かみさまの天秤
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/07/28(月) 14:57
- 前スレ
ttp://m-seek.net/test/read.cgi/wood/1207838924
新しいスレでも取りとめもない普通の時間を書かせていただきます。
何卒よろしくお願いいたします。
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/07/28(月) 14:58
- 新垣さん視点、登場人物は
新垣さん、高橋さん他です
新垣さんの良いところは、
お金持ちなところだと思います。
- 3 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 14:58
-
* * *
- 4 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:00
-
カメがぼーっとしているのはいつもで。今日が特別哀愁を帯びた横顔ではないことを私が一番知っている。
「カメ、帰んないの? 」
私が呼ぶと、カメはゆっくり顔だけをこちらに向けた。返事はせず、視線だけがかち合った。目と目が合ってもカメは何も言わず、すぐ手元に視線を戻し、持っていた携帯電話を鞄にしまった。
ラジオ番組の収録後だった。スタジオが入っているビルの中。自動販売機と観葉植物の間にある安っぽいベンチにカメは座っていた。
「ガキさん」
私が、彼女の名前を呼んでしばらく経ってから、相手はその口元の端を持ち上げて笑みを作った。あまりに曖昧に笑うから、カメの表情から彼女の気持ちを汲み取ることは難しい。
「ガキさんを、待ってたんです」
得意げな口調だった。
「ふーん」
私はそんなカメを気にも留めずに、先のエスカレーターへ向かった。
- 5 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:01
-
私はそんなカメを気にも留めずに、先のエスカレーターへ向かった。
「ちょ、先行かないでくださいよぅ」
カメは少しだけ焦った様子で立ち上がった。小走りで私に追いつき、勝手に腕を絡めてきた。
腕を組まれれば歩き難いし、エスカレーターを下りるには、面倒な状態だ。
幸い、後ろから人が来ていなかった。二人で道を塞いだままエスカレーターを下った。
「そういえば、まこっちゃんは? 」
帰っちゃったんですか?
カメの方に視線を向けると、カメはきょとんとした様子でこちらを見ていた。
「うん、帰ったよ」
「えー、帰っちゃったの? 」
「まこっちんに用事でもあった? 」
そこで、ちょうどエスカレーターを下りきった。
「用があったといえば、あるような気がしないでもないんですけど」
曖昧に笑う様子は先ほどと変わりはないが、それにいくらかもったいぶるニュアンスが付加されている表情だった。
「結局どっち? 」
そのようなカメの繊細な乙女心を無視して私はぶっきらぼうに聞いた。
「別にないです」
カメもあっさり答えを返した。
- 6 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:01
-
今日は電車を使ってここまで来たことを思い出した。このビルの地下街へ行けば、直結して地下鉄の駅がある。Uターンする恰好で私はエレベーターへ向かった。
「ありゃ、戻るんですか? 」
私はカメの問いに答えず、カメの腕が解かれないスピードで足を速めた。
「ガキさん」
戸惑いをはらんだ声色でカメが言う。
無言のまま私はエレベーターの前まで行き、B2のボタンを押す。
カメはもう、何も言わなかった。
- 7 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:01
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- 8 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:02
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まこっちんがゲストに来てくれたラジオは楽しかった。まこっちんと仕事をした、という実感を久々に持つことができた。カメはその場に存在したようしていないような、いつもの彼女の役割を十二分に発揮していたから、今更咎める必要はない。
まこっちんは、娘。に在籍していた当時も、今も。本質は変わっていない。笑顔が夏の花のひまわりみたいに温かい。まこっちんがいるだけで雰囲気が明るくなる。
本質は変わりないものの。そりゃ、ばらばらの時間を過ごした間、お互い成長した部分はある。まこっちんは私のことをしっかりしたって言ってくれたし。まこっちんも応答がだいぶしっかりした。やっぱり、オトナっぽくなったと思う。今回はカメという比較対象がいたから余計にまっこちんのオトナっぽさを感じた。時間を重ねた分、それぞれ成長することができて、それを認め合える存在って貴重だ。
まこっちんと一緒にまた仕事ができることは楽しいし、嬉しい。
あさ美ちゃんが、復帰した時もそうだった。楽しいこともあったし、嬉しいって思った。
同じモーニング娘。の中でも同期はやっぱり特別だ。
- 9 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:02
-
でも、娘。を卒業した二人と仕事をした後は私の知らない間に心が少しだけ曇る。
私は心が狭くて、笑って仕事を終えた後に。笑って終えてるのにすっきりしない感情を抱いてしまう。
この後ろめたい感情に気付いて、落ち込むと、何故か愛ちゃんに会いたくなる。愛ちゃんの声が聞きたくなる。別に何でもない会話でいい。一瞬すれ違うだけでもいい。きっと、愛ちゃんの存在を確かめたくなるんだ。そして、愛ちゃんに私の存在を思い出して欲しくなるんだ。
- 10 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:02
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- 11 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:02
-
「ガキさん、お祭りやってる」
最寄り駅から会社へ戻る道すがら、いくつか屋台が遠くに見えた。会社の近くに神社がある。きっと、そこで夏祭りが行われているのだろう。付近を見遣ると、交通規制の看板が立っていた。これからお神輿が出るみたいだ。ここら辺は下町ではないだろうけれど、江戸っ子のお神輿は見ごたえがあることは知っていた。
江戸っ子のカメはやや興奮気味にもう一度、「ガキさんお祭り」と私の注意を引くように肩に手を触れた。
夕暮れには早い。屋台は準備中だろう。
それでもいつもの私だったら、準備中だろうが何だろうが今のカメと同じようなテンションでマネージャーさんにお願いをして、お祭りに行きたいと騒ぐところだ。
でも、今日はざわざわする心内に落ち着かない。お祭り騒ぎにテンションが奪われ難くなっていた。
カメを真っ直ぐに見ることができなくて、おざなりに神社の方へ視線を向けた。
「行きたくないですか? 行きたくないですか? 行きたくないですか? 」
高いトーンの声で3回カメは同じことを口にした。
- 12 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:03
-
「お祭り、屋台、夏本番! 」
行くしかないですね、これは。
と、今度は神妙な声色で言った。
「絵里のお家の近所では、神社に土俵があって、ちびっこ相撲大会とかあるんですよ」
言いながら、カメはけたけた笑い出した。
「ちびっこ相撲」
結構、立派な土俵なんですよ。屋根までついてるの。絵里が生まれる前とか、ずっと前からやってるみたいだし。
私だって、地元のお祭りについて、面白エピソードがないワケじゃないけれど。相槌を打つのが精一杯でカメのくだらない話を打ち負かすネタが口を次いで出なかった。
- 13 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:03
-
「ちっちゃい子がまわし締めて土俵でお相撲」
笑える。
ふわふわと、カメは私の身体の横側に体当たりをしてきた。
「おやき、あるといいなぁ」
カメの中で屋台に行くことは決定事項みたいだ。
「打ち合わせ、終わってからだよ」
私が当たり障りのない言葉を口にすると、カメは一瞬こちらをはっきりと見て、それからくっきりと笑顔を作った。
「もちろんです」
打ち合わせが早く終わるように、マネージャーさんにお願いしましょう。一緒に。
カメの穏やかな笑みに私は頷いた。
- 14 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:04
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- 15 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:05
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妬みとも言える。疎外感とも言える。このもやもやの気持ち。
私は、まこっちんにはなれないし。あさ美ちゃんにもなれない。ましてや愛ちゃんにも。
誰かと自分を比べて、気分が滅入るなんてバカげていると分かっているのに。どうしても拭いきれないもやもやの気持ち。知らぬ間に心に巣食っている。まっこっちんも、あさ美ちゃんも大好きなのに。二人が私にとって特別な存在な分、もやもやがはっきり分かる。
- 16 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:05
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「はぁ」
私の大袈裟な溜め息に、マネージャーさんがこちらを見た。
「新垣」
お祭りに行きたいのは分かったから、集中して。
マネージャーさんは苦笑していた。
私は声に出さず、はいと、口だけ動かした。
集中しようと、手元の資料に視線を戻した。すると、さっと脇から同じ紙が重なった。
『やーい、ガキさん怒られんぼ』
ニヤニヤ笑いのカメのキャラクターから吹き出しが出ていて、そんな文字列が括られていた。隣にいたカメが暇を持て余しているみたいだ。
- 17 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:05
-
さっきマネージャーさんから言われた言葉をカメにそのまま右から左へ受け流してやりたいのに、気分がは一層滅入った。こっぴどく叱られたワケじゃない。けれど、集中力が切れていた事実に私はさらに自信を失った。
マネージャーさんが次の言葉を繋ぐ間、静かになった室内に、外の喧騒が届いた。お神輿が出ているようだ。笛の音と、威勢の良い掛け声が聞こえてきた。
隣りのカメは窓から外を眺めようと鼻の下と同時に首を伸ばしていた。
意識を保てているだけいつもよりはましだ。マネージャーさんも分かっているのだろう、カメに対して注意する素振りを露ほども見せなかった。
- 18 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:06
-
連絡を取って、わざわざ所在を知るまでもない。
自分で勝手にヘコんでいる以上、勝手に立ち直るしかない。
そこまで、愛ちゃんに甘えるワケにはいかない。
そこまで、自分も弱々しくない。と、思いたい。
愛ちゃんの声を聞きたいけれど。ちょっとでも、会いたいけれど。
もし、会うことができて、どうしたの?って聞かれて。
そうしたら、このもやもやをどう説明したらいいのか。正直になるのが難しい。
「はぁ」
と、溜め息を漏らしてしまった。
マネージャーさんを見ると、苦笑しているだけだった。
カメは気もそぞろという状態で窓の外に夢中だ。
- 19 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:06
-
* * *
- 20 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:06
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打ち合わせの途中で休憩が当てられた。というか、マネージャーさんに電話が入って中断になった。
もう、隣に座っている中間管理職の彼女は帰ってもいいんじゃないだろうか。
カメは打ち合わせという打ち合わせになっていない。らくがきばかりしているし。外のお祭りが気になって仕方が無い様子だ。
「新垣」
携帯電話片手に、マネージャーさんが私を呼んだ。
「高橋の様子、見てきてくれる? 」
突然の指令に、何のことだか状況を瞬時に飲み込むことができなかった。
返事もできずにマネージャーさんを見つめ返す。
「高橋が、第二応接室で休んでるから」
新垣と亀井が来る前に、高橋も来ていたんだけど。日当たりしたのか、顔真っ青にしてふらついていたから横になってるように言ったんだ。
- 21 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:07
-
私は驚いて立ち上がり、気付いたら出入り口までダッシュしていた。
マネージャーさんの横まで来ると、私はやや冷静さを取り戻し、立ち止まった。
「そんなに慌てるほどじゃないよ」
じゃ、頼んだ。
携帯電話を耳に当て直しながらマネージャーさんは廊下を歩いて姿を消した。
私は振り返りカメに行くかどうか尋ねようとした。
「絵里は愛ちゃんの様子を見に行ってもお邪魔になるだけなので、ガキさんお願いしまーす」
カメはこちらも見ずに携帯電話を操作していた。何も質問していないのに答えている。
リーダーが心配じゃないのか、冷たい態度のカメに腹を立てるも、分かったと承諾して私は階下の第二応接室へ向かった。マネージャーさんもたまには粋な計らいをしてくれるものだ。ちゃんと愛ちゃんが横になりやすいように品質の良いソファのある部屋をあてがってくれていた。マネージャーさんをちょっとだけ見直した。
- 22 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:07
-
慌てず、走らず、早足で。日当たりって、熱射病か何かだろうか。昨日の舞台のお稽古中は体調不良の前兆は分からなかった。これじゃ、相手役失格じゃないか。自分のことでいっぱいいっぱいになり過ぎて周囲に気を遣えていない証拠だ。しかも、愛ちゃんの不調に気付けなかったなんて。ごめんね、愛ちゃん。どうして私っていっつもこうなんだろう。妙に気が小さいクセに、大切なことに気付くことができない。他の人でも分かることは気になるのに、注視して見つけなければならない穴を堂々と見過ごしてしまう。負の螺旋階段を下るように私はエレベーターを使うことを忘れ、日当たりの良い階段を汗を掻きながら一歩一歩下った。
- 23 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:07
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- 24 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:08
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階段を下り終えた時、テンションは本日一番の低さになっていた。
『コン、コン、コン』
目の前の部屋が第二応接室であることを二度確認してから、ドアをノックした。返事はない。静かにドアを開ける。そろりと中に足を踏み入れると、空調の効いた室内に愛ちゃんの頭が見えた。ドアと垂直に並んでいた長いソファに横になっているみたいだ。白い壁、家具の少ない部屋にだだっ広さを感じた。
後ろ手でゆっくりドアを閉め、一つ息を吐いた。
「愛ちゃん」
名前を呼んだが、返事は無い。ドア側の壁に平行にならんでいた二つ並びのソファに私はとりあえず腰を掛けた。愛ちゃんは私物のカーディガンを身体に掛けて横になっていた。パンプスはソファの下にきちんと並べてあった。中央のテーブルには彼女が愛飲しているミネラルウォーターのペットボトルが置いてあった。眠りについてからどれだけ時間が経っているかを表すように、ペットボトルには大粒の水滴が付着していた。
- 25 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:08
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私はソファの端まで身体を寄せて愛ちゃんに手を伸ばす。
「愛ちゃん、起きてるでしょ」
意識を手放している状態にしては、隙の無い表情だった。
私が前髪に手を触れさせると、無表情のまま愛ちゃんが言った。
「お姫様は、王子様のキスで目覚めるんやよ」
「それ、白雪姫だから」
髪を撫でながら私は可愛げのない言葉を口にした。
それに、愛ちゃんの王子様って本当は私じゃないでしょ?
とは、言えず悪態をつくことまで中途半端になってしまった。他に何が中途半端かは、具体的に挙げられないけれど。やっぱり自分には何かが足りない気がした。
- 26 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:08
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- 27 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:08
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まこっちんの前にはジュンジュンがラジオへゲストに来てくれた。始終支離滅裂な応答だったし、バナナに執着し過ぎて、自分勝手なことを言っていた。でも。パワーがあった。みっつぃーともリンリンとも違う、ジュンジュンにしかないパワーを改めて感じた。私は2年目には持ち合わせていなかった、爆発力。2年目どころか、7年経つ今ですらジュンジュンのような勢いは自分に無い気がする。そして今日、まこっちんと仕事をして自分の物足りなさをまた実感した。
何かが足りないって。何かって、何だよ。
自分の甲斐性の無さが苛立ちへと摩り替わりそうになるのを、持ち前の気の小ささでぐっと堪える。
- 28 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:09
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目の前でたぬき寝入りしている彼女は、支離滅裂な受け答えはしょっちゅうだったし、たいして面白い返しもできないけれど。彼女にも独特の力がある。周囲から一目置かれる、舞台の立ち姿は素晴らしく恰好が良い。
まこっちんの温かさ、明るさも。あさ美ちゃんみたいに未来を切り拓くマイペースさも。
私に足りないものはたくさんたくさんある。みんなだって完璧じゃない。けれど、らしさって。自分らしさって。何だろう。私は答えを見つけることができていない。
- 29 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:09
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- 30 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:09
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手の甲、指の背を使って愛ちゃんの輪郭をなぞった。熱を確かめるようにするするこめかみ、頬を滑って顎先で手を止める。
平熱のようだ。体調を本格的に崩すまでには至っていないと推察する。
「マネージャーさんが愛ちゃんの様子を見て来いって」
日当たりって言ってたけど。
私が独り言を呟いたみたいに、言葉が宙に舞う。
相手は頑なに瞼を持ち上げず、返事一つしない。うるさそうに、私の手を払った。
「起こさんといて」
今、いい夢見てるところだから、起こさんでよ。
肩を一、二度捩って愛ちゃんは身体を縮めた。
- 31 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:09
-
普段から舞台のお芝居が大好きな分、愛ちゃんはこの夏のミュージカルも張り切って取り組んでいる。二度目の主役っていうこともあるし。今年はリーダーの責任もあるし。きっとプレッシャーは前回のミュージカルの時よりも桁違いなはずだ。だから、真剣な時は真剣で。台本を受け取る時なんて、笑っちゃうくらい緊張していた。でも、そうかと思えばこうしてたぬき寝入りをしたり。
リーダーになってから掴み難くなった愛ちゃんの心の動き。でも、最近は何より楽しそうにしているな、と一緒にお稽古をしていて感じる。愛ちゃんはメンバーの誰よりも、共演者の方々の誰よりも楽しそうに舞台の中央に立つ。辿り着きたい表現と演技のギャップに人一倍葛藤しながらも、プレッシャーに圧されながらも、それを上回って楽しい感情が愛ちゃんからにじみ出ている。ポーカーフェイスも板についてきたと関心していたのに。この嬉しさは隠しきれていない。
- 32 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:10
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夢のようだと言っていた。
お稽古も充実して毎日が夢のように過ぎていくと。
「本番が始まったら夢なんかよりもっと楽しいよ」
現実として、私を見て欲しくてそんなことを口にした。払われた手のやり場に困りぽりぽりと自分のあごを掻く。
目を瞑ったままの、愛ちゃんの眉間に皺がぎゅっと寄った。艶やかな唇が言葉をぽろりと零す。
「夢がずっと続けばいいのに」
まるでどこかの舞台のワンシーンだ。
12回の鐘の音が止むとき、シンデレラにかけられた魔法が解ける。
愛ちゃんの魔法が解けたとき、そこにハッピーエンドが用意されているのかは分からない。私ではない、他の王子様が愛ちゃんに永遠の幸せをもたらしてくれるのだろうか。
- 33 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:10
-
「もう、戻らなきゃ」
ミュージカルのセリフみたな独り言を私は呟いた。
様子をみるにはたっぷり時間を使い過ぎている。マネージャーさんに愛ちゃんはまだ具合が悪そうだったと伝えよう。
その瞳に姿を映すことは叶わず、私は立ち上がった。
彼女の前を通り過ぎる瞬間、右手の自由を奪われた。強い力の方に顔を向ける。愛ちゃんからカーディガンがずり落ち、床に広がった。
「案外、シンデレラって現実的だよね」
それは愛ちゃんの独り言。私は掴まれた右手をこちらからもゆっくり握り返した。
「一国の王子と結婚できれば一生安泰やし」
「シンデレラストーリーって言われるくらいだもん」
そこで、愛ちゃんはぷっと吹き出して笑った。
- 34 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:11
-
「娘。やって、合格できた時は言われたんやざ」
普通の女の子が一躍トップアイドル集団へ。
間違いなくシンデレラストーリーだった。
私も、息を吐いて笑った。
「選ばれてからが大変なのに」
「ほやほや」
やっと、愛ちゃんが瞼を持ち上げた。視線が合い、二人で苦笑いを零してしまった。
愛ちゃんは身体を起こそうと、握っていた手に力を込めた。私はもう片方の手も使って彼女をの上半身を持ち上げた。座る状態になった愛ちゃんを確認し、カーディガンを拾い上げる。
「はい」
「ありがと」
「どういたしまして」
カーディガンを受け取りながら愛ちゃんは頭をぐるりと振って首の筋肉をほぐした。
- 35 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:11
-
「私、戻るけど」
愛ちゃんどうする?
問い掛けには「んー」と唸るだけではっきりと答えなかった。肩をぽきぽき鳴らした後、テーブルに置いてあったペットボトルに手を伸ばした。
ペットボトルの口に自分のそれをあてがい言葉を発する。
「もうちょっと」
ゆっくりしてけば?
その上目遣いに年季を感じる。私は黙ったまま、愛ちゃんを見つめた。
彼女はかったるそうに髪に手櫛を通す。
「ふぅ」
そして、溜め息を一つ吐くと、大袈裟に身体をソファに横たえた。
「王子様のキスで目覚めるの忘れてた」
愛ちゃんはしらじらしくも胸の上に組んだ両手を置くポーズを取った。
「ほらっ」
って。愛ちゃんはおばさん口調で何を急かしているのか私は答えたくも無い。
かと思えば、キヒヒっという厭らしい様子で目を閉じたまま笑っている。
- 36 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:11
-
* * *
- 37 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:11
-
らしさって、何だよ。せっかちなところ? 心配性なところ?
お節介で、小言が多くて。小春には疎まれ、カメと重さんには半ばばかにされ。光井にはビビられ。ジュンジュンには日本語が通じない。吉澤さんとかもっさんにはいいように振り回された。色んな人達に振り回されてきたけれど、一番の相手は、目の前にいるこの現リーダー、高橋愛だ。そんな暴走機関車のサブを突然まかされた。途端、機関車は安全運転を始めた。乗組員を振り落とすなんて危険行為はしない。全員の無事を気遣う優良走行だった。そして、優良走行車両のサブは、自分の役割が何なのか少しだけ不安になったのだった。
- 38 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:12
-
今度はシンデレラと王子様。私が王子様だなんて、おっかしい。笑っちゃう。笑ったら涙が出た。空しくなんてない。本当は嬉しかった。声を上げて泣いた。嬉しかった。愛ちゃんの相手役を務められる自分が、そこにいた。
きままな愛ちゃんの背中をずっと見ていた。一番近くで一瞬一瞬表情を変化させる横顔を見ていた。舞台の中央、いつも愛ちゃんのパートナーには自分じゃない誰かがいた。
吉澤さんでもない。石川さんでもない。もっさんでもない。田中っちでもない。
今は、私が愛ちゃんの手を取って舞台に立つ。嬉しかった。めちゃくちゃ、嬉しかった。
- 39 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:12
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自分らしさとか、自分にしかないものとか。そんなの全然見つかんないけど。他人と比べだしたら凹みっぱなしになるけど。でも、今は。
- 40 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:12
-
「愛」
ミュージカルでシンデレラの名前を呼ぶセリフまわしで言ってみた。
愛ちゃんはにやにや笑いをやめなかった。
私はかがんで、愛ちゃんとの距離を縮めた。
今、愛ちゃんの目の前にいるのは私だ。まこっちんでもなく、あさ美ちゃんでもない。
「まこっちん、やっぱり変わってないよね」
私の言葉に愛ちゃんの表情が真顔になった。たっぷり呼吸をする間を開けてからまた愛ちゃんは口の端を持ち上げる。
「今日、ラジオのお仕事一緒だった」
もしも、って。意味の無いことを考える。
もしも、まこっちんもあさ美ちゃんも娘。を卒業していなかったら。
シンデレラの相手役は、果たして私だったのだろうか。
シンデレラは今の王子様に満足しているのだろうか。
- 41 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:12
-
「だいたい想像つくワ」
愛ちゃんはやや低めのトーンで答えた。ヒロインにしては冷めたセリフだ。
「英語で初め喋ってもらったんだけど。発音が違う、発音が」
前もまこっちんの英語は聞いたけど、やっぱなんか恰好良いよね、
私の取り繕おうとする言葉は、空調のお蔭で乾燥した室内の空気を滑っていく。
「そんなん、里沙ちゃんのハングルやって同じことやろ」
英語ができるようになったかて。マコトはマコトやし。
再び閉じていた瞼を開く。愛ちゃんと近い距離で目が合った。
「同期のことは、だいたい想像つく」
私は空回りしそうな自分の態度を制御するのがやっとだった。
次の言葉を選べない。
- 42 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:13
-
「どうやった? 」
愛ちゃんが、低いトーンのまま本題を掴む。
「楽しかった? 」
私は頷いて返事をしたのを良いことに、視線を愛ちゃんから外した。
「……その割りに」
愛ちゃんが手を伸ばして私の髪に触れた。
「楽しかったよ、まこっちんとお仕事ができて嬉しかった」
言葉尻の勢いに任せて顔を持ち上げた。にやにや笑いのままの愛ちゃんと目が合う。
「でも、愛ちゃんに会いたくなった」
一度、素直な言葉を吐き出してしまうと楽だった。
そのまま、両膝を床について上半身を前に倒した。
愛ちゃんの胸骨あたりに額を置く。私の髪に触れていた愛ちゃんの手はそのままするする移動して後頭部を撫でる位置に落ち着いた。
「30分の収録はあっという間に終わっちゃった」
「ほぅか」
「カメと並ぶとまこっちんもアタマ良く見えるよね」
「そうやろな」
同期にはあさ美ちゃんという才女がいるから、普通の学力のまこっちんですらアホに見えてしまう。
- 43 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:14
-
「カメじゃなくて、愛ちゃんが一緒だったらよかったのに」
「それは、カメちゃんに失礼やろ」
私は駄々っ子のようにぐりぐりと額を押し付けたまま頭を左右に振った。
「里沙ちゃん、くすぐったい」
「愛ちゃんが、隣にいてくれたらよかったのに」
頭を撫でていた手が、ぽんぽんと二度柔らかい衝撃を伝えた。
「私の王子様はどうしようもないなぁ」
「愛ちゃんだって、仮病使ってこんなトコで昼寝なんかして」
愛ちゃんが笑うと、くっ付いてる箇所から直接振動が伝わってくる。
「寝不足やったんやって」
ガチで睡眠時間0。
大袈裟なリアクションで自分の不規則生活を露呈していた。
- 44 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:16
-
「何やってんのさ」
「王子様のことを考え出したら夜も眠れないくらいドキドキしちゃって」
私はそこで勢いよく身体を起こした。何も言わずじっと愛ちゃんを見つめる。
愛ちゃんが隣にいてくれたらよかったのに。
声に出さず、もう一度心の中で呟いた。
愛ちゃんが隣にいて、リーダー・サブリーダーの関係にまこっちんが嫉妬でもしてくれれば清々したのかもしれない。
ユウエツ感に浸れたのかもしれない。
心の狭い私はそんなコトを考えていた。
愛ちゃんと私が共有できること。まこっちんは共有ができないこと。
その差を見せつけたかった。まこっちんにも、愛ちゃんにも。
なんて、ちっぽけな人間なんだと、自分自身に呆れてしまう。
- 45 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:16
-
* * *
- 46 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:16
-
意味の無い思考は止めて。
まこっちんとあさ美ちゃんが娘。を卒業していなかったとしても。
シンデレラの相手役は、私に違いない。そう思い込む。
愛ちゃんの魔法が解けた時に、更に王子様に夢中になってもらえるくらい。
オトコに磨きをかけるのみだ。
「愛ちゃん」
膝立ち姿のまま彼女の髪を撫でた。
「早く元気になってもらわないと困るんです」
相手は、何が? という表情だけでこちらに視線を向けてきた。
「お祭り、一緒に行きたいんだけど」
近所の神社で屋台が出てるみたい。
- 47 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:17
-
「子どもか」
「愛ちゃんに言われたくないし」
口を尖らせて反論した。すると、
「きいたる、きいたる」
わがまま王子の言うことはなんでもきいたるワ。
子どもを甘やかすような口調で愛ちゃんが言った。
「王子様の命令は絶対ですから」
「あれー。王子様ってシンデレラにゾッコンな筈なのに」
いつまで経っても眠りから覚まそうとしないのは何で?
わざとらしく、愛ちゃんがまた眠りのポーズを取った。
- 48 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:17
-
愛ちゃんしつこい上に、それはシンデラじゃなくて白雪姫だから。
毒リンゴも空飛ぶ絨毯もいばらの森も。所詮お伽話の中の魔法。
ガラスの靴は魔法が解けても消えなかった。
ガラスの靴だってロマンチックな要素ばかりでない。
冬は冷たかろう。夏は蒸れ蒸れだろう。そもそもあんな材質は靴擦れが痛くて我慢なら無い。
だから、今日は。このパンプスを履いてお祭りに行きましょう。
ミュージカルのワンシーンさながらのポージングを決める。
片手を差し出し、お願いをした。
- 49 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:17
-
受け取る手は私よりも無骨な形をしている。握りなれた大きさ。知っている温度。
そうして、リードしながら赤いカーペットなど敷かれていない廊下へ出た。
お祭りの前に、打ち合わせを終えることが初めの試練だ。
- 50 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:17
-
* * *
- 51 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:18
-
「マコト、来てえんの? 」
ぶしつけな愛ちゃんの声。
愛ちゃんの方向へ笑みを振りまく。手を強く握り直し、二人の距離を縮めるためにこちらへ引いた。
「そーんなこと言うんだ。いじけるよ? 」
いじけるからね。
私の情けない言葉に愛ちゃんは下品な笑い声を上げた。
そしてガツンと一つ、私の肩に頭突きをかましてきた。
「ウザ過ぎー」
言葉とは裏腹に、繋いでいた手が更に握り返された。
そんな些細なことに私は安堵していた。
打ち合わせをしていた部屋のドアを開けるとカメの姿はなく。
机の上の紙に書置きが残されていた。カメのキャラクターが一匹増え、
『先に、帰ります』
と、短い一言が添えてあった。
- 52 名前:ガラスの印籠 投稿日:2008/07/28(月) 15:18
-
「ちょうテキトー」
「ありえんな」
ウチらを差し置いてお祭りに行くなんて。
愛ちゃんは、心底憤慨する態度で窓を睨んでいた。
「ソコ? 」
愛ちゃんのツッコミ所はそっちなのか。
「行くか? 」
「え?! 」
「行くよ」
さっきまでリードしていたのはこっちだったのに。形勢は逆転。私は愛ちゃんに手を引かれて来た道を戻るハメになった。
気の小さい私はやっぱり、打ち合わせとマネージャーさんのことが気になって腰が引けた恰好で愛ちゃんに引っ張られる。
そんな恰好の悪い私を、愛ちゃんは思い切り笑い飛ばしていた。
- 53 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/07/28(月) 15:18
- 以上です。
やっつけじゃないです
- 54 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/07/29(火) 01:33
- や、新スレだ。うれしい。
今回も楽しく読みました。ありがとう。
- 55 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/07/29(火) 13:58
- 相変わらずいいですね
ガキさんの生真面目さとか愛ちゃんの奔放さとか
どうしてこんなにうまく書けるのかと
- 56 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/07/29(火) 19:36
- 新スレだ!
これからもずっと応援します!
- 57 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/07/31(木) 18:04
- 新スレ嬉しいです!
やっぱり、愛ガキいいです♪(*´Д`)
- 58 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/18(月) 15:04
- レスです
>>54 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
楽しんで頂けて、こちらこそありがとうございます。恐縮です。
>>55 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
高橋さんに振り回される新垣さんがとてもいとおしいです。
年下なのに……苦労性ですね
>>56 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
がんばります!
>>57 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
すんでれらの愛ガキを生で見たかったです……(;´Д`)
- 59 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/18(月) 15:06
- 更新しまーす
藤本さん視点、登場人物は
藤本さん、吉澤さんです
カップリング注意報、時々懐古
- 60 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:08
-
* * *
- 61 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:08
- 雪が降らない。
私が育った場所は雪がたくさん降る土地だった。2月にもなれば、連日の降雪。雪が融け残った氷の固まりの上にまた雪が積もる。それは、もううんざりする程。雪の下が氷だと気付かずに踏み込んだりすれば、滑って転んで大怪我になりかねない。白銀でお化粧をする街は静かできれいだ。でも、雪が降れば道幅が狭くなって道路が混み合ったり、除雪された雪が歩道に積まれて歩き難かったり、電車が止まったりと、歓迎ばかりもできない。
そういう場合は家でじっとしているのが。一番。
こたつでみかんを食べながらDVDを観たり。アイスを食べたり。悪いこともあるけれど、良いことだって、ないことも……ない。はず。
- 62 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:08
-
東京の冬は張り合いがないと思う。氷点下になんて滅多にならないし。雪が、降らない。そして、今年は特に初雪も以前として降る気配を見せていなかった。
雪が降る前に春になってしまったら少し、寂しい。毎年毎年、目にしていた雪だった。凍った雪の上を上手に歩く技は雪国育ちの私は当たり前に身につけている。
雪の所為で閉じ込められてしまった者たちは春の雪融けをひたすら待つ。じっと、冷たい氷の下で春の温度を待っている。
- 63 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:09
-
ここは東京。そして雪も、降っていない。なのに私は閉じ込められてしまった。もう、どこへも行けない。雪の上を歩くのは得意だったはずだ。何度もそんなことはないと、どこへだって行けると、奮い立たせて踏み出そうとする。どこへだって行ける。でも、どこへ行けばいいのかが分からない。踏み出した一歩の下は冷たい冷たい氷かもしれない。取り返しのつかない大怪我に繋がる一歩。もしかしたら、その一歩はジャンプ台になっていて、予想できない遥彼方へ飛べるかもしれない。踏み出してみなければ、どちらなのか分からない。なのに、どうしても勇気が出ない。
臆病になった。貴方と出会って。
雪が融けて春になって。そしたら、あなたはどこへ行くの。
私は心のどこかで雪が降ることを祈っていた。融けない雪が、あなたを閉じ込めてしまえばいい。
- 64 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:09
-
* * *
- 65 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:09
-
向かい合って座った席。分けた前髪の隙間から、大きな瞳がこちらを見た。
次の一瞬が油断ならない。今、一口飲んだお茶を、狙われている気がする。突拍子もないヘン顔をされたらお終いだ。完全に、吹き出す。
慎重かつ、素早く。ゴクリと音を立てて私はお茶を飲み込んだ。ただの液体なのに、咽喉が鳴った所為で違和感を覚えた。
私に言うでもなく、向かい合ったよっちゃんはすごい音、と穏やかに笑った。
「最近さー、私。咽喉仏が出てきた気がしてちょっと悩んでたりするんだけど」
私の咽喉を見ていたのかよっちゃんはそんなことを口にした。
「痩せ過ぎたんじゃないの」
私はまたお茶を含もうとカップに口を付けた。その瞬間に向かいの彼女が、目に物見せる形相を遺憾なく発揮してくれた。彼女には隙がない。まんまと私は吹き出し、お茶が霧のように散った。
- 66 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:10
-
「バカっ」
「すげー、乙女らしからぬ音を立てましたね」
コント顔負けの下品な音が……。
よく出来ました、と言わんばかりの笑みで私を撫でようとする。私はその手を払って、「乙女らしからぬは、アンタの顔でしょ」と言い放った。
紙ナプキンを数枚取ってテーブルを拭く。そして、もう一度、
「バカー」
と、泣き真似をする様な声色を使う。その声を合図にか、よっちゃんも紙ナプキンに手を伸ばしてテーブルを拭く手伝いをしてくれた。ごめんごめんと、全然心の籠もっていない謝罪の言葉を述べつつ。手際よく、テーブルを片付けた。私が持っていた紙ナプキンまで横取りし、丸めて、使っていない灰皿に入れた。
「どうして、そう単純なの? 」
私は呆れて言う。すると、何が? という様子でまた大きな瞳がこちらに向く。
咽喉仏。確かに女子にしては目立つかもしれない。
「他人が飲み物を飲む時は、笑かそうとする」
芸人じゃないんだから。私が。オイシクないんだよ。
- 67 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:10
-
「でも」
と、よっちゃんは眉を八の字にし、口を手で覆って言った。
その単純な手に毎回引っ掛かるのもどうかと思うよ。
「次は絶対ぇー、引っ掛かんないから」
私の鬼の決意も、彼女からすれば他愛の無いもの同然だったのようで。片眉を上げて、「どうだろうねぇ」と嫌味な笑顔を見せた。
悔しい。数ヶ月だけど、相手の方が年下なのに。貴方は、私に敵いませんみたいな、上目線の態度。気に食わない。私の方が、人生経験豊富なはずだ。数ヶ月分。
- 68 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:11
-
損得勘定抜きの子どもみたいに。
「本気でイラつくから、面白いんだよね」
私の態度を平然として受け止めつつ、そんなことまで口にする。わざとらしく頬を膨らませて上目遣いに睨んで見る。そうすると、よっちゃんは大口を開けて笑い出した。やっぱり、乙女らしからぬ≠ヘそっちだと思う。
有り得ねぇー、と私のかわいらしい怒り方に対して否定的な意味合いで「有り得ない」と笑う。
「だから、その『有り得ない』がまぢ有り得ないんだけど」
こんなに可愛いのに。
「かわいいよ。すっごいかわいいんだけど」
普段のオッサンぽさとのギャップがまぢで、有り得ない。
よっちゃんはまだ笑い続けている。大きな瞳が涙で潤む。
「笑いすぎじゃー」
と、私はテーブルを挟んで向かいに座っていたよっちゃんの方へ前のめりに腕を伸ばした。腕を伸ばし、手を開いて彼女に触れる。彼女の髪に触れ、くしゃくしゃにする。柔らかい髪は触れると気持ちが良い。少しだけ、そんなコトで苛々がおさまった。不思議。
思う存分髪をめちゃくちゃにして、私は元の座っていた場所に居直る。
- 69 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:11
-
「ちょーっと、乙女の命の髪に。なんてことを」
手櫛で、首辺りで切り揃えた髪を元に戻しつつ言った。
今日は、乙女≠ェお気に入りのフレーズなのだろうか。
「ホントに、何事にもすぐムキになるとか、まぢかわいいよね」
また、大人ぶった態度で場を諌めようとしている。褒められれば、私が大人しくなると見通している。私が反抗する術は、彼女によってやんわりと奪われてしまう。いつも。
- 70 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:11
-
* * *
- 71 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:12
-
あまりにかわいくて。といった声は何かの前振りのように流れるようで、静かな音だった。
「年上とは思えない」
「それ、褒め言葉? 」
もちろんと、深い、優しい顔で貴方が笑うから。私は言葉を失ってしまった。
言葉を失った時間。よっちゃんをみつめた。
それから視線を少しだけ外し、私は言う。
「もうすぐ、私の誕生日だよ」
大人ぶった態度で足を組みなおし、作り上げた微笑でよっちゃんを見る。
「うん」
彼女は私の作ったハリボテの「オトナ」など、笑いもせずに剥ぎ取ってしまった。カップを両手で包み込み目を伏せる。その一つ一つの仕草が、いらない不安を掻き立てる。
「そうしたら…… 」
そうしたら、私の方が年上になる。
私は演じることをやめられず。必死に微笑み続けた。
「そうだね」
でも、とよっちゃんは言いかけて口を噤んだ。
でも、何?
一瞬にして、不安に取り込まれる。彼女の前では必要最低限の演技ですら、すぐに暴かれてしまう。こんなことをしたって、どうせ見抜かれていると、抵抗も馬鹿らしくなってしまう。
- 72 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:12
-
* * *
- 73 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:12
-
「その頃にはもう、春かな」
梅の花とか咲いてそー、と素っ気ない態度で、自分のカップによっちゃんは口を付けた。
雪が融けて春になって。
どうしても、想像できなかった。あなたが側にいなくなることを。
いつも一緒にいて。毎日のように顔を合わせて。辛いことも。楽しいことも。悲しいことも。嬉しいことも。たくさんたくさん分かち合った。「分かち合う」など興ざめする言葉かもしれないけれど。側にいて、一杯笑って。色々なことを乗り越えてきた。
雪が融けて春になって。
雪も降らない乾燥したこの街で。私は一人になる。どこへも行けず。泣くこともできず。
『ここにいて』
年相応以上に、必要以上に大人びた彼女が決めたこと。
どうして私が口出しできただろう。
- 74 名前:スプリング・ハズ・カム 投稿日:2008/08/18(月) 15:13
-
「春になったらお花見だなー 」
私は見破られてしまった作り物のハリボテをいつまでも着続けなければならない。嘘でも。嘘でも。嘘でも。笑うことが唯一、私がよっちゃんにできること。
「まーた、オッサン臭いこと言う」
「お互い様でしょう? 」
皆誘って今年こそ夜桜見ようよ。何かのついでとかじゃなくてさ。
私が、よっちゃんから視線を外し、軽はずみに提案してみると、お!という、合いの手を入れてから。
「いいね〜」
と二つ返事で賛成してくれた。
「…… 」
どっちがオッサン?
試すように彼女に視線を投げ掛けて、笑い合った。
春になる前に、雪よ降れ。
閉じ込めてしまえ。
私の心を凍らせてしまえ。
- 75 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/18(月) 15:14
- 以上です。
あげました。
やっつけじゃないです。
- 76 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 13:36
- 更新しまーす
石川さん視点、登場人物は
石川さん、吉澤さんです
元気にいしよし!
- 77 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:36
-
* * *
- 78 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:37
-
あなたが何気なく差し出したファーストフードは、少しだけ胸の奥の郷愁をさらった。
ソースの匂いと、鰹節の匂い。目の前でゆらめく湯気が、出来立てだということを証明していた。
- 79 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:37
-
* * *
- 80 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:37
-
偶然重なった時間。私が初めに控え室にいた。
いつも大勢の人に囲まれているから、こうして一人になることは珍しい。誰を待つでもなく、何をするでもなく。ただ、自分の名前が呼ばれることを待つ。確定されない時間に、柔らかく拘束される感覚にもすっかり慣れてしまった。
この仕事は今の私の半分ぐらいを形作ってくれている。もう、失くすことはできないと諦めぐらいの潔さでそう思い、打ちのめされるような圧倒的恐怖を覚えた。この場所を失うことがとても怖い。
- 81 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:38
-
今、私が暇を持て余している場所は白で統一された内装に、白々しい蛍光灯の光。大きめの鏡が何面も片側の壁に掛かっている。きっと感じる以上に狭いこの部屋が、とてもがらんとして見えた。それは、多分一人きりで時間を潰していたから。仕方なく独り言を言う。まだかなぁ。
- 82 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:38
-
私以外、誰もおらず、静まり返った部屋で私は鼻歌でも歌う直前だった。何もしてなくても。仕事があるということは幸せなことだと思う。楽しい。辛いこともたくさんあるけれど。今の仕事には遣り甲斐や、張り合いがあった。
そしてたくさんの出会いをもたらしてくれた。
気の置けない仲間ができた。仲間だなんて、口にするのは恥ずかしい。恥ずかしいけれど、嬉しい言葉だ。そのような浮かれ調子で、鼻歌から作詞作曲のアカペラに変更し、鏡相手に披露しようとした時だ。
- 83 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:38
-
無造作にドアが開いた。その重たい鉄の扉の音に、すっかり現実に引き戻された。頭の切り替えは、どのような仕事の時も大切だ。
時間かなと察し、無意識の内に私は時計を探していた。定刻などあるはずもないのに。
- 84 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:38
-
* * *
- 85 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:39
-
ドアの影からひょいと覗いた顔は、久々に見る相手だった。
「よっちゃん! 」
私は普段よりワントーン高い声色で呼び掛けた。
相手は、心底がっかりするような表情を作って、また出て行こうとする。
「ちょっと、待って」
私は慌てて出入り口に駆け寄り、彼女の腕を必死で掴む。
「待ってってば」
よっちゃん。
私が引っ張れば引っ張るほど、彼女は身体を外へ向ける。
「もう〜」
と、力では到底勝てない相手に半泣きで食って掛かった。私が相当本気だったことに気付いたのか、彼女はややもすると「うそうそ」と、いたずらっぽく笑って私の頭を撫でた。そんなことするなら、最初から意地悪しなければいいのに。と、いつも思う。
きらびやかな衣装を身に付けた私とは正反対で、来客はジャージー姿だった。夜の色みたいな深い紺地の上下。バックプリントにブランドのロゴだけが入っている。化粧っ気もなく、さっぱりとしてはいるが、正統派の美人顔はいつもの通り。瞳が人一倍大きいくせに笑うと、目がなくなる。
- 86 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:40
-
何かの稽古帰りか、私と同じく空き時間なのだろうか。
「随分、暇そうにしてるなー」
ずかずかと上がり込み中年男性のような言い方でそんなことを口にする。
私は会えたことだけでも嬉しくて。綻ぶ表情が隠せない。
よっちゃん、よっちゃん。
意味も無く名前を呼ぶ。
今日は、何をしてたの?
今は、空き時間?それとも帰るの?
ご飯は食べた?
昨日は?
一昨日は?
ねえ、ねえ。
- 87 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:40
-
言いたいこと、聞きたいことはたくさんあった。
でも、不思議と言葉として出てきてくれない。今の気持ちを上手に伝えることができなかった。胸が詰まってしまい、ただ、皆がそう呼ぶように私も彼女の名前を繰り返した。
よっちゃん。
「分かったから」
10度くらい繰り返したら、呆れたように私を制した。そして、「はい」といってビニル袋の中身を差し出す。
「そこで、売ってた」
中から姿を現したのは、関西名物。たこ焼き。
「どうしたの? 」
そのたこ焼きを私の鼻先に出して彼女は言う。だから、たこ焼きだって。と。
私が先に聞いた、ありきたりな問いの答えだ。
「あんな場所にあっても屋台は屋台だよね」
と、爪楊枝を私に差し出して彼女は笑った。ちゃんと、二人分、貰ってきたんだ。
「あったかい内に食べよう」
- 88 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:41
-
よっちゃんは持っていた6つ入りのたこ焼きパックを側にあった台に置いた。メイク道具やミネラルウォーターが散乱している場所には、少し色の異なるそれ。
「私、たこ焼き好き」
私が、そう言うとたこ焼きの湯気の向こうでまん丸の笑顔が覗いていた。
「まぢで? 」
と、聞き返している声色は嬉しさを隠し切れないというようなはしゃいだものだった。
「うん」
私はかぶりを大きく振って答える。精一杯応える。あなたがもっと笑ってくれるように。
- 89 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:41
-
彼女は胡坐をかき、私は正座を斜めに崩してその雑然とした台を挟んで座った。
「あーん」ってする?
突いた楊枝の丸みを私に向けて彼女はいたずらっぽく言う。
私が「あーん」と口を開けたって「するわけないじゃん」と冷たく切り返す。一度は私に向けたたこ焼きを彼女は自分の口に放り込んでしまった。
「美味しい? 」
別に私が買ってきたものでもないのに、こちらから聞く。
彼女ははふはふと口の中のものの熱さと戦いながら、なんとか美味しいというような言葉を発した。多分。そして、いいから、梨華ちゃんも食べなよ、というようなニュアンスでたこ焼きを勧めてくれたのだと思う。多分。口の中に物が入っているなら、無理に喋らなくてもいいのに。火傷をしたら大変でしょう。って。私が美味しいかどうか聞いたのだった。
- 90 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:41
-
私も一度手を合わせて頂きますと言ってから、たこ焼きを食べた。
「美味しい」
「ほんと? 」
さっきのたこ焼きを飲み込んだのか、よっちゃんは全然疑っていないような様子で味の感想を尋ねた。
「うん」
美味しい。
私は、たこ焼きが口の中にあっても普通に喋ることができた。
よっちゃんって、リアクションが大袈裟だ。
- 91 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:42
-
* * *
- 92 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:42
-
「知ってたよ」
たこ焼きも、残すところあと二つとなり。きっと、これを食べ終えたら彼女は帰ってしまう。たこ焼きも残り少ないし、よっちゃんもいなくなるし、徐々に悲しい気持ちが込み上げていた、その時。よっちゃんが言った。何もかもお見通しだ、とでも言わんばかりの表情だ。
何を、知っているの?
「梨華ちゃんが、たこ焼き大好きなの」
え? と、私は間の抜けた声を零し彼女を見つめた。彼女は得意気な表情で私を見返す。
「梨華ちゃんが、喜ぶだろうなーと、思ってつい買ってきちゃった」
何について照れているのかは判別できないけれど、相手は少し照れているのだな、ということが分かった。それだけでも何故かくすぐったい気持ちになる。
- 93 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:42
-
「遠慮しなくてもいいのに」
私は笑って言った。
「もっと、喜ばせてくれていいんだよ。よっちゃん」
それとね、あとね。私、屋台も好きだけどね夏が大好きなんだよ。花火とか、お祭りの雰囲気とか。すごいすごい好き。あとねー、おだんごも好きなんだよね。知ってた?知ってた?
団子は、関係ないじゃん。とさっきの照れた彼女は立ち消え、呆れながら、持っていた爪楊枝でたこ焼きを二つ串刺しにした。
そして、あっと言う間に口に運ぶ。
「あーっ!! 」
私は想定外の大きな声を張り上げてしまった。
「楽しみにしてたのに。全部食べたーっ」
「大丈夫、大丈夫」
と、ガックリ机に伏した私を無責任に撫でながら、彼女は続ける。
まだ、売ってるよ。裏から出て、すぐのところにいるから、屋台。赤いちょうちんにたこ焼きって書いてあるから、すぐ分かる。
- 94 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:46
-
「そうじゃなくて」
せっかく、よっちゃんが買ってきてくれたたこ焼きだったのに。
「……ばか」
私の口からぽろりと本音が零れた。
「ばか、って」
よっちゃんは困ったように同じように繰り返した。
私を困らせたいのか、喜ばせたいのか。イマイチよっちゃんは分からない。
何年もずっと側に、一緒にいたから、蔑ろにされているのではないことは分かる。でも時々素直じゃない表現で伝えてこようとするから。私だってそこまでマゾヒストでもないし。
照れ隠しなんだな、と理解できる時もある。私が恥ずかしくなってしまうような、ストレートな表現の時もある。蔑ろというか、どちらかといえば、大事にされている。公言するようなことではないけれど。少しだけ、自信があった。彼女に大切に思われていると。そして、私がよっちゃんを大切に思っていることも、少なからず彼女にも伝わっていると。
- 95 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:46
-
「ばか」
「ばか」
私の真似をするように、よっちゃんも繰り返した。
よっちゃんの
「ばか」
「ばか、りか、若、貴」
何の韻を踏んでいるのか、理解に苦しんだけれど。不思議と笑いが込み上げてきた。よっちゃんの側にいる時以上に心から笑える時間は滅多にないのではないかと思えてしまうくらい。すごく不思議だ。
「何それ、全然面白くない」
「笑ってるじゃん」
そういう彼女も笑みを隠しきれないでいる。
私以外の他にも、そういう顔を見せる人が側にいるとしたら、なんだかとても悔しい。
悔しいよ。
- 96 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:46
-
* * *
- 97 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:47
-
ねえ、よっちゃん。たこ焼きついでにお願いがあるの。
「よっちゃん、お願いがあるの」
珍しく、ふざけた態度を取らないで「何? 」と、聞き返した。その表情がやけに大人びていて少しどきどきした。
「ちゅーして欲しいな」
久々に。
その、私の唐突な"お願い"によっちゃんは、一瞬きょとんとした表情をした。けれど、すぐに顔を崩して笑い、
「いいよ」
と、答えてくれた。
「そういえば、こうやって梨華ちゃんと二人になるのも久しぶりだね」
- 98 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:47
-
* * *
- 99 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:47
-
よっちゃんは、優しい。
普段が普段で、他愛も無いことでふざけて、一人でいても何か悪巧みを考えていそうで。唐突に他人を驚かせたりするから一見すると気付かれ難いのかもしれないけれど。よっちゃんは優しい。
離れてから、余計にその優しさに気付くようになった。私は、彼女以上に優しい人に会ったことがない。
「ちゅーなんて他の人ともふざけてするけどさー」
よっちゃんとのが、一番どきどきするかも。
目の前に影が現れ暗くなり、彼女の伸びた前髪が私の頬に触れた。くすぐったくて顔を顰める。その瞬間、「変顔しない」と言って私の鼻をよっちゃんがつまんだ。
「髪が、くすぐったくて」
私は俯き加減だった顔を持ち上げて相手に向き合う。彼女は立ち膝で私の前に居た。相手を見上げて手を伸ばす。両手を使ってよっちゃんの髪を手櫛で梳いた。さらさらの髪はなかなか言うことを聞いてくれない。分けても分けても、すぐに元の位置に戻ってきてしまう。そうして、何度か彼女の髪を撫で付けているうちに、手を取られた。
- 100 名前:嫌い・嫌い・大好き 投稿日:2008/08/19(火) 13:48
- ぐしゃっと、よっちゃんが雪崩のように私に倒れ込んできた。不意のことで、驚きはしたが、なんとか私より一回りくらい大きな彼女の身体を支えることができた。
「よっちゃん? 」
待って、というくぐもった音が私の耳に届いた。
音を立てず深く、息を吐く。
私は慎重に自分の両手の自由を探る。ゆっくり、ゆっくり。彼女の手から私の手を引き離す。
「よっちゃん」
腕を回して彼女を抱えた。
そうだ、さっきの作詞作曲のアカペラを聞かせてあげようか、と思いついたと同じタイミングで。
「歌ったりしなくていいから」
と、低い声が聞こえた。
「遠慮しなくてもいいんだよって言ってるのに」
よっちゃんは答えなかった。
離れた彼女の手は私の背中へ回り、がっちりと後ろで組まれた。
「よっちゃん」
「うん」
「よっちゃん」
「……うん」
「よっちゃん」
「…… 」
大好きだよ。
静かな空間にドアをノックする音が響いた。
時間が来たのだ。
- 101 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 13:48
- 以上です。
やっつけじゃないです。
- 102 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/20(水) 12:54
- 更新しまーす
新垣さん視点、登場人物は
新垣さん、亀井さんです
- 103 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:54
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- 104 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:55
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カメには雪が似合うと思った。
待ち人を散々焦らして降った都心の初雪は路面をしっとり濡らすこともなく、数時間で止んでいた。それは雪か霰かの区別も難しいくらいで、趣など欠片もなかったように思う。
3月に降った遅い初雪。カンソクシジョウ最も遅い初雪となりました。テレビのお天気お姉さんはそのようなことを大袈裟な表情で言っていた。
カメ、雪だよ。
私のベッドを我が物顔で占領し、健やかな寝息を立てていた彼女を揺り起こした。
- 105 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:55
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- 106 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:55
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すやすや寝ている彼女は、日頃、雪を待ち遠しそうにしていた。ふとした拍子に空を見上げては、今年はもう、降らないのかなと、残念そうな表情をしていた。移動の為に、車へ乗り込む時だったり、帰り道を歩いている時だったり。家で一緒に天気予報を見ていた時だったり。寂しげな声で雪が降らないかな、と祈るように呟く。寂しげな声なのに、どこか浮ついた様子が隠せないのはカメの捉え所の無い性格の所為だろうか。
カメの呟きに、藤本さんは雪なんて降らない方が丁度いいとうんざりしていたことを思い出す。降っても交通の乱れが起きたり、思うように身動きが取れなくなったりするし、それに屋根の雪下ろしには骨が折れると、生活観のこもった意見を言っていた。
カメの夢見るようなロマティックさとはかけ離れた切実な意見。私はなぜか、どちらの意見にも頷ける気がした。
- 107 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:55
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雪国育ちでない私は雪によって苦労をさせられた覚えはない。だから、降ったら降ったで嬉しいと思える。そうであったとしても、たかが雪でいちいち騒ぐことでもないとも思える。はっきりしない。
そういった私のどっちつかずの複雑さを知る由もなく、目の前で寝ぼけているカメは私の手を邪魔臭そうに退けて掛け布団にどんどん潜って身を隠した。
- 108 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:56
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カメ、雪だって。
楽しみにしてたじゃん。
もし、雪が止んでから目覚めて、後でその事実を知ったら、どうして起こしてくれなかったのかと不平を言われるに決まっている。だから、今は不快な思いをさせようとも、彼女を起こさねばならなかった。
私は掛け布団を引っ剥がし、チェック柄のパジャマに身を包んだカメに一瞥、溜め息を吐く。
「さーむーいー」
か細い声で言いつつ、身を縮こまらせて彼女は抵抗する。
「だーかーらー」
雪だっていってるのに。
ベッドの上で丸まっていたカメはやっと、覚醒してきたのか、はっきりとしていない視界で私のことを探すように視線を泳がせていた。私は彼女が次の行動に出るまで何もしない。
- 109 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:56
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「なぁに? 」
私の姿を捉えると少し不機嫌な表情で、カメは私に問いかけた。
「雪、降ってるの」
私はなんだか、理不尽な気持ちに囚われてカメより更に不機嫌な声色でそう伝えた。
私の声が聞こえたかどうかの瞬間にカメは目を大きく見開いて身体を起こした。
「うそぉ」
言いながら、ベランダへ続く窓にペタペタ素足で素早く移動していた。
カメ、風邪ひく。
私は呆れながら彼女の後を追い、スウェットのパーカをカメに羽織らせようとした。しかしながら、彼女は私の厚意をするりとすり抜け、裸足のままベランダへ出てしまった。
「雪! 」
まるで仔犬だ。
「雪だよガキさん! 」
私より少し大きいサイズの仔犬が目を輝かせてこっちを見た。
いや、分かってるし。
私は眉を八の字にして呆れ果てながらもそうだね、と同意した。雪は分かったから、っていうか、私がカメに教えてあげたんだけど。
- 110 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:56
-
「亀井さん、亀井さん。これを着る気には、なりませんか? 」
お願いするように伝えて、手に持っていたパーカを彼女に渡した。カメは当たり前のようにパーカを受け取ると何も言わずにそれに袖を通した。
「裸足で寒くない? 」
私が聞くと、彼女は足元に視線を向けてどういう状況に自分の足が置かれているのかを確認し、それから私の目の前を横切り一目散に室内に入った、かと思うと内側にふわふわの裏地が付いている室内履きを履いてカメはまたベランダに出た。
そして、また空を見上げ手のひらを上に向けて「雪だぁ」と呟いた。
どうして、そんなに真っ直ぐにたかが雪を喜べるのかな、と同い年の彼女の無垢さに、嫉妬のような、相手を軽んじるような、くすぐったいような。言い分のつかない気持ちが湧いてきた。
雪が降ってはしゃぐ気持ちがないわけではないけれど、カメみたいに純粋に、手放しで嬉しそうにするには私は何かが決定的に足りなくて、余分なものを身につけていた。
「カメ」
何だか、よく分からないまま私はいつも彼女を呼ぶ時と一緒のトーンで名前を口にした。
- 111 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:57
-
呼ばれた本人は嬉しそうに振り向く。雪を喜ぶ同い年の女の子と私の間に存在する埋め難い差異に気づいた時、自分が襲われた感情を上手く説明できずにいたけれど、その振り向いた瞬間の様子は一言で表すことができた。
「きれいだね」
カメは、えへへ、とだらしない表情をしただけで肯定も否定もしなかった。
「別に、カメのこと褒めたんじゃないから」
「ガキさぁ〜ん」
私は頬杖をついて、雪とカメを眺めていた。
「雪だよ」
それは分かったから。はいはい、と生返事を繰り返す。
「そういえば、カメって冬生まれだったね」
「うん、12月23日」
だから、なんだっていうことはなかった。ただ、雪があまりにも違和感無くカメの背景に徹するから、理由が欲しかったのかもしれない。いらない、嫉妬心。カメに嫉妬しているのか、雪に嫉妬しているのか。やっぱり私は自分の気持ちを上手く説明することができないでいた。
- 112 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:57
-
雪なんて寒いだけだし。ああそうだ。「寒い」ことでは雪とカメとに共通している。カメのギャグはいつもくだらない。滑っても滑っても懲りないのはカメの愛すべき部分か見直されるべき部分か。どっちでも、いいか。などと、思っていると。
「どーん」
と、自分で言いながらカメは数歩の距離で助走をつけ、私に突進してきた。
「カ〜メ〜っ」
痛い。
背筋と、片腕をつっかえ棒にしてカメの体重を支えるには私の身体は華奢過ぎた。
「寒くなっちった」
なっちったって。
「もういいの? 雪」
「もういいよ、雪」
私はカメに抱きつかれたまま、後ずさりし、窓を閉める。お行儀が悪いと思ったけれど、足で窓をスライドさせた。カメを抱えた状態では手で閉めることが不可能だったのだ。もう少し、私の身長が大きくて、筋肉もついていたら、カメを抱えたままでも楽々こなせた動作だろうに。
- 113 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:57
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「ガキさんありがとう」
「何? 」
不意に耳元で囁かれ、私は少しだけ動揺した。
「雪が降ってること教えてくれてありがとう」
嬉しかった。
「……そう」
私は努めて冷静に、重いから離れて欲しい旨を伝えた。別に、感謝されたくて、教えたわけじゃないし。どちらかといえば、後の不平を宥めるのが面倒くさくて。と、本音を口にしたところでカメ評価の、私の株が変動するワケじゃない。ましてやカメ相手にどうこう思われようがいちいち気にすることでもなかった。
- 114 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:58
-
「ガキさんといると、いっぱいいいことがあるんだよ」
カメは私から離れると仔犬が無防備にお腹を見せて転がるみたいに、カーペットの上に転がった。さっき、ホットカーペットの電源を入れておいたから、ベランダよりは暖かいだろう。
「まず、私が知らない美味しいもの教えてくれるし」
「あー、はいはい」
「今日は、雪見れたし」
「そうだね」
「聞いてる? 」
常日ごろ、他人の話を半分しか聞いていないのはカメの方だろう、と私は静かに反抗しながらカメの方に視線を向けて聞いていますという態度をとってみせた。
すると、カメは満足そうに持ち上げていた首を引っ込めてまた天井に向いた。
「あとねー。あとねー」
「もういいよ」
ムリに出さなくても別に落ち込んだりしないから。
「ちがうよー、無理になんて言ってないしー」
チェック柄のパジャマに身を包んだ仔犬は、天井を見たまま体育座りの恰好をして、ごろごろ転がりながらそのようなことを口にする。
- 115 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:58
-
「絵里はねー、ガキさんといるだけでもちょう楽しいんだよ」
「何それ」
私の、返答にカメはきょとんとした表情になった。そして、楽しくない? と語尾上がりの口調で同意を求めてきた。いや、だって、私は私だから。私といて楽しいとか物理的に感じることは不可能なんだけど。
「……私は」
カメといるとはらはらする。
一瞬間があって、カメはギャグ漫画みたいに「ぷーっ」と噴出した。
「ガキさんはらはらしてたの? 」
箸が転がってもおかしい年頃の所為だろうか。そうならば、私だって同じくらい笑ってもいいのだけれど、何が面白くて笑っているのか共有できない隔たりが、カメと私の間に存在した。
- 116 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:58
-
何がおかしいんだよ、という私の問いに、カメは苦しそうに答えた。
「だって、ガキさんいっつも冷静な素振りだったのに」
内心はらはらしてただなんて。おっかしーのー!
私は心底溜め息を吐いた。深呼吸ぐらいに深い息。
誰の所為だと思って……。
「ガキさんはかわいいなぁ」
そう言いながら、カメが私の肩辺りをがしっと抱きしめた。
「え〜……」
不満の声を漏らしつつ、意味分かんない。と、きっちり抵抗の態度を示した。回された腕に自分の手を掛けてどうにか外そうと試みる。浮ついた印象を与える存在感とは裏腹な骨ばった腕の感覚。力強い。手を外そうと体勢をずらしたら、カメ向き合う位置に落ちついてしまった。すると、前触れもなくいきつぎみたいな笑みを彼女が零した。
- 117 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:59
-
カメの方が……。
かわいいという言葉は、カメの方がぴったりだった。だから、そう口にした。
「カメの方がかわいいよ」
カメはすぐに反応することなく目を伏せて、思わせぶりな間を作る。瞼を持ち上げたかと思うと「さゆより? 」と、悪戯っぽい表情で言う。
私は、呆れて息が漏れた。
「さゆより、カメの方がかわいいから」
だから、そろそろ離れてね。
- 118 名前:素直な気持ち 投稿日:2008/08/20(水) 12:59
-
私は無理やり立ち上がって、ベッドへ向かった。変に早起きしてしまったのでもう一眠りしようと思った。
「ガキさんどこいくのー」
縋る声を無視しベッドに辿り着いた。そこで振り返ると捨てられた仔犬のように、カメはこちらを見ていた。
「起きるまでに、ご飯作ってて」
カメの得意なヤツ。
「ガキさんずるーい」
何が、と曖昧な反応をしつつ、私は布団の中へ滑り込んだ。あとは、もう、何も聞こえない。
ガキさーん。
何も、聞こえない。
ガキさーん。
大好きだよ。
「私も」
- 119 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/20(水) 13:00
- 以上です。
やっつけじゃないのですが。
同じオチです。
- 120 名前:名無し飼育さん 投稿日:2008/08/25(月) 01:22
- やばーい!めっちゃ和んだめっちゃニヤけた!
二人が可愛すぎて困っちゃいます。今から雪が楽しみになりましたw
- 121 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/27(水) 20:09
- レスです
>>120 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
もったいないお言葉の数々。はげみになります。
自由奔放なお二人の関係が可愛すぎて困ります、実際。
- 122 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/27(水) 22:17
- 更新しまーす
藤本さん視点、登場人物は
藤本さん、ガッタスメンバー少々
女子の情の輪って。なんだか複雑です。
- 123 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:18
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- 124 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:19
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何でこんなところに咲いているんだろうと、単純に思った。
新宿の大きな交差点の片隅。
ひまわりを見た。
大輪と言うには頼りなく、控えめというには目立ちすぎる。
遠くで、美貴が向かう進行方向の歩行者用信号機が赤になった。靖国通りと明治通りがぶつかる交差点は朝の時間帯だったけれど、行き交う車は途切れる気配がなかった。まさか、こんな場所にひまわりが咲いているはずがない、見間違いかと、視線をさっきの方向に向けるが背の高くないひまわりは行き交う車で見えなくなった。
アスファルトは熱でゆらゆらと揺らめいていた。都心の喧騒の中にセミの声が聞こえる。意外に、この辺りは緑が多いと気付く。御苑もあるし、公園もあるし、近くの神社には大木が見える。関係ないけど、厚生年金会館も遠くない場所にある。
容赦のない日差しを疎ましく思い、視線をぐっと持ち上げた。太陽と対峙し、美貴の負けをすぐに悟った。今季、何度目の負けだろう。この先の勝敗の行方を考えたら眉間の皺がより深くなった。
- 125 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:19
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惜敗の後、俯いた視線の端にあった隣の人の靴が前方に消えたことで、信号が変わったと気付く。帽子を被り直す。俯いたまま、美貴は歩き出した。
徐々に視線を持ち上げ、再び視界に現れた夏の風物詩。新宿区長の粋なはからいだろうか。それにしては、貧乏臭い。似合わない。こんな、せまっ苦しい場所にこの花は似合わない。
世間からは太陽の化身とも呼ばれる、その貧乏臭い花に私は一瞥睨みをきかせた。本物の太陽には勝てなくても、コイツになら。鬱憤が晴れるかと思った。でも、近付いて目の当たりにしたまじりっ気のない黄色に、美貴はやっぱり敗北を喫した。
- 126 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:19
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- 127 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:20
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「美貴ちゃん」
フットサルの練習場に来て、初めて声を掛けてきた相手は久々に顔を合わせた。近頃は解散コンサートやら何やら大々的イベントがあったものの、でも、彼女はいつも多忙に思える。他人に必要とされているのか、自ら多忙を望んでいるのか境界はかなり曖昧だ。
梨華ちゃんの声を耳にし、『コイツは、梨の華の名前を持つのか』と今朝、ひまわりを見た時と寸分違わない感覚で思った。"はな"って漢字の画数が多くなっただけで美貴からすれば意味など変わらない。
「お疲れ」
溜め息混じりに、美貴は梨華ちゃんと挨拶を交わす。
「お疲れ〜」
って、まだ練習前じゃん。と、梨華ちゃんが笑った。
「暑くて、歩いているだけで体力削られるんだもん」
昼間は極力、外は歩かないようにしてるし。
美貴の愚痴に小麦色の肌をした梨華ちゃんは曖昧な表情で頷いていた。
- 128 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:20
-
「夜になっても気温が下がらないしね」
何度聞いたセリフだろうか。それでも心の底から同意してしまう。美貴は深く頷いた。
東京は、太陽が姿を隠しても何の悪フザけか、全然気温が下がらない。同じ日本だっていうのに、美貴が生まれた地域とは全然勝手が違う。
「まぁ。そのクソ暑い中、更に汗を掻こうって人の気が知れないね」
美貴の言葉に顔を見合わせて二人で笑った。
「アタマ悪いよね」
ここにいるヤツ全員。
何の言葉に反応したのか、まいがこっちを見た。
二人でニヤニヤしながら手を振ってみる。すると、まいは険しい表情でこちらに近付いて来た。
「呼んだ? 」
『呼んでないし』
美貴たちは同時に答えていた。
- 129 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:21
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そういえば、まいが練習に来るのも久々だ。テレビで拝見させて頂く機会は度々あったが、こんな化粧っ気のない彼女を見るのは1ヶ月ぶりくらいだろうか。この人に飾りっ気がないのはプライベートだろうが仕事だろうが変わらない。
「わー、最高にアタマ悪い人がきました」
梨華ちゃんが棒読みで控え室の出入り口の方を見ながら言った。
振り返ると是ちゃんが、練習の後みたいな汗だく姿で立っていた。柴ちゃんが、眉尻を下げながらタオルを渡している。一度タオルを断った是ちゃんだったけれど、柴ちゃんは満面の笑みで無理やり彼女の顔にそれを擦りつけた。世話焼き母ちゃんみたいだ。
「どうしたの、是ちゃん」
控え室にいたメンバーが一斉に、是ちゃんに注目した。
- 130 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:21
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「ランニング兼ねて、ここまで…… 」
「走ってきたの? 」
柴ちゃんが是ちゃんの言葉尻を奪った。
途端、"ぶっ"という音が隣で鳴った。汚い。はしたない。飾り気などない。
ばか笑いさせたらアイドル界bPだ。
まいが、大口を開けて笑っている。
「負けたーっ」
って、彼女はどんなジャンルだって負けたくないみたいだ。
「負けてない、負けてない」
梨華ちゃんはおざなりな言葉を添えてまいの背中を優しく叩いた。
ばかになれ。
偉人の名言が美貴の脳裏をかすめる。
どうして、こんな時に。
- 131 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:21
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- 132 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:22
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ばかになれ。
ちょっと胸が痛い。
この場合、「ばか」と「素直」って言葉がイコールのような気がして。嘲ることは不可能だ。
23年生きていて、美貴も大概ばかだなって、自分を蔑んだりするけど。アゴが立派な偉人と、まいと、是ちゃんと。自分の"ばか"さ加減が全然違うみたいに思う。ただ、美貴はやってきたことに後悔なんてしていない。自分で決めて、自分で行動したことだもん。反省はするけど、後悔とは別だ。……そうやって自分を正当化しないと前に進めないこと自体、すでに素直じゃないって分かってるし。
彼のスーパー美少女、バリバリアイドル(現在ではアイドルを脱皮してアーティスト指向らしいけど)松浦亜弥ちゃんは、美貴のことばか正直って表現していた。
美貴はばか正直でも、素直じゃなかったのかな。
ちょっと胸が痛い。
ばかになれ。
こないだ、亜弥ちゃんがバースデーコンサートで大っきなケーキに顔を突っ込む映像を見た。
- 133 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:22
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あのかわいい顔がクリームまみれでまぬけ面。ばか丸出しの下品な笑い方。
なのに、全然笑えないばかりか。ちょっと胸が痛い。
去年の亜弥ちゃんの誕生日。
美貴は亜弥ちゃんの側にいたのに、すごく遠くに彼女を感じた。
なんてことない。美貴が心を閉ざしていたからなんだろうけど。
亜弥ちゃんはいつだって笑っていた。美貴が不安定な状態でステージに立つ、その隣に、誰より近く亜弥ちゃんがいた。笑ってくれた。あの時、亜弥ちゃんはばかなんかじゃなかった。下品に笑うことなんてなかった。汗一つ掻かず、公演を終える亜弥ちゃんが美貴はただ怖くて。亜弥ちゃんの胸の痛みなんて知ろうともしなかった。
ばか正直だって亜弥ちゃんは美貴のことを揶揄したけれど。買いかぶりすぎだ。一番正直にならなきゃならいけなかった場面で、正直にならなきゃならいけなかった人たちの前で、できなかった。美貴は臆病者だ。亜弥ちゃんにも周囲の人達にも素直になることができなかった。
- 134 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:22
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面と向かって拒絶させることが怖かった。冷静な亜弥ちゃんは、きっと自分の歌う道を阻む者は誰だって容赦しない。
美貴の存在が亜弥ちゃんのキャリアに影響するなら。
美貴が亜弥ちゃんにとって都合の悪い存在になるなら。
亜弥ちゃんにとって美貴が邪魔なら。一切考えないとは言い切れない。
GAMのツアーで、彼女のソロを一番近くで目の当たりにし、考えないワケがなかった。
- 135 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:23
-
ステージ上で一身にスポットライトを浴びていた。この光を浴びるために、このこは生まれたんだって。大袈裟にも思ってしまった。亜弥ちゃんの後ろ姿には一人の女の子が背負うもの以上の重圧がかかっていた。このこのために数え切れないオトナの人たちが時間を費やしている。亜弥ちゃんの笑顔を歌声をファンたちが待っている。美貴は自分のことしか考えていなかった。美貴の所為で亜弥ちゃんのキャリアに傷がつき、彼女の背負うもの以上の悪意がこちらに向いてしまうと疑心暗鬼になっていた。
美貴は亜弥ちゃんに腕を振り払われる前に、自ら離れた。あの時、亜弥ちゃんにこっぴどく見捨てられたら、美貴はこのお仕事に執着したか分からない。楽しく生きられればそれでいいって、半ば投げ遣りになっていたかもしれない。若い時間を無駄にする必要はないって。何が無駄なのかっていう価値判断も明確じゃないのに。
- 136 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:23
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* * *
- 137 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:23
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柔軟体操後、よっちゃんが今日の練習に参加しないことを聞いて心からがっかりした。
「私がいるじゃない」
って、梨華ちゃんは言うけれど。絶対突っ込みたくない。少しでも合いの手を入れてしまったら彼女の思う壺だ。
「まいもいるし」
すると、まいが梨華ちゃんの真似をした。
「あたしもいるよ」
まさか、まいの隣で柴ちゃんが言った。
どうしたのだろう、今日は柴ちゃんまで。殴られたいのだろうか。お望みであれば、各々1発ずつ食らわせてやろう。でも、これだけ暑いと殴る気も失せる。
美貴は3ばかを無視することに決め、ランニングを始めた。
「やっぱり、美貴ちゃんに冷たくされると体感温度が違うよね」
「まぢで違うわ」
「いや、全然暑いままだし、ってか。違う方がおかしいから」
微妙に冷静な柴ちゃんは、まだまだばかにはなりきれていないみたい。まぁ、梨華ちゃんとまいみたいなのが増えても対処に困るだけだから柴ちゃんには柴ちゃんのままでいて欲しいのが美貴の本音だ。
- 138 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:23
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人工芝を靴の裏で蹴りながら、無言で練習場をぐるぐる回る。
ざっ、ざっ、と私以外のランニングのリズムが聞こえて顔を上げた。後姿を確認すると、是ちゃんだった。炎天下を走ってなお、まだ走るというのか。奇特な人だ。
ガッタスの中でもスタミナを誇る彼女が、更に体力をつけようと努力するひたむきさが美貴には分からなかった。
是ちゃんはクソ真面目だ。どうしてそんなにフットサルを頑張るの? って聞いたら単純な答えが返ってきた。今はこれしかないから。だ、そうだ。
やっぱり是ちゃんはばかだと思う。手段を一つしか持たないだなんて、それがダメになったらどうするというのだろう。色々なことにちょっとずつ手を出していた方が後々身を助けると美貴は思う。一つに全力なんてアタマ悪い。
是ちゃんに、フットサルがなくなったらどうする? って聞いたとしても答えは読めていたので尋ねなかった。きっとその時考えるって言うに決まっている。アタマ悪い人って概ねそんなことを口にする。
- 139 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:24
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是ちゃんは、当たり前のように美貴の質問をおうむ返しした。
「美貴ちゃんはどうしてフットサル続けてるの? 」
「手段の一つに決まってんじゃん」
是ちゃんは、「美貴ちゃんらしい言い方」って笑った。どうして笑われたのか美貴は分からなかった。
フットサル辞めたら、まず、よっちゃんに会える機会がぐっと減るし。紺ちゃんにも会えなくなるし。身体動かすことは大好きだし。勝ったら爽快じゃん。
辞める理由が見当たらない。3ばかのくだらなさは辞める理由に相当するはずない。
無言で15分ほどランニングをして身体を充分に温める。無言で走っていても、息が上がった。今夏の体力作りのプランを脳裏に浮かべた。試合の倍の時間走り続けても息が上がらないようにするためには、どのくらい走り込みをしたら良いのか。といっても、走り込みは気温が低い時間帯にしたい。早朝か深夜か。とそこまで考えて意識を現実に戻した。
- 140 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:24
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パス練習をして足をならすことにする。良い相手をみつくろうと顔を上げてあたりを見回した。
是ちゃんに声を掛けようとしたら彼女はよりにもよって梨華ちゃんに捕まっていた。今日は旦那が来ないから梨華ちゃんがハッスルしている。梨華ちゃんのハッスルぶりは常だけれど、旦那がいるのといないのとでは周囲に与える影響が違う。どっちかっていうと、面倒くさい印象だ。旦那は何が良くて梨華ちゃんと10年近く連れ添っているんだろう。説明されてもきっと美貴は理解できない。
今日は紺ちゃんもまだ来ていない。欠席するとは聞いていないから、顔は見せるはずだ。
仕方ないから、エッグの子たちとまざってキャッチとキックを確認しあった。
- 141 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:24
-
「藤本さーん」
と、呼ばれてパスをキャッチする。私は彼女らの名前を挙げて、別の子へパスをする。
きゃっきゃと嬉しそうにしながら、名前を呼ばれた子もパスをした子も周りの子もテンションが高くなった。
また次の子へボールがキックされる。繰り返されて。また私へボールが蹴られた。今度はボールを蹴り上げ、名前を呼んだ正しい方向に高い位置でパスをする。相手の子はレガース辺りのふくらはぎてボールの勢いを殺した。その子は美貴の真似をして高いパスを次の子へ回した。次の子は胸骨あたりでボールを受ける。忘れてた。キャッチとキックの確認をしたかったのに。無駄なサービス精神の所為で、ただの玉蹴り遊びになってしまった。
- 142 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:25
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美貴のオッサン気質は自他共に認める。
こんな年下のかわいい女子たちがきゃっきゃしながら回りにいたら、ちょっと意外性を突きたくなる。練習に雑念を持ち込むなんて、キャプテンを筆頭にお盛んだ。
キャプテンと美貴の違いは、よっちゃんがサービス精神ですることは王子的だけれど、美貴はそこで照れ臭さが混じるからオッサンキャラになる。よっちゃんがげっへっへと笑ってもキャーキャー言われる。美貴はげっへっへなんて笑わない。しれっとお尻を触るくらいだ。この違いが決定的。
- 143 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:25
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- 144 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:25
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ばかになれ。
素直になるのがちょっと怖い。
照れ隠しとは違う、期待することを初めから諦めた不貞た態度。
もし、是ちゃんの質問が『美貴ちゃんはどうして歌を続けてるの? 』だったら即答できたか分からない。歌うことは楽しく生きていくための手段の一つで間違いない。でも、それだけでもない、と。照れ臭さが抜けないながらも「手段」という冷たい単語に抵抗が残る。
よっちゃんに会いたいから、とか。気分がいいから、とか。歌う理由には不完全だ。
ボランティアでもない。誰のためでもなく。私は私のために歌っている。
- 145 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:25
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地方巡業でどんなにヤジを飛ばされようと、客自体が少なかろうと。歌う場はかけがえのないことだと、一度、失いかけてやっと気付くことができた。
ばかになって。どうしても歌いたいって。言わなかった一年前。
どうせ無理だと諦めていた素直じゃなかった美貴。
本当は亜弥ちゃんの隣で歌いたいんだよって、言えなかった。
なんもかんも上手くいかなくて。不貞腐れた美貴は居場所を失った。モーニング娘。の居場所も、亜弥ちゃんの隣りも。手中から離れ、焦って気付く。
美貴は歌いたい。あの時伝えればよかったことが今になってやっと分かった。
- 146 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:27
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- 147 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:27
-
「美貴ちゃん」
控え室に来たときのリプレイかと思えるほど同じ音程で梨華ちゃんが美貴を呼んだ。
振り向くと、どうしてか彼女の顎に視線が行く。
「梨華ちゃん、練習中くらいフランスパンは置いてきなよ」
食いしん坊だなぁ。
美貴のからかいに対して、彼女のありきたりの反応は安堵を覚える。
「何よー」
普段の高い声が一層きんきんと響き、さらに下顎を出して得意げな表情をする。
この人、いじられるのが大好きだったんだ。
美貴、失敗。
- 148 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:28
-
「そうじゃなくて」
梨華ちゃんはハローの中でも聡明な方だから。勝手に一人で仕切りなおしてくれる。
「最近、亜弥ちゃんって元気? 」
聡明な方なのに。けーわいだったんだ、梨華ちゃんって。
それ、美貴が一番聞かれたくないセリフだよ。
「こないだ誕生日だったよね」
梨華ちゃん。亜弥ちゃんの誕生日の話題で美貴と盛り上がれると思うの?
それより、重さんと小春の誕生日がすぐそこだよ。だ、なんて。
思っても口にしない。溜め息を辛うじて堪えて薄い笑いでごまかした。
元気だよ。亜弥ちゃんが元気ないときなんてないんだから。
あなたと一緒で。
- 149 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:28
-
* * *
- 150 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:29
-
ばかになれ。
思い浮かべる亜弥ちゃんの笑顔が完璧であればあるほど、耳に残る彼女の声が柔らかい響きであればあるほど。胸が痛い。
美貴に降りかかる周囲の重圧を、どれくらい庇っていたの?
どうしてそこまでしてくれた亜弥ちゃんに本当の気持ちを伝えられなかったんだろう。美貴はばかも大ばかだけど、かわい気のないばかで救い様がないばかだ。自分を卑下したって何も変わらない。変わらないことはどうしようもない。こんなかわい気のないばかを、かわいい、かわいい言っていたのは誰だったっけ? 食べちゃいたいって言ってたのは。亜弥ちゃんだ。
- 151 名前:かみさまの気まぐれ 投稿日:2008/08/27(水) 22:29
-
今でも遅くないのかな。
是ちゃんみたいに、汗だくで走っていって。
まいみたいに大口開けて笑ってさ。
亜弥ちゃんに伝えたら。
「ばかじゃないの」
って、美貴絶対冷たくあしらわるよね。
亜弥ちゃんプライド高いし。
美貴は歌いたいよ。ばかでも、アホでも。
亜弥ちゃんの弱みに付け込むことだって今の美貴ならいとわない。躊躇わない。恰好悪い姿を曝して、じたばた喚いて、そしてありったけの笑顔で伝えたら。
「ばっかみたい」って、氷のような頑なな態度のまま。
そんなたんを面倒みれるのはあたしだけって、その後、得意げに笑ってくれるかな。
- 152 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/27(水) 22:30
- 以上です。
あげました。
次もガッタスです。おお、予告みたいだ。
- 153 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/28(木) 21:29
- 更新しまがったす
是永さん視点、登場人物は
是永さん、柴田さんです
柴ちゃんのブログがかわいかったんです
- 154 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:30
-
* * *
- 155 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:30
-
オレンジはガッタスのチームカラーだ。
同じ色だった。一日中雨が降ったり止んだりしていたその日の夕方。控え室一面に広がった光は、燃えるようなオレンジ色だった。
- 156 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:30
-
* * *
- 157 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:30
-
練習着のTシャツとは質の異なる、サイズも小さめのシャツに着替える。シャツはやや窮屈になったのに、私服に袖を通しただけで気が緩んだ。フットサルの練習は概ねリラックスした雰囲気で行われる。愉快なメンバーが多いから自然と温和なムードになる。そのような和気藹々とした空気の中、私は自ら気を引き締めて時間を過ごす。怪我をしたくないのはもちろんだけれど。何よりも強くなりたいから。誰よりも強くなりたいから。練習でどれだけ真剣になれるか、これは自分との戦いだ。
近くの鏡に映った、練習着から着替えた自分の表情はやはり、どこか気の抜けた様子だ。帰宅するだけだったのでメイクも殆ど施していない。身支度を整え、携帯電話を再度チェックしようと視線を落とした時に気付いた。窓から下がるブラインドの隙間から見えた色。足元に縞模様が広がる。練習場へ来た時は曇天だった。携帯電話を鞄に仕舞い込み、窓に振り返る。ブラインドを全開にすると、オレンジが目の前に広がった。
「きれい」
聞こえた音は、私の気持ちそのものだったけれど。声の主は自分ではなかった。
- 158 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:31
-
* * *
- 159 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:31
-
私より、遅くまで練習場に残っていたのは紺ちゃんと美貴ちゃんだった。数分早く柴ちゃんが練習場を後にしていた。他の人は仕事だったり、何かの用事だったりとエッグの子も含めさっさとこの場を後にしていた。普通だったらもう少し残ってお喋りをしていそうなメンバーたちも珍しく今日は姿が見えない。
残っていた紺ちゃんは美貴ちゃんに付き合ってPKの練習をしていた。と、いっても。二人の練習具合は完璧、悪ガキ対いじめられっ子だった。半分以上お遊びみたいな雰囲気で。キッカーの美貴ちゃんはボール二ついっぺんだったり、おちょくる態度でフェイントを数度繰り返したり、気迫の表情を満面に浮かべオーストラリアの首都はどこか、と突然常識問題を出題したりと何かとちょっかいを出してからキックしていた。二人から発せられる、小学生のような高い声の笑いが場内に響いていた。美貴ちゃんは紺ちゃんとペアで練習している時、大概機嫌が良い。表情も子どもっぽくなる。気がする。私の勘違いかもしれないけれど。
- 160 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:31
-
私が音楽を聴きながらトラックをランニングしている間、柴ちゃんはグランドの端っこにあぐらを掻いて座っていた。背中を丸めて頬杖を突く。考え事をしているみたいだった。
彼女とは昨日、別の場所で一緒だった。
そして、"メロン記念日の柴田あゆみ"とお仕事をした。
ガッタスの中にいる柴ちゃんと、昨日の柴ちゃんは上手く言えないけれど、なんか。ちょっと違った。
- 161 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:31
-
ガッタスの中ではしっかり者のお姉さん的存在だ。でも、メロン記念日の柴ちゃんは子どもっぽかった。"子どもっぽい"のみの表現では大分語弊がある。例えるなら、美貴ちゃんが紺ちゃん相手に見せるような無防備な笑い方。逆でもぴったりくる。紺ちゃんが美貴ちゃんに見せる、屈託の無い笑み。それと同じような様子だった。もちろん、ステージのパフォーマンスは別だ。大人っぽくもあり、子どもっぽくもあり。柴田あゆみそのまんまだった。えもいわれぬ色っぽさすら感じた。それをセクシー担当の斉藤さん差し置いて公言するのは憚れるし、面と向かってそんなこと柴ちゃんに言えるワケがない。
昨日の柴ちゃんは昨日の柴ちゃん。先ほどの柴ちゃんは髪を無造作に一つにまとめ、シンプルなデザインの練習着を身に付け、歳相応の表情をしていた。背中を丸めて、難しい顔をしていた彼女に声を掛けるのは躊躇われ、そうしているうちに柴ちゃんは練習からあがっていった。
- 162 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:32
- ハローの人たち特有なんだろうか。歌のステージに立つ時とピッチに立つ時のギャップにいつも驚く。私は歌のステージ立つ時、まだまだ照れることを隠しきれていない。ましてや、昨日の柴ちゃんのような生々しい色っぽさだなんて。地球が逆回転したって自分にはありえないことだと思う。やっぱり自分とは違うんだと、キャプテンを見ても、梨華ちゃんを見ても、紺ちゃんを見てもはっきり差異を感じる。悔しさを覚えるまでもない、元々、これまで歩んできた道が別物なのだから。
- 163 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:32
-
* * *
- 164 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:32
-
「お疲れさま」
部屋一面のオレンジの所為で眩しそうに顔を顰めていた柴ちゃんを労った。
目を細めたまま、柴ちゃんがふっと鼻で息を吐いて小さく笑った。まるで全然疲れていないと言いたげな口元。さっきの考え事が上手く纏まらなかったのだろうか。
「オレンジ」
室内の様子に柴ちゃんが一言呟いた。
柴ちゃんは練習着からは着替えており、メイクにも隙が無い。練習場にいた時よりも歳がいくらか上に見える。
「うん、きれいだよね」
頷いて、私は窓から離れた。柴ちゃんが、こちらを見難そうにしていたので部屋の隅の方へ移動し、側に置かれていたパイプ椅子の背もたれに軽くお尻を乗せた。
「美貴とこんこんはまだ、練習中? 」
柴ちゃんの問いに私は首を振った。呆れるような笑みとともに「遊んでるよ」と答えた。
- 165 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:32
-
「柴ちゃんはこれからお仕事? 」
今度は柴ちゃんが首を振って帰宅することを伝えてくれた。
「私も帰ろう」
柴ちゃんに背を向け、全開だったブラインドを下ろした。
「夕焼け、久しぶりに見た」
私の後方で柴ちゃんが独り言のように呟く。
「一緒に帰ろ」
独り言の続きみたいだった。
一緒に帰ろうと、私に向けて言われたのか確かめるために振り返ると、幼い表情で笑う柴ちゃんに会った。ブラインドから漏れた光の縞模様が私の顔に映り、それが面白かったらしい。彼女の笑いのツボはいまだに掴めない。ファーストフードトップ企業、あのマクドナルドの何かのキャラクターを思い出したらしい。私はそんな全身縞模様のキャラクターがいるのかすら理解できなかった。
- 166 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:33
-
* * *
- 167 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:33
-
「さっき何聞きながら走ってたの? 」
帰り支度の最終チェックをしているのか、柴ちゃんは自分の鞄をガサガサ手探りしながら、こちらに顔を向けずに言った。
「秘密」
私の答えを聞いた柴ちゃんはたっぷり間を作り、それからにやりとした表情でこちらを見た。
「何それ」
言えないようなの聞いてたの?
「柴ちゃんには教えないの」
今度は私がそっぽを向いて視線を外した。
何それー、と不貞腐れたような態度を相手が示す。
「気になるなぁ」
全然気に留めるような表情ではない。薄く笑った様子がやっぱりお姉さんみたいだ。
- 168 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:33
-
「ハローの曲? 」
「どうでしょう」
「いいじゃん、何聞いてたのか教えてくれたって」
「そんなに気になることじゃないじゃん」
「なんか、気になる」
「安室ちゃんだよ」
ベストが出たってこないだ話した。
そこまで問い詰められるとは予想しておらず、私は観念して答えた。
「もー、全然隠す必要ないじゃん」
柴ちゃんが笑った。私もつられて笑っていた。
「聞いてたのは、安室ちゃんのベストだったんだけど」
ちょうど、その時違う曲が入ってて。
柴ちゃんはすっかり外へ出る態勢が整っているみたいだった。鞄をしっかり小脇に抱えていた。私も会話を続けつつ、鞄を手に持ち直す。
- 169 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:33
-
「柴ちゃんが歌う『香水』が流れてた」
ポータブルプレイヤーには、メロン記念日のアルバムがミニアルバム含め3枚分入っていた。今度、お仕事でご一緒するからと思い、3枚全部を入れていた。
「電気消すよ? 」
半歩ほど後ろにいた柴ちゃんに声を掛ける。
ゆっくり振り返り、声を掛けた相手に向く。返事がなかったので表情だけで消していいかもう一度窺った。
- 170 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:34
-
* * *
- 171 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:34
-
車の中は 今日も
鼻歌に近い歌い方だった。でも、しっかりと柴ちゃんの歌声が耳に届いた。
他の誰かの香水
柴ちゃんが視線を外してこちらを見ていなかった。私は息を吐いて笑う。
油断をしていた。相手は、年上のお姉さんだってことを、その時はすっかり忘れてしまっていた。
キスはしないわ 些細な抵抗です
そのタイミングで柴ちゃんと視線が合った。
- 172 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:34
-
「ここじゃ嫌? 」
音程がついてなくて、はっきりと問われていることが分かった。
でも、何についてのことなのか瞬時に判断できず、私は曖昧に笑ったまま眉を八の字にし、手に掛かっていた室内灯のスイッチをオフにした。
灯りが落ちたのと同時に甘い香りが濃くなった。瞬く間、柴ちゃんがアップになり彼女の表情を見失った。
薄暗くなった室内に浮かび上がった白い首筋、柴ちゃんの香水の匂いと、頬に当たった柔らかな感触。短い間、三つの要素が私の思考を占有した。
「昨日の、靴下のお礼」
離れた唇から、言葉が零れやっと私は意識を引き戻すことができた。
零れた言葉は、先ほど問われた声のトーンと寸分違わない音程だった。
- 173 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:34
-
* * *
- 174 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:35
-
「真っ赤だよ」
是ちゃん、さっきの夕焼けみたい、って。だったらオレンジか。
柴ちゃんが独り言を言い、満足気な様子だった。
からかわれていることが分かる。分かっているのに、やり返せない。
「照れちゃって」
かわいいな。
私はまともに柴ちゃんを見返せない。
「照れてないよ」
ちょっと……。
その、ちょっとの後に続く言葉が見つからない。
これ以上黙っていたらいいように言われると思い、些細な抵抗を試みたけれど失敗だ。自分の心臓の音がうるさすぎる。全然思考が纏まらない。
柴ちゃんは年上の貫禄のような笑みを滲ませドアノブを回し、私の横をすり抜けていく。
- 175 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:35
-
「……ちょっと驚いただけって言いたいのかな」
何でもお見通しだとでも言わんばかりの様子で柴ちゃんが廊下からこちらを振り返った。
「驚いた、けど」
「けど? 」
興味津々だと柴ちゃんの瞳が言う。純粋に楽しそうだからタチが悪い。
「ココじゃ嫌だって」
私の思わぬ発言に、柴ちゃんが困った様子になった。そして、苦笑してから。
「ごめんね」
と、私の髪に触れた。
「普段は、私の方がからかわれてるばかりだから」
是ちゃんの反応は新鮮だ。
柴ちゃんが言いわけめいた言葉を口にした。
普段、誰にからかわれているかなんて野暮なことは私は聞かない。
- 176 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:35
-
「ごめんね」
もう一度謝罪の言葉を述べつつ、柴ちゃんがこちらに手を差し出した。
柴ちゃんと手を繋いで歩くなんて、滅多にない。だから、これも。普段の彼女が、からかわれて不貞た後に、こうして慰められているんじゃないかと勘繰ってしまった。
すぐさま、いらない詮索を反省し、素直な気持ちで柴ちゃんの手を取る。
「柴ちゃん、時間ある? 」
何気ない様子で柴ちゃんがこちらを向いた。
「あるんだったら、マックによって帰ろう」
あの縞模様のキャラクターがどんなのなのかを見てみたくなった。
柴ちゃんは、猫みたいな様子で笑い、「いーよ」と答えた。
- 177 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:35
-
* * *
- 178 名前:かみさまのいたずら 投稿日:2008/08/28(木) 21:35
-
廊下に私達のではない笑い声が響いていた。きっと、私達はしばらく時間を潰した後、4人でどこかのお店に入ることになる。それがマックになるかモスになるか何になるかは気分次第。話題も大体想像がついた。久しぶりの試合の日が近いのだ。
リベンジ。
近い試合もそうだけれど。私は心の隅っこにいつか柴ちゃんにリベンジすると誓ってみた。
- 179 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/28(木) 21:36
- 以上です。
やっつけじゃないです。
- 180 名前:名無し飼育さん 投稿日:2008/08/29(金) 02:57
- リベンジがんばれーw
斬新な二人ですね!!かなりハマりました
- 181 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/30(土) 03:55
- うわあああドキドキした
メイン二人も彼女から見るガッタスメン達もすんごい魅力的です
- 182 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 11:59
- レスです
>>180 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
リベンジを試みる是永さんとそれにちょっかいを出す
ガッタスメンが思い浮かびます。(妄想)
>>181 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
うわあああドキドキしたー
コメントにドキドキしましたー
アイドル以外の活動で集う彼女たちがとても気になります
- 183 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 12:19
- 更新しまーす
高橋さん視点、登場人物は
高橋さん、新垣さん、娘。さんたち少々
久々に狼を覗いたら、神曲と持ち上げられる楽曲を拝聴しました。
曲以上の付加価値は娘。さんにしかどうにもできまてん!!
- 184 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:20
-
* * *
- 185 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:21
-
触れた空気の柔らかさに驚いた。
どうしてこの人はこんなにふんわりと表情を作るのだろう。
「愛ちゃん」
初めて下の名前で呼ばれた時のことだ。私がモーニング娘。に加入して1年も経たない、PV撮影の場面だった。押しも押されもせぬ、娘。の中心人物。アイドルの中のアイドルだった後藤真希の柔らかさに触れた気がした。
にわかには信じることができない普段とのギャップに目を見張った。
自分の名前を呼ばれていたにもかかわらず、返事をすることができなかった。
隣にいた里沙ちゃんに、「呼ばれてるよ、愛ちゃん」とせっつかれてやっと反応できた。
私のしどろもどろの態度に彼女は端正な顔立ちの表情をさらに崩して笑っていた。
- 186 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:22
-
「愛ちゃん、それごとーの」
後藤さんは私の手元をぴらぴらと指し示した。その時持っていた衣装兼小道具は自分の持ち物でなく、後藤さんのものだった。相手に言われて初めて気が付いた。脳裏によぎることは、また怒られる、という窮地の事態だった。
自分の失態に気付いた途端、慌てに慌てて大きな声を出してしまった。
「ご、ごめんなさいっ」
スタジオの勝手も分からず、慣れないお仕事の日々で肩に力を入れ過ぎている毎日だった。同時に、力が入っていることにすら気付けない追い詰められている時期でもあった。
自分の失敗が周囲にどれくらい影響が出るか予測もできず、無駄に怯えていた。
先輩から注意されれば、必要以上に萎縮してしまい、そのびくついた態度をさらに咎められ泣きたくなった。実際、何度も泣いた。新規加入メンバー内では一番お姉さんだったのに。私は間も無く"泣き虫"だと周知されることとなる。
- 187 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:22
-
「ごめんで済んだら、ゆうちゃんはいりません」
瞬時には対応できない後藤さんの愛嬌だった。
"ゆうちゃん"とは、中澤さんのことで。中澤さんは今の飯田リーダーの前の娘。の……。そんなことが脳内に巡っている時、斜め向かい側、後藤さんの隣にいた吉澤さんが反応してくれた。
「ゆうちゃんってどんな存在だよ」
「警察よりもおっかないってコト」
吉澤さんからこちらに視線を戻した後藤さんが得意げな表情で笑った。
「よかったね、ここにゆうちゃんがいなくて」
「ケメ子はいるけどね」
亜依ちゃんの槍玉に挙げられた保田さんが「あいぼんっ」と、声を荒らげていた。
- 188 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:23
-
* * *
- 189 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:23
-
不謹慎にも後藤さんはトカゲやカメレオンのように変温動物なのかと思い込んでいた。けれど、触れた肌は暖かかった。メディアの目の届かない俗に言う裏では、不機嫌な態度が多いのかとびくついていた。でも、スタッフさんや後輩にさり気無く、気遣いをする温和な人だった。先輩メンバーには甘えた態度をとるかわいらしさも兼ね備えた後藤さんは、あの時、私の目には完璧な人物として映っていた。人物というか完璧なアイドル像として捉えていた。大勢の中にいると口数が少ない。なのに、二人きりの時は嫌味のない態度で会話をする。あまりにもメディアで目にしていた後藤真希のイメージが強過ぎて、彼女と同じグループに所属することになっても、その本質に触れることをおろそかにしていた。
どれが本当の後藤さんなのだろう? と勝手に困惑していた。
彼女の表情に惑わされ、身勝手に狼狽たえ、浮かんだ疑問の答えは。すべてが本当の後藤真希だったに違いない。私が見て感じる後藤さんがすべてで、それ以外の何者でもなかった。
- 190 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:24
-
時に、ぎりぎりまで引き絞られた糸のように緊張した雰囲気を出す。
本番の合図が出される直前、一瞬の張り詰めた空気。舞台上で目の当たりにした横顔に思わず息を飲んでしまった。
空気に飲まれるとは多分、その時の私のこと。
「高橋っ 」
罵倒に近いディレクターさんのカットの声がかかった。
「何ぼーっとしてるの? 」
高い位置から飯田さんの声が降ってきた。
「すみませんっ」
ほんっとにすみません。
はっとしたと同時に頭が真っ白になった。
後藤さんと自分の意識の差を見せ付けられた。私の甘さや緩さが後藤さんの空気に飲み込まれた。本気の度合いが比べ物にならない。
私が簡単にプロ意識と口にするのは憚るくらい、後藤さんの横顔は気迫に満ちていた。
ファンの方々にとっても。プロデューサー始め、スタッフさん達にとってもそうだったように。私にとっても後藤さんは特別だった。打ちのめされる思いでじっと横顔を見つめた。
- 191 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:24
-
途端、彼女はふにゃんと表情を緩めどこか彼方へ視線を投げた。
その様子にまた、私は呆気に取られる。
「なーにやってんのよ」
背中に人の手の感触を覚え、振り返ると、保田さんがいた。
「緊張は適度に」
何故か迫力を感じる笑顔で力強いウィンクをされた。
私は数度まばたきをして、胸いっぱいに空気を吸い込み、ふぅと息を吐いた。
再び後藤さんに視線を向けると、熱くもない、冷たくもない。誰も計ることのできない温度でカメラを見つめていた。
- 192 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:24
-
* * *
- 193 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:26
-
「そーんなに難しいの? 」
譜面から、声の方向へ顔を上げた。
里沙ちゃんが自分の横髪を手で撫で付けながら私の腰掛けていたソファの後ろに立っていた。
Tシャツに無地のパーカを羽織る、里沙ちゃんにして珍しいラフな恰好をしていた。着飾っていなかった分、歳相応の印象を受ける。今年で二十歳。あどけないようで、割り切った風の大人な様子で笑みを口元に湛える。
「いや、難しいっていうか」
私の手元にあった譜面はレコーディングを控えた曲のものだった。
「曲の歌い出しっていつも考えるんだよね」
「何を? 」
言いつつ、里沙ちゃんがソファの背もたれからこちらへよじ登ってきた。
- 194 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:26
-
スタジオの控え室だったから、土足のままだ。
私は里沙ちゃんの座れる余地を空けるためにお尻をじりじりと端に寄せた。
ショートパンツにレギンスを組み合わせた服装だったので恥じらいもなく、私はソファの上であぐらをかいて里沙ちゃんが座った方に向いた。
膝は正面、上半身だけを里沙ちゃんはこちら側に向けた。譜面を覗き込んでくる。
里沙ちゃんが手に持っているそれと同じ譜面だ。違いと言えば、私が手にしている譜面の方が、しわしわになっているくらいだ。
「後藤さんやったら、どんな風に歌うかなって」
里沙ちゃんが目を丸くして私を覗きこんできた。
「後藤さん? 」
私はこくりと頷く。
後藤さんが娘。を卒業して5年以上経つ。それでも度々思う。新しい曲をさあ、歌おうという時。もし、後藤さんだったらこの曲をどのように歌うだろうかと。
深刻そうな表情をする里沙ちゃんに気付き私は場を取り繕う笑いを零した。
「安倍さんはどんな風に表現するんやろ、とか」
石川さんやったら、とか。考える。
息を吐きながらの乾いた笑いが二人の間に転がる。
- 195 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:28
-
里沙ちゃんは何も言わず、眉を八の字にして鼻で息を吐いた。
「愛ちゃん」
「自分で上手くいかないって感じる時は特に」
後藤さんは私達の前から鮮やかに卒業してしまった。輝きの余韻に浸ることも許さないような鮮やかさと潔さを覚えている。まるでお伽話の中のお姫様みたいに光の中へと姿を消した。ステージから去る後ろ姿があまりに美しくて。今でも、目を閉じればすぐに、娘。最後のステージに立つ後藤さんが瞼の裏に浮かぶ。手を伸ばせば触れられると錯覚してしまうほど鮮明な記憶だ。
- 196 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:28
-
モーニング娘。をこよなく愛している里沙ちゃんだったら、もっと詳しく色々なことを覚えていそうだけれど。私はその光の中に立つ後藤さんの後ろ姿がくっきりと浮かぶ。彼女にとっての卒業は、壮大な物語の中の1ページを繰るだけの呆気なさ。そういった印象も受けた。まだまだ華々しい出来事が彼女を待ち受けていると誰もが信じていた。
「キーボードから始まる曲なんて久々やし」
新譜をもらって毎回毎回思い出に浸るわけではない。ただ、今回の曲はあからさまにスローテンポの曲だった。一語、一語、噛みしめて音にする余裕が歌い手に預けられている。
まぁ、どんなに感情的に歌い上げたとしてもその楽曲が日の目を見るかというと、必ずとは言い切れない。
- 197 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:28
-
♪〜
里沙ちゃんが鼻歌に近い軽い様子で、私が割り当てられたパートの部分を歌った。
♪〜
次のれいなのパートの部分も続けて歌う。
つられて、私もユニゾンの部分から歌唱に参加した。
サビ部分も歌い、二番が始まっても里沙ちゃんは続けて歌った。
譜面から視線を上げ、目が合うとなんだかくすぐったい気持ちになって微かに笑ってしまう。
二番サビ部分の私のパート割りの箇所。里沙ちゃんも変わらず続けて歌うと思ったら、そこで彼女は口をつぐんだ。
- 198 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:29
-
* * *
- 199 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:29
-
あの時触れた柔らかい空気を思い出す。
後藤さんのことを私は勝手に孤高の人だと思っていた。けれど、そんな事実は無根だった。
飯田さんにも安倍さんにも。保田さんにも矢口さんにも。4期にも、5期にも。
後藤さんは自然体のまま、ふにゃりと笑う。
忙しくて時間に追われていて睡眠不足が重なる毎日でも。
メンバーに身を預けるように、スタッフさん達を信頼しきった態度で。ふにゃりと笑った後、物事をありのまま受け止めていた。できない自分も、できちゃう自分も。期待の眼差しも、特異な視線も。自然体で受け止めているように見えた。
- 200 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:29
-
後藤さんが抗っている場面はすぐに思い出せない。例え、忙しさのあまり、今私と里沙ちゃんが腰を掛けているようなソファで居眠りしている姿を思い出せても。飯田さんに注意されてしょげている様子を思い出せても。吉澤さんと徒党を組んで、石川さんをからかっている場面を思い出せても。のんちゃんとケータリングのアイスを奪い合う必死さを思い出せても。反発したり、抗議したりする悲しい顔を思い出すことは不可能だった。
ふにゃりと、あの誰も計ることのできない温度で笑う様子はすぐに思い出せるのに。
- 201 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:30
-
伴奏もなく、自分だけの声が耳に届いて、急に心細く思い、私は自分のパートを歌うとそれ以上は続けなかった。
里沙ちゃんはふふふ、という様子で笑っていた。
何さ、と私は険しい表情で相手に尋ねる。
「一人で笑ってきもち悪い」
「そう言われてもね」
里沙ちゃんは笑うことを止めない。
「ほんと、気持ち悪いから」
里沙ちゃんは片足をソファの上に乗せた。完全に私の方に身体を向け、背もたれに頭を乗せた。上目遣いでこちらを見ている。
「好きだなぁ、と思って」
後藤さんとはまた違った風合いの笑みを里沙ちゃんが見せる。柔らかさが、万人受けするのではなく。私好み、とでも表現しようか。里沙ちゃんの柔らかい質感は微妙に加減されている。
- 202 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:31
-
「そりゃあ、後藤さんの声も好きだし。安倍さんの声も、石川さんの特徴ある声もいいと思うけど」
上目遣いのまま、まじまじと里沙ちゃんが私を見ている。
「愛ちゃんの声、大好きだなぁって」
里沙ちゃんは気持ち悪いままふふふっと笑うだけでそれ以上の説明はしなかった。
「それ、れいなにも言ってるんでしょ」
「もちろーん」
小春にも重さんにも言ってまーす。
いつの間にお調子者キャラを習得したのか。相棒の額をぺしっと手のひらで押さえつけた。
「私だけにしなさい」
そう言った私の手を取って里沙ちゃんが目線を合わせてくる。
「難しい問題は解決したの? 」
さっきの様子を見て、里沙ちゃんは私が何かの難問に頭を悩ませていたと勘違いしたらしい。私としては、別に問題にぶつかっていたわけではない。ただ、他の人だったらどんな風に表現するのか、と想像していただけだった。
「んー」
曖昧に唸りながらするすると私は里沙ちゃんに身を寄せる。
- 203 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:32
-
「後藤さんバージョンでいくことにしました」
なーんだそれ、と里沙ちゃんが背もたれから身体を起こし、語調を強めた。
「愛ちゃんは、愛ちゃんで歌うの」
真面目な表情で、里沙ちゃんが幼稚なセリフを言うから、私は噴き出してしまった。
上半身を前傾姿勢にして、笑う。その間、両足をソファの上に乗せて寝そべる態勢を整えた。
ごろりと仰向けになり、里沙ちゃんの太もも辺りに自分の頭を乗せた。
「ちょ、重っ」
「後藤さんになんてなれませんよーだ」
私は私でしか歌えないもん。分かってる。
「あー、里沙ちゃん」
温かいカモミールティー飲みたい。
里沙ちゃんの私物の水筒に何が入っているかなんてお見通しだ。
「……この態勢じゃ取ってくるの無理」
「ブースに入るの1時間後だから」
「だから、何なの」
私は寝転がった体勢のまま、口をへの字にした里沙ちゃん見上げる。
「30分寝ます」
目を閉じ、仰向けの態勢から身体を横にした。万全の体勢で里沙ちゃんの手を掴んで引き寄せる。
- 204 名前:chamomile 投稿日:2008/09/23(火) 12:32
-
「足痺れるからだめー」
異議を申し立てながら、里沙ちゃんが私の頭を持ち上げようとした。
「私が30分仮眠を取った後すぐに温かいお茶を、痺れた足で取ってきて下さい」
「なんで、罰ゲームになってんの」
「一滴たりとも零さずに持ってきて下さい」
より、里沙ちゃんの手を手繰り寄せて離さない。
「重い重いー」
「軽かったら足痺れないじゃん」
「痺れさせるのが目的か! 」
「当たり前だろー」
「降りろ、今すぐ頭を降ろせ」
結構、本気の力で私の身体ごとソファから落とそうとする里沙ちゃんを笑いながら去なす。
「いーやーでーすー」
センターで長く歌うことになった今でも。後藤さんのような特別たる空気を纏うことは叶わない。けれど、こうやってメンバーとじゃれ合うことができる私は、まだまだ未来が開けていると自負している。
- 205 名前:寺井 投稿日:2008/09/23(火) 12:34
- 以上です。
やっつけじゃないです。
- 206 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/24(水) 00:35
- いやー、好きです。
- 207 名前:寺井 投稿日:2008/09/24(水) 21:29
- レスです
>>206 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
うはー、私も好きです。
- 208 名前:寺井 投稿日:2008/09/24(水) 21:32
- 更新しまがったす
藤本さん視点、登場人物は
藤本さん、柴田さん、他ガッタスメンバー少々
>>123-151『かみさまの気まぐれ』の続きだったりそうじゃなかったり
- 209 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:33
-
* * *
- 210 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:34
-
ゲームの前に休憩時間が入った。
紺ちゃんはまだ姿を見せない。
そんなことを呟いたら、梨華ちゃんに何しにここへ来ているの?って余計なお節介を言われた。旦那とイチャコラしに来ている人とは話がしたくなかったので、美貴はその場から離れ柴ちゃんに絡むことにした。具体的に言えないけど柴ちゃんは亜弥ちゃんと近い存在。なんだか甘えたくなる。かなり天然な部分もあるけど基本は常識人。常識って安心に繋がる。でも笑いのセンスは亜弥ちゃんの方が上かな。関西人のボケとツッコミに対する執念は尊敬に値する。会話に必ずオチをつけるサービス精神は、並のアイドルでは真似できないマイク使いにより彼女のコンサートMCにて遺憾なく発揮される。
えてして、目の前の彼女。柴田あゆみのMCについては、多く触れないが最善と言うもの。
- 211 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:34
-
「柴ちゃん、しりとりしよっか」
題はみどり色の生き物ね。
柴ちゃんは、いきなりの提案にふわっと笑っていいよ、と言った。これだから年上の人は大好きだ。
「じゃあ、ガッタスの『ガ』から始まるみどりの生き物」
美貴のなぞなぞみたいな振りに柴ちゃんは真面目に考え出した。そんなに時間掛けたら面白さが皆無だ。脊髄反射のごとく突っ込んで欲しかったのに。
「ぶっぶー、はい時間切れ〜」
言いながら、美貴は柴ちゃんの背中に自分の背中をくっ付けて頭をごろごろした。柴ちゃんはなんで制限時間なんてあるのって不平を口にしながらも、やっぱり笑った。頭の回転が速い亜弥ちゃんだったら一発引っ叩かれていただろう。ちょっと物足りない気分だ。
あの矢口さんの次くらいに順調にお仕事をこなしている、メロン記念日さん。ラジオも背負っていて、定期的にライブ活動もあって、メロンさん達が主演舞台も続編まで公演された。仕事内容が充実しているから余裕があるのか。単なる年の功なのか。あすこの四人組はハローの中でも落ち着いて見える。
- 212 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:35
-
「メロン姉さんたちは、相変わらずお仕事順調ですね」
柴ちゃんは、お蔭さまでと言いつつ一礼をした。
「美貴も頑張ってるじゃん」
舞台、観に行くからね。
柴ちゃんが来てくれるのは嬉しいけど、あのキンキン声のピンクい人は一緒に連れてきて欲しくないな。柴ちゃんって特定の人には結構冷たいから、面倒臭くなったら梨華ちゃんのテンションを放り投げる可能性大だ。もしそうなったとして。共演の方々に迷惑を掛けられないからきっと美貴は気を遣って梨華ちゃんの相手をすることになってしまう。うん。梨華ちゃんはやっぱりよっちゃんと一緒に来てもらうことにする。
「是非、メロン姉さん達も連れて観に来てください」
オッケーと答えて柴ちゃんはストレッチをし始めた。彼女の背中に預けていた体重がより後方へ移動する。柴ちゃんが身体を前傾させれば、美貴は上体を反らすことになる。反対になれば、美貴が前屈をして柴ちゃんが背中を伸ばす。
- 213 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:36
-
「柴ちゃんの背中柔らかくて気持ちいい」
美貴は素直な感想を述べた。
「美貴は痩せ過ぎ」
「んなコトないよ」
「スタミナがなかなかつかないのも、脂肪の問題なんだから」
「嘘ばっかり」
っていうか、全然スタミナあるし。
ムキになって柴ちゃんに食って掛かる。柴ちゃんは取り合わない態度で今度は手を頭の上で組んで身体を横に倒した。脇腹を伸ばすストレッチだ。美貴も真似して彼女と反対側の脇腹を伸ばす。
「真似するなー」
美貴もストレッチするんだったら離れてよ。
柴ちゃんが少しだけ前へお尻を移動させた。
美貴はそれにくっ付いて後ろにお尻を持って行く。
「ついて来ないでよ」
「冷たくしないでよ」
「休憩なのに疲れさせないで」
「柴ちゃん、美貴のこと嫌い? 」
柴ちゃんが黙った。正直な彼女のことだから本気で面倒臭くなったみたいだ。美貴は爆笑して場を繕う。石川の梨華ちゃんを嘆いている場合でない。
「ごめん、柴ちゃん」
ちょっと、甘えたくなってさ。
自分の何気ない一言にはっとする。
- 214 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:36
-
* * *
- 215 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:36
-
甘えて、甘えられて。
よっちゃんと梨華ちゃんみたいな。柴ちゃんとメロン姉さんたちみたいな。
彼氏は彼氏で便利だし。楽しいし。ステータスになるし。思う以上にかわいい存在だ。でも特定のオトコとの利害の一致とかそんなんとはなんか違う。
お仕事をしていて、お互い自立している。いてもいなくても、すべて滞りなくコトが済むのに。むしろ、いない方が楽ちんかもしれないのに。そう思うのに、一人ぼっちが寂しくなる。
女の子はすぐ泣くし。すぐ笑うし。どーでもいいことで悩むし。彼氏と違って便利っていうより面倒なことが多い。それなのに。よっちゃんと梨華ちゃんは悪口言い合ってもなんだかんだでずっと一緒にいる。よっちゃんは梨華ちゃんを頼りにしてるみたいだし。梨華ちゃんもよっちゃんの面倒をよく見ている。それこそ母ちゃんかっていうくらい。梨華ちゃんと柴ちゃんも仲良しだ。梨華ちゃんのハイテンションに柴ちゃんは慣れっ子で。二人がケンカする場面はなかなか見ることができない。
- 216 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:37
-
「しーばちゃん」
美貴お得意の甘ったれ声に。柴ちゃんは眉を八の字にして苦笑していた。
「こんこんが来るまでだよ」
多分、美貴も一緒。
よっちゃんも、梨華ちゃんも、紺ちゃんも。
柴ちゃんもまいも是ちゃんも。
ガッタスの中では特別も差別もなくて。面倒臭くてくだらなくて。それが心地良い。まぁ、よっちゃんと梨華ちゃんはその中でも別枠で考えた方がいいのかもしれないけれど。今日は大目に見てあげる。
柴ちゃんから給水用の飲み物容器を手渡される。美貴はそれを受け取りながら恥ずかしいヤツだなと自分のことを柴ちゃん同様苦笑してしまった。
容器に口をつけて視線を上げると、視界に梨華ちゃん達が映った。のっちと梨華ちゃんが立っていて、側にまいが座っていた。最近覚えたての常識問題をまいが出題しているらしく、後の二人が答えていた。さすが現役学生ののっちは答えを淡々と挙げている。梨華ちゃんはボケるでもなく正解を挙げられるでもなく。始終面倒臭いテンションで思いついた言葉を投げ付けている。三人の側にいた他のエッグの子達がリアクションに困っているみたいだった。
- 217 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:37
-
* * *
- 218 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:37
-
「ガッタスの時は無理しなくていいから楽だ」
甘えついでに美貴は本音を口にした。
「美貴がいつ無理してるって? 」
柴ちゃんが大きな目をさらに大きくし、からかうように言った。
ほら、まいだけじゃなくこんなに飾り気のない人達を前にして何を取り繕う必要があるのだろう。
「やっぱ、舞台のお仕事とか歌のお仕事でも共演者の人には気ぃ遣うじゃん」
「そうかな」
「そうかなって柴ちゃん」
柴ちゃんが水分を一口含んでごくりと飲み込んだ。
「気遣いはそりゃ誰にだってあるけど、無理してるのとは違うよ」
共演者の人たちに気ぃ遣うのは当たり前だし。
言われて見れば。そうだ。
「美貴は誰といる時に無理してるの? 」
柴ちゃんの大きな目は私のちっちゃい心の穴を見逃さない。
- 219 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:40
-
うふふふ、とわざとらしく笑って彼女から視線を外してしまった。曖昧な態度をとれば余計に心配させるだけだと直ぐに後悔したけれど遅かった。無理なんかしてるワケないじゃんって。真っ直ぐ目を見て言えばよかっただけのこと。ばか正直な美貴はこんなところで嘘がつけない。こういう人のことを不器用っていうのだろうか。冷静に自分のことを他人事のように思った。
「6月25日に、ちゃんとお祝い言えた? 」
梨華ちゃんだけでなく、柴ちゃんもなのか。
美貴と亜弥ちゃんがセットだったのは悲しいけれど、昔話。
今は気を遣って、気を遣って。電話どころか、おたおめメールもできない間柄。
「前、美貴言ってたから」
柴ちゃんはそう言葉を口にしてからじれったい間を作った。
「もうすぐ亜弥ちゃんの誕生日だって」
柴ちゃんが飲み物の容器を所定の場所に戻した。片手を差し出し、美貴のそれも催促した。美貴は促された通り容器を柴ちゃんに手渡し、彼女は自分のものの隣に美貴のそれを置いた。
- 220 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:41
-
「美貴の大事な大事な亜弥ちゃんの誕生日なのに、浮かれモードじゃなかったから」
いくら私だっておかしいなって気付くよ。
柴ちゃんは時計を気にしているみたいだ。そろそろ休憩時間が終わる。
美貴は何も答えることができなかった。
亜弥ちゃんの前で無理なんかしてないって反論できなかった。
「亜弥ちゃんも、ガッタスだったら良かったのにね」
どういう意味だろう。教えて欲しくて、やっと柴ちゃんを見つめ返すことができた。
するとタイミングよく、休憩時間の終わりを告げるコーチの声が聞こえた。
コーチの声の後に「遅れてすみません」、という聞き慣れた声がして待ち望んでいた人の登場を知る。
- 221 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:42
-
「紺ちゃん来たね」
柴ちゃんが目を細めて笑う。それ以上詮索しないし、答えも教えない。彼女から中途半端な冷たさを感じ取る。常識人の亜弥ちゃんと柴ちゃんの決定的な違い。亜弥ちゃんはとことん冷たい。白か黒かドはっきりした性格。子どもっぽいっちゃ、子どもっぽい。でも柴ちゃんは亜弥ちゃんよりも大人な割り切り方をする。だから楽ちんなのかもしれないけど。そうじゃない。亜弥ちゃんが子どもだとか、冷血人間とか。違う、そうじゃない。美貴が、踏み出せないだけなんだ。ぶつかることが怖いだけだ。
以前の、亜弥ちゃんとの関係は努力して勝ち取ったものではない。普通にわがまま言って、傲慢にふるまって。多少亜弥ちゃんのお願いも聞いて、指図に従っていただけだ。計算をして組み立てた関係じゃない。
だからこそ、その二人を支える歯車が外れたら、どう修復していいのかさっぱり分からない。直そうとして手を加えれば加えるほど違う歯車までが狂っていく。そこに、美貴の打算が入っているから余計に、だ。
- 222 名前:かみさまの移り気 投稿日:2008/09/24(水) 21:42
-
美貴は紺ちゃんに向かって大袈裟に手を振る。
待ちくたびれたよって。表情を作って。
紺ちゃんのマシュマロみたいに甘ったるくて零れ落ちそうな笑顔を見たら泣きそうになった。
亜弥ちゃんも、ガッタスだったら良かったのにね。
だめだよ。亜弥ちゃんがガッタスにいたら甘えっぱなしになって勝ち負けなんてどうでもよくなっちゃうもん。良い恰好見せようとしてチームプレイを滅茶苦茶に引っ掻き回してしまう。
勝手な妄想を繰り広げて自分を嘲笑する気分になった。だめなんてことはない。どうせ叶わないことだからそこまで悲観する必要はない。柴ちゃんがいたずらに言った意図はそう深い意味はないのだろう。
素直になれよ、って。ただ、それだけのことだ。
- 223 名前:寺井 投稿日:2008/09/24(水) 21:43
- 以上です。
あげました。
やっつけとやっつけじゃないの間。
- 224 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/24(水) 22:51
- やっつけとやっつけじゃないのとその中間の差が知りたいです
いや、どれも素晴らしいので。
- 225 名前:寺井 投稿日:2008/09/25(木) 23:17
- レスです
>>224 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
もったいないお言葉です。恐縮です。ちなみに
やっつけは、書き始めから24時間以内に曝す
それ以外は気分です。
- 226 名前:寺井 投稿日:2008/09/25(木) 23:20
- 更新しまーす
光井さん視点、登場人物は
光井さん、亀井さん他
最近、つんく♂さんが愛おしいです
- 227 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:22
-
* * *
- 228 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:22
-
そのキスが何の意味も成さないことを知っていた。
- 229 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:22
-
カップ飲料の自動販売機に飲み物を買いに来ていた。私は書き物の仕事が残っていて、それを終えれば晴れて自由の身となる。集中力を呼び戻そうと頭の切り替えのため、事務所の雑居スペースから脱出した。他のメンバーは帰宅だったり別スタジオだったり散り散りに移動していた。
携帯電話とお財布だけを利き手に持ち、エコのためなのか単なる経費削減のためなのか照明の落とされた薄暗い廊下を歩いていた。窓に目を遣るとすっかり夕方の姿に様子を変えた外の景色が映った。外灯に明かりが灯り、近所のマンションの窓から照明の光が零れていた。視線を上げる。空が高く、雲が遠い。薄い波状の雲は鳴り潜めたオレンジに染められピンクとも紫とも藍色とも取れる色合いだった。早く帰りたいなぁと、溜め息が一つ零れる。
- 230 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:23
-
夕方になると肌寒さが増し、温かいものを自然と欲した。自動販売機の飲み物にそれほど期待してはいないけれど。"あったかい"ボタンが復活する季節、何気なく飲みたくなったのがホットカルピスだった。
少しだけ足を速め、自動販売機コーナーの明るい場所に辿り着いた。その、出会いがしらだ。
まるでドラマの撮影風景だった。重なり合った二つの人影。安っぽいセリフは無く、自動販売機の稼動音がヴーンと、嫌に耳に響いた。
座っていた一人の後ろ姿は直ぐに誰なのか判別できた。もう一人顔の見えない相手は目が合うまで誰なのか分からなかった。蛍光灯の光を黒髪が艶やかに反射し、美術室にある石膏像みたいに整った白い顎が浮かんでいた。挨拶を交わす仕草は普段の何気ない遣り取りそのままだったけれど。合成皮張りの長椅子に座っていた相手の肩口を握る手の震えは切迫した雰囲気を感じ取らせるに充分だった。
- 231 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:23
-
* * *
- 232 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:23
-
「夜メールする、ばいばい」
そう言って身体を離したのは道重さんだった。
彼女と目が、合った。途端、私は見てはいけなかった場面に出くわしたと背中に冷たいものが走る。睨まれるか、脅迫されるか、泣きつかれるか。良い状況にはならないとぼんやり考えていた。けれど、道重さんは私の姿を確認しただけで取り立ててこちらに注意を向けることはなかった。
「お疲れ」
座ったまま、手を振って道重さんを送り出したのは亀井さんだ。
二人は一緒に帰らないらしい。
「愛佳ちゃん」
道重さんに名前を呼ばれて、私がその場に立ちすくんでいたことに気付く。
「お疲れ〜」
「お……つかれさまです」
道重さんはいつもの通りの愛想で私ばかりが拍子抜けした状態だった。じゃあね、と律儀に後輩にも手を振り彼女は関係者出入り口へと続く薄暗い廊下へ姿を消した。
説明できないいたたまれなさを感じるけれど、このまま立ち去るのもおかしい。私は背中に走る冷たいものが消えないながらも、最初の目的を果たすことにした。ゆっくり自動販売機へ足を進める。ということは、亀井さんの側へ移動することと同意義だった。
- 233 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:24
-
* * *
- 234 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:24
-
私一人で気まずい雰囲気を作っていた。動揺が末端に伝わり、微かに手が震える。携帯電話がお財布の金具に当たりカタカタ音を立てた。
キスシーンを見られた亀井さんは平常心、というかお得意のぼーっとした様子だ。
「亀井さん、何か飲みますか? 」
普段、そういった気遣いはしないのだけれど。何故か口が滑って余計な言葉がぽろぽろ零れる。
彼女は「んーん」、と首を横に振りやんわりと私の申し出を遠慮した。
「ありがと」
と、お礼の言葉は忘れていない。亀井さんは本当に普段と同じ態度だ。
「みっつぃー、何飲むの? 」
小銭を投入する指先が冷たい。自動販売機がカチャカチャと音を立てて100円玉を飲み込む。
「カルピスを」
あったかいのが最近復活したから、飲みたくて。
それほど興味を持っていなかったらしい相手はふーん、と宙を仰いだ。
- 235 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:25
-
「一口ちょーだい」
振り返って彼女を見ると、口角を持ち上げた表情でおねだりする態度だった。
ボタンを押すと、途端。カラカラと音を立てて氷がコップに落ちていった。
しまった。間違えて冷たい方のボタンを押していた。内心がっかりするものの。あからさまに落ち込んでも大人気ない。
「みっつぃー」
亀井さんは、どこにも響かないような声を上げて笑っていた。
「あったかいの、飲みたいんじゃなかった? 」
「ボタン、押し間違えました」
ひっひ、と亀井さんが笑っている。嘘笑いかもしれないといらない探りを入れたくなる笑い方だった。ひとしきり笑った後、「よかったら」と彼女は前置きの言葉を述べた。
「それ、ちょーだい」
みっつぃー、あったかいの飲みなよ。
- 236 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:26
-
適当、適当。と道重さんからも、新垣さんからも。とにかく色々な人から軽んじられている亀井さんだった。私も、メイクもそこそこに楽屋ではしゃぎまくるとか、はしゃぎまくった挙句、田中さんの鏡を踏みつけて割ってしまったとか。靴下の種類を左右間違えて履いて来てしまうとか。彼女の残念な一面、二面、三面、を見てきた分。適当、適当と揶揄する人たちと同調していた。けれど、その時の亀井さんには4歳年上の貫禄が垣間見えた。ほんの少しだけだったけれど、甘えたくなる懐の広さが感じられた。買い直してくれたワケでもないのに。
私は亀井さんのお言葉に甘え、出来立てのカルピスを取り出すと新たな小銭を自動販売機に投入した。今度こそ、あったかい方のボタンを押す。
「帰らないんですか? 」
冷たいカップを亀井さんに渡す。彼女には目下こなさなければならない作業は残っていないはずだ。けれど、帰宅するでもなくこんなところでカルピスを啜っている。
- 237 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:27
-
「かばん、あっちにある」
カップに口をつけながら言うので舌足らずの口調がさらに聞き取り難かった。
あっち、とは多分私が脱出してきた事務所の雑居スペースのことだろう。
あったかいカルピスが出来上がり、私はそれを両手のひらで包み込み亀井さんの隣に腰を掛けた。
「みっつぃーは? 」
亀井さんは詳しく尋ねなかったけれど、どうしてこんな飲み物を買ってゆっくりしていて、帰宅しないのかという問いであると了解した。
「まだ、書き物の宿題が残っていて」
「あ〜、アレか」
「終わりました? 」
一度、カップに口をつけ温かさ、甘ったるさを補給する。
これこれ。この人工甘味料の後味が欲しかったのだ。飲み物の温もりに私は大分落ち着きを取り戻して内心安堵していた。
亀井さんは私の質問に「まだー」、と首を振った。
どうして今のうちに終わらせておかないのか、と彼女の行動が読めず黙ってしまった。
- 238 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:27
-
「絵里はねー、たいきばんせいだから今日はやらないの」
使い方、合ってます?
私はカルピスをもう一口飲む。
返しに困る振りは、止めて欲しいと内心悪態をついた。はははは、と正真正銘愛想笑いが表情に張り付く。
ははは……。さーて。これはどうしたものか。
亀井さんは帰る素振りを見せない。私から立ち上がり去っていいものか。
彼女のことだから、きっとどんな無礼な態度も見過ごしてくれる。かといって人を見て無礼だったり礼儀正しかったりするのは自分の流儀に反する。結局私はどうしたいのか。
亀井さんが立ち上がって、「お先に」と言って欲しい。
危うく溜め息をつきそうになった。
「甘い」
多分、飲み物に対する感想だ。間違っても道重さんとのキスの感想ではない。
- 239 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:28
-
無表情に近い、亀井さんの横顔を見つめた。この時季のこの時間帯に氷入りの飲み物は手が冷たくなって寒いだろうな、と今更後ろめたい気持ちになった。
「さっき、ちゅーしてはりましたよね? 」
相手の横顔からカップに視線を落として私は呟いた。
「うん」
亀井さんはカップを手の中で転がし、さくさくと細かい氷がぶつかる音を立てた。
「秋だしね」
キスと秋がどんな関係なのか、突っ込みどころ盛りだくさんの返答だ。突っ込んで聞くべきか、そうですよね秋ですものね、と頷くべきか。
「うーん」
私は声に出して唸ってしまった。
「そういう寂しい感じも好きなんだって」
そういうって、だからどういうことなのか全然分からない。他人事みたいな口調からして、多分誰かが秋のセンチメンタル加減が好きだと言っていたのだろう。誰かといえば、それはさっきキスをしていた相手、道重さんに相違ない。亀井さんは説明が足りなさ過ぎる。
- 240 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:28
-
「みっつぃーがさぁ。あったかいカルピス飲みたくなるみたいに」
亀井さんはやっぱりどこにも響かないような笑い方でくくっと笑う。
気温が徐々に下がると、私があたたかい飲み物を欲するように、道重さんと亀井さんはキスをするのだろうか?
「最近は風も冷たくなってきて」
人肌恋しい季節でしょ?
珍しく説得力のある亀井さんに私ははぁ、と思わず頷いてしまった。
- 241 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:29
-
「みっつぃーは、ホットカルピスでだいじょーぶな人かもしれないけどそれじゃダメな人もいるんですよ」
おほほ〜、と言葉尻から亀井さんはおどけていく。
「それに、絵里だったらお金払う必要ないし」
その言葉は何かとてもシビアな響きを持つ。捉えどころの無い先輩の言葉に突然、胸倉を掴まれるような気持ちになった。私は、ただ、会社内の自動販売機で冷たいカルピスとあったかいカルピスを買っただけだ。別に悪いことをしたワケでは断じてない。
捉えどころの無い先輩だから。寂しい気持ちなのか嬉しい気持ちなのか私では到底計り知ることのできない彼女の胸の内。
道重さんはずるい。同じ同期でもきっと。亀井さんにしたみたく、田中さんには意味の無いキスなんてしないんだ。
- 242 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:29
-
* * *
- 243 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:30
-
そのキスが何の意味も成さないことを知っていた。
二人からは、恋人同士の熱情的な、戯れを楽しむ的な。ぎりぎりまで押し留められた欲求と欲求のぶつかり合いを感じ取ることは一切なかった。
ただ、言葉を口にして伝えるよりも。胸に響くものがあったのは確かだ。当事者でもない、部外者極まりない私は、道重さんと亀井さんが具体的に何を伝えて受け取ったのかは分からない。
理由のない行為にも、謂れのない寂しさにも躊躇いなく身を委ねてくれるから、だから道重さんは亀井さんを選んだ。けれど、亀井さんだって人格のある人間なのだから、キスを甘んじて受け入れる理由が道重さんにあるはずだ。二人にしか分からない単純そうな複雑そうな関係を私は今やっと目の当たりにした。
- 244 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:30
-
「こっちの、一口味見します? 」
亀井さんはありがとうといって自分の持っていたカップを椅子の上に置いて私から別のカップを受け取った。
「あったかいね」
私にだけ向けてくれた彼女の笑顔に、胸が鳴った。道重さんの、気持ちが分からないでもないような。すっかり騙されてしまったような。人肌恋しい季節は、心に隙間を作り易い。口の上手いせぇるすまんと亀井さんの笑顔には気をつけなければならない。
私は亀井さんからカップを受け取ると、残っていたカルピスを一気に飲み干した。
「帰りましょう、亀井さん」
立ち上がった私に、亀井さんはきょとんとした表情をした。
「書き物は家でやります」
亀井さんと帰路を共にすることなんて滅多に、というか今まで一切ない。
据付のごみ箱に向かってカップを潰し放り投げた。
- 245 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:31
-
「絵里、今日、お迎えが…… 」
潰れたカップがずっこけて、見事ごみ箱から外れた。
そうか、今日は別に約束があるから、亀井さんは道重さんと帰らなかった。亀井さんがぼーっとするのにもそれなりの理由があったのだ。
自動販売機の横まで歩を進め入れ損ねたカップを拾い今度こそゴミ箱の中に投げた。
後方でうへへ、とだらしない笑いが聞こえた。
「そんなしょんぼりした背中見せなくても」
私の屈んだ様子に哀愁が漂っていたようだ。娘。の中でも最年少私が哀愁を身につけても、キャラとして活かせるか自信が無い。
- 246 名前:IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY 投稿日:2008/09/25(木) 23:31
-
「みっつぃー」
一緒に帰ろうよ。
振り向いた私に、亀井さんは氷が入ったままのカップを差し出した。捨てろ、と仰っているみたいなので、私は近付いてカップを受け取りゴミ箱に捨てた。
「カルピスのお礼にピザまん買ってあげる」
「ピザまん限定なんですか? 」
「文句言うならおごってあげないんだから」
道重さんに今連絡を取ったら戻ってくるかもしれないと一瞬浮かんだけれど、すぐに打ち消した。道重さんには一人でセンチメンタルな気分に浸って頂いて、会話には苦労が絶えないと目に見えているけれど。今日は亀井さんとほかほかのピザまんを食べよう。秋は始まったばかりだ。
- 247 名前:寺井 投稿日:2008/09/25(木) 23:32
- 以上です。
やっつけじゃないです。
- 248 名前:寺井 投稿日:2008/09/26(金) 23:39
- 更新しまーす
登場人物は高橋さん、久住さん、リンリン、他
オチはありません。
- 249 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:40
-
* * *
- 250 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:40
-
「だめだ、もう一回」
何度繰り返されただろうか。
リーダー高橋愛は憔悴し切った表情を隠しもせず、ヘッドフォンから流れてくるBGMにもう一度耳を傾ける。
「違うっ」
力の入ったつんく♂Pの声がブースに響く。
もう、どうすればいいか分からない。声を出し過ぎて、その声の代償に涙も出ない。
高橋は精根尽き果て、そっとヘッドフォンをマイクの横に置いた。
OKの合図が出ていないにもかかわらず勝手な行動をとった高橋、傍目から見ても理不尽なまでにダメだと言い続けるPとが睨み合った。が、そこはPの年の功により内紛勃発は回避された。
- 251 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:41
-
「僕も疲れました、30分休憩にします」
冷静さを取り戻した声がブースに届いた。遅すぎたブレイクだった。
ブース内にいた高橋だけでなく、エンジニアスタッフ達に安堵の混じった嘆息が伝染していった。
メンバー一人ひとりに約2時間ずつ。レコーディング開始から既に18時間が経過していた。
午前3時の少し前にブース入りを要請された時高橋は、常軌を逸したPの横暴さを心底訝しんだ。それからたっぷり2時間が経過している。粘りに粘ったPのしつこさに高橋は心から溜め息が漏れた。溜め息の後からどろどろとした胸の内の感情が込み上げてくる。しかし、一向に涙は出てこない。この2時間で潤いを失い、頭からつま先まで干からびてしまった感覚に陥った。
- 252 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:41
-
今日は、メンバー9人誰一人OKを貰っていない。もうそろそろ陽が昇る。
これだけ時間をかけて分かったこと。
Pはこの曲に尋常でない思い入れをしていること。
そして、その曲は数あるユニットの中でもモーニング娘。に背負わせられたこと。
とんだ重荷を背負わされたと、高橋は途方に暮れ宙を仰いだ。
控え室に戻りながら、高橋は6時間前にブースから出てきた田中の言葉を思い出していた。
『どこがどう違うのかちょっとくらい教えてくれてもいいのに』
そう言っていた田中の目から光は立ち消え、焦点も合っていなかった。
昨日からさっきまでのPは少しおかしい。世間様と比べれば大分おかしいPではあるが。いつものPと今回のPはまた違ったおかしさがある。
とにかく、「だめ」の一点張り。険しい表情を顔全面に貼り付けて頑としてOKを出さない。変態的なPの持久力の前にメンバーは次々と根をあげた。それでも2時間戦ったのだから賞賛に値する健闘ぶりだ。
- 253 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:41
-
* * *
- 254 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:42
-
控え室のドアを開ける。二部屋に分かれた控え室で高橋は、久住、ジュンジュン、リンリンと同室だった。前日の気分で決定されたので、班分けには特別な意図はない。まさか共に生死を彷徨うなどと18時間前には思いもしなかった。
開いたドアから見えた様子は地獄絵図だった。
白目を向いて壁にもたれている者。口から泡を噴いて床に寝転がるもの。化粧台に突っ伏したまま起き上がれない者。
「小春」
寝てしまったのかと思い、高橋は一番近くにいた久住に声を掛けた。返事は無い。
久住の腕に軽く手を触れさせたら、既に硬直が始まっていたらしく座っていた体勢のまま彼女は転がった。ピクリとも動かない。
「……っ」
声にならない。涙も出ない。
- 255 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:42
-
高橋は両手で顔を覆いその場に崩れ落ちた。
もう、嫌っ。
高橋の叫びは悲壮そのものを表していた。30分後にはまたメンバーの誰かがPの辱めを受けることになる。歌っても叫んでも終わりを見せないPとの我慢比べはほとんど限界だった。
『ガチャ』
崩れ落ちた高橋のすぐ後ろのドアが開いた。振り向いて訪問者を確認すると、それは亀井だった。亀井の顔からも生気は薄っすらとしか感じられない。青白い肌、充血した目。とても19歳のものとは思えない状態だ。
「小春、今よ! 」
特撮やアニメのヒーローモノによくあるセリフ回しだった。亀井が突然充血した目を見開いて叫んだ。聴覚機能を磨耗した今の高橋には耐え難い高音。彼女の鼓膜を劈く亀井の声は場違い甚だしかった。
- 256 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:43
-
次の瞬間、高橋は目を疑った。
亀井の号令とともに側で椅子から転げ落ちていた久住の目がかっ開いた。
そして、硬直状態を維持したまま久住が8期留学生の片方の愛称を叫んだ。
「リンリンっ、リンリンっ」
唇の動きだけが力強く生を訴えていた。
高橋は一体何がどうしたのか、状況を把握できず正座を崩した姿勢のまま久住と泡を噴いて横になっていたリンリンを交互に見つめた。
「リンリンっ、リンリンっ」
久住は徐々に身体を起こしていった。初めはリンリンに背中を向ける形で叫んでいたのだが、上体を反転させて室内の中央に向いた。
「リンリンっ、リンリンっ」
両手を床に打ち付けて悲壮感たっぷりに久住が叫ぶ。
- 257 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:43
-
するとどうしたことか、リンリンの瞼が持ち上がり、瞳だけで辺りをきょろきょろと見回し出した。
思わず、高橋まで「リンリンっ」と心内で叫んでいた。
干からびていた身体に水分がみなぎる。
「リンリンっ、リンリンっ」
久住は叫び続ける。
「リンリンっ、リンリンっ」
今度は壁にもたれていたジュンジュンがむくりと身体を起こし、すっくと立ち上がった。久住もジュンジュンにならうようにゆっくりと立ち上がる。
「リンリンっ、リンリンっ」
防音効果が発揮される室内に久住の長年声優業で鍛えた声が浮かんでは消える。
- 258 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:44
-
「リンリンっ、リンリンっ」
リンリンっ、リンリンっ
リンリンリリン リンリンリリンリン
リンリンリリン リンリリリリン
耳に覚えのある、懐かしいフレーズだ。
さらにワントーン上がって久住は続ける。
リンリンリリン リンリンリリンリン
途中から亀井も参加しだした。
リンリンリリン リンリリリリン
途中から亀井も参加しだした。
『ワァオ! 』
亀井のシャウトが廊下に響いた。
- 259 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:44
-
リンリンリリン リンリンリリンリン
久住と亀井は初めのトーンに戻り「リンリン」と叫び続ける。
リンリンリリン リンリリリリン
リンリンリリン リンリンリリンリン
リンリンリリン リンリリリリン
『ワァオ! 』
ジュンジュンが拳を宙に振り上げ久住と亀井にならって叫ぶ。
当のリンリンはワカメや昆布、海草群のように身体をゆらゆらさせて徐々に起き上がっていく。髪を振り乱し、まったく表情は分からない。
また、ワントーン上がってリンリンコールが繰り返される。
- 260 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:44
-
リンリンリリン リンリンリリンリン
リンリンリリン リンリリリリン
リンリンリリン リンリンリリンリン
リンリンリリン リンリリリリン
『ワァオ! 』
「カメ、うるさいよ」
休憩中は人に迷惑かけないようにすることっ。
この状況に似合わない下世話な新垣の声が聞こえた。
高橋が出入り口の方へ視線を向けると、亀井の後ろで新垣が怪訝な表情を浮かべ室内の様子を探っていた。
- 261 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:45
-
リンリンリリン リンリンリリンリン
リンリンリリン リンリリリリン
視線を合わせた新垣と亀井。初めは軽く握られていた新垣の拳。「リン」の音が重なれば重なるほど彼女の拳に強固さが増す。
リンリンリリン リンリンリリンリン
リンリンリリン リンリリリリン
『ワァオ! 』
ゆらゆら身体を揺らしていたリンリンが今まさに覚醒の時を向かえるその瞬間。
- 262 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:45
-
リンリンリリン リンリンリリンリン
リンリンリリン リンリリリリン
リンリンリリン リンリンリリンリン
リンリンリリン リンリリリリン
『ワァオ! 』
高橋も120分に及ぶレコーディングでのダメだし疲れなど忘れ拳を振り上げ叫んでいた。
リンリンリリンリンリンリリンリン
リンリンリリンリリリリリン
リンリンリリンリンリンリリンリン
リンリンリリンリリリリリン
『ワァオ! 』
GAKIKAMEの叫びが朝陽に向かって轟いた。
- 263 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:46
-
* * *
- 264 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:46
-
カランカラン……
Pの手元から飲みかけのコーヒーの缶が落下し、白い革靴、生成り地のパンツに茶色い染みが付着した。転がった缶から中身がトクトクと注がれ廊下にコーヒー色の水溜りができた。
灰色の床に広がるドアの隙間から零れた蛍光灯の光。
そのドアの室内では年頃の娘がナチュラルハイになって奇声を発していた。
Pの耳に届いたのは「リンリン」と連呼される懐かしいリズム。
「リンリン……」
- 265 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:47
-
* * *
- 266 名前:マジック・ナンバー 投稿日:2008/09/26(金) 23:47
-
HEADLINENEWS
★フィンガー5「恋のダイヤル6700」をモーニング娘。がカバー
- 267 名前:寺井 投稿日:2008/09/26(金) 23:49
- 以上です
秋のリンリン祭が開催されないか期待を込めてのやっつけです
- 268 名前:寺井 投稿日:2008/09/29(月) 18:45
- 更新しまーす
亀井さん視点、登場人物は
光井さん、道重さん、リンリンさんです
>>227-246「IT'S_SO_BEAUTIFUL!_YESTERDAY」の続きだったりそうじゃなかったり
川*^A^) <リンリンリリン リンリンリリンリン
- 269 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:46
-
* * *
- 270 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:46
-
き、あ、つ、の、た、に、ま。
- 271 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:46
-
声にした言葉がコンクリートのたたきに転がるみたいだった。
一人ぼっちでしゃがみ込んでいたのは、コンサート会場の非常口を出た場所。喫煙スペースも兼ねているようで、側には銀の四角柱型灰皿が据え付けてあった。言葉と一緒に吐いた息を白く染めるには大分早い。気温はそれほど落ちていなくても、知らぬ間に物寂しい感覚に陥り易い季節だ。溜め息を漏らしてみても、鬱積したセンチメンタルは晴れなかった。
分かるような、本当は分かっていないような。センチメンタリズム。お腹が空いた時の気持ちと似ているって専らの噂。
- 272 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:47
-
こんな空模様の時は、自称三半規管が弱点の、藤本さんがアタマイタイって眉間の皺を通常の二倍深くしていたっけ。眉間の皺によって機嫌が左右されているかというとそうでもないのが藤本さんの難しいところ。普通の顔しててもぴりぴりのオーラを出していたり、アタマイタイ、アタマイタイって言いながらも絵里の相手してくれたり。今彼女は何をしているのだろう。コンサートに来てくれって言ったら皮肉として受け取られるだけかな。気難しい彼女だからこそ。何の気なくひょいと楽屋に顔を出しそうな気がしないでもない。ああ、でも藤本さんの楽屋訪問は、まだ、事務所的にNGか。
ねずみ色の雲が、手の届きそうな距離で遠くの風に早いスピードで運ばれていく。薄いカーテンのような白い雲は奥でひらひらなびいている。二色の雲のコントラストが冒頭の呟きに繋がっていたのだけれど、黒ごまとミルクのソフトクリームを思い出した、なんとく。
- 273 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:47
-
* * *
- 274 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:47
-
ぜんせんがかんとうふきんにせっきんし。
で、何だっけ? お天気コーナーのお姉さんの真似をしてみようとしたけれど。途中で興味を失ってしまった。
- 275 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:48
-
洟など垂れていなかったけれど、雰囲気まかせで鼻をすすってみた。
ここで、煙草の一本でも吸ってみたら少しは恰好がつくのかもしれない。淡い期待に少し胸が撥ねる。誰にもさゆにさえ隠れてこっそり吸うからこそ恰好良いのか、堂々とニコチン中毒をアピールする方が良いのか、どっちなのか考えてみたけれど答えは出なかった。それに、今は一本として絵里は煙草を持っていない。ライターもない。恰好付けるって難しい。
知識をひけらかすのも恰好良く見えるし。
さり気無い気遣いのできる人も恰好良い。
ダンスも上手けりゃ言うことないし。歌も歌えなきゃ何か物足りない。
あー、ソフトクリームっていうより。あったかいココアが飲みたいかも。
そこで抱えていた膝に頭を乗せた。
うーん。
取り立てて不完全燃焼な感覚でもないんだけどな。なんかへんなきぶんだ。
へんなきぶん。へんなきぶん。うふふふ。楽しくなってきちゃったかも〜。
- 276 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:48
-
『ガチャ』
- 277 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:48
-
背後で重たい鉄の扉のドアノブを回す音がした。
絵里ははっとして、ドアが開いてもぶつからない場所まで慌ててお尻を移動させた。
ギギっという錆びついた音がして隙間から二つの目と視線が合った。
「なんや、亀井さんか」
相手の落胆した様子に少しだけ突っ込みたい気持ち。
「失礼だよ」
もっと、喜んで。もっと持ち上げて。先輩、先輩。
普段無頓着な上下関係を持ち出してみた。きっと彼女は先輩後輩についてガキさんの次くらいに気にする性質だ。
- 278 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:50
-
「あ、亀井さん」
みつっぃーは全然堪えていない様子で、思いついたように私の名前を口にした。
「田中さん知りません? 」
6期の人たち全員出払ってて、高橋さんが誰かえんのかって探してはりましたよ。
そうかそうか。それでみっつぃーは6期の誰かを探していたのかな。えらいえらい。うん、リーダーの件については田中さんに全部背負ってもらうことにしよう。
「れいなはぁ……」
と、名前を口にしてみたところで彼女がどこへ行きそうかなんて想像もできない。きっとみっつぃーのことだから、私が思いつきそうなケータリングの場所とか小道具衣装部屋とかトイレとかは既に捜索済みに違いない。
「そんな遠くに行ってはいないと思う」
みっつぃーが黙った。手で押さえていたドアノブを今にも引き戻しそうだった。
- 279 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:51
-
「なんですか、それ」
知らないなら知らないって言えばいいのに。
みっつぃー、その言い方は本当に失礼だよ。って二度は面白くないから言わないけど。
「っどーせ絵里は知らないですよーだ。あーいすみまてーん」
「その言い方、めっちゃ頭にきますね」
言葉とは裏腹にみっつぃーははにかんだ様子だった。彼女の良いところの一つだ。絵里のくだらないギャグに懐広く笑顔を見せくれる。でも反応してくれなくなるのも時間の問題なのかな。その時は絵里、相当寂しい気分になるんだろうな。まぁ、未来のことでくよくよしててもしょーがないからこの場は彼女に微笑みかけるだけだけど。笑顔の裏には4つも年上の先輩の苦悩が、これでもかっていうくらい詰まっているっていうことは察してね。みっつぃー。
- 280 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:51
-
「そーや、そーや亀井さん」
また、みっつぃーは思いついたように私の名前を口にする。
ん? と、私はしおらしく彼女の様子を窺ってみる。
「今度田中さんとスイーツ中華まんを食べに池袋行くんですよ」
ほら、ナンジャタウンでしたっけ?
「あー、こないだ入場無料券もらったもんね」
絵里の気のない返事にもみっつぃーはにこにこと話を続けた。
「亀井さんも行きませんか? 」
秋の味覚満載って。おいもさんに、くりさんにかぼちゃ。かぼちゃって夏野菜な気がするけど。
「へー」
絵里はお尻が冷たくならないように、屈む体勢を少し変化させた。
「他にもマンゴーまんとか杏仁まんとか、あと御当地まんもたくさんあって、北海道のハスカップまんが愛佳は気になってるんですけど」
きっと腰を折らなければこのお話はずっと続いてしまう。だから絵里はせっかくだけどみっつぃーのお誘いに首を横に振った。
- 281 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:52
-
「無理」
だって、れいな時間にうるさいから。絵里、絶対遅刻するし。
「えー、そんなこと言わんといて下さいよ」
キレ者で名を轟かせているみっつぃーが、みるからにしょんぼりした様子になった。こういう時ばかりは歳相応の表情をする。絵里からみてもかわいいなって思ってしまうくらいだ。
「無理だよ、まずれいなが絵里とは一緒に行きたくないって言うから」
私は笑ってかわいい年下の後輩をなだめた。
口を尖らせて彼女は「行きましょう」と言って憚らない。
「行きましょうよ〜」
「池袋遠いし」
「嘘ばっかり」
「嘘でもいいし」
「ひどーい」
絵里はごまかすのは得意だしごまかすことについてはちっとも心が痛まない。仕方ないものは、仕方ないのよ。世の中そーゆーふーにできてるの。ちきゅうが回り続ける限り。
笑って、笑って。相手がぷいってするのを待つだけで一丁上がりだ。
おっと、さすがのみっつぃーも膨れっ面になってきた。しめしめ。
- 282 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:52
-
「じゃあいいです」
絵里の勝ち。得意げな気分だ。
「愛佳、田中さんと先に行って下見してきますから」
別の日に行きましょう。道重さんも誘って。
「えー」
「ね、行きましょうよ」
おねだりするみっつぃーの目が"アル"みたいだった。
そう思ったらおかしくなって噴き出してしまった。
それでもみっつぃーが嬉しそうな表情をやめないからつい。
「さゆに聞いてみるね」
と、無責任極まりない発言をしてしまった。
「やったー」
みっつぃーはそう言って両手をばんざいさせた。
ドアを抑えていた手が外れ、ギギっと錆びついた音が鳴り鉄の塊が彼女の肩に鈍い音を立てて当たった。
私は思わず立ち上がってその肩におどけて寄りかかる。
みっつぃーも冗談ぽく痛がっていた。
- 283 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:52
-
「大丈夫? 」
彼女の肩に一度自分の額をくっ付けてから、表情を覗き込んでおでこを撫でた。するとやっぱりみっつぃーはアルみたいに眉尻を下げる。
「道重さんの説得お願いしますね」
なんだか絵里。その目に弱いみたいだ。
「わかった」
さゆを説得するとか、まず池袋まで出掛けることとか全くそんな気はないけれど、みっつぃーが嬉しそうにすると絵里はくすぐったい気持ちになってしまって、その場のノリでOKしたことになってしまった。失敗失敗。
「それじゃ、ごゆっくり」
みっつぃーはまだれいなのことを探すらしい。私は愛想良く手を振って彼女を送り出した。
- 284 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:53
-
「その場所寒いんですから、早く戻らはって下さいよ」
飼い犬に心配される気分って案外悪くないのかもしれない。
「はいは〜い」
れいなによろしくー。
みっつぃーが丁寧にドアを閉め、直後自分の背後から腕が伸びてきたことに私は本当にびっくりした。本当にびっくりした時ってなかなか大きな声が出せないみたいだ。
「おえっ」
変な声が出た。
「おえっ、て。絵里」
私の腰辺りに腕を巻き付けてきたのはさゆだった。
- 285 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:53
-
* * *
- 286 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:54
-
「またみっつぃーと密会? 」
密会とは人聞きの悪い。絵里がセンチメンタル気分に浸っていたところへみっつぃーが邪魔しにきただけなのに。
「焼きもち? 」
だけど密会の部分は否定せずさらに相手に問い掛けた。質問の答えなんて期待していない。ただ、そういう風に言った方がさゆが喜ぶ気がしただけだ。絵里って案外空気読めるんだよね〜。
「焼きもちだなんて、まさか」
言いながらもさゆは身体を密着させてくる。言ってることと態度が違うんだけどな。まぁいいや。
「今度池袋で遊ぼうって」
みっつぃーが。
「ふーん」
あらま、気のない返事はおそろいだ。
- 287 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:54
-
「絵里とさゆとみっつぃーと」
「異色の三人だね」
さゆは腕の力を緩め、身体を離した。
ごめんだけどみっつぃー。やっぱり絵里もさゆも全然行く気にならないみたい。期待させたお詫びに今度は黒豚角煮まんをおごるから許してね。
「あー、さゆ」
私はさゆから離れ、扉に寄りかかった。
「愛ちゃんが探してたって」
責任を私以外の誰かが被ってくれるなら、れいなでもさゆでもどっちでもいい。
「知ってる。さゆみっていうか。うちら全員でしょ」
黒い大きな瞳は何でもお見通しだといわんばかりの眼力を発揮していた。
さゆの言う、うちらとはれいなと絵里と。6期のことだ。
分かっている。愛ちゃんに「何の用ですか? 」とこちらから尋ねなくてはならないことが。さゆも絵里も分かっている。
おしゃべりなうちらの間に沈黙が流れた。
ぷぷっ。なんか真面目な表情のさゆが面白い。
- 288 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:55
-
「戻らないの? 」
にやついた表情のまま私はさゆに尋ねた。
「絵里こそ」
不機嫌そうにさゆが言い返してきた。不機嫌というか呆れているのかな。どっちでもいいんだけどさゆは気にして欲しいんだよね。怒ってるみたいな態度の時は構って欲しいの合図だ。どうしたの?って聞いて欲しいそうだもん。
「さゆ、ココア飲みたくない? 」
「あったかいミルクティー飲みたい」
あら、外したみたいだ。
「今戻ったら確実に愛ちゃんに捕まるしなー」
戻る気なんてさらさらないのに愛ちゃんのことを気にしてみた。
暗い色の雲はどんどんと流れていく。どんどん流れて形を変えて。ちきゅうが回り続ける限りずっと同じものなんて何にもない。
絵里ってば詩人じゃん、ポエマーポエマー。はははん
- 289 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:55
-
「絵里、一人で笑って気持ち悪い」
「さゆこそ」
「何が? 」
おっと、さゆみお嬢様がご機嫌ななめだぞ。
「いやいや、さゆはこんなところで何してたのかなって」
「何って」
ズバっとズビっと物申す性分のさゆが言いよどんだ。
「……ネタ集めです」
「ネタ、集め? 」
絵里が繰り返して言うと、さゆがこくりと頷いた。
アイドルらしからぬ、見上げた根性だ。
「ネタはねぇ、待ってても歩いてこないんだから」
こっちから集めにいかないと。
溜め息混じりにさゆがその場に屈み込んだ。
「毎週毎週ラジオで話すことってさ、ぼーっとして過ごすと意外に少ないの」
「うんまぁね、そうだよね」
「嘘ばっかり」
冷たい視線が胸に突き刺さる。
- 290 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:56
-
「絵里なんて新垣さん任せだったじゃん」
「違う違う絵里が、ガキさんをフォローしてたんだから」
「まぁ、そのラジオもめでたく終わりを迎えたけどね」
さゆってば意地悪だ。吐き捨てるように突き放す。
「うん、一つの歴史がね、幕を閉じたよね」
絵里は腕組みをして感慨深く頷きながらさゆの吐き捨てた言葉を拾い上げた。
さゆがこちらを見上げて、くすっと笑った。ほら、やーな感じー。
- 291 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:56
-
* * *
- 292 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:56
-
「お邪魔しました」
「戻るの? 」
立ち上がったさゆを引き止めるワケではない。絵里はまだまだここでこうしてぼんやりするつもりだ。
「ネタ集めに戻ります」
「頑張ってね」
「絵里こそ」
人生頑張って。
どんな意味だ。
あえて突っ込みはしない。名残惜しさなんて感じないからひらひらと手を振った。
- 293 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:56
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「また後で」
さゆは呆気なく喫煙スペースから立ち去った。絵里がネタにならないと見限ったみたいだ。まぁ、こんな所でぼんやりしている人に張り付いていても天からネタが降ってこない限り面白いことは起こりそうもない。でも、天は絵里に味方してくれるって信じてる。
ネタと言えばなぁ。コンサートMCのネタもてこ入れしないとだ。マンネリ化が絵里自身気になっている。笑いには、さゆ同様貪欲でいたい。かわいいことも必須だけれど、面白くなくちゃ意味がない気がする。どちらが欠けて人生つまんない。頑張るよ、さゆ。絵里はかわいく楽しく人生を頑張るから。さゆもさゆで己の道を追求してね。
- 294 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:57
-
また、空へ視線を戻す。雲は流れてどこどこゆくの〜
って。歌があったようななかったような。
泣きなさい、笑いなさいって。そんな歌が昔流行った気がする。
きっといい歌に違いない。詳しくは思い出せないけど。印象に残るくらいだからいい歌だ。
雲は流れてどこどこゆくの〜
と、鼻歌を歌ったら、リンリンが流れる雲のようにふらふらと携帯電話を空にかざしながらやってきた。
- 295 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:57
-
「何やってるのリンリン」
「亀井サン! 」
絵里に気付いたリンリンは途端にぱっと表情を輝かせこちらに走ってきた。携帯電話は握り締めたまま。
「リンリンっ」
あー、おっかしい。必死で電波をキャッチしようとするれいなみたいだった。圏外の山奥でどうにかして電波を見つけようとしていたれいなを思い出した。ずっと前のことだ。れいなは多分中学生で絵里は高校に入ったか辞めたかくらい。あの頃は、忙しかったな……。今も別に暇じゃないけど。あの頃はヘンに忙しかった。こういう風にどこどこゆく雲を眺める時間なんてなかった。
「亀井サンっ」
近寄ってきたリンリンの顔には満面の笑み。絵里ってそんな珍しい人物でもないんだけどな。リンリンが嬉しそうだからつられて絵里も笑顔になる。
「フラフラしてどうしたの? 」
「写真、取りたかったんデス」
「何か面白いもの見つけたの? 」
「カラス」
- 296 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:58
-
カラス……。
カラスか。さゆ。ごめん。絵里はぼーっとしていただけなんだけど。やっぱり天が味方してくれたみたい。コレはちょっとしたネタになる気がするよ。少し脚色すれば充分使える。心のネタ帳にしたためておくわ。
「亀井さんは何してるんデスか? 」
「雲」
「クモ? 」
リンリンの表情が一気に険しくなった。
違う違う。リンリン。そっちのクモじゃないから。空に浮かんでる雲。
リンリンも絵里に並んで非常口の扉に寄りかかった。カラスはどうやら諦めたようだ。
「ヘンな天気だから、雲を見てたの」
「ヘンデスか? 」
なんか、だから、藤本さんが眉間の皺を二倍にしそうな天気だって言ってもリンリンは分からないよね。多分、多分なんだけど。気圧の変化がね。って。そんな小難しいことよしずみさんじゃないんだから。絵里、説明できるワケないじゃん。
- 297 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:58
-
「フキツデスか? 」
不吉って。リンリン。そんな言葉どこで覚えたの?
「別に不吉ってまではいかないけど、とにかくヘンなの」
「ハイ、分かりマシた」
今日はヘンな天気デス。
リンリンの言い方が日本語のレッスンをしているみたいでおかしかった。
絵里も繰り返す。今日は、ヘンな天気です。リピートアフターミー。なっつって。
リンリンの様子を窺うとやっぱり雲の流れを追いかけているみたいだった。そしてぽろりと零す。
「良い事ありマスよ、亀井サン」
え、なんで突然絵里、励まされてるの? 全然理解できないんだけど。
- 298 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:59
-
「リンリンも」
良い事あるよ、きっと。
「当たり前ダロー! 」
大きい声で言い、リンリンが私の背中をバチコーンと叩いた。
イタイ。イタイよ。リンリン。なんだ、なんだ。今日のリンリンのテンション扱い難いなぁ。
「高橋サンにも、新垣サンにも、道重サンにも、田中サンにも」
久住サンにも、光井サンにも、ジュンジュンにも。良い事ありマスよ。
そうだね、そりゃそうだよ。人生長いんだもん。山あり谷あり楽あれば苦ありって。当たり前のことだよ。このコンサート会場だってさ、何度もステージに立たせて頂いている。それだってありがたいことなんだよね。来年絵里たちがどうなってるかなんて想像できないけど。良い事あるよ。
愛ちゃんにも、ガキさんにも、さゆにも、れいなにも。
小春にも、みっつぃーにも、ジュンジュンにも。
そして、絵里にもリンリンにも。うん。当たり前だ。
「女に―― 」
絵里が言う。目配せをしてタイミングを計った。するとリンリンも分かってくれたようで。
『幸アレ! 』
と二人で叫び、ばんざいをした。
- 299 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:59
-
「ところで亀井サン」
おっと、リンリン。切り替えが早いですよ。もっとイェーイとかうさちゃんピースとかやっぴーとか、そんな掛け声はコールしないのですね、とても残念な気分です。
リンリンは絵里がずっこけていることになんて気付いていないみたいだ。
「あったかいココア飲みたくないデスか? 」
その殺し文句に絵里は眉を八の字にして笑ってしまった。
- 300 名前:Beautiful!Yesterday_Once_More 投稿日:2008/09/29(月) 18:59
-
「ワタシは、今、トウニュウココアに嵌っているんデス」
「豆乳? 」
「ハイ」
動物性のシボウブンでないから身体に良いんデス。
あ、リンリンが難しいこと言い出した。隠れ健康オタクなのかもしれない。
「戻りましょう亀井サン」
トウニュウココアが飲みたくなりマシた。今すぐ戻りマス。
リンリンは絵里の腕を掴んでもう一方の開いている手でドアノブを回した。
絵里は戻る、なんて一言も言ってないんだけど。まぁ、いっか。風邪引いたらそれこそアホだし。今日は豆乳ココアに免じて戻ってあげよう。
- 301 名前:寺井 投稿日:2008/09/29(月) 19:00
- 以上です。
やっつけじゃないです。
- 302 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/02(木) 12:18
- 最高
- 303 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/03(金) 16:49
- さゆえりって二人ともややこしい女の子でいいですね
あと前回の話ですが秋のリンリン祭がほんとに開催されてるみたいで噴きました
- 304 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/05(日) 11:14
- 「さゆみお嬢様」という呼び方、いいですね。
- 305 名前:寺井 投稿日:2008/10/08(水) 21:50
- レスです
>>302 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
最高!!
>>303 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
私も噴きました。
是非、生 川*^A^) <リンリンリリン リンリンリリンリン 聞きたいです。
基本女子ってややこしい生き物だと勘違いしながら生きています。
単純だったり複雑だったり。総じて面倒臭い!
>>304 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
"お姫様"も捨てがたいです。
- 306 名前:寺井 投稿日:2008/10/08(水) 21:56
- 更新しまーす
登場人物は亀井さん、ジュンジュンさんが中心です。
秋紺のTOP!が死ぬほど見たいです。
ノノ*^ー^) <ソロですよ?
- 307 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 21:57
-
第1話『壊れない愛がほしいの』
- 308 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 21:58
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* * *
- 309 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 21:58
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国技の八百長騒動など無関係なモーニング娘。の楽屋は今日も平和だった。
「二度と間違えるな。次、親方って呼んだら生まれてきたことを後悔させるから」
物騒な発言に楽屋が静まり返る中、パチ、パチと将棋を指す音だけが響いた。
「亀井サン、一つの駒ではゲームの続行は不可能デス」
っていうか、本気で逆転できると思ってたの?
ジュンジュンの発話が突然流暢に聞こえ、違和感をなんとなく覚えた亀井は視線を彼女に向けた。そこにはほくそ笑む姿のジュンジュンがいるだけで他に変わった様子はなかった。
「さっさと負けを認めて下サイ」
ほくそ笑むジュンジュンは亀井の「参りました」という言葉を待ち望んでいた。
それ以上の甘美な響きはないと、うっとりした表情を浮かべ、相手を見下す恰好で敗北を認める亀井の言葉を待った。
- 310 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 21:59
-
亀井は膨れっ面になり盤を見つめた。
「いいよー、じゃあ。絵里の負けですぅ」
「違いマス、亀井サン」
ジュンジュンは一瞥にやりと亀井を見遣った。
「ま、い、り、ま、し、た。デスヨ」
ジュンジュンはさらに鼻で相手を笑った。
「絶対言いたくないんだけど」
「棋界の道理ってモンを貫いて貰わないと困りマスよ〜」
ジュンジュンは更に腕組みをしてふん反り返った。
面白くない亀井は最後の砦であった歩を掴み、ヒノキ作りの本格盤に叩き付けた。
駒はパチーンと撥ねて、ジュンジュンを飛び越える。活きの良い歩は人相の悪い道重の頬に当たった。歩の行方を視線で追っていた亀井の背中に冷たいものが走った。平和な楽屋が一気に凍りつく。生まれてきたことを後悔するだけじゃ済まなそうな雰囲気だった。
- 311 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 21:59
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先ほど、道重に怒鳴りつけられていた高橋は正座をして小さくなっていた。目を瞑ってじっとしていた高橋だったが、室内の空気が変わったことを不思議に思った。目を開けたら最後、惨劇を目の当たりにすると深層心理で気付いていた。それでも目を瞑ったままでいられないのが人間というものだ。ゆっくりと瞼を持ち上げた瞬間、高橋はブラックアウトした。
- 312 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 21:59
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* * *
- 313 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 21:59
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次に高橋が意識を取り戻した時は夕方だった。その日の昼公演はリーダー抜きで滞りなく終了した。メンバーが欠けた公演だったがお客様が満足していたとスタッフ達から口々に聞き、彼女はほっと安堵した。この時高橋は自分のみが出演できなかったと思い込んでいたが、娘。メンバーの半分以上は意識の回復が間に合わずほぼ道重の独演状態だった。この回は後々、道重の土俵入り公演として伝説となった。
「じゃあ、太刀持ちは誰だったのさ? 」
「知らないですよそんなこと」
「露払いは? 」
「この昭和女! 」
関係者専用通路にて新垣と久住が些細な言い争いをしていた。
- 314 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:00
-
「そんなことより、今回は負けられないんです」
「まさか、角番!? 」
「新垣さん、さっきから何なんですか」
久住は不機嫌な態度を隠しもしなかった。自分の知らない単語をわざとらしく述べる新垣に悪意を感じていた。
「ジュンジュンに負けられないんです」
「なんだっけ? カニ挟み対決? 」
「そんな対決には勝ちたくないです」
久住の声のトーンが一層低くなり新垣は自分のボケもまだまだだと一人反省をしていた。
「挟み将棋です」
「地味だなぁ」
「新垣さんには言われたくないと思いますよ」
久住は端正歪めて意地悪く笑った。
- 315 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:00
-
「物言いだ、物言い! 」
ぎゃあぎゃあとサブリーダーと声優兼業アイドルがスタッフやら他関係者が往来する通路で、他愛もない言い争いをしていた。周囲の大人にとっては微笑ましいシチュエーションだった。そのようなほんわかした雰囲気に2m後方から一石が投じられた。
「新垣さん」
女性らしい柔らかい響きだった。けれどその声には温度が微塵も感じることができない。背筋も凍る声だった。背後から、通る声で新垣の名前が呼ばれた。物々しい雰囲気を感じ取った新垣は振り向くことを躊躇った。しかしながら、サブリーダーたるもの呼ばれたからには返事をするしかない。
「さゆみへのあてつけ? 」
ゆっくり、ゆっくり新垣は首から上を動かした。最後の呼吸を惜しむように唇が震えた。そして道重と視線を合わせた瞬間、新垣は石になった。
「新垣さん、ちょっと。新垣さんってば」
動かなくなった新垣に対し、久住は人並みに心配して声を掛け続けた。だがしかし、彼女が、まともに返事ができるようになったのは次の日の朝を迎えてからのことだった。
- 316 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:00
-
* * *
- 317 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:01
-
『新垣さーんっ』
久住の悲鳴が関係者専用通路を駆け巡り、オリコンウィークリーランキングとは無関係を装うモーニング娘。の平和な楽屋にまで響いた。数字がすべてじゃない。寝言で高橋が負け惜しみを言ったとか言わなかったとか。
「ジュンちゃん」
「亀サン」
突然亀井とジュンジュンが見つめ合った。先に食事をしていた光井とリンリンが箸を休めて様子のおかしい二人に注意を向けた。
『事件だ』と、せーのでタイミングを合わせて亀井とジュンジュンは言い合い。その頃には光井とリンリンは食事に戻っていた。
早速、捜査開始! と意気込む二人に誰も突っ込む気配はない。
- 318 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:01
-
「ちょっと、ジュンちゃん。バナナは置いて行こうよ」
「亀サンの分は置いて行きマス」
「うっそ、絵里の分もあったの? 」
「嘘ダヨ。あるワケないダロ。亀サン、脳みそ置いて行くなヨ」
「おっと、ごめんごめん、これ置いて行ったら歩くことだってできないよって、オイ」
ジュンジュンは不満そうな表情で亀井を見た。
「長いよね、今の長かったよね。ゴメン」
亀井はジュンジュンの視線だけのダメ出しに反省すると胸ポケットから手帳を出す演技をしてエアメモをした。
☆ノリ突っ込みはコンパクトに
「ヨシ、行くゾ亀サン」
「それ、絵里のセリフなんだけど」
部屋中に響く音を立てて楽屋のドアを力任せに開け、二人は飛び出して行った。
- 319 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:01
-
「田中サン、今日のごはんに田中サンの好きな"カニ挟み"がありマスヨ」
「何? 」
田中は携帯電話でサイトを閲覧していた。突然話題を振られ、彼女は顔を持ち上げて食事中の二人を見た。話しかけてきたリンリンは満面の笑みでサンマを頭から齧っていた。
秋の味覚がケータリングにもお目見えしているようだ。
「リンリン、"カニ挟み"ちゃうよ"カジキマグロの挟み揚げ"やろ」
「そうデス、光井サン。"中島早貴の吊るし上げ"デシタ」
「……どう間違えたらそうなるのか分からんっちゃ」
しかも、別に"カジキマグロの挟み揚げ"は田中の好物でもなんでもなかった。まともなようで光井の突っ込みも大分怪しいものだと一度溜め息だけ吐き田中はまた、携帯電話のディスプレイに視線を戻した。
「っていうかあの二人。開けたら閉める」
光井は甲斐甲斐しく楽屋のドアを閉めに立ち上がった。静かな食卓を守るため、施錠することを忘れない。これで夜公演本番前まではゆっくりできると、光井は三人分のお茶を淹れた。
- 320 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:02
-
* * *
- 321 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:02
-
久住は、固まったまま動かない新垣のほっぺたを思い切りつねってみた。
「…… 」
反応はなかった。ついでに、湧いて出たようにいつの間にか側にいた道重のほっぺたも思い切りつねってみた。
「いたたたぃっ痛い! 」
「こっちは生きてる」
「当たり前だろ」
「道重さん、新垣さんが動かなくなっちゃったんですけど」
予想外に、久住は泣き出しそうな様子だった。新垣さん、新垣さん、と呼び続け肩をゆすったり、背中を叩いてみたり、わき腹をくすぐってみたり何とかして新垣を目覚めさせようと必死だった。
- 322 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:03
-
「どうしよう、道重さん。新垣さんが全然動かない」
「小春ちゃん」
久住の目にも涙。道重は信じられない気持ちで、必死に新垣の名前を呼び続ける久住の横顔を見つめた。自分はなんてことをしてしまったのか、道重は後悔した。新垣は昭和雰囲気の会話をしていただけではないか。被害妄想だけで彼女をこんな目に遭わせてしまった。10代女子の鋭い感性が怖い。
久住の純粋な涙に道重の清らかな心が波打った。道重は感情の起伏が激しい繊細な少女そのままだった。
「ごめ…… 」
『ジュンちゃん! 』
新垣にかかった呪いを解こうとした道重の声が亀井の舌足らず声に掻き消された。
「バナナの皮、通路にぽいぽい捨てないでよ。スタッフさんに怒られるじゃん」
道重だけでなく、久住も亀井の声がした方へ向いた。
- 323 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:03
-
「帰り道が分からなくならないように目印デス」
ジュンジュンは明らかにもぐもぐしながら答えていた。
「なるほど! ジュンちゃん頭良いー」
「でも、コレで最後デス。目印もうナイ」
「三つしかなかったら意味無くない? ってかココまで来る間に三本食べ終えた事実に絵里は驚きなんだけど」
「人生、何がアルか分からナイ」
何しに来たのか分からないけれど、亀井とジュンジュンの二人からコント染みたオーラがまざまざと放出されていた。面倒臭を嗅ぎ分けることに関しては秀でた能力を発揮する道重だった。これはもう、新垣はここに放置しこの場から去るが得策だと結論を出すのにかかった時間は五輪新を記録するに値した。
- 324 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:04
-
「さすがジュンちゃんウマイ。バナナ三本! 」
「亀サン、馬ヅラ。ニンジン大好き! 」
「ヒヒ〜ン、ブルルっ。って誰が馬ヅラだ」
亀井は出来得る限りの馬の物真似をしてから背の高いジュンジュンの頭を張り倒した。
一言で言えば、寒い空気だった。しかし、それは亀井の好物でもあった。ややこしい性格の彼女にどれだけ面倒な思いをさせられただろうか。だからこそ面倒臭を嗅ぎ分ける特技を身につけたというのに。道重は凍りついた空気にまんまと捕まり足止めを喰らってしまった。
「亀サン、犯人捕まえマシタ」
「早っ」
亀井よりも早く久住が突っ込みを入れてしまった。
すると亀井がわなわなと肩を震わせた。肩の震えは徐々に全身に伝わり、あまり無駄肉のついていない頬まで揺れ始めた。形相をおどろおどろしく変え、久住を見つめるとぴたりと固まった。久住は怪訝そうな様子になったが、ジュンジュンはやれやれ、といった風に溜め息を吐いた。
- 325 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:05
-
「久住サン、面倒なコト増やさないで下サイ」
ぼそりと小声でジュンジュンは呟いた。
「亀サン、犯人捕まえマシタ」
ジュンジュンはさっきよりも棒読みで同じセリフを繰り返した。
「既にか! もうか! 仕事が早いなジュンちゃん」
ジュンジュンの優しさで立ち直った亀井は水を得た魚のようにはりきって大声を出した。
「犯人とか、意味分かんないんだけど」
逃げるタイミングを逸し、人生の半分諦めに入った道重が心底呆れた声で発言をした。
「さっき、悲鳴を聞きマシタ」
ジュンジュンがうつろな目をした道重にむかって元気に声を出した。
「悲鳴=事件! 」
亀井もジュンジュンと同じくらい面倒臭いテンションだった。
- 326 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:05
-
「事件に犯人は付き物ってよく言うじゃん」
「犯人を付き物って言うの初めて聞いたワ」
「そんなことより、亀さんっ」
久住がコントオーラに飲み込まれたようだった。瞬間、道重は人生75%諦めにかかった。
「新垣さんが、新垣さんがっ。見て下さい。もう、返事もしてくれない…… 」
取って付けたように久住は新垣の存在を引っ張り出した。どうしてもコントに混ざりたかったらしい。
「ガキさん、こんなに冷たくなって」
亀井は、振り向いた姿のまま硬直している新垣の頬に手のひらを触れさせた。別れを惜しむように、言葉を飲み込む臭い芝居をした後、恭しく手を合わせた。ジュンジュンも先輩刑事に倣い、拝む恰好をした。
- 327 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:06
-
「一体誰が…… 」
一度そこで久住は首を横に振ってもったいぶった間を作った。
「誰が、新垣さんをこんな目に遭わせたって言うの? 」
示し合わせたように三人は重々しい沈黙を作った。
目を細めて亀井が久住を見つめる。隣でジュンジュンは何かもの言いた気に唇を噛みしめた。久住は瞳を潤ませ新垣を見つめていた。
「それはだね、ジュンちゃん。言ってあげちゃって頂戴」
亀井の上から目線にジュンジュンは内心、腸が煮えくり返るものの、事件を解決しなければ楽屋に戻ることができないといらない律儀さから、怒りをぐっと堪えて真相を話始めた。
「犯人は。コイツダ」
ジュンジュンはそう言って犯人の頭をむんずと掴んだ。
「ばかなっ」
「そんなっ」
久住は役者だった。声優業で鍛えた演技力は確かだった。道重だけが置いてきぼりを喰らい、こんなことなら物販のテントに忍び込んで娘。のコンサート限定グッズを買いに行っていればよかったと後悔をしていた。道重の後悔とは無関係にジュンジュンは犯人を仕立て上げ事件を高速で解決に向かわせた。
- 328 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:06
-
ジュンジュンが明らかにした事実は、その場に居合わせた者全員を驚かせた。
「まさか、ガキさんが犯人だったとは」
亀井が悲しげな表情をし、視線を床に落とした。
「流行りの狂言デス」
「なんだよ、人騒がせだな」
久住はがっかりした態度を隠しもせず新垣をにらみつけた。
「新垣サンも構って貰えなくて寂しかったンデショウ。仕方ありまセン」
宥めるようにジュンジュンは二人の肩をその長い両腕で抱き締めた。
「サブリーダーってきっとストレスも溜まるだろうし」
「二十歳を前に色々複雑なお年頃だったんだよね」
亀井の声は涙色に染まっていた。日頃の新垣の苦労を思い浮かべているのだろう。
「そっとシテおいてアゲルのが一番デス」
夜公演を控えて、既にお疲れモードの道重を放置したまま、三人は勝手な芝居を続けていた。道重は早くこのコントが終わることばかりを祈っていた。
- 329 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:07
-
どうしてさゆみはモーニング娘。に加入してしまったのかゲシュタルト崩壊の感覚に陥った。何もかもが分からなくなる。今どうしてここにいるのか。モーニング娘。が分からない。グループのネーミングについては今更考える必要はない。さゆみは何の為に生まれてきたっていうのだろう。
過ちに気付くには遅かった。10代の自分にもっと先を見越す力があったら、モーニング娘。ではなく、きっとキッズかエッグのオーディションを受けていた。しかしながら、山口から首都圏に通うにはやっかいな物理的距離が生じたのも確かだ。それでも、自分の浅はかさに鬱々とした気分になった。これからの公演において満足のいくパフォーマンスをみせられるか心配になる。
- 330 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:07
-
「どうしたのさゆ? 」
道重が物思いに耽っていた間に、三人は既に新垣を置き去りにし楽屋へ戻ろうとしていた。
「戻りましょう、道重さん」
「行くゾ、琴光喜」
『 !! 』
20XX年 10月 XX日 16:59
原因不明のセカンド・インパクトが起こった。
この日の夜公演の追い出し演目は弓取式だったとか。
- 331 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:08
-
第1話『壊れない愛がほしいの』
END
- 332 名前:_ 投稿日:2008/10/08(水) 22:08
-
- 333 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:08
-
第2話『Magic of Love』
- 334 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:09
-
* * *
- 335 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:09
-
世界的な金融危機拡大の懸念など無関係なモーニング娘。の楽屋は今日も平和だった。
「提案があります! 」
亀井は楽屋の中央に正座をし、びしっと挙手をした。娘。9人あれど、今彼女の側にはやっぱりというべきかジュンジュンしかいなかった。ジュンジュンは、お手本のような亀井の正しい挙手にもかかわらず、まるで一人きりで時間を過ごすようなリラックスした雰囲気だった。
右にまごの手、左にポッキーを持っていた。ジュンジュンは思いっきりだらけている。コンサート前とは思えない気合の入っただれ具合だった。
「ジュンジュンが聞いていなくても提案します! 」
亀井はわざわざジュンジュンの視界に入り込むように正座する場所を移動した。
「ガキさんたちが帰ってくる前に楽屋をお片付けませんか? 」
- 336 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:10
-
亀井とジュンジュンが楽屋に取り残されてから正味1時間ほど経っている。そしてこの有様だった。ジュンジュンが食い散らかしたお菓子のゴミ、亀井がコンビニで貰ってきたフリーペーパー、そのコンビニで買った駄菓子付きのおもちゃ、朝食のおにぎりの食べかす、ペットボトルの空き容器、タオル、Tシャツ類、サバ缶の空き缶、靴下、カップ焼きそばの食べ残し。コスメ系のわちゃわちゃ加減。亀井はそれらを順々に見渡し、最後に一つどうしても触れたくない箇所があった。突っ込み待ちも大概にして欲しい。
「ジュンジュン」
ジュンジュンは寝そべった体勢になり、まごの手でわきの下を掻いていた。まごの手の意義を半分も果たしていない使い方だった。生まれ育った文化の違いの所為だと分かっていても突っ込みたい気持ちが湧いてくる。だから、先程から突っ込み待ちは大概にして欲しいとうんざりしているのに。大陸からの留学生にはまず、モーニング娘。としての所作振る舞いよりも、まごの手の使い方を先に教えるべきだった。
- 337 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:10
-
「絵里、バナナ臭で頭痛がしたの初めてだよ」
沈んだ声の亀井とは反対に、ジュンジュンはだらけていたテンションから一気にハイへと変貌した。その豹変ぶりに亀井は唖然とした。
「もう、ジュンジュンの前で"バナナ"って単語言いたくない」
「亀井サン、聞いて下サイ。ワタシ、世間の潮流が憎いデス」
「絵里は帰ってきた時のみんなのリアクションが恐ろしいよ」
亀井は言いつつ、室内の不自然極まりない一点を見つめる。
ジュンジュンも一生の敵を憎むような目つきで抽象的な一点を見つめた。
「バナナダイエット」
地響きか何かかと勘違いをした。亀井は挙動不審の様子であたりを確認した。しかし、目立った箇所は一点だけ変わらず、他は散らかり放題のままだった。地響きの正体はジュンジュンの魔界から復活した悪魔みたいな唸り声だった。
- 338 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:11
-
ジュンジュンの尋常でない形相に亀井は驚き、正座を崩して飛び退いた。
「バナナダイエットが憎イ」
「ガ〜キさーん、たーすけて〜」
「お蔭で、近所のお店でバナナが売り切れデシタ」
ああ見えて、案外察しの良い亀井はそこで気付いた。ごくりと唾を飲み込こみ、こんもりと盛られている一点をまた見遣った。それで、このような結果を招いた、と。
「ワタシは必死で別のお店を探しマシタ」
楽屋に充満したバナナ臭の原因。世間で脚光を浴びつつある「バナナダイエット」が引き起こしたのだった。
「4軒デス」
そこで、ぐわっとジュンジュンが亀井に詰め寄った。亀井は両手を腰の後ろ辺りについて上体を後方に反らし、近付いて来たジュンジュンを避けた。
- 339 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:12
-
「4軒目でやっと見つけることができマシタ」
連日のバナナダイエット報道によりここ数日で、ジュンジュン宅付近のスーパーからバナナが忽然と姿を消していたようだ。そしてやっと巡り会えた奇跡に感動したジュンジュンはありったけのバナナを購入して現場に入った。以上のことが、亀井の頭痛を引き起こしたバナナ臭の原因だ。
亀井はジュンジュンの乙女心を理解しないでもないが、飽き易い自身の性格上、根っこから彼女に同情することは不可能だった。
「日本人はアメリカのご機嫌伺いばかりしやがる」
全国的なバナナの大量消費がアメリカとの国際関係にどう関わっているか亀井は分からないが思考の隅で台湾バナナの存在を思い出していた。
- 340 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:12
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楽屋内、南西の方角にこんもりと盛られたバナナの皮の山。吐き気をもよおす程にバナナ臭が部屋に充満していた。
「ジュンジュン、ねぇ。ジュンジュンの類稀なる反骨精神は分かったから」
お願いだからお片付けしようよ〜っ。
本気泣きだった。泣いている暇があるなら一人で片付ろよと思われそうだが。一人で片付けをしようとしても何から手を付けて良いのか分からなくなり、パニック状態になるのだった。一人よりも二人。今こそ美しいチームワークを発揮する時だと亀井は信じて疑わなかった。
- 341 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:12
-
* * *
- 342 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:12
-
亀井はプライドなどかなぐり捨てて、少しだけ自分よりも身体の大きいジュンジュンに泣いて縋りついた。
「誓わせるから、バナナダイエットはもうしませんって全日本国民に誓わせるから。お願いだから一緒にお片付けして下さい」
初めのうちは、ぼんやり帰りはどこでバナナを手に入れるかばかりを考えていたジュンジュンだった。しかし、しばらく亀井が本気泣きしているとスイッチが切り替わるようにジュンジュンが楽屋を見渡した。一つ、一つとちらかり具合を確かめるみたいな様子だった。
「事件ダ」
「事件じゃないよ、切腹モンだよ。死んで詫びろって言われる、絶対」
「亀サン」
「ジュンちゃん」
じゃなくて、と。亀井は一向に泣き止む気配はない。
- 343 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:13
-
「早速、捜査開始! 」
「遊んでる場合じゃないからー。みんなもうすぐ帰ってきちゃう」
「遊ぶ、違う。亀サン、一緒に捜査スル」
「捜査じゃなくてお片付けが先なの」
捜査すると言って憚らないジュンジュンは楽屋から出て行こうとしていた。立ち上がった彼女に縋り付いたまま、亀井はずるずる引き摺られた。
「事件ダ。これは超難解な事件ダ」
『何が事件だって? 』
亀井が今、一番聞きたくない声がドアを挟んだ外側から聞こえた。
新垣と田中がリハから戻ってきた。
「ギャーっ。閉めてーっ。ジュンジュンドア! ドア閉めてーっ」
「閉める必要はありマセン」
ジュンジュンは冷静にドアを開けてしまった。廊下と室内とで対峙した瞬間。亀井は断末魔の悲鳴を空耳で聞いた。飽和寸前だった室内の空気は、廊下に密度の濃い南国フルーツの香が逃げていった。
- 344 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:13
-
「臭っ」
二人とも自分の職業などすっかり忘れて、存分に顔を顰めた。
「亀サン、コレは事件デス」
ジュンジュンは亀井の線の細い肩をがっつり両手で掴み、据わった目つきで言った。
「ジ…… 」
断末魔の耳鳴りが止まないまま、今度はジュンジュンの鬼気迫る顔のアップに、亀井は言葉を失った。
「事件デス」
「ジュンちゃん」
亀井はジュンジュンの危ない綱渡りに同伴することを瞬間的に決意した。初めから泥舟の航海だった。それがジュンジュンとの綱渡りに変わっただけで危険からは逃げられない運命だと、自暴自棄になった亀井は頷いた。
「事件なワケないでしょーが! 」
「ガキさんは黙ってて」
「犯人は必ず見つけマス」
「よし、行くぞジュンちゃん」
「逃げるのは良くなか」
田中が亀井の腕を掴んだ。
- 345 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:14
-
「逃げるなんて人聞きの悪いこと言わないでよ」
「捜査デス、捜査」
「明らかに絵里とジュンジュンしかおらんやろ」
「初めから決め付けたら、真実はいつまでたっても見えてこないものよ」
「屁理屈は片付けてからにしぃ」
田中はさらに絵里を掴む手に力を込めて言った。一方、新垣は顔を顰めたまま楽屋の中へ歩を進めた。失明するんじゃないかというくらい甘ったるい匂いの元凶を辿っていく。たったの1時間でこれほど物が室内に溢れるものだと感心しながら一つ、一つ物証をチェックした。そして南西の方角に向いた時だった。
「何このバナナの皮の山! 」
臭い臭いと新垣は自分の鼻をつまんで連呼した。
「田中っち見てよ。この悪臭の原因はこれだよ」
サブリーダーも随分役者だなぁ、と田中は新垣の昭和臭がするリアクションに内心呆れていた。匂いからしてその原因がバナナにあることは明白だった。
あまりの現実離れした状況に田中は眉をひそめた。まさか、これは自分を陥れようと三人が裏で通じているのではないか? 疑い深い田中はどきりとした。
- 346 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:14
-
「臭い。バナナの匂いも濃過ぎると悪臭と変わりないのな」
「バナナは臭くないっ」
キレたジュンジュンの怒声が会場中に響き渡るようだった。びりびりと身体に電気が走ったように痺れを感じた。
呆気に取られた新垣と田中だった。隙を探っていた亀井は田中の手をするりと抜けるとジュンジュンの背後に隠れた。
「絵里っ」
「バナナは臭くないっ」
亀井はジュンジュンの真似をして渾身の声で叫んだ。
「ぐっ」
田中はまたもひるみ、後ずさりをした。
ひるんだものの、楽屋をこのままにしておくことはできない。それに絵里とジュンジュンのこれからの人生を考えても二人が片付けるべきだと正しい思考で田中は冷静さを取り戻した。
- 347 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:15
-
「それは分かったから。絵里もジュンジュンも目の前の問題から逃げたらいかんよ」
「バナナは臭くないっ」
今度は楽屋内で新垣が叫んでいた。
やっぱりだった。
やはり、新垣もこの二人と仲間だった。疑心暗鬼に陥ったら最後、田中は娘。の誰一人として信用できない闇に飲み込まれた。
ただ、新垣はグルでもなんでもなくお調子者なだけだった。二人が叫ぶ姿が新垣の目に羨ましく映った。だから自分も叫んだだけだった。
"バナナは臭くない"
所以無き、ギリギリ感を覚えるセリフだった。この場にいた4人ともギリギリの根拠は上手く説明できないが。
- 348 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:15
-
「ガキさんも、れいなも心配しないで。犯人は必ず見つるから」
「絶対見つけてみせマス」
「犯人は別に見つけんでもよかけん、部屋を片付けて欲しいっちゃ」
「片付けは誰だってできマス、デモ」
「犯人は私達にしか見つけられない」
瞳の奥にきらきらと光を宿した亀井とジュンジュンの表情は刑事というより、やはりアイドルそのもので、無垢さや懸命さを感じ取らせるに充分だった。
「そっか〜」
新垣は腕組みをして頷いた。
- 349 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:15
-
「ガキさん、納得せんで下さい。ややこしい」
「でもその通りじゃない? 片付けは田中っちでもできるけど、存在すら怪しい犯人を見つけられるのはカメとジュンジュンしかできないよね」
「そこまで疑ってどうして犯人を捜しよるんですか」
「ジュンちゃん」
「亀サン」
「あーっ、逃げた」
「じゃ、田中っち後はお願いね」
新垣はリハの続きに戻り、亀井とジュンジュンは次なるバナナを探しに会場からこっそり抜け出した。30分後、楽屋に戻ってきた光井は人間不信に陥りながらも部屋のゴミ回収に勤しんでいた田中を何も言わずに手伝い始めたが。それすら裏があるのではと田中がびくびくしたことは言うまでもない。
- 350 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:16
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第2話『Magic of Love』
END
- 351 名前:_ 投稿日:2008/10/08(水) 22:16
-
- 352 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:17
-
第3話『でっかい宇宙に愛がある』
- 353 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:17
-
* * *
- 354 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:18
-
衆議院解散、総選挙の時期を巡り、じりじりした政局など無関係なモーニング娘。の楽屋は今日も平和だった。
「事件だ、亀サン」
「もう、バナナには飽きました」
亀井とジュンジュンは地方に来ていた。二人はコンサート開始前、初めて来た会場の中をお散歩していた。
「話を聞ケ」
先を歩いていたジュンジュンが急停止し、お約束で亀井がその背中にぶつかった。
「ちょっと前を見ないで歩いてる絵里に気遣ってよ」
「事件だっつってんダロ」
「ジュンちゃん顔怖いヨ。ごめんってば」
怖いものが苦手な亀井は内心本気で怯えつつ、自分の鼻を撫でながら一応謝罪の言葉を口にした。
- 355 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:18
-
「で、何が事件なの」
「迷子デス」
「誰が」
ジュンジュンは自分を指し、それから亀井の鼻をその指で押した。
「絵里はコピーロボットじゃないからね、分身にはならないよ」
「コピーロボト? 」
ジュンジュンは『パーマン』という国民的アニメを知らなかった。
「困タ。迷子になりマシタ」
「またまた〜、ジュンちゃんったら大袈裟なんだから。ってココどこ? 」
「亀サン、ノリ突っ込み下手デス」
亀井はジュンジュンの指摘は無視して周囲を見渡した。同じ色の壁が後ろにも前にも続いていて、目印になるようなものが全然ない。
「ジュンちゃん、迷子になるのはまだ早い」
亀井は自信満々で発言した。しかしながら亀井の自信はいつだって砂上の楼閣だと亀井以外の関係者は嫌というほど知っている。
- 356 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:18
-
「来た道を戻ればいいんだよ」
拳を握り締め、親指だけを立てクイっと後方を指すポーズで「GO! 」と亀井は言った。
「ほら、GO! GO! 」
なかなか動き出さないジュンジュンに亀井は張り切ってゴーサインを出し続けた。
「分からナイ…… 」
真剣な表情でジュンジュンがか細く呟いた。
「亀サン、ワタシたちはどっちから来タ」
「GO! GO! 」
と言いながら亀井は通路の続く方向、あっちとこっちを見た。
「GO? 」
亀井の見た方向にジュンジュンも視線を向ける。
「GO? 」
反対を向けばジュンジュンも反対を見た。同じ色の壁、くすんだ色の床。どちらを見てもその二色が延々と続いていた。
「事件だ」
亀井はがっくりとうなだれた。
- 357 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:19
-
「しかも、ジュンちゃんと二人きりとかーっ。もたないから、絶対もたないから」
「何を持つんデスカ? 」
「ここにはバのつく果物もないし」
絶望にうちひしがれた亀井はよろよろと壁に肩をつけて寄りかかった。
「絵里、泣きそう」
「泣いたら死ぬゾ」
「いっそのこと死にたいワっ」
勢いで言ったのはいいけれど、亀井は自分の発言をすぐさま撤回したくなった。
「ヤダ、絶対こんなところで死にたくない。絵里は88歳まで生きてみんなに囲まれてお花に囲まれて穏やかに息を引き取るんだから」
「じゃあ、泣くナ」
ジュンジュンのぶっきらぼうな言い方に亀井はぐずぐずと鼻をすすった。
「ジュンちゃん」
「亀サン」
亀井とジュンジュンは見つめ合う。せーのでタイミングを計り『事件だ』と、声を揃えた。早速、捜査開始! と気を取り直した二人に、突っ込みが入る気配はなかった。側には他に誰もいないので、寂しいけれど仕方がない。
- 358 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:19
-
「でもね、ジュンちゃんには悪いんだけど事件は解決済みです」
「マジでカ? 」
突然ジュンジュンは半歩ほど身体を大袈裟に後退させた。
「変なリアクションとらないで絡み難いから」
「コッチが付き合ってあげてるのにナ」
ジュンジュンはやれやれと、鼻で息を吐いた。
「お互いさまでしょー! 」
「オマエと一緒にするナ」
「どうしていきなり冷たくするのっ」
理不尽なジュンジュンの態度に、さきほど亀井が堪えた涙が込み上げてきた。
「泣いたら死ぬって言ってるダロ」
「泣かないもんっ」
潤んだ瞳で背の高いジュンジュンを亀井は見上げた。すると、ジュンジュンは「偉いっ」と声を張り上げ、亀井を抱き締めた。
「偉いゾ、亀サン」
「ジュンちゃ〜ん」
と、そこまで小芝居してもやはり誰も突っ込んではくれなかった。とても寂しい後味だけが残り、亀井とジュンジュンはお互い咳払いをして場を取り繕った。
- 359 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:20
-
「こういう時はね、動かないでじっとしていた方がいいんだよ」
「山で遭難した時と同じ手口デスネ」
「そういうコト☆ 」
ジュンジュンにウィンクをしてみた亀井だが、無反応過ぎて面白くないと思った。かわいいでも、キモイでもどっちでもいいから少しはコメントしてくれてもいいのに、と的外れな文句を言いたくなった。
「誰か通りかかるまで待ちマスカ? 」
「最悪でも、会場閉める時に警備員さんが見回りにくるから。待つしかないよ」
「こんなことなら、おやつのバナナを持ってくればよかったデス」
亀井もジュンジュンもすぐに楽屋へ戻るつもりだった。一通り探検できたらそれでよかった。だから、携帯電話やお財布などコンビニへ出掛ける時のような最低限の所持品すら二人は携帯していなかった。
- 360 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:20
-
「バナナは一日7本まで」
「コンサートの時は一日が二回分詰まってるから14本食べてイイ」
「誰がそんなコト言ったの」
会話もそこそこに、きょろきょろ辺りを見回したところで、誰か来るような気配はまったくない。
「ワタシです」
「だよね〜、だと思ったよね〜。聞いた絵里がアホだったよね〜」
「こんなアホと遭難ごっこシテル場合じゃないヨ。高橋サンとラジオに行きたかっタ」
「絵里だってお留守番じゃなくてラジオ行きたかったっつーの」
高橋、リンリン、田中の3人はコンサートの合間を縫って地方のラジオ番組に出演していた。ラジオのお仕事から漏れた他の6人は自由時間だったりリハだったりと、ばらばらの時間を過ごしていた。暇だった亀井とジュンジュンは当てもなくふらふらと会場内を彷徨っていた。
- 361 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:21
-
「遭難ごっこも高橋さんと一緒だったらヨカタ」
「ジュンちゃんは愛ちゃんが好きだよね」
「亀サンのことも嫌いじゃないデスヨ」
「ついででもいいから。大好きって言っといてね、他所では」
「高橋サンは日本で一番かっこいいアイドルデス」
「分かるよ、その気持ち」
「歌もサイコウ、ダンスもサイコウ、スゴイ美人、チョウ頭イイ、しっかりシテル、頼りにナル、トークはイマイチ」
「人間だもんね、ちょっと欠点があるくらいがかわいいよ」
「尊敬していマス」
それまでの軽い口調から変わり、ジュンジュンが真面目な低いトーンでそう口にした。
「絵里も。超恰好良いから愛ちゃんを尊敬してるよ」
今頃、ラジオ局でたいして山も谷もない話をしている高橋を思い浮かべながら亀井はジュンジュンに倣って頷いた。
- 362 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:21
-
「珍しく気が合いマシタネ」
「でもねぇ絵里たちは愛ちゃんがリーダーで幸せかもしれないけど。愛ちゃん本人はかわいそうかなって思うよ」
「どうしてデスカ? 」
「だって、愛ちゃんのパフォーマンス見てるとさぁ、こんなとこにいていいのかなって思わない? もっとさぁ、舞台の本場で修業した方が愛ちゃんの将来が開けるんじゃないかって余計なお世話を考えるよ、絵里」
あまりにレベルが違い過ぎて、と言いたかった亀井だった。何かのプライドに邪魔されそれを口にすることは叶わなかった。
「亀サン、話が長すぎて意味分からナイデス」
険しい表情でジュンジュンが亀井の方へ顔を向けた。ジュンジュンにしては珍しく最後まで亀井の話を聞こうと努力をして耳を傾けていたようだ。
「だから」
と、さっき自分の言ったことを説明しようとしたが。余計にワケが分からなくなると思ったので亀井は途中で説明責任を放棄した。
「愛ちゃんはモーニング娘。にいるのはかわいそうだなって思うの」
そう言われても、ピンとこなかったジュンジュンは険しい表情のままだった。
- 363 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:22
-
「かわいそうデスカ? 」
「絵里たち、愛ちゃんに釣り合ってるのか自信ないもん」
亀井は手持ち無沙汰ならぬ、足の暇がなんとなく気になり、床を軽く蹴った。
「それは、高橋サンに失礼デス」
ジュンジュンはきっぱりと言った。
娘。に帯同し始めてまだ2年に満たないジュンジュンに正論を突きつけられ、亀井は多少面白くない気分になった。
「そんなハンパな気持ちで、高橋サンと一緒のステージに立つのは失礼デス」
「だーってぇ」
「だってじゃありマセン。高橋サンが日本一のアイドルならモーニング娘。も日本一のグループにならなければなりマセン。亀サンも日本一になるんデス」
「そんな、プレッシャーかけないでよ」
亀井はへらへらと笑ってジュンジュンの強い眼差しから逃れようとした。
「高橋サンが一人ぼっちにならないように、亀サンが頑張らなきゃダメデス」
でも、どうしてかその時のジュンジュンからは目を反らすことができなかった。
- 364 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:22
-
「なーんで絵里が。ガキさんでもれいなでも、ジュンちゃんだっているじゃん」
「勝負は既に始まってマス」
「勝ち負けなんてないし」
「何言ってるんデスカ。そんな暢気なコト言っていたら予選すら通過できマセン」
「予選? 」
「年末には一千万円を手にシ、お正月のコンサートで優勝をファンの人たちに報告シマショウ」
「M−1? まさか、M−1のコト言ってる? 」
「Rは高橋サンでも難しいと思いマス」
変わらず、ジュンジュンの眼差しは強いままだった。
「絵里、ジュンちゃんのそういう向上心嫌いじゃないよ」
亀井は照れるようにはにかんでジュンジュンの肩に自分の頭を乗せた。
- 365 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:22
-
* * *
- 366 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:23
-
「っていうか。ここ、絶対誰も通らないよ。警備員さんじゃなきゃ見つけてもらえないから」
突然現実に戻り、亀井は身体を起こした。
「今頃気付いたのカ」
「ジュンちゃん、気付いてたんなら初めから絵里の提案否定してよ」
「でも、他にすること思いつかナイ」
「どっちから来たのかさえ分かればなぁ」
亀井は右を見ても左を見ても同じ様子の廊下に溜め息をついた。
「人生にやり直しはききマセン」
「何も、人生やり直したいとまでは思ってないから。絵里こう見えて人生満喫してる方だし」
辺りには窓の一つなく、二人は地下の階にいるみたいだった。昼間だというのに蛍光灯の灯りだけが頼りだった。でも、階段を下った覚えはないので地上以上にいることは確かだ。
- 367 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:23
-
「その分、誰かが泣いているコトを忘れないで下サイ」
「突然、何。落ち込ませたいの? 」
「浮かれるナヨ。今の状況よく考えロ」
ジュンジュンは考え込むように、腕組みをした。
「じゃあ、どーすりゃいいのさー」
「楽屋に戻ってバナナタイムダ」
打開策、というよりもジュンジュンのストレートな欲望が露呈された。
「楽屋に戻ってからは別行動でお願いします」
「後悔するナヨ」
「絵里の人生、後悔の二文字はない」
拳を握り、亀井は両手を天井に向かって突き上げた。このような状況で後悔一つしていない亀井をジュンジュンは信じられない気持ちで見つめた。
「亀サンの自己満なお喋りに付き合ってる暇はナイ。非常階段を探シマス」
「非常階段〜」
「漢字読めマスカ? 」
ジュンジュンの軽はずみに亀井は大人な態度で対処した。
- 368 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:24
-
「非常階段探してどうするの? 」
冷静な亀井の返しに、ジュンジュンは肩透かしをくらったように腑に落ちない気持ちだった。
「非常階段から外に出て、リセットスル。また入り口からやり直せば楽屋に辿り着ク」
「あったま良い〜」
亀井がすっとんきょうな声を上げた。テンションが上がったようだ。
「絵里のバカな提案に頷いてる場合じゃないじゃん。ジュンちゃん出来る女だ」
「亀サンはある意味出来る女デス」
誰かの受け売りなのだろうか。ジュンジュンの言葉遣いは、日本語の微妙なニュアンスを巧みに使ったけなし方だった。
- 369 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:24
-
「嬉しくない褒め言葉」
「二手に分かれて探ス」
きっぱりジュンジュンは宣言した。それをさらにきっぱりした声で亀井が制した。
「却下。絵里また絶対迷うからジュンちゃんについていきます」
得意げな笑みだった。亀井はジュンジュンの腕に自分の腕を絡め、上目遣いで年上の後輩を見上げた。
少しではあるが、明るい方へ状況が変化していると二人ともその時は思っていた。気分にも光が差して、こころなしか二人の表情も晴れやかだった。
「さすが、ある意味出来る女デスネ」
「よし、行くぞジュンちゃん」
これからさらにスケール広く迷うことになるとは、この時二人は微塵も気付いていなかった。
- 370 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/08(水) 22:25
-
第3話『でっかい宇宙に愛がある』
続きます
- 371 名前:寺井 投稿日:2008/10/08(水) 22:27
- 本日は以上です。
やっつけじゃないです。
- 372 名前:寺井 投稿日:2008/10/10(金) 16:02
- 更新しまーす
登場人物は亀井さん、ジュンジュンさんが中心です。
川´・_o・) <亀井さんちのとなりのかめ
- 373 名前:寺井 投稿日:2008/10/10(金) 16:02
-
第3話『でっかい宇宙に愛がある』その2
- 374 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:03
-
* * *
- 375 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:03
-
ドラゴンクエストIX発売まで半年を切ったRPG界隈の喧騒など無関係なモーニング娘。の楽屋は今日も平和だった。
DSを楽しんでいた新垣がふと顔を上げ、きょろきょろ辺りを見た。
「ねぇ、カメとジュンジュンは? 」
側にいた道重に問い掛ける。尋ねられた道重も新垣同様辺りを見回す。
「絵里ー? 」
一応、名前を呼んでみたが返事はない。
「ジュンジュンー 」
どちらの名前を呼んでも同じだった。
「どこいったんだろう、もうすぐ愛ちゃんたち帰ってくるのに」
「ダメです、携帯置いて出てるみたいで」
道重はすぐに携帯電話で亀井に連絡をしてみたが応答はかなわず、亀井の荷物付近から空しく着信音が響いていた。荷物を置いて出て行ったということは、それほど遠くに行くつもりではないと新垣、道重は思い込んだ。
「二人で出て行ったことは確かです」
「うん。まさか、迷ってるってコトはないよねぇ」
「まさかぁ」
新垣と道重は顔を見合わせると、二人とも黙り込んだ。可能性は否定できない、お互いそのような表情をしていた。
- 376 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:03
-
* * *
- 377 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:05
-
「あいするひとはー 」
「れいなだけーっ」
「だれもじゃまさせーなーいー 」
「あーいのシャボンにいだかれてー 」
「わたしだけのあーなーたー 」
『なのに! どこいったんだよ〜 』
一方その頃、亀井とジュンジュンは。6期のデビュー曲でもある『シャボン玉』を歌って景気付けていた。
ただ会場内をうろついているのではない。二人は非常口の緑の目印を目指していた。彷徨っている事実は迷子と変わりないが、目的があるのとないのとではこれほどにも気持ちに違いが出る。
長い廊下はなかなか終わりを見せず、10分ほど直進していた。二人ともどこへ向かっているのかは相変わらず把握していない。それから10分歩くと、十字の分かれ道に出た。
- 378 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:06
-
「どっちに行きマスカ? 」
「えー、ジュンちゃん決めてよ」
「じゃあ、真っ直ぐデス」
「早っ」
ジュンジュンの何の考えもない短絡的な思考により、二人は真っ直ぐ進み続けた。また10分ほど直進すると今度はT字路に突き当たった。
「今度は、左と右どっちに行きマスカ? 」
「右! 」
「じゃあ、左に行きます」
それもお約束だった。亀井は頬を膨らませてみたものの、一向に反応をしてくれないジュンジュンは亀井に対して興味を持っていないみたいだった。
- 379 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:06
-
さすがに30分も歩き続けると少しは体力に自信のある二人でも疲労を感じてきた。窓もなく変化のない風景の廊下を歩き続けることはとてもくたびれる。とにかくその時は1分でも早く緑の目印を見つけたかった。二人の心が初めて一つになりかけていた。さらに10分ほど歩き続けぶつかったL字路を道なりに進み、またT字路に出た。
「これは真っ直ぐ進むでしょう」
亀井は張り切って前進しようとした。いい所をかっ攫って行きたい派の傲慢な態度だった。ジュンジュンはその態度が気に食わないものの、同じ意見だったので黙って亀井に腕を引っ張られた。疲れていたので面倒臭い掛け合いを回避したかったようだ。
- 380 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:07
-
「泣いてすむなら〜 」
亀井はシャボン玉を鼻歌で歌っていた。あのかつての石川のパートだった「シャボンだむぁ〜」と、がなりたかったが為に歌っていた。だが、その部分に辿りつく前に緑の目印が見えてきた。
「ジュンちゃん」
「亀サン」
二人とも眉を八の字にしてお互いの顔を見合った。これで、やっと楽屋に帰ることができる。歩くことに疲れた、ともかく何より寝そべりたい。ジュンジュンがバナナタイムだろうが、リハが始まろうが、とにかく楽屋に戻ったら一番に寝そべろうと亀井は堅い決意を心に誓った。
- 381 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:07
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* * *
- 382 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:08
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ドアノブを回し、鉄の扉を開けるとそこには、森が広がっていた。
「なんじゃこりゃー! 」
図らずも亀井は叫び声をあげていた。
緑の目印から階段を2階分下り、外へ続くドアを開けた結末だった。このコンサート会場には自然公園が隣接されていた。およそ、東京ドーム8個分という桁違いの広さは田舎ならではの贅沢な土地の使い方だ。
亀井とジュンジュンが開けた非常口はコンサート会場側の外れ、森側への脱出口だったようだ。
「亀サン、森に迂闊に入ったら危険デス」
「当たり前だよ、生きて帰れる自信がない」
「困りマシタ」
「絵里、もう歩きたくない」
亀井はドアの前でしゃがみこんでしまった。
- 383 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:08
-
「超疲れたヨ」
ジュンジュンの溜め息混じりの言葉に亀井は膝を抱えて頷いた。
「のど渇いた、足痛い、ガキさんに会いたい」
「携帯電話忘れタ、お財布も持ってきてナイ」
「絵里も…… 」
「泣くなヨ」
「ジュンちゃんこそ」
ジュンジュンも亀井の隣に腰を下ろした。コンクリートのたたきがお尻に冷たかった。気分は一気に落ち込んだが、昼間の太陽は元気一杯だった。窓のない空間を彷徨っていて外のお天気など分からなかったが、今日は秋晴れの空模様で胸がすくようだ。
ここでうずくまっていても誰も助けに来てくれない。こうなったら少しでも体力を回復させて次の行動に移さなければならなかった。高橋達がラジオ局から帰ってきたら最終のリハーサルが始まる。早くみんなの元へ戻りたいと二人は切実に思った。
- 384 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:09
-
「飴ちゃんやるから元気だして下サイ」
ジュンジュンはジャージィのポケットに入っていたジンジャーフレバーの飴玉を、幼い様子で森を見つめている亀井の顔の前に差し出した。
「ジュンちゃんの分は? 」
「年長者は年下の者に優しくスル。中国四千年の教えデス」
亀井はジュンジュンのぶっきらぼうな言い方にうへへと笑って飴を受け取った。
「ありがとう」
お礼を言い、早速包み紙を剥いて亀井は黄色い飴玉を口に放った。
「一粒、2,100円ダ」
途端、ジュンジュンの低い声が亀井の耳に届いた。抜け目のない物言いに亀井はほぼ原形のまま飴玉を飲み込んでしまった。
「ゴボっ」
「税抜き2,000円でイイ」
亀井は飴玉の大きさ分だけ苦しみ悶え、冷たいコンクリートの上をのたうちまわった。
「ゴボボボボっ、ゴフ」
すっごい、痛い。すっごい痛いんだけど。死んじゃう。絵里死んじゃう。
亀井は泣いていた。
「亀サン、楽屋に戻れたら2,000円絶対払ってもらいますカラネ」
「2,000円、無事払えることを祈るよ」
コンクリートに涙の水溜りを作りつつ亀井は言った。
- 385 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:09
-
「大丈夫デス」
回復力が野生動物並のジュンジュンは軽やかに立ち上がった。
「敷地の外に出テ、大きな道路から会場の敷地内に入り直せばコンサート会場の入り口に辿り着キマス」
亀井はまだ動くことができず、逆光になって表情の分からないジュンジュンを寝そべったまま目を細めて見上げた。
「泥沼化クサイけど、絵里他の案が思いつかないからジュンちゃんに着いてくよ」
亀井もジュンジュンも、コンサート会場と自然公園を合わせた敷地面積が東京ドーム8個分以上になるとは知らなかったのだ。
- 386 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:09
-
* * *
- 387 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:10
-
「遅すぎるよ」
新垣が眉間に皺を寄せて呟いた。
「ウチ、探してきます」
光井が立ち上がった。側にいた道重が彼女の手を引いて行く手を阻んだ。
「ダメだよ、もうリハ始まるから。愛佳ちゃんまでいなくなったら大変」
「でも」
「みっつぃーは探しに行っちゃダメ。他の人にまで迷惑かかっちゃう」
新垣にも咎められ、光井はしょんぼりして道重の隣に腰を下ろした。
「バナナが恋しくなったら帰って来ますって」
久住はあっけらかんとした様子で言った。寝そべり、雑誌を胸の前に広げている。
「でも、もう、午前中のバナナタイムが過ぎてるのに」
室内の壁掛け時計を見つめて新垣が言った。
「新垣さんって、ジュンジュンのバナナタイムまで把握してはるんですか」
「だって、サブリーダーだよ? ほーんとに、何年モーニング娘。にいると思ってるの」
みくびってもらったら困るよ、といった風に新垣が憎たらしい表情をした。
- 388 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:10
-
「ジュンジュンがバナナタイムに帰って来ないなんて」
久住が寝そべった体勢から身体を起こした。そしてあぐらをかき、腕を組んで唸った。
「事件だ」
ぱっと顔を上げて久住は影のある表情を作った。
「やめてよ、小春」
心底げんなりした表情で新垣が小芝居好きの久住を牽制した。
「二人がいない方が、むしろ平和だから」
道重が早口で言った。
「とりあえず、マネージャーさんに連絡してみるわ」
新垣は携帯電話を操作し電話を掛けた。もし、あと10分早く新垣がマネージャーに電話をしていたら、亀井とジュンジュンはラジオ出演組みを乗せた大通りを走るタクシーに拾ってもらうことができ、リハーサルにも間に合った。が。
時、既に遅し。
- 389 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:10
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* * *
- 390 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:11
-
亀井とジュンジュンは気持ちを奮い立たせ、コンクリート伝いに敷地の端っこを目指していた。
「どれくらぃ〜っの」
「おんながー 」
「ひょう、しょう、じょうもらうのー 」
「まぁーけーねー 」
「ぜってぇーまぁーけねーって。ちょ、ジュンちゃん突然歌変えないでよ。どこで覚えたのその歌」
「恋人は心の応援団デス」
「張り切っちゃう〜、張り切っちゃう!って。ノリ難いから。やりきった感も微妙だし」
ジュンジュンにより強制的に曲を変更させられた為、亀井はまた「シャボンだむぁ〜」と、がなるに至らなかった。
「浮気なハニーパイの方がよかったんデスカ? 」
「そういう問題じゃないの」
「石川梨華より、紺野と藤本の方がよかったんデスカ? 」
「違うってば」
「じゃあ、石川梨華が悪かったんデスカ? 」
「お願いだから石川さんのこと、呼び捨てにしないで。後が怖いから」
それから、カントリー娘。の変遷について亀井がジュンジュンに説明していると、生け垣が見えてきた。外の通りと敷地内の境界のようだ。
- 391 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:12
-
「やれやれデス」
「中国語でやれやれってどういうの? 」
「教えたら、何かワタシの得になりマスカ? 」
「ならないけど」
「じゃあ、さっさとこの柵を越えて下サイ」
ジュンジュンは大きい単位のお金には寛容だったが、細かいところでケチくさかった。
レッスン着姿のまま、亀井とジュンジュンは大通りへ転がり出た。髪はぼさぼさ、素っぴんに近い肌を曝し、ファンにとってはまゆつばモンの生で見る二人だった。しかし、森側にファンが集まることはなく、大通りを挟んで向かい側は閑静な住宅街だった。一歩間違えば変質者扱いである。
「ジュンちゃん、絵里たちひょっとするとかなり怪しい人かも」
「オマエと一緒にするナ」
「ここは100歩譲って、日本の慣例の物差しで計って」
「日本人のホンネとタテマエは面倒クサイ」
「アイドルが職務質問されるよりマシでしょ」
ジュンジュンは亀井や道重が得意技とする頬を膨らまして上目遣いをするポーズをとってみせた。意外にかわいいことに亀井は人知れずプレッシャーを感じた。
- 392 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:13
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「今から、ジュンちゃんと絵里は趣味でジョギングをしている人になりきりますからね」
「趣味で、今度市内で開かれるハーフマラソンに出場するため、休日はトレーニングしている、地元電力会社に勤める同僚のOLという設定の方がリアリティ出マス」
「そこまでのリアリティって必要? 」
「インフラを握っている会社は強いゾ」
「勤める会社設定はどうでもいいから」
「よし、行くぞ亀サン」
「それ、絵里のセリフ」
運動をしている人、という設定には変わりないので、亀井とジュンジュンは軽くジョギングを始めた。1時間近く歩いた上にジョギングをする羽目になった運命を亀井は心から呪いたかったが、誰の所為かと言えば自分に他ならないので呪うことは諦めた。
越えた生け垣に沿って亀井とジュンジュンはジョギングを続けた。休日の昼間に人通りは少なく、車もそれほど通っていなかった。秋晴れの天気は風がひんやりとして心地良いものの、照りつける太陽の光はあんがい厳しいものだった。
- 393 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:13
-
先はまだまだ見えなかった。歩いた時間から、亀井は薄っすらとこのジョギングが生死を分ける距離になると気付いていた。嘆いたところで足を進めなければみんなの元へは戻れないので無言のまま走り続けた。ジュンジュンは何を考えているのか分からないポーカーフェイスのまま力強いストライドと腕の振りを見せていた。
「ジュンちゃん、タクシー捕まえようよ」
「お財布ないデス」
「入り口で待っててもらって、後から払えば問題ないよ」
ジュンジュンが亀井の声のトーンに足を止めた。元気のない亀井の口調にどうやら不安げのようだ。
「分かりマシタ。歩きながらタクシーを見つけマショウ」
亀井はこくりと頷いた。二人は手を繋いで並んで、ポプラの植えてある歩道を歩いた。亀井は俯いたまま、ジュンジュンは通りに視線を向けてタクシーが通りかかるのを探した。
- 394 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:13
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* * *
- 395 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:14
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タクシーの中は平和そのものだった。ラジオ局の方からゼリーの詰め合わせをお土産にもらい、リンリンはご満悦だった。高橋と田中は車内で仮眠をとっていた。お土産を抱えてリンリンはニコニコしながら地方の景色を眺めていた。有名なお寺や、珍しい建物の前を通るときは運転手さんがガイドになって説明してくれた。おいしいラーメン屋さんやスイーツのお店も教えてくれたが最終リハーサルが始まれば自由な時間は残されていなかった。自由時間があったとしても、勝手に出歩くことにはいい顔をしてもらえない。もったいない、と思いつつ、リンリンはラーメン屋さんの前を通り過ぎた。
- 396 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:14
-
森が見えてくると、運転手さんがそろそろですよ、と目的地到着の予告をした。会場の側が不自然に森になっていることに違和感を覚えたリンリンだった。運転手さんも、どうしてここを森にし、自然公園を人工的に作ったのか分からない、税金の無駄使いだと憤りを露にしていた。それまで黙り込んでいたマネージャーさんだったが会場に戻る前に買い物をしたいと言い出した。マネージャーさんの一言で森を抜けたら、近くのドラックストアによることになった。それからしばらく森を眺めていると見覚えの或る後姿がリンリンの眼に飛び込んできた。
- 397 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:14
-
その時、3人に同行したマネージャーは新垣の電話に出ていた。高橋、田中は眠りこけていた。亀井、ジュンジュンを目撃したのはリンリンだけだった。とぼとぼと歩く後ろ姿は今朝見た恰好と同じ恰好をした亀井とジュンジュンで間違いない。でも、リンリンはこんなところに二人がいるとは思わず、人違いかとじっとその二人を、見ていただけで同乗者に何も告げなかった。
亀井とジュンジュンを追い越す瞬間、やっぱり良く知った二人だと確信し、リンリンはやっと手を振った。ラジオ局の人からお土産をもらったウキウキ感一杯の笑顔で、リンリンは手を振った。
- 398 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:14
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* * *
- 399 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:15
-
「リンリン! 」
ジュンジュンは声を張り上げた。やっと見つけたタクシーには先客が乗っていた。がっかりしていた矢先の見知った顔にジュンジュンは思わず大声を出していた。
亀井もその声に驚き、タクシーに視線を向けた。すると、リンリンがニコニコしながらこちらに手を振っている。明らかにこちらに気付いている態度だった。
「止まってっ。お願い、待ってーっ 」
亀井もジュンジュンに負けない声で叫んだ。どちらが先か分からない。二人とも、気付いたらそのタクシーをめがけて走り出していた。ここ一番の粘り強さは他者の追随を許さない亀井と暴走娘。のジュンジュンの二人は走った。蜘蛛の糸だと思った。ここであのタクシーに止まってもらわなければ地獄に落ちる。
亀井とジュンジュンは走った。ぜいぜいと肺が嫌な音を立てても。のどの奥から血のような錆び付いた味が込み上げても。懸命に走り続けた。待って、止まって、と叫んで走った。
- 400 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:15
-
追いかけても、追いかけても。タクシーとの距離は縮まることはなく、あっと言う間に豆粒ほどの大きさになってしまった。
「なんでこうなるの…… 」
亀井は歩道に崩れ落ちた。ジュンジュンも言葉を失っているようだ。
はあ、はあ、と肩でつく呼吸の音が聞こえてくるだけだ。
「……亀サン」
ぽつりと名前を呼ばれ、亀井はジュンジュンを見上げた。彼女の肩越しにのぞいた空の秋晴れは健在でなんだか二人だけが場違いみたいな様子だった。
「ココ、ドコ? 」
タクシーを追いかけることに夢中になり過ぎてどこをどう走ってきたのかさっぱり二人は思い出せない。
住宅街に迷い込んだ二人は知らない土地で本格的に迷子になったのだった。
- 401 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/10(金) 16:16
- 第3話『でっかい宇宙に愛がある』その2
続きます
- 402 名前:寺井 投稿日:2008/10/10(金) 16:16
- 本日は以上です。
やっつけじゃないです。
- 403 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/12(日) 04:22
- 何か作風が変わったような気が
でも面白いです
- 404 名前:寺井 投稿日:2008/10/20(月) 15:27
- レスです
>>403 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
亀井さんとジュンジュンさんをフォーカスしたら
こんなんなってしまいました。お褒めの言葉ありがたい限りです。
嬉しいです。
- 405 名前:寺井 投稿日:2008/10/20(月) 15:33
- 更新しまーす
登場人物は亀井さん、ジュンジュンさんが中心です。
川´・_o・) <リレーです
- 406 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:34
-
第3話『でっかい宇宙に愛がある』その3
- 407 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:34
-
* * *
- 408 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:35
-
王監督引退に伴う球界への波紋など無関係なモーニング娘。の楽屋は今日も平和だった。
高橋、田中、リンリンがラジオの仕事から帰ってきて、楽屋に一層賑やかさが増した。
「絵里とジュンジュンが行方不明って。さっき聞いたんだけど」
高橋はリーダーらしくメンバーを気遣う発言を開口一番にした。新垣はこくりと頷いてまだ手がかりが掴めていないことを告げた。
「どうしたんだろう」
「さっぱり分かんない」
「まさか、事件に巻き込まれたとか」
リーダーとサブリーダーは顔を見合わせた。
「ココで? 」
新垣の問いに高橋は渋い表情をみせた。
「考え難いか」
新垣は頷き、室内の時計で時間を確認した。もう、最終リハーサルが始まる。
最悪の事態を想定して、リハーサルを行わねばならないと段取りを考え始めたサブリーダーは年齢の割に仕事人間の性質を備えていた。
- 409 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:37
-
最終リハーサルに向かうためにメンバーが移動し始めた時、リンリンが思い出したように発言した。
「亀井サンとジュンジュンはまだ帰って来ないんデスカ? 」
今更それを聞くのか、と他のメンバーは落胆の表情を隠しもしなかった。
「だって、二人からは何の連絡もないし」
「でも、さっき外を走ってマシタ。もうすぐ帰ってくるハズデス」
「リンリン、二人を見たの? 」
「ハイ」
新垣は驚きの声を上げて、矢継ぎ早に質問を投げた。
「どこで? 」
「タクシーに乗っている時デス」
「愛ちゃん知ってた? 」
「いや、私とれいなは寝てたから」
眠っていた高橋に非はないが、リーダーという立場上、バツの悪い様子だった。
- 410 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:38
-
「タクシーに乗ってるどのへんで二人を見たの? 」
「森を通っている時デス」
「森? 」
「ハイ、ココの会場の側に森がありマシタ」
「会場の側? 」
「どうして外に出たんだろう」
「マラソンしているみたいでシタヨ」
わざわざ、外に出て、どうして、マラソンを? と楽屋の中に複数クエスチョンマークが浮かぶかのようにメンバーはそれぞれ怪訝な様子だった。
- 411 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:38
-
「本当にマラソンしてたの? 」
新垣は再度リンリンに尋ねた。
「はい、亀井サンもジュンジュンもすごく一生懸命走ってマシタ」
リンリン以外のメンバーは、必死でタクシーを追いかける二人の様子を思い浮かべていた。光井が感極まり、涙ぐんでいる。辛かろう、暑かろう、苦しかろう。光井は込み上げるものを、下唇を噛みしめぐっと堪えた。
やっぱり迷子になっていたんだ、と新垣は溜め息をついた。どうして、あの時自分もついていかなかったのか、と後悔した。すると、そっと道重が新垣の側に立ち、背中を支えた。
「新垣さんは、何も悪くないです。責任を感じる必要はありません」
それでも、自分を責めてしまう新垣には、横で大笑いしている高橋の存在がちょうどよかった。
- 412 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:39
-
* * *
- 413 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:39
-
窓から見える景色は高速で過ぎ去っていく。ぽつぽつと民家が見える。あとは畑と田んぼが続く風景だった。
「ジュンちゃん」
隣に座っていたジュンジュンに亀井が声をかける。
ジュンジュンは亀井が座っている方へ顔をゆっくり向けた。
「どうして絵里たちは新幹線に乗っているの? 」
「それは」
ジュンジュンは答えを言い淀んだ。
「改札をくぐったからデス」
「くぐってないじゃん。またいだんじゃん」
亀井は少しだけ語気を強めた。
「そういう亀サンもまたぎマシタ」
「ジュンちゃんが早くって急かすから」
「でも、またいだのは亀サンに変わりありマセン」
亀井とジュンジュンはあれから色々あって、何故か新幹線の自由席に落ち着いていた。
「大丈夫デス亀サン。東北新幹線の自由席は車掌サン見回りに来マセン」
「そういうコトを気にしてるんじゃなくてね」
亀井は日本暮らしが長い自分より、どうしてジュンジュンが車掌の見回りに詳しいのか不思議に思った。
- 414 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:39
-
「東海道新幹線は気を付けて下サイ」
亀井は一応、返事をした。これから、改札をまたぐことは二度とないだろう。ないことを祈りながら。
二人は、一応、東京駅を目指していた。
タクシーに乗れば会場に辿り着くことができると思っていたが甘かった。二人は会場の名前を一文字も覚えていなかったのだ。本日、モーニング娘。がコンサートをする大きめのホールみたいなところ、と説明したが数台のタクシーに乗車を拒否された。困り果てた二人に同情したのか、5台目のタクシーの運転手がそれはどこだか分からないがとりあえず、主要駅まで送り届けてくれると申し出てくれた。ありがたいのか迷惑なのか判別できない二人だったがその場でタクシーを止め続けても埒が明かないのでお言葉に甘えて乗車した。降車する際、ダメもとでここに請求書を出してくれと、UFAの会社名を告げ、亀井は自分の名前と主任マネージャーの名前も漢字で書いてメモを渡した。
- 415 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:40
-
しかし、駅に降ろされたところで状況は変わらない。むしろ会場から遠ざかってしまった。駅の交番の人にお金を借りて電話をかけようと思いついたが、会場の名前すら覚えていない二人は助けてもらえそうな人の携帯番号を記憶しているわけがなかった。
勝手の知らない他所の土地では心細さも倍増した。不安で不安で辛いと亀井が呟くと、じゃあよく知った街、東京に戻ってから出直す、とジュンジュンが言い出し。あれよあれよと新幹線に飛び乗っていた。本当に飛び乗った。
「東京駅には人がいっぱいいて、絶対改札越えられない」
「心配入りマセン」
通路側のジュンジュンは、窓を遠い目で見つめて言った。
「ようは、捕まるか捕まらないかデス」
「絵里の目を見てはっきり言って、ジュンちゃん。ねぇ、ジュンちゃん」
ジュンジュンの肩を揺すってみても、彼女は頑なに窓から視線を動かさなかった。
- 416 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:40
-
しかし、乗ってしまった事実はひっくり返すことができない。乗ってしまったらこっちのものだ。新幹線は各駅停車の普通列車とはワケが違う。時速200kmで日本列島を横断できる。いいじゃないか。乗ってしまった。改札をまたごうが、くぐろうが同じ客だ。
彼女の単純さをアホというべきか、かわいいとやんわりけなすべきか。正当な対価を支払っていない者は客と言わない。
「駅弁食べたかったデス」
通路を挟んで斜め前に座っているサラリーマン風の人が、遅い昼ご飯を広げている様子が見えた。
「牛タン弁当」
名残惜しそうにジュンジュンが呟く。
「咽喉が渇きマシタ」
「絵里もだよ」
「ちょうお腹へっタ」
「絵里も」
「亀サンなんとかして下サイ」
無茶言うな、と声を上げたい所だったが。ここで言い争いになっても無意味だと悟った亀井は黙った。
1時間近く歩き続け、その後ジョギングをした上に住宅街を彷徨った身体は上手い返しも思いつかないぐらいに疲れていた。
- 417 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:41
-
「何とかするっていっても…… 」
無一文という現実がこんなにも辛いとは思ってもみなかった。
亀井もジュンジュンも小さい頃からお金に不自由などした経験がなかった。
飲み物一つ買えない状況がこれほどみじめなものなのかと衝撃を受けた。
「亀サン」
「ごめんね、ジュンちゃん。絵里、先輩なのに何も思いつかないよ。
迷ってた時だってジュンちゃんに頼ってばかりで。謝ってもしょうがないのに。
どうにかしなきゃいけないって分かってるのに。ごめんね、ジュンちゃん。絵里、なんにも思いつかないの」
ジュンジュンが顔色を変えて、俯く亀井を覗き込んだ。
みじめな状況に耐えられず、亀井は今にも泣き出しそうだった。
泣いても解決しないとは重々承知でも、それでも涙を抑えることが難しかった。
泣くことしかできない自分が情けなくて悔しくて冷静さを失ってしまった。
- 418 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:42
-
「分かりマシタ」
ジュンジュンは突然物分りの良い態度を見せた。
亀井もその返答に驚き、ジュンジュンを見つめ返した。
返事をしたかと思うとジュンジュンは立ち上がった。そうしてつかつかと通路を進んで斜め前に座っていたサラリーマンの隣に立った。
そこで亀井はジュンジュンが何をしでかすか察知し、転がるようにジュンジュンの腰にしがみついた。
「違うのジュンちゃんっ」
慌てた亀井は必死だった。
「お腹が空いて泣いたんじゃないから。違うの。戻ろう。ね、さっきの席に戻ろう」
サラリーマンは側に立った尋常じゃない二人の雰囲気に箸を止めた。
恐る恐る見上げた時の彼の怯えた様子は、二匹のハイエナに睨まれた仔鹿のようだった。
みっともない恰好の女の子二人が、自分の弁当をぎらついた視線で見ている。
荷物という荷物も所持していない怪しい風貌の二人に、普通だったら係りの人に通報するところだ。
- 419 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:42
-
もともと気弱な体質だったのか、ジュンジュンにロックオンされたサラリーマンはおずおずと弁当を差し出した。
「ど、どうぞ。牛タン1枚齧っちゃったけど」
「いいんです、結構ですっ。すみません。ホント、ごめんなさい」
亀井はジュンジュンを元の席へ戻す為に、彼女の身体を引っ張りながらお人好しの乗客に謝った。
「よかったら、飲みかけですけどお茶も…… 」
どう育ったらそんな言葉が出るのか、亀井はジュンジュンとサラリーマンの言動が理解できないと嘆きつつ溜め息を吐いた。
「旅の恥は掻き捨てデス。亀サン! 」
使い方が間違っている、と薄々気付きながらも亀井の冷静な思考が空腹感に負けそうだった。
- 420 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:43
-
* * *
- 421 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:43
-
人間の欲求の一つとされる、空腹が満たされた二人に今度は睡眠欲が襲っていた。
突然かつあげにあったサラリーマンは別の車両に移動してしまった。
ジョギング疲れで亀井とジュンジュンの元気は持続せず、徐々にお互い口数が少なくなっていった。
うとうとし出した二人に、突然すっとんきょうな声がふりかかってきた。
「亀ちゃん、ジュンジュン? だよね。どうしたの、こんなところで」
鼻にかかったような、掠れたような。それでも高い声は頭痛を引き起こす不快感を与えた。
「ウルセぇな」
もろ不快であるという発言をジュンジュンがした。
すると、隣からバチンと頭を思い切り叩かれた。亀井がジュンジュンをどついたのだった。
「あ、おはようございます」
亀井は業界人にする挨拶をへつらう態度でしていた。ジュンジュンは何故叩かれたのか分からず、顔を顰めて亀井を見た。それから、通路に立っているサングラスを掛け、帽子を被った怪しい女に目をくれた。
- 422 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:44
-
怪しい女は口角をきっちり上げた笑みでこちらを見ていた。
「おはよう。ってか、アンタ達ツアー中じゃないの? 」
ツアー中もツアー中。本番まっさかりだ。
けれど亀井は曖昧にうへへと笑うばかりではぐらかす態度だった。ジュンジュンは相変わらず相手を不信に思いジロジロと女の下から上を舐める様に見ていた。俗に言う、メンチ切りだ。
「誰だオマエ」
失礼極まりない態度でジュンジュンは発言した。
するとまた亀井がジュンジュンをどつく。
「バカっ。石川さんだよ、あの」
「あのって…… 」
石川は思わず苦笑いを零した。
「あー、あのカントリー娘。に石川梨華の石川梨華か」
「モーニング娘。の大先輩でしょーが! 」
「それは失礼いたしマシタ。亀井がいつもお世話になってオリマス」
キャハハハと、石川は笑い、亀井は表情を引き攣らせた。
昨年の秋ツアーは石川がリーダーを勤めていたユニットとモーニング娘。で全国をまわった。ジュンジュンが石川を知らないはずはないのだが、彼女は石川に対して敵意むき出しだった。
- 423 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:44
-
「っていうか。アンタ達の恰好。どうしたワケ? 」
サングラスの所為で石川がどのような表情をしているのか分からないが、眉間に皺が寄っていそうな雰囲気だった。
「ハーフマラソン出場の為にトレーニングしてマシタ」
「石川さんにまで、その設定引き摺るんだ」
亀井の落胆とは反対に石川は楽しそうな様子だった。
「ワケ分かんないんだけど」
「ところで、石川さん」
途端、亀井の眼がギラついた。
その時の亀井の強い視線は、石川がウケ狙いの寸前に見せる眼差しによく似ていた。
「今、所持金いくらですか? 」
石川は呆気に取られた。
レッスン着のようなジャージィ姿で、素っぴん、鞄すら持ってなさそうな亀井にその質問をされるとさすがの石川も警戒してしまう。
「ろ、6,000円だけど」
「6,000円!? 」
亀井は座っていた自由席の車両に響き渡るような大声を出した。
- 424 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:45
-
「ジュンちゃん、聞いた? この人いい大人なのに6,000円しか持ってないんだって」
亀井は半笑いだった。明らかに石川を下に見ている。
「さすが、石川サン。笑わせてくれマス」
ジュンジュンは鼻で笑った。
「なによ。なんなのよ。営業行くのに5万も6万も必要ないでしょ。マネージャーさんだっているし」
「うわー、この人。他人のお金当てにしてるよ。ろくでもねぇ」
実際、亀井は新幹線代金を石川に肩代わりして貰おうとしていたのに、よくもまあしゃあしゃあと言えたものだ。
「お金、必要なの? 」
お人好しな性格は、冷静な判断を鈍らすもので。亀井とジュンジュンの悪行三昧の限りを尽くすような態度も石川の気に障らなかったようだ。
「いくらとは言えねぇなぁ」
どうして亀井は突然態度を豹変させたのか、切羽詰った時に取る人間の行動はミステリアス。
- 425 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:45
-
「そこは石川姐サンの心意気にお任せしマス」
ジュンジュンまで亀井に感化されていた。しかし、ジュンジュンは初めから石川に対して悪態をついていたので、それが亀井の所為であるとの判断は難しい。
「わ、わかったわよ…… 」
♪♪♪〜
間の抜けた音楽が車両に流れ、その後に続いて停車駅の案内があった。どうやら次の駅にそろそろ到着するようだ。
「あ、ごめんね、亀ちゃん、ジュンジュン」
石川は多分、困ったような表情になったようだ、口角が下がり気味になった。
「もう、新幹線コントに付き合ってらんないワ。次で降りなきゃ」
石川はその駅がある都市で営業をするようだった。
- 426 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:46
-
地方都市で営業活動。一時の待遇と差が激しい。元モーニング娘。という肩書きは、業界で無条件にちやほやされる時代ではなくなった。
その人が今までこなしてきたすべてが反映される形で、彼女達の扱いが決定されていく。
不運といっては可哀相な部分もあるが、不運な先輩もたくさんいる。けれど、大部分は陰なり日向なり娘。時代に努力してきたこと、そして娘。でなくなってからの頑張りが今の彼女達の地位を格付けているように現娘。達の眼に映っていた。
その中でも石川の待遇は業界でも良い方だろう。彼女は現状に甘んじることはないだろうけれど、現娘。達の目にはハローの中では勝ち組部類にカテゴライズされる。
勝手に格付けされる位置に自身も身を置いている分、他人による格付けなど不快極まりないと分かっているが、近い将来娘。でなくなる身として先輩達の進路は他人事でなかった。
- 427 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:46
-
「コントに磨きをかけるのはいいことだけど、ほどほどにね。一応アイドルなんだから」
多分、石川はウィンクしたのだと推測する。ちょっと、左側の頬が緊張していた。
「石川サンはアイドルなのにここへ何をしに通りがかったんデスカ? 」
ジュンジュンの問い詰めに石川は無言だった。
「ジュンちゃん、移動前にしておかなきゃならないコトなんて相場は決まってるじゃん」
亀井はやれやれといった風に肩をすくめてみせた。
「し、しないよ! 」
ジュンジュンがにやりと笑った。亀井はそれを見逃さなかった。
「じゃあ、お二人とも、皆にヨロシク伝えて。ツアー頑張って」
- 428 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:46
-
* * *
- 429 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:47
-
石川が降りた駅は主要ターミナルだったのか、多くの人が新幹線を降りて行った。
今更自分達の職業を思い出した亀井とジュンジュンはこれだけ乗客が少なければ穏便にコトが済みそうだと胸を撫で下ろした。まだ、改札をくぐる問題が解決されていないのに。
お互い以外の知り合いに偶然出会い、ほっとしたのか。亀井とジュンジュンは自分達の置かれた状況を忘れ、窓の外の田舎風景をまったりと眺めていた。
「愛ちゃんとか、小春ちゃんの田舎もこんな感じなのかな」
こんなに家も少なく、建物自体が少ない場所では寂しくてちょっと暮らせないかもな、と亀井はあくびをかみ殺しながら思った。
「ああ、そうだ。無事戻れたらジュンちゃんに2,000円返さなくちゃね」
「そのお金でランチ一緒に行きマショウ」
亀井の肩にジュンジュンがこてん、と頭を乗せてきた。
- 430 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:47
-
「とろとろのハンバーグと、とろとろのメンチカツが美味しい洋食屋さんが中野にあるんデス」
「とろとろ? 」
はい、とジュンジュンもあくびをしながら答えた。
「ふんわりというか、柔らかくてとろとろしてるんデス」
「いいね〜」
うへへ、と笑いが零れる不謹慎な亀井。
「寝ても大丈夫かなぁ」
「はい、終点が東京駅デスカラ」
「ああ、そっか」
二人とも切符を購入して新幹線に乗車した客の気分だった。しかも、一仕事終えて帰宅する道中の。
コンサートをぶっちぎり、ついでに改札までぶっちぎった事実が、眠りから覚めたらリセットされるに違いないと亀井とジュンジュンは期待しながら心地よいまどろみに身を委ねていた。
- 431 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:47
-
* * *
- 432 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:48
-
その日の夕方、亀井の実家に。岩手県は盛岡の駅前交番から連絡が入った。
お宅の娘さんらしき、自称亀井絵里(19)さんと、お友達の李純(20)さんの二名を保護していますとのこと。
亀井とジュンジュンが乗り込んだ新幹線は上りの東京行きでなく、下りの盛岡行きだった。
あまりの非現実的な事実に亀井家では新手のオレオレ詐欺か何かかと俄かには信じることができなかった。
亀井本人が身元の判断に繋がるようなことを述べれば述べるほど家族達は疑いたくなった。
亀井の特殊な職業も災いした。一般人よりはメディア露出がある分、調べれば誰だって分かるのではないかと疑心暗鬼になった。
コンサート会場にいたマネージャーやら会社を巻き込んでようやく、二人の所在が確定された。
- 433 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:48
-
いつも自分の素性を隠しながら日常を過ごすことが多い二人だったが、これほど自分が誰なのかあけっぴろげにしても信じてもらえないギャップにまた衝撃を受けた。
しかも、亀井は家族にまで疑われるのだからその衝撃は計り知れない。
- 434 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:49
-
第3話『でっかい宇宙に愛がある』
END
- 435 名前:亀さんとジュンちゃん 投稿日:2008/10/20(月) 15:50
-
- 436 名前:_ 投稿日:2008/10/20(月) 15:51
-
- 437 名前:_ 投稿日:2008/10/20(月) 15:51
-
- 438 名前:寺井 投稿日:2008/10/20(月) 16:03
- 更新しまーす
高橋さん視点、登場人物は
高橋さん、新垣さんのみです。
せっかくの新垣さん誕生日に。
暗いはなしでごめんなさい。
( ・e・) <マルチに!!がんばります
- 439 名前:All_You _Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:04
-
* * *
- 440 名前:All_You 投稿日:2008/10/20(月) 16:05
-
顔の前に気配を感じた。
真夜中の時間帯だったが、私はぱちりと瞼を持ち上げ、冴えた思考で部屋の状況を把握した。
仰向けの体勢だったにもかかわらず、天井を見る前に人の顔が目の前にあった。
間接照明だけの灯りでやっと顔の判別がつくものの、どうしてこんなに近付かれたのかさっぱり身に覚えがない。
「何やってるの」
私は有り体の言葉を口にした。
「未遂です」
真顔のまま愛ちゃんが言った。
私は横になっていたソファの上で寝入ってしまっていたらしく、首と肩が痺れて痛かった。
黙っていればそのままどいてくれると思ったが、愛ちゃんは私の顔を見つめたまま動かなかった。
顔の前にゆらゆら揺れている彼女のアクセサリーが邪魔くさい。
指輪がモチーフの、そのゆらゆら揺れているネックレスを褒めた時、誕生日に"誰か"から貰ったと、にやついた表情で教えてくれた。
そのにやついた表情を思い出したら気分が悪くなった。
- 441 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:06
-
「あの」
どいて欲しいという気持ちを込めて言った。けれど相手には全然伝わらず、「何」と聞き返されるだけだった。
「お風呂入るんなら、早く入れば」
私の上に覆いかぶさっている迷惑な彼女は風邪をひきそうな恰好だった。中途半端な下着姿で私を見下ろしている。
お風呂に入る為に服を脱ぎだした直後、何か忘れ物に気付き、忘れものを取りにバスルームから自室に向かう途中リビングに立ち寄った、としか思えない恰好だった。
「里沙ちゃんにちゅーしてからね」
そう言いつつ顔を近付けてきた愛ちゃんを両手で突っ撥ねた。彼女のむき出しの肩を掴んで私は起き上がる。
「ばかなコト言ってないで」
風邪ひくよ。
間接がぱきっと鳴ったのが聞こえた。室内は静まり返っている。大分寝てしまった。
ご飯を食べて、お酒を飲まされ、DVDを見ていた途中で撃沈してしまった。
相手は良く見知った愛ちゃんだったのに、無防備な姿を曝してしまい、私は恥ずかしさを覚えた。
- 442 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:06
-
「里沙ちゃん」
疲れてる?
こちらを覗き込み、私の前髪に触れながら愛ちゃんが心配そうな表情をした。
「疲れてないよ、全然へーき」
「そう」
「私の心配じゃなくて、早くお風呂」
髪に触れていた手を取って、私は次の行動を促してみた。
「あんま喋んなかったし」
愛ちゃんは拗ねたような口調だった。
掴んだ私の手を、自分の両手で遊ばせながら今日の私についての不平を口にした。
「眠かったのかも」
と、いうか。愛ちゃんが一生懸命お喋りするから、私は聞き役に徹していただけで。疲れの所為で黙り込んでいたのではない。
「勝手に寝ちゃうし」
彼女が私の指を食べようと口に持っていくところで、私はやんわり手を離した。
「それは謝る。ごめんね」
だからって、寝込みを襲うのは人としてどうかと思う。ごめんと謝罪をしたにもかかわらず、口をへの字にして私は愛ちゃんを見た。
- 443 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:07
-
「早くお風呂」
「わーかったー 」
へいへい、とやる気のない返事をして愛ちゃんはゆるゆると私の上から降りた。
やる気のない様子を隠しもせず、のろのろと立ち上がり、自室へ向かう為に照明の前を横切った。
暖色の灯りに浮かび上がる彼女のシルエットは息を飲む美しさだった。
「愛ちゃん、下着の趣味変わった? 」
「あ、コレ。カワイイやろ」
自分の身体を見せ付けるように、彼女がポーズをとった。頼んでない。断じて頼んでいない。
けれど、様になるから具合が悪い。見惚れてしまう。
伸びた手足、正しい姿勢、柔らかい身体のライン、無駄のない肉付き。暗がりで光る瞳。
挑発するような表情を作りこちらを見ている。
愛ちゃんに見惚れるなんて、認めたくない。きっと照明が落とされて、室内が薄暗かった所為だ。そうに違いない。
- 444 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:07
-
「あ、里沙ちゃんが照れた」
咄嗟に俯いてしまい、誤解を与える行動をとってしまったことを後悔した。
こうしてからかい始めた時の愛ちゃんは面倒臭い。
「照れた、照れた」
折角立ち上がったのに、長座をしていた私の膝あたりに愛ちゃんがまた乗っかってきた。
上は下着一つ、下は身に付けていたスカートのまま。彼女が動けばチェーンの先の指輪が揺れる。
アクセサリーを素肌に飾ると色っぽさがあると思った。
照れたのではない。嫉妬に近い感情だ。
綺麗な身体を羨ましく思ったのか。挑発に苛立ったのか。私を軽んじる態度の愛ちゃんが気に食わないのか。
とにかく、目を反らしたかった。
- 445 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:08
-
「そんなに私が美しかったか」
愛ちゃんは綺麗だと思う。
「美しいっていうか、下品だよ」
「あらー 」
愛ちゃんは素っ頓狂な声を上げて目を丸くした。負け惜しみを口にする自分が情けない。
「やらしー、やらしー、あーやらしー 」
茶化す為に私はわざと高い声を出した。けれど、相手には全然ダメージを与えられていない。
私の本心でない態度を見透かすように愛ちゃんは整った笑みを見せた。
自分の腕を私の肩に置く。なんだろう、この状況。脈が早くなってきたのは気のせいだと思いたい。
「どうして、そんなこと言うの? 」
「だから」
溜め息をつきながら私は、愛ちゃんから視線を反らした。
すると、彼女の親指と人差し指で顎に触れられ「こっちを見る」と強制的に視線の行方を引き戻された。
隙あらば唇を狙ってくる愛ちゃんに私は自分の手のひらで抵抗した。
- 446 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:08
-
* * *
- 447 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:08
-
「もーっ 」
早くお風呂入れと心底思った。
「もー、はこっちのセリフや」
「なんなの今日は。ほーんといい加減にして」
「そういう気分なのっ」
どういう気分だよ、と突っ込みたいところを我慢し、愛ちゃんがどかないならこっちがどくしなかいと身体をなんとか動かそうと試みた。
「シッシッシ」というような、なんとも色気とかけ離れた様子で愛ちゃんが顔を歪めた。
「逃がさんよ」
「どいて下さい」
「嫌です」
「嫌じゃありません。どいて下さい」
途端、愛ちゃんは私の頭の後ろで両腕を組み、より距離を縮めた。そろそろ、上に乗っかられている足も痺れてきた。
- 448 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:09
-
「今日の里沙ちゃん強情やな」
上から覗き込んでくる表情は屈託なく幼い様子なのに、愛ちゃんが企んでいることは幼い様子とはかけ離れて煩悩まみれだ。
このまま彼女に丸め込まれるのはとても口惜しい。ちっぽけな自分のプライドの為に意地でも愛ちゃんの意に沿うわけにはいかなかった。
ぐっと、奥歯を噛みしめ、遊んでいた両手をソファの背もたれとクッションの端っこに置く。腹筋に力を込めて腰を浮かせた。
私の必死さとは裏腹に愛ちゃんは、気の緩んだ笑みを見せた。抵抗する様子はない。
私はそのまま気合で形勢を逆転させた。
愛ちゃんがソファの上に転がった。
しかし、腕を頭の後ろに回されたままだったので、私まで一緒に引っ張られた。
意図とは反対に、そのまま私は彼女を組み敷く恰好になった。
「里沙ちゃん、大胆」
私は頭を振り、愛ちゃんの腕を外して逃れようとする。けれど上手いこといかずになかなか身体を離すことができない。
全然、形勢は逆転されていない。これでは身体の位置が入れ替わっただけだ。
- 449 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:10
-
「観念しなさい」
「しーまーせーんー 」
私は最後の最後まで抵抗するつもりだった。
身体に自信があるのか効果的な罠のつもりか分からないけれど、その色仕掛けで誰でも落とせると思ったら大間違いだ。
嫉妬染みた抵抗が空しい。けれど、彼女の手中に落ちることはもっと空しい。
「誰にでもこういうことするのはよくないよ」
なんて、安っぽい言葉だろう。自分の心の狭さが嫌になる。まるで自分にだけするならいいと言っているみたいに聞こえた。
一瞬間が開いた後、案の定愛ちゃんは噴きだして笑った。
「里沙ちゃん、純粋」
バカにされたみたいで面白くなかった。別に不純になりたいワケでもないのに。
「その純粋さを弄ばないで下さい」
- 450 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:10
-
腕に力を込めて起き上がろうとしたが、なかなか相手にかなわなかった。
「誰にでもなんて、するワケない」
愛ちゃんの言葉は魔法みたいだ。なんてことないセリフなのに。急に身体の力が抜けてしまう。
思い知らせてやろうと思っていた。なんでも思い通りになると思ったら大間違いだと、鼻を明かしてやりたかった。
私の思いはいつも叶わない。
- 451 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:10
-
* * *
- 452 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:11
-
呆気なく私は観念してしまった。いとも簡単に愛ちゃんの手中に落ちた。
振り回されたくないのに。結局、愛ちゃんの思い通りに動いてしまう自分が情けない。
はぁ、と溜め息をついたら愛ちゃんがくすぐったそうに肩をすくめた。そのはずだ、上半身裸同然の恰好をしているのだから。
こんなことやってる場合でない。冗談じゃなく風邪をひいてしまう。大事な時期に、リーダーに風邪をひかせるわけにはいかなかった。
片腕と膝に力を込めて私は自分の上半身を持ち上げた。
一瞬で愛ちゃんの視線を絡め取り、頬へキスをした。
「風邪ひくから」
お風呂入ってきて。
愛ちゃんの隙を狙ってソファから降りた。激しい運動をしたワケじゃないのに。鼓動が早くなった。
背中で愛ちゃんの「あーっ」という落胆した声が聞こえた。
「油断した」
ばたばたと手足をばたつかせて私を逃してしまったことを口惜しがっているみたいだ。ソファがぎしぎし悲鳴をあげている。
- 453 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:12
-
「こっち、片付けておくから」
テーブルの上はDVDを見ていた時の状態のままだ。お菓子やらつまみやら。お酒の瓶やグラス、ペットボトルと空き缶が2人分散乱している。
お店では注文し過ぎるし、買い物をすれば買い過ぎる。今日なんて、どう考えても4人分くらい買い込んでいた。
この余ったものはどうするのだろう。母親にでも処分を頼むのだろうかと余計な心配までしてしまう。
ソファから転がり落ちた体勢を整えて私は立ち上がった。
片付けを開始しようとテーブルへ向かう一歩を踏み出す瞬間、この部屋の主に手首を掴まれた。
- 454 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:12
-
「何」
極力感情を込めないように振り向いた。
「ダメ」
愛ちゃんはとても眠たそうな声を出した。
そんな恰好で寝てもらっては困る。なんとかバスルームまで彼女を移動させなくてはならない。本当に世話が焼ける。
もしかしたら、あの時目を覚まさずに眠っていた方が面倒な状況にならなかったのかもしれない。と、目をしばたかせている彼女を見て思った。
でも、寝込みを襲われた事後報告とか、落ち込むな。ちょっとヤダな。
したしない、を嫌悪するんじゃなくてプライドが傷付くな。大袈裟に言えば人間の尊厳みたいな。
いくら愛ちゃんでも。意識のない相手に。ちょっと、ちょっと。考えれば考えるほど気分が滅入った。
ひどいよ愛ちゃん。
私は、愛ちゃんのものじゃないんだから。
- 455 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:12
-
「何がダメなの」
私は平静を装って尋ねる。
「もっとちゃんとしてくれなきゃダメ」
これがもし、男と女のれっきとした彼氏彼女とか夫婦とかそういう社会的に地位の確立された間柄だったら。
愛ちゃんの態度は相手を胸キュンさせるものかもしれない。
でも、私と愛ちゃんは違うし。全然そんなんじゃないし。
腐れ縁といってもいい。そこまで面倒をみる義理はない。
義理はないって分かっているのに。どうして私が傷付くような気持ちになるのだろう。
冷たく突き放すこともできない、彼氏にだって夫にだってなれない。まず、そんなこと求められてないし。
見え見えの甘えた態度。気分一つで私を振り回す。
良い様に利用されて、傷付かないワケない。
うらめしく思って、手首を掴んで離さない愛ちゃんを見た。
「ばか」
早くお風呂入れ。
- 456 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:13
-
私は呆れているというのに。愛ちゃんは笑っている。確信して、笑っている。
私が、愛ちゃんに逆らえないと、子どものように信じきっている。
ガキ大将じゃあるまいし。私は愛ちゃんの子分じゃない。
けど、親分は子分を信頼し切っていて。子分に裏切られた時はきっと彼女も人並みに傷付く。
私はやっぱり愛ちゃんを傷付けることなんてできなくて。
ゆっくり愛ちゃんに近付いた。
「約束だからね、ちゃんとお風呂入ってくるんだよ」
「片付けヨロシク」
愛ちゃんが寝転んだまま、私に手を伸ばしてきた。
頬に触れられると、心に触れられたみたいに体温が上がった。
私はソファに肘をついて身体を寄せる。愛ちゃんは綺麗だと思う。
目の前にこんなに綺麗な身体が横たわっているのに、興奮することなんてない。悲しい気持ちだった。
私は愛ちゃんのものじゃないけど。愛ちゃんも、私のものになることは決してない。
- 457 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:13
-
相手の中途半端に伸びた髪を撫でる。好奇心旺盛な瞳がこちらを見ている。
頬に指を触れさせ、顎のラインを伝い、唇に届いた指先をそこで止めた。
唇を指先で一度なぞってから、私は自分の顔を彼女に近付けた。
悪戯好きの瞳は瞼に覆われ見えなくなった。
ゆっくりと焦らすように近付く。
最後の抵抗だった。
少しでも焦れた気分を相手に味わわすことができれば、それでよかった。
- 458 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:13
-
* * *
- 459 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:13
-
触れた唇の温度に驚く。初めてではないキスだけど、彼女の唇は心地よい温かさだった。
柔らかさが癖になる。もっと欲しくなる。知らない欲望が目覚めて余計に気分が悪くなった。
悲しくて、口惜しくて、苦しくて。でも、欲しかった。こんな気持ち知りたくなかった。
唇が僅かに離れた瞬間、私は噛み付くように愛ちゃんの唇を再び奪った。
応えるように彼女の手が私の髪に絡んでくる。
角度を変えて、奥まで満たされるように深く口付ける。
気持ちが良い。温度も、柔らかさも。最高に気持ちが良い。
唇を合わせただけで、意識が遠のきそうになった。
どこか冷静な自分が遠のく意識を手繰り寄せる為に、故意に彼女の口内に侵入する。
歯列をなぞり、舌を絡め、もっと求め、温度にとける。
腹の底にぞくりと湧いてくるどろどろの感情が沸騰するぐらいに身体が熱かった。
熱くて、苦しい。苦しいけれど、息つぎなんてしたくない。
離れたくない。もっと、もっと、彼女が欲しい。
- 460 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:14
-
どこまで追い続けても、何も手に残らない。
そんなこと分かっていた。
相手に何かを残すこともできない。
触れた温度に驚いただけ。心地よさを知っただけ。
お互い望むことなんて何もないのだから、気まぐれの戯れを咎める非はない。
- 461 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:14
-
「ずるい」
唇が完全に離れると、愛ちゃんはそう呟いて私の頭を引き寄せ、抱きかかえた。
上半身を折り曲げる無理な体勢を強いられた。
しかも、素肌の上に顔を押し付けられ、さっきの行為など忘れ、いたたまれない気持ちになった。
愛ちゃんは「はぁ」と深呼吸をし、今度は「ヤバい」と言った。
「息切れや」
誰に言うでもなくぽつりと零した。
確かに、愛ちゃんの胸が上下していて酸素を欲している様子が伝わってきた。
「アカン」
また愛ちゃんが寝言のようにか細い声で呟く。
「里沙ちゃんを誰にも渡したくないって思う」
私のものでもないのに。
掠れた声が耳に残った。身体が震える。
このまま、眠りに就いて目を覚まさなければいいのに。
頬に触れている彼女の肌が温かくて泣けてきた。
- 462 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:15
-
現実は私の思い通りにならないことばかりだ。
せめて、愛ちゃんがもっと性格の悪い女だったらよかった。
優し過ぎる彼女を、私は裏切れない。
愛ちゃんのことが好きだから、傷付けるようなことはできなかった。
「安心して」
私は身体を離して相手を見つめた。
彼女は困ったような表情をしてこちらを見上げている。それから、手足をまたばたつかせた。
まるで離れたくないと身体全身で表しているように思え、私は寝転がる彼女の身体に腕を回す。
ぎゅっと抱き締めると、彼女も私の背中に腕を回した。
「私は誰のものにもならないから」
それじゃあ、私が辛すぎる。
でも、口にせずにはいられなかった。冗談だって受け取られても、それでよかった。
- 463 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:15
-
* * *
- 464 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:15
-
交換条件にあなたを求めることなんてしない。
子分に裏切られた時、親分が傷付くように、子分だって裏切りに合えば確かに傷付く。
期待した分落ち込むことになる。
求め合ったり、望んだりはしないけど、ずっと側にいるから。
あなたは怒ったり、泣いたり、笑ったり。
存分に私を振り回せばいい。
ずっと側にいるから。
寂しい思いは、させないから。
- 465 名前:All_You_Wanted 投稿日:2008/10/20(月) 16:15
-
END.
- 466 名前:寺井 投稿日:2008/10/20(月) 16:18
-
新垣里沙さん、Happy Birthday!
- 467 名前:寺井 投稿日:2008/10/20(月) 16:18
-
- 468 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/27(月) 02:40
- 面白くて楽しくてかわいくて大好きなのですが、
草板ないし森板は連続して2スレ立ててはいけないというのをご存知ですか?
なにはともあれ、大好きです。
- 469 名前:寺井 投稿日:2008/10/28(火) 09:54
- レスです
>>468 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
そして、ご指摘ありがとうございます。
お恥ずかしい話しではありますがルールを知らずに投稿しておりました。
本当に申し訳ございませんでした。
どうすれば良いのか思案し、移動申請をお願いしました。
不快感を覚えた方、ご面倒をお掛けした方、
心よりお詫び申し上げます。
- 470 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/28(火) 11:07
- 続きものじゃないから別に問題ないと思うんですが・・・
- 471 名前:寺井 投稿日:2008/11/08(土) 15:58
- レスです
>>470 名前:名無飼育さん
フォロー(?)をありがとうございます。
しかしながら、続けてスレッドを立ててしまった事実は
紛れも無くルール違反ですし、自分の勝手な見解で例外を作ってしまうと
後からややこしくなるだろうなぁ、と思い
スレッドの移動をお願いしました。
幻板ではお初にお目にかかります。
よろしくお願いいたします。
- 472 名前:寺井 投稿日:2008/11/08(土) 16:00
- 更新しまーす
道重さん視点、登場人物は
道重さん、亀井さんのみです。
- 473 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:00
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- 474 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:00
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待つことが多かった。
絵里と約束をするということは、待ち呆けを覚悟するのと同じだった。
大概、30分は遅れて遅刻魔の化身は待ち合わせ場所に現れる。
絵里と出会って月日が経ち、気付くと1、2時間一人で時間を潰すことだって当たり前になっていた。
彼女の度を越した遅刻癖も、慣れてしまえば腹立たしいと思えなくなるから不思議だ。
絵里は遅刻して姿を見せても悪びれる風はなく、「お待たせ」と「ごめんね」を照れた様子で告げ、うへへと笑う。
何度も、何度も。今日こそは怒ってやる、その場で激昂して遅刻癖を正すと誓わせようと思うのに。思うだけで実現しなかった。
- 475 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:01
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「あのね、さゆ」
面白くないという態度の私に絵里は、はにかんだ様子のまま遅刻の言い訳をする。
内容は言い訳として成立しようもないことばかりだった。
「ちゃんとね、10時には起きてたんだよ」
「それから何したの」
「気付いたら3時だった」
「何それ」
「分かんない。絵里も気付いたら3時だからびっくりしちゃってそれで」
「遅れるって、メールでも電話でも連絡ぐらいできるじゃん」
「そうだよね、さゆの言う通りだよね。ごめん」
ごめんと謝られる度に、ごめんと謝る絵里に呆れる度に。怒りでなく、ぽっかりと心に穴が空いたみたいな気持ちに襲われるから困った。
- 476 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:01
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- 477 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:01
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当たり前のように1、2時間暇潰しができるようになった頃には、心に空いた穴を冷静に受け入れちゃうからなお困る。
ぽっかり空いた穴からすーすーとあらゆる感情が抜けていくみたい。
好きという気持ちも。怒りも喜びも。嬉しさも悲しさも。
鈍感になりたくなかった。けれど、感情を取り零す穴は徐々に広がっていき、とうとう私は絵里を待つことに倦んだ。
勘が鈍った時の行為は悔やんでも取り返しはつかない。
絵里が世にも珍しく定刻通りに待ち合わせ場所へやってきたことがあった。しかも、事もあろうに私のことを待っていた。
私は絵里が遅刻するとすっかり諦めていたので油断していた。まさか、約束の時間よりも早く彼女が姿を見せるとは思ってもみなかった。
- 478 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:02
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「絵里」
待ち合わせ場所は人で溢れ、よそよそしい雰囲気だった。行き交う人たちの足は早くてどんどん視界から流れていく。
人波の中で絵里は俯き、つまらなそうな様子だった。
冬の始まり、冷たい空気がコートの裾から覗いた彼女の膝小僧を赤くしていた。
待っている時の気持ちは、幸福なものだと思う。
映画に間に合わなくても、ランチの時間が終わっても、限定商品が売り切れてしまっても、予定していたお店に行くことがきでなくても。
隣には絵里がいた。
絵里を待つことがどうして苦痛になるのだろう。
満たされた感覚でない、欠けた部分の空白も包み込むような感覚。どのような形であろうと幸福に変わりはない。
- 479 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:02
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- 480 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:02
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約束の時間より20分程の遅刻だった。
待ち合わせ場所に近付く私に気付いた絵里が、軽く手を振った。
妙に照れ臭い気持ちになったが、私も手を振り返した。
「ごめん」
謝罪をする私に絵里は言った。
「絵里は、待つより待たせる方が得意かも」
あまりにも彼女らしいセリフを言うものだからすっかり納得してしまい、突っ込みに遅れをとってしまった。
私は慌てて「いや、普通に遅れないで来て」、と気の利かない言葉を挟んだ。
うへへと絵里は笑う。私も照れ隠しの呆れた態度を見せ、それから笑った。
「行こう、絵里お腹空いたー」
「絵里がまた遅刻すると思ってたから、さゆみご飯食べて来ちゃった」
目を見開いた絵里が心から落胆していることが分かった。
「信じられない」
自分のいつもの行いは棚に上げ絵里は傷付いたみたいだ。
少しは私の気持ちも分かってくれたかもしれないと自分を慰め、遅刻したことについて深く気に病むことはなかった。
- 481 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:02
-
それ以来、私は油断することはなかった。定刻通り、待ち合わせ場所へ向かう。
ぽっかり空いた穴を両手で塞いで。怒りも悲しさも。嬉しさも歓びも。
取り零さないように必死だった。
自分の必死さに気が付いて、やっぱり私は絵里が好きなのだと再認識する。
熱を失った独占欲はなかなかやっかいだ。
出会った時から、絵里を待つ特権は私に与えられていた。待つ幸福は私独り占めだった。
絵里の遅刻癖が直らなくても私は彼女と待ち合わせをする。
絵里だけが友達じゃない。彼女以外にも遊ぶ友達はいる。
同期のれいなのように絵里と約束をせずとも関係を持続することだって無理なことじゃない。
けれど、私は絵里を待った。約束をして出掛けた。
- 482 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:03
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- 483 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:03
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今日も私は待つ。
待ち合わせの相手から遅刻するという連絡はない。
しかし、既に約束の時間から15分が経過していた。まだまだ序の口だ。
携帯電話で時間を確認する。
ないと分かっているのに絵里から連絡があるかもしれないと、いつだって電話に出られる態勢でいた。そんな自分が健気で悲しい。
絵里と出会う前から、誰より自分が正しいと勘違いをしてここまできた。
強い自分を信じていた。けれど、絵里を待つ自分はこんなにも頼りない。
怒りたいのに怒れない。約束などしなければ苛立ったり、不安に思ったりすることもないのに、絵里を待つ特権をどうしても譲りたくなかった。
- 484 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:03
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また、携帯電話のディスプレイで時間を確かめる。
さっき時間を見てから数分も経っていない。
溜め息が漏れる。
どうして絵里なんだろう。
絵里でなきゃいけない理由なんて無いに等しい。
絵里がダメな理由なら両手の指でも足りないくらい。
遅刻はするし、人の話は半分も聞いていないし。
発言は適当でいい加減だし。言ってることと、行動はちぐはぐするし。
私と同じくらいわがままだ。
はっきり言って、同期の中で真っ当な人といったられいなだ。
才能とかポテンシャルとか可能性とか、そういう先見の眼は私にないけれど。
れいなの方が断然まともな人間だということは分かる。
嘘はつかない、時間は守る、借りたお金はすぐ返す、言われたことはきちんとメモを取る。
私だけでない、きっと周囲の人たちだって頼みごとをするとしたら。
その頼みごとに完璧さを求めるとしたら、絵里ではなく、れいなにお願いするだろう。
意外性とか面白さを期待するなら、やっぱり絵里なのかもしれないけれど。
- 485 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:04
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ここまできちんと判断できるのに、私は絵里に心を寄せてしまう。
絵里に褒められると嬉しくて。誰に言われるよりも心が温かくなる。
一度褒められたアクセサリーや洋服は、愛着がなかったものでもお気に入りになってしまう。
口先だけでかわいいと言われても。その日、一日テンションがやたら高かったりする。
クリスマスのプレゼント交換で、吉澤さんのや藤本さんのが当たりますようにって。心の中で祈るのに。
絵里のプレゼントは誰が貰ったのか気になってしまう。
後輩たちが絵里にまとわり付いていると、叶わないことを思って落ち込む。
私も絵里の後輩だったらよかった、とか。先輩にも同じことを思った。
自分でも制御できない恥ずかしい行動に出て、その所為で絵里が度々絵里を頭に乗った。
例えば、絵里の飲んでいるものと同じ飲み物を欲しがるとか。
プリクラを一緒にやたら取りたがるとか。それを大事に携帯電話に貼っているとか。
グループ分けで絵里と一緒だったら大喜びするとか。
どれも些細なことではあるけれど、他のメンバーには絵里ほど求めない。
絵里の隣は私だって、誰が決めたのかと言えば私だ。
私が絶対なのだから、私が決めたことは絶対なのに。
絵里は私の絶対をいとも簡単にひっくり返す。
健気で悲しい自分が滑稽で。滑稽すぎて涙が出た。
- 486 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:04
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- 487 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:04
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待ち合わせ場所から一度離れ、程近いビルへ向かった。
エントランス付近で特設のバザーが行われているのが見え、暇潰しにお店を覗いてみることにした。
どうやら収益の一部はどこかの福祉団体に寄付されるらしい。アクセサリー、雑貨類が目立った。古着や古本も置いてある。
掘り出し物でも見つかれば、絵里を待つ時間も有効活用できるなと思い、店を回った。
陳列ワゴンはそこら辺のスーパーの安売りワゴンと同じものだった。本当に売る気があるのか疑わしい。
店を物色する人の数もまばらで、多くの人は足早に通り過ぎて行く。
私も、わざわざ絵里を誘ってまで来ようとは思わないし、足を踏み入れて多少がっかりした。
- 488 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:04
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変わった人形だな、と思って手に取ったものは北欧製だった。奇抜な色をしているが、愛らしい目がなんとも憎めない様子だ。
隣に、手に取った人形が描かれたマグカップもあった。その地域では結構知名度のあるキャラクターなのだろうか。
色とりどりのキャンディーの詰まった瓶、文字盤が見難いぐらいデコレーションの施された時計、緑色のリアルなカエルの形をしたガスライター。
趣味に統一性が見えない。そんな騒がしいワゴンの中に一つだけアンティーク調の木製の箱があった。
手に取ると重みがある。ただの箱ではなく、オルゴールだった。
それなりに彫刻で飾られているけれど、つやつやに光る様子がいかにも安っぽい演出だった。
- 489 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:05
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- 490 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:05
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好奇心で蓋を開けた。
懐かしいような、初めて聞くようなぼんやりとしたメロディーが控えめの音量で流れ出した。
メロディーはぼんやりとしているけれど、一つ一つ、つま弾かれた音に瑞々しい新鮮さを覚えた。
知らない曲だったから、そう聞こえたのかもしれない。
ねじを巻けばメロディーが流れる。
ピンが金属板を弾いて音を出す。
一回転すればまた同じ位置に戻る。
一つのオルゴールからは、何度も何度も同じメロディーが流れてくる。
蓋を閉じない限り、メロディーは流れ続ける。
けれど、ねじ巻きの原動力が衰えればメロディーは間延びし、曲として成り立たなくなる。
より、一音の瑞々しさが際立つ気がした。
遂にシリンダーが回転を止めた時、その場から音が立ち消えた。
私は何も言わず、ねじを巻き直した。
- 491 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:05
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オルゴールの蓋の裏は鏡だった。中はジュエリーボックスのように、細かく間仕切りされていた。
ジュエリーボックスにオルゴール機能なんて無駄だと思った。
いちいちオルゴールを聞きながらアクセサリーを選ぶなんて優雅なことは、私はしない。
合理性と機能性に欠ける、メルヘンチックな雑貨には興ざめだ。
溜め息をつきながら、箱の蓋を閉めようとした時。
瑞々しい音の重なりが小さく響いて私の耳に届いた。
オルゴールの蓋を閉じる瞬間に共鳴する音。
似ているな、と思った。
熱を失った独占欲の行き着く果てだ。
やり場の無い思いを強制終了させる瞬間の感覚と似ている。
- 492 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:05
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- 493 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:06
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暖かい手のひら。香る髪。尖らせた唇。
きらきらの笑顔。眠そうにする瞬き。
企みを隠し切れない瞳。何も教えてくれない背中。
抱き締められた時の温もり。染まった頬。
- 494 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:06
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零れた涙の豊かさ。肩に寄りかかる重み。
線の細い輪郭。私を呼ぶ声。
溢れ出しそうになる記憶を押し留める直前、すべてが共鳴して蓋は閉じられた。
- 495 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:06
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* * *
- 496 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:06
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けれどきれいな音だって、いっぺんに響いたら不協和音にしかならない。
皮肉めいたことを付け足さずにはいられない自分のかわい気のなさが浮き彫りになる。
望みとも呼べない耳障りな響きに、一人苦笑いを零した。
- 497 名前:ichizu 投稿日:2008/11/08(土) 16:07
-
オルゴールをワゴンに戻し、携帯電話で時間を確認した。
お茶でも飲んでぼーっとしよう。
私がいくらナイーヴな気分に浸ったところで、滑稽さが増すだけだ。絵里が現れるわけではない。
私は、前を行き交う足早の人たちに紛れて同じビル内にある、コーヒーショップへ向かった。
- 498 名前:寺井 投稿日:2008/11/08(土) 16:08
- 以上です。
やっつけじゃないです
- 499 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/08(土) 23:47
- うわー、やっぱすごいです、大好きです。
>>480の6行目みたいな素敵な台詞をさらっと書いてのける作者さんに嫉妬。
- 500 名前:寺井 投稿日:2008/11/10(月) 16:33
- レスです
>>468 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
具体的な指摘が嬉しいです。ほんとうに励みになります。
ありがとうございます。
- 501 名前:寺井 投稿日:2008/11/10(月) 16:41
- 更新しまーす
夏焼さん視点、登場人物は
夏焼さん、菅谷さんのみです。
ル ’‐’リ < ザス
- 502 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:41
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- 503 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:42
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是が非でも手に入れたいわけではなかった。
単なる寂しさだ。どうしようもない寂しさに、負けてしまった。
- 504 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:42
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- 505 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:42
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雪が降っていて音も無く二人に降り積もった。
私は梨沙子の髪に付着した結晶とも水滴とも言い得ない曖昧なそれを何度か払った。
梨沙子は押し黙ったまま、上目遣いで私を見ている。とても不機嫌そうだった。
「困る…… 」
そう口にした頼りなげな梨沙子は困ったというより、強がった様子だった。
「どうして困るの? 」
温度のない笑みを顔に貼り付けて私は言った。
困る理由を尋ねれば、更に梨沙子が困ることを知っていた。
すると、彼女は困り果てるどころか、辟易した様子になり溜め息を吐いた。
白く、その息が視界を揺らす。
- 506 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:43
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* * *
- 507 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:43
-
バス停には私と不機嫌な梨沙子しかいない。
人通りの少ない路地で、雪ばかりがやたらと目に付いた。
雪は色を奪うどころか、寒色を寒々と強調する。
私と梨沙子はバスなど待っていない態度で何本も見送った。
次は乗らなきゃ、次こそ乗り込まなくてはと思ってはいたものの。
一向に状況は打開されない。
大袈裟な音を立ててバスは何度もドアを開閉させた。
運転士が幾度か私たちにマイクで声を掛けてくれた。
停車せずに通り過ぎるバスもあった。
- 508 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:43
-
半分融けた雪でタイヤのチェーンがシャクシャクと音を立てる。
すべて違うバスだったけれど、どれも同じ音を立てて雪道を走っていた。
梨沙子は怒った態度のまま、私は返答を待ったまま。
白い息が何度も視界を揺らした。
- 509 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:43
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* * *
- 510 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:44
-
「分かってるくせに」
「分からないから質問したの」
そっぽを向いていた梨沙子が正面に顔を戻し、口をへの字に曲げこちらをじっと見つめた。
- 511 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:44
-
* * *
- 512 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:44
-
あの時、私はあなたを手に入れられれば、それ以外はどうでもよかった。
困らせて、あなたの思考を独占して、私で一杯にしたかった。
他の誰かがあなたのちょっとした隙間に入り込むのも嫌だった。
子どものようだと呆れられても関係なかった。
どんな卑怯な手段だって構わない。
その瞬間、あなたを私だけのものにしたかった。
- 513 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:44
-
心の隅にぽっかり空いた穴を埋める為に、あなたを利用したの。
でも、穴を空けるなんていたずらをしたのはあなた以外思い当たらないから。
自業自得だよ。
そうでしょう?
本当は、あなたが私を欲しかったのでしょう?
- 514 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:45
-
* * *
- 515 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:45
-
「嫌い」
みやなんて、大嫌い。
怒った態度のまま、はっきりと梨沙子は言った。
「答えになってないし」
売り言葉に買い言葉の法則に則り、わざと意地悪な態度を取った。
強い眼差しでこちらを見ている梨沙子を観察するように冷静に見つめ返した。
冷えた彼女の頬が色を失っている。
触れれば解ける結晶のように肌理細やかな梨沙子の素肌。
ぞっとするほどの完璧な美しさが垣間見える。
- 516 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:45
-
心を奪われる。身勝手な自分を知りつつも、プライドがそれを許さない。
奪われるより奪い去りたい。
彼女の美しさを奪ってしまいたい。
もう一度同じ言葉を呟く梨沙子へと、私はあっと言う間に距離を詰めた。
「……大っ嫌い」
抵抗されると思った私の行為に梨沙子はあっさり身を許した。
重なった唇がひどく冷たくて、思わず目を開けると、彼女は苦悶の表情をしていた。
眉間に深い皺が刻まれている。
梨沙子には悪いと思ったけれど、その様子が可笑しくて唇を離す間際、私は噴きだしてしまった。
- 517 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:46
-
「最低」
梨沙子は呆気に取られたように目を丸くした。
「私にはね」
充分間を置き、呼吸を整えてから言葉を繋げた。
「梨沙子の悪口は全部、私のコトが大好きだって言ってるみたいに聞こえる」
- 518 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:46
-
* * *
- 519 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:46
-
遠くでバスの仰々しいエンジン音が聞こえていた。
多分、反対車線に止まるバスだ。シャクシャクと相変わらず雪を噛んでいる。
再び積もってしまった梨沙子の髪の雪を払おうと、私は手を伸ばした。
梨沙子はその腕をすり抜け、私の腰回りにしがみ付いてきた。
反対側にバスが停車する。
ドアが開く機械音がした。
遠くで、遠くで車が行き交っている。
- 520 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:46
-
「好きだよ」
梨沙子は確かにそう口にした。
私のコートに顔を押し当てくぐもった彼女の声が、空気の冷たさでじんじんと痛む耳に届いた。
私は払う雪さえ忘れ、いつの間にか梨沙子を力一杯抱き締めていた。
- 521 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:47
-
バスが去ってゆく。
私の視界には、次のバスがこちらに向かってくる光景が映った。
視界は相変わらず白ばんでいた。
足先が悴む。鼻が冷たくなって痛い。
でも、それ以上に所在が判明されないどこが。
けれど、確実に。確かに軋んでいた。
多分、梨沙子も私と同じような一部を軋ませていた。
共鳴されるように、とても泣きたい気持ちになった。
- 522 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:47
-
鼻を啜っていた梨沙子もきっと泣きたかったんだ。
- 523 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:47
-
* * *
- 524 名前:かみさまの嘘 投稿日:2008/11/10(月) 16:47
-
本当に欲しかったものは、あなたじゃないと自分自身に言い聞かせる。
傷付かない方法は、それしかなかった。
- 525 名前:_ 投稿日:2008/11/10(月) 16:48
-
川*^∇^)|| < スパイシージャック
- 526 名前:寺井 投稿日:2008/11/10(月) 16:49
- 以上です
やっつけじゃないです。
どカップリング注意報。
そして、突然ベリさんを書き出したきまぐれ。
- 527 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/14(日) 21:22
- ここぞって時のセリフがとてもいいですね。
更新待ってます
- 528 名前:寺井 投稿日:2008/12/21(日) 07:46
- レスです
>>527 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
もったいないお言葉、身に余る光栄です。
ほんとうに励みになります。
ありがとうございます。
- 529 名前:寺井 投稿日:2008/12/21(日) 07:59
- 更新しまーす
光井さん視点、登場人物は
光井さん、亀井さんのみです。
- 530 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 07:59
-
◇ ◇ ◇
- 531 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:00
-
白い息が夕陽に溶け、残ったのは彼女のやわらかな笑みだった。
すべてを包み込むような相手の笑顔に、息を飲んだ。
「みっつぃーは賢い子だから」
ともすれば、そう口にして私を子ども扱いする。
16歳の私にとって、4歳の年の差はどう足掻いても越えることのできない高い高い壁だった。
「亀井さん」
惨めったらしい気持ちに囚われたまま彼女の名前を口にした。
亀井さんは視線だけで返事をした。
やり場の無い思いは私の中でぐるぐる回ったまま出口を見つけることも消えることもなかった。
- 532 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:00
-
* * *
- 533 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:00
-
いわゆるフツーの学生とは異なり、私は半分大人みたいな。それなりの責任を背負ってお給料を頂いていた。お給料の額面にしたら、半分大人みたいな、なんてかわいらしいことを言っている場合でないのだが。
うつつと、ゆめ。
学校に通っているとその境界がはっきりと分かる。
お仕事と学校、私にとってどちらも現実だ。けれど、お仕事はやっぱり夢のような世界だと思った。現実が限りなく永続に近いものとするなら、ゲイノウジン、アイドルという職業はあまりにも不確定だった。このままずっと、私がモーニング娘。であるという確約はない。来月のお仕事がどうなるのかさえ分からなかった。だから夢のような、という表現は恰好付け過ぎだ。芸能界はとても華やかで時に世知辛い。
- 534 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:01
-
16歳の私にとって学校は紛れも無く現実だった。瞬間瞬間で、結果が正しく返される。
テストの点数一つ。体力測定のランク一つ。上がり下がりする成績の順位。嘘やまやかし、飾りなどでない。その時の自分がはっきりと数字で表された。
進路希望調査票と題された一枚のペラ紙に書かされる自分の将来像の方が、モーニング娘。としてステージで歌い踊る自分よりも現実的だと思えた。
裏を返せば"モーニング娘。の私はずっと続くことはない"と心のどこかで確信していたことになる。
- 535 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:01
-
第一志望高校、第二志望高校、就職。
就職するならどういった職種を選択するのか。
偏差値はいくつ足りない。
募集定員は何名。
女子の採用は?
中卒で就職ってありえるの?
広がっていくものだと疑っていなかった未来へ続く時間は、ペラ紙一枚を目の前にすると急に狭まって見えた。
学力は結果が出ている。
就きたい職業、やりたいこと、全然分からない。
- 536 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:01
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アイドルに年齢制限は一応設けられていないコトになっているけれど。60歳で定年、その後は年金生活という具合にはならない。例え、年金生活を送ることができるとしても、人生に保険は不可欠だ。
既に就職し、働いている姉の姿を目の当たりにしている分、採用され働いてお金を稼ぐことにどれだけ我慢が強いられるか想像は容易かった。
このまま順調に私がゲイノウジンとして働き続けることができると、確約されていない現状。今の学力。やりたいこと。やり続けたいこと。ごちゃごちゃと考えのまとまらない問題が頭の中でぐるぐる回る。そんな頭で私はあっさり決断した。
進路希望調査票には、高校進学と書いた。
結局、私はお仕事を今まで通りこなせる学校を選んで進学した。
人生の保険より楽しいことを優先した結果だ。
"モーニング娘。の私はずっと続くことはない"と、確信していた。
それでもお仕事が第一で、勉強は二の次だった。
高校合格は、私の実力が最大限発揮された結果なのか自分でも分からない。
けれど、不思議と不満はなかった。
- 537 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:01
-
うつつと、ゆめ。
どうしたって夢が勝つ。
夢が、いつも居心地が良いかというとそれは間違いだ。
間違いだと分かっているのに追いかけてしまう自分は、きっと現実だけではもう満足できない。現実よりつらい夢を選んでしまった。
学生生活でこれほどのつらい思いをしないのは、ホントの自分が別のところにあるからだ。分からないことやうやむやになっていることがたくさんたくさんある中で、それだけはきちんと理解していた。今、ホントの自分はそこにある。
- 538 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:02
-
* * *
- 539 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:02
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うつつと、ゆめ。
はっきり見える境界。けれど、どちらがうつつで、どちらがゆめなのか。
分からなくなる。
数日前突然、会社の会議室に娘。のメンバー全員が集められた。
そこにはチーフマネージャーが珍しく姿を見せており、普段は冗談を言い合う砕けた仲のマネージャー達も表情が硬かった。
周囲のオトナ達から発せられるぴりぴりした空気から良い知らせではないと、初めからみんな察知していた。
- 540 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:02
-
予感は当たっていた。
その知らせはモーニング娘。がデビューした年からの、連続出場記録が途絶えたことを意味した。
記録を絶やしたことがどれだけのことなのか。
私は実際分からなかった。今でも記録のことについては実感がない。
ただ、その瞬間から何かが、ごろごろと転がる石ころみたいな、ムカムカと吐き気をもよおす光化学スモッグみたいなものが、胸のあたりに発生し違和感を生み出し始めた。
- 541 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:02
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◇ ◇ ◇
- 542 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:03
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ラジオの仕事帰りだった。
駅までの道のりは物寂しい雰囲気だった。冬支度を終えた木々は葉をすっかり落としてしまい、寒々しさを誇張し、舗装された歩道に植えられていた芝は枯れた色をしていた。
オフホワイトのマフラーをぐるぐる巻きにした亀井さんは肩をすぼめておかしな歩き方をしていた。両肩を緊張させている所為で口元までマフラーが顔を隠している。
リンリンも一緒のお仕事だったけれど、事務所に戻り次回の打ち合わせをして彼女とは別れ別れになった。
- 543 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:03
-
半歩分前を歩いていた亀井さんと歩調を合わせる。
気温の所為か、二人とも口数は少なかった。
打ち合わせの後の雑談で、来年についての話が出た。
真面目な会話ではない。それでも、来年のお仕事の話題だった。
春ツアーの最終公演。
横浜アリーナは大きい会場だ。
大きい会場がどれだけの人で埋め尽くされるのか。
笑い話だ。
冗談だって分かっているけれど。
"ステージを大きくとったら席数を減らせる"
人数が問題じゃない。
記録を絶やしてしまったことが恥ずべきことじゃない。
知名度がどうやって計られるかなんて知らない。
- 544 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:03
-
冗談だって。笑い話なんだって。
感じていた違和感が急速に膨らみ、苦しくなった。
息が詰まるくらい苦しさを覚えたのに。
私は感情とは裏腹に笑っていた。
笑った自分がひどく情けなく、途端、泣きたくなった。
不安定でめちゃくちゃな気分だった。
本当は悔しかったのに。
冗談でもそんなこと言ってほしくなかった。
- 545 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:03
-
「めっちゃ悔しいんです」
本音だった。
今更、呟くには遅すぎる本音だった。
ぽつりと口から零れ出た言葉。
誰にも届かないような響き方だった。
集客数が以前と比べ落ち込んでいることも。
記録が途絶えたことも。
落ち目だと下世話な週刊誌に書き立たされることも。
打ちのめされるほどの悔しい気持ちで一杯だった。
- 546 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:04
-
よく晴れた日の夕方で。冬の空は遠く、私よりも少しだけ背の高い亀井さんの遥か頭上にうろこ雲が広がって見えた。
私の思い詰めた声色と裏腹に亀井さんは穏やかな様子でこちらを見つめていた。
会議室に集められて知らせを聞かされた時から発生した違和感、ずっと感じていたやり場のない思い。
空がよく晴れて、それでも私の気分は全然晴れることはなく。
いつもどんよりとした雲がかかっていた。
こちらを見つめる亀井さんの表情は今日の天気にどこか通じるものがあって、余計に私の心の影がくっきりと浮かぶ。
- 547 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:04
-
亀井さんは、悔しくないんですか?
とは、なぜか口にすることができなかった。
それはあまりにもばかげた質問だ。
冷静に現実を受け止めている先輩に、理不尽に当たったとしても醜態を曝すだけだ。
同調して欲しかった相手があまりに大人で。子どもだった私はすべてに嫉妬をした。
何もかもに。空気にも、天気にも、側の木々、通り過ぎる自動車、ビルのガラス窓、自動販売機、ガードレール。目の前に立つ亀井さんだって。何もかもだ。すべてが怒りの対象にすり替わった。
- 548 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:04
-
* * *
- 549 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:04
-
胸の内はやり場のない思いでいっぱいだった。
つま先から頭のてっぺんまで、全身に怒りが駆け巡る。
寒さの所為じゃない、私は身体がかすかに震えていることに気付いた。
先を歩いていた亀井さんは的外れなタイミングで「うん」と頷いた。
直後、彼女は立ち止まり背筋をしゃんと伸ばしてこちらへ振り返った。
逆光になっているのか、やや目を細める表情をしていた。
私の伸びた影法師が彼女の足元に届き、その距離を踏み越えないように私も立ち止まる。
- 550 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:05
-
私は娘。の中では一番年下で。一番キャリアが短くて。リンリンもジュンジュンも8期として同期だけど。
でも。私は8期のオーディションに合格して選ばれたという自負があった。
私は、選ばれてモーニング娘。に加入できたんだって。リンリンとジュンジュンに対して憎らしい気持ちはないけれど。でも、私は彼女たちと違うんだと、プライドがあった。
- 551 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:05
-
娘。のリーダーである高橋さんは8年も娘。の中心で、モーニング娘。を引っ張ってきた人だし。それだけの風格もある。
新垣さんも、亀井さんも。田中さんも道重さんも。世間からの慈しみの眼差し、奇異な目に曝されようとも、自分を持ってパフォーマンスをしている。自分の立場を自覚して前へ進んできた人たちだ。
同い年の久住さんは、私よりも長く重ねたキャリアの分だけ自分の地位を確立させていた。世知辛い、華やかな世界でも臆することなく自分を表現しているように見えた。
同じ歳なのに私のように揺らいでいる姿を目の当たりにしたことはない。
みんなに見せないように強がっているのかもしれないけれど。彼女は背伸びをせず、自然体でお仕事をこなしているように、私は感じていた。私が無理している時だって。久住さんは超然とした態度で困難を乗り越えていた。
どうして私は8期のオーディションを受けたんだろう。
どうして私が8期のオーディションに合格したんだろう。
- 552 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:05
-
うつつと、ゆめ。
現実よりつらい夢を選んでしまった理由なんて、私はまだ、答えをみつけることができていない。
楽しいから夢を選んだのに。
現実よりつらい夢を、いったいどう説明したら理解してもらえるのだろう。
どう理由付けすれば納得できるのだろう。
- 553 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:06
-
歌もダンスも。誰にも及ばない。
いつまでたっても心から自信を持つことができないでいた。
上手い下手で判断するのではない。
自分らしさがどれだけ表現できるかに基準をおかなければならない。
知っている。そんなことは知っているけど。
歌もダンスも。はっきり点数が出ない。
瞬時に自分の現状が数字で表されないと、現実を実感できない。
ふわふわしたまま時間だけが過ぎて、いったい何を。いったいどれを。
いったい、自分は。
どうして、私は。
私は。
どうして。
ホントの自分をそこにみつけてしまった?
- 554 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:06
-
◇ ◇ ◇
- 555 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:06
-
貢献するという表現は適切ではないかもしれない。
けれど、考えてしまう。
私が加入したことにより、モーニング娘。はどのような影響を受けたのか。
おこがましい、そんな疑問が口から飛び出しそうになる。
私がそこに存在している以上、意味を見つけたかった。
居場所を守りたかっただけかもしれない。
私を迎えてくれたメンバーに対して湧き上がる申し訳ない気持ちと、嫉妬する気持ちと。
力になりたいひたむきな気持ちを。
メンバーに、周囲の人たちに理解して欲しいと思わずにはいられなかった。
- 556 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:06
-
「イライラするんです」
「うん」
亀井さんは目を細めたまま頷いた。
私は彼女から視線を逸らせ、側のガードレール方向に視界を置いた。反対側の歩道にサザンカの垣根が見える。
「上手く、伝えらなくて。自分の気持ちを押さえ込んでしまって。本当は悔しくて。悔しいのにどう伝えていいのか分からなくて」
「うん」
「いつも悔しいんです。めっちゃ悔しいのに。どう言ったらいいのか」
口にする側から自分の気持ちがぐちゃぐちゃになり、言葉に詰まった。
やり場のない思いと、ムカつく違和感が咽喉元に、徐々にせり上がってくる。
- 557 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:07
-
「悔しい」
バカの一つ覚えで、同じ言葉を呟く。
他にどう言葉で表現したらいいのか術がなかった。
「悔しい? 」
亀井さんが私と同じ言葉を繰り返した。
音にして、言葉にすると。余計に悪しき感情に捕まる。
「ふふ」と、軽やかに吐かれた呼吸の音に驚いて私は顔を上げた。
亀井さんは曇りの無い笑みで私を見ていた。
- 558 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:07
-
相手の輪郭がぼやける。
咽喉の奥がツーンとしてくる。
「亀井さん」
私が彼女を呼ぶと、亀井さんはこちらに歩み寄って手を伸ばした。
私の前髪を撫で付け、さらさらとした乾いた指先で亀井さんが頬に触れてくる。
私は目を閉じた。
堅くまぶたを閉じても、零れる涙を留めることは叶わなかった。
- 559 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:07
-
亀井さんの香水の匂いが濃くなった次の瞬間、全身にやわらかい衝撃が走った。
口元にふわふわとしたマフラーの感触が当たる。
寒さの所為じゃない。怒りの所為じゃない。脱力する寸前に身体が震えた。
- 560 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:07
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* * *
- 561 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:08
-
笑ったことを後悔していた。
あの時、周りのオトナにドン引きされようが注意されようが、怒ればよかった。
冗談でも、言って欲しくなかった。
客席がファンの人たちで溢れるくらいに惹き付けられる、そういうステージにしようと。
みんなで力を合わせられるスタッフ達と一緒に頑張りたかった。
現状を受け止めることは必要だけれど。
染まりたくない色に染まったり、淀んだ空気に息をひそめたりする必要はなかった。
キャリアが短かろうが、年下だろうがカンケーない。
私はモーニング娘。の8期メンバーなんだから。
これから新しい色をつけて、新鮮な空気を作り出せばいいことだった。
- 562 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:08
-
「みっつぃーが今、苦しいのは。みっつぃーが頑張ってる証拠だよ」
泣いちゃったのは、本気の証でしょ。
抱き締められた心地に辛うじて保っているぎりぎりの理性が砕けそうになる。
差し出された優しさに縋り付き、声を上げて泣きたくなった。
「泣かないで」
よしよし、と亀井さんは私の後頭部を撫でた。
私は、こくこくと頷く。
「みっつぃーが、もどかしいって思ってるコト、分かるよ。絵里、みっつぃーより年上だけどアホだから上手に言葉にしてあげられないけど。悔しい気持ちはみんな分かるよ」
現状を受け止めるのと現状に満足するのとは違う。
メンバーにだって負けたくない。全然満足なんてできない。
- 563 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:08
-
「愛ちゃんもガキさんも、さゆもれいなも。小春だってジュンジュンだって、リンリンだって。全員がまったく同じ気持ちってワケにはいかないかもしれないけど。個人個人で事情が異なるし、でも。メンバーには、メンバーだけに通じる気持ちって絵里、あると思う」
目を逸らすのではなく、現状に満足することなく、自分を受け入れること。
一人じゃないって思えること。
喚いて、泣いて、その場にとどまりたいのではない。
喚いても、泣いても。みんなと一緒に私も前に進みたかった。
- 564 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:09
-
「通じてるって、信じてればすごい苦しくてもなんだか頑張れるんだよね」
亀井さんがどういう表情で、言葉にして私に伝えてくれているのか、気になった。
私はぐしゃぐしゃの顔を恥ずかし気もなく傾きかけた太陽の下に曝け出した。
やっぱりというか案の定というか。亀井さんは、4歳の差を見せ付けたおだやかな表情をしていた。
その場の思いつきだ。
ふと、私も4年後、こういう表情ができる女の人になっていたい、と思った。
- 565 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:09
-
* * *
- 566 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:09
-
「ごめんなさい」
マフラー。
と、言いつつ、私の涙で濡れてしまった亀井さんのマフラーを指で拭った。
「うへへ」
亀井さんはからかうような笑い方をした。
「こないだ絵里、みっつぃーのカーディガンにおしょう油飛ばしちゃったからコレでおあいこ」
大人びた表情から、一転して幼い様子に変わる早さに私は驚いた。
「新しいカーディガンプレゼントしてくれるって言わはったのに」
鼻を啜りながら、ここぞとばかりにうらめしいセリフを口にした。
「そんな約束したっけ? 」
「えー、めっちゃショック」
うそうそ、覚えてるって、と言いながら、亀井さんは私の左手を取り歩き出した。
「じゃあさ、こうしようよ」
一度、立ち止まって亀井さんがこちらに向いた。そして苦笑しながら自由の利く手で私の顔を擦った。
私は幼い子どもが母親にされるみたいに、彼女にされるがまま目を瞑る。
「みっつぃーも、プレゼントすればいいんだ」
絵里、12月が誕生日だって知ってた?
- 567 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:09
-
もちろん、メンバーの誕生日は全員把握済みだ。
亀井さんが提案してくれた通り、マフラーはプレゼントさせて頂くことにする。
でも、わくわく感がなくなるから、誕生日プレゼントはまた別のものを考えよう。
私は「はい」と、素直に返事をする。
「リンリンには新鮮などじょうかな〜」
どこでとれるのかなと、暢気そうに思案しながら亀井さんは再び歩き出した。
「サプライズにしなきゃだから、こっそり靴に忍ばせるんだよ」
「その前にブーツもプレゼントせなあきませんね」
「ブーツかぁ。ブーツ高くない? 」
のんびりした口調で亀井さんが口を尖らせて言った。
それからすぐに何かを閃いたらしく。
「長靴、長靴なら大丈夫だよ」
こちらに勢いよく向いて、きらきらしたアイドルスマイルを見せた。私はそのセリフと笑顔のギャップがおかしくって。亀井さんの肩によりかかって笑った。
「なんで笑うの〜 」
長靴だったら絶対水漏れしないのに。
不満そうな様子だったけれど、亀井さんも言葉尻は笑みをかみ殺しきれていなかった。
- 568 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:10
-
◇ ◇ ◇
- 569 名前:Onetime 投稿日:2008/12/21(日) 08:10
-
やり場の無い思いは今でも、私の中でぐるぐる回ったまま出口を見つけることも消えることもない。
けれど、繋がれた左手から伝わる温もりで随分救われた気持ちになった。
私はここにいてもいいんだと、言ってくれている気がした。
- 570 名前:_ 投稿日:2008/12/21(日) 08:10
-
- 571 名前:_ 投稿日:2008/12/21(日) 08:11
-
- 572 名前:寺井 投稿日:2008/12/21(日) 08:12
- 以上です。
やっつけじゃないです
- 573 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/21(日) 20:39
- さいこう
- 574 名前:寺井 投稿日:2008/12/25(木) 07:54
- レスです
>>573 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
ちゃいこーです!!
- 575 名前:寺井 投稿日:2008/12/25(木) 07:55
- 更新しまーす
新垣さん視点、登場人物は
新垣さん、高橋さんが主です。
- 576 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 07:58
-
◇ ◇ ◇
- 577 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 07:58
-
些細な出来事がキセキみたいに思えた。
手を引かれるままに、帰路とはめちゃくちゃな方向へ進んでいく。
少し前を歩く彼女のスカートの裾が楽しそうに揺れている。
こんな風にはしゃいでいる姿を見るのは、久しぶりな気がした。
二人に吹き付ける風は例年よりも少しだけあたたかだった。
- 578 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 07:59
-
* * *
- 579 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 07:59
-
見せたいものがあるよ。
いたずらっぽく笑った様子が随分幼く見えて、私も自然と笑っていた。
明日も仕事だったし。仕事の予定もゆっくりじゃなくて午前中から午後までぎっしり詰まっていた。
誘った相手だって同じコト。ともすれば、私よりもぎゅうぎゅう詰めのスケジュールに違いなかった。
それでも断ることはできず、頭で考えるより早く引かれた手を握り返していた。
- 580 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 07:59
-
連れていかれたのは、都心のビルが立ち並ぶ一角だった。
街路樹はきらきらのイルミネーションで飾り立てられ、歩いているだけでも心が浮き足立つ。
時間帯は既に老舗百貨店の営業外で、大きな照明は落とされていた。
側の幹線道路は混雑していた。車のライトが天の川みたいに、車道は一面光で埋め尽くされていた。
幹線道路と反対側は百貨店のショーウィンドウになっていた。シャッターの下りたディスプレイもあったけれどところどころ、ライトアップされたままの箇所もあった。
全身ブランド物をまとったマネキン。
アーティスティックな銀のトナカイや、サンタクロース。
モノトーンに設えたクリスマスツリー。
季節を演出したショーウィンドウだった。
次の日にはきっと、新しい年を迎えるディスプレイに変わってしまう。
ライトアップされたトナカイが少し寂しげな瞳に見えたのは気のせいだろうか。
- 581 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 07:59
-
「もうちょっとだから」
手を引いている彼女がこちらに振り返り告げた。
シネコンが入っているビルを通り過ぎると一気に人通りが少なくなる。
楽器店やバーに続いているらしき地下への階段。
それらもどんどん過ぎて。
業務用の衣類店を越えたところにぼんやり白い灯りが目に留まった。
同じタイミングでまた先頭の彼女が振り返る。
何も言わず、私の表情を確かめているみたいだった。
- 582 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:00
-
◇ ◇ ◇
- 583 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:00
-
「ねぇ。里沙ちゃん」
ゲネプロの後、帰りの車を待っていた。
隣には愛ちゃんがいて、ハローのメンバーもリハの興奮冷めやらぬ、もしくはクリスマスムードに浮かされた上機嫌な様子で数人残っていた。
「私、サンタクロースって本当にいると思う」
真顔で、2つ年上の彼女が言った。
"ニィガキさん、小春、絶対サンタはいると思うんです"
そう言っていた小春の横顔を一瞬思い出した。
"聖夜にはキセキがおこるんですよ"
こちらに向いた小春は真面目そのものの様子だった。
その時は、小春が最近見た洋画か何かの影響だったと思う。
概ね、娘。メンバーはサンタクロースの存在を正面切って疑っている者はいない。
職業柄、なのかもしれないけれど。夢を壊すような発言をするのはこの目の前にいるリーダー以外は他にいなかった。
そのリーダーが、あの小春と同じようなことを同じような様子で口にするから驚かずにはいられなかった。
- 584 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:00
-
「どうしたの、愛ちゃん」
「そんな驚かれても」
二人の声が廊下に響いた。
私はいつ、スタッフさんに声を掛けられてもいいように控え室から廊下へ出て、長いベンチに座っていた。
愛ちゃんは私の側に立ち、壁に寄りかかっていた。
見上げた私を愛ちゃんが見つめ返す。
華奢な身体つきとは異なり、女の子にしては少し無骨な形をした手が上から降ってきた。
癖のように私の前髪を撫でる。
「もしかしたら、一番欲しかったのかもしれない」
私の髪に触れたまま独り言を呟くみたいに、愛ちゃんは私を会話から置いてけぼりにした。
- 585 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:01
-
娘。メンバーの間で毎年恒例になっているプレゼント交換の話をしているのではない。
かといって、お家の人からプレゼントを貰っているとは、聞いたことがない。
遠まわしな言い方をするリーダーに、せっかちな性格な私はなんのコトを言っているのか結末を急かして聞きたくなる。
「なになに〜。何もらったのさ〜 」
私はニヤつく表情を押さえられなかった。
私の髪を撫でていた手がぴたりと動作を止めた。
「あ」
それから、愛ちゃんは素っ頓狂な声を上げた。
私もつられて、「え? 」と聞き返す。
「里沙ちゃん」
見せたいものがある。
- 586 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:01
-
◇ ◇ ◇
- 587 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:01
-
外灯から少し離れた所で愛ちゃんは立ち止まり、私が隣に並ぶまでその場にとどまった。
私は訝しい様子を隠しもせず、ゆっくりと歩を進めた。
私が隣に並んだことを確認すると「コレ」と、言って繋がれていた手と反対の手で愛ちゃんは薄らぼんやりとした光を放つ四角い窓を指し示した。
雑貨用品のお店だろうか。
半球体の隣にはお馴染みのクリスマスツリーが並んでいた。
その半球体とクリスマスツリーの周りにはわた雪が敷き詰められていた。
「スノードーム」
私は一瞬にして雪の景色に心を奪われた。
「都内で一番大きいんだって」
小さいお店のショーウィンドウいっぱいに青白い光が溢れ、そしてちらちらとプラスチックの雪が舞っていた。
「マコトに教えてもらったんだけどね」
愛ちゃんはタネ明かしをするみたいに眉を八の字にしていた。
- 588 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:02
-
「きれい」
その一言に尽きた。
人通りを避けて置かれたスノードームの様子をボキャブラリーに乏しい私は、「きれい」以外の言葉で表現できなかった。
「すごい、きれい」
私はさらに一歩雪景色に近付いた。
細かい細工の施されたスノードームは陸地でない、海の中に雪が降らされていた。
岩肌、珊瑚礁、海草は白のみで作られていた。青い光に照らされ何度も何度も雪が舞い散る。
「すごい、すごい、すごい」
私はテンションが上がってしまい、すっかり雪の世界の虜だった。
愛ちゃんは感動を経験し終えていたようで、「そうやろ? 」と落ち着いた態度で私が走り出さないように手を握り直していた。
「コーヒー買いに外出た時、マコトが教えてくれた」
「まこっちん、よくこんな穴場知ってたね」
「たまたまロケでこのお店の前を通りかかったんだって」
「もったいない。都内アスレチック完全制覇ロケなんてしてないで、コレ録ったらよかったのに」
愛ちゃんの方など一目も向けずに私は口にした。
「ほやな」
苦笑する彼女が私の手を引っ張った。
「それにしても、きれい」
スノードームに視線を向けたまま、よたつきながら、私は後ろ向きで数歩下がる。
「里沙ちゃんに見せたら絶対喜ぶって」
マコトが言ってた。
「まっこちん、分かってるなぁ」
「あさ美ちゃんは雪より食べ物だって」
「言えてる」
まだ、私は雪景色を見続けていた。
何度も何度も舞い上がる白が、とてもきれいだった。
5期のメンバーで私だけが雪国育ちではなかった。
だから生活観とは別に、歳とも関係なく、雪には純粋に心を奪われる。
- 589 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:02
-
「サンタクロースがいるって」
それ、愛ちゃんのコト?
「え? 」
私の唐突な質問に愛ちゃんが笑った。
「これを、感動的に見せる前振りだったんじゃないの、一番欲しかったもののハナシ」
「違う、違う」
愛ちゃんは黒のマフラーを巻いていた首を窮屈そうに横に振った。
「違うよ。私が一番欲しかったものって」
くしゃくしゃに表情を崩して笑う愛ちゃんをじっと私は見た。
それから、視界がぐっと狭まって、彼女が近付いて来たことが分かった。
「里沙ちゃん」
おっとっと、と典型的なリアクションを取りながら私は、繋がっていた手を振りほどき身体にしがみついてきた愛ちゃんを全身で受け止めた。
「だけやない」
言いつつ、愛ちゃんは腕の力を込めて私の自由をすっかり奪ってしまう。
「4人で歌えると思ってなかった」
マコトも、あさ美ちゃんも。
真剣な声のトーンで二人の名前が告げられ、私はおどけた態度のやり場を失った。
- 590 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:02
-
まこっちんと、あさ美ちゃん。
娘。メンバーはリハが長引き、帰りの時間が現在に至る。
まこっちんとあさ美ちゃんはとっくにリハが終了し、会場から帰宅していた。
短い時間だったけれど、今日は数年ぶりに4人でステージに立つことができた。
もちろんお客さんは入っていない。それでも充分に感慨深い出来事だった。
横を向けば、なじみの顔がある。それだけでくすぐったい気持ちになる。
不思議な安心感が伝染して、4人とも同じタイミングで笑った。
- 591 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:03
-
静かに興奮しているリーダーを宥めるように、私は手を彼女の背中に回してぽんぽんと二度触れた。
「また一緒に歌えるなんて、思ってなかった」
愛ちゃんの低い掠れた声が耳の側で囁かれ、音で響くより早く身体の芯に届いた。
嬉しさ、喜び、信じられない気持ちが触れ合った箇所から直に伝わってくるみたいだった。
静かに込み上がってくる思いに私は目を細めた。
「そうだね」
そう口にするのが精一杯だった。
「嬉しいね」
「うん、すっごい、すっごい嬉しいよ」
再度、腕にぎゅっと力を込め、それから愛ちゃんは私の身体を開放した。
覗きこんだ表情は、年相応以上、大人びたモーニング娘。の6代目リーダーのものではなかった。
5期メンバーとしてオーディションに合格した時の、勝気で、でも少し頼り無気な瞳の色をしていた。
- 592 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:03
-
* * *
- 593 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:03
-
見つめ合ってしまったら照れ臭さが混じって、上手く笑えない。
初々しい感情を取り戻すには、私たちは長く側に居すぎた。
それでも、嘘偽りのない気持ちを伝えたくて私は愛ちゃんの手を取り、両手で握り締め、額を彼女の胸あたりに預けた。
"聖夜にはキセキがおこるんですよ"
こんな時まで小春の顔が浮かんできて、私は一人でおかしさを堪えきれず笑ってしまった。
- 594 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:03
-
「ありがとう、愛ちゃん」
私が何に感謝をしたのか本人には伝わらなかったみたいで。
「まぁ、教えてくれたマコトのお蔭やけど」
と、とぼけた発言をしていた。
モーニング娘。の新人という括りから。
現在、4人の立場はそれぞれ異なり、目指すものがばらばらになっても。
確かに、スタートラインは同じだった。
- 595 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:04
-
私の思いが全然伝わらないもどかしさから、私は愛ちゃんのお腹を軽く正拳突きを繰り出してみせた。
「う゛っ 」と、愛ちゃんは大袈裟にお腹を引っ込めるリアクションを取った。
もう少し、スノードームを見ていたかったけれど。
コートのポケットに入っている携帯電話が振動してそろそろ戻って来いと知らせている。
愛ちゃんと、あさ美ちゃんと、まこっちんと。そして私。
数年ぶりに過ごした短い時間は、実際小さいキセキだった。
- 596 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:04
-
* * *
- 597 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:04
-
「サンタクロースはいるんだよ」
「ほんまや」
並んで歩いていたから、どんな表情をしていたかは分からない。
けれど一瞬、愛ちゃんの顔がこちらに向いて苦笑しているのが雰囲気で読めた。
得意げに言う私がおかしかったのだろう。
私は、4人で歌えたことだってそりゃ嬉しかったけど。
愛ちゃんが「一番欲しかったもの」って言ってくれたことが嬉しくて誇らしかった。
それを私に伝えてくれたことが、なんでもないコトなのに。感動的だった。
ドームの中に舞う、触れられない雪が、何故だか目に染みて。
私は俯いて、目を堅く閉じた。
再び仰いだ宙は、闇とも言えない明るさだった。
- 598 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:04
-
◇ ◇ ◇
- 599 名前:cosmic_snow 投稿日:2008/12/25(木) 08:05
-
こんなに真っ直ぐな気持ちでいられるのは、きっと隣にいる彼女のお蔭だ。
特別な日だから、巡り逢えたコトを大袈裟に天に感謝してみた。
ありがとう。
かみさまだけじゃない。
感謝すべきは、隣にいる彼女へ。
- 600 名前:_ 投稿日:2008/12/25(木) 08:05
-
- 601 名前:_ 投稿日:2008/12/25(木) 08:05
-
- 602 名前:寺井 投稿日:2008/12/25(木) 08:07
- 以上です。
やっつけじゃない、といいたいところですが。
かなりやっつけました。
Merry Christmas,for...
- 603 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/26(金) 12:28
- とてもキレイなお話ありがとうございました
- 604 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/04(日) 00:58
- 明けましておめでとうございます。
素敵なお話ありがとうございます。少し涙がでちゃいました
- 605 名前:寺井 投稿日:2009/01/04(日) 17:25
- レスです
>>603 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
新年明けておりますが、遅れ馳せながらおめでとうございます。
キレイな話と受け取って頂き大変恐縮です。
キレイごと話ばかりでさらに恐縮です。
小野垣愛、キレイごとじゃ済まされない人間模様がかわいらしいと思っております。
>>604 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
ご丁寧なごあいさつを恐縮です。
本年も精進していく所存です。よろしくお願いいたします。
高橋さんが、新垣さんを妹扱いするのがかわいらしいです。
しっかりしてるのかしっかりしてないのかどっちもどっちなお二方ですけれども。
高橋さんはなんだかんだで新垣さんの前ではお姉さんぶって欲しいです。
ありがとうございます。
- 606 名前:寺井 投稿日:2009/01/04(日) 17:43
- 更新しまーす
登場人物は道重さん、藤本さん、亀井さん、高橋さん、他
2006年後半〜と時間軸が過去のはなしです。
少しだけ続くおはなしです。
- 607 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:43
-
◇ ◇ ◇
- 608 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:45
-
キレイゴトを言い出したらきりがない。
過ぎたコトをとやかく言っても仕方がない。
さゆみは隣で口を半開きにしてうたた寝をしている絵里を見る。
突然スポットを当てられ過密スケジュールを組まれた絵里はお疲れモードだった。
ふうっと、前髪に息を吹きかけても、反応はなかった。
もうしばらくこのまま寝かせておこう。本番までまだ間がある。
前リーダーの美貴が脱退し、繰り上がる形で絵里に役割が回された。
どうして自分じゃなくて絵里なのだろうと面白くない気持ちも持ち合わせている半面、頭角を現していた彼女を肌で感じていたのも確かだったから、事務所の人選には納得せざるを得ない。
- 609 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:45
-
さゆみは絵里の右手を取った。少しだけ絵里の体温の方が高い気がした。
まるで子どものように、眠たい時、彼女の体温は上昇する。
さゆみは苦笑いを零し、絵里の手を自分の手のひらで遊ぶ。
健やかな寝顔を見せる彼女と共通項が多い前リーダーを思い出す。
意外に押しに弱く、誰に対しても突き抜けて無防備な姿が、絵里と美貴はよく似ていた。
「もう、藤本さんはモーニング娘。じゃない」
事実はそれだった。
さゆみは、そう口にして絵里の手を強く握った。
言葉にならない感情が伝わったのか、絵里がふにゃふにゃとまどろみつつ何か喋った。
「まだ、寝てていいよ」
無意味に小さく呟き、さゆみは繋がれていない手で絵里の髪を撫でる。
絵里は身体を捩り、さゆみの肩に頭を乗せた。
- 610 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:46
-
「絵里が頑張ってる姿、藤本さんに見て欲しい」
キレイゴトじゃ何も解決しないと、分かっていても。
理不尽なスケジュールを組むことになった元凶が彼女にあったとしても。
寂しい気持ちが最後に勝ってしまう。
美貴が側にいない寂しさは誰が成り代わっても埋められることはなかった。
- 611 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:46
-
◇ ◇ ◇
- 612 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:47
-
「なーんでよっちゃんはキャーキャー言われて、みきだけオッサン扱いなの? 」
メンバー内で一番年上の彼女は、幼い女の子のように不貞腐れた態度をとった。
「当たり前じゃないですか、藤本さん」
さゆみの表情につられて拗ねていた美貴まで真顔になる。
「王子さまは、二人もいらないんです」
「別に、王子さまなんかにはなりたくないけどさぁ」
でも、オッサンはヒドくない?
全然怒った風じゃない。本当に少しだけ、傷付いたみたいに笑った表情。
心の距離に敏感な、さゆみの失態だった。ふとした美貴の表情に油断し、彼女のペースに嵌ってしまった。
吉澤は、さゆみにとって、生涯の王子さまであることには変わりない。
けれど、一生手の届かない、手を伸ばさず遠くから見つめる存在で理想を理想のまま崩すことのない距離をひっくるめて王子さまなのだ。
だから、油断とかそういう次元とは異なる。
常にパーフェクトを求められる王子さまが、そのような表情を見せてしまったらイメージダウンにしかならない。
- 613 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:47
-
さゆみが隙だらけなのか相手が隙だらけだったのか。
天然で意図しない美貴の横柄とも言える態度は、しかしながらさゆみの油断を見逃さなかった。
心の隙間に、厚顔な彼女はずかずか入り込んできた。
「よっちゃんは、シゲさんの王子さまなんだ」
「もちろんです」
厚かましいと思うのに、裏腹に彼女の表情は繊細で。
だから余計に隙が広がる。
隙に付け込み、さゆみの胸の中に居座った。
長い時間か、短い時間か。
短時間という効果は、印象を深く与えた。
- 614 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:47
-
「よっちゃんが卒業したら寂しくなるね」
まるで他人事のようなセリフを残し、彼女も間も無くさゆみの側から去ることとなる。
- 615 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:48
-
◇ ◇ ◇
- 616 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:48
-
「さゆって、案外素直じゃないよね」
何年付き合っているのか、考えるのも面倒臭いほどずっと側にいる絵里がぽつりと呟いた。
「素直じゃないっていうか」
不器用?
会話をしている相手に興味があるのかないのか分からない態度で絵里は続けた。
同じ楽屋にいるれいなはイヤホンで音楽を聴いていた。彼女は、姿を見せた時から楽屋の様子に興味を示すことなくずっと音楽を聴いて一人の世界を固持していた。
絵里は絵里で鏡に向かい髪型を気にしたり、携帯電話を気にしたり、高橋が持ってきた雑誌を眺めていたり。常に何かのついででさゆみに話しかけていた。
だから、さゆみが絵里に話しかけても、彼女はとんちんかんな相槌しか打てていなかった。
「6期の中で一番不器用かも、さゆ」
雑誌の記事で紹介されている靴や鞄やスカートの感想を述べる時みたいな軽い口調だった。相槌はとんちんかんなクセに、妙に鋭いセリフを絵里は脈絡なく口にした。
「どこが? 」
「どこがって言われると絵里も困るけど」
そこで、絵里は雑誌から顔を上げて鏡を通してさゆみと視線を合わせた。
隣に座っていたが、「おはよう」と挨拶をしてから初めて目が合った。
「なんとなく。しかも、お仕事っていうよりプライベート? 」
絵里の語尾上がりの口調が、その時は何故かさゆみの耳に障った。
「だって、さゆ。さっき愛ちゃんに遠慮して藤本さんのコト追いかけなかったでしょ」
絵里は既に視線を雑誌に戻していた。
さゆみの視線は行き場を失って空虚を漂う。
漂った視線は、鏡に映っていた背後の出入り口に行き着いた。
- 617 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:48
-
* * *
- 618 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:49
-
"来ないの? シゲさん"
連れ立って出て行く美貴と高橋の背中が残像で見えた気がした。
美貴は来ればいいとも、来なければいいとも、感情を込めず単調にそう口にした。
既に高橋は美貴の隣にならび、軽く腕を絡ませていた。今にも「さゆもおいで」と言いそうな様子でさゆみに振り返った。
本当も嘘もないけれど。本当だったらその腕を絡ませていたのは高橋じゃなくて自分だったはずだ、とさゆみは残像に恨めしいことを思った。
- 619 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:49
-
きっかけは美貴の腕に付けられていたシュシュだった。
普段、彼女はサテン地の大人っぽいシュシュを身につけていた。色もブラックやダークブラウンなど、彼女らしいといえば彼女らしいアイテム使いだった。
けれど、その日に限って美貴はニット生地のふわふわしたシュシュを身につけていた。
"藤本さん。それ、かわいいですね"
何の気なしにさゆみは感想を口にした。
- 620 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:50
-
初めに美貴が楽屋にいて、さゆみと絵里が後から入ってきた。美貴は一番奥の鏡の前で、怠そうに頬杖をついて進行表を広げていた。頬杖をついていた方の手首にブラックとグレイの二色で編まれたシュシュをつけていた。市販されているものではなく、親しいスタイリストさんが作った一点ものだそうだ。色違いで、あの親友の亜弥も持っているとか。
その会話に高橋が途中から割って入ってきた。
スタイリストさんの名前を挙げ、
"別のお仕事で今いるみたいだから、おねだりしに行ってみようか"
さゆみと高橋がしきりにかわいいかわいい、欲しい欲しいと羨ましがったことに気をよくしたのか美貴はそのような提案をした。
名前を挙げたスタイリストさんは、高橋も親しい人らしく、俄然彼女は乗り気だった。
一方、さゆみは。
"お二人で、行ってきてください"
場の空気に逆らう、テンションが下がるようなことを口にしていた。
- 621 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:50
-
* * *
- 622 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:51
-
「なんで、さゆみが遠慮しなきゃいけないの」
「なんか、そんな感じしただけ。絵里だったらついていったのになーって」
「じゃあ、絵里が行けばよかったじゃん」
「別にー。コレ見たかったし」
さゆみの身勝手な八つ当たりにも絵里は気分を害することなんてなく。平然としてページを繰っていた。
- 623 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:51
-
違うもん。と、口の中だけで呟く。
違うのに。別に、高橋さんに遠慮とか。そんなんじゃないし。
ただ、ぽんぽんとテンポよくファッションに関する話題を進める二人に、さゆみは置いてけぼりを感じてちょっとだけ面白くなかった。
欲しかったな。と、また口の中だけで呟く。
やっぱり絵里が言った通りじゃん、と笑われたくなくてさゆみは無表情を装った。
気にしていない態度を取り繕う。けれど、取り繕えば取り繕うほどそわそわした態度になってしまうから具合がよくない。
手持ち無沙汰になった手は自然と携帯電話に伸び、見たくも無い天気予報なんてページを閲覧していた。
- 624 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:51
-
別の仕事場から吉澤、新垣、それから小春が集合した。
話が盛り上がっているのか、交渉に時間がかかっているのか、移動の時間が迫ってきても美貴と高橋は楽屋に戻って来なかった。
せっかちな性格の新垣が、とうとう痺れを切らせ高橋に電話を掛けた。そろそろ戻ってきなさいと連絡を入れたところでやっと二人は楽屋に帰ってきた。
- 625 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:52
-
楽屋のドアを開ける前から、二人が戻ってきたと分かるくらい大きな声で笑っていた。
彼女達が楽しそうであればあるほど何故かさゆみのテンションが下がっていく。
絵里が雑誌を鏡台の上に置き、息つぎをするみたいにさゆみを呼んだ。
「さゆ、見て」
それから絵里は自分の足元へ注意を向けた。
ブーツは既に脱いでいて、靴下姿だった。
ブラックのレギンスに合わせていたのは紺のソックス、かと思いきや。
片方はボーダー柄で一方は無地だった。
「惜しいよね」
絵里が呟いた。さゆみは足元から視線を上げて彼女の顔を鏡越しでなく直接見つめた。
「色は、合ってたけど、柄がなぁ」
眉間に皺を寄せ、絵里は渋い表情をしていた。
そもそも、靴下は左右揃えてタンスにしまうものだ。
「絵里、今年で何歳になるの? 」
さゆみはまじまじと彼女を見た。
絵里が歳を答えるタイミングと一緒に出入り口のドアが開いた。
「じゅぅ…… 」
「ただいまー! 」
明るい声で楽屋に登場した能天気な二人に、吉澤は「遅い」と小言を挟んでいた。
「もう、絵里は靴下なんて履かなければ? 」
「えー、寒いー」
「18になるのに、恥ずかしくないの? 」
普段から絵里は、自分の職業が何なのか自覚が足ら無すぎる。
「ぜーんぜん」
まるで堪えていません、と表情からもよく分かるくらいに絵里の表情はすっきりしたものだった。
靴下の柄が左右違っていたり、表裏を反対に履いたり、いちいち見せられるこっちの身にもなって欲しいとさゆみは思わず溜め息を漏らした。
溜め息の原因を作る張本人はニヤニヤしながら得意げな態度を見せた。
「さゆがそうやってがっかりする表情が楽しくて」
あ、ガキさんにも見せなきゃ。
そう言って絵里はれいなとお喋りしていた新垣のところへ移動していった。
なんて悪趣味な同期をもってしまったのだろう。
さゆみは絵里が広げっぱなしにしていった高橋の雑誌を閉じた。
そろそろ移動時間だ。悪趣味な同期の靴下に気を取られている場合でない。
身だしなみの最終チェックをしようと、さゆみは鏡と向き合った。
前髪を直し、瞳の状態、肌の艶を見る。ぐっと、鏡に顔を近づけた時だ。
背後から呼ばれた。
- 626 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:52
-
「はい、シゲさん」
美貴の声とともに、ぽて、という感触がさゆみの頭上に落ちてきた。
「おみやげ」
振り返ると、声の主が上機嫌で側に立っていた。
「タヌキシュシュだって」
さゆみは恐る恐る首を回して鏡に視線を戻してみる。
頭にはタヌキのファーをあしらったシュシュが乗せられていた。
「シゲさんの分もくれるっていうから」
頭の上に乗っていたシュシュを美貴が再び持ち上げた。
「ちょっと大人っぽいけど、シゲさん黒髪だから」
こっちの方が髪結んだ時にかわいいと思って。
まるで時間が止まったかのように。さゆみはシュシュを受け取ることも、お礼を述べることもできず、鏡越しに美貴を見つめるだけだった。
「ほら」
そう彼女は言って、さゆみの髪にシュシュをあて、自分も鏡の中に入り込んできた。
「かわいい」
美貴は満足そうな様子だった。
さゆみは瞬時にどう反応して良いか分からずただ、美貴の動作を目で追っていた。
- 627 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:53
-
だから、普段から、そういうコトする人じゃないから。
さゆみはやり切れない思いで美貴を見つめる。
もう、一生こんなコトはないだろうし。
この人はこういうコトを天然でするからタチが悪い。
美貴の瞳の色からは企みの欠片ひとつ読み取れなかった。
王子さまだったらきっとさゆみがどんな風に喜ぶかとか、嬉しがるかとか正確な計算のもとの行動だって。それがどんなにクサイことでも恥ずかしいコトでも平気でできるから王子さまなのだ。
けれど美貴は何も考えてない。さゆみが喜ぶか嬉しがるか傷付くか悲しむかなど、美貴の行動には一切影響を及ぼすことなんてない。
- 628 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:53
-
「ずるーい」
絵里の声にさゆみははっとした。
いつ、戻ってきたのか絵里は美貴の隣に並んで鏡に映っていた。
「絵里には? 絵里には? 」
「あるワケないじゃん」
美貴の素っ気無い返答に絵里は口を尖らせてさゆみの髪を撫でた。
「さゆ、かわいい」
似合ってる。
「でしょう? 」
さゆみではなく、何故か美貴が得意げだった。
「でも、絵里の方がもっと似合うかもしれない」
そう言って、絵里は美貴の手からタヌキシュシュを取り上げようとしていた。
「ちょ、亀井っ」
みきはシゲさんにあげたの。
「藤本さん藤本さん。さゆ、さっき藤本さんの悪口言ってましたよ」
「な、言ってない」
さゆみはやっと二人の会話に口を挟んだ。
「シゲさん、何。みきに何か言いたいコトあんの? 」
途端、鋭い目つきを光らせ美貴がこちらを見た。
「言ってませんって。言ってない言ってない」
「嘘ばっかり、さっき藤本さんの鼻のかみ方がオッサンそのものだって」
「言ってない、バカ絵里」
美貴が機嫌を損ねることを恐れ、さゆみは心底慌てていた。
けれど、美貴は怒るどころかオッサンみたいに「ぶっ」と噴出した。
眉尻を下げて笑っている。
「もういいよ」
「え、いいんですか? 」
美貴の諦め口調に、絵里が目を輝かせた。
「カメちゃん、違うから」
そこはきっぱりした態度で美貴は「はい、シゲさん。ちゃんとあげたからね」と言いながらタヌキシュシュをさゆみの手に握らせた。
- 629 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:53
-
「じゃ、何がいいんですかー」
絵里は不満気な態度を隠しもせずに小柄な美貴に詰め寄った。
「もう、みきオッサンでいいよ、ラクだし」
「そのラクだし、っていう考え方がオッサンなんですよぅ」
アイドルだったら無理してでも、かわいらしく健気でおちょぼ口の内股で。
絵里はヘンな仕草を重ねて、どんどん"アイドル"から遠ざかる恰好をした。
「つーか、カメちゃんには言われたくないワ、それ」
「絵里のどこがオッサンだって言うんですか」
美貴は面倒臭そうな態度だった。
絵里は面倒臭がられようが怒られようが構わないといった様子だった。
本当に、この、タヌキシュシュが羨ましかったようだ。
「全部だよ、全部」
投げ遣りに言うと、美貴は「ほら、もう行くよ」といって絵里の腕に自分の腕を絡ませ出入り口に向かった。
「えー、絵里オッサンじゃないもん」
「分かった、分かった。かわいい、かわいい」
不貞腐れた態度の絵里をおざなりに宥めながら美貴は廊下へ出て行ってしまった。
「あ」
さゆみは声にして呟いた。
お礼を言い忘れた。
- 630 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:54
-
"ありがとうございます"
"うれしいです"
"かわいい"
どうして素直に言えなかったんだろう。
"さゆって、案外素直じゃないよね"
肝心な場面でかわいらしい態度が取れないのは、きっと不器用な証拠だ。
絵里に言われなくてもさゆみは自覚していた。
カメラが回っていれば簡単な表情も、素の自分だとなんだか上手くできない。
自己嫌悪に陥る。
手の中にある、ふわふわのシュシュなんて似合わない。
こんなかわいいものと自分がつりあうとは思えなかった。
- 631 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/04(日) 17:54
-
「さゆみーん」
行こう。
新垣がさゆみに声を掛けた。
振り返って返事をしようとした直前。
「よし、今日もかわいいぞ」
と、新垣はヘタな演技を冗談半分で披露した。
「って、言わなくなったね」
それから、新垣はさゆみの手首についているシュシュを目ざとく見つけて脈絡なく「かわいい」と褒めた。
そういえば、いつから言わなくなったんだろう。
悔し紛れにさゆみは思いきり言ってみる。
「よし、今日もかわいいぞ」
直後、意図しないくすんだ色の笑いが零れてとりつくしまがなかった。
- 632 名前:_ 投稿日:2009/01/04(日) 17:55
-
- 633 名前:_ 投稿日:2009/01/04(日) 17:55
-
- 634 名前:寺井 投稿日:2009/01/04(日) 17:59
-
タイトルは洋楽の方よりも、大貫さんの方です。
原田さんも捨てがたいのですが。坂本さんも良いと思います。
まったくはなしと関係ないです。
と、いうことで続きます。あと、3話で完結する予定です。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。
- 635 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/04(日) 21:06
- なんていうか、登場人物の捉え方が絶妙でワクワクします
- 636 名前:寺井 投稿日:2009/01/05(月) 19:40
- レスです
>>635 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
なんていうか、わたしもいきあたりばったりで人物を動かすので
同じ話なのにころっと人物像が変わってしまいそうで怖いです。
それもワクワクのうちでしょうか……
それよりなにより、もったいないお言葉励みになります。
- 637 名前:寺井 投稿日:2009/01/05(月) 19:42
- 更新しまーす
>>607->>633 の続きです。
- 638 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:44
-
◇ ◇ ◇
- 639 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:44
-
秋のコンサートを無事に終え、娘。本体に光井が合流し活動を始めた。
7期メンバーとして加入した小春の時は教育係り制度が復活したが、光井に専属の教育係りは置かないようだった。
真面目で礼儀正しい新人は特殊な業界の洗礼を受けながら、日々戦っていた。一生懸命な姿が初々しく微笑ましかった。
そしてとうとう、ハロープロジェクトでは恒例になっている正月のコンサートで、大々的に吉澤の卒業が発表された。
さゆみもメンバー達と同じステージに立っていたのだが、ファンが客席から声を張り上げた時、一緒に声を上げたくなった。
彼らと同じ気持ちだった。モーニング娘。の当事者としては不謹慎かもしれない。
毎日ではない。ふとした瞬間に思う。
どうして?
どうして、このままでいられないの?
- 640 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:44
-
楽屋に戻ってから、小春が吉澤に向かって今年1年の決意を改めて誓っていた。
コンサートの興奮覚めやらぬ勢いで小春がまくしたてていた。
今までで最高の卒業コンサートで、吉澤を送り出せるよう、毎日とにかく頑張る。
と、いったことが小春の伝えたかったことらしい。
何度も同じ単語を繰り返したり、興奮している所為で呂律も怪しかったりで大まかにしか言葉を拾うことができなかった。
たどたどしくても、真っ直ぐ自分の言葉で自分の思いを伝える小春の姿は、さゆみの胸を打つものがあった。
そんなに熱くなってバカじゃないの、と冷淡になる部分もある。
けれどその冷淡さを飲み込む羨望の眼差しで小春の背中を見つめた。
教育係りを任された時はどうなることかと正直毎日不安だった。
見下ろしていた身長差が今では見上げるほど高くなった。
どうやら、身長だけでなく中身もきちんと成長しているみたいだ。
- 641 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:45
-
景気づけに小春が「イェイイェイ七拍子! 」と声を張り上げた。
「イェイイェイ」、「イェイイェイ」うるさいと思ったら。
美貴まで「イェイイェイ」叫んでいた。
これは伝染するだろうな、と思った通り。
絵里に伝染し、新垣に伝染し、高橋、光井……
結局、楽屋中が「イェイイェイ七拍子」で充満した。
- 642 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:45
-
◇ ◇ ◇
- 643 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:45
-
光井がお仕事の勝手を覚え始めた頃。今度は前触れも無く、中国からの留学生がモーニング娘。に8期留学生として加入することが決定した。
光井、ジュンジュンとリンリンが加入し、そして吉澤は卒業する。半年も経たない間に構成メンバーががらりと変わる。数年前と比べて、動きが鈍くなっているとは言え、娘。は、メンバーの意思如何に関わらず流動的に編成メンバーの変更が行われた。
吉澤が卒業した後は年功序列で美貴がリーダーになることが決まっていた。
- 644 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:45
-
* * *
- 645 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:46
-
「何なのシゲさん。みきがリーダーになるの不満? 」
メンバーと合流する前にフットサルの練習があったらしく、美貴は眠そうな様子だった。
さゆみは美貴の問いに、考えるより早く身体いっぱい使って否定した。
けれど、質問した本人は肩透かしをするみたいに。
「みきは不満だよ」
せきにんじゅうだい。ちょうめんどー。
と、そこらヘンの女子中高生が面倒臭い係りを押し付けられた時のリアクションさながらの態度だった。
- 646 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:46
-
「まぁ、でも光井もしっかりしてそうだし」
ジュンジュンはちょっとアレだけど。
一番年上のクセに。と、さゆみは度々美貴に対して妬ましい感情を抱いていた。
わがままで、気分屋で、甘え上手。
タイミングをきっちり計算しているかのように相手に触れる。
「シゲさんもだけど。ガキさんもれいなも」
みんなそれなりにしっかりしてるから。
それまであった距離を0にして、美貴はさゆみの肩に寄りかかった。
移動車の中でさゆみたちはいつものレギュラー番組のロケへ向かう途中だった。
「結局変わんないのかな、みきは」
リーダーだろうがキャプテンだろうが。
東京は桜の季節だった。
移動車はどこかの学校近辺を走り、咲き始めの桜並木が窓の外を流れていった。
春先の温い空気に、頭の中がぼんやりする。
肩に掛かる重みが、不思議と心地良いとさゆみは感じていた。
- 647 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:46
-
「何かあったら責任を取るのがトップの役目です」
さゆみの釘を刺すようなセリフに美貴が身体を引いてこちらをじっと見た。さゆみも見つめ返して彼女の次の言葉を待った。
「オマエ、不祥事だけは起こすなよ」
リーダーになった途端、監督不行き届きとかで給料カットは勘弁して欲しい。
自分のお給料のコトしか考えていないリーダーでいいのだろうか。
その時は深く考えずにさゆみは苦笑してごまかすだけだった。
疑いも無く、彼女の言葉を信じていた。
"結局変わんないのかな、みきは
リーダーだろうがキャプテンだろうが"
この人は、上に立とうが下で遊んでようが変わらない。
再び自分の肩に乗せられた彼女の頭にさゆみも寄りかかり、目を閉じた。
目まぐるしく変わる環境の中で、変わらないものには無条件に安心感を覚えた。
絵里のどうしようもない性格だって。
高橋の微妙にかみ合わない会話だって。
いくら指摘しても直そうとしない小春の単語遣いだって。
どんなに些細なコトでも。側にいる人から覚える安心感は心のより所になっていた。
- 648 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:47
-
◇ ◇ ◇
- 649 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:48
-
瞬く間、春のコンサートツアーが開始した。1日、また1日と吉澤の卒業コンサートが迫る中。
2008年の春あたりに海外ツアーが決まりそうだ、ということが知らされた。
モーニング娘。のスケジュールは、メンバー本人たちとは別の場所でばたばたと決まっていく。
「みきの卒業コンサートは、海外かも」
彼女の卒業の話など一切出ていなかったのに、いかにも屈託の無い表情で美貴は笑った。
海外ツアーの知らせを受け、メンバーは浮かれた様子だった。
さゆみは、国境を越えてステージに立つことに対し、ただただ、すごいと思うけれどいつまで経っても他人事みたいで、実感することがなかなかできなかった。
そして、すごいと思うのと同じくらい、漠然とした不安も感じていた。
同期の絵里もれいなも言葉にできない喜びを、奇声を発して表現しているみたいだった。喋っているのか爆笑しているのか、さゆみですら判別できないくらいめちゃくちゃにテンションが高かった。
絵里にばしばしと無意味に背中を叩かれ、さゆみは絵里に叩かれた分をれいなの背中へお返しする。痛いと怒りを露にするれいなだったけれど、顔にしまりがなくて迫力がなかった。
- 650 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:48
-
来年の今頃、自分がどんな気分でステージに立っているか想像もできない。
確実なことは、その場に吉澤はおらず、新リーダー体制になっているということ。
さゆみはマネージャーと立ち話をしている吉澤へ視線を向けた。
「卒業なんて、しなければいいのに」
うじうじした言葉を零した途端、胸辺りがすーすーして心に穴が空いたみたいに感じた。
テンションがやたら高い所為でヒッヒッヒと、魔女みたいな笑い方をしていたれいなが涙目になりながら「どうした? 」と、さゆみに寄り掛かってきた。
さゆみはれいなに構うことなく、吉澤を見ていた。
卒業しないで、吉澤さんも一緒に海外ツアーのステージに立てばいいのに。
- 651 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:48
-
短絡的な考えだった。
彼女の将来とか、モーニング娘。の将来とか。そんなことには思考が及ばず。
ただ、側にいなくなる寂しさから卒業しなければいいのに、とさゆみは思った。
腹筋を酷使するようなバカ笑いが収まらない絵里に聞き返され、口を噤んだ。
言葉にしていいことと、言葉にして悪いこと、言葉には二つの種類が存在すると。
なんだかんだで続いているラジオの仕事で学んだ。
「遠くの海外ツアーより、明日のコンサートでしょ」
溜め息混じりに口にしたさゆみの超現実的なセリフに、絵里とれいなはこちらに向けた注意を再びよそへ逸らせた。
それから何も言わず、へらへらしたまま二人連れ立って、マネージャーに話し掛けるために移動していった。
視界の先に吉澤の姿は既になく、美貴と目が合った。
美貴は一旦、目を伏せて再びさゆみと視線を合わせた。
「よっちゃん、卒業しなければいいのにね」
さっきまでの上機嫌から一変して、美貴はつまらなそうな様子で呟いた。
まさか美貴にさっきの言葉を聞かれているとは思っておらず、さゆみは内心焦りながら曖昧に頷いた。
- 652 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:49
-
「さいたまで卒業しないでみきと一緒に、来年の海外ツアーで卒業すればいいのに」
勝手なことを言い、美貴は口を尖らせていた。
「えー、ずるい。だったらさゆみと一緒に卒業して欲しい」
「すればいいじゃん」
相手の素早い返しにさゆみはきょとんとして、美貴を見つめた。
「シゲさん、卒業しちゃいなよ。よっちゃんと一緒に」
ってか、よっちゃんじゃなくてシゲさんだけ卒業すればいいんだ。
名案を思いついたみたいに、美貴は表情を明るくした。
「ひどい」
「いいじゃん、シゲさん。おめでとう」
「何がめでたいんですか」
「よっちゃん残留おめでとう」
「ひっどーぃ」
頬を膨らませて上目遣い……をしようと思ったら、美貴の方がさゆみよりも視線が低くて失敗した。
- 653 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:50
-
瞬間、さゆみの膨らんだ頬を美貴が両手でぎゅっと挟んだ。
「ちょっとは、よっちゃんの気持ち分かった? 」
さゆみは目を見開き、美貴を見返す。相手は「ん? 」と首を傾げて分かったのかどうかこちらの様子を窺っていた。少し、苛ついているみたいだった。
どうして美貴が苛立ちを覚えているのか理解できず、さゆみは頬挟まれたまま彼女を見続けた。
反応の鈍い相手に呆れた様子で美貴は手を離した。
「よっちゃんの前で、卒業しなければいいのにって。二度と言わないで」
「え? 」
「分かった? 」
有無を言わせない態度だった。とりあえず、さゆみは半信半疑のまま「はい」と返事をした。
「あんな王子さまなりしたヤツだけど。不安じゃないワケないじゃん」
美貴の遠まわしな言い方に「はぁ」と、頷くもやっぱりピンと来ない。
「寂しくないワケないじゃん」
みきたちなんかより、ずっと長く娘。やってるんだから。
- 654 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:50
-
* * *
- 655 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:50
-
王子さまは孤独だ。
理想を押し付けられて、本当の自分を見てもらえない。
王子さまに憧れる人々は、王子さまが本当はどんな人間かなんて興味がない。
イメージ通りでなければがっかりして、手のひらを返すみたいに見向きもしなくなる。
王子さまは掛け値なしに優しいから。
周りの期待に応えようとする。みんなを落胆させまいと立ち振る舞う。
お伽話の王子さまなんかじゃなくて、吉澤は吉澤なんだと分かっているけれど。
吉澤の優しい性格は、やはり彼女を孤独にしてしまう。
さゆみが加入する以前、娘。から卒業しているメンバーがどんな人たちだったのか実際のところは分からない。中澤も後藤も魅力的な人柄だからきっと各々好かれていたのは間違いないし。安倍も、石川も。他の卒業していったメンバーだって。それぞれ娘。の中で慕われていたのは絶対だ。
それでも、さゆみは思ってしまう。
こんなにメンバーに愛されたのは吉澤以外にいないと。
- 656 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:50
-
* * *
- 657 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:51
-
「ごめんなさい」
「謝られてもどうしようもないんだけど」
次期リーダーは手厳しい。さゆみが期待した優しい言葉は見事に打ち砕かれた。
「みきが卒業する時は、存分に寂しがってくれていいよ」
どうせ、セレモニーで泣いたってみんな裏では喜ぶんだろうから。
彼女は皮肉めいたセリフを口にするクセに、繊細な表情を見せる。
「はい」
しょんぼりした態度でさゆみは返事をした。
「否定しないし」
時折見せる、眉を八の字にして笑う美貴の表情。その時は、何故かいつもより、瞳が深い色をしている気がした。
「藤本さんの卒業が決まったら」
さゆみ、毎日卒業しないで下さいって泣きます。
さゆみは美貴の下がった眉尻をつり上げたくて悪戯っぽく振舞った。
相手は案の定うんざりした様子で。
「シゲさんには卒業する前日まで黙ってるワ」
と、思った通り顰め面になった。さゆみは更に、
「冷たいー」
振りほどかれると分かっていて、さゆみはその華奢な腕に自分の腕を絡ませた。
けれど予想に反して、腕は振りほどかれることなく、より身体を引き寄せられた。
- 658 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/05(月) 19:51
-
藤本さんだって吉澤さんの卒業は寂しいんだ。
そう、当たり前のことをさゆみは改めて思い知る。
美貴だけではない。小春だって、絵里だって、加入間もない光井だって。
吉澤の卒業に寂しさを感じないはずはなかった。
彼女達しか知らない寂しさをみんな抱いている。
けれど、それぞれ感情に折り合いを付けて一刻、また一刻と迫る別れの時を迎えようとしている。
知らないところで、みんながどのような思いを味わっているかなど、自分のコトだけでいっぱいいっぱいになっているさゆみは推し量ることができていなかった。
美貴の特別な瞳の色を察知して初めてグループの複雑さを目の当たりにした。
優し過ぎるリーダーが大好きなサブリーダーは、吉澤を気遣い普段通りの態度を見せているけれど。
口にすることも、態度に現すこともできない美貴の寂しさの行方はさゆみの知るところに無かった。
- 659 名前:_ 投稿日:2009/01/05(月) 19:51
-
- 660 名前:_ 投稿日:2009/01/05(月) 19:51
-
- 661 名前:寺井 投稿日:2009/01/05(月) 19:52
- 続きます
- 662 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 03:34
- すみません(>_<)
初めて読んだんですが、さゆよしみきに感動しちゃいましたf^_^;
- 663 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/07(水) 12:14
- おもしろいです
- 664 名前:寺井 投稿日:2009/01/07(水) 15:09
- レスです
>>662 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
こちらこそ、すみませんっっ
お読み頂き恐縮です。なんともクセのある文体で不甲斐ないばかりです。
らく〜に読んで頂けるよう、精進いたします。
>>663 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
おもしろおかしいを目標に邁進いたします。
- 665 名前:寺井 投稿日:2009/01/07(水) 15:11
- 更新しまーす
>>607-633
>>638-660 の続きです。
- 666 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:23
-
◇ ◇ ◇
- 667 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:24
-
人に惹かれる理由なんて、2パターンしかない。
自分に無いものを持っているか、自分と似た感覚を持っているか、の2つだ。両方兼ね備えていればなお結構。
吉澤も、美貴も。二人ともさゆみには無いものをたくさん持っていた。
職業柄欠かすことのできない表現力、華やかさ。さらに吉澤と美貴は他人の隙に付け込む天性の才能がある。
どちらがどれだけ良いとか、なかなか言葉にして表現するのは難しい。
美貴がどこまでも突き抜けて無防備なのに対し、吉澤はある一定部分に他人を寄せ付けない潔癖さがあった。
心の隙間に付け込む似たような性質を備えているけれど、オッサン扱いと王子さま的存在で違いが現れるのはその所為だ。
オッサンと王子さまとで、二分するから極端になるだけで。
要するに、心の距離の問題だ。
- 668 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:24
-
人当たりの良い吉澤はたくさんの人を虜にするけれど。
一定部分で距離を感じる。その距離は縮まらないまま、彼女は憧れの対象としていつも遠くに存在した。
オッサン気質の美貴は自分が無防備な分、他人に対しても余計な頓着をしない。
ずかずかと他人のパーソナルスペースに入り込み、のびのび自由に振舞った。厚かましいと嫌悪する人もいるかもしれない。
けれど、距離を感じさせない振舞いは知らない内に胸の中に彼女が居座ってしまう。
- 669 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:27
-
* * *
- 670 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:27
-
「シゲさんとみきって似てるかも」
テレビ局の控え室にいた時だ。
さゆみは絵里が収録を終えるのを待っていた。美貴はどうやら吉澤を待っているらしかった。
小春と光井も側にいた。年少組は帰る支度万端で、車を待っていた。
思いつきのように美貴が口にした言葉をさゆみは全力で否定した。
美貴の言葉を聞きつけ、年少組の一人が「小春も小春もー」と近寄ってきた。
「どこがですか」
小春はさゆみの反論に乗っかり、否定側に回った。年少組のもう一方光井はどちら側に付くでもなく大人しくにこにこしていた。
「そんなに似たくないワケ? 」
さゆみの必死な態度に美貴は驚いていた。
「さゆみなんかより、絵里の方が藤本さんに似てると思う」
「亀井さんより、小春じゃないですかー? 」
一生懸命言葉を挟むも、いつものように、小春はあまり相手にされていなかった。
絵里の名前を出した途端、今度は美貴は「どこが? 」と半分キレたような態度で反論した。
メンバーで一番歳を重ねているクセに単純な美貴の性格にやっぱりさゆみは油断をしてしまう。
年上の彼女をかわいいと思う。
- 671 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:27
-
「あのー、なんかー、自由な感じ? 」
「亀井さんって、自由ですよねー」
小春は適当な相槌を打ち、どうしても会話に混ざりたいようだった。どうやら暇を持て余しているらしい。
「みき、あそこまで自分のこと適当だとは思ってないし適当じゃないから」
さゆみも美貴も小春の茶化しに動じることはない。
「全部そっくりってワケじゃないですよ。絵里と藤本さんには共通する部分があるってハナシです」
話題を振ってきたのは相手だったのに、いつの間にかさゆみが説明口調になっていた。そういう会話に対して身勝手な部分は絵里とそっくりだと思った。
「自由な感じが? 」
やはり美貴は心外だという態度を露にしてまた「どこが? 」ときれいにデコレーションされた自分の爪先を気にしながら言った。
「藤本さんとさゆみの、どこが似てるんですか? 」
「小春の方が藤本さんに似てますってー」
「みきの質問に答えてないー」
小春の口調を真似て美貴は半分ふざけた態度だった。
「さっき言ったじゃないですか。自由奔放なところです」
「自由奔放って。じゃあ、後継者は小春だなーちょうど4学年ずつ飛ぶし」
「ですよねー」
小春は嬉しさでいっぱいの表情を見せた。きらきら目が輝いてる。
一方光井は少しだけ表情を曇らせた。
突然小春を話題に乗せた美貴にさゆみは驚きつつも、光井の方へ身体を移動させ彼女の髪を撫でた。
小春相手に気を遣っているのか、美貴の行動の真意はいつも謎だ。
- 672 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:28
-
さゆみに髪を撫でられ、光井は上半身をさゆみ側に倒した。
光井が身体を倒すと、その隣にいた小春が彼女に寄りかかった。
「藤本さんと亀井さんと小春で、さんごくどうめいですねー」
小春はとんちんかんな単語を口にして光井にどんどん体重を預けていった。
「そのうち三角関係になるかもよー」
美貴までふざけてさゆみに体重をかけてきた。
こうやって、他人を動揺させて楽しむ趣味を持っているのも、絵里とそっくりだ。さゆみは光井にいい子いい子しながら思った。
小春に押し潰されて身動きを封じられていた光井が突然、前のめりの体勢になった。
光井はさゆみの撫でる手からも逃れ、転がるように身体の自由を見事獲得した。
何かと思えば、携帯電話に着信があったらしく寝転んだまま光井は誰かと話し出した。
敬語で話す様子から、多分マネージャーからの電話だ。
「久住さん、帰りの車、下に来てはるそうです」
「もう来ちゃったのー」
せっかく藤本さんと良い雰囲気になったのに。
的外れな言葉を口にしながら控え室から出て行く間際、小春も上着のポケットから携帯電話を取り出して履歴のチェックをした。
「うわ、マネージャーさんからいっぱい着信ある」
どうやら、マネージャーは光井の前に小春に連絡を入れたようだ。
美貴はどうか分からないが、こうやって着信に気付かないところが、小春は絵里に似ていると溜め息を吐きながらさゆみは二人を見送った。
- 673 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:28
-
「お先に失礼しまーす」
「お疲れさまでーす」
若い二人はやっぱり元気だ。
美貴とはまた違うかわいさが滲み出ている。
二人がいなくなると、控え室が広々と感じられた。
別にすることもなかったので、さゆみも携帯電話で暇を潰そうとした。
美貴に背中を向けたと同時に。
「みきとー、シゲさんはー、やり切れてないカンジが似てる」
低いトーンの声がさゆみの手を止めた。
言葉の内容から、驚くことに、美貴の目的はダメ出しだった。
自由で頓着しない性格の彼女にしては珍しい切り出し方だ。
さゆみの知らない間にさっきまで収録していたバラエティ番組の反省会が開かれていた。
- 674 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:28
-
「最後までやり切る部分はみき、カメちゃんを見習わないと」
苦笑しながら、美貴はさゆみの髪に手を触れさせた。
真っ直ぐ視線を合わせようとした美貴をさゆみはやんわりとはぐらかした。
ダメ出しをされて、機嫌を損ねたのではない。
普段と違う雰囲気の美貴に落ち着かなかった。まるで遺言のような。
遺言だったら卒業するリーダーから聞きたいと思った。
「シゲさんも。もういいやーって諦めるの、テレビの時は命取りだよ」
まさか、サブリーダー直々に説教されるとは。
さゆみはしょげるというより新鮮な気持ちだった。
「ねー。バラエティの間って難しいから」
そういうトコではよっちゃんとカメちゃんって似てるよね。
「やり切りますからね」
場の空気が凍りついたってお構いなしで、絵里は果敢に攻める。
絵里の姿勢はバラエティ番組受けが良いと分かっていてもさゆみはそれを真似するなどできなかった。
「愛佳ちゃんが受け継がないといいですね」
つまらないさゆみの冗談に美貴は笑わなかった。
様子を窺うように、さゆみは徐々に美貴と視線を合わせる。
美貴の表情を見て、後悔をした。
- 675 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:33
-
"さゆって、案外素直じゃないよね"
頭の中でリフレインするフレーズがうざったい。一気に気分が滅入る。
素直に思ったことを口にすればよかったとさゆみは悲しさに囚われた。
- 676 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:33
-
* * *
- 677 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:34
-
人に惹かれる理由は2パターンしかないけれど。
難しいのは、人には誰しもギャップというものが生じること。
相手はオッサンだとタカを括っていると、時折美貴は繊細な様子を見せた。
高潔な王子さまにも匹敵する表情がとてもきれいで、さゆみは軽口を叩けなくなる。
美貴は眉尻を下げて困った風に笑っていた。一度目を伏せてから再びさゆみと視線を合わせた。
「やっぱり、シゲさんとみきは似てるよ」
かわいくないこと言う。
勝手に他人の胸の中に居座るのだから、心の距離は0に近かった。
0の距離で放たれる言葉はストレートに胸に届いた。
- 678 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:34
-
「そういう部分がかわいいんです」
相手の繊細な表情に見惚れてしまうことも、かわいくないと言われたことにも。少しだけ、面白くない。
悔し紛れでさゆみは反論していた。
「ホント、かわいくない」
視線を外して、美貴は身体ごとさゆみからそっぽを向いた。
「かわいいんです」
自画自賛なんかじゃない。さゆみは美貴に向かって言っていた。
わがままで、気分屋で、甘え上手。
そういう部分に強く惹かれた。
自由奔放な彼女に惹かれることだって本当は悔しい。
追いかけても何も手に入れることはできないと、最初から分かっているのに。
それでも惹かれてしまう。
- 679 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:34
-
美貴がそっぽを向けば、さゆみは美貴に近付く。じりじりさゆみが身体を寄せれば、美貴はさゆみと反対側にずるずると自分の身体を移動させた。
さゆみが攻めに回れば押しに弱い美貴は案外簡単に強気の姿勢を崩してしまう。
一定の押しに強気の姿勢を崩すのは、きっと歳の所為だとさゆみは内心揶揄していた。
美貴に似ている絵里も同じだ。
年上の美貴に対しては強い姿勢を崩さないのに。
年下の小春の押しに、大概、絵里は負けていた。
「もー、こっち来るな」
「かわいいって言ってくれたら帰ります」
「なんか、すごいイヤ」
美貴は眉間に皺を寄せてさゆみの交換条件を突っ返した。
二人の身体のサイズから、美貴はどうしたって不利になる。
それでも頑として条件を飲まず、身体を強張らせてさゆみに突っかかった。
- 680 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:35
-
「今やり切ったってどうせオンエアされないんだから」
とうとう観念したように、美貴は自分の胸の前で両腕を交差させ自分自身を抱き締める恰好でさゆみのオフェンスから自身を守る体勢をとった。
「藤本さんだって、どうせ怒った怖い表情しかアップで抜かれなくなったクセに」
「うわ、まぢでかわいくない」
「藤本さんに、似てますから」
勝ち誇った笑みでさゆみは美貴を見下ろした。
美貴も自分でさゆみと自分が似ていると言った手前、反論が難しかった。
相手がぐっと、言葉を飲んだのがさゆみに分かった。細い咽喉が動いてごくりと唾を飲み込んだ。
「かわいい、かわいい」
遂に負けを認め、恰好だけで美貴は降参した。観念した割りに、上目遣いの目付きが鋭いままだ。
「かわいいよ、シゲさんは」
投げ遣りに美貴は繰り返す。
もう、充分満足した、と伝える為にわざとさゆみは溜め息を吐いた。
「帰ります」
あんまり、藤本さんのこといじめると吉澤さんに怒られちゃう。
「なんでよっちゃんがシゲさんを怒るのさ」
浮き沈み激しくさゆみが一人勝手に落ち込んでいるコトなど分かるはずもなく、美貴は苦笑して元居た位置に座りなおした。
- 681 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:35
-
かわいくない自分が大嫌いだった。
かわいいものに敏感な分、かわいくないものにも同じだけ敏感だった。
さゆみは振り返って美貴を見つめる。
素直じゃなくて、かわいくない。
こんな自分と美貴のどこが似ているのかと、さゆみは悲しい気持ちに襲われる。
発言がかわいくない部分が共通していても。
美貴はかわいい。
自由奔放で、無防備で、素直な性格だ。
- 682 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:35
-
* * *
- 683 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:35
-
「シゲさん? 」
黙り込んだ様子を不審に思ったらしい美貴が、さゆみを呼んだ。
どうしたって、何をしたって。美貴に影響を与えることは不可能だ。
追いかけて、捕まえて、閉じ込めるなどもってのほかだ。
強烈に惹かれるのに、思いは伝わらない。
無防備だから余計に癪に障る。
身体の距離を詰めても美貴は動じない。
心の距離なんて感じさせないくらい彼女は自然体だ。
誰より側にいる錯覚は錯覚のまま、美貴は自由に振舞う。
どこが似ているのだろう。
この人と自分のどこが。
- 684 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:36
-
「シゲさん、顔怖いよ」
美貴はさゆみに近付いて手を伸ばした。
さゆみの眉と口元あたりに指を添える。
開いていた指の間隔を狭めて、さゆみの表情をいたずらした。
なんとも情けない顔ができあがり、作った本人が爆笑していた。
「ヘンな顔ー 」
やたら目力強いし。
手に入れることができないなら、壊したい。
知らない内に胸の中に美貴は居座るけれど。彼女は誰の指図も受けない。
自由にどこへでもいってしまう。
独り占めしようと手を伸ばしても空気を掴むだけで何も手に入れられない。
リーダー・サブリーダーの関係にあった吉澤だって。
究極、恋人にだって。美貴を思うがまま留まらせることは不可能だ。
美貴は爆笑した後、すぐにさゆみのヘン顔にも飽きた様子で。
控え室の時計を気にする余裕を見せた。
さゆみは相手がどのような表情をしているか、確かめる余裕もなかった。
- 685 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:36
-
鋭い衝動は、理性の隙をついた。
頭突きをする勢いでさゆみは相手に近付く。
不意を襲われた美貴だったが、縮められた距離に動じることもなく、ただ目を閉じた。
- 686 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:36
-
* * *
- 687 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/01/07(水) 15:36
-
キスがしたかった。
美貴に触れたかった。
美貴に触れて気を引きたかった。
- 688 名前:_ 投稿日:2009/01/07(水) 15:37
-
- 689 名前:_ 投稿日:2009/01/07(水) 15:37
-
- 690 名前:寺井 投稿日:2009/01/07(水) 15:37
- 続きます
- 691 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/08(木) 12:30
- これは・・・気になります
- 692 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/08(木) 21:13
- さゆみき結構いいなー
- 693 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/12(月) 14:47
- すごいリアルな感じだ…
続き待ってます。
- 694 名前:寺井 投稿日:2009/01/14(水) 16:21
- レスです
>>691 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
時間を割いてお読みいただき恐縮です。
頑張ります。
>>692 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
さゆみき、のお話だと受け取って頂けたみたいで感激です。
頑張ります。
>>693 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
リアル、ですか。自分としてはファンタジー/フィクション(笑)という
身勝手なジャンルとして書き連ねているつもりです!!
続き、頑張ってます!あともうちょっとです。
ありがとうございますっっ。
- 695 名前:寺井 投稿日:2009/01/14(水) 16:24
- 更新しまがったす。
>>607-633
>>638-660
>>666-689 の続きというか。
時間軸がまた2006年に戻ります。
藤本さん視点。
登場人物は、藤本さん、里田さんのみです。
- 696 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:25
-
◇ ◇ ◇
- 697 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:26
-
サッカーが特別大好きだってワケじゃないけれど。フットサルは好きだった。
練習というもの自体はそれほど好きでもないけれど。フットサルの練習は好きだった。
12月も過ぎ、気温も大分低くなった冬の練習場。
人工芝の上に一人寝転がり、大声を張り上げた。
同郷で、同じチームに所属しているまいがまぬけな声を上げて驚いていた。
「美貴、何」
お腹痛いの?
腹痛だったらこんな所で寝転がっている場合でない。
チームメイトの心配を他所に、みきはむくりと起き上がって「お腹空いたー」とまた叫んだ。
「元気じゃん」
と、まいは憮然とした態度で壁側にあるベンチに腰を掛けた。
「まい」
名前を呼ぶと、彼女は素っ気の無い声で返事をした。
「紺ちゃん、大学合格したって」
手元にあった携帯電話の画面をまいに向けて、示した。
- 698 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:26
-
たった今受信したメールの内容は、紺ちゃんの大学合格報告だった。
「うぉー、まぢ?! 」
何も言わずにこくりと頷く。
「すっげーっ」
どこ、どこどこどこ? どこの大学?
興奮したまいは立ち上がり、さらにその場で飛び上がった。
みきは質問には答えず、「よっちゃんは、卒業するんだって」と、流れるように続けた。
「おえーっ? 」
おえーってなんだよ、おえーって。まいの大袈裟なリアクションに笑ってしまった。
「こんこんは合格で、よっちゃんが卒業? 」
あれ。よっちゃんて、どこの大学行ってたっけ?
まいは眉間に皺を寄せて真剣に悩んでいる表情を見せた。
みきはまいの質問に答えず、冷たい芝の上をごろごろ転がりながら、ジャージのファスナーを口元まで引き上げた。
- 699 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:26
-
正解は自分で見つけてもらわなくちゃ困る。
我らがキャプテンは大学には通っていない。
「よっちゃん、学校通ってた? 」
二度目の確認に、首を横に振るジェスチャーで返した。
モーニング娘。のリーダーで、ガッタスのキャプテンで。さらにキャンパスライフを送っていたら身体が2つ以上なければこなせないと思う。
みきが黙ったままでいるとまいは徐々に冷静さを取り戻していった。
「卒業するの? よっちゃん」
何も言わずに頷く。
「娘。を卒業するんだって」
- 700 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:27
-
◇ ◇ ◇
- 701 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:27
-
モーニング娘。追加オーディションの結果は不合格だった。
だから、初めは一人だった。
オーディション不合格からしばらく経ち。諦めかけた歌手になるという夢は思わぬ形で実現した。
しかも、ソロデビューさせる、という願ってもない話だった。
数ヶ月のレッスンを経て、芸能界の仕事が始まった。
順風満帆、視界良好、全力前進、ソロデビューした1年は紅白出場まで漕ぎつけ、順調な滑り出しだった。
それが2003年のお正月。みきのモーニング娘。電撃加入が決定した。
状況は一変して。居心地の良かった一人枠から、何かとしがらみのあるグループに放り込まれた。
寝耳に水。意味まで覚えた。
当時は10人以上の大所帯だった。しかも、モーニング娘。史上最多のメンバー数を誇った時期だ。
人数の多さに、ソロ活動で勝ち得た地位が霞んでいくみたいな感覚があった。
注目度でいったら、ソロよりも娘。の方が世間の関心は高かったかもしれない。
けれど、一人ちやほやされる扱いから16人の中の一人の扱いに変わった時。やっぱり不満だった。加入させられたものはさせられたもので仕方ない。仕方ないけれど、どこか腑に落ちない。みきはソロでもやっていけたはずだ、と。過信していた。今だって思っているし。
これはこれで良い経験だって、割り切れるようになったのは加入してずっと経ってからだ。
その、大所帯の娘。の一人に、よっちゃんがいた。
- 702 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:28
-
きれいな顔立ちなのに、一筋縄では行かない美人さん。
知り合った当初、正直、何を考えているのか分かんない人だって思っていた。
今だって全部お見通しとまではいかないけれど。
そんなに複雑な性格でもないと気付いた。
美人だって人間だ。案外話せる人柄だった。礼儀には礼儀で返す義理人情に厚いタチだし。
娘。として活動していくだけでは分からなかった彼女の魅力は。このガッタスを通してたくさん知った。
- 703 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:28
-
身体能力に長けているだけでない。立ち振る舞いの恰好良さは抜群だ。
恰好良いのに、笑った表情は人懐っこい犬みたい。
そのギャップにくすぐったさを覚え、胸がきゅんってする。
基本、美人だから何をしても様になるし。
そして、勝負に熱い。こだわりだしたらどーでもいいようなコトにまで熱い。
いいじゃん。ソックスの長さなんて。ちょっとくらい短かろうが誰も見てないのに。
決めたことは、諦めないで最後までやり遂げる。失敗したって全力でぶつかる。
よっちゃんはガッタスの、永遠のキャプテンだ。
- 704 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:42
-
毎日毎日、顔を合わせていた。
よく飽きないなと、自分で驚くくらい一緒の時間を過ごした。
横を見ると、振り向いたら、探せばすぐに姿を見つけることができた。
視界に映っていなくても気配で分かる。よっちゃんがいるかいないかぐらい。
- 705 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:42
-
今回の卒業は在籍年数からすれば順当だ。
よっちゃんの後輩の紺ちゃんもマコトも既に卒業している。
それでも。想像ができない。
よっちゃんが、側にいなくなるだなんて。
よっちゃんが、リーダーじゃなくなるだなんて。
決定事項を知らされても自分の意思がおいてけぼりを食らって、実感が湧かないのは、ソロから娘。への加入が決定した時の感覚と似ていた。
- 706 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:42
-
◇ ◇ ◇
- 707 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:43
-
「いつ? 」
よっちゃん、いつ卒業するの?
まいはさっきまでの興奮状態から一変して落ち着いた様子だった。
「春ツアーの最終日」
「半年ないんだね」
返事をせずに、寝転がっていた体勢から勢いよく立ち上がった。
「クソさみぃっ」
みきの口の悪さに相手は呆れた笑みを零した。
「北海道と比べたら東京の12月なんて全然じゃん」
「みきは寒いの。寒いモンは寒いの」
「あなたは痩せすぎなんだよ」
大人ぶった態度でまいはおばさん臭い発言をした。
脂肪は保温性が高い。肉が付きにくい体形の自分としては事実を指摘されてちょっと悔しかった。
「うっさい、今すぐあったかくなるようになんとかして」
「走る? 」
「走んねぇよ、ばか」
暴言を吐いた勢いのまま天井まで視線を持ち上げ、鼻を軽くすすった。それほど高くない位置に大きな照明が見えた。
- 708 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:43
-
あーぁ、と心の中だけで溜め息を吐いた。
夢なんかじゃない。よっちゃんは娘。を卒業してしまう。
なんだか胸がもやもやしてきた。もやもやを感じたくなくて。感じたもやもやを吹き飛ばしたくて、フットサルの練習に来たのに。
すぅはぁ、と大きく息を吐き、全部を吹き飛ばしたくなって駆け出した。
寒さも。もやもやも。全部。
なにもかも。加速度つけて吹き飛ばせ。走った後に何かが変わるなんて期待してないけど。それでもじっとしていられない。胸の中がもやもやしてくると、思考まで暗いことばかりになる。
走って。走って。何も考えられなくなるくらい走って。
頭の中を真っ白にしたかった。
- 709 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:44
-
* * *
- 710 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:44
-
「走ってるし」
まいを追い越した時に呟きが聞こえた気がした。
提案した本人は走ることなくストレッチを始めたようだ。
「紺ちゃん、合格おめでとーっっ 」
全速力で走り続けたまま苦し紛れに叫んでみる。
「こんこんおめでとうっっ 」
まいも声を張り上げた。
「よっちゃん、卒業おめでとう」
これはまいだけが叫んだ。
- 711 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:45
-
そうなんだ。卒業はめでたいことなんだ。
めでたいことだから、おめでとうって言わなくちゃ。
心から祝福の言葉を述べなくちゃ。
息を吸い込んで、声を出す準備をする。
「よっちゃんっ 」
おめでとうって、言わなくちゃ。笑って、後は任せてって。言わなくちゃ。
ハァ、ハァ、ハァ……
言わなくちゃ。ちゃんと気持ちを伝えなきゃ。
ハァ、ハァ……
息切れだ。
- 712 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:45
-
* * *
- 713 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:45
-
コートを大回りで3周走ったところでみきは歩きだした。理屈は知らないけれど、急に止まるのは筋肉によくないらしい。
深く俯いた姿勢で1周だけコートを回った。
柴ちゃんも是ちゃんも来るって言ってたのに。約束の時間を1時間以上過ぎたけれど二人とも姿を見せていない。
行きたいけど、行けるかどうか分からないって。言ってたかな。どうだったか思い出せないからもういいや。
- 714 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:46
-
ストレッチをしていたまいが立ち上がりダッシュとターンのゲームを持ちかけてきた。
目印を直線上に4つ並べ、1つ目の目印でターンしてスタートラインに戻る。スタートラインでターンして2つ目の目印。2つ目の目印でターンして……を繰り返し、どちらが早く4つ目の目印まで行って戻れるかを競いたいらしい。
「勝ったら何かくれるの? 」
「賭けるのー? 」
驚いたみたいに目をまるくしてまいがこちらを見た。
「勝負するからには何らかは得ないとテンション上がんないじゃん」
練習にテンションもへったくれもないけれど。どうせだったら何かあった方が楽しいし、練習にも真剣に取り組める。
「それじゃあ。負けたら、ハーゲンダッツのクリスピーサンド奢る」
勝負の相手は瞬く間考えて、ありきたりな提案をした。ありきたりだけれど。賭けとしてはまぁ悪くない。これがガリガリ君だったら意義を唱えていたところだ。
「おーっ、のった! 」
「よっしゃ。何回勝負? 」
「1回でしょ、1回」
「1回じゃ練習になんないじゃん。5回1セットじゃん。いつも」
途端、真面目な発言をするからまいの律儀さも煩わしい。
「15回勝負」
「15っ?! 」
まいの挙げた数字はいつもの練習メニューの数だった。
5回1セット×3。大正解。まさしくそれの積だ。
本音を言えば15回勝負に乗る気はさらさらなかった。
けれど、やらないうちから逃げるのはどうも性に合わない。
まいはのんきに「モーニンッカレー」とがなりながら準備をちゃくちゃくと進め、15回勝負という、未曾有のダッシュ&ターン勝負の幕が切って落とされた。
ストップウォッチとタイマーまで備えたデジタルの時計は、自動でスタートの合図を鳴らした。きっちり60秒刻みで電子音が鳴る。と、いうことは。4つ目の目印でターンをしてスタートラインに戻ってくる時間は60秒以内、という制限も付け加えられた。
- 715 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:46
-
開始間も無くは二人とも全力でダッシュとターンを繰り返していたけれど。
結局、自動で鳴るスタート合図に中盤から間に合わなくなってきて。
電子音が鳴っている間、走っているだけで精一杯だった。
- 716 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:46
-
* * *
- 717 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:47
-
勝負はつかなかった。
二人ともへろへろになり過ぎて、電子音の合図が15回を鳴らし終えても何回スタートラインに帰ってきたのか数えることができていなかった。
会話もできないくらい、肩で息を吐いた。
公正なレフェリーのいない勝負ほどあてにならないものはない。
「私の勝ち」
「みきが勝った」
息をするのがやっとのクセに負けず嫌いの二人は両者自分の勝ちを譲らない。
こっちが勝った、いやこっちが勝ったと押し問答の末。
まいが押して押された問答を、第三者に放り投げてしまった。
「もういいよ」
卒業祝いによっちゃんに奢ってもらう。
- 718 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:47
-
勝ち負けを争っていただけで。
別に、奢る奢られるの駆け引きをしていたワケではない。まいの論点は少しずれていると思った。
勝負を放棄した相手は屈んで俯いていたみきの頭に軽く触れると、ボールケースを置いていたベンチへ向かった。
「卒業祝いって。普通、卒業する人が貰うものでしょ」
気付くと、酸素不足の所為かつまらない突っ込みを入れていた。
そうしようって、よっちゃんにアイスでも焼肉でも奢ってもらおうって。
まいに悪乗りすればよかった。
不覚。しかもいじけているような声だった。
- 719 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:48
-
「キャプテンはそんなケチ臭いコト。こだわらないよ」
こういう時ばかり、キャプテン扱いをして。
勝ち負けにこだわりたかったみきは、不満な態度を隠しもせず、顔を上げた。
「みきが卒業祝いに奢ってくれたっていいし」
視線の先でまいはボールをこちらへ転がしながら笑っていた。
ダッシュの疲れなど全然感じられない様子だ。
「みきの勝ちだから」
それでも子どもみたいに聞き分けのないみきに、まいは何も言わなかった。
- 720 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:48
-
* * *
- 721 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:48
-
「おにくとじゃがいもにんじんさ〜ん」
いろんなカレーあ・る・が
1対1をしながら、まいは鼻歌を歌う余裕をみせていた。
「たまねぎたっぷりこくふかいっっ 」
歌詞を返しつつ、一旦左に身体を振って左を攻めるとみせかけつつ、右を抜こうとした。
「甘くっ、辛い」
まいはフェイントにひっかからず、逆にみきがボールを取られてしまった。
「モーニンッカレー」
「モーニンッカレー」
- 722 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:49
-
だーっ、クソ。モーニングカレーなんて歌っている場合じゃないのに。
今日は全然ダメだ。集中できない。
1対1を始めてから、ずっとまいのペースに乗せられっぱなしだった。
「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ」
まいは煽るジェスチャーをして位置に着けと、みきに指示した。
「モーニンッカレー」
みきがモーニングカレーで返事をすると。
「モーニンッカレー」
まいもモーニングカレーで返してきた。
なかなか、モーニングカレーでもコミュニケーションは成り立つみたいだ。
「おにくとじゃがいもにんじんさ〜ん」
「って、まい。それやりたいだけじゃん」
みきが突っ込みを入れると、相手は驚いた表情をした。
仕切り直す度にまいはそのフレーズを口ずさんだ。
「もうね、私。モーニングカレー聴いた時、キタキターって。カレーキターって直感で思ったの」
カレー、来るよ。
自信たっぷりにいう彼女だけれども。カレーほどメジャーになっているメニューが今度は何で世間をあっと驚かせるのだろう。北海道発のスープカレーも既に市民権を獲得しつつある。
- 723 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:49
-
「カレー、来るといい」
ねっ。の言葉でまいを置き去りにした。今度こそまいを抜いてゴール一直線だ。
野生のカンが働くのか、そうされることを予感していたように。まいは辛うじてみきのジャージの裾を掴んでいた。
「ちょいりっぱ」
開いていた距離は2、3歩ドリブルする間にすっかり詰められた。
「でもちょっとふつうで」
あとちょっとだったのに。
「ちょい渋」
横に並ばれると体格差でみきのが不利だ。
「でもやっぱゆるい〜」
ショルダーチャージが厳しい。体重の所為か軸が高いからなのか、みきはボディーチャージに強くない。
試合で体当たりされたらめっちゃムカつくし。やり返しちゃうのが殆どだけど。
それじゃ、ファールを食らってさらに頭にくるし。そんなんだから、ボディーチャージをかいくぐる技術がいつまでたっても身に付かない。
みきの弱点を知って1対1をけしかけているのか。まいの意図はみきには分からない。
「モーニンッカレー」
ゴールまでが遠い。完全に進路を阻まれた。
集中できない自分が腹立たしい。苛々する。強くない自分が嫌だ。
「モーニンッカレー」
完全にファールだった。
- 724 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:49
-
◇ ◇ ◇
- 725 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:50
-
名前を呼ばれたことに気付いていた。
けれど、どんな顔をしていいのか分からなくて。
聞こえていないふりをした。
「美貴」
ごめん、よっちゃん。
無視してごめん。よっちゃんが無敵のスーパーマンとかじゃなくて。
シカトされたら普通に傷付く。普通の女の子だって知ってたのに。
知ってたのに。傷付けるようなことして。
弱いみきでごめん。
- 726 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:50
-
◇ ◇ ◇
- 727 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:50
-
「ごめん、まい」
倒れたまいに、みきは自分の手を差し出した。
「いしゃりょう」
まいはみきの手を取らずそのまま目を閉じた。
「まい」
「ハーゲンダッツで許す」
一言呟くと、まいは勢いよく上半身を起こした。
「なんも言わないのは美貴の勝手だけど」
ちょっと考える間を作り、それから視線が合った。
「あんまり周りに心配掛けるようなコト、しない方がいいと思うよ」
- 728 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:51
-
あのまいが、忠告染みたコトを言いたくなる気持ちは分かる。
みきが完全に悪い。
練習に誘っておいて、全然集中していない上の空な態度。
勝手に苛立って、八つ当たりの挙句、レッドカード紛いの体当たり。
恰好悪い。情けない。
「ごめんなさい」
「心がこもってない」
「ごーめーんーなーさーいー」
「くるしゅうない」
言いつつ、まいは私の手を勝手に掴んで立ち上がった。
そして側にあったボールを蹴り、こちらに転がした。
足の側面でボールの勢いを殺し、反対の足でパスをする。
なんだかまいの顔が見れなくて、視線をずっと足元に向けていた。
- 729 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:51
-
◇ ◇ ◇
- 730 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:51
-
娘。では多分、よっちゃんの次にみきが知ったと思う。
よっちゃんの卒業は、ハローのメンバーでもまだ知らない人が多い。
お正月コンサートのゲネプロが始まったら全体に通達される。
もし。
よっちゃんがいなかったら、フットサルだって娘。だって。こんなに夢中にはならなかった。
そんなことみきが言ったらがっかりするかな。
例えよっちゃんがいなくても、全うして欲しいって。ロマンチストな彼女は思うかもしれない。
よっちゃんの存在は大きい。
それは確かだ。
娘。のリーダーだからじゃない。
ガッタスのキャプテンだからじゃない。
理由なんて言葉にしたら興ざめしてしまう。
なにがなんでも。よっちゃんの存在は、みきの中でかなり大きい。
- 731 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:52
-
他の娘。メンバーが全員降りた移動車の中。みきも降りようと腰を浮かした途端、待つことを指示された。
車内に残っていたのは、みきと、マネージャーさん一人と。そしてよっちゃんだ。
時間にそれほど余裕はなかった。なんだろうと思ってみきはマネージャーさんを急かした。
「待って、自分で言いたいから」
今にも先走りそうなマネージャーさんを、よっちゃんが冷静に制した。
「美貴」
ワケも分からずみきは視線だけで返事をした。
少し、言い難そうに口元を歪めた様子を見たのが最後だ。
- 732 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:52
-
大きい存在を失うと知って、どうして平気な顔ができただろう。
卒業する報告を聞いた後、ずっと顔を見ることができなかった。
車内の狭い通路を挟んで隣によっちゃんがいた。多分、笑っていたんだと思う。
こちらに向いていたマネージャーさんが薄ら笑いを浮かべていた。
『ずっと ここにいて』
言えるワケなかった。
初めてだ。素直な気持ちを、言葉にしちゃいけないと理性が働いた。
- 733 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:52
-
◇ ◇ ◇
- 734 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:53
-
「嫌だ」
脈絡も無くみきは子どもみたいに駄々をこねた。
「やだやだやだやだ」
まいは何も言わずパスを繰り返す。
どうして、みきを置いていなくなるの?
プロデューサーに言われたから?
それだけの理由なの?
「どうしよう」
よっちゃんがいなくなっちゃう。
みきも、よっちゃんも普通の女の子だよ。
それぞれ感情がある。それなのに、みき達の気持ちを無視して大人の世界で自分の将来が勝手に決まって行く。
理不尽に思える状況でも。契約を結んだ以上、逆らうことはできない。
普通の女の子は無敵じゃないから。自分じゃどうにもならないことに度々ぶつかる。それは当たり前のこと。
- 735 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:53
-
「別に死んじゃうワケじゃないのに」
大袈裟過ぎ。
まいは冷静だった。
みきは取り乱していた。
初めて、本心を口にした。心臓がドキドキして痛かった。
「嫌なんだもん」
「嫌なんだもんって」
まいは眉を八の字にして笑い、放たれたパスの軌道は乱れていた。
「嫌って言っても。どうしようもないじゃん」
知ってる。そんなのこと。分かってるから胸がもやもやする。
「嫌なものは嫌」
「分ーかったーって。嫌だってことは充分、分かったから」
みきのパスを受け、まいはボールを自分の足元で止めた。
「じゃあさ、美貴は。結局どうしたいの? 」
嫌だって言ってたって。よっちゃんは卒業しちゃうんだよ。
なんでもないような言葉を口にするみたいな様子だった。
まいは止めていたボールを蹴り、パス&キャッチを再開させた。
- 736 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:53
-
「どうしよう、みき」
まいの言葉に途端に不安になる。よっちゃんの卒業が突然現実味を帯びた。
嫌だってだだをこねても変更はナシだ。
ゆっくりと転がってきたボールがみきの開いていた右足にぶつかった。
「よっちゃんの気持ちは? 」
目の前のまいは、みきのことなど見ておらず、転がるボールの行方を追っていた。
「よっちゃんが卒業して、美貴が寂しいって離れたくないってコトは私も分かったよ」
じゃあ、卒業するよっちゃんの気持ちは、美貴分かってる?
まいの視線を追うように、みきはボールの後を追った。
よっちゃんの、気持ち。
よっちゃんは、ガッタスのキャプテンで。
モーニング娘。のリーダーで。
でも、普通の女の子。
7年過ごした場所。
同期は既に全員卒業して、後輩の卒業も見送った。
とうとう来た、自分の卒業を、よっちゃんはどんな気持ちで受け止めたのだろう。
追いついたボールの上に足を乗せる。
シューズの裏でころころと側面を転がした。
- 737 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:54
-
◇ ◇ ◇
- 738 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:54
-
よっちゃんのことが大好きだ。
側にいて欲しいと思う。
だから、みきを置いていなくなってしまうことが納得できなかった。
みきが納得するとか、納得できないとか。そんな次元の話じゃない。
きちんと、よっちゃんは自分の口から話してくれたのに。
みきは、まともに顔すら見ることができなかった。
移動車を降りる時、後にまだ人がいるのを知っていてドアを閉めた。
直前、名前を呼ばれていた。
苛立っているみたいな態度になってしまった。
けれど、すぐに現実を受け止めることができなくて。
情けないけれど、どうしていいのか分からなかった。
「美貴」
後ろ手で閉めたドアで終わらせた。
それ以上、何も言うことができなかった。
どうして、おめでとうって言ってあげられなかったんだろう。
大好きだったらなおさらだ。
どうすればよっちゃんが笑ってくれるのかをまず考えるべきだった。
- 739 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:55
-
◇ ◇ ◇
- 740 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:55
-
「がんばれー、まけんなー、ちからの限り、生きてやれー」
大声で叫んだら、なんかちょっとだけすっきりした。
「懐かしい。なんだっけ」
えーと、アレ、と言いながらまいは、
「おくら部長」
と閃いたように少し大きな声で口にした。
何だよ、おくらって。
「小須田」
一文字も合ってない相手のボケに呆れて見せた。
ボールを蹴り上げ宙に浮かせる。きれいな弧を描き、見事まいまで届いた。
- 741 名前:かみさまの声援 投稿日:2009/01/14(水) 16:55
-
よっちゃんの気持ちは分からない。
嬉しいだろうし、寂しいだろうし。心配だろうし、不安だろうし。
みきが推し量るには、限度がある。
本人にしか分からない、他人が察する以上の気持ちをよっちゃんは抱いているに決まっていた。
「よっちゃんの卒業式を、さ。同じステージの上から、見送ることができるのは美貴だよ」
私も、梨華ちゃんも、他の子達も。客席で見てることしかできないんだから。
受けたボールの重みが、まいの言葉の重さだった。
こんなことで、みきは泣いたりしないけど。
まいの言う通りだ。
たくさんのファンの方たちも。ハローのみんなも。大勢のスタッフさんたちも。
客席や裏方やステージの袖からしか見ることができない。
同じステージに立って送り出せるのは、リーダー以外の8人の娘。だけだ。
よっちゃんの卒業は胸を張って見送るからね。
まいに誓う。
まいは笑って、しっかり見送って来いと、みきのパスを受け取ってくれた。
- 742 名前:_ 投稿日:2009/01/14(水) 16:56
-
- 743 名前:_ 投稿日:2009/01/14(水) 16:56
-
- 744 名前:寺井 投稿日:2009/01/14(水) 16:57
- 以上です
- 745 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/28(水) 00:14
- 素敵だす
- 746 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/15(日) 15:55
- まだかな!
- 747 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/15(日) 20:11
- 新しい話が読みたいです!
- 748 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/20(金) 05:29
- 藤本さんも道重さんもほとんどセリフのない吉澤さんも、果ては亀井さんまで、
全員のそれぞれ違う切なさが丁寧に書かれているなぁと感じました
泣きたいけど、泣いたら登場人物に失礼かな、なんて。
ありがとうございました。
- 749 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/03/11(水) 20:59
- 待ってます…
- 750 名前:寺井 投稿日:2009/03/23(月) 12:39
-
>>745 名前:名無飼育さん
>>746 名前:名無飼育さん
>>747 名前:名無飼育さん
>>748 名前:名無飼育さん
>>749 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
本当に励みになっております。
変わり映えの無い言葉で恐縮ですが。
心よりお礼申し上げます。
では、更新しまーす。
- 751 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:40
-
◇ ◇ ◇
- 752 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:41
-
いつの間に、眠っていたらしい。さゆみはまどろみから意識をゆっくりと手繰り寄せた。まぶたを持ち上げると、視界一杯に絵里の顔があった。困ったような、嬉しそうな。曖昧な表情を満面に湛えて、名前を呼んだ。
「さゆ」
首が痛い。頭がぼんやりする。呼ばれてもすぐには返事をすることができなかった。
絵里は少しだけ笑いを含んだ声でもう一度さゆみを呼んだ。
「さゆ、そろそろ起きて」
「え、さゆみ寝てた?」
どのくらい?
俄かに早口になる。さゆみは焦り出すと早口になる癖があった。身体を目覚めさせるために、さゆみは椅子の背もたれから体重を前傾させた。
「ヤバ」
衣装を着たまま眠ってしまった。皺がよっていないか、髪型が乱れていないか、メイクが落ちていないかあれこれ一度に気になり混乱を招いた。慌てているさゆみとは他所に絵里はおっとりとした態度だった。緩慢な動作でさゆみの頬を自分の手のひらで擦った。
さゆみは怪訝な様子を隠しもせず、じろりと相手に視線をくれた。
「何? 」
「いや、別に」
絵里は曖昧な表情のままさゆみから視線を逸らせた。
- 753 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:41
-
「ってか。時間、まだ本番始まってないの? 」
さゆみの苛立ちを含んだ言葉にも動じることなく絵里は「多分、そろそろだと思う」とのんびり返事をした。
絵里の寝顔を見ていて、こちらが眠ってしまうとは誤算だった。
気付かないところで気を張っている疲れが出てしまったに違いない。
「絵里」
気持ちをコントロールできないまま。さゆみは自分の不甲斐なさを一緒くたに、恨めしい気分で彼女の名前を呼び付けた。
「なぁに? 」
年上とは思えない、あどけない様子で絵里はこちらに向いた。
- 754 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:42
-
◇ ◇ ◇
* * *
『藤本さん』
呼べば、振り返る。
一瞬、美貴を思い出した。
"なに? "
例えその態度がつっけんどんなものでも。
"どうしたのシゲさん"
無遠慮に心を寄せてくる。
* * *
◇ ◇ ◇
- 755 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:42
-
* * *
した行為など他人事のように、さゆみは間近にある美貴の顔の作りに見惚れていた。
肌理細やかな素肌、精密に計算されたように配置してあるパーツ、つやつやの唇、伏せられた長い睫毛。彼女を形作るもの全部がかわいらしく見えた。容易く心を奪われた。
「どうして、避けなかったんですか? 」
「避けたらシゲさん泣くかと思った」
美貴の運動能力からいえば、さゆみの動作など難なく回避することができたはずだ。
けれど、美貴はそうしなかった。
「どうしてさゆみが泣かなきゃいけないんですか」
口先から出てしまうかわい気のない言葉をどうしても止めることができない。
「分かんないケド」
もし、みきがシゲさんだったら傷付くかもって思ったんだもん。
勝手な行為に、優しくされることほど空しいものはない。
その優しさだってきまぐれだ。ずっと差し伸べてくれる訳じゃない。
どうせだったら、心底計算し尽くして巧妙に陥れて欲しいと思った。どんなに無様になろうとも自分は、悪くないと。相手を責めることが、できるから。
恨みがましいこの気持ちをすべて吐き出してしまいたい。一つ零したら、押し留めている感情が次々溢れ、心のダムが決壊して抑えられなくなりそうで怖いと思った。
- 756 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:42
-
慣れないことはするもんじゃない。どうしたって相手が上手だ。
年齢も、経験も、さゆみが太刀打ちできる相手じゃなかった。
さゆみは身体を退き相手から離れ、正座を崩す体勢のかえる座りになった。
「キス」
一つ、間を置いてさゆみは美貴を再び見つめた。
こんなにも、簡単に美貴はさゆみの心を奪う。
「もう1回します? 」
「1回2万」
「数字がリアル過ぎます」
溜め息をついたら負けを認めるみたいで面白くなかった。精一杯の作り笑いを顔一杯に貼り付けた。一方、美貴は得意げな様子だった。すべて見透かしている、とでも言いた気だ。
まるで勝てそうもない。
プライドの高いさゆみだったが素直にそう思った。
美貴には敵わない。
圧倒的な奔放さの前には自分の存在なんて無為に近いもの。こちらから近づけば近づくほど空しい思いをするだけなのに。かわいらしい容姿に目が放せない。奔放な言動をもっと見ていたいと思う。
「藤本さん」
「何? 」
もう飽きた、といわんばかりの低い声で美貴が返事をした。
心が不安定過ぎた。
さゆみは次の言葉を見つけることができず、ただ訳もなく涙を零していた。
- 757 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:43
-
「どうしたのシゲさん」
恋でもないのに。失恋した気分だ。
「や、ごめ」
自分でもどうして泣いているのか分からなかった。
「ごめんなさい、さゆみ何泣いてるんだろ」
あはは、と声に出す。涙声の所為で格好がつかなかった。
「シゲさん」
名前を呼ばれている。
呼ばれている方に顔を向けたいのに。さゆみの身体は石にでもなったように固くなった。
「シゲさん」
苛立ちを含んでいるようなぶっきらぼうな呼び方だ。
「ごめんなさい」
冗談ですと笑い飛ばしたかった。けれど、顔を上げることが難しかった。
「泣くなんて卑怯だよ」
心に刺さるセリフだった。美貴の言い回しには年季すら感じられる。
「泣いてごまかすなんて、ありえない」
美貴の言葉はさらに鋭さが増した。
「言いたいことがあるなら、泣いてる場合じゃないじゃん」
突き放すような言い方なのに、次の瞬間さゆみは美貴の腕の中に収まっていた。
「って。思ってたけどさ」
美貴の言葉尻に笑いが含まれていた。それだけで、相手の暖かさがさゆみの不安定な心に流れ込んできた。さゆみは美貴の身体にしがみついて泣いていた。
「言葉にできないコトなんていっぱいあるし」
知らない内にみき、シゲさんになんかしてたら謝るよ。
さゆみは嗚咽を堪えながら頭を振ってそうじゃないと伝える。
- 758 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:44
-
美貴の素っ気無い態度の所為かもしれない。吉澤の卒業の所為かもしれない。ただ疲れているだけなのかもしれない。
「ごめ、なさ」
「別に、みきはいいんだけど」
シゲさんつらいなら、ここで全部吐き出しときな。
後頭部を優しくぽんぽんとされた。
失恋した後に優しくされたら傷を抉られるのと一緒だ。
涙が止まらない。美貴の所為にしてしまいたい。
嫉妬するだけで。何もできない。動けない自分が情けない。
泣くなんて卑怯だ。自分の気持ちをごまかしている。
遺言めいた言葉なんかいらないから、卒業なんてしないでただ側にいて欲しい。
さゆみがここにいるのに。まるで知らん顔するみたいにみんないなくなってしまう。
一人ぼっちになりたくない。
それだけだった。
- 759 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:44
-
* * *
王子さまを永遠に物語の中へ閉じ込めた直後だ。
2007年6月1日。藤本美貴のモーニング娘。脱退がマスコミによって報道された。
* * *
"もしも魔法が使えるなら"
他愛もないアンケートの質問事項だったと思う。それとも心理テストだったかな。"もしも"だなんて。例え話ほど時間の無駄遣いはないのに、って思ったりした。
もしも魔法が使えるなら。
物語の中のお姫様になりたい。
それとも、過去へ戻ろうかな。
違う。世界中の戦争を終わらせて平和を祈ろう。
貧困と、飢餓をなくして、世の中の苦しみと悲しみをなくして。
なんて。そんなありえないコト願うワケない。
もしも魔法が使えるなら。
そうだな、さゆみは……。
1日だけ、藤本さんになってみたい。
彼女が見ている世界はいったいどんなものなんだろう。
藤本さんの見ている世界を知りたいと思った。
* * *
- 760 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:45
-
◇ ◇ ◇
- 761 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:45
-
美貴がモーニング娘。に在籍したことを揉み消すように、撮影の取り直しが行われた。
新曲のレコーディングも、ダンスレッスンも、PV撮影も、すべて美貴が抜けた9人のメンバーでこなした。
想像以上にスケジュールは強行日程で、彼女の不在を寂しく思う暇もなかった。
くたくたで帰宅し、すぐに眠りについてしまう日が続いた。
肉体的疲労は精神の疲弊に深く関わっている。
「さゆ? 」
幼い表情でこちらに向いたまま、絵里はにこにこ笑っていた。
溜め息一つでさゆみはぎりぎりを保つ。寝起きで機嫌が悪いと思われたら癪だ。
絵里は黒い瞳をくりくりと動かしてこちらを見ている。
普段何気なく、側に感じていたあの美貴を思い出してしまった。
今さらなのに。後味の悪い感情から抜け出せない。
もう一度、絵里の名前を呼ぼうとして、口を開きかけた瞬間、
「亀井さん、道重さん、お願いしまーす」
楽屋のドアをノックする音と共に、アシスタントディレクターの声が響いた。
- 762 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:45
-
* * *
- 763 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:46
-
歌番組の収録は機材の調整で一時中断されたが、その後は滞ること無く流れ2時間押しでスケジュールをこなした。
撮影を終え、メンバーでVTRをいつも通りチェックしていた。
センターに立つ高橋はいつも通り。
光井は慣れないテレビでも新人らしく初々しい存在感を発揮していた。
間違った演出なんて一つもなかった。
それでも拭い切れない違和感が残る。
さゆみは、全部の曲をチェックし終えても腑に落ちないままだった。
「ありがとうございます」
と口々にお礼を述べて撮影スタジオから楽屋へメンバーが戻っていく。
どうして、ディレクターはOKを出せたんだろう。
チェック用の画面に向かい、さゆみは反射して映る自分の顔と対峙した。
美貴の歌割りは見事に絵里が成り代わって収録を終えた。
画面を見続けても、自分の無表情な様子が映し出されているだけで、美貴の姿は見つけることができなかった。
美貴は、2008年に予定されている海外ツアーの最終日を持って卒業すると、笑っていたのに。
呆気なかった。
藤本美貴の代わりはいくらでもいる、と証明するような断ち切り方だった。
- 764 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:46
-
「さゆ」
現リーダーが、いちばん最後まで残っていたさゆみに声を掛けた。
夏らしいと言えばそれまでだけれど、髪を切った彼女の肩辺りは妙に涼しげだった。
にこやかな高橋に声を掛けられてもさゆみは上手に笑えず、無言で差し出された手を取った。
二人とも、楽屋に続く廊下を歩いている間中無言だった。
どうしたらいいのか、誰も分からない。
美貴が脱退したことは、取り返しのつかないことだった。
さゆみが動揺していようが、平然としていようが事実は変わらない。
多少スケジュールが厳しくなっただけで、さゆみは実害を受けてはいない。
正面切って罵ることができれば少しは気持ちの切り替えもスムーズだったかもしれない。
けれど、週刊誌に記事が載ったことを知らされたまま、それからさゆみは美貴の顔を見ることはなかった。
美貴の脱退に対して気持ちの区切りをつける暇もなく、忙しい時間が流れていった。
「藤本さん、元気かな」
さゆみの呟きは口先だけみたいな響きだった。
苦笑した後、高橋は「元気そうだよ」と教えてくれた。
高橋は美貴と仕事の都合で何度か顔を合わせていた。
「亜弥ちゃんとの仕事も忙しそうだし」
「そうですよね」
美貴がいちいちセンチメンタルになるような性格だとはさゆみも思ってなかった。
美貴が寂しいと思ってなくても頷ける。でも、残されたメンバーが寂しさを感じるのはやはり悔しい気がした。
- 765 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:46
-
* * *
- 766 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:47
-
絵里と小春と光井が差し入れのたこ焼きを争ってじゃんけんをしていた。一人2個ずつ食べていくと、20個あったたこ焼きが2つ余った。
さゆみは早々と敗退し、勝負の行方をぼんやりと見ていた。
たこ焼きの生地にチーズが練りこまれていて、かりかり加減とふっくら感が絶妙で、他にない美味しさだった。だからなのか、何も考えていないのか。絵里は後輩二人に残りを譲ろうという気はないみたいだ。
「何回勝負? 」
「勝負は一回って決まってるんですよ」
「えー、3回勝負にしましょうよ」
たかがたこ焼き。値段が高額で購入できないものでもないのに。勝負に出た3人は本気そのものだった。
「絵里も3回勝負がいいんだけど」
「えー。まだるっこしぃ」
「なに、だるまごっこ? 」
絵里があほ丸出しの発言をした。小春が妙な日本語を使ったのが気になったみたいだ。
さゆみも聞き慣れない単語に自分のネイル先から視線を小春に向ける。
「亀井さん、まだるっこしいです、まだるっこ」
「え。何、それ日本語? 」
「日本語ですよー」
小春が高い声で笑った。アホの亀井は重々承知だけれど。小春が絵里を笑うのはなんだかちょっと同期としてさゆみは不愉快な気分になった。
「えー日本語なの? うっそぉ。さゆ、さゆさゆ」
絵里のフリに不愉快だった気分が一気に冷めていく。悪い予感がした。
「さゆ、知ってた? まどろっこなんとか」
「まだるっこしぃ」
小春はまだバカにする態度で絵里の言葉遣いを直していた。
- 767 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:47
-
絵里にフラれた当のさゆみは、まだるっこしいなんて、初めて認知した。耳にしたことはあったとしても、意味が何なのかまでは理解していない。
「もちろん、知ってましたよ、ね」
ガキさん。
フラれたら、受け流す。常套手段は知っていた。
さゆみにより、流された新垣は古臭いリアクションの王道、"二度見"をして、目をまん丸にした。
「え、新潟弁じゃないの? 」
新垣の不用意な発言に小春がまた高笑いを零した。
「まだるっこしぃー」
「違うんです。標準語なんです。じれったいとか、そういう意味だと思うんですけど」
横柄な態度の小春の代わりに、光井が注釈を入れてくれた。
なんてしっかりした新人なんだ、とさゆみと新垣と絵里は同じ気持ちだったに違いない。3人とも同じ様なタイミングで頷いていた。
「色っぽい まだるっこい」
小春はいちいち上から目線の態度でニヤニヤしていた。
「何それ」
新垣が顔を顰めて小春に聞き返していた。
「ほら、先輩方がきちんと日本語を覚えられるように」
「"色っぽい じれったい"とかけはったんですね」
ウヒヒと、小春が光井に向かって嫌らしい笑いを見せた。
「逆に覚え難いんですけど」
新垣は抵抗を諦めず、小春に食って掛かった。
「色っぽい まだるっこい。はい、リピートアフターミー」
「えー」
「えー、じゃありません。亀井さん、はい。色っぽい」
「まだるっこい」
「よく出来ましたーって。ジュンジュンっ」
突然小春が目の色を変えた。それから慌ててジュンジュンの側へ寄っていく。
- 768 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:47
-
「ちょ、ジュンジュンっ。何食べてんの」
「残すのもったいない」
「残してないから、まだじゃんけんの途中だったの」
「ウソだ」
「ウソじゃないから、ってもぐもぐすんな」
小春はジュンジュンの頬を鷲掴んで必死な態度になった。
残っていたたこ焼きをジュンジュンが頬張っているらしい。絵里と新垣の後ろになっていて、さゆみは直に確認することができなかった。
「あー、全部食べたー! 」
「ジュンジュンじゃない、リンリン食べた」
「それこそウソだろ、って。だからもぐもぐすんな」
「久住さん、美人」
「おだてに乗ってる場合じゃないの」
「久住さん、色っぽい」
「久住さん、まだるっこい」
ここぞとばかりに絵里が「まだるっこしぃ」を使い出した。全然意味は分かってないのはメンバー全員に明白だった。
「ジューンージューンー」
小春はゆさゆさとジュンジュンの肩を揺さぶった。揺さぶったところでたこ焼きはもどってこない。
「たーこーやーきーかーえーせー」
「小春、もう止めなって」
さゆみは一応、咎めてみる。本気でケンカにでもなったら面倒だ。
「そうだよ、絵里が勝ってたかもしれないんだから」
「絶対小春が食べたかったのにー」
「残念だったな」
ジュンジュンを解放して、小春が肩を落とした。その肩にジュンジュンが、ぽんと手を置く。
「お前が言うなー」
余計な一言で、彼女のたこ焼き心を焚き付けてしまい、ジュンジュンは暫くの間、小春にゆさゆさと脳みそをシェイクされていた。
それでもただやられてるだけのジュンジュンではないから。
「気持ち良いです、久住さん」と、また余計なコトを口にする。挑発されれば小春もさすがに黙っていることができず、徐々に口論じみてくる。
楽屋が俄かに険悪なムードになる瞬間。
「いい加減にしてーっ」
と、新垣が両者を正座させたところで。楽屋は静けさを取り戻した。
いつもの、ずっと前からあるような。いたって普段通りの楽屋の1シーンだった。
変わらない感覚は居心地良く感じるはずなのに。
何故かさゆみは胸が苦しくなった。
- 769 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:48
-
* * *
- 770 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:48
-
新垣の存在がさゆみの心に小さい染みを作り始めていた。
新垣を責めるのはお門違いだ。それはさゆみ自身冷静に判断していた。
けれど、まだ、認めたくない。
「ねぇ、さゆ」
帰りのタクシーは絵里と乗り合いだった。撮影自体が2時間押しだったので随分遅い時間の帰宅だった。
「今日のガキさんさぁ」
いつかは認めなくてはいけない。
けれど、まだ、できそうもない。したくなかった。
「さゆ、聞いてる? 」
さゆみはたぬき寝入りをしてごまかそうとした。絵里はさゆみより少しだけ大人で。普段がどんなにだらしない性格でも。六期の中で一番面倒臭がりだとしても。やっぱり、絵里は大人びた割り切り方をする。
「ん? 」
観念してさゆみは呼ばれた方へ顔を向けた。
「ガキさん、お母さんみたいだったね」
絵里は嬉しそうな様子だった。
やっぱり。
いつか、誰かが言うと思っていた。
- 771 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:48
-
新垣の几帳面な性格はしばしば面倒見と混同されていた。
けれど、事実上五期が娘。の中で最年長になった今では、面倒見が良いと言われて相違なかった。一番先輩なんだから、しっかりしなきゃ。後輩たちをまとめなきゃ。さゆみだって、新垣や高橋の立場だったら同じ行動をする。
先輩がしっかりしていなかったら、他のメンバーがどうしていいのか分からなくなってしまう。モーニング娘。が上手く機能しなくなることは避けるべきだ。
それほど歳が違わないのに、突然まとめる立場になった苦労はさゆみには分からない。
プレッシャーがどれほどのものか想像できない。
高橋や新垣を少しでも助けられるように支えるのが六期の役割だと誰に言われるでもなく理解した。そこまで冷静に判断ができているのに。
高橋や新垣が滞りなく吉澤や藤本の位置に納まっていくことに抵抗を感じていた。
もう少しだけ。あと少しだけ。メンバーでなくなってしまった彼女達の存在を感じていたかった。
「絵里のママは藤本さんだったのに」
さゆみは衝動的に言葉を口にしていた。絵里を責めるみたいな口調だった。
絵里はうへへ、とだらしない様子で笑った。
「藤本さんは、藤本さんだもん」
絵里の言っている意味が理解できない。さゆみは絵里から視線を外して、前席の座椅子を見つめた。
「お母さんは一人だけって誰が決めたの? 」
自分に都合の良い発言をしているだけだ。美貴がいなくなっても平気だと言っているのと同じじゃないか。
さゆみは口を尖らせ、返事をしなかった。合成革張りのシートが後方から差すライトでてかてか光って見えた。光っていた部分を指でなぞり、ククっとシートが摩擦の音を立てた。
- 772 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:49
-
絵里が溜め息を吐いた。
呆れているのはこっちの方だと、さゆみは苛立った勢いに任せ絵里の方に視線を向ける。
「さゆ、最近ヘンだよ」
カーブを曲がった。車体が揺れ、身体が絵里の方へ振られた。いつもだったらその勢いに任せて絵里に寄りかかるところだか、小さな抵抗を現すためにさゆみは身体を強張らせて座っていた位置に留まった。
「なんか、ヘンだよ」
「ヘンじゃないし」
「そこがヘンなの」
絵里の言い方ははぐらかしを許さない語気だった。このまま真っ向言い返してもこちらの分が悪いと勘の鋭いさゆみは察知した。
「普通にしてる方がおかしいと思う」
自分の非を棚に上げ、自分以外の他の誰かを責める対象にした。
すると、絵里は「そうだよ、普通にしてられる方がおかしいんだよ」とさゆみの言葉を繰り返した。
絵里の言っている意味が理解できない。さゆみは眉間に皺を寄せ、絵里を見つめた。
「それなのに、さゆは普通っぽい態度だし。その普通っぽい態度が無理してる」
「だって」
「さゆの言いたいことは分かるよ。多分、分かってるの」
どうしたらいいのか、誰も分からない。
高橋と二人で廊下を歩いていた時と同じ気持ちが蘇ってきた。
誰も悪くない。
急遽リーダーを任された高橋も。
中間管理職となった六期三人も。
美貴でさえ。
誰も悪くないのに。
どうして、罪悪感に苛まれなくてはならないのか。
どうしたらいいのか、誰も答えを出すことができなかった。
- 773 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:49
-
「今の9人で頑張ろう、9人で頑張るしかないって」
分かっている、そんなことは分かっている。
さゆみは反論する言葉を持たず、ただ絵里を見ていた。
「みんな分かってる分、みんな辛い」
みんなが頑張ってるから、誰も何も言えない。
どうして、絵里がそんなに苦痛な様子なのか。今にも泣き出しそうだった。
絵里だけじゃない。高橋も新垣も、れいなも。思い浮かべたメンバーの表情は今にも泣き出しそうだ。
「でも、それじゃダメなんだよ。モーニング娘。は愛ちゃんだけがモーニング娘。じゃなくて。ガキさんだけがモーニング娘。なんじゃなくて。9人でモーニング娘。なんだから。みんなばらばらで、相手の様子を伺って言葉を選んで喋ってるようじゃ。ダメだって、絵里は思う」
光が差す。
光が通り過ぎていく。
カチカチとウィンカーの音が鳴っていた。
停車していた車がゆっくりとカーブを曲がり始める。
暗がりに吸い込まれるように、絵里の表情が見えなくなった。
- 774 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:49
-
「さゆが感じてることは、モーニング娘。が感じてることだし。もしさゆ以外のみんなが感じてなかったら、気付かなきゃなんないコトかもしれない」
絵里は泣かなかった。熱を帯びた思いを冷静な様子で言葉にしていた。
一人ぼっちになりたくない。
それだけだった。
だったら、手を伸ばさなくてはならない。
側にいて欲しいと態度で示さなくてはならなかった。
小さい暗闇に手を伸ばす。見えない先に触れようとするのはとても怖いけれど。
そこに絵里がいるから、さゆみは臆せず両手を差し出した。
さゆみがここにいるのに。まるで知らん顔するみたいにみんないなくなってしまう。
絵里がそこにいるのに。さゆみは知らん顔するみたいにそっぽを向いた。
もし、手を伸ばした先に誰もいなかったら?
- 775 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:50
-
「絵里が頑張ってる姿、藤本さんに見て欲しいって思ったの」
そう思ったら、寂しくなった。寂しく感じることすら罪悪だと勘違いしていた。
みんながいるのに、どうして去った者を想像して鬱々とした気分にならなきゃいけないのか。苛立ちをも覚えた。
「絵里、これ以上頑張らなくていいよ」
頑張ったって辛くなるだけだよ。無理なんだよ。意味ないよ。
額を相手の肩に乗せると、絵里はさゆみの肩を抱いた。
絵里が美貴の代わりを担ったところで、空しくなるだけだ。
声の芯が細いとか、表情のハクが足りないとか。耳を塞ぎたくなるような周囲の声は聞きたくない。
「もう、頑張らないで」
- 776 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:50
-
* * *
- 777 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:50
-
もしかしたら、絵里には見えるのかな。
藤本さんが見ていた世界が、今の絵里には見えているのかもしれない。
きっとそんなに変わらないんでしょ?
別に大したものでもないんでしょ?
バラ色でもピンク色でもなくて。
さゆみにも見えている、そのままの色だって。
絵里は知ってしまったんだ。
- 778 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:50
-
* * *
- 779 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:51
-
さゆみは身体を起こして、絵里の肩越しに外の景色を見た。
窓の外の景色は、見覚えがあった。レギュラー番組のロケで何度も来たことがある場所だった。
「止まって下さい」
降ります、止まって下さい。
さゆみはくるりと振り向いて、タクシーの乗務員の肩を掴んだ。
『乗務員への乱暴はお止め下さい』
白地に赤字のプラカードが視界の端にちらついた。
「ちょ、さゆ」
絵里は突然のことに困惑した様子だった。乗務員の肩を掴んで離さないさゆみの顔を覗き込んで視線を合わせる。
「ごめん、絵里、さゆみここで降りる」
「何、どうしたの」
タクシーが停車した。
- 780 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:51
-
さゆみはお財布から1万円札を掴んで投げつけるように運転席へ放った。
自動で開いた扉から躊躇うことなく降車した。
「さゆ」
絵里も慌てて降りてきたようだ。数歩進む内にさゆみの隣に並んでいた。
急がなきゃ。
運動が得意でないさゆみだったけれど。不恰好になりながらも精一杯先を急いだ。
「待ってって」
ワケも分からず追いかけてきてくれた絵里を構いもせず、さゆみは夜の東京を駆け抜けた。
もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。
- 781 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:51
-
* * *
- 782 名前:私と彼女のソネット 投稿日:2009/03/23(月) 12:52
-
本当は、教えて欲しかった。
本当は、感じていたかった。
美貴に成り代わりたいのではない。
彼女の語り口から、彼女の仕草の端々から。
美貴の見ている世界を教えて欲しかった。
- 783 名前:_ 投稿日:2009/03/23(月) 12:52
-
- 784 名前:_ 投稿日:2009/03/23(月) 12:53
-
- 785 名前:寺井 投稿日:2009/03/23(月) 12:59
- 以上です。
>>607-633
>>638-660
>>666-689
>>751-784
『私と彼女のソネット』というタイトルとしてはこれで結びです。
最後までお付き合いいただき誠にありがとうございますた。
- 786 名前:寺井 投稿日:2009/03/23(月) 13:01
- 続きまして。
>>607-633
>>638-660
>>666-689
>>751-784
『私と彼女のソネット』の番外編(?)
亀井さん視点、
登場人物は、亀井さん、道重さんです。
- 787 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:02
-
◇ ◇ ◇
- 788 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:02
-
観覧車が見える。
都心の薄惚けた闇に浮かび上がった大輪。
隣接してある複合ビルの壁面にはデジタル時計がはめ込まれていた。
もうすぐ、日付が変わる。
「さゆ、帰ろう」
さゆみは湿度の高い夜気の中一人で佇んでいた。
絵里は噴水を囲んだ鉄柵に腰を掛けてさゆみを見つけ出すように闇に目を凝らした。さゆみは動かない。じっと観覧車の方へ視線を向けていた。
きっと明日は雨になる。鉄柵が少しだけ湿っぽく空の雲が厚い。
平日のこの時間、人通りはまばらだった。しかし行く人行く人みんな足早に地下鉄の駅へと向かっていた。そろそろ終電の時間が近付いている。分かっていたけれど、絵里もさゆみも電車で帰る気などまったくなく。デジタル時計のカウントダウンを無意識にしていた。
- 789 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:03
-
「帰りたいなら、一人で帰っていいよ」
さゆみの無茶な提案に絵里は溜め息で答える。
今更一人で帰るなら、さゆみと一緒にタクシーからわざわざ降りたりしない。
さゆみのことだから無謀な過ちは犯さない。どこか、絵里は高をくくっていた。
ただ、彼女の姿を見失わないように視界の端にその背中を収めていた。良からぬ他人に悪さをされないとも限らない。それから、時折もう帰ろうと投げかける。絵里の役目はそれで充分だと、自身で理解していた。
- 790 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:04
-
不意に視界全体が明るくなった。噴水の周りに設置されていたライトが目映く光った。
瞬く間、給水栓から短く水が飛び出た。
次に隣から先ほどよりも長い水の柱が出来た。
最後に白いライトを浴びながら高い水柱が舞い上がった。
それを見て、絵里は日付が変わったことを知る。
もう一度、暗がりに突っ立っているモノ好きな同期に声を掛けようと視線を上げると、側に彼女の姿があり内心絵里は少しだけ驚いた。噴水のカウントダウンに気を取られている間、さゆみが移動していることに気付かなかった。
「あれに乗りたかったの」
さゆみの声は力無さ気だった。あれ、とは観覧車のことだ。
「また今度ね。今日はもう終わっちゃってるし」
絵里の言葉に大人しくさゆみが頷いた。
もう、逃がさないようにと絵里はさゆみの手を自分のそれで繋いだ。
「もう、いいの? 」
帰る?
できるだけ絵里はさゆみの気分を害さない言い方に気をつけて次の行動を促した。
さゆみはこくりと頷く。それを合図に絵里はもたれていた鉄柵から腰を上げて立ち上がる。ここの階下にコンビニがあった。タクシーを待つ間、そこで時間を潰せばいいだろうと考えそちらに向かって歩き出した。
- 791 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:04
-
「さゆ、お家の人に遅くなるって連絡した? 」
返事は無い。連絡している素振りはなかった。おそらく、誰にも言っていないのだ。絵里は片手で携帯電話を鞄から取り出しアドレス帳を開く。さゆママの番号を選択して通話ボタンを押した。短い間保留音が流れてすぐにさゆママと繋がった。
道重家の御子女は、絵里と行動を共にしています。と、これからタクシーで帰宅すること、あとどれくらいで帰宅できそうかを伝えた。
さゆママはのんびりした性格で遅いなぁと思ってたらそんなところにいたの。なんて笑っていた。
「ごめんなさい、連絡遅くなっちゃって」
「いえいえ。わざわざありがとう」
「さゆに代わる? 」
「電話代もったいないから、もう切るわよ」
なんだ、それ。と思いつつ、絵里は「じゃあバイバーイ」と告げて通話終了ボタンを押した。
携帯電話を鞄に仕舞うと、俄かにさゆみの足取りが重くなった。
きっと、自分に何か伝えたいのだと思った絵里は歩みを止め、さゆみが追いつくまでその場に留まった。
- 792 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:05
-
「何にも見えないって分かってたのに、気付いたら走ってた」
外灯の切れ目で、もう少しこちらに近付いてくれないと、絵里からは相手の表情が判別できなかった。
「さゆ、走るの得意じゃないのにね」
絵里の揚げ足取りにさゆみは素直に頷いたようだ。
「まぁ、日中晴れてたら、富士山くらいは見えるんじゃないの? 」
だから、今度この観覧車に乗る時は良く晴れた日にしようと絵里なりの提案だった。
さゆみはあまり絵里の話など聞いていない様子で、立ち止まり観覧車を見上げた。
「東京タワーでも、サンシャインでもどこでもよかったんだけどね」
「さゆってそんなに富士山好きだったっけ? 」
さゆみの要領を得ない言い草と、絵里のとんちんかんな応答はどこまでいっても平行線を辿った。
「足元に広がる真っ暗な東京のどこかに藤本さんがいるって」
見てみたかった。
それから、さゆみは視線を絵里に戻した。
「だから、どうしたいのって言われてもさゆみ分かんないんだけど」
見てみたかったの。
さゆみはゆっくり一歩踏み出した。
「藤本さんも、頑張ってる」
今度は絵里の位置からもさゆみの表情が分かった。
「さゆ」
「みんな頑張ってるんだよ、どうして分かって貰えないの」
- 793 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:05
-
* * *
- 794 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:05
-
美貴が泣いていたことを、さゆみに伝えるか絵里は迷っていた。
娘。を脱退する直前、絵里は美貴と直接対峙した。伝えたかったことがあったから。
直接伝えたまでだ。
その時、美貴は泣いていた。
さゆみが欲しがっている言葉とは違うかもしれない。
それでも絵里は何か伝えなくてはと、真っ直ぐに視線を繋がれ気持ちがざわついた。
- 795 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:05
-
「今度は側にいてあげられないんだねって、言ってた」
絵里の言葉にさゆみが視線を落とした。
「藤本さん? 」
さゆみはクサイセリフの主を確認し、絵里は頷いた。
「さゆと藤本さんに何があったのかは絵里知らないけどさ」
さゆが辛い思いをしていても、側にいてあげられないんだって。
さゆみは俯いたまま、不敵にふふっと笑いを零した。
「カッコ付け。他人の心配より自分のこと心配すればいいのに」
笑っているのに、とても悲しそうな様子でさゆみが再び絵里と視線を合わせた。
「ホントだよ。さゆには絵里もいるし、れいなもいるし、みんながいるからって」
さゆには、みんながいるから。
それ以上、絵里は言葉を繋ぐことができなかった。
だから、娘。を辞めるなんてバカな選択を自分で選ぶなんて間違っている。
絵里は、そう思っていた。こんな別れ方はない、ありえない。
- 796 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:06
-
周囲の、美貴に対しての断ち切り方に抵抗するのではなく、便乗するような絵里自身の行動も辛くないと言えば嘘になる。嘘になるけど。絵里が反抗したトコロで、代役は小春でも、新垣でも、娘は9人のメンバーで構成されていた。代わりはいくらでもいる。
絵里は抵抗できない。小春も、新垣も上からの命令には頷かざるを得ない。抵抗したって無駄なのだ。代わりならいくらでも後ろにいる。そうして、結局みんな辛い思いをするなら。だったら、当の本人が背負って欲しかった。背負った苦渋はみんなで支えるから。側にいて一緒に乗り越えるから。だから、辞めるなんて逃げることを選んで欲しくなかった。メンバーは掛け替えのない仲間だと思っていたのは、絵里だけなのだろうか。
美貴は娘。を脱退した。
- 797 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:06
-
「さゆは頑張んないでって言ったけど」
絵里はもっともっと頑張るよ。
後悔をさせてやる。
荒々しい言葉で表現すればそれで上等だ。
美貴を後悔させてやる。いっぱいいっぱい活躍の場を広げて。もっともっとメンバーの絆を深めて。どこにもない、誰にも真似できない、絵里たちのモーニング娘。を作り上げる。あの時辞めなければ、と思わせてやる。それしか、今の状況を割り切る方法が見つからない。
「頑張るんだ。絵里、やっぱりモーニング娘。が好きなんだよね」
今は辛くても、今は無理でも、今は意味なくても。
さゆみが視線を逸らせ、宙を仰ぎ再び絵里と視線を繋いだ。
「さゆは? 」
絵里から、繋いでいた手を握り直す。少しだけ、自分の体温の方が熱い気がした。
「絵里の側にいたい」
- 798 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:06
-
* * *
- 799 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:06
-
彼女は知らない。
その大きな瞳で見つめられると不安を感じる絵里を。
信じきったまっすぐな視線で、さゆみがこちらを見る。
先輩にお小言を言われた時、スタッフさんに注意を受けた時。周囲の大人に理不尽に当たられた時。
ダンスの先生に褒められた時、お姉ちゃんと遊んだという次の日、後輩においしいお菓子をもらった時。
一瞬一瞬瞳の色を変えて、さゆみが絵里を見つめる。
『絵里』
絵里の名前を呼んで、大きい瞳がこちらを見つめる。
口先では素直じゃない言葉を言っていたって。瞳が全部映し出す。
誰にも言えない本音さえ見透かされていそうで、いらない不安を覚えるほどだ。
我慢弱い絵里はおどけていた。
卑怯だと知っていても、そうすれば最後にさゆみは笑ってくれた。
しょうがないなぁ、と呆れても。
信じられない、と怒っても。
結局、大きな瞳は緩やかなカーブを描き、表情全体が綻ぶ。
その瞬間、絵里の心はとても穏やかだった。
- 800 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:07
-
過ごす時間をどんなに重ねても、さゆみの瞳は正直だった。
ギョーカイの処世術をそれなりに身につけてもそれだけは変わらなかった。
- 801 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:07
-
* * *
- 802 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:07
-
今日はおどけない、と内心言い聞かせていても。
「側にいてよ、さゆがいないと寂しいじゃん」
最後までカッコ付けはもたなかった。やっぱり、笑ってしまう。
「ホント? 」
絵里がここで嘘を吐いたとしてもさゆみはきっと見抜いてしまう。
目を逸らしたら不安がばれてしまう。
何も不安になることはない。
側に、さゆみがいた。
「ほーんーとー」
繋いでいた手を絵里は自分の身体の方へ力任せに引っ張った。
油断していたさゆみは絵里の力のままに引き寄せられる。
唇が耳元に触れるくらいの至近距離で「嘘」と囁いた絵里はぱっと駆け出した。
「ちょ、ひどっ」
絵里っ。
数メートル駆け抜けた距離を置いて、絵里は立ち止まった。呼ばれたからには返事をしなければならない。そんな律儀な性格でもないけれど。さゆママには二人で帰ると連絡してしまった。親御さんへの嘘はよくない。嘘はよくない。
- 803 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:07
-
「やっぱ嘘」
「トドメ刺してるの? それとも前言撤回? 」
さゆみが早口で畳み掛けてきた。ゆっくりの足取りとは対照的な口調だった。
「前言撤回して、トドメを刺す」
バーンと、片目を瞑ってピストルを撃つ真似をしてみせた。
「ヒュー、上手いこと言うようになったね」
いい子いい子なんて、絵里はさゆみに頭を撫でられていた。
「あーりーがーとー」
いい子いい子され、単純な絵里は自分が恰好付けていたコトも忘れて少しだけいい気分になっていた。
「帰りますよ」
また手を繋いで歩き出す。
「明日もお仕事ですからね」
「さゆみ、期末テストってモノをすっかり忘れてた」
「思うんだけど、さゆってよく進級できたよね」
「それ、絵里だけには言われたくない」
他愛もない言い争いを続けながら、コンビニへ続く階段を下りようとした時、東京中停電にでもなったような暗闇が二人の頭上へが落ちてきた。
- 804 名前:Orange_And_Soda 投稿日:2009/03/23(月) 13:08
-
絵里とさゆみが同時に振り向くと、観覧車の照明がすべて落とされていた。
「中途半端な時間に消えるんだね」
「へー、明日ガキさんに教えよう」
「それ聞いてガキさん喜ぶの? 」
「えー、見たい見たい!って言ってくれると思う」
「……確かに」
そこでさゆみと絵里は同時に階段を下り切った。
コンビニの強い白光に目が眩みつつ、肩を並べて二人は自動ドアをくぐった。
「いらっしゃいませこんばんわー」
「いらっしゃいました、こんばんわー」
「絵里、恥ずかしいから止めて」
- 805 名前:_ 投稿日:2009/03/23(月) 13:08
-
- 806 名前:_ 投稿日:2009/03/23(月) 13:08
-
- 807 名前:寺井 投稿日:2009/03/23(月) 13:14
- 以上です。
『私と彼女のソネット』
>>607-633
>>638-660
>>666-689
>>751-784
『かみさまの声援』
>>696-743
『Orange And Soda』
>>787-806
あと、1更新分だけ上記の流れを汲んだ話が続きます。
昔話を長々と、申し訳ございません。ホントに。すみません。
あと、1更新分!あと1更新分だけ!!
- 808 名前:寺井 投稿日:2009/03/24(火) 09:17
- 更新しまーす
新垣さん視点、登場人物は
新垣さん、亀井さん、藤本さんです
- 809 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:17
-
◇ ◇ ◇
- 810 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:17
-
すっかり夏めいた季節だった。
うだるような暑さではないけれど、玄関の戸を開けた瞬間や移動車から降りた時など気付けば日差しは夏のものだった。
日差しから逃げるように、小走りで事務所が入っているビルの自動ドアをくぐった。
空調が稼動しているビル内は肌寒さを感じる程だった。Tシャツの上に羽織っていた薄手のパーカがこういった場所では手放せない。すれ違う人たちの恰好もまちまちだ。スーツ姿の人もいれば、ぴっちぴちの白Tシャツにジーンズ姿の人もいる。居合わせる人模様で分かるように、このビルには様々な人が出入りしている。かく言う、私だってその一人だ。
- 811 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:18
-
エレベータホールで暫く階上へ向かうエレベーターを待っていた。
数台エレベーターの号機があったがタイミング良くどれもこれも階下へ向かったり、上階へ移動したりした直後だった。それもそのはず、私以外にエレベーターを待っている人が一人もいなかった。
はぁ、と口にだして落胆してみても、エレベーターが早送りされるワケじゃない。
せっかちな性格お蔭で携帯電話をぱたぱた開閉したり、エレベーターのがどこの階にいるのかちらちら確かめたり落ち着かなかった。
落ち着きの無い態度のままふと、視線を脇へ向けると、清掃道具を持った用務員風の人が立っていた。側には階段がある。
いや、待て。と自分に言い聞かせる。
どう考えたって、階段で10階上るとかありえない。エレベーターを待っていた方が早いに決まっている。決まっているのに。心が急く。
また、ちらちらとエレベーターの動向を視界の端で追いかけていた。
どんどん階上へ進んでもどってくる気配がない。
待って、待って、待って。いやいやいや。
一人、心の中で、上るが早いか待つが早いか考えていた。考えていたのに。
何故か、私は階段で上ろうと頭の悪い選択をしていた。過酷スケジュールの所為で判断力が鈍っていたとしか思えない。
- 812 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:18
-
* * *
- 813 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:18
-
2階分、階段を上ったところで私は膝に両手を突いて息を吐き出した。
「あぁー」
やっちまった。
これはやっちまった。想像以上に階段上りってキツイ。2階分でこれだけ息切れするってコトは。この先どうしよう。
今度は「アチャー」と額に手を当てて自分の失敗を責めた。
誰が見ているワケでもないけど。っていうか。こんな場所に誰もいないんだけど。自分を元気付けるためにも声を出してみた。
「さぁ、行くよ! 」って。だから誰もいないんだけどね。
また、私は階段を上り始めた。
上りしに、羽織っていたパーカを脱いで腰に巻いた。
ちょっと、気合を入れなおして一気に3階分駆け上る。誰と競争しているワケでもないのに。必死に走った。
こうなったら帰りも階段で下ってやる、と半分を過ぎた頃にはヤケクソになっていた。
- 814 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:18
-
* * *
- 815 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:19
-
「あ゛ー、も゛ー。つらい」
無理無理!、と独り言を呟いて階段に座った。
「冷たいし、硬いし、咽喉渇いたし」
座った階段は硬いし、お尻がひんやりしてなんだか落ち着かない。
座って、わーわー言っていても誰かが私を運んでくれるワケでもないし。階段で上ろうって決めたのは私だし。後悔の波がズンドコ押し寄せてくる。
はぁっ、酸素が足りない。
深い溜め息をつくと見せかけ深呼吸、深呼吸。吸ってー吐いてー。吸ってー吐いてー。で、っていう。誰も笑ってくれるどころか、失笑すら聞こえてこない。
あと、1階分。この1階分が非常につらかった。
有名なあの、はこねえきでんのやまの神様にでもお祈りしたい。我に力を!なんつって。
- 816 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:19
-
「あー、しんどー」
よっこらしょ、と零しつつ腰を持ち上げた。もう、いいや。ゆっくり進むことにした。
時間に余裕を持って行動していた自分をそこで初めて褒めてみた。階段地獄を選らんだ時は後悔しきりだったけれど、やるじゃん、自分。みたいな。それに、気合を入れて駆け上ったお蔭であのままエレベーターを待った場合より、大分時間が短縮されている気がする。きっちり計ったワケじゃないから感覚だけの憶測だけど。きっと、早いに違いない。そうだ。そうなのだ。頑張るぞ。あと1階分、自分の力で上り切るのダー。あぁ。しんど。
えっちらおっちら、鼻歌を歌って気分転換しながら手すりにしがみついて上っていた。
「あるいてるー」っていうか。のぼってるー。だけどね。
あー、しんどー。
勝手に浮かれたり、沈んだり。一人コントを演じてバカだなぁとは思っていた。後悔だってそれなりにしていたけれど。
「……っ」
「…っ、……」
私の目的地の非常口側から声が聞こえてきた。
声の様子から、楽しくお喋りってフンイキでもない様子だった。
「待ってください」
その会話を聞いて、私は更に後悔をした。
エレベーターで昇っていれば、あんな場面に出くわすことはなかったのに。
- 817 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:19
-
◇ ◇ ◇
- 818 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:19
-
「みきは悪くないし後悔もしてない」
少し荒立った口調だった。珍しくないトーンだったけれど。まさか、ここでその声を耳にするとは。不意打ちだった。
もっさん……。
私は思わず、息を殺していた。
息切れで酸素不足だったのも忘れ、一瞬息を飲み、それから立ち止まった。
「あ、でもちょっと後悔」
もっさんは冗談でもいうような声だったけれど。表情は少しも笑っていなかった。
「泣き虫なくせに強がりのシゲさんが、勝手にまた辛い思いをするんじゃないかって思うと」
みき、今度は側にいてあげられないんだね。
もっさんの鼻にかかった声はいつものことだ。
でも、今は泣いているの? それとも本当に笑っているの?
- 819 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:20
-
「さゆは、絵里もいるし、れいなもいるし。愛ちゃんもガキさんもいるから」
そして、カメがもっさんの側にいた。
「でも、藤本さんが一人になっちゃう」
カメの声がおかしい。少し、震えるような涙声のような。いつもの甘ったるい舌足らずなものとは違った。
「言えばいいのに、キレイゴトなんて言わないで。オマエの所為で大変だって言えばいいじゃん」
もっさんの挑発にカメは黙っていた。
それをもっさんが言うのはあまりに理不尽だ、と私は悲しかった。
けれど、カメは違った。
口惜しいけれど。その時のカメは恰好良いとすら思えた。
私はカメと同い年だけど先輩だ。まさか、カメを恰好良いと思うだなんて。自分の不甲斐なさを情けなく思った。
ねぇ、カメ。どんな気持ちでもっさんに伝えたの?
- 820 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:20
-
* * *
- 821 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:20
-
誰も口にできなかったその言葉をどうしてカメが言うのかなぁ。
「これは、絵里のわがままなんです」
おどけたような真剣な演技。
カメの声のトーンが変わった。
私はこのまま盗み聞きするのはしのびないと思いつつも、動くことができなかった。
カメの声が真剣そのもので、今からひょっこり出て行って舞台をぶち壊すような真似はできそうもなかった。
私は、二人の舞台を袖から眺める。観客でもない。役者でもない。しいて言うなら舞台の演出には何も関係ないスタッフ。例えば、劇場の清掃業者とか。
「絵里が守ります」
藤本さんを、絵里が守ります。
カメの表情は何でもないようなことを口にする、おどけた様子のままだった。
「だから、安心して下さい」
絵里が守るから。大丈夫だから。
掠れていたのに、揺れない芯が通った声だった。
「辞めないで下さい」
絵里の側に、いて下さい。
泣きそうな表情をしていたのはカメで。
藤本さんは泣いていた。
私は手すりの冷たさを手のひら一杯に感じ、そうして立ち尽くしていた。
- 822 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:20
-
◇ ◇ ◇
- 823 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:21
-
カメが伝えた言葉はきっとあの時、もっさんが一番欲しかったものだったに違いない。けれど、他の誰も口にすることはできなかった。勇気がなかった。
彼女の犯した過ちはグループにとって些細なものではなかった。メンバーは突然の事態で得体の知れない不安に襲われた。今でもその不安は拭い去れていない。
ことの大きさと自分に襲い掛かった不安に飲まれて、私は一人の女の子の気持ちを見過ごしていた。
普通に考えてみれば、報道の渦中にあった彼女が自身の損得だけで、心なくメンバーを裏切るとは思えなかった。
もっさんはただ、「ごめんね」と繰り返すばかりでカメの待つ答えを出すことはなかった。
初めて、彼女に苛立ちを覚えた。
もっさんの犯したこと。違う。カメの思いに答えないことだ。
ぎゅっと手すりに力を込めて目を瞑った。
でも、彼女に苛立ちをぶつけるのはお門違いだった。私は何もできない。カメのようにもっさんの真正面に立つことすらできなかったのだ。
- 824 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:21
-
* * *
- 825 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:21
-
もっさんが、娘。から脱退したくてわざと週刊誌に記事を売ったんだとか。
記事にされたのは予想外だったけど、ラッキーだったって喜んでるとか。
分からない。本当のもっさんの気持ちは分からないけど。
彼女なりに娘。を大切に思っていたのは誰よりもメンバーが知っていた。
もっさんは脱退を憂鬱とは捉えないかもしれない。
でも、彼女なりの真摯な気持ちでメンバーの私達を大切に思ってくれていた。
私の一人よがりな勘違いかもしれない。それでも、彼女の態度からそう感じていた。
- 826 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:21
-
"辞めないで下さい。
絵里の側に、いて下さい。"
あの言葉を事務所の階段で立ち聞きしたのは既に2ヶ月くらい前だ。
カメはあれから泣き言を一つも言っていない。
そりゃ、「お腹空いた」や「眠い」くらいは言うけれど。「ガキさぁ〜んどうしようー! 」といった類の的外れな泣き言の電話やメールはなくなった。
- 827 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:22
-
新しいシングルリリース日の深夜。不安と一緒にまどろんでいると。携帯電話の着信音が鳴った。
眠りの浅い私はすぐに覚醒してしまう。
サブ画面には「ぽけぽけぷぅ」という間の抜けた字が並んでいた。
愛ちゃんでもない。
光井でもない。
カメからの着信は、久しぶりだったと気付く。
深夜にはうるさい程の着信音を通話ボタン一つで止める。
耳に携帯電話を当てた直後。
「ガキさんどうしよう」
眠れないの。
- 828 名前:コールド・コンフォート 投稿日:2009/03/24(火) 09:22
-
不安のカメを他所に私は心底安堵した。
不安げなカメを知り、私は安心することができた。
自分の性質を自分できちんと把握しているワケではなかった。だから。
どうして、しっかりしているカメを見ると私が知らぬ間に不安になるのか分からない。
どうして、今、安心しているかも、分からなかった。
ただ、不安げな相手に告げる言葉は決まっていた。
「大丈夫だよカメ」
私が側にいるから。
- 829 名前:_ 投稿日:2009/03/24(火) 09:22
-
- 830 名前:_ 投稿日:2009/03/24(火) 09:22
-
- 831 名前:寺井 投稿日:2009/03/24(火) 09:23
- 以上です。
やっつけじゃないです。
- 832 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/03/25(水) 19:19
- 長編って訳じゃないのにすごく読み応えがありました
藤本さんがこの時期のことをこんな風に語ってくれることはないんだろうなと思うから余計に
娘のみんながそれぞれすごく生々しくてよかったです
- 833 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/10(金) 00:00
- この話好きです
- 834 名前:寺井 投稿日:2009/04/24(金) 21:27
- レスです
>>832 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
生々しい、最高の褒め言葉を頂戴いたしました。
お時間を割いてお読み頂き、コメントまで頂き本当に恐縮の極みです。
ありがとうございます。
>>833 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
頑張ります。ありがとうございます。恐縮です。
- 835 名前:寺井 投稿日:2009/04/24(金) 21:32
- 更新しまーす
矢島さん視点、登場人物は
℃-uteさん、Berryz工房さんです。
※注意をお願いいたします。
架空の人物ですがふつうに男子が登場します。男性が登場するだけで嫌悪感を覚えるかたは大変恐縮なのですが、お読みにならないようお願い申し上げます。
また、落とせばいいかな、程度の軽い気持ちで男子を登場させて更新しております。怒っちゃいやーん
- 836 名前:寺井 投稿日:2009/04/24(金) 21:33
-
◇ ◇ ◇
- 837 名前:寺井 投稿日:2009/04/24(金) 21:34
-
えりが熱心にスケッチブックに向かっている。いつもだったら、メンバー同士で遊んでいたり雑誌やマンガを読んでいたり、ゲームをしたり、音楽を聴いていたりする空き時間が、4月に入ってからはスケッチブックと睨めっこの時間に変わった。この前スケッチブックと迂闊に発言したらクロッキーと言い直された。何が違うのか、どっちでもいいことだと思ったのでとりあえずごめんと謝っておいた。
舞が言うことには、えりは最近読んだマンガの影響で芸術系の大学に進学したいんだとか。彼女は大真面目にデッサンの練習をしているみたいだ。デッサンは基本らしいいよ、とメンバーの中で一番年下の彼女が半分笑った様子で言っていた。
- 838 名前:寺井 投稿日:2009/04/24(金) 21:35
-
芸術系の大学進学について知識はないけど。美術系の高校とか専門の予備校とか通っている人だって何度も失敗するって聞く。そう聞くし、事実だと思う。名前の通った大学への進学は学力だけでも熱心さだけでも叶わない。
でも、受験する前からえりの夢を否定する必要はない。だから私はリクエスト通りのポーズをとってじっとしているだけだ。
「舞美、今度は背中で、上からと下からと手を回して組んでみて」
彼女の表情は真剣そのものだ。
えりが芸大へ進学するかどうか、結果はどうでもよくて。もし明日、体育大学へ進むつもりだと宣言されても驚くことはなく。えりのスケッチブックへ向かう表情で大半の意味は為していた。それだけで充分だった。
だから私は彼女から要求されるポーズに、どんな意図があるかちっとも理解する気にならなかった。
- 839 名前:ふぉろー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:36
-
◇ ◇ ◇
- 840 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:36
-
久しぶりに訪れた教室は他人事のようにがらんとした様子だった。一つ上の学年へ進級はしたけれど、特進、国公立大学進学、私立大学進学、それから文系理系に選別されたお蔭で、クラス替えの効果は薄く、大きな変化の無いメンバーを寄せ集めていた。
3回目のクラス替え。猶予期間の終わりが迫っている感覚。大人へ近付くほど、道は開けていくと思っていたのに。近頃、閉塞感を覚えて仕方が無い。
中央より後方へ位置されていた自分の席で一枚の紙と睨めっこ。ふと、空き時間のえりを思い出した。日本人離れした造形の表情で、真顔になると。迫力があった。やっていることは突拍子も無いことなのに。真剣な様子とあの迫力には、妙な説得力があった。えりは本当に、芸大へ進学するつもりなのだろうか。
- 841 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:37
-
提出期限が今日までだった、進路調査票に初めてじゃない溜め息を零した。
いっそ、留年したっていいのに。理由も無くそんなことを思った。考えるのが面倒臭い。あーぁ、とまた溜め息を吐き、机の天板にごつんと額を当てて目を閉じた。
置いていかないでよ、えり。焦るじゃんか。
泣き言が口からつい出そうになった時だ。教室の引き戸が開いた。
「っおお。まだいたんだ」
誰もいないと思っていたらしい登場人物が私に驚いたみたいだ。無視し続けるのも無礼だし、机に突っ伏したまま、顔だけ出入り口の方へ向けると。見覚えのある男子生徒がこちらを見ていた。確か、同じクラスだった気がする。何やら私に用事があるみたいだし、多分同じクラスなんだと思う。
学校指定のスポーツバッグを肩に掛けているから運動部に所属しているのだろう。
「伝言」
クラスメイトらしき彼は自分の机へと移動しながら話しかけてきた。
名前が思い出せない。誰だっけ?このこ。
「進路調査票まだ書けてないないなら月曜でもいいって、先生が」
机の中から携帯電話を取り出した男子は着信をチェックしながらそんなことを伝えてくれた。
- 842 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:37
-
なんだっけ、名前。なんか、℃-uteみたいな名前だったと思うんだけど。中島じゃないし、鈴木じゃないし。
「はーい」
わざわざありがと。と言いつつ、身体を起こした。
有原じゃないし、萩原でもない。
「部活ってもう始まってるの? 」
喋らないのもヘンだしと、いらない気遣いでこちらから無意識に話しかけていた。
「始まるも何も、休みなんてないし」
そっか、そうだよね。部活に春休みも夏休みも土日もないなんて当たり前だった。
「まだ進路決めてないの? 」
梅田でもない、岡井でもない彼はずけずけと私の弱点を突いてくれた。
名前。今、質問したら嫌な気持ちにさせるかな。
「矢島って、しっかりしてるっぽいから。推薦でもなんでも取るのかと思ってた」
ろくに喋ったこともない相手に、進路を相談するワケにもいかないし。私は相手に質問返しをした。
「そっちこそ、もう進路決めてるの? 」
悪いけど、やっぱり名前が思い出せなかった。クラスメイトらしき男子は携帯電話を制服のポケットにしまってこちらを見た。
「まぁ。普通に」
普通にって。まるで私が普通じゃないみたいな言い方。地味に傷付くんだけど。
「つーか、帰んないの? 」
あ。話題逸らされたし。いいけどさ。私、結構真剣に悩んでるつもりなんだけど。そういう風に見えないのかな。
「練習? 」
彼の質問には答えず、また質問で返した。
相手は少しだけ呆れたような困ったような表情になった。
「さっき負けて、学校戻ってきた」
そうか、今は春季大会の時期なんだ。相手の風貌から野球部あたりなんじゃないかと勝手に推測して話を進めることにした。
- 843 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:38
-
「打った? 」
私の期待を込めた一言に、彼は苦笑いを零して答えた。
「敗戦処理」
はいせんしょり。聞きなれない単語だった。よかったね、って言えばいいのか。残念だったね、って言えばいいのか判断に困った。相手は私が意味を理解していないことを予想していたみたいだ。
「打席には立ってないの」
イマイチ、野球のルールが分からない。打席には立ってないけど、試合には出場したのだろうか。ピッチャーって、打たないんだっけ。っていうか。この人ピッチャーなの?
「矢島」
彼は笑っていた。
「全部顔に出てる」
そう指摘され、私は思わず自分の手で時分の顔に触れていた。
「打席は回ってこなかったけど、試合には出れたし」
携帯電話をしまったポケットと反対側に手を突っ込んだかと思ったら、きれいなフォームでこちらに何かを放ってくれた。驚きはしたけれど、難なく片手でそれをキャッチした。
「アメちゃんあげるから、早く帰れば」
キャッチしたのはあめ玉なんかじゃなくて、食べかけのグミの袋だった。品薄でなかなか手に入らないグミだ。
相手の態度は私を子ども扱いするものだった。野球のルールに疎いからといってバカにされるのは癪にさわったけれど。グミが魅力的で腹立たしさもすぐに消えた。
「ありがと」
お礼を告げた私に、彼はまた眉を八の字にして表情を崩していた。
「たんじゅん」
私が、たかがお菓子一つに喜んでいることがおかしかったらしい。
どうして、コイツ。いちいち上から目線なんだろう。今日の試合、負けたクセに。
帰り支度を始めた私を確認すると最後まで名前が思い出せなかったクラスメイトの男子は先に帰ってしまった。
進路調査票は皺にならないようクリアファイルにしまった。とりあえず、鞄におさめて自宅に持ち帰ることにした。家に帰ったからといってパキっと進路を決められるわけじゃない。
もらったグミを一粒齧る。
「おいしいじゃん」
すぐに、メンバーの顔が浮かんでしまい。一人で苦笑してしまった。
おいしいとか、おもしろいとか。新しい発見をすると一番に教えたくなるのは℃-uteのメンバーだ。
このグミ、どこで見つけたのか、月曜ヤツに会ったら聞いておかなきゃ。
- 844 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:38
-
◇ ◇ ◇
- 845 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:38
-
「ハートの8」
「うーん、残念」
「ハートはどう、ハートは合ってるでしょ? 」
えりの問い詰めに私は黙って首を横に振った。
すると、彼女は大袈裟な表情で「ええー」と不平を漏らした。
「スペードの8? 」
私はまた首を横に振る。
「ああ、そうか。クローバーの8か」
まさか、えり。
「あてずっぽうで言ってるんじゃないの? 」
彼女の眉間の皺が一瞬緩んだ。
「違うよ」
私と視線を合わせずえりは再び眉間に皺を寄せ、山にしてあったトランプに手をかざした。
「気を、カードに残った僅かな舞美の気を感じ取ってるの」
「でも私が引いたカード、クローバーの8でもないよ」
「じゃあ、ダイヤの8だ」
じゃあって。じゃあって何だよ。やっぱりあてずっぽうじゃん。
「はい、正解」
よっしゃーって、えりは大袈裟にガッツポーズを見せたけど。種と仕掛けがあるから、手品っていうんだと思うし。直感で当てたらただの超能力だよ。
スケッチブック1冊をそろそろ描き終える頃。えりは、デッサンから今度は手品に熱を入れ始めた。
デッサンも、手品も。独学でまかなおうとするところが、えりの良い所でもあり、無謀な所でもある。
基本を大事にすることはいいのだけれど。基本に根拠を求めてしまう私はえりと比べて面白みに欠ける。手品の基本はカードマジックらしい。
- 846 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:39
-
「えりかちゃん、さっきからずっと舞美ちゃん独り占めしててずるい」
さっきまで愛理と一緒に課題に取り掛かっていた舞が、崩して座っていたえりの膝辺りに転がり込んできた。えりは舞を抱えるように、足を伸ばして一人分のスペースを作った。
「私に構ってもらえなくて、そんなに寂しかったか」
といって舞を無理やりいい子いい子して嫌がる彼女を撫で付けていた。
「まだ、時間あるし、七並べやろう。七並べ」
私の提案に千聖が元気な返事をしていた。えりの相手は嫌がっていたのに。遊ぶとなると急にはしゃぎだした。
「ババ抜きだったら時間かかんないって」
「一休さんにしよう、一休さんだの方が時間関係ないじゃん」
舞と千聖が私の提案をまるで無視して好きなことを言い始めた。えりは舞が自分の膝の上から隣へ移動すると、私の隣に身体を寄せてきた。そして、私の気を感じ取って当てたというダイヤの8を私に突き出してきた。
「ズバリ言うわよ」
少しだけ声色を変えてえりがおどけていた。手品師の次は占い師を目指すみたいだ。
「何? 」
真剣な表情のえりを見ていると少しだけ心が曇る。曇った心を知られたくなくて、少しだけ心の距離を置いて彼女と視線を合わせた。
- 847 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:39
-
「あなたは迷っていますね」
鼓動が早くなった。置いた距離を一瞬で0にされた感覚だ。
おどけ返すことにも失敗して私は表情が固まってしまった。
「ババ抜きにしようか、一休さんにしようか」
得意げな様子でえりが笑った。それから真っ直ぐ繋いでいた視線がそらされ、彼女はカードの山にダイヤの8を戻した。
「えりは、もう決めたの? 」
カードをきっているえりをじっと見つめる。
「うーん」と口をアヒルみたいな形にさせてえりはカードを切り続けていた。
えりも迷っている。えりも悩んでいる。えりも決められない。
えりも?
私は。何に迷っているんだろう。
未来を決めることがとても怖い。
- 848 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:39
-
◇ ◇ ◇
- 849 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:40
-
珍しく何も予定のない休日だった。近頃ずっと、週末はコンサートやイベントがスケジュールに組み込まれていた。学校へ行くわけでもない、ゆっくりできる貴重な時間のはずなのに。こういうぽっと出た休日は手持ち無沙汰で、逆に何かしなきゃと勝手に心が焦ってしまい落ち着かない。
なんとなく、定期券内の街へ出かけた。愛用している消しゴムが欲しかったし、大きな本屋さんへも行きたかった。天気予報で午後から雨になると言っていたから傘を持った。度々、どこかへ傘を置き忘れるから、母親からビニル傘使用命令が出されていた。ビニル傘はかわいくなくてちょっと不満なんだけど。お気に入りの傘を失くすとそれなりに凹むから、母親命令を甘んじて受け入れている。
改札を出る頃には家を出た時より空気の湿度が高くなっていた。愛理の歌じゃないけど髪のクセが気になりだした。日本の名所と言われるスクランブル交差点を無駄に早足で渡り切る。通行人はみんな同じような顔に見えた。目的の本屋さんに入る寸前、自動ドアのウィンドウに移った自分とまったく同じような表情だった。
- 850 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:40
-
* * *
- 851 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:40
-
上階のフロアから当ても無くふらふらとコーナーを見て回った。買う気はないけど、目に付いた本は一応手にとって開いてみた。新書のコーナーはタイトルが印象的でそれを追うだけで頭が良くなった気分になる。IT、情報系のコーナーは逆に、理解できない単語が多くてまるで違う世界のコトみたいだった。
そうして1時間が経った頃、よく見知った相手に声を掛けられた。
「舞美」
不意打ちだった。
「佐紀、偶然」
佐紀だ。こういう場所で彼女を見ると、何故だかとても小さく見えておかしかった。
「なんで笑ってるの」
突然、にやけ出した私を不審に思った佐紀は身長の差分の上目遣いでこちらを見上げた。
「なんでもない」
全然納得していない様子で、佐紀はふーんと言っていた。
「参考書でも、選んでるのかと思ったらそうでもないみたい」
「佐紀だって」
このフロアは雑誌が揃えられている場所だった。わたしは資格やらダブルスクールやらのキャリアコーナーなどとは無関係の園芸コーナーにいた。花を育てるのも楽しいかもしれない。ガーデニングはもっぱら親の趣味だけど。鉢植えを自分で育てられたら、ネタにもなるし。
「見覚えのある美人がいると思ったら舞美だったから驚いた」
佐紀にしてはつまらない冗談を口にした。
- 852 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:41
-
「お母さんか誰かと来てる? 」
佐紀の質問に私は首を振って答えた。
「一人だけど、佐紀は? 」
「学校の友達と遊んでて」
「ほんと、偶然。こんな所で佐紀に会うなんて」
「ただの本屋じゃん」
冷静な佐紀にちょっと寂しい気持ちになった。喜んでくれたっていいのに。これが、佐紀じゃなくてももだったらもっと感激してくれたかもしれない。
もし、ももに出会っていたらというシチュエーションを想像したらおかしくなってまた一人で笑ってしまった。
「舞美が気持ち悪い」
「ごめん」
仕方なく、謝ってしまった。
その場の雰囲気で、このまま立ち話を続けることは何やら気まずかった。手に取っていた鉢植えの写真集を元に戻してエレベーター付近へ移動した。
「友達は? 」
「参考書選ぶの時間かかるみたいで、お互い自由時間」
「佐紀はいいの? 」
何がいいのか、と訪ねる瞳でまた上目遣いをした。くりくりとした大きな目が猫か何かの小動物みたいでかわいらしい様子だった。
「佐紀は、参考書買わなくていいの? 」
私が大真面目に返答すると、彼女は視線をはぐらかして側の窓の外へと顔を向けた。
「勉強も大事なんだけどね」
溜め息と笑いがいっぺんに佐紀から零れた。
含みを持たせる佐紀の答えに突っ込みたいことはたくさんあった。だけど、突っ込みの返しに遭った時、自分の答えを持ち合わせていなくて。聞くことができない。
- 853 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:42
-
「勉強だって、今しかできないって分かってるんだけどね」
今度は溜め息だけだった。
「大学行かないの? 」
私の無機質な声が転がった。窓の外で、雨が降っていた。とりどりの傘が街に次々開いてゆく。
佐紀はゆっくり首を振って答えた。
「大学は行くけど」
大学でやってみたいこともあるし。
あ、ヤバい。
手を伸ばせば触れられる位置に佐紀がいた。
聞かないで。
伏せられた位置で窓の外に向けられていた彼女の視線がこちらにゆっくり移動する。
お願い、聞かないで。
「舞美」
♪♪♪
佐紀の携帯電話の着信音が鳴った。
まるで命拾いしたみたいに私はほっと溜め息が漏れそうになった。溜め息を隠すように、私は一つ咳をした。
佐紀はあわてて電話に出た。どうやら友達の用事が終わったみたいだ。
「お友達から? 」
電話を切った佐紀に先制して尋ねた。
「うん、映画の時間そろそろだからもう行くわ」
佐紀は携帯電話で時間を確認しながら答えた。
「佐紀、傘は? 」
「ヤっバ、持ってない」
また、視線を窓の外に向けて佐紀は情けない様子になった。
「これでよければ貸しますけど」
私は丁寧に畳んでいたビニル傘を相手に差し出した。
「でも、舞美はどうするの? 」
「折りたたみも持ってるから平気。これから雨の中移動するのに濡れたら面倒でしょ」
「ラッキー」
ありがとう。
佐紀は落ち着いた笑顔を見せ、私から傘を受け取った。そして、出入り口の方へ行きかけたと思ったら、またこちらに振り向いた。
- 854 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:42
-
「舞美」
名前を呼ばれて何故か鼓動が早くなった。
動揺が相手にばれた。佐紀は一瞬、眉間に皺を寄せた。
「体調悪いの? 」
さっき咳してたし。
違うと言ったところで取り繕うことは無理だ。付き合いが長い分、その場凌ぎの態度は見抜かれてしまう。そして、付き合いが長い分、私の変調に佐紀は気づいた。
「かも」
弱弱しい笑顔を精一杯表情に貼り付けた。
「もう、帰ってゆっくりするから心配しないで」
「うん、自分で思ってる以上に疲れてるかもしれないし。ちゃんと休むんだよ」
佐紀は"キャプテン"という立場に長く身を置き過ぎた。無意識に相手の顔色を伺っている。今だって、きっと他に言いたいことがあるのに、言葉を選んで口にした。私も、似たような立場だから分かってしまう。
「明日、舞美事務所に来る? 」
「明日は行かないけど、明後日は行くよ」
「あ、そう。よかったじゃあその時、返すね」
そう言って佐紀は持っていたビニル傘を軽く持ち上げた。
それから踵を返す寸前の彼女に私は思わず声を掛けていた。
「佐紀」
佐紀が立ち止まって、こちらを見ている。映画の時間は大丈夫だろうか。思考の隅っこでそんなことを思った。
- 855 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:42
-
* * *
- 856 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/24(金) 21:42
-
分かれ道なんて用意されていなくて。一本道なのに勝手に迷っているような感覚だった。どうして私は先へ進むことが怖くなってしまったのだろう。今までずっと信じて進んできたのに。何故だか最近は決断をすることがとても怖いと思った。
佐紀は不安を覚えていないのだろうか。そんなワケはない。彼女だって不安がないわけじゃない。ただ、決めただけだ。
「映画、感想聞かせて」
私のセリフに佐紀は拍子抜けしたように目を丸くし、そしてこちらにつられるように彼女も笑っていた。
「分かった」
傘、ほんとにありがとう。
「じゃあね」
手を振って分かれた。佐紀の後ろ姿がエスカレーターの方へと消えていく。
折りたたみ傘なんて本当は用意していなかった。
また、傘を失くしたと母親に報告したら呆れられるだろうな。
- 857 名前:_ 投稿日:2009/04/24(金) 21:43
-
- 858 名前:_ 投稿日:2009/04/24(金) 21:43
-
- 859 名前:寺井 投稿日:2009/04/24(金) 21:44
- 続きますん。
やっつけじゃないです。
- 860 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/26(日) 10:10
- うおー。いいですなぁ
- 861 名前:寺井 投稿日:2009/04/27(月) 19:28
- レスです
>>860 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
その一言に励まされます。心強いです。
調子に乗らないように気をつけながら頑張ります。
- 862 名前:寺井 投稿日:2009/04/27(月) 19:29
- 更新しまーす
矢島さん視点、登場人物は
矢島さんと、架空の男子のみです。
※注意をお願いいたします。
架空の人物ですがふつうに男子が登場します。男性が登場するだけで嫌悪感を覚えるかたは大変恐縮なのですが、お読みにならないようお願い申し上げます。
続きますた!
- 863 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:30
-
◇ ◇ ◇
- 864 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:30
-
体格だけで抜擢され、用具の片付けを指示された。
仕事の時は気にならないけれど。学校の中では自分の体格の良さに気付くことができた。クラスメイトの女子は思ったより小さい。私よりも背の高い子は学年でもそれほどいない。3、4人といったところだ。
℃-uteのメンバーではえりが、一番背が高い。キッズの中ではさらに熊井ちゃんがいる。私は、身長が低いワケじゃないけど高いとも言い難い。歳下のメンバー達はこれから成長するだろうし。このまま行けば、愛理に身長を抜かれるのは時間の問題かもしれない。
- 865 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:31
-
"でかいから矢島、片付け頼むな"
と軽い口調で体育の教員に申し付けられた。
最後のゲームで残っていたのは女子数名だけだった。男子は何故か全員サッカーをしていた。今日の気分はサッカーだったらしい。授業など形式だけで、体育の時間はストレス発散の場みたいになっていた。力仕事は男子達に任せたいところだけれど、女子しかその場にいなかったから、仕方なく私は一人でハンドボールの授業で使ったゴールポストを体育倉庫へ戻した。
- 866 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:31
-
仕事の都合で体育の授業に出たり出なかったりするものだから、授業のカリキュラム全体をいつも把握し損なう。この間まではハードル走とか、陸上系だったと思ったのに。球技に変わっていた。バレー、サッカー、ハンド。男女混合チームでリーグ戦が組まれていた。座って勉強するのも苦ではない。でもやっぱり身体を動かす方が好きだ。走ることは一人でも可能だけど。基本、球技は団体競技だから、一人ではできないし。体育の授業は貴重だった。
- 867 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:31
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* * *
- 868 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:32
-
ゴールポストは鉄製だった。サッカーのそれと比べたらサイズは小さい。けれど、一人で片付けるには重量があり、体育倉庫の入り口で立ち往生してしまった。体操部が使う平均台やあん馬が邪魔だった。隅に移動させたいのに、このゴールポストよりも更に重くて動かない。力任せに押し込んだら、鉄の扉に鉄の支柱がぶつかりちょっとだけ塗装が削れてしまった。
「何やってんの」
のんきな声が背後から聞こえた。
後ろから声が聞こえたと思ったら、私の横をすり抜けて野球部の練習着の背中がひょいと体育倉庫の中に入っていった。えーと。この前、名前を覚えたつもりになっていたあの、℃-uteみたいな苗字の男子だった。何だったかな、矢島じゃないし、中島じゃないし。
奴は平均台とあん馬をそれぞれ左右に押し込んでゴールポストが悠々と収まるスペースを作り出した。
「はい、そっち持ち上げて」
だから、コイツはどうしていつも私に対してエラそうな態度を取るのか分からない。
「はーい」
けれど、奴に助けられたのは事実だから素直に返事をして指示通りに鉄の支柱を持ち上げた。
どうやら彼は体育の係りだったようだ。用具を一通りしまい込むと体育倉庫に鍵を掛けていた。
- 869 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:32
-
「ありがとう、助かりました」
私はタイミングを見計らい、大袈裟にぺこりとお辞儀をした。
相手は素っ気の無い態度で「はいはい」と答えるとさっさと体育教官室へ鍵を返しに行ってしまった。なんだか、奴とはテンポが合わない。別にちやほやされたいワケではないけれど。もっと愛想をしてくれたっていいのに。私の営業スマイルが全然功を奏さなかった。
- 870 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:32
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* * *
- 871 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:32
-
いつか、もらったグミはその日のうちに食べてしまった。随分前に提出期限が切れてしまった進路調査票はうやむやになってまだクリアファイルの中にある。中間テストと模試が終わったら、進路相談が予定されている。それまでに提出できれば問題はないみたいだ。
あまり、口うるさく言われないのも寂しい気分だった。
- 872 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:47
- グミをもらっただけで、ただのクラスメイトの男子だった奴の好感度が上がってしまうのだから、単純と言われて相違なかった。私は体育館と校舎を結ぶ渡り廊下に設置されている自販機で500ml入りのスポーツ飲料を買った。この前のグミと今日の片付けを手伝ってもらったお礼をかねて奴に渡そう。
校舎へ戻るにはここを通らなきゃならない、待ち伏せていれば必ず会える。春でもない、夏でもない。中途半端な季節。体育で身体を動かせば汗をかくけど。からっからになるほどでもないし。500mlも水分を補給するか分からない。まぁ、放課後は部活もあるだろうし、迷惑ではない。と知らない間に自分を言い聞かせていた。
ほどなくして、奴が姿を見せた。私に気付いた相手は首を傾げ、不審気な様子だった。
「お疲れ」
私が声を掛けると、相手は訝しげな態度でぽりぽりと顎辺りを指で掻いていた。
「美人に待ち伏せされると、迫力あるな」
なんか怖いんだけど。
彼は眉を八の字にして笑っていた。
「この前のグミと、さっき手伝ってもらったお礼」
言い訳めいたセリフを付け加えて、スポーツ飲料を差し出した。
「くれんの? 」
「いらないなら無理強いはしないけど」
「いやいやいや、有り難く頂きます」
ペットボトルを受け取り、「ごちです」と言いながら彼は合掌の仕草をした。
相手も渡り廊下の先へ進まないし。私も別に急いでいなかったから。なんとなく会話続行の空気になった。他のクラスはまだ授業中だった。4限目を早めに切り上げ、ジャージから着替える時間が私たちに与えられていた。
取り留めの無い沈黙の後、
「矢島ってフトウコウセイト? 」
ペットボトルを手元で遊ばせながら相手が口を開いた。
「ふとうこうせいと? 」
お尻の言葉の意味が分からずおうむ返しをした。
「学校あんま来ないじゃん」
ああ、不登校生徒って言ったのか。
私は笑って首を横に振った。否定の態度を見せたけれど、実際、不登校生徒と言われても仕方ない出席率だった。
「そうかも」
「ふーん」
私は自販機に寄り掛かり、相手は渡り廊下の柱へ寄り掛かった。
- 873 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:48
-
反応が薄い。
興味ないなら、質問するなよ。と、言ってやりたい気持ちをこらえ相手独特の間を共有することにした。
グラウンドにも誰もいない。相手と私以外、側にクラスメイトはいなかった。とても静かだった。
- 874 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:48
-
「友達いないなら、俺、友達になってやろうか」
思わず、吹いていた。
「おまえ」
今、ぶって鳴ったぞ。ぶって。
思いがけない提案に、私は吹き出して笑ってしまった。野球部ってみんなこんな性格なのだろうか。同じクラスという理由だけで、彼なりに私のことを心配してくれていたみたいだ。
学校には時々しかこない。来ていても知らない間に帰ったりする。私が学校生活の他に仕事を抱えていると知らなければ、何やら様子がおかしいと思うはずだ。
℃-uteというグループのリーダーであること。写真集やDVDを発売していること。仕事について、自分からわざわざ周囲に触れ回っていなかった。学校は学校、仕事は仕事だ。事情を知らない一部の人から、私がわがままな不登校生徒だと、誤解をされても仕方のないことだった。
そして、彼にはなんだか芸能関係で仕事をしている、という偏見を持たれたくないと思った。理由は分からないけど。知らないままでいいと思った。
- 875 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:49
-
「友達って」
「笑ってる場合かよ」
彼は口を尖らせ不平を口にした。
「友達になったら何してくれるの? 」
取り立てて答えを用意していなかったらしい相手は、うーん、と視線を泳がせ顎を掻いていた。
「まずは自己紹介だろ」
すっと向けられた視線にどきっとした。どうやら相手にはばれていたらしい。
「おまえ、クラスのヤツらの名前、全然覚えてないだろ」
あははは、と自分の乾いた笑いが空しかった。
「矢島です」
友達になりたいわけではないと、抵抗したい気持ちを持ち合わせつつも。私は軽く会釈をして微笑んだ。それは、"いつも"の自己紹介だった。
「岡島です」
私とは対照的だった。まさしく、野球部のそれ。というようなぶっきらぼうな相手の挨拶がツボにはまり、声に出して笑ってしまった。
この人、岡島だ、岡島。℃-uteっぽいって印象は間違ってなかった。千聖となっきーを足して2で割った苗字だ。
「で? 」
「で、って何」
「友達になったら何してくれるのってはなし」
「はぁ? 」
不機嫌な返答の割に、岡島は明るい表情だった。ペットボトルを上に放り投げてはキャッチしている。
「一緒に弁当食ったり、遊び行ったり、あと何だ」
野球部だけあって、キャッチミスは今のところない。ペットボトルの位置は投げる度に高くなっている気がした。
「恋の相談を受けたり、課題写させてあげたりとか? 」
「まぁ、そんなもんだよね。友達って」
「何なの矢島。不満なの? 」
明るい表情が崩れない。つられてこちらもにやけてしまう。きっとたいしたことない実力のクセに、岡島がベンチ入りしている理由がなんとなく分かる気がした。
- 876 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:49
-
不満ではないと、首を振る動作で答えた。
相手は私の態度に満足気だった。
「矢島に友達がいるかいないか知らないけど」
別に、学校がすべてじゃないし。
同い歳ながら。若いくせに悟ったようなことを言う。
「来たくないなら、無理して来る必要なんてないワケで」
生意気。
同い歳だけど生意気だと思った。岡島は自分で働いて学費を稼いで学校に通ってるんじゃないくせに。どうして行きたくないなら行かなくていいなんて言えるか理解できなかった。学校に通わせて貰っている立場じゃないか。
「他に何かやりたいことがあるならそれでいいじゃん」
会話を終わらせるように、岡島はペットボトルで遊ぶのを止めた。
- 877 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:49
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* * *
- 878 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:49
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歌うことが、他にやりたいこと?
ダンスが本当にやりたいこと?
佐紀は大学でやりたいことがあるって、言った。
えりはえりで何か探している。迷いながらも進もうとしている。
歌でもない、ダンスでもない。きっと他のことだ。
ももは覚悟している。覚悟している自覚もないんだろうけど。
私はももみたいな覚悟ができていないし。
他にやりたいことも見つけられていない。
ただ、進むのが怖かった。
- 879 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:50
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* * *
- 880 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:50
-
「岡島は、やりたいことあるんだ」
不貞腐れたような声になった。
あまり、顔を見られたくなくて、自販機から身体を起こして校舎へ向かうことにした。
「やりたいことー? 」
別にないけど。
岡島は柱に寄り掛かったままのようで、私の足音だけがした。
以前、奴は進路を決めているようなことを言っていた。
私がふーん、と頷くだけで終わらせることができた会話だった。
なのに、振り向いて立ち止まっていた。顔を見られなくないと思ったのに、相手を見つめていた。
「美人が真顔になると怖いんですけど」
岡島の口調からは悪意が感じられず、気付かない間に無防備になってしまう。親しくない相手にむきになってしまう。
「前、進路は決めたって」
「進路決めたって、それがやりたいことなのかは分かんないじゃん」
矢島って、やっぱり真面目だな。
からかうような、バカにするような、見下した言い方。
真面目って言われても、全然褒められている気がしない。
「今は、高校卒業しても野球やりたいから。大学も野球できるトコロに決めてるだけだし」
野球はやりたいことかもしれないけど、それで食っていけるかってなると。また別のハナシでしょ。
- 881 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:50
-
どうして?
なんでこんなヤツに言われちゃうんだろう。
ずっと精一杯やってきたのに。
歌も、ダンスも。舞台も。他のことだって。頑張ってきたのに。
なんで、こんな、万年補欠みたいなヤツに言われなきゃならないの。
こいつには言われたくなかった。
生意気だ。
私は岡島のあっけらかんとした様子に、大袈裟にも絶句していた。
「大学の先は、大学行ってから考えればいいんじゃないの? 」
もたれていた体勢を起こして岡島が首をぐるりと回した。
ムカツク。相手は、本当に私をお子さま扱いしてる。
「言われなくても分かってる」
「ってか。矢島の場合、卒業できるかどうかが問題だよな」
「うるさい」
それ、返して。
自分でも信じられない行動だった。本当に子ども扱いされても仕方の無い態度だった。
「嫌です」
「ばか」
発言してから、なんだか恥ずかしくなった。けれど、言ってしまった言葉は取り戻せない。悔しい。耳まで赤くなっていることを自覚しながら私は校舎の方へ歩き出した。
数歩、進んだ所で授業の終わりを告げるチャイムが敷地内に響いた。間も無く、校内がざわめき立つ。
進めば進むほど、子ども染みた態度を取った自分に恥ずかしさが増す一方で。けれど、思ったほど怒りは感じていなかった。
曇っていた心に晴れ間が差すみたいだ。
- 882 名前:フォロー・スルー 投稿日:2009/04/27(月) 19:51
-
っていうか。恩着せられたままだと勘違いされたら嫌だし。いつまで経ってもコイツから上から目線で物を言われるのは腑に落ちない。
宣言するつもりだった。
その、500mlのペットボトルで借りは返したと。
「中島」
振り返ってそう口にした。
相手ものろのろと移動を始めていて、しかし、私が呼びかけたら立ち止まった。
「岡島なんだけど」
出足を一人で勝手に挫いた。
まさか、ここでなっきーの名前を呼んでしまうとは自分で自分が情けない。
岡島なんて紛らわしい苗字。きっとまた私は間違えてしまうと自分自身を先読みしてそう悟った。
「ごめん、間違えた」
「俺が中島だったら矢島は磯野だな」
「どうして私がいそのなの? 」
素直に質問した私をはぐらかすように岡島は苦笑し。それから。
「友達だから」
と、意味の分からない返答をした。
- 883 名前:_ 投稿日:2009/04/27(月) 19:51
-
- 884 名前:_ 投稿日:2009/04/27(月) 19:51
-
- 885 名前:寺井 投稿日:2009/04/27(月) 19:52
- 続きますん。
やっつけじゃないです。
- 886 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/28(火) 12:53
- 懐かしい感じについニヤケてしまうw
- 887 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/29(水) 00:41
- や、よいですな。
- 888 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 03:00
- 続きますん、てどっちなの!
と思ってたら続きが来たので、また待ってます。
- 889 名前:寺井 投稿日:2009/06/23(火) 23:53
- レスです
>>886 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
なつい感じでしょうか。有難いお言葉です。
精進いたします。
>>887 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
は、恐縮です。頑張ります。
>>888 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
ぞろめ!続いております。
なんだかんだで、続いております……。
本当に、すみません。不甲斐ないです。
邁進いたします。
- 890 名前:寺井 投稿日:2009/06/23(火) 23:55
- 更新しまーす
梅田さん視点、登場人物は
梅田さんと、℃さん多少です。
- 891 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/23(火) 23:58
-
◇ ◇ ◇
- 892 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/23(火) 23:58
-
"早く帰ってきてよ栞菜"
身勝手な思いで栞菜の不在に恨めしさを覚えた。
手渡された傘。
佐紀の真面目な様子。
泣き言を一切言わない℃-uteのリーダー。
断片的に浮かび上がる。
窓の方を向いていた相手の背中がいつもよりも小さく見え、掛ける言葉に詰まった。
- 893 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/23(火) 23:58
-
◇ ◇ ◇
- 894 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/23(火) 23:58
-
栞菜がいない。
打ち合わせの席で、愛理の隣、一つの空席に何気なく視線が集まった。
空席から視線を上げて真横に座っていた℃-uteのリーダーを見た。
現実の彼女を見つめながら、今より少しだけ幼い横顔を思い出した。
めぐがいなくなった時と事情は全然違う。栞菜はきっと戻ってくる。
- 895 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/23(火) 23:59
-
* * *
- 896 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/23(火) 23:59
-
舞美が泣いていた。表情を一切崩さずに。
舞美の時間が止まったみたいだった。ぽろぽろと零れる涙だけが時間の経過を教えてくれて。
『泣かないで』
そう、口にしたのは舞美だった。
いつの間にか私も泣いていた。
目を真っ赤にして、こちらに向いた舞美はにっこり笑っていた。
おかしいよ、舞美。私はこんなに悲しい気持ちなのに。どうして笑っていられるの?
めぐと、歌うことができないんだよ。
ずっと一緒だっためぐと。もう歌うことができないのに。舞美は寂しくないの?
『舞美』
私はそれ以上言葉を繋ぐことができなくて。
心の中がぐちゃぐちゃで。泣き続けるだけだった。
振る舞いから受ける印象よりずっと華奢な舞美の腕に閉じ込められた。
私が震えているのか、相手の振動なのか分からない。微かに二人が揺れていた。
- 897 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 00:00
-
『舞美』
再び名前を呼ぶと、より腕に力が込められて、ぎゅっとされた。
押し潰されたみたいに胸が苦しくて。めぐが℃-uteからいなくなった寂しさだけの所為ではない。一人分の空白を埋めようとする舞美の頑張る姿が。何もできない自分が。悲しい、情けない。言葉にならない。
『側にいて』
辛うじて口にした言葉がそれだった。
栞菜がいない。
再び、℃-uteに一人分の空白ができた。
- 898 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 00:00
-
◇ ◇ ◇
- 899 名前:_ 投稿日:2009/06/24(水) 00:01
-
- 900 名前:寺井 投稿日:2009/06/24(水) 00:03
- もう少し、続きます……
申し訳程度の更新で誠に面目ないです。
ここから梅田さんに活躍頂きたいっっ
- 901 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/24(水) 12:47
- 期待してまーす
- 902 名前:寺井 投稿日:2009/06/24(水) 23:16
- レスです
>>901 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
が、が、頑張ります。恐縮ですっっ
- 903 名前:寺井 投稿日:2009/06/24(水) 23:17
- 更新しまーす
梅田さん視点、登場人物は
梅田さんと、℃さん、キャプテンです。
- 904 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:17
-
* * *
- 905 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:18
-
私に何ができるんだろう。
無駄のない輪郭のライン、時々伏せられる睫毛、その横顔を見つめ続けた。
一つ、二つ、三つ。舞美の顔のほくろの数を数えてはっとする。
「えりかちゃん」
隣に座っていたなっきーが、小声で私を呼んだ。呼ばれた方へ顔を向ける前に、舞美と目が合った。瞬間。"やっぱり"と、思った。
「梅田」
低い声でマネージャーさんから呼ばれる。
私はおどける準備をして、姿勢をただした。それから肩をすぼめ、首を下に引っ込める。申し訳ないという態度を表現するため身を縮めた。
「えり」
やはり、舞美は笑っている。
くっきりとした表情でまっすぐこちらを見ていた。視線を逸らしたのは私の方だった。
「すみません」
舞美に促されるように、私は謝罪を述べた。
打ち合わせを真面目に聞きます、という姿勢を現すべく、座っていた椅子を引いて体勢を整えた。それから、もう一度、首を引っ込めてマネージャーさんに頭を下げた。
どうしてか分からないけれど、打ち合わせの間中、二度と舞美の方へ視線を向けることができなかった。
- 906 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:18
-
* * *
- 907 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:18
-
その日のメイン業務だった打ち合わせが終了すると、舞美はマネージャーさんと連れ立ってミーティングルームを出て行った。後ろ姿がドアの向こうに消えていく。閉じられた後、舞美の笑い声が廊下から響いてきた。向けていた視線の先に、℃-uteのメンバーの後ろ姿が次々現れて消えていく。
「具合悪いの? 」
最後まで残っていたなっきーが心配そうに私の顔を覗きこんできた。
「実は…… 」
と、私は眉間に皺を寄せて俯いて見せた。
「1時間毎に梅干しを食べないと禁断症状が出て動けなくなるんだよね」
「うそばっかり」
なっきーは、呆れたように息を漏らして、それから自分の鞄から梅味のグミを差し出した。
にやりと笑ってから、「ありがとう」と告げた。
一粒、袋から抓んで口に放った。
酸味が舌に広がって頬が内側に引っ込む感覚になった。
「すっぱい」
グミを頬張ったまま、感想を述べた。すると、
「動ける? 」
突然、相手が真顔になった。舞台の時のような大袈裟な様子でセリフを口にする。
私も負けまいとその演技に付き合う。
徐々に徐々に、目を見開き、背筋を伸ばして顔を上げた。
「なんとか動けそうよ」
私たちはしばし見つめあった。
それからなっきーは、何も口にせず深々と頷いた。
「いきましょう」
そう、差し出された手に私は躊躇うことなく自分のそれを重ねる。
我慢できず、途中で噴出してしまったけれど、なっきーも同じようなタイミングでけらけら笑っていた。
- 908 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:18
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* * *
- 909 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:19
-
廊下を歩きながら、自分のつま先を見つめた。
私に何ができるんだろう。
なんもなくても、なっきーはこうして笑わせてくれる。かといってお節介って思う程のわずらわしさはない。千聖に呼ばれた彼女は、もう側いない。
なっきーのようにさり気無い気配りが私はできているのか勝手に不安になった。
あ。
つま先を見つめながら、立ち止まる。
鞄。自分の鞄をさっきのミーティングルームに置き忘れてきてしまった。
くるりと方向転換をして顔を上げた。元来た廊下を戻る。
歌だって、ダンスだって。お芝居だって。
なんだって舞美はメンバー1努力する。全力でぶつかっていく。
誰が手抜きをしているという次元じゃない。
舞美は自身の体力全部で物事をこなしていく。そのパワーは側で感じる分、とてつもないと肌に記憶される。誰も舞美の真似なんてできない。きれいで、力強くて、きらきらしていて。けれど、真っ直ぐ過ぎる姿勢は、後ろで見ていて時々胸を苦しくさせた。
- 910 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:19
-
「梅田さん」
妙に高い声で、呼ばれた。
ぼーっとして歩いていたけれど、スイッチが切り替わったかのように私は機敏な動作で振り返った。
そこには何故か、ビニル傘を両手で持っている佐紀がいた。
新聞折り込みチラシのモデルさんみたいなポージングだった。小指は立っていない。
「あれ、どうしたの? 」
私は気の利かない言葉を迂闊に口にしていた。
がっかりしたように、佐紀が溜め息を吐いた。
「梅さん、まだまだだよ」
どうして、呆れているのかすら私は理解していなかった。
佐紀が何をしたかったのか意図を汲めないまま、彼女を見続けていると、相手は苦笑して「もういいから」と何かを勝手に諦めていた。
少しだけ、傷つく。どうしよう、メンバーからもこんな風に思われているのかな。もしそうだったら、私の価値ってなんなのか自信がなくなる。
「舞美は? 」
佐紀は舞美に用事があるらしく眉をハの字にしたままきちんと畳んである傘をくるくる回しながらそう彼女の所在を尋ねた。
「さっき、マネージャーさんと別の場所に移動してた」
「そっか」
傘を持ち直して一旦考える風に私から視線を外した。
「全然、話し変わるんだけどさ」
佐紀がにやけた様子でまたこちらを見た。
「私のこと、"佐紀"って呼んでたっけ? 」
そういえば、そうだ。いつから、佐紀って呼ぶようになったか覚えていない。
「うーん」
考えるふりをしてみせたけれど原因は明らかだった。
「舞美のうつったかも」
苦笑するのはこちらの番だった。
そういえば、舞美から譲り受けた犬は清水家で元気にしているだろうか。
「いつも一緒にいると、なんかヘンなトコ伝染しちゃうよね」
佐紀だって、ベリーズのキャプテンなのだからグループでの活動から派生する色んな現象は百も承知のはずだ。
「そのうち、キャプテンの小指も立つかもね」
からかうつもりだったけれど、「それはない」とばっさり切られてしまった。でも、私もそう思う。佐紀の小指が反射的に立ち上がることは難しいだろう。
- 911 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:19
-
* * *
- 912 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:20
-
私に何ができるんだろう。
いつも一緒にいることは誰にでもできることだろうか。
些細な佐紀の言葉にチクリと胸が痛んだ。
「コレ、舞美の傘」
佐紀は手で遊んでいたビニル傘の柄をこちらに向けた。
受け取れ、ということらしいので私は無言でその白いプラスチックの部分を掴んだ。
「今日、舞美に返そうと思ったんだけど、もう私会社出るから」
渡しておいて。
佐紀はお願いします、と言って、ペコリと丁寧に頭を下げた。
私と彼女と身長差が大分開くので相手は上目遣いこちらを見ている。
きっと、清水家のワンコも元気に違いない。健康そうな佐紀の瞳、肌艶を見て確信した。
そんな表情を見せられて、断るなんてできないし。別に断固拒否するほどの用事でもない。
「わかったー」
言いつつ、受け取ったビニル傘を両手で持ち直し、しっかり小指を立てて見せた。
「あえて、つっこまないよ」
相手が少し表情を歪めて笑った。
それじゃあ、と言い掛け、佐紀が首を傾げた。まるで従順な飼い犬がそうするように。
一呼吸置く間を作り、
「舞美って、最近体調悪かった? 」
相手がこちらを見つめたままそう口にした。
- 913 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:20
-
今度は私が首を傾げる番だった。
「え、今日は、普通だったけど」
ふーん、と佐紀は一度視線を伏せた。
最近っていうか。舞美が体調不良と訴えたのはいつだったか記憶にないくらい、ずっとあの調子だった。
新曲のレコーディングも、ダンスレッスンも、コンサートのリハーサルも。落ち込んでいた様子なんて微塵も感じられなかった。
あの、真っ直ぐな姿勢で℃-uteの中央に立つ。いつもの、頼もしい背中がすぐに思い出される。
大きな笑顔。
はきはきした返事。
変わらない。何も変わっていないと思う。
「舞美がどうかした? 」
発した声が思った以上に切迫した様子で自分自身一番驚いた。
私を落ち着かせる為か、佐紀は一つ息を漏らしてから口角を上げた。
「傘、借りたから。あの後、舞美がカゼひいてないかなぁって」
そのセリフが嘘なんじゃないかと、疑いたくなった。
「元気そうならいいんだけど」
よくないよ。全然よくないよ。元気な方がおかしいって、思っている自分が心の中で喚いている。
「佐紀」
相手の名前を呼ぶと、また仔犬みたいな様子で見上げてくる。
"私に何ができるの? "
佐紀に聞いたって仕方なのないことだ。
それは分かっている。
- 914 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:20
-
* * *
- 915 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:21
-
愛理には歌がある。ステージ上で一番近い場所に立っているから。
栞菜が不在の空白をパフォーマンスで補い合える二人だ。
私はそれを後ろで見ていることしかできない。
なんにもできない。そんなはずはないと、思いたいのに。
舞美の笑顔が完璧であればあるほど、自分の無力さがまざまざと浮かび上がって私を責める。一人勝手に追い詰められていた。
「そんな顔しないでよ」
目の前の彼女が鏡になって、自分がどんな表情をしているかを知る。
「舞美が元気だったら問題ない」
佐紀はそう言うけれど。本当に元気だったら問題ないけど。
本当に舞美が元気なのかそうでないのか、私には判別できなくて自信が持てなかった。
舞美の為に、私は何ができるんだろう。
歌も、ダンスも、お芝居も。
スポーツも、勉強も、絵を描くことも、お料理も。
舞美が私を必要としてくれる何かが、私にあるのか分からない。
舞美がピンチの時は側にいて手を差し出したり、胸を貸したり、ぎゅってしてあげたり。いつだって側にいて必要とされたいけど。
- 916 名前:フォロー・スルー_-Extra- 投稿日:2009/06/24(水) 23:21
-
"ねぇ、栞菜。
いつもあったものがそこにないとさ。
小さい綻びが気になっちゃって仕方ないの。
早く、帰ってきてよ"
- 917 名前:_ 投稿日:2009/06/24(水) 23:21
-
- 918 名前:_ 投稿日:2009/06/24(水) 23:21
-
- 919 名前:寺井 投稿日:2009/06/24(水) 23:22
- 続きます。
やっつけです。
- 920 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/25(木) 12:22
- おもしろい
- 921 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/26(金) 02:53
- あら、めずらしい
- 922 名前:寺井 投稿日:2009/07/03(金) 07:49
- レスです
>>920 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
身に余るお言葉、精進いたします。
>>921 名前:名無飼育さん
コメントありがとうございます。
从・ゥ・从 <とかいって!
- 923 名前:寺井 投稿日:2009/07/03(金) 07:50
- 更新しまーす
中島さん視点、登場人物は
中島さんと、有原さんです。
- 924 名前:フォロー・スルー_-close_play- 投稿日:2009/07/03(金) 07:51
-
◇ ◇ ◇
- 925 名前:フォロー・スルー_-close_play- 投稿日:2009/07/03(金) 07:51
-
どこかで猫が鳴いている。
見つけて欲しいと訴えているような、威嚇しているようなそれは胸の内の波紋を広げ、心を落ち着かせない。
膝を折ってその場にしゃがみ込み手触りの良い木製のベンチの下を覗いてみた。覗いた暗がりに鳴き声の主の姿はなかった。そのままの低い姿勢できょろきょろと辺りを見回した。季節の所為か、雑草ばかりが目立つ。草の緑は濃く、すくすくと生い茂っていた。
耳を澄ませて、泣き声のする方角を聴き定めようとした。それほど遠くない場所からなあなあと鳴き声は聴こえてくるのに、たくましく生える草を分けて動物の気配を探しても姿を見つけることができなかった。四つん這いのままのろのろ移動し、ベンチから離れて今にも明かりが灯りそうな外灯の側まで来た時にちょっとだけ久しぶりに聞いた声が私を呼んだ。
「なっきぃ」
何してるの?と、溜め息混じりの、けれどいつもの冷静な声だった。
「栞菜、聴こえない?」
「何が」
一拍置いて、私は耳を澄ませる。それから。
「猫」
私の声を聴いてから、栞菜が視線を遠くに向けた。どうやら耳をそば立てて鳴き声を探っているみたいだ。
「ほんとだ、聴こえる」
「お腹空いてるのかな」
姿の見えない猫を追っていた視線を栞菜に戻す。
「お腹空いてるのはなっきぃでしょ」
夏至前の明るい夕暮れ時、栞菜とまっすぐ目が合った。
- 926 名前:フォロー・スルー_-close_play- 投稿日:2009/07/03(金) 07:51
-
* * *
- 927 名前:フォロー・スルー_-close_play- 投稿日:2009/07/03(金) 07:52
-
都市緑化のために作られたささやかな公園に私は栞菜を呼び出していた。決して派手ではない空間。桜の木が何本か植えられていた。今はちょうど紫陽花の花が見頃だ。同じ花なのに、色がまちまちなことに気づいた。舗装されている歩道を挟んで右と左で花の色が赤っぽいのと青っぽいものがある。面積も狭くて外灯が一つしかない公園だけど、意外に風情のある場所だった。
「ごめんね、出歩くの大変なのに呼び出して」
栞菜は黙って首を横に振った。
「普通に、学校は通ってるからこれくらい平気」
なっきぃこそ。と、口にして栞菜が黙った。
思わず宙を仰いでいた。
日が暮れる前に帰ろう。
なかなか沈まないお日様を見ながらそんなことを思った。
栞菜の表情から、彼女の心情を汲み取れず、次に口にする言葉を選ぶのに迷うばかりだ。
「なっきぃこそ、明日も朝からお仕事でしょ」
私は黙って頷いた。
呼び出したのはこっちだ。けれどなかなか本題を切り出すことができなかった。
「明日は舞台のゲネプロ」
その言葉に栞菜が小さく、そっか、と呟いた。
"頑張ってね"
と、相手の唇が言葉を模ったのは分かった。音は届かず、栞菜の声に摩り替わって猫の鳴き声と街の喧騒だけが聴こえた。
- 928 名前:フォロー・スルー_-close_play- 投稿日:2009/07/03(金) 07:52
-
* * *
- 929 名前:フォロー・スルー_-close_play- 投稿日:2009/07/03(金) 07:52
-
栞菜は絶対℃-uteに戻ってくると思っていた。
舞台までに、次の新曲までに、次のコンサートまでに。今だって疑っていない。栞菜は℃-uteに戻ってくる。そう信じているのに、目の前にいる栞菜はいつまでたっても℃-uteの日常に姿を現さなかった。
"頑張ってね"
耳慣れない言葉だった。いつもだったら、頑張ろう、うちらならできるとお互い言い合っていた。
手を伸ばせば届く距離にいた栞菜が、まるで遠くにいる人みたいに笑う。
私はすっかり驚いてしまい、彼女の名前を呼んだ。
「栞菜」
栞菜は名前を呼ばれると、少し困ったような表情になった。眉を八の字にして首を傾げた。
今日はね、おめでとうって言いに来たんだよ。栞菜の生まれた大切な記念日だから。おめでとうって伝えたかった。嬉しかったから。栞菜に出会えて、栞菜が℃-uteの仲間になって。楽しくて嬉しいことが増えた。だから、ありがとうって。ちゃんと言いたかった。
「なっきぃ」
心なしか弾んだ声に名前を呼ばれてやっと距離を取り戻す。遠くになんていない。ここにいる。いつもの、栞菜だ。
「ありがとう」
何が?と、問う前に栞菜が見えなくなった。
栞菜が見えなくなって、外灯の明かりがついた。
耳元で大きく深呼吸をする音が聞こえた。
引き寄せられた腕に閉じ込められ、私は身動きが取れなくなった。
- 930 名前:フォロー・スルー_-close_play- 投稿日:2009/07/03(金) 07:53
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* * *
- 931 名前:フォロー・スルー_-close_play- 投稿日:2009/07/03(金) 07:53
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「私、分かんなくなっちゃった」
栞菜が半分笑って息を吐いた。
「絶対、なんてなくて。どうしたいのか分かんなくなって。すごい迷ってる。不安で、怖くて」
分かんなくなっちゃった。
私を置いてきぼりにするみたいに、早口で続け、最後に「あはは」って、栞菜は乾いた笑いをみせた。その後、すぐに鼻をすする音がした。
「栞菜? 」
恐る恐る不自由な腕を動かし、栞菜の背中に自分の手のひらを添えた。
外灯の明かりがチカチカして目障りだった。光の所為ではなく、今、栞菜がどんな表情をしているかを思うと、映る景色を直視していることができなくなった。
彼女を落ち着かせるためだけでない、自分の胸を撫で下ろすように相手の背中をゆっくり手のひらで触れた。
「℃-uteに戻るのも、℃-uteじゃなくなるのもすごく怖いの」
さっき聴こえた猫の鳴き声みたいだった。見つけて欲しいと訴えているような、威嚇しているような。栞菜の声に心の中がざわざわした。
- 932 名前:フォロー・スルー_-close_play- 投稿日:2009/07/03(金) 07:53
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* * *
- 933 名前:フォロー・スルー_-close_play- 投稿日:2009/07/03(金) 07:54
-
それはずっと前から。
「栞菜は、もう、一人じゃないよ」
私は搾り出すように、そう口にした。
どこにいたって、いつだって。変わらない。
「℃-uteのメンバーになった時から」
栞菜は一人ぼっちじゃなくなった。
相手は落ち着いた様子でまた、鼻をすすった。
「頑張って」
栞菜、頑張ってね。
「一人ぼっちじゃないんだよ」
今は側にいられないけど。
「頑張って、栞菜」
誰よりも近くで応援してるから。
栞菜の不安がどれくらいのものなのか、私は分からない。
栞菜の選ぶべき道が何なのか、私は分からない。
「私は栞菜のことが大好きだよ」
しばらく大人しくしていた相手が少しだけ震えた。私は栞菜の腕をぎゅっと掴んで離さない。
伝わればいいのに。思ったことが触れた箇所から、栞菜に全部伝わればいいのに。
日が暮れる。その瞬間、鳴き声が聴こえないことに気づいた。
帰らなきゃ。そして、その前に言わなくちゃ。
「栞菜」
一度、身体を引き、相手の顔を覗き込んだ。
背中に置いていた手を戻す。その手で栞菜の表情を隠す髪を梳かし、脇へ避けた。
ゆっくりと、相手は顔を上げた。その時、彼女の口角が上がっていることを私は見逃さなかった。
「お誕生日おめでとう」
- 934 名前:_ 投稿日:2009/07/03(金) 07:55
-
- 935 名前:_ 投稿日:2009/07/03(金) 07:55
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- 936 名前:寺井 投稿日:2009/07/03(金) 07:57
- ℃-uteは7人でしょ!
遅くなってしまい、大変恐縮なのですが。
有原さん、ハッピーバースデイ。
やっつけとやっつけじゃないの間。
- 937 名前:寺井 投稿日:2009/07/14(火) 07:27
- 更新しまーす
鈴木さん視点、登場人物は
鈴木さんと、梅田さん、℃さんです。
- 938 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:28
-
◇ ◇ ◇
- 939 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:28
-
私の知らない栞菜をえりかちゃんは知っている。
PV撮影のスタジオで、並んで立っていた二人の後ろ姿を目の当たりにし、そんなことを思った。
私の知っている栞菜がすべてじゃない。
栞菜って、あんな風に笑うんだ。
二人が何気なくお喋りをしている雰囲気に、ふと、知らない寂しさを感じた。
- 940 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:29
-
「どーすんのコレ」
千聖の声と、「ごめん」と謝る舞美ちゃんの声が聞こえて、それから数人の笑い声が続いた。
「いや、まさかホントに着れると思わなかったから」
「ボタン取れたーっ」
「大丈夫、大丈夫。重ね着するから一つくらいボタン取れてても分かんないよ」
「微妙に伸びてるし」
適当なリーダーの慰めに、千聖は不貞腐れた様子で不平を申し立てていた。
どうやら、メンバーの中でも小柄な彼女の衣装を着てみたかった℃-uteのリーダーはサイズを無視して無理やり着こなし、型を崩してしまったらしい。
「ほら、こーして、こーすれば」
舞美ちゃんは抵抗する千聖をお構いなしにガーっと衣装を着せ替えた。ストールをぐるぐるっと彼女の首に巻き付け仕上げにぎゅっと締め付けた。
「ぐっ、ちょ」
ギブアップするように、千聖が舞美ちゃんの大きな手をぺちぺち叩いた。
「う゛、苦しっ」
「あはは。千聖、本気で汗かいてる」
「みーたん、笑ってる場合じゃないから」
なっきぃが千聖より青い顔をして舞美ちゃんの後ろから、羽交い絞めする恰好で二人を引き離そうとしていた。
私もびっくりしてストールから舞美ちゃんの手を離そうと千聖を後ろから抱っこして反対方向へ引っ張った。
「ぃり、締まっ」
額に汗を滲ませた千聖が必死でこちらに顔を向けた。私が引っ張ると余計に首が締まってこのままでは窒息の可能性大だ。
「ごめん」
抱いていた腕を解くと、紐が切れた操り人形のようにぺしゃりと千聖は床に崩れ落ちた。
「リーダーに歯向かうとこうなるんだからねー」
舞美ちゃんは爽やかな笑顔で決め台詞を口にした。
絶対、舞美ちゃんが悪いと思うのに。千聖を含め側にいた私たちは誰も反論できなかった。
- 941 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:29
-
「舞美ー」
同じスタジオ内だったけれど、少し離れた場所からえりかちゃんがリーダーを呼んだ。
その隣にいたはずの栞菜が私のすぐ横、千聖の側に駆け寄り、困ったような笑い方で「大丈夫? 」と声を掛けていた。
「舞美は自分で思ってる以上に逞しいんだからマジで、手加減してよ」
えりかちゃんはゆっくりこちらに歩いてきた。まるで海外のモデルさんみたいな身のこなしだった。千聖の状態なんて忘れて私はその様子に見惚れてしまった。
舞美ちゃんと比べて大胆さはないけれど、"華美"ってニホンゴがぴったりすると思った。
同じグループになり短くない時間が経っても、見慣れることなんてない。二人が並ぶととても迫力がある。
反対側からあったかい手が伸びてきて肩を抱かれた。
不意に、耳元から声がした。
「人を怪力扱いしないでくださいー」
「正真正銘舞美は怪力です。自覚して」
片眉を下げ、えりかちゃんは溜め息と同時に笑いを零した。
似ていた。えりかちゃんの呆れ気味の様子は、私がくだらない冗談をいったりやったりして栞菜を困らせた時の笑い方を思い出させた。
「ひっど、怪力って断言するんだ」
より舞美ちゃんが力を込めたタイミングを見計らい、私は「痛っ」と声を上げ自分の肩を抑えながらがっくりうなだれてみせた。
「ほらー、愛理まで」
どーしてくれんの、うちのエースを。
リーダーが油断した隙に私はその手をすり抜けて栞菜の隣に座りこみ、彼女の腰に腕を回した。
「愛理」
低音で名前を呼ばれた。
声に導かれるみたいに私は目を閉じ、栞菜の肩に額をくっ付けた。
栞菜の匂いがした。たった、それだけのことに。くすぐったい気持ちになり、顔が緩んじゃうことを抑えられなかった。表情を隠すために顔を背けるふりをしてぴったり相手に身体をくっ付けた。
「舞美ちゃんがスイッチ押すから、愛理がヘンになった」
「しっかりしてよリーダー」
最年少の舞ちゃんにまで責められた年長のリーダーはすっかり凹んだ様子で。
「力加減には今後、細心の注意を払います」
恐縮した態度で千聖に頭を下げたみたいだった。
- 942 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:29
-
◇ ◇ ◇
- 943 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:29
-
キツくて、つらくて。笑うことが億劫になってしまう時だってある。睡眠不足だったり、長時間のレッスンだったり、暑かったり寒かったり、気圧が高かったり低かったり、テストとか、学校の行事とかお仕事が運悪く重なったり、一杯いっぱいになってしまうことは珍しくない。だって、普通に中学生だし。でもお仕事も頑張りたいし。どっちかなんて選べない。
もうダメだって、何度思ったか分からない。思うようにいかなくて、やってらんないって何度も諦めかけた。それでも、逃げ出さなかったのは一人じゃなかったから。
- 944 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:30
-
栞菜の匂いがした。
シトラス系のさっぱりした匂いだけど。後にはふんわり甘い感じが残る。
いつもだったら緩んでしまう表情が、一瞬強張ってしまったことに自分で気づいた。
時間を潰していた駅構内の本屋さんで、周囲に知っている人は誰もいなかった。一人、取り残された気持ちに襲われた。
雑誌コーナーで立ち読みをしていた私の脇を通った、栞菜よりずっと年上の女の人だった。匂いのしっぽを思わず辿ってしまった。
彼女の名前を口にしそうになり、ぐっと咽喉の奥に力を込めて我慢した。
名前を呼んだところで、彼女がここにいるはずもない。
雑誌を元に戻し、本屋さんを後にした。
- 945 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:30
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- 946 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:30
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視界の中で、栞菜が困ったように笑う。
さり気無く、背中に手を触れて支えてくれる。
栞菜を探していた。
頭で考えないようにしていても、無意識に、耳が、目が、手が、いつの間にか癖になっていた。
- 947 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:30
-
うまくいかなくて、何度やっても同じ間違いをしてしまう。
明日はゲネプロだっていうのに。舞台の本番を目前に控え、すっかり不安に囚われていた。
どうしてもセリフを口にするタイミングを掴めない場面があった。
はっとしてから声を出すからテンポが悪くなってしまう。
初め、何度か指摘された。数度繰り返すと何も言われなくなった。
演出に支障はないと、判断されたのかもしれない。けれど、自分の中では納得できていなかった。独り舞台でない現場では気が済むまでお稽古するなど不可能だ。
悔しかった。
ミスをその後に引き摺るワケにもいかず、気持ちがぐちゃぐちゃになりそうでも演技を続けるしかなかった。当たり前だ。℃-uteだけじゃない俳優さん達と一緒に舞台を作っている。ましてや、学校の文化祭でもない。お客さんは正規の料金を支払って、観劇にきているんだから。私一人の我がままで作品を台無しにはできない。
落ち着いて、集中すれば間違えないと、言い聞かせる。
言い聞かせても、鼓動は早いままだ。
少し、手が震えている。
そういう瞬間、無意識に探している。
身体全身で感じようとしている。
声を、姿を、感触を。
困ったように笑った栞菜が、今にも名前を呼んでくれるんじゃないかと期待してしまう。
- 948 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:31
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- 949 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:31
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気付いたら、走り出していた。
元来た道を駆け戻る。できるだけ景色に意識を向けないように前だけを見ていた。1度じゃなく、何度も知らない人にぶつかった。謝りもせずひたすら走った。
息が切れて、肩も使って大きく呼吸をする。
酸素が足りなくて、何も考えられない。息をするだけで一杯いっぱいだ。
引き返してきた、舞台の控え室のドアノブを持つ手が震えていないことに気付いた。身体全身が震えているだけかもしれない。
薄暗い室内に、私の荒い息遣いだけが響いた。
大きく息を吐いている内に、込み上げてくる熱いものを抑える術を持ち合わせていなかった私は衝動にまかせてぶちまけた。
「愛理」
控え室に誰か残っているか確認している余裕はなかった。
呼ばれてから他人の存在に気付いても遅かった。
溢れる涙を直ぐに止めることはできそうもなかった。
なかなか、顔を上げられず、息も上手くできず、みっともない姿を曝し続けた。
酸欠でクラクラしてきた。足元がぐらつく。体重を支えきれなくなって前傾の姿勢になったところで私よりも一回りくらい大きな相手に支えられた。
「ごめん、えりかちゃん」
辛うじて一言断りを入れて、意識を手放した。
- 950 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:31
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- 951 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:31
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栞菜とは違う匂いにつつまれ。それでもいくらか落ち着きを取り戻すことができた。
止まらない涙を誰かの所為にしてしまいたいけれど、また同じ過ちで躓きたくはない。この胸の痛みは何なのか、向き合って一つ一つ乗り越えていかなきゃ意味がない。
明日は必ず上手く行く。
再び震え出した手をぎゅっと握った。
「ホント、ごめん」
何も言わず抱きしめていてくれたえりかちゃんに鼻声のまま謝罪をした。
いつまでも体重を支えてもらうのは悪いと思い、足に力を入れて相手の身体と距離を置こうとすると、えりかちゃんの手からすんなり力が抜けた。
「愛理も舞美と同じだね」
両手で顔を一度押さえて、それから恐る恐る顔を上げた。
日も暮れかけた室内は相手の表情が判別し難いくらい暗かった。
溜め息をついたえりかちゃんは、多分笑っていて。そして呆れたような、困ったような表情だったに違いない。
「何も言わずに一人で解決しちゃう」
そっと前髪を撫でられた。くすぐったい感触だったけれど、何故か申し訳ない気持ちになってしまった。
「ごめん、迷惑だったよね」
私の二度目の謝罪にえりかちゃんは首を横に振った。
「謝んなくていいよ、迷惑だなんて思ってないし」
それに、こっちこそごめん、とえりかちゃんが力なく涙の跡を指先で辿りつつ口にした。
「愛理が泣いてる理由を聞いたらいいのか聞かない方がいいのか分かんない」
他人が泣いている分までも傷付いてしまうような、優し過ぎるところも、栞菜とえりかちゃんは似ていた。同情心とは違う、自分のことのように心を痛めてしまう二人だった。自分の失敗を後悔した。控え室に誰かいるか確認してから泣けばよかった。
- 952 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:32
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- 953 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:32
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一度置いた距離をこちらから詰めた。華奢な腰に腕を回してぎゅっと抱き付く。
「えりかちゃんでよかった」
悲しませたくない思いでそう口にした。
「今、ここにいてくれたのがえりかちゃんでよかった」
触れた箇所全部で柔らかい相手の身体を確かめる。
顔を上げ、近距離でえりかちゃんの表情を見つめた。
少し潤んだ瞳が瞬く間、所在無げに視線が逸らされた。
その、弱気が。私を強くさせる。
「悔しかっただけだよ」
崩れそうになる気持ちを繋ぎ留めてくれる。
「明日はもう、ゲネプロなのに不安ばかり募って、一杯いっぱいになっちゃった」
何も言わなくても見ていて、信じて、側にいてくれる。
「えりかちゃんのお蔭で安心できた」
一人きりだったら、こんなに強気じゃいられなかった。
「我慢してない? 」
逸らされていた瞳がゆらゆら揺れながらこちらに戻ってきた。
その声が優しくて、知られたくなかった寂しさが再び咽喉元にせり上がってきた。
「やっぱ、ごめん」
堰を切ったように涙が溢れてきた。
「悔しい」
うわ言の様な私の呟きに、えりかちゃんは律儀に頷いてくれた。
「情けない」
口にしてはいけない言葉がある。メンバーには決して告げてはいけない言葉。言葉にしなくても通じているから、わざわざ自己主張するなんて愚かなことだと思っていた。けれど、彼女の弱気につけこんだ私は失敗を繰り返した。
「寂しい」
呆気ない響きで、相手に届いた。
言葉にしたところで、寂しさが消えることはなく、二人でいる分どうしようもなさがよりリアルに感じられた。
夢じゃなかった。春のツアーも、今度の舞台も、次の新曲も。
栞菜がいない6人なんだ。
「ごめん、えりかちゃん。ホント」
ごめん。こんなこと言うつもりじゃ。
「愛理」
「お願いえりかちゃん、誰にも言わないで」
お願い。
明日は絶対笑ってみせるから。
だから。
「誰にも言わないで」
- 954 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:32
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- 955 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:33
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栞菜の為だけに泣いているんじゃない。
ずるい自分がいる。
それでも℃-uteとしての日常が過ぎていくのが寂しかった。
ずるくて、欲張りな自分を誰も咎めてくれない。
咎めるどころか、ずるい自分が正しいのだと証明されるように、常に私は光の下に立つ。
何があっても光差す道を前進するのみだった。
その道がいくつの犠牲を払って作り上げられているか、代償は時々憐れむ表情を見せるだけで済んだ。
寂しくても、ずるくても。
それでも、光を浴びていたいのが本心だった。
- 956 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:33
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- 957 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:33
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「私は、早く栞菜に戻ってきて欲しい」
えりかちゃんがぽつりと呟いた。
「だって寂しいもん」
栞菜が℃-uteにいないと寂しいから。
時間が経過するにつれて、はっきりと口にすることがなくなった。
いつの間にか誰も、希望を言葉にしなくなっていた。
「いつでも栞菜が帰ってこれるように、私の今できる精一杯のことは℃-uteを守ることなんだよね」
とっぷり暮れた日の中で、えりかちゃんを探した。
鼻をすすって顔を上げる。
「愛理にしかできない守り方があるよ」
困ったように笑う、えりかちゃんと目が合った。
そして、また、髪を撫でられた。大丈夫と彼女が呟く。
「愛理、大丈夫だよ」
うちらが潰れない限り、栞菜は戻ってくるから。
私の知らない栞菜をえりかちゃんは知っていて。私が知らない私を見つけてくれる。
信じて、側にいて、繋ぎ留めて守ってくれる。
「寂しい」
栞菜。私、寂しいんだ。
℃-uteのメンバーはこうして側にいてくれるけれど。
でも、欲張りの私は栞菜にも側にいて欲しいって思ってる。
「私も、早く栞菜に戻ってきて欲しい」
本音を零すと、胸のつかえが取れたように呼吸が楽になった。
えりかちゃんは大丈夫だよと繰り返した。
私が平静を取り戻すまでずっと側にいてくれた。
ふうっと深い呼吸をしてから目を凝らした。
ちょっと照れ臭かったけれど、にっこり笑うとえりかちゃんも呆れたように笑顔を返してくれた。
- 958 名前:フォロー・スルー_-and_run- 投稿日:2009/07/14(火) 07:34
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「どーれ。明日も頑張ろっかなぁ」
のんびりとした口調でえりかちゃんは言った。
私はこくりと頷いた。
年上の彼女が私の背中を押してくれる。
多分、自分だって不安で仕方ないのに。
「栞菜、観にきてくれるかな」
私の言葉にえりかちゃんが黙って頷く。もう、殆どお互いの表情は分からなかった。
「来るに決まってるじゃん、栞菜は℃-uteなんだから」
"栞菜は℃-uteなんだから"
心の中だけで言葉をなぞった。
それだけで、また少し強気になれた気がした。
- 959 名前:_ 投稿日:2009/07/14(火) 07:34
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- 960 名前:_ 投稿日:2009/07/14(火) 07:34
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- 961 名前:寺井 投稿日:2009/07/14(火) 07:42
- 寂しいんですけれども。
有原さんは頑張った。誰かと比較するんじゃんくて。有原さんは頑張った。
おつかれさま。ありがとうとゆいたいです。
- 962 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/15(水) 02:08
- 栞菜ヲタでも℃ヲタでもないんですが泣きました
寺井さんにありがとうとゆいたいです。
- 963 名前:寺井 投稿日:2009/10/21(水) 20:32
- 更新しまーす
高橋さん視点、登場人物は
ほぼ、高橋さん、新垣さんです。
- 964 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:33
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◇ ◇ ◇
- 965 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:33
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サウンドトラックのCDは持っていた。それなのに、エンディングの曲が聴きたくてDVDを何度もレンタルしていた私に半ば呆れて里沙ちゃんがこのDVDをプレゼントしてくれた。靴、洋服、鞄は衝動的に買い物をしても、それ以外については頓着してなかった。「レンタルするより、絶対安上がりだから」と、彼女は言っていたが安いとか得だとか指摘されて、それもそうだとやっと気付いたくらいだった。
まるでBGMのように流していたDVDは中盤で既にストーリーから興味を失っていた。
ソファにたっぷりと身を横たえて、ただ画面を見つめる。
エンドロールの為に120分近い時間を費やした。
サウンドトラックのCDでこの曲だけを聴くのと、120分を終えてこの曲を聴くのとでは高揚感が違う。
何度も観たラブストーリーの結末は未来へ期待を持たせるこすい終わり方だ。二人の未来は二人にしか分からない。
キーボードのイントロが流れてきて私は目を閉じた。
歌詞は英語だった。単語、単語で聞き取れる部分もある。それでも完全に理解できるわけではない。
なのに、何度聴いても心が震える。
こんな風に、私の歌も誰かに届いているのだろうか。
- 966 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:33
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◇ ◇ ◇
- 967 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:34
-
絵里の言葉は2年とちょっと前のコンサートを思い出させた。私はそのツアー中に不注意でケガをした。ケガの所為でパフォーマンスに支障が出た。悔しい思いをした、コンサートだ。その最終日に吉澤さんがモーニング娘。を卒業した。
「想像できないなぁ」
と、絵里はお腹空いたなぁと同じテンポで口にした。
「小春が卒業するとか、ちょっと想像できない」
電車で帰ろうとしたところ、絵里も今日は電車に乗りたいと珍しくついてきた。平日の昼間でも主要ターミナル駅は人でごった返していた。
目的の電車に二人で乗り込む。ドアが閉まった時に絵里がぽつりと零した。
私は絵里ののんびりした口調に、そうだねと頷き曖昧な笑みを浮かべた。
初めて後輩を見送る立場になった。同期を送った時とはまた違う感覚なのだと思う。私も絵里と同じで想像できていなかった。
「長いようだけど、あっと言う間だったのかなぁ」
独り言みたいなテンポで絵里は言葉を口にした。
「まあ、学校だって3年で卒業するし」
私の面白くない返答に絵里は「そうだね」とさっきの私と同じように笑っていた。
「でもさぁ」
と絵里が突っ込みを入れた。
普段はぽけぽけしているのに、絵里は妙な鋭さを発揮する時がある。天然って言葉がぴったりすると思う。意図しない鋭さに度々はっとさせられた。
「学校だったら普通は年上の人から卒業するのにね」
小春は現在のモーニング娘。では年少組だった。もちろん最年長は私だ。
「私が卒業すればよかったって言いたいんだ、絵里」
私の低い声に、相手は動じることなく、あははと声にだして笑っていた。
そういう意味じゃないけど。言いつつ、絵里が目を細めてこちらを向いた。
目が合う。
徐行していた電車が、止まった。
乗り換えの駅だ。
側のドアが開いて絵里が首を軽く傾げ降りよう、と合図を送ってきた。
私が先に、降車した。
後ろで絵里がまた呟く。
「寂しくなるのは分かるんだけど」
やっぱり、想像できないなぁ。
絵里の声はすぐに喧騒で掻き消された。
2年5ヶ月の間、モーニング娘。は同じメンバーだった。久しぶりのメンバーの卒業。
メンバー卒業の寂しさはいつだって想像できない。
ツアーを必死でこなし、パフォーマンスを突き詰めて、気付くと最終日になっていた。
別れの言葉を選べないまま、娘。から離れるメンバーの背中を見送ってきた。
今まではそれでよかったかもしれない。駄目だったのかもしれないけれど、それで大目に見てもらえていた。でも、今、私はメンバーの中では最年長でリーダーだ。
想像できないと言っている場合でない。
自慢じゃないけど恰好付けるのは得意じゃない。
セリフが用意されているなら話は別だ。
でも、自分の言葉で、となると上手くいかない。
言葉を上手に選べない。
「絵里」
ホームにある電光掲示板で次の電車の時間を確認していた絵里を呼ぶ。
「なーにー」
相手はこちらも見ずにのんきな声で返事をした。
絵里に尋ねたって仕方ないのに。
『私の歌が届いてる? 』
口にすることはできず別の言葉がつい出ていた。
「情けないなぁ」
私の苦笑に、絵里はぱっとこちらに振り向いて一瞬だけ真面目な表情をして見せた。
「愛ちゃんは、恰好良いよ」
真面目な表情は3秒ともたずに、絵里の表情はすぐに崩れて、「目ぇ開けて寝てる時以外ね」と悪戯な目つきを覗かせていた。
ホームに構内アナウンスが流れてきた。
絵里が乗る方の電車が、間も無く到着すると教えてくれた。
- 968 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:34
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◇ ◇ ◇
- 969 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:35
-
DVDはエンドロールも終了して、メニュー画面に変わっていた。
ボーカルの入っていないテーマ曲がBGMで静かに流れていた。
DVDデッキの電源を落とすのに、近くのそれっぽいリモコンを持ち上げたと思ったらそれは携帯電話だった。
リモコンじゃない。
少しの間、携帯電話を見つめていた。
履歴を呼び出し、通話ボタンを押す。
携帯電話を耳に当てると『3,2,1 BREAKIN'OUT!』のサビの部分が流れてきた。
またコール音を変えている。まめな性格は昔からだ。
すぐに繋がった。
「はいー」
相手は出た途端、漫才のベタな始まり方みたいにご機嫌だった。それだけで私は面白くて、挨拶をする前にぶっと噴出してしまった。
すると「はいはいー」と更に畳み掛けてくる。わざとなのかもしれない。
「ガキさん」
笑いが収まらないままとりあえず名前を呼んでおいた。
テレビはまだ、DVDのメニュー画面のままあのBGMが流れていた。
- 970 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:35
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* * *
- 971 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:36
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私の歌が小春に届けばいいのに。
少しでも、届いているといいのに。
上手い言葉は見つからない。
恰好付けることも難しい。
でも、歌なら。
歌だったら、もしかしたら届けられるかもしれない。
そう考えることは浅はかなのか、絶対とは言い切れない自分はやっぱり情けない。
「誰かに電話したくなったらガキさんに、真っ先に掛けていい? 」
里沙ちゃんだったら、上手い言葉を見つける必要もないし。
恰好も付けなくていい。
「ええー? 」
脈絡の無い言葉に里沙ちゃんは状況を掴めず素っ頓狂な返事をした。
「あ、ごめん。断り入れる前に電話掛けちゃった」
「そりゃそうだろうねぇ」
わけも分かっていないはずなのに、里沙ちゃんは寛容な態度だった。
どうしたの? って電話の向こうで笑っている。
「電話が繋がらなかったら、会いに行ってもいい? 」
会いに行くとしてとりあえず、ガキさん家に行くと思うけど。
ガキさん家にえんかったら、待たせてもらうとして。
でも、お家に誰もえんかったら玄関で待ち伏せするかもしれんけど。
そもそも、ガキさん家に一人で行けるかどうか分からんのやし。
やっぱり迎えに来てもらった方が無難かも。
「ガキさん、聞けや」
私が喋っている間、黙っていた里沙ちゃんがちゃんと聞いているかどうか確認してみた。
黙っているだけだと、聞いているのか聞いてないのか分からない。
テレビの画面を見ても里沙ちゃんが映るわけじゃない。
携帯電話を持ち直して耳を澄ませた。
息遣いも聞こえなかった。
携帯電話を握り締め、テレビ画面をじっと見ていた。
しばらくすると、「もしもーし」って。暢気そうに里沙ちゃんが言った。
喋り出したら止まらなくて。
聞けと言ったら黙り込んで。
それなのに、里沙ちゃんは慌てることなく私を待っていてくれる。
「……だよね」
「だから、何なの? 」
2つ年下のモーニング娘。サブリーダーはきっと呆れている。
「私、情けないんだよね」
「ふーん」
「フォローしないの?っていうかして下さい」
「まぁ、愛ちゃんは。情けないっちゃ情けないし」
「どーゆーところ? 具体的に、どーゆーところがダメなのかなぁ、私」
「別にダメではないよ」
「もぉー、ガキさんっ」
「だから、何なの? 」
笑っていた。里沙ちゃんは私がどんなに脈絡のない言葉を投げても慣れた様子で暢気に笑う。
そして、私が黙るとまた。
もしもーしって。愛ちゃーんって。この電話だって片手間で聞いているに違いない。せっかちな彼女のことだから不躾な電話の時間だって無駄にはしないはず。
「ガキさん、今何してるの? 」
「愛ちゃんと電話」
「違う、家? 」
「うん、家だよ」
「また、コール音変えてた」
「そうだった? 」
「前、ロマンスだったもん」
「うっそ、それ多分1年くらい前のだけど」
そんなに電話してなかったかなぁ、と里沙ちゃんが上の空みたいな口調で言っている。
驚いている相手を他所に。でも、私は知っている。
里沙ちゃんが、電話を掛けてくるから。私から掛ける機会が極端に少ないだけの理由だ。
「愛ちゃんは? 」
「は? 」
「愛ちゃん、何してたの? 」
DVDを観ていた。作品の自体は心奪われるほどじゃないのに。もう何度目か分からないくらい繰り返し観たラブストーリーだ。
最後の、歌が聴きたくて何度も観たDVDだ。
里沙ちゃんが買ってくれたDVDだよ。
「いいよ、もう」
切るね。
私の一方的な言葉に里沙ちゃんがやっと動揺した。
「ちょっと待って、何かあった? 」
今、映画観てたんやけど。
何回も何回も観た映画なんやけど。
里沙ちゃん、私、今映画みてたんや。
それで歌が。その映画の最後の歌が。
心が震えるみたいに、何回聴いても感動する。
「何もないよ」
こちらのかわい気の無い態度に、里沙ちゃんが黙った。
嫌だな、怒っていたらどうしようと、瞬時に具合が悪くなる。
私が取り繕う言葉を見つけ出す前に。
里沙ちゃんは、ふっと鼻息一つ分笑った。
「迎えに行こうか? 」
「その方が無難だけど、今日は遠慮しておく」
- 972 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:36
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- 973 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:36
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想像できないけれど。
想像しなくちゃいけない。
今できる限りの、最高のパフォーマンスをイメージしなくちゃいけない。
そしてイメージを具体化する。
ただ、それだけのことだ。そう、言葉にするのは簡単だ。
「ガキさんとは長いお付き合いになりましたね」
「そこから始めるの? 」
また、里沙ちゃんが呆れた態度をとった。電話の向こうで笑っている。
「やっぱりさぁ、愛ちゃん」
里沙ちゃんの言葉にかぶせて私は白状した。
『会いに来て』
絵里の言葉を思い出す。
以前のコンサートを思い出す。
知らないプレッシャーをいつの間にか自分で自分の中に作って。
それで、不安になる。
小春に伝えたいことはたくさんあるはずなのに。
一つとして言葉にならない。
小春に私の歌が届いているといいのに。
里沙ちゃんが来るまで、もう一度DVDを見直すことにした。
キャプチャー画面から中弛み箇所をピックアップする。
どうして、作品の二人の思いが通じ合うのか構造が理解できない。
どうして、登場人物たちは自分の気持ちをすらすら言葉にできるのか分からない。
本当に伝えたい気持ちを言葉にしたそばから意味を成さなくなる感覚に陥っていつも空しくなった。
言葉なんて意味が無い。
ありがとうって、言葉にしてもそれだけじゃない。
それだけじゃないけど、言葉にならない。
でも、里沙ちゃんはどうして分かるんだろう。
私の言葉足らずの気持ちを、彼女は頭じゃない部分で理解しているみたいで里沙ちゃんからは不思議な心地良さを感じた。
電話を切ってからまたソファに寝そべった。
遅い時間ではなかったけれど、目を閉じると睡魔が忍び寄ってくる。眠りに就かないように、今度こそリモコンを掴み上げ、音量を高く高くしているところで母親からテレビの音量に負けない怒声でその横着を叱られた。
目を開けて、音量をいつもの高さに戻して自分も起き上がる。
起き上がった勢いのまま、立ち上がり、テレビの電源をオフにした。
- 974 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:36
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- 975 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:37
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夜なのか、朝方なのか判断に迷うくらい東京の夕闇は曖昧だ。
まるでどちらでもないみたいに、ぼんやりと暗い。
福井の方が寒いから、東京の秋の夜なんて全然平気だ。
それでもインフルエンザにかかるワケにはいかないから、マスクをして出掛けた。
近所のコンビニで雑誌を立ち読みする。
里沙ちゃんが来るまでじっとしていられなかった。
店内には有線放送が流れていた。
知らない曲だったけれど、なんとなく口の中でメロディーを追っていた。
目ぼしい雑誌を購入して外に出る。
外へ向かって押し出したドアはおでんの臭いと一緒に開かれた。乾燥した外の空気にスカートから出た膝小僧が冷たかった。
歩き出すと、かさかさとレジ袋が音を立ててついてくる。
さっき店内でかかっていたタイトルも知らない曲を鼻歌で奏でた。
ストールだけでも巻いてくればよかったかもしれない。不用意をきっと里沙ちゃんはよく思わない。
家とは反対方向へ進む。こんな明るい夜でも、一番星が見えた。
隙間の少ない空は窮屈そうにそこでじっとしていた。身軽な私とは違う。けれど、どこまで私が歩いていっても空は追いかけてくる。
上着のポケットに片手を突っ込んだ。それと同時に携帯電話が震動して思わず手を引っ込めてしまった。
かさかさとレジ袋が笑ったみたいだ。
「どこー? 」
電話を掛けてきたのは確認しなくても分かる、里沙ちゃんだった。
「コンビニ」
「ええー? 」
「大丈夫だよ、寒くないから」
「別に、そんな心配はしてないけど」
どこか、お店行く?
呼び出したのはこっちなのに、いなくなった私を責めもせず、段取りを先に考えるのは今までの里沙ちゃんの苦労の賜物だ。誰の所為で苦労が多いかって。あんまり考えたくないし、何も私だけの所為でもない。里沙ちゃんが率先して苦労に飛び込んで、と言い切るのはかわいそうだから。ちょっとだけ、謝っておく。
「ごめん、勝手に外出て」
「愛ちゃんの勝手は今日が初めてじゃないから」
「ごめんなさい」
「今、どこにいるの? 」
そこに行くから、動かないで待ってて。
進行方向の信号は青だったけれど交差点で立ち止まる。ちょうど小学校の側だった。歩道と車道を分ける鉄の車止めに腰を寄せた。
電話を切り、携帯電話をポケットにしまう。
じっとしているのは得意ではない。
かといって、歌って踊るわけにもいかないし。
俯いた視線の先に、ブーツの先っぽが目に入った。
そういえば、小春も色違いで同じ型のブーツを履いていたことを思い出した。
背の高い彼女が履く印象と、自分のとでは同じブーツとは思えない違いを感じた。
お高いというか、高級感というか。それほど値の張るものではなかったけれど。小春が履いていたブーツは良い品物に見えた。
彼女の華やかさは同じ17歳の高校生ではなかなか出せない特異なものだと思う。
まぁ、里沙ちゃんが出す昭和臭さも20歳の女の子でそうそう出せるものじゃない。
絵里の出す、ぽけぽけ空気と冴えるような空気のギャップも。
れいなの出す、ストイックなオーラだって。
他人が簡単に真似できるものじゃない。
9人、みんな普通の女の子だ。普通だけど、他にいない。
同じ人なんて一人もいない。
つま先から視線を上げて小学校の方へ視線を向ける。
桜の木も紅葉が始まり、道路にちらほら落ち葉が見えた。
- 976 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:37
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- 977 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:38
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小さい頃から歌が好きだった。
一人きりで歌うのも嫌いではなかった。
けれどどちらかというと、みんなで歌うことが好きだった。
マスクで覆われていることをいいことに、合唱曲の定番「春に」を歌ってみた。秋だけど。
声が掠れて上手く音が出せなかった。
歌というより呟きみたいだった。しかもやっぱりタイトルが春なだけに。今の季節には全然似合わなかった。
明日とあさってが一度に来るといい
もう、そんなに乱暴な思いに焦がれることはない。
「愛ちゃん」
だって、明日とあさってが一度に来たら1年なんてあっと言う間じゃん。
それは困る。だって1秒だって長くみんなといたいから。
もっと、一緒にいたい。
ずっと、一緒に、歌っていたかった。
「遅い」
私の不満の声なんて気にもせず、里沙ちゃんは私の手にある袋を目ざとく見つけて。
「まーた、雑誌買ってる」
昨日も買ってたのに。
「昨日買ったのとは別のヤツだし」
「なんで何冊も買うのかなぁ。昨日だって3冊買ってた」
小姑か。
突っ込みたくなる言葉を飲み込んでマスクの下でへの字を唇で模った。
「ええんやって。腐るモンじゃなし」
「腐らなくたって、限度があるの」
蛍光色の白とオレンジの混ざった外灯に浮かんだ里沙ちゃんの様子にほっとしたのは事実だった。その顔から視線を背けて立ち上がる。
子どもっぽい態度の私とは違って里沙ちゃんは始終落ち着いていた。
「愛ちゃん、ご飯食べた? 」
黙って首を横に振って答える。
「ラーメン食べたくない? ラーメン」
どうしてそんなに嬉しそうなんだろう。秋も深まり、寒くなった夜に突然来いと言われて、来たら来たで家からは居なくなってるし。お礼を言われるでもない、謝罪を述べるでもない私を責めてもいいのに。夕ご飯を食べる約束に来ました、みたいな浮かれた声だ。
「ラーメンやったら8番やろ」
「はぁ? 」
福井ローカルの話題を突然投げたって、余裕しゃくしゃくで笑っている。
「4番とか110番とかもあるの? 」
「そんなんはないワ。8番しかない」
「あ、えーと。福井のアレ。あの、ソースカツ丼はヨーロッパ亭だっけ? 」
そっぽを向いていた視線を元へ戻す。
里沙ちゃん、ホントは慌てていたんだ。
私と同じように薄着だった。首辺りが無防備でスースーしている。見ているこっちが寒い。
ごめんね、里沙ちゃん。今だって何て言葉を伝えたらいいのか分からんワ。
- 978 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:38
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「ヨーロッパ軒。ソースカツ丼はヨーロッパ亭じゃなくてヨーロッパ軒」
「そうそう、それ。この近くにはさすがにないでしょ? 」
「ほうやなぁ」
8番ラーメンだってない。
かさかさ音を立てるレジ袋を反対の手首に掛けて、空いた手で里沙ちゃんのそれを取った。
いつもマスクを欠かさない自称几帳面な里沙ちゃんが今はしていなかった。私もがさがさとマスクを外す。
昼間の乾燥した空気より、夜の空気は湿気が多い気がする。
声にならない叫びとなって
こみ上げる
この気持ちはなんだろう
「あ、それなんか聴いたことある」
繋がれた手など気にすることなく、当然であるかのように相手も力を込めてきた。
「合唱部で歌った」
私のぶっきらぼうな返答に大袈裟に「あーそっかー音楽の時間かなんかで聴いたことあるのか」と里沙ちゃんは合点していた。
「ラーメン、塩ととんこつどっちいい? 」
里沙ちゃんは、何も聞かなかった。
本当に一緒にご飯を食べる約束をしていたのかと錯覚してしまうくらい普通の態度だった。
何かあった? と電話口で一度尋ねたきりそれ以上は追求してこない。
素っ気無いようで、有難い里沙ちゃんの寛容さに不思議な心地よさを感じて顔がヘンになる。
どうして、里沙ちゃんは分かるんだろう。
「んー、塩」
きっぱりと里沙ちゃんが答えた。
「駅ビルの中に美味しいラーメン屋さんがあるの。女の人でも入りやすいよ」
私の案に、相手は目を丸くして、また大袈裟な表情で頷いた。
「じゃあ、そこにしよう」
言葉足らずの私の気持ちを、私以上に分かっている風だ。
私も塩ラーメンの気分だったし。
少しずつ、言葉にして伝えなくてはならないと歳を重ねて自覚してきた。
伝わらないものは伝わらないって開き直っていてはやっぱり伝わらない。
そういう部分では、里沙ちゃんを見習う部分がたくさんある。
分かり易い言葉で、伝えたいことを一生懸命伝えようとする姿勢は昔から変わっていない。
- 979 名前:Happy_girl-ver.3.0.0- 投稿日:2009/10/21(水) 20:39
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「初めて、後輩の卒業コンサートだ」
私の下手な言葉に里沙ちゃんがこちらを覗き込んできた。
何て言ったらいい?
小春に、贈る言葉は何を選べばいい?
「恰好良い、パフォーマンスは大前提だって分かってる」
駅が近くなり、人と車の数が多くなってきた。
がやがやとBGMがうるさい。
「でも、見せ方とか、歌とかじゃなくて。言葉にしなきゃいけないって思うと、余計に何て言ったらいいのか分かんなくなって」
情けない気持ちで一杯になる。
「私、リーダーなのに」
俯きそうになった私の前髪を里沙ちゃんが撫でた。
「いいんだよ」
里沙ちゃんが眉を八の字にして困った様子になった。
「恰好悪くてもいいじゃん」
繋がれていた手を引き寄せられて、肩と肩がぶつかった。私の表情を隠すみたいに、里沙ちゃんが撫でていた手を後頭部の方へ移動させ私の視界は遮られた。
立ち止まり、私は目を閉じた。
「伝わるから大丈夫だよ」
まるで魔法だ。
里沙ちゃんの言葉は魔法のように私を強くする。
額を里沙ちゃんの肩に預けて一つ息を吐いた。
こんなに情けないリーダーでごめんな。
いつもありがとう。
「うん」
顔を上げて里沙ちゃんの様子を確かめる。さっきと同じで眉尻を下げて困った表情をしていた。
「そもそもねぇ、愛ちゃんが情けないっていうのは昨日今日のハナシじゃないんだから」
「一言多いんやって、もー」
顔がヘンになるのを隠すのに、さっき外したマスクを付け直した。
「大丈夫や」
自分に言い聞かせるように、里沙ちゃんの言葉をなぞる。
ゴホンと咳を一つして場を取り繕った。
ごめん、はさっき言ったから。
「おおきに」
できるだけはっきり、そしてゆっくりとお礼を口にした。
「は? 」
これだから関東人は困る。ちょっと耳慣れない単語が出てくると理解するのに時間がかかる。
「行こう、お店混んじゃう」
少しも反省していないような態度で、里沙ちゃんの手を引いて歩き出した。
「愛ちゃんのおごりだよね、当然」
「それがなんと、私の所持金聞きたい? 」
「……帰ろうかな」
タクシー乗り場へ行こうとする里沙ちゃんの手を私は強引に引っ張りながら人の流れを乗りこなしてラーメン屋さんへ向かった。
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