恋人役の話
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/23(木) 14:44
- リアル宮崎金澤
- 2 名前:_ 投稿日:2015/04/23(木) 14:47
- 春眠暁を覚えず。今朝も寝過ごしかけて、金澤朋子はこの言葉の意味を痛感した。
時刻はまだ早朝。新幹線の車内が静かなのは皆が眠気を感じているせいかもしれず、
空気はどこか弛緩している。その雰囲気の中で朋子も小さくあくびを洩らし、窓辺に
肘をついて外を見やった。
流れゆく目線の先には、薄桃色の花びらをつけた木がある。桜の木が多く植わって
いるのは学校だろうか。とはいえ、眺めていてもあっという間に視界からは逃げて
いくのだから花見といった風にもならない。
メジャーデビューしてから二度目の春だ。時の流れは驚くほどに早い。最近では
メンバー同士の結びつきも強くなり、グループ全体の雰囲気も良くなっている。
この調子でいけば更なる高みを目指せそうだと、誰もが思っているはずだった。
- 3 名前:_ 投稿日:2015/04/23(木) 14:48
- そんな感慨とは無関係にうとうととしていると、横からビニールがこすれあうような
音がした。朋子がそちらに目をやると、隣席に座っている宮崎由加が肩をすくめて
申し訳なさそうな顔をする。
「うるさかった?」
「いや、全然」
眠そうに見えたのだろう。確かに眠気はあるけれど睡眠を邪魔されたというわけでも
ないから朋子は首を横に振り、彼女の手元を覗き込んだ。
「おにぎりどうしたの?」
「明太子にしました!」
言葉を略した朋子の問いに由加は明るく答える。東京発の新幹線に乗るときは
決まった店でおにぎりを買う、という彼女の習慣を朋子は知っていた。そして
その具をどうするかを悩んでいるらしいのもいつものことだった。
由加との繋がりが特別深いとは思わない。けれど、もはや家族以上に同じ時間を共有
しているメンバー同士なのだから、それくらいの知識を持っていても不思議ではない
のかもしれなかった。
- 4 名前:_ 投稿日:2015/04/23(木) 14:49
- 「一口食べる?」
「ううん」
二人の会話は続かない。窓の外へと視線を戻すと車体がトンネルに入り、耳が塞がった
ような感覚に襲われる。通路を挟んだ三人が騒ぎだし、由加がそれを注意するのを
目を閉じながら聞いて、朋子は素知らぬふりをする。
そうしているうちに眠気が襲ってくる。毎晩夜更かし気味なのだから仕方ないことで、
朋子は逆らわずに眠りを受け入れようとした。
「寝ちゃった?」
声をかけられたけれど、返事をするのが面倒で寝たふりをする。それ以上は何を言われる
こともなく沈黙が流れて、ふと、左肩に重みを感じた。その原因を目を開いて確認した
かったけれど今更そういうわけにもいかず、そもそも確かめるまでもない。
人の温かみを感じる。
由加も眠いのだろうと思った。
- 5 名前:_ 投稿日:2015/04/23(木) 14:50
-
◇ ◇ ◇
- 6 名前:_ 投稿日:2015/04/23(木) 14:51
- 深夜にスマートフォンが鳴る。なにごとかと思うこともなく朋子は漫画の代わりに
それを手に取って画面を見た。表示されていたメッセージは他愛ないもので、文字は
つらつらと連なっている。
夜更けに由加から連絡がくるようになってからどれくらいが経ったのだろう。
眠れないから、夜中に目が覚めたからという理由で送られている彼女のメッセージを
朋子は悪くは思っていない。起きていれば適当に応えるし、眠っていれば相手に
しないまでだ。
夜半のやりとりを締めくくる言葉はたいてい同じで、それは『返信不要』という彼女
からの一文だった。これ以上は気にしなくていい、という彼女なりの気遣いなのだろう。
今夜はまだ返信不要がやってこない。そこでふと、悪戯心が湧いた。
由加の番号を呼び出すと電話はワンコールで繋がる。
- 7 名前:_ 投稿日:2015/04/23(木) 14:52
- 「もしもし」
『え、なに? びっくりしたあ』
「たまには驚かせようかと思いまして」
予想通り驚いたような声を出す由加に朋子は笑いをかみ殺す。悪戯は成功し、
電話越しにでも彼女が目を丸くしている様子が想像できた。けれど、この後
どうするかはまったく考えてはいなかったから、わずかに沈黙が生まれ出る。
『どうしたの?』
「いや、どうもしないけど」
静寂を破るように問われ、朋子は曖昧に返す。用事があるわけでもなく、
そもそもの発端は由加の暇つぶしじみた連絡だ。それならば、話を続けるべきは
彼女の方ではないか。朋子がそう思っていると、また彼女が先に声を発する。
- 8 名前:_ 投稿日:2015/04/23(木) 14:53
- 『珍しい』
「切ろうか?」
『切らないで』
即答されて、受話口越しに笑ったような吐息も感じた。非日常的なコミュニケーションを
楽しんでいるのかもしれない。こんなに宵も更けた時間帯に電話をすることなど
普段はなくて、それは由加に対してだけというわけではなく、誰に対してもそうだった。
そのまま通話は続き、取るに足らない話題が流れる。ご飯は何を食べたの、明日の
仕事ってなんだっけ。大した意味もないやりとりは、やはり暇つぶしだとしか思えない。
ふとした会話の切れ目に、由加が笑った。
くすくすと洩らされる笑い声を怪訝に思い、朋子は尋ねる。
- 9 名前:_ 投稿日:2015/04/23(木) 14:54
- 「なに?」
『夜中に電話なんて、私たちラブラブだねー』
「ないから」
『ひどーい』
すぐに応答すると、わざとらしく拗ねたような返事があった。時計を見ると二時半を
回っている。そろそろ話題も尽きた頃合いだし、もう眠らなければ明日に響くだろう。
「もう寝たら?」
『えー?』
不満げに返されて、「明日も早いんだから」と宥めるようにできるだけ優しく声を出す。
一つ年上のはずの大人をあやすようなことをしている自分が可笑しくて、笑いが洩れそうに
なったけれど、朋子はそれを堪えた。しばらく待つと、『わかった』と小さく返事があり、
ほっと胸をなで下ろす。
- 10 名前:_ 投稿日:2015/04/23(木) 14:55
- 「おやすみ」
『おやすみなさい』
最後に挨拶を交わして、通話を切った。耳元からスマートフォンを離して息をつくと
すぐにその画面が光り、それを見下ろすとまたおやすみという一言が示されている。
その後に続く言葉は当然、『返信不要』だ。
末尾の文言を無視して早く寝なさいと返し、しばし逡巡する。迷った後に返信不要の
一語を付け足した。由加からの返信がないのを確認して今度こそスマートフォンを
放り出すと、小さくあくびを洩らして朋子は布団に潜り込む。
夜分の連絡を、朋子は待ってくれているのだと由加は言う。
そんなことはないと朋子は否定しているし、実際にそうだと思っている。
それに、夜更けにやりとりを交わす繋がりというのは特別なものではないだろうか。
家族でもなく友達でもなく、その関係に名前を付けるとしたら、朋子には思い浮かぶ
ものがひとつだけある。
由加とその関係を結ぶ人がいるのか、朋子は知らない。
けれど、もしもいるのだとしたら。
由加の恋人は、大変そうだ。
- 11 名前:_ 投稿日:2015/04/23(木) 14:55
-
- 12 名前:_ 投稿日:2015/04/23(木) 14:55
-
- 13 名前:_ 投稿日:2015/04/23(木) 14:56
- ochi進行でお願いします。
続きます。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/24(金) 01:49
- どんな風に物語が進むのか、ワクワクします
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/25(土) 22:05
- タイトルからしてドキドキしてます。
- 16 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:42
-
◇ ◇ ◇
- 17 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:43
- ホテルの部屋に入ると、顔に顔を近づけられた。思わず後ずさりすると背中が壁に
ぶつかり、追いつめられたような姿勢になる。
「……とも、お酒飲んだ?」
「あー……、わかる?」
「なんとなく。ていうかなんで飲んだの未成年が。もしかして飲まされた?」
ライブの後に軽い打ち上げをして戻ってきたところだった。大人はたいてい食事に
アルコールを付ける。けれど、メンバーの中で成人しているのは由加だけで彼女は酒は
飲まない。他のメンバーが飲まないのは法律で禁止されているのだから当然のことで、
つまり、朋子からアルコールの気配がするのはあってはならないことだった。
それなのに飲んだということは、意図的なのかそうではないのか。
渋い表情をする由加を前にして、朋子はかぶりを振る。
- 18 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:43
- 「や、注文してもないし、飲まされてもないよ」
「じゃあなんで」
「たぶん店員さんが間違ったんだと思う」
酒と一口で言っても見た目に判りやすいものもあれば、外見だけではジュースと変わ
らないものもある。出された飲み物に何の疑いもなく口を付けたのを今さら責められ
ても仕方ない。肩を軽く押し返して由加から距離を取り、朋子は弁解する。
「最初気づかなくて。でもお酒飲んじゃったとか言えないし!」
思わず声が大きくなったのを、唇の前に人差し指を立ててたしなめられる。隣の
部屋にはマネージャーがいる。耳に入れたいような話ではないし、今となっては
どうしようもないことだ。
- 19 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:44
- 「大丈夫、酔ってないから」
「酔っぱらいはみんなそう言う」
安心させようと笑いかけると、由加は呆れたような顔をした。ドアの辺りに立ち
止まっていてもどうにもならないから二人は部屋に入り、それぞれのベッドに
腰掛ける。
「ゆかちゃんだめなんだっけ」
「飲まないよ」
「あーわかるそんな感じする、うん」
「……とも、テンション変だよ」
「ええ?」
浮ついた気持ちになっているのはライブが終わった開放感からなのか、酔っている
せいなのか。由加が軽く眉間に皺を寄せ、それに朋子はまた笑い返す。
「ゆかちゃんしか知らないから。これは二人の秘密にしとこう」
「……するしかないよね」
選択肢はひとつだ。それは由加も判っているのか、諦めたような溜息をつかれた。
- 20 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:44
- 交代に入浴をすませると、少し意識がはっきりとした。やはり多少は酔っていたのかも
しれなくて、不可抗力とはいえ反省の念が湧く。まだ、息には酒気が残っているだろうか。
足のマッサージを続ける由加を横目に朋子はベッドに入った。照明はきっと彼女が
落としてくれるだろうと思い、目を閉じる。うつらうつらしていると電灯のスイッチが
押される音がして、その後、すぐそばでシーツがこすれあう音がした。
「どしたの」
「寒い」
音が立ったのはなぜなのか、目を開けて確かめるまでもない。ひんやりした空気と
共に由加がベッドに入り込んできて、無視するわけにもいかずに朋子は応える。
- 21 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:45
- 「暖房つけなよ」
「乾燥する」
正論を言うと、正論で返された。乾燥は喉に悪い。だからといって、それを一緒の
ベッドに入る口実にするには二人とももう大人だ。軽く身を押し返しても動いては
もらえず、小さな明かりが点いているだけの中では見えているかは判らないけれど、
朋子は顔をしかめてみせた。しばらくそのままで待っていると、耳元に息づかいを
感じる。
「いいじゃん。落ち着くの」
朋子に反抗するように由加は身体を寄せてきて、そんなことを言う。人肌恋しいの
かもしれないけれどいい迷惑だ。狭いベッドの中で壁際に押し込まれるのが嫌で、
由加の動きを止めるように彼女の身体に腕を回す。
- 22 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:46
- 「わ、なになに」
「……細いなあ」
今度は暴れられたけれど、それには構わずに抱きしめたままでいる。腕の中におさまった
身体は折れてしまいそうに細くて、温かかった。そのままでいると首筋に吐息を感じ、
また身じろぎされる。
「ゆかちゃんが入ってきたんじゃん」
それなのになぜ抵抗してくるのか。
身体を少し離して目で問いかけると、彼女は頬を膨らませる。
「そうだけど」
拗ねたように言われ、それを無視して目を閉じた。息を吸うと甘い香りが肺に満ちて、
身体は二人分の体温をとけあわせたように温かい。
- 23 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:46
- 「もっとこっちおいで」
「これ以上むりー」
半端に離れれば隙間ができて寒いからと引き寄せると、言葉とはうらはらに楽しそうな
様子で彼女も従ってくれた。寒の戻り、とはよく言うが、それにしても今夜は冷える。
顔を見合わせることもできないくらいに近い距離で、彼女がぽつりぽつりと話をする。
ちょうど深夜だ。いつものスマートフォン越しでのやりとりではなく、直接声を交わす
のも悪くない。適当に相づちを打っていると彼女も満足したようで、小さくあくびの
ような息が洩らされる。
「おやすみ」
返事は不要です、と彼女はその後に付け足した。「……おやすみ」それを無視して
朋子が返すと、笑ったような呼気を感じる。それに応えるには眠気が強すぎて、朋子は
何も返せなかった。
- 24 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:47
-
- 25 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:47
- シャワーの音で目が覚めた。
見慣れない天井を見上げて、昨夜のことを思い出す。
「……なにやってんだろ」
呻くように言って、寝返りを打つ。枕元に置いていたスマートフォンを手に取ると、
そろそろ起きなければならない時刻が示されていた。深く溜息をついた後でドアが
開かれる音がして、由加が洗いざらしの髪のままで浴室から出てくる。
「おはよ。お酒抜けた?」
「……私、酔ってた?」
「まあ、少し」
うん、と彼女は頷く。朋子としても記憶が飛んでいるわけではなかったから、昨夜の
行動は頭に残っていた。
「あー……なんかごめんね?」
由加からやってきたのだから謝る必要があるとは思わなかったけれど、どことなく
申し訳なく感じてしまう。朋子の言葉を受けて由加は笑った。
- 26 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:48
- 「またよろしくね」
「……いや、もういいです」
今度彼女と一緒の部屋になるのがいつかは判らないけれど、もうベッドには入れる
まいと決意した。朋子がベッドから起きあがってシャワーを浴びる準備をしていると、
彼女は不服そうな顔をする。
「とも、冷たい」
「んなことないよ」
朝から面倒だ。同じベッドから出ての言い合いなんて痴話喧嘩のようだと思って、
その考えを追い払うように頭を振る。だらだらと浴室に向かうと、彼女も朋子の
相手をするのに飽きたのか、髪を乾かし始めていた。
熱いシャワーを浴びると、今度こそ目が覚めた。酔った勢いがあったとはいえ、昨晩の
ことを思い出すと気恥ずかしさがやってくる。何もない風ではあったけれど、変に意識
されていなければいいなと思った。
二人はただの同僚で、それ以上の近さにはならないはずだ。
たとえ恋人のような役目を果たしたところで、二人は恋仲にあるわけではない。
それは言うまでもないことなのにいちいち考えてしまうのが馬鹿らしくて、
朋子はシャワーの温度を上げた。
- 27 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:49
-
>>16-26
2回目更新
- 28 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:49
- レスありがとうございます。
>>14
つらつらと続いていきますので、今後ともよろしくお願いします。
>>15
いろいろ言うとネタバレなのでアレですが、
タイトルそのまんまのお話、みたいな感じです。
- 29 名前:_ 投稿日:2015/04/27(月) 20:49
- 続きます。
- 30 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/27(月) 20:56
- 年相応な雰囲気が良いですね。続きを楽しみにしてます。
- 31 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:17
-
◇ ◇ ◇
- 32 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:18
- 二人きりの楽屋は静かだ。スマートフォンでゲームに興じている朋子と、なにやら
真剣に歌詞カードをにらんでいる由加。隣同士に座っているのに二人の視線は交わる
こともなく、平行に延びている。
ぽっかりと生まれた撮影の待ち時間、年下の三人組はコンビニに買い物に行っていた。
一緒にふざける相手もいないから朋子は落ち着きをもって座っていて、由加も一人で
普段通りの平静を保っている。
一度ゲームオーバーになり、一人で遊ぶのにも飽きてきた。スマートフォンから手を
離して、由加を見る。イヤホンをしている彼女は朋子の目線に気づいた様子もなく、
相変わらず手元に目を落としていた。
- 33 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:19
- 手持ちぶさたで見つめていると、朋子の視線を察したのか彼女は顔を上げて、
そのまま不思議そうに首を傾げた。耳からイヤホンを抜いた彼女に、
「どうかした?」と尋ねられ、朋子は逡巡する。
「由加ちゃんって」
訊きたいことがあるのだけれど、あまり人前で訊きたいようなことではなかった。
だから二人きりになれた今はいい機会なのだと思う。それでも躊躇ってしまうような、
微妙な話題だった。
由加が不思議そうな顔をしたままで瞬きをする。呼びかけておいて沈黙を続ける
わけにもいかないから、朋子は思いきって口にする。
「……付き合ってる人とかいるの?」
彼女はきょとんとして、それから笑った。その表情を見て答えは察せられたけれど、
朋子は返事を待つ。
- 34 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:19
- 「いないよ」
「……だよね」
由加はそこまで器用そうには見えないし、隠そうとしていたとしても、いれば
判りそうなものだ。返答の判りきった質問をしてしまったことを朋子は馬鹿らしく
思ったけれど、それと同じくらいに安心もする。
まさかとは思うけれど、スキャンダルは困る。だから発した質問で他意はなかったし、
安心したのも安全を確保できたからだった。
「ともはいるの?」
「いないよ」
考えにふけっていると同じ問いを返され、肩をすくめる。それを見てか、由加は
ほっとしたような顔をした。
- 35 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:20
- 「なあんだ。びっくりした」
質問に対しての感想らしかった。わざわざ訊いてくるということはやましいことが
あるのかもしれないと思ったようで、朋子としてはそれは不本意だ。
「どうしたの、急に」
「や、別になんとなく……」
いつからか始まった夜中のやりとりと、先日のベッドの中でのことを考えて、とは
言えなかった。それを意識しているのはきっと朋子だけで、由加に言うのは
自意識過剰に思えたし、そう考えているのを知られたくはなかった。
- 36 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:21
- 由加が一度伸びをして、椅子が鳴る。まだ三人は戻ってこない。話題は転換されずに、
そのまま続く。
「ばれないようにしてね」
「つくんないよ」
恋人をつくる予定もできる予定もなく、それはこの仕事をしているうちはそうで
あって欲しかった。仕事を取るか恋人を取るか、そんなわずらわしい葛藤を
抱えたくはなかったし、なにより、せっかく軌道に乗ってきているグループに
迷惑をかけたくはない。
- 37 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:21
- 「なにかあったの?」
「そういうわけでもなくって……」
ちょっとした好奇心で訊いてみただけだったのに、心配げに眉を下げる由加を
見ると罪悪感がわいてきた。その感情を誤魔化すように、朋子は続ける。
「だって、ほら、由加ちゃんかわいいし?」
それに加えて由加は愛想がいい。大いに人に好かれるだろうし、本来なら
恋人の一人や二人いても不思議ではないのだ。「疑問形?」由加は笑った。
「ありがと。でもそれならともの方が心配」
「え?」
「かわいいもん」
にこりと笑った由加に、真っ正面からカウンターをくらってしまった。それほど
ふざけた様子もなく真面目に言われてしまうと、嬉しさよりも気恥ずかしさの方が
勝ってしまう。
- 38 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:22
- 「……どーも」
ぼそぼそと礼を言うと、苦笑された。ちょうど話が一段落したところでドアが
大きく開かれ、三人が帰ってくる。由加は歌詞カードの下にはさまっていた
皆の予定が書かれている紙を取り出し、滑らせるようにして朋子の前に示す。
「ていうかさ、ここみんなスケジュールあいてるから……」
仕事の合間の数時間をレッスンにあててもらえないだろうかとマネージャーに
相談したいのだけれどどうか、と尋ねられる。断る理由もなかったから頷くと、
由加は他の三人にも同じ質問をした。初めは頼りなくしか見えなかったけれど、
すっかりリーダーも板に付いてきている。
- 39 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:23
- 人には人の役割というものがある。グループにおいてのリーダーや
サブリーダーというのもそうで、それは代わりが効くものではない。
家族や友人、それから恋人。それらの役目も代替できるものはない。
だからありえないのだと、朋子はあらためて思い直す。
夜更けに連絡が来るからだとか、一緒のベッドで眠ったからだとか。
電話越しのとりとめのないやりとりも、すぐそばで話される近況も。
ただ都合の良い相手として、選ばれているだけだろう。
物思いにふけっていると、撮影が開始される、と肩を叩かれた。
そんな触れあいを特別なものとして感じそうになるのは由加のせいで、
朋子は溜息をつきそうになる。人当たりがいいのも考えどころだ。
返事はせずに腰を上げて、朋子はスタジオへと足を向ける。その後をついて
こられて腕を取られるのも、意識してはいけないと思った。
- 40 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:23
-
◇ ◇ ◇
- 41 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:24
- 「暇だね」
ラジオ局を出るなり、由加はそう言った。同じことを思っていたから朋子も頷き、
空を仰ぐ。天気は快晴。緩やかに流れる風も心地よく、春うららかな気候である。
あらためて時刻を確認するまでもなく、次の仕事まで半端に時間が空いていた。
局の入り口で突っ立っていては通行人の邪魔になるだろうからひとまず歩き出し、
足は自然と駅へと向かっていく。
- 42 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:24
- 「買い物でも行く?」
私はどうでもいいけど、と朋子は付け足した。昼食も摂ってしまったし夕食までも
時間はあるから、することというと限られてきてしまう。
「ううん。時間かかっちゃうから」
一人で行く方がいい、と由加は返す。次の仕事も二人で一緒なのだし、わざわざ
別行動を取るつもりもないらしい。
駅に向かう道すがらでそんな話をしていると、頭上から花びらが降ってきて、
由加の髪にのる。それを指でつまんでやれば何か思いついたように彼女は
目を輝かせた。
- 43 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:25
- 「お花見しようよ」
「ええ?」
「したいしたいお花見したいー」
だだっ子のように言う彼女に朋子は顔をしかめてみせる。先ほど花びらを散らせて
きた木を見上げると、もうずいぶんと葉桜だった。
「花見って、なにすんの」
「お花を見る」
「うん、そうだね。ってそうじゃなくて」
花を見るだけなら今だって充分に目的を果たせているだろう。花見といえば朋子の
イメージはお弁当でも食べながら酒を飲む、というものである。まったく夢のない
想像ではあるが、これが実際のところでもあるだろう。
- 44 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:25
- 「桜見てゆっくりする」
「あー……そうだねえ」
ちょうど天気もいいのだから、日向ぼっこをするのだとでも思えばいいのかもしれない。
朋子が頷くと由加は楽しそうに足取りを軽くした。
それからコンビニに寄って、ジュースやお菓子をほどほどに買い込む。スマートフォンで
近場の花見スポットを検索すると、付近の川沿いが示されていた。
ここから徒歩五分もかからないその場所まで行くと、平日なせいもあってか花見客はなく、
時折、人が通るだけだった。
- 45 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:26
- 「だいぶ散っちゃってるねー」
そもそも花見のシーズンからは少し外れている。ベンチに腰掛けてジュースを飲みながら、
新緑をつけた枝葉を二人は眺めた。
葉桜も悪くはない。雑然とした人混みの中で花を見るよりはずっといいと朋子は思い、
散ってきた花びらを手のひらで受け止める。息を吹きかけると花弁は舞って、前方に
飛んでいく。隣では由加も、朋子の真似なのか同じようなことをして、それから言った。
「あんまりともと出歩くことないから、変な感じ」
「そうだね」
プライベートで遊ぶことはないし、こうやって待ち時間が生まれて一緒に過ごすことも
なかなかない。次の仕事までの合間に食事を共にしたこともあるけれど、それも片手で
足りるほどではないだろうか。
- 46 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:27
- 「でも、楽しいかも」
その言葉を受けて隣を見ると、屈託のない笑みで見返された。そよ風が頬をなでる
ように通り過ぎていき、朋子はわざと片眉を上げて聞き返す。
「かも?」
彼女はまた笑った。犬の散歩をしている通行人がこちらに視線を向けて、すぐに
去っていく。午後の日差しが優しく、木々の隙間から差す陽光が不意に彼女を
照らす。
「楽しい」
今度ははっきりと言い切られた。ゆったりとした風が吹いて花びらが舞う。
彼女がこちらに手を伸ばしてきて思わず目を眇めると、髪にのっていたのか
一枚の薄桃色の花弁を拾われた。
「かわいいね」
それはきっと桜に対する言葉で。
朋子が曖昧に頷くと彼女は笑い、指先に息を吹きかけた。
- 47 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:27
- 夕暮れも迫り、うっすらと空が藍色に染まり始めた頃になって、二人はようやく腰を
上げた。今から移動すれば次の仕事にちょうど間に合う頃で、やみくもに急ぐ必要も
なく、ゆっくりと足を進める。
夜の葉桜も悪くない。朋子がそう思っていると肩に肩をぶつけられ、腕を取られた。
腕にぶら下がるようにして笑う彼女に、朋子は顔をしかめてみせる。
「なに?」
「はぐれちゃうから」
「誰もいないし」
だからこそ、なのかもしれない。人目につくところでこうされることはあまりない
けれど、他に気配のないときは、時折しがみつくようにされることが増えた。
- 48 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:28
- 「由加ちゃーん。もう子どもじゃないんだから」
「だからー?」
「しゃっきりしなさい」
「してるよお」
もう彼女も二十一歳なのに、この甘えようである。けれど、誰彼構わず甘えている
わけではないようで、普段こうやって触れあっているのはあかりとが多いように思えた。
二人は仲が良い。朋子はその間に入れる気がしなかったし、そうしたいとも思わない。
また一枚、花びらが落ちてきた。それを空いている方の手のひらで受け止め、
一息で吹き飛ばす。見上げると緑の葉をつけた枝の隙間から藍色の空が見えて、
夜を感じた。
- 49 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:29
-
>>31-48
3回目更新
- 50 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:29
- >>30
レスありがとうございます。
もうコドモじゃないけどすっごく大人ってわけでもなく。
まだまだ続きますので、よろしくお願いします。
- 51 名前:_ 投稿日:2015/05/03(日) 14:30
- 続きます。
- 52 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/05/03(日) 19:29
- ほうほう。なるほど。こういう感じなわけですね。
宮崎さんの心中……。まだ読めないですねえ。
これからどうなっていくのか楽しみです。
- 53 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:33
-
◇ ◇ ◇
- 54 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:33
- 裏口から会場に入ると、うっすらと冷房の効いた建物内は白く明るかった。
廊下を行くと楽屋の並びに出て、そのうちの一つに朋子たちは入る。
ドア脇のスイッチを押すと照明が灯り、白い壁に囲まれた部屋は淡い雰囲気だった。
空咳が出る。喉が乾くのは、慣れない場所に来て緊張しているせいかもしれない。
大人数のアーティストが参加するイベントだった。自分たちを目当てに来てくれて
いるとは限らないのだから、普段よりも気は張り詰める。連日のライブやレッスンの
疲れはあるけれど、手を抜けるわけもない。
- 55 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:34
- リハーサルまではまだ時間があった。メンバー皆が思い思いに過ごし始めたとき、
不意に袖を引かれる。朋子がそちら側を見ると、わずか下から宮本佳林に見上げられた。
「のど飴いる?」
先ほど咳をしていたせいかもしれず、その気遣いに苦笑が洩れた。相変わらず
準備がよく何でも持っている子だと思い、遠慮する理由もなかったから素直に頷く。
渡された飴玉はやたらと小さなものだった。口に含むと何とも言えない味が広がり、
朋子は思わず顔をしかめる。
- 56 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:35
- 「にが。いつもこんなの舐めてんの?」
「いつもってわけじゃないけど」
からかったわけでも文句を言ったわけでもないけれど、朋子の言葉を受けて佳林は
頬を膨らませた。それを見て、対照になるように笑ってみせる。良薬口に苦し、とも
いうし、元々調子が悪かったわけではないとはいえ、喉が潤ってきているようにも
感じられた。
佳林とやりとりを交わしていると、離れた場所から名前を呼ばれる。そちらを見ると
由加に手招きされて、朋子は首を傾げることで返した。動かずにいると由加は少し
声を大きくする。
- 57 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:35
- 「こないだの余ってる」
何が、と問い返そうとして、口の中の飴玉に邪魔をされた。由加が手に持って示した
のは何の変哲もない菓子のパッケージだったけれど、朋子はそれに見覚えがあった。
返事をできずにいると、植村あかりが由加にしなだれかかるようにしてその小袋を
奪い取る。
「こないだって?」
あかりが発した当然の問いに、「お花見したの」と由加が答えた。秘密にしていた
わけではないが、どことなくバツが悪く感じられる。朋子が目を泳がせていると、
予想したとおり、あかりは不満げな声を洩らす。
- 58 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:36
- 「えー、二人で? ズルい」
「来年は一緒に行こうね 。みんなで食べよ?」
宥めるように由加があかりの髪をなでて、手元の菓子を開封する。チョコレートの
甘い香りにあかりもすっかり機嫌を直したようで、朋子もほっと息を洩らした。
みんなで食べよう、と言われたからには朋子と佳林も含まれている。そばにいた
高木紗友希も一緒になって群がった。ただ朋子はその輪に入る気になれず、
少し距離を置いたところの椅子に腰掛ける。
- 59 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:36
- 「ともー?」
由加に不満げな声で呼ばれて、朋子はかぶりを振る。
「飴食べてるからいいや」
「ともと一緒に食べたかったのに」
「仕方ないでしょ」
せっかく分けてくれた飴玉なのだから噛み砕くには忍びない。不服げながらも
彼女は肩をすくめるだけにとどまって、また輪の中に入っていく。
飴玉を舌の上で転がすと、歯に当たって固い音がした。
早く溶けきってしまえばいい。そう思ったけれど、声には出さなかった。
- 60 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:36
-
- 61 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:37
- ステージ上だけでなく、裏側でも愛想を振りまかなければならない。
それはスタッフにだけというわけではなく、他の出演者にも、だ。
芸能人に、特にアイドルに、ファンだと言ってもらえるのは素直に嬉しい。
だから苦痛を感じるでもなく笑顔を振りまけるし、話もできた。
舞台裏の通路で頼まれるままに一緒に写真を撮って、握手を交わす。
会釈をして別れると、楽屋に戻る道のりで由加だけが足を止めて待って
くれていた。それに急ぎ足で追いつきかけると、彼女はすぐに歩き出す。
- 62 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:38
- やけに早い足取りに、朋子は慌てて後をついて行く。楽屋までは距離があるが、
このスピードだとすぐにたどり着けるだろう。まだ時間の余裕はあるのに
なぜこうも急いでいるのか、朋子には判らなかった。
「ともは人気あるよねー」
ようやく隣に並ぶと、嫌味な口調で言われた。由加にしては珍しい物言いに
驚いたけれど、その内容には顔をしかめたくなる。
「はあ?」
「デレデレして。タラシ」
朋子が自分のグループを差し置いて他のアイドルの相手をしていたのが
面白くなかったのか、由加は口を尖らせた。
明るく蛍光灯に照られたこの場所では、彼女の表情がよく見て取れる。
つんと逸らされている視線をこちらに向けて欲しかった。だから、わざわざ
弁解するのも面倒だけれど朋子は息をつく。
- 63 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:38
- 「違うよ、まわりが勝手に騒いでるだけじゃん」
「ふーん」
早歩きに疲れて由加の手首を掴むと、歩調が緩められる。そのまま手を繋がれた。
人目があるところでそうされるのには恥ずかしさを感じたけれど、今の雰囲気では
振りほどけそうにもない。
由加は不機嫌そうに前だけを見て歩いている。繋いだ手を軽く引いてみせると
握り返されて、本当に機嫌を損ねているわけではないのだろうと安心した。
とはいえ、一方的に言われっぱなしだというのも性に合わない。
「なんで由加ちゃんにそんなこと言われなきゃいけないのさ」
彼女でもあるまいし。
そう思っていると、手を強く握られる。
「だって」
ようやくこちらを向いた彼女はまた唇を尖らせた。嫉妬も羨望も抱くのは勝手だ。
ただ、由加から向けられているのはどこか違うもののようにも感じられる。
廊下は人とすれ違うのにも充分な広さがあるから、手を離すチャンスもない。
- 64 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:39
- 「リーダーだからちゃんと教育しとかなくちゃなーって」
「はいはい」
軽くいなすと、不満げな息を洩らされた。楽屋の前にたどり着き、由加がドアノブに
手をかける。扉が開かれる前に手を離してしまいたかったけれどそれはかなわずに、
皆に出迎えられた。
「なにラブラブしてんの?」
「してねーよ」
紗友希に茶化されるように言われて、思わず口汚く答えてしまう。
由加は気にした様子もなく笑っていて、それが憎らしかった。
- 65 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:40
-
>>53-64
4回目更新
- 66 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:41
- >>52
レスありがとうございます。こんな感じで続いてまいります。
ゆっくりと進んでいますが、次からはもう少し一回あたりの更新量を
多くしようかな?と思っているので、また楽しみにしてもらえたらと思います。
- 67 名前:_ 投稿日:2015/05/09(土) 09:41
- 続きます。
- 68 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/05/10(日) 00:49
- 毎回楽しみに読ませていただいています!
宮崎さんと金澤さんの組み合わせ大好きなので嬉しいです。
- 69 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:33
-
◇ ◇ ◇
- 70 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:33
- 急ぎ足でもまだ汗はかかない。慣れない駅の改札を抜けながら、朋子は行き先までの
道のりを考える。後ろを振り返り、一歩遅れて佳林が着いてきているのを確かめて、
乗り換え案内に従ってホームに出た。
快速列車が目の前を通過する。ホームから線路を見下ろすと明るい陽光が差していて、
転がる砂利を温めているかのようだった。
電車を待ちながらあくびをかみ殺していると服の袖を引かれる。隣に目をやると
佳林に見上げられ、朋子は首を傾げてみせた。彼女は日差しを受けて眩しそうな
顔をする。
「最近由加ちゃんと仲良いね」
「うん?」
佳林の真っ直ぐな視線を受けとめて、朋子は更に首を傾ける。
「そうかなあ」
「そうだよ」
とぼけてみせると、頷かれた。由加と特別仲良くしているかと言われれば、
返答には困るものがある。朋子が望むかどうかに関わらず彼女は近づいて
くるけれど、それを仲が良いと表現していいものだろうか。
- 71 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:34
- 二人きりのときに近づかれることはあれど、他のメンバーがいるところでは
今までと変わらない、ほどほどの関わり方のはずだった。先日の花見の件を
詳しく話したせいかもしれず、黙っていればよかったと朋子は少し後悔した。
「仲悪いより良くない?」
「それはそうだね」
目の前を回送列車が通り過ぎる。そのせいで風が吹いて朋子は顔をしかめ、
そのまま言った。
「普通でしょ」
良くもなく悪くもなく、由加との関係はメンバー間ではもっともビジネスライク
なものだと思っていた。それは徐々に崩れつつあるのを自覚しているけれど、
これ以上どうとなることもないだろう。
時々、夜中に連絡を取り合っていることは誰にも言っていない。
由加が一度ラジオで言ったくらいのもので、それをメンバーは聴いては
いないに違いなかった。
「佳林ともまたご飯行こう」
「うん。時間あるときにね」
一緒にご飯を食べるくらいで喜んでもらえるのならばお安いご用だ。
先日の由加との花見もたまたま時間があったから行っただけだけで、今後、
佳林と食事に行くのもおそらく、仕事の合間の時間つぶしでしかないだろう。
目的の鈍行列車がホームに滑り込んでくる。平日の昼間、車内は空いていた。
朋子はまた乗り換えのことを考えて、由加を思い出さないようにした。
- 72 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:34
-
◇ ◇ ◇
- 73 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:35
- 「ねー、ここで寝てもいい?」
「え?」
「落ち着くんだもん」
由加は朋子のベッドの上に寝ころび、うつぶせる。ドライヤーを使っていた
せいで聞き取りづらくはあったものの、由加が何を言ったのかは判った。
そしてその願いは受け入れたくないものであり、朋子は眉間に皺を寄せる。
「由加ちゃん、自分の部屋あるでしょ?」
「ここが良い」
「交換する?」
「一緒がいいって言ってるの」
明日もライブだ。せっかく一人に一部屋をあてがわれているというのに、
由加はわざわざその一室を空にしたいと言う。
無視して髪を乾かしていると、仰向けになった由加に不満げに見上げられた。
ドライヤーの音がうるさい。あらかた乾いたところで電源を切ると部屋は
静まりかえり、無言が続いた。
由加がまた寝返りを打ってうつぶせになる。朋子はその隣に腰掛けて、
髪をなでてやる。それは反射のようなものだった。幾度か手を往復させて
いると、ふと思い浮かぶことがあり、朋子は尋ねる。
「最近よく眠れてる?」
「……んん?」
うつぶせているせいか、くぐもった返事があった。問いの理由は明白で、
深夜にスマートフォンが鳴ることが減ったからだった。
つまりそれは由加が寝付けないだとか夜中に目が覚めたとか、
そういったことが少なくなったからなのではないだろうか。
- 74 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:36
- 「いや、夜中あんまり来ないから」
眠れぬ夜が減じたのならばそれは良い傾向である。だから連絡が途絶える
こと事態は問題ないはずなのに、それはそれで心配になってしまうのだから
手が掛かる。
「待ってくれてるんだ」
「全然。待ってはないけど」
さらに寝返りを打った由加に見上げられ、朋子はかぶりを振る。元から
待ってなどいないし、これからも待つ予定はない。今までだってすべての
連絡に応えていたわけではなく、起きているときだけ相手をしたまでだ。
仰向けになった彼女の前髪を指先でかきわけてやると、くすぐったそうに
目を細められる。「寂しい?」見当違いの問いに朋子は溜息を洩らした。
「寂しくなんてありません」
「ともも眠れないときは送ってくれていいよ」
寝付くのが遅い日となるとおそらく由加よりも多いから、そうすればきっと
迷惑だろう。前髪を元に戻しながら、朋子は訊く。
「待っててくれるの?」
「寝て待ってる」
くすくす笑って返されたけれど、それは待っているというのだろうか。
- 75 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:36
- 「部屋帰りなよ」
「えー、いいじゃん」
不満げに言う彼女の額を指で弾いてやると、顔をしかめられる。また乱れて
しまった前髪を指先で雑に整えた。口を尖らせる彼女を前にして、朋子は
嘆息する。
「だめ。狭い」
「こないだは良かったのに?」
弱いところをつかれた。この間、というとひとつしか思い浮かばない。けれど、
そもそも部屋の移動は禁止である。それをリーダーが破ってもいいのかと問うと、
ばれなければいい、と由加らしくない不真面目な返答があった。
- 76 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:37
- 「……あの時は酔ってた」
「とも、酔ってないって言ってた」
「酔っぱらいはみんなそう言う」
あの日に由加が言ったのと同じ理論で返すと、頬を膨らませられる。酔ってでも
いなければ受け入れはしなかっただろうし、今は素面だ。
「他の子の部屋に行って」
「ともがいる部屋が落ち着くんだってば」
腰に抱きつかれて、ふりほどけない。がしがしと髪を乱してやると、さらに
強くしがみつかれた。
- 77 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:37
- 「私は落ち着かない」
「なんで?」
「狭いからだよ」
それ以外の理由があるだろうか。しがみつかれているせいで由加の表情はうかがえず、
朋子は溜息をつく。宥めるように髪をなで、「由加ちゃん」できるだけ優しく呼びかけた。
「もう。なんかあったの?」
「どうしてもだめ?」
わずかに切羽詰まったような声で言われてしまう。髪に指を差し入れても由加の
反応は薄い。撫でるように手を動かしても彼女は動かなかった。無言の抵抗
とでもいうのか、こうまで頼まれてしまうと断りづらく、朋子は言い淀む。
「……どうしても、ってわけじゃないけど」
無理やり追い出すことはできそうにもない。だったら受け入れるしかないのかも
しれず、朋子は何度目か判らない溜息を洩らした。
- 78 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:38
- 「……今日だけだからね」
「とも、やさしー」
一転、由加は身体を起こして、いそいそとベッドに入る準備をする。朋子も
立ち上がって頭をかき、掛け布団をはがした。
春はどこへ行ってしまったのか、今夜も肌寒い。今日は由加を壁際に寄せて、
小さな明かりだけを残して照明を落とす。
「もっとこっち」
「やだよ」
腕を引かれて、抵抗した。シングルベッドに二人で寝れば狭いというのは事実だ。
今でも充分に近い距離にあるのに、これ以上となると息さえかかる近さになってしまう。
「ともの真似してるだけなのに」
「…………」
不満げにいう由加の顔が、薄明かりの元で見える。確かに酔っていた先日、
寒いからもっと近づくようにと言ったのは朋子だった。
このまま押し問答を続けていればいつまでも眠れないから、仕方なく由加の側に
身体を寄せる。抱き寄せられても逆らわずにいると、甘い香りが近づいてくる。
ぽつりぽつりと、由加が話をする。深夜の連絡が減ったのはなぜだろうと思った。
それを尋ねると、「なんとなく」と返されて、そう言われれば朋子は頷くしかない。
だんだんと由加の声は眠たげになる。眠りの浅瀬をいったりきたりするような
声音の後で、彼女がぽつりと言う。
- 79 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:39
- 「……ああ、でも、ともに付き合ってる人がいなくて良かった」
それはそうだろう。そちらの方がスキャンダルの心配もなく安心なのだから、
わざわざ言うまでもないことだ。しかし由加が言いたいのはそういった理由では
ないらしく、朋子は続きを促してやる。
「なんで?」
「だってさすがに申し訳ないじゃん。こうやってくっついてるの」
そう言ってすり寄ってきて、ひとつあくびが洩らされた。胸元に顔を埋めるようにされ、
近すぎる距離にむずがゆさを感じる。部屋は薄暗く、二人以外にひとけはないから、
小さな声でも充分に彼女に届く。
「……なんでこんなことするの?」
禁止されているというのにわざわざ朋子の部屋にまで来て、同じベッドで眠る。
幸いまだ誰にもばれてはいないようだけれど、いざそうなったらなんと申し訳を
すればいいのか朋子には判らない。
規則を破っているという罪悪感と、秘密を持っている背徳感。
それを彼女は、感じないのだろうか。
「こんなことって?」
「部屋に来たりとか」
「さあ、なんでかな?」
尋ねてもはぐらかされて、答えてもらえそうにもなかった。逃げていきそうな
眠気を捕まえようと朋子が目を閉じると、すぐそばで息づかいを感じる。
- 80 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:39
- 「嫌なら逃げてよ」
彼女の声に、朋子は応えなかった。きっともう時計の針は天辺を回っていて、
明日もライブがある。だから早く眠らなければならず、由加とのやりとりは
ここで終わりにしようと思った。
朋子が返答するつもりがないのを察したのか、彼女は優しい声でささやく。
「おやすみ」
返事不要、と小さく付け足されて、彼女も目を閉じたのか部屋には静寂が満ちた。
そっと瞼を上げても見えるものは彼女の頭くらいのもので、目新しさはなにもない。
しばらくすると、くうくうと一定の寝息を感じた。結局は彼女が先に眠って
しまったようで、置いてけぼりにされる。それが朋子には不満で身じろいだ
けれど、目を覚ましてくれる様子もない。
「……おやすみ」
小さな声で言っても、返事はなかった。
- 81 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:40
-
>>69-80
5回目更新
- 82 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:41
- >>68
レスありがとうございます。毎回読んでいただけで嬉しい限りです。
組み合わせもですが、このお話を大好きになってもらえるようにがんばります!
- 83 名前:_ 投稿日:2015/05/16(土) 15:41
- 続きます。
- 84 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/05/16(土) 22:51
- ここからどう進んでいくのか楽しみで仕方ありません。
佳林ちゃんの様子も気になります。
- 85 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:42
-
◇ ◇ ◇
- 86 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:43
- 背中からベッドに倒れ込む。ホテルに泊まるのももう珍しいことではないとはいえ、
見慣れない天井を目にすると非日常を感じられた。だらしなく横たわったままで
朋子は目を閉じる。遠征先のシングルベッドの上で思い出すのは、由加のことだった。
嫌なら逃げてよ。
由加の言葉を反芻する。逃げ場など、どこにあるのだろう。他のメンバーの部屋に
行くわけにもいかないから、残る手段はマネージャーにでも言いつけることだろうか。
寝返りを打って、冷たいシーツに頬をつける。ライブの後の心地よい疲れが眠気を
誘うけれど、まだシャワーを浴びていないから眠るわけにはいかない。
身体を起こして、時刻を確認しようとスマートフォンを手に取る。まだ夜は浅かった。
画面を見て、誰からの連絡もないのを同時に知る。洩れた息は、安堵なのだろうか。
- 87 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:44
- 逃げ道を用意するにはどうすればいいのか、本当は判っている。
もっと強く拒めばいいだけだ。
来ないでくれと、はっきり言えば由加はきっと諦めてくれる。その後の選択肢など
朋子の知ったことではない。他のメンバーの部屋に行くのもそうしないのも、
彼女の自由だ。
ただ、心底迷惑に思っているわけでもない。だから拒みきれない。
頼りにされているのとは違うかもしれないが、甘えさせてやるのも仕事のうち
なのかもしれないとすら思う。
手に持ったスマートフォンを投げ出す。シャワーを浴びようと思った。
- 88 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:44
-
- 89 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:45
- いつも誰かと一緒だというのも息が詰まるだろう、という気遣いで、一人は怖いと
いうメンバー以外は一人部屋が増えた。ゆったりと自分のペースで行動できるのは
存外に快適で、今夜もその恩恵に与るはずだった。
入浴し終えて、髪も乾かした。もう後は寝るだけという段になって、物足りなさを
感じる。電話が鳴ることもドアをノックされることもなく、徐々に夜は更けていく。
それは普通のはずのことなのに、どうして日常と異なるように感じるのだろう。
放り出していたスマートフォンを拾い上げた。ボタンを一押しして画面を明るくしても、
誰からも連絡が来た痕跡はない。いつもなら呼びもしないのに訪ねてくるくせに、
由加はもう眠ってしまったのだろうか。
連絡がないのを懸念してしまうようになっている自分には気づかないふりをして、
朋子は彼女の番号を呼び出した。電話は四コール目で繋がる。
- 90 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:46
- 『どうしたの?』
聞こえてきた声を、妙に懐かしく感じた。通話口の向こうの彼女はどんな顔を
しているのだろうと朋子は想像する。驚いているのか面倒がっているのか、
内心で前者を望んだ。
「別に。生きてるかなーって」
連絡が来なかったから心配になって、とでも言えば喜んでもらえるのだろうか。
由加が笑った気配がして、伝わりはしないだろうけれど朋子は顔をしかめる。
どうもペースを乱される。近づいてくるのもその場でとどまるのも、彼女の
一挙一動にすべてを狂わされる。
「……今日は来ないの?」
こんなことを言うつもりはなかったのに、自然と口をついて出たのも、きっと
彼女のせいだ。普段と違う行動をすると落ち着かないのはごく当たり前のこと
だから言葉にしてしまっただけで、ただの確認だった。
- 91 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:46
- 『来て欲しい?』
「そういう意味じゃないよ」
否定の返事はすぐに出る。また笑声を感じて、面白がられているのかもしれない
と思った。この頃は、彼女の方が上手なのではと思えることが増えていて、それが
朋子はつまらない。つらつらと思索を巡らせていると、いつも通りの彼女の声が
電話越しに聞こえる。
「たまには一人になりたいでしょ?」
まさかそんな理由をつけられるとは思わずに、朋子は言葉に詰まった。二人で
いるのは狭いと拒んだときには言うことを聞いてくれなかったのに、まともな
ところもあるものだ。
そうだね、と小さく返す。由加が言っていることはもっともだったし、朋子も
それを望んでいるはずだった。自分の部屋に戻れと言ったことは、すでに
一度や二度ではなかった。
けれど、いつもと違うことをするのは落ち着かない。
だから朋子は軽く言う。
- 92 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:47
- 「やっぱ来て。退屈」
まだ深夜には差し掛かっていない。普段、相手をしてやっている分、たまには
言うことを聞いてもらえてもいいだろうと思った。
『暇つぶしに?』
「うん」
『ともが来てよ』
「ヤダ」
ベッドから離れる気にはなれずに、朋子は即答する。通話はそのままに寝転がり、
あくびを堪えた。『仕方ないなあ』由加の声はどこか楽しげで、それに安心する。
しばらくしたら行く、と由加が言って、電話は終わった。すぐに来てくれない
のを少しだけ不満に思うけれど、まだ眠る前の準備が終わっていないのかも
しれない。彼女は入浴時間も長ければ、その後の肌や髪の手入れの時間も長かった。
仰向けになって天井を見上げる。呼び寄せてしまったことを、自分らしくない、と
思った。ホテルの部屋に一人でいてもそう寂しくはないし、普段なら来るなと
言っているのに、なぜ常とは真逆のことをしてしまったのだろう。
やはり、慣れだろうか。由加がいることに慣れてしまったから、平素と違う環境に
身を置くのが怖くなったのかもしれない。そういう意味では、朋子も一人部屋が
怖いのかもしれなかった。
寝返りを打つ。由加が部屋を訪ねてくる理由も、自分の行動の原理も、
判らないことだらけだ。想像ならばいくらでもできるけれど、それを彼女に
訊くことはできそうにもない。
- 93 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:48
- ノックされる音がして、朋子は身体を起こした。ドアロックを掛けたままで
扉を薄く開くと、隙間から由加が手を振る。迎え入れると軽く抱きつかれて、
突然のことに朋子は呼吸をとめた。
「お呼びいただき光栄です」
彼女はふざけたように丁寧に言い、すぐに身体は離される。朋子が動けずに
いる間に彼女は横を通り抜けてベッドに向かい、部屋の主の了承もなしに
腰掛けた。
カードキーとスマートフォンを枕元に置いた彼女に手招きされ、朋子は
ようやく身体を動かす。少し距離を置いて隣に腰を下ろすと、微笑まれた。
いつも二人きりで何をしていたのか、急に思い出せなくなる。それは緊張の
せいなのだと自覚した。部屋に呼ぶという、いつもと違うことをしているのが
気掛かりの理由だろうと思った。
彼女の唇が薄く開かれるのを、朋子は黙って見つめる。
「なにかする?」
「なにを?」
「しりとりとか」
「……やめとく」
由加も日頃は何をしていたのか忘れてしまったのか、子供じみた遊びの提案を
された。朋子が首を横に振ると、予想の範囲内だったのか彼女も特に残念そうな
様子は見せない。
- 94 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:49
- 明日の話を、由加が始める。話題はとりとめのないものばかりなのに、
退屈しのぎの雑談は意外なほどに途切れなかった。
楽しげに話しながらも、由加がスマートフォンを気にする様子を見せる。ちらちらと
視線が動くのを見て、朋子は怪訝に思った。時刻を確認したいのだろうかと枕元に
備え付けられたデジタル時計に目をやると、彼女も同じ方向を見た。
「そろそろ戻るね」
軽く言って、由加が腰を上げる。朋子も、習慣を守るために来てもらえれば
充分だとは思っていた。だから泊めるつもりはなく、それでも由加が素直に
帰るとは思っていなかった。
朋子が拍子抜けしていると、それを見てか由加が苦笑する。
「お母さんと電話する約束あるから」
「え、あ、そう……」
だから今夜は訪ねてこなかったのかもしれない。もちろん由加にも朋子以外に
人間関係というものがある。家族となればその関わりは当然深くて、他よりも
優先されるものだろう。
「……家族と仲良いよね」
「うん」
由加は朗らかに頷いた。夜更けに連絡を交わす相手は朋子だけではないと、
言うまでもない事実を突きつけられたようだった。
それがどうにもつまらなくて、自分でも意外な言葉が口をついて出る。
- 95 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:50
- 「ここでかければ?」
朋子の言葉を受けて由加は首を傾げる。それもそうだろう。自分でも何を思って
こんな提案をしてしまったのか、不思議でならない。
「私はいいけど。うるさくない?」
「うん。平気だから」
由加はもう一度ベッドに腰を下ろして、スマートフォンを手に取った。軽やかな
操作の後で通話はすぐに繋がったようで、彼女はここにいない誰かに向けて
話し始める。
夜更けのやりとりを特別なものと感じているのは、自分だけなのかもしれない。
由加は朋子以外にも連絡を取る相手がいて、その相手が捕まらないときにだけ
メッセージを寄越してくるのかもしれなかった。
うっすらと聞き取れる会話からして、電話の向こうにいるのは由加の母親だろうと
察せられる。当然だ。由加は初めから、そう言っている。
音を立てないようにベッドに倒れ込んで、目を閉じた。耳に入る由加の声が心地良く、
身体の力が抜けていく。無造作に投げ出した手を握られたのには気付いたけれど、
何か応えるには眠気に勝てなかった。
- 96 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:50
-
- 97 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:51
- 衣擦れの音で目が覚めた。
重い瞼を持ち上げると、由加が申し訳なさそうな顔をする。
「起こしちゃった?」
その言葉で、また一緒に眠っていたのだと気付いた。きちんと布団に入るようにと
言われた記憶はあるし、ベッドの中ですり寄られたこともわずかに憶えている。
さらさらのシーツが肌に気持ちよく、ゆっくりと瞬きをすると少し目が覚めた。
ここで電話を掛ければと提案しておいて、先に寝付いてしまったのが情けない。
「ううん……、てかごめん、寝ちゃってた」
時計を見ると、集合時間まで随分と余裕があった。由加が身体を起こしたせいで
シーツの隙間に空気が入り込み、あたたかさが逃げて行く。
手を伸ばして彼女の服をつまむと、不思議そうに首を傾げられる。黙ったままで
いると慈しむように髪を撫でられ、朋子は思わず目を細めた。
「泊めてくれてありがと」
「……別に泊める気はなかったんだけど」
髪に触れていた手で腕を引かれ、朋子も身体を起こす。
本当に、泊める気はなかったのだ。ただ少し部屋に来てくれればそれで良かった
はずで、先に眠ってさえしまわなければきっと追い出していただろう。
由加もまだ眠たげな顔をしている。朋子はまた時計を見る。二度寝しないかと
誘おうとしたところで、正面から身体を預けられた。
- 98 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:52
- 「……ともー」
か細い声で名前を呼ばれる。それに応えるように背中を緩く叩いてやると、
腕に込められた力が強められる。大きく息を吸うと甘やかな香りが漂ってきて、
抱きしめ返すとその匂いはよりいっそう深くなった。
「……時間なくなっちゃうよ?」
先ほど時計を見たばかりだから、まだ余裕があるのは判っている。
「まだ大丈夫」
由加もそれは知っているのか、小さな返事があった。
- 99 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:53
- もしも恋人がいれば、と朋子は思う。
こうやって一緒に眠って抱き合って、そんな日常を送るのだろうか。
けれど、その真似事をしたところで、由加も朋子も本物ではない。
ただ落ち着くからという理由で同じ部屋にいることを望まれて、
それを強くは拒まないだけの関係だ。
抱き留める腕に力を込めると、二人分の衣擦れの音がする。耳元で由加の吐息が
洩らされて、それに身震いしそうになるのを必死で堪える。
「苦しいよ」
小さな声と共に背中を叩かれた。少し力を緩めてやると、するりと抜け出すように
由加は朋子から離れる。急に手持ち無沙汰になって心細さを感じ、今度は朋子から
彼女の腕をつかんだ。
上目遣いに見上げられ、その身体を引き寄せる。今度は逃がさないようにしっかりと
背に腕を回して、朋子は息をつく。
「……私にまであざとさ発揮しなくていいから」
「普通にしてるだけだもん」
上目遣いとか、他にもいろいろ。もしかしたら上手に転がされているだけなのかも
しれないとふと思い、溜息のように大きく息を吐く。
腕の中で彼女が身じろぎするけれど、まだ時間はあるのだからゆっくりしていようと
思った。吐いた分だけ息を吸うとやはり甘い香りが満ちて、深呼吸すれば気持ちは
落ち着くはずなのに、妙に鼓動が速まった。
- 100 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:54
-
>>85-99
6回目更新
- 101 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:54
- >>84
レスありがとうございます。
毎回、話は進んでいるのかどうなのかといった内容ですが……。
楽しんでいただければ幸いです。
- 102 名前:_ 投稿日:2015/05/24(日) 22:55
- 続きます。
- 103 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/02(火) 21:14
- 待ってます!
- 104 名前:名無し飼育 投稿日:2015/06/08(月) 00:26
- そろそろ更新されてるかな?と思ったのですが、残念です。
これからの展開を楽しみにしつつ、読み返してお待ちしています。
- 105 名前:名無し飼育さん 投稿日:2015/08/10(月) 01:03
- もう更新こないんですかね……
お忙しいだけならいいんですが
- 106 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:24
-
◇ ◇ ◇
- 107 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:25
- 対バン形式のイベントのリハーサルは、慣れない会場で行われていた。今日は
いつものアイドルだけの催しではない。それにわずかな緊張を覚えるけれど、
やることはいつもと一緒だ。
リハーサルを終えて楽屋に引き上げて、手で顔を扇ぐ。春から夏へと移ろうとして
いるこの季節は、体調管理にも気をつけなければならない時期だった。
「とも、汗」
「ん?」
不意に横から手を伸ばされ、ティッシュが首筋に当てられる。逃げる暇もなかった
から動かずにいると、由加に丁寧に汗を拭われた。驚きの瞬きを返すと、彼女は
ふわりと笑う。
「風邪引いちゃう」
「ん。ありがと」
どこかに放り出したままのタオルを目で探した。額の汗を手の甲で拭う。朋子が
きょろきょろと周囲を見渡していると、紗友希が囃し立てるように言った。
「ちょっとー楽屋でいちゃいちゃするのやめてくれますー?」
「はあ? いちゃいちゃなんて……」
顔をしかめてみせると、由加に腕を取られて引き寄せられる。汗をかいた肌同士が
ぴたりと重なり、ひんやりと感じた。
- 108 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:26
- 「そうだよー、ラブラブなの」
「おい、由加ちゃん」
眉間の皺を深くすると、「冗談じゃん」と由加は離れていく。紗友希もただのからかい
だったのか、すぐに興味を失ったように別のことに取りかかっていた。
ぽつりと取り残された朋子は指先で頬をかく。みんなしてからかってくるなんて、
卑怯でしかない。少しでも意識してしまった自分が馬鹿らしく思えて、内心で
溜息をつく。
由加の後ろ姿を目で追った。ひやりと触れあった腕に目を落とした。ひとつ軽く
息をついて、朋子はタオルを探すことにした。
- 109 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:26
-
- 110 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:27
- つつがなくイベントを終えて、帰宅の準備に入る。マネージャーに呼ばれた由加を、
朋子はセットの裏で待っていた。どうせ着替えるスピードは朋子の方が速い。だから
待っていても支障はなく、ただぼうっと壁に貼られた掲示物を読む。
他のメンバーは皆、先に楽屋に戻っていた。朋子が残っていたのは単にサブリーダー
だからで、それ以上の意味はない。通り抜ける共演者やスタッフと会釈を交わしながら
待っていると、由加がひとりで戻ってきた。
「待っててくれたの?」
「うん。由加ちゃん迷子になりそうだし」
「ならないよお」
頬を膨らませる由加を無視して、先に歩き出す。慌てて追いかけてくるような気配を
感じて、わずかに歩調を緩めた。後ろから手を取られる。それを振り払う気にはなれず、
そのままにしておいてやる。
しかし、気が変わってしまった。さりげなく手を外し、朋子は横を歩く由加を見る。
その視線を受けて由加は不思議そうに首を傾げ、「どうかした?」と朋子の言葉を
促す。
- 111 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:27
- 「別にさあ、いちゃいちゃなんてしてないよね?」
リハーサル後の楽屋でのやり取りを蒸し返す。藪蛇、という言葉が頭には浮かんだけれど、
確認したいとも思ってしまった。
「ほんと紗友希って……」
朋子がぼやくと、それを遮るように頭を指で弾かれる。それにむっとして由加の顔を
見返すと、彼女も同じような表情をしていた。
「全然痛くないんですけど」
「ばか」
なぜ罵倒されたのか。朋子が由加の真意を質す前に、彼女は先を歩いて行こうとする。
その手首を掴んで引き留めると、拗ねたように彼女は口を尖らせた。
「なに? 意味わかんないんですけど」
「ともだって急に暴力ふるうじゃん」
「いやいや、コミュニケーションですよ、あれは」
「じゃ、いまのもそう」
由加は言って、歩調は緩めない。仕方なく朋子も早足で廊下を進んだ。楽屋の前で
手は解かれたけれど、なにかを言う気にはなれなかった。
- 112 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:28
-
◇ ◇ ◇
- 113 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:29
- 「紗友希! バナナがあるぞ!」
「いちいち報告しなくていいから!」
ケータリングの内容を吟味していると、決して面白いわけではないがからかいには
使えそうなものを見つけた。それを種に朋子が紗友希に声をかけていると、由加が
呆れたようにそばを通っていく。
ありふれた日常の光景だった。朋子が味噌汁をよそっていると、あかりが隣にやって
来る。お椀を突き出されて、仕方なくそちらにもよそってやった。甘えん坊を甘やかし
すぎるのはよくないと判ってはいるけれど、ときどきは甘くなってしまう。
ライブの前後の食欲は尽きない。一旦楽屋にトレーを運んでから、朋子はまた
ケータリングに戻る。今度はご飯をよそっていると、ちょこちょこと佳林が横に
来た。
「佳林ちゃん、ご飯?」
「うん」
「お椀貸して」
素直に差し出された食器に、「これくらい?」と尋ねながら白米をよそう。あかりに
したサービスと同じことをしてあげないと不公平かもしれないと思ったからだった。
佳林はあかりに比べると甘え下手だ。もう少し甘えてくれてもいいのに、と年上として
朋子は思わないでもない。
ありがとう、とはにかむ佳林は年相応で、いつもこれくらい無邪気ならいいのにと
思った。
- 114 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:29
- 甘え上手なあかりが一番甘える相手は由加だった。それは誰もが知っているところで、
誰かが遮るようなことでもない。隣同士に座って楽しげに食事をしている様子は姉妹の
ようで微笑ましかった。
朋子はひとりで箸を割る。おいしいものはひとりで食べてもおいしい。選び抜いた
メニューを楽しんでいると、食事を終えたのかあかりが由加にじゃれついているのが
目に入った。
由加は当然のようにそれを受け入れるし、それが日常だ。何も変わったことはないのに、
妙に胸がざわつく。戸惑いを押し流すように水を飲んで、朋子は気を落ち着けようとした。
甘える相手も甘えられる相手も、ひとりに絞る必要はない。ふと、由加はホテルに
泊まるとき、誰か他のメンバーの部屋にも遊びに行っているのだろうかと思った。
そう考えたのは一度や二度ではなかったけれど、未だに朋子は訊けずにいる。
訊く必要などない、という答えに行き着くのがいつものことだった。どちらにせよ
朋子には関係のないことで、遮るようなことでもない。すべては、由加の自由だ。
- 115 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:30
- 食事を終えて歯磨きをして、メイクを直す。朋子はさほど準備に時間がかからない。
最も支度に時間をかけるのは由加で、それは周知のことだった。
今日は時間に余裕がある。朋子がのんびりとしていると、由加も用意を終えたのか、
鏡のそばから離れた。それから椅子に掛けている朋子の隣にやって来て、そのまま
髪を撫でてくる。
「またなにもしてない」
髪型を変えることがほとんどない朋子に由加は不満を抱いているようで、ときどき
小言を洩らされる。朋子は彼女の手を払って、目だけを向けた。
「自然が一番じゃん?」
「まあ、そのままでもかわいいけど」
直球で言われると、それはそれで照れてしまう。「当たり前のこと言わないで」照れを
隠すためにわざとぶっきらぼうに言うと、由加は可笑しそうに笑った。
- 116 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:31
- 不意に、彼女の唇に目がいった。色つきのリップをときどき使っていると聞いたのは、
いつだっただろう。朋子の視線に気付いたのか、由加は口を開く。
「使う?」
何を、と問い返さなくても話は通じそうだった。少し顔を近づけられて、朋子は
彼女の唇から視線を外せない。
「……やめとく」
借りる、という選択肢は初めからなかった。そんなのは自分のキャラではないと
朋子は思う。理由はそれだけだったし、それだけであって欲しかった。
唇に塗るものを共有することを躊躇うのは、ごく自然だと思いたかった。
朋子の答えが不満だったのか、由加はつまらなそうな顔をする。そんな表情を
してまで一緒にいて、楽しいのだろうか。
「うえむーに貸してあげたら?」
脈絡なくあかりの名前を出してしまったのは、なぜだろう。先ほどまでそばに
いるのを見ていたからだろうと朋子は思った。
「なんでそんなこと言うの?」
由加は少し不機嫌そうに眉根を寄せる。朋子は何も言い返さずに首を横に振った。
- 117 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:31
-
◇ ◇ ◇
- 118 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:31
- 新しいライブツアーが始まり、また地方に宿泊する機会が増えた。連泊になるのは
珍しくもなく、何日も自宅に帰らない日々が続く。
『今から行くね』
由加から送られて来たメッセージを朋子は流し読み、息をつく。ベッドの上に
散らかった荷物を片付けるあたり、自分も従順だなと思ってしまう。
それは慣れの問題だった。もう幾度、由加が部屋にやって来たのか判らない。
拒絶するのも悪い気がしてたいていは受け入れてしまっているのだから、
自分を馬鹿にすることはできない。
テキストには返事をしなかった。けれどすぐにドアはノックされて、仕方なく
朋子は扉を開く。
「なんで当たり前みたいに来るのかなー……」
にこにこと笑っている由加を前にして恨みがましく言ってみても、彼女は気に
した様子もない。するりと朋子の横をすり抜けるようにして彼女は部屋に足を
踏み入れる。
- 119 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:32
- 由加はぽすんとベッドに腰掛けて朋子を手招きする。その隣に腰を下ろしながら、
朋子は言う。
「寝る準備するの早くなった?」
入浴する前の身体でベッドに触れるのを、彼女は嫌がる。それが迷いなくシーツに
のったのだからもうシャワーはすませたのだろう。
「だって早くしないと、とも寝ちゃうから」
そう言って、由加は口を尖らせた。確かに由加が来ない日はあって、それはたいてい
朋子が先に眠ってしまって部屋に入れないせいだった。
濡れたままの朋子の髪を由加が撫でる。「乾かしてあげよっか」彼女の提案に朋子は
首を横に振ったけれど、半ば強引にドライヤーの風を当てられる。うるさい風の音に
顔をしかめながら、朋子は言う。
「……由加ちゃんって、変だよね」
その声は届いたのか、ドライヤーの電源が切られる。乱れた髪を整えるように由加は
朋子の髪を梳き、吹き出すようにして言う。
- 120 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:33
- 「ともに言われたくないなあ」
これでおしまい、と満足いったのか由加はドライヤーを仕舞う。朋子が時計を見ると
時刻はすでに日付を跨ごうとしていて、思わずあくびが洩れた。由加ももう眠気を
感じているだろうかと見てみると、隣に腰掛けた彼女はぽすりと朋子の肩口に頭を
預けてくる。
「……ともの匂いがする」
「ちょっと、かぐな」
すんすんと鼻を鳴らす彼女の頭を叩く。くすぐったさに身震いしそうになって、
懸命に堪えた。彼女は身体を離してくれそうにはなくて、途方に暮れながらも
朋子は言う。
「部屋、戻れば?」
「戻らないよ」
当然でしょうとでも言いたげに即答されて、朋子は溜息をつきたくなる。けれど
最近の朋子は諦めもよくなって、由加を受け入れるのにも慣れていた。
- 121 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:33
- 早々に照明を落としてベッドに入った。ぽつりぽつりと零される言葉に生返事を
する。つれない態度を取ったかと思えば甘えてきて、由加はどういうつもりなの
だろう。
ただ、朋子はひとつの答えを出していた。甘えて許される、すべてを受け入れて
くれるような他人。そんな存在が、欲しいだけなのだろう。
すり寄ってくる由加を抱きとめる。そろそろ冷房をつけなければ暑いかもしれないと
思った。次第に眠たげになってくる由加の声を受けとめながら、朋子は彼女の額に
唇を寄せる。こんな行動を起こさせる感情につける名前を、朋子は知らない。
けれど、こんな関係につける名前は知っている。
それはまるで、恋人のような。
- 122 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:34
-
>>106-121
7回目更新
- 123 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:35
- レスありがとうございます。
>>103
すっかり遅くなってしまいましたが、まだ待ってくださっているでしょうか……。
また読んでもらえていたら嬉しいです。
>>104
ようやく更新いたしました。話を忘れてしまっているかもしれないので、
また読み返していただけたら嬉しかったりします。
>>105
やっと更新できました。お気遣いありがとうございます。
事故に遭ったわけでもなく、ずっと寝ておりました……。
次はあまり間が空かないように頑張りたい次第です。
- 124 名前:_ 投稿日:2015/08/29(土) 18:35
- 続きます。
- 125 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/08/30(日) 13:19
- ずっと待ってました!
続きが読めてとってもうれしいです!!
- 126 名前:名無し飼育さん 投稿日:2015/09/01(火) 00:34
- 更新きてた!
また頭から読み返してどっぷり世界につかってきます
- 127 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/09/02(水) 03:40
- 待ってました。
更新されて本当に嬉しいです。
この先どうなるのか…ドキドキしながら待ってます。
- 128 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/09/03(木) 04:23
- 続きが読めて嬉しい限りです。
作者さんがご無事なようで安心しました!
- 129 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:27
-
- 130 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:28
- 目が覚めたとき、由加はまだそばにいた。時計を見るために身体を起こす気には
なれなかったけれど、空が白み始めている頃だろうかと朋子はあたりをつける。
横になったままで由加と向かい合い、穏やかな寝息を立てている彼女の前髪を
指先で持ち上げる。あらわになった額に息を吹きかけても彼女の瞼は下りたままで、
目を覚ます様子はない。
柔らかな寝顔はあどけなくて、実際の年齢よりも幼く見えた。それは起きているとき
でも同じだったけれど、眠っているといっそう顕著だ。
少し乾いた唇が目に入り、指先でなぞろうとして、やめた。指で前髪を整えてやると
わずかにまつげが揺れる。もしかして起きているのかもしれないと思ったけれど、
寝息は一定のまま続いていた。
- 131 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:28
- 由加以外の誰かが夜中に部屋を訪れてきたら、と朋子は想像する。寝たふりを
してしまうか追い返すか、ひとまず用件だけ聞くか。少なくとも部屋に泊める
ことはしないだろうと思った。
由加を泊めてしまうのは単に押し切られたからで、朋子の意思はあまり介在して
いない。それは確かだったのに、今となっては彼女がいることに落ち着きさえ
感じるようになってしまった。それを朋子は、受け入れられずにいる。
指先を曲げて、軽く由加の額を弾いた。衝撃は弱すぎたのか彼女は目を開きそう
にもなく、朋子はまた乱れた髪をなおしてやる。
枕元でアラームが鳴り響き、由加が目を閉じたままで顔を顰めた。朋子が手を
伸ばして電子音を止めると、もぞりと彼女の身体が丸められる。
- 132 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:29
- 「由加ちゃん。朝だよ」
「んん……」
シーツに潜り込んで、由加は唸った。「由加ちゃん」朋子が再度呼びかけると、
ふるふると首を横に振られる。子どもが起きるのを拒絶するような姿に笑いが洩れ、
朋子は宥めるように彼女の髪を撫でた。
由加の身体を抱き起こす。だらんと力の抜かれた身体は重くて、苦労した。そのまま
彼女は目を開くこともなく朋子に身を預けて、息を吐く。
「ほら、起きてよ」
軽く背中を叩いてやると、ようやく由加は自立するように身体を起こした。眠たげな
顔はやはり幼くて、朋子は思わず吹き出してしまう。
「……なんで笑うの?」
不機嫌そうに由加が眉根を寄せて、それを落ち着けるために朋子は彼女の髪を撫でた。
- 133 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:29
-
◇ ◇ ◇
- 134 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:30
- 白とグレーを基調とした廊下は清潔感が保たれている。由加と二人で遠方での
イベントを終えて、所属事務所を出ようとしたときだった。
思えば、朝から様子がおかしかった。声をかけても反応は鈍いし、どことなく
ぼうっとしている。仕事が始まってからは切り替えたように明るく振る舞っていた
けれど、隠そうとしても隠せていない部分があった。
「由加ちゃん」
呼び止めた声に緩慢に振り返るのも、いつものことといえばそうなのかも
しれない。彼女は決して行動が俊敏な方ではない。ただ、違和感を覚えさせる
には充分なくらいの所作だった。
「なに?」
「体調悪いでしょ?」
ストレートな朋子の問いに、由加は気弱な笑みを返す。天井の蛍光灯がちらついて、
そのわずらわしさに朋子は顔を顰める。彼女はゆるりと首を横に振った。
「そんなことないよ」
「……嘘つく必要ないじゃん」
はあ、と溜息をついてみせると、由加は困ったような表情になる。社員とすれ違い、
話を聞かれないように朋子は声を低くする。
- 135 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:31
- 「タクシーで帰ろう。送ってく」
「……そんな心配しなくても、大丈夫だってば」
「心配くらいさせてよ」
今にもふらつきそうな腕を取って建物を出ると、幸いタクシーはすぐに捕まった。
車内に入ると由加もごまかすのは諦めたようだった。くたりと朋子の肩に頭を預けて
目を閉じる彼女を横目に、雨粒が落ち始めたフロントガラスを見つめる。
どうして肝心なときに甘えてくれないのだろうか。普段はけろりとした顔をして
部屋に遊びに来るというのに、体調が悪いのを隠すのは他人行儀だと朋子は思う。
リーダーだから。その責務を重く受けとめているのかもしれないけれど、やはり、
サブリーダーとしては多少は支えになりたかった。
タクシーが目的地に着く。由加の住むマンションまではまだ多少の距離がある。
雨脚は弱く、傘をさすほどでもなさそうなのが不幸中の幸いだった。
「……それじゃあ、お大事に」
ここで放り出していいものかと迷いつつ朋子が別れの挨拶を口にすると、
腕をつかまれる。縋るような目を向けられて、逸らせなかった。
「一緒に来て」
断る理由はなかった。身体を支えるようにして二人で降り立つと安堵したような
笑みを浮かべられて、胸が痛んだ。
- 136 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:31
- 由加の部屋は白を中心に女の子らしくまとまっていた。急に朋子が訪ねてくるとは
思っていなかっただろうに綺麗に片付けられた室内に、素直に感心する。
荷物を置いて一息つくと、由加も先ほどよりも安心した様子を見せた。
しかし、早く寝ろというのに風呂に入ってからではないと嫌だとごねる由加に、
朋子は呆れる。彼女は潔癖症の気がある。生活するのに不便だろうなと朋子は
思うけれど、持って生まれた性質なのだから簡単には変えられないだろう。
「どうしよ、ゼリーとかなら食べれる?」
湯船には入らずシャワーを浴びるだけ、という妥協点を見出して、朋子は問う。
由加がこくりと頷いたのを確認して、近所のコンビニの場所を聞き出した。
ひとりで買い出しに向かいながら、なにをしているのだろうと自問する。けれど、
具合の悪いメンバーの面倒を見るのはなんらおかしなことではないはずだ。
ただ相手が由加だというだけでほんの少し心理的な抵抗を覚える。それは危うさと
いってよかった。これ以上、踏み込んではいけない。そんな予感を朋子は抱いている。
コンビニから戻ると約束どおり由加はシャワーだけで済ませたようで、もう部屋に
戻っていた。これが普段と同じように入浴していたのなら、あと一時間は出て
こなかっただろう。
- 137 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:32
- 「アイスもてきとーに買ってきたから……って入るかなこれ」
冷蔵庫を開ける許可を得て、買い置きのアイスが詰まっている庫内に唖然とする。
いくら好物だからといって、限度があるというものだ。悪戦苦闘しながら整理して、
朋子は息をつく。なにをやっているのだろう、と再度、自問した。
ダイニングから由加の部屋に戻ると、彼女はベッドに座っていた。事務所で浮かべて
いたのと同じような弱気な笑みをたたえて、由加は感謝の言葉を口にする。それを
遮って、朋子は尋ねた。
「平気なの?」
近づいて、絨毯の上に座り込んだ。朋子に合わせるように由加もベッドから下りて、
対面に腰を落ち着ける。
「そこまでひどくないよ」
だってイベントできるくらいだよ、と彼女は続けて笑った。それは朋子を安心させる
ための表情なのは明白で、思わず顔を顰めたくなる。
- 138 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:33
- 「……言ってよ」
調子が悪いのならば、そんなことくらい。そうすれば多少は仕事もカバーできるし、
気にかけられる。気にされたくないからこそ黙っていたのだろうけれど、それは
朋子としては不本意だった。
そっと手を伸ばされて、髪を撫でられる。その仕草は飼い犬を褒めるようなもの
だった。朋子が思わず目を細めると、彼女はくすりと笑みを洩らす。
なにも塗られていない、彼女の唇を見つめる。触れたいと思ってしまったのは、
ただの気まぐれだろうか。朋子の視線に気付いたのか、由加は見つめ返すように
真っ直ぐな視線を向けてくる。
「うつっちゃうかも」
そんな彼女の言葉に、朋子は頷きを返した。
「そしたら治るんでしょ?」
風邪は誰かにうつせば治るという。それが真実なのかは知らないが、よく言われて
いることではある。
- 139 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:33
- そっと身体を動かして、唇を重ねた。逃げられる気配は感じられなかったけれど、
すぐに離れる。そうすると目を開いた彼女に、愉しげな笑声を洩らされる。
「そんなんじゃうつらないよ」
すとんと正面から身体を預けてきた由加は、くすくすと笑い続ける。その頭を
小突いて、朋子は不満の息を吐いた。
「……笑うな」
なにをしているのだろうと、自問する。なにをしてしまったのだろうと、考える。
深い思考に入り込む前に、朋子は由加の背中に腕をまわした。
「一緒にいるよ」
不安げに揺れた瞳を、朋子は見逃さなかった。ひとりにしないで欲しいと、言えない
彼女に寄り添いたかった。由加からも、抱きしめ返される。力を込めると折れてしまい
そうな身体を朋子は抱きすくめた。
- 140 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:34
-
>>129-139
8回目更新
- 141 名前:_ 投稿日:2015/09/23(水) 20:35
- レスありがとうございます。
>>125
長らくお待たせしました!
私も続きを書けてとても嬉しいです。
まだまだ続きますので、今後ともよろしくお願いします。
>>126
来ちゃいました!
ありがとうございます。ひとつの世界として、楽しんでもらえれば幸いです。
>>127
お待たせいたしました!
私も更新できて嬉しいです。ずっと気掛かりではあったので……。
これからもドキドキしてもらえるように書いていきたい気持ちでいっぱいです。
>>128
私自身も続きを読めて嬉しい限りです! 自分で書かないと読めない苦しみ……。
元気にのほほんとやってます。また間が空いてしまいましたが、今後はできるだけ
ご心配をかけないペースで更新していきたい所存です。
- 142 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/09/28(月) 15:00
- 更新お疲れ様です。
>>138の二つ目のセリフにとてもドキッとしました。
- 143 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:07
-
- 144 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:08
- 季節は移ろう。小雨の降りしきる街中で、道行く人々は傘を差している。
少し暑くなってきた頃合いだった。雨のおかげか今日の気温は低いけれど、
すぐに夏がやって来るのだろうと朋子は思う。
後ろを振り返ると、由加とあかりがひとつの傘に入ってはしゃいでいた。
メンバー全員で徒歩での移動、となると二人はいつも一緒にいる。それは今さら
指摘するまでのことでもなかったし、ごく自然に受け入れられている風景だった。
由加の体調はすっかり良くなっているようで、朋子はそれに安堵する。おはようから
始まりお疲れさまで終わる毎日。あの日の出来事はなかったことのように日々は
流れていた。
口づけの意味を。もしも追求されたのならば何と答えればいいのだろう。由加に
尋ねられることはなかったし朋子から説明することもないけれど、そもそも説明
できるような理由や根拠が思い浮かばない。
ただの流れで、というと問題があるかもしれない。しかしその流れが生まれるまで
にはいくつもの事象の積み重ねがあったはずだし、必然でもあるはずだ。
後ろに向けていた視線を前に戻す。いつの間にか、目的地であるラジオ局はすぐそこだった。
- 145 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:09
-
- 146 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:09
- 「ゆかぁー、帰ろー」
「今日は用事あるから。ごめんね」
頬を膨らませたあかりを宥めるようにしながら由加が苦笑する。ラジオの収録が終わり、
まだ日が高いうちに解散を告げられた。いつもなら仲良く一緒に帰路についている
だろう二人を横目に朋子も帰り支度をする。
駅まで一緒に、というところで落ち着いて、五人で駅を目指す。雨はもう上がっていて
陽が差し、路面の水たまりに光が反射している。匂い立つような雨の気配は消え去っていた。
改札を抜け、駅舎に入る。由加だけが逆方向の電車に乗るはずだったけれど、数秒の
思案の後に朋子もそちらの方面に向かうことに決めた。ホームへ別れるときにそのことを
告げると、あかりは不満そうに息を洩らす。
「ともも用事?」
「うん、ちょっとね」
軽く頷いて返し、深く追求される前に手を振った。逃げるようにして由加とホームに
向かい、三人の姿が見えなくなったところでほっと息をつく。
- 147 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:10
- 「とも、なにかあるの?」
「え、うん、まあ……」
本当は用事などない。由加はこれから買い物にでも行くのだろうし、そうなれば
朋子は無為に数駅を移動してから帰るつもりだった。用事、というものは、
強いていうならば由加と一緒にいることだった。
まもなく電車がやって来ることをアナウンスが告げる。どこの駅まで移動しよう
かと朋子が考えていると、横から脇腹をつつかれた。
「ねー、とも」
「うん?」
「泊まりにきて」
由加の方を向くと、彼女はにこりと笑みをたたえている。わざとらしく顔を顰めて、
朋子は応えた。
「……急だなー」
唐突な誘いに戸惑ったけれど、由加があまりにも自然に言うものだからこちらも
ごく当然のこととして受け入れそうになってしまう。周囲はがやがやと騒がしい。
電車がやって来て二人で乗り込む。それほど混雑はしていない車内でドアの近くに
陣取り、由加は思いついたように口を開く。
- 148 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:11
- 「あ、ご飯なに食べたい? 作るよ」
「いや泊まるとか言ってないんですけど」
「きてくれないの?」
このときの由加の様子をなんと表現すればいいか、朋子は知っている。
あざとい、の一言で表すことができる立ち振る舞いにはもう慣れた。
「明日の朝、早いでしょ? 東京にいればいいじゃん」
由加の言うとおり、明日は早朝から撮影だ。一度埼玉に帰るよりは今この場所から
仕事に向かった方が便利なのは明白で、その提案は理にかなっているように思えた。
由加にはどこか甘くなっているのを自覚しつつも、朋子は渋々承諾するように頷く。
「……今度から前もって言って」
やったあ、と由加が小さく歓声を上げて、朋子はさらに溜息をつきたくなる。
喜ぶ姿は小さな子どものようで微笑ましいけれど、実際のところはしっかりと
した大人だ。夕食はなににしようかと楽しげに算段をつける由加を横目に、
朋子は安易に受け入れて良かったのだろうかと後悔し始めていた。
由加の部屋に行くのはこれで二度目だ。一度目は体調の悪い由加を送るという
大義名分のもとで、今回は乞われて。一晩をどうすごすのか、今の朋子には
まったく予想がつかなかった。
- 149 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:11
-
- 150 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:12
- 相変わらず片付いた女の子らしい部屋で、朋子はクッションを抱えてテレビを観る。
一緒にスーパーで買い物をして帰宅し、夕食の用意をする由加を手伝おうとしたら
すげなく断られ、それこそ無為に時間を潰していた。夕方のテレビ番組表にはたいして
興味を惹かれるものもなく、全国各地のニュースを流す情報番組にチャンネルは
合わせられている。
東京の明日の天気をキャスターが伝え始めた頃に、ダイニングから由加が呼ぶ声がした。
腰を上げて由加のもとへと赴くと、とたんに良い匂いがして、朋子は大きく深呼吸する。
テーブルの上にはいくつか皿が並べられ、彼女も食卓につこうとしていた。
「わ、すごい。おいしそう」
「感想は食べてみてからね」
朋子も由加の向かいに座り、手を合わせる。朋子の好みに合わせてくれたのか
メインは肉料理で、夢中で舌鼓を打つ。
「おいしい」
「ほんと? よかったあ」
一言だけの感想を告げると、由加は安堵した様子を見せる。とりとめもない話を
しながら食事は続き、後片付けは朋子も手伝った。
- 151 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:13
- 交互に入浴をすませて、由加のスキンケアタイムを見守る。彼女は入浴を終えて
からが長い。足のマッサージもしないと眠れないというので手助けしつつ、朋子は
彼女の顔を、唇を見る。意識しているのは、自分だけなのだろうか。
いざ寝ようという段になって、戸惑った。当然ベッドの他にもうひとつ布団が出て
くるのかと思っていたら、一緒に寝ようと由加は言う。
これまでも何度もひとつのベッドで眠ってきたのだから今さらなにを、とも思う。
けれど久しぶりでもあったし、ホテルの部屋以外では初めてだったから、
どこか緊張してしまう。
「狭くない?」
「いつも一緒じゃん」
事も無げに由加は言い、先にベッドに上がる。ほら、と手招きされて朋子も仕方
なく彼女の隣に座った。おもむろに手を伸ばされ、なにかと思ったら、上腕を
撫でられる。ふにふにと握られるのを不思議に思っていると、真面目な顔をして
彼女が言う。
- 152 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:13
- 「やっぱりともの二の腕が一番気持ち良い」
「触らないでよ」
「よいではないかー」
「悪代官か」
手を払い落とし、顔を顰めてみせる。由加は楽しげに笑いながら朋子に身体を
預けてきた。
「……なに」
「んー? べつにぃ」
抗議する口調で言うとひょいと身体は離されたけれど、顔同士の距離は近いまま
だった。まじまじと見つめられて、気恥ずかしさに目を伏せると、由加は囁くように
言う。
「肌、きれいだね」
「……そんな近くで見ないでよ」
「こっち向いて?」
名前を呼ばれて顔を上げると、軽く触れるだけの口づけをされた。あまりに自然な
動作だったから咎める間もなく、「もう寝よっか」と何事もなかった風に言う由加は
とても大人びて見えた。
- 153 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:14
- 「……なんで、こういう」
尋ねかけて、言葉を引き留めた。小首を傾げる由加に、かぶりを振って返す。
訊くのを躊躇ったのは、怖いからだった。
由加とのこの行為を嫌なものとして受けとめていないのを朋子は自覚していた。
けれど誰彼構わずできるか、と問われれば答えは否だ。相手が由加だから許せる
ことで、その理由は考えたくなかった。
深夜に寄越してくる連絡も、突然の口づけも。
今となっては、心待ちにしている、その理由を。
- 154 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:15
-
>>143-153
9回目更新
- 155 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:16
- レスありがとうございます。
>>142
ありがとうございます、これからもドキドキしてもらえると良いのですが。
また更新の間が空いてしまいましたが、今回も読んでもらえていたら嬉しい限りです。
- 156 名前:_ 投稿日:2015/11/28(土) 08:16
- 続きます。
- 157 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/11/29(日) 09:32
- ラジオとか聞き返しながらお待ちしておりました!
続きも楽しみにしてます!
- 158 名前:_ 投稿日:2015/12/13(日) 13:10
-
- 159 名前:_ 投稿日:2015/12/13(日) 13:10
- きっと夏が近い。所属事務所へと向かう電車の中で朋子は音楽を聴きながら
そう思う。車内には冷房が効き始めて、エアコンから吹き出る風が空気を
冷やしていく。
車窓の外で流れていく景色はいつもと変化がない。代わり映えのしない日常、とは
言い切れない自身の生活を思いながら、朋子は小さく息を吐いた。
今日は由加と一緒になる仕事が立て続けにふたつある。ひとつは昼間の
ダンスレッスンで、もうひとつは夜遅くのラジオだからおそらく空き時間が
発生するだろう。二人で時間を潰すことになるかもしれないと思うと、わずかの
緊張を覚える。
以前はこんなことを思うことはなかった。誰と二人になろうと、緊張などという
感情を抱くことはなかった。それが変わってしまったのは、由加のせいだ。
気付くと指先が乾いた唇に触れていた。親指でなぞるようにすると口づけの
感触が生々しく思い出される。つかの間、身体が熱くなる。電車内でなにを
しているのだろうと、我に返って窓の外を見た。
- 160 名前:_ 投稿日:2015/12/13(日) 13:11
- 事務所の最寄り駅に着いて、地下鉄からの階段を上る。後ろから肩を叩かれて
振り返ると、片耳のイヤホンを無遠慮に抜かれた。「おはよう」自由になった
耳に由加の声が入り、朋子は頷いて返す。
「おはよ」
すぐに由加は隣に並ぶ。行き先は同じなのだから自然と歩調を揃えて歩くことに
なり、短い道のりを共にする。ロッカールームに着くとまだメンバーは揃って
おらず、二人きりだった。
「今日、一緒だね」
喉が渇いた。朋子が言うと、由加は首を傾げる。「仕事が」補足するように
朋子が言葉を継ぐと、彼女は納得がいったように頷いた。
「そうだね。久しぶりかも」
彼女の声に緊張は感じられない。一緒の仕事があることを確認するだけで
呼吸が苦しくなる自分とは、きっと違う。
いつからこうなってしまったのだろうと自問する。始めはよく知りもしない
頼りのなさそうな人だと思っていて、次第に懐かれたのか同じベッドで眠る
ようになって。
自分が特別でないことは判っているつもりだった。ライブの前に由加とあかりが
ソファでわずかな距離も置かずに眠っているのを見るのは珍しいことではなかったし、
それに比べれば朋子と由加の距離は遠い。手を繋ぐことは求めないし、求められる
こともない。
こうやって口づけされることもただの戯れなのだろう。ロッカーに背中を
押しつけられるようにして唇を奪われるのも、きっと特別ではない。
- 161 名前:_ 投稿日:2015/12/13(日) 13:12
-
- 162 名前:_ 投稿日:2015/12/13(日) 13:12
- 集中していればダンスレッスンはあっという間に終わってしまう。お疲れさま
でしたの挨拶を交わして着替えて、メンバー全員で外に出た。
日差しが地面を照らしている。街路樹の緑は瑞々しさを増していて、目にまぶしい
ほどだった。思わず目を細めていると、「まぶしいの?」と佳林に笑われる。
これからきっと三人は帰路にでも着くのだろう。次の仕事までの間をどう過ごそう
かと由加に相談しようとして後ろを振り返ると、彼女はあかりと二人で談笑していた。
声をかけるのが躊躇われる。喉に詰まった言葉を取り戻そうとして、苦労した。
「由加ちゃん」
名前を呼ぶと彼女は視線を寄越してくれる。そんな些細なことに安堵してしまう
自分が嫌になりそうになる。「これから、どうする?」数時間を潰すために、
なにかしたいことはあるかと暗に尋ねた。
「とりあえずご飯食べる?」
「そうだね」
夕食時を挟むから、その選択肢は悪くない。由加と二人で仕事の合間を過ごすと
なると食事をしていることが多いというのに気が付いた。言いかえれば他に
することもないという事実があって、それにはわずかの落胆を覚える。
- 163 名前:_ 投稿日:2015/12/13(日) 13:13
- 三人と別れ、ラジオ局の最寄り駅まで移動する。近場の複合商業施設で食事を
すませようということになって、店を探した。入口近くの案内図には様々な
店舗が紹介されている。顎に手を当てて悩んでいる様子の由加に、朋子は
尋ねる。
「なに食べたい?」
由加は唸るような返事をして、ひとつの店を指さした。
「ともがよければ、だけど」
「いいよ。そこ行こ」
軽く頷いて、エスカレーターに乗る。由加の手のひらは手すりに置かれている。
急に手のひらがむずがゆく感じられて服で擦り、朋子は彼女の二段上で平静を
保とうとした。
食事をしていても話をしていても、近くなったように感じられない。以前は
距離など意識したことはなかったのに、この頃はそればかりを考えていた。
- 164 名前:_ 投稿日:2015/12/13(日) 13:14
- もしかしたら、特別になりたいのだろうか。曖昧な思いはまだ認めたくなくて、
胸に秘めたままだ。これからもきっと表には出せないのだろうけれど、由加には
伝わってしまうかもしれない。
テーブルを挟んで向かいに座る由加は器用にスプーンを操っている。朋子も
視線を落として食事に集中しようとしたけれど、そうすると話しかけられた。
「そういえば、もうすぐ誕生日?」
朋子の生まれ月は七月だ。そろそろひとつ年を重ねそうになっているのは確か
だったから、「そうだよ」朋子は首肯する。
「ふうん。ともも二十歳になるんだ」
「そうだね。ついにお酒も解禁だ」
「強そうだよね……」
なにも知らないだろうにすでに呆れたような視線を向けられて、朋子としては
居心地が悪い。いつだったか、間違って酒を飲んでしまったときのことが記憶
から蘇った。思い返せばあの時が初めてひとつのベッドで一緒に眠った日だった。
「最近」
口から出かけた言葉を引き留めた。首を傾げる由加に、なんでもないよと笑って
ごまかす。最近泊まりの仕事がないねと、そう言ってしまえば、なんだか自分が
それを心待ちにしているかのようで気恥ずかしさを感じるからだった。
- 165 名前:_ 投稿日:2015/12/13(日) 13:14
- 食事を終え、話も一段落して混み合ってきた店から出ると、ぽっかりと浮いた
ように時間が余っていた。朋子はポケットからスマートフォンを出して時刻を
確かめる。ラジオの収録時間まではあと二時間半といったところだろうか。
「……なにする?」
思いの外、自由な時間は長かった。窺うように由加を見ると、彼女も悩んだ
ような様子を見せる。レストランフロアの片隅で作戦会議をするように顔を
突き合わせて、二人で考え込んだ。
施設には様々な店がある。ウインドウショッピングをしてもいいし、また
お茶を飲んでもいい。その中から、由加がひとつ提案する。
「映画でも観ない?」
さらに上階に行くと映画館があることは朋子も知っていた。いま上映されて
いるのはどんなものがあるだろうかと、ひとまず二人でエスカレーターに乗る。
時間の都合がつけば映画を観ようという結論に落ち着いて、朋子はそっと胸を
撫で下ろした。それは行き先が決まらないことが一番不安だったからで、
由加を退屈させるのが怖いからだった。
- 166 名前:_ 投稿日:2015/12/13(日) 13:15
- 上映中の作品一覧を前にして、十五分後に始まる映画に面白そうなものを
見つけた。平日の半端な時間のチケットはあっけなく取れて、二人で
ポップコーンを買うかどうか相談する。二種類の味付けを選べるから
どうしようかと由加に訊かれて、朋子は思案した。
隣では見知らぬカップルもポップコーンのサイズをどうするか話し合っている。
それを横目に、朋子はふと思いついたことがあった。それを話題にするかは
躊躇ったけれど、言葉にせずにはいられずに、口を開く。
「な、なんか。……デートみたいだね」
緊張で言葉がつかえて、自分の必死さに笑いが洩れそうになった。隣にいる
由加の表情を見る余裕もなかったけれど、そうだね、という軽い肯定の返事に
内心で安堵する。
注文が決まったのか、仲睦まじげなカップルが手を繋いで売り場へ向かう。
朋子は自分の右手を見た。手は繋がない、そんな距離感。それを思うとなぜだか
苦しくなって、一人で手を握りしめた。
- 167 名前:_ 投稿日:2015/12/13(日) 13:16
-
>>158-166
10回目更新
- 168 名前:_ 投稿日:2015/12/13(日) 13:18
- レスありがとうございます。
>>157
毎度お待たせしております。ラジオと言えば金澤さんがレギュラー
出演しているラジオに宮崎さんがゲストで出ますね。楽しみ楽しみ。
ラジオと同じくらい楽しんでいただければ嬉しい限りです。
- 169 名前:_ 投稿日:2015/12/13(日) 13:18
- 続きます。
- 170 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:03
-
- 171 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:04
- 自室のベッドに横になり、見上げるのは天井。ダンスレッスンで疲れた身体が
布団に沈み込み、その心地よさが眠気を誘う。
「……なんだかなあ」
けれど気持ちは浮かないままで、目を閉じても思考が巡って眠れそうにもない。
考えているのは由加との関係についてだった。今日も人目を盗むようにして
口づけを交わしたけれど、曖昧な関わりは曖昧なままで甘さがあるわけでもない。
今のままでは良くない、と朋子は思う。口づけの真意を問いたださなければ
ならないとは思うのだけれど、そもそも始めにその行動を起こしたのは朋子だった。
もしもその本意を尋ねられたとしたら、返答に窮してしまう。だから由加に
訊くのはフェアではない気もしていた。大きく息を吸って、溜息を吐く。
考えても仕方ないことだから、気になるのならばやはり質問すればいいのだと、
何度目か判らない堂々巡りに突入する。
- 172 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:04
- 由加に恋人はいるのだろうか。以前に尋ねた時にはいないと言っていたけれど、
今では違うのかもしれないし、嘘をつかれているかもしれない。もしもいるの
ならば朋子との行為は不貞だ。由加がそんなことをするとは思えないけれど、
そもそも今の二人の関係こそ彼女らしくない。
清廉潔癖な印象の彼女は朋子にとっては理解しがたい。二人は対照的で、
互いに干渉しないことで関係をうまく保つタイプだと思っていた。それが
今となっては彼女は朋子の生活に浸食している。折に触れて彼女のことを考えて
しまうようになったのは春からのことで、それ以前はそんなことはなかった。
明日も仕事がある。だから朋子は眠ろうと努力したけれど、考えごとは
尽きずになかなか寝付けなかった。
- 173 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:04
-
◇ ◇ ◇
- 174 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:05
- 「とも、寝不足?」
楽屋でうとうととしていると佳林に顔を覗き込まれる。その声にはっとなって
目を瞬かせ、「そうかも」と軽く返事をした。
結局、昨夜は何時に寝付いたのか判らない。けれど頭の重さからいえば寝不足
なのは間違いなさそうだった。部屋には朋子と佳林の二人しかいない。撮影が
始まったのか飲み物でも取りにいっているのか判らないけれど、他のメンバーは
出払っているらしかった。
両手を伸ばして眠気を飛ばそうとする。小さくあくびを洩らしただけなのに
佳林が心配げな顔をしているのが可笑しくて、朋子は吹き出す。
「ちょっと眠いだけだから。大丈夫だよ」
「……そう?」
なぜか疑わしげな表情をされて、朋子も不審に思う。軽く眉根を寄せてみると、
佳林は慌てたようにぱたぱたと両手を横に振った。
- 175 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:06
- 「違うの、あのね。……最近、変だから」
「変? なにが?」
「ともが。……なにか悩みでもあるの?」
佳林で良かったら聞くよ、と小さな声で続けられる。朋子は二度瞬きをして、
それからふっと息を洩らすように笑った。自分が可笑しくて仕方ない。心配を
かけるような態度を取っていたらしいことを反省した。
「そんなことないけど。そう見えた?」
「……うん」
悩みがあるかと問われれば思いつくことは一つだけだ。けれどそれを佳林に
伝えることはできないし、伝えたいとも思わない。解決するのならば他者を交える
べき事柄ではなかった。
由加たちが戻ってくる気配はない。隣では佳林がまだ心配げな表情をしていたから、
朋子は誤魔化すために笑ってみせた。「大丈夫だよ」重ねて言うと少し安心した
ような顔に変わって、朋子も安堵する。
- 176 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:07
- 色恋沙汰について佳林と話したことはない。もしかしたら彼女には恋人がいるの
かもしれないと、このとき初めて思った。プロ意識の塊のような佳林に、御法度で
ある恋人の存在があるのならば朋子としては多少の衝撃を受ける。じっと佳林の
目を見つめると、不思議そうに首を傾げられ、朋子は思ったままのことを口にした。
「佳林ちゃんて、付き合ってる人とかいる?」
尋ねてみたのはただの興味だったけれど、佳林は露骨に顔を顰める。まずい質問
だったかな、と朋子が思うと同時に返答があった。
「いるわけないじゃん」
はっきりとした返事に安堵する。スキャンダルは御免だからそれは当然の感情で、
他の情はなかった。また佳林が物憂げな顔をしたから、今度は朋子が首を傾げる
番で、何か言いたげな彼女が口を開くのを待つ。
「……ともは、いるの?」
一瞬、息が詰まった。恋人の定義とはなんだろう。喉が渇くのは緊張のせいかも
しれないと自覚したけれど、なぜ緊張しなければならないのかは考えないことにした。
- 177 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:07
- 「……いないよ」
いる、という返答はありえない。選択肢は一つの問いかけだった。佳林が安心した
ような表情を見せるのは、多少は疑いを持っていたからだろう。もしかしたら朋子の
寝不足の原因が色恋にあるのではないかと考えていたのかもしれなかった。
恋人はいない。言い切ってしまえば単純明快。身体の一部が触れあうだけのことで
うだうだと悩んでいるのが馬鹿らしくさえ思えた。
「そういうのは、まだ早いよ」
朋子は言ったけれど、それは佳林にというより自分に言い聞かせるためのように
感じられた。まだ早いというのならばいつになれば良いのかと疑問に思う。しかし、
そんな屁理屈めいたことを考えてもどうしようもない。今の仕事をしている間は、
というのがきっと答えだ。
たとえ口づけを交わそうと、あんなのはごっこ遊びと一緒だ。
口には出さずに朋子が頭の中で繰り返し唱えていると、楽屋のドアが開かれる。
他のメンバーとマネージャーが帰ってきて、撮影の開始が告げられた。
- 178 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:08
-
◇ ◇ ◇
- 179 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:08
- 誕生日を迎えてからの初めてのライブ。そしてその打ち上げはいつもよりも
盛大だった。二十歳になったということは飲酒も解禁、と次の日が移動日なのを
良いことに次々に酒をすすめられ、会が終わった頃には朋子はほろ酔い気分に
なっていた。
宿泊先のホテルに着いて、ぼふりとベッドに倒れ込む。目を閉じる前に見えた
由加はあからさまにいい顔をしていなかった。彼女は潔癖症の気があるから、
入浴をすませる前に寝具に触れるのを嫌がる。由加の布団にさえ触れなければ
良いだろうと朋子は思っているけれど、もしかしたら見るのさえも抵抗があるの
かもしれない。
「とも、先にシャワー浴びて」
「……めっちゃ眠いんだけど」
「汗かいたでしょ?」
枕カバーの冷たさが心地良い。眠気はライブの疲れだけから来るものではなく、
酒がまわっているからという理由も多分にあるだろう。枕元に来た由加に腕を
掴まれて引っ張られ、抵抗できずに渋々朋子は身体を起こした。
- 180 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:09
- 追い立てられるように入浴をすませると、入れ替わりに由加が浴室へと向かう。
彼女が部屋に戻ってくるまで眠るのを待つ理由はない。照明は点けたままに
しなければならないかもしれないけれど、それ以外に障害はないはずだった。
それなのに眠気を抱えたままで起きているのは、義理だろうか。ベッドに座って
だらだらとスマートフォンを触っていると肩にタオルを掛けた由加が戻ってきて、
驚いたように目を瞬かせる。
「待っててくれたの?」
「いや、別に」
ゲームしてただけ、と朋子は小さく付け加えた。そっか、と由加も軽く頷いて、
備え付けのデスクに向かい肌の手入れを始める。ここからが長い。あとは足の
マッサージもしなければならないし、もしかしたら他の儀式もあるのかもしれない。
- 181 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:10
- 「手伝って」
しばらくして、ぼうっとしていると声をかけられた。由加は朋子を呼ぶように
ベッドを叩き、手招きされる。手伝う、というのが何を指しているのか、
そういえば以前に由加の部屋に泊まったときも手助けしたのを思い出して
朋子は息を洩らす。
「……いいけどさ」
おとなしく従ってしまったのは、退屈していたせいかもしれない。ゲームも
ちょうど一段落したところだったし、と言い訳するように思って朋子は許可を
得て由加のベッドに移り、彼女の足に触れる。
痛くならないようにふくらはぎを揉んでやると、くすぐったかったのか由加が
笑った。すべすべした肌を撫でると、身を捩るようにして彼女はまた笑う。
- 182 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:10
- 「足だけでいいの?」
「肩もー」
我ながらサービスが良いなと朋子は呆れるような思いだった。由加の後ろに
まわって肩に両手を置く。髪を巻き込まないようにかき分けるとうなじが
露わになって、目を引かれた。
シャンプーの香りなのか、ふわりとした匂いが漂う。由加の頭に顔を近づけると
香りはいっそう強くなった。首筋に息がかかってしまったのか、くすぐったい、と
由加が言う。
後ろから抱きしめて彼女のお腹に両手を回す。首元に顔を埋めて息をすると彼女は
身体を震わせた。
「もう、飲み過ぎ」
「少しだけだよ」
ふざけていると思われたのだろう、由加がくすくすと笑う。その首筋に唇をつけて
シャツの上から脇腹をなぞる。ん、と短く洩らされた声が耳に入る。抱きすくめて
首に唇を押しつけるようにすると回した手を掴まれる。
- 183 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:11
- 「んっ……」
掴んでくる手を握ると、息のような声が聞こえる。呼吸が荒くなった。シャツの下に
手を忍ばせると柔らかい肌に出迎えられる。香りが引き金になったのか劣情が
刺激され、それはどんどんと膨らんでいく。
「ゆか、ちゃん」
名前を呼ぶ声がひどく熱を持っていて驚く。お腹に這わせた手を上に持って行こうと
すると抵抗するように身体を捩られた。
「酔ってる、でしょ」
非難めいた声を上げられて、我に返る。それでも吸い寄せられるように手のひらは
肌から離れない。けれど、返す声はしどろもどろになった。
「ん、え……そうかな」
「そういう勢い、よくないと思う」
はっきりと言い切られて目が覚めた。そっと身体を離すと由加が振り返り、
顰められた顔が見える。居たたまれなくなって縮こまると、身体を翻した由加に
肩を押された。
- 184 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:12
- 背中からシーツに沈み込み、前触れもなく唇を塞がれる。舌が入り込んできて
歯列をなぞられ、次第に酸素が足りなくなってくる。酔いとは違う理由で頭が
ぼうっとしてきて、堪えきれずに由加の背を叩いた。
急な展開に思考が追いつけないままに押しつけられていた唇が離され、二人を
透明な糸が繋ぐ。溺れた後の喘ぐような呼吸を繰り返していると、真剣な瞳で
見下ろされた。
「私は、酔ってないから」
由加は酒を飲まない。それは朋子も知っているし、現に今夜も一滴も口にしてない。
加湿器が立てる音だけが部屋に響いている。由加がゆっくりと言葉を紡ぎ、それが
じわりと頭に染みこむ。
「だからこれは、勢いじゃないよ」
初めはシャツの上から。脇腹をなぞられて息が洩れる。触れるだけの口づけを何度か
落とされて、手は布で隠されている部分へ伸ばされる。
「ちょっと、くすぐったいよ」
指先が肌を滑る。朋子の言葉に返事はなくシャツが少しずつ捲られる。口づけは
首へと移り、あてられる唇の熱さに身体が揺れそうになる。
- 185 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:13
- 「ね、ゆかちゃん……」
声が震える理由は判らない。触れてくる手は緩まずに吐く息が荒くなる。朋子に
覆い被さるように身を屈めている由加の呼吸も短く深くなっている。耳朶を
舐められた後に囁かれた声は、熱を孕んでいた。
「黙って」
その音に、身体の奥深くが疼く。何を尋ねても答えてもらえる気はしなくて朋子は
口をつぐむけれど閉じた唇を由加の舌が割って入って、本能のままに迎え入れる。
酔いが回った頭は冷静さを失って、求められるままに応えてしまう。
これからの行為はどこまで続くのか、終わりはどこなのか。判らないままに素肌に
触れてくる手のひらを受け入れる。掠れたような声が自然に出てしまい、羞恥で
顔が熱くなる。肌と肌が触れあう気持ちよさを、朋子はこの夜に初めて知った。
- 186 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:14
-
>>170-185
11回目更新
- 187 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:15
- 本年もよろしくお願いいたします。
- 188 名前:_ 投稿日:2016/01/04(月) 20:15
- 続きます。
- 189 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/07(木) 02:56
- 更新お疲れ様です。
読み進めるごとにドキドキしました。
続き、楽しみに待ってます。
- 190 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/11(月) 01:22
- うはあー、どきどきしました。
前半の佳林ちゃんとのやり取りの台詞からのこの流れ、大人な雰囲気がもう。
押したつもりが押されてる金澤さん、可愛いです。
- 191 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:41
-
- 192 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:42
- 身体を重ねたからといって何かが大きく変わるわけでもなかった。
目が覚めたときに服を着ていなかったことで現実を受けとめられたけれど、
遅刻寸前まで由加が起こしてくれなかったせいで行為の余韻を味わうことは
なくばたばたと日常が始まってしまう。
「とも、早く」
由加に手招きされて濡れた髪のままで移動のバスに乗り込むと、冷房の風が
真正面から吹き付けてくる。流れで、由加が隣の席に座った。スライド式の
ドアが閉められて車が発進するとシートに身体が押しつけられる。
さりげなく横目で由加を見るとその繊細な指先はスマートフォンに触れていて、
目は朋子を見ようともしていなかった。溜息をつきかけて、これではまた他の
メンバーに心配をかけてしまうかもしれないと思いとどまる。
酔った勢いで、だなんて、最悪だ。けれどそれをしようとしたのは朋子で、
由加は酒の力は借りていないというのは本当だ。勢いじゃないよと真剣に
囁いた昨夜の由加の顔を思い出す。下を向いていると溜息が出そうで顔を
上げ、車窓から外を見ようとすると右隣に座った佳林と目が合った。
何か言いたげな表情をしている佳林を無視して正面に顔を向け直す。誰かと
話したい気分ではなかったから、目を閉じて寝たふりをした。
- 193 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:43
- 心地良い揺れに身を預けているうちにうとうとしていたようで、気が付くと
車は目的地に着いていた。知らず知らず身体が傾いていたらしく由加の肩に
頭をのせた格好になっていて、朋子は慌てて身を起こす。
「ごめん、濡れた?」
「ううん、平気」
充分に乾かす時間のなかった髪が由加の肩を濡らしてはいないだろうかと
心配したけれど問題はなかったらしい。由加がドアを開け、バスから降りる。
朋子も後から続いて、移動は続く。
- 194 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:43
-
◇ ◇ ◇
- 195 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:44
- 「由加は?」
無邪気に質問をして回っているのはあかりだった。楽屋のドアのそば、
廊下から戻ってきたところで声をかけられた朋子は首を横に振る。
「知らないよ」
ライブ本番まではまだ時間があるから、近くをうろついているのかもしれない。
そっか、と朋子の言葉を受け流すようにしてあかりは部屋から出て行こうと
したけれど、ふと思いついてその背中を呼び止めた。
「ねえ、なんで探してるの?」
「え? なんでだろ、いないから?」
由加がいないと落ち着かないのかもしれない。あかりはつかの間きょとんと
したけれど、すぐに気を取り直したように由加を探し出した。
- 196 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:45
- 理由もなく、そばにいたいだけなのだろう。それはあかりにとっての由加への
感情で、朋子が邪魔することはできない。そもそも、干渉する筋合いはない
はずだった。それなのに気にしてしまうのはなぜなのか、朋子はもう考え
たくはない。
けれど、意識しないわけにはいかなかった。その唇の柔らかさを知って、
素肌の熱さを知ってしまった以上、もう由加をただのメンバーだと受けとめる
ことはできなくなっている。
どこからか由加が戻ってきて、すぐにあかりがじゃれついた。二人がやたらと
手を繋ぐのは周知のことで、今さら気に留めるようなことではない。
朋子と由加にはありえない距離感。どうして濡れごとには到ったのにベッドの上
以外で手を繋いだことはないのだろう。それを不思議に思うのはおかしな感情では
ないはずだったけれど朋子には答えを出せなくて、由加に尋ねる勇気もない。
あかりがマネージャーに呼ばれたのをきっかけに二人は離れた。真剣な表情で
打ち合わせを始めたあかりとは対照的に由加はにこにこと楽しそうで、その顔の
ままで朋子に寄ってくる。
- 197 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:45
- 「ね、とも、さっきあーりーがね」
「うん?」
耳に触れそうなくらいに唇が近づけられて、囁かれたのは些細なことだった。
由加はくすくすと楽しそうに笑っているけれど朋子にはその面白さが判らない。
視線を落として由加の手のひらを見た。手を伸ばせばすぐに届く距離にあるのに、
そうはできない。「なに話してるの?」あかりが戻ってきて尋ねられたけれど、
朋子は笑って首を横に振って返すだけにとどめた。
訊けないことは訊けないままで、今日も時間は流れていく。重い気持ちを隠して
愛想笑いで一日を乗り切るのは、慣れたことになっていた。
- 198 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:45
-
◇ ◇ ◇
- 199 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:46
- 地方でのライブが続けば、当然ホテル泊も続く。全員に一人部屋が与えられて
ゆっくりとくつろげる環境に感謝しつつ、朋子はベッドの上で目を閉じた。
仰向けの姿勢のままで枕元に置いたはずのスマートフォンを手で探る。右手に
ぶつかったそれを拾い上げて、顔の前に持ってきたのはなぜなのか。ゲームを
するためではないのは確かで、誰かに連絡を取るためだった。
誰か、に相当する人物はそう多くない。けれど選択肢はいくつかあって、
その中から由加を選んでしまったのはもはや習慣としか言いようがなかった。
着信履歴から名前を探し出して、通話ボタンを押す。コール音が耳に響き、
朋子はまぶたを下ろしたままで繋がるのを待った。三コール目でぷつりと
音が途切れて朋子は口を開きかけたけれど、聞こえてきた声に息を飲む。
- 200 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:47
- 『もしもし?』
「……なんでうえむーが出るの」
返す声が掠れた。心臓が存在を主張するように脈打ち始め、息が止まるような
思いになる。動揺は隠しきれずに呼吸が苦しくなり、朋子は短く息を吸った。
由加は、どこにいるのだろう。あかりの近くにいるのだろうか。パスコードを
解除せずとも通話を受けることはできる。けれど由加がわざわざそれをあかりに
許すとは思えず、朋子は尋ねた。
「それ由加ちゃんの電話でしょ」
『いいじゃん、ともからなんだから』
「よくないから」
あかりの理屈は単純明快で、朋子は嘆息する。大方、どちらかが部屋に遊びに
でも行っているのだろう。それに違和感はなく、むしろ朋子と由加が同じ
部屋にいるよりは自然なことのように感じられた。
黙りこくった朋子に、どうしたの、とあかりが無邪気に言う。由加に代わって
欲しいということができずに、朋子はあかりには判らないようにゆっくりと
息を吐いた。
- 201 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:47
- 『なんか用事だったんじゃないの?』
あかりの声に悪意や邪推は感じられない。朋子と由加が電話をすることは
なんら不自然なことではないから当然で、狼狽を覚えている方がおかしいに
違いなかった。
「……別に。もう切るね」
そもそも用がなかったのは本当だ。ただ電話をかけてみようと思い立っただけで、
何を話すかは決めていなかった。そんな行動を起こしてしまった理由を朋子は
理解したくないから、そう思い込むことにする。
『切らないで。いま由加お風呂だから暇』
その返答で、あかりが由加の部屋にいるらしいことが判った。予感は的中して
いたのにまったく嬉しくはなくて、朋子は複雑な思いになる。
- 202 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:48
- 「……うえむーはもう入ったの?」
『うん。そうじゃないと由加ベッドにあげてくれないし』
きっと布団の上でごろごろしているのだろう。その様子は容易に思い描くことが
できたけれど、想像したくなかった。
「また明日ね」
『え、待って待って』
「おやすみ」
一方的に言い切って通話を終わらせる。唐突な朋子の言葉にあかりは焦ったような
声を出したけれど気には留めなかった。右手からスマートフォンを離して、天井を
見上げる。しみひとつない白い壁紙は清潔感にあふれていて、重苦しい気分には
似合わなかった。
すぐに眠る気にはなれずに、ただ無為な時間を過ごす。ぼんやりとした頭は何かを
思考するでもなく、まともに働いてもいなかった。深く息を吐くとわずかに冷静さを
取り戻すことができて、さきほどまでの事象は気にすべきではないと結論づける。
- 203 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:49
- 枕元で振動するのは着信の知らせだった。どうにも億劫で出るつもりにはなれなかった
けれど、しつこく続く微細な音に気が変わる。しかし手に取って、通話を受ける前に
躊躇したのは相手が由加だからだった。
『どうしたの?』
電話を繋ぐと聞こえてきたのは当然だけれど由加の声で、朋子は密かに安堵する。
いきなり疑問形で始まった通話は先ほどまでのあかりとのやり取りを由加が知った
からだろうか。
「もう、うえむーいないの」
『うん。帰った』
随分と夜は更けているからそうなっていても不思議ではない。電話を掛けた
理由を尋ねられて、朋子は返答に困った。迷った末に出てきた言葉は
どうしようもなく言い訳がましくなる。
- 204 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:49
- 「……明日の集合時間、何時だったかなって」
『うえむーに訊けばよかったのに』
「…………」
朋子とあかりが交わした会話を由加は知っているのだろう。会話、というには
意味のなさ過ぎたやり取りは由加にとっては疑問しか残さなかったようだった。
話すことが思いつかずに朋子が沈黙を続けていると、由加に呼びかけられる。
『ねえ、とも』
普段と変わらない調子の声だった。名前を口にされても返事をせずにいると、
由加は言葉を続ける。
『そっち行ってもいい?』
思わず、枕元の時計を見た。そろそろ眠らなければ明日に支障がありそうな
時刻なのは先ほど確かめたとおりで、時間が巻き戻されるわけもない。
由加の真意が判らなかった。今から朋子の部屋に来て、明朝の集合時間を
教えてくれるわけでもないだろう。
朋子は迷った。由加の来訪を断る理由はいくらでも思いつくけれど、それを
言葉にすることはできずに、口から出たのは要求だけになる。
- 205 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:50
- 「……来ないで」
声がわずかに震えてしまった。回答は精一杯の意地で、当てつけのようなもの
でしかない。今度は由加が黙する番で朋子は返答を待ったけれど、なかなか
彼女は話し出さなかった。
『……わかった』
物わかりのいい返事は躊躇いがちで、朋子は言葉を撤回したくなる。
嘘だよ、と一言を口にすればいいのにそれができなくて、ただおやすみと
月並みな挨拶を交わして通話は切られた。
うつ伏せになって枕に顔を埋める。変わってしまった関係を元に戻すことは
できないと、改めて思い知らされた。
真剣な顔をして触れてきた由加を思い出す。また同じようなことをしたいのか、
朋子には判らなかった。部屋に来るのを拒んでしまった理由は曖昧で、真に
拒絶したいのか、それとも他のわけがあるのかも判別がつかない。
重い溜息を吐いたのは、明日も寝不足になるに違いないからだった。
- 206 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:51
-
>>191-205
12回目更新
- 207 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:52
- レスありがとうございます。
>>189
お話も山場に差しかかってきました。
ドキドキしてもらえたのなら書いた甲斐があったというものです。
今回は早めに更新できてほっとしています。また続きも待ってもらえたら嬉しいです。
>>190
カラダだけが大人になったんじゃない、と言いつつ上手く気持ちがついていかない
部分もありつつ。どきどきしてもらえて嬉しい限りです。ちょっと大人な展開で
お送りしておりますが、なんだかんだ弱い金澤さんってかわいいですよね。
- 208 名前:_ 投稿日:2016/01/11(月) 19:52
- 続きます。
- 209 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/13(水) 22:57
- 更新お疲れ様です!
不器用なかなともと、変わっていく二人の関係から目が離せません…。
- 210 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:19
-
- 211 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:20
- ぎくしゃく、しているわけではない。朝の挨拶も帰りの挨拶も、仕事中の雑談も
今までと変わることなく交わしていたし、眠れないからと深夜にメッセージがくる
こともしばしばだった。
ただ、その頻度は確実に減ったし、以前のように非常識なくらい遅い時間にくる
ことはなくなっている。それは朋子にとって喜ばしいことのはずなのに物足りなさを
覚えてしまうのは実のところ頼られるのが嬉しかったせいかもしれなかった。
必要とされたいと、そう思う。承認欲求とでもいうのかもしれない感情は、
間違いなく朋子の中にあった。それが由加に対してなのか他の誰でも
いいのかは朋子には判らない。判りたくない、というのが本音だった。
- 212 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:21
- 楽屋の隅で、スマートフォンのゲームに興じる。やるべきことを終わらせて
しまってからの待ち時間は退屈だ。つまらない思いを抱えながら暇つぶしの
行動をとっている朋子に話しかけてきたのは紗友希で、呼びかけられて顔を
上げる。
「なーにしてんの?」
「ゲームだけど」
「そんなことよりコミュニケーションとろうぜ、コミュニケーション!」
やけにテンションの高い紗友希に辟易しながらも朋子はスマートフォンの
画面を暗くした。話しかけられたのを無視するほどゲームに熱中していた
わけではなかったから、それは当然の行動だ。
ぐるりと、楽屋を見回す。佳林は化粧台の鏡とにらめっこをしていて、由加と
あかりはソファで一緒に雑誌を読んでいた。紗友希はきっと手持ちぶさたで、
構ってもらう相手として朋子を選んだのだろう。
- 213 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:21
- ページをめくる由加の指先を遠目に見た。黙りこくっていると紗友希に顔を
のぞきこまれ、そのまま首を傾げられる。
「由加見てるの?」
「いや見てないけど」
ぎくりとして、返答は不自然なほど早くなる。もしかしたら焦がれるような
目をしていたのかもしれないと思った。由加と二人で話す機会はあまりない。
それこそ深夜のメッセージのやりとりや、彼女が部屋に来たときくらいにしか
ゆっくりと会話を交わすことはなかった。
それが減ってしまったから。だから朋子はそれを取り戻したいと、
思い始めていた。判らない、というのは嘘だ。由加に必要とされたいし、
その立場が他の誰かに奪われるのは我慢がならないとすら感じだしていた。
「うえむーなんて押しのけて奪ってきちゃいなよ」
「奪うって……」
そんなことしたらうえむーに殴られるよ、と冗談めかして言う。殴られはしなく
ともあかりは拗ねるだろうし、わざわざ波風を立てたいとは思わなかった。
- 214 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:21
-
◇ ◇ ◇
- 215 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:22
- 「荷物少なくない? なに持ってきてるの?」
「いろいろ」
寝起きで機嫌が悪いのかあかりの返事は短い。新幹線から降りてマネージャーの
後ろを着いて歩くのは朋子とあかりだけで、他のメンバーはまだ東京だった。
地方でのキャンペーンは全員で回ることもあれば数人ずつに別れて行うことも
多い。今日の組み合わせは度々あるものだったから特別に緊張したりはしなかった
けれど、朝が早かったからなのか妙に不機嫌なあかりには気を遣ってしまう。
そっとしておこうと決めて朋子は黙ってキャリーケースを引き、構内を横切った。
駅から出ると途端に日差しが眩しくなり目を細めるけれど、すぐにタクシーに
乗り込むことになり、冷房の効いた車内でほっと息をつく。
後部座席でシートに背を預けていると車は静かに発進した。見慣れない街並みが
窓の外を流れていき、ぼんやりとそれを眺める。
八月の植物は瑞々しく太陽の光を反射していた。それを視界から追い出すように
朋子は目を閉じる。隣ではあかりも眠っているのか静かにしていて、二人の間に
会話はなかった。
- 216 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:22
-
- 217 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:23
- ラジオの収録を終えて、ホテルへ向かう。明日は他のメンバーも合流してのライブ
だった。今夜も一人部屋だからゆっくりできると思いつつ、朋子は先日のことを
思い出す。
あかりは由加の部屋に遊びに行って、なにをしていたのだろう。二人のことだから
特になにをするでもなくお喋りでもしていたに違いないとは思うのだけれど、一度
気にし始めると気になって仕方がなかった。
「うえむー」
ホテルの廊下で、先を歩くあかりを呼び止める。長い髪がなびいて、揺れた。
振り返って首を傾げるあかりに朋子は尋ねる。
「いつも、由加ちゃんとなに話してるの?」
もう夕方だ。朝ほどの眠気もないだろうしご機嫌ななめも治ったことだろうと
思ったら、あかりは露骨にむくれたように言う。
- 218 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:24
- 「いろいろ。なんでも」
短い返答とはうらはらにその瞳はまだなにかを言いたげだった。朋子が無言で
促すと、あかりは溜息を吐くようにする。
「……なんでも話すよ。由加が話したくないこと以外」
あかりは由加に隠し事などないのだろう。じっと見つめられて思わず怯むと、
部屋入れば、と誘われた。確かに廊下で長話をするのも目立つし、朋子は
促されるままにあかりに続いて彼女の部屋に入る。
あかりは、由加とは違う。入浴する前にベッドに腰かけても怒らないし、
二人きりになったからといって顔を近づけてくることもない。
「由加は、話したくないことあるみたい」
先ほどの話の続きなのだろう、ぽつりとあかりが言った。ベッドに隣同士に
座って、あかりは指先をもぞもぞと動かしながら俯いている。朋子は返答に
困ったけれど、慰めるように声を出す。
- 219 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:25
- 「誰だって話したくないことくらいあるよ」
「そうかも、しれないけど」
あかりが伏せていた顔を上げた。整った顔は悲しげで、そんな表情をさせている
のは由加だった。
「……ともは、由加からなにも聞いてない?」
由加があかりに話したくないこと。そんなものは由加に訊かなければ判らない、と
突き放すように思う。そもそも自分のすべてを誰かに語ることは不可能だ。だから
気にすべきではないと、朋子はあかりの頭を撫でてやる。
「なにか悩んでるみたいだったら、私からも聞いてみるから」
「……うん」
しゅんとしているあかりは機嫌が悪かったわけではないのだろう。ずっと由加の
ことが気掛かりで、八つ当たり気味になっていただけのようだった。
「ともの方がしっかりしてるから」
あかりに自嘲は似合わない。あっけらかんと言ってのけて、彼女はさっと
立ち上がる。あかりに打ち明けられないような悩みがあるのならば朋子に
相談すればいいと、そう彼女は思っているらしい。
それは事実だ。けれど、もしかしたら朋子は相談役には適さないかもしれない。
由加があかりに話せないことの見当は、多少はついている。
- 220 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:25
-
◇ ◇ ◇
- 221 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:26
- 連泊はもはや珍しいことではない。けれど由加が部屋を訪ねてくるのは久しぶりで、
遊びに行ってもいいかというメッセージに返信してから朋子は慌ててベッドを整える。
部屋は横並びに取ってあるから、移動はほんの数秒ですむ。ドアがノックされて
朋子は由加を迎え入れた。時刻はとうに日付を跨いでいて、そんなタイミングで
来訪を許す自分もどうかしていると朋子は思う。
由加はベッドに腰かけて、朋子を呼ぶ。隣に座ると優しく頬をつままれた。突然の
行動に思わず顔を顰めると、彼女は愉しそうにくすくすと笑う。
「こんな時間まで起きてて、悪い子だ」
「……由加ちゃんに言われたくないなあ」
由加が来てさえいなければもうベッドに入っていてもおかしくない時刻なのだ。
仕返しに朋子からも頬をつねり返してやると嫌がるように顔を振られて、右手が
行き場を失う。宙ぶらりんになった手をそのままシーツの上にある由加の手に
重ねても彼女は動揺した様子もなくて、これだけのことに勇気が必要な自分が
朋子は嫌になる。
- 222 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:27
- 「泊まってもいい?」
重ねた手を指を絡めるようにして繋ぎ直した由加はそう言って首を傾けた。
途端になぜだか苦しくなって朋子は指に力を込めるけれど、きっと由加には
伝わっていない。そうしていると由加は不思議そうな顔をして、「ねえ?」と
朋子の返答をねだった。
「いい、けど」
駄目だと言えなくなってしまったのは、同じ部屋にいて欲しいと思うように
なったからだった。情が、移ってしまったのかもしれない。元々悪くは思って
いなかったけれど、一緒に過ごす時間が長くなるほどに思いは募って、行動に
移るようになっていた。
「久しぶりだね」
抱きしめられたと思ったら、首筋に唇があてられる。思わずびくりと身体を
揺らすとくすくすと笑われた。
- 223 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:27
- 「……そういうことするんだったら帰って」
「えー?」
不満げな声を出した由加は朋子の言葉など聞いていないのか口づけを
頬に移す。先ほどつままれた部分を今度は濡らされたけれど、朋子は
やり返すことができずに仏頂面になった。
「とも、眠い?」
「……ん。別に」
曖昧な反応をしてしまったのはあかりとの会話を思い出したからだった。
由加はあかりの葛藤を知っているのだろうか。知っていてもいなくても
できることはないだろうから一緒だとは言えるけれど、知っていて欲しいと
朋子は思った。
「うえむーが、ね」
「うん?」
「由加ちゃんはうえむーに話せないことがあるみたいって。気にしてた」
「あるよ、それくらい」
そう言って由加は眉を下げる。あかりの悩みには気付いていなかったのか
彼女は困ったような顔をして、うう、と唸った。
- 224 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:28
- 「気をつける。あーりー、結構鋭いから」
「……そうだね」
「あんまり悩ませたらかわいそう。優しい子だから」
そう言う由加も優しいと朋子は思うけれど、時々ものすごく意地悪だとも
感じる。たとえば今がそうで、「教えてくれてありがと」と礼を言いながら
口づけをしてくるのはやめて欲しかった。
背中に回された手はいつの間にか服の下に入っていて、素肌を撫でてくる。
指先が背筋をなぞるように下から上へと流された。吐息を洩らそうにも唇は
塞がれたままで、朋子は呼吸が苦しくなる。
「しよっか」
ゆっくりと身体を倒されて告げられたのはそんな台詞だったけれど、もう
帰って欲しいとは言えなかった。落とされる口づけを受け入れて、準備は
徐々に整っていく。おずおずと由加の首に腕を回すと、くすりと笑われた。
「なにを、なんて言わないでよね」
- 225 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:29
-
>>210-224
13回目更新
- 226 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:30
- レスありがとうございます。
>>209
ありがとうございます!
金澤さんは教科書通り、と言われることも多いようで、お手本があれば
それをなぞるのは得意なんだろうなと思ったり。
お話の最後まで目を離さずにいてもらえたら嬉しい限りです。
- 227 名前:_ 投稿日:2016/01/17(日) 17:30
- 続きます。
- 228 名前:名無し飼育さん 投稿日:2016/01/18(月) 01:45
- こんな短い期間に更新があってうれしい限りです
そしてドキドキです
- 229 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/19(火) 19:36
- 更新お疲れ様です。
最後の二つのセリフの色っぽさに思わずため息が出ました。
ドキドキしながら続きを楽しみに待っています!
- 230 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:02
-
- 231 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:03
- 行為を重ねてもそれはただそれだけのことで、日頃の態度は互いになにも変化が
ない。おかしな話だと朋子は思うけれど、それが事実なのだから仕方ないし
変わって欲しいわけでもなかった。
情事は、当然ながら周囲には秘密だ。少なくとも朋子は誰にも話していないし、
おそらくだけれど由加も秘め事として扱っているだろう。
朋子の奥深くまで触れてきた指先は、今は由加の唇に触れている。鏡の前で
リップクリームを塗る彼女の表情は真剣だ。それを朋子は少し離れた場所で
椅子に座って見ているけれど、彼女が気付いているのかはあやしい。
他のメンバーは出払っていて部屋には二人きりだ。朋子はぼうっとしているの
にも飽きて、由加に近寄る。そうするとようやく由加も朋子を見て、どうしたの、
とでも言いたげに首を傾げた。
濡れたような唇に目が引き寄せられ、自然なことのように顔を近づける。けれど
触れるまであと数センチのところでぺしりと額を叩かれた。
- 232 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:03
- 「リップ塗っちゃったから、もうだめ」
朋子がなにをしようとしたのかはお見通しだとも言いたげに、由加はもう一度
額を小突く。叩かれた部分を手で押さえながら朋子は頭を離すけれど、目線は
唇に固定されたままで動かなかった。
「塗り直せば?」
由加の右手を掴んで、邪魔立てされないように封じる。そのまま顔を近づけると
彼女も目を閉じて受け入れてくれた。軽く触れるだけの口づけを二度繰り返して
朋子は距離を取り、満足の息を吐く。
「……もう」
呆れたような声を出して由加が溜息をついた。よくよく考えればいつ誰が戻って
くるかも判らない楽屋でこんなことをするのは危うい。それもあって由加は
拒絶していたのだろうけれど、最終的には受け入れたのだから同じことだ。
- 233 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:05
- 「ともからするの、珍しいね」
「……そういうときもある」
悪戯っぽく笑った彼女に言われて、朋子は憮然と言い返す。確かに始めこそ
朋子からしたことだけれど、最近では由加から行動を起こされることの方が
多かった。だから自然とこの行為は彼女がきっかけをつくるのがおきまりに
なっていて、朋子から、というのは久しぶりでいつ以来なのかも判らない。
時間差で照れくささがやってきて朋子は顔を逸らした。くすくすと息を洩らす
ような笑い声が聞こえてかあっと頬が熱くなる。「こっち向いて?」由加に
声をかけられて目だけをそちらに向けると、それを許さないとでも言いたげに
頬に手をあてられて顔ごと動かされた。
「中途半端」
そう言って由加は、小さな缶に入ったリップクリームを薬指にのせる。そのまま
指先は朋子の唇に伸ばされて、薄く塗り広げるように横に動いた。上下の唇に
均等に塗られたあと、由加は自分の唇にも同じように塗る。おそろいだねと
笑う彼女はさながら朋子を共犯者に仕立て上げた真犯人だ。
「よし、おっけー」
鏡を見て彼女は一人で言う。メイクは完成し、イベント本番までの残り時間は
あとわずかだ。そろそろ他のメンバーが戻ってきてもいい頃合いだろうと思った
ところでドアが開く音がして、ぞろぞろと三人が部屋に入ってくる。
- 234 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:05
-
- 235 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:06
- 「相変わらずイチャイチャしてんねー」
呆れたように言う紗友希の隣で朋子はお菓子をつまむ。さくさくとクッキーを
噛み砕きながら見るのは由加とあかりで、二人はソファで仲良く眠っていた。
狭くないのかな、と純粋に疑問に思う。それに今の季節にくっついて寝るのは
暑苦しそうだ。けれど朋子の心配をよそに二人は気持ちよさそうに眠っていて、
それにわずかの羨望を覚える。
由加とあかりの関係にやましいところはなく、隠し立てするようなこともない。
それに比べて朋子と由加の間にあるものは人前に出せるようなものではなく、
もしも知られてしまえばどうなるかわかったものではない。
羨ましい、と思っていることを自覚する。おおっぴらに由加を独占できるのは
あかりだけの特権で、朋子にその権利はないように感じられた。
そもそも権限があったところで、行使できるかは判らない。気恥ずかしさや
色々な感情が邪魔をして、結局は離れたところにいるような気もした。
マネージャーが、そろそろ二回目のイベントが始まると声をかけに来る。それを
聞いて朋子は立ち上がり、ソファで眠る二人を起こした。そろそろ、と言っても
寝ていた二人が身支度をする時間は残されている。けれどメイクを確認する由加とは
対照的にあかりはなんの頓着もないようで、早々に楽屋から出て行ってしまった。
- 236 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:07
- 朋子も準備は整っていたからあかりを追うようにして廊下に出る。そうすると
ドアを開けたすぐそばにあかりがいて驚いた。朋子が目を瞬かせるとあかりは
唇の前に人差し指を立てて静かにするようにと指示してくる。手招きされる
ままについていくと、行き止まりになったひとけのない場所で囁かれた。
「由加、なにか言ってた?」
由加はあかりに話せないことがある、というのを相当気にしているらしい。
誰にでも秘密はある。あかりもきっとそれは判っているけれど、由加が
抱えているものは良くない種類のものだと感じているのかもしれなかった。
「いや、なにも……」
朋子は言葉を濁すしかない。実際、由加にははっきりとは尋ねていないから
答えられなかったし、なにかを知っていたとしても答える気はなかった。
もちろん、二人の秘密を伝える気は毛頭ない。
「てか聞いてても秘密だし」
「……そっか。そうだよね」
あかりは寂しそうに笑って頷いた。本当にあかりは由加のことを慕っているのだと
改めて思う。その情はきっと家族を思うようなもので、それ以外のよこしまなもの
ではないように感じられた。
- 237 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:08
- 誠実さ、というものについて朋子は考える。もう由加に対しては清廉でなくなって
しまった自分のことを思う。そろそろはっきりと意識するほかなかった。もう由加を
ただの同じグループのメンバーとして扱うことはできない。
そろそろ行こう、とあかりに手を引かれた。促されるままに歩き出し、繋がれた手は
振りほどくわけにもいかずそのままにする。また楽屋の前に舞い戻って他のメンバーを
待つとすぐに三人は部屋から出てきた。
行こう、とあかりが会場の方向を指さす。視界に入った由加が複雑そうな顔をしている
ように見えて、朋子は不思議に思う。困ったような表情はいつものことだけれど、今は
普段とは風情が違った。けれど問いただすことはできなくて、五人で会場に向かう
ことになる。
歩いていると、あかりと繋いでいるのと反対の手を握られた。誰かと思って見ると
それは由加で、何食わぬ顔で隣を歩いている。三人で通路に広がるのは迷惑では
ないかと朋子は思ったけれど、手を振りほどく気にはやはりなれなかった。
- 238 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:08
-
- 239 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:10
- 風呂に入ると少し体力が戻ってくるように感じるのは勘違いだろうか。朋子は
ホテルのベッドの上に横たわったままでスマートフォンを持ち上げる。そして、
お風呂に入ったら行くね、と朋子の意思を無視した宣言が表示された画面を見て
息を吐いた。
メッセージの送信者はもちろん由加だ。イベントで身体を使った後だから横に
なっているとついうとうとしてしまうけれど、ドアがノックされる音で目は覚める。
由加を迎え入れてドアを閉めるとさっそく抱きつかれて、シャンプーの香りなのか
甘い匂いが漂った。髪に顔を埋めるようにするとその香りは強まって、朋子は
しばらくその姿勢のままでいる。もっと長い時間このままでもいいと思ったけれど、
背中を叩かれて仕方なく身体を離した。
距離を取った後、由加はぼふりとベッドに倒れ込む。朋子も腰を下ろして、そのまま
目を閉じた彼女の髪を撫でた。さらさらとした長髪を指に絡ませても由加が身体を
起こす様子はなく、ひょっとしたら眠ってしまったのかもしれないとも思う。
「眠いなら無理して来なきゃいいのに」
「うんー……」
声をかけると反応があった。けれどその声は眠たげで、今にも寝入ってしまいそうに
感じられる。このまま眠ってしまうのは物足りない気がして、軽く由加の背中を叩いた。
それでも由加は起き上がってくれる雰囲気でもなく、朋子は彼女の髪をかきわける。
露わになった耳に口づけを落とすと、彼女の身体が揺れた。
- 240 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:10
- 「……どうしちゃったの?」
ごろりと仰向けになって由加が言う。楽屋での口づけといい、朋子から行動を
起こしていることを不思議に思ったのかもしれなかった。
「どうもしないよ」
ただ、感情のままに動いているだけだ。それが由加には判らないのか、なにかを
疑うような目つきをされる。苦笑して返すと唐突に手を伸ばされて襟首を掴まれ、
そのまま引き寄せられた。
強引な口づけは甘さよりも荒々しさを含んでいる。掴まれた首元が苦しくて
ギブアップを示すように由加の肩を叩いた。数秒の後に手は離されて、朋子は
顔を逸らして咳き込む。
「ちょっと、由加ちゃん、ひどい」
朋子が非難すると由加は仰向けのままで笑った。その表情が憎らしくて今度は
こちらから口を塞ぐ。呼吸を邪魔するように唾液を送り込むと苦しくなったのか
肩を押されたけれど、それでも数秒は続けてやった。
- 241 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:11
- 離れると、咳き込んだ由加が瞳を潤ませて睨んでくる。額に口づけを落として、
覆い被さるように姿勢を直した。じっと見下ろすと頭が痺れるような感覚が襲って
きて、今からなにをしようとしているのかを実感する。
「とも」
名前を呼ばれても返事ができなかった。もう一度、今度は優しく口を塞ぐ。唇を
舐められて、胸の奥が苦しくなる。息が荒くなりそうなのを必死に抑えて由加を
見た。彼女は慈しむような手つきで朋子の頬を撫で、優しい表情をして、言う。
「震えてるよ?」
恥ずかしいけれど身体が揺らいでいるのは事実で、隠しようもなかった。もっと
毅然とした態度でいられればいいのに、調子が狂う。どうして由加は平然と
していられるのだろうと、疑問にすら思った。
「……うっさいな」
照れ隠しの言葉は荒くなる。背中に腕を回されて、ぎゅっと抱き寄せられた。
重なった部分が熱い。熱を冷ますように深く息を吐いていると、耳元で囁かれた。
「上手にしてね?」
その一言で、朋子の望みを由加が理解しているのが判る。回されていた腕が解かれて
自由に動けるようになり、朋子は由加の台詞に応えないままに彼女の服に手を伸ばした。
- 242 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:13
-
>>230-241
14回目更新
- 243 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:13
- レスありがとうございます。
>>228
どれくらいの更新間隔が読みやすいのかな?と思いつつ、ひとまず三ヶ月も
あくことがないように心がけていきたい所存です。
ドキドキしてもらえて嬉しい限りです。
>>229
ありがとうございます。
台詞がすべてとは言いませんが、とても大事にしている部分なのでそこに
反応していただけで嬉しい限りです。
また続きも読んでいてもらえたらいいなと思います。
- 244 名前:_ 投稿日:2016/01/24(日) 09:13
- 続きます。
- 245 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/24(日) 23:57
- 更新お疲れ様です。
毎日更新されていないか確認していますが、日曜や月曜は特に、
もしかしたら更新されているかも!とドキドキしています。
今回も、最後のセリフにしびれました。
ゆかにゃんの感情が見えないのがもどかしくてたまらないです。
- 246 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:35
-
- 247 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:42
- 日差しがアスファルトを焼く。真昼の大都会には人があふれて、すぐに隣にいる
佳林とはぐれそうになる。先を歩きそうになって服の裾をつままれ、振り返ると
人混みに溺れかけている佳林が見えるのは不謹慎かもしれないけれど微笑ましかった。
横断歩道の信号に引っ掛かったタイミングで、小さくてかわいらしいアイドルは
ぴょこりと朋子と肩を並べる。揺れる黒髪は一時期より随分と伸びて、女の子
らしさが増した。佳林のくりくりとした目は前に向けられていて、朋子もそちらを
見るとそこには仲睦まじげに腕を組んだカップルがいた。
視線を佳林に移す。じっと見ていると気付かれたのか、見上げられて首を
傾げられた。佳林の目は朋子に固定されている。短く息を吸って、朋子は尋ねた。
「羨ましい?」
「なにが?」
問いに対する反応はすぐに返ってきた。きょとんとした佳林は朋子がなにを訊こうと
したのかすら判っていないようで、それはとぼけているようには見えない。
- 248 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:43
- 朋子が目線だけで目の前のカップルを示すと、ああ、と納得がいった様子で佳林は
首を横に振った。そして少しむくれた表情をするのは、疑われたと思ったからだろうか。
信号はまだ赤のままで、数メートル先では自動車が行き交っている。その排気音に
掻き消されない程度の声で佳林は言う。
「ここに、看板が出たりとか」
そう言って佳林は指先をくるくると回して、上方を指す。そこには高くそびえる
ビルがあって、外壁には大看板が貼り付いていた。
看板は、とあるアーティストの新曲のリリースを告げるものだ。同じ位置に自分
たちのグループの宣伝が載ったこともある。朋子はそれを思い出しながら、
佳林の言葉の続きを待つ。
「そういうのが、嬉しいから」
だから恋愛はいらないと言いたいのだろう。アイドルは恋愛禁止。契約書には
載っていないけれど暗黙の了解とでもいうのか、それは周知のことだ。
現に、色恋沙汰が原因で引退を余儀なくされたアイドルは無数にいる。活動を
円満に続けたければ、不純な交遊は世間に知られてはいけない。
- 249 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:43
- 朋子には不純と純粋の違いが判らない。元々判らなかったことが、最近になって
もっと理解できなくなった。人との関わりに不浄もなにもあるのだろうかと思う
けれど、この思考は現実からの逃避のために繰り返されているようにも感じる。
信号が青になり、周囲の人々がぞろぞろと歩き出す。その流れに乗るようにして
朋子と佳林も足を進めた。次の仕事までまだ時間があるからどこかでお茶でも
しよう、となって二人は手頃なカフェを探している。
- 250 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:44
- 二人分の座席が空いている店はすぐに見つかった。飲み物を買って二階の
窓際の席につき、眼下の交差点を見る。路上では人々が忙しなく流れていて、
先ほどまで自分たちもそこにいたのだと思うと不思議な気分になった。
佳林と向かい合って座り、紙のカップに入ったカフェラテをすする。その
熱さに思わず顔を顰めると、対面で佳林が少し笑った。
そこから気を逸らすために朋子はスマートフォンで時刻を確認する。
集合時間まではまだ余裕があった。それを告げようかと朋子が顔を上げると、
グラスの氷をストローでかき混ぜている佳林に訊かれる。
- 251 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:44
- 「ともは?」
「え?」
「羨ましいって、思う?」
交差点での会話の続きらしかった。目の前のカップルを羨ましいと思うか。
そう尋ねたのは朋子で、佳林の回答は否だった。
朋子は考える。まず真っ先に頭に浮かんだのが由加だったことの意味が
判らない。判りそうだから、判らないふりをする。
「いいや、特には」
首を横に振って返すと、そっか、と佳林はどこか安心したように頷いた。
佳林にとってこれが重要なことなのか些事なのかは判らないけれど、話を
してみれば彼女のスタンスとしては、各人の自由、ということらしかった。
人によって重要視するものは違う。佳林は仕事を大切に思っているし、仕事
など生きるための術としか感じていない人もいる。それはどちらが良いわけでも
悪いわけでもなく、単なる立ち位置の違いだろう。
- 252 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:45
- 「恋愛って、そんなに大事なものなの?」
純粋な目で言われると、困った。どちらとも答えられる問いに朋子は返せない。
もう少し大人になってからでいい、と言って佳林はストローに口をつけた。
人それぞれ、と答えるのは簡単だ。実際に朋子もそう思うし、余程のことが
ない限り他人の恋愛に干渉したくはない。
「ま、それが人生の中心になってる人もいるよね」
けれど色恋が生活の軸になっている人がいるのも本当で、それはそれで大変な
ことだろうなと朋子は思う。常に他人のことを考えている在り方というのは、
自分のことが疎かになりそうな状態に思えた。
もう一度、窓から交差点を見下ろす。無数の人々がなにを考えて生きている
のかは朋子には判らない。誰かを思う気持ちをどれほど重要視していますか、
とアンケートでもとれば、知りたいことは判るのだろうか。
「強がってるわけでも、イイコぶってるわけでもなくて。わからない」
そう、判らない。雑誌のインタビューでもないのに真摯に答える佳林にも
解答が見つからない問いのようだった。
- 253 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:46
-
◇ ◇ ◇
- 254 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:46
- 気まぐれにダウンロードしたアクションゲームは存外面白かった。ホテルの
部屋にはドライヤーの音が響いて静かとは言い難かったけれど、それくらいで
集中が途切れることはない。
背後から聞こえる風音が止んだときにちょうど一面をクリアして朋子は
ほっと息をつく。けれど、同時にベッドが少し沈んで緊張を覚えた。
「なにしてるの?」
「ゲーム」
マットレスが二人分の体重で傾いだ。ちょこんと肩に顎をのせられて、漂って
きたシャンプーの香りに朋子は息を止める。由加はお構いなしに背中から朋子を
抱きくるむように姿勢を直し、後ろから手を握ってくる。
「私にもさせて」
「いいけど」
その体勢を変えるつもりはないらしく、スタートと表示された画面を由加の
指先が押す。ゲームはすぐに始まったけれど、操作の仕方が判らないのか
彼女の指はうろうろと彷徨っていた。
「……隣に来なよ」
「動くのめんどくさーい」
頬に息づかいを感じる。由加の身体の柔らかさと温度を全身で受けとめながら、
朋子は言った。しかし彼女は気に留めた様子もなくゲームを続け、すぐに
ゲームオーバーになる。
- 255 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:47
- 由加の手がスマートフォンを放り投げた。それを非難するより早く彼女の
身体は傾けられ、それに巻き込まれるように朋子の身体も倒れる。横倒しの
姿勢にされて朋子は呻いた。あがこうにも、腕でしっかりと抱きかかえられては
抵抗のしようもない。
「ともー……」
耳元で名前を呼ばれるけれど、それ以上彼女の声は続かない。ごろんと
横になったままで、彼女の手を握る。風呂上がりの肌はしっとりと柔らかく
朋子を受け入れてくれる。
「離して」
朋子が言っても反応はない。それどころか更にぎゅっと抱きしめられた。
首筋に感じる呼気が熱く、妙な気分になりそうになる。もぞもぞと身体を
動かすと渋々といった様子で両腕から解放してくれたけれど、あからさまな
不満顔には笑いが洩れそうになった。
- 256 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:48
- 正面から抱き寄せる。身体が熱い。首に唇をつけるとなにかに堪えるように
由加の身体が揺れる。触れるだけの口づけは徐々に激しさを増していく。
朋子はこの関係をドライなものとは受けとめられない。抱きしめる腕には
もう情がこもっていた。
由加の背中をシーツに押しつけて服を捲ると彼女は小さく声を上げる。首に
腕を回されて下から口づけをされる。それを受け入れながら朋子は手を動かした。
- 257 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:48
-
- 258 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:49
- 行為の後はいつも気だるい。冷蔵庫のミネラルウォーターを一口飲んでベッドに
戻ると、背中を向けて眠っていた彼女が朋子の方に向き直った。その隣に身体を
おさめると腕を伸ばされて、包まれる。触れる素肌が気持ちいい。そんな感慨に
浸りながらも、朋子は思うことがあった。
こんなことをしているのが『普通』ではないことは判っている。この関係には
名前があるのだろうか。ないのならば名前をつけたい。ずっと言い出せずに
いた思いがついにあふれて、朋子は訊いた。
「……私たちって、付き合ってるの?」
部屋を行き来して、身体を重ねて。深夜にメッセージを交わしているのが些細な
ことに思えるくらいの行動を二人はもう何度も繰り返している。
由加が身じろぎする。彼女の顔は見えない。深夜の部屋は静かだ。
沈黙の後、小さな声で由加は言う。
「付き合って、ない」
返答は二択だ。そのうちの一つを示されて、勘違いしそうになっていたのを
思い知らされる。二人の関係はただのメンバー同士で、それ以上のものでも
以下のものでもない。強いて名前をつけるのならば選択肢はあるのかもしれ
なかったけれど、朋子はそれを積極的に選びたくはない。
- 259 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:50
- 「じゃあさ」
「言わないで」
一つ提案しようとすると、遮られた。腕に力が込められて朋子は苦しくなる。
シーツに籠もった二人の匂いが急に色濃く感じられたけれど、そんな現実が
遠く感じられる。
「……なんで、だめなの」
こうやって離してくれないくせに、由加は曖昧な関係を望むという。非難する
ように額を擦りつけた。この行為の一つにも朋子の情は満ちているのに、
受け入れてはもらえない。
「……始まったら、いつか終わっちゃうから」
小さな声でされた主張は弱気だった。由加が今のままを求める理由は
理解はできる。けれど共感はできないもので、朋子は言い返したくなる。
「そんなの……」
感情をぶつけようとすれば唇を塞がれた。言葉を封じるような荒っぽい口づけ
にはどんな情が含まれているのだろう。由加の身体が上になる。剥き出しの
素肌に手が這わされる。
「なにも、言わないで」
懇願するような口調で言われると、返事ができなかった。
- 260 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:50
-
>>246-259
15回目更新
- 261 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:51
- レスありがとうございます。
>>245
ありがとうございます!
もうちょっと早くに更新できそうだったのですがなんだかんだで
土曜日になってしまいました。今日もチェックしてもらえていたら
嬉しい限りです。
宮崎さんの感情も見えてきたかなー、見えないかなー、といった
ところ。ここからどうなるか、また読んでいただけたらと思います。
- 262 名前:_ 投稿日:2016/02/06(土) 19:51
- 続きます。
- 263 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/02/07(日) 09:50
- 更新お疲れ様です!
「恋人のような関係」と、「恋人」は似ているようで全く違いますよね。
二人はどのような道を歩んでいくのか…ドキドキしながら、続きを楽しみにしています。
- 264 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/02/28(日) 01:36
- むむむむ。切実
- 265 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:15
-
- 266 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:16
- デジカメのシャッター音がスタジオに響く。カメラに向かって様々なポーズを
取る由加を見ながら、朋子はペットボトルの水を飲んだ。喉を通る水はぬるく
なっている。写真を撮られている由加は表情豊かで見飽きなかったけれど、
あまり見つめているのも不自然だろうと思って天井に視線を向けた。
朋子が求めているものを由加は求めていない。あの夜から二人は触れあうこと
なく数日が過ぎている。溜息が出そうになるのを押しとどめて目を閉じると
またシャッター音が聞こえて、その後に由加の笑い声が耳に届く。
なにか面白いことでもあったのだろうか。目を開いてそれを確認するのも
悔しい気がして朋子はそのままでいる。黙ったままでいると名前を呼ばれて、
ぼうっとする頭を軽く振った。
「魂抜けてるぞー」
そう言って顔の前で手を振ってきたのはあかりだった。ずりずりとパイプ椅子
ごとにじり寄ってきた彼女は曖昧な表情をしていた。瞬きをして意識をはっきりと
させて、朋子は苦笑する。
- 267 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:17
- 「あー……ちょっと寝不足、かも」
あかりはきっと心配しているのだろう。朋子の言い訳に納得したのかしていない
のか判らなかったけれど、軽く頷きを返される。朋子はあかりの視線から逃れる
ように由加に目を戻した。撮影が終わったのか、周囲に頭を下げながら由加は
こちらにやって来る。
「なんかあった?」
目は合わせないままに隣からあかりが訊いてくる。なにもないとは言えない。
けれど、なにかがあったとは言えない。起きてしまったことをあかりに伝える
わけにはいかない。
「大丈夫。……なにもないよ」
由加がマネージャーに呼ばれて進路を変える。部屋の隅の方に向かった彼女の
背中を朋子は目で追いかける。次は紗友希と佳林が撮影の番だった。
- 268 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:17
- 付き合って欲しいと言ったわけではない。ただ、言いかけたのを遮られた。
それは断られたも同然だったけれど、続けられた行為は恋人同士でするような
もので、朋子は今もその矛盾を受け入れられずにいる。
始まったら終わってしまうからと、その言葉が意味するところは理解できるけれど、
応じたくはなかった。こちらにも意地がある。それなのに近くにいれば触れたく
なってしまうから距離を取って、それでも遠巻きに眺めてしまう。
気が付いたら目は由加を追っている。離れようとしたところで情の深さを思い
知らされるだけだった。
かたりと音を立ててあかりがもう一歩、朋子に近寄る。彼女の方に目を向けると
じっと見つめ返されて、不思議に思う。
「とも、弱いとこあるから」
意外な言葉を掛けられて動揺する。弱い、と言われるのには慣れていない。内心を
見透かされたような気がして、感情の乱れを悟られないように茶化して言う。
- 269 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:18
- 「うえむーにそんなこと言われる日が来るとはね」
ふざけたような返しに、むっとしたのかあかりが顔を歪ませる。はあ、とあからさまな
溜息を吐かれて、悪いなと思う。せっかく気にかけてくれているのにそれを無下にする
ような態度を取ってしまうのは、不本意だけれど仕方ない。
「真面目に心配してるのに」
むくれたような表情をする彼女は子供っぽく見える。セットした髪が乱れてはいけない
から頭を撫でることはできないけれど、そうしたくなるような気分になった。
「ありがとう」
素直に礼を言うと、驚いたような顔をされた。「意外」と言われてその肩を小突く。
「なにが意外なのさ」
「いやあ、なにがって、ともが」
上手く言葉にできないらしく、もごもごと口を動かすあかりを前にして朋子は吹き出す。
そうすると怒ったように肩を叩き返してくるあかりは感情表現がストレートで、羨ましく
なる。
置き換えて考えてはいけないと判っている。あかりならきっと他人とねじれた関係は
築かないだろうとか、考えたところでどうしようもない。由加と朋子の関係は二人で
しかつくれない。仮定の話は意味がない。それなのに、比べられずにはいられない。
由加がこちらに戻ってくるのが見えて、朋子は目を逸らした。
- 270 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:19
-
◇ ◇ ◇
- 271 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:19
- 距離を取ろうとしたところで、仕事上関わらなければならないときはある。そう
いうときは淡々とこなすしかなかったけれど、元々そこまで親しい間柄ではなかった
からか他のメンバーやスタッフに不自然に思われることもないのが皮肉だった。
ホテルの部屋をよく行き来していたことも、きっと誰も勘づいてもいないのだろう。
あれから二度、遠征先で一人で眠ったことがある。いつもは隣にあったぬくもりが
ないだけで寝付きが悪くなるとは思ってもいなかった。
朋子が由加の言い分を受け入れれば、今まで通りの関係でいられる。同じベッドで
眠って、触れたいときに触れて、深く感覚を共有できるような。そんな結びつきで
いられるはずだった。
- 272 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:19
-
- 273 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:20
- 由加の部屋の前で朋子は迷う。あまりホテルの中をうろうろしてはいけないと
言われているのに、どうしても感情を抑えられなかった。部屋を訪ねるのなら
事前に連絡をすればいいと判っているのにできなかったのは、どう返されても
傷つきそうな気がしたからだった。
そうはいっても、前触れなしにドアをノックしたところで開けてもらえるとは
思えない。朋子は手に握りしめていたスマートフォンで由加に電話を掛ける。
『もしもし』
短いコール音の後、すぐに応答があった。受話口越しに聞こえる由加の声は
いつでも甘い。胸が詰まりそうになるのを押し殺して、朋子は応える。
「……部屋の前、来てるんだけど」
返事はなく、通話が切られた。困惑させるだろうとは思っていたけれど返答すら
もらえないのは予想外で、朋子は硬直する。はっきりとした拒絶に混乱していると、
目の前のドアが開かれた。
「……どうしたの?」
薄く開かれた隙間から、由加が半分だけ顔を覗かせる。反応があって、ほっとした。
けれど一度狼狽してしまえばなかなか落ち着かなくて、返す言葉もしどろもどろに
なってしまう。
- 274 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:21
- 「えっと……だめ?」
なにを求めているのか判らない朋子の台詞に、応えるようにドアが大きく開かれる。
そのまま由加が奥に行き、戸惑いながら朋子も後をついていく。由加はベッドに
座らない。朋子も立ち尽くしたままで、話題を求めるように声をかける。
「お風呂入った?」
「ううん。まだ」
見ればわかることを訊いてしまった。ライブの後にマネージャーに呼ばれていたから
由加だけ帰りが遅かったのだろう。朋子はここに来る前に入浴をすませてラフな格好に
なっていたけれど、由加はきちんとした服を着たままだった。
「仕方ないなあ」
彼女は柔らかい表情になる。それから枕元の時計を見るためなのか視線を動かして、
朋子に言う。
「寝てていいよ」
すっかり夜も更けている。由加の入浴が長いのは朋子もよく知っているところで、
今からそれをするのなら深夜になってしまうだろう。待たせる由加がどういう
つもりなのかは判らないけれど、追い返されなかったことに安堵する。
- 275 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:22
- 許可されて、ベッドに腰かける。由加は浴室に行ってしまった。寝ていてもいい、と
言われるくらいの時刻なのは確かだったけれど、さすがに眠って待つつもりにはなれ
なかった。
座ったままで、目を閉じる。なにをするために由加の部屋に来たのだろうと自問する。
呼ばれたわけでもないのに来るのは初めてかもしれなかった。それくらい朋子は受け身で、
行動を起こすのはいつも由加の方だった。
理由はきっと深くない。ただ、会いたかっただけなのかもしれない。けれど考えが
まとまらないままにうとうとしてしまって、朋子は早々に起きて待つことを諦めた。
ごろりとそのまま横になる。初めは天井を眺めていたけれどいつの間にか瞼が落ちて、
深い眠りに入っていく。きちんと話したいのだと、夢うつつにそう思い出した。
- 276 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:22
-
- 277 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:23
- 肩を揺らされて、眠りから覚めた。あまり長く眠った気はしない。きっとまだ深夜だろう。
「ん……」
声を洩らすともう一度肩を叩かれる。うっすらと目を開けると由加に顔を覗き込まれて
いるのが判って、久しぶりの感覚に身が震えそうになる。
「ほら、お布団入って」
そう言って腕を掴まれる。由加は朋子を受け入れる。身体の下敷きになっていた
掛け布団の下に潜り込みながら、自然と言葉が洩れ出る。
「由加ちゃん……」
名前を呼ぶだけで息が苦しくなる。寝転がったままの朋子の頭を由加の手が撫でる。
乱れた髪を整えるような動作は、緩やかで優しい。
「あのね」
なにかを、言いかけた。求めるものを求めようと、言葉にしかけた。由加が目を
細めて身を屈める。言葉を塞ぐように、唇を塞がれる。
- 278 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:24
- 柔らかい感触が懐かしかった。求めているものはこれだと思いそうになった。
欲しかったのは嘘ではないけれど、今夜の目的はこれではないことも判っていた。
落とされる口づけに、反抗するように肩を押し返す。由加は服越しに朋子に触れて
くる。身体が揺れてしまうのは本能が反応しているからだった。息が苦しい。
このまま流されてしまえば、満たされるかもしれないと思った。
けれど、朋子は由加から逃れるように身を捩った。唇と手が離されて、呼吸が
自由になる。見下ろしてくる由加の肩を押して、朋子も身を起こす。
「こういうこと、しにきたわけじゃ、なくて」
息はまだ乱れている。由加は笑ってはいない。片方の手のひらで頬を撫でられて、
身震いしそうになる。なぜか泣きたい気分になった。涙を堪えて由加を見つめると、
彼女は口を開く。
「じゃあなんで来たの?」
違う。これは彼女の心からの言葉ではない。顔を近づけられて後ずさりした。
どうしてこうなってしまったのだろう。初めは同じベッドに入られるのも迷惑で、
口づけを交わしてしまった理由も判らなくて、それなのに身体を重ねてしまって。
単純に気持ち良いからだと、割り切れればよかった。そんな関係でいられるのなら、
それはそれでよかった。倫理、だとかはどうでもいい。求めるものが同一なら、
こんなことにはならなかった。
- 279 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:26
- 「……今日は帰るね」
絞り出すようにして出てきた言葉はこれだけだった。ベッドから下りて、ドアに
向かわなければと思った。実際にそうしてみると案外すんなりと動けて、拍子抜けした。
由加に背を向けて歩き出す。出口はすぐそこで、廊下に出れば自分の部屋もそばにある。
後ろからぶつかられてよろめいた。半袖から伸びた腕が前に回される。ぎゅっと抱きしめる
ようにされて、呼吸ができなくなる。
「ごめん」
小さな謝罪が耳に届く。返す言葉が判らずに、剥き出しの腕に触れた。湯上がりの肌は
どこかしっとりとしていて、掴むと離したくなくなった。
なにもなかった頃に戻れないのは判っている。背中に押しつけられる温かさと柔らかさが
欲しかった。独り占めして他の誰にも触れさせたくなくて、自分だけのものにしたかった。
けれど彼女は関係に名前をつけることを望まない。それなのに腕に込められる力が
きつくなる。彼女は、直球で言葉をぶつけてくる。
「一緒にいたい」
その感情に理由があるのなら、教えて欲しかった。
- 280 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:27
-
>>265-279
16回目更新
- 281 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:28
- レスありがとうございます。
>>263
ありがとうございます!
似ているものを、どちらを求めているかということで。
また読んでいただけていたら嬉しいです。
>>264
な、なにが切実なのですか……。
次回は二行以上のレスをお待ちしていますね。
嘘ですよ一行でも嬉しいです、ありがとうございます。
- 282 名前:_ 投稿日:2016/02/28(日) 23:28
- 続きます。
- 283 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/03/01(火) 00:59
- 年長組のほうが悩み多き年頃ですな。
二人はどういう方向を目指していくのでしょうかね…。
- 284 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/03/03(木) 16:19
- 更新お疲れ様です。
待ってました!
二人がどのように進んでいくのか…楽しみです。
- 285 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:40
-
- 286 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:41
- 一緒にいたいと言われて拒めるほど強くはなかった。無言のままにベッドに入り、
胸元に顔を埋めてくる由加を受け入れる。触れることも触れられることもなく
時間は流れ、やがて朝になる。
アラームが鳴る前に目が覚めて、朋子は少しだけ身を引く。隣に由加が眠っている
のがどれくらい久しぶりのことなのか、思い出せなかった。彼女の寝顔は髪で
隠れている。指先で掻き分けて露わにさせても、彼女は目を覚まさない。
唇に指先を這わせる。触れられることを拒んでおいて触れていることに、言い訳が
見つからない。心の中だけで名前を呼ぶ。起きて欲しいのか起きて欲しくないのか、
判らないままに触れさせていた指を離した。
関係に名前をつけたいなんて、そんなことにはこだわらなければいい。そうすれば
楽になれると知っている。アラームが鳴って、止めた。視線の先で由加が顔を顰めて、
それでも目は開かれない。
- 287 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:42
- 「おはよう」
「……うん」
朋子が声をかけると、小さく返事があった。いつまでもまどろんでいたいけれど、
支度をしなければいけない。朋子が身体を起こそうとすると腕をつかまれ、由加は
シーツに顔を伏せる。
「ごめん」
なにを謝っているのかと、訊くのは簡単なはずだった。けれど朋子がそれをしないのは、
明確な拒絶を受け取るのが怖いからだった。返事はせずに頭を撫でてやると、俯いた
ままで由加も身体を起こす。恋人同士ならばここで甘い口づけのひとつでも交わすの
だろうかと、ふと思った。
「起きなきゃ」
ぽんぽんと頭を叩いてやりながら、由加を促す。頷いた彼女はベッドから下りた。
部屋に戻らなければいけないから朋子も同じようにして、ドアに向かうと由加も
そこまで見送ってくれる。
「じゃあ、またあとで」
二人の間になにが起こっても日常は巡る。小さく由加に手を振って、朋子は部屋を
後にした。
- 288 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:42
-
- 289 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:43
- 楽屋では紗友希と佳林が騒いでいる。それを朋子は頬杖をついて眺めていた。
由加とあかりは連れ立ってどこかへ行ってしまったようで、部屋にはいない。
ライブの合間だというのに皆元気だなと思いながら机に突っ伏すけれど、
人の声が聞こえるせいか眠気はなかなかやってこない。
眠ればなにも考えずにすむ。夢にさえ出てこなければ、由加のことを思い出さずに
すむ。思考の中心が彼女になっていることに今さら気づいて、自嘲した。こんな
はずではなかったのに。色恋が生活の大部分を占めるような人間ではないと思って
いたのに、まったく人生は判らない。
誰か一人分の足音の後に、ドアが開け閉めされる音がする。途端に楽屋が静かに
なり、もしかしたら眠れるかもしれないと思った。ぎゅっと目を閉じると闇が深まって、
このまま落ちてしまいたかった。
「とも?」
少し離れたところから名前を呼ばれる。軽い足音は佳林のものだろう。気にかけて
くれなくてもいいのに、退屈しているのだろうか。
「寝てるの?」
寝たふりを続けていると誰かが部屋に入ってくる気配があって、佳林の注意が
そちらに向くのが判る。あとどれくらい自由な時間があるのだろう。眠りたいと
思った。
- 290 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:43
-
◇ ◇ ◇
- 291 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:44
- 自宅のベランダから見える景色は代わり映えしないけれど、虫の音が響くように
なってきた。もう、夏だろうか。午前三時の外気はひんやりとしていて、半袖の
肌に心地良い。
手のひらの上でスマートフォンをもてあそぶ。ここのところ、夜更けのメッセージは
来ない。一方的な連絡を待たないでこちらからなにかを送ってもいいはずなのだけれど、
そうする気になれないのはなぜだろうと思った。
きっと、壊したくないのだろう。朋子はあくまでも送りつけられる立場で、待って
いるわけでもないし、ましてや文章を組み立てるわけもない。その力関係を崩したくは
ない。けれど、眠れない夜はこうして携帯端末から手を離せない。
ここから放り投げでもできればいいのに、そんな勇気はもちろんなかった。溜息を
ひとつ吐いて、ベッドの中に戻ろうと思ったときに、スマートフォンが小さく振動する。
すぐに確認するのが悔しくて、数拍置いた。それから思い切って内容を見ると、
眠れない、と一文だけが表示されている。私も、と短く返すと、起きてたんだと
返信がある。
- 292 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:44
- 電話がかかってきたことを知らせる振動は長い。通話を受けると、『もしもし』と
静かな由加の声がする。
「早く寝なよ」
『ともだって起きてるじゃん』
明日も仕事があるのは二人とも同じで、本来はこんな時刻まで起きているべきでは
ない。ぽつぽつと会話を交わしているうちにも時間は流れ、朝が近づいてくる。
耳元で聞こえる笑い声を愛しいと思ってしまった。もう戻れないところまで来て
しまっているのには気づいていた。特別な関係に特別な名前をつけたいと思って
しまうのは、間違いなのだろうかと自問した。
きっとこの感情は間違っていない。ただ、由加が望まないから、二人は曖昧な
ままでいるしかなかった。不意に会話が途切れる。深夜の住宅街には音がない。
- 293 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:45
- 『会いたいって言ったら、どうする?』
静かな声が耳に届く。一瞬のうちに、始発まであと何時間あるのだろうと考えた。
タクシーで移動するならどれほどの時間がかかるのだろう。それまでに、由加の
気は変わってしまうだろうか。
「……会いに行くよ」
本心からの返事に、由加の反応はない。数秒、沈黙が続く。無茶な願いに無理で
応えてもいいと感じるくらいには、朋子は由加を思っている。
虫が鳴き始める。季節を感じさせる涼しげな風が吹いてくる。耳元で響く由加の
声からは、感情が読み取れない。
『冗談だよ』
そんなことは判っている。けれど本当に行ってもいいと思えるくらいに、なって
しまった。聞こえないように息を吐く。溜息とは違う、なにかの感情が籠もった
息だった。
- 294 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:45
- 『おやすみ』
通話はこれで終わりだと由加の挨拶が告げる。会いたいというのが本気なのか、
確かめたかった。それができない弱気な自分が嫌で仕方ないけれど、返事は
ひとつしか用意されていない。
「……おやすみ」
ぷつりと通話は途切れて、朋子はスマートフォンを見下ろす。音声だけで繋がっても、
それだけでは満足できない。握りたいのは、こんな機械ではなくて由加の手だった。
今から都心に向かうだなんて現実的ではない。それなのに会いに行くよと答えて
しまったのは、会いたいからだった。
- 295 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:47
-
>>286-294
17回目更新
- 296 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:47
- レスありがとうございます。
>>283
ある程度大人になってしまった故の悩みでしょうか……。
次回で最終更新なので、見届けていただけたら幸いです。
>>284
ありがとうございます、お待たせしました!
そろそろこのお話もおしまいですが、次も読んでいただけたら嬉しいです。
- 297 名前:_ 投稿日:2016/05/07(土) 20:47
- 続きますが、次回が最終回です。
明日、更新します。
- 298 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/05/07(土) 22:15
- >>286-287の金澤さんが切なくて、いじらしくて。
明日ですか……! 楽しみなような、読むのが勿体ないような。
いえ、楽しみに待ってます。
- 299 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:36
-
- 300 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:36
- ボイストレーニングからラジオの収録まで、ぽっかりと時間が空いた。中途半端な
時刻の電車は空いていて、朋子と由加は座席に腰掛け、会話もなく中吊り広告を
眺めている。
二人での仕事があるのは珍しいことではない。マネージャーがつかずに移動する
こともたまにはあって、今日はそういう日だった。目的の駅に着き、ホームにいた
人々と入れ替わるように二人で電車を降りる。
「お昼、どうする?」
由加が言って、朋子は彼女を見る。どうしよっか、と彼女の言葉を繰り返すように
呟いて、駅の階段を上がる。地上は眩しくて、思わず目を細めた。
緑をつけた木々は太陽の光を反射している。ぶらぶらと歩きながら、なにを食べるかを
相談する。街中は人も店も多い。チケットショップの前を通りがかったとき、由加が口を
開いた。
- 301 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:37
- 「最近、なにか映画観た?」
雑談の種を蒔かれて、朋子は考える。最も間近に観たのはラブストーリーだった。
主人公の片思いが最終的には実る話で、途中にははらはらする場面も泣ける展開も
含んでいた。
「……あんまり観てないな」
自分を重ねて見てしまった映画の話をする気にはなれなかった。朋子が答えると、
ふうん、と由加はたいした興味もなさそうに頷く。チケットショップはもう後方に
過ぎてしまった。いま流行りの映画はなにかあるのだろうかと朋子が考えていると、
由加がひとつのタイトルを口にする。
「観たいの?」
「うん」
でも時間ないかもね、と由加が続ける。たったの二時間だ。それくらいならば捻出
できるのではないかと朋子は思って、口を開く。
- 302 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:38
- 「今度」
観に行こうよ、と続けたかった。言葉を止めた朋子を見て、由加が首を傾げる。
人混みに流されるように歩きながら、朋子は首を横に振った。
そういえば空き時間に一緒に劇場に行ったこともあったと思い出す。デート
みたい、と言った朋子に、由加はたいした感慨もなさそうに頷いていた。
「なんでもないよ」
微笑んで返すと、由加もへらりと笑う。こうやって仕事の合間に一緒にいられる
だけで満足したかった。それだけでは満たされないように感じるのは良くない
傾向だと判っている。
向かいから歩いてくる人と肩がぶつかった。よろめくと隣から手首を掴まれて、
引き寄せられる。
「危ないよ」
手は、すぐに離される。それが名残惜しかったけれど、そう言うわけにもいかなくて
朋子は口を閉ざした。
- 303 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:38
-
◇ ◇ ◇
- 304 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:38
- 「浮かない顔してる」
そう言ってそっと頬を撫でてくるのはあかりだった。思わずびくつくと、あかりは
笑って手を離す。雑誌の撮影中だった。二人はスタジオの隅に置かれたパイプ椅子に
座っている。いまカメラを向けられているのは由加で、デジャヴを感じた。
以前もこうやって二人で由加の撮影を眺めた。ともは弱いところがあるからとあかりに
言われたことも覚えている。弱気な部分があるのを朋子は自覚していたけれど、どうして
それに気づいたのかはあかりには言えなかった。
「なにか気になること、あるんだね」
あかりの目は朋子には向けられていない。由加を見ながら告げられた言葉に、朋子は
首を横に振る。朋子の否定の仕草をあかりは信じていない様子で、溜息を吐かれた。
「相談してなんて言わないけどさ」
最年少は、今度は真っ直ぐに朋子を見据えた。困ったような表情は由加を思い出させる。
あかりの手が朋子に触れる。さらさらとした手のひらは心地良いけれど、由加のそれ
には敵わなかった。
- 305 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:39
- 「元気になってよ」
あかりの声は懇願を含んでいた。それほどまでに浮かない顔をしていたのかと
反省する。けれどこればかりは仕方ない。欲しいものを手に入れられる気がしなくて、
それを誰にも相談できないのは重い事実だった。
「……そうだねえ」
ずっとこのままでいるわけにはいかないと判っている。求めるものが手に入らない
からといって、あかりに心配をかけ続けるわけにもいかない。
そろそろ決着をつけなければいけないと朋子は思った。気ままに触れあうだけの
関係を保つのも悪くないと思う部分もある。本当に欲しいものを強く望んだら
由加は離れてしまうかもしれない。
けれど、結果的に離れてしまうことになっても、もう、このままではいられない。
- 306 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:39
-
◇ ◇ ◇
- 307 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:40
- レッスンスタジオの床は冷たい。その上にあぐらをかいてペットボトルのお茶を
飲むと、生き返るような心地がした。今日は新曲やライブのためのダンスレッスン
ではなく、スキルを高めるための講座だった。
由加とあかりは仲良くストレッチをしている。二人が親密なのは今に始まったこと
ではないから、なんとも思わないはずだった。それなのに気になってしまうのは、
いつも以上に由加を意識しているからだった。
レッスンが終わった後に時間があるかというメッセージを送ったのは、数時間前の
深夜だった。朋子は今までの均衡を崩した。誘いを受ける返事はすぐに来て、
いま詳しく話をするつもりはないとでも告げるように返信不要の一文も添えられた。
話をするつもりだった。二人のこれからについて大事な事柄を確かめようと思った。
今になってわずかに後悔の念が湧いてきたのは、やはり、怖いからだった。
ずいぶんと怖がりになってしまったものだ。由加に対しては弱気で、色々なことに
一喜一憂してしまう。現に今も、名前を呼ばれただけで胸が高鳴ってしまう。
- 308 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:40
- 明日の集合時間について確認するだけの事務的な会話でも、ないよりはあった方が
いい。おどけて返事をすると由加が笑った。隣にいたあかりも楽しそうで、こんな
生活を朋子は嫌いにはなれない。
「とも、このあと暇?」
紗友希に横から声をかけられて、そちらを向く。「ごめん暇じゃない」返事は
さらりと口から出る。なんの用事があるのかと訊かれなくて、ほっとした。
ちらりと横目で由加を見る。彼女に動揺した様子はない。緊張しているのは自分だけ
なのかもしれないと朋子は思った。
- 309 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:40
-
- 310 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:41
- ダンスレッスンが終わって、解散を告げられた。窓から見える景色は穏やかな午後
そのもので、ガラスから射す陽も優しい。着替えて鞄を肩にかけて、駅に向かう
メンバーから朋子と由加の二人だけが逸れる。
二人で逸れる、といっても、まずはまったくの逆方向に向かった。わざわざ離れて
また落ち合うことを馬鹿らしいとは思うけれど、メンバーには悟られたくなかった。
しばらくの間を置いて待ち合わせる。ゆっくり話したかったけれど、どこかの店に
入るのは躊躇われた。誰かに聞かれたい話ではなかったし、せっかく天気がいいの
だから屋外でもいいと思った。
歩道の脇に植えられた樹木の蔭を縫うようにして歩く。由加はなにも訊かなかった。
目的地を公園に定めて、二人は無言で足を進める。
- 311 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:42
- 広い公園の遊歩道にはひとけがなかった。離れたところに遊具でもあるのか、
子供たちの歓声が聞こえる。足元に転がる小石を蹴飛ばすと、ころころと道の
脇に消えた。
「なにか言いたいことあるんでしょ?」
由加の声に、朋子は顔を上げた。今からする話を予感しているかのような表情
だと思った。小さく顎を引いて、朋子は答える。
「うん」
曖昧な関係を終わらせようと思った。由加は朋子から目を逸らし、真っ直ぐに前を
見つめる。木々の蔭は涼しいけれど、漂う空気の匂いは夏を感じさせた。
「聞きたくない」
由加が拒絶の言葉を口にする。思わず少し笑ってしまうと、むっとしたような表情を
向けられる。今さらなにを言うのだろう。話をすることを朋子はもう決意していたから、
多少の反発には負けなかった。
- 312 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:42
- 「由加ちゃんが聞きたくなくても、言うよ」
由加が拗ねたように地面を蹴る。それ以上、拒む言葉は口に出されなかった。
朋子は軽く息を吸って、言葉と一緒に吐き出す。
「ずっとさ。……欲しいものが、あって」
言わなくても伝わるだろうと思った。由加のすべてが欲しかった。彼女は黙って
話を聞いている。横顔を見つめると、目を伏せられた。
そろそろ蝉も鳴き始めるだろうけれど、今はまだ二人の間の静寂は邪魔されない。
手首を引いて、足を止めさせた。
「……由加ちゃんは、いらないって言うかもしれないけど」
二人の関係に、朋子が求める名前をつけることを望まないと彼女は言った。
うやむやにしたままで触れあうことを彼女は肯定するけれど、朋子はそれでは
満足できなくなってしまった。二人の間の溝を埋める手段があればいいと、
そう願ってしまった。
- 313 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:43
- 子供たちの声が静寂を破る。始まったら終わってしまうからと言った由加の声を
思い出す。それならば始めなければいいと、どうしてそんな簡単なことに気づか
なかったのだろう。
由加の手首を揺らして、こちらを向くように促す。困ったような顔はいつも通りだと
言えなくもないけれど、揺れる瞳はいつもとは違った。
「永遠の愛なんて誓わない」
朋子の言葉が予想外だったのか、わずかに目が見開かれる。その反応が楽しくて、
続ける台詞は迷わなかった。
「由加ちゃんなんか大嫌い」
驚いたような顔をした後、彼女は小さく吹き出す。笑うような場面ではないと
朋子は思うけれど、つられるようにして笑顔になってしまう。
可笑しくて仕方がない。こんな歪な関係をどうすれば望むように変えられるのか、
考えた結果がこれだった。由加も内心では望んでくれていると信じていた。だから
朋子に触れて、触れられることを許しているのだと、それを手掛かりに彼女の感情を
思った。
- 314 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:43
- 「絶対に終わらない、とか、そんなこと言えないけど」
誓ってしまえばそれが破られるのを恐れてしまう。嫌いでいれば嫌われる心配はない。
掴んだ手首を強く握った。緊張しているのか、手のひらが汗ばむ。
「でも、それでも」
今のままでもいいのかもしれない。そう思ったこともあった。この言葉を口にして
しまえば今の関係すら終わってしまうかもしれないと、判っていた。それでも、
決定的な言葉は必要だった。欲しいものを欲しいと、言わなければいけなかった。
- 315 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:44
- 「私は、由加ちゃんの恋人になりたい」
朋子の言葉を受けて、なにか吹っ切れたように由加は笑う。それから勢いよく
抱きつかれた。思わず一歩後ずさって受けとめると、仕方ないなあと耳元で笑声が
洩らされる。けれど由加はそうやって笑うばかりで、明確な言葉は口にしない。
「……なって、くれる?」
返事を待ちながら、恐る恐る朋子も由加の背中に手を回す。逃げられないのを
いいことに力を込めると、由加にも同じように返された。相変わらず彼女は
薄く笑っていて、こちらは必死なのに、なんてひどい人なのだろうと思う。
- 316 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:44
- けれどそんな彼女を欲してしまって、特別な名前をつけたいと願ってしまった。
ただのごっこ遊びを終わりにしたくて、始まりの感情は口にしないつもりだった。
腕に込められた力が受諾の返答なのかと迷っていたら、彼女の笑い声が止む。
「大嫌い」
耳元で囁かれたのはそんな言葉で、これ以上は望めない返事だと思った。
唇を寄せようとしたらそれは駄目だと防がれて、いじけてみせるとまた笑われる。
身体を離して手を握り、その甲になにも誓わない口づけを落とした。そうすれば
楽しげに笑んだ彼女は優しく頭を撫でてくれて、そのまま手を引かれて歩き出す。
蝉の声が響きだし、頭上を仰ぐと枝葉の隙間から眩しい太陽が見えた。
遊歩道の向かいから子供が走って来ても、繋いだ手を離す気にはなれなかった。
- 317 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:45
-
恋人たちの季節が始まる。
その終わりが来るのかなんて、そんなことは誰も知らない。
- 318 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:45
-
- 319 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:46
-
>>300-318
18回目更新
以上、完結です。
- 320 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:46
- >>298
レスありがとうございます。
明日になってしまいました。
ご期待に応えられているかはわかりませんが……、
最後まで読んでいただけていたら、嬉しいです。
- 321 名前:_ 投稿日:2016/05/08(日) 14:47
- それでは。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
- 322 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/05/09(月) 00:29
- 更新お疲れ様です。
恋の始まりの気持ちを思い出してとても胸がいっぱいになりました。
ときめきをありがとうございます。
そして、完結おめでとうございます。
終わってしまうのは寂しいですが、素敵な作品と出会えて嬉しいです。
また作者さんの作品に出会えますように。
- 323 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/05/27(金) 00:01
- とても遅ればせながら、完結お疲れ様でした。
作者さんの文章が大好きなので、
最終話を読んでから、その展開の爽やかな裏切られ感にジタバタ悶えつつ、
「はぁ、終わってしまった……」と落ち込みながら
最初からゆっくり読み返していました。
>>138の静かで大きい展開に、改めてため息をついてみたり
さんざん心の中で抵抗してる金澤さん、可愛いなあと思ってみたり。
でも、後半の展開の金澤さんは、もしかして:男前 とも思ったり。
今はゆかにゃんの心情を想像しながら、ああでもないこうでもないと考えて読み返してみたりしています。
金澤さんもそうやって考えて結論を出したんだなあと思いながら。(笑)
また作者さんの書かれたものを読めたら嬉しいです。
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