子猫のように微笑んで
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:50
- 子猫のように
微笑んで
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:51
- ――― プロローグ ―――
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:51
-
――― お姉ちゃん
――― お姉ちゃん
――― お姉ちゃん
――― れいな、れいな、モーニング娘。になるとー
――― モーニング娘。になって、モーニング娘。になって、
――― れいなは、れいなは、れいなはね
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:51
- 年の瀬も押し迫った冬の公園には一輪の花も咲いていなかった。
茶色く枯れた落ち葉が、重力を無視したかのような歪な動きで宙を舞う。
乾いた風が公園を歩くれいなの頬をするりと撫でていく。
れいなは隣を歩く少女の左手を強く握り、
時にはぶら下がるようにしながらその少女の顔を見上げていた。
「お姉ちゃん、アキ姉ちゃん、あんね、あんね、れいなね」
れいなは公園に吹く冷たい風に頬を赤らめ、時には洟をすすりながら
甘えた声で隣の少女に何度も何度も語りかける。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:51
- 「アキ姉ちゃん」と呼ばれた少女はれいなの方に顔を向けることなく、
泰然とした表情でれいなの話を聞いていた。
視線は亡羊としており、どこをどう見ているのかよくわからない。
だがそれはいつものことだった。
れいなは全く気にすることなく笑顔で話を続ける。
れいなは「お姉ちゃん」と話をするのが大好きだった。
血縁上は姉ではなく従姉妹と呼ぶのが正しかったが、
れいなにとっては実の姉同然に大切な存在だった。
子供心にも、その少女がなぜか親戚中から疎んじられていることは感じていたが、
そんなことはれいなには一切関係ないことだった。
れいなは「あの子とは会っちゃいけません」という親の目を盗んでは、
しばしば隣町に住む少女の下へと遊びに来ていた。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:51
- 確かお姉ちゃんは高校を辞めちゃったんだけど―――
通っていれば3年生だったはずだから―――今は18歳なのかな。
そんなことを考えながら、れいなは隣にいる少女の横顔をじっと見つめる。
れいなの母よりも、父よりも、親戚の誰よりもれいなに似たその横顔は、
18歳というにはあまりにも幼く、れいなと同じ歳くらいにしか見えなかった。
握り締めた手が熱くなる。
ふと見上げると薄く白い煙のようなものが湧き上がっている。
少女の体からは汗が湯気となって蒸発していた。
(まるでサウナみたい)
れいなは不思議な気持ちで少女を見つめていた。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:52
- れいなはとっさに手を離して少女の腰に抱きつく。
ベージュのロングコートに包まれた少女の体は、カイロのように暖かかった。
「お姉ちゃん。れいな頑張ってくるけん。応援してーよ」
れいなは再び先ほどまでしていた話の続きを語り始める。
モーニング娘。のオーディションを受けたこと。
TVにちらっとだけ映ったこと。
最終選考まで残ったこと。
これから合宿に行って、その後東京で発表があること。
話下手なれいなの言葉は、時に脈絡もなく違う方向へと飛ぶ。
いつも聞いている人に理解してもらうのが大変だった。
だが話を聞いているようには見えなかった少女は、
瞬時にれいなの言いたいことを理解し、
れいなが一番言ってもらいたいと思っている言葉を返す。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:52
- 「大丈夫。れいななら大丈夫だから。れいななら受かるよ。
きっと娘。のメンバーともすぐにお友達になれるよ」
れいなはその言葉を聞いて、嬉しくなると同時に少しの違和感を覚えた。
少女の言葉は僅かに震えていた。
よく見ると顔は青白く、体はどんどん熱くなっていく。
こめかみを流れる一条の汗は見る見る間に白い蒸気となっていく。
お姉ちゃん、風邪なのかな?もうお家に帰った方がいいのかな?
れいながそう言おうとしたとき、少女の左手がさっとれいなの口をふさぐ。
その瞬間、汗は止まった。
だがあまりにも急に止まった汗に、れいなは不安を覚えずにはいられなかった。
そうしている間にも少女の体はさらに熱を増していく。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:52
- 「大丈夫だから」
少女はそう一言だけ言って、再びれいなの手を引く。
握り締めた手は焼けるように熱かったが、れいなは手を離そうとはしなかった。
むしろさらに強くぎゅっとぎゅっと握り締めた。
「れいな。お姉ちゃんの分も頑張ってね」
少女の声はもう震えていなかった。
一つ一つの言葉を確かめるように丁寧に並べていく。
「お姉ちゃんはダメだったけどさ、きっとれいなならできるよ。幸せになれるよ」
え?お姉ちゃんもオーディションとか受けたのかな?
そんな話は一度も聞いたことがなかったけど、
もしかしたらそういうこともあって親戚の人と揉めたのかなあ
れいなはそんなことを考えたが、そんなれいなを見て少女は首を横に振った。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:52
- 少女は真っ直ぐにれいなを見つめる。
れいなの視線と少女の視線が一直線上に連なる。
少女の顔は、気のせいかさっきよりもずっと大人びて見えた。
「今日、れいなが来てくれてよかった。
本当は今日は会うつもりなかったんだけど―――やっぱり会ってよかった。ありがとう」
少女は急にかしこまった態度でれいなに礼を言った。
れいなにはその言葉の意味が全く理解できなかったが、
少女はそれ以上説明しようとはしなかった。
いや、しようとしたが―――できなかった。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:52
- 突然少女の目から滝のような涙が流れた
いや―――真っ赤に流れるそれは涙ではなく―――おそらく―――
少女は両手でどんと強くれいなを突き飛ばす。
れいなはよろけて倒れ、地面に尻餅をついた。
やがて少女の目から―――
耳から―――鼻から―――
口から―――そして股間から―――
穴という穴からおびただしいまでの真っ赤な液体が流れ始めた。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:52
- その瞬間、れいなはそれを血とは認識できなかった。
真っ赤な液体は流れるそばから次々と蒸気のようになっていき―――
らせん状に回るようにして赤く漂い、少女の体を包んでいった
まるで炎のように―――
いや、それは炎そのものだった。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:52
- 少女の体から流れ出た液体は紅蓮の炎となって―――
少女の体を瞬く間に焼き尽くしていった。
まず服が焼け落ち、少女の白い裸体が現れ―――
現れた瞬間から次々と体のあちこちを黒く焼け焦がしていった。
炎は少女の体を焼きながらさらに勢力を強め、れいなの体をも包み込む。
れいなの視界は赤一色に染められる。
赤い炎は、目から―――
耳から―――鼻から―――
口から―――そして股間から―――
次々とれいなの体へ侵入してきては体の内側を強く焼いた。
だが不思議と熱さは感じなかった。
れいなはただただ呆然と焼け落ちていく少女の体を見つめていた。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:53
- (レイナナラダイジョウブダカラ)
(レイナナラキットデキルカラ)
(レイナナラダイジョウブダカラ)
(レイナナラキットデキルカラ)
(レイナナラダイジョウブダカラ)
(レイナナラキットデキルカラ)
少女の体はぼろぼろに焼け落ち、骨すらも焼け落ちようとしていた。
真っ赤に燃える炎の中で少女の目だけが青く輝いていた。
少女の言葉は、炎の轟音にかき消されていたはずだったが、
なぜかれいなの心にはしっかりとした言葉となって届いていた。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:53
- やがて少女の体は完全に炎に焼き尽くされ―――
れいなの目の前から消えた。
その瞬間、れいなは体を包む炎の熱さを初めて知覚した。
れいなは絶叫した。
地面に這い蹲り、地面をわしづかみにし、爪で土を掻き毟りながら、
「声」という音域を、遥かに超えた音波を口から出し、絶叫した。
体を内側から焼き尽くそうとしている炎に抗うこともできず、
いつまでも、いつまでも絶叫していた。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:53
- ――― プロローグ 終わり ―――
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:54
-
★
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 21:54
- 続きます
念の為に言っておきますが、この物語はフィクションです
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 23:34
- 震えながら期待してます
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 02:05
- プロローグで早くもすげーテンション上がりました…
激しくwktkしながら続きをお待ちしてます!
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:18
- 第一章
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:18
- 「オハヨゴザイマース」
独特のイントネーションでみんなに挨拶をしながらジュンジュンが控え室に入ってきた。
れいなはいつもやっているように、さっとジュンジュンの意識に触れる。
どうやら今日はご機嫌斜めなようだ。
れいなはジュンジュンの心の中を読んでそう感じた。
もっともジュンジュンはいつも不機嫌そうな顔をしているから、
周りの人間からすればどうということはないのかもしれない。
ジュンジュンの後ろからリンリンが入ってくる。
太陽のように朗らかな笑顔でみんなに挨拶をするリンリンだったが、
心の中はジュンジュンに対するどす黒い嫌悪感で満ちていた。
おや。車の中で喧嘩でもしたのかな。
れいなは集中力を高め、さらに深く二人の心の中へと潜って行く。
二人の心の中は、中国語と思われる、
れいなにとっては意味不明でしかない漢字で満たされていた。
だが人間の心理というものは、決して言葉だけで表現されるのではなく、
その人間が各々持っている独自のイメージによっても映像化されていることを、
れいなはここ数年の経験から学んでいた。
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:18
- れいなは二人の心の中で映像化された記憶を見て、
どうやら悪いのはジュンジュンの方らしいという見当をつけた。
「ジュンジュン、いかんとよ。リンリンにそんなことしたらいかんとー」
れいなは思ったことをすぐに口にした瞬間、しまったと思う。
案の定、ジュンジュンはぽかんとした表情でれいなのことを見つめている。
ジュンジュンの心には猛烈な勢いで漢字の塊が噴出していく。
リンリンの顔からも笑顔は消え、訝しげな表情でれいなの方を見ている。
心の中には「?」マークがいくつも飛び交っていた。
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:19
- 「れいな。いきなりなに言ってんの?ジュンジュンが何かしたの?」
ずいっと新垣がれいなの方に近寄ってくる。
れいはなこの先輩のことが苦手だった。
もっともれいなにとっては全ての人間が「苦手」と言ってもいい対象だったが。
(なに言ってるのこの子?)(昔から変なことばかり言う子だった)
(最近ましになってきたと思っていたのに)(やけに中国の子にからむ)
(寂しいのかな)(構ってあげたいのかな)(それとも構って欲しいってこと?)
(それにしてもあまりにも唐突)(意味がわからないけど)(ここは先輩として)
新垣の心の中には、れいなに対する不信感と、
自分に対する先輩としての責任感がわきあがってくる。
話が長くなりそうだった。追求されるのは避けたい。れいなはそう判断した。
「あー!もー!いいですいいです!間違えた!れいなが悪かったです!」
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:19
- れいなはバーンと扉を空けて控え室から飛び出た。
すれ違いざまに道重が部屋の中に入ってくる。
どうやら道重は部屋の前で
れいなとジュンジュンとのやりとりを聞いていたようだった。
(あーあ。またやったんだこの子)(先輩風吹かせちゃって)(寒い寒い)
(相手が中国人なら上手くいくと思ってるのかな?)(慣れないことするから)
(もういい加減にしてほしいよね)(ガキさんも大変)(後輩じゃなくてよかった)
(同期ってのもあれだけど)(先輩とか後輩よりもマシだよね)(ホントバカな子)
れいなは思わず目をつぶり、両手で耳をふさいだ。
だが道重の心の中にある言葉を遮ることはできない。
いつものことやん。いつものことやん。
れいなは必死になって自分に言い聞かせようとしたが、
自分に対する悪口―――
それも心の底から思っている悪口に触れるということは―――
何度触れても慣れるということはなかった。
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:19
- れいなが突然、人の心を読めるようになったのは数年前のことだった。
何も生まれつきこの特殊能力を持っていたわけではない。
どうせだったら生まれつきそうだったらよかったのにと、
れいなは何度もそう思った。
この能力を身に付けてしまったせいで、
それまで何の問題もなく付き合っていた友達とも疎遠になってしまった。
一度心の中を覗いてしまったら、
もう以前と同じように友達として付き合うことなんてできなかった。
人間は、誰もが心の中に悪魔を飼っていた。
その悪魔は、時にはれいなのことを見下し、嘲笑し、罵倒し、侮蔑し、
時にはれいなを殴り、蹴り、八つ裂きにし、はらわたを引きずり出し、食らい、
そして時にはれいなを裸に剥き、嬲り、辱め、犯し尽くした。
れいなは自分がそう遠くない将来に発狂することを確信した。
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:19
- だが幸か不幸か―――
人の心が読めるようになった直後に、
れいなはモーニング娘。のオーディションに合格し、
地元を離れて、東京へ引っ越すこととなった。
引っ越すだけではなく、れいなの人生そのものが大きく変化した。
それまでの「普通の女子中学生の田中麗奈像」とは全く違う、
「アイドルとしての田中れいな像」を与えられ、
一から新しい自分を構築することを強いられた。
そのことが良かったのか、悪かったのか、れいなにはわからない。
だが、あれからもう4年以上の月日が経つが、
幸いにもれいなはまだ発狂していなかった。
- 28 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:20
- れいなは廊下に置いてある古ぼけたソファーに腰掛けた。
レコーディングが始まるまではまだ間がある。
空調が行き届いている部屋の中とは違い、
廊下の空気はやや澱んでおり、れいなの気をさらに重くさせる。
れいなは窓の外へと目をやる。
7月の太陽は能天気にさんさんと無限の光を放っている。
窓の外の世界は、内側の世界と違って魅力に溢れているように見えた。
無性に海に行きたくなる。いや。山でもいい。
とにかく人のいないところ。
人の気配のしないところに行きたいとれいなは思った。
- 29 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:20
- その時、部屋の扉が開いて中からひょっこりと亀井が出てきた。
「あ、れいな。丁度よかった、ぴったりー。探してたんだよ、なにしてんの?」
嘘だった。
トイレに行こうとしていたところ、偶然目が合っただけだったようだ。
(れいなだ)(なにしてんのこの子?)(ああ どこかでー)(部屋に入らないの?)
(まあてってくださいー)(まあどうでもいいや)(おんなにさちあーれー)
本当にどうでもよかったらしい。
「あのさあ!まあいいや。また後で」(バカね バカね バカね〜)
そういって亀井は本当にれいなを置いてトイレに行ってしまった。
亀井の頭の中では今日レコーディングする予定の曲が流れていた。
昨日もらったデモテープとは微妙にずれている怪しげなメロディ。
亀井の姿がトイレに消えた後も、ずっと亀井の脳内に流れ続けていた。
- 30 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:20
- そんな亀井の思考に促されるようにして
れいなはふらふらと部屋に戻ろうとする。
れいなの頭には亀井の中で流れていた、
「女に 幸あれ」もどきの変なメロディーが流れていた。
そのメロディはれいなにも少なからぬ影響を与え、
いつの間にか正しいメロディに置き換わってれいなの脳内にも響き始めた。
やばいやばい。
れいなは慌てて亀井の心から撤退する。
だが怪しげなメロディは、消えるどころか一層存在感を増していく。
他人の意識に深く潜り込んだ時にしばしば味わう酩酊感。
まるで他人の意識と自分の意識が溶け合ってしまうような感覚。
それは非常に危険な感覚だった。
他人の心を読むという行為は、
つまり他人の心と自分の心を触れさせるということに他ならないが、
あまりに無意識にその行為を続けていると、
他人の心と自分の心の境界線が曖昧になってしまう。
その行為の先に行き着くものがなんであるのか。
それが何なのかはわからなかったが、
何か取り返しのつかないことになるような、
非常に危険な行為であると―――れいなは本能でそう感じていた。
- 31 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:20
- レコーディングは遅々として進まなかった。
吉澤と藤本が相次いで娘。から抜けた後は、
こと歌においてはれいなにかかる比重がかなり大きくなっていた。
他のメンバーに比べて歌唱力に恵まれているれいなは、
レコーディングでは比較的さらっと終わることが多かったが、
今回はなかなかオーケーが出ずにてこずっていた。
「田中ー、なんべん同じミスしてるねん。ええかげんちゃんとしてーや」
いつもは陽気なプロデューサーも
繰り返しメロディを外すれいなにイライラとしているようだった。
いつもの倍以上の時間をかけてレコーディングは終了し、
れいなは亀井と入れ違いに部屋の外に出た。
- 32 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:20
- 「れいな遅かったねー」「なにやってたん」「亀ちゃん待ちくたびれてたよ」
「次の仕事もあるしさ」「顔色悪いですよ」「疲れてるんですか?」
この後、夏のハロコンの打ち合わせがあることもあって、
控え室にはレコーディングを終えたメンバーも、帰らずにみんな残っていた。
れいなは各メンバーの問いに適当に答える。
みんなの意識はできるだけ読まないように心がけた。
「読もう」と意識しない限り、
他人の思考がれいなの心に入ってくることは、ほとんどなかった。
- 33 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:20
- 藤本と吉澤がいなくなった娘。の控え室は以前よりもずっと賑やかだった。
れいなはそんな喧騒からは少し距離をとって一人でじっと座っていた。
誰かと会話をした場合、その相手の思考を完全に遮断するのは難しい。
会話をしながら、心を読むというのはかなり疲れる作業だった。
レコーディングで疲れている今は、できるだけそんなことはしたくない。
れいなはカバンから雑誌を取り出してページを開く。
おそらくまだ時間はたっぷりあるだろう。
きっと亀井も全く同じところでミスを繰り返し、
レコーディングを長引かせるに違いない。
れいながそんなことを思っていると、不意にバーンと扉が開いた。
- 34 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:21
- 「終わった!よし!みんな行こう!」
「えーカメ早いじゃーん」「本当に終わったの?」「終わった!」
「ちょっと早すぎるんじゃないの?」「だって本当に終わったんだもん」
「つんくさんの気まぐれ?」「あの人たまに凄い早く終わらせることあるよね」
「とにかくカメで終わりだからさ。みんな行こうか」「はーい」
れいなは驚いて亀井の心に意識を伸ばす。
本当にレコーディングは一発で終わっていた。
亀井の脳内には、可笑しくてたまらないといった表情のつんくの顔があった。
やはり亀井はれいなと同じようにあの変なメロディで歌っていた。
加えて言うなら道重も全く同じあの変なメロディで歌っていた。
というのも、どうやら昨晩は亀井と道重は二人で歌の練習?をしていたらしい。
- 35 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:21
- 「絵里!あれでよかったと?オーケー出たと?」
「ん?なにが?」
どう説明していいのか言葉に詰まったれいなは例の変なメロディで歌う。
「バカね バカね バカねー」
「うん!それでいいって」
そう言いながら亀井は突然れいなに抱きついてきた。
「うえへへへへへへ」
(うえへへへへへへ)
れいなには何のことやらさっぱり理解できなかった。
- 36 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:21
- れいなはスタジオから出てきたつんくの意識に潜り込む。
「おう!お疲れ!」
「お疲れ様でしたー」
「おい田中!ちゃんと練習しとけよ。亀井に教えてもらえ!」
「え!?絵里に?」
「おう!『バカね バカね バカねー』ってな。こっちでいくから」
つんくの言葉にメンバー全員がどっと沸く。
「なになに?カメがれいなに歌を教えるの?」
「そうですよガキさん。今日かられいなは私の弟子ですから」
「絵里の弟子ならさゆの孫弟子になるわけね」
道重の言葉に再びメンバーがどっと沸く。
つんくは単にレコーディングをやり直すのが面倒になっただけだった。
(まあメインのメロディでもないしあれはあれでええやろ)
(バカね バカね バカね〜、か)(こっちのが・・・・・)(ええかもな)
(しかし三人が三人とも間違えて覚えるかね)(仲がええのう)
- 37 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:21
- どうやらいつもの倍以上の時間をかけたれいなのレコーディングは
全くの無駄に終わったようだった。
徒労感がずっしりとれいなの肩にのしかかってくる。
もうやめよう。
れいなはこれまでに何度も何度も思ったことを再び思う。
もう他人の心を読むのはやめよう。
それがいかに危険で、そして無駄な行為であるか、
何年も続けていたれいなにはそれがよくわかっていた。
- 38 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:21
- だがしかし、れいなを見つめる亀井と道重の笑顔を見た瞬間、
そんな決意はあっさりと砕け散る。
満面の笑みを浮かべた二人の顔には
大きな文字で「やったねれいな!」と書かれている。ようにれいなには見えた。
本当に?本当に?本当にそう思ってると?
深く潜り込んだ亀井と道重の心の中には、
れいなの心の中で流れているのと全く同じメロディが流れていた。
(バカね バカね バカねー)
(バカね バカね バカねー)
(バカね バカね バカねー)
- 39 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:22
- 第一章 終わり
- 40 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:22
-
★
- 41 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/17(日) 21:22
- 続きます
期待に応えられるように頑張ります
- 42 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:40
- 第二章
- 43 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:40
- れいなは移動中の新幹線の車窓から富士山を眺めていた。
隣の席には身の回りのものをコンパクトに詰めたカバンが一つ。
通路を挟んだ逆側の席には久住小春と光井愛佳が腰掛けていた。
平日の昼間の新幹線はやや閑散としており、
久住と光井の甲高い喋り声は車内中に響き渡っていた。
本来ならばそれを注意すべき存在とも言える高橋と新垣は、
その二人の後ろの席で、イヤホンを耳に突っ込んで眠っているようだった。
いや、本当は二人ともしっかりと起きていた。
音楽を聴きながらも、前の席で暴れている二人のこともしっかりと認識していた。
ただ「暴れてるな」という認識だけが高橋と新垣の頭の中にあり、
その認識が行動へと移ることはなかった。
- 44 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:41
- れいなも同じように音楽でも聴いていたかったが、
高橋と新垣の心理に少し興味が沸いてきたのでそちらに意識を傾ける。
(小春。止まれ)(光井。止まれ)(止まれ。ストップ。ドンムーヴ)
(光井、右)(久住、左)(左、右)(止まれ。動くな。ドンムー)
高橋の心はいつ見ても簡素な単語のみで構成されており、
驚くまでに情緒といったものが存在していなかった。
「止まれ」という言葉も、超能力のように「止まることを念じている」わけではなく
「止まってほしいなあ」という願望ですらなく、
それはただ「止まれ」という純粋な命令としての意味しかなかった。
- 45 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:41
- れいなは、高橋も実はある種の超能力者ではないかと思っていた。
高橋は自分の心にある言葉が、他人にも伝わると信じている節があった。
そんな高橋との会話は、しばしばれいなを驚愕させた。
高橋は、まるでれいなが高橋の心を読めることを知っているかのように、
心の中でれいなに話しかけてくることがあったからだ。
最初は本当に高橋も人の心が読めるのではないかと思った。
だが高橋はれいなに対してだけではなく、
全ての人間に対しても同じように振舞っていた。
高橋の会話というのは、表に出す言葉が極端に省略されており、
れいなのように心を読めない普通の人間には、真意を理解することは難しかった。
いや、「言葉を省略する」という表現は正しくないのかもしれない。
なぜなら高橋の中では、
発していない言葉ですら「相手に伝えた」という認識になっているのだから。
- 46 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:41
- れいなはいつも高橋との会話に苦労していた。
心が読めるれいなにとって、意思疎通をするのは簡単だったが、
あまりにも読みすぎると、高橋以外の人間に怪しまれる可能性があった。
れいなは常に「理解できていない」振りをすることを強いられていた。
それは他人を理解することよりもずっと難しいことだった。
高橋があまりにもスムースに心の中の言葉と
実際に発言した言葉とをつなげて会話をしてくるので、
どっちが実際に言った言葉なのか混同してしまうこともあった。
そんな高橋の意識が急に薄らいでいき、
沼の底から浮かび上がってくるようにしてコンサート会場の映像が現れる。
高橋は眠りに入ろうとしているようだった。
高橋は夢の中で可憐な衣装を着て歌い、踊る。
その背後では小春と光井のきゃんきゃんと騒ぐ声がBGMとして響いている。
どうやら高橋の眠りはまだ浅いらしい。
だが睡眠中の夢に潜り込むことが、かなり危険な行為であるということを、
過去の経験から知っているれいなは、高橋の意識から急いで引き上げる。
- 47 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:41
- れいなは高橋の隣に座っている新垣の意識を探ろうとしたが、
高橋とほぼ同時に新垣も眠りにつこうとしていた。
夢の中の映像は、覚醒時の映像イメージとは違い、視覚ではなく記憶から喚起される。
新垣の心の中は、今まさにいくつかの曖昧な概念が上がってくるところだった。
それらの概念は、記憶のエリアから、
「横浜」「友達」「小学生時代」といった文字列のフィルターを通って、次々と映像化されていく。
人はみな概念を文字で名前付けすることによって、他と区別し、映像化していく。
れいなは慌てて新垣の意識からも引き上げる。
以前、眠っている人間の意識に潜り込んだとき、
夢の中の世界に取り込まれそうになったことがあった。
人は眠っているときには無意識の領域を広げている。
普段は考えていないことまでもオープンにしていしまう。
そこに触れるということは、とても不思議な、そして危険な感覚だった。
二人とも寝たんか。
そう思い窓の外を見ていたれいなは、初めて顔を二人の方へと向ける。
その瞬間こちらを振り向いた光井と目が合った。
- 48 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:42
- (ヤバイ)(騒ぎすぎたか)(これ怒られるかも)(油断してたわ)(小春のアホ)
(いやでも田中さんはチキンやから)(なんか言われたら言い返したらええわ)
(いやそれよりも小春を巻き込んで)(そうや小春に相手させたら)(アホとハサミは)
(この人小春には弱いから)(そしたら田中さんも凹むわ絶対)(押しに弱いタイプ)
(ああ言われたらこう言って)(こう言われたらこう言い返そ)(さあ来るなら来いや)
光井の思考はいつも、
ドミノ倒しのように一直線に結論に向かって進んでいくのではなく、
枝葉のように広がっていく感じだった。それもかなりの速さで。
光井の脳内にはあっという間に現状認識のイメージが形成され、
そしてそのイメージは非常に豊富な情報量を含んでいた。
- 49 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:42
- 光井の思い描いた対田中れいな対策はかなり的確なものだった。
れいなが言いそうなことや取りそうな態度を迅速にイメージ化し、
それに対する対策を次々と打ちたてていった。
れいなは光井にかける言葉が見つからなかった。
思い付いた言葉は全て先回りされており、返事は既に光井の心の中にあった。
れいなはバレバレであることを承知で、
光井と目が合ったことに気づかない振りをして、再び窓の外に目をやった。。
(うわ。知らん振りされた)(なにこの人)(マジでチキンやな)
(まあええわ)(これ以上相手せん方がええ)(こっちも無視)
- 50 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:42
- れいなは苦々しい思いで意識を遮断した。
年下の後輩にバカにされるのは辛い。
他人の心が読めるという特殊能力を持っていることを唯一の矜持として、
れいなはバカにされたことを心の中で処理しようとする。
自分は優秀な人間なんだ。特別な人間なんだ。
誰も持っていない能力を持っているんだ。
そう言い聞かせることによって、れいなは必死に自分を保とうとした。
握り締めた両の拳を額に当てる。
何度も何度も振り払おうとしても、惨めな気持ちはれいなの心から消えなかった。
「キャーハッハ!!」
不意に甲高い小春の笑い声がれいなの耳に届いた。
殺してやる。
れいなは反射的に心の中でそう思ったが、
一体誰を殺したいのか、自分でもよく分からなかった。
- 51 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:42
- 目を閉じ、意識を閉ざしているうちに、いつしかれいなも眠りに落ちていった。
眠りに入る直前の「ああ眠れそう」という至福の瞬間を
れいなはかみ締めるようにして、ゆっくりとゆっくりと味わっていた。
れいなの心にも、夢の中に独特な、曖昧な映像イメージが広がってきた。
何もない空間。誰もいない空間。
だがそこにみかん箱のような古い木箱があり、
その中に一匹の猫がいることが、
れいなの心の中の、文字列のフィルターから映像化することができた。
「ミィちゃん!またお前かい。久しぶりやね」
そう言いながられいなは猫の頭を撫でる。
この夢はれいなが何度も何度も繰り返し見てきた夢だった。
- 52 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:43
- 不思議な夢だった。
一番最初に見たときは、箱の中の猫はまさに生まれたてという感じで、
れいなの掌よりも小さく、押せば潰れてしまいそうなか弱い存在だった。
れいなはその猫に勝手に「ミィ」と名前をつけていた。
「お!ミィちゃん!大きくなったとね。これからどげんすると?」
れいなが語りかけても猫はみぃみぃと鳴くだけだった。
夢の中では心の中を読むこともできない。
現実の世界であれば、動物であっても簡単な思考なら読み取ることができた。
「食べたい」「あいつむかつく」「遊びたい」「逃げろ逃げろ」
その程度のことだったが、それで十分だった。
人間のように余計なことを一切考えない、
欲望に率直な動物の思考というのは、れいなは嫌いではなかった。
- 53 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:43
- れいなは猫を抱き上げて、じっとその顔を眺める。
その猫は両耳がぺたんと折れ曲がった、とても可愛い猫だった。
夢が覚めれば、いつもこの顔は忘れてしまう。
忘れてしまうというか、詳細を記憶に残すことができない。
「耳の折れた可愛い猫だった」という記号のような記憶しか残らなかった。
「写真が撮れたらええのにねー」
れいなはそう言いながら、
猫の顔を飽きることなくいつまでも見つめていた。
- 54 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:43
- 「田中っち!着いたよ!」
新垣に体を軽く叩かれてれいなは夢から目を覚ます。
ぼーっとした頭のままで、れいなはうーっと声をあげて背伸びをする。
「まるで猫そのまんまねー」という道重の言葉から、
れいなはさっきまで夢で見ていた猫のことを思い出す。
やはりその顔をはっきりと思い出すことはできなかった。
夢は夢。
はっきり思い出せないということは、
自分自身が夢の中ではなく現実に生きている証なのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えながられいなは駅に降りる。
ホームでは先に下りた小春と光井がカバンではたき合いながらじゃれていた。
「コラー!暴れるんじゃないの!」
新垣が少しきつい口調で注意をし、光井と小春の動きが一瞬止まる。
れいなは少し迷ってから、新垣ではなく光井の心の方へと意識を伸ばす。
光井の心の中には、
対新垣里沙対策のための防御壁は一つも存在していなかった。
唯一つ、そこには真っ白な旗がはためいているだけだった。
れいなは誰にも気づかれない程の小さな音で「チッ」と舌打ちをした。
- 55 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:43
- 第二章 終わり
- 56 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:44
-
★
- 57 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 21:44
- 続きます
これからもこんな感じで更新していくつもりです
- 58 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 01:53
- すげーおもしろいです!
先がめちゃくちゃ気になります!
続き楽しみにしてます!
- 59 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:32
- とても面白いです。期待しています。
- 60 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:36
- 第三章
- 61 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:36
- 名古屋でのハロコンがまもなく始まろうとしていた。
夏に向けて一方的に輝きを増し始めた七月の太陽は、
会場前に並ぶ無数のファン達の体を容赦なく照らしている。
人々は建物の陰に入るなどして日差しを避けながら、
開場までの時間をまったりと過ごしていた。
一方会場の中の出演者達は、既に最終的な準備を終えて、
あるものは控え室に腰掛け、あるものは廊下で所在無げにたむろしていた。
開演前の独特の高揚感が全ての出演者を包んでおり、
会話として完結していない会話があちこちで飛び交っていた。
れいなは娘。のメンバー達から離れて、
Berryz工房や℃-uteのメンバー達のそばにいた。
いつも一緒に仕事をしているメンバーの近くにはいたくなかった。
それよりも利害関係が全くなく、
それでいて先輩のように説教じみたことも言わず、
意識もしない人間の近くにいたかった。
れいなはそんなキッズのメンバーといるときは
どれだけ他人の意識に触れても、穏やかな気持ちを保つことができた。
- 62 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:37
- れいなは隣にいる久住小春に向かって軽口を飛ばす。
悪意のあるれいなの言葉に周りのみんなもゲラゲラと笑う。
(田中さん面白い)(もっと言えもっと言え)(田中さん田中さん)
(あたしにも言って)(小春泣きそうwww)(あたしとも喋って)
れいなは周りの賞賛の声に鼻高々となる。
普段なら、控え室ではあまりこういう悪口めいたことは言わないのだが、
周りがキッズの子らのときはなぜかすらすらとこういう言葉が出てきた。
- 63 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:38
- 周囲のキッズの反応は率直で、計算めいたものがほとんどなかった。
面白いか、面白くないか。ただそれだけだった。
それは彼女らが幼いからというよりは、
田中れいなという人間が、普段あまり接していない、
よく知らない人間だからという部分が大きいようだった。
利害関係もなく、計算するほどの情報量も持っていない。
そんな人間に対して悪意を抱くほど、
攻撃的な人間はハロプロにはいなかった。
彼女らは、れいなの言葉をそのままただのジョークとして受け止め、
裏の意味を読み取ろうとすることはなかった。
そのおかげでれいなは、裏の心のやり取りに傷つけられることなく、
素直に自分の思っていることを言葉にすることができた。
- 64 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:39
- 一方、れいなにきついジョークを言われている小春も、
全く傷ついていなかった。
れいなに負けじと、むきになって反論してくる小春だったが、
心の中にはれいなに対する悪意や嫌悪感はほとんどなかった。
そこにあったのはただ「勝ちたい」という純粋な思いだけだった。
(負けないもん)(あたしの方が)(あたしの方が勝ってる)
(あたしの話の方が)(あたしの方が)(ちょっとみんな)
(話を聞いて)(あたしが)(勝ってる絶対勝ってる)(勝ちたい勝ちたい勝つ)
(勝つまでやる)(あたしの方が)(あたしがあたしが)
- 65 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:40
- 小春の心の中にあるのは「勝ちたい」ただそれだけだった。
驚くべきことに、そこには比較対象としての敗者は存在していなかった。
ただ一人、勝利者としての自分のみが存在しており、
れいなと会話をしていながらも、
れいなのことはほとんど意識していなかった。
れいなはこれまで「自己中心的」と呼ばれる人間と何人も接してきた。
そういった人間は、
他人を自分より下の存在として徹底的に蔑むことによって
圧倒的な自己を確立する、という思考をすることが多かったが、
小春のように、ここまで他人を意識していない人間は珍しかった。
- 66 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:40
- そんな小春の描く「勝利者」のイメージは驚くまでに貧困だった。
お金や地位や名声といった、小学生ですら描くような、
具体的で世俗的なイメージとはほとんど直結していなかった。
ただ「勝った!」という自分自身の満足度のみが重要視されていた。
それはもはや、あらゆる名声を勝ち得たごく一部のトップアスリートが抱く、
極限までストイックな競技モチベーションの域にまで達していた。
れいなはそんな小春と話をするのが嫌いではなかった。
他の娘。メンバーが共通して小春に対して感じている「うざさ」は感じなかった。
れいなは時々こうやって小春にからんでは、
時には打ち勝つまでやって小春を軽く凹ませ、
またある時は、小春が理想とするような勝ち方をするように、
あえて負けてあげて小春の喜ぶ顔を見て楽しんだりしていた。
小春はたとえ負けたとしてもれいなを恨むことはなかったし、
勝ったとしてもれいなのことを蔑んだりはしなかった。
小春の中の「田中れいな」とは、同じグループの先輩という記号でしかなく、
それ以上でもそれ以下でもなかった
- 67 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:40
- 小春の喋りは、加速度をつけてどんどんと速くなっていく。
それと同時に、小春の脳内には次に喋ろうとする内容がどんどん溜まっていく。
小春の心はまるで人並みはずれて太いシャープペンシルのようだった。
そのシャーペンには上からどんどん新しい芯が降りてくる。
内部には100本を越える膨大な数の芯が溜まっていくが、
外部への噴出口は一つしかない。
小春は恐ろしい勢いでシャーペンの上部を連打する。
シャーペンの芯をバキバキと折りながら乱暴に言葉を書き連ねていく。
そうしている間にも、上からはどんどん新しい芯が降りてくる。
追いつくわけがない。
上から降りてきた芯の大部分は、
陽の目を見ることなく小春の心の奥底へと消えていった。
- 68 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:40
- 「時間だよ」
声をかけてきたのはいつものように新垣だった。
れいなは新垣に手をひかれて通路の奥へと向かう。
今日のコンサートに出演する全てのメンバーがそこに集まり、
隣のメンバーと手をつないでいく。
やがて大きな輪が出来上がり、そこにいる全ての人間の視線は高橋に集まる。
「えー、じゃあ今日のコンサートもー」
高橋が場のリーダーとして話し始めると同時に、
れいなの右手は新垣の左手にぎゅっと強く握られた。
体同士を触れさせると、れいなはいつも以上に相手の意識を強く感じた。
相手の意識を遮断することはほぼ不可能だった。
新垣の意識は多くの感情が複雑に入り混じっていたが、
何よりも強く発されていたのは、高橋に対する嫉妬心だった。
- 69 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:40
- れいなは過去の経験からも、
新垣が高橋のことを強くライバル視していることは知っていたし、
密かにモーニング娘。のリーダーになりたいと思っていることも知っていた。
だがここまで強い意識を感じたのは初めてのことだった。
高橋への嫉妬心は、
新垣自身の劣等感と二匹の蛇のように絡み合いながら、
まるで塔のように高くそびえ立っていた。
さらにその二匹の蛇の塔には、
新垣の心の中にある様々な感情がツタのように深く絡み付いていた。
モーニング娘。というグループに対する愛情、
その愛情は誰にも負けていないという自負、
その自負がただの自己満足にすぎないという虚しさ、
でもその自己満足こそが自分のアイデンティティなのだという矛盾した意識。
そして―――高橋愛という女性への愛情。
そういったものと複雑に絡み合いながら、
二匹の蛇は新垣の心の中に深く根を下ろし、驚異的な高さまで伸びていた。
「いきまっ しょーい」
高橋がそう言った瞬間、二匹の蛇はズタズタに千切れて断末魔を上げた。
- 70 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:41
- コンサートの幕が開く。
歓声が上がり、会場にいる人間の全ての意識がステージ上に向かって放たれる。
それはサイリウムの光よりも煌びやかに、
多彩な色を放ちながられいなの心に届いた。
何度感じても圧倒される光景だった。
放射される何千という意識に、全く同じ意識など一つもなかった。
赤と橙、というように似た色ですら一つもなかった。
それらの何千という意識は、全て黒と白のようにはっきりと違う色をしていた。
ここにいる人間は全て違う人間なんだという、
当たり前の事実がれいなの心を大きく揺り動かした。
れいなはそういった意識を遮断することなく、素直に受け入れた。
全ての意識を読み取ることなどとても不可能だったが、
それが逆にれいなの心を温かくした。
善意も悪意も感じとれない、純粋な人の意識の放射を、
れいなはただただ浴びるように味わい、楽しんだ。
- 71 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:41
- やがてアンコールが終わり、ステージの幕がゆっくりと閉じられていった。
幕がピタリと閉じると同時にれいなも心に幕を下ろし、他者の意識を遮断した。
コンサートの度に続けているこの作業は、これで一体何度目になるのだろうか。
コンサートの最中は常に心を開いていた。
そうやって観客の心を受け入れ、
時には煽り、時には受け流すことによって、
ステージ上の空気を意識的に操ろうとした。
その試みは成功することもあったし、失敗することもあったが―――楽しかった。
人の心が読めるようになってからは、辛いことばかりだったが、
コンサートのステージ上にいる時だけは、
れいなはその能力を楽しむことができた。
その楽しい時間もとりあえずは終了した。
出演者が次々とステージを去って控え室へ向かう中、
れいなはいつまで名残惜しそうに降りたままの幕を見つめていた。
- 72 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:41
- 「れいな!なにしてるの!行くよ!」
珍しく道重がれいなに声をかけてきた。
(誘わないと)(ご飯食べよう)(三人で)(絵里と二人だと面倒)(なにかと)
道重の心に触れて、れいなは苦笑した。
道重は前日のやりとりで、亀井と少し言い合いみたいなことになっていた。
れいなは既にそのことは知っていた。亀井が道重に対して怒っていることも。
道重は、二人の緩衝材的な役割としてれいなを指名したようだった。
苦笑したのは利用されたからではない。
これまでもこういうことは何度もあった。
何度もあったというよりも、こういうことが普通であり、常だった。
二人より三人の方が楽なときがある。
それは昔も今も変わらない。
いつまで経っても変わらない三人の関係性に苦笑してしまったのだった。
(全然変わらない)
れいなはふとオーディションを受けたときのことを思い出した。
(そうあの時も―――)
(初めて会ったあの時も―――)
(オーディションに受かったあの時も―――)
(さゆと絵里は―――)
- 73 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:41
- 第三章 終わり
- 74 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:41
-
★
- 75 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 21:42
- 続きます
少しずつですが話が盛り上がるように頑張っていきます
- 76 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/19(火) 22:25
- 息を飲む描写ですね。67、69レス目は迫ってくるようでした。
更新楽しみにしています。
- 77 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:29
- 第四章
- 78 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:30
- れいなが扉を開けると、そこには二人の少女が椅子に腰掛けていた。
(三人目!)(三人目!)(やっときた)(幼い顔)(これで二人きりという)
(小さい子)(気まずい空気から開放される)(ケバイ顔)(二人きりよりは)
(三人の方が)(口紅)(ずっと黙っていたし)(この子は小学生?)(猫みたいな子)
(化粧濃い)(多分年上だ)(高校生かな)(こちらからは喋りにくい)(何か喋って)
モーニング娘。6期メンバーオーディションの最終選考会。
その控え室に、最後に入ってきた候補者がれいなだった。
スタッフからは集合場所以外の情報は一切与えられていなかったが、
れいなはスタッフの心の中を探り、最終候補に残ったのが
自分を入れて三人であるということを既に把握していた。
- 79 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:30
- れいなは、そこにいた二人の心が発した意識に軽い眩暈を覚えた。
人の心が読めるという特殊能力が身についてしまってから、
まだ一週間ほどしか経っていなかった。
れいなは新しく身に付いたその能力に振り回されっぱなしで、
その能力の使い方もまだよくわかっていなかった。
二人の少女は、れいなのことを強く意識していたが、
れいなにはその意識がどちらの少女のものであるのか、判別できなかった。
二人の意識は混じり合うようにしてれいなの心に入り込んでくる。
拒もうとしても勝手に入り込んでくる。
それを遮断する方法も、れいなはまだよくわかっていなかった。
- 80 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:30
- 少し待たされた後、
部屋に入ってきたスタッフに、れいなは一枚の紙を渡された。
その紙には、これから始まる三泊四日の合宿の詳細が記されていた。
そこでれいなは初めて二人の少女の名前を目にする。
亀 井 絵 里
道 重 さ ゆ み
二人の名前を認識すると同時に、れいなは二人の意識を分離することができた。
まるで「モーゼの十戒」に出てきた海が割れるシーンのように、
「亀井絵里」と「道重さゆみ」の意識は大きく二つに分かれていった。
改めてよく見ると、それは全く違う種類の意識であり、
とても混同してしまうようなものではなかった。
人の意識を読むってこういうことなのか。
れいなは他人の意識を読む上で大切なことを一つ学んだ。
- 81 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:30
- れいな達三人はバスに乗せられ、合宿所のある河口湖へと向かうことになった。
スタッフはてきぱきと指示を出して三人を誘導する。
小さなマイクロバスに三人は乗り込み、指示された席に座る。
三人の前にはカメラがセットされる。
(テレビカメラ!)(こんなところまで撮るんだ!)これは亀井の意識。
(席いっぱい空いてる)(ここに座るの?)(離れて座りたい)こっちは道重の意識。
どうやら二人の意識を混同することは、もうなさそうだ。
そんなことを考えながら、
れいなはこの能力が身に付いてしまった経緯を思い出していた。
れいなの目の前で消えた従姉妹のこと。
人が一人消えたのに、その後、何の騒動も起きなかったこと。
親戚の誰もが従姉妹のことについて語ろうとしなかったこと。
そして―――
その次の日から他人の心が見えるようになってしまったこと。
全てを整理して受け止めるには、一週間という時間はあまりにも短かった。
だがそれまで暮らしてきた生活が全て壊れてしまうには―――
十分な時間だった。
- 82 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:30
- まず、れいなは全ての友達を失った。
彼ら彼女らの中に住む悪魔はれいなの存在を完全に否定した。
(オーディションを受けた?)(バカじゃないの)(調子に乗ってる)
(受かるわけない)(ブサイクのくせに)(あたしよりブスのくせに)
(なにがモーニング娘。だよ)(恥ずかしい)(近寄るな)(臭い)
(喋るな)(調子に乗るな)(消えろ)(落ちろ)(落ちてしまえ)(死ね)
彼ら彼女らは、表面上ではれいなと仲良さそうに振舞っていたが、
心の中ではれいなのことをあざ笑っていた。
この能力について、友達と相談するなんてことはとてもできなかった。
それどころか―――
れいなは友達と普通に会話することすらできなくなってしまった。
- 83 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:31
- 教師ももちろん頼りにはならなかった。
彼らはれいなに対して一切の興味を持っていなかった。
友達の心のように―――れいなを傷つけることすらしなかった。
もう学校にはれいなの居場所はなかった。
親に相談することもできなかった。
もちろん、両親はれいなのことを心から愛していたし、
れいなのためならなんでもしてくれるということは理解できた。
だが、れいなの母親はなぜかあの従姉妹のことを恐れていた。
親戚の中でも異端な存在として認識し、考えることを拒絶していた。
なぜそこまで恐れているのか、
深く探ってもその理由を見つけ出すことはできなかった。
そういうわけで、れいなは両親―――特に母親に対して
どうしても従姉妹の話を切り出すことができなかった。
- 84 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:31
- その直後にれいなは、
モーニング娘。のオーディションを受けるために、東京へ行くことになった。
受かるしか道はない
れいなは覚悟を決めた。
もし合格したら、当然そこからは東京で暮らすことになるだろう。
学校にも行かなくて済むかもしれない。
そういった生活を勝ち取る、唯一にして、最後のチャンスだと考えた。
もう地元にはれいなの居場所はない。友達はいない。帰る場所なんてない。
受かろう。受かるんだ。受かるしかない。
もしかしたら―――
この「他人の心が読める」という能力も―――
オーディションでは大きな武器になるかもしれない―――
れいなは合格するためにはどんな手段も使うと、心に決めた。
- 85 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:31
- れいな達三人を乗せたマイクロバスは、
降りしきる雪の中を慎重に慎重に河口湖へと向かっていた。
れいなはバスに揺られながら両横にいる二人に意識を伸ばすことにした。
合宿が始まるまでに、二人に関する情報をなるべくたくさん入手しておきたい。
そうすればオーディションでも有利になるのではないか。
れいなはそんなことを考えていた。
すぐ右隣には「亀井絵里」
そして通路を挟んで左側の席には「道重さゆみ」が座っていた。
距離が近い方が意識を探りやすい。体が触れていればなおいい。
この一週間の経験から、れいなはそういった法則を発見していた。
- 86 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:31
- れいなはさりげなく亀井の靴に自分の靴を触れさせる。
亀井はどうやら眠っているようだった。
ならば先に道重の方を探ろうか―――
と思ったれいなだったが、その時、
亀井の意識の中に夢の映像が広がってきた。
人の夢を覗き込むのは、れいなにとって初めての経験だった。
強く興味を引かれたれいなは、亀井の意識の中により深く忍び込む。
- 87 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:31
- 夢の舞台は、どうやら亀井が通う学校のようだった。
亀井らしき人間がそこで歌いながら流れるように踊っている。
意味がよくわからない。
やがてそこにライフルを持ったギャングのような連中がなだれ込んでくる。
きゃーきゃー悲鳴を上げながら逃げ惑う亀井。
その手にはなぜかバイオリンが握られていた。
やっぱり意味がよくわからない。
いつの間にか亀井の周りには何人かの男が張り付き、亀井を護衛していた。
ぬうっと音もなく亀井の意識下から浮上してくる男たち。
れいなはその意識下にある亀井の無意識のゾーンに潜ってみることにした。
- 88 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:31
- こういった無意識下の領域は、
普段、人が覚醒しているときには絶対に入ることができない領域だった。
ダメ元で行ってみると、意外と簡単に入ることができたので、れいなは驚いた。
そのゾーンには過去に亀井が経験したあらゆる事象が転がっていた。
本能的に危険を感じたれいなだったが、
好奇心には勝てず、どんどん奥へと進んでいった。
あるエリアには亀井が過去に読んだ漫画や雑誌の記憶が積み重なっていた。
どうやらさっき登場していたギャングや男達は
亀井がよく読んでいる漫画の登場人物らしかった。
- 89 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:32
- さらにれいなは下層へと進んでいく。
その行為はもはや、亀井に対する興味というよりも、
人間そのものに対する興味からだった。
亀井という人間の本質へとれいなは近づいていく。
硬そうな殻に包まっている亀井の心は、
暖かい色を放ちながら心臓のように脈動していた。
れいなはそっとそれに触れる。柔らかい。つるつると。傷一つない。
潰したい。守りたい。相反する感情が田中の中に沸き起こる。
「見つけた!!」
突然れいなの前に亀井が現れる。
亀井は何やら意味のわからないことを叫びながられいなにつかみかかってくる。
- 90 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:32
- これも漫画か何かのワンシーンなのだろうか。
そう考えながられいなは慌てて亀井の意識から離れようとする。
だがその時―――
れいなの頭上からバイオリンやら男やらギャングやら学校が―――
どすんどすんと落ちてくる。
れいなは亀井の無意識下から出ようとするが、
さっき通ってきた道は頑として開かなかった。
硬い―――この手ごたえは―――
人が起きているときに、
無意識下に入り込もうとして跳ね返されたときと同じ感触だった。
亀井の無意識ゾーンはゆっくりゆっくりと閉じていく。
れいなを押しつぶさんばかりの勢いで。
- 91 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:32
- 亀井は薄目を開けてバスの中を見回す。
どうやらいつの間にか寝てしまっていたらしい。
バスはゆりかごのように揺れながら、河口湖までの道を走り続けている。
(まだ着かないのかな?)(眠い)(でも)(もう起きた方がいいのかな?)
亀井はうつらうつらとしながら左側を見る。
「田中れいな」という小学生にしか見えない幼い少女は、
寝息一つ立てずに、死んだように眠っている。
(まだ寝てていいかも)(みんな寝てるし)(バス走ってるし)
(寝よう)(今ならまだ)(すぐ眠りに入れるはず)(今ならすぐ)
亀井はゆっくりとまぶたを閉じて再び夢の中へと入り込んでいった。
- 92 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:32
- ―――潰される!
れいなが死を覚悟した瞬間、
亀井の無意識は再び曖昧さを伴いながらゆっくりと拡散していく。
―――行ける!
そう直感したれいなは全力で亀井の意識にぶつかっていく。
今度は何の抵抗もなく―――れいなはするりとそこから抜け出ることができた。
れいなは急速に亀井の意識から離れていった。
その下では再び亀井が学校を舞台にして何やらやっているようだったが、
もうそこには近づく気はしなかった。
―――危なかった。
れいなは目を覚まし、現実の世界に戻ってくる。
全身にびっしょりと汗をかき、下着は肌にぺっとりとひっついていた。
隣の席では亀井がすーすーと寝息を立てながら眠っている。
逆側の席では道重が同じように安らかな寝顔で眠っている。
―――やめたやめた。
れいなは二度と眠っている人の夢は覗くまいと心に決め、
二人と同じように眠ることにした。
- 93 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:32
- 第四章 終わり
- 94 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:33
-
★
- 95 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 21:33
- 続きます
いきなり古い話になってしまってすみません
- 96 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:20
- 第五章
- 97 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:21
- 合宿の初日は、特筆すべきことは何もなかった。
部屋に着き、荷物を置いたら、あとはもう寝るだけだった。
れいなは長旅で疲れていることを自覚していた。
体が疲れているときは心も上手く読めない。
今日はこのままぐっすり寝て、明日に備えるのがいいだろうと考えた。
明日からは本格的にレッスンが始まる。
指導してくれる先生が一体何を望んでいるのか。
どういうことをすれば合格に近づくのか。
読むべきことはたくさんあるに違いない。
早く体調を元に戻さなければならない。
電気を消した後もしつこく話しかけてくる二人を無視して、
れいなは深い眠りに落ちた。
- 98 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:21
- れいなは夢の中にいた。
何もない空間。誰もいない空間。
だがそこにみかん箱のような古い木箱があり、
その中に一匹の猫がいることが、
れいなの心の中の、文字列のフィルターから映像化することができた。
「あれ?お前、もしかしてこの前の猫?」
れいなは小さな猫に向かって話しかける。
猫は両方の耳がぺたんと折れ曲がっていた。
確かこの夢は見たことがある。一週間ほど前に。
変な夢だったのでよく覚えている。
その時の夢では確か―――
お腹の大きな一匹の猫がいた。
そこから生まれてきた小さな一匹の猫。
お母さん猫と同じように、耳がぺたんと折れ曲がった小さな猫。
お母さん猫はそのまま息絶えてしまった。
泣きながらお母さん猫をゆするれいなに向かって、子猫はみぃみぃと鳴いた。
そんな子猫を前にして、れいなはただただ途方に暮れるだけだった。
- 99 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:21
- 変な夢だった。
目覚めたときはぐっしょりと汗をかいていた。
起こしにきてくれたお母さんが「大丈夫?」と心配したくらいに。
そしてその時れいなは初めて感じた。他人の心の中を。
(この子は体弱いから)(1歳のときも)(3歳のときも)(あのときも)
(手がかかる)(ちゃんと見てあげないと)(あたしが)(しっかりと)
その日かられいなの悪夢の日々が始まった。
だからこの猫の夢のことはよく覚えていた。
人の心が読めるようになった日に―――見た夢だった。
- 100 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:21
- その時に見た子猫は、まだ生まれたてで弱々しかったが、
今そこにいる子猫は、まだ小さいながらもしっかりと目を開き、
れいなのことをじっと見つめていた。
「そうかそうか!ちょっと大きくなったのか!」
れいなは子猫を抱き上げて、じっと顔を見つめる。
可愛い。
この子だって一人で大きくなったけん―――
れいなも頑張らんといけんね!
- 101 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:21
- 翌朝、河口湖の周りは一面の雪景色となっていた。
予定されていた早朝ジョギングは中止となり、
ダンスレッスンが始まることとなった。
「夏です。よろしくお願いします」
そう自己紹介された瞬間、れいなは軽くよろけた。
目の前にいるダンスの先生は、れいながこれまで会った
どんな大人とも違う思考回路を持っており―――
強烈な自我を持った人間だった。
れいなは必死に夏の心の中を読もうとしたが、それはかなり困難なことだった。
夏の中には様々な問題が山積みとなっていた。
学校の先生が抱えている問題の、10倍くらいの量はあった。
そしてその一つ一つの問題に対して、夏はかなり緻密な解決イメージを描いていた。
一度固めたイメージは揺ぎ無く、頑として動くことを拒絶していた。
固めたイメージを守るために、夏は常人を遥かに超えるエネルギーを注いでいた。
とても普通の人間だとは思えなかった。
どこをどう読めば夏のことが理解できるのか―――
れいなには全くわからなかった。
- 102 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:22
- ダンスレッスンが始まった。
れいなは夏の中にあるイメージを追いかけ、
それに合ったダンスをしようとしたが―――不可能だった。
頭で考えて踊ろうとすればするほど、ダンスはどんどん理想からずれていった。
「―――!」
「―――田中!」
「―――田中っていない?この中に」
夏の言っていることすら聞こえないような状態になっていた。
散々な出来だった。
このままでは合格なんて絶対無理だとれいなが思ったその時―――
「そこ!違うよ!」と言いながら、夏がれいなの手首をつかむ。
その瞬間―――
れいなは夏の意識から―――
三人の合格が既に決定していることを知った。
- 103 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:22
- その後に行なわれたボイストレーニングも散々な出来だった。
もはやれいなの心はここにあらず、といった感じだった。
ボイストレーニングを担当する菅井先生が何を言っても、
それがれいなの心に届くことはなかった。
菅井の説教も、TVに向けたある種のポーズであることが、
れいなにはわかっていた。
真剣に聞く気になどなれなかった。
(受かったんだ!)(モーニング娘。になれるんだ!)
そう思うだけで嬉しかった。
ホッとして一旦ゆるんだ気持ちはなかなか元には戻らなかった。
菅井の説教を適当に流し聞いて、れいなはトレーニングを終えた。
- 104 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:22
- 部屋に戻ると、亀井と道重が泣いていた。
二人の落胆しきった心の風景は、なかなかに凄惨なものがあった。
(もうおしまい)(絶対無理)(落ちた)(嫌だ)
(死にたい)(あれがTVに)(帰りたい)(逃げたい)
(帰りたくない)(恥ずかしい)(できない)(嫌あああああああ)
れいなは笑いたい気持ちを抑えるのに必死だった。
もう受かっているんだよ!と何度も言いそうになった。
二人の運命を自分が握っているような気持ちになり、
さてどうやって二人をからかってやろうかなどと考えていたが―――
- 105 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:22
- (この子らとずっと付き合っていくことになるんやね)
(これからずっと)
(モーニング娘。である限りずっと)
そんな当たり前の思いがれいなの心に浮き上がってきた。
れいなはもう地元で暮らす気はなかった。
喩えではなく、本当の意味でここに骨を埋める気だった。
死ぬまでモーニング娘。を続けるつもりだった。
ここでしか生きていけないと思っていた。
からかっている場合ではないと―――
れいなは気づいた。
- 106 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:22
- 「一緒に練習しよ!」
れいなが声をかけ、三人は一緒にダンスの練習をすることにした。
亀井と道重は、まだ完全に心を開いたわけではなかったが、
それでもれいなのことを頼っていることはわかった。
(この子が引っ張ってくれれば)(道重さんとも話しやすい)
(田中さんが亀井さんとあたしの間に入ってくれれば)
(言いたくないことも言わなくて済む)(この子は使える)
(この子は利用できる)(この子が面倒なことを引き受けてくれればいい)
こういう考え方は、地元の女友達もよくしていた。
「計算高い」とその時は友人に対して憤慨していたれいなだったが、
初対面である二人に対しては、そういう嫌悪感は持たなかった。
どんな手段を使ってでも、絶対に合格する。
そう考えていたのはれいなだけではなかった。
れいなはそんな二人に対して、奇妙な連帯感を持つようになっていった。
- 107 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:22
- 翌日のダンスレッスンは悪くない出来だった。
それは決してれいなの自己満足ではないということは、
夏の心の中を読めるれいなには、容易に判断できた。
(なんとかなりそう)(見栄えしないけど)(そう悪くもない)
(これならなんとか)(特番にも出せる)(素人としてなら)
(悪くない出来)(最初はどうなるかと思ったが)(形になりそう)
れいなは夏が心から喜んでいることを意外に思った。
指導者としての面目が立ったというよりも、
夏は、下手糞だった人間が上達していく様を純粋に楽しんでいた。
夏の中には、既に新しいメンバーを加えた
新たなモーニング娘。像が形作られていた。
れいなはその時に初めて、6期として藤本美貴も加入することを知った。
夏の中にある、今よりもかなり上達している田中れいなのイメージを見て、
れいなは少し照れくさい気持ちになった。
- 108 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:23
- ボイストレーニングも、昨日とは打って変わって良い出来だった。
元々菅井の中にある田中れいなの評価は、
三人の中でも一番高いものだったので、
れいなは特に緊張することなく、ただいつも通りに歌えばそれでよかった。
れいなの次は道重がレッスンすることとなった。
彼女の歌が破壊的に下手であるということは、
昨夜の個人練習の時に気づいていた。
この合宿ではこれまでの人生では経験しなかったような
衝撃的な出来事がいくつも起こったが、
最も衝撃を受けたのは、間違いなくこの「道重の歌」だった。
- 109 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:23
- それは亀井も同じことだったらしい。
初めて道重の歌を聴いたときの亀井の衝撃はかなりのものだった。
(下手!)(ていうか音痴!)(生まれつき?)(こりゃ落ちたわ!)
(絶対合格しない!)(なんでここまで残ったの!?)(引き立て役?)
だが当然、亀井はそんなことは表には出さなかった。
「歌も頑張ろうね!」と笑顔で道重に語りかけていた。
だがれいなはそんな亀井を汚い人間だとは思わなかった。
れいなも全く同じようなことを思い―――
全く同じように振舞っていたから。
むしろ道重を傷つけないようにしている亀井に対して好感を抱いていた。
- 110 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:23
- そんな亀井だったが、密かに道重のレッスンを楽しみにしていた。
(あれだけ下手なんだ)(先生どうするんだろう?)(凄いことになる)
(修羅場)(TV向け?)(だから選ばれたのか)(どうなるんだろ)
もし菅井の心が読めなかったら、れいなも同じことを思っていただろう。
だがれいなは既に菅井の心の中を深く読んでいた。
菅井は既にビデオで道重の歌唱力を正確に把握していたが、
驚くべきことに、落胆も失望もしていなかった。
菅井はアイドルの歌唱力を10段階にランク付けしていた。
田中と亀井は上から6つ目だったが、道重は上から8つ目だった。
菅井は道重よりも遥かに劣る人間を、過去に何度も指導した経験があった。
- 111 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:23
- 道重が歌い始めると、即座に菅井の心の中には
道重に適した練習方法がいくつかピックアップされていく。
それと同時に、「この合宿で道重はこれくらいのレベルにはなるだろう」
という予想ラインまで設定されていた。
そのラインは、歌の素人の田中から見たら、
「絶対に届かないよ」と思われるほど高く設定されていた。
どんなレッスンになるのか楽しみにしていたが、
その後の細かいレッスンは個人で行なわれるものだったので、
道重のレッスンを見ることはできなかった。
- 112 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:24
- 翌日の午前に行なわれたダンスの発表をもって、
三泊四日の合宿は全日程を終了した。
ダンスの出来は、夏が心の中で設定したハードルをやや下回っていたが、
なんとか許容範囲内には収まっていた。
三人は合宿所を後にし、
歌のテストが行なわれる都内のスタジオへと向かうことになった。
三人は合宿所の入り口に立ち、車が来るまで手持ち無沙汰で待つ。
河口湖に降り積もった雪はほとんど解けていたが、
建物の影に隠れた部分ではまだ少し雪が残っていた。
れいなは雪を両手でつかむ。
(冷たい)(アホか)(わかってたことやん)
(触らんかったらよかった)(なにしてんだろ)
- 113 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:24
- 「雪合戦したかったな」
道重がぽつりとそうつぶやく。
それはその場の間を持たせるための言葉ではなく、道重の本心だった。
道重の心の中には、
雪の玉を持ってわーわー騒いでいる三人の映像がイメージされていた。
そして道重の言葉に触発されたのか、
亀井の心の中にも、雪の玉でれいなに集中砲火を浴びせている、
亀井&道重コンビのイメージが浮かんでいた。
れいなはにへらーと笑いながら、つかんだ雪を二人に向かって投げた。
- 114 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:24
- 第五章 終わり
- 115 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:24
-
★
- 116 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 21:25
- 続きます
合宿の描写とか事実と違うところがあるかもしれませんが、見逃してください。
- 117 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:30
- 第六章
- 118 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:31
- しばらくして、来た時とは違うマイクロバスがやってきた。
今回は座る位置は特に指示されなかった。カメラもなかった。
三人はそれぞれ席について、雪で濡れた服を着替えたりしながら、
特に喋ることもなく、行きと同じようにすぐさま眠りについた。
バスは三時間ほど走った後、東京のスタジオへと到着した。
ここで歌の試験があり、
それが終わった後に合格者を発表するという段取りだった。
れいなはスタジオにいるスタッフの思考を読み取って、
TVで放送されるであろう特番のおおまかな構成を、既につかんでいた。
- 119 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:31
- どうやらスタッフはれいな達に「問題児」としての役割を期待しているようだった。
れいなは一体どうやったら「問題児」と見られるのかさっぱり想像がつかなかったが、
スタッフの心をのぞいてみると、どうやら「合格してもあまり喜ばない」という
リアクションを期待していることがわかった。
それならば何の問題もないとれいなは思った。
既に合格していることを知っているれいなが、
改めて合格発表を聞いた後に、喜んだり動揺したりすることはありえなかった。
れいなは気楽な気持ちで歌のテストに臨んだ。
テストは亀井、田中、道重の順に行なわれた。
やはりというか、最も緊張していたのは道重だった。(どうしよどうしよどうしよ)
れいなは心の中で道重にエールを贈った。(大丈夫。道重さんも受かるけん)
一方で亀井は(道重さんは落ちてあたしと田中さんが選ばれる)と思っていた。
- 120 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:31
- テストの場には菅井も来ていた。
もちろん彼も、三人の合格が決定していることを知っていた。合宿の前から。
そして彼は合宿が終わった直後に、
事務所に対して「三人とも歌に大きな問題はありません」と連絡を入れていた。
(おいおい先生。道重さんのことを忘れとらん?)
れいなは思わず心の中で突っ込みを入れた。
だがテストが始まり―――そして道重の番になり―――
彼女の歌声が流れ始めると、そんな気持ちは一瞬にして消えた。
(上手い!)(いや上手くはない)(普通だけど)(でも普通に歌ってる!)
驚くべきことに、道重はやや下手ながらも普通に歌っていた。
そしてそのレベルは、菅井が合宿の時に予想していたラインを綺麗にクリアしていた。
だが菅井の心には特に感動や驚きはなかった。
達成感や、自分の指導技術に対する自慢めいた気持ちもほとんどなかった。
彼の心の中にあったのは、
やるべきことをやって、出るべき結果が出たという、軽い安堵感だけだった。
- 121 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:32
- れいな達三人は別室に連れて行かれた。
スタッフの指示で三人は決められた椅子にそれぞれ座る。
また座る場所を決められているのかと思ったが、不満は感じなかった。
スタッフの心の中にある(この子を中心に)という言葉の、
「この子」とはまさに田中れいなその人だったからだ。
中心。れいなは三人の真ん中の位置に座る。悪い気はしなかった。
それからかなりの時間、待たされた。
両隣にいる亀井と道重の心の高ぶりようは尋常ではなかった。
合格したときのイメージや不合格したときのイメージは、少し前に消えていた。
時間が経つにつれて、二人の心の中は真っ白に近くなっていった。
ただただ、もうすぐやってくる最終審判に対して、無抵抗に跪いていた。祈っていた。
二人のそうした必死な心境を見て、れいなは少し羨ましいなと感じた。
- 122 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:32
- (自分はもう、そういった感覚を奪い取られてしまった。あの時に)
(あの時?)
(夏先生に触れたときに?合格を知ってしまったときに?)
(いや違う。多分違う)
(きっとこの能力を与えられたとき)
(あのときにあたしは―――)
(この能力と引き換えに―――)
(きっと心の中のとっても大切なものを失ってしまった―――)
れいながそんなことを考えていると、
ガチャリと扉が開く音がして、一人のスタッフが部屋に入ってきた。
- 123 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:32
- れいなはそのスタッフが合格を告げにきたことを、瞬時に理解した。
合格が発表されても、決して喜んではいけない。
あくまでも問題児として、クールに振舞わなければならない。
スタッフの望むような態度を取らなければならない。
れいなは改めて気を引き締めた。
スタッフはかなり低いトーンで三人に告げる。
「今回は・・・・・・・三人とも・・・・・・・・・合格です」
れいなは必死に笑いを堪え、無表情を作ろうと努力した。
気を紛らわせるために、
れいなは意識を両隣の二人へと向けた。
- 124 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:32
- のんびりしてそうな道重の反応は速かった。
(やった!!)(合格合格!)(嬉しい!)(これで明日から)(あれ?)
(モーニング娘。だ!)(でもなんで?)(みんな喜ばない)
(こんなに嬉しいのに)(喜んじゃダメな雰囲気?)(空気を読んで)
(黙っていた方がよさそう)(でも嬉しい!)(お母さん!)(受かったよ!)
逆にシャープな印象のあった亀井の反応は鈍かった。
(はあ?)(三人とも?)(合格?)(??????)(どういうこと?)
(三人ともってことは)(あたしも合格なの?)(全員合格?)
(そんなのあり?)(でも「亀井さん」って呼ばれてない)(ええ?)
(名前は呼ばれてないよー)(合宿やテストはなんのために?)(え?)
人は見かけによらない。
この能力を身につけてから何度も何度も思ったことを、
れいなは再度思った。
- 125 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:32
- それから三人は別の場所に連れて行かれ、ステージの上に立たされた。
ほどなくして目の前の扉が上がっていき―――
その扉の向こうにはモーニング娘。と藤本美貴が立っていた。
飯田圭織
安倍なつみ
保田圭
矢口真里
石川梨華
吉澤ひとみ
辻希美
加護亜依
高橋愛
小川麻琴
紺野あさ美
新垣里沙
藤本美貴
名前を知っている面々がそこに並んでいたが、
さすがに13人全員の意識を同時に処理することはできなかった。
- 126 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:32
- 新メンバーはそれぞれ自己紹介をし、
その後に現メンバー全員と握手を交わしていくこととなった。
れいなはその日初めて緊張した。
手と手が触れれば一瞬で相手の考えていることがわかる。
もし先輩達が新メンバーである自分のことを
拒絶していることがわかったら―――
ここでも生きていけないかもしれないと思った。
だがそれは杞憂に終わった。
彼女らは皆、意外なほど好意的にれいなを迎え入れてくれた。
れいなが予想していたような、
激しいライバル感情のようなものは一切なかった。
新人に対する優越感も、なぜかほとんど感じなかった。
- 127 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:33
- それよりも皆、れいな達を見て一方的に照れていた。
初々しい新人達の姿に、デビューした時の自分を重ね合わせていた。
れいな達に対して照れているのではなく、
昔の素人っぽかった自分を思い出し、
それに対してただひたすらに照れていた。
その傾向は、新しいメンバーになればなるほど顕著だった。
飯田や安倍は自分のデビューの時ではなく、
4期や5期が入ったときのことを思い浮かべていた。
そして同じように―――なぜか照れていた。
- 128 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:33
- 反感や拒絶感を抱いているメンバーは一人もおらず、
そのことが大いにれいなを驚かせた。
人数が増えるということへの煩わしさは若干感じたが、
ほとんどのメンバーはそれと同時に諦めて受け入れる術も身に付けていた。
決定された事項に対する柔軟な対応力は、
れいなの想像を大きく超えていた。
たった一瞬だけの接触だったが、
れいなは「芸能人」という人種の精神構造の特殊さにやや戸惑った。
時間が経てば自分もそうなるのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていた。
- 129 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:33
- 「ねえ、これからは『れいな』って呼んでいい?」
収録が終わり、先輩達は既に次の仕事場へと向かっていた。
残された三人は事務所の人間に今後の簡単な予定などを聞いた。
やるべきことはすぐに終わり、そこでひとまず解散ということになった。
ボーっとしていたれいなは、亀井のその一言にハッとなった。
亀井はニコニコしながられいなと道重を交互に見つめている。
「道重さんのことは『さゆみ』って呼んでいい?」
「『さゆ』。みんなは『さゆ』って呼んでるよ」
「じゃあ『さゆ』ね!あたしは『えり』って呼んでいいよ!」
「うん!同期だもんね!」
れいなは二人の心の中に忍び込む。
人の心を覗き見るという行為に、罪の意識は感じなかった。
(生きていくために必要なんだ)
れいなはそう思っていた。
- 130 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:33
- 亀井と道重。
二人の意識は共に「話したい!」という強烈な思いに支配されていた。
これまでのこと。これからのこと。モーニング娘。のこと。自分のこと。
れいなは既に亀井と道重のことはほぼ完璧に知り尽くしていた。
おそらく世界中の誰よりも詳しく。
でも二人はれいなのことは知らない。
心が読めるということも知らない。きっと永遠に知ることはない。
(仲良くなれるだろうか)(きっとなれない)(でもいいんだ)
(あたしは生きていくために)(ここにいるんだ)
(ここにしかいれない人間なんだ)
- 131 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:34
- れいなはこのまま二人と話そうか、一人で帰ろうか迷った。
心が読めるれいなにとって、二人と話す必要など全くなかった。
だが二人はれいなと話したがっていた。
(このあと三人で)(ご飯とか食べに行きたい)
(きっと他の二人も)(そう思ってるに違いない)
(二人だけとか逆に気まずい)(三人なら楽)
(三人なら気を遣わなくてもいい)(誘おう)(でも誘いにくい)(どっちから)
(断られたら悲しい)(断られたくない)(誘ってくれないかな)(そっちから)
- 132 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:34
- 「んんーぁ!」
迷っているうちに、れいなはあくびをしながら大きく伸びをした。
それを見て道重がぽつりとつぶやく。
「最初会ったときから思ってたんだけど―――れいなって、猫みたい」
道重の心の中で重なるれいなと子猫の映像。
それがあまりにもぴったりなのでれいなは思わず苦笑した。
(れいなが猫なら・・・・・)(道重さんと亀井さんは・・・)(ええっと・・・)
だがれいなにはピッタリとした喩えが思いつかなかった。
何も言い返せない自分が少し悔しかった。
- 133 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:34
- なんだか真面目に考えるのが馬鹿馬鹿しくなり、れいなは意識を遮断する。
もう二人の心の中は見えない。
何も聞こえてこない。
合宿の最中に、いつの間にか身に付いた技術だった。
そしてれいなは二人に声をかけた。
「さゆ、えり」
――― 子猫のように微笑んで。
「このあと三人でご飯でも食べにいかん?」
- 134 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:34
-
―――
――――――
―――――――――
- 135 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:34
- 「れいな!なにしてるの!行くよ!」
道重の声にれいなはハッと我に帰る。
名古屋国際会議場のステージには、もうれいな一人しかいなかった。
れいなは懐かしい記憶に別れを告げる。
(何ボーっとしてんのよ)(早く早く)(絵里が帰っちゃうじゃん)
(気が利かない子)(お腹減った)(ご飯ご飯)(絵里と仲直り)
(ガキさんはなんか)(愛ちゃんとどっか行くって言ってたし)
心の中でれいなに毒を吐く道重に対して、
れいなは心の中であっかんべーっと舌を出す。
- 136 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:35
- そしてれいなは数十メートル先の亀井へと意識を飛ばす。
いつも相手をしている人間なら、
そのくらいの距離でも心を読むことはできた。
二人の緩衝材的な役割としてれいなを指名した道重の判断は正しかった。
れいなとでも一緒でない限り、
亀井が道重の相手をしそうにないことが亀井の意識からわかった。
れいなはにへらーと笑いながら―――
わざとゆっくりと道重の方へ歩き始めた。
- 137 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:35
- 第六章 終わり
- 138 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:35
-
★
- 139 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 21:36
- 続きます
もちっとだけ続くんじゃ
- 140 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/22(金) 22:37
- 楽しいっす
- 141 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 00:07
- ずっと読ませてもらっています。連日更新ありがとうございます。
とてつもない本気度を感じて勝手に緊張していますよ。
もちっとというよりもっと読みたいです。
- 142 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:29
- 第七章
- 143 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:29
- 結局その夜、れいなは道重と亀井と三人で晩御飯を食べることにした。
三人は泊まっているホテルの地下にあるレストランに入る。
道重も亀井もやや興奮気味の精神状態だった。
れいなは予知能力があるわけではない。
だがその夜の道重と亀井の心理状態は、
事前にれいなが予測した通りだった。
亀井は道重に対して、いつものように強気だった。
(許してあげよっかな)(こっちが引き下がることはない)
(どうせ最後には)(さゆの方が折れる)(あたしは)
(向こうが折れれば)(そのときに)(許してあげればいい)
- 144 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:30
- 見た目では道重の方が強気で、亀井の方が弱気に見えるのだが、
心の中はいつも逆だった。
道重に対するときに限らない。
れいなに対するときも、新垣や高橋に対するときも、
亀井は基本的に強気だった。相手が引くだろうと思っていた。
最後は相手がなんとかしてくれるだろうと思っていた。
亀井が自分から何らかのアクションを起こすことは希だった。
いつも無防備に大の字に寝転がっては、
「さー、なんとかしてくれ!」と相手にお願いしていた。
- 145 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:30
- 一方の道重はやはり弱気だった。
弱気というよりも、もはや諦めの境地だった。
(結局さゆが)(折れなきゃいけない)(絶対そうなる)
(いつもそう)(天然)(絵里は何もしない)(謝るわけがない)
(絵里のバカ)(言うこと全然聞かない)(れいなも何とか言ってよ)
(あ、絵里笑った)(この気分屋)(ご機嫌?)(バカ)(ホントバカ)
道重が少し困った顔になると、亀井は上機嫌になって道重を許し、慰めた。
亀井の心にあるのは優越感ではなく、慈愛の心だった。
亀井は可愛らしい道重のことが好きだった。
そしてそんな可愛い道重のことを慰めている自分が好きだった。
慰めると同時に、亀井は道重と精神的に同化していた。
道重と一緒になり、一緒に慰め、一緒に慰められていた。
そういう精神構造を持っている亀井にとって、
道重との喧嘩は、精神的なストレスとはならなかった。
むしろマスターベーションに近かった。
- 146 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:31
- 亀井が機嫌を直すと同時に、道重の心も徐々に晴れていった。
れいなは二人の心を探り、
喧嘩の原因となった出来事は
どちらかというと亀井の方に非があるように思ったが、
道重は何の抵抗もなく、すんなりと亀井と仲直りすることを選んだ。
普段は年齢に似合わぬシビアな判断力を持っている道重だったが、
こと亀井のことに関しては、
かなりいい加減な態度で臨むことが常だった。
道重のイメージしている「亀井との付き合い方」はかなり特殊だった。
- 147 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:31
- だがれいなは長年の付き合いから、
道重のやり方が非常に効率が良いということを知っていた。
最近ではれいなもそのやり方を真似するようにしていた。
そしてそれ以降、亀井との仲が急速に良くなったように感じられた。
とにかく道重は亀井に対して「諦める」のが神がかり的に早かった。
理不尽なことも、いい加減なことも、理解不能なことも全て、
諦めて受け入れる術を身に付けていた。
れいなはオーディションで合格したときに、
先輩達と握手したときのことを思い出した。
あの時の先輩達のように、
道重は芸能人として必要な柔軟な対応力を身に付けていた。
- 148 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:32
- 突然亀井の脳内に艶かしいイメージが広がってきた。
裸になった二人の女。濃密に絡み合う黒の肌と白の肌。
亀井の心には亀井と道重とのラブシーンが想像されていた。
亀井と道重が友達という一線を超えた関係であることは
れいなも知っていたが、なかなかそれに慣れることはできなかった。
亀井と道重だけではない。
高橋や新垣や、その他の卒業メンバーも―――
何組か、女同士でそういう関係になっているメンバーがいた。
れいなはそういったものに強い拒否反応を示した。
女同士だからというのではない。
れいなは男と女の絡みにも強い拒否反応を示した。
- 149 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:32
- 心が読めるようになって、
れいなは自分を見つめる男の99%が
性的な想像を膨らませていることを知った。
れいなの意思とは関係なく、
れいなのことを心の中で思うがままに動かし、犯す、
男達のイメージを見せられて、れいなは何度も嘔吐した。
「男とはそういうものだ」と割り切っている女も多かったが、
実際にそのイメージを目にすることがあったならば、
絶対にそんな風に割り切ることはできないだろうとれいなは思った。
それくらい強烈な衝撃を、れいなは男達から受けていた。
おそらく自分は死ぬまで男と付き合えないのではないだろうか。
れいなはそう考え、13歳の時に取り付いたこの能力を呪った。
- 150 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:32
- いつの間にか道重の方も脳内に亀井とのラブシーンを描いていた。
コンサートの後は気持ちが高ぶっているので、
そういう衝動が強くなるということを、れいなは過去の経験から知っていた。
れいなの部屋は道重の部屋の隣だった。
隣でやるのだけは勘弁してほしいとれいなは思った。
愛し合う二人の情動というのはかなり強烈なもので、
壁を越えて、眠っているれいなの脳内に侵入してくることがしばしばあった。
遮断しても遮断しても、愛欲の波動はれいなの心を蝕んだ。
(邪魔しちゃ悪いから)(先に一人で)(部屋に戻ろうかな)
そう考えながら、れいなが皿に残っていたパスタを口にかき入れていると、
不意に亀井の意識がれいなの方に向けられた。
- 151 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:32
- 「れいなはこの後どうするの?」
(れいなはこの後どうするの?)(一人?)(可愛い)(そうだ)(たまには)
(れいなと)(甘く)(もしかしたら)(れいなもあたしのことを)(好き?)
亀井はそんなことを考えながら、心の中でれいなのことを裸にした。
れいなは思わずむせた。鼻からパスタが飛び出る。
「ちょっとれいな!」「もー」「バッカ」「汚いー」「なにやってんのよ」
(鼻からwwwwww)(ちょー受けるwwwwww)(ブサイクww)
(あはははははははははあはははははははははははははは)(はははは)
(うひひひひひひ)(うひひひひひひひ)(ひゃひゃひゃ)(うひひひひひ)
(痛い痛い)(ぎゃはははっはは)(痛い)(あっはっは)(お腹痛い)
10秒ほど亀井と道重の思考は停止した。
れいながむせる度に、パスタがれいなの鼻の穴の中で踊った。
亀井と道重は何もできず、何も考えられず、
何もイメージできず、ひたすら笑った。
頭の中には何もなかった。
二人はれいなの顔を見ながら、何も考えず、
ただただ腹を抱えて笑っていた。
- 152 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:32
- 部屋に戻るまでの間も、亀井はそれとなくれいなに甘えてきた。
れいなが断るということを亀井は全く想定していなかった。
相変わらず亀井の脳内は強気一辺倒だった。
「自分が誰かから拒否される」なんてことはあり得ないと思っていた。
そんな事態はこれまでの亀井の人生にはなかったし、
あったとしても記憶として残していなかった。
れいなは亀井に口説かれるのは初めてだったが、さほど驚かなかった。
亀井はこれまでも道重一人を相手にしてきたわけではなく、
吉澤や藤本や高橋や新垣や、驚くべきことに中澤の相手もしたことがあった。
中澤と関係していることを亀井の意識から知ったとき、
れいなは思わず飲んでいたコーラを吹き出した。
もしかしたら鼻の穴からも飛び出ていたかもしれない。
ともかく亀井の中では「浮気」という意識が希薄で、
女との関係においてはかなりルーズなところがあった。
- 153 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:33
- れいなに甘えている亀井を見て、道重は冷静に計算していた。
(なに甘えてんのよ)(みえみえ)(煽ってる)(あたしの嫉妬心を)
(なめないでよね)(わかってる)(全部お見通し)(はいはい)
(でも嫉妬してる振りした方がよさそう)(空気を読んで)
(絵里の機嫌を損ねると)(またややこしいことになる)(やれやれ)
れいなはどう振舞えば、亀井と道重のことを傷つけずに済むか考えた。
心が重くなる。
この二人と知り合ってから、こんなことばかりしてきた気がする。
嫌われないように。傷つけないように。
でもそれは仕方のないことだった。
自分の居場所を守るために、モーニング娘。であり続けるために、
れいなはどんな些細なことであっても、労を惜しむことはできなかった。
- 154 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:33
- 「ほらほら。さゆが二人のことを見てるけん」
れいなはそう言って、わざとにやけた顔を作りながら、亀井にくっついた。
道重は大げさな演技でれいなの言葉に答える。
「もう!絵里にひっつくのやめて!気持ち悪い!」
そう言いながら道重は軽く田中のことを突き飛ばす。
「絵里はさゆと一緒がいいもんねー」
道重は亀井の腕をとり体を巻きつける。
大げさで陳腐だったが、ある意味見事な演技だった。
亀井の心の中は、ほぼ道重が計算した通りに、道重の下へと戻っていた。
(さゆ妬いてるの?)(可愛いー)(そんなにあたしのことが好きなんだ)
(バッカだなー)(なんだかんだいって)(あたしがいないと)(ダメな子)
- 155 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:33
- 結局亀井は道重と二人で、亀井の部屋へと消えていった。
亀井の心は既に道重に向かっていたが、
れいなに対する愛情は消えずに心の奥底に残っていた。
これまでれいなが、亀井の中に見てきたものと、全く違う感情だった。
どうやら亀井は本気でれいなのことを好きになりかけているようだった。
そのことがれいなをたまらなく不安にさせた。
(もしも本当に絵里に本気で迫られたとしたら―――)
(あたしはどうすればいい?)
(どうすれば誰も傷つかない?)
(どうすればあたしは―――)
(あたしは―――)
- 156 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:33
- 第七章 終わり
- 157 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:33
-
★
- 158 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 21:34
- 続きます
頂いたレスを励みにして頑張ります
- 159 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 11:40
- あああああああああああああああああ
最高すぎます
- 160 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:30
- 第八章
- 161 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:31
- 東京へと戻る新幹線の中で、れいなは道重の心の中を覗いていた。
どうやら亀井とは完全に仲直りをしたようだった。
何度も何度も、昨晩の亀井との抱擁の感触を再現して楽しんでいた。
道重は、亀井が高橋や新垣とも寝ていることを知っていた。
だが道重はそのことに関しても、とっくに諦めていた。
仕方のないこととして受け入れていた。
亀井が男と付き合うくらいなら、
他の女と付き合う方がましだと考えていた。
道重が男に対して抱いている嫌悪感というのは、
れいなが持っているそれに対して非常に近かった。
道重は男性の性的衝動に対して、
可能な限りの悪いイメージを作り上げていたが、
男の心が見えるれいなにとってみれば、
その最悪のイメージこそ、まさに男の性的衝動そのものだった。
- 162 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:31
- 実際、道重の洞察力というのはかなり鋭かった。
道重の描く人物像というのは、心が見えない人間としては、
驚異的なほど正確なものだった。
そしてそんな最悪のイメージを持っているにも関わらず、
仕事となると何の躊躇いもなく男達に媚を売る道重は、
れいなにとっては非常に不思議な存在だった。
(断ろう)
れいなはもし亀井が再び近寄ってきても、断ることに決めた。
別に自分が亀井と愛し合っても、おそらく道重は何も思わない。
多少は傷つくかもしれないが、決定的な破綻をきたすことはないだろう。
だが自分と道重が同じ場所に立つことを、れいなは恐れた。
亀井が、れいなと道重を比べることを、
あるいは道重が、れいなと道重を比べることを、れいなは恐れた。
自分の存在そのものが二人によって評価されてしまう。
そしてその過程は全て自分の目に映ってしまう。
それに耐えられる自信が、れいなにはなかった。
- 163 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:31
- れいなは亀井の脳内へと意識を飛ばす。
こちらの方はかなり疲れているようだった。
亀井の脳の中には、確固としたイメージとなる前の、
混濁した意識の塊がふらふらと彷徨っていた。
(寝たい)(家に)(帰りたい)(疲れた)(だるい)
そういう思考が、言葉ではなく記号で漂っていた。
だがその奥底には、まだれいなに対する好意が残っていた。
それは決して意識されて作られた感情ではなかったが、
そういう無意識のうちに置かれている感情が、
意識して作られた感情よりも根強いことを、れいなは知っていた。
そう遠くない将来に、再び亀井から誘われるとれいなは確信した。
- 164 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:31
- れいなは再び、自分が誰かと愛し合えるかと真剣に考えた。
やっぱり無理だった。
相手が男であるとか女であるとかは、あまり関係がないような気がした。
れいなは過去に何度も、愛し合う男女の意識に触れたことがあった。
もちろん、愛し合う女同士の意識にも触れたこともあった。
彼ら彼女らは、心を開いてパートナーに全てを委ねていた。
あまりにも無防備だった。あまりにも危険だった。
れいなは人の心がいかに壊れやすいかということを、何度も見てきた。
そういう場面を見る度に、
れいなは自分の心を硬い殻の中に閉じ込めるようになった。
傷つきたくなかった。壊されたくなかった。
やはり自分は誰かと愛し合うことは無理だと、れいなは思った。
- 165 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:31
- そんなことをつらつらと考えているうちに―――
れいなはいつしか眠りに落ちていった。
(そういえば行きの新幹線でも寝ちゃったんだな)
(それで夢を見た―――)
(いつもよく見る夢を―――)
(ミィちゃんが出てくる夢を―――)
やがてれいなの夢の世界には、記憶の底から文字列のフィルターを通って、
古い木箱が、そして一匹の猫が浮かび上がってきた。
れいなはまたあの猫に会える嬉しさを抑えながら、
箱の中から猫が顔を出すのを待った。
いつもなられいなが来ると同時に、箱の中から顔を出してくるはずだった。
れいなに抱きついて遊んでくれとせがむはずだった。
だがしかし―――猫はいつまで経っても箱の外に出てこなかった。
- 166 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:32
- 「ミィちゃん?」
れいなは駆け寄って、箱の中を覗き込む。
両耳がぺたんと折れ曲がった猫は、箱の中で丸まっていた。
「寝とるん?」
れいなは一瞬、起こすのを躊躇ったが、
どうせ夢の中でしか会えないんだから―――と思い、
丸まっている猫を抱き上げた。
猫はぼんやりと目を開けて、眠そうにみぃと鳴いた。
「わー!よかったー。会えて嬉しかよー!」
れいなは猫を高々と掲げてぶんぶんと横に振る。
猫の反応は、気のせいかいつもよりも弱々しかった。
「あれ?ゴメンゴメン。ちょっと気分悪かったと?」
れいなは慌てて猫を箱の中に戻す。
猫はちょこんと腰をおろし、体を丸め、
れいなの相手をすることなく、再び眠りにつこうとした。
「あれ?ミィちゃん?」
- 167 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:32
- 「うう・・・」
寝苦しさを感じて、れいなは目を覚ました。
体が熱い。汗もかなりかいているようだった。
(変な夢)(ミィちゃん)(せっかく会えたのに)(だるい)(熱い)
(やばい)(汗)(風邪ひいた?)(マスクマスク)(遅いっての)
れいなはその時、体に異変を感じた。
熱い。体が熱かった。
だが風邪の引き始めに感じるような、喉や頭の痛みはなかった。
椅子から立ち上がると、体のだるさも消えていた。
ただ体だけが妙に熱く、全身の神経に電流のような痺れが走り、
五感が異常に研ぎ澄まされていた。
熱はぐるぐると全身を巡回し―――
いつしか右の指に集まってきた。
(熱い!!)
れいながそう知覚するのと同時に―――
持っていたマスクが―――
ぼっと燃え上がった。
- 168 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:32
- 「うわあ!!」
叫んだのは小春だった。
れいなは叫ぶことすらできなかった。
真っ赤に燃え上がり、高々と炎を上げて燃えていくマスクを、
ただ呆然と見つめるだけだった。
間が悪く、丁度その車両に車掌が巡回しているところだった。
れいなは事態を隠すこともできず、
車内は騒然とした雰囲気に包まれた。
やがて新幹線は線路上で緊急停止することになった。
- 169 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:32
- 「だからあ!マスクが勝手に燃えたんですって!」
れいなの説明を車掌は全く信じていなかった。
(勝手に燃える?)(もっとましな言い訳してくれよ)(タバコか?)
(ライターか)(隠したのか)(あの一瞬に?)(素早いもんだ)
(タバコがばれると拙いのか)(未成年だし)(芸能人らしい)
そこに同席していた事務所の人間も、れいなの言葉を信じていなかった。
(面倒なことになった)(マスコミは)(早く対応しないと)(問題に)
(なんで燃えるんだよ?)(タバコか?)(こいつらは全く)(バカか)
(懲りてない)(いい加減にしろよ)(俺らがどれだけ迷惑してるか)
結局れいなの体からもカバンからも、そして車両や他のメンバーからも
タバコやライターのようなものは見つからなかった。
そのまま新幹線を止めておくわけにもいかず、
結局れいなは無罪放免となって、新幹線は再び発車することになった。
- 170 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:32
- 「おー戻ってきたきた」「れいな!」「どうなったの?」「大丈夫ですか?」
話しかけてくるメンバーに対して、
れいなは「わからん!」と一言だけ答えた。
なおもメンバーたちは、燃えたマスクの原因を知りたがったが、
れいなは答えることができなかった。
答があるなら―――れいなの方こそ教えてもらいたかった。
新幹線がゆっくりと動き出す。
れいなの横では小春がマスクが燃えたときのことを面白おかしく話していた。
「いやもうばーっと炎が小春の背丈くらいに!!」
「田中さんの前髪が!!」
焼けていなかった。
小春の話はかなり大げさだったが、
確かにあのとき、炎はれいなの髪に達していたはずだった。
だが髪は焼けておらず、指も額も全くの無傷だった。
- 171 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:32
- れいなは燃え上がった炎の映像よりも、
その前に体を流れた熱い感触を思い出していた。
今まで感じた、どの熱さとも違っていた。
全く感じたことのない―――
いや
いや確か―――
確かどこかで―――
どこかであたしはあの熱さを―――
- 172 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:33
- 第八章 終わり
- 173 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:33
-
★
- 174 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:33
- 続きます
ぼちぼち話も動き出すと思います
- 175 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/24(日) 21:40
- テンポいいですねー
面白いっす
- 176 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:29
- 第九章
- 177 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:29
- 東京に戻ってから数日、れいなの体に特に異変はなかった。
れいなは仕事の合間を縫っては図書館に通い、
超能力に関する文献をむさぼるように読んだ。
【パイロキネシス】 : 念力発火能力、念力放火能力
様々な本でその能力に関する情報が書かれていたが、
あるものはオカルトすぎて真面目に読むに値しなかったし、
またあるものはあまりにも学術的すぎて、れいなには理解できなかった。
そして何より、人の心が読める能力「テレパス」と
「パイロキネシス」を結びつけて書いている本は、一冊もなかった。
他にも「人体発火現象」の本を調べたりしたが、
結局得るものは何もなかった。
れいなは深いため息をついて図書館を後にした。
- 178 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:29
- (知りたい)(知りたい)(この力が何なのか)(炎)(アキ姉ちゃん)
この力は一体何なのか。
れいなはこの能力を身に付けてから、常にそれを考えていた。
だが手がかりは何一つなく、
思考は堂々巡りを繰り返すだけで、いつまで経っても結論は出なかった。
れいなは新幹線の中で燃え上がった炎のことを思い出す。
赤い炎。煙のように燃え上がった炎。
あれは従姉妹の体を包んだ炎と全く同じものではなかったか。
あの時と同じ熱さではなかったか。
- 179 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:30
- れいなはぶんぶんと首を横に振る。
(考えすぎ)(炎なんてどれも同じ)(アキ姉ちゃんなんて)(関係なか)
心の奥底では、おぼろげながら一つの考えが形作られようとしていたが、
れいなはそれを心の隅に閉じ込めた。
最終的な結論を出すのが怖かった。
れいなは右手をぶんぶんと振る。グー、パー、グー、パー。
右手は何の異常もない。
体が健康であるというたった一つの事実が、
れいなの心を少し軽くした。
自分が勝手に作り出した、正しいかどうかわからない推論よりも、
現実に目の前で何の問題もなく動く自分の体を、
れいなは信じることにした。
結論は先送りにされた。
- 180 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:30
- それから一ヶ月ほどは何も起こらなかった。
れいなの体調は何の問題もなかった。
体が熱くなることもなく、猫の夢を見ることもなく、
れいなはあの従姉妹のことをほとんど意識することなく生活することができた。
れいなの心の不安は少しずつ薄れていき、
ほぼいつも通りの精神状態に戻っていた。
このまま何事もなく進み、炎のこともいつか忘れてしまうだろう。
れいながそんな風に考えているうちに―――
8月半ばに再び炎がれいなを襲った。
- 181 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:30
- 「ハイ!本番行きまーす!3、2、・・・・・・・・」
スタッフの声がスタジオに響き渡り、番組の収録が始まった。
れいなは高橋、道重、久住、光井と5人で並び、梅干を食べる振りをしていた。
5人のうち4人はマシュマロを食べ、一人だけが本物の梅干を食べる。
そして誰が本物の梅干を食べているのかを当てる、というゲームだった。
本物が誰かを当てるのはゲストとして来ているプロの「女探偵」だった。
れいなはその女探偵の心の中へと意識を飛ばしていた。
探偵という職業柄、鋭い洞察力を持っているに違いない彼女の意識に、
れいなは興味津々だった。
女探偵はまず、芸能人にも匹敵するような高いプライドを持っていた。
それはプロの技術者が持っているような己の技量に対する自負というよりは、
自分自身という存在に対する自己愛に近かった。
れいなは、女探偵の心の中にある、
現実よりもかなり美化された、女探偵の自己像を見て苦笑した。
- 182 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:30
- 各メンバーが順番に梅干を食べていく。
演技の仕方は皆、ほぼ同じだった。
いかにして酸っぱい表情を作るかという思考プロセスは、
れいなを含めた4人ともほぼ同じだった。
ただ一人、本物の梅干を食べている光井だけが、違うことを考えていた。
(これホンマに酸っぱいな)(どうしよ)
(逆に)(あえてマシュマロっぽく食べる?)
(それとも)(普通に食べるか?)(普通に食べたらアカンわ)
(正解発表の後に)(ちょっとしたトークがある)
(違うことをした方が)(喋りやすい)(そこで)(目立たなアカン)
- 183 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:30
- 光井は、常に他の人と違うことを考えている、ということはなかったが、
ここぞというポイントで自分を出すことに長けていた。
アクセルを踏みっぱなしで進む小春とは対照的な思考をしていた。
ちなみにそのとき小春は何も考えていなかった。
女探偵に対する質問にも普通に答えていた。
常人とは全く違う思考回路と情緒形態を持っている小春だったが、
何も考えていないときは、普通の人間と変わらなかった。
まるで大企業の受付嬢のように、小春はてきぱきと質問に答えていた。
頭の中では―――何も考えずに。
- 184 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:30
- 女探偵はメンバーの言葉尻をとらえて、次々と質問を浴びせていく。
そのたびに彼女の中の自己愛は膨らんでいった。
れいなは女探偵に対する興味を急速に失っていった。
メンバー達は女探偵の鋭い質問に驚きを感じていたが、
心の中が見えるれいなにとっては、
そんな彼女の質問は、陳腐な言葉遊びとしか思えなかった。
彼女は過去の経験からある種の規則性を見出し、
各メンバーの行動に当てはめていってるだけだった。
それは普通の大人であれば、誰もが心の中でやっている類の行動だった。
女探偵は、ただ他人よりも人間観察の経験が多いというだけで、
何か特別な技量を持ってるわけではないと、れいなには感じられた。
やがて女探偵は、本物の梅干を食べたのは光井愛佳だと指摘し―――
見事正解した。
- 185 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:31
- れいなは他のメンバーのリアクションに合わせて、
驚き、そして女探偵を賞賛するような言葉を言ったが、
心の中では何の驚きも感じていなかった。
女探偵は、論理的思考から正解を当てたつもりだったが、
れいなに言わせれは、そんなものはただのまぐれでしかなかった。
何百人という人間の心を読んできたれいなは、
経験則で人間を判断することの無意味さを知り尽くしていた。
経験、ましてや論理で、人の心を判断することなど無意味だった。
そんなツールは人間を洞察するにおいて無力、むしろ邪魔でしかなかった。
- 186 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:31
- れいなは素直に驚いているメンバーの中から、
ふと黒い悪意のようなものを感じた。
道重からだった。
(なにこの人)(格好つけてる)(ナルシスト)(たまたま当たっただけ)
(まぐれ)(理屈っぽい)(全然美人じゃないのに)(さゆの方が凄い)
道重の意識に触れて、れいなは堪えきれず、ふははと笑った。
若干の嫉妬心を含んでいたが、
道重の、女探偵という人間に対する洞察は非常に鋭かった。
論理で人間の内面を推定する探偵よりも、
直感で人間の内面を断定する道重の方が、何倍も人間洞察力に優れていた。
(うんうん)(さゆの方が凄いよ)
れいなは心からそう思った。
- 187 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:31
- 収録は一段落し、カメラが止まる。
椅子から立ち上がったれいなを立ちくらみが襲った。
立ちくらみ自体はよくあることなので、
れいなは慌てずに意識がしっかりとしてくるのを待った。
数秒もすれば元に戻る―――
れいながそう思った矢先、鋭敏な感覚が全身を貫いた。
「れいな?れいな?」「どうしたん?」
高橋の声が遠く彼方から聞こえてきた。
ゆっくりと意識が戻ってきて、高橋の顔もしっかりと見えるようになった。
それと同時に―――
れいなの体を熱が駆け抜けた。
「大丈夫」「なんともないけん」「ちょっとたちくらみ」
れいなはそう言いながら廊下へと出る。
足がもつれて、上手く歩けなかった。
「大丈夫?」高橋がれいなの右腕に触れる。
れいなは高橋を突き飛ばしてトイレに走った。
- 188 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:31
- 新幹線で感じたのと同じ感覚だった。
体が妙に熱く、全身の神経に電流のような痺れが走り、
五感が異常に研ぎ澄まされていた。
熱さはぐるぐると全身を巡回し―――
いつしか右の掌に集まってきた。
れいなはトイレの洗面所にある蛇口を開く。
その瞬間―――
れいなの右の掌が真っ赤に燃え上がり―――
銀の蛇口がバンッと音を立てて飛んだ。
間欠泉の様に溢れ出てくる水道水を見つめながら、
れいなはただ呆然としていた。
- 189 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:31
- 第九章 終わり
- 190 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:31
-
★
- 191 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 21:32
- 続きます
また微妙に昔の話ですみません
- 192 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/25(月) 23:16
- 毎日の更新お疲れ様です
凄くおもしろいです頑張ってください。
- 193 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 21:30
- 第十章
- 194 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 21:30
- 「どんな馬鹿力だよ」
れいなの頭をとんとんと叩きながら高橋が言った。
高橋とれいなの前では、スタジオの修繕係らしき人が、
吹き飛んだ女子トイレの洗面所の蛇口を直していた。
高橋はれいながトイレに入るところを見ていた。
れいなが蛇口をひねり、吹っ飛んだところも見ていた。
だが幸いにもれいなの手から吹き出た炎は―――
れいなの背中に隠れて―――見えていなかったらしい。
- 195 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 21:30
- 高橋の意識を覗いていたれいなは、それを確認してほっとした。
高橋の頭の中は、
ここで起こったことを誰に話そうかということで一杯だった。
できれば誰にも言ってほしくなかったが、
無理に口止めすると逆に変に思われるかもしれないと、れいなは思った。
れいなは自分の右手を見つめる。
もう右手は熱を持っておらず、通常の状態に戻っていた。
(大丈夫)(元に戻ったけん)(もう何も起こらんけん)(忘れよう)(早く)
それから一ヶ月。
れいなの体に異常は現れなかった。
- 196 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 21:30
- だが9月のある日、再びれいなの体を熱が襲った。
今度は自宅で一人でごろごろしている時だった。
体が妙に熱くなり、全身の神経に電流のような痺れが走り、
五感が異常に研ぎ澄まされていた。
前回、前々回のときと全く同じ感覚だった。
熱さはぐるぐると全身を巡回し―――れいなの右腕に満ちた。
焼け付くような熱さが、肘から指先まで満ちた。
やがてその熱は―――今回は炎を発することなく―――消えた。
れいなは汗だくになりながら、無言で右腕を見つめていた。
- 197 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 21:30
- それ以来、熱は徐々に発生間隔を狭めながら、しばしばれいなを襲った。
熱を帯びる場所も徐々に広がっていった。
10月になる頃には、熱は右半身全体を覆うようになっていた。
この熱が全身を覆うようになった時―――
あたしはアキ姉ちゃんのように―――
きっと―――
れいなはもう結論を先送りにすることはできなかった。
(アキ姉ちゃんについて調べよう)(アキ姉ちゃん)
(本当に死んだの?)(生きている可能性は?)(誰にきけばいい?)
(どこに行けばいい?)(どうやって調べればいい?)
- 198 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 21:31
- れいなの従姉妹はあの事件以降、行方不明ということになっていた。
警察には捜索願が出されたらしかったが、
親戚達が本気で探していないことは明らかだった。
れいなはこれまでも、帰省したときは従姉妹を探そうと試みたが、
従姉妹は当時一人暮らしをしており、従姉妹の両親も消息不明だった。
母の記憶を探ってみても、
その一家とは10年近く連絡を取っていないことがわかっただけだった。
そして―――
母の心の中では、従姉妹は既に「死んだ」ということになっていた。
- 199 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 21:31
- 当時はそれ以上母の心を深く探ろうとはしなかった。
探るのが怖かった。
「わからなかった」という結論に、どこか安心していた。
だが今は違う。
(自分が何者か知りたい)
(知らなくちゃいけない)
(知らないまま―――死にたくない)
れいなはそう思っていた。
- 200 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 21:31
- 10月のある日。
仕事場から自宅に帰る道すがら、れいなは覚悟を決めた。
最悪、自分の能力を母に知られることになったとしても、
この問題について徹底的に聞くつもりだった。
親戚について何か知っていることがないか、母に聞く決意を固めた。
駅から自宅までの道のりが、異様に長く感じられた。
だが進むしかない。
母が自宅にいることは、家の数十メートル先でわかった。
れいなは母にする質問の内容をじっくりと考えた。
覚悟は決めていたが―――
可能なら母にこの能力のことは知られたくない。
- 201 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 21:31
- 「ただいま」
れいなは扉を開けて、母へと意識を伸ばした。
「おかえり」
れいなの顔を見て、母の心はパーッと明るくなる。
れいなの頭の中は真っ白になった。母の顔を直視できない。
(ダメだ)(読めない)(心配かけたくない)(ママ)
(ごめんなさい)(嫌だ)(嫌われたくない)(怖い)
それまで考えていた質問の内容は全部飛んでしまった。
気が付いたられいなは―――
発作的に―――
自分も思いもよらぬことを母に言っていた。
「ねえ。おばあちゃんちに行ってきていい?」
- 202 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 21:31
- 第十章 終わり
- 203 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 21:31
-
★
- 204 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 21:32
- 続きます
ちょっと短かったですけど今日はここまで
- 205 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:29
- 第十一章
- 206 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:29
- 母にお願いしてから一週間後、
れいなは九州へと向かう飛行機の機上の人となっていた。
(おばあちゃん?)(また急に何を)(向こうに帰りたい口実?)
(向こうの友達と遊ぶ?)(別にいいけど)(母も孫の顔が見たいだろう)
(きっと喜ぶ)(じゃあ先に連絡しておこうか)(それにしても急な話)
れいなの母は特に疑うこともなく、祖母の家へ電話をしてくれた。
モーニング娘。のスケジュールの都合もあり、
一週間後に向こうに行き、一泊二日で帰ってくるという段取りになった。
普段は娘。の仕事が減ったことに寂しさを感じていたれいなだったが、
この時ばかりは空き気味のスケジュールに感謝した。
- 207 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:30
- 「おばあちゃんに会いたい」というのは
咄嗟に出た言葉だったが、れいななりの計算があった。
おそらく母は、従姉妹のことも伯母のこともほとんど知らないだろう。
それは間違いない。
親戚連中だって、従姉妹の名前を出しただけで拒絶反応を示すだろう。
それでも「アキ姉ちゃん」という名前を出せば記憶が蘇るかもしれないし、
その時に心の中を読めば何かがわかるかもしれないが、
親戚中を回るのは効率が悪いし、分の悪い賭けだと思った。
それなら祖母ならどうだろうか。
祖母にとっては従姉妹もれいなと同じ「孫」だ。
祖母が孫を溺愛していることは、れいなも知っていた。
心を読むまでもなく態度で明らかだった。
あの心優しい祖母が、アキ姉ちゃんだけを嫌っているとは考えにくい。
今、従姉妹の情報を知っている可能性が一番高いのは、祖母だと思った。
- 208 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:30
- 飛行機の中でれいなはうつらうつらと眠りに落ちた。
やがてれいなの夢の世界には、記憶の底から文字列のフィルターを通って、
みかん箱のような古い木箱が、そして一匹の猫が浮かび上がってきた。
れいなは夢の中で、自分が今、夢を見ていることを自覚していた。
「おおー、この夢を見るのも久しぶりやね」
れいなは木箱に駆け寄り、猫を探す。
- 209 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:30
- 「あれ?ミィちゃんまた寝とると?」
れいなは猫の頭をつんつんとつつく。
猫の反応は鈍い。だが起きているようだった。
れいなは猫を抱き上げる。気のせいかいつもよりも軽かった。
「あれ?ミィちゃんどうしたと?元気ないと?ねえ!ねえ!」
猫はれいなが呼びかけると、幾分元気になったようで、
いつものようにみぃみぃと鳴いた。
「よかった!大丈夫っぽい!でも調子悪いのかな?」
れいなは抱き上げていた猫をそっと箱の中に戻し、
箱の底に敷かれている毛布をかぶせた。
- 210 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:30
- 空港に着いたれいなは携帯電話で祖母の家に連絡を入れる。
電話に出たのは、祖母と同居しているれいなの叔父だった。
「今空港に着いたけん。これからタクシーでそっちに行きます」
叔父の対応は少し不自然なところがあるように思われた。
だがれいなは電話越しに人の心を読むことはできなかった。
叔父の口調には久しぶりに姪に会える―――という高揚感はなかった。
ただ事務的にれいなに車での道順を告げているだけだった。
れいなは少しイラっとした。
(人の心が読めないことが)(こんなにも不安なことなんて)
(心さえ読めれば)(一瞬で)(叔父の考えがわかるのに)
(バカな)(読めないのが当たり前)(ずっとそうだったじゃん)
- 211 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:30
- れいなはタクシーに乗り込み、行き先を告げる。
中年の男の運転手は「あいよ」と答えてハンドルを切った。
れいなは叔父の件を八つ当たりするかのように、
意味もなく運転手の心を読んだ。
(中学生?)(美人だ)(一人で旅行?)
(大丈夫かよ)(親は何を)(俺が親なら)(この子の親なら)
運転手の妄想が怪しい方向へと行き出したので、
れいなはあわてて意識を遮断した。
- 212 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:30
- 祖母の家は空港から車で二時間ほど行ったところにあった。
れいなは何から話すべきかじっくりと考えていた。
祖母に多くを語らせる必要はない。心を読めばいい。
ただ、効率よく読むために、記憶を呼び起こさせるような、
記憶を連想するような、巧みな表現を使う必要があると考えていた。
色々考えたれいなだったが、
やはり従姉妹の名前を出さないわけにはいかないと結論付けた。
- 213 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:31
- 祖母が何も知らないという可能性も考えた。
だがその可能性は低いように思えた。
アキ姉ちゃんが親戚中から嫌われていたということは、
親戚中で「ある情報」が共有されていたからではないか。
だとすると親戚の中心的な存在だった祖母が、その情報を知らないとは思えない。
その情報こそが、今れいなが最も必要としているものだった。
車は国道から離れて、狭い道へと入っていき、
いくつかの角を曲がった後、目的地へと到着した。
- 214 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:31
- 家の中には何人かいる気配がしたが、
その中に祖母がいるかどうかはわからなかった。
れいなは心が読めるようになってから、
叔父や叔母、そして祖母に会ったことは一度もなかった。
れいなは呼び鈴を押す。
扉がゆっくりと開き、叔父が顔を見せる。
数年振りに会う叔父に対して懐かしさを感じる前に―――
れいなは驚愕した。
- 215 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:31
- 叔父は知っていた。
れいなが、あの「例のアキという少女」の件で
祖母を訪ねて来たことを、既に知っていた。
予想していたとか想像していたとかではなく―――
確固たる事実として認識していた。
- 216 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:31
- 第十一章 終わり
- 217 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:31
-
★
- 218 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 21:32
- 続きます
やや展開が遅いですけどもう少しお付き合いください
- 219 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 22:56
- 更新お疲れさまです。
最後までお付き合いいたします。
- 220 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/28(木) 21:30
- 第十二章
- 221 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/28(木) 21:30
- 「やあ久しぶり。さあ入りなさい」
叔父はれいなのことをあの従姉妹と同列にみなしていた。
親戚中の人間がアキのことを忌み嫌っていたのと同じように―――
れいなに対して嫌悪感を抱いていた。
だがその嫌悪感は非常に生理的かつ原始的な感情であり、
なぜ嫌われているのか、その理由がれいなには理解できなかった。
叔母は家の一番奥にいるようだった。
遮蔽物が多いこともあって、心の中を正確に読むことはできなかったが、
れいなと会うつもりがないことは、はっきりとわかった。
断固たる決意だった。
- 222 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/28(木) 21:30
- れいなは二階に連れて行かれた。
二階の部屋に祖母がいることが、叔父の意識からわかった。
叔父は祖母のいる部屋をすっと指し示し―――
「じゃあ」と無愛想に言って、階下へと去っていった。
れいなは叔父の心を読むのを止めて、祖母のいる部屋に入った。
久しぶりに会う祖母は―――やはり優しかった。
れいながあの従姉妹のことで悩んでいることも、知っていた。
そしてそれと同時にれいなは―――
アキ姉ちゃんが死んでいることを知った。
- 223 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/28(木) 21:30
- 「おばあちゃん。れいなは、れいなは、」
祖母はれいなに向かって無言で障子の奥を指差した。
祖母は何も言わない。
「心の中で」れいなに語りかけていた。
(れいなちゃん)(奥の部屋にはおばあちゃんのお母さんがいる)
(れいなちゃんの曾祖母)(れいなちゃんが来るから)
(おばあちゃんが呼んだの)
(おばあちゃんはれいなちゃんの力になれない)
(でも)
(おばあちゃんのお母さんなら)
(きっとれいなちゃんを助けてくれる)
- 224 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/28(木) 21:31
- (おばあちゃんのお母さんは)
(れいなちゃんやアキちゃんと同じ)
(同じような力を)
(持っていた)
- 225 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/28(木) 21:31
- 不思議とれいなの心の中には驚きはなかった。
きっとこういうことが起こると、心のどこかで予感していた。
だがれいなは祖母の言葉に一つの違和感を覚えた。
れいなは障子の奥へと意識を伸ばしたが、
そこには人がいるようには思えなかった。
れいなは再び祖母へと意識を伸ばす。
だが祖母はもうれいなと話すつもりはないようだった。
れいなは祖母の中にある膨大な記憶を探ることを諦め、
部屋の奥へと進み、障子をすっと開けた。
- 226 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/28(木) 21:31
- 奥の部屋には一人の小さな老婆がちょこんと座っていた。
曾祖母と思われる老婆へと意識を伸ばしたれいなは―――
驚愕した。
山だった。
曾祖母の意識は、高く聳え立つ山のようであり、
その圧倒的な質感に、れいなは押しつぶされそうになった。
大きすぎた。大きすぎて、山とすら思えなかった。
至近距離で見た山がただの地平の一部であるように。
曾祖母の意識は遥か遠く地平の彼方まで、空に向かって伸びていた。
どこからどう触れてよいものやら―――
れいなには見当もつかなかった。
- 227 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/28(木) 21:31
- 「ひいおばあちゃんも、心が読めるの?」
(昔はね。昔は読めたんだよ。れいなちゃんのように)
曾祖母は心の中でれいなに返事をした。
そうしたほうがより速く、より多くの情報を伝えることができると、
曾祖母は経験から知っているようだった。
「今は読めないの?」
(今はもう無理さ。とっくの昔に読めなくなっちまったよ)
「生まれつき?それともれいなみたいにある日突然」
(おばあちゃんは生まれつき読めたんだよ。アキちゃんのようにね)
- 228 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/28(木) 21:31
- アキという名前が出た瞬間、れいなは緊張した。
やはりこの人は知っている。
れいなのことも、アキ姉ちゃんのことも。
そしておそらくあの炎のことも。きっと全部。
れいなは思っていることを言葉にすることがもどかしかった。
曾祖母もれいなの心が読めれば、心と心で会話ができるのにと思った。
「ひいおばあちゃん。教えて。知っていること全部」
れいなの曾祖母は、山のように膨大な記憶の中から、
この能力に関する物語を、ゆっくりと紐解いていった。
- 229 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/28(木) 21:31
- 第十二章 終わり
- 230 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/28(木) 21:31
-
★
- 231 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/28(木) 21:32
- 続きます
次回更新時はもう少したくさん書けると思います
- 232 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 09:39
- 佳境に入ってきましたね!
続きが楽しみです。
- 233 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:30
- 第十三章
- 234 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:30
- 「人の心が読める」
この特殊な能力は、
千年以上も前からこの地方に受け継がれてきた能力だった。
この能力を持った人間は「猫神様」と呼ばれ、恐れられていた。
数百年前の「猫神様」は、人の心が読めるだけではなく、
ごく近い未来のことを予言できたり、
何千里も離れた場所に火を放つことができたりした。
この地方全域を治める万能な存在であり、
立ち向かう一族があれば、全て焼き尽くし、滅ぼした。
ある一族に猫神様が現れると、それは何代か続くことがあった。
猫神様の娘が猫神様であることもあったし、
孫や姪といった親戚筋に猫神様が現れることもあった。
また、一つの代に二人、三人の猫神様が現れる場合もあった。
いつどこに生まれるのかはよく分からなかったが、
ただ一つはっきりとしていることがあった。
猫神様は常に女だった。
- 235 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:30
- 猫神様は、生まれていたときから猫神様であることもあったし、
普通だった子が10歳を超えてから猫神様となる場合もあった。
猫神様が現れた一族は繁栄を極めた。
全ての権力を手中にし、この地域を治めた。
人の心が読める猫神様に、何人たりとも逆らうことはできなかった。
だが天は一つの一族に永遠の繁栄を与えることはなかった。
猫神様は基本的には同じ一族に現れるのだが、
それが永遠に続くことはなかった。
四代、五代と長く続くこともあれば、一代で絶えることもあった。
- 236 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:30
- そしてある日突然、
それまで猫神様を輩出してきた家系とは、
全く違う家系に猫神様は出現した。
新しい猫神様は、それまで猫神様を輩出してきた一族を根絶やしにした。
古い猫神様の一族と新しい猫神様の一族の戦いは壮絶を極めたが、
常に新しい猫神様の方が力が強く―――勝利を収めた。
猫神様の力の恐ろしさを誰よりも知っている新しい猫神様は、
決して情けをかけることなく、赤子にいたるまで、全ての一族を手にかけた。
こういうことが何度となく繰り返され、
一つの一族が永遠に繁栄を極めるということはなかった。
それが自然の理だったのかもしれない。
- 237 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:30
- また、一人の猫神様の能力も、長くは続かなかった。
猫神様の能力は―――男と交わると即座に消えた。
ある一族は少しでも長く猫神様の能力を発揮できるようにと、
猫神様から男を遠ざけたりしたが、無意味だった。
猫神様は、能力が現れてから、
日を重ねるごとにその能力を強くしていったが、ある日突然暴発した。
多くの猫神様は、能力の発揮から長くても20年、
短ければ2年ほどでその役割を終えた。
全ての猫神様は、役割を終えると自らの炎に焼かれて消えた。
男と交わり―――能力を失った猫神様を除いて。
多くの猫神様は、自らが暴発する直前に、
男と交わり、子孫を残す道を選んだ。
生まれてくる子供に―――猫神様が現れることを願って。
- 238 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:30
- 明治の時代に入り、人々の暮らしが変わっていくにつれて、
現れる猫神様の能力も少しずつ変わっていった。
まず未来を予知することができなくなり、
そのうち炎を放つことができなくなった。
そして最後には「人の心が読める」という能力だけが残った。
少しずつ能力が減っていくにしたがって、
猫神様は絶対的な権力者ではなくなっていった。
時代そのものも大きく変わろうとしていた。
第二次大戦が終わるころには、
猫神様は逆に人々に忌み嫌われる存在となっていた。
まさにそんな時代に、
れいなの曾祖母に猫神様の能力が現れた。
幼いときに能力が発現した曾祖母は、その能力を隠すことができなかった。
ゆえに迫害を受けた。
曾祖母は若くして男と交わることを選んだ。
生まれてくる子供に―――猫神様が現れないことを願って。
- 239 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:31
- 曾祖母は猫神様としての能力を失った。
だがそのことに対して何の後悔もなかった。
やがて子が生まれ、孫が生まれたが、その中には猫神様はいなかった。
悲劇は終わった―――
そう思った矢先に、一人の孫が幼い曾孫を連れてきた。
「アキ」というその少女を見た瞬間に曾祖母は戦慄した。
―――猫神様
そう直感した瞬間、アキという曾孫が言った。
「ねえ、ひーばーちゃん。ねこがみさまってなに?」
- 240 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:31
- 物語は現代につながろうとしていた。
れいなは一つ疑問に思ったことを曾祖母に聞いた。
「ひいばあちゃんはもう猫神様やないんよね?」
(ああ)
「じゃあなんでアキ姉ちゃんが猫神様ってわかったん?」
(猫神様はな。能力を失っても、新しい猫神様のことはわかるんじゃ)
「本当に?」
(ああ。だからTVでれいなちゃんを見たときも・・・・・すぐにわかったよ)
- 241 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:31
- れいなは再び曾祖母の意識を覗く。
曾祖母の言っていることは本当だった。
曾祖母はかなり前かられいなが猫神様であることに気づいていた。
そしてれいながいつかここを訪ねてくるだろうと予測していた。
かつてアキが訪ねてきたように。
もしれいなが訪ねてくることがあれば、自分を呼ぶようにと祖母に伝えていた。
叔父夫婦はそのときのやりとりを偶然耳にしていたらしい。
れいなやアキが能力者であることは知らないが、
この地方に伝わる忌み子であると、その時に認識したらしかった。
- 242 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:31
- 「アキ姉ちゃんもこの話のことは知っとった」
(ああ。消えちまう半年ほど前だったかな。一人で訪ねてきた)
「そして猫神様の歴史を知ったんだ」
(れいなちゃんと同じように。全部見せた)
「でもお姉ちゃんは―――男とは交わらなかった」
(ああ)
「燃え尽きることを選んだ」
- 243 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:31
- 猫神様にとって男と交わるとは子供を宿すと同義だった。
代々の歴史がそれを証明していた。
曾祖母の意識の中にはアキとの会話が浮かんできていた。
その中でアキは「子供なんか産みたくない」と強い口調で言った。
もし生まれてくる子供が猫神様だったら―――
その子は絶対幸せになんかなれない。
れいなにはその気持ちが痛いほどわかった。
そして曾祖母もアキの気持ちを理解していた。
曾祖母はアキが自ら死を選んだことに対して、どうすることもできなかった。
もしれいながそこにいたとしても―――
やはり何も言えなかっただろう。
- 244 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:31
- れいなは人の心が読める能力を捨てたかった。
こんな能力はいらないと、いつも思っていた。
その方法はわかった。
男と交わればいい。
あの醜悪な男の性衝動に触れるのは不快だったが―――
能力が消えてしまうのならそれも我慢できると思った。
だが。
れいなはアキが言ったことを思い返した。
「もし自分の子供が猫神様だったら」
それはきっと我慢できない。
もしそうなったら、きっとれいなは耐え切れないだろうと思った。
曾祖母は男と交わり子を残すことを選んだ。
アキは誰とも交わらず一人燃えて消えることを選んだ。
「ひいばあちゃん、れいなはどうしたらよかと?」
- 245 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:31
- (れいなちゃんの中の)(猫神様は)(まだ元気かい?)
「え?れいなの中の?猫神様?」
(夢の中に)(時々出てくるだろう)(木箱に入った)(両耳が折れ曲がった)(小さな猫)
「あー!ミィちゃんのこと?うん、出てくる出てくる」
(それが猫神様)(その猫が死ぬときに)(れいなちゃんも燃え尽きる)
「え!・・・・・あ、そういえば・・・・・最近ちょっと元気ない・・・・・」
(気をつけなさい)(でも)(急に死んだりはしない)(その時は)
(猫神様が)(消えるときは)(れいなちゃんにも)(はっきりわかる)
(ちゃんとわかる)(代々そうだった)(その瞬間まで)(よく考えて)
- 246 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:32
- れいなはその日は祖母の家に泊まることになった。
叔父夫婦はホテルに泊まることにしたらしい。
「曾祖母とれいなちゃんの寝るスペースが必要だから」
というのが表向きの理由だったが、
れいなや曾祖母と同じ空間にいたくないという気持ちは、
心の中を読むまでもなく、よそよそしい態度から明らかだった。
今となっては叔父の冷たい態度も理解できた。
叔父夫婦は二人とも、れいなが「人の心が読める」ということは
知らなかったが、「曾祖母の血を引く忌み子」と理解していた。
- 247 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:32
- 叔父夫婦がれいなに感じている原始的な恐怖は、
れいなの母がアキに感じていたのと同じ種類の恐怖だった。
恐怖する理由がないのに、なぜ叔父夫婦が恐怖を感じるのか、
れいなは今ならなんとなく理解できるような気がした。
理由がわからないからこそ、叔父夫婦は強く恐怖していたのだ。
人間の心の一番奥に潜む、動物的な、本能的な恐怖だった。
暗闇を恐れることに何の理屈もないように、
叔父夫婦はただただれいなのことを意味もなく恐れていた。
- 248 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:32
- れいなは曾祖母と枕を並べて寝た。
眠っている人間の意識を覗くのは危険なことなので、
れいなは意識を遮断しようとした。
「れいなちゃん、ひいばあちゃんは今夜は眠らんけん」
「え?」
「れいなちゃんも寝ないで見てみたらよか」
「なにを?」
「おばあちゃんの心を」
- 249 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:32
- れいなは言われるままに曾祖母の心に意識を伸ばした。
曾祖母は心の中の先ほどとは違う記憶を開いていた。
それは曾祖母という人間の人生そのものだった。
生まれ、迫害され、交わり、産み、育て、そして―――
曾祖母の心はやはり「山」だった。
何があっても揺ぎ無い山だった。
能力者として生まれ、男と交わり、能力を捨て、生き続けるとはそういうことだった。
れいなは自分が曾祖母のように生きることは無理だと感じた。
ほんの数分の出来事のように思われたが―――
気が付くともう夜が明けていた。
- 250 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:32
- 祖母の家で軽い朝食を取り、
れいなはタクシーで空港へ向かうことにした。
曾祖母はれいなに対して、最後まで何の助言もしなかった。
もちろん、曾祖母はれいなに心の中を見られていることを知っていたが、
彼女は驚異的な精神力でもって、れいなに対する意識を制御していた。
れいなに対して、生きて欲しいとも、死んで欲しいとも思っていなかった。
ただひたすら、れいな自身が決断することを望んでいた。
- 251 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:32
- れいなは今後どうするかについて、何の決断も下していなかった。
生きたいとも死にたいとも思っていなかった。
だが玄関先まで見送りに出てきてくれた曾祖母の顔を見た瞬間、
れいなは(またもう一度ひいおばあちゃんに会いたい)と思った。
今度会うときは、能力とかそういうのとは全然違う話がしたい。
心の中から素直にそう思った。
だがれいなは一瞬迷った後、
(またね)という言葉を飲み込んで、曾祖母と祖母に手を振った。
- 252 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:33
- 第十三章 終わり
- 253 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:33
-
★
- 254 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:33
- 続きます
二月は今日で終わりですが、このお話はもう少し続きます
- 255 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/29(金) 21:50
- ありきたりな感想で歯がゆいのですが
とても面白いです。更新楽しみにしています。
- 256 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 21:30
- 第十四章
- 257 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 21:30
- 東京に戻ってきたれいなは、すっかり気持ちを切り替えていた。
問題は何一つ解決したわけではなかったが、
抱えていた疑問はとりあえず晴れたので、
真っ暗闇の中を手探りで進むような、
不安な心理状態からは抜け出すことができた。
この先どうするかは自分次第なのだと考えると、
いくらか前向きな気持ちになることができた。
れいなは自宅の台所にあるカレンダーをめくる。
10月のページの影に隠れている、
11月のページの11日の欄のところに赤丸を入れる。
田中れいなの18歳の誕生日だった。
- 258 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 21:30
- (あと何日やろ)
れいなは燃えて消えた従姉妹のことを思い出した。
彼女が消えたのも確か18歳のときだった。
どうしても彼女と自分を重ね合わせてしまう。
れいなはぶるぶると頭を振ってそんなイメージを振り払う。
(個人差がある)(2年の人も)(20年の人もいるって)(れいなは)
(まだまだ大丈夫)(ミィちゃんだって)(きっと)(100まで生きる!)
れいなはペットショップで猫の薬を買って、
枕元に置いて寝ようかなどと考えていた。
- 259 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 21:30
- カレンダーには明日の仕事の予定が綴られていた。
れいなは不意にスタッフから言われていたことを思い出し、
本棚がある自室の方へと向かう。
少し埃のかぶっている本棚の扉を開き、
奥の方にかたまっているアルバムを何冊か引っ張り出す。
スタッフからは「子供の頃の写真を何枚か持ってくるように」と言われていた。
新曲のPVに使うのだと、そのスタッフは説明していた。
数年振りに開いたアルバムの1ページ目には、
生まれたばかりのれいなが写っていた。
- 260 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 21:31
- 「可愛い」
思わずれいなは一人つぶやく。
仕事のことなど忘れて、夢中でページをめくる。
そこには両親の愛情を一身に受けて、
すくすくと育っていく一人の少女の姿があった。
少女はやがてランドセルを背負った小学生となり、
制服を身にまとった中学生となり―――
そこでアルバムは止まっていた。
- 261 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 21:31
- 東京に来てからも、勿論写真は何枚も撮っていたが、
それらは全て別のアルバムにまとめられていた。
同じアルバムに入れるのはなぜか躊躇われた。
新しく生まれ変わった自分を、過去の自分と同じ時間軸に入れることを
無意識のうちに拒んでいたのかもしれない。
れいなはもう一度最初からアルバムを見直す。
仕事のことなどもうどうでもよかった。
一枚一枚、丹念に見つめる。
写真の中で泣いている赤ちゃんを見て、れいなは母の言葉を思い出す。
(この子は体弱いから)(1歳のときも)(3歳のときも)(あのときも)
- 262 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 21:31
- 生きたい。
これからもずっと生き続けたい。
母が育ててくれた命を、自分の意思で絶つことはできないと思った。
だが同時に、どうしてももう一つの可能性を考えてしまう。
生まれてくる子が娘だったら。娘にこの忌まわしい能力があったら。
自分は母のように―――愛情をもって育てることができるだろうか?と。
(手がかかる)(ちゃんと見てあげないと)(あたしが)(しっかりと)
あの日、母の心の中にあった言葉が、
何度も何度もれいなの心に響いていた。
- 263 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 21:31
- 第十四章 終わり
- 264 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 21:32
-
★
- 265 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 21:32
- 続きます
三月もこんな感じで更新していこうと思います
- 266 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 23:22
- ちょっと感動してます
頑張ってください。
- 267 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:30
- 第十五章
- 268 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:30
- 翌日、都内の某スタジオではモーニング娘。のPV撮影が行なわれていた。
れいなは道重とリンリンと三人で撮影を行なうことになった。
リンリンの手がれいなの肩に触れる。
いくつかの映像がリンリンの心の中に存在していたが、
そのほとんどは、今見ている景色そのものだった。
逆側にいる道重の心の中にある映像も、
今見ている景色でしかなかったが、
それと同時に文字がゆっくりとした速度で頭の中を流れていた
- 269 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:30
- (にがてなー)(ひとだからこーそー)(だーいーじー)(あ、間違えた)
れいなも道重につられるようにして思いっ切り「大事」と歌ってしまう。
撮影が一旦止められる。
道重はニコリと笑ってリンリンに話しかける。
「リンリーン!今のところ間違えたでしょ!」
(れいなも今)(『大事』って歌った)(『大切』が正解)
(リンリンだけ)(間違えずに)(ちゃんと歌ってた)
道重は自分のミスを素早くギャグに変換していた。
リンリンの心に特大の文字が浮かび上がる。
中国語がわからないれいなにも、その意味はなんとなく理解できた。
(ああ!?)
- 270 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:30
- 1秒後にリンリンは、道重の表情からそれが冗談だと理解する。
「間違えたの、道重さんー。田中さんも」
「えへへへ。れいなにつられちゃったー」
道重の心の中は紙芝居のように次々とシーンが入れ替わり、
次に喋る内容が提示されていく。
一方、リンリンの心の中はメリーゴーランドのように、
色々な概念や思考がぐるぐると回っており、
その都度リンリンが必要だと感じた思考がピックアップされていた。
- 271 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:30
- れいながこれまで触れてきた人間の思考は皆、道重の方法に近かった。
リンリンの考え方はかなり特殊であり、ジュンジュンとも違っていた。
れいなにはリンリンの物の考え方が、
効率的なのか、非効率的なのか、なんとも判断がつかなかった。
撮影が再開される。
道重の心の中には、再び歌詞がゆっくりとした速度で流れていった。
よく見ると、リンリンの心にも同じように
文字が流れていたが、その速度は明らかに音楽よりも速く、
中国語の文字と日本語の文字が平行して流れていた。
(すごい)(あんなんでよく歌えるな)(器用?)(不器用?)
れいながそんなことを考えているうちに、三人での撮影は終了した。
- 272 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:31
- メンバーはそれぞれ3組に分かれて撮影していたのだが、
たまたま休憩時間が重なったのか、
休憩所には全てのメンバーが顔を出していた。
この後もまだ撮影が行なわれるので、
皆、着替えずに衣装のままで思い思いの時間を過ごしていた。
撮影直後ということもあってか、
皆の心の中にはさっきまで歌っていた曲が流れていた。
当然、バラバラで。各自好きなように歌っていた。
れいなの頭の中には8人が輪唱する「みかん」が流れていた。
- 273 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:31
- なんとも騒然とした意識だったが、
れいなはそんな喧騒が嫌いではなかった。
誰かの悪意や好意といった思考よりも、音楽の方がずっとましだった。
れいなは意識を遮断することなく、
ただ垂れ流される音楽の波を堪能していた。
そのうち一人の意識から音楽が消える。
「そうだ!」「思い付いた!」というような発作的な感情の記号が浮かぶ。
この思考。この意識。日本人ではない。
振り向くとジュンジュンがニヤニヤしながられいなの後ろに立っていた。
- 274 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:31
- 「田中さん、これ、かわいいーでしょー」
ジュンジュンの手には一枚の写真が握られていた。
そこには可愛らしい少女?が写っていたが、れいなが確認する前に―――
「でも見せない」
ジュンジュンはさっと写真を取り上げた。
アイドルっぽい仕草でふざけるジュンジュンに、れいなはイラっとくる。
「やっぱり見せてあげる」
再びジュンジュンは写真をれいなに見せる。そしてまた取り上げる。
そんなことを何回か繰り返しているうちに、メンバーが周りに集まってきた。
「なにこれ」「可愛いー!!」「うわなにこれ」「ジュンジュン?」
「子供の頃の写真?」「似てない!」「似てるじゃん」「かわいい!」
- 275 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:31
- ジュンジュンの心の中には(可愛いでしょ!)という
極めて純粋なイメージが無条件に満ちていた。
それは撮影などで小動物を見たときと同じ感情だった。
ジュンジュンは何のためらいも見せず、自慢していた。
他人に対する優越感を持ちながら、何の後ろめたさも感じていなかった。
心の中にはただ「自分は優れている」という感情だけがあり、
そういった感情をひけらかしたときに、
相手がどう感じるだろうか?ということを推し量ることはなかった。
常に相手との関係性を計算しながら行動する日本人には、
なかなか生まれない感情がそこにあった。
- 276 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:31
- 「小春の方が可愛い!」
そう言って自分の写真を取り出す小春だったが、
彼女はやはり日本人だった。
周りの反応をそれとなくうかがっていた。
勝つことを望んでいたが、同時に負けることを恐れていた。
周りの人間に支持されることが自分の存在意義だと、
無意識のうちに感じていた。
一方ジュンジュンの心の中には「望み」も「恐れ」もなかった。
彼女の中には「勝った」という既成事実しかなかった。
ジュンジュンの持つ芯の強さに(勝てないな)とれいなは思った。
- 277 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:32
- 「あたしの方が可愛いよ!」「こっちこっち」「可愛い!」「これすごくない?」
「ちょっと何よこの写真」「可愛い!」「これ何歳くらいのとき?」「可愛いー」
「これチャイナドレス?」「どこで撮った写真?」「あれ?れいなの写真は?」
控え室は瞬く間に、メンバーの子供の頃の写真を観賞し合う空間となった。
皆が皆、昔の写真を持ち出し、あれが可愛い、これが可愛いと騒いでいる。
れいなは写真を出せなかった。
アルバムを見ているうちに仕事のことを忘れていたれいなは、
今日の朝になって改めて気づき、あわてて再びアルバムを取り出したが、
細かく選んでいる暇がなかったので4、5枚まとめてカバンに放り込んだ。
まだどれにするかは決めていなかった。
- 278 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:32
- 「あー、いや。まだ決めてないけん」
「え?持ってきてないの?」
「一応何枚か持ってきたけど・・・・・・」
「このカバンですか?」
「あ!コラ!」
小春が勝手にれいなのカバンをごそごそと探る。
手帳の間からひらひらと何枚かの写真が落ちた。
「ふーん」「可愛いじゃん」「普通にかわいい」「れいなっぽいねー」
「ちょっと!これ!」
小春がはじける笑顔で一枚の写真をつかむ。
そこには天然パーマのかかった幼いれいなの姿があった。
- 279 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:33
- 「ぎゃはははははは」「ちょwwwwwww」「パーマwwwwww」
「なにこれー!」「いやははははは」「ちょー受けるwwwwwww」
「これこれこれに決まり!」「これは凄いwww」「勝てないよー」
れいなはみんながなぜ笑うのか理解できなかった。
可愛いやん。
普通にそう思っていた。そうとしか思っていなかった。
むすっとしたれいなは、誰彼構わず手当たり次第に意識を伸ばす。
(ブサイク)(ブス)(アフロ)(不細工)(小春が見つけた)(ブス)
(ぶちゃいく)(豚)(小春の手柄)(変な顔)(不細工)(ぶっさ!)
(天パー)(ぶっさいく)(あははははははは)(豚)(アフロ)
れいなは席を立った。
- 280 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:33
- れいなは廊下にたむろするスタッフを押しのけ、
階段を何階か駆け下りて、冷たいタイルの踊り場にしゃがみこんだ。
とにかく人のいない場所にいたかった。
唇が震えていた。
不細工と思われることには慣れていたし、
メンバー達に思っているほどの悪意がないこともわかっていた。
だが幼い自分の写真が笑われるのは我慢できなかった。
自分だけでなく母も侮辱された気がした。
(嫌だ)(もう嫌だ)(こんな能力)(いらん)(助けて)(誰か助けて)
- 281 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:33
- れいなは本気でこの能力を消そうと考えたが―――
能力が消えても、メンバー達はれいなの前から消えはしない。
ただ心が読めなくなるだけで、心の中にあるものが消えるわけではない。
ずっと、ずっと永遠に。消えはしない。
これまで何度もれいなのことを笑っていたように―――
これからも永遠に心の中でれいなのことを笑い続けるに違いない。
その事実に気づき、れいなは愕然とした。
能力を消す道を選んだとしても―――
自分は救われないのだろうか。
(死にたい)(消えたい)(もうここに)(いたくない)(見ないで)(誰も見ないで)
れいなは両手でぎゅっと自分の体を抱きしめる。
だがれいなの体は、れいなが望むような強い熱を帯びることはなく、
いつまでも冷たいままかくかくと震えていた。
- 282 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:34
- 第十五章 終わり
- 283 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:34
-
★
- 284 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 21:34
- 続きます
また少しずつ話が進んでいくと思います
- 285 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:30
- 第十六章
- 286 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:30
- 狭いスタジオの中では、
何人もの人間が忙しそうに行きかっているようだったが、
踊り場に向かってくる気配は全くなかった。
あたしのことを気にかけてくれる人なんて誰もいないんだと、
れいなが一人でいじけていると、
一人の意識がれいなの方へと向かってきた。
「れいなちゃーん、元気出しなよ」
- 287 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:30
- 話しかけてきたのは顔見知りのスタッフだった。
気遣いの細やかな人間で、メンバーからもかなり受けのいい男だった。
男はれいなが昔の写真を笑われたところを見ていたらしい。
「みんなも悪気があったわけじゃないんだからさ」
整った顔立ちに微妙な陰を作る。
男は脳内で計算した通りの表情を見事に作り上げた。
表情や仕草や言葉遣いや話しかけるタイミングは完璧だったが、
心の中はれいなに対する性衝動で真っ赤に染められていた。
- 288 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:30
- (チャンスだ)(泣きそうじゃないか)(一人だ)(誰も邪魔しない)
(落ち込んでる)(慰めて)(時間がない)(いや)(焦るな)
(男嫌いだから)(冷静に)(口説けば)(絶対)(落とせる)
もし男の心の中に、
ほんの少しでもメンバーに対する憤りがあれば、
れいなは男の胸に飛び込んでいったかもしれない。
だが彼はれいなとメンバーとの諍いには全く興味を示しておらず、
ただおとずれた好機を生かそうという意識しかなかった。
- 289 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:30
- 男の手がれいなの肩に伸びる。
よけようとしたが、狭い踊り場では逃げ場もなく、
れいなは肩を抱かれ、グッと引き寄せられた。
必死に見ないようにと意識して遮断していた男の性衝動が、
その瞬間にれいなの脳内で爆発的に広がった。
具体的なイメージを伴わない、原始的な衝動だった。
(抱きたい)(犯したい)(性交)(支配したい)(俺のもの)(快感)
(縛り付けて)(俺のものに)(舐めて)(貫いて)(射精)(生殖)
れいなは男の体を強く突き放して、逃げるように階段を駆け上った。
- 290 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:30
- れいなの体を恐怖が駆け巡っていった。
さっきまでは何とか堪えていた涙が、とめどなく溢れた。
鼓動の激しさは、小さな胸を突き破らんばかりだった。
恐かった。
今まで何度も男の性衝動を見てきたが、
あそこまで直接的に自分に向けられた性衝動を見たのは初めてだった。
男性に襲われる恐怖よりも恐いものがあることをれいなは知った。
男性の意識の一番下にある、一番原始的な衝動。
「子孫を残す」という強烈な意識。遺伝子に組み込まれた本能。
それは意識でも無意識でもなく、男性という存在そのものだった。
れいなは男性の意識の一番下にあるところまで覗いてしまっていた。
- 291 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:30
- 男性は遊び半分で性衝動を起こしているのではなかった。
男性は生存本能に強制されて性衝動を起こしているわけでもなかった。
空気を吸ったり、心臓を動かしたりするのと同じような感覚で、
男性は女性と交わることを望んでいた。
れいなはパートナーとして見られていなかった。
パーツの片割れでしかなかった。
それは相手がれいなを愛しているとかいないとかは関係ない。
全ての男性が、生物が、本質的にそうなのだということを、れいなは知った。
生々しかった。
エイリアンや機械に犯された方がまだましだった。
れいなは人間の生々しさを目の当たりにして吐き気を覚えた。
- 292 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:31
- れいなは自分の精神が限界まできていることを感じていた。
この能力が身に付いてしまった時、
「いつか自分はそう遠くない将来に発狂する」と確信したが、
その時が、もしかしたら今なのかもしれないと思った。
れいなは開放されたかった。
生きることからも、死ぬことからも。
だがれいなの精神は、生きることも死ぬことも許されなかった。
人の心が読めるがゆえに、生きる道を自ら選ぶことは躊躇われ、
人の心が読めるがゆえに、死ぬ道を自ら選ぶことは許しがたかった。
- 293 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:31
- れいなの精神は行き場を失い、押し潰されようとしていた。
意識が完全に麻痺していた。
だかられいなはなかなか気づかなかった。
いつの間にか亀井が―――れいなのことを抱きしめていたことに。
普段なら体が触れている人間の意識など
読もうと思わなくても勝手にれいなの頭の中に入ってきていた。
だが今は亀井の意識を感じることはできなかった。
このまま意識を閉ざしていたら―――
本当に精神が潰されるとれいなは思った。
- 294 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:31
- 「ごめんねれいな。笑ってごめんね」
れいなの精神は新たな二択を迫られていた。
「泣いてたんだね。ホントごめんなさい」
亀井はぎゅっと強くれいなのことを抱きしめる。
「もう笑わない。絶対れいなのことを笑ったりしないから」
れいなの精神はまだ虚空を彷徨っていた。
「だから戻ろ。みんなのところへ戻ろ?」
れいなの心は大きな声でれいなに二択を迫った。
亀井の心を―――本心を―――
読むべきか?読まないべきか?
- 295 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:31
- 第十六章 終わり
- 296 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:31
-
★
- 297 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 21:32
- 続きます
話もそろそろ佳境に入っていくと思います
- 298 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 22:54
- 固唾をのんで見守っています。
- 299 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:30
- 第十七章
- 300 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:30
- れいなが決断する前に、れいなの精神は通常状態に戻ろうとしていた。
いつしか涙は止まり、鼓動も落ち着いてきていた。
肉体の健全化に呼応するように、れいなの意識は落ち着きを取り戻し、
亀井の意識がゆっくりとれいなの心の中に入り込んできた。
れいなはもう―――それを拒む気力はなかった。
亀井の中は慈愛の心で満ちていた。
そして心の中で泣いていた。
- 301 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:30
- れいなはそれが「もらい泣き」
と呼ばれる感情のメカニズムであることを知っていた。
その感情がナルシズムの派生形であることも、過去の経験から知っていた。
だがそんなことはどうでもよかった。
経験や論理で人の心を判断することなど、
れいなにとっては意味のないことだった。
亀井はただひたすられいなのことを可哀想だと思っていたし、
本心から悪いことをしたと思って、れいなに謝罪していた。
れいなにはそれで十分だった。
一度は止まった涙が、またゆっくりとれいなの頬を伝った。
- 302 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:31
- 「落ち着いた?」
「うん・・・・・でも・・・・もうちょっと・・・・・・」
れいなは亀井と隣合うようにして、廊下の隅に座り込んでいた。
もう次の収録の時間はとっくに過ぎていたが、誰も呼びに来なかった。
いつもなら真っ先に呼びに来る新垣の気配も、全くしなかった。
「ごめんね」
「うん。もう気にしとらんよ」
亀井の中にある、れいなに対する愛情は本物だった。
亀井はいつものように、自分の心とれいなの心を同化させていた。
れいなと一緒になり、一緒に慰め、一緒に慰められていた。
れいなを愛すると同時に、れいなを愛する自分自身を愛していた。
そんな見慣れているはずの亀井の心理も、今のれいなには新鮮なものに見えた。
- 303 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:31
- 頑張れるかもしれない。れいなはそう思った。
一ヶ月後には発狂するかもしれない。
燃えて消えてしまうかもしれない。
それは一週間後かもしれない。明日かもしれない。
でも今は生きている。
この亀井の中にある愛情も、いつか消えてしまうかもしれない。
でも今はある。今は見える。そこにある。信じることができる。
だったら頑張ろう。今は頑張ろう。
消えてなくなるその瞬間まで、一生懸命生きよう。
れいなはそう思った。
- 304 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:31
- 「頑張らんといけん」
「え?」
「れいなも、もっと強くならんといけん」
「おお!」
れいながそう言った瞬間、
亀井の脳裏からはれいなに対する罪悪感が綺麗さっぱり消えた。
新たに現れたのは、スーパーマンのようにマントをまとって空を飛ぶ、
アニメキャラじみたれいなのイメージだった。
- 305 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:31
- れいなは思わず、ずっこけそうになった。
パスタを口に入れていたら、鼻から出していたかもしれない。
(なんじゃそりゃ)(切り替えが)(早すぎる)
(マジかよ)(絵里らしいけど)(こりゃ愛情が消えるのも)
(あっという間かも)(明日まで)(もつかな?)(はははは)
明日の天気と亀井の心理だけは予想できない。
気にしても仕方がない
れいなは勢いよく立ち上がった。
「よーし、じゃあ戻ろっか!」
- 306 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:31
- 「おらー!亀井と田中!!何してたんだ!!」
マネージャーからのきつい雷が二人に落ちる。
やはり収録の開始予定時刻はとっくに過ぎていた。
他のメンバーは、れいながなぜ戻ってこないのか、亀井が何をしているのか、
その理由をマネージャーや現場スタッフには一切言っていなかった。
だがその心遣いがれいなにはありがたかった。
「怒られちった」
他のメンバーにちろっと舌を出す亀井。
もちろん他のメンバーは全員、田中が戻らなかった理由も、
亀井が田中を呼びに行ったことも全て承知していた。
やや気まずい空気が流れる。
- 307 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:31
- 「ごめんねー田中っち」
新垣がそう言うと他のメンバーも口々にれいなに対して詫びた。
(だけどさあ)(あの写真じゃ)(突っ込まれるよ)
(TVとかなら)(当然のように)(絶対言われる)
(いじられることに)(慣れてよね)(困った子)(泣かないでよ)
新垣の考えももっともだった。
むしろそっちの方がこの世界の常識だった。
(頑張らんといけん)
もう一度自分に言い聞かせて、れいなは撮影現場へと足を踏み入れた。
- 308 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:32
- 撮影は予定時間を大幅にオーバーして終わった。
最後は本当にくたくただったけれど、
撮影が延びた原因は自分にもあったので、
れいなは誰にも文句を言えなかった。
もちろん他のメンバーも―――れいなに文句を言うことはなかった。
帰宅したれいなは、カバンをソファに投げ置いて洗面所へと向かう。
鏡にはやややつれた顔をした少女の顔があった。
蛇口をひねり、流れる水に両手を差し出す。心地よい冷たさだった。
れいなは化粧を落とし、バスタオルの場所を確認すると、
お風呂にお湯を張ることにした。
お湯が溜まるまで一休み―――とカバンを枕にしてソファに横になる。
れいなの耳には、浴槽のお湯が溜まる音がだだだだだだだだだと響いていた。
まるで山間の岩肌を流れ落ちている、滝の音のように。
数分後にはれいなは眠りの世界へと落ちていっていた。
- 309 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:32
- れいなの夢の世界には、記憶の底から文字列のフィルターを通って、
みかん箱のような古い木箱が、そして一匹の猫が浮かび上がってきた。
「あの夢だ」と確信した瞬間、れいなは夢の中で軽く緊張した。
「ミィちゃん・・・・ミィちゃーん出ておいでー」
れいなは木箱から離れた位置から猫を呼ぶ。
今更「猫神様」と呼ぶ気にはなれなかった。
れいなにとって、5年近く付き合ってきたこの猫は、
「ミィちゃん」でしかなかった。
猫は出てこなかった。
嫌な予感がれいなの背中を走る。
箱の中を覗き込むと、両耳がぺたんと折れ曲がった猫が、
ぐったりとした様子で横たわっていた。
「ミィちゃん!」
れいなの呼びかけに応える鳴き声はか弱かった。
無理に立たせようとしても、ぐにゃりと倒れこんでしまって、
自力で立つことはできなかった。
- 310 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:32
- 「ミィちゃん・・・・・ミィちゃん・・・・・死なんでよ!」
れいなの脳裏にはもう「猫神様」の伝説のことなど欠片もなかった。
能力のことも完全に消えていた。
ただただ大好きなこの猫にずっと生きていてほしかった。
だがれいなの望みは、れいな自身の直感によって砕かれた。
あと一回か二回。
おそらくこの夢の中でミィちゃんと会えるのは
あと一回か二回だろうと、れいなは直感した。
(これって夢なんやろ)(夢ならなんとかしてや)(死なんでもええやん)
(元気になってよ)(立ってよ)(れいなと遊んでよ)(ねえ)(ねえ)(ねえ)
涙で濡れた瞳を袖でごしごしと拭いているうちに―――
れいなは夢から覚めた。
- 311 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:32
- れいなはソファから転げ落ちていた。
浴室からはもう水が流れる音は聞こえない。
お湯が溜まったところで、自動的に止まったようだった。
(ミィちゃん)(寂しい)(やっぱり死んじゃうの?)(やだ)(やだ)(やだ)
お風呂に入る気を失くしたれいなは、
浴槽の底にある栓につながっている鎖を右手でつかむ。
ため息を一つついて引き抜こうとした瞬間―――
体が熱くなり、全身の神経に電流のような痺れが走り、
五感が異常に研ぎ澄まされていた。
熱さはぐるぐると全身を巡回し―――れいなの下半身と右半身に満ちた。
血が沸騰するような感覚は、いつにも増して強かった。
れいなは浴槽にもたれかかり、鎖を強く握ってその熱さに耐えた。
熱がれいなの体から消える頃には―――
浴槽を満たしていたお湯は全て蒸発していた。
- 312 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:32
- 第十七章 終わり
- 313 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:33
-
★
- 314 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/04(火) 21:33
- 続きます
どうやら無事に森板の容量以内に収まりそうです
- 315 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:30
- 第十八章
- 316 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:30
- 名古屋へと向かう新幹線の車内はいつになく静かだった。
れいなの隣には亀井が座っていた。
いつも亀井の隣に座っていた道重の隣には高橋が座り、
いつも高橋の隣に座っていた新垣の隣には光井が座っていた。
ジュンジュンとリンリンは変わらず二人隣り合って座っていた。
いつもなら光井の隣に座って、一人で三人分は騒いでいる小春は、
イヤホンをして音楽を聴きながら、書類とにらめっこをしていた。
隣の席にはマネージャーが座り、小春に色々な書類を渡している。
小春が手に持っていたのは
11月7日発売のソロシングルのイベント関係の書類だった。
- 317 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:30
- れいなはマネージャの頭の中にあるスケジュールと、
小春の頭の中にある今後の見通しを見比べる。
その二つは何の問題もなく一致していた。
れいなは小春の事務処理能力の高さに感心する。
それは事務処理のプロというべきマネージャーと比べても、
ほとんど遜色のないレベルにあった。
小春はややこしいことを頭の中で記号化し、
簡略化して整理する能力に長けていた。
人間関係においてはあまり役に立たない能力だったが、
こと事務処理ということに関してはかなり有用な能力だった。
- 318 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:30
- 「ちょっとれいな、人の話聞いてる?」
「あ、うん。もちろん!」
れいなは慌てて意識を亀井の方に向ける。
全然聞いてなかった。
れいなは亀井の心の中を覗き、見つけた話題を拾って話をつなげる。
亀井の顔がほころぶ。
人の心が読めるれいなにとって、亀井が喜びそうなことを言うのはたやすかった。
これまではそういうことをするのは避けていた。
あまりに要領よく話そうとすると、逆に上手くいきすぎて、
話相手に不信感を抱かれることがあった。
その不信感が「人の心が読めるのか?」という疑問にまで高まることはなかったが、
そういう可能性がある行為はなるべくしたくなかった。
だが今はそういう気持ちはなかった。
亀井の中にあるれいなへの愛情は、
もはや完全に恋愛感情の域にまで達していた。
れいなはその感情に触れても、もう嫌悪感を抱くことはなかった。
- 319 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:30
- 亀井がれいなの肩に手をかける。
れいなは一瞬びくっとなるが、振り払うことなく亀井の意思を受け入れる。
亀井の手に触れても、男の手が触れたときのような衝撃はなかった。
亀井がれいなに対して抱いている愛情は、
男性がれいなに対して抱いている愛情とは根本的に異なっていた。
そこには動物的な本能はほとんどなかった。
生殖や性交といった生存本能とは無縁の感情だった。
ただひたすら美しいものと同化したいという意思がそこにはあった。
もちろんそこには性欲や支配欲もあったが、不快ではなかった。
本当に愛してくれるなら、支配されてもいいかもしれない。
れいなは、自分の考えが
以前とは大きく変わってきていることに少し戸惑っていた。
- 320 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:31
- 名古屋で行なわれるコンサートは、れいなの18歳の誕生日と重なっていた。
スタッフやメンバーは、
れいなに内緒で誕生日プレゼントなどを用意しており、
コンサートでもちょっとしたサプライズイベントが行なわれる予定だった。
もちろんれいなは既に―――その全容を知っていたが。
そんなサプライズ企画とは別に、
亀井はれいなへのサプライズを用意していた。
へっへっへと笑いながら亀井はれいなの頭をぽんぽんと叩く。
新幹線に乗ったときから亀井はずっと上機嫌だった。
亀井はれいなの誕生日を心待ちにしていた。
そして、れいなと話すときは「誕生日」という言葉を
絶対に出さないように注意をしながら会話をしていた。
亀井は11月11日の夜は、れいなと二人で過ごすつもりでいた。
- 321 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:31
- もちろんれいなは、亀井の心の中を読んで、
亀井が誕生日の夜に何をするつもりなのか全て知っていた。
亀井はれいなに告白をするつもりだった。
この一週間くらいは、亀井はずっとそのことを考え続けていた。
どうすれば上手くいくか熱心に考えて、
何度も何度も心の中でシュミレーションをしていた。
さりげなくれいなに優しくしたりして、
亀井なりにれいなを攻略している気だった。
もっともそれは「さりげなく」という域を完全に超えていたので―――
道重を含む全てのメンバーは、亀井の意図に薄々気づいていた。
もちろん亀井は、
この計画が失敗する可能性については微塵も考えていなかった。
- 322 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:31
- やがて新幹線は名古屋へと到着し、
メンバーとスタッフは三々五々タクシーに乗り込み、ホテルへと向かう。
人数の都合もあって、
れいなはタクシーの中では道重と隣りあわせとなった。
道重の意識は、やはりれいなの誕生日と亀井の行動に注がれていた。
道重は、亀井の気持ちがれいなに傾いていることを重々承知していたが、
そこにはあまり執着していないという事実が、れいなを軽く驚かせた。
(れいなの誕生日かー)(多分絵里は)(れいなに告る)(エッチする)
(まあいいや)(どうせすぐ)(飽きる)(絵里はいつもそう)(仕方ない)
(れいなはどうなんだろ)(絵里とは合わない)(でもれいなは)(断れない)
(いつも)(れいなは絵里が)(傷つくことを怖がる)(断れない)(流される)
- 323 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:31
- 道重の観察眼は相変わらず鋭かった。
確かにれいなは、亀井が傷つくことを恐れていた。
(自分は絵里の告白を断れるだろうか)(そして絵里は)(絵里は)
れいなの心には、道重の心にあった言葉が一つ引っかかっていた。
(すぐ飽きる)(すぐ飽きる)(すぐ飽きる)(すぐ飽きる)(すぐ飽きる)
れいなはその言葉を打ち消すかのように、
タクシーの窓をどんと一つ叩いた。
- 324 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:31
- れいなはホテルのベッドに腰掛けながら、
明日のコンサートのことについて考えていた。
きっとれいなの誕生日を祝おうとしてくれる人が、
たくさん集まってくるだろう。
れいなは、過去に誕生日に行なわれたコンサートの記憶を反芻した。
何千という意識が、自分という存在を祝福している。
全ての意識が、一つの意識に統一されている。
その光景は壮観だった。
自分はあと何度くらい、その光景に立ち会えるのだろうか―――
そんなことを考えながら、
れいなはゆっくりと眠りに落ちていった。
- 325 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:31
- れいなの夢の世界には、何もない光景が広がっていた。
やがて記憶の底から文字列のフィルターを通って、
みかん箱のような古い木箱が、そして一匹の猫が浮かび上がってきた。
箱の中に猫がいることを確信して、れいなは少しほっとした。
ミィちゃんが元気になっているかもしれないという望みは、
もう持っていなかった。
猫はれいなと会うたびに弱っていっており、
一度も回復する兆しを見せなかった。
それでもれいなは猫に会えることが嬉しかった。
たとえ元気がなくても、そこに生きてさえいてくれればよかった。
れいなはそっと箱の中に手を伸ばし、ゆっくりと猫を抱き上げる。
- 326 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:32
- 猫の心臓はゆっくりと拍動していた。
「ミィちゃん・・・・・・・・ミィちゃん・・・・・・・」
猫はれいなの呼びかけに応えることはなかった。
もはや息をつなぐだけで精一杯という状態だった。
明日だ。
れいなは直感した。
曾祖母の言ったことは正しかった。
れいなには、明日で全てが終わることがはっきりとわかった。
そしてこの猫と会えるのはこれが最後だということも。
れいなは猫をそっと箱の中に戻した。
猫の頭を優しく撫でる。
夢が覚める瞬間まで、れいなはいつまでも猫の頭を撫でていた。
- 327 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:32
- 枕元でピリリリリリと耳障りな電子音が鳴る。
うがあ。
と大きく口を開けながらモーニングコールに応え、れいなは目を覚ます。
頭はまだぼんやりとしていたが、見ていた夢のことははっきりと覚えていた。
手にはまだ感触が残っているような気がした。
だがやはり―――猫の顔を思い出すことはできなかった。
ぱんぱんと両掌で自分の両頬を叩く。
目が覚めた。
完全に吹っ切れた。
- 328 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:32
- 田中れいな18歳の誕生日。
自分はこの日を一生忘れないだろう。
たとえこの日が―――人生最後の日になったとしても。
れいなはもう男に身を任せる気はなかった。
自分は自分の感情に従って生きていこうと思った。
たとえ行き着く先が「死」だとわかっていても、その直前までは「生」だ。
それはこの能力があったとしても、なかったとしても、変わらないはずだ。
最後まで自分の意思を貫いて、精一杯生きようと、れいなは思った。
- 329 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:32
- 不意に携帯電話がぶるぶると震え、メールが来たことを報せる。
携帯には誕生日おめでとうメールがいくつか届いていた。
れいなは届いていたメールを確認する。
一番最初に届いていたのは亀井からだった。
亀井から来たメールの文章をスクロールさせながら、
れいなはふと考える。
猫神様が男に抱かれたなら―――能力は消え、生き続けることができる。
猫神様が男に抱かれなかったなら―――燃え尽きて、死んでしまう。
それなら―――
それならもし―――
もし猫神様が女に抱かれたら―――どうなるんだろう?
- 330 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:32
- 第十八章 終わり
- 331 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:33
-
★
- 332 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 21:33
- 続きます
もうまもなくこのお話も終わると思いますが
- 333 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 23:06
- 毎日の楽しみとなっております。
- 334 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 23:19
- 毎日読ませていただいてます。
ハラハラの連続です…。
- 335 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 23:50
- 更新を楽しみにしてるお話しなので、終わるのが寂しいです
いやぁ
今日の更新はぐっと進んだ感じがしますね
早くも続きが読みたくて仕方ないです!
- 336 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:30
- 第十九章
- 337 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:30
- 2007年11月11日。
田中れいな18歳の誕生日のコンサートの幕が開く。
幕が上がると同時に大歓声がホールを包み、
会場にいる人間の全ての意識がステージ上に向かって放たれる。
多くの意識は田中れいな個人に向けられていた。
その数はいつものコンサートの時よりも、かなり多い。
過去に田中れいなの誕生日に行なわれたコンサートの時と、
同じような状況だった。
れいなは心を開いて、そういった状況をフルに楽しんでいた。
心に届いてくるファンの意識は、いつも以上に心地よかった。
これが最後のコンサートになるかもしれない。
そういうこともチラッと脳裏をよぎったが、すぐに打ち消した。
れいなに向かって放たれる祝福の意識に応えるように、
れいなはただ必死に、歌い、笑い、踊った。
- 338 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:30
- 昼公演が終わると、夜公演までの間に少しの時間が空いた。
れいなはわざと一人になれる場所へと移動し、
亀井が来るのを待った。
亀井がれいなのことを視線でずっと追っていることはわかっていた。
「あ!れいな!ここにいたんだ!」
「なんね」
「あのさー、今日さー、コンサートが終わったら部屋に来ない?」
「おう!行く行く!」
- 339 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:30
- 亀井は満面の笑みを浮かべていた。
心の中でも同じように笑みを浮かべて、ガッツポーズをとっていた。
無邪気に喜ぶ亀井を見て、れいなは幸せな気持ちになった。
幸せな気持ちを与えてくれるなら―――
自分もその人に幸せな気持ちを分け与えたい。
たとえそれがどんなに短い時間であっても。
たった一日だけだとしても。
亀井になら抱かれてもいいかもしれない。
れいなはその時初めてそう思った。
- 340 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:30
- 夜公演でも、昼公演の時と同じように、
田中れいな18歳の誕生日おめでとう企画のようなものがあった。
メンバー達は、会場の観客と一緒になって、
れいなのためにハッピーバースデーの歌を歌った。
会場の心は、文字通り一つになっていた。
四方から放たれる観客の意識は、
ピラミッドの頂上のように、一つの頂点に集約した。
意識が集約した先には―――もちろんれいながいた。
れいなはファンと一緒になってハッピーバスデーを歌った。
自分に集められた幸福感を、全ての人に与え返すようにして、
メンバーと一緒になり、会場と一緒になり、
ただひたすら無心で歌った。
- 341 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:31
- アンコールが終わった後、
れいなは一人で再び舞台に登場した。
会場がわーっと沸く。
れいなは誕生日を祝ってくれた観客達に感謝の言葉を述べた。
心からの言葉だった。
人の心が見えるれいなにとって、
ファンとは決してありがたいだけの存在ではなかった。
時にはいわれなき中傷を浴びせられたりしたし、
おもちゃのようにぞんざいに扱われたこともあった。
だがそんなことは、もうどうでもよかった。
みんながれいなが生まれたことを祝福してくれている。
それで十分だった。
- 342 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:31
- 自分は生きている。
生きてここに立っている。
喜んでくれる人がいる。必要としてくれる人がいる。確かにそこにいる。
心が見えるれいなは、それを動かしがたい事実として見ることができた。
(ありがとう)(ありがとう)(ありがとう)(ありがとう)(ありがとう)
何のわだかまりもなく―――心から感謝することができた。
れいなは最後に会場の隅から隅まで目をやった。
全てを目に焼き付けておこうと、強く思った。
これが最後のコンサートになるかもしれない。
再びそれを意識したが―――もうその思いを打ち消そうとはしなかった。
- 343 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:31
- 夜公演のコンサートも無事に終了した。
メンバー達はれいなに「よかったね」「おめでとう」「すごかったねー」
などと声をかけながら、労をねぎらう。
れいなはその裏にある感情を、もう読もうとはしなかった。
れいなはタイムリミットが迫りつつあることを感じていた。
意識の一番深い場所にある本能が「男に抱かれろ」と命じていた。
もちろん、それに従う気はさらさらなかった。
れいなはチラッと時計に目をやる。
今日という日が終わるまで、まだ2時間ほどの時間があった。
(あと2時間と)(ちょい)(十分や)(あたしには)(それで十分)
れいなはホテルに戻り、シャワーを浴びる。
亀井とは特に会う時間は約束していなかった。
部屋を出て、向かいにある亀井の部屋をノックする。
バタンと待ちかねたように部屋の扉が開く。
扉の先には幸せそうな顔をした亀井絵里の姿があった。
- 344 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:31
- 「れいな!お誕生日おめでとーう!」
亀井は部屋に入ってきたれいなに、改めておめでとうを言った。
(えっと)(次は)(プレゼント渡して)(ケーキ食べて)(そんで)(まずは)
頭の中で段取りを確認している亀井をよそに、
れいなはチラリと時計に目をやった。
「絵里。悪いけど、もう時間がないと」
「え?何が?」
「れいなの誕生日が終わっちゃうまで」
「あー、でも夜はまだまだこれからじゃん!」
「誕生日が終わるまでに言ってほしいな」
「え?なにを?」
「絵里がれいなのことをどう思っとるのかを」
れいなは真剣な表情でじっと亀井の瞳を見つめる。
亀井はかなり動揺していたが、心の中にある計画が揺らぐことはなかった。
(マジ?)(ヤバイ)(ヤバイヤバイ)(見抜かれてた?)(すごい!)
(やっぱりれいなも)(絵里のことが)(絵里のことが)(わお!)(好き!)
- 345 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:31
- れいなはぎゅっと亀井に抱きついた。
両腕を亀井の首に巻きつけ、耳元でつぶやいた。
「今日はれいなの大切な日やけん」
れいなは体重を亀井に預ける。
二人は重なりながらゆっくりとベッドに倒れていった。
「今日が終わるまでに言ってほしい」
- 346 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:31
- 亀井の心が真っ白になった。
そこには何の意識もなかった。
ただただ、れいなの言葉に対して跪いていた。祈っていた。
亀井の心の一番奥にある、固く閉ざされていた殻のようなものがゆっくりと開く。
その中にある亀井の心は、暖かい色を放ちながら心臓のように脈動していた。
れいなはそっとそれに触れる。柔らかい。つるつると。傷一つない。
「れいな・・・・・・絵里は、絵里はれいなのことが好きだよ」
亀井の言葉には一片の偽りもなかった。
- 347 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:32
- 亀井の指がれいなの首筋に伸びる。
手馴れた動作でブラウスのボタンを外していく。
(れいな)(れいな)(綺麗)(れいな)(優しく)(熱く)(れいな)
(柔らかい)(れいな)(好き)(好き)(あたしの)(れいな)
亀井の意識がれいなの心を直撃する。
愛されることの心地よさを味わいながら、
れいなは無抵抗でベッドに横たわっていた。
もう亀井の心の中を意識的に覗くのはやめていた。
れいなはただひたすら、自然なまま、亀井に愛されることを望んだ。
- 348 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:32
- 亀井の唇が、れいなの首に、耳に、うなじに、
脇に、腰に、臍に、尻に、腿に、膝に、踝に、踵に触れる。
れいなの体が熱く火照る。
「早く、早く、早く」
れいなは無意識のうちに亀井にそう催促していた。
亀井の中に悪戯心が満ちる。
「まあだ」
だがもうれいなには時間が残されていなかった。
れいなは目で亀井に訴える。
(お願い)
- 349 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:32
- 亀井はれいなの表情をじっくりと楽しんでいた。
(まだよ)(まだよれいな)(まだ早いから)(もっとじっくり)
亀井の指が、れいなの肌の上を舐めるように走る。
れいなの体の火照りは、さらに熱を増した。
れいなの体に異常なまでの熱が駆け巡った。
(きた)(きた)(ついに)(いやだ)(もう少し待って)(お願い)
体中から滝のような汗が流れ出てくる。
亀井が指で拭っても、後から後から溢れ出てくる。
汗は蒸発しながらかすかに白い湯気を上げる。
「れいな・・・・・すごい」
亀井は燃えるように熱くなっていくれいなの体を前にしても、
全く動じることなく、れいなに対する攻めを強めていった。
れいなはもう呼吸することすらままならなかった。
(死ぬ)(死ぬ)(でも)(絵里の前で)(死ねるなら)(それもいい)
れいなの体から汗が止まった。
- 350 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:32
- 亀井の指がゆっくりとれいなの中に入っていき―――
れいなの体に鈍い痛みが走る―――
その痛みを追いかけるように―――
全身を真っ赤な炎が駆け巡っていった。
れいなの視界は赤一色に染められる。
駆け巡る炎は、内側から強くれいなの体を焼いた。
れいなは絶叫した。
ベッドに這い蹲り、亀井の背中をわしづかみにし、爪で肌を掻き毟りながら、
声という音域を、遥かに超えた音波を口から出し、絶叫した。
体を内側から焼き尽くそうとしている炎に抗うこともできず、
いつまでも、いつまでも絶叫していた。
- 351 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:33
- 第十九章 終わり
- 352 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:33
-
★
- 353 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:33
- 続きます
次が最後の更新になります
- 354 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:41
- なんだなんだどうなるんだ
- 355 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 23:56
- き、気になって眠れない…
- 356 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:30
- 第二十章
- 357 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:30
- 枕元でピリリリリリと耳障りな電子音が鳴る。
うがあ。
と大きく口を開けながらモーニングコールに応え、れいなは目を覚ます。
頭はまだぼんやりとしていたが―――
昨晩のことははっきりと覚えていた。
「あれ?」
れいなはベッドから身を起こし、辺りを見回す。
隣では半裸の亀井絵里がすぴーと寝息を立てながら眠っていた。
れいなは思わず自分の両掌をじっと見つめる。
いつもとなんら変わりない両手がそこにはあった。
- 358 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:30
- (生きとる)
どたどたと慌しく洗面所に走り、鏡を覗き込む。
当然そこにはモーニング娘。の田中れいなが映っていた。
口を開ける。鏡の中のれいなも口を開ける。
眉間に皺を寄せる。鏡の中のれいなも眉間に皺を寄せる。
(生きとる!)(生きとる!)(生きとる!)(生きとる!)「生きとる!」
洗面所で絶叫するれいなをよそに、
亀井はまだベッドの上ですぴーと寝息を立てながら熟睡していた。
- 359 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:30
- れいなは無性に亀井と話がしたくなった。
ベッドに駆け寄り、眠っている亀井の背中をバンバン叩く。
「絵里!絵里!起きんしゃい!」
「いた!いたたたたた!痛いって!」
亀井の背中には赤いミミズ腫れが何本も走っていた。
全く記憶になかったが、それはれいながつけたものらしい。
「次やるときはそのへんちゃんと考えてよ」
「へ?次?やるとき?」
「もー、やだー、何言ってるのよれいなー」
今度は亀井の方がれいなの背中をバンバン叩く。
亀井は自分の言葉に自分で照れているようだった。
(なんね絵里。怒ってるの?喜んでるの?)
不思議に思ったれいなは亀井の心を覗こうと思ったが―――
亀井の心を読むことはできなかった。
- 360 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:31
- れいなは荷物をまとめるために、一旦自分の部屋に戻る。
廊下を通るときに、各メンバーの部屋の中へと意識を飛ばしてみた。
高橋。新垣。道重。久住。光井。ジュンジュン。リンリン。
こういった普段一緒にいるメンバーの意識なら、
これまでは壁一枚隔てていても簡単に見ることができていたが―――
今のれいなには何も見えなかった。
(もしかして)(あたしの)(もしかして)(能力が)(消えた・・・・・?)
- 361 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:31
- れいなは必死で昨晩のことを思い出そうとしたが、
体内を真っ赤な炎が駆け巡ってきたところで記憶は途切れていた。
その後のことは全く覚えていない。
亀井の意識も、もうれいなには探ることができなかった。
そこで何が起こったのか―――
れいなには理解することができなかった。
(本当に能力は消えたんやろうか?)
(男と交わってないけど)
(女でもよかったんやろか)
(猫神様は―――消えたんやろか)
- 362 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:31
- 「はあ」
自分の部屋に入ると同時に、全身から力が抜けていった。
ぺたんと尻餅をつく。
集合時間までに荷物をまとめなければいけない。
頭ではわかっていても、なかなか体が動かなかった。
自分がまだ生きているということに、拭えない違和感があった。
れいなはその時初めて―――
自分が本気で死を覚悟していたことを悟った。
(もし)(死んでたら)(アカン)
(みんな悲しむ)(これで)(よかったんや)
- 363 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:31
- れいなの頭にはまず母親の顔が浮かんできた。
次いで家族の顔が次々と浮かび―――
それに続いてメンバーやスタッフの顔が浮かんできた。
コンサート会場に集まっているファンの姿が浮かんできた。
みんなと、今日からもまた会えることを、れいなは素直に喜んだ。
(まとまった休みがとれたら―――)
一度九州に帰ろう。
曾祖母に会って色々話をしよう。
昔の友達とも―――もしかしたら仲直りできるかもしれない。
れいなはそんなことを考えていた。
- 364 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:31
- ロビーには既に全てのメンバーが集合していた。
れいなは最後にその場に加わり、出発までの時間を待った。
亀井は柔らかそうなソファに身を沈め、すーすーと眠っていた。
高橋がすっと寄ってきて、
亀井を指差しながら、れいなの耳元で囁く。
「昨日はほとんど寝てないって言うてたで」
「え?絵里が?」
「一緒にいたんやろ」
「うん・・・・・まあ」
「いつからそんな仲良くなったんよ」
「え?まあ、うん・・・・・」
- 365 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:31
- そう言いながられいなは高橋の指をつかむ。
高橋の目を見ながら、れいなは強く意識を集中させたが、
やはり高橋の心の中を読むことはできなかった。
(やっぱり消えたんや)(あの能力は)(これで)(明日からは)
その時れいなの背後で、
ゆっくりと亀井が起き上がってくる気配がした。
- 366 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:31
- 「んんーぁ!」
亀井はあくびをしながら大きく伸びをした。
それを見て道重がぽつりとつぶやく。
「なんか今日の絵里って・・・・・猫みたい」
- 367 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:32
- れいなはゆっくりと亀井の方を振り返る。
目と目が合った瞬間―――れいなは総毛立った。
いた。
れいなの中から消えたものが―――そこにいた。
れいなは曾祖母の言葉を思い出していた。
(猫神様はな。能力を失っても、新しい猫神様のことはわかるんじゃ)
- 368 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:32
- 呆然と立ち尽くすれいなに向かって亀井は声をかけた。
「ねえ、れいな」
――― 子猫のように微笑んで。
「ねこがみさまって―――なあに?」
- 369 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:32
-
- 370 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:32
-
子猫のように微笑んで
完
- 371 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:33
-
★
- 372 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:33
-
special thanks to
あみど
- 373 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:33
- ご愛読ありがとうございました。
- 374 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 21:33
- はい
というわけで
- 375 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2008/03/07(金) 21:34
- この物語はこれにて完結です。
お付き合いいただいた読者の皆さんありがとうございました。
思うところがあって、完結まではレス返し等は控えていました。
愛想が悪くてすみませんでした。
物語に関する感想などがあれば、
このスレに直接書いてもらえると嬉しいです。
- 376 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/07(金) 22:58
- うわああああああああああ
まさかここで会えるとはっ!!!!!
とても楽しいお話をどうもありがとうございました。
- 377 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2008/03/08(土) 21:30
- >>376
レスどうもありがとうございます
「ここで会えるとは」?
どこか別の場所で見たことがあったのでしょうか
それはともかく、お話を楽しんでいただけたなら幸いです
- 378 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/08(土) 22:47
- 完結おめでとうございます。連日更新、本当にお疲れさまでした。
娘のバロメーターともいえるれいなさんが主役、人物相関はほぼリアル設定という点を
みても、誉さんからの多大な本気度を感じました。
前半はれいなさんが意識に潜り込ませ、画となって表れる描写に引き込まれました。
特に48・66,67・69レス目が印象深いです。
光井の機転の速さを毛細血管のような広がりで、
小春の超人的なパワーをモノで表すことによって、よりリアルに感じました。
また女の根深い嫉妬心を、愛情と絡めてガキさんで表現されていた箇所。
本当に息をのむばかりでした。
後半はストーリー展開に飲まれました。細かく書きたいのですが
これ以上ネタバレするのは危険ですので止めておきます。
新しい試みを多くなされていた思うので、さまざまな意味でドキドキでしたよ。
毎日21:30が楽しみでした。本当にありがとうございました。
- 379 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2008/03/09(日) 21:30
- >>378
丁寧な感想ありがとうございます。
本気だったのかどうかはよくわかりませんが、
今は当分小説とか書きたくない気分です。
燃え尽きてしまったのかもしれません。
48・66,67・69レス目は自分でも気に入っていた部分だったので、
指摘してもらって本当に嬉しかったです。
またいつかこういう文章が書ければなと思っています。
- 380 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/07/06(日) 17:23
- 今頃になって読了しました
本当に凄い
のめり込んで一気に読んでしまいました
前半では新垣・光井の描写が
後半では追い詰められる様子とその後の覚悟にまるで脳を焼かれたようでした
一読者なのになぜか今達成感で一杯です。ありがとうございました。
- 381 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2008/07/06(日) 21:22
- >>380
感想ありがとうございます
作者自身、前半と後半ではちょっと違う話になってしまったかなと思ったのですが、
両方の部分を楽しんでもらえたならとても嬉しいです。
達成感まで感じてもらえましたかw
長いお話なので、最後まで読んでもらえて本当に嬉しいです。
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