百色図鑑
1 名前:kkgg 投稿日:2007/04/25(水) 23:06
表題の続き物と、短編を数本、書かせて頂きます。
よろしくお願いします。
2 名前:kkgg 投稿日:2007/04/25(水) 23:07
まずは短編。
3 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 23:10

■睡魔
4 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 23:10

不眠症に悩まされるひとみは暗がりの中でテレビをつけた。
深夜のはずなのに、何処のチャンネルも騒がしい映像を流している。
炎と煙、迷彩の緑、砂の粒、吹き飛ぶ何か、拳と熱弁を振るう誰か。
画面の下に流れる文字は見慣れないものばかりでよく判らない。
大きなふたつの国が戦争をはじめたらしいということだけ、理解できた。



風の強い日、春だっただろうか。
財布の中身を数えていたら忍び込んだ桜の花びらが一枚、驚いて見上げた先の樹々は、
白よりも緑の方が華やかだった。
5 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 23:12
帰宅したひとみの手に有った機械を見、美貴はまた無駄遣いして、と愚痴をこぼした。
「すごいんだよ。天気を変える機械なんだって」
ジャージのポケットから取り出した説明書に詰め込まれた外国の字をふたりが読める
わけも無く、あからさまに目立つ黄色のスイッチが「天気を変える」のだろうという
憶測のもと、彼女たちは「天気を変える」ことを計画した。
じゃ、とりあえず雨で。
アルコールを頼む調子でひとみは黄色いスイッチを押した。がしゃこん。スイッチは
大袈裟な音を立てる。余韻が消える頃には、部屋は完全な「あめ」で囲まれていた。
すげー!すげー!じゃあさよっちゃん、今度の土曜日晴れにしてよ。練習試合だから
晴れがいいよ。
6 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 23:13



次の週の水曜にひとみは熱を出した。
赤く腫れのひかない頬は、日焼けのせいでは無かったようだ。
ひどく冷える朝だった。時間のずれた天気予報が二月上旬並みの寒さだと告げる。
今日は一日うちに居なさいと年長者ぶる美貴の言いつけを守り、布団の奥で丸まるが、
花冷えに飲み込まれたひとみはひどく弱気で置いて行かれることを嫌がった。
「土砂降り。かなりやばい雨。電車が全部止まるくらい」
出掛ける支度を知らぬふりで、かつ聞こえるように大きな声で言うと、抱えていた機
械の黄色いスイッチをがしゃこんと押し、不機嫌になった美貴をベッドに引きずり込
んだ。

ここのところ毎日流れるニュース速報が、珍しく電車の運行状況を報じる。
7 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 23:14



木曜には熱病の担当が美貴に変わり、心苦しさを隠せないひとみは美貴のご機嫌を取
ろうとあれやこれやの提案を並べた。最後に例の機械を取り出して、今ならリクエス
ト受付中だよ〜と下手な旋律を加えた。
「…雪が降る前のくもりにして」
なるほどそれが今の気持ちか、ひとみはよーし見てろと言わんばかりにポーズを付け
てスイッチを押した。がしゃこん。
雪を降らせるタイミングが重要だ!そうだよ、よっちゃん頼むよ、美貴は寝る。えー。
ひとみは左手で少し熱い美貴の髪を撫でながら、その一瞬を探している。今か。まだ
か。ひとみは真剣である。凝視するカーテンの向こうは薄暗いままだ。一方の美貴は、
ときどき頭上の手が止まるのが可笑しくてたまらなかった。
8 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 23:16
「ねえねえ、結局これなんなの」
美貴が計器のあたりをかつかつと突っついた。プラスチックの中の赤い針は歪んだ数
字を指している。
「天気を変える機械だよ」
「天気って個人の意見で変えられんの?」
「えー…同じタイミングで同じ天気を祈ってる人がいるかもしれないじゃん」
「そうなのかなあ」
「わかんない」
「適当…」
飽きたのか美貴はいつも片腕の半径にあるリモコンでテレビをつけた。深夜の画面と
同じようにばらばらと画が切り替わる。ちゃくだんやら、ぶそうせいりょくやら、物
騒な単語が次々と放られ、煙の柱にエンジン音などの映像が更にしつこく説明する。
様々な国の様子が映るが、何処もどんよりと曇っている。
「なにこれ、せんそう?」
「だねぇ」
9 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 23:17
世界中のトップがシェルター越しにいわゆる「世界の終わり」の上手な迎え方につい
てあれこれ論議し、世界中の報道機関が逐一それを流していたが、彼女たちは判ろう
としなかったためによく判らなかった。具体的な国名とそこで消滅した人間の数を聞
いた時にはじめて、怖いね、とどちらかが呟いた程度だ。
その国は、彼女たちが考えるよりもずっと近くに在った。



その晩は美貴の熱がひいてきたのでくっついて眠ることにした。
後はもう眼を瞑るだけになって、美貴がテレビをつけた。映像は朝と同じだ。
ただ幾つかのチャンネルは砂嵐しか映さなくなっている。
「あれーうつんない」
「こっちは…映った。ねえねえよっちゃん」
「んー」
「世界の終わりってどんな天気かなあ」
「終わる時って昼間なの?」
「知らなぁい」
美貴は部屋を真っ暗にして、肘をつき身体を起こしていたひとみの首にぶら下がり、
そのままふたりごと転がった。
10 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 23:18
外はまだくもりのままである。夜になったので灰色は濃くなったが、くもりのまま変
わらない。
もう天気のことなど世界の誰も気に留めていないのだ。
「晴れ、くもり、雨、雪、風…他に何がある?えーと台風、嵐、竜巻…あ、虹とかい
いけど天気なのかな?」
「違うでしょ。でも虹はいいね。なんかテンション上がる」
「そだね。おし、じゃあ明日は虹にしよう。青空で虹ね」
「うん、やっちゃって」



程無く美貴は穏やかな寝息をたてはじめたが、ひとみはやはり眠れない。絡み付いた
低体温の腕をそっと剥がして、音を消す用意とともにテレビをつけた。画面にはもう
雑音まみれの砂嵐しか映らない。ざあざあざあ。
11 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 23:20

単調なくせに生き物のように蠢くモノトーン。
「…もう全部、虹で」
青白いモノトーンに照らされながらひとみは黄色のスイッチを押した。がしゃこん。
スイッチは大袈裟な音を立てる。余韻が消える頃には、夜は完全な「はれ」で囲まれ
ていた。

美貴も明日には元気になるだろうし桜だってもう少しなら咲いてくれるだろう。
全部が散る前に見に行かなくちゃ。



真っ暗になった部屋でひとみは一生懸命に眼を瞑り、深い呼吸を繰り返した。
美貴の呼吸に合わせてみたりもしたが、上手に眠れなかった。



12 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 23:21
13 名前:kkgg 投稿日:2007/04/25(水) 23:28
みきよしでした。
こんな感じで、アンリアルでファンタジー(?)な話が続きます。
どうぞよろしく。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/29(日) 16:12
kkggさんの新作キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
楽しみにしてます。
15 名前:kkgg 投稿日:2007/05/02(水) 23:41
>>14 キマシター!名前覚えて頂けるなんて光栄です。

続いて、ネタ的な短編です。
16 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:42
■追う魔の心像
17 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:42

早朝の渋谷に、無人の瞬間があるなんて誰が思うだろう。
騙されたと思いながら辿り着けば、そこは確かにeric、ただひとりだった。
出来るだけ自分の本質を見抜かれないように取り繕った特徴の無い格好でも、朝陽の下で立ち尽くしていれば目立つだろう、商談も夜の方が好ましかったが客が指定した時間を曲げるのも上手くない。更には、一度目の連絡で彼女が上客であるのを確信していたから一切の手筈は任せたままにした。
ericは右手を革製の鞄に突っ込んだままだ。
滅多に持って来ないAクラスのカタログを何度も指先で確かめる。
あるある、ちゃんとある。

ericはあまりこの仕事に向いていない。
「武器商人」は取扱品が特殊なので「駆け引き」が出来なければ客より先に命を落とす。
ericの場合、可愛らしい容姿が武器であり発言が軽妙さと虚言は術となったが、ずる賢さと同じだけ持っている人の良さが全くの無駄だった。
高価な武器を如何に多く、かつ当然のように売り付けるか?ルールは心得ていた。ただそれを追究し発展させるタイプではなく、本人もそれを十分に自覚していた。「やり過ぎない」が信条だった。
18 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:47



今日はいける…意気込むericは商談をまとめる自信とともに待っていた。
相手はお金持ちのお嬢様らしい。最も騙し易い人種だ。
自分の身長ほどもある錆びてくすんだ業務用のゴミ箱の間で、ericは緩い笑いを漏ら
した。早朝でなければ不審者として道行く人に避けられたに違いない。

「えーりーくー」

少女は、ericの姿を認めるとふわふわと手を振った。
白いワンピースで、漫画に出てくるような編み籠を下げてやってきた。日傘で空から
降りてきたと言われてもericはさして驚かなかっただろう。それほどに、景色に合わ
ない姿かたち。
19 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:48

高い足音に驚いた鼠が彼女の前に飛び出す、横切る。きゃー、と間延びした声が響い
た。
高い悲鳴にカラスがばさばさと飛び立つ、横切る。きゃー。
人が居なくても、にぎやかなものだ。
「こわーいこわーい」
端に避ける靴が朝陽を受けてぴかぴかと光った。
ericは自分の靴を見る。夜にしか履かないので気付きもしなかったが、見事に薄汚れ
ている。
「あのぉ…道重様ですか…?」
「さゆでいいの。えーりく」
「エリックです」
「本名?」
「まさかぁ。こういう仕事なんで」
「ですよねぇ」
ericはいよいよ本当の笑いを漏らした。今日は勝ちだ、がっぽり稼げる。
20 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:49



「うぇへへへっへへぇ」
さほど苦労することも無く目標価格を売り込んだericは緩い口元を何度も左手で閉め
た。念を入れて騙し討ちの用意もしていたが駆け引き以前の成功だった。

まさかあの編み籠に世界中の紙幣が束で詰められていたなんて誰が想像するだろう?
日本円もちゃんと有ったし、これで部長に怒られることもないだろう…何せ殆どの対
面を不機嫌で埋める上司だから、たまには褒めて貰わなければ…。
次から次へと巡る空想を連れて事務所に着いたericの机にはすでに「さゆ」からの新
たな依頼が届いていた。
既に業績を知っているはずの上司は相変わらず不機嫌そうに尋ねる。
21 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:50
「カメ、それどんな客?」
「天使みたいな女の子でした。ほわーん、て感じの。なかなか可愛かったです」
「なにそれ…誰かの『お使い』ってこと?でも天使とか悪魔だったら売っちゃダメだ
からね。後々、高くつくかもしれない」
「なに言ってるんですかぁ、例えですよ…変なこと言わないで下さい」
素早く次の待ち合わせの日を確認して、ericはスキップで事務所から逃げていった。
褒めて貰えるのは今日じゃないらしい。



その朝も次の朝も前の朝も同じ場所、同じ時間だった。
カラスがぎゃあぎゃあと騒いでいるのまで、まるで同じだった。
そしてericはニヤついている…いつものように。
22 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:51

支給された腕時計の長針が「1」を過ぎる頃に、さゆみは現れた。
「遅いじゃないですかぁ」
遅刻は命に関わる。会う必要が有るのなら早ければ早いほどいい…商品の開発は常に
行われているのだから。
商談の間にも鉄は溶け続けている。
「遅くないの。約束の時間通り」
「またまたぁ…」
さゆみがつい、と指差すericの腕時計の長針は「0」よりも前に有った。
「あれぇ…?」
「ふふ、えりっく勘違い」
違和感を覚えながらも仕事を優先して、ericは売り上げの一覧をさゆに手渡す。
「今回の売れ行きです」
「さゆが選んだのは売れた?」
「勿論。あーでもやっぱりガスが伸びてますねぇ…あっという間に品切れです」
「ガスは危険が多いから個人ではあんまり使わない…多いのが続くと怒られちゃう…
火器も出て欲しいなあ…」
「それは失礼しました、では本日ご注文を頂きましたら火器の販売ペースを上げまし
ょう」
「わーい、えりっくありがとう」
ericは会話に乗せてちゃんと商品を売り付けた。
23 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:51

さゆみの依頼は「売買」ではなかった。
「他者に売り付けてほしい」という少々変わったものだった。
カタログから「売れそう」なものを洗い出し、それらのぶんだけちゃんと支払う。
ericはそれらを「セール」などと上手い文句をつけて安く流す。間違いなく他所で安
く仕入れられるような品じゃない、商品は飛ぶように売れた。売れるたびに、商品の
発送先をさゆみに報告する。「報告は随時」、ここが重要らしい。商品の使われる場
所に、本来の仕事があるという。
ericは人が良いので、明らかに多いこの客の要求に気付かぬまま、律儀に仕事を続け
ていた。やり手の部長なら間違いなく手数料を吹っ掛けていただろう。

「じゃーねー」
「はーい失礼しまーす」
まるで放課後の学生のようにふたりは別れる。

一ヶ月分の売り上げとそう変わらない成果とともにericは朝の渋谷をスキップした。
頭の上で群れるカラスに手を振りながら。
ぎゃあぎゃあぎゃあ。
24 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:52



「所属先、聞いてきて」
慣れ切った商談の前夜、部長は仏頂面で言い放った。
ちなみに「仏頂面の部っ長〜」は、ericが部長にスルーされたシャレの中で最も気に
入っているシャレである。
「もしかして偽…」
「全て本物、偽札一切ナシ」
「…お客さんに深入りしないって言ってませんでした?」
「少しは掴んだ方が取れるでしょうが」
「うっそだぁ…ぜったい興味じゃん…」
「い、い、か、ら、聞けっ」
唇を尖らせたままericは返事をした。
ericはさゆみを気に入っていたし、さゆみとの関係をこれより深くしたくはなく、軽
くしたくもなかった。
25 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:53



すぐさま「ひみつ」とあっさりかわされてericは一瞬だけ頭を抱え、すぐさま質問を
変える。
それは仕事のためというより保身に近い。
「ど、どなたかに雇われてるんですか?」
「そう。えりっくと同じ」
ではやはり何処かしらの組織の?ericは続きを待った。
「さゆみ、あっちのお仕事はちゃんと出来なかったの」
あっちと言ってさゆみが見上げたのでericもつられて空を仰いだ。
数羽のカラスと眼が合う。今日の彼らは静かだ。話を聞くかのように首を傾げる。
「でも、こっちのお仕事は褒められたんだぁ」
こっちって?
さゆみが指した先をericは見逃した。
さゆみがそのまま編み籠から札束を取り出す様子を見せたので、そちらに意識を持っ
ていかれた。
さゆみは毎朝、籠を片手に軽やかに現れるが、中身を出す時は必ずと言っていいほど
「よいしょ」と勢いをつける。
ericは、これも見逃している。
26 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:54
「はぁ…でもえりっくとお仕事が出来て良かった」
「えっ」
ericはどきりとして頬を染めた。堂々たる勘違いで照れた。
「ぶちょうさんが来てたら、さゆ、きっと怒られてたもの」
「あぁ……あのひとはアレですよ、Sクラスしか扱わないから直接交渉とかしません
から。新兵器の流しなら世界的に見てもスゴイらしいです。外国だと『死神』って呼
ばれてるんですよ、シニガ…ま、いっか」
ericは堂々と不貞腐れる。言葉のように感情表現を偽れる日は遠い。
ちなみにericが言いかけた「シニガミキティ」は、ericが部長にマジ切れされたシャ
レの中で最も気に入っているシャレである。客の前で言ったら殺すと宣告されている
ので、口を噤んだ。
「えー!すごーい」
「すごいですよぉ、ericもそれは認めます」
「すごーい、さゆと一緒ー」
「ぇえ?」
さゆみは日傘をくるくる回した。
その姿があまりに可愛かったので、ericは考えるべき問題を忘れた。
27 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:55



さゆみとのやりとりをまとめた報告書を手に、部長は「あー」と呟いた。
「何があーですか」
「なるほどーの、あー」
「…」
「ノルマがあるんでしょ、あっちにも」
「…ぇえー?わかんない」
「考えろって」
ばさり、と返された紙束が机に落ちる。
「お金稼ぐのがこっちのお仕事、あっちが稼ぐのはお金じゃないだけで…」
「…やってることは同じってことですかぁ?」
「遅っ。しかも全部は意味判ってないでしょ。いいけど…またいいお客さん探してき
てね」
「さゆ相手なら俄然いけます!ほら、かなり上げましたし」
グラフはなだらかに上り、後に、横線になっている。
28 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:55
「やっぱり判ってなーい。よく見て、伸びたのは最初だけ。で、その後止まったまま。
こーかつ。この子、カメより頭の回転早い」
「まだわかんないですよ!これから…」
「伸びないから。あっちはノルマ達成見越したからもう無駄金使わない」
「…ええー」
「それに、カメは正体知っちゃったから『首』も切られちゃったりして」
少し照れながらの部長のシャレは、全く笑えなかった。



部長の読みは適確で、早朝の渋谷に呼び出されることは、二度と無かった。
29 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:56



ericが夜型の生活に戻り、数ヶ月が過ぎている。
靴はあの後、全力で綺麗にした。

ときおり、起きる必要の無い時間に眼の覚めることがある。
そういう時は大抵、時計が「0」と「1」の間で戸惑っているのだ。
ericはさゆみが近くにいる気がして少し喜ぶ。
殺伐とした日々の中でさゆみのことを思い出すと簡単に幸せになれるので、やっぱり
天使かもしれないと思ったりもする。
都会の真ん中から足音が消える時間にだけ現れるなんてロマンチックじゃないかと決
めつけても、いる。
30 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:57
人の気配を消すのは誰なのか?
結論はあまり面白くも無さそうなのでericは問わない。
深入りは褒められない。
仕事に感情は要らない。
さゆみは天使じゃない。
そもそも「やり過ぎない」がericの信条だった。だから考えない。
ともだちになれたかも、などという甘い期待は夜明けの夢だ。
鞄の中に詰まっているのはいつだって、Cクラスの薄っぺらいカタログとノルマに届
かないささやかな儲けのみ。

ずる賢くて人の良いericは、あまり武器商人に向いていない。



31 名前: 投稿日:2007/05/02(水) 23:58


32 名前:kkgg 投稿日:2007/05/03(木) 00:00
さゆえりでした。いちばんはじめ改行忘れ…。
33 名前:百色図鑑 投稿日:2007/05/10(木) 23:12
■1
34 名前:1 投稿日:2007/05/10(木) 23:15
誕生日でも記念日でもないのに郵便受けには束の手紙が有った。宛先は無い。
ここにはもうひとりしかいないのだからこれは自分に宛てられたものだろう。
手で渡せば済むものなのに何故、彼女は手紙を書いたのだろう。

一枚目から数枚はちゃんと手紙として成立していた。

「こんにちは」「お元気ですか」「毎日さむいです」

百枚近く有ったかもしれない。
白紙のほうが多くなっていちばん最後には「またね」の一行がぶっきらぼうに書かれ
ていた。
白い紙に、黒い文字。
35 名前:1 投稿日:2007/05/10(木) 23:17


絵画教室は古いマンションの一角にあった。
石色の壁の一方は駐車場に面し、もう一方は車道側、建物の正面だ。派手な色に塗ら
れた柵とコンクリートの塀、その向こうには小さな庭がある。
庭の正面には出入り口として使われている窓があり、上半分が画用紙で飾られていた。
「ハッピーかいがきょうしつ」と踊る文字は、お世辞にもセンスが良いとは言い難い。
一階のベランダは取り払われていて、後付けらしいコンクリートの階段が庭と部屋を
繋げている。二階のベランダが屋根代わりといったところか。
駐車場側に地味な玄関があり、表札には「吉澤」とある。
拡げられた庭と一階を除けば、ごく普通のマンションだ。



夏の間だけここに通うことを決めた里沙は、暑さに項垂(うなだ)れて日陰の机にへ
ばりついていた。「奥のアトリエ」と呼ばれるこの部屋は自然光の殆どを遮っている
から他の部屋よりも比較的、涼しい。
36 名前:1 投稿日:2007/05/10(木) 23:20
彼女はバイトするでもなく、絵画を習うわけでもなく、ただの「お手伝い」を買って
出てここにいる。長期休みを打ち遣って思い出作りに励むために。理由は現実逃避な
どのありがちな理由にしておけばいい。とりあえず、自らを取り巻く空気を異質なも
のにしようとして、ここにいる。



午後から子どものクラスがある。
時計を見、画材を用意しようと部屋を出た途端、湿っぽい空気がまとわりつく。
「うぇー…」里沙は低く呟いた。クーラーは壊れていて動かない。
倉庫とされている部屋から画用紙とクレヨンを抱えられるだけ抱えて「表のアトリエ」
に出ると、この部屋の持ち主である梨華が、低い机を並べはじめていた。
旧式の扇風機がからから鳴っている。
37 名前:1 投稿日:2007/05/10(木) 23:23
「石川さん、今日クレヨンでいいですよね?」
「うん、ありがと。ごめんね、暑いよね、来週には新しいエアコン来るから」
「いえいえ全然大丈夫ですよー」
里沙は否定したが、彼女の後ろから突如現れたもうひとりの住人は、そうしなかった。
「あつい」足で倉庫のドアを開けて一言放つと里沙の手から画用紙を取り、席に並べ
出す。「あーづーいーよーりかちゃーん!」
「はいはい、来週まで我慢してね。窓開けたら?」
「ミキティ、何処にいたの?」
「倉庫の奥で寝てた」
汗で首筋に貼り付いたネックレスを直しながら美貴は思い切り入口の窓を開けた。そ
ばに梨華の眼が有るので今度はちゃんと手で開けた。

部屋中を涼風が走り抜ける。
里沙は慌てて、机の上の画用紙を押さえた。
38 名前:1 投稿日:2007/05/10(木) 23:24
39 名前:kkgg 投稿日:2007/05/10(木) 23:27
というわけで表題作、りかみき+ガキさん、はじめました。続き物になります。
40 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/11(金) 02:56
なんだか面白そうですね。
続きを楽しみにしています。
41 名前:kkgg 投稿日:2007/05/16(水) 23:44
>>40 ありがとうございます 色々工夫しながら進めてみます
42 名前:百色図鑑 投稿日:2007/05/16(水) 23:44
■2
43 名前:2 投稿日:2007/05/16(水) 23:45
「最近は にじが4色くらいに見えます。ちいさい時はもっと たくさんでした」



今日は水曜日なのに黒板の縦に書かれた日付と曜日が昨日のままなので、里沙は椅子
に乗って書き換える。梨華が変え忘れるのは珍しい、なにか意図があってのことだろ
うか。

教室には「子どもクラス」と「大人クラス」が有るだけで、かつては受験クラスもあっ
たというのを里沙が知るのはずっと先になる。
子どもたちは時間よりも早く集まり遊び出す。走り回って、大騒ぎし、疲れて机の上
で眠り、時に転ぶ。保護者たちの半分は子どもの制作を隣で手伝い、半分は庭で世間
話に花を咲かせる。
44 名前:2 投稿日:2007/05/16(水) 23:46
制作の強要はしないと言う梨華は、絵を描く子どもの指導し、美貴は絵を描かない子
どもと遊ぶ。勿論それは面倒を見るという意味で、遊び場になる駐車場ではいつでも
車道を背にしている。
飛び込んだ異世界に慣れた頃から、里沙は梨華と美貴の正反対の性格を観察するよう
になった。捉え方も表し方も正反対で、どちらも自身とは異なり、学校の友人たちと
も違う。知る度に疑問が増え、過ごすほどに納得していく過程は、大好きな学校とそ
う変わらない。
里沙は、手伝う上なら梨華の真似をしたいと考えたが、あいにく絵画の知識も技術も
持ち合わせていなかった。はじめの頃にそれを告げたら「とりあえず褒めて」と梨華
は笑った。
45 名前:2 投稿日:2007/05/16(水) 23:47



教室の有った日の夜は反省会になる。反省会とは名ばかりで、保護者たちの持ち寄っ
た菓子の残り物を食べながらの雑談が主になる。蒸し暑い夜を団扇とビールで追い払
えば気分はそれなりに良くなる。網戸の向こうでは虫の声が響いて、静かだ。
「美貴ちゃん、お外はどうだった?」
「名前なんだっけ…忘れちゃったけど、男の子が転んだ」
「ケガした?」
「打っただけ。おかーさん来てたから言っといた」
「泣かなかったんだ」
「泣いても痛いの治んないよって言ったら頷いてた」
「えええ!?」
おとなしく会話を聞いていた里沙だがさすがに黙っていられなかった。
「それでいいですかぁ?石川さん」
「ケガがなければいいよ」
「えええ」
46 名前:2 投稿日:2007/05/16(水) 23:47
梨華は続ける。
「今日はりんごを描きました。画用紙に沢山描けるかな?って感じで」
「なんで沢山描くんですか?」
「よくぞ聞いてくれました!新垣さん、一個めと十個めって、全然違うんだよ」
里沙が掴めないという顔をしたのだろう、梨華は付け加えた。
「同じ物に見えても、同じ物はないの」
「同じじゃないって気付くのをぉ『感じる』って言うんだよぉー」
美貴が梨華の真似をする。ちょっともう!と怒る梨華は美貴の真似そのままだ。
「はぁ…難しいですね」
「ちょっとね。でも子どもも、りんごの絵なら判ってくれるの。新垣さんはどうだっ
た?女の子たち見ててくれてたでしょ」
「はぁ…えーと、…特に何もなかったですね…ちゃんと描いてました」
47 名前:2 投稿日:2007/05/16(水) 23:48
「何も無かった?」
美貴が缶ビールを机に打ち付けた。見開いた眼は里沙のほうへ、そして梨華のほうへ
流れる。
「梨華ちゃん梨華ちゃん聞きましたか」
「聞きましたよ美貴ちゃん。若い子がこんなことじゃいけませんね」
「ね!」
酔いが回ってきた美貴が梨華にしなだれ掛かってにやにやしている。
教室の開いている時間は勿論、それ以外のときもあまり話さない美貴が夜になると能
弁になる。アルコールのせいか、それとも夜行性か、里沙は時々考えるが、そもそも
ここの主である梨華はともかくとして美貴はその存在すら謎のままだ。
「ガキさぁん、なんにもないってぇのはいけないんだよ。悪くはないけど、良くない
の。わかる?わかんない?」
「はぁ…」
気の無い返事は流される。じゅうだいなのにとか、かんじゅせいがどうとか里沙の同
意を一切求めずに、ふたりは話し続けていた。
里沙の握りしめていたコップの中で溶けた氷がからんと崩れ、烏龍茶の奥に落ちた。
48 名前:2 投稿日:2007/05/16(水) 23:49



翌朝、里沙が教室に行くと、梨華ではなく美貴が待ち受けていた。
彼女は部屋の端にある子どもたちのおもちゃをしまった衣装ケースの上によく座って
いる。今日も同じ場所で膝を抱えていた。違和感が有るのは時間が早いせいだろう。
里沙のイメージでは、朝を背景に在るのは梨華で、夕暮れを背景に在るのが美貴だ。
「おはよ」
「ミキティが鍵開けてくれたの?」
「うん。早く起きちゃった。へへ」
昨夜の含み笑いが残っているので嘘に違いない。
用が済んだら彼女たちの住居である二階に戻るつもりなのか、美貴は部屋着のままだ。
「ありがとう」
「ガキさん、いつもこんな早くに来るの?」
「早いかな。早いですか」
「うん。あと三十分くらい遅く来て」
「…なんかまずい?」
「まずくないけど…梨華ちゃんが寝坊出来るじゃん」
「寝坊?石川さんもしかして今日…」
「違うよ」
美貴はまた、にひひと笑った。
49 名前:2 投稿日:2007/05/16(水) 23:49
里沙はいつものように掃除をはじめた。これも彼女の「お手伝い」のひとつで、誰に
頼まれたものでもない。美貴は手伝う素振りを全く見せない。
まずは黒板、と里沙は椅子を引き摺って乗っかった。
「あ、石川さん、また変え忘れてる…」
「また?」
「うん、昨日も忘れてた…ね、今日何曜日だっけ」
「水曜日!」
「す、い、よ、う、び…と…あれ?水曜日」
「うん、水曜日!今日は何か有るといいね」
「え?」
「じゃ美貴、二度寝するから」
「え、ええ?ちょっ…」
嬉しそうに、軽やかに、去って行く美貴の背を眼で追って、バランスを崩す。
里沙は「あっ」と声をあげて背中から床に転がった。彼女の身体は軽かった。

「…」

天井に腕時計をかざせばそこに答えが表示されていた。
里沙の水曜日がはじまる。
50 名前:2 投稿日:2007/05/16(水) 23:50


ミキティは石川さんに朝のことを話しただろうか。

里沙は一連の行いを恥ずかしく思って、ふたりの目線ばかり気にしていた。
落ちてくる汗を拭いながら子どもクラスの用意をする。真面目なので、手はちゃんと
動いている。
梨華は机の次に椅子を並べ、倉庫から現れた美貴はクレヨンを並べはじめていた。
旧式の扇風機がからから鳴り、窓から入った風が部屋中を走り抜ける。

里沙は級友の言葉を思い出していた。ファッション雑誌を取り囲んでいたときの何気
ない会話だったのに、里沙の心に重く残っている。
「あたしたちのことをちゃんと見てるひとなんて、いないよ」
華美な服装を望む仲間たちへの冗談だったはずだ。何故あの時「この子はもう大人な
んだ」と感じたのか、里沙には判らない。周囲の眼を気にせずに生き続けるのは子ど
もだけで、彼女たちはもう、子どもじゃないが、大人になれるわけでもなかった。
自分を取り繕うのに必死になるのが正しいのか否か、問うには若く、幼かった。
51 名前:2 投稿日:2007/05/16(水) 23:52

「ガキさん、何かヘンだよね、梨華ちゃん」
「そお?暑いから?」
「違います、ヘンじゃないですよ、暑さも大丈夫です…ただ」
「ただ?」
「今日、水曜日かなあって…」
梨華と美貴は顔を見合わせる。やっぱりと言わんばかりに。
「水曜日だよねー」
ふたりが見事に声を揃えて、綺麗な和音を生み出した。

ふたつの音、ふたりのひと、ふたつの水曜日。

里沙は、つきまとう暑さに抗いながら、異世界の出来事を十二色のクレヨンのように
上手に整理しようと試みる。
けれど思考は湿度と熱に溶けていく。
ドロドロと石鹸のようにもろく消えるうちに、子どもたちの気配が届く。

ああ、もう夏かぁ。
里沙はひとり呟いた。
52 名前:2 投稿日:2007/05/16(水) 23:52
53 名前:百色図鑑 投稿日:2007/05/25(金) 21:40
■3
54 名前:3 投稿日:2007/05/25(金) 21:40
鍵を無くした扉の奥で、硝子棚に並んだ果物のレプリカや鳥の剥製に囲まれて、少女
はひとり写真を眺めていた。
暗がりの本棚に並ぶ二十冊近くのアルバムの群れを左の壁側から読み進めており、今
は左から三冊めのところが空いていた。表紙に通し番号などは一切表記されていない。
持ち主がそれを望まない。
数字を重ねてゆけば、それだけ遠ざかる。

彼女が見る限り、写っているのは最初から最後まで雪山だった。
どうやって撮ったのか、崖の下の方から見上げたものもある。撮影者の素手が映って
いるのも不自然だった。登山の経験こそないが、険しい雪山を行くのに軽装はおかし
いと彼女は思う。
55 名前:3 投稿日:2007/05/25(金) 21:41
彼女の指が画の上を過ぎる。
同化してしまいそうな白と白が西日で暖色に染まる。注視せずともそれは透けている。
どのアルバムにも最後のページには手紙が貼り付けてある。これは決まりのようだ。
一冊めにも二冊めにもあった。
そっけない便箋、便箋と呼ぶのも躊躇われるような紙。

「太陽の光はまぶしいので白く見えますがよく見ると少しだけ黄色いようにも思えま
す。雪におおわれた山は真っ白ですが影の部分は抜けた青のように感じます。
だから日光と雪山のぶつかるところならみつかるんじゃないかと、考えたわけです。
かほう混色です。これはかなり近付いた」
56 名前:3 投稿日:2007/05/25(金) 21:43
撮影した誰かの探し物はまだ続いているのだろう。本棚に並ぶ背表紙がそれを証明し
ている。あの中の手紙にも同じことが記されているのかと思うと少女は哀れみすら感
じた。短い一生の中で夢を叶えると言えば聞こえが良いだろうが、夢と欲との違いに
大きな違いは無いような気もしていた。夢半ばにして散ったせいもある。重ねた時間
を確かめればごく自然な考え方のはずだ…。
扉の向こうに人の気配を感じて、少女はすぐさまアルバムを閉じると本棚に戻した。
気配を殺し、隅に隠れる。隠れずとも良いのに癖で隠れる。しかし待っても侵入者は
現れない。またひとりに戻るのを確認して、彼女は四冊めのアルバムを手にした。
写真には少女の知らない国の早朝らしい様子が撮られていた。長い人影が曲がって這
い上がる住居の壁は白塗りの石で出来ていた。
57 名前:3 投稿日:2007/05/25(金) 21:43
「本物は絶対に自然のものだと信じてる。でもこれを見て人工物もありかなと思った。
可視光線を全部(それかたくさん)反射するならそれは白ってことだけど、全部や絶
対って自然にはあり得ない気もする。どっちだろう???」

最後のページには手紙が貼り付けてある。
これは決まりだ。
58 名前:3 投稿日:2007/05/25(金) 21:44
59 名前:kkgg 投稿日:2007/05/25(金) 21:46
六月は休筆させて頂きます。その後より、再開いたします。
60 名前:名無し飼育さん。 投稿日:2007/06/10(日) 02:15
6月が終わるのを楽しみにしています!!
作者さんのペースで頑張ってください
61 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/08/19(日) 03:21
続きを待ちます。
62 名前:百色図鑑 投稿日:2007/08/22(水) 20:20
■4
63 名前:4 投稿日:2007/08/22(水) 20:22
求めるものは好悪で選ぶのが理想的で与えられるものを好悪でとらえると辛いのを、
いつの日に学んだのか、少女たちは覚えていない。それと気付いた頃には、幼さを
失った喪失感だけだけを握りしめる。
選択できることは自由を与えられているのと等しいことではなく、自由を数で制限
している誰かがいることに気付いた日はなんとなく覚えているが、覚えていること
で生活が好転したと感じた記憶は見付からない。
64 名前:4 投稿日:2007/08/22(水) 20:22
出会いと別れ、模試の答え、ふたりだけの約束、将来や進路、未来と名付けた不透
明、どれだって選択肢の数しかないのに、世界はなんて広いのだろう。世界の中の
小さな一点で、美貴は息苦しくなる。
「ここにいるかいなくなるかは、自分で決めればいいんだよ」
かつて(確か、二十歳の誕生日の日に)梨華がそう言ったので、美貴は今「ここ」
にいた。
隣にいる里沙も同じだ。ただ美貴とは違い、「夏休み」という明々とした条件を携
えて、笑っている。

いつか選択を間違える日が来る。
それを怯えて暮らすほど美貴の神経はか細くないが、それが来る日はこの温かい人
間に囲まれていないほうが好ましい気がしている。
アトリエに色濃く落ちる夏の影に埋もれて、湿度に溺れた美貴の眼がどろりと泳い
だ。
65 名前:4 投稿日:2007/08/22(水) 20:22



「絵の具と違って、光は加法混色です。加えられているのは明るさです。明るさが
加えられてるから『加』法混色です」
梨華は大真面目に講義している。
黒板にチョークを叩き付ける音が、蝉の声に負けじとアトリエに響く。
午後の時間の「大人クラス」は主婦ばかりで多くても七、八人。彼らはいわゆる
「雑学」を好むので、制作に入る前に少しだけ講義をしたほうがやる気になると、
梨華は考えていた。
「そして絵の具の色は減法混色です」

「…梨華ちゃんの説明うざいなぁ」
美貴と里沙はアトリエのいちばん後ろで冷えた壁に背中をべったりつけたまま床に
座り込む。美貴は、脚を投げ出して爪先をぐらぐらと横に揺らし、講義のたびにこ
う言った。
66 名前:4 投稿日:2007/08/22(水) 20:23
「うざーい」
襟元のネックレスに指を絡ませる。金色の細工が太陽光をはね返してちかちか眩し
い。
「んーでも美術の授業より判りやすいよ」
里沙は講義内容をノートに書き取りながら答えた。
「とか言ってガキさん美術とか真面目にやってんの」
「やってるよぉ…まあ、やるべき時は」
「じゃあ手ェ抜いてるときもあるんだ」
「え、あ、うーん…手抜きはしないけど…」
「ん」
一瞬の沈黙に里沙のほうを見遣れば、ノートに落ちる里沙の真っ直ぐな視線が返さ
れた。青空を切る白球の、放物線のように迷いない眼。その真っ直ぐさが、美貴に
は鬱陶しい。
「出来るだけ必要ないことはしない」
「あーそれはいいわ。梨華ちゃんに教えてやりたい」
「ミキティはひとの心配してないで自分の心配して下さい」
「えー」
美貴は無理矢理、里沙のノートを取り上げた。里沙の静止を無視して流し読む。

「光が加わって色になる」

67 名前:4 投稿日:2007/08/22(水) 20:24
美貴は笑った。
感受性に難ありと笑ったのは少し前の夜だっけ、どうやらそうではないようだ。
だが里沙はあまり勉強が出来ないのかもしれない。要点をまるで理解出来ていない
し、書き留めておく情報としてこの一行はよろしくない。
「…これはこれでいい、か」
「え、なになにミキティ」
「なんでもない」
ただ、かつて梨華から貰った言葉を思い出しただけだ、と言いかけて飲み込む。
彼女が子どもを辞めた後も勉強するか否かは、彼女自身が決めることだ。
「多分そういうことかな。…ガキさん、勉強好き?」
「なぁにー突然。っていうかノート返して下さぁい」
「はいはい…なんかさ、さっきとかぶるけど、勉強とか学校とか面倒じゃない?美
 貴、ちゃんと続かなかった」
「んーそだね、ちょっとね」
「え?意外」
てっきり、そんなわけないよ!という答えを待っていたのに。
少女の横顔はまた真っ直ぐに澱みのなく、遥か遠くを見ていた。
68 名前:4 投稿日:2007/08/22(水) 20:25



美貴は床の冷たい場所を探して少し移動すると、唐突に切り出した。
「ガキさん、倉庫に幽霊がいるんだけどさあ、今度捕まえに行こうよ」
「ええ!?なになに幽霊?嘘ォ…でも嫌、そういうの苦手」
「大丈夫、美貴も怖いのダメだから」
「ますます駄目じゃーん!石川さんに頼めばいいのに」
「梨華ちゃん、幽霊のことにあんまり触れたがらないんだよねぇ。なんか知ってる
 のかな」
「…行きません」
「じゃあ明日の午後イチで。はい決まり」
69 名前:4 投稿日:2007/08/22(水) 20:25
早過ぎたかもしれない。
冬でも、良かったのかもしれない。

抱えた膝と横眼で覗く空は青く、夏が、これでもかと照っている。耳には蝉の声が
響き、油絵の具の独特の匂いが鼻につく。いつのまにか実技の時間がはじまってい
た。隣にいた里沙も今はもう梨華の手伝いをしている。
物語のように穏やかな光景だった。
夏の太陽が演出する高いコントラストに囲まれて、彼女たちは美しかった。
とりわけ、梨華の手に握られている偽物の林檎の鈍い赤が眼を引いて、美貴は、り
んごになりたいと思いさえした。
70 名前:4 投稿日:2007/08/22(水) 20:26
71 名前:作者 投稿日:2007/08/22(水) 20:29
>>60-61 お待たせしました 遅くなってごめんなさいいい
72 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 21:49
お帰りなさい!待ってましたよ!
作者さんのペースでこれからも頑張って下さい。楽しみにしてます
73 名前:百色図鑑 投稿日:2007/09/23(日) 22:27
■5f
74 名前:5 投稿日:2007/09/23(日) 22:29
受け取ったその日のうちに写真を並べ、最後のページに手紙を貼って、ずっと奥へし
まい込む。ずっとずっと奥へ奥へ。心の奥のほうへ。
通し番号は打たない。番号が増えるほどに落胆し、期待するから。

「海の波、ほんの一秒は白いけど、白くはないです。青くもないよね。最近思い出し
たんだけど、私が探しているのは白じゃなくて、白い場所じゃなくて、真っ白な雪が
降っているところだったような気がします。おかしいな。よく思い出せません。
日本は今、夏ですか。もうすぐ冬になりますか。冬になるなら帰ります」

いちばん新しい手紙は、写真とともに、夏の終わりを届けた。



「ミキティって何者なんですか?」
子どもたちの絵を乾燥棚から取り出しながら里沙は尋ねた。梨華は答えを探しつつ名
簿の束を揃えると、そのうち一枚を取り出して日付を加える。
「何者って…?」
「石川さんはここの先生でしょ、ミキティは…いそーろーとか?」
「ああ…うーん、なんだろう?…捨て猫みたいな」
「捨て猫?」
「うん。拾ったの。集めたらコレと一緒にしておいて下さい」
「…はい」
75 名前:5 投稿日:2007/09/23(日) 22:30

里沙は自分より一回り大きい乾燥棚をガラガラと壁際まで押していく。外をのぞくと、
庭の朝顔に水を遣る美貴がいる。夕暮れ時になると美貴は元気になる。やっぱり夜行
性だ。ガソリンは安いアルコールで、ご機嫌だ。
「全く、石川さん、嘘ばっかり」
「ホントだよー。あのね、ここって、前の人が突然消えちゃったから、一時期閉まっ
てたのね。でもまた開けて欲しいって言われて、あたし必死で絵の勉強したの。それ
でも家賃払わなきゃいけないし、生活もあるからコンビニでバイトしてたの」
「…」
「で、コンビニの前で拾ったの、美貴ちゃん」
「ちょ…いやあの、そこを詳しくお願いします」
里沙は無意識に転ぶアクションを挟む。
「詳しくは判らないけど…誰かと待ち合わせしてたのかなあ、昼間からずーっとコン
ビニの前に立ってたの。店長にはほっとけって言われたけどそうもいかなくて。帰り
に何してるの?って聞いたら無視されて。すっごい感じ悪くて。他にも色々、聞いて
いるうちにうざがられ…」
「そこは飛ばして下さい」
76 名前:5 投稿日:2007/09/23(日) 22:32
「…えーと、おうちは?って聞いたら帰っていいか判らないって言ったの。じゃあ、
あたしんち広いから、おいでって。」
「し、知らない人なのに?」
「だから捨て猫みたいだって言ったじゃない」
「それはそうですけど…不用心ですね」
「そお?」
水遣りを終えた美貴は庭の奥の池にいる亀と遊んでいた。捨てられた小さい緑亀。

「いつから一緒に住んでるんですか」
「えーと…二年?美貴ちゃんの誕生日よりも前だからおととしの暮れかな…ネックレ
スしてるでしょ、あれ、最初の誕生日にあげたやつ」
「いつもしてますよね。イニシャルの」
「律儀というか…首輪だと思ってるのかしら」
「えー冗談でもやめてくださいよー石川さーん」
いつの間にか外でひとり遊んでいる美貴は消えていた。二階に帰ったようだ。
77 名前:5 投稿日:2007/09/23(日) 22:32



電灯を消して戸締まりを終えて夜の庭に降りる。
都会の建物に支えられた夜空に、月と星はない。
「忘れ物ない?」
「はい」

「石川さんって変わってますね。絵画教室を救って、ミキティを助けて…すごいです」
「そう?すごいかどうか…ただ、何もしないで後悔するくらいなら、思いつく限りや
るだけ」
「普通、そんなことできないんです。考えるだけで」
「うん?」
「私もどうしたら家族がちゃんと家族になるか散々考えたけど、思いつきだけじゃ、
なんにもならなかった」
「…」
「…」
78 名前:5 投稿日:2007/09/23(日) 22:33
「家族…新垣さんて、今、実家なんだっけ」
「はい。九月からバラバラになりますけど、今は家族みんなで暮らしてます」
「…そっか」
「夏休みだからって家にいたら、泣いて暮らしそうで。逃げて来ちゃいました…置い
てくれてありがとうございます」
「とっても助かってるよ。夏は忙しいし、同居人はあの様子…聞いた?明日は幽霊捕
まえる、って」
「…」
「…」
「…」
「ちょっと、なに泣いてるの」
「…えーやだなあ、泣いてませんよー」
「…」
「泣いてませんって…」
「…」
趣味の悪い柵の留め金に手を添えたまま、梨華はしゃくり上げるのを聞いていた。
泣き止むのを待ってやる、それ以上のことは出来なかった。
79 名前:5 投稿日:2007/09/23(日) 22:34
80 名前:作者 投稿日:2007/09/23(日) 22:36
>>72 ただいま!ありがとうございますーのんびり&ちゃんと続けますー
81 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/23(火) 04:53
ガキさん……

ミキティのキャラが期待を持たせてくれますね
82 名前:百色図鑑 投稿日:2007/10/28(日) 16:21
■5r
83 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:23
幽霊狩りの日になった。
隠された秘密は漏れていて、「知ってるよ」と言えない子どもは、芝居を仕組んだ。



風が強い。

マンションの一階に到着した里沙の視界がすっと暗くなる。見上げれば厚い雲が空を
覆った。灰色と空色が斑に合わさり、禍々しささえ感じさせる。土が湿気をはらむ匂
いがして、雨の予感を連れて来る。
「…」
84 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:23
雨だと口にすればきっと雨になるだろう。
絵画教室を今日まで営めたのは、その名前が「ハッピー」だからだ、言霊(ことだま)
には力はある、という梨華の思想が真実なら、「言葉」の通りに時間が進む。尊敬す
る梨華を半分だけ信じて、里沙は口を噤んだ。
雨が続けば夏は冷え、過ぎれば秋になるだろう。秋になれば、日常の世界に戻らなくて
はいけない。
「もうちょっと待って」
誰に届くわけでもなく。
「まだまだ暑い夏で…夏が、続きます、暑いです、夏ですから…」
彼女の瞳はきらきらしていたが、昨日の涙のせいで瞼が少し腫れていた。



85 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:25
「はいおはよう」
教室の真ん中で仁王立ちする美貴の手にはデジタルカメラが吊る下がっていた。
「ミキティ…捕まえるって、それで?写真撮るってこと?」
「んん!その通り」
「美貴ちゃん臆病なんだからやめなさいって。幽霊なんていないよ?」
箒を片手に梨華が止める。
「はいはい元・理系のひとは信じてくれなくてもいーです。でももうやるって決めち
ゃったの。梨華ちゃんも行こうよ、ね、一階に降りて来たってことは付き合うつもり
なんでしょ」
強引に梨華を引っ張って、美貴は奥の倉庫へ向かう。
幽霊狩りの目的が何かも知らずに、里沙が後から追い掛けた。
86 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:26
倉庫はアトリエと引き戸で繋がった奥のアトリエの更に奥、錠の壊れた扉の向こうだ。
画材やモチーフをしまってあるのだから日頃から出入りしているはずなのに、倉庫は
暗いように思われた。
古い嵌め戸から入る空の光も曇天のせいか重く、蛍光灯があるものの天井まで組まれ
た棚のせいで場所に寄っては真っ暗に見える。
子どもクラスにも大人クラスにも使われない珍しいモチーフ、例えば石膏像のシルエ
ットが、不気味さをいっそう引き立てる。無知こそ、恐怖を生み出す。

一歩進む度に美貴はシャッターを押した。闇雲に押すので、明るくなるたびに歪んだ
影が点滅のように壁に貼り付いた。カシャ。カシャ。カシャ。シャッターの擬音は止
まらない。
87 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:27
「…私たちが使ってるのって、入口の近くだけなんですね…」
「そうそう…使わないものは奥にしまってそのまま…」
「そ、そのまま整理をさぼってんの、梨華ちゃんが」
それは美貴ちゃんも一緒でしょ、とグチが聞こえたが里沙はあえて拾わない。
「ね、ミキティ、この前どこで寝てたの?」
「えー?…忘れた。それより幽霊どこー、出てこいよー」
「って、いちばん後ろで言うセリフじゃないからー」
無理矢理先頭に立たされた里沙が懐中電灯を片手に愚痴る。



88 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:28
「…『幽霊』って、ジャンル分けが単純で嫌ぁ」
幽霊と称された少女は、探検隊が侵入してきた時からずっと彼らの側にいた。
彼らの意図を汲むのなら今日は隠れる必要も有るまい。しかし残念ながら探検隊に霊
感の持ち主はいないようで少女の存在に気付く様子がない。少女は三人を丹念に観察
し、今後の展開を推し量ろうとした。
「いちばん前の子…誰?知らない。まだ子どもみたい。次の人は…図鑑を作ってしま
ってる人。うしろにいるのは、図鑑を読みに来る人…」
少女は先回りして暗い本棚に移る。図鑑と読んだ白のアルバムの陰に。
「あーあ、なんだか揉め事になりそうな予感」
89 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:29
ストロボが近付いて来る。
「ミキティ、なんか写った?」
「全然。全っ然、写んないんだけど」
「なんの仲介も無しに写るわけないの」
少女は会話に参加しているが勿論誰にも聞こえない。ときどき先頭の「誰か」と眼が
合うが見えてはいないだろう。年齢的に感覚が澄んでいるだけに違いない。
少女は思う。
「作る人」も「読む人」もいつだって必ずひとりで来る。そして辺りを十分に見回し、
気配を殺して訪れる。きっとその行いは「秘密」なのだと彼女は思う。透明の自分だ
けが知る秘密。
今日はひとりじゃなくてふたり、いや三人が来る。嫌な予感がする。
長く闇にいるうちに、感覚が時間と空間に同調していた。床も壁も天井も、ろくなこ
とにはならないぞ、と言っている。
「結構、お気に入りなのに…」
少女は外に出ることもなく長くこの地に居るが、最近の「ここ」は好ましいと思って
いる。
90 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:30
かつてのように大きな飛行機が火事を落としていく事もないし、泥棒や飢えた子ども
がこっそり住み込むようなことは無くなった。何度か建て替えもありはしたが今や雨
も漏らなくなったし鼠も通わない。住む人間もいつの間にか皆が同じ一族にまとまっ
ていた。そのうち絵の具の匂いが立ち込めるようになり、何年かして生徒らしき声が
集うようになった。
長居のせいか少女はその殆どを確とは覚えていないが、漠然と「昔より良くなった」、
と今を気に入っていた。住人の暮らしは穏やかで、笑い声がたえない。

その時だった。
探検隊の先頭の少女が、白の注ぎ込まれたアルバムの群れを指差したのは。
91 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:31

「これ、なんですか?」
里沙がそれを見つけた時の地上の二人と、もうひとりの表情は、この上なく複雑で、
この倉庫の採光のように鈍く重々しかった。
美貴は上手く進んだ計画になんの満足感も得ず、すぐさま「何も知らない」顔をつく
る。
梨華は判りきっていた成り行きに、諦めとも覚悟とも取れる笑みを漏らす。
そして「幽霊」は落胆した。
彼女の感覚なら、決められた運命を引き寄せるのは容易だろうと思ったがあまりにも
早く、それに悪態をつきたくなる。「もう!」その瞬間、青ざめた先頭の「誰か」が
振り向いた。
その視線の、差し込む朝陽のような真っ直ぐさに、幽霊は一瞬だけひるむ。



92 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:31
重苦しい沈黙を破ったのはそれを「作っている」梨華だった。
「…これはね、よっちゃんからの手紙」
「よっちゃん…ですか?」
「そ。表札あるでしょう、『吉澤』さんの。昨日話した通り、この絵画教室は私の開
いたものではなくて『吉澤』さんのものだから。吉澤さんは旅に出てて、ときどき手
紙をくれる」
「へえ…そうなんだ…」
里沙は素直に驚いた。まさか絵画教室の入口と最奥に、そんな事実があるなんて、気
付きもしなかった。反対に、隣の美貴は心をえぐられるほどに判っていた。判ってい
たのに、演ずるはずの声は暗いまま、上手く感情を隠せずに梨華に問う。
「ね、梨華ちゃん」
「なあに?」
「『吉澤』さんはいつ帰ってくるの」
「…さあ。今更帰って来られても、困るなあ」
「嘘」美貴が小さく呟いた。「ずっと待ってるんでしょ。だから手紙が来ても隠して…」
「うわっひゃあああっ」
93 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:32
突然、里沙が悲鳴を上げた。悲鳴というには色気の欠けた頓狂な声。それは「幽霊」
が彼女への接触を選んだせいだった。
「もーダメダメダメ!やっぱりダメ!ダメなのーっ!」
透明の少女は里沙の頬を引っ張り、次いで美貴の肩に触れ、梨華の顔を手で覆った。
「なに!?なになになにー!?」
梨華が箒を振り回す。
「ちょっ!危なッ…」
「うぉおー!?なんか、ほっぺ、ほっぺが引っ張られて…うぇっ」
「きゃーぁあああー美貴ちゃん写真写真、写真撮って逃げよう!」
「無ー理ーッ」
大騒ぎの面々を無視して見えない少女は暴れた。
「やっぱり気付いちゃダメ、今のままでいいの!みーんな、ここにいればいいの!何
も見ないで、聞かないで!出てってー!」



94 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:33
悪趣味な柵も夕暮れに染まり赤い。雨は止んでいる。
倉庫の幽霊に追い出された探検隊は、絵画教室入口の階段に並んで座っていた。柵の
向こうは、毎日の繰り返しを終わらせようと帰宅する歩行者しかいない。教室の前を
通り過ぎる子どもが彼女たちを珍しそうに見、突然、叫んだ。ハッピー!
「…」
誰も何も答えられなかったが、、言霊が少しばかりの笑顔を連れてきた。
空気が和らいだせいだろうかおもむろに梨華が話し出す。
「幽霊、いたね」
「いたでしょ。言ったじゃん。でも写真は撮れてない…ちぇ」
「そう…」
「…」
「…」
95 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:34
「…」
「…」
「…ねぇ美貴ちゃん、手紙のこと、知ってたんだ」
「うん」
「…」
「だから美貴も書いたの、たくさん。束になる程」
「あの手紙…」
「代わりってわけじゃないけど、なんか、なんかさー、なんとかしたくて。梨華ちゃ
ん寂しそうだったし」
「…」
「だって梨華ちゃんが嘘なんてつくから。帰って来たら困るとか嘘でしょ」
「…」
「梨華ちゃんに嘘つかせるとかすげーな『吉澤』!みたいな」
「…」
「…なんかさー…ねえ。だから怖くなっちゃった」

赤い空が濃紺に飲まれていくのに寂しさを感じて里沙は半袖の両腕を抱えた。
額の汗はとうに乾いていて、時折強く吹き付ける風が前髪を揺らす。一瞬走るこれは
秋の匂いだろうか?そんなはずはない。今は夏休みの只中なのに。
96 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:35
「梨華ちゃん。八月がもうすぐ終わるね。秋が来て、冬になるね」

里沙は腕の力を強めた。
安堵の在り処が壊れようとしているのに気付かないふりをしながら。
行かないで。もう少しここにいて。
行かないでと口にすれば言霊が叶うかもしれない。けれど里沙は黙っていた。言霊は
里沙の唇に宿らない。喉の奥で乾いた音がなるばかりだ。
どうして?
どうして?
どうして?
隣の梨華と美貴が、穏やかに笑っているだろうと思うと、心が張り裂けそうだった。
97 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:36
風が強い。

まだまだ暑い夏で…夏が、続きます、暑いです、夏ですから…。
少女の声は、誰に届くわけでもない。



「秋になると 冬がいいなと思います 寒いから好きです あと雪がふるのもいい」


98 名前:5 投稿日:2007/10/28(日) 16:36
99 名前:作者 投稿日:2007/10/28(日) 16:41
>>81 基本的にフリーダムな子なので、いま頭にある設定とラストが変わらないように気をつけたいと思います…
100 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/29(月) 23:25
僕はそんなフリーダムなところが好き
101 名前:百色図鑑 投稿日:2007/12/06(木) 22:16
■6
102 名前:6 投稿日:2007/12/06(木) 22:17
スツールにかけた里沙は天井まで届く棚の前で圧倒されていた。
残念ながら、上方の在庫は調べられそうもない。
「百色くらいある?…いや、もっとあるね、百色以上」



時間は少し前に遡る。
美貴は部屋の暗みしか記録していない写真を机に並べていた。
なかなか真剣なその様子を見、まさか幽霊に関しては本気だったのかしらと里沙は気
の毒になり、隣に並んで探してしまった。買い立てのクーラーのおかげでアトリエは
涼しい。汗の落ちる理由について里沙は気まずさのせいだと決めつけこそしなかった
が、ふたりの時間が好転する様子も無いのでついに尋ねた。
103 名前:6 投稿日:2007/12/06(木) 22:18
「…あの、今日石川さんは」
「時間になれば来るよ。ちょっと風邪っぽい」
答える美貴も鼻を鳴らしたがこれはいつもの鼻炎のようだ。
「大人はいいとしても、明日の子どものクラスだとまずいよね、うつったら…」
「その場合は美貴が先生やるのかな?めんど」
「そっか、風邪うつるよりはまし?」
「全然フォローになってないんだけど。…うん、写真もういいや、終わり。回収して」
「はいはい、…ってミキティもやって下さい」
「もう飽きた」
「ちょっとー」

ひとつ舌打ちして美貴は濃紺の写真を集める。襟元がきらりと光ったので里沙は抱い
ている問いの続きを放ってしまった。そこにどんな事情が有れど悪意の含まれない好
奇心には関われない。
104 名前:6 投稿日:2007/12/06(木) 22:18
「石川さんがくれたんだってねぇ、それ」
「…梨華ちゃんが言ったの?」
「うん、くびわ…いやいや『誕生日にのプレゼント』って」
迷い猫の目印だというジョークを使いこなすのは避けた。
「…うざ」
「なーんでぇ、いいじゃない、イニシャルのわざわざ探してくれたんでしょう」
「イニシャルじゃないよ、エムだけ小文字じゃん」
「そうなの?」
「なんだっけ…フェルなんとかって」
「…フェルなんとか?」
「うん。調べたらなんか難しくて意味わかんなくて…忘れた」
「ええー大事なことじゃないの?」
「これは大事だけど、意味とかどうでもいい」
105 名前:6 投稿日:2007/12/06(木) 22:19
教室が始まるまであと三十分、梨華が降りて来る気配はない。美貴は渋々、掃除をは
じめた。どうすべきか迷う里沙に気付いて、更に面倒そうだ。
「ガキさんさ、画材の在庫見てくれる?今日発注の日だ、忘れてた」
「え、やったことない。何をチェックすればいいの?」
「筆とかパレットなんかはすぐには減らないから…水彩とアクリルと油彩の大きいチ
ューブの、残り少ないの調べて」
「オッケーイ。ねえねえ、実はミキティって意外と仕事わかってる?」
「うっさい早く行って」
「はいはい」
里沙はスキップで出て行った。


冷風が届かないせい上に窓が近くに無いため、画材特有の匂いが漂う。学校の美術室
にはこの匂いがない。そもそも画材などがあまり必要とされない。
押し並んだチューブはみな同じ灰色の蓋だった。フチがギザギザの柔らかいプラスチ
ック。学校で配られる二十四色は選ばれた色であるのもこのアトリエで知った。あか
いろやあおいろ、きいろはいつも同じ箱の中にいる。
106 名前:6 投稿日:2007/12/06(木) 22:19
里沙は作業を進めながら、ふと、ふたつに分かれる家族について思いを巡らせた。何
度も繰り返された問いに答える者はいない。そもそも問い自体が、良くない。嫌いな
試験でさえ答えは用意されているのに。
どうしてひとつの家族として選ばれたのに、ふたつに分かれるのだろう。
選ばれた?誰に?
選んだのは誰かで分かれることを決めたのは「お父さん」と「お母さん」だ。
それとも『選んだ』人がやり直しにしたのかもしれない。

どちらにしろ、里沙の力はどこにも加わっていない。

クリムソンレーキや プルシャンブルー、カドミウムイエローはなかなか絵の具セット
に入っていない。決まりでもあるのだろうか。
107 名前:6 投稿日:2007/12/06(木) 22:20
名前の長さじゃないよね?まじまじと見遣ったカドミウムイエローのチューブには
「危険、取扱注意」の文字。丁寧なことに朱色のバツ印まで重ねてある。
まるでミキティだと里沙は笑う。
危険じゃないけどなんだか危なっかしくて鮮やか。ああ、でも、赤かもしれない。赤
が似合いそう。…ううん、もっと暗い色かも、鮮やかじゃなくて暗い、深い青とか?
やっぱり、ミキティってよくわかんないな。昨日のことを考えたらダークなところも
あるから黒とも言えるし。…石川さんは、白かな。あ、油のチタニウムホワイトは残
り少ない、チェックチェック。白は光の色。なんだっけ、げんぽうこんしょく?光が
加わって色になる。もしミキティが黒でも石川さんが白なら色になるのか。色になれ
るならそれは赤でも青でも黄色でもなんでも綺麗に違いない。
ここに並ぶ絵の具はどれも綺麗だもの。

「カドミウムイエローは綺麗でしょ。危ないだけど」
108 名前:6 投稿日:2007/12/06(木) 22:21
「カドミウムイエローは綺麗でしょ。危ないだけど」
不意に現れた梨華に、里沙は大袈裟に驚いてみせた。
「あ、おはようございます!危ないんですか?これ」
「天然の鉱物に使ってるからね…カドミウムは毒性が強いからあんまり一般向けじゃ
ないの。でも、だからこそ鮮やか。値段も高い」
「はあ…」
「一般的な『イエロー』は人工の色。天然の色には劣る」
「…さすがですね」
「知識だけは、ね。あたし実は『危険物』って好きなの、ふふ」
「きけんぶつ…ミキティとか?」
「そうそう。新垣さんもなかなか言うんだね」
「す、すいません、言い過ぎました。あの、風邪は大丈夫ですか」
「お薬飲んでるから楽になったけど、治ってはないと思う」
「私、在庫のチェックやっておきますから表で座ってて下さい」
「そうする。ありがと」
去ってゆく梨華の背中に夏の日差しが走った。一瞬の出来事だった。
109 名前:6 投稿日:2007/12/06(木) 22:22
それが里沙の心を捕らえて離さないのは、彼女のうしろでさざめく百色もの絵の具が、
彼女のイメージを増長させたせいかもしれない。それはいわば、彼女が筆を手にする
べき瞬間だった。
「やっぱり、光だぁ…」
白は光の色。
光が加わって色になる。

里沙の思考は再びぐるぐると動き出した。

どうしてひとつとして選ばれたのに、ふたつに分かれるのだろう?

選ばれた?誰に?

選んだのは私の知らない『誰か』。
「違う、石川さん。ミキティを家族にした石川さん」
分かれることを決めたのも『誰か』。
「違う、ミキティ」
ふたりとも、私じゃない誰か。それなのに胸は痛む。まただ。

またこの力はどこにも加わっていない。
里沙は両の手を結んで、開いた。いかにも非力な細い指が並んでいる。
110 名前:6 投稿日:2007/12/06(木) 22:22

「私が子どもだから?」
そう言うと、子どもは黙ってなさいと叱られた。
夏休みは遊びなさい、子どものうちに、と先生は笑った。
夏休みは絶望するためにあるように思うんです、そんな言葉を飲み込んだ。
でも。
里沙の夏休みを悲しみが占めることはなかった。
非日常への逃避、その選択は間違っていなかった。このアトリエのおかげだと里沙
は思う。だからこそ、二人を家族のように眺め小さな胸を痛める。
また双手を宙に投げたまま家族の崩壊を見るのか?、本当の家族に比べたらまだ痛
くはない。今はまだ、今度はまだ間に合う。立ち上がって歩いていく力が有る。
「それならいっそ…」
白は光の色。
光が加わって色になる。
光だけではいけない。
それは限りなく無色なのだから。
111 名前:6 投稿日:2007/12/06(木) 22:23



スツールの上に立ち上がり、里沙は天井まで届く棚の前で決意を固める。
上方の在庫は調べられそうもないが、見る限り足りない物は無い。色彩に満ち満ちて
いる。
「私はどの色も綺麗だと思うから」
絵の具に向かって里沙は叫んだ。



このアトリエに少女を導いたのは、おそらく彼女が「選ばれた?誰に?」と探し求め
た彼の人である。だが、今後の里沙は問いはしないだろう。
今はもう、答えを追うよりすぐれたやり方を、その小さな手のひらに掴んでいる。
112 名前:6 投稿日:2007/12/06(木) 22:24
113 名前:作者 投稿日:2007/12/06(木) 22:27
前回からすいぶんと間があいてしまった…
>>100 僕も僕もー
114 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/10(月) 11:26
更新嬉しいです!! 
がきさんはもちろん美貴ちゃんの深いところとかも気になります。 
続き楽しみにしてまし。

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