君とタンデム
- 1 名前:安曇 投稿日:2006/03/10(金) 21:40
- 初めまして。安曇と申します。
駄文&遅筆ですが、よろしければお付き合いくださいませ。
小高、田亀メインになると思われ。気が向けば色々。
- 2 名前:安曇 投稿日:2006/03/10(金) 21:41
- まずは小高、アンリアルで。
「水中花」
- 3 名前:安曇 投稿日:2006/03/10(金) 21:43
-
澄み渡る群青色の上で、白銀の月が輝く。
浮かぶというより、夜空を真円に抜いているように思える月が、ほろほろと淡い光を零していた。
薄ら明るい月明かりの下、プールサイドへとてけてけ歩く。
スタート台の脇にいつもの姿を見つけて、思わず口元が緩んだ。
麻琴が制服姿のまま、のんびりと体を伸ばしている。白いワイシャツが月明かりによく映えた。
その背中にどう声をかけようかと少し考える。
しかし愛が何かを言う前に、麻琴が肩越しに振り返った。
ぱっと、笑顔が咲く。
「ねっ。晴れたでしょっ」
待てが上手に出来た犬のような顔をしてたので、思わず笑ってしまった。
「ほやね。こんなに晴れるとは思わんかった」
「あたしの天気予報は当たるんだぞーぅ」
勝ち誇らんばかりにふんぞり返る麻琴を、「調子乗んな」と睨みつけておく。
彼女は自分の脇腹に手をかけた。ホックが外れ、すとんとチェックのスカートが落ちた。
ワイシャツにハーフパンツという、いつもの珍妙な格好。
- 4 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:44
-
「綺麗な月だなー」
一度空を振り仰ぐと、麻琴はそのままプールに向かって飛んだ。
大きな音と共に水飛沫が上がる。愛の素足にも名残が跳ねてきた。
「マコトぉー」
潜水している麻琴に、非難の声は届かない。
プールの中ほどまで進んだところで、澄んだ水底から金髪がすぅっと浮き上がる。
水から顔だけを出すと、ぶはっと息をついた。
ぶるぶると首を振って水を飛ばす姿は、やはり犬を思わせる。
「マコトは犬みたいやね」
「んー。よく言われるねぇ」
「やっぱみんなそう思うんや」
麻琴は犬のような子だ。
従順で人懐こく、でも決して、自分からは寄って来ないような子犬。
水に濡れた金髪をタオルでがしがし拭いてやりたい、とぼんやり思った。
「そうなのかなぁ? 愛ちゃんはなんて言われる?」
投げ返された質問に、愛は口を閉ざす。
しばし黙考し、やがてつぶやいた。
- 5 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:45
-
「何も言われん」
「えぇ? そうなの? 何かあるでしょー。サルっぽいとか、ネコっぽいとか」
「何も。強いて言うなら、優等生、かの」
「へぇ……」
それは愛が必死で築き上げてきた、真摯なイメージ。
自ら望んで作り上げた、『高橋愛』という虚像。
麻琴と出会うまで、それが真実だと信じていた。いや、今だって愛は信じている。
しかし、欲しいもの全てを手に入れようと努力を重ねた結果、空虚が生まれてしまったのも、事実。
麻琴は黙り込んでしまった愛を見ながら、小さく唸っている。
現在こうして話している愛の姿と、校内での愛の姿のギャップを量っているのかもしれない。
うんうん唸る麻琴を見て、愛は小さく笑った。
「マコトは、どう思う?」
「え?」
「あーしのこと、どう思う?」
麻琴はきょとんとしていた。
その顔がまた犬のようで、思わず口元が緩む。
それに吊られたかのように、彼女は薄く笑う。
「愛ちゃんはね、こんな感じ」
- 6 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:46
- そういうと、濡れた手で水面を指差す。
水中は暗いが、驚くほど澄んでいる。その表面に空から零れた月明かりが反射していた。
白い指先から水が滴って、水面を小さな波紋が揺らした。そこに映る光もたゆたう。
それを一瞥して、愛はきゅっと眉根を寄せる。
麻琴はぼんやりと笑い、指差した手で水を掻いた。
水鏡に映った月は、溶けて形をなくしてしまっている。
「そんなおっかねー顔しないでくださいよ」
「おっかなくなんかないわ」
「愛ちゃん、こわーい」
麻琴は笑いながら、こちらに背を向けてのんびりと泳ぎだす。
ゆっくりと遠ざかっていく麻琴。
その背中を見つめていると、知らずこぶしに力が入った。
- 7 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:47
-
麻琴は欲しがらない。
本当は欲しいのに、初めから諦めてしまっている。
- 8 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:48
- プールサイドに腰掛けて、指先を少しだけプールに浸してみる。
若干温くも感じられるけど、初夏の蒸し暑さがやわらぐ程度には気持ちよかった。
触れたところから波紋が広がって、少し離れた場所で漂っている金髪を揺らす。
ぼんやりと空を見上げて浮かぶ麻琴は、まるで金色の花のようだ。
今度は爪先でプールを撫でる。
ぷかぷか揺れる金の花びら。
麻琴は振り向かない。
むかついて水面を蹴り飛ばす。飛沫はきらきら弧を描いて、麻琴の肩に落ちた。
麻琴は白い指先で、その雫をそっと払う。
肩越しに一瞬だけ愛を見た彼女と、視線がかち合う。
ちらりとこちらを窺う、その瞳。
叱られた子犬が物陰から上目遣いに見上げてくるのを思わせる、その表情。
金の糸が翻って、麻琴は泳ぎ始めた。
「……ふん」
鼻を鳴らし、立ち上がった。
気に食わない。
清々しい程に冴え渡る空とか、白磁器のような月とか、それを映すプールとか、
そこで泳ぐ麻琴とか、彼女の態度とか。
とにかく、色々と気に食わない。
- 9 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:49
-
おもむろにスカートに手をかけ、指を捻りホックを外す。スカートは愛の足元へ、まっすぐ静かに落ちた。
麻琴はロマンチストで、欲しがらない。
だけど、愛はリアリストで、欲張りだった。
だから、躊躇うことなくプールに飛び込んだ。
突き破るような大きな音とともに、その世界に沈み込む。
水の中はゆったりと重くて、それでいて奇妙に暖かい。
揺らめく視界の向こう側に、麻琴の白い足を見つけた。
わずか数メートル先が闇のように澄んでいるのに、金髪みたいに光っていた。
潜水しながら近づいていくと、自分の呼吸と心臓の鼓動が、耳の内側でやけに響いた。
- 10 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:49
-
彼女はいつも、暗く澄み渡ったこの世界で、自分の音を聞いているんだ。
夜空と、水面に映る月をを見ながら、ぷかぷか浮かんでいるんだ。
漠然と、そう思った。
- 11 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:50
-
白い足が、プールの底を蹴った。
あ、逃げる。
慌てて浮上すると、水の上から叫んだ。
「こらー! 逃げんなー!」
ばしゃばしゃと足をばたつかせて離れていく麻琴。
いきなりのことで驚いているのか、うまく泳げていない。
愛は大きく息を吸うと、また水中に沈む。ぐっと蹴伸びをして、水を掻き分けていく。
あぁ、この感覚だ。愛は思う。
マコト。貴方はきっと、こんな感じ。
麻琴はしっちゃかめっちゃかに泳ぎながら、プールサイドに手をかけた。
しかしその瞬間、愛の手が麻琴の肩を掴む。
体を縮こまらせて、おっかなびっくりこちらを窺った。
息を切らせつつ、顔をしかめる。
「もう逃がさん」
「……」
麻琴の目は泳いでいた。
愛の剣幕に押されているのか徐々に後退し、プールの側面に背中をつけてしまう。
逃げられないように、彼女の両脇に手をついた。
鼻先が触れ合うくらいまでぐっと詰め寄る。瞳の奥に明確な動揺が走ったのを、愛は見逃さない。
- 12 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:52
-
麻琴はぼんやりと微笑んで、愛から視線を外した。
いっぱいにまで引き絞った弓矢のような、笑い方。
その微笑みは、ぎりぎり。
「えーと……シャツ濡れちゃったね?」
「マコト」
「もー、愛ちゃんてば、ちゃんと替えのシャツ持ってる?」
「マコト」
「ジャージでよければ貸そうか? あ、でもおうちの人に怒られちゃうかな?」
「マコト」
静かに名前を呼び続ける。
三回呼んだ。
それでもダメなら、何回でも。
「マコト」
四回目に呼んだ時、麻琴の表情が翳る。
「マコト」
五回目に呼んだ時、麻琴は泣きそうだった。
震える口元を一生懸命動かして、言葉を紡ぐ。
- 13 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:52
-
「ダメダよ……愛ちゃん……」
「マコト。大丈夫。ダメやない」
「欲しがっちゃ、ダメなんだよぉ……」
タレ目がちな瞳から、きらきら光る涙がはちきれんばかりに溢れる。
「マコト」
麻琴の目尻に口付けて、零れそうな雫を吸い取った。
プールの味がした。
反対の目元にも口を寄せたが間に合わず、涙が一筋、麻琴の頬を流れていく。
麻琴は目を伏せて、震えていた。
涙を追うように、愛はその頬に口付ける。
「マコ」
八回目は、呼びきることが出来なかった。
愛の唇を、麻琴の口が塞いでいた。
麻琴は泣きながらキスをした。技術も何もない、がむしゃらな接吻をした。
愛は麻琴の体をしっとり包み込んで、そのキスを受け止める。
ただ母親の乳房をねだる子犬のようなキスを、静かな感慨とともに交わしていた。
- 14 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:53
-
愛は麻琴が求めるだけ与えた。
麻琴は愛から与えられるだけ欲した。
どれくらい唇を合わせていたかは、二人ともわからない。
やがてお互い示し合わせたように、唇を離す。
一度視線を交わしてから、静かに抱き合った。
麻琴のすべらかな肌の質感を、その頬に感じる。
彼女の涙は、もう乾いているらしい。麻琴の顔は見えない。
ちゃぷ、と水面が鳴る。麻琴が愛の茶髪を手で梳いていた。
「あーし、優等生やめるわ」
髪をに触れる麻琴の指を想いながら、つぶやく。
彼女は「うん」とだけ言った。
麻琴の金髪に手を伸ばす。麻琴がしてくれているように、愛はその金髪に指を通した。
「やから、マコトも」
「ん?」
「ちょっとずつでえぇから。手ぇ伸ばそ?」
「……うん」
「怖いこと、なんもないから」
「……うん」
「や、ちょっとはあるかも知らんけど。あーしがついとるがし」
「……うん」
指の隙間で、金糸がきらきら。
綺麗だ、と心の底から思う。
お互いの髪をゆっくりと撫でながら、ひらひらと降り注ぐ月光を感じる。
- 15 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:53
-
「……愛ちゃーん」
「ん?」
「……後で、髪の毛、拭いて?」
途切れ途切れの、麻琴のつぶやき。
答える代わりに、愛は麻琴の頭をわしわしと撫でる。
麻琴は大きな声で笑ってくれたので。
愛も鼻の頭にをくしゃっとしわを寄せて、笑った。
月を見ても、プールを見ても。
もう腹は立たなかった。
- 16 名前:水中花 投稿日:2006/03/10(金) 21:54
-
「水中花」
- 17 名前:安曇 投稿日:2006/03/10(金) 21:55
-
お目汚し、失礼致しやした。汗。
とりあえず、逃げます。
- 18 名前:安曇 投稿日:2006/03/11(土) 12:41
- 懲りずに更新。
カップリングとは呼べないでしょうが、よしみきです。
「イヴ」
- 19 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:42
-
ねぇ、来世って信じてる――?
- 20 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:42
-
かつかつかつ。
人と人の間を縫うように響く、ブーツの踵。プラットホームにその音が反響して気持ちがいい。
まるでミシンのようだ、と藤本は思う。かつかつかつ。足取りは重くも軽くもなかった。
- 21 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:43
-
春先の日差しは柔らかい。でも正午前の風は、少し冷たい。
肩口で茶髪を揺らす微風に、藤本は首をすくめた。ピアスが擦れてちゃり、と鳴った。
耳で受け取る周囲の音だけに注意を傾けるなら、ここはただ閑散としている駅のホームだ。
辺りはしんと静まり返り、誰もいない早朝の街角を思わせる凪の世界。
だけど実際はそれなりに人がいて、黄色い線の内側でそれなりに列を成している。
誰もが背を丸めて、口を閉ざしていた。まるで重たい空気を両肩に背負っているよう。
時折交わす一言二言にさえ、多くが頼りない答えや空笑い。
妙にちぐはぐな感覚が胸骨の内側につっかかる。人の数と音の量が釣り合っていない。
どこを切り取っても、悲愴感がのっぺりと塗りつけられていた。
- 22 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:43
-
トレンチコートをはためかせて、藤本は人の隙間をするすると抜けてゆく。
かつかつかつ。小気味よく響くリズム。何と何を縫い合わせているのだろう。
人が少ない一番前の辺りまでたどり着くと、彼女は背後を仰いだ。
天井から吊られている電光掲示板と腕時計を見比べる。
次の電車が来るまで、まだ三十分ほどの余裕があった。
ため息一つ吐き、辺りを見回す。
いくつかの路線と交わっているこの総合駅に、普段の賑わいはなかった。
すぐそこに、有名なコーヒーショップの看板も見えるのに。コンコース内には、大手百貨店への通用口もあるというのに。
人は、たくさん並んでいるのに。
- 23 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:43
-
耳元を掠めた冷たい風に、襟元を掻き合わせる。真っ青に晴れた空が、何だか寒々しく感じられた。
寒がり故身震いしていると、携帯電話が震えているのに気づく。
慌てて手をポケットに突っ込んで携帯を引っ張り出した。
ディスプレイを見て、藤本は眉根を寄せる。藤本の予想とはまったく違う人からの着信。
若干首を傾け、断続的に呼び出し続ける携帯を見つめる。
出ないことには始まらないので、藤本は通話ボタンを押して、電話を耳に当てた。
「もしもし?」
「おっす。よしざーです」
「や、わかってるから……何、どうしたの?」
「前見てみ、前」
「はぁ?」
「はぁとか言わないで、前見てみなって」
訝しみつつ、顔を上げる。
ホームを一つ挟んだ向こう側で、見慣れたシルエットが控えめに手を振っていた。
- 24 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:44
-
藤本は口元を緩ませて、口を開いた。
「何してんの?」
「何って、ミキティとおんなじだよ」
「そっか。そうだよね」
「もー大変。朝っぱらからキンキン声で起こされちゃってさぁ」
顔はよく見えなかったが、うんざりとため息をつく様子が、電話口からでも伝わってきた。
小さく笑うと、吉澤も笑う。
- 25 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:44
-
「家の人には、電話した?」
トーンダウンした、吉澤の声。
そういえば彼女は実家暮らしだった、と頭の片隅で思い出した。
見えはしないかもしれないが、小さく頷く。
「昨日。あと今朝も電話した」
「ママティ怒ってた?」
「や、ママティとか意味わかんないですよね」
「ミキティのお母さんだか」
「説明しなくていいから」
「お母さん、何て言ってた?」
「別に」
「別にって……何も言われなかったん?」
「うん」
「あっさりしてんだなぁ」
「だって、美貴のママだもん」
「ママテ」
「それはもういいですから」
ぽんぽんと飛び交う、言葉のボール。ブーツの踵の音にも似ている。
変わらないやり取りに、胸の内側が少しだけ軽くなる。
遠目だからわからないけれど、きっと吉澤は口の端を吊り上げているだろう。
だから藤本も負けずに、口角を引き締めた。
よくわからないところで負けず嫌いになっても、仕方がないのだけれど。
- 26 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:45
-
両親とは、きちんと話をしたつもりだ。きっとそれは吉澤も同じだろう。
だから二人とも、この駅にいるのだ。
藤本は自宅の最寄り駅から乗り継いで、乗りなれた私鉄の下りのホームに立っている。
吉澤は実家の最寄り駅から乗り継いで、乗りなれた国鉄の上りのホームに立っている。
つまりは、そういうこと。
- 27 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:46
-
ホームの先頭にいると、たくさんのものが目に付く。
別の路線から発車した終電とか、隣の人が読んでいる新聞の一面とか、一時間毎のダイヤ表示とか。
回り続ける腕時計の秒針とか、自分の茶色いブーツとか、手の中の携帯とか。
数刻黙っている間に、藤本は色々なものを見つけた。
「前さぁ」
見えない糸を手繰るように、藤本は口を開いた。
「前さぁ、何かで言ったんだけどさ……美貴が男だったら、よっちゃんさんを彼女にしたかった」
お互いの顔は、確認できない距離だったが。
藤本は吉澤の瞳を、まっすぐに見つめていた。
吉澤が頷いた、ように見えた。
「あたしも、男だったらミキティを彼女にしたかったね」
「うん」
途切れるものと、繋がっていくもの。
- 28 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:47
-
「でも、美貴たち女だしね」
吐き捨てるような、それでいて、優しく受け止めるような声だった。
吉澤は、笑う。
「ミキティのそういうとこ、好きだよ」
「うん」
耳朶に響くハスキーヴォイスが心地よくて、思わず鼻の奥がつんとなる。
指で鼻頭を強く押さえて、その感覚を抑える。
その様子を見て吉澤が笑いながら茶化してくるので、無理矢理口元を引き結んだ。
「ばーか」
藤本は、負けず嫌いだ。
- 29 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:48
- 五番線、電車が参ります、ご注意ください。
他愛無い会話の最中、機械的なアナウンスが響く。
ホーム後方を見やると、電車が構内に走りこんでくるところだった。
「電車、来たね」
電話越しに届く、吉澤の声。
これで最後かと思うと、背骨の内側が重い。
それでも列車は耳に障る甲高い音を鳴らせつつ、ゆっくりと藤本の前までやってくる。
「もしさあ」
唐突な吉澤の言葉。
- 30 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:48
-
「え?」
「もし来世であたしが男だったら、ミキティと付き合ってやってもいいよ」
二人の間に列車が割り込み止まった時、吉澤が言った。
吉澤の顔は、見なくても想像できる。藤本の頭の中で、鮮明に浮かび上がる。
呼吸に似た音を吐き出しながら、列車の扉が開く。
それに乗り込みながら、藤本も言ってやった。
「美貴も来世で男だったら、よっちゃんさんとなら考えてやってもいい」
藤本は負けず嫌いだ。だから、口の端を吊り上げる。
吉澤が声を上げて笑う。車内にいる藤本の耳にも、吉澤の笑い声が届いた。
目頭が熱くなったけれど、今度は抑えなかった。
ブーツの踵を、一つだけ鳴らした。
- 31 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:50
-
何かを大きく吐き出して、扉が閉まる。がたんと一つ揺れると、列車が動き出した。
「おーけぃ、おっけ。まつーらによろしく言っといて」
「おっけー。よっちゃんさんも、梨華ちゃんと仲良くね」
「おぅ。またね、ミキティ」
「うん。またね、よっちゃんさん」
静かに挨拶を交わし、あっさりと通話を切る。窓の向こうを見ると、吉澤のいるホームが随分と遠くなっていた。
携帯電話を胸に抱き、窓に頭を寄せる。
またね、という言葉に違和感を覚えなかった。そんな自分が少しおかしくて、小さく笑う。
小さくなった総合駅を見つめながら、目的地に着いたら真っ先に電話しよう、と思った。
吉澤ではなく、愛する人に。
最後の発信は、彼女へ向けて。
- 32 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:51
-
最後の着信があなたで、よかった。
ありがとう。
声には出さずに口の中で、その言葉を転がす。
藤本は、どこまでいっても負けず嫌いだった。
- 33 名前:イヴ 投稿日:2006/03/11(土) 12:52
-
「イヴ」
- 34 名前:安曇 投稿日:2006/03/11(土) 12:53
- 読み辛い……汗。
お目汚し失礼致しやした。
- 35 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/11(土) 23:10
- 独特な雰囲気がいいですね…。
何度も読み返してしまいたくなります。
- 36 名前:名無飼育 投稿日:2006/03/12(日) 21:50
- 作者様の文才に脱帽…
いや、おおげさじゃなく、マジで。
両方とも好きなカプだったのでなおさら。
次回も期待しています。
- 37 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/13(月) 13:49
- 素晴らしすぎて泣きたい…
本気でそう思えます。
好きすぎて。
次回も必ず読みます。
- 38 名前:安曇 投稿日:2006/03/16(木) 07:58
- 作者です。
まさかお褒めの言葉を頂けるとは思ってなかったので、とても嬉しいです。
≫35
そう思って頂けるだけで光栄です!ありがとうございます。
解り辛い世界ですみません。汗。精進します。
≫36
お褒め頂きありがとうございます!
我が家のよしみきは、概ねこういうドライな方向ですw。
≫37
勿体無いお言葉! ありがとうございます。
その言葉でだいぶ救われます。
皆様のご期待に沿えるかどうかはわかりませんが、精進したいと思います。
- 39 名前:安曇 投稿日:2006/03/16(木) 08:02
- さて、今回は田亀です。
思い立って書いた物なので、ちょっと荒いです。
よろしければお付き合いくださいませ。
「虹色」
- 40 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:03
-
大きく息を吸い込んで、そっと口をつけた。
ゆっくり、ゆっくりと溜めた息を吹き込んでいく。低く口笛を吹くように、息を注ぎ込む。
たくさんの想いを練りこみながら、壊さないように、静かに、静かに。
数多の複雑な空気を腹いっぱいに蓄えたそれは、シンプルに丸い。
七色に輝いて、綺麗に丸い。
- 41 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:04
- 「れーな」
切り離す時が肝心だ、とれいなは思う。
乱暴に扱えば、すぐに割れてしまうだろう。
かといって、これ以上息を吹き続ければ、泡のごとく弾けることが目に見えている。
「れーなぁ」
今までの中で一番の、会心の出来栄え。
無事に飛び立って欲しい。これが親心というものなのかもしれない。
緊張で支える指先が震えてしまう。
じっとりと汗まで掻きながら、全神経を右手、そして唇に集中させる。
「れーなってば」
何度も繰り返し続けて、ようやくコツを掴みかけている。
手応えを感じるのだ。いや、この場合は息応えと言うべきか。
いやいや。もはや、そんなことはどうでもよかった。
胸中で練った呼吸を吹き込みつつ、今か今かとタイミングを計る。
視線の先で、それが大きく煌いた。
支点の先を、たおやかに揺らす。
その時、願いを込めた。
- 42 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:06
- 「れーな!」
「……あ」
シャボン玉がストローから離れる瞬間、後ろから肩を大きく揺さぶられた。
敢え無く、呆気なく割れてしまったシャボン玉。
一時呆けるも、勢い良く振り返り、れいなは加害者を睨みつけた。
「何すっとね!?もうちょっとで一番でっかいの飛ばせたのに!」
「はぁ? れーなが返事しないのが悪いんでしょ?」
れいなの一世一代の傑作を破壊した彼女は、眉根を寄せていても笑っているような顔をしていた。
両端がキュッと吊りあがった唇を尖らせる彼女。
「絵里が何回も呼んでるのに」
「そんなん聞こえんかったよ」
「えー。れーな耳遠いー」
「集中しとっただけやん。あーあ、絵里のせいでやる気無くしたー!」
れいなは大袈裟にのけぞった。窓の桟に背をもたれて、雲ひとつない空を見上げる。
当たり前だけれど、シャボン玉は飛んでいない。
突き抜ける蒼空が、やたらと広く見えた。
- 43 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:07
- と、握っていたシャボン液のボトルを奪われる。
ボトルのピンク色が残像を残して、絵里の手に収まった。
「あ、こら、返しんしゃい」
慌てて体を起こしてボトルをひったくる。
絵里が意地悪く口の端を吊り上げた。
「シャボン玉なんて、れーな、子供っぽーい」
そのにやけ顔が無性にむかついたけれど、れいなは喉もとまでせり上がって来た言葉を飲み込む。
緑色のストローをボトルに乱暴に突っ込んだ。
ふらっと立ち寄ったコンビニで見つけた、シャボン玉のセット。
ジュースを買うだけだったのに、ふと気づくと手にとって会計を済ませていた。
幼い衝動だったことは、自覚している。
それでも、ピンクとエメラルドグリーンのコントラストが、目に付いて離れなかった。
- 44 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:08
- ボトルのキャップを手で弄ぶ。
「よかやろ。ちょっとやりたくなっただけっちゃ」
黄色い蓋。ピンク色のボトル。緑色のストロー。
三原色に近い配色が目に痛い。
「別に悪くないけどさ」
懐かしいよね、と絵里は目を細める。
ゆるゆるに溶けてしまったアイスクリームのような、それでいて柔らかい正午の日差しを思わせる笑い方。
絵里の微笑みはオレンジ色だと、となんとなく思った。
原色には出せない、優しい風合い。
れいなはまだ、それに馴染めない。
心地よい甘ったるさの中に足を踏み入れても、今はまだ溺れてしまうだけ。
- 45 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:09
- なんとなく居心地が悪くなる。
窓から空を見上げる振りをして、絵里に背を向けた。
絵里はれいなの隣に並ぶ。
れいなの承諾も得ずに、さもそれが当然であるかのように、並ぶ。
「いーい風だなー」
微妙なイントネーションが、絶妙なバランスの原色を掻き乱す。
初夏の風に彼女の茶髪が揺れる様子を、れいなは手に取るように感じていた。
れいなの胸中で、甘ったるいものがとぐろを巻いている。
「んで。何?」
「え?」
「何か用があったとやろ?」
「あぁ、そうそう。忘れてた。ちょっとトラブっちゃったみたいで、20分押しでーす」
「やったねー」なんて言いながら、絵里はピースサインをれいなに突き出してきた。
絵里の手を押しのけて、頭を軽く叩いてやる。
「そーゆー大事なことは早く言いんしゃい」
「あ、生意気ー。だからこうやって絵里がわざわざ来てやったのに。れーなってば、シャボン玉に夢中なんだもん」
- 46 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:10
-
まるでれいなを馬鹿にするかのようにふんぞり返る絵里。
子ども扱いされるのは、好きではない。
かっと頭の中が、真っ赤に染まる。目がチカチカする。
手の中に握りこんだボトルが、ストローが、キャップが、鮮烈な色を放っていた。
- 47 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:10
-
だけど。
オレンジ色がほころんで。
「シャボン玉、楽しい?」
- 48 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:11
-
絵里がにこにこ笑っていた。
れいなの中ですぅっと褪せていく、原色。
広がる、暖色。
「……うん」
毒気を抜かれてしまって、ただ一つうなずいた。
絵里がふんわりと笑う。それだけで、心の中の赤い色が溶けていく。
赤が溶けると、何色だ?
れいなは胸に手を当てて考えてみたけれど、いまいちわからない。
- 49 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:12
- そうしているうちにも、絵里の表情はころころ変わる。
笑っているかと思えば、今度はしかめ面をしていた。
「絵里もシャボン玉好きだけどねぇ、割れちゃうのがやだ」
「……そやね」
「綺麗なんだけどさ、悲しいよね。全ての恋はシャボン玉〜ってね」
眉間に縦皺を刻み、奇妙な節をつけて歌う絵里。
神妙な顔をしているのにも関わらず、少しもそんな風に見えない。
思わず、れいなは小さく笑った。
「唄は関係ないやん」
「そーだけどー。なんか楽しいイメージじゃないじゃん、あの唄」
「そうやね……そうかもね」
れいなはつと視線を離し、また空を見上げた。
爽やかに晴れ渡る青い空の果ては、見えない。
れいなはぐっとボトルを握りなおす。
そしてストローで、丹念に中の液を掻き混ぜた。
- 50 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:12
-
溶けてしまえ。
赤も緑も黄も、ついでにれいなの好きな紫も。
溶けてしまえばいい。
そうして、穏やかで優しい色になればいい。
- 51 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:13
-
熱心にストローを動かすれいなを見て、絵里は腕を組む。
「唄のシャボン玉も、本物も、割れちゃうもんねぇ?」
彼女がチェシャ猫のように意地悪く笑っても、れいなはシャボン液をかき回す。
腹が立たないわけではない。
けれど、とりあえず胸の中で気持ち悪く渦巻くソフトクリームは黙殺した。
ちなみに、ソフトクリームの色はオレンジ色だった。
「割れてもよかと」
ボトルからストローを抜いて、口元に寄せる。
絵里のにやけ顔を尻目に、一度だけ空を見た。
「それでも、れなは飛ばす」
絵里が一つうなずいて、口元を緩めた。
何だか、嬉しそうだった。
「うん」
「一番でっかいの作って、いっちゃん遠くまで飛ばすったい」
「うん」
「割れてもいいけん、飛ばすったい」
「うん」
暖色の笑顔が咲いた。れいなも一つ笑顔を零した。
うまく笑えてるといいな、と思った。
- 52 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:13
-
原色もソフトクリームも、全部巻き込んで。
無限の空に、高く高く舞い上がれ――。
れいなは大きく息を吸い込んで、そっと口をつけた。
- 53 名前:虹色 投稿日:2006/03/16(木) 08:14
-
「虹色」
- 54 名前:安曇 投稿日:2006/03/16(木) 08:15
- 田亀大好きなのに、上手く書けない……orz
お目汚し、失礼致しやした。
- 55 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/16(木) 14:30
- 今回も素晴らしいっすね。
あったかい気持ちになりました。
感動しますよぉ
オレンジ色にものすごく納得させられました。
- 56 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/18(土) 00:37
- うん、素晴らしい。
コレ本屋にあったら絶対立ち読みしてるw
- 57 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/28(火) 00:32
- なんか、洗濯の洗剤のCMにでてくる草原みたいに清々しかった!
例え変だけど・・・なんか白色が一番きれいに見える天気みたいなw
- 58 名前:安曇 投稿日:2006/03/30(木) 08:42
- こんにちわ。
レス、ありがとうございます。
≫55 名無飼育さん 様
そう言って頂けるとありがたいです!
個人的には黄色だとは思ってるんですが、話の都合上厳しかったのでオレンジにしましたw
≫56 名無飼育さん 様
ありがとうございます!
個人的に、とても嬉しい褒め言葉です。
≫57 名無飼育さん 様
変じゃないです、そう言って頂けてとても嬉しいです!
拙作は清々しさとは無縁だと思っていたので……w
- 59 名前:安曇 投稿日:2006/03/30(木) 08:44
- さて、今回は田亀リベンジということでw
相変わらず読み辛いですが、よろしければお付き合いくださいませ。
- 60 名前:安曇 投稿日:2006/03/30(木) 08:44
-
「火花」
- 61 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:45
- もう少し違うものなら、良かった。
もっと別のものなら、良かった。
むしろ、無くなって欲しかった。
いっそ、失くしたかった。
傷つけることしか出来ない。
触れることが許されない。
そんなの、辛すぎる――。
- 62 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:46
- れいなは制服姿のまま、グラウンドの中央で立ち尽くしていた。
傘も差さず、コートも羽織らず、重苦しい空を仰いでいる。
白い頬に、はたはたと雨が零れ落ちる。
れいなは目を閉じてその温度を感じ取るように、一身に雨を受けていた。
冬の雨は、刺すように冷たい。
曇天から糸のように降り注いで、容赦なく体を貫いていく。
冷たい。冷たい。
いや、痛い。むしろ痛い。
傘を持たない両手には、保冷用のアイスバッグが握られていた。
れいなの手から全ての熱を奪い、中身はゆるく溶けてしまっている。
それでも、手のひらが熱い。
痛みしか感じられない寒さの中で、れいなは自分の手のひらに焼け付くような熱を感じていた。
身を切られるように寒い。雨の針が閉じたまぶたを突き刺す。
れいなは力を抜き、アイスバッグを落とす。両手からするりと抜け、こびりつくような音を立てて地面に着地した。
そして、空っぽの手を空に向けた。
アイスバッグなどでは、足りなかった。
昏く淀んだ空から、氷のような雨が降る。
熱い、熱い。
痛い。
- 63 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:47
- 雨は勢いを増していたけれど、唐突に、雨がやんだ。
れいなは体を強張らせ、後方を振り返る。
そこに、絵里がいた。
強い雨音のせいで、足音は聞こえなかった。
「風邪引くよ」
絵里はれいなに淡い緑色の傘をかざす。
彼女もまた、コートを羽織っていない。手袋もつけていない。
絵里のブレザーの紺色が、雨を吸って深くなっていく。
彼女の左手の袖元は、それとは無関係に黒くなっていた。焦げ跡のようにも、見えた。
れいなはそこから目を背ける。
両腕を胸元に引き付けて、れいなは身構えた。ベンチの下で体を丸める猫のような姿だ。
それを見た絵里は少しばかり眉尻を下げたが、
「教室、もどろ?」
いつものように、ふんわりと微笑を浮かべる。
絵里の体はどんどん雨に濡れていくのに、その微笑の温度は失われない。
れいなは抱え込んだ両手を握った。
絵里の笑顔には温もりがある。
だが、れいなの手には熱がこもっている。
その温もりは、れいなにとって狂気、そして凶器だ。
れいなは自分の中にある恐怖を、はっきりと感じていた。
- 64 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:47
- そう、れいなは怯えている。
- 65 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:48
- 大きく首を振る。
「やだ」
れいなは一歩退き、傘から逃げ出す。雨に濡れても、傘の色が褪せることは無いのだと知った。
絵里が慌ててれいなに傘を差そうとするが、れいなはまた一歩後ろに引いた。
彼女が困ったように顔を歪める。
れいなはその度に、凍った海に飛び込んで逃げたいと思った。
「ね、もどろ?」
「やだっ」
「ほら、風邪引いちゃうからさ。教室でストーブに当たろう?」
れいなの眉が跳ねる。冗談じゃない。
「やだって言うとるやろ……触っちゃダメ!」
絵里が手を伸ばしてきた。れいなは身をよじって、それから逃れる。
「……でも」
言いよどむ絵里。その表情は、少なからず傷ついたものだった。
絵里は力なく両腕を垂らす。左袖の黒い部分がよじれて、変な模様を作っている。
傘の先が地面を擦って、無意味な線を描いた。
れいなも動きを止める。
触れられるのは嫌だったが、絵里を傷つけたいわけではなかった。
でも、触れたら、傷つけてしまうから。
- 66 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:49
- 両手がうずく。絵里の袖が熱を持っているのではと、錯覚する。
れいなは絵里の足元にある保冷剤を見つめた。保冷剤は頼りなく、くったりと水溜りに埋もれている。
足りなかったので、自身の濡れた制服の袖を掴んだ。
「……見たやろ」
激しくなった雨音に、かき消されてしまうか細い声。
だけど絵里の耳は、俯いた彼女の声だけを拾った。
絵里が何も言えずに黙っていると、れいなはもう一度つぶやく。
「見たやろ」
今度は大きな声。
詰問する口調の裏に、氷のような怯えが滲んでいた。
泣きそうな声を、していた。
絵里は堪え切れない様子でうなずく。
「……見た。見たけど」
「じゃあわかるやろ!もうれいなに触らんでよ!」
絵里の言葉が終わらないうちに、吠えた。
手のひらの熱が、一際昂ぶっていく感覚。れいなはぎりっと奥歯を噛み締めると、握りこんだ拳を解く。
冷めない、冷めない。
醒めない。
- 67 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:50
- 絵里はれいなの怒声に、俯いてしまっていた。表情は窺えない。
だけどれいなは、絵里がどういう表情を浮かべているのか想像がつき、ばつが悪そうに頭を垂れる。
沈黙が二人の間に、重く降りかかる。
雨は容赦なく降り続け、緑色の傘はそれを遮らない。
制服がやけに重く感じられたし、依然として手のひらは熱いまま。
だから、今更のように体の冷たさが浮き彫りになる。
このままだと、絵里が体調を崩してしまう。
れいなは自分の体よりも、絵里の方が心配だった。
緩慢な動作で傘を拾い上げて絵里に押し付ける。
「風邪、引くけん……ちゃんと差しー」
絵里の体に触れないよう、細心の注意を払った。
触れない、触れない。
寒い。
パッと絵里から離れると、れいなは一つ身震いした。
雨に打たれているからか、それとも何か別の理由からかはわからなかった。
傾きかける傘を、絵里が左手でそっと押さえる。
傘は倒れない。れいなは胸を撫で下ろした。
- 68 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:51
- 「……じゃ」
俯いたままの絵里に小さく言い、背を向ける。
胸のうちで燻っている謝罪の言葉を、短い言葉に込めた。
表情は見えなかった。
だけど、絵里が傘の柄をきゅっと握ったのを、視界の端に捉える。
焦げ跡が、やけに目に付いた。
「……ないよ」
一歩踏み出そうとした時、強い力で腕を引かれた。
勢い良く振り返ると、絵里の瞳とぶつかった。
泣きそうに潤んでいるけど、その瞳に浮かぶのは、明確な怒り。
「なっ……触っちゃ、ダメやって!」
れいなは気づかないまま、その手を振り解こうと腕を振り回す。
だけど予想以上の力で、絵里は抵抗した。
- 69 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:53
- 「離せってば!」
「わかんないよ!」
「はぁっ!? 何でわからんの、こん馬鹿絵里! 離せってば」
「馬鹿じゃないもん!」
絵里は大きく叫ぶと、傘を放り投げた。
そして、地面に染み込む雨粒の速度で、れいなの右手を両手で包む。
息を呑んだ。
「こうしないと、わかんないじゃん!」
- 70 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:53
- れいなの喉がひゅうと鳴った。背筋を冷たく乾いたものがなぞり落ちていった。
絵里はれいなの手を、自分の胸元にまで引き寄せる。
れいなの顔はこれ以上にないほど強張っていた。
「触んないと、わかんないことだって、あるじゃん……」
一つ一つ、丁寧に零れていく言葉。
絵里は包み込んだれいなの手に、口づけるように顔を寄せる。
「れーなの手……すごい冷たい……」
絵里は自身の手の上から、はぁと息を柔らかく吹きかけた。
祈りの姿にも、似ている。
れいなは目を見開いて、それを見つめていた。
熱い右手を包み込む、柔らかい両の手。絵里の手は雨に濡れていたのに、とても暖かい。
絵里の左袖は黒ずんでいたはずなのに、雨に濡れてしまったせいで判別し難い。
吹きかけられる息を、れいなは呆然と感じていた。
白く煙る絵里の吐息はすぐに消えてしまうくせに、温もりだけは手に残る。
- 71 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:54
- 柔らかい、暖かい。
なのに、右手は熱くない。
左手だけが、熱い。
熱い、熱い――否。
アイスバッグに触れているように、痛い。
- 72 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:54
- 弾かれたように手を振り解く。絵里は顔を上げて、目を丸くした。
「……れーな?」
れいなは答えない。未だ温もりが残る右手と、左手と、絵里を交互に見つめた。
叩きつける雨が絵里の温もりを奪っていくのを感じた。
「れーな? どうしたの?」
絵里が戸惑い顔で、恐る恐るれいなを覗き込んでくる。
だが、それ以上にれいなは困惑していた。
胸中の氷塊が緩く煌くのを感じて、動揺した。
おいそれと拭い切れない恐れの中で、初めて感じた畏れだった。
保冷剤は、絵里が踏み潰していた。
れいなは絵里に背中を見せて、走り出す。
絵里が手を伸ばすも、今度は虚空を掻いただけ。
「れーな!」
絵里の声が追いすがるも、れいなは止まらないし、雨も止まなかった。
「……また、明日ねぇ!」
絵里の声を背中に感じながら、れいなは走った。
胸のうちに灯った衝動に任せて、走った。
- 73 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:55
-
雨はまだ、止まない。
絵里の手の温もりも、消えなかった。
- 74 名前:火花 投稿日:2006/03/30(木) 08:55
-
- 75 名前:安曇 投稿日:2006/03/30(木) 08:56
- 実は続きます。
お目汚し失礼致しやした。
- 76 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/30(木) 14:47
- まだどういう事かはっきり分からないけど、これだけは分かる。
これ、面白い。
- 77 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/09(日) 19:59
- つ、つづきまってます…
もう気になって気になって
- 78 名前:安曇 投稿日:2006/04/16(日) 03:58
- 作者です。
レスありがとうございます。
>>76 名無飼育さん 様
判り辛くてすいません……汗。
でもそう言って頂けて何よりです!
>>77 名無飼育さん 様
ほんと遅筆でごめんなさい……orz
なるべく早く書けるようにがんばります。
- 79 名前:安曇 投稿日:2006/04/16(日) 03:59
- 遅くなりましたが、続きです。
よろしければお付き合いください。
- 80 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 03:59
-
- 81 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:00
-
左手を抱えてうずくまる絵里を見て、れいなは逃げるように教室を飛び出した。
- 82 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:00
- 走った。
走った。
走ることは得意でなかったが、とにかく走った。
胸中を照らす小さな火は飛礫のような雨でも消えないから、ひたすら走った。
走っているうちにその灯が吹き消されればいいと思い、がむしゃらに走った。
ぐるぐると走り回る。
その灯はゆったりと螺旋を描く。
あちこち走り回る。
心臓に絡みつき、胸が痛くなる。
滅茶苦茶に走り回る。
喉元を締め上げられ、声にならない叫びが漏れた。
「――ぁっ!」
灯は消えない。
どれだけ走っても、心の中を淡く照らす。
- 83 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:01
- れいなは諦めて、速度を落とした。
一度止まると走り出す気にはなれず、引きずるように歩き出す。
冬の雨は、誰にも等しく冷たい。鉛のように堅く重い全身にも、同じように雨は降る。
氷嚢の中を歩いたならば、きっとこんな感覚なのかもしれない。
少し前なら、喜んで飛び込んでいたかもしれない、アイスノンの海。
今は、どうだろう。
れいなの体を、雨が柔らかく打つ。雨脚は弱まっているようだが、空を見上げる気力は無かった。
静かに歩き続ける。
歩きながら、胸元で両手を抱えた。
体の感覚は全く無いのに、心中を照らす灯だけが、微かに燃え続けているのを感じる。
れいなの中には、炎と氷が存在する。
掌中の温度すら、もう、自分ではわからない。
この灯は、何。
- 84 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:02
- 「うわっ、どーしたのれいな!?」
ずぶ濡れになったれいなを迎えたのは、可笑しい位に慌てた麻琴の姿だった。
玄関口で、手足をばたつかせおろおろしている。
「びしょびしょじゃん! タオル、タオル!」
大変大変と叫び金髪を揺らしながら、彼女は洗面所に駆け込んでいく。
素っ頓狂なその声を聞いて、もう一人の同居人がリビングから顔を出した。
濡れ鼠のれいなに、彼女は大きな目を更に見開く。
風のようにやってくると、れいなを覗き込んだ。
「何、どーしたどーした?傘は?持ってったろ?」
「持ってきました、けど……」
「けど?」
吉澤は目をまん丸にして問いかけてくる。
その目をまっすぐ見れなくて、れいなは若干目を伏せた。
傘は確かに持っていったけれど、差して帰ってこなかっただけ。
それすら説明するのが、億劫だった。
「……いや、別に」
「別にじゃないデショー!」
洗面所から声を張り上げ、麻琴が戻ってくる。白いバスタオルを持ってきて、れいなに手渡した。
れいなは小さく会釈する。
「すみません」
- 85 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:02
- その言葉に、麻琴は変な顔をした。
気づかないまま、れいなはバスタオルに手をくるむ。
手先から伝わってくる感触は、とても柔らかく、まっさらに白くて目に眩しい。
顔を軽く押さえてから、かぶるようにして頭を拭いた。
大きなタオルは見る見るうちに水分を吸い込んでいく。
「麻琴、風呂沸かして。あつーいの」
「はいはいっと」
二人の会話を耳にし、はっとれいなは顔を上げた。
既に金髪は翻っていた。
「あ、ちょっ、小川さんっ」
その背中に手を伸ばす。
が、伸ばしかけた手をぐっと掴まれ、遮られた。
見上げると、苦笑いを浮かべた彼女と目が合った。
「れいな。気付いてないかもしれないけど、お前、すげぇ冷たいよ」
「吉澤さん……」
「とりあえず、風呂入ってあったまろう。熱いの嫌でも我慢して」
大きな瞳が、れいなを捉えていた。
力を感じる。吉澤の手のひらと密着している皮膚に、じんわりと染み込んでくる、力。
- 86 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:03
-
唐突に、いろんな温度を感知した。
髪先から零れる雨の雫。マンションのドアノブ。玄関先の空間。重たくなった制服。
自分の体。腕。手のひら。白いバスタオル。
吉澤の、手のひら。
れいなの体が関知する、さまざまな熱。
とりわけ驚いたのは、タオルの暖かさだった。
- 87 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:03
- 吉澤がもう片方の手で、額に張り付いた髪の毛を払ってくれた。
その指先の体温がダイレクトに伝わってきて、れいなは眉尻を下げた。
「……吉澤さん」
「どした?」
「……寒い、かも」
「……そっか」
彼女はバスタオルを取り上げて、れいなの頭を優しく拭く。
吉澤に触られるのは、怖くない。
バスタオルの温もりを思い、自分の体を抱いた。
「……すごく、寒いです」
「うん。シャワー、浴びちゃいな。その間に風呂も沸くと思うし」
「……」
「話は、それから聞くから」
「……はい」
ゆっくりと頷く。
吉澤は穏やかに微笑んだ。
- 88 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:04
-
- 89 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:04
- それは、彼らにしてみれば些細なことだった。
小さなジョークのつもりだった。からかう常套句のつもりだった。
だけど女の子は、その冗談に些末な世論を見出してしまい、多少なりとも傷ついた。
その顔を、彼女は見逃すことが出来なかった。
手のひらの内側で炎が昂ぶるのを、抑えることは無理だった。
自制して自省して自戒することは、不可能だった。
女の子の事を馬鹿にされたみたいに思え、かっと頭にきた。
それは氷のように冷たく尖った熱のはずなのに、一瞬で風呂敷のように全身へと広がった。
衝動に任せ、彼女は手を伸ばした。
軽く突き飛ばすだけのつもりだった。
女の子は、特に何かを考えていたわけでもなかった。
ただ自然と、彼女の前に体を割り込ませた。
彼らをかばうつもりも、彼女を責めるつもりも無かった。
そして。
たくさんの『つもり』が積もり積もって。
れいなの手が掴んだのは、絵里の左腕だった。
- 90 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:04
-
- 91 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:05
- 一通り話し終わって、れいなはマグカップの中のココアをすする。
寝巻き代わりのシャツが柔らかく擦れた。
れいながシャワーを浴びている間に、吉澤は着替えを用意してくれていて、
れいなが湯船に浸かっている間に、麻琴は温かいココアを作ってくれていた。
れいなが話している時、麻琴は一言も喋ることはなく、
れいなが黙り込んだ時、吉澤はとても上手に相槌を打った。
だかられいなは、考える度、口にする度に沈んでいく気持ちを、引き止めておくことが出来た。
ソファの上で膝を抱えて、マグカップを右手で包むように支える。
手のひらにじんわりと暖かい。
首にかけた白いタオルは新しく用意してもらったものだ。
柔らかさはバスタオルと変わらない。れいなをしっとりと、湿気ごと抱き込んでいる。
- 92 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:06
- かちり、と時計の長針が鳴った。
「何かもう、よぅわからんとです」
無意識のうちに、つぶやいていた。
湿気た吐息が掠れていく。
「これって、何なんでしょうね」
れいなの質問は、とても抽象的なもの。全てをひっくるめた疑問だった。
ふと浮かんだ泡のようなものであって、答えは期待していない。
「えぇー……」
左隣に座っていた麻琴が、唐突にうめく。しかめっ面をして、どうやら難しく考えているようだ。
時々、れいなを横目で窺う。言葉を探しているのかもしれない。
口元を引き締め背中を丸めて、じれったそうに足を揺らしている。
その姿が少し可笑しくて、れいなは口元を僅かに緩めた。
- 93 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:06
- 麻琴が右手の力を締めたり緩めたりしているので、れいなは左手に穏やかな力の波を感じていた。
二人の手は、れいなが話し始める頃から、ずっと繋がれたままだ。
彼女の右手はれいなと同じくらい冷たい。
でも何故か、触れ合う場所から伝わる感覚は、マグカップのココアを彷彿とさせる。
繋いだ手から麻琴の中の何かが伝わって、れいなの熱に水を差す。
その水は、心の灯をとても上手に避けながら、ずっと注がれ続けている。
なんとなく目を瞑り、手のひらに意識を集中させていた。
正直、麻琴に触れられるのはくすぐったい。
おそらくれいなの火のような性質と、麻琴の水のような性質が反発しあっているせいだ。
れいなは勝手に、そう考えている。
- 94 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:08
- 「れいなはこれからどうすんの?」
吉澤の声がふっと薫る。
瞼を開くと、吉澤は穏やかな顔で向かいのソファーに座っていた。
「どうするって……」
彼女の問いもまた、抽象的。しかしながら、気泡のような儚さは微塵も無い。
れいなは言葉に詰まる。タオルの端をきゅっと握った。
自然と視線は下がって、ココアの表面に頼りなく落ちた。
「じゃ、ちょっと変えよう。これからどうしたい?」
なかなか口を開けないれいなに、吉澤は表情を変えずに言った。
吉澤の言葉は、まるで気まぐれな風のよう。
ふらっと風向き変えて、いろんなものを香らせる。
れいなはしばし思考を巡らせた。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「……傷つけたくない、です」
言ってから、もう一度その言葉をゆっくりと噛み締めた。
頭の中に、絵里の左袖がフラッシュバックする。
そうだ。
傷つけるのはもう御免だ。
吉澤は鷹揚にうなずいた。
「うん。何で?」
「え……?」
- 95 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:09
- れいなは目を丸くする。
ココアの表面がさざなみ立って、泡を食らった。
「何で、傷つけたくない? 」
れいなの瞳をまっすぐ射抜く、吉澤の瞳。
頭の中でぐわんぐわんと轟音を唸らせ回る、吉澤の声。
横頭をハンマーで殴られたかのような、足元から突風が突き上げてきたような、そんな衝撃だった。
- 96 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:10
-
何で? 何故? 何でだろう?
- 97 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:11
- 考えたこともなかった。
傷つけることは絶対悪だと思っていた。
だから傷つけないことだけを、れいなは考えてきた。
麻琴の手の感触だけを頼りに、れいなは平衡感覚を取り戻そうとする。
「や……悪いことじゃないですか」
「どうして悪いことだと思う?」
「悪いことですよ……やって、怒られるし、悲しまれるし」
「うん。そうだね」
彼女は一つうなずくと、また口を開く。
また、軌道が変わる。
「じゃあ、れいな。触るのは、悪いこと?」
ぐらぐらと視界が揺れていた。
風に巻き上げられる炎は、こんな感じなのだろうか。
吉澤の質問に、れいなは大きく首を振る。
「でも、れぃなが触るのは……悪い……」
「どうして?触るのは悪いことじゃないんだろ?」
「やって、れいなが触ると、傷つけちゃう……燃えちゃう……」
言葉尻が震えているのは、自分でもわかった。
脊髄を、喉元を、氷の塊がせり上がってくる。
気道をふさがれて、絞り出すような声だった。
「れいな!」
- 98 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:13
- 突如、左手に大きな力のうねりを感じた。
麻琴がれいなの手をぎゅっと握りこんだと、後から気づく。
海がひっくり返るような力だと思った。
麻琴は両手でれいなの左手をすくい上げて、改めて握り締める。
「私の手、焦げてない、傷ついてないよ!」
その剣幕に、面食らった。麻琴がれいなを見つめていた。
その瞳はとても深くて、音の無い森の深淵のような深海のような。
目が、離せない。
ぎゅうと握りこまれた白い指先。緩い目元に滲む、確固たる想いの熱。
同じものを、れいなはどこかで感じたはず。
どこか、で。
かちり、と亀裂の入る音が聞こえた。
- 99 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:13
- そっか。
熱に浮かされ、雨に打たれて、風に巻かれて、海に呑まれて。見つけたのは、胸の焦がれ。
一瞬にして燃え上がる小さな灯に、氷のささくれが穏やかに溶けていくのを、感じる。
そっか。
こんなに寒かったんだ。
- 100 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:14
- 「あ、麻琴ぉ、ココア溢すなバカ」
吉澤の、場違いな程優しい声。
「うわぉ! よしざーさん、ティッシュ、ティッシュ取ってぇ!」
それに慌てふためく、麻琴の姿。それでも麻琴はれいなの手を離さない。
吉澤がティッシュ箱ごと掴み、やれやれと腰を浮かしてれいなの隣に腰掛けた。
丁度、麻琴と吉澤でれいなを挟むように。
彼女は数枚ティッシュを抜き取り、箱を麻琴に放ると、れいなの顔を覗き込む。
麻琴が零れたココアを拭き始めた。
れいなの世界はゆらゆら揺れ、滲んで歪んで上下もわからない。
それでも、吉澤が笑ってることはわかった。
- 101 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:17
- 吉澤が抜き取ったティッシュで、れいなの目元を優しく拭った。
咳を切ったように、あふれ出す涙と、言葉。
「でも、れなは、絵里のことば、傷つけた」
「うん」
「傷つけたくなかったけん、触りたく、なかったのに」
「うん。そっか」
「絵里から、触ってきよったけん、怖かったと」
「そっか、そうだな」
「また、傷つけちゃうんじゃないかって、触るんが怖かった」
「うん……それで?」
本当に、風のようだと思った。笑えてしまう程に。
自由気ままな風に舞えば、答えは見えてくる。
しゃくりあげながら、すすり泣きながら、れいなは喉を震わせた。
涙を止めようとはしない。氷の欠片だから。
「やけん、わかったと」
「ん?」
「触るのが怖かったんや、なかった」
麻琴の瞳の深さを。マグカップのココアの暖かさを。吉澤の声の優しさを。首筋のタオルの柔らかさを。
絵里の両手の温もりを、想う。
- 102 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:18
- 「触れんのが、悲しかったっちゃね」
「……うん、そうか」
「触るのは、怖かった……けど、触れんのは、悲しかったし、辛かった」
「うん」
途切れ途切れの言葉に、吉澤は一つ一つ耳を傾けた。
頷きが追い風のように響いて、心の灯が静かに震える。
「ほんとは」
れいなは少しだけ顔を上げる。
「ほんとは……」
微かな声が、静かなリビングに滲んで広がった。
最後の氷が解けて、れいなの瞳から零れていく。
「だいじょーぶ」
麻琴は涙をれいなのマグカップで受け止め、ココアの中に溶かした。
れいなはゆっくり左手に力を込めた。
「うん。大丈夫」
吉澤は涙の軌跡を拭き取りながら、力強く首肯する。
れいなはゆっくりうなずいた。
何故だろう。今、無性に――絵里に会いたい。
- 103 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:18
-
ほんとは、触りたかった。
ずっと、触りたかった。
頬には涙の温もりが残っている。
今までとは異なる熱を、感じていた。
- 104 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:19
-
- 105 名前:火花 投稿日:2006/04/16(日) 04:19
-
- 106 名前:安曇 投稿日:2006/04/16(日) 04:21
- 本日は以上です。
あと一回で完結予定です。
お目汚し失礼致しやした。
- 107 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/16(日) 13:10
- 更新お疲れ様です。
ずーっと待ってましたよぉ!
てか感動…しますよ、コレ。
泣いてしまいそうでした。
なんか凄く読み入ってしまいます…
次回も待ってますが、マイペースで更新してください。
- 108 名前:安曇 投稿日:2006/05/19(金) 02:26
- こんばんわ。
レスありがとうございます。
>>107 名無飼育さん 様
そんな感想をいただけて、私も泣きそうですw
温かい言葉ありがとうございます。
- 109 名前:安曇 投稿日:2006/05/19(金) 02:28
- 遅くなりましたが、続きです。
よろしければお付き合いください。
- 110 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:28
-
- 111 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:29
- 翌日、れいなは学校へ行った。
朝起きて体が震えたけれど、麻琴が持ってきた水を飲んだら、治まった。
玄関を出る時膝が笑っていたけれど、吉澤に軽く肩を叩かれたら、足が動いた。
だから、れいなは学校へ行く。
道端に点在する水溜りを跳びながら避けて、れいなは早足で歩いた。
朝の街に、晩冬の太陽が光を降り注いでいる。
先日の雨を感じさせない程、空は青く澄んでいた。名残だけが地面に溜まり、きらきらと光を反射している。
日光が滲む冴えた空気の中を、早足で歩く。
道端に点在する水溜りを跳んで避ける。着地した足元で、ぱしゃっと水が跳ねた。
それでもれいなは気にせずに足を運ぶ。
絵里に、会う為に。
- 112 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:31
- ところが。
「えぇ!?」
張り上げた声が廊下に響く。近くにいた生徒たちが、れいなの方を振り返った。
れいなは慌てて首を振る。ぱらぱらと離れていく視線に胸を撫で下ろした。
ただでさえ高等部の校舎内で肩身が狭いというのに。注目されると余計に居心地が悪い。
れいなは声のトーンを気持ちばかり落として、目の前の上級生に向かって口を開いた。
「ほんとですか?」
「うん。具合悪いっつって。2時間目の休み時間くらいかなー」
首を捻ってつぶやく彼女は、新垣里沙という。絵里のクラスメイトだ。
- 113 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:31
- 昼休みを告げるチャイムが響いた瞬間、れいなは教室を飛び出して高等部までやってきた。
絵里のクラスまで来たはいいものの、肝心の絵里の姿が見えなくて。
傍にいた彼女を捕まえ問いただしてみると、絵里は保健室にいる、と返ってきたのだ。
「ありゃー、風邪だね、うん。顔赤かったし」
一人でうんうん頷いている里沙。
れいなは血の気が引くのを感じた。
「あ、ありがとうございました」
挨拶もそこそこに身を翻す。
里沙は「いーえー」と、その背中にひらひら手を振った。
振り返りきる直前に見えたその里沙の姿に、ふとれいなは吐息を漏らした。
- 114 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:31
-
あ。これ。
駆け出した足を止めずに、れいなは心の中でつぶやいた。
頭の中に麻琴や吉澤の顔が浮かんで、消えていく。
口の中で同じ言葉を転がすと、何だか面映い。
胸の中でパズルのワンピースがかちりと嵌まった気分だった。
- 115 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:32
-
- 116 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:33
- すぐに保健室まで辿り着く。
少しだけ息を整え、ノックもせずに戸をそろそろと開ける。
扉が申し訳なさそうにからからと鳴いた。
「失礼します」
室内に足を踏み入れ、開けた時と同様にゆっくりと扉を閉める。
保険医は不在らしい。窓際のカーテンだけが、れいなの来訪に揺れて応えている。
足音をなるべく立てないようにしながら、室内を横切った。
本棚の裏側を覗き込むと、簡素なつくりのベッドが三台並んでいる。
そのうちの一台が、薄い水色のカーテンで仕切られていた。中は窺えない。
水色の隙間にそっと体を割り込ませて、その世界に割り込んだ。
「絵里……」
ベッドの上に、絵里がいた。
眠りが少し深いのか。ベッド脇にれいなが立っても目を覚ます気配は無い。
手近な三本足の椅子を引き寄せて腰掛ける。
しばらくれいなは、祈るような気持ちで絵里の横顔を見つめていた。
- 117 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:33
- 顔が赤い。特有のアヒル口がふにふに歪み、苦しげな吐息を吐き出していた。
胸元の辺りまでかけられた布団が、浅く控えめに上下している。
絵里の口が僅かに開いて、小さく小さく漏れるうわ言。
何か、言っている。
「……絵里?」
れいなは椅子から身を乗り出した。
枕脇に手をついて顔を近づけてみたけれど、絵里の声がか細過ぎてうまく聞き取れない。
右手で髪を耳にかけ、絵里の口元に耳を寄せた。
耳にかかる呼吸が熱くて、泣きそうになる。
唇をぐっと噛み締めると、れいなは耳を澄ませた。
細く浅い呼気に紛れて、途切れ途切れの小さな声。
囁きともうなりとも取れない絵里の微かな吐息を、れいなの耳は一文字漏らさず拾った。
- 118 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:34
-
れ、ぇ、な。
- 119 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:34
- 顔を離して、絵里を見下ろす。
後ろ手に椅子を引き寄せ腰掛けた。
空気にかき消されそうな絵里の声。
胸元に直接響いた絵里の声。
心臓から送り出される血液に乗っかり、すぐに全身へと行き渡る絵里の声。
絵里の細い首筋を見つめながら、自分に出来ることを真剣に模索した。
一時、れいなの視線は同じところで留まっていた。
『触んないと、わかんないことも、あるじゃん。』
頭の中、体の中を縦横無尽に駆け巡る、絵里の声。
- 120 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:35
- やがて、おもむろに手を伸ばす。
ゆっくりと。ゆっくりと。
そしてれいなの華奢な手が、力なく寝かせられた絵里の左手に触れた。
繊細な飴細工を扱うかのように、そっと触れた。
指の腹で静かになぞる。指先から微かに伝わる、絵里の感触。
その手のひらに、恐る恐るれいなの手が重なった。
ダイレクトに感じる、絵里の体温。
「熱か……」
はっとするほどに熱い。熱が大分高いのかもしれない。
頬も紅潮していたし、苦しそうに顰められた眉間にはうっすらと汗が浮かんでいる。
短い呼気までもが、たくさんの熱を含んでいるようだ。
れいなは絵里の手のひら両手で隙間無く握りこんで、額を寄せた。
背中を丸めて傅くようなその姿勢。祈りの姿にも、似ている。
先日の絵里の姿と、重なる。
彼女の熱が、冷たい自分の手に移ればいいと思った。
- 121 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:36
- 熱い。熱い。
どこが熱い――?
- 122 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:37
- 冬の太陽は滑り落ちるように沈み、濃紺の紗幕が空に尾を引き始めていた。
保健室の窓は、絶えず時が流れる外の世界を、四角く切り取っている。時計の針は音も立てずに進む。
清浄な空間に脆弱な静寂が揺らいでいた。
まるでこの部屋が外界から隔離されているような錯覚。
狭い空間に二人ぼっちな、感覚。
永遠にも感じられる、一瞬の連続。
「れーな」
布団に顔を伏せていたれいなの耳に届いた呼び声。
酷く懐かしく思えて、夢現のまま顔を上げる。
無限に続くと思っていた世界に、音が戻る。
「れぇな」
はっと目を見開く。絵里が体を起こしていた。
- 123 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:38
- どれほど時が経っていたのか。時計は見えないが、放課後だろうということは想像できる。
重なり合う手のひらは、お互いの熱で汗ばんでいた。
目を丸くしているれいなを見て、絵里が微かに笑う。
その手に緩く力が込められている。
「絵里……」
無意識に声が漏れた。情けない声音に、一人で勝手に恥ずかしくなった。
内心の動きを悟られないよう、口元を苦々しく歪める。
「アホ」
「ふぇっ?」
「自分が風邪引いて、どうすると。バカ絵里」
「う〜……絵里はアホでもバカでもありませんー」
見慣れたアヒル口が尖らせて、絵里は不満気につぶやく。
その口調にいつもの力は無かったけれど、顔色は大分良い。
れいなは胸を撫で下ろした。
- 124 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:39
- 「体、どんなカンジ?」
「ん……少しだるいけど、楽になった」
「そっか。……よかった」
左手をそっと伸ばして絵里の茶髪に滑らせる。彼女は目を細めて喉の奥で笑った。
それが午睡後の老猫みたいな微笑みだったので、れいなも思わず口元を緩めた。
不意に、絵里の視線がれいなから外れる。つと顎先を下げて、目線は絵里自身の左手へ。
二人の手はずっと重なったまま。
掌と掌の微かな空間に、二人分の熱気が僅かな隙間を埋めるようにこもっていた。
絵里が顔を上げた。上目遣いでれいなの瞳を覗き込んでくる。
真正面で視線がぶつかって、れいなは軽く身を引いた。
「……何ね」
「んー、別にぃ?」
元々上がっている口角を更に吊り上げ、絵里はにやにや笑う。
ちらちらとこちらを窺ってくるので、何だか照れくさい。
れいなはわざと眉間に皺を寄せ、少し顔を背けた。
「何ね、気色悪い」
「気色悪くなんか無いもーん」
- 125 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:39
- 絵里は表情を緩めながら、繋いだ手の指を、指の間にそっと差し込んだ。
れいなの体が一瞬強張る。だけど拒むことはしなかった。
指を一本一本確かめるかのように、絵里の指先はゆったりと動く。
握ったり、解いたり、絡ませたり。
親指の腹で薬指の付け根を擦られ、背筋がぞくりとした。
目を閉じる。そして感じる。
望み、願い、想う。
- 126 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:40
- 「絵里……ごめん」
「ん?」
蚊の鳴くようなつぶやき。
絵里はれいなの手に夢中になっているのか、届いた返事も腑抜けたもの。
きっと、ふにゃふにゃと笑っているんだろう。
猫みたいに目を細めて。アヒル口を柔く緩ませて。
そう思うだけで、心の中がぽっと熱くなる。
心の一番真ん中で、ちろちろ揺れる小さな熱。
れいなの中心が、ほっこりと温められていく。
衝動に似た情動が如雨露のように、れいなの中に降り注ぐ。
繋いだ手のひらと同じくらい温かくて、優しい想い。
その温もりは血流に乗って穏やかに全身を巡り、瞼の裏から零れ落ちた。
「ごめんなさい……」
「え? 何で?」
「ごめんなさい」
はらはらと静かに涙を落とすれいなに驚いたのか。
絵里が身を乗り出して、右手をれいなの頬に寄せる。
その手の温度にまた涙が溢れてくる。
拭っても拭っても流れてくる雫に、絵里は辟易していた。
「なに、どーしたの、れーな? 何で? 何で泣くの? どっか痛いの?」
- 127 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:40
-
うん。
そうだね。痛い。
胸が痛い、かも。
- 128 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:42
- 繋いだ右手に力を込めて、れいなはもう一度言った。
「ごめんなさい」
「うー……」
絵里は眉を下げ、唸っている。指先で拭った涙を布団に擦りつけていた。
せめてティッシュぐらい使ってくれと、能天気に思った。
絵里の指先がまた左頬に戻って、涙の軌跡を擦られる。
困ったように笑っている顔が印象的に映った。
「あのね」
「ん?……痛っ」
呼ばれると同時に、頬に軽く爪を立てられた。
思わず身を引く。引っ掻かれた部分が一瞬だけ疼いて自己主張した。
熱い。
「な、何すると?」
「ごめんね」
「や、そうじゃなくて。何でいきなり?」
引っ掻いた箇所に絵里の指先が伸び、そっとなぞった。
見えない傷を労るように。
「あのね、よくわかんないんだけどさ。触ったら、引っ掻いちゃうこともあるじゃん。
そーいうの一個一個気にしてたらめんどいじゃん?」
だから、と絵里は続けた。
- 129 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:42
- 「引っ掻かれる事、絵里はあんま気にしないから」
頬から指先が離れて、繋いだ手に触れる。
両手でれいなの手を包み込んで、絵里は笑った。
柔らかい日差しのような微笑だった。
「手繋いでくれて、嬉しいよ?」
目には見えるはずのない空気が、色づいているかに見えた。
その度に、胸を掻き毟りたくなった。
- 130 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:43
-
熱いのだ。
絵里の色づいた吐息がれいなをなぶるのか、それともれいなの火が燃え上がるのか。
絵里を見ていると、締め付けられるように熱くなる。
綿毛で肌を舐られるような僅かな掻痒感を伴って、全身にじんわりと広がっていく。
そんな、熱。
だがそれは、今まで手のひらに感じていたような不快な熱では決してなく――。
- 131 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:43
- ありがとう。
絵里の顔を見ていたら、れいなの口が自然と開いた。
目を白黒させて、れいなを見つめてくる。
瞬きをした拍子に、最後の涙がほろりと零れた。
ゆっくりと輪郭を伝うのを感じて、気づいた。
凍えるれいなの両手を、溶いてくれた。
温かい涙があることを、解いてくれた。
そして何よりも、触れることの大切さを、説いてくれた。
例えば雨、保冷剤、制服、風呂、タオル、ココア。
例えば吐息、手のひら、指先、頬、髪。
あと、目には見えないものも。
絵里が全部、教えてくれた。
- 132 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:44
- 「ありがとう」
涙のように零れる感謝の言葉を、れいなに止める術はない。止めるつもりもない。
れいなは何度も同じ言葉をつぶやいた。
返事の代わりなのか、絵里はにこにこ笑いながら握る手に力を込めた。
「れーなは?」
「……え?」
「れーなは、嬉しくないの?」
「あ……」
れいなの右手と絵里の両手が重なっている。
ずっと繋いでいたから、手の内にこもる熱気がどちらから生まれたものなのかわからない。
絵里から生まれて、れいなが受け取ったのかもしれない。
れいなから生まれて、絵里に混じったのかもしれない。
それとも、二つの手が重なることで、初めて生まれたのかもしれない。
どれでもいいか、と思う。
「れなも、嬉しい」
絵里が笑う。
絵里が笑っている。
だかられいなも、笑うことにした。
二人で笑えば、手の中の温度がほっと上がる気がする。
- 133 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:44
- 「……ん?」
ふと、れいなは首をかしげた。
繋いでいる手が、本当に熱かった。
心なしか絵里の顔も上気している。
うへへ、と気まずそうに笑う絵里に、れいなは大きく息を吸い込んだ。
「この……バカ絵里! 熱上がっとぉやんか!」
夕闇の保健室に、れいなの大声が響いて溶けた。
- 134 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:45
-
熱い。熱い。
どこが熱い?――胸が、熱い。
火花のように弾ける思いが、熱い。
それは小さく、微かな灯だけれど。
れいなを焦がす、確かな炎。
れいながそれに気づくのは、もう少し後の話――。
- 135 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:45
-
- 136 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:46
-
「火花」
- 137 名前:火花 投稿日:2006/05/19(金) 02:47
-
- 138 名前:安曇 投稿日:2006/05/19(金) 02:55
- 長々と失礼しました。「火花」終了です。
自己満足の設定&展開なので、少々支離滅裂ですが……。
ま、設定に無理があったということで。大目に見てやってください。汗。
では、お目汚し失礼致しやした。
- 139 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 11:02
- 更新お疲れ様です!
感動しました。そして凄く楽しかったです。
れなえりがまた好きになりました♪
次回もマターリ待ってますので頑張ってください。
- 140 名前:安曇 投稿日:2006/05/23(火) 03:21
- こんばんわ。
レスありがとうございます。
>>139 名無飼育さん 様
>感動しました。そしてすごく楽しかったです。
>れなえりがまた好きになりました♪
そんな風に言ってもらえるとは思いませんでした……!(涙
ありがとうございます! 頑張ります!
- 141 名前:安曇 投稿日:2006/05/23(火) 03:24
- さて。意外と間を空けず更新しようと思います。
今回のは肩の力を抜いて書きました。
なので、さらっと読み流していただければ幸いです。
小高です。
「雨の森」
- 142 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:25
-
- 143 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:26
-
「雨の森」
- 144 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:26
-
雨に降られました。
- 145 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:26
- 「ざーざー」
聞こえてくる音を安直に表現するならば、そんな音。
僅かに開けた口からぽろりと漏れた呟き。静かな部屋の中では、小さな音でも良く響いた。
その声すらも、窓を打つ水音が掻き消していく。
「さーさー」
麻琴は足を投げ出し、フローリングの上にぺったりと座り込んでいる。
時折ぽろぽろと擬音語を口にしながら、湿った髪の先をいじっていた。
首からかけたタオルの湿り気は、不快を通り越してしまってもう気にならない。
新たに生まれる汗の玉をそれで拭う。
屋外と室内に、二つの雨音が響いている。
- 146 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:28
- 扉の開く音がして、麻琴は視線を上げた。
洗面所から愛がひょっこりと顔を出した。シャワーを浴びたばかりだからか、頬がほんのりと赤い。
髪の水分をタオルで押さえるように拭っていた。
「あー、さっぱりした。何か飲む?」
「うん。ちょーだい」
「麦茶でえぇ?」
「うん」
愛はあちーあちーと言いながら台所に引っ込む。
麻琴は愛の白い脹脛を目で追った。ぺたぺたと素足でフローリングを歩いている。
「いきなり降らんでもなぁ」
「そうだよねぇ。焦った焦った」
「あーしん家近くてよかったな」
戸棚やら何やらを開け閉めする音が、無駄に響いて消えてゆく。その中でも、愛の声は鮮明に聴き取れた。
まるで愛の声と麻琴の耳が見えない糸電話で繋がっているようだ。
愛ちゃんもそうなのかな、と思いながら足の指を見る。
右足のペディキュアが剥がれかけていた。変な所に擦ってしまったのだろう。
- 147 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:28
- 「こんな日にミュール履くんじゃなかったかな」
でもミュールは夏が旬だしなー、何て思っていると、ぺたぺたと聞こえてくる足音。
それはネイルの剥がれていない、綺麗な爪先だった。
「どしたん?」
顔を上げると、すっぴんの愛がいた。キャミソールと白いショートパンツという、簡素な格好だ。
両手に麦茶の入ったグラスを一つずつ。その片方を麻琴に差し出してくる。
「なんでもなーい」
両手を伸ばし、片方のグラスを受け取る。
と、愛の反対側の手に目が行く。愛がグラスと一緒に、それを握っている。
彼女はにやっと笑うと、
「一本しかないで」
と言い、その袋をちらつかせる。
長方形の包装紙に、誰もが一度は目にした事のあるパッケージが印刷されていた。
アイスキャンディだ。麻琴は口を尖らせる。
「えー、ずるいーずるいー」
「ずるいも何もないわ。半分こしよ」
「それならいいやぁ」
「現金やなぁ」
- 148 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:29
- 呆れるように息を漏らすと、愛は身を屈めた。
麻琴はグラスを傾けないように気をつけながら、足を広げる。
彼女はその間に座って、麻琴に背を預けた。
「重いー」
「重くないわ」
「はいすいやせん。重くない、軽いっす」
「よろしい」
納まりが悪いらしく、もぞもぞと体の位置をずらしている。
麻琴は首のタオルを外して、自分も少しだけ動いてやった。
「ん」
漏れた吐息には、微かながら甘さを含んでいる。
愛は満足いったらしい。そのまま体を預けてきた。
二人そろって、グラスを脇に置く。麻琴は愛の腹に手を回して、顎を肩に乗せた。
気にした様子もなく、愛の指先が包装紙の端を摘んだ。
「がーりがーりくんがーりがーりくん」
「うっさい、耳元で歌うな」
くすぐったそうに身を捩る。
「だってぇ」
調子に乗ってわざと口を寄せて囁いたら、アイスで頬を小突かれた。
体は熱いのに頬だけ一瞬冷たくて、少し気持ち良かった。
- 149 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:30
- ばりっと袋を破る音。破れた口からソーダ色のアイスを引っ張り出し、愛は麻琴の前に持ってきた。
「ほい。あーん」
「あーん」
促されるまま歯を立てて、四角いアイスを齧る。しゃく、と音がして冷気の塊が口の中を転がった。
「うまい?」
「ちべはい」
「そりゃ冷たいに決まっとるわ」
愛は笑いながら、麻琴が齧った跡を小さく舐めた。
そして、その少し隣を齧る。しゃく。
麻琴はそれを横目で見ながら、愛の茶髪に鼻先を埋める。
鼻を鳴らすと、微かに花の香りがした。
「愛ちゃん、いー匂いする」
アイスを嚥下してから、小さく口を開いた。
「マコトやって、おんなじ匂いがし」
「んー。でもアイスには負けちゃうかなー。もう一口ちょーだい」
「ん」
アイスが目の前に戻ってきたから、茶髪から顔を離す。
今度は先程より大きく齧りついた。じゃく。愛が負けじと大口を開けた。じゃく。
口中で思いきって齧ってみると、同じ音が聞こえた気がした。
- 150 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:32
- 二人はしばらく、無言で氷菓子を食べていた。
薄暗い室内には、さくさくとくぐもった音が響く。硬い雪の表面を踏み分けるのに似ていた。
しゃく、ざく。じゃく、さく。その他は、雨音だけ。
まるで雨が全ての音を包み込んで、地上に落ちているかのようだ。
「森の中みたいやね」
喉を鳴らした後、愛がぽつりと漏らした。
麻琴の口中には、まだ最後の一口が形を残している。ん、と唸って首を捻った。
袋の中に棒をしまうと、愛は麻琴に背をもたれ目を閉じた。
少し首を傾けて、後ろ頭を麻琴の肩に押し付ける。
顔が近い。
「なんか、雨の音が。森ん中いるみたいやない?」
「んー?」
アイスを飲み込んで、耳を澄ます。
愛を真似て瞼を下ろしてみた。
雨が降っている。地面を打つのが、壁一枚隔てた向こうから伝わってくる。
ざぁざぁざぁ。
- 151 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:32
-
麻琴は、自分が鬱蒼と茂る森の中にいることを想像してみた。
きっと足元はぬかるんでいるだろう。どこかに花も咲いているかもしれない。
体は熱いのに、妙に周りの空気は冷えているのだ。
ふと見上げてみる。樹木たちが大きく枝を広げて、所狭しと生い茂る葉で空が見えない。
どこからか流れてくる風が、その微かな隙間を吹き抜けて枝を揺らし――。
あ。
- 152 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:33
- 「……なるほどねぇ」
「わかった?」
愛が声を跳ねさせる。
少し笑って、麻琴はうなずいた。
「愛ちゃんの感性って不思議だわ」
「ほやかって、マコトも気づいたやんか」
「そぉだけどぉ、って、ぐりぐりしないで、くすぐったい!」
「うらうら」
愛が頭を左右に振りながらぐいぐいと押し付けてくる。肩や首筋をくすぐる綺麗な茶髪が、ほんの少しだけ恨めしい。
眉をハの字にしつつ、麻琴はグラスを持って麦茶を飲んだ。
口中に残るソーダの味が、麦茶の風味で掻き消されてゆく。
何だか物足りない、と思った。
「あ、ほうや」
声を上げ、愛がアイスの袋を取り上げた。
「クジ、あるんやなかったっけ」
「あるある。袋の内側についてない?」
「んー……よぅ見えん」
愛はそう言うと、麻琴の前で袋の口を広げた。どうやら覗けということらしい。
麻琴は気持ちばかり愛の顔に頬をくっつけ、左目を閉じて覗き込んだ。
目を凝らす。
- 153 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:33
- 「あ、だめだ。はずれだ」
「あら。残念やったのー」
「んぇぇっ」
言いながら、愛はまた右肩に頭をぐりぐりと押し付けてくる。
口角を上げて不敵に笑うのが、愛にはとても似合っていた。麻琴が嫌がるのを、ものすごく楽しんでいる。
身を捩って逃げようとするも、愛と壁に体を挟まれていて動きにくかった。
体全体で抑え込まれ、どうにも分が悪い。
足先のネイルが目に入る。麻琴は口を開いた。
「愛ちゃん、アイス、アイス買いに行こっ」
「はぁ?」
愛が頭を離してこちらを振り向いた。眉根を寄せて麻琴を覗き込んでくる。
少し気圧されて体を引いたら、壁に軽く頭をぶつけてしまった。
ノーメイクといえど、その目力には圧倒される。
「今食べたがし」
「や、だって食べ足りないんだもん」
「太るで」
「うっ……うー、いいのっ。行こう?」
「……えぇよ」
眉尻を下げて笑うと、そっと麻琴の髪を撫でる。
気持ちが良くて思わずにやけてしまった。
「キモい」
「キモいとか言わない」
- 154 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:34
- すっと立ち上がり、愛はしばし首を捻る。
麻琴は愛が考えていることが手に取るようにわかったので、何も言わなかった。
やがて「よし」、とだけつぶやいて、愛は壁際の箪笥まで歩く。ぺたぺたと。
下から二番目の引き出しからデニムのスカートを引っ張り出し、着替え始めた。
時間かかるんだろうなと、麻琴は小さくため息をつく。
愛を待つ間、ペディキュアだけ塗り直そうと膝を起こした。
ふと、窓を見る。
雨粒は変わらないリズムでガラスを叩いていた。
愛が傍を離れた今、森の中だとは思えない。
癪だから、当たりクジつきのアイスを買ってやろう。
麻琴がそう心の中で決心していると、
「マコトー」
「んー?」
「クジつきのヤツ買おうな」
「……うん」
呆気にとられ、麻琴はうなずく。
愛はさくさくと着替えを済ませて、ドレッサーの前で化粧道具を広げていた。
- 155 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:34
-
こんな日に、愛といるのは当たりだ。
その後、コンビニでかつてないほど真剣にアイスを選び、一つだけ買って帰った。
- 156 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:35
-
「雨の森」
- 157 名前:『雨の森』 投稿日:2006/05/23(火) 03:35
-
- 158 名前:安曇 投稿日:2006/05/23(火) 03:38
- 以上、『雨の森』でした。
卒業おめでとうございます。
今更感満載ですが……。
お目汚し失礼致しやした。
- 159 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 08:41
- 更新お疲れ様です!
まこあいキタ――(・∀・)――ッ!!
萌えまくりですよもうww
いいっすね、なんか。雨だとなんもやる気なくしちゃいますけど、こんな風に過ごせるんなら雨の日も悪くないなって思えますw
次回も頑張ってください。
- 160 名前:安曇 投稿日:2006/07/25(火) 00:21
- こんばんわ。
レスありがとうございます。
>>159 名無飼育さん 様
いつもありがとうございます〜。
>萌えまくりですよもうww
拙作は萌えとは程遠いと思っていたんで、その言葉はかなり嬉しいですw
これからも精進したいと思います。
- 161 名前:安曇 投稿日:2006/07/25(火) 00:26
- 上手く書けてるかどうか心配です。汗。
6期です。
『Ultimete L』
- 162 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:26
-
- 163 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:27
- 夢の中にいる、と思った。
それを何故明確に感じたのかと問われたら、はっきりとは答えられない。
漠然とした理由はある。だが、まるで薄い靄の中を手探りで進むかの如く、そのものが
ぼやけてしまい輪郭すら縁取れないのだ。
確かな事は、そこに『理由かもしれないもの』が存在している、という事だけだ。
その感覚を正確に表現する為には、持ち得る語彙が少し足りない。
人はそんな時に、こう言うのだろうか。
『なんとなく』
- 164 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:28
-
『Ultimate L』
- 165 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:29
- とどのつまり、れいなはそれを『なんとなく』夢だと思った。
リンゴが木から落ちる事や、地球が自転している事と同じだ。そうなっているように、
そういう風に出来ているように、ふと『なんとなく』が腑に落ちてきた。
すると、色んなことが見えてきた。夢は夢と認識して、初めてその世界の矛盾に
気がつくのだろう。
- 166 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:30
-
れいなは一人、広い草原で仰向けに寝転がっていた。
素肌に触れてくる草の質感は真綿のように柔く、草特有の青臭さも感じられない。
くるぶしほどまで伸びて、れいなの頬をくすぐる。酷く作り物めいた草原はどこまでも
広がり、遠くの地平線で青空と混じりあっていた。
透き通った真っ青なキャンパスが、視界いっぱいを埋め尽くす。
夢であろうと空が青いのは不変らしい。
他人はどうだが知らないが、少なくともれいなは黄色い空を見たことはない。
よく晴れた冬の空みたいだと思った。
ちなみに、現実だと今は初夏。
鬱陶しい小虫などが活動し始める時期だけれど、それもいない。
だから余計に、
「きもちいー」
- 167 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:31
- 両手両足をぐっと伸ばして、文字通りのびのびと寝返りを打つ。腹ばいになって
頬擦りまでしてみた。よく干した布団の匂いがした。
泥臭くない草原に寝る機会など、そうそうないだろう。夢の中だが、堪能しておいて
損はないと思う。
涼風が鼻先を通り過ぎ、れいなは口元を緩めた。
おとがいを上げれば、そこには一本の木が生えている。
この世界の中で特に異彩を放っているのがその木だ。
それはまるで、幼児がクレヨンで画用紙に描くような立ち姿をしていた。
幹は荒っぽい茶色でがしがしと、葉の部分はぐりぐりと塗りつぶされている。
誰もが子供の頃に一度は描く、拙くて幼くて温かみのある木の絵が、れいなの目前で
風に揺れていた。
- 168 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:33
- 木にはリンゴが生っている。絵画の木に対して、こちらは本物の質感が見て取れた。
次々に真っ赤に熟れたリンゴが生り、引力にしたがってぽろぽろと落ちる。
クレヨンの木が涙を落としているようにも見れた。
落ちたリンゴは、ころころと草の上を転がった。
それはもう色んなところへ転がっていくのだが、いくつかはれいなの傍までやってくる。
真っ赤なリンゴ。
瑞々しく艶やかな皮の下に、たっぷり蜜を含んだ実がきゅっと詰まっていることだろう。
果物の審美眼など持ち合わせていないれいなでも、思わず喉が鳴る。
何とはなしに手を伸ばす。一つ掴んで、丸のまま齧った。
そこで目が覚めた。
- 169 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:34
- はっと気づいて、れいなは体を起こす。
「……お目覚めですか、田中さん」
背中をつっと滑り落ちる、嫌な汗。
――やってしまった。
恐る恐る視線を上げれば、そこには見知った教員の顔。
片手にテキストを持ち、眉をひそめてれいなを見下ろしている。
「えーと……おはようございます」
「はいおはよう」
「ったーぁっ!」
頭の頂点から尾骨にまですこんと落ちる衝撃。テキストの角で容赦なく叩かれた。
クラスメイトの笑い声を聞きながら、頭を抱えて机に突っ伏す。
いやいや、笑い事じゃない。
軽く叩いたつもりなのだろうけど、やられた側としては、頭の芯に響くというか、
脳がびっくりするというか。つまり痛い。
- 170 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:35
- 「超痛いマジ痛い」
「目、覚めました?」
茶髪メッシュの頭に関西訛りの声が降る。れいなは顔を伏せたまま何度も頷いた。
痛い目を見るのもごめんだし、痛がる顔を見せるのも癪だった。
よろしい、と教員はれいなに背を向け教卓に向かう。
即座に顔を上げ、その背中に向かって舌を突き出した。
いささか子供じみたその姿に、周囲の生徒数人から失笑が漏れる。教師は気づかない。
れいなもつられてにやりと笑う。
そして、直後聞こえた言葉に、そのまま固まった。
「あ、そうそう。田中さん、放課後先生んとこ来なさいね」
居眠りの罰や罰、などと言いながら、彼女は教壇の上で身を翻す。
その笑顔は何だかとても輝いている――ようにも思える。
いやいやいや、笑い事じゃない。れいなの笑顔が引きつった。
斜め前に居た親友が、やれやれと肩を落としていた。
- 171 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:38
- 全く不公平だ、と思う。
「なんでれなだけ怒られると?」
「もー、れいなしつこい」
放課後、清掃の際下げていた机を元に戻しながら、親友――道重さゆみは苦笑する。
持っていた箒をロッカーに放り込み、れいなは唇を尖らせた。
振り返り、机の位置を正すさゆみをびしっと指差す。彼女はきょとんとしていた。
「れいなは知ってる。さゆ寝とったやろ」
「えー?」
「とぼけたってダメよ。こっくりこっくりしてたやんか!」
れいなが叱られた先の5限目。
注意されてしまった以上、再度午睡に徹する度胸がれいなにあるわけもなく、
その後は真面目に授業を受けていた。
だが、目の前の彼女は違う。
れいなの右斜め前の席で、さゆみはその授業中何度も舟を漕いでいた。
それはもう、大海原をも越えられよう程、豪快に。
だが、さゆみは叱責を受けなかった。
彼女だけではない。居眠りをしていた生徒は、
他にも何人かいたのだ。なのに、怒られたのはれいなだけ。
不公平だ。今度は口に出してみた。
- 172 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:39
- 「きっとあれじゃない?」
「なん?」
「普段の生活態度」
「……何も悪いことしとらんって」
「知ってる。言ってみただけ」
「……」
ため息が零れる。
昼食後の現代文は鬼門だと、改めて痛感した。
さゆみが可笑しそうに肩を揺らす。黒目がちな瞳が柔らかく細められた。
「ま、しぼられてきなよ」
「薄情もん。他人事みたいに言いよって」
「だって他人事だもん」
さらりと言い放つさゆみ。その表情は飄々としたもので、笑みすら浮かんでいる。
間違ってはいないけれど、冷たい。
がっくりと肩を落とすれいなの耳に、甘ったるいさゆみの笑い声が聞こえた。
- 173 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:41
- 憂鬱だけれど、仕方がない。
さゆみの言う事も一理あるし、第一、自分が居眠りしていたのが悪いのだから。
一つ息をついて、自分の席から通学鞄を取り上げた。さゆみもそれに倣う。
何とはなしにそれを見ていた。ふと、思い至る。
「そっか。今日金曜日か」
「そうだよぉ。忘れてたの?」
さゆみは驚いたように声を上げる。それを、頭を振って否定した。
別に今日の曜日を失念していたわけではない。
「さゆ、先帰ってていいよ」
「え?」
毎週金曜日は、いつもさゆみと一緒に下校していた。
別に、金曜に限った話ではないし、そうしようと決めていたわけでもないけれど。
『流れ』として、そうしているの自然だったのだが、今日はそうもいかない。
- 174 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:41
- れいなの言葉に、さゆみは目を丸くしていた。
「や、どんくらい時間かかるかわからんし。やけん、先に帰ってて」
「うん。まぁ言われなくてもそうするつもりだったけど」
「あー、そうですよね」
あんまりにもさらっと言うので、突っ込むタイミングを逃してしまった。
気を利かせて損しました、とは言わなかった。なんとなく。
お互い笑いあい手を振って、教室で別れた。
さゆみを見送った腕を、そのまま後ろ頭に回す。
胸のうちに溜まった鬱陶しい憂鬱を全部吐き出すように、鼻息荒く鞄を抱えなおす。
さくっと覚悟を決めて、れいなは早足で職員室へ向かった。
- 175 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:41
-
- 176 名前:Ultimete L 投稿日:2006/07/25(火) 00:43
-
- 177 名前:安曇 投稿日:2006/07/25(火) 00:45
- ほのぼの六期を目指してます。
なかなかコンパクトにまとめられません……。
続きます。
お目汚し失礼致しやした。
- 178 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/25(火) 23:23
- 更新お疲れ様です!!
んー続きが気になりますねぇw
楽しみにしてまーっす!
れいなイイヨイイヨー
- 179 名前:安曇 投稿日:2006/10/14(土) 20:37
- レスありがとうございます。
>>178 名無飼育さん 様
大した話ではないので、あまり期待はしない感じで……汗。
ありがとうございます!
- 180 名前:安曇 投稿日:2006/10/14(土) 20:37
- お久しぶりです。
全く登場人物が違いますが、一応続きです。
- 181 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:38
-
- 182 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:39
-
人気の少ない街中を、藤本美貴は自転車でそろそろと走る。
ハンドルを繰る手つきは安定している。だが、その表情はとろとろと溶けかけた
ジェラートのように締まりがなく、瞼が落ちかけてきていた。
つまり、彼女は眠かった。
時刻は6時過ぎ。今日は金曜日なので、二限目の必修科目には是が非でも
出席しなくてはならない。
それまで、少しの間だけ眠れるのが救いだった。
- 183 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:39
- 徹夜明けの体には、初夏の朝日が殺人的なほどに眩しい。
早朝の日差しを避けるように、彼女は角を曲がって住宅地の影を縫う。目を細めても
零れてくる光に、左手を額に添え日除けを作る。
その手の向こう側に、美貴が暮らしている二階建てアパートが見えた。
早く横になりたいと思う。皮膚の裏側にこびりついた倦怠感を、シャワーで流したい。
ふと、酷く喉が乾いていることに気付く。
美貴は喉を鳴らして、自転車のブレーキを握りこんだ。
静かに緩慢に、美貴は些末な作りの階段を上る。音を立てないように上るには気を
使った。
『藤本』と手書きされた、簡素な表札の前で立ち止まる。鍵を差し込んでドアノブを
捻った。蝶番が小さく悲鳴を上げるので、極力ゆっくりとドアを開ける。
嗅ぎなれた自室の匂いが鼻先を掠めて、美貴は安堵のため息を漏らす。疲労が
色濃く滲む、若者らしくない吐息だ。
コンビニの深夜バイトは楽だけれど、意外と体にこたえる。
長かった一日が、やっと終わる。
- 184 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:40
- 後ろ手に扉を閉め、履き潰されたスニーカーを脱ぐ。
と、狭苦しい玄関に、白いミュールが脱ぎ揃えられているのを見つける。
自分のものではないが、見覚えのある、可愛らしいデザイン。
僅かに眉根を寄せ、美貴は渋面を浮かべた。
だが、口の端は緩んでいたし、目元には優しい光が覗いていた。
まるで、零れ落ちる微笑みをわざと抑えているような、そんな顔だ。
ミュールの隣にスニーカーを揃え、フローリングに足を乗せる。
きし、と小さく床が鳴いて、家主の帰宅を迎えた。
- 185 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:40
- 「おかえり……」
手早くシャワーを浴びて浴室を出ると、朝のもやのような、湿度の高い掠れた声が
耳に届いた。
六畳一間の隅に、パイプで組まれた簡素なベッドが置かれている。
クリーム色のタオルケットがこんもりと盛り上がり、その中からもぞもぞと声がする。
芋虫のようだ。美貴はばれないように笑った。
「今何時……?」
「6時40分くらい。ごめん、起こした」
スリッパをへたへたと鳴らして板張りを歩く。
ベッド脇にかがんで、枕元を覗く。
彼女は寝ぼけた視線をふらつかせながら、美貴の瞳を捉える。
「おはよ」
「おはよう。いつからいたの?」
布団の中で、彼女はぐずるように枕を抱きこんだ。
起き抜けの脳はアイドリング中らしい。僅かに唸って、彼女はそのまま答えた。
- 186 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:41
- 寝てた、という言葉はあくびで濁っていた。
美貴は苦笑する。目の端に涙を溜めている彼女の、乱れた髪の毛を適当に梳いて
整えてやった。
「亜弥ちゃんは今日何限から?」
「ん……2限」
「じゃ、美貴と一緒だ」
言いながら、その体をタオルケットの中に滑り込ませる。
二人分の体温は、少し蒸し暑いなと思った。
瞼を下ろせばすぐ覆いかぶさってくる眠気に、あっという間に攫われてしまう。
彼方に流れていく意識の轍に、温かくて優しい声が届いたかどうか。
「おやすみなさい」
- 187 名前:Ultimete 投稿日:2006/10/14(土) 20:41
-
北海道から逃げるように上京して三年が経つが、このアパートに不便を感じたことは
ない。
ワンルーム六畳、バス・トイレ付き。だが駅からは遠く、バス停にも少し歩く。
立地の悪さを考慮しても、家賃は高いとも安いともいえない。だが、大学まで自転車で
通える距離というのが大きかった。
何よりも、他の住人の事を、美貴はとても気に入っていた。
特に、隣の部屋の――。
亜弥の住む家も、アパートからはさほど離れていない。彼女とはちょっとした事情で
仲良くなり、よくお互いの家に泊まったりしている。
年は二つ下だが、ウマが合うのか、こちらで一番仲の良い女の子だ。
- 188 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:42
-
生活はそれなりに満ちている。なかなかに楽しい毎日だ。
上京してから、美貴はまだ一度も実家に帰っていない。
- 189 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:42
-
酷い喉の渇きを思い出して、美貴は目を覚ました。
咳払いをしても払えない、突っかかるようにこびりつく渇き。何か水分を取らないと
収まりそうになかった。
重たい瞼を半分閉じたまま、美貴は寝返りを打つ。隣に亜弥はいなかった。
「……あれ?」
「起きたか、ねぼすけぇ」
寝転がったまま、肩越しに後ろを振り向く。
ベッドを見下ろすようにして、亜弥がそこに立っていた。
化粧はしていないが、先ほどのような寝起きの顔ではなく、寝癖もない。
にやにやしながら、彼女は美貴を覗き込む。
その目を寝ぼけたまま見つめて、美貴は掠れた声で問いかける。
「今、何時?」
「9時半。そろそろ起きなさい」
言い残して、亜弥は台所に向かい歩いていく。
亜弥専用スリッパの音が、パタパタと遠ざかった。
似たような会話を今朝交わしたなぁ、と思いながら、美貴は体を起こす。
三時間ほど眠ったようだが、まだ体が気だるい。バイトやら課題のレポートやらで、
最近あまり眠れていないのが祟っているようだ。
- 190 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:43
- 取りあえず何か飲もう。
美貴はベッドから抜け出して、小さめの冷蔵庫を開いた。
その時、冷蔵庫に張ってあるカレンダーがちらりと目に入り、
「あ」
と、美貴は声を上げた。
冷蔵庫の隣では、亜弥がガスコンロの上でフライパンをかしゅかしゅと揺らしている。
「亜弥ちゃん、ごめん。今日金曜日だったわ」
「は? 何、それがどうしたの?」
フライパンから目を離さずに亜弥が答える。
何を作っているのかが気になって、冷蔵庫の中からさっと紙パックを取り出すと、
亜弥の背後からそれを覗き込む。
鮮やかな黄色が目に飛び込んでくる。どうやらスクランブルエッグ、らしい。
「や、ほら、折角来てくれたのに、美貴寝ちゃったし」
「別にそんなこと構わないんだけど」
「だって今日の夜はさぁ」
紙パックの口を開けて、そのまま喉に流し込む。
甘い、清涼感のある味が口の中で広がった。美貴の喉がごくごくと鳴る。
口を離して、一息ついた。なかなか美味しい。
喉の渇きが癒えた頃、その味に、ふと思いつく。
- 191 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:44
-
「あ、亜弥ちゃんも来れば?」
「はぁ?」
ひっきりなしに動いていたフライパンが止まる。亜弥は慌てて火を消していた。
もう一口パックのジュースを飲みながら、美貴は食器棚の扉を開く。
平皿を二枚取り出して、ガス代の隣においておく。
「別に構わないと思うし。楽しいんじゃない?」
戸棚から食パンを二枚取り出して、トースターの中にセットする。
そうしてから、また一口。
朝にオレンジジュースを飲むことを考えた人は素晴らしい、と思った。
飲んでいるのはオレンジジュースではなくて、リンゴジュースだけど。
「あぁ――それなんだけど、あたし今日飲み会あるから」
「え、何の?」
「友達と久々に」
フライパンから平皿にスクランブルエッグを均等に移す。そのままフライパンを流しに
放ると、今度は冷蔵庫から小さめのサラダボウルを
取り出した。
「ママが作ってくれたから、持ってきたよん」
「やった、ありがと」
- 192 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:45
- サラダボウルの中には、ポテトサラダが入っていた。
亜弥ママはよく、一人暮らしの美貴のために、多めに料理を作って分けてくれる。
これがまた美味しいので、美貴は初めて食べた時、感動して涙をにじませた程だ。
亜弥はボウルをテーブル中央に置く。
トースターの前で立つ美貴は、その背中を見つめていた。
「ふーん。じゃあ、来れないんだ」
「そーゆー事。それに」
背後のトースターが、チン、と鳴った。
お、と美貴はトースターを見やる。食パンが焼けたようだ。
紙パックを置いて、中を覗く。
「家族水入らずみたいな仲を、邪魔するつもりもないし?」
「あー……」
- 193 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:45
- 自然と笑みがこぼれた。
今日も、パンが上手に焼けている。
「亜弥ちゃん、いいよなぁ……あつっ、あつっ」
食パンを一枚一枚、平皿に乗せる。思ったよりも熱くて、少し手間取った。
その皿を持って、テーブルに置こうとした時。
亜弥がくるりと、こちらを振り向いた。
「あ」
「はい?」
「美貴たん」
「はい」
「そのジュース、あたしのなんだけど」
「あ、マジ? ごめん」
トースター横の紙パックを振り返る。
パッケージは、真っ赤なリンゴと青いリンゴが、寄り添うようにして描かれていた。
- 194 名前:Ultimete L 投稿日:2006/10/14(土) 20:46
-
- 195 名前:安曇 投稿日:2006/10/14(土) 20:47
- 更新終了。
- 196 名前:安曇 投稿日:2006/10/14(土) 20:47
- 初めて書いた藤松ですが、萌えはないと思います。
続きます。
お目汚し失礼致しやした。
- 197 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/23(月) 23:41
- (*´Д`)リアルあやみき!!すげぇ〜wイイ〜w
- 198 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/06(金) 19:35
- 更新待ってます
- 199 名前:安曇 投稿日:2007/04/17(火) 04:39
- レス、ありがとうございます。
>>197 名無飼育さん 様
り、リアルと感じていただけたでしょうか?
ちょっと急ぎすぎた感がありまして、申し訳ないです。精進します。
>>198 名無飼育さん 様
そんなレスをいただけたことが嬉しくて、思わず画面にがっつきました。
お待たせして申し訳ないです。
お久しぶりです。
久し振りの割には大した量でなくて、大変恐縮ですが、続きです。
- 200 名前:Ultimete L 投稿日:2007/04/17(火) 04:40
-
- 201 名前:Ultimete L 投稿日:2007/04/17(火) 04:41
-
週の始まりは月曜日、週末は土日、だけれども。
亀井絵里に、その一般常識は通用しない。
- 202 名前:Ultimete 投稿日:2007/04/17(火) 04:42
-
終業後のホームルームが終わった。
教師はそそくさと教室を去り、にわかに騒がしくなったクラス内。
多くの生徒が大学入試を控えている三年生でも、夏の入り口に差し掛かっている
今頃は、まだそれほど逼迫した雰囲気はない。
予備校に通う生徒は早急に出て行くし、談笑する生徒はいつまでも残るだろうし、
何人かでどこかに遊びにいく生徒たちもいるだろう。
その中で、絵里は至極ゆったりとした動作でぐぐっとからだを伸ばす。節々から
ぺきりぽきりと音が鳴っているのかと錯覚するほど、体中が凝り固まっていた。
もともと勉強は得意ではないし、そもそも絵里は受験組ではない。三年の授業など
単位が足りていればそれでいい、という程度の認識だ。不必要なプレッシャーが
無意味に背中を圧迫し、変な風に肩が凝る。
首を右に左に動かす。と、鞄の中で携帯電話が震えていることに気が付いた。
鞄に手を突っ込んでストラップを探り当て、のんびりと引っ張り出す。
慣れた手つきで携帯電話を開くと、メールが一通。おそらく、ホームルーム中に
隠れて送っていたメールの返信だ。
- 203 名前:Ultimete 投稿日:2007/04/17(火) 04:42
-
『今終わったよー。
れーなはおセッキョータイムみたい。
だから二人で帰ろっ。
正門で待ってるね。』
「あらー」
間延びした声が緩んだ口元から零れる。
椅子にだらしなく腰掛けたまま、絵里は携帯電話を操作して、簡潔に返事を返す。
送信完了の画面を見届けてから、ぱたと電話を閉じた。
小気味良いその音に、絵里は気合を入れて立ち上がった。
「れーな、災難」
- 204 名前:Ultimete L 投稿日:2007/04/17(火) 04:43
-
さゆみと手を繋いで歩く、4時手前の帰り道。
この季節、空は白くけぶって、まだまだ明るい。日が経つにつれ、これからもっと
暑くなるだろう。
「それでね――」
隣から聞こえる、さゆみの声。甘ったるいザラメみたいに響くが、絵里にとっては
丁度良い。もし分類するなら、絵里の声だって水あめみたいな甘さだろう。自覚は
ないけれど。
のんびりと相槌を打ちながら、お世辞にも綺麗とはいえないアパートの階段を登る。
「あ」
絵里ははたと声をあげて、立ち止まった。
さゆみが一段上で止まって、振り返る。
「どうかした?」
「今日のご飯、買ってないや」
「えー。冷蔵庫の中、何もないのにー」
「さゆだって気付かなかったじゃーん」
「お菓子ならある」
「お菓子はご飯じゃなーい」
- 205 名前:Ultimete L 投稿日:2007/04/17(火) 04:43
-
二人して唇を尖らせてつつきあう。似たもの同士のこの二人は、取る行動もよく
似ている。
だって仕方がない。義理とはいえ、二人は姉妹なんだから。
一緒にいる時間が長いのだから、似てしまうのは否めない。
ふざけあうのを止めて、さゆみは絵里の手を引っ張りながら階段を上りきる。
「わかった。れーなと、藤本さんに頼もうよ」
「あ、それナイス」
「ナイスです」
「ナイスでーす」
かかん、と一番上の階段を踏み、絵里はふわりと笑う。
周囲の人は嫌がるかもしれないけれど、絵里はこの階段が好きだ。
音がよく響くから、誰か来たのがすぐにわかる。少し古いから、ちょっと怖いけど。
笑いながら、二人は一番奥の部屋の扉を開けた。
表札には「亀井」とだけ、そっけない文字で書かれている。
その字を少しだけ見つめて、絵里は自宅にするっと入っていった。
金曜日。
この日がなくては、一週間は始まらないし、終わらない。
何故ならば、亀井家に『家族』が集まる、唯一の日だから。
- 206 名前:Ultimete L 投稿日:2007/04/17(火) 04:44
-
絵里の父親は海外赴任の為、年に数回しか家には帰ってこない。随分とマメな
人物で、週に3回電話をくれる。
そして母親は二人いた。
そのうちの一人は日本のどこかにいて、極稀にだが手紙をよこしてくれる。
元気でいることだけでも知らせてくれるので、悪くはない、と思う。
もう一人は、遠いところに旅立ってしまった。その人は、さゆみの母親でもあった。
さゆみによく似た色白で可愛い母親のことが、絵里は今でも大好きだ。
生き写しのさゆみを大事にすることで、死んでしまったその人も大切にしたいと
思っている。
だから絵里は、自分やさゆみの境遇を哀れに思ったことなど、一度もなかった。
- 207 名前:Ultimete L 投稿日:2007/04/17(火) 04:45
-
「これかわいー」
「こっちのもいんじゃない?」
「あ、それいい。これと合わせるといいかも」
「うーん。だったら絵里はこっちと……このモデルさん可愛いよね」
「さゆの方が可愛いの」
「はいはいはい。絵里も可愛いよ」
「はいはい。あ、それ一個とって」
「はい」
「ありがと」
南側の窓から、西日の光が斜めに差し込んでいる。だんだんと暮れ行く世界の
中で、この六畳一間は一つの王国のように感じられた。
この空間の中でなら、二人は何をしても怒られない。お菓子とファッション雑誌を
片手に、夕方のつまらないテレビをBGMにして。制服姿のままでも、誰も何も
言わない。二人で壁際に座り込み、寄り添って雑誌を眺めている。
傍から見ればそれは仲睦まじい姉妹そのもの。砂糖菓子のような空気が二人を
包んでいる。
そう、まるで今二人が口にしている、フルーツ味の飴玉みたいな空気だ。
- 208 名前:Ultimete L 投稿日:2007/04/17(火) 04:46
-
口の中でころころ転がしながら、絵里はのんびりと雑誌のページをめくる。
不意に、温かい重みを左肩に感じた。
「んー?」
視線だけ動かす。さゆみが絵里の肩に頭をもたれていた。
「なんか、眠くなった」
「寝てもいいよ?」
「絵里といると、なんか眠くなるんだよね」
「えー。それって褒められてるのかなあ?」
さゆみは口の端で微笑んで、頭を上げた。
すぐにその身体が沈み込んだので、絵里は持っていた雑誌をさっと脇に避けた。
フローリングに投げ出した絵里の腿に、さゆみの頭がくたりと乗せられる。
絵里はその漆黒の髪に指を通す。そうするのが当たり前のように。
- 209 名前:Ultimete L 投稿日:2007/04/17(火) 04:47
-
彼女が聞いたらもちろん怒りだすような言葉も、二人の世界では許される。
静かに微笑んで、さゆみはゆっくりと瞼を下ろした。
ゆったりとその髪を梳きながら、絵里はふっと窓の外を見た。
徐々に橙色に染まっていく、外の世界。その漏れた光が僅かに部屋に差し込んで、
部屋の中までがオレンジ色で溢れていた。
さゆみの寝息が微かに響く、オレンジの国。
「あ」
またもや声をあげて、絵里は室内を見回した。
自分の携帯電話は、部屋の中央に置かれたテーブルの上に置いてある。
しかし、さゆみに膝枕をしているせいで、動きは取れない。手を伸ばしても届く
ような距離でもない。
「気まずいなー……御飯がない」
- 210 名前:Ultimete L 投稿日:2007/04/17(火) 04:48
-
これでは電話もかけられないし、メールも出来ない。部屋の電気も点けられない。
仕方がない。あと二人のどちらかに用意してもらおう。先に来た一方に連絡して
もらって、一番最後の人が4人分の食料を買ってくるのだ。
まるで罰ゲームみたい、と思い、絵里は一人でにやにや笑う。誰も悪いことなど
していないのに。
しかし、これも仕方がないのだ。
何故ならここは、絵里とさゆみの、二人の空間だから。
二人が王様――いや、お姫様なのだ。
そして後の二人は、その家族。お姫様に尽くすのは、当然のことだ。
- 211 名前:Ultimete L 投稿日:2007/04/17(火) 04:48
-
手の届く範囲にあるのは、飴の入った袋と、さゆみのカバンと、先程読んでいた
雑誌。
飴の袋から一つ取り出して、個包装を破く。
その時、かん、かん、と音が鳴った。
誰かが外の階段を上っている。随分とゆったりとした足取りだ。
飴を口の中に放り込んで、じっと耳を澄ます。階段を登りきったその足は、若干
引き摺るような足音を静かに響かせ、隣の部屋で止まる。
絵里はにやにや笑いながら、さゆみの髪の毛を撫でる。
「れーな、災難」
清涼感のある飴を舐めながら、絵里はのんびりとつぶやいた。
- 212 名前:Ultimete L 投稿日:2007/04/17(火) 04:48
-
- 213 名前:安曇 投稿日:2007/04/17(火) 04:49
- 更新終了。
- 214 名前:安曇 投稿日:2007/04/17(火) 04:50
- 激しい展開なんてありません。
続きます。
お目汚し失礼致しやした。
- 215 名前:安曇 投稿日:2007/04/17(火) 04:57
- あわわわ、ミス発覚!
>>209の冒頭に以下の文が入ります。
>「藤本さんたちが来たら、起こしてね」
>「起きるよ。れーなうるさいもん」
本当に申し訳ないです。
脳内補完お願いします……。逝ってきます。orz
- 216 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/21(土) 23:15
- 設定にすごく惹かれますね^^
これからの展開も楽しみです
>作者さん
「更新待ってます」にがっついてくれてありがとうございます(笑)
- 217 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/03(月) 02:00
- 描写がきれいで、ほぅ・・・となりました。
激しい展開のないきれいな日常、素敵です。
次回も楽しみにしています。
- 218 名前:安曇 投稿日:2008/01/11(金) 17:28
- 生きてます。すみません。
保全代わりの短編を載せたかったんですが、週末に間に合いそうにないので、取り急ぎレスのみ。
>>216 名無飼育さん 様
そう言って頂けるととても嬉しいです。
亀の歩みで申し訳ないです……。
ありがとうございました。
>>217 名無飼育さん 様
嬉しいお言葉、ありがとうございます。
次回がいつになるのかは分かりませんが、待っていただけたなら幸いです。
頑張ります。
本当に失礼致します……汗。
- 219 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/23(水) 08:02
- いつまででも待ってますw
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