なちよしごま
1 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:18

ここでは初めて書かせていただきます。

”Mr.Moonlight”のPVの世界で、吉澤さん視点です。

♂化に一応なっています(コラ

基本なちよし、+ごとーさん、その他大勢…(をい
2 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:20

人物設定などなど…



吉澤ひとみ
20歳

執事は新垣里沙

お調子者。単純。物事をあまり深くは考えない。
女の子大好きで声を掛けることは挨拶だと思ってる。
幼馴染の後藤と執事の新垣には頭が上がらない。
安倍君には真っ向勝負でぶつかっていく。



後藤真希
20歳

執事は高橋 愛

冷静、クール。…でも意外に嫉妬深い。
女の子に声を掛けずとも寄ってくる容姿。だけど、一途。
突き離した態度の裏では結構心配している。
安倍君のことになると、キャラが変わる。



安倍なつみ
24歳

執事は亀井絵里

二人よりも年上なのにそう感じさせない容姿と雰囲気。
天然で周りのことには疎い。
気にしてないように見せて、言う時は結構言う。
二人の間に挟まれ、異変に巻き込まれる。
”運命の人”と声を掛けてきた、その本心は……?

3 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:21



白い、雪が降り積もる。

降っては、降っては、アスファルトに消え、土に音を立てて。


…何年ぶりの雪だろう。

こんなに降ったのはガキの頃以来かもしれない。
いつもとは全く違う景色に僕は足を止めていた。
窓から覗く、この見慣れた景色も、こんな夜は見入ってしまう。


予報ではそこに月が見えるはずだった。

でもいつまで経っても出てきそうもない、この暗い雲に。

僕は待ちぼうけを食らって、ただ空を見上げていた。


そこにキミを見つけたのは偶然じゃない。

いつもなら気に止めなかっただろう。

それなのに、キミから目が離せなかった。

…いつの間にか僕も同じ空の下に佇んでいた。


「…やっぱ、さみぃ〜!!」


バカみたいに声をあげる僕を見て、キミは笑った。


キミも空を見上げていた。

…だけど違ったのは。

僕が待ちわびていた月じゃなく、
キミはこの雪を待ちわびていた。

ちらちらと落ちてくる雪の、そのひとつを手のひらに乗せて。


僕にはハズレの予報でも、キミにとっては望んでいた雪なんだろう。


「ねぇ。…キミは、運命を信じる…?」



こんな夜。

キミが居なければ、

…ただ寒いだけの夜だった。


4 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:21


『Mr.Moonlight』





外の景色が、白一色に染まる。

「…こりゃだいぶ積もるな」

「そうだね…。でも皆、そんなことは関係無いみたいだけど」

階下ではいまだ冷めやらぬ宴が続いていた。それに冷たい視線を送る幼馴染み。

その言葉通り、一階のフロアでは、外の悪天候なんて関係無しな、浮かれた会話ばかりが飛び交っている。

毎年恒例のパーティなんだから。
…そう言われたら、何も言えないけど。

それが一般ぴーぷるってやつよりも、ちょっとばかし良い生活してる奴らだと、それだけやることも派手になる。

最上級のおもてなしを受け、上品な会話をし…そして、最高級の食材で作られたウマい食事とウマい酒。
飾られた各々の屋敷には、金ピカ、キラキラ。そんな言葉がよく似合う。
そんな部屋の装飾だけならまだしも…招かれたゲスト自身も上品と下品の間を彷徨う装飾品を負けずと身につけてんだから。…これだから、お上品に生きてる連中は気が知れない。

「そりゃ、そうだろ?これからが本番なんだからさ」

僕達もその中の一人だけど。
…浮かれた会話に交ざらないだけマシだ。

そう思っても、大した差は無い。

この後のことを考えると、勝手に歌を口ずさんでる僕が…ここに居る。

「僕は、嫌だ、なんて言ってないだろう?ただ…この雪で、ここへ来れなくなるんじゃないかって…」

当然とばかりに階下の女の子に目を向ける僕とは違い、幼馴染みの後藤はもう一人の友人を心配してさっきから窓の外ばかり見ている。

「あー。わかった、わかった。オマエ…相変わらず、安倍君、安倍君ってなぁ…」

「何?…吉澤…。何か文句、あるの?」

軽く肩をポンと叩いたら、鋭い視線で睨まれた。

…こいつ、安倍君のことになると人格変わるからな…。

「……いや…。お…、なんだ?始まるみたいだな」

次第に時間が近付き、会場がざわつき始める。

…そろそろこのパーティもお開きの時間だ。


連日のように開かれた宴。
それも今夜を境に終焉を迎える。

後は年を越える準備に入り、また新しい年を迎える為に。



「…お待たせ」

皆が皆、パートナー探しを始めた頃。
背後から、待ちに待っていた友人の声がした。

「…安倍君、遅かっ…」

「安倍君っ!!…遅かったから心配だったんだ」

僕が声を掛けるよりも早く、後藤はすぐに振り返り、もう一人の友人、安倍君に駆け寄っていた。

「後藤。…吉澤、遅れてごめん」

「いや…。安倍君が無事で良かったよ。こいつ、安倍君、安倍君って凄くてさー」

「…よ、吉澤!!」

ここまで行くと…友情以上のものを感じる。
僕も安倍君のことは好きだけど、こいつの好きとは違う気がした。

「ふーん…。吉澤は、僕のこと…心配、してくれなかったの?」

横を通り抜けざまに、安倍君が肩に手を置いて拗ねたように僕を見上げる。

「…ぇえっ?あ…い、いや…そんなこと…」

「…別にいいさ。キミはいつだって可愛い女の子に夢中だからね」

…そんなことはない。

そう言いたいのに、言えない自分が居た。


僕と後藤、そして安倍君。
三人揃った所で、フロアに降りた。
そこはさっきまでの場所とは違い、たくさんの女性の色香が漂っている。

「…よっしゃ!僕の出番だな」

「吉澤。気合い入ってるね…」

「…ふふっ」

先頭切って、僕は先に目を付けていた女の子達に声を掛けた。

5 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:23


 ……ひらひらと、
 バラの花びらが舞い落ちる。

 それは儚く、切ない。僕の想いの欠片。

「好き……嫌い、好き……」

 一枚、一枚、想いを込めてちぎる。

「こんなことしてるなんて……もう末期だな」

 好きな女の子はたくさん居た。
 付き合う子だって、それなりに。

 でも窓に映る僕は……

 君しかいらない。
 そう言っていた。

 僕が唱え始めた魔法が、いつかその効力を発揮してくれるだろう。

 ひとひら、ひとひら
 赤い絨毯の上に、白いバラの花びらが舞い落ちる。

 それは最後の一枚になっても――

「……誰がなんと言おうと、もう関係ねぇ」

 それがどんな結果になったとしても、僕は後悔なんてしない。

 僕もアイツもただ一人、君を愛した。
 それは決して変わらない現実。

 それが君を強引に巻き込んでいたとしても。


6 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:25


『それを変というのか』




いつものように呼ばれた夜会。

陽も落ち、夜の闇が増していく。
……といっても、今の季節は陽が落ちるのも早い。
屋敷を出るには、まだじゅうぶんに時間があった。

外の庭には雪が積もり、空にはうっすらと月が浮かんでいる。

窓辺に寄りかかり風に当たりながら、僕はサイドテーブルの上にある写真に手を伸ばした。
そこに写るのは、僕と隣に住む幼馴染、そして――

「安倍君……」

安倍なつみ
僕とアイツよりも4つ年上の彼は、とてもそうは見えない容姿をしていた。
僕達と同い年、あるいは……。
それ以上言えば機嫌を悪くする。
だから僕達もそれ以上は言わない。

そんな彼と僕達が知り合ったのは、去年の夏。
その日も僕達は夜会に招かれていた。
ただ出会っていただけならば、僕がこんな想いを持つことも無かっただろう。


「君が……吉澤君?」

そう声を掛けてきたのは安倍君だった。

「……そうだけど。君は?」

彼がジッと僕のことを見ていたことを思い出す。
彼は近寄ってくると、僕に耳打ちした。

「僕のこと、覚えてない?」

そう言われ、僕は答えられなかった。
ジッとこうして見ていても、知ってる誰かとは重ならなかったからだ。

「そう……なら、君の運命の人だ、って言ったら思い出すかな?」

「は……はぁ!?」

んなこと言うやつあるか!?
ナンパだって人を選ぶ。ましては男なんて絶対無理だ。

「って……君が以前、僕に言ったことなんだけど。やっぱり覚えてないか…」

「……はぁ?僕が…?君に?」

彼が落胆し、僕から離れる。

急におかしなことを言うやつだ、と思った。
いきなり初対面の、それも女の子なら即、頷く所だけど。それを男に言われるなんて。
思い出しても、そんなことを言ったのは神に誓っても女の子しかいない。

「その顔、僕がおかしいとでも思ってるみたいだけど。ホントに君が僕に言ったんだよ?…残念なことに君は覚えていないようだけどね」

「……い、いつ僕が言ったんだ、そんなこと」

「覚えてないなんて……ヒドイやつだな、君は」

冗談まじりに言ってるように見えて、目が笑っていない。

スーツを着ているせいであまりそうは見えないけど、彼の顔立ちなら僕が間違って声をかけていたとしてもおかしくはない。
もう一度、ジッと見つめると、彼は恥ずかしそうに目を逸らした。
なんかこんなリアクションされると、ホントに僕は彼に声をかけたんじゃないかと思ってしまう。

7 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:26

「やぁ、吉澤。…君は女性だけじゃなく、僕達同性にも手を出すんだね」

「ご、げほっ!?」

思わず僕はむせていた。

「ご…後藤!?」

後藤真希
それは隣に住む、腐れ縁と言うべき僕の幼馴染だった。

「なっ、ご、誤解すんなよっ!!」

「…まったく。本当に色んな意味でも罪作りな男だね、吉澤は…」

呆れたとでも言わんばかりに後藤に言われ、僕は一瞬言葉を失った。

「ちっ……違うっ!!」

断じて、僕は男に手は出してない!!

僕はその言葉の意味に取られるのが嫌で必死に否定した。

「いいじゃないか、別に…。僕はそれを知った所で君を変人扱いするつもりは無いよ」

「あ……あのなぁ…」

いい加減嫌になってきた。
僕は言い訳するのもめんどくさくなって、テーブルの上のドリンクに手を伸ばした。

「悪かったよ…すまなかった、からかって」

安倍君は苦笑いを浮かべ、僕の肩を叩く。

「は……はぁっ!?」

「キミがあまりにも女性に手を出すものだから、同じ男として許せなかったんだ」

後藤がそれを聞いて笑い出す。

「…ほら?だから言ったじゃないか、吉澤。手辺り次第に女性に声をかけるものじゃない、って」

「うっ……うっせぇな…」

そりゃー笑いかけてくる女の子には大体声掛けてたけどさ。
そんなの挨拶だろ?僕達にしてみれば。

「まぁ…君には良いお灸になったみたいで良かったじゃないか」

僕は腹の立つ後藤の言葉に舌打ちして、睨みつけた。

「くそっ!!もぉ、おまえらとは友達でも何でも無いからなっ!!!」

テーブルを叩いて、僕はすぐにその場から離れた。

「おやおや……怒らせてしまったみたいだね」

「気にすることないよ。また可愛い女の子を見つければすぐに機嫌も直すさ」

「っ、ざけんなっ!!」

背中から聞こえた神経逆撫でする会話に、僕は振り返って二人を怒鳴りつけていた。



今になっても思い出す。
僕と君が出会ったあの日のことを……。

そして同時に胸が締め付けられた。
あの時はあんなこと言ったけど、今の僕なら喜んで受け入れられるだろう。

"君の運命の人"

それが僕であって欲しい。
そう思い始めたのは、それから間もなくのことだった。

8 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:26


「……君を好きになるなんて」

それこそ予想外だった。今でも信じられない。
だって可愛い子大好きな僕が、安倍君にマジになるなんて。

…まぁ、可愛さだけで言えば安倍君も当てはまるか。
そう思うと少し気が楽になるけど、それは、僕だけじゃなかった。

「……呆れた。悪いけど、それ以上は僕の前で言わないでくれる?」

「う、うわぁっ!?」

溜息混じりに呟いたのは、腐れ縁の親友、後藤だった。
写真を見ながらニタニタしていた所を一部始終見られていたようだ。
部屋の入口から僕を呆れた目で見ている。

「こっちが恥ずかしくなるよ」

そう言って後藤は自分の体を掻いて見せた。

まるで密偵のような動きは、後藤家の体質なのか?
こいつもこいつの執事もいつの間にかうちの屋敷に入っているんだから恐ろしすぎる家系だ。

「…失敬なやつだな」

「失敬だって?…それは君の方じゃないか。そんな恥ずかしいことをよく口に出来るね、僕の目の前で」

「なぁっ……!」

一気に顔が熱くなる。
勝手に入ってきたのは、おまえだろーが!

「吉澤…。忘れてるみたいだけど、僕だって安倍君のことが好きだってこと、忘れてもらっちゃ困るよ」

「わっ…忘れてるわけじゃねーよ!な、何なんだよ、急に部屋に入ってきたと思ったら!」

「あっきれた…。忘れてるのはそっちなの?」

敵対視する視線から、蔑んだ視線に変わる。

…どっちにしろ、後藤とは安倍君を取り合い始めて以来、気が合わなくなってるからな。

今まで女の子を取り合うこともなかった僕達が一番驚いたことは、こうして関係が崩れたことだった。

今まではどっちの恋愛にも、話は聞いても干渉し合うことは無かったからな…。

「何なんだよ、ハッキリ言えよっ!!」

「じゃあ、僕は知らないよ。こんなことでライバルが一人減るんだ。…どうして僕がその手助けをする必要があるの?」

「……は…はぁ?」

後藤はそう言うと、さっさと僕の部屋を出て行った。

しばらく呆然と後藤の出てった扉を見ていたけど…

「……はっ!?な、じ、時間じゃねーかっ!!」

僕は慌てて上着を掴むと、廊下を走った。

廊下から見る外の景色は、さっき僕が思い耽る前とはだいぶ違っていた。

真っ暗な暗闇。だけど月明かりが雪を明るく照らしていた。

「くそっ…安倍君待ってっかな……」

今さらだけど、自分の屋敷が広いことを恨めしく思った。

「ま、待ってくれ!!」

玄関まで走ると、呆れたように佇む後藤と執事達が居た。

どうやらまだ僕を待ってくれていたようだ。

9 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:27

「……まったく。君ってホント、バカ?こんな大事なことを忘れるなんて」

「う……うっせぇな!」

「うるせぇ、じゃないですよ、ひとみ様!!また真希様にご迷惑をおかけしてっ…!!」

すぐにうちの執事の新垣が僕にコートの袖を通す。

「あーもーうるせぇーな。わかってんだよ、そんなこと」

「だったら、迷惑かけないようにしてくださいっ!!」

僕は新垣の小言から耳を塞いだ。

「ふふっ…新垣は吉澤の母親みたいだね」

「……冗談でもやめてくれ」

「ほらほら、真希さまもひとみさまも〜はよせんと、間に合わんですよ」

外の車に控える後藤の家の執事高橋が声をかけてくる。
僕は靴を履くと、後藤と共に車に駆け寄った。

「うぅ〜〜寒ぅ〜〜!!!」

車の後部座席に乗り込み、高橋に声を掛ける。
振動から伝わってくるエンジン音。車内はもう暖房でだいぶ温められていた。
そして僕らが乗ったのを確認してドアを閉めると、新垣が助手席、高橋が運転席へと座った。

「すまない、待たせたね。高橋」

「えぇって、真希さま」

「まったく…ひとみ様のせいで。申し訳ありません」

「いいんだよ、新垣。君が謝ることじゃない」

そう言って後藤が僕を睨む。

「わっ……悪かったって」

そう言うと、後藤はため息をついてまた車の前方に目を向けた。

「じゃ、行きますよぉ〜」

「…あぁ、頼むよ」

高橋の声に後藤が返し、車が動き出す。


行先は、夜会の主役。
石川伯爵のお屋敷へ。

10 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:27

『思えば似た者同士だった。』



会話も少ない、車内。

ただ近付くにつれ、心臓の音が早くなっていた。

「……まだなのか…?」

ソワソワして誰に話すってわけでもなく、とりあえず口にしていないと落ち着かなかった。
そんな僕の隣で後藤が、

「…君は安倍君のこと…どれだけ知っているんだ?」

「はぁ?な…何のことだよ」

聞き返しても、それに返ってくる言葉はない。

「いや……なんでもない」

「なっ、何なんだよっ」

聞くってことは知ってるってことだ。

「何でもねぇーって…お前こそ、何隠してんだ…?」

お互い見合ったまま沈黙が流れる僕らを、前に座る新垣と高橋がミラー越しに見ている。

「…ごほっ!んっ!!」

咳をしながらミラー越しに睨み返すと、二人は白々しく目を逸らした。

「僕は安倍君がどんな人間だろーが、この際気にしねーよ」

惚れちまった時点でそんなこと気にしてる場合じゃないってわかったからな。

そう答えると後藤は笑っていた。

「……君ならそう答えてくれると思っていたよ」

「だったら聞くなよ」

「そうだったね…。君はそういうやつだった」

久々ダチとしての顔を見て、少しホッとしていた。

「…吉澤。君が一番のライバルになりそうだよ」

「はんっ。当たり前だろーが」

それからお互い会話もせず、ただ流れていく景色を見ていた。

11 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:28


「……もうじき着きますよ」

助手席に座る新垣が僕達に声をかけた。

その声に車の前方を見ると、石川伯爵のお屋敷に招待客が挨拶を交わしながら中へ入っていくのが見える。
その数分後、エンジン音が静かになり、運転席に座っていた高橋と新垣が車を降りた。
窓から外を覗くと、新垣達が伯爵の家の者に話しかけている。

「安倍君……待たせちまったけど大丈夫かな…」

僕がソワソワと窓の外を見ながらそう言うと、黙ってた後藤がこっちを見た。


「もし怒られたら君のせいだ、って言えばいいじゃない」

「お、おいっ!!」

「まぁ、僕のせいじゃないのは確かだからね」

「ぐっ……」

それ以上、言う前に後藤はさっさと自分でドアを開け、屋敷の中へと入っていってしまった。

「あいつ……何なんだよ、くそっ!!」

「あれ?ひとみ様だけですか?」

嘆く僕を呼ぶ声。
そこには車のドアを開け、何が起きたのかもわからず僕を見ている新垣がいた。


12 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:29


一人、僕は伯爵の屋敷へと入っていった。

「……お待ちしておりました。吉澤様」

伯爵の執事が僕を出迎え、奥へと案内する。
絢爛豪華な装飾品を身に付けた招待客達の間を抜けると、屋敷の大広間にたどり着いた。
高い天井、そこにはシャンデリアがぶら下がり……そこは宮殿のような洋装だった。

「これは凄い」

「……ありがとうございます。喜んでいただけて光栄ですわ」

素直に感嘆の声をあげると、そこには待っていたかのように今夜の主役、伯爵の一人娘、梨華さんが居た。
今夜のパーティはこの梨華さんの誕生日を祝うもの。
この日の為に用意した花束を梨華さんに手渡した。

「僕の為に生まれてきてくれてありがとう、梨華さん」

「まぁ……」

今にも甘いBGMでも流れてきそうな雰囲気の中、僕と梨華さんが見つめ合う。

「おやおや…相変わらずだね。吉澤」

「―えっ?」

反射的に僕はそれまで握っていた梨華さんの手を離していた。

「あ……安倍君!」

そこには今夜の夜会の為に少し着飾った安倍君の姿。
僕は梨華さんのこともおざなりに、安倍君に駆け寄っていた。

「…遅いじゃないか。いつまで経っても来な……って、ちょっと!?」

僕はすぐに安倍君の腕を掴むと、挨拶も早々、すぐに招待客の中に紛れていた。

「よ、吉澤っ…!?き、君、梨華さんが……」

「―いいんだよ。僕は安倍君と居たいんだ」

これだけの招待客の中、中に紛れるのは簡単だった。
広間の中心辺りで足を止め振り返ると、困った顔で僕を見る安倍君と目が合った。

「よ、吉澤…ちょ、ちょっと、離してくれ」

「あ…ご、ごめん」

勢いがあまり過ぎて、ずっと安倍君の手を引いていた。
手を離すと、安倍君は少し照れた様子で僕から目を逸らした。

「いや…あのさ。安倍君、今日は待たせてごめん」

頭を掻きながら、僕は謝った。
それに安倍君はこっちに目を向けて、

「ホントだよ。二人がいつになっても来ないから…」

そう言って、ちょっと安倍君がいじけてみせる。
その仕草さえ可愛いと思ってしまうんだ…かなり重症かもしれない。

「…どうかしたのか?吉澤」

「え?あ、いや…久々安倍君の顔見れたから、嬉しかったんだ」

いつでも会えるわけじゃない。
…隣のアイツは毎日会えるけど、安倍君は違う。
こうして安倍君に会う機会を減らしたくない僕は必死だった。

13 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:29

「それは…女性に言った方が喜ぶんじゃないか?」

「なんでだよ。安倍君は喜ばないの…?」

「えっ……?」

安倍君は返答に詰まって、困り顔をしていた。

「…最近、言うようになったじゃないか。吉澤」

僕を困らせるなんて、なかなかのものだよ。

「会った時はうろたえるばかりだったのにね」

安倍君は笑っていた。

…僕はそんな風に褒められたいわけじゃないんだけどな。

僕はこうして安倍君と話してるだけで、心臓が締め付けられるようだ。
…だけど安倍君は違うんだろうな。

それだけで胸が苦しくなる。

どうしてこんなに想ってるのに伝わらないのか、って。

「嬉しくないかな…だって僕、安倍君の運命の人、じゃないの?」

自惚れなんかじゃない。
…そう思いたかった。

「………えっ…?」

安倍君が僕を見つめる。
それも何か不思議な物でも見ているかのようで。
そんな安倍君が可笑しかった。

「よ、吉澤、な、何笑っ…」

「―安倍君!! やっと見つけた」

背中から聞こえた声。
それは僕より先に屋敷に入っていったはずの後藤だった。

振り返った瞬間、目が合って、

「……早かったんだね。吉澤」

それは皮肉のように聞こえた。
僕より先に安倍君と話すなんて、って。

「あんだよ。お前どこ行ってたんだ…?」

「あぁ…ちょっと梨華さんに捕まってしまってね」

そう言って後藤は少し疲れたような顔をしていた。
まぁ、モテモテだからね後藤さんは。

「ふふっ。相変わらず気に入られてるようだね」

「ちょっ、あ、安倍君までそんな言い方っ…」

慌てて後藤が弁解する。
そりゃーそうだろ。
梨華さんとの結婚が一番近いのは後藤だ、なんて噂話されたら。

「僕にはもったいない女性だよ。…それに僕には想っている人がいるんだ」

そう言って後藤の視線は安倍君に向いていた。

「へ〜?それは初耳だね。…吉澤は知っているのか?」

「え?あ、あぁ…まぁ、ね」

いきなりふられて正直困ったけど、僕は曖昧に答えていた。

…後藤のやつも結構本気出してきてるな…。

それで安倍君が気付くはずもないけど、知ってる僕らにとってはその一言一言に緊張が走る。

14 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:30

「ふ〜ん…僕だけ知らないのか」

『…そうだね』

知りようにも、本人だからな。
そう思ってるのは僕だけじゃなく、後藤もだろう。

「…安倍君にはいないの?そんな人」

「えっ…?」

それ以上、聞かれても困る、っていうのもあったし。
安倍君のそういう話を聞いたことが無かったことを思い出した、っていうのもある。

安倍君はあごに手を当て、ジッと考えている。

「僕は…そうだね。いまだに初恋の人が忘れられない」

ガーン、とかゴーンとか。
そんな何かが崩れ落ちるような音が聞こえた。

「…え?あれっ…二人ともどうしたんだ…?」

胸を押さえていたのは僕だけじゃなかった。

「後藤…踊りに行くか」

「あぁ…そうだね」

「え?あ、ちょっと……」

安倍君の引きとめる声も聞かずに、僕たちはそれぞれ女性に声をかけた。

15 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:30


そして何曲が踊った後、広間の中に二人の姿が無いことに気付いた。

「まさか…な」

そうは思っても、頭によぎるのは二人が今、一緒に居るんじゃないか、ってことだ。
あの安倍君の話を聞いて、同じくショックを受けていたのはわかってるから、大丈夫だ、と思ってた僕がバカなのか。

どっちにしろ、落ち着いてなんかいられない。
広間に居ないんだ、どちらもここからは出ているはず。

僕は広間から中庭に続く通路へと出た。
賑やかな大広間から出ると、一気に静かになる。
進むうちに、遠くから聞こえる大広間の音。
しばらくその姿を探すように歩くと、外から物音が聞こえた。

「な……なにするんだっ!」

その声は安倍君の声。
それは庭から聞こえ、僕はすぐに飛び出していた。

屋敷を出ると、足を踏みしめる度にシャリシャリと雪が音を立てる。

「アイツは良くて…!!僕は…ダメなの…?」

「…ち、違う、そうじゃなくて…僕は、」

声が近くで聞こえ。
その姿を探そうと辺りを見渡すと、庭の外れに二人の姿を見つけた。

「…後藤…」

そこには安倍君を抱きしめる後藤の姿。
どう見ても、普通の状態じゃないことは確かだった。

「安倍君が好きなんだ。…その意味、わかるでしょ…?」

…告白。
アイツが安倍君に想いを伝えていた。

「僕を…?」

僕はそれ以上、進めずに立ち竦んでいた。

「…あぁ。君が………と、しても」

「っ!?後藤っ…!?」

……!

僕には聞きとれなかったけど、それを聞いて安倍君の顔色が変わったのはわかった。

安倍君が体を押し返して、離れようとするその手を後藤が掴む。

「は、離してくれっ!!」

「……嫌だ」

強引に引き寄せ、後藤は安倍君を木に押し付けていた。

「っ…!!」

「…安倍君…」

後藤の顔が安倍君に近付く。
それが何をしようとしてるのかわかった僕は、一気に駆けていた。

16 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:30

「お……おい、やめろっ!!!」

『……っ!?』

二人は僕の声に驚いていた。

放心状態の安倍君と、僕を睨む後藤。

「おまえ…何やってんだっ!!」

胸倉を掴んで、後藤を安倍君から引き離した。

「なんだよ、君まで僕の邪魔するのかっ…!?」

「何、言ってんだよ、後藤!!」

二人の間に入り、それでも表情の変わらない後藤の体を押さえる。

「よ……吉澤!?や、やめるんだ!!」

引き留める安倍君の手も振り払い、

「このバカ……少しは頭を冷やせっ!!!」

「……うるさいっ!!」

その一瞬の隙に、僕も後藤も反転していた。

庭に積もった雪の中にお互い頭を突っ込んで。

「うっ…つ、つめてぇ…」

「……吉澤…」

雪を振り払うと、後藤のさっきまでの敵対心なんてどこへやら。

意志の無くなった虚ろな目は、僕を見るんじゃなくずっと安倍君を見ていた。

「なっ、何なんだよ、おまえ…」

後藤のことも気にかかったけど、とりあえずそのままに。
僕は安倍君に近付いた。

「……大丈夫?安倍君」

「あ……あぁ」

腰が抜けたのか、そこから動けずにいる安倍君に手を差し出す。

それをしばらく見ていた安倍君だけど、

「…すまない、吉澤…」

そう言って僕の手を取ってくれた。

「一体何が……」

「それは僕の口からは言えない。後藤に聞いてくれ…」

「ちょっ、あ、安倍君っ!?」

「君は後藤を頼む。僕は…先に帰らせてもらうよ」

安倍君が僕達を振り返ることはなかった。

そのまま屋敷の中へと入っていく安倍君を見送って。
僕はまたチラチラと降り始めた雪を見上げていた。

「へー……っくしょいっ!!」

17 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:31


「う゛ー…ざびぃ〜〜」

「……ぐすっ…」

僕と後藤は屋敷に戻ってから、ずっと暖炉の前を占拠していた。

毛布に丸まったまま、さっきから鼻水すすってる僕ら二人。

「……一体、何してたんですか?スーツは汚してくるし…」

新垣のさっきから執拗な質問にも答えず、ただ聞こえてくる音として聞き流していた。

「……もぉっ…」

「ほら、里沙ちゃん。二人っきりにしとったらえーんよ。お二人には話があるんやし、な?」

さすが気が利くな後藤の執事は…。
それに比べて新垣のやつ……。

高橋が新垣の背中を押して、リビングを出て行く。
そして誰もいなくなったリビングに僕ら二人だけになった。

「おい…」

「……何?」

な、何って…。

「……聞いてたんでしょ?別に僕に聞かなくても…」

「あのなー!…聞いてたっていっても、こっちだってそんな野暮じゃねーよ!」

誰が好きで、他のやつの告白なんか聞くかっ!

「……そうだね…。悪かったよ、吉澤」

「……な、なんだよ…」

素直に謝られると気持ち悪いな。

後藤はさっきからピクリとも動かなかった体を起こして、僕に向き直った。

「あんな風に…安倍君に告白したことは謝る…」

「……なんなんだよ、ったくよー…」

何がなんだかわからないことばっかだけど。

今は、それだけ聞いて、そっとしておくことにした。

18 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:31

次の日の朝、アイツは昨日のことなんてまるで無かったような態度で。

「吉澤、君にいつまでも貸しを作っておくのは気持ちが悪い…」

「気持ちわりぃって…随分な言われようだな」

「…すぐに返すからな」

「まぁ〜…こっちはいつでもいいけどな」

そんなことどーでもいい。
後藤の気が済むようにすればいいんだし…。

「里沙ちゅわ〜ん、またな…ぐすっ」

「いや…そんな名残惜しくされたって、すぐ会えるじゃん」

すぐ隣だし。すぐ忍びこんでるでしょ?

「つれんなぁ〜里沙ちゃん…」

「はいはい、バイバイ」

最後まで名残惜しそうに高橋は出て行った。

「……それで?」

「なっ……何がだよ」

僕と新垣以外、居なくなった玄関先で。

居なくなった途端に、声のトーンが低くなる。

「何が?じゃないですよ。お二人の様子明らかにおかしかったじゃないですか」

「……そ、そうか?そうだったかなぁ〜?」

このまま誤魔化そうと思ったけど、新垣の目は誤魔化せそうにない。

「……真希様、なつみ様に告白されたんですよね?」

「ぶはぁっ!!な、なん、なんっ」

新垣はニヤッと笑って、玄関からリビングへと戻っていく。

「ちょっ、ちょっと待て、新垣!!!」

「ふんっ。私に隠し事なんてしようとするからですよ」

それから僕は新垣のご機嫌取りに一生懸命だった。

19 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:32


―それから数日後。

安倍君から届いた手紙には、

『僕はもう、君達と会うことは無いだろう』

他にも色々書いてあったけど、そればっかりが目に付いて離れなかった。


「……僕のせい…だね」

それだけ言って後藤が俯く。

正直、そんな風に反省されたら、何か言いたくても文句も言えないだろ。

「んだよ…反省すんだったら、サルでも出来んじゃねーの?」

これはいつも僕が後藤から言われてるセリフだ。

そう言うと、後藤は噴き出すように笑って顔を上げた。

「……その通りだ」



「……とりあえず謝るか。それしか浮かばねぇ」

「あぁ……そうだね」

散々考えた結果、出た答えがそれって…。
正直、今まで何してたんだ、って話だ。

「お二人共、なつみ様のこととなると形無しですねぇー」

「ホンマや。いつもはカッコえぇお二人が恋愛はどーとか散々ぬかしとんのになぁ〜」

『…………』

執事達の言葉が耳に痛かった。

「ホントに僕達って……」

「あぁ……」

それ以上は口にしなかったけど、身にしみていた。

20 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:33


「よーし、押すぞー?」

「……僕にいちいち聞かなくてもいいよ。さっさと押してよ」

執事達に安倍君の屋敷まで送ってもらい、僕らはその門の前に立っていた。
呼び鈴を鳴らし、使用人が来るのを待つ。

「……それにしてもおまえ、よくあの後に言えたな」

初恋の相手が今でも好きだ、ってそんなこと聞かされた日には、僕だったら数日立ち直れない。

「…ふんっ。君と一緒にしないでよ。…僕は真剣なんだ。少しでも可能性があるならそれに賭けたい」

「まぁ…そうだけどさ」

「それに……正直、僕がふられるわけないと思ってたからね」

「……へーへーそーですか」

ふられた原因はその自信過剰な所だな。

「そーゆー君だって、相当自信過剰だと思うけど?」

「……おまえには負けるよ」

執事達に言わせれば、どっちもどっちだ、って言われるだろうけど。

「…どちらにしろ。あそこで僕が想いを伝えたことに変わりは無い…安倍君はそれを黙って聞いてくれた。……僕としては、そこからキスに持っていきたかった所だけど」

「お、おまっ……おまえよくそんなこと言えるなぁ…!」

「…なんだよ。僕は君が知りたいって言ったから答えたんじゃないか」

こいつ……。
今は何を言っても文句が返ってきそうだ。

僕は渋々、悪かった、と口にすると満足するように後藤はその口を閉じた。
……めんどくさいやつ。

「…それにしても遅いな」

「あぁ……亀井はいないんだろうか」

呼び鈴を鳴らしてから数分、何の音沙汰もない。
僕は念の為、もう一度押した。

「はいはいはーい!!聞こえてますよー!?」

すると門の奥からめんどくさそうに安倍君の執事、亀井が出てきた。

「何だよ、居たんならすぐ来いよ、亀井!!」

門の鉄格子を掴んで揺する。

「げっ!? …貴方達だったんですかぁ〜。慌てて出てきて損したじゃないですかぁ〜まったくもぉ〜!!」

キレ気味の僕に逆ギレで返してくる亀井。

嫌そうな顔を隠そうともせず、まるで檻の中の猛獣でも見るかのような目つきで門の中から僕達を見ていた。

「……相変わらずだね、亀井」

「貴方達も相変わらずのようですけどねぇ?」

うんざり、亀井にはそんな言葉がよく似合った。

「なぁ、安倍君、居るんだろ?」

亀井と後藤の会話の間に入るように屋敷を指さして話しかけると、

「なつみ様に何の用です!?」

敵意むき出しで睨まれた。

「僕達安倍君に用があるんだ。なぁ〜亀井〜会わせてくれたっていいだろ〜?」

「ダメです!」

「亀井……頼む!」

「……真希様の頼みでもダメなものはダメです」

……なんで後藤の頼みだと一瞬考えんだよ。
僕には即ダメって言っといて。

「おい!亀井…!」

「なつみ様はただいまお留守にしております。用件のある方はメッセージをどうぞ」

亀井は棒読みのセリフを口にすると、機械音のような声を出した。

21 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:33

「お……おまえなぁ……!!」

この門の柵がなかったら絶対殴ってたぞ!

「なつみ様に何かお伝えしたいんでしたら、私がお伝えします」

「……くそっ!」

亀井はここを開ける気は無いようだ。柵を揺らしても平然と見ている。

「……そんな……安倍君……」

後藤が額を押さえ、はぁ……なんて深いため息をついてよろけている所を見ると、ダメージはかなり深いようだ。
亀井もさすがにその様子を見て、ビックリしているようだけど。

「何だよ……後藤、ギブか?」

肩を叩くと後藤は僕の手を振り払った。

「ほっといてくれ」

「あ、あの真希様がこんなに落ち込むなんて…。あ、あの!なつみ様と何かあったんですか?」

そうか、亀井は何も聞かされてないんだな……。

っていうか、こいつが落ち込み過ぎなんだよ。
後藤は門から見えない位置で体育座りしていた。

「それは安倍君に聞いてくれ。…それと亀井、安倍君に伝えてくれ。この間は悪かったって、だから考え直してほしい、ってな」

「……かしこまりました」

そして亀井はもう一度機械音みたいな声を出すと、

「なつみ様に一言一句残さず零さずお伝えします」

「そ……そうか」

「でも私、あなた達のこと嫌いです」

「亀井…?」

何事かと思って聞き返すと、亀井は僕をジッと見ていた。

「なつみ様のことを困らせる人なんて大っきらい」

「……っ…」

僕はそれ以上、何も言えなかった。

ただ小声で、すまん、としか。

「…おい、後藤。行くぞ」

「亀井……安倍君は元気……?」

弱々しくあちこちに体をぶつけながら、柵に寄りかかる後藤。

「は……はい。なつみ様はお元気です…」

「まずおまえが元気だせよ。なぁ?」

「…えぇ。私もそう思います」

後藤のダメージはしばらく回復しそうにないな。

「……せめて安倍君に一目だけでも」

「……お、おい、大丈夫か!?」

「ダメですぅ!!もぉいい加減、早くお帰りくださいっ!」

まるでロミオとジュリエットだな。

あまりのショックに壊れかけた後藤を引きずり、僕は安倍君の屋敷を後にした。

22 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:33



「その様子じゃ、会えなかったようですね」

頭を押さえテーブルの上に突っ伏した僕達に、新垣が声をかけてくる。

「なんや亀ちゃんが通してくれんかったんやって」

相変わらずの訛りだったが、高橋がまるであの場に居たかのようにその時のことを事細かく新垣に説明していた。
…どこから見てたんだよ。

「あの……バカ亀ぇ……!?」

新垣がこぶしを握る。
そーいや、亀井とはこの屋敷に来る前からの仲らしいが、昔、相当振り回され痛い目にあったらしく、その名を出すだけでも新垣は嫌な過去を思い出すようだ。

「うちの真希様立ち直れんて…」

「そんなこと言ったら、うちのひとみ様だっていくら単細胞って言っても今回は……!」

「誰が単細胞だっ!!!」

「……聞こえてたんですか?」

怒鳴ると新垣はやっと喋ったか、と言いたげな顔をして僕を見た。

「ひとみ様はちゃんと告白されたんですか?」

「ごほっ!?」

「そんなん言われても、無理やわ、里沙ちゃん。やって真希様あん時ごーいんやったやろ?」

ちょ、ちょっと、待て!
な、なんでそんなことまで知ってんだ…?

「ちょっ、ちょっと!それどーいうこと!?……強引って、ひとみ様じゃなくて?」

「そりゃどーゆー意味だ、新垣…!」

信じられない、と言わんばかりに新垣は僕と後藤を交互に見ていた。

まぁ、強引=僕、なのもわかる気もするが…。

「アンタなぁー。うちの真希様やって、やる時はやるお人なんよ。アンタんとこみたいな見境なしとちゃうわっ」

「おい、見境なしとは誰のことだぁ〜〜〜??」

随分な言われようだな。

ギロッと睨むと高橋と新垣はそそくさと逃げて行った。

23 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:34



……それから何時間経ったのか。

ずっとテーブルの上にうつ伏せになっていた後藤がいきなり目を覚ました。

「うわっ…お…起きたのか…?後藤」

「僕が……女になればいいのか」

『は!?』

何の前触れもなく口にしたその言葉に、僕達は唖然としていた。

「里沙ちゃん!! 真希様がおかしくなったって!」

「お……落ち着いて、落ち着いて、落ち着いて!」

そう言う新垣が一番慌てていた。

「おまえ……どこか頭でも打ったのか?」

手をかざそうとして、案の定後藤に叩かれた。

「僕が女になれば安倍君は……」

確信を持ったのか、後藤の目は爛々としている。

「……いや、待て」

ふらふらと、今にもその行動に出ようとした後藤を引き留めた。

「真希様が女の子になったらきっと綺麗やろけどなぁ……」

「真希様が女性だったらなつみ様もひとみ様もイチコロでしょうけど……」

執事達の言葉に後藤の腕に力が入る。

「おい!! 挑発すんなよ、おまえらっ!!」

そんな危ない橋は渡りたくはない。

執事達を睨みつけて黙らせると、後藤の目を覚まさせる為に手に神経を集中させた。

「ほあぁっ!!」

ガスッと音がして、後藤の体が崩れた。

「―がっ!?よ……よしざ……」

「真希さまぁっ!!」
「……ひとみ様っ!?」

大人しくなった後藤を僕はソファーに寝かせた。

「ひとみ様!…もう少し手加減してください。怪我をされたらどう……」

「こいつに手加減なんかしたら、余計被害が増えるだけだろーが!」

今、こいつを野放しにしたら大変だ……色んな意味で。

後藤を新垣達に任せると僕はさっさと自室へ戻った。

24 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:34


ったく、何やってんだ、僕達は…。

「……はぁっ…」

乱暴に窓際の椅子に腰かけると、サイドテーブルに手を伸ばした。
手にしたのは僕達三人が写る写真。

こんなことになるなら……。
ずっと想いを胸に秘めたまま、延々と友達のふりをしていれば良かったのか。

ガサッ

「……っ…?」

外に人の気配を感じて、僕はすぐ外へ出た。

「……安倍君っ!?」

誰もそれには答えない。

…当たり前だ。
安倍君のはずがない。

静まり返った庭。
だけど数秒後、サクッと雪を踏む音がした。

「安倍君…なのか?」

そうであってほしいと思っていた。

そして、それに答えるように木の影から出てくる人影。
僕は近付いて、その人影を引き寄せていた。

「よ……ぇっ!?」

その姿を見た瞬間、僕は抱きしめていた。
見た目よりも華奢な体は僕の腕にすぐに収まった。

「本当に安倍君だ……!」

願いが通じていたことが嬉しくて。

もうこうなりゃ自棄だ。
頭を抱きよせ、頬ずりする。

「や……やめっ!吉澤っ!?」

嫌がる安倍君だったけど、僕はお構いなしに抱きしめた。
あんなことがあった後だからなのか、こんなにも愛おしいと思うなんて。
僕は顔を上げ、行き場なくしていた手を握った。

「吉澤……?」

急に大人しくなった僕を不思議そうに見つめる安倍君。
僕はその手の甲に唇を押しつけた。

「……会いたかった」

そして安倍君の顔はみるみるうちに真っ赤になった。
ジッと見つめると、安倍君は一回目を逸らし、そしてまた僕を見る。

「そっ…そんなに喜んでくれるとは……お、思わなかったよ」

「僕も。…安倍君がそんなに照れてくれるなんて思わなかった」

「相変わらずキザなやつだね」

そう言って笑った安倍君の笑顔に、僕は自分を抑えることも忘れていた。

「…それは安倍君のせいだよ」

「……っ、ん!?」

引き寄せられるように僕は唇を重ねていた。

「…このまま会えなくなっていたら、運命の人が聞いて呆れる」

耳元で囁き、頬に手を添えて、もう一度キスを交わした。

「…最初に会った時は覚えていなかったくせに、それを言うのか?」

「……いいだろ?信じてみたって」

そう答えると安倍君の目が真剣になった。

「じゃあ……その前のことは?」

その前……?
って……どの前だ?
初めて会った時以前のことか…?

25 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:35

「…さすがにそれは覚えていないか。お互い小さかったんだ、…覚えているわけないよね」

安倍君は笑った。だけどそれは酷く哀しそうな笑み。

「それってガキの頃に……僕は安倍君と会ってたってこと?」

安倍君は頷いた。

「あんなに無邪気で可愛かったのに…。今じゃこんな軟派な男になってるなんて」

「こ……こんなって」

どういう意味だよ、って聞きたかったけど、返ってくる答えが怖くて聞けなかった。

「さぁ、もう離してくれないか?…後藤もここに居るんだろう?」

「い……居るけどさぁ」

なんだよ。想いだって伝えたし、キスだってしたのに。

こんなことで安倍君の恋人を気取るのもガキくさいって思われるかもしれないけど。

「安倍君は…アイツに会いに来たの?」

「……まぁ、ね。亀井が様子がおかしいから、ってちょっと心配になった」

でもそれにしたって、素っ気ない、っていうか…。

何も無かったみたいに僕の腕から離れるなんて、ちょっとヒドいんじゃないか?

「ちょっと、待ってよ」

屋敷の中へと入って行こうとする安倍君を背中から抱きしめる。

「よ…吉澤…?」

「ねぇ。僕のこと、どう思ってるの?何で何も言ってくれないんだよ」

今までは僕が好きだ、と言えば女の子は十中八九僕に夢中になった。

例外が無いとは言えないけど、振られるなんてこと……ましてや相手にされないなんて。
そんなこと今までの人生で味わったことがない。

「そ……それは……」

言いかける安倍君にもう一度問いかけようとした時、僕の部屋の扉が開いた。

『……!』

「安倍君……良かった……」

そこにはさっき当身を喰らわした後藤が壁に寄りかかりながら辛うじて立っていた。
まださっきの当身のダメージが残ってんのに無理しやがって……。
後藤は安倍君を見てホッとしたのか、すぐにその場で気を失って倒れた。

「後藤っ!?」

安倍君が駆け寄り、体を抱える。

「お、おいっ!しっかりするんだ!!」

「大丈夫。気を失ってるだよ」

「……吉澤?」

後藤を抱える安倍君の肩を、僕は抱きしめていた。

「なっ、何してるんだ!こんな時に…!」

「いいから聞いて?」

そう言いながら頬にキスするのは忘れない。

「っ……わ、わかったから…」

僕は安倍君からの手紙のことと、家に訪ねた時のことを話した。

「こいつ、安倍君に嫌われたんじゃないかって…かなり落ち込んじゃってさ」

言いながら、後藤の頬を叩いた。

「……そうだったのか」

安倍君は聞き終わると、深く息を吐いた。

26 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:36

「ったく、起きろよ。…僕が安倍君を襲っていいのか?」

「…そんなマネしてみろ。大声で叫ぶからな」

「じゃあ…叫べないようにするよ」

僕はにっこりと笑って、もう一度唇を奪った。

安倍君は目を見開いたまま、

「―イテぇっ!!」

僕の足を抓った。

「何してるんだ、早く手伝え!!」

「わ……わかったよ」

僕は渋々、後藤を抱え自分のベットの上に寝かせた。

「おーい!新垣、高橋、居るかい?」

廊下に顔を出し、安倍君は新垣達を呼んでいた。

「え!?な、なつみ様!?」

「えっ!? ウソ!どこやっ!?」

後から入ってきた新垣達は安倍君の姿を見て駆け寄ってきた。

「な、なんで真希様!!…どこに行ってしまったんやと思ったら」

「悪いんだけど、冷たい水とタオルをお願いできる?」

「は、はい!!私が持ってきます!!」

高橋と新垣が慌ててキッチンへと走っていった。

「……まったく……君も手荒だね」

そう言って安倍君は後藤に毛布を掛けた。

「…安倍君だったら、優しくするけど?」

意味深なセリフを口にすると、安倍君の顔が一気に般若のように変わった。

「いや……冗談だって、冗談……」

これ以上は近付けないな。

つい、さっきまで。
何も無かった状態の僕達が、一気に距離を詰めた。

…進展した、って思っていいんだろうけど…。
やっぱりもう少し安倍君が気を許してくれないと。

そんなことを考えてると無意識にチラチラと目で追っていたようだ。
そんな胸の内が伝わるのか、安倍君は僕と目を合わせずにいる。

「もぉ真希様、急に起き出すからや」

「ひとみ様が手加減なしにあんなことするからですよ!」

キッチンから戻った二人の両手には後藤の看護用具が溢れていた。
新垣に睨まれそれ以上何も言えず、僕は居場所を無くし静かに部屋を出た。


27 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:36


リビングのソファーに寝っ転がって、何も無い天井を見つめる。
……何か物足りない。

自惚れだとは思いたくない。
…だけど、安倍君は僕を嫌がってなかった。

さっきまで安倍君との仲を進展させることばかり考えていたのに。

その願いが叶った途端、……物足りなくなった。

運命の人って、何なんだよ。

僕達が初めて会った時に言った言葉は、覚えちゃいないがガキの頃の話だったんだろう。
あの頃から僕はマセガキだったからな…。

安倍君のあの様子を見ればわかる。
僕に気があって、そんなことを言ったわけじゃないんだってことぐらい。

どうやら僕は相当軽いやつだと思われてるみたいだし。
あんなキスしたって……何とも思われてないのかもしれない。

「…………くそっ!!」

両腕で額を覆うと、闇が視界を覆った。

そしてそのまま僕は暗闇に意識を吸い込まれていた。

28 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:37


『小難しいことは置いといて』




「…吉澤?こんな所で寝ていたら、風邪をひくぞ」

「う……ぅ」

肩を揺すられ、その反動で腕が落ちる。
そしてシャッと誰かがカーテンを開ける音がした。

「うー……」

瞼を閉じていても入ってくる眩しい光。

「……起きないのか?もう朝だ…まったく…」

耳元には優しい声、そして……

「…………ん、っ?」

一瞬光を遮り、そして感じたのは唇の感触だった。
その気持ちよさにゆっくりと目を開けると、僕の顔を覗き込む安倍君と目が合った。

『う、うわぁっ!?』

その声は二人同時にリビングに響いていた。

寝起きとは思えない反射神経で咄嗟に起き上がり、僕はソファーの上に立っていた。

そして安倍君は後ずさったのか、床に尻もちを付いていた。

「え……えーと……」
「あ……あの……」

どうも寝起きのせいか、頭がよく回らない。
えーと、その、あれか。

「もしかして安倍君…僕にキス…した?」

そう言うと、安倍君の顔が一気に真っ赤に染まる。

「そっ、そんなわけ……っ!?」

これはもう…ニヤニヤするしかない。
緩んだ頬を手を当て、必死に隠しながら。

「いや……あの……」

安倍君はそれ以上誤魔化せなかったのか、頭を掻きながら何事も無かったように立ち上がると、ぎこちない動きで廊下へと向かって歩き出した。
僕はその姿に声を掛けるんじゃなく後ろから近付いて、

「……逃げなくてもいいだろ…?」

「…ひゃっ!?」

耳元で挨拶して、そのまま体をさらった。
部屋の柱に押し付けて、おはようのキスを交わす。

「おはよう、安倍君」

「………お、おはよう。…吉澤は朝からそうなんだな…」

「…どーゆう意味だよ」

仕切り直しと言わんばかりに、安倍君はため息をついた。

29 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:38

「もう起きたほうがいいんじゃないか…?新垣や高橋は後藤に付いてるぞ?」

「…だから何だよ」

「何だ、って……」

安倍君の口から、後藤の名前が出るだけでムカついていた。
別に後藤が心配じゃない、ってことじゃなく。
今の僕は間違いなく、周りが見えなくなってる。

「……安倍君しか見たくないんだ」

安倍君を抱きしめた手が震えた。

「…何なんだ、君は…」

呆れたように安倍君が呟く。

だってしょうがないじゃないか。

「…安倍君が好きなんだ」

こうして一日明けて、目が覚めても。

僕の気持ちは変わらない。

……だけど、安倍君の気持ちは?

「ねぇ…安倍君はどう思ってる?……教えてよ」

少し緩められていたネクタイを外そうとする僕を安倍君の手が押さえた。
顔を覗くとすぐに目が合い、安倍君の瞳は恥ずかしさが込み上げるように潤んでいた。

「ごめん……意地悪して。安倍君が可愛過ぎるから、僕は朝から―」

そう言って脱ごうとシャツに手をかけた僕は―

「――ごふっ!?!」

一瞬だった。
僕の鳩尾に鋭く突き刺さったのは、安倍君の鉄拳。

「……心配した僕がバカだったよ。風邪でも何でもひけばいい」

床に沈んだ僕に掛けられたのは安倍君の冷めた言葉。
安倍君が出て行った後、静まり返ったリビングで僕は一人くしゃみをしていた。


30 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:38


「ひとみ様。朝から元気ですねー」

後藤の……というか、自分の部屋に入るとすぐに新垣が僕の耳元でそう声を掛けてきた。
……見てたのかよ、こいつ。
それならそうと出て来いよ。
どこまで見てたのかわからないが、高橋も見てましたって顔で僕にチラチラと視線を送ってくる。

「安倍君。……後藤の様子は?」

すぐに安倍君の様子が気になり、とりあえず様子見がてら何も無かったように話しかける。

「心配ないよ。今日中には目を覚ますだろう」

「そ……そう……」

やっぱり怒っているようだ。
答えてはくれても一切こっちに目を向けてもくれない。

「ひとみ様強引やもんなぁ?」

「あんなにがっついてたんじゃすぐになつみ様に嫌われるだろうけどね」

コソコソと話してるつもりだろうが、ハッキリと僕の耳には聞こえている。

「ぅ……っっくしゅん!!」

「…………ぅ……」

僕のくしゃみと同時に後藤が目を覚ました。

「! 後藤?」
「真希様ぁ!!」

駆け寄る高橋、後藤はもぞもぞと体を動かすと、ハッと我に返ったように目を開けた。

「あ……安倍君は!?」

布団を翻し体を起こした後藤はすぐ目の前に居た人物に気付いた。

「僕ならここに居るから安心して……」

そう言って安倍君が後藤の髪を撫でる。
それを後藤が熱い目で見つめ返していた。
……何なんだよ、このちょっと甘いBGMでも流れてきそうな雰囲気は!!

「ちょっ……!」

無意識に割って入ろうとした僕はすぐに新垣に引き止められていた。

「お、おい新垣!」
「…空気読んでください。ひとみ様」
「ぐっ……」

そうたしなめられた僕は黙ってその場を見ているしかなかった。

でも心の中では後藤に喧嘩を売り尽くし覚悟の大セールだ。

「安倍君……僕……」

「うん、わかってる。大体のことは吉澤から聞いた」

何か知らんが、良い雰囲気を放ち二人は見つめ合っていた。
照れくさそうに俯く後藤。
安倍君は後藤の髪を撫でながら優しく笑っていた。

「何故だろう…心が洗われるようなのは…」

「そりゃー朝からあんなん見とったら、洗われんのも当たり前や」

おまえらなぁ…勝手に見といて何言ってんだよ…!

わざとらしくハンカチを片手に涙する新垣。
その横で高橋がさり気無くキツイ一言を残す。

「それはどういう意味かなぁ〜?高橋……」

その間に入り、二人の肩を抱くと、

「こーいう……」
「ことやぁ!!」

「がはぁ!?」

本日二度目の、それもありがたいことに二発同時に深く突き刺さったその肘が、僕をまた床に跪かせた。

……惨めだ。

未だにイチャつく二人を残し、完全に敵に回った執事達が僕を抱え静かに部屋を出た。

31 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:38


――が、執事達は僕を放り出すと。
部屋を出た途端、二人はコップ片手に部屋の扉に張り付いた。

「おっほっほ。やっぱ真希様も本気や」
「きゃー!もぉ聞いてるだけでいいよねー」

こいつら……。
明らかに楽しんでる二人は、中の二人の会話を聞きながらキャーキャー言っては頬を染めていた。

…悪趣味なやつ。
そう心で否定はしながらも、僕も後ろから中の様子を窺っていた。

「あの時は本当にすまなかった」
「…謝らないでくれ。あの日のこと、僕は少し勘違いしていたのかもしれない」
「……どういう意味?」
「僕は君達がまたふざけて言いだしたのかと思って…」
「えっ!?」

それは僕も、えっ!?だった。
執事達が振り返り、静かにしろ、と人差し指を立てる。

くそっ…不愉快だ…。

「僕は本気だよ。…僕も吉澤も、安倍君の目から見ると、とんでもないやつに見えるみたいだね」
「す……すまない」

なんで僕には謝ってくれないんだ…?
後藤には謝っといて…。

「そんなの当たり前じゃないですかー」
「ひとみ様はとんでもないやつやろ?」
「………」

あーそーかよっ!!

「ちょっ…騒がんどいてくださいよっ!!」
「今、良いとこなんだからっ!!」

てめぇら…

なーにが良いとこ、だよ。
テレビドラマ見てんじゃねーんだぞ、こっちは!!

「まぁ、いいよ…。そうじゃない、って……今はわかってくれてるんでしょ?」

そう…良かった。

安倍君の声は聞こえないけど、後藤の声でどんな話になっているか、はわかった。

「あー…二人くっついてくれんかなぁ」
「お、おい、高橋っ!?」

「ホントだよねぇー…私も応援するのになぁ」
「てんめぇ、新垣ぃ!!」

『うるさいっ!!』

「ぐっ……くそっ……!」

こんなの認めるか…認められっかよ!


32 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:39


いい加減歯を食いしばるのも限界だった。
食いしばってたはずが、いつの間にか歯ぎしりのようになってる。

「きゃー!!もぉ胸キュンだよ〜」
「…里沙ちゃんこんなベタなんが好きなんやな」

さっきからきゃーきゃー言いっ放しの新垣と、その横でメモってる高橋。

何で僕がこんな所に一緒に居るんだ!!

不公平を感じていると、急に中から聞こえてくる後藤の声色が変わった。


「でも安倍君は…吉澤のことが好きなんでしょ?」

「え…?」

ドキッとして、安倍君の声と一緒に僕も息を飲んでいた。
アイツ…。

っていうか、こいつらの視線が痛い。

「……吉澤のことは…」

「あいつのこと…好きなの?安倍君は初めて会った時から、吉澤のことは知っていたよね」

安倍君は少し間を置いてから、話し始めた。

「…僕が小さい頃、数日間だけ一緒に遊んだ。だけど吉澤は覚えていなかったよ。僕はこんなにも覚えているのに……でもしょうがないかもしれない。僕はもう物心付いていた時だったけれど、あの頃の吉澤は本当に小さかったから」

昔を懐かしむような安倍君の声が優しかった。

「ひとみ様…?本当に覚えていらっしゃらないんですか?」
「あ……あぁ」

本当なら、早く思い出してあげたいと思った。
だが安倍君の言う通り小さすぎたせいなのか、思い出そうとしてもどうしてもその記憶に辿り着かない。

「そう……安倍君が言ってた初恋の人って、吉澤のことなんだね」

『えっ!?』

安倍君と僕の声。
それに、新垣と高橋の声も重なって。

揃って聞こえた声は……さすがに大きすぎた。

「……ふぅ。…吉澤、入ってくれば?」

『っ!?』

慌てる二人の執事を下がらせ、僕は扉を開けた。

「よ……吉澤……?」

部屋の中に入った僕をジッと見ている後藤。
安倍君は微妙に視線を逸らして僕の様子を窺っていた。

「……あんだよ」

「…野暮なことはしないんじゃなかったのか…?」

「……わ…悪かったよ…」

僕も安倍君を見れずにいた。
聞き耳立ててたのは悪いと思ったけど…今、それどころじゃない。

33 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:40

「そうでしょ?安倍君…」

「えっ…?」

それは一瞬の出来事だった。

後藤が安倍君に重なる。

「なっ……なぁぁぁぁぁあああ!?」

それは僕が何度もしたキスとは違っていた。

何が違うって、安倍君の反応が、だ。

そんな照れ臭そうに、恥ずかしがったり…。
僕の時は全く、そんな反応無かったじゃないかっ!

「ほぁ〜…!?真希様やりおるなぁ〜」
「か、か、かん、関心してる、ば、場合、場合じゃっ…!!」
「あー…あかん。落ち着いて、落ち着いて、里沙ちゃん」

「っ……好きだよ、安倍君…」

そう言って、後藤が安倍君から離れた。

「ご…ごとう…?」

「だっ……ダメだ、ダメだ、ダメだー!!!」

割って入るように、僕は二人の間に飛び込んでいた。

「よ、吉澤っ!?」

「……君ってホントバカだよね」

ベットの上にダイブした僕を見下す視線。

…んなのわかってんだよ。

「…自分がするのは良くて、僕がするのは許せない?」

「は……はぁ!?」

それってキスのことか?

そう言ったら、後藤は頷いた。

「…君がしたこと、僕が何も知らないと思ってるの?」

『………』

僕だけじゃなく、安倍君も黙る。

変な汗が背中を流れた。
それは安倍君も同じだろう。

そして後藤の視線は安倍君にも向いた。

「……安倍君は、どう思ってるの?」

「え?ぼ、僕?」

あからさまに慌てる安倍君はチラチラと僕を見た。

「安倍君が嫌なら僕がそんなことさせない。…このままで良いなら、僕は僕で邪魔させてもらうけどね」

「どっちにしろ、邪魔するってことじゃねーか」

「…ふんっ。当たり前だろ?そんなこと僕の目が黒いうちはさせないよ」

「あんだとぉ〜てめぇ〜!!」

見上げるように睨み上げても、後藤は冷めた目で見るだけだ。

「ふ、二人とも、やめろっ!!」

安倍君が間に入って、僕達二人を離した。

「君みたいに本能で動くやつに安倍君は任せられない。…僕が守るよ」

「なっ……!」

あっちへ行け、とばかりに後藤に手で払われた。
安倍君を見ると、

「…まぁ、それには一理あるな」

「ちょっ、あ、安倍君まで何言ってんだよっ!!」

「…君みたいなやつに僕が安倍君を渡すと思ってるのか?」

「どーゆー意味だ?」

その上からの物言いにキレた僕は後藤を睨み返していた。

「後藤…やめろ」

「いいんだ。これは安倍君には関係無いことだよ」

「ちょ、ま、待てよ!!なっ……んでだよっ!!」

「君がその単細胞で浮かれてバカなことをするからだよ。吉澤…」

「ぐっ……」

何なんだよ。

ダサいことに、僕は後藤にビビってた。

「例え君達の間に何かがあったとしても、僕はそれを力尽くで止めてみせるよ」

「くそっ……」

完全に悪者になったような気分だ。

安倍君も僕と視線を合わせようとしない。

2、3歩後ずさる。

背後を見ても新垣と高橋の視線が冷たく見えた。

「な…何なんだよっ!!」

自分の屋敷なのに、僕だけがよそ者のような気がして。

そして追われるように僕は屋敷を出ていた。

34 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:40


「……ひとみ様、こんな所にいらっしゃったんですか?」

「……新垣か」

「みなさん、ひとみ様のことを心配していらっしゃいましたよ?」

「……んなわきゃねーだろ」

だってあんなに毛嫌いしてたんだ。
心配するどころか、いなくなってせいせいしたはずだ。

「まったく!だから言ったじゃないですか!…あんなにガツガツしてたらなつみ様に嫌われますよ?って」

「う……」

「……そんなことで反省してる暇があるなら、早く屋敷に戻って仕事してください、仕事!!」

おまえにはこの痛みがわからないのか……。
好きなやつにまでバカにされて…。
そんなことを言ったらガキだとまたバカにされるか。

「チッ。わかったよ」

「早くしてください。…みなさん、ひとみ様を待っていますから」

「…………えっ?」

それ以上口を割らない新垣の後に付いて屋敷に戻ると、

「……ホントに出ていくなんて、バカじゃないの?」

「まったくだよ。君がそこまで短気だとは思わなかった」

玄関で僕をバカ呼ばわりする後藤と、呆れたとため息をつく安倍君が僕を待っていた。

「おぉ、里沙ちゃんおかえりやよ〜」
「愛ちゃん、ありがとう。みなさんしばらくしたらリビングの方へ来てください」

そう言って執事二人はさっさと屋敷の中へと入っていく。

「お、おいっ!!」

……このまま僕を置いてかないでくれ……
安倍君と後藤の二人にさっきからずっと見られている。
その居心地の悪さに落ち着かなかった。

「い……いやぁ、あのさぁ。ほら、天気もいいだろ?たまには健康の為に運動でもしないとなーって……」

僕の言い訳は無情にも独り言になっていた。
二人は相変わらず腕を組んだまま僕を無言で見ている。

「あー!それにしても腹減ったなぁ…考えてみたら朝から何も食ってないもんな」

さりげなく靴を脱ぎ、玄関を上がる。

「あ、そうだ。二人も腹減ってるんだったら早く来いよな」
 
そう言いながら僕は痛い視線の中、リビングに向かった。

「…………ふふっ」

「もうそれぐらいでいいんじゃないか?」

「そうだね。…まだ足りないぐらいだけど」

…………はぁ?

ふと、初めて会った時の悪夢が蘇る。

振り返るとそこには笑いを堪えきれずに口元を押さえる後藤が居た。

35 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:40

「ご……後藤…?」

それでも本当はまだ怒ってるんじゃないかと、恐る恐る声をかける。

「吉澤。これで君も少しは……いや、ちゃんと反省するんだよ?いいね」

諭すように安倍君は僕に言った。

いつもは感じない年の差だけど、やっぱり安倍君は僕のことを子供扱いしているようだ。

「君ってホント……夢中になると周りのことが見えなくなるんだね」

「わ……悪いかよ。っていうか、何なんだよ、二人共!」

……ハッキリ言ってくれた方が楽だ。
いちいち遠まわしに言うものだから、針のむしろにでもされているみたいだ。

「君にはもう少し苦しんでもらわないとね」

そう言って、後藤はさっさとリビングへと入って行った。

「君が後藤を挑発するからだよ。…あんなことするから僕まで…」

「え?」

「いや、何でもないよ。早く中へ入ろう」

安倍君に言われるまま、僕はその後を追って中に入った。

テーブルの上には新垣達が用意した、軽い食事と部屋の入口まで香るハーブティが置かれていた。

「さぁ、召し上がってください。色々あってお疲れでしょうし、久々にみなさん揃われたんですから……」

「……て亀ちゃんおらんけどな」

「今度またここにお邪魔する時は連れてくるよ。亀井も喜ぶだろうね」

安倍君の申し出を拒否することも出来ず、新垣は複雑な顔をして高橋を見ていた。

「吉澤。腹が減ってるんだろ?早く食べたら?」

何でそんなに目が据わってんだよ…。
逆らう気も起きず、僕は後藤に言われるまま席についていた。

「…どうしたの?安倍君も座りなよ」

「え?あ…い、いいから。僕はハーブティだけいただくよ」

そして安倍君は高橋から受け取ると、僕達と同じテーブルじゃなく、窓辺のソファーに座った。

…どうしたんだ?急に。
様子のおかしい安倍君が気になった。
席だったら、僕の隣も後藤の隣も空いて……

そこで気付いて、斜め前に座る後藤を見ると、目が合う。
そうか……ここで僕の隣にでも座ろうものなら、後藤の怒りを買うからな。
後藤の隣に座れば僕だって黙っちゃいないし……。
安倍君も苦労してんだな。

「新垣!もっと飯持ってきてくれ!!」

「えぇっ!?は……はい!」

「……ふんっ」

安倍君にしたら、もの凄いとばっちりなんだろうな……。

ソファーからうちの屋敷の庭を見つめる安倍君の背中が、とても愛おしく思えた。

36 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:42


『そんな場合じゃなかった』






あれから一ヶ月も経っていない。

でも毎日が忙しないせいで、時間が早く感じていた。


「…またなつみ様の所へ行くつもりですかっ!?」

「げっ……に、新垣…」

見つかった。
僕は慌てて反転、他の通路を走る。

「こぉらぁ〜〜〜!!!仕事もしないでそんなことばっかり!!またすぐに嫌われますよ!?」

「何言ってんだっ!!ちゃんとやってるだろーがっ!!」

「このダメ当主っ!!少しは真希様を見習っ……!!」

「里沙ちゅわ〜〜ん!!!うちの真希様知らんかっ!?」

「は……はぁ〜!?」

…こうしちゃいられない。

アイツに先越されてたまるかっ!!!

僕は全速力で走った。

37 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:42


あれから毎日のように僕達は安倍君を訪ねていた。

…ただ、会えるわけじゃない。

「まーたあなた達ですかぁ〜?いい加減、なつみ様のことは諦めてくださいってばぁ!」

「おまえが諦めろよ、亀井〜」

「……安倍君は居るんだろ?」

そして亀井はため息をついて。

「……なつみ様は今、お忙しいんです」

毎回同じセリフを口にする。

「なぁ。いい加減そのセリフも聞き飽きたぞ」

「…そんなこと言われても…そうとしか言えないんですよぉ!!ばかぁっ!!!」

「あ、ちょっ、ま、待て!!亀井っ!!!」

突然キレた亀井はバタバタと屋敷に走って戻っていった。

「な……何なんだ…?アイツ…」

なぁ?

そう聞こうとして振り返ると、後藤はさっさと来た道を戻っていた。

「お、おいっ!!後藤…?」

後藤は何か考え事してるみたいで、僕が話しかけてもあまり反応が無い。

「……吉澤。今夜、招待されているだろ?」

「え?あ……あぁ」

確か、矢口家から招待状が来ていたな。
あまりその名は聞いたこと無かったけれど、最近こちらに来たらしいことは聞いている。

何でもこの数年で大きくなったとか…。

「多分…そこへ行けばわかるよ」

「は……はぁ?」

安倍君が僕達に会いたがらない理由が、そこに。

「…相変わらず秘密好きだな…」

僕じゃ、そんなのまどろっこしくて、やってらんねぇーよ。

「ふんっ。君みたいになんでも言えばいい、と思ってるやつにはわからないだろうけどね」

「あーそーかよ」

それ以上は話に触れず、僕と後藤は屋敷へと戻っていった。


38 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:42


そして僕と後藤は、招待された夜会に参加していた。

「…だいぶ華やかだね」

「そうだな」

爵位のある家では、自宅でやることが多いけど。
今回の夜会は会場を貸し切っていた。
でも他の家に劣らないような豪華な装飾がされている。

「き、君達も来ていたのか…!?」

その声を聞いて、僕は咄嗟に反応していた。

「安倍くっ……!」

「…吉澤。僕の目の黒いうちはそんなことさせないと言っただろ?」

後、数センチだったのに。

後藤に襟首を掴まれ、あと一歩及ばずだった。

「……相変わらずだな、吉澤は」

…ほら、笑われてんじゃん。

「安倍君もやっぱり来ていたんだね」

「…後藤……」

……やっぱり、って…。
その言い方だと、来るのがわかってたみたいな言い方だ。

安倍君、この矢口家と関わりがあんのか…?

「あの噂…本当なんだね」

「噂…?」

安倍君は答えない。
ただジッと何かを我慢するように耐えているだけだった。

「…なんだよ。全然話が見えねぇー…なぁ、それより、」

「吉澤は黙っててよ」

「はぁ!?」

何、そんな頑なになってんだよ。

「…いいんだ、吉澤」

今にも掴み合いになりそうな僕達を止めて、

「噂は……本当に、なりそうだ」

一応、僕だって色々やった結果だよ。

そう言って、安倍君は下を向いた。

「……っ…」

何だよ、何なんだよ。
ったく、全然話が見えねー。

「…おや?なつみじゃないか」

「な、なつみぃ!?」

いきなり呼び捨てってなんだよっ!!

僕はすぐにその声の主を探した。

「……どこに居…」

「ここだよ」

「……み、見えなかった…」

「ふんっ!!失礼なやつだね」

僕よりもだいぶ背の小さな金髪の男。
さっき安倍君を呼び捨てにしたのは、この男だった。

39 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:43

「……矢口」

「え?や…矢口って…」

この夜会の主催者だ。

こいつがそうだったのか…。
それにしても安倍君にやたらとなれなれしいな。

「あなたが矢口さんでしたか…今宵はご招待いただきありがとうございます。とても素敵なパーティですね、楽しませていただいています」

後藤の社交辞令的な挨拶が交わされ、僕もならって挨拶がてら自己紹介した。

「私は矢口真里。本来なら私の家にみなさんを招待してもてなしたかったのだけど、まだこちらへ来たばかりで家が狭くてね。このような場所でもてなすことを許していただきたい」

「僕らはそういったことは気にしません。お気になさらずに」

ホント後藤はこういったことが上手いよな。
僕だったら言ってる口が痒くなってしょうがない。

「あ。そうだ、なつみ。今日は美貴も連れてきた。後で会ってやって?」

「え?あ、あぁ。もちろん。…すぐに会いに行くと伝えてください」

「…わかった。待ってるよ」

そう言って、矢口は他の招待客に挨拶しながら奥へと歩いて行った。

「な……なつみって?」

安倍君を見ると、困り顔で僕から目を逸らした。

「……しょうがないだろ?僕の許婚の兄なんだ」

「あぁー安倍君の許婚の兄じゃ……は?い、いなっっ!?」

僕は全力で口を塞がれていた。
安倍君の手と後藤の手が重なって僕の口を塞ぐ。

「む、むごぉっ!?」

「やっぱり…そうだったんだね。安倍君」

「すまない…」

そんな謝るのはどーでもいい。

「…………」

おまけに首まで絞められた僕はどんどん意識が遠くなっていた。

「……結婚…するの?」

「……わからない、けど。このままいけばそうなる」

目の前が白くなり始める。
も…もう無理だ……

「ご、後藤っ!!よ、吉澤が…!?」

青白くなった僕の顔を見て、二人が慌てて手を離す。

「ごほぉっ!!はぁぁぁぁ……」

「だ、大丈夫か…?」

「だ……大丈夫じゃねーよ。っていうか、許婚ってどーゆーことだよっ!」

僕は背中を擦ろうとした安倍君の手を払っていた。

「…………っ…」

「あっ……いや…ごめん」

「いや……いいんだ。黙ってたのは僕なんだから」

「おまえが隠してたのって…このことかよ」

後藤は顔を逸らしていたけど、僕を見て頷いた。

安倍君は心底、居心地が悪そうだった。

「…ねぇ。安倍君、僕も行っていいかな…その美貴さんの所へ」

そう後藤が言いだした。

「……えっ?」

「そうだな」

僕もそう思うから、頷いただけなのに。

「………え!?な、なんだよっ」

途端、二人に睨まれていた。

「まさかとは思うけど…美貴さんに手を出すつもりじゃ…」

「なっ!?ちっ、違うに決まってんだろっ!?僕が好きなのは安倍く…げほっ」

「よ、吉澤…」

咳をして誤魔化したけど、後藤に睨まれた。

ただ安倍君の顔が少し赤くなっていたことに自惚れてる僕が居た。

40 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:44



コンコン

安倍君が扉をノックすると、すぐに中から女の子の声がした。

「僕です。美貴さん、入りますね」

先に安倍君が扉を開けて入ろうとすると、中から勢いよく扉が開いた。

「安倍さぁ〜〜ん!!!」

「う、うわぁっ!!」

『…………』

一瞬で固まる僕と後藤。

そりゃー目の前でそんな大胆に抱きしめ合われたら、固まるしかないだろ。

「……え、あ、み、美貴さん…?」

「もぉ〜安倍さんが早く会いに来てくれないから〜…」

そう言って、美貴って子は安倍君から離れようとしない。

「…確かに…可愛いな」

「吉澤…君ってやつは…」

さっきの言葉を忘れたのか?って後藤に釘を刺された。

「…す、すみません。あ、そうだ。今日は僕の友達を紹介しようと思って」

「え?友達…?」

それでやっと僕達の存在に気付いてくれた。

「…初めまして。僕達あなたのお兄さんに招待を受けてこの度呼ばれて。安倍君とはよく一緒につるんでる仲なんだ。僕は後藤真希、こっちは吉澤ひとみ」

「よろしく、美貴ちゃん」

そう言って、手を差し出すと、

『吉澤っ!!』

安倍君と後藤の二人同時に怒られた。

「あははっ。よろしくね?吉澤さん」

美貴ちゃん、案外良い子だなぁ〜

僕の差し出した手を握り返してくれた。

「面白い人だね?吉澤さんって」

ニコニコ笑顔で話しかけてきてくれる。

ったく、あの矢口の嫌味な態度とは正反対の可愛らしさだな。
兄妹とは思えない。

「へへっ。まぁ、僕なんて面白いのだけが取り柄みたいなもんだからさ」

「そんなことないよぉ〜。それに吉澤さんカッコイイもん」

「えぇ〜?そ、そうかなぁ〜へへへ」

頭を掻きながら笑った瞬間、

ぎゅぅぅぅぅぅ!!

っと思いっきりケツをつねられた。

「い〜〜〜〜ってぇ!?!?」

何かと思って振り返ると、

「…何、デレデレと鼻の下伸ばしてるんだ?吉澤…」

鬼の形相をした安倍君だった。

「は……ははは」

お手上げポーズで渋々引きさがる。

「あ〜!もしかして安倍さんヤキモチ焼いてくれた?」

「え?あ、は……はい…」

「美貴嬉しいぃ〜♪」

「え?あ、み、美貴さん…?」

どっちにヤキモチ焼いてんのか、わかんねーよ。
こっちだって焼いてんだっつーの!

美貴ちゃんにまた抱きしめられて、安倍君の方がよっぽど鼻の下伸びてるだろーが。

「くっそぉぉぉ〜〜」

安倍君はもちろんのことだけど、美貴ちゃんも可愛い!!

「……はぁ…呆れた」

懲りないやつだな。

そう言って後藤はため息をついていた。


41 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:44



「え?みんなもう…行っちゃうの?」

とりあえず顔を見に来ただけだから、って僕達は一旦広間に戻ることにした。

「あれ?美貴ちゃんはパーティには出ないの?」

「……うん。美貴こーゆーの苦手でさ。今日は安倍さんに会えるって聞いて無理矢理付いてきたの」

…なんて健気で可愛いんだ…。

「美貴さん…」

「君みたいな素敵なレディがこんな所に引きこもってるなんてもったいない…」

『後藤…』

…おまえだって他人のこと言えねーじゃねーか。

なんだよ、その体が痒くなるようなセリフは。

「な…何?さ、さぁ、僕達は行こうか」

後藤は誤魔化すようにスーツを直すと、先に広間へと歩いていく。

「…美貴さん、今日はどう?」

「うん…平気。ありがとう、安倍さん」

安倍君が美貴ちゃんのおでこに手を当てる。

「…ねぇ、安倍さん!お願い…もうちょっとだけそばに居て…?」

「え?あ、……」

美貴ちゃんはもう安倍君の腰に抱きついて、離れたくはないようだ。

……正直、羨ましいと思ったけどさ。

こんな可愛い子相手じゃ、分が悪い。

「…安倍君。一緒に居てあげなよ」

美貴ちゃんには見えないように、安倍君の肩を叩くフリをして頭にキスをした。

「よっ…吉澤っ?」

「へへへ。じゃね」

「……ごめんね?吉澤さん…」

「いーよ。美貴ちゃん、気にすんなよ」

僕は二人に手を振って、先に行った後藤の後を追った。

しばらくそのまま歩くと、後藤が広間の手前で立ち止まっているのが見える。

「お〜い」

「…安倍君は?」

「美貴ちゃんと居るってさ」

「………そう」

後藤も美貴ちゃんのことは良い子だと思ってるんだろう。

それについては何も言わない。

きっと心のどっかで、これはこれで良いハッピーエンドかもしれない。

そう思ってる僕が居た。

「……彼女のこと、どう思う?」

「可愛い」

この一言に尽きる。

「…………吉澤」

「な、なんだよ。他には…えーっと…」

気にかかる、って言ったら、だいぶ体調が悪そうだな、ってことぐらいだ。

「体が弱いみたいだな…安倍君も気にしてた」

「……まぁ、それもあるけど」

「じゃあ、何なんだよ。…もったいぶってないで早く教えろよ」

イライラすんなぁ。

それが顔に出てたのか、ジロッと後藤に睨まれる。

42 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:45

「……あの子が安倍君の許婚かどうか、ってことだよ」

「……はぁ?」

そんなの決まって……ん?

「そういや…そんなこと一言も言ってなかったな…」

そんな紹介、安倍君からも美貴ちゃんからもされてない。
あの矢口って野郎のことは許婚の兄、とは言っていたけど。

「…彼女もその候補の一人であることには変わりないだろうね」

「こ、候補の一人…!?」

ってことは、他にも何人も居て…。
美貴ちゃんがあんなに可愛いということは、他の子は……!

「確かあの矢口って人には妹が二人居たはず…って、吉澤。またおかしなこと考えてるんじゃないだろうね」

「な、なんだよっ!別に考えるのは勝手だろ!?」

想像の自由だ。それぐらい。

「あっきれた…」

そんなこと言ってる場合じゃないのに。

「じゃあ、安倍君の許婚って誰だよ」

「……さぁね?それは安倍君にしかわからないことじゃないの?」

こいつぜってぇ、何か知ってる。

顔見りゃわかる。

「…またお得意の秘密か?」

「……ふんっ。何とでも言えばいいよ」

「…おい。知ってるなら教えろよ」

減るもんじゃねーだろ、って言ったら、後藤は呆れていた。

「…まだ決まっていない、と考えるのが妥当なんじゃないの?何にせよ、安倍君が喋りたがらないんだ」

ただでさえ、安倍君は一人で抱え込むタイプだからね。

「美貴さんともう一人の妹…。そのどちらかだろうけど。あの矢口って人を含め、気を付けた方がいい」

「ちぇっ…打つ手なしかよ」

「……そう?打つ手なし、なんて吉澤らしくないじゃないか」

普段笑わない後藤が笑った時、それは何かが起きる直前だ。

僕の感が言ってる。

逃げろって。

「さ、さぁーって、僕は踊りにでも……」

「吉澤。君がさっき一番行きたそうにしていた場所へ連れていってあげるよ」

笑顔のまま固まった表情が余計恐怖を煽る。

「…嬉しいだろ?」

そしてそれを拒否する権限は僕には無いようだ。

「そ……そう、だな…」

裏返った声を戻すことより、この後そんなこと言って、どこかの湾岸にでも沈められるんじゃないかと思ってる僕が居た。

43 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:46


「安倍君は戻ってきそうにないな…」

「まぁ、美貴さんと居る分には大丈夫でしょ?…安倍君が変な気を起こさない限りね」

「お…おいっ!!」

あれから数時間、もうそろそろお開きになる時間だ。

「あぁあ〜!?あなた達こんな所にまでっ!!」

「げっ!?か…亀井…」

相変わらず敵対心むき出しの亀井は、僕達を見つけるとすぐに詰め寄ってきた。

「何してるんです!?なつみ様に何かあったらただじゃおきませんからね!」

「な、なんだよ、それっ!!」

何もしてねぇー…っていうか。
させてもらえないからこっちはストレス溜まりまくりなんだよっ!!

「…亀井。安倍君なら矢口家のご息女と一緒だよ」

「えっ!?…そ、そうですかぁ…」

な、なんだぁ…?
…急に大人しくなりやがって。

亀井はさっきまでの勢いはどこへやら。
今度は泣きそうなぐらい肩を落としている。

「うぅっ……亀井のなつみ様がぁ…亀井の大事にしてきたなつみ様が取られるぅ〜!!」

「……アホかっ」

ゴンとゲンコツを一つ落とすと、頭を押さえながら亀井が顔を上げた。

「あのなー。安倍君は体の弱い美貴ちゃんのことを思ってだなー」

「なつみ様は優しすぎるんです!!…だから、こんなこと…」

「……亀井。君は……何か知ってるみたいだね」

後藤が亀井の背後に立って、肩を抱いた。

「…………し、知りませんっ」

「わっかりやすいやつだな?」

そう言うと、僕をキッと睨んだ。

「あ……あなた達に何がわかるっていうんですっ!?なつみ様のことを困らせてばかりのあなた達に…」

「か……亀井」

なんだよ、こいつ。

「亀井は安倍君が矢口家のご息女と結婚するのには反対なんだろう?」

「も、もちろ…!いーえ……あなた達の手には乗りません!しつれぇしますっ!」

亀井は後藤の手を払うと、さっさと安倍君を迎えに広間を奥へと進んでいった。

「ま、待……っ!!」

「いいよ、吉澤。…亀井が安倍君を連れて帰ってくれた方が安心だろ?」

「ま……まぁ、そりゃあ、な…」

亀井が美貴ちゃんの部屋へと向かったのを確認して。

「それより、ほら……」

後藤が視線で促す先には、矢口が居た。
その周りを囲むように明らかに招待客とは違う風貌の男達が頭を下げている姿が見える。

44 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:46

「このまま安倍君が結婚したら、僕達だけの問題じゃなくなる」

「……どーゆー意味だ?」

「あの矢口がこの辺り一帯、仕切りだすんじゃないかって……僕は危惧してる」

安倍君の家の経済力と矢口の家の急成長。
この二つの家が一緒になったら、
残念なことにそれをけん制出来るだけの経済力と権限を持つ家はそうそうないだろう。
そして共にこの一帯に繋がりもしがらみを持っていない家柄。
あの矢口の性格からして手当たり次第に荒らすだろう。

「…僕は安倍君のこともそうだけど。第一にそれを阻止したい」

何故無名だった矢口家が急成長を遂げたのか…。
それは矢口が以前居た場所で、手当たり次第に家や会社を潰しては吸収していったからだ。
お金にものをいわせ、人を抱え込んで。
言う事を利かなければ潰して自分のモノにする。
それがあの矢口家のやり方なんだよ。

「悪いけど……安倍君も取られ、家も取られたんじゃ、それこそ笑えない話だからね」

正直、聞いてるだけでうんざりだ。
そこまでして何になるって言うんだ…?

「吉澤もあんな風にへこへこ頭を下げたい?」

「ぜっっってぇ、やだ!」

「……僕だって同じ気持ちだ」


そんな話をしているうちに、亀井が安倍君を連れて広間に出てきた。

「後藤!吉澤…!」

安倍君が僕達を見つけ、こっちに向かってくる。

「あ、安倍君。もう帰…」

僕達もそれに返すように手を上げると、

「なつみ様!あんな人達に関わっちゃダメですっ!!」

亀井が安倍君の腕を引っ張り始めた。

「え?ちょ、か、亀井?い、一体どうしたんだ…?」

「嫌です、ダメです。…亀井と今すぐ一緒に帰ってくれなきゃ、なつみ様のこと嫌いになります!!」

「…わ、わかったから。少し挨拶ぐらいいいだろう…?」

安倍君は困り顔で、亀井と僕達との顔を交互に見ていた。

「…す、すまない。この事はまた後で話す」

「わ、わかったよ。…っていうか、亀井、どうしたんだ?」

安倍君は相変わらず困り顔で首を横に振って、亀井を見るばかりだ。

「……どうやらさっきので亀井が機嫌を悪く…」

「違いますっ!!」

「じゃあどうしたっていうんだ?亀井…」

腕にしがみついたままの亀井の頭を安倍君が撫でる。

「…ご自分の胸に聞いてくださいっ!!」

「え…?僕…」

安倍君が自分の胸を押さえた。

「ふ〜ん。どれどれ〜?僕が診てあげ…」

手を伸ばした瞬間、

「…吉澤っ!!」
「この野蛮人っ!!」


「……懲りないやつだね、キミは…」

安倍君の褒め言葉で僕は完全に変態扱いだった。

45 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:47




『心までは変装出来ない。』




……これが変装と言えるものなのか。

それには正直、疑問がいくつも浮かぶが。

「……何か文句でも?」

そう新垣が睨んでくるから、何も言えないだけで。

僕はそう……こんなつもり、なかったんだ。



「ふふっ……よく似合うよ、吉澤…っ…」

笑いを堪えるように口を押さえて、後藤は言った。

誰のせいだと思ってんだ…こいつ。

そんな僕の格好は……簡単に言えば、庭いじりのじいちゃんだった。
格好だけで十分なのに、その上、顔を隠す為にヒゲまで付けてるんだ。
これに麦わら帽子を被れば、完璧だろう。

「……なぁ…もっとさぁ、スーツのやつとかあっただろ?」

「何、贅沢なこと言ってるんだ?吉澤。…そんな格好でうろついてみろ、キミのことだ。すぐさま美貴さんに、ちょっかい出すつもりだろう?」

「……ぐっ…」

……ホント、おっしゃる通りで何も言えません、だ。

でもちょっかい出す、なんて語弊だ。
ただ僕は美貴ちゃんの体が心配で……

「ほ…ほんまにひとみ様、ようお似合い…っ…」

「……うっせ!」

運転する高橋まで笑うもんだから、さっきから車がたまに不自然な揺れ方をする。

「ちょっ…あ、愛ちゃんっ!?」

「高橋!!おまえ、ちゃんと運転しろよっ!!」

「は、はいっ!…す、すんませんっ」

言ってるそばから……どーゆー教育してんだ、こいつん家は。

「まぁまぁ…今からそんなにカリカリするなよ、吉澤」

「あのなぁ〜…元はと言えば…」

「…何?行きたがってたのは…キミだろ?」

「……うっ…」

鋭い視線が僕を貫く。

つくづく、こいつの前では軽々しく本音を言わない方が良いと思った。


46 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:48


暫くして、車が目的地の手前で止まる。

…手前と言っても、広大な敷地はもう塀を隔ててすぐ目の前にあった。

「さ、頑張って働いてきてくれよ。吉澤」

「…まさか、ひとみ様が使用人をする日が来るなんて…」

「…一番似合わんもんなぁ…っくくく」

「そこ、笑ってんじゃねーよ…!」

車を降りる僕に投げ掛けられる言葉の数々には、感謝以上にもう少しで手が出そうだ。

「…気をつけてくださいね?ひとみ様。…何かあったら、すぐ私を…」

「あー!もぉ、わかってる。…ガキじゃねーんだ。大丈夫だって」

「またそんなことを言って…!!」

いつまで経ってもガキ扱いしてくる新垣。
それが照れくさくて、いつも正反対のことを言ってしまう。

「ほらほらぁ〜里沙ちゃん、そこまでにしときって。ひとみ様恥ずかしいんやって」

「なぁっ!?」

「そうだよ、新垣。…キミも少しは子離れしないと後が大変だ」

「は……はい」

「な、何が子離れだっ!」

後藤にはそう言ったが、新垣の落ち込みようには少し心が痛む。

「お、おい、新が…」

「じゃあ…一言だけ……」

そう言って、新垣が僕を見る。

「ほんっとに、人様に迷惑だけは掛けないでくださいよ!?ひとみ様!!」

……それが言いたかっただけなのかよ。

新垣はそう言うと、スッキリしたように車に乗りこんだ。

…少しでも心が痛んだ、僕がバカだった。


47 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:48



後藤の車が走り去ってから、僕は教えてもらった屋敷の裏口に来ていた。

「ここが矢口の家…」

塀の外から見てもわかるぐらいに広大な土地。
僕らの住んでいる街からはだいぶ離れているが、この広い敷地を見れば街中に住めないのはわかった。
勝手口のインターホンを押すと、この屋敷の使用人が僕を迎えに来た。

中に入ると、目の前には昔の時代劇のような日本庭園が広がっていた。
庭の中には池があり、石灯篭が屋敷まで続いている。

そして僕は案内をしてくれた使用人に、ここで待つように言われ、屋敷の一室に居た。
後藤が用意した紹介状のおかげですんなりと入りこむことが出来そうだ…。
それもこれだけ使用人が居れば、紛れて誰も気付きそうにない。
好きなだけ中のことを調べられそうだな……

そんなことを考えながら、廊下に出て庭を眺めていた時だった。

「……あなたが…吉川さん?」

吉…カワ…?
一瞬、誰のことだ?と僕以外に誰かいないか辺りを窺ってしまった。

「…あなたです」

そう肩を叩かれたのは僕だった。

「―えっ?あ、ぼ、僕ですか?」

「……あなた以外に誰が居るんですか…?」

「あ……ははっ。す、すいません…」

そう言えば、偽名になっていたことを思い出し、慌てて返事を返した。

「……では、こちらに」

意外にも、そう声を掛けてきた女性がこの屋敷の使用人たちをまとめる責任者のようだった。

柴田あゆみ
僕とそれほど年は変わらないように見える。
…可愛い、というよりは美人系だな。

だけどその仕草や態度は、同年代のそれとはまったく違う。
後藤からの紹介状を渡し、その女性からこの屋敷内での説明を受けた。

「……あの、柴田さん」

「はい、なんですか…?」

屋敷の案内も兼ねて、説明を受けていた時、それとなく僕は矢口のことを聞いていた。

「今、このお屋敷のご当主様…真里様は……」

「……えぇ。今は大切な時期なので、ご自分の部屋でずっと仕事をされています」

「へぇ〜…出掛けたりはしないんですか?」

ずっと部屋にこもってられちゃ、調べる隙なんてないからな…。
そう思って口にすると、柴田さんの僕を見る目が変わった。

「えぇ……滅多には。…それにしても、随分真里様に興味があるんですね…?」

「え?いやぁ〜…だって、そりゃ〜これからお世話になるんです。外に出ないんじゃ、庭の手入れをしても見てもらえないんじゃないか、って…」

……ヤバい。

内心冷や汗をかきながらも、それ以上は柴田さんもつっ込んではこなかった。

最初からあまり聞くのも逆効果だと学習して、そこからは当たり障りの無い会話でやり過ごした。

「ここが真里様の妹、美貴様のお部屋です」

柴田さんが部屋をノックすると、扉がスッと開いた。

48 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:49

「……あゆみさん?」

そこにはこの間の様子とは全く違う、パジャマ姿の美貴ちゃんが居た。

「……美貴様、今日からここで働く庭師の吉川です」

「よ…よろしくお願いします」

「……ふ〜ん。よろしく」

それだけ言って、美貴ちゃんは部屋に入って行ってしまった。

「……美貴様はお体が弱いんです。…もし異変を感じたら、すぐ私に言ってください」

「……わかりました」

あの青白い顔してたら…そうだろうなぁ…。

「さぁ、それではあなたの部屋に…」

「…え?あれ…?真里様の妹って……美貴様だけですか?」

僕がそう柴田さんに聞くと、また顔が強張った。

…だけど、さっきと違うのは、

「……そうです。真里様の妹と認められているのは……美貴様だけです」

「……えっ…?」

認められてるって……

どういうことだ…?

柴田さんはそれ以上、何も語ることはなかった。

僕もそれ以上に、その話に首を突っ込むことも出来なかった。

あんな悲しそうな顔されたら…聞きたくても、聞けなかった。



…そして美貴ちゃんの部屋を後にした後、柴田さんは最後に僕の部屋まで案内してくれた。

3畳一間ってとこだな。
…僕の部屋とはえらい違いだ…。

それでも感謝しつつ、柴田さんに礼を言って、僕はやっと荷物を置いた。

「……ふい〜……」

…自分の部屋っていいな。

そう思った瞬間だった。



49 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:49



とりあえず仕事は明日から。
それまでは自由、と言われ、僕は屋敷の中をうろうろしていた。

…それにしても、柴田さんは綺麗だよなぁ…
一緒の仕事をする機会は無さそうだけど、今まで見てきた女性とはまた違って……

『うわっ!』

そんなことを考えながら歩いていたせいか、廊下で鉢合わせになった。
思わず後ろに飛んで、柱に頭をぶつけた。

「いっ……つつつつ」

「ちょっと〜…危ないから、ちゃんと前見て歩きなよ」

「す…すいません」

その声に顔をあげると、さっき会ったばかりの美貴ちゃんが。

「……あ、さっきの…」

「あ…えっと、吉川です。美貴様」

「吉川……?」

そう言って、美貴ちゃんがどんどん顔を近付けてくる。

「……なんかどっかで見たような…」

それにしても美貴ちゃんは、安倍君の前とはえらい違いなんだな…。
やっぱり本性なんてわからないもんだ。

「い、いやぁ……気のせいじゃ……」

初日から正体がバレんのか…!?
そんなヒヤヒヤしていた時だった。

急に周りが慌ただしくなって、それも玄関の方に人が集まっている。

「……なんだ?」

「あっ……!!」

美貴ちゃんも急に慌てて玄関へと向かっていく。
僕もすぐにその後を追った。

「あ……」

「安倍さんっ!!」

玄関の入り口に安倍君が立っていた。
それを柴田さんが出迎えている所だった。

「…美貴…」

美貴ちゃんが駆け寄って、安倍君に抱き付く。
安倍君も嬉しそうに頭を撫でていた。

……なんて羨ましい…。

どっちの立場を取っても、僕には最高の状況だ。

そんな二人をじっくり、べっとり見ていると、不意に安倍君がこっちを見た。

『っ!?』

まさか……ま、まさか、な。

バレるはずない、そう思っているのに、心臓はバクバク音を立てていた。

「ど…どうしたの?安倍さん」

「え?あ…いや……。今、寒気が…」

それはどー考えても僕のせいのような気がしてならない。

……さすが安倍君だ。

そう思いながら、僕はその場を去った。


50 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:50


「ふぃー…あぶねぇ、あぶねぇ」

あいつにはくれぐれも安倍君にだけは気付かれるんじゃないぞ、って言われてるからな…。

この秘密任務のこともそうだけど……。

それ以上にあいつは僕が知らない間に安倍君と会って何かあったら、なんて思ってんのかもしれない…。

それは……まぁ、その場の雰囲気とか、気分とか、色々あるからなぁ…。

とりあえず、そんな場面になったとしたら、僕に自分を抑えられる自信は無い。

「…………」

一瞬、不埒なことを思いついて、頭を振った。

「は…早く調べて屋敷に戻ろう!」

こんな不健康なこと、早く終わらせるべきだっ!

足早に僕は屋敷の奥へと向かった。

「……確か、こっちだったな…」

簡単な見取り図を片手に、僕が向かったのは……もちろん矢口の部屋だ。

実質矢口家の当主でもあるあいつは、家の事業関係やらなにやら、全部一人で抱え込んでるって話だ。

……まぁ、他人に任せらんねぇーくらい、叩けばホコリどころか粗大ごみが大量に出てきそうだからな…。

他人に任せようもんなら、矢口のやつ次の日にはこの屋敷をおん出されるか、警察行きだろう。

安倍君が来たことで、だいぶ手薄になった屋敷の中は、他人の目を気にすることなく、奥へと進めた。

……あの部屋か。

目の前には見えていた。

……だけど遠くからだんだん近づいてくる声に、僕は近くの部屋に身を隠した。

少しだけ隙間を開けて、外を窺う。

「……そう。矢口は仕事中なのか」

「……申し訳ありませんが、今はお引き取りを」

「あぁ……。邪魔して悪かったね、あゆみさん」

……この声、安倍君か。

それに柴田さんだな。

「あ、……そうだ」

「はい?」

「…キミは…大丈夫なの…?」

「……何のことでしょうか」

「いや……余計なことを聞いて悪かった」

相変わらず、女性に優しいなぁ…なんて思ったけど、

そう思ってる僕だってそうなんだから、到底安倍君のことなんて言えるはずもない。

……多分、安倍君のだろう。足音が遠ざかる。

ぎしっ、ぎしっ…

そしてもう一つの足音が、そう木の廊下の音を立て、僕の前を通り過ぎ、矢口の部屋に向かう。

「……真里様」

柴田さんはそう声を掛け、中へと入った。

僕は辺りを窺い、周りに人が居ないのを確認すると、その扉に張り付いた。

「……、です」

聞き耳を立てると、わずかだけど中の声を聞こえてくる。

「……なつみが?僕に?」

「はい」

「ふ〜ん……なかなか可愛いやつだな、あいつも。…そうだろ?柴田」

「……はい」

そして矢口のバカ笑いが部屋に響く。

キィ〜、と何かの音がして、その声は止んだ。

「……そんなに美貴が大事なら…もっとふっかけてやる」

「なに…!?」

『っ!?』

「誰だっ!?」

やべっ!!

慌てて僕は縁側から地面に降りると、縁の下に転がるように入り込んだ。

バンッと扉を開ける音がして、僕の、まさに真上にその足音。

「…………柴田…!」

「……は、はいっ…」

そしてすぐ後、

―パンッ・・・

「っ……く」

「ふんっ!…ちゃんと周りを見てから僕の部屋には入ってこいっていつも言ってるだろ!」

「は…はい…。申し訳……ありません」

そしてバタンっと扉は閉められる。

……あいつ…柴田さんに手ぇ上げやがったな…

元はといえば、僕のせいかもしれないけど…。

それでも矢口のしたことは、僕からしたらあり得ないことだ。

柴田さんの足音が遠ざかってから、僕は縁の下から出た。

しばらくそこに張り付いていたけど、それ以上矢口の部屋から聞こえてくる音は無かった。


51 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:50



そして自分の部屋に戻ろうとしていた途中、庭の中に柴田さんの姿を見つけ、僕は思わず駆け寄っていた。

「……柴田さん?」

「っ…!?」

ビクッとふり返る、その顔はやっぱり左頬だけ赤くなっていた。

「あっ、ご…ごめんなさい…そんなに驚かせるつもりは…」

「い、いえ……いいんです。驚いてしまったのは…私の方ですから」

やっぱり柴田さんは美人で良い人だ…。

なのにあいつ……

「……どう、したんですか?それ…」

しらばっくれながら、そう言うと、何故だか柴田さんは笑った。

「……えっ?な、なんか可笑しいこと…言いました…?」

頭を掻きながら答えると、柴田さんは、

「……あなたは…本当に気付く人ですね。…まるで探偵さんみたいですよ?」

「え……」

内心、それは柴田さんの方だ、と思っていた。

その勘の鋭さは、柴田さんは後藤の次ぐらいにランクインする。

「あ…ははっ。…よく言われます」

どこがだっ!

どっちかって言えば、僕はホームズよりワトソンだろう。

乾いた笑いを浮かべながら、僕はそう自分自身につっ込んでいた。


52 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:50



「……ふぅ」

明日からは庭いじりしながら、探偵か…。

っていうか、あいつ部屋から出んのか?

……それにしても、矢口の野郎…

あの会話を思い出すだけで、ムカムカしてくる。

「……何が、ふっかけてやる、だ」

アイツが安倍君の弱みを握って、何かを要求してることは確かだな…。

……それも美貴ちゃん絡みで。

「ねぇ……何一人でブツブツ喋ってんの?」

「うわぁっつ!?」

「…うわっつ、って何?」

「い……いやぁ…」

それは僕に言われても困るけど。

「……あの、美貴様こそ、なんで…」

ここ僕の部屋なんだけど。

……うん。

僕の部屋だった。

「…なんかさぁ…あゆみさんがアンタなら相談乗ってくれるから、って」

「……相談?…あゆみさんが?」

どっちにしろ意味不明だ。

どうしてあゆみさんが……。

「…え?ってことは…美貴様、僕に何か相談があるってこと…?」

美貴ちゃんは頷いて、僕の部屋の扉を閉めた。

……な、なんだろう…

こ、このドキドキする展開…

も、もしや、美貴ちゃんが僕のことを…!!

「あのね…安倍さんがどうしたら美貴のこと見てくれるか、って。…アンタ男でしょ?」

「ま……まぁ…そうだけど」

なわけないじゃないか!!……くそっ!

安倍君…モテモテじゃないか…

「……ちょっと、聞いてんの!?」

「き…聞いてます、聞いてますって」

全く相手にもされてない僕は、美貴ちゃんの就寝時間になるまでずっと話に付き合わされた。


53 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:51



「くっそぉ……美貴ちゃんのせいで寝不足だ…」

そう文句は言いつつも、手を動かす。

庭の枝切りなんて朝飯前だと思ってたのに、想像以上にキツい。

こんなのすぐに終わると思ってた仕事が、もうすぐ昼になろうとしてるのに三分の一程度しか進んでいない…。

「……地獄だ…」

それもさっきから、ちょくちょく美貴ちゃんが僕が暇そうにしていると、喝を入れにやってくる。

こんなじゃ、探偵どころか…仕事が終わるまでずっと動けない…。

「ちょっとー…手、動いてないんじゃないのー?」

「……ぐっ……。や、やってますよ、ちゃんと!」

「ふ〜ん…まぁ、終わる前に日が暮れそうだね」

ふふん、と笑って美貴ちゃんがまた部屋に戻っていく…。

「くっそぉ〜〜〜〜!!!」

ジョキジョキジョキジョキジョキジョキ!!

「はぁー…はぁー…はぁー…」

……何やってんだ、僕は。

「……ふふっ。やっぱり美貴様に好かれてますね。吉川さんは」

「……えっ?」

その可愛らしい声に、自然と僕の体も反応する。

…やっぱりあゆみさんだ…。

こんなにも眩しく感じるなんて……天国か?ここは。

「…って、美貴様に好かれてるって…僕が?」

……到底、そうは思えないけど…

「ふふっ。吉川さんに遊んでほしくて、ちょっと意地悪しているんですよ」

「えぇ〜…?」

そうかなぁ……あれは地だと思うぞ、僕は。

「あ。…そうだ、これ…お昼に食べてくださいね」

「え!?も…もしかして、柴田さんの手作りとか!?」

「い……いえ…。ごめんなさい」

「そ……そうですか……」

ガックリ肩が落ちると、柴田さんは笑っていた。

「……ホントに面白い人ですね?吉川さんは」

「ははっ……まぁね」

残念だ……。

ホントに残念だ。

「……あ、そうだ。そういえば、なんで美貴ちゃんに相談なんて…」

そうふり返った時には、柴田さんの姿は無かった。

……い、いつの間に……

そう言えば、さっき僕の背後に来た時も全く気配を感じなかったけど…。

…さすが美人だな、うん。

僕はおにぎりを頬張ると、またちょっかいを出してきた美貴ちゃんにケツを引っ叩かれて午後の仕事を始めていた。


54 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:51


「つ……疲れた…」

体がバリバリだ。

体力には自信があったけど、こりゃ地味に来る。

まだ今日は一日目だから良いものの…明日ちゃんと動けるか不安になってきた。

「いっ…ててて」

それもあれだ。

途中、途中の美貴ちゃんが余計に体力を奪っていきやがった。

「くっそぉ〜〜」

「……あーあー…年ですか?」

……このムカつく声…

見上げりゃ、そこにやっぱり居た。

「また……なんだよ」

「あー。そんな口利いていいの?美貴…」

「わ、わかってるよ!」

そりゃーご当主様の妹様だもんな。

えらい、えらい、って言えば、美貴ちゃんは指定席のように僕の部屋に一枚しかない座布団の上に座った。

「っていうかさー。アンタうちの兄貴のこと調べようとしてるってホント?」

「ぼほぁっ!!」

布団の上にうつ伏せになってた僕はまくらを放り投げて体を起こした。

「……つぅー」

…でも体が軋んで美貴ちゃんに手を伸ばした格好のまま固まっていた。

「……ホントなんだ」

「な……何故それを…」

「ひ・み・つ。…何探ってんのか知らないけどさー、情報売ってほしいなら……ここは交換条件といきません?吉”カワ”さん」

美貴ちゃんはニコニコ楽しそうに、そう言って僕を見た。

とりあえず…何か、色々引っかかるが、ここは話だけでも聞いておこう。

「……で?その交換条件ってなんだよ」

「ふっふっふ」

そう言って、美貴ちゃんは僕に耳打ちした。

「なぁっ!?」

「バカっ!ちょっと、声デカイって!!」

「……っていうか、何だよ。それ。安倍君とうまくいくようにって…」

っていうか、それ以前に婚約者同士っていうか、もう決まったも同然みたいなもんなんだろ?

だけど美貴ちゃんは浮かない顔だ。

「……それがさー…まぁ、色々あるんだ、って」

「…色々?」

「…色々は色々なの!それより、吉澤さん!?…じゃ、じゃなかった、吉カワさん、さっきのことよろしくね」

「あ…あぁ……」

……って、今、おい!

「ちょっ、ま、待て!!」

い、今、僕のこと吉澤さんって…

「アンタ男でしょ!?細かいこと気にしないでよね」

こ……細かくないぞ…

パタンと扉が閉まる。

だけどそれ以上追いかける体力も無く、僕はカッコ悪い格好のまま布団の上に居た。

「……お、恐ろしい…」

美貴ちゃんがこの屋敷を仕切りだす日も、そう遠くないと思った。


55 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:52


あれからずっと続く、美貴ちゃんのちょっかいにはだいぶ慣れ始めてはいるものの。

…毎日話を聞くこっちの身にもなってくれ、ってそんなグチでも出そうなぐらい、毎日飽きもせず安倍君の話をしに、美貴ちゃんはやってくる。

そんな美貴ちゃん漬けの毎日だけど、合間で話す柴田さんとの会話は僕の癒しの一時と言っても過言じゃない。

もしこんな状況がずっと続いたら……

僕はきっと柴田さんを好きになっているだろう。
正直、好きになりかけてる僕が居た。

相変わらず、矢口はたまに部屋の外に出てくるものの、それは憂さ晴らしなのかただ文句を言いたいだけなのか、柴田さんに突っかかっては、嫌味なことを言って部屋に戻る。

全てを見たわけじゃないけど、その中の何回かは柴田さんの顔や体に赤い痕を見つけていた。

「……くそっ」

僕が柴田さんを守れたら……。
そんな気持ちになっていた。

「……おーい。…またひとり言ですか?」

「うわぁっ!?」

び……ビックリさせんなよ…

相変わらず神出鬼没な美貴ちゃんには驚かされてばかりだ…。

「へー…ふ〜ん…」

何か言いたげに僕を見てくるけど、それ以上はムッとした顔のまま何も言わない。

「なっ、なんだよ」

「……何で男の人って、みんなあゆみさんみたいな人に弱いの?」

「なっ…そ、それは…だなぁ」

まぁ…美貴ちゃんの本性を知ってしまった以上、美貴ちゃんにいくってことは無いだろうけど…。

「安倍さんもあゆみさんには結構気を遣ってんだよね……何でだと思う?」

「な、何でって……」

そりゃー…安倍君も美人に弱いから…

「アンタと一緒にしないでよ!」

「……すいません…」

きっとこの場に安倍君が居ても、後藤が居ても、同じことを言われただろう。

「あのバカ兄貴のせいで…あゆみさん…」

「っ……なんで、誰も何もしないんだよ!」

「っ、み、美貴だって…その場に居る時は止めてるよ!…だけどあのバカ兄貴、美貴がいないの見計らって、あゆみさんに…」

「……す、すまん」

やるせない思いなのは美貴ちゃんも同じなんだな…。

「…ホントなら美貴も言ってやりたいけどさぁ…。美貴この体のことであのバカ兄貴には貸しがあるから……」

「み……美貴ちゃん…ご、ごめん」

「…謝られると余計腹立つ」

バンッと背中を叩かれて、むせる僕を置いて。

美貴ちゃんはさっさと廊下を歩いていった。

「……わりぃ…」

一番悔しい気持ちなのは美貴ちゃんなのに…。

僕は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


56 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:52


あれからずっと隙を窺って、何も出来ないまま一週間が過ぎ……

だけどそのチャンスはまた巡ってきた。

「何!?…矢口が出掛けるのか…?」

「うん。…安倍さんちに行くって」

「……安倍君の家に…」

一体、何の用だっていうんだ…アイツ。

前に言ってたことを思い出して、嫌な予感がした。

「美貴さ……」

「おー。行ってこいよ。…久々なんだろ?安倍君に会うの」

そう言って頭を撫でると、申し訳なさそうにしていた美貴ちゃんが笑った。

最近、美貴ちゃんのことは妹のように感じていた。

妙な感覚だけど、安倍君のことも同じ男として妹を預けていいやつかどうか、そんな風に考えてる僕が居て……。

こんなじゃ、この屋敷を出る時には安倍君のこと、美貴ちゃんの婚約者としてしか見れない気がする…。

…僕の煩悩はどこへ行ったんだ…。

思わずそんな不安がよぎる。

「あ。そうだ…これ」

「……あ?」

手渡されたのは鍵。

「…美貴が留守の間に……よ・ろ・し・く」

「……まさか…」

「へっへー♪」

…ホントに末恐ろしいな…美貴ちゃんは。

ありがたくそれを受け取ると、僕は美貴ちゃんを部屋まで送った。

その後、おめかしして嬉しそうに屋敷を出る美貴ちゃんと、相変わらずな矢口を見送って。

……あの初日の日のように、僕はヤグチの部屋の前まで来ていた。

…だけど、今日違うのは、この部屋に入ることだ。

周りを窺ってから、鍵を差して回した。

カチャッと小気味良い音を立てて、扉は開いた。

素早くその中に入ると、もう一度扉に鍵を掛けた。

「……っふー…」

ここか……

思った以上に広くなかった。

どちらかというと、押し込められたような空間。

棚の中には溢れんばかりにファイルが挟まって。

…こんな中に一日中居たら…それだけで滅入りそうだ。

よくこんな中に何日も居られるな…。

「……ん?」

棚の間に隠れるようにその扉はあった。

「……なんだよ、こっちにも部屋あるんじゃ…」

そう言って、扉を開けた―

「…やっぱり、来ましたね」

「ぁ……」

それ以上は言葉にならなかった。

な……なんで……

その続いた扉の奥に、あゆみさんが居たからだ。

それも……

「ど…どーしたんですか!!…その傷…」

いつも以上にその顔にも、体にも傷と痣が凄かった。

「は……早く手当て…!」

「いえ。…これは…私が悪…」

「悪いなんて言うなって!!」

「っ!?」

僕はそれ以上、あゆみさんの話も聞かずに部屋から出て、自分の部屋に向かった。

57 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:53

…ここんとこ慣れない仕事で怪我ばっかりしてたおかげで、その辺の治療道具には困ってなかった。

「……柄にも無く、真里様に…安倍様と美貴様のことで乱暴な手出しをするのはやめてください、…なんて言ってしまいました」

僕があゆみさんの怪我の手当てを始めると、あゆみさんはふとそう言葉をもらした。

「……えっ?」

…なんでそんなこと…

あゆみさんは…こう言っちゃ悪いけど、この件に関しては矢口寄りだと思っていた。

逆らえば、矢口があゆみさんに何をするかわかっていたから。

「……真里様も…ホントはきっと、止めてほしいはずなんです」

あんな風に相手も自分も傷つけるようなやり方ばかりしていたら……いつか、それは体も精神も壊します。

「……アイツがねぇ…」

血も涙も無いような顔してっけど。

「だから……あなたにはちょっと、期待してるんです」

「……は…ぁ?」

期待って……。

どっちかっていうと、別の意味で期待が膨らむんだが…。

きっと違うのはわかってても、そんなことを思う僕はきっとあの二人が居たらボコボコにされていることだろう。

「…もしかして、美貴ちゃんと僕が…」

何をしようとしてるのか…知って…

あゆみさんは頷いた。

「私が最初にあなたのことを美貴様に教えました。…きっとあなたは真里様のことを調べようとこの屋敷に入ってきたのだと、そう思いましたから」

……さすがあゆみさんだ。

だから美貴ちゃんもすんなり僕のことを信用したんだな…。

「……でも、吉澤さんのことを見抜いたのは美貴様ですよ?最初の日に、あなたの部屋へ行って…」

最初から見抜かれてたんじゃ、何の言い訳も出来ねぇーよ。

「……美貴ちゃんには前に一度会ってたんだ」

「それじゃあ、美貴様がわかったのも当然ですね…」

滅多にこの屋敷の外に出ない美貴様は、そこで出会った人のことは絶対に忘れませんから。

……それを聞いて、悲しいって思うのは、美貴ちゃんをバカにしてる気がしてやめた。

「……光栄だな」

っていうか、この変装で誤魔化せるわきゃねーんだって!

こんな変装で僕のカッコ良さとフェロモンを隠し通そうっていうのが無理なんだ。

「ふふふっ。…やっぱりあなたは面白い人ですね」

あゆみさんだって相当自分自身を押し隠してる気がして、

そう言う、あゆみさんはどうなんだ、って、そう思ったけど、それもやめた。

だって、何考えたって…もう僕の頭でわかる範疇は越えてる。

きっとあゆみさんの方が……色々とわかってて、色々考えてるんだろう。

どこか後藤のような気がして、今は余計なことを言うよりも、この人に踊らされていた方がいいと、そう思っていた。


58 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:53




「よ、…吉澤さんっ!!み、美貴…美貴様がっ!!」

「……えっ!?」

それは突然の知らせだった。

もうそろそろ矢口達が帰ってくるのを見越し、庭いじりを始めた時、慌ててあゆみさんは、僕の所に駆け寄ってきた。

「…―美貴ちゃん!!」

玄関に運び込まれた美貴ちゃんを、僕は抱き上げた。

朝、屋敷を出ていった時の顔色と全然違う。

青いどころか真っ白だ。

「頼む!!」

安倍君が後から入ってきて、そう僕に声を掛ける。

「おっしゃぁっ!!」

その声もあったからか、いつも以上にその時は素早かった。

美貴ちゃんの部屋であゆみさんは先に用意して待っていてくれた。

美貴ちゃんを布団の上に下ろすと、すぐにあゆみさんがその状態を診始める。

「どっ…どう、み、美貴はどうなんだっ!?」

慌てた安倍君があゆみさんに詰め寄る。

「あ、安倍君、落ち着けって!」

僕はそれを必死になだめながら、あゆみさんの言葉を待った。

「……大丈夫です。急激な…精神的な負荷が掛かったんでしょう…」

安静にしていれば大丈夫です、とあゆみさんは言葉を続けた。

「よ……良かった……」

力が抜けたように、安倍君はガクッと下に手を付いた。

「だ、大丈夫か…?」

「あぁ…すまない、吉澤」

「い、いいって……安倍く…」

……えっ?

い、今…安倍君、僕のこと”吉澤”って……

そう思った僕もそうだけど、

「……ヨシザワ…?」

……それ以上に、言った本人が一番驚いていた。

いや…言ったの安倍君なんだけど…。

「き……キミ…」

「ち、違う」

そうは言っても後の祭りだ。

「……吉澤っ!!」

―パンッ!!

問答無用で、僕の左頬に安倍君の平手打ちが入った。

「くぅ〜〜〜〜〜〜!!!!」

「どおりで最近うちに来ないと思ったら……何、こんな所でナンパなんかしてるんだっ!!!」

「ちょっ……ま、待てよ!!な…ナンパなんかしてるわけないだろーが!!!」

どーみても、この状況で、そんなことおかしいだろ!?

「……ふんっ!…どーだか」

冷たい安倍君の視線を僕は睨み返した。

…っざけんな!!

誰の為にこっちは必死になって……。

別に恩着せるつもりはないけど、安倍君にそんな言い方されるいわれは無い。

「…二人とも静かに!!…美貴様はまだ眠っているんです…!」

『っ!!』

ハッと気付いて、お互いを睨み合っていた。

あっちもおまえのせいで、って思ってるのかもしれないけど、こっちだって同じだ。

「……すまない。行くぞ、吉澤!」

「なんだよ。勝手に行けばいいだろ?僕は美貴ちゃんを…」

「…―来い!」

「い…いてててて!!」

首根っこ掴まれる、なんてよく言うけど、まさにそれだった。

廊下まで引きずり出されて、

「ちょっ、は、離せよ!!」

振り払うと、安倍君は悲しそうな顔をした。

59 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:54

「……っ…」

っとに…卑怯だな…。

「……わ…悪かったよ…黙ってて」

それでも安倍君は許してくれそうもない。

僕に背中を向けたまま、黙っていた。

「……ごめん、って」

そう後ろから抱きしめると、さすがに安倍君は反応した。

「ちょっ……な、なにして…」

振り向きざまに唇を押しつけて、久しぶりの感覚に脳みそまで神経が痺れそうになる。

「んんっ…!!」

身動きの取れない安倍君は僕を睨み付けるだけ。

…そんなの僕にとっちゃ、なんにも怖くないわけで…。

「……寂しかった?」

そう呟いて、安倍君の頬を撫でると、俯いて……

「あぁ……とってもね!!」

「―ごほぉっ!?」

久々に僕の腹をえぐるように入ったパンチは、さすが安倍君だ、と言わんばかりの破壊力だった。

60 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:55



「……そうか。それで…」

美貴ちゃんのことはあゆみさんに任せて、安倍君は僕の部屋に居る。

僕は仕方なく、これまでのことを安倍君に話していた。

矢口家の内情を知る為、忍び込んだこと。

美貴ちゃんと一緒に矢口を探っていたこと。

そこまで聞くと、安倍君はやっと少し誤解を解いてくれたようだった。

「……それにしても、安倍君だけなのか?」

あれだけ騒ぎまくった後だけど、矢口はどうしたのか気になって聞くと、

「……矢口なら、僕の家に居る」

「はぁ?なんでだよ、美貴ちゃん、倒れたんだぞ!?」

「あぁ……そうだ」

そうだ、って…。

ひどく冷静な態度に腹が立ったけど、安倍君にイライラするのはお門違いなのはわかってる。

…でも、それでもこの怒りは抑えられそうにない。

「……仕方がない…。美貴は矢口にとっては、他人だからな」

「仕方な……って、は?…い、今…」

「美貴と矢口に本当の血の繋がりは無い」

な…なんだって…?

「……あっきれた。キミ、そんなことも後藤から聞いてないのか…?」

「は…?」

な、なんで今、アイツの名前が出てくんだよ…。

「その分じゃ…僕と美貴に血の繋がりがある、ってことも知らないってこと?」

「…………えっ?」

「ビンゴか。…後藤も意地悪だな。まぁ、元はといえば、キミがまいた種だからな…」

そう言って、安倍君はご愁傷様、と僕の肩を叩いた。

「ちょっ…ちょ、ちょ、ちょっと待て!」

いい加減、頭がパンクしそうだ…。

「…だから、美貴にヘタなマネしてみろ…その体、もう二度と女に声も掛けられない体にしてやるからな」

「い…いや……」

神に誓ってもいい。

それだけは、絶対に無いと。

……それがあゆみさんだったら、本当にヤバかったが。

「じゃあ……美貴ちゃんは安倍君の妹…」

「あぁ、父が同じだ。美貴の母親は後妻だったんだけど…、まぁ、後妻ということで親戚同士のいざこざに巻き込まれてね…。美貴を産んですぐ家を出たらしい。それから行方も知れず……」

安倍君も父親もその足取りを追っていたらしい。
それでも掴めず、数十年も経った今になって、矢口が美貴ちゃんを餌に安倍家を訪れた。

「……美貴を買わないかって」

「はぁ!?か、買うって…犬や猫じゃねーんだぞ!?」

「わ、わかってる。お…落ち着け!吉澤…」

「あ……あぁ…すまん」

アイツ…どーゆー神経してんだ。

「矢口から聞いた話だけど、美貴の母親は矢口の家の使用人として働いていたらしいんだ…」

矢口の父親は昔から遊び人で、それこそ色んな所に子供が居たらしい。
そんな矢口の父親に見初められ後妻として美貴の母親は矢口の家に入ったものの、その父親の女癖の悪さに悩みに苦しんで体を壊し、…そして病気で亡くなった。
そしてその父親は実質的な家の事業も矢口に任せきりに、今でもどこに居るかわからないらしい。

61 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:55

「……クソオヤジだな」

「まぁ…。だから美貴は矢口の籍には入っているけど、関わり合いが無いと言ってもいい。…それでもあんなに体の弱い美貴をあそこまで育ててくれたことには感謝しないといけないからな…」

「……安倍君」

矢口が昔からあの家の実権を握ってたんだとしたら、他人の美貴ちゃんをどう扱おうが、安倍君の知らない所だったんだから、どーにでも出来たはずだ…。

……だから、美貴ちゃんもアイツには貸しがある、って…

「……お金で済む話なら、僕は感謝の気持ちも込めて払うつもりだった」

「ちょっ…ちょっと待てよ。それとこれとは…」

「ただ、矢口はそれだけじゃ足らずに、僕…安倍家の全財産と言ってきた」

……おいおいおいおい。スケールが違いすぎるな…。

「…そこまでいくと現実味が無さ過ぎるぞ。そんな無茶…」

そこまで言って、ハッと気付く。

「……だから、許婚…?」

「そう。…僕が矢口の家に入ってしまえば、矢口が僕の家の実権を握ろうが何したって、誰も何も言えない」

……どうしてそこまで。

そこまでするなんて、なんか恨みでもあったのか…?

「僕や美貴に恨みがある…というより、これは矢口の自分の父親に対する怒り…だろうな」

「……アイツのオヤジは何してんだよっ!」

「まぁ……そっちに関しては後藤が動いてくれている。いずれ見つかるだろうけど…」

「……後藤が?」

……ふーん…。

アイツ何やってんのかと思ったら…。

「……どうした?そんなに後藤が気になる?」

「なっ!?……んなわけ…」

ねーって言ったら、嘘になるけど。

…アイツはアイツで考えてんだな…と思ったら、やっぱり後藤は凄いな、って感心してる僕が居た。

「だから、それまで何とか持ちこたえられれば……そう思っていたんだけど、」

「……だけど、矢口はそうそう気は長くなかったってことか」

安倍君が頷く。

…きっと今日、矢口が安倍君の家に行ったのは…そーゆーことだったんだろう。

「……でも、美貴ちゃんとの結婚が無理なら、本当の相手って誰だよ」

血の繋がりがあるんじゃ、結婚なんて無理だ。

…美貴ちゃんが悩んでたのもそこなんだな…。

「……あゆみさんだよ」

「……はぁっ!?」

あ…あゆみさんって…あ、あの?

「柴田あゆみさん。……あの人には嫌われてるんだけどね…僕」

「き…嫌われてるとか、そーゆー問題じゃ…」

「……やっぱり、キミ。…あゆみさんのこと、好きでしょ?」

「なぁっ!?」

な、何を言うんだ、って、そう言おうとしてむせた。

「……ホントにわかりやすい性格してるね、キミ」

呆れた、と言わんばかりに安倍君の冷たい視線を受けた。

「……僕は美貴が取り戻せればいい、そう思っていた。矢口に他に妹が居るなんて、調べた時にはそんな情報無かったからね。多分、形式だけのもので、僕を釣っているんだろうって…。だけど、まんまと矢口にハメられたよ。きりの良い所で切り放すつもりが、決まった途端、あゆみさんを自分の妹だ、と連れて来てね……」

そして安倍君は自傷気味に笑った。

62 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:56

「…矢口のオヤジが他に作った子か…?」

「あぁ」

矢口があゆみさんにヒドイ事をするのはそのせいなのか…。

だからあゆみさんは……

僕が美貴ちゃんの他に矢口の妹がいないか聞いた時、あんなに悲しそうな顔してたんだな…。

「……まさか、と思って調べたけど、すでにその時には事が進んでいた後で、どうにもならなかった」

安倍君のあゆみさんへの気の遣いようは、このせいだったのか…。

「…あゆみさんも矢口の駒として使われているのをわかってる。どうにかしてあげたいけど…僕じゃ無理なんだ」

「……みたいだな」

きっと矢口が言ったことには、絶対服従なんだろう。

「矢口はまだ安倍君の家に…?」

「……今日中に返事をしろって」

きょ、今日中って……。

「……おかげで僕は親戚一同から睨まれてるよ」

そりゃー…矢口に安倍君の家の実権を握られたら…一族みんな共倒れだからな…。

「…そして、そんな事実を知ってしまった美貴は……」

「倒れたのか…?」

「……あぁ。…きっとワザと美貴の居る前であんな話…」

ビックリしたんだろうな…。

自分のせいで、安倍君がそんなことになってると思わなかったんだろう…。

矢口も矢口だ。

美貴ちゃんの前でわざわざそんな話をするなんて…。

「……逆を言えば、それだけ矢口が今、追い込まれてるということさ」

「……え?」

「こんなことを言うのもなんだけど……美貴が倒れてくれて良かったよ」

な、何言ってんだ…!?

そう睨むと、

「…こうしてキミの顔が見れて良かった」

「……は?」

ぷすん、と一気に何かが抜けたようだった。

「ちょっ…ちょっと待てよ!」

立ち上がろうとする安倍君を引き止めていた。

「ど……どこ行くつもりだよ」

「……もう帰らないと。…矢口が今か今かとイライラして待ってる頃だろうからな」

「なっ……」

……もしかして、話…受けるつもりなのかよ…。

63 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:56

「……嫌だからな!…僕は」

「…まぁ…キミにとっては、あゆみさんが僕と結婚してしまうわけだから…残念だとは思うけど」

「ち……違う!!」

僕は思わず抱きしめていた。

「よ……吉澤…」

「…バカ言うなよ。僕が安倍君のこと好きなの…わかってるくせに」

そう言うと、安倍君の顔が見る間に赤くなった。

「…嘘をつけ。…あゆみさんもキミのこと気に入っていたみたいだけど?」

「……それってヤキモチ焼いてくれてるってこと…?」

「なっ…!は、話をすり替えるなっ…!」

どうにも我慢出来なかった僕は、安倍君を布団の上に押し倒していた。

「よ、吉澤っ!!」

「…キミが他の人のものになろうとするなら…その前に僕が奪う」

「ばっ……」

唇を押しつけて、安倍君の自由を奪う。

文句の一つも言いたいんだろうけど、そんな余裕僕にも無い。

反対に隙だらけのその体に僕の手が嬉しそうに動き回る。

「っ……んっ」

ピクッと反応する安倍君を見つめながら、僕は舌先をそこに埋めていった。

…待ちに待った、この日を。

安倍君が僕のものになる……

そう思っただけで、胸の鼓動はドクドクと音を立てていた。

「よしっ…ざ…」

潤んだ瞳が僕を見上げる。

それだけで全てが愛おしくなった。

「……安倍君。…愛してるよ」

「…僕も…」

安倍君にもう一度、軽く口付けて、僕の手は服を脱がし始める。

シャツだけになって僕がそのボタンに手を掛けると、安倍君に手を掴まれた。

「…吉澤……もう一度、キスしてくれないか…?」

「…もちろん」

恥ずかしそうにそんなお願いされたら……それだけじゃ止まらないけど。

前屈みにもう一度顔を寄せると、

「……すまん、吉澤…」

耳元でそう聞こえた瞬間、僕の意識は飛んでいた。

64 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:57



『好きが隙になった理由。』





朝、目が覚めると僕は一人だった。

「っ……つつつ」

……やられた。

最初に思ったのはそれ。

部屋を見渡しても、何もない。

「くっそ……」

せっかくのチャンスを…。

そう思うのと同時に僕は部屋から飛び出していた。



廊下に出たものの、人の気配を感じなかった。

…時間も見ずに飛び出して、まだ朝早いことにも気付かなかった。

慌てて足音を消し、目当ての部屋まで辿りつく。

スーッと扉を開けると、

「…………」

そこには布団に眠る美貴ちゃんと、看病していたあゆみさんが部屋の壁にもたれて眠っていた。

……どうやら美貴ちゃんも持ち直したみたいだ…。

昨日の顔色の悪さがだいぶ良くなっている。

…あゆみさんの看病のおかげだな…

そう思いながら、僕は壁に頭を預けたままのあゆみさんに上着を掛けた。

「……っ、よ…吉澤さん?」

「あ……ごめん。起こして…」

「いえ……」

そう言って、あゆみさんは目を擦った。

…なんか今日は寝惚けてて可愛いなぁ…

なんて思いながら、ハッと安倍君の顔を思い出す。

……安倍君が気になるけど…

今、ここを動くわけにもいかない。

……まだ矢口も帰ってきていない。

でもアイツはきっと…笑いながら帰ってくる気がした。


65 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:57



「っ……!!美貴様っ?」

「美貴ちゃん!!」

美貴ちゃんが目を覚まさない事に、僕とあゆみさんが医者を呼ぼうかどうか迷っていた時だった。

「…わかるか…?!」

パッと目を開けた美貴ちゃんは怖いモノを見た後のような顔をしていた。

「お、おいっ!美貴ちゃん!!」

「美貴様っ!?」

僕とあゆみさんが大きな声で名前を呼ぶと、気が付いたように美貴ちゃんがこちらを見た。

「よ…吉澤さん…あゆみさんっ!」

すると泣きそうな顔で美貴ちゃんがあゆみさんに抱き付いた。

「……大丈夫ですよ。ここは美貴様の部屋です」

「う、うんっ…」

…よっぽどだったんだな…。

また美貴ちゃんの顔から血の気が引く。

あの冷血野郎のことだから、相当ヒドイ言い方をしたんだろう。

「美貴ちゃん…大丈夫か?」

「……吉澤さん…安倍さんは…?」

「あ、あぁ……昨日のうちに安倍君は帰ったよ」

正直、言いづらかったけど、そうとしか答えられなかった。

案の定、美貴ちゃんの表情が暗くなる。

「…どうしよう…美貴のせいで…」

「ば、バカやろう!美貴ちゃんのせいじゃないよ。…それは安倍君も言ってたことだ」

「…安倍さんが…?」

「安倍君は…美貴ちゃんと一緒に暮らしたいんだよ」

ずっと離れ離れだった妹の為に…

僕は頑張っている安倍君を応援したい。

だから安倍君が美貴ちゃんの為にしようとしてることを、…アイツは全部美貴ちゃんのせい、みたいな言い方して恩着せがましく言いやがっただけなんだ。

「で、でもっ…!!そのせいで安倍さんが…アイツに家を…」

「……美貴様」

「あゆみさん……美貴…あゆみさんが羨ましいよ」

「……っ」

あゆみさんは何も答えない。

ただ複雑そうな顔をして、タオルを冷やす水を取り替えてくると、部屋を出た。

「……悪いこと…言っちゃったかな…」

…どっちとも複雑な心境だよな…。

いくら好きでも実の兄の安倍君とは決して結ばれない美貴ちゃんと…

…好きなんて感情とは無関係に結婚しなくちゃならないあゆみさんと。

「……いや。…きっとあゆみさんだって…わかってくれてるよ」

あの人は色んな意味で大人だからな…。

きっとこうなることはわかってたんだろう。

……だけど、きっとそれをまた受け入れるのとは、話が別だ。

多分美貴ちゃんのことで一番苦しんでいるのはあの人のような気がしてならない。

こうしていつも一番近くで美貴ちゃんを見守っていた、あゆみさんが。

66 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:58


……数時間後、矢口は屋敷に戻ってきた。

思った通り。

……その顔には薄気味悪いぐらいの笑顔が貼り付いていた。

そして帰ってきて早々、矢口はあゆみさんを呼びつけた。

「……何の…話、してるのかな…」

美貴ちゃんはそう呟いていた。

「そうだな……」

さっきから僕も気になっているものの、美貴ちゃんを一人にしておくわけにもいかない、と思って、ずっと話相手になっている。

……多分、いや、きっと矢口の話は結婚話のことだろう。

安倍君のあの様子じゃ………

「その様子じゃ…何か知ってるみたいだね。吉澤さん?」

「え?い…いや……な、何も…」

「いやいや〜そんなに謙遜しなくても」

だいぶ元気になったと思ったらこれだもんな…。

美貴ちゃんの目は犯人を問い詰める、それだ。

「け…謙遜なんて……滅相も無い」

でも美貴ちゃんにそんな口先の誤魔化しが通用するはずもなく…

「そーゆーのめんどくさいから早く言ってよ」

……身も蓋も無いな。

「……はいはい」

さすが女王様気質だ…。

僕は渋々安倍君が昨日言ってた結婚話を口にした。

…少し迷ったけど、これだけ元気になってれば大丈夫だろう、と、血の繋がりのことについて聞いたことも話した。

「……安倍さん、そんなこと言ってたんだ…」

美貴ちゃんの前ではあまりそんな話はしないんだろう。

それまでの溝を埋めるように、美貴ちゃんはその話に聞き入っていた。

「……じゃあ、あのバカ兄貴…」

「…うん。あの様子じゃ、自分に有利な条件で結婚の話、進めたんだろーな…」

あの薄気味わりぃ顔が浮かぶ。

「あゆみさん……大丈夫かな…」

「…まぁ、あの人はこうなることわかってて…」

「そんなわけないでしょっ!?何、言ってんの!?」

「っ!?……え?み…美貴ちゃん…?」

掴みかかられて、口を止めた。

「あの人だって……ホントは安倍さんのこと…」

「……えっ?」

「…こんな風に…安倍さんと結婚したって、あゆみさんだって辛いよ…」

……どーゆー意味だよ…。

ホントはあゆみさんも安倍君のこと好きだった、とか、そんなオチか…?

「……何?気付いてなかったの?」

「……いや…全然、全く…」

だ、だって安倍君だって嫌われてるとか言うし……

あゆみさんも安倍君には素っ気無いっていうか……

「……そんなの照れ隠しに決まってんじゃん」

「な、なにぃ!?」

あ…あのあゆみさんが照れ隠しするほど…安倍君のことが好きなのか…。

「……吉澤さんって…もしかして」

そこまで言って、ふっ、なんて美貴ちゃんに鼻で笑われた。

「な、なんだよっ!!」

「いやー……別にー?」

なんて、知らん顔されて、チラッととことん蔑んだ目で見られた。

くそっ…不愉快だ……

「まぁーまぁーまぁー。ほらモテないからって、そんな顔しないでさー」

完璧美貴ちゃんにオモチャにされて、肩をバシバシ叩かれた。

「……ほっといてくれ」

あれだけ社交界を華々しくさせてたっていうのに…。

最近、自分に自信を無くしそうだ…。

こーなったら意地でも安倍君を僕のものにしてやる!

……後できっと驚くだろうな…

「……おーい…大丈夫…?」

その顔を思い浮かべることで、僕は現実逃避していた。


67 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:58



…案の定、あゆみさんへの話は結婚の段取りのことだった。

ただ決定権の無いあゆみさんは、矢口から言われたことをそのまま行動に移すのみ。

矢口が安倍君との会話の中で、どんな約束を交わしたのかはわからない。

だけどその矢口の様子からして、……とても良い内容とは思えなかった。

なんとかしてその内容を探ろうとしても、結婚の話が決まってからというもの、あゆみさんが僕達の前に姿を現さなくなった。

どうにかコンタクトを取ろうとしても、美貴ちゃんでさえ会うのが難しくなるほど、それほどまでに矢口の目が光っていた。

「……くそっ」

矢口の野郎…手回しが良いな……。

「あのバカ兄貴の悪い方への頭の良さにはいつも感心させられるなぁ〜」

…淡々とそんなこと言わなくても…

そんなフリしてだいぶどころか、かなり怒ってんだから、ホント怖ぇーよ…。

「……吉澤さん」

「…なんだよ」

急に思いついたように美貴ちゃんは僕に、

「一週間、暇あげる」

そう人差し指を突き出した。

「……はぁ?」

「っていうかさー、もう手詰まりなんだから、帰ってよ」

……そんな言い方無いだろ…。

淋しいとか、そーゆーの無いのかよ…。

ショックを受けて俯く僕に美貴ちゃんは、

「う、そ、う、そ。ちゃ〜んと情報集めて帰ってきてよね♪よ、し、ざ、わ、さん?」

そう言って安倍君用の笑顔を僕に見せた。

…か…可愛く…なんて、無いからな!

若干伸びそうになった鼻の下を隠しながら、僕はありがたくその提案に乗ることにした。


68 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:58



「ひ…ひとみ様……」

「に、新垣……」

お互いを見た瞬間―…僕と新垣は一気に距離を取った。

「な…なんや?なにが始まるんや!?」

僕を屋敷まで乗せてきた高橋が見守る中、お互い構えた。

「……今度は何、迷惑掛けてきたんですかぁっ!!!」

容赦無い新垣の一発が正面から入る。

「し、してねぇーよ!!」

僕はそれを横にかわして、新垣の背後を取ると手の平で背中を押した。

『わっ!』

ちょうど高橋にぶつかって新垣が止まる。

「のわぁ〜里沙ちゅわ〜〜ん♪」

「おぉぉぉおおっ!!や、やめてよ!!」

……計算通りだ。

高橋は新垣を抱きしめたまま頬ずり攻撃。

新垣はそれに身震いしながら、必死に押し返していた。

…ふっ。僕の完璧な勝利だな。

「…いい加減にしろよな、新垣。…別に迷惑掛けたからって、戻ってきたわけじゃねーよ」

そう言って、僕は久しぶりの自分の部屋に戻っていった。

「……なんや…ひとみ様、ちょっと成長しとるで」

「うっ……それは…私も思った…」

一、二週間で変わることなんて何も無いと思うけど…。

確かに今までとは少し自分自身、変わっているような気がしていた。

今までが今まですぎたんだ。

……そう思う事にした。


69 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:59


「……おい。ここは、」

「知ってる。…キミの部屋だと言いたいんだろ?」

当たり前だ。

どいうわけか、自分の部屋の扉を開けると、この家の人間じゃねーやつが僕の部屋でふんぞり返っていた。

「……何やってんだよ、おまえ」

「…キミが僕の情報を欲しがってると思って、こうしてわざわざ来てあげたのに、そんな口利いていいの?」

……またお見通しですか。

でも久しぶりなせいか、そんな態度もムカつくよりは、あ〜こんなやつだったな、なんてどこか楽しんでいた。

「…高橋達の言う通り、少しは成長して帰ってきたみたいじゃないか」

「……まぁな。色々あったせいで、もう多少のことじゃ、驚きもしねーよ」

「あっそ。…それは良かったね」

どこが良いのかわかんねーけど…それにしたって、こいつからしてみればまだ僕なんてノミの心臓だろうからな…。

「で?安倍君は…?」

「キミも知っての通り、安倍君は矢口の要求を受けたよ。それも破格の要求にサインをしてね」

……やっぱりかよっ!

アイツのあのニヤニヤ薄気味悪い笑顔はそのせいか…。

「…なんでそこまで…」

「仕方がない…。あの矢口のやり方はハッキリ言って下衆だ。あそこで断っても、自分は損せず安倍君の上げ足は取れる」

「……美貴ちゃんか?」

「…まぁ。それが全てと言うわけじゃないけど…。きっとこれで安倍君が美貴さんを買い取らなかったとしても、他の人間に美貴さんを買わせ自分が利益を得る方法を取るだろう」

「……はぁ?意味わかんねー」

「…まぁ、まともに生きてる人間にはあんなやり方意味が分からなくて当然だよ」

……まぁ…わかりたくもねーけどな。

そう言って、後藤は簡単に説明してくれた。

「…そうなった場合、今度は他の親族をそそのかし、美貴さんと安倍君の血の繋がりを利用して、今度は分家が本家を乗っ取ろうとするんじゃないか、って僕はそう思ってる」

「……なんでそこまで安倍君の家に…」

どっちにしろ……

「狙ったら…ハイエナの如くかぶり付く、だよ」

それがアイツのやり方なのかよ…。

それほどに安倍家の財産が欲しくて…。

「もしかしたら、矢口はそれを見越して、これまで美貴さんをあの屋敷に置いておいたのかもしれない…」

「……随分、気の長いやつだな」

後藤もそれには笑って頷いた。

「でもここまで来たら、あっちの気も短くなったみたいでね…」

そう言って、後藤も困ったように両手を上げた。

それは安倍君の結婚話のことだった。


70 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 22:59


「……ひとみ様?」

「……なんだよ」

リビングでボーっとしてると、不意に新垣に声を掛けられた。

「い、いえ……」

……なんだよ。

新垣が僕が帰ってきてからずっと様子のおかしいことに気付いた。

「言いたいことあるなら、言えって。…おまえおかしいぞ」

いつもなら放っておいたって、言いたい放題言ってくるくせに…。

どこか余所余所しい態度が気になってしょうがない。

「いや……だって。ひとみ様が…別人のように見えて…」

「…はぁ?」

なんだそれ。

そう思って新垣を見ると、不思議そうに僕を見ていた。

「…前のひとみ様だったら…こんな風に家でジッとしていることなんて、出来なかったですよ?」

その言葉がどれだけ僕を突き動かしたか。

…その威力は計り知れない。

「見ない間に…随分と臆病者になられたんですね、ひとみ様」

そう言って新垣は、僕の背中を叩いた。

「ひとみ様はひとみ様でいいじゃないですか。…誰に何を言われようが、いくらガツガツして嫌われたって、そんなの気にせず好きな人の為に突っ走る!それがひとみ様の良い所じゃないですか!」

「……新垣…そうだよな…」

「…それぐらいで居てもらわないと、私の仕事まで無くなります」

「なっ……なんだよそれ…」

やっぱり僕はいつまで経っても、新垣には頭が上がらない。

なに、みんなに成長した、とか言われて浮かれ調子になってんだ!!

そんな自分を叱責した。


71 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:00


「はぁっ……はぁっ…………」

そして僕は安倍君の家まで来ていた。

「…………何かご用ですかぁ?」

亀井が僕に門越し……じゃなく、

……門を開けてくれた。

「……入って……いいのか?」

恐る恐る尋ねると亀井はめんどくさそうに、

「……入るんですかー?入らないんですかぁー?」

「は、……入る、入る!!!」

僕は気が変わらないうち、とすぐに足を踏み入れた。

「……どーゆー風の吹きまわしだ?」

後で何か請求されるんじゃないかと、内心ドキドキしていた。

……だって、あの亀井が、こうして普通に執事らしいことをしてるというだけで奇跡だ。

「なんかしつれぇーなこと思ってるみたいですけどねぇ。私だって、別に貴方達に意地悪したくていっつも入れなかったわけじゃないんですからね!?」

「あー…わ、悪かったよ…」

きっと、顔に出てんだな。

余計なことは考えないように頭を切り替えた。

「安倍君…居るのか?」

「えぇ。…なつみ様は式の段取りにお忙しいそうでー、こ〜んなに可愛い亀井のことも構ってる暇、無いそうですからぁー!」

……相当イライラしてるな…亀井。

もしかしてそれが理由の気まぐれで入れてくれたのか?

屋敷に入ると、さっきふとそんな事を思ったのが、あながち外れてないことに僕も、……そして安倍君も驚いていた。

……だって、

「なっ!?」

僕と亀井が屋敷に入ると、ちょうどリビングに居た安倍君がビックリして声を上げた。

「な……何でキミが…。か、亀井!!」

亀井はそんな安倍君の言葉を知らんぷりして僕の後ろに隠れた。

「おっ……おい…」

「どぉーせ亀井が何してよーが、なつみ様には関係無いことでしょーからぁー!」

「な、……何を言ってるんだ、亀井!!」

安倍君がそう言って立ち上がると、テーブル一杯に広げられていた書類がバラバラと絨毯の上に落ちた。

「あっ……」

「あーあー。なつみ様はお忙しいですねぇ〜お可哀想に…」

「……かめいぃ…」

や、ヤバいぞ……あ、安倍君の目が据わってきた…。

っていうか亀井、いい加減僕の後ろに隠れるのはやめてくれ…。

「亀井。言いたいことがあるなら、隠れてないで直接言ったらどうだ?」

リビングから出てきて、安倍君が僕の後ろに隠れた亀井に話しかける。

…っていうか、僕の存在ってなんなんだ…。

「……ふんっ。どーせ、なつみ様はそんなこと言って〜、吉澤さんの前だからじゃないですかぁ?」

『なっ!?』

急に話に僕の名前が出てうろたえた。

名前を出された安倍君も安倍君で慌てていた。

「ほらやっぱり〜。…亀井は知ってるんですからね…なつみ様が…」

「わぁー!!!」

いきなり大声を上げた安倍君は、さっきまでの怖い顔はどこへやら…。

慌てて僕の後ろの亀井に笑顔で近付き口を手で塞いだ。

「……か、亀井。わかった。…ちゃんと亀井とお茶するから…お願いだから、それ以上はやめてくれ」

「うへへへ〜。じゃあ、今すぐ亀井のおいし〜いお茶菓子と緑茶をお持ちしますね?」

「……お茶って…」

それだけで亀井のやつあんなにイライラしてたのかよ…。

嬉しそうにキッチンに向かった亀井に手を振って、その姿が見えなくなると安倍君はようやく僕を見た。

「……やぁ、いらっしゃい。帰ってたんだね」

「…あぁ…一時帰宅だけどね」

72 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:01



亀井がお茶の用意をしてる間に、僕は美貴ちゃんの様子を安倍君に話した。

「……そう、あゆみさんには迷惑掛けてない?」

「掛けるどころか…会わせてももらえないでいるよ」

「……そうか」

フッと安倍君が息をもらす。

…亀井のやつが必死になって安倍君を休ませようとするのもわかるな…。

どれだけ今、安倍君が必死になってるのか。

顔色を見ればすぐにわかった。

「……だいぶ煮詰まってるみたいだね」

テーブルの上に散乱するのは安倍家の財産に関わる書類のようだった。

「あぁ……。聞いたとは思うけど、式が近くてね。…それまでに一応、この家の財産に関しては出来得る限り全て把握しておくように、と言われているんだ」

「ぜ、全部って……」

そりゃ無理にも程がある。

一人だけの財産ってわけじゃないんだぞ…。

「……出来なきゃ、矢口が自分でやるとか言いだしてね…そんなことされたら、それこそ何をされるか…」

…すげーな…矢口の横暴ぶりも。

「まだ僕が間に入っていられるだけでも良いと思わないと…」

…そうだよな…。

じゃなかったら、グチャグチャに引っかき回されたって、文句も言えねーよ…。

「……安倍君…あんまり無理するなよ…?」

手を伸ばして、安倍君の手に触れる。

「っ……よ…吉澤…」

ただねぎらうつもりだけだったけど、安倍君にそんな顔されたら、ついこの間のことが頭によぎった。

「……そー言えば、あの時の借りはどーやって返したらいいかな?安倍君」

安倍君がピクッとその言葉に反応する。

「な……なんのことだ…?」

「何のことって……また僕をはぐらかすつもり…?」

安倍君の手を触りながら、するすると手首から袖の裾の中に手を伸ばす。

それだけで徐々に安倍君の顔が赤く染まる。

「ねぇ……安倍君…なにか答えてよ…」

「よ、吉澤っ…!わ、悪ふざけはっ…」

離せともう片方の手が僕の手に伸びる。

その隙に僕は身を乗り出していた。

「んっ……!?」

「……次は逃がさないからね、安倍君」

そう言って、僕はまたソファーに座った。

そう、これは宣戦布告だ。

せっかく捕まえたと思ったのに……こんな逃げ方されて、黙ってられるかよ。

「なっ……そ、それは…!」

73 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:01

「お待たせしましたぁ〜♪」

安倍君が僕に反論しようとして、バンと扉が開く。

良いタイミングで亀井がお茶を持ってきた。

「…って、あれ?…何か…様子がおかしいですねぇ…!?」

そう言って、鋭い視線で僕を睨み付ける亀井。

…さすが安倍君の番犬だな…

「な…何もおかしいことはないぞ」

それでも警戒心を解きそうも無い亀井は、

「……なつみ様ぁ、こっち向いてください」

お茶と菓子をテーブルの上に置くと、安倍君の隣に座った。

俯いたままの安倍君の顔を無理矢理上げている。

……安倍君も災難だな…

亀井が怖いやつだとは知ってはいたけど、ここまでとはな…。

「か、亀井っ…?」

「ぅ〜…なつみ様が亀井の方を向いてくれないからですぅっ!」

「わ、わかった、わかったから…」

なだめながら安倍君は亀井の用意したお茶とお茶菓子を、おいしい、おいしいと食べている。

「うへへへぇ。そーですよねぇー?亀井の作ったお菓子とお茶が一番ですよねぇー?」

「う、うん…そ、そうだね…」

亀井は笑顔だが…安倍君の顔が引きつってるように見えるのは僕の気のせいなんだろうか…。

「こーなったらもぉ、亀井と結婚しちゃえっ!って思いますよねぇー?」

「え?えっと…ど、どうかなぁ…」

「なつみ様ぁ!?そこは、はい、ですよ、はいー」

さり気無い…というか、もう直球勝負だな…亀井も。

「ほら、なつみ様?はい、あ〜ん…」

「か……亀井……勘弁してよ…」

「だーめーでーすぅー…はい、なつみ様」

そうは言いながら、亀井に付き合う安倍君。

亀井のあの嬉しそうな顔見たら、何も言えないな…。

安倍君はさっきからチラチラ恥ずかしそうに僕を見てる。

「か、亀井。よ…吉澤も居るんだから…」

「もぉ、なつみ様!?亀井より、あの人の方が気になるってどぉ〜ゆーことですかぁ〜!?」

そう言って抱き付く亀井。

「ち、違う、違うっ」

「聞きませーん!」

……亀井のやつ…いつもこうなのかよ…。

なんて羨ましい…。

「か、亀井……いい加減に…」

「…そ、そうだぞ!!」

さすがにそれ以上は……!!

僕だってそこまでベタベタしたことなんて数えるぐらいしかないんだぞ…!!

「あなたをここまで連れて来たのは誰だと思ってるんですか!?」

「なぁっ!?」

く…くそぉ……

…そうは思っても、亀井のおかげであることは確かだ…。

そうじゃなきゃ、こんな風に話すことさえ出来なかったんだからな…。

僕はそれ以上は何も言えず、帰るまでずっと見せつけるように安倍君とイチャつく亀井を見ているしかなかった。


74 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:02


「なーにやってるんですか、ひとみ様!」

「そうやぁー。ひとみ様ったら、亀ちゃんになつみ様取られおってなー」

「…情けないったらありゃしないですよ…」

「ほんまやぁ」

……何なんだ、これは。

あんだけ人のことたき付けやがって……

何かと思えば、こーゆーことかっ…!!!

「……全くねぇ?ひとみ様が成長されたっていうから、今度はどうなつみ様にアプローチするのか期待してたのに…」

「全く変わらん!それどころか亀ちゃんに持ってかれてるってどーゆーことや!?」

「……おまえらなぁ…」

っていうか、どこで見てたんだ高橋…

安倍君の家に居た時のことを事細かに新垣に話している。

「あ!でもなぁ…ひとみ様、亀ちゃんが居らん間にちゅーしとったんよぉ〜」

「えぇっ!?」

「なぁっ!?何、言ってんだ、高橋!!」

慌てて口を押さえるけど、一歩間に合わず……

「…それは興味深い話だね。僕にもっと聞かせてくれるかい…?」

僕は新垣と、何故かいつの間にか居た後藤に睨まれていた。

「ま……真希さまぁ…」

「……ご、後藤…」

い、いつ現れたんだ、おまえ…。

…っていうか、おまえらも気付かなかったのかよ…。

執事二人も不意を突かれたせいか、ビックリして固まっていた。

75 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:02


「…キミには呆れて文句も出ないよ」

「……すいません」

僕はリビングに正座していた。

ソファーに座ったままの後藤がそんな僕を見下した視線で見つめている。

「あやぁ〜…」

「もぉっ!!愛ちゃんが口を滑らすから…」

…っていうか、おまえら二人とも同罪だ!

「……で?安倍君が何をしていたかぐらいは、調べてこれたんだろ…?」

「え?あ、あぁ……。矢口に言われて今、自分ちの全財産調べてまとめてるって…」

「ふ〜ん…なるほどね」

そう言うと、さっきまでの鬼のような後藤はどこへやら。

無表情でブツブツとひとり言を言いながら、部屋を出て行く。

「お……おいっ!!後藤!?」

そう声を掛けても、後藤は何の反応もせずにそのまま出て行った。

「…な…なんだったんでしょう…」

「さぁ…」

まぁ、殴られずに済んで良かったけどな…。

「ま……真希様ぁ!?」

そして高橋が慌てて、その後を追っていった。

「……ほんっとにひとみ様は真希様にばかり迷惑を掛けて…」

そう言って、新垣は大きなため息をついた。

「僕だってなぁ…アイツに借りを返したいと思ってんだよ…」

でもそこまでの知識も先読みも出来ないからな…僕は。

「……ひとみ様…。申し訳ありません…差し出がましいことを言って…」

「……別に。僕がアイツに迷惑掛けまくってるって事実は変わんねぇーよ」

……それに安倍君のことだって。

アイツは安倍君の為に裏方で頑張ってるっていうのに…。

「ひとみ様…ホントに成長なさいましたね…」

「……はぁ?どこがだよ…僕なんて、まだまだだ…」

「そこですよ。……前だったら、私にうるせぇ!って、ただそれだけでしたよ?」

……なんか、ホント新垣が母親みたいだな…。

こっ恥ずかしい…ムズムズしてくる。

「……さっきはひとみ様をたき付けたりして、すみませんでした。…何だか寂しいんですよ。ひとみ様が大人になってしまうと…私の手から離れていくみたいで…」

そりゃ親がいうんだ、バカっ

少し涙目になってる新垣に不覚にもドキッとしてる僕が居た。

「きっといつまでもバカなことして、周りに迷惑を掛けて……そして私はひとみ様を怒ってばかりで…。きっとずっと、ひとみ様は変わらずそう居てくれると思ってました」

「……おまえなぁ…」

そんな人間が当主でいいのか…。

「……でもさっきので、私も少し気持ちを改めようと思いました。いつまでもひとみ様にベッタリじゃダメなんですよね…私も子離れしないと」

「……おまえに産んでもらった覚えは無いぞ」

「いーえ。ひとみ様が覚えていないだけです」

「そんなことがあってたまるかっ!!」

笑う新垣の目の端に涙が見えた気がして、思わず目を逸らしていた。

「…なつみ様のことがあったから、というわけじゃありませんけど。ひとみ様にだっていつ何があるかわかりません。十分に気を付けてくださいね」

「あ……あぁ」

……でも、こうしちゃいられない。

後藤があれだけ頑張ってるっていうのに…僕が何もしないわけには。

「言ってるそばから……」

「……あぁ?な、」

肩を叩かれて不意に食らったのは、いつもの気合い入れの一発なんかじゃなく、

「……ん?!」

そっと触れた唇はビックリするほど柔らかかった。

「なっ……に、にいがっ…お、おまえ…!?」

「…少しは休んでくださいね。ひとみ様」

新垣が少し照れたように部屋を出ていく。

「なっ……なんっ……」

ど、どーゆーことだ…!?

取り残された僕は、今起こったことを理解しようとするだけで精一杯だった。

ずっといつも母親みたいな立場で居た新垣が……。

な、ど……どーゆーことだよ…

「い……今のは……夢じゃないよな…」

念の為柱に頭突きしてみたけど、やっぱり現実だった。

休むどころか…僕は一睡も出来なかった。


76 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:03


『器に乗せられる僕という魚。』



…情けないことに、落ち着いていられなかった。

「お……おはよう」

「えっ?あ……お…おはようございます…」

や…やっぱりダメだ…。

ギクシャクする。

いつも以上に早く起きた朝。

起きたっていうより……眠れなかった。

でもやっぱりあれは夢なんかじゃなく、現実のようだ…。

新垣は朝食の用意をしながらリビングとキッチンを行き来する。

僕はリビングのソファーに座りながら、その新垣が気になってしょうがなかった。

「き……今日はお早いんですね」

「え?あ…あぁ…。目が覚めちまって…」

「そ……そうですか」

「お……おぉ」

新垣もいつも以上に早い僕をチラチラと窺っている。

…なんだよ。

あんなことがあったからって、意識しまくってるなんて…。

アイツのこと、そんな目で見たこと無かっただろーが。

そんな自問自答を繰り返すけど、体は正直でボーっとしているといつの間にか新垣を目で追っていた。

「な…なんですか。そんなにジッと見られると…動きづらいじゃ…」

パリンッ

言ってるそばから新垣は皿を落とした。

「す、すまんっ!」

素早く僕はそれに手を伸ばしていた。

「い…いいですからっ」

そして先に皿を拾おうとする新垣の手に僕の手は重なっていた。

「あっ…」

「えっ…?」

……な、なんだこのドラマみたいな展開は…

そんなことを思いながら、ふと見上げると新垣と目が合って、

…別に意識したつもりなかったのに、もう一度その唇に触れたくなってしまった。

77 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:04

「なっ……!?」

顎に手をやって顔を寄せると、ビックリして新垣が声を上げる。

「……いや、確認の為に。…昨日の感触が夢じゃないかって…」

そんな言い訳するあたり、僕は案外新垣のことを好きなのかもしれない…なんて思っていた。

「なっ、なっ…なにを言って…」

いつも強気なくせに、うぶな新垣の反応が僕の心をくすぐる。

「おまえが急に……あんなことするからだろ」

あんなことされたら…意識するな、って方がおかしい。

「あれに…別に……深い意味なんて」

「じゃあ……どーゆー意味だよ…」

「そ、それはっ……」

そこで新垣が黙る。

「言えねぇっていうなら…」

そう言って、また顔を近付ける。

「ちょ、ちょちょちょちょ…!!!」

「……あーしの里沙ちゃんになにしとんのやぁっ!!!」

ガスッ!!

…っていうか、もっと鈍い音がして僕は床の上に突っ伏していた。

「ぐぁっ……ててて」

「里沙ちゃんだいじょぶか!?なんもされんかったか?」

「……あ…愛ちゃん…」

ちょっとホッとしてる新垣を見たら、無性にムカついた。

「…こんの見境無しっ!!」

「うっせ!!」

…元はと言えば新垣が…

そうは思っても口に出来ず、僕はずっと不貞腐れたまま朝飯を食った。

78 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:04



「……後藤が?」

「なんや、今日はひとみ様と一緒に居るからあーしはお留守番やって」

「…珍しいですね…真希様が」

飯を食い終わった後に、高橋がそう言いだした。

「んなこと言われたって、何も聞いてないぞ?」

「高橋が先走るものだから。…これから言うつもりだったんだよ、僕は」

『うわっ!?』

……ビックリさせんなよ…。

どーゆーわけか、僕ら全員驚かせて、後藤はいつの間にか窓際のソファーで優雅にお茶なんか飲んでいた。

「い…いつの間に真希様…」

「あかん…あーしまで真希様の気配読めなくなっとる…」

そんな後藤は気にせず僕のテーブルまで近付いてきて、

「さ、行こうか、吉澤」

「……いや、あのなぁ…」

どこへ行くかぐらい言えって。

後藤はそのまま部屋を出ていく。

「……ちょ、待てって!」

慌てて僕もその後を追う。

「いってらっしゃ〜い」

「お二人とも…お気をつけて」

新垣と高橋の声を背に、僕は屋敷を出ていた。


79 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:04



「……素朴な質問なんだけど、」

そう言って、前を歩いていた後藤が僕をふり返る。

……素朴な質問?

後藤がそう言うだけで、全く素朴な感じはしない。

「…なんだよ」

「キミの本命ってどっち?」

「……はぁ?」

本命がどっちって……

「あっ…!?お…おまえ……」

まさか朝の……

すると後藤は言いにくそうに目を逸らした。

「なっ、べ、別にあれはそんなんじゃ…」

「…じゃあ、遊び?」

「あ、遊びじゃねーって!!」

「じゃあ…本気?」

「い、いや……」

そこまでは…いってない。

だってつい昨日まで、ずっとアイツのことは口うるさい執事としか思ってなかったっていうのに…。

そんなすぐ、変わるかよ。

「ふ〜ん……本気の一歩手前、ってとこか…」

「なっ……何なんだよ、おまえっ!!」

んなのいちいち聞かなくたっていいだろ…。

後藤の全てを見透かすような視線にさらされるのが嫌だった。

その視線から逃げるように僕は後藤の先を歩きだした。


80 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:05



「……安倍君の家かよ」

「あぁ」

そう言って、後藤は呼び鈴を鳴らした。

「……おい。用があるって…」

そこまで言って、遠くからアイツの声が聞こえてきた。

「まぁ〜〜た、あなたですかぁ〜〜!?」

ガシャンッ、って門越しにアイツが僕に噛みついてくる。

「……昨日はよくも…亀井ぃ〜!!」

「ふんっ。なつみ様は亀井のお嫁さんなんですぅ〜!あなたみたいな野蛮人には指一本だって触れさせませんからねぇ〜っだぁ!!」

「…何が、亀井のお嫁さん〜だっ!散々嫌がられてたの気付いてねぇーのかよっ!」

「な…なんですってぇ!?あ…あれはなつみ様の照れ隠しなんですぅ!!」

「……ふぅ。亀井、じゃあ、僕は入らせてもらうよ」

門越しに噛みつき合う僕と亀井の横を、後藤がスッと通り過ぎる。

「は!?ちょ、ちょっと待てよっ!!」

「あなたは入らないでくださいぃ〜〜!!!」

「なにすんだっ!!」

内側から亀井に邪魔されて、僕だけ入れない。

その間に後藤はどんどん屋敷の奥へ行ってしまう。

「か〜めぇ〜い〜〜!!こらぁ〜〜!!」

「もぉ、しつこぉ〜〜い!!」

しつこいのはおまえだっ!!


81 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:05



「はぁー…ぜはぁー……」

余計な所で体力を使った…。

息を切らしながら屋敷まで辿りつくと、どこからか声が聞こえた。

耳を澄ませて、その声に近付く。

「……後藤、それって…」

「あぁ…。だからキミは出来得る限り…」

そこまで近付くと誰の声かはすぐにわかった。

安倍君と後藤だ。

だけど声を掛けようとして、そのただならぬ雰囲気に足を止めていた。

…何の話してんだ…

声のトーンからして、マジメな話してるんだろうってことはわかったから。

「……でもこれ以上、時間稼ぎは…」

「何とかしてくれ……としか言えない。…すまない、僕の力不足だ」

…後藤…。

木の影から二人の様子を窺うと、アイツが安倍君に頭を下げていた。

「…何を言うんだ、後藤。キミには世話になってばかりで…」

安倍君はそんな後藤の肩に手を置いて、そう声を掛けていた。

僕も同じ気持ちだった。

後藤が顔を上げる。

「…僕はただ、キミを守りたかっただけさ」

「後藤…」

ジッと後藤は安倍君を見つめている。

それに安倍君は戸惑いながらも視線を交わした。

「…僕は安倍君が幸せで居てくれればそれでいいんだ。…だけど矢口のやり方はそうじゃない。だから僕はアイツを許さない。…ただ、それだけさ」

後藤は安倍君の髪を撫でながら、そう言った。

キザなセリフだけど、あんだけ似合ってると文句も浮かばなかった。

「後藤…僕の為にそこまで思ってくれるなんて…。この気持ち…どう伝えればいいのか…」

「それは…言葉にするまでもないよ」

スッと安倍君の顔に手が添えられて、そこからは流れるような動作だった。

「んっ…」

後藤がその顔を離すまで、時間でも止まったかのようだった。

「……ふふっ。これでまた僕も頑張れるよ」

そして後藤は安倍君に笑顔を向けた。

「ご……後藤…」

安倍君は口を押さえながら、恥ずかしそうに俯く。

なぁっ……なんなんだ…

妬けるぐらいにお似合い。

あんなの見せつけられたら…近付くことさえ出来ない。

そんな二人をこうして見てるだけしか出来ない僕は、腹が立つどころか、アイツに負けた敗北感でいっぱいだった。


82 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:06



「あれぇ〜!?あなた、なつみ様の所へ……えぇっ!?ちょ、ちょっと、」

「……んだよ」

うっとおしくて亀井に返事をすると、アイツの方から引き止めてきた。

「か……帰る……んですか…?」

「なんだよ。悪ぃかよ」

「いえ……別に……」

だったら、離せって、僕は手を振り払った。

「ちょっ……ちょっとぉ!!」

「…だから、何なんだよっ!!」

「だ、だって……だったら、そんな悲しそうな顔して帰らないでくださいよぉっ!!」

「は……はぁ?」

悲しい…?

どっちかっていったら、ムカついてんだけど。

「亀井はもぉ…あなた達のことで悲しんでる人達の顔、見たくないんですぅっ!!」

べ…別に僕のせいじゃないだろ……

「あなた達のせいじゃないですかっ!!…それはなつみ様も含めです!」

「か…亀井……」

「あなた達み〜んなのことで、どれだけの人が悩んで…苦しんで……。私、みんなのそんな顔見たくありません」

「…んなこと言われたって…」

何で僕に言うんだ…。

僕にどうしろって言うんだよ……。

「……なんでいっつもバカなことばっかりしてるのに、今日に限って、そんななんですかぁっ。さっきまで亀井とバカ騒ぎしてたじゃないですかぁっ!!笑っててくださいよぉっ!あなたが笑ってないと…なつみ様が笑わないんですっ!!」

「亀井……おまえ…」

「な、何を騒いでるんだっ!!」

僕と亀井がそんな言い争いをしてるうちに、安倍君が屋敷の方から駆け寄ってきた。

「っ……よ、吉澤…キミも来ていたのか…」

「あ……あぁ」

「…またいつものケンカか?亀井…」

安倍君が亀井の肩に触れる。

いつもなら、安倍君にすぐ抱きつくくせに、

「……ほっといてください!!」

「えっ?……亀井…?」

……ったく、言ってる本人が一番悲しい顔してんじゃねーかよ…。

「…おい、亀井。さっき僕に言った言葉、おまえに返すからな」

「っ……!!」

ハッと顔を上げる亀井。

「な、何のことだ…?吉澤も亀井もさっきから何を…」

「そこのやつがさー、安倍君が笑顔じゃないと嫌だ、って駄々こねてんだよ」

「なぁっ!?な、なななな何、言ってるんですかぁっ!!」

「……亀井…?」

「ち、ちちちち違いますぅっ!!違うんです、この人、嘘ばっかり言ってます!」

……何照れてんだよ。

普段、いつもそれ以上のことしてんじゃねーか、おまえ…。

「何が嘘だよ。…さっきの、安倍君に直接言えよ」

「ちょっ……ばかぁっ!!」

慌てて僕の口を塞ごうと亀井の両手が張り手のように襲ってくる。

「うわぁっ、ちょっ、待て!!」

「うるさぁ〜〜い!!!」

「……何やってるんだ、キミ達は…」

取っ組み合いになる僕と亀井を、安倍君は少し離れた所から見ていた。

「ほらぁ〜〜!!!あなたのせいでなつみ様に呆れられたじゃないですかぁ!!」

「どー見たって、おまえのせいだろーが!!」

「……まったく、しょうがないな…」

安倍君はまだまだ控えめだったけど、笑って見てくれていた。
 
そして亀井は、そんな安倍君をチラチラ見ながら、

「うへへへぇ…」

「…おまえなぁ…」

いつも以上に不気味な笑みを浮かべていた。


83 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:06


「……遅いと思ったら、亀井と口喧嘩だって?」

「なっ…べ、別に…」

それだけじゃねーよ。

リビングでふんぞり返る後藤を見たら、一気に気が抜けた。

誰のせいだと、思ってんだ…

「……見てたなら、止めれば良かったじゃないか」

小声でそんなことを言ってくる辺り、僕が不貞腐れてる理由が後藤にはわかってるんだろう。

「……出来たら、やってた」

「ふ〜ん……キミも成長したら随分と臆病風を吹かせるようになったんだね」

「な……なにぃ!?」

こ、こいつ…!!

睨み返すと、後藤は鼻で笑って僕を睨んだ。

「亀井、みんなの分のお茶をお願い出来る?」

「はぁ〜い」

機嫌の直ったらしい亀井が用意しに行き、安倍君がリビングに入ってくる。

「……なっ!?こ、今度はキミ達かっ!?」

入ってくるなり僕達二人の様子を見て、安倍君が慌てて間に入ってきた。

「……安倍君は黙っててくれ」

「よ…吉澤!」

「キミにやましいことがあるからそんなことも言えないんだろ?」

「なっ……んなわけっ…!!」

「…や、やめないかっ!!」

腕が上がった僕を慌てて押し込める安倍君。

「…吉澤!…今日のキミはおかしい…」

「っ……な、…なんだよ」

どっちがおかしいんだよ…

なんでそんな平然とした顔してられんだよ…!

「おかしいのは…そっちだろ」

「えっ…?」

安倍君の手がビクッと僕から離れる。

「……ほっとけばいいよ、安倍君」

後藤がその手を引いて、

「こいつは他人のことになると随分と良く目に付くようだから」

「は、…ぁ!?」

「ちょっ…後藤も!!」

「いいんだ。ほら、安倍君は座って…?」

安倍君は渋々僕らの反対側のソファーに座った。

そして後藤は隣で睨む僕なんか完璧無視で話し始めた。

それはこれまでの情報交換みたいなものだけど、よほどさっき二人でコソコソ話してたことの方が重要なんじゃねーかって思えてくる。

…きっと僕なんか蚊帳の外なんだろーしな!

「……キミ、ちゃんと話聞く気ある?もう時間は無いんだからね」

「はぁ?あるよ、ちゃんと聞いてるって」

すっとぼけて返事した。

ホントは聞いてるどころか、全部聞き流してるくせに。

「……じゃあ、後は吉澤の活躍に期待しようか、安倍君」

「……は……?」

な、なんだよ、それ。

僕の活躍って……

「そうだね。…悪いけど、吉澤。…任せたよ」

「え?あ…あぁ、任せとけって」

……そこまで真剣な目で見られたら、今更、何が?なんて聞けなかった。


84 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:06



「……で?何で僕達ここに居るんだ…?」

「…呆れた。…やっぱり僕の話聞いて無かったんだね」

その通りだ、としか言いようがない。

「……だったらそん時に言えよ」

「よくそんなことが言えるね…感心するよ」

僕達はまだ安倍君の家に居た。

だけど違うのは、客としてじゃないってことだ。

リビングから出た僕と後藤は別室に居た。

「…ほんっとに大丈夫なんですかぁ〜?」

おまけにさっきから亀井がちょっかい出してくる。

「……何でおまえまで居んだよ」

「あぁあ〜!?!そぉ〜んなこと言っていいんですかぁ!?」

「……口喧嘩するなら外へ出てくれる?二人とも」

「ぅっ……す、すみません…」

「……ったく、おまえのせいで…」

また文句を言おうと口を開けた亀井も、後藤が怖いのかすぐに両手で自分の口を塞いだ。

そして僕達がここに居る理由もすぐにわかった。

呼び鈴が鳴り、亀井が屋敷の外に出ていく。

そして数分後……

戻ってきた時には、一緒に矢口の姿があった。

「……美貴ちゃんも居るのか」

「あの人が柴田さんね…なるほど。キミの言う通り、美人だ」

そう言う後藤の目が怪しく光った気がした。

「ちょっ…おまえ手出すなよ…」

ガシッと肩を強く握ると、後藤は僕をふり返って、

「……キミってホント、気の多いやつだね…」

「……べ…別にそんなつもりじゃ…」

さすがに僕もそれ以上は反論出来なかった。


85 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:07


今日は式の段取りについての話合いのようだった。

あれだけ表に出なかった柴田さんも美貴ちゃんも出てくるんだ…最終的な打ち合わせぐらいまでいっているのかもしれない。

さっきから何とか話を違う方に持っていこうと、美貴ちゃんが色々と違う話を振っているみたいだけど…。

「……美貴。ちょっと黙っててくれ」

「うっ!」

「ま…まぁまぁ。ほら、美貴。今日は久々だろう?少し屋敷の中を散歩してくるといいよ」

「あ……安倍さん…」

おっ、安倍君ナイス!!

これなら美貴ちゃんと話せそうだな…。

安倍君がそう言うと、美貴ちゃんは渋々…っていうか、だいぶ不貞腐れた表情でリビングから出てくる。

「……くそっ、あのバカ兄貴…」

だいぶ離れた所でそう呟く美貴ちゃん。

その様子を見た後藤が一瞬、固まる。

「……み…美貴さんは…」

「あぁ。すげぇーだろ?あの本性みたら、夢も理想も無くな…げっ」

「誰が、夢も理想も無い、ってぇ!?」

『っ!』

「うへへへぇ。面白そうなので、お連れしましたぁ〜」

…ワザとだな…亀井ぃ〜〜。

うまくしてやられた僕は、美貴ちゃんの怒りの矛先に変えられていた。

さっきから痛い視線とトゲのある言葉に胃がシクシクしそうだ。

「…それにしても、何してんの?」

イイ男が二人も揃って〜なんて、心にも無いことを言って美貴ちゃんは僕ら二人を不思議そうに見ていた。

「……美貴ちゃんと同じだよ。…なんとか妨害出来ないかと思ってさ」

「吉澤。…キミ、全然人の話、聞いてないじゃないか」

「……はぁ?な、何でだよ…」

妨害する為に動いてんじゃないのかよ…。

「また吉澤さんの先走り?」

「ほら、美貴さんにまで言われてるじゃないか。…今日の目的は、柴田さんの誘拐さ」

「なっ!?ゆ、ゆうかっ…」

「シー!!!…ばかっ!声でかいよ」

な、なんで、そんな冷静でいれんだよ…。

美貴ちゃんの手に口を塞がれ、その状況に何の驚きも無いことに僕が驚いていた。

「…なんか、面白いことしてるみたいね…。美貴、協力するから、何でも言って?」

「お、面白いって…」

「ありがとう、美貴さん。キミが頭の回転の早い人で良かったよ」

「まぁ…吉澤さんと一緒にされても困るけど。…ねぇ〜?吉澤さん?」

うっせ。

んな話を僕に振るなっつーの。

顔を逸らすと、可哀想と言わんばかりに肩を叩かれた。

ちなみに地味に僕と同じく驚いていたやつが一人、何も無かったかのように振舞っているが。

「…亀井、おまえも驚いてたろ」

「なっ、なわけないじゃないですかぁ!…亀井はそんなのお見通しでしたからー?」

…ホントかよ。

「じゃあ……頃合いを見計らって、柴田さんを連れ出してほしい」

後藤の言葉に美貴ちゃんは頷くと、

「くくくっ…あのバカ兄貴…散々影で言った美貴への暴言の数々…後悔させてやる」

そんな恐ろしい言葉を残し、活き活きとした表情で部屋を出ていった。

「……恐ろしい…」

あんな人間を野放しにするなんて…。

案外矢口の方が平和的な活動してんじゃねーか…?

「そんなこと言ってる場合じゃないよ。…キミが柴田さんをちゃんとエスコートして来るんだ。わかってるね?」

「えぇっ!?ぼ…僕が誘拐してくんのかよ…」

「誘拐だなんて言葉が悪いな…。キミお得意の、女性を家へ誘うテクニックをご披露願おうと思ってね」

平然とよくそんなこと言えるなぁ…。

その言葉の方が余程誤解を招く。

「……まぁ、その辺はおまえより僕の方が勝ってるかもしれねぇーな」

負けずにしれっと言うと、後藤は僕に向かって手を差し出した。

「だったら、頼んだよ?…いつまで経っても気の多い吉澤」

「ほぉ〜んと、そうですよねぇ〜?」

「……余計なひと言、付けんなっ!」

僕はその手を払って、準備する為に裏口から屋敷の外へ出た。


86 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:07


小一時間ってとこだろうか。

あんまり退屈なんで亀井でもからかいに行こうとした時だった。

屋敷の外に気配を感じて、思わず身構える。

「……美貴様。私…」

「少しはあゆみさんも休みなよ。…だってさぁ、あれからずっと部屋にこもって…」

「…仕方ありません。それは安倍さんだって同じですから…」

「……あゆみさん…」

美貴ちゃんと…そして約束通り、あゆみさんを連れて出てきたようだ。

僕は話を折らないように、二人に近付いた。

「あゆみさん、安倍さんと結婚すること…どー思ってんの…?」

「……えっ?」

「美貴は正直…羨ましいと思ってる。…理由はどうであれ、ね」

美貴ちゃんの言葉にあゆみさんは黙ってしまう。

「私は…そう考えられる美貴様が羨ましいです。…私には……そこまでの自信が持てません。今日、安倍さんを見たら、余計そう思いました。…なんで私なんだろう、って…」

「そりゃー…あんな話、急に持ってこられたら、そう思うのは当たり前だって」

「えっ!?」

声を掛けた瞬間、ビックリしてあゆみさんがふり返る。

「ちょっ…び、ビックリするじゃん。急に話しかけてこないでよ、吉澤さん」

「わ……わりぃ、わりぃ」

…そんなこと言って、気付いてたくせに…

ホント美貴ちゃん、そーゆーとこ演技が上手いよな。

「えっ?な…なんであなたが…」

「あゆみさんに話があってさ」

「……え…?」

あゆみさんは僕を不思議そうに見ている。

そりゃーそうだろう。

安倍君の屋敷に、急に僕が現れたら…って、待て!

「えぇ〜い、まどろっこしい!!!」

「ぅっ!?」

「お、おいっ!!」

ドサッとあゆみさんが倒れる。

僕はすぐに手を伸ばして、そのまま地面に落ちることだけは止められた。

「ちょっ、み、美貴ちゃん、何やってんだよ!?」

あゆみさんが美貴ちゃんに完璧背中を向けた途端、背後を狙ったその一撃。

それは数秒で決まっていた。

「なーに、感動の再会ぶってんの!?さっさとほら!あゆみさん連れて帰ってよ!」

……おいおいおい。

でも僕にそれに逆らうことは出来ず、言われるままあゆみさんを抱き上げていた。

…何が、家へ招待するテクニックだよ…。

口が裂けても、この展開は後藤には話せないと思った。


87 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:08


あれからすぐに僕はあゆみさんを抱えたまま安倍君の屋敷を出ると、待ち構えていたかのように車を用意していた高橋に拾われた。

「……確かに、美人な方ですねぇ?」

そう言って、新垣はソファーに寝かせたあゆみさんの顔を覗いた。

「ぅっ…な、何なんだよ、その目は…」

「いーえ。…別に」

…そう言って、新垣は蔑んだ視線を僕に向けてキッチンへ消えていく。

何なんだよ……言いたいことがあるなら言えよ!

そうは思っても、本当に言われるのは怖い気がして、そんなこと口には出せない。

「なぁ…ひとみ様」

「あぁ?んだよ…」

そんな様子を見ていた高橋が神妙な顔して話しかけてくる。

「アンタ、何したんよ。…あの里沙ちゃんにヤキモチ焼かせるってぇ〜!!」

半ば半ギレな高橋に僕は命を狙われようとしていた。

「…ちょ、ちょっと、落ち着け!!」

「これが落ち着いてられるかぁ〜!!」

っていうか、おまえ、執事っていう立場忘れてんだろっ!!

さっきから僕は、そんな痛いぐらいに空気にずっと身をさらされていた。

…早くアイツ戻って来ないかな…

正直、これからどうしていいのか、わからずにいた。

まだあゆみさんは目を覚ましていない。

余程美貴ちゃんの一撃が凄かったのかと心配になったけど、新垣が診てくれたおかげで心配無いってことはわかった。

だけど目を覚まして、何て説明していいのか迷っていた。


88 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:08


「……ぅ…」

数時間、実際にはもっと長く感じていた。

ようやくあゆみさんが気が付く。

「あ、あゆみさんっ!!…大丈夫か?」

声を掛けると、あゆみさんはゆっくり目を開けて、僕を見た。

「よ……吉澤さん…」

「あ…あぁ、僕だ。…心配しなくていいよ。もう少しゆっくり眠っていて構わないから…」

目が覚めてくれただけでも、良かった…。

このまま目を覚まさないんじゃないかと思って、ヒヤヒヤしていたところだ。

「そ…そんなわけには……」

そう言って、身を起こそうとするあゆみさんの肩を、僕は押さえていた。

「……吉澤さん…?」

その手を見て、あゆみさんが少し困ったように僕を見る。

「……ごめん。詳しくは言えないけど…キミを帰すわけにはいかないんだ」

「……えっ…?」

異変に気付いたあゆみさんは、辺りの状況を見てハッと顔を上げる。

「ここ……」

「僕の家だよ」

それにあゆみさんは驚く所か、納得したように息をついた。


89 名前:セイナ 投稿日:2010/08/15(日) 23:09



「……随分とあの方にお優しいんですね。ひとみ様」

少し冷たい空気を吸いに、廊下に出た時だった。

新垣がそう声を掛けてきた。

「…はぁ?…い、いきなり…何言ってんだよ」

さっきからやけに突っかかってくんなぁ〜…新垣のやつ。

そう思って見てると、不意に悲しそうな顔して逸らされた。

「お、おいっ…」

思わず僕は引き止めていた。

「……私にも優しくするつもりですか?」

「なっ……に、新垣…別にそんなつもりじゃ…」

「だったら、早く手を離してください」

「……す……すまん」

僕は手を離すしかなかった。

あんだけ新垣の心を揺さぶっておいて…今はあゆみさんのことしか考えてないんだからな…僕は。

とことん一つのことしか頭に浮かばないやつだ…。

…これじゃあ後藤に気が多いって言われたって、仕方がない。

僕は安倍君が好きなんだ。

…そう思ってた自分自身にも、僕は自信を持てなくなっていた。


90 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:32


『散々遠回りした挙げ句に。』







「……それで、私に何を聞きたいんですか?」

「話が早くて助かるよ。あゆみさん」

……何が、助かるよ、あゆみさん、だ…。

やっと顔を出した後藤。

僕の家に入ってくるなり、そう言ってあゆみさんの手を握った。

「…おい、後藤。それより、矢口のやつは…!?」

そう言って、さり気無く僕はその手を退かす。

後藤が一瞬冷ややかな目を向けたけど、そんなの無視した。

「…落ち着け。矢口はあゆみさんが連れ去られた…というよりは、逃げたという解釈で見ている」

「なっ、に、逃げたって…」

そう言っても、あゆみさんは驚きもしない。

完全に浮いてるのは僕一人だけだ。

「……あゆみさんの悪いようにはしないつもりだ。…でも、」

「はい……。もうこうなった時点できっと…」

そこで言葉を濁らす。

どうやら二人はわかってるようだけど、僕には依然としてわかってない。

「……どーゆーことですか、真希様ぁ!!」

「あ、あかんて、里沙ちゃん!!」

何故か後藤に詰め寄る新垣。

それを高橋が必死に押さえている。

後藤もここまで新垣が声を上げると思っていなかったのか、さすがに驚いていた。

「……何で、そんな捨て駒にさせるようなことっ…平気で!!」

「い、いいんですっ!!…きっと…このまま話が進んでも、私にはきっと…無理でしたから…」

「で、でもっ!!…これであなたはあの家には…」

「……はい。戻れないでしょうけど…それはずっと、あの家に仕えている間、ずっと思っていたことですから…」

「そっ、…そんな」

…そこでやっと理解する。

この誘拐がどういうことを引き起こしたのか、って。

「……後藤!」

「っ!!!」

思わず振りおろした拳は後藤の左頬に入った。

「真希様!!!な、…何するんやっ!!」

慌てて高橋が間に入ってくる。

「……っつ…。だから僕は言ったじゃないか…ちゃんと人の話は聞けって!!」

「っ!?」

「……キミはあの時、自分の事情で僕や安倍君の話を聞き入れなかった。それを僕のせいにするのか?……意味もわからないまま、キミは僕に手を貸していたということか!?」

「……っ……」

僕は何も言えなかった。

後藤の言う通り、聞いて無かったのは僕。

その意味も理解せずに、それに加担したのも僕だ。

今更その怒りを後藤にぶつけたって、もう遅い。

「っ……くそっ!!!」

良い気になって、カッコ付けて、ホントバカだな僕は…。

「ひとみ様!」

新垣が僕の腕を引いた。

「…逃げる気?吉澤」

背後には挑発的な後藤の声。

…その通りだった。

逃げようとして何が悪いんだって、それぐらいに思ってた。

「……それだけのことを言ったんだ。…最後まで、今度はちゃんと話を聞けっ!」

「ぐっ…!」

そう言って後藤は立ちあがると、僕を無理矢理あゆみさんの前に座らせた。

91 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:33

「……あゆみさん…ほんっとごめん…」

謝るぐらいしか出来なかった。

…必死に謝るしか。

「吉澤さん…」

「……まったく。僕にも詫びの一つぐらい入れてほしいものだね…」

口端に滲む血を拭いながら、後藤はそう言った。

「なっ……なんだと…!?」

例え自分が話を聞いてなかったせいだとしても…。

それだけはどーあったって嫌だ。

そう思っていると、新垣が急に僕の肩を掴んだ。

「ひとみ様!……真希様に謝る必要なんてありません!そんなの…自業自得です!」

「お、おい…新垣っ!!」

吐き捨てるように新垣は後藤に向かってそう言った。

「……言うようになったじゃないか、新垣」

でも後藤はそんな新垣にムカつくどころか感心してるようだ。

「…ひとみ様が何もわからないからって、そんなことさせて…!」

「……まったくもって、その通りだったよ」

「……え…?」

「吉澤が成長したと思って…僕が少し気を抜いたせいだ」

「な……!?」

「……頼って悪かったよ。吉澤」

そう言って、後藤が僕の肩を叩く。

……それも女の子を相手するみたいな態度で。

「…そうだね。今度は保護者の新垣が居る時に話をしよう。…それでいいかい?」

それがどれだけ屈辱的か…。

血の気が引くって、こうなのかって。

急に不安感が全身を襲って、ドクドクと体が震えた。

「…里沙ちゃんもおかしいやろ!?…こんな、真希様だけが悪いなんて、そんなん!考えたらすぐわかるわっ!」

「あ…愛ちゃん…」

「…アンタに何があったかわからんけど、そんな風に取り乱すのアンタらしくない!真希様がどんな気持ちでやってんのか、アンタにだってわかるやろ!?」

「っ!……ご、ごめんなさい…。ま、真希様…すみませんでした…」

「高橋!…そこまでにしてよ。こんなことで言い争いしたって、時間の無駄だ」

「…真希様…」

「……別に。新垣は悪くないよ。…僕が買いかぶりすぎただけだから」

ホントに情けねぇ……

何やってんだ…僕は……。

「……すまない」

「ふんっ…そうやって目の前のことにばかりに気を取られているから、キミはこうやって周りを巻き込むんだ」

言われて当然だ…。

自然と出たその言葉は謝るっていうよりも…本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

92 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:34

「あの…そんなに吉澤さんのこと、責めないであげてください」

「……あゆみさん…」

あゆみさんの方が今、色々と助けが欲しい時だっていうのに、こっちが心配されて…ホント僕ってやつは…。

「……ごめん。あゆみさんの為に何とかしなきゃいけない時なのに…こんなみっともない所ばっかでさ…」

「……何言ってるんですか。吉澤さんがお屋敷に来てくれてから、私と美貴様、ホントによく話すようになったんです」

「……えっ?」

だって、いつも話してたんじゃ…

「……いいえ。それまでは使用人と真里様の妹というだけの間柄で…。私が急に真里様の妹、ということになってからは……いうなれば私は敵みたいなものでしたから」

まぁ…美貴ちゃんのあの性格だとそうかもしれないな…。

「あなたが来て…美貴様も毎日楽しそうで。……私にもおっかなびっくりじゃなく、普通に話しかけてくれるようになったんです」

……そうか…。

それで、美貴ちゃんもあゆみさんのこと僕に色々聞いたりしてたんだな…。

「…本当の血の繋がりはなくても…私にとっても美貴様は妹なんです」

「…あゆみさん……」

「……うぅっ…」

「り…里沙ちゃん…な、泣いたらあかんよ、ってー…」

「そ、…そー言ってる愛ちゃんがぁー…」

……おいおい。

部屋の隅の方で新垣と高橋がお互い涙を堪えていた。

「だから私も、美貴様が苦しい思いをするぐらいなら…私が我慢すればって、そう思っていました」

「……だけど、矢口はそんな甘い考え、してなかったってことだね?」

後藤の言葉にあゆみさんは頷いた。

「結婚を期に、真里様が安倍家を乗っ取ろうとしていたのは知っていました。きっと資産を狙ってのことだろう、って…だけど、真里様は……」

「……まだ策があるのか…」

「今度は美貴様を使って、…更に広げようとしています」

「な、なんだって!?」

「安倍君だけじゃ飽き足らず……美貴さんまで使って…か。まさか…とは思っていたけど……」

「…次に狙われてるのは…後藤さん、あなたですよ?」

「……はぁ…?後藤が…?」

まさか、自分が?って。

そう言って後藤は笑った。だけど、

「……まぁ…そうだろうね。僕の家を狙うなんて、さすがだよ」

「それだけじゃなく、……真里様はお仕事のパートナーとしても、真希様を手に入れたい、と…」

「ふ〜ん…」

僕にはその返事が、満更でもない、って聞こえた気がして。

「お、おいっ!!…まさか……」

「……何?別にそれが良い条件だったとしたら…断る理由も無いからね」

い、良い条件って……何だよ、おまえも金ってことかよ…!!

「……きっと、真里様もあなたならそう言うだろう、とそうおっしゃってました」

「あ…あゆみさん…!?」

「へー……なるほどね」

な、なるほどって…!!

「どうやら矢口の方が、キミよりも気が合いそうだ」

「なっ!?お…おまえ…それ本気で言ってんのかよっ…!!」

「……当たり前だろ?キミみたいなやつのお守り、もう十分だ」

「っ……後藤…」

そこまで言わせたのは僕のせいだろう…。

……だけど、ホントにそんな風に思わないでほしかった…。

「……あゆみさん、良い話が聞けて良かったよ」

良い話って…なんなんだよ…!

「……あなたはやっぱり…それを選ぶんですね」

「キミがここに来たのも…。どうやら全てが…矢口の手の内のようだ」

「……ですね。私も今…そう思いました」

「……どーゆー意味だよ…」

何もわかんねぇ…

わかりたくねぇーよ…

「……吉澤。キミにあゆみさんのことは預ける」

「は……はぁ?」

そう言って、さっさと後藤が部屋を出ていく。

「ちょっ…ま、待てよ!!!」

「ひとみ様!!……真希様のことはほっといてくれるか」

引き止めようとした僕は高橋に止められた。

「っ…」

「…里沙ちゃんのことも任せたで」

僕にしか聞こえないような声で高橋はそう言うと、すぐにその後に続いて出て行った。

「あ、愛ちゃん…!?」

い…一体…何なんだよ……

あゆみさんをふり返っても、僕とは視線を合わせてはくれなかった。

93 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:34


アイツがこの屋敷を出て行って、数時間……

出来る反省は全部した。

あの時言ってた意味はこういうことだったのか、っていくつも気付かされる。

今頃気付いたって、遅いって言われるかもしれないけど…それでも何もしないよりはマシだ。

一人でバカなことやって……正直、浮かれてた。

成長したとか、何とか言われたって、結局根本が変わってなければ同じだ…。

だから僕はアイツにも…みんなにも見放されるんだ…。

臆病者になり下がった僕に、今何が出来るのか…。

「……あゆみさん」

「……吉澤さん…」

ずっと僕と話そうとしてくれなかったけど、新垣と暫く話して落ち着いてきたのか、返事をしてくれた。

「私……真里様に操られているみたいで…」

「何を言ってるんですか!…しっかりしてください」

新垣の声にあゆみさんは頷いた。

…そうだよな…。

不安なのはあゆみさんの方だ。

僕ばっかり塞ぎこんでちゃダメだよな……。

こんな時の新垣は本当に頼りになると思った。

「…さっきの話だけどさ、別にあゆみさんは気にする必要無いよ」

「……でも、私……」

きっとあゆみさんは自分のせいで後藤が敵に回ろうとしてる、なんて思ってんのかもしれないけど…。

「いや。…アイツはそんなやつじゃねぇーって。…多分、アイツのことだ。矢口の上を行く作戦を思いついたんだろう」

「…ひとみ様…」

新垣もきっとそう思っているんだろう。

高橋も…そんなアイツに付いてる。

「……吉澤さん。…あなた達の絆はきっと強いんですね。…私はこんなにもうろたえてしまうのに…」

「まぁ…アイツとは腐れ縁みたいなもんだからな」

「よく言いますよ…ひとみ様ったら、子供の頃から真希様には迷惑を掛けっぱなしで…」

「……新垣」

おまえ、いい加減にしろよ。

わざとらしく咳をすると、新垣は渋々口を閉じた。

「とにかく!…アイツのことは気にしなくていいから。……それより今は、あゆみさんのことだよ」

「っ……はい…」

「…ひとみ様?この手は何ですか…?」

「いてててて!!」

あゆみさんの手を握ろうとした僕は、新垣に汚いモノでも触るみたいに、つままれていた。

94 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:35


「……か、帰るって……あの屋敷に?」

あゆみさんはそれに頷いた。

「な、何を言ってるんですか!!」

新垣もあゆみさんを止めた。

「多分、…私は伝える為に逃がされたんだと思います。だからこのまま戻っても、きっと真里様は…」

「…伝える為とか…逃がされたとか…そんなの関係ねぇーよ。あゆみさんは、あゆみさんだ」

「……吉澤さん…」

…でも、あゆみさんがあの屋敷に戻りたいって気持ちはわかる。

「……美貴ちゃんのことも心配なんだろ…?」

「っ……それもありますけど、」

きっと色んな面で、あの屋敷にまだやることがあゆみさんにはあるんだろう。

…今の僕みたいに。

「……僕も行くよ」

「えっ!?ひ、ひとみ様!?」

「……でも、」

あゆみさんを見てたら、僕にだって何か出来ることがあるんじゃないかって気がした。

それにアイツが僕にあゆみさんのことを預けるってことは、何かあるって、そんな気がしてならないからだ。

矢口と同等…いや、それ以上にアイツの頭も回るからな…。

「……失礼するよ。…呼びかけても返事が無かったものだから」

そう言って入ってきたのは、安倍君だった。

「あ、安倍君…」

僕達の声にも応えず、安倍君は入ってくるなりあゆみさんを見つけて近付いてくる。

「……安倍さん…」

「あゆみさん。…すまない」

そう言って、声を掛けると安倍君はあゆみさんの肩に手を置いた。

「……いいんです。それより、私…」

「あゆみさんは気にせず、屋敷に戻ってほしい。…矢口にもちゃんとその話はしてある」

「……美貴ちゃんは?」

「美貴?…美貴は僕の家で預かることになった」

「……は?ちょっ、それ、どーゆーことだよ、安倍君…!?」

いや、それは美貴ちゃんにとっては良い事なのかもしれないけど…。

「…安倍さん?安倍さんが美貴様を守ろうとしても…」

「わかってる!…いや、わかりたくないから、こうしてる…」

「……安倍さん…」

悔しそうに唇を噛む、安倍君。

…正直、今の状況なんて僕にはわからないけど…。

「……僕は絶対、美貴をこんなくだらない事に巻き込むわけには…」

安倍君の力のこもった拳に、あゆみさんが自分の手を重ねた。

「……っ…ご、ごめん…。あゆみさんのこと…巻き込んでるのに、こんな言い方…」

「いいんです…。私は…安倍さんの力にずっとなりたかったんです」

「……えっ……?」

安倍君には寝耳に水だろうな…。

あゆみさんには嫌われてると思ってたんだから。

「こうして安倍さんの力になれて…それだけで嬉しいんです」

「……あゆみさん…」

正直、ここに居る僕らのことなんて忘れてるだろう。

そんな文句でも出そうなくらい、二人は良い雰囲気だった。

……案外、良いカップルなのかもなぁ…。

そんな事を思いながら、それ以上に、自分のやることが見えてる二人が羨ましかった。

……こんな状況になってるっていうのに……

僕は自分のやるべきことを見つけられずにいた。


95 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:36



あゆみさんと一通り話してから、僕は安倍君に呼ばれた。

「…キミがあゆみさんを送っていってくれるなら安心だ」

久々に来た僕の部屋を軽く物色しながら、安倍君はそう言った。

「いや……そんなこと」

そう言うと、安倍君は僕の様子がおかしいのに気付いてふり返る。

「……どうしたんだ?…キミらしくもない」

安倍君は僕の顔に触れて、マジマジと見上げていた。

「……いつもなら、こんな雰囲気になったらすぐに僕になにかしらしてくるのに」

「……あのなぁ…」

こっちはそんな年中真っ盛りじゃねーんだよ。

そう言ったら、安倍君に大げさにビックリされた。

「……ちぇっ…なんだよ」

後藤と居たって、僕と居たって…

キミはやっぱり結婚してしまうくせに……。

「……吉澤…?」

「……そんな風に言うからには…覚悟出来てるってこと…?」

「えっ…?」

それ以上は、何も言わせない。

そんな強引なキスを何度も繰り返す。

「んっ…、んん!!」

押し返したって、そんなの無駄だって。

構わず僕は安倍君のシャツの下に手を入れた。

「っ!?」

殴られようが、蹴られようが、構わない。

相変わらずすべすべな肌に手を滑らせ、なぞっていく。

「……う、ぁっ…」

ビクッと安倍君の体が震えて、一気に力が抜けた。

僕はその体をすぐに支えて、抱き寄せる。

「っ……よしざっ……」

安倍君の真っ赤になった顔、見上げる目には涙が滲んでいた。

「……っ、な……」

なんだよ…。

安倍君から挑発してきたくせに…!!

自分から誘っといて……何でそんな悲しい顔するんだよ…。

こんなことしたって、何かを忘れることなんて出来ない…。

それどころか…時間が経てば経つほど、どんどん目の前は塞がっていく。

こんな時間でさえ…惜しむほどに。

「……ったく、いい加減、警戒してくれよ」

安倍君の服を直しながら、僕は言った。

襲ってるのは僕なのに、そんな自分が言うのはなんだけど…。

「…安倍君は僕のこと全然わかってない」

どれだけ常日頃から我慢してると思ってんだよ…。

こんなことされたら、そんなの襲うって!

「……キミがそんな顔するからだ」

安倍君は安倍君で、まだ懲りずにそんなことを言ってくる。

「……元からこんな顔なんだ」

「違う!…キミはもっとバカで良いのに…なんで利口になろうとするんだ…」

「……安倍君…」

その言葉にハッとした。

……そうか、僕……

ずっと後藤に抱いていた劣等感が…今の自分を作り出していたことに気付かされた。

あいつにずっと勝ちたくて…

何でもアイツが上で、僕が下で、

ずっと僕はそんな気持ちをずっと抱えていた。

安倍君のことがあって、それはもっと増していた。

アイツみたいに賢くなれれば…

アイツみたいにカッコ良くなりたいって、いつも僕はそう思っていたんだ。

そうすれば僕はアイツに勝って、安倍君を手に入れることが出来るって……。

「……僕はモノじゃない。…僕はそんなことで吉澤、キミを好きにはならない…」

「…安倍君…」

軽く触れるようなキス。

それは安倍君からだった。

96 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:36

いつもこんなキスをしているのか、って…されてる女の子達が羨ましくなった。

…なんだ、僕……嫉妬してんのか…。

そこで気付いて可笑しくなる。

「……何、笑ってるんだ…?」

「いや……僕もわりと女の子みたいだなってね」

「……はぁ…?」

「今、キスされたら…安倍君にキスされた他の女の子達の顔が浮かんでさ…」

「なっ……!」

「…なんか、僕…他の女の子達に嫉妬してるみたいだ……」

何を言ってるんだ、って顔して見つめてくる安倍君に、僕なりのキスを交わす。

「っ……ばかっ」

「へへっ…だって、バカだからさ」

もうこれ以上はないってぐらいに、僕の気持ちを込めてキスをした。

今まで何度もしたけど、今のが一番ドキドキしてる。

こんな女の子みたいな気持ち…バカにしてた。

だってこんなキスぐらいで、こんなにうろたえてドキドキして…。

触れ合うだけでこんなに緊張するなんて…そんなのめんどくさいだけだと思ってた。

それならすぐ自分のモノにしたいし、早く気持ちも全部伝えてスッキリしたい。

…そう思ってたのに。

キミを好きになるまでは。

「……キミが好きだよ…安倍君」

この気持ちに嘘は無いから、だからこんなにも心が震えるんだろう。

「……吉澤…僕もだ」

「好き……」

強く抱きしめる。

そうじゃないと、この気持ちが伝わるのか、って不安で。

口を出る度、もっともっとキミを好きになる。

「安倍君……愛してる」

気の迷いだと思ってた。

…それがここまで成長して、僕を苦しめる。

愛してる、なんて言葉だけじゃ足りなくて…。

もっとキミを欲しがって、僕をもっと枯渇させる。

早く楽になってしまいたい、って気持ちと、もっとこの苦しみが続け、と思ってる気持ちがいがみ合って。

苦しめば苦しむほど、僕にはキミしか見えなくなって……。

…僕の全て、全部キミ色に染まりたい、なんて、

それこそ安倍君に想いを寄せる女の子みたいな感情が僕の心を占める。

そうなれたら楽なのに…。

こんなだから…僕は大事なことをいつも誰かから教わるんだ。

……これじゃあ、僕が安倍君を助けることは出来ない。

「…絶対迎えに行くから、安倍君のこと」

「……あぁ。…待ってる」

指を絡ませ、最後だ、と決めてキスを交わした。

…これ以上は、このごたごたが片付くまで無しだ。

……そう自らを戒めて。


97 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:37

『機転回転悪辣非道』




屋敷を出て行く安倍君を見送ると、僕はすぐに支度を始めた。

「ひとみ様…?ホントに行く気ですか…?」

「あったり前だろ!?…ぜってぇ…アイツのしっぽ掴んで振り回してやる…」

「……危ないですから、掴むぐらいにしておいた方がいいと思います」

『……は…?』

その冗談が僕をリラックスさせる為と、誰が思うんだ…。

あゆみさんは反応の無い僕達を見て苦笑していた。


98 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:37


そして僕達は矢口の屋敷に戻ってきていた。

一週間ぶりの第二の我が家ってとこか。

……まぁ…三畳一間だけどな。

あゆみさんは屋敷に着くなり、矢口の所へ顔を挨拶しに行った。

僕も付いていきたかったけど、正体がバレるといけない、と言われ留守番。

……と、言われたって体が勝手に動いちまうのが僕の性分だ。

そーっと僕は矢口の部屋に近付いていた。

「……あぁ、その話なら聞いたよ」

扉に近付いた途端、聞こえてきたのは矢口の声。

「おまえがいってくれたおかげじゃないか…なのに、なんでそんな顔するんだ…?」

「……全てお見通しだったんですね…」

「……さぁね。…話は終わり?もう出てってくれない?僕、やることがまだたくさんあるんだ…楽しませてくれることが……たっくさん、ね」

「っ……」

……やべっ!

僕が慌てて、いつもの縁の下に隠れると、その真上を足音が通り過ぎる。

あゆみさんにしてはだいぶ荒い足音。

その音が消えてから、…ホッと胸を撫で下ろし、僕は外へ出た。

……それにしてもアイツ……。

柴田さんの憶測は外れてはいなかった。

それが悔しい……っつーか、してやられたって感じだな。

それに何も知らずに踊らされていた自分達が…情けない。

さっきの会話を聞いてる限り……

矢口の計画は着々と…それも僕らにとっちゃ、悪い方向に進んでる。

……何か、ねぇーのか…。

アイツをぎゃふんと言わせられる、何か。

そんなはやる気持ちを押さえながら、僕は渋々部屋の前を後にした。


99 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:38



「……どうだった?あゆみさん」

「……いえ」

そう言って、首を横に振った。

美貴ちゃんが居ない今、この屋敷のことで一番詳しいのはあゆみさんだ。

…頼るのは悪いと思ってても、つい頼ってしまう。

多分、あゆみさんにだって話したくないことの一つや二つ…

「…いえ、」

それは一度目のそれとは違い、何かを決意したような声だった。

「……どうかした?あゆみさん」

「……はい。真里様はなつみ様との婚約……破棄しても、いいと」

「…………はぁ!?」

あゆみさんは信じられない…というより、言いたくない、という感じだった。

「……嘘だろ?」

あんだけこだわってたのは矢口の方じゃないか。

なのに今更、結婚はやめてもいい、だなんて……。

「……でも、その代わり、そうなった場合……美貴様が」

「……美貴ちゃんが…?」

嫌な予感……

だって、安倍君がダメなら、次は美貴ちゃんって……

「……真希様と」

……絶句。

っていうか、そりゃ後藤から吹っ掛けた話じゃねーかって思うぐらいだ。

そうだとしたら、矢口のやつはそれを承諾したってことだ…。

「……アイツの目的は一体なんなんだ」

安倍君じゃなくてもいい、なんて…。

後藤のやつ…

一体、…何を交換条件に出したんだよ…。

「…でも、結局は同じことじゃ…それが遅いか、早いか、の差だけで…」

まぁ…それを言われりゃそうかもしれない。

だけどなぁ……

アイツが安倍君の家を…?

ぜってぇ、ありえねぇ。

それ所か自分の所で止めようとするはずだ。

美貴ちゃんにも手を出すはずもない。

……そんなこと言ったら、僕が殺されるけど。

矢口だってアイツの性格をわかってない、はずがない。

あんな危険な奴を自分の手元に置こうだなんて…それこそ気が触れてる。

「…………何かあるな」

まぁ、その何か、がわかればこんな苦労はしないんだけど…。

「……破棄ってそれ、もう決まったこと?」

「い、いえ……それはなつみ様に返答してもらう、って…」

……安倍君、意地でも結婚する気だろうな。

美貴ちゃんのことがあるから尚更だ。

……矢口のやつは逆にそれを利用してくるか…。

今となっちゃ、安倍家との婚儀なんてどっちでもいい、なんて言ってくるだろうからな…。

今度は反対に、安倍君の方が結婚させてくれ、と言わなきゃならないはずだ。

…そしたら安倍君はアイツの言う事を聞くしかない。

それしか美貴ちゃんと繋ぐ糸はないんだから…。

…でも結局は、安倍君は美貴ちゃんを後藤の所へ出さなければならないだろう。

……後藤のやつ、安倍君にボコボコにされるぞ……。

「……どうかされました?吉澤さん」

「……えっ!?あ…いや、なんでもないよ」

考え込んでた僕は相当難しい顔してたようだ。

ハッと我に返ってあゆみさんを見ると、僕を心配していた。

「……疲れてるみたいですね…私も少し休ませてもらいます」

「あ、あぁ。…ごめん、引きとめちゃって」

「いえ…いいんです。では…」

そしてあゆみさんは自分の部屋に戻って行った。


100 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:38



「……で?おまえ、そこで何してんだよ」

あゆみさんが部屋を後にしてしばらく経った後―

もう夕日も暮れて、外は夜とまではいかないまでも、暗闇だ。

その暗闇に紛れるように現れたのは……

「……それは僕のセリフだよ。吉澤。またここに戻るなんて…よほどその変装が気に入ったみたいだね」

「うっせぇな……暇だったんだから、しょーがねぇーだろ」

「ふんっ……少しは気の抜けた頭がスッキリしてきたみたいじゃないか」

……一言余計なんだよ。

くっそ。こいつ…また何でも見透かしたような喋りしやがって…。

「……あゆみさんは?」

「あ、あぁ……さっき部屋に戻った」

「そう……」

そう呟いて、後藤は僕を見る。

「……どこまで聞いた?」

「…結婚、しなくていいって話」

「……他には?」

「そうだな……もし、そうなった場合、今度は美貴ちゃんがおまえと結婚するかも、ってことだな」

「……ふ〜ん」

なんか興味なしって感じだな。

…やっぱりこいつ、そんなことには全く興味持ってねぇな…。

「……キミは僕が結婚すると、そう思ってるの?」

「ははっ……。当たり前だろ?安倍君の為なら犯罪だろーが手ぇ出すやつが…」

「…まぁ、それしか手段が無ければ、そうするね」

……本当に恐ろしいやつだな…。

それもホントに成し遂げようとするから何も言えねぇーよ。

「……でも、まぁ、それを安倍君が許すとは思えないけど…」

ましてや自分の妹の美貴ちゃんを差し出せ、なんて言われたら……。

あぁ〜…考えるだけでも恐ろしい……

「同感だ。…安倍君に嫌われるのは心許無い。…だけど今は、そうでもしないと相手が尻尾を出さないからね」

顎に手を当てて、ジッと考えている後藤。

「…キミ、わかる?これは今、あの人の頭の中には無かった予想だにしなかった出来事なんだよ」

「…あの人……?矢口のことか…?」

……いや、矢口のやつだったら、後藤が、あの人、呼ばわりするはずは…。

「あの人の中ではここで終わって、後は矢口が好き勝手放題暴れてくれれば…、」

「……はぁ…?」

どーゆーことだよ…。

その言い方じゃ、まるで……

「……後藤…おまえ」

「…少しはキミも頭が回るようになってきたみたいだね」

……全てはずっと、

その為だったのか…?

信じたくは無い、

……信じれるかよっ!

……だけど、物語る事実は、それを指していた。

矢口さえも、すでに駒だったなんて…。

「まぁ……僕を敵に回したのが、一番の誤算だね」

「……確かに…」

誰を敵に回すのが怖いって…こいつ以外いねぇよ。


101 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:39



後藤は矢口に会いに行くと言い、僕の部屋を後にした。

……矢口も自分が泳がされているのを知っていながら…わざとそうされてるフリを続けたのか…。

後藤の話じゃ、矢口がまともじゃないのは演技って言ってたけど…。

そうそう信じられねぇーな、あの性格…。

まぁ、そんなことは良いとしても……。

あいつの話をまとめると、だ。

僕のしてることは………

「……ぁー!!」

頭を抱えて、柱に向かって頭突きした。

……痛ぇ……やっぱり現実なのかよ。

そう思ったら、現実なんてやっぱ良いものじゃねぇーな、って思った。

これが解決を迎えた後……僕はどんな顔して会えばいい。

…そもそも、また会えるのか…

僕は不安な夜を過ごす羽目になった。


102 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:39



……次の日の朝、

「……あ、おはようございます、吉澤さん」

「お。あゆみさん。おはよっ」

…変わらない挨拶。

通り過ぎ様にチラッと横目で窺うと、あゆみさんの目にはクマが出来ていた。

……寝てねぇんだろうな…。

「……真里様のところへ?」

「……え、えぇ…」

「そっかぁ…。気を付けてな」

「あ……ありがとうございます」

僕はあゆみさんを見送り、朝の仕事をする為に庭に向かった。

「…………」

黙々と枝切り……

なんて、してるわけがない。

そこまで僕だってバカ正直に生きてるわけじゃない。

僕はすぐにあゆみさんの部屋に足を踏み入れていた。

扉を開けるだけで、そこはあゆみさんの匂いでいっぱい…。

正直、それだけで頭がクラクラしそうだけど、……今はそんな暇無い。

「……くそっ……どこだ?」

大事な物が隠してありそうな机を調べ、棚を調べ、あまり荒さないように手を動かす。

…アイツの話がホントなら……

ギシギシッ

そんな足音が近付いてくる。

それも一人じゃない……

ヤベッ……

僕はすぐ奥の部屋へ続く扉を開き、身をひそめた。

ギッ

そしてすぐに扉の開く音。

少しだけ開き、中の様子を窺う。

…そこに居たのは、あゆみさん。

そして後藤だった。

「……やっぱり反対?」

「あ……当たり前です!」

「……でも、こうでもしないと僕は安倍君を救えない…」

「そ…それは、あなたの勝手な想いです。そうすることが一番だと思い、それを押しつけているに過ぎません!!…なつみ様は…そんな風には思っていません」

「……まぁ…そうかもしれないね。だけど僕は、安倍君が好きなんだ」

たとえ……キミと一緒にグルになって、この家を乗っ取ろうとしていたとしても。

『っ!?』

…………

思わず声に出しそうになって、慌てて口を押さえた。

……それはもしかしたら……なんて、思ってはいても、絶対に認めたくなかった。

それを否定する証拠を、0.01パーセントでもあれば、僕はそれを最後まで信じようと思っていた。

…だけど、それを上回ろうとする真実は、今までの僕の周りの情景を180度変えてしまう。

「……真希様」

「知らないとでも…?…僕は全てを把握しないと気が済まない性質なんでね」

…それが例え、好きな人を苦しませてしまうことになっても。

「……なつみ様のことを好きなら、尚更…!!」

「……それとこれとは別だよ。…僕はいくら安倍君に嫌われたって、自分の気に食わないことなら容赦しない」

「っ……!」

「早く手を引くんだね。…矢口は…キミのことを本当に心配している」

……えっ?

一番驚いていたのは他でもない、あゆみさん。

…そりゃそうだろ…僕はアイツからそんなもん、微塵も感じなかったぞ…

「……嘘ですっ!!」

「…キミの生い立ちを考えれば…矢口を恨むのは当たり前かもしれない。…だけど、あの人はキミのこと、本当は家族と思いたかったみたいだ」

「……うそ…です」

後藤の話は、昨日矢口に聞いたもののようだった。

矢口のバカ親父が他で作った子供。

愛人の子。

あゆみさんは否応なくそのレッテルを着せられて…。

でも矢口はこの家の当主として、それが許せず……

親父の足取りを調べては、その罪も無い子達に知らない所で金銭面的な援助をしていたそうだ。

……あんなチビのくせに。

「……でもキミ、ホントは矢口の血筋なんて引いてないんじゃない?」

『っ!?』

お……おい……

っていうか、さっきからビックリすることばっかりで頭が追いつかない。

「……あくまで、これは僕の予想だけど。キミは……」

そして後藤が口にした事実は……

また僕の情景をさらに捻じ曲げた。

103 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:40


「矢口……じゃなく、安倍君の父親の隠し子」

「…………」


呆然と立ち尽くす。

こーゆーのって…なんて言ったらいいんだろうな。

胸の真ん中、ぽっかり空いたようだった。

……あゆみさんが、安倍君と手を組んで…この家乗っ取ろうとしてた。

それだけでも、僕にとっちゃハンマーで殴られたような衝撃だった。

……なのに、それだけじゃなく、

あゆみさんが……。

「キミは……安倍君の父親に頼まれたんだろう?」

それも…それを仕組んだのは、安倍君の親父…?

ますます衝撃は増していく。

「……よく、そこまで」

「言ったでしょ?…僕は全てを把握しないと気が済まない性質だ、って」

あゆみさんの声が観念したように、トーンが下がる。

ハッキリとクリアに聞こえる声で、あゆみさんは言った。

「……これは、復讐です。…義父から美貴様の母親を奪った…矢口への」

「……なるほどね。……で?これからどうするつもりなの?」

やっと理由はわかった、と少しスッキリしたような後藤の表情が見て取れる。

もっと何か言われる、と思っていたのか、そんな後藤の様子にあゆみさんは呆気に取られていた。

「……どうして?」

「それは……」

バレてない……そう思ってたはずの僕と後藤の目が合う。

「―いぃっ!?」

「えっ!?だ、誰?」

「……いつまで隠れてるつもり?…良い趣味してるよね…キミ」

…気付いてたのかよ、だったら最初から言えっ!!

僕は渋々扉を開けて出ていった。

「……よ、吉澤さん!?」

「……ご、ごめん…勝手に入ったりして…」

「ふっ。キミのことだから、昨日の僕の話を鵜呑みにして、反対の証拠を探そうとここへやってくる、…そう思っていたからね」

「……へーへー。そうかい」

何でもお見通しなんだな、大先生様はよー。

「い……今の、」

「あぁ。…聞いてた。……信じたくは…無かったけど」

僕がそう言うと、あゆみさんは凄く悲しそうな顔をした。

「……相変わらずのタラシだね、キミも」

呆れ顔でそう呟く後藤に、僕は舌打ちをした。

「…あゆみさん。今のキミに何をしたいのか聞きたい」

「……私………?」

「いくら義父の命令とは言え……この家に何年も仕えたキミが、今、どうしたいのか」

「どうしたいって…言われても」

「あゆみさんにとって…居心地の良い場所ってどこなんだ…?」

あゆみさんが俯く。

どうなんだろうな…こーゆーの。

生まれた家と育った家は違う、そんな感じなのか…。

それともやっぱり、自分の居場所があるから、この家でどんな辛いことがあっても頑張れたのか…。

…ボンボン育ちの僕には到底わからない。

…逆にわかる、なんて言ったらそれこそ失礼だ。

「わ……私は……」

あゆみさんの声は、さっきの凛とした突っぱねた声じゃなく、

…どこか、縋るような声だった。

「……こんな時に言うのもなんだけど、矢口はキミのことだいぶ前に気付いていたよ」

「……えっ!?」

「気付いてて……ずっと置いといたのか…?」

……あの、矢口が?

どーしても、あのクソ生意気な態度しか思い出せない僕には到底理解不能。

「キミは気付いていないかもしれないけど……矢口はずっとキミのことを待ってる」

「な、何を……」

「キミが早く……そのしがらみから抜け出してくれるのを」

あの、矢口が……?

あゆみさんを……?

…でもよくよく考えれば…同じような境遇の中に出会った二人なんだ。

あり得ない…話じゃない。

「キミはもう気にする必要は無いよ。自分の気持ちに正直に生きるべきだ。…後は、僕と…そこのバカ正直に任せておけばいいよ」

「だ、誰がバカ正直だっ!!」

「……それは…吉澤さんしかいませんよね」

「ちょっ……あ、あゆみさんまでっ!」

後藤が変なこと吹き込むから…あゆみさんにまで笑われた僕は、後で絶対仕返ししてやると心に誓った。


104 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:40



「……お兄ちゃん?…どうかした?」

「え?あ…ううん。なんでもないよ…美貴」

そう言って、頭を撫でると美貴は嬉しそうに笑った。

その笑顔が羨ましい…。

…僕はもう、素直に笑えそうもないからだ。

……一刻、一刻、

僕を縛り付ける鎖は、もう、すぐ、そこまで。

足音もさせず、忍び伸びてくる。

……何もかも、計算違いだ、こんなこと…。

あの二人に会ったことも、……吉澤に惹かれてしまったことも。

最初はただ近付く手段だと思っていたのに…

いつの間にか、あの二人を特別に思ってしまっていた。

「……バカだな」

こんな感情、持たなければ……

僕はずっと、ずっと、父のロボットで居られたのに…。

「ねぇ…お兄ちゃん……」

「美貴。…安倍さん、って呼んでも良…」

「やだ。……美貴はお兄ちゃんって呼びたい…」

僕にしがみつく手が震える。

……そうだろう。

ここにアイツが居る限り……僕と……そして美貴に平穏は無い。

こうして美貴を手に入れることが目的とばかり思っていたのに……。

自分の子まで騙すなんて、どんな神経をしてるんだ。

……絶対、美貴だけは守ってみせる。

「……ごめん、美貴。…こんな所に閉じ込めてしまって」

「な、なんで、お兄ちゃんが謝るの!?…美貴は…お兄ちゃんと一緒ならいい。それに……」

ぽつっと美貴が呟く。

「…きっと…吉澤さん達が来てくれるよ」

そして美貴は僕の手をギュッと握った。

「……だから、お兄ちゃんも…負けないで」

「……う……うん。……ふふっ」

「な、何笑って……」

だって笑うしかないじゃないか。

…騙そうとしたのに……

その相手に救いを求めるなんて。



105 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:41



「……こっちです!!」

その声に、安倍君の家に忍び込もうとしていた僕と後藤は足を止めた。

玄関の門に回る前に、そこに亀井が居た。

いつもの動きとは思えない、素早い動きで裏門を開けてくれる。

「……お二人とも、何してたんですかぁ!?なつみ様を見殺しにする気じゃないでしょうねぇ!?」

「な、わけあるかっ!!こっちだって、大変だったっつーの!」

「……吉澤の大変、なんて大したことじゃないけどね」

「そぉ〜ですよねぇ〜?」

う、うるせぇーな!!

「さっさと行くぞ!!」

「もぉー!そっちじゃなくて、こっちです!」

「うっ……」

「……ふふっ。ここは亀井が先輩なんだから、頭を下げるべきだよ」

「そのとぉーりです」

「……へーへー」

そして僕達は亀井に案内されるまま、屋敷の裏側に回った。


106 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:41



「……で、今の状況は?」

「なつみ様と美貴様がお屋形様に部屋に監禁されていて…」

「なぁっ!?」

監禁って……

「……やっぱり、安倍君は父親に操られていただけだったのか…」

「……はい。それって…あの、あゆみ様もそうなんですよね…?」

おそるおそる聞いてくる亀井。

そりゃー…そうか。

完璧敵だと思って噛みついてたもんな…。

後藤が頷くと、亀井は顔を伏せた。

「私……あの人にヒドイこと……」

「おーい。お前が気に病んでどーすんだよ。…気に病むんだったら、今、この状況をだな…」

「わかってます!」

ふんっと鼻息荒く、亀井はいつものように僕に噛みついてきた。

「……まぁまぁ。…それより、安倍君の父親は?」

「…どうやら、美貴様に奥様の面影を重ねているようで…。お屋形様が美貴様に何するかわからないと、今は、なつみ様がその間に入って、その…」

「……んだよ。その為にこんな大ごとにしやがって」

「お屋形様は…奥様のことがとても好きだったようで……居なくなられてから、人が変わったようだ、となつみ様も仰ってました」

「……んなの、美貴ちゃんや…それに安倍君にだって関係無いだろ!?」

亀井に詰め寄る僕の肩を後藤が引く。

「…吉澤。キミだってそうだろう?恋や愛…それは、それほどまでに人を変えてしまう。怖ろしいものだってこと…」

あーあー…

言いたいことはわかる、わかるけどなぁ……

「……かゆい」

「なぁっ!?あなた、今の素敵な言葉に何も感じないんですかぁ!?」

「……ふっ。これだから本能で生きてるやつは……」

「あ。てめぇっ!!」

ふざけて、後藤の肩を掴むと、真剣な顔で見られた。

思わず躊躇していると、

「……ここで二人を逃がした所で、根本的な解決はしない」

「あ…あぁ」

「でもまずは…お二人にお話を聞かないと…ってことですよね?」

「さすが亀井。どこかのお調子者と違って話がわかるね」

「うへへへぇ」

「だれが、お調子者だっ!!」

「……あなたしかいないじゃないですかー?」

そして僕は悔し紛れに、亀井の首を絞めた。


107 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:42



「……なつみ様っ!!」

亀井が先に鍵を入手しておいてくれたおかげで、すんなり二人の居る部屋に入ることが出来た。

「……亀井…」

「っ!?よ、吉澤さんに……後藤さんまで…」

僕達が入ると、安倍君も美貴ちゃんも驚いた顔をしていた。

「よっ!美貴ちゃん久しぶりだな」

「……安倍君も」

「ど、どうしておまえ達…いや、それより、今ここに居るのは父のことか?」

後藤はそれに頷くと、辺りの様子を窺った。

「……僕達がどうしてここまで来たか、わかるよね?」

「あゆみさんは……?」

「あゆみさんなら大丈夫だよ。心配無い」

そう言うと、安倍君はホッと胸を撫で下ろした。

「……父なら書斎だ。…もう僕の言う事にも耳を貸さない。挙げ句の果てに、美貴だけ居ればいい…なんて言い出す始末だ」

「…お兄ちゃんっ…」

「……美貴、キミを一人にするわけないだろう?」

「うんっ!」

…相変わらずベタベタだなぁ…美貴ちゃん。

亀井なんか、平静装ってるけど、顔に青筋立ってるぞ…。

「……矢口はもう手を出す気は無いそうだ。…元から、矢口はそれが目的じゃない」

「…あぁ…あゆみさんが関わらないなら、もう平気だろう」

「じゃあ……」

っていうか、ちょっと頭がキレちゃってるやつをどうしようっていうんだ。

「父に目を覚ましてほしい……でも、どうすれば……」

「殴るか!」

『はぁ!?』

一斉ブーイング。

…だけど、美貴ちゃんだけは違った。

「……それ良い!行こう、吉澤さん!!」

「ちょっ……み、美貴!?」

僕の腕を引っ張って、美貴ちゃんは部屋を出た。

廊下をずんずん歩きながら、きっと…目指すのは親父が居る書斎。

「……なんだよ、随分大人しいお嬢様してるかと思ったら」

安倍君の前に居る時の美貴ちゃんは思いっきり猫かぶってるからな…。

「ふんっ。こっちだって、色々あんの!ほら、あんまり期待を裏切っても悪いじゃない?」

そう悪びれも無く言う美貴ちゃんがとても頼もしく思えた。

「……入るよ!」

鍵のかかっていない部屋。

その奥に安倍君の父親は居た。

…その生気の抜けた顔……見てるだけでゾッとしてくる。

『み……美貴っ!!』

美貴ちゃんの顔を見た途端、瞳に光が灯る。

そして慌てて美貴ちゃんに寄ってきた。

『わ…私の…!!』

「このアホ親父!!!」

バシンッ

そんなリアルな音に、僕の方が目を瞑った。

「いつまでもイジイジイジイジくだらないっつーの!!!」

『……ひぃっ!!』

……おいおい。

親父の方が怖がってんじゃねーか…?

「いい加減、母さんのことは忘れなさいよっ!!っていうか、迷惑。ぶっちゃけ迷惑なんですけど!」

……そんな言い方されたら親父だって……

「わ……笑ってる……」

見間違いかと思った。

……だけど、確かに笑っている…。

108 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:43

「おい、よしざっ……」

そして慌てて追いかけてきた、後藤達も中の様子を見て唖然としていた。

「これは……何?」

「さぁ……僕に言われても。見たまま、としか言えないな」

「……美貴様……カッコイイです…」

おいおい。

目をキラキラさせて、亀井は美貴ちゃんがお説教してる姿を見ていた。

『…そうだ…もっと、もっと、私を怒ってくれ!!』

「ち……父上!?」

安倍君はそんな父親の姿を知らなかったのか、激しく動揺している。

「うっさい!キモイんだよ、このハゲ!!」

『…も、もっとぉ!!』

「こ、これは……」

そう言って、安倍君を見る後藤。

安倍君はすぐに顔を逸らした。

いやぁ……これは…なんとも。

どこかで、こーゆー変態プレイがあるっていうのは知ってはいたけど…

実際見るのは初めてだな…。

「うちの母さんもねぇ…アンタみたいなハゲ、嫌いだって言ってたんだから!!」

『…あぁっ!!』

そりゃー……な。

そうだろうな…うん。


『………………』


無言で僕達は二人と、それをキラキラして目で見守る亀井を残して、その場を後にした。

亀井のやつ、まだ見てるけど…面白いのか…?

まぁ、いいけど…。

「いやぁ〜…人ってわかんないもんだな」

安倍君は質問に答えづらいのか、話に入らず僕達の後ろを歩いてる。

「あぁ……ホントにね」

うんざりしたように後藤が呟く。

「ホントに、恋や愛で人って恐ろしく変わるもんだよなぁ〜?なぁ?後藤?」

わざとらしく肩を組んで、面白可笑しく話してやったら、後藤の顔色がすぐに変わった。

「……ねぇ、キミ、ケンカ売ってるの?いや、売ってるよね。すぐ買うけど!?」

「はぁ〜?今まで散々偉そうなこと言ったその口、今日こそ二度と喋れねぇーよーにしてやるよ!!」

「望むところだ!!」

「ちょっ、ふ、二人ともやめないかっ!!」

間に入る安倍君は僕と後藤に揉みくちゃにされている。

「や、やめないかっ!!」

「……こうなったのも、安倍君のせいだよ!」

「…は……はぁ〜!?ご、後藤…ちょっと、落ち着いて…」

「…だな。もとはといえば、安倍君が悪い」

「ちょっ…よ、吉澤まで……」

いつの間にか、矛先を変えられ安倍君が後ずさる。

「そ、それは……わ、悪かったとは思ってる…だけど、」

「それ以上は言わせないからね」

後藤が安倍君の手を掴む。

「…言い訳する前に…なぁ?」

僕はもう片方の手を掴んだ。

両手を僕達二人に掴まれた安倍君。

「あぁ、今日は全部喋ってもらうよ?それまで…帰さないから」

僕と後藤の顔を交互に見る安倍君。

「…後藤を怒らせると怖いぜ〜?」

僕がニヤッと笑うと、安倍君は観念したように僕達の手に引っ張られていった。



109 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:43


『そして僕たちは……』







そして僕たちは……

それぞれの日常に戻った。


「……まさか、そんなことになっていたなんて」

「ほんまやなぁ〜…っていうか、それあーしも見たかったなぁ」

「ちょっ、あ、愛ちゃん!?」

「そーゆー里沙ちゃんやて、興味あるやろ?」

ボッと真っ赤になる新垣をからかって楽しむ悪趣味な高橋にはあの気持ちがわかるんだろうな…。

僕には到底わからん。


あの親父……って言っても、安倍君の父親のことだけど。

あの親父のおかげで…どれだけ僕らがかき回されたか。

あの後、美貴ちゃんに調教され…安倍君の親父は改心したらしく、この件に関しては一切手を引くと約束し、迷惑掛けた人間全員に謝罪して回ってるらしい…。

人が変わった。

それはこんなにも周りに影響を与えるものなのか。

美貴ちゃんのあれはどうやら母子の遺伝らしいけど……。

安倍君の父親と美貴ちゃんの母親の関係も昔からあぁだったとか。

…知らなかった真実を知り、安倍君でさえその日寝込んだらしい。

別れた理由も、美貴ちゃんの母親が飽き飽きして捨てたとか……と、なると矢口の父親が家に帰ってこない理由は……

まぁ、そこまでいくと考えるのもバカらしい。

きっと心に癒すことの出来ない傷を負ったに違いない……。

あんな顔してあそこまでいたぶられたらな……

僕の脳裏に、高橋が見たいと言っていた映像がチラついて、思わずため息が出た。


110 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:43


まぁ……色々あったけど、

こうして元の日常に戻れたことにホッとしていた。

そしてあの二人とまたバカなこと出来ることに、僕は感謝していた。

この事が無ければ……きっと僕達の関係は壊れていただろう。


すでにギクシャクしていた僕と後藤。

安倍君を取り合うことでだいぶ亀裂が入ってたからな…。

でもアイツのおかげでだいぶ影で助けられていたことに気付いた。

……結構、僕のことも心配してくれてるんだ、ってことも。

またアイツに口うるさく言われるのかと思うと素直には喜べないが…

まだ腐れ縁は続くようだ。


そして……愛する人、安倍君。

想いも何もかも伝えて、伝えまくって…いき過ぎな所も多々あった。

…最初に僕達に近付いたのも計画のうちだったのかもしれない。

だけど、そのおかげで僕達はこうして出会うことが出来た。

全てが計算のうちだったとしても……この想いや気持ちだけは計算で動かすことは出来ない。

嫌いになるどころか……僕は前以上にキミを好きになっていたんだから。


111 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:44


しなくていいケンカも散々したけど……

まぁ、良い事っていったら…

安倍君のことか。

「……何、ニヤニヤしてるんですか、ひとみ様!」

「ひ、ひひゃっ、ひゃめひょ!!」

「……なんや里沙ちゃんはまだひとみ様のこと追っかけとんのか?」

「ち、違うからっ!!そ、…そんなんじゃないわよ…」

……そして僕のモテ期…

っていうか、常にモテ期だけどな。

「だ、誰がこんな人……」

「…とか言って、僕にゾッコンじゃないか、新垣ぃ〜」

「ばっ!!!ばっかじゃないの!?」

「がはぁっ!!……て、てめ……殴ってぐな…」

腹を押さえてた僕の頭に誰かの手が乗る。

「……自業自得やろが」

里沙ちゃんに手ぇー出したらコロス…

「…………ふんっ」

……そんな声が聞こえたのは…うん。

キッパリ、サッパリ、スッパリ忘れよう。

「なぁ、里沙ちゅわ〜ん」

「う、うるさいなぁっ」

きっと空耳だったんだな、うん。

「さ……さて……出掛けるか…」

そして誰も居なくなったリビングを後にし、

ひとり言を呟きながら、僕は屋敷を出ていた。


112 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:44



「……お?後藤じゃないか」

「…奇遇だね」

……何が奇遇だ。

屋敷を出るとすぐに、門の所に背をもたれる後藤の姿があった。

待ってたなら、待ってた、って言えばいいじゃねーか…。

「……安倍君のところ?」

「まぁ、な。…っていうか、おまえもだろ?」

「まぁね」

お互い思う所は同じなのか、その理由を探る必要も無い。

……あんな目に遭ったって

…やっぱり僕達は安倍君が好きらしい。

それはどうあっても、変わりそうになかった。


113 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:45



「……まぁーた、あなた達ですかぁ〜?」

安倍君の屋敷に着くと、相変わらずの亀井が出迎えてくれる。

「おまえこそ相変わらずの美貴ちゃん病か?」

「なっ!!びょ…病気って言うのやめてくれませんかぁ!?…もぉー…美貴様は神なんですよ、神…」

そう、うっとりとしながら亀井が語り始めた所で、その脇を通り過ぎるように僕と後藤は屋敷の中に入っていった。

「……あれは病気というより……宗教染みてるね」

「まさかあの美貴ちゃんを神呼ばわりとはな……どうかし…!?」

そしてその殺気に僕は口を閉じた。

隣の後藤もその警戒心を顔に出している。

「……それはどうもどうもー。イケメン二人がまた”美貴のお兄ちゃん”に何か用かなぁ〜?」

ガチッと肩を掴まれた。それだけで体が固まる。

…それは後藤も同じだった。

身長なら僕達の方があるけど、どういうわけか美貴ちゃんのオーラには身も縮むようだ。

「い、いやぁ〜…美貴さん、ご機嫌麗しく……」

「ははっ……い、イケメン二人なんて…僕達はそんな大層なものじゃ…」

「答えなよ。…”美貴のお兄ちゃん”に何か用?」

そこにだけ触れないようにしていたのは全てお見通しなようだ。

掴まれた場所にだんだんと力が入って、肩に食い込んでくる。

甘酸っぱいトキメキとは違った、心臓が壊れそうなぐらいの胸の高鳴り…。

「……ん?美貴ー?そこで何して……」

「あ。お兄ちゃ〜ん♪」

パッと一瞬で表情を変えた、それで僕たちは解放される。

安倍君が気付いてくれたおかげで僕達は助かったようだ…。

……でも安堵の息をつくのもつかの間、

「……ちっ。ここまでか…」

そんな舌打ちと共に聞こえた声に僕達二人は心底震えた。

……もう勘弁してください。

それは"美貴のお兄ちゃん"である安倍君の前では一切表に出ない恐ろしい素顔…。

っていうか、あれだけ猫かぶれるんだから凄いを通り越して、称賛に値する。

あの後藤でさえ美貴ちゃんの素を知って、自分は敵わないだろうと、言わしめた相手だ。

「お兄ちゃ〜ん?吉澤さんと後藤さんが”また”来てるよ?」

”また”って……

その直球なトゲのある言い方に思わず、文句も出なかった。

「……えっ…?」

安倍君が外に出てきて、僕達を見つける。

「……よ、よぉ。安倍君」

「体の具合、良くなったみたいだね」

「あ…あぁ。ありがとう。ここで立ち話もなんだし、早く上がって?」

さっさと安倍君にくっついていった美貴ちゃんを見送って、

僕達はホッとして、玄関へ向かった。

…一言一言喋るにも、美貴ちゃんの威圧感でのどがカラッカラだ。

「あ、美貴……ちょっと亀井を呼んでくれる?せっかくみんな揃ったんだ」

「……うん。わかった」

そしてギロッと僕らを一睨みして、美貴ちゃんは亀井を探しに部屋を出た。

……た…助かった……。

「…そ…それにしても元気そうだね、美貴さん」

元気すぎるぐらいだ。

「そーいや、最初会った時はいつも病人みたいな顔してたけど……」

「あぁ……僕もビックリだよ。どうやら……その、」

そして安倍君は言いにくそうに言葉を続けた。

「……はぁ?あの親父のおかげ?」

「吉澤!…少しは言葉を慎め」

「いや……いいんだ。本当のことだからね」

どうやら美貴ちゃんはあの親父にストレス発散出来ているせいか、今までの発作も無くなったそうだ。

114 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:45

「……そうか。なるほどな…」

矢口の家じゃ、年中猫かぶってたから……。

それが今じゃ、あれだけ自分を出してりゃストレスも溜まらないだろーな。

親父もむしろ当たってくれって感じだろうし……。

……それにしても、安倍君があの親父に似なくて良かった。

「だからね、美貴はこっちで預かることになった。…向こう、矢口も今はもう気にしていないそうだ」

「……あゆみさんは?」

「……うん。あっちに住むって」

「そうか……」

あゆみさんも…安倍君の妹になるんだよな…それなのに、

「大丈夫さ。…あー見えて、矢口。あの人、あゆみさんにだいぶお熱だったようだからね」

『えぇっ!?』

……信じらんねぇ……

未だに信じられねぇ。

あのチビ……

「…キミや安倍君が思う以上に…あの二人はお互いを思いやっていた、ってことだよ」

「後藤……」

……かゆい。

っていうか、何でそんな偉そうなんだ。

いちいちいちいちキザなセリフをよくもまぁ…

「まぁ…鈍感で、他人の気持ちのわからない二人には、言っても無駄だと思うけどね」

『何ぃ!?』

僕と安倍君、同時に抗議していた。

「……よ、吉澤と一緒にするなっ!!」

「そりゃ、どーゆー意味だよっ!!」

「当たり前じゃないかっ!僕のどこが鈍感で他人の気持ちのわからない最低なやつなんだっ!」

……言ってて、ピンとこねぇのかな…。

きっと、そーゆーとこなんだろうな…。

「全部当たってるよ。なぁ?後藤」

そして無言で後藤が頷く。

「なっ……なぁっ!?」

そして顔を真っ赤に安倍君は両手でテーブルの上に勢いよく叩いた。

「どーゆー意味だっ!!」

『…………』

呆れて何も言えないとはこのことだな…。

後藤と顔を見合わせ、僕達は揃ってため息をついた。


115 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:46



案外、終わってみると、こんなものか、って。

…あんだけ悩んでたのはなんだったんだろうな…。

ホント、短い間に一生分の頭使った気がする。

僕が今まで生きてきて、こんだけ悩んだことも、考えたことも無かっただろう。

…そして、こんなに一人の人を好きになることも。

「……吉澤」

ふり返ると、そこにキミが居る。

それだけでいいって、そう思える。

「……安倍君。…遅いって」

手を伸ばして、安倍君の腕を取った。

「わっ……よ…吉澤…?」

引き寄せれば、男のくせに…って思うくらい華奢な体がすんなり腕の中。

「……美貴ちゃん…来ないよね?」

一応確認。

安倍君は困り顔で頷いた。

後藤も先に帰って……僕だけここへ戻ってきていた。

もちろん、安倍君と二人っきりで会う為に。


116 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:46


「……ねぇ…僕が運命の人なんだろ?」

「え?…まだ、君…」

それ以上は口で塞いだ。

あれが冗談だろうが、何だろうが、

…僕があの一言でキミを意識し出したのは事実。

「んっ……よ、吉澤っ!」

肩を押し返されて、唇が外れる。

「…なんだよ。まだ、そんなこと言って…って思ってる?」

「別に…だって覚えてないくせに…あんな昔のこと。それでも知りたいのか?」

……聞く覚悟はある?なんて付け足された。

「……あるよ。…なんかそーゆーの気になるっていうか…だって、最初に言ったのは安倍君だろ?」

安倍君だけ知ってて、僕が覚えてないなんて…。

実際、一番気になってる所だ。

安倍君は言うのをそれでも焦らしながら、やっと言う気になったのか僕を見た。

「…君があまりに可愛らしかったから…僕が君に一目ぼれしたんだよ」

……笑っちゃうだろ?

そう言って、安倍君は僕をニタニタした顔で見ていた。

「は……はぁっ!?」

思わず自分の腕で自分の体を覆う。

「いや……待て。だってあん時って…」

「……君が物心つく前の事。…ホントに君は可愛くてね………」

そしてそのニタニタした顔で僕に近付いてくる。

……どーゆーわけか、僕の方が身の危険を感じていた。

「吉澤……」

僕の名前を呼んで、僕の肩に手を掛ける。

「……僕、好みだ」

ゾクッと悪寒のようなものが背中を走る。

耳元でそう言われ、そして一枚の写真を見せられた。

「……なぁっ!?」

そこに写ってるのは、どー見たって、女の子……

に、見える僕。

そーいや、子供の頃は楽な格好してるとよく女の子に間違われてたな…。

今じゃスーツが多いからそんなことも無くなったけど…。

小さい頃はよく僕の母親が面白がって女の服着せてたって言ってたな…なんて思い出す。

「この子が僕の初恋だった。…吉澤…このまま育ってくれれば…いや、今からでも遅くは…」

「な……ななななな、何言ってんだっ!?」

バシッとその写真を叩き落とす。

お、…恐ろしいことを…。

むしろ、逆だ、逆。

「……君が僕に言ったんだ。…あなたが運命の人ですか?…ってね」

「は……はぁ!?」

そ、そんなこと言われたって……

こっちは覚えてねぇーよ、そんなこと……

「き、…きっと、なんかあれだろ?ナンパの練習でもしてたんじゃねーの?」

覚えてないって言っても、僕だ。

そんなことしか思いつかない。

「僕は君に一目ぼれした。…だから答えたんだ、君に。…そうだよ、って。…大人になったら迎えに行くから待ってて、ってね」

……っていうか、安倍君も安倍君だよな。

んなガキ相手に…って言っても、僕だけど。

「……だから、君が男だって知った時の僕の落ち込みようと言ったら…」

「まぁ……だろうな」

僕が逆だったとしてもそうだったろうな。

117 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:47

「…君を見つけても、どこか信じられなくてね…。だけど、そんなことを知って、声を掛けるのもどうかと思って、しばらく君のことを見ていたんだ。……だけど、やっぱり無理だった」

「……は?無理って?」

「君が色んな女の子に声をかけては、仲良くしてる姿を見ていたら…」

そう言うと、安倍君は一番最初に出会った時のように、

近寄ってくると、僕に耳打ちした。

「妬いてしまったんだ」

っ…

なんだよ。ドキドキして、うまく喋れないのは僕の方。

「…だったら、君の近くに居た方が気持ちが落ち着くと思ってね。…あと、君に少しでも意地悪したかった…」

「……えっ?」

ジッと見つめられる。

その中には怒りみたいなもんも混ざっていた。

「……どうしてくれるんだ?僕の初恋…」

安倍君の手の平が僕の心臓の上に重なる。

上目遣いのその目は僕を捉えて、離さない。

冗談も何も思いつかずに、

「あ……あぁ」

ごくっとツバを飲みこんだ。

な、なんだよ、いつだって僕がこーゆーことはリードしてきただろっ!?

いつの間にか、安倍君が僕の主導権を握ってる。

…どーせ、昔のことって言ったって、安倍君があまりにも可愛くて僕が声掛けてた、ってオチだろうと思ってた。

…なのに、真逆の展開だったことに、さっきまでどっしり構えてた僕の気持ちもなんもかんもグチャグチャだ。

今はこうして安倍君の問いに答えるだけで、四苦八苦してるなんて。

こんなんじゃ後藤に大笑いされてるよ…。

「ご……ごめん」

それしか言えなかった。

……悔しいことに。

「……ぷっ、くくっ」

「………………はぁ?」

な、……何笑って……

そう安倍君に問い詰めようとして、

「……ふふっ…吉澤…君ってやつはどこまで単純バカなんだ?」

ホントに大笑いしたアイツが出てきた。

「……はぁ!?」

ご、後藤は帰ったはずじゃ……

なっ、ま、まさか…この二人…!!

「ま、また僕のことハメやがったな!?」

あの初めて僕達が出会った、あの時の悪夢が蘇る。

「じゃ、じゃあ、さっきの……」

「いや、それはホントだよ」

しれっと安倍君はそう言って、いつものようにスカした顔で僕を見る。

「……君がこんな風になるとは思わなかったけどね」

「うっ……」

安倍君の視線が痛い…。

118 名前:セイナ 投稿日:2010/08/16(月) 22:47

「……この時、僕が安倍君に出会ってれば良かったよ」

後藤が地面に落ちた僕の写真を手にしていた。

「……かもね」

なんて、安倍君が答える。

「今からじゃ遅い?」

「どうかな…」

な、なんだよ、その会話っ!!

ど、どうかなって…、どうにもなるわけないだろうっ!?

「お、おいっ!!」

慌てて、安倍君と後藤の間に割って入る。

「……吉澤、君、邪魔なんだけど」

「う…うるせぇな!!」

「……後藤の言う通りだよ?吉澤」

「なっ!?…い、嫌だ、どかない、どかないからなっ!!」

「全く強情だね。いや…頑固だ」

「それでいて、嫉妬心も強いようだし……、独占的で強引」

な、なんだ、なんだ……?

それ僕のこと言ってんのか…!?

「ねぇ、安倍君。ホントにこいつでいいの?」

「……う〜ん…少し考えることにするよ」

は……?

「……ふ、ふざけんなっ!!」

挟んで勝手に会話してんじゃねーよ!!

「……さて、それじゃあ、今度からは正式にデートに誘ってもいい?安倍君」

「な、だ、ダメに決まってんだろ!?」

「君に聞いてないよ、吉澤」

冷めた言葉が僕の横を通り抜けて、安倍君の元へ…

「…その時には、ちゃんと美貴さんにも許可を貰うつもりだけど」

「ふふっ…美貴ってば、どうしてか僕にベッタリで困るよ」

…それ本気で言ってんのか?

って、思ったけど、そんなことは後でいい。

「ちょっ、ま、待てよ!!話は終わってねぇーだろうが!!」

「……言ったじゃないか。少し考えるって…」

「うっ……」

なんだよ、それ。

僕のこと嫌いになったとでも言うのか?

「……全くバカだよね。…君がいつまでもそんなだからだよ」

「そんな、ってどんなだよっ!!」


『はぁ…』

二人から呆れたため息が聞こえてきて、僕だけ置いてかれる。

な、なんだよ……

何なんだよっ!!


そして風に乗って聞こえてきたのは、二人の笑い声だった。


「ま、待てよ!!」






『 Mr.moonlight 』


おしまい?



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