エターナルクス
1 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/16(土) 22:29
初めまして。
拙い文ではありますが宜しくお願いします。

登場人物は久住、吉澤、藤本の水色一家他です。
かなり痛い表現もありますのでご注意下さい。
2 名前:プロローグ 投稿日:2007/06/16(土) 22:31



きらきら。


きらきら。



愛することはきっと、光をくれる。



あなたがおしえてくれた。




3 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:32


ピーンポーン。


チャイムの音。

「はぁーいっ」
久住小春はぴょこんと振り向くと、慌てて玄関へ走っていった。
バタバタバタバタ。フローリングを蹴る細い足は心なしか期待していた。


どんな先生なんだろう。
優しい先生だったらいいなぁー。
小春はにこにこと笑い、玄関の茶色いドアを開いた。


外界と家の境界が一瞬だけ曖昧になる。


4 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:32


+++++

5 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:32


時間はほんの1週間ほど前にさかのぼる。
現在中学2年生の小春。
大人びた外見とは裏腹に、中身はまだまだ子供。


そんな小春にももれなく『中だるみ』はやって来た。
思春期の勢いと後輩が出来て学校にも十分慣れた状態が重なって生まれる中学2年生という生物は、
人生の中でも最も強く最も脆く、そして驚くほどに馬鹿で泣けるほど綺麗だろう。
小春はその例にはみ出すこともなく、だんだんとだらけながら学校生活を楽しく送っていた。
1年の頃に比べると、多少成績も落ちたかなーとは思っていたが、
マイペースで通っている彼女に明確な進路も目標もあるはずはなく、
のんびりとその事実に何の危機感も覚えずにいた。


そんな遊び呆けた夏休み明けのある日。



「小春、そこに座りなさい」


「…」


メールが着た携帯を持って自分の部屋に上がろうとしかけたところを、母親がそう言って呼び止めた。


6 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:33


そう言われる時は大抵いいことではない。
母親の放つ不穏な空気を敏感に感じ取りつつ、
食卓の椅子でじっと小春を待つ母親の前の椅子に腰掛けた。


母親はすっと小春の前に一枚の紙を差し出した。
音もなくテーブルを滑って小春の目に映る紙。


「…で。これは、どうしちゃったの?」


「…………!!!!」


それは。
つい最近、そぉーっと今のテーブルに色々なプリントと交えて置いておいた通知表だった。
それには…明らかにガタ落ちした小春の成績が何のデリカシーもない数字で表されていた。


7 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:34


やばい、やばい…


小春の心臓が跳ね上がった。
絶対説教される。
母親の厳しい表情と今までの記憶が呼び起こされる。


何なのこれは。
最近あんたちょっと遊びすぎなんじゃないの。
いくら2年生って言ってもね、3年生なんてすぐ来るのよ。すぐ卒業するのよ。
あんたこんなことでどうするの。こんなんじゃいい学校行けないわよ。
いざ目標が出来て行きたい学校が決まった時、
自分の学力不足で夢をあきらめるなんてことになったら嫌でしょう。
お母さんはそういうことを心配してるの。
いい学校に行けば近所で自慢できるとか、そういうんじゃなくて。
小春には夢を持って生きてほしいんだから。
そのためにはあんまり遊んでばっかりもいられないの。


うう…、と俯く小春。
長時間説教を黙って耐える用の考え事を作っておかないと…


8 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:34



しかし。



いつまでたっても想像した類の言葉は出て来なかった。


…あれ?
おっかしいなぁー。


顔を上げた小春に飛び込んできたのは、それでも厳しいままの母親の表情だった。


でも説教を始めないなんておかしい。



疑問は嫌な予感に変わる。
ダテに生まれてからここまで一緒に生活してきたわけじゃない。


…そして。


小春の前にはもう一枚の紙が差し出された。
写真とイラストとカラフルな文字が眩しいその紙にでかでかと書かれているのは。
9 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:35



『家庭教師』


の、四文字。


家庭。
教師。



え?
ええ?
…………


「家庭教師の先生に来週から来てもらうことになったから」


…。
………。
10 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:36



「えぇえええええーっ!!!!」



母親の口調は完全に事後報告だった。
そこに小春の意思はもう入る余地がなかった。
すでに未来は決定していた。
どんなに嫌がろうと。



…もう、家庭教師の先生は来ることになっているのだ。

………しかも来週から…


なんてことだ。
まさかの展開だ。
小春は出来る限りの抵抗を試みたが、固い決意の母親を動かすことなど小春には不可能だった。
11 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:36
まさかこんなことになるなんて…
さすがに予想外だった。
自分でまいた種とはいえ、こんなことになるなんて。


「評判は悪くないみたいだから、少しでも家で勉強してほしくて。
 今のうちから勉強の習慣を身につけとけば受験の時とかも楽よ」
「うぅぇえ…」
「とにかく。今のダラダラが直らない限りは先生に来てもらいますから」
「…………」


「返事は!?」

「はっ、はいっ!」



母親の、物凄い険しい表情に、小春は思わず…


…返事してしまったのだった。



満足げに笑う母親と対照的に、小春は沈みながら不貞寝するようにベッドへ潜った。
12 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:36


+++++

13 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:37
とはいえ、基本前向きは小春の生き方。
なんか知らないけど、いざ先生がやってくる今、もう期待してドアを開けているんだから相当だ。
この家庭教師会社自体は評判もいいらしいし。
まずは様子見で週2の2時間だからそんなに負担にも思ってない。


小春は一人では全く勉強できないタイプ。
しかし、塾なんていう重苦しい集合体で切磋琢磨できるほど勉強への執着を持てる理由や進路もなかった。
だから、家で勉強できて成績がついてきてその上受験へ向けての習慣がつけばそれはもう万々歳だ。


さりげなく前髪を直しながら小春はドアを開いていく。


わぁー…格好いい先生だったらどうしよう。大学生らしいし。
なんか、なんか、好きになっちゃったりしたらどうしよう。
マンガみたいにさ、なんかこう、恋人になっちゃったり……


なんて、根拠もない前向きな考えからかわずかに体が軽くなったよう。
ドアもまた、いつもより軽い気がした。
14 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:37


ガチャッ。
キィ…


「はぁい…」
心なしか声が作られる。他所行き用の少し静かな声。
ドアの隙間からそうっと覗き込む。
小春の澄んだ瞳が外の世界を映し込む。



「……」



開いていく世界。



…そこには。


15 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/16(土) 22:38


「あ、こんばんはー」



柔らかな声と共に、白い肌の女の人が立っていた。


16 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/16(土) 22:40
初回はここまでです。
さくさく更新していけるように頑張ります。

17 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:33


「……」


僅かに女の人の方が背が高く、小春は口を半開きにしたまま見上げる形になった。
タレ目を瞬かせることすら忘れて小春は目の前の人を見ていた。
ぐるんっと世界がひっくり返ったような感覚がした。


わぁ…
…綺麗。
美人。
綺麗。
すっごい美人。


透けるほど白くきめ細かい肌に、小さな唇と吸い込まれそうなほど大きな目がついていた。
真っ直ぐ伸びるこげ茶のショートカット、ラフなスタイルなのに圧倒的に存在感がある。


「………」


こんな美人に出会えるなんて。
ファッション誌が好きでよく読む小春だが、あの憧れとは比べ物にならないそれは、
確実に驚きと衝撃だった。

18 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:34


…これが、先生…


はっきり言って、想像を絶していた。
家庭教師というものにこんな驚きが来るなんてこともまた、小春は全く予想してなかった。


と。
呆然と見とれていた小春に先生ははっと気がついたようにして、


「あ、もしかして…小春、ちゃん?」
と、笑いかけた。


19 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:34


「……ふぁ、はいっ!」
唐突に話しかけられて声がひっくり返った。
にこにこする先生は、怖いくらいの美人という印象をいくらか和らげてくれて。
小春もやっとそこで、笑顔を取り戻した。


「あ、どうぞっ」


小春は思い出して、あわてて身体を引く。
くすくすと笑ったまま、先生は玄関へ入ってきた。その瞬間ふんわりと香水の香りがした。
隣のクラスの男の子みたいにきっつい匂いじゃなくて、ほんのりするいい香り。
なんか大人の女の人だなあー、と思った。薄化粧の先生は、小春にはとても大人っぽく見えた。


「おじゃましまーす」
「あ、どうも初めまして…」


先生を一目見た母親も、小春と同様にその姿に圧倒されたようだった。無理もない。小春もまだ驚いていた。
居間へ進んでいくと、先生は少しだけおしゃれした母親に名刺を差し出して挨拶をした。


「吉澤ひとみと申します。これから、お子様の指導をさせていただきます。
 至らない点もあると思いますが、精一杯やらせていただきますので、よろしくお願いします」
はきはきした口調で、微笑んだままゆっくり頭を下げるひとみ。
その柔らかい物腰が小春は気に入った。
厳しい雰囲気じゃないとわかって、ホッとした。


20 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:35


…吉澤、ひとみ……先生、か。


母親も慌てたような口調でひとみに応えた。
「あ、いえ…こちらこそ…あんまり勉強できないから大変な思いさせてしまうかもしれないですが、
 よろしくお願いします」
「はいっ」
気持ちのいい返事と共に、小春を振り向いたひとみ。小春はどきっとした。
「じゃ、さっそく行こうか」
「あ、はいっ」
「小春、失礼のないようにね」
「はぁい」


母親の視線が完全にひとみに向かっているのはまあ納得するしかない。
小春はひとみの前に立って階段を上がり始めた。
階段の後に続くひとみ。小春は、ひとみに後ろから見られてると思うとドキドキした。


21 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:35


この日のために片付けておいた小春の部屋は、ピンクを基調にした6畳のごく一般的な部屋だった。
「わぁー、かわいい部屋だね」
「…え、あ…」
唐突に褒められても上手い言葉が出てこなくて、のどがぐっと力んだ。
ひとみを見ていると、一瞬にして頭が真っ白になってしまう。


「あ、ど、ど…どうぞ」
俯いて、小春用の回転する椅子ではなく、母親が用意したもう一つの椅子を差し出す。
緊張して上手く顔を合わせられない。
っていうか、顔を合わせるから緊張する。2人っきりでいると思うと緊張する。
緊張していると思うから緊張する。
完全なる悪循環だった。


「あ、ううん、今日はまだいいよ」
「え?っは、はい…」
小春はよくわからないままとにかく返事をして、
用意しておいたありったけの教科書やらワークブックやらを探りだした。


「あのっ、今日は…」
何を勉強しますか、と聞こうとする小春。


すると、入り口付近に立っていたはずのひとみの綺麗な手が小春の教科書を持つ手に重なった。


「!!!!」

22 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:36


うわーっ、って小春は心の中で思いっきり叫んだ。心拍数がものすごい上がった。驚きと、ほかの何かで。
今迄で一番近い距離。ひとみの匂いが脳の奥まで届いてくらくらした。


「いいから、ハイそれ置いてこっち座ろう」


ひとみは小春の手から教科書を取り上げて教科書やなんかの山になっている机に置き、
熱くなっている小春の手を握って引いた。
そうして、小春のベッドを指して、ここいい?と尋ねた。
小春がぎこちなくうなずくと、しっつれーいと軽い口調でことわってからゆっくりと小春のベッドの端に座った。
そして、手を取られたまま立っている小春を見て、ひとみは自分の右側のベッドを軽く叩いた。


「ここ座って」


「あ…は、はいっ」


言われるがままに小春はひとみの横に座った。
自分の身体が軽く弾んだ。
23 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:36


緊張しすぎて小春はずっと俯いていた。


机に作られた山を見て笑っていたひとみは、振り向いて小春を見る。
端正な横顔の強張りにふっと息を吐いたひとみは、



「…あたしのこと怖い?」



と、横顔に尋ねた。


「!!や、ち、違いますっ!あのっ、コハル…」


怖いというのは違った。
誤解されたくなくて、必死に否定してはみたものの。
これじゃあ図星の人が動揺しているみたいだ。

24 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:37

「違いますっ…ほんとに、怖くないです…」


小春は人見知りはしないタイプだった。だからこそ、この緊張にどうしたらいいのかわからなかった。
怖いんじゃない。ただ、綺麗だからドキドキしてるだけ。
そうやって言うことも小春は出来なくなっていて、自分自身に驚く。
こんな感情が初めてで。
新しいことに対応できないまま、小春は困り果てていた。


ぱくぱくと口を動かしたまま、上手く言葉を紡ごうとして何も出てこない。
そのことがもどかしくて、顔が熱くなる。
恥ずかしさと、戸惑い。
それはさらに緊張を高め、再び悪循環の渦へ巻き込まれていく。



「……」



あ、あぁ。


どうしよう、どうしよう、言葉が出てこない。
どうしよう………!!!

25 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:37


緊張がピークに達した時。


さらり。
小春はそっと頭に触れる感触を感じた。



「!」


見上げると、ひとみがやさしく髪を撫でていた。
それは、小春の母親が昔してくれたみたいにやさしくて繊細だった。
驚いて思わず見てしまったひとみの目が、母親みたいにやさしい目をしていた。
…長い睫毛から覗く黒目の輝きは、ひとみ、という名前を驚くほど象徴していた。


「怖く、ないんだよね?」
「…!!」


ひとみの静かな声にこくんこくんと必死にうなずく小春。
大振りなそのしぐさがかわいいと感じてひとみは笑顔になる。
ひとみのふにゃりとゆるい笑顔と髪を撫でるやさしい手は、
ピークに達した小春の緊張を少しずつとかしていった。


「じゃあよかった。あたしよく黙ってたら怖がられるんだよねー。中身はほんと怖くないからね」
「…は、い」
26 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:38

よしよし、と小春の髪を撫で続けるひとみ。
もう片方の手は食べ物を支える皿のように小春の手を受けとめていた。



しばらくそうしているうちに、小春の心拍数もだいぶ落ち着いてきた。


…指先からあふれるほどやさしい人だ。と、わかった。
初めて会った小春に、こんな風にやさしく出来る人。
優しすぎるほどやさしい人なんだろうと思った。



「あ、じゃあこのままでいいからさ、あたしの話聞いてくれる?」


小春はひとみのあったかい声にそのまま頷いた。


「んー。じゃあまずはねー、自己紹介からね…」


ひとみは静かな声で話し始める。
27 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:39


+++++


28 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:39


ひとみの話は自己紹介から始まり、その後予想もつかないような寄り道を始める。


自己紹介をしていたはずが、いつの間にか自己紹介で言った大好物から行きつけの店の話になり、
行きつけの店の中でも特に好きなものを熱く語ったり、
一番好きなものが店になかった時の一日の落ち込みっぷりを笑えるように語ったり、
行きつけの店の顔見知りの常連客やそこで働いていて知り合った友人の話になり、
その友人の恋愛話になり、友人の恋人の天然っぷりの話になり、
天然つながりで大学の天然な友人の話になり、友人のドジな話になり、
それに巻き込まれた時の、大変だからこそ笑える話になり、笑える話から深夜のお笑い番組の話になり、
最近のお笑いについてやたら偉そうに語るひとみの姿で小春は笑ったりして。



小春は緊張していたことも忘れ、
話し方や表現は上手くはないけれど、真っ直ぐでリアルな日常のおかしさにただ笑ったのだった。


いつの間にか小春はひとみと普通に会話が出来るようになっていた。
それはひとみの天性の社交性が作り出した空気だった。
ひとみはその場の空気を作り出すことが上手で、小春の部屋はすっかりあったまっていた。
小春はひとつ一つのひとみの言葉に大げさなくらい笑った。
29 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:40


+++++


30 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:40


そうしているうちに時間はあっという間に過ぎた。


小春はもとの懐っこさも手伝って、いつの間にかひとみの目をしっかり見て話せるようになっていた。
ひとみの腕に触れて笑えるようになっていた。
何より、ひとみは小春の想像以上にフランクな口調だった。
その穏やかで人を楽しませようと繰り出される言葉たちは、小春の心を開いた。


「はぁー…っ、やっべ、時間いっぱいしゃべっちゃったよ」
「えっ?あっ!ほんとだっ…」


ひとみが見た腕時計を覗き込んで小春は驚いた。
決められた時間の2時間をもうすぐ回るところだった。
途中で閉めたカーテンの僅かに閉まっていない場所からは夜の色がはみ出していた。

31 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:40

「ん、じゃあもう帰るねあたし」
「あ…はいっ、あのっ、ありがとうございました」
「ええ?やーいいよそんなん喋ってただけだし」
「だから…コハルが、緊張してたの…わかっていっぱい喋っててくれたんですよね」
「え?やー違うってあたし喋る人なのっ」


さりげなく否定するけど、小春は小春の知っているお喋りな人とは喋り方が違うとわかっていた。
割と言葉に詰まって言葉を探したり、自分の伝えたいことが伝えられなくて何度も言い直したりしていた。
そして、小春が喋りたいと思ったら、途中で遮ることなくちゃんと聞いてくれた。
ただ喋りたいだけのマシンガントークの知り合いとは全く違っていた。


だからこそ、嬉しかった。
やさしい人だとわかるから。


「じゃあ、またしあさってねっ」
「あ、はいっ」
「次からはもうめっちゃスパルタだから覚悟しとけよぉー」
「えぇーっ!」
「んははは、よしよし」


最後にもう一度小春の頭を撫でて悪戯っぽく笑うひとみの顔は幼げで。
小春の笑顔を再び呼び出すのだった。
32 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:41

二人で階段を下りていくと、ちょうど上ろうとしていたさゆみと目が合った。


「お姉ちゃん」
「あ、お姉さん?」
「はいっ」


小春の姉のさゆみ。
ピンク色の美しい肌と黒い髪の美少女な姉はやさしくて、小春の自慢だった。
…だが。


「小春、家庭教師の先生だよね?」
「うんっ」
「姉のさゆみです。小春がお世話になります」
「あ、吉澤です。素敵な妹さんをお持ちで」
「はい、自慢の妹です!あ、でもぉ、さゆみの方がかわいいんですけどねっ」
「へ?あ、はぁ…」

33 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:41

戸惑ったようにひとみが小春に視線を送るから、小春はうなずいた。
小春の姉、高校2年生のさゆみは…大変ストレートで正直なナルシストだった。
小春は自分も可愛がられていることを知っているし、さゆみを綺麗だと思っているので全然気にしていない。


ひとみは小春の表情を見て、さゆみを綺麗だと褒めた。
さゆみはとても満足げに笑った。
「先生も美人さんです」
「あ、ありがとう…」
褒められると、ひとみは照れて一瞬唇をくっと噛んだ。はにかんだ笑顔をこらえるように。


ドアを開くと、外の空気はひんやりとしていた。
夜は深くなり、藍色が青緑へグラデーションを作り出している。


「じゃあ、またね小春ちゃん」
「はいっ!」


小春のよく通る返事にひとみは緩やかに笑顔を見せて、踵を返した。

34 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:41


+++++


35 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:42


夜の道。
街灯と並ぶ家の明かりが頼り。


もう少し。
もう少し。


ひとみはぎゅっと携帯を握り締めながら歩く。
自然と足が急ぎ、頭はすぐ前の明かりの集まりとざわめきのみをもとめる。


36 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:42

と。


胸にあてていた携帯が震えた。


「…っ!!!」


端から見れば異常なほどにひとみは驚いた。
半ば走りに近い動きのせいばかりではない動悸をおさえようと息を整えながら
ディスプレイに表示された名前を見て、ひとみは小春にさようならを言ってから
初めて頬を緩めたのだった。


「あ…もしもし、うん、今歩いてるよ。……うん…うん、大丈夫、すぐだからさ。
ん、なるべく早く帰るからね………ホントに?うん、楽しみだ…早く帰らなきゃ。
…うん…うん、じゃあまたあとでね。うん…ばいばい」


ピッ。

「ふぅー…」


ひとみは一度大きく深呼吸して人込みを歩き始めた。
自嘲するような笑みを堪えながら。


37 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:43


+++++


38 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:43

「きれーな人だったなぁー…」


小春は夕飯を済ませたあとにソファでぼんやりテレビを見ながら呟いた。
「お母さんもね、小さい写真しか見てなかったのよ。
それでも綺麗だとは思ってたけど実物はちょっとびっくりするくらいだったわ」
「ねぇっ!!」
居間のテーブルの横で座っている母親も興奮気味に言う。小春もつられて興奮して相槌を打つ。
それを聞いた父親はビールを片手に仕事時間に被っていて会えないのが残念だと笑う。


「しかもねぇー、先生やさしいし面白いの!」
「明るくて感じ良かったわね…」
「うんっ!コハル、先生と勉強するの楽しみになっちゃったよ」
小春の笑顔に母親も嬉しそうに笑った。


「頑張りなさい」
「うんっ」
「うん、じゃなくて」
「はぁい」


呆れたように笑う母親。しかしどこまでも穏やかだった。
憎めない小春の笑顔に親ながら力が抜けてしまう。

39 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:44


「小春ー、お風呂はいろー」
「あっ、はぁーいっ!」


バスタオルを持ったさゆみの姿を見て小春は立ち上がる。


毎日一緒というわけではないが、小春とさゆみはよく一緒に風呂へ入る。
昔から変わらない、仲良しの姉妹だ。
さゆみが身体を洗い終わり、二人で湯船に浸かる。
狭いのだが、楽しかった。


「やー、おねえちゃん、先生きれいだったよねぇー」
「あ…吉澤先生、だっけ」
「うんっ」
「きれいだったね。なんか王子様っぽかったし…かっこよかったの」


さゆみが手を組んで乙女ポーズ。
そのはまりっぷりが小春は気に食わない。

40 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:44

「だめーっ!コハルの先生だからねっ」
「大丈夫だって、取らないから。さゆみ好きな人いるしぃ」
「むー…」
つんつんと鼻の頭をつつかれて、小春は唇を尖らせた。


さゆみは小悪魔っぽく笑い、小春の艶やかな黒髪を撫でた。
ふいに小春の脳裏にはひとみの手がよぎる。

…似てる。やっぱり。


小春が喜びを感じていると、さゆみはふいに難しい顔をした。
さゆみの考える顔は、端正なつくりのせいか人形のように温度を下げる。


「……んー」
「?」
小春がそれを発見すると、さゆみは小春の目を見た。


「どっかで見た気がして」
「先生?」
「うん」
「そっかなー?コハルはないよ?」
「…んー…」
「テレビとかじゃない?先生美人だからさ、芸能人の誰かに似てるとか」
「だといいんだけどね…なんか、悲しそうな顔の記憶がある」
「………」
「……あ、ごめんね小春。多分気のせいだからさ」

41 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:45

さゆみは、小春の髪を撫でて笑った。
それっきりそのことについては言わなかった。
学校での話…友人や教師、…好きな人のこと。
さゆみの恋人のことは知っていたから、光景はやすやすと想像出来た。


しかし、小春はどこかそれらの話を上の空で聞いていた。


さゆみは言った。自分の気のせいだと。
でも小春は、姉の勘の鋭さはよく知っていた。
さゆみがあんなに引っ掛かるんだから…きっとどこかで二人は関わっているんだろう。
それが引っ掛かりにしかならない微々たるものであるとしても、小春はなんだか気に入らなかった。
なんだかわからないけど、すごく気に入らなかったのだった。


「…いいなぁおねえちゃん…」
「え?何?」


思わず漏れた呟きは、誰の耳にも意味を持って届くことはなかった。
42 名前:1 きれいなせんせい 投稿日:2007/06/17(日) 14:45


「……なんでもなぁい」


自分の中で何かが始まっていることを、小春自身はまだ知らなかったのだった。



43 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/17(日) 14:50
1 きれいなせんせい 
終わりです。
メインキャラのあと一人はまだまだ出てきません…


ののさんお誕生日おめでとう!
幸せな結婚生活を送って欲しいです。
44 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/18(月) 00:43
よしコハァ━━━━━━ *´Д`*━━━━━━ン!
どんな展開になるのか楽しみです
45 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/06/18(月) 17:34
新作始まりましたね。
好きなメンバーばかりで何気にうれしかったり。
メインキャラのあと一人がどんな設定なのかも期待しております。
46 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:21

ひとみとは、会う度に親しくなっていった。
ひとみは小春、と呼び捨てにするようになった。
その先生っぽくてきりっとした響きが小春は気に入った。
なんか知らないけど、誰に呼ばれるのとも違うくすぐったさと誇らしさがあった。


「でね?これはここに代入するの。そうしたらaの値が求められるでしょ」
「…あっ、そっか!でぇ、これがここに入るから、答えがこうなるんだ!」
「そう、正解。ほぉら小春できんじゃん」
「えへへへぇ」

47 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:21

ひとみとの勉強は、自分でも想像出来ないほどにはかどった。
小春はこの時間を何よりも楽しみにするようになった。
勉強が楽しいと思える日が自分に来るなんて思ってもみなかった。
出来る喜びを初めて知ったこともあるけど、ひとみに褒められることが嬉しくて。
ひとみが褒めてくれるなら勉強だって好きになれそうなのだ。


横にさらさらと書き込まれるひとみの字は大人っぽくて綺麗で、あこがれた。
横で小春の文字を眺めている横顔をそっと見ると、白く滑らかな肌と綺麗に上がった睫毛が綺麗だった。
肩や背に時折添えられる暖かい手や髪の香り。
それら全て、小春の心に沁みた。


ひとみの姿は小春の憧れになった。
ひとみといる時間が大切になった。
小春はひとみのことをどんどん好きになっていった。

48 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:22

「んー…やっぱ関数と証明かなぁ」
「だめですかぁ…?」
「ふっ、心配すんなって、あたしがこんなのパーフェクトにしてやる」
「はいっ」


ひとみと笑い合う。


それだけで、この日を過ごすことがすごいことに思えた。

49 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:22


+++


50 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:22

「小春、今日の小テストなかなかよく出来てたよ」


用があって、コーヒーの香りが充満する職員室へ足を運んだ小春。
と、担任でもあり英語の教師でもある矢口真里にそう呼び止められた。
小春より背の低い教師は、繊細なデザインのピアスを揺らしながらにこっと笑った。


「え!ホントですかっ」
「家庭教師にしたんだっけ?」
「はいっ、すっごいキレーでぇ、やさしくて、だから小春も勉強頑張ってます」
「はぁー、それはいいことだわ。テスト、明日の英語の時間に返すから楽しみにしててねっ」
「はいっ」


小春は喜びを隠せずにいた。
なにせ、教師に成績で褒められたのは人生で初めてだったから。
もう、なんだか最近ちょっといいことが起こりすぎだよ。
小春はポニーテールを揺らしてリズミカルに歩きながら職員室を出た。


「失礼しましたーっ」
51 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:23


+++++

52 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:23

学校は静かに休息の時間を告げていた。
放課後になれば緩んだ話し声とか、階段を上り下りする運動部の足音が響く。
帰宅部の小春は、友達の夏焼雅と共に放課後の時間へ繰り出す。
今日はひとみが来ない日なのだった。


「小春、クレープ食べよっか」
「うんっ」
「スイートポテトでいいでしょ?」
「うんっ、じゃあコハル飲み物買ってくるね」
「わかった、ファンタね」
「りょーかい」


そう。
毎日繰り返していたこの他愛もない行動。
小春はお気に入りのクレープをかじって、雅と歩く。
雅は最近流行のアイドルやモデルを話しながら笑う。
クレープを食べ終わればどこかの店に入ってだらだらと見て回る。
53 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:24

…不思議と、物足りなさに包まれた。


クレープはおいしいし、友達も好きだし、店はどこも可愛いものがいっぱいだし、
前はこれだけで毎日がすごく楽しかった。充実してた。
勉強なんかより、こうやって友達と過ごす方が意味があって、中身があると思ってた。


なのに。


何故今、こんな感情に包まれているのか。
小春はあまりよく理解出来なかった。
別に勉強してることが遊ぶことより偉いとかすごいとか役立つとかなんて思っていない。
でも、小春はきっと今、こうやって遊ぶだけでは物足りなくなっていた。
新しい何かが小春を充実させるはずなのだった。



それがなんなのか。


やっぱりまだ、わからなくて。

54 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:24


+++++

55 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:24

「小春ぅ、ちょっとなんか最近調子いいんじゃない?」


雅が小春の小テストを覗き見しながら呟いた。
明らかに正解の多いテストを見て雅はずるい、とふざけ半分に言った。
「カテキョ、本当に効果出るんだねー」
「当たり前じゃんっ」
得意げに笑う小春を見て、ふっと雅は自分のテストを見直してため息をついた。


「ほら、小春見習って雅もがんばれよー」
横から口出ししてきた真里に無理でーす、なんて笑いながら雅はさらっと髪を揺らした。
雅の髪は茶色から黒に染めなおしたため不自然な色になり、つやが少し鈍っていた。
小春の目に留まった髪。
ふいに何気なく手にとって小春は雅を見た。

56 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:25

「前の色好きだったんだけどなぁー。似合ってたよ」
「ねぇー。だって矢口先生が内申ちらつかせてくるんだもん。自分は金髪だったりするくせにね」
「うるさいなぁ、生意気なんだよオマエは!
子供のうちはね、髪の毛明るい色なだけで悪い子だとか差別されたりすんの。
オイラが経験したことだからあんまりああいう思いさせたくないんだって」
「だからちゃんと黒くしてるじゃないですかぁー」
「うん、えらいえらい。まあ雅は茶色の方が似合ってるからさ、オイラとしても複雑なんだけど」


複雑、を表すように真里の頬は膨らむ。
ふくれっ面は真里の癖だったが、小春はそれがかわいいと感じて好きだった。
雅と友達のように話す真里は、いい意味で教師らしくなくて、
でも締めるところはちゃんと締める厳しさも持っていて。
真里のクラスになってよかったと小春は常々思っていた。


小春はなんだか会話に入り込めなくて視線を動かした。
そして、真里の持っていた書類を挟んでいたシャープペンシルに目がいった。
途端に空気を割って椅子を飛ばさんばかりの勢いで立ち上がった。

57 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:25

「あっ、これ!」
「え!?何?」


真里も雅も驚いて小春を見る。
しかし小春は真里のシャープペンシルしか見ていなかった。


「これ、先生と一緒!!」
「は?誰先生?」
「…あ、家庭教師の先生です」


思わずはしゃいでしまった自分を思い直して小春は椅子に座る。
どんどん恥ずかしくなってきて耳がほんのり赤くなった。
雅はその様子を見てまたため息をついた。


「小春ったら最近ずっと吉澤先生吉澤先生ってそればっかりなんですよぉー。
 カテキョの日は遊べないし、私が暇で暇でもうアレだっていうのに遊んでる日まで先生先生って」
「だぁってぇー…。……ごめんね、控えます…」
「わかればよろしい」

58 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:25

そんなに話している自覚はなかったが、ひとみとあった出来事は全て雅に話していた。
小春だって、知らない人の話をされればつまらないと感じるだろう。
それは申し訳ないことをしたと素直に感じた。
でも、でも、なんていう意識があったけれど。



と。

59 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:26



「…吉澤?」



60 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:26

真里が、何かに引っ張られるように思わず、といった表情でそう呟いた。


「え?」
言葉は、小春の耳にざらついて残った。
その呼ぶ声のまとっている雰囲気が、なんだか少しだけ不快な響きだったのだ。
どこか、嫌なものについて話すように、その名前を呼んだから。
…どこか、怖がるように、その名を呼んだから。


「……」
「……先生?」
「…や、…ごめんなんでもないわ。気のせいだった」
「……」


真里はそれ以上話す気もなさそうだった。
61 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:27

そして小春にだけ不思議な違和感を残したまま、教室を出て行ってしまった。
その後姿は、今までに見たことのない重たい雰囲気を持っていた。
でもやっぱり、小春にその理由はわからなくて。
ただその違和感に違和感があるということだけをぶつけるしか出来なくて。
そんなんじゃ違和感が解けていったりするわけもなくて。


「?」


でもそれもまだ、身動きとれないほどの重たさじゃなくて。
雅と話しているうちに小春はやがてその違和感を忘れていったのだった。

62 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:27


+++++

63 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:28

日曜日。
久しぶりに綺麗に晴れて、朝の心地よい空気が小春の肺を満たしていた。
今日は布団の中でごろごろしているのももったいないくらい気持ちよくて、
小春はわりといつもより早めに目を覚まして朝食を済ませていた。
日曜の朝は母親の作るご飯はないけれど、小春にはこれといってこだわりもなく、
ただ散乱する菓子パンなんかをつまんで空腹を満たした。


「小春、今日さゆみと買い物行かない?」
「えっ、行くっ!」
「じゃあ10時に出発出来るように用意してね」
「うんっ」


さゆみは朝のシャワー上がりでシャンプーの香りを漂わせていた。
ふやけた肌はまだ暖かそうに赤みを帯びて、Tシャツとホットパンツからすらっと伸びた柔らかそうな手足。
その姿は小春に少し大人っぽく映った。
小春も続いて浴場へ入っていった。

64 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:28

シャワーから上がり、髪を乾かして、歯を磨いて、顔を洗って、髪にストレートアイロンをあてて。
少しだけ色のついたグロスとロングタイプのマスカラを施したら、もうほとんどお出かけモードだった。
あとは服を外出用のものにするだけだ。


何を着て行こうか。
割とさゆみはダークから柄物まで様々なスカートが長短たくさんそろっているが、
小春はたいてい似たようなスリムのジーパンだった。
だからあまりバリエーションがないので、出かける度に似たような格好になるのを少し気にしていた。
トップスを工夫しても似たように無難になってしまうように感じていた。
しかし、さゆみのようにひらひらのスカートを上手く履きこなす自信もなかった。


「うーん…」


いつものお気に入りのキャミソールと薄手の上着、一枚だけでかなり目立つシャツ、
ボウタイつきの細めのシャツに、白い甘めのブラウス。
唯一持っているチュニックなんかも引っ張り出して、
今日はちょっと一味違う自分を出してみようかとか考えた。
65 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:29

しかし、散々迷った挙句にキャミソールに上着を羽織ってスリムのジーパンという
いつものスタイルに落ち着いて、やっぱりまだこれくらいでいいやと思った。
コハルまだ中二だし。もっと大人になってからでいいよね。お姉ちゃん高校生だし。
ごついベルトを通しながら、やっぱり動きやすくてしっくりきた。


「おねえちゃーんっ」
「あ、もう行ける?」
「ん、行こっ」
「よしっ」


それでも。
髪を下ろして短いスカート姿のさゆみを見ると、なんだかちょっとだけ羨ましくなってしまうのだった。


「いってきまーす」
「いってきまぁーすっ」

66 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:29

二人で歩きながら他愛もない話をした。
バス停まではすぐだった。
もちろんバスに乗ってからだって、店についてからだってたくさん話せる。
なのに、今すぐにでも話しておきたいことがいっぱいあって、
小春はどれから言えばいいのかわからなくなりそうだった。
さゆみが嬉しそうに相槌を打って聞いてくれるから、余計に話したいことが溢れてきそうだ。


外は快晴。
気温は少し高いが、バスに乗ればいくらかひんやりした。
バスに揺られながらの景色は普段見慣れているのに、たまに乗るバスから見ると新鮮だった。
はしゃぎすぎてさゆみに怒られるくらい、小春ははしゃいだ。
怒られてもなお、なんだか楽しくて小春ははしゃいだ。


バスを降りて少し歩くと、高いビルが見える。
絶えず人とすれ違い、ひっきりなしに音が聞こえてくる場所。
小春は人ごみは得意ではなかったが、今日はなんだか少しだけ大人ぶって笑う。
さゆみに手を引かれるのではなく、さゆみと並んで歩くくらいになりたいと思った。

67 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:30

「よーしっ、じゃあまず服見ようよ」
「うん、じゃあここ入ろっか」
「うんっ」


なんかスカートとか履いてみよっかなぁ。
そう思って様々な洋服を見て回る。


スカートはたくさんある。
だけど、可愛くて履いてみたいと思うけれど、やはり履きこなせる自信がなかった。
さゆみはためらいもなく可愛いスカートを手に取る。
それがきっと似合うだろうということが想像に難くないから心から羨ましく思えた。


スカート、か…デニムのスカートならいいかな。
でも、デニムのスカートって一回だけ試着したことあるけどけっこうピタッとしてて恥ずかしいんだよね…
動きづらいしなぁ…でもそんなこと言ってたらおしゃれなんて出来ないし…


じーっとデニムのスカートが並んでいるのを見る。
家にある服を思い出してスカートと合わせて着せてみる。
うーん…変じゃないかもしれないけど…コハルが着たらどうなるのかなぁ…?


スカートとか履いたら…吉澤さん、可愛いねとか言ってくれるかな…?

68 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:30

「小春?」
「わっ!」


いきなり名前を呼ばれて我に返った小春。
さゆみが怪訝な表情を浮かべていた。
「どうしたの?」
「ん、んーん、なんでもないよ、ちょっとボーっとしてた」
「そ?なんか欲しいものあった?」
「…え、えっとぉ…もうちょっと、色々見たいな」
「……そうだね、じゃあ他の店行ってみようか」
「うんっ」


小春は違う店に行く直前に一度だけスカートの並ぶコーナーを振り返った。
少しだけ、名残惜しかった。

69 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:30

たくさん歩き回って、アクセサリーを少し購入してから、行きつけの喫茶店に入った。
いつものメニューを頼んで、待っている間にもまた世間話に花が咲く。
学校での出来事だけでも中学生なら話題は尽きなかった。
さゆみもまた、高校生はとても充実しているようだった。


ふと会話が途切れた時に、小春は窓を眺めた。
二階にあるこの店は外の景色が上から見渡せて好きだから、
よく待ち時間や早く食べ終わった時にゆっくり眺めている。
人の流れはあまりにもせわしなくて、それは忙しいけど退屈させなかった。



「………ぁ、あれ?」
「ん?」



予感に、小春は動き出した。
目を凝らして窓に近づく。
それらしき影の真偽を確かめたかった。
70 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:31


…吉澤先生?



心の中で、そっと名前を読んだ。


それらしき人影があった。
あの肌の色と少し離れた場所からもしっかり感じる雰囲気、そして服装が見たことがある気がしたのだ。
割と黒が多いひとみのシンプルな服装は、
ところどころ流行を取り入れながらもひとみという人物の確立をしっかり主張していた。
その雰囲気を纏っているのだ。


じっくりコンタクトレンズが入った目で見てみると、やはりそれはひとみのようだった。
今日もさらっとショートカットを揺らしていた。
一度向こうを向いた顔が再び戻ってきた時に確信した。
あの顔を見紛う筈もない。
71 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:31

「やっぱり吉澤先生だ!せんせぇー、こっち見てっ」


急に嬉しくなった小春は、窓ガラスを軽く叩く。
気付かれるはずないとはわかっていたが、ここで動いていれば少しは可能性がある気がした。
身体を上下に小刻みに揺らして窓ガラスを叩いた。
なんとか、ひとみに気がついて欲しかった。
今頑張れば、きっと気付いてくれるんじゃないかっていうあまりにも淡い期待を抱いていた。


すると、だんだんとガラス窓を叩き続ける小春を見てさゆみは言った。
「小春、やめな」
「あ…はぁーい…」
「先生も今日は休みなんだから、ゆっくりさせてあげなきゃダメ」
「…そーだよね…うん、ごめんなさい」
「ん、わかったらいいから、ちゃんと座って」
「うん」

72 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:31

さゆみがぴしっと厳しい声を出したら、小春はいつもそれ以上出来なかった。
普段ふざけて笑っていることの多いさゆみの真面目な声は、聡明な響きがあって説得力があった。
だから、ちょっとだけしゅんとしてしまう。


小春は椅子に膝を立てていたが、ちゃんと真っ直ぐ座ってさゆみと向かい合った。
ちらっと表情を伺った。
見たところ、さゆみはもう怒っている様子はなかった。
いくらかほっとして小春はそっと顔だけ窓へ戻す。


その時ひとみは、また後ろを向いていた。
さっきからしきりに後ろを見ている。

73 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:32

誰かが店内にいるのだろうか。




気になって小春もひとみを食い入るように見つめた。
さゆみも、さりげなく視線を外へ向けていて、おそらくひとみを見ているようだった。


しばらくすると、ひとみは店の中へ吸い込まれるように入っていった。


誰かに呼ばれたのか、自分が待っていられなくなったのか。
小春やさゆみには知ることも出来ないこと。

74 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:32

そうして、少し経ってから再びひとみは店から出てきた。


「あっ」
小春がはっと笑顔を取り戻した瞬間、飛び込んできたもの。



ひとみは左を見てやさしく笑っていた。
ひとみの隣には、女の人がいた。


みたことのないひと。


ひとみより背が低くて髪の長い、綺麗な女性。
ひとみと同い年くらいだろうか。
小春より、さゆみより、その人は大人で。
並ぶ二人の図はなんだかとても綺麗だった。お似合いだと思った。
つりあっている、という感じがした。
75 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:32

ひとみの笑顔。
笑いかけられる女性の笑顔。
やさしく伸ばす手。


繋がる手。
並ぶ肩。


…きっと、小春にはあんな風にさりげなく、綺麗には出来ない。



誰かがいた。そんな簡単な予想は的中した。
勘が鋭い自分を、人は誇るものだ。
普段の小春だってそうだ。
たまに的中した予感を、今でも思い出せる。


それなのに、今の小春はなんだかやりきれない思いにとらわれた。

76 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:33

ひとみと仲良さげに話す人がいた。
ひとみに知り合いがいて、休みに遊ぶ。
それは当たり前で仕方のないことだし、それだけなら別にこんな感情にはならないだろう。


でも、小春はそれとは別の部分で大きく衝撃を受けていた。


あの、笑顔。
ひとみの、笑顔。
ひとみの笑顔が小春に向けるものとは明らかに違うことを、小春は感じたのだった。


母親のようなそれなんかではなかった。
もっと色っぽくて、なのに幼くて、無邪気そうで、年相応の女性の微笑だった。


…自分に向けられている笑顔が、本物だと思っていた。
でも、そこにある笑顔の方が、ひとみの本当の気持ちに近いんじゃないかという気分にさせられたのだ。
自分に見せている笑顔は、営業スマイルみたいなものなんじゃないか、と。


そう感じた瞬間、すごくショックだった。

77 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:33

小春はひとみに心を許していた。
ひとみにはきっとどんな相談でも出来そうだと思うほどひとみになついていた。
小春はひとみに、無意識に同じものを求めていたのだろうか。
こんなに年の離れた自分に、本音をぶつけて欲しいと思っていたのだろうか。


…馬鹿げた話だと、自分でもわかっていた。
小春自身が、7歳も下の子に本音で接したりなんてしない。
そんなことわかっている。わかっている。


わかっているのに、小春は自分が子供なんだってことをすごく実感した。
ひとみにとっては、自分はただのガキなんだって。
一生徒でしかなくて、特別でもなんでもないって。


それが、小春自身も驚くくらいに心に重く響いた。

78 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:33

…もっと、対等に見られたいと思った。
小春は急激に成長を羨ましく思った。
子供のままでいいやなんて満足していてはダメだと思った。
ひとみに、一人の人として見てもらいたいと思った。
弱音言ってもらえるくらい、頼りがいのある人になりたいと思った。



それがむちゃくちゃなことだとどこかで警告する声。
でも、今小春はそのことしか頭になかった。



…吉澤先生に、あんなふうに笑いかけてもらいたい。
コハルも、もう大人なんだって、吉澤先生に知ってもらいたい。



…コハルを、子供扱いしないで欲しい。

79 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:34


よし、決めた。



「…おねえちゃん…」
「ん?」


80 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/18(月) 23:34


「コハル、スカート買いたい」


81 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/18(月) 23:40
今回はここまでです。
もう一人はいまだ名前すら出てきてませんね…
小春のクラスメイトは某板の某スレに影響されたわけではありませんw

>>44さん
よしこは!よしこは!大好きです。
ご期待に副えればいいのですが…

>>45さん
私自身も好きなメンバーを書けてとても楽しいです。
もう一人は…早く出してあげたいですw
82 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/19(火) 04:11
よしこは。なんか、とても良いですね。
兎に角、作者様の忍耐力。体力。すべての気力を応援します!。
83 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/06/21(木) 02:07
更新お疲れ様です。
クラスメイト登場キターとか思ってしまいました。
決して某スレにry
小春の徐々に育っていく気持ちとその変化にドキドキしつつ見入っております。
がんばれ小春と思いつつ恋人も気になりつつ・・・
次回更新を楽しみにしております。
84 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:04

「……」


小春は、自室で一人、値札取りたてのスカートを眺めていた。
さゆみと共に選んだスカート。
膝にかかるかかからないかくらいの長さのチョコレート色のアシンメトリなスカートと、
うってかわってすごく短いデニムのスカート。


おねえちゃんが『小春は脚が長いから』って言うからミニにしてみたけど…これ…短すぎるよ…
もう一つの方はどう着たらいいかわからないし…


「むぅ…」


ひとみが自分を子供扱いしてると実感して。
つい、意地になってスカート買ったはいいけど。


…なんで、そんなに子ども扱いされるのが嫌なんだろうかと、ふと考えた。
85 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:04
小春は、子供の得な部分をとてもよくわかっていた。
子供だからといって嫌だと思ったことなんて、生まれてから一度もない。
だから不思議だった。


だって。
子供だって思ってくれれば、多少のことは許してもらえる。
ひとみだって、小春を本気で怒ったことはない。
ちょっとふざけすぎたら、ほらちゃんとやるよって言われたりするけど。
きっとひとみは小春に対して本気で怒ることはない。


だったらいいじゃないか。
どうして、この短くて貴重な瞬間を早く終わらせようとしたくなったのか。



…わからなくて。

86 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:05

小春は視線を動かした。
ひとみの姿が見える、初めて会った日に二人で座ったベッド。


そっと立ち上がって、ベッドに座ってみた。
小春の体重分しか沈まないベッド。
小春の体温しか残らない、少し冷たいベッド。


ひとみが座っていた場所に触れてみる。


…そこから、自分が温まっていくような気持ちになる。

87 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:05


―――――急に、ひとみに会いたくなった。



それはなんか違った。


なんか、会えたら嬉しいんじゃない。
そういうんじゃない。


どっちかっていうと。
…会えないのが苦しいと思うようになった。



なんなんだろう、これ。
小春はきゅっと唇を噛み締めて、心臓の苦しさに耐えた。
胸をおさえてみるけど、なんだか泣きそうだった。

88 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:05

ひとみに会いたくて。
ひとみに会いたくて。


今すぐ会いたくて。
ぎゅってしてもらいたくて。
頭を撫でてもらいたくて。

89 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:06

小春は涙を懸命にこらえながら、カバンから急いで携帯電話を取り出した。


『勉強しててわからないことがあったら聞いてね』と、番号とアドレスが入った携帯電話を。


「せんせぇ…っ」


とにかくひとみを感じたかった。
声でも文でもいいから、ひとみに。
ひとみの存在に触れたいと思った。

90 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:08

番号を探し出して、通話ボタンを押した。


規則正しく鳴る機械音が小春をどうしようもなくもどかしい気持ちにさせる。


先生。
先生、出て。
お願い。
先生の声が聞きたい。
先生の声が聞きたいよ。



何回も、何回も、何回も鳴る呼び出し音。
何十回鳴ったって、出てくれるまで切りたくない。

91 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:08

今、ひとみの声が聞きたい。
今、今。


今がいい。
今じゃなきゃ嫌だ。




先生―――――!



92 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:08

プツッ。




『…小春?』



93 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:09
その。
やさしい声を。



…聴いた瞬間。


「―――――……っ!」


ホッとしたのかなんなのか、いつも決して泣き虫ではない小春の大きな目から、一気に涙が流れてきた。
ぶわっと暖かい涙が小春の頬を濡らす。


「っ、うぅ、うぅ…うっ、ぅう…っ!」


あまりにも一気に涙が流れてきたせいで、しゃくりあげて声が出ない。
色んなものが苦しくて息が出来ない。

94 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:09

なんでだろう。
先生の声、聞けて、嬉しいはずなのに。


今度は会いたいと思っちゃってる自分がいる。


どうしたらいいんだろう。
これ、どうすればいの?



『小春…?どうした?』
「うっ、う、…っ、せん、っ…せ…、う、うっ…うぅう…っ」
『ん?』
「っ…う、うぅー…う、っう」
『…ふふ…、何、泣いてんの』
「っ、っ…うー…うぅっ、うっ」
『……ん…』

95 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:09

話せないほどしゃくりあげる小春に、ひとみはそっと寄り添うように黙った。
小春が話せるようになるまで待った。
電話口からでもわかる。
何か他の作業をするでもなく、誰かといるかもしれないのに、誰かと話したりすることもなく。
ただじっと、小春が泣き止むのをそのまま待っててくれた。


小春は、泣きながら少しそんな自分が情けなくなった。
また、ひとみに子供だと思われてる自分がいると感じた。
でも今は、まだひとみの存在がいることでいっぱいいっぱいだった。
ひとみが自分を考えてくれてるのが嬉しかった。


そして、何故かどうしようもないくらい苦しかった。

96 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:10

しばらく、戻らない時間は過ぎて。
小春は頬が痛くなるほど泣いたあと、やっと落ち着いた。


「…っ、…はぁー…」

まだ軽くしゃくりあげる身体からふぅっと力が抜けた。



『ん、落ち着いた?』
「は、い…」


ふふ、とそっと笑うひとみの声を聞いていた。
鼻にティッシュをぎゅっときつめにあてて、一度鼻をすすって息を吐いた。




97 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:11

それから、小春は初めて会った日のように、ひとみの日常に起こった話を聞いた。
ひとみのいつもより少しだけ静かな調子の声は、小春の心を落ち着かせると共に再びざわつかせた。


ひとみの語る、ひとみの見たもの、感じたことを、共に体験出来ないことに嫉妬した。
小春は、ひとみにもっともっと早く出会いたかったと思った。
どうして自分は14歳で、ひとみは21歳なのだろうと思った。
とてもとても悔しかった。
今日見たひとみの横に並ぶ女の人に嫉妬した。
あの人のようにひとみの隣を対等に歩く人全てに嫉妬した。


「…先生」
『ん?』
「………」


少し掠れている声。
小春にはたまらなく甘く響く声。


…早く、明日にならないかなぁと切に願った。
このままじゃ、どうにかなってしまいそうだった。

98 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:11

「…先生、先生に早く会いたい」



絞り出すような声が、自分でもびっくりするくらい幼くて。
あきれたように、少しだけ照れたように、それでも穏やかに、ひとみは笑った。


『あたしも小春に会いたいよ』


99 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:11

…その、罪深い響きに。
小春はまた涙を滲ませた。
ティッシュを新しく出して、両目頭にそっとあてる。
すぐにあったかい涙は白い四角に染みて広がっていった。
染みがじわじわ広がっていくのを、小春はじっと見ていた。

100 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:12

『じゃあ、もう遅いから寝な』
「はい…」
『だいじょぶ、すぐ会えるよ』
「……は、い」
『ばいばい、おやすみ』
「おやすみなさい…」


ひとみが少し間をおいてゆっくりと通話ボタンを切ってくれるまで、
小春はどのボタンにも手をかけられなかった。
でも、ひとみのあったかい声がツーツーという音に変わると急に寂しくなって、すぐに携帯を閉じた。
バッテリーがずいぶんと減っていた。


余韻を残したまま、小春は電気を豆電球のみにしてベッドに入った。
でも、まだ寝付けそうになかった。
明日が早く来てほしいのに、この苦しさが眠りを邪魔する。


どうして。
早く眠りたいのに。
眠ってしまえば一瞬で明日になる。
眠れなければ、長い夜。
だから、早く寝たいのに。

101 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:12

どうして。
早く眠りたいのに。
眠ってしまえば一瞬で明日になる。
眠れなければ、長い夜。
だから、早く寝たいのに。


ひとみの姿を求めて、小春はいつまでも眠くならなかった。
どんなに目を閉じても眠気は遠かった。


こうして今も、ひとみのことを思っている。
最近はずっとこうだ。


ひとみのことばかり考えてる。
ひとみのことばかり思っている。



それはもう、誰にも誤魔化せないくらいに膨らんじゃって隠しきれない感情。



でも。
多分、出会った時から。
きっと、気がつかなかっただけで。



…心は決まってた。

102 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:12



「…先生」



103 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:13

先生。


わかったよ。
コハル、やっとわかった。


今までも、ちょっとくらいはこんな気持ちになったことあったから、わかったよ。
なんか、でもやっぱりこんなにいっぱいいっぱいに思えるのは初めてだから。
びっくりしてる。
こんなに苦しいなんて知らなかったし。



でもね、なんか…すごく、嬉しいかもしれないよ。

104 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:14


ねえ。
先生。



先生、聞こえる?


105 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:14


ねえ、先生。


…コハルね。



コハル…


106 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:14


―――――――――コハルは、先生のことが好き。
―――――――――コハルは、先生に……恋、してる。


107 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:14

こんなにこんなに、眠れないくらい。
いっぱいいっぱい、毎日を埋め尽くすくらい。
泣けるくらい。
はじけ飛びそうなくらい。



こんなに、こんなに。





………先生が、好きです。



108 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:14

はっと気がつくと照れくさくて、誰も見ていないのに隠れるように布団に潜った。
自分の心臓の音がすごく聞こえてきた。


そう、自覚した。
これは恋だ。
きっと、初恋から少し抜け出した世界の、きっと甘いだけではない恋愛感情。


小春は、本当の恋の味を知った。
それは想像以上に苦しくて仕方ないけど、でも。



…止まらない、もう。

109 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:15


+++++


110 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:15

携帯の電池が減った分、ひとみは少し笑顔になった。
嫌われるよりは頼りにされる方が嬉しいに決まってる。
でも、たまに怖くなった。


小春はあまりにも真っ直ぐすぎて、触れたらぽきんと折れそうで。
なのに、ぶつからんとする勢いで自分の方に向かってきていて。
そのスピードがどんどん増していっている気がするたびに、
このまま優しくし続けることができるのか不安になる。


いつか、向かってくる想いを受け止めきれずに小春を壊してしまったら。
…傷つけてしまえば、あんな無邪気な笑顔もきっと向けてもらえなくなる。
それは寂しいと思った。

111 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:15

けれど。
自分からぶつかっていくことや、それに似たことはもう自分には出来ない。


それが、ひとみの選んだ運命だった。
ひとみが選んだ、一生の償い。


自分が、悪い。
この子も。
……アイツも。
壊したのは、あたしだから。


そう思った。

112 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:16

だから、ひとみはここでこうしていることを選んだ。
求められる以上は、それ以上にいっぱいのもので応えようと。
一生そうして、奪った未来の分を少しでも償おうと。



「電話、だぁれ?」


彼女の声がする。
少しだけ冷たくて、不安に操られた声を出していた。
ひとみはにこ、と嘘のないように真っ直ぐ笑った。


「ん?ほら、カテキョの子」
「ふーん…」
「ん?」
「なんか、よっちゃんすっごくいい顔してたよ」
「そっか…」
「………なんか、やだった」


「あ…ごめん、ね」
「……ばか」
「ごめん」
「うん………」

113 名前:2 すきなせんせい 投稿日:2007/06/21(木) 23:16

唇を尖らせた女性にひとみは焦った様子を隠しながら、そっと肩を寄せた。
すがるように甘えてくる彼女。
ひとみは努めて優しい顔を作った。


彼女を不安になんかさせないと誓ったのに。
もう、二度と泣かせたり苦しませたり、孤独を味わったりなんかしてほしくないのに。
あたしは…


ひとみは、少し不安定になる彼女をぎゅっと抱きしめた。


「…よっちゃん、大好き」
「……ん、…」



涙にしてしまいたい衝動が起きたのは、小春の泣き声を思い出したせいなのか。

114 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/21(木) 23:22
2 すきなせんせい
終わりです。
少しずつですが暗い部分が出てきたような…
光が強くなるほどに、影も深まります。

>>82さん
ありがとうございます。
しっかり完結させられるよう一生懸命頑張ります。

>>83さん
ありがとうございます。
クラスメイトを出した当初はあのスレのことは気にしていなかったので
ちょっと今見て笑いましたw
小春の気持ちや他の人々の気持ちを頑張って描いていきたいので頑張ります。
115 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/06/22(金) 02:20
更新お疲れ様です。
思わずこはりゅうぅうぅ〜!と叫びたくなってしまうぐらいやられてしまいました。
恋って何でこんなにせつなくて想いが溢れて来るんでしょうか。
光あるところ影もありますね。
次回も正座してお待ちしております。
116 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/22(金) 03:34

もうね〜作者さん、最高!。
小春の切ない恋心に、涙。ひとみの優しさにも涙。でした。
ご無理をせずに頑張ってくださいね。
117 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:51

「せんせっ」


いつもはピーンポーンという音と共に走り出す小春だが、
今日は飛び出したい衝動に足を一歩踏み出して、でもためらって、一度ぐっと息を呑んでゆっくり歩いた。
玄関のドアからひょこっと顔を出すと、いつものひとみがいた。


あれ?といった顔で不思議そうに小春を見るひとみからは、ドアに隠れて小春の腰から下は見えない。
もじもじと体をすべて見せるのをためらう小春にひとみは笑いかける。


「こんにちは」
「こんにちはっ」


久しぶりに会えたひとみ。
嬉しい。
嬉しいのに、小春は、恥ずかしくてなかなか飛び出せなかった。

118 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:51

「ほぉら、照れてないで。似合ってるから見せなよ」
「うひゃあっ!」


すると、さゆみが小春を後ろからどん、と押した。
小春の全身がひとみの目の前に現れた。


小春は、ひらひらしたスカートを履いていた。
細くて長い足と珍しく下ろした髪で、きれいに着こなせていた。
ひとみが驚いた表情をした。照れくさくて、小春は俯いた。


「小春、すっごい似合ってんじゃんスカート。かわいいよ」


ひとみは、にこっと笑った。
小春はその言葉が嬉しくて、頬が赤くなるのを感じた。どきどきした。

119 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:52

…どきどきする。
先生の顔を、まともに見られない。
なんか知らないけど、飛びついてしまいたいのに、体が動かない。


小春はぎこちない動きで階段を上がった。
前までとは違う、小春の心がそうさせた。
ひとみを意識して意識して仕方がない。

120 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:52

「じゃあ、この構文に当てはめて訳してみて」
「…は、はいっ…」


ひとみが隣に腰掛けて英語の授業。
毎回同じ体勢なのに、今日は妙に距離が近く感じた。
頭に勉強内容が入り込めなくて、小春の思考の回転はひどく遅い。


ひとみは、小春の違和感を感じ取る。



「どうした?…具合でも悪い?」
「え?」


びく、と。
首を右に回して小春はひとみを見た。
心臓が一瞬冷えたような感覚を覚えた。

121 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:52

「…や、違うんです、大丈夫です…」


小春の長い睫毛が下を向いているのを心苦しく思うひとみ。
そっと下ろされた黒髪に触れて、静かに語りかける。


「……なんか、悩んでたりする?ほら、…こないだ、電話でさ。
…あんまり触れて欲しくないならもう聞かないけど」
「っ……」
「…」
「…」


小春はあの夜の切なさを思い出す。
でも、何をどう言葉にすればいいのかわからないまま黙り込んだ。
…何を、どういう風に、言えばいいのか。
頭は真っ白で何も出てこない。
何か言わなきゃいけないとは思っていた。
でもやっぱりそれ以上の言葉は一文字も出ては来なかった。

122 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:53
苦しむように唇を結ぶ小春。
何かを伝えたそうに時折ひとみをちらっと見る小春。


何も伝わってこないことが申し訳なくて、なんとか笑って欲しくて、ひとみはそっと小春を抱きしめた。


「やなこととか、色々あるかも知れないけどさ、あたしとか…
ほら、お姉ちゃんとかにさ、相談してみなよ」



小春の心臓は跳ね上がる。
どうしたらいいかわからない。
ひとみの柔らかさと匂いと声に包まれて、体がこわばる。


と同時に、優しく優しくしてくれるものだから、心がほぐれていった。
そのまま甘えていられれば、それはきっと、小春の存在の特権を使うことだ。
でも、…それは、小春が求めている場所から遠ざかることでもある。

123 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:53

目の前の幸福は、先の絶望を早めるだけ。
今こわばったままでは、これから先、もうひとみと勉強なんか出来ない。



…コハル、どうしたらいいの?
側にいたいのに、側にいられない。
会えたら嬉しいのに、会えたらどうしたらいいかわからなくなっちゃった。
あんなにぎゅってしてもらいたかったはずなのに、ぎゅってしてもらったら、死んじゃいそうなくらい苦しい。


どうしたらいいの………?

124 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:53

「ごめんなさい、先生…」
「ん?」
「……勉強、今日、ぜんぜん…ダメ、で…」
「いいの。小春この頃めっちゃ頑張ってるもん。たまにはこうやって、休まないと」


ひとみは小春を抱きかかえるようにふわりと運んだ。
小春のベッドに二人で寝転んで、小春はひとみの腕に抱かれて、包まれるようにして横になった。
小春の腕が感じるひとみの体は細くて薄くて、折れてしまいそうだった。
それなのになぜかやわらかくて、あったかくて。
やっぱり苦しいくらい切なくなるのに。それでも、それでもこの場所は気持ちよくて。


小春は目に見えるよりも手には小さく感じるひとみの背中に腕を回して、ぎゅっと力をこめた。
つかまえたいと思った。
このままここにいて欲しいと思った。
それは叶わないとわかっていても、願ってしまう。

125 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:54

「先生」
「んー?」
「…先生…」
「うん」
「だい、すき…」


「……あたしもすきだよ」


126 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:54

優しく、残酷に。
ひとみはきっと、わかってて、そう言った。
それでも怒ることも泣くことも出来ない。


小春は、言葉の意味するものをわざとあやふやにして、わからないふりした。
そして笑ってみせた。
そうしなかったら、きっとひとみは自分から離れていくと思った。
どうすることも出来ないのに、ただ大好きで。


こういう風に出来るんだったら、いつか、もう少しだけ待ってくれたら、
小春が大人になったときに、ひとみが小春を恋人にしてくれる日がくるんじゃないかと思った。
そんなことが、一瞬だけ現実味を帯びる。
チカチカと瞬くように、現実味を帯びる。

127 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:54

だって、こんな風に抱きしめ合ってるんだから。


コハルのほかに、こんな風にしてる人が、いるっていうの?



知らないもん。
そんな人、聞いてもいないし、見てもいない。



だから、いないと思ってる。



先生には今好きな人はいないと思ってる。
コハルが大人になれば、恋人になれると思ってる。

128 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:54


+++++


129 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:55

「小春、なんかさぁ…雰囲気変わったね。大人っぽくなったよ」
「ふぁ?」


「…ごめん、気のせいだった」
「なぁんで!」


雅が頭を抱えた理由はわからないが、最近小春は髪を下ろす日が増えた。
眉もちょっと細くしたし、肌のケアも気をつけるようになった。
少しだけ大人になった気分ではいた。
でも、きっと雅が見たのはそういう部分ではない気がした。


そして、雅はじっと小春を見る。

130 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:55


「…好きな人出来たでしょ」
「!」


131 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:55

ずばり言い当てる。
雅は基本的に勘がするどいところがあるとは知っていたが、
こうもすぐに言い当てられると小春自身がわかりやすいことが原因としか思えない。
事実、最近笑顔が増えた気もするし。


「やっぱり!ちょっとなんで私に言わないの!?」
「や、だってーえ、恥ずかしいじゃんかぁ、そんなの…」
「恥ずかしいとかそんなの当たり前でしょ、それでも相談してよ。力になりたいからさ。
 それに言ってくれないと寂しいじゃん」
「ごめぇん…」


小春はしゅんとして雅に頭を下げた。
前のめりになっていた雅は一度身体を引いて、それから顔だけ少し出して、声を潜めた。


「で、誰?」


「内緒」


屈託のない小春の笑顔。

132 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:56

「…。…今、私、なんて言った?」
「だあってぇー…雅、会ったことないよ」
「学校の人じゃないんだ」


小春がうなずく。
雅は興味津々に質問を繰り返した。


「え、じゃあ何で知り合ったの?」
「えっとね、まあ…ひみつぅ」
「…。どんな人?」
「んとね、…優しくて、かっこよくてね、年上」
「年上!?えーどんな人?写真とかないの?」
「無理だよぅ、撮れないって」
「そっかぁー…えー見たい」
「だめ、見たら雅も好きになるかもしれないじゃん」
「…そんなにかっこいいの?」


小春は笑ってうなずいた。

133 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:56

「いやぁ、見たいなぁ…」
「だめ」
「ケチ」
「ケチでいいもん」
「…付き合うことになったら絶対会わせてよ」
「うん…でも付き合うのは難しいかも」
「年上だもんねぇ…」
「でも、がんばる」
「うん、がんばれっ」
「えへへ」


二人は笑い合って、休み時間を過ごす。
チャイムが鳴るまで、雅はたびたびこの話について何かを聞きだそうとしたが、
小春は決してぼろを出さなかった。

134 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:56


小春は、再び心に誓った。



うん、…頑張る。


頑張れ、コハル。


頑張るよ。


135 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:56


+++++


136 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:57

「ねえ」


トイレから出た所で真里と出くわす。
真里は小春に声をかけた。
小春の黒髪がさらっと空気を切って、通り過ぎかけた身体は止まった。


「はい?」


小春がたまにとても大人に見える瞬間。
真里はそれを感じた。
普段甲高い声ではしゃいで笑うのとは違う柔らかな微笑み。
…どきっとさせる、思春期のゆらめき。


それを、真里はどこかで見ていた。
小春ではない誰かと、それがとても似ていた。
普段はただ笑ってるくせに、ふいに大人になる姿。

137 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:57

「…」


…あぁ。
頭痛がする…めまいがする。


あの日の目が。
あの日の最後がどこかで再生されて止められない。
停止ボタンなんて初めからない。擦り切れるまで再生されて、擦り切れたら忘れるのに、
またこんなふとした瞬間新しいテープになって再生される…擦り切れるまで。


それで。
そんなことになって。
…真里も、どこかを痺れさせたんだと思った。


さっきまで頭に入っていたこととは全く違う中身が口から出て行った。

138 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:57



「……吉澤、っていうの?家庭教師の人」



139 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:58

ぶつんっ。


発した後に、テープは音を立ててちぎれた。
真里ははっとして小春を見た。


世界は、今日現在。
学校の校舎。
昼休みの時間だった。


…いつもの小春だった。
いつもの、元気で明るい。


真里は息をゆっくりと吐いて、胸にそっと手を当てた。
なるべく自然な流れで。

140 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:58

でも。


「はい、吉澤ひとみ、っていう先生です。
 …矢口先生、知ってるんですか?」



あ…あ。



また。
まただ。


141 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:58

何かぶつ切りで音まで付きながら、あの日の世界は、また。
ゆっくりと古い映画のように再生される。
自分の記憶だったのかどうかすら危うい。


かたかたと。古い映画のようなのに…それは。


あの日の寒さも全て、真里をあの時間に戻す。


…真里は自分を責める。


何であの時。
何で、あの時。


なんで、あのとき。
なんで、なんで、なんで、わたしは。
わたしが、わたしがなんとかできたはず。
わたしがきがついていれば、きっとちがうみらいがあったはず。
わたしが。
わたしが…

142 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:59

「…先生?」


「っ!」


小春の声で真里は再び現実に戻された。
小春はそこにいた。
無邪気に笑っていた。


「…ごめん…ありがとね」
「?…せんせー?」


不思議に思う響きをこめた小春の声。
でも、繕うことも出来ないまま真里は走った。真里は逃げた。
世界は片足ずつ突っ込んでて、一歩踏み出すごとに船みたいにぐらぐら揺れた。
気持ち悪い。
気持ち悪い。

143 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:59

バタン!


「…はぁっ…はぁっ、はぁ、は、はぁ…はっ…」



誰もいない。
準備室は資料やダンボールや埃にまみれていた。
でも、誰もいなかった。


…やっと、背中をスーッと冷やしていた汗が引き始める。
ゆっくりと呼吸をして。


真里は。

144 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:59


「……ホントに、気付いてあげられなくてごめん…っ」



ぼろぼろと涙をこぼした。
顔がぎゅっと歪むのをどうすることも出来なかった。
声をこらえて、真里は泣いた。


145 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 21:59


+++++


146 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:00

小春はいい事聞いた、と思った。
なんかよくわかんないけど、矢口先生と吉澤先生は知り合いかもしれない。
吉澤先生に聞いてみよう。


小春は、いつもぱたぱた走り回る真里のことだからとあまり気にかけずに教室へ戻っていった。

147 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:00


+++++


148 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:00

「せーんせっ」


小春は、心配かけまいとするのと同時に、ひとみに会える喜び自体が大きくなっていて
いつも以上に元気に勉強した。
前回出来なかった分は今回ちゃんとやろうと思って、しっかり勉強した。


休憩時間が楽しみだった。
真里のことで会話できると思うと嬉しかった。
共有するものが増えることは今、とても幸せだった。
149 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:01

と、小春が計算をしている最中にひとみの携帯が機械的なメロディを奏でて震えた。
ちょっとごめんと謝ってから、細身のデニムの後ろポケットから携帯を取り出す。
ディスプレイを見たひとみの表情が微妙に曇ったのを小春は見逃さなかった。


「もしもし?」
『……』
「ん…どうした?」
『…、……』


何かを話しているのはわかるが、言葉自体は聞き取れない。
でも、確実に女の人の声だった。


小春のシャープペンシルは動けなくなる。
努めて聞かないようにするのが礼儀だと思う反面、気になって聞き耳を立てたい自分もいた。

150 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:01

誰なんだろう。
誰、なんだろう…


気になって気になって。
小春はぎゅっと握った手のひらがじっとりと湿るのを感じた。



「…ホントごめん、でも今は…ね、ちょっと…」
『…、…!』
「わかってる、でも時間までは帰れないよ…」
『…!………、…!』
「…違う、そういうんじゃない…」


小春は、話しながらひとみがどんどん部屋の隅へ向かっていくのが寂しく感じた。
小春に聞かせたくない。
そういう風にされるのは嫌だった。

151 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:01

しばらく相手の女性をなだめるひとみ、のような状態が続く。
でも、さりげなく耳を押さえて聞こえないようにした小春の耳には、
ひとみの言葉すらちゃんとした言葉では入って来なかった。


聞かせたくないようなことなら、聞きたくなんかなかった。
何も聞こえないところまで離れて欲しい。



まるで…恋人みたいに。
帰る、とか。
そういうの。



…隠して、そんな風に、そんな会話しないでよ…


152 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:02

小春は涙が出そうになる。
ここから逃げ出したかった。


あと少し。
あと少しで、休憩の時間が来るはずだったのに。
そうしたら、二人の時間が来たのに。
なんで?
なんで、今コハルはこんな気持ちじゃなきゃいけないの?


先生…電話の相手は、誰ですか?

153 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:02



「――――っ、みき…!あ…」



応えるように、ひとみの声は大きくなって小春の耳に届いた。
電話を切られたようだ。



みき。



という、人だった。


154 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:02

…嫌な心。
何も現実ははっきりとわかってはいないのに、名前を聞いただけで、
その名前を呼ぶひとみの声だけで、じわじわと怒りがわいてきた。
嫉妬がぐるぐる激しく渦巻いて、小春の心を支配した。
芽生え始めた恋心が、激しい雨風に晒される。


「…っ…」


ひとみはどうしたらいいかわからずに困り果てた表情で、部屋をうろうろしながら携帯を見ていた。
携帯を持つのと反対の手は、短い髪の中を往復してセットを乱している。


みき、という人が、ひとみを呼んでいた。
ひとみも、みき、という人が心配で、でもまだ小春の授業があるから、行きたくても行けない。
それは、事実。
わかりやすいひとみの表情と動き。

155 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:03


………コハルより、その人のほうが大切。



「…先生」
「!あ、ご、ごめ…授業、続けるから…」



ひとみは完全に困っていた。
絶対に、ここにいたくないようだった。
みき、という人の所に行きたいようだった。


きっと小春が察していることも、ひとみはわかる。
ここで何もわからないような小春ではないことを、知っているだろう。

156 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:03

…ここで知らないふりしたら、先生はどう思うんだろう。
コハルが、早く授業始めましょって笑ったら、先生どう思うんだろう。
この子、ひどい子だなって、思ったりするのかな。
『みき』を、授業終わるまでほっとけ、見捨てろっていうんだな小春は、って…思うのかな。


そしたら、先生コハルのこと嫌いになるかな。


…先生には嫌われたくない。
でも、先生が行っちゃうのはヤダ。
でも、先生は行きたがってる。
でも、先生がコハルより誰かを大切にするのはヤダ。


先生はコハルより大切な人がいる。
そりゃあそうだよね。
まだ会ってからちょっとしか経ってないもんね。
家族とか。
そういう人に、かなうわけないし。

157 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:03

でも嫌だ。
コハルは、先生の一番になりたい。
誰よりも大切な人になりたい。


先生。
先生。
コハルのこと一番大切にしてよ。
コハルのこと一番にしてよ。
コハルの事好きになって。


コハルのこと、一番好きになってよ。

158 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:04



「……先生」



159 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:04


+++++


160 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:04

小春は、誰もいないけど、さっきまでそこに人がいた場所をじっと見つめていた。


きぃ。
軽い軋みと共に、さゆみが部屋に入ってきた。
じっと何もない場所を見つめている小春をさゆみはそっと覗き込んだ。


「小春、先生帰っちゃったけど、どうかしたの?」
「……急に、用事が出来ちゃったんだって。
なんか、大変みたいだから、コハルが行っていいよって言ったの」
「…あ、そうなんだ…どうしたんだろ、なんでもなかったらいいね」
「うん…あ、おねえちゃん、残った分は宿題なんだ。やんなきゃいけないから、やるね」
「うん、わかった…頑張って」
「……がん、ばる…」

161 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:04

がんばる。
がんばる。



そうだよ。



頑張るって、言ったばかりなのに。



もう、こんななの?
神様。
コハルに頑張るなって言ってるんですか?


出会わせておいて。
好きにさせておいて。
やめとけって、言うんですか?
そんなの勝手だよ。
そんなの勝手だよ。

162 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:05


…もう、どうにもならないくらい好きで好きで好きで。


今だけ幸せになるより、嫌われることの方が怖くて…
引き止めても、きっとコハルじゃ止められない、って思ったのも、あるけど。
でも、少しでもいい子のまま、いつかの可能性を信じたんだよ。



そんなに好きなのに。
望みがなくても、こんなにこんなに好きなのに。


先生。
先生。
コハルが泣いた時は…あんな風に焦って飛んで来てはくれなかったね。
来て欲しいって言ったら、どうしましたか。


どんな風に言って、断りましたか。


163 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:05

自惚れてた。
コハル、先生の中で結構大切な人になれたと思ってた。
全然、なれてなかったよ。
思ってたより、コハルは先生にとってどうでもいい存在みたい。



「…っ…、く…ぅ………」




小春は、誰もいなくなった部屋で、ひとりで泣いた。



誰もいない。




今はもう、誰もいない。


164 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:05

バカみたい。
ゼロなのに、それに賭けた。
先生がコハルのこと愛してくれることなんてないのに。
そんな未来を夢見て、独りぼっちになっちゃった。
バカみたいだ。
バカみたいだ。



次に会うときも、まだその可能性を捨てきれない自分がいるとわかるから、余計に悲しかった。
きっとどうにも出来ない。
ひとみが小春に会わなくなるまで、小春はひとみに会い続けるだろう。
もうそんなに好きになっていた。
もう自分自身じゃコントロールできない。


もう、どうしようもないバカに、なってる。

165 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:06



先生。


…先生。



166 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:06


+++++


167 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:06



走る。

走る。



もっと、もっと、速く。


168 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:07

自分がさっきまで何をしていたのかという記憶さえ曖昧なままひとみは走った。
自分が仕事を途中で放り出したことなどとうの昔に忘れた。
今は、ただ家に帰ることだけだった。


ひとみは息を切らして階段を登りながら自分の部屋の鍵を取り出した。
もどかしくて、歯をぐっと噛みしめる。


ガチャガチャッ。
バタンッ。


何もかもがうっとうしい。
靴も、いつもの几帳面さなど微塵も見せぬ脱ぎ捨て。
玄関に荷物を全て置いて、走る。
大して距離もないのに。

169 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:07

部屋の中は明かり一つついていなかったけれど、
カーテンも閉められていなかったために月明かりが不気味に部屋を照らしていて、
そこに人の影があった。
フローリングに倒れこんで、小さく丸まっている姿。



「美貴っ」



背中がひやりとする。
慌てて抱きかかえ腕に収める。酷く震えていた。
その小さな姿に、酷い罪悪感がひとみを襲った。


「…ごめん、ごめんね美貴、ごめん」
「……っ…ぁ…」
「ごめん……ごめん」

170 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:07

美貴はぎゅっと、震えている身体でも力強くひとみを抱きしめた。
鼻先をくすぐる髪の柔らかさ。
乱暴に求められる唇、首筋、指先、奥深くへ。


「…んっ、ん…」


…ひとみは色んなことが苦しくて。
熱がその部屋に発するたびに、ひとみはまた一つ傷ついた。
熱く甘い息が漏れるたびに、ひとみは痛みを感じた。


「はぁ、っ…ぁ…っ」


全て、全て。
愛の行為ではない。




これは、ひとみへの罰だった。



美貴の人生の全てを奪い美貴を壊したひとみへの。

171 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:08


+++++


172 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:08

美貴は、夜というには少し早い時間帯くらいに目を覚ました。
夕方から激しく交わって眠ったけど、そう長くも眠っていられなかった。
ひとみは深い眠りについていた。…疲れているんだと思う。


美貴はそっとベッドを出て、ひとみの携帯電話に手を伸ばした。
もちろん、起きている間に触れたって何も言わないんだけど、このことに関しては
あまりひとみの知らないところで事を運んでおきたかった。
ひとみが知っていても、何も出来ないで、ただ悲しそうに笑うだけだから。
それがたまに美貴を異常に苛立たせるから。


ホント、馬鹿だから。
…だから。

173 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:08

アドレス帳を探って、カ行をざっと見渡す。
『かおりん』『亀ちゃん』…
皆、顔見知り。
ひとみの携帯に入っているアドレスのほとんどは美貴側から紹介したものだから。
ひとみは一人でいる時は誰かにアドレスを教えることも、登録することも、
美貴の判断を待ってからになる。
このアドレスも、ちゃんと紹介してもらったから…わかる。


『小春』


これだ。
登録されている数字の羅列に受話器をかたどったイラストのボタン。
それらが重なって、電波が飛んでいく。
電磁波が美貴の体に浴びせられる。

174 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/24(日) 22:08

電子的な音が美貴を待たせた後、ブツンという音と共に繋がった感じがした。


「もしもし」


『…もしもし…』



違和感を隠すことの出来ていない幼い声は、想像より高かった。


175 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/24(日) 22:15
更新終了です。
どうしてももう一人の名前を出したくてちょっと多めに更新しました。
そして少しずつ糸が絡まり始めます。

>>115さん
小春の想いみたいなのを伝えたかった場面なので
そう言っていただけるととても嬉しいです。
恋はもう自分じゃどうにも出来ませんよね。
いえいえ是非足を崩してくださいw

>>116さん
ありがとうございます。
少しでも物語の心の動きに共感していただけると嬉しいです。
この更新したくてしたくてたまらんうずうずしたままのテンションを
保てればいいなと思いますw
176 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/06/25(月) 01:43
大量更新お疲れ様です。
読み進むたびに小春の気持ちとシンクロして行く自分がいます。
いよいよあの人の登場に蒸し暑い時期なのに背筋がヒヤリとしました。
まだまだ足を崩す訳には行かないようです。
177 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:26

呼び出されたのと同じ名前の喫茶店が小春の目に入った。
と、それまでずんずんとリズムよく進んでいた足は止まってしまった。
なんとなく、入ったことのない雰囲気だった。
OLとかが利用していそうな雰囲気。小春にはとても大人っぽくて敷居が高く感じられた。
一人で入っていくのが躊躇われた。


…意地悪されているんだろうか。


ひとみだと思って出た電話から、鼻にかかった違う人の声が出てくる。
…夕べのことを、思い出していた。

178 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:27


***


179 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:27

「…え、っと」
『小春ちゃんだよね?よっちゃんのカテキョバイトの生徒…あ、よっちゃんて吉澤ひとみのことね』
「あ…、は、い」
『私は藤本美貴。…今日よっちゃん呼び出したのミキなんだ。ごめんねなんか』
「いえ」


どこかに引っかかって、小春は顔が見えなくてホントによかったと思った。
顔が見えていたらよりいっそう腹が立っただろうし、小春の不機嫌さも隠し切れなかっただろうから。


この人が自分に悪意を持っているわけじゃないとわかる。
だからこそ、小春は自分の中にあるもやもやが嫌になった。
自分が我侭な子供なのがわかるから、嫌だった。
それがバレるのは恥ずかしく感じたから、必死になってこらえた。


『あのさ、…話しておきたいことがあるから、一度会ってみない?
 そっちの都合に合わせるから、一度顔見て話がしたいんだ』

180 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:28

小春は、美貴の言葉に弱気になる道なんてなかった。
自分がこんな時にこんなに対抗意識燃やせる人間なんだと初めて知った。
今まで誰かとライバル関係になったことなどなかったし、切磋琢磨なんて経験もなかった。
誰かに負けたくない、とムキになったことなんてなかった。
でも今回ばかりは大人しくなんてしていられなかった。


「明日、大丈夫ですよ」
『ホント?じゃあ…』


美貴の要領の良いステップで、あっという間に会う場所と日時が決められた。
小春にもわかりやすいところ、遠くないところ。そんな風にして場所は決められた。
誘った方がそういう気を使うのは当然のことであろうが、
今の小春には自分が子供だからそうされているんだとしか思えなかった。
だから、美貴の物言いややり方全てが癪だった。
そういう心の狭い自分こそが子供だと、感じて。

181 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:28

最近こんなのばっかりだ。
自分が子供だと感じることが、今はこんなにも悔しくて辛い。
その思いは日に日に強くなる。苦しいくらいに。


少し前まで、子供は楽だと思っていた自分。
確かに子供は楽だと今も思う。
でも、今はそうやって楽にさせてもらっていることが、頼られていないことが、嫌だった。
対等に扱われたいと心から思った。

182 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:28


***


183 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:29

負けるもんか。
…コハルは子供じゃない。
ちゃんと真面目に先生が好きだって、一過性の移ろい易い気持ちなんかじゃないって、
……本気だって、わかってもらいたい。


コハルは、真面目に先生を…愛してるんだよ。
先生の全部が欲しい。
先生に愛されたい。先生を…愛したい。


だから。
負けない。


小春は、力強く一歩踏み出した。

184 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:30

古いように見せているだけのデザインの扉。
焦げ茶色のそれをゆっくり押し出すと、カランカランと音がした。
いらっしゃいませ、と店員がやってくる。


あれ、…こういう時って、どうしたらいいんだっけ。
待ち合わせだったら、どうしたらいいんだっけ。


「一名様ですか?」
「あの…えと、…その」
「?」
どうしよう。
もう来てるかもしれないし、そしたら違う席に案内されちゃったらどうしたらいいんだろう。
まだ来てないんだったら、ちゃんと二人座れるところにしないといけないし…

185 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:30

あたふたし始める小春に、張りのある声が届いた。


「小春ちゃん?」


電話で聞くのとはまた違う声。
少しだけきつそうなツリ目の小顔の女性が、店内にある席のうち、
レジに程近い場所で立ってこっちを見ていた。


「あ、は、…はいっ」
「おいで」
「はい、っ」


厚い唇をふわっと緩めて、長い髪はきれいな栗色。
大人っぽい…
俯いて、小春はその席へ向かった。

186 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:31

「こちらメニューです。お決まりでしたらお呼びください」
「はい…」


ウエイトレスはラミネート加工されたメニュー表を置いていった。
そっと美貴の方に視線をやると、美貴はカフェオレらしきものを飲んでいたらしかった。
すでに空のカップには、僅かにミルクティに似た色の液とコーヒーの甘い香りがただよっていた。


つい、デザートに目を引かれる。
…でも、それがなんだか恥ずかしくて。


「なんでも好きなの頼みなよ」
「…あ、ちゃんとお金は…」
「いーって、気にしないで。ミキが呼び出したんだもんそれくらいさせて」
「いいです、払いますっ」
「……そ、か。じゃあ割り勘ね」


子ども扱いされるまいと、ムキになって小春はレモンティーを頼んだ。
ホットのレモンティー。
見た目はきれいだし、大人っぽく見えたけど、実はそんなに好きにはなれなかった。
砂糖ももっと入れたかったけど、角砂糖一つで我慢した。
最高にまずいお茶だったけど、それを勘づかれるのも癪だった。

187 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:31

「…」
「…」


美貴もコーヒーのおかわりをして、しばらく沈黙が続いた。


改めて小春はしっかりと美貴を観察した。
長い髪の緩やかなウエーブ。
少し厚めの化粧。
香水の香り。
控えめな色で彩られている爪。


小春がなりたい、と思う憧れの塊のような人だ。
きりっとしていて、だからといってセクシーじゃないことがない。
かっこいいけど、かわいい。
とても、きれい。


…それが、悔しくもあったけど。
それ以上に、美貴はとてもきれいだった。

188 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:31

そして、そこで、既視感の理由をはっきりと解明させた。
目が合った瞬間から感じたデジャヴ。


…さゆみと買い物にいった日、ひとみを見かけた。


その隣に歩く女性。
よく見えなかったけど、こうしてみると確実にあれは美貴だったといえる。


ああ。
と。
その、言葉じゃもう形容できない感情に包まれて、小春はもう一口レモンティーを含んだ。

189 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:32

「んーと…あ、じゃあ改めて。藤本美貴、です」
「…久住、小春…です」
「ふふ、ごめんね。怖いでしょ。ミキよく顔つき怖いって言われるんだよね」
「あ。いえ…」


確かに美貴のツリ目を細める表情は不機嫌そうにも見える。
でも、今にこやかに話す彼女からはそこまでの怖いという感情は感じられなかった。


と、途端に美貴は小春の目をじっと見た。
さっきまで適当にメニュー表をいじったり、外を見たりしていたときとは顔つきが違う。
何か言われる感じがして、小春も身構えた。


「んーと、まあ話したいことは…直球で言っちゃうとさ」
「は、い」
「昨日ホントごめん。ミキが呼び出してさ」
「いえ…急用なら、しょうがないです」


「え?急用じゃないよ」
「……え…?」

190 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:32

俯きながら美貴を許した小春は、その言葉に思わず美貴の目を見た。
空虚な、冷たい目だった。


…急用、じゃない?

191 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:32


「ミキが、よっちゃんに会いたくなっただけ。それだけで、ミキはよっちゃんを呼び出した」


美貴は、おかわりしたカフェオレを一口含み、至極リラックスした状態でそう言ってのけた。
それが当たり前だとアピールしたいようだった。


会いたくなれば、どんな場所からでも、どんな状況でも、ひとみは来るよ。
美貴が会いたいといえば、ひとみは美貴に会いに行くよ。


そう、アピールしたいようだった。

192 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:33

「…多分ね、これからもこういう事あると思う。
だからさ、よっちゃんにはね、カテキョのバイトやめてもらおうと思ってるんだ。
 カテキョはちょっとさぁ、途中で抜けたりとかするの難しいしさ。
 だから…そのこと了承してほしくて、呼び出したんだ」



美貴は自然に、小春とひとみを引き離す選択肢を小春に選ばせようとした。
それが余りに鮮やかで、一瞬小春はあっけにとられて思考がフリーズしてしまう。


…今、何て。

…今。


ゆっくりと、小春の中で固まった疑問が解けていく。
少しずつ意味を飲み込んで、顔色が白くなっているであろう感じがした。
さーっと、今の言葉に恐怖した。


先生を、やめる…?


…吉澤先生が、コハルの家庭教師を…やめる?

193 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:33


「ホント、短い間だったけど「待ってください!!」


注目を浴びることなど顧みず、小春は叫んだ。


とにかく、このまま話をつけられたら恐れている現実がそのままになりそうだったから。
美貴は突然の大声に驚いたものの、すぐに冷静を取り戻して小春を見た。


「ん?何?」
「…それは、先生が…やめる、って、言ったんですか…?
 先生が、自分から決めたんですか……?」


そうであって欲しくない。
そんなはずはない。


そう思いながらも、小春は恐怖で耳を塞いでしまいたかった。

194 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:33


「ううん、違うよ」


明るく何の動揺もしないままに、美貴はそう言い返す。
小春に繋がった、蜘蛛の糸みたいな望み。


じゃあ。
…じゃあ。


「じゃあ、…まだやめるって決まってないですっ…先生が、ちゃんと、自分でやめたいって思わなかったら…」
「でも、ミキがやめてって言ったらよっちゃんはすぐにやめるよ?」
「…っ!」


かーっとした。


このひとは。
このひとは、なにがいいたいんだろう。
どうして。
どうして、どうして、どうして。

195 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:34


美貴の何も映さない目が怖くて、小春はレモンティーに映る自分の酷い顔を見ていた。


「なんでそんな事、するんですか…?なんで、先生のことを、あなたが、決めるんですか」


なんだかわからないけどただただどす黒い感情が小春の中で渦巻いて。
ぎゅうう、と見えないところで拳を握り締めた。爪が食い込むのも感じないほどに。


「……よっちゃんは、ミキに償おうとしてるんだ」
「?」
「よっちゃんはねぇ」


ミキが、ぼーっと遠くを見た。
何も見えてないのか、何かを見ようとしてるのか。
小春はきっと、その目には映っていない。

196 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:34






「ひとごろし」






197 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:34


美貴の唇が動く。



それを、小春は見ていた。


198 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:35




「よっちゃんはね、ミキの恋人を殺した。
 それを償うために、ミキの言う事を聞いたりミキの世話したりしてるんだよ。
 寂しい時には、いつでもどこからでもすぐ会いに来てくれる。死んだ、ミキの恋人のかわりに」




199 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:35

唐突に発せられた言葉の意味を、今の小春の状態では上手く飲み込めない。
でも、少しずつ。
それでも少しずつ、一生懸命理解しようとして。



でも、発せられた言葉が信じられなくて。



「あ、よっちゃんが直接手をかけたとかじゃないから。
 …でも、ミキはよっちゃんが全部悪いと思ってる。そう、全部…ぜんぶ、ぜぇーんぶ」


言いながら笑う美貴。
小春は戦慄を走らせる体の正直さに従った。

200 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:35

壊れた人だった。
はじめて見た壊れた人は、想像以上に怖かった。


肌で感じるこの虚無感、浮遊感。
そして深い深い深い闇。


小春は、涙が出そうだった。
深い悲しみを、悲しみで壊れた人の無を、小春の体は敏感に感じ取った。



「小春ちゃん」
「っ」

201 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/06/27(水) 00:36


「よっちゃんにはもう関わらない方がいいよ」



それは、まともではなくなった人の、最大の優しさなんだと。
やっと、その時に気がついた。



でも、もう止めることなんて出来ない。
もう何もかもが手遅れだった。
小春はひとみを、好きになりすぎた。

202 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/27(水) 00:46
更新終了です。
なにやらピリピリムードですが…書いてる中の人はこういうの楽しんでますw

>>176さん
この小春はまっすぐですからね、主人公として描きやすいです。
気持ち的にも入り込みやすいキャラクターかなと思います。
あのお方の登場に涼んでいただければ幸いですw
では、その姿勢に応えられるような作品づくりを目指します。
203 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/06/28(木) 01:48
うわぁ何かすごい。とにかくすごい。
一気に引き込まれました。
暗転して一気に舞台の上が変わった。そんな感じです。
楽しみにしています。頑張って下さい。
204 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:29

「小春」


その声と、自分の動きを。
最近繰り返した気がした。


真里が、神妙な面持ちで小春を呼び止めた。


あの時と同じ。



「…先生」
「こないだは、ごめん…なんか」
「いえ」
「……」

205 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:29


「美貴さんに、会いました」
「!」


小春の言葉に過剰に反応する真里。
小春は悟る。
やっぱり、繋がっているんだと。


ひとみの過去。
美貴の言葉。
真里の表情。


先が明るいなんて到底思えない道を、小春は歩き出していることに気付いていた。

206 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:30

それでも、ひとみを愛していた。
ひとみのいる方へ、ひとみのいる方へ。
何も見えない暗い道なら、自分が照らしてみせようと。
そんな風にさえ、思って。


「吉澤先生には、もう関わるなって言われました。 
 …吉澤先生が…美貴さんの、恋人を、殺したって…言って、ました」


ああ。
決意したはずなのに。
少しだけ、その言葉を言うには震えが必要だった。


真里は苦しそうに顔を歪める。
みきてぃ、と聞こえた気がした。

207 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:30

「小春は、そのこと信じてる?」
「直接、手をかけたんじゃないって…言ってました。……何かが、あったんですよね。
でも、きっと、吉澤先生は殺したくて殺したんじゃないと思います」
「…そ、っか」


「コハル、短い間だけど先生のこと見てきました。
 先生は、ほんとに優しくて、純粋で…ちょっといい人過ぎるくらいいい人です。
 コハルにだってわかるくらい」


ひとみの話になるだけで、少し笑顔になれる。
小春はそんな自分自身に少しだけ笑えた。
もう、どうなったってよかった。
めちゃくちゃに傷ついたっていい。ひとみの側にいたいと思った。


「だから、コハルは、それを信じます」


真里の目を真っ直ぐに見てそう言った。

208 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:30

真里は、その姿がまた過去の映像にダブって、眩暈を起こす。
強く美しい瞳だった。


夢見てしまう。


この、奇跡みたいな女の子が、あの悲しみの世界を明るく照らす未来を。
ひとみも美貴も救う小春の姿を、描いてしまう。


「…小春」
「はい?」
「よっすぃ…吉澤先生のこと、好き?」
「はいっ」


迷いのない小春の澄んだ声。
真里は涙ぐみながら、小春の手を握った。
小春は不思議な気持ちになる。
教師に、そんな風に手を握られたことはなかった。
でも、嫌じゃない。

209 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:31

真里の黒い目が小春を映す。



「小春…よっすぃと、ミキティのこと…助けてって、お願いしてもいいかな?
 ……苦しくなったら、オイラ、なるべく支えるからさ。 
 あの子達のこと、助けてあげて……小春なら、出来るから…っ」


「はい」


真里の手を力強く握り返した小春は、
いつもの無邪気さだけでなく、少しだけ大人びた雰囲気も込めた笑顔をした。


愛はこんなにも人を強くするのかと。
真里は小春の美しさにため息が漏れそうだった。

210 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:31

よっすぃー。
ミキティ。
何も出来ないから、って、何もしなかったけど。
今、少しずつ…何かを出来たらいいなって思ってる。


小春はさ、すごいやつだよ。
かわいいし、明るいし、それに…強い。



小春の光は、きっと二人を照らしてくれるから。


211 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:31


+++++


212 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:31


先生。
先生。


コハルは、絶対に先生から離れたりしませんよ。
先生が何かのためにそうしようとしたって、コハルが離さない。



絶対、先生を離したりしない。


先生が、心から幸せだなって思える日が来るまで。


213 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:32


+++++


214 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:32

「小春」


最近、呼ばれるときはいっつもこんな風に神妙な感じで呼ばれる気がする。
そう心の隅で思いながら、ひとみの声に顔を上げた。


今日の授業は心なしかひとみの姿勢も真面目だった気がする。
小春の口数も少なかった気がする。


理由はもちろんわかってる。


「あのね、小春」
「はい」


「…急な話なんだけど、あたし、このバイトやめることになったんだ」
「……」

215 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:32

ひとみの表情は寂しげだった。
諦めや悲しみ、そんな色の、大嫌いな色の目をしていた。



「ホント急にでごめんね。でも、次の先生すごいいい人だから。
 きっと小春もすぐ気に入ると思うよ。ホントに…ごめん、ホント…」


「先生って謝り慣れてますよね」
「え?」


216 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:33

小春の静かな声に、ひとみの目は大きく見開かれた。
予測していたどの反応でもなかった。
素直に頷くことも、寂しがって涙ぐむことも、駄々をこねて腕を絡ませてくることもなく。
小春は静かにひとみを見ていた。
それは哀れみにも似た慈悲の眼差しだった。


久しく浴びたことのない眼差しに戸惑いを隠せないひとみ。
小春は、そんなひとみに言葉を続けた。


「そうやって、美貴さんの顔色ばっかり伺って生きてるんですね」
「…!」


小春の口から、その単語が発せられることも全く予測できてなかった。
動揺が激しくなる。視線が泳いでいるのがひとみ自身わかった。

217 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:33

「美貴さんに、こないだ呼び出されたんです。 
 だからコハル知ってます。なんでこのバイトやめるって先生が言い出してるのか。 
 だから、…やめさせたりなんかしません。
 先生が、コハルのこと嫌いじゃないなら、やめないで下さい」
「…でも、…出来ない…っ、っていうか、美貴…なん、で、…知っ……」


おろおろするひとみの姿なんて初めて見る。
でも、小春はひとみの深くに踏み込めた気がして少し嬉しくさえあった。


「先生」
「…小春。お願い、わかって。…あたしは、あたしは……っ!」

218 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:33

大きな目をさらに大きく見開いて不安げに俯いたひとみのやつれた身体を、
小春の細い腕がしっかりと受け止めた。
ひとみは拒否することも出来ずに、ただされるがままに腕の力を抜いて抱きしめられていた。
小春のことを、思っていたよりも大きいと思った。


小春の真っ直ぐが、折れてしまうことなくひとみを貫いた瞬間だった。


「こは、る」
「先生…コハルは、先生のこと好きですよ」
「…あたしは…」


219 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:34



「許します」



「――――――…っ!」



220 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:34

ひとみはその言葉にあふれてくる感情を感じた。
喉の奥からぎゅううううっと、死んだはずの『自分』が出て来そうに膨れ上がる。
苦しくて、でも吐き出してしまったら楽になれそうだった。
でもそれがいけないことだと思って、目と唇をきゅっと閉じて耐えた。


でも、小春は容赦なくひとみの心の枷を外していく。


やさしくひとみの背中を撫でて、耳元から直接脳みそを揺さぶる。


「コハルは、先生を許します。どんなことをしても、先生を責めたりしません。
 …先生は、許されてるんですよ」
「…ぁ…あ…」
「先生は、きっと自分を許せないんですよね?」
「……っ!」

221 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:34




「コハルが、先生のかわりに先生を許します」




222 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:35



小春の静かな声。
優しい声。
力強い声。



…何も見えなかったひとみの世界を、照らし出す声。




「―――――――」



223 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:35

あの日から。



流さないと決めたはずの涙が、簡単に流れた。



「……っく、…っ…うっ…!」



そして、流れ始めると止まらなくなって、小春の腕の中でひとみは声を殺して泣きじゃくった。
涙がこんなに零れてくるものだなんて、忘れかけていた。
こんなに熱いものだなんて、知らなかった。

224 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:35


ずっと、許して欲しかった。



ひとみは傷ついていた。
でも、傷ついていた理由を誰もわかってくれなかった。


もちろん、皆が知っている出来事にも深く深く傷ついた。
きっと、一生消えない。


でも。
今最もひとみを苦しめているのは、傷ついてる自分を許すことが出来なかったことだった。

225 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:42

もちろん、周りの人が知っている出来事にも深く傷ついていた。
それは一生消えない傷だ。


でも、それ以上にひとみを苦しめていたこと。


自分に傷つく権利なんてない。
自分が悪いんだから。
自分が悪いんだから、傷つくことなんて許されない。
そう思っても、どうしても苦しくて傷ついた。
そうやって傷つくたびにそれを憎む自分がいる。
その繰り返しの日々。


ひとみの傷は治るどころか自ら押し広げて。
耐えることもできないほどの痛み。
それに耐えられない自分を許すことができなくて。
そうしてまたひとみは傷ついた。

226 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:42

誰にも許されず、また自らも自らを許さない日々。
本当は許されたかった日々。


ああ。


弱いだけの。
ただ、愚かな。


…そんなあたしを。
小春は、許してくれるの?
受け入れてくれるの?


好きでいて、くれるの?

227 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:43


「…う、っ…っ、…っぅぅう…っ」


七つ年下の小さな女の子が、ひとみの心を溶かした。
笑顔の可愛い女の子が、ひとみの心を蘇らせた。
今まで出会ったどんな偉い大人でも、心の勉強をした先生でもなく。
年下の女の子。


皮肉にも、中学二年生。



ひとみの妹が死んだ年齢と同じ年齢の少女に、ひとみは許された。



それもまた、運命?
…そんな風に感じずにはいられなかった。

228 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:43


+++++


229 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:43

「やだあの子、もうとっくに終わる時間じゃない」


母親が、時計を見て慌てて二階へ向かった。
その腕をさゆみが掴んだ。


「お母さん」


「何?」
「……ちょっとだけ、そっとしといてあげて欲しいの」
「でも、先生にご迷惑が…」

230 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:43

さゆみはそっと首を振って、母親の目を見つめた。
母親は、自分の娘ながら美しいと感じるさゆみのミステリアスな目に妙に説得されてしまう。



さゆみは、そっと小春へ向けて、呟いた。



「…がんばれ」


231 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:44


+++++


232 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:44


涙が出尽くしたひとみを、小春はまだ抱きしめていた。


ひとみの体温と小春の体温が混ざり合って、何故か温かくなった。
離すまいと抱きしめ続ける小春。
ひとみはそっとその背中を叩いた。


「…もう、だいじょぶ」
「……先生」
「ありがとう、小春」
「…」


そして。
少しだけ突き放すように、自分から身体を離して、ひとみは笑った。

233 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:44

「小春が許してくれるなら、あたしこれからも頑張れる。
 あたしはね、この償いから逃げることは出来ない。
 美貴はもうひとりじゃ生活できない状態だから、あたしは側にいなきゃいけない。
 側にいて、美貴をそうさせてしまった罪を、ずっと背負わなきゃいけない」


今度は縋るようにひとみの手をとる小春を、そっとひとみはほどく。
悲しそうにする小春の目を見られなくて、俯いた。
首を振る小春に首を振り返して、笑った。

234 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:45

「でも、小春がいてくれるって思うと、ちょっとだけ楽になった。
小春があたしなんかを許しててくれるって思うだけで、きっとあたしまで壊れてしまうことはないと思う。
…ホントにありがとね。また、どっかで会えたら、いいね」


その気持ちがわかるから。
その気持ちを変えることが、出来ないと思うから。
小春はそれを、否定しきることが出来なかった。


逃げてもいいよ。
放り出してもいいよ。
そう言っても、ひとみはそんなこと出来ない。
それを、小春は知り過ぎていた。
好きになってしまったばっかりに。ひとみを救うことが出来ないと、はっきりわかってしまう。

235 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:45

バカみたいに頑固で、変なところで責任感が強く真面目すぎて。
ただただ、優しすぎて。
ただただ、人一倍、自分を追い込みがちで。


悲しい人だった。
それは…もしかしたら、壊れてしまった人間よりも。
すごく、悲しい人だった。



でも、そんな悲しいところが小春は好きで好きでしょうがなくて。



みるみるうちに歪みだす世界。
悲しみを、人間は素直に表現できる方法を知っている。
でも、それが今は苦しい。

236 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:45


好きです。
好きです。



もうさよなら…なんて、嫌だ。



そう思うのに。
なんでコハルは止めようとしないのか。
…自分で、ちゃんとわかる。


237 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:45


「…せん、せぇ…」



苦しくて死んでしまいそう。
ひとみは、そんな小春の柔らかい髪をふわっと撫でて。





「…………バイバイ、小春」



その手が髪から離れると、風のように。


238 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:46



「―――――――っう…ぅ…ぅうっ……!」



涙をこらえることが出来ない小春に、悲しげな笑顔を残して、ひとみは去ってしまった。



239 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:46


+++++


240 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:46

忘れられない。
何もかも、忘れられない。


涙は、小春の家を出た瞬間から止まらなかった。
だから、今日はタクシーを拾った。
泣きながらバスや地下鉄は少しだけ惨めだったから。


思い出さずにはいられない。
何もかも、溢れさせてしまったから。


笑顔。声。しぐさ。香り。


存在の、大きさ。

241 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:46


かけがえのない妹は、もういない。




「―――――――――亜弥」



声が。
エンジン音に全てかき消されるくらいに小さい。
それでもその二文字は、頭蓋骨の内側で何度も何度も跳ね返って響いて、体をこわばらせていった。


知らないうちに、自分の身を抱きしめて。
小春の温もりを思い出そうと、目を閉じた。

242 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:47

大丈夫。
あたしは、大丈夫だよ。


…小春が、あたしを許してくれたこと。
一生忘れないから…



目を閉じていても眠れない苦しさに襲われながらも、あの笑顔を思い出すと微笑ましかった。
悲しい目をした最後は、本当は嫌だったけど。
これ以上は、小春を巻き込んではいけなかった。
きっとひとみは小春の強い願いには応えられない。
そうして、小春までボロボロにするわけにはいかないのだ。


もうこれ以上、あたしの周りの大切な人を傷つけたくない。

243 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:47

本当は…遠ざけることが傷つけないことなのかなんて、もうわかんないけど。
でも、側にいれば確実に残酷な未来が待ってるから。
自分の見えないところで残酷な運命に襲われても、ひとみはわからないから。


知らないことなら、傷つかずに済む。
…そんな風にしか思えない、卑怯でずるい自分。



それでも許してくれるのかな?小春。


幸せになって…ううん、小春なら絶対幸せになれる。
あんなにキラキラした女の子、なかなかいないよ。

244 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:47

自宅には、意外とすぐにたどり着いた。
財布から千円札を何枚か出して運転手に渡す。白い手袋が、妙に目についた。


外に出ると、もう秋の風の匂いがした。
少しだけ肌寒くて、少しだけ苦しくて。



「ただいま」
「おかえりぃ」


いつもの会話。
いつもの二人なのに、ひとみは美貴の目を見ることが出来なかった。



美貴はそれを過敏に感じ取る。


245 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:48


「………よっちゃん、…うっ、ううっ、うっ…うぅううぅー…っ、く、うぅ、うぁあああぁー…
 やだぁっ、よっちゃん、やだあぁああっ…」


子供のように泣き始めた美貴に、ひとみは慌てて寄り添った。
ひとみの痩せた白い胸元を拳で激しく叩きながら泣き喚く美貴。
抱きしめる腕を拒絶するように身体を揺らして暴れて、それから急にひとみを折りそうなほど抱きしめる。


「っ…どこ、…にもいかな…でっ…―――――ちゃんと、ここにいてよぉっ…!」


引き裂かれそうなほどの心の傷に叫ぶ美貴を、ひとみはしっかりと抱きしめた。

246 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:48

「…いるよ、美貴。あたしはずっとここにいるから」
「うぅ、っ、…ぅええぇ…」
「一生側にいるって、約束したもんね」


何度も何度もうなずく美貴の髪を乱暴に撫でて。


ひとみは、…ついさっきまでのあの暖かい抱擁はなんだったのかと思う。
抱きしめあうほどに冷たくなっていくのは、見過ごせないほど。
何がどういうものだったのかわからなくなる、内蔵から凍りつくような感覚。
抱き締め合うって、こういうことだったんだっけ…?



『――――――違います…!』


247 名前:3 いちばんのせんせい 投稿日:2007/07/01(日) 15:48

小春の声がひとみの頭の中で再生された。
それだけで暖かい気持ちになれる。壊れそうな心を、引き戻してくれる。
欠けたところを接着剤でくっつけてくれる。


大丈夫。


…大丈夫、だよ。



二人はただ抱き締め合った。
いつまでもいつまでも、温まることなんてないと知りながら。


248 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/01(日) 15:52
3 いちばんのせんせい
終わりです。
また一段と…ですが。

>>203さん
舞台の流れが変わり始めるとまた雰囲気も変わってきたと思います。
この先もがんばります。
249 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/02(月) 01:22
うわわわあああああ更新お疲れさまです
過去のことがだんだん明らかになっていってますね
続き楽しみにしてます!
250 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/07/02(月) 14:56
更新お疲れ様です。
何だか心を鷲掴みにされたように苦しい気持ちで自分の涙腺も決壊気味です。
ヤバイ。
251 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/02(月) 15:36
作者様更新ありがとうございます。
切なくて…涙…。
252 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:22

職員室に、懐かしい匂いがした。



「お久しぶりです、矢口先生」
「あ――――…さゆみ?」
「はい、久住さゆみです」


さゆみはドアから少し身体を室内へ入れて、それから真里に丁寧に頭を下げた。
ほんのりと大人っぽくなったかつての教え子に、真里は驚きを隠せなかった。

253 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:22

「久しぶりじゃん!ちょっと、また背ー伸びたんじゃない?」
「先生が縮んだんじゃないんですか?」
「うわ…相変わらず毒舌全開なんだなオマエ」
「ふふっ」
「はははっ、ホント…久しぶり」


真里は、すぐにさゆみの真剣な目の理由を悟った。


「小春の、家庭教師のことだろ?」
「はい、…元、ですけどね。こないだ辞めました」
「……」


塞ぎこんでしまった小春を見て、なんとなく予感はしていた。
真里はとても申し訳なくて。
今度小春にちゃんと謝ろうと思っていたところだった。

254 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:23

さゆみは視線を窓へ移した。
雨。
激しく降り続ける。
それでも迷わずに家を出てきた。
小春が学校から戻ってきたのを確認してからすぐに飛び出した。



その澄んだ瞳は、姉妹に共通してどこか強く。



「さゆみ、ずっと考えてたんです。…名前を聞いた時から、ずっと。
 …吉澤って苗字に、聞き覚えがあって……」


真里が俯いて、その言葉に少し困ったような顔を見せる。
さゆみはそれでも怯まなかった。

255 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:23

「さゆみがここに通ってた時…吉澤、亜弥っていう……先輩が、いました」


真里が少しだけ、頷いた。




「……亡くなったん…でしたよね?…接点はなかったから、死んだって聞いても、
死んじゃったことをずっとずっと毎日忘れられないってことはなかったから、
最初吉澤先生の苗字聞いたときはピンと来なかったんですけど。
 …考えてるうちに思い出してきました。それで、確かめたくて」


さゆみはほとんど確信に近かった。

256 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:23

どこか、独特の雰囲気が似ていた。
記憶の奥深くに潜っていたものが浮かび上がってくるほどに、ひとみは誰かに似ていた。
そして、吉澤という苗字はあまりよく見かけるものではなかった。


いろいろなことが、鋭いさゆみの脳でぴたりぴたりとはまっていく。
ピースの少ないジグソーパズルはさゆみには少し簡単すぎた。
そしてその完成を遠ざけていたのは、それが余りにも悲しいことを示していたから。



さゆみが見る。
真里が見る。



「…うん。そう。さゆみが思ってる通り。
 小春の先生の、吉澤ひとみは…死んだ吉澤亜弥の姉だよ」
「やっぱり」

257 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:24

「……ごめん。大事な妹に、あたしは無理なお願いしちゃったね」
「…あのこと、で、何か吉澤先生に苦しんでることがあるなら、
小春はきっと、そこから救い出せると思います。姉のさゆみが保証します」
「でも」
「大丈夫です。小春なら…小春には、さゆみがいる。矢口先生もいてくれる。
 そしてなにより、あの子は吉澤先生のことが本当に好きなんです」



さゆみは、笑った。


「小春ならきっと、大丈夫ですよ」



妙に説得力があるさゆみの言葉。
大丈夫な気がしてくるから不思議だ。

258 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:24

真里は、さゆみに深く頭を下げた。


「…あいつらを、助けてやって欲しいんだ…本当に、いい子達だから。
 関係のないオマエたちを巻き込むのは、ホントはいけないってわかってるんだけど」
「関係なくなんかないです」
「え?」
「だって、吉澤先生と出会った。亜弥先輩を知ってた。そして、矢口先生は、事情を知ってる。
 その矢口先生と、さゆみと小春は教師と生徒の関係。
…そして、小春は吉澤先生を好き。……もう十分じゃないですか?」


頭を上げた真里の目に映ったさゆみの姿が、なんだかとても綺麗で。

259 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:25

真里は、さらに希望が見えてきた気分になってしまう。
自分の他力本願さに笑えて来る。
あの時…何もしようとしなかったくせに、さ。
こんな時には、言い訳がましい自分が出てきて喋り倒す。



そんな心が嫌だった。
小春の、さゆみの。
真っ直ぐすぎるほどに綺麗な心を前にすると、恥ずかしかった。

260 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:25


+++++


261 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:26

「そっか…ほんと、ごめん。小春ばっかりに大変な思いさせて」
「いえ、コハルは平気です」


にこ、と笑って見せるけど、やはり一時期よりは元気がないのは明白だった。
小春の少し疲れたような、泣き腫らしたような目を見て真里は心を痛める。


「……もう、いいんだよ?小春。もう、関わらなくてもいい。
 誰も無理に巻き込もうなんて思ってないから。忘れようって思ってるんだったら、忘れてもかまわない。
 今はすぐに切り替えられないかもしれないけど。…時間が経てば、いつの間にか思い出になる。
 そんなこともあったな、くらいに思える日が来るよ?」


真里の言葉に、小春は優しくかぶりを振った。


「コハル、…まだやれます」

262 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:26

もう十分に傷ついているであろうに、それでも小春の目は美しく輝いていた。


…こんなに強い子だったなんて。
真里は、想像を超えた小春の可能性に驚きを隠せなかった。
その顔に小春は苦笑する。


「おかしいですよね?なんでコハルがこんなに首突っ込もうとしてるんだろう。
 …絶対いいことなんてないのに。万が一、全部上手くいったとして…
 コハルの気持ちが、先生に届くことなんかないってわかってるのに」
「…小春…」
「わかってますよぉ。先生と恋愛なんて、きっと一生出来ない。
 わかってるのに、コハルにはなーんにもいいことなんてないのに。
 この道を進む以外に、もうコハルには道はないんです」

263 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:26

苦くて切ない表情をするようになった小春が、さゆみがしたように遠くを見た。
その表情は十分大人のようだけど。…ひとみの目に、それが恋愛対象として映る日は来ない。
小春の言っていることは全てが当たっている現実に真里はただ痛みを感じる。


叶わない恋の相手のために、こんなにも一生懸命になって。
そうする以外にどうしようもないのは、強いからなのか、幼いからなのか。
小春にも真里にも、誰にもわからない。


わからないからこそ、見つけにいくしかなくて。
見つかるかどうかもわからないまま。
それでも迷わずに、ただ、まっすぐに。

264 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:27


小春は真里の目をじっと見る。



「…どこに行けば、吉澤先生に会えますか?」


265 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:27


+++++


266 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:27

自分でも、なんて未練がましいと思う。
それでもここに来ていた。
教えられてからすぐに、もう行くしかないと思った。
それ以外にはもう道はない。


「…ここだ」



小春は、ひとみと美貴が共に通う大学の校門の前に立っていた。

267 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:27

何度か前を通ったことはあったけれど、こうやってしっかりとその校舎を眺めたことはなかった。
私立の四年制大学は、なんだか今まで通ってきた二つの学校とは明らかに形から違った。
学校、って感じじゃない。
壁の色とか、建物が発しているオーラとか。
それら全てが慣れたものとは違って、少しだけ萎縮する。


でも、ここまで来て帰るなんていう道はない。
常に小春の真後ろの道は真っ暗になるから、とりあえず進んでみるしかないのだった。

268 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:28

「よーしっ」



小春は、校門を通り抜けて、玄関の前に広がるスペースのど真ん中に立った。
校舎全体に囲まれるような感覚。
その大きさに怯みながら、小春は大きく息を吸い込んだ。



願いをこめて。


269 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:28






「吉澤せんせーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」





270 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:28


小春の甲高く通る声が、何度も何度も校舎に反射して木霊した。
それでも叫んだ。




…願いを、こめて。


271 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:28






「よしざわせんせぇーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!」






272 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:29


出したこともないような大声に、のどが悲鳴を上げる。
それでも叫んだ。


273 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:29





「よしざわせんせーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!
 よしざわせんせーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!
 …っ…よしざわせんせーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!!!!!!」





274 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:29


どんどん窓から覗く人が増えるのがわかる。
いいぞ、いいぞ。この調子。
先生。



…コハルは、絶対に諦めません。



諦めませんから。

275 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:29





「よぉーーーしぃーーーざぁーーーわぁーーーせぇーーーんーーーせぇーーーーーー!!!!」





276 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:30


+++++


277 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:30

「よっすぃ!」
「何?」
「何、じゃないよ!外見てよ外!駐車場のとこ!!!」
「は?何が…」


音楽をウォークマンで聴いていたひとみの肩を、同じ学部の石川梨華が叩いた。
その激しい叩き方に少し苛立ちながらも窓から外を覗いた。
そこには、駐車された何台かの車。
コンクリートののっぺりとした冷たさ。

278 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:30



そして。



「………!!!!」


そこには。
コンタクトレンズをしていた目を凝らしてじっとその一つの影を見る。
何かを言っているようだったから耳からヘッドホンを外した。


すると。

279 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:30


「よしざわせんせい」



と、叫んでいる小春の姿がはっきりと確認できた。


「吉澤って、よっすぃのことじゃないの?あの子知り合い?」
「なんっ…なんで!?ちょっ…」
明らかにテンパっているひとみは、梨華の声も全く聞こえないままに、
そのままガタガタと音を立てて小春の元へと走っていく。
ウォークマンが床へ落ちてガシャン、と音がした。それにも一切振り返らずに風を切っていく。

280 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:31


走る。
走る。



何度か窓を見て、小春の姿がそこにあるのを確認しながら進む。
息を激しく切らして。
少しずつ、汗ばんできながら。


281 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:31


……何やってんだよ、あいつ。ホントバカなんだから。



関わらないほうがいいって何回も何回も言ってんのに。
なんで、突き放しても突き放しても、ついてくるんだよ。
なんで。
なんで、なんで。



ひとみは走りながら歯軋りした。
それは、小春に腹が立ってるからそんなにイラついてるんじゃなかった。
ただただ、そのまっすぐな思いに逃げる形でしかいられない自分が嫌だった。

282 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:31

今。
小春の元へ走って、何をしたいんだろう?



そのままいないふりしちゃえば、いつか小春は帰るかもしれない。
明日も来たって、明後日も来たって、無視し続ければいつか自分に失望するかもしれない。



なんであたしは走ってるの?
あたしは決めたはずなのに。



…今。

283 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:31

小春に会って、話がしたくてしょうがない。
あのいじらしくてたくましい女の子を、ぎゅって抱きしめてやりたい。
こんなに涙がこぼれそうなほど、嬉しいことを伝えたい。


小春はきっと、あたしの嘘なんてすぐに見抜く。
だから、わざと遠ざけようとして出来ないことはわかる。
だからってほっといても、小春はまたこうやって一生懸命になって向かってくる。


どうしてあげたらいい。
どうすれば巻き込まずに済むのかわからない。
別れを決意するたびに、こうやってあたしの予想を超えてきちゃうんだもん。
こうやって、あたしの心を揺さぶるんだもん。
小春。
小春。


ねえ、………どんどん、小春を失うことが怖くなってるんだよ、あたし。

284 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:32

許されたままなら、それだけでよかったのに。
これ以上来られたら、必要になってしまう。
側にいてくれなきゃ不安になってしまう。


それはダメ。
小春をこの道に引きずり込むのだけは出来ない。


じゃあどうしたらいい?
どうしたらいいの?



ねえ。

285 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:32


…言っても、良いの?




言っちゃいけないと思ってたこと。
言う権利なんかないって思ってたこと。



………ねえ小春。


286 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:32


あたしを……過去から。今から。先の暗い未来から。




小春。
小春。
小春。





おねがい。


287 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:33



「………たすけて、小春………!!!!」



あたしを助けて。
お願い、あたしを助けて。



この地獄から救い出して。
楽にして。
もう苦しいのはやだよ。


288 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:33

小春は助けてくれるの?
本当に助けてくれる?





涙で滲んで見えた玄関。
そこから久しぶりに見えた外。




そこには、…誰もいなかった。


289 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:33


「――――――――え…?」


何故か、ひとみの血の気が引いていく。
強烈に襲う嫌な予感に、ひとみはあわてて上履きのまま外へ飛び出した。




「………小春!?小春…どこ!?」



今度はひとみが叫ぶ番だった。
必死に辺りを見回すけれど、まるで幻だったかのように、めいっぱい叫ぶ小春の姿はそこになかった。
嫌な予感がする。
なんか、嫌な予感がする。

290 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:34

「よっすぃ!」


その、耳障りだけど甘い声に聞き覚えがあったひとみはそっちの方向を見る。
三階から、梨華が必死の形相で叫んだ。



「美貴ちゃんが、連れて行っちゃった……!!!!」



ぞわあっと、経験したこともないような寒気。
嫌な予感の正体がはっきりと見えた時、梨華の指差す方向にひとみは走り出していた。

291 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/08(日) 01:34



「―――――美貴…っ!」



292 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/08(日) 01:40
更新終了です。
だいぶ物語が動いている感じです。

>>249さん
ありがとうございます!
少しずつ見えてきてますがとても暗そうですね…
ご期待に副えるよう頑張ります。

>>250さん
ありがとうございます。
ごめんなさい泣かせてしまってw
苦しい展開です…

>>251さん
ありがとうございます。
切ない、と思っていただけるととても嬉しいです。
293 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 04:17
ちょっと、ちょっと、ちょっとぉ〜〜〜!!
294 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 04:25
ウワァ〜!! 心拍指数MAX状態です!!!

海外から応援しています。作者さん頑張ってください。
295 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 05:07
わー!続きが気になる!!
次回も期待してます!
296 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/07/11(水) 02:32
更新お疲れ様です。
この展開に思わず正座を崩してしまいました。ヤバイ。
小春にも吉澤先生にもお互いの気持ちが届きますように。
次回も楽しみにしています。
297 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:01

小春の目に映ったのは、ずっと求めていた姿ではなく、
偶然にひとみよりも小春に近い場所にいた美貴だった。


ゆっくりと歩み寄ってくる姿に、負けるもんかとぐっと歯を食いしばって目を見つめた。
相変わらずその目は小春を見ているのにどこか遠くを見ていた。
視線は酷く怠惰で、手首を掴まれた力が思っていたより強くて。
戸惑いのうちに、人のいない場所に出た。


小春をぐいぐい引っ張っていく美貴の後ろ姿は綺麗だ。
もう、その人を悲しいとは思わなくなった。
でも怖いとは今でも思う。



何も映さない黒目が、きっと自分のしたことすらわかってないんじゃないのかなって。

298 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:02

いきなり。
引っ張られていた反動をつけて、小春の身体は前へ投げ出された。



「………ぁ…?」



299 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:02

頭が認識する映像が、壊れたテレビみたいに曖昧になった。



小春は、気がついたら仰向けに倒れていた。
後頭部が激しく痛み出す。
鼓動に合わせて何か暖かいものが髪を濡らした。



そこでやっと、自分が美貴に突き飛ばされて頭を打ちつけたんだという事を理解した。

300 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:02

美貴を見ると、薄く笑っていた。
そこには多分理性のかけらも残っていない。
ぶつぶつと早口で呪文を唱えるように話す美貴の唇が綺麗に見えて、
何故今そんなに自分が冷静なのか理解できない小春。
美貴は小春の頭部から広がっていく赤色に目線をやった後にくく、と声に出して笑った。

301 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:04

「いいかげんにしてよ。よっちゃん嫌がってるんだからさ。よっちゃんとミキを離そうとしないでよ。
よっちゃんが望んだことなんだから。よっちゃんが、亜弥ちゃんの代わりになりたがってるんだから。
勘違いしないでよ。ミキが強制してるんじゃないっつうの。
警告したよね?よっちゃんには近づかない方がいいって…
ちゃんと聞いとけば、こんなことにはならなかったのに。ホントバカだよね。
そういうところがガキなんだって。マジで目障りなんだよね。ホントイラつく。
…………亜弥ちゃんにそっくりなところとか……ホントムカつくっ!!!!!!」
「っはぁっ…!!!!」


脇腹を思い切り蹴飛ばされて出すつもりもなかった声が出た。
背中を打って、息が出来なくて口をぱくぱくさせる。
そんな経験初めてで、小春は指一本も動かせない状態になってしまう。

302 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:04

それでも、小春はただひたすら美貴を見ていた。
美貴の姿を。
それしか知らないように。
意識してるわけでもないのに、美貴から目が離れなかった。
すると、美貴の目から涙が次から次へと溢れてきているのがわかった。
拭うこともせず、ぽたぽた音を立てながらコンクリートに染みを作っていた。


多分だけど。
美貴の恋人だった人に、ひとみが殺したと言う人に、小春が似ているんだろう。
だから冷静でいられないんだろう。涙が出てくるんだろう。



自分の状況が自分の状況でないみたいに、どこかで冷静にしみじみ思った。

303 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:06

小春は思った。


「…っ…すごいなぁ……」


小春の声に、ぴく、と美貴の眉が上がった。
じっと小春は吐き出されるままに声を漏らしていく。
呼吸のように。
頭の中で、何を言おうか考えることもなく。

304 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:07




「…そんなに、人を愛せるのって…すごいですね………
でも…こう、やって…誰かを苦しめたら……愛する人は、喜ぶんですか…?
……美貴さん…の、愛してる人って…人を苦しめたら…喜ぶような、人なんですか…?」




思わず声になった。思ったよりちゃんと声になった。
その人が死んじゃったら壊れるくらいに、人を愛する。
小春には出来ない。


小春は、そのことを理由にしたら、死んじゃった人がかわいそうだと思った。
自分が死んだことを理由に誰かが壊れたり、近くの人を苦しめたりしたら、悲しいと思う。
そんなこと、もし自分が死んだら望まない。
たとえ誰かに殺されて死んだとしても、誰も怨みたくない。
自分を愛してくれた人にも、憎しみに染まって欲しくない。
忘れられちゃったりするのは寂しいけど、いつまでも死んだ人のせいにして甘えて欲しくない。

305 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:07

「……死んじゃった人は…戻らない、です………でも、…生きてる人は、何回でも、やり直せます…から…
だから、ちゃんと、っ…死んじゃった人のぶんまで、ちゃんと、生きなきゃ… 
…しっぱい、した、…て……また、…もっかい………
…じゃ、…ないと、しんじゃっ…、ひと…に……しつ、れぇ……です……」



はっとした美貴の顔のあと、だんだん意識が遠のいてくる。
何もかもが遠くなり、白く濁ってくる。
もやもやもやもや。
気持ち悪い。
頭痛は、遠のく意識の中でも酷くなり続けた。

306 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:07

ちがでてるんだよね、これ。あたま…
ああいたいなぁ。
…しんじゃうのかな、コハル…


まだ、まだ。
やりたいこと、いっぱいあるのになあ。
ここでしんじゃったりしたら、せんせい、かなしくなっちゃうよね…


せんせい。
コハル、まだしにたくない。



だから、たすけにきてください。
いたいよ。
いたい。

307 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:08

っていうか…ぜったい、きますよね…
だって、コハルが、よんだもん。



…せんせ…い……



308 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:08


「―――――――――…はる…!!!」



狭くなっていく視界の片隅に、ひとみらしき影。
膜が張ってあるようにこもって遠ざかっていく音に、ひとみらしき声。



せんせい…
せんせい、きてくれた。



せんせい。

309 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:08

「……ぇ…ん、せ…」


どんなに小春を傷つけたくなくて遠ざけようとしたって、
追いかけて来る小春を完全に見捨てることなんかも出来ない。
そんなひとみを。
優しさが甘さと皮一枚で繋がったひとみを。
その姿を、…やはり、愛しいと思えて。



……せんせい…


310 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/11(水) 23:08



小春は安堵して、目を閉じた。



311 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/11(水) 23:16
4 やっぱり、せんせい
少しですが更新しました。

>>293さん
ふふ…いかがでしょう?w
あわわ、ってなっていただけるととても嬉しいです。

>>294さん
ありがとうございます、嬉しいです。
海外から!それはもう頑張らねばです。

>>295さん
ありがとうございます。
こんなんなりましたがいかがでしょう…

>>296さん
ありがとうございます。
とうとう崩せました!ちょっと喜んでおりますw
話はどんどんあらぬ方向へ進んでいきますがもうしばらくお付き合い下さい。
312 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/12(木) 03:40
294です。これからもづっと応援します。頑張ってください。

眠れなくなりそう…。コハル…
313 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/12(木) 10:26
だ、誰か、救急車を〜〜〜!!
314 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/07/12(木) 18:41
更新お疲れ様です。
また何というところでの寸止めプレイ。
意味もなく某スレの某人のように「こはるぅ〜」と叫びたい気持ちです。
眩しい。本当にこの子は眩しすぎます。
次回も居ずまいを正してお待ちしております。
315 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:43

ひとみはただがむしゃらに走った。
梨華がさした場所で、人気のない場所と言えば心当たりは一つだった。
そこへ向かってただひたすらに走る。


やがて、ずっと見てきた美貴の見慣れた後姿と。



――――――それと。



ひとみの目が大きく見開かれる。



「小春!!!!!」


悲鳴に近い、喉が張り裂けそうな声が出た。
しかし、その声に倒れた姿は全く反応がない。
背中に寒いものが走って、それから吐き気がこみ上げてきた。
はっきりと見える距離になって、出血していることがわかる。

316 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:44

「小春!!!小春!!!!」


ぐったりと倒れる少女の姿は、あの日の光景を蘇らせる。
口を押さえて吐き気を懸命にこらえる。
苦しさに目をぎゅっと細めた。


「…っ」


ひとみは願う。


小春。
小春、死なないで。
お願い、死なないで。と。


もうこれ以上、誰も死なないで、と。


「こは――――」

317 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:44

駆け寄ろうとしたひとみの腕を―――強い力で、美貴が掴んだ。
ずっと後ろ姿しか見えていなくて、今やっと美貴の表情を伺えたひとみは、
美貴の激しい虚無に飲み込まれそうになる。


「よっちゃん」


名前を呼ぶだけで発動する魔法。呪縛。
それをひとみは甘んじて受け入れていた。自分はそれしか出来ないと思っていたから。
でも。



「…ごめん」

318 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:44

手首に、一人にしないでとしがみつく美貴の手を思い切り振り払って、小春の横に座り込んだ。
青白い顔で、ピクリともせずに。
小春は意識を失っているようだった。
肩を軽く叩いた。
頭の周りに出来た水溜りが少し広がった気がした。


「小春…小春、わかる?」


返事はない。
しかし、呼吸はある。
出血もまだそんなに酷くない。しかし、止まらない。
頭を動かさない方がいいのか、気道を確保した方がいいのか。
何からしてあげたらいいのかわからなくて。
こんなとき無知な自分を知る。
悔しくて、ひとみは唇を噛み締めた。自分の拳で自分の膝を叩いた。

319 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:44

「ごめん、ごめんね小春…!」


あたし、ホントにダメな奴だよね。
こんなになってから、たくさんの間違いや悪循環に気がつくなんて。
あたしは、美貴を受け入れることによって逃げていたんだね。
そんなことにも気付けなかった。


…小春がいたから。


小春はすごいよ。
どんな暗い道も、小春が歩くだけで光るんだ。
こっちですよって。
小春が願う道は、どこよりも光ってる。
小春の光に、心奪われて。
みんな…小春の周りの人たちもみんなきっと、そうやって小春に導かれてる。



だから、だから、死なないで。
こんなことで、こんなとこで、死んだりしないでね。

320 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:46

美貴に顔を向けてひとみは叫ぶ。


「美貴!医務室行って誰か呼んで来て!!!あたし救急車呼ぶからっ」
「………」


美貴は何も言わなかった。
しかしひとみは一瞬たりとも無駄な時間はとりたくなかった。
混乱している頭で、美貴のもとへ行く前にまず救急車が先だと思った。
運よくポケットにねじ込んだままだった携帯を取り出して、119と押す。
青い小春の顔を見て、自分まで息苦しくなりながら。


プルルルル。
プルルルル。
…ピッ。


「もしもし…」


ひとみは懸命に状況と居場所を紡ぎだして、電話口に伝えた。
声が震えるのはどうしても抑えられなかったけど、相手は理解してくれたようだった。

321 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:46

「はい、はい…急いでください、お願いします」


ピッ。


電話を切った後でも、美貴はまだそこにボーっと立っていた。
マネキンのようにただじっと、遠くを見つめていた。
その悲しい姿と小春の状態への混乱が重なってひとみはいぱいいっぱいになりながら叫んだ。



「…美貴っ!!!」



美貴はそれに初めて反応して、ひとみを見た。
それからなにか堰が切られたかのように言葉の洪水が起こる。


「……よっちゃん…ミキを、拒否するの?
 ミキのいう事聞けないの?ねえ、ミキよりその子のことが大事?
 よっちゃんにそんなの選ぶ権利あるの?ねえ、亜弥ちゃんをミキから奪っといて。
 自分は誰か大切な人を作るの?自分は幸せになるの?ミキの幸せを奪ったのに?」

322 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:46

ひとみに拒否され、茫然自失の状態だった美貴。
急に早口でまくし立てる。見開かれた目。
拒否された瞬間のまま固まった手と、ひとみを交互に見つめ、ひとみを責め続ける。


ひとみは、美貴の悲しい姿を見つめる。
美貴は、ひとりぼっちの寂しさから抜け出せずに立っている。
その側に、…そう。いつもいた存在は、もういないから。


けれど。


美貴の隣に誰かがいた気がした。
あ、と思った瞬間、一瞬こっちを見た気がした。
そして。


あの目で…こくりと、うなずいた気がした。

323 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:47

そう。
それは、ひとみの妹。
美貴の恋人。


亜弥が。
うなずいたのだ。


ひとみはぐっとこみ上げるものを押さえつける。


美貴。
…美貴。
ホントに、ごめん。
ごめんね………



亜弥。


あたしに、力を貸してくれるの?

324 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:47

亜弥を殺したのはあたしだよ?
あたしを、許してくれるの?
…亜弥も、あたしを許してくれるの?


『あたし…』


懐かしい記憶。
懐かしい笑顔が急に蘇った。


いつか………喧嘩した後のこと。
喧嘩をすると、いつもいつも、姉だという事で一方的に母親に叱られる。


お姉ちゃんなんだから我慢しなさい。
お姉ちゃんが我慢できないのが悪いの。


…亜弥が、喧嘩を吹っかけてきても。
それでも叱られるのはあたしだった。

325 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:47

いつものように説教が終わった後、部屋で一人ふてくされてるあたし。



すると、ジュースとお菓子を持って、こっそり部屋に忍び込んでくる亜弥。
申し訳なさそうな顔して。


『ひーちゃん』
『……』


シカトを決め込んだあたしの机の上に手に持っていたものを置いて、
ベッドに横たわってるあたしのすぐ近くの床にちょんと座る。


『ごめんなさい』
『………』
『急に頭めがけてジャンプ投げてごめんなさい』
『………』
『今日、めっちゃ頑張ったテスト、あんまりいい点じゃなくて、イライラしてたから、
 ひーちゃんに当たっちゃって、ごめんなさい』
『………』
『ごめんなさい』
『………』


ジュースとお菓子を置いたまま、立ち上がる気配。

326 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:47

ドアが開く音がした。
ホントはもうそんなに怒ってないんだけど、なんか意地になって返事をすることも振り返ることもしなかった。
でも、亜弥のことをとても愛おしく思った。
また明日から、普通に接してやろうと思った。


『…ねえ、ホントはね』


ドアが閉じる直前、声がした。



『なんかあった時とかさ、いっつもひーちゃん怒られるけど。
……あたし…ひーちゃんが悪い!なんて思ったこと、一度もないよ?』



…閉じたドアの後。
ゆっくりと起き上がって、机の上にあるお菓子をつまんだ。
むかつくくらい、かわいい奴だと思った。

327 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:48

そう、いつだって。



許してくれたのは、亜弥だったね。


確かにケンカ吹っかけるのは亜弥が圧倒的に多かったけど。
それでも散々殴ったくせに亜弥に謝ることが出来ないあたしは、悪いと思ってた。
そんなあたしのことを許してくれたのは、亜弥だった。


…亜弥。亜弥。


今でも、…あんたは大切なあたしの妹。
あたしはあんたの姉だから。

328 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:48


…亜弥の手が、ひとみの手にそっと重なった。




「ミキの幸せはよっちゃんが奪ったっ!よっちゃんが悪い!よっちゃんが悪い!
 なのになんでそういうことするの!?よっちゃんが悪いのに!!
 よっちゃんは亜弥ちゃんの苦しみをずっとずっと一生背負わなきゃいけないのに!!
 ミキは、ミキは、ミキは…亜弥ちゃんのこと、大好きで、死んだら……
 死んじゃったらもう会えないじゃん!!!亜弥ちゃんが死んじゃったのはよっちゃんのせいじゃん!!!
 ミキは亜弥ちゃんが…――っ」

329 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:48


――――――ばちんっ。



美貴の肩を掴んで、ひとみは美貴の頬を叩いた。


ひとみは初めてひとの頬を叩いた。すごく、痛かった。
きっと…ひとりじゃ、出来なかった。
きゅ、と、支えてくれたひとの手を握るように拳を握った。


「美貴…小春にも家族がいる。亜弥を失った時のあの気持ちを、もう誰かに味わわせたりしたくない、あたし。
 だからお願い。医務室行って誰か呼んで来て…小春を、死なせたりしないから。お願い……美貴、お願い…」

330 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:49

色んなことが。


…涙を堪えきれず、美貴の目を見つめながら、ひとみは泣いた。
美貴はその涙を見ていた。
美貴の目には少しだけ、なにかの感情が戻っていた。
その目に向かってひとみは懸命に伝える。



「美貴、今度はきっと救えるから」



今度は。
きっと。

331 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:49

「今度こそ、誰も死なせたりしない」



誰かを、助けることができる…



…もう、誰も悲しい思いなんかしない。
悲しい思いなんかさせたくない。
させない。

332 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:49

「…わか、った」



呟いて。
走り出せば、すぐだ。


美貴は迷うことなく風のように走っていった。
それが、確実に誰かを呼んで戻ってくることをひとみは確信していた。
ここに来たときから、美貴の中で眠っていた何かが揺れていたのがわかった。
忘れていた気持ちを、少しずつ溶かしていた。
少しずつ浮かび上がらせていた。



………小春、なの?


小春の手を握る。
脈があり、まだ暖かいことでいくらか激しく動揺していた心を落ち着かせる。

333 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:49

「小春…小春、大丈夫だからね、小春……」


呼んで、ただそうすることしか出来なくて。
いつどこにいても無力な自分。
それを愛してくれた小春を、失いたくはない。


こんなどうしようもないあたしでも、必要としてくれた。
あたしも、小春が必要だよ。


だから、死なないで。



「…小春…」

334 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:50

少しだけの…待つ時間がとても長く感じた。
一秒が長いと感じたことなんてなかったけれど。



そして。


「よっちゃん!」


その声に顔を上げた。
美貴の顔を見ると、一瞬中学生に戻った気分になった。
あの時の声、あの時の表情。



美貴は、美貴としてそこにいて、息を切らせて走っていた。
何人かの大人を連れて。

335 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:50

ひとみは頭を打ったことを説明し、専門の人に任せて身を引いた。
そして少し離れたところで立っていた美貴の身体を抱き寄せた。
その身体は震えていた。
少しずつ、心と身体が繋がってきていて。
今目の前で起こしてしまった出来事に、美貴は恐怖していた。後悔していた。


「ごめん、ごめん、ごめん…よっちゃん、ミキ…ミキ…あいつらと…同じになるところだった」


あいつら。
その言葉で蘇る記憶は、今も二人に新しい傷をつける。
けれど。


その記憶は今、小春によって少しずつ形を変えていた。

336 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:50

「大丈夫だから。……死なないよ。小春は、死なないよ」
「……っ……」


二人は強く抱き合った。
美貴の涙が、いつもより暖かかった。
美貴の様々な思いを受け止めながら、ひとみは小春の姿を見ていた。
頭を白い布で覆われている。
白い布は、少しずつ赤に染まる。


穏やかに眠るような小春の青い顔を、祈るような思いで見つめていた。



程なくして、心を不安にさせるサイレンが近づいてくる。
でも今は初めてその音を聞いてホッとした。

337 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:50


+++++


338 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:51

二人。
病院で、ひとみと美貴は寄り添って手を握り合っていた。
小春の家には連絡が取れた。もうすぐやってくるだろう。


遠くを見ていた美貴が、ふいに呟いた。


「小春ちゃん、血液型何型?」


「……たしか…A、だったかな」
「そっか。ミキと同じだ」
「そうだね…」


「………もし、血が足りなかったらミキのあげてもいいよ?」

339 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:51

「…ばーか。今時そんなドラマみたいな方法危険で出来ませんー」
「わかってるっつうの。もしもの話」
「ばーか…」


ひとみは声が震えそうになるのを堪えた。
そして、少し心を落ち着かせてから、笑った。



「ばか。…ホント、バカだね…うちら」
「うん。ホントバカだね」

340 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:51

何かを言いたい、けれどうまく言えない。
気持ちのかわりに、互いの指をまた強く握り合った。
その心が、今までの罪が、どこへ行き着くのか…まだわからないけれど。
でも。


「ねえ」
「なに」
「…どうして、ミキに医務室に行かせたの?よっちゃんが行ったほうが早かったんじゃないかな」
「……小春の傍を離れられなかったし、…それに、あたし一人がなんとかしたりとか、それじゃダメなんだよ。
 なんかわかんないけど、美貴に行かせる以外の選択肢があの時はなかった。
 あたしたちは二人で小春を助けなきゃいけなかったんだよ」
「小春ちゃんを怪我させたのは…ミキだよ?」
「そんなん関係ないよ。怪我させてしまったとして、助けた事実が変わることはない」


「…ごめん」
「小春に謝りなよ、小春が目を覚ましたら、謝りな」
「……うん」
「絶対、小春は生きるから」

341 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:52

美貴の瞳からぽろり零れ落ちた涙。
それは、確かに暖かな涙だった。


ひとみはその姿が愛おしくて、美貴を抱き寄せた。
今美貴を襲う恐怖がどれほどのものか、ひとみはよくわかる。
だから、ただ抱きしめた。
震えて泣く美貴の身体を、抱きしめていた。


バカでガキで。
取り返しのつかないことばかりしてきた二人。



それでも二人は生きていた。
そしてこれからも生きていく。
まっすぐに。ひたむきに。頑張って。

342 名前:4 やっぱり、せんせい 投稿日:2007/07/18(水) 23:52

それが、二人の償いなのだ。
振り返ったりせずに歩いていくことが、他のどんなことよりもきっと辛い。
けれど、他のどんなことよりもきっと、すごいこと。


そう、教えてくれたのは小春。


どうか消えないで、かけがえのない光。
ただまっすぐに、この道を照らして。

343 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/19(木) 00:04
更新終了です。

>>312さん
ありがとうございます。頑張ります。こんなんですが…
いかがでしょうこの展開、ゆっくり眠られそうですか?

>>313さん
(0´∀`)<かしこまり〜♪
ああ…吉澤さんマニュアル通りすぎですねw

>>314さん
ありがとうございます。
迷いましたがここで切りました。すみません。
ちょっと小春に照明背負わせ過ぎかなと読み返して思いましたが…
もうここまできたらもっと背負わせてやりますw
344 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/19(木) 06:30
ハラハラ、ドキドキ、でしたが、とろあえず安心。
更新お疲れさまです。続き楽しみに待っています。
345 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/19(木) 06:35
作者さま。今夜はやっと眠れそうです。w
次の更新お待ちしていますね。
346 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:25

さゆみの声がした。
そして白かった。
でもそれは、気を失う前の白とは違う。
白くなっていくんじゃなくて、本当に目の前が白なのだ。


「……お、ねえ…ちゃん?」


「わかる?記憶喪失してない?」
「……うん、だいじょぶ…」
「良かった…どこか痛かったり、気持ち悪かったりは、しない?」
「…ちょっと、頭が痛い」
「そっか」


そして頭が痛くて、部屋の天井が不自然なほど白くて、消毒臭いと思った。
そこで、ちょっとずつたどって行って、病院にいることを結論付けた。

347 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:28

…生きてる。
コハル、生きてる。


「怪我、大したことないって。すぐ退院できるってさ。良かったね」
「…うん」


さゆみはそう言って、小春の手をそっと握った。
さゆみは、ベッドの横の椅子で小春にかかりっきりだったようで、少し眠たそうだ。


そこで、無性に会いたくなる人を思い出した。

348 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:28
「吉澤先生は…?」
「あ、ちょっとお話…お母さんとしてる。もう一人、女の人も…」
「…美貴、さん…。ねえ、吉澤先生も美貴さんも悪くないよ。お母さんに二人を怒らないでって言って来て」


小春はさゆみに縋るような眼差しを向ける。
さゆみはその視線に優しい笑顔で応えた。


「うん、大丈夫だよ。お話もうすぐ終わるだろうから、そしたら皆にちゃんと元気だよって言ってあげてね。
 小春が元気なだけで、皆幸せになれるからね」



…よくわからないけど、褒められてるんだよね?



こくん、と小春はうなずいた。
さゆみは穏やかに笑って、小春の手を握った。

349 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:28


+++++


350 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:29

「すみませんでした」



美貴は深く小春の母親に頭を下げた。
ひとみはじっとその頭を見てから、同じように頭を下げた。


「…あたしらが、巻き込んでしまわなければ…あんな怪我をすることもなかったと思います。
 本当に申し訳ございません」


心から、申し訳ないと思った。
かけがえのないあの命を、自分たちの傷の舐め合いに巻き込んで危険に晒した。
他にもっと何か良い方法があったんじゃないかと、今でもひとみは思ってしまう。
少しずつだが自分を見つけ始めた美貴には、もっと応えているだろうと胸が痛む。

351 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:29

「いいんです、顔を上げてください」
「…っ、娘さんの怪我は、私がやりました。それは事実です。だから、できる限りの…」
「何のことだか、さっぱりわからないのだけど」
「え?」


小春の母親は、わざとらしくとぼけて見せた。
そして、慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、そっと若い二人に言い聞かせるように言った。


352 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:29

「小春は、勝手に自分で転んで頭を打った…事実がそうじゃなくても、そういうものだと私は思っているわ。
 わざわざ大学にまで押しかけて、こちらこそ小春がたくさん迷惑かけたでしょう。
 ひとの事情とか、複雑な気持ちとか…そういうのを掻き回すような真似して」
「いえ…小春ちゃんにミキは救ってもらいました。小春ちゃんの言葉が、ミキの心を呼び戻してくれました。
 …今、小春ちゃんに出会えたことを心から嬉しく思ってます」
「だったら、嬉しいくらいだわ。こっちだって、こんな美人で素敵なお二人と出会えて。
 小春は最近、見違えるほど綺麗になったな、って親の私でも思ってしまうんです。
 …吉澤先生と出会って、小春は変わりましたよ」
「そんな…あたしだって、変わりました。小春は…すごいです。光、なんです。
 きらきらしてて、あたしたちを導いてくれました」


小春の母親は、ひとみの言葉に微笑んだ。

353 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:29

「ああ…そういえば。怪我の治療費とか、そんなのあなたたちは気にしなくていいのよ」
「でも」
「いいの。あれは事故なの。小春が一人で転んだのよ」
「…」
「もし気に入らないって言うなら、その代わりに…」
「はい」
「吉澤先生には、ずーっと家庭教師を続けてもらいたいわ、是非」



「…っ…は、いっ…あたしで、よければ……」
「…こんな素敵な先生、なかなか出会えないもの。これからも、小春をよろしくお願いします」
「はいっ」


ひとみは、初めて会った日のように、小春の母親に気持ちいい返事をした。
美貴は少しだけ涙ぐみながら、小春の母親に再び頭を下げた。

354 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:30

「じゃあ美貴、帰る前にもっかい小春の顔見て行こう」
「うん…」


眠り続けている小春に、美貴は少しの不安を感じずにはいられなかった。



しかし。
ドアを開けると、そこには。

355 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:30



「あぁー!!!せんせぇーっっ!!!」



ひとみは目を見開いて思わずつんのめった。
首を上げて小春を見つめる。


「こっ…はる!?起きてたの!?」
「はい、さっき起きました!」


頭は包帯で巻いてあるものの、いつもの笑顔で笑っている小春の高い声がこだましていた。
ひとみは慌ててベッドに手をついて小春を見つめた。
いつもの小春の笑顔。
ちょっとふにゃーっとした、でも最高の笑顔。

356 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:30

「わかる…?あたし…」
「はいっ」
「あ…よ、よかったぁあああ…」


そして、その場にへたりこんでベッドの端にもたれかかった。
安心して力が抜けた。
小春の顔をもう一度見ている。


いつものように、キラキラした笑顔で笑ってた。
ひとみにも、笑顔がうつってしまうくらい。

357 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:30

「…小春ちゃん」
「あ、はい?」
「……ごめん、ホントごめんなさい…」


そこで目に入った人。
沈んだ表情の美貴に、小春はニコ、と笑った。


「なにがですか?コハル忘れちゃいましたぁーっ!あはははっ」


その余りにもアホっぽい言い方に。
…美貴も、笑わずにはいられなかった。


そして、涙を堪えることも、できなかった。

358 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:30


「ありがと……」



小春は何も言わずに美貴を見て微笑んでいた。


359 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:31


+++++


360 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:31

家に戻ったひとみと美貴。
テレビもついていない部屋は蛍光灯だけが煌々として。


「…あのさ」
「ん?」
「ミキ、この部屋出ようかと思ってるんだ」
「……そっか」
「ずっと、会わないできたけど…久々に親と連絡とってみようと思う」
「うん」
「そして、受け入れてくれるんなら、そっちで暮らそうかなって思ってる。
 もしダメだったら、それでもちゃんと部屋捜して一人でやってくから」
「大丈夫だよ。…一応、あたしおばさんとは定期的に会ってたから。
 いつでも受け入れる準備は出来てるって言ってたもん」
「まあ会ってるのは知ってたけどね。…ったく、変な親。こんな親不孝な家出娘を待ってるなんてさ」
「親って、大体はそんなもんだって。子供のこと大好きだよ。ずっと、ずっと想ってるって」
「……うん………なんか、会いたいな…」

361 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:31

懐かしそうに遠くを見る美貴の目を見て、ひとみもふいに母親が懐かしくなる。


ひとみには家族はもういなかった。


父方の祖父母は連絡が取れない。
母方の祖父母は最近、一人死んでからもうひとりが後を追うように死んだ。
父親は早くに死んだ。だからあまり父親の記憶がない。
母親は、亜弥が死んだ後、数年で病気にかかりこの世を去った。
女手一つで娘を育ててきたので毎日の過労が祟っていたのもあるが、
ひとみはどう考えても亜弥が死んだせいだとしか思えなかった。
母方の祖父母が急に老け込んだのも、母親が死んだ後のような気がした。


そうして、自分がどれだけの命を殺してきたのだろうと思い責め続けた。

362 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:31

ふいに辛くなって胸に手を当てたひとみを、美貴がふわりと包み込んだ。



「よっちゃんは悪くない」


「!」


363 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:32

「ずっと、よっちゃんのせーだ、よっちゃんのせーだ、なんて言ってきたミキが言うのもなんだけどさ」
「…美貴…」
「ミキが一番悲しいとか言ってきたけどさ。…よっちゃんのほうが苦しかったよね?
 よっちゃんが一番辛かったに決まってる」
「……そ、んな…こと」


首を横に振るひとみに、美貴も首を横に振り返す。
そして、もう少し強く抱きしめた。


「……ごめん」
「……」
364 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:32

「…今まで動いてたミキは、ミキじゃなかったよ。おかしいけどさ。
 ちょっとだけ、亜弥ちゃんがいないことが悲しすぎたから……
 ミキは確かに中にいるのに、ミキの身体を動かしてるのはミキじゃないミキだったんだ。
 そのことがどうにもなんなくて、ただミキみたいに動くそいつの事をボーっと見てた。
 亜弥ちゃんのこと思い出すと、どうでもよくなった。どうにか出来たかもしれないのに、どうでもよかった。
 亜弥ちゃんのいない世界ならいらないから、ここにいてもいいなって思った」
「…んー…」
「バッカ、理解しようとすらしてないでしょ」
「………してるって」
「……だから、中でミキを見てたミキは、今のミキ。このミキは、よっちゃんのこと怒ってなんかないよ。
 だってよっちゃん悪くないよ。…それを、言ってあげられなくてごめん。 
 もっと早くに言わなきゃいけなかった。ミキは弱すぎた。自分を守るために精一杯だった」
「………」

365 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:32

「小春ちゃんに言われたよ。ミキの好きな人は、誰かを傷つけたら喜ぶ人間なのかって。
…生きてる人は、何度でもやり直せるんだから、やり直そうとしないのは死んじゃった人に失礼だって。
……だから、やり直そう?もっかい、ちゃんと生きてみようよ…」



美貴の抱きしめる力はいっそう強くなる。




「亜弥ちゃんが死んだのは、よっちゃんのせいじゃないよ。
 よっちゃんのおばさんが死んだのも、よっちゃんのせいじゃないよ。
 ミキがおかしくなっちゃったのも、よっちゃんのせいじゃないよ。
 小春ちゃんが怪我しちゃったのも、よっちゃんのせいじゃないよ」


366 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:33


その言葉を聴いて、ひとみは目を閉じた。反芻した。



何かが身体からすっきり吐き出されるような感じがした。
身体が軽くなった感じがした。


すると、涙が出てきた。


367 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:33

「……ぅ…っ」



止まらなくなった。
後から後から、勝手に流れてくる。



「…っ…く、う…」
「よっちゃんは悪くない」
「うぅ…っ、う…」
「よっちゃんは悪くないからね」
「ぅううっ、ううぅー…」

368 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:33

ひとみが泣き止んで眠りにつくまで、美貴は呪文のようによっちゃんは悪くない、と言い続けた。
美貴の目も、涙でいっぱいだった。
いくら悔やんでも戻らないものが多すぎて。
たくさんの人を傷つけすぎて。
その過去は消えないで。
……でも、少しだけ頑張っていけそうで。


たくさんのひとが、いた。
美貴を支えてきた人がいた。
美貴は亜弥がいないと、ひとりになったと思っていた。
でもひとりなんかでは決してなかった。


みんなみんな。
ひとりぼっちのひとなんて……いない。

369 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:33

教えてくれたのは、亜弥が死んだのと同じ年のかわいい女の子だった。



…今日は何年かぶりに、嫌な夢を見ずに眠れそうだった。


370 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:33


+++++


371 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:34

小春の退院する日の前日、毎日顔を出していたひとみが今日も訪れた。
小春はわーっとひとみに抱きついた。


「うわっ、暴れんなって」
「だってぇー」
頭に林檎を包む発泡スチロールみたいな網状のものをかぶりつつも、
日増しに行動範囲が広くなる小春に、ひとみは安心した。


「はいこれ、頼まれてた店の梅干しー」
「わぁーいっ!…ってこれだけですかぁ」
「オマエ…梅干しの塩分を知らないな…マジで将来成人病になるぞ」
「ふぁーい…」


唇を尖らせてぶつぶつ文句を言う小春が愛らしくて、ひとみは笑う。
そして今日は、少しだけ決意があったのだった。

372 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:34

「あのさぁ」
「はい?」


「…小春、あたしの過去の話、聞きたい?」


不安そうに小春をみて笑うひとみ。
小春はその顔を見て、瞬時に大体言いたいことを把握した。すぐにちくんと何か痛かった。


ひとみのことは知りたいと思った。
でも。



「………コハルは、先生が見てきたものなら何でも知りたいです。
 …でも、先生が言いたくないなら、聞きません」

373 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:34

言いたくないことを聞き出すことはしたくなかった。
そして、過去の話に興味があるわけではなかった。
良くない話というのは人の興味をそそるものだけれど。
小春は、嫌いじゃなかったはずのひとの噂みたいなものがどれだけひとを傷つけるのかを知って、
今は興味だけで噂やひとの過去を暴きたいとは思わなかった。



「じゃあ……あたしが、小春に聞いて欲しい」



ひとみが、やさしい目をして小春の頬を両手で包み込んだ。
その目をじっと見つめて、考える。

374 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:34

聞いて欲しい。
それが、どういうことなのか。
あまり…小春にはわからなかった。


けど。
聞いて欲しいなら、聞いた方がいいのかもしれない。
ひとみは、誰かに聞いて欲しいのかもしれない。
それがどんな過去だろうと、同情でもなく、哀れみでもなく。
何かを、小春が返してくれたらと思っているのかもしれない。



なら。
なら。…怖いけど。

375 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:35

「…なら、聞きます……」
「うん…」



悲しそうに、ひとみは呼吸を整えた。


ひとみの顔が、悲しそうだから。
ひとみが悲しいのは一番嫌だから。
小春は、無理強いすることはしたくなくて、ひとみの手を握った。


「苦しくなったら、話さなくてもいいです」
「ん、ありがと。そうさせてもらう……あのね、あたしの妹の話」
「…はい……」

376 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/07/21(土) 23:35

小春の手をぎゅっと握って、ひとみは話し始めた。
少しだけ遠くを見るように、小春から視線をずらした。
ひとみの記憶が過去に舞い戻る。



「妹の…ね、まず名前からいこっか」



苦しそうに目を閉じたひとみの手を、小春はまた握り返す。


377 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/21(土) 23:41
5 だいすきなせんせい
更新終了です。
ここで次からは一旦5を切って過去の話になります。
1に書いた『痛い表現』の本節です…正直、色々怖いです;

>>344さん
安心していただけて嬉しいです。
次も頑張ります!

>>345さん
良かったですw
ありがとうございます。頑張ります。
378 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/22(日) 04:58
更新乙蟻です
小春の母親が話の分かる人で良かった。
次回からのお話を息を潜めお待ちします
379 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/07/22(日) 13:52
更新お疲れ様です。
うわーもう心のダムが決壊中です。
闇の中から光ある場所へ。そして光のシャワーを浴びながらその先へ。
小春よ吉澤さんを頼みますの願いを込めて、次回更新をお待ちしております。
380 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 04:50
作者さん夏バテしないよう体力を付けて頑張って下さい。
381 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:37

「ひーちゃんっ」
「何?」
「あのさぁ、宿題手伝って」
「やだ」
「なっ…ひーちゃんのケチ!!ばーか!!」
「うるせ、サル」
「……サルって言うなって…いつも言ってんでしょうがぁああ!!!」
「っ!いってぇ!!物を投げるなサル!!!」
「あ!また言った!」
「サルサルサルサル」
「もぉ…ばーかばーか!ひーちゃんのばーか!」

382 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:37

妹の名前は亜弥といった。
吉澤亜弥。
亜弥の肌はあたしと同じくらい白くて、目がくりくりしてて。
あたしのことをひーちゃんと呼んだ。
あたしは、亜弥の顔が少しサルっぽいと思ったから、サルって呼んだりした。
その度にものすごく怒られた。

亜弥はかなり気が強くて、あたしは単にプライドが高くて、あたしたちはいつも喧嘩していた。
それはもう女の喧嘩にしてはとても暴力的だったのを覚えている。
喧嘩が終わった後には家が物凄いことになって、いつもあたしが怒られたのも覚えている。
亜弥から仕掛けてきても、あたしが怒られた。
今でも納得いかないんだけど、まあもう全て過去のことだから懐かしい。


…謝ってきたのはいつも亜弥のほうからだったし。
たまに甘えてくる亜弥はこの世で一番愛しく思えたし。
思い切り喧嘩しても次の日には笑い合える関係だったのが、とても好きだった。

383 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:38

要するに、あたしは亜弥のことが大好きだった。
亜弥をかけがえのない存在だとちゃんとわかっていた。
ただひとりの妹だと。


だから、亜弥と美貴が恋人になったのは正直面白くなかった。


中学の入学式の日。
美貴とは、教室で出席番号順に並んだ時にたまたま隣同士だった。
中学生だからといって周りは新しい感じではないようだった。
真新しい制服にピンクの造花をつけているくらいだ。
皆、小学校の時の顔見知りとそれなりに固まって既に話していた。
小学から持ち上がりの人が多い中、あたしは小学からの知り合いが少なくておまけにクラスにはいなかった。
美貴もそうだったらしい。
きっと、隣になるべくしてなったのだと思う。

384 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:38

「ねえ、あたし藤本美貴。よろしく」
「…あ、あたしは吉澤ひとみ、こちらこそよろしく」
「つーかさ、入学式だるくない?」
「えっ、うん、あたしもだるいって思ってた」
「だと思った。担任のちっちゃい奴が入学式の話してる時超うぜーって顔してたもん」
「マジで?何で見てんのさ」
「たまたまだって。カンチガイすんなよ」
「してねーよ」
「ふ、あははっ、いいね。ミキあんたと仲良くなれそう」
「…ん、あたしもそう思う」


気が合うなーって思って、すぐに仲良くなった。
美貴は言葉遣いやしぐさや目つきが悪いけど、意外と気を遣うところがあって、
そして、亜弥みたいにたまに甘えてきた。
色んな美貴を知っていくうちに、ただだるいと思っているだけの人じゃないと知った。
美貴は知るほどに色々な面を持っていた。

385 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:38

そして、美貴と知り合って数ヶ月たってから初めて家に呼んだ。
そこで亜弥と美貴は初めて顔を合わせた。


「藤本美貴です。お姉さんとは仲良くさせてもらってます…」
「あ、…吉澤亜弥です。よろしくお願いします。ふつつかな姉ですが」
「オイ」
「なにさ、ホントのことじゃん」
「ホントのことだね」
「ちょっと!そこ意気投合しない!」


亜弥と美貴が、その時からなんとなく互いにいいなって思っているだろうことは理解していた。
美貴の照れた顔も、亜弥の緊張した顔も、その時に初めて見たから。
なんだか恋する人の顔をしていた。

386 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:38


+++++


387 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:39

「藤本ー、学校に携帯持ってくるなっつってんのに」
「すいませーん」
「すいませんって口ばっかりじゃねーかオマエ」
「大丈夫です、ちゃんと授業も聞いてますから」
「じゃあ今の質問の答え何?」
「…」


そっとアイコンタクトをしてくる美貴に、あたしはこっそりバッテンマークを指で作って返した。
あたしも聞いてなかったから。
美貴はちぇ、って顔をして素直に謝った。

388 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:39

授業中に携帯の着信音が鳴ったら、
当時の担任の矢口先生はこそこそしている美貴をすぐに見つけていたものだった。
でも美貴はマナーモードにしてすぐに返信していた。
没収されたら、ものすごい素早さで矢口先生のいない間に職員室の机から持ち出していた。
そしてまたすぐに連絡を取っていた。


その相手が亜弥だと知ったのは、随分経ってからだった。

389 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:39

あたしが二人を会わせてから。
あたしの知らないところで二人は会うようになり、
頻繁に電話やメールで連絡を取るようになり、気がついたら二人は恋人になっていた。
それぞれ二人が誰かと会ったり連絡とったりしているのはわかっていた。
けど、それぞれ誰か違う相手と連絡を取っているんだと思って、特に探りも入れなかった。
本当はどこかでそう思い込みたかったんだと思う。


別に美貴のことを恋愛対象で見たことはなかったし、もちろん亜弥の恋愛を縛るつもりはなかった。
けど、わかっててもなーんか面白くなかったのを覚えている。
何が面白くないのかよくわからないから余計にイライラしたのを覚えてる。

390 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:39


あたしが部屋で宿題をしている時、二人が揃って報告に来た。


「よっちゃん」
「ひーちゃんっ」
「……何?」


「「…」」
「…?」

391 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:40

何故か嫌な予感がした。
そしてそんなものは大抵的中するんだ。
亜弥が顔を真っ赤にして話し始めるものだから、あたしは隠した拳を握り締めた。



「あのね、ひーちゃん…気付いてたかもしれないけど、あたしとミキたんね、
 …付き合ってる、んだ。っていうか昨日から付き合うことになった」


392 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:40

「………」


「……気付いてた?」


「ん?…なんとなく、…だけど」
「わ、やっぱり!?ミキ明らかに不自然だったよね」
「あたしもちょっと変だったよね」
「…ん…」


そう。
その瞬間すべてが納得いって、その瞬間不思議な不快感に見舞われた。
急にイライラした。

393 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:40

何が嫌なのか。
互いが互いを好きなことを自分に言わなかったことが嫌だったのか。
付き合い始めた後に報告されたのが嫌だったのか。
妹を取られるような気分なのか。
友達を取られるような気分なのか。
妹に先を越されたような悔しさなのか。
友達に先を越されたような悔しさなのか。


色々なものが、胃の中でじわじわと広がる。
けれど、ぐっと腹に力をこめて、一言吐き出した。

394 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:41


「………おめでとう」



イライラしてるのを悟られたくなくて笑って祝福した。けど本当は早くあたしの部屋を出て行って欲しかった。
あたしの笑顔を見て、ホッとして二人は笑い合った。


395 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:41

「ありがとー」
「ありがと、ひーちゃん」
「ちょっと、二人ともちゃんと幸せになれよ」
「うんっ、なるよ」
「ひーちゃんも早く運命の相手見つけなよ」
「うるせえよ」
「あはははっ」
「にゃはは」


「…はは」

396 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:41

二人は二人のの世界を作っているように見えた。
あたしの部屋で、あたしをいないことにされてるのは正直腹が立った。
だから宿題を理由に追い出した。
けど、そのあと宿題は手につかなくなって結局提出しなかった。
その宿題のプリントを見るだけでイライラしたから捨てた。
…何がそんなに面白くなかったのか、今ならちょっとはわかる気がする。


別に二人にはあたしを外すつもりなんてなかったのはわかる。
ただ結果的にはそうなってしまうだけで。
気を使われるのも癪だったし、あたしは仲の良い二人の前では常に笑うようにした。
あたしのプライドだった。

397 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:41

でも、素直に嬉しくて笑える時もあった。
あたしがいなければ二人の時間なんだから二人で出かければいいのに、
どうしてもって引っ張られて三人でよく遊んだりもした。
もしかしたら、亜弥と美貴だけよりも三人で遊ぶ方が多かったかもしれない。
そのことは、本当はすごく嬉しかった。
だから油断していたら笑えてきてしょうがなかった。
その時には亜弥と美貴が恋人同士なだけでなく、美貴とあたしは友達で、亜弥とあたしは姉妹だったから。
あたしはここにいても邪魔じゃないって思えたから。


亜弥と美貴の関係が始まったとき、亜弥はまだ小六だったくせに、
美貴もまだ中二だったくせに、二人は本当に互いを想い合っていた。
二人は愛し合ったまま、時間は過ぎていった。

398 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:42

そのうちにあたしにも好きな人が出来た。
亜弥と美貴のような長続きするものはなかったけれど、ちゃんと好きだと思えた。
普通に恋して普通に終わったりしているうちに、亜弥と美貴のことをただ幸せに思えるようになった。
亜弥と美貴が幸せなことを、ただ喜ばしいと思えるようになった。
そのことは普通に嬉しかった。
大好きな二人を見ていて幸せになれるんだからそれで全て解決だと思った。

399 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:42


そうしてあたしと美貴は高校生になった。亜弥は中学二年生になった。


「やっべぇ、近い」
「中学は遠かったからねー」
「近い高校選んだのは正解だったね」
「朝遅くまで寝てられるしね」
「サイコーじゃん」

400 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:42

近いという理由だけで選んだ同じ高校で、亜弥のいない学校生活が始まった。
新しい世界が一気に開いて、あたしはきっとここで亜弥と美貴のような恋愛がしたいと思った。
亜弥と美貴は相変わらず仲良しだった。
学校が終われば、二人で、たまに三人で遊んだ。
亜弥は、あたしたちの通う学校へ早く入りたいと言っていた。


あたしも美貴以外の人と交流を持つようにした。
そこで、あたしはバレー部に入ることにした。
なんでバレーだったのかっていうと、…なんとなくなんだけど。
とりあえず、何でもいいから入ろうと思った。運動系で。

401 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:42

バシッ!!


あたしの叩いたボールが体育館の床に打ち付けられた。
…うん。気持ちいい。



「すごい!吉澤さん上手!」
「ホントに中学の時帰宅部だったの?」
「ええ、まあ…」
「期待の一年生、よろしくね」
「…はいっ」


肩をポン、と叩かれて、満面の笑みの部長に笑顔で応えた。

402 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:43

飽きっぽいあたしは、昔から色々習い事をやってきた。バレーもやったことがあった。
小学生の時に何年かやったっきりだったけれど、意外と身体が覚えていた。
もともと球技は基本のルールさえわかればそれなりに出来る方だったせいもあるだろうけれど、
どんどんバレーにはまっていくうちに一年生でレギュラーを取れるようになった。
そのことは驚いたけど、嬉しかった。亜弥も美貴も盛大に祝ってくれた。


そんなに強くないバレー部だったけど、あたしの存在は目立ったらしかった。
いつの間にか知らない先輩から声をかけられたりするようになった。
おはよう、と言われたのでおはよう、と返したあとで、先輩だったと気がついたり。
慌てて丁寧語に直そうと思ったら既にキャーって言って遠くへ走り去ってしまっていたり。

403 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:43

そして、男女問わず知らない先輩や同級生から告白されるようになった。
でも、亜弥と美貴のように一目見て惹かれるものを感じられた人には出会えなくて、全て断った。


あたしの外見も人を呼び寄せるのだと、美貴は言った。
よくわからなかった。亜弥や美貴の方がかわいいし、魅力的だと思った。
じゃなきゃあたしはとっくに二人のような恋が出来ていると。

404 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:43


「ほんっと美人だよねー君。ひとみちゃんだっけー?」


そんなことをぼんやり思いながら、あたしは今日も一人の男を振った。
髪の色が明るくて、マリン系の香水の匂いがきつくて。アクセサリーじゃらじゃらで。
なんとなくタバコの臭いを自慢げに漂わせて。肌が黒くて汚くて、制服をだらしなく着ている。
…正直キライなタイプだった。なんか目が濁っていて、何をするかわからない人種に見えた。
あまりかかわりあいになりたくなくて。

405 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:44

「…あの、なんの用でしょうか?」
「ん?わかってんだろ?」
「……いえ、わかりません」
「まぁじでー?ははは、じゃあ言うけどさぁ…俺の彼女にならない?」
「…いえ、あの…ごめんなさい、今はあんまりそういうの考えてないんで。失礼します」
「え、あ、ちょっと!」


ごめんなさいの後しつこいパターンもあったから、ごめんなさいとはっきり言ってその場を離れた。
香水の匂いがいつまでも鼻の奥に残っていて気分が悪くなったので、鼻をつまんだ。

406 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/25(水) 22:44


…この、告白と告白を断るというありふれたやりとり。



それがまさか、あたしの、そして亜弥と美貴の日常を崩すことになるなんて。
その時は思いもしなかった。


407 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/25(水) 22:52
エターナルクス番外編その1、
『亜弥とひーちゃん』前半更新終了です。

>>378さん
ありがとうございます。
やっぱり性格って家庭環境によるものが大きいと私は思うので、
小春がいい子なら母もいい人なんじゃないかと思ってますw
ご期待に副えるよう頑張ります。

>>379さん
ありがとうございます。
暗かった部分に徐々に光が当たっていく雰囲気が書ければいいなと思ってます。
小春ならきっと大丈夫です!

>>380さん
ありがとうございます。
私の住んでいるところは最近急に暑くなりまして体がついていけません。
お互い健康には気をつけましょう。
408 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/26(木) 11:04
吉澤さんの切ない思いが伝わって来て苦しいですね
409 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/07/27(金) 15:26
大量更新お疲れ様です。
この人が呼ぶ「ひーちゃん」が実はかなり好きです。
何故か甘酸っぱい空気になるような、くすぐったいような。そんな気がします。
思わず正座を崩しながら読み耽りました。
次回更新もまったりとお待ちしております。
410 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:41

「吉澤ひとみいる?」


不機嫌で威圧的な声があたしを呼んだ。
明るい髪色に短いスカートの似たような出で立ちの女生徒が数人、教室の入り口で立っていた。
見る限り、先輩。

美貴がいたらそんなの追い払ってくれたかもしれないけど、
別に呼び出されることは初めてじゃないしそんなに深く考えないでついていった。
バレー部で目立ってからは、ああいう系の先輩にも目をつけられることが多かった
通りすがりにチョーシこいてんじゃねえよって言われて肩ぶつけられたこととかもあった。
別にその程度、気にはしていなかった。

近いだけで選んだ学校は、決して風紀が良いとはいえなかった。
退学者も年に数名は出ている学校だった。
そんな場所で、いちいちビビッてたらやっていけない。
ビビッているほうが嬉々として攻撃されるに決まっているんだから。

411 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:42

ぐいぐい。
ぐいぐい。
ニットが伸びすぎてちょっと困るな。
とも言えず、引っ張られるままについていく。
途中で背中を押されたりもした。
「モタモタすんなよ」
「…はい…」
あたしのペースで歩くことすら気に入りませんか。
心の中で大きくため息をついた。

そして。
あそこはあんまり通らない方がいいよ、と言われている旧校舎と新校舎を繋ぐ庭。
そこまで制服を無理矢理引っ張られて連れられた。
油断する間もなく、すぐに思い切り突き飛ばされた。

412 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:42

ドンッ!
ザザッ。

「…ってぇ…」
聞こえない程度に文句を言った。
壁に打ちつけた背中が汚れていないか気になったけど、よそ見している場合でもなさそうだ。
目の前であたしを見下ろしている先輩方の目は相当ヤバかった。


「テメェさぁ、ちょっとカンチガイしちゃったんじゃない?自分モテるとか思ってんでしょ」
「…?」
「とぼけんじゃねえよ、サオリのカレシとったのテメェだろ!」
「っ!!」
喉のすぐ下に靴がかかった。
汚れた壁でニットの背中の部分、汚れた靴で襟元が汚れるのが不快だった。
そして何より何の話だか全くわからなかった。

413 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:43

「あの、あたしカレシいませんけど」
「バレバレの嘘ついてんじゃねえよ!!テメェが告った男はサオリのカレシだったんだよ!!」

…記憶を探ってみる。
……残念なことに、高校に入ってからはまだ恋愛を一つもしていない。
あたしから告白するようなことは、全くもって記憶にない。
誰とカンチガイされてるんだろう。

「はい?…告…?」
「…いい加減にしないとマジで切れるよ、うちら…」

そんなこと言われても、なんのことだかさっぱりだ。さっぱりな以上、どうすることも出来ない。
っていうかそんな誤解でこんな目に遭うんじゃたまったもんじゃない。
後々面倒なことになりそうならちゃんと誤解は解いておかないといけない。

414 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:43

「あの、あたしホントにカレシいませんし、なにかの間違いだと」
ガッ。

言い終わる前に腹を蹴られた。
呼吸が止まる。


「ちょっとナメすぎなんですけど」


それを合図のように、周りの人たちもあたしをボコボコと蹴り始めた。
顔はすぐにバレるから、とかいって、顔は殴られなかった。

415 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:43

その時点で悟った。
ああ、真実なんてどうでもいいんだこの人たちは。ただあたしが気に入らないだけなんだ。
その瞬間、少しだけ寂しかった。
あたしという存在自体を否定されるっていうのはなかなか辛かった。


まあ、この人たちに認めてもらおうなんて思ってはいない。
この人たちが認める基準なんて、端から見たらただの馴れ合い犯罪だ。

416 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:43


+++++


417 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:44

「よっちゃん!」


教室に戻ってくるなり大きな美貴の声がした。
その声に、痛みのせいで力なく笑顔しか返せなかった。
あたしのそんな笑顔が美貴を苛立たせたのか、腹を殴られたから背筋を伸ばして歩けていないあたしのことを
すぐにトイレへ引きずり込んだ。
洋式の個室は、和式のそれより少し広い。そこへ二人で入り込む。

「…なに?」
「上脱いで」
「へ?」
「いいから!」
「……」
「あぁもう!!!」
美貴は苛立ってあたしの服を無理矢理脱がせた。
ニットとYシャツを腕にかけて、美貴はブラだけのあたしの身体を隅々まで見た。
あたしも下を見てみた。想像以上に青くなっていた。
美貴はイライラを抑えきれないままあたしに服を突き返した。

418 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:44

「…有名だよ。3年のサオリって人」
「あたしは知らないけどね」
「…。こないだよっちゃんに告白してきたあの色黒の不良っぽいやついたじゃん」
「ん?……あ、あのウルトラマリンの?ゴールドアクセの?」
「そうそうそれ。…それのカノジョだったらしいよ。サオリ」
「でもあたし振ったよ?その人」
「振ったとか振ってないとか関係ないんでしょ。あいつらの中で、よっちゃんはもうカレシを奪った女だよ」
「……ん、だろうね」

なるほど、と。合点がいった。
まあ誤解ではあって、誤解ではないわけだ。人間違いでごめんなさいという事にはならないらしい。
ということは、ちゃんとした事実が判明しようと一度目をつけられたら飽きるまではターゲットなわけだ。
はぁ。
…めんどくさ。

419 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:44

「…まあすぐ飽きるでしょ、どうせ」
「すごいいじめらしいよ。…何人か退学に追い込んだこともあるって」
「ふーん…あたしは大丈夫だよ。ちょっとの間我慢してればいい。
反応しなきゃ飽きるって。怒ったり泣いたりした方が喜ぶでしょ。それにあたしには美貴もいるし…ね?」
「………」
「美貴はあたしがいじめられてたらあたしを避ける?」


美貴は強く首を横に振った。


「それは絶対、ない」


420 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:45

「なら平気。あたしあんな奴らに負けないよ」
「……」


「へーキだって」


その時は深く考えていなかった。
どれだけサオリという女やその連れがヤバイのか、ちゃんとあたしは知っておくべきだった。

421 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:45


+++++


422 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:47

「まーた書かれてる!!いつ来てんのさ、トイレ行ってただけなのに!あーうぜえっ」
「うわ、教科書の字読めねー。休み時間ごとに持ち物持って歩かなきゃダメかね」
「…こういうのミキ大っキライマジで、言いたいことあるなら口で言えよ、って」
「まあそうカリカリすんなって。美貴は口に出しすぎだし」
「うるさいなぁっ」

423 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:47


+++++


424 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:48

「あ!あった…ジャージ…って呼べるものじゃなくなってんねぇ。
 かなり鋭い刃物で切られてるねぇ。これ道具ハサミだとしたら裁縫上手いんじゃない」
「…ここまでするかよ…」
「あーあ、ここのトイレ使えなかったじゃん。誰かそのせいで漏らしたり」
「するかバカ」

「ジャージないんじゃ…体育見学かぁ。つまんないなぁー」
「え、じゃあミキも見学する」
「ダメ」
「だってだるいじゃん」
「じゃあ美貴のジャージ貸してよ」
「…着られるの?」
「ちょっと厳しいかな…丈が…でも誰も貸してくれないしさ」
「………うちのクラスの女子とかほとんど言われてるみたいだよ。よっちゃんと喋るなって」
「いやーなんか悪いねぇあたしのためにそこまでしてもらっちゃってー」
「ホントのん気だねぇ」

「…だって、美貴はここにいるじゃん。あたしはそれで十分」
「……ん。それにしてもミキはなんもされないよねぇ」
「もしかしてあれ効果あったんじゃない?中学で番張ってたって噂流してみたじゃん」
「えぇえええ…」
「いいじゃんなんでも。美貴にまで被害加わったらさすがに困る」
「……」

425 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:48


+++++


426 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:49

あたしは美貴がいてくれるから、強くいられた。
何をされても泣いたり怒ったりせずにいられた。
そりゃあ正直腹が立って泣きたくなったこともあったけど。
もう少し我慢すれば、終わる。
もう少し我慢すれば、終わる。


そう言い聞かせて、平気な顔し続けた。
…そう。きっとあたしのプライドだった。
あんな奴らに屈する自分なんて吐き気がした。
けれどどうしても迷惑をかけてしまうので、バレー部はやめた。
その時、すごく悔しかった。美貴だけが見ている場所で、少しだけ泣いた。

427 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:49

あたしは絶対にあいつらの前では泣かないと決めた。
けど。



それは最悪の事態を呼び寄せた。



428 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:49

亜弥が日曜の朝からハイテンションであたしの布団を引っぺがした。
一気に明るくなり、目をぎゅっと閉じた。
丸まるあたしの身体を揺さぶって亜弥はあたしを起こす。

「ひーちゃん!あのねぇ、あたし買いたい物があるからさぁ、買い物付き合ってよ」
「はぁ?なんであたし…」
「いいから、いこっ」
「美貴でも誘いなよ」
「いいの。今日はひーちゃんと二人」

429 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:50

思えば。
…多分、家であたしは元気がなかったのかもしれない。
多少はダメージを受けて、疲れた表情をしていたのかもしれない。
亜弥はそんなあたしの様子を気にかけてくれていたのかもしれない。


その時のあたしは眠くてだるい身体を強制的に動かし、
半ば無理矢理亜弥につれられて、久しぶりに二人で買い物をした。

それは楽しい時間だった。
歩いていくうちに、亜弥と話しているうちに、どんどん楽しくなった。
久しぶりに心休まる時があった。
…心から安心して笑えた。
亜弥も、そんなあたしを見て喜んでくれたみたいだった。

430 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:50



…本当に、どこから情報を仕入れたんだろう。



本人がダメなら、ってか。
…悪知恵だけはどこかの天才より働くその脳みそは、
きっと踏み潰したら中から黒いドロドロした汚くて臭いものが出てくるんだろうな。


人間にだって、やっぱり救いようのない奴はいるよ。
憎むとかじゃない。
そういうんじゃない。
ただあたしは、その存在を人間として真っ直ぐとらえることはもう出来ない。
どんな理由があろうと。

431 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:50


+++++


432 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:51

薄暗くなった帰り道。
亜弥と、二人でぽつぽつと会話を交わしながら歩いている。


ふいに。
後ろに気配を感じて、マフラー音に頭だけ振り返る。

「―――――!!!」
「きゃぁあっ!!」
すると、後ろからいきなり羽交い絞めにされた。
何がなんだかわからないまま、亜弥と二人で車に乗せられた。
押さえつけられたまま、後ろのシートの上がったワゴンには5、6人程の男が乗っていた。
そこに、見覚えのある人物がいた。
…あの、肌の色。
髪の色。
香水の臭い。
あの目。

…あの日、あたしに告白してきた男。
サオリ、の、…元彼。

433 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:51

さぁっ、と血の気が引いた。


そこにいる男全員何考えてるのかわからない顔して、下卑た笑みを浮かべて、
タバコの臭いを漂わせて、あたしと亜弥にナイフを突きつけた。
殺される、と思った。さすがに震えた。
…ああ、亜弥と出かけたりなんかするんじゃなかった。と、心から後悔した。
亜弥。
ゴメン、亜弥。
巻き込んだ。

「ひーちゃ…」
「亜弥っ…」
泣きそうな妹目の前に、ナイフにビビッて何も出来ないなんて。
人間の生存本能なんかいいわけにしたくない。
何も出来ないままただ車に揺られる自分。
自分のことを考えている自分。

…気分も状況も。
『最悪』以外の言葉じゃ表現できない。

434 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:52

車は走る。
日はどんどん暮れていった。どの道を通っているのか全く見当もつかない。
通ったことのない道を、暗い道を、死に向かっているかのように延々と車は走り続けた。
カーブのたびに酷く車内は揺れて、あたしを押さえつける男と身体が触れる。
楽しそうにゆっくりとあたしの身体を撫で回している手。全ての指に指輪をはめている。
ナイフより鈍く光るその指を睨むけど、あたしは動けなかった。
死にたくなかった。
痛いのは嫌だった。

435 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:53

「オマエ、肌白いな…滑らかで気持ちいい」
「…っ」
頬を撫でる指。
男の息がかかる。
タバコの臭い。
苦しくて目を閉じる。


…ああ。
亜弥も、同じことされてるの?
こんな気持ち悪いこと。

あたしは。
あたしは、それを助けられない。


罪悪感でいっぱいになる。
その気持ちから、亜弥を見ることが出来なくて。

436 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:53

ガラガラガラッ、とドアが勢いよく開かれる音。
その音と共に男達は外へ出て行く。
乗せられた場所から降ろされて、そのままナイフを突きつけられながら歩いた。
両手首はは痛いくらい掴まれていた。
亜弥の様子をそっと伺った。
…怯えきっている亜弥を見て、なんとか亜弥だけでも逃がしてくれたら。そう思った。
その時はまだ、こいつらの狙いはあたしだと思っていたから。

連れられたそこは、ドラマみたいに人気がなくて重たく冷たい空間だった。

なんかの倉庫のようなところへ連れて行かれると、サオリが立っていた。
いつものように笑ってた。
あの、気味の悪い、人間のものではない笑顔。
笑顔と呼ぶのすらおこがましい。

437 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:54

「おっそーい。待ちくたびれたよ」
「……」
「どお?ドライブは楽しかった?」
「……」

サオリはゆっくりとあたし達へ近づいてきた。
そしてあの元彼にべったりくっついた。
「ありがと、おつかれー」
「いーよ別にこれくらい」
「ん…大好き」

…モトサヤなら早く逃がせよ、って心から思った。
サオリがこっちを見て笑う。
あたしは早く帰りたかった。
亜弥のことも気がかりだった。

438 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:54

「…あの、なんの御用ですか」
「ん?ふふ。あんたには用はないんだよね。今日は」
「?」

そうして、ゆっくりとそいつは歩いた。
亜弥の、前へ。

「…これが妹?へー……似てないけど、かわいいじゃん」
「っ!!!!」


びくびくしている亜弥の顔を掴む汚い指に、心臓が激しく波打った。
そのあたしの動揺を感じ取ったのか、サオリは機嫌良さそうに笑った。


「…いい顔。今の顔、もっと見せてよ」

439 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:55

亜弥の顔を掴む指の力をどんどん強めるサオリ。苦悶の表情を浮かべる亜弥。
ここで反応したら思うつぼ。そう思っても、亜弥に手を出されることはどうしても堪えられなかった。

「…やめてください…妹は、関係…ない、です」
「ん?何?聞こえない」
「…やめてください、お願いします」


「…くっ…あははははははっ!ヤダね!」


心底愉快そうに笑ったそいつの顔は、忘れられない。


440 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:55

「きゃああ!!」
「亜弥!」
亜弥の髪を引っ張って、サオリはあたしと亜弥の距離を離す。
「痛い!痛い!」
「うっせぇなあ!」
「あっ!」
「亜弥ぁ!!!」


いつかあたしにしたみたいに亜弥の身体を投げ出した。
ザリザリとコンクリートとの摩擦音。
身体を投げ出された亜弥に、迫る数人の人影。


…さっきの男たち。



すぐに、今から何が起きるのかわかってしまう。
それを想像して、頭が真っ白になった。

441 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:56

「…ぁ…やめ…やめて……やめてぇえええ!!!!」
あたしは暴れるけど、やっぱり男の力には敵わない。
精一杯身体を前に進めようとするのに、全然進まない。

あたしがバタバタしている間に、サオリが見守りながら亜弥は男に覆い被さられた。
嫌な音がたくさんする。
時折見える亜弥の顔は恐怖に支配されていた。


「やだぁ!やだ!ひーちゃん!!ひーちゃん!!!」
「やめてぇ!!!!やめてぇえええ!!!!」
「ひーちゃん!ひーちゃん!!たすけてぇ!!」
「亜弥…っ、亜弥…!!!」


あたしは結局、つまんないプライドで妹を犠牲にすることになってしまった。

442 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:56


+++++


443 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:57

「痛い…痛い!!」


亜弥の白い肌が、暗闇に浮かび上がる。
赤と白と赤と白と黒と赤と黒と白と黒と黒と黒と。
ああ、あああ…ああ。


「いやぁあぁ!やぁあああ!!!」

444 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:57

ああ。
ああ。
ああ。
なぐらないで。
おねがい、なぐらないで。
それいじょう、みないで。
さわらないで。
おねがい。
あたしなら、なんでもするから。
あたしなら。
しんでもいい。
なんでもする。
だから。
だから。
おねがい。

445 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:57

あや。


「やぁ…あぁああ!!」


あや。


「いやぁあぁぁっ…!」



あや…


446 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 22:58

「…ぁ、や……」


その光景を見ながら後悔した。

自分のせいだ。
自分が平気な顔してたから。
変に意地張ったりしなきゃよかった。
あいつがして欲しいように、醜く泣けばよかった。
どうにかして、土下座でもして謝って、許してもらえばよかった。
どんなに惨めな姿になってもいいから、あいつから早く遠ざかるべきだった…って。


「…う…っ、う……っ…」

何もかも、もう手遅れなんだって。
そう思った瞬間、泣けてきた。

447 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:00

「ぅ、うっ…うう…」
「あ、ねえねえ、泣いてる?泣いてる?きゃはははっ!泣いてる!」


自分が笑われようと、何されようともうなんとも思わないだろう。
だから、時を戻して欲しい。
あたしは何でもした。

目を閉じて、目を開けて。
世界は変わらない。
あたしはただここで羽交い絞めにされて涙を流すしか出来なかった。

448 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:00


+++++


449 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:00

「ねえねえ、妹気絶しちゃったじゃん。こいつもヤっちゃっていいよ」
「あーだめだめ、俺今抵抗されないと勃たない。こいつもうイっちゃってんじゃん」
「あっはっは、趣味わりー。でもこの女に喜んで群がる奴らの方が趣味悪いか」
「えーこんなさわやか系のツラしてんのにヤリまくってんの?こいつ」
「バーカ、こういう見た目の方がすごいんだって。絶対すっげー使い回された身体してるって」
「はは。あー、妹ちゃんは処女だったなありゃ。かーわいそうに」
「こんなお姉ちゃんもったばっかりにねぇ…あははははっ、やべー、うけるんだけど!
 見てよこのボケた顔!写真撮りたい写真!」

髪を引っ張って頭を持ち上げられる。
でも痛みも何も、もう感じなかった。



薄れ行く意識の中で。
いもうと、という言葉だけが頭で何度も再生された。


450 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:01

意識が戻ったとき、あたし達は病院にいた。


以前からあの辺りは薬物乱用者の溜まり場として注意されている場所だった。
何もかも終わった後で、警察は入ってきたんだ。
意識を失っているあたしたちを放り出して、そこは終わった人間たちが涎をたらして笑っていたんだろう。
それくらいの状態じゃなかったら、何されるかわからないから。自分の身が惜しいから。
仲間が集まるまで突入しなかった警察官が存在する。
そう思うだけで、公務員全部を憎んでしまいそうだった。

だから、その場であいつやその仲間たちは捕まった。
あたしたちは病院へ運ばれた。

451 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:01

亜弥は、目を覚ました時から特に怯えたり泣いたりする様子はなかった。
傷が治るにつれて少しずつ会話もするようになった。

あの日の出来事のことは一言も話さなかった。
忘れているのかもしれない、と医者は言った。
忘れているんだとしたら、それはどんなにか幸福だろうかと思った。
事実は消えないけど、脳みそが消しゴムを使ってくれたんだとしたら。
あたしひとりが覚えていれば十分だ。
そう思った。

母親は、亜弥の身に起こったことを全て知った。
あたしが原因だという事も。
けれど母親は何も言わなかった。
ただ、病院から家に帰りあたしが自分の部屋に戻ると毎晩のように泣いていることをあたしは知っていた。
あたしはそれを知っていても、なんの言葉もかけることは出来なかった。
あたしにはかけるべき言葉などなく、かける資格すらなく。
この家は壊れてしまった。
あたしが壊したのだ。

452 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:02

亜弥は普通に笑っているような感じだった。
けど、亜弥との会話は皆、必要以上に気を遣った。
何か連想させるような単語や仕草なんかをしないように、びくびくしながら生活した。
あたしは、あたしを見るだけで思い出すんじゃないかって怯えていた。
亜弥との会話も減った。
亜弥と二人でいることが怖かった。
美貴を家に呼ぶ時間も増えた。亜弥を美貴に押し付けて、あたしは怯えた。

あたしの学校生活は平穏を取り戻した。
けれど、あたしはその毎日を一日だって楽しいとは思えなかった。
友達も何もなかったかのように戻ってきた。
バレー部の人もまた戻ってこないかと言ってきた。
そのどれも、あたしは素直に笑えることなんてなかった。

453 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:02

亜弥は笑っていた。
学校にも、怪我が治ってから普通に通った。
普通に暮らした。
食事も、睡眠も、活動全てが変わらなかった。

454 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:02





























                              自殺した。
455 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:02

毎日車で送り迎えされていた亜弥が、何故かその日はなかなか校門をくぐらなくて。
心配になった母親は教師に尋ねた。
亜弥はとっくに帰ったと、その教師は言った。

あたしと美貴はその連絡を聞いて走りだした。


亜弥がいなくなった。
亜弥がいなくなった。


また誰かが亜弥を攫ったのかもしれないとか。
色んな不安に吐き気がこみ上げて。
走った。

456 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:03

亜弥を見つけたのは美貴だった。
亜弥は、美貴との思い出の場所にいたらしかった。


そこで、首を吊っていたらしかった。


亜弥は何も忘れてなんてなかった。
ただ、気丈に忘れようと振舞っていた。
でも、結果頑張りすぎた。

事実はそう語っていた。
知った瞬間爪が頭皮に食い込んだ。
一瞬でもあの日の出来事から逃れたあたし自身を許すことが出来なかった。
亜弥は毎日どんな瞬間も、あの日の出来事に飲み込まれていたのに。
亜弥は、あたしに、母親に、美貴に心配かけまいと…ボロボロの心で笑ってたんだ。

457 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:03

亜弥。
亜弥。
亜弥。


亜弥亜弥亜弥亜弥亜弥亜弥
458 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:04






「あぁあああああああ!!!!!」






走った。
叫んで。
走った。

459 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:04

あたしが亜弥に再会した時には、もう病院で横たわっていた。


「――――、ぐぅ…っ」


それだけで胃液まで全て吐いた。泣きながら吐いた。
悲しみと憎しみと後悔と自責の念と何もかもが、あたしの胃を痙攣させた。

460 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:05

美貴はどんな気持ちだったろう。
愛する人が、目の前で死んでいるのを見つけたのは、どんな気持ちだったろう。
病院でまた会った美貴は、じっと自分の指を見ていた。
亜弥を見つけてから連絡するまで、取り乱した様子はなかったらしい。
もうきっと、いつかの時点で美貴は壊れていたんだろう。

美貴は、もう戻らない愛する恋人の葬式でも、ただじっと指を見つめていた。
膝の上に置かれた指は細くて。
その横顔に、何も感じ取れない自分が悲しくて。
こんなに一緒にいたのに。
今、美貴になにを言えばいいのかわからない。
あの時と同じだ。
亜弥に、あたしはなにを言えばいいのかわからなかった。

…いつも。
あたしが悪いのに、あたしは何も出来ない。

461 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:05


「――――っ」


あたしは葬式の途中でまた吐き気がしてトイレに駆け込んだ。


「っ、う……げほ、ご…げほっ、げほ…」


吐き気だけだ。
当然だ。
亜弥が死んでから、まともに食事をとっていない。

462 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:05

それでも。
弱いだけの、生きている自分にすら吐き気がした。
亜弥の友達が皆泣いていた。
亜弥はたくさんの人に愛されていた。
間違っても、亜弥があんな目に遭って自ら命を絶つ必要性が感じられなかった。


亜弥の苦しみも。
美貴の苦しみも。
母親の苦しみも。
あたしのせいだから…あたしが、全部代わってあげたかった。
代われるんだったら、何でもしたいと思った。


全部があたしのせいだった。
全部の愛を、日常を、あたしが壊した。

463 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:07

「ぅ…え…っ、ごほっ、ごほっ……」
あたしが。
あたしが。
あたしが。
そう思うだけで、何も入っていないのに吐き気が止まらなかった。
胃がギリギリと痛んで、頭がガンガンと痛んで、ぐるぐるとまわって。


いつの間にか、あたしは意識を失っていたらしかった。


464 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:07


「よっちゃん、よっちゃん」


465 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:07

あたしの髪を撫でて囁く声は甘かった。
意識が戻ったあたしの横で美貴は笑っていた。
でもあたしを見てはいなかった。

すう、と血の気が引いていく。
…恐ろしい、と感じてしまった。


「大丈夫?」
「……」

466 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:08

「よっちゃん、…痩せちゃったね」
「……」
そう言う美貴の腕も随分細くなっていた。
胸が痛む。

「よっちゃん、好きだよ」
「え?」
「……」
「……」


疲れ切った美貴は、あたしの頬と、瞼と、唇にそっとキスをした。


467 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:08

「…み、き」
「ん?」



その、無邪気な顔。



驚きは、悲しみに色を変えた。
あまりにも悲しくて苦しくて、涙が出た。
その涙にも、美貴はくちづけた。
そしてまた笑った。

468 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:08



「よっちゃん、ミキにもキスして」




あたしがゆっくりとからっぽの身体を起こすと、美貴はまたあたしにキスをした。
あたしはその唇に噛み付いた。


あたしたちは太い点滴を受けた腕を絡ませ合いながらキスをした。

469 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:09

初めてする親友とのキス。
美貴の唇は熱くて柔らかいけど、冷たかった。
亜弥がいなければ、美貴も死んでしまうんだ。身体がそう知った。
悲しみに、何もかもを受け入れる覚悟を詰め込んで。


「よっちゃん……大好き…」
「……」


470 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:09

それから美貴はあたしに依存するようになった。
ずっと側にいて離れなくなった。毎日会わなかったら泣くようになった。
キスはもちろん、それ以上のことも毎日のようにした。普通じゃないようなセックスをした。朝までした。


だんだんと美貴は感情の起伏が激しくなっていった。
もう寝よう、と言っただけで物を投げて泣いた。
かと思ったら、糸が切れたように眠った。
起きたら大笑いしていた。
昼間には大泣きしてた。



あたしはただ、あやふやに笑った。

471 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:09

あたしは亜弥が死んでから母親と二人暮らしだった。
けれど母さんは亜弥が死んだ後何年かで病気で死んだ。
その時に美貴は実家を飛び出して、あたしと美貴は二人で生活を始めた。
そうして美貴の依存はさらに強くなった。

でもあたしは、美貴に対してできる限りのことはしようと思った。
美貴の大切な人を奪ったのはあたしだから。
美貴が幸せになれるんだったら、そのためにはなんでもしようって思った。


でも、違った。
罪を償ってるつもりだった。
でも、違った。

472 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:10

毎日不安と暗い未来に押し潰されそうになった時間。
毎日泣きたくても泣く方法すら押し込んだ時間。
悲しみに漬かった時間。
絶望と後悔と諦めを抱えて眠れなかった時間。

お金がないから選んだバイトは、家庭教師。
たまたま選んだ家庭教師。
そう、全くの偶然はいつからか必然に思えるようになった。

473 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:10




そこで、小春と出会った。






…小春が、あたし達を救った。
小春の輝きが、やさしさが、限りない愛が。
あたし達の暗闇を照らした。

474 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:10


あたしたちの過去は消えないけど、あたし達の未来はいくらでもいいものに出来る。
そう、教えてくれた。



小春があたし達を救ったんだよ。


475 名前:亜弥とひーちゃん 投稿日:2007/07/31(火) 23:11


*****


476 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/31(火) 23:20
番外編その1、『亜弥とひーちゃん』終わりです。
ミュージックフェアのよしあやがとても良かったのですがお構いなしです。
悪役に架空の名前を使いましたが、同名の方が読んでいらしたら本当すみません…

>>408さん
この微妙な三角形における吉澤さんの複雑な心境を感じてくれると嬉しいです。
ちなみに作者とても書いていて楽しかったですw

>>409さん
ありがとうございます。
今回さらに大量になってしまいました;
この組み合わせにおける『ひーちゃん』を固めてくれたあのお方には
飼育の片隅でひっそり感謝しております。
いつか、『ひーちゃん』と呼ぶと幸せな感じのするお話が書きたいです。
よしあや大好きなので。
477 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/01(水) 01:37
更新お疲れ様デス。。。
今回は痛いシーンがありましたね…。
泣きそうになりました。
素晴らしかったです。
私もよしあや大好きなので、その“いつか”が来ることを楽しみにしてます。
478 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/08/04(土) 17:05
大量更新お疲れ様です。
Mフェアが素晴らしすぎてリピートしまくりの日々です。ありゃ反則です。
正直ここまで心を抉られる作品は久しぶりです。読むたび苦しいけどハマります。
今はただどこかに一筋でも救いを求めてやみません。
次回も楽しみにしています。
479 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:50

話が終わった後、小春は涙を我慢できなかった。


「っ…うっ……ふぅう…ふぅー…」

肩を大きく上下させて泣きじゃくる小春を、そっとひとみは抱きしめた。
小春は、ただ悲しくて。
悲しみをたくさん背負った人を、ぎゅっと抱きしめ返した。

「ん…でもね、小春と出会えたからあたしたち、こんな出来事も乗り越える決意がついたんだよ。
 小春はすごいね。…あたし、小春に出会えて、本当によかった」
「うぅっ、うっ…!うぅう…」
「もぉー泣かないでよぉ」
「んっ…うっ…ふぅー…」
「よしよし」
「……っく、っく…うぅう」
480 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:51
小春の涙は止まらない。
何が悲しいのかって、全てが悲しすぎて。
それでも、嬉しくて。
出会えて良かったって言ってくれたのが嬉しくて。
涙は止まらなかった。


「せんせ…っ」
「ん?」
481 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:51



「…だいすき……」


小春の心いっぱいの告白。
その告白に、今度こそひとみは真っ直ぐ向き合う。


小春の真っ直ぐは折れることなんてない。
ぶつかっても、折れたりせずに。
時にひとみを貫き、時にひとみをふわりと包み込んでくれた。
482 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:52
そっと、小春の額に自分の額を合わせてひとみは目を閉じた。


「ん…あたしは、小春のだいすきにはちゃんと応えてあげられない。
 でも、小春のことが必要なの。側にいたい。……側に、いさせてくれる?」


額を離して、目を開く。
そこには、まだ涙でいっぱいだけど、いつもの最高の笑顔の小春がいた。

「………っ、はい…!」
「嬉しい。ありがと……大好きだよ、小春」
「えへへっ…えへへぇ」
「ふふっ」

そしてまた、二人は額を寄せ合って目を閉じた。
483 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:52



「…だいすき」
「大好き…」



小春の心にも、ひとみの心にも。
それぞれ違う響きで好きがしみこんでいく。
心地良い。
484 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:53


……その大好きがあれば、この先も元気で生きていける気がした。



きっと、この先叶わない恋は少しずつ美しい思い出になって。
いつか新しい恋をしても、忘れることの出来ないものになって。
宝物みたいな、キラキラの思い出になって。
辛かったことの数だけ、キラキラになって。
初めての愛は、失恋になっちゃったけど。
小春は、愛でこんなにあったかい気持ちでいられることを知った。
485 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:53


……そのだいすきがあれば、この先も少しだけ明るい気がした。



きっと、この先消えない過去は少しずつ強くなるための糧になって。
いつかまた傷ついても、大切なこの少女の笑顔で頑張れる。
宝物みたいな、キラキラの思い出になって。
傷つけてしまった分だけ、かけがえのないものになって。
初めての愛を、叶えてあげられないのは残念だけど。
ひとみは、愛でこんなにあったかい気持ちでいられることを知った。
486 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:54
違う愛でも、愛に変わりはない。
愛は、全て愛。
愛って、あったかいね。
どんな愛でも、こんなにあったかい。

この世界をつくっているのは誰かを思うその愛。
色々な愛情が、世界を回してるんだ。


今、愛の中で。
…こんなに、心があったかい。
487 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:54
「……小春ぅ」
「はい…?」
「んははっ」


いきなりひとみがぐりぐりと額を擦り付けてきた。
ちょっとだけ痛くてふわぁ、と小春が声を上げると、ひとみはニヤリと笑って。


「退院したら、一気に勉強するよ。みっちり鍛えてやるから覚悟しとけよ」
「………うぇえええーっ!?やぁーだぁーっ!」
「だめー。ふっふっふ…楽しみだねぇ…」
「ふぁあぁ……」
488 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:55
…。
一瞬の沈黙の後。


「あははっ」
「…えへへへ」


小春の顔を見て噴き出したひと。
そのだいすきなひとに、小春も最高の笑顔を浮かべた。


永遠の輝きを持った、愛に満ち溢れた笑顔を。


489 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:55


+++++


490 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:56
ピーンポーン。

決まった時間に鳴る音。
小春は待ちきれずに走って玄関のドアを開いた。

「はぁーいっ」

ガチャッ。
キィ…


するとそこには、いつものように…やさしい笑顔のだいすきな先生が立っていた。
だいすきで、大好きな。
491 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:56

「こんにちは、小春」


向けられた笑顔に、もっともっと笑顔で返す。


「こんにちわっ、先生!」


たまらずに小春はひとみに抱きついた。
ひとみも笑顔でそれを受け止めた。

492 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:57
何かあっても。
めぐりめぐって、結局いつかは日常が戻ってくる。

でも、それはきっと何かが起こる前とは…絶対に、違う。
自分が変わってる。きっと…もっと素敵な自分に。
なってるよね?
前より綺麗で魅力的な女の子に。


先生…先生に、出会えてよかった。
コハルも、心からそう思います。
493 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:57
「わぁーっ、久しぶりだぁーっ」
「そうだねぇ…覚悟はいい?ビシバシいくからね」
「ぁ。………え…えぇー?そんなこと言ってましたっけぇー?」
「おいおいとぼけんじゃねーよ。今の間が全てを物語ってるんだよ」
「だって、やぁーだぁー!やりたくないよぅ」
「問答無用。ほら、やるぞ!いくぞ!」


「…ふぁーい……もぉ、先生のバカー!」
「バカ…か。全くもって小春には言われる覚えがない!」
「はっ!……ごもっともでございます…」
「えっ?何?今難しい言葉使った?」
「えへへへぇー、どうだ参ったかぁ!」
「頭打って逆に賢くなったみたいだね」
「な…逆ってどういうことですかぁーっ!」
「そのまんまの意味だけどー?」
494 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:58

言い争うような口調になりながら、笑顔が止まらないのは。
別にもともとこんな顔だからってわけじゃないんですよ。
先生がここにいるのがすごいなって、嬉しいからなんですよ。



「ほら、行こう」


「はぁーいっ」




ひとみが差し出した手を小春はとって、ぎゅっと握り締めた。
そして進み始めた。
495 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 22:58

まだ見ぬ未来へ、歩き始めた。




愛して見つけた光。
愛されて見つけた光。
眩しいほどに白いのに、泣けるほどにやさしい。


永遠に。


側にいて、この先の道を照らして欲しい。


496 名前:5 だいすきなせんせい 投稿日:2007/08/04(土) 23:31
エターナルクス第一部終了です。
ここまで読んで頂いた方々全てに心よりお礼申し上げます。

この後は番外編をいくつか書いて、エターナルクス第二部に移りたいと思います。
新しいキャラクターもたくさん出していきたいので宜しくお願いします!

>>477さん
ありがとうございます。
本当にいつか書きたいです、よしあや。

>>478さん
ありがとうございます。
Mフェアいいですよね!

過去は暗くてもこの先が暗いかどうかは自分が決めることです。
この話は過去の暗さの分だけ未来に明るさをもたらせたらなあと思って書いています。
番外編も過去の話が結構多いのでまだまだ暗さには困りませんw
497 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/05(日) 00:06
お疲れ様でした。ずっとROMっていましたがとても面白かったです。
簡素な感想しか言えない私を許してください…。
第二部も期待しています、頑張ってください。
498 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/08/07(火) 14:41
第一部完お疲れ様でした。
素晴らしい。そしていっぱい泣きました。
いろんなことが頭の中をぐるぐる。やばい。
その先の空へまだ見ぬ未来へ 胸に愛を抱いて歩いて行く姿を見守りたいです。
番外編と第二部に期待しています。
499 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:17
「じゃあ、またね」
「うん」


よっちゃんは少し伸びた髪を弄って軽く俯いていた。
なんだか少しだけ名残惜しかった。

その薄い唇に、軽く唇を重ねた。

よっちゃんは笑顔になって、ミキをしっかりと見た。
もう一度だけ、軽く唇を重ねた。

友情のキス。
っていったら、おかしいんだろうか。
でも今ここにある気持ちは、友達だからキスしたいみたいな気持ちだから。
よっちゃんもそうだから。
誰が何と言おうと、二人にはそういうものがはっきりと見えてる。
500 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:17
今日は、よっちゃんの家を出る日だった。
ミキはよっちゃんの家を出て、少し離れた場所にある実家に帰る。
別に会えなくなるわけじゃないし、っていうかしょっちゅう会うと思うけど、
この名残惜しい別れはそういうものを意味してるんじゃない。

傷つけ合った過去とのさよなら。
これからの未来を作るための、さよなら。

久々にミキは、よっちゃんと亜弥ちゃんが似てることを嬉しく思った。


亜弥ちゃんの記憶が蘇る。


それは、甘い香りと、柔らかい触り心地と…少しだけ痛い、記憶。
501 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:28


エターナルクス the past drops
『ミキたんと亜弥ちゃん』
502 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:28
亜弥ちゃんを語るには、よっちゃんとの出会いを語らなければならない。
よっちゃんと出会ったから、亜弥ちゃんと出会ったのかなとも思うし。


中学で知り合ったよっちゃんは、ヘラヘラしてるけどいいやつで、
なんか知らないけどとりあえず見てくれは無駄に良くて、
スポーツやらせたらなんか様になるからかっこいーとか言われてた。

まあミキもかっこいいとは思ってたけど、好きにはならなかった。
好きになったらめんどくさそうだなっていうのがなんとなくわかってた。
社交的なわりにどことなく心開かないところがあって、言いたくないことはとことんだんまりで。
プライドが高くて、一度ぶつかったらきっと互いに頑固だから元に戻れないような感じがした。
よっちゃんとは長く仲良くやっていきたいと思った。

よっちゃんのことはいいやつだと思うからこそ、踏み越えてはいけない領域には踏み込まないようにした。
彼女には、侵してはいけない世界が存在した。
そこを上手く踏み越える自信がなかったから、ミキは友達でいることにした。


そんな中で、亜弥ちゃんと出会った。
503 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:30
ある日よっちゃんの家にお邪魔することになって、家まで続く道を二人で歩いた。

「よっちゃんって一人っ子?」
「んや、妹がいる。サルっぽいの」
「あー、でもよっちゃん姉っぽいかも。…サル?」
「うん、あたしとは顔立ちはあんまり似てないかな。あたしは母さん似だけど亜弥は… 
 ああ、名前亜弥って言うのね、妹。亜弥は父さん似だから」
「へえー」
「生意気盛りだよ。毎日のように喧嘩してるからね」
「あははっ」


よっちゃんの妹。
似ていないとはいえ、きっとさぞかし綺麗な子なんだろうなと期待した。


「ただいまー」
「おじゃましまーす」

よっちゃんとミキの声がよっちゃんの家に響いた。
よっちゃんの家は花の香りがした。すごくいい匂い。
すると、ぱたぱたと足音が聞こえてきた。
二階から駆け下りてくる姿。
…あれが…
504 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:35
「ひーちゃんおかえり!誰?友達?」
「ん、ほれ」


あの時。
ミキを亜弥ちゃんに、亜弥ちゃんをミキに見せようとよっちゃんが体をよけて…
亜弥ちゃんとミキを隔てるものが何もなくなった。

その時。

…わ。
わ、わ。
かわいい。


「…」
「…」


亜弥ちゃんも、ミキを見て固まっているようだった。
それがなんなのかまではミキはわかっていなかった。
人見知りか、…あるいは。
そこまで考えることは出来なかった。
505 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:35

「…何、ガン飛ばし合い?」

よっちゃんがぽかーんと見詰め合っているだけのミキ達にすかさず突っ込みを入れる。
いつものミキなら二言三言返してやるところなのに…ミキはその瞬間慌てて、

「あ、藤本美貴、です…よろしくね」

としか言えなかった。
我ながら何の芸もない、自己紹介だった。


「…吉澤亜弥です。よろしくお願いします」

亜弥ちゃんも、ただそう答えた。


でもその時にわかったのだった。
…それで十分だと。
前もってよっちゃんから聞かされていたその名前。
なのに、こんなにも特別な響きに感じた。不思議だった。
506 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:36
亜弥ちゃんは色素が薄くて、茶色い目の奥の意志の強さが綺麗だと思った。
そのくせ、にこって笑うとすごくかわいかった。
亜弥ちゃんの、見た目だけじゃなくて。仕草とか、声とか、よっちゃんを見上げてる時の溢れる暖かさとか。
生意気な言い草とか…全部に惹かれた。

亜弥ちゃんに、また会いたいなって…初めて会った時から思った。
そんな感情初めてで、戸惑った。
これが恋なのか、って思ったら、急に恥ずかしくなった。
そして、家についてすぐにまた亜弥ちゃんに会いたくなった。
でもいきなりまた家に押しかけるのは迷惑だろうから、電話をしてみることにした。
電話くらいなら、きっと嫌がらないでくれるかなって思った。

メモリーから『亜弥ちゃん』を探す。
そこに表示された11個の数字。
これがミキと亜弥ちゃんを繋ぐ。
そう、それだけでこんなにも胸がどきどきする。
507 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:37

「…亜弥、ちゃん…」


よし、電話しよう。
思うけれど、何故だか通話ボタンが押せない。
…緊張して、手が震える。


すると、電話が手に持った瞬間鳴り出した。
びっくりしたけど、それは登録したばかりの『亜弥ちゃん』と表示されていた。


「…え」


どくんっ。
心臓が高鳴った。
508 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:37
息を吸って、吐いて。
でもすごく急いで通話ボタンを押し耳に携帯電話を押し当てた。
吐き出す息がふるふると震える。


『…もしもし』
「…もしもし…」

『こんばんはっ、いきなり、電話して、ごめんなさい…』
「ううん、ミキも今亜弥ちゃんに電話しようって思ったの」
『……え?』
「なんかね、急に亜弥ちゃんに今会いたいなって思ったんだけどね。
 いきなり今から会いに行くのはちょっと迷惑かなって思ったから…電話しようと思ったの」

『…あたしも』
「え?」
『…あたしも、今、藤本先輩に…会いたいって、思ってたんです。
 でも、先輩の家知らないし、じゃあ声だけでもって…思って』
「…ホント?」
『……は、いっ』
509 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:37

シンパシー。

亜弥ちゃんの心が、聞こえてきそう。
亜弥ちゃん。
…今、もしかして、すっごくドキドキしてない?

「あのさ」
『は、はいっ?』
「…明日も、会えないかな」
『…はい、会いたい、です』
「二人っきりで。よっちゃんには内緒で」
『にゃははっ、いいですねぇ……会いましょう』
「うん。…じゃあ明日こっそり、待ち合わせしよっか」
『はいっ』
510 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:37
びっくりするくらい、二人の心は重なっていた。
磁石みたいに、自然と惹かれていった。

…ねえ。
きっと、うちら、いい恋するよね。
二人で、いい恋愛できそうじゃない?


そう思うと、笑顔がこぼれてきた。
511 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:38


+++++


512 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:38
「藤本先輩っ」
「亜弥ちゃん、こんにちは」
「こんにちわぁー」

亜弥ちゃんが嬉しそうに駆けてくる。
ミキもその笑顔につられて笑った。


「あ、あのっ、お待たせしちゃいましたか」
「ううん、ミキもついさっき来たところだから」
「あ…よかったぁ。どうしても着ていく服が決まらなくて…出発予定時間過ぎちゃったんです。
 でも、考えた割に、変なんですけど…」

亜弥ちゃんはしきりに服を見て困ったように眉をしかめる。
変というけれど、亜弥ちゃんはすごくかわいらしい服を着ていた。
考えすぎてむしろおかしくなってしまうことはあるけれど、
ミキはそれを見て全然変だとは思わなかった。
513 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:39
「ううん、すごくかわいいよ」

思ったままにそう言うと、亜弥ちゃんは白い肌を真っ赤に染めて照れた。

「…ありがとうございます」

あんまり嬉しそうに笑うから。
…やっぱりミキはつられて笑ってしまうのだった。


その日、初めて亜弥ちゃんと二人で遊んだ。
亜弥ちゃんとミキは不思議なほど相性ぴったりで、
趣味も価値観もジグソーパズルの足りない1ピースを埋め合うかのようにしっくりとはまって美しかった。
亜弥ちゃんは年の割にはしっかりしていたし、ずっとずっと魅力的だった。
その日1日遊んだだけで、どれほど亜弥ちゃんに心奪われただろう。
一瞬一瞬の表情が見逃せなくて、一言一言に一喜一憂して。
514 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:39
「じゃあ、また遊ぼうね」
「はいっ、必ずですよ」


別れるときには既に次の遊びの計画を立てていた。
別れた瞬間に次会える時間が楽しみだった。
その日会ったのに、夜にはまた電話した。

亜弥ちゃんの携帯電話にはミキがいっぱいになった。
同じように、ミキの携帯も亜弥ちゃんでいっぱいだった。
誰に怒られても、誰が邪魔しても、誰も二人の繋がりを断ち切ることは出来なかった。


亜弥ちゃんとの関係を取り持って欲しいとよっちゃんに頼むのは、簡単だろう。近道だろう。
けれどそれはしたくなかった。ミキ達はミキ達だけの力で惹かれ合ってみたかった。
それはもしかしたら、思春期の反抗期みたいなものだったのかもしれないけど。
なんか知らないけど、互いによっちゃんのことはあまり口に出さなかった。

よっちゃんは悟りながら、気付かない振りしているようだった。
その横顔は相変わらず大人びてて少し堅い。
けど、綺麗だと思う。
515 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:40


+++++


516 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:40
亜弥ちゃんと二人で会ったり、頻繁に連絡を取ったりするようになってもうすぐで半年。
亜弥ちゃんに『ミキたん』と呼ばれ、話すとき敬語を使うことはなくなっていた。
会うたびに思いを重ねあって、親しくなっていって。

ミキはまだ中学生。
亜弥ちゃんはまだ小学生。
不思議だ。…そんな感じしない。
ミキもまた、自分が今中学生だという感じがしなかった。
まるで大人みたいに、結婚の約束をするみたいに、
亜弥ちゃんを好きじゃなくなる未来も、亜弥ちゃんのいない未来も考えられなかった。
こんな若いのに。
ミキは、こんなにもかけがえのない愛を手に入れた。
517 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:48
その日は亜弥ちゃんの小学校の卒業式だった。
少し早くから春休みに入っていたミキはいつもの公園で亜弥ちゃんを待っていた。
ずっとずっと抱えていた感情を、この日ミキは言葉にすると決めていた。

「たーん!」

初めて待ち合わせた日のように、亜弥ちゃんが駆けてくる。
あの日よりずっと大人っぽくなって、亜弥ちゃんは駆けてくる。
それはただ、眩しくて。
自分の気持ちを再確認するには十分で。
ただ、愛しい。
そんな気持ちでいっぱいになる。


「…はぁ、はぁ…走ってきちゃったよぉ。
 卒業式すごく泣いちゃった、にゃはは。中学同じの人結構多いんだけどね」
「…」
「…たん?」
518 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:48
「………亜弥ちゃん」
「!…」


ミキの表情を見て、何か察したように慣れない制服姿の亜弥ちゃんは姿勢を正した。
少しまだ肌寒い、春の始まり。
桜の蕾が木を眺めれば見える季節。
初めて2人で会った場所…いつも2人で過ごすこの公園で、ミキは言葉を紡ぐ。


「この日が来たら、言おうと思ってた」
「……うん」


「ミキは、亜弥ちゃんが大好き。恋人にしたいという気持ちで、好きだよ。
 よかったら、ミキの恋人になってください」

519 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:48
ひとつ、息をついて。
亜弥ちゃんは、その言葉に心から穏やかに笑った。
デジャヴ。
まるで前世からその光景を見ていたかのような感覚。
その笑顔を見たとき、それが当たり前すぎて幸せだった。


「…ありがとう、ミキたん。すごくすごく嬉しい…ずっと、その言葉を待ってた。
 ……恋人に、なりましょう。幸せになろうね。大好きだよ、ミキたん」


ミキはホッとして…その瞬間に弾けるように亜弥ちゃんを抱きしめていた。
亜弥ちゃんが優しく包み込んでくれた。
亜弥ちゃんの柔らかな体。
柔らかな髪。
優しい時間。
全部、ミキだけのもの。
520 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:48
「…亜弥ちゃん」
「ん?なあに」
「…キス、してみよっか」
「………うん」


誓うように。
祈るように。
キスはほんの少し唇をかすめるようなものだった。
でも、その感触をきっと一生忘れないんだろうなと思う。


初めて重ねた唇。
けれど初めての感じがしなかった。
それは、何がそう思わせたんだろう。前世かなんかでも、亜弥ちゃんとこうしていたんだろうか。
そんなの信じるタチじゃないくせに、それくらい、心からこの人しか考えられなかった。
亜弥ちゃんの全てを好きだった。
若いと、一過性の感情だと、誰も笑うかもしれない。
けれどミキは確実に亜弥ちゃんを愛していた。
521 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:49

ミキの人生は亜弥ちゃんがいなきゃいけない。
そう思った。


この先の未来を、誓った。

522 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/15(水) 22:51
更新終了です。
エターナルクス番外編『ミキたんと亜弥ちゃん』前編でした。

>>497さん
ありがとうございます。
これからもちょっとずつ頑張っていくので宜しくお願いいたします。

>>498さん
ありがとうございます。
まだ辛い過去の話になりますが、どうかお付き合い下さい。
523 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/08/16(木) 21:57
更新お疲れ様です。
この人視点が来るかなと密かに期待しておりました。
出会うのも運命、恋に落ちるのもまた運命。
次回も期待しています。
524 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:31
時は意外と早く流れ、いつの間にかミキの中学校生活は終わっていった。
ミキと亜弥ちゃん、そしてよっちゃん…皆、少しずつ大人に近づいていく。
よっちゃんとミキは高校生になった。
でも亜弥ちゃんとミキの関係はもちろん、よっちゃんとミキの関係も、よっちゃんと亜弥ちゃんの関係も、
何も、変わることはなかった。
これからも変わらないと信じて疑う日なんて一日もなかった。

それはどんなにか幸せで幼い心だったろうか。
あの頃の心はきっと、もう持てないのだ。
だって知ってしまったから。
生きているうち、変わらないことなんて一つもありはしない。
ただ人は生まれ死ぬことだけで、いっぱいいっぱいなんだということ。
それ以上のことを変わらずに留めておくなんてことは小さな人間には出来ないことを知った。
525 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:32
高校生活は始まったばかりだけど。
よっちゃんはその学年、いや学校でも明らかに目立っていた。
ミキもまあ目立っていたけど、あの抜けるような肌と顔立ちは比較にならないほど人の目を引いた。
バレー部になんかも入ってた。なんか軽くレギュラーなんてとっちゃってた。
ホントスポーツに関してはセンス抜群な彼女だ。
しかしそれはさらに彼女の知名度を高めることになった。

ミキも、その存在を悪い意味で注目されるようになった。
よっちゃんが部活に精を出している頃、
宿題を忘れてきて居残りさせられているミキを訪ねてくる先輩方は多かった。

「藤本さんって、よっすぃーと付き合ってるの?」
「付き合ってないです。よっちゃんの妹と付き合ってるんです」
「…あ、そう、なんだぁー…だから仲良しなんだね」
「や、よっちゃんはよっちゃんでイイ奴なんで仲良いんです。…まあ、安心してください。付き合ってないんで」
「………じゃあ、もうちょっとよっすぃーと距離置いてくれないかな…うちの後輩言ってたんだけどさ、
 藤本さんが怖くて近寄れないって…」
「や、それは違いますよね。別にミキよっちゃんに近づくなアピールしてるつもりはないんで、
 どんどん来て下さいってその後輩?にも伝えてください。ミキは別に邪魔とかしないんで」
526 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:33
ミキは基本物怖じなんて言葉知らないタイプだったから先輩にも自分の意見は通した。
それでもミキは嫌がらせもちょちょっと物隠される程度しか受けたことがない。
どうやらミキはこのちょっとだけ目つきの悪く見られがちな外見で得しているようだった。
よっちゃんの外見は得なのかそうでないのか。
外見で判断されることをよっちゃん自身が望んでいないのなら、それは得ではないのかもしれない。
けれど、とかくよっちゃんは外見が強烈だった。
それはもう、仕方のないことなんだ。

先輩方はミキの言ってることはもっともだと感じたのか、よっちゃんの周りには人が増えた。
告白されることも、誰かをきっかけにどどーっと増えた。
たまに付き合ったりもしているみたいだけど、どうやらよっちゃんは長続きしないタイプらしい。
3ヶ月程度でよっちゃんからごめんなさいをしているらしい。
527 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:33
よっちゃんもよっちゃんなりに努力はしてるんだろう。
好きになろう、好きだと思う相手を見つけようと。けれどそう上手くもいかないんだろう。
ミキたちみたいな例は特殊すぎる。
よっちゃんが多少理想を高くしてしまう気持ちもわかる気がした。それは悪いことをした。

よっちゃんは、OKした関係で起こる幸せがうちらの幸せを超えられない関係だと判断すると
付き合うという事をやめてしまうみたいだ。ハナから相手にこだわりをもててない。
…ミキが亜弥ちゃんじゃなきゃダメなように。
亜弥ちゃんが、ミキじゃなきゃダメなように。
そんな理想を、よっちゃんはあんな恵まれた容姿と物腰で求めすぎている。
いや、あの美しさこそ理想を上げてしまうのだろうか。
528 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:35
そんな毎日も大分落ち着いてきた頃。
からかい半分みたいな男がよっちゃんに告白してきた。
告白を断るよっちゃんは時に氷で時にぶりっ子だから面白くてミキはどっからか見てるんだけど、
今回の男は明らかに不潔そうでよっちゃんが嫌いそうだった。
案の定、なれなれしくひとみちゃん呼ばわりする彼をばっさりと切り捨てよっちゃんは足早に去っていった。

ミキは必死こいて笑いを堪えた。
男のカッコ悪い姿ったら。
アレで自分いけてると思ってるところが痛いね、うん。


…うん、…確かにちょっとヤバげな雰囲気ではあった。


でも。
学校一タチの悪いグループのリーダー格の女とデキてる男だったと知ったのは、
よっちゃんがその女の集団にボコられた後だった。
痛いせいで、いつものヘラヘラすらちゃんと出来なくなってるよっちゃんの身体は、
予想以上に深く青黒と赤紫に染まっていた。
529 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:35
…綺麗なものほど壊したくなる衝動も、わからないではないけどさ。
よっちゃんは壊していい類の綺麗なものではない。
ましてや人間だ。
人間は人間によって理不尽に攻撃を加えられることを許してはいけない。
それがわからないやつはただの救いようのないバカだ。
そしてよっちゃんが敵に回してしまったあいつらは間違いなく救いようのないバカだった。


力なく笑顔を作ろうとするプライドの高いよっちゃん。
本当は弱虫だけど強がって胸を張るよっちゃん。
その強がりが壊れてしまうのは…だめだ。
よっちゃんが傷つくのなんて、いや。


そのときミキは、全力でよっちゃんを守ろうと誓った。
530 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:35
亜弥ちゃんには何も言わないでおいた。
必要以上に心配する彼女の姿が想像できるし、
姉としてもプライドとかあったりするんじゃないかなって勝手に思ったから。
よっちゃんが亜弥ちゃんにこのことを言う姿なんて想像もつかなかった。
そういうやつだ、よっちゃんは。
変に強がる。
強がらなくてもいい時ほどに妙に強がって強いふりをする。


よっちゃんへの嫌がらせは、地味で、けれど酷いものだった。
ただのやっかみ妬み嫉み。それの類が余りにもはっきりと現れていて残骸はとても醜くて、
よっちゃんがよっちゃんを憎む感情で汚される気がした。
だから、正直言ってよっちゃんが捨てられた教科書や靴を拾い上げるのすらいやだった。
早く手を洗えって思った。
でも当の本人は平気な顔して笑ってた。
531 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:36
…本当は、バレー部を退部にまで追い込まれた時に知った。
よっちゃんは泣いた。
初めて見た涙だった。
涙の雫は綺麗だと思った。
でも泣くのが下手だな、とも思った。
泣き方を知らない彼女の涙は、だからこそいとしくて、守ってあげたいと思った。


必ず、あんな奴らになんか負けない。
けれど、負け戦だとわかってただこうやって励ますことしか出来ない自分はずるいともちょっと思った。
自分がもし、よっちゃんと側にいることによって嫌がらせを受けたとしたら。
…ミキは、どうする。
たまにそう考えて、怖くなった。
ミキの怖い顔はたまには役に立つものだと自嘲した。
532 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:36
「たん?」

亜弥ちゃんがミキの名前を呼んだ。
そこで初めて、自分が立ち止まっていることに気がついた。
亜弥ちゃんが一歩前でミキを振り返っていた。


「…あ、ごめん…ぼーっとしてた」

無理に笑ってみせる。
よっちゃんの涙を見た次の日はさすがに頭から離れなくて、
亜弥ちゃんと過ごす日なのに少し沈んだ気持ちをどうすることも出来なかった。
今でもよっちゃんが苦しんでいるのかと思うと、自分だけが楽しんでいることにいたたまれなさを感じた。

亜弥ちゃんはきっと異変に気がついていた。
でも、何も聞かなかった。
言わないということは聞いて欲しくないことなのだと、頭のいい亜弥ちゃんはわかっていたのだろう。
それでも聞きたくなるであろう人間の好奇心やなんかを強く押さえつけて、
亜弥ちゃんはいつもよりも元気に喋っていた。
533 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:37
亜弥ちゃんには心配かけたくない。
亜弥ちゃんが何も知らず笑ってくれるだけでよっちゃんがどんなに救われるか。
亜弥ちゃんは関わらないで欲しい。
それは、二人の共通で無言の意見だった。

そのためにミキは今日を笑わなければいけない。
亜弥ちゃんと、いつものように濃密で甘ったるい時間を過ごさなければならない。
日常を崩したら負けだ。
あんなやつらに屈したりしない。
よっちゃんも、ミキも、負けない。
534 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:38

…ミキはなんて都合のいい人間なんだろう。

直接手を加えられているわけでもないのに被害者ぶって。
なにをしてあげられることもなく、こんな風に穏やかに亜弥ちゃんと過ごして。
結局は他人事に思っている自分がいるんだ。
…自分じゃなくて良かったとか、亜弥ちゃんじゃなくて良かったなんて…思ってる自分が…


考えたくなくて、ミキは亜弥ちゃんの手を引いて歩く。

535 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:39
…そんな矢先の出来事。


ミキの電話に、珍しい人からの連絡があった。
よっちゃんと亜弥ちゃんのお母さんだった。
どちらかというとよっちゃん似のお母さんは、早くに亡くなったお父さんのかわりに働いていて、
あまり家にいることはなかった。

でも、もう家に帰っている時間ではあった。
午後10時過ぎ。


…今日、亜弥ちゃんとよっちゃんが二人で出かけた。
それきり帰ってこない。
内容はそれだけだった。
536 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:40
けれど、一瞬で最悪の事態が頭をよぎった。
すぐに、アイツだとわかった。アイツ以外考えられない。

なんてことだ。
……こんなことまでしやがった。学校の外でまで、手を出しやがった。
ギリ、と歯軋りをする。


二人が。
…よっちゃんが。
殴られて。
…もしかしたら。

ぞっとした。
けど、申し訳ない…それ以上に頭の中を支配したのは、亜弥ちゃんだった。


…………亜弥、ちゃん…が……
さっき、よっちゃんで想像したことと同じことされて……死…………?
537 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:41
「いや…」


そう考えた瞬間、あてなんて全くないのに飛び出した。
あいつ等のことだ、ミキの知らないようなたまり場があるに決まってる。
そんなの、ミキは知らねえよ。
でも。
あいつら、クスリやってるっていう噂を聞いた。
たまり場なら警察で心当たりがあるかも知れない。
ダメで元々。
ミキは警察へ駆け込んだ。
538 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:42
「あのっ!」
「どうしました?」

最寄の交番。
そこには割と若めで大きな猫目の婦警がいた。
ミキは息も切れ切れにその人に縋るようにテーブルに手をついた。
その警察の人はミキを気遣うようにそっと体を支えてくれた。
けれどそれに感謝を述べる余裕もなければそのとき言うべき言葉自体を忘れていた。


「っ、友達が…っ、誘拐された…サオリ、っていう女が絡んでる、薬物使用者のたまり場に、多分いる…」
「……それは、本当ですか」
「っ、間違い、ないです…」

サオリ、の名にはっとしたらしかった。
警察の人は、視線を落として冷たい目をした。
何かファイルを取り出して、バサッと広げてミキに見せた。
見知った顔の写真と、サオリ、と読める漢字。
苗字は知らなかったけど、ミキの言う人がこいつではない可能性はゼロといっても良かった。
539 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:46
「この人で、間違いありませんね」
「はい」
「…過去にも補導歴のある、この辺じゃ有名な女ですよ。
 自分は直接手を下さずに、自分の腕にクスリを打ちながら気に入らない女性を仲間に殴らせたり
 強姦させたりしているのを笑って見ている。
 何度捕まってもそればかり繰り返していて、けれどまだ未成年だから…私達も非常に悩まされていて…」
「…………………っ、…溜まり場、教えてください!!!早く行かなきゃ…」
「君が行っても何も出来ないよ。私一人でだって無理。心当たりはある。
 応援を頼んで心当たりのある現場へ向かうから…君はここにいなさい」

ミキの抱く公務員のイメージとは違う、しっかりとした口調で喋る女の人だった。
けれど、ミキは首を振った。黙って待つなんて出来ない、と。


「君の気持ちはわかるけれど、もし友達の立場が君だったらと考えなさい。
 …君を助けに行った友人が怪我をしたり、巻き込まれて命を落としたりしたらどう思う?」
「……」
「必ず、助ける。…命だけでも…必ず…だから、お願い、ここで待ってて。
 それらしき子が見つかり次第連絡を入れるから」
540 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:46
命だけでも。
その言葉の奥に隠された意味を理解して、ミキは唇を噛んだ。
覚悟を決めなければいけない。
どこかでそう思った。
でも、僅かな希望に賭けた。


「………連れ去られたのは二人……姉妹…です……お願いします、ホントに大切な人達なんです」
「…わかった。じゃあ行くわ」
「はい」


去る警官の背中に、ミキは願いをこめて頭を深く下げた。
541 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/18(土) 23:52
『ミキたんと亜弥ちゃん』中編更新終了です。
警察のお世話にはなったことありませんので…難しかったですw

>>523さん
ありがとうございます。
期待にお答えできてますか…?
この二人の出会いに関してはリアルでもすごく運命を感じますね。
542 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/08/20(月) 01:48
更新お疲れ様です。
そうですね。運命。まさに運命。
そしてこの人視点の吉澤さんは儚くて健気でまっすぐですよね。
チクチクと痛む胸を押さえつつ静かに見守ります。
543 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/21(火) 11:01
私も>>542さんと同意。
息をひそめ見守ってます   作者さんガンバレ!!!
544 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:32
…待っている時間は、多分どの時間より長かった。
何をしている時間よりも長く感じた。

ミキは、最後に聞いた亜弥ちゃんの声と、最後に見たよっちゃんの照れ笑いを思い出していた。
上手く、思い出せないよ。
だって、当たり前だと思ってたから。
明日もまたそんな風にいられると思ってたから。
一生、そうだと思ってたんだよ。
一生幸せに、三人でいられると思ったのに。
なのに。
なんで?


「…っ…」


なんで。
なんで、よっちゃんや亜弥ちゃんがこんな目に遭わなきゃいけないの。
意味わかんない。意味わかんない。


涙が止まらない。
545 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:33


AM 0:14


546 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:33
深夜になった。
日付が変わった。
涙はまだ止まらない。
電話もまだ動かない。

誰も、ミキの気持ちなんか知らないで、交番の外を歩く人たちは死んだような顔のまま早足で歩いてる。

…あれでよかったのに。
あの中に紛れ込んで、亜弥ちゃんとよっちゃんがいれば、それで十分なのに。
それ以上を求めたことなんてなかったのに。
どうして。

そんな疑問ばかり、頭を行ったり来たり。
待つだけの不安な時間には、一時の休息も取れなかった。
落ち着こうと思っても、亜弥ちゃんのことばかり考えてしまうんだ。
考えたくなくても、よっちゃんのことばかり考えてしまう。

二人が、生きて家に帰る。
それがどうしてこんなにも遠い?
当たり前にいたはずの存在が、いなくなるなんてこと考えたくもなかった。
でも頭は勝手にどんどん考えていった。
547 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:34


AM 1:39
548 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:34
よっちゃん家のお母さんに電話をしてみた。
まだ起きていた。
交番にいること、警察が心当たりのある場所へ行ってくれたことを話した。
ありがとう、といってくれた声は震えてた。

よっちゃん家のお母さんは、まだ待ってみる、と言った。
少しだけ夜遊びしてるのかもしれない。帰って来たら、うんと叱らなきゃ…って言って泣いていた。
ミキも泣けてきた。
よっちゃん家のお母さんに、よっちゃんのことは言えなかった。
けれどいずれ知ることになるだろう。…嫌な形で。

疲れ切った身体。
仕事が終わって、家に子供がいなかったときの心はどんなに痛かったろうと思った。


眠ることも出来ない今のミキ達。
ミキは起きながら夢を見始めていた。

もし…二人がただ遊びすぎて遅くなっただけなら、
心配したんだからと、うんと怒って…それから力いっぱい抱きしめてあげよう。
そして、一生側にいてと約束させよう。おばあちゃんになって、100歳まで一緒にいようって。
それから、三人で一緒に出かけよう。
家に一日中ごろごろしていたっていい。

三人でいられるだけでいい。
それだけでいい。
549 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:34


AM 3:01


550 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:35
交番の電話が鳴った。
もう一人の警官がそれを受けた。
そして、ミキを見た。

…何故だろう。
ちっとも、ホッとできなかったのに。身体の力だけは抜けて、椅子から崩れ落ちてしまった。
何故か涙が止まらなかった。

本当に、理由なんてわからない涙だった。
あったかくも冷たくも、痛くも優しくもあり。
551 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:35
まさか、パトカーに乗る日が来るなんてね。
サイレンも鳴らないパトカーはまっすぐに病院へ向かった。

ミキは流れる景色を見るふりをして、暴れる心臓に手を当てる。
ああ…頭がぐるぐる回って気分が悪い…吐きそうだ。
色んなことを考えてしまう。
それはそれは、良くないことを。


だめだ。
…会って、平気でいられる自信がない。
552 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:36
パトカーが病院に着いた。
ミキはあてもないのに走り出す。
体が勝手に動いていた。
灯りも落ちた病院の不気味さはミキの嫌なイマジネーションを掻き立てて仕方がない。

なんでこんなところにこなければならないんだ。
ここはどこだ。
わからない。
でも、はしらなければいけないんだ。
はしらなきゃ…


「待って!こっち!」


後ろから聞こえる特徴的な声。
どこかで聞いた…

「…あ」

あの警官だ。
交番に駆け込んだときに対応してくれたあの警官が、ミキを見つけ走りよってきた。
…逃げ出したい衝動。
彼女が背中に、受け入れがたい現実を背負っているように見えたから。
553 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:36

「君…!」


その警官はミキをきつく抱きしめた。
その強い力にミキの呼吸が止まる。
自分の目が大きく開かれているのがわかる。
でもそれをどうにも出来ないほど体が全部こわばっていた。

「…生きて、た…よ。二人とも」
「…………」


あ。
あ…

生きてた。
二人とも、生きてる。
良かった。
生きてるんだ。


ミキが安堵に息をつこうとした時、警官がさらに強くミキを抱きしめた。


なんで…
どうして、生きていることに安心させてくれないの。
生きているんでしょ?
どうして。
なんて…目を逸らしたって素早く正面に回りこんでくる現実は刹那に地獄を見せる。
554 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:37
警官は、俯いてぼそっと呟いた。
その声は怒りとか悲しみとか、色々な感情で酷く細く震え掠れていた。



「…………妹さんの、方だけだと思う」



なにもかも。
あいつの真意が判明した。

…何をしても屈しないよっちゃんの、弱点。
妹を、よっちゃんの前で傷つけることによって、よっちゃんへの攻撃としたんだ。

意識が飛びそうなほどの憎しみで目の前が真っ暗になった。
どこまで腐っているんだろう…あの人間どもは。


「犯人たちは皆、覚醒剤でトリップ状態だった。現行犯で全員逮捕したわ。
他にも色々な犯罪を犯していただろうから、罪はそれだけではないと思う。
出来る限り、あなたたちとは関わらせないようにするから…」


警官の人は俯きながら、事務的な言葉を吐いた。
何かを堪えているように見える。

ミキはその人に向けてありがとうございます、と、呟いた。
そうして、導かれるままに亜弥ちゃんの元へ向かった。
555 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:38

亜弥ちゃん。
亜弥ちゃん。
亜弥ちゃん。
亜弥ちゃん。
亜弥ちゃん。
亜弥ちゃん。
亜弥ちゃん。

556 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:40
亜弥ちゃんは眠っていた。
なんの苦しみも見せない穏やかな寝顔だった。
けれど顔中に痣があって、少しだけ覗いている腕は擦り傷だらけだった。

…亜弥ちゃん。

ぐら、と世界が歪む。
この現実を受け止めきれない自分がいる。

崩れ落ちたミキを警官が支えた。

ただじっと、亜弥ちゃんを見つめていた。
あまりにも不憫なその姿。
見つめても、瞬きしても、こっそりと握りこぶしで手のひらに爪を食い込ませても。

悪い夢ほど、覚めないものなのだろうか。
557 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:41


+++++


558 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:41
ミキが病院について少したってから、電話したよっちゃんのお母さんはやって来た。
目を赤く晴らしたおばさんに、よっちゃんと亜弥ちゃん二人とも命に別状はないことを言った。
するとおばさんの目から安堵の涙が一筋流れ落ちた。

…もしかしたら、言わずにいられるかなと思った。
けれど、だめだった。


…亜弥ちゃんの身に起こった出来事を、ミキはうわごとのように呟いた。

そして、何故亜弥ちゃんだけだったのか。
それを全部、ミキは話した。
自分じゃないみたいな声で。
自分じゃないみたいな脳で。

「嘘、でしょう…?なんで、そんな…」
「こんな時にこんな嘘つくと思いますか?嘘だと思うなら、うちの学校のクラスメイトにでも確認取ったらどうですか?
 よっちゃんへの嫌がらせなんて、うちのクラスで知らない人いないと思いますよ。
 そのリーダーがどんなにヤバイ奴かってことは、もっと有名でしょうね」
「…美貴ちゃん…」
「友達がいのないやつですよね、ミキ。ただ側にいるだけで…こんなことになるまで、なんにもしなかった。
 こんなことになっても、何が出来るのかわからずにいる。ほんと、どのツラ下げてこんなところまで来てるんだか」
559 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:42
何がおかしいのかわからないけれど、笑えてきた。
おばさんはミキを見て、そっと優しくミキの肩に触れた。
こんな状況で、誰を責めるでもなくミキを気遣ったおばさんは、多分優しすぎた。


さっきも入ったけれど、おばさんと一緒にまた病室に入って、亜弥ちゃんの眠っている顔を見た。
やっぱりたくさん殴られてて、紅く青くなっている亜弥ちゃんの綺麗な体。


…亜弥ちゃんの、綺麗な…


「あや、ちゃ…」

声が出た。
涙が出なかった。
憎しみは涙なんかにはならなかった。


―――――何を…誰を憎んでいるのか。
考えてはいけない気がしたから、ただ憎らしいと思って亜弥ちゃんの手を握った。
560 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:42

亜弥ちゃんは、怪我が治ったらミキに会ってくれるようになった。
それまでは、かわいくないあたしなんて見せたくないって言って会ってくれなかった。

久々に会えた日。
亜弥ちゃんは、遠くを見ていた。
遠い遠いところを見ていた。


漠然と、亜弥ちゃんは遠くへ行ってしまったのだと思った。

振り返って。


「ミキたん」 


亜弥ちゃんはそう言って、笑ったような顔をした。
亜弥ちゃんは、笑ってはいなかった。


あの笑顔を奪ったのは誰だ。



あの笑顔を奪ったのは…………


561 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:43
毎日会えるまで病院に通いつめていたミキは、
亜弥ちゃんの病室の前であの時の警官と偶然再会した。
私服だったからしばらくわからなかったけど、
あの特徴的な大きい目と雰囲気で思い出した。

「…」
「…初めて会った時よりやつれてるように見えるけど…ちゃんと食べてるの?眠ってる?」

開口一番余計なお世話。
この人は根がおせっかいなのかもしれない。

「アフターケアも警察のお仕事なんですか」
「いいえ、これは個人的な希望よ。自分の意志でここへ来たの」
「…確かに好きそうですね、余計なお世話」
「まあね、よく言われるわ」

警官は唇は笑っているけど、目は笑っていなかった。
とてもミキを哀れんでいた。
みんなあんな目をする。
ミキは笑っているのに、どうしてそんなに苦しい目でミキを見るのかがわからなかった。
562 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:43
「会えるかなと思った。…もし会えたら、言おうと思ってた」
「ミキにですか?」
「そうよ、貴方から依頼を受けたんだもの。………無事に発見できなくて…本当に、ごめんなさい」

警官は深く深く頭を下げた。
ミキはその光景をじっと見ていた。感情は何の起伏も起こさなかった。

「あなたが、謝ることじゃないですよ」
「いいの、これはけじめだから…謝らせて」
「…自己満足ですか」
「そうよ」

こうでもしなきゃ、あたしだってこんな仕事やっていけないの。
悲しいけど、謝ったら引きずってちゃいけないの。忘れるんじゃない。引きずらないの。

涙をそっと流した警官。
目頭に荒れた指をあててスマートに泣く姿。


「…あやちゃんを、みつけてくれて…あいつらを、つかまえてくれて、ありがとうございます…」

ミキの言葉には、驚くほど感情がこもってなかった。
この人がもっと早くたどり着けば、亜弥ちゃんはあんな目に遭わなかった。
そんな風に、どこかで思っていた。
563 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:44
大量出血や骨折など目立った外傷もなかったよっちゃんは、すぐに退院できた。
学校に再び通い始めるようになった。
けれど、学校が終わってから病院に顔を出すことは一度もなかった。
入院中も本人の希望で亜弥ちゃんとは病室が別で、
同じ病室にいるときでさえよっちゃんは亜弥ちゃんの前に姿を現さなかった。

何を思ってそうしているのかは何となくわかった。
自分が目の前に現れることによって亜弥ちゃんに何かを思い出させることを恐れたんだ。
記憶喪失のことは教えたとおばさんが言っていたし。
もし亜弥ちゃんが記憶を失っていなかったとしても、よっちゃんは逃げ回っていただろう。

亜弥ちゃんから逃げるという事は必然とミキとも会わなくなるという事だ。
そうしていくうちに、ミキとよっちゃんには決定的な溝が出来ていた。
互いにそれを埋めようともしなかったので、溝は広まる一方だった。

亜弥ちゃんが退院してからミキが学校に戻ることになっても、
ミキとよっちゃんが行動を共にすることはなくなった。
まるであのときの事なんてなかったかのように、本当はずっとこうしたかったと言わんばかりに
よっちゃんに話しかけるクラスメイトと安易にくっついて、よっちゃんは適当な笑顔を繕って逃げ回っていた。

よっちゃんがそれでいいなら別に良かった。
亜弥ちゃんに辛い思いをさせたくないと思っているのはきっと共通の認識だから。
564 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:45
亜弥ちゃんが目の前でひどいことされているのは、よっちゃんにとってどれほどの傷になっただろう。
よっちゃんが、傷ついていないはずはなかった。

でもそのときのミキにそれはわからなくて。

よっちゃんはやれることをやったのかと、責めてしまいそうだった。
亜弥ちゃんがいたぶられているのを、ただ黙って見ていたのか。
自分の身を呈してでも亜弥ちゃんを守ろうとは思わなかったのか。
腕を引っ張られているなら腕を切り落として亜弥ちゃんのもとへ行けなかったのかと。
口を開けばきっと、何も知らないミキが知った風に非難するばかりだろう。

だから、一緒にいないほうが良かった。

今のミキは、よっちゃんと一緒にはいられそうもなかった。


一人で見上げる夕焼けはいつもより広くて、静かで。

何かを思い出そうとする寂しさを、ミキは振り払った。
今のミキにはそんなものはいらない。そう思った。
565 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:45
亜弥ちゃんはあの日以来、ミキに触れることがなくなった。
ほんの少しでさえ、触れなくなった。
あんなにずっと手を繋いだ夜も、ずっと昔のことみたい。

手を繋ごうとミキが手を取っても、自然と振りほどいた。
亜弥ちゃんは無意識らしかった。
一番最初に拒否されていると気がついた時、あまりにもショックで亜弥ちゃんを呆然と見つめていた。
けれど亜弥ちゃんは何?といった表情でミキを見ているだけだった。
ミキは何も言えなかった。
亜弥ちゃんに何かを言うなんてことは完全にお門違いだった。

けれどミキの中には膿よりも汚いものがたまっていく。
ミキは家に帰って母親に当り散らすようになっていた。
素行不良を正そうとミキに声をかける教師にも満遍なく当り散らした。

遠巻きにそれを見ている生徒たちに紛れてよっちゃんがあの目をしていた。
警官と、おばさんと同じあの哀れみの目だ。
その目が無性にミキを苛立たせて仕方なくて、ミキはゴミ箱を蹴り飛ばした。
566 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:45
気がつくと、ミキは日に日に憎しみを強めていた。
ミキの感情は黒く染まっていった。
どれを取り出しても真っ黒で、何がなんだかわからなかった。


あの日、もっと早く警察が見つけてれば。
あの日、ミキも一緒にいれば。
あの日、サオリが狙わなきゃ。
あの日、もっと早く警察があいつを捕まえてれば。
あの日、サオリを放置していなければ。
あの日、あの男がよっちゃんに告白なんかしなければ。
あの日、よっちゃんが目立つようなことしなければ。


あの日。

…よっちゃんが…


この感情はあってはいけない。
わかってても、抑えられない。
567 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:46

「みっきたーん!ねえねえ、今日はどこ行こっか?」


…憎しみに笑顔を忘れたミキの代わりに亜弥ちゃんは笑っていた。笑っている顔を、していた。
二人っきりでいる時間に、もう前みたいなのはなかった。

でも今は思う。

少しでも、憎しみなんて忘れてれば良かった。
亜弥ちゃんとの時間を楽しめばよかった。


最後に亜弥ちゃんがどんな言葉を発したか、ミキは思い出せないほど憎しみに包まれていた。

568 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:46


+++++


569 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:46

「…亜弥、が…いなくなった」


よっちゃんが独り言のように呟いた。
ミキはその言葉にやっと目を覚ますことができた。

570 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:46
ああ、そうだ。
亜弥ちゃんは遠くを見ていた。
ミキは憎しみで、本当に見なければいけないものを忘れていた。
目の前真っ暗にして、勝手に暴走していた。

誰よりも傷ついていたのは亜弥ちゃんだったのに。
ミキが、一番側にいて。


亜弥ちゃんを…



…………もっとちゃんと捕まえておかなきゃいけなかったんだ!!!!!!


571 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:47


「あああああああっ!!!!!」




ミキは走った。


ミキは、あの場所しか思い当たらなかった。
ミキと亜弥ちゃんが初めてキスして、それから恋人になれた場所。
風が気持ちいい、あの場所。
誰にも見られない、あの場所。
この恋を恥ずかしいとか後ろめたいなんて思ったことないけど、
ミキたちは自然とその人の少ない場所で会うようになっていた。
友達同士が仲良くしているの範疇を超えた行為になっていく度に、少しずつ。


…あの場所なら、きっと。
誰にも知られずにいられるよね。


走った。
走った。
走った。
走った。
572 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:47
「っ、う…はぁっ、はぁ、はぁ、はぁ…」

気持ち悪い…この気持ち悪いのはなんなんだろう。
走っててこんな気持ち悪さを感じたことはない。
でも、走らなきゃ。


そして近づく。





「……あ、やちゃん…?」





573 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:48
あの場所。





二人が初めてキスした…あの木の枝に、亜弥ちゃんは引っかかっていた。
ぶらんぶらんと脚が揺れている。



「亜弥ちゃん」



亜弥ちゃん。
亜弥ちゃん。


亜弥ちゃん亜弥ちゃん亜弥ちゃん亜弥ちゃん亜弥ちゃん亜弥ちゃん


574 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:49

「亜弥ちゃん」


ミキは驚くほど冷静に、亜弥ちゃんの死体を見ていた。


足元には、木の枝かなんかで『みきたんだいすき』と土が彫られていた。


ミキはその文字の横に体を倒した。
亜弥ちゃんの死体を空と一緒に見上げて。



「ミキも亜弥ちゃんがだいすき」



そう呟いて、目を閉じた。

575 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:49


+++++


576 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:49
それからのことは、あんまり覚えてない。


気がついたら、あの日よっちゃんにほっぺたを叩かれていた。
どこかで見たことがある女の子が血を流して横たわっていた。

少しずつ、それまで動いてきたミキの身体と記憶が合わさってくる。

なんとなくだけど、今は走らなければいけない気がした。
よくわからないけど、よっちゃんが泣いてて。
それで、なんか行くべき場所があるのがわかった。


ミキは走って、走りたい方向へ走ったら医務室へ着いた。
そして、怪我をした女の子のことを話したら、来てくれた。

自分の手がそれをしたことが、よっちゃんの腕に抱かれているうちにわかってきて…震えてくる。
ミキはいったい何をしていたんだろう。
ミキは、なんでこんなことを。
亜弥ちゃんが悲しんでる。
亜弥ちゃんが悲しんでいるのがわかった。
577 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:50
今までは、何で悲しんでいるのかわからなかった。
勝手に周りのせいにしてた。
でもミキは今までの全ての視線の意味を知る。
ミキはなんと痛々しかったことだろう。

亜弥ちゃんごめんね。
こんな弱いやつで。
亜弥ちゃんを好きなのに、亜弥ちゃんを悲しませてばっかりで、本当にごめんなさい。


…ねえ。
ミキは、やり直せるのかな。

誰かに言われたんだよ。
生きている人間は何度でもやり直せる、って。
誰が言っていたんだろう?
578 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:50


*****


579 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:50
荷物はもう、実家に運んである。
バスに乗って家まで行くだけだ。
そこにはバカな親たちとの暮らしが待っている。

大丈夫、ミキは大丈夫。
なんか知らないけど、今は根拠のない自信で溢れていた。


だって、いろんな人がミキを支えている。


亜弥ちゃんも、きっと見ていてくれるよね?
ミキが頑張ってる姿を、見ててほしい。


あの日からゆっくりゆっくり、亜弥ちゃんを失ってからの日々が戻ってきている。
時に酷い後悔に襲われたり、不安定になったりもする。
でも頑張ると決めた。
ミキがしてきたことの分くらいは、頑張ろうと決めた。
親と相談して、近くの精神科でカウンセリングを受けながら、バイトも決めて少しずつ自立していこうと思う。
いつかは、ちゃんと一人で暮らせるようになりたい。
今はまだ、眠れない夜とか、亜弥ちゃんに会いたくてしょうがなくて泣く夜があるけど。
いつかは。

ミキのしたことは許されることじゃないけど。
でも、許してくれた。
そしてミキも許そうと思った。許した。
過去をたどっていけば許せないこともまだあるけど、ミキは少しずつ軽くなるだろう。

そうやって生きていこう。
頑張って、生きよう。
死んじゃった人に失礼にならないような生き方をしてみよう。

あの子が言ってくれたみたいにさ。
580 名前:ミキたんと亜弥ちゃん 投稿日:2007/08/22(水) 00:51
「じゃあねよっちゃん」
「うん、また」
「…そうだね、また」


よっちゃんは、繊細な目を隠さずににこっと笑った。
よっちゃんはいつの間にか強くなっていた。
ミキが取り戻していく記憶の中で、それが解明されるのが少しだけ楽しみだ。


そんなに綺麗に笑える。
…あの子と、ミキはどんな風に関わっていったのだろう?


なんだかとっても興味深い。

581 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/22(水) 00:57
エターナルクス番外編『ミキたんと亜弥ちゃん』終了です。

>>542さん
ありがとうございます。
本当にすごいことだと思います。
吉澤さんに関しては私が書くとどうしてもこんな感じになりがちです。
番外編にもうしばらくお付き合い下さい。

>>543さん
ありがとうございます。
頑張りますよ!
次はあの人の視点です。
582 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 03:38
藤本さんの視点もよかったです。
次回も楽しみにしてますね!
583 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 18:13
更新お疲れ様です。
「遠く」に行っていたのが戻って来て良かった。ほっとしました。
番外編の続きをお待ちしています。
584 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 23:09
今でも、夢から逃れられない。
でも久々に会うミキティはもう悲しい目をしていなかった。
思わず泣いてしまった。

「わ、ちょっ…泣かないでくださいよぉー」
「うぅうう…だってぇええ!!」
「…ほんと、ご迷惑おかけしました」
「そんなことないけどぉ!でも…っ」


ホント、涙もろくて困る。


あの日の罪を、許してくれた気がして。
ずるい奴だけど、安堵の涙とかが出た。
585 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:10
これでもうきっと、亜弥を嫌な思い出にすることがなくなる。
亜弥を思い出すことが苦しいことは、ずっと嫌だった。
亜弥を嫌いになるみたいで嫌だった。
亜弥のことが大好きだからこそ、早くこうなりたかった。

遠回りしたけれど、少しずつ。
うちら、いい未来へ進みだしたよね?

ずっと後悔していたこと。
してあげられなかったこと。
それは忘れられないけど、その痛みと共に亜弥が生きている気もする。


亜弥の記憶と、今でも胸をさくりさくりと刺す思い出へ記憶が飛んでいく。
586 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:11


エターナルクス the past drops
『矢口先生と亜弥』


587 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:11
亜弥を最初に見た時、顔立ちは姉のよっすぃにはそんなに似てないと思った。
けれど、時折見せる負けず嫌いな表情とか、不敵な笑みとか、
ほんの一瞬はっと似ているなと感じることがあった。
たまにだけど同じようなことを言ったりして、面白いなと思った。
亜弥は明るくて元気で誰からも好かれて、ちょっと生意気だけど努力家でもあった。
努力家のくせに努力しているところを見せたがらないのとか、姉そっくりだ。

まあ、もとから『よっすぃの妹』として扱う気はなかったし、亜弥は亜弥で十分だったから、
あるクラスの一員として、彼女を扱った。
彼女もまた、オイラを一人の大人として扱ってくれていたし、一人の教師としても扱っていてくれた。
くだけた口調なのに敬語を忘れないところが亜弥のきちんとした考え方だった。

オイラは亜弥を好きだった。
特別好きで目にかけているとかじゃないけれど、亜弥を嫌いになる理由もなかった。
588 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:11
学校はところてんのように入ってきたものを形作って外へ送り出す。
そうやって学校は存在してきた。
よっすぃがその一部となって旅立っていったように、亜弥もまたその一部、
学校の歴史の一部となって卒業という形で旅立ってくれると信じて疑うことなどなかった。

亜弥がよっすぃの親友のミキティとよく会っていることを知っても、何も揺るがなかった。
ミキティがいつからか急に頻繁に携帯を没収されるようになった理由に合点がいっても。
亜弥が同じように頻繁に携帯を没収されても。


何も揺るがない、はずだったんだ。
589 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:12
そんなある日。



「ひーちゃんが、最近元気ないんです」
「よっすぃが?」

日直で職員室にプリントを取りに来た亜弥がぽつりと漏らした。
姉を心配するその横顔は妹そのもので、とてもかわいらしいと思った。

亜弥が言うには、一ヶ月ほど前くらいからよっすぃの様子がおかしくて、あまり元気がなくて、
最近では調子の良かった部活も辞めてしまったらしい。
でもよっすぃもミキティも亜弥には何も言わないらしい。
でも、どう考えても何かあるとしか思えないらしい。


「なんで隠すんだろう…あたしじゃダメなのかな」
「それは違うよ、亜弥に余計な心配かけたくないんだよ」
「でも」
「亜弥は妹なんだから。理由知っても出来ないことがある。
 だから、亜弥は亜弥らしくよっすぃを元気付けてやればいい。
 亜弥が元気でいてくれるだけで、よっすぃは助かると思うよ?」
「…」
「ね?」
590 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:13
しばらく俯いていた亜弥だけど、急にこくんと頷いて、

「わかりました。あたしはあたしらしくひーちゃんを元気付けます」
そう言ってにこっと笑った。
その顔はいつの間にか随分大人びていて、でもあどけなくて。
かわいいなあ、と思った。


「ありがとうございましたっ」


多分。
その笑顔を、今なら素直に優しい気持ちで思い出せる。
591 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:13


+++++


592 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:13
それから数週間経った日。

亜弥が体調不良でしばらく入院する、とよっすぃと亜弥の母から連絡が入った。
母親の声は正直尋常じゃないほど弱々しくて、オイラは嫌な予感がした。
亜弥は、何か大きな病気にかかってしまったのではないか、と。
そう思うといてもたってもいられなくて。

そういえば、お見舞いに行こうと思った瞬間にどこの病院かを聞いていないことに気がついた。
吉澤家に電話を入れる。
しかし繋がらなかった。
嫌な予感は増えていく。

よっすぃと亜弥の母の携帯電話にも連絡を入れた。
繋がらなかった。
よっすぃの携帯にも連絡を入れた。
繋がらなかった。
ミキティの携帯にも連絡を入れた。
当然、と言われたように繋がらなかった。

今までこんなこと一度もなかったのに。
やはり、何かあったんじゃないかと不安になる。


オイラは仕事を少し早く切り上げて、吉澤家へ向かった。
593 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:14
家には明かりが点いていなかった。
時間帯で言えば、誰もいないと考えるのが普通だろう。
オイラは家の前で待つことにした。
もう一度一通り連絡してみるが、やはり繋がらなかった。

そこでじっと待ち続ける。


月の綺麗な夜だった。
けれど、嫌な予感が心を曇らせて。
どうしようもない。ただ待つしかできない。


夜はすっかり深くなる。

何時になっても誰も帰ってこなかった。

日付が変わる頃、なんとも言えない感情に包まれながら家に帰ることにした。
連絡が取れるまで、誰かに会えるまではこれを繰り返すしかできない。
オイラは、本当に無力だった。
唇を噛んで悔しさに耐えた。
594 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:15


+++++


595 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:17
今日もオイラは吉澤家の前で立っていた。
この感情の行き先を知らず。
このもどかしさはどこにも行けず。


亜弥。
どうしたんだよ。
何があったんだよ。
亜弥。

…誰か、帰ってきてくれよ。
亜弥は少し風邪をこじらせただけなんだって、
元気にしてます、大丈夫ですよって。
誰か、そう言って。

……お願いだから。

亜弥。
亜弥。
亜弥――――――
596 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:18


「矢口先生?」



聞きなれた声に、がばっと顔を上げた。
そこにはよっすぃが立っていた。
久々に見るよっすぃは夜でもわかるほど髪が明るくなっていて、
少し大人っぽくなっていた。
…どこか、焦燥した雰囲気を感じ取る。少しやつれているように見えた。
無に近い表情。

「あ…久しぶり」
「どうしたんですか?こんな時間に」
「いや、あのさ…亜弥が入院したって、聞いて」
「……あぁ、はい」

よっすぃの声のトーンが下がる。
オイラの中の嫌な予感は膨れ上がっていく。

「あの、なにか重い病気とかじゃないんだよな?」
「……はい、そういうんじゃないです」
「お見舞い、行きたいんだけどさ、病院どこだかわからないんだよ。
 しかも皆して携帯つながんねーしさぁ、オイラ嫌われてんのかな、はははっ。
 これでも超心配してんのにさ、ひどいなぁ」


努めて明るく振舞った。
よっすぃは顔を合わせてから一度も笑っていなかった。
だから、少しでもいいから微笑んで欲しかった。
それが何よりオイラを安心させるからだ。
けれど。
597 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:19

「…別に、矢口先生が心配するようなことは何もありませんよ。
 ですから、お見舞いには来なくても大丈夫です。……帰ってください」


よっすぃの口から出たのははっきりとした拒絶だった。
そして笑うこともせず、よっすぃは家の中へ入っていった。
一度だってオイラを振り返らなかった。


なにがなんだかわからなかった。

心配するようなことではないのならば、何故お見舞いに来て欲しくないのか。
その時のオイラには全くわからなかった。
考えても考えても結論は出なかった。


その日の夜、オイラは眠れなかった。
何もわからないままの自分が悔しくて。
亜弥のことが心配で。
よっすぃの様子も普通じゃなかった。
考えても、やはり何もわからなかった。
598 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:20


+++++


599 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:20


「おはよーございまーすっ!」


その声に驚いて振り返る。


「………あ…亜弥!?」


それは、突然。
亜弥はいつものように、まるで昨日も来ていたように数週間ぶりに学校へ来た。
何も変わっていなかった。
にこ、と笑う亜弥。


「…あ…オマエ、退院したんだ…」
「なんですかぁ?もしかしてがっかりしてます?またうるさくなるなぁーとか」
「何言ってんだよ!本当に心配したんだよ…良かった、元気そうで…」
「…はい、あたしは元気ですっ」
亜弥は笑っていた。
オイラは少し涙ぐみながら亜弥の頭をなでた。

「勉強遅れてるんだからな、オイラがみっちり教えてやるよ」
「きゃー、こわぁい」

亜弥が走ってオイラから逃げた。
軽やかに走り去る姿。
600 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:20
何故か漠然と、すごく遠くに見えて。
ぐっと目に力をこめて亜弥の姿を見るけれど、それが一瞬の幻覚には思えなかった。
…けれど。
亜弥は戻ってきた。
その事実だけがここにある。
これでいいんだ。
日常が戻ってきた。
そうだ。
これで。


久しぶりに亜弥が戻った教室は明るく活気に満ちていて、亜弥はその中心で笑っていた。
601 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:21
亜弥はすっかり勉強も遅れを取り戻して、毎日を普通に過ごしていた。
オイラはすっかり安心していた。
亜弥の変化にも気付けずに。
あの日のよっすぃの表情も気のせいだと思い込んで。
逃げていたんだ。
亜弥が戻ってきたのだから、あの日感じた不安も、違和感も、何もかも気のせいだと。
そう、思い込むことによって。


放課後。
亜弥が一人、教室で外を眺めていた。
外は緩やかに日を落とし始めていて、亜弥の横顔に綺麗に影を落としていた。
それは見たこともないほどに儚くて、まるで亜弥ではないようだった。

しばし声をかけることも忘れて、そこから動けずにいた。
音をたてることすら許されないように感じた。


やがて亜弥はカバンを持って、こっちを見た。


「……先生」

602 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:21
心に直接語りかけられているかのように、亜弥の声が響く。
この感じはなんなんだろう。


「…迎え、まだ来てないのか?」

最近亜弥は登下校に車を利用していることは知っていた。
その理由も、オイラは聞こうとはしなかったのだ。
聞けば何かが変わってしまうと思った。
けれど、聞くべきだったのだ。
オイラは、知るべきだった。
今はそう思う。

亜弥はそっと目を細めて、時計を見るふりをした。


「……あぁ、もうすぐで来るみたいなんで、帰ります」
「おう、…じゃあな」
603 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:22




「さようなら」




亜弥はすっきりとした声でそう言って、去って行った。


604 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:22


何故だろう。
妙に胸が騒いだ。
けれど亜弥は笑っていたし、何も変わらないと思った。
亜弥は明日も笑って学校へやってくると、信じたかったのだ。


605 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:24
その日、はっきりと夕方だといえる時間帯頃に、亜弥の母親から連絡が入ったのだった。

『もしもし…矢口先生ですか』
「はい、何か?」
『あの、亜弥はまだ学校にいますか?』
「え?」
『私、今校門前で亜弥を待っているんですけど、少し遅いな、と思いまして…』
「………亜弥なら、とっくに帰りましたけど…?」
『……え……?』
「さっき、会いましたもん。さようなら、って…」


――――さようなら――――


「―――――」


がくんっ。

わからない。
わからないのに、膝の力が抜けた。
職員室の床に座り込む。
606 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:25
電話はとっくに切れていた。


「…ぁ…」


そこで何故か、今までの引っかかっていた出来事全てが思い起こされた。
一気に後悔の念が押し寄せる。
オイラは走り出した。
あてもないのに走らずにはいられなかった。
亜弥。
亜弥。



「亜弥!!!!」



夜になり始めた空に木霊するむなしい声。

オイラは、なんであの時亜弥を引き止めなかったんだ。
なんでおかしいと思ったときに行動しなかった。
なんで逃げていた。
なんで、なんで。
607 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:25
日常を壊すと感じて、結果、亜弥を見ることを拒否した。
何もかもが、なんでもないはずは無いと語っていたのに。
オイラはそれを見なかった。


お願いだから。
お願いだから、亜弥。


やっぱりオイラは無力だった。
亜弥の行きそうなところなんて、オイラは知らない。
街中をただがむしゃらに走って、亜弥に似た姿を見つけるだけしか出来なくて。
こんなところにいるはずはないとわかっていてもオイラにはどうしたらいいのかなんてわからなかった。
探さずにはいられなかった。


「――――っ!!!」


歯軋りをしてあまりにも重たくなった足を引きずり歩く。
くそ、動け、動け。
こんなところで立ち止まってる間に、亜弥が…
亜弥が……
608 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:25
なんでこんなことになったんだ。
こんなことになるなら、亜弥をちゃんと車に乗るまで見届ければよかった。
オイラの責任だ。
亜弥がいなくなったのは、全部オイラの責任だ。
あの時、あの時ほんの少しでいいからオイラが動けば。


「っわ!」


膝の力が抜けて思い切りコンクリートに手のひらと膝をざりざりと擦りつけた。
じんじんと痛みが広がる。
汗が額に浮かんでいるのがわかる。
視界がすっかり夜の闇にチカチカとした明かりが灯っているのもわかる。
人が絶えず歩いているのも。


オイラはただ、一人でそこにいた。


609 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:26
その手には何も持っていなかった。
何もかも、持とうとすらしていなかったことに今気がついた。
全て、自分から見ないふりをしてきたことを。
今握り締めても、そこには空気しかなかった。


そのせいで、なにもかも。


「…っう…ぁ…ぁあああああああああ!!!!」


オイラは人目も憚らず大声で泣いた。
自分という人間の底を知って絶望した。
上辺だけの、無力な、生徒一人無事に送り届けられない。
何かを夢見ていた自分は崩れた。
そんな憧れていた何かには、絶対になれないとわかった。


オイラなんかには。
こんな人間には、夢を見る資格すらない。


亜弥はじっと、オイラを壊れそうな目で見つめていた。
610 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:27


+++++


611 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:27
亜弥の二回の葬式はあっという間に終わった。

学校でも集会があり、その後遺体が学校に一瞬寄っていき、
全校生徒に見送られながら霊柩車はすぐに去っていった。
どこからともなくすすり泣く声が響く。

オイラはお通夜の夜を思い出していた。
亜弥の母親の涙も。
よっすぃの俯きながら遠くを見つめる瞳も。
ミキティの無表情も。
何もかも、一生忘れない。

オイラはじっと手を見つめていた。
この手で、あの時亜弥を捕まえられたら。
ここでこんな風に誰かが泣くことはなかったと。
ただそんな風に思えた。


告別式には行けず、亜弥の顔は見ることが出来なかった。
亜弥を最後まで見送りたかった半面、亜弥を見送る資格すらないようにも思えた。
亜弥が生きていた未来を掴めたのに掴むことができなかった、掴まなかった存在が、
何も知らない顔して涙を流すなんてことは出来なかった。

亜弥にどんな顔したらいい。
誰に何度頭擦り付けて謝ったって死んで侘びたって亜弥は帰ってこない。
オイラは一生これを背負って生きていく。
あの日さようならと言った亜弥の背中を見たオイラだけが。
612 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:28


+++++


613 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:28
知ったのは、ミキティとよっすぃに偶然再会した時。
ミキティはよっすぃに当たり前のようにひっついて、犬猫がするようにひたすら甘えていた。
何かを埋めるように。
悲しみに染まりながら、もう誰も見ないで。
よっすぃはへらへらと笑ってそれを受け入れていた。
何かを必死に埋めようと。
悲しみに染まりながら、ミキティだけを見て。

そこにある異様な光景、空気にオイラは動けなくなった。
何をしてあげたらいいのかわからない。
亜弥と同じことを繰り返したくはないのに、いざ動こうとすると足がすくんだ。
そこには何か一つ間違えれば粉々に砕け散りそうな二人がいた。
二人だけの世界で、他の何も受け入れることもなく。

ああ、オイラには結局何も出来ない。
気がついていても、何も出来ないんだ。
オイラはそこから逃げ出した。
オイラには何も出来ないと思った。
そしてまた、しなかったのだ。
失敗することを恐れて。
オイラは何も変わってはいなかった。
614 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:28
亜弥…ごめん。
オイラには…何も、出来ない。
亜弥。
こんなオイラを、許してなんて言わないから。
どうか二人を救える未来を。
二人に幸せを、オイラに来るはずだった幸せから奪ってもいい。
二人に、幸せを。


…二人が幸せな未来を、どうか。


よっすぃとミキティに会ったその夜。
亜弥の夢を見た。
亜弥が何かを言っているけれど、何を言っているのかわからなくて。
夢に生きる亜弥は笑ってるけど。


オイラはどうしようもなく悲しい気持ちになったんだ。
615 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:28


*****


616 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:29
でも今ならわかる気がするんだ。
きっと、あの笑顔に嘘のないままの言葉をくれたと。
こんなオイラさえ、笑顔で包んで。

亜弥、大好きだよ。
あんたの笑顔が本当に大好き。
あんたがくれた幸せな未来。
それは、オイラさえ幸せな未来。
オイラにはもったいないくらいだよ。
…ありがとう。


早く切り上げた仕事終わりにミキティと食事をする。
おいしそうに食事をとるミキティの表情を見ているだけで、オイラは笑顔になれた。
こんな当たり前な顔を、また見られることが何よりの幸せだった。
617 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:29
「…矢口先生」
「ん?」
「これ、おいしいですよ」
「ん、ちょっとちょうだい」
「どうぞ」


ミキティに差し出された皿から一口頂く。
オイラの皿も差し出すと、ミキティがオイラより大きく一口取っていった。

「あ、おいっ!でかいだろ今のー」
「ああ、大丈夫ですミキの一口大きいんで」
「いやいやいやそういう問題じゃないから」
「うん、おいしい」
「話聞いてんのかおまっ…」
「もう一口貰ってもいいですか」
「あ、ちょ!ちょっとー!」


オイラは自然と言葉を発していた。
自然と笑えていた。
ミキティは綺麗なつり目を細めてオイラから取った肉を頬張っていた。

ミキティは綺麗になっていた。
一人の女性に。
藤本美貴は長い時間を経て、大きく羽根を広げていった。
それはそれは、涙が出るほど美しく。
618 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:29
「ごちそうさまでしたー」
「…初めからこのつもりだったな、ほとんど現金所持せずにこんな店入りやがって」
「あはは、いやいやあると思ったんですけどねぇー?何に使ったんだっけ?あぁ定期だったかな?」
「わっざとらしー」
すっかり寒くなった財布をカバンにしまって、ミキティと並んで歩く。
町並みは亜弥が生きていた頃とそう変わらないはずなのに、あの日走った街とは別物に見えた。

「おいしかったぁ」
「うん、だね」
「おいしかった、本当……」
「………」

ミキティのすっと高い鼻を横から見て。
夜空をそっと見上げる切ない横顔。
誰を見ているのかすぐにわかるから、ふいに苦しくて。
619 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:30




「…………生きてて、良かった」




そっと目を閉じて、ミキティは呟いた。


その言葉を聴いたとき、涙が出るのかと思った。
でもオイラは実際に聞くと一瞬びっくりしてしまった。
涙も引っ込んだ。
それに、泣いてばかりじゃかっこ悪い。
ミキティがこんなに頑張ってて、笑っているんだから。

620 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:30



「うん、オイラもそう思う」




オイラはそう言って返した。



621 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:30
「ミキはこの先、何があっても亜弥ちゃんを忘れません。
 亜弥ちゃんを好きだった気持ちを、亜弥ちゃんの全てを、忘れられるはずがないです。
 でも、きっと…恋をして、もしかしたら結婚とかして、子供とかもいて…なんかそんな未来を、想像するんです。
 想像できる。それは、でも亜弥ちゃんを裏切ることではなくて、それが生きてるってことなんだと思うんです」
「…亜弥なら…ミキティが恋したって知れば…ちょっと怒って、それから最高に笑ってくれるだろうね」
「はい…今まで見えていた亜弥ちゃんはずっと悲しそうだったのに、最近はずーっと笑いっぱなしなんですよ。
 そんなに笑ってたらしわ出来ちゃうよってくらい。でもミキはその亜弥ちゃんの顔が大好きで」


ミキティがあんまり幸せそうにそう言うから、ちょっとうらやましくなった。
ああ、この二人の結びつきがこんなにも強く美しい。
なんて幸せなことなんだろう。


「矢口先生」
「ん?」


「先生も、幸せになって下さい」
622 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:31
「…」
「今まで、本当にいっぱいご迷惑おかけしました」
「…迷惑なんて一度も思ったことないよ?」
「でも、辛かったでしょ?」
「そりゃあ辛かったけど、それ以上にミキティによっすぃ、亜弥…それから、小春に…さゆみも、みんな。
 みんなみんなみんな、大好きだから。オイラ教師やっててよかった。みんなに出会えてよかった。
 それだけは、心から言えるよ」


何度もぶつかって傷つけあって、それでも人は出会う。
ある時には永遠に仲直りできないまま別れてしまう出会いもある。
ある時には出会ったと知らないままの出会いもある。
教師という仕事は出会いがたくさんだ。
出会いの数だけ人の成長する機会もあるし、見えることもある。
今は、オイラにはこの仕事が向いていたと胸を張って言える。
今まで出会った人全て、オイラには必要な出会いだったと。

傷つけば優しさを知るし。
傷つければ痛みとともに愛を知る。
出会わなければ傷つけあうこともないけれど、
出会わなければ優しくもなれない、愛することも出来ない。

出会いがどんなに人を輝かせるのだろう。
オイラはもうその答えを知っている。
623 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:31
ねえ。
オイラも輝いている?
こんなにたくさんのステキな出会いに、輝けているのかな?
信じてみよう。

こんなに明日が待ち遠しいなんて、初めてだった。
明日は新しい何かに、誰かに出会えるかもしれない。
そう思うだけでいてもたってもいられなかった。


「ミキティ」
「はい?」


「ありがと」


「………はい」


ミキティはすっかり大人びた顔をくしゃっとさせて、笑顔で返事をしてくれた。
624 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:32

「よし、飲みにいくか!」
「あはは、いいですよっ」
「オマエ飲めんの?」
「まあ多少なら、そういえばよっちゃんめっちゃ強いんですよ」
「あ、よっすぃも呼ぶ?」
「いいですよ、あーでもホントによっちゃん飲むんでビビらないでくださいね」
「ビビんねーよ!わかった、楽しみにしてる」
「じゃあ電話してみますね」
「お、よろしく」


「……ぁ、もしもし?よっちゃん……そう、今矢口先生と一緒なんだけど……」

625 名前:矢口先生と亜弥 投稿日:2007/08/26(日) 23:35



626 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 23:37
エターナルクス番外編『矢口先生と亜弥』終了です。
矢口先生の立ち位置は個人的に一番人間くさくて好きです。
出だしの名前欄がタイトルになっていないことをここでお詫びします。

>>582さん
ありがとうございます。
色んな人から見る世界によってこの過去も色んな色になるのかなあと思います。

>>583さん
ありがとうございます。
最後はとにかくほっとできるようにと心がけて書いております。
ご期待に副えるよう頑張ります。


次はあの子の恋のお話です。
今までとは少し舞台やなんかも変わってきます。
627 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/08/30(木) 13:29
更新お疲れ様です。
うわ〜この人もまたせつない。でもおっしゃる通り人間臭いですよね。
次回も期待しています。
628 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:18
「おねーちゃんっ」
「?何?」


妹の小春が目をこれ以上ないくらい垂らした笑顔でさゆみの部屋を訪ねてきた。
かわいい妹だなあと思う。

「えへへ、これ!おねえちゃんが修学旅行の写真出してたの、今日ついでに持って来たんだ」
「あ、そうなの?ありがとう」
小春から写真の入った封筒を受け取る。
そういえば、この間行った修学旅行で撮った写真を写真屋さんに出しっぱなしだった。
使い捨てカメラを一つ持っていったんだけどやっぱり足りなくてもう一つ旅行先で買ったんだよね。
それも全部使い切った。
四泊の旅は本当に楽しかったな。
今思っても笑顔になれる。

「ねえねえ、コハルも一緒に見ていい?」
「いいよ」
「やったぁっ」
629 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:18
さゆみもわくわくしながら封筒を開いた。
離陸して早速飛行機の中で撮った2ショットがぱっと顔を出す。
親友の絵里とさゆみの笑顔がおさまっていた。
ふふ、多分絵里に焼き増ししてあげる写真が一番多いんだろうな。
絵里とは同じ班だったし、部屋も全部一緒だったからほとんどずっと一緒にいたものだ。
バスでも飛行機でも隣だった。
絵里がいてくれるだけで、このたびは随分盛り上がった気がする。

ぱらぱらと写真を見ていくけど、景色や建物もおろそかに、絵里が隣にいる写真がいっぱいだった。 
7、8人くらいで集まって撮った写真にも、絵里が隣にいた。そしてさゆみは笑っていた。
2ショットはほとんど絵里と。


…だから。
その写真に、思わず手が止まってしまった。


勇気を出して、撮った2ショット。
さゆみは顔が引きつって全然かわいくない。
二人の距離感も微妙で、しかもただのピース。
…でも。
多分一生、宝物。
630 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:19


エターナルクス the future drops
『さゆみの憧れ』


631 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:19
「さゆって、実は毒舌やね。意外かも」


高校に入学したてのころ、何となく皆が手探りで側にいる誰かと当たり障りのない話をしていた。
そのうち少しずつグループが分かれて、さゆみは絵里と一緒にいることが多くなった。
ある日、文化祭の出し物の用意のために衣装を作ることになった時、絵里と話している横でそう言われた。


『中学まで福岡の博多に住んでいました。訛ってるけん何言ってるかわからんときは言って下さい』

入学式があった日にそう言っていたことは覚えていたけれど、
れいなと初めて視線を合わせたのは、多分この時が初めてかもしれない。
それまではれいなは見た目が派手でギャルっぽくて、自分とはタイプが違うと思っていたから、
多分さゆみのことなんて気にかけたりしないと思っていた。
でもれいなは今までいつも呼んでいたようにさゆみをさゆと呼んだ。
いつもそうしているかのように笑いかけた。
それにびっくりして、なんて返したらいいのかわからなくなってしまった。
するとれいなは気にする様子もなく絵里の方を見た。
632 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:20
「絵里は、見た目どおりっちゃね」
「あはは、それどういう意味?れーなちゃぁん」
「そのまんまの意味ー」
にか、と笑って見せたれいなはイメージより幼かった。
そのまま絵里とれいなの話が弾み始める。

「うへへ、なんかれーなちゃんは思ったより話しやすい。
 れいなちゃん目立つからさぁ、エリとは話合わないって勝手に思ってたもん」
「れいな、二人と話してみたいなーって思っとったけん、隣に来たからチャンス!って思って話しかけてみた。
 あ、呼び捨てでよかとよ、れいなも絵里のこと勝手に呼んどるけん」
「本当?じゃあれーなって呼ぶ。よろしくねー」
「さゆも、れいなって呼んで」

れいなが、さゆみに優しくそう言った。


「…うんっ」


高鳴る胸をそっと押さえて、さゆみは頷いた。
633 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:20
思ったよりもずっとれいなは普通に女の子だった。
髪は明るいし、アクセサリーもいっぱいしてるし、スカートは細い足をめいっぱい出しているけれど、
絵里と変わらない優しい目をしていた。


それから、たまにだけどれいなと話したりする事が増えた。
れいなはさゆみの知らない世界を知っていたし、さゆみの世界もまた興味深そうに聞いてくれた。
小さくて仕草が愛らしいれいなを見ていると笑顔になれた。
心がふんわりと、あったかく柔らかい毛布に包まれるような気分になった。

「博多には、美味しいもんがいっぱいあるとよ。
さゆもいつか一緒に博多に行こうね、絵里も一緒に。れいなが案内するけん」
「本当!?うんうん、行ってみたいっ」
「へへ。さゆきっと、帰りたくないーって言うとよ。めっちゃよかとこやもん」
「いいなあ、行ってみたいなぁ…」
634 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:21
さゆみは小さい頃山口県に住んでいたらしいけれど、記憶にはない。
物心ついた時から東京の景色しか見ていなかったので、れいなのことがとてもうらやましく思えた。
と同時に、れいなの見た景色を共有したい気持ちが高まった。
れいなが良い所だと言うから行きたいだけではなく、
れいなの生まれ育った場所がどんな場所か知りたい気持ちがあった。
さゆみが、れいなの故郷の景色や匂い、雰囲気全て共有出来たら、それはどんなにか素晴らしいことだろう。


「いつか、一緒に行こうね」
「うんっ」


れいなが嬉しそうに笑う。
さゆみまで笑顔になる。
635 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:21


+++++


636 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:21
ある日、クラスで少し揉め事が起こった。
なんでも仲のよかった二人が好きな人が同じになってしまったらしい。
すると突然少し強気で美人なタイプの方の子が、
それまで仲の良かった子の悪口や根も葉もない噂を振りまき始めた。
人の好きな人を横取りするとか、中学の時いじめをしていたとか。
そしてとうとう、その強気な子がグループの子に命令してシカトを始めたらしい。

すると、れいながその強気な子に教室で真っ向から言ったのだった。


「好きな人が一緒やからって、なん?そんなことがシカトとか悪口とかしていい理由になると?
 誰の味方とか、誰派とかどうでもいっちゃけど、今回の件はあんたが間違っとると思う。
 どんな理由があったってシカトとか変な噂流すなんて最低やね。
 あんたみたいな女、誰も本気で好きにならんわ」


637 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:22
それ以来、シカトは解除されて、シカトされていた子は普通にグループの子とも話すようになった。
さすがにそのグループではなくなったし、強気な子とは簡単に仲直りは出来ないみたいだけど。
実はそれまでそういった揉め事は全く知らなかった絵里とさゆみなんだけど、
知っててもれいなのように言う事は出来なかったと思う。

痛いほどの憧れを。
不思議なほどの眩しさを。
れいなに、感じた。


「すごいね、れいな。尊敬しちゃう」
「…思ったこと、言っただけっちゃろ。れいな我慢できん…子供やけん」
「ううん…すごい、すごいよ」
れいなは耳まで赤くして目を泳がせた。
さゆみはそっとれいなの髪を撫でた。
くすぐったそうに細められた目が、猫みたいに見えた。


「れいな、八方美人とか絶対無理やね。あんまり空気読めないし、
 悪口とか聞いてても違うと思ったら違うって言うけん。今回のことは間違ったことはしとらんと思う」

れいなの厳しい表情を見ていると、…ふいに、怖くなった。
れいなにあんな風に厳しい言葉や視線を向けられたら、さゆみはきっととてもショックだと思う。
638 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:23
「…れいな」
「うん?」
「れいなは、さゆみと話してて楽しい?嫌になったりしない?」
「え?楽しいっちゃよ、さゆ面白いもん。
 それに今言ったやろ、れいな仲良くしたいと思わない人に愛想振りまくほど器用やなか。
 すぐ顔とか言葉に出るけんね」
「本当?」
「本当」
「…なら、良かった。さゆみも、れいなのことずっと大好きだよ」
「うん、ありがとう」


そんなの、どうとでも繕えるとわかっていても確認せずにはいられなかった。
れいながバカみたいに正直なことを信じることにした。
れいなの言葉を、信じることにした。


不思議。
れいなと話すことが楽しい。
れいなの側にいると安心する。
れいなともっと話していたい気分になる。
家にいても、れいなのことを思い出すと笑える。
不思議と、ほっこりと温かい心になれる。
明日もれいなに会えると思うと、よく眠れる。
639 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:23
「さゆ?どうしたと?」

ふいにれいなのくりくりした目がかわいいなあと思って見とれてしまった。
れいなのやわらかそうなつるつるのほっぺたに触れてみたくなる。
するとれいなに不思議そうに見つめ返されて、ほっぺたの辺りが熱くなった。


これって、なんなんだろう?
さゆみ、こんな気持ちになるの初めて。
だからこれがなんなのかよくわからない。
640 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:23

「それはもしかして恋なんじゃないの?」

絵里はショートが少し伸びた感じの焦げ茶色の髪をいじりながらニヤニヤしてそう言った。
周りはがやがやと、言葉が集まると言葉には聞こえなくなっていた。
でもさゆみにはその絵里の声がはっきりと届いた。不思議。
喫茶店で大きなパフェを丸ごと平らげるのは、放課後の楽しみの一つだった。

絵里といつものお店でふいに零れた言葉。
『れいながね…』
話し出すと、たまっていた感情は止まらなくなって。
いつの間にか、この不思議な感情のことまで絵里に話していた。
絵里の綺麗な黒目には何かを話させる力があるように思った。


…恋?
さゆみのこの気持ちは恋?
641 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:24
「ふーん、さゆがれーなをねぇ」
「…違うよ、そんなんじゃないよ」
「じゃあ何なの?」
「…………親友、の感情」
「エリにも同じ気持ちなの?」
「似てる…けど、ちょっと違う…」
「じゃあエリは親友じゃないの?」
「ううん、絵里は大切な親友だよ、でもれいなとは違うんだよ」
「むー。それって恋だと思うけどなぁ?」


さゆみが夢見る恋はもっと激しくて、一目見た瞬間に落ちるほど衝撃的で。
こんな…穏やかな感じじゃない。
大体、ずっと友達だったんだから。
それが恋愛の好きに変わる瞬間なんて訪れるんだろうか?
さゆみはきっと、一目惚れするタイプだと自分で思っている。
だから、この感情が恋だと決めるのにためらった。
642 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:24

それに。
恋愛だと決めた瞬間、戻れない何かがあることがなんとなくわかっていたから。
だから、踏み出せないでいた。
れいなとは、今のままの関係でいたい。
今の関係がすごくいいと思うから。
さゆみは、れいなと近すぎず遠すぎず、れいなに少し憧れて、
話していると楽しい今の関係が気に入っていたから。

643 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:25


+++++


644 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:25
「聞いてさゆ!エリ、ガキさんと付き合うことになったよ!」
「え!?うそうそ、いつから?どうやって!?」
「あのね、昨日たまたま一緒に帰ったんだよね、そしたらなんかいい雰囲気になっちゃってね。 
私たち付き合わない?ってガキさんに言われたの!」
「やっぱりねぇ、新垣さん絶対絵里のこと好きだと思ったもん。良かったね、絵里」
「うんっ」

絵里は八重歯を見せてくしゃっと幸せそうに笑った。
新垣さんと絵里は傍から見てもすごくお似合いと思っていたから、自分のことのように嬉しい。
しっかり者の新垣さんなら、ちょっとだらしない絵里のことをしっかり面倒見てくれるだろうし、
何より新垣さんは真面目だから、絵里のことをすごく大切にしてくれるに違いない。
絵里自身もとても新垣さんには心を許して甘えていたし。
645 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:25
その日から、たまに絵里は新垣さんと一緒に帰るようになった。
そうしたらさゆみは一人になっちゃうのだ。
でも、二人の邪魔はしたくなくて。
…でも、やっぱりちょっと寂しくて。


掃除を終えても誰も待っていない。
一人カバンを持って教室を出て行く。
その時、なんだかとても寂しくなる。
さゆみも恋人を作ったほうがいいのかな?と思った。
そうしたら、この寂しさはなくなるのかな。

…でも、さゆみに告白してくれる人なんかいない。
絵里みたいに人懐っこくて誰からも好かれるような女の子じゃないし。
さゆみのことを好きになってくれる人なんか。
さゆみは理想が高すぎるんだと絵里に言われたことがあった。
運命の出会いを求めているようじゃ、いつまでも恋人なんてできないよ、と。
でも。
だって。
…だって。
646 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:25
「さゆ、今帰ると?」


「わっ…びっくりした!」
「あ、ごめん。今何か考えごとしてた?」
「うん…まあね」


れいなが派手なカバンをリュックのように背負ってさゆみの横に並んだ。
さゆみは平均より背が高い方で、れいなは平均より低い方だから、
二人で並ぶと結構差がある。
れいなはいつ見ても細くてとてもうらやましかった。

「れいなも今帰るけん、一緒に帰ろう」
「うん」
「ああ、絵里はガキさんと一緒やね?さゆも複雑っちゃろ」
「…ぶっちゃけね」
「さゆは、恋人出来ても友達を優先する?」
「多分ね」
「れいなも。悪いことやないと思うよ」
「…うん、ありがとう」
647 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:26
れいなはにかっと笑った。
それだけで、なんだかとてもホッとしたのだ。
…さゆみの気持ちが少しほぐれた。
れいなに心からありがとうを言った。


「でもいいなあ絵里、あんな優しい恋人がいて」
「あの二人お似合いっちゃね」
「うん、すごく。あーあ、さゆみも運命の人がいたらなぁ」


「…運命か」


冗談交じりで言っただけなのに、れいなはどこか遠くを見つめた。
その横顔は見たこともないくらい大人っぽかった。


「ねえ」
「…何?」


「笑わないで、聞いて欲しいんやけど」
648 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:26
れいなはふいに立ち止まって、夕方の緩やかな光に影を落とした。
睫毛が光に透けていた。
どこか、笑ってはいけない雰囲気を漂わせていた。
さゆみは決意を持って頷いた。
少しドキドキが強くて怖かった。
胸にそっと手を当てて心臓に落ち着け、と唱えたけど、おさまりそうもない。

色が抜けている髪の傷んだ毛先を軽く指でつまんでから、れいなは話し始めた。
649 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:27


「れいな、福岡にいた頃に運命の出会いしたとよ。
 れいなが勝手に思ってるだけなんやけどね。…運命って信じとるとよ。
 そん人は東京に住んどるんよ。やけん東京の高校に進学するって決めたの。
 …向こうは、れいなのことなんて忘れとると思うけど。
 れいなはきっとそん人と恋人になるって信じて東京に来たとよ」


650 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:28


「……れいな、好きな人いるんだ」


こくん。

はにかんだように唇を噛んでれいなは頷いた。
その顔は幼くて、でも大人っぽくて。
見とれてしまいそうなほどに愛らしくて。
恋をする人の顔はとても美しい。
でも…なぜか、心が痛くて。

651 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:28

「…そん人は、福岡の町で歌っとった。すごくすごく綺麗な声やった。
 そん人が歌おうって言うから一緒に歌ったら、いい声だね、って言ってくれた。
 歌手になりたいんやって言ったら、きっとなれるよ、なったらライバルだねって言ってくれた。
 すぐに東京帰っちゃったけど、待ってるって、言ってくれた…」


れいなの瞳が綺麗に潤んでいて。
れいなの目にはその日の景色が映っているから。
その日感じた憧れが、痛いくらいこもっているから。


「その人が、今どこにいるかとか、わかるの?」
「…わからん。色々調べたっちゃけど、見つからんかった。でもよか。この街におればいつかきっと出会える。
 れいなは歌手になって、その人に見つけてもらうんよ」


れいなの歌が上手いことは知っていた。
れいなの声はまっすぐで、やわらかくて甘くて。
いつか想像する。
れいなの声が世界中に響く日を。
でもその声は世界中に響いていても、一人の人しか探していないんだ。
あの日、れいなの声を聞いた時の不思議な気持ちの理由を、その時に知った。
れいなの声はさゆみには向けられていなかったからなんだ。
652 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:28


「…そっか、そうなんだ……」


急に、さゆみは独りぼっちになった感覚がした。


「見つかるといいね、その人」

さゆみは、思ってもいないことを平気で言った。
自分が怖くなるくらい。
ああ、こんな気持ちでも人は繕うことが出来るんだ。
今どうしようもなく泣き叫びたかった。
それは、お母さんに甘えて縋りたいほどに。


「ん、ありがと、さゆ…さゆだけっちゃよ、このこと話したの」
「…本当?」
「うん、内緒ね」
「うん……」
653 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:29
少しいたずらっぽく唇に人差し指を当てるれいなの顔が眩しくて。
その顔を見た時になって失ってしまったものの大きさを知った。
もう取り戻せない、言えないことの大きさを知った。

『もしかして恋なんじゃないの?』

絵里の声が木霊した。


ごめん。
ごめんなさい。


本当は、こんなにれいなのこと好きだったのに。
こんなに恋をしていたのに。
言えない立場になって思い知るなんて。
自分から手に入れようとはしなかったその場所を、欲しがるなんて。
さゆみはバカだね。
後悔してる。


654 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/03(月) 22:29


…あの時認めていれば、何かが変わったのかな。


もうそれは、わからない話。


「さゆは好きな人、おらんの?」


「うん?…いないよ、好きな人なんて」
「そっかぁ…出来たられいなに一番に教えてね」
「…ん。そうだね、出来たらね」


さゆみは決めた。
この気持ちは、言わないと。
れいなを困らせるだけの。
この関係を壊すだけの気持ちなら、いらない。
忘れてしまおうと。
なかったことに、してしまおうと。

655 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/03(月) 22:32
番外編『さゆみの憧れ』前編更新終了です。
やっぱり道重さんが出てくるとこのメンツが揃っちゃいます。

>>627さん
ありがとうございます。
この話は全体的に夢見がちなのでこんな人がいると逆に浮いて見えてしまいますがw
これからも頑張ります。
656 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/07(金) 00:53
ぁ、切ない。
657 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/09/07(金) 02:21
更新お疲れ様です。
戸惑いがせつないですねぇ。
ここでのこの人は少し大人っぽく感じていたので新鮮な感じがします。
次回も期待しています。
658 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:12
「さゆ」
「ん?」
「最近、なんか変やね」
「え?」

れいなに言われるまで気がつかなかった。
さゆみは変なんだと。
あの日、れいなに好きな人がいると言われ、想いに気がついて、
それを封印すると決めた日から…何も変わっていないつもりだった。
いつものように振舞っているつもりだった。
でも。
659 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:13


「れいなのこと、避けてる?」


どくん。
…どくん、どくんどくん。
どくどくどくどく。

「…なんで?そんなことないよ。なんでさゆみがれいなを避けなきゃいけないの?」
「なら、いいんやけどね。何かあったかなと思って心配した。
 いつもより元気なかよ。悩みがあるんやったら、言って」
「うん、ありがとう…大丈夫だよ、さゆみは元気だから。悩みなんてないし!ふふっ」

れいなに元気ポーズを作って笑って見せた。
でもれいなは心から笑顔を見せてはくれなかった。
さゆみが心から笑顔を見せていないからだとわかった。
660 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:13
やっぱり、だめ。
やっぱり、だめなんだ。
笑えない。
そばにいられない。
忘れられない。

れいなを好きな気持ちは、消えない。
さゆみは気がついてしまったから。
なかったことになんて出来ないんだ。

れいなと二人でいると、れいなの目を前みたいに見つめられなくなった。
れいなはすぐに不思議がって直接たずねてくる。
でもさゆみはれいなにはこの気持ちを話したりできないから。
…さゆみは結果、れいなを避けるようなよそよそしい態度になってしまうのだった。
661 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:13
一度は避けてないと言ったけれど。
言われたらやっぱりそれを意識せずにはいられなくて。
無意識にれいなから離れていた。
れいなの視線に気がつかぬふりをして。
…だんだんと、話す言葉も減ってきた。


「さゆ」
「…ぁ…」
「ちょっと、話いい?」
「……」

れいなに呼び止められて、心臓が高鳴る。
それと同時に、さっと恐怖が襲った。
どうしよう。
…普通に接しなきゃと思えば思うほど意識して。
れいなの目すら、まともに見られなくて。
顔が赤くなるのは、ちょうど立っている場所が影になっているからきっとわからないと思うけど。
それに、れいなにはさゆみの顔が赤くなるなんてことすら想像もしないだろうけど。
れいなの鈍感なところが、たまにとても罪深く感じる。
でも、その真っ直ぐな目にこそどうしようもなく惹かれている事実があった。
662 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:14
「ここじゃ人通り多いけん、ちょっと人気のないところのほうが話しやすいんやけど、時間あると?」
「…でも…」

咄嗟に何か用事があるという嘘もつけなくて、さゆみは困ってしまう。
今かられいなと二人っきりで話して、さゆみは平気でいられるのかな。
この秘めなければならない思いを心に封じ込めておけるの?

怖い。
行きたくない。
…怖い…


「さゆ」


鋭いれいなの声。
そして悲しそうなれいなの声。
それが向けられていることが、悲しくて。でもどうしようもなくて。
663 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:14

すると。


「さゆー、ちょっといい?」


絵里がさゆみを呼んだ。


「れいなごめん、また今度にしてもらえないかな…」

やっとそう言って、さゆみはれいなのもとを去ろうとする。
すると、れいながさゆみの腕を取った。
はっとして振り払ってしまいそうな心の爆発を懸命に堪える。かーっと首が熱く感じた。
辛くて、ぎゅっと目を閉じる。
664 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:14
「待って、さゆ」
「…」
「なんで避けると?れいなのこと嫌いになった?」
「違うよ、れいなのこと…嫌いになったりしないよ」
「じゃあなんでっ…」


「エリが、れーなと喋らないでって言ったからだよ」


665 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:15

「!」
「…絵里…?」

さゆみの腕を掴むれいなの手を、絵里がそっと振り払った。
そしてさゆみの腕を取った。
あっけにとられているさゆみを尻目に、絵里はニコニコと笑って嘘をついた。

「さゆはエリの一番の仲良しなのに、れーなさゆさゆってうざいんだもん。
 だからさゆにれーなと喋らないでって言ったの」
「絵里…」
「わかった?だからさゆにもう近づかないでくれる?行こう」

口が少し開いたままのさゆみの腕を絵里が引いた。
絵里。
そんな。
れいなに背中を向けたとき、れいなの声が聞こえた。
666 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:15
「待って!さゆはどう思っとると!?さゆもれいなのこと嫌いやったの?」
「さゆの最近の態度を振り返ってみれば、さゆがエリとれーなどっちを取ったかわかるんじゃないの?」
「………」

れいなの表情を、さゆみは見ることが出来なかった。
でも見ないほうが良かったかもしれない。
もし見てしまったら、折角絵里がこんな風に悪者になってくれたのに、
それすら駄目にして全部話してしまっただろうから。
この心の錘を全部。
れいながもし悲しそうにしていたら、抱きしめて全て撤回しただろうし。
れいながもし怒っていたら、謝って全て話してしまっただろうし。
667 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:15

「…行こう」


絵里に引っ張られるまま、さゆみは教室を出て行った。
教室を出た瞬間、涙が零れてきた。
絵里にもれいなにも申し訳なくて、情けなくて、涙が止まらなかった。
絵里に連れられて非常口から外へ抜け出して、人目につかない裏庭で声を殺して泣いた。
泣きじゃくるだけで何も言わなかったのに、絵里は全部わかってるみたいにさゆみを抱きしめていた。
こんなことまでさせてしまったことを、あんなことまで言わせてしまったことを、一つも責めたりしないで。
さゆみをずっと抱きしめてくれた。
668 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:16
やがて涙が少しずつ止まってきた。
授業はとっくに始まっていたけれど、そのことは口には出さなかった。
絵里もまた。
絵里はきっと酷い顔しているだろうさゆみの髪を撫でながら、そっと呟いた。

「…これで良かったんでしょ?」
「……うん…きっと、いつかこうなってたんだと思う。形は色々あるけど、いつかはれいなと友達でなくなる日が来たんだ。
 …ありがとう。ごめんね、絵里。絵里はれいなに嫌われる必要なんてなかったのに…」
「れーななんて、嫌いだよ」
「え?」
「…エリの大切なさゆの気持ちに気がつかない鈍感れーななんて、嫌い」

絵里はそう言ってにこっと笑って見せた。
また涙が出そうになって、慌てて拭う。
絵里は聞かなかった。
さゆみが何も言わないわけも。
669 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:16

さゆみが絵里にすら言わないのは、れいながさゆみにしか言わなかったから。
れいなにはさゆみと出会う前からずっと好きな人がいること。
さゆみの口からその事実が語られることは永遠にない。
だって、約束した。
…れいなは、さゆみにだけ話してくれたんだもん。

670 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:17
「…さゆみ、もう恋愛なんてしたくない。恋愛するのが怖い。
 こんなに色んな人を巻き込んで傷つけるなんて、もうしたくない…
 それに、きっとこんなさゆみを好きになってくれる人なんていない。
 いつもいつも、毒舌だけどさ、ぶりっ子キャラだけどさ、わかってるの。本当の自分がすごく弱いって。
 本当は、自信がない。胸を張って自慢できるようなところなんて一つも持ってない。
 こんな風に思ってる人なんて、誰も惹かれたりしない」

弱気なことばかり口から零れてきていやになる。
いいことの一つでもあれば、少しくらい笑って振り返られたのかな。
それはやっぱり、もうわからないことだけど。

絵里はネガティブなことばかり唱えるさゆみを笑って抱きしめてくれた。
絵里のにおい。
優しい甘いにおい。


「…大丈夫、さゆは自分が思ってるよりずっと魅力的でステキな女の子だよ。
 いつか現れるよ。さゆのことを好きで好きでたまらなくて、さゆも、その人のことを大好きになる…
 エリもね、自分が嫌いだった。こんな自分には恋愛なんて出来ないと思ってた」
671 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:17
意外な事を言うから、驚いて絵里を見た。
さゆみの知る絵里はいつだって笑顔で、面白くて、優しくて、ちょっと抜けてて。
それはとても愛されているキャラクターで、憎めなくて。
絵里はずっとそうだとばかり思っていた。
当たり前のように、新垣さんと恋愛できる自分を受け入れていると思っていた。

絵里の横顔はいつもより大人っぽく見える。
上がった口角が愛らしくて、いつもうらやましいなと思っていた。


「中学の時ね、エリすごく暗かったんだ。自分が嫌いで、毎日学校に行ってもうまくやれないことばっかりで。
 上手くやろうとして、余計に上手くできなくて。いつも泣いてばっかりだった。
 でもある日ね、エリのことを見ててくれる人がいたの。頑張ってるね、って言ってくれる人がいた。
 どんなに上手く出来なくても、頑張ってると誰か見ててくれるんだなって思った。
 その人のことを大好きになった。単純だけどね。うへへ。
 でもそれから少し頑張れたんだ。毎日その人に会えるってだけで明るくなれた。
 結局その人にはずっと付き合ってる人がいたから、告白とかは出来なかったんだけど、
 この恋は一生の宝物だよ。エリを変えてくれたの」

それはとてもいとおしそうに。
絵里は胸にしまっておいた何かを抱くように胸にそっと触れた。
672 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:18
「…そして、高校でガキさんとも出会えたし。
 ガキさんと出会えて、また自分が少しずつ変わっていったような感じがした。
 ガキさんと近づいていく感じが、すごく幸せで。
 あの時好きになった人じゃなくて、ガキさんと恋愛できてよかったなって思ってる」

あれ、もしかしてこれってのろけ?
なんて思ってしまいそうになるくらい、幸せそうな横顔。
うらやましいくらい。

「初恋って実らないことが多いけど、でもその経験って価値があるんじゃないのかな。
 次は両想いになりたいとか、次は自分の思いをちゃんと伝えようとか、さ。
 さゆもれーなが思い出になったりする日が来るんだよ。
 そして次の恋がやってくる。その時、今の気持ちが活かされるんだよ。
 次は、きっとこの気持ちは恋だって手遅れにならないうちに気がつくよ。
 次は、きっとちゃんと好きですって言えるよ。そんな未来を予想しようよ。辛いだけが恋じゃないんだから。
 恋って、すごく幸せなものなんだよ」
673 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:19
絵里がいつもより饒舌なのは、何故だろう。
いつもわけわからないくせに、こんな時だけ妙に説得力があるのは何故だろう。
笑えてきちゃう。


「ありがとう、絵里」
「うへへ、かわいいかわいいさゆ…さゆは、幸せになれるよ、絶対」
「…うん」


いつか、幸せな恋愛をする未来。
それを…夢見て。
今は少しだけ痛くて辛いけれど、この恋をなかったことになんてするのはやめよう。
痛みがなくて、成長なんてできないから。
674 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:19


+++++


675 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:20
あれ以来れいなはさゆみと絵里に話しかけてくることはなくなった。
勿論必要最低限の会話は成立したけれど、以前のようになんてことのない会話を笑い合ってすることはなくなった。
当たり前のことだけど、寂しかった。
れいなの笑顔を遠くからしか見ることが出来なくなった。
れいなの笑顔が大好きなのに。

でも、仕方がない。
こうでもしなければ割り切れない恋愛をしてしまった自分への罰。

れいながいなくなった日々は、ぽかんと穴が開いた。
絵里がそれを埋めるように笑ってくれたけれど。
絵里が埋めている穴と、れいなが埋めていた穴の場所は全く違うから。
でも仕方がない。
今はそう思うしかない。
676 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/11(火) 23:20
季節はゆっくりと流れていく。
秋が来て、冬が寒くて、そして春になる。桜が咲く。
やがて、さゆみは高校二年生になった。二年生になる時にはクラス替えがあった。
絵里とは同じクラスのままだったけど、れいなは二つ教室が隣のクラスになった。
その頃にはもう気持ちの整理はついているかな、と思ったのに、
いざクラスが離れると寂しくてたまらなくなって、クラス分けのプリントを眺めて一人で泣いた。

れいなのいない日々は、それからも過ぎていく。
でもれいなの姿を見かける度に目は追いかけていたし、
れいなのことを思い出す日は、むしろクラスが分かれる前より増えた。
いつになったら、割り切れるのかな。
何が起これば、割り切れる…?


…。

677 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/11(火) 23:24
「さゆみの憧れ」中編終了です。
しかし本編第二部が全然書けてません;

>>656さん
ありがとうございます。
少しでも感情移入していただけたら嬉しいです。

>>657さん
ありがとうございます。
この子にもいろいろあって、本編のような感じになったんじゃないかなと。
もう少し進むとまた変わってくると思います。
678 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/09/20(木) 13:27
更新お疲れ様です。
せつないなぁ。亀ちゃん良い子だなぁ。
揺れ動く気持ちがたまらないです。
679 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:34


「ねえ、カオリさゆのこと好きだよ。良かったら付き合わない?」
「へ?」


680 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:34
バイトが終わって制服から着替えていると、隣で同じようにしていた人に唐突に言われた。
この店の正社員である飯田圭織さんだ。
長い髪と大きな瞳、すらりと伸びた背が印象的で、ちょっと天然だけど頼りがいのある先輩。
さゆみは大好きだ。
けど。

「……」
「あれ、引いちゃった?」
「いや、違うんです。飯田さんにそんなこと言われるなんて夢にも思ってなくて…びっくりして」
「そっかぁ、ごめんねいきなり。でもカオリなりにアピールしてきたつもりだったんだけど」
「そうだったんですか?」
「ふふっ。さゆには誰よりやさしくしてたし、こっそりさゆのミスをフォローしてたりもした」
「あれっ…すみません」
「いいの、カオリがやりたくてやったことなんだから」
「……からかってるわけじゃないんですよね…?」
「からかってなんかいない。本気だよ」

まだ動揺はおさまらないけど、飯田さんの目は真剣だった。
だったら、ちゃんと答えなくてはいけない。
681 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:34
「…ごめんなさい、好きな人が、いるんです」
「……付き合っているわけじゃないの?」
「はい…」
「なら、カオリにも可能性はあるのよね」
「え?」
「今さゆが思っている人より、カオリを好きになったほうが100倍幸せにしてあげられるわ。
 だから、カオリにチャンスを頂戴」
「チャンス?」
「そう。カオリは諦めないから、少しくらいはカオリのこと恋愛対象として見て欲しいの」
「…」
「お願いね」


一瞬。
飯田さんなら、いいかなあとか思った。
今の叶わない恋はまだ一番だけど、飯田さんと一緒にいるうちに、
優しくて大人な飯田さんのことを好きになる日が来るんじゃないかなと思った。
もともと飯田さんのことは嫌いじゃないし、セクシーでドキドキすることもあったし。

いつか、いつの日か。
こんな風に思ってくれる人を、同じように思える日が来たら、幸せなんじゃないかなって。


「わかりました」


さゆみは飯田さんの優しさに甘えることにした。
嬉しい、と幼げに笑う飯田さんはかわいいなと思った。
682 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:35


+++++


683 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:35
「付き合うの?」
「ううん、そういうわけじゃないけど」
「…付き合ってみるのもいいと思うけどね」
「でも、きっと今のさゆみじゃ飯田さんの思いには応えられないもん。
 飯田さんに辛い思いさせたりしたくないし」
「ほんと、変なところ真面目だよねさゆはさぁ」
「絵里が適当すぎるんだって」
「そうかなぁー?」


絵里は変わらず新垣さんとラブラブで、この後もデートらしい。
それはとても喜ばしいことだと素直に思う。
…両想いになるって、どれだけ奇跡なことなんだろう。果てしなく遠い世界に思えてくる。

季節は変わらずに流れて。
もうすぐ修学旅行の季節だった。
高校二年生最大のイベントと言ってもいいけれど、
恋人のいないさゆみには楽しさ半減なイベントでもあるのだ。
この時期になると急にグループ分けがシビアになったり、付き合いたてのカップルがポツポツ現れ始めたりする。
修学旅行へのそれぞれの備えなのだ。一度きりのイベントを、十二分に楽しむために。
さゆみは…
684 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:36
「そういえばさあ、れーなも告白されたらしいよ」
「…え?」
「ほら修学旅行前じゃん?そういうの増えるんだよねー。隣のクラスの…なんだったっけなぁ…諸塚さん?だったかな」
「…れいな、なんて…」
「『今は付き合うとか、そういうこと考えてない』とかなんとか言ったらしいよ。
 なぁんかれーなっぽいよね。れーなって大人びてる割りには古風なところあるからさ、
 さゆよりよっぽどロマンチストだよ。さゆって夢見る乙女キャラの割りに現実的じゃん」
「まぁね…」

心の中で思いっきりホッとした。
れいなは…好きな人のこと、さゆみ以外の人にもう話したのかな?
もし言ったとしても、その事実は知りたくないなあ。
一生、二人だけの秘密ならいいのに。
叶わないと、知っているけれど。
…一生二人だけしか知らないことがあれば、どれだけ甘美なことだろう。


流れる人といつもと同じ席から眺める景色。
れいなを好きになって、一年経った。
れいなと話さなくなって、もうすぐ一年が経つ。
気持ちは少しくらい、変わったのかな。
日々の忙しさに流されていくうち、れいなを思い出すことは少なくなったけど。
ふとした瞬間にあふれ出してしまいそうで…怖かった。
忘れているだけでなくなってはいないのかもしれない。
それならば…いつかは、あふれ出すかもしれない。
それがいつなのかまではわからないけど。
685 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:36


+++++


686 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:36
降り立った先は、北海道札幌市。
ベタだけど、やっぱり行ってみたい場所だ。

「やー、北海道だよさゆー!」
「ホントだねー、絵里!思ってたより寒いね」
「うんっ、さむーいっ」

絵里と抱き合って寒さをしのぐ。
バカっぽく二人で笑い転げていると、先生に早く並ぶよう注意された。

いざ修学旅行が始まれば、心はウキウキした。
絵里と一緒にいれば盛り上がったし、楽しいと思った。
新鮮な景色は心を揺り動かした。
知らない国へ来たみたいに、全部が新しくて、全部がわからなくて、それがドキドキして。
絵里と、はしゃぎまくった。
687 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:37
「おいしーい!絵里、これおいしいよ!」
「ちょっともう食べてるの?さゆ」
「いいじゃーん、美味しいんだもん」

初日のホテルの夜、ご当地お菓子を買い漁ってお土産用と二つ買っておいたうちの一つを開封した。
とっても美味しい。やっぱり素材から違うのかな。
っていうかこの調子で買っていったら最終日には身動き取れなくなりそうだけど…まあいいか。なんとかなるよね。

「たしか4日目のホテルで宅急便で荷物送れるんだよね」
「うん、そうだけど?」
「4日目までお土産持ち歩かなきゃいけないのかぁ…」
「まあ、いいんじゃない?カロリー消費になって」
「気にしないもん!」

「さゆみん、カメ、お風呂開いたよ」
「あ、次エリ入る!ねえねえガキさん、エリが上がってきたらちょっとロビーでお話しない?」
「…あ、でもさゆみんが」
「え?やだいいんだよ新垣さん、気にしないで。行ってきてよ。
 さゆみはここでテレビ見てるかどっかの部屋遊びに行くから」
「いいの?」
「うんっ」
「ありがとーさゆ。明日もおんなじ班でいっぱいラブラブしようねー」
「カメ、わたしが違う班になったことまだ怒ってんの?」
「怒ってないもぉん」
「あっこらー!かぁめー!」

絵里は愛らしく舌を出してお風呂場へ入っていった。
…この後一人になっちゃうのか…どうしようかなぁ。
688 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:38
新垣さんと二人の空間になる。
他のグループも交ざって新垣さんと話すことはあってもなんとなく二人っきりにはなることは少なかった。
たまにだけど、色々思ってしまうのだ。
絵里はさゆみより新垣さんが大切なのかなあってちょっとやきもちやいちゃったり。
新垣さんも、さゆみの存在がうっとうしいなあって思ったりしてるんじゃないのかなあとか思ったり。


「…」
「…」
「なんていうか…ごめんね、二人の邪魔しちゃってるよね、さゆみ」
「うぇ!?わたしはわたしがカメとさゆみんの邪魔してるかなと思ってたよ?」
「だって、絵里は新垣さんと付き合ってるんだし…」
「でも、カメはさゆみんのことすごく大切な親友だと思ってるし」
「…」
「正直、ちょっとジェラシー感じるくらい、二人は仲いいよね」
「……さゆみも、新垣さんと絵里が仲いいのちょっと嫉妬してた」
「本当?」
「うん」
「私、さゆみんに嫌われてるかなーとも思ってたけど」
「さゆみも、新垣さんさゆみのこと邪魔だと思ってると思ってた」
689 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:38
「……」
「……」
「…なぁーんか、うちらカメに振り回されてる?」
「そんな感じだね」

新垣さんは困った顔で笑った。
さゆみもなんだかおかしくなって、笑った。
お互い絵里との関係は違うけど、絵里を大好きな気持ちは一緒。
だから新垣さんはライバルであり、きっと仲間なんだ。
それに新垣さんはとてもいい人だから。
…仲良くなれそう。

「あ、これ」
「ん?」
「お菓子、よかったら食べて」
「あ、ありがとう」

新垣さんはとっても嬉しそうに笑った。
そのお菓子を、美味しいといってくれた。
690 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:38
それから、毎晩同じように絵里と新垣さんは二人でホテルのどこかへ行った。
さゆみは1日目はテレビを見て待っていた。
2日目は同室の友達と話をしていた。
3日目はちょっと疲れていたのでうたた寝していた。


そして、4日目。
たまりにたまった荷物を詰め込んで、段ボールに封をする。
自分の宛名を書いて、段ボールに貼り付ける。

「おねがいしまーす」

宅配のおじさんに預けて後ろを向いたとき、どしゃっと音がした。
女の子が転んで段ボールをひっくり返してしまったらしい。
段ボールは預かり所で封をするから、荷物が散乱した。
慌ててさゆみはその子に駆け寄った。
散乱したお土産やなんかを拾い集める。


「大丈夫?怪我してない?」
「あ、大丈夫っちゃよ。すみません…」
「…ぁ」

「……さゆ」
691 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:38
その、懐かしい声。
聞き間違うはずもない、その声。

目が合って、火花が目の前にちらついた。びりびり。
…腰から崩れ落ちそうなほどの衝撃。


れいな…
こんな、近くに。

こんな。
手が触れるほどの距離に、れいながいる。
どうしよう、変に緊張してる。
さゆみはれいなからぎこちなく視線を逸らした。
それに何を感じ取ったのか、れいなは視線を落として黙々と散らばった荷物を拾い集めた。

「…無理せんでええよ。拾いたくないっちゃろ」
「……」

さゆみは何も言わないで、…何も言えないで、れいなの荷物を拾い集めた。
何気なく手に取った箱がさゆみも買ったお菓子だったりしたことに、何故か泣きたくなるほど嬉しくなった。
692 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:39
「はい」

集めた荷物をれいなに手渡した。
上手く、笑えないけど。
でも、笑おう。
笑いたい。

れいなはさゆみの顔を見て、目をふっと細めた。
それは少し笑っているようにも見えた。
れいなの顔を真っ直ぐに見ている時間。
れいながさゆみを見ていてくれている時間。
こんなに、輝いていたっけ。
こんなにも、静かだったっけ。

二人は会話もなく、しばし見つめあっていた。

けれどその時間が永遠になることはない。やがて、どちらからともなく動き出す。
それで終わるはずだった。
どこにもいけない気持ちのしこりが残ったまま、旅行を終えるために部屋へ戻るはずだった。
その瞬間、首にかけたままだったそれが手に触れたのだった。
693 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:39
さゆみは考えるより先に振り返って…名前を呼んでいた。


「…――――れいなっ…!」


「!…なん…?」

「…………写真、撮ろうよ」


さゆみはどんな顔をしていたのだろう。
不思議そうに、れいながじっとさゆみを見つめていた。

さゆみの手は震えている。
怖かった。
あの日、れいながあの女の子に向けたような瞳を。
あんな瞳を向けられて、拒否されるのが怖かった。
でも、されても仕方がないともわかっていた。
それでも声に出てしまったのだ。
何故なのかはわからない。でも、何かを変えなければいけなかった。
それがどんな結果になろうと。
694 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:40
れいなは、床に置いてあった段ボールを持ち直した。

…やっぱり、だめか。
そうだよね。




けれど。


「…荷物出してくるけん、待っとって」


れいなは…そっとそう呟いたのだった。
気軽に受けるよりも少し時間がいって。
断ることはせずに。


れいななりの葛藤と優しさが溢れるほどに感じられて、さゆみはぎゅっとカメラを抱きしめた。
695 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:40

れいなはさゆみの憧れ。
その事実だけはきっと一生変わらない。
そう、再確認した。

696 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:40
通りがかった同じクラスの人にカメラを託して、れいなと並ぶ。
どこまで近づいていいのかわからなくて、戸惑うけど。
れいながそっとさゆみに寄り添ってくれた。
さゆみは泣き出しそうな心を堪えてピースを作った。
上手く笑えない、上手く笑えないけど。
でも。
…そう。


パチン。
フラッシュが光って、安い音がした。
途端に何かの糸がほぐれる。
ピースを崩したとき、夢のような時間は一瞬で…花火よりも儚かった。


「はーい」
「ありがとー」
「うん」

撮影してくれた子からカメラを渡してもらった。
それかられいなに向き直って、震える声でやっと言った。
697 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:41


「…ありがとう…、れいな…」


「ん?…まったく、大げさやね、さゆは」

最後に、確かにれいなはにかっと笑って。
くるりと踵を返して去っていった。
黄色のTシャツが眩しくて、目を細めた。
白くて細い腕が眩しくて、目を細めた。


大げさじゃない。
大げさなんかじゃない。


だって。
…だって、ね?
698 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:41


+++++


699 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:41
修学旅行はあっという間に終わった。
今日は旅行の振り替え休日。
飯田さんに誘われて、若者の街や少し人の少ない落ち着く道などを歩いて回った。
飯田さんは努めて会話を提供する。
さゆみにもわかること、さゆみには全然わかんないこと。
たくさんのお話があったけど、どれも楽しかった。


「ねえ、ライブハウスって行ったことある?」
「え?ないです」
「最近はまってるの。すごく楽しいんだよ。人に押されるけどね」
「へえ、飯田さんってクラシックっぽいイメージがありました」
「クラシックも聞くけどね。でね、この頃話題の歌手が今日出るらしいの。もしよければ行ってみない?」
「大丈夫ですか?さゆみ人ごみあんまり強くないですけど…」
「大丈夫、ちゃんとさゆのことは守るから」
「…はい」

さゆみは髪を撫でられて、そっと目を閉じた。
…安心する。
お姉ちゃんのような、お母さんのような。
でも、チョコレートに唐辛子を入れたみたいな刺激があった。
それは確かに姉でも母でもない人の手の温もりで、髪の香りで。
ゆっくりを手を繋ぎ、歩き出す。
艶やかな飯田さんの後ろ姿を、さゆみはずっと見ていた。
700 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:41
ライブハウスには少し地下鉄を利用した。
なんだか大人っぽい、行ったことのないようなきらびやかなネオンの街。
でも飯田さんといたら怖くなかった。
飯田さんの手をぎゅっとしているだけで、こんなにも穏やかになれた。

世界が揺れる。
瞳に温かな水がたまっていく。
手の温もりが、こんなにもさゆみを泣かせてしまうなんて。
絵里にも…れいなにすら感じたことのない、この気持ちはなんだろう。


ライブハウスは人がまさにごった返していて熱気がすごかった。
ざわざわと人の話す声が機械的な音になって聞こえる。
飯田さんに背中を支えられていないと後ろに倒されてしまいそうだった。
飯田さんはそっと、でもしっかり支えていてくれた。
心強くて、さゆみは身を任せた。


「…さぁそろそろ始まるよ」
「はいっ」

こもった空間で何故か近くに感じた飯田さんの声。
さゆみは真っ直ぐ舞台へ目を向ける。
701 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:42
ぱぁっと、眩しいほどのライト。
耳というよりお腹に響いていく重低音と共に若い男の人が四人飛び出してくると、客席は一気にヒートアップ。 
ワァー、という大きな歓声で一瞬何も聞こえない感覚に陥った。何故か瞬きをした。
ドラムについているシンバルみたいなものを軽くたたいたリズム。
1、2、3、4。
ジャン、と思い切り楽器が響き渡った。
まるで風が吹いたように体が後ろへ押されて、飯田さんの腕に甘えた。

さゆみも最初は大きな音とか揺れる空間に圧倒されていたけど、
その綺麗な演奏の動きと心を動かすメロディー、ボーカルの魅力的な声に自然とテンションが上がる。
上下に揺れ動く観客の動きに合わせてさゆみも体を動かしてみる。
この世界の一部になれた気がして気分が高揚した。

次から次へと若いメロディーがさゆみを躍らせる。
飯田さんも同じように体を動かしてその世界に紛れ込んでいた。

ああ、なんて刺激的な世界なのだろう。
こんなにもパワーを感じる。
眩しいほどの未来への希望を感じる。

ここはなんて、眩しいんだろう。
702 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:42
何曲歌を聴いたんだろう。
色々なカラーの曲を聴いていたら時間も忘れてしまった。


『さぁ、次はいよいよラストの登場だ』

演奏を終えた3人のバンドがマイクを握って息を整えながらそう言うと、
ざわっ、と客席が沸いたのがわかった。
これが飯田さんの言っていた話題の人なんだろうか?


『なんと、このライブハウスでの不動の人気ナンバーワンから単身アメリカへ渡り、先日帰国。
 誰もが待っていた帰国後初ライブは、やっぱりここ!さあ全員で名前を呼ぶぜぇ!!!せーの!!!』


『Maki!!!!!』


飯田さんも叫んでいた。
本当にさゆみだけが知らないみたい。
すごい、そんなに有名なんだ。


ワァアアアアアア…と今日一番の完成を浴びて出てきたのは、一人の女の人だった。
703 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:43
それは、とても綺麗な人。
長くて柔らかく巻いてある髪とエキゾチックな顔立ち。黒が基調の服装はクールなのにセクシーで。
女っぽさと中世的な感じと、絶妙な体のラインが印象的な人。
まるで世界が違うみたい。照明に照らされて少し高い場所にいる、それだけで。


『えー、みなさん、こんばんは!盛り上がってますか!』


その意外にも甘めの声がマイクを通して伝わると、轟音にも似た歓声がライブハウスを包み込む。
わぁ…地面が揺れているみたいだ。

『んーいいですねぇ、懐かしいこの雰囲気。ただいまーって感じ。あははぁ』

心から嬉しそうに、その女の人は笑ってそう言った。
その顔は思ったよりずっと幼くて、最初に思ったイメージよりも親しみがわいた。
その笑顔につられて笑った。

『えーっと、ただ今紹介してもらいました、Makiです。
 知ってる方も知らない方もいらっしゃると思いますが、本当につい最近までアメリカにいて
 いろいろなものを見てきました。すごく勉強になったし、歌がもっと好きになった。
 …そしてこの秋、アメリカで作った歌をレコード会社に送ってみたら、なななんと!』

にや、と意味深に笑うMakiさん。
しん…と、あんなに騒がしかった会場が音一つしなくなる。
さゆみも息をのんだ。
704 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:43
そして。


『メジャーデビュー決まりましたぁああああ!!!!!』


その瞬間爆発したように歓声。
さゆみも知らない間に思いっきり叫んで手を叩いていた。
たくさんの人の拍手に包まれて、Makiさんはすごくすごく嬉しそうだった。
すごい、すごい。
だって、メジャーデビューだって。

『ありがとう。みんなのおかげです。本当に感謝してます。
 …では、早速その曲を聴いていただきましょう。
 わたしの原点でもあるこの場所でみんなに聞いてもらえて、すごく幸せです。
 聞いてください。―――――――――“Dreaming girl”』


ワァアアアア――――――


さゆみは、初めてその曲を聞いた。
その人の歌声を初めて聞いた。
その人の奏でる音を初めて聞いた。


涙が出た。
705 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:44
甘くて力強い声が、繊細で芯の通った演奏とこんなにも綺麗に重なった。
Makiさんが歌を好きだとわかる。
この曲を愛しているとわかる。
そして、この曲をみんなにも愛して欲しいと思っているのがわかった。

圧倒されるほどのパフォーマンスに、そのメッセージを乗せられて。
誰もが、泣いていた。
誰もが、この瞬間に出会えたことを幸福に思っていた。
初めてこの場所に来たさゆみでさえも。


すごい。
こんなすごい人が、この世にはいるんだ。
こんなに…こんなに、心を揺さぶられる。


なんて、すごいんだろう。
706 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:44
余韻と共に、音が止んでいく時の寂しさとそれを上回る高揚感。
ハッピーエンドの物語を読んだ後のような心地よさ。
心臓がバクバクと激しく打っている。


『…ありがとうございました』


割れんばかりの歓声と拍手に包まれて、その人は笑った。
大きく手を挙げて、深く頭を下げた。
さゆみも、ずっとずっと拍手していた。
707 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:44
「はぁー、すごかったぁ」
「楽しかった?」
「はいっ、また連れてってください」
「いいわよ、何度でも」

飯田さんと手を繋ぎながら、夜の街を余韻に浸っていた。
すごくステキな気分だった。

今日、伝えなければいけないことを忘れてしまいそうなくらい。

家まで送ってもらって、その時に思い出した。


「そういえば、忘れてました。修学旅行のお土産です」
「あら、本当?何何?」
「もっと近づいてみてください」
「ええ?なんなの?」
「もっと、もっと」

おにぎりを握るように手を形作って飯田さんの顔を引き寄せる。
背の高い飯田さんがそっと顔を下ろした。
そのきれいに横に分けられた前髪の間からのぞく額にキスをした。
飯田さんは驚いてさゆを見た。
708 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:44
「…さゆ…?」
「さゆみがお土産です。こんなにかわいくて、ステキなお土産…最高でしょう?」

飯田さんに思いっきり笑顔を見せて。
そうしたら、飯田さんは大きな目に涙を浮かべてうるうるさせて。
さゆみを、本当に優しく抱きしめてくれた。

「いいの…?本当に、いいの?」
「はい。飯田さんさえ良ければ、受けとって下さい」
「もう、二度と手放さないわよ?逃げたりしないでね?」
「飯田さんこそ、逃がしたりしないでくださいね」

さゆみは飯田さんの背中にそっと手を回して抱きしめた。
安心した。
心が飯田さんでいっぱいになった。

これでいいんだと、心が笑ってる。
れいなが見えるのに、辛くならなかった。
れいなが笑っていた。
さゆみも、笑えるんだ。
709 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:45


+++++


710 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:45
それは突然だった。


「突然ですが、クラスの仲間だった田中れいなさんが学校を辞めることになりました」


先生のその言葉にクラスが騒然となった。
さゆみが目をやったれいなは席を立って、教壇の横に立った。
ざわざわとしている教室に一人その空気を受けるれいなは、
今までに見たこともないような澄み切った目をしていた。

…不思議と。まだ何もわからないのに、その目を見ると信じられた。
れいなが、何か…学校以外での意味を見出したような気がしたんだ。

れいなの愛らしい唇から少しずつ言葉が、シャボン玉のように。
次々と発し誰かを魅了しては、ぱちんと消えて。また次の言葉に魅了される。

「えっと、いきなりやけんみんなびっくりしたと思うけど、
 れいなも最近決めたことやから、何も言わんかったことを許してください。
 れいなは…歌手になりたいので、働きながらレッスンを受けて、デビューを目指そうと思います。
 ちょっとやそっとじゃ諦めたりせんから、どうか応援してください」

深く、頭を下げる。
さらっと肩から髪が落ちたのを見たときに、気がつくとさゆみは大きく手を叩いていた。


ぱち。ぱち、ぱち、ぱち。
711 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:46
れいなが顔を上げた瞬間、目が合った。
…さゆみがどんな顔しているのかわからないけど、れいなはさゆみに思いっきり笑いかけてくれた。
それは、初めて笑いかけてくれた時よりもずっと…ずっと、素敵。

「頑張って、れーな!」

絵里が上ずった声でそう言うと、手を同じように叩き始めた。
絵里は切れ長の目をうるうるさせていた。
ふいに、それを見た瞬間さゆみもぐっときてしまった。
そうか、…れいなと、学校で会えなくなっちゃうんだ。そうだ。
…それは、寂しいなあ。

「当たり前っちゃろ!」
れいなはそれに応えてガッツポーズを作ってみせた。
そう言うれいなも、絵里の瞳につられてしまったのか、目を潤ませていた。

次々と、拍手が起こる。
れいなは照れくさそうにそれを受ける。
ワァアアアア。
いつしか歓声になり、スタンディングオベーションになり。

それは、歌手田中れいなの始まりの…盛大な祝砲のようだった。
712 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:46
やがて歓声と拍手が止むと、れいなはふっと背筋に力をこめて目を閉じた。
そして、じっと遠くを見てからふうー、っと力を抜いて息を吐いた。
どうしよう。
れいなが大きく見える。あんなに小さな背のれいなの存在が…やばい、涙で姿がかすんでくる。


「…ちょっと、聞いてほしいっちゃ。れいなが歌手になるのを待ってくれている人の歌。
 この人は必ず有名になる。誰もが、この人の歌に涙する…そう信じとる。
 ………………聞いてください」


その名前に脳細胞が反応した時にはもう、あの世界に類似した感覚。


れいなは夢を見ているように学校ではない何かを見ながら、そのメロディーを口ずさんでいる。
れいなの真っ直ぐで透明な歌声は、あの人の包み込むような柔らかさと力強さの共存とは違うのに。
きっと技術やなんかでいえば、れいなはまだまだなのに。
まるであの時のように背中から感動が湧き上がる。
誰も、同じなんだ。
夢に向かう誰も、この情熱が人を揺さぶる。
誰かにこの歌を聞いて欲しいというその火傷しそうなほどの思いが、人の涙になる。

さゆみは堪えきれない涙を、ううん、堪えることすらしないで。
ずっとずっと、ずっとその歌を聞いていたかった。
がんばれ、がんばれ、れいな。
713 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:47
…あの人とれいなが笑顔で歌っている姿が見えた。

よかったね、れいな。

れいなの好きな人って、多分あの人なんだよね?
東京にいるはずなのにずっと見つからなかったのは、あの人がアメリカに行ってたからなんだね?
よかった。
れいながあんなにも幸せそうなことが、素直に嬉しくて仕方ない。
れいな…がんばれ。幸せになって。夢を掴んで、必ず幸せになって。


れいなが歌い終わった後、教室には暖かな拍手と涙の音がした。


れいなはさゆみの憧れ。
一生、この気持ちを忘れない。
憧れにまざったまだ残るかすかな恋情も。
それはそれは美しい思い出になるんだ。


ありがとう、れいな。
あなたはさゆみの人生の確かな一ページ。
714 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:47


*****


715 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:48
ふいに、アルバムを捲り始めてしまったからそんなことを思い出した。
れいなは引っ越してしまって、この写真を届けることは出来なくなってしまった。
皆で写真を見せ合いっこした時も、この写真だけは持っていかなかったから、
この写真を見たのはさゆみと小春だけだった。
もっとも、小春はこの写真に特別な思い入れなんてないからきっと忘れてる。
やっぱりこれは、さゆみとれいなの思い出。
れいなが覚えていてくれると信じて。

不細工な写真を見ると、なんだか自分の顔が幼く見える。
ああ、あれは随分昔のことのよう。
さゆみはれいなのいない高校最後の学年を迎えていた。
もうそろそろ本格的に進路に向けて歩みださねばならない。
さゆみはとりあえず進学という事だけ決めていた。

三年生になって、いつの間にかれいながいないことが当たり前になっていった。
みんな当たり前のように喪失を感じさせない笑顔で日常に埋もれて生きていた。
多くの中に紛れ込んで、はみ出さずに生きていた。
さゆみもまた、そうやって生きている。
れいなを思い出すことも少なくなったし、集団にれいながいないことを受け入れていた。
それは寂しいことなのか。わからないけれど、今はとりあえずどこにでもいる女子高生をやっていた。
716 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:48
れいなは違う道を選んだ。
例え険しくとも、自分の夢へ真っ直ぐに歩いていくことにした。
それはとてもれいならしい。
ちょっとだけ真っ直ぐ正直すぎできっと色々大変な思いをするであろう、不器用なれいならしい。
潔くて、前しか見えない。

将来。
さゆみは何になるんだろう?
具体的な夢もなければ、こういうのがいいなあっていう希望もない。
けれど、焦る必要はない。どんな生き方だって、生きているだけで幸せなんだ。
人生に優劣はない。
どんなに浮き沈みの激しい生き方だって、コンクリートの道のような人生だって。
生きているというだけで、それは全てすごいこと。
さゆみは健康に、元気に、明るく生きる。
最近、小春の家庭教師の先生の妹…さゆみの先輩の死に改めて触れた。その時に思ったんだ。
生きよう、と…強く思った。

人にはそれぞれの道があるから、さゆみはそこを歩いていこう。
歩きたくなる道を見つけて歩いていけばいつの間にか何かになっているかもしれない。
そこに誰かがいてくれるとしたら、それは家族と大好きな人。
未来はわからないけれど、さゆみは飯田さんがいてくれたらすごく安心すると思う。
717 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:49
飯田さんとは、あの日から穏やかに時を重ねてきた。
飯田さんはさゆみのわがままや棘さえ包んでしまうから、喧嘩らしい喧嘩もなくて、
平和に、当たり前のように一緒にいた。
二人で時には子供のようにはしゃいだ。
二人でいる時がとても楽しく感じた。
いつの間にか、飯田さんは宣言どおりにさゆみのことを幸せにしてくれたのだった。
でも飯田さんは言う。
さゆが自分で幸せを掴んだんだよ、って。

でも飯田さんには感謝していた。
こんなさゆみを包み込んでくれる優しい存在がいてくれてどんなに助かったか。
いつしかさゆみの世界は広がり、色々なことが見えるようになった。
小春の切ない恋愛も、吉澤先生の悲しい目も、悲しすぎる過去も、色んなことが。
さゆみは側で見つめていることしか出来なかったけれど、小春は見る間に美しく花開いた。
さゆみが助けることはなかった。小春は姉から見てもとても強い子だった。
そんな風に小春を見られたのも、小春が心配ですごく不安だった時に飯田さんがそっと涙を拭ってくれたから。
718 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:49
「飯田さん」
「なに?」
「…さゆみが大人になって、しっかりしても、さゆみのこと守りたいって思いますか?」
「…そうね、多分きっと。カオリにとってさゆは一生年下だもん」
「さゆみが一人で立てるって言った時、飯田さんはどうしますか?」
「隣に、並んで立つわよ。よりかかるのが恋愛じゃないから。
 二人で並んで手を繋いで歩けたら、それはきっと素敵なことだわ」
「…うふふ」
「どうしたの?急に」
「飯田さん、ずっとさゆみの側にいてください。さゆみ、飯田さんに側にいて欲しい」
「……それは、カオリが言いたかったのになぁ。本当にさゆは美味しいとこ取りなんだから」
「それがさゆみなんです」
「わかってる、大好き。さゆの全てを大好き。一生大好きだよ」
「ふふっ」

飯田さんの綺麗な手を両手でそっと包み込んで、その温もりに心を任せた。
さゆみの髪に触れるもう片方の手も、あったかくて。
目を閉じて、まだまだ甘える。
ほら。
もうこれだけで、人生の運使い果たしちゃいそうなくらいに幸せ。
でも、人生はわからないから。
もっともっと幸せなことが待っていることだってある。
だから、生きていこう。
719 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:49


さゆみは、さゆみの人生を。
だって夢見る少女だもん。


『――――では次のリクエスト曲です。今や若者の話題の中心!
 有線チャートをぶっちぎりの一位で走り続ける期待の新人。
 貴方も歌声、メロディ、歌詞全部に泣かされちゃってください……Makiで、“Dreaming girl”』


720 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:50


721 名前:さゆみの憧れ 投稿日:2007/09/24(月) 00:54
番外編「さゆみの憧れ」終了です。
ものすごいマイナーですが、このカップリングが好きなんです。
この内容なら昨日のうちに更新しておけばよかったと後悔していますw
当初の予定より一つ増えまして、番外編をあと一つ追加して、第二部に入りたいと思います。

遅れましたが、後藤さんお誕生日おめでとうございます。

>>678さん
ありがとうございます。
こんな感じになって、今のお姉ちゃんになれているんじゃないかなあと思います。
良ければこれからもお付き合い下さい。
722 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/10/07(日) 18:26
更新お疲れ様です。
いいお姉ちゃんはやっぱりいい人たちに囲まれていますね。
このCPは癒し系でまたいいですねぇ。
いろんな道があってそれぞれがそこを歩き出して行く。
次回更新も楽しみにしています。
723 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/10/13(土) 20:23
お疲れ様です
さゆみんと飯田さんの素敵な話とっても癒されました
実際のかおさゆの関係は僕も大好きです。

まったり待ってます
724 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/11/16(金) 13:48
続きを待っています。
725 名前:プロローグ 投稿日:2007/11/21(水) 22:21


どんなことがあっても時間は止まらない。
楽しい時間は永遠じゃないけれど、
辛い過去が遠くなり、新しい幸せに出会えるとも考えられる。

生きていれば。

726 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:21

「だからぁー、なんで美貴さんがここにいるんですかっ」

小春は頬を膨らませてぷいっとそっぽを向いた。

「えー?だって小春ちゃんに会いたかったから」

美貴は構わずにっこりと笑う。

「よっちゃん家に遊びに行ったらなんか出掛ける用意してるじゃん。
 どこか行くのって聞いたら小春とご飯って言うじゃん。これはもう行くしかないじゃん」
「要するにコハルと吉澤先生の邪魔をしに来たんですよね」
「そうだね」
「むぅ」

あっはっはっはと盛大に笑って美貴は小春の髪を撫でた。
小春は唇を尖らせてそっぽを向いていたけれど、撫でられる頭がむずむずして笑ってしまった。
ひとみはその様子を嬉しそうに眺めていた。
727 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:22
小春の家の近所のファミレスで、三人はそんなやりとりをしていた。
端から見れば姉妹のようにも見える微笑ましい図に、ウエイトレスがくすりと笑う。
それに気が付いた小春が美貴に目で訴えるが、美貴は気付かぬふりをしてキャラメルマキアートを啜った。
小春は隣に座るひとみの腕に自分の腕を絡めて甘ったるいアイスココアをストローに通して喉を潤わせた。

そんな、夢のような時間。
この三人がどのように出会い関わったか、この光景だけを眺める誰に想像出来ようか。
けれど、少なくとも小春は今の状態がとても楽しい。

「そう言えば、この間学校で進路調査があったんですよ」
もう秋も深まる季節に、ふいに時の流れを感じる。
「へえ、まだ二年なんでしょ?早いね」
「まあ、具体的な話と言うよりは希望調査みたいな感じだと思うんですけど」
「小春はまだ高校決めてないんだよね」
「はい。昔はなんとなく制服かわいいところならいいかなあとか思ってたんですけど、
 矢口先生に学力上がって来たし挑戦してみたら?って言われて…
 コハルに合ってそうな校風で少しレベル高めの高校いくつか紹介してくれて。でも…」
「ん」
さっきまで小春をからかっていた美貴もじっと小春の話を聞いている。
小春は一度息をついて少し遠くを見る。
728 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:23
「勉強、昔よりずっと好きになりました。
 けどわざわざ挑戦するほど勉強に対して情熱があるわけじゃなくて…
 コハル、将来の夢とかもないから、こうなるために勉強しようとか思えなくて」

低めの声で呟いて、小春は俯いた。

「だぁーいじょうぶだって、小春はまだ若いんだから。そう悩みなさんな。
 それに、夢があることが偉いことじゃないんだよ。
 少なくともあたしは健康に長生きしていることが一番すごいことだと思う。
 最終的には自分で決断を下さなきゃ行けないんだから、それまでじっくり考えよう。
 あたしも美貴も、小春の母さんも姉ちゃんも父さんもみんな小春のことなら喜んで相談に乗るから」

ひとみが小春の髪をやさしく撫でる。それは優しい笑顔で、小春に言葉を紡ぐ。

「はい…」
優しい言葉。優しい声。
でも、しっかりと小春を一人で立たせるのもひとみだった。
優しいけれど、甘すぎなかった。
ひとみの飲んでいるカプチーノの上のクリームみたいに。
729 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:23
「吉澤先生と美貴さんの進路ってもう決まってるんですか?」
「あー、ミキはねぇ、おばあちゃん子だったんだよね。だから大学も介護福祉の学科に一応進んでるんだ。
 将来はまあ福祉関係に就ければいいかなって思ってるよ」
「あたしは同じ大学の教育学科とってるけど、別にそんなにすごく教師になりたいわけではないんだ。
 でも小学校の先生とかは向いてるんじゃない?って言われる。
 確かに子供好きだし。将来就くとしたら小学校の先生かな」
「よっちゃん授業はちゃんと受けてるし、普通になりそうだよね」
「美貴も最近物凄い勢いで資格取り勉強してるもんね、本格的だよ」
「うん、介護福祉士の資格とホームヘルパー2級の資格はとっておきたいからね」

小春は自分で話を振っておきながら軽く後悔した。
ひとみと美貴が話し合う姿。…なんだか、とても…おとな。
将来が全くもって真っ白な小春とは違う。もう具体的に固まっているのだった。

「ふぇー…なんか、すごいですね…先生が、先生かぁ」
小春の目に浮かんだのは、小さな子供に囲まれて笑うひとみ。
一緒にボールで遊んだりしているような光景が簡単に想像できた。
なんだか想像の中のひとみは楽しそうで、思わず笑顔になる。
730 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:24
「すごく、向いてると思いますっ!いいなぁー」
「ありがと」
「えっへへへっ」
「ねえねえミキはぁ?」
「美貴さん…介護する人ですかぁ?コハルにするみたいに、怒ったりしませんか?」
「しないしない、小春だけだからミキが意地悪なのって。
 普段のミキは菩薩レベルにやさしいからね。特におじいちゃんおばあちゃんには」
「なぁーんで小春だけなのぉー!ひどぉい!」
「いひひ、ねーよっちゃん」
「ねーミキミキぃ」
「ふわぁ!!コハルを仲間はずれにしないで下さいよぉ!」

ひとみと美貴が意地悪に笑うから、小春は唇をツーンと尖らせて顔をしかめて見せた。
完全に遊ばれているとわかっているけれど、小春自身も遊ばせているのだ。
だから、こんな風にされても今は前みたいに苦しくなったり悔しくなったりはしなかった。
731 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:24
この時間が愛おしい。
永遠のものではないからこそ、キラキラと何より尊く輝く。
この一瞬を逃さず美味しく頂こう。
アイスココアの氷が溶けて味が薄まってしまわないうちに、飲んでしまおう。
例えこのグラスからココアがなくなったって、
この世からココアが消える日は小春が生きているうちには訪れないのだから。
732 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:24
美貴はバイトの為に一足先に二人のもとを去っていった。
すっかり明るい笑顔を取り戻した美貴の姿を見て小春は嬉しくなる。

「さてと、どうする?どこか行きたい所ある?」

ひとみと手を繋ぎながら小春はうーんと考えた。
ゆるゆると繋がれている手から伝わる柔らかさがたまらなく嬉しくて。
きゅ、と優しく握り返した。

「じゃあー…先生の家にいきたいっ!」
「あたしの家?」
「…だめですか?」

小春は少しだけ意識して上目遣いをしてみた。
漫画で読んで覚えて、父親におねだりする時に使うポーズだった。
ひとみは目を大きくして、繋いでいない方の手で髪をかき上げた。
ちょっと困ったように、呆れるように笑う。

「おま…ずるいなぁ、ほんと」
「えへぇっ」
「まあいいや。別に見られて困るものなんてないし。いいよ」
「やったぁー!」
733 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:25
ぴょんぴょんと跳ねる小春に笑いながら、ひとみは歩いていく。
小春の計算に乗せられてあげるのは、何故だか嫌ではなかった。
ひとみが見てきたどの計算高い子より、小春は魅力的だった。
綺麗だけじゃない何かを小春は持っていた。
掴みきれず不思議で、真っ直ぐなのに強くしなやかな姿を憧れて見る。
どうしようもなくかわいいのだった。

ちょうど時間が合ったのでバスに乗って行く。
二人並んでバスに揺られ、ひとみの家へと。

「せんせーっ」
「なに?」
「えへへへ、嬉しいんです」
「そっか」

何が嬉しいの?なんて野暮な質問を、ひとみはしなかった。
734 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:26
ひとみの部屋は黒が基調のさっぱりしたものだった。
物自体が少なく、男の子のような部屋なのにひとみと同じいい香りがした。
小春にとってひとみとは憧れであるから、おそらく家に戻れば部屋改造計画がたてられるだろう。
とにかく少しピンクを減らすことから始めてみようか。

「別に普通でしょ?」
「いやいやいや!すっすごいです!」
「何が?」

ふ、と笑みをこぼしたひとみがキッチンの食器棚からマグカップを取り出したのが見える。
そのマグカップは全く同じ形で色が白と水色だった。
735 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:26
あ。
はしゃぎまくっていた気持ちがぱちんと弾けて、そのマグカップに気がついた。
小春は一瞬にして鋭い勘を働かせてしまった。
そしてあまりに鈍いひとみにちょっとむっとした。
そのあからさまに誰かとお揃いのマグカップ。そして誰とお揃いなのかもすぐわかりそうなセンス。
ありありと、目に浮かぶは彼女の綺麗な曲線で出来た笑顔。

…正直面白くない。全然面白くない。

「ん、はい。ちょうど昨日美貴が午後ティー置いてったんだ」

マグカップに注がれたひんやりミルクティー。
変な気持ち。さっきまであんなに楽しく話せた人がちょっと羨ましすぎる。
別々に暮らし始めたとはいえ、大学でもこの場所でも、二人は当たり前のように毎日顔を合わせるんだ。

吹っ切りたい想いが微かに燻って、小春の心をじりじり焼いた。
冷たいせいなのかなんなのか、ミルクティーはあんまり甘くなくて。
やっぱり子供だな、なんて思えてくる。
736 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:27
ちょっと前の自分ならば、こんな時さらに癇癪を起こしていた。
でも今の小春は違う。
まだいい。まだ甘ったれでいよう。そう思う。
美貴にちょっとだけやきもちやきで、ひとみが大好きな自分でいてもいい気がした。

「小春、どうした?ミルクティー嫌いだっけ?」
「…いえ、好きですよ。…ミルクティー」

ひとみのこんな一言の気遣いでミルクティーが甘くなる魔法。
それはきっと今の自分にしか味わえないから。
子供でいる自分を楽しくできる方法を改めて知った。
そういう意味で、小春には変化だったのかもしれない。
そして、成長だったのかもしれない。

「コハルもたまにこうやって家に来てもいいですか?」
「うん?いいけど別にあたしカテキョない日はほとんど違うバイトだよ」
「いつなら家にいますか?」
「んー?大体水曜日は急にバイト呼ばれたり友達に誘われない限り家にいる」

ひとみはさらっと家にいる時間を教えてくれた。
小春は少し驚いて、そしてとても嬉しくなった。
737 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:28
「…えへへっ」
「え、何何」
「なんでもないでぇす」

思わず声に出て喜ぶほどに嬉しかった。
初めて会った時からひとみはどこか距離があった。
どんなに抱きついても、ひとみは小春と一定の距離を保っていた。
美貴の事だけでなく、ひとみの繊細な性格から不用意に人を心に踏み込ませない何かがあった。
近づけば、その分離れていく。掴もうとすれば、するりとすり抜ける。
『本当』を見せることを普通の人より強く拒否する部分があった。
小春はそれが酷くもどかしかった。
それが昔のことに思えた。

ひとみは、小春を自分のテリトリーに入ることを許可してくれた。
それは恋愛感情とかそういうの関係なしに、好意の表れとして嬉しかった。
ひとみに抱きついて、喜びを表現した。
嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
738 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:28
「コハルは先生が大好きなんです」
「…知ってるよ、そんなの」
「わかってます、でも言うんです。言いたいんです」

こうして、近づいてく。
その時諦めたはずの何かはどうなってしまうのだろう。
小春はまだわからないし、見ることをしないでただ喜んだ。


と。
開け放たれた窓にカーテンがふわり舞い上がって、カタン、と何かを動かした。

「あ、また倒れた」
「?」
「写真立て。場所変えよっかなぁ…でもここがいいんだよなぁ」

ひとみは小春を抱えたまま腕を伸ばして写真立てを直した。
小春が気になっていたものでもあった。
それは、この空間であまりにも異質だった。
単に、この部屋で唯一ピンク色をしていたから。
739 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:29
黒や寒色系でまとまった雰囲気の部屋に強引にピンクのオーラを放つ写真立てには、
ひとみと美貴と、あと知らない女の人が三人写っていた。
ひとみ、美貴、すごく美人でちょっと色が黒い感じの人、
大きな目が印象的な頭の良さそうな人、明るい笑顔で快活そうな人。

「ふっふ、これあたしの趣味じゃないでしょ?友達が選んだやつなの。
 真ん中にいるのがそう。石川梨華っていうんだけど、
 こいつ自分の趣味人に押し付けるんだよねえ、こないだなんてよっすぃに似合うと思ってーって
 ピンクの薔薇のぶりっぶりのピアスくれた。したことないけど」

くっくっとおかしそうに笑うひとみ。
それだけで、その石川梨華という人を好きなんだなあと思った。
どういう意味で好きなのかまではわからないけど、限りなく愛に近い情を感じた。
優しく写真を見ている表情でわかる。写っている表情でわかる。
たぶん、この写真はすごくかけがえのないもので構成されているんだという事。

…いつか、自分もこの写真立てにひとみと飾られたい。
小春はいつかのそんな日を夢見た。
740 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:29


+++++


741 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:29
小春をバス停まで送り届けた後、急に静かになった時間にため息が出た。
意外と、一人は苦手なのかもしれない。
普段誰かとくっついて行動するのが好きと言う訳じゃないのに、
いざこんな場所で一人立っているとどうしようもなく誰かに会いたくなった。
ちょっとこの間はしゃぎすぎたせい。

長らく何も入れず飾りになっていたあの写真立てに思わず入れてしまったほど、
あの時間は楽しかった。
…楽しすぎて、消えてしまいそうだった。
嘘みたいに。
初めから存在しなかったみたいに、何もかもがひとみを取り残して消えてしまいそうだった。
それを、ひとみは知っていたから。
でも前を向いて生きていこうと決めたんだ。
だから、ふいに寂しくなっても平気。
また明日、笑えるんだから。
742 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:30
…でも、今少しだけ、誰かに甘えたい気分だった。
そんな時に限って誰も忙しい。
美貴も梨華もまいもバイトだった。
変なの。
…なんだろう、この寂しさ。

と。

ポケットに入れたままだった携帯が震えた。
びっくりして携帯を取り出す。
メールだった。
どうせメルマガか何かだろうと思いながら開く。

…そこには。
743 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/11/21(水) 22:30


『高橋愛』


あの日初めて番号を交換した人物だった。
記憶は少し遡る。

744 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/21(水) 22:37
エターナルクス第二部『俯き加減な女の子と歯が白い女の子』更新終了です。
第二部では新キャラクターももちろんですが、
一部ではほとんど出番のなかったキャラクターにも頑張ってもらいます。

番外編をもう一本掲載してから、と申しましたが、
どうしても書き上がらなかったため第二部を更新しながら完成次第掲載することに決めました。
とはいえ第二部もあまり書けていません。
亀更新となりますがどうかお付き合い下さい。

>>722さん
ありがとうございます。
やっぱり環境とかって人にすごく影響すると感じるんです。
そしてそれは必ずしも周りだけで決められるものでなく、
自分自身の行いが人を集めるとも思います。

>>723さん
ありがとうございます。
私もこの二人の現実でのやり取りにはすごく微笑ましいものを感じました。
これからどんどんまったりになっていきそうですが宜しくお付き合い下さい。

>>724さん
お待たせして申し訳ございません。
これからも頑張ります!
745 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/22(木) 04:46
作者さま久しぶりですぅ〜
「ピンクの写真立て」のあの方にドキッ♪
リアルでは小春がずいぶんと大人っぽい表情をするようになり
少し寂しく感じております。これも親心なのでしょうねきっと。
次回の更新「第三部」も楽しみですなー でわまったりとお待ちします

746 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:13


*****


747 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:14
あの日見つけたのは本当に偶然だった。
色々あったことも片付いて、少し静かだなあと感じるようになった頃。
彼女が繋がっているとも知らないで、声をかけた。
食堂で一人誰も近づくなオーラを出している姿がなんだか自分とダブって見えて、
ひとみは何を思ったかその人物の隣に座った。

「ねえねえ、隣いい?」
「…どうぞ」

そういう時、そいつを鬱陶しいと思うのは知っている。
でも本当は嬉しいことも、一番よく知っているのがひとみだった。
748 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:14
「いやー、もう暦の上でもすっかり秋ですねぇ」
「…そうですね」
「あ、ねえねえこの野菜たっぷりサンドすごい美味しくない?
 ライ麦パンなのがたまらんよね」
「…さぁ、食べたことないですから」
「君は…面白い食べ方するね…いや、なくはないけど」
「ほっといて下さい」
ごはんにキャベツを敷いて、その上にトンカツを乗せてソースをかける。
なくはない。と思う。

ちなみに数回言葉を交わして思ったのは、全然いい子だということ。
そっけなくとも無視は出来ないほどにはいい子だった。
横顔は和風で大きな瞳が印象的。
柔らかそうな栗色の髪を緩やかなウエーブにしているショートより少し長い髪形。
かわいい子だった。
749 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:14
「君何年生?」
「…二年生ですけど」
「あ、一つ下かぁ。あたしは吉澤ひとみ。よろしくね。君は?」
「…たかゃしやいです」
「へっ?」
「………高橋、愛です」
「ああ、高橋愛ね、ごめんごめん」

はっきりと愛は自分の名前を言いなおした。
おそらく何度もこういう事態には遭遇しているのだろう。
彼女は少しどこかの訛りがあった。
別に珍しいことではない。東京でも多少は名の知れた大学だから、地方から入学してくる生徒も多い。
それが珍しいという事は絶対なかったけれど、ひとみは話しかけたかった。

「あの、あーしに何か用ですか?」
「んや?別に。ただお友達になりたくて」
「…どういった心境の変化ですか」
「え?」
750 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:15

「藤本先輩にべったりの先輩が、新しい関係を作るなんて」

どきんとした。
想像以上に美貴とひとみのただならぬ様子は広まっていたと知った。
ひとみの周りにいる少数の人物が、それから守ってくれていたんだとその時に知った。

「……美貴のことは、もうなんでもないんだ。
 その様子なら知ってると思うけど、この間うちの大学に来た女の子に色々助けられて…
 今は普通にいい友達としてやってってる」

ひとみは笑った。
それは紛れもない事実であり、今ひとみが笑えることはしっかり証明したかった。

「…そう、なんですか。別に…どうでもいいんですけどね」
愛は何故か俯き加減だったのを更にぐっと下を向いて呟いた。
普通の人がわからないような様子も人のマイナスな感情に敏感なひとみにはわかってしまう。
「ああ、気にしないで」
「…気になんてしてません」
「そ?ならいいけど」
751 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:15
愛は優しい子だった。
突き放そうと冷たい言葉を発そうと頑張ってもなかなか出てこなくて、
いざ冷たい言葉を吐けたとしても相手の気持ちを思って自分が苦しむくらい。
ひとみはこんな短時間で、愛に不思議な好感を抱いた。
そして、愛が笑っているところが見てみたいなあ、なんて思ってしまった。


と。
「よっすぃー!ちょっとなんで置いてくのよぉ」
梨華の声が響き渡る食堂にひとみは思わず苦笑した。
「ごめん、梨華ちゃんがあまりにも遅かったから」
「しょうがないじゃないっ、から揚げ定食並んでたんだもんっ」
大好物のから揚げをメインにしたご飯を持ちながら梨華はひとみの正面に回りこんだ。
そこで初めて愛に目を向け、梨華はちょっと驚いた。

「あれ?愛ちゃん?」
「!」
ぐっと下を向いていた愛が気まずそうに目を泳がせる。
ひとみは梨華と愛を交互に見た。

「へ?知り合い?」
「うん、愛ちゃんだよね?髪切ったんだぁー」
「…」

愛は無言で『ソースかけカツ丼』が半分くらい残ったトレイを持ち走り去った。
梨華はぽかーんと口を開けてその後ろ姿を見送っていた。
752 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:16
「…行っちゃったね」
「おっかしいなあー、これでも高校のとき仲良かったんだよ?
 同じとこで一時期バイトしてたし、わたしの部活の後輩と仲良かったし…
 訛っててさぁ、すごくいい子なんだけどなあ…?」
「やっぱり…」
「え?」
「いや」

やっぱり、愛は何かがあったんだ。
確信してひとみは寂しさを覚えた。
笑顔を奪われてしまうような出来事が、この世には溢れている。
それが少しだけ悲しく感じた。

「やっぱり、あのこと気にしてるのかなあ?愛ちゃんさぁ…」
「わわわ、ちょ待って!ストップ!」
慌ててひとみは梨華の前に手のひらをかざした。
「え?なによぉ」
「…その続きは、愛ちゃんから直接聞くから」
怪訝というよりは、少し気に食わないという表情で梨華は唇を尖らせた。

噂のように他人から聞いた話は多少歪んでくる。
ひとみは真実を突き止めたかった。
だから、愛が見たものをそのまま聞きたい気持ちになった。
事実愛に何が起こったのか自体に興味があるわけではなかった。
愛の口から聞くことに意味を見出した。
753 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:16
「さっき喋ったんだけど、愛ちゃん笑わなかった」
「……」
「…愛ちゃん、笑って欲しいなあ…」

誰かの笑顔を求めることは初めてではなかった。
小春にも、会った瞬間からずっと笑顔でいて欲しいと思った。
笑顔を求めることはきっと普通のことなんだと思う。

「……そうだね」
心なしか梨華の言葉の温度が低い気がして、ひとみは何か言ってしまったかと気になる。
けれど梨華が気に入らないことが何なのか、はっきりとはわからなかった。
ひとみはそれを厄介に思う。
人のそういう感情をすごく細やかに捉えられることは出来るけれど、
その原因までを知るほどの鋭さを持ち合わせていなかった。
小春の鋭さを羨ましく思った。
あの子の鋭さはダイヤモンドのように純度が高く強固だった。

困って、ひとみは飲み物を口にした。
この状態になった梨華はまるで口を開かなくなる。
普段喋り出したら止まらないあの梨華が。
だからこそちょっと怖いのだ。
まあ、そんな梨華も困るくらいかわいいから時間が経つのを待つだけだ。
754 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:16

そこに、助け舟が現れる。

「うおーい。なんですかそこの喧嘩中のカップルは」
「梨華ちゃん何怒ってんの」

美貴とまいだった。
二人ともどっさりとトレイいっぱいにご飯を乗せて、近づいてきた。
さっきまで愛が座っていた席に美貴が座り、その向かいにまいが座った。

「いやぁ、ホントに普通に喧嘩中のカップルに見えるから怖いよね」
「ビジュアルがマッチしすぎて怖いよね」
「怖いよね」
「怖いよね」
「……よく言われるけどさぁ、カップルって」
「はは、ないよね」
「…」
ありえない、と思っている。
心の通りひとみが否定した言葉に、異常に気を悪くしたらしい梨華。
しかし当のひとみはどうしても梨華の機嫌が悪い理由がわからなくて。
ただ、そのままだと今自分が喋るほどに梨華に嫌な思いをさせそうだから、黙ることにした。
755 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:17
「…よしこ」
「なにさ」
「いや…なんでもない」
「ふうん」
まいが苦々しい表情でひとみを見ている。
美貴はひとみの隣で面白そうに笑っていた。

美貴とまいには、梨華が不機嫌な理由がわかっているらしかった。
なんだよ、と自分まで不機嫌になるのをぐっと飲み込んで、温くなった水で口を塞いでおいた。
756 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:17


+++++


757 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:17
次の日の昼の時間、食堂をぐるっと見渡して。
あの日いた席に愛の姿はなくて、まだ来ていないのかと思ったけれど、
よくよく見たら隅っこの隅っこでまた一人でいた。
ひとみは駆け足でその姿へ近づく。
とんとん、肩を叩く。
マニキュアを施したひとみの美しい手が愛の丸く女の子らしい肩と触れ合う。

「こんな所にいらっしゃった」
「………」
愛の何とも言えない微妙な表情がひとみの視界に映るけれど。
それでもひとみはにっこり笑ってやった。

「こんちは、愛ちゃん」
「…こんにちは」
挨拶だけしてまた向き直る愛にめげず、ひとみは昨日のように愛の前の席に座る。
758 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:17
「昨日は邪魔が入っちゃったからね、今日はちょっとゆっくりと話そうじゃないか」
何故かふざけた口調になってしまうのは緊張しているんだろうか。
思ったように話せない自分をもどかしく感じた。
多分愛は真面目なタイプだ。
あんまりふざけた話し方をしていると、からかわれていると思って怒ってしまうだろう。
そこまでわかっていても、ヘラヘラすることが止められなかった。
愛はわかってくれるだろうか、このもどかしい思いを。
何かが引っかかって止まない自分を。
愛が気になっていることを。
愛に笑って欲しいと純粋に願っていることを。

「あのさぁ、あたし最近カラダ作りにはまっててさぁ」

何でもよかった。取り留めのない事を、ただ話し続ける。
いつか何かが彼女に引っかかってくれればいいと思って。
でも、ひとみ自身自分でも何を話しているんだかわからなくなってきた。
それでも話し続けた。
自分の恥だろうと構わずネタにした。笑ってくれればなんでもいいと思った。

けれど、愛の表情は俯いて固いまま変わらない。
759 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:18

やがて、搾り出すように愛が呟いた。

「…もう、構わないで下さい。わかってるんです」

「え?」
「…っ」

わかってる、と言った。
愛はひとみの気持ちをわかっている?
それは嬉しかったけれど、愛の表情はそれをわかっているとは思えないほどこわばっていて。
きょとんとしたひとみに愛が僅かに顔を紅潮させて語調を荒げた。

「…石川先輩に、頼まれたんでしょう。あーしのこと」
「はい?梨華ちゃんに?あたしが?」
「とぼけないでください、だって、だってだって、そうじゃなきゃ…」


―――よしざー先輩が、こんな風に話しかけてくれるなんてありえないもん。


760 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:18
声が消える頃には愛の顔は全部耳まで真っ赤になっていた。
耐え切れないといった表情で、愛は目をぎゅっと瞑った。
また昨日のように立ち去ろうとする愛を、今度はひとみは素早く捕まえた。
愛の白く細い腕にひとみの指が軽く食い込んだ。

「離してください」
「待って、なんか誤解してる。あたしが愛ちゃんに話しかけたのはあたしの意思しかないよ」
「いいですもう、聞きたくない」
「聞いてよ。ちゃんと真実を聞いて。 
梨華ちゃんと知り合いだったのは本当に偶然。あたしだってびっくりしたよ。
 …それに、例え梨華ちゃんに頼まれたって、
あたしが話したいと思わなかったらあたしは話しかけたりしないよ」
「…」

とにかく誤解は解かなければいけない。
ひとみの言葉に嘘はなかった。
もし梨華に頼まれたからひとみが愛に話しかけているなんていう誤解をされたままならば、
愛は余計に心を閉ざしてしまうだろう。
愛を繋ぎとめておきたい気持ちでいっぱいだった。
ひとみは必死に言葉を投げかけた。
761 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:18
「信じて欲しい。昨日初めて喋って、そんなの無理かもしれないけど」
「…」

愛は悲しそうに下を向いていた。
その横顔からは色々な感情が読み取れる。
そこにはひとみへの疑いも含まれているけれど、信じたいという気持ちもあるように思えた。

「それにさ」
「…?」
「梨華ちゃんだよ?あのおせっかい梨華ちゃんがさぁ、空回り梨華ちゃんが。
 遠回しに誰かに世話頼んだりすると思う?
 どう考えても自分で行くでしょ。んで必要以上に口うるさく言ってウザがられるでしょ」
「…確かに」
「でしょ?」

繋がっている対象が梨華で本当によかったとひとみは思った。
梨華の性格は非常に明快で、馬鹿がつくほど正直な彼女に
愛が思っているような画策は本当に似合わなかった。

「まあとにかく、梨華ちゃんはそういうことしないから。
 梨華ちゃんとは昔からの知り合いなんでしょ?
 せめて梨華ちゃんのことを疑うことはしないで欲しい」
762 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:19
ひとみは愛に笑って見せた。
愛は。
俯いて、それから消えそうな声で言った。

「…あの」
「ん?」
「………ごめん、なさい」
「いいよ」

ひとみはそっと捕まえていた腕から手を離し、その手で壊さないようにそっと愛の頭に触れた。
撫でるよりずっと優しく触れた。
ひとみには子供の頭一つくらい小さな愛の背がかわいらしく感じた。
愛はさっきまでの赤さとは違う赤みで頬を染め、肩を少し緊張させたように上げた。
ひとみは慌てて手を引っ込める。

「…あ。ごめん、馴れ馴れしかったね」
「……いえ、あの…そうやなくって、…」
「え?」
「いやあの、なんでもないです」
「そう?」
「はい…」
763 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:19
そうやなくって、の続き。
それは、また次の出会いの日に。
ひとみにはまだわからない。
愛のきゅっと結ばれた唇の意味も。

なんだか不思議な感じだった。
昨日初めてその存在を知ったのに、
人と関わることに関して必要以上に躊躇う自分を忘れたように愛に話しかけた。

ずっと、人に近づくことに怖がっていた。
人を傷つけてしまった過去を忘れられずにいた。忘れることが罪だと思っていた。
けれど、忘れるという概念も変えられた。
辛い過去は乗り越えるためにある。なかったことにするためにあるわけではない。
心の持ちようで、縛られていたものからの開放のされ方がこうも違うのかとひとみは驚いた。
そして、嬉しくなった。

新しい関係を作っていこう。
何も躊躇うことなく、惹かれた人と話をしよう。
人と関わることがこんなに楽しいと、思い出したのだから。
764 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:19
「はいっ、あたしの赤外線を受信するべき」
「へっ?あ…はっはい!」
「とりあえず、あたしの送るだけ送るから。気が向いたら連絡してね」
「……はい」

ひとみが色々実験を施して逞しくなった携帯を取り出して愛に向けた。
愛は慌てて自分の携帯を取り出して、ひとみのデータを受信した。
愛は携帯の画面を見つめて、しばし目を大きくさせていた。
そして、なんだか少しだけ遠い目をして携帯を胸に抱いた。

「じゃあ、あたし今日お弁当だから一緒に食べようか」
「…あ、はい…」

ほんの少し、愛の目が輝いた。
笑顔とまではいかないけれど、明るい表情をした。
それがひとみは嬉しくたまらなかったのだった。
けれどすぐに、寂しそうに俯く。喜んではいけないと自分に言い聞かせているように見えた。
愛もまた、いつかのひとみのように自分の感情を抑えているように見えた。
765 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:19
その原因を取り除いてあげたい。
けれどそれが容易じゃないこともよく知っている。
だから、ひとみは何も聞けなかった。何をしたらいいのかも、わからなかった。
小春だったらどうするのだろうと考えた。
小春の真っ直ぐさ、鋭さがうらやましい。
彼女のすごいところは、その明るさでどんな闇も照らすところ。
なのに、誰しも眩しさに目を伏せてしまったりしない。
何故か小春の光は眩しいのに、目が痛くなかった。

いつか、愛を小春に会わせてみたいな、なんて思った。
766 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:20


*****


767 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:20
愛は律儀に無視することもせずその日の夜に、ひとみの携帯にメールをした。

その後、愛からメールが送られることはなかったが、
ひとみがメールを送れば素っ気なくもしつこくもない程度の内容を返信してくれた。
ひとみは、毎日送りたいところを堪えて一週間に2、3通程度にしている。
彼女の核心に触れるような内容はなくて、いつもなんとなく日常の下らない話ばかり。
それからでよかった。
それから始めればいい。
焦る必要もない。
きっと、嫌われてはいないはず。
だったら、愛の心が優しく解けていくまで待てばいい。

『こんばんは。返事が遅れて
 すみませんでした。私は今
 日はバイトでした。たくさ
 んお客さんが来ていつもよ
 り忙しかったです。』

このメールも、今日ひとみが小春に会う前のバスの中で何気なく送ったメールへの返事だった。
弾むこともなく。ただ、なんだか暖かい。
768 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:21
ひとみは、なんとなくだけど愛と連絡を取っていること誰にも言わないでいた。
愛はどうなんだろう、なんて愛の律儀な文面を見つめながら少しだけ考える。
いいタイミングで繋がった相手に、必要以上にいとおしさを感じているだけなのだろうか?
ひとみは、一文字一文字爪の先で確かめるように画面をなぞりながら、ただ気分に任せて少しだけ泣いた。

それから、大きく息を吐いて家路を歩き出した。
その顔に寂しさはなくなっていた。
歩きながらメールを打つ。

『そっか、接客は大変だよね
 f(^ー^;お疲れさま!明日か
 らまた学校だね。会えるの
 楽しみにしてる♪笑








 ありがとう。』
769 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:21
最後の言葉に気付いても気付かなくても、意味がわかってもわからなくてもよかった。
ただ、寂しい気持ちを癒してくれたあの真っ直ぐな目の女の子にお礼を言いたかっただけだから。

送信完了の文字が浮かんだ携帯を閉じてそっと暖めるように包み込んで、
愛に届いて欲しい思いを抱きしめた。
ありがとう愛ちゃん、って。

今確かに繋がっている。
こんなにも、離れていたって心は近くにある。
770 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:21


+++++


771 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/10(月) 00:21
小春も家へ向かうバスに1人揺られながら、ふいに寂しさに包まれた。
外の景色はもうすぐ夕陽が完全に沈んでしまいそうだ。すれ違うバスに、運転手が手を挙げて挨拶した。
バスはぐらぐら揺れる。信号が赤になる。止まる。息を吸って吐いて、吸って吐いて。
何気なく覗いた携帯に新着メールは入っていない。
でもなんだか誰かにメールする気にもならなくて、携帯の画像フォルダを探る。
そこにはプリクラの画像や写真がたくさん。貰い物もたくさん。
小春が写っている画像には雅がやはり多い。雅の少し尖った犬歯が可愛くて小春は好きだった。僅かに頬が緩む。
一番最近の画像には、小春と雅と……甘い雰囲気の美少女が写っていた。


はあ。
それを見ていると思わず溜め息が零れた。

小春もたまに言われるけれど。
じっとしてれば、すごく美人なのに。
って、そんな風に思ってしまうのだ。
772 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/10(月) 00:25
更新終了です。
新キャラ喋り始めました。ちなみに新キャラは次も出てきます。

>>745さん
ありがとうございます、お久しぶりです。
そうですね、これからその方にももっと話に絡んでいただく予定です。
この話自体あまりにも現実の久住小春に追いついていないのですが、もはや諦めの境地ですw
773 名前:名無し読者 投稿日:2007/12/21(金) 11:18
アンリアルなんだけどリアルの匂いが強い
なんかこの雰囲気好きです。
キャラの生かし方がいいのでしょうね。
774 名前:名無し読者 投稿日:2007/12/21(金) 11:20
スイマセン。上げましてしまいました。逝ってきます・・・
775 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/21(金) 12:36
更新お疲れ様です。
続きまってます
776 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:38


*****


777 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:38

「うおーい!ほら静かにしろーい。三秒以内に席つかないと明日の英語の小テスト赤点45点!」

えええええー!と生徒は文句言いつつ急いで席についている。
真里は楽しそうに笑い、よし、セーフってことにしといてやると言った。

席についた小春は、後ろの雅に振り返る。

「ねー雅、工作何作ったー?」
「ん?絵かいた」
「ふぇ?雅別に絵とか得意じゃないよね」
「バッカ、絵なんて画用紙一枚ありゃ絵の具で適当に夏みたいなの描いて出せるでしょ」

雅が出した画用紙には、海の景色らしい絵が描いてあった。
見た感じ夢のあるハワイとか沖縄みたいなコバルトブルーの海が広がっているが、
雅が夏休み出掛けたのは確か長野にある母方の祖父母の実家だけなはず。
秋前になると実家から送られてきた大量の野菜やなんかをお裾分けしてくれて、
それでよく聞いているから確か長野で合っている。
畑とか長野の景色を描けばいいのに空想で南の海を描こうとする雅は見栄っ張りなんだろうか。
しかしリアリティーのない海だった。小春はこっそり笑った。

「小春は?」
「うんっ、トラのぬいぐるみ作ったよ!」

と、小春は少しいびつな形をしているトラのぬいぐるみを取り出した。
それは不慣れな感じではあったがとても愛らしい顔立ちをしていた。
トラなのに草食動物並みに目が離れているのはご愛嬌。
778 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:39
「なんで虎?」
「吉澤先生がトラ好きだから!」
「…。あのさぁー小春」
「なに?」
「小春が好きだった人って吉澤先生だったわけでしょ?」
「うん」
「で、ふられたんでしょ?」
「うん」

雅には、夏休み中にたくさん会って、経験したことの話せるだけのことを話した。
会った当時の美貴の状態や二人の過去までは話さなかったし話せなかったが、
ひとみに恋した日々、変化した世界、そして優しく散った恋。
時折涙が滲んだ。
雅はじっと小春を見つめて聞いてくれた。
けれど。

「…どうも、ふられたにしては仲良いよね。良過ぎてちょっと問題あると思う」
「なんで?」
「そんなんじゃいつまでも新しい恋できないじゃん」
「出来るよぉ、吉澤先生と新しい恋とは関係ないじゃん」
「じゃあ今実際吉澤先生より好きな人いるの?」
「いないけど、そんなすぐに切り換えられないよ…すごく好きだったんだもん」
「そうやってずるずる引きずっていくうちに新しい恋は確実に逃げてるよね」
「逃げてないもん!出会いがないだけだしっ」
「出会いがないとか言ってるうちは本気で恋人できないね」
「できるもんっ」

冷静な雅とは裏腹に、小春はムキになって声が大きくなった。
779 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:39

「おーいそこの二人、恋の話は明日のテストで赤点クリアしてからにしてねー」

真里に低い声で注意された二人はぎょっとする。
クラス中に注目されて小春は耳が熱くなった。
「すみません…」
「頑張ってねーテスト」
「ふぁい…」

小春は前に向き直って雅の言葉を反芻した。
…確かに、今ひとみよりも好きな人はいない。
でもそれは恋と呼ぶにはもう優しすぎるし、姉がもう一人増えたような感覚だった。
それでも、ひとみに自分の精神がべったりなのがわかるから、雅の言葉にムキになったのだ。
今の自分のままでは、新しい恋は出来ない。
それは自分自身でもわかっていた。けれど目をそらしていた。
まだこのままでいいやと思っていた。けれど、雅の目にはあまりよく映らなかったのだろう。
そう思うと自信がなくなる。
このままひとみの優しさに甘えてていいものか。
780 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:39

「ねえ、その様子じゃ聞いてなかったでしょ」

考え込みそうになった小春に真里が目を細めて言った。
聞いてなかった?

「へ?何がですか?」
小春は慌てて真里に聞き返す。

「…なんだと思う?」
「えっと、…明日の英語のテストの範囲なら知ってます」
「ぶっぶー。正解は…ほら、入って良いよ」
「入る?」

小春がこてんと首を傾げたと共に教室の黒板側のドアが開いた。
ガラッと小気味よく響いた音。
すると、今小春たちが来ているブレザーとは違い、スカートが灰色がかった青が基調のチェックで
上着は金のボタンが正方形を作るように四つ並んでいる制服を着た女の子が入ってきた。
それより何より小春を驚かせたのは、その端正な顔立ちだった。
抜けるような白い肌に、甘く女の子らしい丸っこいパーツがついている。
間違いなく美少女と呼べる類のオーラを醸し出している。
781 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:39
…転校生だ。
しかも、この漫画みたいな美少女転校生のことを、真里は話していたのだろう。
小春は心の準備が出来ていなくて、ぽかんと口を開けたままになってしまった。

「じゃ、自己紹介して」

こくん、と頷いた転校生。
皆がごくりと息を飲むのが、小春には伝わった。
かなり育ちの良さそうな少女だから、声も話し方もさぞ上品だろうと予想していた。
誰も口には出さなかったが、、ある種の期待を寄せていたのだった。

が。


「…あ…えと、…長野から来た、しゅがりさっです。…えーっと……よろしくおねがいします」


782 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:40
がくん。
雰囲気がこけたのが小春には伝わった。
肝心の名前がちゃんと聞き取れないほど、舌足らず。
緊張が感じ取れたけれど、それでも頑張ってにこっと笑うその顔は
平常時と比べてかなり幼く見えた。

…うわぁ。

その感想がいったい何を指しているのか。
勝手な期待による落胆などとは口が裂けてもいえまい。
クラス中が微妙な失望に包まれ、その後にこにこと少し不ぞろいな歯を見せて笑う彼女に
初対面とのギャップによる親近感を覚えた瞬間だった。
783 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:40


+++++


784 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:40
菅谷梨沙子、といった。
彼女は普通にそう言ったらしいけれど、全くもって聞き取れなかった。

雅だけが、ちょっと困ったように笑っていた。

「みやー!」
「ちょっと梨沙子、くっつかないの。暑いから」

みや、と呼んで。
転校初日から、梨沙子は雅にとてもフレンドリーだった。
人見知りなのか緊張しいなのか、他の人に話しかけられても口を半開きにして
すぐに返答は出来ない梨沙子が、雅にはあまりにもべったりで。
その理由はすぐに知れた。

「長野のおばあちゃん家の近所に住んでたんだ。だから一応幼なじみなんだよね、梨沙子とは。
 引越しするとは聞いてたけどまさかこの中学で一緒のクラスになるとは思わなかった」
「あ、っ…そうなんだ…」
「あのねぇ、この中学だって決まった時ダメもとでみやと一緒のクラスにして下さいってママが頼んでくれたの!
 そしたら本当に一緒のクラスになれたんだよぉ、嬉しいーっ」
「そうなんだ」
785 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:41
雅は無邪気に喜ぶ梨沙子にまるで姉のように笑った。
なんだか、時間の深さを感じる。
雅と梨沙子の間には、小春と雅の間にはない長い時間があった。
幼なじみ、という存在。
…なんだか心がざわついた。

それは、雅を取られるかもしれないという危機感のように思う。
梨沙子はあまりにも、雅にべったりすぎた。
きっと悪気もなく、小春から親友という居場所を奪い取ってしまうのではないか。
そんな風に不安がよぎる。

けれど。

「ねえねえ、あなたは名前なんて言うの?」
「ふぇっ?あ、く、久住小春…」
「こはる?わかったぁー!よろしくねっ」

梨沙子は、小春の手を取って優しく揺らした。
その手がなんだか赤ちゃんみたいに柔らかくって、梨沙子の笑顔があんまりにも無邪気で。
ずっと隣にいた小春を無視することはなく、雅に向けるかのような笑顔を小春にも向けた。
自分から話しかける分にはそんなに言葉につまらないらしい。
786 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:41

「…よろしくね」

元来人見知りをしない。
小春は自分の性格を思い出して、笑った。

「なんか、二人仲良くなりそうだね」
と、雅が呟いた。
787 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:41


「こはるーっ!」


「なあに?」
「ねぇー、ここってどの公式使えばいい?」
「どれ?」
「これ」
「これは…ああここだよ、46ページの」
「だってこれマイナスがついてる」
「マイナスがついてる時はねぇー、全部符号を逆にするんじゃなかったっけ」
「えー?そうだっけ?」
「あれ?違う?」
「わかんない」
「「……」」

「雅ー」
「みやー」

「なんの光も見えなかったらしいね…あのね小春が違うのよ。
 こっちじゃない!52ページの公式でしょこれは!」
「あ!ホントだ」
「ったく…」
「あはは、こはるバカだぁ」
「いや…梨沙子も同じだよ?こないだ教えたよねそこ」
788 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:42
「…みやがいじめる」
「雅、梨沙子ちゃんいじめないでよー」
「いじめてない!」
「みやだって結構ばかなくせに」
「くせに」
「うるさい!あんた達にだけは言われたくない!」

雅の予言通り、梨沙子と小春は不思議と気が合った。
梨沙子は裏表がなく、話せば明るくて少し抜けているところがあった。
いつも雅に呆れられていた小春でさえ、
梨沙子はなんだか危なっかしくて何かと世話を焼いたり構ったりした。
小春はそんな毎日がいつしか当たり前になり、楽しくなる感じを覚えた。
梨沙子のいる日々が当たり前になっていく。
なんだか日常が少しだけ薄い皮を脱ぎ捨てたよう。
789 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:42


*****


790 名前:1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 投稿日:2007/12/22(土) 22:42
小春はふっと笑って携帯の中で白い歯を見せている梨沙子を見ていた。
話さなければ、美人。
でも小春は話してみると面白い梨沙子が好きだった。
明日、梨沙子と何を話そう。
雅と何を話そう。
バスで一人笑いっぱなしの小春のシルエットが窓ガラスに映っている。
ぼんやり光る街灯と、明日に備えて眠り始める街並み。

好きな人が出来る度に小春の世界はきらめいてやまなかった。
だから会えない今は寂しい。
けれど今日の寂しさは明日の朝の希望になることも知っていた。
だからゆっくり眠ろう。


そう思いバスの背もたれに体を預けると、何故だかぽかぽかとしてくるのだった。
791 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/22(土) 22:50
1 俯き加減な女の子と歯が白い女の子 終了です。
第二部のメインキャラクターは揃ったかな?という感じです。

>>773さん
ありがとうございます、とても嬉しいです。
今回更新で新しく登場した子を文章で書くのは初めてで、かなり不安があります。
生温かい目で見てやってください。

>>775さん
ありがとうございます。
ちょっとずつですが頑張ります。
792 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:46
梨沙子が体育の後少し遅れて教室へ戻ってきた。
先に着替えて戻ってるものだと思い教室に戻るといなかったので探しに行こうとした時に
チャイムが鳴ったために小春たちは梨沙子のいない授業の用意を始めていた。
梨沙子はやっと届いたここの制服をぐしゃぐしゃに着たほど慌てて遅れてきた。
何があったのか、雅と顔を見合わせて首を傾げる。

授業が終わった後、給食の用意に浮き足立っている教室の中で雅が梨沙子へ話しかけた。

「梨沙子、どこ行ってたの?」
「あのねちょっと保健室に用事あったから」
「そっか、別にうちら付き合ったのにね?小春」
「うん」
「いーのいーの、ちょっとした用事だから」
「ふぅん?」

その時嘘が下手な梨沙子を知った。
見るからに嘘は下手そうだけれど。
ただ、嘘をつく理由がわからなかった。
793 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:46

それは思いの外すぐに知れた。


昼休み、雅がトイレに入っている間にクラスメイトの女子が梨沙子に声をかけた。

「梨沙子ちゃん、さっきはありがとう」
「あれ?もう大丈夫?」
「うん、ちょっと貧血になっただけだから。それよりわざわざお見舞いなんて本当にごめんね」
「んーん、ちょっと保健室の側寄っただけだから」

それは体育の時間に貧血で倒れた生徒だった。
梨沙子は心配してわざわざ見に行ったのだ。
貧血なんてこの年齢ならばよく起こすし、彼女がふらついて座り込んだ時は驚いたものの
小春は彼女が保健室へ行って体育が終わる頃にはすっかり忘れていた。
梨沙子ははずっと気にしていたんだ。
貧血を起こした生徒は心から優しい笑顔で梨沙子を見ていた。
梨沙子も、また。
小春はそれだけで何故か自分まで誇らしくなる。
794 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:46
梨沙子は優しい女の子だった。
時に子供っぽすぎるようにも思えたが、
自然に滲み出る優しさは少しずつ確かに人を惹き寄せる。
それを八方美人だとかぶりっ子だとか言う人がいても、梨沙子は気にかける様子もなかった。

そして優しいという事は自分の意見を言えないという事でもないらしかった。
この時期の少女といえば噂と悪口が大好きなのは仕方のない事で、
雅だって小春だって誰と誰が付き合ってるとか、誰と誰は別れただとか、告白しただとか、
そういう話に興味がないはずはなかった。
ただ梨沙子は、笑顔を崩さないものの興味はなさそうだった。
悪口に適当に乗ることもしない。
まるでこの人の塊の中にいることを安心感へ変える人の姿を遠くから見つめているよう。
梨沙子は浮いていた。
それを悪いことだと小春は思ったことはないが、不思議だった。
不安がらない梨沙子の表情が。
795 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:46
帰り道。
梨沙子と別れ、雅と二人になる。
ふいに雅が小春を向いて話し始めた。

「今日さ」
「ん?」
「梨沙子、なんか浮いてたでしょ」
「…あぁ、うん」
「ああでしょ?梨沙子。空気読めないって言うか…
 なんていうか、適当に合わせたり出来なくて、バカ正直でさ」
「うん」
「だからさぁ…よく、クラスで浮いちゃったり、するんだ。
 小学校の時もなんかあったみたいだし…あたしには言わないけど。
 こっちに転校してきたのもさ…長野であんまり上手く行ってなかったみたいなんだ、友達関係とか」
「……」

納得がいった。
現在でも少し、その雰囲気がある。
梨沙子が放った言葉に困ったように顔を見合わせる女生徒の顔が浮かぶ。
796 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:47
「こっち来たなら…なんとか、楽しく過ごさせてあげたいんだ。
 でも、自信ないんだ。その…正直ね、時々だけど…ああいう梨沙子にイラっとすることもあって」
「…」
雅は心底申し訳なさそうにそう呟いた。
いつも小春よりお姉さんっぽい雅のそんな顔を見るのは初めてだった。
小春はそっと雅の肩に手を置く。

「それは、しょうがないよ。みんなはみ出さないように必死でやってるのに、
 それを梨沙子ちゃんて全く無価値に思わせるから…自分が不安になっちゃうんだよね。
 たぶん…悪気がないからこそ罪深いこともあるっていうか」
「…小春、梨沙子のこと嫌だなって思ったりする?」
「今のところ、ないよ」
「そっか…小春は、梨沙子のこと嫌いにならないでね。
 梨沙子、小春のことすごく好きみたいだから」
797 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:47
雅は釣り目にうっすらと涙を浮かべているようだった。
雅と梨沙子の時間を感じる。
梨沙子を大切に思うが故に、梨沙子に腹を立ててしまう複雑な心。
それを感じて、小春は笑う。
それが例え嘘でも、今はこの答えが一番いいと思った。

「ならないよ」

雅はその判断も見抜いたように笑って、でも嬉しそうだった。


ただ、梨沙子は小春よりも雅が好きに決まっている。
それでも小春は雅に同じ約束を言い出すことは出来なかった。
雅があまりにも折れそうな顔をしていたから。
798 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:47


+++++


799 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:48
梨沙子とは少しずつ確実に親密になっていっている。
新しい表情を見つけるたびにかわいいと思うようになる。
時に小春を困らせるわがままも、梨沙子だと何故か許せた。

雅は小春が梨沙子に呆れてしまうことを危惧していたけれど、
小春は梨沙子のすべての表情に惹かれた。もちろん、悪いところも含めて。
人間、悪いところがないはずはない。それが現れている部分が人と違うだけの話。
それを小春は感じていた。
800 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:48
「あんねぇ、梨沙子がいい」
「へ?」
「梨沙子って呼んで」
「……」
「こはるには、梨沙子って呼んで欲しい」

それは突然。
別に今まで意識してちゃん付けをしていたわけでもない。
ただ小春の中でその呼び方が定着していて、
そこから変えようという気持ちを持ったことがなかっただけ。

「え、うん…わ、かった」

断る理由はなかった。
801 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:48
「呼んでみてー」
「え」
「呼んで」

「……り、さこ…」

わ。
何だろう、この感じ。
変な感じ。違和感のような、収まりきらないむず痒さ。

梨沙子はただ嬉しそうに笑っていた。
ただ、ただ嬉しそうに。
それは、以前より呼び方という面で近い感じになったことへの純粋な喜びらしかった。
だから…こんなにも意識している自分がおかしいみたいだ。
自分でもわからない。
802 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:48
誰かと近づくことに躊躇ったことなどなかった。小春ははっきりと人見知りをしないといえた。
友達を作るのは得意だし、他人と上手くやることに関しては実年齢以上に良くできているとわかっていた。
空気が沈めば笑って見せるし、必要ならば道化た。
文化祭や体育祭で疲れが溜まりピリピリした教室でわざとおかしな失敗をしたりもした。
張り詰めた空気が大嫌いだったから、それを払い落とすことを苦痛とは思わなかった。

だからこそ戸惑っていた。
自ら近づくことを臆した気持ちなど経験がなかった。
誰も、どんなに嫌な人だろうと仲良くして悪いことなどないと思ってやってきた。
何故梨沙子なのか。
馬鹿がつくほどに正直で真っ直ぐで、人懐っこい。
甘えん坊で頼りなくて。

でも…すごく、きれい。
803 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:48

「こはる?」
「……」

梨沙子の透き通るような美しい肌を、沈みかけた夕日が染め上げる。
頬っぺたがツルツルで、柔らかそうで…


それに、触れていた。


804 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:49
「ん?ほっぺなんかついてる?」
「……へっ?わっ!」
慌てて頬から手を離すものの、なんと取り繕おうか上手く頭が回らない。
しかし、梨沙子は何かが頬についていたと思ったらしい。
「取れた?」
「あ、ああ、うん…」
「ありがとー」

適当に相槌を打って梨沙子の首辺りできょろきょろと視線を動かしている小春に、
梨沙子は笑ってそう言った。
屈託のない笑顔。
それが、何故だか危なっかしいほどに真っ直ぐ。
いつも笑顔を向けている側だった小春は、ひとの笑顔に対してこんな風に感じたことがなくて。
小春は戸惑っていた。
805 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:49
梨沙子はとても綺麗。
そして、こんな自分でも守ってあげたくなるような存在。
不思議な感情。
これは恋なのかも、なんて思うけれど、ひとみへ感じた感情とは全然違っていて困る。

だって、こんなにやさしくて。
ひとみを好きになった時に感じたあの苦しさはない。
会いたくて死んでしまいそうな胸の痛みもない。
そして、それが起こりそうな気配もない。

だとしたら、これは何?


「………」
「こはる……?」

ぼーっと梨沙子を見つめて黙っている小春に、梨沙子は首をかしげて声をかけてみる。
けれど返事はない。
806 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:49

しばし、沈黙。

教室には部活動のために着替えられた制服が放り投げてある。
窓は全部閉まっている。
黒板はきれいにしてある。
ところどころ机の中に教科書が見えている。


二人だけの時間だった。
小春は不思議と息苦しさを感じない。
ひとみといた時のように自分を伝えたくて転びそうな勢いで話していたあの気持ちはない。
沈黙が優しかった。

梨沙子もそれは同じなのか、小春を見てかすかに笑った。
ただ、基本的にあまり締まりのない顔をしているので自信はない。
ただなんとなく、感じただけ。
807 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2007/12/26(水) 00:50
それを破ったのは足音。
急いでいる様子は何となく予想をさせた。
もちろん、雅だ。二人を待たせていたのだから急ぐのが当然だった。

「お待たせー、ごめんね待ってもらっちゃって」
「みやぁ」

梨沙子はすぐに嬉しそうに雅へ駆け寄る。
けれど小春はそれを笑って見られる。
あれが、ひとみと美貴ならどうだろう?言うまでもない。

そうやって、さっきからとりあえず初めての恋と比べてはみるものの、
これが恋愛などではないという証拠を出すのみだ。
多分これは、とてもきれいな彼女への確かな憧れと親愛。
今のところ、そういう結論しか出ない。


雅。
…コハル、梨沙子のことは嫌いにはならなさそうだよ。
だって、コハルは梨沙子の空気が読めないところも、多分好きだもん。
808 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 00:51
更新終了です。
本当はクリスマスに更新したかったのですがバタバタしているうちに終わっていましたw
皆様、素敵なクリスマスは過ごせましたか?
809 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:09


+++++


810 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:09

部屋のベッドでひとり、梨沙子について考えていた。

梨沙子には梨沙子のままでいて欲しい。
誰かと違う色をしているからといって、皆と同じ色に染められるようなことはあってはならない。
梨沙子が、あんな風に笑わなくなるなんて困る。

…なんで?


「小春?」


声がする。
呼ばれた。

811 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:09
「ふぇ?…ふわあ!あれっ?先生!?」

ひとみが、髪をさらっと垂らして小春を見下ろしていた。
蛍光灯が眩しくて目に痛みが走る。

「いつものお出迎えがないからどうしたのかと部屋を開けてみたらベッドにいる。
 寝てんのかと思ったら目開けたまま横になってるんだもん、
 心臓発作でも起こしたのかと思ったわ、ビビった」
「あれっ?あれ?今日何曜日ですか?」
慌てて起き上がり、きょろきょろと辺りを見渡す小春。
ひとみはまだどこかふわふわしたままの小春の額と首に手を当てた。
「熱ある…わけじゃないみたいだね」
小春はその暖かい手の温度が気持ちよく、されるがままでいた。大きな垂れ目がとろんと焦点が定まらない。
「なに?なんかあったの?」

ひとみの優しいやさしい声。
ホットミルクに蜂蜜を垂らしたよりもやさしい。
小春はその温かさに流されるように口を開く。

「…転校生の子…が」
「告白された?」
「ちがっ…!!!」
「冗談だって」
「せんせぇ!」

わたわたしてひとみにしがみつく小春の様子にひとみは笑いを堪えきれずいる。
812 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:10
「なんだ、中二なんてそんなんばっかりじゃん。だからてっきり」
「もぉー、コハルは本気で考えてるんです!」
「お前が本気で?何を?」

ひとみの顔が、からかうそれとは違う。
そう感じると小春は口を開いた。

「…先生は、周りと合わせられない子をどう思いますか?
 悪気はないんだけど、なんかずれてるっていうか…空気が読めないっていうか」
「うん?転校生の子がそうなんだ」
「すごくいい子なんですけど、なんかそういうのを良く思わない人もいるじゃないですか。
 前の学校もそれで転校したみたいなんです。
 …コハルは、りさ…その子にはもうそういう思いはして欲しくなくて…
 でも、そういう自由な部分もその子の良さだから、
 それを周りが良く思わないからって抑えつけるのもどうかって思うし」
「うん」

小春は、いつものようにひとみに全て話してしまっていた。
何故だろう、ひとみの温度が小春の唇から全てを引き出してしまう。
小春はひとみの腕に抱かれて、このどうしようもない思いをぶちまけた。
813 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:10
梨沙子が愛しい。
だから、梨沙子が心配。
だけど、梨沙子は。

「そうなんだぁー…色々大変だよね、若いって。
 はみ出したら突かれるし、誰かを突いているうちは自分は突かれないからね。
 ねえ、あたしの意見でいいの?」
こくん、と小春はひとみの言葉に頷いた。

「多分ね、小春はあたしが見込んだ通りのやつなら、その子を守れると思うよ。
 例えそれが大きな流れに逆らう形になったとしても、好きな人に対して一生懸命になれると思う。
 それでさ、もしね?もし、すごく辛くて…その子のことまで真っ直ぐ見られない気持ちになっちゃったら、
 あたしがいるよ。あたしがいつだって、小春の思いを聞いてやる。
 辛かったら辛いって言えばいい。助けて欲しかったら助けてって言っていいんだよ。
 やっぱ、時には子供だけで解決できないこともいっぱいあるから…あたしはそれをわかってるつもり。
 手遅れになる前に、ちゃんとした対応をしよう。だから、小春はきっと大丈夫だよ」

「…はい…っ」
小春は、ひとみのその言葉が本当に心強くて、ぎゅっと目を閉じた。
きつくきつくひとみの細い腰を抱いた。
814 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:10
大丈夫だ。
ひとみがいるから。
…きっと、大丈夫。

そう思い、小春は思い切り笑えたのだった。

「コハル、やるだけやってみます。
 …梨沙子が、いつも本当の笑顔でいられるように」

ひとみは、小春のその優しい目を見守っていた。
巣立っていく子供を見るような、なんだかちょっとだけ寂しい気持ちもある。
人と人との気持ちの通うことにはめっぽう強かったけれど、
初めての恋はまるで親鳥についてくるヒナのように危なっかしかった小春。


これは、多分二番目の恋。
そしてまだ本人も知らない、じんわりと優しい初めての愛。

ひとみは意地悪に、何も言わずに小春を抱きしめていた。
815 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:11


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816 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:11
「あ」
「あ」

ひとみは登校時に偶然愛と鉢合わせた。

「おはよー」
「…おはようございます」

だが愛は、綻びかけた頬を締めて、そそくさと踵を返した。
ひとみは、すかさずその小さな手を捕まえて引っ張る。
思い切りバランスが崩れた愛の体をひとみは軽々と受け止めた。

「うぉわぁああ!!!」
「おお、愛ちゃんは見た目によらず太い声が出るんだな」
「…な、なん、な…」
「あのさぁ、パーティー…っていうか学校抜け出さない?」
「…来たばっかりですけれども」
「気にしない気にしない。よし、行くぞ!」
「え?え?えぇ?ちょっと、よしざー先輩!?」

ひとみは愛の手を引いて強引に外へ飛び出した。
登校している人の波に逆らって走る。上履きのまま、地面を蹴って走る。
愛の手をぐいぐいと引っ張って。

「ちょっと、何なんですか!離してくださいっ」
「離さないね。今のあたしは何にも怖くないんだ」
「はい?」
817 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:12
小春があんな顔をして頑張っていた。
ひとみにとってそれは大きな意味を持つ。
ここから一歩踏み出してみたくもなる。
愛の笑顔が見たい、ただそれだけ。
それだけのために、息を切らせて走り出す。
最初は戸惑っていた愛も、次第に無言になり走っていた。


しばらく二人は無言で走る。
風の音と、息の音と、街の喧騒。
光と、匂いと、それから温度。
繋がれたままの手から伝わるものは温もりだけではなくて。


信号に止められて、二人の動きは止まる。
息を整えながらひとみが愛に笑いかける。
苦しそうにしてる愛に向けて。
「その様子では運動はあまりしないか」
「まぁ、そう、ですか…ね…」
「倒れんなよー」
「ええ?た、倒れるような場所に連れてくんですか!?」
「うん、もしかしたら」
「が、頑張ります」

驚いた愛の様子にひとみは笑い、青信号と共に再び手を取る。
ほんの少し、愛が握り返してくれる。遠慮がちに、でも確かに。
その柔らかさ。
なんだか、いとおしい。
818 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:12


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819 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:12
それから何をしたかと言うのは別に重要なことではない気がした。
ゲームセンターに行ってひとみが振り回すままに愛もゾンビを撃った。
カラオケに行くと愛はとても歌が上手だった。
15分いくらのような単位で様々なスポーツが出来る店で、ひとみが本領を発揮する。
容赦なく攻めるひとみに、愛は不満の声を漏らし悔しがった。
調子に乗ったひとみが思わず勢い余って失敗。
それを見た愛の顔は、もう繕えないほどに緩む。
愛は確かに笑っていた。
たぶん、自分でも気がつかないうちに。

もう日が沈みかけていた。
二人でいるのはビルの屋上。
ひとみが夕日を眺めるのによく来ていた場所。
誰も知らない、一人でいたい時に来ていた場所だった。
820 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:12
「はーあ。遊んだ遊んだ」
「そうですね」
「楽しかった?」
「はい」

愛は、優しい眼差しをひとみに向けていた。
それだけで、価値があった。
いつも悲しそうな顔は愛には似合わない。
幸せに満ちた表情で、毎日を生きていて欲しい。
笑っているだけで人生は明るくなるから。

何故か色々なことが頭を巡って。
それを暗い気持ちにするのは嫌だからひとみは声を張った。

「てっきり、ふざけないで下さい!って帰っちゃうと思ってた。
 学校はサボったらダメですって」
「まあ、学校はサボったらダメですけども…」
愛の笑顔が消える。


「たぶん、どっかで求めてたんです。誰かが連れ出してくれるのを」


愛は、ふっと寂しそうに睫毛の影を頬に落とす。
オレンジ色の太陽が深い影を作って、より寂しそうに見えた。
その消えてしまいそうな小さな姿がたまらなくて、ひとみはそっと近づいた。
821 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:12
「…あーしはもう幸せになる資格なんかないって思う一方で、
 そんな状況から脱したいって思ってた。
 誰かに、このままじゃいけないって背中を押してほしいと思ってた」

愛は涙を堪えるように唇を噛んだ。
ひとみはその姿に触れようとして、少し待った。

「甘いですよね、誰かを不幸にした自分は幸せでいたいなんて」
「…ううん、あたしは、そうは思わない。
 誰かを不幸にしたことに縛られてたら、その誰かも縛られたままになると思う。
 辛い出来事は、自分を強くするためにあるから。
 あたしの話になるんだけど、あたしもそんな感じだったんだ。
 自分のせいで誰かが不幸になった。自分に幸せになったり、その事実から解き放たれる資格はないって」

震えてしまいそう。
傷はきっとなくならない。
なくならないから、いい。

「でも、違うんだよそれは。誰かを不幸にした償いは、前を見て幸せに生きることなんだ。
 しっかりと、誰かのために…自分のために笑うことなんだ。
 もう誰も自分のせいで笑顔が消えないように、心の底から笑うんだ」
「……あーしも、笑ってもいいんですか…?幸せに、楽しく学校生活を送っていいんですか?」
「うん」
822 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:13


「…誰かからそれを奪ったとしても?」


愛の目は悲しみの色。一筋悲しみが零れ落ちた。
けれどひとみは揺らがない。

「過って奪ってしまって、それが大切なもので、でも自分ではもう返すことなんて出来ない。
 それでも笑って生きていくべきだと思うんだ、あたしは。その罪から逃げないで、向き合うんだ」
「…向き、合う」
「そう。もし、愛ちゃんが誰かから楽しい学校生活を奪ってしまったとして」
「……」
「それで、もしその奪われた人が、愛ちゃんの不幸を願ったとしても。
 願うだけならまぁいいかもしれないけど、それを強制させる権利なんてない。
 奪われた人にだって奪う権利なんてないんだよ」
「…」
「あたしも美貴もそれがわからなかった。だから、余計に傷つけ合った。でも今はわかるよ。
 …奪われたら奪い返すなんて、悲しすぎる」
「…でも…」

愛は本当に悲しそうに、苦しそうに遠くを見る。
823 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:13
「奪われた人が、奪った人の不幸を見て、何か憎しみが消えたりはしないんですか?
 奪った人が同じ目に遭えば、奪われた人のそういう気持ちがなくなったりはしないんですか?」
「そんな方法で憎しみは消えないよ」

ひとみの切り裂くような、それでいて重い声色。
はっとして、愛が目を見開く。

「自分が黒くなってしまったからって、周りを黒くしても…もう自分は白には戻れないから」
「……」
「それどころか、空しさとか、自己嫌悪とか、
 新しいマイナスの感情が余計に自分を追い詰めるだろうね。
 表面上は憎しみが消えたように見えるけど、その中には新しく出てきた感情が
 見ない振りできないほどいっぱいになる…今思い返すと、そう思う」

ひとみは今自分がどんな顔をしているのか、聞くのが怖い。
愛の表情が鏡に見えた。
824 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:14
「自分を白くするのは、許す心と希望だけだよ。
 本当に憎しみから開放されるには白になろうとする方がいい。
 そして奪った立場のあたし達はそれを全力で手伝う責任がある」
「…あーしは…どうしたらいいかわからんけど、…とにかく会いに行ったら……拒絶されました」
「そうだね、始めはそうだよ。下手したら一生そうかもしれない。
 でも、だからって諦めない。何度だって何度だって頭下げに行けばいい。
 愛ちゃん、もう自分はこれ以上は出来ないってくらいやってみた?」
「…」

俯く愛に、ひとみはしっかりと手を握り訴える。


「愛ちゃんには後悔して欲しくないんだ、あたしらみたいに、ぼろぼろになって欲しくない。
 怖いかもしれないけど…きっと、その子もわかってくれるよ」


顔を覗き込んで、笑いかけた。
涙でいっぱいの愛の赤い目に、笑いかけた。
825 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/01(火) 20:14
すると愛はふっと目を変えて。


「…次の休みの日に、一緒に来て欲しい場所があります」


ひとみに、はっきりとそう言った。
ひとみは一度深くゆっくりと頷いて、笑って見せた。

愛が、うっすらと笑みをこぼす。
その顔を、きれいだな、と思った。
826 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/01(火) 20:30
更新終了です。

あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
827 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/03(木) 23:21
あけましておめでとうございます

ネガティブ愛ちゃんはどうなるんだろう
中学生組の展開も楽しみにしてます
828 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/03(木) 23:59
入り込んでしまいました。
一体何に苦しんでるんだろう?救ってあげたいです。
829 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/04(金) 16:55
更新お疲れ様です。
いいですねえ。
小春とひとみ、それぞれの勇気に感涙。
なんだかこっちまで勇気付けられました。
ぜひとも新しい幸せを掴んでほしい!
830 名前:名無し飼育さん 投稿日:2008/01/06(日) 18:00
あけましておめでとうございます。
更新お疲れ様です。
しばらくぶりにお邪魔しましたが、一気に登場人物が増えてますね。
みんないいキャラですねぇ。何だか癒されます。
静かに流れて行く時間がとても優しくてハマってしまいます。
831 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:04


+++++


832 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:05

上履きについていた泥が、愛おしく感じるときもある。


「昨日どこ行ってたのよ!メールしても返ってこないし心配したじゃない!」

次の日学校に着いて開口一番に梨華は怒った。
けれど、ひとみは別に構わなかった。
梨華に怒られてもなお全く減る気配のない喜びがあるからだった。

「あのね、愛ちゃんと出かけてたんだよ」

「……愛ちゃんと?」

梨華の表情が変わる。
ひとみは気がついて、慌てて付け足した。

「愛ちゃん、笑ってくれたんだよ?多分、嫌がってなかったと思う。
 …それで…なんか…あれ?なんだろ?なんていうか。
 愛ちゃんって、すっごくかわいいよね。なんか、でも、強くて。…なんか…」
言っているうちに自分で自分の耳が熱くなっていくのがわかって、ひとみは慌てて手の甲を頬に当てた。
梨華の求めていたフォローとは違う。それに気がつける余裕はなかった。
833 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:05
「…そっか」

梨華はそれだけ言って、ひとみの元を離れた。
愛のことを知っていて心配していた梨華。
この話にはもっと深く突っ込んでくると思っていただけに拍子抜けしてひとみは首をかしげた。

「よっちゃあん」
美貴がすかさず隣の席に座った。その目は何故か不機嫌だ。
「はよ。何さ」
「いくらなんでもさぁ、ちょっとひどいんじゃない?」
「…何が?」
「うん、いや、そういうのはさ、仕方ないことだけどさ。
 でも…ちょっと、梨華ちゃんをひいきしちゃうからねミキは」
「何のこと言ってるの?」
「それは自分で考えなよ」
「…」

美貴が答えをくれないとき。
それは、自分に非がある時だった。
だから困って、ひとみは考える。
834 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:05
考えたらそれは一つしかないはずだけれど、それをあえて避けていた。
そんなことは考えたことなかったし、今更どうこうできることではない。
気がついたからといって、何が出来るわけでもない。
第一確証がない。
そんなこと誰も教えてなどくれないから。

でも。


「わかるでしょ?よっちゃんなら」
「……たぶん…」


…梨華ちゃんは、あたしを。


835 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:05
可能性を考えて、でもそれに対して何も明るい未来が見えてこなかった時。
とても悲しくなる。
梨華はなんだかんだとてもいい友人だと思っているし、これからも仲良くしたいと思っている。
それが壊れてしまうような気がして、だから嫌なのだ。

それでも梨華は自分を好きでいるのだろうか。
ひとみには理解できないのだった。
本気で人を愛するという事をわからない。
愛したことがないから。

だから、わからない。

「あたしなんか、好きでいてもいいことないのに」
「…そのうちよっちゃんにもわかる日が来るんじゃない?」
「来る、のかなぁ」
「来るよ」
美貴はもう怒ってはいなかった。ふわりと優しく笑っていた。
来るよ、だけなのに、美貴の言葉には重みがあった。
本気で人を愛した彼女を見てきた。
あんな風に、自分もまた誰かを愛することはあるのだろうか。

美貴へ向けるでもない、亜弥へ向けるでもない、小春へ向けるでもない。
もっと別の感情を持つ日が来ることはあるのだろうか。
836 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:05


+++++


837 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:06
梨華が勢いあまって飛び出した先には。


「本当?…うん、わかった、またね」

愛が誰かに手を振っている。その顔には自然な笑顔が戻っている。
梨華が高校時代に見た愛の笑顔だった。
梨華は早足で歩いて、彼女の視界に入った。

「…あ」
「愛ちゃん、元気そうだね」
「…はいっ」

愛はとろけそうな幸せにいっぱいになって笑った。

…どうして。
梨華はあまりに自分が惨めに感じられて、ついかっとなる。

「何よ…愛ちゃんの傷なんて、よっすぃや美貴ちゃんに比べたら全然大したことない。
 なのに被害者面して、拗ねて甘えて、よっすぃに寄りかかって。ずるいのよ」

愛の笑顔が消える。
けれど止まらない。
838 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:06
「…石川先輩…?」
「亜弥ちゃんは死んじゃったんだよ?もう誰も謝ることなんてできないんだよ?
 愛ちゃんにその気持ちがわかるの?一人前に傷ついた人みたいな態度取ってるけど。
 愛ちゃんごときの傷でよっすぃに同情してもらえていいね、本当に。
 よっすぃの優しさにつけこむなんて、信じられない」
「……」

「なんで…愛ちゃんのこと、こんな短期間で…」
「…え?」
「わたしはずっと見てたのに、よっすぃのこと、ずっと見てたのに。
 よっすぃが美貴ちゃんに付きっきりだった時も、
 ずっとずっといつかはわたしを見てくれる日が来るって信じて見てたのに、側にいたのに。
 なんで美貴ちゃんのことが解決した矢先にひょこひょこ現れるのよ。
 なんで横からよっすぃ持っていっちゃうの?……なんで…こんなの、ひどいよ…!」

自分で言っていて情けなくなってくる。
梨華は惨めさに耐え切れずに涙を滲ませた。だが悔しくて、涙をこぼすことは我慢した。
愛を傷つけた。わかっていても何も言えなかった。言いたくなかった。
愛は呆然としたまま梨華を見ている。
梨華はまた逃げるように踵を返す。
839 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:07
最低だ。
自分がどれだけお門違いもいいところかなどわかっている、それでも溢れてしまった。
自分がどんどん嫉妬に醜く染まっていく感覚に震えて恐怖した。
このままでは、ひとみと友達でいることも出来なくなってしまう。
このままでは、愛の先輩でいることも出来なくなってしまう。


「待ってください!」


その声に、ネガティブな思考が吹き消された。
愛の声に振り向く。振り向くつもりもなかったのに、振り向かせる力を感じた。

そこに見える愛の強い眼差し。
初めて見た日、自信なさげに梨華を伺い見る目とは別人のよう。
840 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:07
「あーし、今度麻琴に謝りに行きます。それで終わりですから。それでもう、よしざー先輩とはなんもないですから。
 だから心配しないで下さい。よしざー先輩は、あーしのことを手伝ってくれてるだけで、そういう…感情じゃ、ないと思います。
 だから、大丈夫ですよ。あーしも、別によしざー先輩と付き合いたいとか思ってませんから」


愛はそう言ったあと、切なげに笑って梨華のもとを去った。
梨華は深い後悔に襲われた。
愛に思ってもない事を言わせてしまった。
愛がひとみのことをどれだけ見ていたか、同じ側の人間としてわかっていた。
憧れよりも強くて、叶うはずもないものを諦めきれなくて。
けれど、愛は梨華のことを気遣って、自ら身を引こうと決意していた。

どうして、そんなに。
どうして、こんなに。


「…ごめん、ごめんね、愛ちゃん…」


一人になる。
涙が耐え切れず頬を伝った。
だが自分に泣く資格などないように思えてきて、必死で涙を拭った。
愛はあんなに頑張ってる。わかっていたはずなのに、なんてことを言ってしまったのだろう。
841 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:07
愛ちゃん、自分に自信がなさ過ぎるよ。
よっすぃすごく、愛ちゃんに惹かれてるんだよ。
わたしに遠慮なんかしないで、自分に正直になって。

言えばいい。
今すぐ追いかければ十分に愛を捕まえることができる。伝えることができる。
少し走って、ただそれだけのことを言う事が…どうしても、出来なかった。
情けない自分に嫌気がさして、ただそこに立ち尽くした。
842 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:07


+++++


843 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:08
「友達からでいいから、考えて欲しいんだ」
「ご、ごめんな、さい…今は、そういうの、考えてないです」
「…そっか」
「ごめんなさい…」

梨沙子がどうしてもついて来て欲しいと言うので、小春と雅はそんな場面に息を潜めていた。
梨沙子からは見える所で、相手からは見えないところとなるとさすがに難しい。
しかし梨沙子はもてた。
転校してからそう日にちも経っているわけではないがかなり男子生徒の中で話題になっているようだった。
おどおど告白を断る梨沙子に、内心気が気でない自分が居る気がした。
何に不安を感じている?
それをわかるのは、もう少し先な気がする。
844 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:08
「うあーっ」
相手が去ったあと、すぐにこっちへ走ってくる。
心底困ったように雅の腕に自分のそれを絡ませて俯く梨沙子。
「すごいね梨沙子、今のってすごい人気の人だよ?コハルも知ってるもん。三年生にまで告られるなんてすごいね!」
「…でもわたし相手のこと、よく知らないもん。相手だって、わたしのこと知らないでしょ?
 なんで、好きとか言えるのかわかんないよ」

それは、梨沙子のルックスや物腰がとても魅力的だからだ。そうに決まっている。
けれどそれは今の梨沙子には褒め言葉でもなんでもないみたいなので、口を閉じた。

「…みや?」
梨沙子が雅の顔を覗き込んだ。
その横顔は、はっきりとわかるほど元気がなかった。

「…どうしたの…?」
「…ん?なんでもないよ」
細い笑顔を見せる雅に、梨沙子の表情は晴れない。
小春はなんとなく自分と同じ気持ちでいるのだろうかと察した。
845 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:08

「……」
「……」
「……」


…この空気に耐えうるほど小春は我慢強くはなかった。


「ね、早くカバン取りに行ってクレープ食べに行こうよぉー!コハルもうやばい!お腹へって倒れちゃう!」
「う、うん!わたしもお腹へった!」

梨沙子は嬉しそうに小春に笑顔を見せた。
けれど雅はやはり唇だけで笑って見せたのだった。


「…そうだね」
846 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:10


+++++


847 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:10
「菅谷さんさぁ…正直、ウザくない?」


どくん。
小春の心臓が大きく鳴った。
すうっと背筋が冷えていく感じがする。

恐れていたことは起こってしまった。
一番最初に梨沙子の名前を出した彼女は、このクラスでは権力がある。
根っから悪い人間ではないが、我が強く思い込みが激しい。
小春は今まで彼女の勘違いの対象になることもなく平穏に過ごしていた。
だが、梨沙子が一番初めに目をつけられるならば彼女であろうと確信していた。
不運なことに、梨沙子に告白した三年の男子生徒は彼女がよく名を上げていたお気に入りの人物だった。

…頑張れ。

ひとみの声が聞こえる。
ぎゅっと拳を握り締めて声を絞り出した。

「そう、かな?いい子だよ?」
「あんなのぶってるだけじゃん。小春もさーぶっちゃけ菅谷さんのキャラ微妙だと思ってるでしょ?」
「キャラ…っていうか…」
「マジ空気読めないし。菅谷さんがいると会話止まるんだよね。そういうのは困ってるよね?」
「……それは……」
848 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:10
同意を求める、ほとんど押し付けるように。
…怖い。
むやみに彼女の意見に反対するその先に何があるのか、小春がわからないはずがなかった。
けれど、小春はここで同調するわけにはいかなかった。
そうすれば丸く収まる、小春は。
梨沙子はどうなる?
…梨沙子。

「……梨沙子は、素でああだよ…空気読めないけど、でも素直で優しい子だよ」
「ふーん。雅はどう思ってるの?幼なじみなんでしょ?」

折れない小春。
すると狙いを雅に定めた彼女。一重のきつい目が雅を射抜いていた。
雅の顔色が変わったのがわかった。
けれど小春は雅を信じているし、梨沙子と雅の絆を知っていた。

…そうだよ。
コハルなんかよりずっとずっと長い時間が二人にはある。
あんたなんかに、踏み込まれたり。
849 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:10



「……ほんと、昔っからああでさぁ、ずっとうんざりしてた」



え。
……みや、び…?



850 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:11
「でしょ?やっぱ性格悪いじゃん。男子だまされすぎじゃね?」
「しょうがないよ、男って結局そんなもんだし」
「でもさぁー、どうすんの?菅谷さん言っても聞かなそうだし」
「えー普通に、返事しないよ、あたし。菅谷さんが話しかけてきても」
「それってイジメじゃーん。菅谷さん泣いちゃうよ?」
「泣けばいいじゃん。泣いてバカ男子とかにもっと人気出るんじゃない」
「でもそれくらいしないとさぁ、自分が悪いとか気がつかないでしょああいうタイプは」
「シカトくらいじゃ気がつかなかったりして」
「あーそれならさぁ、三年にも菅谷って子ちょっと…って人結構いるらしいから、
 うちの彼氏取られたとか言ってみようかなー」
「あんたの部活の先輩さ、あんたに超やさしいもんね。いいなぁー」


流れる不穏な会話の中。
小春の視線を、必死に知らない振りする雅の引きつった笑顔。
会話に流れ込む、雅の声。

なんで?
なんで?
小春の疑問に、雅は答えてくれなかった。
851 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:11
梨沙子。
…コハル、どうしたらいい?
黙ってるコハルも同じなのかな?雅を責める権利なんて、ある?


「ねえ、梨沙子は」
「あはは、菅谷さん自殺しちゃったりするー?」
「自分が悪いのに?ウケんですけど!」

「―――――――!!!!!」

耐え切れず、小春は勢いよく立ち上がってその場を走り去った。
吐き気がこみ上げてきた。
死、とか。…ましてや、自殺とか。
あんなに軽々しく口に出せる人間が近くにいることに、吐き気がした。


雅。
雅。
なんで、あんな人たちの意見に流されるの?
梨沙子を守りたいって、言ってたのに。
もう辛い目にはあわせたくないって、言ってたのに。
852 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:11


『ずっとうんざりしてた』


…なんで、あんなこと、嘘でも言うの?

コハルわかるよ。
雅、梨沙子のこと大好きじゃん。
なのになんでそんなこと言うの。


梨沙子は雅に、絶対そんなこと言わないのに。
853 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:11


+++++


854 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:12
「えーなに、どうしたの小春」
「……小春は戦線離脱だってさ」
「……ふーん」

「―――こっ、小春さっきちょっと調子悪いって言ってた!ごめんあたし様子見てくるね」
「えー本当?」
「うん、ちょっとね…カバン持ってないし、具合悪いなら早く帰すわ」

雅は小春が持ち忘れていたカバンを持って、教室を出る。
走って、真っ直ぐ立っている小春の背中を見つけた。

恐る恐る近づいていく。
後ろから。
何もかも拒絶するような、その姿に声をかける。

「…小春…」
「そういうことだよね?」
「え?」
「……雅はそっちを選んだんでしょ?わかったよ」
「…」


小春は違うと言って欲しかった。
けれど雅は俯いた。
855 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:12


「小春にはわかんないよ」


「…わかるよ?わかるけど、正直理解はしたいとも思わない」
「…あんた、本気であいつに楯突いたりしないでしょ?」
「もう、雅には関係ないことだね」
「待って、こは…」
「ばいばい」

小春は冷たい声でそう言った。
雅が持っていた自分のカバンを素早く取り、ありがと、と呟いて走り去った。

足がどんどん速くなる。
下駄箱に乱暴に靴を押し込んだ。叩きつけるように外靴を手から離した。
小春は涙になりそうな裏切りに心が引き裂かれそうになりながら、思った。強く思った。

梨沙子。
梨沙子を守るのは自分しかいない。ここで戦えるのは自分一人だけ。


けれど負けない、と。
856 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:12


「先生…コハル、絶対に負けませんから」


誰に言うでもなく、それは独り言。
自分へ突き立てた誓いの言葉だった。
857 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:12


+++++


858 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:13
「こはる!」
「…梨沙子、おはよ」
「おはよぉー」

梨沙子はいつもの無邪気な笑顔で朝陽に照らされていた。
小春の痛む胸も、何だか癒された。

ふと、梨沙子の視線が小春の向こう側に行く。

「みやは?」

当然聞いてくると予想はしていた。
毎日この場所ではすでに雅と共に登校しているから。
小春は曖昧に笑って、梨沙子の手を取った。

「…?」
「雅は、先に行ったよ」

それは本当だった。
先ほどあのグループに誘われて一緒に学校へ行った。
小春も執拗に誘われたが、頑なに断った。
あの不審そうな視線をたくさん受けても、小春は揺らがなかった。
今は雅への失望と、梨沙子を守る使命感でいっぱいだったから。
859 名前:2 あなたはきれいな女の子 投稿日:2008/01/06(日) 22:13
「…」

その気配を感じるのは、梨沙子は初めてではないだろうから。
それ以上は何も聞かず、梨沙子はゆっくりと歩いた。
その顔にいつもの笑顔はなかった。

果たして、雅のいない自分に梨沙子の笑顔を守れるのか。
その不安が一瞬、けれど確実に小春の心をよぎって行った。
860 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/06(日) 22:26
2 あなたはきれいな女の子
更新終了です。なんか、すみません。


>>827さん
おめでとうございます。

きっとまだまだこれから変わっていってくれると思いますよ。
ご期待に副えるように頑張ります。

>>828さん
ありがとうございます。とても嬉しいです。
今回ちょっと関わる人の名前を出してみましたが、これじゃ全然原因はわからないですよね;

>>829さん
ありがとうございます。
ここに生きる人達で勇気付けられた方がいらしたとしたら、それはとても嬉しいことです。
この後どうなっていくのか、見守っていてください。宜しくお願いします。

>>830さん
おめでとうございます。
段々と色々なキャラクターを描けて、書いていて楽しいです。
それぞれの個性をアピールできたらいいなと思います。
861 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/06(日) 22:51
楽しみにしてました。更新乙カレー様です。
切なくて、読んでてドキドキしちゃいました。
愛と梨華の過去が気になります。
862 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/10(木) 02:44
うわーすっごい続きが気になる
おもしろい小説に出会えて嬉しい
863 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/13(日) 20:48
作者さんの描くよしこはとよしあいが特に好きです
864 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:30
「小春っ、おっはよ!」
雅が集団に紛れて小春に声をかける。
「あ、おはよー小春」
「小春あのさぁー見てよこの服マジでかわいくない?」
雅が合図のように塊が小春を取り囲んで飲み込もうとする。小春は集団の勢いに一瞬たじろぐ。

「おはよう」
小春の左にいた梨沙子が雅や集団に笑いかけるが、集団はまるで梨沙子の声がなかったみたいに無反応だった。
梨沙子には目を向けない。何もそこにいないみたいに。
雅ももちろんその集団に溶け込んでいた。
梨沙子の表情が固まって、俯く。それにも何も見えないように集団は小春を取り囲もうとする。

ああ。
たじろいでいる隙があったから、梨沙子が顔をこわばらせたような気がして。
小春は梨沙子の手を取って集団から離れた。
悲しい思いをさせないために、小春はここにいるのだから。

「小春」
後ろから雅の声。
ほぼ同時に小春の手を掴む力。
感情に任せて思い切り振り切る。
865 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:31

「離してよっ!」

思いの外大きな声が出て、一瞬教室中の注目を集めた。
しん、と静まり返る狭い教室にひしめく学生達。
高いも低いも大きいも小さいも。ごっちゃになって、小春を見ている。

ふん。
…怖くない。

「梨沙子、ごめんね大きな声出して」
「…ううん」

心が乱れていた。
何もかも引き裂かれそうなほど痛い。
けれど自分まで折れてしまったら、梨沙子はどうなる?
そんな思いだけで、小春はなんとか立っていた。今にもバランスを崩しそうな細い場所に。
866 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:31
雅とは話をすることが減った。
雅は話しかけてくるが、それには必ずあのグループがついてくるので必然と話さなくなった。
休み時間も。移動教室も。給食の時間も。昼休みも。放課後も。
梨沙子と二人で行動することが増えた。

雅が紛れ込んでいるグループが何かしら忠告したのか、他のグループも小春と梨沙子に関わらなくなった。
遠巻きに哀れみのような馬鹿にしたような目を向けて知らないフリをしていた。自分たちに飛び火しないように。

自分が一番かわいい。
生きているならほとんど皆がそうだけれど。
それだけで生きていくのって、何だか悲しい。
たまには誰かのことを自分自身をなげうってでも守りたいと思えたら、自分の成長にもなるはず。

教わったから。
誰かを思うことの尊さを。
誰かを大切にすることの美しさを。
867 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:31
梨沙子に話しかける人間はクラスには小春しかいなくなった。
梨沙子はまるで空気のようだった。あからさまな嫌がらせもなく、証拠はない。
ただ空間から存在を消されることは側にいる小春ですら薄ら寒くなるような恐怖があった。
自分が消えていく。
自分という存在を完全に否定される。
梨沙子自身も雰囲気を感じ取り、クラスメイトに話しかけることはなくなった。
自然と痛々しい姿になっていく。
小春が声を張って話していても、ぼんやりと相槌をうつのみだった。

そんな様子をニヤニヤと見ている集団を、小春は心いっぱいに睨みつける。
何故梨沙子がこのような仕打ちを受けなければならないのかわからない。
梨沙子は、ただ純粋に魅力的なだけなのに。
どうして。
どうして。

雅はこちらを見てはいなかった。
868 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:32


+++++


869 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:32

「あ」

真里の顔を見るなり、雅は回れ右をする。

「待てよ。逃げるな」

真里の鋭い声に雅の体が射抜かれる。
足が上手く動かせなくて、真里に追いつかれた。

「ただの喧嘩くらいだったらべつにオイラがしゃしゃり出ることはないけどさぁ、
 もうちょっと冷静になったほうがいいかもよ?」
「…っ」
真里のどこまでも黒い瞳が雅を捕らえていて動けない。

「…先生に、あたしの何がわかるって言うんですか」
「少なくとも今の自分に心から納得いってないことくらいならわかるよ」
「こうでもしなかったらわからないんですよ、梨沙子は。
 いつも誰かに甘えて、それで誰かが傷ついてるなんて思わなくて。
 梨沙子はもっと大人にならなきゃいけないんです。
 小春だって、いつかきっとわかる。そして梨沙子を重荷に感じる」

吐き捨てるように一気に言葉を出した雅。
雅を見て、真里はふっと息を吐いた。
870 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:32
「そっか」
「…なんですかっ」


「雅は傷ついたんだね?」
「――――!」


真里の目が優しいことに気がついた。
だめだ。最近の真里はどこか変わって、いとも簡単に核心を突いてくる。
このままではいけない。…何もかも零れ落ちてしまう。

「…話はそれだけですか?なら行きますよ」
「雅」
「なんですか」
「そういうのも、あるよ。気が済むまでやってみりゃいいさ。
 そういうことは若いうちだから出来るんだよ。
 自分でどうにも出来ないなって思ったらいつでも来な」

「っ」

…わかったような口をきく大人は嫌いだ。
けれど、わかったような口をきかれる子供な自分も嫌いだ。

どうすればいいのか。
今は、自分が思うようにしか動けない。
間違っているとわかっていても。今は、ただ。
871 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:33


+++++


872 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:33
駅は休みに浮かれて人ごみに流されていた。
ひとみは待ち合わせの場所でそわそわしながら待つ。
何も聞かされていないことが落ち着かないのか。
そうでもない気がする。
愛を心配しているのか。
違う気がする。

じゃあ、何がこんなにも自分をそわそわさせる?
わからない。

待ち合わせの時間。
人ごみに紛れて、小さな姿が流れ着いた。

「あ…おはよーございますっ」
「おはよ」

私服なんていつも見慣れているはずなのに、何故だか愛がいつもよりかわいく見えた。
ストンと下ろしたままの髪形が幼く見えるからだろうか?
それとも。

「じゃ、行こっか」
「…よしざー先輩行き先知ってるんですか?」
「…いや、ごめん知らない」
「じゃああーしに付いてきてくださいね」

くすり。
思いもよらず笑わせることに成功した。
笑う余裕のある愛を見て少し力が抜けたような気がした。
873 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:33
愛は少し空回り気味に元気よくひとみの前を歩いた。
油断したらはぐれてしまいそうで、でも何故だか手を取るタイミングが見つからなくて。
ひとみは必死で人ごみを掻き分けた。物理的にも精神的にも流れに逆らうのは得意ではない。


愛は懐かしそうに路線図を眺め、うん、変わってないと独り言らしき言葉を呟いた。
愛はひとみの分の切符も払おうとしたが、ひとみは断固として奢ってもらうことはしなかった。
別に奢ってもらうことが嫌いなわけではないが、おそらく年下に払わせることをしたくなかったのだと思った。
何度も愛はひとみに切符を握らせようとしたが、ついに押されて料金を受け取った。
一悶着のあと、少しだけ微笑み合う。
他愛もないやり取りの奥に潜むぎこちなさも、仕方のないことだった。


改札を通れば、電車はすぐにやってくる。
乗り込むと、メジャーではない路線のせいか中は意外と空いていた。
二人は隣に並んで、少し肩を寄せ合った。
874 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:33

がたん、ごとん。
がたん、ごとん。

愛は甘えるように頭をひとみの肩に預けていた。
その手はかたく願うように握られている。


ふいに、愛は重い口を開く。

「結構、目的の駅まで時間ありますから…昔の話でもしましょうか。
 なんてことない、よくある話ですけど」

ひとみはその意味を何となく理解したが、それをどう受け取ればいいのかわからなかった。
自分が話す立場だった時とは違うと思った。
同じ状況でも、人間は同じことを考え同じことを感じる人などいない。

興味本位ではなくとも、もしかしたら止めて欲しいのかもしれない。
でも、そのまま受け止めて欲しいのかもしれない。
どうしたらいい?
止める。
笑う。
顔をこわばらせる。
悲しい顔をする。
何が一番いい?何を求めている?
思いの外、そんな迷いがたくさん浮かび上がって戸惑った。
自分はなんて小さな人間だろうかと、ため息が零れ落ちそうだ。
結局愛が口を動かし始めた時から一つも身動きが取れなかった。
875 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:34
愛はそんなひとみの戸惑いもお見通しのように、少し笑って、少し目を細くした。
多分、彼女だけがその時に戻っているのだ。
ひとみが知りえない、何度聞いても見ることは出来ないその瞬間に。
その感覚がわかるから、無理はして欲しくない。
冷たい風が心を通り抜けていく。


「……あーしが」


がたん、ごとん。
がたん、ごとん…


雑音が、遠くなる。


876 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:34


「あーしが、麻琴の夢を奪いました」



はっきりと、そう言った。
知らない名前だった。


一度開くと、後から後から零れていく。

「あーしには麻琴っていう友達がいました。麻琴は、ずっと教師になるっていう夢があって。
 あーしもそうだから二人で…ライバルみたいな、でもすごく仲良くして、
 二人で勉強したり、遊んだり…毎日すごく楽しかったです。麻琴のことがすごく大切だった」

愛の柔らかな表情は、その子をとても大切に思っているのがわかる。
薄くだが、笑っているようにも見えた。
どれだけその日々が輝いていたか、想像に難くない。

「でも」
877 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:34
愛の表情は一変する。自分を責めている。胸でぎゅっと抱かれている左拳。
ひとみはいつしか愛の右手を同じくらい強く握っていた。


「…二人で遊んだ時、あーしが調子に乗って交通量の多い交差点ではしゃいで。
 余所見して、歩いて、た…ときに、急に体を…押されて」


…がたん…
…ごとん…


「……目の前が真っ白になって、気がついたら…麻琴が、倒れてて。車があって、なんか、道路が、赤くて。
 周りが何か、言ってるけど…何も聞こえんくて。あーしはボーっと見てた。
 麻琴、って呼んでも、麻琴は起き上がらんで………」


まるでナイフでえぐられたように痛そうに、愛は目を細くする。
どれだけ絶望を感じただろう。想像するだけで痛くて仕方がなくなる。
878 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:34
「一命は取り留めたんですけど…麻琴、歩けなくなっちゃったんです。
 あーしのせいで…教師になれなくなっちゃったんです。
 なんて謝ったらいいかわからんくて、でも、とにかく謝ろうと思って病院に行きました。
 でも、帰ってって言われました。……もうお見舞いには来ないで欲しいって言われました」

取り返せないとわかったとき、人は何をしたらいいのだろう?
謝ることすら取り上げられたとき、人は何をしたらいいのだろう?
希望をただ書き連ねた本がある。人を許すこと、前を向いて生きることの尊さを訴える言葉がある。
けれどそんなこと、当事者になったら忘れてしまうし、理性どおりになんか行動できない。
ただ後悔して、謝ることも出来ないで、迷路に迷い込む。

「麻琴はうちの学校も、退学しました。
 …あーしも退学しようと思いました。それだけのことをしたって思った。
 でも出来なかった。お母さんに反対されたのを押し切れないで、言われたまま」

その自嘲するような表情。寂しくて、悲しくて。
愛が小さく見える。壊れてしまいそうだ。
879 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:35
「あーしが気を付けていればあんなことにはならなかった。
 ずっとずっと後悔でいっぱいなんです。あーしさえ麻琴に関わらんかったらって…
 だからあーしは…もう誰も傷つけないように、誰にも関わらないで、
 学校生活を終わらせようと思ったんです。……でも、出来なかった」


ふいに、空気が変わる。
確かに感じるのは意志だった。

「…やっぱりそんなこと、あーしには出来ません。誰に責められても、あーしは一人でいられない。
 話しかけられれば嬉しいし、誰かが笑ってくれれば嬉しい。
 誰かがあーしを見てくれたら嬉しい…それが、ずっと憧れてた人だったら、もっと嬉しい」

愛は潤んだ目のままひとみに視線を向けた。
どきん、とする。
なんて綺麗な目。
捕らえられるような感じがする。

「…それを許してくれてありがとうございます。
 あーしはすごく生きやすくなった。よしざー先輩が…こんなに近くにいてくれるから」

愛は、すっきりとした顔になっていた。
彼女の中で何かが変わったのだろう。
880 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:35
「あーし、ちゃんと麻琴に会って、謝ります。なんて言われたって謝ります。いつか許してくれるって信じて」
「そっか、うん、それがいい」
「麻琴は本当に優しくていい子だから。だから、麻琴が憎しみで変わってしまったら悲しい。
 …麻琴が黒くなっていたのなら、あーしが人生をかけて白くして見せます」
「おう、その意気だ」

弱い人間は数え切れないけれど。
けれど、強いなと思える人にもたくさん出会ってきた。
愛もきっと強い。
だってこんなにもまっすぐで、誰かを一生懸命思えるのだから。

愛は、仲直りして帰ってくる。
戻って来た時、愛はきっと顔をくしゃくしゃにするほどの満面の笑みを見せてくれると信じて。
その為に笑顔の準備をしよう。
顔を見た瞬間に、愛が一番ホッとできるような笑顔。
881 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:35


+++++


882 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:35
麻琴の家に着いたときには、ちょうど昼が過ぎたくらいの時間帯だった。
二人は大きなおにぎりを一つずつ平らげていた。
大きくて白い姿を見ているだけで力が出そうな気がした。
普段はパン派のひとみも、なんとなくおにぎりが頼もしく見えた。


愛は、『小川』と書かれた表札の前で震えている。
けれどそこに逃げようとする姿勢はなくて、でも怖いという事はわかる。それは当然のことだった。
ひとみはそっと愛に言葉を落とした。

「…愛ちゃん、あたしはここにいるから」
「はい。すごく、心強い」

愛は精一杯笑って見せた。
その柔らかな頬にそっと触れて、額と額をくっつけた。
そこから自分の心が少しでも愛に伝わればいいと思った。
愛も、頬に添えられたひとみの手を軽く握る。力を貰うかのように。
883 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/01/30(水) 01:35
「……行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」

わざと少しだけ茶化した。
愛は少しだけほぐされた顔でひとつ頷いて、インターホンを押した。


「…はい?」


響いたのは、穏やかな女性の声だった。
884 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/30(水) 01:45
更新終了です。

>>861さん
ありがとうございます。楽しみにしていただけるととても嬉しいです。
過去はこんな感じになりました。

>>862さん
わ、ありがとうございます。
なんだかドキドキしてますw
ご期待に副えるよう精進します。

>>863さん
ありがとうございます。
作者自身が吉絡みを大好きだからかもしれませんねw
885 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/30(水) 20:31
うおおおおお
いい所で切りますなあ
緊張してきた!
886 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:09


+++++


887 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:09
「ねえ、こはるー」
「何?」
「歩くの、ちょっと早い、かもしれない…」
「…あ、ごめんね」
「ううん」

休日に梨沙子を半ば強引に連れ出した。
何がしたいわけでもない。
ただ、笑って欲しいと思って。楽しい時間になればいいと思って。
けれど今の小春には出来そうもない。…気分が沈みきっていた。

「…ごめんね、こはる」

よほど酷い顔をしていたのか、梨沙子は小春の前髪あたりに触れて申し訳なさそうに呟いた。
梨沙子の曇った顔。
…見たくない。
888 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:09
「なにが?それよりさぁーカラオケ行こうよカラオケ!」
「…うん」

小春はわざと声を必要以上に張って明るい空気を作ろうとした。
梨沙子は、小春に笑顔を見せる。けれど笑ってはいなかった。


カラオケに行っても、自然と数時間とせずに店を出た。
ファストフード店で昼食をとっても、楽しい空気もなにも見つからない。

雅はカラオケでは一番輝いていた。歌が上手で、盛り上げるのも上手。
歌が上手ではない小春はカラオケが苦手だった。
けれど雅と行って、初めてカラオケが楽しくなった。
雅はチーズバーガーにこだわっていて。ここのチーズバーガーじゃなきゃ食べない!って言ったりして。
けれどピクルスだけは嫌がって、わざわざ抜いて食べたり。雅は好き嫌いが激しくて。

何故、こんなことばかり考えてしまうのだろう。
雅が自ら手放した居場所だ。だからこんなこと考えなくてもいい。
これからは二人でいなければいけない。なのに、…こんなに雅の存在が大きくて。
雅には失望もしたけれど、一つの言葉だけで嫌いになれるほどの関係でもなかったし。
雅を一生許さないかと聞かれればそんなことはない。
第一梨沙子がそんなことを望んではいないから。
889 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:10
やっぱり、三人でいたいのに。
どうして雅はあんなことを。
雅は確かに調子がいいなと思うところもあるし、
この間の状況で力の強いものに逆らわないのは人間的に普通だろうけれど。
だが確かに雅の行動に矛盾を感じた。けれど、矛盾の正体が小春にはわからない。


この日、梨沙子は一度も雅の名前を出さなかった。
小春は一度も心の底から面白いな、と思えなかった。
890 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:10


+++++


891 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:10

「愛ちゃんが来てくれるなんて本当にびっくりしたわ、どうぞ上がって」
「…おじゃまします」

帰ってくれ、と言われると思っていた。けれど帰らないつもりでもいた。
あの日、麻琴の母親に言われた言葉を思い出す。

麻琴は会いたくないと言ってるの。お願いだから帰って。

涙ながらに語るその姿に、とうとう愛は事故後麻琴とは一言も交わさずにこれまでを過ごしてきてしまった。
麻琴の母親は、少し痩せたように見えた。
けれど穏やかな物腰とよく似た口元は変わっていなかった。
892 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:12
小川家の家具の配置などはすっかり変わっていた。
麻琴の生活により不便がないようになっていた。

「麻琴は、今出かけているわ。あと少ししたら戻ってくると思う」
「そうですか、待たせてもらってもいいですか?」
「…ええ、いいわよ」

麻琴の母親は、そっと微笑んだ。
そして、思い出したといった顔をして、愛を見た。
愛の正面に座り込む。
ドキ、とした。
893 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:12

「…おばさんね、愛ちゃんに謝らなくちゃいけないことがあるの」

急にそのような内容のことを言われ、愛はきょとんとした。

「…はい…」

麻琴の母親はそれに笑って、話を続けた。

「これは、あなたが次に会いに来たら言おうと思っていたことなの。
 気持ちの整理もついて、ちゃんと話せる時になったら言おうって」

愛は黙って麻琴の母親を見つめていた。
彼女は少しだけ悲しい目をしている。
894 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:12

「あの日、わたしは麻琴が会いたくないって言ったって言ったけれど、
 本当は麻琴は愛ちゃんにとても会いたがっていたの」


「……え?」

「わたしがね、…どうしても、あの時愛ちゃんを許せなくて。
 だから、あんなことを言って追い返してしまったの。本当にごめんなさい」

麻琴の母親は深く頭を下げた。
愛は慌てて手を横に振る。

「謝らんくていいですよ!そんなん当然です。自分の子供を怪我させた人なんて、会わせたくないですよね」
「あの時は、とても」
「…それから、ずっとあーしは逃げ回ってたし」
「そうね。だからわたしは何も言わなかった。
 麻琴にも、愛ちゃんが自分でもう一度決意して来るまで、待ちなさいって言ったわ。
 そうじゃないとどちらかが引け目を感じた関係になっちゃうでしょ?そんなの友達じゃないと思うの」
「…」
895 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:13
「あの時はわたしは違ったけれど、麻琴はずっと変わらなかったわ。
 愛ちゃんがちゃんと麻琴と対等に向き合おうとする日まで待つ、って言って笑った」 
「……麻琴」

馬鹿だな、とか思ってしまった。
いつもそうだった。馬鹿がつくほどのお人よし。だからいつも損をしていた。
だけどそれでも優しい麻琴が、愛は大好きだったのだ。

「あーしもう逃げません。事実を受け入れて、乗り越えます。
 もう一度、麻琴の目を真っ直ぐ見て一緒に笑いたいから」
「…そう。愛ちゃんは成長できたのね」
「はい。たくさん考えて、色々教わったし、今は頑張れる気がするんです」
「ふふ。いい笑顔」
「麻琴にはかないませんけど」

麻琴の笑顔。
大好きな笑顔。
思い出す。
また、あの笑顔を見たいから。
896 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:15
と。
玄関からがたん、と音がした。


「ただいまぁー!」


あんまり懐かしい響きに、一瞬震えてしまいそうになった。
全然変わっていない。昔聞いた快活な声と、ひとつも。
麻琴の母親はゆっくり立ち上がって、玄関へ歩いていった。


「お帰りなさい、麻琴。お客さん来てるわよ」
「お客さん?わたしに?」
「そうよ」
897 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:15
なんて、言おうか。
何から、言おうか。
どんな風に、言おうか。

たくさん考えてきた言葉達。


「あー!愛ちゃんじゃん!久しぶりっ、元気そうで良かったー。
 あ、ていうか髪切ったんだね、似合うじゃん」


898 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:16
…明るくて純粋な、弾ける笑顔を目の辺りにした瞬間、何もかも吹っ飛んで。


麻琴に抱きついて、わあわあと泣いていた。


「まごどぉおおおおおお!!!ほんまに、ごめんのぉ!!!
 ほんまは、ずっと会いたかったんやけど!あーし、もうほんまに、ほんまにあぅぉらううろいぁああぁあ」
「ええ、ああ、うん?ごめん愛ちゃん何言ってるかわかんない」
「…うぅ、うう…まことぉ…」
「愛ちゃん」

髪が明るくなったって。
化粧が少し濃くなったって。
…目線が低くなったって。
何も変わらない。
やさしい手の温もり。
ただただ泣きじゃくるばかりの愛を、麻琴は背中をさすってなだめる。

麻琴は待っていた。
また再びしょうもない愛の涙を拭う日を。
かわいくて仕方がない愛に笑いかける日を。
899 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:17
「愛ちゃん」
「うん…?」
「わたしに何か言う事はないの?」
「ごめんなさい…」
「それはもう聞いたよ。それじゃなくて」
「…長い間待たせてごめん?」
「それもごめんじゃん。なんか歌詞になってるし」
「ずっと会いたかった?」
「違う」
「えー?」
「他には」
「大好きやで」
「違う。知ってるし」
「ありがとう」
「違う。そういうのはいいから」
「また友達になってくれるかの?」
「ちーがーう。ていうか友達だったしずっと」
「…何?」

おろおろと言葉を探す愛に、麻琴は痺れを切らして愛の額を小突く。
こつん。
弾けるように愛が目をぎゅっと閉じて、それからすぐに見開いた。
900 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:17
「馬鹿!ほんとにもぉー。普通は『綺麗になったね』でしょうが!」
「…はぁ?全然変わってないやざ!ってかぁ、おかしいと思う!」
「おまえぇ、そこは気を使えよー」
「気なんて…麻琴に使ったことないし…」

愛はもじもじと視線を泳がせる。
そう、麻琴にはいつだって本当の事を言えた。
愛の本当の気持ちや言葉を麻琴は受け入れてくれていた。
だから、麻琴にお世辞を言う自分など想像がつかなかった。
そんな愛の様子を見て、麻琴はふいに頬を緩める。

「うん」
「え?」
「わたしに気とか使ったらキモいから、愛ちゃんはそのままでいてね」

麻琴の伝えたかったことを理解すると、愛はほろっと感情が零れそうになった。

「……キモいのは麻琴やけどね」

慌ててこらえて、きゅっと結んだ唇からやっと言葉を搾り出す。
嬉しさが全然止まらない。なんて幸せなんだろうか。
901 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:17
「キモくないです」
「じゃあ気持ち悪い」
「…ホントに何なんだよおまえっ、失礼すぎるぞ!」
「おまえこそ何なん。なんでほんなにお人よしなんや。将来詐欺とかあっても知らんで」
「いいんだよ、詐欺にあってもそん時は愛ちゃんが慰めてくれるんでしょ?」
「…うん。ほやな」

へへ、と二人はいつの間にか笑い合っていた。

そして、またそっと抱き締め合う。
いつか笑い合った日のように、二人は楽しい気分でいる。
902 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:17


+++++


903 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:18
「ほんまかぁ?」
「うん、なかなか難しいけどね」

麻琴が車椅子から降りて、ソファに腰掛けて。
いつまでも二人で語り続けた。今までの空白の時間を埋めていくように、尽きることなく喋り続けた。
話していた時に麻琴の口から出てきた意外な言葉。
それは、麻琴が教師になるための勉強を続けていることだった。

「もちろん簡単なことじゃないし、普通に公立の学校では働けないけど。
 でもなれるんだよ。絶対なってみせるから。どっちが早く教師になれるか競争だよ?」
「うんっ」
麻琴の表情を見て、言葉を聴いて、愛は感動した。
前向きで。直向きで。それで、強い人だ。
何度も麻琴に助けられ、憧れた日々がはっきりと蘇る。
優しくて誰からも愛される彼女の人柄はいつも愛の憧れだった。
憎めなくて、呆れてしまうけれど癒されて。いつも人に囲まれていた。
今通っているという専門の学校でも、きっと人気者なのだろうなと思った。
904 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:18
「ほぉか…あーしが立ち止まってる間も、麻琴は夢に向かって頑張ってたんや」
「そうだよ」
「うん、ほぉか…」

なんだか、うれしい。
愛は顔いっぱいに喜びを浮かべて、麻琴に寄り添う。
懐かしい麻琴の匂いがした。

どうして今こんなに幸せなんだろう?
もしかしたら、会えていない時間の分想いが濃密に大きく育っていたのかもしれない。
麻琴と話せること、笑い合えることに心から感謝できた。

「嬉しい。またこんな風に話せて、すっげぇ嬉しいで」
「そうだね。またいつでも遊びに来てよ」
「うんっ」
905 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:18
もう、外はいつの間にか暗くなっている。カーテンが閉められて蛍光灯が部屋を照らしていた。
どうしようか。離れがたい。このままここにいたい気がした。
麻琴も同じだろうか。
ああ。
どうしよう、離れがたい。


「てかさぁてかさぁ、帰ってくる途中にめっちゃくちゃ綺麗な人見かけたよ!
 すれ違いざまにニコって微笑みかけられたんだけどすっごいドキドキしちゃった。
 どっかで見たことある気もするんだけど、どこだったかな?あー、また会いたいなぁ…」

麻琴はきらきらと目を輝かせて乙女のポーズを取った。
そっかそっか、綺麗な人を…

ん?
906 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:18

「…あ」
「え?」


「あぁあああああ!!」


愛が頭を抱え込んだ理由を、麻琴はもちろん知らない。

907 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:19


+++++


908 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:19
「遅いな」
『すっ、すみません!すみません!』
「忘れてたろ」
『…はい』
「あはははっ」
あまりに正直に言われてしまうと、怒る気力も失せる。
まあもともと怒ってはいなかったが。

近所のカフェで6杯目のおかわりをした時に愛から電話が来た。
愛の声は弾んでいて、とても幸せそうだ。
心から良かったと思える。心から幸せになれる。

「…仲直りできたんだ」
『はい』
「良かったじゃん」
『ほんまに、もうなんて言ったらええんかな…よしざー先輩には、感謝してもしきれませんよ』
「そっかそっか。…うん…」
『もう帰りますんで、今どこですか?そっち向かいます』
「んー?いいよ、待ってて。行くから」
『あの、麻琴がよしざー先輩に会いたいって言うんですけどいいですか?』
「それは構わないけど」

奥で、いいって、ほんと?やったぁー、なんて声が聞こえてきて笑った。
電話しながらレジで会計を済ませて店を出た。
外はとっぷりと夜に浸っていて、なんだか穏やかな夜。
細い三日月がゆらゆらとゆりかごのように見える。気持ちいい空気だ。
909 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:20

小川家に着くと、車椅子に乗った少女と愛が立っていた。

「あ!さっきの」
「ん、やっぱそうか」
やはり、先ほど道ですれ違った金髪の快活そうな少女が小川麻琴だった。
愛と麻琴はとても輝いた笑顔でひとみを手招きする。
目の前の光景が優しくて、ひとみも笑顔になる。

「初めまして、小川麻琴です。愛ちゃんがお世話になってるそうで」
「吉澤ひとみです。愛ちゃんのお守りしてます」
「ちょっと!よしざー先輩!」
「なにさ、なんか間違ったこと言った?」
「むぅー」
「ふふふ」
910 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:20
「ああ、あのっ…よければアドレス交換してくれませんか?」
「へ?いーよ?はい」
ひとみは麻琴の申し出に軽く承諾して携帯電話を取り出した。
便利な時代で、赤外線という目には見えないものが情報を運んでくれる。
愛ともそうしたように、麻琴ともメールアドレスを交換した。
麻琴はとても嬉しそうに携帯画面を眺めている。
優しい笑顔で麻琴を見つめるひとみ。
「そんな嬉しいか?」
「嬉しいでっすよぉ!だって吉澤先輩ですよぉ?」
「顔忘れてたくせに」
「ちがっ、髪の色とか変わってたからですぅ!」
「あははっ」
かわいいね、と麻琴に微笑みかけてひとみはなんだか楽しそうだった。
麻琴は心から嬉しそうに笑う。

その光景に愛はふと不安を覚えた。けれど、すぐに思い直した。
自分には、不安を感じる意味はもうなくなる。なくさなければならない。
麻琴とも仲直りできたし。よしざー先輩と一緒にいる意味はなくなるから。
離れなければならない。もう甘えてはならない。
…石川先輩と約束したし。約束をしなくても、多分よしざー先輩も御役御免と離れていっただろうし。
だから、この先よしざー先輩がどんな人と関わったり、どんな人に好かれたり好きになったり、
どんな人とつながりを持ったり…そんなもの全部自分には関係がない。
911 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:20

「…じゃあ、麻琴、また来るね」
「うん。愛ちゃんまたね。吉澤先輩も遊びに来てくださいね」
「そうだね、そうさせてもらうよ」
「えへへ、やったぁ」

麻琴の笑顔は誰をも惹きつける。
…ひとみが惹かれないはずもなくて。
だけど、胸を痛める資格なんかない。
もう、関係なくなるのだから。
912 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:21


+++++


913 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:21
二人電車に揺られながら、夜の電車の中でうたた寝するサラリーマンの向かい側。
なんだかふんわりとした空気。
このまま有名なお話みたいに空へ電車が飛んでいってしまいそうだ。

「なんだか、不思議な感じ」
「ん?」
「今まで黒と思っていたものが、実は白かったみたいな、感じです」
「んー」
「ずっと、麻琴に憎まれてると思ってたのに。麻琴は、麻琴のままやった。
 …もっと早く気がつきたかったけど、多分こうなる運命だったんだろうなって思います。
 苦しんだ時間がありました。空想の憎しみに怯えて何も出来なくなりました。
 でも、それって必要だったんですよね、きっと」
「そっか」

なんだか、愛が大きく見えた。
結局は今日の全て愛が一人で勇気を出した結果だった。
なんだか急に心許ない感情に包まれて、言葉が思い浮かんだ。
914 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:21
 

「あたし、愛ちゃんの役に立てたのかな」


自信がなくて、下らなくて欲張りなことを尋ねる。
情けないけれど本当に自信がなかった。
けれど。
915 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:21



「はいっ、とても。本当に、本当に本当に、ありがとうございました」



愛は、ちゃんと笑ってくれた。
ひとみに向けて、最高の笑顔を見せてくれた。
そうだ。
この笑顔に返す笑顔を用意していた。

「ほんと、おめでと。良かったね」
「はい」

愛があんまり幸せそうだから嬉しくて、ひとみはしたいままに愛の髪に触れる。

けれど、はっとした愛の表情に、手は引っ込んだ。
それ以上触れたら壊れてしまいそうな感じがした。
愛がではない、何かが。抽象的でよくわからないけれど、何かが。
916 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:22


「……」
「……」


不思議な沈黙。
不思議な感情。
ひとみは何かをまだ知らない。
愛は俯いている。
917 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:22

電車を降りて、駅の家に帰る大人たちに紛れ込んで向かい合う。

「送ってくよ」
「え…いえ、大丈夫ですよ、駅のすぐ近くですから」
「近くだからいいじゃん。少し歩こう」
「…はい」


二人は、夜の道を歩き出す。


手を握って帰りたい時間だったのに、何故か自然に握ることも出来ないで、
ひとみは微妙な距離感で愛と並んで帰った。
さっき、強く手を握り締め合ったのに。
さっき、肩も寄せ合ったのに。
時々零れ落ちるような会話も、弾まない。

でも、嫌じゃない、この沈黙。


確かに近づいた、それが嬉しい日。

けれど愛がどこか寂しそうにしていたのは、思い過ごしなのだろうか?
918 名前:3 言葉に出来る女の子 投稿日:2008/02/13(水) 00:22
「じゃあ、ここで」
「うん、じゃあまた明日ね」
「はい」
「おやすみ」


「…さようなら」
別れ際の五文字の言葉に。
必要以上に深い意味を感じたのは、気のせいだろうか?
919 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/13(水) 00:28
更新終了です。
福井弁がわかりません…。

>>885さん
レスありがとうございます。切る場所がなかなか決まらなくてこんなところになりました。
こんなんなりましたが、いかがでしたか?
920 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/13(水) 01:15
お待ちしておりました。
更新ありがとうございます。
読んでる内に自然と笑みがこぼれました。
優しい気持ちになれますね。
しかし切ないです…ううっ。
921 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/13(水) 18:29
吉澤さんが心配だ・・・
922 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/21(木) 18:04
更新お疲れ様です!
ひそかにあの人の登場に喜んでみたり。

福井弁が分からないとの事ですが、
せりふの掛け合い部分、愛ちゃんっぽくてよかったです。

続き楽しみにしてますノシ
923 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:07
「どうよ、その後」
「……」
「小春?」

教科書から視線を上げると、今にも泣き出しそうな小春の横顔。
けれど泣くまいと耐えていた。
ひとみは眉を下げて、小春の頭を抱き寄せる。

「…辛いか」
「ちょっと、予定外の、出来事があって」
「そっか」
「…結構、きついかも、です。コハル一人が頑張っても、梨沙子は…」

梨沙子は、雅がいなければ小春一人に守られても嬉しくないんじゃないか。なんて。
最近は一人になる度に考えてしまう。ネガティブなことばかり、考えてしまう。
雅はずっと梨沙子のそばで梨沙子を守っていてくれると思っていた。
雅が梨沙子を酷く扱うなんて、想像もしていなかった。
何もわからなくて。梨沙子も多分、一緒で。
このままではまた梨沙子は学校を変えてしまうのかもしれない。
どこへ行ってもその真っ直ぐさは誰か一人が拒否するたびに塗り潰されていくのではないか。
いずれ、梨沙子は純粋な心を隠して無理に笑うようになるのではないか。
悲しくなってくる。
924 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:07
「先生のときは自分のしてることが間違ってるなんて思わなかったし」
「うん」
「だから、先生のことだけ考えて突っ走ったんです」
「ん」
「けど、今…自分のしてることに自信が持てなくて」
「ん…」
「なんか、空回ってるんじゃないかなって。
 別に、コハルが守りたいと思ってる子は、コハルに守られたいなんて思ってないんじゃないかとか…」

言葉にすると思っている以上に悲しくなってくる。

そうか。
コハルは梨沙子に好かれていたいんだ。
だからこんなにも悲しいんだ。
先生はコハルを必要としていくれていた。それがわかった。
けれど、梨沙子は?
925 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:08
「迷惑だって」
「…え?」
「そんなようなこと、はっきり言われたら、そん時はあたしがその子を怒ってやるよ」

ひとみは小春の震える睫毛にそっと視線を落とした。

「…」
「小春が世間的に正しいとかそうじゃないとか、そんなんどうだっていいんだよ。
 あたしのかわいい教え子をこんなに苦しめて、挙句切り捨てるようなこと言うのは許さない」
「…先生」
「小春は自分がしたいようにすればいいんだよ。あたしはその全てを肯定する」
「でも、本当に、コハル…」
「あたしを全て受け入れて許してくれたように、あたしも小春のことを受け入れたい。
 結果的に小春が自分の感情に流されて押し付けることになっちゃっても、あたしは小春を責めないよ」

いつか、小春は泣き崩れるひとみを抱きとめた。
そしてひとみの背負う罪の意識全てを肯定してひとみを許した。
それは限りない愛情の賜物で、そう簡単に出来るものではない。
けれど、今ひとみは小春にしてくれると言った。
あの時感じた小春の感情よりもっとやさしくて、あたたかい。
けれど確かに同じようなもの。
926 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:08
…いいのかな。
甘えちゃいますよ?

「…先生…」
「何?」
「コハル、たぶん…梨沙子だから、こんなに色々思って、やっちゃうんですね」
「そっか」
「それってちょっとずるいですよね」
「そうかな?」
「でも、やっぱり梨沙子の側にいたい。梨沙子が笑ってくれるならなんだってする」
「…うん」
「梨沙子が好きだから…だから、コハルは頑張ってるんです。頑張れる。
 人を好きになるって、なんてすごいことなんだろう。なんか、すごいなぁ…」

優しい笑顔だった。
どこか母のように穏やかでもあった。

小春は梨沙子を好きだ。
今見える確かな想いが眩しくて、ひとみはそっと微笑んだ。
927 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:08
瞬間、愛の顔が見たいと思った。
なんのわだかまりもなく、ただ楽しいことを楽しいと、笑い合えたら。
なんて楽しく幸せな時間なんだろう。
聞いてもらいたいことがたくさんある。
聞いてみたいことがたくさんある。
明日から、きっと叶う。
…こんなにも会いたい。

「…あのさぁ」
「はい?」
「今の小春にさ、こんなん言うのもあれなんだけど」
「はい…」

きょとんとした小春のあどけなさに触れると、何故か恥ずかしさが膨らんだ。
耳が熱くなっていくのがわかる。
…なんなんだろう、この感じ。

「…あたしね、本気で恋したことないんだよ、たぶん。
 すきかもとか思ったことはあるんだけど、自分が自分でコントロールできないような気持ちになったことがなくて」
「ほぉ」
「あのね真面目に聞いて」
「いや、真面目なんですけどこれでも」
「そっか」
そんなに素で不真面目に見えますか、と聞かれると否定が出来ない。
苦笑いで返したひとみに小春は怒ったふりをした。
928 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:09
「や、いんだそれは。じゃなくて…だからね、どういうのが恋なのかとかわからないんだよ。
 別に他人の見てたらわかるのに自分だけは何故か」
「吉澤先生はもしかして今恋してるんですか?」

ずばり。
小春の丸い目が核心を突いてくるものだから、心臓が落ち着かなくなった。
すぐに言葉を返せないと感じたので、間を十分とって、ふぅーと肩の力ごと息を吐き出した。

「それがどうなのか…小春に聞いてみたくて」
「やーですよ!そんなの自分で考えてください」
「うっわ、なんなのお前即答かよ!冷たい、冷たすぎる」
「…だって、コハルがどうこう言ったって結局自分で決めるじゃないですか。
 吉澤先生って、そういう人ですよ。頑固だし、頭固いし」
失礼だなと思う反面、そうかもしれないと一瞬思ったらもう何も返せなかった。
ちょっとだけ悔しくなったけれど、顔には出さない。
小春はにま、と笑ってひとみの頭を撫でる。いつもひとみが小春にするみたいに。
無表情を貫いてやろうという意思に反して正直な頬が熱くなっていく。

「先生ならきっと大丈夫ですよ」
929 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:09
何が?
なんて。

最近浮かぶのは野暮だとわかっていても見えてこない疑問ばかり。
いつから自分はこんなに、自分さえわからなくなってしまったのだろうか。

「そっか」

精一杯わかったふりして笑みを作った。
だが、小春はさらに一段階上の笑顔で囁いた。

「先生って実はかわいいですよね」

…。
もうため息しか出てこない。
恥ずかしいことを悟られるのは耐え難いものがあった。
かわいいと言われると照れるとわかっている小春に無性に腹が立つ。

ひとみは笑って小春の脇腹に手を差し込んで指を細かく動かした。
「きゃー!!!やだやだやだ!あははははっ、やめてくださいぃい!
 卑怯ですよ、口で敵わないからって手出すのは!あはははははっ」
ひとみにいいだけくすぐられながら、小春は何だか楽しそうだった。
930 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:09


+++++


931 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:09
「…んー?」
「なに?なんか言った?」
「いやぁ……まいちんに言ってもしょうがないことだから気にしないで」
「心外だ!」
「はいはい」

まいは最近やたらと『心外だ』という言葉を使う。
用途が間違っていようがいまいが関係なく使いまくる。
はじめはそれ使い方違うといちいち突っ込んでいた美貴も次第に何も言わなくなった。

「ほほーん」
「うわ、なにその気持ち悪い笑顔」
「ひとみさんは愛しの愛ちゃんに避けられているからご機嫌斜めなんですね?」
「!!!」
あまりにさりげなく図星だったために全く繕えなかった。
レタスを口に入れ損ねてテーブルに落ちた。
ティッシュで拾い上げながら、必死に俯いて赤くなる顔を隠す。
まいはそんなに笑わなくてもいいだろうと思うほど大きな口を目いっぱい開けて大笑いしていた。

「いやーよしこかわいいね!よしこが恋をするとこんなにかわいくなるなんて思わなかったよお姉さんは」
「…っ…っ!」
色々否定したいことがあるのに、どれも一気に噴き出そうとするので出口で詰まって何も出てこない。
「…違うからっ」
何が違うのかもわからないまま、とりあえず言葉が出てきた。
自分自身でも混乱していて答えが出ないのだ。
だから、何をはっきり言う事も出来ない。
全てを強く完全に否定することすら出来ない自分にもやもやとしたものを感じる。
932 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:10
ただ、今会いたい人がいる。
それだけ。
会えないのがなんだか寂しい。
ただ、単純に。

「でもさぁ、マジで避けられてない?なんかしたの?よしこ」
時として美貴よりも核心を突く彼女の言葉に少なからず何か落ち込んだ。
まいの場合意図していないから余計に突き刺さるのだ。
事実、最近の愛は変によそよそしかった。
挨拶をした後に軽く会話を交わそうとしても何かしら理由をつけて去る。
昼時には食堂へ姿を見せることがなくなった。
最近は愛の顔すらまともに見ていない気がする。
「覚えはないけど…もしかしたら迷惑だったのかもね、あたしのおせっかいとか」
「それはないんじゃない?おせっかいではないでしょ、よく知らないけど」
「…まあ、そう思いたいけど」
だとしたら避けられる理由がわからない。
わからなくて、ただ悩んでいた。

来るものは拒まず去るものは追わずなひとみの性格上、愛がひとみと離れたいのならばそれでいいはず。
いつものひとみならば特に何も感じることもなく自然と距離を置いたはずだった。
なぜか愛の姿を探している自分に気がつき、いつもはっとする。
愛が望んだのならば自分はもう愛に近づく必要はない。
なのに、こんなにも会いたいと思う自分がいる。
初めてだった。
会うと安心するとか落ち着くとか、そんな優しい感情ではなくて。
会えないと苦しくて、不安になる。
933 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:10
まいは俯いて不安を覗かせるひとみに優しく微笑みかける。
「…ん、まぁさ、どんな結果になろうとうちらいるし。
 いつでも話聞くからさ…だからよしこには笑っててほしいな」
まるで幼い子供のような表情でまいに視線を上げたひとみを更に包むようにまいは言葉を続ける。
「よしこはさ、もうちょっと自分のこと考えてもいいんじゃない?
 愛ちゃんがよしこを避けててもよしこが愛ちゃんに近づきたかったら近づいていいんだよ」
「…無理」
「よしこは優しいけどさ、弱虫だから。だから、いつもあきらめてたでしょ。
 理解してくれない人は別に理解してくれなくていいってぶつかることから逃げてた。
 でも今回は本当にいつもみたいにあきらめられるの?逃げてもいいって心から思うの?」

まいの言葉には嘘がない。
だから、全部沁みて響く。

…あきらめる?

こんなに苦しいのに。
934 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:10
「…ごめん、ちょっと考えさせて」
何故か目の前の野菜がしおれて見え、ひとみは席を立った。
いつかは向き合わなければいけない。
今は何も考えられなかった。
時間が経てば答えが見えてくるわけでもないだろうに、弱い心はいつも先延ばししたがって。
自分の弱さにいつも嫌気が差した。


半分ほど残った昼食を下げて、人の雑音に紛れ込みたいと思った。
けれどひとみは自分でも不思議なほど顔が広く、どこへ行っても誰かに見つかった。

一人で考えたい。
足はふらりと玄関へ向かう。
抜け出すことを目的とした動きではなかった。
ただ、静かなところへ行きたかった。誰も自分を知らない場所を求めた。
玄関にはざわざわと人が揺らめく気配はない。
だが、ふいに靴が下駄箱に収まる音がした。
人影はひとみに気がつくことなくひとみに背を向け歩き出す。
ひとみは後ろ姿に見覚えがあった。
935 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:11
「梨華ちゃん?」
後ろ姿が止まる。

「……よっすぃ」
「あれ、今来たの?」
「うん…今日午後からだから」

梨華は本当にわかりやすい。
何かがあったなど一目でわかる。
ひとみは努めて敵意のない表情を作り、梨華へ歩み寄った。

「そんな顔して。…何かあったの?」
「…」

梨華は一瞬顔を上げ、しかしすぐに思い直すかのように首を振って俯いた。

「そんなに優しくしないで」
「なんで?」
「よっすぃは、誰にでも優しいけどさ。それで辛い思いしてる人だっているんだよ」
「…え?」
「わかってるなら、わからないふりしないで。それは優しさなんかじゃない。
 時には、ちゃんと受け止めてよ。笑って誤魔化して逃げないで。
 そのほうが、わたしは辛いよ。期待しちゃうもん」
936 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:11
悲しみを浮かべた鋭い表情。
梨華の潤んだ目に射抜かれて、ひとみは動けない。
「梨華ちゃん…」
震える喉でやっと、名前がこぼれる。

沈黙。
混乱。

張り詰めた空気は、梨華の苦しそうな笑顔でほんの少しだけ緩む。


「ごめんね、勝手で。よっすぃはよっすぃで、何も悪くないのに。
 どうしてこんな風になっちゃうのかな?なんでこんな風に責めちゃうんだろう?
 本当はこんなこと言いたくなんかないよ。よっすぃの近くで笑ってたいだけなのに」
「笑っててよ」
「…」
「あたし、梨華ちゃんのこと大切なんだよ。
 だから梨華ちゃんと同じ楽しさとか、喜びとか、感じたいと思う」
「………」
「………」
937 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:11
嘘はない。
なのに、自分の言葉が酷く薄っぺらに感じる。
梨華が求めている言葉とは違うと感じていた。
嘘はないのに。
こんなにも愚かな響き。

梨華は言葉もなくそっと頷いて、一歩後ずさった。

「ちょっとだけ…時間ちょうだい。ちゃんと、考えるから」

表情はよく見えない。
完全な拒否の雰囲気にひとみは言葉も出ず、走り去る梨華の背中をただ見ていた。
梨華が求めた時間。
何故かひとみの設けた時間よりもずっと前向きに聞こえた。
938 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/06(木) 00:11

…あたしも、ちゃんと考えよう。
自分から動いてみないと変わらないことがある。
いつも誰かの動きに合わせて身を任せているままでは変わらないことがある。
自分をちゃんと見つめ直して、受け止めてみよう。

939 名前:名無し飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 00:22
更新終了です。

>>920さん
こちらこそありがとうございます。
今回はそういった雰囲気を目指して書いたので嬉しいです。

>>921さん
私もここの吉澤さんにはなんだかハラハラさせられっぱなしな気がしますw

>>922さん
ありがとうございます。
あの人は書いててもなんだか楽しい気持ちになれますね。
愛ちゃんっぽいと言っていただけるととても嬉しいです。
これからも頑張ります。
940 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/06(木) 21:31
よっちゃん可愛い〜
キュンキュンしてもうた(*´艸`)
941 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:21
二人は教室で離れ島のように漂っていた。
それが周囲にも日常になっていき、誰も何も変わっていないかのように過ごしている。
人間とは慣れる生き物で、わかっていたはずのことがたまに怖いと感じた。


「こはる、プリント机の中に入れっぱなしにしてきちゃった」
「本当?」
「取ってくるから待ってて」
「うん」
不安げな小春に梨沙子は笑って見せ、歩いてきた道を逆に歩き教室へ戻る。

「あ…」
梨沙子の目に映ったのは、一人窓の外を眺める雅だった。
その横顔が見たこともないほど寂しげで、梨沙子は思わず息を飲んだ。
942 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:21
「みや」
「!」
思わず振り向いたものの、雅はすぐに梨沙子から顔を背けた。
梨沙子は笑って、自分の机の中からプリントを取り出した。

ふいに外を眺めると、サッカー部が練習をしていた。
静かな教室には僅かに元気な声が聞こえてきた。
制服のままの影がちらほら見えることから、引退した三年生がはやしているように見える。

「…みや」
雅は窓の外を見ている。

「あたしのこと、嫌いでもいいから」
雅は窓の外を見ている。

「こはるまで悲しくさせないで。今、こはるすごく悲しいんだ。
 こはる、みやのこと大好きだから…」
雅の視線が動いた。
943 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:21
「あんたがここに来なきゃ、うちらはうまくやれてたよ」
「…そうだね」
責める言葉にも力なく笑う梨沙子に雅はさらに眉間の皺を深める。
「そんなだから嫌われるんだよ」
「…」
「こんなに毎日されてもまだ直そうと思わないんだから相当だよね。
 あんたのせいでこのクラスの雰囲気までめちゃくちゃ。
 小春だっていつかあんたから離れてくよ。あたしがいい例でしょ?」
自嘲も含まれたような雅の歪んだ笑みに、梨沙子は瞼に力を込めた。

「…あたしは…みんなに好かれようと思ったことなんてないよ。
 それって、やっぱり変なのかな…みんな、あたしみたいなの、いなくなって欲しいかな…」
梨沙子の消えてしまいそうな声。
雅はそれでも言葉を変えようとはしなかった。
944 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:22
「あたしは、みんなが楽しい方がいい。自分がそう思ってないのに皆と同じこと言ったり、
 仲間はずれになりたくないから遠慮したり我慢したりするのって、本当の仲良しじゃないもん。
 それがどんな人にも通じることじゃないってわかってたけど、でも…みやは、わかってくれてると思ってた。
 こはるといるみやはすごく楽しそうで…こはるも楽しそうで…いいなあって思ったから。
 ちっちゃい時から、みやはあたしのこと怒ってくれたり、ちゃんとあたしのこと見てくれたし。
 あの時のみやが嘘じゃないってことは、ちゃんとわかる」
「…何、勝手なこと言ってんの?あたしはあんたを」

「みやは、やさしいよ」
「!」
「あたしは今もみやが大好きだよ」


その時。
どんな扱いを受けても笑っていた梨沙子が、みるみる涙を浮かべる。


「だから、前みたいに笑って。今のみや、全然楽しそうじゃない」

一筋、綺麗な涙が滑り落ちていく。


雅が呆然としている間に、梨沙子はいなくなっていた。
945 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:22


+++++


946 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:22
「遅かったね、梨沙子」
「うん、なんかなかなか見つからなくて…」
小春は梨沙子の瞳が潤んでいたことに気がついていた。
言葉の切り出し方がわからずに、ただ手を握った。
梨沙子はそっと小春の手を握り返した。

梨沙子は数歩歩いた後急に小春を見た。
「こはる」
「何?」
「…こはるは、みやのこと好きだよね?」
「……」

言葉の真意を掴みかねる。
彼女が酷く傷つけられて、雅と離れようと決意をした可能性もあるのかもしれない。
雅と会話をしなくなってから、梨沙子は雅の話題を振ることはなかったから。
けれど何もわからずに、正直な気持ちしか出てこなかった。

咄嗟に声にもならずにうなずく。

雅のしていることは理解できないが、二人でいる時間が増える度に
雅の存在の大きさを、細い体でひしひしと感じていた。
明るくて、楽しい。雅の存在に小春は何度も助けられた。
947 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:23
「うん、いいんだそれで」
「…梨沙子」
「ごめんねこはる。…苦しいよね?」
「…!」
苦いような痛いような梨沙子の笑み。
締め付けられるような胸の痛みを感じて、小春は密かに奥歯を噛み耐える。


「みやのこと大好きなのに、みやとケンカして、辛くてごめんね」
「辛くなんかないよ。そんな風に言わないで」
「なんでかな。…好きな人を好きなだけなのに、いっつも迷惑かけちゃうんだ」
梨沙子の柔らかな髪がはらりと落ちた。前髪の間から長い睫毛が見える。

「それでも、みやが好き。…こはるが好き。仲良くしたいって思うのはわがままなのかな?
 あたしが全部悪いから、近くにいたいから近くにいるのもだめなのかな」
「なんで?なんでそういうことになるの。梨沙子は何も悪くないでしょ!?」
小春は必死に叫ぶ。
違うという事をわかってもらいたくて、引き裂かれそうな心のままに叫ぶ。

「…ありがとう」

梨沙子は笑う。
笑っているのに、泣いていた。
必死に笑おうとして、涙が落ちる前に拭って、それでも泣いていた。
948 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:23
「こはるのこと大好き。こんなに優しくしてくれるこはるのことが大好き。
 だから苦しい。自分が好きな人を苦しめてるって思ったら、すごく悲しい」
「やだ、やだやだ!苦しんでるなんて思わないでよ。
 コハルは、梨沙子の側にいられないほうが何百倍も苦しいよ…!」

何かを諦めたように頭を振り続けるだけの梨沙子に、小春は堪え切れずに梨沙子を抱き寄せる。
柔らかさはさゆみと似ているけれどさゆみよりも温かくて、
ひとみのようにいい匂いがするけれどひとみよりも甘い匂いがした。
梨沙子を五感で感じて、不思議と泣きたくなる。
切なくてたまらない気持ちは、今の状況のせいだけではないと思える。

「梨沙子に会えたから、こんな気持ちを知れたんだよ…?
 なのに、勝手に思って勝手にそういうこと言わないでよ。
 雅と話せないのは寂しいけど、梨沙子に会えた喜びのほうが大きいに決まってるでしょ!」
「…こはる…」
「もう、だから…だからぁっ、…もーばかっ、梨沙子のばか!ばか!」
ああ、かっこ悪い。
最後の最後に何が言いたいのかわからなくなってきて、馬鹿、なんて。
こんなはずじゃないのに。
本当はもっと上手く言えるはずなのに。
涙まで流れてきて、こんなにかっこ悪い。
949 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:23
梨沙子の前では頼れる人でいたい。涙なんて流したくない。いつも安心していて欲しい。
なのに、ずっと思っていた以上に苦しんでいた梨沙子を知って、小春は自分の無力さに打ちひしがれる。
梨沙子はこんなに優しいのに。
誰かのためにこんなに泣けるのに。
どうして自分は梨沙子を少しでも疑ったりしたんだろう。
ただ恥ずかしくなる。
自分の思いの分だけ返して欲しいと思っている心に気がつく。
梨沙子はどうしてこんなにも見返りを求めずに誰かを思えるのだろうか。
泣きたくなるくらいに眩しい。

梨沙子が、好き。

梨沙子が小春に向ける好きと、たぶん違って。
よくわからないけれど、梨沙子の側にいたくて。
今はただ、あまり悩みたくなかった。
だから知らない振りをする。
950 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:23
「…ありがとう、こはる。……ありがと…」
「雅もね、何か理由があるんだって思ってる。雅は梨沙子のこと大好きだから。
 コハル知ってる。雅は梨沙子が大好きだよ。だからちゃんと仲直りできる。信じてるから」
「なんか、こはるが言ってくれるとそんな気がする」
その言葉は素直に嬉しかった。

梨沙子を抱き締めていたことに気がつき、妙に照れくさくなって体を離した。
すると、そっと梨沙子の手が小春の手に伸び、両手が繋がる。
向かい合ったまま、梨沙子が優しい表情でいるのを小春はじっと見つめていた。
あなたの全てを愛しいと思う。わがままさえ、かわいいと思う。
腹が立つほどにやさしいところも、なんだか切ないほど好きだった。

「…よしっ、明日からも頑張ろう」
「うんっ」
951 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:24
前よりずっと梨沙子を近くに感じる。
不思議なふわふわとした空気。
こんなにも誰かを守りたいと思えるなんて。

ひんやりとした外の空気。
繋がれた手は確かにそこにある。
むしろ、心の方が温かい。


前に進みたい。
だから、今この現状のままでなんていないで。
理由があると感じるならばそれを知ればいい。
雅の行動が何か理由を伴っているのなら、ちゃんと知ればいい。
悪いところがあったなら、謝ればいい。
雅はただ何となく嫌いで避けたりなんてしないから。


小春は考えた。
雅の様子がおかしいと感じたのは………

952 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:24


+++++


953 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:24
泣き顔が瞼に焼きついた。まだそこに梨沙子が立っているかのようだ。
けれど、確実に雅は一人だった。

サッカー部が声を出している。
雅は俯いて、自分の上履きを見ていた。


自分は何をやっているのだろう?答えをくれるものなどいない。
梨沙子を、小春をただ傷つけたかったわけじゃない。
何故こんなことになってしまったのだろう?
何故自分は、こんなにも子供なんだろう。

今更あんな浅はかな理由で梨沙子を傷つけたなんて。
…言えない。

今は、あいつらが梨沙子に飽きるまで我慢するしかない。 
変に騒ぎが大きくなれば今以上に危険かもしれない。
自分で焚きつけておいて、なんて自分勝手。

そう長くは続かない、だろうから。

だから。
954 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:24
自信がなかった。
もし梨沙子も小春も、今までどおりに接してくれるようになるとして。
…自分が、ちゃんと二人と向き合えるのか。
何もなかったみたいに、またあの時のように3人でバカやって楽しめるのか。
自分が心から楽しめるのか。
梨沙子と小春が心から楽しめるのか。
自信がなかった。

ちゃんと、言わなきゃ。
全て正直に話して、じゃないと友達には戻れない。

…たぶん、言えない。
プライドもあって。
そんなことで雅は梨沙子を傷つけたの?と聞かれて、何を言えばいい?
わからない。

理想も現実も痛いほど突き刺さって、雅を追い詰める。
955 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:25
「あれー雅!何してんのー?もう帰ったと思ってた」
突然に、今雅が行動を共にしているグループのリーダー格と二番手が現れた。
今の心理状態には非常に厳しい。冷や汗が背中を冷やした。
「…あ…そっちこそ、どうしたの?」
「んー?…ちょっと菅谷のことでさぁ、先輩に相談してたんだぁ、ねぇ」
「そうそう。菅谷の話したらさぁ、かなり怒ってたよ。最低な女だって、きゃははっ」

…。
最低な女。
それは、お前らで、あたしだ。
思っても、何も言わない。言えない自分。

「先輩何人かでさぁー、シメてくれるって。調子に乗っちゃったからねー」

けれど確実に何かが迫っている。
彼女の表情はいつにも増してどろどろとしている。


「…菅谷、マジでわからせてあげないとね。菅谷のためにもなるよ」

956 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:25


+++++


957 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:25
時は少し遡る。
梨華は、カフェで一人、人を待っていた。
時間帯は昼と呼べる時間の一時間前ほどで、人はそれほど多くない。
静か過ぎて、色々考え過ぎてしまう。
考えたくない事だらけで、だけど思考を止めるものは一つもない。
小さな置物も、ささやかな話し声も、コーヒーの湯気も何も梨華の心を動かさない。
ただ浮かぶのは、愛しい人。
切なくて唇を噛む。
958 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:25
「梨華先輩」
「…麻琴…」
梨華の名を呼んだのは、かつての部活の後輩。
にこにこと葉を見せて笑うその顔は会わなくなってからも変わりない。
髪の色が明るくなったくらいだろか?
変わらないで懐っこい笑顔を見せる姿につい頬が緩んだ。
「えへへ、梨華先輩相変わらず美人ですね」
「そんなの」
「相変わらず寒いキャラですか?」
「ちょっとぉ…そうだけど」
「あはは」

彼女は変わらない。
例え、歩けなくなっても。
屈託のない笑顔も何もかもを失わずにとどめていた。
どんなにかすごいことだろう。
もし自分が同じ立場になった時、こんな風に笑っていられるだろうか?
自らの不幸を呪い、運命を憎み、…何より親友だったはずの人物を怨むかもしれない。

昔、本当は心のどこかで常にへらへらと笑う彼女を馬鹿にしていたかもしれない。
何も考えていない、悩みのないお気楽な人間だと見下していたのかもしれない。
今は彼女を心から尊敬する。
醜く自己中心的な自分を感じるからこそ、より感情は深くなる。
959 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:25
「でー、ここのケーキにはまっちゃったんですよぉ。
 お勧めは今日出てる三つのベリーのタルトですね!やばいですよ!
 いっつも人気ですぐなくなっちゃうんですけど、今日はありました。ラッキーだぁ」
「そうなんだ…じゃあ、それ食べようかな」
「はいっ、じゃあわたしも!すみませーん」
てきぱきと注文し、麻琴は改めて梨華と向き合った。その表情には毒がない。
人間を憎悪したり、貶めたりする姿が全く想像できない。
だからこそ、心が落ち着いた。

「…本当に久しぶり」
「ですね。いきなり連絡してごめんなさい」
「ううん、いいの。今日は講義午後からだから」
「そうですか、よかったぁ」
「でも、…何かあったの?」
本当は想像ができていた。
多分ごく最近、麻琴は愛と再会して仲直りをしたから。
なんとなく麻琴にも今の状況がつかめているのではないだろうかと感じていた。

「…愛ちゃんが、こないだ家に来てくれて、久しぶりに会って話したんですよ。
 いっぱいごめんねって言って泣いて。本当にしょーもないままでしたよ愛ちゃんは。
 でも仲直りできてよかった。本当に嬉しいです」
そう言って嬉しそうに笑う麻琴。
梨華はただ、ほんの少し胸を痛めて頷いた。
960 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:26
「……その時吉澤先輩が一緒だったんですよ。びっくりしました、いつの間にか二人が仲良くなってて。
 だってあたしが学校にいたときなんか、いつも二人で噂してるような人だったのに」
「うん…そうだね、二人はなんか、急に仲良くなって…」
ふつふつと隠し切れない嫉妬に隠した握りこぶしをさらに強く締め上げて耐える。

「きっと二人は、両思いだと思うんですよ。吉澤先輩のあんなやさしい顔はじめて見ました。
 愛ちゃんのあんな色っぽい顔もはじめて見たんです。…でも…」
「…」
「梨華先輩の気持ち、多分愛ちゃん知ってるんですよね?」
「…」
梨華は唇が開く感じがしなかった。もう二度と開かないような感覚に陥った。
何か言わなければならないと思うほどにますます唇は固く閉じた。

「愛ちゃんは本当にどうしようもないくらいバカで。
 優しさと弱さ甘さの区別もつかないでいつも失敗するし、人間関係に不器用で空回ってて。
 だから今回も、自分が身を引けば吉澤先輩と梨華先輩が幸せになるとか単純に考えてると思うんですよね」
「…」
「でも、現実はそううまくはいかないじゃないですか。現に、うまくいってないし。
 大体愛ちゃんはきっと今頃すごく苦しんでるし。バカですよね、自分さえ我慢すればいいとか思って。
 そんなのでうまくいくほど単純じゃないのに、恋愛なんて」
961 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:26
麻琴の言いたいことが近づいてくる。
後ろへ下がって距離を置きたいのに、後ろは壁なのか一向に距離は離れない。
何度も下がろうとして、それでも近づいてくる。

「…ちゃんと、梨華先輩の口から言ってあげてください。自分の気持ちに正直になってって」

麻琴がじっと梨華を見つめている。
表情には多少の申し訳なさもあり、けれど愛への友情の念が大きかった。

なんで。
いつも。
わたしは。
962 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:26
「……なんでわたしがそんなこと言わなきゃなんないの」
「梨華先輩もわかってるはずです」
「愛ちゃんが、勝手に思って勝手に離れてるんでしょ。わたしにそれをどうこう言う義務はないよね?
 いくら愛ちゃんとよっすぃが両思いでも、ダメになるときはなるんだよ。
 そういう運命だってあるでしょ?両思いならみんな幸せに恋人になれるとか限らないし」
「梨華先輩は、それでいいんですか」
「いいよ。そのほうが、可能性があるもん。
 愛ちゃんを諦めれば、よっすぃだってもっと色んな出会いを求めるだろうし。
 その時に…わたしなんてどう?とか、言って……」
急に声が詰まる。
苦しい。
空しい。

例えひとみが愛を諦めたとして。
梨華を恋人にしてくれる可能性などあるのだろうか?
考えると消えてしまいたくなる。
近くにいれば見てもらえる日が来ると思っていたのに、いつしか待ちすぎて遠ざかってしまった。
いや、初めからどの場所にいたって惹かれあうものは惹かれあう。
梨華とひとみを引き合わせるものがなかっただけの話だった。

友達になれただけ、幸せなの?
話すことも出来ない人に比べたら、幸せなの?
近くにいたら夢も見られない。毎日現実が確率0%と叫ぶ。
それでも、幸せなの?
963 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:27
「わたしは、よっすぃ、が、好き…なんだもん。よっすぃが、誰かと付き合うなんて、やだよ。
 見たくない。っそんなの見たくない!」
叫んで、飛び出した。
これ以上正しいことを言われることに耐えられなかった。
麻琴は正しい。けれど優しさは平等なはずもなく、梨華にはとても厳しかった。

頭ではわかっていても、うまく消化しきれない。
どんなに愛とひとみとが惹かれあっていたとしても、手伝うことなど到底出来そうもない。
想像するだけで、逃げ出してしまうほどなのに。


むしゃくしゃした気持ちを抱えたまま、学校へと足を向ける。
この時ばかりは真面目な性格が呪わしい。気分のままにサボることすら許せなかった。
けれどすぐに来なければよかったと思った。
964 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:27
「梨華ちゃん?」
ひとみの声。
人気のない玄関に少し元気のないひとみが立っていた。
元気がない理由を知っているから、今はもう顔を見ても辛いだけ。
辛いだけだと思っても、それでも好きだと感じた。

何かあった?なんて。優しくて、酷い人。

「…よっすぃは、誰にでも優しいけどさ。それで辛い思いしてる人だっているんだよ」

落ち込んでるのはあなたのせいだと取れる言葉を残して逃げた。
いつだって誰かのせいにしてばかり。
じゃああなたはどうなの?聞かれたら、何と言えるのだろうか?
自分が行動をしてみないとわからない。
ひとみにちゃんと告白をしたこともない。いつだって側にいて、待っていただけ。
965 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:27

…一度動いてみれば、この気持ちは変わるのかな?

どうかはわからないけど。
変わらないといけないから。

「…よしっ」
梨華は泣き出しそうな心を吹き飛ばすように一人大きな声を出して走り出す。
うじうじしてもいいから、その分ちゃんと進みたい。
後先省みず突っ走って失敗して、でもそれがわたしだから。
わたしはわたしらしく、正々堂々とぶつかればいい。
966 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:28

「愛ちゃん、ちょっといい?」
「…はい」
相変わらず彼女は小さくて愛らしくて、かわいい。
どこか元気のない愛を大きな空間から連れ出して、梨華はすっきりとした顔でいた。

「まず、この間はごめんね。わたしの問題なのに、愛ちゃんにいっぱい当たっちゃった」
「いえ、…本当のことでしたから。甘えてることも、全部…」
少し視線を下げた愛に、梨華はそっと口角を上げる。
「麻琴と仲直り出来たんだよね?良かったね」
「はいっ、ほんまに…色んな人に迷惑かけて」
「じゃあもう遠慮しないで良いんだよね?」
「え?」
愛が顔を上げたときのために作っておいた完璧な笑顔。
どうやら上手く笑えていたようだ。愛の表情を見ると何となくわかった。

「わたし、愛ちゃんのライバルになるね。よっすぃとちゃんと向き合ってみる」
「……!」
967 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:28
「わたし、よっすぃのことが好き。愛ちゃんもそうなんでしょ?」
「あーしは、そんなんじゃないです…!」
「そ?ならそれでいいけど。後悔しないでね?わたしはちゃんと言ったから。
 わたしがよっすぃと両想いになれた後に、愛ちゃんが文句言う資格はないよ?」
「っ、文句、なんて」
にこり。
更に笑顔を深めると、愛の眉間に深く皺が刻まれた。

「自分の気持ちなんて、自分が一番よくわかってるんだから。
 自分に嘘なんてつけないよ。わたしがそうだったから…愛ちゃんも、きっとわかる」
じゃあね、と言い、呼び出した愛を置き去りにした。

愛は果たして動くだろうか?
どっちにせよ梨華のすることは変わらないが。
968 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:33


+++++


969 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:33

「よっすぃ!」
「…!梨華ちゃん…!」

後ろ姿でもすぐにわかった。

喉から出る愛しい人の名が、今は嬉しくて仕方がない。
気軽にあだ名を呼べる。振り返ってもらえる。自分を認識して、笑ってもらえる。
改めて幸せなことだと感じた。
自分から手に入れる努力もしないで、不満ばかりは言っていられない。
初めて『梨華ちゃん』と呼ばれた日に感じた喜びを忘れないで、進みたい。

あなたの特別になりたいと思った。
970 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:34
「あのね、よっすぃ。さっきはごめんね」
「ん?ううん、気にすんな」
ひとみの優しい笑顔。
押し付けないで笑える力。
引きずらないで許せる力。

…ああ。
好き。
あなたのそういうところがたまらなく好き。

だから、ちゃんと言おう。
971 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:34


「わたしね、よっすぃが好き」


972 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:34
「え?」
「よっすぃの恋人になりたい。わたしのこと、ちょっとでも、恋愛対象として見て欲しい」
「梨華ちゃん…」
「今すぐ付き合えるなんて思ってない。ちょっとずつでもいいから、考えて欲しいんだ。
 …よっすぃ、大好き!じゃあね、ちゃんと考えてよ!」
自分が今出来る最高の笑顔を向け、ひとみを抜かして走り去った。

もう戻れない。
だからこそ、突っ走る。
ひとみを想う気持ちは誰にも負けない。
自信を持って、ちゃんと伝えた。

未来はやってくるものでも予想して落ち込むものでもなくて、
たぶん自分の手で作り出すことが出来るものだと思った。
見えなかった未来を、今作り出そうとしている。
必ずその未来がやってくるとは限らなくても、やらないよりはずっと良かった。

自分で掴み取る。
自分の望んだ未来なのだから。
973 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:34


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974 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:34

「……」

「ありゃぁ、魂抜けてる?」
「美貴、聞いて…」
「いやこんなとこで言やぁみんな聞いてるし」
「まいも聞いてるよ?」
「これは波乱ですね」
「どうなることやら」

ひとみの目の前で他人事のようにニヤニヤしている二人。
ひとみは意図して不機嫌のような顔をして、二人を置いて歩き出した。

「ちょっとー、なかったことにでもするつもり?」
「そんなことしないよ!ちゃんと考えようって決めたし。でも…」
「ん?」
美貴が、ひとみを覗き込んで微笑む。
どこか母親に似た眼差しに、ついひとみの眉も下がる。
975 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:35
「…やっぱり、いざ真っ向から気持ち伝えられるとこんなに戸惑うんだね。
 今まで、何人かには告白されてきたけど…誰より、あたしと恋人になりたいっていう気持ちを感じた。
 いざその気持ちをぶつけられると、もしかしたらそういう未来もあるかもしれないとか、思っちゃった」

心の弱い自分を情けなく思って、細いため息をついた。
驚いた。
今までありえないと思っていた未来が、自分の限りないほどに枝分かれした未来としてひとつ増えたのだった。

…梨華と恋人になったら。梨華は沢山愛してくれる。
自分も梨華を大切でいる。梨華を嫌いになることは、おそらくない。
心から恋愛感情で梨華を好きになれたらどんなに穏やかだろう?
果たして、梨華が自分を思ってくれるほどに自分が梨華を思う日は来るのだろうか?
わからないけれど。
976 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:35
「逃げないよね?よっちゃん」
美貴が奥に鋭さを秘めた瞳で問いかけてくる。

「…うんっ」
ひとみはひとつの間の後、しっかりと頷いた。
逃げない。
わからないなら、わかるまで探しに行こう。
答えは自分で見つけよう。

「よし、えらいえらい」
「わ、ちょっと!」
まいに頭を乱暴に撫でられて、なぜかくすぐったい気持ちになる。
大切な友人に囲まれて、自分が幸せな存在だと思った。
ただ、甘えてもいられない。誰かが優しくしてくれる分だけ、自分は自分に厳しくいたい。
ひとみはしっかりとした足取りで歩いていく。
977 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:35


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978 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:35
「今日さぁー、梨華ちゃんに告白されたよ」
「リカちゃん?」
「あーっと、石川梨華。うんと…ほら、うちにあった写真立てくれた」
「ん…あ、あーあー!」
小春はすぐに思い出した。あの異質な写真立てならばまだ記憶に新しい方だ。
写真に映っていた人物の顔ははっきりとは思い出せないが、愛らしい美人だった記憶がある。

告白。
…。
え。
小春はがばっと顔を上げる。あまりの勢いにひとみは思わず軽く仰け反った。

「えっ、もしかして先生が気になってた人ってその人なんですか?」
「……え?」
そういえば、小春には戸惑いを素直に話した。
この感情が恋かどうかもわからない、という話。
あの時に考えていた人物。
979 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:35

「…ああ、違うよ」

はっきりと違うと言えた。
小春はきょとんとして、それから意味深に笑う。
「先生は罪な人ですねぇー。こんな美少女までも虜にしちゃってるくせにぃ」
と、自分の頬に手を添えて目をぱちぱちと瞬かせた。
「はいはいいいから手を動かせ」
「先生から話しだしたくせに!」
「やめたやめた。茶化すなら話さないよ」
「茶化しませんよ。なんて答えたんですか?」
小春は笑ってはいるものの目つきは真面目だ。
ひとみは小春をちらりと見た後に、ふう、と息をついてベッドにゆっくりと腰掛けた。

「ちょっとずつでいいから考えてって言われたから、返事はしてない。
 もともと仲良い人だったからこれから考えるんだ」
「…そうですか。大変ですね、先生も」
「いやいや。…本当はちょっと気がついてたんだ、その子の気持ち。
 逃げてたから罰が当たったんだよ。…気になってた子には、なんか避けられちゃうし」
「なんかしたんですか先生」
「…してねー…と、思う…たぶん」
ひとみのどんどん小さくなっていく自信が無さそうな声に、小春はころころと笑う。
980 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:36
「あはは、自信ないんですか」
「ないね。こんなの初めてだよ。いつもは避けられたなら、そっかーってあたしも離れるんだけど…
 なんか今回はそうしたくない、っていうか…」

ひとみは思い出すだけできゅっと胸が痛くなった。
愛と目が合った瞬間、そっと逸らされた時の自分の心。
初めての痛みだった。

ああ。
少しで良いから、声が聞きたい。
なんて、そんな事。
981 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:36
「したくないなら、しなくていいんですよ!」

小春が唐突に声を張って身を乗り出した。
ひとみは困ったように笑って何度か頷いてみせる。

「ありがと。でも、小春はちゃんとその宿題を終わらせてください」
「むう。言われなくてもやりますっ!やるぞー!」
「よし、その意気だ」

小春の弾けるような声に、思わず笑顔になる。
小春の全てに元気をもらえた。愛おしくてたまらない。
だから、明日も頑張れる。
ありがとうと言う代わりに、自分に任せられたこの役目をしっかりと果たそう。
小春がこの先どの道を選ぼうと、学力が不足して選べないことのないように。
982 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/03/22(土) 23:36


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983 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/22(土) 23:38
更新終了です。切りの良いところが見つからず長くなってしまいました。

>>940さん
ありがとうございます。
ここのその人は通常より若干かわいめだと思いますw
984 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/22(土) 23:45
>>958
葉を→歯を
変換ミスを見つけたので訂正いたします。
985 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/25(火) 01:59
ファンになりました
とてもおもしろい
986 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/03(木) 22:05
いつも更新楽しみにしております。
すれ違いって辛いですよね。
自分の気持ちに正直に素直に生きれたらいいのに。
987 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/19(土) 02:26
待っています
988 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/27(日) 22:22
作者です。
諸事情により間が空いてしまいすみません。
近々更新の予定ですので宜しくお願いします。
新スレについても考えなければいけませんね…おそらく引っ越すことになると思います。

>>985さん
ありがとうございます!
面白かった、と言って頂けるよう努力して参りますので宜しくお願いします。

>>986さん
いつも楽しみにしていただけて嬉しいです、ありがとうございます。
人と人とが通じ合うのはタイミングが重要だなあと思います。
互いが好意を持っていてもすれ違って離れてしまったりもよくあります。
もう少し言えばよかった、という経験は作者にもあります。
素直って、実は難しいですよね。

>>987さん
お待たせしてしまいすみません。
そして待っていただきありがとうございます。
近くに更新予定です。
989 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/04/29(火) 19:28
朝のホームルームで進路調査書が配られた。
その灰色でざらざらとした質感が機械的で、小春は好きではなかった。
希望の学校。
具体的な進路。
まだ何も決まっていない。
焦ることはないとひとみも美貴も母も父もさゆみも言う。
けれど、やはりどこかであまりに白すぎる未来に漠然とした不安を感じずにはいられなかった。
安心したい。
何かが見える日が、いつ来るのだろう。

ホームルームが終わり、一時間目との少しの間。
小春は梨沙子の元へ歩み寄り、プリントを持ちながら梨沙子の前の席に腰掛けた。
いつものように梨沙子は小春を柔らかい笑みで迎える。
ほんの少しの、穏やかな時間。
990 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/04/29(火) 19:28
「梨沙子はどこの高校行くか決めてる?」
「うーん、ちょっとだけど、いいなって思ってる所はある」
「本当?どこ?」
「あのね、南高校なんだけど…」
「南?まあ、学力も普通だし制服もそこそこかわいいけど…」
南高校。制服を想像して、それから自分の顔を当てはめてみる。悪くはないと思った。
梨沙子が行きたいならそこにしてもいいかな、などと都合よく考える。

「ううん、そういうんじゃなくって」
梨沙子はほんのり照れを忍ばせた表情で唇をすぼめていた。
「ん?」
梨沙子の様子に何かを感じ取り、少しだけ姿勢を正して小春は聞き直した。

「…あそこの美術部に入りたいんだ」
「美術部…?」
「うん。ここって美術部なくて、こはる知らなかったと思うけど…あたし絵描くの好きなんだ」
「…!」
991 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/04/29(火) 19:29
小春の驚いた様子に梨沙子は一層照れて、早口でまくし立てるように続ける。
「ちっちゃい時から結構好きで。南高校ね、この間コンクールで賞を取った先輩がいるの!
 あたしあの絵みてすごく感動したんだ!だから、あの人と一緒に絵を描いてみたいなって思ったの」

「そう、なんだ…」

急に、梨沙子が遠くに行った気がした。
頬を染めて幸せそうに夢を語る梨沙子は、将来が具体的に見えている梨沙子は、自分よりもずっと大人だ。
ただなんとなく学校に通っているだけの小春とは違う。
ちゃんと梨沙子はなりたいものがあって、そのために生きていた。
知らなかった。
梨沙子が絵を描くことをそんなに好きだったなんて。
992 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/04/29(火) 19:29
梨沙子が何気なくノートの隅に描いていた絵は確かに普通の人よりは上手かったけれど、
小春に絵を見てその先までを見る才能はなかった。
ただ、梨沙子は絵が普通より少し上手なだけだと思っていた。
小春だって落書きくらいはするから、梨沙子も絵に対しての気持ちは小春と同じくらいだと思っていた。
違った。
梨沙子は進路に影響するほどに絵を好きだったのだ。

それが敬遠となるかと思ったら、違う。
自分の中でますます梨沙子が立体的になって、輝きだした。
梨沙子は本当に尊敬できる人だと思う。
小春にない物を持っている、眩しい人。
993 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/04/29(火) 19:29
「…ねえ」
「ん?」
「今も絵とか描いてるの?」
「うん。絵画教室とか通ってるよ」
「梨沙子の絵、見てみたいな」
「…ほんと?じゃあ今度見に来て!生徒の描いた絵は教室に飾ってあるんだけど、
大体いつでも見せてくれるから。…なんか恥ずかしいなぁ…」
ほんのり白い頬をピンクに染めて照れ笑う梨沙子がかわいくて、思わず小春も笑顔になった。

彼女の見る世界って、どんなものなんだろう?
そんな単純な興味が沸く。
いつかひとみと美貴の将来のビジョンを聞いた時、圧倒され、焦りすら覚えた。
もっと自分と立場が近い存在の夢に触れた時、自分はどう思うだろう?
そんな単純な興味が沸く。
994 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/04/29(火) 19:29
「じゃあ、見に行くね。絶対だよ」
「うんっ」
微笑み交わす約束は、口約束だけでは終わらせたくなかった。
今日の放課後にでも誘って了解が出れば、見に行きたい。

心がわくわくする。いてもたってもいられない。
誰かの夢に触れる瞬間を感じたい。
995 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/04/29(火) 19:30


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996 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/04/29(火) 19:36
「おはようよっすぃ」
「あ、おはよ」

梨華が素敵な笑顔で笑うから、ひとみは素敵な笑顔を返そうと思った。
二人は自然に寄り添って歩いていく。
心なしか周囲の視線が気になった。
それは梨華が大勢の前で言い放った言葉が理由だから仕方がなくて、
梨華を応援する人に重圧めいたものをかけられたこともあったりしたが、
ひとみの心を変える要因たるものにはなりえなかった。

誰が何と言おうと、目の前の梨華の言葉や動き全て。
ちゃんと見て、考えるだけ。
997 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/04/29(火) 19:36
「あのね、意外とちゃんと話したことなかったような気がしたんだけど」
なんて、梨華はいつにも増して饒舌で、川のように流れることが当たり前のような話をしている。
好きなこと、好きなもの、楽しい景色、怖い思い出、日々によって様々でカラフル。
梨華という存在を作ってきた沢山の感情や思い出が煌めいていて、眩しかった。
彼女がどんな風に愛されて育ってきたのか、よくわかる。
後ろ向きな性格さえも、梨華は楽しめるような強さを持っている。
だからこんなにも綺麗なんだろう。

梨華の綺麗さには、随分前から惹かれていた気がする。
美貴の友達がまいで、まいの友達が梨華で、いつか四人で遊んだりして、
いつの間にか石川さんを梨華ちゃんと呼ぶようになった。
何気なく友達でいたけれど、多分惹かれる何かがなければ続かなかった。

梨華は魅力的だ。
美しくて強い、尊敬すべき女性だ。
998 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/04/29(火) 19:37
「ねえ、今日バイトないよね?良かったら一緒にご飯食べない?」
梨華が歩きながらひとみをちら、と見て尋ねた。
身長差で、長い睫毛に縁取られた梨華の愛らしい目が上目遣いになる。
いつもそれが何だかくすぐったくて、でもかわいいと思っていた。
「うん、いいよ」
誘いを断る理由はない。

「やったぁ!あのね、行きたいお店があるんだ!」
梨華があんまり嬉しそうだから、なんだかひとみまで楽しみになってくる。
梨華が笑うから、ひとみも笑った。
999 名前:4 ただ大切な女の子 投稿日:2008/04/29(火) 19:37
賑わう街に出て、夕食まで時間を潰す。
よく考えたら、梨華とひとみが二人きりで出かけたことはなかったかもしれない。
けれど違和感はなく、穏やかにスムーズに時は流れていく。
かわいい雑貨を見ていて、そのかわいさに喜ぶ梨華を見ていれば心が和んだし、
ひとみ自身もかわいいものを見て心を潤された。

夕食にはいつもより少し高いイタリアンの店。
共に好きなものを食べて、軽く酔って、尽きない話をする。
十分に意味のある時間だと思ったし、楽しかった。
それでも、完全に梨華のことだけを考える時間とはならなかった。
心のどこかで迷いや戸惑いがあり、申し訳なくて。
梨華にも、伝わっているには違いないのに。
梨華は一度も不満を漏らさずに、幸せそうに食べていた。

ご飯が美味しいだけ、寂しくもなりそうだけれど。
1000 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/29(火) 19:47
新スレにお引越しします。
エターナルクス2
ttp://m-seek.net/test/read.cgi/dream/1209466039/

引き続き楽しんで頂けるよう頑張って行きますのでよろしくお願いします。
1001 名前:Max 投稿日:Over Max Thread
このスレッドは最大記事数を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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