Happiness,On your hands.
- 1 名前:名はあるが、今は名乗りたくない作者 投稿日:2004/02/07(土) 23:32
- CP満載の、あまり重くならないようなアンリアルの話を書きたいと思います。
とはいえ、三大王道はありません(きっぱり)。ほとんどがマイナーCPになると思います。
カプにならなくても、ハロプロメンバーは全員出したいなー、と思ってます。
思ってるだけで、出ないメンバーも、たぶん、いや、絶対います。<ぉぃ
すこし長くなる予定ですが、更新頻度は不定期になると思われます。
ひょっとしたら、キリがいいから、って途中で投げ出す可能性も、なくはないです。
でも、頑張って完結を目指します。
では、見切り発車で、れっつらごー!(殴)
- 2 名前:Chapter ― 0 投稿日:2004/02/07(土) 23:34
-
◇◇◇
- 3 名前:Chapter ― 0 投稿日:2004/02/07(土) 23:35
- けたたましく鳴り響く目覚まし時計を止めてベッドから起き上がる。
まだ開けきらない瞼をこすりながら、
窓を覆っていたカーテンを開けて太陽の光を浴びる。
いつもと変わりない朝。
ベッドの上で軽くカラダを伸ばしてから部屋を出て階下に下りると、
住人からは食堂、と称されているリビングでは既に何人かが食事中だった。
「おはよー、美貴ちゃん」
「おはよーございます」
キッチンから現れた、この家の本来の宿主、安倍なつみに笑顔で言われて笑って応え、美貴も食卓につく。
- 4 名前:Chapter ― 0 投稿日:2004/02/07(土) 23:35
- こじんまりとした、女ばかりの下宿屋。
と言っても、宿主であるなつみの自室以外にも部屋数は全部で8部屋もあって、
3階建ての外観はかなり豪勢な造りの建物だ。
しかし、そこで暮らしている学生は美貴のほかにはふたりだけ。
あとは、中堅の印刷会社に勤めている中澤裕子と、
なつみの高校時代の同級生、飯田圭織が暮らしているだけだ。
圭織の場合、この家の近くにアトリエを構えていて、
仕事中などはほぼそちらに入り浸っているので、『住人』と呼ぶには共有時間は少ないけれど。
- 5 名前:Chapter ― 0 投稿日:2004/02/07(土) 23:35
- 「おはよー」
「おはよ」
既に食卓について米粒を頬張っていた、美貴の部屋の隣人、後藤真希に笑顔で言われて美貴も笑顔で返す。
美貴よりひとつ年下なのに妙にクールで動じない雰囲気を持つ真希は、食事のときはひどく幼い顔になる。
「ごっちんがあたしより早起きなんて珍しいね? 土曜日なんだから、学校は休みでしょ?」
「んあー、今日はデートなんだよーん」
にぱ、という擬音がぴったりあてはまりそうな綻んだ笑顔に美貴の口元も和らぐ。
「へえ?」
「今日はやぐっつぁん、お仕事休みなの。だから会いに行くの」
「良かったじゃん、すごい久しぶりじゃないの?」
「うん、27日ぶり」
本当に幸せそうに微笑むので、なつみが用意してくれた朝食に手をつける前に、美貴は真希の頭を撫でてやった。
- 6 名前:Chapter ― 0 投稿日:2004/02/07(土) 23:36
- 「ほらほら、美貴ちゃんも早く食べないと! 今日からバイトって言ってなかった?」
「うわ、そーだった」
なつみに促されて箸を持った美貴が両手を合わせると、
美貴の前に座って新聞を広げていた裕子がひょい、と顔を覗かせた。
「そういや、カテキョなんやって?」
「はい」
ごはんを一口頬張ってから裕子に目を向ける。
「幾つのコ?」
「あー、えと、今、高2って」
「うわー、難しい年頃やなあ」
「そーですねえ。この前、ちらっとしか顔は見なかったんですけど。でも、賢そうに見えたんだけどなあ」
「…ま、外見で判断は出来んわな」
- 7 名前:Chapter ― 0 投稿日:2004/02/07(土) 23:36
- 裕子の視線がちらりとなつみに向けられる。
それに気付いたのか、なつみの頬がぷう、と膨らんだ。
「…なんか、今の引っ掛かる」
「気のせい気のせい。…ほな、あたしはそろそろ行くわ」
くすくす笑って、裕子がゆっくり立ち上がる。
新聞のせいで見えなかったけれど、裕子はキッチリとスーツを着込んでいた。
「…お仕事ですか?」
「うん。ちょっと、印刷ミスとかの手違いがあったみたいなんや。あたしが行かんとアカンみたい」
眉間に小さく皺をつくって、やれやれ、と肩を竦めながら裕子は出て行った。
- 8 名前:Chapter ― 0 投稿日:2004/02/07(土) 23:36
- それとほぼ入れ替わりに、この家で暮らす、美貴と真希以外のもうひとりの学生、柴田あゆみがやってきた。
「…おはよぉ」
まだ眠そうに瞼をこすっている姿はひどく可愛らしい。
美貴よりひとつ年上の彼女は、美貴と同じ大学に通う先輩でもあり、
学校内外、更に男女問わず、かなりの人気を博している。
当の本人は我関せずなマイペース人間で、恋愛ごとにはさっぱり興味がないらしい。
彼女にアタックして玉砕した人間は、
美貴が大学に入学してからまだ2ヶ月も経ってないのに、美貴が知るだけでも既に片手を越えている。
「おはよー、柴ちゃん。ゴハン出来てるから、冷めないうちに食べちゃってねぇ」
「ふぁーい」
欠伸混じりに応えてあゆみも食卓につく。
- 9 名前:Chapter ― 0 投稿日:2004/02/07(土) 23:37
- この下宿で暮らすにあたって、それなりに、ルールというか、決まりごとのようなものがある。
それは、朝食だけは、出来るだけ住人全員が一緒に摂ること。
生活スタイルはバラバラなのだから昼食や夕食までは規制出来ないけれど、
せめて朝だけは全員の顔を見よう、というのが、暗黙の了解になっていた。
だから、どんなに帰りが遅くなっても、朝食はいらなくても、朝がくれば住人全員が食堂に姿を現す。
美貴も最近になってあゆみから聞いたことなのだが、それを決めたのは裕子だという。
それほど親しくない人間の内面に立ち入ることを得意としないなつみが、
他人と暮らす、という状況に気を遣わなくてもいいように、ということらしい。
裕子は、なつみの従姉妹でもあるのだ。
- 10 名前:Chapter ― 0 投稿日:2004/02/07(土) 23:37
- なつみの両親は、なつみがこの先、多少働くだけで遊んで暮らしていけるほどの財産を残して亡くなった。
なつみを授かった頃は既に母親は出産適齢期を越えていて、親子というより祖父母ほどの年齢差もあり、
おそらく、なつみひとりを遺して逝くことを案じていたからだろう。
しかし、高校生の頃に母親が亡くなり、それを追うように父親が他界、
そして当然のように多額な遺産を相続することになって、なつみはひどく困っていた。
そんななつみに下宿経営の提案をしたのも裕子だった。
他の親族は当然反対したそうだけれど、なつみの両親の遺言は全財産をなつみに譲る、とあり、
顧問弁護士も優秀で、この家と、なつみ自身は、大きな心配もなく守られている。
下宿経営は美貴が来た今年の春で4年目になるけれど、
そんな雰囲気を感じさせないアットホームな雰囲気は、美貴にはとても居心地がよかった。
- 11 名前:Chapter ― 0 投稿日:2004/02/07(土) 23:37
- 「いただきまぁす」
ぱしん、と両手を合わせてあゆみが食事を始めたとき、
「なっちぃ、おかわりー」
あゆみの前に座っていた真希がなつみに茶碗を差し出す。
それを見計らったように玄関の開く音がして、この家の住人の残るひとり、圭織が帰ってきた。
「ごめん、なっち! 遅くなったっ」
「んーん、だいじょーぶ、まだお味噌汁あったかいよ?」
「ホント? よかったぁ。なっちのゴハン食べないと、描く気力失せるんだよねぇ」
「そう言ってもらえると作り甲斐もあるよ」
笑顔のなつみを背後から愛しそうに眺めてから、圭織も食卓につく。
この家でのありふれた日常光景が、美貴には、とても、とても、幸せだった。
- 12 名前:Chapter ― 0 投稿日:2004/02/07(土) 23:38
-
◇◇◇
- 13 名前:名はあるが、今は名乗りたくない作者 投稿日:2004/02/07(土) 23:38
-
こんな感じで、Chapterごとにメインになるカプのお話を書いていくことになると思います。
ので、決して藤本さんメイン、というワケではありません。
最初は藤本さんメインですが。
あと、CPリクは受け付けません。
当方でもう決めてますんで、リクされても無駄です。(偉そう)
ではまた。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/08(日) 00:46
- >名はあるが、今は名乗りたくない作者
って、自意識過剰?_
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/08(日) 09:05
- どの作者さんかわかった気がする。
ほら、文章とかでさ・・・
- 16 名前:名無し読者 投稿日:2004/02/08(日) 16:39
- 面白そうですね。
文も読みやすくて続き楽しみです、頑張ってください。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/08(日) 18:52
- なんかほんわかしててイイ!なっちがかわいいですね!期待してます
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/10(火) 16:24
- >>15
英字が全角なのとかね。
れっつらごーとか。(w
- 19 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/10(火) 23:16
- ◇
可愛いなって、思ってた。
ホントだよ?
初めて見たときから、そう思ってた。
◇
- 20 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/10(火) 23:16
-
◇◇◇
- 21 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/10(火) 23:16
- 「よろしくお願いします」
両親との簡単な挨拶を済ませたあと、部屋に戻って机に向かい、ぺこり、と丁寧にお辞儀をしてみせた少女。
美貴にとって初めての教え子の名前は松浦亜弥、といった。
「うん、これから、よろしくね、亜弥ちゃん」
名前を呼ばれたことに少し驚いたのか、亜弥はおおきく目を見開いて美貴を見上げた。
「あっ、ごめん、なんか、馴れ馴れしかったかな」
「いえっ、全然いいですっ、大丈夫ですっ」
慌てたように両手を胸の前で振って見せた亜弥に、美貴も少し緊張を解く。
- 22 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/10(火) 23:17
- 「そう?」
「はいっ」
にっこり微笑んだ亜弥は、同性の目から見てもとても可愛かった。
あゆみとはまた違った雰囲気の、まだまだあどけなさの残る美少女だ。
モテるだろうな、なんてぼんやり考えながらも、美貴は自身の仕事に取り掛かる。
持ってきたバッグの中から美貴自身が吟味して選んだ参考書を取り出して亜弥の向かう机の上に出すと、
また驚いたように、亜弥は美貴を見た。
「これ、この本、あたしも使ってたの。すごい判りやすく説明してくれてるし、これで一緒に勉強していこうね」
「……先生が、選んでくれたんですか?」
- 23 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/10(火) 23:17
- 意外だったのだろうか、椅子に座っている亜弥が、
まだ立っている美貴を見上げる所作にはそんな雰囲気が漂っている。
「あたし、亜弥ちゃんが初めての生徒なんだ。だから、いろいろ、まだ未熟だけどさ、一緒に頑張ろ?」
頼りないかも知れないけど、と付け加えると、
亜弥はとんでもない、と言いたげに首をぶんぶん振って、それからふわりと微笑んだ。
「はいっ」
好感のもてる返事には、美貴も笑顔で頷き返した。
- 24 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/10(火) 23:17
-
◇◇◇
- 25 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/10(火) 23:18
- 「で? 何に困ってるの?」
大学での講義を終えるなり机に突っ伏した美貴の隣で、クラスメートの石川梨華が少し呆れ気味の声で問う。
「…困ってるっていうかさあ……」
はあ、と長い息を吐き出して、美貴がゆっくり上体を起こして頬杖をつく。
隣にいる梨華は、既に帰り支度を始めていた。
「あたしじゃ、ダメな気がする…」
「その亜弥ちゃん、どーしよーもないくらいの不出来、とかいうの?」
「違う、その逆。めっちゃデキんの。カテキョなんていらないよ」
- 26 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/10(火) 23:18
- 亜弥の記憶力の良さや吸収力の速さは驚くほどで、
家庭教師、というバイト自体に不慣れな美貴でも、それが珍しいケースであるのは判った。
はふ、と溜め息を吐き出して再び机に額をぶつけ、美貴は静かに瞼を伏せた。
閉じた瞼の裏に残る亜弥のはにかんだ笑顔に、胸のあたりがなんだか少し痛くなる。
「………なんでカテキョが必要なんだろ」
「本人に聞いたら?」
さらり、と言われてますます困惑する。
それが一番手っ取り早いのは承知しているが、聞くことにためらいがある。
もし聞いて、必要ない、と判断されたら美貴はお払い箱だ。
つまり、貴重な収入源がひとつ減る、という意味でもある。
- 27 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/10(火) 23:18
- 実家からの仕送りも勿論あるが、それは毎月決められた額だけで、必要以上に頼ることは出来ない。
もしもの場合に備えての生活費はあればあるだけ潤うし、
大学生の美貴にとって、学業に対する支出は結構頻繁にある。
「もし断られても次があるじゃん。カテキョって、結構重宝されてるよ?」
梨華の台詞に曖昧に返事して、美貴も帰り支度を始める。
今日は、週に2回の、家庭教師の日でもあるのだ。
「そーゆー梨華ちゃんとこの生徒さんはどうなのさ?」
「ウチ? んー…、あいぼんは結構、教え甲斐があるかな」
ふふ、と、少し意味ありげに笑った梨華に美貴も首を傾げたけれど、
このあとに待っている亜弥との対面になんとなく気が重くなって、美貴はそれ以上の思考を遮断した。
- 28 名前:さくしゃ 投稿日:2004/02/10(火) 23:19
-
少ないですが、更新です。
まだ少しストックがあるので、
時間のあるときにコツコツ更新していければいいな、と思います。
- 29 名前:さくしゃ 投稿日:2004/02/10(火) 23:20
- レス、ありがとうございます。
>>14
読み返すと、確かに自意識過剰ですね。
自覚もあるんですけど、不愉快にさせてしまったのでしたら、申し訳ありません。
>>15
あら、もうバレてしまったんでしょうか。
>>16
読みやすい、と言ってもらえるのは、とても嬉しいです、ありがとうございます。
>>17
ほんわか…してますかね?
そういうのを目指したいんで、そう感じていただけたら、嬉しいです。
>>18
全角英字…、無自覚でした、不覚。
- 30 名前:さくしゃ 投稿日:2004/02/10(火) 23:20
- どうやらもう自分が誰だかバレた感じもありますので、
このまま最後まで名乗らずにいきたいと思います。<ナンデヤネン
ではまた。
- 31 名前:名無し飼育 投稿日:2004/02/11(水) 21:38
- 続きが楽しみです。
マータリ自分のペースで頑張ってください。
- 32 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/02/15(日) 09:13
- 更新待ってます。
- 33 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/15(日) 23:06
- ◇
「…え?」
大きな瞳を更に大きく見開いて、亜弥が静かに美貴を見上げた。
そのまっすぐすぎる視線に、美貴は戸惑いながら少し顎を引く。
「えーと、だから…、亜弥ちゃん、すごい勉強デキるし、カテキョとか、必要ないんじゃないかな、って。
あたしじゃないほうがいいような気がしてさ」
「そんなことは…っ」
椅子の背に腕を乗せて身を乗り出すように美貴に迫ってくる亜弥に、
その隣に座っていた美貴は、自分の言葉が彼女に少なからず衝撃を与えてしまったと気付く。
慕われている、という雰囲気が読み取れて、それはとても美貴をいい気分にさせたけれど、
亜弥の将来を思うなら、自身の居心地の良さは捨てなければならない。
- 34 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/15(日) 23:06
- 「ごめんね、驚かせちゃったね」
口をへの字に曲げて、それでも美貴を見つめてくる亜弥の頭をそっと撫でてやる。
「でもさ、今の亜弥ちゃんなら、あたしなんかよりずっとずっと、アタマのいいカテキョのほうがいいような気がするんだ」
収入が減るのは、正直ツライ。
けれど、亜弥の成績があまり伸びないなら、遅かれ早かれ、美貴はお払い箱になってしまう。
そのとき、亜弥が責められてしまうような気がして、同時に亜弥が自分自身を責めるような気がして、
そうなったとき、なんだかそれをとても不愉快に感じそうな自分がいて、美貴は、思っていたことを話す決意をしたのだ。
- 35 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/15(日) 23:06
- 「少しでもいい大学、行きたいでしょ?」
俯いてしまった亜弥の頭に向かって優しい声音で問いかけても、亜弥は何も言わなかった。
「……亜弥ちゃん?」
頭を上げない亜弥が泣いてるようで、心配になって声をかけると、
椅子の背凭れに乗せられていた腕がおりて、そっと、美貴の服の袖を掴まれた。
「……もし…」
「うん…?」
「もし、先生が、あたしの先生じゃなくなったら…、今度は、誰かの先生に、なる…の?」
「……そりゃ、まあ…、バイト、だからね」
袖を掴むチカラが強くなった気がした。
- 36 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/15(日) 23:07
- 「……そ、そんなの、イヤ」
「え…?」
「イヤ…、イヤです…。せ…、先生は、あたしだけの先生で、いて。…ほ、他のコに先生って、呼ばせちゃ、イヤだよ…」
袖を掴んでいた手が美貴の手を掴む。
伝わってくる体温が、ひどく美貴の胸を鳴らした。
「…亜弥、ちゃん?」
「……頑張る、から。今よりもっともっと頑張るから、だから、辞めないで」
俯いていても、小刻みに震えて伝わってくる亜弥の体温が、彼女の涙と想いを美貴に染み込ませてくる。
「……辞めないで…っ」
- 37 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/15(日) 23:07
- 掴まれていないほうの手を、そっと亜弥の頭へと伸ばす。
柔らかな髪をその指に絡め取って、ゆっくりと撫でる。
美貴の指の動きを感じたのか、弾かれたように頭を上げた亜弥の瞳は、思っていたとおりに潤んでいた。
「……じゃあ、一緒に頑張ろっか?」
「せん……?」
「あたしも、亜弥ちゃんと一緒に頑張るよ。少しでも成績上がるように、いっぱい勉強する。……それで、いい?」
涙で潤んでいた瞳がまた見開かれ、ゆっくりと伏せられて、その目尻から雫が零れ落ちる。
「あたしでよかった、って言われるように頑張るからさ、一緒に頑張ろ?」
声に出せずに何度も何度も頭を振って頷く亜弥の頭を、美貴はまた撫でてやる。
勢いに任せるように美貴にしがみ付いてきた亜弥を抱きとめ、その背中を撫でながら、
自分を慕ってくれる亜弥を美貴自身が愛しいと感じたのは、そのときが初めてだった。
- 38 名前:さくしゃ 投稿日:2004/02/15(日) 23:09
-
少しだけですが、更新しました。
今後も、キリのいいところ(自分にとっての、ですが)で区切っていきますので、
毎回の更新量はあまり多くならないと思います、ご了承ください。
レス、ありがとうございます。
>>31
マターリ、頑張りますです。
>>32
更新しました。
昨日、『香水』のPVを見ていたとき、
柴田さんの前歯が前の曲に比べて伸びてる!?と、一緒に見ていた人に言われ、
んなワケあるか!とか、そのときは思ったんですが、
今、横で流し見していても、そこにしか目がいかなくなってしまいました。
口元緩ませながら見てます、柴田さん、こんな変なヲタでごめんなさい。
ではまた。
- 39 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/16(月) 10:24
- 松浦さんがかわいいです。
これからも頑張ってください。
- 40 名前:桃 投稿日:2004/02/16(月) 22:03
- うわっ!あやみき?で、最高です!!!あやや可愛いすぎます。
他のCPはどうなのか楽しみです。(特にごっちんと柴ちゃんの相手は?、とか)
頑張ってください。
- 41 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/20(金) 23:17
-
◇◇◇
- 42 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/20(金) 23:17
- 「……ふむ」
パソコンデスクの椅子に座って軽く腕組みをしたあゆみが、
あゆみの部屋のベッドに座って小さくなっている美貴を見ながら声を漏らす。
「…で、美貴ちゃんは、どうしたいワケ?」
「どう、って聞かれると…、なんていうか、その」
忙しなく指を動かしながら、視線も落ち着かないままチラチラと行方を泳がせて口ごもる美貴に、
あゆみは腕組みしながら溜め息をついた。
「その、なんだっけ、亜弥ちゃん? そのコのことをさ、どう思ってるの?」
「どうって…、可愛いなあって……」
「それだけ?」
あゆみの聞きたいことが判って、相談相手を間違えたのではないか、と美貴は少しだけ後悔していた。
- 43 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/20(金) 23:18
- 亜弥とは、その後も何の問題もなく、家庭教師とその生徒という関係が続いている。
あの日、泣いてしまったことは亜弥も少し恥ずかしかったのか、その直後はお互いに気恥ずかしかったけれど、
だからといって成績が落ちたりしている様子もなく、亜弥の両親も親切で、穏やかな状態だ。
ただ、美貴のほうが少しずつ、目には見えないところで、変化しはじめていた。
- 44 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/20(金) 23:18
- 亜弥のことを可愛いと思う。
それは最初、自分を慕ってくれている人間に対する居心地の好さからくる優越感のようなものだと解釈していた。
頭を撫でてやりたいとか、優しくしてあげたいとか、
そういうものは、友愛を越えた肉親に向けるような親愛であって、それ以外に深い意味などないと思っていた。
けれど、問題の質問をしようと美貴に触れてきた亜弥に心音が跳ねたときは、
さすがにそれだけではないと認めるほかなく、
自覚してしまえば、あとは自身の中で燻る感情の何もかもに説明がつき、辻褄が合った。
同性間の恋愛に嫌悪はなかったとしても、美貴自身がそんな感情を持ったのは初めてで、
気持ちのやり場に困惑し尽くし、吐き出す場所を求めていた。
- 45 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/20(金) 23:18
- はじめは、同性の恋人を持つ真希に話そうかと考えた。
けれど、さすがにそこは年上としての意地があって、なんとなく憚られた。
その次に梨華に話そうかと思い、固有名詞は出さずとも、ほんの少しだけ、探りをいれてみた。
なのに梨華の答えはむしろあっけらかんとしていて、
否定をしないでいてくれたのは嬉しかったけれど、それは美貴の納得のいく答えではなかった。
そして結局、恋愛に関してはほとんど興味を向けてないあゆみに、第三者の意見を聞くことにしたのだ。
あゆみなら、きっと的確に、且つ冷静な判断をくれるかも知れない、と期待して。
- 46 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/20(金) 23:19
- 「……す、好き…、かな」
「かな、って…」
「だって先輩、あたしだって戸惑ってるんですよ。こんなの初めてで、ホントに、どうしたらいいのか判んないんです」
ベッドの縁を掴みながらも身を乗り出して反論する美貴に、あゆみが小さく苦笑する。
「…美貴ちゃん、正直に言ってみ?」
「へ?」
「亜弥ちゃんに、何したい?」
「な、何って……」
あゆみの綻んでいる口元が語っていることに気付いて、美貴は視線を床に落とす。
- 47 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/20(金) 23:19
- 考えるだけで、胸の奥が、きゅ、と締め付けられるように、痛くなる。
自信なさげに微笑んで美貴を見上げる亜弥の瞳に自分が映るたび、抑えつけているその衝動。
どうしてそんなふうに笑うのか。
本当に、自分で、いいのか。
そんなふうに、思うたび。
「………抱き、しめたい」
美貴の前では、もっともっと、自然に笑っていてほしい。
どんなことからも傷付かないように、守ってやりたい。
- 48 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/20(金) 23:20
- 「…ん、合格」
「え?」
あゆみの声が軽やかになって、美貴が落としていた視線を戻すと、
あゆみはゆっくり椅子から立ち上がって、美貴の頭を撫でてきた。
「自分の気持ちに正直になるのが一番大切だと思うよ?」
「…先輩?」
「美貴ちゃんの出来る精一杯で大事にしてあげればいいよ。そういう美貴ちゃんのこと、絶対、亜弥ちゃんも好きになる」
好きになってくれればいい。
だけど、今はただ、亜弥のそばにいたい。
亜弥が、もっともっと、笑ってくれるように。
「……だと、いいな」
「あんまり無闇なことってあたしの立場では言えないけどさ。美貴ちゃんなりに、誠実に接してあげればいいよ」
- 49 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/20(金) 23:20
- 焚き付けるわけでなく、だからといって突き放すでもなく、ただ、認めて受け止めるだけ。
美貴が無意識に望んでいたことをそのまま返してくれたあゆみに口元も自然と緩む。
「………あたし、なんで先輩がモテるのか、判った気がします」
「はあ? 何よ、急に」
「可愛いだけじゃ、なかったんですね」
「…ホメてないよ、それ」
美貴の頭を撫でていた手で髪をかき混ぜ、軽く拳をつくって小突く。
「ホメてますよぅ」
「嘘つけー。なら、今度、大学のAランチ奢ってよ」
「イヤです、あれ、すごい競争率高いじゃないですか。貧乏学生にたからないでくださいよ」
「何だとぉ、それが先輩に対する態度かーっ」
わしゃわしゃと髪をかき混ぜられながらも、美貴の脳裏に浮かぶ亜弥の姿は、いつでも、美貴の胸を鳴らした。
- 50 名前:さくしゃ 投稿日:2004/02/20(金) 23:22
-
またまた少しですが、更新しました。
レス、ありがとうございます。
>>39
松浦さん、可愛いですか? ありがとうございます。
>>40
あやみき、というより、みきあや、ですけども。
ごっちんのお相手の名前はもう出てると思いますが、
柴田さんにも、勿論、いらっしゃいます。まだまだ秘密ですけども。
ではまた。
- 51 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/29(日) 01:46
-
◇◇◇
- 52 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/29(日) 01:47
- 「ね、先生」
毎回、2時間程度の勉強は、途中で10分ほどの休憩をいれる。
今日は亜弥の両親が出掛けていて、休憩時を見計らって差し入れてもらえるお茶やお菓子は亜弥が持ってきた。
クッキーをつまんで冷たい紅茶を含んだとき、不意に呼ばれて振り向くと、亜弥が少し恥ずかしそうに笑っていた。
「ん? なに?」
そんな仕草を可愛いと思いながらも、想いは心の奥に押し留めて見つめ返す。
「…お願いが、あるんです」
「ん? どんな?」
また少し恥ずかしそうに頬を染められ、美貴の胸は妙に高鳴ってしまったけれど、それは表面には出さない。
- 53 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/29(日) 01:47
- 「期末試験でいい成績とったら…、何かご褒美、欲しいなって…」
視線を落として伏せた瞼がまた美貴の胸を鳴らす。
自覚してしまうと、こうも感情というものは波が激しいのだろうか。
「あー、いいね、それ。勉強にも励みが出るよね。いいよ、何がいい?」
「…ホント?」
「うん。…あ、でも、あんまり高いモノとかダメだよ、あたし、貧乏学生だし」
「そんなんじゃないですよぅ」
ぷう、と頬を膨らませた仕草がまた可愛くて、
込み上げる愛しさと同時に漏れた笑い声がまた亜弥を拗ねさせてしまったけれど。
- 54 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/29(日) 01:48
- 「ごめんごめん。なに? 何が欲しい?」
口元の綻びを隠さずに問うと、亜弥の表情にも明るさが混じる。
「あのね、あの…、先生の下宿に、行ってみたいんです…」
「えっ?」
意外な答えに、美貴の声が裏返る。
てっきり何かカタチに残るようなモノを想像していただけに、
それは予測しなかった答えで、咄嗟に言葉にも詰まってしまった。
「……ダメ、ですか?」
黙ってしまった美貴に、答えをそう解釈した亜弥の表情が次第に沈んでいく。
- 55 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/29(日) 01:48
- 「あっ、いやっ、だ、ダメじゃないっ、ダメじゃないよ!」
慌てて顔の前で手を振って答えたけれど、美貴の思考は少しパニックしていた。
「でもあの…、な、なんだろ…、その、えっと…。
そ、そんなさ、別にウチとかじゃなくてさ…、ゆ、遊園地とか…、あ、そう! 遊園地とか映画とかでもいいんだよ?」
うろたえている自分自身をひどくみっともなく思いながらも焦って言葉にしてみて、
またそれが自分には恥ずかしくなる状況だと思い直す。
「……てゆーか、なんでモノじゃないの…?」
思わず出てしまった言葉に亜弥の表情がまた曇りだす。
「……迷惑、ですか?」
「ば…っ、違うよ!」
声にしてから、目に映る亜弥が大きく目を見開いたことに気付き、美貴は自身の声の大きさを悟る。
- 56 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/29(日) 01:49
- 「ご、ごめん、おっきな声出して…」
ふるふる、と美貴を見たまま首を振る亜弥の眉尻が淋しそうに下がっている。
「……迷惑とか、そんなんじゃないよ、ホントに。そんなこと全然思ってないよ。
でもさ、せっかくのご褒美なんだからさ、もっとこう、カタチに残るモノってあるじゃん? それじゃダメなの?」「………ダメじゃないけど…、でも、先生の部屋、見たい……」
ほんの少し唇を尖らせて、上目遣いで見つめられる。
好きな相手からそんな態度をとられて、それを無下に出来る人間がいるなら会ってみたい、と美貴は思う。
ぐ、と言葉と一緒に息も飲み、美貴を見つめてくる亜弥を美貴も見つめ返す。
淋しそうに揺れている瞳がまた美貴の胸を鳴らし、美貴は溜め息と一緒に天井を仰いだ。
- 57 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/29(日) 01:49
- 「……判った。じゃ、こうしよう」
天井から亜弥に視線を戻し、びし、と人差し指を立てて提案を示す。
「あたしだって、亜弥ちゃんが頑張ったって判ったら、ご褒美はあげたい。でも、それってカタチに残るモノって思うのね。
だから、もし、あたしが思ってる以上の点数だったら、あたしの部屋に招待するよ」
「………たとえば、どれくらい?」
ぎゅ、と両手を握り締めて美貴の提案を聞いていた亜弥の顔付きが真剣になる。
「んーと、期末だよね、全部で何教科だっけ?」
「…10教科」
「じゃ、副教科も合わせて、100点が1コでもあったらウチに招待。
もしなくても、全部平均点を上回ってたら、何か買ってあげる。それでどう?」
こくん、と亜弥が大きく頷いた。
- 58 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/02/29(日) 01:50
- 「でももし、1コでも平均点以下だったら、何もしないよ? ご褒美なし」
「……判りました。じゃ、先生も約束してください」
「? なに?」
「あたしに勉強教えることに手を抜かないでくださいね」
鋭い指摘に美貴は咄嗟に息を飲む。
早まったかな、なんて言葉が脳裏を駆けた。
「…りょーかい。……じゃ、交渉成立、だね?」
「はい」
「よし。…じゃ、そろそろ続きしよっか?」
美貴の言葉に亜弥は力強く頷いて、本日の後半戦が開始された。
- 59 名前:さくしゃ 投稿日:2004/02/29(日) 01:54
-
更新しました。
最近、田中さんが可愛くて可愛くて仕方ありません。
自分の身近にいる6期推しの人間が、
『れいな可愛いにゃー』と言うたびに失笑していたのが嘘のようです。
………い、言わないぞ、間違っても『れいな可愛いにゃー』なんて言うもんか。
ああでも、田中さん、すごい可愛いですよね。<時間の問題。
ではまた。
- 60 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/04(木) 19:08
-
◇◇◇
- 61 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/04(木) 19:08
- 「……で、結果は?」
前期最後の授業を終了して、あとは夏休み前の試験を残すのみとなった7月下旬。
帰り道で一緒になった梨華に誘われて立ち寄った喫茶店で、美貴は深々と溜め息をついた。
「…あたし、絶対あのコに必要ないと思う……」
がっくりと肩を落としながら答えた美貴に、前に座る梨華がくすくす笑った。
- 62 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/04(木) 19:09
- 「なるほど、100点があったワケだ」
「聞いてよ、有り得ないんだよ。10教科中3科目100点だよ? しかも3つとも主要科目なんだよ」
「わぁお」
「カテキョの意味ないよぉ」
ごつん、とテーブルに額をぶつけると、その頭を上から梨華が押さえつけるようにしながら撫でてくる。
「優秀な生徒、てのも、結構大変だねぇ」
「うううう」
「でも、別に下宿に招待するくらいいーじゃん。夏休みなんだしさ」
- 63 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/04(木) 19:09
- 傍から見れば、そう思われるのが自然だろう。
たかが部屋に招く程度で、それ以上のことを深読みする人間はきっといない。
美貴がいろいろと意識しすぎて、気を回しすぎなのだ。
「…でも、そっか、ご褒美か。それいいかも」
美貴から手を離した梨華が何か考え込むように指で唇を撫でている。
「? どゆこと?」
「あいぼん…、あ、あたしがカテキョしてるコなんだけど、ホント、教え甲斐のあるコでさ。
そういう励みがあるとまた違うかと思って」
「あー、そーなんだ?」
くすくす笑う梨華が何を思い出しているかは判らないが、美貴は気にも留めずに、亜弥との約束を思い返した。
- 64 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/04(木) 19:09
- 美貴が通う大学は7月末まで試験があるので、ご褒美はそれ以降、ということになった。
100点、と赤いサインペンで記された答案用紙を美貴に掲げたときの得意気な亜弥の顔は本当に嬉しそうで、
そんなふうに笑ってもらえるなら、別に、自分の部屋に招待するぐらい、何でもないことのように思えた。
けれど、次の瞬間には別の感情が生まれて、激しいジレンマにも襲われた。
ふたりきりの部屋で、理性を保ったまま、亜弥と向き合えるだろうか。
勿論、家には宿主のなつみは勿論、先週から夏休みになっている真希、更にはあゆみもいるだろう。
圭織だって最近はずっとアトリエには行かないで下宿の自室にこもっているし、
週末ならば社会人の裕子もいる可能性がある。
そういう意味では、ふたりきり、という表現は違うのかも知れないけれど、それでも、
それぞれの部屋に入ってしまえばプライバシーは守るのが、同居、という空間での鉄則だ。
家庭教師をしているのだから、部屋にふたりきりなんて今更だと思われそうだけれど、
目的があるのとないのとでは、状況も違ってくる。
- 65 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/04(木) 19:10
- 「…はあ」
声にも出して溜め息を吐き出した美貴の頭を梨華がもう一度撫でてくる。
「なにを重く考えてるの?」
「んー…」
「きっとあれだよ、そのコ、ひとりっこだから、たくさん人のいる家が珍しくて興味があるだけだよ」
「…だと、思うんだけどね」
自分に邪心があるから、余計なことに気が向くのだ、ということも自覚がある。
それでも、亜弥との約束を反故にしたくない。
テーブルに突っ伏していた頭をゆっくりと持ち上げ、頬杖をつきながら美貴はもう一度溜め息をついた。
- 66 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/04(木) 19:10
- 「…ま、いっか」
亜弥が喜んでくれるなら、多少の我慢くらい、たいしたことじゃない。
亜弥の訪問に、おそらくあゆみは含んだ笑いを見せるだろうけれど、
それでも構わない、なんて気分になるのは、きっと亜弥が笑ってくれると判るから。
「………とりあえず、あさって提出のレポートが先だよね」
「…っ、やだもう…。忘れてたのに、思い出させないでよー」
不満げに漏らしてアイスティーを飲み干した梨華の渋い顔を横目で見て、美貴は小さく吹きだした。
- 67 名前:さくしゃ 投稿日:2004/03/04(木) 19:14
-
更新しました。
よろセンで、あやみき恋人発言があったそうで。
自分の住む地方は放送されていませんが、
文字起こしされていたものだけで充分、おなかイパーイでした。
あやみき不足だったんだなあ、と、しみじみ……。
ではまた。
- 68 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/11(木) 07:57
- 凄く良いです。
ほんわかできる。
あやみきモエー
- 69 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/12(金) 02:21
-
◇◇◇
- 70 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/12(金) 02:22
- 美貴たちの大学が前期試験を終えた翌週、
8月に入ったばかりの最初の土曜日に、亜弥は美貴の下宿へとやってきた。
最寄り駅までは美貴が迎えに出たのだが、
さすがに休日とあって、更には美貴の教え子だということで、住人全員が顔を揃えて亜弥を出迎えた。
「いらっしゃーい!」
「お、お邪魔します……」
玄関先まで出迎えたのは真希だけだったけれど、部屋に向かう途中で通ることになるリビングには裕子も圭織もいた。
その向こうのダイニングテーブルにはあゆみが、キッチンではなつみが笑顔で立っている。
- 71 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/12(金) 02:22
- 「は、はじめまして、松浦亜弥、です…」
緊張からか、語尾が小さくなっていく亜弥の肩が強張っている。
その背後にいた美貴は、あゆみと目が合って、
思っていた通りの含み笑顔を向けられ、恥ずかしさを隠すように鼻の頭を撫でた。
「あー、えと。紹介すんね。キッチンに立ってるのが安倍さん、ここの下宿のオーナーさん」
「よろしくー」
「こっ、こんにちはっ」
なつみの笑顔に亜弥は焦って頭を下げた。
あの笑顔を持つなつみを天使と名づけたのは、裕子だったか、それとも圭織だったか。
- 72 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/12(金) 02:23
- 「今、ゼリー作って冷やしてあるから、時間がきたら、あとで持ってくね」
「あっ、はいっ、ありがとうございます」
それでも、笑顔の柔らかさは初対面の緊張をほぐすものだから、その形容詞は間違ってないと美貴も思っていた。
「…で、その奥に座ってるのが、あたしの大学の先輩でもある、柴田さん」
「こんちはー」
左手で頬杖をつきながら、右手をひらひら、と振るあゆみ。
「で、そっちのソファに座ってるのが中澤さん、その隣にいるのが飯田さん」
美貴の紹介にならって笑顔を崩さず手を挙げたり頭を下げるふたりに亜弥も少しずつ緊張が解けていったのか、
背後で見ているだけでも伝わってきていた肩の強張りがゆるゆると落ちていくのが判った。
- 73 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/12(金) 02:23
- 「ねーねー、あたしはっ?」
玄関まで迎えに出たのに紹介が最後になったのが不服だったのか、真希が少し頬を膨らませながら美貴の肩を掴む。
「あ、忘れてた」
「にゃにぃ」
「ごめんごめん、嘘だってば。…んーと、このコは後藤さん。あたしはごっちんて呼んでるんだけど」
「亜弥ちゃんも、ごっちんて呼んでいーよぉ」
にゃはー、なんて擬音が聞こえそうな緊張感をなくす笑顔には亜弥も口元を綻ばせるしかなかったようで。
「はい、じゃあ、そうします」
頷いて笑った亜弥はもう、美貴がいつも見て、感じている通りの雰囲気に戻っていた。
「…で、あたし、と」
最後に付け加えるように自分の鼻を押して言うと、亜弥がゆっくり振り返って微笑む。
- 74 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/12(金) 02:24
- 「うん」
自分にだけ少し砕けた態度になって嬉しそうな笑顔を見せる彼女に胸が鳴ってしまうのはもうどうすることも出来ない。
ただそれを、表面に出さないようにするだけで。
「…部屋、行く?」
「うん、見たい」
「え、もう行っちゃうの?」
つまらなさそうに唇を尖らせた真希に、亜弥はちょっとだけ困ったように笑う。
「ごーっちん」
美貴もどうしようかと思っていると、奥からあゆみが真希を手招くのが見えた。
「ダメだよー、今日は亜弥ちゃんがいい成績とったご褒美でココに来たんだから」
「あ、そっか」
「そうそう」
- 75 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/12(金) 02:24
- あゆみに招かれるままに真希がとことことリビングの奥へと向かっていく。
「…ごめんなさい」
「えーよえーよ、気にせんで。藤本、今朝までかかって片付けとったから、部屋がキレイなんも今のうちだけやしなー」
「なっ、中澤さんっ!?」
かかか、と笑った裕子に隣の圭織もくすくす笑い出す。
「よっ、余計なこと言わないでくださいよ、もう!」
「…て、ことは、ホントなんだ?」
ぽそ、と隣で呟かれて美貴は溜め息と一緒に天を仰ぐ。
「……うあー、カッコわるー」
「そんなことないよ。…ね、早く先生の部屋が見たい。どこ?」
- 76 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/12(金) 02:24
- ぐい、と美貴の腕を掴んで先を促そうとする亜弥は、
きっと今、自分がどれくらい美貴を喜ばせる言葉を紡いだか気付いてないんだろう。
『そんなことないよ』
参ったな、なんて思いながら、美貴は自身の髪を乱暴にかき混ぜる。
早く早く、と急かす亜弥が、たまらなく可愛くて、愛しかった。
ふと視線を感じてそちらへ目を向けると、あゆみが頬杖を崩さないまま微笑んでいる。
今の美貴の心情を、聡いあゆみは敏感に感じ取ったのだろう、優しげな目元が美貴に落ち着きを取り戻させる。
「…はいはい」
短く息を吐き出して、美貴の腕を掴む亜弥のチカラに逆らわないまま、美貴は亜弥を促しながら自室へと向かった。
- 77 名前:さくしゃ 投稿日:2004/03/12(金) 02:27
-
更新しました。
レス、ありがとうございます。
>>68
ほんわか出来ますかー。
ありがとうございますー。
こんな時間に更新してますが、明日も勿論仕事です。
今から5時間後には出勤時刻です。
寝たと思われているはずなので、起きてたことがバレたらきっと怒られます。<誰に。
ではまた。
- 78 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/13(土) 18:03
- 今日まで気付かなかった自分に腹が立つ
いやーこういうの大好きっす
わくわくしながら読める作品ですね
- 79 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/14(日) 12:01
- 「…どーぞ」
ドアを開けて亜弥を部屋の中へ誘導する。
ドアの前に来るまでは結構しっかりした足取りだったのに、足を踏み入れるときは幾らか恐る恐るで、
判りやすい心情の動きに美貴の口元が綻んでいく。
「…結構、キレイ、だと思うんだけど。…中澤さんの言うように、必死に片付けたし」
美貴の部屋は東向きのクローゼットもある6畳のフローリングで、
家具、と呼べるものは安いパイプベッドと、腰丈の本棚がふたつ、
亜弥の部屋にあるようなしっかりした勉強机ではなく、小さめのテーブルが部屋の中央にひとつと、
ベッドの脇にビデオと一体型のテレビがあるだけだ。
あとは大学の授業で使う資料だとか教材が本棚の上に並んだ木製のラックに突っ込まれている。
- 80 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/14(日) 12:02
- 鼻の頭を撫でながら美貴が言うと、部屋を見回していた亜弥が目を見開いて振り返ってきた。
「じゃ、いつもはどんな感じなんですか?」
「ん? んー…、学校の教科書とか、今はそこにあるけど、いつもは散らばってるよ。服とかも脱ぎ散らかすし」
裕子にバラされてしまったので、今更くだらない嘘をついても見透かされてしまうのが予測出来て、美貴も正直に話す。
「ま、適当に座ってよ」
「あ、はい」
テーブルの前にちょこん、と正座する亜弥に思わず美貴は吹き出してしまう。
「なんでそんなカタくなってんの? ラクにしなよ。…あ、下から何か飲み物でももらってくるよ、何がいい?」
「えっ、あ、いや、いいです。大丈夫です、喉とか、渇いてないですし」
「そう? …じゃ、なんかビデオでも見よっか。なんか面白いのあったかな」
- 81 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/14(日) 12:02
- 沈黙が怖くてテレビのスイッチをいれる。
ゆっくりと、テレビ下のラックに突っ込んだままのビデオテープを探るフリで、このあとの会話を必死になって考える。
「…せんせ」
「うん?」
「あのね」
「なに?」
ゆっくり振り返ると、正座したままの亜弥がテーブルに腕を置いて身を乗り出していた。
「あのー、えと…」
「うん?」
何を言い淀んでいるのか判らなくてカラダごと向き直ると、乗り出していたカラダを戻して俯いてしまった。
- 82 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/14(日) 12:02
- 「し…、柴田、さん、て……」
「うん。先輩が…、なに?」
「……可愛いひと、ですよね」
思わず言葉に詰まる。
なんだろう、突然。
そんな言葉が美貴の脳裏を駆け、答える言葉が咄嗟には浮かばなかった。
「……う、ん。すごい…、モテる」
「飯田さんも、中澤さんも、すごく、キレイなひとですよね」
「うん…、そうだね」
亜弥が何を言いたいのか判らなくて、答える言葉は核心をつけない。
- 83 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/14(日) 12:03
- 「安倍さんも、すごい…、可愛いし、優しそうだし…」
「うん、優しいよ」
「…それに後藤さんも、なんか…、なんか、すごい……、モテる気がする…」
俯く亜弥は、何かに怯えているように感じた。
「……亜弥ちゃん? どうしたの?」
何が怖いんだろう。
何に不安を感じているんだろう。
抑えていても、やはり隠している美貴の本心は、ふたりきりの空間にいることで露呈しているのだろうか。
「…あたし、何か、イヤな思いさせた?」
- 84 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/14(日) 12:03
- 美貴の言葉に、亜弥は弾かれたように頭をあげた。
「そんなことないですっ」
縋るようにまた身を乗り出してきた亜弥に思わず美貴のほうが顎を引く。
美貴のその反応に亜弥も自身の態度を悟ったのか、乗り出した身をゆっくりと元に戻してまた視線を落とす。
「…じゃ、なに?」
きゅ、と膝の上に置かれていた手を握り締めて、唇も噛んで。
「………なんか…」
「うん?」
「…なんか、すごい…、あたし……、子供っぽいなって…」
「はぁ?」
思わず出た声が妙に裏返って、
そしてそれが聞いた人間には不愉快な声色だったことに気付いて美貴は慌てて自分の口を塞ぐ。
- 85 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/14(日) 12:03
- 「ご、ごめん」
美貴を見上げる亜弥の目が少し非難じみている。
「…て、いうか…、なんで急に、そんなこと言うのかな…と」
僅かに唇を尖らせた亜弥が美貴から目を逸らす。
それは、拗ねている、ととれる態度で。
「……先生の近くにいるひと、みんな、すごい可愛いし、美人ばっかり」
「…あー…、それは、否定できないね」
裕子も圭織も、一般的な美意識で充分なほど、形容される表現は、美人、という言葉が適切だ。
あゆみやなつみは年下の美貴から見ても充分可愛らしいし、
男性の目から見れば、あれほどココロをくすぐる顔もないだろう。
真希は真希で、醸し出す雰囲気が自然と周囲を惹き寄せ、そしてそれはとても居心地の好さがある。
- 86 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/14(日) 12:04
- 「…なんか、あたし……」
そこで口ごもる亜弥の唇が美貴の心をくすぐる。
拗ねている、と解釈した自分は間違ってないと感じた。
「……でも、亜弥ちゃんのほうが可愛いよ?」
するり、と本心が出た。
それは初めて会ったときからずっと思っていて、だけど本人には一度も言えなかった言葉。
美貴の言葉を聞き届けた途端、亜弥の耳が赤くなった。
- 87 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/14(日) 12:05
- 「可愛い」
「……っ」
「ちょー、可愛い。めちゃくちゃ可愛い」
「……せ…っ」
恥ずかしいのか、それともまた別の感情か。
亜弥が俯きながら肩を竦ませる。
「……世界でいちばん、亜弥ちゃんが可愛いよ」
外れそうなりながら、それでも何度も鍵を掛け直していた感情の箍は、あっさりと、外れた。
- 88 名前:さくしゃ 投稿日:2004/03/14(日) 12:08
-
あまり間隔をあけずに更新。
Chapter ― 1は、とりあえず、次回でキリがつくと思います。
土曜日、春メロンに行ってきました。
慣れたつもりでいた自分が情けないくらい、体力気力、すべて持ってかれたようで、
本日、全身が筋肉痛でございます。
それでも楽しい空間で、大満足でした。
柴田さんは、おっそろしく、オットコマエになっておりました(殴)
ではまた。
- 89 名前:さくしゃ 投稿日:2004/03/14(日) 12:10
- すいません、レス返しを忘れておりました……。
>>78
レス、ありがとうございます。
そんな、腹とか立てないで下さい(^^;)
のんびり書きつづけていきたいと思っておりますので、今後とも、ご贔屓に…。
- 90 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 13:05
- ひゃぁ〜気になるとこに切られましたね。
どうなるなか、あやみき?!!
更新と春メロンお疲れ様です!
全身が筋肉痛でも更新してくれてありがとうございます。
気になるCPばっかりで楽しみです。
これからもついて行きます〜w
- 91 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/20(土) 18:15
- それでも、美貴は亜弥に伸ばす手には躊躇した。
髪に触れたかった。
それは勿論、今までのようにただ好意を込めただけの意味で撫でるだけでなく、美貴自身の想いを乗せて。
けれどそれは、亜弥には唐突すぎやしないだろうか。
美貴の気持ちはもう決まっているけれど、
自分を慕っている亜弥の気持ちがまだほんの些細な好意なだけなら、
この感情を行動に起こすのは、早まった行為にはならないだろうか。
- 92 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/20(土) 18:15
- 「………せん、せ…」
「うん?」
聞こえてくる甘い声を自分の都合のいいように解釈したくなる。
「……もっかい、言って、ください」
俯いたまま、けれど見えている耳は赤く染めたまま。
「可愛いよ。すっごく可愛い」
「……もっかい」
「可愛い」
「もっと…」
「世界でいちばん、亜弥ちゃんが可愛いよ」
「…もっと言って」
- 93 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/20(土) 18:16
- ずるいよ、と口の中だけで呟いて美貴は言葉を変えることにした。
でもそれは、きっと亜弥も望んで、欲しいと思ってくれている。
「…好きだよ」
瞬間、俯いていた亜弥が頭を上げた。
「…あ、よかった。これで顔見せてくれなかったら、ちょっと凹むとこだった」
赤くなった頬に、そっとそっと、手を伸ばす。
「せん…せ…?」
「…あたし、今、すごい自惚れてる。亜弥ちゃんも、あたしのこと、好きでしょ?」
頬に差していた朱色がまた増して、それは美貴をとても満足させる。
- 94 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/20(土) 18:16
- 「亜弥ちゃん、正直だ」
「……先生は、意地悪です」
頬を撫でる美貴の手を包み込むように亜弥が自分の手を添える。
「うん、そうかも知れない」
「…でも、好き」
「うん」
知ってる、という言葉は飲み込んで、ゆっくりと、距離を詰める。
- 95 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/20(土) 18:16
- 膝で歩いて亜弥のすぐそばまで移動して、両手で亜弥の顔を包み込むように頬を撫でる。
「…顔、熱い」
「…それは先生が…、恥ずかしいこと言うから…」
「じゃ、もう言わないほうがいい?」
「……っ」
少し唇を尖らせる亜弥に美貴も口元を緩めた。
「先生、すごい意地悪だ…」
「だって、亜弥ちゃんが可愛いのが悪い」
「…あたしのせいなの…?」
「……可愛すぎるから、意地悪したくなっちゃうんだ」
上目遣いで美貴を見つめる亜弥に微笑みながら顔を近づける。
- 96 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/20(土) 18:17
- 「…せん……」
「しー」
黙って、という言葉は言わずに、そっとその鼻の頭に唇を押し付けると、少し面喰らったように亜弥の肩が揺れた。
「…せん、せ?」
「…ん?」
鼻筋を滑って、瞼に触れる。
「…あ、の…」
「うん……」
美貴の服の袖を掴む亜弥の手のチカラが緊張を孕んでいる。
怯えさせたくはないから、美貴はそのまま、額に唇を押し付けてすぐ、亜弥から離れた。
- 97 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/20(土) 18:17
- 「……先生…」
「…大丈夫、何もしない」
言いながら、僅かでも怯えの見える亜弥の頭を撫でてやる。
「……好きだよ?」
袖を掴む亜弥の手のチカラが増す。
「…うん……」
静かに頷いて、美貴の肩に額を乗せてきた亜弥の頭を抱きしめると、
応えるように、袖を掴んでいた手が美貴の背中へと回された。
「…亜弥ちゃ……」
けれど、美貴が亜弥の髪にキスをしようとしたそのとき。
- 98 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/20(土) 18:17
- 「美貴ちゃーん、ゼリー冷えたよー」
ドアの外からノックとともになつみの声がした。
「う、わっ。…は、はいっ、今、開けます!」
美貴も亜弥も、まるで電流が走ったみたいにお互いから離れてドアを見る。
もつれる足を何とか立たせてドアに向かい、そっと亜弥に振り向くと恥ずかしそうに両手で頬を撫でていた。
まだ少し火照っているその頬の色がひどく可愛くて、美貴はがっくり肩を落とす。
ちょっと、恨むかも、です、安倍さん。
心のなかだけでそっと呟いてドアを開けた。
「結構力作ー。美味しく出来たよー」
「わー、ありがとうございます。…あ、ジュースも…。重かっ…」
美貴の声が不自然に途切れたのは、階下で来客を知らせるインターホンがしたからだった。
- 99 名前:Chapter ― 1 投稿日:2004/03/20(土) 18:18
- 「あれ? お客さんだ、誰だろ?」
美貴にジュースの入ったコップと淡い水色をしたゼリーが乗ったトレイを渡したなつみが階下に視線を向ける。
1階のリビングには他の住人がいるのだから、なつみに代わって応対には出てくれるだろうけれど。
「はーい」
聞こえてきた声で、応対に出たのはあゆみだと判った。
「じゃ、ごゆっくりー」
「あ、はい、ありがとうございます」
なつみが部屋の中の亜弥に目を向け、亜弥がそれに返したのを確認した美貴がドアを閉じようとしたとき、
今度は聞き慣れない大きな声が家中に響いた。
「後藤先輩はいますかっ!?」
―――――― 嵐のように、突然、それはやってきた。
- 100 名前:さくしゃ 投稿日:2004/03/20(土) 18:18
-
以上でChapter ― 1は終了となります。
ちょっと中途半端になってしまってますね、ごめんなさい。
でも、これ以降、もうこのふたりが出てこない、というワケではありませんので。
レス、ありがとうございます。
>>90
気になるCPばかり、ということですが、おそらく次回からは、
話の流れからは予想もつかないCPの登場になるかと(w
ご期待に添えられますように…(^^;)
次回から、Chapter ― 2となり、別CPの登場です。
Chapter ― 2は、1ほどの長さではないので、さくさく更新出来ればなあ、と思ってます。<希望的観測。
ではまた。
- 101 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/20(土) 22:15
- 甘〜いあやみき、ごちそうさまでした!
ごっちんの相手は誰だろうなぁ。
楽しみです。
- 102 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/21(日) 01:45
- いいなぁいいなぁ
こんな下宿に住んでみたい、もしくは覗き見したいw
甘々ありがとうございました!
- 103 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/03/26(金) 00:02
- こんなChapter ― 1がずっと続けばいいのに…(爆)
次回も期待してます。
- 104 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/30(火) 12:55
- 更新ガンバってください。
作者さんを待ってます。
- 105 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:35
- ◇
年上なのに頼りなかったり、すごく頼もしかったり、いろいろホント、忙しくて。
くるくる表情も変わるから見ているだけで飽きないの。
時々、ふたりの会話は空回るけど、一緒にいると、居心地いいの。
なんでかな、不思議だな。
◇
- 106 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:36
-
◇◇◇
- 107 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:36
- 「愛ちゃんってばっ! 違うって!」
「違わないっ、なんで、あさ美ちゃんは納得してるのよ!?」
幼馴染みであり、高校の先輩であり、友達でもある高橋愛の剣幕に、あさ美はただただ戸惑うばかりで。
「だからっ、後藤先輩とあたしとは、そういうんじゃないっだってば!」
さっきから自分は、何度同じ言葉を繰り返しているのだろう、と、あさ美は思う。
言っても言っても聞き入れてもらえないのは、どうしてなんだろう。
そんなに自分の言ったことはおかしかっただろうか。
愛を怒らせるようなことを口走っただろうか。
- 108 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:36
- 引き止めても引き止めても、愛の歩調は早くなって、腕を掴んでいるあさ美自身も何度も振り払われた。
そのたびに掴み返して。
「後藤先輩に直接聞く!」
そう言って聞かない愛に、あさ美は溜め息を繰り返しながらついて歩く。
「……愛ちゃん、なんでそんなに怒るの?」
「そういうあさ美ちゃんは、なんで怒らないの」
唇を少し尖らせて振り向いた愛に、あさ美は答えに詰まって黙り込む。
さっき、同じ質問をされたときに出した答えは愛には納得いかなかったようなので、
違う言葉で同じ内容を探してみても、しっくりくる言葉はやっぱりひとつしかなくて。
- 109 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:37
- 「………だって、怒ることじゃないから」
「…っ、あさ美ちゃんは人が好すぎる!」
ああまた。
また同じように言われてしまった。
自分の言葉の、いったいどこが、愛には納得してもらえないのだろう。
自分たちが向かっている目的の家は、もうすぐそこに見えている。
迷惑になるかも知れない。
いや、迷惑にしかならない。
本当に、彼女は無関係なのに。
- 110 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:37
- 自分の中の気持ちがただただ、不安定で、よく判らなくて。
はっきりしない不透明な靄に覆われているそれを、言葉というはっきりした音にすることがひどく難しくて。
「………後藤先輩、付き合ってるひと、いるんだよ?」
「だったら二股でしょ!」
「付き合ってるわけじゃないってば!」
「あさ美ちゃんの気持ちに気付いてなかったなんて、言わせないからっ」
堂堂巡り。
まずは愛の誤解を解くのが先なのに、当の本人はまったく聞く耳を持ってくれない。
あさ美は深く溜め息をついて、早足で歩く愛のあとを追いかける。
- 111 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:37
- 後藤真希。
あさ美たちが通っている高校の、人気投票ナンバーワンの先輩。
カッコよくて、でも可愛くて、成績は普通らしいけれど運動神経はバツグンで、
時々、運動部の試合の助っ人なんかにも借り出されたりしてて、
そのくせ、家庭菜園にも興味があってさー、なんて言っては、
あさ美が所属する園芸部の温室で、こっそりプチトマトの栽培をしてたり。
真希から漂う雰囲気は自然と人を引き寄せて、惹きつけて、優しい気持ちにさせてくれる。
真希は、派手な外見によらず中身は本当にマイペースで、
のんびりした語り口調のあさ美のペースとも不思議と波長が合って、
放課後はふたりで家庭栽培の話をして過ごすことが、いつのまにか恒例になっていた。
それは時々、周囲の反感を買ったり、嫉妬の対象にもなったけれど、あさ美はあまり気にしなかった。
- 112 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:38
- 真希とあさ美は付き合っているという噂も、知っていた。
クラスメートから直接聞かれたこともあったし、擦れ違うときにされていた噂話が耳に飛び込んできたこともあったから。
完全な誤解に、真希には申し訳なくも思ってはいたけれど、
それに気付いてる様子でも、自分に対する態度を変えずにいてくれた真希に甘えていたことや、
真希が、周囲とは違う態度で自分に接してくれている現実に優越感を感じていたことも、あさ美は否定出来なかった。
「こーんのー」
放課後、時間が合えば温室に現れる真希を、心の底では待っていたのも、本当だったから。
だけど、あさ美にとっての真希がただの憧れの存在でしかなく、
そして真希にとっても、あさ美がただの可愛い後輩にしかすぎないことは、お互いが口にしなくても判りすぎていた。
それを淋しいとは思わなかったし、むしろそんな関係が自分たちにとっては、いちばんの居心地の好い距離だったのだ。
- 113 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:38
- 夏休みに入ってからも、あさ美は二日おきに園芸部の温室と、こじんまりとした畑の見回りに出かけていた。
他の部員から押し付けられたワケではなく、あさ美のほうから申し出たことだ。
そして今日、土曜日にもかかわらず、グラウンドや体育館では運動部が活動をしていたので、
その声を聞きながら見回りをしていたあさ美に、合唱部の練習に来ていた愛が気付いて声を掛けて来た。
あさ美を苗字でなく名前で呼ぶのはごく小数で、
更には聞き慣れたその声に、あさ美は振り向くなりその相手の名前を告げる。
「愛ちゃん?」
「何してんの?」
「見回り。夏場は傷みやすいし、用務員さんだけに任せておくのも悪いから」
ホースの先に付けてあるノズルを拡散シャワーに切り替えながら答えて、花壇の花に水を撒く。
- 114 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:38
- 「愛ちゃんは練習?」
「うん」
答えた愛の声に覇気がないことを感じて振り向くと、苦笑いした愛があさ美を見ていた。
「? 愛ちゃん?」
「ううん、なんでもないよ」
見慣れない愛の表情が引っ掛かって首を傾げると、ますます苦笑いした愛があさ美に寄って来た。
「……後藤先輩は? いつ来るの? 来るまで話し相手になってあげよっか?」
「へ?」
「来るんでしょ?」
あさ美を真似るように首を傾げられて、咄嗟に答えに詰まった。
確かにちゃんとした否定はしたことなかったけれど、
愛も、真希と自分とをそんなふうに見ていたことが、噂を信じていたことが、ほんの少し、ショックだった。
- 115 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:39
- 「……来ないよ」
「そうなの?」
「うん」
「…あ、そっか、先輩、受験生だもんね。なかなか会えないか」
どうしよう、と、あさ美は咄嗟に考えてしまった。
誤解だった。
愛はひどく激しい誤解をしていた。
だけど、どこからどう説明すればいいだろう。
うまく伝えられるだろうか。
真希とは、本当になんでもないと。
- 116 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:41
- 「…あの、愛ちゃん」
「んー?」
撒かれた水で花壇の土が色を濃くしていて、それをそっと指先で撫でた愛が顔も上げずに返事する。
「……なんか、誤解してるみたいだから、愛ちゃんにはちゃんと言うけど」
「うん…?」
あさ美の声色をどう解釈したのか、顔を上げた愛が少し訝しげに眉をひそめた。
「あたしと後藤先輩…、付き合って、ないよ…?」
「え…?」
「あ…、えと、その、すごく、憧れてはいるよ。
あんなにカッコいい先輩をキライなコっていないと思うし、あたしもそのひとりなだけで」
愛の表情から、すっ、と血の気が引いたように見えて、あさ美は思わず顎を引いた。
- 117 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:41
- 「……だからあの、付き合ってるとか…、そういうんじゃ、ないから」
「…でも、放課後は、いつも……」
放課後の真希の行動が、校内で幾らか噂にはなっていたこともあさ美は知っていたので、
愛の情報源に少し切なくもなったけれど。
「…あ、うん。…それは、ホントだけど」
こんな伝え方で、愛は判ってくれるだろうか。
「一緒にいて楽しいし、それはきっと先輩も思ってくれてると思うけど」
幼馴染みで、小さい頃からずっと近くにいて、判りあえる距離にいるはずなのに、時々、何故か会話は空回る。
お互いに何かが欠けていて、だけどそれを補うためには何が足りないのか判らない。
そんな距離で、そんな関係で、今のあさ美の言葉は、ちゃんと正しい言葉として、愛に届くだろうか。
- 118 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:42
- 「……でも別に…、話はするけど、あたしに会いに来てるとかじゃないよ」
だって、あさ美は知っている。
真希には、とてもとても、大切なひとがいるのだ。
そのひとのことを話すときは本当に、
年下のあさ美が見てもそう思ってしまうくらい可愛くて、一途に、嬉しそうに話すから。
「………なに、それ」
あさ美の脳裏に浮かんだ無邪気な真希の笑顔が、低く唸るような愛の声で一瞬で掻き消える。
漂ってきた不穏な雰囲気に愛に目を向けると、愛はその端正な顔にひどく怒りを載せて、けれど静かに、立っていた。
- 119 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:42
- 「愛ちゃん…?」
触れると切れそうな空気が愛を包んでいるように見えて、呼びかける声が震えてしまった。
「なにそれ! そんなのあたし、納得出来ない!」
いきなり大声を出されてあさ美は肩を竦ませた。
「遊ばれてるのと同じじゃん!」
「え…っ」
思いがけない言葉が愛の口から出たことに驚いたあさ美が短く声を漏らすより先に、愛は踵を返して駆け出していた。
「愛ちゃん!? どこ行くの!?」
「後藤先輩に会いに行く!」
「ええっ!? って、家知ってるの!?」
- 120 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/03/30(火) 21:42
- こんなときにも冷静な言葉が出た自分を、あさ美はあとで少し、恨めしく思うのだけれど。
あさ美の言葉に少し冷静になったのか、駆け出した足を止めて愛が振り向いた。
「…名簿で調べる」
短く言い放ってまた駆け出していく。
「愛ちゃん!」
止めなくちゃ。
そう咄嗟に思っても、持っていた水撒き用のホースを律儀に片付け、
水道の蛇口を元に戻してから、あさ美は焦って愛を追いかけた。
- 121 名前:さくしゃ 投稿日:2004/03/30(火) 21:43
-
更新しました。
Chapter ― 2、開始です。
と言っても、そんなに長くはなりませんが(^^;)
- 122 名前:さくしゃ 投稿日:2004/03/30(火) 21:43
- レス、ありがとうございます。
>>101
>ごっちんの相手は誰だろうなぁ。
ええと。後藤さんのお相手は、冒頭に名前だけですが出ておりますよ?
>>102
私も住んでみたい、と思いながら書いてます(殴)。
>>103
にゃはは(^^;)
えーと、ご期待に添えられるよう、頑張ります。
>>104
お待たせしました。
- 123 名前:さくしゃ 投稿日:2004/03/30(火) 21:45
- 少し間があいてしまったので、2話分(自分にとっての)更新しました。
次回からは、更新量も以前と同じぐらいに戻ります(殴)。
自分にとっての初書きCPなので、いろいろ未熟だろうとは思います。
というか、方言を喋らせるのは諦めました、すいません、ユルユルな作者で…。
ではまた。
- 124 名前:みるく 投稿日:2004/03/30(火) 21:56
- 遂にごっちん編スタートですね。
楽しみにしてますので、頑張って下さい!!
- 125 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/31(水) 18:03
- うまく言えませんが、文章に吸い込まれております。
暴走してる彼女がどうなるのか、続きも楽しみにしてます。
- 126 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/03(土) 08:59
- ◇
「……紺野?」
愛に叫ばれて姿を見せた真希が、愛のうしろにあさ美の姿を認めて怪訝そうに眉をひそめる。
その瞬間、あさ美はひどくいたたまれない気分になって、愛の腕を掴んでいた手にも無意識にチカラが入った。
「…あ、あのっ、後藤先輩に、お聞きしたいことがあるんですけど!」
愛の剣幕は真希本人を目の前にしても和らぐことがなく、むしろその感情は更に昂ぶっているようにも受け取れた。
「…っ、愛ちゃん、やめてよ…っ」
「あさ美ちゃんは黙ってて」
ふたりの様子をどう解釈したのか、あさ美たちを出迎えた、
恐ろしく可愛い美少女は真希の顔を僅かに見上げて首を傾げていた。
- 127 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/03(土) 08:59
- 「……こんなとこで話す内容じゃなさそうだし、上がる?」
そんな彼女の視線を受け止めた真希が溜め息混じりに告げてあさ美たちを中へと促す。
誘導された先は広めのリビングで、奥には8人掛けのダイニングテーブルが置いてある。
以前、高校に入学したときから下宿している、と真希から教えてもらっていたあさ美は、
自分たちがこの場にそぐわないことをひどく恥ずかしく思った。
いくら休日とはいえ、いや、休日だからこそ、この家に暮らす人間にとっての休息の邪魔をしたことが歴然で、
促されるままにダイニングテーブルの椅子に座っても、肩身の狭さと居心地の悪さが緊張を呼んで来る。
愛と並んで座り、その向かい側に真希が腰を降ろしたのを見てから視線だけで周囲を見渡すと、
真希自身から話して聞かされていた通りの住人全員と、
どうやらその住人のひとりが連れてきていた客人らしき少女がひとり、その住人の背後に隠れるように立っていた。
- 128 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/03(土) 09:00
- 「えーと…、何か飲む?」
真希があさ美に聞き、目が合ってすぐ、あさ美は首を振って俯いた。
それを見た真希がまた溜め息をつく。
「…てゆーか、アンタ誰」
椅子の背凭れに重心を変えた真希が愛に向かって吐き捨てるように聞く。
「に、2年4組の、高橋愛です」
「…タカハシ…?」
名前を反芻してから、真希はもう一度あさ美を見る。
視線を向けられたことが雰囲気で判ったけれど、あさ美は俯いたまま、動けなかった。
- 129 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/03(土) 09:00
- 「……で、あたしに何を聞きたいって?」
「あっ、あの…っ、後藤先輩は、あさ美ちゃんのこと、どう思ってるんですか!?」
「は?」
単刀直入、とはまさにこのことだ。
あさ美は恥ずかしくて、俯いたまま、ギュッと目を閉じた。
「どうって……」
「あさ美ちゃんの気持ち知ってて、あさ美ちゃんのこと、弄んだんですかっ!?」
「はぁっ?」
一度目よりも更に、真希の声が裏返った。
- 130 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/03(土) 09:01
- 「弄ぶ、って、ちょっと、なにそれ…」
「ちょっとちょっとぉ、ごっちーん?」
あさ美たちを出迎えた美少女が非難の声を向ける。
「なんやなんや、後藤、アンタ、付き合おうとるコ、おったんと違うんか?」
「ばっ、裕ちゃんまで何言うの! 誤解だよ!」
「誤解ってなんですか!」
ばし、と愛がテーブルを叩く。
「先輩のしてることは二股じゃないですかっ、あさ美ちゃんとは、遊びで付き合ってたっていうんですかっ」
「遊びも何も、あたしと紺野はそーゆーんじゃないよ」
「今更、そんな言い訳しないでくださいっ」
- 131 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/03(土) 09:01
- 言葉の勢いに逆らわず愛が立ち上がる。
けれどその勢いにも真希はたじろぐことなく、少し目線の上がった愛を椅子に凭れながら見つめ返した。
「……愛ちゃん…っ」
あさ美は俯いたまま、立ち上がった愛の袖を引っ張って座るように促す。
気付いた愛も、バツが悪そうにゆっくり座り直した。
「…言い訳っていうか、ホントなんだけど」
「だから…っ」
「ホントに、あたしと紺野、そういう関係じゃない」
- 132 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/03(土) 09:02
- 俯いていても、声しか聞こえないその状況だからこそ、真希の心情があさ美には顕著に伝わってくる。
静かに喋っているだけでも、真希は少し、怒っている。
「あたしと紺野は友達。それだけ」
「そ、そんなの…っ」
また身を乗り出した愛が口を噤む。
真希の静かな怒りを感じたのだろうか、と思ってあさ美が恐る恐る視線を上げると、
真希の怒りは、目に見えるものに変わっていた。
- 133 名前:さくしゃ 投稿日:2004/04/03(土) 09:02
-
こんな時間に更新。
レス、ありがとうございます。
>>124
>遂にごっちん編スタートですね。
えっ! 違いますよ!(汗) 今回のはごっちんメインじゃないです。(汗)
ごっちん編はまだまだ先の予定です。
>>125
ありがとうございます。
頑張ります。
Chapter ― 2は、おそらくどのChapterよりも短いお話になると思われます。
ので、あまり間隔空けずにさくさく更新したいと思います。
<2以降が、既に煮詰まり始めている模様(殴)
ではまた。
- 134 名前:みるく 投稿日:2004/04/03(土) 13:06
- ごっちん編じゃないんですか!?ん〜残念(>_<)でもごっちん出てるからうれしいです♪
頑張って下さい!
- 135 名前:名無し飼育 投稿日:2004/04/05(月) 01:34
- ぬぉ?
ひょっとしてオイラが好きなマイナーCPさんでしょうかね?w
なんかそんな気が自分的にはします(w
楽しみです♪そして、他のも(w
- 136 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/10(土) 07:17
- 「……てゆーか、アンタ、紺野のなに?」
「な、なにって…、と、友達です」
「はっ、友達が聞いて呆れるね」
肩を竦めて言い放つ言葉の乱暴さにはあさ美も少しだけ面喰らった。
そんな真希を見たのは初めてだった。
「じゃああたしだって聞くけど、アンタ、あたしと紺野が付き合ってるって誰に聞いたのよ」
「だ、誰って、そういう噂が…」
「噂? なんだ、紺野に聞いたんじゃないんだ?」
言葉にも態度にも明らかに示して見せた見下すような台詞に、く、と、愛が喉を鳴らして顎を引いた。
- 137 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/10(土) 07:18
- その瞬間、あさ美のカラダが震えだす。
真希の話す言葉をずっとあさ美が聞いていたように、
あさ美が話す言葉をずっと聞いてくれていた真希が、今、何を言おうとしているのかが伝わってくる。
「笑わせるじゃん、それで友達だって?」
真希が放っているのは怒りだけではなかった。
でもそれは、きっと、あさ美にしか判らない。
- 138 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/10(土) 07:19
- 「アンタの友達の紺野はなんて言ったのさ。あたしと付き合ってるって言ったの?
あたしに遊ばれてるって? 二股かけられてるって?」
あさ美の隣で、愛が悔しそうに手を握り締めたのが見えた。
「紺野の言葉より噂を信じたくせに」
真希の言葉の通り、それは確かにあさ美を傷付けた事実で、
自分ではなく噂を信じてしまった愛に対して、あさ美はひどく、切なさを感じたのだけれど。
「…や……」
喉まで出かかった声は、ちゃんと音にはならずに掠れるだけになる。
「アンタが紺野の友達だなんて、よく言うよ」
- 139 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/10(土) 07:19
- 「…せん……」
ちゃんとした音が、声が。
はっきりと、言いたい言葉が、あるのに。
「紺野がどういう気持ちでいるかとか、何も知らないくせに」
小刻みに震えが起きる。
それを堪えて、あさ美は、ぎゅ、と目を閉じた。
汗が滲み始めた手を、握り締めた。
「そんなんで紺野の友達だなんて軽々しく言わないでほしいね」
- 140 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/10(土) 07:19
-
「…っ、やめてくださいっ!」
がたんっ、と、幾らか大きな音を起てて、あさ美は立ち上がった。
隣で、驚いたように自分を見ている愛が判る。
けれど、そちらに意識は向けないで、あさ美はまっすぐ、自分を見上げている真希を見つめた。
「………やめて、ください」
椅子の背凭れに重心を預けている真希の口元が綻んだように見えたのは、気のせいかも知れない。
けれど、真希があさ美に答えを促しているのは、判っていた。
- 141 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/10(土) 07:20
- 「……たとえ先輩でも、愛ちゃんのこと、悪く言うのは、許しません」
「何言ってんの? タカハシは、友達の紺野のこと信じないで、誰が言ったか判んないような噂を信じてんだよ?」
「それでも、許しません」
「…あさ美ちゃん………」
あさ美のカラダが、ほんの少し、震えた。
「……先輩は、愛ちゃんのこと、何も知らないじゃないですか」
「そうだね、知らないね」
「だったら、悪く言わないでください」
あさ美の言葉に真希は小さく肩を竦めた。
「誰がなんて言っても、愛ちゃんはあたしの友達です。大事な、大事な友達です……っ」
- 142 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/10(土) 07:20
- 見上げてくる真希の瞳の奥が揺れたように感じて、あさ美は愛に振り向いた。
不意に振り向かれたことに驚いたのか、大きな目を更に大きく見開いた愛が肩を揺らせてあさ美を見つめる。
「…帰ろ」
「え…っ?」
「いいから、帰ろう」
戸惑う愛の手を引っ掴み、そこにいた全員に向けた会釈をして、あさ美は玄関に向かった。
「お、お邪魔しました…」
愛の弱々しい声を背中で聞きながら靴を履き、けれど繋いだ手は離さないまま、あさ美は何も言わずにいた。
「ごめんね、紺野ー」
ドアを開けたとき、奥からそんなふうに真希の声がしたけれど、それにも何も答えないで、ふたりは家を出た。
- 143 名前:さくしゃ 投稿日:2004/04/10(土) 07:23
-
こんな時間に更新しました。
ちなみに、次回でChapter ― 2は終わりです。
レス、ありがとうございます。
>>134
ありがとうございます、頑張ります。
ごっちんは、このあともちょくちょく出てきますよ、脇役で(殴)
>>135
お好きなCPだといいのですが…(^^;)
他のも楽しみにしていただけるなんて、恐縮です。
最近、高橋さんがとても気になるんです。
髪型をウェーブにしてる高橋さんも、ものすんごく可愛いですよね。
ふとした会話で、どんな髪型が好きか、という話題になったとき、
高橋さんのあの髪型が浮かんで、どうにもこうにも頬が緩んでしまい、
相手に『でれんでれんやんか』と、言われてしまいました。
いいんです、可愛いもんは可愛いんですから。
ではまた。
- 144 名前:名無し読者 投稿日:2004/04/10(土) 10:50
- 更新お疲れ様でした。
次回で2は終わりですか。
自分もごっちんは一推しなんで次回も楽しみにしています。
それとみきあやの方も続きがとっても気になるのでメイン?の方も頑張ってください。
- 145 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/12(月) 01:14
- ごっちん、カッコイイですね。
そして紺野さんも流されてると思いきや、違うかったみたいで。
あと一息の勇気で紺野は変わるのかな?
頑張れ、紺野。
次回で2が終わるそうなので結末と次の3は誰と誰の話なのか
想像しながまったり続きまってます
- 146 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/15(木) 22:40
- 帰り道は、ずっと愛と手を繋いだまま歩いた。
何を話せばいいのか迷っている愛の様子には気付いていたけれど、
何か言葉を発したら涙が出てきそうで、あさ美は何も言わないで、ただ、愛の手を握り締めていた。
「…ごめん、ね」
駅の近くまできて、やっと愛が口を開いた。
振り向いたあさ美に、少し苦笑いしてから、そっと視線を落とす。
「………後藤先輩の、言うとおりだね」
「愛、ちゃん?」
「あたし、あさ美ちゃんの友達の資格、ないかも」
「…っ、そんなことないよ!」
言葉の勢いと一緒に、繋いでいた手が離れる。
- 147 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/15(木) 22:41
- 「…でも、あさ美ちゃんの言葉を信じない友達なんて…」
「でも…っ、でももう信じてるでしょ? あたしの言ったこと、信じてくれてるよね?」
「…うん」
小さく笑う愛がなんだか遠く感じて、あさ美はひどく不安になる。
「……あたし…、愛ちゃんがもう後藤先輩と会うな、って言うなら、そうする…」
「え?」
「…先輩といると楽しいし、話も合うけど…、でも、愛ちゃんがそう言うなら、もう会わない」
「ちょ、ちょっと待って、なんで? なんでそんなこと言うの?」
唇を噛んで俯いたあさ美の顔を、愛は慌てたように下から覗き込む。
「…だってあさ美ちゃん、後藤先輩のこと、好きなんでしょ?」
大きな誤解は、まだ、残っていたようで。
- 148 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/15(木) 22:41
- 「………好き…だけど」
「なら、会えばいいじゃん。付き合ってるひと、いるみたいだけど…。
あたしだって、そんなことまであれこれ言うつもりないし」
「…でも、好きじゃない」
「え?」
「…好きだけど…、好きじゃない」
俯きながら出る声はくぐもっていても愛の耳にもちゃんと届く。
けれど、それに、ちゃんとした正しい想いは乗らない。
「…言ってることが、よく、判んないよ」
「………好きだけど好きじゃない。だってあたしは…」
- 149 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/15(木) 22:41
- 伝えたい想いは、ずっとずっと、あさ美の心の奥にあった。
だけどそれは言葉、という音にするにはどうしてか難しくて、いつもいつも、喉まで出かかっては、消えていく。
思い浮かぶ言葉はどれも陳腐で、でもどれも本当で、だけど愛にはまっすぐ届いてくれないような気がして。
そう言うと、真希はいつも笑って言ったのだ。
『紺野の言葉で言えばいいんだよー』
ずっとずっと近くにいて、これからもずっとずっと一緒にいたくて。
だけどそれは、あさ美だけが感じているような気もして。
- 150 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/15(木) 22:41
- 「…あさ美ちゃん?」
顔を覗き込んでくる愛の眉が心配そうに下がっている。
「………あたしは…」
『付き合いの短いあたしにだって判るんだもん。
紺野の言葉でちゃんと伝えたら、タカハシだって、きっと判ってくれるよ』
真希が伝えたのは、怒りだけでなく、前へ踏み出すきっかけ。
『ごめんね、紺野』
――――― だいじょーぶ。
そんなふうに聞こえた、真希の声。
- 151 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/15(木) 22:42
- 今までなかった場所に踏み出すのは、少し怖い。
だけど、踏み出さないと伝わらないから。
「………後藤先輩といるより、愛ちゃんと、いたい」
ぴん、と張った空気が震えた気がして、あさ美は目を伏せた。
「…後藤先輩といると楽しいけど、愛ちゃんといるほうがもっと楽しい。愛ちゃんといるほうが…、もっと、嬉しい」
好きという言葉では、足りない気がしていた。
だから言葉には出来なかった。
そんな言葉よりもっともっと、伝えたい気持ちが、溢れていた。
「あさ美、ちゃん?」
呼ぶ声が裏返ったのが判って、あさ美は、おそるおそる、頭を上げて愛を見た。
- 152 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/15(木) 22:42
- 「…そ、れって…」
頬を真っ赤にして自分を見ている愛に緊張や不安が吹き飛ぶ。
伝わったことが、判った。
そして同時に、愛の気持ちも伝わってくる。
「………愛ちゃん、顔、真っ赤」
「そっ、そんなの、あさ美ちゃんが…、は、恥ずかしいこと言うからーっ」
ぺしん、と軽く頬を撫でるように叩かれて、痛くはなかったその感触を真似るように、あさ美も愛の頬を軽く叩いた。
「…痛い」
「痛いように叩いてないよ」
「むー」
- 153 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/15(木) 22:42
- 唇を尖らせる愛はいつも通りで、だけど、今までとは少し違っていた。
それは、あさ美を少しいい気分にさせる。
恥ずかしさとか、不安とか、緊張とか、そんなものはもう、あさ美にはなかった。
「……帰ろっか」
あさ美がそう言って手を差し出すと、愛はちょっとだけきょとん、と目を見開いて、笑いながら握り締めてきた。
「うん、帰ろう」
- 154 名前:Chapter ― 2 投稿日:2004/04/15(木) 22:43
- 言葉は、やっぱり難しい。
いつもいつも一緒にいても、一番判り合えるはずの距離にいても、会話が時々空回るくらい。
だけど、それでも一緒にいたいと思うから。
伝えるかわりに、今は、手を、繋いでいよう。
- 155 名前:さくしゃ 投稿日:2004/04/15(木) 22:44
-
更新しました。
これでChapter ― 2は終わりとなります。
前回もでしたが、このお話は『始まり』を主軸にしておりますので、
ラストが曖昧だと受け止められるかも知れませんが、
そういうお話だとご理解いただけると、ありがたいです。
レス、ありがとうございます。
>>144
ありがとうございます、頑張ります。
みきあやは…、ええとええと…(遠い目)
>>145
紺野さん、こんなふうになりました。
お気に召していただけましたでしょうか?
次回からのChapter ― 3は、
笑ってなくても口角が上がり気味の彼女と、
肉球があると思えてならない、ちっちゃい彼女メインで。
まだキャラが把握しきれてないんで、今からビクビクもんですが…(^^;)
<ダメ出しもらったしなあ……。
ではまた。
- 156 名前:145 投稿日:2004/04/24(土) 01:32
- 更新お疲れさまです
紺野さんいい感じですよー
彼女のもつやわらかい空気感が伝わってきました。
>口角があがり気味の彼女
↑の表現笑ってしまいましたw
- 157 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/04/25(日) 09:49
- ◇
ほっとけない。
そばにいたい理由なんて、それだけで充分じゃん。
◇
- 158 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/04/25(日) 09:50
-
◇◇◇
- 159 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/04/25(日) 09:50
- れいなは少し、イライラしていた。
その原因は、れいなのひとつ年上の幼馴染み、亀井絵里にある。
絵里の部屋で、不機嫌を顕著にその表情にのせて、れいなは絵里が寝ているベッドの傍らに座り込む。
熱を孕んだ浅くて早い絵里の呼吸に眉をしかめながら、
絵里の母親に頼まれた通りに、鼻の頭に滲む汗を時折、濡れたタオルで拭い取ってやる。
目を閉じていても、起きているようで、けれど、
意識は半覚醒のような曖昧な絵里の様子に、れいなはまた、溜め息を吐き出した。
- 160 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/04/25(日) 09:50
- れいなが寝込んでいる絵里の看病をしているのには、勿論、それなりの経緯があった。
毎朝、れいなが起きる頃、ケータイがメールの着信を知らせる。
それは絵里からの、『おはよう』を知らせるメールだ。
れいなの家のすぐ真向かいに住む幼馴染みは、
ちゃんと起きているというのに、毎朝毎朝、律儀に『おはよう』とだけ記されたメールを送ってくる。
れいなが、半ば自慢混じりに、親からケータイを持たされた、と言った次の日から、
学校が休みだとか夏休みだとか冬休みだとか関係なく、それは毎日毎日、途切れることなく続いていて、
れいな自身にとっても、いつしかそれは自身の日常生活において、至極当然の日課になっていた。
なのに、今朝、それがなかったのだ。
- 161 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/04/25(日) 09:50
- 確かに学校は休みで、メールがなくても遅刻だとか寝坊だとか、そんな心配はなかったけれど、
毎日のようにあったそれが、何の予告もなく途切れる、というのは、れいなに不審感を生ませるのに充分だった。
いつもは『おはよう』メールがきても返信なんてしないれいなだったけれど、今日はさすがに気になって、
時計が朝の9時半を差してすぐ、絵里にメールをいれてみた。
たとえば普段、どうでもいいような内容のメールのやりとりをするときでも、
絵里は、よほどのことがないかぎり、すぐに返信してくれる。
けれど、5分たっても、10分たっても一向にケータイが着信を知らせる様子は見せなくて、
痺れを切らして電話をいれてみた。
何度も何度も耳の奥で鳴り響くコール音に、次第に不安が押し寄せてきたとき、ぷつり、と音が切れて、
眠たそうな、気怠そうな、意識なんてほとんど起きてない、絵里の声が聞こえた。
- 162 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/04/25(日) 09:51
- 「…れー…な?」
「………寝てたの?」
「…ん…、ごめ…、なん、か…、しんどく、て…」
「え?」
「………起き、上がれ、ない………」
「…っ!」
絵里の頼りない声を聞くなり、れいなはケータイを切って家を飛び出し、
向かいの絵里の家のインターホンを鳴らし、
玄関の鍵が開いてドアが開いたのとほぼ同時に、
小さい頃から慣れ親しんでいるその敷居をさっさと抜けて、2階の絵里の部屋へと駆け込んだ。
- 163 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/04/25(日) 09:51
- 「絵里っ?」
ノックもせずにドアを開けると、ベッドの上で、既に額に冷却シートを貼っている絵里がいた。
「あー…、れーなだぁ、おはよー…。ごめんね…、メール…」
「それはいいから。熱あるの?」
「…そー、みたい…」
「39度あるの」
うわごとのように話す絵里のもとへと駆け寄ってすぐ、れいなの背後から絵里の母親が声をかけた。
「えぇっ?」
母親の声に振り向き、更にその口から出た言葉に驚いて絵里に向き直る。
- 164 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/04/25(日) 09:52
- 「風邪?」
「…呆れるわよ、このコ、昨日、あの雨の中、ずーっと外にいたのよ。カサも差さないで」
「なんで!」
れいなの声は、疑問符というには少し怒気を含んでいて、
そんな声を向けられた絵里は、困ったように布団の中へと顔を隠してしまった。
「…絵里?」
「だめよ。理由聞いても、全然答えないんだもの」
母親の呆れたような口調に、れいなは何も言わないで、ただ、布団の中に隠れてしまった絵里を眺めた。
- 165 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/04/25(日) 09:52
- 「でも、れいなちゃんが来てくれてちょうどよかったわ」
「え?」
「おばさんね、ちょっと、用があって、出かけなくちゃいけないの」
「はあ…」
「熱出して寝てる絵里ひとり残して行くわけにもいかなくて、困ってたところだったの。
お昼までには戻ってくるから、それまでれいなちゃん、絵里の看病しててもらえるかしら?」
「あ…、はい、いいですよ」
「ごめんね、おみやげ買ってくるから」
いったい何処に何しに行くんだろう、という疑問は飲み込んで、いそいそと部屋を出て行く母親の背中を見送る。
パタン、とドアが閉じてから、れいなはゆっくり、絵里に振り向いた。
- 166 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/04/25(日) 09:52
- 「…て、ことだから」
「…なに?」
「……絵里の看病」
「…あー、…うん」
れいなの声が柔らかくなったことに安心したのか、布団の中から、顔の上半分だけを覗かせた絵里が頷く。
「…その冷却シート、いつから貼ってんの?」
「……昨夜、寝る前、から」
「じゃあそろそろ貼り変えなきゃダメじゃん。新しいの、もらってくる」
「うん」
熱を孕んだような赤みのさした絵里の頬をそっと撫でると、絵里の表情がやわらいだ。
「…れいなの手、冷たくて気持ちいいよ」
「ばーか」
あやすように前髪を払いのけてから、れいなは絵里の部屋を出た。
- 167 名前:さくしゃ 投稿日:2004/04/25(日) 09:58
-
更新しました。
Chapter ― 3の開始です。
2よりは、ちょっと長めになるかと思います。
レス、ありがとうございます。
>>156
紺野さん、気に入っていただけたようで。ありがとうございます。
来週はGWだというのに、予定のひとつもありゃしない作者です。
暇を連休中は持て余すと思うので、
録画したまま放っておいてビデオとか見て過ごそうかと思います。
<だったら、アレとかアレとか、更新し(ry
ではまた。
- 168 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/25(日) 23:12
- 更新キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
口角が上がり気味の彼女は何でそんな行動に??
自分の好きなCPなんでかなり続き気になりますw
次回更新楽しみに待ってます〜
- 169 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:05
- 「…で、聞いてもいい?」
絵里の母親がいそいそと出て行ってすぐ、絵里が寝ているベッドの傍らに腰を降ろしたれいなは、
唐突ともとれるけれど、それでも質問するには充分な間合いだったと思いながら切り出した。
「なんで、カサも差さないで、雨の中、立ってたの?」
高熱で少し虚ろな絵里の目に自分が映るように身を乗り出しながら、れいなは言った。
途端、絵里の眉尻が困ったように下がる。
「………笑、わない?」
「うん?」
「…れいなだけだよ? れいなにだけ、話すからね?」
「うん」
- 170 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:05
- 神妙な顔付きにれいなも少し緊張する。
「……天使に、会ったの」
「はあっ?」
想像の範疇を越えた単語が出て思わずれいなは声を張り上げる。
その声は絵里を驚かせるには充分な音量で、さらには不快にさせるのにも、充分な声音だった。
ぷぅ、と軽く頬を膨らませたあと、拗ねたように再び布団の中へと潜ってしまった絵里に、
自身の失態に気付いたれいなは、慌てて布団に手を掛けて、絵里の様子を窺う。
「ごめんごめん。びっくりしただけだよ。続き教えて?」
目だけでれいなに振り向いた絵里は唇を少し尖らせている。
そんな顔は今までに何度も見ていたはずなのに、
熱にうかされて赤みがかった頬が絵里の雰囲気を少なからず普段と変えていて、
れいなはほんの少し、戸惑いを感じて顎を引いた。
- 171 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:05
- 「…ごめん」
咄嗟に出た謝罪の言葉に絵里が首を傾げる。
「…笑わないから、教えて」
れいなの態度を真摯なものだと受け止めた絵里が尖らせていた唇をゆっくりとやわらげていく。
「…一昨日、塾の帰り、シャーペンの替え芯がなくなったから、駅前の文具屋さんに寄ったの」
「うん」
「そしたら、急に雨が降り出して来て」
「…ああ、そういえば、結構強い雨が降ったね」
一昨日の夜の天候を思い出しながら口にして、絵里の続きの言葉を待つ。
- 172 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:06
- 「…突然だったからカサ持ってなくて、入り口のとこで困ってたの」
「家に電話して迎えに来てもらえば良かったじゃん」
「……ケータイ、家に忘れてきたの」
「ドジ」
「うるさい」
高熱でいつもよりは弱ってるはずなのに、少し調子が出てきたのか、
反論する言葉はれいなにも聞き慣れたものだった。
「…そしたら、絵里のすぐそばで、絵里と同じように困ってるカンジのひとがいて」
「うん」
「両手に買い物袋とか持ってて、でも誰か待ってるっぽくて、迎えに来るんだなー、とか思ってたらやっぱり来て」
なんとなく展開が読めたれいなは、相槌を打つのをやめた。
- 173 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:06
- 「すっごい背とか高くて、モデルさんみたいにキレイなひとで」
「…そのひとが天使?」
「ううん、待ってたひと」
そのときのことを思い浮かべるように、絵里は目を閉じた。
「絵里、別に何も思わず見てたら、目が合って。そしたら、よかったらどうぞ、って…」
「貸してくれたの?」
「うん。迎えに来てくれたひとのカサの中に入って帰るからって」
よくあるようで、けれど最近では珍しい光景に、れいなも不思議と優しい感覚になった。
「…すごく、すごくすごく、可愛いひとだった。優しい顔で笑ってくれて、どうぞ、って」
けれど、絵里の口から出る言葉に少しずつ少しずつ、次第に不快な気分が膨らんでくる。
- 174 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:06
- 「ふわふわしてるカンジだけど、でもなんかすごく、包まれるみたいなカンジで……。
見た瞬間、天使だ、って、思ったの」
「………人間なんだから、天使みたい、でしょ」
「…そー、だけど」
不愉快な気分がれいなの内面を覆い始めたせいで、答える言葉に棘が含まれてしまう。
けれど、れいな自身はまだ、そのことに自覚出来ない。
「…それで?」
「………それで…、昨日、カサ返そうと思って、その店の前で」
「待ってたっていうの? あの雨の中? カサも差さないで? 何考えてんの?」
「さ、最初は降ってなかったんだもんっ」
熱のある赤い頬を心外だと言いたげにまた赤くして、絵里が起き上がる。
- 175 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:07
- 「借りたのに、絵里、お礼とかちゃんと言えなくて。早く返して、ちゃんとお礼言わなきゃって思って、それで…っ」
一気にまくしたてたせいか、上体を起こした姿勢で喋っていた絵里のカラダがぐらりと揺らいだ。
それを見ていたれいなは慌てて絵里の肩を支えたけれど、
それを嫌うようにれいなの手を振り払うと、絵里は再び布団を頭の上まで被った。
「…絵里?」
「………キライ」
「え?」
「…れいな、キライ」
「は?」
何の前触れもなく言われた言葉にれいなも少しムッとなったけれど。
「…れいなだから話したのに。……お母さんにも、言わなかったのに」
そう続けた絵里に、不愉快な気分が少しずつ溶け出していく。
- 176 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:07
- 「……絵里…」
「もういい。れいな、帰って」
「え…」
「絵里、ひとりでも平気。寝てる」
伸ばしかけた手が空中で行き先を失う。
布団の中で小さくなっている絵里の姿を想像しながら、宙に浮いた自身の手をゆっくり引き戻す。
「帰っていいよ」
「いるよ」
「…お母さんに頼まれたからでしょ? 平気だよ、帰ってきたら、絵里が言い訳しとく」
「違うよ。いるってば」
それ以上は口を閉ざしてしまった絵里に、れいなは細く息を吐き出しながら、ゆっくり、布団を叩いた。
- 177 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:07
- 「……今日、もし熱が出なかったら、今日も行って、待ってるつもりだった?」
れいなの問いかけに一瞬の間を置いて、布団の中の塊がもぞもぞと動く。
「……うん」
小さく聞こえた声に、れいなはまた溜め息をついた。
「………判った。じゃあ、れいなが行く」
二秒ほど、音のない空気が流れた。
れいなの言葉を理解した絵里が、そうっと、顔だけを覗かせる。
その絵里に向かって、れいなはもう一度言った。
「絵里の代わりに、れいなが行く」
- 178 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:08
- 聞き間違いじゃなかったことに驚きを隠せない様子で、絵里が目を見開き、ゆっくりとカラダを起こした。
「……れいなが?」
「うん。れいなが返してくる。カサ返して、ちゃんと、絵里の気持ちも伝えてくる」
「で、でも、来るかどうか判んないよ? 何時に来るかも判んないし、ひょっとしたらもう来ないかも……」
「でも、絵里も待ってるつもりだったんでしょ?」
れいなの指摘に絵里も口を閉ざす。
「今日は無理でも、明日はいるかも知れない。でももし絵里の熱が下がらなかったら、明日もれいなが行く」
起き上がった絵里の肩を掴み、ゆっくりとベッドへ横たわらせながられいなは言った。
「……でも、れいな、その人の顔、知らないじゃない…」
「カサ持ってるんだから大丈夫だよ。今日は晴れてるし、店の前でカサ持って立ってたら、気付くでしょ」
- 179 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:08
- 答えるれいなに絵里の口が真一文字に結ばれる。
「おばさんに言われてるから、帰ってくるまでは絵里のそばにいるけど、帰ってきたら行くよ。だから絵里は寝てなよ」
れいなを見上げていた目が、何かを訴えるように少しだけ揺らいで。
「…絵里?」
「………うん、判った」
答えた絵里の口元が、真一文字に引き結ばれていた唇が、ふっ、と和らぐ。
それを見て、れいなも少しだけ、れいな自身は自覚のない緊張を解いた。
「じゃ、寝ろ」
「うん…」
えへへ、と口元を綻ばせた絵里に溜め息をつき、目が閉じられるのを見守る。
- 180 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:08
- ベッドの傍らに腰を降ろし、絵里の顔が見える位置で頬杖をつき、そのまま寝息が聞こえるのをじっと待つ。
やがて静かな寝息が聞こえ始めたのを確認して、れいなは細く、長い息を吐き出した。
参ったな、なんて、喉の奥だけで、呟きながら。
れいな自身の中で、何だか言葉にしがたい感情が渦巻いている。
それはすごく不愉快で、とても気持ち悪くて、ひどくイライラさせるのに、
感情の核の名前が判らないから、どう対処していいのか見当もつかず、ただ黙っているしかなかった。
絵里の寝息は静かだけれど、鼻の頭に滲んでいる汗が、彼女の体温の高さをれいなに知らせる。
枕元に置いておいた、水で湿らせてあるタオルでそっとその汗を拭いながら、
それでも、この不確かな感情が間違いなく絵里に向いていることだけは、れいなにも判っていた。
- 181 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:08
- 「……ヘンなの…」
自分自身の中に確かにあるのに、掴みどころのない感情。
れいな自身が持て余してさえいるのに、居心地の悪いそれは、どこにも逸れることなく、絵里に向けられている。
高熱で水分が奪われているのか、
絵里の唇が少し渇いているのが判って、れいなは湿ったタオルを唇にも押し当てた。
すると、眠っているはずの絵里の唇が小さく開いて、唇に触れた湿気を摂りいれるように、舌が現れた。
ぺろりと、舌先が唇を舐める。
たったそれだけなのに、れいなのカラダが、びくりと、痺れを訴えた。
- 182 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:09
- ざあっ、と、体内を流れる血液の温度が上がった気分になって、
れいなは持っていたタオルを無意識のうちに握り締めていた。
思わずベッドから離れ、空いたもう一方の手で早鐘を打ち始めた胸元を抑える。
「……なに、これ…」
どくんどくんと、脈打っている心音。
絵里が唇を舐めた、たったそれだけだ。
なのにどうして、何に、こんなに痺れてしまったのだ。
- 183 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/05(水) 23:09
- 「………なんなの、もう…」
血液の温度の上昇は全身に広がり、
れいなは今、たとえ鏡を見なくても、今の自分の顔が赤くなっていることにも、気付いた。
胸を抑えた手で口元を覆い、小刻みに早くなる自身の呼吸を整える。
それでもまだ、れいなに自覚はない。
「…どうなってんの……?」
独り言のように呟いて、れいなはベッドから離れた。
眠る絵里の寝顔を見守りながらも、どきどきと跳ねていく自身の心音を必死に整えながら、
れいなは絵里の母親が早く帰宅してくれることを願った。
- 184 名前:さくしゃ 投稿日:2004/05/05(水) 23:10
-
更新しました。
ちょっと期間が空いてしまって申し訳ありませんでした。
レスありがとうございます。
>>168
お好きなCPですか?
最近、増えて来てますよね。
リアルではほとんど絡まない、と嘆く人を多々見かけますけども(^^;)
このGW中に、録画したまま放置していたビデオを整理してたら、
さくらおとめの初登場とかもあって、がっついて見てしまい、丸1日潰れてしまいました。
れいにゃかわ………ゲフンゲフン
ではまた。
- 185 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 22:56
- ◇
絵里の母親が帰宅したのは、正午を30分ほど過ぎた頃。
手には洋菓子で有名なチェーン店の名前の入った箱を持っていた。
「ただいま、遅くなってごめんね、れいなちゃん」
自分の娘にではなく、れいなに向かって帰宅の挨拶をするのもどうかと思う。
部屋に入ってきた母親のその言葉で帰宅を知った絵里が唇を尖らせたあと、
少し思案してかられいなに目を向けた。
- 186 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 22:57
- 「これ、おみやげ。ケーキなんだけど」
「あ、はい、いただきます」
差し出された箱を受け取るように手を出したものの、
絵里の視線を感じたれいなは苦笑を浮かべて母親にその箱を差し返す。
「…でもごめんなさい、れいな、ちょっと行かなくちゃいけないとこあって」
「え?」
「でも、帰ってきたら食べるんで、置いといてもらえます?」
少し図々しいかな、なんて思ったけれど、ご近所同士という、小さい頃からの付き合いで培われた関係は、
他の人間に比べれば、それぐらいの態度もあっさりと許される。
「なんだ、用事あったんだったら、絵里の看病頼んじゃって、悪かったわねぇ」
「や! れいなもさっき思い出したんで」
- 187 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 22:57
- 立ち上がりながらチラリと絵里を見ると、布団から顔の上半分だけ出してれいなを見上げていた。
前髪で額に貼られている冷却シートが隠れていて、れいなはそっと手をのばして前髪を払い避ける。
「…行ってくる」
ベッドの中で、絵里がこくりと小さく頷き、それを確認してれいなは手を引き戻した。
「……柄の部分は黒い、赤いカサ、だよ」
ベッドから離れる寸前、そんな声が聞こえて、絵里に背を向けたまま頷いてみせる。
「じゃ、またあとで来ます」
「はいはい、気をつけてね」
母親の言葉を聞き届けてから部屋を出て玄関に向かう。
- 188 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 22:57
- 玄関先で靴を履きながら、ドア脇にあるカサ立てに目を向けると、
その中に見慣れないカサが一本、存在を誇示するように存在していた。
絵里が伝えたとおりの、柄の部分は黒い、赤いカサだった。
そのカサをカサ立てから引き出したとき、れいなの胸の奥が再びざわざわと不愉快な渦を巻きはじめた。
気持ちの悪い、イライラしたものがれいな自身を覆い、名前のないそれに身震いさえ起こる。
明確でないせいで吐き出してしまえない不快感。
誰にも教わったことのないそれは、れいなをひどく戸惑わせたけれど、
振り切るように唇を噛んで絵里の家を出た。
- 189 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 22:58
-
晴天の街中をカサを片手に歩くのはやはり目立つ。
ちらちらと向けられる視線に、恥ずかしさがれいなを包み込もうとするけれど、
絵里の望みを叶えてやるという、使命のようなそれには羞恥も弾け飛んでいく。
絵里に聞いたとおりの駅前の文具店。
今日は休日で、客層のほとんどだと思われる学校はどこも休みだというのに、
何事もないようにその店は営業している。
おそらく、真向かいの大手スーパーが営業しているせいだろう。
買い物にきた親子連れの子供が文具店に寄らなければならない用事が出来ないとは言い切れない。
- 190 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 22:58
- 文具店の店先に立ちながら、れいなはスーパーの入り口をぼんやり眺めた。
眺めながら、ふと、絵里の言葉を思い返す。
『両手に買い物袋とか持ってて』
買い物袋、と思い至って、絵里の言う『天使』が、両手に抱えるほどの買い物をどこでしたのか、という疑問が浮かぶ。
すぐにそれは、れいなの視界にあるスーパーである、という答えに行き着き、
たとえば再び『天使』が現れるとして、それを確率にした場合、
その確率が高いのはこの文具店ではないかも知れないという考えに辿り着く。
左手に持ったカサに目を向けたれいなは、それをしばらく見つめたあと、ゆっくり振り返って文具店の中に入った。
- 191 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 22:59
- 画用紙と黒いマジックを買って、その場で画用紙に思い浮かんだ通りの言葉を書き込む。
それを持って、れいなは目の前のスーパーに向かい、比較的、人の出入りの多そうな入り口に立った。
『このカサに見覚えありませんか』
画用紙に書いた文字をスーパーに出入りする人間に見えるようにして立つだけで、
周囲から向けられる視線はさっきよりも倍増し、それに比例するようにれいなを襲う恥ずかしさも増していく。
恥ずかしさと格好悪さが相乗効果となって逃げ出したくなる気持ちを煽るけれど、
それを堪えながら、れいなはその場を動かなかった。
- 192 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 22:59
-
行き交う人々の視線がれいなの持つ画用紙と、左腕に引っ掛けられている晴天に不似合いなカサに向けられる。
けれど誰もが無関心で通り過ぎていき、絵里のいう、そしてれいなの想像する『天使』は現れない。
れいなの立つ位置から見える店内の時計に目を向けると、針は午後3時半を差そうとしていた。
昼食も食べずにずっと立ち尽くしているせいで、れいなの腹が空腹を訴え始める。
天気の良さがつれてくる陽気は眠気も誘うけれど、
それを堪えるように目をこすったとき、視界の端に、じっと立ち尽くす人影が映った。
れいながそちらに視線を向けると、
その人影は、ぼんやりしている様子なのに、目はしっかりとれいなの左腕にあるカサを見つめていた。
- 193 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 22:59
- 見るからに年上、けれど高校生だと判る風貌にれいなは少したじろぐ。
絵里の言葉から想像していたのはもっと年上の、
けれど学生ではない若い女性ではないかと想像していたからだ。
もし今、れいなの持つカサを見つめている彼女が持ち主だとしたら、
れいなの想像からは随分懸け離れているし、絵里の美的感覚にも激しい疑問と反論を唱えたくなる。
外見だけで判断するのもよくないと頭では判っているが、
相手はどう引っ繰り返しても『ふわふわしてるカンジ』ではないし、『包まれそうなカンジ』もしない。
無表情だけれど、だからこそ、『可愛い』という単語も、『優しそう』という表現も思い浮かばなかった。
喉が潤いをなくし、無意識に息を飲み込んだとき、相手がゆっくり、れいなのほうへ向かってきた。
- 194 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 23:00
- どきどきと心音が跳ねる。
それはさっき、絵里に対して感じたものとは全然違う、恐怖と不安を入り混じらせた緊張だった。
「…あのさ」
相手がれいなの目前に立ってすぐ、れいなの持つカサを指差した。
「は、はい…」
「それ、たぶん、なっちのだと思うんだけど」
「え?」
見上げた先の無表情が、その瞬間、やわらかくなった。
「なっちのカサだよ。ゴトーの家主さん」
崩れた無表情はれいなの緊張を解くのに充分な、あたたかな笑顔だった。
- 195 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 23:00
- 「え? …えと、あの、どういう……」
にこにこと微笑む彼女はさっきまでの無表情からは予想できなかった柔らかな面差しになって、
その笑顔に思わず見とれてしまったれいなも慌てて自身の姿勢を正した。
「あ、ごめんごめん」
言いながら手を顔の前で振って、れいなの持っているカサを再び指差す。
「キミが持ってるそのカサ、たぶん、ウチの下宿先の大家さんのだと思うんだ」
「…はあ」
「ちょっと貸してくれる?」
- 196 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 23:00
- 言われるまま持っていた画用紙を丸めてからカサを差し出すと、
彼女はそのカサを持つなり、何の前触れもなく、ぽん、と開いた。
晴天の中でカサを開くという行為が周囲には違和感でしかないのに、
彼女は気にも留めないで柄に見入って、また微笑んだ。
「ほら、ココ見て。なっちの名前彫ってある」
彼女が指した先、柄の一番上側。
カサが形成される骨組みの、一番の骨格となる金属に一番近い場所に、
彼女のいうように確かにアルファベットで名前が彫られてあった。
「…ナツミ?」
「そう、安倍なつみっていうの。なっちはあだ名」
まだ少し疑問を残した目でれいなが見上げると、彼女はますます笑って見せた。
- 197 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 23:01
- 「そんな疑わなくても」
「あっ、いやっ、そ、そんなつもりじゃ…」
「大丈夫、ちゃんと返しておくから」
言いながらくるくるとカサを巻いて、ぽん、とれいなの肩を叩く。
「…でも」
それでは困る、と咄嗟にれいなは思った。
れいなの目の前に立っている少し背の高い彼女が嘘をついているとは思わなかったし、
言ったとおり、ちゃんとそのカサは持ち主の手元に戻してくれるだろう。
それに関しての心配はまるでない。
けれど、絵里からのお礼の言葉の伝言もあるし、それは直接相手に伝えたいと思ったし、
何より、絵里に何の抵抗も感じさせないで『天使』だと言わせた相手の顔が見たかった。
その『天使』に、れいな自身が、会ってみたかった。
- 198 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 23:01
- しかし、だからと言って、伝言を直接伝えたい、というのは、
れいなが納得しない理由として相手に伝わるだろうか。
れいなの中で燻る感情は決して威張れるようなものでないから、
その自信のなさがゆっくり、れいなの頭を俯かせてしまう。
「……んーと」
カサを持っている彼女は、はっきり言ってしまえば、
れいなに構わずとっとと帰っても別におかしくないし、咎められるいわれもない。
けれどれいなの雰囲気をどう感じ取ったのか、
カサを持っていない手で自身の顎を撫でたあと、再びれいなの肩を叩いた。
「…なんなら、直接会ってなっちにお礼言う?」
「えっ?」
- 199 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/05/16(日) 23:01
- 心を読まれた気がしたれいながギクリとしながら頭を上げると、
相手は少しも不快そうでない顔でれいなを見ていた。
「…い、いいんですか?」
「いいよぉ。こっから歩いて15分くらいのとこだもん。キミがいいなら、ついておいでよ。なっち、絶対いるから」
「いっ、行きます!」
丸めた画用紙が、言葉の勢いで手にチカラを込めたれいなの手の中でくしゃりと潰れた。
「あわわわ…」
焦りながられいながその画用紙を広げると、
小さく笑った彼女がゆっくりその画用紙を取り上げ、くるくると丸めて近くのゴミ箱に放り投げた。
「もういらないでしょ。おいで」
「は、はいっ」
先に歩を進めた彼女のあとを、れいなは慌てて追いかけた。
- 200 名前:さくしゃ 投稿日:2004/05/16(日) 23:04
-
更新しました。
今日のハロモニ。
藤本さんが可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて、仕方なかったです。
自分がいかに、藤本さんが好きであるかを痛感いたしました。
いいなあ、松浦さん…(殴)
ではまた。
- 201 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/23(日) 16:43
- ううん、れいな優しいなぁ。
れなえり好きなんで、ここのれいなさんのようにドキドキしながら読んでますw
続き期待してます。
- 202 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:32
- 彼女について歩きながら、れいなはキョロキョロ辺りを見渡していた。
駅には何度か降りたことがあったけれど、こんなふうに住宅街にまで足を踏み入れたことはなかったので、
見慣れない景色や風景には何となく緊張してしまう。
けれど、れいなの前を歩く彼女がいるだけで、緊張や不安は半減するから、何だか不思議な気分だった。
「そういや、名前、なんての?」
「あ、田中です。田中れいな」
「ふーん、田中ちゃんか。あたしは後藤っての。後藤真希」
「……後藤さん、ですか」
れいなが名前を反芻してすぐ、真希がすいっと手を上げた。
「あそこだよ」
彼女の言ったとおり、歩いて15分もしないうちに、目的地に近付いたようだ。
- 203 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:38
- 近くまで来ると、外観の豪勢さは周囲とは格段に違っていた。
建物の前まで来て門扉に阻まれる。
その門扉の脇にあるインターホンの下には、防犯用のカメラ付きで開閉式の番号入力機があり、
住人である真希が当然のように番号を押すと、
れいなたちの前にあった門扉からガシャ、という何かが解かれる音がした。
それがロック解除の音だと気付くのにそう時間はかからない。
「…なんか、すごい、防犯とかしっかりしてるんですね」
玄関の門扉を開くのにも暗証番号を必要とするのを横目で見ながら、促されるままに中に進む。
「オンナばっかの家だからねぇ。今の世の中、どんな物騒なこと起きるか判んないし」
あはは、と笑いながら玄関に向かい、
鍵を取り出してドアを開けるなり、真希は中に向かって比較的大きな声で叫んだ。
- 204 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:38
- 「ただいまぁ、なっちいるー?」
「ごっちんかい? なんだい?」
返って来た返答に、れいなの心臓がどくん、と跳ね上がった。
心の準備もままならないうちに『天使』との対面とは、さすがに焦るしかなかい。
「お客さーん」
もう一度、中に向かって声を掛け、真希は靴を脱ぎながられいなに振り向いた。
「上がんなよ」
「あ…、や…っ、こっ、ここでいいです…っ」
奥から、パタパタというスリッパの軽快な音が聞こえて緊張が高まる。
- 205 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:39
- ごくりと息を飲んですぐ、
れいなをこの家まで案内した真希の向こうから、その彼女より幾らか小柄な女性が現れた。
その女性、安倍なつみは、れいなを目にしてすぐ、きょとん、と首を傾げる。
それからに隣にいる真希に視線を向けた。
「……どちらさま?」
困ったように真希を見上げる仕草は、絵里に伝えられたとおりに、可愛いものだった。
- 206 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:39
- 「あのね、カサ」
「へ?」
「カサだよ」
言いながら、真希が持っていたカサをなつみの前に掲げてみせる。
「あれ? これは…」
真希からカサを受け取りながら、玄関先に立ち尽くしたままのれいなに目を向ける。
瞬間、れいなの心臓がまた跳ね上がる。
緊張がどんどん高まっていく。
- 207 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:39
- 「え…、絵里から、預かって…、きました」
「え?」
「あっ、あの…、一昨日、そのカサ、貸したコ…、です」
れいなの説明にやっと納得出来たのか、なつみがれいなとそのカサを見比べてから、ふわりと笑った。
「ありがとう。わざわざ届けてくれたの?」
緊張が吹き飛ぶとは、このことか、と、れいなはなつみから向けられた笑顔に実感する。
そして同時に、絵里の言葉にも納得せざるを得なくなる。
『すごく、包まれるカンジで…』
『見た瞬間、天使だ、って、思ったの』
ただの人間に対してその表現は過大評価でしかないと、頭のどこかで絵里を笑っていたれいなも、
今、自分の目の前にいるなつみには、それを撤回するしかなかった。
- 208 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:40
- 「……でもあの、絵里、風邪引いちゃって…」
「ありゃ、なっちのカサ、あんまし役立てなかったんだねえ」
残念そうに、心配そうに言うので、
絵里の高熱の本当の理由を口にするのは余計に彼女を申し訳なく思わせてしまいそうで、
本当は、会ったら事実を言ってやろうと思っていた気持ちも、自然と薄れていく。
「そ、それで、伝言、預かってるんです」
「うん? なんだい?」
柔らかく綻ぶなつみの口は、ただ見ているだけならばあたたかなイメージなのに、
今のれいなにはただ緊張を強めるだけしかなくて、喉まで出かかっている言葉にも詰まってしまう。
けれど、なつみの背後にいる真希の微笑みが、その緊張をゆっくりと解いてくれた。
- 209 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:40
- 「……カサ、本当に、ありがとうございました。すごく、助かりました。今度、ちゃんと、お礼させてください」
「いいよぉ、お礼なんて」
恥ずかしそうに顔の前で手を振ってみせる仕草は可愛いとしか言いようがなく、れいなも思わず笑ってしまう。
すると、玄関先でのやりとりが気になったのか、奥から誰か出てきた。
「…なっち? お客さんって?」
現れたのは、真希よりも更に背の高い、モデルかと思うようなキレイな女性で、
見た瞬間、またれいなの脳裏に絵里の言葉が蘇ってきた。
『すっごい背とか高くて、モデルさんみたいにキレイなひとで』
彼女が、一昨日、なつみを迎えにやってきたのだとすぐに判った。
- 210 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:40
- 「あ、あのね、この前、圭織がなっち迎えに来てくれたときにカサ貸したコいたでしょ?」
「うん」
「なんか、風邪引いちゃったらしいんだけど、あのコの友達がわざわざ返しに来てくれたの」
「おー」
ちょっとした感嘆の声にれいなは少し恥ずかしくなって俯いた。
「そっかあ、風邪引いちゃったか」
「あ、や、でもあの、すぐ治ると思うんで」
「…そう? ならいいんだけど……」
なつみと同じような心配そうな声が降ってきて、れいなは少し、居心地が悪くなる。
- 211 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:41
- なつみも、圭織も、絵里にカサを貸したのは、邪気のない、本当にただの好意からで、
なのに自分は、そんなふたりに無条件に敬意と尊敬と憧憬を示している絵里に対して、
いったい何を感じていたんだろう。
何、とはまだ明確には判らないけれど、ひどくつまらない、子供じみた感情であるのは間違いなくて、
自分がここにいることが、ひどく場違いな気分になった。
「……じゃ、あの、カサも返せたんで、帰ります」
「えっ、上がっていきなよ」
「や、いいですよ、そんな…」
「なんで、気にしないでいいよ」
「いや、ホント、カサ返しに来ただけなんで…」
せっかくの誘いを断るのは申し訳なく思うけれど、これ以上この場にいることがれいなには苦痛でしかない。
けれどそれを伝えることも出来ない。
- 212 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:41
- 「…じゃあさ、今度、また来たらいいじゃん。今日は風邪引いて来れなかったコと一緒にさ」
助け舟は、真希が出してくれた。
それがれいなの胸中を察して出た言葉だったのか、本当に何も考えないで出た言葉だったのかは定かではないけれど。
「そ…、そうですね、そうします」
「…そう?」
「はい。今度の休みにでも。絵里の風邪が治ったら、また来ます」
「そっか…」
引き留めすぎても困らせるだけだと気付いたのか、なつみも圭織もそれ以上食い下がることもなかった。
「それじゃ、失礼します」
ぺこりと頭を下げて、玄関を出る。
「絶対おいでよー」
なつみの声を聞き、もう一度振り返って頭を下げ、れいなはその家をあとにした。
- 213 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:41
-
帰り道、気が付くとれいなは溜め息をついていた。
朝に感じていたイライラは、どうやら気分を落ち込ませる要素に代わってしまったらしい。
なつみや圭織、真希のことを考えるだけで溜め息が出た。
明らかにれいなとは違う、自分でも名前の判らない感情にイライラするような、
子供じみたれいな自身とはまるで違う人達だった。
絵里が、あんなふうに手放しでなつみを賞賛したことも、
聞いたときは不快でしかなかったのに、今なら素直に納得出来た。
- 214 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:42
- けれど、そう思う一方で少しも薄れてくれない不愉快な渦もあった。
それはどんどん大きくて黒い塊に育っていて、名前が判らないぶん、ますますれいなをイライラさせる。
いや、本当は、れいなだって、薄々気付いていた。
ただ、自分の中にもそんな感情が芽生えることが俄かに信じられなかっただけだった。
まして、その相手が絵里だなんて、認めたくなかったと言ってもいい。
小さい頃から知っている相手に、どうして今更、そんな感情を抱いてしまったのか信じられなかった。
ただただ、認めたくなかった。
だからこそ、イライラして、気持ち悪くて、不愉快だったのだ。
- 215 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/02(水) 23:42
- 自覚してしまえば、何もかもがラクで、けれど、何もかもが辛かった。
なつみに向けられた、絵里の無条件な好意が羨ましい。
たった一度会っただけで、絵里の心を掴んだなつみが恨めしい。
醜い嫉妬。
独り善がりの馬鹿げたヤキモチ。
けれど、れいなには、それらをどう解消していいか判らない。
絵里には向けられない。
だからといってなつみにも向けられない。
自分の中で、それらを抱えていくだけでしかない。
電車に揺られながら、窓の向こうに見える青い空の眩しさを堪えるように、れいなはそっと、目を伏せた。
- 216 名前:さくしゃ 投稿日:2004/06/02(水) 23:43
-
更新しました。
レスありがとうございます。
>>201
や、優しいですかね?(^^;)
ぶきっちょで優しい田中さんが書きたいんですが、どうもうまくいきませんです……。
最近の自分はどうも5・6期萌えでして、ますますDD化する自分に、
どうやら相方は愛想つかしてしまったようです。<連絡来ないのーん……シクシク
じきに発売されるメロンさんの写真集ももちろんですが、わたあめも欲しい今日この頃。
相方の足音が遠ざかっていくのが目に見えます。<むせび泣き。
ちなみにChapter ― 3は次回で終わりとなります。
ではまた。
- 217 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/09(水) 11:55
- 毎回楽しみにしてます。
近頃の田中さんから目が離せないw
- 218 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:21
- 「……ただいま」
そうっと絵里の部屋に入ると、玄関では静かにしたつもりなのに、
れいなの帰宅を待っていた様子の絵里が飛び起きた。
「お帰り、どうだった? 会えた?」
聞いてくる絵里の頬はまだ少し赤く、朝よりさほど熱もさがってないことが判った。
「あーもう、寝てなってば」
早足で駆け寄って絵里の肩を押してベッドに押し付ける。
「もう大丈夫だもん」
「嘘つけ」
手の甲で頬を撫でると、見た目よりは熱もないようで、れいなもホッと胸を撫で下ろす。
- 219 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:21
- 「ね、それより、会えた?」
「うん。会えた。ちゃんと返してきたよ」
「ホント?」
「うん、家まで行って来た。そしたら、今度は絵里も連れてまたおいでって」
「家に行ったの?」
れいなの答えを聞いてすぐ次の質問を浴びせてくる絵里に、苦笑いしながら答えつつ、ベッドに腰掛ける。
「うん」
頷き、今日あった出来事を、れいな自身の感じたことは抜いて説明する。
「…安倍さん、て、いうんだぁ…」
嬉しそうに、恥ずかしそうになつみの名前を呼んで目を細める絵里にれいなの胸が痛む。
- 220 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:22
- 「ね? 天使みたいだったでしょ?」
「……うん」
ずるずると、れいなはベッドから腰をずらして床に座り、ベッドに背中を預けて天井を見た。
「……天使だった」
絵里がそう言ったときは訂正したのに、今のれいなはたじろぐことなくその言葉を言えた。
「絵里の言うとおりだったでしょ?」
悔しいという感情は、絵里の言葉のとおりだったからではない。
絵里の心を占めているのが自分ではない、という事実のせいだった。
- 221 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:22
- 「……れいな?」
「なに?」
「なんで黙ってるの?」
何も言わないれいなを不思議に思ったのか、少し熱っぽい声で絵里が尋ねる。
悔しさは、おさまらない。
「……や、なんか…、なんかさあ…」
口にしてしまうのさえ、悔しいのに。
「……絵里は、あーゆーひとが好きなんだなあ、と思って……」
- 222 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:22
- だって、どうしたって勝ち目なんかない。
なつみがれいなより劣っているところなんてひとつもないだろうし、
そんななつみに勝てるという自信だって露ほどもないし、
なつみに惹かれる絵里を咎めることも出来ないし、
なつみを恨めしく思う自身の心の狭さや、絵里をとられたくないという願望を止めることだって出来ない。
悔しい、と思うのは、適わないことを知っているからだ。
- 223 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:22
- 溜め息混じりにれいなが告げたあと、またしても微妙な沈黙が流れた。
「………今、なんて?」
問い返してきた絵里の声には感情がこもっていない。
「? …だから、安倍さんみたいなひとが、絵里は好きなんだなぁって」
横たわっている絵里に背を向けながら答えたせいで、絵里の表情は判らなかった。
けれど、伝わる雰囲気が何だか怒りを含んでいるように感じて、れいなはゆっくり、振り向いた。
そしてそこに、雰囲気通りに眉根を寄せている絵里を見る。
- 224 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:23
- 「…絵、里?」
「………れいなのバカ」
「えっ?」
「………ここまでバカで鈍感なのも、どうかと思うんだけど!」
むう、と、唇をへの字にした絵里がれいなを見つめる。
「え? なに? どういうこと?」
どうして絵里が怒るのか、
自分の発した言葉のどこに絵里の気分を逆なでする要素があったのか、れいなには判らない。
「いつもいつも絵里のこと、バカバカっていうけど、れいなだってバカじゃない」
「なんだそれ」
れいなの答えを聞いた絵里が、ぷいっと顔を背けて背を向ける。
- 225 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:23
- 「ちょっと!」
訳が判らず絵里の肩を掴んでこちらへ向かせようとしても、顔は向けてくれない。
「……絵里?」
「……バカ」
「だからなんで!」
上から覆い被さるようにして絵里の顔を覗き込むと、唇をへの字にしたまま、目だけをれいなに向けた。
「なんなの?」
声音を弱めて聞くと、目線は逸らされたけれど、ゆっくりと唇が開いた。
- 226 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:24
- 「……毎朝毎朝、メールしてるのに」
「うん、くれるね」
「…れいな、返事くれない」
「だって、いらないじゃん、すぐ会うのに」
「…なんでメールするか、考えてくれたこともないの?」
「なんで…って…」
言われて初めて、そこに考えが向いた。
毎朝毎朝、飽きもせず懲りもせず、絵里はメールを送ってくる。
その理由なんて、一度も考えなかった。
- 227 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:24
- 「……なんで?」
聞き返したれいなに、絵里は唇を噛んで見せた。
「う…、わ、ごめん、マジで判んない、でも怒んないで教えてよ」
覆い被さっていたカラダを起こしながら焦って言うと、
絵里が細く息を吐き出して、呟くような小さな声を漏らした。
「…じゃあれいな、絵里が他のひとにも毎朝メールしてると思ってる?」
- 228 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:24
- 絵里の言葉を、再び脳内で反芻する。
そして、行き着いた答えに、れいなは思わず口を覆った。
「……そ、れって……」
次第に上昇していく体温がれいなの頬を赤く染める。
それを横目で見ていた絵里は、まだ少し怒っているような、けれどどこか困っているような顔になる。
「……ま、待って…、ちょっ、ちょっと待って」
れいなが答えると、絵里は唇を尖らせてれいなから目を逸らした。
- 229 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:25
- それを見て、れいなの体温がまた上がる。
れいなはまだ、絵里に対する気持ちの名前を自覚したばかりだった。
けれど、それは決して届かないのだと思った。
なのに、絵里は。
「………絵里」
どきどきと高鳴る鼓動に後押しされるように、水分をなくしていく唇でその名を呼んだ。
れいなに背を向けている絵里の肩がぴくりと震える。
汗ばむ手でその肩を掴んで、れいなはもう一度、絵里に覆い被さった。
- 230 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:25
- 「……れいな、だけ?」
顔を覗き込みながら問うと、絵里は、ぎゅっと目を閉じた。
今、絵里の顔が赤いのは、熱のせいだけじゃない。
「れいなに、だけ?」
「………知らない…っ」
目を閉じたまま、拗ねた口振りで言い放つ可愛げのない言葉も、今のれいなには甘い声色だった。
「……絵里…?」
肩を掴んだ手で絵里の頬を撫でる。
いつも触れていたときとは全く違う緊張がれいなを包む。
- 231 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:25
- 「…絵里、こっち向いて」
幾らかカラダを強張らせていた絵里が、れいなのその声に少しずつ、少しずつ緊張を解いていく。
閉じていた目をそうっと開き、すぐ目の前にあるれいなの顔を見て、また唇をへの字に曲げた。
「…バカ」
「うん、バカだね」
答えながら、額を押し付けた。
「ごめん」
「……あんまり近付くと、風邪、伝染っちゃうよ?」
赤い顔で叩かれる憎まれ口も、今のれいなにはむしろ嬉しかった。
- 232 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:25
- 「…じゃ、伝染しちゃえ」
「え…」
「…風邪は伝染したら治るって言うし」
言って、熱を持つ頬に唇を押し付けると、れいなの腕の中で絵里は少し身じろいだ。
「……だ、めだ、よ」
言葉で拒んでいても、伝わる雰囲気が拒絶していない。
それが判って、れいなは腕にチカラを込めた。
「……じっとしてなよ」
れいなの声で、絵里もカタチだけで見せていた抵抗をやめ、ゆっくりと目を閉じる。
それに誘われるように、潤いをなくしかけている唇を、押し付けた。
- 233 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:26
- ◇
「…って、ホントに風邪引くしね!」
翌週の土曜日、熱を出してベッドで寝込むれいなの傍らで、絵里が不満そうに漏らす。
「…絵里、うるさい……」
「うるさいって言ったぁ! 看病してあげてるのにぃ!」
ぶつぶつ文句を言い出す絵里を横目で見ながら、れいなは熱を孕んだ溜め息をつく。
「伝染したら治る、って、今日は安倍さんちに行くつもりだったのに…」
「…仕方ないじゃん」
「…れいなのえっち」
「はぁ?」
熱が出ていていつもの調子が出ないというのに、絵里の調子はまるで病人相手ではない。
疲労感がまた増して、れいなは諦め混じりの息を吐く。
- 234 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:26
- 「…ていうか、絵里、ちょっとでいいから、静かにしててよ。頭に響く…」
「むー」
不満そうに唇を尖らせた絵里を横目で見ながら、れいなは小さく笑って布団の中から手を出した。
首を傾げた絵里の頭を、出来る限り優しく撫でてやる。
「…来週でもいいじゃん。ね?」
拗ねていた口元がほんの少し和らぎ、こくりと絵里も頷く。
「…あ、そだ、キスしようよ」
「はいぃ?」
またとんでもないことを言い出した幼馴染みに、れいなは声を裏返した。
- 235 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:26
- 「何を急に…っ」
「だって、絵里の風邪、れいなとキスしたら治ったし」
「…バカ、そんでまた絵里に伝染したら意味ないでしょ」
「ダイジョーブ、風邪にもメンエキつくんだって。本に書いてた。だからもう、絵里には伝染らないよ」
果たして絵里は、『免疫』の意味が判っているのだろうか。
第一、本って、マンガだろう?
突っ込みたい気持ちになっても、うきうきとした面持ちで顔を近づけてくる絵里を、
高熱のせいで体力さえ低下しているれいなは拒絶出来ない。
というより、拒む理由がなかった。
近付く顔にゆっくり目を閉じる。
しかし、れいなは自分の考えが甘かったことを知る。
- 236 名前:Chapter ― 3 投稿日:2004/06/13(日) 23:27
- 以前、れいながしたときと同じようにただ押し付けるだけのキスだと思っていたのに、
唇が触れた途端、絵里の舌先に歯を割られてしまった。
体力の低下が災いして、抵抗らしい抵抗も出来ずにただされるがままで、
唇が離れたときに見た絵里は、ひどく満足そうに笑っていた。
「………どこで、覚えたんだ、もー…」
微笑む絵里の唇が艶やかな色を放っている。
それが自分と絵里との唾液が混ざり合った色だと気付き、れいなは、自身の熱がまた上がったことを知った。
――――― その後、れいなの熱がなかなか下がらなかったのは、勿論、絵里のせいである。
- 237 名前:さくしゃ 投稿日:2004/06/13(日) 23:27
-
更新しました。
以上で、Chapter ― 3は終了となります。
はー、楽しかった(殴)
レスありがとうございます。
>>217
毎回!?
うわぁ、ありがとうございます。恥ずかしいですけど嬉しいです。
田中さん、可愛いですよねぇ……デレデレ<踏。
Chapter ― 3は、書いたのはちょっと前だったので、
今なら田中さんの喋り方ももうちょっと勉強できたかも、と反省点は多々ありますが、
これが自分にとっての初書き田亀でして、我ながら気に入っておりますです。
次回からメインCPはまたまた変わりますが、昔、一度だけ書いたことがあるCPですので、
更新速度は超がつくほど低速ですが、気合い入れなおして、頑張りたいと思います。
ではまた。
- 238 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 08:02
- まだ幼さの残る二人だからこそ、ほのぼのしますね。
ずっと見守りたくなりますが、辻加護のようにいつかは成長し、
大人になっていくんだなぁ、と思ってしまう今日この頃です。(w
- 239 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/18(日) 02:50
- 面白いです。
次回はどんなCPなのでしょうか!?
楽しみです!!
これからも頑張ってください!
- 240 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/30(金) 01:03
- 続きお待ちしております。
- 241 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/06(月) 00:56
- まだかな〜?
- 242 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/09/19(日) 10:44
- ◇
見ているだけでよかった。
たまに話せるだけでよかった。
だけど、体温を知ったら、もっと近くに欲しくなった。
◇
- 243 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/09/19(日) 10:44
-
◇◇◇
- 244 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/09/19(日) 10:45
- 現実逃避だ。
完成間近のカンバスに絵筆を走らせながら圭織は思う。
絵を描くのは好きだ。
筆を走らせている間は、周囲の雑音を遮断するからあまり物事を考えずに済むし、没頭できる。
自分にとって嫌なことを考えずに済む。
でも、アトリエに一人でいるのは、あまり自分向きではないように感じてもいた。
虚しさだとか、そういうものではないけれど、今の自分を、何だか虚像のように感じてしまう。
本当に描きたいものが何か気付いているだけに、嫌なことを考えなくて済むときもあれば、
逆にそのことに思い至ったときは、それ以外、考えられなくなるから。
- 245 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/09/19(日) 10:45
- 「…よし」
とりあえずの完成に、圭織は溜め息とともに筆を置く。
と同時に、窓際に置いてあった目覚し時計が軽快な音を起てた。
弾かれたようにそちらに振り向いて、続けて壁に掛けられている時計に目をやる。
「…もうこんな時間なんだ」
時間を確認してから幾らか急ぎ足で立ち上がり、鳴っている目覚ましを止め、
掛け時計の真下にあるフックに無造作に掛けられてあるジャケットに手を伸ばす。
今日は、思っていたよりも絵を描くことのほうに集中出来たらしい。
「急がなきゃ…。なっち、待たせちゃう」
独り言を呟きながらジャケットを羽織り、くるりと一度室内を見回してから、圭織はアトリエをあとにした。
- 246 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/09/19(日) 10:45
-
「ただいまっ」
アトリエから歩いて7分。
ちょっと走れば5分のところに、圭織が居住している下宿屋がある。
下宿を切り盛りする大家をはじめ、住んでる人間はみんな若い女ばかりのため、
門扉だけでなく、建物自体、防犯も厳重だ。
勿論、圭織は住人なので、面倒なチェックもなく玄関へと踏み入ることができるけれど。
半ば駆け足で食堂、と称されているダイニングに入ると、奥のほうからほんのりと鼻孔をくすぐる朝の香りがした。
「おはよー、圭織」
下宿屋の大家であり、圭織の元同級生でもあるなつみがトレイに味噌汁用の椀を幾つか乗せてキッチンから姿を現す。
- 247 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/09/19(日) 10:46
- 「おはようございます」
「おはようさん」
「んぁよー」
既にテーブルについている、この下宿の他の面々が次々に圭織に声を掛ける。
「おはよう、美貴ちゃん、裕ちゃん、ごっちん…、て、あり? 一人足らなくない?」
「あ、柴田やったら、昨日からおらんで」
「奥多摩のほうへキャンプって言ってました」
「へえ?」
答えた裕子と、それに続けた美貴。
その美貴の隣に腰を下ろしてすぐ、圭織の前に味噌汁が差し出された。
「キャンプて、これぐらいの季節が一番えーよなあ」
「ゆーうちゃん、ゴハンのときは新聞読まないでってば」
- 248 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/09/19(日) 10:46
- 欠伸を噛み殺しながら圭織の目前に座っていた裕子が新聞を広げながら言うと、
その脇からなつみが軽い口調で戒めた。
「お、すまんすまん」
「もー、ちっとも悪いと思ってないくせに」
「まあまあ」
口調からも表情からも、なつみが真剣に怒ってるのではないのは明白だ。
なので、この中でなつみと裕子と一番付き合いの長い圭織が、その場を適当に宥める役目でもある。
「そんなことより、ゴハン食べよ? カオ、なっちのゴハン食べないと、一日が始まんないんだよ」
なつみに向かって言うと、どうやらそれはなつみには嬉しい言葉だったのか、
もともと怒っても柔らかな面差しがますます優しげになった。
「まーた、嬉しいこと言うんだから」
「ホントだよう」
信じてもらえないのは少々心外だけれど、それは圭織の本心だった。
- 249 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/09/19(日) 10:46
- 「んーと、ごとーもなっちのゴハンで一日が始まるよ?」
裕子の隣に座って、茶碗を持っていた真希が、ふにゃり、と表情を崩す。
「なっちのゴハン、チョー美味しい。だいすき」
「な、なーにもう、朝から恥ずかしいこと言わないでってばー」
「だから、おかわり」
一同ががっくりと肩を落とす。
「…もう食ってたんか」
呆れ気味の裕子の独り言にも真希は動じず笑顔になる。
それを見て美貴も圭織も笑い、茶碗を受け取ったなつみがキッチンへと走る。
いつも通りの一日が始まる。
- 250 名前:さくしゃ 投稿日:2004/09/19(日) 10:47
-
約3ヶ月以上も間が空いてしまってたことに愕然としました。
長らくお待たせしましたのに、更新量がチョー少なくて、本当に申し訳ございません。
レス、ありがとうございます。
>>238
幼い、という表現は、おそらく本人達にはあまり褒め言葉にはならないと思うのですが、
だからこそ、見守る立場にいるこちら側がほのぼのさせられてしまうんだろうなあ、なんて思ったりします。
いつかはオトナに……なってしまうんでしょうね…(°Å)
でも、その過程を見ることが出来る立場であることも、ある意味、幸せなのかも知れません…、
なんて、自分を慰めてみたり(^^;)
>>239
面白いと言ってもらえるなんて、ありがたいです。
お待たせしましたが、今回のCPはコレでございます。
お気に召していただけるといいのですが……びくびく。
>>240
>>241
すいませんすいません。本当にすいません。
のんびりですが、頑張りますんで、許してやってください。ぺこぺこ。
- 251 名前:さくしゃ 投稿日:2004/09/19(日) 10:48
- 本当は、Chapter ― 4って、長くならない(予定)の別CPの予定だったのですが、
そっちから始めると、年内にこっち(今回からの)CPに取り掛かって、
そのうえ終わらせるなんて無理じゃっ!(ノ ̄□ ̄)ノ ~~┻━┻
と、投げ…、じゃない、予測しまして、間に合わなさそうだったので、急遽差し替え、となりました。
言い訳です、ごめんなさい。
とはいえ、どうにもラスト(このCPの)が決まらず、相変わらず更新速度も超低速です。
ゆっくりですが、進める気持ちはありますので、お付き合い願えましたらありがたいです。
ではまた、出来る限り、近いうちに。
- 252 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/23(木) 22:37
- おー、続きが来てくれた。
今回の主人公はこの人ですか。
どんな話になるのか楽しみにしてます。
- 253 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/27(月) 22:15
- おお、続きだ♪
ちゃんとチェックは入っておりますんで、
頑張ってつかーさい♪
- 254 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:07
-
◇◇◇
- 255 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:07
- 圭織がなつみと出会ったのは、ふたりが高校2年のときだった。
圭織は入学時から、そのスタイルの良さと運動神経の良さで注目を浴びていたけれど、
なつみはといえば、確かに平均よりは可愛いけれどもさして目立つ風貌をしていたわけではなかったし、
教師陣が諸手を挙げて喜ぶほどの秀才というほどでもなかった。
ごくごく普通の、言葉の響きとしてはあまり良くないけれど、いわば凡人。
そんなふたりに、いわゆる『接点』はなかった。
あったのは、クラスメート、ということだけ。
- 256 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:08
- 2年に進級する際のクラス替えで、出席番号が圭織よりひとつ前になったのがなつみだった。
しかし、席が前後になっても、共通の話題や接点がない限り会話は生じない。
まして、なつみの前の席は去年のなつみのクラスメートだったらしく、
更には圭織の後ろの席も圭織と同じ中学出身の友人だったので、
必然的に、なつみと圭織との間に、会話らしい会話が生まれることはなかった。
だからといって嫌悪したり仲違いするというようなことはなく、
至って平穏に、共通点はなくても当たり障りのないクラスメートとして日々を過ごし、
きっとそのまま卒業していくのだと、圭織は思っていた。
そしてたぶん、なつみも、同様に。
- 257 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:08
- それは、春と夏を穏やかに過ごし、秋も次第に深まってそろそろ冬支度を思わせる頃だっただろうか。
2学期の中間試験当日、なつみは姿を見せなかった。
普段は適当な席替えで違う机で授業を受けていても、試験時は出席番号順に並ぶのが常だ。
けれど圭織の目前の机は答案用紙が乗せられただけの空席。
前に座るはずの生徒がいない、というのは、あまり心地好いものではない。
担任の教師や試験教官はなつみの欠席の理由を知っているはずなのに、
なつみの欠席の理由を尋ねた生徒にも曖昧に濁すだけで明確な理由を知らせなかったのは、
試験に支障をきたすと判断したからだろうか。
結局、なつみの欠席理由がなつみの父親の他界だったことは、試験が終わってから知らされた。
- 258 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:09
- 夏休み中になつみの母親が病死したことは誰かが噂していたので圭織も知っていた。
けれど、唐突に知らされたその事実は、クラス内を幾らか沈ませる。
両親を短い期間に一度に亡くす、という事態は、多感な女子高生には思うところが多々ありすぎるのだ。
更に、安倍なつみ、という人間は、容姿や行動は目立たなくても、クラス内に嫌味なく平穏を漂わせる存在だったので、
仲の良いクラスメートたちだけでなく、彼女に好感を持っている者たちがなつみを思って心痛を耐えた。
担任教師の口から、なつみのほうから試験終了までは知らせないで欲しいと言ったと聞き、クラスはますます沈んでいく。
勿論、圭織も同様である。
告別式は済んでしまったということだったので、
担任教師とクラス代表のふたりが安倍宅に挨拶に伺うということでその日は終わった。
なつみがいつから学校に登校してくるのかは、その日はまだ、判らなかった。
- 259 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:09
- ◇
試験が終わって二日過ぎた。
圭織は、入学時のあらゆる運動部からの勧誘を丁重に断り、
中学のときはなかったために諦めた美術部に念願叶って入部した。
有名校は知らないが、美術部というものはたいていは部員数が少ない。
圭織たちの高校もそれに漏れることなく部員数は両手に満たず、2年生では圭織ともうひとりいるだけだ。
そして、期待を裏切ることなく、圭織以外の部員はほとんど活動という活動をしない。
圭織の容姿や雰囲気に誘われて入部してきた下級生もいるが、
実際の圭織を目の当たりにして、しばらくすれば半ば幻滅気味に辞めていく。
- 260 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:09
- 失礼な話だが、圭織はその派手な容姿に似合わず結構な横着者である。
周囲についてはそれなりに気を遣うが、自身のことには無頓着なほうだ。
というより、自分自身の世界に入ってしまえば、周囲の雑音は全て遮断して話を聞かなくなる。
それに慣れている友人たちは何も言わず邪魔もしない(むしろ面白がっている)けれど、
圭織の外見しか知らない人間にはいささか衝撃だろう。
自分を外見だけで判断されることに少しばかり胸を痛めることもあるが、
それはそれで仕方ないことなのかも知れないと、圭織はどこか諦めている。
- 261 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:10
- 「…ふう」
溜め息と一緒に鉛筆とスケッチブックを置く。
誰もいない放課後の美術室は小さな溜め息さえも拾って室内に響かせるが、もう慣れてしまったので、
むしろ誰もいないのをいいことに、その場に足を投げ出すようにして圭織は寝転んだ。
置いたスケッチブックに手を伸ばし、寝転びながら最初のページから見返してみる。
スケッチブックに描かれているのは、ほとんどが校庭の風景だ。
クラブ活動に精を出す人たちだったり、校庭の脇で談笑している二人組だったり、校舎だったり。
絵を描くのは好きだけれど、どうも最近、思うように手が動かない。
以前のような、描くことに対する情熱、と呼べるものが薄れてきているのだろうか。
何冊目になったか判らないそのスケッチブックの中身は、そのどれもが中途半端な部分で止められている。
- 262 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:10
- 「……スランプ、ってヤツかな」
ひとりごちて、もう一度溜め息を吐いた圭織は、そのままの勢いで起き上がった。
美術室に差し込んでくる西日がだんだんと傾きかけている。
秋は夜が長い。
今日はもう描く気になれない。
いつまでもここにいたって仕方ない。
帰ろう。
脳内でひとりで会話して、制服についた埃を払い落としてから美術室を出る。
鍵を掛けて、それを職員室に届け、圭織はいつもより少し早足で下駄箱に向かう。
何となく、今日は学校に長居したくなかった。
- 263 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:10
- 「…あ」
「あっ!」
下駄箱に到着したとき、同じ言葉でもまったく違う意味をまとったような声音が響いた。
自分の発した言葉がやけに大きく思えて、思わず圭織は手で口を覆う。
そして、目の前にいる自分よりずっと低い背丈のクラスメートが微笑むのを見た。
「部活?」
「あ…、う、うん、そう。…あの、あ、安倍さん、は?」
ほぼ1週間ぶりに見るクラスメートの顔だったとは言え、
ずいぶんと声が裏返ってしまったことに、圭織は自分が幾らか緊張していることに気付いた。
「なっちは…、ちょっと手続きに…」
「えっ、辞めちゃうの?」
- 264 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:11
- なつみの一人称が自身のあだ名であることは知っていたので今更だったけれど、
彼女の口から出た言葉は圭織には予想外の展開を思わせるもので、
そこから連想して出てきた言葉のほうに自分で驚いた。
驚いたと同時に、言葉になって音になっていた。
圭織に言われたなつみの目が見開く。
そしてすぐに、笑顔に変わった。
「違うよぅ。保護者が変わったからさ、その手続きっていうか。休んだことへの挨拶っていうか」
「あ…、そ、そう…」
「あと、試験受けられなかったっしょ? それの特別?試験?ていうのかな、それを受けに」
「そ、そっか」
「受けなくてもいいかと思ったんだけど、そーもいかないみたいで」
一人で先走った自分をひどく恥ずかしく思ったけれど、なつみが冗談めかして言ってくれたことで幾らか救われる。
- 265 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:11
- けれどすぐに、なつみは両親を亡くしてしまったのだ、ということを思い出した。
「あ…、あの、こ、このたびは……」
「あっ、あっ、ストップストップ」
そこまで言っただけで、なつみが両手を胸の前に出して圭織を制止する。
「なっち、ちょっと、そういうの慣れてないんだ」
「…けど」
「気にしないで? …正直、そう言われたほうが思い出しちゃうし、ちょっと、ツライ」
「……ご、ごめん」
「なっちこそ」
そこで会話が途切れてしまう。
共通点のないふたりの限界だろうか。
- 266 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:11
- 「なーっちー? まだかー?」
ふたりの間の沈黙を破るように、それは確かに、救いの声でもあったのだと当時は思ったのだけれど、
下駄箱を抜けた校庭のほうから、関西弁訛りでなつみを呼ぶ声がした。
「あ、ちょっと待ってー! すぐ行くー!」
声のしたほうに呼ばれた声と同じくらいの声量で答えてから、なつみは自身の靴箱に手を伸ばす。
目前で靴を履きかえる様子を、圭織は半ば茫然と見守っていた。
オレンジ色の西日が柔らかく差し込む下駄箱に、なつみの影が長く伸びている。
「じゃ、またね」
「…あ、うん」
とんとん、と、白いスニーカーの靴先を地面に打ち付けながらなつみが振り向く。
- 267 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:11
- そのとき、不意に。
そう、あまりにも劇的に、柔らかく差し込んでいただけの西日が、
隠れていたなつみの姿を見つけたと言いたげに、下駄箱の中まで鋭く伸びてきた。
「…っ」
その眩しさに圭織は声もなく腕で目元を覆い隠したけれど、なつみは違っていた。
「…!?」
伸びてきたオレンジ色の光線がなつみを包む。
暖かなオレンジ。
「…わあ」
短い、感嘆の声。
その色に、その声に映えるように、なつみの背中に見えたのは。
「すごく綺麗な夕焼けだね」
圭織に振り返ったなつみの背中に見えたのは。
- 268 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:12
- 「……は、ね…?」
真っ白な。
それでいて、とても大きな。
彼女を包むように守るように。
彼女を、崇めるように。
声になった瞬間、強かったはずの西日がその鋭さを消す。
なつみの背中に見えたはずのものさえも、圭織の視界から消えた。
- 269 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:12
- 「…飯田さん?」
茫然としていた圭織の前に、心配そうな面持ちでなつみがやってくる。
なつみの背には、もう何も見えない。
見間違いか。
当然だ。
人間の背中に羽があるなんて有り得ない。
でも。
だったらこの胸の鼓動はなんだろう。
ひどく追い立てられるような。
ひどく掻き立てられるような。
この、早鐘を打つ鼓動の意味はするものは?
- 270 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:12
- 思うと同時に、圭織は自分のほうへと近付いてきたなつみの手首を掴まえていた。
びくっ、と、なつみのカラダが跳ねる。
跳ねたと同時に、圭織も我に返った。
「…わ、わわっ、ごめんっ」
「い、いいけど…どうしたの? なんか、顔、赤いけど…?」
慌ててなつみの手を離すと、その手が圭織の顔のほうへと伸ばされてきた。
自分とはまるで違う、柔らかそうな白い手だった。
無意識に伸ばされてきただけなのに、けれどその指先にまでもなつみの人柄が滲んでいるように思われて、
圭織はその手を今度はそっと掴まえる。
今度はなつみもカラダを揺らさなかった。
- 271 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:12
- 「大丈夫だよ」
「そう?」
ホッとしたようななつみの表情に圭織もなんだか安らぎを覚える。
「…じゃ、なっち、人待たせてるし」
「うん」
「もう帰るね?」
「うん」
答えても、なつみは圭織の前から動かなかった。
ただじっと、圭織を見上げていた。
その目の色が、だんだんと困ったように揺れていく。
「…あの、…は、離してくれないと、帰れない、よ?」
「え? …あっ、ああっ! ごめん!」
- 272 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:13
- 落ちたなつみの視線の先を追って、圭織は自分の失態に気付く。
掴んだままだったなつみの手を慌てて離し、自分の行動を反芻して顔を覆った。
「ごめん、ごめんね。あたしってば、何やってんだろ……」
「…や、…べつに、いいけど…」
なつみは俯いたままだったし、自身の行動の恥ずかしさに半ばパニックだった圭織には、
少しくぐもっていたなつみの声ははっきりとは聞き取れなかった。
けれど、思うほど気まずい空気が流れたわけではなさそうで、圭織は幾らかホッとする。
「ごめんね」
「ううん。…じゃ、なっち、帰るね」
「うん、またね」
手を挙げた圭織にホッとしたように頷き、なつみはゆっくりと踵を返す。
下駄箱を出て行くなつみの背中を見送っていた圭織の目に、
先ほどの光景がゆっくりと再現されて、その視界の中で乱れていたピースを整えていく。
- 273 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:13
- 「…安倍さんっ」
幾らか早足の彼女の背中にまた白い羽が見えて、圭織はまたしてもなつみを呼び止めた。
いい加減しつこいと怒られても仕方ないと思ったけれど、なつみは難なく振り向いてくれた。
「なーに?」
少し距離が出来たしまったため、そのぶん声を張らなければ相手に届かない。
「あたしも、なっちって、呼んでいいかなあ?」
我ながらなんてバカなことを言ったんだろう。
言葉にしてから圭織はまた恥ずかしくなったけれど、圭織の声を聞いたなつみが、一瞬きょとん、としたあと、
次の瞬間には楽しそうに嬉しそうに笑ってくれたことですべてが相殺され、昇華された。
- 274 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:13
- 「いいよー。じゃ、なっちも、圭織って、呼んでいーい?」
屈託のない、邪気のない、すべてが浄化されるような笑顔だった。
「もちろん!」
答えた圭織に両手を振ると、なつみはまたくるりと前に向き直り、駆け出して行った。
その背中には、また、白い羽。
今度はもう、圭織も呼び止めなかった。
- 275 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/10/10(日) 09:13
- 自身の靴箱に手を伸ばし、靴を履き替えながら、ふと、ひとつの答えに行き当たる。
何かが描けそうだと思った。
描こう。
いや、描きたい。
ゆっくりと、脳内でそれがカタチになっていく。
――――― 天使を、描こう。
履き替えたばかりの靴をまた履き替え、圭織は美術室の鍵をもらうために、職員室へと向かった。
- 276 名前:さくしゃ 投稿日:2004/10/10(日) 09:18
-
更新しました。
レス、ありがとうございます。
>>252
ちょっと裏切ったカンジもしますが、今回はこのひとが主人公です。
どんな話になるか、書いてる側も少々微妙ですが。<おい
>>253
チェックされてるですかー、ありがたいです。
がんばります。
次回更新まで、少し期間が空くかも知れませんが、
気長にお待ちいただけると、ありがたいです。
毎回毎回、更新の遅い言い訳をしてしまって本当に情けないですが…。
それではまた。
- 277 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/12(火) 00:47
- こういういきさつがあったんですか
まさしく「天使」な描写が美しいですね 思い入れが炸裂してるというか
二人がどうなるのか楽しみ
- 278 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/26(火) 21:01
- とても綺麗な描写に引き込まれました。
お話はもちろんのこと、作者さんの書かれる文がとても好きです。
出会えたことに感謝。
更新を楽しみにしてます。
- 279 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:06
-
◇◇◇
- 280 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:06
- 「それがきっかけ?」
「そうだよ」
柔らかく微笑んで答え、圭織は絵筆を置いた。
初夏の陽射しが適度に差し込む休日のアトリエには、今、圭織の他に同じ下宿の住人、真希がいる。
休日の午後を持て余していた真希が、
朝食後すぐにアトリエに戻ってしまった圭織を追ってきてから数時間がたっている。
この時期は日照時間も長いので、午後から訪れて数時間過ぎたといっても、まだまだ太陽の位置は高く、
休日も、まだまだ残されている感じがする。
真希の台詞は、下宿の家主であるなつみと、
そのなつみと元同級生である圭織がどういういきさつで知り合ったかを話した直後の感想だ。
- 281 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:13
- 「じゃ、最初っから仲が良かったってワケじゃなかったんだね」
「誰だって最初はそんなもんじゃないのかな?」
「そうだけどさ。でもなっちとカオリンは、ずーっとずーっと一緒だったってカンジしたからさ」
座った椅子に深く腰掛け、膝から下をぶらぶらと揺らせながら肩を竦めて真希が答える。
「…それは裕ちゃんとなっちのほうじゃない」
「そうだけどさ…、でも、なんていうか、そういうんじゃなくて……、あーっ、うまく言えないっ」
がしがし、と、自身の髪を両手でかき混ぜたあと、真希は、むう、と少し唇を尖らせた。
真希の言わんとしていることは何となく判ったけれど、
圭織にとってそう思うことはひどくおこがましく感じられるので、
その真希に微笑み返しながら、わざと気付かないフリをした。
- 282 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:13
- 数年前のあのあと。
そう、なつみを見送ったあと。
美術室に戻った圭織がスケッチブックに描いたのは、天使をモチーフとしたものだった。
下校時刻になってしまったせいで中途で止めざるを得なかったけれど、
翌日の放課後まで待ちきれず、早起きして学校に向かい、授業が始まるまでの数十分と昼休みを利用して、
放課後までには色も付けられ、昨日のように西日が差し込む頃には粗方出来上がっていた。
圭織が最初に思い描いたのは暖かなオレンジの陽光に包まれる天使。
それはまさに、圭織がその目で見た通りのなつみの姿だった。
- 283 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:14
- けれど、描き進むうちに何かの閃きに導かれるように描き幅が広がり、イメージもたくさん膨らんで、
描き終えたときは最初に思ったものとはまったく違う、けれどそれはそれでとても満足のいく仕上がりになった。
完成したものは、確かに天使を題材とし、夕焼けを彷彿とさせるオレンジを基本とした彩色だったけれど、
なつみを思わせるものではなかった。
なつみを描くことに、途中からひどく抵抗心が生まれてしまったのだ。
しかし、描き終えても次から次へとイメージが浮かんでくるので、
圭織は今まで以上に意欲的に筆を持つことになった。
もともとの潜在能力が発揮された圭織の作品はすぐに美術教師の目に留まり、絶賛を浴び、
コンクールでも入選を果たし、卒業時にはスポンサーがついた。
そして現在、趣味で始めたものが今では圭織の職業となり、
有名とまではいかなくても、密かに根強いファンを日々増やし続けている。
- 284 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:14
- 3年生への進級直後、なつみが従姉妹の提案で下宿屋を始める、と知らされたとき、
既に卒業後の進路が決まっていた圭織は、すぐにその下宿への入居を申し出た。
圭織自身の心の中に少しの疚しさもなかったとは言い切れないけれど、
その頃には、初めて会話らしい会話をした日以上の信頼関係が成立していて、
なつみの親族以外では、圭織がなつみの初めての同居人になった。
下宿先となるなつみの家に足を踏み入れたとき、そこでは既に、なつみの従姉妹の中澤裕子が彼女と生活していた。
圭織がなつみの背に羽を見た日、
なつみに付き添って学校へ訪れた関西訛りの人物が裕子であると知ったのは、同居をはじめてすぐのころ。
なつみに対し、同級生で友人である自分とはまた違った接し方をする裕子を最初は少なからず訝ったけれど、
なつみから絶大の信頼を寄せられていることと、裕子自身の人柄がその杞憂をさっさと取り払った。
3人で1年一緒に過ごしたあと、親が海外赴任になり、その同行を拒んで日本に残ることにした柴田あゆみが加わり、
翌年に真希、そして今年の春からは北海道から上京してきた藤本美貴とで、現在は6人での生活となっている。
- 285 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:14
- 「…んーと、じゃあ、質問変えていい?」
「うん?」
「カオリンの絵は天使をモチーフにしてるんだよね」
「うん、そうだよ」
「じゃあさ、じゃあさ、なっちのことを描こうって思ったりしたことある?」
真希の唐突な質問に、圭織は言葉を詰まらせた。
さっき、なつみと知り合ったきっかけを話して聞かせたときは、なつみの背に羽が見えたことは省いたからだ。
いや、省いた、というより、その話を誰かに話したことがないのだ。
話したくない、というほうが正しい表現かも知れないが。
「…なっち天使、って?」
「うん、そう!」
なつみの背に天使の羽を見たことをずっと黙っていても、今では同居人の誰もがなつみを天使だと表現する。
それはもちろん、なつみの人柄がそうさせるのだけれど。
- 286 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:15
- 「……んー、実はカオ、人物画って、専門じゃないんだよね」
「そなの?」
「デッサンくらいはするけどさ、本格的に筆で色付けたりしたことって、一度もないの」
苦笑い気味に答え、脇に置いてあるスケッチブックを取り出し、それを真希に差し出した。
「学生の頃から、静物画か、カオの頭の中にあるイメージを描いてばっかだった」
真希が受け取ったスケッチブックの中身に描かれているものは、描かれた当時の日付も示されている。
そのほとんどが、圭織が学生時代の頃の日付だった。
「まったく描けないってワケじゃないけど、なんか、筆が進まないっていうかさ」
「へえ…」
興味深そうにページを繰りながら真希は頷いた。
- 287 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:15
- 「水泳選手が、自由形と平泳ぎとでベストタイムが違うみたいなもん?」
「うん、そんな感じ」
判りやすいたとえをしてくれたことで圭織も幾らか救われる。
こういうとき、うまい表現が圭織が見つからないのだ。
いや、本人は至って丁寧に、それも細かく説明しているつもりなのだけれど、
聞かされている側は要領を得ずに首を傾げてしまうことが大半なのだ。
「…だからってワケじゃないけど、なっちを描こうとしたことは、ないよ」
ちくり、と、言葉にしたと同時に圭織の胸の奥のほうに、小さな小さな針が刺さった。
その痛みの意味するものが判るから、敢えて気付かないふりをする。
痛みと一緒に思い返された、ドアの向こうに消えていく頼りなさげな背中にも。
- 288 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:15
- 「そっかあ…」
ぱたん、とスケッチブックを閉じたと同時に吐き出すように言った真希の声はなんだか少し残念そうだった。
「描いてると思ったんだけどな」
「どうして?」
「ん? いや、ただの好奇心だけどさ」
スケッチブックを圭織に返しながら、真希がほわっと微笑む。
「ウチにカオリンが描いたなっちの絵が飾られてたら、すごいいいなー、って、思っただけ」
下宿、と言わずに、ウチ、と表現する真希が圭織には嬉しい。
アカの他人なのに、家族のような近しさが感じられる物言いだった。
「んー」
けれど、ないものはどうしようもなくて、圭織は口元を綻ばせながらも曖昧な声音で唸った。
- 289 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:15
- 「じゃあ、なっちから描いて欲しいって言われたこともないの?」
「え…っ?」
「ある?」
「…あー、うん…、ある…、かな」
思い出したくない光景が脳裏に思い起こされそうになって、圭織は繕うように答えた。
その声に不自然さを感じないワケではなかったけれど、
それに気付いたのか、それとも気付かないフリをしてくれたのか、
真希は笑顔を崩すことなく、圭織の続きの言葉を待った。
「…でも、さっき言ったように、カオ、人物画は専門じゃないから…」
「そっかあ…」
残念そうな雰囲気は読み取れても、これ以上は圭織も返答に困ってしまう。
「でも、仕方ないよね。
絵描きさんには絵描きさんの得意分野ってもんがあるだろうし、あんまりワガママ言うのもダメだよね」
残念であることは漂わせながらも深く詮索することはなくて、圭織は内心ホッとする。
- 290 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:16
- 「……ごめんね」
「なーんでカオリンがあやまるのー」
ふはっ、と軽く息を吐き出して真希が笑い、圭織もつられて表情を崩した。
同時に、思い返される傷付いたような背中。
いや、紛れもなく、圭織自身が傷付けた頼りなさげな小さな背中。
考えないようにしようとすればするほど、思いがけず突きつけられた過去の失言と失態とが圭織に襲い掛かってくる。
『ごめんね』
あのとき、たった一言、そう言えていれば、
今、本当に描きたいものも迷いなく描けていたのかも知れないと思う。
描きたいと思いながら、何度も筆をとってはいつも動かない手を見つめたりすることもなかったのではないのか。
あの背に、もう一度、羽を見れたのではないのか。
- 291 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:16
- 「…カオリン?」
不意に黙り込んでしまった圭織の顔を、心配そうに下から覗き込む真希。
ハッとして、圭織は薄く苦笑した。
「…ね、おなか空かない? 帰って、なっちに何か作ってもらおっか?」
「いいね、さんせーっ!」
圭織の提案に嬉々として応えた真希が椅子から跳ぶようにして立ち上がった。
身の回りを、あとでここに戻ってきたときにすぐにでも再開出来る程度に片付けて、圭織も立ち上がる。
「…あ、ねえごっちん」
「んー?」
既に玄関口で靴を履きかけていた真希が声だけ振り向く。
「…申し訳ないけど、さっきの話、なっちには、しないでもらえるかな?」
- 292 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:17
- 圭織が思い出してしまうということは、なつみには圭織以上の痛みを思い出させることにもなる。
天使のような彼女は、きっと、圭織の痛みも、自分の痛みのように感じてしまうだろうから。
圭織の言葉の意味をすぐには把握しきれなかったのか、靴を履きかけたままで真希が振り向いた。
「……カオリンが、なっちを描こうとしたことがない、って、話?」
どの話かと問われたら困るところだったけれど、真希たいして考えることもなく核心をつく。
「…うん」
曖昧に笑って頷いた圭織から何を読み取ったのか、真希は静かに笑ってこくりと頷いた。
「判った、言わない」
「……ありがと」
「なんでー? ヘーンなカオリン」
- 293 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/11/06(土) 00:17
- 真希は、本当は聡い子だ。
おそらく、なつみと圭織の間に、絵に関することで何かあったのだと感付いてしまっただろう。
それでも何も知らないままのフリをしてくれる。
今のままの、居心地の好さを損なわないようにしてくれる。
「ね、早く帰ろ?」
「……うん」
気付かなかったフリをしてくれる人間に甘えるのは、あまりよくないことだと自覚してはいる。
けれど、なかったことに出来ない過去の自分の言動を、今更どうしていいのか判らない。
知らないまま、気付かないまま、何もなかったように、やり過ごすことしか。
玄関を抜けて先に歩き出している真希の呼び声を聞きながら、圭織は溜め息と一緒にドアを閉じた。
- 294 名前:さくしゃ 投稿日:2004/11/06(土) 00:18
-
更新しました。
レスありがとうございます。
>>277
なんというか。自分にとって、このふたりって、ひとつの聖域なのです。
誰にも侵しきれない領域というか。
思い入れ炸裂。実際、自分でもそんな気がします(笑)
>>278
文章を好いてもらえるのは、本当に本当に嬉しいです、ありがとうございます。
更新はすこぶる遅いのですが、ご期待に添えられるよう、以後も頑張りマス。
前回から1ヶ月近くも空いてしまってました……orz
のんびり更新で、本当に申し訳ございません。
こんな調子でいったら、いったいいつ終われるのやら……(遠い目)
が、がんばります。
ではまた。
- 295 名前:マルタちゃん 投稿日:2004/11/06(土) 14:51
- 更新お疲れ様です。
マルタちゃんです。
さくしゃさんのペースでいいんですよぉ
ついていきますから♪
次回楽しみにしてます。
- 296 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/09(火) 23:25
- 過去に何があったのかな。
飯田さんと安倍さんならではの、一筋縄じゃいかない関係が好きです。
あと、正解を嗅ぎとれる後藤さんはいい子ですね。飯田さんとのやりとりがしみじみきました。
- 297 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:51
-
◇◇◇
- 298 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:52
- 「個展?」
予想もしなかった提案が相手の口から出て、圭織は思わず手を止めて振り向いた。
7月初旬の平日の午後。
エアコンが苦手とはいえ、夏の陽射しの差し込む南側の窓の近くはやはり暑いので、
部屋中の窓は開け放ったまま、扇風機で涼をとりつつ、圭織は今日もアトリエで自らの思うように筆を走らせていた。
冬はストーブしかなく、夏は扇風機しかない、そんな圭織のアトリエに来る人物は、
暇を持て余した真希か、圭織の仕事相手となるハロー出版の宣伝広報担当、保田圭くらいだ。
- 299 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:52
- 「そう。そろそろ時期じゃないかと思って、今、上司に企画出してんだけどさ」
首筋を伝う汗をハンドタオルで拭いながら圭は言った。
「通れば、9月の半ばくらいにでも、とか思ってんだけど…」
いきなりのことに圭織は何も言えず、ただ茫然と圭を見つめた。
その圭織の態度をどう解釈したのか、圭は急に申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「ごめん…、あたしったら、圭織の都合も聞かないでこっちで勝手に決めちゃって…」
「…え?」
「やっぱ、個展とかって、圭織は苦手?」
「あ…、いやいや、違う違う。すっごい、夢みたいな話だからびっくりしちゃっただけだよ」
表情を和らげて微笑むと、圭も少しホッとしたように笑った。
- 300 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:53
- 「…個展かあ」
筆を置いて、大きく息を吐き出しながら、圭織は自らで噛み締めるように呟いた。
「正直、この企画は通る自信あるんだ。今、女子高生達の間で密かに人気の、天使をモチーフにした絵を描く美人画家」
「び、美人って…」
「美人じゃん、アンタ。ウチの営業マン、あたしが圭織のとこ行くっていったら、写真撮ってこいってうるさいのよ」
「…それは困る…」
「もちろん、ぶっ飛ばしてくるけどね」
ぐ、と拳を見せて不敵に笑う圭に、圭織はその光景を想像して吹きだした。
「圭ちゃんなら、軽く2、3人は吹っ飛ばしてそう」
「む、失礼ね」
唇を尖らせてはいるが、そこに本気の怒りは見られない。
圭とは、圭織が今、専属で契約している出版社に、一番最初に少女小説の挿絵の仕事を依頼をされたときからの仲だ。
さほど年齢差もないのでふたりはすぐに打ち解けることが出来て、
仕事を離れれば、一緒に食事に出かけたり、プライベートな恋愛話なども打ち明けられたりしたこともある。
- 301 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:53
- 「…で、まあ、もし企画が通ったら、早いに越したことないからさ」
「ん? なにが?」
「個展合わせの新作」
「…あー」
圭の依頼に納得がいって、圭織は一旦筆を置いた。
「今までの作品でもいいと思うけどさ、その日が初公開の新作があるってだけで、結構宣伝方法も変わるんだよね」
「…圭ちゃん、仕事に燃えてるもんね」
「バカ、仕事のことだけじゃないわよ。アンタの絵をもっともっとたくさんの人に見てもらいたいのよ」
「え…」
「いつも言ってるじゃない。あたし、アンタの描く絵が好きなのよ」
テレ屋なくせに、こんなときばかり直球でくるから、圭織も時々戸惑ってしまう。
勿論、圭の言葉は純粋に嬉しい。
嬉しいからこそ、素直に受け止められないときもある。
「……嬉しいけど、最近、またスランプっぽいんだよね」
- 302 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:54
- 正直に告げると、圭の表情がゆっくりと曇っていくのが判った。
「……また、描けなくなっちゃった?」
「あ、ううん、そういうんじゃないの。
今回はあのときみたいじゃなくて、ちゃんと描きたい気持ちもあるし、仕事だって言うなら、ちゃんと出来るよ」
「……でも、ホントに描きたいものが判らない、って?」
圭の言葉は、以前、圭織が筆を持つのさえ嫌になったときに吐いた弱音だった。
もうずいぶん前になるはずだけれど、圭のことだから、忘れることはないだろうと圭織も思っていた。
だから、そんなふうに言われてしまえば、圭織は苦笑しながら頷くしかない。
圭織の笑顔に、圭はとても困ったように、それでいてどこか憐れむように圭織を眺めたあと、
ゆっくりと息を吐き出すと、自分のアタマを掻き毟るように乱暴にかきまぜた。
「…あー、もう、バカね」
- 303 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:54
- 呆れの混じった声で言い放ち、幾らか距離のあった圭織との間を詰めるように椅子から立ち上がる。
「あたしの前では無理することないってば」
「圭ちゃん?」
「そりゃ、あたしはアンタの仕事相手だけどさ、でもその前に、アンタのトモダチでもあるんだから」
そこまで言われただけで、圭の言いたいことは判った。
ぽんぽん、とあやすように肩を叩かれ、その肩から強張っていたようなチカラが抜ける。
「……うん、ありがと」
こつん、と額を圭の胸元に軽く押し付けながらゆっくり息を吐くと、その圭織の長い髪を圭も優しく撫でた。
「………描きたいものは、あのときと変わってないんだ?」
- 304 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:54
- 前にも一度あった圭織の不調。
何もかもが嫌になって、許せなくなって、愛用していたものだけでなく、まだ一度も手にしたことのない絵筆もすべて折り捨て、
棚に並べてあるもの、引き出しの中にあるもの、部屋の隅に立てかけられているもの、
画材道具、と称されるそれらすべてを、仕事場所として借りている部屋中にぶちまけた。
たまたま次の仕事の打ち合わせと新しい企画案を持ってアトリエを訪れた圭は、
そのときの様子を今でも思い返すことがあるようだ。
圭織でさえ記憶が曖昧なその光景は、圭の脳裏にはひどく鮮やかなのだという。
つまり、それほど強烈で衝撃的であったということ。
そのとき、圭織は自分が圭に何を言ったのかも、あまり覚えていない。
『描きたいのに描けない』と、ただそれだけをうわ言のように呟いていたのだと、あとになって圭から聞かされた。
- 305 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:54
- 圭の心配そうな声に、圭織はゆっくり態勢を戻す。
それから静かに圭を見上げた。
「…たぶん、それは一生変わらない」
本当に描きたいもの。
描きたいけれど、描けないもの。
何度も何度も、それを描こうとして筆を持った。
けれど、そのたびに圭織の瞼に蘇る、傷付いたような小さな背中。
カタチのない痛みを飲み込んで、なお微笑んだなつみの、壊れそうな―――――。
- 306 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:55
- 「…圭織?」
あれからもう、ずいぶんと時間は過ぎているのに、今でも鮮やかに蘇る光景。
圭の脳裏に残る惨状も、こんなに鮮明なのだろうか。
思い出すたびにこの胸だけでなくカラダ中が後悔を訴えるのに、
圭織はまだ、その後悔を『後悔』というカタチのまま、自らのなかで昇華しきれずにいる、拭えずにいる。
「大丈夫だよ、そんな顔しないで、圭ちゃん」
きっと圭には作り笑いだと見抜かれるだろう。
それでも圭織には笑うしか出来なかった。
- 307 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:55
- 「……ねえ圭織」
「ん?」
見ていられない、と言いたげに目線を落とした圭から、圭織は再び筆へと意識を戻す。
「…新作のことだけど」
「あー、うん。そうだね。何かテーマとかあったら、イメージも出てきそうなんだけど」
「いや…、テーマっていうか、その…、圭織がホントに描きたいものを描くってワケには…、いかない?」
「え…」
思わず声を詰まらせて圭織が圭に振り向くと、圭は幾らか強い眼差しで圭織を見つめていた。
「…圭ちゃん、それは…」
そこまでしか言葉にならなかったのは、自分を見つめる圭の目の強さに圧倒されたからだ。
「圭織の絵はいつだってあたしたちの期待に応えてくれてるし、不満に思ったことだって一度もないよ。
だから、無理って言われたら、しょうがないって思う…、残念だけど、無理強いはよくないし、諦める。
でもさ、絵描きって、自分の描きたいものを描くのがホントの絵描きなんじゃないかって、あたし思うんだよ」
- 308 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:56
- なんて真摯なのだろう。
そう感じた圭織の胸の奥が揺れる。
「もし、圭織がもっともっと自分に正直になって、ホントに描きたいものを描けたら、それってきっと…」
「圭ちゃん」
けれど、圭織は圭の言葉を遮ってしまっていた。
圭の言いたいことや気持ちは痛いほど判るし、圭の言うことが正論だろうということも理解できるし、応えたいとも思う。
それでも、圭織は描けないのだ。
- 309 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:56
- 「……ごめん」
「かお…」
「ちょっと疲れちゃったみたい。…今日はもう、帰ってくれないかな…」
圭の顔は見ないまま、筆を置き、俯きながら圭織は告げた。
「…ごめん」
もう一度、今度はさっきより幾らか強めに告げると、圭の溜め息が少し離れた位置から聞こえてきた。
「……判った。今日は帰るよ」
俯いていたせいでよくは判らなかったけれど、圭が荷物をまとめているのが聞こえてくる音で窺えた。
「週末また来るから。…あたしこそごめん」
呟くように、けれどしっかりした声音の謝罪に思わず圭織は顔を上げた。
玄関先で、苦笑いしていた圭が、ひょい、と右手を挙げる。
- 310 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:56
- 「圭ちゃ…」
「そんな顔すんな、バカ。あたしがものすっごい悪いことしたみたいじゃんか」
「…ご、ごめ…」
「なんてね。…あんま無理しないでよ。アンタ、ウチの稼ぎ頭なんだから」
どこか憎まれ口にも感じられるそれが、少し不器用な圭の労わりだと気付かない圭織ではない。
「…うん」
「じゃあね」
「うん、気を付けてね」
「あっは、もし痴漢なんか出たら撃退してやるわよ、この拳で」
「…過剰な正当防衛にならない程度でね」
圭織が付け加えると、かかか、と軽やかに笑って、圭は部屋を出て行った。
- 311 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:56
- ひとりになった途端静かになった空間に、圭織は深く息を吐き出す。
そして、まるで人の目から隠すように、棚の一番隅に並べているスケッチブックを取り出す。
心なしか小さく震える手で、そっとそれを開く。
そこにある、どれも中途半端な曲線しか描かれていないページに、疲れと諦めを孕んだ溜め息が漏れる。
「……描きたくても、ここまでが限界なんだもの」
何度も何度も、描こうとして、そのたびに手が止まった。
描くことで何か起こるワケではないという確証も、描いてしまったことで何も起こらないという自信も、圭織にはなかった。
誰かにそれを話せば、きっと馬鹿げたことだと笑われるだろう。
それでも、それが圭織の手を止めるのだ。
- 312 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:57
- スケッチブックを閉じたとき、さほど不快にならない程度でFAXの受信を知らせる機械音がした。
棚に戻してから送られてくるFAX用紙を見て、圭織の口元が綻ぶ。
ピー、と、受信終了の信号音を聞いてから用紙を切り取り、もう一度読み返してからゆっくり折りたたんだ。
「…あたしも、帰ろ」
部屋を見回し、さほど散らかっていないことを確かめてから、圭織は鍵を持って部屋を出た。
- 313 名前:Chapter ― 4 投稿日:2004/12/19(日) 12:58
- 『圭織へ
お仕事、忙しいのかな?
邪魔しちゃったらゴメンナサイ。
今日は庭でバーベキューをしようと思います。
材料はいっぱい買っておくから、
もし、一段落ついたら、帰ってきてね。
みんないるよー。
なつみより』
- 314 名前:さくしゃ 投稿日:2004/12/19(日) 12:59
-
更新しました。
レスありがとうございます。
>>295
ありがたいお言葉、身に染みます。
>>296
>過去に何があったのかな。
ご期待に添えられるものであればいいのですが、
力量不足で、読者さんの肩透かしにならないことを祈るばかりです。
ちなみに、うちの後藤さんはどの話においてもいい子です。
今回はその筆頭です。なんて、言ってみたり。
年内に、せめてもう一度更新……は、無理かも…orz
ではまた。
- 315 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/23(木) 11:21
- 圭ちゃん強くていいやつですね
でも飯田さんやっぱ今の状態を壊したくない気持ちでしょうか
いつかは変わらなきゃいけないのかな
続き楽しみにしてます
- 316 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/03(木) 22:57
- 待ってます
- 317 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:35
-
◇◇◇
- 318 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:35
- その日も、陽射しは夏特有の強さを誇らしげに掲げていた。
高校を卒業し、卒業と同時に始めたなつみの下宿での同居生活にも、
気持ちだけでなくカラダが慣れはじめ、仕事も少しずつ軌道に乗り出した頃。
珍しく次のテーマに悩んでいた圭織は、下宿の自室に篭もってぼんやりしていた。
まだ成人はしていなかったものの、定期的に仕事の依頼はあるし、それにちゃんと応える圭織に対し、
圭織のスポンサーは下宿の近くに、仕事場所兼打ち合わせ場所としてのアトリエとなる部屋を提供していた。
けれど、用意されたその部屋はまだ真新しいせいか生活感がまるでなく、
夏だというのになんだか冷たい空気さえも漂わせていて、
周囲の雑音などが邪魔になるような絵筆を持つとき以外は、長くその部屋に居座ることがなかった。
- 319 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:35
- 圭織の今度の仕事は、圭織のスポンサーともなった会社の系列の、
建設途中だった新社屋が完成する、ということで、そのお披露目で配布される宣伝広告の挿絵だった。
今まで、依頼されたことにはたいていイメージが湧いてきていたのに、
何故か今回は、イメージは湧いてもそれを脳内でもうまくカタチとして創りあげることが困難だった。
真っ白なスケッチブックを眺めながら、それでも何もしないのは良くないと思い、何も考えずに鉛筆を適当に走らせる。
けれど意思なく適当に走らせた曲線はやはり適当なものでしかなく、それらは圭織の創作意欲さえ奪い始める。
- 320 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:36
- 「…困っちゃったな」
ぽつりと呟いたとき、開け放たれていた窓の外からなつみの声が聞こえてきた。
それは圭織に向けられたものではなく、近所に住むであろう小さな子供たちとの会話のようだった。
どうやらなつみは、近所の子供たちに人気があるらしい。
おそらく、この下宿の外観から周囲の住人たちもきちんと近所づきあいしておきたいところなのだろうが、
裕子や圭織の容姿で気後れされているのだろう。
大人は社交辞令も言えるが、子供たちにはそんな技量はまだ持ち合わされていない。
その点で言えば、童顔で人当たりのいいなつみは子供たちにも話し掛けやすい存在なのだと思われた。
- 321 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:36
- 話し声は聞こえるが、会話までは聞き取れない。
けれど、楽しげな雰囲気は伝わってきて、自然と圭織の口元も綻んでいく。
窓の外に耳を傾けながら、頬杖を付きつつ、真っ白だったスケッチブックに鉛筆を滑らせていく。
適当に滑らせただけだったのに思いのほか曲線はきちんとした線となり、カタチとなっていく。
それは圭織にも予想外で、真っ白だったそのページはあっという間にカタチとなって埋まり、
けれどかきたてられる意欲は少しも薄らぐことがなくて、
まだ新しいスケッチブックの中身を、圭織はページを繰ってどんどん無意識のうちに埋めていった。
- 322 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:36
- 窓から聞こえていた楽しそうな笑い声が聞こえなくなって、圭織はハッとなった。
気が付けば、買ったばかりのスケッチブックはすでにそのほとんどのページが埋められていた。
無意識だったとはいえ、一気にこれほどの量を描いたのは勿論圭織自身、初めてのことだった。
それも、描いたものすべてが、同じもの。
角度や曲線の強弱は違っていても、そこにあるのは、たったひとつの存在だった。
- 323 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:37
- 自覚して、圭織は自身の顔に血が昇るのを感じた。
何を描いているのだ、こんなときに。
そんな思いと一緒に、もっともっと描きたいという衝動が胸と手で燻っている。
自身の感情の行方に戸惑って思わず勢いよくページは閉じてしまったけれど、
中途半端に燻るキモチがもう一度、圭織にそれを開かせ、そしてまた、鉛筆を握らせた。
一番最初のページに戻って、この絵には何かが足りないのだと強く感じる。
いや、この絵だけでなく、今、圭織が描いたすべての絵に、それは足りないものだった。
- 324 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:37
- その絵の本来あるべき姿に戻すべく、圭織は息を飲みながら、額に汗を滲ませながら、
小刻みに震える手で、再度握った鉛筆をゆっくりその絵に向ける。
一本、二本…、その絵に加えられていく曲線。
本来の姿に近付いていく絵。
圭織が実際に見た、…いや、あれは幻だったのかも知れないけれど。
周囲の雑音をすべて閉ざしてしまうほど、圭織は絵に夢中になっていた。
だから、気付かなかったのだ。
圭織の部屋を控えめにノックしていた、その音に。
- 325 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:37
- 何本の曲線を加えたか数えていたわけではないけれど、
それでも多くの線はまだ描かれていないその絵に集中していた圭織の意識は、次の瞬間、現実に引き戻された。
なつみの、困ったように自分の名を呼ぶ声が、圭織のすぐ近くで聞こえたからだ。
びくんっ! と大きくカラダを揺らした圭織は咄嗟にスケッチブックを閉じた。
今、自分は何をしていたのだ?
そんな気持ちと一緒に振り返った圭織のすぐ近くに、なつみが立っていた。
圭織の肩を叩こうとでもしていたのか、右腕が中途半端に宙に浮いている。
「…な、なっち…?」
「ご、ごめん、仕事中だったんだね」
「な、なんで? なんでここになっちがいるの?」
軽くパニックになった圭織は、自分の言葉になつみが傷付いたように眉尻を下げたことには気付かなかった。
- 326 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:37
- 「…あ…うん。なっち、今から買い物行くから……、お留守番、頼もうと、思って」
不自然に言葉が切れているのも、きっと、少なからずなつみは圭織に対して、
圭織が不用意に発した言葉に対して傷付いたのだ。
けれど、自身が今していたことが圭織は何故かうしろめたくて、なつみの顔をまともに見ることが出来なかった。
「…ん、判った、いいよ、留守番してる」
ひょっとしたら、一緒に行こうと誘ってくれるつもりだったのかも知れない。
ここ最近、圭織の仕事の進み具合が芳しくないことはなつみも裕子も知っていたはずだから、気遣ってくれたのだろうか。
「…じゃ、お願いするね」
小さく苦笑したなつみが踵を返す。
頼りなさげな背中が不意に圭織の胸を締め付けた。
- 327 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:38
- 「…なっち」
呼ばれたなつみがゆっくり振り向く。
「……この中身、見た?」
勢いよく閉じてそのまま胸に抱きかかえてしまったスケッチブックを指して問うと、なつみはすぐに首を振った。
「見てないよ」
「……ホントに?」
「うん。…ノックした音も聞こえないくらいすごい夢中になってたから気にはなるけど、でも今度のお仕事のでしょ?」
「…うん、まあ……」
「なら、完成したら、圭織、いつもすぐ見せてくれるし…、見せてもらえるよね?」
誰にも見せることの出来ない、圭織が無意識に描いてしまったもの。
それを誰よりも見られたくなかったなつみが見ていなかった、というのは、圭織に少しの安堵を呼んだ。
「うん、勿論」
――――― この中身では、ないけれど。
圭織の表情から先ほどまでの硬さがなくなったことに気付き、なつみもほっとしたように笑った。
- 328 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:38
- 「…ねえ圭織」
「うん?」
「いつか…、うん…、いつかでいいんだけど」
「なに?」
「……なっちのこと、描いて欲しいな」
手放しかけたスケッチブックを、圭織はその瞬間、再び抱きしめた。
「……え…?」
「え? って…、そんなマジメな顔されるとテレるっしょ」
なつみは見てない。
見てないと、そう言ったじゃないか。
「んー、好奇心っていうかさ、なっちも圭織の絵、すごいスキなんだ。だから、その圭織に描いてもらえたら嬉しいなって」
圭織の手に汗がじわりと滲み出してきた。
これは、戒めか。
それとも隠した罰なのか。
- 329 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:38
- 「今じゃなくていいの。ホント、いつかでいいの。いつか、なっちのこと……」
どこかうっとりしているなつみの表情が圭織の胸を抉る。
まっすぐ届ければよかった。
隠さず、ちゃんと伝えればよかった。
「描かない」
夏の陽射しは痛いくらいなのに、圭織の声はひどくひんやりと響いた。
「え…」
「なっちのことは、描かない」
胸に抱きかかえたスケッチブックの中身は、生涯かけて、誰にも見せない。
- 330 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:38
- 穏やかだったなつみの表情が引き攣ったのが判った。
そしてゆっくり、泣きそうな顔へと崩れていく。
けれど完全に泣き崩れてしまう前に、なつみはきゅっと唇を噛んだ。
「……ん、判った」
それだけを声にして、再び圭織に背を向ける。
あの日、なつみの背に見た羽は…、時折、ふとした瞬間にだけ見ることが出来ていた羽は、今は見えない。
今、圭織の目に映るのは、傷付いた心を気付かれないようにと堪えている小さな背中。
「じゃ、買い物行ってくるから、お留守番お願いします」
他人行儀な物言いがまた、なつみにつけた傷の大きさを圭織に知らせた。
- 331 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:39
- 頼りなさげな背中が静かにドアの向こうへ消えていく。
階段を降り、玄関を抜けていく音がして、家からは圭織以外の人の気配が消えた。
そうしてようやく、圭織は抱えていたスケッチブックを開いた。
そこにある、無意識に描き進んだものは、どれも同じもの。
この世にたったひとつの存在。
「……なっち」
いなくなった相手の名前を呟いて圭織はやっと後悔する。
目の前にある、なつみが描いてと言い、圭織自身が描かないと答える前に既に描かれていたなつみの絵。
そしてその背に加えられている中途半端な曲線が意味するのは、あの日圭織が見た、真っ白で大きな羽。
- 332 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:39
- 見られたくない相手はしばらく戻ってこない。
途中になってしまったこの続きを描くのなら今だ。
そう思って鉛筆を持つのに、圭織の手は一向に動く気配がない。
先ほどまであった、描きたいという気持ちと手の燻りはどこかへ消えてしまったようだった。
それでも強引に曲線を描いてみた。
けれど、二本と続かない。
イメージはあるのに、手が動かない。
圭織は唇を噛み締めて鉛筆を放り投げた。
なつみの絵を引き裂こうとして紙を掴むが、その手さえ凍ったようになってしまった。
スケッチブックも投げ捨て、圭織はそのままそこにしゃがみこんで頭を抱えた。
- 333 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:39
- これこそが罰だ。
なつみのことをずっとずっと描きたいと思っていたくせに、
やっと描けたのに、それをなつみに隠したことへの。
描いて欲しいと望んだなつみを拒絶してしまったことへの。
- 334 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/02/06(日) 17:40
- 日が傾きだしてそよぐ風が幾分和らいだ頃に帰宅したなつみと入れ替わるように、圭織はアトリエに向かった。
なつみに合わせる顔がなかった。
なつみの心に負わせた傷は、謝るだけでは済まされない傷だった。
アトリエに着くなり、圭織は片っ端から物を壊していった。
絵筆を折った。
画材道具もばら撒いた。
絵の具を引っ張り出してそれらすべてを床に投げた。
描きかけだった絵も破いた。
なにもかもが嫌になった。
何より、自分自身の存在が許せなかった。
もしこのとき圭がアトリエを訪れなかったら、圭織は生きていなかったかも知れない。
そして、圭織は、その日を境に、なつみの背に羽を見ることがなくなり、なつみを描くことも、出来なくなった。
- 335 名前:さくしゃ 投稿日:2005/02/06(日) 17:41
-
更新しました。
気付けば2ヶ月近く空いてしまってた…orz
1週間遅れですが、飯田さん、卒業おめでとうございます。
Chapter ― 4は飯田さんの卒業までには終われるはずだったのに…。うう。
レスありがとうございます。
>>315
圭ちゃんはイイ女なのです。
カッコよくて、とってもイイ女なのです。…このお話の中では(殴)
圭織は、どこか臆病なのかも知れません。
>>316
お、お待たせしました、すいませんすいません、ぺこぺこ。
毎度毎度更新遅くて本当に申し訳ないです。
Chapter ― 4のラストもぼんやりですが固まってきましたので、
なるべく早く、読んでくださってる皆様にお届けできるよう、頑張りたいと思います。
ではまた。
- 336 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/19(土) 22:50
- 作風が気に入ってます
更新期待
- 337 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/21(月) 19:06
- 二人の距離感が微妙でやきもきさせられた
どうなんだろ
- 338 名前:名無し 投稿日:2005/04/28(木) 23:05
- すっごい引き込まれました
次回更新期待してます
頑張って下さい
- 339 名前:マルタちゃん 投稿日:2005/05/04(水) 20:31
- 凄く気になります。
更新待ってます。
- 340 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:48
-
◇◇◇
- 341 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:48
- 溜め息と一緒に筆を置いて、一定姿勢のために強張ってしまったカラダをほぐすように腕を伸ばす。
先週の打ち合わせで個展の日程も場所もほぼ決まり、あとは作品の選出と招待状の送付だけだ。
とはいえ、招待すべき人選や招待状に書くべき文面などの事務的なものは個展の企画を出した圭の仕事であるし、
当日の接客や、管理・設営スタッフなどの人選も圭が完璧にこなしてくれるはずだから、
メインであるはずなのに、圭織には特にこれといってすることがない。
言えば、間に合うのなら新作を、ということだ。
- 342 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:48
- この猛暑のせいか、圭織の筆の進み具合はあまり芳しくない。
出歩きたくないので、アトリエにもあまり足を運ばず、ひたすら自室に篭もって、
頭にあるイメージを鉛筆や筆に乗せて描き出すだけである。
それでも、圭織自身の納得がいくものはまだはっきりカタチになっていなかった。
もう一度溜め息をついて、圭織は窓の外を見た。
夏特有のセミの鳴き声は、部屋の中にいるのに、その声だけで暑いと感じる思考を増長させる。
人の気配があまりないと、それは余計に強調されるようだ。
- 343 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:48
- 美貴やあゆみは、前期試験直前の追い込みで、今朝も難しい顔をしながら大学へ向かったけれど、
それが終われば待望の長期休暇が待っている。
高3の真希は二日前が終業式だったのでもう既に夏休みだったのだが、
どうやら月に数回しかない年上の恋人との逢瀬らしく、昨夜からその姿は見えなかった。
平日の、正午に近い今の時間、社会人である裕子の姿は勿論ない。
階下には勿論、なつみの存在があるけれど、
彼女は仕事中である圭織に気遣って、極力物音を起てないように静かに読書などしているだろう。
- 344 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:49
- ダイニングテーブルの上に読みかけの本を広げ、
軽く頬杖をついているなつみの様子が容易に浮かんで、圭織の口元も知らずに綻ぶ。
夏の陽射しは、今、圭織の部屋に差し込むものとおそらく何の違いもないはずなのに、
そこになつみがいるというだけで、強いはずのそれは春の穏やかなものへと変えているようにさえ思える。
目を閉じて、脳裏にそれを思い浮かべる。
伏せがちのなつみの目や、本のページを繰る少し小さな手。
密やかな呼吸さえも輪郭を作り出しそうなほど鮮明なイメージに、
圭織は自分の胸の奥に何か熱いものが湧き起こった気がした。
- 345 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:49
- 目を開けて、置いた筆ではなく鉛筆を握る。
描きかけのカンバスの前から離れて、棚の隅に追いやられていたスケッチブックに手を伸ばす。
どれも中途に描きかけたままのページを繰っていき、開いている真っ白なページを開いて、一度深呼吸した。
また同じことの繰り返しになるかも知れないと思ったけれど、圭に言われた言葉が、脳裏を過ぎった。
『圭織がもっともっと自分に正直になって、ホントに描きたいものを描けたら、それってきっと…』
いないはずなのに聞こえてくる圭の声に背中を押されるように、圭織は鉛筆を握りなおした。
椅子ではなくベッドに腰掛け、まだどこか不安を残しながらも鉛筆を滑らせる。
思い浮かぶまま、手の動きと沸き上がる感情に流されるまま ―――――。
- 346 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:50
-
「ただいまーっ」
威勢のいい真希の声が聞こえてやっと、圭織は我に返った。
そして、目の前にある、無心で鉛筆を走らせていたその絵に自身が息を飲む。
ここまで描けたのは久しぶりかも知れないと思うと、胸の奥がどんどん熱くなってきた。
「お腹空いたー。何かあるー?」
風通しがいいようにと、窓とドアを開けていたため、階下から聞こえる真希の声はとてもよく響いてきた。
「えっ、もうそんな時間?」
真希の声に答えるなつみの声から察するに、本当に読書に夢中になっていたか、うたた寝をしていたかだろう。
圭織が時間の経過に気付かず無心で絵を描けたのも、いつもならば昼食に誘うなつみの声がなかったからだ。
- 347 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:50
- 「え? 食べてないの?」
「ごめん、本読むのに夢中で全然気付かなかった、今から何か作るよ」
「ふうん?」
「あ、圭織はどうしたんだろ…」
「靴ならあるよ。部屋にいるんじゃない? カオリーン?」
階下から呼ばれて、圭織は焦りながらも返事の声をだす。
「なにー?」
「なんか食べたー?」
スケッチブックと鉛筆をそのままベッドに置いて、圭織は部屋を出た。
1階から階段を昇ってきてすぐ右側、一番近い場所に圭織の部屋はある。
部屋を出て階段の上に立つと、長い髪を頭の天辺でひとまとめにした涼しげなヘアスタイルの真希が見上げていた。
- 348 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:50
- 「おかえり、ごっちん」
「ただいまー。ね、なんか食べた?」
「ううん、まだだよ。仕事してた」
ゆっくり階段を降りながら答えると、圭織が降りきるのを待って、真希は微笑んで見せた。
「そっか、個展があるんだっけ」
「うん」
「じゃ、ちょうどよかったよね、なっち、今から作ってくれるって。ごとー、汗かいたから着替えてくるね!」
ふたりが行き交うには少々厳しい階段を、今度は真希が駆け上がっていった。
その背中を見送ることはしないで圭織は食堂兼リビングに向かう。
「ごめん、圭織―」
「ん?」
「なっちってば、本読むのに必死で、圭織がいるのにゴハン作るの忘れてた」
「あはは、いいよいいよ」
- 349 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:50
- 申し訳なさそうにキッチンから出てきたなつみに笑い返すと、
想像どおりにダイニングテーブルには少し厚めの本が置かれていた。
「素麺でいい?」
「素麺がいいな」
なつみが座っていたであろう椅子の向かいに腰を下ろして、キッチンに向き直ったなつみの背中を眺める。
しばらくして、着替えを済ませた真希が降りてきた。
着替えるだけにしてはやけに時間がかかったと感じた圭織が頭を上げると、
すぐに座ると思われたのに、真希は何故か不思議そうに、けれど何か言いたそうに圭織を見ていた。
「ん? どしたの?」
「あー…、…や、うん、なんでもないっす」
答える前に一度なつみのほうを見遣って、それからふにゃりと曖昧に笑うと、真希はそのまま圭織の隣に座った。
- 350 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:51
- 少し遅くなった食事を終えて、なつみが読んでいた本の話題になって、
読書は苦手だと言う真希に活字の苦手な人間向きの本を圭織が紹介したときにあゆみが帰宅してきた。
「ただいまあ。安倍さぁん、商店街の八百屋さんで安売りしてましたけど、知ってましたー?」
「えっ、うっそ、どこどこ? どこの八百屋さん?」
帰宅の挨拶に続いて出てきた思いがけない情報になつみは勢いよく椅子から立ち上がって玄関へ向かう。
「駅前です。なんか、八百屋さんの応援してる野球チームが何年かぶりの8連勝だからって言ってましたけど」
「ほんとぉ? うわー、ちょっと気になるな…。柴ちゃん、帰ってきたとこ申し訳ないけど、案内してくんない?」
「いいですよー」
姿が見えずに声だけがリビングにいる圭織たちのもとまで届くということは、あゆみは靴も脱いでいないのだろう。
玄関先でなつみに情報提供したのも、はじめから案内として一緒に行くつもりだったからかも知れない。
- 351 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:51
- パタパタと忙しなく戻ってきたなつみがエプロンを外しながらリビングを抜け、奥のなつみの自室へと入って行く。
すぐに小さな手提げバッグを持って出てきたなつみが圭織と真希に向き直った。
「洗い物、お願いしていいかな?」
「うん、いいよ、カオがやっとく」
「行ってらっしゃーい」
「ありがと、行ってきます」
スリッパの軽快な音が玄関のほうへ消えて、はっきりとは聞こえないまでもあゆみとの軽快そうな遣り取りが聞こえ、
けれどすぐにそれも遠ざかって、扉が閉じる音が聞こえた。
- 352 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:51
- 「…さて」
テーブルの上にまだ置きっぱなしだった食器類に圭織が手を伸ばしたとき、その動きを遮るように真希が手を出した。
「ごっちん?」
「…ごとーがやるよ」
「でも」
「たまにはね」
声の強さは他を寄せ付けない雰囲気で、引き下がる様子もない真希に圭織は小さく肩を竦めながら手を引いた。
シンクに食器を置いてすぐにスポンジを持って液体洗剤をたらして泡立てる。
カチャカチャと食器の擦れる音とは対照的に手付きは丁寧で、
しばらくそれを眺めていた圭織も大きく息を吐き出して真希の肩を叩いた。
「じゃ、カオは仕事の続きに戻るよ」
泡を洗い流そうと水道の蛇口を捻った真希が振り向くのを待たず、圭織はリビングを出た。
- 353 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:52
- いつものように階段を昇ろうとして、上から生温い風が吹き込んでくることに少しの違和感を感じる。
一段昇って視界の先にある自身の部屋のドアが開け放ったままだったことに、圭織はそのときやっと気付いた。
悪い予感のようなものが頭を過ぎって、
半ば駆け上がるように階段を昇って自室の前に来て、圭織は、その予感が的中したことを知る。
開け放たれたドアと窓。
窓から吹き込んでくる生温いくせに無駄に強い風。
こちらには背を向けているカンバス。
そばにあるベッド。
その上で、吹き込む風に靡くようにぱらぱらとページを繰っているスケッチブック。
- 354 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:52
- 真希の部屋は圭織の部屋のほぼ向かい側にある。
たとえドアが開いていたからと言って、そこはプライベートの空間である。
圭織の部屋の中になど意識を向けなかったかも知れないけれど、
吹き込む風の強さに煽られているスケッチブックの紙の音は耳にしただろう。
それに振り向いた真希が、描きかけのままの絵を見なかったなんて、言い切れるだろうか。
着替え終えて降りてきたときの真希の様子が少しおかしかったことが、圭織の考えをより確信へと導く。
「……ごめん…、悪いとは思ったけど、それの中、見た」
不意に背後で聞こえた真希の声には、圭織もあまり驚かなかった。
気配を感じていたから、というのもあるが、
真希と圭織しかいない今、真希がこのまま知らないフリをしてくれるようには何故か思えなかった。
- 355 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:52
- 以前のように、圭織の気持ちを察して、なかったことにはしてもらえない。
それに甘えることは出来ない。
以前聞かれた疑問に答えた言葉が嘘だと知らせてしまったのだから。
嘘だったのだと、圭織自身の失態が教えてしまったのだから。
「……バレちゃったか…」
思っていたよりも自分が冷静なことに、圭織は自分自身で驚いていた。
相手が真希だったせいだろうか。
溜め息を漏らして、まだ風に煽られているスケッチブックを手にとり、圭織はベッドに座った。
- 356 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:52
- セミの鳴き声だけがやけにうるさくて、その鳴き声は不愉快と共に圭織の背中に一筋の汗を滑らせた。
真希が、言葉を選んでいるのが雰囲気で伝わってくる。
「…それ、なっち、だよね」
真希の口からその言葉が出るまでどれくらいの時間が費やされたのかは判らなかったけれど、
断定の強さを持ったその声の響きに、圭織は不思議と安堵感に包まれた。
「うん」
胸に抱えながら頷く。
自分以外の誰かの前で、初めて認めたことだった。
- 357 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:53
- 「……全部?」
「全部」
「描いたことないって、言ったじゃん」
「ごめん…、あれ、嘘」
「描けないって…、人物は専門じゃないからって……」
盗み見た真希に咎がないとは言えないが、
圭織の付いた嘘は真希には裏切りに近く感じるのだろう、責める言葉の棘は静かでもとても鋭かった。
「……ホントに、人物は専門じゃないんだ」
「でも」
「人物は専門じゃない。なっちも、ここまでしか、描けないんだよ」
抱えたスケッチブックを見つめ、ゆっくりと、幾らか小刻みに震える手で、
それでも自分以外の他人のいる前で初めて、圭織はそれを開いた。
- 358 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:53
- 「……どれもこれも、未完成のなっちでしかない」
何本もの曲線で中途半端に描かれているそれらは、圭織にとっては、なつみであって、決してなつみではなかった。
「こんなのは、なっちじゃない」
正直に言えば、似顔絵のようななつみを描くだけならば、それほど難しいことではない。
けれど、『安倍なつみ』を描くことは出来なかった。
「…判んないよ。カオリンの言ってること、判んない」
なつみの背にある羽を描いてやっと、『安倍なつみ』になる。
そう言ったところで、いったい誰が納得するだろう。
「だって、そこにあるの、なっちじゃん。なっちだよ。全部、全部なっちだって判る絵だよ」
- 359 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/05/05(木) 21:53
- 描き手である圭織がそうだと言うのならまだしも、第三者の目から見てもなつみだと判るほどだということに、
圭織は少しだけ、自身の絵の才能を疎ましく思った。
「なんで描かないの? なんで描けないなんて言うの? カオリン、なっちに何したの?」
その疑問も断定の含みを持っていて、やはり察していた真希に、彼女の聡さに、圭織は静かに目を伏せて、笑った。
「……なっちの小さな願いを、砕いたの」
- 360 名前:さくしゃ 投稿日:2005/05/05(木) 21:55
-
さ…、三ヶ月も経ってた……orz
もう言い訳のしようもないです、遅くなってすいませんごめんなさい。
レスありがとうございます。
>>336
ありがとうございます、ありがとうございます。
書き手冥利に尽きます。
>>337
このふたりは微妙な距離ってのが一番だと思います。
つかず離れず、というか。でもちゃんとお互いを思い合ってる、みたいな…
>>338
ありがとうございます、ありがとうございます。
お待たせしてしまってホントに申し訳ありませんです。
>>339
あうあうああああ……、お、お待たせしますた…。
Chapter ― 4だけで半年以上も引っ張ってますね、ホントに申し訳ないですごめんなさい。
でも、Chapter ― 4もそろそろ終わりが近付いてきましたので、なんとか早めに更新したいと思います。
つーか、あと少し残ってる連休でもう少し進められたら……(希望的観測)
ではまた。
- 361 名前:名無し 投稿日:2005/05/06(金) 09:54
- 更新乙です!
もうなんていうかすごいです
また最初から読み返して
読みふけっちゃいました
次も期待してます!
- 362 名前:マルタちゃん 投稿日:2005/05/13(金) 23:26
- 更新お疲れ様です。
さくしゃさんのペースで(^^)
後藤さん編も楽しみです。なんて言ってみたり……
すいません。
頑張って下さい!
- 363 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:46
- 圭織の言葉を柔らかく凪いだ風が真希の耳に届ける。
「なっちの…願い?」
少し震えて聞こえるのは、おそらく真希がなつみの受けた傷を思っているからだろう、と圭織は感じた。
真希は聡くて、そしてとても、他人の痛みに敏感だから。
「…たぶん、なっちには、なんでもない願いだったんだと思う。ほんの小さな…。でもあたし、それを受け入れなかった」
受け入れることが、出来なかった。
伏せた瞼の裏に、あの日のままの光景が鮮明に浮かび上がる。
ドアの向こうに消えていく、傷付いたことを堪える頼りなさげな小さな肩。
あの日以来、なつみは圭織の部屋に足を踏み入れたことがない。
どちらが言い出したことでもなかったけれど、暗黙のルールのように、それはなつみと圭織との間にあるものだった。
天使を傷つけたという、決して許されない罪だと訴えるように。
- 364 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:46
- 「なっちの、願いって、なに?」
真希の問いに、圭織は目を伏せたまま薄く口元を綻ばせて首を振った。
「言えないの?」
「……言いたくないの」
なつみのささやかな願い。
それはあの日以来、一度も口に出されたことはない。
他の同居人たちが、
冗談めかして自分たちを描いてほしいと言うような団欒に立ち合っても、なつみはさりげなく席を外す。
気が付けばいなくなっているなつみを想って、圭織の胸はまた痛み出す。
なつみが未だ負っているであろう見えない傷が、無言で圭織を刺すように。
- 365 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:46
- 「……ごっちん、お願い、聞いてもらえるかな?」
「…なっちには言わないでって言うんでしょ?」
最後まで言わなくても相手の気持ちを汲み取れる真希の聡さに圭織は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「うん」
「嫌だ、って言ったら?」
「え…」
「もし、ごとーがカオリンのお願いは聞けないって言ったら、どうするの?」
それは予想もしなかった言葉で、圭織は思わず真希を見上げていた。
目が合って、真希は困ったように唇のカタチを歪ませる。
「……カオリン、ずるいよ。ごとーがそのお願い聞くって知ってて言うんだもん」
「そんなつもりは…っ」
「そんなつもりなかったって判るけど、でも結果的にそうじゃん。言えないよ、言えるわけないじゃん」
- 366 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:47
- 聡くて敏感である以上に、真希は繊細だということに圭織はようやく思い至る。
まだ高校生の彼女に、こちらの都合を察して何も聞かず、何も言うなというのは、あまりにも残酷ではないか。
圭織の過ちを、その理由を教えないままなつみにも言ってはいけないなんて、
何の事情も知らせず罪を犯させておいて、共犯者になれというのと同じようなものだ。
「…ごとー、なっちもカオリンも好きだもん、ふたりが傷付くって判ってるのに、言えるわけないじゃん」
辛そうに、絞りだすように真希の口から零れてくる言葉に圭織の胸はより痛みを増していく。
圭織の目を見ていられなかったのか、それとも込み上げてくる何かがそうさせたのか、
真希はゆっくりと俯き、静かに肩を震わせた。
- 367 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:47
- 自分の犯した過ちで無関係の真希を巻き込もうとしている。
そのことが圭織の中で燻っていた気持ちの引き金を引き、
昇華しきれず不完全なまま燻り続けていたそれは小さなヒビを生んで波状していく。
自分の問題に無関係の人間を巻き込むのは、
なつみに負わせた傷以上のものに成り得るのだということに圭織は気付いた。
もうこれ以上、誰かを傷つけるわけにはいかない。
圭織はゆっくりベッドから立ち上がり、手の甲で目元を拭った真希にそっと歩み寄ってその頭を撫でた。
軽く唇を噛み締めながら頭を上げた真希に、圭織は小さく微笑んで見せる。
「…ごめんね、ごっちん」
圭織の微笑みをどう解釈したのか、真希が幾らか目を見開いた。
「ごっちんは何の関係もないのに、巻き込んじゃ、ダメだよね」
「かお…?」
「…ごっちんだけじゃない。…これは、あたしの過ちなんだから、他の誰にも、背負わせたらダメだよね」
- 368 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:47
- そう言って真希の肩を撫でたとき、玄関チャイムの音と共になつみたちが帰宅してきたのが声で判った。
「ただーいまぁ」
「てゆーか、安倍さんっ、なんで美貴にばっか、こんなに荷物持たせるんですかぁ!」
なつみの声のあとに美貴の声が聞こえたことで、どうやら帰宅途中に美貴と遭遇したらしいことも判って、
圭織は口元を綻ばせながら、ゆっくりと撫でた真希の肩を叩いた。
「…カオリン?」
「大丈夫」
「え?」
「……ちゃんと、するから」
真希の肩を叩いた手を軽く握り締めて小さく微笑んで見せたあと、圭織は口元を引き締めた。
- 369 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:48
- 「圭織―? ごっちーん? 2階かい?」
階段の下で呼びかけてきたなつみに応えるようにと、圭織は真希の背中を押し出した。
押し出されるままに部屋の外に出た真希が、下にいるなつみと圭織とを不安げな顔付きで交互に見比べる。
真希を部屋から押し出したあと、圭織はそのまま踵を返して部屋の奥の本棚へと向き直る。
「…カオリン?」
「……先に、降りててくれる? あたしもすぐ降りるから」
不安そうに呼びかける真希に背中を向けたまま、圭織は告げた。
それはどこか弱々しくも聞こえる声だったけれど、確かに何かある決意を秘めていると思わせる響きを持った声音で、
これから圭織が何かを起こすつもりであると察知した真希は、次第に自身の鼓動が高鳴っていくのを感じていた。
圭織に言われるまま、真希は階段を降りて、既にキッチンのほうへと向かっているなつみのもとへと向かう。
- 370 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:48
- 真希の気配が遠のくのと同時に、圭織は本棚に何冊も並べられているスケッチブックに手を伸ばした。
表紙の部分にそれぞれナンバーが書かれており、順番に抜き出しながら、
それらが9冊にまでなっていることに圭織は自身のことながら驚いていた。
そして、さきほど真希に見られた描きかけのスケッチブックを含めてちょうど10冊分。
それらを両手で大事そうに抱えながら、圭織はひとつ、大きく息を吐き出した。
圭織の過ちは、天使を傷つけた罪の重みは、今、両腕に抱えたスケッチブック10冊分の重さでも足りないだろう。
それでももう、これ以上、自分の過ちに他の誰かを巻き込んではいけない。
巻き込まずにいるには今のままでいることは許されないのだ。
もう一度吸い込んだ息を大きく吐き出して、圭織は部屋を出て階下に向かった。
- 371 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:48
- ダイニングテーブルの上に抱えていた物を置き、
キッチンでなつみから麦茶の入ったコップを受け取っている美貴とあゆみと目が合う。
真希は、なつみのすぐそばに立っていた。
テーブルの上にあるものがスケッチブックだと気付いたあゆみと美貴の顔付きが途端に楽しげなものになって、
コップを持ったまま圭織のもとまで小走りにやってきた。
「飯田さん、それ、新作ですか?」
「こんなに?」
嬌声混じりの美貴たちの声に曖昧に頷きながらも、
圭織はそれらに触れようと手を伸ばしてきたふたりを、そっと制した。
「ごめん、これは、なっちに一番に見せたいんだ」
- 372 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:48
- キッチンで様子を窺っていたなつみが、圭織のその言葉に文字通り飛び上がった。
おそらく、またいつものようにこの場からさりげなく席を外すつもりだったのだろう。
おどおどした表情でキッチンの隅に隠れようとするなつみに向かって圭織は静かに手招きをする。
「なっち?」
それでもなつみはまだ動けない様子で、圭織は、
自身がどれほどの痛みをなつみに植え付けていたのだろうかと思った。
「こっちに来て」
「……あ、いや…その…」
そのまま視線を下に落としてしまったなつみに、
圭織は一番上のスケッチブックを持って、キッチンのなつみのもとまで歩いた。
- 373 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:49
- 真希の視線を感じながら、俯いているなつみにスケッチブックを差し出すと、
視界に飛び込んできたそれに驚いたようになつみが顔を上げる。
「…なっちに、見て欲しい」
小刻みに震えながら受け取ったなつみが大きく息を吸い込んだ。
どきどきと高鳴る圭織の胸の鼓動は、きっとなつみと同じぐらい、いや、
もしかしたらもっと早い速度で早鐘をうっているかも知れない。
「……いい、の?」
「うん。なっちに、見て欲しいんだ。他の誰かじゃなくて、なっちに」
仕事で新作の絵が描きあがったら、いつもは完成品になってからみんなに見せるのが通例だった。
こんなふうに、明らかに描きかけの作品でしかないとわかるモノを、
圭織の担当者である圭以外、誰かに見てもらったことはない。
つまり、それを見て欲しい、と言われること自体が、とても重要な意味を持つのだと、なつみにも伝わったようだった。
- 374 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:49
- まだ震えている小さな手が、圭織の前でゆっくりと、そのスケッチブックを開く。
高鳴る心音は、もうこれ以上ないくらいのスピードで、
圭織から、なつみから、そしておそらく、それを見守る真希や美貴、あゆみからも、呼吸の仕方を忘れさせていた。
開いた直後、なつみの目に飛び込んできたのは、なつみ自身そのものだった。
まさかそこに自分の姿があるとは思わなかったなつみが驚愕の表情で圭織を見上げる。
「なっちだよ」
圭織は答えながら、なつみを誘導するようにゆっくりと、一枚一枚、ページを繰っていった。
「これもそう。これも、…これも。…この次のも」
「…なん…で? どうして……、だって、圭織、あのとき…」
次々と繰られていくページの中にあるそれらはすべて中途だったけれど、そのどれもがなつみだとはっきり判るもので。
なつみの言いたい言葉が判って、圭織の胸がつきりと痛む。
- 375 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:49
- 「…嘘、ついたの」
「嘘…?」
「…ホントはあのとき、これ描いてた」
最後のページに描かれたなつみを指差して、圭織はなつみを見つめた。
「…動機が不純なんだよ、あたし」
あゆみと美貴がいる場所まで戻り、テーブルの上の残りをその場で広げる。
「ホントは、ずっとなっちのことが描きたかったの。なっちが描きたくて絵を描いてたの」
あゆみや美貴の目にも、中途で描くのをとめられている絵がなつみと判り、
圭織が今、とても重要な告白をしようとしているのだと悟った。
「でも、あのとき、あんな嘘をついたから、なっちの絵が描けなくて……、あんなこと言った罰だと思ってた」
「…で、でも、こんなに…」
「…これは、なっちだけど、なっちじゃないんだ」
さっき真希にも言った言葉を繰り返すと、なつみは困ったように眉尻を下げて圭織を見つめた。
「…あたしの描きたいなっちは、これじゃないんだよ」
- 376 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:50
- 意味が判らない、と言いたげに眉尻を下げてしまったなつみに、
圭織は少し苦笑いを浮かべて、ゆっくり、静かに、頭を下げた。
「か、かお…っ?」
「…なっちを、描かせてください」
「な…?」
「…あのときのあの言葉を、許してもらえるとは思ってない。でもあたし、なっちのこと、描きたいんだ」
なつみの受けた傷は、きっと圭織が思う以上の痛みを持っているだろう。
癒せることは出来ないかも知れない。
償う資格も圭織にはないのかも知れない。
それでも、もうこれ以上、今のままでいられることは出来ないのだ。
- 377 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:50
- 「や…、やだ、やめて、ねえ、頭なんて下げないでよ、圭織…」
泣きそうななつみの声が聞こえて圭織は請われるままに頭を上げた。
そこには、声と比例したように表情を歪ませたなつみが、
圭織の差し出したスケッチブックを、とてもとても大事そうに両腕で抱きしめていた。
「なっち?」
言葉が見つからない、と言いたそうになつみはまた俯いた。
- 378 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:50
- あまり心地好くない沈黙が流れたとき、
なつみの傍らに立っていた真希が静かに圭織のもとまで歩み寄り、開かれていたスケッチブックを手にとった。
「…すごいね、こんなに、なっちのこと、描いてたんだ……」
一枚一枚ページを繰っていく音が聞こえたけれど、圭織は振り向くことなくなつみを見つめていた。
真希の言葉に、肩を揺らせたなつみを。
「こんなに、なっちのこと、見てたって、ことだよね」
真希のその言葉に、弾かれたようになつみは頭を上げた。
圭織と目が合ったなつみの頬がみるみるうちに朱に染まっていく。
そしてそのまま、スケッチブックを抱えたままキッチンから飛び出し、
圭織たちの横も通り過ぎて、リビングの奥の自室へと駆け込んでしまった。
- 379 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:50
- 「えっ、な、なっち?」
慌ててあとを追って、引き戸の扉をノックする。
「なっち? どうしたの?」
返答はなく、圭織は困ってうしろを振り向いた。
視界にいる美貴やあゆみ、そしてその向こうにいる真希が、笑っている。
「…ごっちん?」
「大丈夫、なっちは、怒ってるワケじゃないよ」
「え?」
「なっちのこと、描きたいんでしょ?」
「…うん」
「じゃ、ちゃんと、その気持ち、なっちに伝えて」
- 380 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:51
- 真希に促されるまま、圭織は一度大きく息を吸い込んでから、もう一度なつみの部屋の扉をノックした。
返答はないが、躊躇わずに引き戸の扉を開けると、
部屋の中央で、スケッチブックを抱えたなつみがへたり込んでいた。
「なっち…、入るよ?」
なつみは拒絶せず、静かに圭織を部屋の中へと受け入れた。
座り込んでいるなつみに近付き、その隣に膝をつき、肩に触れる。
俯いていたなつみがそれで頭を上げて、そのつぶらな瞳が涙で揺れているのを見た。
なつみの涙に、圭織の胸の奥がまた締め付けられるように痛み出す。
- 381 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:51
- 「……ごめん」
「…な、なん…で…」
「ごめんね、ずっと嘘ついてて」
「だ、だって、なっち…、ずっと圭織に、き、嫌われ、て…って…」
「そんなことないよ。でも、いっぱい嫌な思いさせてたんだよね、ごめんね」
なつみは、言葉が出ないというふうに、何度も何度も、首を振った。
そしてそのまま、縋りつくように圭織の胸に飛び込んだ。
「か、かお…っ」
「ごめん…。ずっと、なっちのこと、好きで…なのに、ずっと嘘ついてて、ごめん」
圭織の胸にしがみついたなつみがふるふると何度も何度も首を振る。
- 382 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/17(日) 15:52
- 圭織が傷つけた小さな背中を撫でながら、柔らかであたたかい太陽の匂いがするなつみの髪に頬をすり寄せた。
頼りなさげな肩を掴んで引き起こし、まだ涙で潤んでいるなつみを正面から見つめ、圭織は微笑んだ。
「許して、くれる?」
こくん、と大きく頷いたなつみの目尻に零れた涙を拭って、なつみの小さな手を握り締める。
「なっちのこと、描かせてください」
そう言ってもう一度頭を下げると、圭織の旋毛になつみが額を押し付けてきた。
顔を上げた圭織に、なつみは、涙混じりに笑う。
笑って、あの日の言葉を、言った。
「…なっちのこと、描いてください」
- 383 名前:さくしゃ 投稿日:2005/07/17(日) 15:52
-
たいした話じゃないのに、ここまでくるのに長かったなあ……orz
一応、かおなち編は次回で終わります、て、まだ続くんかっ!
や、だって、ひとり忘れてますやん、同居人の大事なアノ人…(苦笑)
レスありがとうございます
>>361
ありがとうございます。
期待に添えられてるか、ホントに謎ですが、がんばります。
>>362
す、すいません、後藤さん編はあるにはありますが、
ずっとずっと先かと思われます、すいませんあうう。
近々更新できると思いますので、もう少しだけ、お待ちくださいませ、すんませんすんません。
ではまた。
- 384 名前:ぱっち 投稿日:2005/07/17(日) 20:25
- はわわわわ(w
こ、更新乙ですっ!
読む前に思わずレスつけちゃいました(w
じゃいまからたっぷり堪能してきます
- 385 名前:マルタちゃん 投稿日:2005/07/22(金) 22:11
- こちらこそすいませんっ
更新お疲れ様です。
更新されてて本当に嬉しいです。
次回も楽しみに待ってます。
- 386 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:02
-
◇◇◇
- 387 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:03
- 9月最後の土曜日。
駅前の小さな商店街の一角で、圭織の初の個展が開催された。
さほど大きくない会場内には合計18枚の絵が展示されており、週末ということもあってか、
入場規制の整理券を配布しなければならないほど、思っていた以上の盛況だった。
このあと、圭織から来場者やスポンサーに向けての挨拶があるので、人の数も次第に増えてきているせいもあるだろう。
会場内の警備や人員整理などのチェックをしている責任者の圭は、朝から走り回ったままで、圭織とろくな会話をしていない。
- 388 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:03
- 「飯田さん、お客さまです」
受付の若い女性社員が、控え室のドアを開けてやってきた。
受付スペースの裏側が控え室になっていて、そこでも表面上ではわからない裏方の慌しさが行き交っている。
あらかじめ女性社員には奥まで通していい人間の名前を告げていたので、控え室まで入れるのはごく僅かな人間だけだ。
社員に連れられてやってきたのは、下宿先の住人一同と、その住人のひとりである美貴の彼女、松浦亜弥。
先頭に立っていたのは、大きな花束を抱えたなつみだった。
なつみの姿を認めて、圭織は立ち上がって出迎える。
- 389 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:04
- 「なっち。みんなも。来てくれたんだね!」
「当たり前でしょ、圭織の晴れ舞台だもん」
花束を受け取り、一度両手で抱えてから、それをテーブルに置いた。
「飯田さんの新作も見たかったし!」
「そうそう!」
美貴が身を乗り出すように言って、それにあゆみが続く。
「カオリンの新作、今日が初披露だもんね」
真希が更に続けて、圭織は少し照れくさくなった。
しかし、輪の一番外にいた裕子と目が合って、口元を引き締める。
幾らか厳しい表情の裕子は、敢えて圭織と会話することなく控え室を出て行った。
「裕ちゃん…」
なつみが困ったように裕子の背中を見送ったけれど、裕子があんな態度をとっていることには、勿論理由があった。
- 390 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:04
- 今から2ヶ月前のあの日。
なつみにちゃんと打ち明けて、なつみを描くと決めたあの日。
すべてが終わった頃に帰宅してきた裕子は、事態の顛末を聞いたあと、明らかに不愉快そうな顔をした。
「悪いけど圭織、あたしは手放しでアンタの気持ちを認めるわけにはいかん」
ダイニングテーブルになつみとふたり並んで座り、その向かい側に座った裕子から、圭織はまっすぐそう告げられた。
「了見狭いこと言うつもりないけど、でも、なっちに関してだけは、そういう器量の大きさ、っていうのんは、見せられん」
「…うん」
「あたしは一応、なっちの両親からなっちを預かっとる身やからな」
裕子の言う言葉の重みが判るのか、なつみも反論せず、ただじっと、裕子の言葉を聞いていた。
- 391 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:04
- 「でも、あたしも圭織のこと、よお知ってるつもりや。もしアンタが不真面目な人間やったらとっくにここから追い出してる」
「うん」
「せやから、アンタの気持ちっていうのんを、あたしに見せて欲しいねん」
「え?」
「あたしよりなっちを大事に想ってるんや、って本気を見せてくれるか?」
強い眼差しと不敵に綻んだ口元に圭織は目を見開いた。
「…それは、あたしなりの方法で、ということ?」
「あたしが納得できるかどうか、って意味や。方法なんて何でもええよ。要はアンタの本気がわかればええねん」
圭織は一度、隣に座るなつみを見た。
少し不安そうに見上げてくるなつみに、圭織はそっと微笑んで見せる。
「……わかった。でも、すぐには無理だよ、…少し、待ってほしい」
「ええよ」
以来、今日まで裕子とは当たり障りのない会話しかせず、圭織はずっと、寝食以外はアトリエで過ごした。
- 392 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:04
- 「圭織、そろそろ準備…、と、お客さん?」
ノックもせずドアを開けて入って来たのは圭だった。
圭織を囲むようにして立っているなつみたちに、思わずホールドアップの態勢を見せる。
「うん、下宿の」
「ああ、あなたたちが」
納得したように小さく笑って、ぺこり、と軽く頭を下げる。
「はじめまして。ハロー出版の保田です」
「今回の個展の企画を考えてくれたひとだよ」
「そういうのは言わなくていいの。…ていうか、そろそろ時間よ。準備はできてる?」
- 393 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:05
- 手に持った進行表らしきものでタイムスケジュールを確認して促すと、圭織は頷いた。
「わかった、行くよ」
了解、と言いたげに右手を挙げた圭が部屋を出て行く。
開け放たれたままの入り口に向かう途中、圭織はなつみに振り向いた。
「…見ててね」
「もちろん」
右手で軽く拳をつくってなつみに向けると、なつみも左手で同じように拳をつくって圭織の拳に押し当てた。
- 394 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:05
- 係員に誘導されるまま圭織がスピーチの場所に立つと、会場内のざわめきが拍手へと変わった。
深々と一礼をして、会場内を見渡す。
なつみたちの姿はスポンサー席の後方に見られ、それとは少し離れたところに、裕子の姿も見えた。
「…こんにちは、飯田圭織です。本日はお忙しい中、私の初の個展に足を運んでいただいて、本当にありがとうございます」
一礼すると再び拍手で沸いた。
その波が落ち着くのを待って深く息を吸い込む。
「こういった改まった席は初めてで、そのうえ私はあまり話し上手ではないので、正直、何をお話すればいいか判りません」
会場内の緊張がその言葉で程よく和らいだ。
「でも、幸い私には言葉で伝える以外の方法があるので、先日描きあげたばかりの作品を、
今日来ていただいた皆様と、お世話になっている方々へのお礼の意味も込めて、今ここで、お見せしたいと思います」
- 395 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:05
- 圭織の言葉を合図に、白い布で覆われた三脚つきのカンバスが男性二人がかりで運び込まれてきた。
「本邦初公開です」
マイクを通した圭の声が聞こえて、覆われていた布が取り払われる。
瞬間、会場内が感嘆と賞賛の溜め息で包まれた。
そこにあるのは、オレンジを基調とした背景のなか、柔らかな微笑みを浮かべてこちらへと手を差し出す天使。
純白の翼をその背に称えた、安倍なつみ、そのひと。
圭織がなつみの背に羽を見た、あのときのなつみだった。
- 396 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:05
- 「今まで天使を題材にして描いてきましたが、それらはこの絵の中の彼女から生まれたイメージでもあります」
なつみに視線を向けると、手で口元を覆いながらこちらを見ていた。
その大きな目からは今にも大粒の涙が零れ落ちそうで、
圭織は駆け寄っていきたい気持ちを抑えながら、ゆっくりと息を整えた。
「彼女は、私に天使を描くことの動機を与えてくれました」
言いながら裕子を見た。
壁に背を預けていた裕子が圭織と目が合ったことでゆるりと上体を起こす。
その裕子に向かって、圭織は力強い口調で続けた。
「太陽みたいな、あたたかい優しさを持っているひとです。これからも私は、彼女を描いていきたいと思っています」
大きく息を吸い込んで。
「……私にとって、とても、とてもとても大事な、ひとです。彼女こそが、私にとっての天使なんです」
- 397 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:05
- 言い終えた直後、会場内は水を打ったように静まり返ったけれど、その静寂を破るように、唐突に裕子が手を叩いた。
その音を拍手と呼ぶには少し無骨だったけれど、それが合図のように、ひとつ、またひとつと、拍手の音は増えていく。
なつみに目を向けると、彼女は両手で顔を覆って泣いていて、
このままここにいたら目立ってしまうのを察知した圭が、さりげなく控え室のほうへとなつみたちを誘導してくれた。
拍手の波が湧き起こる一番外側に立っていた裕子が、不敵に口の端を持ち上げて親指を立てる。
そして再度拍手を贈ってくれた。
- 398 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:06
- 鳴り止まぬ拍手の中、取材に来ていた記者たちがインタビューをせがむけれど、
圭織は申し訳なさそうな笑顔を向けてそれらを丁重に断り、少し急ぎ足で控え室へと戻った。
きっとなつみは、真希や美貴に宥められながらも、あの大きな目から大粒の涙を零して泣いているだろう。
さっきは笑ってくれなかったから、早く戻って、笑顔が見たかった。
逸る気持ちを抑えながら控え室の扉を開けると、部屋の中央で、
美貴、亜弥、あゆみ、そして真希に囲まれて座っているなつみの後ろ姿が見えた。
- 399 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:06
- 「…なっち?」
呼ぶと、なつみの肩が僅かに揺らいで、それからゆっくりと振り返った。
圭織を確認して、まだ涙の残っている目尻を拭って、椅子から立ち上がる。
「……圭織のばか。なっちは、天使なんかじゃないよ」
「天使だよ。いまでも、どっか飛んでっちゃわないか、不安だもん」
きゅ、とへの字に唇を引き結んで、上目遣いで圭織を見つめ、そのあとで、なつみは笑った。
「圭織、ホントばか」
「なんでよ」
笑いながら、なつみに歩み寄る圭織に右手を差し出す。
そのとき不意に。
そう、それはとても唐突に。
ふわり、と風が吹きぬけた気がした。
「飛んでくわけないじゃん、なっちは人間だもん」
- 400 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:06
- なつみの背に、羽。
彼女を崇めるように、彼女を覆い隠すほど大きな真っ白の、翼。
それは、さきほどの圭織の絵のように。
もう二度と見ることは出来ないと思っていたなつみの背に見えた羽に、知らずに圭織の目に涙が溢れ出す。
圭織の涙の理由を知るものは誰もいない。
いなくてもいい。
なつみの背に羽が見えるのも、自分だけでいい。
なつみが本当に天使であろうとそうでなかろうと、今こうして、圭織に差し出される、なつみの手が、あるのなら。
「…じゃあ、これからも安心して、なっちのこと、描き続けるよ」
涙を拭って差し出されたなつみの手を握り締めると、なつみは、
初めて圭織に見せたあのときと少しも変わらない笑顔で、大きく頷いた。
- 401 名前:Chapter ― 4 投稿日:2005/07/23(土) 00:07
-
- 402 名前:さくしゃ 投稿日:2005/07/23(土) 00:07
-
予告どおり、あまり間を置けずに更新できました。
以上で、Chapter ― 4は終了となります。
長かった、長かったよ、ママン…<踏。
レスありがとうございます。
>>384
読む前にレスとかw
ありがとうございます。ご期待に添えられているか、少々ビクついておりますが…
>>385
ありがとうございますー。
弱っちぃ作者で大変申し訳ないっす。
次回からはまた、メインとなるCPが変わります。
大多数の方々の予想を裏切る自信のあるCPです(笑)
が、まだ見通しがつかないので、しばらく放置になるかと思われますが、広い心でお許し願います。
ではまた。
- 403 名前:ぱっち 投稿日:2005/07/23(土) 01:07
- 更新乙です
心にきました
いっくらでも待ちますよ
期待してます
- 404 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/25(月) 22:17
- 綺麗で強い、いい締めくくりだった よかった
読んでいる自分にも彼女の羽根が見えた
中澤さんがまたかっこいいこと
のんびり待ってます
- 405 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/26(火) 07:48
- すごくよかったです。
次も期待してます。
- 406 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 17:57
- まっとるよ〜
- 407 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/10/19(水) 00:34
- まだ待つ
- 408 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/10/23(日) 22:06
- ねばるぞ
- 409 名前:さくしゃ 投稿日:2005/10/26(水) 08:58
- 更新滞ってて本当にすいません。
個人的諸事情で、次の更新までもう少し期間が空いてしまいそうです。
放棄はしません。
必ず書きますので。
本当にすいません。
- 410 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/10/26(水) 15:02
- おお!うれしいよ〜
- 411 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/03(木) 21:19
- やったね☆マターリまってるよぉ〜
- 412 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 04:27
- 突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 413 名前:さくしゃ 投稿日:2006/02/11(土) 17:53
- 生存報告です。
待っててくださっている読者の方へ。
更新止まってて本当にすいません。
完結させる気持ちはあるので、気長に待ってていただけるとありがたいです。
- 414 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/08(水) 23:40
- また〜り読み返してるよ〜☆
- 415 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/11(土) 19:43
- 更新ないのに上げないで
- 416 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 17:26
- 楽しみにしてますよ
- 417 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/14(金) 00:18
- あやみきまた書いてほしいなぁ〜
前回の続編とか書いていただけませんか??
- 418 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/16(日) 01:43
- 待ってます
頑張って
- 419 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/16(日) 11:50
- 放棄作品上げんな
- 420 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:07
- ◇
初恋なんです。
そう言っても、信じてもらえますか?
◇
- 421 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:07
-
◇◇◇
- 422 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:08
- その日は朝からツイてなかった。
今日の正午が提出期限のレポートを下宿に忘れて取りに戻ったし(なんとか提出時間には間に合ったけれど)、
そのせいで昼食を取り損ねたし、
講義が終わったあとで、今日は週末だからと遊びに行く約束をしていた友人からはドタキャンされるし、
それなら大学の近くにあるレンタル店にでも寄って何か借りようと思ったのに、気になる新作はすべて貸し出し中だったし、
諦めて店を出たら傘なんて持ってないのに雨が降ってくるし。
「…最悪」
駅まであと少し、という距離で雨は本降りになって、あゆみは仕方なく、とある店の軒先で雨宿りをすることにした。
――――― このブーツ、買ったばっかりなのに。
どんより曇る空から落ちてくる雨を見上げながら、あゆみは溜め息を漏らした。
- 423 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:08
- 「ねえ、彼女? もしかして、ひとり?」
ツイてないときは嫌なことが重なるのだろうか。
それとも、少し迂闊になるんだろうか。
いつもだったら、投げかけられた言葉が自分へだと気付いても、
それが自分にとって歓迎すべきじゃないときは無視できるのに。
何も考えずに振り向いて、
今しがた近くのコンビニで買って来た、と言わんばかりのビニール傘を差して立つ若い男の二人組を認めて、
あゆみは、今日の自分が心底ツイていないのだと思った。
二人組のひとりが、あゆみの顔を見て俄かに表情をいやらしげに綻ばせた。
あゆみは、自分の容姿が周囲の目にどう映っているかを自覚している。
それを自慢に思うこともあるが、たいていは自分の預かり知らぬところでの評価なので、不愉快の種にしかならない。
自分自身のそんな考えが周囲にどういう評価を与えていようと無関心だが、
今までの経験上、今みたいな状況下で、目の前にいるような相手からロクな対処をされたことはない。
仕掛けられても気付かないふりで無視するのが一番なのだが、
今日ばかりは本当にツイてないのか、油断して振り向いてしまった。
- 424 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:09
- 「傘持ってないの? 駅まで入れてったげよっか?」
「結構です」
素っ気なく言い放って顔を背けるが、目が合ってしまった以上、それで引き下がってもらえるとは思えなかった。
「まあまあ、そんな遠慮しないでさ」
「そうだよ。別にとって食いやしないよ、駅まで傘に入っていけばいいじゃん」
「なんなら家まで送ってったげてもいいしさあ」
そんな言葉で下心が見えないと思っているのか、それともそんなことは到底思いもしないのか。
呆れた溜め息が漏れそうになるのを必死に堪えて無視を決め込もうとするが、
男たちはあゆみの視界を遮るようにして前にたちはだかる。
小柄なあゆみにとって、男二人に前に立たれるとさすがに萎縮してしまう。
肩を竦めつつ、もう雨に濡れても構わないと思いながら彼らから逃げようとしたとき、腕を掴まれた。
- 425 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:09
- 「どこ行くのさ」
「離して下さい」
「駅まで送るって言ってんじゃん。濡れたくなくて雨宿りしてたんだろ?」
語尾が急に乱暴になって、掴む手のチカラが増した。
男女の腕力差を痛感してあゆみの顔色に怯えが生じたときだった。
「…柴田さん?」
不意に名前を呼ばれて、あゆみは顔を上げた。
自分の名を呼んだ相手は知らない女性だったけれど、
それでも今、自分の腕を掴んでいる男よりは遥かに信頼を寄せることのできる風貌だった。
- 426 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:09
- 「…ちょっと、あなたたち、何してるの? 彼女から手を離しなさい」
教師のようなきっぱり言い放つ威厳ある口調に、男があゆみから手を離した。
その隙をつき、あゆみは小走りに自分の名を呼んだ、細身の女性のもとへ駆け寄った。
濡れてはかわいそうだと感じてくれたのか、自分の傘を少し、あゆみのほうへと向けた。
「…知りあいじゃないわよね?」
確認するようにあゆみに聞き、あゆみが首を左右に振るのを見て、彼女はキッと男二人を睨みつけた。
「安っぽいナンパなんかしてないで、とっとと帰りなさい」
口調に含まれる棘が彼らには不愉快に感じたらしく、
苦々しく舌打ちをしたけれど、だからと言って深追いしようという気分は削がれたらしい。
互いに目配せをして、バツが悪そうにあゆみたちの目の前から去っていった。
- 427 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:09
- 彼らの姿が見えなくなるまで見送ってから、彼女があゆみに振り向いた。
「…あ、あの、ありがとうございました」
「いいえ」
答えながら、彼女は柔らかくにっこり微笑んだ。
「……失礼ですが、以前、どこかでお会いしました?」
「え?」
「あたしの名前、知ってるから」
あゆみより幾らか背が高いので、自然と上目遣いになりながら尋ねると、相手はあゆみを見ながら少しだけ目を見開いた。
それから小さく残念そうに口元を歪ませて、ゆっくり首を振った。
「迷惑してそうに見えたので声を掛けたんです。名前は適当に考えて言ったんですが…」
「…じゃあ、偶然?」
「そうなりますね」
お互いに顔を見合わせて、思わず苦笑いが漏れた。
- 428 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:10
- 「なーんだあ、あたし、てっきり」
「…どこかで昔会ってた、と思いました?」
「はい」
「いや、案外、どこかでお会いしてるのかも知れませんよ?」
「え?」
意味ありげに彼女が微笑んだとき、不意に雨脚が強くなった。
「わ…、結構強くなってきましたね。駅まで送りましょうか」
「え、でも」
「構いませんよ、私の住んでる場所は駅の向こうですから、通り道ですし」
どうぞ、と、左側を空けられ、あゆみは遠慮がちに彼女の隣に立った。
窮地を救ってくれたということとだけではなく、少し舌足らずな口調も、あゆみの警戒心を弱めた要因かも知れない。
「ありがとうございます」
- 429 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:10
- 駅までの道をゆっくりめに歩きながら、あゆみは、
彼女の持つトートバッグからほんの少し覗いている深いグリーンの生地に目を留めた。
「…ひょっとして、この先のレンタル店ですか?」
あゆみに不意の問いかけに、彼女はあゆみの視線の先を辿って、ああ、と声を漏らした。
「そうです。タイミングよく見たかった新作が返却されてきたので、思わず、ね」
「新作?」
彼女の口から映画のタイトルが出たとき、あゆみは思わず大きく溜め息をついた。
「あー、なーんだあ、やっぱりツイてないや」
「? 何がです?」
「あたしも寄ったんです、さっき。でも、その新作、貸し出し中で」
「ああ、なのに私が借りてきていた、と」
「そう」
「だったら、明日返却しますから、そのとき、横から掻っ攫っていけばいいんじゃないですか?」
「掻っ攫うって…」
彼女の表現に思わずあゆみは吹き出してしまった。
- 430 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:11
- 「や、でも、週末はバイト入ってて、こっちに出て来る用事とか、ないですし」
「そうなんですか?」
「…残念だけど、やっぱ、ツイてなかったってことで」
駅が見えてきた、と思ったとき、不意に隣の歩調が遅くなった。
「? どうかしましたか?」
あゆみが首を傾げ゚ながら問うと、少し躊躇いがちに、細身の彼女が切り出した。
「そういうの聞くと、一個くらいはツイてたな、って思わせたいですよね」
「え?」
「…このあと、何か用はありますか?」
「え、あとは、下宿先に帰るだけです、けど…?」
「少しくらい、夜は遅くなっても平気ですか? 急に泊まったりすることになっても?」
「それは、まあ、連絡をいれておけば」
「じゃあ、今からウチに来ません? よかったらこのDVD、一緒に観ましょう」
「え…っ?」
柔らかく微笑む彼女の目や口元が語るのは、決して冗談ではなかった。
- 431 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:11
- 「えっ、いやでも、急にそんな…」
「気を遣わなくても大丈夫ですよ。一人暮らしですし、少し狭くて多少散らかってますが」
確かに観たい新作のDVDではあるが、恩人とはいえ、
今日会ったばかりの人間の家に上がりこむには、さすがに躊躇があった。
「…それに、ほら、雨宿りも兼ねて」
傘の外へ細身のカラダ同様に細い手を差し出し、雨粒を手のひらで受け止める。
「観終わる頃には、止んでるかも知れませんよ」
雨、という風景が似合うのも不思議な魅力だと、あゆみはぼんやり思った。
- 432 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/16(日) 15:11
- 警戒心はとっくにない。
たった数分、隣に立っただけなのに、居心地のよさがあゆみを包んでいた。
彼女を知ってみたいという好奇心が、むくむくと育ってくる。
こんなことは、初めてだった。
「…本当に、迷惑になりませんか?」
「だったら誘いませんよ」
笑う彼女の口調からも、邪心は少しも感じられなかった。
「じゃ、お言葉に甘えて」
あゆみが言うと、彼女は今まで見せたどれよりも柔らかく微笑んだ。
- 433 名前:さくしゃ 投稿日:2006/04/16(日) 15:17
-
9ヶ月間もの長い間、放置してしまって申し訳ありません。
なのに更新量少なくてごめんなさい。
さらには見切り発車でごめんなさい。
加えて前回の更新時に予告していたCPじゃなくて、またしてもごめんなさい。
以後も頑張りますので、生温く見守ってやってください。
- 434 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/17(月) 23:38
- 続きキテター!
なんでもいいです、読めるならw
生温かく見守ってやりますです、はい〜w
- 435 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/18(火) 00:24
- あ、なんかこの雰囲気ものすごく好きです。
雨がこのCPに合うんでしょうか。
次回更新もまったりお待ちしてます〜。
- 436 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/18(火) 08:01
- 待ってましたー!
どういうCPか分かりませんが、
作者さんの小説がまた読めるだけで嬉しいです。
- 437 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:32
- 駅から数分の、女性専用のワンルームマンションの3階。
そこが彼女の部屋だった。
突然の雨で少し汚れてしまったブーツを玄関先で脱いでいると、薄暗かった室内が不意に明るくなった。
彼女が部屋のライトを灯したのだ。
ブーツを脱ぎ、促されるまま、幾らか緊張を孕んで足を進める。
少し狭いけれど、と言われたわりにそんなこともなく、
散らかっている、と言われたわりに家具や小物は整然としていた。
「適当に座ってね。何か温かいものでも飲む? 紅茶とかコーヒーとか。どっちもインスタントだけど」
「あ、じゃあ、紅茶で」
雨で少し濡れた髪を差し出されたタオルで拭いながら、好奇心に勝てずに室内を見回す。
まだ学生の自分の部屋とは違い、やはり、落ち着いたオトナの雰囲気が感じられる部屋だった。
- 438 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:33
- 「ええと…」
彼女の名前を呼ぼうとして、まだ自己紹介すらしていないことにようやく思い至る。
「そういえば、まだ名前、聞いてませんでしたよね」
キッチンから湯気の立ち昇るマグカップをふたつ持ってきた彼女が、あゆみの問いかけに苦笑いした。
「そういえばそうですね」
テーブルにカップを置き、あゆみの座った位置の向かい側に腰を下ろして、彼女がぺこりと頭を下げる。
「紹介が遅くなりました。村田めぐみと申します。23歳です、一応社会人です」
「柴田あゆみです。ハタチです。大学生です」
互いに頭を下げあって、顔を見合わせて吹きだす。
- 439 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:34
- 「…なんか、変な感じ」
「何がですか?」
「村田さん、どうして敬語なの?」
「…あー、たぶん、職業柄かな。接客とかではないんですが、人と接する機会の多い仕事なので」
「お仕事は何を?」
「受付業務が主体です。電話番とかも、しますよ」
電話、という言葉に、あゆみは下宿先へ連絡をいれなければいけないことを思い出し、慌てて鞄の中のケータイを探った。
履歴から下宿先の番号を辿り、呼び出し音を聞いている間に、めぐみはレンタル店の袋をトートバッグから引き出す。
「はい、もしもし」
「あ、安倍さん? あゆみです」
「柴ちゃん? どした?」
「あの、急で申し訳ないんですけど、今日、ちょっと帰りが遅くなりそうなので」
「あー、はいはい、了解。んと、泊まりの可能性もある?」
「そうですね、もしかしたら。そのときはまた電話します。朝食のこともあるし」
「ん、わかった」
- 440 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:35
- 通話を切ってめぐみに振り向くと、
既にテーブルにはDVD鑑賞中に摘まめるようなスナック菓子なども用意されていた。
「大丈夫でしたか?」
「はい。もともと、そんなにうるさい下宿じゃないんですけど」
心配させたくない、という気分にさせるのも、ひとえに、家主である安倍なつみの人柄の為せるワザだとあゆみは思う。
「下宿、ってことは、他にも住人がいる、ってことですよね。学生専用の下宿なんですか?」
「いえ、そういうワケでもないです。社会人の下宿人もいますし。父の知り合いのツテっていうか」
「男性の下宿人も?」
「あ、それはいません。女だけです。女ばっかり6人」
「おや、それは壮観でしょうね」
冗談めかしてめぐみが言うので、あゆみも気後れしないで済んでいた。
- 441 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:35
- はじめて踏み込む他人の領域なのに、少しも居心地の悪さを感じないのが不思議だったけれど、
それはおそらく、めぐみの雰囲気のせいだろう、とあゆみは思っていた。
下宿先の家主と、方向は違えど、似た感じを受けるのだ。
「そろそろ、再生しても?」
「はい」
あゆみの返答を待って、めぐみはリモコンを押した。
- 442 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:35
-
- 443 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:35
- エンドロールが流れ出し、あゆみは深く息を吐き出した。
感想という感想が思い浮かばない、つまり、そう、期待ハズレだったのだ。
けれど、わざわざ他人の家にまで上がりこんで、見終わったあとでそんな感想を持ち出すのはさすがに気が引けた。
気になっている新作がタイミングよく返却されてきたから思わず手に取ってしまった、というのだから、
めぐみは、ひょっとしたらあゆみのような感想は抱かなかったかも知れないのだし。
「本編終わったし、特典映像も観ますか?」
「あ、私はどっちでも…」
リモコンを操作するめぐみの手の動きが緩慢に見えた。
「…なーんか、話題になってたわりにイマイチでしたねえ。特典映像も、たいして観たいと思わないなあ」
「……そう思いました?」
「うん。映像の技術は素晴らしかったですが、脚本はワンパターンというか。役者は豪勢でしたけれどね」
自分とほぼ似た感想を述べためぐみに対して、あゆみ自身も箍が外れた。
- 444 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:36
- 「同じこと思ってる…っ」
「へえ、気が合いますねえ」
「ねえ、村田さんの一番好きな映画ってなんですか?」
「ん? …んー、一番っていうと、やっぱコレかな」
ひょい、と、DVDデッキの脇に並んだソフトの中から一枚を取り出す。
「ウエストサイドストーリー?」
「そう。ちょっと古い映画ですけどね。あと、最近だと、シカゴとか面白かったな。もともと、ミュージカルが好きだから」
「シカゴはあたしも大好きっ」
「あは、ホント、気が合いますね」
ふふっ、と軽やかにめぐみは笑って、カラになったカップを持って立ち上がった。
「…おかわりいります?」
「え? えっと…」
「私がオススメのその映画、観るでしょ?」
「観たい!」
そうしてその晩、あゆみは、めぐみの家に泊まることになった。
- 445 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:36
-
- 446 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:36
- 「…なんだか、すいませんでした」
夜明けを待って、あゆみは帰り支度を始めた。
始発で帰れば朝食には余裕で間に合う。
結局、初対面のはずの人間と夜通し映画鑑賞をして討論をして、気がつけば深夜をとうに過ぎていて。
バイトのシフトは正午からなので、本当なら少しぐらい眠らないといけないのだが、
いまだ興奮覚めやらずなのか、なんだか頭の芯から冴えてしまっていた。
「なにがですか?」
そう答えためぐみだってあゆみ同様に完徹なのに、あまり眠そうには見えなかった。
「誘ったのは私のほうですし。夜通し誰かと映画を観たのなんて、初めてなのに、とても楽しかったですよ」
帰り支度を済ませて、あとはお気に入りのブーツを履いてこの部屋を出るだけ。
なのに、どうしてか、帰りづらい。
- 447 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:36
- どう切り出せばいいだろう。
確かに時間を忘れるくらい夢中になって話をした。
初めて訪れた部屋なのに不思議と居心地が良くて緊張なんてしなかった。
年上なのに年上の雰囲気なんてなくて、でもやっぱり少しぐらいはオトナだからか纏う空気は穏やかで。
だだの好奇心だけではないと思う。
でも、だからってそんな、会ったばかりなのに、変な風に思われたりしないだろうか。
「始発も、そろそろ動き出しますね。行きますか?」
駅まで送るというめぐみに促されてようやく、あゆみは立ち上がった。
ブーツを履き、玄関を出て、カギを閉めるめぐみの後ろ姿を見ていると、とてつもなく淋しくなった。
振り向いためぐみが、あゆみを見て少し驚いたように目を見開いて、それから小さく微笑む。
「行きましょうか」
「……ぅん」
- 448 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:37
- どう切り出せばいいのか、あゆみにはさっぱり判らない。
胸の奥、というよりずっと手前のほうで渦巻くような感覚を認められるのに、
自身の感情なのに、名前がよく判らない。
昨夜はずっと喋っていたのに、どうしてか今は話すきっかけになる話題さえあゆみの頭には浮かんでこない。
浮かぶ言葉は、ただひとつだけ。
雨はすっかり止んでいて、白み始めた東の空に浮かぶ雲が、今日は晴天になると予測できる朝を連れてきていた。
駅が見えてきて、あゆみの中で渦巻く焦りのような感覚がその度合いを強める。
いてもたってもいられず、それまで俯き加減にしていた顔を思い切って上げてめぐみを見た。
「あの…っ」
前を見据えているめぐみの横顔が朝日に照らされて、その眩しさにあゆみは目を細めた。
切り出そうとした言葉がその眩しさに奪われたとき、めぐみがゆっくり振り向いた。
- 449 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:37
- 「また、会えますか?」
「えっ?」
いままさに、あゆみが聞こうとした言葉だった。
「えっ、あ、あの…?」
返す言葉に詰まるあゆみを尻目に、めぐみが不意に自身のケータイを取り出した。
「柴田さんのケータイ、貸してもらっていいですか?」
言われるまま、あゆみは自分の鞄からケータイを取り出してめぐみに渡した。
「ああ、よかった、同じ携帯会社だ」
独り言のように呟いたあと、あっさりとあゆみのケータイと自身のケータイとを操作して、
あゆみのケータイにめぐみのケータイの履歴を残した。
- 450 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:37
- 「メアドは必要ないですよね」
「あ、あの」
「いつでも連絡してきてください。待ってますから」
「村田さん…っ」
あゆみに何も言わせないまま話を進めようとするのでさすがにあゆみも面喰ってしまう。
思わず名前を呼んでしまったけれど、それは幾らか大きな声となってしまった。
自分の声の大きさに少なからず驚いて口を噤んでしまったあゆみに、めぐみは、また、柔らかく微笑んだ。
「…だって、一晩きりでなんて、終わりたくないですよ」
「村田さん?」
「楽しかったんですよ、本当に。柴田さんとの縁が今夜だけで切れるなんて、思いたくないんです」
「……あ…」
「また、会いたいです。……ダメですか?」
言葉を詰まらせたまま、あゆみはめぐみを見る。
柔らかく微笑みながら自分を見下ろすめぐみの瞳は、自分を拒絶しないという自信が色濃く窺えた。
- 451 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/04/19(水) 19:38
- 自信たっぷりで自分を見下ろすその態度は、普段のあゆみだったら不愉快に感じていたかもしれない。
だけど。
だけど、めぐみのその言葉や態度は、きっと、あゆみの心の中を読み取った上でのことだと判ってしまったから。
言いたくても切り出せない、渦巻くような感覚の名前を知らないあゆみの心を、
めぐみが感じ取ってくれたのだと判ってしまったから。
「………ダメじゃ、ないです」
直視し続けることが困難で、あゆみは俯いた。
視線を落とした先にある、めぐみの爪先を見つめながら、声が震えてしまわないように、必死に平静を装った。
もちろん、そんな虚勢が今のめぐみにはちっとも通じないと知りながら。
「あたしも、村田さんに、また会いたいです」
上擦る声で、それでもはっきりと、告げた。
- 452 名前:さくしゃ 投稿日:2006/04/19(水) 19:41
-
展開早いなあ………orz
レス、ありがとうごさいます。
恐縮ですが、レスに対するお返事はやめておこうと考えています。
さんざんお待たせしていても、たいしたお話でもないので、ホントに心苦しいので。
ではまた、ちかいうちに。
- 453 名前:みやこ 投稿日:2006/04/22(土) 23:58
- お帰りを心待ちにしております
- 454 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/04/24(月) 21:58
- 綺麗な文章にすごく引き込まれます。続きが楽しみです。
- 455 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/27(木) 01:07
- あやみきの続き書いてもらえませんか??
- 456 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/27(木) 01:12
- >>455
作品の進行中にそう言う事を
書き込むのは失礼じゃないでしょうか?
あやみきも好きなんですが、この二人も好きなので
かなり続きが楽しみです。
この作品ならいくらでも待てますので、作者様のペースで
納得のいくものをお書き下さればと思います。
偉そうに申し訳ありません。
期待してます。
- 457 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:01
-
◇◇◇
- 458 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:01
- 先輩にあたる女子社員から休憩していいよ、と言われ、
それに愛想よく返してから、あゆみはロッカールームに戻り、鞄の中のケータイを取り出した。
メール着信を知らせる表示があり、ゆるむ口元を隠せない。
今日はどんな内容が届いているのかと思うだけで、わくわくしたし、ドキドキした。
あゆみのバイトは、あゆみと同じ下宿人で、先月末に開催された個展以降、
ますます人気を呼ぶようになった絵描きの飯田圭織が専属契約している出版社での、簡単な書類整理だ。
個展のときに圭織の担当をしている保田圭にスカウトされたのがきっかけだが、
自分の容姿のせいで接客の仕事はあまり好きではなかったあゆみにとって、
個人業務な仕事内容には、文句の付け所がなかった。
それに、圭という後ろ盾があるからか、男性社員が無闇にあゆみにちょっかいをかけてくるようなこともない。
(あとでバレたほうが何倍も怖いからだ)
ケータイを開くと、思っていたとおり、相手はめぐみだった。
知らない人間にしてみればくだらない内容でも、あゆみにはとても嬉しく感じるのだから不思議だ。
- 459 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:01
- 先日、また会いたいと言われ、また会いたいと答えたあと、
何だか気恥ずかしくてろくに顔も見ないで、泊めてもらったことの礼を告げただけで、あゆみは電車に飛び乗った。
けれど、下宿につく頃、自分の態度がめぐみを不快にさせなかったか途端に不安になって、仮眠すらとれなかった。
バイトをしていてもそればかりが気掛かりで、
休憩時間、何気なく開いたケータイにめぐみからメールが届いたときは、本当に、文字通りに悲鳴と共に飛び上がった。
メールの内容は、昨夜のことと、ちゃんと眠れたかを心配していることと、
今朝言ったことが冗談なんかではないということ。
読みながら、自分が赤面していることが判った。
そして、言葉に出来ないくらい、嬉しいと感じていた。
すぐに、謝礼の言葉を並べた。
本当はあまり眠れなかったのだけれど、それは曖昧に濁して、次に会える日を楽しみにしている、と返した。
あゆみが嬉しくなった今朝の言葉を、冗談ではない、と言い切ってくれた文面だけで、
あゆみは本当に満足だったのだけれど。
折り返しの返信は、次の約束を、具体的に進めた内容だった。
- 460 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:02
- …おやぁ? 彼氏かな?」
あゆみの横から楽しそうに話し掛けてきたのは、
少しばかり外見は派手だけれど、気っ風のいいところが男性社員に人気の斉藤瞳。
さきほど、あゆみに休憩を勧めた女子社員だ。
「えっ、ち、違います、そんなんじゃないです」
「そうなの? やけに嬉しそうにしてるから、彼氏からかと思ったわ」
ふふん、とニヤニヤ笑いながらも、ケータイを覗き込んだり、ということはしてこない。
「…まだ、知り合ったばかりだし、トモダチ…、って、呼んでいい人なのか、よく判らないですけど」
「ん?」
「今日このあと、泊まりに行くんで、その連絡のメールが」
「? 友達、でいいんじゃないの?」
- 461 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:02
- あゆみの心情など瞳はもちろん知らないので、言葉を濁すあゆみに不思議顔になった。
そしてそのまま、自分のロッカーを開けてバッグを探る。
「友達でもない人の家に、まして知り合ったばかり人の家に、泊まりには行かないんじゃないの?」
「…そう、ですよね」
瞳の言うことが世間一般の見解だろう。
めぐみとあゆみは、知り合ってまだ1週間程度だというのに、
家に泊まりに行く、という約束ができるほどの友好関係が築かれていた。
もとより、知り合った初日に夜通し映画を見ていたのだから、今になって改まるから妙な感じなのかも知れないが。
「…ふうん、でも、そっか。なら、今日はもう上がる?」
「え?」
「今日はそんなに忙しくないしさ」
取り出したケータイを素早く操作して、パタンと折りたたむ。
- 462 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:03
- 「ウルサイ上司もいないし、用事が出来たから早退、ってことにしといてあげるよ」
「や、でもそんな急に」
「いいってば。今日は珍しく他にもバイトの子が来てるし、ホラホラ」
「じゃあ、保田さんに…」
「圭ちゃんなら平気だってば、あの人、アンタのことお気に入りなんだから、怒ったりしないって」
押し出すようにあゆみの背中を撫でて瞳が笑う。
「それに今日は出張だしね」
一応、自分をスカウトしてくれた圭に対して恩義があるのでそう言ってはみたものの、
早く帰れるならそれに越したことはなかった。
「え…、えと、それじゃ、お言葉に甘えます」
「おう、気を付けて帰りな」
ケータイを鞄にしまって帰り支度を始めると、
瞳はまた、軽く押し出すようにあゆみの背中を叩いてロッカールームを出て行った。
- 463 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:03
- 瞳の姿が見えなくなって、あゆみの手が早くなる。
身支度を整えてから腕時計を見遣ると、約束の時間まではたっぷり4時間はあった。
バイトのあと、一旦下宿に戻ってから慌しく出かける自分を想像していたのだが、
これならみっともなく何か忘れ物をした、なんてことはないだろう。
タイムカードを退出で処理して、ビルを出て駅へと向かう。
電車を待っている間にめぐみにメールをすると、すぐに待ち合わせ時間を少し早めようと提案する返信が来た。
それにあゆみが快く返事したとき、ホームに電車が滑り込み、あゆみは足取りも軽く、その電車に乗り込んだ。
- 464 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:03
-
- 465 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:03
- 約束の時間の10分前に、あゆみは待ち合わせ場所である駅の改札口に着いた。
なのに、めぐみの姿はもうそこにあって。
めぐみの家までの道程は曖昧にしか覚えていなかったので、
そう言うと、迎えに行きますよ、と言ってくれていたのだが、
まさか約束の時間より早くその場所に立っているとはあゆみも思わなかった。
あゆみの姿を見つけて嬉しそうに歩いてくる姿にあゆみは咄嗟に言葉を見失う。
「は、早いんですね」
「…なんか、嬉しくて、早く着いちゃいました。もともと、遅刻とかはしないんですけど」
長く伸びている前髪をかきあげながら気恥ずかしそうにめぐみは答えた。
「思ってる以上に浮かれてるみたいです」
聞いているあゆみのほうが恥ずかしくなるようなことをさらりと言って、あゆみの持つ荷物を目に留める。
- 466 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:04
- 「…ええと、晩御飯なんですが」
「あ、はい」
「私、料理とか苦手なので、外で食べましょうか」
「いいですね」
「ちょっと歩くんですけど、美味しくて安い居酒屋があるんです。柴田さん、お酒は?」
「少しくらいなら」
答えてから、本当は自分が飲酒年齢に達していないことを思い出したが、敢えて言わずにいた。
そんな野暮なことは言わぬが華だ。
「荷物、重いなら、ウチに一旦戻ります?」
「…んー、そうですね、そのほうがいいかも」
それほど重い荷物ではなかったのだが(着替えと僅かなメイク道具程度だ)、身軽で出かけられるならそのほうがいい。
遠慮せずに言うと、めぐみもどこか満足げだった。
めぐみの家に立ち寄って荷物を置き、
めぐみの小さな手提げバッグに自分の財布を預かってもらい、ふたりは目当ての居酒屋に向かった。
- 467 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:04
-
- 468 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:04
- ほろ酔い気分で店を出ると、駅へと向かう人波は随分と少なかった。
腕時計を見遣って、時刻が夜の10時前を示していることにあゆみは少し驚く。
長居したつもりはないのだが、時間にすれば2時間以上も店内にいたことになる。
「美味しかったですか?」
「はい。結構食べたのに、安かったし、学校の近くにこんな店あったんだなあ」
「気に入ってもらえてよかったです」
「でも、村田さん、野菜ばっかり食べてた」
「肉類は苦手なんですよ」
「だからそんなに細いんですよぉ。栄養偏りますよぉ」
あまり呑んだつもりはないが、それでも呑み慣れないアルコールが残っているのか、
語尾が怪しいことは自覚しているのだけれど。
冷静な思考を巡らせているのとは別に、思った言葉がするりと声になっている。
けれど、どうにも歯止めが効かない。
- 469 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:04
- 「…酔ってます?」
くすくす笑って、めぐみが手を差し延べる。
その手を躊躇うことなく掴まえて、あゆみは笑った。
無意識に口元が綻んでくる。
「酔ってないですよぉ。でも、風が顔に当たって、キモチイイ」
「そう? なら、まっすぐ帰らないで、散歩がてらちょっと歩きましょうか?」
「さーんせー」
繋いだ手を、めぐみの手ごと高々と掲げてあゆみは答えた。
- 470 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:04
- めぐみの家を通り過ぎて、街灯はあって明るいけれど、それでも静かな住宅街を宛てもなく歩く。
さっき咄嗟に掴まえてしまっためぐみの手は、まだあゆみと繋がっている。
秋の夜風に吹かれていると、だんだんと酔いも醒めてきた。
そうなると、ただ無言で手を繋いでいることが無性に恥ずかしくなってきて、けれど、離すきっかけがなくて。
「…あ、柴田さん」
「はっ、はい?」
不意に話し掛けられて、答えた声がカッコ悪いくらい裏返った。
恐る恐る横を見上げると、めぐみはそんなあゆみに気付いているのかいないのか、
ただ柔らかく微笑んで、夜空を指差していた。
「今日は、満月なんですね」
- 471 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:05
- めぐみが指差す夜空を見上げてみれば、そこにぽっかり浮かぶ、薄白くて丸い月。
「…ホントだ」
あゆみが呟くように答えた時、繋いでいた手に、僅かにチカラが込められたような気がした。
けれどそのチカラは決して不愉快なものではなく。
同じ気持ちで月を見ているのだと思えた。
同じ空気が、ふたりを包んでいるのだと思えた。
お互いが無言のまま空を見上げ、繋いだ手から伝わるお互いの体温だけが、リアルだった。
- 472 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:05
- どれくらい見上げていたのか判らなかったけれど、
カシャン、と、どこか近くで鉄製の門扉のようなものが閉じた音がして、
あゆみは弾かれたようにその音がしたほうに振り向いた。
振り向いたそこに、家から出てきたと思われるふたつの人影。
そのふたりに見覚えがあって、あゆみは思わず、本当に、疚しさを感じての行動ではなく、
気が付くと、めぐみの手を引っ張ってその人影から見えない場所へと身を隠してしまっていた。
- 473 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:05
- 「…柴田さん?」
あゆみの突然の行動を理解してか、呼びかけてくるめぐみの声も小さい。
「…ひょっとして、知り合いですか」
そろそろと身を隠した場所から顔を覗かせてふたりの様子を窺うあゆみの背中にめぐみが話し掛ける。
「……ぅ、ん」
ふたりのうちひとりは、毎日顔をつき合わせているので見覚えがありすぎる人物だった。
あゆみが暮らす下宿の同居人で、大学ではひとつ後輩にあたる、藤本美貴。
そしてもうひとりは、彼女がこの春から家庭教師を受け持っている、松浦亜弥だった。
家から出てきた、ということは、おそらくあそこが亜弥の自宅であり、
今日は美貴のバイトの日だった、ということだろうか。
- 474 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:06
- 夏に、彼女たちが付き合い始めたことをあゆみは知っている。
それ以前に、美貴からも相談を受けていたから、彼女たちの気持ちが重なり合ったことを、心から祝福した。
しかし、正直に言えば、相談ごとを持ちかけられたとき、
無論、そのときの精一杯の誠意で助言をしたつもりだけれど、
あゆみにとって、恋愛、というものは、どこか遠くにあるような、自分とは無縁のような気がするものでしかなかった。
友人たちが恋に悩んでいたり、
ちょっとしたことで嬉しがったり悲しがったりする姿を見ながら、ときに慰めながらも、
自分とは懸け離れた世界のことだと思うこともあった。
自分以外の誰かを大切に思うことはあっても、
些細なことで胸が苦しくなるようなことも、泣きたくなるようなことも、なかった。
そう、めぐみに出会うまでは。
- 475 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:06
- 黙って美貴と亜弥の様子を窺っていると、亜弥が美貴のジャケットの裾を掴んだのが判った。
別れ難い、そんな雰囲気で。
掴まれたほうの美貴も、亜弥のそんな気持ちが嬉しいけれど切ないようなそんな面持ちで亜弥を見ている。
そっと手を伸ばして、俯き加減の亜弥の頬を撫でる。
静かに顔を上げたのを確認して、周囲を見回したあと、美貴はゆっくり、亜弥に顔を近づけた。
他人とはいえ、自分にとって近しい存在でもある人物のキスシーンを目撃したのはそのときが初めてで、
その一連の動作に、あゆみはかつてない気持ちに心を揺さぶられ、心音は否応なく跳ね上がった。
顔を近付けあって、お互いの息がかかるほどの距離で見詰め合うふたりから目が離せない。
- 476 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:06
- 「…綺麗ですね」
直後、あゆみのうしろから届いたそんな声にあゆみは我に返った。
たとえ当人たちには気付かれていないとはいえ、とんでもないところに居合わせてしまったことに気付き、
あゆみは慌てて自分の背後に立っているめぐみに振り向いた。
あゆみが振り向いたことでめぐみの視線は自然とあゆみに向けられるが、
あゆみのような動揺がめぐみの様子からは見られなかった。
「素敵な光景でしたね」
ふわりと微笑んでそう言った。
「…素敵?」
「ええ。愛するもの同士の、自然な行動でしょう? 美しいですよ。もっと見てたかったな、なんて」
あゆみが美貴たちへ向き直ると、もう美貴の姿はなく、亜弥の姿も玄関ドアの向こうへと消えていた。
- 477 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:07
- 「……そろそろ、帰りましょうか」
めぐみに促されるまま、あゆみも歩き出す。
繋いでいた手は、さきほど勢いで離してしまっていたので、今は繋がれていない。
秋の夜風は冷たいといっても、それだけがカラダを冷やしているようには思えなかった。
「…村田さん」
めぐみの発した言葉が引っ掛かっていたあゆみは、なんとなく気まずさの漂う空気を払拭したくて、呼びかけた。
「はい?」
「…さっき、綺麗って、言いましたよね」
「ええ。綺麗でしたね。柴田さんは、そうは思いませんでしたか?」
切り返されるとは思わなかったあゆみが落としていた目線を上げてめぐみを見ると、相変わらずの柔らかな微笑み。
- 478 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:07
- 「…もしかして、柴田さんには、理解不能なことだったのかな」
「そっ、そんなことないですよ! ただ…っ」
「……ただ?」
優しく諭すように、ゆっくりあゆみの言葉を導こうとするめぐみの声。
「…ただ……。…あたし、初めて、なんです、誰かの、ああいうシーン、見たのって」
「…ああ、だったら衝撃ですよね。映画とかとはまるで違いますから」
「ち、違うの、そうじゃなくて、っていうか、むしろ、映画みたいで」
「………綺麗、だった?」
あゆみは言葉を飲み込んだ。
めぐみの言うとおり、とても綺麗な光景だったのだ。
月明かりのせいもあったのかも知れない。
夜の静寂で、周囲に動きもなく、そこだけがくっきりと浮かび上がるように。
- 479 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:07
- 「…あたしが思ってたこと、村田さんが声にしたから……」
心を読まれたような気がした。
「愛し合ってるって、あんなに綺麗なんだ、って…」
「とても綺麗でしたね。ふたりが美形なのもあると思うんですが」
「………村田さんは、性別を気にしないひと?」
「そうですね。むしろ同性のほうが好きかも知れません」
いきなり告白されて、ぎょっとなって顔を上げると、めぐみはいつもと違う笑顔を見せていた。
「…って、言ったら、どうします?」
からかわれたのだと瞬時に悟って、あゆみは唇を尖らせた。
「あはは。ごめんなさい。だって柴田さんがあんまり真剣に言うから、茶化したくなったんですよ」
「…ひどい」
「すいません。柴田さんの反応が可愛いので、つい」
「つい、で、からかわないでくださいよ、もぉ」
唇を尖らせるだけでなく、頬も膨らませると、めぐみはますます声を起てて笑う。
- 480 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/01(月) 15:08
- 「ああ、ほら、そんな反応が可愛いんですよ」
「褒められてる気がしません」
「褒めてますって」
なんでもない遣り取りだと周囲には映るだろうか。
本当は、めぐみの発する言葉にどれほどあゆみの心音が跳ね上がっているかなんて、
誰も気付かないでいるだろうか。
いや、誰よりも、めぐみ本人に気付かれてはいないだろうか。
「…か、可愛いとか、こういうときに言われても、あんまり嬉しくないですよ」
「そうですか? でも、本当に、柴田さんは可愛いので」
出来るならもう、跳ね上がる心音で息苦しいから言わないで欲しいのに。
言われ慣れている、というと敵を作りそうだけれど、それでもさんざん言われてきた褒め言葉なのに、
めぐみに言われるとそれは他の誰とも違って聞こえてくるから、あゆみには困惑にしかならない。
めぐみの家が見えてくるまで、あゆみはそんな自分の心の動揺がめぐみに悟られてしまわないように、
拗ね気味にめぐみと話すことしか、出来なかった。
- 481 名前:さくしゃ 投稿日:2006/05/01(月) 15:18
-
更新しました。
時間に余裕があれば、このGW中にもう一度更新できればいいな…、と、
そういう予言をしてしまうと、一度も叶ってない罠… orz
レスありがとうございます。
ええと、このスレはそのChapterによってメインとなるCPも異なり、登場人物も多種となります。
一話完結、のような形式をとっておりまして、他のCPを絡めてもメインとなるCPはChapterが終わるまで変更になることはありません。
ご了承願います。
あと、CPについてのリクもお受けすることは出来ませんので、ご理解いただきたいと思います。
ではまた、ちかいうちに。
- 482 名前:みやこ 投稿日:2006/05/01(月) 17:36
- 最高です・・・
賛辞が溢れすぎて上手くまとまらなくて、陳腐な一言だけになってしまいました・・・
- 483 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/02(火) 09:48
- やばいです。面白い。
読みながらにやにやしてしまいました。
- 484 名前:どくしゃ 投稿日:2006/05/02(火) 15:54
- このCPも大好きなんですが何より作者様の文が、展開がすごくステキです。面白いです。
- 485 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/04(木) 23:57
- どのCPも素敵ッス!
- 486 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:56
-
◇◇◇
- 487 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:56
- 週明け月曜日の午後。
あゆみが昼食のために学生食堂に赴くと、
食堂内が見渡せるテーブルで、紙パックのジュースを含んでいる見慣れた顔と目が合った。
その顔には少しばかり言いたいことがあったので、悪びれずに普段どおりの手招きをされて自然と顔が強張る。
「柴ちゃーん、ここ空いてるよーん」
少々目立つが、そんなことを気にしていてはまともに学生生活を送れない。
周囲の視線など気にも留めず、手招きしていた相手のもとへと向かった。
- 488 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:57
- 「久しぶりー」
「先々週の金曜日に約束をドタキャンされて以来だね、里ちゃん」
「あははー、ごめんごめん。どーっしてもハズせない急用が出来ちゃってさ」
「……そのあと10日も音信普通になるくらい?」
幾らか棘を含んで返すと、あゆみの目の前に座るクラスメート、里田まいは、
健康的な雰囲気を纏ったその笑顔を少なからず曇らせた。
「…うん、ごめん」
「え、なに、ひょっとして、結構深刻?」
まいの顔付きが俄かに曇ったので、
いつものようにおちゃらけて誤魔化すだろうと思っていたあゆみも、さすがに身構えた。
- 489 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:57
- 「んー、まあ。もう落ち着いたんだけどさ、幼馴染みが入院してんの」
「入院?」
「もともと、カラダが丈夫じゃないから、一度入院しちゃうと長いんだよね」
「わ、悪い病気なの?」
「いや、そういう深刻さはないんだけど、本人が悪く考えちゃうからさ。だから、本人が落ち着くまで付き添ってた」
言い終えて、口に付けていたパックのストローをまいが吸い込むと、ぺこん、と軽くへこんだ。
「連絡しなくてごめんね」
「いや、だったら、仕方ないから、いいけど。あたしからも連絡しなかったし」
「や、連絡くれても、ケータイはずっと電源切ってたから、繋がんなかったと思う」
「そっか」
「うん、けどもう大丈夫。今日からはちゃんと講義にも出るし、この間のドタキャンの埋め合わせもしないとね」
正直にいえば、あゆみとはまるで面識のないまいの幼馴染みの入院について、
あゆみが胸を痛ませる必要は確かになかったのだけれど、
いつも元気いっぱいでハジけている、というイメージの強いまいからそんな話を聞かされてしまうと、
10日間の音信不通に対しての文句も消え失せてしまった。
今、まいが言ったように、ドタキャンの埋め合わせをしてもらうつもりの文句だって用意していたのだ。
- 490 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:57
- 「……んー、じゃ、明日のランチおごってよ、それでいいや」
「ええーっ、そんなんでいいワケ? なんかちょっと、安上がりじゃん?」
「いいよ。…実を言うと、あの日、結構いろいろ楽しいことあったんだ」
まいに約束を反故にされたあの雨の日に、めぐみと出会ったのだから。
約束をキャンセルされなかったら、レンタル店には行かなかっただろう。
ひとつくらいはツイてたと思わせたい、と言われて、初対面の誰かの家に上がりこむようなことも、
その人の家で夜通し喋り明かすことだってなかった。
まして、その相手が今、あゆみの心の大多数を占有するような存在になるようなことも。
「お? なんだなんだ? 面白そうな話?」
「べつに。個人的に、ってこと」
「えー。気になる気になる、教えてよ」
「なんでもないって。…それより、ゴハン食べさせてよ」
苦笑混じりに言ってようやく、まいが静かになった。
- 491 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:57
- 「そーいえばさあ、柴ちゃん、知ってる?」
食べ終わる頃を見計らって、既に飲み干していたパックジュースを手の上で弄んでいたまいが切り出す。
「学生課にさ、メガネの綺麗なおねーさんがいるんだって」
「? 知らない」
「なんか、最近急にメガネ掛け始めたらしいんだけどさ、掛ける前よりエロくて、逆に人気なんだって」
エロい、という単語が出て、あゆみは苦笑した。
まいが意外とそういうことに好奇心を膨らませることを知っていたからだ。
「…気になるんだ? どんな感じ?」
「さあ…」
「あれ、まだ見たことないの?」
「だって、学生課ってさ、滅多に行かない場所じゃん。用がないと、なかなか行かないとこでしょ?」
- 492 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:58
- 確かに、この大学の学生課は、その名のわりにはそれほど学生に対して親切な窓口ではないように思えた。
休講の連絡やレポート提出の期限切れなどでの呼び出しの連絡も大掲示板にあるし(ある意味晒し者だが)、
寮生生活者以外だと、就職活動をしている3回生や4回生のほうが使用頻度は高いだろう。
「証明書の発行ぐらいでしか行かないからさ、用もないのに、顔だけ拝みに行くのはねえ」
「へえ。里ちゃんなら、問答無用かと思ってた」
「なんでだよ。…そりゃまあ、エロいと噂のおねーさんには興味津々ですけどぉ」
「…里ちゃんって、よくわかんないよね。男好きなのか女好きなのか」
「……この際だからきっぱり言おう。綺麗なおねーさんは大好物だ。可愛い男子も大好物だ」
茶化し方がいつも通りであゆみは声を起てて笑った。
「でも、ちょうどよかったよ、学生証なくしちゃってさ、再発行しなきゃいけないから今度付き合ってよ」
「おっ、いいよ、いつ?」
「その前に住民票とかも取りに行かなきゃ行けないし、来週でもいいかな」
「おっけー」
たいらげた昼食の食器を返却口に戻すと、あゆみはまいと揃って午後からの講義が行われる教室へと向かった。
- 493 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:58
-
◇◇◇
- 494 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:58
- そして週末。
先週も先々週もめぐみと過ごしたが、さすがに3週間連続は先方にも悪いだろうと思い、
もちろん、めぐみがいいなら今すぐにだって会いに行きたいくらいだったけれど、
この一週間、何度も連絡は取り合っていながらも、あゆみからは会いたいという気持ちを伝えなかった。
昨日まで何度も交わしたメールには、あゆみの週末の予定を尋ねるようなことは一度も含まれてなかったので、
おそらく、めぐみには何か予定があるのだろうと考えていたせいもある。
聞くことはさほど難しくはないが、めぐみの予定を聞いて、もしも先約があるからと断られたら、ちょっと気分が滅入る。
だったら、敢えて聞かずにいて、自分には自分の付き合いがあるように、
彼女もそうだと思っているほうが余計な詮索をせずに済みそうだと考えていたのだ。
いつめぐみから誘いがきてもいいように週末をあけている、というのに。
- 495 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:58
- 本日最後の講義を受けながらも、自分自身のみっともなくて情けない部分に落ち込みが上昇する。
自己嫌悪に陥って、自らの気持ちでそれを振り切るのが困難になる寸前、終業を知らせる鐘が鳴った。
そしてその鐘が鳴り終わるとほぼ同時に、あゆみのケータイがメールの着信を知らせる。
めぐみだった。
内容は至ってシンプル。
今日の講義は何時までか、今夜は予定があるかを問うもの。
たったいま終了したところだと返信すると、今度はメールではなく呼び出し音が鳴った。
「もしもし?」
「こんにちは。いま、大丈夫ですか?」
「はい。どうかしました?」
「…ええと。今夜、何か予定は?」
「………ありません、けど」
「ああ、よかった。じゃ、ウチに来ません?」
「え…、でも」
- 496 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:59
- 頭の中では、毎週毎週、当たり前のように上がりこんで長居することに躊躇はしていた。
けれど、会いたいと思っていたときに、めぐみから誘ってくれたことに嬉しさも隠せなくて。
「…あ、もしかして、迷惑ですか?」
「そんなことないですよ!」
思わず大声になってしまって、周囲からの注目を浴びたあゆみは慌てて口を覆った。
「…柴田さん?」
「そんなこと、ない。…ただ」
「ただ?」
「先週もお邪魔したのに、いいのかな、って…」
「いいから誘ってるんです」
「でも村田さん…」
「会いたいんです。それだけじゃ、理由になりませんか」
めぐみにはあゆみの思っていることが判るのだろうか。
考えていることや感じたことが見えるのだろうか。
- 497 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:59
- 「柴田さん?」
どこまで信じていいか判らないのに、その言葉だけで舞い上がりそうなくらい嬉しくて、
けれど気の効いたうまい返事を見つけられず、あゆみは黙り込むことしか出来なかった。
「……やっぱり、迷惑?」
「そんなことない」
違うと言い切れることだけを即座に返しながら、
小さな機械を通した向こう側でめぐみが困惑していることは読み取れた。
少し沈黙が続いて、教室内にあゆみ以外の生徒がいなくなってから、あゆみは大きく息を吸い込んで答えた。
「……今から、行ってもいいの?」
「来てくれるの?」
沈黙の時間をめぐみは悪く解釈したのか、その声はあゆみの耳に意外そうな響きで返ってきた。
- 498 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:59
- 「だって…」
「だって?」
緊張からか唇が渇く。
こく、と、息と唾とを小さく飲み込んで、
別に誰もいないのに、めぐみが目の前にいるワケでもないのに、恥ずかしくなって俯いた。
「……あたしも、会いたい」
理由なんてない。
ただ、めぐみに会いたい。
会いたいと思ってる相手も自分に会いたいと言ってくれているなら、会うために、ほかにどんな理由が必要?
- 499 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:59
- ケータイを通していてもめぐみの戸惑いが伝わる。
自分の直球にライナーで返されて戸惑っている、そんな感じだった。
「…ええと、実は私、まだ職場にいるんです。今から帰りの準備をするので、少し待たせしてしまうかも」
「待ってる」
「え?」
「村田さんの家の前で、待ってます」
我ながら重くないかと感じてしまった言葉を告げてから2秒ほどの沈黙のあと、
めぐみの表情が見えるくらいの柔らかな声が返ってきた。
「全速力で帰ります」
早く会いたい、と言われた気がしてあゆみの頬が熱くなるけれど、
それには小さく頷き返しただけですぐに通話を切った。
講義室を出て、人の気配の少なくなった構内を足早に抜け、めぐみの家へと向かった。
胸の奥に湧き上がる感情に、ようやく確かな名前を認めながら。
- 500 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 01:59
-
- 501 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 02:00
- 電話を切ってから30分後には、あゆみはもう、めぐみの家のすぐ近くまで来ていた。
マンションの壁が見えてようやく、普段より早めだった歩調と少し乱れた息を整える。
我ながら、何をそんなに急いでしまったのだろうかと思う。
めぐみはまだ帰ってないと判っているのに。
階段を昇りながら、整えたばかりの息のかわりに、鼓動が高鳴っていくのをあゆみは自覚していた。
その鼓動の意味するもの。
その、明確な名前。
会いたいと言われて胸が鳴った。
あゆみも会いたかったという気持ちを除いても、その言葉に無条件に応えたいと思った。
めぐみの発する多数の言葉の中で、それが今一番あゆみの胸を鳴らす言葉だった。
- 502 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 02:00
- 口元柔らかく微笑まれただけで。
名前を呼ばれただけで。
それだけでも嬉しくなってしまうその気持ちをどう呼ぶのが正しいのか、あゆみは、よく判らなかった。
これは恋なのかと思った。
知り合ってまだ間もない。
けれどその短い時間のなかで、今まで教わったことのない感情に襲われた。
今まで体験したことのない空気に包まれた。
今まで知り合った誰よりも、あゆみに近いところに、めぐみはいた。
あゆみが、そう望んでいるからだ。
これが恋なのだと思った。
自分は、めぐみに、恋をしているのだと。
- 503 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 02:00
- ゆっくり昇ったはずなのに、めぐみの部屋のある3階に辿り着いたときには、
あゆみの頬は自身の考えで仄かに朱色が差していた。
めぐみの部屋の前まで来て、確認のために一度インターホンを鳴らす。
勿論、返答はない。
ふーっ、と息を吐き出して、ドアに背中を預ける。
今頃になって、めぐみと顔をあわせるのが少しずつ恥ずかしくなってきた。
会いたいと言われて、あゆみも会いたいと答えた。
それは知り合ったあの日も交わした会話だけれど、
以前のそれとは全く違う意味を含んでいることは、きっとめぐみも感じとっているだろう。
恥ずかしくはあるけれど、だからといってやはり帰ろうという気にはならなかった。
一分一秒でも早く、めぐみが帰ってきてくれたらいいと思った。
そんな自分がなんだか情けなくもあり、
逆にそんなふうに思うことも出来るのだと意外に思って知らずに口元が緩んだとき、
タン、タン、と、急いでいるような足取りで昇ってくる足音が階下から聞こえてきた。
- 504 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 02:00
- ドアに預けていた背中を起こすと同時に、めぐみが姿を現す。
その目にあゆみを映して、嬉しそうに、めぐみが笑う。
瞬間、あゆみの心臓が跳ねた。
自分の存在がめぐみにそんな顔をさせたのだということが、ただ、嬉しかった。
「…ごめんなさい、遅くなって。待った?」
持っていた鞄から部屋の鍵を取り出しながらめぐみが言った。
「ううん。今着いたところです」
「あ、ホント?」
返しながら鍵を開け、ドアを開けためぐみが先に入り、それからあゆみを部屋の中へと促す。
後ろ手でドアを閉じたあゆみは、ドアの閉じる音を背中で聞いて、途端に恥ずかしくなってきた。
- 505 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 02:01
- めぐみに会いたいと言われた。
あゆみも会いたいと言った。
あゆみの声や態度に特別な意味が含まれていたことは、めぐみはきっと判っている。
めぐみの気持ちはあゆみには判らないけれど、
それでも、さっきの嬉しそうな笑顔には、期待をしてもいいような気がした。
「…柴田さん?」
玄関先で思わず立ち尽くしてしまったあゆみに、めぐみが首を傾げた。
「……期待、しますよ?」
「え?」
「あたし、こういうの初めてだから、優しくされたり、あんなふうに笑われたら、期待します。…それでもいいの?」
めぐみの顔を見るのが怖くなって、あゆみは俯きながら言った。
視線を落としたあゆみの目にめぐみの細い腕が映る。
その腕がゆっくり持ち上がって俯くあゆみの顎をとらえ、事態を飲み込む前に、顔を上向きにされた。
「じゃあ私は、告白されてるんだと期待しますよ? それでもいいんですか?」
- 506 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/05/09(火) 02:01
- その言葉が意外で目を見開いたあゆみに、めぐみは小さく苦笑する。
「…違うの?」
淋しそうな声色にあゆみは慌てて首を振った。
その拍子であゆみの顎をとらえていた手が離れ、そしてその手はそっと、あゆみの頬を撫でて。
頬を撫でるめぐみの指先は、触れられている人間にしかわからないほど小さく、震えていた。
その震えの意味するもの。
苦笑いを浮かべた淋しげな口元の意味するもの。
そして、めぐみがあゆみを見つめる、その眼差しの熱さが意味しているのは。
「…っ、違わない…っ」
頬を撫でためぐみの手を掴み返し、込み上げてくる感情に逆らわず、
本能のように自然と動いたカラダが求めるままに、あゆみはめぐみの胸に飛び込んだ。
- 507 名前:さくしゃ 投稿日:2006/05/09(火) 02:02
-
レスありがとうございます。
諸事情が出来てしまい、しばらく更新出来ないかも知れないので、ストックあるだけ更新しました。
あるだけ、とかいって、これだけしかなくてすいません。
脳内構築では、あと3回ぐらいで終われそうなんだけどなあ…、って、その諸事情があっさり解決したりして。
そうなることを自分でも祈りつつ。
では次回更新まで、読んでくださってる皆様、ごきげんよう。
- 508 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/09(火) 02:33
- すごくいいです…!
どきどきしながら読みました。
次回の更新、気長に待ってますので、
作者様のペースで頑張ってください。
- 509 名前:名無飼育 投稿日:2006/05/10(水) 03:02
- 何度も読み返しました
お帰りをいつまでもお待ちしています
- 510 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:19
- 見た目は薄く、細いめぐみの華奢なカラダが難なくあゆみを受け止める。
めぐみ自身の匂いがあゆみの鼻先を掠め、これほどまで密着してようやく知っためぐみの香りに、あゆみは思わず目を閉じた。
「……あ、あたし、いつもこんなことしてるワケじゃ…」
感情が昂ぶったからとはいえ、いきなり飛びついたことが急に恥ずかしくなって焦りながら言葉を探すあゆみの背中を、
抱きとめためぐみの細い腕と長い指がそっと撫でる。
「判ってる」
言葉とともに、抱きしめられる腕に込められたチカラ。
耳元で響く声。
「そんなふうに思ったりしてないから」
背中を撫でた手であゆみの髪を撫で、指先に、その毛先を緩く絡め取る。
「…もっと、キミのこと、教えて」
- 511 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:20
- あゆみの耳に届くめぐみの口調は、今までのような敬語を主体とした柔らかさではなかった。
けれどその少し焦っているような、余裕の感じられない様子はなんだか今まで以上にめぐみを人間的に感じさせて、
あゆみの胸の高鳴りは更に加速していく。
抱きしめられるチカラが次第に弱まり、余裕のなさが窺えるめぐみの吐き出した息があゆみの耳にかかる。
熱をもったそれは自然とあゆみのカラダを震わせ、それがまためぐみを煽るように。
「…キスしてもいい?」
既に頬を食むように撫でている唇が紡いだ言葉に、またあゆみの熱が上がる。
「…聞かないで」
ここまできてお互いの気持ちが違う方向に向かっているなんて考えられない。
そんな思いも混ざって少し咎めるような口調になってしまったけれど、
吐息が漏れるように出たその声が本当はめぐみの言葉の事態をねだっているのだと、めぐみは気付いたようだった。
- 512 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:20
- あゆみの言葉を聞き届けてすぐに、めぐみの唇があゆみのそれを塞いだ。
触れてすぐに離れたそれは、
感触や感動を味わう以前の呆気なさに思わず顎を上げてしまったあゆみに応えるように、次第に深くなっていく。
唇で初めて感じた自分以外の他人の熱。
それに少しの嫌悪も感じないことに疑問はなかった。
めぐみだから、というたったひとつの理由だけでよかった。
それがすべてだった。
まだどこか恐る恐るあゆみの肩を抱くその腕の頼りなさも、行動に反しての熱いくちづけも。
相手がめぐみである、というだけで幸せだった。
その幸せが自分のものだと思うだけで、何も怖いものなどなかった。
そしてこの、言葉にするには到底足りない幸せは、泣きたくなってしまうほどの幸せは、
これから先もずっとずっと続くのだと、信じて疑わなかった。
- 513 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:21
- めぐみの唇がゆっくりあゆみの唇の輪郭を辿る。
めぐみにも自分にも余裕が見えてきた、と、あゆみが感じた、その瞬間だった。
来客を知らせる不躾なインターホンが、夢の中のように居心地の好かった空間から、
抱き合うあゆみたちを唐突に、現実世界へと連れ戻した。
音に驚いて思わず離れてしまったあゆみをめぐみは少し淋しそうに見たけれど、
急に正気に戻されてしまったようで、あゆみは恥ずかしくなって俯いた。
再度インターホンが鳴る。
靴も脱がずに玄関先で座り込むようにして抱き合っていたのだと理解したあゆみの顔が熱くなった。
慌てて立ち上がり、衣服の乱れがないかを確認する。
めぐみは、そうするあゆみを目で奥に行くよう促した。
戸惑いや照れや、急な来客に対応しなければならない焦れったさを表情に乗せて。
めぐみの指示するまま靴を脱ぎ、部屋の奥へとあゆみが足を踏み入れてすぐ、めぐみはドアを開けた。
- 514 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:21
- 「めぐちゃん!」
ドアが開いてすぐに飛込んできたのは、底抜けなほど明朗な声だった。
聞き覚えのない、明らかに愛称だとわかるめぐみを呼ぶ声。
あゆみもまだ呼べていない名前を呼ぶ誰か、という事態が途端にあゆみを不愉快な気分にさせて、
あゆみは顔だけで玄関先を覗き込んだ。
すると、その目前に、めぐみが倒れこんできた。
しかも、倒れこんできたのはめぐみだけでなくその来訪者も一緒で、
まるで長い間会えずにいた恋人と再会したかのような勢いでめぐみの首に抱きつき、
更には、今さっき、あゆみと重ねたばかりのめぐみの唇を、さも当然のような雰囲気で塞いでいたのだ。
あまりにもいきなりな展開と光景にあゆみは大きく目を見開いたまま、身動き出来なくなってしまった。
来訪者は、あゆみに気付いているのかいないのか、
倒れこんだ勢いの強さで床に頭をぶつけたらしい様子で眉間にシワを寄せているめぐみの唇をまだ塞いでいる。
しかし、その次の瞬間にはめぐみも事態を把握したのか、
ハッとしたように目を見開き、自分に抱きつく突然の来訪者の肩を引っ掴んで自身から引き剥がした。
- 515 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:21
- 「み、みうな?」
めぐみの口から、おそらく来訪者のものと思われる名前が出たことで、あゆみの中に不信感が生じた。
「ただいま、めぐちゃん」
「た、ただいま、ってアンタ、いったい今までドコに」
「ドコだっていいじゃん。帰ってきたんだしさ。ね、また一緒に暮らそうよ」
言いながら、めぐみにみうなと呼ばれた、目に印象の強い見事な黒髪の少女が再びめぐみに抱きついた。
「こらっ、放れ…っ」
めぐみの言葉が切れたのは、またしても唇を塞がれたからだ。
どうやら少女のほうが腕力があるようだ。
あゆみは、ふたりのその様子をずっと見ていた。
半ば呆然としていたとはいえ、それでも取り乱すことなく、あゆみはずっと見ていた。
けれど、急な来訪者が知り合いだったことで困惑しているめぐみと目が合ったあゆみは咄嗟に表情を作ってしまい、
しかもその表情はその場にあまりそぐわないような笑顔だったことで、
めぐみのあゆみを見る目が、事態の本来の深刻さを悟った色に変わった。
- 516 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:21
- 来客を知らせるインターホンが鳴ってから5分足らず。
けれどその短時間で判ったことは、あゆみの許容範囲を越えていた。
めぐみを親しげに愛称で呼ぶ人間がいること。
めぐみがその相手とのキスを拒まないこと。
そして、その相手とめぐみが過去に一緒に暮らしていたということ。
あゆみは少し俯きながら荷物を抱えた。
そしてゆっくり、倒れこむふたりの横をすり抜けるように玄関に向かう。
「…っ、みうな…!」
靴を履いてドアノブに手を掛けたとき、突き飛ばすように少女の肩を押して逃れためぐみの手があゆみを追ってきた。
「誤解です、柴田さんっ」
背中に届いた声に振り向きもせず、あゆみはめぐみの部屋を飛び出した。
- 517 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:21
- 「待ってください、柴田さん…!」
追い掛けてくるめぐみの声は真摯であり同時に焦りも窺えた。
そしてそれらはあゆみに今見せた光景に対する言い訳の余地を要求していたけれど、
実際に目の前で見せ付けられた親密さは強い嫌悪感を生ませただけで、
恋だと自覚したばかりのまだ未熟な感情しか知らない今のあゆみには、
自分を呼ぶめぐみの声に応えられる余裕の持ち合わせなど少しもなかった。
呼び止めようとするめぐみの声に振り向きもしないで階段を駆け降り、細く降り出した雨を気に留めることなく駅へと走る。
今はただ、1分1秒でも早く、胸に渦巻く気持ち悪さを吐き出したかった。
今はただ、1センチでも1ミリでも遠く、めぐみから離れたかった。
- 518 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:22
- 弱くても降り出した雨のせいか、駅に近付くとそれなりの人波があった。
その中に紛れようとして、あゆみは覚えのある香りにぶつかる。
ぶつかった相手が振り向いて自分を認めたときに見せた、いつも見ている無邪気な笑顔に、
あゆみは、それまで堰止めていた感情を止められなくなった。
「あれー、柴ちゃんじゃん、こんなとこで偶然…、て? どした?」
同じ下宿先で暮らす2つ年下の真希が、
あゆみの表情を見るなり、それまで見せていた柔らかな笑顔を俄かに引き締めた。
「…ごっちん」
「何? 何かあったの? なんでそんな顔してんの?」
「柴田さん!」
その時、あゆみの背後からめぐみの声がして、あゆみは一瞬で身を凍らせた。
あゆみのその様子で更に何かを悟ったのか、身動き出来ないあゆみを庇うように真希がめぐみの前に立ちはだかる。
- 519 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:22
- 「アンタ誰?」
無表情の真希は迫力がある。
それは声も同様だった。
まして今はそこに、あゆみの様子から察したであろう、顕著なまでの不審感まであるのだから、
そんな真希に咎められれば、たいていの人間は躊躇して退いてしまう。
無論、めぐみも例外ではなかった。
「あ、わ、私は…」
気圧されながらも説明しようとするめぐみが何かを言う前に、あゆみは真希の服の袖を捕まえた。
「…何でもない。帰ろ」
「ま、待ってください、柴田さん」
食い下がろうと咄嗟にあゆみに手を伸ばしためぐみだったけれど、真希があからさまに阻んだのでそれは叶わない。
- 520 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:22
- 「…いいの? 柴ちゃん」
「うん。…早く帰りたい」
今はめぐみの顔を見るのが辛い。
顔を見たら泣いてしまいそうだった。
今だって気を緩ませたら口元から歪んで喚きたくなるほどなのだ。
「…て、ことだから」
真希が、他は寄せ付けない強い声色とともにめぐみの胸元を指差す。
「アンタはついてこないで」
きっぱり言い放ってから、ゆっくり真希はあゆみの手を掴んだ。
掴んできた真希の手は、真希自身が持つ雰囲気同様にあたたかかった。
そして今のあゆみに、真希のその手を振り払う理由はない。
- 521 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:22
- あゆみは、今、自分の背中を見つめているであろうめぐみのことを思った。
まるで立場が逆転していた。
きっとめぐみは、さっきのあゆみのようにすぐには事態が飲み込めていないだろう。
それでよかった。
涙が出そうなくらいの幸せの中にいたのに、裏切りに似た仕打ちを受けたのだから、めぐみも困ればいい。
傷付いたぶん、めぐみも傷付けばいい。
そうだ、自分は傷付いたのだから、めぐみを傷付けたって構わないはずだ。
真希が優しく手にチカラを込めてあゆみの手を握り締める。
真希自身が持つ、他にはない独特の雰囲気は昂ぶるあゆみの気持ちを次第に和らげていくけれど。
「柴田さん…!」
駅の改札を通る時、堪えきれないという気持ちが伝わる声で呼ばれても、あゆみは振り向かなかったけれど。
ちょうど滑り込んできた電車に乗り込もうとして真希に軽く手を引かれた時、言葉にできない気持ちに覆われた。
その手の体温を、真希のあたたかで優しい手を、あゆみは、素直な感情で受け止められなかった。
- 522 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:23
- 扉が閉じた途端、涙が出た。
そんなあゆみに気付いた真希が、
周囲の視線から隠すようにあゆみの頭を後ろから柔らかく押して自身の肩へと導いた。
真希の肩先があゆみの目から零れだした雫で少しずつ湿っていくのに、真希は何も言わない。何も聞かない。
その無言が、あゆみの悲しみをただ、加速させた。
めぐみの部屋での出来事があゆみの脳裏に思い起こされ、今まで知らなかった感情にまた揺さぶられる。
ひどいと思った。
許せないと思った。
なのに。
傷付けられたのに。
とても悲しい気持ちでいるのに。
いけないことだと判っている。
失礼なことだと判っている。
それでも。
いま、自分の手を掴むあたたかい手が、自分の髪を撫でる優しい手が、
めぐみのものでないことが、何よりも切なくて、悲しくて、淋しかった。
- 523 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:24
-
家に着くまで、真希はあゆみの手をずっと繋いでいた。
伝わる体温は優しいぬくもりだったけれど、優しいが故に、あゆみの目から零れる涙は止まらなかった。
そんな状態でなつみ達に会うのはさすがに真希も駄目だと判断したのか、
いつもなら自分の帰宅を家中に知らせるように賑やかに開ける玄関のドアを静かに開くと、
あゆみの肩を庇うように抱きながら、極力音を起てないようにそっと閉めた。
「…ゴハン、食べれる?」
心配そうな真希の問いかけに、あゆみはゆるりと首を振った。
「…今は、ひとりにしてもらえるかな」
「わかった。なっちには、適当に誤魔化しとく」
「ありがと…」
震える声で答えて、真希をそこに残したまま、あゆみは階段を昇った。
- 524 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:24
- 2階の自室に辿り着き、自身を覆う言葉にしがたい空気を纏いながらベッドに倒れこんだ時、
持っていた鞄からケータイが滑り落ちた。
とうに陽が落ちて薄暗闇に沈んでいたあゆみの部屋で、サブディスプレイの緑色の点滅が誇示するように光っている。
その色の点滅は電話の着信があったことを知らせるものだ。
それに気付かなかったのはマナーモードに設定していたからだろう。
何気なくケータイに手を伸ばしかけて、しかし触れるその直前、
ケータイのサブディスプレイがめぐみの名前を表示して光り、続けて弱く振動した。
めぐみの名前が見えてあゆみは飛び起きる。
慌ててケータイを掴んで開いたが、マナーモード設定のケータイはすぐに留守番電話へとスイッチした。
あゆみの胸に渦巻く説明しがたい感情を抑えつつケータイに耳を押し当てると、
小さな機械を通して、めぐみの静かな声が聞こえてきた。
「村田です。…また電話します」
たったそれだけで通話は途切れた。
- 525 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:24
- ディスプレイに、留守番メッセージがあることを知らせる表示が浮かぶ。
今の一件と、もう一件録音されていた。
もう一件もめぐみだという確信を持ちながら再生すると、思った通りにめぐみの声が聞こえてきた。
「村田です。またあとで掛けなおします」
声に比例しためぐみの悲壮な表情があゆみの脳裏を過ぎる。
着信時刻を見ると、駅で別れた直後らしいことがわかった。
ケータイに残るめぐみからの履歴が着信を知らせるその二件しかないことを、あゆみは少し訝った。
今まで、それこそ数えきれないくらいの遣り取りがあったのに、一通のメールも届いていないからだ。
けれどあゆみはすぐに思い至る。
これは、メールという文字でなく、ちゃんと言葉で説明したいという、めぐみの潔さなのだと。
- 526 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:24
- めぐみは、どんな言葉であゆみに説明するつもりなのだろう。
どんな言い訳を用意しているんだろう。
言い訳?
めぐみが弁解する言葉を、あゆみはもう言い訳としか受け止められないということだろうか。
それはつまり、あゆみはもう、めぐみに対して一粒の信頼もない、という意味になるのだろうか。
そう考えてあゆみは頭を振った。
そうではない。
ただ、めぐみの言葉を聞くのが怖いのだ。
彼女の潔さが嘘ではないとわかるから。
自分を傷つけたことを知って追いかけてきためぐみの様子からも、彼女が真剣であったことはわかるから。
だからこそ、めぐみの口から発せられるであろう、本当の言葉を聞くのが怖いのだ。
- 527 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/06/18(日) 12:25
- 嘘だったと言われるのだろうか。
気紛れだったのだと言われるのだろうか。
カラダが震えるほど熱く感じためぐみの吐息も。
唇を塞がれたときに弱く聞こえためぐみの甘い声も。
そしてそれを、自分は正面から受け止めることができるんだろうか。
何より、めぐみと向かい合うことができるんだろうか。
村田めぐみ、という人間を思い出すだけで涙が零れた。
それは彼女から受けた仕打ちに対しての悲しみからなのか、それとは真逆の熱い想いのせいなのか、
あゆみ自身にもよくわからなかった。
知り合ってまだ3週間足らずだというのに、いつのまに、
めぐみはあゆみの心の中をここまで占める存在になっていたのだろう。
これが恋なのかと、あゆみは思った。
誰かを想って、切なくて、悲しくて、淋しくて、苦しくて。
会いたいけれど会うのは怖くて。
怖いけれど、想わずにはいられなくて。
だとしたら、自分はなんて、悲しい恋をはじめてしまったんだろう、と。
- 528 名前:さくしゃ 投稿日:2006/06/18(日) 12:26
-
レスありがとうございます。
前回更新時から約1ヵ月半ほどで戻ってこれました、よかった、長引かなくて。
一気にたくさんの更新も目論んでましたが、考えは甘かったようです。
ではまた、近いうちに。
- 529 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/20(火) 00:40
- はじめまして!更新お疲れ様でしたo(^-^)o
何回も読み直したりしていつもいつも楽しみにしてます(v_v)
- 530 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/29(木) 22:43
- 一波乱ありそうですね。
マターリ更新お待ちしております。
- 531 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/04(火) 19:35
- 楽しみにしまくってます。
- 532 名前:孤独な名無し 投稿日:2006/07/09(日) 08:17
- お待ちしております。
- 533 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:19
- 翌朝。
眠れないまま夜を過ごしたあゆみの部屋のドアを遠慮がちながらもノックする音がした。
ベッドで横たわっていたあゆみは、枕元の時計を見遣ってからゆっくりと起き上がった。
その手のひらにはケータイ。
あのあと、めぐみからの着信は、深夜、日付が変わるまで3回あった。
もちろん、そのどれも、あゆみは応対には出ていない。
留守番電話に吹き込まれためぐみの真摯な声を、一晩中、繰り返し聞いた。
そんな声を聞くだけで胸が震えたし、涙も零れた。
それほど好きになっていたのかと自問しては、笑うしかなかった。
- 534 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:19
- 時計の針はまだ7時にもなっていない。
今日は土曜日で、朝食の時間まではあと1時間ほどあるから、
まだ降りてこないあゆみを誰かが呼びにやってきたとは考えられない。
「柴ちゃん? 起きてる?」
首を傾げたあゆみの耳に、再度のノックと、控えめな真希の声が聞こえた。
納得できてベッドから降りたあゆみがドアを開けると、あゆみの顔を見た真希が悲しそうに眉尻を下げる。
「…その様子じゃ、一晩中起きてたね」
慌てて目元を覆い隠したけれど、昨日のことを知る真希には隠しごとはできない。
俯き加減に小さく頷くと、静かに真希を部屋に招き入れた。
「ごめんね、こんな早くから」
「ううん。心配かけちゃって、こっちこそごめん」
「…無関係のごとーが口出しするのって、お門違いってわかってるんだけど」
ベッドに座ったあゆみの隣に、少し躊躇してみせたあとで真希も腰を下ろした。
- 535 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:19
- 「でもやっぱ、そんな柴ちゃん見ちゃったら、放っとけないし」
「うん……」
「……昨日のひとって」
真希はそこで口を噤んだ。
言葉を選んでいるようだった。
「…笑わないでね」
そう、苦笑いをしながらあゆみは言った。
「うん?」
「あたしとあのひと…、村田さんって、言うんだけど」
「うん」
「まだ、知り合ったばっかりなの」
「うん」
「でもね、でも、好きに、なって…」
いざ言葉にしてみて、余計に気持ちが溢れ出した。
涙が出そうになって言葉が詰まる。
真希は、何も言わずにあゆみの続きの言葉を待っていてくれた。
- 536 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:19
- 「……気が付いたら、すごく、好きになってて」
「…うん」
「昨日…、たぶん、一度は気持ちが、伝わったんだと、思う。通じ合ったんだ、って。…けど」
最後の一言を聞いた真希の肩が少しの不審を孕んで揺らいだのが、空気の流れであゆみに伝わった。
「……あたしの、勘違いだった、みたいで」
「勘違い?」
「…なんか、恋人っぽい人が、いた」
みうな、と呼んでいた。
それがあの少女の愛称なのか本名なのかはわからない。
どちらであっても、あゆみに対して敬語主体で喋っていためぐみが、
言葉遣いにおいて気を遣う必要がない人間であることはわかった。
同時に、めぐみとどれほど近しい間柄であるか、あゆみとは比べるまでもないということも。
「二股、とか、そういうの?」
「よく、わかんないけど、久しぶりに、その恋人が帰ってきた、って感じ、だった」
あのときの様子から、めぐみの予想の範疇にない、突然の来訪者だったのは間違いなかった。
けれどそのあとのめぐみの対応を考えると、親密度の濃さを疑う余地がない。
- 537 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:20
- 「…確かめたワケじゃないけど、でも、あたしより親しそうだったのは確かで、また一緒に暮らそうって」
「また…?」
「それ聞いて、なんか、ああそうなんだ、って。そういうひと、いたんだ、って」
また声が詰まった。
気持ちが落ち着いてきたのだろうか、涙は零れなかったけれど。
「その、村田さん、は、何て言ってたの?」
「…誤解だ、って言ってたけど、……なんにも聞かずに、飛び出しちゃったから…」
あの状況で、何をどう誤解するというのだろう。
それまでのめぐみとの時間がすべて砂でできたモノのようにサラサラと崩れ去ったあの瞬間。
めぐみは、何に対して誤解だと叫んだんだろう。
「だから追いかけて来たんだね」
「でも、聞きたくなかった。あのひとの顔も見るの、つらくて。…だから、ごっちんに会って、ホントに…」
「…でも、…ごとー、ちょっと余計なことしたかも知れないなって、思ったりもしてて」
俯き加減にしていた顔を真希に向けると、ふにゃり、と顔付きを歪ませた。
- 538 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:20
- 「だって柴ちゃん、泣き明かすくらい、あのひとのこと好きみたいだし」
「…それは…」
「柴ちゃんは、あのときの村田さんの顔、見てないだろうけど、でもあのひとも、今の柴ちゃんみたいだったし」
「…今のあたし?」
ゆっくり頷いて、真希はあゆみの背中を撫でた。
「柴ちゃん帰りたいって言ったし、柴ちゃん泣かせたヤツだって思ったから、ごとー、つい睨んじゃったけど」
「…う、ん」
「淋しそう、だった」
ぎゅ、と、あゆみの胸が締め付けられる。
真希の発した言葉は簡潔でいて、けれども単純で真っ直ぐすぎて、その度合いも深かった。
「柴ちゃん泣かせといて、なんであんな顔するんだろうって思って、それってやっぱ、何かワケがあるんだろうなって」
「…ワケ?」
「誤解って言葉が出るってことは、柴ちゃんがどう思ったかをわかったから言ったんだと思うんだ」
「…うん」
「それを誤解だって言うんだったら、あのひとの言い分も、聞くべきかな、って」
- 539 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:20
- 真希は時折、迷っていたり戸惑っていたりする誰かの背中を、
緩く、時には真っ直ぐに、的を射た言葉で押すことがある。
今までのあゆみは、それを見ているだけの立場だった。
自分より年下の真希が誰かの背中を押したと感じるたび、
真希は、見かけよりもずっと聡い少女なのだと痛感していた。
そしていま、自分の背中を撫でている真希の手が、言葉とともに押し出そうとしているのも、伝わってきた。
「メールか電話はあったの?」
「電話、かかってきた。…とってないけど」
「電話? メールじゃなくて?」
「…メールは、一通も…」
「あー」
短く告げて、真希は息を漏らす。
「メールなんかじゃなくて、ちゃんと自分の言葉で、ってことだよね、それ」
真希にも伝わる、めぐみの真摯さ。
- 540 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:21
- 「……うん」
「柴ちゃん?」
「わかってる」
幾らか強く言うと、真希はまた息を吐いた。
もちろんそこには、諦めたような投げやりな雰囲気は纏っていない。
「…わかってるけど、怖いよ」
「怖い?」
「ホントのこと聞くの、怖い」
誤解だと言っためぐみの口から知らされるであろう言葉は、あゆみにとって都合のいいものだとも限らないのだ。
「……なさけないね」
「どうして」
「笑わないでね?」
「笑わないよ」
「あたし、誰かを好きになるの、これが初めてなの」
「…え…?」
「今になって、あたし、自分の友達に、なんて適当で的外れなアドバイスしてたんだろうって思う」
- 541 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:21
- 誰かを好きになる、ということが、言葉以上にどれほど苦しくて切ないものかを知らずにいた。
めぐみを好きになって、その苦しさや切なさを知った。
もちろんそんなつらいことばかりではなく、嬉しいことも、楽しいことも、
他人からすればどうでもいいような些細なことさえ胸の内をくすぐった。
そんな毎日が幸せだった。
苦しくても、切なくても、それでも好きなのだという感情をどこか理解できずにいた以前の自分が、
今は少し、なさけなく恥ずかしく思い、そして少し、可哀相だとも思った。
「………ちゃんと、話さなきゃいけないよね」
「無責任なことは言えないけど、話を聞くぐらいは、してもいいんじゃないかって、ごとーは、思う」
「…うん」
「……別に会わなくても、電話でもいいと、思うよ」
でも、それではめぐみの真摯さに対して失礼にならないだろうか。
けれど、あんな場面を見てしまった以上、果たしてめぐみと冷静な感情で向き合えるだろうか。
- 542 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:21
- 「決めるのは、ごとーじゃなくて、柴ちゃん自身だよ」
とん、と、また背中を押された気がした。
「柴ちゃんが、どうしたいか、だよ」
何度自問しても、きっと出てくる答えはひとつだろう。
「…そうだね」
弱く聞こえるけれども、それでもそこに真摯な感情を込めて頷き、あゆみは真希を見た。
「……この週末で、考える。もう一度、じっくり、考えてみる。…村田さんのこと、…それから、あたしのことも」
答えなんて他にないと思う。
けれど、本当にその答えの他には何も見つけられないと、言い切れたら。
- 543 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:21
- 「…もうすぐ、朝ゴハンだね」
ホッとしたように口元を和らげてあゆみを見つめる真希にあゆみがそう言うと、真希の眉尻が少し下がった。
「うん、お味噌汁の匂いがしてきた」
言葉とともに安堵の表情を浮かべた真希の口元がますます綻ぶ。
「そろそろみんな、起きて来るね」
「ごっちんが起きてるって知ったら、みんなびっくりするかもね」
「えー、なんでよぅ」
ぷ、と拗ね気味に頬を膨らませた真希に、あゆみはやっと、笑うことができた。
- 544 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:21
-
朝食を終えて部屋に戻ると、またケータイのサブディスプレイが点滅していた。
あえて確認しなくてもめぐみだとわかって、あゆみは弱く唇を噛む。
ベッドではなくパソコンデスクのほうの椅子に座り、ベッドの上で点滅しているケータイをぼんやり眺める。
しばらく眺めてから、あゆみは静かに立ち上がってケータイに手を伸ばし、
留守番電話に録音されているであろうめぐみの声も聞かずに着信履歴を辿った。
電源を落とそうかとも考え、ボタンの上に指を置いたけれど強く押せない。
それはまるで、めぐみとの繋がりを断つ行為に思えたからだ。
弱く息を吐き出し、また唇を噛んだ。
そして、ゆっくり、履歴にならぶ同じ名前の一番上をスクロールして、発信ボタンを押した。
- 545 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:22
- あゆみの予想通りに、コールは一度で途切れた。
「…もしもし」
「もしもし、柴田さん?」
あゆみの声の弱さとは違って、小さな機械を通しためぐみの声は幾らか強く感じられた。
「はい」
「…よかった…、もう、繋がらないかと…」
言葉の通りに伝わる安堵。
けれどその柔らかさも次の瞬間には吹き飛んでいた。
「あの、昨日のことなんですけど」
真摯な声色に変わってあゆみの胸が震える。
言われる前に言わなければ、とあゆみは思った。
そうしないと、きっと揺らぐから。
めぐみの言葉を信じて、なにもかも、なかったことにして、許してしまいそうだから。
- 546 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:22
- 「月曜日、会えますか」
「え?」
言葉を切られるとは思わなかったのか、めぐみの声が僅かに裏返った。
「お仕事ですよね。あたしも学校があるから、夕方になってしまいますけど」
「あ、あの…?」
「…会えますか」
他の返事はいらない。
他の用件は聞かない。
そんな強さを纏ったあゆみの声に気付いたように、めぐみは黙り込んだ。
ケータイの向こうで、小さく息を飲んだのがわかる。
「…はい」
「お仕事、何時に終わりますか?」
「一応は5時です。でも、早めに切り上げることも可能なので、5時に大学の正門前にしましょう」
「…大丈夫なんですか?」
「柴田さんを待たせるほうが嫌です」
- 547 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:22
- きっぱりと言い切られて、今度はあゆみが返す言葉に詰まってしまった。
「…じゃあ、月曜日、5時に」
「わかりました」
会話がそこで途切れて、沈黙が訪れる。
用件は終わったのに、それはわかっているのに、あゆみも、そしてめぐみも、
繋がっているとわかるこの空気を断ち切ることができない。
切ってしまうのは容易い。
ボタンひとつ、押すだけでいい。
けれど、こんな沈黙さえ胸を鳴らすのだと言ったら、めぐみは、どう答えるのだろう。
黙っていても、繋がっているとわかる空気が嬉しいのだと言ったら。
- 548 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/07/12(水) 22:22
- 「…切りますね」
このままでいたい気持ちを振り切るように短く告げて、めぐみの返事も聞かずに通話を切った。
切った途端、部屋中に漂う淋しさと後悔と、そして、めぐみに対するたったひとつの感情。
改めて考えるまでもない。
答えなんて、最初からひとつきりだ。
「……なんで…」
閉じたケータイに、もう出ないと思った涙が零れ落ちた。
「…なんでこんなに…」
――――― 好きになってしまったんだろう。
誰にも言うともなく呟いて、あゆみは、渦巻く気持ちごと、ベッドに倒れこんだ。
- 549 名前:さくしゃ 投稿日:2006/07/12(水) 22:23
-
レスありがとうございます。
無駄に引っ張った展開で、ホントすいません。
ラストまで区切ることなく、次回で終われるように細々と脳内構築してストックを溜めておりますが、
次回の更新もまた、期間が空いてしまうかも知れません。
ご了承ください。
ではまた。
- 550 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/02(水) 21:20
- お待ちしております。
- 551 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/03(木) 22:36
- こ待ちしております
- 552 名前:あお 投稿日:2006/08/23(水) 23:55
- 最初から読んで、今やっと追い付きました。
胸が一杯になる様なお話ばかりで、本当に素晴らしいです。
作者様のペースで執筆を頑張ってくださいね。
- 553 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/05(火) 00:30
- 月9より面白いです。
更新お待ちしております。
- 554 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/06(水) 17:15
- せっかく勢いのある話だったのに
ここまで更新期間が空くと中だるみしちゃって勿体無い
更新お待ちしております
- 555 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/19(火) 11:03
- 面白いです。
更新待ってます〜!
- 556 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:37
-
- 557 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:37
- 月曜日。
講義室の窓から差し込む陽射しは暖かく、それにつられて居眠りする学生達もいる中、
夕方の約束のことしか頭に浮かばないあゆみにとって、
午前の授業の内容は居眠りしている学生達同様、右の耳から左の耳へとすり抜けていくだけだった。
週末、あゆみはずっと、極力誰にも会わないようにして、自室で過ごした。
以前、パソコンに向かっているときに部屋に閉じこもったことが何度かあったためと、
事情を知る真希もうまく誤魔化していてくれたこともあり、
他の住人がそんなあゆみを大袈裟に訝しむこともなく、あゆみは多くの時間を、
めぐみに対する自分自身の想いと向き合うことができた。
無論、どんなに向き合っても、どんなに歪んだ方向に視点を変えても、辿り着く答えはひとつだったけれど。
- 558 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:37
- 週末からの僅かな日数で、溜め息の数がずいぶんと増えてしまった。
夕方の待ち合わせの時間まで、回数を数えてみようか。
そう思ったとき、午前の授業の終了を知らせる鐘が鳴った。
「柴ちゃーん」
講師の終了の挨拶も待たずに騒がしく筆記具を片付けて出て行く生徒と入れ替わるようにして、
この授業は受講していないまいがやってきた。
「お昼ゴハン行こー」
「ごめーん、その前に学生課に先に寄ってもらっていい?住民票持ってきたんだ」
その言葉に、まいは違う意味を含んで瞳を輝かせた。
「喜んでお供いたしましょう!」
- 559 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:37
- 受講していた教室から学生課まではそれほど離れておらず、
ちょうど昼食時だったせいか学生と思われる人間の姿も少なかった。
「さて、例のおねーさんはいるかな?」
外側へ開かれている学生課のドアから好奇心満面の顔を覗き込ませるまい。
けれど、課の奥でパソコンに向かっている数人の職員の顔は、ここからではよく見えないようだ。
にやにやと面白そうに職員を見ているまいに肩を竦めながら、
入口付近に設置されている複数の申請書の棚に目を移し、
学生証再発行手続き申請書と書かれた薄いピンク色の紙を引き出し、
ドアのすぐ隣にある、製図するような斜めになった受付用の記入机に向かって必要事項を記入する。
「あ、あのひとかな」
ぽそり、とまいが呟いたのと、あゆみが書き終えて頭を上げたのはほぼ同時だった。
一度まいに目を向け、彼女の視線を追うように申請書を持って奥に進もうとしたあゆみの足が二歩と続かず凍る。
奥で、スローモーションのように立ち上がった人間が、あゆみを見つめながらゆっくりと掛けていたメガネを外した。
- 560 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:38
- 「…う、そ」
思わずあゆみはそう口走った。
持っていたピンク色の用紙があゆみの手を離れて床に落ちる。
メガネを外したその職員もあゆみと同様に驚きを隠せない表情を浮かべたけれど、
事態をまだ把握できないあゆみに自我を取り戻したように近くの別の職員に声を掛けると、
あゆみのもとへ小走りにやってきた。
「…いま、時間ありますか」
目の前に来た相手がそう告げても、あゆみは身動き出来なかった。
焦れったそうに眉根を寄せ、あゆみとは違った意味で困惑しているまいに視線を向ける。
「…あなた、彼女の友達?」
「え? …あ、はい、そうですけど」
「ごめん、ちょっと彼女、借ります」
「はっ?」
- 561 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:38
- まいが答えるより早く、あゆみの手を掴まえて足早に歩き出す。
いきなり腕を掴まれて、その掴まれた場所から伝わる熱でやっと覚醒して、あゆみは慌てた。
「ま、待って、なんで…っ」
半ば引きずられるようなカタチで腕を引かれながら、歩調を弱めないその背中に向けて言葉を投げると、
相手は肩越しにゆっくり振り向いた。
「…じゃあ柴田さん、この状況の説明も、夕方まで待てますか?」
立ち止まってくるりと振り向き、強い眼差しで彼女は言った。
数日前の、心を見透かすような、カラダ中を覆い尽くして溶かされてしまいそうな、熱い視線ではなかった。
そして、言葉を返せず口篭もったあゆみの返事は最初から聞くつもりなどなかったと言うように、彼女は続けた。
「私は待てません。あなたにはもう、隠しごとひとつ作りたくない」
- 562 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:38
- 言葉だけでなくその意志まで伝わってくるような、あゆみの腕を掴む手のチカラの強さ。
その強さはそのまま、彼女自身があゆみに告げようとしている真実の重さや深さにも感じられた。
その強さを。
その重さを。
その深さを。
その潔さ、すべてを。
村田めぐみ、そのひと自身を。
答えを返せず咄嗟に目線を落としてしまったあゆみの態度を肯定と解釈したのか、
めぐみはあゆみの腕を先ほどよりは弱く引っ張った。
拒む理由も断る言葉も見つけられず、あゆみはめぐみが引く手に促されるまま、彼女のうしろを歩くしかなかった。
- 563 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:39
-
- 564 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:39
- 秋も深まりつつある正午過ぎの大学構内は、
この季節特有の気候のよさでどこも昼食を摂る学生たちで溢れかえっていた。
あゆみの手を引きながら、どこか落ち着いて話せるところはないかと構内を歩いていためぐみだったが、
日当たりのよい中庭に足を踏み入れたとき、運良く昼食を済ませたばかりの女子生徒がベンチから立ち上がった。
めぐみは、その空いたベンチに、あゆみを先に座らせた。
めぐみの顔を見ることが出来ずに俯いたままでいたあゆみに、
めぐみは深く息を吐き出してから、あゆみと少し距離を置いて、隣に腰を下ろす。
- 565 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:40
- 「…何から話せばいいのかな」
聞きたいことや言いたいことは山ほどあったはずなのに。
「実は、柴田さんに幾つか嘘をついて、隠していたことがあります。そこから話していいですか?」
嘘、という言葉にあゆみの肩は無意識に竦んだけれど、それでも相手には伝わるように頷いた。
「…私たちが初めて会った日のこと、覚えてますか?」
想像外のところから話を向けられて、あゆみは思わず顔を上げてめぐみを見た。
苦笑しながらも見つめてくるめぐみは、あゆみの中の疚しさすべてを見透かしてしまいそうな真摯さで、
けれどそのまっすぐさが今のあゆみには逆に辛くて、切なくて、思わず目を逸らした。
- 566 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:40
- 「…雨の日、です。…あたしが、二人組みの男に絡まれてて…」
「ええ。…でも、ホントは、あのとき初めて会話したんじゃないんですよ」
「えっ?」
「その証拠に、私、柴田さんの名前、知ってたでしょう?」
「で、でも、あれは」
「適当に考えて出る名前じゃないと思いませんか、柴田って」
苦笑いを崩さないままあゆみを見つめるめぐみに、あゆみは言葉を見つけられない。
確かにめぐみの言うように、珍しい苗字ではないが、咄嗟に適当に考えて口をつく名前でもないかも知れない。
「…じゃあ、いつ…?」
「あの日の、ちょうど今ぐらいの時間、社会学の研究室に来たでしょう? 提出期限のレポート持って」
言われて思い当たるふしがあり、あゆみはその大きな目を更に大きく見開いた。
- 567 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:40
- そうだ、あの日、あの雨の日。
その日はいろいろとツイてなかったのだ。
提出期限だったレポートを下宿に忘れて取りに戻ったことから始まって、
まいに約束をキャンセルされ、買ったばかりのブーツを履いた日に雨に降られ…。
結果的にいえば、めぐみと知り合えたことですべてが相殺、いや、それ以上のものを手に入れたのだけれど。
「私があのレポートを受けとったんですよ。教授はちょうど席を外されていたから」
「あ…、あたし、てっきり、教授の助手の人だと…」
手渡しだったはずなのに、その相手のことが何の記憶にも残ってないのは、
おそらく、レポートを提出する、ということのほうがそのときのあゆみには重大事項で、
相手の顔をあまり見なかった、というのもあるのだろう。
「いや、それも間違いではないんです。教授は私の伯父でもあるので、ときどき、資料整理に呼び出されるんです」
そのツテで学生課の仕事をしているのだと、めぐみは続けた。
- 568 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:40
- 「…だからあのとき、私と本当に初対面だと思われてたことが、少しショックでもあったんですけど」
つい、とあゆみから正面へ目を逸らして、めぐみは膝の上で両手を組んだ。
「ちょっとショックで、でも、だから、もう少し一緒にいたかった」
静かな口調が逆にあゆみの心音を跳ね上げる。
けれど、何か言葉にしたくても、まだ状況の把握に気持ちが追いついてこない。
「……あ、あと、これ、お返しします」
職員用の制服の上着の内ポケットを探って差し出された物。
それを受け取りながら、あゆみはまた驚いてめぐみを見上げた。
差し出されたそれは、あゆみが今日、学生課に向かった理由の、どこで紛失したのか覚えがない学生証だった。
- 569 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:40
- あゆみの表情を見て、そこにあるのが思った通りの反応だったのか、
めくみの顔付きは苦笑を越えた申し訳なさを孕んでいた。
「……あの雨の日、私の部屋に置き忘れてました」
「…そんな…、どうして、今まで……」
「困るかも知れないって思いましたけど、でも」
そこで一度ゆるく息を吸い込んで、めぐみはあゆみをまっすぐに見つめた。
「会いたいって理由だけではダメだと言われたら、これを、会う口実にできると思ったんです」
めぐみが何か言うたびに高鳴る心音は、ひょっとしたらもう気付かれているかも知れない。
「私が柴田さんに会いたいと思う理由はひとつだけですけど、
でも、ちゃんと言葉にしなかったせいで、誤解をさせてしまったようです」
めぐみの声色がそれまでとは違った真剣味を帯びてくる。
何を言おうとしているのか、言われる前からわかる。
あゆみが本当に知りたいことを言われるのだと、雰囲気で伝わる。
- 570 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:41
- 「あんな姿を見せたあとでは信じられないかも知れませんが、みうなは私の妹です」
「え…っ?」
「血の繋がりはありません。…私は、実の両親の顔を知らないので」
何でもないことのように告げられた言葉を反芻して、あゆみは声を詰まらせた。
その反応も予想内だと言いたげに僅かに苦笑して、めぐみはそっと息を吐く。
「…産まれてまだ間もない頃、養護施設の前に置き去りにされていたと聞きました。
その施設の園長先生が、いま、私が母と呼ぶ人のお母さん、つまり祖母だったんですが、
その祖母が、運悪く流産してしまった母に私を引き合わせたと聞いています」
淡々と話すその内容が、声色ほど易しい出来事ではないことぐらいはあゆみにもよくわかった。
- 571 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:41
- 「何も知らされないまま、小学生になろうとする頃、みうなが生まれました。
私は妹が出来てとても嬉しくて、私たちはとても仲の良い姉妹でした。
血が繋がらないことはまだ知りませんでしたが、父も母も、分け隔てなく愛情を注いでくれていたと思います。
けれど、私が高校生になったとき、みうなが、学校で同級生にイジメられたんです。本当の姉妹じゃないくせに、と」
多感な時期に知らされる言葉の暴力は、あの少女にどんな傷を負わせたのだろう。
「父も母も、最初は認めませんでした。相手にするなとも言いました。
でも私は、そのときの両親の動揺を忘れられなくて、みうなに代わって私がみうなの出生の秘密を調べて、
そして、自分こそがこの家族の本当の一員ではないことを知りました。
……戸籍謄本、というものは、時に残酷ですね。それを見せたときの両親は、言葉もなく、ただ俯いただけでした」
そして、あの少女以上に、めぐみは、真実という衝撃の海に放り出されたのだ。
- 572 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:41
- 「血の繋がりなどなくても娘だと両親は言ってくれました。私も、今更親じゃないなんて思ったりしませんでした。
赤の他人の私を育ててくれた恩もありましたし、何より、私も家族をとても愛していたので。
…でも、みうなは違いました。私を姉だと認めなくなってしまったんです」
当時のことを思い返しているのだろうか、ちらりと盗み見ためぐみの横顔がますます苦笑に変わる。
「あからさまに私を避けるようになって、私の存在が疎ましく思っているなら家を出ようとも思いましたけど、
でもそれは許してくれなくて、むしろ私の行動を監視しているような、そんな感じで…。
私が大学に進学した年、みうなは全寮制の中学に進学して、そのとき初めて、避けていた理由を知ったんです。
家を出る日、それまでずっと私を避けていたのに、急に大人の顔をして、私を好きだと、言ったんです、姉としてではなく」
ゆるりと目を伏せて、膝の上で自身の手を重ねるめぐみの脳裏に浮かぶのは、当時の妹の姿だろうか。
それとも、先日見た、現在の妹の姿だろうか。
- 573 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:41
- 「勿論、私はみうなの気持ちを受け入れることは出来ませんでした。
血は繋がってなくてもみうなは妹以上の存在ではなかったし、あの子の真っ直ぐな気持ちも、怖くて…」
真摯な姿勢のめぐみが思うほどなのだから、
その想いは目に見えるほどに真っ直ぐなものだったのだろうとあゆみは思った。
「…そう言うと、みうなは、キスが欲しいと、言いました。思い出にするから、と」
その願いに応えたのだろうということは、想像に容易かった。
あゆみの知る限りのめぐみとみうなの姿で、その光景があゆみの脳内で再生される。
過去のことだと思っても、めぐみが妹の願いに応えたキスが恋愛感情ではない親愛のしるしだと思っても、
それでも、考えるだけで胸が痛くなった。
- 574 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:42
- 「…その後は、本当に、何事もなく平穏でした。
でも、私が大学を卒業して、伯父のツテで就職が決まって家を出ると決まったとき、
突然、みうなが学校を辞めてしまったんです。
自分探しの旅に出ると言って、私だけじゃなく両親にも何の相談もなく、
簡単な手荷物だけで、家を飛び出して行ったんです」
「……まさか、この間のただいま、って…」
「半年振りですよ、みうなの姿を見たのは」
あゆみの声に反応して顔を上げためぐみの顔に浮かぶ苦笑い。
「絵ハガキや写真は何度も届いてましたけど、そのどれも住所はなくて、消印も毎回バラバラで、
でも、定期的に両親のところには連絡をいれていたみたいで、心配というより、何だかもう、呆れてしまって」
吐き出された溜め息のいろが見えるような気がした。
- 575 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:42
- 「この週末、みうなから聞いたのは、1ヶ月ほど前、大阪のほうで知り合った女性の家に居候していたらしいんですが、
その彼女にちょっと説教されたらしくて、とりあえず成人するまでは親元にいなさいって…。それで帰ってきたみたいで」
「…じゃあ、また一緒に暮らそう、っていうのは…」
あゆみの言葉にめぐみは眉尻を下げながらゆっくり振り向いた。
「…私たちの家に帰ろうっていう意味です。
…あのキスも、変な意味はなくて、久しぶりに顔を見たら嬉しくて思わずしてたって言われて…」
額を押さえるようにしながら深く息を吐き出しためぐみがまた目を伏せる。
あのとき、めぐみ自身も妹との突然の再会に驚いていて、
その妹が自分に何をしたのか、そのときの自分がどういう状況にいたのか、
起こっていた事態そのものを把握しかねていたのだとようやく思い至った。
- 576 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:42
- 「……言い訳のようですけど、私が柴田さんとしたものとは、意味合いだけでなく、何より気持ちが違います」
めぐみの声色が少し重くなった。
いや、更に真剣味を増したというべきだろう。
めぐみの言葉が指し示したのが、あゆみにとっての初めての他人の熱のことだということが思い出され、
それまであゆみの全身を覆っていた疑惑や嫌悪が一気に払拭される。
ゆっくり手を下ろしながら、めぐみの目がまっすぐにあゆみを捕らえた。
「確かに幾つか嘘をつきましたけど、決して軽い気持ちであんなことをしたわけじゃない」
思わずあゆみは息を飲んだ。
めぐみの表情が、今までとは格段に違っていた。
「図らずも傷付けてしまったことは、本当に申し訳なく思ってます。嘘をついた私を許せないと思うなら、それも仕方のないことです。
でも、あなたと過ごした時間は、嘘なんかじゃない」
ストイックな容姿に不釣り合いなまでの感情的な声と言葉にあゆみのカラダが条件反射のように震えた。
- 577 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:42
- 「あなたが好きです」
めぐみから聞く、初めての言葉だった。
今まで何度も言われたことのある言葉と同じなのに、
聞き慣れているといってもおかしくないくらい言われてきた言葉なのに、
めぐみの声が紡いだ言葉は、何よりもまっすぐに、何よりも重く、何よりも熱さを伴って、あゆみのココロに響いた。
聞こえた途端、あゆみは自分の全身が熱を帯びていくのを感じた。
小刻みに震えだす自身のカラダを鎮めるように自らの二の腕を掴まえても震えは収まらず、代わりに込み上げてくる熱。
思わず俯いたら、目頭が熱くなった。
昨夜も零れた涙がまた溢れそうになって、けれど涙の理由はまるで違っていることもわかって、
悲しいときに零れる以外の涙があることを、まためぐみに教えられる。
あゆみの様子を心配そうに見守りながらも、めぐみはあゆみに触れてはこなかった。
それはめぐみの誠意であり、逆に彼女から向けられる情熱が偽物でないことを伝えた。
- 578 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:42
- 「……あ…、あたし、も…」
好きだ、と、いう声は続かなかった。
昂ぶる気持ちはあゆみに熱を与えるだけで声を奪った。
声だけでなく、冷静さも奪った。
視界から色を奪った。
音を奪った。
ただ、目の前にいるめぐみしか、見えなかった。
- 579 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:43
- 溢れ出しそうになった涙で視界が滲んで、あゆみは唇を噛む。
その拍子に零れ落ちた涙があゆみの膝の上に落ちる。
「…ホントは、村田さんが何を言っても、どんな言い訳をしても、気持ちなんて、決まってた」
潤いを無くした喉で、掠れそうになりながらもあゆみは言った。
今言わなければいけないと思った。
「たとえば遊びだったって言われても、他に恋人がいたんだとしても」
苦しい恋をしたと思った。
どうしてめぐみと出会ってしまったのかとさえ考えた。
それでも、気持ちの行き付く先はたったひとつだった。
「…あたしも…、村田さんのことが、好きです…」
あゆみ自身が、その重さと本当の意味を知って、初めて声にする言葉だった。
- 580 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:43
- 早鐘を打つ自分の鼓動に息が乱される。
音という音も、遠くの喧騒が時折届く程度で、人の声はまるで聞こえない。
不意に、隣に座るめぐみの影が揺れ、思わず身を竦ませて振り向いたあゆみの目に、
両手で顔を覆いながら上体を倒すめぐみが映った。
泣いている、と咄嗟に思ったけれど、めぐみは深く深く息を吐き出したあと、ゆっくりと起き上がってあゆみを見た。
「…村田、さん?」
ホッとしたように頷いて、それから柔らかく微笑む。
その微笑みは、あゆみが今まで見てきたどの表情よりも綺麗だった。
あの日のように、まだどこか不確かなものが残る中で通じたような感覚でなく、
揺るぎない感情で伝わったのだと自信さえ浮かぶ。
けれど言葉は何も見つからない。
込み上げてくる気持ちを言葉にしたいのにどんな言葉も喉の奥で消えてしまうようだった。
- 581 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:43
- 「……ごめんなさい」
ぽつりとめぐみが呟いて、その意味を図りかねて首を傾げたあゆみに気付いためぐみが微笑みを崩して苦笑する。
「嬉しすぎて、他になんて言えばいいのかわからないです」
そう言って、めぐみは自分の口元を手で覆った。
「…口に締まりがなくなってきました」
そんなめぐみは初めてで、あゆみは新鮮な感じを覚えた。
3つの年の差をどこか大きく、遠くさえ感じていたのに、なんだか急に近くに感じて、
あゆみを包んでいた緊張がまた少しほぐれる。
「…それは、別に、村田さんだけじゃないです、よ」
- 582 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:43
- 振り向いためぐみと目が合って、あゆみは思わず俯いてしまったけれど、
身動きしないめぐみが気になって目だけを上に向けると、再度目が合っためぐみが一瞬怯んだように顎を引いた。
口元を覆いながら落ち着かない様子で周囲を見回す。
それからゆっくり、口元を覆っていた手をあゆみに伸ばしてきた。
「…そういう顔は、あまり外ではしないでくれると、いいな」
「え…?」
「……キスしたくなるから」
聞こえたときには、めぐみの両手があゆみの両頬を包むように添えられていて、
意味を把握したときには、めぐみの唇があゆみのそれを塞いでいた。
何が起きたかを理解する前にめぐみは離れてしまったけれど、
あゆみの目に映るめぐみのどこか申し訳なさげに下がった眉尻や、
たとえ一瞬でも、唇に触れたその感触に何も言えなくなる。
- 583 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:43
- 自分がどんな顔でめぐみを見たのか、あゆみにはわからない。
わからないことで、悔しいような、歯痒いような、そんな気持ちがあゆみの中を渦巻くけれど、
それはきっと、いつまでもわからないままなのだと思えたし、わからなくてもいいような気がした。
言葉は出ない。
けれど、無言でいてもお互いの気持ちは伝わっているのがわかる。
静かな秋風が吹いて、あゆみのスカートの裾を揺らす。
今日のブーツがあの日履いていたものと同じだと、めぐみは気付いているだろうか。
- 584 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:44
- 熱が上がりそうな気分でぼんやりそんなことを考えたあゆみの耳に、
あまり長くない休憩時間の終了を知らせる鐘が聞こえて我に返る。
鐘の意味は、休憩時間終了だけでなく、午後からの講義があと10分で始まることを差しているからだ。
何の相談もしてなかったせいで困惑させているだろうまいを置いてきてしまったことと、
昼食を取り損ねてしまったことを思い出して思わずあゆみが立ち上がったとき、めぐみの穏やかな声が背中に届いた。
「5時に、正門の前で待ってます」
振り向いたあゆみを追うようにめぐみも立ち上がり、少し高い位置からあゆみを見つめる。
「良かったら、途中まで一緒に帰りませんか?」
本来の約束の時間は5時だった。
どんな事態になるか予測がつかず、遅くなるかも知れないので夕飯はいらないと家主のなつみには断っておいた。
もともとめぐみと会うために作った時間だから、唐突なはずのめぐみのその誘いを断る理由はどこにもなくて。
- 585 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:44
- 「……帰るだけ、ですか?」
微笑むめぐみがなんとなく余裕を見せているようで少し悔しくなって、あゆみは思わずそう口走っていた。
言ってから、めぐみが目を見開いたことでその言葉の持つ意味の深さを自覚する。
一気に込み上げてくる恥ずかしさに慌てて俯いてしまったあゆみにめぐみが距離を縮めてきた。
俯くあゆみにだけ届くようにめぐみがその耳元に顔を寄せたとき、
微かな吐息があゆみの耳を掠めて、恥ずかしさが頂点に達する。
「…じゃあ、ウチ、くる?」
短くて簡潔な誘いに、あゆみは俯きながらも小さく頷いて、めぐみの胸元に額を押し付けた。
「……行く」
応えた直後、短い休憩時間を過ごして午後に臨む学生達が賑やかに会話しながらやってきて、
あゆみは慌ててめぐみから離れた。
- 586 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:44
- そのあゆみの手首を柔らかく掴まえ、意外なところに感じた体温に弾かれるように振り向いたあゆみに、
めぐみは、あゆみの胸を鳴らすだけの綺麗な笑顔で、静かに告げた。
「まだ、はじまったばかりですよ」
それは年上の余裕からくる言葉だったのだろうか。
それとも、あゆみにとってのめぐみが、初恋の相手だと知るめぐみの心遣いからきた言葉だったのだろうか。
「慌てなくても、ゆっくり並んで歩いていけたら、いいと思いませんか?」
表情に比例した優しい声音で言われた言葉を自分の気持ちで噛み砕くあゆみからめぐみがゆっくり手を離す。
めぐみの言葉の意味を理解したあゆみの横を、講義棟に向かう人の群れが通り過ぎていく。
口元を和らげてあゆみを見つめるめぐみに、あゆみは言葉を返すかわりに大きく頷き返した。
あゆみの返事を見てめぐみも頷き、ゆるりと右手を挙げる。
それに応えるようにあゆみも手を挙げて、それ以上は何の言葉も交わさないまま、ふたりはその場で別れた。
- 587 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:45
- 講義棟に向かう学生達の波に早足で紛れながら、
あゆみの胸の奥からは、ほんのりとあたたかな気持ちが湧き上がってきていた。
自分以外の誰かを、友情という枠を越えて好きになる、ということがまだ手探りでしかないあゆみにとって、
めぐみの言葉や想いはとても優しく、それでいてとても真摯で誠実に思えた。
めぐみを好きになった自分を誇りにさえ思えるほど。
講義棟に入ってすぐ、前方に、講義室の入り口付近にいるまいの姿が見えた。
あゆみを認めたまいが、その表情を心配のいろから安堵に変えて大きく両手であゆみを手招く。
きっと授業なんてそっちのけで、めぐみとのことを洗いざらい説明させられるのだろうけれど、
今はまいにも、あゆみの心にあるあたたかな気持ちを聞いて欲しいと思った。
まだ動き始めたばかりの恋心に、めぐみは手を差し延べてくれた。
慌てなくてもいいのだと言ってくれた。
ゆっくり並んで歩いていこう、と。
めぐみと重ねていく時間は、これからいくらでもあるのだ。
- 588 名前:Chapter ― 5 投稿日:2006/09/22(金) 10:45
-
- 589 名前:さくしゃ 投稿日:2006/09/22(金) 10:46
-
たくさんのレス、ありがとうございます。
長らくお待たせしてしまってすいませんでした。
以上で、Chapter ― 5は終了となります。
灼熱天国最終日に間に合った…。
次回こそ、ずーっとあたためている稀有な組み合わせでいきたいと思ってますが、
全然見通しがたっておらず、またしばらく期間はあいてしまうと思います。
放置気味のスレではありますが、放棄は絶対にしないつもりでおりますので、
更新の際には、「あ、まだ続いてるんだ」てなぐあいに思っていただけると幸いです。
ではまた。
- 590 名前:あお 投稿日:2006/09/22(金) 23:52
- 更新お疲れ様です。
素敵な作品でした。
読んでいる途中、村田さんと同じく口元が……
次回作を気長に待たせていただきます。
- 591 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/26(火) 22:13
- 作者さんの他の作品が読みたいのですが・・・
- 592 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/15(金) 13:41
- 待ってます
- 593 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/11(日) 03:31
- 待ってます。
- 594 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:14
- ◇
小さい頃から、欲しいものは欲しいと言ってきた。
好きなひとには必ず好きだと伝えた。
そうやって手に入れてきた。
だけど、本当に欲しいものは、本当に好きなひとは、手に入らないことを知っていた。
◇
- 595 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:15
- ◇◇◇
- 596 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:15
- 「…もう、終わりにしたいんです」
里田まいが、自身の周囲に人間に、『今付き合っている人』と紹介している相手から、
放課後に駅前にある喫茶店で待っているとのメールを受けたのは昼過ぎだった。
文面からはいつもどおりの雰囲気を感じただけだったので、
授業を終えてから、まいは何も疑うことなく指定された店に足を運んだ。
先にテーブルについていたふたつ下の後輩は、
まいの姿を見て少し頬を赤らめて腰を浮かしかけたけれど、何故かすぐに顔色を曇らせて態勢を戻し、
そこでようやく、今日は今までとは違う理由で呼び出されたのだと察した。
テーブルにつき、店員にミルクティーを注文し、それが運ばれてきてすぐに、
後輩は搾り出すような声でそう言ったのだった。
- 597 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:15
- 聞き届け、さて、どんな言葉で縋ったら目の前の恋人は感激に打ち震え、別れのシーンに効果的になるだろうか。
無意識にそんなことを画策している自分の思考に気付いたまいは、改めて自分自身にうんざりする。
「…先輩、ホントはあたしのことなんて好きでもなんでもないでしょ?」
いきなり核心を突かれて、まいは咄嗟にテーブルの上のカップにのばした手を引き戻して目の前に座る後輩を見た。
責めるというよりどこか傷付いた顔付きで見つめられ、まいは細く息を吐く。
まいが思っていたより洞察力のあった相手に、痛いところを突かれた、とは思ったけれど、
それでも平静を崩さず再度カップに手をのばす。
「…何を根拠に?」
中身のミルクティーを一口含んでからゆっくりとテーブルに頬杖をついて相手の顔を見つめて言うと、さすがに怯んだようで。
それでも、何かを決意した眼差しで彼女は続けた。
- 598 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:15
- 「だって、先輩、ホントは吉澤さんと付き合ってるんでしょう?」
「はっ?」
思いがけない名前が出て、文字通り、まいは椅子から飛び上がって声を裏返らせた。
「ちょ、ちょっと待ってよ、何それ、なんでよっちゃん?」
「しらばっくれないでください」
「そんなんじゃないって! なんでここでアイツの名前が出るのかって話で」
「…いつも冷静な先輩が慌てるなんて、ますます怪しいですね」
「ちっがーう!」
ばし、と、テーブルを叩くと、目の前の後輩が怯えたように肩を竦めた。
それを見て、まいも自分の声の大きさで周囲からの注目を浴びていることを悟り、
居心地の悪さを解消するべく後輩の腕を掴まえた。
- 599 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:16
- 「…出よ、ここじゃちょっと話しにくいし」
けれど彼女はまいの手を振り払って立ち上がると、
落としがちだった視線を持ち上げて、振り払ったほうの手で勢いよくまいの肩を突き飛ばした。
その勢いの良さと思いがけない強さにバランスを崩し、まいは無様にも床に尻餅をついてしまった。
「二股なんてサイテーです!」
床に手をついて半ば茫然としているまいに向かってそう捨てぜりふを投げつけ、彼女は店を出て行った。
しばらく事態を飲み込めずにいたまいだったが、周囲の好奇の視線にハッと我に返ると、
できるだけスマートに立ち上がり、荷物と一緒にテーブルの上の伝票を持った。
―――― …カッコわりー。
疲れたような表情以外は表面には出さず、会計を済ませて店を出て、
まいはその足で母校である、近くの高校に向かった。
- 600 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:16
-
- 601 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:16
- 放課後になって少し時間はたっていたとはいえ、部活で汗を流している生徒達はまだ何人も学校に残っていて、
私服で校門を抜けてグラウンドに入ってきたまいの姿に、少々色めきたつような甲高い声がちらほら聞こえた。
グラウンドを突っ切って体育館へ向かい、その入り口で中の様子を窺うと、
バレーボールのコートの脇で、見知った顔が腕組みして白いボールの行方を追っていた。
3年生で、夏前には既に引退しているはずなのにまだ部活に参加しているのは、
後輩がまだ少し頼りないからだ、と聞いた覚えがある。
壁に凭れながらその様子を黙って見ていたまいだったけれど、
幾らか厳しい顔付きでボールを追っていた相手がまいに気付いて、その表情を和らげて手を挙げた。
「まいちん」
言いながら駆け寄ってくる姿に、まいは内心で舌打ちする。
相手は、自分がどれほど注目を浴びる人間であるかを、本当に自覚していないのだ。
- 602 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:16
- 「どうしたの? 学校まで来るなんて珍しいじゃん」
「うん、まあ、ちょっとね、近くまで来たから」
「…ああ、今、ウチの生徒と付き合ってんだっけ?」
「……さっき振られました」
吐き捨てるように言うと、まいの前に立つ相手、吉澤ひとみは、一瞬きょとん、としたあと、小さく口元を綻ばせた。
「…なに、また?」
「今回はアンタとの仲を誤解されましてね。…この鬱憤をどこで晴らそうかと」
「あっは、なにそれ、超ウケる。なんであたしとまいちん?」
「あたしが聞きたいよ…」
ふたつ年下の幼馴染みは、容姿も運動神経も優れていて、
まいが在学中だった頃から、学校内に限らず、近隣の女子中学生からの人気も高い。
まいも在学中はかなり人気者だったので、美形の幼馴染み同士、というオプションによって作られた根も葉もない噂が、
尾ひれ背びれをつけて広まったのだが、噂の当人たちだけが、それを知らない。
- 603 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:16
- 「吉澤せんぱーい」
まいとの会話で笑っていたひとみが、呼ばれたことで振り返る。
「…まいちん、このあとヒマ?」
「だからここにいるんだっつの」
「じゃ、ちょっと待ってて。アヤカんとこ行こうよ」
「それは構わないけど…、でもいいの? 部活、見てやらなくて」
「いいよ。いつまでもいてやれないって、あいつらもそろそろわかってんだから」
まいの返事も聞かず、ひとみはコート脇に向かう。
引きとめようとする後輩たちに至極あっさりと断りをいれると、荷物を持ってまいの元へと戻ってきた。
「…つれないなあ、吉澤センパイ」
恨めしそうにまいを見てくる後輩たちの視線を受けながら、まいは苦笑いで言った。
そのまいに並んで歩くひとみが、ちらりと後方を見遣る。
「…そういう里田センパイは、在学中はかなりの数の女の子を泣かせてましたよねぇ?」
笑顔で後方へ手を振りながら、どこかからかい口調で言ったひとみに、まいの苦笑いが薄くなる。
- 604 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:17
- 「…うっさいなあ」
ひとみは知っている。
ひとみだけが知っている。
「あたしはいつでも本気だっつの。向こうが離れてくの」
「そりゃ、まいちんの気持ちが向こうに伝わってない証拠でしょ。本気で向き合ってないのがバレるんだよ」
まいが本当に欲しいものを。
まいが本当に好きなひとを。
にやりと口元を綻ばせ、敢えて言葉にしないひとみにまいは口を閉ざす。
「…まいちん?」
言い過ぎたと思ったのか、眉尻を下げながらひとみがまいの顔を覗き込む。
整った顔立ちが浮かべる心配そうないろに、まいは小さく微笑んで見せた。
「なんでもない。…ほら、急ご。面会時間、なくなっちゃうし」
「あ…、うん、そだね」
話をすり変えたことに気付いたのか気付いていないのか、ひとみが荷物を持ち直す。
- 605 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:17
- ふたり並んでグラウンドを抜け、夕陽の沈む方向へと歩きながら、まいはちらりとひとみの横顔を盗み見る。
整った顔立ち。
小さい頃から持ち合わせた正義感と実直さ。
まっすぐなひとみを嫌いになる人間なんていないだろう。
昔から、自分には勝ち目なんてないと悟っている。
「…よっちゃんさ、毎日アヤカに会いに行ってんの?」
「ううん。昨日は行ったけど、部活もあるし、毎日はさすがに無理だよ。…まいちんは?」
「あたしも昨日行った。入れ違いだったみたいだね」
学校の正門から歩いても目的地までは10分程度の距離にある。
夕暮れ時は人もまばらで、普段は人が通される正面玄関の自動ドアも既に閉鎖されていて、
まいとひとみはいつものように建物の裏手側にある通用口のほうへと向かった。
守衛の初老の男性とは顔見知りなので、現れたまい達を見ても警戒することなく、建物内への施錠を解いた。
- 606 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:17
- 「そろそろ退院できるっていうのは聞いた?」
「うん。早ければ来週にもって言ってた」
「じゃ、退院祝いはいつがいいかな」
まいのその提案にひとみが小さく苦笑した。
「…あのさ、まいちん」
「なにかね」
「…そういうの、アヤカに負担になんないかなって思うんだよね」
「…? どういうこと?」
理解しかねて眉をしかめるまいに、まいに続いてエレベーターに乗り込んできたひとみの顔付きがゆっくりと曇っていく。
「…こんなこと言いたくないけど、入退院の繰り返しで、そのたびに退院祝いって、アヤカにはツラくないかなって意味」
言われてハッとなる。
今まで気付くことのなかった自分に情けなさが込み上げた。
- 607 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:17
- 「…退院祝いしても、いつまた倒れるかわかんないじゃん。そういう不安、アヤカはきっと持ってると思うんだ、だから」
「わかった。…今回は、派手にやらないでいよう」
込み上げてくる自身の不甲斐なさに嫌悪しつつも、ひとみの言葉尻を奪ってまいは答えた。
まいの答えに、ひとみの顔付きが少し強張る。
「まいちん」
「わかってる。よっちゃんの言うことが正しいよ。でも、退院できるのに何もしないのは、あたしは嫌だ」
目的の階に辿り着いたエレベーターの信号音が聞こえて扉が開く。
「…今までしてきたことをしないのは、嫌だよ」
まいに続いて降りてきたひとみが、まいの背後で細く息を吐き出したのがわかる。
自分のほうが年上なのに、物分かりの良くない年下な気分になって、まいは知らずに唇を噛んでいた。
「……わかった。まいちんがそう言うんなら、そうしよう」
- 608 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:18
- 思わず立ち止まってしまったまいの横をすり抜け、
ひとみの足はどんどん廊下を進み、昨日も訪れた部屋のドアをノックする。
遅れをとってしまったことに慌ててひとみを追いかけると、部屋の中から聞きなれた甘い声がした。
ドアを開ける前にまいを見遣ったひとみの口元は和らいでいて、視線の優しさや醸し出す雰囲気の穏やかさから、
ひとみがまいの気持ちも尊重しようとしてくれるのがわかって、自分には出来ないその心遣いにまた自己嫌悪する。
「おーす、元気にしてるかー。今日はまいちんと一緒に来たぜー」
ドアを開けたひとみの声色はさっきまでとはまるで違って明るくて、それにつられるようにまいも唇を噛むのをやめる。
「アナタの愛しのまいちゃんが来ましたよー」
ふざけながらの口調に、この部屋の現在の住人であり、まいとひとみの幼馴染みでもある木村絢香が、
一瞬だけ目を丸くして、それから小さく吹き出した。
「やーだ、まいちゃん、自惚れすぎ」
柔らかく笑った、まいより2つ年上の幼馴染みの頬に差す朱色にホッとする。
顔色がいいときは調子もいいはずだから、変な心配をしなくて済むからだ。
- 609 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/02/21(水) 13:18
- 生まれつき病弱なアヤカを、まいとひとみは小さな頃からずっと慕っていて、
アヤカもまた、そんなふたりにいつも優しい笑顔を向けてくれた。
自分のその想いが家族や親しい友人たちに向けるものとは違い、他人に向けるような特別なものだと自覚してからは、
ひとみと一緒に、ひとみに負けないぐらいの気持ちで、ずっとずっとアヤカを守ってきた。
けれどその恋情が決して叶わないことは自覚したときからわかっていた。
ひとみは知っている。
ひとみだけが、まいのアヤカへの想いを知っている。
まいが本当に欲しいもの。
まいが本当に好きなひと。
今まで何人もの人間と付き合ってきても、最後になったときに相手を選べない理由を、
まいの心の奥底に秘められている本当の思いを、ひとみだけが知っている。
けれど、アヤカがひとみを好きだということを、まいだけが知っていて、ひとみだけが知らない。
- 610 名前:さくしゃ 投稿日:2007/02/21(水) 13:19
-
お久しぶりです、さくしゃです。
まるっと5ヶ月も放置、大変申し訳ございませんです。
相も変わらず見切り発車です。
そして、またしても思っていたCPでなく、突発的なメンバーでのお話です。
いつ終われるのやら……orz
低速更新ではありますが、頑張ります。
ではまた。
- 611 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 19:59
- おー!
常日頃から読んでみたかった組み合わせですよ
突発的だそうですが、突発で思いついてくださってありがとうございます
サトタのキャラ設定がなんかイイ
またの更新お待ちしてますー
- 612 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/22(木) 10:15
- / へ /ヽ ヽ ヽノ
/ /^ヽ /^ヽ ヽ ヽ \\\
|. | 0 | | 0 | | i
\\| `− 6 `−′ |. |
- 613 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/22(木) 22:27
- お待ちしておりました!
ちょっと現実とかぶらせて読んでしまいそうな自分がいます…(^-^;)
それくらい、作者さんの文章力は優れているんだなと毎回羨ましい限りです。
今後も楽しみにしております〜
- 614 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/27(金) 17:41
- 作者さん、待ってますよー!
- 615 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:53
- ◇
物心ついた頃には既に一緒にいたひとみと違って、
アヤカがふたりの前に現れたのは、まいが小学校にあがる少し前だった。
まいたちが住む街に不似合いなくらい豪勢な家が建ち、
その造りから、きっと外国人がやってくるのだとみんなが噂していた。
しかし、実際に引っ越してきたのは、
少しばかり日本人離れしている顔立ちだったとはいえ、自分たちと同じ色の髪、同じ色の瞳をもつ家族だった。
掲げられた表札の名前も、幼いまいたちにも純日本人だとわかるもので、
滅多に見ることのない異国人が来るのだと思い込んでいたまいやひとみ、そしてふたりの遊び仲間たちは、
引っ越しの挨拶にやってきた自分たちとさほど変わりない風貌の新住民に、ほんのちょっとだけがっかりした。
- 616 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:54
- けれど、そのとき初めて会ったアヤカは、特に物怖じした様子も見せず、
まいと目が合うと小さく手を振ってくれたりして、
同い年くらいに見えたアヤカの印象はとても良くて、すぐに友達になれる気がした。
それはひとみも同様だったようで、まいとひとみの人懐こさとアヤカの性格はうまく合って、
大きな障害もなく3人はその絆を深めていき、
小学校入学直前の残りの春休みは、アヤカと親しくなるためだけに費やした。
ただ、まいにとって少しだけショックだったのは、アヤカがまいよりふたつも年上だったことだ。
今となっては幼馴染みに年の差など関係ないけれど、
当時は、一緒に同じ学校に通う時間が違うのだと思うと、それだけで物足りなく感じたのだ。
- 617 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:54
- 小学校に無事に入学し、アヤカも3年生のクラスに編入を済ませた4月のある日。
新入生のまいたち1年生は、小学校での在校時間もまだ短く、午前中で帰宅することが多い。
帰っても宿題らしきものはほとんどなくて、
いつもなら無駄に余る時間を持て余しながら、ひとみやアヤカが帰ってくるのを待っていたけれど、
その日はひとりで家にいるのが無性につまらなくなって、小学校までアヤカを迎えに行くことを思いついた。
アヤカといると、その表情に比例した穏やかな空気がひどく自分たちを安心させてくれた。
知り合ってまだ間もないけれど、ずっと一緒にいたいとも思えるアヤカは、既にまいたちにとってとても大切な友達だった。
アヤカから教わった時計の見方で時間を確認して、小学校への道程を朝の集団登校とは違うルートで足取りも軽く歩く。
その途中、本当に偶然ひとみと出会い、ふたりでアヤカを迎えに行って驚かそうと考えた。
- 618 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:54
- 「アヤカちゃん、びっくりするかな」
「ぜったいびっくりするよ、だってウチらが行くんだから」
どこかで隠れて待ち伏せて、その前を通りがかったら飛び出して驚かせてやろう。
そう提案したまいのキラキラした表情に、ひとみもだんだんわくわくした面持ちになっていた。
通学路でもある小学校の近くの小さな公園の入り口まで来たとき、
まいたちとは反対側の入り口付近のベンチに数個の男子用ランドセルを見かけたのは、まいだった。
ランドセルだけがベンチにあることを不思議に思ったまいがひとみの腕を引っ張ったとき、
そのランドセルの向こうにひとつだけ赤いランドセルを見つけ、そしてそれがアヤカであると瞬時に悟る。
「あれ、アヤカだ…!」
まいの声に、まいの視線の先を辿ったひとみの表情が一瞬強張り、
何が起きているかをまいが理解するより早く、ひとみは駆け出した。
- 619 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:55
- 「よっちゃん…っ?」
駆け出して行ったひとみが無言でベンチに飛び上がる。
一歩出遅れたまいがひとみを追いかけると、
ベンチの向こう側で、ひとみの姿で隠れて見えなかったアヤカが顔を上げた。
そのとき、まいの目に映ったのは、いつもの穏やかで優しい笑顔ではなく、ひどく青ざめて苦しげにしているアヤカで、
見たこともなかった表情に、まいの全身を言葉に出来ない感情と体温が駆け巡った。
「…お、まえらぁっ! アヤカに何したんだっ!」
見るからにまいたちより体格のある男子生徒数人が、まいの勢いと声に一瞬たじろいだ。
「な…、なんだよ、こいつ」
「し、知らねーよ」
「うるさいっ! アヤカに何したんだ!」
今にも飛び掛からん勢いで睨みつけるまいに、男子生徒の1人が怯えたように一歩後退さった。
- 620 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:55
- 「なっ、何もしてねえよ!」
「嘘つくなっ、イジめてたんじゃねーのか!」
「ちっ、ちげーよ! イジめてなんか…」
「…まい、ちゃんっ」
生徒の1人の言葉を遮るようにアヤカの声が聞こえた。
その声に弾かれたように、全員がアヤカに振り返る。
けれどまいの目に映ったアヤカはさっき見たときより更に青ざめて苦しげにしている姿で、
ひとみが傍らで支えてなければ、きっと地面に手をついて倒れ込んでいるだろうとわかるほど、弱って見えた。
ぜぇぜぇ、と、息苦しそうに胸元を押さえながら、支えるひとみの腕を掴んでまいを見つめる。
「…ち、がう…、イジ、め、られて、ない、よ…」
「じゃ、じゃあ、なんで…っ!」
そんなに苦しそうにしてるんだ、と問う前に、アヤカの頭が、がくり、と、ひとみのほうへと崩れ落ちた。
- 621 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:55
- 「アヤカ!?」
駆け寄ろうとして足が竦む。
いったいアヤカに何が起きたのか、まいには何もわからなかった。
「まいちんっ、誰か大人の人を呼んできて!」
そんな中、アヤカを支えながらひとみが叫ぶ。
「よっちゃ…?」
「早く! 誰でもいいから、大人の人を呼んできて!」
ひとみの様子がひどく真剣だったのと、今の自分たちにはそれしか出来ることがないのだと悟ったまいが、
ぎゅっ、と唇を噛んで駆け出し、そこから一番近い、公園の入り口付近に建つ家の玄関チャイムを鳴らした。
- 622 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:55
- 家から出てきたのはまいたちの母親よりずいぶん年上に見えるおばさんだったけれど、
まいの勢いと表情から何かを察したように、公園の中で気を失ったアヤカを支えるひとみの元へと駆け寄った。
青ざめるひとみに代わってアヤカを抱き上げ、まいに向かって家の玄関ドアを開けるよう指示し、
家の中にアヤカを運び込んだあと、落ち着いた様子で救急車を呼んだ。
そのおばさんに、ひとみがポケットから小さなメモを取り出して差し出す。
それを見て少しだけ目を見開くと、
小さく息を吐き出しながらひとみの頭を撫で、そのメモを見ながらどこかへ連絡をとった。
その『どこか』がアヤカの両親の連絡先だというのは、電話の会話を聞いていたまいにもわかった。
「あなたたちもいらっしゃい」
やってきた救急車にアヤカが乗せられるのを半ば茫然と見ていたまいたちにおばさんが告げ、
ハッとしたまいがひとみを見ると、既に救急車に乗り込もうとしていて、まいも、慌ててそれに続く。
- 623 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:56
- 「すいません、少し遠いですけれど、木村総合病院までお願いします。この子の父親の病院らしいので」
おばさんの言葉に、救急隊員が承諾した、というように頷き、
まいたちが初めて見るような器具をアヤカの顔やカラダに取り付けていく。
「この子のご両親は、病院で待ってるそうよ」
言いながらまいとひとみの頭を交互に撫でる。
「大丈夫よ」
まだ事態の把握が出来ないまいも、その言葉で少し安心したけれど、
隣に座るひとみの表情が晴れないことは気掛かりだった。
「…よっちゃん?」
そっと肩を揺すると、強張った顔つきでアヤカを見ていたひとみの視線がゆっくりまいに向けられて、
それからまいの手をぎゅっと握った。
握ってくる強さで最初は気付かなかったけれど、次第に小さな震えも伝わってきて、
落ち着いているように見えたひとみも、本当は自分と同じぐらい、この事態が怖かったのだと知った。
- 624 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:56
- 病院に着くと、アヤカの母親がまいたちを出迎えた。
救急車を呼んだおばさんに何度も何度も頭を下げ、まいたちにも何度もありがとう、と言った。
タクシーを呼んで帰ろうとするおばさんに着いて帰るように言われたけれど、
アヤカの様子が気になってどうしても帰りたくないまいたちを、アヤカの母親が相手してくれた。
そしてそのとき、アヤカは生まれつき心臓に疾患があること、激しい運動は長時間できないこと、
実は今日のこれが、引っ越してきてから初めての発作ではないことを、まいは初めて知った。
驚きながらひとみを見ると、ひとみは両手をぎゅっと握り締めながらアヤカの母親の言葉を聞いていて、
その様子から、「引っ越してきてから初めての発作」のときに、ひとみがそばにいたのではないかと思った。
- 625 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:56
- 「…アヤカ、死んじゃう、の?」
思わずそう口走ったまいに、アヤカの母親が小さく苦笑して首を振った。
「大丈夫。アヤカはまいちゃんやひとみちゃんよりちょっとカラダが弱いだけで、死んだりしないわ」
「ホント?」
「もちろんよ。大切なお友達を悲しませたりしないわ。でも、そのためには、他のみんなより少し多く休まないといけないの」
「…会える?」
まいの問いかけに、アヤカの母親は少し困ったような顔をして、それから静かに首を振る。
「…今日はもう会えないと思うわ、ごめんなさいね」
「じゃ、じゃあ、いつ会える? 次、いつここに来たらいい?」
「…そうね、明日も検査とかがあるから無理だろうけど…、たぶん、日曜日にはきっと会えるわ」
曜日の順番も、アヤカに教わった。
今日は木曜日だから、明日は金曜日で、その次は土曜日、日曜日はその次だ。
指折り数えながら、3回寝て朝が来たら会えるのだとわかった。
- 626 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:56
- 「ホント?」
「うん、きっと。…土曜日に、おばさん、まいちゃんの家に電話するわ。それでいい?」
「わ、わかった!」
会えない現実は少し不安を呼んだけれど、
母親の声色が幾分落ち着いていたせいもあってか、まいは納得してひとみに振り向いた。
まいと目が合ったひとみが、それまで強張らせていた顔付きをようやく和らげる。
そんなひとみを見て、アヤカの母親が少しだけ切なそうな顔をした。
「…ひとみちゃん、アヤカから、このこと、聞いてたの?」
唐突のようで、けれど当然ともいえる質問にひとみの肩が揺れる。
母親からの問いかけに答えることがとても困難そうに眉尻を下げて、静かに俯く。
それはまいも思った疑問だった。
何故ひとみは、まいが公園でアヤカを見つけたあのとき、誰よりも早くあの状況を理解できたのか。
何故ひとみは、アヤカの両親の連絡先の書かれたメモを持っていたのか。
- 627 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:57
- 「怒ってるんじゃないのよ? むしろとても感謝しているの。
ひょっとして、ひとみちゃん、前にも同じようなこと、あったのかなって」
優しい口調に、俯きながらひとみは頷いた。
「……ま、前は、さっきみたいな、あんなんじゃなかったんだよ。
でも苦しそうだったから、だからあたし、お母さん呼んでこようとしたんだけど、
でもアヤカちゃん、誰にも言わないでって。すぐおさまるからって」
「そのとき、メモを渡されたのね?」
泣きそうな声で言葉にしたひとみの頭を、アヤカの母親はゆっくりと撫でて確かめるように言った。
言われて、また小さくひとみが頷く。
「……もし、アヤカちゃんがあのときよりもっと苦しそうにしてたら、大人の人を呼んで、あれを渡してって…」
「そう…」
「何が書いてるかわからなかったけど、あれがアヤカちゃんを助けるんだってわかったから、いつも持ってたんだ…」
「うん、わかった。ありがとう」
- 628 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:57
- もう一度ゆっくりと頭を撫で、そっと抱きしめて、宥めるようにひとみの背中を叩く。
それをただ見ているしか出来なかったまいにも手を伸ばし、
ゆっくりとふたりともを抱き寄せると、アヤカの母親は静かに呟いた。
「アヤカを助けてくれて、ありがとう」
その言葉は、とてもとても大きく、そして重く、強く、まいとひとみの心に響いた。
自分たちはまだ小さい。
アヤカを助けるために出来ることなんて限られている。
けれど、そんな自分たちにだって出来ることがあるのだと、
こんなに小さな手でもアヤカを守ることが出来るのだと、そう言われた気がした。
- 629 名前:Chapter ― 6 投稿日:2007/05/05(土) 13:57
- 「まいちゃんたちのお母さんたちに電話して、迎えにきてもらうね。ここで待ってて」
目尻の涙を拭って、まいとひとみの頭を交互に撫でてから、アヤカの母親は携帯電話を持って建物の外へと出て行った。
その後ろ姿を見ながら、まいはぎゅっと自身の唇を噛んだ。
「…よっちゃん」
「なに?」
「…アヤカのこと、守ろうね」
「え?」
「あたしとよっちゃんで、アヤカのこと、守ろう」
振り向いてきっぱりと告げたまいに、ひとみは一瞬だけ目を見開き、それから大きく頷いてまいの手を握ってきた。
その手を掴み返し、まいはもう一度、自分の発した言葉を噛み締めるように、唇を噛んだ。
- 630 名前:さくしゃ 投稿日:2007/05/05(土) 14:01
-
遅くなりました…_| ̄|○
でも次の更新予定は未定です…_| ̄|○
ごめんなさいごめんなさい。もうそれしか言葉が浮かびません…_| ̄|○
でも放棄をするつもりはないので、ひろい心でお待ちいただけたら、と思います…_| ̄|○
ではまた
- 631 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/05(土) 15:02
- お待ちしておりました。
それもほぼリアルタイム更新w
私達読者はこの作品をいつでも待ってます。
- 632 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/05(土) 22:52
- お、交信ありがとうございます!
ずっと待ってますので、ゆっくり書いていってください。
- 633 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/21(金) 17:48
- 待ってます
- 634 名前:さくしゃ 投稿日:2008/01/06(日) 22:33
- 生存報告です
長々とお待たせして申し訳ありません…
- 635 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/08(火) 22:56
- マイペースでいいんで更新待ってます
- 636 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/11(月) 09:30
- 待ってます
- 637 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/01/16(月) 21:46
- メロンも出てるので待ってます
- 638 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/01/17(火) 19:00
- 更新待ちたいです
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