がやってくるのだが、何故か帰る時には大人
だけなのだ! 2階の自室から、この様子を見て知った真里は、胸騒ぎを感じていた。
夫はやはり、何か重大な秘密を抱えている。
「ロベルト・・・」
腕の中で寝息を立てる息子を、慈母の眼差しで見つめていた母親は、暖炉の上の写真に
目を移す。 優しく微笑む夫・・・。
その部屋にの机に置かれた新聞には、市井帝国が発表した、TOY開放活動の文字が
躍っているのを、真里はまだ知らなかった。
「極東方面軍総司令官・信田美帆、ヨーロッパ・アフリカ方面軍総司令官・平家みちよ、
太平洋艦隊総司令官・飯田圭織・・・以上の3名が、市井帝国軍の3本柱です。
特にこの飯田という女、ハワイ海戦を始め、連戦連勝のツワモノです。今回の
ターゲットは、勿論、この飯田です。」
ここはアメリカのとある場所に有る建物の一室。そこに集まった男達が会議を行っている。
元軍人と思われる長身の男が、質問する。
「情報は確かなんでしょうな?」
「間違いありません。飯田は1週間後にロサンゼルスに現れます。既にホテルの部屋番号
まで調べ終わっています。このチャンスを逃す手はありません!」
リーダー格の黒人が、立ちあがる。
「諸君、ヨーロッパでは、『黄色い狛犬』が善戦を続けている!我々も今回の計画を期に、
一気に形勢を逆転し、自由を取り戻そうではないか?!!」
10数名の男達が、一斉に気勢を上げる。
「飯田圭織暗殺計画は、深く静かに動き出そうとしていた。
計画書に目を通していた、先ほどの長身の男が、ぼそりと呟く。
「・・・・どうでもいいが、うちの組織名、どうにかならんのか?『青いスポーツカー』は
無いだろ・・・・」
もうすぐ飯田に会える。約1年ぶりの再会に、安倍は嬉しさを抑え切れずにいた。
そうだ!なっち特製の杏仁豆腐を食べてもらおう!今度こそ美味しいって言って
くれるべ?!「牛乳と寒天」とはもう言わさないよ。
ちょうどアメリカ地区の視察に訪れていた安倍は、飯田がロスに来ることを知り、
上機嫌で杏仁豆腐作りにとりかかった。
「久しぶりの陸の上って気持ち悪〜〜い。地面が動かないのって、なんかヘン!」
歓迎式典もそこそこに、飯田は早速ロスのホテルを目指した。
なっちに会える・・・。どっか、買い物につきあってもらおうっと。
楽しい再会の予感に思いをはせながら、飯田はベンツの後部座席から外の景色を眺めていた。
「なによお。雨が降ってきちゃったよ。」
これから彼女に訪れる運命を暗示するかのように、雨は激しさを増して行った。
運命とは皮肉なものだ。ほんの小さなズレが、大きく明暗を分ける。
突然の激しい雨に、ロス市内は渋滞が続いていた。
2台の護衛車に挟まれたベンツの中で、飯田は仏頂面をしていた。
もう・・・こんな時に・・。
一方、安倍のほうはタッパーに詰めた杏仁豆腐を携え、一足早くホテルに到着していた。
VIPの到着に、スタッフが仰々しく出迎える。
「え?圭織はまだなの?」
フロントから、飯田がまだチェックインしていないことを聞かされた安倍は、しばらく
思案した後、先に部屋で待っていることにした。
「いいべ?」
「勿論でございます。」
支配人から直接キーを受け取り、すぐに最上階の部屋に向かおうとする安倍を、SPが
慌てて追いかけようとする。
「もう、大丈夫だって!上にもSPいるんっしょ?」
やれやれ・・・・。VIP待遇っていうのも、窮屈だあ・・・。
部屋に入ると、早速タッパーの中身を皿に移し、飯田を出迎える準備にとりかかった。
ふふふ。完璧な出来だ!圭織、驚くべ?
安倍が一人でにやけていると、ドアをノックする音がした。
来た! 圭織!!
しかし、勇んで開けたドアの向こうに立っていたのはホテルのボーイだった。
「・・なんだあ・・・。」
落胆した安倍は、その時、ボーイが笑うのと同時に、小さな音を聞いたような気がした。
「・・・え?・・何?」
安倍の胸から、熱いものが勢い良く噴き出して行く。
「何じゃあ、こりゃ?」
前のめりに倒れながら発した声が、部屋の中に虚しく響いた。
飯田がホテルに到着したのは、その30分後だった。
「安倍様が先に部屋で御待ちしております。」
その言葉が終らないうちに、飯田は子供のように、エレベーターに向かって走り出した。
早くなっちに会いたい。いろんなことを話したい。
はやる気持ちを抑えられず、エレベーターの数字を声に出す。
「21、22、23、24、25・・・」
ようやく最上階に着き、扉が開く。
「・・・・?!!!」
目の前で倒れている二人のSPに、絶句する。
廊下の先の、自分の部屋のドアが、半開きになっている。
「なっち!!!」
叫ぶ!走る!
御願い!なっち、無事でいて!
しかし、ドアをあけた飯田の願いは、あっさりと打ち砕かれた。
血の海に倒れているのは、紛れもなく安倍なつみだった。
「嘘でしょ・・?冗談よね?なっち・・・」
抱き起こした飯田の軍服に、べっとりと赤い色がつく。
「なっち・・なっち・・・。」
いくら呼んでも、安倍は二度と返事をしてくれなかった。
飯田がふとテーブルを見ると、そこには綺麗な皿に盛られた2人前の杏仁豆腐が
並べられてある。
こみ上げる悲しみの衝動に、飯田はこらえ切れずに絶叫した。
「なっちいいいいいい!!!!!!!」
生まれ故郷の室蘭市にある墓地で、安倍は小さな体を棺に納められ、かつてのメンバーと
悲しみの対面をしていた。しゃくりあげながら号泣する後藤。安倍の顔をじっと見つめ、
唇を噛む中澤。そして、いつまでも棺から離れようとしない飯田・・・。
ホテルでの飯田の取り乱し方は酷かった。死亡の確認をする医師に向かって、
「なっちは死んでない!まだ生きてるよ!なっちを助けて!御願い!」
悲鳴に似た声で、哀願し、号泣し続けていた。駆けつけた稲葉が押さえつけて、鎮静剤
を打たなければならなかったほどである。
「・・ほんとなら、殺されていたのは私だった。なっちは私の代わりに・・・。」
「圭織、自分を責めたらあかん。」
中澤が飯田の肩を抱きしめる。
「裕ちゃんんん」
飯田は中澤の胸で、小さな子供のように泣き続けた。
市井は葬儀の間中、ずっと無表情にその様子を眺めていた。その瞳の奥には、確かに
蒼白い炎が燃え盛っていたが、そこに居る誰一人、それに気付く気配はなかった。
近しい者だけが集まった小さな葬儀を終らせるため、棺が閉められようとした。
「待って!!」
中澤は、もう一度棺の中の安倍を見つめると、その小さな唇に、自分の唇を重ねた。
「さよなら・・・。なっち。」
国民的アイドル安倍なつみの訃報は、帝国内に限らず、全世界に衝撃を持って伝えられた。
一人の女性の死が、これほどのニュースになるのは、90年代のダイアナの時以来であった。
それほど、安倍は敵味方問わずに愛されていた。
しかし、どういうことだ?!占領地とはいえ、ホテルの周りには厳重な警戒体制をとっていた
はずだ。それを易々と正面突破を許すとは・・・。帝国の支配力が弱まっているというのか?
葬儀の終ったその夜、市井は眉間に皺を作りながらブランデーを傾けていた。
「飯田は暫く休ませよう。代行には副官の稲葉を充てるよう、伝えてくれ。それから・・」
傍らでグラスに氷を入れていた後藤の手を止める。
「真希、今夜は独りで飲ませてくれないか?」
後藤は無言で頷くと、静かに部屋を出ていった。
その時、市井の目に光ったのが涙だったのかどうか、後藤には確認するすべはなかった。
翌日、「青いスポーツカー」と名乗る組織が、犯行声明を出した。
彼らにとって、暗殺する相手は飯田でも安倍でも良かったのだ。帝国にダメージさえ
与えられれば・・・・。
帝国の牙城は、少しづつ揺らぎつつあった。
【番外編 保田の愛】
激戦が続くヨーロッパ戦線において、パリの町は数少ない中立地帯である。
夕暮れのカフェで、一人の日本人女性がエスプレッソを飲みながら、新聞に目を通している。
「なっち・・・。」
自分が日本で彼女と同じステージに立っていたのは、もはや遠い過去のことだ。
芸能界をやめた後、私は世界中を巡ってボランティア活動をしていた。そして、戦争・・・。
戦争孤児や難民の救済活動を続けているうち、いつしか私は銃を取り、帝国軍と戦うように
なっていた。
紗耶香・・・あなたと戦うことになるなんてね・・。あなたは、私にサディスティックな愛を
与え、私はそれを受け入れた。でも、若かった私は、そんな歪んだ関係から逃げるように、
あなたから去った。紗耶香、今度は私から愛をあげる・・・。この手であなたを殺してあげる。
エスプレッソを飲み終わり、通りに出ると、連絡員らしきオーストリア人の男が近寄る。
「ケイ、いよいよ、大規模な作戦が始まるぞ。」
小声で囁いた男は、はっと息を呑んだ。
保田は決して整った顔の美人ではない。しかし、化粧すらしていないその顔は、夕陽に
照らされ、気高く輝いていた。
小湊が、やや緊張した面持ちで報告をする。
「閣下、『黄色い狛犬』のリーダーが判明しました。日本人の女性のようです。名前は・・・
ケイ・ヤスダ・・・。」
市井は保田の名前を聞いたというのに、不思議と驚きは少なかった。
圭・・・・あんたとは、いつかこんな風に逢うような気がしてたよ。私が死ぬか、あんたが
死ぬか・・・。私達の愛は、やっぱりこんな形でしか実を結ばないようね・・。
同じ時刻、市井と保田は、同じ夕陽を眺めていた。
「閣下、あと5分で到着します。」
「うむ。」
1機の帝国軍ステルス機が、イタリア上空に静かに侵入していた。
いよいよ、奴らを叩き潰せる。永かった・・・。
TOYコレクター組織の幹部による、大規模なオークションがあると判ったのは、
1週間前のことである。表面上はヨーロッパの財界人の社交パーティーということ
になっている。
「私も行く」
「閣下?!それは危険過ぎます。イタリアは連合の領域です。我々諜報部の精鋭に
お任せ下さい!」
「小湊、これは、私が自分自身で決着をつけないと、意味がないんだ。」
静かだが強い市井の語気に、さすがに小湊もこれ以上は異論が言えない。
「判りました。では、私も同行して、閣下を御守りさせていただきます。」
とある海岸の上空で、ステルス機から10人の人影が降下した。
海岸には豪華客船といっていいくらいの、巨大なクルーザーが停泊している。
闇に包まれた海上から顔を出している10人は、御互いを確認すると、作戦の遂行
にとりかかった。
明日香・・・。やっと、ここまで来たよ。
煌びやかな船上パーティーの片隅で、真里は所在なげにぽつんと座っていた。
こんなことなら自宅でロベルトの子守りしてるほうが、良かったなあ。
お義母様とメイドに任せて来ちゃったけど、あのコ、良い子にしてるかしら?
10代の頃とは違い、すっかりこういう所が苦手になっている自分に気づき、思わず苦笑する。
昔は芸能界辞めたらコギャルになりたいなんて、バカなこと言ってたのにね。
夫のディノは、大切な商談があるとかで、どこかに行ったきりである。
こんな可愛い奥さん放っておいて、何やてんだか!もう・・・。
先に船に潜入していた諜報員が、小型マイクで手引きする。
「船首の右舷側から、上がってください。ワイヤーが降りているはずです。」
10人は静かにすばやく上がると、ウェットを脱ぎ、用意した服装に着替える。
武器は既に先行チームが、船の各所に隠してある。あとは船底で行われるオークション
に、何食わぬ顔で出席するだけだ。
男装には自信が有る。我ながら、絶世の美男子ぶりだ。小湊が市井を見ながら、何故か
顔を赤らめている。
・・・・凄い・・。カッコイイ・・。
任務中だというのに、一瞬、あらぬ妄想をかきたてられる小湊であった。
「は?女性もご一緒で?」
入り口の守衛が驚く。
「悪いかね?彼女もそういう趣味では。」
「いえ!そういう意味では・・。申し訳ございません。では係について、下に降りて
下さい。オークションは15分後でございます。」
偽造した会員カードの照合が終り、市井と小湊は、まんまと潜入に成功した。
会場には、20名ほどのメンバーが顔を揃えている。みな、名の通った大富豪や政治家、
企業家ばかりである。モニターによって参加している遠方の会員もいるらしい。
こいつらはリストを入手したら、みな地獄行きにしてやる。
どいつが黒幕だ?
オークションは、昔ながらの競売方式だ。通貨はドルらしい。
最初に連れ出された少女は7、8歳の白人である。手錠が痛々しい。
「さあ、1番はブロンドの髪、ブルーの瞳。正統派の美形ですよ。では、10万から!」
とにかく、あとは別行動のチームが、会員名簿のロムを手に入れるのを、待つだけだ。
「15万!」 「15万8千!」
競り落とされた少女達には、次々と落札札が付けられて行く。
「さあ、みなさん。お待たせしました。最後は本日の目玉商品です!」
司会の声が、一段と大きくなる。
東洋人の少女がおずおずと現れると、会場から感嘆の声があがった。
「いかがでしょう?美しい黒髪。高い知能がかもし出す、知的な美しさ。どうです?
こんな子をあなたの自由にしてみませんか?」
VIP席と思われる一段高いところから、若いイタリア人が一際興味深そうに質問する。
「年齢は幾つだね?」
「10歳です。しかし、主催者のバッジヨ様が購入されるのは、本来ルール違反ですぞ。」
司会者がニヤニヤ笑いながら答える。
「まあ、いいではないですか。その代わり、バッジヨ様も競売に加わって、正面から
落として頂きますよ。」
近くの老紳士が、そのバッジヨと呼ばれる若いイタリア人に釘をさす。
「勿論!イカサマはなしさ。私もゲームを愉しむよ。」
・・・・・この男が黒幕か?!!ディノ・バッジヨ・・。名門の御曹司だな。
「では、まいりましょう。100万からです!」
「120万!」「128万!」「135万!!」値段はどんどん釣りあがって行く。
「150万!」
バッジヨが、一気に引き上げる。
「おお。さすがはバッジヨ様ですね。もういませんか?」
周囲の会員が、「やれやれ、またディノに持って行かれそうだ」と囁きはじめたその時。
「200万だ。」
それまで黙っていた新顔の東洋人が、手を挙げた。周りの視線が、その小柄な美男子に
注がれる。市井の予想外の行動に驚く小湊。
「ふ・・・・。面白い男だ。では、私は220万だ。」
「250万」
顔色を変えずに対抗する市井。
「おやおや・・。失礼ですが、懐の方は大丈夫ですかな?あまり意地になると、あとで
泣くことになりますよ。」
「心配は無用だ。それより、あなたの方はもうお終いですか?」
「く・・・270万だ!」
バッジヨの顔が引きつる。
「300万だ。」
「300万・・?!!どうです?バッジヨ様?」
筋書きを乱された司会者が、バッジヨに助けを求める。
「うぬうう・・・。負けだ。私は降りる。」
会場がどよめく。
「22番様、落札でございます!!」
司会がヤケクソ気味に言う。
拍手の沸き起こる中、バッジヨが市井に近づき、手を差し伸べる。
「いや、参りましたな。失礼だがあなたは?」
「市井・・・・紗耶香」
「・・え?!」
その瞬間、市井はバッジヨの手を掴みあげると、喉元に銃を突きつけた。
「動くな!!!!」
「き・・貴様・・・。市井帝国の・・」
小湊も腿に忍ばせた銃をかまえ、市井の傍らに駆け寄る。
「小湊、ロムのほうはどうなった?!」
「はい。たった今、終了しました。」
「よし、ではヘリを準備させろ!」
素早く小湊とやりとりすると、市井は声を張り上げた。
「子供達を収容しろ!急げ!!」
会場に駆け込んできた工作員が、子供達を船外に連れ出して行く。
「お前には脱出するまで、人質になってもらうぞ!」
会場からデッキに移ろうとした時、激しい銃声がした。敵の警備員との
撃ち合いが始まったのだ。
「走れ!!小湊!!」
悲鳴と銃声が飛び交う船内は、あっという間にパニックに陥っていた。
「貴様・・・。この俺にこんなことをして・・。」
市井に引きずられながら、バッジヨが恨めしそうに呟く。
その時だった。
「あなた!!」
呼びとめる女の声に、市井とバッジヨは同時に反応した。
「真里?!!」
「紗耶香・・・?なぜ・・?」
喧騒の中、3人の時間だけが凍りつく。
「やっぱり・・・。そうなのね・・。」
動転しながらも、真里は二人に激しく詰め寄る。
「さっき連れて行かれたあの子供達は何なの??!!あの子達がTOYなの?」
「そうだ。」
市井が冷めた声で答える。
「バカな!真里、こんなヒトラーモドキの女の言う事を信じるのか?!」
その言葉と同時に、バッジヨの頬に平手打ちが飛んだ。
「私、知ってるのよ。時々、屋敷の南のあの建物の中に子供が連れて
来られるのを・・。でも・・・。信じたかった。信じたかったのに!
どうして?どうしてなのよお?!」
「いいか、真里、誤解だよ。落ちついて話せ・・・ぐふっ・・。」
流れ弾が、バッジヨの胸を貫く。
「あなた!!」
駆け寄る真里に、市井は別れの言葉を告げる。
「さよならだ。真里。お前は生き残って幸せになれ。」
「待って!!」
走り出す市井を真里が追いかける。
昔からそうだった。走って行く紗耶香の後姿を、いつも追いかけていた。
今、話さなければ、もう二度と逢えない・・。
デッキに出ると、上空のヘリが、激しい風を巻き起こしていた。
「紗耶香様!!早く!!」
小湊がヘリからの梯子に掴まりながら、市井に手を伸ばす。
「紗耶香!!」
振り返った市井に見えたのは、涙に濡れる真里の顔。その後ろから、マシンガンを
構えるバッジヨ・・・!! 危ない!
「紗耶香、私はあなたのことを・・・」
ヘリの爆音が、真里の声をかき消し、バッジヨのマシンガンが火を噴いた。
間一髪、市井の手を掴んだ小湊を、ヘリが引き上げる。しかし、真里は・・。
「真里いいいい!!!!!!!!!!!」
小さな真里の体は木の葉のように風に舞い、ゆっくりと暗い海に落ちて行った。
作戦は成功し、悲しみを乗せた船は、どんどん遠ざかっていった。