紅蓮
- 1 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/05/30(水) 11:24
 
-  CPはいしよしです。 
   
- 2 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/05/30(水) 11:39
 
-   
 今作はかなり痛めでございます。 
 自分の今までの作品の中でも、おそらく一番痛いです。 
 こんなドSの作者でも、途中で書くのをためらうほどに・・・ 
  
 痛いのが苦手な方は、お読みにならない方が宜しいかと思います。(特に中盤) 
 『紅蓮』は中編予定ですので、サクサク進めて終わらせたいと思ってます。 
   
- 3 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:41
 
-   
  
   『紅蓮』 
  
  
   
- 4 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:41
 
-   
  
 小さな幸せで 
 確かに幸せだと感じられたあの頃―― 
  
 ただ隣にいるだけで 
 ただ手を繋ぐだけで 
  
 ただ唇を合わせるだけで 
 ただお互いの温もりを感じるだけで 
  
 ただ、ただ 
 あなたと同じ時間を過ごすだけで、本当に幸せだった・・・ 
  
  
 けれど、いつの間にか 
 その幸せは、失うことへの恐怖に変わり 
 確実に心の中を蝕み、肥大化して、すべてを覆い尽くした 
  
 やがて、その心が 
 確かな幸せと共に、音を立てて粉々に砕け散ったとき 
  
 たった一つだけ―― 
  
 真っ赤な蓮の花のように妬けただれ 
 幾重にも広がった紅蓮の炎だけが、胸の中に燃え盛っていたんだ・・・ 
  
  
   
- 5 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:41
 
-   
  
  
   
- 6 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:42
 
-   
  
 「おかえりなさいませ、お嬢様」 
 「ただいま」 
  
 飽きるほど繰り返される 
 変化のない毎日。 
  
 「お食事はどうなさいますか?」 
 「いい」 
  
 一つも狂うことなく繰り返される会話にも 
 うんざりする。 
  
 「旦那さまが本日・・・」 
 「ああ、退院したんだっけ?」 
  
 そう言えば一つだけ違うことがあった。 
 あのじいさん、今日退院したんだっけ・・・ 
  
   
- 7 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:42
 
-   
 ひと月前にどっかを悪くして入院して、 
 今日この屋敷に帰ってくる。 
  
 でもそんなの、こっちには関係ない。 
 あのじいさんがいようがいまいが 
 そんなのどうでもいい。 
  
 どうせ話すことなんて一つもないんだから・・・ 
  
  
 「お嬢様にお話があるそうです」 
  
 階段を上がりかけた足が止まった。 
  
 「このアタシに?」 
  
 「はい。お嬢様に話があるから 
  待っていて欲しいと」 
  
   
- 8 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:43
 
-   
 フン。 
 思わず鼻で笑った。 
  
  『とりあえず、社長である 
   お前の耳に入れておかねばな』 
  
 どうせ、それでしょ? 
 社長なんて肩書きだけ。 
 自分はただのお飾りだ。 
 権利や権限なんて一つもありはしない。 
  
 「わかった」 
  
 「――あの、お嬢様・・・」 
  
 視線だけを向ける。 
 この屋敷に古くから仕える使用人の保田が 
 なぜか言いにくそうにアタシを見上げている・・・ 
  
 「どした?」 
  
 保田は、十年前突如この屋敷に連れてこられたアタシを 
 不憫に思ってくれている。 
 強引にレールを敷かれ、その上を一定の速度で 
 ただ走り続けていればいいんだと命じられたアタシに―― 
  
   
- 9 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:44
 
-   
 「今更、何が起きても動じないよ」 
  
 そう。 
 今更何が自分の身に起こったところで 
 アタシは何も感じやしない。 
  
 両親を失い 
 温かな家庭を失い 
  
 そして―― 
 大切な恋人まで手放したアタシには・・・ 
  
 人生の希望なんて 
 これっぽっちもありはしないのだから。 
  
 「ですが・・・」 
 「大丈夫。うまくやるよ」 
  
 今だに心配そうな目を向ける保田に 
 ニッコリ微笑んでみせて、アタシは階段を上がった。 
  
 「先にシャワー浴びるから 
  会長が帰ってきたら呼んで」 
  
 階下にいる保田に向かって 
 そう声をかけると、自分の部屋に向かって歩き出した。 
  
   
- 10 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:44
 
-   
  
  <バタン> 
  
 この音を聞くと、一気に体が弛緩する。 
 一人きりの空間で、見えない鎧を脱ぎ捨て 
 別の殻に閉じこもる―― 
  
 人間に感情なんてものが 
 備わってなければいいのにといつも思う。 
  
 そうすれば憤りだって感じない。 
 そうすれば痛みだって感じない。 
  
  
 そうすれば―― 
  
 心の奥底に燻り続ける愛しさだって感じないのに・・・ 
  
  
   
- 11 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:45
 
-   
 手早く服を脱ぎ捨てて 
 自分の部屋にあるシャワールームへと急ぐ。 
  
 温度を熱めに設定し、湯量を最大にして 
 体を傷めつけるようにシャワーを浴びる・・・ 
  
  
 アタシが社長なんて。 
  
 ――バカげてるよ、ほんと。 
  
  
 今だ実権を握り続ける会長。 
 それが、アタシの祖父。 
  
 祖父だと言っても、この屋敷に来るまでは会ったことなどなかった。 
 なぜなら、アタシの父さんが実の父である 
 あのじいさんを嫌っていたからだ。 
  
 弱いものを卑下し、欲しいものを強引に奪い取る。 
 このやり方に反発した父さんは、生まれ育ったこの屋敷を捨てて 
 母さんと結婚した。 
  
   
- 12 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:45
 
-   
 2人は随分とジャマをされ、随分と苦労したようだけど 
 アタシが生まれた頃には、それなりに生活も安定していて 
 何の苦労もなく、惜しみない愛情を注がれたアタシは 
 こんなにひねくれることもなく、純粋に真っすぐ育った。 
  
 あの頃は、目に映る全てのものが 
 輝いていたと思う。 
  
 家族も、恋人も、 
 これから無限に広がっていくであろう未来をも 
 眩しく見つめながら、毎日を過ごしていた。 
  
 あの日、あの事件さえ起きなければ―― 
  
  
 今も時々、あの日のことを夢に見る。 
  
 母とアタシを庇うように背を向けた父が崩れ落ち 
 アタシを抱きしめたままの母が脱力し、同じように崩れ落ちていく・・・ 
  
 床には2人の血だまりが広がり 
 アタシは凍りつき、ギュッと目を閉じた。 
  
   
- 13 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:46
 
-   
  
 殺される―― 
  
 そう思ったのに、それ以上何も起きなかった。 
 騒然としていた家の中がやけに静かになり 
 ゆっくり目を開けると、父と母が折り重なるように倒れていた。 
  
 何度呼んでも 
 何度揺さぶっても 
  
 二度と2人は目を覚まさなかった。 
  
  
 『強盗殺人』 
  
 そんなたった4文字で片付けられても 
 当時高校生だったアタシが受け止められる訳もなくて・・・ 
  
 一つの外傷もなく、たった一人きりで 
 取り残されたアタシは、なす術もなく 
 この屋敷に引き取られた。 
  
 父が嫌っていた、あのじいさんの元で 
 醜く歪んだ顔を見ながら、彼にひれ伏して 
 生きていくしかなかったんだ―― 
  
  
   
- 14 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:47
 
-   
  
  <プルルルル> 
  
 備え付けの内線が鳴り 
 シャワーを止めて受話器をあげる。 
  
 『あと15分ほどでお戻りになるそうです』 
 「――わかった・・・」 
  
 シャワールームを出て 
 手早く支度を済ませる。 
 そしてまた、見えない鎧を身につけると 
 部屋を出て、リビングに向かう。 
  
  
 「今、到着されたそうです」 
 「そう」 
  
 とりあえず、ハイと言えばいい。 
 逆らいさえしなければいい。 
  
   
- 15 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:47
 
-   
 「お嬢様・・・」 
  
 紅茶を入れてくれた保田が 
 アタシに呼びかける。 
  
 「何?」 
 「あの・・・、実は・・・」 
  
 保田が言いかけたところで 
 リビングのドアが大きく開かれた。 
  
  
 「ひとみ」 
  
 車椅子に乗って現れた 
 顔も見たくない相手・・・ 
  
 「おかえりなさい、おじい様」 
  
 家ではおじい様、会社では会長。 
 けれど心の中ではクソジジイだ。 
  
   
- 16 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:48
 
-   
 「お元気そうで、ホッとしました」 
  
 我ながら、愛想笑いもうまくなったもんだ。 
  
 「そんなことを言いながら 
  一度も見舞いに来なかったではないか」 
 「会長の留守を守るのが、私の仕事ですから」 
  
 ニコッと微笑みかける。 
  
 ――行く訳ないだろ、あんたの見舞いになんか。 
  
 バカが踊らされてると思われていていい。 
 意のままに動かしているのは、会長である自分だと 
 勝手に驕っていればいい。 
  
 アタシは、もう 
 この世の何にも興味はないんだ・・・ 
  
   
- 17 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:48
 
-   
 「まあいい。 
  ワシのいない間変わったことはなかったか?」 
 「ええ。何も」 
  
 権力を持つものは、常に 
 その座を奪われることに脅える。 
  
 「不穏な動きをする者もいなかったな?」 
 「ええ」 
  
 バカな社長は何も気付かないんですよ。 
 たとえ裏で、あなたを引きずり降ろそうと 
 画策している奴らがいたとしても。 
  
 「そうか。ならよろしい」 
 「では失礼します」 
  
 さっさと一人になりたい。 
 こいつと話していると虫唾が走る。 
  
   
- 18 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:49
 
-   
 「待ちなさい。大事な話がある」 
  
 下げた頭を上げた。 
 思わず眉間にシワが寄る。 
  
 大事な話・・・? 
 このアタシに、大事な話があるって? 
  
 「以前から言っているように 
  今後のことも考え、正式にお前と養子縁組をしたい」 
  
 何だ、そんなことか。 
  
 「構いません。私にはおじい様しか 
  いませんから」 
  
 「そして、ワシの新しい妻とも 
  養子縁組をして欲しい」 
  
 妻だって? 
 今更結婚する気なのか、このじいさん。 
  
   
- 19 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:49
 
-   
 「構いませんよ。 
  私にも、またお母様が出来るという訳ですね?」 
  
 大げさに喜んでみせる。 
  
 別にどんなヤツが、母親になろうと構わない。 
 アタシには関係のない話だ。 
 好きにしてくれ。 
  
 「良かった・・・ 
  ワシも今回入院して、少し気弱になったようじゃ。 
  結婚したはいいが、彼女の将来が不安でな。 
  ワシに万が一の時は、ひとみにお願いしたい」 
  
 血の繋がった孫より女の方が可愛いってさ。 
 あんたについてくる女なんて、カネ目当てだぜ? 
  
   
- 20 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:50
 
-   
 「全力で、お母様をお守りしますよ?」 
  
 アタシの偽りの言葉に 
 満足げに頷くと彼は言った。 
  
 「今回の入院先で、知り合ってな。 
  ワシの面倒を献身的によく見てくれた。 
  そばに看護師がついていてくれるのも心強いしな」 
  
 へぇ〜看護師か。 
 うまくやったな、そいつ。 
 後はこいつが死ぬまで我慢出来れば 
 がっぽり遺産が手に入るってもんだ。 
  
  
 「入りなさい」 
  
 じいさんがドアの外に呼びかける。 
  
 若いのか、年増か・・・ 
 どっちにしたって、好きにしてくれ。 
  
 ゆっくり扉が開いた―― 
  
  
   
- 21 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:50
 
-   
  
  
 ――うそ・・・、だ、ろ・・・ 
  
  
 どうして―― 
  
  
  
 なん、で・・・・・・ 
  
  
  
   
- 22 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:50
 
-   
  
 「失礼します」 
  
  
 梨華・・・ 
  
  
 ――どう、して・・・ 
  
  
  
 なんで、梨華が―― 
  
  
  
 「はじめまして、ひとみさん」 
  
  
 ニッコリ笑って微笑みかけた彼女は 
 記憶に残る愛しい恋人そのままだった・・・ 
  
   
- 23 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:51
 
-   
   
- 24 名前:紅蓮 投稿日:2012/05/30(水) 11:51
 
-   
   
- 25 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/05/30(水) 11:52
 
-   
 本日は以上です。 
 現実が楽しいので、こんな風味も許して下さい。 
   
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/05/30(水) 21:29
 
-  ぐおおおお 
 もう予感だけでイタイ  
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/05/31(木) 00:41
 
-  すごい!痛そう!でも激しく次の更新を楽しみに待っております。 
 
- 28 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/06/04(月) 14:26
 
-   
 >26:名無飼育さん様 
  すみません。 
  
 >27:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
  
 では本日の更新です。 
   
- 29 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:26
 
-   
   
- 30 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:26
 
-   
 グラグラと揺れる視界に 
 懸命に耐えながら、階段を上がる。 
  
  
 どうして、梨華が・・・ 
 なんで、あんなじいさんの・・・ 
  
 しかもよりによって、アタシの―― 
  
  
 「お嬢様、大丈夫ですか?」 
  
 駆け寄って来て、アタシの体を支える保田。 
  
 「離して!」 
  
 保田の腕を振り払おうとして 
 更に視界が大きくグラつき、その場にしゃがみ込んだ。 
  
   
- 31 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:27
 
-   
 「・・・知ってたん、だろ・・・?」 
 「お嬢様、とにかくお部屋へ」 
  
 保田が辺りを窺って、 
 アタシを抱き起こすと、抱えるようにして 
 そのまま部屋まで連れて行かれた。 
  
 崩れ落ちるようにベッドに座り込む。 
 頭を抱え込んで俯いたアタシの足元で、保田が跪いた。 
  
 「申し訳ありません! 
  どうしても、お嬢様にお伝えしづらくて・・・」 
  
 ――梨華・・・ 
  
 どうして・・・? 
  
   
- 32 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:27
 
-   
 「今回の入院で、旦那様の担当に石川様がなられたその時に 
  お嬢様にはお知らせするべきでした・・・」 
  
 「――知ったからって・・・」 
  
 知ったからって、アタシに何が出来た? 
  
 梨華を捨てたアタシに。 
 梨華を裏切った、このアタシに。 
  
 一体、何が・・・ 
  
  
 「――ひとりに・・・、して」 
 「お嬢様・・・」 
  
 「――いいから・・・、放っておいて・・・」 
 「ですが・・・」 
  
   
- 33 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:28
 
-   
 「出てけよっ!! 
  ほっとけって言ってんだろ!!」 
  
  <ガッシャンッ!> 
  
 手に触れた置物を 
 壁に投げつけた。 
  
 いっそのこと、このアタシが 
 粉々に壊れてくれたら、どんなにいいだろう・・・ 
  
 心だけが粉々に砕け 
 この身が滅びないなんて―― 
  
  
 「・・・失礼致しました」 
  
 保田が部屋を出て行った途端 
 アタシはベッドに突っ伏した。 
  
   
- 34 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:28
 
-   
  
 梨華・・・ 
  
 愛してるんだ、アタシ。 
 ずっとずっと、梨華のことを―― 
  
 いつだって梨華の面影を求めて 
 他の誰も愛せなかった。 
  
 それなのに・・・ 
 それなのに、どうして―― 
  
  
 苦しいよ、梨華。 
 息がつまりそうだよ、梨華。 
  
 アタシを恨んでる? 
 アタシが憎い? 
  
 ほんとにあんなじいさんを愛してるの? 
  
 ――ねぇ、教えてよ。梨華・・・ 
  
   
- 35 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:32
 
-   
 声を殺して、むせび泣いた。 
  
 起き上がる気力もなく 
 ただずっと、枕に顔を埋めて涙を流し続けた。 
  
  
 「梨華・・・」 
  
 その名を声にするだけで 
 胸が締め付けられる。 
  
  
   『ねぇ、ひーちゃん。わたしのこと好き?』 
   『どこが好きかって聞いてるのぉ!』 
  
 甘く響く声・・・ 
  
 ――全部好きだよ。今でも・・・ 
  
  
   『一緒にいよう?わたしがひーちゃんのそばにいるから。 
    ずっとずっと、わたしがひーちゃんを守ってあげるから』 
  
   『お願い!ひーちゃん行かないで・・・』 
  
  
 「――ごめん、梨華・・・」 
  
  
   
- 36 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:33
 
-   
  
  <・・・コンコン> 
  
 遠慮がちに部屋のドアがノックされる。 
 時間の感覚がない。 
 真夜中なのか、もう朝なのか・・・ 
  
  <コンコン> 
  
  
 ――保田、なの・・・? 
  
  
  『ひーちゃん、開けて?』 
  
 え?! 
  
   
- 37 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:33
 
-   
  <コンコン> 
  
  『わたしよ?梨華。 
   お願い。ひーちゃん、開けて?』 
  
 弾かれたように、体を起こして駆け寄って 
 恐る恐る扉を開いた。 
  
  
 「・・・ひーちゃん」 
  
 梨華・・・ 
  
 毎日会っていたあの頃と何一つ変わらない梨華が、 
 恥らうように頬を染めて、アタシを見上げてる―― 
  
 「中、入ってもいい?」 
  
 呆然としたまま、身を引いて 
 彼女を中に招き入れた。 
  
   
- 38 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:34
 
-   
 静かに扉を閉めて 
 梨華の方を向く。 
  
 まだ夜だったのか・・・ 
  
 電気もつけずにいた部屋の中。 
 暗闇の強さで、まだ夜中なんだと気付いた。 
  
 「ひーちゃん」 
  
 背を向けていた梨華が振り向いた。 
  
 闇に慣れた目が 
 梨華の輪郭を捉える。 
  
  
 「会いたかった・・・」 
  
 涙が一筋、零れ落ちた。 
  
 「ずっとずっと会いたかったの・・・」 
 「梨華・・・」 
  
   
- 39 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:34
 
-   
 身動き一つ出来ないアタシに向かって 
 ゆっくりと梨華が近づいてくる。 
  
 「ひーちゃん・・・」 
  
 夢にまで見た梨華。 
 手を伸ばすと消えてしまった梨華が今―― 
  
 「ひーちゃんに会いたくて、ここに来たの・・・」 
  
 梨華がアタシの胸に顔を埋めた。 
  
 体中が震える。 
 全ては夢? 
  
 あんなヤツの妻だってことも・・・ 
 今アタシに触れているのも・・・ 
  
   
- 40 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:35
 
-   
 「ひーちゃんに会うために。 
  ずっと一緒にいるために。 
  ――わたし、あの人と結婚したの・・・」 
  
 「梨華・・・」 
  
 「家族になれば、ずっと一緒にいられる。 
  もう離れ離れにだってならない」 
  
 ギュッと抱きしめられた。 
  
 「――こうして・・・、毎日会える・・・」 
  
 心が震えた。 
 閉じ込めていた感情が、一気に流れ出ていく。 
  
 愛しくて愛しくて。 
 狂おしいほど愛しくて。 
  
 自分を壊してしまいたいほど、 
 あなただけしか愛せなくて―― 
  
   
- 41 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:35
 
-   
 「――抱きしめても・・・いいの?」 
  
 だってアタシは、あなたを捨てたんだ。 
 一緒にいようって、守ってあげるって 
 そう言ってくれたあなたを―― 
  
  
 小さく頷いて、更にギュッと抱きついてきた彼女を 
 力いっぱい抱きしめた。 
  
 懐かしい甘い香りに 
 何度も思い出した柔らかい感触に 
 めまいを起こしそうなほど、想いが溢れて 
 息が詰まるほど、胸が締め付けられる・・・ 
  
 「梨華・・・」 
  
 もう二度と、あなたを抱きしめることなんて 
 出来ないって思ってた。 
  
 言葉を交わすことさえ、 
 視線を合わせることさえ 
 二度と許されないって思ってた。 
  
 それなのに―― 
  
   
- 42 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:36
 
-   
 「・・・うっ、っぐ・・・ 
  梨華ぁ・・・」 
  
 涙が溢れ出して、止まらない。 
 名前を呼ぶことしか出来ない。 
 抱きしめる力を強くすることしか出来ない。 
  
 「ひーちゃん泣かないで・・・」 
  
 胸の中から顔をあげた梨華が 
 そっとアタシの頬に手を伸ばす。 
  
 小さな手が、アタシの涙を拭ってくれる・・・ 
  
   
- 43 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:36
 
-   
 「そんなに泣いたら、目が腫れちゃうよ?」 
 「・・・っぐ。うぐっ・・・」 
  
 「わたしの大好きな、ひーちゃんの大きな目・・・」 
  
 梨華の指が、なぞるように 
 アタシの目尻をすべる。 
  
  
   『ね、ひーちゃん。こうして向かい合うとね 
    綺麗な瞳に、わたしが映ってるの』 
   『ずっとずっと、その瞳にわたしを映してて』 
  
  
 「泣かないで・・・ 
  お願い、あの頃みたいに、わたしを映して・・・」 
  
 溢れ続ける涙をグッと堪えて 
 目の前の梨華を見つめた。 
  
   
- 44 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:37
 
-   
 「ひーちゃん・・・」 
  
 彼女の唇が、アタシのそれに重なる。 
 あの頃と同じ、柔らかな唇。 
 優しい温度・・・ 
  
 「・・・んんっ・・・、ひー、ちゃん・・・も」 
  
 怖気づくアタシを誘うように 
 彼女の舌が動き出す。 
  
 「・・・もっと・・・、お願い・・・」 
  
 アタシの手をたぐって 
 自分の胸の上に導いた。 
  
 「・・・いい、の・・・?」 
 「抱いて。ひーちゃん・・・」 
  
 ――わたし、ひーちゃんに愛されたくてココに来たの・・・ 
  
  
   
- 45 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:37
 
-   
  
  
 アタシの中の何かが弾けた。 
  
 狂ったように彼女の名を繰り返しながら 
 ベッドに押し倒す。 
  
 「・・・あの頃みたいに、アイシテ・・・」 
  
 梨華の素肌に唇を寄せた。 
  
 何一つ変わらない梨華のカラダ・・・ 
 アタシを夢中にさせる褐色の肌・・・ 
  
 「・・・ああっ。・・・んっ!」 
  
 より一層高くなる声・・・ 
 熱を帯びた甘い吐息・・・ 
  
 何もかも、あの頃のまま。 
 笑いあって、愛し合った、あの頃のまま―― 
  
   
- 46 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:38
 
-   
 「好きだ・・・」 
  
 ずっとずっと好きだった。 
 忘れられなくて。 
 気が狂いそうなほど愛しくて。 
  
 ずっとずっと。 
 梨華だけを愛してた―― 
  
  
 名前を呼べば、見つめ返してくれる。 
 愛を囁けば、抱きしめ返してくれる・・・ 
  
  
 「梨華・・・愛してる」 
  
 夢中で求め続けるアタシを 
 梨華は黙って受け入れてくれた。 
  
   
- 47 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:38
 
-   
   
- 48 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/04(月) 14:38
 
-   
   
- 49 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/06/04(月) 14:38
 
-   
 本日は以上です。 
   
- 50 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/04(月) 20:20
 
-  嵐の前のなんとやら・・・・かな 
 
- 51 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2012/06/05(火) 01:34
 
-  これからなんだな 
 よっしゃ覚悟しておくぞ!  
- 52 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/06/07(木) 10:22
 
-   
 >50:名無飼育さん様 
  そういうことですかね。 
  
 >51:名無し募集中様 
  近々です。 
  
  
 では、本日の更新です。 
   
- 53 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:22
 
-   
   
- 54 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:23
 
-   
 あの夜から、アタシの世界は一変した。 
  
 帰りたくないと思っていた屋敷に早く帰り、 
 一人で済ましていた食事を家族と共にとる。 
  
 「2人は歳が近いから、気が合うようじゃな」 
  
 満足そうに、そう言うじいさんに 
 2人してニッコリ微笑み返す。 
  
  
 ――2人だけの秘め事。 
  
 森の奥地の闇のように、 
 深くて濃い2人だけの時間。 
  
 高純度の蜜のように 
 甘くて美しい2人だけの時間。 
  
 下界が暗闇に包まれる時間が近づくほどに 
 アタシの世界には、煌びやかな色がつく。 
  
   
- 55 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:25
 
-   
 闇よ、早く全てを飲み込んでくれ・・・ 
  
 部屋の時計を見ながら、 
 屋敷が静まり返るのを一人待ち続ける。 
  
 全てが寝静まった頃、 
 そっと忍ばせながら近づいてくる足音を 
 聞き逃さないように、耳を澄ます―― 
  
 梨華・・・ 
 早くあなたに触れたい・・・ 
  
  
  <コツコツコツ・・・> 
  
 かすかに耳に届いた足音。 
 飛び起きて、扉の前に移動した。 
  
  <コンコン> 
  
 遠慮がちに鳴らされたノックで 
 アタシ達の濃密な時間が始まる―― 
  
   
- 56 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:25
 
-   
  
 扉を開けた途端、 
 胸の中に飛び込んで来た梨華。 
  
 「どした?」 
  
 グッとアタシの胸に顔を押し付けたまま 
 激しく頭を振る。 
  
 「何かあったの?」 
  
 濡れたままの髪を乱しながら 
 再び大きく左右に頭を振る。 
  
 「梨華?」 
  
 両肩を掴んで、無理矢理 
 顔を覗きこんだ。 
  
  
 「――消して・・・」 
 「え?」 
  
   
- 57 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:26
 
-   
 「――お願い。わたしの中から 
  あの人の温もりを消して・・・」 
  
 その言葉で、起こったことを理解した。 
 激しい怒りの炎が、アタシの胸を焦がしていく・・・ 
  
 「あいつ・・・」 
  
 握り締めたアタシの拳を 
 梨華がそっと包み込んだ。 
  
 「あなたといられるためなら 
  我慢できるから・・・」 
  
 唇を噛み締めた。 
 何をさせてるんだ、アタシは・・・ 
  
 「ほんとよ。 
  ひーちゃんのためならわたし――」 
  
 強く抱きしめた。 
  
 「――ごめん・・・」 
  
 情けないよ。 
 愛する人にこんな想いをさせて。 
  
   
- 58 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:26
 
-   
 「泣かないで、ひーちゃん・・・」 
  
 背中に回された手が 
 優しくアタシの背を撫でる。 
  
 「わたしなら大丈夫だから」 
 「梨華・・・」 
  
 激しく胸が痛む。 
 無力すぎる自分に吐き気がする。 
  
 「ひーちゃん、お願い・・・ 
  今すぐに・・・消して欲しいの・・・」 
  
  
 その夜は、狂ったように彼女を抱いた。 
 求められるままに激しく、あいつのアトなんか 
 微塵たりとも残さない。 
  
   
- 59 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:27
 
-   
 「・・・モッ、ト・・・ひー、ちゃぁ・・・ 
  つよく・・・シテ・・・」 
  
 あいつが、ケダモノのように 
 梨華の上を這う姿が脳裏をよぎる。 
  
 くそっ・・・ 
 あんなヤツに・・・ 
  
 「・・・ぁ・・・っん・・・ 
  モ・・・ット・・・、ひー、ちゃ・・・ 
  消し・・・て・・・」 
  
 イヤだ・・・ 
 2度と梨華には触れさせない・・・ 
  
 あの醜い手で、醜い舌で 
 2度と梨華の体に、触れさせたりなんかするもんか。 
  
  
 ――だって、梨華は・・・ 
  
 アタシのものだ―― 
  
  
   
- 60 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:27
 
-   
  
 浅いまどろみを漂っていると 
 腕の中の温もりが、突然消える。 
  
 「行くな!」 
  
 反射的に彼女の体を捕まえていた。 
  
 「ダメよ。朝が来る前に戻らなきゃ」 
 「行かせない」 
  
 腕の力を強めて、座ったまま彼女を抱きすくめた。 
 艶やかな素肌が月明かりに照らされて輝いている。 
  
 あいつの元になんか帰さない。 
 あいつになんか2度と抱かせるもんか。 
  
 あんな汚れたヤツに、梨華を―― 
  
   
- 61 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:28
 
-   
 「・・・離して、ひーちゃん」 
 「ヤダ」 
 「お願い」 
 「このまま2人でいよう」 
  
 今度こそ、間違わないよ。 
 だから2人であいつから逃げよう? 
  
 今度こそアタシは、梨華と一緒に―― 
  
 「・・・それは無理よ」 
 「どうして?」 
 「無理に決まってる」 
 「そんなこと・・・」 
  
 梨華がアタシの腕をほどいた。 
  
   
- 62 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:28
 
-   
 「あの人から逃げられる訳がないって 
  ひーちゃんが一番よく分かってるはず・・・」 
  
 言葉に詰まる。 
 どんなに汚い手を使ってでも、欲しいものは手に入れる 
 あいつの歪んだやり方は、アタシが一番よく知っている・・・ 
  
 「それに・・・」 
 「それに?」 
  
 既に立ちあがって、 
 服を身に纏い始めた梨華を見上げた。 
  
 「――もう・・・、戻らなきゃ・・・」 
  
 慌てたように背を向けた梨華。 
  
 「待てよ!」 
  
 手首を掴んで振り向かせた。 
  
 「それに・・・の続きは?」 
 「・・・何でもないの・・・」 
  
 視線を外して、俯いてしまった梨華。 
  
   
- 63 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:29
 
-   
 「うそだ」 
 「ほんとよ」 
  
 「じゃあ、アタシの目を見て」 
  
 ゆっくり視線を上げた梨華は泣いていた。 
  
 「梨華・・・」 
 「聞かないほうがいい。 
  ひーちゃんは、知らない方がいいの・・・」 
  
 濡れた瞳が、真っすぐにアタシを見つめる。 
  
 「――戻る・・・ね?」 
  
 無理矢理微笑んでみせた笑顔が 
 痛々しくて、そのまま抱き寄せた。 
  
 「聞かせて・・・」 
  
 梨華だけが悲しまないで。 
 梨華だけが背負わないで。 
  
 「アタシはもう大人だよ」 
  
 あの頃の―― 
 梨華を手放した高校生のアタシじゃない。 
  
   
- 64 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:29
 
-   
 「――頼むから・・・聞かせて・・・」 
 「ひーちゃん・・・」 
  
 梨華がアタシの体を、ギュッと抱きしめる。 
  
 「・・・ひーちゃんの、ご両親を・・・」 
  
 ――アタシの、父さんと母さん・・・ 
  
 「殺したのは・・・」 
  
 嫌な汗が一筋、背中を伝った。 
  
  
 「――彼、だわ・・・」 
  
 ――そんな・・・まさか・・・ 
  
  
   
- 65 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:30
 
-   
 「大丈夫?ひーちゃん」 
  
 心配そうに窺う梨華が、アタシを抱きかかえたまま 
 ベッドに座らせてくれる。 
  
 ――いくらなんでも、そんな・・・実の息子を・・・ 
  
  
  証拠は何もない。 
  でもわたし、さっき彼から聞いたの。 
  あなたを・・・ 
  ひーちゃんを手に入れるためだったって。 
  吉澤の血を継いだ跡取りが、どうしても欲しかったって・・・ 
  そのためには、仕方なかったんだって―― 
  
  
 梨華の言葉が、アタシの中を素通りしていく―― 
  
  
   
- 66 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:30
 
-   
  
 背を向けた父が崩れ落ち 
 アタシを抱きしめたままの母が脱力し、同じように崩れ落ちていく・・・ 
  
 床には2人の血だまりが広がり 
 何度呼んでも、何度揺さぶっても 
 二度と2人は目を覚まさなかった。 
  
 あの事件は『強盗殺人』じゃなかったの? 
  
 犯人だって、ちゃんといたじゃないか。 
 あれはカネで買ったヤツだったの? 
  
 だから―― 
  
 だから、アタシには何も・・・ 
 だからアタシは、たった一つの外傷もなく、無事だったの・・・? 
  
   
- 67 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:31
 
-   
  
 「もしも2人で逃げたりなんかしたら、今度はきっと 
  わたし達が同じ目に会うわ・・・」 
  
  
 ――アタシを手に入れるためだっただって? 
 ――2人を殺すのが仕方ないことだって? 
  
 何も見えない。何も聞こえない。 
 アタシの中の全ての感覚が遮断され、 
 真っ暗な闇が、確実にアタシの心の中を蝕んでいく―― 
  
   
- 68 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:31
 
-   
 アイツが・・・ 
 あの男が全て・・・ 
  
 家族も、梨華も―― 
  
 肥大化した闇が、すべてを覆い尽くした時 
 アタシの中で、何かが音を立てて粉々に砕け散った。 
  
  
 ――許さない。絶対に・・・ 
  
  
 アタシの心に、たった一つだけ残ったもの―― 
  
 それは、真っ赤な蓮の花のように妬けただれ 
 幾重にも広がった、殺意という名の紅蓮の炎だった・・・ 
  
   
- 69 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:32
 
-   
  
  
   
- 70 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:32
 
-   
 「お嬢様、そろそろ御支度をされた方が・・・」 
 「わかってる」 
  
 花嫁披露、そして正式に養子縁組をした祝宴が 
 すでに階下のパーティールームで始まっている。 
  
 主役の一人であるアタシも 
 出席しなければいけないのは分かっている。 
  
 けれど―― 
  
 怖いんだ・・・ 
 アタシの中で、次第に大きさを増していく炎が・・・ 
  
  
  <プルルルル> 
  
 内線が鳴って、保田が素早く 
 受話器をあげる。 
  
   
- 71 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:33
 
-   
 「お嬢様はまだ、御気分がすぐれないご様子でして・・・ 
  はい、申し訳ございません・・・」 
  
 困り顔で謝る保田の手から 
 受話器を取り上げた。 
  
 「ひとみです。今すぐ参ります」 
  
 それだけ言って、返事を待たずに受話器を置いた。 
  
 「お嬢様・・・」 
 「大丈夫」 
  
 いつまでも逃げる訳にはいかない。 
 アタシの中の炎は、おそらくもう消えることはない。 
  
 ならばいっそ―― 
  
   
- 72 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:33
 
-   
  
 大きく息を吸い込んで 
 パーティールームの扉が開かれるのを待つ。 
  
 何十人もの客人の前で 
 炎を燃え上がらせる訳にはいかない。 
 今はまだ、炎の渦に飲み込まれてはいけない―― 
  
 一度目を閉じて、口角を上げた。 
 さあこれで、見えない鎧は纏った。 
  
 静かにたぎる炎を、体の奥に感じながら、 
 ゆっくりと目を開けた。 
  
 同時に目の前の扉が開かれる―― 
  
  
 「遅かったじゃないか」 
  
 耳に飛び込んで来たのは、薄汚いジジイの言葉。 
 けれど、アタシの目が捉えたのは、 
 鮮やかなエメラルドグリーンのドレスを纏った、美しい梨華の姿。 
  
   
- 73 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:34
 
-   
 梨華・・・ 
 キレイだ・・・ 
  
 声に出せない想いを視線にのせて 
 梨華を見つめた。 
  
 ほんとにキレイだよ・・・ 
  
 恥らうように、梨華が目を伏せた。 
  
  
 すでに宴もたけなわ。 
 あちらこちらで繰り広げられる会話。 
 時折聞こえるしゃがれた笑い声。 
  
 けれどアタシの視界には、梨華しかいない。 
  
   
- 74 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:34
 
-   
 開け放たれた窓から差し込む 
 太陽の光に照らされた褐色の肌。 
 少しウェーブのかかった柔らかな髪・・・ 
  
 寄り添うように隣に腰掛けている、アイツさえいなければ・・・ 
  
 アタシの中で、紅蓮の炎が燻り始めた。 
  
 ひときわ大きな笑い声をあげて 
 アイツが梨華に下卑た笑みを送る。 
 そして、その穢れた手を 
 大きく開いた彼女の胸元へと伸ばしていく・・・ 
  
  <ガチャンッ!> 
  
 指にかけていた紅茶のカップを落とした。 
  
 「お嬢様!」 
 「・・・ごめん。手がすべったんだ」 
  
 へたな言い訳だ。 
 けど耐えられなかった。 
  
 梨華の体に触れるアイツが。 
 当たり前のように、皆の前でオレのものだと 
 見せ付けるように触れようとするあの男が―― 
  
   
- 75 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:35
 
-   
 「大丈夫ですか?」 
  
 指先がワナワナと怒りに震える。 
  
 あの穢い手でアイツは―― 
 あの穢れた舌でアイツは―― 
  
 「お嬢様、やはりお加減が・・・」 
 「大丈夫、心配しないで・・・」 
  
 言葉とは裏腹に、顔色が青ざめていくのが自分でもわかる。 
 たぎり出した紅蓮の炎が、大きなうねりを起こして 
 アタシ自身を飲み込んでいく―― 
  
 ――殺してやりたい。今すぐに・・・ 
  
  
 「お部屋でお休みになった方がいいわ」 
  
 そう言って、震えるアタシの手を握ったのは梨華だった。 
  
 「わたしがひとみさんをお部屋にお連れします」 
  
 周囲に微笑みかけた梨華に促されて 
 パーティールームを後にする。 
  
   
- 76 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:35
 
-   
 「こんなに手が冷たい・・・」 
  
 そう言って包み込むように 
 両手でアタシの手を温めてくれようとする梨華に 
 涙が込み上げてくる。 
  
 「梨華・・・」 
 「ダメ。その呼び方はお部屋に入ってから」 
  
 囁くように窘められるけど、もう自制がきかない。 
  
 「梨華・・・」 
 「待って、ひーちゃん」 
  
 お願い。待って―― 
  
 抱きしめようとする腕を押し戻して 
 滑り込むように、梨華がアタシの部屋に入る・・・ 
  
   
- 77 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:36
 
-   
 いつもの夜とは逆に 
 迎え入れた梨華にアタシは抱きついた。 
  
 「わたしだって、イヤ・・・」 
  
 梨華・・・ 
  
 「ほんとはイヤよ。 
  あんな人に触れられたくなんかない」 
  
 ――ひーちゃんと・・・ずっとこうしていたい・・・ 
  
 大きなうねりを起こした炎が 
 完全にアタシを包み込んだ。 
  
   
- 78 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:36
 
-   
  
 「――殺そう・・・」 
 「え?」 
  
 驚きのあまり、梨華の目が見開かれていく。 
  
 「アタシが・・・アイツを殺す」 
 「・・・何、言ってるの・・・?」 
  
 梨華の目を見つめた。 
  
 「本気だよ。 
  アイツを殺して、2人で逃げよう」 
 「ひーちゃん・・・」 
  
 どこか遠くへ。 
 2人きりで暮らせる場所へ。 
  
 「愛してる・・・梨華」 
  
 目の前の体を、キツクキツク抱きしめた。 
  
  
   
- 79 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:36
 
-   
   
- 80 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/07(木) 10:37
 
-   
   
- 81 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/06/07(木) 10:37
 
-   
 本日は以上です。 
   
- 82 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/07(木) 20:37
 
-  重くて、そして苦しい 
 
- 83 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2012/06/08(金) 00:20
 
-  あかん!あかんでぇ! でも応援する!う〜んどうすりゃいいんだぁ? 
 
- 84 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/08(金) 00:24
 
-  まるで推理小説みたいなかんじですね。この先どうなるのかな? 
 
- 85 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/06/13(水) 15:18
 
-   
 >82:名無飼育さん様 
  いよいよ中盤の痛さMAXに突入です。 
  
 >83:名無飼育さん様 
  どうしましょ。 
  
 >84:名無飼育さん様 
  そんな大層なものではないです。 
  強いていうならば、安っぽいふた昔前の昼ドラな感じかと・・・ 
  
  
 では本日の更新にまいります。 
 今回から痛さがパワーアップしますので、くれぐれもお気をつけ下さい。 
   
- 86 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:18
 
-   
   
- 87 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:19
 
-   
 「ひーちゃん、先に入ってて?」 
  
 別荘の前で、車を降りて 
 そっと耳元で囁いた。 
  
 小さく頷いて、門を開け 
 中へと入っていく背中を見送ってから 
 運転手の元へ歩み寄る。 
  
 「受け取って」 
 「若奥様・・・?」 
  
 「この2日間は、わたし達2人だけにして」 
 「ですが・・・」 
  
 もう一束、彼の手の上に乗せる。 
  
 「若奥様、ご冗談を・・・」 
 「これは口止め料」 
  
 目の奥に宿る欲望は見逃さない。 
  
   
- 88 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:20
 
-   
 「あなたはずっと、わたし達といたことにして」 
  
 いい? 
 主人にも、他の使用人にも絶対に言ってはダメ。 
 もしも口を滑らせたら―― 
  
 「2度と吉澤家には入らせない」 
 「――かしこまりました」 
  
 「明後日の午後1時に迎えに来て」 
 「承知いたしました」 
  
 「それから」 
  
 恭しく下げた頭をあげた彼。 
  
 「今後もわたしの言う通りにしてくれたら 
  保田をクビにして、あなたを使用人頭にしてあげるわ」 
  
 メガネの奥の瞳がキラリと光った。 
  
 「行って」 
  
 もう一度、恭しく頭を下げて 
 車に乗り込んだ彼を見送る―― 
  
   
- 89 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:21
 
-   
 とうとうここまで来た。 
 もうすぐ、仕上げの時が迫ってる―― 
  
 わたしの中に眠る紅蓮の炎が 
 復讐という風に煽られて、音を立てて燃え盛る・・・ 
  
  
 本気で愛していた。 
 本気で信じていた。 
  
 あんな事件があって、仕方ないと思った。 
 いつかきっと、迎えに来てくれる。 
 そんな甘い夢をみていた。 
  
 あなたもわたしも大好きだった父のお店。 
 いつの日か、父の跡を継ぎたいと言ってくれたあのお店。 
  
 それを潰したのは、あなたが社長を務める会社。 
 契約書には、見慣れたあなたのサインがあった。 
  
   
- 90 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:21
 
-   
 信じられなくて。 
 信じたくなくて。 
  
 そして、あなたに会いたくて―― 
  
 あなたの元を尋ねたわたしが 
 目にしたものは、あなたが他の女と腕を組み 
 周囲の目もはばからず、路上でキスする姿だった・・・ 
  
  
 信じてたのに・・・ 
 ずっと信じてたのに・・・ 
  
 わたしだけを愛してくれていると 
 あなたの心は、わたしだけに向いていると 
 ずっとそう信じていたのに・・・ 
  
   
- 91 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:22
 
-   
 全ての支えが崩れ落ち、 
 音を立てて粉々に砕け散った。 
  
 そして、わたしの心には、たった一つだけ―― 
  
 真っ赤な蓮の花のように妬けただれ 
 幾重にも広がった紅蓮の炎だけが、胸の中に燃え盛っていたんだ・・・ 
  
  
 ――許さない、絶対に。 
  
 わたしと、わたしの家族を 
 不幸へと陥れたあなたを・・・ 
  
 わたしは絶対に、許さない―― 
  
  
   
- 92 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:22
 
-   
  
   
- 93 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:22
 
-   
  
 「梨華・・・」 
  
 玄関へと足を踏み入れた途端に 
 抱きすくめられた。 
  
 「待って、ひーちゃん・・・」 
 「ヤダ・・・」 
  
 あの日以来。 
 あのパーティーの日以来、彼女は完全に壊れた。 
  
  
 「――誰にも触れさせたくないんだよ・・・」 
  
 唇が触れるたびに、熱い炎が勢いを増していく・・・ 
  
 「アタシの・・・、アタシだけのものだ・・・」 
  
 もっと燃え上がればいい。 
 わたしから飛び火した、あなたの中の炎が。 
  
 そしてそのまま、 
 自らをも、焼いてしまえばいい―― 
  
   
- 94 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:23
 
-   
 もつれ合うように、寝室のベッドへと転がり込む。 
  
 「この2日間は、2人きりよ。 
  ずっとこうしていられる」 
  
 性急に求めようとする彼女を受け入れながら 
 耳元で囁く。 
  
 「・・・ずっと・・・ずっと、こんな日が続けばいいのに・・・」 
  
  
  『ひとみさん、疲れてるようだから 
   別荘に気分転換しに行ったらどうかしら?』 
  『ああ、それはいい。 
   ワシは無理だから、キミが行ってくれるかい?』 
  『もちろん。そのつもりです』 
  
  
 彼女は知らない。 
 彼がわたしと結婚したのは、 
 あなたの未来を案じてだと言うことを。 
  
 そして―― 
  
  
   
- 95 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:23
 
-   
 「・・・わたしだって・・・ひーちゃん以外に・・・ 
  ――抱かれたくなんか・・・ない・・・」 
  
 「梨華・・・」 
  
 彼女の瞳に、真っ赤な炎がゆらめく。 
 そうよ。もっと。 
 もっともっともっと、勢いよく燃え上がって。 
  
 「・・・イヤ、なの・・・ 
  あなた以外に・・・触れられたくない・・・」 
  
 引き寄せて唇を合わせた。 
 深く深く口付けて、彼女の中に更に火を送り込む。 
  
  
 「――触れ、させない・・・」 
  
 そう。もっと。 
 ほらもっと、大きくなって。 
  
 「2度と・・・梨華には・・・ 
  ――触れさせない」 
  
   
- 96 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:24
 
-   
 彼女の中の、迷いなき業火を感じて 
 わたしは笑みを零す。 
  
 ――あなたは誤解してる。 
  
  
 「梨華は・・・」 
  
 だって、わたし彼に抱かれたことなんてないの。 
  
 「アタシの・・・」 
  
 知らないでしょ? 
 彼、不能なの。 
  
 「アタシだけのものだ・・・」 
  
 彼は寂しかっただけよ? 
 唯一の肉親であるあなたに嫌われて。 
  
   
- 97 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:25
 
-   
 「アイツにはもう触れさせない・・・」 
  
 そばにいてくれるだけでいい。 
 話を聞いてくれるだけでいいって。 
  
 「あんな穢れたヤツに、梨華を・・・」 
  
 可笑しくて笑えてきちゃう。 
 彼、このままじゃあなたが一人になってしまうからって。 
  
 「――2度と抱かせるもんか・・・」 
  
 死期がすぐそこまで迫っているから、焦ってるの。 
 今更後悔してるのよ。今までの自分の行いを。 
  
 「アタシが・・・アイツを・・・」 
  
 彼があなたを欲しくて、両親を殺したなんて、真っ赤なうそ。 
 『ワシが殺したようなもんだ』って、自分を責めてるだけなの。 
  
 「この手で、必ず――」 
  
 彼のやり方で恨みを買ったせいで、ご両親は殺されたんだから・・・ 
  
  
 「愛してる、梨華・・・」 
  
  
 ――間違ってはいないでしょ? 
  
   
- 98 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:25
 
-   
  
 「・・・ひーちゃ・・・、んっ・・・」 
  
 体が熱い。 
 彼女に抱かれれば、抱かれるほどに。 
  
  
 「・・・もっ・・・と・・・・・・」 
  
 そうモット。モットモット。 
 わたしの体に溺れればいい。 
 この火の海に、溺れ落ちてしまえばいいんだ・・・ 
  
  
 「・・・あああっ・・・、んっ・・・ああっ」 
  
 紅蓮の炎よ。 
 わたし達2人を包んで。 
  
 そして、彼女を―― 
  
 わたしと、わたしの家族を 
 不幸へと陥れた彼女を一人、その海で溺れさせて―― 
  
  
   
- 99 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:25
 
-   
   
- 100 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/13(水) 15:25
 
-   
   
- 101 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/06/13(水) 15:26
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 102 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/13(水) 22:52
 
-  「紅蓮」という言葉の意味を調べました。 
 この作品をより深く味わって読める気がしました。  
- 103 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/14(木) 00:16
 
-  こうゆう痛いの最近では大好物になってしまいました。 
 もちろん望んでいるのはハッピーエンドですよ!  
- 104 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/17(日) 14:32
 
-  まさしく昼ドラな感じですねぇ(ニヤニヤ 
 読み終わる度に、痛い痛いと言いながらニヤニヤしちゃってるのは何故だろう? 
 次回更新が楽しみでしょうがないです。  
- 105 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/06/19(火) 11:23
 
-   
 >102:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
 >103:名無飼育さん様 
  ドMさんようこそ。 
  
 >104:名無飼育さん様 
  三文にもならない昼ドラになりそうです(汗) 
  
  
 では本日の更新です。 
   
- 106 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/19(火) 11:23
 
-   
   
- 107 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/19(火) 11:24
 
-   
  
 『ただいま〜』 
 『こんちわ〜』 
  
 『お帰りなさい』 
 『よお!いらっしゃい』 
  
 優しいママの笑顔と穏やかなパパの笑顔が、 
 わたし達を迎えてくれる。 
  
 『いつものでいいかい?』 
 『はいっ!』 
  
 眩しい笑顔のひーちゃんと、嬉しそうに目を細めるパパを見て 
 わたしの胸に温かいものが広がる。 
  
 <幸せ> 
  
 それ以外の言葉は見つからない。 
  
   
- 108 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/19(火) 11:24
 
-   
 パパの経営する喫茶店のカウンター。 
  
 2人並んで、いつもの指定席に座って、 
 微笑み合うこの時間も、小さな幸せの一つ。 
  
 2人で紡ぐ時間の全てが 
 <幸せ>の延長線上にあるんだ。 
  
 『はい。いつもの』 
  
 パパがわたしとひーちゃんの前に 
 お揃いのカップを並べてくれる。 
  
 甘くて香ばしい香りが、鼻腔を通って全身に広がり 
 わたし達2人を更なる幸せで包み込むの。 
  
 雪のような泡の上に、キャラメル色のシロップが 
 幾筋もかかったその飲み物は、わたし達の幸せのシンボル。 
  
 『まるでアタシ達みたいだね』 
  
 最初にそれを飲んだ日に、スプーンでかき混ぜながら 
 ひーちゃんがそう言った日から 
 キャラメルマキアートは、2人にとって特別な飲み物になった。 
  
   
- 109 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/19(火) 11:25
 
-   
  
 『アタシ、おじさんの店を継ぎたいな』 
  
 怖い顔の人も怒った人も 
 悲しい気分の人も、皆が幸せな気持ちになれるような。 
  
 梨華ちゃんのお父さんとお母さんみたいに 
 2人で仲良くさ。ずっとずっと2人で、笑顔を絶やさず 
 幸せを紡いでいきたいんだ―― 
  
 『――ダメ、かな・・・?』 
  
 窺うようにわたしを見る、 
 大きな瞳が愛しくて。 
  
 『こんなこと言うの、ちょっと早かったかな・・・?』 
  
 雄弁に複雑な感情を映し出す、 
 澄んだ瞳がたまらなく愛しくて・・・ 
  
   
- 110 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/19(火) 11:25
 
-   
 『うれしい・・・』 
  
 思わず、わたしの口から漏れ出た言葉に 
 一瞬でキラキラと輝き出す瞳に釘付けになった。 
  
  
 『好きだよ・・・』 
  
 真剣な瞳が近づいてきて。 
  
 『ずっと一緒にいようね?』 
  
 優しく体を包みこまれて。 
  
 『梨華・・・』 
  
 初めて呼び捨てにされて、初めて交わしたキスは、 
 キャラメルマキアートの味がした―― 
  
   
- 111 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/19(火) 11:26
 
-   
  
  
 甘くて苦い思いが、胸を締めつけたのと同時に 
 何かが、目尻から滑り落ちて行く―― 
  
 スッーと霧が晴れるように 
 次第に脳が覚醒して行き、ゆっくり瞼を持ち上げた。 
  
  
 ――夢・・・か・・・。 
  
 嫌な夢だ。 
  
 胸の奥深くに、固く封印したはずの想い出が 
 こんな時に湧き上がってくるなんて・・・ 
  
   
- 112 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/19(火) 11:26
 
-   
 「――梨華・・・?」 
  
 浅い眠りから覚めた彼女が 
 腕の中のわたしを見つめる―― 
  
 キライ。 
 大キライよ。 
 あなたのその、澄んだ瞳がキライなの・・・ 
  
 ざわつく心を宥めるように 
 自分の心に繰り返し言い聞かす―― 
  
 彼女の唇が、わたしのこめかみに触れた。 
  
 「梨華、愛してる」 
  
 裸体のまま半身を起こした彼女が 
 再び、わたしに覆いかぶさった。 
  
   
- 113 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/19(火) 11:27
 
-   
 「梨華が望むなら、アタシの全てをアゲルよ・・・」 
  
 大きな瞳が、わたしの視線を捕まえた。 
  
 「だから、泣かないで・・・」 
  
 どうしてこんな時に、涙が零れ落ちるの? 
 どうして彼女の前で、彼女の腕に抱かれて・・・ 
  
 なんでよ! 
 どうしてよ! 
  
 「梨華が望むなら、どんなことだってするから」 
  
 甘い声が、甘い吐息が 
 わたしの鼓膜を揺さぶる。 
  
 ヤメテ・・・ 
 それ以上、何も言わないで・・・ 
  
   
- 114 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/19(火) 11:27
 
-   
 「本気だよ」 
  
 そっと頬を撫でられた。 
  
 「人殺しでも、なんでもする・・・」 
  
 思わず視線をそらした。 
  
 「この身でさえ、捧げてもいいって思ってる・・・」 
  
 うそつき・・・ 
  
 「愛してる・・・」 
  
 唇を塞がれた。 
 緩やかに差し込まれた舌が、 
 余計にわたしの心をざわつかせる。 
  
 「ずっと、ずっと。梨華だけを愛してる・・・ 
  出会った時から、ずっと・・・」 
  
 ダメ。信じない。 
  
   
- 115 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/19(火) 11:28
 
-   
 もう2度と。 
 わたし達は、元には戻れない・・・ 
  
 だって、わたしの心の中は、とっくに 
 紅蓮の炎に覆いつくされてしまってるんだもの・・・ 
  
  
 「――梨華だけを、愛してる・・・」 
  
 今更、遅い。 
 何度囁かれたって、もう遅すぎるんだよ。 
  
  
  
 だから―― 
  
  
 「・・・彼を・・・殺して・・・」 
  
  
 込み上げる快楽をねじ伏せながら 
 彼女の耳元で囁いた。 
  
  
   
- 116 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/19(火) 11:28
 
-   
   
- 117 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/19(火) 11:28
 
-   
   
- 118 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/06/19(火) 11:29
 
-   
 短めですが、本日は以上です。 
   
- 119 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/19(火) 12:38
 
-  引き込まれます 
 
- 120 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/20(水) 01:36
 
-  こんな梨華ちゃん...けっこう好きかも..... 
 
- 121 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/06/26(火) 14:38
 
-   
 >119:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
 >120:名無飼育さん様 
  マジっすか?石投げられるかと思ってたのに・・・ 
  今作は梨華ちゃんを壊してみたかった所から始まってます。 
  
  
 では本日の更新にまいります。 
 本日も短めです。 
   
- 122 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/26(火) 14:38
 
-   
   
- 123 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/26(火) 14:39
 
-   
 その夜は、まるで嵐のように風が鳴いていた。 
  
 ゴオゴオと激しい音を立てながら、 
 木々を揺らし、窓を叩く。 
  
 もし今夜、ほんの小さな火種を放ったら 
 その炎は、燎原の火の如く全てを焼き尽くしてくれるだろう・・・ 
  
  
 「ひーちゃん・・・」 
  
 わたしは喘いでいた。 
 彼女の長い腕に抱かれて。 
 彼女の艶やかな素肌に包まれて。 
  
 「今夜はこのまま、ひーちゃんと一緒にいたい・・・」 
  
 彼女の耳に唇を寄せて、熱い吐息と共に囁く・・・ 
  
 「――もう、あの人の元には帰りたくない・・・」 
  
 火種はおそらく、これで充分。 
 あとは嵐が、風が、彼女の心を焚きつけてくれるはず・・・ 
  
   
- 124 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/26(火) 14:40
 
-   
 「帰さない。アイツの元には帰さない」 
  
 わたしの肌を滑りながら、薄い唇が動く。 
  
 「2度と帰さないよ・・・」 
  
 別荘から屋敷に戻って、明らかに彼女は変わった。 
 彼に対しては敵意をむき出しにし、胸に秘める炎を隠さなくなった。 
  
 「・・・夜が明けたら」 
  
 上に重なる彼女の顔を見上げた。 
  
 「アイツを」 
  
 澄んだ瞳が、わたしを見下ろしている。 
  
 「殺す――」 
  
   
- 125 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/26(火) 14:40
 
-   
 火の手があがった。 
  
 ゴオゴオと燃えたぎる紅蓮の炎。 
 長く燻り続けた真っ赤な炎が、美しく猛々しく、 
 とうとうわたし達2人を飲み込んだ。 
  
  
 「愛してる。アタシの全てをかけて。 
  梨華を愛してる」 
  
 愛を囁き続ければいい。 
 そしてそれを後悔すればいい。 
  
 わたし達の火が、もっと燃え盛るように 
 身も心も2人で燃やし続けて、高みを目指す。 
  
 激しく喘いで、彼女の背に腕を回して 
 真っ赤に染まった、この紅の火を幾重にも重ねて・・・ 
  
 ――あなたは真っ白な灰になればいい・・・ 
  
   
- 126 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/26(火) 14:41
 
-   
  
  
  
   
- 127 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/26(火) 14:41
 
-   
  
 粛々と進む時間―― 
 間もなく訪れる仕上げの時に、わたしの胸は高鳴る・・・ 
  
 昨夜からの風は、外がうっすら明るくなっても 
 一向に止む気配がない。 
  
 一晩中、火を伝え続けたわたし達は 
 一度もまどろむこともなく、朝を迎えた。 
  
 「・・・夜が、明けたね」 
  
 決意は揺らいでいないだろうか? 
 火は消えていないだろうか? 
  
 「梨華」 
 「・・・なに?」 
  
 寄せ合ったままの体に 
 ピリピリと見えない電流が走った気がした。 
  
   
- 128 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/26(火) 14:42
 
-   
 「――戻ってきたら、逃げよう・・・」 
  
 2人で。 
 誰もいない街へ。 
 何もかも捨てて。 
  
 「2人きりで生きよう・・・」 
  
 わたしを見つめる大きな瞳。 
 その決意の深さを物語る、光りの強さ。 
  
 「行ってくるね?」 
  
 優しい笑みを浮かべて 
 彼女は、そっと唇を重ねた。 
  
   
- 129 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/26(火) 14:42
 
-   
 ベッドを抜け出た真っ白な肌に 
 真っ赤な火種のアトが浮かびあがっている。 
  
 彼女が羽織ったシャツが、そのアトを隠してしまうと、 
 わたしは窓の外に目を向けた。 
  
 ――アメ、だ・・・ 
  
 冷たい雨が、風に煽られて 
 地を這うように舞い踊る。 
  
 お願い。 
 火を消さないで・・・ 
  
 ここまで来て。 
 わたしの全てをかけて、熾した炎を 
 どうか消したりしないで・・・ 
  
 「じゃあね」 
  
 わたしに背を向けたまま 
 彼女が部屋を出て行った。 
  
   
- 130 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/26(火) 14:43
 
-   
  
 「・・・ふふふ。 
  あははははは・・・」 
  
 堪えきれずに、笑い声が漏れてしまった。 
  
 大丈夫。 
 燎原の火は、こんな雨じゃ消えない。 
  
 わたしは待てばいい。 
 ただじっと待てばいいのだ。 
  
 そして、血まみれになって戻ってきた彼女に 
 とびきりの冷水を浴びせて、一気に灰にしてしまえば 
 わたしの願いは叶う。 
  
 復讐という名の紅蓮の炎は、喜びの火粉となり 
 宙を舞い、空の彼方へと昇華する。 
  
 もう、間もなく―― 
 その時が来る―― 
  
  
   
- 131 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/26(火) 14:43
 
-   
   
- 132 名前:紅蓮 投稿日:2012/06/26(火) 14:43
 
-   
   
- 133 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/06/26(火) 14:44
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 134 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/26(火) 17:44
 
-  誰かよっちゃんを止めてくれヽ( ;´Д`)ノ 
   
- 135 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/26(火) 23:21
 
-  は、はやく続きを! 
 
- 136 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/27(水) 01:03
 
-  めっちゃくちゃドキドキしてきた 
 どうしよう?早く次の更新を!  
- 137 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/07/03(火) 10:02
 
-   
 >134:名無飼育さん様 
  無理っぽい・・・ 
  
 >135:名無飼育さん様 
  お待たせしました。 
  
 >136:名無飼育さん様 
  お待たせしました。 
  
  
 では、本日の更新です。 
  
   
- 138 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:02
 
-   
   
- 139 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:09
 
-   
 待つということは、恐怖と戦うこと。 
  
 期待に弾む胸の鼓動。 
 それが早まれば早まるほどに、不安が恐怖が増幅していく・・・ 
  
 ――もう、刃は血を飲んだだろうか・・・ 
  
 今頃、あの醜い顔は歪んでいるだろうか。 
 今頃、あの真っ白な肌は、血に染められたのだろうか。 
  
 ――それとも、まだ・・・ 
  
 遅いのか。 
 遅くないのか。 
 人を殺めるのに、どれほどの時間を要するのか。 
  
 まさか返り討ちに? 
  
 それはそれで、わたしの望む 
 一つの結末なのかもしれない。 
  
   
- 140 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:09
 
-   
 ふふふ・・・ 
 再び笑いがもれた。 
  
 気持ちが昂ぶる。 
 ――自制が利かないほどに。 
  
 震えが止まらない。 
 ――来るべき時を迎えた武者震いだ。 
  
 落ち着かなく部屋の中をぐるぐると回る。 
 ――この歩みの先に、終点は必ずある。きっとある・・・ 
  
   
- 141 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:10
 
-   
  
  <――カツ・・・カツ・・・カツ・・・> 
  
 重苦しい足音が廊下に響く。 
  
 来た!きっと彼女だ! 
 彼女が帰って来たんだ! 
  
 一気に体中の血が沸騰した。 
  
 一度目を閉じて、気持ちを静める。 
 何度も心の中で繰り返した侮蔑の言葉を反芻する。 
  
 ――信じた人に裏切られる気持ちを、今あなたにも味合わせてあげる・・・ 
  
 とびきりの態度で。 
 とびきりの言葉で。 
  
 あなたの心をズタズタに切り裂いてあげる。 
  
  
   
- 142 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:10
 
-   
 部屋の前で、足音が止まり 
 ゆっくりと扉が開いた―― 
  
  
 ――そこには確かに顔面蒼白な彼女がいた。 
  
 けれど、その顔も。 
 その手も。その衣服でさえ血には染まっていない。 
  
 手にはナイフを握っているというのに・・・ 
  
   
- 143 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:11
 
-   
 「――死んだ、よ・・・」 
 「え?」 
  
 「アイツ、アタシがこれを向けたら 
  勝手に苦しんで、勝手に・・・勝手に・・・」 
  
 発作を起こしたんだ。 
 たった一人きりの肉親に、刃を向けられて・・・ 
  
 「・・・り・・・か・・・」 
  
 恐怖のあまり、歯が噛み合わないらしい。 
 声を震わせ、喉を震わせ、体中を震わせながら 
 懸命に言葉を吐き出そうとする彼女。 
  
 可笑しい。最高に可笑しい。 
 可笑しくてたまらない。 
  
   
- 144 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:11
 
-   
 「・・・梨華・・・、一緒、に・・・」 
 「意気地なし」 
  
 大きな瞳に、困惑の色が浮かんだ。 
 ゆっくり、ゆっくりと彼女の元へと足を運ぶ。 
 全身から侮蔑の色を漂わせながら・・・ 
  
 「だって殺せなかったんでしょ? 
  だから意気地なしって言ったの」 
  
 彼女の手から、ナイフが滑り落ちた。 
  
 いつだってそう、あなたは。 
 あの時だってそう、あなたは。 
  
 わたしを選ばずに、わたしを捨てて。 
  
 それどころか、信じ続けたわたしを簡単に裏切って、 
 わたし達家族を不幸に陥れた。 
  
 あなたのせいで、お店を失ったパパは 
 すっかりやつれて、病気になり、それからずっと入院したまま。 
  
   
- 145 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:12
 
-   
 ねぇ、わかる? 
 裏切られた人の気持ち。 
  
 何も見えなくなってしまった闇の中で、 
 ズタズタにされた心を抱えることが、どんなに苦しいか、あなたにわかる? 
  
 「わたしがここに来たのは、あなたに復讐するため」 
  
 今度はわたしが、真っ暗闇に 
 あなたを突き落とす番なの。 
  
 燃え尽きて、全て失わせて 
 あなたを真っ白な灰にしてあげる。 
  
 「ねぇ、気付かなかった? 
  わたし一度だって、あなたに『愛してる』って 
  言わなかったでしょ?」 
  
 益々、色を失っていく彼女の頬に触れる。 
  
   
- 146 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:12
 
-   
 「キライ 
  大キライ」 
  
 大きく見開かれた、彼女の瞳を真っすぐに見つめた。 
  
 「あなたのその瞳がキライ」 
 「――梨・・・華・・・」 
  
 「2度と見たくないの。 
  あなたのその瞳を」 
  
 彼女の瞳から零れ落ちた雫が 
 頬に添えたままの、わたしの指を伝い 
 手の甲を濡らして行く―― 
  
 「消えてよ。 
  わたしの前から」 
  
 更に溢れ出した涙が、腕にまで伝って行く―― 
  
   
- 147 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:13
 
-   
  
 「ダイッキライ」 
  
 そのまま濡れた手で、彼女の肩を押すと 
 簡単に崩れ落ちて、尻餅をついた。 
  
 物音に気付いたらしい保田が 
 扉の向こうから、声をかけてくる。 
  
  『お嬢様? 
   どうかなさいましたか?』 
  
 腰が抜けたように、そのままへたりこんでいる彼女が 
 滑稽すぎて、お腹を抱えて笑いたくなる。 
  
  『お嬢様?!』 
  
 「梨華、アタシは――」 
 「気安く呼ばないでっ!」 
  
 尋常じゃない様子に気付いたのか 
 保田が扉を開けた。 
  
 「お嬢様!!」 
  
 開けられたばかりの扉から 
 保田を跳ね飛ばして、彼女が駆け出して行く―― 
  
   
- 148 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:14
 
-   
  
 やった・・・ 
 ついにやった・・・ 
  
 どうせなら殺人もして、これ以上ないほどの 
 どん底に落としてやりたかったけど、まあ仕方ない。 
  
 「・・・あは・・・あはははは・・・」 
  
 堪えきれずに笑いがもれた。 
  
 「アハハハッ 
  アハハハハハ」 
  
 可笑しくて止まらない。 
  
 「あはははははは! 
  アハハハハハハッ!!」 
  
 最高に可笑しい。 
 可笑しくて、可笑しすぎて・・・ 
  
 ――ほら、次から次に・・・ 
  
 「・・・っく・・・、ううっ・・・」 
  
 涙が溢れて止まらないじゃない―― 
  
  
   
- 149 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:14
 
-   
   
- 150 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/03(火) 10:14
 
-   
   
- 151 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/07/03(火) 10:14
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 152 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/07/03(火) 10:43
 
-  なんも言えね… 
 
- 153 名前:名無し留学生 投稿日:2012/07/03(火) 17:54
 
-  く、苦しいぃぃぃぃ 
 玄米ちゃさまダ・イ・キ・ラ・イ (嘘だけどw 
  
 でも、本当に心が痛いYO! 
 今後の発展を期待します!  
- 154 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/07/03(火) 19:52
 
-  ぅぅぅぅ・・・どっちもつらいですね・・・ 
 
- 155 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/07/10(火) 15:14
 
-   
 >152:名無飼育さん様 
  すみません。 
  
 >153:名無し留学生様 
  作者はアナタ様がダイスキですよ(笑) 
  
 >154:名無飼育さん様 
  まもなく終わりますゆえご勘弁を。 
  
  
 では、本日の更新です。 
  
   
- 156 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:14
 
-   
   
- 157 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:14
 
-   
 あっという間に、2週間が経った。 
  
 持病の発作であっけなく逝った会長と同時に姿を消した社長。 
 残された若い未亡人が、世間から注目されるのは、当然の成り行きだった。 
  
 遺産は? 
 会社は? 
  
 メディアはお茶の間の関心を引くように 
 好き放題報じていた。 
  
 何とでも言えばいい。 
 好きにすればいい。 
  
 わたしのやるべきことは、もう終わったのだから。 
  
   
- 158 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:15
 
-   
 「奥様」 
  
 弁護士が遺言書を手に 
 何やら言っている。 
  
 「先生にお任せします。 
  主人の遺志のままに」 
  
 憂いを纏った笑みを浮かべてそう言うと、 
 弁護士が書類を元に説明を始めた。 
  
 ――聞く気はさらさらない。 
  
 ふと窓の外に目をやる。 
 急激に空が暗くなってきている。 
  
 ひと雨、来そうだな・・・ 
  
 そう思った瞬間、閃光が走った。 
 続いて空を切り裂くような轟音が響き 
 思わず身を縮ませた。 
  
   
- 159 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:16
 
-   
 「奥様、大丈夫ですか?」 
 「・・・ええ。続けて下さい」 
  
 そう言った時だった。 
  
 ドアがノックされ、返事をする間もなく 
 扉が開いた。 
  
 「保田・・・」 
  
 すでにクビにしたのに。 
 なぜここに? 
  
 「ご報告申し上げたいことがあり 
  お邪魔致しました」 
  
 「君、失礼じゃないか!」 
  
 弁護士が立ち上がり、 
 保田を追い出そうと、その元へ向かう。 
  
 「お嬢様が」 
  
 わたしを見据えたまま、保田が声を張った。 
  
 「見つかりました」 
  
   
- 160 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:16
 
-   
 「本当か!それは助かった!」 
  
 一人だけ、能天気な弁護士が 
 嬉しそうに手を叩く。 
  
 「これで遺産の整理もスムーズに行きます。 
  それで君、お嬢様はもう戻られたのかね?」 
  
 「お嬢様は」 
  
 外で風が唸る音がする。 
 雨が大地を激しく叩く音がする。 
  
 真っすぐな視線を感じるのに 
 なぜか怖くて顔を上げられない。 
 思わず両手を合わせて握り締めた。 
  
 「崖から飛び降りされたそうです」 
  
 一瞬、音が消えた。 
  
   
- 161 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:17
 
-   
 「き、君・・・ 
  そ、それじゃ、お嬢様が見つかったと言うのはまさか・・・」 
  
 「いえ。ご存命です」 
  
 思いがけず、ホッとした自分に気付いて 
 軽く頭を振る。 
  
 「ではお嬢様はどちらに?病院か?」 
  
 「ええ。ですが・・・」 
  
 言いよどむその言葉にまた、息を飲む。 
  
 「ですがなんだね?」 
  
   
- 162 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:18
 
-   
 「視力を無くされました」 
  
 「視力、を・・・? 
  飛び降りた時に、目が傷ついたのか?」 
  
 「いえ」 
  
 再び強い視線を頬に感じた。 
  
 「病院で意識を回復して、ご自分が生きているとわかったその夜に」 
  
 「――その、夜に・・・?」 
  
 「ご自分で目を・・・」 
  
 息苦しさに耐え切れずに、自分の胸元を強く握った。 
  
 「体中骨折されていて動けない体を、無理矢理動かして 
  せめて大キライだと言われた、この目だけでもと」 
  
 体中にガタガタと震えが走る。 
  
 「ですから今は、再びご自分で無茶なことをなさらないよう 
  拘束着を着せられて、入院されています」 
  
 雷鳴が鳴り響いて、 
 わたしの全身を突き抜けて行った気がした。 
  
   
- 163 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:18
 
-   
 「奥様」 
  
 ゆっくりと足音が、わたしに近づいてくる。 
  
 「お嬢様は」 
  
 すぐ横で、ピタリと止まった。 
  
 「全てお気づきでした」 
  
 思いがけない言葉に顔を上げた。 
 鋭い眼光にぶつかる―― 
  
   
- 164 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:19
 
-   
 「お2人が別荘から戻られた後 
  お嬢様は、これを私にお預けになられました」 
  
 ――アタシに何かあったら、ここにかかれた通りにして欲しい。 
  
 「そうおっしゃいました」 
  
 きっちり封のされた封筒を差し出される。 
 けれど、手が震えて、体が震えて身動きが出来ない・・・ 
  
 見かねた弁護士が、それを受け取って封を開けた。 
  
  
   『私が所有する下記の物件と全ての財産を、 
    母 梨華に譲る』 
  
  
 差し出された便箋を、震える手で受け取る。 
  
   
- 165 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:20
 
-   
 右上がりの神経質そうな文字。 
 そこに記載されていた物件をみて 
 息が止まりそうになった。 
  
 「これ・・・」 
 「奥様のご実家ですね」 
  
 そこには、わたしが生まれ育った家と 
 あの大切な喫茶店が記載されていた。 
  
 「開発の話は、お嬢様のお力だけでは到底止められるものでは 
  ございませんでした。ですから、一度会社で購入されて、 
  その後無理矢理、お嬢様がご自分で買い戻されていました」 
  
 うそ・・・ 
 そんな・・・ 
  
 ――そんな、ことって・・・ 
  
   
- 166 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:20
 
-   
  
  梨華の思ってること、わかってるんだ。 
  復讐したいって、恨まれてるのもよく分かってる。 
  
  別荘でね、2人きりで過ごした2日間で気付いた。 
  だけどさ。アタシの中に、必死で火を送り込もうとしてる彼女が 
  愛しくて仕方ないんだよ。 
  
  彼女の望むことなら、どんなことだってしてあげたい。 
  たとえそれが、世間の道理から外れていたとしても。 
  
  いつか梨華のお父さんの病気が治って 
  またあの喫茶店を営業できるようになったら 
  返そうと思っていたこの場所。 
  
  アタシに何かあったら、 
  保田がちゃんと返してあげて。 
  
  財産目当てで寄ってくる、色んなヤツから 
  梨華を守ってあげて。 
  
  
   
- 167 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:21
 
-   
 「そのように仰せつかりました」 
  
 く、る、しい・・・ 
 胸が、締め付けられて・・・ 
 ――息、が・・・出来ない。 
  
 「その後お嬢様は」 
  
  あ、梨華には言わないでよ。 
  アタシは恨まれたままでいいから。 
  じゃなきゃ、梨華が苦しむから・・・ 
  
 「そのようにおっしゃって、優しく微笑まれました」 
  
 どうして? 
 なんでなのっ?! 
  
 ――なんで・・・、そんな・・・ 
  
 両手で顔を覆った。 
  
 「お嬢様の仰せの通り、申し上げるべきでは 
  なかったのかもしれません。ですが・・・」 
  
 そこまで言って、保田はドアまで戻ると 
 「どうぞお入り下さい」 
 そう言って、扉を開けた。 
  
   
- 168 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:22
 
-   
 「梨華・・・」 
  
 涙で滲んだ視界に、ママが見えた。 
  
 すごい勢いで、近づいてきて 
 大きく右手を振り上げたと思ったら、わたしの頬を叩いた。 
  
 「なんてバカなことするの!」 
  
 勝手に東京に行ったと思ったら。 
 勝手に結婚なんかして。 
 勝手に未亡人になって。 
 勝手に報道されて。 
  
 どれだけ、パパとママが心配したと思ってるの?! 
  
 「それにどうして! 
  どうして、ひとみちゃんに・・・ 
  パパの恩人にヒドイことしたの・・・」 
  
 ママが泣きながら、わたしを抱きしめた。 
  
   
- 169 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:22
 
-   
 ――ママ、何言ってるの? 
 ――言ってる意味が、わからないよ。 
  
 パパの恩人ってなに? 
 だってパパは、パパはひーちゃんのせいで・・・ 
  
 「ママ達がちゃんと言えば良かった・・・」 
  
 ひとみちゃんに黙っててって言われても 
 ひとみちゃんとの約束を破ってでも 
  
 「ちゃんと梨華に話せば良かった・・・」 
  
   
- 170 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:23
 
-   
 パパの病気は、ひとみちゃんのせいなんかじゃないの。 
 あの頃ね、梨華には隠してたけど、パパ既に体調が悪かったの。 
  
 心配かけないように、はっきりするまでは 
 梨華には黙ってようって、パパ言ってたの。 
 ひとみちゃんを失って、梨華が落ち込んでいるのは 
 パパもよく分かってたから・・・ 
  
 そんな時ね、あの辺り一体に開発の話しが来た。 
 賛否両論が入り混じって、商店街は大変だった。 
 始めの一軒が売ってしまうと、まるで連鎖反応のように 
 次々に賛成に傾いて行った。 
  
 実はね。梨華がいない時にね、パパ一度倒れたの。 
 でもすぐに元気になって、大丈夫って笑った。 
 けどママ心配でたまらなくて、無理矢理病院に連れてった。 
  
 もっと詳しく検査しないと分からない。 
 でも重大な病気の可能性が高いからって、 
 近いうちに入院しなさいって、先生に言われた。 
  
 その帰り道にね、パパがぽつりと言ったの。 
  
 大切なお店だけど。 
 梨華の想い出の詰まった大切な場所だけど。 
  
 もう、お店辞めようか・・・って。 
  
   
- 171 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:24
 
-   
 その時ね、ひとみちゃんに声をかけられたの。 
 病院から、2人が出てくるとこが見えたって・・・ 
  
 『どこか悪いんですか?』 
 って、相変わらず綺麗な大きな瞳で聞いて、 
 本気でパパのこと心配してくれた。 
  
 元気でいてくれたことが嬉しかった。 
 変わらない瞳の色が嬉しかった。 
  
 パパのことを話したらね。 
 『母方の親戚に、総合病院やってるとこがあって 
  最新技術も揃ってるみたいだし、信頼できるとこだから紹介します』って。 
 『地方になるんですけど、それでもいいですか?』って。 
  
 でもお店が・・・ 
 そう言ったらね 
  
 『ほんとはその話をしに来たんです』って 
 ひとみちゃん、寂しそうに言ったの。 
  
 せっかくだから、うちにいらっしゃいよって。 
 梨華も喜ぶだろうからって、誘ったら 
 『梨華には会えない』って。 
  
   
- 172 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:24
 
-   
 『開発の話進めてるの、うちの会社なんです』 
 『もうアタシじゃ止められなくて』 
 『だから一旦、会社に売って下さい』 
 『必ず取り戻しますから』 
  
 『絶対守るって、約束しますっ!』 
  
 そう言って、頭を下げてくれた。 
 頭を下げなきゃいけないのは、ママ達の方なのに・・・ 
  
 そして続けて、ひとみちゃんは言ったの。 
  
 『梨華には内緒にして下さい』って。 
  
 もしもうまくいかなかった時に 
 これ以上、辛い思いをさせたくないから。 
 余計な期待をさせたらいけないから。 
  
 この先ずっと。 
 アタシはそばには、いてあげられないから―― 
  
   
- 173 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:25
 
-   
 「アタシはもう、会長の言いなりにしか生きられません。 
  けど、梨華にはステキな人と出会って 
  ステキな恋をして、幸せになって欲しいんです・・・ 
  ひとみちゃん、そう言ってた」 
  
 何、それ・・・ 
  
 「だから思いっきり、憎まれた方がいいって思ってます。 
  それが梨華のためだと思います。 
  ひとみちゃん、そうとも言った」 
  
 バカ、じゃないの・・・ 
  
 「ですから、このことは内緒にして下さいって」 
  
 何で、黙ってたのよ・・・ 
 何で、一人で悪者になんかなったのよ・・・ 
  
   
- 174 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:25
 
-   
 「その後すぐに、病院にも連絡入れてくれて 
  病院のすぐ近くに、お家も探してくれて。 
  お引越しも全部、手配してくれたのは、ひとみちゃんなの」 
  
 ――遅いよ、ママ・・・ 
  
 「だからね、お店を失ってパパが体を壊したんじゃないの。 
  地方に引っ越したのは、お店を失ったせいなんかじゃないの」 
  
 ――今更言われても、遅すぎるよ・・・ 
  
 「せめてお礼させてくれって、パパが言ったけど 
  ひとみちゃんは、お礼なんかいらないから約束してって。 
  決して梨華には言わないって、約束してくれればそれでいいからって」 
  
 ――バカみたい、わたし・・・ 
  
 「だったらせめて、最後にキャラメルマキアートを飲みに来てくれって 
  パパが言ったけど、ひとみちゃんは断った」 
  
  『コーヒーはもう飲まないって決めたんです』って・・・ 
  
   
- 175 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:26
 
-   
 「私は最初、お嬢様はコーヒーが 
  お嫌いなんだとばかり思っていました」 
  
  『アタシには飲む資格がないんだ。 
   大切な人とずっと一緒にいる約束したのに、破っちゃったから』 
  
 「遠い昔にそんな風におっしゃっていました。 
  けれど、あの日の前日。 
  奥様が外出された時に、お嬢様が突然 
  キャラメルマキアート作れる?そうおっしゃいました」 
  
   『ヘタだなぁ、保田は』 
  
 「そんな風に冗談ぽく言われて。 
  貸してごらん、なんてシロップを取り上げられて」 
  
   『何があっても、梨華を責めないでね』 
  
 「香りを胸いっぱいに吸われながら 
  そうおっしゃいました」 
  
   
- 176 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:27
 
-   
 『もう二度と、梨華を抱きしめることなんて 
  出来ないって思ってた。 
  言葉を交わすことさえ、視線を合わせることさえ 
  二度と許されないって思ってた』 
  
 『それが叶っただけで、アタシは充分だから』 
  
 『今まで色々ありがとね。 
  保田がいなかったら、励ましてくれなかったら 
  きっと梨華の家を買い戻すことも出来なかったと思う』 
  
 『アタシの最後のお願い、ちゃんと聞いてよ?』 
  
  
 『――梨華を・・・守ってあげて』 
  
  
   
- 177 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:27
 
-   
  
 ひーちゃん・・・ 
  
 自分自身の体をも支えられずに 
 その場に泣き崩れた。 
  
 遅すぎる後悔が 
 奥深くに仕舞い込んでいた深い愛情が 
  
 一気に大きなうねりを起こして 
 わたしの全身に襲いかかる。 
  
 ――何もかも、遅い・・・ 
 ――もう、遅いよ・・・ 
  
 胸の痛みを堪えられずに 
 自分の体を抱いて蹲った。 
  
  
 何もかも失って、この手で壊して・・・ 
  
 自身で放った、醜い紅蓮の炎に焼かれて 
 真っ白な灰になったのは―― 
  
  
 ――わたしの方だ・・・ 
  
  
   
- 178 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:27
 
-   
   
- 179 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/10(火) 15:28
 
-   
   
- 180 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/07/10(火) 15:28
 
-   
 本日は以上です。 
 次回、最終回となります。 
  
   
- 181 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/07/10(火) 20:31
 
-  涙が、止まりません 
 
- 182 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/07/11(水) 01:54
 
-  号泣 
 玄米ちゃ様のイヂワル!でもやっぱり好きなんだなぁ。どんなラストであれしっかりと受けとめる準備はできております!  
- 183 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/07/13(金) 14:30
 
-   
 >181:名無飼育さん様 
  すみません。 
  
 >182:名無飼育さん様 
  うれしいお言葉をありがとうございます。 
  
  
 本日最終回となります。 
 どうぞ。 
  
   
- 184 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:30
 
-   
   
- 185 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:31
 
-   
  
 ひんやりとした廊下を、一歩一歩進んでいく―― 
  
 真っ白な灰になってしまったわたしが 
 存在する意味は、もう見当たらない。 
  
 後は風に吹かれて、空高く 
 散り散りに舞い逝くだけ。 
  
 そして、本物の紅蓮が咲く、罪深い場所に 
 この身を堕とすだけ―― 
  
  
   
- 186 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:31
 
-   
 真っ白な病院の床は、わたしを誘うように真っすぐ伸びている。 
 このまま周囲に溶け込んで、人知れず消えてしまえばいい。 
 一人密かに終焉を向かえるには、相応しい場所だ・・・ 
  
 この期に及んで、許しを請うつもりはない。 
 言葉を交わすつもりもない。 
  
 ただ一目。 
 それだけでいい。 
  
 心から愛した人を 
 最後に目に焼き付けられれば、それでいい・・・ 
  
   
- 187 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:32
 
-   
  <コツコツコツ・・・> 
  
 静けさが漂う、病棟の床は 
 やけに自分の足音が響いて聞こえる。 
  
 足早に過ぎる医師や看護師。 
 引きずるように歩く患者たち。 
 目的の場所に向かい、堅実に足を動かす見舞い人。 
  
 こんなにも、たくさんの人が行き交っているというのに・・・ 
  
  
  <コツコツコツ・・・> 
  
 幾人もすれ違い、幾人も追い越されながら 
 そっと忍ばせるように、わたしはそこに向かって 
 ゆっくりと足を運んで行く。 
  
   
- 188 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:32
 
-   
 ――ごめんなさい。 
  
 謝って済むことじゃないって分かってる。 
 けれど心の中でだけでも、謝りたい。 
  
 ――本当は愛してた。 
  
 ずっとずっと愛してた。 
 おそらく恨んでいた時でさえ・・・ 
  
   
- 189 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:32
 
-   
 憎んでいたはずなのに、触れられれば悦びの声をあげていた。 
 恨んでいたはずなのに、愛を囁かれれば歓びの涙を流した。 
  
 闇が全てを飲み込んでくれたと思っていた。 
 炎が全てを包み込んでくれたと思っていた。 
  
 愛は憎しみに変わったと思っていた。 
 愛を憎しみに変えられたと思っていた。 
  
 だけど、結局わたしは・・・ 
  
 ――狂おしいほど、あなたを愛していた。 
  
  
   
- 190 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:33
 
-   
 締め付けられるような胸の痛みにめまいがする。 
 けれどもうじき、そんな痛みも感じなくなる。 
  
 ごめんなさい。 
 もう一度だけ、心の中で謝らせて。 
  
 そして、この想いも―― 
  
 愛してる、ひーちゃん。 
 誰よりも、何よりも。 
  
 もしも、許されるならば・・・ 
 ――許されるわけはないけれど。 
  
 たった一度だけでいいから、 
 もう一度、あなたに触れたかった・・・ 
  
   
- 191 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:34
 
-   
 やっとたどり着いたその場所は 
 周囲の喧騒から隔離されたように、ひっそりとしていた。 
  
 小さく深呼吸をして、 
 決して音を立てないように、慎重に扉を横に引く。 
  
 スルスルと扉が滑って、 
 ベッドに横たわる人影が見えた。 
  
  
 ――さようなら、ひーちゃん。 
  
 込み上げる想いに、押しつぶされそうになる。 
  
  
 ――さようなら・・・ 
  
 固めた決意が揺らぎそうになって 
 慌てて扉を閉めようとした。 
  
   
- 192 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:34
 
-   
 「梨華」 
  
 ビクッと体が跳ね上がって、そのまま固まる。 
  
 「入って来ないの?」 
  
 ゆっくりこちらに顔だけを向ける彼女。 
 その目元には痛々しく、包帯が巻かれている。 
 なのに、なぜ・・・ 
  
 「足音で分かるよ」 
  
 わたしの疑問に先回りして答える彼女。 
  
 「毎晩待ってたから。 
  だから梨華の足音だけは間違えないよ」 
  
 優しい声音に心が震えて、涙が零れ落ちそうになる。 
 声を漏らさないように、慌てて自分の拳を噛んだ。 
  
 「あの広い屋敷でね、アタシは毎晩その足音を心待ちにしてたんだ。 
  聞き逃したりしないように、耳を澄まして、ずっと待ってた」 
  
 キツク拳を噛んでいるのに、 
 うめき声が漏れそうになる。 
  
 「だから、見えなくたって 
  その足音だけで、梨華が来たって分かるんだよ」 
  
 堪えていた涙が、頬を伝った。 
  
   
- 193 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:35
 
-   
 「・・・梨華?・・・ああ、そっか。ごめん。 
  もう気安く梨華なんて呼んじゃいけなかったね」 
  
 体中が震えて、心臓が鷲掴みされたように痛む。 
  
 「言われた通り、ほんとはちゃんと消えるつもりだったんだよ。 
  けど、失敗しちゃった。消えれなくて、ほんとにごめんね・・・」 
  
 声を漏らさないように、必死で拳を噛んでいるのに 
 彼女はやめてくれない。 
  
 「キミの手を汚す必要は無いよ。 
  この拘束着さえ解いてくれたら、アタシはもう一度自分で――」 
  
 ・・・っぐ。ううっ・・・ 
  
 「ほら、もうこの目は見なくて済むよ? 
  だからこっちに来て、これを・・・」 
  
 ・・・っぐぐぐ・・・っうっうう・・・ 
  
   
- 194 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:35
 
-   
  
 「・・・・・・もしかして・・・、泣いてる、の・・・?」 
  
 もう堪えられなかった。 
 とめどなく伝う涙を、漏れる嗚咽を 
 自分の力では、止めることが出来なかった。 
  
  
  
 「――聞いたん、だね・・・?」 
  
 「ごめんなさいっ!!」 
  
 病室の入り口で、手をついて 
 床に額を擦りつけて謝った。 
  
 「ごめんなさい!!ごめんなさいっ!!」 
  
 ひれ伏した、わたしの耳に 
 彼女が大きく息を吐き出す音が聞こえた。 
  
   
- 195 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:36
 
-   
 本当にごめんなさい。 
 わたし、自分のことしか考えてなかった。 
  
 愛する人を裏切り、 
 陥れたのは、このわたしの方。 
  
 あなたをこんなにも酷い目に合わせておいて、 
 ずうずうしく、あなたのそばにいるなんてこと 
 わたしには出来ない。 
  
 だからわたしは。 
 わたしが犯した罪を、この身をもって償うから。 
  
 ――だから・・・ 
  
 さようなら、ひーちゃん。 
  
 今からわたしは、空を舞い、地に堕ち、 
 紅蓮の地獄に焼かれて、この罪を―― 
  
   
- 196 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:36
 
-   
 「ねぇ」 
  
 何も言わずに、立ち上がろうとしたわたしに、 
 彼女が声をかけた。 
  
 「こっちにおいでよ」 
  
 そのまま黙って、首を横に振り 
 そろそろと立ち上がって、袖口で涙を拭う。 
  
 「ダメ・・・か。じゃあ一つだけお願いしてもいい? 
  キミへの最後のお願いだよ」 
  
 最後にアクセントをつけて言う彼女。 
  
 「だって今度は、キミが消える気なんでしょ?」 
  
 もう、お見通しなんだね・・・ 
  
   
- 197 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:37
 
-   
 「止めたりしないから。 
  てか、この体じゃ止められないよ」 
  
 自嘲気味に笑って、そう言う彼女。 
  
 「だから、最後。 
  正真正銘、最後のお願いだから」 
  
 打って変わって、凛とした声に促されるように 
 ゆっくり彼女の元へ歩みを進めて行く―― 
  
 「それくらいいいでしょ?」 
  
 思わずコクリと頷いた。 
  
   
- 198 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:37
 
-   
 「その前にさ、この拘束着を外してくれない?」 
  
 目の前に彼女がいる。 
 すぐそばに彼女がいる。 
  
 「大丈夫。腕も骨折してるし。 
  キミを止めるだけの力なんて、残ってないよ」 
  
 触れて、いいんだろうか・・・ 
  
 「外してよ。キミのその手で」 
  
 キミに外して欲しいんだ・・・ 
  
 そろそろと手を伸ばして、彼女の手に触れ 
 ゆっくりと、繋がれた両手のベルトを外していく―― 
  
   
- 199 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:38
 
-   
 「――梨華・・・」 
  
 自由になった彼女の両手が、さ迷うように動いて 
 わたしの頬に触れた。 
  
 「梨華・・・ 
  また、そう呼んでもいいよね?」 
  
 そのまま、そっと両頬を包み込まれた―― 
  
 「この通りさ、アタシもう何も見えないんだ」 
  
 頬に添えられた彼女の手の甲を 
 再び溢れた、涙の粒が滑り落ちていく。 
  
 「だからお願い。ずっと・・・ 
  ずっとずっと、アタシが死ぬまで、そばにいて。 
  アタシの目の代わりになって・・・」 
  
 止まらない涙が、彼女の腕を伝って行く―― 
  
 「これがアタシの最後のお願いなんだ・・・」 
  
   
- 200 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:38
 
-   
 「アタシが犯した罪も 
  梨華が犯した罪も」 
  
 優しい手の温もりが 
 辿るようにわたしの輪郭をなぞる。 
  
 「すべて2人で背負って、2人で生きていこう」 
  
 今度こそ一緒に。 
 ずっと一緒に。 
  
 「好きだよ。 
  愛してる」 
  
 彼女の親指が、わたしの唇に触れた。 
  
 「だから梨華・・・」 
  
 ――ここから2人で、もう一度始めようよ・・・ 
  
   
- 201 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:38
 
-   
  
  
  
  
  
  
  
   
- 202 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:39
 
-   
 初夏の日差しに映える緑が眩しい・・・ 
  
 窓から覗いて、思わず目の上に手をかざした。 
 少し遅れて、隣で同じように窓の外を覗いた彼女を見上げる。 
  
 「眩しいね」 
  
 彼女の瞼の裏に映っているであろう太陽の光。 
  
 「今日もたくさん来てくれそうだね?」 
  
 嬉しそうに微笑む彼女。 
 慣れた様子で、扉まで行き、看板を出す準備をしている。 
  
 数ヶ月前、わたし達は、この山深い小さな町のはずれに 
 小さな喫茶店を建てた。 
  
  [Cafe Lotus] 
  
 たくさんの木々に囲まれ、 
 目の前には、小さな沼が広がる。 
  
   
- 203 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:39
 
-   
 『蓮の花って、汚い泥水の中から 
  キレイな花を咲かせるんでしょ?』 
 『これからアタシ達、そうなって行こうよ』 
  
 そう言って、彼女が名づけた 
 2人のお店の名前。 
  
 紅蓮の真っ赤な醜い炎を燃やして 
 結局は、真っ白な灰になってしまった忌々しい日々。 
  
 けれどもうじき、目の前の沼には、 
 この2つの色を混ぜ合わせた、キレイなピンク色の 
 蓮の花が咲くはずなんだ。 
  
 全てを浄化するような、清らかで美しい花が―― 
  
   
- 204 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:40
 
-   
 「あ、ケメコだ」 
  
 作業中の彼女が手を止めた。 
  
 ・・・ドタッ。ドタドタ。 
  
 耳を澄ますと、独特の足音が聞こえた。 
 昔は、彼女の家の使用人だった『保田』ことケメちゃん。 
  
 この近くのお屋敷のお手伝いさんをしながら 
 毎朝、お店に寄って、看板メニューのキャラメルマキアートを 
 飲んでいくのが、ケメちゃんの朝の日課。 
  
 「ふはっ。今日は何急いでんだろ?」 
  
 彼女は、足音だけで聞き分ける。 
 コツを教えてもらったけど、やはりわたしには 
 イマイチ掴めない。 
  
   
- 205 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:40
 
-   
 「おはよう。何急いでんの?」 
  
 ケメちゃんより先に扉を開けて、 
 中に入れてあげながら、彼女が先に尋ねる。 
  
 「お、おは、よう・・・」 
  
 息切れしながら、切れ切れに挨拶するケメちゃん。 
 もうわたし達は、お友達。敬語は使わない。 
  
 「・・・たい、へん」 
 「はあ?何が?」 
  
 ゴクリと唾を飲み込むケメちゃんが 
 息切れしたまま、黙って外を指差す。 
  
 「何?どうしたの?」 
  
 彼女には見えない。 
 代わりにわたしが、指差された先を 
 ドアを大きく開けて、覗き込んだ―― 
  
   
- 206 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:41
 
-   
 あっ! 
  
 ・・・咲いてる。 
  
  
 「咲いてるよっ!ひーちゃんっ!!」 
  
 優しいピンク色をした 
 清らかで、美しい蓮の花が・・・ 
  
 「マジ?!」 
  
 彼女の腕を取って、外に引っ張り出した。 
  
 「ちょっと見てくるから! 
  ケメちゃん、店番しといてっ!」 
  
 「え〜っ!!ちょっと!! 
  先にキャラメルマキアート作ってよっ!」 
  
   
- 207 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:41
 
-   
 転ばない程度に、足早に 
 手を繋いで、沼のふちまで急ぐ。 
  
 「・・・あ、勝手にケメちゃんに頼んで来ちゃったけど 
  ケメちゃん、大丈夫かな?」 
  
 「大丈夫だよ」 
  
 なぜか即答する彼女。 
  
 「だって、梨華のお父さんが来るから」 
  
 彼女の言葉に驚いて、振り向くと 
 ちょうどパパが、お店の扉を開けるところ。 
  
 「ズッ。ズッ。ズッ。って足音してたから」 
 「パパの足音、へん」 
 「あら、かわいそ」 
  
 思わず2人で、声をあげて笑う。 
  
   
- 208 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:41
 
-   
 彼女が守ってくれた、わたしの実家で 
 パパはもうすぐまた、お店を再開する。 
  
 今朝のケメちゃんの日課は、 
 きっとパパが作ってくれることだろう。 
  
  
 「ついたよ、ひーちゃん」 
  
 目の前には、幾重にも花びらをつけた 
 蓮の花が一つ。 
  
 「キレイだよ、すごく。 
  優しいピンク色してるよ・・・」 
  
 隣に立つひーちゃんが、 
 わたしの言葉に、大きく頷いてくれる。 
  
   
- 209 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:42
 
-   
 あまりの清らかさに、その花の美しさに、 
 思わず涙が零れ落ちた。 
  
 「見えてるよ」 
  
 繋いだ手に力が込められた。 
  
 「アタシにもちゃんと見えてる。 
  梨華が隣に居てくれる限り、アタシにも見えるから・・・」 
  
 ひーちゃんのその言葉に。 
 朝日に輝くその花の美しさに。 
  
 過ちが一つずつ、浄化されていくような気がした。 
  
   
- 210 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:42
 
-   
 「梨華」 
  
 肩を抱かれた。 
  
 「幸せだね」 
 「うん」 
  
 数ヶ月前の出来事が、 
 まるで幻のように、天に昇華していく―― 
  
 わたしを包み込んでくれる彼女にも 
 それはハッキリ見えていることだろう・・・ 
  
 「戻ろっか?」 
  
 軽くキスを交わして、また手を繋いだ。 
  
   
- 211 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:43
 
-   
  
 これからわたし達が歩む道は、 
 きっと真っすぐに伸びている。 
  
 それでも、もう2度と迷わないように 
 小さな石につまずいたりしないように 
  
 そして、今を生きるこの一瞬が一瞬が、 
 確かな明日の幸せに繋がっていくように―― 
  
 彼女の手をしっかり握りしめて、 
 わたしが彼女の目となって、共に歩み続けよう。 
  
 2人の身が、天に昇りゆくその日まで。 
  
 寄り添い合って。 
 ずっと―― 
  
  
   
- 212 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:43
 
-   
   
- 213 名前:紅蓮 投稿日:2012/07/13(金) 14:43
 
-   
  
        終わり 
  
  
   
- 214 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/07/13(金) 14:44
 
-   
 今回は、めざせ安っぽい昼ドラ憎悪劇! 
 を書くつもりで挑戦してみたんですが、なかなか難しいですね・・・ 
 自分の力量では、全くもって無理が大アリでした(汗) 
  
 ほんとはもっと、細かく書きたかったんですけど 
 リアルがイチャイチャしすぎてるので無理でした。 
 それにやっぱヲタなのでね。 
 どんなにドSでも犯罪者には出来ませんでした。 
  
 という訳で、なんとも中途半端な出来栄えですみません。 
 次回からは通常風味の味付けに戻ると思います。 
  
   
- 215 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/07/13(金) 14:44
 
-   
   
- 216 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/07/13(金) 14:44
 
-   
   
- 217 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/07/13(金) 14:44
 
-   
   
- 218 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/07/13(金) 22:13
 
-  号泣 
 どんなにドSでも・・・という言葉に 
 納得したというか安心したというか・・ 
 でももっとドロドロのも読んでみたいような 
 ドM街道まっしぐら 
 玄米ちゃさまのせいですYO  
- 219 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/07/14(土) 03:29
 
-  最終回更新ありがとうございます。まず2回読みました。2回目は泣かないつもりでいたのにまた涙..... 
  
 次回作もまた期待しております。  
- 220 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/08/15(水) 16:46
 
-   
 >218:名無飼育さん様 
  ドM街道まっしぐらですか(笑) 
  ではそのうち超ドS級作品を書かねばですね。 
  
 >219:名無飼育さん様 
  こちらこそありがとうございます。 
  今回は泣かなくてすむと思います。 
  
  
 とっくに七夕は過ぎておりますが、国立天文台が推奨する 
 『伝統的七夕』というのが、今年は8/24なんだそうです。 
 なので、「ここに合わせて今作を書いたんだ!」 
 といい張りたい所ですが、単なる都合のいい言い訳です。 
  
 ということで、今作は短編。 
 『タナバタカザリ』 
 ぬる〜い仕上がりですので、あまり期待せず 
 ひまつぶしにお読み下さい。 
  
 一応、3回にわけてお送り致します。 
   
- 221 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:47
 
-   
  
    『タナバタカザリ』 
  
  
   
- 222 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:48
 
-   
 「余興、大成功だったね?」 
 「うん」 
  
 新婦友人の大役を果たした、わたし石川梨華と 
 柴ちゃんこと、柴田あゆみちゃんは、2人揃って 
 只今化粧室にて、お化粧直しの真っ最中。 
  
 念のため、申し上げておくと、 
 顔に何か書いたりとか、奇抜なことをした訳じゃないよ? 
 ただ緊張ゆえの汗とかアブラを抑えに来ただけで・・・ 
  
 「しっかし、新郎の友人に 
  イケメンが一人もいないってどうゆうこと?」 
 「同感」 
  
 あわよくばいい出会いを―― 
 そう願っても、現実はうまくいかないもんなんだよね。 
  
   
- 223 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:48
 
-   
 「今日は七夕だよ? 
  織姫と彦星が、年に一度の逢瀬をするロマンティックな夜だよ?」 
 「知ってるって」 
  
 言われなくたって、分かってるよ。 
 だってこの日だけは、嫌でも胸が痛むんだもの・・・ 
  
 「・・・なーんか、梨華ちゃん。 
  昨日の夜から、やけにテンション下がってない?」 
  
 ・・・ギクリ。 
  
 「や、やだぁ。そんなことないよ」 
  
 鏡越しに見つめられて、笑顔を返す。 
  
 「・・・やっぱ、あのアルバムのせいなんじゃないの?」 
 「ちがうってばぁ」 
  
   
- 224 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:49
 
-   
 昨夜、わたし達はわたしの部屋で、 
 本日の余興の練習をしていた訳で・・・ 
  
 なんとなくの流れから、新婦と柴ちゃん、わたしの3人の 
 高校で出会ってから今までのヒストリーなんかを 
 アルバムを見ながら、2人で盛り上がっちゃったりした訳で・・・ 
  
  『あ〜っ!なっつかし〜いっ!!柴ちゃん若〜いっ』 
  『見てみて!これ、騎馬戦の時だよ。梨華ちゃんの鬼の形相』 
  
 も〜うっ。 
 なんて、少し色あせた写真を 
 ワイワイ言いながら、とっても楽しく見てたのに―― 
  
  『うわっ。梨華ちゃんポッチャリだったんだね〜』 
  
 なんて言われて、視線を上げたら 
 柴ちゃんはダンボールの奥底に入っていた 
 更に色あせた写真を眺めていて。 
  
  『この白い子とよく写ってるけど 
   まるでオセロみたいだね?』 
  
 なんて大爆笑されて。 
  
 ――久しぶりにわたしは、ひとみちゃんを見た。 
  
   
- 225 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:50
 
-   
 「梨華ちゃんの幼馴染、 
  すっごいイケメンになってそうだね?」 
 「うん」 
  
 それは間違いないよ。 
 子供の頃から、カッコ良かった。可愛かった。綺麗だった。 
  
 お向かいに住む吉澤さん。 
 そのお家の長女と、物心つく前から 
 いつだって一緒にいた。 
  
 春だって、夏だって、秋だって、冬だって。 
 彼女がふてくされた七五三だって、 
 短冊に願いを託した『七夕』だって・・・ 
  
 いつだって隣に、ひとみちゃんはいた。 
  
   
- 226 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:50
 
-   
  [ひとみちゃんとけっこんできますように] 
  
 出来ないんだと分かるようになるまで 
 毎年、短冊にはそう書いた。 
  
  [ずっとひとみちゃんといられますように] 
  
 結婚出来ないなら、幼馴染のままでいい。 
 一番近くに、ずっとずっといたかった。 
  
  [ひとみちゃんのそばに行きたい] 
  
 中学2年の春、彼女がお引越ししてしまって 
 近くにいることも叶わなくなって、ただそれだけを切実に願った。 
  
   
- 227 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:51
 
-   
 好きだった。 
 紛れもなく恋だった。 
  
  『一番高い所に飾ると、願いが叶いやすいんだって』 
  
 2人でいた頃、毎年そう言って 
 照れながら、わたしの短冊を飾ってくれてた彼女。 
  
 中2の七夕は、自分で飾るしかなくて 
 脚立にのぼって、一番高いところに頑張ってつけたんだ。 
  
  [ひとみちゃんに会わせてください] 
  
  
 ――夏休み、遊びに行くよ。 
  
 電話口で、そう言ってくれたけど 
 もう待てなかった。 
  
 会いたくて、そばにいたくて。 
 膨らんで破裂しそうな恋心を、自分で止めることも出来なくて・・・ 
  
 織姫と彦星の力を借りて、 
 思い切って、一人で彼女に会いに行った。 
  
   
- 228 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:52
 
-   
 驚いた彼女と、彼女のご家族に 
 歓迎はしてもらえたけど、あまりの無鉄砲さに 
 迎えに来たパパとママに、こっぴどく怒られた。 
  
 久しぶりの再会に、せっかくだからって 
 一家揃って、夕食をご馳走になって、また更に怒られた。 
  
  
 「梨華ちゃん、ちょっと」 
  
 皆が談笑してるスキに 
 彼女に手招きされて、2人だけでそっとお庭に出る。 
  
 「こっちこっち」 
  
 なんて、手を握られて一気に体温が上昇する。 
 こんなこと、昔はしょっちゅうあったのに・・・ 
  
 繋がれた箇所が更に熱を上げて、 
 早鐘を打つ心臓が、苦しくなった。 
  
   
- 229 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:52
 
-   
 「見て?あれ」 
  
 彼女が指差したのは、七夕飾りの一番上。 
 歌の通り、笹の葉がサラサラと揺れ、 
 てっぺんにある短冊をも揺らしている。 
  
 「アタシのお願い、叶っちゃった」 
  
 はにかんだように笑う彼女。 
 目を凝らして、短冊を見上げる―― 
  
  
  [梨華ちゃんに会わせてください] 
  
  
 そっと手を引かれて抱きしめられた。 
 彼女の心音が、わたしと同じように早鐘を打っているのが分かる・・・ 
  
   
- 230 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:53
 
-   
 「――好き、なんだ・・・」 
  
 え? 
  
 「梨華ちゃんのことが、好きなんだ・・・」 
  
 わたしを、好き・・・? 
 幼馴染として・・・じゃなく? 
  
 驚いて固まったままのわたしに 
 彼女が優しく微笑んだ。 
  
 そして、天の川がよく見える、晴れ渡った空の下で 
 そっと触れるだけのキスをくれた―― 
  
   
- 231 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:54
 
-   
  
 「ロマンティックな話だよね」 
 「うん・・・」 
  
 だって、ひとみちゃん 
 すっごいロマンチストだもん。 
  
 「一年に一度だけ、愛する人と会えるなんてさ」 
  
 あ、織姫と彦星の話か・・・。 
 柴ちゃんにはホントのこと話してないし、あたりまえか。 
  
 「でもさ、一年に一度だけじゃ、やっぱ寂しいよね」 
 「一年に一度だけでも、会えればいいじゃん」 
  
 わたしなんて、もう10年以上彼女に会ってないんだから。 
 織姫と彦星がうらやましいよ。 
  
 「やっぱ梨華ちゃん、なんか落ちてんじゃん。 
  あのイケメン幼馴染が忘れられないんでしょ?」 
 「違うったら」 
 「ほんとに?」 
 「ほんとだってば!」 
  
 強い口調で言ったけど、ほんとにそう言い切れるだろうか? 
 久しぶりに見た、写真の中の彼女に、こんなに胸を痛めているのに・・・ 
 たった一度だけキスした七夕の夜を思い出して、こんなに心が疼いているのに・・・ 
  
   
- 232 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:54
 
-   
 「ヤケ酒なら付き合うよ?」 
  
 優しく微笑んでくれる柴ちゃん。 
  
 「遠い昔の恋に縛られてたって 
  いつまでも前に進めないんだしさ」 
  
 遠い昔の恋、か・・・ 
  
 「イケメン君のことなんて、忘れちゃいなよ?ね?」 
  
 うん・・・ 
  
 「いい男なら、たくさんいるって。ね?」 
  
 そだね・・・って。 
 ――ん? 
  
 「ここのホテルの従業員さん、結構レベル高いよ?」 
  
 ほら、見てみなよ? 
 なんて背中を押されて、化粧室を出る。 
  
   
- 233 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:55
 
-   
 ――普通そうだよね。そう思うよね・・・ 
  
 まさか女の子に恋して 
 こんなに引きずってるなんて、誰も思わないよね? 
  
 けど、もし。 
 もしもね? 
  
 恋した人が、男の子だったら。 
 彼女が、男の子だったらなら。 
  
 とっくに諦められてたのかもしれないって思うんだ。 
  
 だって、柴ちゃんの言う通り 
 いい男なら、世の中には、たくさんいるんだもの・・・ 
  
   
- 234 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:55
 
-   
 「あっ!ほら、いた! 
  あの人いい男だな〜って、来た時思ったの!」 
  
 ロビーの先の方にいる人を指差して、柴ちゃんが絶賛する。 
 ホテルの制服を着た人が、外人さんと話している。 
  
 確かにいい男だと思う。 
 背も高くて、笑顔がステキで、いわゆるイケメンで・・・ 
  
 けど、ときめかない。 
 だって比べられないんだもん・・・ 
  
 中世的な顔立ち。 
 細くて長い指。 
 うっとりするほど真っ白な肌。 
 ずっとずっと見ていたって、飽きることなんてない彼女の姿。 
  
 優しくて繊細で。 
 大ざっぱなのに、超マメで。 
 誰よりも居心地のいい彼女との空間に 
 ずっとずっと漂っていたいって、今でも思っちゃうんだもん・・・ 
  
   
- 235 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:56
 
-   
 「はあ〜〜」 
  
 思わずため息が出た。 
  
 「彼じゃダメ?」 
 「いや、ダメっていうか・・・」 
 「あれでダメならレベル高すぎだよ?」 
  
 ふと彼に視線を戻すと、なにやらジェスチャーをして 
 話していた外人さんの元を離れる。 
  
 「英語、伝わらなかったのかな?」 
 「みたいだね」 
  
 ちょっとガッカリした感じの柴ちゃん。 
 イケメンさんも大変だよね。求められるハードルが高いんだもん。 
  
 「柴ちゃん、もう戻ろうよ」 
 「そだね・・・」 
  
 さっきとは逆に、若干気を落とし気味の柴ちゃんの背を 
 今度はわたしが押して、歩き出す。 
  
 ふと視線を戻して彼を見ると 
 別の従業員を連れてきたようで・・・ 
  
   
- 236 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:56
 
-   
  
 ――うっ、そ・・・ 
  
 足が止まった。 
  
  
 ――でも、まさか・・・ 
  
 横顔、似てる、けど・・・ 
  
  
 彼女が話しながら、わたしの背後を指差し 
 そのまま外人さんを案内して、こちらに向かって歩いてくる―― 
  
  
 まるで全身が心臓になったみたい・・・ 
  
 彼女が近づくにつれ、大きくなる心音。 
 聞こえてくる彼女の優しい声音・・・ 
  
  
 ――ひとみちゃん、だ・・・ 
  
  
   
- 237 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:57
 
-   
 数メートル前を、彼女が通りすぎて行く。 
 滑らかな英語。穏やかな物腰。 
  
 談笑しながら通りすぎた外人さんは、すごい笑顔だった。 
  
  
 どうしよう・・・ 
 会えちゃった・・・ 
  
 通りすぎた彼女を目だけが追いかける―― 
  
 何て声かける? 
  
 久しぶり。 
 元気してた? 
 会いたかった・・・ 
  
 けれど、ふと思いとどまる。 
  
 27歳。 
 結婚式。 
 適齢期。 
  
 ――彼女の名字、変わってたらどうしよう・・・ 
  
  
 「梨華ちゃん、そろそろ披露宴に戻らないと」 
 「・・・え?ああ。うん・・・そだね・・・」 
  
 弱気な心が、一気にわたしを支配した。 
  
  
   
- 238 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:58
 
-   
   
- 239 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/15(水) 16:58
 
-   
   
- 240 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/08/15(水) 16:58
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 241 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/08/16(木) 00:56
 
-  待ってました!小ネタもしっかり入ってますね。期待しております! 
 
- 242 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/08/17(金) 20:31
 
-  短編きたー! 
 リアルが不足してますので充電させてください  
- 243 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/08/20(月) 11:49
 
-   
 >241:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
 >242:名無飼育さん様 
  充電できるほどのものではないかもです。 
  
  
 では本日の更新です。 
  
   
- 244 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:49
 
-   
   
- 245 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:50
 
-   
 「いいお式だったねぇ」 
  
 ――そういえば、ママがホテルに就職したって言ってたっけ・・・ 
  
  
 「最後のご両親への挨拶は、やっぱ感動しちゃうね」 
  
 ――このホテルのどこかにいるんだよね・・・ 
  
  
 「織姫と彦星みたいに永遠の愛を誓うか・・・ 
  一年に一度しか会えない夫婦にあやかるなんて・・・ 
  ってちょっと思ってたけど、七夕婚もなかなかいいかもね?」 
  
 ――どうしよう・・・。会いたいけど、話したいけど・・・ 
  
   
- 246 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:50
 
-   
 「ねぇ梨華ちゃん。 
  さっきから何ビビリながらキョロキョロしてんの?」 
 「え?」 
 「すっごい挙動不審なんですけど」 
  
 柴ちゃんの冷たい視線を受け止める。 
  
 「何か気になること、あった?」 
 「・・・い、いや。別に・・・」 
  
 と言いつつ、やっぱりわたしの視線は 
 柴ちゃん越しに、動くものを捉えようとしている。 
  
 このままロビーに出て、フロント前を抜けてしまえば 
 わたしの体は、このホテルから外に出てしまう・・・ 
  
 ――どうしよう・・・ 
 ――どうしたらいい? 
  
   
- 247 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:51
 
-   
 「はあ〜。変な梨華ちゃん」 
  
 ロビーにたどり着く。 
  
 「まあ、いつものことか」 
  
 中央には、大きな笹飾り。 
  
 「でも、ちょっと重症みたいだから」 
  
 あ、さっきの外人さんだ。 
  
 「今夜は、とことん付き合っちゃるよ」 
  
  
  『Tanabata?』 
  
 あ・・・ 
  
  『Yes.People write their wishes and hopes 
   on paper strip and hang them on bamboo.』 
  
   
- 248 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:51
 
-   
 「で、どこに飲みに行く?」 
  
 彼女が短冊を差し出して、外人さんが 
 願い事を書いている。 
  
 「梨華ちゃん?」 
  
 優しく見守る横顔に、懐かしさが込み上げて 
 一気に早まった鼓動が、次第に落ち着きを取り戻していく・・・ 
  
 「どうかした?」 
  
 好き・・・ 
 やっぱり好き。 
  
 だから―― 
  
  
 「ごめん!柴ちゃんっ」 
 「え?あ、ちょっと梨華ちゃん?!」 
  
   
- 249 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:52
 
-   
 彼女に声を書ける前に 
 どうしても確認したいことがあるの。 
  
 多分変わっていないとは思うけど 
 そんな話は、誰からも聞いていないけど。 
  
 もし。もしも彼女の名字が変わっていなかったなら・・・ 
  
  
 「すみません!」 
 「はい」 
  
 さっきのイケメン従業員の元に 
 駆け寄って、声をかける。 
  
 「何か、お困りですか?」 
  
 キラリンッと星が輝きそうな 
 彼の笑顔が、わたしを迎える。 
  
 けどやっぱり、心は微塵も動かない。 
 彼女にしか、わたしの心は動かせない。 
  
   
- 250 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:52
 
-   
 「お名前、教えて下さいっ!」 
  
 一瞬驚いた顔を見せて、 
 すぐにまた輝く笑顔をくれる。 
  
 「私ですか?喜んでお――」 
  
 「さっきの方です」 
 「へ?」 
  
 「あなたと交代して外人さんの対応をした方」 
 「私と交代して・・・」 
  
 「ほらあそこ! 
  あの笹飾りの下にいる方ですっ!」 
  
 ちょうどわたし達に背を向けた形の彼女を指差す。 
 緊張で指先が少し震えた。 
  
   
- 251 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:53
 
-   
  
  
 「――吉澤ですが、何か・・・?」 
  
  
 うぉっっしゃっ〜〜!! 
 名字変わってないっ!! 
  
 心で叫んで、思わずガッツポーズ。 
 だけどそれだけじゃ足りなくて、やっぱり小さくガッツポーズ。 
  
  
 「どうもありがとうございましたっ!」 
  
 きつねにつままれたような表情で立ち尽くす彼に向かって 
 深々と丁寧にお辞儀をして、心からの感謝の意を示して 
 その場を後にした。 
  
   
- 252 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:53
 
-   
  
 「柴ちゃん、ごめんね。 
  わたし、ちょっと用事が出来ちゃって・・・」 
  
 なぜか、ニヤニヤ顔の柴ちゃんに出迎えられた。 
  
 「・・・梨華ちゃんたら、やるねぇ」 
  
 まさか梨華ちゃんがねぇ・・・ 
 意外と大胆だよねぇ・・・ 
  
 「で、どうなの?うまくいきそう?」 
 「・・・まだわかんないよ。これからだもん」 
  
 そう、これから。 
 これからが大勝負なんだもん。 
  
 彼女に声をかけて―― 
  
 ・・・どんな反応するだろう? 
  
 まずはきっと、大きな目を更に大きくして目を見開くでしょ。 
 それからきっと、梨華ちゃん?って、小声で確認するように言うと思うの。 
  
 そして―― 
  
   
- 253 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:54
 
-   
 「検討を祈る」 
  
 へ? 
  
 「ほら、行って来い!」 
  
 クルリと後ろを向かされて、背中を押された。 
 ちょうどこちらを向いていた、さっきの従業員の彼と目が合う―― 
  
 ・・・イヤ、違くて。 
  
 訂正しようと、振り向くと 
 ウィンクを一つ残して、颯爽と去っていく柴ちゃんの後ろ姿―― 
  
 「柴ちゃんちが・・・・・・ま、いっか」 
  
 来週聞かれたら、正直に答えよう。 
 で、玉砕したら、今度こそヤケ酒付き合ってもらおうかな? 
  
   
- 254 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:54
 
-   
 輝く笑顔を向ける彼から、90度視線を動かして 
 再び彼女の姿を視界に捉える―― 
  
 うん、やっぱり。 
 このまま、言葉も交わさないままなんてイヤだ。 
  
 もしも彼女が、困ったように眉をよせたとしても。 
 もしも彼女が、迷惑そうに唇を噛んだとしても。 
  
 それでも、わたしは―― 
  
 わたしは―― 
  
   
- 255 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:54
 
-   
 口からとび出してしまいそうなほど 
 暴れだす心臓の音が、脳裏に響く。 
  
 その音に混じって、彼女の優しい声が 
 心地よく耳に飛び込んでくる。 
  
 一歩一歩近づく、わたしの体は 
 真夏の照りつける太陽より、きっと激しい熱を帯びている・・・ 
  
 もう少し、あと少し。 
 あと数メートル、あと一歩―― 
  
 「Thank you」 
  
 満開の笑顔の外人さんを送りだした彼女が 
 こちらを振り向きそうになって、とっさに背を向けた。 
  
 あ〜あ、何やってんだ、わたし・・・ 
  
   
- 256 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:55
 
-   
 「宜しければどうぞ?」 
  
 背後から声をかけられて、思わず肩がピクリと揺れる。 
  
 「今日で終わっちゃいますけど 
  お願い事があるなら、ぜひ」 
  
 彼女にそう言われて、気付いた。 
 わたしの目の前には、短冊を書くために用意された机。 
  
 そっか・・・ 
 書こうかどうか、迷ってる人に見えたんだ! 
  
 「一番上にまだスペースがあるんで、宜しければ」 
  
 そう言いながら、固まったままのわたしの前に 
 そっと短冊とペンを置いてくれた。 
  
   
- 257 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:55
 
-   
 「一番高い所に飾ると、願いが叶いやすいらしいです。 
  宜しければ、私がお付けしますよ?」 
  
 優しい声で、促してくれる彼女に黙って頷いた。 
  
 「では、脚立をとってきます」 
  
 彼女の気配が消えると、一気に体が弛緩した。 
 背筋にも、首筋にも汗が伝う。 
 彼女が置いてくれたペンを手に取ると、 
 自分でも笑っちゃうほど、指先が震えている。 
  
 どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・ 
  
 カチャカチャと音がして、 
 彼女が戻ってきたことが分かる。 
  
 再び、激しくなる心音。火照りだす体。 
  
 そっと気付かれないように、 
 手の平に『人』の字を3回書いて飲みこんだ。 
  
 よし!あとはなるようになれ!! 
  
   
- 258 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:56
 
-   
  
 「願い事、書かれました?」 
  
 俯いたまま頷いて、短冊をそっと 
 彼女に差し出す。 
  
 「承りました」 
  
 大事そうに両方の手で受け取ってくれて 
 そのまま、脚立に上る。 
  
 あれ?見てくれないの? 
 願い事、読んでくれないの? 
  
 「こういうの、懐かしくありませんか?」 
  
 脚立の一番上に足をかけたまま、わたしに声をかけてくれる。 
  
 「結構、好評なんですよ」 
  
 もしかして、お客様のだから失礼にならないようにって 
 なるべく見ないようにしてる? 
  
   
- 259 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:56
 
-   
 「童心に返れるっておっしゃってくださったり」 
  
 思いっきり手を伸ばして、一番上に飾ろうとしてくれてる彼女。 
 いいから、無理しないでいいから、お願い!短冊を見て! 
  
 「海外のお客様からも喜んで頂けてます」 
  
 もう!いいの! 
 そんなことどうでもいいからっ! 
 わたしの書いた短冊を見てよ!! 
  
 「毎年、飾ってますので宜しければ――」 
  
 彼女の動きが止まった。 
  
 両腕を上げたまま、目を見開いて短冊を見てる。 
 まだ付けられてない飾りは、ゆっくりと下ろされた 
 彼女の手の中に残されたまま―― 
  
   
- 260 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:57
 
-   
 「願い事、叶っちゃったみたい」 
  
 彼女に向かってそう言って、 
 まだ脚立で呆然としたままの彼女を真っすぐ見上げた。 
  
  [ひとみちゃんに会わせてください] 
  
 あの日書いた、わたしのお願い。 
 あなたとキスした年の願い事と同じ。 
  
  
 「――梨華、ちゃん・・・?」 
  
 わたしの予想通り、彼女は目を見開いて 
 小声で確認するように、わたしの名を呼んだ。 
  
 けれど、次に表れた表情は 
 覚悟していた、困った顔でも迷惑そうな顔でもなくて・・・ 
  
 「・・・久しぶり・・・だね」 
  
 作られた彼女の笑顔には、 
 どこか苦々しさが含まれていた。 
  
   
- 261 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:57
 
-   
   
- 262 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/20(月) 11:57
 
-   
   
- 263 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/08/20(月) 11:57
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 264 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/08/20(月) 21:42
 
-  いやぁぁ 
 
- 265 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2012/08/21(火) 00:18
 
-  私もいやぁぁぁぁ!せっかくリアルでもいいことがあったのに〜! 
 
- 266 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/08/21(火) 17:05
 
-   
 >264:名無飼育さん様 
  心配ないさ〜 
  
 >265:名無し募集中。。。様 
  同じく心配ないさ〜 
  
  
 では、本日の更新です。 
  
   
- 267 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:05
 
-   
   
- 268 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:06
 
-   
 『せっかくだから、少し飲もうよ。 
  アタシ、休憩もらってくるからさ、 
  最上階のバーで好きなの飲んで待ってて?』 
  
 そんな風に言われて、自然と頬が緩んだ。 
  
 ただ、脚立の上と下で、静かに見つめあうだけで、 
 劇的な感動の再会とはならなかったけど、 
 そんな風に、彼女が誘ってくれたことが純粋に嬉しかった。 
  
  
 「ごめん!待った?」 
 「ううん、大丈夫」 
  
 カウンターで一人、グラスを傾けていると 
 私服に着替えた彼女が息をきらせながら、飛び込んで来た。 
  
 「奥、空いてる?」 
  
 彼女の問いかけに、店員さんが頷くと 
 そっと手を引かれて、奥の席へと促される。 
  
 それだけで、わたしの鼓動は 
 また一つ、大きく跳ねた。 
  
   
- 269 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:07
 
-   
 一番奥の、周りからは少し 
 遮られたような感じになる2人席。 
  
 窓に向かって、2人並んで座るそこは 
 多分きっと、恋人同士が座る席。 
  
 夜景を見ながら、愛を語り合うであろう 
 その席に、わたし達は腰掛けた。 
  
 「従業員だし、お客様にも顔割れてるから 
  目立たないトコで飲まないとさ」 
  
 だから、ここでもいい? 
 小声で確認するように、わたしに問いかける彼女。 
  
 そっか・・・。そういうことか・・・。 
 ちょっぴり期待した自分が恥ずかしい。 
  
   
- 270 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:07
 
-   
 「何、飲んでた?」 
  
 すぐ間近にある、相変わらず綺麗な横顔。 
 長いまつげ。うっとりするほど真っ白な肌。 
  
 「何だよ、そんなにガン見しないでよ」 
  
 ちょっとだけ、頬を赤らめて 
 ぶっきらぼうに言う彼女が、昔と変わってなくて嬉しくなった。 
  
 「やっぱり綺麗だなって」 
 「はあ?」 
 「ひとみちゃん」 
  
 一気に首まで赤くなる。 
 かわいい。うん、すごくかわいい。 
  
 「飲めるんでしょ?適当に頼んじゃうよ?」 
 「うん、任せる」 
  
 ウェイターさんを呼んで、 
 注文する彼女にやっぱり見惚れる。 
  
   
- 271 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:08
 
-   
 「梨華ちゃんこそ、すげー綺麗になった」 
 「気使わなくていいよ?」 
 「ほんとだって!マジで」 
  
 変わってるようで、変わってない。 
 ムキになるとちょっと高くなる声とか、 
 途端に幼くなる表情とか。 
  
 「結婚式だったんでしょ? 
  ドレス着てるし、マジで綺麗で 
  ちょっと、てか、かなり驚いた」 
 「何よぉ、昔が悪かったみたいじゃない」 
 「違う違う、そうじゃなくてさ・・・」 
  
 見たことのない大人びた眼差しに、ドキンと鼓動が跳ねる。 
  
 「――そうじゃ、なくて・・・」 
  
 「お待たせいたしました」 
  
 ウェイターさんが現れて 
 彼女の言葉は途切れた。 
  
   
- 272 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:10
 
-   
 「「カンパイ」」 
  
 2人のグラスが合わさって 
 軽い音を立てる。 
  
 「懐かしいね。 
  クリスマスとか、よく2人でシャンメリー飲んでた」 
 「夏祭りの時も、意味なくラムネでカンパイしたりね」 
 「そうそう。ほら、あん時もだよ」 
  
 10年以上、会ってなかったなんて、ウソみたい。 
 次から次に、話は尽きなくて、まるであの頃に戻ったよう。 
  
 ひとみちゃんの部屋に上がりこんで、朝まで話した時のように・・・ 
 わたしの部屋に泊まって、ベッドに潜り込んで語り合ったあの日々のように・・・ 
  
   
- 273 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:10
 
-   
 だけど、どうしてかな? 
 ひとみちゃんは、今のことに触れようとしない。 
  
 楽しかった幼い2人の思い出を辿るばかりで 
 一向に、今のわたしに触れようとしない。 
  
 今のわたしには興味ない? 
  
 何の仕事してるんだろうとか。 
 恋人いるのかとか、もしかしたら結婚してるんじゃないかとか・・・ 
  
 わたしは知りたいよ。 
 ひとみちゃんに今、恋人いるのかどうか。 
  
 聞きたいよ。 
 今あなたが、何を思っているのか。 
  
 そして、あの日 
 わたしにくれたキスの意味を知りたいよ・・・ 
  
   
- 274 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:11
 
-   
 「あ、ヤベ。こんな時間だ。 
  梨華ちゃん、終電大丈夫?」 
 「え?ああ、うん・・・」 
 「ごめん。何か無理矢理誘って、 
  一人でベラベラしゃべっちった」 
 「そんなことないよ。楽しかった」 
 「なら、良かった」 
  
 ねぇ、連絡先も聞かないの? 
 もうわたしとは、会いたくない? 
  
 「駅まで送ってくよ」 
  
 立ち上がりかけた、彼女の手を掴んだ。 
  
   
- 275 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:11
 
-   
 「――ひとつだけ、聞いていい?」 
  
 大きくなる心音。 
 震えてしまう指先を、彼女はどう思っているだろう・・・ 
  
 でも、でも・・・ 
  
 このままは、 
 このままバイバイは、やっぱりヤダ。 
  
  
 「――彼、とは・・・どうなったの?」 
 「彼?」 
  
 だよね。そうだよね。 
 中学の時の彼氏のことなんか、今更聞かれたって困るよね? 
  
 だって、どう聞いていいか分かんないんだもん。 
 直球でなんて、怖すぎて聞けないんだもん。 
  
   
- 276 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:12
 
-   
 「彼って、誰のこと?」 
 「ううん、ごめん。何でもない」 
 「何だよ。何でもないって気になるじゃん」 
 「そんな、たいしたことじゃないから」 
  
 今日はこのまま帰ろう。 
 普通に友達で、幼馴染でいいじゃない。 
 昔に戻れれば、それでいいじゃない。 
  
 「そうだ、これわたしの名刺」 
  
 聞いてくれないなら、わたしから差し出せばいい。 
  
 「携帯の番号も書いておくから 
  ヒマな時にでも、連絡ちょうだい?」 
  
 差し出した名刺さえ、受け取ろうとしてくれない。 
  
   
- 277 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:13
 
-   
 溢れそうになる涙をグッと堪えて、 
 名刺と、お札をおいて小さく微笑んだ。 
  
 「ひとみちゃん、またね?」 
  
 次に会うときは、この恋心捨てられてるといいな・・・ 
  
 「すいませ〜んっ! 
  これと同じのを2つ!」 
  
 え? 
 立ち上がりかけた体が固まる。 
  
 そんな居酒屋みたいな頼み方・・・ 
 さっきまでは、すごくスマートに注文してたのに・・・ 
  
 「座れ」 
 「へ?」 
  
 「話終わってない。 
  だから座れ」 
  
 「でも終電・・・」 
 「いいから、もう少し付き合え」 
  
 強引に腕を引っ張られて 
 無理矢理、着席させられた。 
  
   
- 278 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:13
 
-   
 なにこの態度! 
 今までと180度違う、命令口調は何なのよ! 
  
 ツンとした横顔。 
 ムッとしたように引き結んだ唇。 
  
 表情を出さないように、 
 奥歯を噛み締めて、一点を見つめてる強い眼差し・・・ 
  
 ――ハッと息を飲んだ。 
  
  
   『梨華ちゃんが優しくするから、男が勘違いすんだろ!』 
  
   『はっきり断って来いよ!』 
  
   『りかちゃんは、ひとみのもんだぞ!』 
  
   『ひとみとけっこんすんだかんな!』 
  
  
 小さい頃から・・・ 
 すごくすごく小さい頃から、変わってない・・・ 
  
 わたしを独占したい時の、彼女のクセ―― 
  
   
- 279 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:14
 
-   
 「お待たせいたしました」 
  
 新しいグラスが運ばれてきて 
 わたし達の前に置かれる。 
  
 ウェイターさんが立ち去ると、 
 ひとみちゃんは、自分のそれを一気に呷った。 
  
  
 「彼って誰のこと言ってんだよ」 
  
 冷たく尖った声。 
  
 「中学の時にひとみちゃんが、付き合ってた彼のことだよ・・・」 
  
 観念して白状する。 
  
 「はあ?何それ? 
  アタシ中学ん時なんか、誰とも付き合ってねぇし」 
  
 キツイ言い方されてるのに、 
 懐かしくて、思わず笑みが零れそうになる。 
  
   
- 280 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:14
 
-   
 「あの日の後、わたしまたひとみちゃんに 
  一人で会いに行ったんだもん。 
  そしたら、ひとみちゃん、彼氏と歩いてた」 
  
 「はあ?」 
  
 「2人で寄り添うみたいにして・・・」 
  
 俯いて、イジケタように見せてるけど 
 あなたの態度で、ほとんど確信してる。 
 あれは、わたしの誤解だったんだって・・・ 
  
 「いつだよ?」 
 「あの日の2日後」 
 「あの日・・・の2日後・・・?」 
  
 考え込む彼女に追い討ちをかける。 
  
   
- 281 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:15
 
-   
 「そう、あの日。 
  ひとみちゃんが、わたしにキスしてくれた日の2日後」 
  
 ブワッ。 
 そんな音が、隣で聞こえてきそうなくらい 
 彼女は真っ赤になった。 
  
 「キスしてくれたから、わたしのこと好きなんだと思ったのに、 
  彼氏なんかいたんだって、すっごくすごく悲しくて・・・」 
  
 これはホントだもん。 
 真っ暗闇だった。 
 苦しくて、吐くほど泣いたんだから。 
  
 「違うよ、彼氏なんかじゃねーって! 
  ただの部活の先輩だよ」 
  
 「だってすごく仲良さそうだったもん」 
  
 「仲良かったよ。仲良かったけど 
  そんなんじゃないって。それに・・・」 
  
 「それに?」 
  
   
- 282 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:16
 
-   
 「――ちゃんと、断ったし・・・」 
  
 消え入りそうな声。 
  
 そうだったんだ・・・ 
 バカみたいだね、わたし。 
  
 すっごく悩んで苦しくて。 
 落ち込んで、何年も立ち直れなくて・・・ 
  
 だけど今、そんな苦しみも吹っ飛んじゃうくらい 
 隣のあなたの姿に浮かれてる。 
  
 「告白されたの?」 
 「うん。でも好きな人いるからって断った」 
  
 もうニヤニヤが止まらない。 
 その好きな人ってさ・・・ 
  
 「アタシずっと、嫌われたって思い込んでた。 
  連絡しても出てくれないし、あーマズったって。 
  キスなんかしなきゃ、幼馴染のままいられたのにって。 
  傷つけちゃったんだって思って、それで・・・」 
  
 一気にそう言って、彼女は両手で顔を覆うと呟いた。 
  
 「バッカみてぇ・・・」 
  
   
- 283 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:16
 
-   
 「ふふ・・・」 
  
 その姿に思わず、笑いが漏れた。 
  
 「ふふ、じゃねぇよ」 
  
 顔をあげた彼女の目が優しい。 
  
  
 「・・・ここの夜景、キレイでしょ?」 
 「うん」 
  
 窓に映る、透き通った2人。 
 きらめく光りの中に浮かぶ並んだ2人の姿は、 
 まるで天の川を越えて、再び出会った織姫と彦星のよう・・・ 
  
   
- 284 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:17
 
-   
 「泊まっていきなよ」 
 「え?」 
 「アタシ、部屋とってくる」 
  
 スッと立ち上がると、わたしの返事も聞かぬまま 
 ウェイターさんと2、3言話して、バーを出て行った。 
  
 「もう・・・勝手なんだから」 
  
 大げさにため息をついて 
 頬杖なんか付くけど、顔がにやけて仕方がない。 
  
 織姫、待機中・・・か。 
  
 窓越しに夜空を見上げる。 
 キラキラ輝く星の数々。 
  
 う〜ん、どの星かな・・・ 
  
 そちらはうまく行ってますか? 
 ロマンティックな夜を過ごせていますか? 
  
 心の中で織姫に問いかけていると 
 ウェイターさんがやってきて、わたしの前に新しいグラスを置いた。 
  
   
- 285 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:17
 
-   
 「あの・・・頼んでませんけど?」 
  
 「吉澤からです」 
 「え?」 
  
 「休みを取るのに少し時間がかかるようで 
  それを飲んで待っていて下さいって」 
  
 そうだ、ひとみちゃん 
 お仕事抜けてきてくれてたんだった。 
  
 「お名前」 
 「え?」 
  
 「そのカクテルの名前 
  知りたくありませんか?」 
 「名前、ですか・・・?」 
  
 ニッコリ大きく頷く彼。 
 そんなに興味はないけど、そんな風に言われたら一応、ね・・・ 
  
   
- 286 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:19
 
-   
 「教えてください」 
  
 優しいピンク色の液体。 
 次々と浮かんでは、はじけて行く小さな粒が 
 店内の明かりと、外の夜景に反射して 
 まるで宝石のように見える。 
  
  
 「Lovers Againです」 
  
  
 ――Lovers Again・・・ 
  
  
 (――再び、恋人に・・・) 
  
  
 そちらに負けないくらい 
 わたし達も、ロマンティックな夜になりそう・・・かも。 
  
 夜空を見上げて、心の中で呟いた。 
  
  
   
- 287 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:19
 
-   
  
   
- 288 名前:タナバタカザリ 投稿日:2012/08/21(火) 17:19
 
-   
  
   オワリ 
  
  
   
- 289 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/08/21(火) 17:27
 
-   
 お気づきの方が多いでしょうが 
 単にあの曲名を使いたかっただけです。 
 すみません・・・ 
  
 更には、何だこの終わり方は! 
  
 とのお叱りを受けそうな気がしたので、調子に乗って書きました。 
 よっすぃ〜視点。 
  
 それは次回にでも。 
  
   
- 290 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2012/08/22(水) 00:24
 
-  最高です!どーせ玄米ちゃ様のことだからチョーいぢわるな展開だと思っていたのですが...... 
 石川さんも吉澤さんもかわいくてたまらん!  
- 291 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/08/22(水) 00:32
 
-  よっすぃ視点楽しみにしてますね。 
 
- 292 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/08/23(木) 17:16
 
-   
 >290:名無し募集中。。。様 
  ありがとうございます。 
  
 >291:名無飼育さん様 
  ご期待に添えるといいのですが・・・ 
  
  
 では、よっすぃ〜視点です。 
  
   
- 293 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:16
 
-   
  
   『たなばたかざり』 
  
  
   
- 294 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:17
 
-   
  
  [ひとみちゃんに会わせてください] 
  
  
 自分の目を疑った。 
  
 ――うそ・・・、だろ・・・ 
  
 跳ね上がった心臓の音が、うるさいほど 
 アタシの鼓膜に響き渡る・・・ 
  
 ありえねぇーよ。 
 だって、だって、あれからもう・・・ 
  
   
- 295 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:17
 
-   
 「願い事、叶っちゃったみたい」 
  
 脚立で呆然としたままのアタシを 
 真っすぐに見上げて、彼女はそう言った。 
  
 「――梨華、ちゃん・・・?」 
  
 ほんとに梨華ちゃんなの・・・? 
 また大きく心臓が波打つ。 
  
 キレイになった。 
 すげぇ。 
 マジで。 
  
 脚立の上と下。 
 見つめ合った時間は、ほんの数秒だと思う。 
 けれど、アタシの中で色んな感情が湧き出してきて 
 途端に胸が苦しくなる―― 
  
 「・・・久しぶり・・・だね」 
  
 精一杯作った笑顔で、 
 なんとか言葉を絞り出した。 
  
   
- 296 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:18
 
-   
 震える体がバレないように 
 ゆっくり脚立を下りて、梨華ちゃんの前に立つ。 
  
 「ひとみちゃん・・・」 
  
 相変わらず高いけど、声も大人っぽくなったね。 
  
 しかしどうするよ、これから。 
 いきなりこんな風に再会しちゃってさ・・・ 
  
 気まずい沈黙が2人の間を流れていく―― 
  
  
  
 「・・・あ、あのさ!」 
 「なあに?」 
  
 うわぁ〜! 
 沈黙に耐えられなくて、ノープランで言葉を発しちった! 
 おいおい、どうする気だよ自分っ!! 
  
  
 「・・・せ、せっかくだから、少し飲もうよ。 
  アタシ、休憩もらってくるからさ、 
  最上階のバーで好きなの飲んで待ってて?ね?」 
  
 げっ!やっちった。 
 勢いで言っちまった。 
  
 ほら〜、梨華ちゃん驚いて固まってるじゃんか。 
 あ〜サイアク・・・ 
  
   
- 297 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:19
 
-   
 「いいの?お仕事大丈夫?」 
 「へ?あ、ああ。だいじょぶ」 
  
 不安げな眼差しが、一気に晴れて 
 満開の笑顔になる。 
  
 ――ああ、これ・・・ 
  
 この笑顔にアタシはいつもやられてたんだ・・・ 
  
 この笑顔を見たくて。 
 この笑顔にしたくて。 
  
 アタシだけが、こんな笑顔に出来るんだって錯覚してて―― 
  
 もう何年も感じていなかった痛みが 
 アタシの胸を鋭く貫いた。 
  
   
- 298 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:19
 
-   
  
 「ごめん!待った?」 
 「ううん、大丈夫」 
  
 カウンターで一人、グラスを傾けていた彼女。 
 少しだけ見惚れてしまったことは、アタシだけの秘密。 
  
 「奥、空いてる?」 
  
 そう確認して、彼女の手をそっと引く。 
 相変わらず、ちっちゃい手。 
  
 ――今は誰と繋いでるの? 
  
 聞けない疑問が、心の中を渦巻く。 
  
   
- 299 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:20
 
-   
 「従業員だし、お客様にも顔割れてるから 
  目立たないトコで飲まないとさ」 
  
 警戒ぎみの彼女を安心させたくて、そう言う。 
 半分はホントだよ。 
 けど、半分はこの夜景を見せてあげたかったんだ。 
  
 「だから、ここでもいい?」 
  
 小声で確認するように、彼女に顔を寄せた。 
 小さく頷いた彼女から、ほのかに香る甘い匂い。 
  
 誰かにもらった? 
 それとも、誰かが好む香りなの? 
  
 いちいち波立つ自分の心に、舌打ちしたくなる。 
  
   
- 300 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:20
 
-   
 「何、飲んでた?」 
  
 そんなのチェック済だけど、 
 何食わぬ顔をして、メニューに視線を落とす。 
  
 ――酒、飲めるんだね。 
  
 結構強いカクテル飲んでたのに 
 平気な顔してるもん。 
  
 人が平静を装ってると言うのに、 
 やけに頬に視線を感じる。 
  
 何だよ、アタシそんなに変わったか? 
 それとも、誘いに乗ったのを早くも後悔してたりする? 
  
   
- 301 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:21
 
-   
 「何だよ、そんなにガン見しないでよ」 
  
 メニューに視線を落としたまま、そう言った。 
 帰りたいなら、そう言って? 
 無理はさせないから。 
  
 気まずいなら、態度に出していいよ。 
 すぐに解放してあげるから。 
  
 「やっぱり綺麗だなって」 
 「はあ?」 
 「ひとみちゃん」 
  
 予想外の答えに、一気に首まで赤くなる。 
 チラリと彼女を見ると、嬉しそうな笑みが返ってきた。 
  
 「飲めるんでしょ?適当に頼んじゃうよ?」 
 「うん、任せる」 
  
 そんなにはじけた笑みを返されたら 
 アタシまた、錯覚しちゃうじゃんか・・・ 
  
   
- 302 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:21
 
-   
  
 「梨華ちゃんこそ、すげー綺麗になった」 
  
 「気使わなくていいよ?」 
 「ほんとだって!マジで」 
  
 思わずムキになる。 
 コイツ、ほんと分かってない。 
  
 「結婚式だったんでしょ? 
  ドレス着てるし、マジで綺麗で 
  ちょっと、てか、かなり驚いた」 
  
 ほんとだよ。 
 心臓止まりそうだったんだ。 
  
 「何よぉ、昔が悪かったみたいじゃない」 
 「違う違う、そうじゃなくてさ・・・」 
  
 そうじゃなくて・・・ 
  
 もう10年以上会ってないのに、 
 あの頃みたいに心臓が跳ねたんだ。 
  
 だから、ほんとにほんと。 
 ほんとなんだってば・・・ 
  
   
- 303 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:21
 
-   
 「――そうじゃ、なくて・・・」 
  
 隣の彼女を見つめた。 
  
 輝いてるよ、梨華ちゃん。 
 あの頃以上に。 
  
 すごく、すごく綺麗になったよ・・・ 
  
 恋してるんでしょ? 
 誰が梨華ちゃんを綺麗にしたの? 
 そいつ、いい奴? 
 泣かされたりしてない? 
  
 ねぇ、梨華ちゃん―― 
  
   
- 304 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:22
 
-   
 「お待たせいたしました」 
  
 2人の目の前に、グラスが置かれる。 
  
 あっぶねぇ・・・、助かった・・・ 
 アタシ、とんでもないこと口走るとこだった・・・ 
  
 アタシが今でも、こんな気持ち抱えてるなんてバレたら 
 また拒絶されちまう。 
  
 今日は、10数年ぶりに再会した 
 ただの幼馴染の2人なんだ。 
  
 普通に再会を喜んで。 
 普通に昔話を楽しんで。 
 普通にお酒を飲めばいい。 
  
 奥底にある異常な感情は、もう遠い昔に捨てたんだから・・・ 
  
   
- 305 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:22
 
-   
 「「カンパイ」」 
  
 2人のグラスが合わさって 
 軽い音を立てる。 
  
 「懐かしいね。 
  クリスマスとか、よく2人でシャンメリー飲んでた」 
 「夏祭りの時も、意味なくラムネでカンパイしたりね」 
 「そうそう。ほら、あん時もだよ」 
  
 そうそう。この調子。 
 これでいいんだ。 
  
 アタシ達は幼馴染。 
 それ以上でも、それ以下でもない。 
  
 梨華ちゃんが幸せなら、それでいいんだ―― 
  
   
- 306 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:23
 
-   
 「あ、ヤベ。こんな時間だ。 
  梨華ちゃん、終電大丈夫?」 
 「え?ああ、うん・・・」 
 「ごめん。何か無理矢理誘って、 
  一人でベラベラしゃべっちった」 
 「そんなことないよ。楽しかった」 
 「なら、良かった」 
  
 アタシも楽しかったよ。 
 10年以上会ってなかったとは、思えないくらいだった。 
  
 今のアタシなら、この距離をちゃんと保てると思う。 
 もうあの時みたいに、身勝手な感情を押し付けたりは絶対しないから。 
  
 だから安心して? 
  
 相変わらず、胸は痛むけど、今度会う時には 
 だいぶマシになってそうな気がするんだ。 
  
 そしたらきっと、聞けると思う。 
 梨華ちゃんの『今』を―― 
  
   
- 307 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:23
 
-   
 「駅まで送ってくよ」 
  
 それくらいはさせてよ。 
 その背中を見送って、アタシの想いともサヨナラするから・・・ね? 
  
 不意に彼女に手を掴まれた。 
 心臓がまた、大きく跳ね上がる。 
  
 やめてよ・・・ 
 また胸が苦しくなるじゃんか・・・ 
  
  
 「――ひとつだけ、聞いていい?」 
  
 彼女の指先が震えている。 
 細かな振動が、指先から伝い、アタシの心音と共鳴する―― 
  
  
  
   
- 308 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:24
 
-   
  
  『ずっとそばにいたい・・・』 
  
  『会いたかったの・・・』 
  
  『離れたくないんだもん・・・』 
  
  
 震える指先が、アタシの指先を手繰って 
 ギュッと離れないように絡み合う・・・ 
  
  
  『ひとみちゃん、どこにも行かないで・・・』 
  
  
 思わず、涙が溢れそうになった。 
  
 指先から伝わってくる彼女の想い・・・ 
 あの頃から変わらない、彼女の仕草・・・ 
  
   
- 309 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:25
 
-   
  
 「――彼、とは・・・どうなったの?」 
 「彼?」 
  
 聞き返した声がかすれた。 
  
 錯覚じゃないって思ってもいい? 
 この指先の温度を信じてもいいの? 
  
 軽く咳払いして、もう一度問い返す。 
  
 「彼って、誰のこと?」 
 「ううん、ごめん。何でもない」 
 「何だよ。何でもないって気になるじゃん」 
 「そんな、たいしたことじゃないから」 
  
 困ったように寄せたハの字の眉。 
 力なく笑った艶やかな唇。 
  
 「そうだ、これわたしの名刺」 
  
 ふ〜ん。逃げるんだ。 
  
 「携帯の番号も書いておくから 
  ヒマな時にでも、連絡ちょうだい?」 
  
 誰が受け取るもんか。 
  
 「ひとみちゃん、またね?」 
  
 誰が帰すか! 
  
   
- 310 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:25
 
-   
 「すいませ〜んっ! 
  これと同じのを2つ!」 
  
 ギョッとした彼女。 
 驚け、驚け。 
 合わせてアタシの気持ちも知って驚きやがれ! 
  
 「座れ」 
 「へ?」 
  
 「話終わってない。 
  だから座れ」 
  
 「でも終電・・・」 
 「いいから、もう少し付き合え」 
  
 強引に腕を引っ張って着席させる。 
  
 景気づけに、運ばれてきたグラスを一気に呷る。 
 飲まなきゃ、ぜってぇ聞けねー。 
  
   
- 311 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:26
 
-   
 「彼って誰のこと言ってんだよ」 
 「中学の時にひとみちゃんが、付き合ってた彼のことだよ・・・」 
  
 あきらめたように、白状する彼女。 
  
 「はあ?何それ? 
  アタシ中学ん時なんか、誰とも付き合ってねぇし」 
  
 バカか、こいつは。 
 アタシの気持ちは、アンタにしかなかっただろうがよ! 
  
 「あの日の後、わたしまたひとみちゃんに 
  一人で会いに行ったんだもん。 
  そしたら、ひとみちゃん、彼氏と歩いてた」 
  
 げっ!マジ?! 
  
 「2人で寄り添うみたいにして・・・」 
  
   
- 312 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:26
 
-   
 「いつだよ?」 
 「あの日の2日後」 
 「あの日・・・の2日後・・・?」 
  
 あの日って、やっぱあの日・・・だよな? 
  
 「そう、あの日。 
  ひとみちゃんが、わたしにキスしてくれた日の2日後」 
  
 ブワッ。 
  
 赤くなったのは、一気に飲んだアルコールのせいだぞ。 
 キスを思い出したとか、そんなんじゃないからな!  
  
 「キスしてくれたから、わたしのこと好きなんだと思ったのに、 
  彼氏なんかいたんだって、すっごくすごく悲しくて・・・」 
  
 ちょ、ちょっと待ってよ! 
  
 「違うよ、彼氏なんかじゃねーって! 
  ただの部活の先輩だよ」 
  
 勝手に見て、勝手に誤解すんなって!! 
  
   
- 313 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:27
 
-   
 「だってすごく仲良さそうだったもん」 
  
 「仲良かったよ。仲良かったけど 
  そんなんじゃないって。それに・・・」 
  
 「それに?」 
  
 「――ちゃんと、断ったし・・・」 
  
 断ったよ、ちゃんと。 
 だって、梨華ちゃん以外いらなかったんだから・・ 
  
 「告白されたの?」 
 「うん。でも好きな人いるからって断った」 
  
 ほんとだよ。 
 アタシは昔からずっと、ずっとずっと梨華ちゃんが好きだった。 
  
 だから、あの日。 
 キスして、すげぇ舞い上がってて嬉しくて。 
 ほんとバラ色みたいな世界だったのに、突然拒否られて 
 気が狂いそうになったんだ。 
  
   
- 314 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:27
 
-   
 「アタシずっと、嫌われたって思い込んでた。 
  連絡しても出てくれないし、あーマズったって。 
  キスなんかしなきゃ、幼馴染のままいられたのにって。 
  傷つけちゃったんだって思って、それで・・・」 
  
 んだよ・・・ 
 思わず両手で顔を覆った。 
  
 何か、アタシ達―― 
  
 「バッカみてぇ・・・」 
  
  
 「ふふ・・・」 
 「ふふ、じゃねぇよ」 
  
 マジで、笑い事じゃない。 
  
 ・・・けど、もういいや。 
  
 今、梨華ちゃんと繋がった。 
 それだけでもう、今までの痛みなんて全部ふっとんだよ。 
  
   
- 315 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:28
 
-   
 「・・・ここの夜景、キレイでしょ?」 
 「うん」 
  
 ここに勤めてから、ずっと思ってたんだ。 
 この夜景、梨華ちゃんに見せてあげたいなって―― 
  
  
 「泊まっていきなよ」 
 「え?」 
 「アタシ、部屋とってくる」 
  
 こうなったら、電光石火。 
 行動力抜群なんだ。知ってるでしょ? 
  
 それから、見かけによらずロマンティストなのもさ・・・ 
  
  
  
 「あとで、彼女にこのカクテル届けて。 
  その名前も教えてあげてくれない?」 
  
 ひっそり注文することも忘れない。 
  
 さてさて、気付くかな? 
 アタシの愛のメッセージに―― 
  
  
   
- 316 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:28
 
-   
  
 「おーい、麻琴!」 
  
 「あ、やっと戻ってきた。 
  30分オーバーですよ。ったくもう」 
  
 早く制服に着替えて来てください。 
 今度絶対おごってもらいますからね! 
  
 などと、ブツブツ言う唇に人差し指をあてる。 
  
 「何すんですか! 
  気持ち悪いっ」 
  
 「お前、先輩に向かって気持ち悪いとは何だ」 
  
 「気持ち悪いから、気持ち悪いって言ってるんです。 
  さっきから、いつにも増して目が垂れちゃってるし 
  ニヤニヤしすぎだし・・・ 
  いいから早くして下さいよ、もうっ!」 
  
 腰に手をあてて、仁王立ちの麻琴の前で 
 手を合わせて拝む。 
  
   
- 317 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:29
 
-   
 「可愛い可愛い、小川様。麻琴様」 
  
 「気色わるっ!名字と名前 
  両方にサマとかつけないで下さい」 
  
 「小川ちゃま、麻琴ちゃま」 
  
 「深夜でお客様がいないからいいものの 
  フロントで遊んでたら、怒られますよ?」 
  
 「頼む!この通り!」 
  
 もう一度、手を合わせて 
 今度は深々と頭を下げた。 
  
 「このまま、アタシと勤務代わって? 
  朝まで頼む!この通りっ!!」 
  
 「はあ?」 
  
 「それと今日、スイート空いてるよね? 
  従業員割引で、よろしく」 
  
   
- 318 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:29
 
-   
 「ちょ、どういうことですか?!」 
  
 待たせてんだから、早くしろっ! 
 理由は後だ。 
  
 わめく麻琴を尻目に、そそくさとキーを取り出した。 
  
 「んじゃ、あとよろし――ンガッ!」 
  
 襟を引っ張るな、コラッ! 
  
 「説明しないと、長時間休憩したあげく 
  シフト放棄したっていいますよ?」 
  
 不敵に微笑む後輩。 
  
 「手短でいいんで」 
  
 わぁったよ! 
  
 仕方なくバーに電話して、 
 さっきのカクテルとともに、しばし待ってもらうよう伝言をお願いした―― 
  
   
- 319 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:30
 
-   
  
 「しっかし、キザですねぇ。 
  Lovers Againだって」 
 「うっせぇ」 
  
 腹を抱えて笑う麻琴を睨みつける。 
 仕方なく、かいつまんでかいつまんで説明してやったのにこれだ。 
  
 「でも、七夕の奇跡ってあるんですねぇ。 
  毎年、吉澤さんが笹飾りのてっぺん独占してたんですから」 
 「お前もやってみろ。信じてれば願いは叶うもんだ」 
 「ふ〜〜ん・・・」 
 「なんだよ、その意味深なふ〜んは?」 
  
 「いや〜だってですね。 
  本当に願いが叶ったかどうかは分かんないですよ?」 
 「叶ったに決まってんだろ」 
  
 「そおかなぁ・・・」 
  
 麻琴の視線は、ロビーの笹飾りの一番上。 
  
 「梨華ちゃんが幸せになりますように」 
  
   
- 320 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:30
 
-   
 「律儀に毎年毎年、同じ願いをてっぺんに飾っちゃって」 
 「何が悪い」 
  
 「悪くないですよ? 
  一途でステキだなぁって」 
 「てめぇ、おちょくってんだろ?」 
  
 「違いますよ! 
  ただ、梨華さんが幸せになるお相手が 
  吉澤さんとは限らないよなーって、話し聞きながら思っただけです」 
  
 ・・・ギクリ。 
  
 「だってそうでしょ? 
  梨華さんの今、何も聞かなかったんでしょ?」 
  
 ずき〜んっ! 
  
 「昔のことは、誤解だと分かったけど 
  今彼氏いるか聞いてないんでしょ? 
  もしかしたら、すでにフィアンセとか――」 
  
   
- 321 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:31
 
-   
  
 「――麻琴、ちょっとバーに言って 
  代わりに聞いてきて・・・」 
 「はい??」 
  
 「頼むよ!ね? 
  カクテルの名前も、間違いだからって言ってきて」 
 「何でそう、急にヘタレになるんですかね! 
  相手がいようがいまいが、好きなんでしょ?」 
 「そうなんだけどさ・・・」 
  
 「だったら、バッと行って、チュッてして、 
  目をとじてギュッしちゃえばいいじゃないスか」 
 「簡単に言うなよ・・・」 
  
 今度、拒否られたら 
 アタシもう立ち直れねーよ・・・ 
  
   
- 322 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:31
 
-   
 「待たせてんでしょ? 
  早く行きなよ!」 
  
 背中を押してフロントから追い出そうとする麻琴。 
  
 「あ、バカ。押すなって!」 
  
  
  <チーン> 
  
 エレベーターの扉が開いた。 
  
  
 あ・・・ 
  
  
 「・・・ごめんね。あんまり遅いから 
  下りてきちゃった・・・お仕事大丈夫?」 
  
 「全然大丈夫でございます! 
  お部屋もほら、スイートルームをご用意致しました!」 
  
 麻琴、てめぇぇぇ!!! 
  
   
- 323 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:32
 
-   
 「ささ、吉澤先輩。こちらはご心配なく」 
 「・・・あ、ああ、よ、よろしく・・・」 
  
 「明日の朝は、チェックアウトのお時間は気にせず 
  ごゆっくり、お2人の時間をお過ごし下さいませ」 
  
 意味深な言い方しやがって・・・ 
  
 「ほんとに大丈夫?」 
 「・・・え?ああ、うん。もちろん大丈夫」 
  
 梨華ちゃんの背中を押して、エレベーターへと促す。 
 クビだけ振り向いて、麻琴を睨み付けた。 
  
 玉砕したら、一生祟ってやるからなっ! 
  
  
 「・・・ごめんね、ひとみちゃん」 
 「ん?」 
  
 ぐんぐん上昇するエレベーター。 
 高さに比例するように、アタシの緊張も高まっていく―― 
  
   
- 324 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:32
 
-   
 「大人しく待ってようと思ったんだけど 
  もうすぐバーが終わっちゃう時間だったみたいだから」 
  
 あ、そっか。 
 もうそんな時間か・・・ 
  
 「いてくれていいって、言って下さったんだけど・・・」 
 「・・・こっちこそごめん」 
  
 何か自分の気持ちでいっぱいいっぱいで、 
 色んなことに気が回らなかった。 
  
 ゲストに気を使わせるなんて、サイテーだなアタシ。 
  
 ――もし今、梨華ちゃんに恋人がいたとしても。 
 ――たとえもう、アタシに気がないとしても。 
  
 今日のこの七夕の夜を 
 梨華ちゃんが楽しいと思ってくれたら、それでいいんだよ・・・ 
  
   
- 325 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:33
 
-   
 「こちらでございます」 
  
 少しだけ、仕事モードに戻して 
 部屋のドアを開けて、彼女を案内する。 
  
 「・・・うわぁ・・・、すごいお部屋・・・」 
 「でしょ?」 
  
 「いいの?こんなステキなお部屋」 
 「今夜はちょうど空いてたんだ」 
  
 すご〜い・・・ 
  
 窓に張り付くように、外を眺める彼女。 
 バーから見るのとは、また一味も二味も違う景色。 
  
 ――可愛いよ、梨華ちゃん。 
 ――綺麗だよ、梨華ちゃん。 
  
 「何か飲む?」 
  
 短い時間だけど、梨華ちゃんにとって、 
 少しでも幸せだって思える夢の時間になるといいな・・・ 
  
   
- 326 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:33
 
-   
 「この部屋にしか置いていないものもあるんだよ。 
  もうアルコールはいらないかな?」 
  
 結構飲んだよね? 
 結婚式でも、多少飲んだんだろうし。 
  
 「とりあえず水にしとく?」 
  
 ミネラルウォーターを2本取り出して振り向くと、 
 彼女とバッチリ目が合った。 
  
  
 「・・・どした?」 
  
 真剣な表情に、思わずゴクリと唾を飲む。 
  
 そのままゆっくりと、眠らない街のネオンを背に 
 彼女がアタシの元へと近づいてくる。 
  
 音もなく、静かに、ゆっくりと―― 
  
   
- 327 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:34
 
-   
  
 「1本でいい・・・」 
  
 かすれた彼女の声。 
  
 「ひとみちゃんと一緒がいい・・・」 
  
 視線を合わせたまま、 
 彼女がアタシの手から2本とも取り上げる。 
  
 1本をテーブルへ、 
 そしてもう1本を開けて、その艶やかな口に含んだ。 
  
 ――一連の動作が、まるでスローモーションのようだった。 
  
 彼女の両手が、アタシの頬を撫で 
 そのまま首の後ろに回り、そっと引き寄せられた。 
  
 少しだけ背伸びした彼女の唇が、アタシのそれに重なる・・・ 
  
 彼女が注ぎ込んでくれた液体が、アタシの口内に届き、 
 喉の奥へと滑り落ちていくと、不覚にも涙が零れた。 
  
   
- 328 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:35
 
-   
  
 「好き・・・」 
  
 囁くような彼女の声。 
  
 「あの日は、ひとみちゃんから言って、 
  キスしてくれたから・・・」 
  
 溢れ出した涙が止まらない。 
  
 「さっきのカクテル、すごく嬉しかった・・・」 
  
 アタシの愛、ちゃんと伝わってた・・・ 
  
 「わたし、またひとみちゃんの恋人になりたい・・・」 
  
 「――梨華ちゃん・・・」 
  
 愛しさが、溢れて 
 力いっぱい彼女を抱きしめた。 
  
   
- 329 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:35
 
-   
 「好きだよ・・・」 
  
 何年離れてたって。 
 何年会わなくたって。 
  
 「ずっとずっと梨華ちゃんだけなんだ・・・」 
  
 アタシは生まれた時からずっと 
 梨華ちゃんだけなんだよ? 
  
 もう一度合わせた唇は、触れるだけでは足りなくて、 
 幾度も絡み合い、愛を囁きあいながら、体中を駆け巡る―― 
  
 「――ひとみ、ちゃ・・・はぅ・・・」 
 「・・・梨華ちゃ・・・んっ・・・」 
  
 言葉も心も体も。 
 お互いの全てを使って、愛を伝え合い分かち合う・・・ 
  
   
- 330 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:36
 
-   
 「――梨華ちゃん、幸せ?」 
 「幸せだよ・・・」 
  
 吐息すら、お互いで分かち合って 
 2人で上りつめる。 
  
 そう、てっぺんまで。 
 願いの叶う、一番高いその場所まで―― 
  
  
 いつの間にか、織姫と彦星の光りが太陽に吸収され、 
 また彼らの新たな1年が始まろうとしていても、 
 アタシ達は、まだ繋がっていた。 
  
 もう絶対離れない。 
 かけがえのない毎日を、腕の中の愛する人と 
 ずっとずっと一緒に紡いでいくんだ。 
  
 だから、これからアタシが願うのは―― 
  
   
- 331 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:36
 
-   
  
  
   [梨華ちゃんに 
  
     星の数ほどの幸せを 
  
      ずっとずっと、あげ続けられますように・・・] 
  
  
  
   
- 332 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:36
 
-   
   
- 333 名前:たなばたかざり 投稿日:2012/08/23(木) 17:36
 
-   
  
    おわり 
  
  
   
- 334 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/08/23(木) 17:37
 
-   
 お粗末さまでした。 
  
   
- 335 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/08/23(木) 22:47
 
-  あまーーーーい 
 吉澤視点すごくよかったです  
- 336 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2012/08/24(金) 00:29
 
-  思いは伝わる!素敵ないしよしをありがとうございます。 
 
- 337 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/08/24(金) 00:48
 
-  最初はどうなるのかと思いましたがその後の二人が気になります! 
 きっとアツアツデレデレなのでしょうが.....  
- 338 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/10/19(金) 13:12
 
-   
 >335:名無飼育さん様 
  ありがとうございます! 
  
 >336:名無し募集中。。。様 
  こちらこそありがとうございます。 
  
 >337:名無飼育さん様 
  その後の二人はそりゃあもう・・・ 
  
  
 さて、新作を書き始めているんですが、 
 これがなかなか進まない・・・(汗) 
 いわゆるスランプってやつですねぇ・・・ 
  
 で、気晴らしに少し前のあるネタに反応して短編書きました。 
 これがまあエロです。 
 てか、あのネタに反応したらエロにしかならない・・・ 
  
 ということで、今回はベタな展開のエロストーリーですので 
 苦手な方は、御回避下さいませ。 
  
  
   
- 339 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:13
 
-   
  
   『RH』 
  
  
   
- 340 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:14
 
-   
  [Relaxation massage H] 
  
 1階のビルの入口に、2週間ほど前から置かれている看板。 
  
  [9F 901号室] 
  
 わたしの職場のすぐ真下。 
  
 この10階建てのビルの最上階の一室に 
 わたしの職場はある。 
  
   
- 341 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:14
 
-   
  [1001号室 ネイルサロン 華] 
  
 そう書かれた集合ポストのダイヤルを回し 
 中の郵便物を取り出す。 
  
 <マッサージ代 20%OFF> 
  
 そんな文字が飛び込んできて 
 思わず目を奪われる。 
  
 ――最近、疲れが溜まってるからなぁ。いっちゃおうかなぁ・・・ 
  
 おかげ様で、お店の業績は至極順調。 
 クチコミで広がった評判は、わたしの予想をはるかに超えて 
 たくさんの予約をもたらしてくれた。 
  
 けれどその分、疲労は蓄積していくばかりで・・・ 
  
   
- 342 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:15
 
-   
 女性の指先を華やかに彩りたい―― 
  
 その思いと自分の名前の一文字をとって、つけた店名。 
 一人きりで始めたお店だけど、そろそろ誰かを雇わないと 
 自分の身がもたなくなりそう・・・ 
  
 <チーン> 
  
 エレベーターが到着した音がして 
 マッサージ屋さんのチラシを眺めたまま 
 箱の中に乗り込んだ。 
  
 『閉』ボタンを押そうとして 
 エントランスに飛び込んできた人影に気付き 
 慌てて『開』ボタンを押す。 
  
 「すみません!ありがとうございます!」 
  
 その人が乗り込んだ途端 
 優しい香りがフワリと鼻腔に広がった。 
  
   
- 343 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:15
 
-   
 「えっと・・・何階ですか?」 
  
 へ? 
  
 そう尋ねられて、自分の階を 
 まだ押していなかったことに気付く。 
  
 「あ、10階です。すみません」 
  
 彼女が、『9』と『10』のボタンを押す。 
  
 初めて見る人だな・・・ 
 ここの住人さんかなぁ? 
 このビル、居住系のお部屋もいくつかあるし・・・ 
  
 それにしても、キレイな手―― 
  
 真っ白でほっそりとしていて、 
 すっと伸びた長い指。 
  
 ネイルしたら、すごく映えるのに・・・ 
  
 職業柄、思わずそんなことを考えてしまう。 
  
   
- 344 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:16
 
-   
 「マッサージ好きですか?」 
 「え?」 
 「それ、握りしめてるから」 
  
 わたしの手には、先ほどのチラシ。 
  
 「だいぶ疲れ、たまってるんじゃないですか? 
  10階の華さんですよね?」 
  
 「ええ・・・って。ええ??」 
  
 何で分かるの? 
  
 「これ、見れば分かります」 
  
 そう言って、そっと手を持ち上げられて 
 彼女の目の前に指をかざされる。 
  
 「キレイっすね」 
  
 彼女のキラキラ輝いた瞳が 
 今朝、彩ったばかりのわたしの指を見つめていて 
 誇らしいようでいて、少しくすぐったくも感じる。 
  
   
- 345 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:16
 
-   
 「良かったら、お店にいらして下さい」 
 「予約とれます?」 
 「・・・う〜ん。少し先になっちゃうかも・・・」 
  
 そんな会話を交わしているうちに 
 エレベーターは、9階に到着。 
  
 「んじゃ、先にうちの店来てくださいよ」 
 「え?」 
  
 エレベーターの扉が開いた。 
  
 「今夜、空いてますから」 
  
 うそ。もしかして・・・ 
  
 「チラシ、持ってこなくていいですよ。 
  もうお顔、覚えましたから」 
  
 エレベーターを降りた彼女が 
 ニッコリ微笑んだ。 
  
 「ではお待ちしてます」 
  
 恭しく頭を下げられたところで 
 扉が閉まった。 
  
   
- 346 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:17
 
-   
  
  
   
- 347 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:17
 
-   
 はあああ〜〜 
 疲れた・・・ 
  
 ぐるぐると肩を回して 
 両手の人差し指で、こめかみを軽く揉む。 
  
 本日最後のお客さんに、色々ねだられて 
 随分長くかかっちゃった。 
  
 でも、喜んでくれたから 
 それはそれで、すごく満足なんだけど―― 
  
 「もう待ってないよね・・・」 
  
 ただ今の時刻は、午後10時半。 
 チラシに記載された営業時間をとっくに過ぎている。 
  
   
- 348 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:17
 
-   
 「仕方ない。今日の収支を計算して 
  大人しくお家に帰ろう」 
  
 でもその前に、ちょっとコーヒーブレイク―― 
  
 お向かいのビルのコーヒー屋さんで買った 
 お気に入りの豆を使って、自分で入れるこのひとときが 
 実は一番好きな時間だったりする。 
  
 厨房で、コーヒメーカーをセットして 
 コーヒーの袋を取り出して気付いた。 
  
 「ヤダ!買い置きしてなかった!!」 
  
 んもう・・・ 
 袋の中身は、わずか。 
 これじゃあ、おいしいコーヒーは望めない。 
  
   
- 349 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:18
 
-   
 「あ〜あ・・・」 
  
 がっかり。ものすごく脱力。 
 他の飲み物と言っても、芳しいものもない。 
  
 コーヒー屋さん、11時までだったよね? 
 ギリギリ間に合うなぁ・・・ 
 けど、買いに行くのめんどくさいなぁ・・・ 
  
 けどやっぱり、今飲みたい! 
  
 仕方なくお財布を持って、しっかり施錠をしてから 
 お店を後にした。 
  
 エレベーターに乗り込んで、 
 1階のボタンを押そうとして、ふと思いとどまる。 
  
 もしも、待っていたら・・・ 
  
 そんな訳ないよね? 
 けど・・・ 
  
 ――ちょっと様子見だけ、ね? 
  
 思い切って、9階のボタンを押した。 
  
   
- 350 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:18
 
-   
 あっという間に9階に到着して、扉が開く。 
  
 1階と10階しか下りたことがないから 
 同じ景色なのに、何だか雰囲気が違って見えて、 
 ちょっとだけドキドキする・・・ 
  
 少しの緊張を抱えながら、自分の足音だけが響く廊下を 
 ゆっくりと進んで、その扉の前に立った。 
  
 シンと静まった廊下。 
 時間が時間だし、無理も無い。 
  
 もう誰もいないんだろうな・・・ 
  
 チャイムを鳴らそうと、あげかけた右手を下ろした。 
  
 「――やっぱ帰ろうっと・・・」 
  
 一言呟いて、背を向けた。 
  
   
- 351 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:19
 
-   
 <ギィィ・・・> 
  
 え? 
  
 「ずっと待ってたのに、帰っちゃうの?」 
  
 驚いて振り返ると 
 いたずらっぽく微笑んだ彼女がいた。 
  
 「・・・だ、だって。もう時間が・・・」 
 「こっちは問題ないよ。華さんが帰りたいの?」 
  
 ぶるぶるぶる。 
 首を横に振った。 
  
 「んじゃ、おいでよ」 
 「いいの?」 
 「もちろん」 
  
 そっと手を引かれて、室内に招かれた。 
  
   
- 352 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:19
 
-   
 「いい匂い・・・」 
  
 エレベーターで会ったときと同じ香り。 
  
 「リラックス効果のあるアロマだよ」 
  
 胸いっぱいに吸い込んでみる。 
 強張った肩や首が弛緩していくような気がする。 
  
 「一人でやってるの?」 
 「そう、華さんと同じ。だから自由が利くんだ。 
  こっちにおいで?」 
  
 品のいい革張りのソファーを勧められる。 
  
 「コーヒーは今日はお預けね?」 
 「え?」 
 「その代わりハーブティーを入れてあげるから 
  座ってて」 
  
 ヤダ、何で知ってるんだろう? 
  
   
- 353 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:19
 
-   
 キョロキョロと室内を見渡していると 
 ティーポットを持った彼女が、苦笑しながら 
 向かい側に腰掛けた。 
  
 「間取りは一緒でしょ?」 
 「うん。なのに随分、雰囲気が変わるんだなって」 
  
 癒しの空間を提供してるつもりだけど 
 こちらの方が断然落ち着く。 
  
 「五感が全て癒されるように 
  気を使ってるから」 
 「五感?」 
 「うん」 
  
   
- 354 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:20
 
-   
 視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚―― 
  
 視覚はこのお部屋でしょ。 
 臭覚はこのアロマでしょ。 
 聴覚はかすかに聞こえるBGMか・・・ 
  
 「はい、どうぞ」 
  
 あ、そっか。 
 味覚はこのハーブティーだ! 
 あと1つは、なんだろう・・・ 
  
 「触覚はどうやって癒すの?」 
 「ん?そのうち分かるよ」 
  
 意味深な笑み。 
  
 「それよりさ。どのコースが希望? 
  疲れを取りたい?それとも美容系がいいの?」 
 「う〜ん・・・、どっちも捨てがたいな・・・」 
  
 「ふはは」 
  
 軽く笑って立ち上がった彼女の両手が 
 わたしの後ろからそっと、肩に触れた。 
  
   
- 355 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:20
 
-   
 「思った通り。大分こってるね」 
 「やっぱり?」 
 「うん、首もなかなか」 
  
 心地いい・・・ 
 早くもうっとりして、彼女の指に身を委ねてしまう。 
  
 「おまかせコースにしてみる?」 
 「うん」 
  
 「じゃあ、施術着に着替えてもらっていいかな? 
  そこにあるから」 
  
 彼女が指差した先を見て頷いた。 
  
   
- 356 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:21
 
-   
 「ブラは外しといてくれるかな? 
  場合によっちゃ、オイルもやろう」 
 「いいの?遅い時間なのに・・・」 
  
 問題ないと言うように頷いて、微笑んでくれた彼女。 
  
 「肩と首、背中や腰を中心に 
  全身をほぐして行くことから始めようか?」 
  
 お部屋に一つだけある、大きなベッドへと案内しながら 
 説明を加えてくれる。 
  
 「ハンガー、これ使っていいから。 
  着替え終わったら声かけて。 
  急がなくていいよ?」 
  
 「ありがとう」 
  
 そう言って微笑んだら、優しい笑顔を返してくれて 
 ベッドの横のカーテンを閉めてくれた。 
  
   
- 357 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:21
 
-   
 まだ全然、始まってもいないのに、 
 何だか、すっかりリラックスモード。 
  
 彼女の声や仕草にも癒し効果があるみたいで、すごく心地がいい・・・ 
 もしかして聴覚を癒すのは、このBGMじゃなくて彼女の声の方かも。 
  
 絶対、通っちゃうなぁ。 
 毎日でも来たいなぁ。 
 けど、お財布と相談しなきゃ・・・ 
  
 でもここ、絶対リピーター多いよね? 
 一回来たら、もう一度来たいって思うもの。 
 今は開店したばかりだから、空いてるかもしれないけど 
 そのうち、うちのお店みたいにクチコミで繁盛しちゃうんだろうなぁ・・・ 
  
 もう少し、広まらないでいて欲しいなぁ・・・ 
  
 なんて経営者として、あるまじきことを考えてしまって 
 慌てて首を振った。 
  
   
- 358 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:21
 
-   
 「着替えました〜」 
  
 カーテンを開けて、声をかけると 
 いつくかのキャンドルを持って現れた彼女。 
  
 「さっきとは違うアロマ。 
  どう?いい香りでしょ?」 
  
 軽く動かして、香らせてくれたから 
 わたしもクンクンと匂いを嗅いでみる。 
  
 「ほんとだ!いい匂い」 
 「でしょ?」 
  
 嬉しそうに微笑むから、こっちまで自然と顔がほころんじゃう。 
  
   
- 359 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:22
 
-   
 「もっとリラックスできるように 
  キャンドルの明かりだけにしようと思うんだけどいい?」 
 「うん」 
  
 彼女がお部屋の電気を消すと、 
 キャンドルの明かりだけが、ゆらゆらと揺れた。 
  
 「最初はうつ伏せになってくれる?」 
  
 温かいほのかな光の中に漂う 
 甘い香りと、穏やかな優しい声。 
  
 ベッドにうつ伏せた、わたしの背を 
 ゆっくりと彼女の手が滑り、なぞって行く。 
  
 丁寧に、適確に繰り返される心地よい指圧が 
 わたしを優しい世界へと誘い、徐々に身も心もほだされて行く―― 
  
 「・・・気持ちいい・・・」 
 「眠い?」 
 「ううん、大丈夫・・・」 
  
 だってこんなに気持ちいいんだもん。 
 寝ちゃったら、もったいないじゃない。 
  
   
- 360 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:22
 
-   
 「起きてるうちに、上脱いでもらっていい?」 
  
 笑いを含みながら 
 イタズラっぽく言う彼女。 
  
 「もう・・・寝ないってばぁ・・・」 
  
 そう言いながら、あまりの心地よさに 
 少し舌足らずな言い方になってしまう。 
  
 「何か今の言い方、エロい」 
 「なによぅ・・・」 
  
 クスクスと笑いながら背を向けてくれた彼女。 
 ゆっくり起き上がって、そっと上だけ脱いだ。 
  
   
- 361 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:23
 
-   
 「またうつ伏せでいい?」 
 「うん」 
  
 素肌のまま、うつ伏せると 
 そっと背中に直に触れた彼女の手の平。 
  
 「・・・キモチ、いい・・・」 
  
 見た目とは違う、もちもちとした柔らかい手の平の感触に 
 思わずうっとりしてしまう。 
  
 滑らかに動く指をリアルに感じて 
 心地よさが倍増し、夢心地にされる。 
  
 ――まるで、ふわふわと雲の上を漂ってるみたい・・・ 
  
 彼女の手の平が、指が、わたしの素肌を滑るたびに、 
 次第に言葉に出来ない感覚が押し寄せてきて、 
 凪いだ海にさざ波が起き始める・・・ 
  
   
- 362 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:23
 
-   
 「どう?」 
 「・・・すごく・・・いい・・・よ・・・」 
  
 「もっと良くしてあげるから」 
  
 何だろう・・・ 
 わたし何かすごく・・・ 
  
 「今度は、仰向けになって? 
  胸はタオルで隠すから」 
  
 大き目のタオルをそっとあてがって 
 仰向けになる胸元を隠してくれる。 
  
 でも、何だか・・・ 
 乗せられたタオルにさえ・・・ 
  
   
- 363 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:23
 
-   
 「力を抜いて。ラクにして?」 
  
 不意に覗き込まれて、見上げた顔に 
 見惚れてしまった。 
  
 キャンドルの光りに浮かぶ真っ白な肌。 
 より一層、陰影が深くなる目鼻立ち。 
  
 どれも、すごくキレイ・・・ 
 ほんとにキレイ・・・ 
  
 陶器のような肌に触れてみたくて 
 そっと手を伸ばした。 
  
 けれど、その前に捕まえられて 
 逆にその手を丹念に揉みほぐされる・・・ 
  
 どうしてだろう、何か・・・ 
 思わずひざを立てて、内腿に力を入れた。 
  
   
- 364 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:24
 
-   
 「ダメだよ、ラクにして・・・」 
  
 彼女が足元に回って、 
 わたしの足に触れる。 
  
 ゆっくり力を抜くように伸ばされ、撫で上げられ 
 それだけでもう、さざ波が大きなうねりに変わろうとする・・・ 
  
 「もっと力抜いて・・・」 
  
 囁く声にすら、反応して波がざわめきだす―― 
  
  
 すぅっと長い指が、わたしの頬を滑った。 
 そのまま耳の後ろに回り、首筋を下りて 
 くすぐるように辿っていく・・・ 
  
 ・・・っぁ・・・ヤッ・・・ 
  
   
- 365 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:24
 
-   
 指が辿る度に、柔らかな手の平が触れるたびに 
 過剰に反応するわたしのカラダ。 
  
 まるで誘っているかのように、細められた瞳に魅入られて 
 次第に呼吸が浅くなっていく―― 
  
 鎖骨のあたりを撫で上げられたところで、 
 ガマン出来なくて、思わず声が漏れてしまった。 
  
 ヤダ、わたし。 
 何でこんな声・・・ 
  
 「恥ずかしがんなくていいよ。 
  キモチいいでしょ?」 
  
 妖しげな瞳の色に 
 ゾクゾクといい知れぬ快楽の予感が、体中を駆け巡った。 
  
   
- 366 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:25
 
-   
 「これはね、特別な人にしかしないマッサージなんだ」 
  
 休むことなく滑らかに動く指が、 
 徐々に鎖骨の下へと滑り落ちていく・・・ 
  
 「アタシがしたいと思う人にしかしない」 
  
 ピリピリと快感の波が、 
 押し寄せて来て更に呼吸が浅くなる・・・ 
  
 「ほんとだよ。 
  誰にでもする訳じゃない」 
  
 彼女の指が、胸元のタオルに届いた。 
  
 「でも無理強いはしないから」 
  
 タオルの端をそっとつまむ。 
  
 「イヤなら振り払って」 
  
 全てをあらわにされたと同時に、 
 わたしの中から溢れ出したのがわかった。 
  
   
- 367 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:25
 
-   
 「キレイだ・・・」 
  
 目を細めて、そう呟いた彼女の方がキレイで 
 目が離せない。 
  
 「もっとキレイにしてあげる・・・」 
  
 そっと伸ばされた手が、お腹に触れて思わずビクリとする。 
  
 「くすぐったい? 
  それとも感じてる?」 
  
 少し低めに囁く声が 
 まるで媚薬のように、わたしの体をしびれさせていく。 
  
 そのまま、撫で上げるように動く指に 
 心音が激しく高鳴って、もう身動きすら出来ない・・・ 
  
   
- 368 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:25
 
-   
 「・・・イヤ?」 
  
 フワリと柔らかな手の平に包まれたふくらみ。 
  
 「続けていい・・・?」 
  
 かすかに動く手の平に反応して、敏感な場所が尖っていく。 
 長い指が触れて、固くなり始めたそこを何度も撫で上げられる・・・ 
  
 「・・・ぁっ、ん・・・」 
 「かわいい声・・・」 
  
 こんなに優しく触れられたことはない。 
 こんなに自分が昂ぶったことも・・・ 
  
 けど・・・ 
  
 「こん、な、の・・・」 
  
 ――おかしいよ。 
  
 理性はダメだと拒否をしているのに、 
 本能が彼女を求めていて、言葉が続かない。 
  
   
- 369 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:26
 
-   
 「ねぇ」 
  
 彼女がわたしの耳元に唇を寄せた。 
  
 「どうしたい?」 
  
 吐息まじりで囁く。 
 彼女の吐息が耳に触れ、またゾクゾクと背筋に快楽が走る。 
  
 「ここでやめとく?」 
  
 イジワル・・・ 
 あなたのせいで、こんなにもカラダが悲鳴をあげているというのに・・・ 
  
 「華さんが決めてよ」 
  
 わたしに委ねるの・・・? 
  
 「華さんが望むなら――」 
  
 見せて。あなたのその瞳を。 
 もっと近くで、その大きな瞳に見つめられたい。 
  
   
- 370 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:26
 
-   
  
 「――梨華・・・です・・・」 
 「ん?」 
 「わたしの名前、梨華って言うの・・・」 
  
 わたしの吐息も熱を帯びている。 
  
 「梨華・・・かわいい名前だね」 
  
 また全身がしびれた。 
  
  
 「あなた、は・・・?」 
 「ひとみ」 
  
 彼女を表すにふさわしいステキな名前。 
  
 もっと近くで、その瞳を見たくて 
 彼女の頬に手を伸ばした。 
  
   
- 371 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:27
 
-   
 「お願いがあるの」 
 「ん?」 
  
  
 「・・・抱いて、ひとみ」 
  
 ――あなたに抱かれたい・・・ 
  
  
 彼女のキレイな瞳の中に、わたしだけが映った。 
  
  
   
- 372 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:27
 
-   
 「誰にもされたことないような 
  最高のマッサージしてあげる・・・」 
  
 蕩けそうな笑顔でそう囁いて 
 彼女は再びわたしに触れた。 
  
 こんどは唇で、舌で。 
 さっきよりも大胆に動く指先で、その柔らかい手の平で―― 
  
 「ぁあっ・・・んっ・・・」 
  
 体中が熱い。 
 熱くてどうにかなってしまいそう・・・ 
  
 「・・・は・・・ゃく・・・」 
  
 彼女に触れられた場所が激しい熱を持ち、 
 解き放たれる瞬間を待ち望む。 
  
   
- 373 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:27
 
-   
 「まだダメだよ・・・」 
 「・・・っん、だっ・・・てぇ・・・」 
  
 器用に動く長い指が、体中に火を放つ。 
 蠢く舌に翻弄されて、心も体も彼女のモノになる。 
  
 「・・・やっ・・・もぅ・・・ダ・・・」 
  
 すかさず彼女の唇がわたしのそれを塞いで 
 言葉を飲み込んだ。 
  
  
 もう・・・ほんとに。 
 おかしくなっちゃいそうだよ・・・ 
  
 こんなに優しく、激しく愛されたことは 
 今まで一度もない・・・ 
  
   
- 374 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:28
 
-   
 終わりにして欲しい。 
 ラクになりたい。 
  
 そう願うのに―― 
  
 もっと彼女がホシイと彼女にしがみつく。 
 やめないでとねだるように彼女の背に爪をたてる。 
  
  
 ――終わって。 
 ――終わらないで。 
  
 ――終わりにして。 
 ――もっともっとあなたがホシイ・・・ 
  
  
 何度も相反する感情と戦いながら 
 わたしは彼女の腕の中で果てた・・・ 
  
   
- 375 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:28
 
-   
  
  
   
- 376 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:28
 
-   
 ふと目覚めると、 
 白くてもちもちした肌にくるまれていた。 
  
 そっと触れて、優しく撫でると 
 ピクリと動いて、大きな目が開いた。 
  
 「起こしちゃった?」 
 「何かくすぐったくて」 
  
 微笑んだ目元が、寝起きのせいか 
 少し垂れ気味で、かわいさのあまり胸がキュンとなる。 
  
 「ふはは」 
 「なあに?」 
 「くすぐってぇ」 
 「だってぇ」 
  
 ・・・触り心地いいんだもん。 
  
 もちもちプニプニ。 
 真っ白なすべすべ肌。 
  
   
- 377 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:29
 
-   
 「そっか、これが触感だ!」 
 「ふはは。くすぐったいってば!」 
  
 でも待って! 
 だとしたら、みんなが彼女の素肌に触れてるってことじゃない。 
  
 頬を膨らませて、半身を起こすと 
 彼女の瞳を覗き込んだ。 
  
 「違うよ、触感はこの高反発のベッドのことだよ」 
 「ほんとに・・・?」 
  
 「誰にでもする訳じゃないって 
  ちゃんと言ったじゃん」 
  
 そう言う瞳は、キレイに澄んでいる。 
  
 「疑ってるの?」 
 「今まで何人の人と、こんな風にしたの?」 
 「う〜ん・・・、何人かなぁ?」 
  
 1本、2本、3本・・・ 
 片手の指が全部折られて、もう片方に移動する。 
  
 「そんなにしたの?」 
 「したよ」 
  
 「サイッテー」 
  
 ムカついて来た。 
 何でこんな人と寝ちゃったんだろ! 
 あーもう!サイッテー! 
  
   
- 378 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:30
 
-   
 「けど!」 
  
 けど何よ! 
  
 「心を込めたのは、昨日が初めて」 
  
 抜け出そうとしていたベッドに強引に引き寄せられて 
 再び真っ白な肌の中に閉じ込められた。 
  
 「心を込めて愛したのは、あなたが初めてです・・・」 
  
 胸の真ん中を打ち抜かれた気がした。 
  
 「ここに越して来た日。 
  昨日みたいにエレベーターで一緒になって・・・」 
  
 え? 
  
 「一目ぼれしちゃった」 
  
 そうなの?! 
  
 驚いて、腕の中から見上げると 
 とろけそうな笑顔が返ってくる。 
  
   
- 379 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:31
 
-   
 「けど女同士だし、強引に行かないと無理そうじゃん。 
  考え方とか、結構固そうだし・・・」 
  
 ・・・まあ否定はしないけど。 
  
 「色々、準備したんだよ。 
  その気にさせるアロマをいっぱい炊いてみたり 
  気持ちいいとこ刺激して、煽ったりしてさ・・・」 
  
 「だから!」 
 「ん?」 
  
 だからあんなに、ヘンな気分になっちゃってたんだ・・・ 
  
 「最初から、わたしとHする気だったの?」 
 「そーだよ。欲しいときはHから。 
  店の名前にもしてるじゃん」 
  
 え?そこからつけたの? 
 ひとみのHじゃないの?! 
  
   
- 380 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:32
 
-   
 「もちろん、イニシャルでもあるし、Hでもあるし・・・ 
  あとね、本能」 
  
 「本能?」 
  
 「Relaxation massage H 
  略して、RH。 
  またの名を、理性と本能」 
  
 はあ? 
  
 「マッサージには、理性で行うマッサージと 
  本能で行うマッサージがあります」 
  
 だってさ、好きな人の肌にふれちゃったら 
 どうしても、本能のマッサージになっちゃうよね。 
 これは仕方ない。 
 だって人間の本能なんだから。 
 そもそも人間だって動物なんだし・・・ 
  
   
- 381 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:33
 
-   
 「本気で語ってる?」 
  
 話し続ける彼女の瞳を 
 真上から覗き込んだ。 
  
 「ん?半分テキトー」 
  
 やっぱり。 
  
 「けどさ・・・」 
  
 好きなのは、本当だよ。 
 あんなに心を込めたマッサージ、今まで一度だってしたことない。 
 本気で触れた。 
 本気で愛した。 
 どうしても、あなたに―― 
  
 「――好きになって欲しかったから、アタシのこと・・・」 
  
 彼女の言葉が、声が、心が 
 わたしの真ん中に響いて、涙が一筋零れ落ちた。 
  
   
- 382 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:33
 
-   
 「ごめんね、こんなことして・・・」 
  
 キレイな指が、涙を拭ってくれる。 
  
 「でも好きなんだ、ほんとに。 
  あなたを愛してる・・・」 
  
 真剣な瞳が、徐々に悲しい色を帯びる。 
  
 「けど・・・ 
  イヤなら消えるから」 
  
 彼女がギュッと目を閉じた。 
  
 「その手で思いっきり突き飛ばして・・・」 
  
 キツク閉じられた瞼でさえ 
 眉間に寄せられたシワでさえ 
  
 彼女を更に美しく彩ってしまうと感じるのは 
 わたしの心が、すでに魅了されているからなのだろうか・・・ 
  
   
- 383 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:34
 
-   
 彼女のむき出しの両肩に触れた。 
 覚悟を決めたように、更に強く閉じられた瞼。 
  
 そっと近づいて、その瞼に唇で触れた。 
  
 「好き・・・」 
  
 驚いたように見開かれた瞳。 
  
 「あなたの仕掛けたワナに嵌っちゃったみたい・・・」 
  
 だってもう。 
 あなたのマッサージのトリコだもん。 
  
 「キスして・・・」 
 「・・・ほんとにいいの?」 
  
 黙って目を閉じた。 
 柔らかな感触を受け止めて、今度はわたしから彼女に差し出す―― 
  
   
- 384 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:36
 
-   
 カラダから始まるなんてこと、 
 わたしには絶対ないって思ってたのに・・・ 
  
 身も心も彼女に委ねることが、こんなに心地いい―― 
  
  
 「・・・ねぇ約束して」 
 「ん?」 
  
 「特別なマッサージ、もう他の誰にもしないで」 
 「しないよ、約束する」 
  
 「絶対だよ?」 
 「絶対だって、約束する。 
  だってさ、このマッサージは1日1人限定なんだ」 
  
 ――毎日、通ってくれるでしょ? 
  
 耳元で囁かれた声に、カラダが震えた。 
  
   
- 385 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:36
 
-   
 「梨華って名前聞いたとき、運命だって思ったんだ。 
  梨華とひとみ。RHでしょ?」 
  
 「わたしが理性であなたが本能?」 
  
 「そう。ピッタリでしょ?」 
  
 今まではね。 
 でもきっと、これからは・・・ 
  
 「染まっていくよ、ひとみに・・・」 
  
 そう言ったわたしに、零れんばかりの笑みを返すと 
 彼女はまた、その魔法のような指使いで、わたしの肌に触れた―― 
  
   
- 386 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:37
 
-   
   
- 387 名前:RH 投稿日:2012/10/19(金) 13:37
 
-   
   
- 388 名前:玄米ちゃ 投稿日:2012/10/19(金) 13:37
 
-   
 お粗末さまでした。 
  
   
- 389 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/10/19(金) 21:56
 
-  エロいのキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 
 エロいのに言葉遊び最高っす 
 なにより玄米ちゃさまの作品が読めて嬉しい! 
 新作期待してます  
- 390 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/10/20(土) 02:26
 
-  これはヤバイ!とてもとても興奮してしまいました!久々の鼻血もので玄米ちゃ様の本領発揮ですね? 
 
- 391 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/01/16(水) 11:41
 
-   
 >389:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  喜んで頂けたようで何よりです。 
  
 >390:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  エロは苦手なつもりです・・・ 
  
  
 ご無沙汰しております。 
 今年こそ、もうあの2人にリアルとかいらないし、 
 オタオメ小説はひっそりスルーしようと決めていたのに 
 やっぱり書いてしまいたくなる悲しいヲタの性・・・(汗) 
  
 ということで、本日は短編リアルです。 
 週末は更新出来なさそうなので、誕生日には少し早いですがお許しを。 
  
 ではどうぞ。 
  
   
- 392 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:42
 
-   
  
   
- 393 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:43
 
-   
 「ねぇ」 
 「ん?」 
 「久しぶりだね」 
 「何が?」 
  
 「こんな風にひーちゃんの腕にくるまれて 
  外の景色を見るの」 
  
 長い腕の中をくるりと振り向いて、彼女の表情を窺う。 
  
 優しい眼差しが一層優しくなって 
 わたしの胸の中に、温かいものが広がる。 
  
 「けど、ハンパねー。 
  この寒さ」 
  
 吐く息に負けないくらいの真っ白な頬と 
 鼻の頭が赤く染まってる。 
  
   
- 394 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:43
 
-   
 「かわいい・・・」 
 「はあ?」 
 「チュウしたくなっちゃう」 
 「ばーか」 
  
 更に赤みを増した頬。 
 ますます可愛くて困っちゃう。 
  
 「そろそろ中入んないと、カゼひくぞ」 
  
 テレを隠すように、視線を外したまま 
 ぶっきらぼうにそう言って、わたしから離れようとする。 
  
 「もう少し」 
 「さみーよ」 
  
 彼女の腰に回している手に力を込めて 
 ギュッと引き寄せた。 
  
   
- 395 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:44
 
-   
 「ベランダで抱き合ってて、写真撮られたって知んねーぞ」 
 「別にいいもん。ひーちゃんだし」 
  
 仲良しのよっすぃ〜と寒いので、 
 温めあってました〜で良くない? 
  
 「わざわざ誕生日の夜に?」 
 「そうだよ、悪い?」 
 「悪かないけど?」 
  
 ふふふ。 
 フハハ。 
  
 2人の笑い声と白い息が重なる。 
  
   
- 396 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:44
 
-   
 「年を重ねるごとに、サプライズとか無くなって来ちゃってるよなぁ・・・」 
  
 色々考えてはみるんだけどさ、 
 どれもパッとしなくて、結局普通に祝っちゃうし・・・ 
  
 「来年こそは、ビッグに行くかぁ・・・」 
 「いいよ、そんなの」 
  
 「そうだ!富士山の頂上から、オメデトーって叫ぶってのは?」 
 「この時期は登れないから」 
  
 「んじゃ、エベレスト」 
 「無理なことは言わないの」 
  
   
- 397 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:46
 
-   
 「それじゃ趣向を変えて、ケーキに爆竹仕込むとか?」 
 「火事になるからやめて」 
  
 「う〜ん・・・、プレゼントは何にすっかなぁ・・・?」 
  
 もうっ! 
  
 すっかり来年の今日に思考が飛んじゃってる 
 彼女の両頬を捕まえて、冷たい唇を押し当てた。 
  
 「・・・今度こそ写真、撮られたかもよ?」 
 「別にいいってば」 
  
 特別なものなんていらない。 
 ただこうして、毎年毎年ずっとそばにいてくれれば、それでいいんだもん。 
  
 「でもケーキだけじゃさ」 
 「いいったら、いいのぉ」 
  
 今年は時間が無くて、ケーキしか用意できなかったことを 
 すっごく悔やんでるみたい。 
  
 来たときからずっと、申し訳なさそうに眉を下げちゃってさ。 
  
 だから、ベランダで一緒に景色みようって。 
 プレゼントはそれでいいからって、そう言ったのに―― 
  
   
- 398 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:47
 
-   
  
 だって嬉しかったんだよ?わたし。 
  
 アタシが見た景色、梨華ちゃんにも見てもらいたいんだって。 
 青の洞窟をぜってー見せたいって。 
  
 何度も何度も口説かれて。 
 数え切れないほどの写真を見せられて、 
 ベッドの中でも熱く語られて。 
  
 やっと念願が叶って、並んで見たそれは、 
 本当に本当にキレイで、言葉にできないほど感動して―― 
  
 『梨華ちゃんにもダイビングの楽しさを知ってもらって、 
  一緒に来れたらいいな〜って、ここから帰るとき話してたんだ』 
  
 なんて隣で言うから、無性に涙が溢れてきて。 
  
 ああ、わたしこの人のこと好きで良かったって、 
 藍色の世界に包まれながら、心からそう思った。 
  
   
- 399 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:48
 
-   
 「何もいらないから 
  ずっと隣で、同じ景色を見てよ」 
  
 それで充分なの。 
  
 出会って以来、一緒に見ていたはずの景色が、いつの間にか別々になって、 
 でもまた、こうして隣で同じ景色を眺められるようになって・・・ 
  
 ――それだけで、わたしは充分すぎるほど幸せなの。 
  
 「だからほんとにいいんだってば」 
 「欲がねーなー」 
 「良く出来た彼女でしょ?」 
 「まーね」 
  
 さ、そろそろ入ろーぜ。 
 マジでカゼひいちゃう。 
  
 彼女の言葉に素直に頷いた。 
  
   
- 400 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:48
 
-   
 「温かいの入れるね?」 
  
 2人が部屋に戻るなり、飛びついてきたひめ。 
 それも、わたしではなく、ひーちゃんに。 
  
 「よしよし、いい子だ」 
  
 抱えあげて、ソファに一直線。 
 今日もダブルひーちゃんは、とっても仲良し。 
  
 ソファに横たわって、人間のひーちゃんになでなでしてもらう 
 犬のひーちゃんは、夢心地。 
  
 むぅ。 
 ひめったら、気持ち良さそうにしちゃってさ・・・ 
  
 温かいココアをおそろいのマグカップに入れて 
 ひめとは反対側に腰掛けた。 
  
   
- 401 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:49
 
-   
 「フハハ」 
 「なによぉ」 
  
 頭をなでなでされて、肩に引き寄せられた。 
  
 「やっぱ似てきたぞ」 
 「何が?」 
  
 「飼い主が犬にさ」 
  
 ニヤリと笑ったひーちゃんが 
 唇を尖らして、わたしの唇に触れた。 
  
 「あれ?ひめは積極的に舐めてくれるんだけどな」 
  
 チラリと見上げたひめが 
 わたし達の間に割り込んでくる―― 
  
   
- 402 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:49
 
-   
 ま、負けないもん! 
  
 ひーちゃんの頬に手を添えて、唇を寄せた。 
 そっと舌を差し入れて、彼女のものを捕まえると 
 あっという間に夢中になる。 
  
 ――好き。大好き、ひーちゃん・・・ 
  
 ふと温かな何かにくるまれた。 
 驚いて目を開けると、視界に飛び込んできたのは 
 柔らかな笑顔と、大きな大きなピンク色のブランケット。 
  
 「誕生日プレゼント」 
 「え?」 
  
 「これならどんなに寒いとこでも、 
  一緒にくるまって同じ景色見れるっしょ? 
  アタシ達、寒がりだからさ」 
  
 だってひーちゃん、今年はプレゼント用意出来なかったって・・・ 
  
   
- 403 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:50
 
-   
 「こんなサプライズもありでしょ?」 
  
 ありだよ、ありだけど・・・ 
  
 「泣くなよ」 
 「だってぇ・・・」 
  
 嬉しくて、また泣けてきちゃうよ。 
 ほんとにほんとに、ひーちゃんを好きで良かったって―― 
  
 「今度はひめも一緒に行けるとこにしような」 
  
 ひめに優しく語りかける彼女の頬に 
 ひめを抱き上げて、一緒にキスをした。 
  
  
   
- 404 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:51
 
-   
   
- 405 名前:Landscape 投稿日:2013/01/16(水) 11:51
 
-   
   
- 406 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/01/16(水) 11:51
 
-   
 大変お粗末さまでした。 
  
   
- 407 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/01/16(水) 19:57
 
-  ふぉおおおおお 
 梨華ちゃん誕生日おめでとう!! 
 妄想の余地のない日々が続くなか、やっぱ玄米ちゃさま最高 
 相変わらずのネタ使い最高っす 
 二人ともお幸せに  
- 408 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/01/16(水) 22:10
 
-  最高!! 
 
- 409 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/01/16(水) 22:11
 
-  更新キタ━(゚∀゚)━! 
 最高!!毎日覗いた甲斐がありました!!  
- 410 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/01/16(水) 23:52
 
-  嬉しい!ひたすら嬉しい!待ってたかいがありました。何度も読み返してしまいそう。やっぱり玄米ちゃ様も甘甘が好きなんですよね(断言) 
 
- 411 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/01/17(木) 13:53
 
-  更新きてたー! 
 やっぱいしよしいいですね。 
 玄米ちゃ様の書く甘々最高! 
 次回も楽しみにしてます!  
- 412 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/01/30(水) 16:21
 
-   
 >407:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  喜んで頂けたようで何よりです。 
  
 >408:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
 >409:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  随分お待たせしちゃいましたよね。 
  
 >410:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  甘甘は好きですよ。ただし読む方に限り。 
  
 >411:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  新作も楽しんで頂ければ。 
  
   
- 413 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/01/30(水) 16:22
 
-   
 ナマコをただ投げていた人も 
 十数年経つと相方のお尻や頭にのせて楽しむようになるんだなぁ。 
 そりゃ老けるよな・・・ 
 そりゃ読み専が書き手になっちゃうよな・・・ 
 思〜えば〜遠くへ来た〜もんだぁ〜 
 などと自分のヲタ人生を回顧したりしなかったり―― 
  
 などという戯言はさておき。 
 本日より新作を始めます。 
 痛い成分は今のところ少ない予定です。 
  
 それではどうぞ。 
  
   
- 414 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/01/30(水) 16:23
 
-   
  
    『大家 吉澤』 
  
  
   
- 415 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:24
 
-   
 『悪いねぇ、ほんとに』 
 『いえいえ。気にしないで下さい』 
  
 つい先ほど、今のアパートの大家さんであるおばあちゃんと 
 交わしたやりとりを思い出しながら、手元の名刺をもう一度よく見てみる。 
  
   [新垣不動産 社長 新垣里沙] 
  
 『亡くなったおじいちゃんの戦友のひ孫さんでねぇ。 
  若いけど、なかなかやり手なんだよ』 
  
 やり手ねぇ・・・ 
 メガネとかかけちゃって、スーツもビシッと着こなしちゃって 
 いかにも!って感じなのかしら? 
  
   
- 416 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:25
 
-   
  「石川様のご希望に添う物件は、当社にはございません」 
  
 この2ヵ月間、不動産屋さんを回っては 
 言われ続けた言葉。 
  
 確かにさ。 
 自分でも、厳しいって分かってるよ? 
  
 駅から近くて。 
 商店街があって。 
 治安がよくて。 
 もちろん、お家賃が安くて。 
  
 そして何より、大家さんが同じ建物内に 
 住んでくれてるのが最大条件。 
  
 だって、東京で一人暮らしって怖いもん。 
 同じ建物内なら安心だし、何かと助かるんだもん。 
  
   
- 417 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:27
 
-   
 はぁ〜〜〜 
 今のアパート、お気に入りだったんだけどな・・・ 
  
 古いけど、温かみがあって。 
 東京とは思えないほど、街の雰囲気も親しみやすくて。 
  
 地味で、お友達の少ないわたしには 
 まるで、ふるさとのように安らげる場所だったのに・・・ 
  
   『おじいちゃんと築いたお城だから、 
    私の目の黒いうちは、守りたかったんだけどねぇ・・・』 
  
  
 3ヵ月前、おばあちゃんがお部屋で転んで骨折し、 
 ひと月ほど入院した。 
  
 それまでは、お休みの度に名古屋で暮らす一人息子さんが 
  
  これ以上、高齢の母親を一人で東京に住まわせる訳にはいかない。 
  かと言って立場上、自分が仕事をやめて東京に戻ることは出来ない。 
  だから、ここを売って一緒に暮らそう。 
  
 そう言って、おばあちゃんの元に何度も説得に来ていた。 
  
   
- 418 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:27
 
-   
   『今回は軽く済んだけど、 
    次もそうとは限らないだろっ!』 
  
 おばあちゃんが退院したその日、 
 2階の部屋にいたわたしの所にまで聞こえてくるほど 
 息子さんの怒りはすごかった。 
  
 仕方ないよね。 
 だって、もしわたしが息子さんの立場なら 
 絶対、同じこと言うもん。 
  
 だから、ココを売ることが決まって 
 『悪いねぇ・・・』って、 
 最近拾ってきた子犬の頭を撫でながら 
 何度も何度も繰り返すおばあちゃんに、 
 反対することなんかもちろん出来なくて、 
 とびきりの笑顔を返して、ただ首を横に振った。 
  
   
- 419 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:28
 
-   
  
 「この先の角を曲がれば、あるはずなんだけど・・・」 
  
 しかし、何なの? 
 この行列! 
  
 行列の出来るラーメン屋? 
 行列の出来るケーキ屋? 
 それとも誰かのライブでもある訳? 
  
 おばあちゃんから頂いた地図を、 
 もう一度よく見てみる。 
  
 ラーメン屋もケーキ屋も 
 ライブハウスもない。 
  
 際立って流行っている訳でもないこの通りに、 
 なぜか不可解な長〜い行列が出来ている。 
  
 しかも全員女子。 
  
   
- 420 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:28
 
-   
 「最高尾はこちらで〜すっ!」 
  
 プラカードを持った、二つ縛りの 
 眉毛の太い女性が、大声で叫んでいる。 
  
 「並んで下さい! 
  まずは、書類審査からです。 
  ちゃんと準備して下さいね!」 
  
 書類審査?? 
  
 よく見ると、並んだ人達の手元には、履歴書のようなものと 
 全身写真、バストアップの写真が、それぞれ一枚ずつ。 
  
 こんなトコに、芸能事務所でもある訳? 
 再び地図を見るけど、そんな記載はない。 
  
 「・・・ま、いっか。わたしには関係ないし。 
  とりあえず、新垣不動産っと」 
  
 汗で落ちかかった眼鏡を指でずりあげて 
 その角を曲がった。 
  
   
- 421 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:29
 
-   
  
 「――なに・・・、これ・・・」 
  
 思わず、立ち尽くす。 
  
 大行列の出発点が、なぜか<新垣不動産>と 
 大きく書かれた看板の下から始まっている―― 
  
  
 「うそでしょ?!!」 
  
 慌てて、看板の前まで走る。 
 紛れもなく、その場所から始まる列。 
  
 ご丁寧に、店舗の窓には 
  
  <本日の物件の受付は、11時より。 
   列は2列で、決して騒がぬようお願い致します> 
  
 なんて張り紙もされていて・・・ 
  
 「なにこれ??  
  行列の出来る不動産屋なんて聞いたことないっ!!」 
  
   
- 422 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:30
 
-   
 「ちょっとアンタ。 
  ちゃんと並びなさいよ! 
  あたしなんか、昨日の夜中から並んでんだから!」 
  
 大迫力の顔力を持つ 
 猫目のお姉さんに睨まれて、思わず後ずさる。 
  
 「あ、あの・・・ 
  この列って一体・・・」 
  
 「HYハウスのお部屋が、一室空いたのよっ」 
  
 さっきとは、打って変わって 
 語尾にハートがつきそうな勢い。 
  
 HYハウス? 
 一室? 
  
 「この行列って、もしかしてその一室のため・・・なんですか?」 
 「当たり前じゃないっ」 
  
 胸の前で、両手を組んで乙女のポーズ・・・ 
  
 ――う〜ん・・・。おえぇ〜〜!! 
  
 「ちょっとアンタっ?!」 
  
 てか、それより何? 
 何なの?その何とかハウスって。 
  
   
- 423 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:31
 
-   
 「その、今おっしゃった何とかハウスって 
  そんなにいいんですか?お家賃が激安とか?」 
  
 「HYハウスよ! 
  お家賃なんか関係ないわ。要は愛よ、愛」 
  
 ――ますます分からない。 
  
 「駅から近い?」 
 「そりゃぁ、もう」 
  
 「商店街も近い?」 
 「ええ」 
  
 「街の治安もいい?」 
 「当たり前でしょ。セキュリティーも完璧よ」 
  
 ほほう。なかなか魅力的じゃない。 
  
 「で、大家さんはその 
  HYハウスの中に住んでたりします?」 
  
   
- 424 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:31
 
-   
 背後で、車が止まった音がした。 
 一気にざわめきだす列の人々。 
 目の前のお姉さんも、目をウルウルさせている。 
  
 「あの・・・、ちょっと?」 
  
 ダメだこりゃ。 
 お姉さんの瞳には、ハートが浮かんでいて 
 わたしの声なんか聞こえてないみたい。 
 けど、あと一個。もう一項目だけ確認させて! 
  
 「そのHYハウスって、建物内に大家さん、 
  一緒に住んでくれてたりします?」 
  
 一言一言を丁寧にハッキリ。 
 首を縦か横に振ってくれるだけでいい。 
 もし縦フリだったら、一応 
 並んでみちゃおうなんて思ってるんだから。 
  
   
- 425 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:32
 
-   
 「住んでるよ」 
  
 ぎゃああああ〜〜〜〜!!! 
 わたしの背後から聞こえた一声に、群衆が悲鳴をあげる。 
   
  ひとみ様〜! 
  吉さま〜!! 
  お願い、今度こそ私を選んで〜〜!!! 
  
 そこかしこから聞こえる悲鳴にも似た歓声。 
  
 「シー」 
  
 その声に、たちまち辺りが静寂に包まれた。 
  
 「静かに。ね?」 
  
 群衆の羨望の眼差しを一身に集める声の主を見ようと 
 ゆっくり振り返った。 
  
   
- 426 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:32
 
-   
 「気になる?HYハウス」 
  
 印象的な大きな瞳。 
  
 端正な顔立ち。 
 スッと通った鼻筋。 
 ピンク色の薄い唇。 
  
 どれをとっても、完璧な作り。 
 わたしとは真逆の洗練された服装は 
 まるでファッション雑誌から、そのまま抜け出てきたみたい・・・ 
  
 更には、その真っ白な肌が、より一層完璧さを 
 引き立てていて、思わず魅了されてしまう・・・ 
  
   
- 427 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:33
 
-   
 「ふぅ〜ん・・・」 
  
 突然、端正な顔がニヤッとして崩れた。 
  
 考えるように、顎に指を当てて 
 まるで値踏みでもするように、上から下までを 
 撫でるように眺められる。 
  
 「ほぅ・・・なかなか」 
  
 今度は、わたしの周りをぐるりと一周回って 
 真正面に立たれた。 
  
 「いつも、このメガネかけてるの?」 
 「え?・・・ああ、はい・・・」 
  
 何だろ。この落ち着かなくさせる視線は・・・ 
  
 「じゃ、ちょっと外してみよう」 
  
 両手でスッと、メガネを取り上げられた。 
  
 「ちょ、ちょっと!」 
  
   
- 428 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:33
 
-   
 「思った通り」 
  
 得意げに片頬をあげて 
 わたしのメガネを胸ポケットにしまうと 
  
 「決まり」 
  
 そう一言呟いた。 
  
  ええええ〜〜〜!! 
  うっそぉぉ〜〜〜!! 
  そんなヒドイ〜〜〜!!!! 
  
 大騒ぎを聞きつけたのか、最後尾のプラカードを持った女性が 
 慌てたように走り寄ってきた。 
  
 「ちょっと!吉澤さん! 
  勝手に現場に来ないで下さい!!」 
  
 「わりぃわりぃ」 
  
 この人、きっと悪いなんて 
 これっぽっちも思ってない。 
  
   
- 429 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:34
 
-   
 「一次の書類審査は、これからなんですよ。 
  後で持って行きますから、部屋で大人しく待ってて下さい!」 
  
 「あ、それならもういいよ。 
  この人で決まったから」 
  
 「うえええええええ!!!!! 
  マジですかぁぁぁぁ〜〜〜〜!!」 
  
 当事者のわたしが驚くよりも早く、そして 
 非常にオーバーに、その女性は驚いた。 
  
 「ガキさん、契約書持って、後からきて」 
 「ちょ、吉澤さん!ちょっと待って下さい!!」 
  
   
- 430 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:34
 
-   
 「ということで、ごめんね。 
  みんな解散」 
  
  うそでしょ!! 
  何でそんな地味な子がっ?? 
  辞退しろっ、辞退!!! 
  
 色んな怒号が聞こえるのもお構いなしで 
 彼女はエスコートするように、わたしの背中を押す。 
  
 「ちょ、ちょっと待って下さい!」 
 「なに?」 
 「き、決まりって・・・」 
  
 「家、探してるんでしょ?」 
 「はい」 
 「じゃあOK。問題ないよ」 
  
 「で、でも・・・わたしにも条件が・・・」 
 「よし聞こう」 
  
 派手なスポーツカーの前で、再び正対される。 
  
   
- 431 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:35
 
-   
 「キミの条件、言ってみて」 
  
 真っすぐに見つめられて、冷や汗が流れる。 
 いい物件は探している。 
 が、群衆に恨まれたくはない。 
  
 「えっと・・・。駅から超近くて、商店街もあって便利で、 
  治安がものすごくよくて、お家賃はそう・・・5万。いや3万円以内で!」 
  
 どうだ! 
 3万以内の物件で、この条件はある訳ない。 
  
 「他には?」 
 「へ?あ、えっと・・・ 
  あとは大家さんが同じ建物内に住んでくれてれば・・・」 
  
 「それだけ?」 
 「ま、まあ一応・・・」 
 「じゃあ、ノープロブレム。 
  OK牧場。おいで」 
  
 助手席のドアを開けて 
 座るように促される。 
  
   
- 432 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:36
 
-   
 「で、でもちょっと待って下さい!!」 
  
 待って、待って。ちょっと待って! 
 わたしの危機察知能力は『行くな!』と告げている。 
  
 「あ、あの!わたし新垣社長に会いに来たんです!」 
 「ほぅ」 
 「今の大家さんに紹介されて・・・」 
 「へー」 
  
 名刺を取り出して、彼女に見せる。 
  
 「だから、ちゃんとお会いして 
  お話しを通してからじゃないと・・・」 
  
 「ガキさぁ〜〜〜んっ!!」 
 「はいはい、何ですか。 
  全くもう!ほんっと人使い荒いんだから!」 
  
 群衆に頭を下げ続け、帰るよう促していた先ほどの女性が 
 ブツブツと文句を言いながら、わたし達の元に駆けてくる。 
  
   
- 433 名前:第1章 1 投稿日:2013/01/30(水) 16:36
 
-   
 「今度は何ですか! 
  ったく、ちゃんと決めた通りにしてくれないと困るんですよ!」 
  
 「わりぃって。ごめん」 
  
 顔の前で、手なんか合わせて 
 茶目っ気たっぷりに言ってるけど、 
 やっぱりこの人、全然反省していない。 
  
 「で、何ですか?」 
 「新垣社長」 
 「はい」 
 「彼女に挨拶して」 
  
 へ? 
  
 「申し遅れました、私 
  新垣不動産代表取締役社長、新垣里沙と申します」 
  
 差し出された名刺は、おばあちゃんがくれたものと同じだった。 
  
 「じゃ、行こうか」 
  
 これ以上、断る術もなく 
 彼女に促されるまま、助手席に乗った。 
  
   
- 434 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/01/30(水) 16:37
 
-   
   
- 435 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/01/30(水) 16:37
 
-   
   
- 436 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/01/30(水) 16:37
 
-   
 こんな感じでスタートしました。 
 本日は以上です。 
  
   
- 437 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/01/30(水) 17:10
 
-  玄米ちゃさまの連載始まったー! 
 また今日から楽しみが一つ増えました。 
 もう次回の更新が楽しみでウズウズしています(^_^)  
- 438 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/01/30(水) 21:15
 
-  なにこれ面白いw 
 更新楽しみすぎる  
- 439 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/01/31(木) 00:44
 
-  こうゆうのホントに大好きなんです!大長編でもかまいません。玄米ちゃ様についていきます! 
 
- 440 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/01/31(木) 13:00
 
-  新作キタ━(゚∀゚)━! 
 
- 441 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/02/06(水) 15:47
 
-   
 >437:名無飼育さん様 
  楽しみにして頂きありがとうございます。 
  
 >438:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。期待を裏切らないように頑張ります。 
  
 >439:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。大長編にはならないです、多分。 
  
 >440:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
  
 では本日の更新です。 
  
   
- 442 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/02/06(水) 15:47
 
-   
   
- 443 名前:第1章 2 投稿日:2013/02/06(水) 15:49
 
-   
 何これ??! 
 何この、集合住宅の数々・・・ 
  
 返してもらったメガネが 
 驚きのあまり、またずり下がる。 
  
 「通称、吉澤タウン」 
 「はあ・・・」 
  
 彼女が車の窓を開けて、守衛さんに軽く手をあげると 
 目の前の大きな門が開く―― 
  
 「ここまで、最寄の駅からは3分。 
  超近いといっていい範囲でしょ?」 
 「まあ・・・」 
  
 中央の大きな舗装道路を、ゆっくりと車が進んでいく。 
  
 「左側が、ファミリー向けの3棟。 
  右側は、単身者向けの5棟。 
  あ、それぞれの駐車場は、建物の裏側ね」 
  
 正直、圧倒されすぎて言葉が出ない。 
  
 「これって全部・・・」 
 「ん?アタシが所有者だけど」 
  
 恐るべし、大富豪・・・ 
  
   
- 444 名前:第1章 2 投稿日:2013/02/06(水) 15:49
 
-   
 「ほら、あそこに公園があるでしょ?」 
  
 指差されたそこは、子供達が元気に走り回れるような広さ。 
  
 「ファミリーが結構多いからね。 
  それにあれだけあれば、ジョギングとかも出来るし。 
  もちろん、ここも敷地内だから、セキュリティ万全。 
  誘拐とかもないよ」 
  
 なんて言うか・・・ 
 こんなとこの物件が、3万円以内の訳がない。 
  
   
- 445 名前:第1章 2 投稿日:2013/02/06(水) 15:51
 
-   
 「んでそれ、公園の向かいのあの建物」 
  
 ひときわ、大きな作りの 
 ギリシャ神話にでも出てきそうな、豪奢な建物。 
  
 「あそこの一室が空いたの」 
  
 光もビックリするほどの速さで 
 運転席の彼女を見た。 
  
 「あれがHYハウス」 
  
 いやいや、待ってよ、おかしいよ。 
 どう見ても豪華すぎる。 
  
 この建物にだけ、特別につくられたであろう門扉を 
 リモコンで開けると、そのまま車で滑り込んでいく。 
  
 何このセレブ? 
 ここ日本だよね?? 
  
   
- 446 名前:第1章 2 投稿日:2013/02/06(水) 15:51
 
-   
 「到着〜」 
  
 玄関前に車を横付けして 
 あんぐり口を開けたままのわたしに微笑みかけると 
 彼女は車を降りた。 
  
 気が付くと、助手席の扉が開いている。 
  
 「いらっしゃいませ」 
  
 ここって・・・ホテルじゃないよね? 
  
 「コンコン、悪いけど 
  この車、車庫に戻しといて〜」 
 「承知いたしました」 
  
 扉を開けてくれていた人に鍵を渡すと 
 彼女はまた、わたしを促した。 
  
   
- 447 名前:第1章 2 投稿日:2013/02/06(水) 15:52
 
-   
 「ようこそ、HYハウスへ」 
  
 恭しくそう言って、手を引かれた。 
  
 「あ、コンコン。 
  今度、この人が44号室に住むから。 
  部屋はもう空いたよね?」 
 「ええ。荷物は私が預っております」 
 「サンキュー」 
  
 全くもって、ついていけない。 
  
 「あの〜まだわたし、住むって決めた訳じゃ・・・」 
 「大丈夫。絶対気に入るから」 
  
 小さな抵抗も、あっけなくかわされる。 
  
 「ガキさんが着いたら、めんどくさい契約書とか 
  書かなきゃいけないからさ。 
  その前にこの建物の中を案内するよ」 
  
 彼女がセキュリティを解除すると 
 目の前の扉が、ウィーンと音を立てて開いた。 
  
   
- 448 名前:第1章 2 投稿日:2013/02/06(水) 15:53
 
-   
  
 な、こ、ちょ・・・・・・ 
  
  
 ――何なの? 
 ――これ・・・ 
 ――ちょっと・・・ 
  
 やっと言葉になった・・・ 
  
 ううん。ちょっとなんてもんじゃない。 
 かなり、かな〜りゴージャス。 
  
 だだっ広いフロアには 
 毛足の長い絨毯が敷き詰められていて―― 
  
 「基本、ココはHYハウスの住人の 
  来客スペースね」 
 「はあ・・・」 
  
 「手前は、純和風。 
  奥は洋風にしてあるから、来客に合わせて使ってよ」 
  
 触っていいんだよね・・・? 
 展示用じゃないよね? 
 ひと着席につき、数万とかとらないよね? 
  
   
- 449 名前:第1章 2 投稿日:2013/02/06(水) 15:53
 
-   
 「各部屋は、男子禁制ね。 
  どうしても来客がある場合は、ココですまして」 
 「はあ・・・」 
 「女性も基本は住人以外はダメ。 
  けどまあ、事前に言ってくれれば、多少は許可するよ」 
  
 その辺は、わたし友達少ないし、大丈夫かも・・・ 
  
 ってヤダ!わたし住む気になってるし! 
 ムリムリ。こんなセレブなとこ、性に合わない。 
  
 「残りのスペースは、ココの住人だけで 
  よくパーティーとかしてるからさ。 
  そういう時に使ってるよ」 
 「へぇ・・・パーティーですか・・・」 
  
 やっぱドレスとか着ちゃうの? 
 ダンスとか踊っちゃうやつ? 
  
 あっけにとられたまま 
 中を見渡していると、横顔に視線を感じた。 
  
 「ただワイワイ酒飲んで、 
  ドンチャン騒ぎするだけだよ」 
  
 思考を読まれてたみたい・・・ 
  
   
- 450 名前:第1章 2 投稿日:2013/02/06(水) 15:54
 
-   
 「キミかわいいね」 
 「へ?」 
 「キレイな顔してる」 
 「な、な、何ですか?突然・・・」 
  
 バッチリ目が合って、恥ずかしさのあまり 
 途端に顔が赤くなる。 
  
 「自分で思わないの?」 
 「・・・な、何をですか?」 
 「わたしって、かわいいなーとかって」 
 「お、思う訳ないじゃないですかっ!」 
  
   
- 451 名前:第1章 2 投稿日:2013/02/06(水) 15:55
 
-   
 「ふぅ〜ん・・・」 
  
 そう言いながら、心底不思議そうに、 
 わたしを見つめる彼女。 
  
 穴が空くほど見つめられて、 
 次第に心臓が、激しく音を奏で始める―― 
  
 不意に彼女の指先が、わたしの顎に触れ 
 そっと持ち上げられた。 
  
 ・・・え?な、何よ?! 
 ちょ、ちょっと待って!! 
  
 端正な顔がゆっくりと近づいてきて 
 パニックに陥る。 
  
 これって何? 
 キ、キスされちゃう状況なの?? 
 こんなとこで?! 
 しかも女の人に??!! 
  
 ヤダヤダヤダ!!! 
 初めてが、こんな突然なんてヤダ〜〜〜〜!!!! 
  
   
- 452 名前:第1章 2 投稿日:2013/02/06(水) 15:55
 
-   
 「いい具合に出てんね」 
 「・・・へ?」 
  
 ニヤリと片頬を上げた彼女。 
  
 「いや〜、いいよ。 
  いい感じに出てて。このアゴ」 
  
 クククッと笑いをかみ殺しちゃって 
 何よ、何なの?この失礼な態度はっ!! 
  
 「これでも気にしてんだからっ!!」 
  
 サイテーだ、この人! 
 わたしのパニックを返してよっ!!! 
  
 触れられている手をバシンッと叩いた。 
  
 この人、ムカツクっ!! 
 本気でムカツクっ!!! 
  
   
- 453 名前:第1章 2 投稿日:2013/02/06(水) 15:56
 
-   
 「ごめん、ごめん」 
  
 両手合わせたって、許してあげないんだからっ! 
  
 「けどやっと、敬語やめてくれたね」 
  
 え・・・? 
  
 「アタシ、吉澤ひとみ。キミは?」 
 「あ・・・えっと・・・、石川梨華・・・」 
  
 「へぇ、名前も可愛いんだ」 
  
 ニッコリ微笑んだ笑顔が眩しくて 
 思わず目をそらした。 
  
 「梨華ちゃん」 
 「は、はい・・・なんですか?」 
  
 「あ〜あ、また敬語に戻っちゃったな・・・」 
  
   
- 454 名前:第1章 2 投稿日:2013/02/06(水) 15:56
 
-   
 「まあ、いいや。 
  徐々にね、慣れてよ」 
  
 そう言って、肩を抱かれた。 
 ビックリして思わず肩が上がる。 
  
 「アタシにも、このHYハウスにも」 
  
 間近にある顔を、恐る恐る見上げると 
 意味深な笑みが返ってきた。 
  
 「さて、44号室にご案内致しましょう」 
  
 エレベーターのボタンを押して 
 箱の中にわたしを促すと、やっと肩から手を外してくれた。 
  
   
- 455 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/02/06(水) 15:57
 
-   
   
- 456 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/02/06(水) 15:57
 
-   
   
- 457 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/02/06(水) 15:57
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 458 名前:名無し留学生 投稿日:2013/02/06(水) 18:52
 
-  わいわい!!新作がキタ! 
  
 ニヤニヤが止まらない! 
 玄米ちゃ様やはり最高だ! 
   
- 459 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/02/06(水) 20:16
 
-  いいですね 
 面白いです  
- 460 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/02/07(木) 07:10
 
-  ぶっとんだ設定に期待 
 
- 461 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/02/08(金) 23:05
 
-  今回の設定もまた斬新ですね。 
 続きに期待してます!!  
- 462 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/02/13(水) 16:44
 
-   
 >458:名無し留学生様 
  うれしいお言葉をありがとうございます。 
  
 >459:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
 >460:名無飼育さん様 
  ぬるく期待して下さい。 
  
 >461:名無飼育さん様 
  少々見切り発車ぎみの今作ゆえ、過度な期待は禁物です(汗) 
  
  
 では本日の更新です。 
  
   
- 463 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/02/13(水) 16:45
 
-   
   
- 464 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:46
 
-   
 さあ、どうぞ。 
 入って、入って。 
  
 玄関にはチャリも置けるから。 
 下駄箱はここね。 
  
 こっちが浴室、 
 そんでここが洗面所。 
 こっちがトイレで。 
  
 ここ開けたら、ど〜ん。 
 ほら、でっかいリビングね。 
  
 この他にあと2部屋あるから。 
 一つは寝室にしてあるけど、もう一つは好きなように使ってよ。 
  
 それから家具は備え付けだから 
 自由に使っていいよ? 
  
 でも、これはヤダってのがあれば、 
 入居までに買い換えておくし・・・ 
  
   
- 465 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:47
 
-   
  
 「で、何か希望とかある?」 
  
  
 ――なん、なの・・・この部屋・・・ 
  
  
 「一通り、プロに掃除もしてもらってあるから 
  今すぐでも住めるよ?」 
  
  
 大理石の玄関を抜けた時から 
 わたしの頭の中は真っ白。 
  
  
 「お〜い。もしも〜し」 
  
  
 言葉が出ない・・・ 
  
  
   
- 466 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:47
 
-   
 「あれ?もしかして気に入らない?」 
  
 何言ってるの、この人? 
 気に入るとか、気に入らないとかの問題じゃない。 
  
 だって、だって。 
 どう考えたって、どう見繕ったって 
 こんな豪華で広い物件が、3万円なんてありえない!! 
  
 「あ、そうそう。 
  ベランダも見る?結構広いよ?」 
  
 「いい加減にして下さいっ!」 
  
 キョトンとした彼女の顔。 
  
 「わたし、真面目に物件を探してるんです」 
 「うん」 
 「今のアパートをなるべく早く出なきゃいけなくて」 
 「そうなんだ」 
 「遊んでるヒマなんかないんです」 
 「遊びたいの?」 
  
 カチンッ! 
  
   
- 467 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:48
 
-   
 「帰りますっ!!」 
 「うえ?あ、ねぇ、ちょっと待ってよ!」 
  
 誰が待つもんですか! 
 金持ちの遊びになんか付き合ってらんないっつーの! 
  
 「ねぇ、待ってってば」 
  
 玄関で靴に履き替えようとしていた手を捕まれた。 
  
 「アタシ、本気だよ」 
  
 グッとひかれて、彼女と正対した。 
 思いがけず、真剣な眼差しに遭遇して抵抗する力が緩む。 
  
 「からかってるように感じたんならゴメン、謝る。 
  でもウソじゃないし、からかってる訳でもない」 
  
 キレイな瞳・・・ 
 その真剣な眼差しは、確かにうそをついてはいないように見えるけど・・・ 
  
   
- 468 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:48
 
-   
  <ガチャ> 
  
 「遅くなりました〜〜!! 
  ありゃ・・・」 
  
 あ、新垣社長。 
  
 「すいません、もうお取り込み中でした?」 
  
 お取り込み中? 
  
 「いや〜、ここは札がないもんで。 
  出直しましょうか?」 
  
 「いや、ガキさんが来てくれて助かったよ」 
 「助かる?この新垣が来て助かる??」 
  
 「うん。説明してよ、彼女に。 
  アタシの話、信じてくんないんだ」 
  
   
- 469 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:49
 
-   
  
 それから、わたしはもう一度リビングに逆戻りして 
 契約書を前に、新垣社長に説明をしてもらった。 
  
 家具付2LDKのこのお部屋は、冗談でもドッキリでもなく 
 本当に入居者の希望条件丸呑みで賃貸されるんだそうで。 
 とにかく大人気の物件で、HYハウスが1室でも空こうものなら今朝のあの有様・・・ 
  
 新垣不動産の玄関前から続く、長蛇の列の中から 
 書類選考を2度、そしてオーナーである吉澤さんとの面接を経て 
 晴れて栄冠を勝ち取った人のみが入居を許される恒例の行事だったらしく・・・ 
  
 「ほんっとに困るんですよ。 
  こっちとしては!」 
  
 新垣社長が、窓辺に座る彼女を睨む。 
 何食わぬ顔で、タバコを燻らす彼女の姿は 
 映画のワンシーンにでもなりそうなほどサマになっている。 
  
 「ったく・・・」 
  
 大きなため息をついて、ソファに向かい合って座るわたしに 
 再び新垣社長が説明を始める。 
  
   
- 470 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:50
 
-   
 「1階が、あそこでタバコ吸ってるオーナーの部屋」 
  
 ニヤリと笑って、彼女が片手を挙げる。 
  
 「2階は201号と202号の2部屋。 
  3階も2階と同じ間取りで、1LDKの2部屋です」 
  
 1LDK・・・ 
  
 「この44号室だけが、オーナーの部屋と同じ 
  1フロアに一室のみ。2LDKなんです」 
  
 え?そうなの? 
  
 「5階には筋トレ用の器械とプールがありますから 
  入居者は好きに使ってください」 
  
 はあ・・・ 
  
 「ただし!」 
  
 新垣社長が、札を片手に 
 わたしの目の前に突き出す。 
  
   
- 471 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:51
 
-   
 「入口にこの札がかかっていたら 
  その時は、立入禁止です」 
  
 「[Do it!Now]ですか・・・?」 
  
 「そうです。これがかかっているときに 
  決して扉を開けてはなりませぬ」 
 「はあ・・・」 
  
 「・・・まあ、あなたが対象の場合は別ですが」 
 「対象?」 
  
 「ウォッホン!」 
  
 わざとらしい咳払いが聞こえて 
 彼女の方を見た。 
  
 「その説明はそのうちアタシがするから」 
 「そうですね、そうでしょうとも。 
  さぞかしお気に召したんでしょうから、ええ」 
  
 何だか新垣社長、相当御冠みたい・・・ 
  
   
- 472 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:51
 
-   
 「そう怒んなって」 
  
 苦笑いをしながら、彼女がわたし達の元にやってくる。 
  
 「ガキさんの苦労を水の泡にしたのは謝るってば」 
 「別に構いませんよ?これが私の仕事ですから」 
  
 「とかいって、ムッとしてんじゃん」 
 「しない方がおかしい」 
  
 「だからごめんってば。 
  けどさ、可愛いでしょ?石川さん」 
  
 微笑んだ彼女と目が合って 
 思わずドキッとする。 
  
 「一目ぼれしちゃったんだ。 
  仕方ないじゃん」 
  
 ひとめ・・・ぼれ・・・? 
  
   
- 473 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:52
 
-   
 「どう?気に入ってくれた? 
  この部屋」 
  
 気に入らない訳がない、こんな物件。 
 けど何だか、不安要素がたくさん・・・ 
  
 「少し質問してもいいですか?」 
 「どうぞ?」 
  
 新垣社長を追いやって、 
 今度は彼女が、わたしの向かい側に座る。 
  
 「えっと・・・、2階と3階は2部屋ですよね? 
  それに201号室と202号室って、普通の番号なのに 
  何でこの部屋だけ、よりによって44号室なんですか?」 
  
 だって、4って忌み嫌われる番号だよね、フツー。 
 4階なのに5から始まったり、4号室なのにその番号飛ばしたりって 
 結構あるじゃない?なのになんで? 
  
 「それなら簡単。アタシが吉澤だから」 
 「へ?」 
  
 「よしざわのよし。数字で表せば44。 
  更に言えば、その吉澤さんのお気に入りが住むお部屋だから、なお良し。 
  で、特別扱いして、44号室」 
  
 はあ、そうですか・・・って! 
 澱みなく説明してくれるけど、甚だ意味不明。 
  
   
- 474 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:53
 
-   
 「えっと・・・なぜ44号室かは、ひとまずおいといたとして・・・ 
  お気に入りが住むんですよね?なぜわたしが?」 
  
 「あれ?わかんない? 
  さっきから何度も可愛いって、一目ぼれしたって言ってるじゃん」 
  
 あっけらかんと言う彼女。 
 わたしの感覚がおかしい? 
 不動産の契約って、可愛いとか一目ぼれで結ぶもんだっけ?? 
  
 「吉澤さんが話すと余計こんがらがるので 
  私、新垣が説明します」 
  
 まず、つい先日この44号室が空室となりました。 
 理由は聞かない方がいいでしょう。 
 当然、次の新しい入居者を探すことになります。 
 そこでHYハウスが空いた時に恒例となっております 
 あのような選考会を行います。 
  
 「まあ、今回は台無しでしたけども」 
 「だからごめんってば」 
  
   
- 475 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:53
 
-   
 「今回は特に44号室が空いたということで 
  そりゃあもう、大騒ぎです。 
  吉澤さんのお眼鏡に適えば、夢のような生活が待っているわけです。 
  好立地、好条件、おまけに好待遇――」 
  
 「好待遇・・・?」 
  
 「まあ、この好待遇が目当ての方がほとんどですけど 
  あなたは違うようですねぇ」 
  
 「だ〜か〜ら〜ガキさん。 
  それはおいおいアタシがさ・・・」 
  
 「わかってます」 
  
 新垣社長がひと睨みすると 
 両手を上げて、降参のポーズをする彼女。 
  
 何だかこの二人、可笑しい。 
 思わず笑いが漏れた。 
  
   
- 476 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:54
 
-   
 「うん、やっぱ石川さんって可愛い」 
  
 目を細めてそう言う彼女。 
 普段、言われなれていない言葉を連発されて、頬が熱くなる・・・ 
  
  
 「ともかく!」 
  
 このHYハウスは、特別待遇の物件です。 
 来るときにご覧になられた他の物件は、 
 ちゃんと通常の価格で、通常の契約をしております。 
  
 ここHYハウスだけは、オーナーのいわば道楽。 
 自分のお気に召した方々を住まわせて 
 自分と一緒にLet’s enjoy! 
 楽しく暮らそうゼ! 
  
 「・・・とまぁ、こんな感じでしょうか」 
  
 新垣社長の説明に満足そうに頷く彼女。 
  
   
- 477 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:55
 
-   
 「どう?住む気になった?」 
  
 期待を含んだ大きな瞳が、わたしを見つめる。 
  
 何となくは、わかったような・・・ 
 つまりは、お金があり余ってるってことなんでしょ? 
  
 そういう世界があるんだって 
 こんな人もいるんだって、それは理解したよ? 
  
 けど、そんな人のお気に入りにこのわたしが・・・? 
 なんで?どうして? 
  
 地味だよ、わたし。 
 お友達少ないよ? 
 超一般人だよ? 
  
 こんな超大金持ちのお友達になんて 
 到底なれそうもないし、 
 完全に身分不相応だと思うんだけど・・・ 
  
   
- 478 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:55
 
-   
 「アタシさ、孤独なんだよね」 
  
 軽い口調でそう言って、彼女は頬杖をついた。 
  
 「血のつながってる家族っていないんだ。 
  天涯孤独の身ってヤツ?」 
  
 あったかい居場所が欲しかったんだろーな、多分。 
 いつも誰かがそばにいてくれる。 
 そんな空間が欲しかったんだろーね。 
  
 「だからHYハウス作ったの」 
  
 諦めや悲しみを一切含まない他人事のような言い方が 
 かえってリアルに感じて、少しだけ胸が痛んだ。 
  
   
- 479 名前:第1章 3 投稿日:2013/02/13(水) 16:56
 
-   
 「石川さんをひと目見たときにね?」 
  
 手元のタバコに火をつけて、大きく吸い込み、 
 ゆっくり白い煙を吐くと、彼女がわたしに向かって微笑んだ。 
  
 「なんかすげーあったかい気がしたんだ」 
  
 ドキンッ。 
 鼓動が一つ、大きく跳ねた。 
  
 「そんで一目ぼれ。 
  どう?理解してくれた?」 
  
  
 もしも魔力というものが存在しているんだとしたら―― 
  
 彼女の瞳は、その魔力に満ちている。 
 だって、わたしをこんなとこまで連れてきて 
 とうとう頷かせてしまったのだから・・・ 
  
  
   
- 480 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/02/13(水) 16:57
 
-   
   
- 481 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/02/13(水) 16:57
 
-   
   
- 482 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/02/13(水) 16:57
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 483 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/02/13(水) 19:54
 
-  更新キタ━(゚∀゚)━! 
 今回もたまらんですw  
- 484 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/02/16(土) 11:25
 
-  いつも楽しみにしています! 
 次の更新待ち遠しい( ´ ▽ ` )  
- 485 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/02/16(土) 13:47
 
-  きたきたってかんじ 
 
- 486 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/02/19(火) 19:12
 
-   
 >483:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
 >484:名無飼育さん様 
  お待たせしました。 
  
 >485:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
  
 では本日の更新です。 
  
   
- 487 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/02/19(火) 19:12
 
-   
   
- 488 名前:第1章 4 投稿日:2013/02/19(火) 19:13
 
-   
 「では、ここにご署名とご印鑑を」 
  
 言われた通りの箇所に署名して押印する。 
  
 次の日、わたしは仕事を終えて 
 新垣不動産を尋ねた。 
  
 もちろん、あのHYハウス、44号室の契約を交わすために―― 
  
 迷いに迷ったけど、不安要素を差引いても 
 魅力的過ぎる物件。 
  
 とりあえず、犯罪の匂いはしないし、女子しか住んでないって言うし。 
 何より早く越せるし、一応希望は全部クリアしてる訳だし・・・ 
  
 「ああ、特に書類は必要ないですよ? 
  金持ちの道楽物件ですから」 
 「住民票も?所得証明も?」 
 「ええ、何もいりません」 
  
 何だか、色々ほんとに不思議・・・ 
 悪い夢じゃなきゃいいんだけど。 
  
   
- 489 名前:第1章 4 投稿日:2013/02/19(火) 19:14
 
-   
 「では、ご入居は今週末でよろしいですね?」 
 「ええ。あと、その・・・」 
  
 「はい?」 
  
 立ち上がろうとした新垣社長を引き止めた。 
  
 「――ペットは・・・禁止ですよね?」 
  
 昨日の夜、さっそく今の大家さんのおばあちゃんに 
 新居が決まりそうだと報告したら、すごく喜んでくれて。 
 けど同時に、傍らにいた子犬の貰い手がいないとも嘆いていて・・・ 
  
 「大丈夫じゃないですか?」 
 「ほんとに?!」 
 「まあ、吉澤さんに聞いてみなきゃわかんないですけど」 
  
 電話して聞いてみましょうか? 
  
 そう言いながら、新垣社長はもう受話器をあげていた。 
 『若いけど、なかなかやり手なんだよ』 
 おばあちゃんの言葉は、うそじゃない。 
  
   
- 490 名前:第1章 4 投稿日:2013/02/19(火) 19:15
 
-   
 「・・・う〜ん、出ないな・・・ 
  どうせ今から、この契約書持って 
  吉澤さんとこ行くんで、聞いときますよ」 
  
 「ご迷惑じゃなかったら、一緒に行っていいですか?」 
 「構いませんけど、ご連絡なら差し上げますよ?」 
  
 早くおばあちゃんを喜ばせてあげたい。 
 それに出来れば直接聞きたい。 
 昨日は驚きすぎて、言いそびれた御礼も 
 やっぱりちゃんと言いたいし・・・ 
  
 「律儀ですねぇ、石川さん」 
 「そうですか?」 
  
 「車、回してきますから 
  ちょっと待ってて下さい」 
  
 出会ってから初めて、新垣社長の表情が 
 穏やかになったような気がした。 
  
   
- 491 名前:第1章 4 投稿日:2013/02/19(火) 19:15
 
-   
 乗り込んだ車は、昨日彼女が乗っていたような 
 派手なスポーツカーでは当然なくて、黄緑色の軽。 
  
 「吉澤さんが、あなたを選んだの 
  何だか分かる気がします」 
  
 え? 
  
 走り出した車内で、突然そう切り出されて驚いた。 
  
 「チャラけてるように見えて、 
  すごく寂しがり屋なんです」 
  
 ――本人は絶対、認めませんけど。 
  
 「吉澤さんが天涯孤独だって話、 
  ほんとですよ」 
  
   
- 492 名前:第1章 4 投稿日:2013/02/19(火) 19:16
 
-   
 詳しい話は私からはしませんが、 
 血のつながった方は、もうこの世におられません。 
 血のつながりのない親族はおられますが、 
 その方からは、随分煙たがられてます。 
 他人が見ていても、いい気分がしないほどにです。 
  
 ああ見えて、吉澤さんて繊細なんですよ。 
 よくよく見ていないと分からないでしょうけど。 
 まあ、誤解されるようなことばかりしてますからねぇ・・・ 
  
 おそらくHYハウスの住人の方々に囲まれて 
 精神のバランスを保っているんじゃないですかね。 
 これはまあ、私の勝手な推測ですけどね。 
  
   
- 493 名前:第1章 4 投稿日:2013/02/19(火) 19:16
 
-   
 「社長は、吉澤さんを昔からよくご存知なんですか?」 
  
 「いえ、私は3年前からです。 
  先代が吉澤さんのお父上によくして頂いて」 
  
 ――吉澤さんをお守りするように。 
  
 「先代の遺言なんです。 
  さ、着きましたよ」 
  
 社長が、窓を開けて声をかけると 
 門が開く。 
  
 更に奥深く、車が進んでいく―― 
  
 「そうそう、社長って呼ぶのやめて下さい。 
  何か照れますから」 
  
   
- 494 名前:第1章 4 投稿日:2013/02/19(火) 19:17
 
-   
  
 夜の闇に浮かぶ電飾が、 
 豪奢な建物を更に鮮やかに彩る―― 
  
 「きれい・・・」 
  
 わたし、ほんとにここに住むんだよね? 
  
 見とれていると、車が玄関に横付けされて 
 休む間もなく助手席が開いた。 
  
 「お疲れ様でした」 
  
 にこやかに迎えてくれる、 
 HYハウス住込みの管理人、紺野さん。 
  
 「今日は『いらっしゃいませ』じゃないんですね?」 
 「ええ。もうここに住まわれる方ですから」 
  
 そっか・・・ 
  
   
- 495 名前:第1章 4 投稿日:2013/02/19(火) 19:18
 
-   
 「吉澤さんいる?」 
  
 新垣さんの問いかけに、紺野さんは 
 少しだけ困った顔をした。 
  
 「いるにはいるんですけど・・・」 
 「プールでDo it Now?」 
 「いえ・・・」 
  
 「じゃあ部屋でDo it Now?」 
 「お部屋にはいらっしゃいますけど 
  札はかかってません」 
  
 「あの〜」 
  
 割って入ったわたしを2人が 
 一斉に振り返る。 
  
 「5階だけじゃなくて、大家さんのお部屋にも 
  札がかかっていたら、立入禁止なんですか?」 
  
 「ええ、もちろん」 
  
 「その、Do it Nowって一体・・・」 
  
   
- 496 名前:第1章 4 投稿日:2013/02/19(火) 19:18
 
-   
 「帰れよっ!」 
  
 ロビーに足を踏み入れた途端、 
 吉澤さんの怒声が聞こえた。 
  
 「イヤ!どうしてなの? 
  私は本気であなたを・・・」 
 「本気になるなって最初に言っただろっ」 
  
 あ〜あ〜 
 えーっと・・・ 
  
 新垣さんと紺野さんがアタフタしながら 
 2人してわたしの視界を阻もうとする。 
  
 「ここじゃなくてもいい。 
  そばにいたいの、お願い・・・」 
 「もう契約期間は終わったし、君とは更新もしない」 
 「そんな・・・」 
  
   
- 497 名前:第1章 4 投稿日:2013/02/19(火) 19:18
 
-   
 「飽きたんだよ。 
  お前にも、お前のカラダにも」 
  
 あまりにも冷たい言い方に 
 わたしの方が凍りつく。 
  
 「もう2度と抱く気はない。 
  荷物もまとめてある。 
  さっさと出てってくれ」 
  
 <バシンッ!> 
  
 大きな音がして、吉澤さんが頬を押さえた。 
  
 「好き、なのに・・・ 
  ほんとに、愛してる、のに・・・」 
  
 震える声で、吉澤さんにそう告げる彼女は 
 大粒の涙を流していた。 
  
   
- 498 名前:第1章 4 投稿日:2013/02/19(火) 19:19
 
-   
 「どうして・・・」 
 「飽きたんだ」 
 「うそ」 
 「うそじゃない」 
  
 「じゃあ目を見てよ! 
  ちゃんと目を合わせて、キライだって言ってよ!」 
  
 頬を押さえたまま、俯いていた吉澤さんが顔をあげた。 
  
 「――キライ、だよ。きっかなんて・・・ 
  2度と顔も見たくない・・・」 
  
 そう告げられた彼女が、吉澤さんに背を向けて走り出した。 
 入口に立ち尽くす、わたし達の方に向かってくる―― 
  
 「あ、あの! 
  吉川様、お荷物お預かりしていますっ!」 
  
 紺野さんが彼女を追いかけて行く・・・ 
 こちらに視線を向けた吉澤さんと目が合った。 
  
   
- 499 名前:第1章 4 投稿日:2013/02/19(火) 19:19
 
-   
 ――なん、で・・・? 
  
 どうしてそんな目をするの・・・? 
 まるで自分の方が捨てられたみたいな・・・ 
  
 2、3度瞬きをすると、 
 彼女は無理矢理、笑顔を作った。 
  
 「石川さん来てくれたんだ!」 
  
 早くこっちにおいでよ。 
 歓迎するよ! 
  
 はしゃいだように、手招きしてくれたけど 
 わたしの脳裏には、あの悲しげな瞳が焼きついたままで―― 
  
 自分が傷ついた訳でもないのに、なぜか胸がチクリと痛んだ。 
  
   
- 500 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/02/19(火) 19:20
 
-   
   
- 501 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/02/19(火) 19:20
 
-   
   
- 502 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/02/19(火) 19:20
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 503 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/02/19(火) 21:21
 
-  ほう。この人ですか 
 
- 504 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/02/19(火) 23:43
 
-  また気になるところで…・゚・(ノ∀`)・゚・。 
 
- 505 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/02/20(水) 13:30
 
-  こういうよっすぃメッチャ好き 
 梨華ちゃん包み込んであげて!!  
- 506 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/02/26(火) 10:13
 
-   
 >503:名無飼育さん様 
  初めて出演して頂いたものの、あと1回しかオファーしない予定・・・ 
  
 >504:名無飼育さん様 
  すみません、特技になりつつあります。 
  
 >505:名無飼育さん様 
  さてどうでしょう? 
  
  
 では、本日の更新に参ります。 
  
   
- 507 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/02/26(火) 10:13
 
-   
   
- 508 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:14
 
-   
 まさに引越し日和―― 
  
 清々しい朝の空気が全身を包みこんで、 
 新たなスタートにふさわしい始まりの時。 
  
 「じゃあ出発しまーす!」 
  
 引っ越し業者のお兄さんが、 
 爽やかに声をかけてトラックをスタートさせる。 
  
 「あとから行きまーすっ!」 
  
 トラックに向かって手を振ると、 
 おばあちゃんに最後の挨拶をしようと振り返った。 
  
   
- 509 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:14
 
-   
 「本当にお世話になりました」 
 「こちらこそ、無理言ってすまなかったねぇ」 
 「いえ、とんでもないです」 
  
 「でも良かったよぉ。 
  いい大家さんが見つかって」 
  
 「ですよねぇ。いや〜照れちゃうなぁ」 
  
 「ちょっと!間に割り込んで来ないで下さいっ!」 
  
 わたしとおばあちゃんが、涙ぐみながら 
 別れを惜しんでいるというのに、そのど真ん中に 
 割り込んできた空気を読めない輩が1名と1匹―― 
  
   
- 510 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:15
 
-   
 「ほら、ひめ。 
  ちゃんと、ばーちゃんに挨拶して」 
 「ワンッ!」 
  
 「わっはっは。 
  すっかり新しい大家さんに懐いとるねぇ。 
  良かったなぁ、可愛い名前もつけてもらって」 
  
 嬉しそうに微笑むおばあちゃん。 
 不安は山積みだけど、この笑顔を見たら 
 迷いながらも、HYハウスに決めて 
 良かったのかもしれないなんて思う。 
  
   
- 511 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:15
 
-   
 「くれぐれもお体、お大事になさって下さいね」 
 「石川さんも達者でねぇ」 
  
 もう一度、感動のお別れを再開し 
 名残り惜しみながら、派手なスポーツカーに乗り込んだ。 
  
 待っていたように、ひめがわたしの膝の上にとび乗る。 
  
 「いーなー、ひめは。 
  アタシもトイプードルになって、石川さんの膝に乗りたいなぁ」 
  
 「ヘンなこと言わないで下さい!」 
  
 なぜだか想像出来てしまうから恐ろしい。 
 真っ白な毛並みのウルウルお目目の子犬がワンワンって―― 
  
   
- 512 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:16
 
-   
 「ヘンじゃないよなぁ、ひめ。 
  よしよし、いい子だ…」 
  
 「――そこ、わたしの太ももです…」 
  
 「あれ〜? 
  いや〜、道理でフサフサしてないなぁって」 
  
 「わかってたクセに」 
 「あ、バレちゃった?」 
  
   
- 513 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:17
 
-   
 引っ越すまでの一週間でわかったこと。 
  
 今度の大家さんはすごくマメだということ。 
 せっせとわたしの所に通って、 
 毎日のようにお引越しの手伝いをしてくれた。 
  
 今朝もそう。 
 自ら車まで出してくれて 
 業者さんも手配してくれて―― 
  
 普通じゃありえないよ? 
  
 親切すぎるし、 
 優しすぎるし、 
 至れり尽くせりで・・・ 
  
 だけど―― 
  
 信じられないくらいにドスケベ! 
  
   
- 514 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:17
 
-   
 「そろそろ手をどけてくれませんか?」 
 「いい感触なのに・・・」 
  
 「いい加減、出発しないと 
  業者さん、待ちぼうけになると思いますけど」 
 「それもそうですねぇ・・・」 
  
 やっと太ももから手が離される。 
 ひめの頭をひと撫でして、微笑みかけると 
 ゆっくり車をスタートさせた。 
  
   
- 515 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:17
 
-   
 「念のため聞いておきたいんですけど 
  吉澤さんて女性ですよね?」 
  
 「何を今更? 
  正真正銘、女です。 
  ココにナニもついてないし」 
  
 指で差すな! 
  
 コホンッ。 
  
 「じゃあ何で、そんなに 
  お尻触ったり、太もも触って喜ぶんですか?」 
  
 だってこの一週間、どれだけ触られたと思ってるの? 
  
 「ん?触り心地がいいから」 
  
 「それにっ! 
  下着見て喜んだり、谷間見て喜んだり! 
  完全に男目線ですよね?」 
  
 だってだってだって! 
  
 お荷物詰めるのを手伝ってくれながら 
 人のブラジャー見て、 
 『いいねぇ』だとか、『でけぇ』とか。 
  
 ニヤニヤニヤニヤしながら、 
 すっごい想像してますって顔してたよね? 
  
   
- 516 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:18
 
-   
 「なんでか知りたい?」 
 「一応。今後のためにも」 
  
 赤信号で車が止まる。 
  
 助手席の背に手が伸ばされて 
 正面から覗きこまれた。 
  
 「石川さんが可愛いから」 
  
 ボッ。 
 一気に顔に熱が点る。 
  
 真っすぐな瞳から、目がそらせない―― 
  
  
 「ワンッ!」 
  
 ひめのひと吠えで、我に返った。 
  
   
- 517 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:19
 
-   
 「ひめもかわいいぞ〜」 
  
 途端に優しく目尻を下げて 
 ひめの頭を撫でた彼女。 
  
 まるで金縛りがとけた後みたいに 
 急激に心臓が早鐘を打ち出す・・・ 
  
 青信号に変わって、彼女が体勢を直して 
 再び車が発進する。 
  
 「可愛いとさあ、ワシャワシャしたくなるじゃん?」 
  
 ひめだって、可愛いから 
 撫で撫でして、抱きしめて、チュってしたくなるでしょ? 
  
 「それと一緒」 
  
 全然違う気がする―― 
 けど間違ってもいない気もする―― 
  
   
- 518 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:19
 
-   
 「だからそのうち、 
  抱きしめて、チュってしちゃっても許してね?」 
  
 「許しませんっ!!」 
  
 そんなの許すわけないでしょ! 
  
 「ふははっ」 
  
 楽しそうに、声をあげて笑った彼女。 
 からかわれてるんだろうか・・・ 
  
  
 「ねぇ、何で『ひめ』ってつけたんですか?」 
 「んー?メスだし、お姫様みたいに可愛いからかな」 
  
 なるほど・・・ 
  
 「でもそれだけじゃないよ?」 
  
   
- 519 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:19
 
-   
 「ダブルひーちゃん」 
  
 ニッと笑った彼女。 
  
 「ひめとひとみで 
  ダブルひーちゃん。 
  石川さんの愛の対象」 
  
 はあ? 
  
 「心は犬のひーちゃんが癒して 
  体は人間のひーちゃんが癒してあげるよ」 
  
 ――上手いよ、アタシ。 
  
   
- 520 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:20
 
-   
  
  
  
  
 「・・・上手いって、何が?」 
  
 キョトンとしたわたしに 
 彼女が思いっきり吹き出した。 
  
  
 体を癒す・・・? 
  
 体を癒すって―― 
  
  
 ――ハッ!まさか・・・ 
  
 光もビックリするほどの速さで 
 運転席の彼女を見た。 
  
   
- 521 名前:第2章 1 投稿日:2013/02/26(火) 10:25
 
-   
 答えを見つけたわたしを横目に見て 
 楽しそうに、鼻歌を歌う彼女。 
  
  
 ――もしかして、わたし。 
  
 とんでもない場所に足を踏み入れてしまったんじゃ・・・ 
  
  
 晴れ渡る空とは裏腹に、心の中に不安がモクモクと浮かんできて 
 青色になりかけていた心の中の危険信号が、再び黄色く点灯した―― 
  
  
   
- 522 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/02/26(火) 10:25
 
-   
   
- 523 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/02/26(火) 10:25
 
-   
   
- 524 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/02/26(火) 10:26
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 525 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/02/26(火) 13:17
 
-  いろんなネタが!ニヤニヤ 
 
- 526 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/02/26(火) 23:04
 
-  これは素敵ないしよしです! 
 
- 527 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/03/05(火) 20:37
 
-   
 >525:名無飼育さん様 
  楽しんで頂けたようで何よりです。 
  
 >526:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
  
 では本日の更新に参ります。 
  
   
- 528 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/03/05(火) 20:38
 
-   
   
- 529 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:39
 
-   
 「ほら、ひめ。 
  ここがお前の部屋だぞ〜」 
  
 「ワンワンッ!」 
  
 しっぽをフリフリ、四方八方を駆け回って 
 大変お気に召したご様子。 
  
 最初の日に、残りの1部屋は自由に使っていいと言っていたのに 
 ペットを飼いたいとお願いしたら、その一部屋が犬用に早変わり。 
  
 ベッドにトイレにおもちゃ等々・・・ 
  
 立派なお部屋に通されて、ひめったら 
 超ご機嫌で、彼女にまとわり付いてばかり。 
  
   
- 530 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:39
 
-   
 「ひめ!ママはわたしでしょ?」 
 「そんなの分かってるよなぁ、ひめ。 
  アタシはパパだぞ〜」 
  
 パパですって?! 
  
 「ということで」 
  
 抱き上げていたひめを床に下ろすと 
 彼女がわたしの方に向き直った。 
  
 「引越しの片づけも粗方終わったし」 
  
 ニッコリ微笑みながら、 
 ゆっくり近づいてくる・・・ 
  
 「ママもパパと仲良くしよ――」 
  
 <バシンッ!> 
  
 お尻へと伸ばされた手を、思いっきり引っぱたいた。 
  
   
- 531 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:40
 
-   
 「ちぇっ。いーじゃん、減るもんじゃなし」 
 「ダーメッ!」 
  
 「ケチだなぁ、お前のママ。 
  そのうち、ひめとパパでママのこと 
  襲っちゃおうな?」 
 「ワンッ!」 
  
 「あ〜んなことや、こ〜んなこともだぞ〜」 
 「ワンッワンッ!」 
  
 「もうっ!ひめまで!」 
  
 ふははっ。 
  
 楽しそうに笑う彼女。 
 はしゃぐひめ。 
  
 暖かな日差しが、部屋一杯に差し込んでいて 
 なんだかとってもハッピーな気分。 
  
   
- 532 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:40
 
-   
 「今夜、ロビーで歓迎会やるからさ」 
 「わたしの?」 
 「もちろん」 
  
 「悪いけど、ひめは留守番な?」 
  
 ここの住人全員参加だから、みんなに紹介するよ。 
 そのままでもいいけど、出来れば可愛いカッコしてきて。 
 ここの人たち、顔面レベル高いから。 
 負けないように、ね? 
  
 「でも、わたし・・・」 
  
 そんな余所行きのお洋服なんて持ってないし、 
 普段からお化粧もあまりしないし・・・ 
  
   
- 533 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:41
 
-   
 不意に彼女が、わたしの髪に指を通した。 
 そのままそっと、親指で唇に触れられる・・・ 
  
 「じゃあ、リップだけつけておいで」 
  
 戸惑いながら、視線をあげると 
 優しい眼差しとぶつかった。 
  
 「君はキレイだよ・・・」 
  
 一気に頬が熱を持つ。 
  
 「大丈夫、自信持って。 
  アタシが選んだ人なんだから」 
  
 やっぱりこの瞳には、魔力が宿っている。 
  
 「7時に1階に下りておいで」 
  
 そう言って、わたしの額に唇で軽く触れると 
 サッと身をひるがえして、この部屋を出て行った。 
  
   
- 534 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:41
 
-   
 ありえないくらい心臓が早鐘を打っている―― 
  
 リアルに残る唇の感触。 
 魅入られてしまう瞳の色・・・ 
  
 思わず、ヘナヘナとその場にヘタリ込んだ。 
  
 心配そうに、ひめがわたしを覗き込んで 
 手のひらをペロペロと舐めてくれたけど・・・ 
  
 やっぱり額に残る感触の方が鮮明で 
 早鐘を打ち続ける心臓が、ギュッと締め付けられて・・・ 
  
 こんな風に、いちいち反応してしまう自分が 
 少しだけ怖くなった―― 
  
  
   
- 535 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:41
 
-   
  
  
   
- 536 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:41
 
-   
 「「「「カンパーイ!」」」」 
  
 グラスがぶつかり合う軽い音が響いて 
 周りを窺ってから、口をつける―― 
  
 ――おいしいっ!! 
  
 初めて飲むシャンパン。 
 舌の上ではじける泡。上品な味わい。 
  
 わたしほんとにここに住んでいいんだよね? 
 だって・・・ 
  
   
- 537 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:42
 
-   
 「201号室の飯田圭織です」 
  
 胸元が大きく開いたセクシーなドレスを纏った 
 お色気ムンムンな感じのお姉さま。 
  
 「202号室の安倍なつみです」 
  
 今度は対照的に、可愛らしい童顔のお姉さま。 
 太陽のような温もりのある微笑が愛らしい。 
  
 「301号室の道重さゆみで〜す」 
  
 色白美人の年下の女の子。 
 ツヤのある黒髪が彼女の美しさを引き立てていて、 
 自分の輝かせ方をよく知ってる感じ。 
  
 「302号室の藤本美貴」 
  
 え?もしかしてヤンキー? 
 けど、顔ちっちゃ!それにやっぱり顔面レベルは 
 他の3人に負けないくらい高い。 
  
   
- 538 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:42
 
-   
 「・・・あ、あの・・・ 
  わたしは今日、44号室に越してきた石川梨華と言います。 
  何も分かりませんので、ココのこと色々教えて下さい。 
  よろしくお願いしますっ!」 
  
 深々と頭を下げた。 
 そして、用意しておいたご挨拶の品を渡そうと 
 足元の紙袋に手を伸ばした所で―― 
  
 「ぶわっはっは!」 
  
 藤本さんの大爆笑が聞こえた。 
 続いて他のみんなの笑い声も。 
  
 え?わたし。 
 何か可笑しなこと言った? 
  
   
- 539 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:43
 
-   
 「てか、よっちゃん。 
  何この地味な子。どういう風の吹き回し?」 
  
 からかうような目で、藤本さんがわたしを見る。 
  
 「随分、センスが悪いの。 
  さゆみでも全身ピンクをこんな風に着たりしないの」 
  
 だ、だって吉澤さんが 
 なるべくかわいい格好で来いって言うから・・・ 
  
 「けど出るとこは出てるっぽいよ? 
  なっちといい勝負じゃないかい?」 
  
 なぜか安倍さんが、胸をそらせて 
 わたしの隣に並ぶ。 
  
 「う〜ん・・・、残念ながら 
  大きさもカタチも新入りさんの勝ちかな?」 
  
 目の前に仁王立ちした飯田さんが、 
 わたしと安倍さんの胸元を凝視して冷静に言い放つ・・・ 
  
   
- 540 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:44
 
-   
  
 「えっと・・・、あの・・・ 
  これ、お近づきのしるしに皆さんにお持ちしたんですけど・・・」 
  
 とりあえず挨拶。まずは挨拶。 
 これこそ、お引越しの基本。 
  
 めげずに、それぞれに同じ形の箱を渡していく―― 
  
 「ぶわっはっは!」 
  
 再び、藤本さんの大爆笑が聞こえた。 
 続いて他のみんなの笑い声も。 
  
 え?わたし。 
 また何かヘンなことした? 
  
   
- 541 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:45
 
-   
 「だから、よっちゃん。 
  何なの、この子。どっから拾って来たの?」 
  
 涙を流しながら、お腹を抱えて大笑いしている藤本さんが 
 面白いものでも見るように、わたしを見る。 
  
 「それにしても、センスが悪いの。 
  今時こんなメガネしてる人、みかけないの」 
  
 そ、そうかな・・・ 
  
 「ココはなっちが一番古い住人だけど 
  こんなのもらったの始めてだべ」 
  
 え?向こう3軒両隣。 
 ココの場合、向こうも両隣もないけど、 
 普通はするでしょ?引越しの挨拶。 
 ましてや、こんな風に歓迎会までして頂いたら・・・ 
  
 「ココでは皆がライバル同士。 
  敵に塩を送るようなこと、普通しないわ」 
  
 飯田さんの発言に、全員が頷くけど 
 ただのタオルだし、そんな大げさな・・・ 
  
 ――てか、ライバルってなに?? 
  
 キョトンとしたまま、4人の顔を見比べていると 
 突然、全員の顔が真顔になった。 
  
   
- 542 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:46
 
-   
 「――もしかして、よっちゃんさ・・・」 
 「まさかなの・・・」 
 「いくらなんでも44号室で、それはないっしょ?」 
 「でも彼女、いかにも経験なさそう・・・」 
  
 ・・・え?なに? 
 ・・・何なの?このみんなの視線・・・ 
  
 「マジで?」 
 「マジなの?」 
 「マジかい?」 
 「マジだわ・・・」 
  
 マジマジ見つめられる・・・ 
 ヤダ!わたしまでマジマジ使っちゃった! 
  
   
- 543 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:46
 
-   
 「無色透明なの、よくない?」 
  
 たった一人、間延びした声の主が 
 わたしの肩を抱きながら言う。 
  
 「ひとめぼれしたんだ。 
  誰にも染められてない、無垢な彼女に」 
  
 目を細めて見つめられて 
 何だかくすぐったい。 
  
 「磨けば光るよ、梨華ちゃんは」 
  
 ――アタシが、ゆっくり磨いてあげるからさ・・・ 
  
 耳元で囁かれた。 
  
 磨く・・・ 
 癒す・・・ 
  
 再び押し寄せた不安に思わず身震いした。 
  
   
- 544 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:47
 
-   
 「さあ、もっと飲んで食べようよ!」 
  
 ポンポンとわたしの肩を叩いて 
 体を離した彼女。 
  
 肩をすくめて、小さくため息をついた目の前の4人。 
  
 引越し初日だというのに 
 早くも大きな後悔の渦に巻きこまれる・・・ 
  
  
 「ねぇ」 
  
 小さく呼ばれて、声の主に顔を向ける。 
  
 「もしかして今夜 
  よっちゃんの部屋に呼ばれてなかったりする?」 
  
 呼ばれる・・・? 
  
 パーティースペースの端に 
 簡易的に作られたキッチンで腕を振るうシェフと 
 楽しそうに話す吉澤さんを横目で窺う。 
  
   
- 545 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:47
 
-   
 『7時に1階に下りておいで』 
  
 それを呼ばれると言うのなら・・・ 
 けど部屋ではないし・・・ 
  
 「なっち、いくら何でも初日に呼ばないことはないよ」 
 「美貴の記憶では、初日にお手の付かなかった人は一人もいないね」 
 「さゆみも初夜は舞い上がったの」 
  
 初夜・・・?! 
  
 一同の視線が、吉澤さんの横顔へと向かう。 
 同時にシェフがフランベしたのか、勢いよくフライパンから炎が上がった。 
  
 「かっけぇ!!」 
  
 わたしにとっては、非日常の世界。 
 テレビや雑誌の中だけの世界で、直に触れることなんて 
 決して出来ないと思っていた光景。 
  
 なのに今、その渦中に飛び込んでしまった・・・ 
  
   
- 546 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:47
 
-   
 「梨華ちゃんが呼ばれてないなら 
  今夜はなっちが行きたいんだけど・・・」 
  
 名前を呼ばれて我に返る。 
 もう下の名前で呼んでくれるなんて、 
 外見だけじゃなく、中身も人懐っこいらしい。 
  
 「わたしは、この歓迎会に来るよう言われただけで、他には何も・・・」 
  
 驚きを含んだ他の3人の視線が 
 一斉にわたしに注がれた。 
  
 「ほんとに呼ばれてないの?」 
 「部屋にですよね?特には・・・」 
  
 顔を見合わせる4人。 
 そんなにおかしい? 
  
 でも普通、引越し初日に大家さんの部屋にお呼ばれなんてしないよね? 
 ご挨拶にはもちろん伺うけどさ・・・ 
  
 てか、挨拶して笑われたなんて初めてなんですけど・・・ 
  
   
- 547 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:48
 
-   
 「ねぇ、今夜なっちでいいかな? 
  ちょっとむしゃくしゃしててさ・・・」 
  
 「ま、今夜は新入りさんの日な訳だし 
  その新入りさんがいいって言うなら、美貴は別にいいけど」 
 「さゆみも」 
  
 4人の視線が、わたしに注がれて 
 訳も分からぬまま、とりあえず頷く。 
  
 ていうか、良いとか悪いとか意味不明なんですけど・・・ 
  
 「あとは、よっすぃ〜次第かな」 
  
 飯田さんの言葉に頷いて 
 安倍さんは吉澤さんの元に駆け寄っていった。 
  
   
- 548 名前:第2章 2 投稿日:2013/03/05(火) 20:48
 
-   
 駆け寄るなり、腕を絡ませた安倍さんが 
 吉澤さんの耳元で何かを囁く・・・ 
  
 2人の視線がぶつかり合って 
 吉澤さんが頷くと、安倍さんが破顔した。 
  
 チクリ。 
  
 なぜだろう? 
 胸に小さなトゲが刺さったみたい・・・ 
  
 確証はない。 
  
 でも、これまでの会話と 
 今の2人の絡み合った視線の意味。 
 それが全く分からないほど、お子様でもない。 
  
 もしかしてココって、全員が吉澤さんの―― 
  
 また、大きな不安がモクモク浮かんできて 
 黄色く点灯していた心の危険信号が、一気に赤色に変わった。 
  
   
- 549 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/03/05(火) 20:48
 
-   
   
- 550 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/03/05(火) 20:48
 
-   
   
- 551 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/03/05(火) 20:49
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 552 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/05(火) 21:16
 
-  今日ずっと更新待ってました! 
 これからどうなるんだろう??  
- 553 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/06(水) 01:56
 
-  何があるの?何が起こるの? 
 ドキドキしてきました!  
- 554 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/06(水) 09:35
 
-  ついに何かが動き出すのでしょうか? 
 気になります。  
- 555 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/03/12(火) 10:15
 
-   
 >552:名無飼育さん様 
  さてどうなるでしょう? 
  
 >553:名無飼育さん様 
  大したことは起こらない・・・かな? 
  
 >554:名無飼育さん様 
  少しずつって所でしょうか。 
  
  
 では本日の更新です。 
  
   
- 556 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/03/12(火) 10:16
 
-   
   
- 557 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:16
 
-   
 「ねぇ、ひめ。 
  わたしの思い過ごしかなぁ?」 
  
 HYハウスに来て、すでに3ヵ月。 
 ビクビクしながら毎日を過ごしていたけれど、今日まで至って平穏。 
  
 少しずつ、セレブな空間にも慣れてきて 
 ふかふかのソファにもくつろいで座れるようになった。 
  
 『敵に塩を送る』 
 『皆がライバル同士』 
 『初夜』 
  
 どの発言も、そうだと思えばしっくり来るのに・・・ 
 それにあの安倍さんの色っぽい顔―― 
  
 紺野さんや新垣さんにも聞いてみたけど 
 『ご自分でお確かめ下さい』とか言われちゃって・・・ 
  
   
- 558 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:17
 
-   
 「ひめはどう思う?」 
  
 抱えあげて、覗き込むと 
 嬉しそうにペロペロと顔を舐められる。 
  
 わたしと大家さんの接点は、これしかない。 
  
 平日、お仕事に行くときに、彼女のお部屋を訪ねて 
 ひめを預けて、帰宅すると受け取りに行く。 
 その時に、ひめは必ず彼女の顔を舐め、 
 わたしの腕に移ると、今度はわたしの顔を舐める。 
  
 『間接キスだね』 
  
 なんて、最初はからかわれていたけど 
 今ではお約束のように、 
  
 『いっそのこと直接しよーよ』 
 なんて、冗談ぽく言われて、 
 『絶対しません!』 
 とこれまたお約束で返して、あっかんべえして部屋に戻ってくる。 
  
 ただ、その繰り返し。 
 まあ、ちょくちょくお尻は触られてるけど―― 
  
   
- 559 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:18
 
-   
 「[Do it!Now]の札も、 
  まだ見たことないんだよなぁ・・・」 
  
 わたしの予想では、その札がかけられた部屋の中で 
 大家さんと、ココの住人の誰かが、 
 いわゆるその・・・Hってヤツをしているんじゃないかって 
 そう思ってたんだけど―― 
  
 「てか何にも誘われないよねー、わたし」 
  
 いやいやいや。 
 誘われたい訳では決してない。断じてない。 
  
 もし万が一、誘われたとしても 
 絶対絶対お断り! 
  
 そんなのと引き換えに 
 ココに住むくらいなら、別のとこに行くもん。 
  
 ――ちょっと捨てがたい物件だけど・・・ 
  
   
- 560 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:19
 
-   
 「ねぇ、ひめ? 
  ひめはお昼間、彼女と一緒にいるでしょ? 
  ひめも見てないの?Do it!Nowしてるとこ」 
  
 <ピンポーン> 
  
 あれ、誰だろう・・・? 
 土曜日の昼下がり。 
 こんな中途半端な時間に、誰かに訪問される覚えはない。 
  
 宅急便かな? 
 何か頼んだっけ? 
  
 思考を巡らしながら、インターホンを取った。 
  
 「はい」 
 『どーもー』 
  
 画面に現れたのは、サングラスをかけた大家さん。 
  
 『こんにちは、ヨシザイルです』 
 「はい?」 
 『とりあえず開けてくださ〜い』 
  
   
- 561 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:19
 
-   
 ひめを抱いたまま、玄関に急ぐ。 
 ドアを開けると、一瞬驚いた様子のひめ。 
  
 「ちは〜、パパだぞ〜」 
  
 サングラスを外して、彼女が手を伸ばすと 
 ひめはわたしの腕をとび出して、彼女の腕に収まった。 
  
 むぅ。 
  
 「さて、ママ。 
  今からお出かけするから支度しよう」 
  
 「はい?」 
  
 勝手知ったる何とやら。 
 サッサとお部屋へ上がると、彼女はひめを抱いたまま 
 ひめのお部屋へ一直線。 
  
   
- 562 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:20
 
-   
 「ひめはお留守番。ごめんな〜」 
  
 あやしながら、言い聞かせて 
 ひめを床に下ろす。 
  
 「ちょ、ちょっと出かけるって?」 
 「いいから早く支度して。 
  何なら、そのまま行ってもいいけど」 
  
 え〜つ! 
 それは無理。 
 だって上下ジャージだもん。 
  
 「イヤならサッサと着替える」 
 「そんな勝手に」 
  
 「アタシね」 
  
 彼女が振り返って、わたしを見据える。 
 その大きな瞳で真っすぐ見つめられると、 
 なぜかわたしの体は硬直してしまう。 
  
   
- 563 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:20
 
-   
 「昨日誕生日だったの」 
 「へ?」 
  
 「ほんとは毎年、誕生日の夜に 
  ロビーでパーティーするんだ」 
  
 そ、そうなんだ・・・ 
  
 「けど今年は、土曜日にすることにした。 
  なぜかと言うとね?」 
  
 そう言いながら、彼女が近づいてくる。 
 こんな風に見つめられたら、身動きが出来ないよ・・・ 
  
 『石川さんからのプレゼントを、一緒に買いに行きたかったから』 
  
 耳元で囁かれた。 
  
   
- 564 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:21
 
-   
 「今からアタシの欲しいもの買いに行くから着いてきてよ。 
  拒否権は、石川さんにはない」 
  
 そ、そんな・・・ 
  
 「だってさ、今夜のパーティーまでに 
  アタシを満足させられそうなもの、用意できる?」 
  
 急に聞いて、それはちょっと無理かも・・・ 
  
 「あ、出来なかったら、石川さん自身に 
  リボンつけてもらってもいいよ? 
  そうだな、その方がいっか・・・」 
  
 「行きますっー!!」 
  
 やっと言葉が出た。 
 ゼエゼエ言うわたしを、クスクス笑う彼女。 
  
 ふーんだ、ふーんだ、フ〜〜〜ンだ! 
  
 心底可笑しそうに笑う彼女をひと睨みして、 
 着替えるために寝室に向かった。 
  
   
- 565 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:21
 
-   
  
   
- 566 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:22
 
-   
 派手なスポーツカーに乗せられて 
 着いた場所は、いかにも高級そうな眼鏡店。 
  
 そこら中にある『全てセットで○○円!』 
 なんていうチェーン店とは、外観からして違う。 
  
 「・・・あの〜」 
 「なに?」 
  
 店内に入る前に、どうしても言っておきたい。 
  
 「その・・・、わたしお給料安いので 
  高価なものはプレゼント出来ないんですけど・・・」 
  
 だってココ。 
 絶対1本ウン万円するもん。 
 わたしがプレゼント出来るとしたら、レンズひとかけらとかだもん。 
  
 「ああ、そんなこと? 
  心配しなくていいよ」 
  
 「けど・・・」 
  
   
- 567 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:22
 
-   
 「いらっしゃいませ」 
  
 わたしの心配なんかお構いなしで 
 勝手に店内に入りやがった! 
  
 高級すぎる店内。 
 品のいい店員さん。 
  
 やっぱり住む世界が違う人―― 
  
 慣れた様子で胸を張って入っていく彼女に対して 
 わたしは入口に立ち尽くして、首をすくめたまま店内をキョロキョロする。 
  
 ――なんとも居心地の悪い・・・ 
  
  
 「本日はどのようなものをお求めでしょうか?」 
 「今日はね、コンタクトを作りたいんだ」 
  
 こんなとこで、コンタクトレンズ作ったら 
 一体いくらするんだろう・・・ 
  
 頭の中で素早く諭吉を数えてみたりする。 
  
   
- 568 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:23
 
-   
 「そこに突っ立ってる彼女のを作って欲しいんだ」 
  
 突っ立ってる彼女の・・・? 
 キョロキョロと周りを見渡す。 
  
 ――お客さんは・・・・・・わたし達、だけぇ?!! 
  
 「かしこまりました」 
  
 店員さんが笑みを湛えたまま 
 わたしの元に歩み寄ってくる。 
  
 「・・・ちょ、ちょちょ・・・」 
 「どうぞこちらへ」 
  
 「ちょ、ちょっと待って!!」 
  
 わたしの勢いに、思わず店員さんの足が止まる。 
  
   
- 569 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:23
 
-   
 「ああ、彼女に構わないでサッサと進めちゃって? 
  この後まだ行くとこあるんだ」 
  
 はい?? 
  
 「それから、診察は自費でいいよ。 
  彼女保険証なんか持ってきてないだろうから」 
  
 「かしこまりました。 
  さ、お客様」 
  
 「ちょ、ちょっとっ!!」 
  
 必死の抵抗も空しく、半ば強引に両脇を抱えられ 
 店の奥へと連れて行かれた―― 
  
   
- 570 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:24
 
-   
  
  
  
 ――なんとなく、違和感。 
  
 けど思っていたより、痛くない。 
  
 お手入れの説明なんかを受けていると 
 どこかに行っていた彼女が店内に戻ってきた。 
  
 「フュ〜」 
  
 器用に口笛をひと吹き。 
  
 「いいじゃん」 
  
 目を細めて、見つめられて 
 少しだけ頬が熱くなる。 
  
 「んじゃ、次いこっか」 
  
 手を引いて、連れて行こうとするけど・・・ 
  
 「お代は?」 
 「んなのいいって。さ、次いこ次」 
  
   
- 571 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:24
 
-   
 「ありがとうございました」 
  
 深々と頭を下げた店員さん達に見送られ 
 お店を後にする。 
  
 「ちょ、ねぇ、ちょっと!」 
 「ん?」 
 「次って?」 
  
 すぐそばにある駐車場に止めてあった 
 彼女の車の前まで来て、正対される。 
  
 「今日から部屋以外で、メガネ禁止ね」 
 「え?」 
  
 「キレイなのに、もったいない」 
  
 再び頬に熱が灯る。 
 慌てて視線をそらした。 
  
   
- 572 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:25
 
-   
 あ・・・ 
  
 ――手、つないだままだったんだ・・・ 
  
 繋がったままの2人の手が視界に入って 
 耳まで赤くなる。 
  
 慌てて、手を離して 
 思わず眉間を触った。 
  
 「だから、メガネは禁止だってば」 
  
 吹き出した彼女。 
 思わず出てしまった、メガネを上げる動作。 
  
 「いい?約束ね?」 
  
 再び手を取られて、絡められた小指。 
 意外にも柔らかくて、もちもちした彼女の手―― 
  
 何だか妙にドキドキして、 
 自分の体が自分のものじゃなくなったみたいだった・・・ 
  
   
- 573 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:25
 
-   
  
   
- 574 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:26
 
-   
 次に連れて行かれたのは、 
 これまた明らかに高級なドレス専門店。 
  
 「彼女に似合うドレスちょうだい」 
  
 彼女のこの一言で、さっきからわたしは 
 着せ替え人形のように、あれやこれやと着せられている。 
  
 「う〜ん・・・元がいいから 
  いいっちゃあ、いいんだけど・・・」 
  
 納得いかない彼女のために 
 店員さんたちは奮闘している。 
  
 わたしはと言うと―― 
  
 正直、どれも可愛くて 
 え〜っ!これもいいのに・・・ 
 なんて、心の中で呟いている。 
  
 あ、一つだけ 
 大事な部分だけを隠した、全身シースルーだけは 
 着る前に却下させてもらったけど。 
  
   
- 575 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:26
 
-   
 「ピンク系はなぁ。可愛いんだけど 
  色気が足んないんだよな・・・」 
  
 そうかな? 
 今着てるのなんて、すっごくいいと思うけど。 
  
 「よし!色変えよう。黒にしよう黒」 
 「え〜」 
  
 思わず、声に出してしまった。 
 だって、その・・・肌が黒いのに、黒いドレスってなんか・・・ 
  
 「問答無用」 
  
 あっさりとわたしの否定を一蹴した彼女が 
 今度は自分で探そうと、店内をうろつき始める―― 
  
   
- 576 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:27
 
-   
 「これだ!!」 
  
 彼女が、嬉々として持参してきたのは、黒のミニドレス。 
 胸元からウエストにかけては、シルバーが散りばめられていて 
 腕や鎖骨のあたりは、シースルーになっている。 
  
 ――結構かわいいかも・・・ 
  
 「着てみてよ」 
  
 差し出されて、体にあててみる。 
  
 「でも短かすぎ・・・」 
  
 思いっきり足が出る。 
 こんなの着たことないから、すごく不安。 
  
 「出しちゃおうよ。 
  ぜってぇ、いいって!」 
  
 とりあえず着てみましょう? 
  
 店員さんに促されて 
 しぶしぶ、試着室に入った。 
  
   
- 577 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:29
 
-   
  
  
 「おおっ!」 
  
 試着室を出た途端、 
 彼女が感嘆の声をあげ、満足げに頷いた。 
  
 「決まりだね」 
  
 何だかすごく恥ずかしいような 
 それでいて、どこか嬉しいような不思議な感覚。 
  
 「でも・・・足が・・・」 
 「すげぇキレイだって」 
  
 見たことない彼女の瞳の色。 
 温かくて優しい、その瞳の色。 
  
 ――そんな顔、するんだ・・・ 
  
 心臓がトクンと一つ、音を立てた。 
  
   
- 578 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:30
 
-   
  
 『このドレスに合う、メイクと髪型にして』 
  
 それだけ言い残して、再び消えた彼女。 
 終わる頃、迎えにくるとは言ってくれたけど・・・ 
  
 併設のサロンで、わたしは変わっていく 
 自身の姿を信じられない思いで、鏡越しに見つめていた。 
  
 女ってほんとコワイ・・・ 
 別人みたい・・・ 
  
 鏡の中にいる人は、とってもキレイなひと。 
 いつも見ているわたしとは、大違いなんだ。 
  
 シンデレラって、もしかしたら 
 こんな気分だったのかもしれない。 
  
   
- 579 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:31
 
-   
 「さあ、出来上がりましたよ」 
  
 メイクさんに手を引かれて、そっと立ち上がる。 
 促されて全身が映る鏡の前に立って、 
 自分の変貌ぶりに更に驚いた。 
  
 「磨くと綺麗でしょ? 
  元がいいから、磨きがいがあったわ」 
  
 そんな風に言われて、悪い気はしない。 
 きっとこのオネエさんは、シンデレラに魔法をかけた 
 魔法使いの妖精だ。 
  
 「お迎えにいらっしゃいましたよ?」 
  
 別の店員さんに声をかけられて 
 ロビーに向かう。 
  
 「お待たせしました」 
  
 店員さんに促されて、前に出たわたしは 
 彼女をみて固まった。 
  
   
- 580 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:31
 
-   
  
 ――やだ、カッコイイ・・・ 
  
 白いタキシードに身を包んだ彼女は 
 宝塚の男役も顔負けなほど、美しくて、凛々しくて・・・ 
  
 「やっぱり。よく似合うよ」 
  
 そう言って、微笑みかけられただけで 
 わたしの心臓は錯覚を起こし、鼓動を早める。 
  
 バカッ。 
 王子様じゃなくて、ただの大家さんなんだからね! 
  
   
- 581 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:32
 
-   
 「行こう、プリンセス」 
  
 恭しく手を差し出された。 
  
 『何言っちゃってんの?』 
 頭の片隅で、そう思っているのに―― 
  
 やっぱり、彼女の瞳は魔力に満ちている。 
 その瞳にまっすぐ見つめられたら、どうしてだろう―― 
  
 おずおずと差し出した手を 
 ニッコリ微笑んだ彼女がつかんだ。 
  
 「まあ、お似合いだわ」 
  
 魔法使いの妖精が、紅筆を振って 
 再びわたしに魔法をかけた。 
  
 「行こう」 
 「はい」 
  
 今だけは。 
 そう今だけは。 
  
 特別な魔法をかけられたわたしだから、 
 この心音の早さも間違ってはいないんだ。 
  
   
- 582 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:32
 
-   
 「――なんか・・・王子様、みたい・・・」 
 「そう?」 
  
 お店の前に横付けされた車。 
 助手席を開けて、いつものように 
 彼女がわたしを先に座らせてくれる。 
  
 「馬車ならもっとカッケェよなぁ」 
  
 運転席に乗り込んだ彼女が言った。 
  
 「日本じゃ無理だよ」 
 「けどさ」 
  
 彼女がエンジンをかける。 
 途端に流れてきたミュージック。 
  
 ・・・♪・・・あなたが私にくれたもの・・・♪・・・ 
  
 「あ〜〜〜〜っ!!」 
 「何、急に?!」 
  
 驚きのあまり、シートベルトをしようとした 
 彼女の動きが止まる。 
  
   
- 583 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:33
 
-   
 「思い出しちゃった!」 
 「何を?」 
 「プレゼント買ってない」 
 「はい?」 
 「だ〜か〜ら〜」 
 「だから?」 
  
 「大家さんへのプレゼント」 
  
 すっかり忘れてた。 
 今日は大家さんのお誕生日会なのに。 
 これじゃあまるで、わたしが主役じゃない! 
  
 「あのさ」 
 「大家さんの欲しいものって何ですか?」 
  
 「その前に忠告」 
 「はい」 
  
 「2人ともめかし込んでんだからさ、 
  大家さんとか呼ばないでよ。 
  超雰囲気ぶち壊し」 
  
 「――すみません・・・」 
  
   
- 584 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:33
 
-   
 「それからプレゼントは、もう貰ってるから」 
 「へ?」 
  
 「忠告その2。 
  キレイな格好して『へ』とか言わない」 
 「はい・・・すみません」 
  
 けど、プレゼント貰ってるってどうゆうこと?? 
  
 突然腕を引かれた。 
 至近距離に大家さん・・・じゃなかった 
 吉澤さんの整った顔―― 
  
 「原石磨かしてくれたじゃん」 
  
 え? 
  
 「石川さんを思いっきり綺麗にしてみたかったんだ。 
  他の住人に負けないくらい」 
  
   
- 585 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:34
 
-   
 「もう笑われたりしないよ? 
  他の誰よりキレイなんだから」 
  
 彼女の瞳にくぎづけになる。 
 ありえないくらい心臓が早鐘を打って、呼吸が浅くなっていく・・・ 
  
 「ほんとはこのままさ・・・」 
  
 彼女の視線が、わたしの唇に移る。 
  
 「キスしちゃいたい」 
  
 囁くようにそう言った彼女の指が 
 そっと、わたしの頬を撫でた。 
  
 「こんなに近くで綺麗な石川さんを見れた。 
  最高の誕生日プレゼントだよ」 
  
 クシャっと顔を崩して笑った彼女の顔が 
 あまりにも眩しくて、また一つ大きく心臓が波打った。 
  
   
- 586 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:34
 
-   
 「さてっと。みんな驚くだろうなぁ〜」 
  
 途端にイタズラっぽく笑った彼女。 
  
 「腕組んで入っていっちゃおうか? 
  みんな石川さんだって、気付くかなぁ?」 
  
 心底楽しそうな彼女。 
 けれど、わたしの胸の鼓動は高まったまま 
 一向に落ち着こうとはしてくれない。 
  
 「では出発!」 
  
 グンッとエンジンがふかされて、 
 体がシートに吸い寄せられた。 
  
   
- 587 名前:第3章 1 投稿日:2013/03/12(火) 10:35
 
-   
 薄暗くなった街並み。 
 いつもと変わらない夕暮れ。 
  
 なのに今、わたしの胸はかき乱され、 
 彼女のどの表情にもざわめいてしまう・・・・・・ 
  
 ううん、違う。 
 違うよ。 
  
 それは彼女のせいじゃない。 
 そう、それはきっと。 
  
 非日常な一日と 
 さっきかけられた魔法のせいだから―― 
  
 流れる景色の中、彼女の話に相槌を打ちながら 
 必死で自分に、そう言い聞かせていた・・・ 
  
   
- 588 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/03/12(火) 10:35
 
-   
   
- 589 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/03/12(火) 10:35
 
-   
   
- 590 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/03/12(火) 10:35
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 591 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/12(火) 10:50
 
-  更新来たー! 
 局面は好きないしよしの一つだけど 
 シチュエーションは新しくて展開が気になる 
 また来週も楽しみです!  
- 592 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/12(火) 12:33
 
-  ふぅぅぅぅーーー 
 かっけーーー  
- 593 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/14(木) 02:30
 
-  大量更新キター!!(*゚∀゚) 
 しかもこの萌え展開… 
 最高です!!  
- 594 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/03/21(木) 12:25
 
-   
 >591:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  ちょっとベタな展開すぎるのでねぇ・・・そのうち。 
  
 >592:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
 >593:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  喜んで頂けて良かったです。 
  
  
 では本日の更新にまいります。 
  
   
- 595 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/03/21(木) 12:26
 
-   
   
- 596 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:27
 
-   
 「到着〜」 
  
 いつもの通り、車の停止とともに 
 助手席のドアがスッと開かれる―― 
  
 「おかえりなさ・・・まあ!」 
  
 紺野さんの真ん丸お目目が、更に丸くなり 
 わたしの姿を凝視する。 
  
 「すごくお綺麗です!」 
 「でしょ〜」 
  
 間髪入れずに自慢げに言ったのは、 
 わたしではなく彼女で。 
  
 「コンコン悪いけど、また車庫に戻しといて〜」 
 「かしこまりました」 
 「みんなは?」 
 「もうお揃いです」 
 「そ」 
  
 そんな軽いやり取りをしながら、紺野さんにキーを渡した。 
  
   
- 597 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:27
 
-   
 「姫、今宵のパートナーは私に務めさせて頂けませんか?」 
  
 今度は打って変わって、思いっきりキザな態度。 
 なのにイヤミに感じない。 
  
 「私でよろしくて?」 
  
 わたしも少し悪ノリしてみる。 
  
 「・・・ふはっ」 
  
 一瞬驚いたように眉を上げた彼女は 
 可笑しそうに笑って、目元を緩めた。 
  
   
- 598 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:28
 
-   
 「あなたじゃなきゃダメなんです」 
  
 再びキザに言う。 
 普通なら、鳥肌モノのセリフ。 
 だけど妙にキマっているのは、この容姿のせいだろう。 
  
 「さ、まいりましょう?」 
  
 差し出された手を掴んで、車を降りた。 
  
 「お似合いです!」 
  
 並んだわたし達を見て、紺野さんが 
 目を輝かせて言う。 
  
 そうなのかな? 
 自信ないんだけど・・・ 
  
 「ほら、見てごらん?」 
  
 彼女に促されて前を見る。 
  
 「窓ガラスに映ってるよ?」 
 「うん・・・」 
  
 麗しい彼女の隣に、思いっきり足を露出したミニドレス姿のわたし・・・ 
  
   
- 599 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:28
 
-   
 「みんなぜってぇ驚くよ?」 
  なにこの変貌ぶり!マジで綺麗じゃんっ!!とか言ってさ」 
  
 アタシの予想だとね―― 
  
 カオリンは拍手。 
 なっちは歓声。 
 さゆは二度見して驚く。 
 そんで、美貴は雄たけぶな。 
  
 「だといいんだけど・・・」 
  
 確かに自分でも、すごくすごく綺麗になれたと思うし、ビックリしてる。 
 わたしだって女の子だもの。 
 せっかくキレイな格好をさせてもらったんだし、 
 みんなに見てもらって、褒められたい気持ちも少しはあるよ? 
  
 けど、あのレベルの高いメンツが披露の相手となると・・・ 
  
 『馬子にも衣装』とか。 
 『まあまあいいんじゃない』とか。 
  
 かる〜くあしらわれたら、思いっきし落ち込む自信あるよ? 
  
   
- 600 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:29
 
-   
 「4人がどう反応したって、 
  アタシには石川さんが一番だよ」 
  
 すげー綺麗だし、かわいいし・・・ 
  
 「何なら今すぐ、自分のモノにしちゃいたいなぁなんてさ」 
  
 どうして彼女は、こんなにもわたしの心に波を立てるのだろう。 
 どうしてわたしは、彼女の言葉や表情にいちいち反応してしまうのだろう―― 
  
  
 「そうだっ!」 
  
 突然彼女が何かを思いついたように 
 ポンッと手の平を打った。 
  
   
- 601 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:30
 
-   
 「アタシと賭けをしよう」 
 「・・・はい?」 
  
 彼女がニヤリと微笑んだ。 
  
 「あのハイレベルな住人全員が、 
  石川さんのこと、素直にキレイだって認るか認めないか」 
  
 全員?! 
 ムリムリ、そんなのムリに決まってるじゃない。 
  
 この3ヵ月で、よくよく思い知らされている。 
 彼女達4人は、常に自分が一番だと思っている節がある。 
 そうしないと、ココの競争社会を生き残れないって、みんな言ってたし・・・ 
  
 「石川さんはどっちに賭ける?」 
  
 どっちって・・・ 
  
 飯田さんは、すぐに交信しちゃって人のこと気にしてないし、 
 安倍さんは一旦は褒めても、きっと部分否定するだろうし、 
 さゆちゃんは特に自分が一番カワイイと思ってるし、 
 美貴ちゃんは問題外だし・・・ 
  
   
- 602 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:30
 
-   
 「もしアタシが負けたら 
  石川さんの言うこと、何でも聞くよ」 
  
 ピクンッ。 
 思わず反応してしまった。 
 それはとてもおいしい賭けだ。 
  
 とにかく一つ、どうしてもやめて欲しいことがある。 
  
 「何でもいいの?」 
 「いいよ」 
 「絶対?」 
 「もちろん」 
  
 ・・・じゃあ言うよ? 
  
 「触らないで欲しいの」 
  
 ――その・・・、お尻や太ももに。 
  
 最近、冗談でも大家さんに触れられるたびに 
 何かしら反応してしまう自分がいて怖いんだ。 
  
 「OK」 
 「ほんと?」 
 「約束する。負けたら2度と、お尻にも腿にも触んない」 
  
   
- 603 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:31
 
-   
 「で、どうすんの? 
  石川さんは、どっちに賭ける?」 
  
 それはもちろん。 
  
 「全員認めない方」 
  
 だって、全員が認める訳がないじゃない。 
 いくら魔法をかけてもらった所で、中身は地味なわたしのままだよ? 
  
 「よっしゃあ!!じゃあ、アタシは全員キレイだと認める方ね」 
 「あ〜でも・・・」 
 「何?」 
  
 自分でそっちに賭けるって、な〜んかすご〜く複雑な気分で・・・ 
  
 「じゃあ、全員認める方に賭ける?」 
  
 それはちょっと勝ち目がないような・・・ 
  
   
- 604 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:31
 
-   
 「なら決まりねっ!」 
  
 アタシは認める。 
 石川さんは認めない方。 
  
 「よし、行こう」 
 「ちょっと待って!」 
  
 無理矢理組まされた腕を引っ張った。 
  
 「わたし嵌められたりしてないよね? 
  事前に打合せ済みとかじゃないよね?」 
  
 「はあ?だって今自分が先に決めたじゃん」 
 「そうなんだけど・・・」 
 「ったく、信用ないなぁ」 
 「だって・・・」 
  
 「本気で褒めてるか、そうじゃないかなんて 
  そんなの大体、みんなの顔とか雰囲気見ればわかるっしょ?」 
  
 とは思うけど・・・ 
  
 「それにあの4人だよ?」 
 「うん・・・」 
  
 「――もう、疑りぶかいなぁ・・・」 
  
   
- 605 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:32
 
-   
 「じゃあこうしよう。 
  石川さんが少しでも違和感を感じたら、石川さんの勝ちね」 
 「でもそれじゃ、大家さんがすごく不利なんじゃ・・・」 
 「大家じゃない」 
  
 ――あ、ごめんなさい・・・ 
  
 「いい?アタシはさ、それだけ自信があるってことだよ。 
  磨かれた石川さんに」 
  
 真っすぐ見つめられて、頬が熱くなる。 
  
 「自信持ちなよ」 
  
 ・・・あ、石川さんは褒められないほうに賭けたんだっけ。 
 なら、自信持てって言うのは、おかしいか・・・ 
  
 そう呟いて苦笑いした彼女。 
  
 ――そんな表情もするんだ・・・ 
  
 今日何度目かの波が起きる。 
  
   
- 606 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:33
 
-   
 「とにかくさ、行ってみようよ。 
  みんなの驚く顔が早く見てぇ」 
  
 いたずらっ子のように微笑む顔には 
 一点の曇りだってない。 
  
 ・・・あ、でも。 
  
 「ちょっと待って!」 
  
 無理矢理組まされた腕を、もう一度引っ張る。 
  
 「今度はなんだよ」 
  
 だって。 
  
 「大家さ・・・吉澤さんが勝ったら 
  わたしは何をするの?」 
 「ああ」 
  
 彼女の瞳が艶やかに光った。 
  
   
- 607 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:33
 
-   
 「今夜一晩、アタシと過ごして」 
  
 今夜?! 
 驚いて彼女を見あげた。 
  
 「そう。今夜一晩中だよ?」 
  
 来た・・・ 
 とうとう来てしまった・・・ 
 これがきっと、あの[Do it!Now]へのお誘い・・・ 
  
 「え、えぇっと・・・」 
  
 思わず声が上ずった。 
  
 コホン。 
  
 気を強く持って。 
 イヤなものはイヤ。 
 はっきり断ることが大事。 
  
   
- 608 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:34
 
-   
 「・・・わたし、そういうことは・・・」 
 「そういうこと?」 
  
 「だからつまり・・・一晩過ごすっていうのは、つまりその・・・」 
  
 しっかりしろ、梨華! 
 この際、ハッキリさせておくことが大事でしょ! 
  
 「自信あんでしょ? 
  この賭け」 
  
 不意に彼女の冷たい手の平が 
 わたしのむき出しの太ももに触れた。 
  
 きゃっ。 
  
 「石川さんが勝てば、もう触れないんだよ?」 
  
 スッと彼女の手の平が内腿も方へと滑っていく・・・ 
  
 「ちょっ、や・・・」 
  
   
- 609 名前:第3章 2 投稿日:2013/03/21(木) 12:34
 
-   
 「どうする?」 
  
 意地悪く輝く瞳。 
  
 「・・・賭け、やめとく?」 
  
 ――もうやだ、こんなの・・・ 
  
 触れている彼女の手首を掴んだ。 
  
 「・・・わたしが勝ったら、もう絶対に触らないで」 
 「約束する」 
  
 「行きましょう」 
  
 捕まえている手を引いて 
 今度は自分から腕を絡ませた。 
  
 「いざ!」 
 「勝負!」 
  
 大きく深呼吸をして、気合を入れなおすと 
 みんなが待つロビーへと向かった―― 
  
   
- 610 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/03/21(木) 12:34
 
-   
   
- 611 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/03/21(木) 12:35
 
-   
   
- 612 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/03/21(木) 12:35
 
-   
 本日は以上です。 
   
- 613 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/21(木) 12:42
 
-  ぬおおおおおいいところで! 
 
- 614 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/21(木) 13:32
 
-  やったー更新来たー! 
 また更新が楽しみな一週間が始まるのか・・・。  
- 615 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/21(木) 19:41
 
-  ええええええええええいい所でw 
 次回までの楽しみにしておきます! 
 更新ありがとうございました。  
- 616 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/21(木) 20:32
 
-  またこんなところでー!!!!( ;∀;) 
 
- 617 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/03/27(水) 12:44
 
-   
 >613:名無飼育さん様 
  グフフ・・・すみません。 
  
 >614:名無飼育さん様 
  楽しみにして頂きありがとうございます。 
  
 >615:名無飼育さん様 
  すみません。 
  ありがとうございます。 
  
 >616:名無飼育さん様 
  毎度すみません。 
  
  
 では、本日の更新です。 
   
- 618 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/03/27(水) 12:45
 
-   
   
- 619 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:45
 
-   
 かんぱい・・・ 
 今キミは人生の・・・・・・ 
  
  
 はああああ〜〜 
  
  
 かんぱい。 
 カンパイ。 
  
 ――そう、完敗。 
  
 ストレート負け。 
 そりゃ、歌いたくもなる。 
  
   
- 620 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:46
 
-   
 「かんぱ〜いっ!」 
  
 至極ご機嫌な彼女が、わたしのグラスに 
 カチンとグラスを合わせる。 
  
 「やっと分かった?石川さん」 
  
 嬉しいよ。 
 そりゃあ、嬉しいよ。 
  
 あれだけのメンツに絶賛されたら。 
  
 予想を遥かに越えた絶賛ぶり。 
 彼女の予想に全て『大』がつくほどの絶賛ぶり。 
  
 大拍手。 
 大歓声。 
 大驚愕。 
 大絶叫。 
  
   
- 621 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:46
 
-   
 得意げに微笑む彼女の横で、リアルに両手を膝についてへこむわたしに 
 4人は不可解な顔をしていた。 
  
 疑いようもない。 
 本気で、褒めてくれた。 
  
 嬉しくない訳がない。 
 喜ばない訳がない。 
  
 だけど―― 
  
 「大変いいおみ足で」 
 「触り放題なんて言ってませんっ!」 
  
 ペシンっと彼女の手を叩いた。 
  
   
- 622 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:47
 
-   
 「けちー。いいじゃんか。 
  どうせ今夜一晩中、一緒にいるんだし」 
  
 キラリと彼女の瞳が光る。 
  
 「もちろん寝るのも一緒だよ?」 
  
 ギクリッ! 
  
 「出来ればそのジャージ脱いで欲しいんだけど・・・」 
 「絶対絶対、脱ぎませんっ!」 
  
 ファスナーを一番上までしっかり上げて 
 完全防備完了。 
  
 「ふははっ」 
  
 そんなわたしを、さも可笑しそうに笑う彼女。 
 足元ではひめまで、はしゃいでる。 
  
   
- 623 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:48
 
-   
 初めて上がった彼女の部屋。 
  
 毎日、玄関口でひめの受け渡しをしていたけど 
 こうしてお邪魔するのは初めてで―― 
  
 「そんなに緊張すんなって」 
  
 しない方がおかしい。 
 だってさっきから、ピッタリ寄り添ってソファに座っていて・・・ 
  
 ジリジリと後ずさって、端によっていくわたしに着いてくる彼女。 
 よって、大きなソファは不自然に片側だけ空いている。 
  
 「・・・もう少し離れません?」 
 「離れない」 
  
 即効却下。 
  
 「どうしても?」 
 「じゃあ、もう一度ドレス着てきて」 
  
 着替えさせてくれただけでもヨシとするか・・・ 
  
 だって、あのままの格好じゃ絶対危ないよね? 
 むき出しの足のまま、こんなソファに座ったら 
 『どうぞ触ってください』って、言ってるようなもの。 
  
   
- 624 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:49
 
-   
 「ねえ」 
  
 スッと彼女の腕が、わたしの腰に回されて 
 逃げ気味の体を引き寄せられる。 
  
 「少しは分かった? 
  自分がどんなにイイ女なのか」 
  
 ぶるぶるぶる。 
 ガチガチに固まった体のまま、必死に首を振る。 
  
 「何でわかんないの?」 
  
 囁くように耳元で言う彼女。 
 カアッーと全身に火がつき、心臓が激しく脈打つ。 
  
 「いつもそんな風に化粧してごらん? 
  そしたら、今のアタシみたいに・・・」 
  
 耳たぶに彼女の唇がかすかに触れた。 
  
 「――キミに吸い寄せられる・・・」 
  
 ゾクゾクと何かが背中を這い上がって、体中が震えた。 
  
   
- 625 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:51
 
-   
 「・・・こっち向いてよ・・・」 
  
 ぶるぶるぶる。 
 彼女の濡れた声が、わたしの恐怖を煽る。 
  
 「・・・ねえ・・・もっと近くで見せてよ・・・」 
  
 かすかに触れる唇が、そこから漏れる吐息が 
 わたしの首筋をくすぐる。 
  
 「ねぇってば・・・」 
  
 太ももから這い上がってきた手を捕まえた。 
  
   
- 626 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:51
 
-   
 「・・・ゃ、めて・・・」 
  
 手も声も震えてしまう。 
  
 「・・・おね・・・がい・・・やめて・・・」 
 「怖いの?」 
  
 優しい瞳が、わたしを覗き込む。 
 甘く緩んだ瞳に、わたしだけが映っている―― 
  
 「・・・こん、なの・・・ヘン、だもん・・・」 
 「どうして?」 
  
 キレイな瞳―― 
 その魔力に、何もかも捧げてしまいたくなるような・・・ 
  
 目をそらさずに彼女が近づいてくる。 
 この瞳を見ていたい、ずっと。 
  
 けど、だけど―― 
  
   
- 627 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:52
 
-   
 触れ合う寸前に顔をそらした。 
  
 「イヤ?」 
  
 だって、やっぱり。 
 こんなの、やっぱり―― 
  
  
 「――普通じゃない」 
 「・・・普通?」 
  
   
- 628 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:52
 
-   
 だって、おかしいよ。 
 普通、大家さんとこんなことしないもん。 
  
 こういうことは 
 普通、恋人同士がするんだもん。 
  
 好きだって。愛してるって。 
 普通、そういうとこから始まるもん。 
  
  
 それにこういうことは・・・ 
  
 ――普通、女同士ではしないもん・・・ 
  
  
  
 「はああああ〜〜〜〜」 
  
 彼女が大きなため息をついた。 
  
   
- 629 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:53
 
-   
 「――普通普通って、バッカじゃね」 
  
 さっきとは違う、冷たい声が聞こえて顔をあげた。 
 色濃くなった瞳には、もうわたしは映っていない。 
  
 「アンタ、めんどくせぇ女だな」 
  
 え? 
  
 「アタシは誰にも本気にならないし、恋愛なんてしない。 
  だから好きとか愛してるなんて言わねぇし」 
  
 なにそれ。 
 だって、ひとめぼれって・・・ 
  
 「ただ一目見て、気に入っただけだよ。 
  別に、それ以上でもそれ以下でもない」 
  
   
- 630 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:53
 
-   
 <パシンッ> 
  
 思わず頬を叩いていた。 
  
 ひどい、そんなの・・・ 
 そんなの・・・ 
  
 「おかしいよ絶対っ!」 
  
 涙が溢れてきた。 
 だってだって・・・ 
  
 悔しかった。 
 ドキドキした自分が。 
 腹立たしかった。 
 彼女に好意をもたれていると勘違いした自分が。 
  
   
- 631 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:54
 
-   
 「・・・そうだよ、おかしいよ」 
  
 ――石川さんの言う通り、アタシはおかしいんだ。 
  
 頬を押さえたまま、そう言う彼女は 
 いつか見た、まるで自分の方が捨てられたような 
 悲しげな瞳をしていた。 
  
 「――アタシは・・・普通じゃないから・・・」 
  
 フツウじゃ、ないから・・・ 
  
  
 「・・・もういいよ、帰って」 
  
 顔を背けたまま、彼女が立ち上がる。 
  
 「今夜はもういいよ」 
  
   
- 632 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:54
 
-   
  
   『チャラけてるように見えて、 
    すごく寂しがり屋なんです』 
  
 以前、新垣さんが言っていたように 
 その背中はすごく寂しそうで・・・ 
  
   『ああ見えて、吉澤さんて繊細なんですよ。 
    よくよく見ていないと分からないでしょうけど。 
    まあ、誤解されるようなことばかりしてますからねぇ・・・』 
  
   『おそらくHYハウスの住人の方々に囲まれて 
    精神のバランスを保っているんじゃないですかね。 
    これはまあ、私の勝手な推測ですけどね』 
  
 その背中を見ながら、なぜかわたしの中には 
 そんな言葉が蘇ってきて―― 
  
   
- 633 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:55
 
-   
 「安心してよ。石川さんにはしないから」 
  
 まあ、本気でする気なんてなかったけどさ。 
 ちょっと、ほんのちょっと、からかってみたかっただけだよ・・・ 
  
 背を向けたまま、力なくいう彼女に 
 なんて答えたらいいのかなんて、今のわたしには全然わからなくて。 
  
 「おやすみ」 
  
 寝室へと消えていく彼女の背中を 
 ただ、黙って見つめていた―― 
  
   
- 634 名前:第3章 3 投稿日:2013/03/27(水) 12:55
 
-   
 「・・・クゥ〜ン・・・」 
  
 ひめが心配そうに、寝室に向かって鳴いたけど 
 何の反応もおきなくて、不安げにわたしを振り返る。 
  
 ――わたしだって、どうしていいか分かんないよ・・・ 
  
  
   『吉澤さんが、あなたを選んだの 
    何だか分かる気がします』 
  
 ――そんなこと言われたって、わたしにはどうしていいかなんて・・・ 
  
  
 「・・・クゥ〜ン・・・」 
  
 再び心配そうに鳴いて、わたしに擦り寄ってきたひめを抱き上げて 
 そっとその場を去ることしか、今のわたしは出来なかった―― 
  
  
   
- 635 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/03/27(水) 12:56
 
-   
   
- 636 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/03/27(水) 12:56
 
-   
   
- 637 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/03/27(水) 12:56
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 638 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/27(水) 20:34
 
-  そこで切るんですかー(´;ω;`) 
 
- 639 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/27(水) 21:36
 
-  どうするの?どうなるの? 
 めっちゃ気になるー!  
- 640 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/28(木) 08:58
 
-  むむむ・・・ 
 
- 641 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/03/29(金) 01:00
 
-  きた!玄米ちゃワールド! 
 
- 642 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/04/07(日) 14:09
 
-  更新が待ち遠しい・・・ 
 
- 643 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/04/08(月) 16:23
 
-   
 >638:名無飼育さん様 
  はい、すみません。 
  
 >639:名無飼育さん様 
  うれしい反応です。 
  
 >640:名無飼育さん様 
  ふふふ・・・ 
  
 >641:名無飼育さん様 
  少しですかね。 
  
 >642:名無飼育さん様 
  すみません。お待たせしました! 
  
  
 では本日の更新です。 
  
   
- 644 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/04/08(月) 16:24
 
-   
   
- 645 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:24
 
-   
 あの日以来、大家さんとは距離が出来てしまった。 
 というより、わたしが避けている。 
  
 ひめを預けるのは、もっぱら紺野さんへ―― 
  
 彼女もその辺をわきまえてくれているのか、 
 日中ひめと遊んでも、わたしの帰宅時刻になると 
 紺野さんに預けて、部屋に戻ってしまうらしい。 
  
 ――これでいいんだ。 
  
 これが普通なんだ。 
 だって彼女はただの大家さんなんだもん。 
  
   
- 646 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:25
 
-   
 「はああ〜〜」 
  
 どうしよう、これ・・・ 
  
 封筒に入れた3万円。 
 来月分のお家賃。 
  
 「銀行振込にしとくんだったな・・・」 
  
 前のアパートでも、お給料日に必ず支払っていたお家賃。 
 同じ建物内に大家さんがいるから、銀行振込にする必要なんかなくて 
 いつも、お給料日の夜に支払に行っていた。 
  
 だけど、今はとても行きづらくて・・・ 
  
 紺野さんに頼んでみたけど 
 『金銭はお預かりしかねます』って 
 きっぱり断られちゃった・・・ 
  
 昨日はどうしても勇気が出なくて 
 結局一日経っちゃって、今日はもう26日金曜日・・・ 
  
   
- 647 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:25
 
-   
 「ポストに入れる訳に行かないしなぁ・・・」 
  
 いつまでもグズグズしてたら、 
 あっという間に月末になって滞納なんてことに―― 
  
 ダメダメ。 
 そんなのダメ。 
  
 サッと渡して、サッと受取印もらって 
 ジャッて帰ってくればいいんだよね? 
  
 そうだよね。 
 これが普通のやり取りよね? 
 大家と賃借人のあるべき姿。 
  
 よしっ! 
  
 ――やっぱでも、一人じゃちょっと不安だから・・・ 
  
 「ひめ行こ?」 
 「ワン」 
  
 飛び込んできたひめを抱えて、お部屋を出た。 
  
   
- 648 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:26
 
-   
 <ピンポーンッ> 
  
 あれ?いないな・・・ 
  
 <ピンポーンッ> 
  
 何度か、彼女の部屋のチャイムを鳴らす。 
  
  『たまに庭にいて聞こえないから、札がかかってなかったら 
   出てくるまで鳴らしてみて』 
  
 なんて、随分前に言われたから 
 少し間を置きつつ、チャイムを鳴らし続ける。 
  
 もちろん、札はない。 
 てか未だにわたしは、[Do it!Now]が 
 かかっているのをナマで見たことが無い。 
  
 「今日はおでかけかな?」 
  
 だったらきっと、紺野さんが知っているはず・・・ 
 そう思って、管理人室に向かった。 
  
   
- 649 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:27
 
-   
 管理人室を覗くと、紺野さんは 
 窓の外を眺めていた。 
  
 珍しい姿・・・ 
  
 窓の外へ思いをはせるように 
 身動きもせず、じっと外を眺めている。 
  
 ジャマしちゃ悪いかな? 
 何となく憂いを帯びたその横顔に 
 声をかけづらくて、踵を返そうとしたら 
 紺野さんの顔がゆっくりこちらを向いた。 
  
 「あ、石川さん・・・」 
  
 慌てたように立ち上がって 
 紺野さんが駆け寄ってくる。 
  
   
- 650 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:27
 
-   
 「気付かなくてすみません」 
 「ううん、こちらこそごめんなさい・・・」 
  
 何が。なんてうまく言えない。 
  
 「・・・あ、あの、えっと・・・ 
  大家さんお出かけですか? 
  それだけ聞きたくて・・・」 
  
 それさえ聞ければ、わたしはいいから。 
 それだけ聞ければ、邪魔はしないから。 
  
 そう思ったのに、紺野さんは再び 
 憂いを帯びた表情で、視線を窓の外に向けた。 
  
   
- 651 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:27
 
-   
 「こんな夜は・・・ 
  こんな風に霧雨が降って街が煙ってみえる夜は・・・」 
  
 ――ひとみさんは、一人で出かけるんです。 
  
 「ボヤけて見える街並みに、 
  モヤがかかる闇夜に、自分の身が溶け込まないかな・・・って」 
  
 ・・・え? 
  
 「そして帰ってきて、私に言うんです。 
  『コンコン、今夜も消えれなかったよ』って・・・」 
  
   
- 652 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:28
 
-   
 「石川さん、明日お休みですよね? 
  良かったら、一緒にお茶して 
  ひとみさんを待ちませんか?」 
  
 とっておきのスイーツがあるんです。 
 それに―― 
  
 「石川さんには、知ってもらいたんです」 
  
 ――本当のひとみさんを。 
  
 ほんとう、の・・・? 
  
  
 「お家賃ですよね?それ」 
 「・・・へ?」 
  
 手元にある封筒を指差される。 
  
 「あ、うん・・・」 
 「じゃあ待ちましょ?」 
  
 半ば強引に手を引かれ 
 ひめと一緒に管理人室に入った。 
  
   
- 653 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:29
 
-   
 管理人室とはいえ、中は予想以上に快適そうだった。 
  
 ガラス窓から見えている、いつもの場所は事務室で 
 そこの奥にある扉から入ると、この居住空間。 
  
 「何かあれば、入口の門の守衛さんから電話があるし、 
  ちゃんと監視用のテレビもついてるんです」 
  
 お茶を入れながら、紺野さんが説明してくれる。 
 なかなか立派なソファー。 
 普通のマンションでは、部屋として賃貸していいくらいの間取り。 
  
 「なら、いつも事務室にいることないのに」 
 「あっちにいる方がお仕事してる気分になりますから。 
  ちゃんとお給料も頂いてますし」 
  
 同感。きっとわたしでもそうしただろう。 
 こんなところが、よく人に『真面目』と言われる所以だったりする。 
  
   
- 654 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:29
 
-   
 「どうぞ」 
  
 お茶が差し出されて、おいしそうなスイーツが 
 次から次へと机に並べられる。 
  
 「全部ひとみさんが買ってきてくれるんです。 
  コンコンは甘いものに目がないからって」 
  
 へえ・・・ 
 大事にしてるんだ、紺野さんのこと。 
  
 「私が勝手に着いてきただけなのに 
  いつも申し訳なさそうに、コンコンごめんねって」 
  
 悲しそうな色を含んだまま、紺野さんは微かに微笑んだ。 
  
 「今日のお昼間、ひとみさんのお義兄様がいらしたんです」 
  
 お義兄さま? 
  
 「いつものように、またたくさんイヤミを言って・・・」 
  
   『詳しい話は私からはしませんが、 
    血のつながった方は、もうこの世におられません』 
  
   『血のつながりのない親族はおられますが、 
    その方からは、随分煙たがられてます。 
    他人が見ていても、いい気分がしないほどにです』 
  
  
   
- 655 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:30
 
-   
 「今夜はどこで過ごしていらっしゃるんだろう・・・」 
  
 紺野さんは再び、窓の外に顔を向けると 
  
 「ちゃんと帰ってきて下さればいいのだけど・・・」 
  
 呟くようにそう言って、 
 まるで祈るかのように、固く手を組み 
 ギュッと一度目を閉じた。 
  
 そして少しの沈黙のあと、紺野さんは 
 わたしの目をしっかりと見つめて、ゆっくり話し出した―― 
  
  
   
- 656 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:31
 
-   
 私の家系は代々、吉澤家にお仕えしています。 
  
 古くからの格式高い裕福なお家柄で 
 旦那様、つまりひとみさんのお父様ですけれど 
 その方が当主になられてからは、更に勢いを増していきました。 
  
 あらゆる事業に成功され、富も名声も旦那様の元にひれ伏している―― 
  
 幼い頃の私の目には、そんな旦那様が 
 眩しく映っていました。 
  
 ですが、小学校高学年にもなると 
 イヤでも大人の会話が耳に飛び込んできます。 
  
   
- 657 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:31
 
-   
 『何人目の愛妾かしら?』 
 『そろそろ延べ30人くらいにはなるんじゃない?』 
 『その割には、子供が一人しかいないなんて』 
  
 衝撃でした。 
 旦那様と奥様には、お子様がいらっしゃいませんでしたし、 
 まさか、あの旦那様がそんなお方だったなんて、と。 
  
 『旦那様にもしものことがあったら、 
  その子が吉澤家を継ぐのかしら?』 
 『まさか!妾の子よ? 
  奥様が許すわけないわ』 
  
 そのお子様が、ひとみというお名前だと知ったのは 
 それから少し経ってからのことでした。 
  
   
- 658 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:32
 
-   
 私が6年生になった頃、吉澤家の奥様が急逝されました。 
 それを気に一気に、屋敷の中は騒がしくなりました。 
  
 『次の奥様は誰だ?』 
 『唯一の実子がいるあの方に違いない』 
  
 数多くいる使用人は、皆そう噂しました。 
 旦那様にもしものことがあったら・・・ 
 そう仮定していたものはたくさんいましたが 
 その逆を考えたものは、ほとんどおりません。 
 なぜなら旦那様の方が、随分とお年を召していましたから。 
  
 ところが今、逆の事態が起きた。 
 あの旦那様が誰も迎えない訳がない。 
 今度こそ実子様が、この家にいらっしゃる―― 
  
 使用人の誰もがそう思いました。 
  
   
- 659 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:32
 
-   
 いち早く次の奥様になるだろう方に取り入って 
 出世の足がかりにしたいと考える使用人が多数でました。 
 中でも、前奥様に疎まれていた者達は必死です。 
  
 足しげく、ひとみさんの家に通い 
 なんとか取り入ろうと懸命に世話を焼いていました。 
  
 最初の内、ひとみさんのお母様は 
 そのようなことに全く興味がなかったようです。 
 細々と、娘と2人で生きて行ければいい。 
 そのようにお考えのようでした。 
  
 それに、旦那様のお子様がひとみさんだけだということも 
 ご存じなかったようです。 
  
 ですが、幾度も使用人達の説得にあい 
 『吉澤の血筋をどうか守って欲しい』 
 そのように懇願され、腰を上げようとした矢先でした。 
  
   
- 660 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:33
 
-   
 旦那様が、男子の連れ子のある方と再婚されたのです。 
  
 新しい奥様は、今度旦那様が展開する事業の 
 創業者のお嬢様でした。 
 ご主人を亡くし、ご子息とご実家に戻られていたそうです。 
  
 『娘と孫をもらってくれる代わりに 
  ノウハウも含め、この事業を譲る』 
  
 そんなお約束があったと、後に聞きました。 
 事実、旦那様は直後、そのグループを吸収されました。 
  
   
- 661 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:33
 
-   
 唯一の実子よりも、利を優先する―― 
  
 私にはわからない世界です。 
 理解すらしたくありません。 
  
 ですが、それだけでは終わらず、 
 ひとみさん親子はそれからも翻弄されて行きます。 
 さんざん担がれて、挙句の果てにはポイすてされた上にです。 
  
 実を言うと、旦那様はひとみさんのお母様を 
 大変お気に召していらっしゃいました。 
 ひとみさんに似て、それはそれはお美しい方でしたから。 
  
 ですが、再婚なされてからは、全く通われなくなりました。 
 奥様とご子息が嫌ったからです。 
 何よりお2人が血のつながりを恐れ、旦那様を遠ざけたからです。 
  
 加えてひとみさん達にも、嫌がらせをするようになりました。 
 もしも、血を盾に何かの権利を主張するなら 
 容赦はしないと、暗にほのめかしながら・・・ 
  
   
- 662 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:34
 
-   
 元々、体がご丈夫でないひとみさんのお母様は 
 それから、少しづつ体調を崩され、寝たきりになり 
 やがて、ひとみさんが中学2年生の頃、他界されました。 
  
 一部のマスコミがそれをかぎつけ、 
 『たった一人の実子が捨てられ、今まさに施設に預けられようとしている――』 
 そう報じると、慌てたように 
 旦那様はひとみさんを引き取られました。 
  
 最後まで難色を示していた、奥様そしてご子息も 
 『代々続く吉澤の名に傷をつけるわけにいかない』 
 とのお言葉に、しぶしぶ頷かざるを得ないようでした。 
  
 まあ、私に言わせれば、何を今更。ですけど・・・ 
  
   
- 663 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:34
 
-   
  
 「その後のこと、ご想像に難くないですよね?」 
  
 静かに頷いた。 
  
 「どんなにひとみさんが酷い目に合われても 
  旦那様は見て見ぬフリをされていました」 
  
 こみあげる不快感。 
 はらわたが煮えくりかえると言うのは、こういうことを言うんだろう。 
  
 「何がひとみさんの人生をこんなに狂わせたのだろう。 
  それが、血だというのなら、血のつながりとは 
  なんと惨いものなのだろう・・・ 
  私は今でもそんな風に考えてしまいます」 
  
 ――特にこんな夜は・・・ 
  
 そう呟いて、紺野さんはまた窓の外を見た。 
  
  
 「高校生になった日、 
  ひとみさんは一人で屋敷を出られました」 
  
   
- 664 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:35
 
-   
  
  [これからは自力で生きていきます。 
   もう義務教育ではないから、そちらの対面も傷つかないでしょう? 
   私のことはもう放っておいて下さい] 
  
 そんな書置きがありました。 
 ひとみさんなりに、旦那様の対面を考えて 
 お母様が愛した人を苦しめたくない、そんなお心で 
 ジッとその時を待ち、耐えていたんだと思います。 
  
 たった一人で、その時に向けひっそりと 
 準備を進められていたのでしょう。 
 小さな、ほんとうに小さなアパートを借り 
 アルバイトも決め、高校も一日で退学していたのですから。 
  
 ですが、そんなひとみさんを待っていたのは 
 力ずくで強引に連れ戻す実の父親と 
 義母、義兄からの、これまで以上の酷い仕打ちでした。 
  
 『どこまで吉澤の名に泥を塗るんだ!』 
 『薄汚い女狐の子!』 
  
   
- 665 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:35
 
-   
 その後からです。 
  
 このような霧雨が降って、街が煙ってみえる夜に 
 ひとみさんが、一人でお出かけされるようになったのは―― 
  
 心配で心配で、私が探し回ると 
 決まってひとみさんは、一人で佇んでいました。 
  
 ある時は、公園で。 
 ある時は、歩道橋の上で。 
 ある時は、雑踏の中で。 
  
 『ボヤけて見える街並みに、 
  モヤがかかる闇夜に、自分の身が溶け込まないかな。 
  そんな風に願ってた』って・・・ 
  
   
- 666 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:36
 
-   
 更には、 
 『コンコンが怒られたらいけないから 
  もう探しに来ないで』 
  
 『アタシになんか構わない方がいいよ』って。 
  
 そして 
  
 『消えれなかったら、ちゃんと自分で帰るから。 
  コンコンは家で待っててよ』 
  
 『探してもらうより、待っててくれる方が 
  アタシは数倍嬉しいから』 
  
 『だから探しに来ないで。 
  そして、もしもアタシが本当に消えて、帰って来なかったら 
  コンコンだけは、アタシの願いがやっと叶ったのだと 
  笑ってお祝いして欲しいんだ』 
  
   
- 667 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:36
 
-   
 「――ですが私は・・・」 
  
 初めて、紺野さんの大きな瞳が潤んだ。 
  
 「私は・・・、そんな風に言われても私は、どうか 
  『コンコン、今夜も消えれなかったよ』 
  そう言って帰ってきて欲しいと願ってしまうんです・・・」 
  
 唇を強く噛んで、涙を堪えながら 
 それでも言葉を続けようとする。 
  
 「・・・ひとみさんが、どうか無事でと 
  どうか消えないでと、心から願ってしまうんです・・・」 
  
 両手で顔を覆った紺野さんの肩を抱いた。 
  
 2人の思いに息がつまって、 
 堪えていた涙がわたしの目からも零れ落ちた。 
  
 彼女のあの瞳の奥に、こんなに悲しい事実が秘められていたなんて―― 
  
   
- 668 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:37
 
-   
 「誰だってそうだよ。 
  わたしだって、彼女に消えてなんか欲しくないもの」 
  
 それは自分でも驚くほど、強い気持ち。 
 消えて欲しくないし、消えさせたくなんかない―― 
  
  
 「・・・すみません。取り乱しました」 
  
 少しの照れ笑いを浮かべて 
 紺野さんが、手の甲で涙を拭う。 
  
 「お話しを続けます」 
  
 大きく深呼吸して、お茶を一口飲むと 
 紺野さんは続きを話し出した。 
  
 「その後、ひとみさんが大学生になられて 
  自然な形で一人暮らしが出来るようになって、 
  私もホッと胸を撫で下ろしたころ、今度は旦那様が亡くなられたんです」 
  
   
- 669 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:38
 
-   
 おそらく旦那様は、これまでのことを 
 ひとみさんに詫びたい思いがあったのでしょう。 
 ご遺言には、この吉澤タウンを 
 ひとみさんに相続させると書かれていました。 
  
 もちろん、ひとみさんにはココだけですので、 
 国内だけにとどまらないその他数多くの資産、 
 会社などは全て、奥様とご子息様の物になりました。 
  
 ですから、本当の血縁のひとみさんが 
 この吉澤タウンを継いだからって、何ら文句はないはずです。 
  
 ですが、あのお2人はまたもや 
 ひとみさんに牙を向きました。 
  
 『参ったなぁ』 
 『いっそのこと、この忌々しい血を 
  全部流せちゃえればいいのにね』 
 『でもそうしたら、母さんの血もなくなっちゃうよなぁ』 
  
 その頃、もう何もかも興味がないかのように。 
 まるで他人事のように、ひとみさんはそんな風におっしゃいました。 
  
   
- 670 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:38
 
-   
 「そのひとみさんのお姿に、諦めや悲しみを一切含まないその言い方に 
  私の胸は余計に締め付けられました」 
  
  
    アタシさ、孤独なんだよね 
  
    血のつながってる家族っていないんだ。 
    天涯孤独の身ってヤツ? 
  
    あったかい居場所が欲しかったんだろーな、多分。 
    いつも誰かがそばにいてくれる。 
    そんな空間が欲しかったんだろーね。 
  
    だからHYハウス作ったの 
  
  
 出会った日の彼女の横顔が浮かんだ。 
  
   
- 671 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:39
 
-   
 『この身が滅びるまで、どうせ血には抗えないんだし』 
 『もらうもん貰って、テキトーに生きりゃいっか』 
 『耐えるのも、我慢ももうヤメヤメ』 
  
 多分、ひとみさんの中で 
 この時にタガが外れたんだと思うんです。 
  
 『アタシは人なんて信用しない』 
 『言葉や心なんてどーでもいい:』 
  
 『この身が無くなるまで、好き勝手に生きることにする』 
  
 そう言って、吉澤タウンを相続し 
 このHYハウスを建てられました。 
  
 けれど、やっぱり。 
 こんな夜には消えることを願い、お一人で出かけられるんです・・・ 
  
   
- 672 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:39
 
-   
 「石川さんお願いです」 
  
 ――ひとみさんを・・・ひとみ様を救って下さい。 
  
 私は元使用人です。 
 ひとみさんは対等だと、あくまでも管理人だと言ってくれますが 
 私にとっては、あの方はご主人様です。 
  
 そのお方に『待っていて欲しい』と 
 ただ待っていて欲しいとお願いされた身です。 
  
 ですから、出すぎたマネは―― 
  
 <プルルルル・・・> 
  
 管理人室の電話が鳴った。 
  
 大きく深呼吸をしてから、 
 紺野さんが受話器をあげる―― 
  
   
- 673 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:39
 
-   
  
 「ひとみさんが戻られました」 
  
 口早にそう告げる紺野さんの声は、抑えていても弾んでいて。 
  
 「私は外にお迎えに出ます。 
  石川さんはここにいて下さい」 
  
 隠し切れない喜びと安堵で頬は紅潮していて。 
  
 「どうかそのままで、少しお待ち下さい」 
  
 普段のおっとりした雰囲気からは 
 想像できないほど、足早に出て行った。 
  
   
- 674 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:40
 
-   
 やがて遠くからエンジン音が聞こえ、車の止まる音がした。 
 紺野さんの元気一杯の「お帰りなさいませ」という声が聞こえる。 
  
 ――見ない方がいいんじゃないか・・・ 
  
 なんとなく一瞬、そんな思いが微かによぎった。 
 けれどやっぱり、彼女の姿を、 
 ちゃんと戻ってきた彼女の姿を確認したくて 
 外から見えない位置に移動して、そっと窓の外を窺った。 
  
  
 「コンコン、今夜も消えれなかったよ・・・」 
  
 彼女の消え入りそうな声が耳に届き 
 外灯に照らされた横顔が見えた。 
  
 「今日こそは消えれると思ったのになぁ・・・」 
  
 そう言って、空を見上げた彼女の姿に息を飲んだ。 
  
 ――あまりにも頼りなくて。 
 ――あまりにも哀しげで。 
  
 そして。 
  
 ――あまりにも儚くて・・・ 
  
   
- 675 名前:第4章 1 投稿日:2013/04/08(月) 16:40
 
-   
 ギュッと締め付けられたように胸が痛んだ。 
  
 車のキーを紺野さんに渡し、 
 ゆっくりと入口に進んでくる彼女。 
  
 その姿は、まるで生気がなく 
 本当に、本当に、この闇に 
 この靄に溶け込んでしまいそうなほど―― 
  
 一歩一歩、自室へ進んでいく彼女を 
 身を隠し、息を潜めて見送った。 
  
 だって、どうしても。 
  
 この私にかけられる言葉なんて。 
 彼女を暗闇から救い出す言葉なんて。 
  
 見つけられそうもなかったから・・・ 
  
   
- 676 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/04/08(月) 16:41
 
-   
   
- 677 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/04/08(月) 16:41
 
-   
   
- 678 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/04/08(月) 16:41
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 679 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/04/08(月) 20:24
 
-  またまたいいところで! 
 
- 680 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/04/08(月) 20:48
 
-  よっすぃ〜・・・。 
 
- 681 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/04/09(火) 00:16
 
-  石川さんなら出来る! 
 
- 682 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/04/11(木) 16:41
 
-   
 >679:名無飼育さん様 
  すみません。 
  
 >680:名無飼育さん様 
  (0´〜`)<はげましてくれYO 
  
 >681:名無飼育さん様 
  ( ^▽^)<無理! 
  
  
 なんてレス返しで遊びつつ、本編はひとまず置いといて。 
 本日は勝手に恒例にしております、おたおめリアル短編を。 
  
 それではどうぞ。 
  
   
- 683 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:42
 
-   
  
   『サクラフブキ』 
  
   
- 684 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:43
 
-   
 「あ〜あ・・・どうして今年は 
  お誕生日まで持ってくれなかったのよぉ・・・」 
  
 窓から外を覗いて、すっかり葉っぱだけに 
 なってしまった樹に向かって、悪態をつく彼女。 
  
 「仕方ないっしょ。 
  自然なんだから」 
  
 「だってぇ・・・」 
  
 唇を尖らして振り返った彼女に 
 音を立てて素早く口付ける。 
  
 「そんなんじゃ、ぜ〜んぜん 
  機嫌よくなんないんだからねっ」 
  
 あら失敗・・・ 
  
   
- 685 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:44
 
-   
  『今年こそ、お誕生日は一緒にお花見しようね?』 
  
  『ちょうど舞台と舞台の間で絶好のチャンスなんだから。 
   絶対絶対約束だよ?』 
  
 なんて、目を輝かせながら指切りして、 
 あの日、颯爽と黄門様ご一行に加わった彼女。 
  
 それなのに、乗り込んだ途端 
 最速タイでの開花がニュースで伝えられて―― 
  
  『ひーちゃんっ! 
   桜が咲かないように何とかしといてっ!』 
  
 なんて無謀なメールが届き、 
 それ以来毎日、東京の桜開花状況を 
 報告させられる羽目になった。 
  
 よりによって、今年にさ。 
 桜も張り切って早く咲くことないのに・・・ 
  
   
- 686 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:44
 
-   
 「去年だったら、ひーちゃんのお誕生日まで 
  何とか持ってたのに・・・」 
  
 「来年遅咲きになるかもよ?」 
  
 「そうかもしれないけどぉ・・・ 
  またお仕事かもしれないじゃない」 
  
 あ〜あ・・・ 
  
 大きなため息をついて 
 再び肩を落とした彼女。 
  
  
 「ほら、サクラ色!」 
  
 自分のTシャツを引っ張って、彼女にみせる。 
 彼女が大好きなピンク色。 
  
 少しでも彼女が、お花見気分でいられるように 
 最近は意識して、ピンク色を着てるんだ。 
  
   
- 687 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:45
 
-   
 「花びらがいいもーん」 
  
 うぐ・・・ 
 人の密かな努力を・・・ 
  
 「ちゃんと咲き乱れて、 
  吹雪いてるようなやつがいい」 
  
 う〜ん・・・ 
  
 なんて、眉を寄せて、すぐに思考をめぐらせるアタシは 
 ほんっと重症以外の何者でもない。 
  
 「あっ!そうだ!」 
  
 彼女の方が、何かひらめいたらしい。 
  
 「うん!そっか。 
  その方法があった!」 
  
 楽しそうにそう言って、意味深な笑みを浮かべた。 
  
  
 ――何だか猛烈にイヤな予感・・・ 
  
   
- 688 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:45
 
-   
 「なんだよ」 
 「ふふっ」 
  
 満足そうな笑みを浮かべて、ソファーまで引っ張っていくと 
 勝手にアタシのひざの上に座る。 
  
 妖しげに光る瞳の色と 
 誘うような眼差しが、アタシに絡みついていく―― 
  
  
 「一年中見られるサクラ、ここにあるんだった・・・」 
  
 途端に首筋に吸い付かれた。 
  
 っつ・・・ 
  
   
- 689 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:46
 
-   
 「ほらね?キレイな花びら」 
 「・・・自分じゃ見えねぇし」 
  
 「もっと見たいの」 
 「だーかーらー、アタシには見え・・・」 
  
 なんて抵抗はあっさり無視。 
 首筋から肩へ、彼女の唇が滑り落ちて行く―― 
  
  
 「・・・っん、ねぇ・・・ちょっと・・・待って・・・」 
 「待つわけないでしょ?」 
  
 すっげぇイジワル。 
  
 「・・・ぁ・・・っん・・・・・・ぁぁ・・・」 
 「キレイなサクラ・・・」 
  
 彼女から与えられる刺激がすべて、快楽へと姿を変え、 
 身も心も彼女に酔いしれ溺れて行く・・・ 
  
 「・・・ぁぁあ・・・はぁ・・・ぁんっ・・・り・・・か・・・」 
 「まだ、ダメだってばぁ・・・」 
  
 甘い声とは裏腹に執拗に攻め立てられて、思わず体がのけぞる。 
  
   
- 690 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:46
 
-   
 「・・・はやっ・・・くっ・・・・・・ぅうっ!」 
 「まだ・・・ダ〜メ」 
  
 今日はとことんイジワルらしい。 
  
 もう限界だ・・・ 
  
 なのに、少しでも長く 
 あなたに愛されていたいとも思ってしまう・・・ 
  
  
 「ひとみ・・・」 
  
 濡れた声がアタシに囁く。 
  
 「キレイなサクラ色だね・・・」 
  
 彼女の滑らかな背にしがみつき 
 一番高い場所へと飛んだ―― 
  
  
   
- 691 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:47
 
-   
  
   
- 692 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:47
 
-   
 「控え!控えおろう!!」 
 「ちげーよ!これじゃあ、遊び人の金さんだよ・・・」 
 「へへっ」 
  
 アタシの肩や背には、彼女がこしらえた 
 見事な一面のサクラフブキ。 
  
 「愛の証だもーん」 
  
 なんて、さっきから 
 眺めて、触れて、超超超ごきげん。 
  
 「真っ白な肌にキレイなピンク色の花びら。 
  もう最高のお花見!!」 
  
 ほーほー 
 さいですか。 
  
 参ったな・・・ 
 しばらく肩出せないや。 
  
   
- 693 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:48
 
-   
 「なら、花見酒でも飲む?」 
 「うんっ!」 
  
 ご機嫌な笑顔を見れたら 
 それだけで全てを許しちゃうアタシはやっぱり重症だ。 
  
 「あ、待って!」 
  
 落ちているTシャツを着ようとして止められる。 
  
 「着ちゃダメだよ」 
 「はあ?」 
  
 「・・・だってお花見できないじゃん」 
  
 ――あなた、アタシに裸でいろと? 
  
   
- 694 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:48
 
-   
 「ひーちゃんが着ちゃったら、花見酒にならないよ」 
 「花見酒にならないって、まっぱで酒飲むの?」 
  
 ありえねー。 
  
 「べっつにいいじゃん。今だってさんざん見てたんだし。 
  触ってたんだし、いっつもシてるんだし」 
  
 いや、それとこれとは・・・ 
 だってやっぱし・・・ちょいハズくね? 
  
 「わたしも着なければいいんでしょ?」 
  
 そういう問題?? 
  
 大きな胸をゆさゆさ揺らして 
 宴の準備を始める彼女。 
  
 何か、ちょっと・・・ 
 ――すっげぇヘン。 
  
   
- 695 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:49
 
-   
 「ひめも不思議な顔して見てるよ?」 
 「い〜の。ねぇひめ?」 
  
 抱き上げたひめが、彼女の胸元を 
 ペロペロと舐める。 
  
 「あー待て、ひめ。 
  それ以上はダメ」 
  
 くすぐったがる彼女から 
 ひめを取り上げて、アタシの胸に抱く。 
  
 コラ、微妙に居心地悪そうにもがくな! 
  
 「ねぇ。なんでそれ以上はダメなの?」 
 「そんなの決まってんじゃん。 
  梨華パイはアタシだけのも・・・」 
  
 言いかけて真っ赤になる。 
  
   
- 696 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:49
 
-   
 「ふぅ〜ん。 
  だってひめ、ごめんね?」 
  
 この上なく嬉しそうな顔。 
  
 そうだよ。 
 梨華ちゃんはアタシだけのもんなんだ。 
  
 ――絶対誰にも触れさせない。 
  
 「ひーちゃんも、わたしだけのものだからね?」 
 「ったりまえでしょ」 
  
 ふふっ。 
  
 笑い声をもらした彼女の唇に触れた。 
 そのまま甘い声も吐息も飲み込んで、彼女と重なり合う。 
  
 慣れた様子のひめが、アタシの腕から逃げ出した。 
  
   
- 697 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:50
 
-   
 「好き・・・」 
 「大好き・・・」 
  
 もう何年、伝えあって来ただろう。 
 けれど伝えても伝えても、足りない言葉。 
 いつだって想いの方が上回ってる。 
  
 「・・・花見酒、しよっか?」 
 「うんっ!」 
  
 ただし、カゼなんかひかないように 
 2人でシーツにくるまってね? 
  
 ちょっとだけ・・・ 
 いや、大分変なアタシ達のお花見。 
  
 それでも充分に満ち足りた、幸せな時間―― 
  
   
- 698 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:50
 
-   
 来年また、一緒にサクラを見に行けなかったとしても。 
 その次の年も、そのまた次もダメだったとしても。 
  
 梨華ちゃんが喜ぶなら、いつだって見せてあげるよ? 
  
 四季を問わず、いつだって。 
 ずっとずっと永遠に。 
  
  
 あなたが作る 
 あなただけの 
  
 アタシの 
  
 サクラフブキを―― 
  
  
   
- 699 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:51
 
-   
   
- 700 名前:サクラフブキ 投稿日:2013/04/11(木) 16:51
 
-   
   
- 701 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/04/11(木) 16:51
 
-   
 大変お粗末さまでした。 
  
   
- 702 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/04/11(木) 17:42
 
-  この雰囲気、玄米ちゃさまのいしよしならではですね。 
 本編の更新も待ってます!  
- 703 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/04/12(金) 00:21
 
-  よっすぃ〜おたおめ 
 うん、エロい  
- 704 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/04/12(金) 00:35
 
-  鼻息が荒くなりました!これは鼻血ものです!落ち着け私! 
 
- 705 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/04/12(金) 10:01
 
-  変態じゃないですか! 
 ※これは誉め言葉です。  
- 706 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/04/16(火) 12:05
 
-   
 >702:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  やはりリアルは苦手です。 
  
 >703:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
 >704:名無飼育さん様 
  落ち着きました? 
  
 >705:名無飼育さん様 
  ( ^▽^)<誉められちゃった。うれし〜 
  (0´〜`)<me too  
  
  
 では本日の更新です。 
  
  
  
   
- 707 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/04/16(火) 12:05
 
-   
   
- 708 名前:第4章 2 投稿日:2013/04/16(火) 12:07
 
-   
 「お待たせ致しました」 
  
 そう言って、紺野さんが戻ってきたとき 
 わたしは一人、必死に思いを巡らせていた。 
  
 ――どんな言葉をかけたらいいの? 
 ――どうしたら彼女の心を包んであげられるの? 
  
 一体、このわたしに。 
  
 ただずっと普通に生きてきたわたしに 
 どんなことがしてあげられるというの・・・? 
  
 けれど、どんなに考えても答えはでない。 
  
 「石川さんお願いです。 
  今夜ひとみさんと一緒にいてあげてもらえませんか?」 
  
 「無理だよ!」 
  
 思わず、即座に否定した。 
  
 「わたしには無理だよ・・・」 
  
   
- 709 名前:第4章 2 投稿日:2013/04/16(火) 12:07
 
-   
 「やはり先日のことが・・・」 
 「ううん、違うの」 
  
 この前のことは、もういいの。 
 別に何かされたって訳じゃないし・・・ 
 ただわたしには、彼女の力になってあげることなんて 
 どう考えたって無理だよ。 
  
 「きっと他の人の方が、大家さんを 
  元気にしてあげられると思うの」 
  
 だってそうでしょ? 
 大家さんのあっちの欲望にも応えてあげられるだろうし 
 みんな根はいい人だし・・・ 
  
   
- 710 名前:第4章 2 投稿日:2013/04/16(火) 12:08
 
-   
 「皆様は何もご存知ありません」 
  
 ひとみさんの生い立ちも、 
 なぜこんなHYハウスを作ったのかも・・・ 
  
 うすうす感じていらっしゃる方もいるでしょうが 
 踏み込まないのが、ルールと考えておいでです。 
  
 ひとみさんも決して、踏み込ませようとしませんから・・・ 
  
 ですが、あなたには。 
 石川さんには違うと思うんです。 
  
 実は私、初めて石川さんがここに来られた日に 
 HYハウスをなぜ作ったかを、ひとみさんご自身がご説明なさったと 
 新垣さんから報告を受けて、ひっくり返るほど驚きました。 
  
 だって今まで、そんなこと一度もされたことありませんでしたし、 
 書類選考も面接もなしで、ましてや44号室の方を決められるなんて、 
 かつてないことですし、信じられないことなんです。 
  
   
- 711 名前:第4章 2 投稿日:2013/04/16(火) 12:09
 
-   
 「でもそれは、単なる偶然で・・・」 
  
 「確かにお2人の出会いは偶然だったかもしれません。 
  ですが、ひとみさんはきっと今の状況を 
  『変えたい、変わりたい』と思っていらっしゃったのではないでしょうか?」 
  
 もしかしたらご本人には、ご自覚すらないのかも知れません。 
 もしかしたら私の単なる思い過ごしかもしれません。 
  
 「ですがやはり私は思うのです。 
  手を差し伸べて下さる誰かをずっと 
  探していらっしゃったのではないかと・・・」 
  
 「――それがわたし・・・だと?」 
  
 「はい。だって石川さんがここにいらっしゃってから、 
  ひとみさんは[Do it!Now]を受けられることがなくなりました」 
  
 ――受ける・・・? 
  
 「最初の日に安倍さんのを受けられてからは、本当に一度も・・・」 
  
   
- 712 名前:第4章 2 投稿日:2013/04/16(火) 12:10
 
-   
 「皆様よく勘違いされていますが、 
  ひとみさんから、そういう行為に誘われたことは、かつて一度もないのです」 
  
 「そうなの?!」 
  
 「はい。いたずら半分で迫ることはあっても 
  それは決して本心ではなく・・・」 
  
   『まあ、本気でする気なんてなかったけどさ。 
    ちょっと、ほんのちょっと、からかってみたかっただけだよ・・・』 
  
 「わざと自分の評判を貶めるような 
  そんなことのために、ちょっかいをかけてみたり・・・」 
  
   『ちぇっ。いーじゃん、減るもんじゃなし』 
   『いっそのこと直接しよーよ』 
  
   『誤解されるようなことばかりしてますからねぇ・・・』 
  
   
- 713 名前:第4章 2 投稿日:2013/04/16(火) 12:10
 
-   
 「けれどご自分で誘われたことは、本当に一度もないのです。 
  全てご要望があった時だけで・・・」 
  
   『ねぇ、今夜なっちでいいかな? 
    ちょっとむしゃくしゃしててさ・・・』 
  
 「今は皆様から苦情がでています。 
  嫌なことがあっても、受け止めてくれる人がいないと・・・」 
  
 だとしたら・・・ 
 皆のストレスを受け止め続けていた彼女は。 
  
 ――いつか壊れてしまうんじゃ・・・ 
  
   
- 714 名前:第4章 2 投稿日:2013/04/16(火) 12:11
 
-   
 「石川さん、私はやはりあなたしかいないと思うのです」 
 「けど、わたしじゃきっと・・・」 
  
 「いいえ。長年お仕えした私の勘です。 
  ひとみさんはきっと、石川さんを求めておいでです」 
  
 住人の誰よりも、あなたを綺麗にしたがったのも。 
 他の住人に、あなたを笑わせまいとしたのも。 
  
 「あなたを大切に思うゆえだと、私は思うのです」 
  
 お願いです。 
 どうかこんな夜は、ひとみさんのおそばにいて差し上げて下さい。 
 ひめちゃんと一緒に、ただ一緒にいるだけでいいんです。 
  
 ――どうか、一人きりにしないで欲しいのです。 
  
   
- 715 名前:第4章 2 投稿日:2013/04/16(火) 12:11
 
-   
 「――ほんとに、わたしでいいんでしょうか・・・?」 
 「あなたしかいないと、私は確信しています」 
 「けど・・・」 
  
 自信なんてある訳ない。 
 気の利いた言葉だってかけられる訳がない。 
  
 けれどさっきのあんな表情・・・ 
 彼女のあんな哀しげな顔は見たくない。 
  
 「・・・クゥ〜ン・・・」 
  
 ひめが足元に擦り寄ってきて 
 わたしの顔を見上げる。 
  
 「ひめも心配なの?」 
 「・・・クゥ〜ン・・・」 
  
   
- 716 名前:第4章 2 投稿日:2013/04/16(火) 12:12
 
-   
  
 「――わかりました」 
  
 ひめを抱き上げた。 
  
 「力になれるかどうか分からないけど」 
  
 お家賃も払わなきゃだし、 
 ひめも心配してるし、 
 もちろんわたしも、このまま大家さんと 
 ずっと顔を合わせない訳にもいかないし・・・ 
  
 「とにかく会ってみます」 
  
 「ありがとうございますっ!!」 
  
 紺野さんが深々と頭を下げた。 
  
   
- 717 名前:第4章 2 投稿日:2013/04/16(火) 12:12
 
-   
 「やだそんな。 
  もしかしたら、追い出されちゃうかもしれないし・・・」 
  
 「それはないですよ」 
 「ワンッ!」 
  
 「なによう、ひめったら」 
 「ワンワンッ」 
  
 ひめが腕をとび出して、 
 着いて来いとでも言わんばかりに、わたしを振り返る。 
  
 「ひめに任せておけって言ってるのぉ?」 
 「ワンッ」 
  
 もぉ〜 
 思わず目尻が下がる。 
  
 でも、そうだね。 
 ひめがいてくれれば、きっと大丈夫! 
  
   
- 718 名前:第4章 2 投稿日:2013/04/16(火) 12:13
 
-   
 「じゃあ、わたし。 
  大家さんの所に行ってみます!」 
  
 紺野さんに一礼して、管理人室の扉を開ける。 
 開かれたスペースを抜け出すように、 
 ひめがとび出していく―― 
  
 「あ、石川さん、待ってください。 
  ひとみさんはこんな夜は、お部屋に戻られると 
  必ずお庭で空を見上げていらっしゃいます」 
  
 だから、非常口から直接 
 お庭に回られた方がいいかと・・・ 
  
   
- 719 名前:第4章 2 投稿日:2013/04/16(火) 12:13
 
-   
 「ひめ!そっちじゃないって!」 
  
 早々に、大家さんの部屋の入口に辿り着いていたひめが 
 不思議そうにわたしを振り返る。 
  
 「お庭の方にいるんだって!」 
 「わおん?」 
  
 首をひねる姿が、超かわいい。 
 けど、大丈夫かな・・・ 
  
 いま一つ頼りにならなそうな 
 首を傾げ続けている愛犬を抱き上げて 
 わたしは非常口に向かった―― 
  
   
- 720 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/04/16(火) 12:14
 
-   
   
- 721 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/04/16(火) 12:14
 
-   
   
- 722 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/04/16(火) 12:16
 
-   
 本日は以上です。 
  
 飼育13周年おめでとうございます。 
 そして本当にありがとうございます。 
 管理人様に心から感謝し御礼申し上げます。 
   
- 723 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/04/16(火) 12:27
 
-  も り あ が っ て ま い り ま し た 
 そして顎さんありがとう  
- 724 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/04/16(火) 18:50
 
-  なんか良い感じ! 
 甘ーいのを首を長くして待っています。  
- 725 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/04/23(火) 11:55
 
-   
 >723:名無飼育さん様 
  そのようです。 
  
 >724:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
  
 では本日の更新です。 
   
- 726 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/04/23(火) 11:55
 
-   
   
- 727 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 11:56
 
-   
 そっと覗くと紺野さんの言う通り、 
 彼女は椅子に座って、空を眺めていた。 
  
 手元にあるグラスを時折口元に運びながら、 
 ただひたすら空を見上げている―― 
  
 <プルッ> 
  
 わたしの腕の中で、ひめが小さく身震いした。 
  
 そうだよね。寒いよね・・・ 
 春とはいえ、まだまだ夜は冷える。 
 特にこんな風に小雨が降った後の深夜は―― 
  
 あ、ちょっと! 
  
 ひめがわたしの腕をとび出した。 
  
   
- 728 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 11:57
 
-   
 「ワンッ!」 
 「・・・あれ?ひめ、どした?」 
  
 あっという間に、彼女の足元に駆け寄ったひめ。 
 ちょっとぉ〜、まだ心の準備できてなかったのにぃ・・・ 
  
 「ワンワン!」 
  
 今度はわたしの方を見て 
 早くこっちに来いとばかりに吠えた。 
  
 もぉ〜 
  
 「・・・あれ?石川、さん・・・?」 
  
 暗がりに目を凝らした彼女が 
 わたしを発見した。 
  
   
- 729 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 11:57
 
-   
 「・・・夜分にすみません」 
  
 仕方なく肚をきめ、ゆっくりと彼女の元に向かう。 
 途端にわたしの元に駆けてきて、せかすようにひめがまとわり着く。 
  
 もう!分かってるってば! 
  
 「どうしたの?そんな所から」 
 「えっと・・・」 
  
 まずは当たり障りなく、お家賃のことから。 
 それくらいは分かってよね、ひめ? 
  
 「本当は昨日お支払したかったんですけど・・・」 
  
 用意していた封筒を差し出す。 
  
 「今日伺ったら、大家さんずっとお留守で。 
  紺野さんに聞いたら、多分ここだろうって・・・」 
  
 だいぶ端折る。 
 でも間違ってはいない。 
  
   
- 730 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 11:58
 
-   
 「いいのに。そんなのいつでも。 
  だって、払ってない人もいるんだし」 
  
 ・・・え?そうなの?! 
  
 「受領印でしょ?  
  ちょっと待ってて」 
  
 お庭に続く窓を開けて 
 大家さんが、部屋に上がる。 
  
 ・・・そうなんだ。払ってない人もいるんだ・・・ 
 ・・・そうだよね。条件丸のみだもんね・・・ 
  
 って、そうじゃなくて! 
 わたしには大任があるんだから。 
  
   
- 731 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 11:59
 
-   
 彼女が座っていた椅子の横に立って 
 同じように空を仰いでみる―― 
  
 雨は上がったものの、薄曇りの空には星の姿はなく、 
 まあるい月だけが姿を現し、やさしい光を放っている。 
  
 ――どんな思いで、彼女はこの空を眺めていたのだろう・・・ 
  
  
 あ!そうだっ!! 
  
 失礼とは思いつつ、ここは強引に。 
 これならきっと、一緒にいても不自然じゃない。 
  
   
- 732 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 11:59
 
-   
 「大家さん、上がりますね〜」 
  
 一声かけて、同じように 
 窓からお部屋にサッサとあがる。 
  
 「ひめは足をふいてから、下ろしてあげるから」 
  
 ひめを抱き上げて、勝手はあまり知らないけど 
 一気にお部屋の中へ突入。 
  
 「はい、これ。受領印押したから・・・ 
  って、何いきなり上がり込んでんの?」 
  
 この部屋を勝手知ったるは、ひめの方。 
 床におりて遊んでもらおうと、わたしの腕の中を暴れだす。 
  
 「あー、待てよ。ひめ。 
  今、足拭いてやるから」 
  
 彼女が拭き物を取りに行く間に 
 ひめの耳元で『グッジョブ』って囁いた。 
  
   
- 733 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:00
 
-   
 無事に床に下ろしてもらったひめが 
 お部屋を走って、一直線に向かったのは 
 ひめのために用意したと思われるおもちゃ入れ。 
  
 中をあさって、くわえてきたのは 
 うさぎのぬいぐるみ。 
  
 いつの間に、そんなの買ってもらってたの? 
  
 「ひめ好きだもんな、それ」 
  
 優しい顔で、ひめを撫でてくれる彼女。 
 さっきのような儚さはもうない。 
  
 「・・・で、石川さん、どしたの?」 
  
 そうそう、ここからが本番。 
  
   
- 734 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:01
 
-   
 「大家さんは、よくあんな風に 
  お庭で空を見てるんですか?」 
  
 「ん?・・・んー、まあね・・・」 
  
 「冬とかこの時期って寒くないですか? 
  寒いですよね?」 
  
 返事はいいんだ。 
 きっと寒さも感じないほどの思いに包まれているんだろうから。 
  
 「夏はいいけど、こんな時期は風邪引いちゃうといけないから」 
  
 サッサと歩いて、お部屋の電気を消した。 
 驚いたひめが、ひと吠えして、わたしの足元に駆けてくる。 
 大丈夫だよ、ひめ。この前やったでしょ?一回だけ。 
  
 「えっと・・・、石川さん?」 
 「ほら大家さん、こっち来て」 
  
 窓辺に彼女を呼んで、 
 ソファーの裏側に背を預けて、床に座った。 
  
   
- 735 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:02
 
-   
 「見てください」 
  
 窓の外を指差す。 
  
 「ここは窓が大きいから、こんな風に電気を消すと 
  お部屋の中から、空が見えるんです」 
  
 「――ほんと、だ・・・」 
  
 同じように床に座った彼女が、 
 窓の外を見上げる。 
  
 「これなら寒くないし、風邪も引かないから。 
  わたしよく、お部屋でこうしてるんです」 
  
 ・・・ほんとは最近発見したばかりだけど。 
  
   
- 736 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:03
 
-   
 空を見上げたままの彼女の横顔を 
 そっと盗み見る。 
  
 薄明かりに照らされた頬。 
  
 ほんとに、キレイな人だな・・・ 
  
 思わず見とれてしまいそうなほど、 
 その横顔は美しい。 
  
  
 「・・・襲われちゃうのかと思った」 
 「へ?」 
  
 彼女の頬がニヤリと上がった。 
  
 「突然電気消したりするから」 
 「え?」 
  
 「石川さんて大胆、なんて」 
 「・・・ち、ちが・・・」 
  
 ふは。 
  
 ちょっとだけ彼女が笑い声をもらして 
  
 「でも、ありがと」 
  
 そう言ってくれたから、 
 胸のあたりがじんわり温かくなった。 
  
   
- 737 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:03
 
-   
 「石川さん、ワイン好き?」 
 「え?うん、好きだよ?」 
  
 「じゃあ、このまま少し飲んでかない?」 
 「いいの?」 
  
 チャンス到来。 
 あ、でも誓って襲わないけど。 
 てか、わたしの使命は、ひめと一緒に、ただそばにいることだから。 
  
 グラスとボトルを用意してきた彼女が 
 再び床に座って、あぐらをかく。 
  
 「白ワインだけどいい?」 
 「あ、わたし白の方が好き」 
  
 「マジ?それは良かった」 
  
 ――なんか、赤って血の色みたいで好きじゃないんだ・・・ 
  
 ボソッと彼女が呟いた一言に 
 胸がギュッと締め付けられた。 
  
   
- 738 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:04
 
-   
 「んじゃ、乾杯」 
 「乾杯」 
  
 暗がりの中で、グラスがカチンと音と立てた。 
  
 しばし、静寂が続く。 
  
 何か声をかけた方がいいんだろうか? 
 けど、何て声をかける? 
  
 ひめが隣でミルクを舐める音と、 
 2人の喉がかすかに動く音だけが、この空間を支配していく―― 
  
 けれどなぜか、この静寂はわたしにとって 
 全然イヤじゃなくて・・・ 
  
 ――彼女もそうだといいんだけど・・・ 
  
 そっと彼女を盗み見た。 
  
   
- 739 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:04
 
-   
 「・・・この間は、ごめん」 
  
 え? 
  
 「アタシ、石川さんに酷いこと言った」 
  
 外を見つめたまま、 
 もう一度、謝ってくれた彼女。 
  
  
 「・・・アタシ、さ・・・」 
  
 普通がうらやましくて、さ・・・ 
 普通に憧れてるっていうかね? 
  
 石川さんみたいに、普通に両親がいて 
 普通に愛されて、育てられて。 
  
 普通に学校通って、 
 普通に毎日家族と過ごして、 
 普通に、ただ普通に暮らして、さ・・・ 
  
 そういうの、すげー羨ましい。 
  
   
- 740 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:05
 
-   
 「コンプレックス、みたいな? 
  だからこの前、石川さんに 
  普通って連呼されて、何かムッときちゃって」 
  
 そんで・・・ 
  
 「やつあたりした。 
  サイテーだよね、ほんとごめん」 
  
 彼女の瞳がわたしを捉えた。 
 胸が苦しくなるほど、弱々しい色をした瞳。 
  
 「――わたしの方こそ、ごめんなさい」 
  
 あなたのこと何も知らないで・・・ 
  
 「何で謝んの?石川さん悪く無いじゃん」 
 「え?いや、だって・・・」 
 「ん?」 
 「・・・叩いたりしちゃったし・・・」 
  
 「ああ」 
  
 確かに。あれは痛かった。 
  
 そう言って、彼女は笑った。 
  
   
- 741 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:06
 
-   
 「ねぇ、石川さんの家族ってどんな人?」 
 「うちの家族?」 
 「うん」 
  
 パパとママとお姉ちゃんと妹がいて。 
 じゃあ3姉妹? 
 そう。 
 賑やかそうだな〜 
  
 パパってどんな人? 
 見た目はちょっと怖いかな。 
 怖いんだ? 
 でも中身はとっても繊細で優しいよ。 
 へぇ〜。 
 それにオシャレで、ピンクも好きで。 
 ピンク好きなの? 
 うん。声はちょっと高めで、車の中でいきなりシングルベッドを熱唱しだしちゃうの。 
 ふはは。 
  
 じゃあ、ママは? 
 ママはね〜 
  
   
- 742 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:06
 
-   
 ――いいんだろうか?こんな会話で・・・ 
  
 話を続けながら、彼女の様子を窺う―― 
  
 イヤな訳ではないみたい。 
 わたしの途切れのない、オチのない話に耳を傾けながら 
 時折相槌をうって、かすかな笑い声さえ漏らしている。 
  
 こんな話で、喜んでくれるなら。 
 わたしの家族の話で、癒されてくれるのなら・・・ 
  
   『普通がうらやましくて、さ・・・』 
  
 いくらだって、ごくごく普通の 
 うちの家族の話をしてあげる。 
  
   
- 743 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:07
 
-   
 ふと肩に重みを感じて、視線を移すと 
 彼女の頭が乗せられていた。 
  
 「大家、さん・・・?」 
  
 心配になって、覗き込むと 
 閉じた瞼の淵から、涙が一筋零れ落ちた。 
  
 「続けて・・・」 
  
 震える声に、胸が締め付けられる。 
  
 「いいから続けて。 
  もっと聞きたいんだ、石川さんの家族の話・・・」 
  
 ギュッと胸が痛んで 
 思わず涙が零れ落ちそうになった。 
 けれど、奥歯を噛み締めて、必死に堪える。 
  
   
- 744 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:07
 
-   
 「中学の時には、ママがね・・・」 
  
 声が震えないように、努めて明るく。 
 声がかれたって構わない。 
  
 楽しい家族の話を、幸せな普通の家族の話を 
 あなたにたくさん、聞かせてあげる―― 
  
  
 やがて、肩の重みが増し、 
 静かな寝息が聞こえてきた。 
  
 「・・・大家さん・・・?」 
  
 小さな声で呼びかけてみたけど 
 穏やかな寝息しか返って来ない。 
  
   
- 745 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:08
 
-   
 寝ちゃったんだ・・・ 
  
 肩を動かさないように、 
 ふうっと一つ息を吐き出した。 
 さすがに喉が痛い。 
  
 グラスに残っていたワインを飲み干して 
 喉を潤すと、体の中にカッと火が灯った。 
  
 ――かわいい・・・ 
  
 初めて起きた感情。 
 安心したように委ねられた体と、 
 あどけない寝顔に心を揺さぶられる・・・ 
  
 でも、どうしよう。 
 このままじゃ、風邪引いちゃう。 
 かと言って起こすのも、可哀想だし・・・ 
  
 そうだっ! 
  
   
- 746 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:08
 
-   
 「ひめ、ひめ」 
  
 わたしの足元で、小さくなって 
 眠っているひめを小声で起こす。 
  
 「ねぇ、ひめ」 
  
 足の指でちょいちょいと押すと 
 寝ぼけ眼のまま、顔をあげた。 
  
 「ねぇ、ひめ。 
  何か着るもの持ってきて?」 
  
 くぅん? 
  
 首を傾げて、わたしの言葉の意味を図っている。 
  
   
- 747 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:09
 
-   
 「毛布でいいよ、毛布。 
  上にかけれるもの」 
  
 片手だけで身振りを交えて伝えると 
 やっと理解をしたようで、彼女の寝室へと駆け出して行った。 
  
 やるじゃない、うちの子。 
  
 期待を裏切らずに、彼女のベッドから 
 毛布を引きずりおろしてきたらしい愛犬。 
  
 得意げにわたしの足元まで運んでくると、 
 自らがその上に乗っかって、ゴロンと転がった。 
  
 ――いや、そうじゃなくて・・・ 
  
 再び、足でつついて 
 ひめを起こすと、両足と片手を駆使して 
 毛布を引っ張り上げ、彼女とわたしの体にかけた。 
  
 「ひめもおいで?」 
  
 そう言うと、嬉しそうに小さく鳴いて 
 私と彼女の間に潜り込んでくる。 
  
 これならみんな温かいね? 
  
   
- 748 名前:第4章 3 投稿日:2013/04/23(火) 12:09
 
-   
  
 もしもまた、霧雨が降って 
 街が煙ってみえるような夜がやってきたら 
 その時はずっと、わたしとひめが、こうしてそばにいてあげる。 
  
 靄に溶け込んだりしないように、 
 一緒にお家の中から、空を見あげよう? 
  
 あなたが望むなら、とめどもない、 
 わたしの家族の話を、ずっとずっと聞かせてあげるから・・・ 
  
  
 いつの間にか窓の外は、少し白んでいて 
 もうすぐ朝がくることを教えてくれた。 
  
 ――どうか目が覚めたら、彼女に笑顔が戻りますように。 
  
 心からそう願いながら 
 わたしも静かに目を閉じた。 
  
   
- 749 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/04/23(火) 12:10
 
-   
   
- 750 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/04/23(火) 12:10
 
-   
   
- 751 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/04/23(火) 12:10
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 752 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/04/23(火) 12:37
 
-  切ないけど、ふんわりあったかくて美しい情景ですね 
 
- 753 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/02(木) 10:51
 
-   
 >752:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
 では、本日の更新です。 
   
- 754 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/02(木) 10:51
 
-   
   
- 755 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 10:52
 
-   
 「じゃ〜んっ!」 
 「おおっ、シャブリじゃん」 
  
 ふふ。 
 酒屋さんで、ちゃんと聞いて買ってきたの。 
  
 『白ワインの王道、白ワインと言ったらこれ!』 
 みたいなの下さいって。 
  
 玄関を開けてくれた彼女に、 
 ひめとワインを預けて、靴を脱ぎお部屋にお邪魔する―― 
  
  
 あの夜から、わたしは雨が降る夜には必ず 
 こうして、大家さんのお部屋に押しかけている。 
 それが、小雨だろうと大雨だろうと。 
  
 雨の日にお部屋に一人でいるのって、何だか寂しくて・・・ 
 なんて言って―― 
  
   
- 756 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 10:53
 
-   
 最初のうちは、空を見上げて哀しそうにしていた彼女も 
 最近は随分笑顔が増えた。 
  
 これは自惚れなんかじゃない。 
 だってもう、霧雨が降って街が煙ってみえるような夜に 
 彼女は一人で出かけたりしない。 
  
 こうして、わたしとひめと一緒に 
 ソファーの背にもたれて、ワイングラスを傾けながら 
 朝までとりとめのない話しをするんだもん。 
  
 一晩中、隣で。 
 寄り添った肩から、お互いのぬくもりを感じながら。 
  
 朝まで、ずぅっと―― 
  
   
- 757 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 10:54
 
-   
 「石川さんさぁ、白ワインの王道下さい! 
  とか言ってこれ買ってきたでしょ?」 
  
 「え?何でわかったの?!」 
  
 「ふはっ、やっぱり」 
  
 隣でグラスを揺らしながら、可笑しそうに言う彼女。 
 その笑顔を見ただけで、わたしは安心する。 
  
 「ねぇ何で? 
  何で分かったの?」 
  
 いつもご馳走してもらうだけじゃ申し訳ないから 
 今日は雨の中、頑張って買ってきたのにぃ・・・ 
  
 「何となくだよ。 
  石川さん、好きなわりには 
  ワインとか詳しくなさそうだし」 
  
 図星・・・ 
  
 「おいしけりゃ、品種とか拘らないでしょ?」 
  
 まさに・・・ 
 おっしゃる通りです、ハイ。 
  
 「でも、そういうとこ・・・」 
  
 ――なんかムダに頑張っちゃうとこ、かわいいと思うよ・・・ 
  
 小さな声で、呟くように言った 
 彼女の言葉に、思わず耳まで赤くなった。 
  
   
- 758 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 10:55
 
-   
  
  
 「――アタシ、さ・・・」 
  
 落ち着いたトーンの彼女の声。 
  
 「いつも月を見てたんだ・・・」 
  
 空を見上げながら話し出した彼女。 
 今夜は話したい気分なんだろうか・・・ 
  
 隣の彼女の声に耳を傾けながら、わたしもそっと今夜の月を見上げた。 
  
 雲の中にまぎれて、それでもどうにかして 
 地上に光を届けようとする、今宵の月―― 
  
  
   
- 759 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 10:55
 
-   
 「派手じゃないんだけど、ちゃんと光っててさ」 
  
 太陽みたいにギラギラしてなくて、星みたいにキラキラでもなくて。 
 なのにすごく存在感があって。 
  
 こんな夜にはやさしい光をくれて。 
 分厚い雲があっても、頑張って地上を照らそうとしてくれて。 
  
 いつだって、その光で包み込んでくれて。 
 ああ、まだアタシここにいるんだなって思わせてくれて・・・ 
  
   
- 760 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 10:56
 
-   
 「・・・あの日、ね? 
  石川さんを初めて見たとき。 
  月みたいな人だって思ったんだ・・・」 
  
 驚いて、彼女の横顔を見た。 
  
 「地味だし。並んでくれてた女の子達に比べれば 
  センスだって悪いし・・・」 
  
 思わずむぅっと唇が尖る。 
 そんなわたしを面白そうに横目で見る彼女。 
  
 なによぅ・・・ 
  
 「・・・けどさ。今夜の月みたいだった」 
  
 そう言って、目を細めて窓の外を見上げた彼女。 
 つられてわたしも、窓の外を見上げた。 
  
   
- 761 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 10:57
 
-   
 「分厚い雲に覆われてもなお、闇を照らそうとして 
  ムダに張り切って光っててさ・・・」 
  
 雲の奥で、ぼんやりとした輪郭を映す今宵の月。 
  
  
 「なのに雲間から顔を覗かせると、優しい光をくれるんだ・・・」 
  
 雲の切れ間から、少しだけ姿を現して闇に向け、光を放つ。 
  
  
 「泣きたくなるくらいに 
  温かくて優しい光を、さ・・・」 
  
 雲が切れて、まあるい月が顔を出した。 
  
   
- 762 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 10:57
 
-   
 「石川さん見た時にね? 
  いつも見上げてる月と同じ温もりを感じたんだ・・・」 
  
  
   『石川さんをひと目見たときにね?』 
  
   『なんかすげーあったかい気がしたんだ』 
  
  
 「多分アタシは、あの行列の中に 
  石川さんが埋もれてたとしても、きっと見つけ出せたと思う」 
  
 それくらい、アタシには眩しく映ったから―― 
  
   『そんで一目ぼれ。 
    どう?理解してくれた?』 
  
   
- 763 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 10:58
 
-   
 「やっべ。アタシ何かすげえ 
  恥ずかしいこと口走ってるかも・・・」 
  
 途端に挙動不審になった彼女。 
 月明かりに照らされた頬が赤くなっている。 
  
 「・・・あ、えっと・・・ 
  なんつうか・・・その・・・」 
  
 「嬉しい・・・」 
 「え?」 
 「だから嬉しいよ?」 
  
 そんな風に言ってもらえて。 
 そんな風に思っててくれて。 
  
   
- 764 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 10:59
 
-   
 「月、綺麗だね?」 
  
 そう言って空を見上げた。 
 彼女の言葉通り、やさしい光を放つ月。 
  
 「・・・あ、うん・・・。綺麗だね・・・」 
  
 今度はわたしにつられた彼女が 
 空を見上げて、気まずそうに呟く。 
  
 「ちょっとお〜、そこはキミの方が綺麗だよ。 
  とか言うんじゃないのぉ?」 
  
 「え?そ、そう?」 
  
 思わず吹き出した。 
  
 きっと彼女の素の顔はこっちなんだ。 
 紺野さんの言っていたように、みんな誤解してる。 
  
 本当の彼女は、お気に入りを侍らせて 
 好き勝手に、欲望のままに生きてるんじゃなくて。 
  
 すごく繊細で、すごく寂しがり屋で 
 すごく優しくて、すごく心が綺麗で 
  
 そして、すごく純粋な人―― 
  
   
- 765 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 11:00
 
-   
 床に置かれている彼女の手の上に 
 そっと自分の手のひらを重ねた。 
  
 一瞬にしてガチっと固まった彼女の手の甲を 
 そっと撫でて、長い指の間に自分の指を滑り込ませる。 
  
 途端に、この空間に響き渡ってしまうんじゃないかって 
 いうくらい暴れだした、わたしの心臓。 
  
 止まらない感情の勢いに任せて 
 彼女の肩に、そっと自分の頭を乗せた。 
  
 「――毎日、押しかけちゃおうかな・・・」 
 「え?」 
  
 彼女からも、わたしと同じ早さの音が 
 刻まれているのが伝わってくる。 
  
 「雨の日だけじゃなくて、晴れの日も・・・」 
 「石川さん・・・」 
  
   
- 766 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 11:00
 
-   
 「ダメ・・・?」 
 「――ダメな訳、ないじゃん・・・」 
  
 いつの間にか、すっかり晴れた夜空。 
 温かな光を放つ、月明かりに照らされたわたし達・・・ 
  
 どちらからともなく見つめあい、 
 引力のように魅かれ、近づいていく・・・ 
  
 キレイな瞳―― 
 その魔力に、何もかも捧げてしまいたくなるような・・・ 
  
 この瞳を見ていたい、ずっと。 
  
 だから―― 
  
   
- 767 名前:第4章 4 投稿日:2013/05/02(木) 11:01
 
-   
 ゆっくりと閉じた視界に暗闇が訪れ 
 やがて唇に温もりを感じた。 
  
 柔らかくて、優しい彼女の温もり―― 
  
 それは、ただお互いの唇を重ねただけの 
 まるで挨拶のようなキス。 
  
 けれど、生まれて初めて震えるほどの幸せを感じて 
 わたしの胸の中が、温かいもので満たされていく―― 
  
  
 「わお〜〜んっ」 
  
 まるで自分の存在を忘れるなというように 
 ひめが遠吠えして、わたし達は慌てて離れ、微笑み合った。 
  
 「ひめもおいで」 
  
 片手を伸ばした彼女の腕に飛び込んだひめ。 
  
 ひめをあやしながらも、繋いだ手を離そうとしない彼女に 
 言葉に出来ないほどの想いが全身を貫き、幸せがわたしを包み込む・・・ 
  
 どうか彼女の胸にも、優しい温もりと幸せが広がって 
 心の闇が少しでも晴れますように・・・ 
  
 その夜はずっと、そんなことばかり願っていた。 
  
   
- 768 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/02(木) 11:01
 
-   
   
- 769 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/02(木) 11:01
 
-   
   
- 770 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/02(木) 11:02
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 771 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/02(木) 11:34
 
-  メッチャいい!やっぱいしよしはこうでなくっちゃいけませんよね 
 
- 772 名前:名無し留学生 投稿日:2013/05/02(木) 12:20
 
-  あら?月は綺麗ですねって確かに夏目先生が翻訳した「I love you」だったよね? 
  
 気のせいσ(^_^; 
   
- 773 名前:名無し留学生 投稿日:2013/05/02(木) 12:21
 
-  あら?月は綺麗ですねって確かに夏目先生が翻訳した「I love you」だったよね? 
  
 気のせいσ(^_^; 
   
- 774 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/02(木) 19:30
 
-  イイ! 
 もうこの言葉しか出ませんw  
- 775 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/09(木) 11:38
 
-   
 >771:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
 >772:名無し留学生様 
  実は・・・・・・知らなくてググりました(汗) 
  ですが素敵なお話ですね。さすがはソーセキ。 
  そのように深読みして頂くと、安い物語が味わい深くなります。 
  
 >774:名無飼育さん様 
  ありがとうございます。 
  
  
 では、本日の更新です。 
  
   
- 776 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/09(木) 11:38
 
-   
   
- 777 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:39
 
-   
 「お帰りなさいませ。 
  今日は随分お早いですね?」 
  
 管理人室の窓を開けて、紺野さんが挨拶してくれる。 
  
 「外出して、直帰出来たの。 
  あれ?ひめ、今日は紺野さんと一緒?」 
  
 紺野さんの足元には、ちょっぴりおねむな様子のひめ。 
  
 「ええ。ひとみさんは先ほど、石川さんが会社からお戻りになるまでの間 
  少しトレーニングをしたいからと申されて、 
  私にひめちゃんをお預けになり、5階に行かれました」 
  
 ふ〜ん・・・ 
 そっか・・・ 
  
 早く帰って来たの、ビックリすると思ったのになぁ・・・ 
  
 あ、そうだ! 
  
   
- 778 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:40
 
-   
 「ねぇ、紺野さん。 
  もうちょっと、ひめ預っててくれる?」 
  
 「それは一向に構いませんが・・・」 
  
 「ちょっと驚かしてくるね?」 
  
 わたしのイタズラな笑みに 
 全てを悟ったのか、紺野さんが微笑んだ。 
  
 「石川さん、本当にありがとうございます」 
 「ヤダそんな、頭なんて下げないでよ」 
  
 ひとみさんに笑顔が増えた。 
 心から笑って下さるようになった。 
 何よりも、霧雨が降る夜に一人でお出かけにならなくなった。 
  
 「感謝をしてもしきれません」 
  
 事あるごとに、紺野さんがお礼をいってくれるけど 
 お礼を言いたいのは、こっちの方。 
  
 今わたし、毎日がすごく楽しいんだ。 
  
   
- 779 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:40
 
-   
 「じゃ、ちょっと行ってくるね」 
  
 紺野さんとひめに小さく手を振って 
 エレベーターに乗り込んだ。 
  
 浮き立つ心を抑え、5階のボタンを押そうとして、 
 ふと思いとどまった。 
  
 5階では、エレベーターが 
 トレーニングルームのすぐそばに到着する。 
 もしも、入口近くの器械でトレーニングしていたら 
 到着音で誰かが来ると気付いてしまうかもしれない。 
  
 う〜ん・・・ 
 それでは実に面白くない。 
  
   
- 780 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:41
 
-   
 どうせなら、思いっきりビックリさせたいよね〜。 
  
 気配なく近づいて驚かせて 
 更にわたしだったことに驚かせたい。 
  
 ――そういえば、驚いた顔って見たことないかも・・・ 
  
 『どうしたの?石川さん!』 
 『やべぇ、ちょービックリした!』 
  
 まだ見たことのない彼女の表情を 
 思い浮かべて、思わず頬がにやける。 
  
 ――あなたに早く会いたくて帰ってきちゃった・・・ 
  
 な〜んて言ってみたら、どんな顔するんだろ? 
  
 照れるのかな? 
 はにかむのかな? 
  
 それとも―― 
  
 ヤダ、わたしの方が真っ赤になっちゃった。 
  
   
- 781 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:42
 
-   
 火照った頬を手で仰ぎながら、4階ボタンを押す。 
  
 「でも、そろそろ進展があっても、おかしくないんだけどな・・・」 
  
 だってお互いの熱っぽい感情は、充分すぎるほど感じてる。 
  
 繋いだ手の温もり。 
 見つめ合う瞳の温度。 
  
 だけど、あの夜以来、キスさえしていない。 
  
 キッカケさえあれば、一気に行くところまで 
 行ってしまいそうな、甘くて危うい、今の2人の距離・・・ 
  
 <チーン> 
  
 エレベーターが4階に到着して、扉が開き 
 わたしの逆上せた思考と頬を、少しだけ冷やしてくれた。 
  
   
- 782 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:43
 
-   
 自室をやり過ごして、そのまま非常階段に進む。 
  
 ひっそり、足音に気をつけながら 
 ゆっくりと階段を上がっていく―― 
  
 はやる気持ちと、にやける頬が止まらない・・・ 
  
 ――早く、会いたいな・・・ 
  
 期待でいっぱいに膨らんだ胸を静めるように 
 5階の非常扉の前で、小さく深呼吸すると 
 音を立てないように、細心の注意を払いながら静かに扉を開いた―― 
  
   
- 783 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:43
 
-   
 ・・・いた、いた。 
  
 ガラス窓の向こうには、 
 エレベーターに一番近い場所のバイクにまたがって 
 トレーニングしている彼女の姿が見える。 
  
 階段にして大正解。 
 あの場所だと、エレベーターじゃ気づかれちゃったもん。 
 わたしって天才!なんちゃって。 
  
 けど、真剣なその横顔は、やっぱりうっとりしてしまうほど美しい。 
 しばらく見つめちゃおっかな・・・ 
  
 そう思って、遠慮がちに開いていた扉を 
 もう少しだけ、外に開いた。 
  
   
- 784 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:44
 
-   
 「・・・ねぇ、いいでしょ?」 
  
 え?誰・・・ 
 慌てて扉を元に戻して、小さく開いた扉から 
 用心深く顔を覗かせて、様子を窺う。 
  
 ――さゆちゃんだ・・・ 
  
 バイクのハンドルを握った彼女の手の上に 
 さゆちゃんが手を重ね、彼女の動きを止めた。 
  
 「ねぇ・・・」 
  
 漕ぐのを止めた彼女の首に、さゆちゃんが腕をまわし 
 彼女を引き寄せ、耳元で何かを囁く・・・ 
  
 ――ヤダ、お願い。拒否して・・・ 
  
   『石川さんがここにいらっしゃってから、 
    ひとみさんは[Do it!Now]を受けられることがなくなりました』 
  
 だったら、お願い・・・ 
  
   
- 785 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:45
 
-   
 次の瞬間、目を疑った。 
  
 さゆちゃんが寄せた唇を、彼女が受け入れ 
 深く口付けていく・・・ 
  
 ねだるように彼女の体にすがる 
 さゆちゃんの腰に、彼女が手を這わせ、素肌に触れようとする―― 
  
 「・・・吉澤さん」 
 「ん?」 
 「やさしくしないで」 
 「ああ」 
  
 彼女が乱暴にさゆちゃんの唇を奪った。 
 噛み付くように合わせ、遠目でも2人の舌が絡み合っているのが分かる・・・ 
  
 ――嘘、でしょ・・・? 
 ――嘘、だよね・・・? 
  
   
- 786 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:46
 
-   
 彼女の手が、さゆちゃんの胸元を這い 
 強引に中に割り込むと、さゆちゃんが彼女の手を止めた。 
  
 「・・・ね、待って・・・」 
  
 彼女の唇が、さゆちゃんの首筋に触れ 
 胸元へと下りて行く―― 
  
 ――ヤダ、やめて・・・ 
 ――そんなの、見たくない・・・ 
  
 「・・・ぁ・・・んっ・・・、ね・・・待って、よぉ・・・ 
  フダ・・・しない、と・・・」 
  
 彼女を押し戻したさゆちゃんが 
 はだけた胸元を直しながら、入口へ向かってくる・・・ 
  
 慌てて、身を隠した。 
  
   
- 787 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:46
 
-   
 少しして、再び覗き込むと 
 入口にはあの[Do it!Now]がかけられていて。 
 2人が寄り添いながら、奥の部屋へと消えていく後ろ姿が見えた。 
  
 激しく胸が疼く。 
 体の震えが止まらない。 
  
 こんな形で、[Do it!Now]を 
 初めて見てしまうなんて・・・ 
  
  
   『石川さんがここにいらっしゃってから、 
    ひとみさんは[Do it!Now]を受けられることがなくなりました』 
  
   『最初の日に安倍さんのを受けられてからは、本当に一度も・・・』 
  
   『今は皆様から苦情がでています。 
    嫌なことがあっても、受け止めてくれる人がいないと・・・』 
  
  
 ウソつき・・・ 
 してるじゃない、わたしがいない間に・・・ 
  
   
- 788 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:47
 
-   
 苦しくて、息がつまって、 
 うまく呼吸が出来ない。 
  
 ――ウソつき・・・ 
  
 2人が交わしていたキスが脳裏によぎる。 
 深くて、濃い、恋人達が交わすキス・・・ 
  
  
 ――わたしには触れるだけだったのに・・・ 
  
 涙がとめどなく零れ落ちる。 
  
 わたしには・・・ 
 わたしには、あんなキス―― 
  
   
- 789 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:48
 
-   
 胸が痛くて、体が千切れそうなほど苦しくて 
 逃げ出すようにその場を後にした。 
  
 ――自惚れていた。 
  
 彼女の気持ちは、わたしにあると。 
 わたしだけにあるんだと勘違いしていた・・・ 
  
   『アタシは誰にも本気にならないし、恋愛なんてしない。 
    だから好きとか愛してるなんて言わねぇし』 
  
 そう言われたことだってあったのに・・・ 
  
   『ただ一目見て、気に入っただけだよ。 
    別に、それ以上でもそれ以下でもない』 
  
 やっぱりそれが、彼女の本心なんだ・・・ 
  
   
- 790 名前:第5章 1 投稿日:2013/05/09(木) 11:48
 
-   
 エントランスを抜け、 
 紺野さんの呼びかけにも振り返らずに 
 HYハウスから飛び出した。 
  
 一刻も早く、この空間から逃げ出したかった。 
  
 彼女が今、他の誰かを抱いているという 
 この事実から目を背けたかった。 
  
 けれど、どうしようもなく傷ついた自分がいて 
 思っている以上に彼女に魅かれていた自分に気づいてしまって・・・ 
  
 苦しくて、立ち直れなくて。 
 その夜は家に帰ることが出来なかった―― 
  
   
- 791 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/09(木) 11:49
 
-   
   
- 792 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/09(木) 11:49
 
-   
   
- 793 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/09(木) 11:49
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 794 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/09(木) 12:29
 
-  ふぉおお 
 どSさく裂?  
- 795 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/09(木) 19:26
 
-  え?そんなあ…。 
 
- 796 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/09(木) 21:04
 
-  え・・・でもいしよしにはこんなの乗り越えられる力があると信じてます! 
 
- 797 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/13(月) 15:04
 
-   
 >794:名無飼育さん様 
  そうでもないです。 
  
 >795:名無飼育さん様 
  すみません。こういう味付けをしないと気がすまない性分みたいです。 
  
 >796:名無飼育さん様 
  作者も信じてます! 
  
  
 では、本日の更新です。 
  
   
- 798 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/13(月) 15:05
 
-   
   
- 799 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:06
 
-   
 「ひめ、元気かな・・・」 
  
 何も持たずに実家に逃げ帰ってもう3日。 
 有給があり余っているのをいいことに、仕事も休んだ。 
  
 結局あれからHYハウスには、一度も帰っていない。 
  
  『紺野さん、ごめんなさい。 
   しばらくの間、ひめを預かってください。 
   必要なものがあれば、管理室の合鍵を使って 
   勝手に部屋に入って頂いて構いませんから』 
  
 それだけ言って、一方的に電話を切った。 
 その後何度も紺野さんから着信があって、 
 その度に留守電が入っていて・・・ 
  
  『石川さん、お願いです。 
   話を聞いて下さい』 
  
  『あの日、石川さんが見られたものには 
   理由があったんです』 
  
 ちらつく残像。 
 彼女が、さゆちゃんを―― 
  
   
- 800 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:06
 
-   
  『お願いです。ひとみさんを一人にしないで下さい』 
  
 彼女は一人じゃない。 
 さゆちゃんはもちろん、安倍さんだって、 
 飯田さんだって、美貴ちゃんだっている。 
  
  『お願いです。石川さん』 
  
 わたしには無理。 
  
 『石川さんにしか・・・』 
  
 それ以上聞きたくなくて、終了ボタンを押した。 
  
   
- 801 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:07
 
-   
 紺野さんは、わたしを買いかぶりすぎている。 
 彼女の心を癒すのは、わたしなんかじゃない。 
  
 彼女がわたしを求めているなんて、単なる思い過ごし。 
  
 ドレスを着せてくれたのだって、他の人よりわたしを 
 綺麗にしたかった訳じゃない。 
 ましてや、大切に思ったからなんてはずがない。 
  
 だから彼女は―― 
  
  
   『石川さん見た時にね? 
    いつも見上げてる月と同じ温もりを感じたんだ・・・』 
  
   『多分アタシは、あの行列の中に 
    石川さんが埋もれてたとしても、きっと見つけ出せたと思う』 
  
   『それくらい、アタシには眩しく映ったから』 
  
 ちがう、違うよ。 
 彼女にとって、わたしはただの住人の一人。 
  
   
- 802 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:08
 
-   
   『ただ一目見て、気に入っただけだよ。 
    別に、それ以上でもそれ以下でもない』 
  
 それが本心。この言葉が全て。 
  
 だってそうでしょ? 
 そうじゃなきゃ、あんな風にさゆちゃんと・・・ 
  
 ギュッと胸が締め付けられた。 
 こんな胸の痛みは、もうたくさん。 
  
 あの瞳にはやはり魔力が宿っていたんだ。 
 わたしはその魔力に惑わされ、ほんの少し迷っただけ。 
  
 今ならまだ引き返せる。 
 今ならまだ間に合う。 
  
 今ならまだ―― 
  
   
- 803 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:08
 
-   
 <コンコン> 
  
 「梨華、入るわよ?」 
  
 部屋のドアが開いて 
 ママが顔を覗かせた。 
  
 突然帰ってきて、会社も休んで。 
 パパもママも、すごく心配してるだろうって分かってる。 
 だけどうまく話せない。 
 そんなわたしに何も聞かず、そっと見守ってくれてる 
 優しくて、温かい家族―― 
  
   『石川さんの家族ってどんな人?』 
   『もっと聞きたいんだ、石川さんの家族の話・・・』 
  
 ヤダ・・・ 
 どうしてこんなに彼女のことばかり・・・ 
  
 『普通がうらやましくて、さ・・・』 
  
   
- 804 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:09
 
-   
 「何があったかなんて野暮なことは、ママは聞かない」 
  
 窓辺で膝を抱えたわたしの隣に同じように腰掛けると 
 ママは、そっとわたしの頭を引き寄せた。 
  
 「梨華ももう大人だから、 
  自分のことは自分で決めなさい」 
  
 「ママ・・・」 
  
 「けどどうしても辛いなら、 
  このまま帰ってきていいのよ?」 
  
 笑顔で包み込んでくれるママを見て 
 一気に涙があふれ出した。 
  
 「パパもママも大歓迎だから」 
  
 そっと頭を撫でてくれる優しい手。 
  
   『石川さんみたいに、普通に両親がいて 
    普通に愛されて、育てられて。 
    そういうの、すげー羨ましい』 
  
 またギュッと胸が締め付けられる。 
  
   
- 805 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:10
 
-   
 「・・・自分の気持ちがわからないの・・・」 
 「ん?」 
  
 ママに寄りかかりながら、 
 素直な気持ちを吐き出す。 
  
 「好き、なんだと思う。でも・・・」 
 「でも?」 
  
 「すごく苦しい・・・」 
  
 胸が張り裂けそうなほど。 
 彼女のことを思うと、この胸が壊れてしまいそうなほど・・・ 
  
   
- 806 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:11
 
-   
 「その人と一緒にいる苦しみと、その人を失う苦しみ。 
  梨華はどっちが苦しい?」 
  
 え? 
  
 「その人と一緒にいる方が苦しいなら 
  その人の元を離れなさい。けど・・・」 
  
 「けど・・・?」 
  
 「その人を失うことの方が苦しいなら 
  その人のそばにいなさい」 
  
 難しくなんか考えないで、 
 自分の心に素直になればいい。 
 そしたら、きっと答えが見えてくるはず。 
  
 「すごく単純よ?」 
  
   
- 807 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:12
 
-   
 「ママはパパを失いたくなかった。 
  ずっとずっとそばにいたかったの。 
  だから結婚した」 
  
 「ママ・・・」 
  
 「梨華の本当の心は、梨華にしかわからない。 
  よく考えて、よく悩んで。ちゃんと自分で決めなさい」 
  
 わたしは・・・ 
 どっちなんだろう・・・ 
  
 彼女と一緒にいる方が苦しいのか。 
 彼女を失う方が苦しいのか。 
  
   
- 808 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:13
 
-   
 「焦らなくていいの。 
  大切なのは、自分の本当の気持ちに 
  素直になって、向き合うことよ」 
  
 ――本当の、気持ち・・・ 
  
  
 「さて、そろそろ夕飯のお買い物に行こうかしら?」 
  
 そう言うとママは、もう一度だけ、 
 ギュッとわたしを抱きしめて、勢いよく立ち上がった。 
  
 「梨華も気晴らしに、一緒に行く? 
  今日はお肉にしよっか?お肉すきすきでしょ?」 
  
 「・・・ありがとね、ママ」 
  
 「一番心配してるのは、実はパパなのよ? 
  内緒だけど、毎晩梨華の部屋の前をウロウロしてるんだから」 
  
 足音を忍ばせている、心配顔のパパを想像して 
 わたしは久しぶりに、声を上げて笑った。 
  
   
- 809 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:13
 
-   
  
  
   
- 810 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:14
 
-   
 新垣不動産の前で、大きくひとつ深呼吸をする。 
 初めて彼女に会ったのは、ここだった。 
  
  『気になる?HYハウス』 
  
 印象的な大きな瞳に魅入られて。 
 真っ白な肌がより一層引き立たせる 
 その端正な顔立ちに魅了されて。 
  
  『決まり』 
  
 なんて勝手に押し切られて、 
 あっという間に、あの豪奢な建物に連れて行かれて。 
  
  『どう?住む気になった?』 
  
 なんて、無邪気に尋ねられて―― 
  
 気がつけば、わたしはあの空間にいた。 
 まるで夢のように、華やかできらめいた世界。 
  
   
- 811 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:14
 
-   
 彼女と一緒にいる方が苦しいのか・・・ 
 彼女を失う方が苦しいのか・・・ 
  
 わたしには、まだ答えが見つからない。 
  
 それに彼女は、わたしをどう思っているんだろう・・・ 
  
 考えれば考えるほど、 
 迷宮へと迷いこんでいく。 
  
 だから一度、夢の世界を飛び出して、 
 かけられた魔法から解き放たれて。 
  
 もう一度、自分の気持ちを見つめなおそう―― 
  
 ・・・そう思った。 
  
   
- 812 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:15
 
-   
  
 「ほんとに解約されるんですね?」 
  
 念を押すように、新垣社長に問われる。 
  
 「はい」 
  
 ジッと見つめられるけれど、 
 その理由には立ち入ろうとはしない。 
  
 「・・・できれば、早めにお願いします・・・」 
  
 「――わかりました。 
  後ほど、吉澤さんのところへ 
  解約手続きの書面を持っていきます」 
  
 「・・・お手数、おかけします・・・」 
  
 深々と頭を下げた。 
  
   
- 813 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:15
 
-   
 「で、次のお住まいは?」 
 「え?」 
 「決まっているんですか?」 
 「・・・あ、いえ。まだ・・・」 
  
 思い切って、ママの言葉に甘えて実家に帰ろうか・・・ 
 でも通勤を考えると・・・ 
  
 「では探しておきましょう」 
 「でも・・・そこまで・・・」 
 「構いませんよ」 
  
 新垣社長がくれた笑顔に 
 思わずホッとする。 
  
 「以前、石川さんが住んでらしたアパート」 
 「あ、はい」 
 「売れなかったんです」 
 「え?」 
  
 確か場所がいいからって 
 どこかの企業が買い取って、社宅にするんだとか 
 壊しちゃって、スーパーにするんだとか・・・ 
  
   
- 814 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:16
 
-   
 「契約直前に、その会社 
  業績悪化して、手を引いちゃいまして」 
  
 おばあちゃん、気落ちしちゃって可哀想だし 
 うちが買い取って、そのまま賃貸始めたんです。 
  
 いい場所だし、治安もいいじゃないですか? 
 だからあっという間に、全室入居したんですけどね。 
 そのうちの1室が、来月空くんです。 
  
 「そこまで待ってもらえるなら・・・」 
  
 「待ちます!」 
 「はやっ!」 
  
 だってだって。 
 あそこいいところなんだもん。 
  
   
- 815 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:17
 
-   
 「では、HYハウスの契約もそれまででいいですか?」 
  
 「・・・あ、いえ。それは早めに・・・ 
  それまでは実家に帰りますから」 
  
 太目の眉を上げて、一瞬驚いた新垣さんが 
 小さくため息をついた。 
  
 「そんなに嫌いになっちゃいましたか・・・」 
 「いえ、そうじゃなくて・・・」 
  
 いっそ嫌いになれたのなら、 
 こんな風に胸が痛んだりしないだろう。 
  
 「あ、でも。 
  そのアパート、今大家さんいないんです。 
  なかなか買い手がつかなくて・・・」 
  
 「構いません」 
  
   
- 816 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:18
 
-   
 「でも確か・・・」 
  
 駅から近くて。 
 商店街があって。 
 治安がよくて。 
 もちろん、お家賃が安くて。 
 そして何より、大家さんが同じ建物内に 
 住んでくれてるのが最大条件。 
  
 「じゃなかったでしたっけ?」 
  
 「いいんです」 
  
 一つくらい欠けていたって。 
 今はただ、元の生活に戻って 
 自分の気持ちを見つめ直したい。 
  
 「わかりました。 
  では、あとで吉澤さんに持っていきますから 
  こちらの解約届にサインを」 
  
 言われたとおり、サインをして 
 新垣不動産を後にした。 
  
   
- 817 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:18
 
-   
 外に出ると、辺りはもう暗くなっていて。 
 いつの間にか降り出していた雨が、わたしの肩を濡らした。 
  
  『ボヤけて見える街並みに、 
   モヤがかかる闇夜に、自分の身が溶け込まないかな。 
   そんな風に願ってた』 
  
 どうして、よりによって 
 こんな時に霧雨が降るのよ・・・ 
  
 この雨を恨めしくさえ思う。 
 イヤでも彼女の身を案じてしまう―― 
  
   
- 818 名前:第5章 2 投稿日:2013/05/13(月) 15:19
 
-   
 「あの・・・」 
  
 声をかけられたと同時に 
 傘を差しかけられた。 
  
 「良かったら、ご一緒に」 
 「あ、いえ。大丈夫・・・」 
  
 言いかけて止まる。 
 間近で見た顔に見覚えがあった。 
  
 「石川さん、ですよね?」 
 「はい・・・」 
  
 「私、あなたの前に44号室に住んでいた 
  吉川友と言います」 
  
 ・・・あっ! 
 入居を決めた日、ロビーで・・・ 
  
 「良かったら少しだけ 
  私に付き合ってもらえませんか?」 
  
  
   
- 819 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/13(月) 15:19
 
-   
   
- 820 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/13(月) 15:19
 
-   
   
- 821 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/13(月) 15:19
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 822 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/13(月) 17:30
 
-  ここで!?どうなるんだろ、ドキドキ 
 
- 823 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/17(金) 16:37
 
-   
 >822:名無飼育さん様 
  今日もドキドキして頂ければ嬉しいです。 
  
  
 では、本日の更新です。 
  
   
- 824 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/17(金) 16:37
 
-   
   
- 825 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 16:38
 
-   
 「よしっ」 
  
 注文した飲み物を一口飲んだ途端、 
 目の前の彼女はそう言った。 
  
 「やれば出来る子!吉川友」 
 「・・・はい??」 
  
 新垣不動産の斜向かいにある喫茶店に入り、 
 向かい合って腰掛けたわたし達。 
  
 ずっと沈黙が続いていて、 
 わたしから話しかけていいものか分からず 
 首をかきかき、落ち着かない様子の 
 目の前の彼女を、チラチラと窺っていた。 
  
 「突然すみません」 
  
 改まって言われて、ジッと見つめる。 
 こうして見ると、色が白くてすごくキレイな子。 
  
   
- 826 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 16:39
 
-   
 「ひとみさんのこと、嫌いですか?」 
 「え?」 
  
 あ、違うな。 
 えっと・・・、何から話せばいいんだろ? 
  
 そう呟いて、また首をかきかきする。 
  
 「あの・・・」 
 「あ、まず自己紹介しなきゃですよね? 
  私、あなたの前に44号室に住んでいた 
  吉川友と言います」 
  
 それはさっき聞いたけど・・・ 
 ここは黙っていた方が賢明そうだ。 
  
 「ひとみさんは昔、うちの近くに住んでいたんです。 
  お母さんが亡くなられる前」 
  
 へぇそうなんだ・・・ 
 けどイマイチ話の繋ぎが分からない。 
  
 「その頃よく、公園で遊んで貰いました」 
  
 なるほど・・・ 
 出会いからスタートするのね。 
  
   
- 827 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 16:55
 
-   
 「当時、私はまだ小学生で。 
  ちょっと独特な感性のせいか 
  気がつくと一人で遊んでることも多くて・・・」 
  
 それに気づいたら、何だか無性に寂しくなっちゃって 
 泣きそうになってた時に、ひとみさんが声をかけてくれたんです。 
  
  『お姉ちゃんも今ひとりなんだ。 
   一緒に遊ぼうか?』って。 
  
 その頃、ひとみさんは中学生になったばかりで。 
 だけど、当時からすごくキレイで、凛としてて。 
  
 私が憧れると共に、恋心を抱くのにも 
 時間はかかりませんでした。 
  
   
- 828 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 16:56
 
-   
 好きで、好きで、好きで、好きで、好きで。 
 朝も昼も夜も真夜中も―― 
  
 そんな歌を常に口ずさむほど、ひとみさんが好きで。 
 それは、ひとみさんが屋敷に引き取られてからも 
 まったく変わることがありませんでした。 
  
 だから、どうにかして会いたくて。 
 どうしても、そばに行きたくて。 
  
 母に頼んで、屋敷に連れていってもらおうとしたんです。 
 けど母は反対しました。 
  
  『だめよ、あの子のことはもう忘れなさい』って―― 
  
 ショックでした。 
 何でダメなんだろうって。 
 何で忘れなきゃいけないのって。 
  
 納得行かなくて、色んな人に聞いて回って・・・ 
 初めて、ひとみさんの置かれている状況を知りました。 
 そしてあの頃、ひとみさんがどうして一人で公園にいたのかも―― 
  
   
- 829 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 16:57
 
-   
 「お父さんが来てたんですよね。 
  お母さんに会いに」 
  
 彼女のグラスの中の氷が、カランと音を立てた。 
  
  『普通がうらやましくて、さ・・・』 
  
 彼女の哀しげな横顔が脳裏に蘇る。 
 今、どうしているんだろう・・・ 
 思わず窓の外を見た。 
  
 「私、どんなに月日が経っても、どうしても 
  ひとみさんのことを忘れられなかったんです」 
  
 だから色んなツテを使って、やっと 
 ひとみさんの所在を突き止めました―― 
  
   
- 830 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 16:58
 
-   
 「HYハウス」 
  
 彼女に視線を戻した。 
  
 「書類選考を2度、そして面接を経て 
  見事お眼鏡に適えば、夢のような生活が待っている――」 
  
 豪華な建物に、部屋に、家具。 
 それが格安で、時にはただで。 
  
 まるでお城のような空間に 
 キレイな家主と共に暮らす・・・ 
  
 たった一つ、住人に課せられるのは、 
 その家主の性欲を満たして差し上げること。 
  
 ただ、それだけ・・・ 
  
 「それはちがっ・・・」 
  
 思わず言いかけて、止めた。 
 違う?ううん、違わない。 
  
 だって―― 
  
   
- 831 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 16:59
 
-   
 「違うのは知ってます。 
  あそこに暮らしたことがある人ならば、みんな」 
  
 彼女を見た。 
 悲しげな表情のまま、わたしと視線を合わせる。 
  
 「世間の噂です。けど応募する人は 
  皆それを信じて応募しています」 
  
 吉澤さんならば構わない。 
 吉澤さんになら是非。 
 吉澤さんのモノになりたい・・・ 
  
 人それぞれですが、共通で認識しているのは 
 『吉澤さんに請われる』ということです。 
  
 だけど私には信じられなかったんです。 
 あの、ひとみさんがそんなことする訳ないって・・・ 
  
 「だから直接確かめたくて、 
  空室が出る度に、新垣不動産に並んで応募しました」 
  
   
- 832 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 17:00
 
-   
 「何度か応募してる内に、よく顔を合わせて 
  仲良くなったのが道重さんでした」 
  
 その名前が耳に飛び込んできた瞬間、 
 チクリと胸に何かが刺さる。 
  
 「道重さんは噂を信じて、吉澤さんのモノになりたくて 
  応募がある度に、地方から上京してきてたんです」 
  
  さゆの王子様なの。 
  もし合格したら、実家を出て一生吉澤さんと暮らすの。 
  
  さゆカワイイのに、何で合格しないのかな? 
  色気が足りないのかな? 
  
 「けど、道重さんが大学を卒業して 
  東京で就職を決めるとすぐに合格したんです」 
  
  きっと学生はダメなんだよ。 
  だから高校卒業したら、就職しちゃいなよ。 
  きっかもキレイだから、絶対受かるよ! 
  
   
- 833 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 17:02
 
-   
 「道重さんの言う通り、私も就職した途端合格しました」 
  
 その足で、道重さんに報告に行ったんです。 
 そしたら―― 
  
  吉澤さんは、こっちが言わない限り抱いてなんてくれない。 
  引越し初日にお部屋に招かれて、 
  『本気にならないでくれ』って言われた。 
  
  すごく優しく、本当に王子様のように抱いてくれるのに 
  ほんの少しも心を許してくれない。 
  
 「そんな風に言われました。 
  そして私も、引越し初日に部屋に招かれて 
  道重さんと同じようにクギを刺されました」 
  
  『本気にならないで』 
  『アタシに本気になったら出て行ってもらう』 
  
   
- 834 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 17:02
 
-   
 「私、だから言ったんです。 
  小学校の頃からずっとずっと好きでしたって」 
  
 驚いた吉澤さんが、私の顔をマジマジと見て 
 『もしかして・・・』って思い出してくれたんですけど、 
 すぐに苦しげな、悲しげな顔になって・・・ 
  
  『契約は破棄する』 
  『出てって・・・』 
  
 って、今にも泣きそうな顔で、肩を震わせながら言うんです。 
 だから私まで辛くなって、出て行くなんて出来なくて。 
 これ以上、孤独にしたくなくて・・・ 
  
  『さっきのはうそです。 
   ずっと好きなんて訳ないでしょ?』って。 
  
 「だから、抱いて下さい。 
  そばにいさせて下さい。そう言ったんです」 
  
   
- 835 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 17:03
 
-   
 「見え透いた嘘です」 
  
 でも吉澤さん、騙されたフリをしてくれました。 
 そして少しだけ、過去を知っている私に心を開いてくれました。 
  
  『月が好きなんだ』 
  『優しい月を見てると冷えた心が温まる気がするんだ』 
  
 一年以上経って、やっとそんなことを教えてくれました。 
 けれど、吉澤さんが月を見ている時は、私は立ち入ることが出来ませんでした。 
 なぜなら。 
  
  『きっかは太陽だね』 
  『眩しすぎるんだよ、アタシには』って―― 
  
   
- 836 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 17:04
 
-   
 踏み込み過ぎたら、逆に壊してしまいそうで。 
 だけど、やっぱり。ううん。 
 一緒に過ごす時間が増えて、もっともっと 
 好きになってしまった自分がいて。 
  
 近づきたくて、もっと心を開いて欲しくて。 
 私は―― 
  
 「想いを伝えてしまったんです」 
  
 イチかバチかの賭けに 
 私は負けてしまいました。 
  
 「石川さんがあの日見ていた通り 
  私は捨てられました」 
  
 「けど・・・ 
  彼女、すごく悲しそうな瞳だった・・・」 
  
 ――まるで自分の方が捨てられたみたいな・・・ 
  
 その瞳は今でもハッキリ思い出せる。 
  
 「いつもそうです。誰かがひとみさんの元を去るときは。 
  自分で振っといて、必ずそんな瞳をするんです。 
  でも道重さんには、そんな瞳をしなかった」 
  
 だって。 
  
 「石川さんがいるから」 
  
  
 ・・・え? 
  
   
- 837 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 17:05
 
-   
 「道重さん、田舎に帰りました」 
  
 うそ・・・ 
  
 「吉澤さん、月を見つけたみたいだからって。 
  石川さんが来てから、吉澤さんすごく変わったって」 
  
 さゆちゃんが・・・? 
  
 「このままHYハウスにいても 
  辛いだけだから、いっそのこと実家に帰るって」 
  
 そんな・・・ 
  
 「だから最後に・・・」 
  
 ・・・最後、に? 
  
   
- 838 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 17:05
 
-   
 「最後にもう一度だけでいいから、 
  吉澤さんに抱かれたいって。 
  好きな気持ちを受け止めて欲しいって」 
  
  
   『・・・ねぇ、いいでしょ?』 
   『・・・吉澤さん』 
   『やさしくしないで』 
  
  
 「だけど、ひとみさん。 
  結局道重さんのこと、抱けなかったらしくて」 
  
 「え?!だって・・・」 
  
 「『ごめん、今まで散々してきたのにごめん』 
  そんな風に言われたそうです。そして――」 
  
  『アタシ、好きな人がいる・・・』 
  『・・・月、みたいな人なんだ・・・』 
  
 「そう言って微笑んだそうです」 
  
 胸がギュウっと締め付けられた。 
  
   
- 839 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 17:06
 
-   
   『――アタシ、さ・・・』 
   『いつも月を見てたんだ・・・』 
   『派手じゃないんだけど、ちゃんと光っててさ』 
  
   『分厚い雲に覆われてもなお、闇を照らそうとして 
    ムダに張り切って光っててさ・・・』 
   『雲間から顔を覗かせると、優しい光をくれるんだ・・・』 
   『泣きたくなるくらいに、温かくて優しい光を、さ・・・』 
  
   『・・・あの日、ね? 
    石川さんを初めて見たとき。 
    月みたいな人だって思ったんだ・・・』 
  
   『石川さん見た時にね? 
    いつも見上げてる月と同じ温もりを感じたんだ・・・』 
  
   『多分アタシは、あの行列の中に 
    石川さんが埋もれてたとしても、きっと見つけ出せたと思う』 
  
   『それくらい、アタシには眩しく映ったから』 
  
   
- 840 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 17:07
 
-   
 「だけど石川さん、その日からいなくなっちゃって。 
  あとでその場面を見てしまったんだろうって、紺野さんから聞いて知って。 
  自分から連絡しても、石川さん拒否するだろうしって 
  紺野さんに連絡してもらって――」 
  
 けど、結局ダメで。 
  
 吉澤さんに連絡取るように言ってみても 
 哀しげに微笑んで、首を振るばかりで・・・ 
  
 せっかく吉澤さん、変わりかけてるのに。 
 やっと月を見つけたのに。 
  
 自分のせいで、自分のワガママのせいで 
 壊してしまったんだとしたら・・・ 
  
 「そう言って、泣きつかれました」 
  
 彼女が優しく微笑んだ。 
  
   
- 841 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 17:07
 
-   
 「お願いです、石川さん」 
  
 もう一度、考え直してくれませんか? 
 HYハウスから出て行かないで下さい。 
  
 今度こそ、吉澤さん。 
 孤独にのまれてしまいます。 
  
 「だからどうか・・・」 
  
 「――吉川さんは・・・知っていますか? 
  こんな夜に、彼女が・・・吉澤さんがどこにいるのかを」 
  
 「こんな・・・夜、ですか?」 
  
 目の前の彼女が、窓の外に視線を向けた。 
 街灯の下で舞う、細かい雨粒が見える。 
  
   
- 842 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 17:08
 
-   
   『ボヤけて見える街並みに、 
    モヤがかかる闇夜に、自分の身が溶け込まないかな。 
    そんな風に願ってた』 
  
   『コンコン、今夜も消えれなかったよ・・・』 
   『今日こそは消えれると思ったのになぁ・・・』 
  
  
   『やはり私は思うのです。 
    手を差し伸べて下さる誰かをずっと 
    探していらっしゃったのではないかと・・・』 
  
   『ひとみさんはきっと、石川さんを求めておいでです』 
  
   『住人の誰よりも、あなたを綺麗にしたがったのも。 
    他の住人に、あなたを笑わせまいとしたのも。 
    あなたを大切に思うゆえだと、私は思うのです』 
  
  
   『あなたしかいないと、私は確信しています』 
  
  
   
- 843 名前:第5章 3 投稿日:2013/05/17(金) 17:09
 
-   
 「ごめんなさい。失礼します!」 
  
 お財布からお札を一枚引き抜いて 
 テーブルの上において、立ち上がった。 
  
 「あ、ちょっと!石川さん?!」 
  
 行かなきゃ、わたし。 
 彼女を連れ戻しに行かなきゃ。 
  
 この闇に、この靄に飲まれないように。 
 わたしが彼女を。 
  
 優しい光で照らしてあげなきゃ―― 
  
 熱い使命に燃えて、 
 冷たい霧雨が降る街へと飛び出した。 
  
   
- 844 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/17(金) 17:09
 
-   
   
- 845 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/17(金) 17:09
 
-   
   
- 846 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/17(金) 17:09
 
-   
 本日は以上です。 
  
   
- 847 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/17(金) 17:12
 
-  今週二回目の更新、サプライズでプレゼントを貰ったみたいです。 
 早く助けてあげて!!  
- 848 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/18(土) 00:50
 
-  今でしょ! 
 
- 849 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/18(土) 07:59
 
-  きたー 
 てか、いけーってかんじです  
- 850 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/20(月) 15:54
 
-   
 >847:名無飼育さん様 
  喜んで頂けたようで何よりです。 
  
 >848:名無飼育さん様 
  おや先生、こんなところに・・・ 
  
 >849:名無飼育さん様 
  いきまーす! 
  
  
 では本日の更新です。 
  
   
- 851 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/20(月) 15:54
 
-   
   
- 852 名前:第5章 4 投稿日:2013/05/20(月) 15:55
 
-   
 ハア、ハア、ハア・・・ 
 もうっ!どこにいるのよ! 
  
  『ある時は、公園で。 
   ある時は、歩道橋の上で。 
   ある時は、雑踏の中で――』 
  
 一人で佇むってどこよっ?! 
  
 ドラマならそろそろ見つけられるはずでしょ? 
 なのに何で、こうもうまくいかないわけぇ? 
  
 むやみやたらに走り回って、一時間以上。 
 しとしとと降り続く雨が、じっとりとわたしの全身を濡らしている。 
  
   
- 853 名前:第5章 4 投稿日:2013/05/20(月) 15:56
 
-   
 まさか、ひめがいるからって 
 お部屋でワイン飲んでいるんじゃ・・・ 
  
 そう思って青ざめた。 
  
 そうだとしたら、わたしが必要なんじゃなくて 
 ひめがいればいいって話になっちゃうじゃない! 
  
 「そんなのダメぇ〜!!」 
  
 歩道橋の上で、思わず叫んだら、 
 通りすがりの人が足早に駆け下りていった。 
  
 何よもうっ! 
 人を異物みたいに・・・ 
  
   
- 854 名前:第5章 4 投稿日:2013/05/20(月) 15:57
 
-   
  『アタシさ、孤独なんだよね』 
  
  『天涯孤独の身ってヤツ?』 
  
  『あったかい居場所が欲しかったんだろーな、多分。 
   いつも誰かがそばにいてくれる。 
   そんな空間が欲しかったんだろーね』 
  
  『だからHYハウス作ったの』 
  
  
 今みたいに、ずっと人から関わりを避けられたら・・・ 
  
 ただ、その生まれのせいで 
 ただ、その血筋のせいで 
  
 孤独な生活を強いられたのなら・・・ 
  
  『ボヤけて見える街並みに、 
   モヤがかかる闇夜に、自分の身が溶け込まないかな。 
   そんな風に願ってた』 
  
 そう思ってしまうのも・・・ 
  
 でもダメ! 
 これからは、わたしがそうはさせない。 
 だってわたしは―― 
  
   『石川さんを初めて見たとき。 
    月みたいな人だって思ったんだ・・・』 
  
 ――彼女の月なんだから。 
  
   
- 855 名前:第5章 4 投稿日:2013/05/20(月) 15:58
 
-   
 携帯の電源を入れて、紺野さんにかける。 
 1コールですぐに繋がった。 
  
 『石川さんっ!やっと・・・』 
  
 「紺野さん、色々とごめんなさい。 
  お詫びとお礼は、あとでちゃんとするから」 
  
 紺野さんの言葉を遮る。 
 とにかく今は彼女のことを聞きたい。 
  
 「紺野さん、大家・・・吉澤さんは?」 
  
 ドクドクと体の中を心音が鳴り響く―― 
  
 探す当てはどこにあるだろう? 
 とにかく今は、彼女を見つけ出したい。 
  
 遠くたって近くたって、必ずわたしが見つけ出してみせる。 
 だってわたしは、彼女の・・・ 
  
 『お部屋にいらっしゃいます』 
  
  
 「・・・・・・へ?」 
  
 思わず力が抜けた。 
 ヘナヘナとその場にしゃがみ込む。 
  
   
- 856 名前:第5章 4 投稿日:2013/05/20(月) 15:58
 
-   
 「いるって、その・・・」 
  
 もしかしてこれって、最悪のパターン? 
  
 『先ほど戻られて・・・』 
 「戻った・・・?」 
  
 まだ雨が降っているのに? 
  
 『はい。ちょっと前に一人でおでかけになられて、 
  先ほど戻られました』 
  
 あは、あはははは・・・そうなんだ。 
 外出したけど戻ったのね・・・ 
 それは良かった・・・ 
  
 最悪のパターンではないけれど 
 無事に戻ってたのなら、それはそれでね、うん。 
 いいことなんだけど何でだろう、すごく複雑・・・ 
  
   
- 857 名前:第5章 4 投稿日:2013/05/20(月) 15:59
 
-   
 「無事ならいいの・・・」 
  
 そう、そうよ。 
 無事ならいいのよ・・・ 
 一気に襲ってくる疲労感が半端ない。 
  
  
 『――けど・・・』 
 「けど?」 
  
 『ご様子がおかしいんです・・・』 
 「おかしい?」 
  
 疲労バロメーターが一気に回復する。 
  
 「何がおかしいの?」 
  
   
- 858 名前:第5章 4 投稿日:2013/05/20(月) 16:00
 
-   
 戻られたのはいいんですけど、いつものように 
 『コンコン、今夜も消えれなかったよ』 
 とはおっしゃられなくて、代わりに―― 
  
 『コンコン、後のことはちゃんとしてあるから 
  何が起きても心配しなくていいよ。 
  この仕事も続けられるし、大丈夫だから』 
  
 突然、そんな風におっしゃられて・・・ 
  
 『住人のみんなも心配いらないから。 
  今まで通り、問題ないからね』 
  
 その上―― 
  
 『今までありがとう。 
  ほんとに感謝してる』 
  
 まるで今生のお別れのように 
 そんな風におっしゃったんです。 
  
 もう私、ビックリして 
 どうしていいかわからなくて・・・ 
  
 お昼間にまた、お義兄様がいらしていたので 
 どうしようもなく胸騒ぎがして―― 
  
   
- 859 名前:第5章 4 投稿日:2013/05/20(月) 16:00
 
-   
 「部屋にいるんだよねっ?」 
 「はい・・・石川さん、私どうすれば・・・」 
 「すぐ行く」 
 「え?」 
  
 「すぐ行くから!」 
  
 歩道橋を駆け下りて、タクシーを捕まえる。 
  
 「とにかく、すぐ行くから!!」 
  
 後部座席が開いて乗り込むと 
 運転手さんがギョッとした。 
  
 なによ! 
  
 「――お客さん・・・生きてるよね?」 
  
 あ・・・ 
  
 全身びしょぬれ。 
 髪はボサボサ。 
 必死の形相。 
  
   
- 860 名前:第5章 4 投稿日:2013/05/20(月) 16:01
 
-   
 「大丈夫!わたしは生きてますっ!!」 
  
 後部座席に座ったまま 
 足を上げて証明する。 
  
 「とにかく急いで下さい! 
  絶対死なせたくないんですっ! 
  人の命がかかってるんですっ!!」 
  
 行き先を告げ、わたしの勢いに 
 気おされた運転手を何度も何度もせかした。 
  
 今生の別れ? 
 ふざけないでよっ! 
  
 わたしがいるじゃない! 
  
 だから絶対に。 
 絶対にそんなことさせないんだからっ!! 
  
 「急げぇ〜〜〜〜〜っ!!!!」 
  
 運転手さんが一瞬体を震わせて 
 アクセルを踏み込んだ。 
  
   
- 861 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/20(月) 16:01
 
-   
   
- 862 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/20(月) 16:02
 
-   
   
- 863 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/20(月) 16:02
 
-   
 短いですが、本日は以上です。 
 次回最終回となります。 
  
   
- 864 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/20(月) 21:59
 
-  次回が楽しみです!結末が気になる・・・ 
 
- 865 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/20(月) 22:37
 
-  楽しみだけど 
 終わっちゃうの寂しい・・・  
- 866 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/23(木) 10:56
 
-   
 >864:名無飼育さん様 
  最終回楽しんで頂ければ幸いです。 
  
 >865:名無飼育さん様 
  嬉しいお言葉をありがとうございます。 
  
  
 では、『大家 吉澤』最終回です。 
  
   
- 867 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/23(木) 10:57
 
-   
   
- 868 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 10:58
 
-   
 <キィィィッ!!> 
  
 激しい摩擦音がして、タクシーが止まると 
 紺野さんが飛び出てきた。 
  
 「石川さんっ!」 
  
 感謝の言葉とともに 
 「おつりはいりません」なんて、庶民としては 
 一生に一度使うか使わない言葉を述べて、タクシーを降りた。 
  
 「吉澤さんは?!」 
 「お庭です」 
  
 ひめを腕に抱えた紺野さんが、 
 泣きそうな顔のまま続ける。 
  
 「とにかく心配で心配で、先ほど非常口から覗いたら 
  雨の中、お庭の真ん中に立っていらっしゃったんです」 
  
 真ん中に? 
  
 「もう私、心配で心配で。 
  木の方をご覧になっていたんで、まさかあの木で・・・とか 
  悪い方に悪い方に考えてしまって――」 
  
   
- 869 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 10:58
 
-   
 「とにかく行こう」 
  
 ひめを紺野さんに預けたまま 
 先に立って歩き出す。 
  
 胸の鼓動が痛いほど早まる。 
  
 急ぎたいのに怖い。 
 小さく体が震える。 
  
 だって、彼女がもし―― 
  
 小さく首を振った。 
 ううん、大丈夫。 
 絶対、大丈夫。 
  
 強く自分に言い聞かせて、 
 非常口の扉を開けた―― 
  
  
   
- 870 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 10:59
 
-   
  
  
  
 ――なに、してるの・・・? 
  
  
 彼女が手にしているのは、灯油缶。 
 中の液体を周囲に撒き、空になった缶を傍らに置いた。 
  
 「あれ、って・・・」 
  
 震えながら、紺野さんが呟いた。 
  
 「まさ、か・・・しょ、焼身・・・」 
  
 彼女がポケットから、タバコを取り出し 
 口にくわえた。 
  
 そして、ライターで火をつけ―― 
  
   
- 871 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:00
 
-   
 「ダメぇぇぇ〜〜〜〜〜っ!!!!」 
  
 力の限り叫んだ。 
 ギョッとした顔の彼女と目が合う。 
  
 「・・・いし、かわ・・・さん・・・」 
  
 驚きのあまり、そう呟いて 
 口をあんぐり開けた彼女の口元から、 
 火の付いたタバコが、ゆっくりと落下していく―― 
  
 まるでスローモーション。 
 あのタバコが地面についたら、彼女は一気に炎に包まれてしまう・・・ 
  
 「石川さんっ!」 
  
 紺野さんの尖った声に我に返る。 
 と同時に、押し付けられるように差し出されたそれを 
 ひったくるようにして受け取り、彼女に狙いを定め 
 レバーを強く握った。 
  
   
- 872 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:01
 
-   
 「うぉぉりゃぁぁぁ〜〜〜〜!!!!」 
  
 自分でもよく分からない奇声を発しながら 
 勢いよく彼女に放射する。 
  
 みるみるうちに白い粉に包まれ 
 辺りにも白煙が立ち込める。 
  
 とにかく消火! 
 絶対に死なせたりするもんですかぁっ!! 
  
 「消えろぉぉぉ〜〜〜!!!」 
  
 無我夢中で、ホースを握り 
 熱から逃れようと、逃げまわる彼女に放射を続けた。 
  
 中身が空になり、肩で息をする。 
 目の前には、真っ白になった彼女の姿―― 
  
   
- 873 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:01
 
-   
  
  
  
  
 「あら〜、よっちゃんが真っ白だべさ」 
  
 「そんなよっすぃ〜も素敵よ?」 
  
 「ねぇ梨華ちゃん、よっちゃんに恨みでもあんの?」 
  
  
 ・・・・・・へ・・・? 
  
  
 いつの間にか、わたしの後ろで観客と化していた住人3人が、 
 非常事態だというのに、のんきな声で口々におかしなことを言う。 
  
  
   
- 874 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:02
 
-   
 「・・・ケホ、ケホッ・・・ 
  いし、かわ・・・さん・・・」 
  
 真っ白な人型と化した彼女が 
 なぜかしっかりとした足取りで、 
 わたしに向かって歩いてくる。 
  
 「ケホッ・・・、いきなり・・・ケホッ」 
  
 彼女が咳をするたびに 
 口元から白い煙があがる。 
  
 「・・・人に向け、ケホッ・・・消火器、ぶっ放すって・・・どうなのよ?」 
  
 え?ええ? 
 えええええ???? 
  
   
- 875 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:03
 
-   
 彼女と後ろの3人を交互に見て 
 やっと置かれている状況を把握し出した、わたしの思考。 
  
 最後に、ひめを抱えた紺野さんの 
 バツの悪そうな顔を見て、自分の早とちりを理解した。 
  
 「・・・ケホッ。ね・・・いし、かわ・・・さん・・・?」 
  
 真っ白な彼女から、殺気が―― 
  
 あ、あ・・・ 
 その・・・、えっと・・・ 
 だから・・・、つまり・・・ 
  
   
- 876 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:03
 
-   
 「あ、そうだ。なっち 
  お母さんに連絡しなきゃ」 
  
 自らの腕を見て、そそくさと退散する安倍さん。 
  
 「カオリもそろそろ交信の時間・・・」 
  
 遠い目をして、これまたそそくさとこの場を去る飯田さん。 
  
 「あ、美貴。洗濯の途中だった」 
  
 2人に続いて、CMソングを口ずさみながら、 
 ダッシュで去っていく美貴ちゃん。 
  
 そして―― 
  
   
- 877 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:04
 
-   
 「ひめちゃん、おねむですか。 
  そうですか」 
  
 ひめの目を無理矢理、手で塞いで 
 美貴ちゃんを追い越す勢いで、全速力で駆けていく・・・ 
  
 「ちょ、ちょっと!! 
  紺野さんまでっ!」 
  
 みんな・・・ 
 お、お願いだから・・・ 
  
 一人にしないでぇぇぇ〜〜〜〜〜 
  
   
- 878 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:04
 
-   
 「・・・で。ケホ。石川さん?」 
  
 「ご、ご、ご、ごめんなさいっ!!」 
  
 わたし、勘違いしちゃって。 
 あなたの様子が変だって言うから。 
 お別れするみたいな言い方だったって聞いたから。 
  
 「それに、灯油だって撒いてたし・・・だから・・・」 
  
 彼女が指で転がっている灯油缶を指した。 
  
 「あれ、灯油缶に見えた?」 
 「え?・・・・・・あ・・・う、そ・・・」 
  
   
- 879 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:05
 
-   
 「どう見てもウォーターボトルだけど」 
  
 あわわわ・・・ 
  
 「ごめんなさいっ!!」 
  
 先入観とは怖いもので 
 よく見れば、いやよく見なくても 
 あれは見まごうことなきウォーターボトル・・・ 
  
  
 「・・・フハ、アハハハッ」 
  
 さも可笑しそうに笑う彼女。 
  
 「石川さん、サイコー」 
  
 へ? 
  
 「アタシが自殺するって思ったの?」 
  
 小刻みに頷く。 
  
 「んで、助けようとしてくれた訳だ」 
  
 大きく頷いた。 
  
   
- 880 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:05
 
-   
  
 「サンキュ」 
  
 え? 
  
 俯いた顔を上げると 
 満面の優しい笑みが迎えてくれた。 
 ただし、粉まみれだけど・・・ 
  
 「わ、わたし、拭くもの持ってきますっ!」 
  
 以前ここから上がった時よりは 
 勝手知ったる彼女のお部屋。 
  
 そそくさと窓から上がって 
 リビングを通り抜けようとする。 
  
 ふと目に留まったテーブルの上の紙。 
  
 あれって、もしかして・・・ 
  
  『では、あとで吉澤さんに持っていきますから 
   こちらの解約届にサインを』 
  
 ズキンと胸が疼いた。 
  
   
- 881 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:06
 
-   
 タオルを手にして、リビングに戻ると 
 窓辺に腰掛けた彼女の後ろ姿。 
  
 ヤダ・・・ 
  
 言葉に出来ないほどの痛みが 
 わたしを襲う。 
  
  『その人と一緒にいる方が苦しいなら 
   その人の元を離れなさい。けど・・・』 
  
  『その人を失うことの方が苦しいなら 
   その人のそばにいなさい』 
  
   
- 882 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:07
 
-   
 立ち尽くしたままのわたしの気配に気づいたのか 
 彼女が振り返る。 
  
 「石川さん・・・?」 
  
 唇をかみ締めた。 
 言葉を発しようとすると、涙が溢れそうになる。 
  
 やっと答えが見つかったから―― 
  
 「どしたの?」 
  
 さっきね。わたし必死だった。 
 あなたを・・・あなたを失いたくなくて―― 
  
   
- 883 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:07
 
-   
 「・・・あ、そっか。ごめん。 
  心配しないで。さっきもうサインしといたから」 
  
 アタシとの契約はこれで終わり。 
 こんないい思い出っつーか、ハプニングもあったし。 
 今まで結構楽しかったよ。 
  
 ま、でも。ここが気に入らないなら仕方ないけど 
 アタシがイヤで解約すんだったら 
 そのまま住めば? 
  
 「もうすぐアタシ、ここの大家じゃなくなるから」 
  
   
- 884 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:08
 
-   
 「・・・どういう・・・こと・・・?」 
 「売ったんだ今日、義兄さんに。 
  だから明日、ここを出て行くんだよ」 
  
 毎回、ここに来ちゃうるさくてさ。 
 いい加減、もうメンドーで。 
  
 ここの全部を売れば、一生遊んで暮らせる金にはなるし 
 いっそのこと、海外にでも行っちまおうかなってさ。 
 ナイスバディの金髪のお姉ちゃんとかはべらせてさ。 
  
 もうさ、5軒別荘の契約もして来たし。 
 ハワイでしょ、シアトルでしょ、パリにバンコク。 
 やっぱたまには日本にもいたいから、恩納村にもね。 
  
 毎日酒飲んで、毎日遊んで、毎日楽しいぜ〜 
  
   
- 885 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:08
 
-   
 「何よ・・・それ・・・」 
  
 「だから、石川さんもここ気に入ってるなら 
  このまま続けて住んでいいよ。 
  このHYハウスだけは、今の条件のまま 
  引き継いでくれるようになってるからさ」 
  
 お部屋に上がって、わたしのそばまで来ると 
 立ちすくんだまま動かないわたしの手から 
 タオルを取り上げた。 
  
 「今日までありがと」 
  
 あと嬉しかったよ、助けようとしてくれたこと。 
 ぶっちゃけ、ちょっと思ったんだ。 
 これが灯油だったら・・・なんて。 
  
 「だから石川さんが、アタシが自殺しようと 
  してるように見えたのは、仕方ないっつーか・・・」 
  
   
- 886 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:09
 
-   
 「ふざけないでよっ!!」 
  
 「――いし、かわ・・・さん?」 
  
 言葉と共に感情が流れ出して 
 涙が止まらない。 
  
 「ふざけないで、ふざけないでっ」 
 「ごめん、勘違いさせる気なんて・・・」 
  
 「ちがうっ!!」 
  
 違うの、違う。 
 わたし、分かったんだから。 
  
 あなたを失うことが、何よりも苦しいって、 
 辛いって、やっと分かったんだから。 
  
 だからお願い―― 
  
   
- 887 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:09
 
-   
 「どこにも行かないで・・・」 
  
 目の前の彼女に抱きついた。 
  
 「お願いだから、どこにも行かないで・・・」 
  
 更に腕に力を込めて 
 ギュッと抱きついた。 
  
 「――石川、さん・・・」 
  
 「そばにいて・・・ 
  お願い・・・」 
  
   
- 888 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:10
 
-   
 「石川さん・・・、自分で何言ってんのか、わかって、る・・・?」 
  
 彼女の体から、戸惑う気配が伝わってくる。 
 けど、分かってるもん。 
 自分の気持ちくらい、とっくに分かってるもん。 
  
 「ちゃんと分かってる・・・」 
  
 ほんとは、もうずっと前から 
 あなたのことが好きだってことぐらい・・・ 
  
 ――そんなの、よく分かってるもん・・・ 
  
 「好き・・・」 
  
 だから、そばにいてよ。 
 お願いだから、どこにも行かないで―― 
  
 彼女の目が見開かれる。 
 大きな瞳が、不安に揺れている。 
  
   
- 889 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:11
 
-   
 「・・・アタシに、なんか・・・、本気になったら・・・不幸になる、よ?」 
 「ならない」 
  
 「なるよ・・・アタシ、なんか・・・」 
 「わたしにとっては、あなたなんかじゃない。 
  あなただけなの・・・」 
  
 「・・・なに、言ってん、の・・・ 
  アタシ、みたいのは・・・石川さんに相応しくな――」 
  
 「そんなの、わたしが自分で決めるんだもんっ!」 
  
 見上げた瞳は、いつものように魔力を湛えた瞳ではなくて 
 守ってあげなければ壊れてしまいそうなほど、弱々しい瞳・・・ 
  
   
- 890 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:11
 
-   
 「――好きなの・・・」 
  
 だからわたしが、その瞳を守ってあげる。 
  
 「ありのままのあなたが好き・・・」 
  
 どんな時でも、あなたの心に寄り添って 
 わたしがずっとそばにいる。 
  
 「本気だよ」 
  
 こう見えて、わたし 
 すっごく強いんだから。 
  
 だってわたし。 
  
 「あなたの月だもん」 
  
   
- 891 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:12
 
-   
 「・・・バカ、だよ・・・石川、さん・・・」 
 「うん、知ってる」 
  
 「アタシみたいなのに、マジになって、さ・・・」 
 「仕方ないじゃない。好きなんだもん」 
  
 「石川さん、なら、いい男・・・ 
  いくらでも捕まえられるのに・・・」 
  
 今のわたしなら、そうかもしれないね。 
 そうかもしれないけど、でもわたし。 
  
 「・・・人生、棒に振るよ?」 
  
 「あなたと一緒にいられるなら 
  それが最高の人生だもん」 
  
 彼女の瞳から、まるでダイヤのように 
 キレイな涙がこぼれ落ちる。 
  
   
- 892 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:12
 
-   
  
  
 「――ずっと・・・、光が欲しかったんだ・・・」 
  
 アタシ、愛人の子だし。 
 ひっそり生きなきゃって。 
  
 疎まれて、蔑まれて。 
 それがアタシの日常で。 
  
 もっと不幸な人なんて、世の中いっぱいいるんだって 
 必死で自分に言い聞かせても、どうにもならなくて。 
  
 ならばいっそ、闇に飲まれて消えちゃえばいいって、 
 そう思うのに、闇はアタシのことを消してはくれなくて・・・ 
  
 今夜こそ、今夜こそって。 
 雨の日はいつも、この身が闇に包まれるのを心から願ってた。 
  
   
- 893 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:13
 
-   
 ――だけど・・・ 
  
 だけどほんとはね。 
 すごく怖かったんだ・・・ 
  
 消して欲しいのに、消されることが。 
 吸い込まれそうな真っ暗闇にのまれることが。 
  
 震えるほど怖かった。 
  
 だから、苦しくて。 
 誰かに助けて欲しくて―― 
  
 ――ずっと・・・アタシの月を探してた・・・ 
  
 泣きたくなるくらいに 
 温かくて優しい光をくれる、アタシだけの月を・・・ 
  
   
- 894 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:13
 
-   
 「――アタシ、も・・・」 
  
 出会った時から。 
  
 「石川さんが好き・・・」 
  
 嬉しくて、涙が溢れた。 
 もっと距離を縮めたくて、彼女に触れたくて 
 思いっきり彼女に抱きつく。 
  
 「ねぇ、石川さんまで汚れちゃうってば」 
 「いいのぉ」 
  
 ほっそりとした首に腕をまわして 
 もっと彼女を引き寄せた。 
  
 間近で見つめる彼女の瞳は 
 宝石よりもキレイ・・・ 
  
   
- 895 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:14
 
-   
 そっと唇を寄せて、彼女に触れる―― 
  
 わたしに触れられたまま 
 ガチッと固まる彼女。 
  
 もうっ! 
 どうしてわたしには、触れるだけなのよ! 
  
 一度離れて、もう一度間近で彼女を見つめる。 
  
 「ちゃんとしてよ・・・」 
 「・・・ちゃ、ちゃんとって・・・?」 
  
 「恋人がするキス」 
 「こ、恋人・・・?」 
  
 「もう恋人でしょ?わたし達」 
 「・・・い、いいの?ほんとに・・・」 
  
 ここまで来て尻込みしないで。 
  
 「・・・後悔、するかもよ?」 
  
 探るような彼女の瞳の色。 
  
 「しないよ。 
  絶対しない」 
  
 だってわたし、こんなにもあなたが好きなんだから。 
  
   
- 896 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:15
 
-   
 もう一度寄せた唇。 
  
 今度は強引に、彼女の中に割り込んでみる。 
 わたしの中に溢れる思いを彼女に届けたい。 
  
 だけど・・・、これでいいのかな・・・? 
  
 深いキスなんて初めてで、探るように動くわたしを 
 不満に思ったのか、彼女が離れた。 
  
 ご、ごめ・・・ 
  
 謝ろうとして、驚いた。 
 艶っぽい、見たことのない彼女のカオ・・・ 
  
 ドキンと心臓が大きく跳ねた。 
  
 「・・・もう、引き返せないよ?いいの・・・?」 
 「だからいいって言って・・・」 
  
 最後まで言わせてもらえなかった。 
  
   
- 897 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:15
 
-   
 彼女の唇がわたしのそれを包み込み 
 下唇を挟まれて、優しく吸い上げられた。 
  
 すぐに上唇を濡れた舌先が這い、そのまま口内に差し込まれる―― 
  
 ・・・っんぅ・・・・・・ 
  
 体に力が入らない。 
  
 砕けそうになる腰を、唇を合わせたまま、強く引き寄せられる。 
 遠慮がちに差し出していた舌に、彼女のそれが絡みつく。 
  
 彼女の指が、わたしの頬を挟み 
 もっともっととせがまれる。 
  
 ・・・苦しい。 
 だけど・・・ 
  
 ――あなたが、欲しい・・・ 
  
   
- 898 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:16
 
-   
 わたしの中の何かが弾けて、彼女にしがみついた。 
 本能に任せて、ねだるように彼女の動きを煽る。 
  
 好き・・・ 
 大好き・・・ 
  
 伝わってる? 
 わたしの想い。 
  
 わたしはあなただけに寄り添う月だから。 
 これからずっと、あなたのそばにいるから・・・ 
  
 だからもう、あなたは一人ぼっちなんかじゃない―― 
  
  
 「初めてなんだ・・・」 
 「・・・何、が?」 
  
 「キスして体が震えたのなんて。 
  石川さんが初めてだよ・・・」 
  
 彼女の言葉が、最高に嬉しくて 
 もう一度わたしから唇を寄せた―― 
  
   
- 899 名前:第5章 5 投稿日:2013/05/23(木) 11:16
 
-   
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
   
- 900 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:17
 
-   
  
 「これでよしっと」 
  
 眩しい日差しに手をかざす。 
 今日も快晴、お手入れ日和。 
  
 太陽に向かって、元気いっぱいに花を咲かせる 
 我が花壇のかわいいお花たち。 
  
 HYハウスのように豪華な造りではないけど 
 塗装もして、花壇も整備して、より素敵なアパートになった。 
  
 仕上げに『1444ハイツ』の看板を磨きあげて 
 大きく伸びをした。 
  
  
   
- 901 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:18
 
-   
 想いが通じ合ったあの夜、 
 わたし達は、甘い甘い時間を過ごしていた。 
  
 粉まみれの体を共に洗い流し 
 雨に濡れた体を共に温め 
  
 言葉では伝えきれない想いを行為で伝え合い 
 熱い心と体を共有していた。 
  
 予想以上に真っ白で、柔らかい肌にくるまれながら 
 わたし達は、これから2人で歩む未来の約束を交わした―― 
  
 ・・・と、そこで気づいた重要事項。 
  
   『もうすぐアタシ、ここの大家じゃなくなるから』 
  
   『売ったんだ今日、義兄さんに。 
    だから明日、ここを出て行くんだよ』 
  
 ということは・・・・・・ 
  
   
- 902 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:18
 
-   
 「明日からどうするつもりだったの?」 
 「んー、とりあえず、5つの別荘のどれかに行こっかなって」 
 「飛行機は?」 
 「まだ」 
 「わたしも着いていっちゃおうかな?」 
 「もちろん」 
  
 と、ここで深くて甘いキス。 
  
 「どこから行きたい?」 
 「そうだな〜、やっぱりハワイかな!」 
  
 るんるん気分で、もう一度キス。 
  
 水着とか用意しなきゃーとか 
 日焼け止め絶対買わなきゃーとか 
  
 常夏の楽園に思いを馳せながら 
 愛しい彼女と微笑を交わす。 
  
   
- 903 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:19
 
-   
 「ねぇ、どんな別荘買ったの?」 
  
 彼女の輪郭をたどりながら 
 この上ない幸せをかみ締める。 
  
 「パンフあるよ。見る?」 
 「うん!」 
  
 バスローブなんか羽織っちゃって 
 軽くチュッなんて口付けを交わして 
 パンフが置いてあるリビングに移動する。 
  
 彼女が書類一式を持ってきて 
 並んでソファーに腰掛ける。 
  
 ここまでは良かった。 
  
 「すごい!これ。 
  プール付、ジャグジー付!」 
  
 ここまでも良かった。 
  
 一通り目を通して、弾む気持ちのまま 
 思わず手にした、これらの契約書、及び吉澤タウンの売買契約書―― 
  
   
- 904 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:19
 
-   
  
  
  
 「・・・・・・・・・ねぇ。これ同額なんだけど・・・」 
  
 「そうだよ、売った金に見合う物件探してもらった」 
  
  
 そっか、蓄えがね。 
 彼女の場合、たくさん―― 
  
  
 「あ、飛行機代ねーや」 
  
 耳を疑った。 
  
 ね、貯金は? 
 この吉澤タウンの今までの収入は?? 
  
 「貯金?してないよ。毎月大体トントンだもん。 
  収入と支出と」 
  
 愕然とした。 
 い、いくら何でも・・・ 
  
 いや、待て待て。 
 最後まで話は、ちゃんと聞こう。 
  
   
- 905 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:20
 
-   
 「えっと・・・さ。 
  不動産とか売ったら、税金かかるの知ってるよね?」 
  
 「マジで?!!」 
  
 「買ったときも、もろもろかかったりするんだけど 
  もしかして、それも・・・」 
  
 「知らねー!!!」 
  
 「本気で言ってる?!」 
  
 「もしかして、今の所持金五百円じゃヤバイ?」 
  どうしよ、梨華ちゃんっ!!!」 
  
 名前を呼んでもらうのは嬉しい。 
 青ざめた顔だって、魅力的。 
  
 だけど―― 
  
   
- 906 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:21
 
-   
 「もう売るしかないじゃん」 
 「え〜っ!!」 
  
 まだ一回も行ってないのに? 
 豪遊は?酒盛りは?? 
  
 ジタバタする彼女をなだめすかし 
 申し訳なく思いつつ、非常事態だと 
 新垣さんと紺野さんを呼び、対策を練る。 
  
 夜を徹して愛しあう予定が、 
 急遽変更、緊急生存会議へと化す。 
  
  
 結果、一番高いパリの別荘を売り払うことに―― 
  
  
   
- 907 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:21
 
-   
 「え〜っ!ヤダよ、花の都パリだよ? 
  行きてーよ」 
  
 だだをこね続ける彼女に 
  
 「新垣に相談もせず、お義兄さんの言われるままに 
  購入を決めたりするからこうなるんですっ!」 
  
 と一喝する新垣さん。 
  
 「まあまあ」なんて間を取り持ちつつ、 
  
 「ヨーロッパは、2人で旅行しよ? 
  パリだけじゃなく、ドイツ、フィンランド、イギリスも行こ?ね?」 
  
 って、必死に説得し 
 しぶしぶ彼女が頷いた時には、もう夜が明けていた。 
  
   
- 908 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:22
 
-   
 当面の資金と、税金対策等々はパリの売却で決まり。 
 しかしながらもう一つの課題、2人の新居へと議題を移さねばならない。 
  
 タイムリミットは、ごくわずか。 
  
 ・・・が、紺野さんの閃きで、瞬時の解決を見た。 
  
 「石川さんが以前住んでらしたアパートを 
  いっそ買ってしまわれたらどうですか?」 
  
 おー 
 おおっ! 
 おおお〜っ!! 
  
 一同即決。よって、シアトル、バンコクの売却が決定。 
 結局残ったのは、ハワイと恩納村だけになった―― 
  
   
- 909 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:23
 
-   
 図らずも、おばあちゃんのアパートを引き継ぐ形になって、 
 おばあちゃんも大いに喜んでくれて、ひめも一緒に住めて、オールOK。 
 わたし的には、最高の結果。 
 一人だけ、大家用の部屋を『狭い・・・』とかブツブツ言ってるけど・・・ 
  
 それでも夜には、その狭さを感じさせないほど 
 熱くて濃厚なひとときを過ごす。 
  
 『アタシの女神』 
  
 そう囁いてくれるだけで 
 気分はヨーロッパ。 
  
 2人でいれば、どこにいたって 
 幸せの楽園だもん。 
  
   
- 910 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:23
 
-   
  
 「う〜ん・・・」 
  
 大きく伸びをして、太陽を仰ぎ見る。 
 今夜も月が輝くためには、太陽の光をたくさん浴びておかないと。 
  
 ・・・なんちゃって。 
  
 彼女がいれば、それだけで 
 わたしは輝いちゃうんだけどねー。 
  
 「ふふ・・・」 
  
 思わず、一人で笑いをもらしてしまう。 
 只今、幸せの絶頂、真っ最中。 
  
   
- 911 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:24
 
-   
 当面のわたし達の夢は、 
 現在は所有しているだけの、2軒の別荘に行くこと。 
  
 それなのに 
  
 『働いたことがないから、よくわかんねーし、 
  今まで通り、アタシは[大家 吉澤]だけで暮らしていいよね? 
  あとは梨華ちゃん宜しく』 
  
 なんて甲斐性のないことを言うから 
 買い物途中で、募集張り紙のあった老舗煎餅屋に、 
 彼女を無理矢理突っ込んでみたら、即採用決定。 
  
 何でも、女将の友人によく似てるだとか 
 看板メニューの煎餅に印字されてる女王にそっくりだとか言って 
 よく分からないけど、重宝されている。 
  
   
- 912 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:24
 
-   
 「そろそろ帰ってくるかな?」 
  
 腕時計を見ると、もうすぐお昼。 
 彼女のバイトは、土曜日は半日だから、 
 まもなく帰ってくるだろう。 
  
 管理費節約のために、会社が休みの土曜日に、 
 こうしてわたしがアパートの清掃、管理に勤しむ。 
  
 「ほんとよく出来た奥さんよねぇ」 
  
 なんて呟いて 
 またまた、一人で微笑んでしまう。 
  
 何をしていても幸せに感じるなんて 
 愛のチカラってすごいよね。 
  
   
- 913 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:25
 
-   
 「そろそろかなぁ・・・」 
  
 道路を見渡していると、アパートの入口で物音がした。 
 振り向くと、気まずそうなカオに出くわす。 
  
 ふふ〜ん。 
 逃しませんよ、今日は。 
  
 「こんにちは、嗣永さん」 
 「あは・・・あははは。こんにちは〜 
  今日もお天気いいですね〜」 
  
 「ね〜って! 
  待ちなさいっ!コラ」 
  
 自室へと引き返そうとした、嗣永さんの体が 
 ピキッと固まる。 
  
   
- 914 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:25
 
-   
 「確か・・・、先月分と先々月分のお家賃 
  まだ頂いてないですよね?」 
  
 支払滞納の常習犯、嗣永桃子。 
 可愛さで誤魔化そうとする、その根性が許せない。 
  
 「あれ〜おかしいなぁ?てへっ」 
 「てへっじゃな〜いっ!」 
  
 その仕種、ひとみちゃんには通じても、 
 わたしには通用しないんだからねっ! 
  
 「嗣永さん、今日と言う今日は・・・」 
  
 「ただいまー」 
  
 「あ、大家の吉澤さんっ!」 
  
 何と言うタイミングで帰ってくのよぉ・・・ 
  
 しかもこの子、わざわざ『大家の』って強調したでしょ! 
 そういう微妙な言い回しが、な〜んかムカツクのよね! 
  
   
- 915 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:26
 
-   
 「ももち、どうしたの? 
  何かあった?」 
  
 も、もも・・・ 
 ももちですって! 
 いつからそんな仲なのっ?! 
  
 「大家の吉澤さんは〜、ももちの〜 
  オトモモチなんですっ」 
  
 オトモモチ?? 
  
 「梨華ちゃんもなる?」 
  
 「なりませんっ!誰がなるもんですかっ!」 
  
 「どしたの、梨華ちゃん? 
  そんなに怒っちゃって」 
  
 「そーだそーだ」 
  
 くぉのぉ〜 
 いちいち小指立てんじゃないわよっ。 
  
   
- 916 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:26
 
-   
  
 ちゅっ。 
  
  
 ・・・え? 
 ええ?えええ?? 
  
  
 い、今、この子の目の前で、わたしにキスした?? 
  
 「何かあったの?」 
  
 頭を撫で撫でしながら 
 優しい眼差しをくれる。 
  
 嬉しい。 
 すごく嬉しいけど・・・ 
  
   
- 917 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:27
 
-   
 「ではでは、あとはお2人でごゆっくり〜」 
  
 「・・・ちょ、ちょっと待ちなさいっ」 
  
 そそくさと、この場を去ろうとする 
 元凶を引き止めた。 
 今は喜んでいる場合ではない。 
  
 「嗣永さん、お家賃の滞納分は 
  いつまでに支払ってくれるのかしら?」 
  
 「やあだぁ〜 
  ももち、滞納なんかしてませんよぉ〜」 
  
 こ、この子は・・・この期に及んで・・・ 
  
 「ねー、大家の吉澤さんっ」 
 「うん」 
  
 はあ?? 
 はあ?はあ?はああ?? 
  
 「実はさ・・・」 
  
   
- 918 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:28
 
-   
 「ももちの部屋って、アタシ達の部屋の真上じゃん? 
  だから聞こえちゃうんだって」 
  
 「聞こえちゃう?何が?」 
  
 チラリと周りを気にして 
 ひとみちゃんが、わたしの耳元で囁く・・・ 
  
 「アノ時の梨華ちゃんの声」 
  
 言葉が耳に入るやいなや、途端に頬が熱くなる。 
  
 「今まで、布団派だったらしいんだけど 
  その所為で眠れなくて、ベッドにしたんだって。 
  だから、何か悪くてさ・・・」 
  
 ヤ、ヤダ・・・ 
 そんなことが・・・ 
  
 「せめてものお詫びというか、何て言うかさ。 
  んで、2か月分はいらないってことにしたんだけど・・・」 
  
 そ、それなら仕方ない・・・というか 
 こちらこそごめんなさい。 
  
 でも、声 
 すごい我慢してるんだけどな・・・ 
  
   
- 919 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:28
 
-   
 「ったく、たまには自重して下さいよ?」 
  
 「「はい・・・」」 
  
 「毎日のようにラブラブなのはいいですけど 
  ちょっとヤリすぎ」 
  
 「「ええ、そう思います」」 
  
 「まあ、たまたまももちが上だったから良かったものの」 
  
 「「恩にきります」」 
  
 「先週の日曜だって、そりゃあ激しくって、 
  わざわざ耳栓買いに行ったんですよ?」 
  
 「「どうもすみま・・・・・・ん?」」 
  
 「我慢するのも結構しんどいんですから」 
  
   
- 920 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:29
 
-   
 「先週の日曜は、確かに激しかったよね」 
 「うん、梨華ちゃんすげぇかった」 
  
 「でしょ〜、ももち本当迷惑してますっ」 
  
 「けどさ」 
 「けどね」 
  
 「けど何ですか?」 
  
 「その日は、たまには思いっきりがいいって 
  ホテルに行ったよね?」 
 「うん。だから梨華ちゃん 
  超すごかった」 
  
 「ギクッ」 
  
 「ということは?」 
 「耳栓いらないね」 
  
   
- 921 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:29
 
-   
 「コラ待て! 
  嗣永桃子」 
  
 「許してにゃん!」 
  
 脱兎のごとく逃げ出し、 
 あっという間に自室に入る。 
  
 「何が、なーにが許してにゃんよっ!」 
  
 出てきなさいっ!コラッ!! 
  
 「まあまあ」 
  
 隣でひとみちゃんが苦笑する。 
  
 「これで思いっきりできるじゃん」 
  
 ――だから、今からシナイ? 
  
 素早く肩を抱かれて、玄関へと滑り込む。 
 靴も脱がずに、扉を背にしてキスを浴びせられた。 
  
   
- 922 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:30
 
-   
  
  
 「――もう・・・、息・・・とまっちゃうかと思った・・・」 
  
 見上げた瞳は、艶やかな色を帯びて 
 わたしだけを映す。 
  
 「ごめん。でも欲しくてたまんない・・・」 
  
 甘く緩む瞳は、わたしだけのもの―― 
  
 真っ白な頬に手を伸ばす。 
 今日もあなたに光を届けるから、 
 だからあなたのその手で、わたしを輝かせて・・・ 
  
 もう一度口付けながら、お部屋に上がる。 
 お互いを隔てるものを、もどかしく思いながら捨て去り 
 直接熱を伝え合う。 
  
   
- 923 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:30
 
-   
  
 「・・・ふはっ」 
  
 突然吹き出した彼女。 
  
 「なによぉ」 
  
 「だってさ。声、ほんとに我慢しないんだもん。 
  ももちに対抗しすぎ」 
  
 むぅ。 
  
 「でも、そういうとこ。 
  なんかムダに頑張っちゃうとこ、 
  すっげぇかわいいよ」 
  
 そんなに蕩けそうな瞳で見られたら 
 わたしまで蕩けてしまいそう。 
  
   
- 924 名前:第6章 投稿日:2013/05/23(木) 11:31
 
-   
 「梨華・・・」 
  
 囁く声がわたしを導いていく。 
  
 「アタシだけの月・・・」 
  
 彼女の行為が、わたしを高みへと誘う。 
  
 「愛してる・・・ 
  これからもずっと」 
  
 今宵も夜空には月が輝くだろう。 
 けれど、それ以上にわたしは輝く。 
  
 あなたがいる限り。 
 あなたという美しい地球(ほし)が、そばに居続ける限り―― 
  
  
   
- 925 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/23(木) 11:31
 
-   
  
   
- 926 名前:大家 吉澤 投稿日:2013/05/23(木) 11:32
 
-   
     終わり 
  
   
- 927 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/23(木) 11:34
 
-   
 さて、今作はいかがでしたでしょうか? 
 おかげ様で、無事完結致しました。 
  
 本当は、もう一つオチを入れるつもりだったんですが 
 最終回が長すぎたのでやめました。 
 それにおめでたい話が出た方ですので、 
 今回はオチにするのは見送ろうかと・・・ 
  
 今作は実は872のシーンが最初に浮かび、そこから妄想した作品でした。 
 そのシーンと最初のシーンから窺えるように 
 本当は思いっきりコメディーにするつもりでした。 
 なのに、どっからこうなったんでしょうかねぇ・・・ 
 自分でも不思議です。 
  
 ともかくお付き合い頂いた皆様、ありがとうございました。 
 ぜひご感想など頂けると嬉しいです。 
  
 ちなみに、どっかの作品で登場した煎餅屋とのコラボは 
 今のところ考えておりません。 
   
- 928 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/23(木) 11:34
 
-   
   
- 929 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/23(木) 11:35
 
-   
   
- 930 名前:玄米ちゃ 投稿日:2013/05/23(木) 11:35
 
-   
   
- 931 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/23(木) 14:18
 
-  完結お疲れさまですm(_ _)m 
 コメディも好きですけど、こういうのも好きです!てか、玄米ちゃさまのならなんでも好きですw 
 続きも新作も楽しみにしてます!  
- 932 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/23(木) 23:12
 
-  泣かされたのに、エロエロだし笑わされてちょっと悔しい 
 やっぱり玄米ちゃ様好き 
 吉澤さんは現実のない(生活感のない?)設定はまりますね  
- 933 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/05/23(木) 23:25
 
-  大切なこと忘れてました 
 玄米ちゃ作品初登場キャラもうまいこと転がしていて 
 守備範囲の広さとその手腕に感心しきりです  
- 934 名前:名無し 投稿日:2013/10/13(日) 14:03
 
-  新作プリーズ(^_^ゞ 
   
- 935 名前:玄米ちゃ 投稿日:2014/01/11(土) 21:39
 
-   
 ご無沙汰しております。 
 さんざん迷いましたが、こちらの残りも少ないので 
 夢板に新スレを立ててしまいました。 
 よろしければ覗いてみて下さい。 
  
   
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