fall down #3
- 1 名前:関田。 投稿日:2007/01/01(月) 19:17
- 同じ板で連載を続けております、アンリアルの三冊目になります。
相変わらずのトロトロとした更新ペースで続きます。
よろしくお付き合いください。
一冊目 fall down
tp://mseek.nendo.net/silver/1058547874.html
前スレfall down#2
tp://m-seek.on.arena.ne.jp/cgi-bin/test/read.cgi/mirage/1102767451/
前スレからの続きでスタート。
- 2 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:18
-
- 3 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:18
- しかりと頭の中で整理がついていたのだろう。
こどものおもいで話。というには、少しばかり感触が生々しい。
当時少女だった人の紙一重の愛情を、こどもだった現少女は、しっかりと刻みこんで受け取っていた。
おだやかに眠る髪をすく、人のこどもの「毛並みを撫でる」というよりは、美麗すぎる指先。
優しい視線の奥にある、どこか暗い色。
光彩が滲むように青く染まる、あの瞬間の息詰まる静寂。
難しそうに口元を結んでいるのは社長で、どこか複雑に視線をそらしているのが木村。
「上に上がってくるまでの居住地も、時期もドンピシャですね」
「それは、キミに話していた、諦めの思い出話とも照合されるということだね?」
社長の声に確かに頷きながら、絢香は眉を寄せる。
諦めの思い出話。
暗ったい、欲望のもみ消し話。
どうやったらココまで後ろめたくなれるのか心底不思議だった絢香には、おおらかにもなる大陸の血がまざっている。
いまや珍しい血族だ。
首ねっこを引っつかんで前へ放り投げるくらいの、アンバランスさが心地よい関係だった。
思い出し、表情をほどく。
- 4 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:19
- 「あぁ見えて、彼女はものすごい繊細なんですよ。
お調子者の見た目なんだけど、誤魔化してる部分がすごく多くて」
――社長はご存知ないでしょうけども。
困惑気味だった眉根は苦笑とともにほどかれ、世話を焼いた可愛い同僚という親愛が浮かぶ。
確かに。
すでに連戦練磨の猛者とされていた絢香にとっては、可愛い後輩であり同僚という位置取りだったのだろう。
ふむ。と紡がれたため息のあと、社長さんは怒るでもない口調で告いだ。
「木村君、もしかしなくても、行きたいんでしょ?」
「あら。バレました?」
――よっちゃんが無事で済んで、結果後藤総裁を止める手立てが増えて、被害者が減るんだったら。
「ねぇ。私としてはバンバンザイだなぁって」
陽気な言葉遣いに真剣極まりない視線をそえて、口元をもちあげる。
このお姐さんは、「本気」と「真剣」両方綴って、マジだ。
被害者という「負」の言葉が、バーテンダーの肩を震わせた。
下手をしたら、間に合わないかもしれない。
状況的に言うと、捕縛師の遺骸とかちあう可能性だってある。
すでに、尋ね人が処分されている可能性だってある。
直視しなければならない現実は、とても大きくてつぶれそうだ。
- 5 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:20
- 「えっと。じゃぁ、矢口さん、行く?」
なのに、目の前の陽気なお姐さんは何の問題もなさそうに笑う。
「細かい話はよっちゃんの口から吐き出させて?
きっとまだ逃げ回るくらいなんだから、脈が無いわけじゃないはずだし」
――間に合うようには、努力する。
間に合うようには、努力する。
その言葉の強さに、軽い眩暈すらおぼえる。
「でも、キミにも死の恐怖はついてまわるの。
それを全て振り払えるかどうかは、私には保証できない」
要約すると、「飛び込む覚悟がある?」とたずねられているのだと判った。
息をのみ。しずかに、拳を結ぶ。
ゆっくりと視線を上げるときにはもう、腹積もりも決まっている。
「万が一、一緒に行って…。矢口が死んだらどうしますか?」
もしもの話としては最悪のパターンの話。
だけど。それを突きつけずに居られないのは、目の前の陽気な人が視線だけを真剣にするから。
子供の真剣さを受け止めながら、幹部さんは不自然な微笑を見せて言う。
- 6 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:20
- 「そうしたら背負ってよっちゃんに見せてあげるねぇ。
キミに会いに来て、そのまま死んじゃったよーって」
――よほど悔しがると思うよ。いっそ自分で銃向けるね。あの子。
それは自業自得だもんねぇ。
心配している心のどこかと、呆れておきたい体裁が、同じ器の中でせめぎあっているんだろう。
整合性のある体と心に隙間ができると、こういう表情になるようだ。
見えるのは、仮面のような冷たさ。
街中のバーにあっては、初めてみる表情でもない。
この時ほど、店に早くから出してくれた父親に感謝したことはなかった。
オトナを見る目だけは、培われている。
そして、自分の心情をやんわりと覆い隠しながら、本筋を押し通すテクニックも。
真里はゆっくりと、拳を握った。
「じゃぁ。結末どうあれ、会わせてくれるんですね」
お。そうとる?
思いがけない強さを見せた子供に、オトナが目をみはる。
「そうだね。よっちゃんが生きてるかぎりは、会わせてあげられるよ」
――圭ちゃんだったら、きっと跡つけて行くし。そうじゃない方に行けば、きっと、よっちゃん居るから。
総裁と呼ばれる人の人員配置にも、あらかたの予想がつくのだろう。
「だろうね。保田くんには、九割司教をぶつけるでしょ」
――十年越しの情のもつれなんぞ、あの人大好物でしょうからね。監視カメラで一部始終ご観覧だろうし。
人の悪いったらありゃぁしねぇ。
視線をかわして、旧知の幹部二人が眉毛を下げる。
そうそう暗い表情ばかりをしているわけにもいかないので、肩でため息をついて逃したけれども。
- 7 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:21
- 「じゃぁ。送り出してあげるかわりに、いくつか聴いててください」
――聞き流すくらいでいいですから。
反応は要りません。と笑いながら、村田めぐみは真里を部屋の外へ促した。
長い長い廊下を歩きながら、まるで昔話を紡ぐように彼女はうたっていた。
- 8 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:21
-
天使の役割。
かつての人間の傲慢。
世界の重さ。
存続を決めるための、とくべつな秤。
神様がたった一つだけ地上におろす、世界の重さをはかるための天秤。
人間の罪の重さをはかり、罪が軽ければ良し。
罪ばかりが重ければ、天の門を開け放ち、破壊の軍勢を迎え入れるという。
ソレを探していた人が居る。
ソレとして、奪われた天使が居る。
ソレと知らず、取り戻そうという人が居る。
取り戻そうという人を、慕い、優しい目で見る人が居る。
誰も知らない場所で、極一握りの人間だけが知っている、時間が動いている。
夕飯を食べているだろう家族が居て、夜勤のために起き出すお兄さんも居るだろう。
明日もその時間が続くと信じている。
いや、信じているわけではないかもしれない。
でも。たいがいは、来るもんだと思ってる。
だけど、もしかしたら、もうそれは、来ない。かも、しれない。
終焉が陰惨なものなのか、傾いた秤が一瞬で消してしまうのかは、誰にもわからない。
百年まえのそのときは、ただただ陰惨な視覚効果だったということだけが、微かな映像記録に残されているだけ。
実体化した天使の暴虐。
実体化しなかったも天使の、見えざる恐怖。
今度もそうだとは、限りませんけどね――。
うたうように、彼女は最後の音を苦笑で終える。
うたいすぎて、その古臭い曲に愛着すらなくしてしまった、疲れた詩人のように。
- 9 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:22
- 長いエレベータ。
扉がひらいてあらわれるのは、車両保管と整備工場をかねたドック。
直結している地階。
武器火薬類の倉庫も併設されており、カードと生体承認をうけて入ることができる。
「世界っていうのは、うまく出来上がってるもんですね」
武器庫の前で、カツ。と進めていた足を止め、社長さんが矢口を振り返る。
「世の罪の重さを試す天秤が、世界を良しとするのなら…。
それはきっと、天使を取り戻そうという無謀な人と、その人を慕う者の目だと…私は思います」
呟くような声だけれど、そこにあるのは「そうだといいんだけどな」という希望。
心の底から抱くようなものでもなく。
欲望と熱望の入り混じる子供の声でもなく。
その程度でいいんだけどなぁ。と諦観している大人のコトバ。
「夢も希望も、持つだけタダですから」
肩をすくめる社長さんに、木村さんは呆れたように口元を持ち上げた。
「じゃ。ここから好きなものを背負っていくといい。
木村くんが良いように選んでくれるでしょう」
――あと。粗末にする命など無いことだけ、覚えておいきなさい。
ぽん。親戚の子供の頭を撫でるように軽く叩いて、彼女はいま来た道を戻る。
背中の細さからは頼りなさすら感じるのに。
撫でられた頭の感触を一度だけ思い返して、矢口は表情をキリリと持ち上げた。
- 10 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:22
-
- 11 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:23
-
捕縛師たちの足音が遠くへ去り、残されてしまった二人はただ黙っていた。
城壁は座り込んだまま黙し、真里は立ったままそんな彼女を見つめている。
黙ってじっとしていても仕方が無いことくらい、二人にはわかっていることだけれど。
じゃぁ、どうしようか。
と問われてみても、お互いにどうしたらいいかなんて、キッカケもない。
難しい顔をみせる城壁――吉澤ひとみに、真里はしずかに歩み寄った。
体二つ分ほど離した場所に背中をあずけ、みずからも座り込む。
バカみたいに気配だけでお互いを感じて、ただただ、黙ったまま。
明かりでもつければいいのだろうけど、それもしないで。
しばらく指先ばかり見つめていたのだけれど、それも飽きた。
真里は与えられたばかりの長靴の底をコツっと床にあて、呼気をうっすらと継いだ。
「村田さんたちから聞いた。
なんで、なっちが強奪されなきゃいけなかったのか――」
――あ。なっちっていうのは、あの天使さんのことなんだけどね。
うっすらと浮いた靴底にむかって視線が動いたのを、真里は逃さない。
- 12 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:24
- 「ちがうな。なっちが、なんで降りてきたのかって話か」
耳にした話を整理しながら紡ぐから、順番はバラバラになる。
与えられる情報に眉を持ち上げ、ひとみはゆっくりと表情を向かわせた。
「聞いたなら、なんで?」
――あの中澤って人のこと、止めなかったのさ。
話の内容を聞いたなら、あの捕縛師のコトを止めたほうが良かったに決まってる。
暗に言い含めて、首を傾げる。
だけれど、真里の表情はうすらと笑みを刷いたまま。
「んー。裕ちゃんもね、聞いたところで変わらなかったと思うんだ。
現になんか、村田さんがそういう話をしようとしても、自分には必要ないって聞かなかったみたいだし」
――矢口も、なっちの役割聞いて、逆に納得したくらいだし。
肩を軽くすくませて、天井を見上げる。
闇の蒼に支配された空間。
さっきまでの物騒な気配とは、程遠い静寂がある。
「裕ちゃんね。昔はもっともっと、棘があって激しい人だったんだよ。
気に入らないところに触れたら、バッサリ斬りつけちゃうくらいに激しかった」
――近くに居られるなぁ〜ってわかるまで、ちょっと難しかったんだよね。
苦笑まじりについで、視線だけを城壁にむける。
- 13 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:25
- じっとコトバだけを受けとるために、視線を故意に外している人。
大人のくせに、臆病で、怖がりな人。
「でも、なっちが来てからガラっと変わったんだ。
よく笑うようになったし、棘だけじゃない芯があるようになった」
矢口には巧く言えないけれど、それはきっと、裕ちゃんの強さのような気がするんだ。
関係性が読みきれなくて、伺うようにしている。
全身で。
さぐるように。
視線は外したままなのに、こんなにもワカリヤスイ。
「裕ちゃんはね。矢口のカタチを元通りにしてくれた人だと思う。
笑ったり、喋ったり。や、元通りより砕いてくれたかな」
――素っ気無いときでもね、素っ気無く優しいの。そういう人。
口もとを薄らと笑ませてから、ゆっくりと表情をめぐらせる。
「でも。矢口の壊れたところは、結局直ってないんだよ」
パチンと弾かれるように、城壁の視線が矢口に向いた。
「裕ちゃんは、矢口の壊れてるところを、まったく知らないの」
わざと何でもないように言い放って、表情をうつむかせる。
彼女の目に、このまつげのかげりがしっかり見えているといい。そう。思う。
- 14 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:25
- 「ねぇ。矢口はどうしたらいい?」
小さく問いかける。
「この先、なっちがホントウに、要らない世界だって言ったら…人間居なくなっちゃうんでしょ?
よっすぃーは、要らない世界になることを信じて、ずっとココに居たんでしょ?
無くなる世界に居る矢口に、何かできることはあるのかな」
やわらかな言葉の中に、質問、抗議、全てが詰め込まれている。
責め立てられる心を抱えるように、城壁が膝を抱えた。
「そばに居ることしか、できないかな」
言葉の紡ぎに、視線を落とす。
「都合よくこの先を望んでみたところで、天使は世界を破壊するよ。
それはもう、覆すことができない約束された出来事なんだ。
ごっつぁんはソノために準備を重ねてきたし、人間じゃ……きっと……」
太刀打ちなんか、できない――。
認めたくないけれど、認めざるをえない現実。
人間の皮をかぶった…アレは……。
「親友だったんでしょ?」
問われ、頷く。
- 15 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:26
- 「中身を知っても、ごっつぁんはごっつぁんだと思ってきたよ。
でも。天使に関してだけは、自分でも踏み込めない領域だったから…」
思い出すだけで凍える、絶対零度まで冷え込む気配。
不協和音のような天使のうた声を全身で受け止めながら、艶然と微笑むその艶やかさ。
支配と蹂躙とが許される者が居るのなら、それはまさに彼女だけの特権とでも言うような不可思議なオーラがそこにあった。
彼女には、天使の使い道が見えていた。
本来決められている、その役目がわかっていた。
普通ならば、そんな真実を知っている人間など居ないだろう。
だけど。彼女は――――。
「ここで。待ってるしかないんだ」
絶望的な思いで紡ぐ。
視線をもちあげる矢口は、どうにかして前向きになれないかとそえる。
「ソノ先のことを、望みながら?」
「望んだ先に、ほんとうに先があるのなら…だけどね」
でも。
「安心していいよ。
マリィのことだけは、全力で護ってあげるから」
――自分でできるだけのことは、ちゃんとしてみせるよ。
昔のようには強く言い切れずに、ポソリと言葉を綯いでひとみは視線を床に落とした。
- 16 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:26
- 小さく丸々背中を横目に、ふぅと気づかれぬように深い息を吐き出す。
だけど。お互いしか居ない空間では、その微かな空気の揺らぎも感じ取れてしまう。
感覚がこちらに向けられたことを感じ取り、真里は独り言のようにこぼした。
「新都市警護保障の社長さんが、見送ってくれるときに言ってた。
粗末にする命など無いことだけ、覚えておいきなさい。って…」
ぴくりと気配が強張る。
「あの人は……」
呆れるように口元をゆがめ、髪の毛をかきあげる。
正直、前の会社の時には、表だって現れることはなかった。
けれど。いつだって幹部の間では糸を引いていて、上級幹部同士のやりとりなら把握していただろう。
ことさら、絢香が近いところに居たし。仲いいし。
年度の予算のつけかたにしても、全て彼女任せだと総裁は笑っていたから。
社員のことを考えて、人のことばかり考えて。
少しくらい、自分のために楽すればいいのに…。て、遠い目をして言うから。
だから、全てわかってて残留したはずの自分にも、そんな言葉が届くんだろう。
自嘲気味に笑みをこぼす。
- 17 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:27
- 「いつも、そうやって予防線を張ってるんだ。
女王のときだってそうだった。なにかしら予防線を張って、不足が大きくならないように計算してる」
――ごっつぁんとは真逆の人だから。
ふは。と、情けない色の息を吐き出して、髪の毛をガシガシと掻き乱した。
「待ってるしかないってのが、ちょっとツライけどね…」
成り行きを。
誰も知らない、結末を。
「でも。二人で迎える結末なら、怖くないよ」
――急に居なくなられたあの日々を繰り返すより、怖さなんか感じない。
体二つ分の距離を、真里の言葉が繋ぐ。
そっと、さしのばされた手に、自らを添える。
指先は繋がない。
たんなる、接触でしかない。
だけど。
微かにともる指先の熱が、確かに、二人を一つにした。
時間は容赦なく、一瞬を過去へかえていく。
- 18 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:28
-
- 19 名前:関田。 投稿日:2007/01/01(月) 19:37
- 御使いの笛18:彼女のことば 更新しました。
前スレから続きになっていますので、
文脈の謎は前スレからご覧いただければ解いてもらえると思います。
前スレ>678-683・685の皆様
いつもご愛顧いただきましてありがとうございます。
クリスマスのプレゼントには間に合いませんでしたが、
えぇいお年玉。チャリーンという心持で更新いたしました。
な。内容的にはまったくおめでたくありませんが(笑)。
捕縛師 天使 武器屋 バーテン お医者様 総裁 社長その他大勢、
私の脳内で平にと頭を下げております(笑)。
今後ともよろしくお付き合いください。
このスレッドで完結できたらと思っております。
20070101 関田拝
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/02(火) 00:40
- HNにびっくりしました…。
関田さん!?関田さん!?関田さん!?って(笑)
初めて出会った娘。小説(+その他)が関田さんの作品でしたから。
読んでみたら間違いなく関田さんの文章だし…。
いやあ、びっくりびっくり。初めからじっくり読み直します!
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/02(火) 01:44
- わーい、お年玉!!ありがとうございました!いい新年の始まりです。
それから、何より三冊目突入おめでとうございます。
これからの展開も結末ももちろん気になるのですが、このスレッドで完結っていうのも
して欲しくないような…。あー、話は進んで欲しいが終わって欲しくないという矛盾と
格闘しながら読ませて戴いてます。
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/11(日) 02:56
- 早く続きが読みたーーーい!
と、大声で叫んでしまいそうです。いえ、心の中では毎日叫んでますけどね。
楽しみに待ってます。
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 20:51
- 作者さん、素敵な作品ですね。
楽しみに待ってます。
- 24 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:05
-
- 25 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:05
-
19:逆巻く凶器
- 26 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:06
-
「どうも。お久しぶりです」
階段の果てに見えた長靴。
しかりと手入れされたそのツヤと裏腹、使い込まれているのがわかるやわらかさ。
背後で小さな声が「うお。騎士」と慄く。
後ろからくる人間がそんなことを言うものだから、一瞬だけ足が止まった。
騎士さん。か。圭坊の後釜やんな。
ということは、見た目は人間やけど…、中身は魔物なんだろう。
旋回する思考を見取ってか、視界の中で少女は小さく顎をあげた。
「階段の途中に居るひとを殴る趣味もないんで、はやくあがってきません?」
――中澤裕子さん。
視線を持ち上げて、気づく。
なるほど。そりゃぁ、お久しぶりっちゅーわけやんな。
見覚えのある顔に視線を険しくかえる。
「じゃぁ、あがらなかったら殴られない?」
試しに、言葉の上だけでもおどけてみれば、それはどうでしょう。と、軽く肩をすくめた。
見た目ならば、少女にも、大人の美麗と境目を歩くようにも思える。
しかし、表向きの飄々とした明るさが「贋作」であることは…この場所に立っている時点で知れていた。
- 27 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:07
- 二度目の邂逅。
先手を打たれた言葉のとおり、「久しぶり」なのである。
ありがたくない現実として、記憶が立ちふさがった。
彼女こそ、あの総裁である後藤真希の護衛として事務所を訪れた、上級のSPなのだ。
静かな姿勢のなかで、場を制御するように一枚布の殺気をかぶせ続けていた。
奥歯で怒りをかみ殺し、フシュッと一つ息を吐き出す。
「ウチのシステム壊してくれたの、あんたか?」
一歩。階段の終わりの段を踏み込む。
「システムの位置とかを記憶してたのは私ですけどね。壊したのは私のバディですよ」
――あと、アンタじゃなくて。松浦亜弥って名前がありますから。
にっこり。
構えるでもなく、不自然極まりない自然体でたたずむ。その姿。
「まぁ、今になったら名前もなにも、どうでもいいわ」
グローブの手のひらを自らの拳で打ち鳴らし、捕縛師は上体をゆっくりと上階へと持ち上げた。
ガツ。とつま先でわざとフロアを蹴り、尊大な仕草をもって宣告する。
「ぶん殴って、親玉っとこ行かせてもらう」
「貴女にそれができるなら…の、お話ですけどね」
難解な問題を提議する教師のような表情で、数歩を後ずさる。
最上級の手駒とされる騎士はそのままの余裕で、小さく肘から手をまげると、くいと指先で加えられた挑発。
- 28 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:07
-
ゴングはいとも簡単に鳴り響いた。
そこに探りあいは無く、覚悟と毅然が真っ向からぶつかる音が生まれるだけ。
- 29 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:08
-
ボ。と空気を貫く音をたてながら、体重を乗せた足刀が距離を縮める。
いきなり距離を詰めるという選択肢に敬意を表してか、騎士はしずかに笑みを浮かべたまま掌底で軌道を逸らした。
右掌底で蹴りを下段に逸らしながら、勢いを巻き込むようなカタチでバックフリップ。
最小の回転率で放たれた肘は、捕縛師の同じ部位に阻まれる。
ゴッという耳に鈍い音をたてながら、見えない糸で結ばれる一撃目の邂逅。
しかし間断置かずに。
巻き込む動きはとまらず、騎士の右足が、鞭か、達人の杖を振るうかのように下段から切りつけてきた。
視界にとらえるけれども、早業がすぎる。舌打ちする間ももったいない。
まるでつむじ風か、カマイタチ。
その風に巻かれてしまったら、アウトだ。
きっと、無惨に切り刻まれる――。
- 30 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:09
- しかし。
ただ暴風というわけでもないその連撃が、無数の手管と経験の裏打ちだと気づかされたのは刹那。
両手で押し留めるほかないその一撃をやり過ごしたら、まるで振り子の連なりに体を突っ込んだように後ろから打撃を受ける。
堪えたはずの蹴りの勢いで捻られた上体、そこから打ち下ろす拳が捕縛師の上体をねじった。
打ち下ろす遠心力は、残った右手に伝わり。大きく力を溜め込んだ拳が、顎先めがけて戻ってくる。
殴りつけられ上体が浮いた瞬間、ボフっと腹部で痛みが破裂した。
くずれ落ちることすら許されず、襟首を掴まれる。
「これで、下層有数の捕縛師?もっとおもしろいと思ってたんですけど」
――正直、期待ハズレでした。
口元に薄らとした笑み。視線は、穏やかな春の日差しのごとく。
一個体の中に詰め込まれた温度差に、目を瞠る。
チリ。と、掴まれた首筋が焼けた。
- 31 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:09
-
捕縛師の次手を思う本能の内側で、不意に押し寄せる恐怖が沸き立った。
ザ
――世界が乱雑にねじれて、歪む――
長靴だろう。かたい靴底が階段を走ってくる音がする。
視界に映る見慣れた景色。しかし、起きぬけの薄暗い色彩ではなく、真夜中の深い闇が視界を塗りつぶしている。
- 32 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:09
-
ザザ
体の芯を壊すかのような、弱者の恐怖。
ただその破壊の状況を見ていることしかできない、壊される側の慄き。
視界の中で確かに二つの影が動いている。
暗闇。その濃度の違いから、わかる、ヒトガタ。
射出される弾丸の音を抑えるサイレンサー。反比例するスピーカーの破壊音。
家庭のセキュリティにかかわるもの全てを破壊していく、その火花。
的確なその行動のあと、一つの影は書類などをいれているクローゼットを漁りにはいった。
その様子を体で感じることができるのか、もう一つの影がこちらを向いた。
- 33 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:10
-
ザッ
――我ラノ主ガ貴女ヲ必要トサレテイル。否応ハ無イ。来テイタダク。
小さな手が枕をつかみ、歩み寄る影にむかい振り切る。
しかし。そんな些細な抵抗はものともせず、影はその枕を引き裂いて殴り捨てた。
飛び散る真白の羽。
怯える目。
ゴーグルの下の視線が、確かに、重なる。
ゴグ。と壁にたたきつけられる感覚が背中に生まれ、首に圧迫感を憶える。
眉間に銃口。
しゅぅ。と、気道が狭まり息が薄くなる。
視界の中、騎士の顔だけが覗き穴にうつるように見えてくる。
それ以外に無い。
無意識に染み出していくのは、怒りにも慄きにも似た無意識の激情。
自覚ない、奔流。
――薬ヲ、早クッ!
目の前の人間の音声が、脳裏に紡ぐ。
チ。と舌打ちが聞こえ、左腕を強く壁に打ち付けられる。
そして落ちてくる突き刺す痛みと、体の中で拡散する液体。
体内のあらゆる力が奪われていく感覚。
- 34 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:11
-
そうして。世界が自分自身を取り戻す。
捕縛師は確かに感じた。あの時の恐怖だと。
医師の家で立ち上がらずに居られなかった、あの胸騒ぎの正体…。
言われようの無い、怯え、戦慄。
視界は狭まり、一点だけしか見えなくなる。
恐怖を感じる人間の、呼気の収束。
怒りを覚えるときの血流と拍動の高揚に、体が熱をおびる。
「アイツに手を下したのは、お前か――?」
一瞬の変貌とも言える気迫の変化に、騎士の指先が微かに振れる。
抱いたはずの怯えと戦慄を、腹の底からわきあがる怒りが破砕し、心の内に包み込む。
色素の薄い瞳が、鈍く青の色を帯びていくその異常。
騎士は微かに眉を持ち上げ、これ以上の何かが無いように一撃を加えようとするが。
襟首を取っていた腕を、ガチリと握りこまれて目を瞠った。
「この手がアイツを、傷つけたのか」
紡がれた語句は、疑問の物言いでありながら、断定的な強さを放っていた。
- 35 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:11
- チリ。と、刺す、痺れに似た痛み。
人間の持つ握力でありながら、捕縛師の指先が触れる場所がさし込むように痛む。
力と気配。その収束する刹那、覚えある慄きが背筋を這い上がってきた。
まさか…?と騎士がいぶかしむ視線の中で、トリッキーな動きをした左足踵が大きく振り上げられた。
まるで鉈が行く手をなぎ払うかのような、旋風。
騎士の左即頭部を襲う蹴撃に、彼女は手を放さずにはいられない。
両肘で支え受けられれば、まだダメージは小さいだろうが、襟首を取っていた手は掴まれたままで解放されずに。
引き寄せる手に逆らうことができず、腕一本で受け止めきれるわけもなく。
盛大に一撃を振り下ろされ、騎士がフロアに膝をつく。
黒の後釜として、呪詛と畏敬という最大の賛辞を受け取っていた騎士が。だ。
ここまでの刹那の出来事に「ヒュゥ」と唯一のギャラリーである絢香が口笛を吹くが、フロアの空気をさらに乾燥させるだけ。
一歩を踏み外せば厳寒の水底とでも言うかのような、厳しい気配が波立った。
- 36 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:12
- 「な…っ。なんて強引な」
頭をふるりとやり、騎士は水気をはらうように意識を取り戻す。
おかしい。今まで盗み出したデータのどれを見ても、彼女がリバースであるという話はなかったはずだ。
なのに。
興奮したり高揚したり。体の内側でおこる変革を読み取り、体の外側に出てくる一例。
虹彩の変化が捕縛師に見られる。
根本の瞳の色が変わるわけではないのだが、これは、明らかにオカシイ事象。
「これくらい強引じゃないと、生き延び続けるってのは難しい職業なんでね」
トントン。つま先でフロアを蹴る牽制。
ほんとうならば今すぐさまに、足を振りぬいて、顔面けりつけてやろうと思ってんだけどな。という脅迫。
「立てよ。ウチの天使の分、万倍返しすんだからよ」
先ほど食らった挑発をひとまず返しながら、指先で誘い出す。
「万倍…?」
鼻先で「ふ」と笑いながら、ゆぅらりと姿を正して。
「等倍でも貰いませんよ」
キン。と音がしそうな程の、気配の凍る様。
不機嫌というよりも、それすら超越した平坦がその表情を覆い尽くす。
「お姐さん、ちょっと余裕なくなったんちゃうん?」
ニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、捕縛師はすぃと構えをとる。
その語句を受け取り、噛み砕き。お城を護る騎士が、平坦な表情を微かに緩ませた。
- 37 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:13
- 「捕縛師さんなぁ、そっちこそ。綺麗な顔してよぉ言うわ。
そんなん…、口で言わんと判るやろ」
――自分の余裕の残量気にせんと、あっといぅまに火達磨んなんで。
捕縛師とほぼ近いイントネーションで紡ぐと、先ほどの風を思わせる拳突でつっこんで来た。
ボフンと爆発する気迫と打撃音が発端となって、二人の周囲に存在する空気が膨張する。
ここまでの打ち合いを思えば、軽い一撃のように思える。
が。騎士の手にはまるで無数の針が埋め込まれていたかのよう、一度当たると痛みが暴発した。
まるで。今まで受けたダメージがフラッシュバックするみたいに。
体の奥底に沈んだ痛みが、浮き上がって肌ではじけるように…。
殴り捨てるように、呼気ごと吐き出した気合。
騎士が下から突き上げる拳を受け止め、捕縛師の突き出した右腕が止められる。
拮抗した力が迷い込んだ袋小路。
肩越しのにらみ合いに、世界が凝る。
- 38 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:14
- しかし。静止も沈黙も長くは続かない。
「「エァッ」」
ゴズ。と。鈍器を割り切るように、重たい膝が痛みを嘆く。
まるで細い刃で打ち合い、刀身じゃない、砕けた欠片に血を流す愚かさに似ていた。
本意などとは、程遠い。
「どうして。天使にこだわる?」
「なんで、アイツの下に居る?」
絡む言葉の端。感じる。同じ血を持っている。
「あんたは」「自分」
一匹でも生きていけるはずの――獣だろう?
高く貫くように振り上げられた蹴撃をお互いに食らって、数歩をあとずさる。
揺らいだ足元は同じだけの歩数でこらえきり、その足を引き戻す動作で再び距離を詰めた。
吼ッ!
縦に突き出した拳を、全力で振りぬく。相手の掌底をモロに顎に食らいながら、それでも肩先の強打で一矢は報いた。
どんなに巧く返せたところで、これ以上のダメージ蓄積は身のためにならない。頭ではわかっている。
じゃぁ、どうする?
- 39 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:14
- いくら正攻法で行ったところで、この相手に「巧く」はやれない。
なら。
決意が体の中で渦巻き、芯を正す。
構えが静寂をかぶせる。一瞬の間だけが呼吸を許す。
組み上げる算段はいつもより少ない。そんなに多くの手段が選べるほど、相手はぬるくない。
そこは、さすが騎士って言うべきなんだろう。
だけど。やらないよりは、マシだ。
キュイと床を鳴らし、腰を落とし。滑り込む。
打ち込むための角度を予測した騎士が、迎撃の体勢を取り、視線を険しく変えた。
まるで肉食獣の口元に無防備な腕を差し出すようなもんだ。
でも。開いた口、牙をすり抜け、喉奥まで腕をつっこむことができたなら、コチラの勝ち。
意識を集中させろ。
さっきのまぐれを引き寄せろ。
体のなかで駆け巡ってる熱さを、一点だけに――!
- 40 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:14
- 視界の中で、アーモンドの形をした綺麗な瞳が、確かに驚きを孕んで見開かれた。
突き通す拳の行方が、陽炎に霞む。
まさか。この捕縛師、ほんとうに――?
体の構え、筋肉の伴う動き。
加味すれば、とらえきれないことはない。が。
土竜も仕留めるって、あながち嘘じゃないらしい。
恐ろしいまでの順応力というか、応用力に笑いたくなる。面白すぎるでしょ。この人。
その胆力や生存のための本能に、驚嘆と高揚を憶える。
だって。いままでの相手に、これほどまでの手ごたえを感じたことなどなかった。
「命令」である、体力を削ることを念頭に置かずとも、この女を一撃で屠るようなマネは自分にだってできなかっただろう。
騎士は今まで見下ろしていた相手の実力評価を、ぐいと引き上げてみせた。
数度しか見たことのない、幻惑。
この現象の使い手は自身の知る限りで、二人しか居ない。
練習台にされていてよかった。と、思わず感謝を捧げた。
目の前で掻き消える拳の行方を負わず、ただ捕縛師の体を動体視力の内にとらえる。
体躯の角度。ココに来るはず。という位置めがけて、掌底を突き出す――。
- 41 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:15
-
おぉぉぉッ。
インパクトの瞬間。
世界が確かに停止した。
- 42 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:15
-
- 43 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:16
-
- 44 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:16
-
その静止と停止が人為的なものだとわかるまで、永遠に近いと思える瞬間が存在したのは確か。
捕縛師の拳は左掌で受け止められ、騎士の腕は交差するカタチで右掌底でそらされている。
現実が闘争本能を追い越す瞬間。
裕子を追い込んでいたピンホールの視界が、ゆるやかに世界を取り戻し始めた。
拳を受け止める、手の強さを、身をもって知っている。
中澤裕子は視線を騎士から逸らさず、その存在だけを感じ取れた。
他の何者が手を出そうとも、牙をしまうことなどできない。
その介入者の喉ごと噛み千切って、相手にも向かっていくはずだ。
でも。コイツだけは違う。
「残念だけどストップ。松浦、手ぇひきな?」
絹で織られたような。それでなければ、深すぎる夜を塗りこめたビロードのような声。
該当者はただ一人。
捕縛師の口元が、にぃと持ち上がる。
「ずいぶん時間がかかったな」
気取る必要のない関係をあらわす言葉に、騎士の瞳が小さく揺らぐ。
「恋人を口説くのに、思いのほか手間取ってね」
世界を取り戻した聴覚に、長靴の足音。
階段を上ってくる美少女――紛れもなく幹部の一人が、大きく肩で息をついた。
その音に視線をくばり、現役最凶とも讃えられる騎士が、ゆるりと全身から攻撃的な気配を解いた。
- 45 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:17
- 「懐柔作戦とったんですか?」
呆れた。と、まるで気安い口調で現職の騎士が問うのに、かつて騎士と呼ばれていた人は静止の手を緩めていく。
ハイハイ。ぶれーくぶれーく。
まるで彼女の到着を予感していたかのように、捕縛師の手を絢香が引き留めた。
負の気配がほどけるように、数歩の距離をあけられ、位置が定まる。
ゆっくりと制御のために落とした腰をあげながら、武器屋は苦笑してみせた。
「キミたちの記憶にある私とは、今は程遠い位置に居る。
たとえば、目の前に居る彼女が私をほどいたと言って、キミたちが納得してくれるとは思ってない。
けど、九割は事実だし。松浦だって、今見たでしょ?きっと、ついさっきまでできなかった芸当だよ?」
――彼女の生存本能は、それを「やらかす」んだ。
「我々が消去するために鍛えた本能と間逆、生き延びるためだけにね」
世界から掻き消えた拳の映像でも思っているのか、ニヤリと笑いながら捕縛師の腕を一つたたいて。
保田圭は眉を軽く持ち上げた。
「石川。絢香と、この捕縛師…連れて行って」
――すぐに追うから。
着いたばかりでソレですかとは言えない。追従する覚悟というのは、もっと厳しくて深いものだから。
ハイ。と確かに頷いて、そのほかは問わない。
そこには確かな糸があって、繋がっているようだ。
- 46 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:18
- ただ理由ナシに。とは全員を動かせないことを知っているのか、苦笑まじりに付け加えた。
「松浦と少し、話すだけだから」
その上で、視線一つで捕縛師を促し、先にやらせようとする。
警戒した瞳の色を見取ってか、現職の騎士は鼻で小さく笑って言った。
「どんなに時間が経とうと、この人と遣り合おうなんて思いませんよ」
顎先一つで先を示すと、もう捕縛師にも興味がないというように、武器屋に向かいあう。
様子を見る捕縛師と、木村さんが一歩を踏み込んだけれども。
「つぅか…」
裕子は奥歯をいやぁに苦くかみ締めてから、その足を止めた。
背中でためらうように投げられた声に、現職の騎士が注意だけを捕縛師に向ける。
「殴り飽きてないからな。おぼえとけよ」
はは。この期に及んで、よく言うなぁ。
仕方がなしに体ごと振り返って、「ま。憶えといてもいいですよ?」と空々しく応えた。
本当に、貴女が、私の思うとおりの人間なら…。
世界の行方も変わるかもしれないのだから――。
かつての師にむかい振り向くまま、一度瞼を伏せて。
思考の逡巡すら読み取る強い視線。弟子の気持ちまでも汲み取ってか、何も言わずに捕縛師たちの背中を見送る。
- 47 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:19
-
一行が少し遠ざかったのを見やってから、武器屋は小さく肩をすくめた。
「仕留められなかったの?」
「仕留められると思ったんですけどね、それより上でした。初めてですよ。体力削るだけで一杯になったの」
確かな事実を紡ぐだけなのに、どことなく悔しい感じがする。
だけど、屈辱という名前がつくほど、大仰なものでもなく。
その機微を読み取ってか、武器屋は薄らと苦笑を結んだ。
眉を持ち上げ、松浦亜弥は口元を曖昧にむすぶと、次の言葉を出していいものかと迷った。
だって。ねぇ。
「そういえば、あの藤本っていうの。随分甘い仕込みだったけど、あれはわざと?」
ゲ。先に来た。
まるでセンセイに提出物の不出来をたしなめられる気分だ。
「わ。わざと……です」
思わず素直に言い切ってしまって、語尾が激しくよどむ。
ふむ。得心というよりも、それはどこか絶対的な条項として書き添えられた文と比較されるように。
じ。っと観察されたあと、コツっと小さなゲンコツをいただいた。
当然中指と人差し指の関節が固定された、一番痛いゲンコツである。
「騎士だよね?あれ」
「はい。役職的には…」
あれ。という名称ではないのだけれども、師にしてみれば「そういう出来」なのだから仕方がないのだろう。
半年で死臭の嗅ぎ分けはさらに巧くなったけれど、それ以外の全てを伸ばすにはまだまだ時間が必要だった。
だけど。もう世界の果てが決まっているのなら、銃撃だけでも渡っていけるだろうと思ったのだ。
それが災いした。いや、幸いしたのかもしれない。
もし、本当に、渡り合えるほどに成長していたら、目の前のこの人は――。
「筋はあるからさ。無事に終わったら、一緒に鍛えなおしてやるって松浦からも言っておいて」
藤本美貴という存在ごと消去していただろうから。
- 48 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:20
- 「あの。その、世界が続いたら…て話なんですけど」
視線を合わせ、一つ湧き上がった疑問符をつきつける。
「さっきの捕縛師、強奪した天使との同調と思われる傾向があったんですが。ご存知でしたか?」
「拳が消えるとか?」
例を出されて、首を横に振る。
それだけじゃない。と安易に伝わる方法に、武器屋の表情は強張りを見せた。
「まず、天使を捕獲する際に感じた、暴かれる不安を彼女からも感じました。
突き刺すような…、針を束ねたようなもので刺される痛みです」
――後は、虹彩の色彩変化。天使の捕獲時に、天使が感じたと思われる状況のリーディング…でしたが。
……。言葉がつづかない。
薄らと息を吐き出す武器屋が、髪を力なくかきあげる。
「なにか、ご存知だったんでしょう?」
「一応ね。捕縛師自身も、血液に侵食があるのは知ってる。
でも、そこまで進んでるとは思いもしなかったよ」
――多分、裕ちゃんも自分で気づいてないんじゃないかな…。
これから向かわなければならない通路の奥を見やり、武器屋が小さく手の甲をさする。
これ以上は立ち止まっている必要もないだろう。
「じゃぁ。そろそろ行くわ」
「はい」
一歩を踏んで、思い出したように武器屋が立ち止まる。
- 49 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:21
- 「そうだ。藤本だっけ。あれ、人中打ち込んでるから。
鎮痛剤は置いてきたけど、ちゃんと間に合ってサポートしてやらないと死ぬよ?」
――大量の天使に囲まれたら、さすがに速射にも響くからさ。
ありがたい助言に眉を持ち上げ、小さく会釈する。
では、こっちはもっと怖い話を。
と、興ありげに口元をゆがめて、現職の騎士は武器屋がきた階段へ足を進め始める。
一人痛みに悶絶しているだろう、バディを支えに行くのだ。
「私に与えられた命令は、捕縛師の殺害ではなくて、体力の削減でした」
一歩。階段を下る脚。
何を言わんとしているのかがはかれず、圭は一瞬首をかしげる。
松浦亜弥の肩越しの言葉だけが、通路に渡った。
「天使を略奪するために押し入った部屋で、霊質制御の腕輪の解除キーだけがみつかりませんでした。
どういうことだか、わかるでしょう?」
パン。と弾くように、武器屋の表情が歪んだ。
言わんとしているコトを悟ったようだ。
「恨むよ?松浦」
「生きてられたら、その時受け付けます」
言い放ち走り出す、師の姿を横目に見送る。
万が一。なんて、今日の今まで信じられなかったけれど。
都合よく生き延びていく目標を立てはじめているあたり、人間意地汚いもんだなぁ。と、騎士も階段の先へ走り出した。
- 50 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:22
-
- 51 名前:御使いの笛 投稿日:2007/03/05(月) 22:24
- 御使いの笛 19:逆巻く凶器 更新いたしました。
さて。いーとーまきまき いーとーまきまき。
ひーてひーて…舞台が全部壊れたらドリフですが。
頑張ってギミック一個ずつ動かしたいと思います。
>20
や。やだ。そんな五回も呼ばれたらテレちゃうよ(殴)。
はい、関田。がお届けしておりました。
細々〜と続けております。もう糸なみに細々ですが。
今後ともよろしくおねがいいたします。
>21
お年玉のあとは、バレンタインもすっ飛ばしてしまいましたが(苦笑)。
このスレッドで完結を目指してますが、時期はまったく見えないのでした(殴)。
ひたすら書かなきゃ終わらない。世の道理ですね…。
>22
えぇっと。喉が枯れない程度のシャウトでお願いします(笑)。
だからって三大テノールみたいな声でも…それはそれで面白いのかしら。
う、嘘です。冗談ですよ。
>23
す、素敵な作品と言っていただけてありがたいです。
えらく殺伐とした世界なのですが、きちりと綴っていきたいと思います。
相変わらず鈍足の歩みではありますが、一歩ずつ更新してまいります。
みなさま。今後ともよろしくお付き合いください。
では、また。次の更新でお会いしましょう。
- 52 名前:名無し 投稿日:2007/03/06(火) 00:51
- やったー!更新されてるー!!
更新お疲れさま&ありがとうございます。
捕縛師さん活躍でお腹イッパイになりました!
時間ができた時に何回か1から読み返しています。
それぞれ個々の心の機微や成長ぶりがたまらなくイイです。
- 53 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/05(木) 22:36
- 面白かったです
これからどうなっちゃうのか
楽しみにしてます
- 54 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/20(金) 22:47
- それぞれのキャラクターが生き生きしててかっこいいです。
特に子供矢口さんを守るナイト吉澤さんという組み合わせが素敵すぎて心臓が破裂しそうです。
まぬけな感想をお許しください。
- 55 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/02(水) 22:54
- GW中の更新を実はひそかーに期待しているワタシです
続きが楽しみ
- 56 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:15
-
- 57 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:15
-
20:光
- 58 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:17
-
「さぁて…。なんて言って出迎えようか」
一通りの出来事は、監視カメラで覗いてきた。
恐怖で縛り付けた部下は居なかったし、命を賭してくれるような間柄でもない。
自らの生存という重石と使命とを天秤にかけ、あっさりと生存という名前の未来を選んだ彼女たちを責める術はどこにもなく。
小さく肩を竦めただけで、これまでの時間の流れを素直に受け止めた。
人間なんてそういう生き物だ。
魅力的な選択肢があれば、それに飛びつく。まるで猫科の狩をするようにね。
揺れ動く未来を手にするために、争いと欲望を止めることができない。
蹴落とすための策略にも、努力だとかたいそうな名前を与えて満足している。
愚者の楽園。
もっともっと、早く終焉を迎えてよかったはずの世界。
ソファーの上に座らせた天使を一瞥し、再び世界を見下ろす。
「使命と欲望を綯いだこの末路が、どう用意されているのか見物だけどね」
――脆く儚い人間の体と、相容れないはずの上位天使の霊質。よく、崩れずにここまでもったもんだけど…。
自嘲気味に歪んだくちもとがガラスに映り、そこからまた曲線を歪める。
歪みさえも美とする者の器など、物質世界では稀でしかない。
小さく顎を持ち上げ、流麗な動きのままに世界をめぐらせる。
視線上。黒衣に包まれた、天使の視線。
純粋と言えない鈍い光が、その目を覆いつくしている。
封をした思考。斜幕を下ろした瞳。
幸いにして、二重の箱のカラクリは、まだ、解けていない。
- 59 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:18
- 「そろそろ、鍵が着くんだよ」
にこり。温和さで覆った微笑みを見せ、視線の内に愛でる。
「そうしたら、なっち…。
キミを本当の意味で解放してあげるからね」
隔絶されたはずの世界から、感覚一つで足音を嗅ぎつける。
三つの音。二つは聞き覚えがある。
でも、小物だ。仕えてくれた彼女たちには申し訳ないが、これと言って怖くはない。
もう一つの音が近づくまでは、絶対的に、自分の方に分がある。
ニィ。逸る気持ちが口元を歪めた。
その間に、天秤を解放できたなら、それまで…だ。
すでに開けっ放しの壁面からは、狂おしいまでの濃厚な「聖歌」が溢れている。
常人なら、それだけで、畏怖に竦むだろう。
動けない元部下たちに、興味はない。
用事があるのは、捕縛師だけだ。
「すこし大人しくしてくれないかな?あとで好きなだけ謳わせてやるから」
と。壁面に向かい小さく諌めると、手をのばし、黒衣の天使を呼び寄せた。
「おいで?」
大き目のソファーからゆうらりと立ち上がる姿に、さきほどからの微笑みを強めて。
指先を、とる。距離はゼロ。
- 60 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:18
-
5……。
三つの気配が扉の前で活動を停止する。
4……。
緊急用のコードはなにひとつ改訂してない。
要は、幹部がその気になれば、いつでもドアが開くということ。
今までの誰も、そんな大それた真似はできなかったのだけれど。
3……。
――ルーク、王に仕える双璧の使徒が許す。開け!
どこか霞みのある特徴的な声が、その権限を行使する。
思い出す。かつての一夜だけの宴。
クリスマスのディナーに応えてくれた、大人たちの残酷な優しさ。
思い出すけど、もう、それだけのこと。
ニィ。くちびるをゆがめ。
2……。
踊るように、天使を引き寄せ。
背中から腕にくるむ。
くるり。一歩のステップで、踏み込み。
1……。
エアジャッキの可動にともない、すべるドアの前。
予想通りに構えられていた三人分四つの銃口にむけて、その姿を見せる。
正対する姿。世界が凍る。
ゆっくりと、天使の空っぽな双眸が、鏡面のように捕縛師をとらえた。
- 61 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:19
-
- 62 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:19
-
天使が小さな悪魔を捕まえているように見えたかもしれない。
その逆、悪魔が天使を捕獲しているようにも、見えたかもしれない。
「ようこそ。私の部屋まで」
――ホントにもう一回会えるとは、思いもしませんでしたよ。
艶然と言い放つ腕の中に、天使が在る。
生活していた中では与えなかった、黒いAラインのシンプルなワンピース。
色彩はまるで、対極。裏と表を返したような、どこか禍しい気配さえ感じる。
何があったのかは、わからない。はかれない。
ギリ。とかみ締めた奥歯に、憎悪がこもる。
部屋の奥壁面にはいかがわしくすら思える、悪趣味なディスプレイ。
活動だけを停止させるための維持装置。
中で眠り続けているのは、両手にもにあまる数の美麗の天使たち。
天使の存在の秀麗さは個体の力に比例するとも言われている。
中央に据えられた天使の美しさは、他に並ぶ個体に比べることもできない。
まるで、彫像にそのまま生気が宿ったかのよう。
横目にそれを見やり、静かに世界を戻す。
悪趣味。その趣味の一環で連れ去られたなら、なおさら腹が立つ――。
- 63 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:21
- 「なかざわゆうこさん」
対極に立ち、子供のように穏やかに声を紡ぎながら嘲笑う、この城の主。
後藤真希…。
王様だ。でも、こうして対峙すると、ただ守られているだけの王様には思えない。
禍々しい気配を放って、面を穏やかに保っているあたり、コイツはホントに化け物っぽい。
「よぉ。けっこうイロイロやらかしてくれたな」
皮肉さを前面に押し出し、表情を歪めた。
笑みなどカタチになるものか。この、抱え込んだ力はもう止めることも、引き戻すこともできない。
呼気の深さ。憎悪から噴出すエネルギー。
怒りに総毛立つ獣というよりは、まだ威嚇中という方がしっくりくるだろう。
裕子の中のストッパーは外されていない。
王様はその鼻っ面にエサをつきつけるように、優しく天使の髪をなでながらシニカルな笑みを返した。
「心当たりが多くて、どれが怒りに触れているやら」
――見当もつきませんけど。
一歩。三人は銃器を構えたまま、部屋へ踏み込む。
しかし、直線状に盾とされた天使の手前、発砲することはできない。
大事なゲストとして扱われていたのは確かなようだが、威嚇射撃に彼女を放り投げるくらいしてくれそうだ。
- 64 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:21
- ふ。と後藤真希は鼻で嘲笑う。
それは笑みというよりも、歪みだ。
歪曲するくちびるの、蟲惑と魅惑が視界につく。
「まぁ。この子の使い道を知らないあなたには、絶対的な価値などわからないからね」
天使の髪にわざとらしくくちびるを寄せ、捕縛師に向かい指先で挑発を加える。
今までだって怒り心頭でここまで来たのだ。
焚きつくのに、長い時間は要らない。
今まで抱え込んでいた火種に油を注ぎ、その尊大さがくすぶりを煽った。
「使い道だぁ?」
怒りの刃が、ストッパーを留める精神の糸に触れる。
「そう。使い道」
即答。その反射の速さが、糸への切れ込みを深めて。
「アンタがどういう風に価値をツケてるかは関係ねぇ。
それは泣いて笑って、怒って。ちゃんと感情が出る人型の生き物だろう。
ウチで暮らしてたんだよ。返せ」
眉間に深々としわを刻み、不機嫌さを前面に押し出して。
「あぁ。そういう価値観……?」
――けっこう絆されてるんだ。
あは。と小バカにするように紡いで、肩を竦めてみせる。
イチイチ癪に障ればいい。
さぁ、冷静さを失いたまえ。捕縛師。
「コレはね、生き物とかいうレベルじゃないんですよ。
貴女の周囲でも触れられた人間が居るんじゃないんですか?」
――心の傷へ無邪気に指先をつっこんで、引き裂かれた人間が。
- 65 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:22
- ブレーカーが落ちるように、急速に流れがねじれた。
脳内で響くバチンという盛大な音とともに、思考回路が切り替わる瞬間。
思い出す痛みの奔流。空虚と、切なさと。
呆然とした表情の医術師と、その手を重ねる天使の姿を。
目の前の「総裁」と呼ばれた彼女が、汝が罪を呼ばわるものという天使の本質を知っているとしても。
その本質に暴かれた存在を嘲笑うことは…。
冒涜だろう。
自分はイイ。かまいやしない。でも。
本質についての戸惑いも持った天使さえも嘲笑うことは、とてもじゃないが、許しがたい。
「引き金、引いたな?」
全身の神経が、ザワザワと波を立て背筋を覆う。
黒い獣がいまにも、戒めの鎖を引きちぎろうかと奥歯をかみ締めている。
「そう?今のが引き金なら、アンタも引き裂かれた口みたいだね」
――どういう痛みだったのかな。価値観とか覆されたりしたんでしょ?
ズイブン大事ニ扱ッテタモンネ。
「安っぽい罠ですね、総裁」
安穏とした音声が、幾分かたい音を紡ぐ。
外部から発言をすることで、世界に楔が打てることを知っているからだ。
しかし。視線も気配も捕縛師から外さずに、総裁と言われた女は声だけを元城壁へむけた。
「安っぽいかどうかは、絢香さんが判断することじゃないよ」
艶然と言い放つ。
- 66 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:23
- 彼女の鎖はもう切れるよ――。
美しい者の歪んだ笑み。印象をめぐりめぐって、美麗としか受け取れなくなるその微笑を、前面へ。
「コレがどういう道具なのか、これから見せてあげるよ」
わざと強める腕。
「道具とか言うなよ」
箍が。
「そんなの、いまさら」
恐れるものなどはなにもない。と、表情一つで誇示する少女の面。
しかし、その発言も自信も、少女の無知や愚鈍が紡ぐものではなくて…。
枷が。
「今まで触れてきたモノで道具以上のものはない」
――騎士でも、いかなる部下もね。
一瞬で場が凍る。
今まで向けていた言葉の矛先を、わざと大きめに振り回したのだ。
天使を、天使にほどかれた人間を、さらには彼女の手の内にあったものまでも愚弄するとは。
- 67 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:24
-
総裁と呼ばれた人間の思惑通りに、時の手綱は操られ。
ジャギン。
捕縛師を微かな冷静へと繋いでいた、鎖が、――切れた。
- 68 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:24
-
咆哮は人の口からも迸る。
一瞬の跳躍。踊りかかる姿、まるで巨躯黒色の餓狼。
天使を抱えていた腕を一瞬にしてひらくと、王は自らの背後へと天使をなげうった。
横に展開させれば、捕縛師の背後に居る人間が天使を保護しようと動くだろう。
それはさせられない。いや、させるつもりもない。
泰然とした笑みのまま、振りぬかれた拳をそのまま受け取った。
上体のねじれることもいとわずに、連撃になる膝の蹴撃にも体を任せる。
無抵抗でくの字に折れ曲がった体。
捕縛師の表情が、手ごたえの無さを訝しく思う一瞬。
これを待ち構えていたように、ぐんと顔を上げ、近づける。
「待ってたよ」
ダメージもものともせず、笑顔で告げられれば驚愕するほかあるまい。
必要なのは、捕縛師に接触すること。
狡猾にも喉元を狙う蛇のよう、爪先を槍のようにのばした。
ぶれないその一手。
捕縛師の目には騎士と同等に見える。
洗練された、武器に等しい。
- 69 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:25
- 応戦するように幾度か拳が飛ぶのを、肘や掌底ですかさず潰しきる。
反射速度ならコチラの方が上だからね――。
施された英才教育に感謝もしながら。ひっかけた襟をキツく取り締め、至近距離から膝を見舞い返す。
キレイに鳩尾に入ったその蹴りの勢いで、小さな刻みをもって右へと体を捌き、足を払って床にたたきつける。
首だけで拘束する、荒業の極みを見せながら。
たたきつけられた方はたまったもんじゃない。
受身もなにも、肩先から打ち付けられては、呼吸は詰まる。
一瞬の完璧な無防備に、世界が色を遠くする。
見下ろす王の、優雅すぎる笑み。
捕縛師は、今の一手ずつ全てに毒が含まれていることを知らないのだ。
「――ッ」
一歩、踏み込もうとするチェスの駒を、鋭い視線が一瞥して。
足がこごる。
これで近距離射撃をしようものなら、捕縛師の体を盾に蜂の巣にしてしまうだろう。
それくらい、想像は容易い。
ギチリと奥歯をかみ締める幹部の視線のなか、捕縛師の傍ら片膝をついた、王の笑みが歪んだ。
- 70 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:26
- 捕縛師を、確かな驚愕が縛る。
「鍵を渡してもらう」
愛しい者への言葉を紡ぐよう、王の声はうたう。
「かぎ?」
「そう。彼女の霊質を解放するためにね」
その言葉に捕縛師の目は見開かれた。
ソウイウコトか?
ソウイウコトか。
必要なのは、自分の頭の中にしか無いモノ――。
飛び掛るままに銃器でも応戦されなかったのは、距離を詰めるための手段というだけ。
思い知らされる。予想より想像より、階下の何物より、コイツはヤバイ。
途端。とらえられていた首――たとえば頚部の脈への圧迫感よりも顕著に、体の中に焼けるような痛みが湧き上がってくる。
指先を。体中のいたるところに、噴き上げてくる痛みが生まれた。
ゾロ――。
痛みの生まれた場所が、クズリとくずれる。
細胞が目に見える形で崩れる。
砂のように。――砂の、ように?
視線一つで状況を追いかける捕縛師の目が確かに歪む。
爪が、指先が崩れ落ちて、神経から骨格がむき出しになる。
驚きを、驚愕を、理解できぬものへの恐怖へと変えよ。
「畏れよ、人の子ッ」
ひきつった笑いに喉を鳴らし、王は捕縛師の記憶の全てをたどりはじめた。
- 71 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:27
-
ゼロから。無の極致から。容赦なく指を差しこみ、暴くように引き裂く。
子供の記録。母親の背中。
砂漠を走る二輪の土煙。喪失と、諦めと。
月夜に観た白い天使。戸惑い。
抵抗という術を失っている捕縛師の世界の中で、今、無邪気にも悪意に満ちた笑みを浮かべる王は絶対だった。
呼吸の厳しさとありえぬはずの苦痛に目を見開く捕縛師の思考を、侵食するような違和感がはしる。
痛みと、違和感。拷問以外の何物でもない。
「か――ってに、人をいじ――るんじゃ、ね――ぇっ」
それでもまだ抗議を口にすることができる、胆力は褒めるべきだろう。
王は果敢にも抵抗しようという腕をおさえつけ、精神と記憶を踏みにじる。
もう、侵食は終わろうとしていた。
「うん。もう、終わるし」
なんでもないことのように微笑って、今の彼女へ近づく。
引き出されるべき記憶はただ一つ。
天使の腕。掴む、黒色のグローブ。
見慣れた女の改造した、ブレスレット。
一見すれば、装飾品程度にしか見えないだろう、霊質の制御装置。
小さなボタンの一つ一つを、押しやるその記憶――――。
入力される、キー操作。一部始終。
- 72 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:28
-
「みつけた」
忍び込ませた騎士が見つけられなかった、最後の鍵――――。
- 73 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:29
-
ニタリ。
手を解き立ち上がり、鈍い痛みから這い上がれない腹部にむかって靴底を突き下ろす。
「っがぁ」
全身を覆う奇怪な痛みと、今の一撃。
飛びのいて反撃ができるほど、生ぬるくは無い。
砲弾でぶち抜かれたような痛みを抱え、霞む視界で王の嘲笑をとらえた。
「ここまで来れたこと、全て用意された物事だったと悟るがいい」
王の放つ蔑視の下。一度はくの字に折れた体が、苦悶に転がる。
ゆっくりと、天使へ腕を伸ばす。
背中を向けたところで、今自分を撃てる腕前の人間は居ない。
チキ。と銃口の向きを整える音が聞こえようとも。ブラフ。はったりだ。
走ってくる足音が増える。
たったの一つ。
純粋に嬉しくなって、口元を持ち上げる。
彼女だって、天使を盾にすれば撃てないことを自分は知っていて。
再び、個体「汝が罪を呼ばわる者」を腕へと抱き込んだ。
到着する足音に向かい、天使の存在を誇示しなければならないからだ。
腕に抱きこみ、指先で霊質制御の環を弄ぶ。
- 74 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:30
-
「さて。試しに霊質の最大値をあげてみようか?」
――面白いものが聴けると思うよ。
キーがこちらに渡れば、優位は揺らぎはしない。
精神から植えつけた幻惑はほどけず、消えない痛みに身をよじる捕縛師など気にする必要も無い。
「たとえば、人間が耐えうる数値であるあたりまで…とかね」
ピ。という微かな作動音。
デジタル音の鳴るたびに、数値一つずつカウントアップしていく力。
ジリジリと、倒れたままの捕縛師の体に念質の波動が届く。
どこかで感じたことのある波動だ。
ソレは、体や心は関係ない。存在にそのまま響く音。
でも。自分が感じたことのある音は、それは優しくて、あたたかくて。
こんな。――こんな悲しくて辛い歌ではなかったのに。
聖歌――。
天使が声にならぬ声をあげる動作だ。
声にならぬ音が鳴るのは、神を崇め奉る歌。
人を嘆く音。
解放を望む音。
多種多様の濃密な霊質に、脳ごと揺さぶられる。
歌に聞こえれば耳にも良かろうが、これではまるで、怨嗟の呪いのようだ。
- 75 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:31
- 「なに?――コレッ」
入り口で銃をホールドしていたビショップの悲鳴。
単体ならばそのうねりにも耐えられようが、この奔流に当てられて正気で居る方が難しい。
「聖歌ッ――天使の鳴らす音の束――――ッ」
指物元騎士でさえも、頭を抱える濃度。
普通の人間ならば、即座に自我を失うするだろう。
「天秤に呼応する歌声なんか、めったに聴けないからね。貴重だよ?」
ふふり。子供の自慢のように無邪気な笑みを重ね、自慢げに紡いで。
「ここで少し講釈しておこうか」
――圭ちゃん来ないとつまらないからさ。
単純におやつの時間を調整するような物言いで、王は制御装置を指先で愛しくなぞる。
「霊質は通常一つのエネルギー個体として集中して存在する。
ただ、事象としてのエネルギーを司るモノだけは、世界に満ちている」
――時間や物理の事象における力量などの天使の存在は、世界中になければ人間の活動もできないよねぇ?
ピ。キーを押す。
ピピ。二つ、三つ。
「一つのエネルギーとして存在するもののなかで多い分類は、裁きを与えるための力だ。
たとえば。そこに在る、破壊の最上天使が代表格になるけれども。
彼女は指揮官の扱いになり、指揮官を目覚めさせるためには呼応する個体が必要になる」
- 76 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:31
- ピ。あと押すべきキーはもう一つ。
近づく足音。
目の前でくたびれた体が、二度三度と埋め込まれた痛みの幻に蠢いて止まる。
なんだ。思ったよりも簡単に運んだな。
この指先に力を込めれば、霊質制御の装置は簡単に外れるんだ。
宿願。ようやく、叶う。
「その必要な個体が、天秤と呼ばれる存在でね。
人間の罪の重さを瞬時にしてはかり、天軍の門を開く役割を持っている」
――不躾に、土足で人間の心を斬り裂き、人間の中にある痛みや欲を氾濫させるんだ。
ぴくり。黒色のグローブ。指先が微かに動く。
「その個体の名前を、力の大樹に連なる者はこう呼ぶよ。汝が罪を呼ばわる者と」
「それ…は……」
痛みにおぼれているはずの、かすれた声が零れ落ちる。
王が微かに下げた視線のなかで、くずおれる黒色の獣。
「そいつは……」
言葉だけがこぼれて、他には何もできない。
「その本質だけじゃ……」
「残念でした。天使は、本質が絶対なんですよ」
――学術的に弱い捕縛師さん。
希望を込めた音声を上から踏み潰して、最後のキーへ指を添える。
さっきから聞こえていた足音は、止まった。
- 77 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:32
- 「遅いよ圭ちゃん」
直線上の視線。数分の遅れを持った武器屋が居る。
その視界の中にあるものは、きっと、王と、天使と、くず折れた捕縛師。
瞳の奥に見えているのは、間に合わなかった後悔。
嬉しくて、胸が躍る。
もっとはやく始めていればよかったのに。
もっとはやく、会いに来てくれればよかったのに。
「後藤…ッ」
どういう状況かなんて、言わなくてもわかるだろう。
「じゃ、始めようか」
ピ。
軽い軽い電子音。カチャリという、これまた軽い音。
戒めの解ける、その音。
場の重さとは裏腹、枷は甲高い金属音を立てて床に転がった。
「世界の重さを量ってもらう――」
どうせ、負に重く、否とされる世界だけれども。
天使のまつげはゆるく伏せられ、ふたたび持ち上げられ、世界を映す。
「ただ一つ。固有のエネルギーでもない、世界を覆う力を持つ凶悪な器を、その目にするといい」
- 78 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:33
- まるで透明な水あめを撒いたように、天使の背に光は収束する。
引き伸ばされた光は徐々にその骨格を形成し、霊質から発生する粒子を撒き散らす。
羽毛のようにはらはらと床に落ちては、粉雪の融けるように消えうせていく。
当てはまる単語があるとしたら、羽化だろうか。
四肢のほか体に添うもののない見た目に、不釣合いな大きさの翼が生えていくのだ。
引き伸ばされていた光は、また水あめのように、蠢動し、煉られ、物質世界に構成されていく。
聖歌にねじ伏せられた幹部たちの前で。
「なっち…」
声を絞ることしかできない、武器屋の目の前で。
かろうじて視線で追う、捕縛師の目前で。
彼女たちのもとで見せていた無害な愛らしさと対極の、見たことの無い色彩の華が咲く。
負に傾く予感。未知のものへの、畏怖というもの。
大きすぎる対の翼が体に対して完璧な比率でそえる美しさ。
人為的な技術ではなしえない、確かな、神の御業である。
人間がどんなに試しても、巧くつくれなかった合成生物の理想形。
翼の形成が終わり、瞳の色に鈍い光が灯る。
- 79 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:33
- 出迎えるように。
再会を歓ぶように。
言祝ぎのように。
音として認識しがたい聖歌は、さらにその濃度を増した。
聴覚を越えた場所へ響く轟音に、意識すら吹き飛ばされそうになりながら、四人はその変異に釘付けになっている。
「おい………し…、……ろ…よ」
うわ言のようにこぼれる声。
ふわり。光の粒子が髪に遊ぶ。
まるで、力場すら違うかのように、ゆらりと髪の一筋が揺れる。
ふわりふわり。ほどけた光は、床に降る。
そのまばゆいばかりの光がヒラリと、平とした平面になりさがった。
「やめろよ……、なぁ…」
捕縛師の微かな声をも、聖歌が掻き消す。
瞬間。
まるで液体にむかい色つきのインクを落とすように、ゾプリと周囲に沈み込んだ光が、その色を消した。
いや。消えたというよりも。
光の色すらとらえきれないほどの薄さで、ありえぬ広さへ拡散していったのだ。
中継するためのアンテナも必要ない。
増幅させるために呼応する天使も要らない。
無尽蔵に、無限に広がる、力。
それは、善であろうと悪であろうと大人子供関係なく、些細な罪咎をも見逃さぬ蹂躙。
いかなるモノをも逃さず裁く、汝ら世に生けるモノどもの罪を浮き彫りにする、強すぎる光だった――――。
- 80 名前:御使いの笛 投稿日:2007/05/23(水) 22:34
-
- 81 名前:関田。 投稿日:2007/05/23(水) 22:39
- 御使いの笛 20:光 更新しました。
いやほんと。お待たせしましたとしか言い様が無いんですが(汗)。
ようやくというか、「こういう展開」です。
これからスピードアップできたら……いい…なぁ。
以下コメント返し。
>52
うわわ。すいません。前回から二ヶ月強です。
捕縛師さん活躍しましたが、今回は…うぬぬ(悩)。
1から読み返されるとアラとかアラとか穴とか出てきますが、
ひとまず目を瞑っていていただいて。
今後ともよろしくお付き合いください。
>53
これからこうなっていきます。
しばらくハードテイストですが、楽しんでいただけたら幸いです。
>54
ありがとうございます。キャラクター。作者でも御しにくいほど生き生きしてます(笑)。
子供矢口さんですが、これでも18くらいの設定だったはずなんですが(笑)。
まわりが年齢不詳のリバースだらけなもんで、曖昧になってしまってます。
城壁さんには気張ってもらいましょうか…。うふふふふ。
>55
すいません。GW中はちょっと有明で…ゲフゲフ。
六月の声を目前にしましたが、ようやく更新いたしました。
今後ともよろしくお願いいたします。うっす。
- 82 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/24(木) 00:47
- 更新ありがとうございます!
ひと文字ひと文字ドキドキしながら読み終えたところです。
捕縛師さん、やっとなっち天使のところに辿りつきましたね。
それぞれの心情を思うと涙が出そうです。
- 83 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/27(日) 22:40
- なんか凄い事になってますね何やってんだ捕縛師と小一時間(ny
続きが気になります
書けなかったのですが前回の福知山対姫路面白かったです
- 84 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:31
-
- 85 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:32
-
21:計測
- 86 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:32
-
たとえばその裁きというものが、目に見えるものであれば。
人間の罪は、減るのだろうか――――?
喉元をすぎた熱さは、胃の腑でなれて忘れ去られる。
百年のあいだ、ただ罰として生き延びてきた人間をはかるとき。
そこにある重さは、いかほどか――?
- 87 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:33
-
- 88 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:33
-
水を打つ静寂とは、まさにこのことだと思う。
周囲の異変に眉を怪訝に寄せ、自らの立ち位置に揺らぎ無い事務官は、不意に押し寄せた虚しさに拳を握った。
心の中をまさぐられるような。
嫌なことをしまいこんだ戸棚を片っ端からあけられ、中身を残らず放り投げられているような苦しさ。
無断で戸棚を開け放ち、無造作に後悔や痛みを引きずり出される。
痛みがあふれて思い出したのは、かつての同僚のことだった。
入社した新隊員たちはまず、二人一組のバディを組まされる。
まだ事務官に迎えあげられる前、一介のポーンだったころの話。
知人からシフトをかわって、急造のチームで現場に出向いたバディが銃弾に倒れた。
変更シフトだったせいもあり、自分は彼女の側に居られなかった。
たった、実働四時間ほどの間に、その命は失われてしまったのだ。
自分が倒れたときに開けてほしい。と、預けられていた袋の中。
入っていたのは、家族宛の手紙と、自身に宛てた手紙。
告別式でご家族宛ての手紙を託したあと、社葬の夜に自分宛ての封を切った。
バディとして長くやってこれた特別として、彼女に捧げたアクセサリー。
せっかく送ってやったのに着けてないと怒ったこともあった。
なのに、こんなところに……。
その間違った怒りを謝罪する相手は、すでに存在しない。
- 89 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:34
-
「この手紙を開けたっていうことは、私が世界から消えたしまった時なんだろうね。
ヒトはいつも寂しがりで、ひどい泣き虫だから心配だけれども。
自分ではどんなカタチで死んだかなんてわからないし、そのときの感情なんか伝えられない。
もしかしたら、ヒトがものすごい後悔するカタチかもしれない。
でも。これだけは憶えていてほしいんだ」
――私はこの仕事が好きだったから、どんなカタチであれ、殉職と呼ばれるのは本望だからさ。
だから、もし、瞳が後悔するカタチだとしても、ひきずらないで。
難しいことかもしれないけれど。
厳しいコトだとは思うけれど。
ヒトとバディ組めてよかったよ。ありがと。
一足さきに、おやすみなさい。またね。
- 90 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:35
- 後悔をしていないと言ったら、それは嘘。
飲み込めたか?と問われたら、否と答えるだろう。
実質自分のせいではないと思っても、後悔は当然で。
存在を追い詰めるほどに、自分で苦しんだ時期もあった。
眠れなくて。目が覚めてその存在が無いことが苦しくて。
けど……。
首にかかるチェーン。ドッグタグと一緒にさがるトップは、彼女に捧げたはずの形見。
胸に手をあて、その造形を一度確かめる。
指先にあたる硬さはクローム。
大谷からは「意外な選択」と言われたこともある。当然だ。本当は、自分のモノではないのだから。
私は今、まだ、この場所で生きている。
後悔とか。苦しみとか。嘆きとか。
振り切ることなんかできないまま。抱え込んで吐き出せないまま。
そういえば…。上司が変わってから、思い出すことも少なかったな。
まるで時間が止まってしまったかのようなドームの中。
視線だけで、上司を探す。
薄らと瞼をおろし、何事かを感じ取っているように見える彼女が、きっと過去の自分を掬い上げてくれたんだろう。
そして。何も知らぬまま上司に絡めとられた、もう一人の同僚も。
- 91 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:36
-
「なんだ…」
隣。盛大なため息が聞こえて、斉藤瞳は視線をむけた。
視線の中に映った隣人は、自らの手をじぃっと見つめて居る。
「今のが、言われてた天秤の力…」
呆然とした面持ち。
まるで、目を覚ますために冷や水を浴びせられ、状況が飲み込めない行軍のようだ。
否応ナシに進む時間。
全体を把握する前に、ただただ、着いて来いという現実の背中。
後悔することなら、沢山あった。
どうしようもなく虚しい日だってあった。
「酷いね。土足で踏み荒らされるとは思わなかった」
自嘲気味な笑みを見せながら、大谷雅恵は大きく肩を竦める。
ぱたりと手を下ろし、長いまつげを伏せて。
「必死で隠してたことばかり、走馬灯みたいにくるくる回転させやがってさぁ。
こんな……、生きてきて、悲しいことばっかりだったっけなぁとか、なんか、複雑」
――嬉しいことも、楽しいことも沢山あったはずなのに。
別離とか。
自分じゃどうしようもない後悔とか。
二度と会わないだろう相手を、傷つけるだけ傷つけた時とか。
憤りを握りつぶすように、ジャケットの胸元を握りしめた。
- 92 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:37
- 「自分で背負いきれないものばかり取り出して、大きく見せる鏡だったね」
力なく。瞳は前髪から髪をかきあげる。
「きっと。潰されたらオシマイなんだろうね」
なんとなくでも、重さを量るというその言葉の意味合いが知れて。
表現しにくいほどの苦しさが、二人の間に漂う。
まるで、このドーム一杯に蓋をしたような重たい空気。
どうやら、この中に居る人間、例外なく「汚された」ようだった。
雅恵の言うように、心の中を土足で踏み荒らされ、現実に追いつけないまま呆然としている。
憤りに肩を竦める者もあるが、九割以上が毒気を抜かれたような顔をしていた。
と。不意にかなりの箇所から叫びめいたものが聞こえた。
まるで子供が条件反射で痛みを怖がるように。
本能的な恐怖に脅かされる、切迫した声が火柱のように立ち上る。
弾かれるように顔をあげた二人が至近距離の声を見とめる。
と、両腕をかきむしるようにうずくまっているあゆみの姿があってたじろいだ。
「各自バディを諭すように。
天使が何を見せようとも、今まで見てきたお互いが全てだ。それ以外はない」
短く叫んだ上司が、バディの存在がない彼女に近づいていた。
柴田あゆみの体を包んでいるのは例えのない怯え。
畏怖や、恐怖や。押しつぶされそうな、不安。そのもののよう。
ひとまず無事に済んだらしいお互いを見やって、奇妙な連帯感を持つ同僚へと近づく。
先にたどり着いていた上司は、二人を見上げてから微苦笑った。
- 93 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:37
- 「キミたちみたいに適度にいい加減だとね、こうも迷わずに済むんですよ」
――実直すぎて自分の罪を逃がして上げられない子は、罪深くもないのに、こうやって漬け込まれそうになる。
ただ業の深い人間が天使の糧になるのとは、ワケが違うんだ。
言い分のズイブンなのと、その表情の真剣さが、上司の中の焦りを濃くうかがわせている。
司祭の顔色の悪いのと、視点が現実に無いのと。
何を見ているのか、なにに囚われてしまったのかと二人は切なく眉を下げた。
物質的な痛みを堪える声とも違う。
喉を絞る高音の唸りと、体の萎縮。
ポツリと、言葉がまざる。
手が――。腕が…。
しかたがない。
しかたがなくないよ。
――――ッ。
暴れるように体を起こした部下を、どうにかして両腕で留める。
村田めぐみの頭の中では、あゆみの受け持った仕事及び制圧の記録を猛スピードでめくり上げていた。
それこそ。自分が書類を閲覧できる立場になってからの、膨大な量の記録をだ。
最近の強盗殺人犯でもない。初期の合成生物の消去でもない。
めくれ。めくれ、間に合え。
彼女を自分の下に置いた理由。その曲げられぬ実直さゆえに、この子を失うわけには行かないのだ。
- 94 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:38
-
- 95 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:39
-
あぁ。どうしよう。腕が真っ赤だ。
銃が楽なのは、自分の腕と体に残るものが、銃弾を射出するときの反動だけだってこと。
でも。記憶にはかならず残るものがある。
対象の声。
銃弾の留まった体からあふれ出して、衣服を穢していく血の色。
呼吸が止まる瞬間に紡がれる怨嗟。
床をかく爪の揺らぎまで、記憶がどれかしらを刻んでいるのだ。
あぁ。どうしよう。
今まで自分が見てきたもの、聴いてきたものが押し寄せてくる。
真正面から、後ろから、地中から、天から。
自分の中から…。
しかたがない。今までだって仕事だったんだ――。
腕の赤をそぎ落とそうと指先で掻き毟るけれども。
皮膚から湧き出るように、塗り重ねられるようにどんどん厚みが増していく。
重たくなる。
いよいよその重力に負けて、ゴトリという音をたて、腕が床につく。
まるで肺の機能にまで凝りが伝染するのか、呼気もどことなく薄い。
なぜだ?愕然とする自らも抱えきれないまま、瞠目するほかない。
しかし。彼女を待ち受けていたのは、それよりも受け入れ難い状況だった。
- 96 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:39
- 「しかたがなくないよ」
目の前で。ジャリという床を食む靴底の音がして、視線だけを持ち上げた。
毎日のように見ていた制服…作業及び戦闘服のほう。
階級章は、自分相等。
そこまでを視界にいれて、くちびるがわななく。
延長線上に見える、見慣れた顔。
鏡の中にあるはずのその顔が、今、自分自身――あぁ、まさに自分だ――を見下ろして居るじゃないか。
「何人も。両手じゃ数え切れないくらい処分してきたじゃない」
呆れたように。嘲笑うように。肩を竦める自分が居る。
「人質だって、完璧に、全員助けられたわけでもないでしょ?」
記憶を引っ掻き回される。
まるで脳に直接針でも打ち込まれ、かきまわされているようだ。
気持ち悪い。
思い出す声。刃物。銃器。脅威以外のなにものでもないもの。
動かなくなる体。あぁ。腕が重い。体が重たい。
血の色が、自分を侵食していく――。
「こんな自分キライなんだよね?」
甘い声。自分のものとは思えない、低くて、優しい…褥に響くような艶。
「努力も追いつけない場所にある悔やみに、自分を歪めて――カワイソウニ」
するり。自分自身が、目の前に膝をつく。
ぼんやりと見上げるその顎にそぉっと手をそえ、口づけるほどに表情を寄せてきた。
「ラクニシテアゲヨウカ」
そう、自分が言う。
- 97 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:40
- 自分自身、今まで誰にも聞かせたことのない甘さの声だと思った。
問いかけのように見える言葉は、すでにどこか決定された事項のようにかたい。
――どうやって?どうやってこのこびりついた血を、怨嗟を剥がす?
間近にある自分の顔が、誘惑するように半眼を伏せる。
「ケシテアゲル」
何を?と思う隙もなく、言わんとすることが悟れる。
積み重ねた罪を。自分の中に巣食っている罪過を。
甘い声を放つ自分は「無」に還してくれると言う。
それは、とても甘美な誘惑だ。
どこか抗い難い強さで、この心を望みへと向かわせる。
楽にしてくれると言う。
消してくれると笑う。
今まで重ねてきた後悔を、軽くしてくれるというのは、確かに魅惑的だ。
「罪ヲ、食ラッテアゲルヨ」
髪のなかに指先を差し込まれ、つよくない力でグイと髪を引かれた。
強引な動作で視界を持ち上げられる。
自分の中に在る笑顔と、変わらない微笑。
ほんとうかな?ほんとうに消せるのかな?何もかもが軽くなるのかな?
- 98 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:41
-
ふと、疑問が湧きあがる。
赦されたい気持ちはある。それで楽になれるものなら、赦されてしまいたい。
――でも。
「ねぇ、人間の罪って、それで赦されるものなのかな?」
霞んだ思考から絞りだすように思った瞬間、自分の顔が憎憎しげに歪んだ。
- 99 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:41
-
「コレは、赦しでは無いよ。目を覚ましたまえ、柴田君」
ふと。寄り添うように、傍らに立つ人が居る。
目の前の自分に銃口を向けるかのように、人差し指を突きつけて。
「元々霊質の塊でしかない天使が、物質世界に顕現するためには特定の方法をとらなければならない。
ほんとうに、物質としての体を得て降りてくるか、人間の質量を食らい人の細胞から顕現するか」
細い体から滲む、驚くほどの芯。
日ごろ飄々とした気配しか感じさせないのに、イザという時に現れるこの強さよ。
「天秤によって呼び覚まされる破壊の使徒は、半数以上が後者。
世界の隅までいきわたった力は、人間の罪の重さを量ると同時に、顕現に対して糧となる個体の目星もつけてしまう」
蛍光塗料で教科書をマーキングするのと一緒だと、その人は苦笑した。
あぁ。そうか。
彼女の声がストンと落ちてくる。
罪を食らう。というのは、魂の安息を与える代わり、天使の顕現する媒介となれという意味――。
自分という肉体の質量を捧げろということか。
瞠目するこの目の中、誘惑に遣わされた自分の顔が砂のよう醜怪に崩れ始める。
バン。と子供が銃を撃つ真似をするように、人差し指が崩れ始めた自分を穿った。
力の原理はわからない。
見る間に骨格だけになったかと思うと、さらに退廃していく。
ザララと砂山として崩れたもう一人の自分は、鈍い色の光の粒になって、それから消えた。
残されたのは、自分と、社長の二人だけだ。
- 100 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:42
- 「さほど罪が深くなかろうと、抱えている人間の正直さも投影するから。
君のような素直な子は流されそうになる。
彼らはその侵食に赦しという大層な名前をつけて、人間を誘惑するんだよ」
――まぁ、ハナから恐怖に落とし込まれて、裁きとともに食われる人間も居るけどね。
苦笑まじり。どこか気を抜くように肩を竦める。
「あの…」
うん?言いよどむこの口を、軽く眉を持ち上げて上司は自分を見守っている。
まだ、腕は赤黒く塗り固められていて、動かすことができない。
「社長。腕が、…動きません」
いまや肩まで石膏のようにこびりついた血は、重ねられた重みで真っ黒ににごっていた。
膝に手をつき、上司がかがみこむ。
「どれ」とまるで大人が子供の傷口を見るように、軽い音声だった。
そう。最初から、「どうってことない」と言うような、口ぶりである。
「さっきも誘ったけれども、そろそろ目を覚ましたまえ。いつまでも眠れるときじゃない。
そして、今から始まる現実をしっかりと見つめなさい。
現実を乗り越えたそのとき、君は今までの呵責すらその身に変える。
未来を望み、これからを誇りなさい」
――今から降天してくる天使に食われる輩より、惑い苦しんで進む君の手は、よほど清いよ。
素で聞いたのなら赤面しそうなほどの支えを与えて、手を差し伸べてくる。
さぁ。と。なんでもないことのように。
- 101 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:43
- その手を、取れと言うんですね。
ムリヤリにでも、この腕を伸ばして。
「それに。そのまま這い蹲ってる性分でもないでしょう?君は」
あぁ。そこまでもお見通しか。情けない姿態のままだが、思わず奥歯で笑ってしまった。
重たい腕だ。
でも、動かさなきゃいけないんですね。
肩から、重たく軋む。腱がちぎれそうだ。
距離を詰めることをせず、この手が、差し伸べられた手へ届くまで彼女は見ている気なんだろう。
彼女がそうしろと言っているわけではない。
コレが、柴田あゆみ自身の選択だと気づかせるための待機なのだ。
呼応だ。目の前で呼ぶ人が居る。自分はそれに応える。
悪い気のしない方向へ追い込むその話術というか、巧みさと言うか。
指先が触れる瞬間。
その腕が力強く動いて、「パァン」と破裂するような音をたてながら掌を叩き、引き寄せた。
グイ。と引き寄せる力。掌に生まれて、ジワリと残る痺れ。
さっきの仕返しだ。すぐに悟れる。
「おかえり」と言われるのと、肩を抱かれているのに気づいたのは同時。
すぐそばに、事務官も二人とも居て。
見渡す視界がドームの中だと思い出してから、膝から力が抜けそうになった。
あぁ。そうか。自分……、天使に取り込まれるところだったんだ。
現実から、隔絶されていたらしい。
腕の重さも、あのへばりついたドス黒い呪詛もない。
性質の悪い幻だったのだ。
- 102 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:44
- ぽんぽん。と髪を叩きながら、あやすように上司が言う。
「何か特定の事件が引き金かと思って、記憶をあらってみたけれど、たどり着けなくてね」
――なら。降り積もった呵責がキミを責めているんだろうと、そう思って声をかけさせてもらった。
声をかける。という行動で、人の内部世界まで降りてこられるものだろうか…。
疑問は尽きないが、どうやらそれを問える今でもないらしい。
抱き込まれているせいで頬から肩先に預けている状況。
存在の優しさに泣きそうになるけれど、貶められそうだった憤りも無いわけじゃない。
むかつくぜ。天使のやろう。
そう勢いよく顔を上げようとしたのに、気づけば抱きこまれて離れられない。
「ちょ、あの社長。さすがに、放していただけませ…」
「えー?せっかくだから、もう少しイイじゃなぁい」
ってニヤついてるしッ!この人こんなセクハラだったのか!と、いまさら慌ててしまう。
もう。心底感動したり、着いて行こう!と思わせておいて、そんな風に落とさないでほしい。
いつの間にか囲まれて、他の二人からも頭を軽く撫でられる。
参ったな。気づいたら末っ子みたいじゃないか。
まぁ、年齢的には一番下だけども。
うん。自分は、選んで、もどってこれた。
実際に生きている、自分の覚悟のない「赦し」なんか要らない。
ただやり遂げた先に広がる世界が在るなら、そっちを選んでみたい。
悔しいけど。選ばせたのは、目の前の、この食えない社長だ。
- 103 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:45
-
「さて。キミたち、そろそろ仕事しようか」
パっとはなびらでも撒くように、社長は肩を抱いていた手を放す。
自由になった踵が数歩よろめくのを、雅恵の腕が推し留めてくれた。
三人の顔に浮かぶのは微笑。
ふと、スコアボードの周辺がグニャリと陽炎のたつように歪曲して見えていぶかしむ。
途端。前々から確かに「悪い噂」を聞いていた人物たちが、人のものとは思いがたい音声を発し――。
ひしゃげた。
骨格のひしゃげた位置から、グリと組織が裏返る。
皮膚を内側へ。血肉を、外へ。
避難民の只中で発生した阿鼻叫喚の絵。パニックは避けられない。
「大谷くん。狙射撃特Aだったね」
「はい。そのとおりであります」
思うよりも冷えた鋭利な声で問われ、思わず背筋がのびる。
「あの媒介になってる男、当然もう助からないんだけど。撃てる?」
え?周囲の気配が凝るのを、確かに感じ取る。
この狭い敷地での、混乱の中。
巧く当てなければならず、しかも、外したほうが天使の顕現を促進させ、被害が増える…という所だろう。
自分の得物ではない、標準配備の銃だが迷って居られる時間もない。
周辺の人民は腰を抜かすようにグラウンドにへばりついている。
一番近くに居た青年士官からそれを取り上げ、きゅと全身で気配から引き絞った。
- 104 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:46
- サイトを通して、自分の世界が相手を貫く。
補足用のデジタル表示は全て遮断する。そんなもんは自分クラスには邪魔だ。
用意されるのは銃弾の進む軌道だけ。ターン。という乾いた音。
命中時ボシュという小さなプラズマの光を外観に、銃弾の中心から球形に素体が消えた。
その後に残った血肉は、ぶくぶく泡と爆ぜて羽毛になりかわり、最後は光の粒になって蒸発してしまう。
天使が出てくるつもりだったのか、肉塊に生えた七本の指も同じように崩れて消える。
「い…、いったい…?」
慄きに口元を押さえる斉藤。
大谷は現状にくちびるを噛んだ。
いくばくか思いをめぐらせたあとで、ぐっと拳を握りこみ顔を毅然と持ち上げた。
「社長。自分、得物とってきます」
――警備事務官長大谷です。チーム指揮官及び、狙撃A以上のカウンターに告ぐ。変異体を確認しだい消去せよ。繰り返す――
走り去る背中に聞こえた声。途端、数箇所から銃声が響く。
指揮系統なら使えると言っていたのに、誇張は無いようだ。
前までと違って、幹部と筆頭クラスの交流も持たせておいたし、疎通もできている。
うん。見込んだとおりに、イザとなったら早い。
- 105 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:47
- 「さっきダウナーだった柴田くんには説明したんだけどね、天使は人間が抱えた罪の重さと呵責に訴えるのさ。
そして、耐え切れなかったり、ほんとうに悪びれない人間の血肉を食らって顕現する」
――裏返った人間を元に戻す術は無いって、最初に言ったでしょう?
食われて分散して、天使の体になっちゃうからね。
まるで天気予報の悪化程度の不機嫌さで、社長が肩を竦める。
取り残される二人の部下は、じっとその変化をみやった。
「で。キミもあぁなるところだった」
――でも、わかるだろ?ヤツラより、キミは人様のためにも生きてる。食われてやるだけ損さ。
ニ。と今までに感じたことのない不遜さをまとって、社長はニヤリと口元を持ち上げた。
それはそれは、魅惑的な、それはそれは悪戯したさに満ちた笑み。
「さぁ社員の諸君!天使と派手にやろうじゃないかッ」
総員バンドをあわせている通信機――実は先ほどから会話を故意に流している――に、彼女は声を張り上げた。
トップの放った煽りに先導されるように、どぉと声があがった。
こんな集団での戦闘は無かったが、しかりと誘導や保護はなされている。
今までの仕事がムダではなかったことを、これからみなが悟ってくれるはずだ。
カスタマイズされたロングバレルとバッグを肩にもどってくる大谷へ、上へと指示を出す。
その動きに付随するように、弾薬のパックを持ち斉藤が追いかける。
スタンドからグラウンドなんぞ、狙撃手たちにすれば距離はほとんど無いに等しい。
長距離を違わずに狙える貴重な人材を、ショート及びミドルレンジの巧者で守護させる展開は昔から確認済みだ。
あの二人なら指示も出しつつ、巧くやってくれるだろう。
- 106 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:48
-
「さてと。柴田くん」
向き直りがてら、声をかける。
「はい」
背筋を正す彼女の表情には、あからさまな不機嫌も張り付いていて。
きっと、さっきの心の動きで、天使に腹が立っているのだろう。
わかりやすくてよろしい。
「撃墜数でも賭けようか?」
「それは……」
不遜だと言いかけて、くちびるが止まった。
言い返すことができるほど、天使に対して良い気分はしない。
それを是と受け取り、人の悪い上司は自らの腰へ手をやる。
「負けませんよ?これでも昔取った杵柄がありますからね」
「椅子に座ってばっかりの人に負けませんよ」
すぐさま言い返して、部下はようやくニヤリと口角を持ち上げた。
銃弾のパックは各自に与えられている。
それぞれの得物を抜き出し、士官たちは走り始める。
近距離で一般市民を保護するのが、グラウンドの部隊の役目だからだ。
しかし。いつ終わるともわからない、消耗戦でもある。
天使の裁きが止むときなど、人の解するところではない。
「応援部隊があるっていうから、それまで崩すなよーッ」
吼えるような声を放ち、さっきまでの苦しみをなげうって幹部が走り出した。
呼応する配下の士気は高い。
- 107 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:50
-
天上の扉は開き、天使が降りてくる。
どうやら、天秤の傾きは、負を指して留まったようだった。
当然だろう。あの裁きの後百年。
生き延びるために人間は何だってしてきたんだ。
ことさら。上層階級の人間たちは、旧世界のころよりもエゴをむき出しにしている。
天秤の計測は、何かを比べたりはしない。
ただ、罪というものの絶対的な重さを導き出すだけ。
情状酌量とかいう、可愛らしい文言など含まぬ。
柴田あゆみの頼もしい背中を見送ったあと。
ドームの中に満ちていく天使の気配に半眼を伏せ、村田めぐみは細く息を吐き出した。
自分を覚えている個体など、まず皆無でしょうからねぇ――。
破壊の暴徒は、単なる破壊のためのエネルギーでしかない。
コミュニケーションや会話を成立させるのは、上位天使でもないかぎり無理な話だ。
そういう個体が現れるまで、まだ時間がかかるだろう。
ほとんどの上位個体が、総裁の手の内にあるのはわかっている。
それまでは、延々と仕留め続けるしかナイ…と。
- 108 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:50
- 「すまんね、わが兄弟たち…」
ポツリとこぼし、口を歪める。
天使という魂の階級の絶対値に縛られて、子供のうちの彼女に手を下すことができなかった。
なら。ただ彼女を屠ることを目標にすえるより、こうして命を護る方を選んで進んできたのだけど。
一度、まぶたを伏せる。
どうせ。堕天して力の大樹へ戻れない魂という立場なら、総裁と一緒だからねぇ。
多少の無茶も怖くないんだよ――私はね。
部下を取られるのはカンベンだけど。
気配を感じ、顕現しようとする天使へと視線をはしらせた。
子供のそばで異形化した男へ、ワンハンドで狙いを定める。
誘導がなされ、異形へのある程度の隔離がはじまった状態で、延々と狙撃が続く。
まだ、配下に大きな負傷はない。
問題は、この後――。
人間の質量を必要としない個体が降臨してから、耐えることができるかどうかなのだ。
自らの選択へ引き金を引き、最高責任者である彼女も戦場へと躍り出た。
- 109 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:51
-
- 110 名前:御使いの笛 投稿日:2007/06/12(火) 22:51
-
- 111 名前:関田。 投稿日:2007/06/12(火) 22:52
- 御使いの笛 21:計測 更新しました。
めずらしく一ヶ月以内のご案内。
楽しんでいただけましたら幸いです。
各自の素性もちょっと出せましたしね。
連載を開始してキャラが確定してから、ずーっと書きたかったシーンの一つです。
ふへへへへ。ようやく書けたー。
>82
天使が何を感じているのか、表向きではまったくわからない状況。
それを捕縛師がどう見ているのか…。
きっと次回あたりに動きが出るかと思います。
お楽しみに。と、言える展開にしたいなぁ。頑張れ脳内。
>83
えぇと。すごいコトになってしまいました。
何やってんだ捕縛師と小一時間以上の説教を受けても、今回は仕方がないでしょう。
書いてる本人もそう思いました(苦笑)。
福知山対姫路という字面で、脳内にヒッティングマーチが…(笑)。
カッキーン!
ではまた。次回更新でお会いしましょう。
- 112 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/13(水) 00:45
- 更新お疲れ様です。だんだんと核心に迫ってきたような、
それでいて、まだまだ序の口のような。
次回の捕縛師と天使、楽しみです。
次も一ヶ月以内に更新されたらいいなぁ、いいなぁ、いいなぁ…。
- 113 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/12(日) 00:33
- 捕縛師と、総裁と天使、これからどうなっていくのか気になります。
- 114 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/03(月) 22:08
- 首をながーくして(ってか伸びきっちゃってますよぉ)更新待ってます
- 115 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:01
-
- 116 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:02
-
22:かくて御使いは舞い降りる
- 117 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:03
-
「ぅぁ―あ――ッ」
頭が割れるかと思うほどの歌にかこまれて、気が狂いそうだ。
しかりと保っていなければ隣に居る彼女すら手をかけてしまいそうな恐慌が目前に在る。
きっと、その危うさこそが罪で、逃れざる罰。
おもわずこぼれる苦悶に、すがりつく腕が世界を繋ぎとめる。
小さな体だ。
腕のなかにすっぽりとはおさまるが、自分の苦痛と一緒に抱えていられる自信がない。
「ねぇ、普通の天使ってこんな酷いことするの?」
搾り出すように紡がれた言葉に、一瞬瞠目する。
- 118 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:03
- 天使は人知を超えるものだ。
人とは相容れぬものだ。
だからこそ、下層で生まれたリバース――天使の血を別つ人間は、畏怖やいじめの対象になりやすい。
でも。いま腕の中で耐える彼女は、その畏怖も畏敬もない場所から言葉を発してくれた。
普通の天使。というのは、想像しやすい。
彼女の知らない…いや、彼女の知っている天使以外の個体を指す。
きっと、彼女のそばに居た「あの天使」は、その畏怖も畏敬も感じさせない存在だったのかもしれない。
や。出会いの中にあって、どういう感覚を得たのかは知れないが、その壁を越える存在だったのだろうと推測できる。
苦痛の中にも笑みが浮かぶ。
彼女とあの天使の親交が深いならば、それは愛らしい絵面だっただろう。
灯る確かな光に、痛みはどうあれ強さがもどる。
- 119 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:04
- ぐっと背中を抱き寄せて、額に口づけてみた。
勢いまかせ、どさくさまぎれに。だ。
緊張とで汗ばんだ額にも、洗髪料のほのかな香がして今さら胸に迫る。
末期的に。末期的な圧迫感で、現実と過去が押し寄せてくる。
あぁ。末期だろう。この胸を焦がすものは、焦がれる恋情なのだから。
これならきっと、さっきの残酷な選択で楽になってしまったほうが、余程身のためだったかもしれない。
痛む胸を抱えて、苦笑を噛み潰す。
昔の旧い映画の記録媒体をまわしたときに、こういうシーンあったな。と、思った。
- 120 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:05
- 規模最大級の客船の沈む映画。
絶命必至のピンチのときに、ヒロインの額に口付けて彼女を励ます。
その男は海の藻屑と消えるけれども、彼女は生きて百をちかい歳月を送る。
母になり、祖母になり、たった一度愛した男のことを、嘘のように真のように夢のように語るのだ。
いっそ、そうなればいい。
彼女だけでも、生き延びてくれたらいい。
あまりの事態の切迫に、気恥ずかしさは麻痺しているようだ。
「あの天び……、『なつみ』っていう天使は、マリィにとって本当に近かったんだね」
問うまでもなくつぶやくのに、へへ…と微笑の気配。
あぁ。この瞬間に怯えを隠してまでつよくある彼女を護り通したい。
自分の罪と罰を、いかなる重さに引き換えても。
- 121 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:05
- 願いじゃない。
いまこの場所では自分にしかできないコト。
自分がやらなければならないことだ。
――やってやろうじゃねぇの。
不遜な光を眼にたたえて、城壁は自らの装備に手をかけた。
弾丸ならば多めに用意されている。
いざとなれば緊急用の武器のストックから、キケンなものを引きずり出せばいい。
絢香の置いて行ってくれた量の弾薬があれば、一時はしのげる。
あとは。自分の、体がもてば…。
断罪がいつまで続くのか知れないが、抵抗はするべきだと腹を括った。
- 122 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:05
-
- 123 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:06
-
はらり。
はらりと雪が降るように、無数の光が星のように空間をともし始める。
依り代を必要としない天使たちが顕現しようとしてる証拠だ。
足元でうずくまるバディ。
どうやら痛覚麻痺を駆使して、体を起こすことまではできたようだ。
それでも体を折ったまま、まるで団子みたいだし。
どんよりと淀んだ気配をみなぎらせて、彼女は情けないことこの上ない。
「殺されなくってよかったね」
呆れるような物言いで突き放すと、「よかったよ…」と子供のように唸った。
うるさいよ!と、突っぱねることができないことが、彼女のダメージの深さを物語っている。
抵抗の手管をすべて潰されたのだ。
エリートコースで歩んできた彼女からみれば、初めての挫折と言っても過言ではない。
ふむ。腰に手をあてて、幾分尊大な姿勢をとりながら、亜弥はじっと美貴をみつめる。
- 124 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:07
- 何も言わないで顔を見られるだけなのは癪だ。そう、美貴は思う。
ん?とふてくされ気味に視線をあげたのに、最凶の騎士が微苦笑って髪をかきあげた。
「ずいぶん優しい育て方してんだね。って、怒られた」
――仕方がないじゃんね。世界が終わればこそ、べつにいっか〜って思ってたんだけどさ?
その間延びする発言に、弾かれるようにバディが顔をあげた。
「それって、手加減してたってことだよね?」
「うん。してたねぇ」
言葉を受け取るままに、どこか切なげに眉が落ちた。
そうか。手加減されていたのか。
薄々とは勘付いていたけども、事実だとやっぱりへこむ。
ふくりとした美貴のくちびるは、いまは拗ねたように尖っていて。
それだって。自身の至らなさが原因だと感じているのは見てとれた。
だからこそ。
――あぁ。コイツ可愛いなぁ。
思わず亜弥は笑んでしまったのだけれど。
- 125 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:07
- 「なに笑ってんの?」
「やー。みきたん可愛いなぁ。って」
ニヤ。持ち上げた口角の線。
どこか不遜で、不敵で…魅力的だ。
「はぁ?いまこの事態で何言ってんの?」
と、表情が歪む。
「だって、ほんとは悔しいんでしょ?」
ぬ。言葉が詰まる。
「あの野郎、今度会ったらぶっ倒してやる!
……いや、ぶっ倒したいって思ってるんでしょ?」
その言葉に、さっきまでの痛烈な痛みと屈辱が這い上がってくる。
少しずつ歪みが生じ始めた表情に、亜弥は再度くちびるを持ち上げた。
- 126 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:08
- 「再挑戦、手伝ってあげるからさ。まずは生き延びよっか」
いとも簡単なことのように言って、手を伸ばし、強引にその体を引起す。
通常ならばギャァ!と悲鳴すら上げられない苦痛を伴うというのに、末っ子負けん気の強い彼女は苦痛すら飲み込んだ。
おや。いつもよりも、腹を括ってるっぽい。
ぐぬッ。と苦悶を飲み込んで、不機嫌さを隠さずに美貴は立ち上がる。
膝に手をつき、背筋をのばすだけでも通常激痛。
いくら痛覚麻痺の劇薬を施しているとは言え、切れたら悶死しそうなもの。
これで、銃弾の射出反動などを連続して受けたら、それこそ気が狂うだろうに。
真正面から突破しようとしている。
その腹の底にあるものが、覚悟であることくらい、バディだから理解る。
- 127 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:09
- ――あぁ。ちくしょう。
罵倒の対象は自分自身の不甲斐なさか、それともコワモテの元騎士か。
非常用とされている貯蔵庫――要はいかなる外敵にも屈せぬように。
各部屋所定置(壁面埋め込み式ではある)に、簡易武器庫にあたるケースが用意されている。
そこから、かなりの重さのあるケースとバックパックを引きずり出した。
傷ついていようと、自分自身への苛立ちを抱えていようと、自らの責務と言いたいのだろう。
ズルズルとケースをひきずり、現役騎士の片割れはそれを相棒の前へ差し出した。
あとは開けてくれとでも言うのだろう。
亜弥はそれに跪き、供物を開くようにケースを開錠する。
「さっきさぁ、天使の断罪があったじゃん。
胸の奥から不必要な記憶を引きずり出してくるやつ」
「あぁ。あったねぇ」
承認コードを入力し、頑丈なケースの蓋を開けて内容物を確かめる。
- 128 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:10
- 出てきたものは鈍い色を放つサブマシンガンやオートマティックのピストル。
蓋の裏に検印されているのは、メンテナンスの日付と作業者。
中枢に近ければ近いほど、メンテナンス作業者は高位の幹部になる。
万が一。があってはいけないから。
記されているのが見慣れた名前なのに、二人は微苦笑した。
「あぁ。これ、柴田さんがやっていったんだ」
「じゃぁ、安心して使えるんでしょ?」
――生真面目ていうか、曲がったことは好きじゃなかったから。
苦笑まじりに思い出して、視線をかわす。
すでに袂をわかったはずなのに、名前を出して安心してしまう。
彼女はきっと女王様の下で、天使の殲滅に尽力しているはずだ。
- 129 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:11
- 「で?なに、言いかけたの」
蒸し返す言葉に、あぁ。と相槌を打って、美貴は紡ぐ。
「あれでさ。そりゃ、これでもポーンだった頃の純な痛みとか思い出したんだけどさ。
自分を赦すか赦さないかの時になって、急にあの顔が出てきたわけよ」
あの顔。と言われて、この憤懣やるかたない声と表情からすれば、保田圭だと推測できる。
亜弥は思わず大笑いしそうになって、両の掌で必死になって口をふさいだ。
「でさ?指先ひとつで挑発すんの。そんなコトでくたばるのか?って」
――傷が癒えたら、絶対にぶん殴ってやる。
ギリ。噛んだ奥歯を噛み砕いてしまいそうなほど、怒りはこもる。
- 130 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:12
- ちくしょう。したり顔で先を示しやがって。
あんな鷹揚な気配を漂わせるくせに、気配が変わった瞬間鬼のように場がかわるのだから。
それこそ羅刹。子鬼の変じた程度のものでは、到底敵うまい。
様子を見やる亜弥の目は、それこそ興を得たように細まった。
手のかかる子を見るような、愛しげな瞳。
「じゃぁ。今日これからすぐに修正始めるから、容赦しないからね?」
――肘とかポジショニング甘いとこけっこうあるからさ。
ジャギ。と、片手で持ち上げた銃器を、なんでもないように放る。しかも胸元めがけて。
それなりの重さと衝撃を伴う銃器の貸与に、美貴の頬は苦悶から真っ赤に染まった。
よくもまぁ、堪えていられるものだ。
感心感心。
亜弥の瞳はなにを見るまでもなく、体の動きだけで総ての作業を終える。
銃弾の装填。そして、最初のポジショニング。
- 131 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:13
- 光の粒から顕現しはじめた個体の醜悪さに一度目を閉じ、不快極まりないというように表情をかき消す。
「じゃぁ、たん。背中預ける」
確認でもない。押し付けでもない。行動を、ただ述べる。
「応」
確認ではない。押し付けられるわけでもない。行動を、ただ受ける。
その間にあるものを他人が図ることはできないだろう。
二人はバディとして、絶対的な「二人」という個体だった。
お互いの背を預けて――要はお互いの背後から迫る危機を、命を預けるという行為をもって――脅威へ向かう。
銃弾を吐き出しはじめる銃身。
火薬の爆ぜる音と、的確に対象を削り取る球体の引起すプラズマ状の歪み。
- 132 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:13
- 球体を重複させてはいけない。
次元を歪曲させる銃弾が、人の感覚では受け止めきれない、異界の門を開けてしまうから。
彼女たちは細心の注意を払いながら、二人は天使を屠る。
霊質の核から世界の質量を捻じ曲げ、降りてくる下級の破壊天使。
それを、神をも畏れずに二人は貫き、弾き、砕き、消し去っていく。
撃たれた方はと言えば、羽毛の屑になりさがり。
元の霊質の光の粒となって消えていく。
「さぁ、どこまでもつかな」
銃弾の数と。耐久力と。相手の増加数と。
それら総てを鑑みて零れ落ちた美貴の苦笑は、どこか愉悦に満ちていた。
- 133 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:13
-
- 134 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:14
-
不活性のガスの冷たさは、霧のように白くけぶって床をすべる。
無機質な床の上へとしたりと降り立つ、裸足の色。
両手を合わせてもたりない数の個体――購入金額からして庶民の手には負えない――が、停滞から解き放たれた。
とどめられていた時間が再び動き出す。
鎖のようにまとわりついた不活性のガスから解放され、それぞれが個体としての自覚を取り戻していく。
中央に据えられていた美しい個体。
久方ぶりに動くのだろう。
幾分ぎこちない動作で床に足をつけると、意識を引き戻すようにふるりと一度頭を揺らした。
途端。にじみ出る覇気と圧縮された霊質の圧。
温度差からうまれる湿度を一瞬のうちに吹き飛ばし、その水分の質量との交換をもって装備を整える。
- 135 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:15
- ただ静けさを思わせる面から浮かぶのは、勇敢なる戦人の加護を司る静けさを纏う月の女神か。
間違って月桂樹の冠でも載せてしまえば、その偶像にも勝る賛美を得るであろう。
しかし天使は神の指先。
とうぜんながら、偶像に堕ちるようなマネはしない。
彼女は肩先の空気をかるく指でにぎり、まとうように引き寄せる。
仕草に応えるように質量はその姿とかたちをかえ、外套のようにその体を覆いつくしたのだった。
手に脚にと甲を得、手には通常想像をするよりも長い柄を持つ剣が呼び込まれて唸り声をあげる。
ゴウゴウと吼える波動は、人の体を打ちつけて脚を竦ませる。
存在の異を思いはかるのであれば、総裁と呼ばれる女とも勝ろうかという気配の圧。
指物騎士の背筋にも、いやな汗がすべりおちた。
- 136 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:15
- 人の形を取るものはほとんどが場から消えたが、付き従うかのような個体が場に留まった。
ヒトガタの上位個体が消えたのは、指揮系統を操るためであろう。
高圧縮から光の粒となって見える霊質をふりまきながら、直線的に舞う個体。
かつて神の座を示すように漂った、複数の翼を持つ車輪の天使。
探るように、慕うように後藤真希の周囲を旋回し、迷うようにとまる。
霊質の圧も感じない。
それどころか心地よささえ覚えるかのような、その悠然とした表情。
「座天使たちに用はないよ。好きなようにすればいい」
苦笑まじりに肩をすくめ、総裁と呼ばれる彼女は手をちいさく払った。
仕草に倣い、球状にしか見えない天使たちは、元に控えていた女神のごとき天使へと舞い戻る。
羽ばたきに髪の一筋は揺れる。
- 137 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:16
- 「外では、もう始まりましたか…」
幾分こもるような低めの声が紡ぐ。
人の言葉を学習することなく喋ることを考えれば、やはり階級が上の個体なのだろう。
誰への言葉なのか瞳の色をたどれば、寸分の狂い無く絡む王の視線。
「下級の天使たちには、天秤の傾きという事象が総てだからね」
苦笑いにも似た歪みを浮かべる王は、意識を完全に上位天使に向けていた。
長いまつげを話の流れとは関係なく伏せ、瞳の深い色で王を映しこむ。
「すべて、思うままにお進みですか?」
――二つ名の方。
ふたつな…?聴きなれぬ言葉。
押しつぶされそうな重圧を体全てにかけられて、人々は苦痛に顔をゆがめた。
「そう、だね。おおむね筋立てした流れのとおりだよ、苛烈なる王の怒り」
――キミの目がごまかされていないところは、予想外だけれど。
- 138 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:16
- 苛烈なる王の怒りと呼ばれた個体は深い息を吐き、片手にした剣の切っ先を杖のように床へおちつけた。
曖昧に言葉をさがすくちびるが、言葉を見つけたように、ふくらと艶やかな笑みをカタチどる。
「私は天秤と対の個体です。彼女のある地へ、私も降りる。
それだけのこと…」
もう一度、天使はまぶたを伏せる。
何かを吸い込むように深い呼吸を得て、視線だけでなく体ごと王へと向き直った。
「二つ名の方。
あの時、あなたが戻られぬとは、全軍の誰一人として思いもしませんでした。
阻止するために堕ちていった兄弟も居ましたが、その手は及びませんでしたか」
言葉の重さに似合わぬ笑みだ。
どこか穏やかにすら思える笑みを浮かべ、天使は小さく首を傾げる。
問うように。諭すように。
- 139 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:16
- 「巧く体に癒着できたからねぇ。
彼女たちは後藤真希の中身が尋常じゃないとは気づいていたけれど、その本質までは見切れなかったんだよ」
問いも諭す声すらもゆらりとはぐらかし、王は伸びをするように肩を一度まわした。
「そして、もう何もかも手遅れなんだけど」
くつ。歪んだ笑みをはりつけたまま騎士を一瞥する。
「せっかく。一番近いところまで気づいてくれた人も、今日まで決心はつかなかったみたいだし」
釘を打ち込むようにわざとらしい落胆をみせて、「残念だったね」と互いを慰めるようにこぼした。
まるでテストの点数を勉強の不出来とともに諭されるように。
- 140 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:17
- 立場はいま、絶対的壁を挟む逆位置。
艶然と笑む王は教師の愉悦をもち、押しつぶされそうな黒の騎士は生徒の愚を背負っている。
王の声を追うかのように、上位天使も一度だけ自らの背後を振り返る。
肩さきからみえる三人の人間。
再度視線を戻したさきにある、転がったままの黒い体と、黒衣の天使。
ふむ。得心したようにくちびるを笑ませて、目を細める。
王が高校の教諭に見えるなら、上位天使の笑みは小学校の教師のそれ。
どこか浅知恵の子供を掌に乗せているような――。
- 141 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:17
-
「私の目がごまかされていないとおっしゃいましたが、二つ名の方?」
うん?
「天秤が本意でないことくらい、私にはわかりますよ」
――でなければ、私さえもごまかせたでしょうがね。
そして、ココに来た彼女たちもそう思っているのでしょう……。
小さく付け加えてやりながら、返ってくる言葉を待つ。
あぁ、そういうこと。
苦笑まじりに顎を持ち上げ、王は言い放つ。
「そう。左右されるのは意思の無い下級の天使や、指揮系統に弱い者だけだからね。
わかってるよ」
ふ。自信というものを面に塗りこめて、彼女は肩をすくめる。
「でも。天秤の傾きが戻らないまま、ソレが動かなくなれば、審判は続いていくと…前回悟ったんでね」
上位天使の目の前で、数人の目撃者の前で、彼女が口にしたのは天秤の消去。
傾きを得たまま殺してしまえば、審判は終わらないということ。
言葉に打ち抜かれた人々とは対極に、上位の破壊天使はふるりと頭を振った。
- 142 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:18
-
それはならぬ。ということか。
それはできぬということか?
言葉を問うより早く、異を唱えることへの憤懣が王から言葉を引きずり出した。
「筋書きはかわらないよ、苛烈なる王の怒り」
態度の異論に幾分の不満、怒気を孕んだ声が刺すような静けさを放った後、上位天使は視線を細めた。
再度。
ふるりと頭を振り、ゆるやかな髪のながれもかまわずにニコリと微笑む。
「いえ。変わりますよ。
自惚れに目が曇っていたのは、貴女自身でしょう?」
どういう――?
言葉の意味合いから疑問に眉をひそめるその王の表情が、不意に首尾めぐるようにねじれた。
- 143 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:19
- 微かにボトムの膝を掴んだ圧があり、次の認識を得る間もなく景色が動く。
頬に破裂するような衝撃。
殴られた。という認識を得る瞬間。
さすがに、驚愕で表情が歪んだ――。
目の前に立ち上がっていたのは、紛れも無い、伏していたはずの黒色の獣だった。
- 144 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/05(水) 10:19
-
- 145 名前:関田。 投稿日:2007/09/05(水) 10:25
- 御使いの笛22:かくて御使いは舞い降りる 更新しました。
連載のプロットを立てながら考えてきた個体を、
ようやく登場させられたわけですが。
すでに四年とかどんだけー!?
長々お付き合いいただいている皆様にはほんとうに感謝しております。
いつもありがとうございます。
>112
申し訳ないですー。
今回気付けば二ヶ月越えでした。
現場でエネルギーを充填しすぎて、すっかりオーバーロードです。
や、オーバードーズかもしれません。過剰摂取(苦笑)。
>113
捕縛師と総裁と天使と、見守る騎士たちと。
闘う画が好きなのです。さて、次回どうなりますやら。
お楽しみに。
>114
あぁ!く、首ッ。
り、リールで巻き戻してくださいッ。
ちゃんと首動きますか?次回はここまでかからない…といいなぁ。
そろそろ首を据えていてくださいね。
ではみなさま。今後ともよろしくお願いします。
次回更新にてお会いしましょう。
- 146 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/06(木) 00:54
- 待ってましたー!更新お疲れ様です。
真夜中に「うわっ」っと大声で叫んでしまいました。
ラストの一行に鳥肌が立ったこと、で、何よりも「そこで切っちゃうー?殺生なーっっっ!」
という涙、涙の叫びです。次回、楽しみに待ってます。
- 147 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/09(日) 22:24
- お疲れ様でっす!
天秤と対極…そしてあの名前…上位天使は、もしかして…?
またマイペースでお待ちしております。
- 148 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:35
-
- 149 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:36
-
23:咆哮
- 150 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:37
-
果ての無い水の底のようだった。
真っ暗な世界で存在は自分だけ。
はるか見上げる天井はキラキラと水面のように輝いて見えるのに、その上にある世界は遠い。
実体。と称されるものを得てから一年も経っていないけれど、倦怠感などは知っているつもりだ。
いま。この瞬間。
自分の体と魂は切り離されて、別の箱に置かれているような気がする。
や。体と魂、そして…感情と言ったほうが良いかもしれない。
体と本質は確かに繋がっていて、だからこそ、例えようの無い恐怖が体を通り抜けたことがわかった。
まるで…自分の実体を裏返すかのような、無限の気配。
腹の底から湧き出すような。
背中から貫かれて力の出口と化したような。
力の大樹から流れ込んだ審判の広がりを、あふれ出す断罪の光を、ただ事象として受け止めるほかなかった。
『汝が罪を呼ばわる者』と称される、力の本質。
――人の中の、後悔や罪を神の前に引き出す力。気づきと、告悔。
自分で心得て居なかったわけではない。
しかし、改めて突きつけられた現実は、自らの存在を否定したくなるほどの怖さを伴っていた。
- 151 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:37
-
ぼんやりと思い出す、遠い声。
なんで、あんな記憶を引きずり出すか…。
おかしいな。
自分を閉じ込めたはずの声、売り払ったはずの女。
私を二つ名の方へと売り払った金髪の女だ。
関わったことも無いはずなのに、糸が一本繋がっているような錯覚がある。
自分の実体のある場所。
すりガラスと鉄格子を重ねたような場所にある、心と。
何が現実なんだ?なにが本当なのか?
距離はどれが、正解――?
曖昧になる世界に、疑問符はあふれ出し目眩がおこる。
- 152 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:38
-
自らを俯瞰するこの目に映るもの。
大樹に連なりながら、ずっと見ていたはずのもの。
涙と、呆然とした瞳。
苦しみだけでも、痛みだけでもないその表情の薄さ。
思考回路の中に浮かんだものは、人間に対しての不可思議。
迷う姿。後悔がひっかいた傷。濃く残る、爪あと。
それも抱えたままで生きていく人間を、……力の樹からは滑稽ととらえていたのに。
いつから、こんなに近く感じるようになったのだろう?
なんだ、天使……泣いてるのか――?
遠い声が困惑したように言う。
確かに、事象として発揮された力は仕方がない。
天使の存在意義、および存在そのものである。
ただ、事象を起こそうという意識が存在していたかは、謎だ。
気づいたときには、もう力が体を通り抜けていた。
- 153 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:39
-
たくさんの人の辛さを、掘り返したんだと思うと苦しくて…。
泣いているんだろうか。自分ではわからない。
ふるりと一度頭を振り、思い浮かんだ言葉を連ねる。
でも。泣いたらダメだって、そう言われたから……泣かない。
謝るなって言われたから、謝らない。
受け止めなきゃいけないの。ちゃんと。
自分が何をしたのか。
誰に言われたんだっけ?あれ?
戸惑いに揺れうごく心を抱えて、天使は小さく首を傾げた。
遠い声は小さくため息をついて、それから微かに笑む。
あぁ。謝ったって仕方の無いことだって、確かに言ったな。
それがあんたのするべきコトなんだろうって、そんな話だったしな。
声が受け止める。
この声は、自分を知っているのか。
でも、いま胸に後悔に似た痛みを、どうしたらいいのかまでは教えてくれない。
どうしたらいいのか、わからない。
と。どこか幼子に言い含めるように、声のトーンがさらに穏やかになる。
- 154 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:39
-
なぁ。起きてしまったのは仕方がない。
その、断罪の天使てのはもう、どこかしこに降りてきてるんだろ?
こくりと頷く。
大樹にあるときには感じられなかった「個体」としての感覚だ。
大きな一塊の力だった天使たちが、それこそ考えることも放棄したくなるほどの数で降臨している。
天使にはそれが感じられた。
扉の鍵を開けたのは、自分自身だから。
オマエがその天秤なら、傾きはなおらんの?
載せた錘を正すことはできんの?なぁ。
きゅ。くちびるをつよく噛んで、思う。
傾きを、正す――。
できるだろうか?載せられたしまった錘を、今からおろすことなど…。
本当にオマエが望んだコトじゃないなら、止める術はあるんちゃうん?
体が動かないってんなら、体なんか気にすんなよ。
お前には元々無かったもんなんだろ?体のことなんか忘れちまえ。
- 155 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:41
-
望まぬこと。止める術……。
トン。と降り立つ、漆黒の痩身。
感じる近さ。
まるで感覚を手繰り寄せるようでありながら、やっぱり、確かに繋がっているような――?
髪に、触れる、手の感覚だけが思い起こされる。
乱暴にかきまわされた記憶もある。
憶えのある力加減。
そんな目ぇせんと、ちゃんと顔あげとけよ。
お前が見てきたもので判断しろ。
帰ったら矢口がケーキでも焼いてくれるだろうし。
みっちゃんやって、けっこう複雑な顔してたし。
心配かけたことを謝らなあかん。
圭坊やって、まぁ、利害の一致が大きいけれども、ここまで来てくれた。
なぁ。お前は、お前が思っているより、お前がくれている愛情と同じように、みんなが愛してるよ。
お前がそんなふうに辛いと、なんか知らんけどこっちの胸が痛くなる。
泣くなよ?泣かれるのは一番苦手やからな。
だから、ちゃんと目をあけて、こっち向けよ。
なぁ……
言葉。名前。
その総てがわかる。
自分はその言葉を理解している。
ピシリ。二重の蓋にはいるヒビ。
- 156 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:41
-
ぺたり。海の底で座り込むなつみの前、見下ろすようにして立つその姿。
面覆いを外してこちらをみる双眸。
海の底。天井でキラキラとした光が透けるだけの、ありえぬ濃度の闇の中で。
彼女は確かにそこに立って、自分を見下ろした。
ザワリと世界が動く。
まるで風が月覆う雲を振り払ったように。
月光の下。青白い世界のなかで零れ落ちた金の髪が、傲然とした闇夜の王と――姿を現したときのように。
でも、違うことが一つだけ。
不器用にも優しい微笑みが、口元を…表情を和らげていたこと。
巻き戻す。
現実がその肩に降り積もる。
黒色の夜を統べる王。
悔しさと苦しさを知っている人間。
思い出す。
大声の響くリビングルームと。
笑顔と。
なつみ――。
- 157 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:43
-
呼ばれた瞬間、パキンと、ココロのどこかで何かが弾けた気がした。
思考回路の中に楔をうつ声。
売り飛ばした女の声だと思っていた。
でも、響きが違う。
底から溢れてくる優しさが違う。
「汝が罪を呼ばわる者」
力の本質だけを言い表すだけの呼び名を、変えてくれた人。人々。
呼び名のなかに、存在を、存在するだけの嬉しさを与えてくれた人たち。
やぐち。へいけせんせい。けいちゃん。
誰もが言葉を投げてくれた中で、唯一、口ごもる姿。
一度だって呼ぶことがなかったこの呼び名を…、
今、確かに呼んだ、あなたを――――、
私は、知っている。
ゆうちゃん……。
目を開ける。
果てのなく遠かった海面が近づき、なつみの空が開ける。
見えるのは、漫然とした態度の背中と、その先に仰向けに倒れている彼女。
瞬間。
横たわる捕縛師の口元が、見た目にわかるかどうかの笑みを刷いたのを。
天秤と呼ばれた天使は見逃さなかった…。
- 158 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:43
-
- 159 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:45
-
一瞬膝に圧を感じた、その現実を確かめることなく体がねじれた――。
振りぬかれた右の腕の先は、黒いグローブ。
まさか?と思うまもなく、気配は全身に襲い掛かる。
状況に本能が追いつき、応戦に抜き放った左足がまるで予測していたかのように受け止められて。
コンパクトにたたまれた獣の足が爪先から槍を突き刺すように腹部にめりこんだ。
予測と察知を会話に奪われていた分、その一撃はひどくキレイに王の体を揺らがせた。
「来い、なつみ!」
鋭い声。
それは脅すためでもなく、乞うためでもなく、ただそうするための行動を促す声。
しかし、王の耳朶と脳と感情とを殴りつけるには充分な内容だった。
動くわけが無い。
そう思う。
二重の蓋のトリックは簡単だが、どうやって心を動かす?
ましてや、捕縛師はずっと床に転がったままだった――。
しかし。すぃと逸らされた上位天使の視線が、今の憶測の総てを覆す現実が起きていることを思い知らせた。
一歩を踏み込む天使の足にも、この体躯は届かない。
今まで動く気配もなかった捕縛師の背後に、天使の姿が隠れていく。
失態とは違う。
ただ、その現実がすべての予想を、予測を超えていたのだ。
- 160 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:45
-
右腕の振りきる動作を引き戻すように、左の腕をかわりに伸ばす。
紗がかかっていた虚ろな天秤の瞳の奥に、確かな光が取り戻され。
一歩を踏み出す天使の動作をつかまえ、腕の中にだきくるんだ。
捕縛師は腕の中に天使の存在を感じ取って、確かにその温度を受け取って、一瞬だけ目を閉じる。
瞬時、体を最小限に捻り、天使を背後に庇うと腰の得物を抜き放った。
鞘ばしる鋼鉄の鋭い音。
鋭い最小半径の縦の斬撃が王へと刃向かう。
指物、王でも予測していなかった一撃の後だ。
応戦よりも回避を選ばざるを得ない。
続けざまの小さな振り抜きでは、腕を取って刀を落とすこともできない。
捕縛師が実戦慣れしている証拠だった。
王にしてみれば、腹立たしいことこの上ない。
- 161 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:46
- さらに追い討ちをかけるように、上位天使のせいなのか場の圧が幾分減っている。
それを機に、騎士の脚が強さを取り返した。
カートリッジを交換していない、通常弾のオートマティック。
威嚇ができればいい。
蹴撃で腹部を貫かれた王から更に距離を稼ぐために、その足元へ向けて続けざまに二発。
チ。という盛大な舌打ちとともに、王が数歩を退いた。
数歩だけ、たった数歩だけれど間が開く。
状況を立て直すのに充分な間合い。
世界を取り戻した獣が吼える。
瞬く間もなく抜き放たれた刃のきらめきと、拳のかたく握られた様。
黒衣の艶。
しなやかな獣毛のやわらかな金の毛並み。
「な……」
数瞬前まで倒れこんでいたとは思いがたい芯と力強さに、王は小さく目をしばたかせた。
- 162 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:47
-
一部始終を見つめていた上位天使は肩を小さくゆらし、陶酔しがちだった元上官を笑った。
「私と彼女が対になっている意味、そして深さ。
孤高等しき貴女には、お分かりになりますまい」
王の視線の内で、ゆっくりと上位天使は下級天使へと近づく。
「彼女のおかげで、目がさめましたか?」
こくり。天秤と呼ばれた天使がうなずく。
「カノジョノオカゲ……?」
硬質の声を紡ぎながら、応戦しきれぬ体勢の王が視線を動かす。
さっきまで床に転がったままだった、黒色の獣。
抜き出した刀身はまるで室内の湿度をまとうように、濡れて光って見える。
まるで妖刀のごときツヤ。
その異質の原因など、今の王に、思いはかれるはずもない。
- 163 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:47
- 捕縛師は金の髪を憎憎しげに一度かきあげ、口角を引き結んで後藤真希を見据えている。
グ。あからさまな不満を押し出しながら、口の中で舌を転がし、王が表情を歪めた。
傷に当たったのだろう。
眉を軽く寄せてから、不意に与えられた衝撃から切れた口内の血液を、床に吐き出す。
「どういう手品かなぁ…?
タネと仕掛けが面白くなかったら、全額返金だね」
床の艶を、禍しいほどに鮮やかな赤が穢す。
ガツ。と床を蹴る靴底の荒々しさに、あからさまな怒気が現れていた。
「そのタネと仕掛けは、これからご自身で悟られるが良いでしょう」
――私には説明している暇がありませんからね。
ファサリと髪をかきあげ、幾分視線をさげて天秤と視線をあわせる。
人間と近しい苦悶を顕著にするなつみに、彼女は薄らと微笑んだ。
彼女はいつもそうだ。
人に肩入れすることだけが慈悲ではないけれど、どこかで暴虐も残虐も貫けない。
- 164 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:48
- 前回は……、それこそ、初めての審判だったので皆が動いてしまったけれども。
あぁ。動かなかったものもあったな。
それどころか、天秤よりも先に人に肩入れした個体さえあった。
すでにその力が大樹から失われて久しくなったが、彼女はきっと生きているだろう。
魂だけがめぐる、この世界で。
思い出し、苦笑が微笑にかわる。
「汝が罪を呼ばわる者よ。あなたの本意でないことは、私には容易に知れた。
すでに天の扉は開いているが、被害を抑えるための努力はできるだろう」
そのために唯一つだけ、私の願いを聞き届けてはくれまいか――?
そっと差し出された剣の柄。
受け取れ。という気配はわかるが、受け取ったところでなつみに使えるわけがない。
この、神の腕力と思しき破壊の化身が、静かな面を見せるのは昔から変わらない。
何を求めているのか。
意図を汲み取れずに小さく首を傾げたなつみに、彼女は視線を細める。
まるで相容れぬものを恋うように。
ずっと一緒に居た愛しいものを送り出す時のように…。
破壊の使徒は告げる。
- 165 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:49
- 「彼女たちが貴女を呼ぶように、私を送ってくれ。
停滞中に貴女を感じていながら、この心をもあたたかくした響きで」
意図が絡み、視線は紡がれ、想いが心に描かれる。
行ってくるよ。
だから送りだしてくれ。
いってくるよ。
だから、この私の霊質を貴女のうちに受け取ってくれ。
その無限の力を開く扉のそばに立てかけて、汝の支えとしてくれ。
苛烈なる王の怒り。
汝が罪を呼ばわる者との対の力でありながら、彼女は多くの権限を持つ上位個体だ。
しかし、天秤と繋がっている彼女が、天秤の思い描いた「人への希望」を受け止められないわけがない。
- 166 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:50
- ぐ。っと手をにぎりこんで、汝が罪を呼ばわる者が視線を持ち上げる。
「かお……り…」
喉で声が詰まるのは無理もない。ずっと、言語を奪われていたのだから。
ひっつきそうな喉を押し開いて、深い願いを錬りこんだ言霊が落ちていく。
「かおり、お願い!みんなのこと……ッ。
止めてあげて?私も、努力する」
呼ばれた表情がふわりと笑みに香る。
なつみの手の内に柄が渡され、そろそろとその剣が光として解けた。
「うん。行って来よう。
破壊だけに傾いた暴徒を裁かねばならぬが、それも仕方ない」
王の言葉よりも充分に穏やかに、親愛をもって声を放つ。
すい。と視線をうつし、全身の毛を逆立てるケダモノに、上位天使は小さく笑んで紡ぐ。
「人の子。彼女を…なつみを正しく愛してくれてありがとう」
「あんた、それでも天使か?」
こちらも見ずに皮肉を吐き捨てるのを、穏やかに目を細めて受け取り。
「えぇ。少なくとも、この目の前の方よりは純粋にね…」
と更なる毒気を載せて反射させる。
皮肉に鮮やかな微笑を重ね、
――御武運を。
まばゆい光を刷いて、その個体が異空へと消えた。
- 167 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:52
-
上位天使が消えた大広間。
残された六人の状況は変わらない。
そうだ。変わっていないのだ。
王の忌々しいものを見る視線が、直線となって捕縛師を貫く。
場に対しての霊質の圧が幾分減ったとは言え、通常の人間では耐え切れぬ圧のはずだ。
その証拠として他の三人はまだ苦痛に満ちた表情を浮かべている。
なにより、威嚇射撃だけで騎士の腕が止まっているのが、なによりの負荷の証のはずなのだ。
しかし、この目の前の捕縛師は立ち上がっている。
それどころか、煮えたぎった感情を全面に押し出して、なお、余る勢いを持っているではないか。
泰然とした雰囲気すら漂う構えは、圧に対してなんら制約を受けていない様に思える。
なぜだ?
どうして、この捕縛師だけが何の影響も受けずに立てる?
- 168 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:52
- 「これで、多勢に無勢か?どうするよ」
獣の唸り声に視線を戻し、不思議な言葉を聞くように王は首を傾げた。
「別に?多勢でも無勢でもないんじゃない?」
――下級天使くらいなら、いくらでも下ろせる。
ニ。薄らとした笑みを刷いたくちびるが、愉快げに歪む。
途端。
王の背後で世界が揺らぐ。
表すならば光そのものが歪むような、陽炎のような揺らめき。
捕縛師も武器屋も、その感覚を知っていた。
ついさっき、なつみが見せたモノと、同じ――――。
翼の顕現である。
強烈な光の圧縮率と、その黄金にも似たまばゆさ。
「正直。ここまでしないといけなくなるとは、想像もしてなかったけどね」
禍しささえ感じるその濃密な霊質に、引き寄せられるように醜悪な個体が集まってくる。
「さぁて。天秤が傾きを戻す前に、消えてもらうしか無いか――」
人型にして六枚羽根。
その複数枚の翼が、絶対的な美をもって王を飾る。
- 169 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:53
-
するぅと細い息を吸い込み、怒りも何もかもを飲み込んで、王の表情が平坦に還る。
静かな面と、周囲にあふれ出す下級個体のその画が恐ろしく芸術的で。
ここまで絶対的な存在があるのだと、心の底に畏れが波立つ。
「――全員に、ね」
ゾロリと床から生える腕が、騎士へとのびた。
どうやら、簡単に多勢対一にはさせてもらえないようだ。
チ。という舌打ちと同時に、武器屋の手がすぐそばにあった司祭の腰の刃物を抜き去る。
まるで幻惑の舞台のように、四方八方とその腕はのびてさまよう。
銃声が攻防の幕開けを告げた。
暴力的な破壊の力が次元弾のプラズマの中に消えていくに、刃のひらめきが深々と追い討ちをかけていく。
すぐさま共闘させてもらえるわけではないらしい。
捕縛師は呼気を整えるように一つ肩を竦め、皮肉るような笑みで放った。
「ま。バケモノと一対一なら、やりやすいな」
――ようやくの理想形っ、ちゅうこった。
すぃ。と刀の切っ先が動く。
間合いをはかるためだけの、一瞬の制動。
「その辺の獣と一緒にされるのは心外だな」
ニィと口元が歪み、後藤真希の腕が瞬時に天井へ向いた。
- 170 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:54
- 振りぬく制動が早すぎて、通常なら目視できなかろう。
その指先が天を穿つように見せていても、捕縛師の目にはフェイクだということぐらい悟れた。
背後に天使が居ることで、大きく避けることができないことくらい、誰の目にもわかる。
微かな。ほんとうに光の糸が見えるかどうかの、直突の気配。
銀の閃きを視覚におぼえ、刃を振り落とす。
ギンという鈍い音が叩き落したのは、細身の投げナイフ。
床に散らばったその三本ほどの刃を目視する隙もなく、捕縛師はすぐさま小さな返しを持って斜めから刃を振り上げた。
しかし後藤真希というのは、何もできず守ってもらうだけの王様ではない。
解放したはずの霊質をパタリと伏せ
――きっとどこかに仕舞い込んでいるのだろう。翼は見えなくなっただけだ――、追い様に一歩を踏み込んでくる。
腰にしていた刃渡りのあるナイフを抜き放ち、牽制もなしに直線的な急所狙いで狡猾な腕を伸ばす。
途端。幻惑に刃が歪んだ。
瞠目する捕縛師が、体と腕の動きから予測を立てて刃を立てる。
ジ。という鈍い音が重なり合い、すりあわされたはずの捕縛師の刃がたわんで見えた。
霊質の歪みを、後藤真希も使いこなすということ…。
一瞬の断ち合いを突き放すように、柄を押しきると、捕縛師は左の足を牽制用に弾丸のように突き放った。
取ってやろうか。とナイフの腕を引き、肘で蹴撃を押しつぶしてみるも、王の腕は一瞬届かない。
まだ、まだ、探り合い。
接近を試みた体を断ち割るように最小半径に軌跡を描く捕縛師の刃。
右に体を捌き視線上に天秤を捕らえる王の鼻先へ、銀光は鋭くひらめいた。
- 171 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:56
- 王は瞬きひとつせず、刃と、天秤の天使と、その間にある殺気立った視線を見止める。
さっきまで屑おれていたはずの体には、みなぎるほどの力と芯が通って斬撃を強くしている。
自分をゆるがせた蹴りだって、最初踊りかかられたときとは別人の的確さだ。
いくら、怒りがその制動を捻じ曲げるとは言え、ここまでしかりと修正されるものだろうか?
訝しく眉を曲げる視線。
「手ぇ止まってるぜ?おい」
切っ先を眼前に差出したまま、捕縛師が小さく顎をしゃくる。
銃弾の射出される音。
粗野で意思持たぬ破壊衝動だけで構成された天使が、元騎士二人の的確な腕で処理されている。
取りこぼしはほとんどないが、視角に入るものや角度のフォローがしにくいものは司祭の手が裁いている。
しかし、あとからあとから湧いて来るこの現状。
王の強烈な霊質に引き寄せられているとは、凡人にはわかるまい。
「挑発なんて、自分の首を絞めるだけだとわからないのかな?」
嘲るように笑んだ王の心中は、実のところ漣が立って落ち着かない。
捕縛師の反射速度が想像を超えている。
いや。超えていくのがわかる――のだ。
- 172 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:57
- なんだ。
なんなんだ?
さっきのは、なんだったんだ?
あの手ごたえの無さは何だというんだ――?
それとも、今、こうして私に敵っているのが異常なのか?
人間の反射速度には限界がある。
鍛えるための時間など無かったはずだ。
「王様?考えてる時間があったら、手ぇ、動かしたらどうだ?」
ニィと眼前の捕縛師が笑む。
おかしいだろう。
さっきまでの幻惑も、簡単に破ける深度ではなかったはず。
外界を隔絶する一対一の状況で、切っ先の奥、捕縛師の肩越しに静かに視線を留める者がある。
すぅ。はぁ。
捕縛師の微かな呼気を目視し、その先にあるものを重ねる。
まさか――――。
や。そんなコトはできないはずだ。
――――。
人の器で耐え切れるはずがない。
脳裏に浮かんだ事柄を一度しまいこみ、ゆっくりとナイフの切っ先を戻す。
- 173 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:58
- 「じゃぁ、お望みどおりに」
霊質を変貌させよう。
昔の得物のとおりに変えてみるのも良いかもしれない。
騎士の礼節のごとく、ナイフの柄を目の前に捧げ、下方へ袈裟懸けに振り切る。
その腕に収束する霊質の光が、水飴のようにゾロリとナイフへ垂れていき、生き物のように伸びて変じる。
「汚ねぇ話だな。それこそ手品じゃねぇか」
形を取る、長い刃。
「触媒があるからできるコトだよ」
――さすがに人の体を通してまで、無形から作り出すことは不可能でね。
シャンと露払いをする。
そこに残されたものは、光を束ねたようなガラス色の刃。
豪奢さはまったく無いものの、いやらしさの無い精緻な装飾を施された柄。
これが禍々しい野望を持つものではなく、天軍をおさめる者が持つのであれば。
なるほど。これ以上ふさわしい剣も無かろう。という神秘性が備わっている。
しかし。その腕が凶悪であれば、話は違う。
- 174 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:58
- 鋭利で冷徹な。
厳かさの内に畏れを孕む、美しさの際立つ凶器。
静かな面と波立つ憎悪が、透明な神秘の刃を残忍に光らせる。
邪魔なく終わるはずだった計画に、不躾に腕をつっこんできた不埒者。
罰せずに居られるか。
罰してやる。
代償は高くつく。
「タダで終わると思うな。人の子」
ゆっくりと霊質が変じた剣の切っ先を持ち上げ、王が告げる。
「それはこっちの台詞だろ」
一瞬で引き絞られた表情の捕縛師が、獣の牙をむき出しに、剣の刃を逸らした。
- 175 名前:御使いの笛 投稿日:2007/09/18(火) 19:59
-
- 176 名前:関田。 投稿日:2007/09/18(火) 19:59
- 御使いの笛 23:咆哮 更新しました。
さぁ、ゴング鳴らしました。
社長様ご立腹。捕縛師さんもご立腹。
<こんな穏やかな語句では紡げませんが(笑)
自分でも楽しんで書こうと思ってます。
……や。ほんと。
核心だもんで自分でもコメントし辛いのさ(苦笑)。
>146
どうも、焦らしプレイ大好き作者です(殴)。
冗談です。すいません(笑)。
前回はどうしてもココで切らないとダメという状況でしたので、
折衝つかずに殺生な更新をしてしまいました。
状況の書き添えはできたと思っています。<真相は別にして
さて、次回はちょっとお時間いただくようですが、
キチっと書いていきますのでよろしくです。
>147
ありがとうございます。
上位天使は……あの方でした(笑)。
なるべく綺麗に書いているツモリですが、
伝わっているかはちょっと自信がありません(苦笑)。
さて。彼女はいずこへ?
次回更新でお会いしましょう。
- 177 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/19(水) 01:01
- 更新お疲れ様です。そして、何よりありがとうございます、です。
こんな短期間の間に、気になって、気になって、気になって、気になって(くどい?)
仕方なかった続きが読めるとは!
さらにこれからの展開が気になりつつ、次回を楽しみに待たせていただきますね。
- 178 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/26(月) 14:53
- いよいよ大詰めという感じがしたので最初から読み直してみますた
天使が略奪される辺りの流れが何度読んでもいいですね
早くラストシーンが読みたいような終わってほしくないようなとても複雑な心境でございます
続きも楽しみまっていますよん
- 179 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/27(火) 00:13
- 自分も更新を楽しみに待っているひとりです。
毎日ドキドキしながら更新情報をチェックしてます。
捕縛師と天使、王、彼女らとともに闘ったり見守ったりしている人たち。
どう動いていくのか楽しみです。
- 180 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/25(火) 03:10
- クリプレ待ってまーす。(無理でしたらお年玉で)
- 181 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/03(木) 17:09
- あけましておめでとうございます
お年玉という名の更新待ってます
- 182 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/04(金) 01:01
- 自分もお年玉を楽しみにしてますよぉ
- 183 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/05(土) 01:43
- 近く整理があるようです
作者様からひとこと戴けると安心して楽しみに待てるんですが…
- 184 名前:関田。 投稿日:2008/01/05(土) 22:29
- ご無沙汰しておりました。
更新遅れて申し訳ありません。
今後の展開、成人式あたりまでにはどうにかしたい所存です。
クリプレもお年玉もありませんでしたが、
あともう少し、お付き合いいただけたらと思います。
エルダー回避なんで燃料もちょっと足りない…なんて、言い訳ですね(苦笑)。
這ってでも進んでみます。
- 185 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/06(日) 00:05
- 成人式とは既に縁遠い自分ですが、楽しみに待ってますね。
- 186 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/28(月) 22:36
- 更新待ってますよぉ〜
- 187 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/02(土) 02:37
- まんまと作者サマの焦らしプレイの餌食になってしまっております
早く続きが読みたいぃぃぃ〜!!
- 188 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:06
-
- 189 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:07
-
24:アタエルモノ
- 190 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:08
-
負傷者数25名。うち重傷者は3名。
事後の復帰に対してのパーセンテージ、実務0。事務作業で65パーセント程度か。
良く闘ってくれた。全部終わったらガッチリねぎらってくれる。当人がイヤというほどに。
しかし、思ったよりハードだ。
自らの目と通信で与えられる負傷者情報により、頭の隅で組み立てる算段。
死者が居ない分はまだヨシとせねばなるまい。
眉を段違いに変えながら、自身の持つ銃器のマガジンを取り替える。
ここまで天使の数が多いとは思わなかったというか。
や、そんな考え方は私の甘さでしかない。
救護者の作業を促すように周囲から弾幕を張らせ、人命だけは取り留めさせなければ。
わき目を振っている余裕なんかない。
思いなおし、指示を与えて自らも動く。
ここまで何もかもを引っ張ってきたのだ。
今さら失敗とか、それだけは勘弁してくださいお父様。
元から刃向かうことばかりをしておいて、何を都合の良いとおっしゃられるかもしれませんが。
こちとら人間という生き物に愛着ありすぎましてねぇ。
で、なければ、きっとこの世界にも降りずに済んだのですよ。
この名の通りでなければね。
神の知恵を恵みを授ける者が悪だと言うのなら、私の存在自体がよろしくなかったのでしょう。
さて、その断罪は、どこで受けましょうか。
それでも、この手にあるものは一つとして失いませんよ。
たとい。この身が現世から奪われようとも。
- 191 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:08
-
- 192 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:09
-
――社長。蒼龍社からコンタクトがありました。あと五分ほどだと。
外部接触のために残していた回線に連絡があったようだ。
通信員の声に、張り詰めていた肩の空気を幾ばくかおろす。
「了解。では、総員銃弾使用の制限解除。
蒼龍社が手持ちの弾全部背負ってくるって言うからね」
後の援軍と言われていた正体が知れ渡ったせいか、覆っていた疲れが微かに薄くなる。
恃むのに充分な援軍だと、各自心得ているからだろう。
蒼龍社は武器弾薬のメーカーでありながら、社員に独自の格付けをなして戦闘力でもランク付けをしている。
実のところ、この二社は横並びの協力関係にあり、内部規約等、似通った部分が多くあるのだ。
村田から見て先々代の経営企画によるところが大きい。
そして分社化した後には、極秘裏になおかつ綿密に打ち合わせを重ねてきた。
士気は多少持ち直した。これで持ちこたえられなければ、さすがに厳しい。
天使が質量を変換せずに顕現するようになってきて数分。
正直に言うと、現場の勢力は天使に圧され始めていた。
高次展開の扉を開けてしまった狙撃手はまだ居らず、その点での混乱は起きていないが。
すでに誘導の終わった一般市民の一塊の中でも、すでに意識を保つことを放棄した人間が多い。
まぁ。そのほうが異形を目にせずに済むだろう。
デジタルはコンマの速さで時間を刻む。
現実はその速さに倣って進んでいくが、スロー再生と超倍速の二枚重ね。
怒号と咆哮のかわいたBGMでは、体感する速度もはかれない。
感傷や思考の逡巡は、確かに、仇だろう。
一瞬でも命取りになる。
相手はただただ、破壊のために存在する量産型の雑兵に過ぎない。
- 193 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:10
-
「社長!」
お?悲鳴に似た声を浴びて、意図する方向へと視線をやる。
ゾプリ。撃ち倒したはずの天使の霊質を喰らい、別の形のモノが肉片を裏返すように体を形成していく。
下級天使によくある無性別の体。
破壊の暴徒だけあって、重装甲のように筋肉が肥大している。
すでに、その鎧のような腕はテイクバック中。
ねじるように打ち出されるのを待つばかり。
貫かれたら、この薄い体のこと、穴もぽっかりあくだろう。
あぁ。やばいな。これは――。
思わず素で思い描いて、反撃のために銃器を速射対応させるために構えるけれど、下手したら間に合わない。
緊張感にとらわれて幾つも無い銃声。
援護射撃は無かったかぁ。と、迫る拳を見やるのに、再構築していくはずの天使の頭部が吹き飛んだ。
次いでいくかのように、数箇所に弾痕が穿たれる。
周囲の敵をなぎ払いながら、それでも上司を助けようという部下たちの涙ぐましいまでの尽力。
体はそれでも筋肉の萎縮まで慣性と惰性で数瞬動く。
光の粒になるのが早いか、ダメージを受けるのが早いか…。
- 194 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:11
- 瞠目する瞬間。
どこか世界がねじ伏せられるような圧力が目の前に凝結する。
たわんだ圧力の中に突き出された腕が、まるで熱された鉄板に水滴が落ちるように焼けて撥ねて蒸発。
そして強風を受けるように、一瞬で、一塊の羽毛と化した大柄な体が旋風を巻いて吹きとぶ。
シンとした刹那の静寂。
その後、か細い天使の一声が鳴ったと思うと、その声は大勢のものとなり、轟音と化した。
合唱曲と思えばかわいかった先ほどまでの圧力とはまったく違う。
世界中の管弦楽団を集めて、一堂に音を奏でるような実現不可能な音の壁。
人間の苦悶は満ち、天使の歓喜があふれ出す。
強烈な光を一点に束ね、ともすと、かような鮮烈なる白が生まれるのかと思い知った。
そして自らの命が損なわれなかったコトに胸を撫で下ろすよりも先。
重大な懸案が目の前に突きつけられていることを悟る。
『きた…』
そう。来たのだ。
知らずにうめき、その強烈な圧に体を打ち震わせながら、力なく数歩を後ろ向きに退いた。
組織を分社化し、唯一、待ち望み続けた機会。
これで天の軍勢を退けられなければ、ここに居る人間、全部アウトだろう。
村田めぐみはいよいよと腹を括る。
下手したら、ドチラニモナレナイかもしれない。
そうしたら…。そうしたら。
一族郎党消え去るのみ。さて。どちらに出ますか…。
閃光のかたまりに目を細め、顕現を見守る。
- 195 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:11
- 「異質」へ反応し銃口を向ける勇者たちも居たが、彼らの誰一人として引き金を引ける人間は居ない。
人間の静寂と天使の歓喜が交錯し、人の心を圧倒する。
惑いやすい本質と、迷い無い純粋な存在の差であろうか。
人のカタチをとる光が、ゆっくりとその光度を落としていく。
下がっていく明度からはぐれた光の粒子が、砂塵のように舞い上がりドームの中を吹きぬける。
一瞬の圧力に顔を覆う人々が再び目を開けたとき、その中心に立っていたのは一人の天使だった。
主翼とも言える翼だけを顕現させ、まるで旧世界の美術史に残る彫像のような立ち姿をしている。
女神か?と知れず呟く者も居たが、その声に異論を唱えられる者も居なかった。
なぜなら、その形容詞が一番的確であることを誰もが認めざるを得なかったのだ。
降り立った天使は長い髪をそろりとかきあげ、伺うように表情の角度を変える。
「ようこそ…と言ったほうが良いでしょうか。
貴女のような人語を解する上位天使が降りてくるのを待ち望んでました」
できるだけビジネスライクに、村田は手を差し出す。
ピタリと止んだ歓喜の歌が、下級天使の警戒をあらわにしている。
空間のすべてが緊張を孕むのを、感じられないわけがない。
くすり。静かな笑みをたたえて、上位天使は肩を竦めた。
- 196 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:13
- 「上位の天使が居れば、下級の天使は暴挙を働くことができぬ。
貴女がそれを待っていたのなら、それほど賢明なこともないのでしょう。
ヒエラルキーで縛り付けられているからな」
――上位天使同士ならば、多少の融通も利くが。
手を取って友好的にみせるというような、小芝居はしてくれないらしい。
大人しく差し出した手をおろし、新都市警護保障の社長さんはできる限り泰然と居住まいを正す。
ほそっこい肩だけれど、この場に居る人間の行方が載せられている。
正直プレッシャーには弱いほうなのだが、ここばかりは耐えねばなるまい。
その姿勢に対し、天使は諦めたように苦笑し、ゆっくりと言い切った。
「さぁ、少しばかり話をしようか。
貴女には訊ねなければならぬことがありすぎる」
「えぇ?逆質問ですか?」
そう軽口叩いて答える村田の内側には、すでに推測されている「質問」があった。
訊かれて当然の話。
「解っているだろう?なにを問われるのかは…」
予想よりも早めにそのカードをつきつけられることに、緊張が背中を凝らせた。
- 197 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:13
-
- 198 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:13
-
その天使は名を「苛烈なる王の怒り」と言った。
最上位の破壊の使徒なのだそうだ。
後藤真希のコレクションの最前に鎮座していた、美麗の天使。
まるで女神。美術館にデータ保存されている、ギリシアの彫像のよう。
現時点で最高指揮官の椅子が空席のままなので、彼女が最高責任者らしい。
いつでも向けなおせるように銃に手を添えたまま、幹部たちは気配を波立たせたままで居る。
圧力は今までで最高だろう。
あの天使が出現しただけで、ドームの中は異様さが半減しているが、霊質は身の毛もよだつ高濃度。
上位天使の存在を初めて実感する。
彼らが霊質という科学的数字だけで表せるほど、簡単な存在ではないのだと気付かされる。
そしてこの妙な静寂は、上位の存在が威圧になり、下級天使の暴虐がなりを潜めているからだと理解できた。
ここまで耐えた疲労感を思えば、警護保障側からの二度目の反抗は出来無いと幹部たちも勘付いている。
万一あの天使が『殲滅せよ』と紡げば、これからの我々などひとたまりもないだろう。
社長と愉快な幹部たちで一つ括られてしまいそうな三人ではあるが、柴田にも大谷にも斉藤にも、それだけの機微はある。
息を飲むことすら難しいこの場で、限界まで張り詰めた気が彼女たちを支えていた。
そうして彼女は言うのだ。その場に居た人間の前で。
回線は幹部や警護保障の人間にはつながれたまま。
きっと、下位の社員たちは気付かずにいるだろう。
しかし、天秤と呼ばれる天使の通り名も聞かされている幹部なら、その言葉の意味を悟れてしまう。
天使の呼称は力そのものである。
「『恵みの名を冠する者』が堕天しやすいのは、やはり人に近しいことが起因するのか?」と。
- 199 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:14
- うん?一瞬強く張り詰めていた感覚がねじれる。
現場で育った柴田の感覚も。
現場から内勤になったとはいえ、幹部として自覚持つ大谷と斉藤の二人も。
天使の紡ぐ言葉の意図が読めてしまったのだ。
――社長?
思わず問うた柴田の声には、怪訝さよりも心配の色が強く出る。
短い期間とは言え、修羅場だらけだったのだ。
結びつきも強ければ、表情だって読み取れる。
部下の声に微かに苦笑の息をもらして、「まぁ、そういうことになりますかね」と天使の声を肯定した。
微かに。大丈夫という合図なのか、ゴメンねという意思表示なのか、ボトムを指先でひらりと叩く。
あぁ。バカだなぁ。
思わず幹部は目を細めて、怒鳴ってやろうか怒ってやろうか、果ては感涙させてやろうかと逡巡する。
自分たちの上司は確かに得体が知れなくて、飄々としていて、人の機微に聡くて。
そのくせ皮肉も言うし、全員にツッコミいれられて言葉がうやむやになったりもするけれど。
出自どうあれ。村田めぐみという「存在」なんだ。
今まで自分たちを引っ張ってきた彼女に変わりは無い。
だったら。これからの話はそんなに関係ない。
自分たちが信じる彼女を、今までどおりに信じてやればいい。
――しゃちょー。全部終わったら社費で飲み会ですからねー?主賓が居ないと様になりませんぜ?
こういうときに通常を取り戻させるのは大谷の業だろう。
かけられた声のおかげか。小さく手が持ち上がった。了解というところだろうか。
明らかに気配が解けたのを遠めから見届けて、小さく肩を竦め微笑う。
「これなら大丈夫かな。ナイスフォロー」
ぐりぐり。金色の髪を小僧を撫でるようにかきまわされ、それでも悪い気がしないのでワザと振り払う。
「あの人は、変に気が小さいからな」
スコープ越しに見える背中が不意に振り向くのに、ビクリと身を縮めこませて怯えると、イヤホンからは恨み節。
――全部丸聞こえですからね?って、後で覚えてろよ、主に大谷。
いつもより怒った口調で静かに言われて、それが確かに緊張を解いたのだと自覚する三人は奥歯をかみ締めた。
- 200 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:16
-
「胆力ある部下を持っている」
苦笑まじりに言われては「恐縮です」と頭を下げるほかあるまい。
「どうやら貴女がどういうものであれ、彼女たちは立場を変えないということだろう?
余計に、ちゃんと話してもらわなければ困るな」
部下とのヤリトリを微笑まれた上で退路を断たれてしまった。
これは逃げ道がなさそうだ。
「魂と称される本質が変わらないのも珍しい。
よほど人に馴染んでいると見える」
――すぐに貴殿だと悟れたのだから、逆に新鮮だったくらいだ。
人の体に適合するくらい強いと思ったほうが良いのかもしれないが…。
そう付け加え、苛烈なる王の怒りは不敵に目を細める。
覚えているであろうか。
天使は神と人間から呼ばれるものの力そのものである。
例をとると。
気付きの一瞬も神の力であり、その気付きという事象を与える者が天使である。
帰還するべき「力の大樹」に戻らなくなった天使。
赦されている接触の許容範囲をこえて、過度の下界との接触をはかる天使。
力の限りに溺れ、自らのなすべきことを忘れた天使。
それら大樹からはぐれ、存在を良しとされなくなった者を堕天使と称し括る。
人の罪を呼び覚ます者が「汝が罪を呼ばわる者」であるとすれば。
天の恩恵を人々に与える者の名に「恵み」の文字が刻まれていてもおかしくはない。
核心にずいと詰め寄られ、腹を括る。
新都市警護保障社長、村田めぐみは薄らと口元を持ち上げた。
「解放されていることを思えば、天使よ、貴女も二つ名の方をご覧になったのでしょう?
彼女はそれこそ、強引に適合者を母胎から奪ったタイプだが…。
私はこの体の母胎に受け入れてもらいましたからね」
- 201 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:18
- 困ったように笑い、それこそ告悔のようにめぐみは視線を落とした。
なんでこんなに寂しい気持ちになるのだろうな。
もしかしたら宿るかもしれなかった誰かの魂を、包みこんでこの体に入っているからだろうか。
誰かの魂を押しのけてしまったからだろうか?
静かに両手を見る。確かに存在する体と、生きている自分。
現世での体を与えてくれた母親は、技術者夫婦の娘。
見えざる天使自身の、友人となった家族だったのだ。
「貴女が言うように、確かに私は通り名のまま…。
人へ、天の内にある知恵を授けるために存在していました」
コクリと息を飲み下す者は一人ではない。
それすらも雑音のように聞こえる静寂。ただ水を打つだけでは、この静けさははありえないだろう。
誰もが、その場で声を上げることを忘れていた。
天使の歓喜は、いまも凪いでいる。
おかげ、村田めぐみという人の言葉をさえぎるものは何もなく。
回線が繋がれている人員へは、何もかもが筒抜けだった。
「私が霊質への気付き、及び次元弾という銃弾の開発技術の一端を授けたのは、特別な理由があったわけではありません。
天使による裁きが一方的な暴虐になることがわかっていたからです。
人に対抗の術がまったくないのはフェアじゃないと。ただそう思った。
その天恵を試行錯誤している間、技術者である祖父は私を友人としてそばに置きました」
――気付けば…祖母である人も一緒に居ましたよ。
二人は見えない存在である私に対して、とてもよくしてくれました。
おかげさま。二人は研究室に閉じこもりっぱなしで、周囲は気がふれたかとヒヤヒヤしたらしいけれども…。
そこから愛が芽生えて、まぁ…私の母親が生まれるわけですがそれは割愛しましょう――。
思い出している景色がそうさせるのだろうか。
優しいものを思い出すとき、人間の記憶はどこか穏やかに表情を和ませる。
郷愁とか懐かしみとかいう言葉で現せる感情だけれども、その深さは当人にしか測れなかろう。
- 202 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:20
- 「技術者たちは貴殿の与えた天恵の返礼に、自らの孫になる器を差し出したと?」
すっかりと人間の顔で話す声を耳に、上位天使は事実だけをつきつける。
理由もその決断についての苦汁も問わぬのだから、その罪悪は推して量るべし。
倫理的に迷わなかったわけじゃないけどね。と、内心、胸で拳を握る。
「えぇ。そういうことです。
私は彼らに了承を得て、友人家族の血族になった。
膨大な知識を詰め込んだままでしたので、幼児期は能力を発揮できないことに戸惑いましたけどね」
人の体がこんなに不自由なものだとは思いもしませんでしたし。
だろうな。
なんて相槌を打たれては、人間の特殊として生きてきた自負も台無し。
タハハ。と情けなく眉を下げ、ゆっくりと口を笑みに歪ませる。
いきさつはどうあれ、問題はこの後なのだから。
「天使による裁きが終わりを告げた後…荒廃した世界で人間として生きていくのだと思っていたのですが、そうもいかなくて」
途切れる言葉のなかに続きを悟るのか、天使の表情はいつにもましてぎこちなく凝る。
「それは…」
天使が体のまま人間らしく言いよどむ姿に、社長はコクリと頷いて紡ぎなおす。
「気付いてしまったんですよ。天軍の長が力の大樹に帰還してないのに」
妄執にとりつかれた天使長が堕天してきてるなんて、洒落にならない展開ですからね。
それ以後話のわかる人間に取り入り、話をつけ、近くに居たというのに。
――ヒエラルキーの絶対に縛られて、接近してても防ぎきれませんでした。ダメダメです。
出来の悪かった答案を見せるように、苦い笑みを浮かべてうつむく。
- 203 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:22
- 『あ。ヒエラルキーってのは絶対に動かし難い階位でね。魂での格付けみたいなもんです』
と、申し訳なさそうに付け足すのは、幹部への補足だろう。
「結論。堕天した貴女は天使長へは手を下せなかった分、人命の損害を減らすために動き。
私のような下級天使を制御することができる個体との接触を図ろうとしていたわけだな?」
淡々とした声で上位天使が紡ぐのに、一瞬村田めぐみは目を瞠る。
あぁ。確かに確認が必要なのだろう。彼女には。しかし…。
「えぇっと。
人間として生きてきた今までの苦労のすべてを、文章二行で説明していただいて何とも言い難いのですが…。
差し引き無しで、まったくもってその通りです」
思わず涙ぐみそうになって村田は天を仰ぐ。
感極まったわけではない。二行で人生全部を語られて切ないだけだ。
だから天使ってのは…。と、かつての自分を含めて笑いたくなる。
「まぁ。天恵を与えた後の人間は面白くてね。
可愛いんですよ。考え込んだりわめいたり、気付いたり、見ていて飽きなくて…」
くつり。肩で一度笑い、後ろを振り返る。
自分を見つめている社員たちが居る。預けてくれた幹部たちが居る。
断罪に壊れた人間の亡骸と、怯え惑った人々が居る。
できるだけのコトはしたので。あとはもう、なるようにしかなるまい。
自分が守れる世界は、もう、ここまで。
天使へ向き直り、鮮やかに表情を解く。
もうどうにでもなれ。どうにでもしてくれ。
でもできることなら、うちの子たちが苦役ない方向がいいな。と内心思いながら。
「彼らを愛しく思ったなんて言ったところで、貴女には解らないかもしれませんけど」
言葉には似合わない、穏やかな達観を含んだ笑み。
どうしようもないでしょ?でもそこが良い。
言外に匂わせながら、天使へ放った。
- 204 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:24
- 受け取った天使はそれを胸にとめ、そしてゆっくりと咀嚼する。
目の前の堕天使が言った言葉は、人間を後押ししたくなる理由だろうか。と。
恵みを与え、気付き、前へ進む姿は確かに父である神の創造の意思と添うものだろう。
迷って。悩んで。苦しんで。
進むべき方向を定め、顔を上げ、再度歩き出すその過程。
力の大樹の中で見ていたものも確かにあるのだ。
あるのだが……。
「解らないと言えたなら、もっと気楽に裁けたのかもしれない」
対となる天秤の見てきたもの。
彼女の感じたものが、天使の胸に溢れている。
はしゃぐ声。穏やかな毎日。
「あいにく」
この如何ともしがたい灯りのような熱がある限り、物騒な発言などできはしないだろう。
「不本意ながら、天秤の見てきた景色が優しすぎてな」
――苛烈なる王の怒りとは、また名折れだ。
ゆっくりと背後を振り返る天使が、一塊になった力の存在を見上げる。
一塊になった天使たちはまるで繭のようだ。
柔軟な羽で覆い尽くされた、不気味な白さの力が胎動しているように見える。
- 205 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:25
- 「彼らは天秤の傾きという事象だけに縛られる。
破壊という力だけで出来上がっていて、他に思考などの余地が与えられていないのだ。
私がここに来たことで動かずには居るが、天秤が傾いたままでは審判は終わらないだろう」
背中越しの穏やかな声に、めぐみは小さく肩を落とす。
「苛烈なる王の怒りよ。
一つ問いますが…、私のしたことは…」
心底後悔しているわけではないし、間違っていたとは思わない。
だけど。どうなんでしょうね。現役の天使である、貴女から見て。
そういう意味合いの問いかけ。
でも、天使の黒く深い瞳はまた違う場所を見ているように。
じっと村田の顔を見てから、延々と銃口を下げずに居る背後の幹部を一緒に背景におさめた。
「貴女のなかに答えがあるのなら、その先は言わぬが良い。
そしてその答えは、貴女の連れた子羊たちが心得ているように見えるな」
「私の連れた…子羊……ですか」
聖典のなかでは、正しい道を進むために迷える子供たちを先導するのが羊飼いの役目。
それゆえの牧師という表記になるのだが。
……。目の前の天使なりの褒め言葉なのだろう。
うっかり泣きたくなるけれど、憎まれ口で誤魔化す。
「うちの社員にそんな、か弱い羊は居ないんですけどねぇ」
『『『それこそ丸聞こえ』だっ』つぅの』
無言で目を瞠る社長を視界におさめたままで、上位天使は再度ぎこちなく笑みを浮かべた。
- 206 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:26
- 彼女は愛されている。
人間として。
「では、君はどう思う?」
逆に質問で返されて、村田めぐみは視線を持ち上げる。
言葉を解することはできても、上位天使は表情までも豊かにはなりきれない。
破壊の使徒の宿命だろうか。
長いまつげが伏せられて、長いため息が細く吐き出された。
「畏れよ人の子とは言うが、我々は今、その人の子に頼らねばならぬのだ。
ヒエラルキーさえも穿つ、個体の繋がりに恃まねばならぬ」
紡ぐ。つぶやく。
再度開かれた瞳は憂いに満ちて、遠い。
「君が可愛いと言った、そのもがき足掻く姿に、我々ができぬことを託さなければならない…。
今までだってずっと待ってきた。滅ぶときはどう助けても滅びる。それはわかっている。
でも、待っているだけなのは…もどかしくて。情けなくて。辛い。
きっと人間に見る、自分の存在というものも憤りを感じる原因になるのだな」
上位天使だからだろうか。
人間的な発言を継いでから、至極なさけない表情で眉を下げて、天使はひとりごちる。
――天使の存在意義も危ういなぁ。村田女史。
熱の生み出す気流に流され、髪がなびいた。
- 207 名前:御使いの笛 投稿日:2008/02/19(火) 23:26
-
- 208 名前:関田。 投稿日:2008/02/19(火) 23:36
- 御使いの笛24:アタエルモノ 更新しました。
いろいろなモノが音をたてて折れたり弾けたりしたのです。
さすがに倒れてました(苦笑)。
周囲の野原は枯れはて、異形の荒野です。
どうにか体を起こして、全方位を見渡しています。
書き上げられますように。今はただそれだけを目指します。
長いこと時間が空きましたが、待っていてくださった方々にはひたすらに感謝を。
今日、この日に彼女たちだったことだけは、心に刻もうと思います。
あと少しです。ではまた次回。
- 209 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 01:19
- 更新ありがとうございます、お疲れ様です。
最近、更新されるのを読む度にじわっとクルものがあり…(涙をガマンするので
鼻が痛いです。)
取り戻した彼女、取り戻された彼女、奪われた彼女。
3人のこれからが気になるところです。ってか、気になって、気になって、気になって。
- 210 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/20(水) 16:45
- 更新お疲れ様です
くぅ〜!待ってたかいがありましたよ
社長と愉快な仲間たちのやり取りは泣き笑いしつつ…
そして天使や捕縛師さん達の健闘を祈りつつ
もう3周くらい読み返して次回更新に備えたいと思っております
- 211 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/12(土) 01:55
- 最初から読み返す作業、自分でも何回目かも把握出来てません。
読み込んでいるつもりでいても読み返すたびに、未だに新たな発見をしたり、
さらに近づけたり。自分が最も更新を楽しみに待たせて頂いている「世界」です。
- 212 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/05/16(金) 01:07
- 次回更新までにと#1から再度読み始めたら止まらず、ここまで辿り付いた時には夜が明けてました。
一睡もせず貫徹状態で昨日は出勤してしまいました。
続きを楽しみにしてます。
- 213 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/07/15(火) 23:38
- 更新待ってますよぉ
- 214 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/07/16(水) 00:15
- 自分もそろそろ禁断症状を抑える自信がぁ…
更新お待ちしてます
- 215 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/16(火) 01:34
- 待ってます。
- 216 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:05
-
- 217 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:06
-
25:その手にあるもの
- 218 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:07
-
ギン。斬撃と刺突の応酬。
円弧と直突の輪舞。
牽制と牽制。
重ねるだけの不毛な打ち合いが続き、拮抗した凌ぎあいが体力を削り取る。
つけ入るだけの隙は無い。
ただただ一瞬の無駄を狙うお互いの目だけが、獰猛に輝いているだけだ。
剥かれた牙の突き立てられる場所を見定めるために。
「天秤自身どうして傾きが生じるのかなんて、わかりはしないんだよ。
だから正しようも無いだろう?」
ホラ無理だよ無駄だよ。と挑発を加えながら、まるで水を泳ぐ魚のようにするりと左腕が空間を突く。
幾分大ぶりの剣に変化しているはずの得物にむかい、逆に体が吸い寄せられるような錯覚がおきる。
飢える神の子へ捧げるため、火に身を投じる兎にでもなったように。
『誰がイケニエ――ッ』
己の錯覚を振り切るように刀の峯で凌いでみても、得物の違いからか弾かれるブレまでは隠せない。
- 219 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:08
-
最上位の堕天使たる王がその機を逃さぬわけがないだろう。
剣突に伸びた左腕へ体を引き寄せる動作に、開いていた細い体躯は柔軟に応じる。
王の軸足にした左脚を囲い込むような右脚のしなりが、捕縛師の左を打つ。
チ。舌打ちをする間も惜しい、この一瞬。
掬い上げようとする脚をどうにか膝でとめて、逆袈裟に牽制の刃を振り上げる。
至近距離での絡むような蹴撃をほどき、再度一歩と王が退いた。
刃はかるく王の外套をひっかけるだけで、かすり傷にもならない。
これが刹那的な応酬ともなれば、やはり二人ともケダモノか。
方や野生をも凌駕する捕縛の手錬。
方や人の身へとおさまる天使の長。
一般的なカタチや枠で収めきれるものではない。
ハァというどちらともない深い呼気が掠れて消える。
- 220 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:09
-
「なんか腑におちねぇな。その余裕綽綽って顔が」
捕縛師の声もさすがに掠れてにごる。
肩を一度いからせ、力を分散させて柄を握りなおすと唸った。
すでに振り切る腕は悲鳴をあげているし、握力も落ち始めている。
斬撃も蹴撃も拳突も、当たってはいるけれど傷ついている気がしない。
それだけ浅いのだろうか。
ここまで斬りあい殴りあいを続けてきて、ふと湧きあがる疑問。
「基礎の差だよ。それか、存在の絶対ってヤツ?」
ニヤリと口角をあげ、尊大さを失わない王が笑む。
疲労の度合いが確かに違うように見える。
基礎体力の差と言うのなら、それこそ先方がバケモノじみているのだろう。
焦りを一枚皮で覆い隠し、今までに尽くした手を思う。
- 221 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:10
-
拳突などの打撃は当たっている。確かに。
この拳も手刀も、靴のヒールもソールも感覚が生々しい。
しかしだ。
剣戟に際しての傷が気になって仕方が無い。
どこか、薄くないか?
捕縛師はすでに悲鳴をあげていそうな自らの武器を、なだめるように肩に担ぐ。
先方の長い外套は防弾用だ。
胸部内側にジェルが埋め込まれており、表向きの繊維が切れているだけ。
肩先などはすでにボロボロにできているが、内側には目だった裂傷は無いように思える。
アンダーは確かに防刃素材。
アンダーにできるほど薄く加工できるようになった今だからできるワザ。
だからって完全に防ぎきれるもんでもない。
同じ位置取り狙って刃を振るっていればこそ。弱体化して突き刺されてくれるもの。
小烏丸的な突剣でなければ難しいとは言わない。
それなりの鋭さがあればいい。
重点的に傷つけられている肩口にでもダメージが与えられれば、まだ算段も組み立てられよう。
- 222 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:11
-
「やぁ。ちょっとオマエさん…」
すい。と意識を向ける。
頭の中にあるのは、『もしかしたら?』という推測だけだ。
解放したものをすぐさまに仕舞いこむことは難しいはず。
この一言で武器屋が反応してくれるなら、こちらにも道が開けるかもしれない。
もうちょっともってくれな。と、構えを正すままに、峯をかるく指でなぞる。
思い出しているのは合成生物。
一度だけやりあった竜を模したキメラ。
そのとき一緒に居たパートナーが、すぐそこに居る…。
どうか、二人の想い出の一ページに気付いてくれますように。
脳内。苦笑まじりに腹を括って、安全と引き換えのイタズラを仕掛ける。
「天使っつぅか、もう、『キメラっぽい』よ」
目の前の王様が、天使だったモノだとしてだ。
人のイタズラが作り出した生物と並べられては、腹立たしいだろう。さすがに。
「合成生物と一緒にするか」
グっと眉根を寄せ、不機嫌を前面に王は大きく剣を振りかざす。
これだけの勢いをもって振り切られる円を、すぐさま修正できるようなコトもなかろう。
間合いを見計らい、ギリギリで体をさばく。
- 223 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:12
-
視界に入るのはワンハンドアクションの腕。
醜悪な翼の群れの中生まれる、一点だけを貫く「無」。
仕事を供にしたときに感じた高揚感とは全く違う。
確かに死を与えるためだけに放たれる銃弾の引き金をひける、機械的な冷たい気配。
気配に気付く後藤真希の視線が確かに歪んだ。
乾いた銃声。熟練の腕が放つ、必殺の銃弾。
「王様残念賞」
そう。あんたの言葉はハッタリだ。
ニっ笑んだ捕縛師の表情は、驚愕へ崩れない。
確かに、その銃弾は空間を穿つ禁断の弾。
その銃弾が、王の手前30センチはあろうかという位置取りで、対象物に当たったように爆ぜた。
捕縛師の直感が持った、予想の通りに――。
霊質の盾。
防刃繊維のインナーよりも確かな一枚の防御壁が、王を取り囲んでいたのだ。
- 224 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:13
-
ブワリと純白の羽根が、光が飛び散る。
削られた質量が天使の爆ぜる瞬間とおなじように、まるで旋風まく嵐のように。
そのまるで白で塗りこめるような世界へ、黒色の獣が深く踏み込み。
「ウルァッッッッ!」
幾度か重ねて打撃を与えてきた箇所へむけて、その刃を振りぬく。
滑っていくだけだった刃の感触が、ほつれに引っかかるようにこごった。
――入ったッ
ザンという確かな手ごたえ。
斬撃に引きずられた上体を、大きく力のかかった後ろ足で蹴り倒した。
コマの回転数を落としたような墜落。
長剣は手をはなれ、ガラスのような華奢な音をたてて落ちる。
見事に吹っ飛ばされて背中から落ちるのを睥睨する、今度こその嘲笑。
「ホラな。基礎なんかじゃねぇだろ?」
さしもの今までの持久力でも、運動が一度停止すれば体にはガタが来る。
当然だろう。
ガフという呼吸の乱れを表にして、後藤真希の背中が大きくのけぞった。
- 225 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:14
-
世界が停止するように、襲撃する下級天使の存在が一瞬遠くなる。
静寂と、静止だけが空間に降り注ぎ。
耐えるだけで居た四人から、脅威が取り払われた。
重圧だけでできていた世界が、ほんの少しだけ重さを変えた。
- 226 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:16
-
倒れた王の姿をキツく見据え。
濡れた刃を振り払い、怒気ごと吐き出した息で呼吸を整えてから告ぐ。
今までの手ごたえの無さと、今の一撃の深さを思えば推測は確信へと変わっていく。
確信がもてれば、それは弱点として貫かれる用意をして目の前に置かれるだけだ。
ある種の死刑宣告だろう。
それは、『種明かし』なのだから。
さっきの「なつみ」がみせた力が参考になる。
光が世界を覆うほど極限まで引きのばされたとき、そこには目に見える現象は何一つなかった。
目の前の王様に同じ芸当ができないなんて、思い込みも限定もできない。
翼が消えたということは、視覚に見えるほど強烈だった力が引き伸ばされただけだという仮定。
薄々とは思い描いていたことだが確証はなかった。
しかし。片鱗が見えた今…。
予想が当たっているのなら、つけ入らない手はない。
「翼が消えたってのは、視覚的なトリックだな」
――山勘でも当たるもんだ。
見事大の字に転がっている王の指先がピクリと声に反じる。
捕縛師的には意を得たりと、いうところだろうか。
- 227 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:17
-
あれだけ印象的に翼を実体化させて消し去ったのだ。
こちらには翼がどこに行ったかなんて思いを巡らせる余地が無い。
天使も実体化してる分、今さらレンズを通して霊質のカウントなんか見てる余裕もない。
通してみても、超高圧の天使そのものしか確認しないだろう。
なら、王の周りを霊質が取り囲んで居ても、意識が向きにくい分すぐにはバレない――。
その静かな語り口に、誰も口を挟むことができない。
こくりと司祭が息をのむ音だけが聞こえる。
それほどの無と、静かな音声。
「残念だけど。こっちはバケモノ狩りのプロなんでな。
オートガードの合成生物とやったことがあって良かったよ」
記憶の片隅にあったクレイドラゴンの亜種。
高度の知能と霊質を備え、本能的に防御幕を張った合成生物。
人間の科学能力で、幻獣と括られる竜を作り出そうとした研究者たち。
下層住民の犠牲が払われることなど、気にも留めなかった人間…。
開発倫理に反するために事例としてもみ消されたが、ココにきて生きるための知識となるとは。
- 228 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:18
-
揶揄し、肩を竦め、尊大にその姿を見下ろす。
くふ。と微かな笑いがこぼれて、静寂を崩す。
追い越すように「あはははははははははは!」と爆笑が追い越した。
「バケモノ狩りね!なるほどね。スゴイね。あらためてスゴイね。
そういうキメラとやっても生き残ってきてるんだ?」
ぐいっと腹筋一個で体を折り曲げ、まさにバネの跳ねるごとくに体を起こす。
呼吸はまだ荒いものの、視線の鋭さは更に増したような気もする。
着地した態勢からゆうらりと体を立たせ、血で濡れた傷と袖口を指先でなぜた。
「捕縛師さん最高だよ」
爪先で、袖口を小さくさげる。
確かに断ち裂いたはずの傷はすでに皮膚が盛り上がっており、王の指先が血で染まるだけ…。
「なんでもっと早く気付かなかったんだろうねぇ」
――けーちゃんも紹介してくれれば良かったのに。飼いならせるかは別だけどさぁ。
安穏とした物言いと、手品のような所業。
隠しているのも面倒だというのか、再び翼が具現化する。
被弾した部位。翼のカタチからえぐれているのだが、力だけが蠢動している様子が見て取れた。
再生する気らしい。
- 229 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:19
-
「ヒットポイント高すぎだろ…」
苛立ちと一緒に吐き出してもバチは当たらない。
カツ。爪先で蹴った床は、鈍い音をたてるだけ。
「あれ?人間ってヒットポイント制なんだっけ?知らなかった」
ひらひらと手のひらで首筋を扇ぎながら、片方の眉だけを上げた。
「まどろっこしいのやめた。直球勝負にする」
ね。と誰ともなしに同意を求めながら、数度その翼をゆるくはためかせ。
表情に穏やかさが戻ってくる。
感情は一定数値を超えた時点で、平坦に…それ以上の変化を見せなくなるものだ。
再生された羽根をなぞる指先。
その本質さえ知らなければ、地上の美の象徴のように見えるだろう幻想的な画。
改めての仕切りなおしというには、戦況は戻れない場所まで進んでいる。
平静を取り戻したなんて、安穏とした見方は誰一人としてしていない。
後藤真希というものの中にある感情が、沸点を越えたことを皆が感じ取っている。
- 230 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:22
-
捕縛師は少しばかりの余裕をもって、もう一つの感じ取りを紡いだ。
冷静に状況がはかれる時だ。まだ、いい。
内心は腹を括っているのだが、形成の有利という足場が今は彼女をたたせている。
「なぁ。圭坊…すこしは余裕あるだろ?」
――今までの戦況分析はどうよ。
ただただ銃口を向けつづけていたわけでもないでしょ?と、言葉に言い含めている。
通常の相手なら腹立たしいだけの癪な物言い。
チ。っと嘲るように、武器屋は捕縛師相手に舌打ちしてみせる。
「天使の霊質ってのを、肌で感じ取れるようになるとは思いもしなかったけどね…」
元TSSPの幹部を両腕にしながら大きく息を吐く。
吐き出されたマガジンを取り替え、サイドと背後を固めていた二人の疲労を目視し、その指先を王へ向けた。
「自身の霊質を削って分散展開。
下級天使を呼び寄せる媒介にするとか、あんたさぁ、鬼畜すぎるよ後藤」
コッチは大丈夫と、背中を任せる騎士が小さく背を叩く。
隣にある気配もまだくたびれてはいない。
大丈夫なら、信じる。
言葉も無く二人に気配を伝え、元騎士は差し指で王のプライドを穿った。
「周囲にある気配がなりを潜めてるんだから、さすがに気付く。あんたの手管も表彰もんだ」
ひゅぅ。とこぼれたのは賞賛。
小さな口笛が鳴って、幻想の仕組みを読み取られたことに白旗をあげた。
- 231 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:23
-
王――元大天使…今や堕天使。
彼女が自らの身を庇うように顔を覆う。
「はっ。さすが。そこまで読まれるんだ」
ずるり。その指先で髪をかきあげ…。
口角は笑みに歪む。
「霊質のカタチは自在でね」
縫い付けるような視線で捕縛師をつらぬき、その背後にある天使を見やる。
「ほら。もうあそこに転がってるのは、ただのナイフなんだ」
ニヤリとした暗い笑み。意識が王の手をはなれた剣へ向いた一瞬を、彼女はけして取りこぼさない。
予備の刃を抜き放ち、切っ先を真下へ向ける。
「まさかぁ…」
冗談きついぜ。と言いたい周囲の気持ちを踏みにじるように、その「まさか」は現実になる。
床を転がった透明な刃の長剣がかき消え、残されたのは媒介となった短剣のみ。
では。そのかき消えた霊質はどこへ向かうのか――。
見守る視界の中、掲げた刃の柄から再度飴のような光が下方へ滑り落ちていく。
質量が再度新たな刃に変換され…
「ついでにこれくらいも許されるな」
――タネもシカケもばれてるんだから。
彼女両手のうちに納まった。
- 232 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:27
-
ちいさくはためく翼のかげがゾロリとのび、複数のヒトガタが三人を取り囲む。
まるで黒いコートが裂けて落ちたかのような、濃密な黒のヒトガタ。
各自に三人は付き添うだろうか。
――石川!絢香ッ!
内側からくっつけた糊を剥離するように、小さな陣が崩れる。
個人技にされてまで対抗できるかどうか、誰にも予測できない。
「さぁ。終末まで踊ろうか」
陶然と王は呟く。
そう。例外なく。何人たりとも逃れられぬように。
天秤の開けた扉はまだ閉められていない。
呼び寄せるための媒介ならこの世界には溢れている。
なら。呼んでやる。
強烈な引力で。この魂で。
畏怖、畏敬なにもかもをこの身へ差し出せ。
力の樹に連なるものよ、私という存在の前にひれ伏せ!
「エスコートするよ」
最小半径で柄をふりかざすと、刃を直線的に突き出した。
- 233 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:28
-
その背後にある王の標的を、捕縛師は忘れない。
自らの体をさばきながら、軌道をすでに死にかけた刀で押し殺す。
ただこの行く末を見守っている、汝が罪を呼ばわる者のために。
この一撃を一心に逸らし、逸らし続け、機会を待つ。
「まっぴらゴメンだな」
襲うとか、不意をつくとか、今の間にきっとできたはずだ。
でも。それができなかったのは、この天使の成れの果てが見せる圧倒的な気配のせい。
人間の振りかざす浅い知恵が一瞬で覆されるだろうという、惰弱な憶測のせい。
それだけ威圧的。と思うべきだろうな。
一つ呼気を整える。
そして思う。
ずっとずっと原初の淵から手のひらで転がされてきた人間は、どう対抗するべきか。
待っている結末など、思い浮かべることすらできなくても――。
やるしかねぇだろうよ。
- 234 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:29
-
- 235 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:30
-
「もうそんな、遠慮しなくていいよ」
遠慮なんかしてねぇよ!と毒づきたくても声も出ない。
軽い口を叩くその手管はまったく優しくない。
それどころか、速度を増した感がある。
外套のひらめき。まるで武器のレンジも関係ないような打撃の応酬が重なる。
背後の天使すら巻き込みそうな距離。
引き剥がすために体を捌き、一歩でも押し戻す。
だけども仕組まれたダンスの立ち位置のように、くるりと旋回する。
舌打ちするほどの焦燥感を嘲笑うかのよう。
その優位をあっさりと手放して、もう、半回転。
「あは。焦ってる。焦ってるねぇ」
いい表情してるよ――。
モット、ミセロ。
立ち位置すら弄ぶ王の声が弾んだ瞬間。
貫くように突き出された剣。そこにむけて凌ぐために出される刃。
純粋な金属をかすりあわせたような高い音がしていたはずが、不意にその音がにごった。
耳の拾う音が捕縛師の背に戦慄を呼び起こす。
さすがに、今は、ヤバイ――――ッ!
肌のあわ立つのも止められない。
刀が、逝ってしまう。
- 236 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:31
-
ィイン。
打ち込まれていた位置から悲鳴をあげるように、刃は中ほどから二つに刀身を割った。
泣いているかのように高い音をたて、切っ先は床を小さく滑る。
折られたほうはたまらない。
大事にしてきた相棒という感傷すら、今は場違いに遠い。
鍔元のかすかな制動で刃を逸らし、逃げ道を探すしかない。
「チクショウ」
毒づくのも苦し紛れ。
ここまできたら不本意だどうだとも言っていられないだろう。
「なつみ、掴まれ!」
背後へ小さく腕をのばし、外套の中へ黒衣の天使を抱き込む。
折れた刀の亡骸を振りかざし、捕縛師はギリギリの線での攻防を試みた。
まるで早まわしで撮った映像を、低速再生して動きの細やかさを増すように。
コマ送り。一本の糸だけを渡る、綱渡りのような危機感。
害することだけを目的とした凶刃が、退路のすべてを断つように狙ってくる。
その一撃を外套のはためきだけで防護し、かすかな目測をずらし、苦し紛れの刺突を繰り出す。
- 237 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:32
-
相手の得物のレンジを思えば、これが精一杯の抵抗だった。
予備にしている刃はどれも、折れた刀より刃渡りが短い。
すぐさま抜き出してしまうには、心もとないものばかり。
なら。一瞬を待ち続けるしかない。
腕の中で天使は流れのままに身をまかせている。
悲鳴もあげない。
豪胆なわけでもないはずだが…と、感心を寄せるよりも前にかすかに聞こえる声があった。
だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。
コワクナイ。コワクナイよ――。
自らに言い聞かせるよりも確かな声。
こちらを言い含めるよりも、やさしい声。
不思議に、心の中にある芯が強さを増す。
危機的な状況は何一つ変わらないのだけど。
心理的な安定感が、嘘のようにその堅固さを増して構えられていく。
ねえ、ゆうちゃん。気付いたら、ずっといっしょだった。
折れた刃。すべる剣。弾かずに、逸らし続けるのにも限度はある。
ぐいと押し込まれた一撃が抱え込んだなつみの頬を目掛けていくのに、庇うように押し出した肩が裂ける。
何たる切れ味。痛みが破裂する。
防刃繊維なんざ意味ねぇじゃねぇか――。
噛み殺す苦悶を受け取り包むように、天使の表情がかすかに歪んだ。
まさか?と思う。
視線の中で苦い微笑を浮かべて、汝が罪を呼ばわる者は確かにこう言った。
ずっと。いっしょ。繋がってるよ。だから、さっきの海の底から出てこられた。
- 238 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:33
-
その響きに、体が熱くなる。
体中を巡る血液が、温度を上げた気さえする。
痛みを。気持ちを。弱さを。強さを――。
医師に言われたことが脳裏をよぎり。
そして、現実として起こっていたのだと思い知った。
近すぎる『同調』をもって、痛みまで分け合ってしまっているのだと気付く。
出会いのカタチは天使にとっては最悪だっただろう。
獣の補足用に使用する罠で捕まったのだし。
最初のころなんざ、獣と同じ扱いだったのだから。
そして。捕縛師という職業にとっては、情が移るなんて最悪のケース以外他ならなくて。
でも、もう。
今は少ない言葉でも通じてしまえる。
読み取るように。確かな糸をひいて。
思いが繋がっている。
痛むか?
平気。裕ちゃんに比べたら、痛くない。
気丈すぎる応答に、裕子のくちびるが薄い笑みを刷く。
扉を閉じる方法を思い悩むより、目先の痛みに耐えるほうが辛いだろうに。
切りつけられて溢れる捕縛師の血を指先に、断罪の天使は視線の彩を強める。
- 239 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:35
-
よし。いい子だ。
抱き寄せた髪をかすかにでもなぜる。
繋がっている。そう天使が言う。
脳内でのシミュレーションにかけられる時間はコンマ数秒。
繋がっているのなら…。
ソノテニアルモノヲ キョウユウデキルナラ
たった一つの方法も、不可能じゃないかもしれない。
それで不発ならば、もう自分も危ういだろうが。
『できるか――?』
否。
『それしか、ないのか』
思い。
重ねた視線のなかで、小さくても確かに、なつみは応じるように睫毛を一度伏せた――。
- 240 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:36
-
背後から切りつけようと大きく振りかざした刃。
確かに。今ならふたり同時に致命傷を与えられる好機。
「いつまで――!」
背中を向けている?
そう続くはずだった言葉は、不意に翻った体に押しつぶされて消える。
なつみを庇うために壁についた手に反動をつけ、捕縛師は王の胴体にからみついた。
一気に。天使へ向けて詰め込まれた距離をムリヤリに引き剥がす。
上段から振りかざした構えの隙を、真正面から突かれて床に転がりおちていく。
長い得物はこういうときに不利だ。
頬骨から殴りつけられる衝撃に判断よく得物を放り出すと、王はその腕をさえぎって応じた。
当然だろう。武器ならば媒介と霊質だけで量産できるのだから。
床の上で二転三転する優位性。
鈍い打撃音だけがイヤに響きつづける。
裂傷に打撲に。どちらの流血かわからないほど、赤が染み出して。
すでにまざりあった血の色は乾き始めて、その金の髪に白磁の頬にとこびりつく。
- 241 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:37
-
低俗な打撃の応酬に視界が明滅する。
それでも捕縛師は自分を失わない。
呼吸すら喉に絡んで、自分を潰そうとする。
チャンスなんて幾度もない。
逃してしまえば、それまで。
賭けには強いとは言えない。
でも。
その絶対的に迫る危機の、隙を見出すことにだけは、長けていたんじゃないか?
そう。
自分が生き延びるための、生存本能を表にした、戦いかたならば――――。
シャン。転がりざまに、刀の次に短い刃渡りのナイフを抜き出す。
もみ合っている今の状況を考えれば、得物を奪われる可能性も浮かんでくる。
それに実際に抜き出したところで、切りつけられるほどのテイクバックを取れるわけでもない。
発言する間など要らぬ。
勘付かせぬために。
一瞬を迎え入れるためだけに。
そのためだけに、動き続けよ。
- 242 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:39
- 貫き通す動作で突き上げた腕も、かすかな制動で避けられる。
腕をとられようと、後の手を失うわけには行かない。
クンと手の内一つで刃を逆手に変え、首筋の皮を裂くためにと照準を切り替えた。
それだってすんなりと受け入れてくれる相手ではない。
「どうした?もう打つ手が無くなったとか?」
ニ。至近距離で見るこの自信に満ちた笑みの魅力的なこと。
締め付けられる腕から握力がおちていく。
当然だろう。さっきまで刃を振るい続けた腕に、そこまでの力が残っているはずもない。
「手品のネタも、生憎、持ち合わせがなくてな」
ヤバイな…。そう思う間もなく、逆手にした刃が手の内から滑り落ちていく。
距離なく床の上へおちるナイフ。
ミシリと鈍い音をたてる腕。
どこまで耐えるべきか――。
「囮にできる」ものなど、「数」を持ち合わせていないのだから。
- 243 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:40
-
ふと、王様の魅惑的な笑みが再びその面に張り付く。
今まで力比べのように合わされていたもう片方の手を、瞬間的に緩めて殴りつけてくるじゃないか。
ッソ、容赦ねぇなコイツ――。
体の制動を見極め。
かすかに打撃位置を逸らしながら、ダメージを最小限に食い止める。
それだってマウントの下だ。
避け続けることの限界は近い。
早く手に取れ――。
さすがに両腕で塞がねばならないかと、肘でのブロッキングで打撃を潰す方法へ出た途端。
確かに。上から声が降り注いだ。
「どうしてもコレを使ってほしいらしいね」
クスリという嘲笑。
「いいよ。使ってあげる」
解いた防御から見える、銀色の鈍い光。
気配的に誰かがこちらに援護射撃をしようとする様子もない。
ならば。…持ち込めるはず――。
- 244 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:42
-
王様は愉快そうに大上段に刃を掲げ、今度は細工をせずに床へとその凶刃を突き落とす。
先ほど切り裂かれた肩先を再び裂くように。
その連なりになる腕を薄皮一枚でも断ち切るように。
ナイフの曲芸師が標的周りを埋めていくように、その刃がジリジリと捕縛師を追い込む。
まだ…。まだだ。コイツは自分の優位性を楽しんでいる――。
捕縛師の回避を必死のものだと思っているだろうか。
確信はもてない。
常人からはかけ離れるほど鋭敏になった動体視力。
そして、その感覚を利用して追いつける、この体に感謝せねばなるまい。
相手の優位を思わせられるほどの、紙一重の回避能力。
相手に合わせ、なおかつ自分の安全をギリギリに確保しなけらばならない。
キツイ――。
かみ締める奥歯にも力が入りすぎている。
額にした汗が滴り落ちるのも、気にとめられるものか。
そのときだった。
ガジィン。振り下ろした刃の立てる鈍い音に、後藤真希の眉が段違いにひそめられた。
「まだ、こんなものを…」
立て続けに刃を打ち込み続けたせいか、さすがに王の呼気は荒い。
- 245 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:43
-
腰元のホルダーに、最後の手段として取っておいたオモチャのような刃物。
武器マニアとしての代物だったが、持ってきて正解だった。
「往生際が悪い!」
使い道まではわからなかろう。
しかし、ここまでの乱打で、己が疲弊させられていることは解るらしい。
痺れを切らした王が、正面をきって大きく刃を突き出してきた。
大きな威力をつけるために、一瞬だけ重心が後ろに下がるのを見逃す手立ては無い。
なるほど。見切れるというのはこういうこと――。
蒼龍社の研究施設で武器屋にやられたことが、今ならよくわかる。
軌道の見れる刃に向かい、自分を飛び込ませ。
その驚愕に見開かれた目と表情を目の当たりにしながら、一撃を叩き込むその快心。
平拳を顎下に打ち込み、一瞬で距離を詰める。
打撃に歪んだ顔。急所よりズレたが、それでもかまわない。
そこに隙を見出し。
血に濡れた手で刃をなぞり、三角形の刃物を突き出す。
捕縛師の血を吸い取って鈍く染まった、意匠の事細かに施されたその紋様。
このナイフは突き通すための鋭利さに劣る。
切りつけるための長さに欠ける。
それでも、この刃にしかできないことが、ある。
防刃繊維は切りつけることには特化して対応するが、刺突には強度が足りない。
確かに。その刃は後藤真希の腹部へと達した。
- 246 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:45
-
が。
「浅い。浅いね…」
三角の刃の刃渡りは短い。
平たく言えば塗装材を整えるコテほどの長さしかない。
確かにその刃は肌を裂き断ち体内へと牙を穿っているが、致命傷とは程遠い。
「何かたくらんでるとは思ってたけど、この程度だったんだ?」
クツ。喉を鳴らし、腕を取る。
起き上がってもなお、片方の膝で座した体勢の捕縛師。
退くために半歩を退いたものの、間に合わずに一撃を甘んじた王。
二人の距離は絶対のもののように固まる。
「幻滅したよ、捕縛師さん」
捕縛師ののばした腕に両手をそえ、自らの体から刃を引き抜くために力を込めたとき。
「なに?」
訝しさに王の眉が歪んだ。
不遜にも捕縛師の口元が微かな笑みを刷いたためだ。
そして捕縛師はこう告げる。
主人が家臣の手を待つように。
従者の動作を促すように。
いや。同じ場に居る友に、その手を借りるように。
それを、よこせ。
と。
確かな声で。
- 247 名前:御使いの笛 投稿日:2008/10/13(月) 23:46
-
- 248 名前:関田。 投稿日:2008/10/13(月) 23:55
- 御使いの笛
25:その手にあるもの 更新しました。
脳内の画像を懸命に文章に落としていきます。
自分にしかできないので、
私がやるしかないのですよ(苦笑)。
>209〜215
更新待ちしていただいた方々へ深く感謝します。
すでに期待値は割ってしまっているかと思いますが、
書ききるまでお付き合いいただけましたら幸いです。
ではまた次回。
できるだけ近いうちに…というか、今回は開きすぎた…(惨敗)。
- 249 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/14(火) 02:21
- 待ってました、待ってました、待ってましたよぉ!!!
あぁ今夜は興奮して眠れない!続きが気になって眠れない!、です。
- 250 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/18(土) 05:17
- 放置する作者さんじゃないって分かってますから大丈夫ですよ
自分の納得のいく文章を書いてくださいね
- 251 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/30(木) 07:36
- 更新来てたヽ(゜▽、゜)ノ(遅)
作者様のペースでなんら問題はありませんよ
次回も楽しみにしてます
- 252 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/13(火) 03:27
- あけおめです。
今年も読ませて頂くのを楽しみにしています。
自分的には、続き気になるぅ〜、で過ごした年末年始でした。
実生活ではエルダの彼女たちもある意味ラストスパートですね。
自分は1回しか行けませんが、名古屋で彼女達に逢ってきます。
- 253 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/08(日) 12:49
- 続き楽しみです
更新待ってます(*^ー^)ノ
- 254 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 20:59
-
- 255 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:00
-
26:悲鳴
- 256 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:02
-
蠢動する白い繭。
強大な力を持ったままただ動かなくなった、天使という生き物の塊。
場を制圧するその存在は、再度、審判の扉の向こうで待機しているようにも見える。
異様な静けさを保った空間で、勇敢なる戦士たちは経過を見つめることしかできずに居た。
「…なんか、どんどん混ざってる」
不安げな柴田の声。
畏怖。畏敬。恐怖。戦慄。
ありとあらゆる恐れと敬いをもって見上げ、その力の濃度を思い息をつく。
「もうコレは個体じゃないな…」
「ちょっとどころか気色わるいわ」
大谷の呆れと、斉藤の本気で嫌がっている眉間のしわの深いこと。
白い繭。
その中は紛れのない、混沌。
混濁とも汚濁ともいえない可視の混乱。
いままで個体だった天使群が、今や一つのエネルギー体のように混ざり合って形をなくしている。
ところどころに顔のようなものが浮かんだり、手足のような影が見て取れるが。
なにかしら決められたカタチを形成しているわけではない。
人間の想像の範疇を超える現象に、生え抜きの精鋭たちも精神力を削られている様子だ。
幹部でさえそのモノを直視しがたいのだから、一介のポーンたちにはよほど厳しいだろう。
銃火器の細心の取り扱いにも身を削り、グラウンドの上へ座して動けない者も居る始末。
全体を見渡した上位天使がつぶやく。
「さすがに、人間の精神力でこれを見つめるのは厳しいか」
「当然でしょう。こんな。実体を強引につくりあげたものが…」
混ざり合ったりしてるんですから――。
吐き出した指揮官の声も、疲労でくぐもった。
- 257 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:03
-
人間に理解できようはずがない。
ただ集合しているだけなら、まだ現実的に思える範疇。
だけども目の前で起きている現象は一言では言い表しにくい状況になっていた。
人間の視力と表現で言えば。
一度個体になった天使が、再度エネルギーに還元されているように見える。
繭玉のような塊の中で、ひたすらに蠢き、個体によっては周囲のエネルギーを食い散らかしているものもある。
暴虐に向く力の動きが閉じ込められることによって、同類へ向いていると思ったほうがわかりやすい。
内側へと渦を巻く力。
塊を形成している羊膜のようなカタチが崩れたらどうなるか。
「これでこの制御が崩れたら…とか、考えないほうがいいんですかね」
あまり考えたくないのだけども。なんてことを言いながら、顎をひとなで。
「…考え始めているなら、そんな伺いは立てないほうがいい」
こちらを見もせずに、上位天使は声をひそめた。
「おっしゃる通りで」
恐縮しながら再度世界を見上げる。
- 258 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:05
-
ここにある最上位個体を思う。
通常をたもっている状態でなら、天使は暴れない。
階級が絶対として縛り付けている、天使という生き物の功罪である。
では。その制御が崩れる時が、どういう状況かを考えなければなるまい…。
可能性が無いわけではないのだ。
自らの使命を忘れ、ただただ存在の危機をして逃れるために、暴れるということも。
あの繭玉の中で起こっている現象を思えばいい。
今この瞬間も下位の天使は単なるエネルギーとして、少しでも階級が上にある個体へ吸収されている。
その逃げようとする力も吸収するための念意も膨大だが、羊膜の一枚に隔てられており外部へは影響が無い。
力の大樹から放たれて使命を尽くすために動き始める彼らのこと。
その使命を終えることなく食われてしまうとなれば、存在意義を果たすために恐慌的に逃げ惑うだろう。
もし。この現象が漏れ出したらどうなるか。
想像するのはたやすい。
人は否応なくそのエネルギーに巻き込まれ、中てられる。
下手をすれば脆弱な魂ごと「アチラ側」へもっていかれてしまうだろう。
- 259 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:06
-
増強のために。
この小さな魂の霊質までも、彼らは持ち出そうとするはずだ。
思いついたのはただの比喩表現なのに、背中に怖気が張り付いた。
目の前にある力の濁渦を、ダムでせき止められた水とする。
堰き止めるダムが決壊すれば、水は下流の何もかもを流し去るエネルギーの奔流となる。
たとえ話でしかない。
でも、この例え方が、一番近い――。
薄皮一枚の崩壊にあわせて、ありったけの弾薬をぶち込むくらいしかこちらには策が無い。
しかし先刻の一斉掃射で、弾薬のストックも底が見えている。
遅いな。ちょっと遅い。
五分近い時間が経過しているにも関わらず、まだ援軍と恃んでいる人物たちはこない。
焦燥感など無縁の外見とは裏腹に、内心繊細でピュアな乙女なのだ。
間違っても口にしたりはしない。断じて。
どうせツッコまれておしまいなのだから。
こく。言葉ごと息を飲む。
- 260 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:07
-
思考の裏を返して疲労が濃度を増した。
そうか。まだ、五分程度しか経過してないのか…。
「最上級の武官であるあなたが、太刀打ちできるレベルで済めばいいんですけど…」
やりきれなさと一緒に吐き出して、思わず隣を見てしまう。
「ここまでしておいて最後に人任せとは」
くつり。微笑みは薄らと気配を解く。
この人…や、人と言うのも語弊があるが。
この天使でも洒落が通じるのだなと、再度感心する。
その内心がわからない苛烈なる王の怒りではない。
ふむ。と一つ肩を竦め、
「どうせ、幾重にも思考は重ねているのだろう?
それでも追いつかなければ、手助けくらいはしてみせよう」
――人の優しさを、君たちからも見せてもらっている。
こっぱずかしい発言を笑顔で包んで、皮肉のソースそえで差し出す。
天使から切り替えされると思っていなかった社長は、飲み込みきれずにムグと口ごもってしまうだけだった。
- 261 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:08
-
- 262 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:09
-
「停まった…?」
ダラリと腕が下がる。
速射の反動ですっかり握力がバカになって、指先を少しも動かせる感じがしない。
二の腕から肘、末端までが痺れきって棒のよう。
よく得物を取り落とさずに済んでいるもんだ。
「停まっただけでしょ。どうせまだ続くよ」
放り投げるように言い放って、小さく肩で息をするバディ。
いままでもこれからも、ただただ淡々と刻むだけだというように。
彼女は平然とした顔で肌に浮いた汗を拭う。
張り付いたサイドの髪の毛も気にせずに、片手にしていた銃火器を一度持ちかえた。
「たぶんだけど…、コノ辺が一番キツイと思うんだよね」
――天使の数。二人で対応できるもんじゃないよ。ホントなら…。
ポツリ。呟かれた言葉の中に、小さな苛立ちが見えて。
視線だけで表情を追えば、「よっちゃんの配置より、総裁に近いし」と投げる。
- 263 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:10
-
そういえばそうか。自分でさえも総裁の『正体』を知っている。
自分より近い位置に居た騎士が、知らないこともないだろう。
思い出して素直に怖くなる。
強烈な霊質と美しさに、自分の意識は一瞬で凍りついた。
あの人が引き寄せるのなら、異形はねじ伏せられるように従うだろう。
異状な話のはずだけれど、それを是として受け止められる。
あの人は存在自体が違うのだと「知って」しまった自分が居る。
背筋を寒さが覆う。
「呼び寄せる途中ではぐれたのが今までの量なら、やっぱり尋常じゃないのか」
「そういうコト」
軽い相槌に見え隠れする呼吸の乱れに、その疲労を感じ取った。
思い返す。
よくまぁ。ここまで生きてこれたと思う。
ゲームソフトやシミュレーターでもこんな大量の標的は現れない。
小さく吐息を吐き出して、再度周囲をあらためる。
そのときだった。
- 264 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:12
-
「それにしたってアンタさぁ…。
解っちゃいたけど、ほんっと基礎能力だけでココまできたんだね」
と。えらいしみじみとした音声を、最凶の騎士がこぼした。
預けた背の筋肉の動き一つで腕の角度を修正されては、もう参るほか無い。
ほんとうに。この騎士はどこまで強いんだろう?
と考えたくもなかった野暮なことが頭をよぎった。
その強さ。その凛々しさ。
場の支配者としての個体――あくまで人間としてだが――。
そのすべてに新たな敬服とを抱こうとしていた矢先だ。
こんなことを呟かれては本当に泣けてくる。
「今そういうことを言うかなぁ!?」
「ね。こんな、負けんは気強いのに」
追い討ちかけんのかい…。
あぁ。痛覚麻痺させてたのにマイナス因子が痛みまで連れてくるじゃないか。
シンシンと胸に奔る痛みのために自らを落ち着かせるけれど、ちょっとヤバイかも。
「なに。あまりの切なさに胸が痛い?」
あまりの痛みに頭を下げたら、頭上から揶揄するような軽い声。
「すげー痛いよバカ!」
ガウル!と噛み付くように叫んだら、吸い込んだ息が無い胸に障った。
おぉおおぉぉぉぉ。と、鈍い唸り声が喉からひねり出てくる。
- 265 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:13
-
生きながらに五寸釘を打ち込まれたらこんな痛さなんじゃないか?
とイヤな例を取り出したくなるくらいの激痛。
思わずしゃがみこむのにも、目の前のバディは動じずに視線を下ろしてくるだけだ。
わかっている。
きっと彼女は、自分のためには膝をつかない。
自分が死んだときに、初めて両膝をついて嘆き、抱きしめてくれるんだろう。
ベッドで存在を確かめるような方法じゃなくて、きっと慈しみの気持ちで抱き上げてくれるんだ。
ちくしょう。毒づいてでもここで倒れこむわけには行かない。
まるで老年ボクサーの復帰戦のような惨めさでも、立ち上がらなければいけない。
そうだ。
最後には八百長とも思えるほどの、呆れるくらいの劇的さで勝利を収めなければ。
この状況で生き残るって、それくらいのコトなんだ。
痛みと疲労に削られた頭脳でも、ちゃんと把握できている。まだ、大丈夫。
「でも、修正したらすぐに直るじゃん」
懸命の姿さえ褒めることもせず、亜弥が言葉を紡ぐ。
応えるためにも激痛と困難を乗り越えているというのに。
温かみもなく当然のように言われては、普通だったら…相手はもう蜂の巣だ。
自分以上の生き物。
きっと。本能的な立ち位置の差程度でしかないのだけど。
- 266 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:14
-
服従ともまた違う。
畏敬、敬愛であり…。
「……。生死に直結してるなら、直さなきゃ死ぬんだし」
――普通の教師の言い分なら聞かないよ。当然。
ゆらりと湯気すら立ちそうな嫌がり方で、美貴は言う。
「そういうこと言ってるから」
成長しなかったんでしょ?――と呆れる声を追い越すように、
「…亜弥ちゃんだからだよ」
ポツリと言いこぼしたところで待っていたのは、何か珍しいものを見るような円い瞳だった。
自分の苦く歪んでいた視線が、彼女の得心したような目にどう映っているのか。
なんとなくでも理解してしまって、何もかもを追い越すように告いだ言葉が脳裏を走っていく。
これは失態になるのだろうか。
あぁ。なんか、こういう場所で言うわりに、顔から火を噴きそうに恥ずかしい。
これではまるで告白だ。
一介のポーンだった自分をひょいと抓みあげた彼女に、「答えた」ことなど無かった。
言葉でそれらしいものを紡いだのは、それこそ今この瞬間が初めてで――。
逡巡の様子も、きっと中身もわかるのだろう。
まじまじとこちらを見る表情が、どこかくすぐったそうな笑顔に変わる。
少しイタズラな。どこか企み気味な。
少女の表情。
きっと彼女自身の気付いている、魅惑の一つ。
- 267 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:16
-
「い、今のナシ!」
咄嗟に言い放ってみても、彼女は動じないし。
自分でも頬の熱さが解るほどに照れが全身を覆っていた。
そんな優位性をみすみすと手放す亜弥じゃない。
手にした立場を最大限に振りかざして、口角を持ち上げた。
「やだ。忘れない」
――ずっと覚えてる。
あー。いいこと聞いちゃった〜。
浮かれた声をあげて、にんまりとした表情を隠すように背を向ける。
ジャコ。浮ついた気配をまとったままで、彼女が銃器のカートリッジを交換する。
これで何本目だろう。まだ、備えていなければならない、果てのなさに目眩すらおぼえる。
肘から曲げた手はふざけたようにチャっと銃口を天へ向けた。
わざとらしいポージングなのに、背中にあるのは凛とした気配。
不意に強さが増して目を瞠った。
ずるい。ほんとうに彼女はずるい。
自分の存在が、彼女を強くすると――錯覚したくなる。思ってしまう。
一瞬でも素直に泣きたくなって、口元が歪む。
軽い言葉を綯いで戯れて。仕事では刹那的に命を賭けて。
本気じゃなかったコトなんか無いはずなんだけど、その気持ちをお互いに示したことなんか無くて。
なのに。今、この瞬間に、何かが報われたように胸を満たしている。
修羅ばかりの闘するこの場で、初めて糸が紡がれたように。
- 268 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:17
-
「これで満足なんてしないからさ」
まるで散歩についてくる子犬を確認する程度の振り返りかたで、こちらを見て声を放る。
ほれ拾え。やれ拾えと素っ気無く聞こえるけれど、声の中にある「情」は手渡しのように温もっていた。
「これでもけっこう欲深いほうだし、私からは何も言ってないし」
参ったな。生き延びてからの楽しみが増えたってことは、ホントにくたばれないんじゃんねぇ。
自身を立ち直らせるように、彼女が微苦笑う。
全部が計算じゃないだろう。
でも。くすぐるように。誘い込むように。
彼女の声が一歩を踏み出させる。
「ほんっと…」
ズルい女。
くっと持ち上がる口元を隠しもせず、視線も外さない。
「なに?何か言った?」
聞こえてたってそういうでしょうよ、今のあんたなら。
「や。なぁんにも」
笑ったまんまで返して、自らも銃火器のチェックにかかる。
そのままの動作で、こう付け加えた。
「私はその期待にそえる、イイ女にならなきゃいけないわけでしょ?」
そして彼女はくるりと振り向き、
「ふむ。解ればよろしい」と気分よく眉を持ち上げた。
- 269 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:18
-
- 270 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:20
-
「それ」を、よこせ――。
「それ」という言葉が何を指すのか、言われなくても彼女の思い浮かべているものがわかる。
どういう思惑で?どういう目的で?とか、手段は?なんて、そんなことは愚問だ。
訊ねなくても知れる。
確かに。今、自分と彼女の糸が繋がっていると、そう感じている。
この距離をどうするのか?という当然の疑問すら、お互いの中には無い。
方法ならば、目の前の人物がずっと見せてくれていたのだ。
同じ手法を取ればいい。
媒介と、霊質があればいい。
自分という存在を通しダイレクトに取り出せる大樹の力――その「力」があればいい。
感覚を共有するほどの、深すぎる同調。
天使である私が、彼女の体をとおして行えば済むこと。
きっと人間の体には、大きすぎる付加だけれど。
彼女が行うのだと結んだ決意を、この私がどうして拒絶できようか。
天使はその手に、思う。
イメージから視界を得て、拍動と呼吸…血液の流れすらも感じ取れる。
この手の温度と、彼女の手が重なる。
私の頭を撫でた手。
苦笑いながら。戸惑いながら。
拒絶と懊悩。受諾。承諾。噛み砕き。受けとめ。
すべてを独りで抱きしめていた手。
今は、優しさよりも厳しさと強さを湛えた手。
命のやりとりを知っている、誰よりも生きることに厳しい、夜の色をした王様。
剣の重さ。長さ。何もかもの形状。
その鋭さ。
大元に振るう姿が存在の対なる者であればこそ、自分のことのように思い出せる。
苛烈なる王の怒りがこの身に渡していったものを、王の手に差し出す。
媒介は短い刃。そしてこの血液。纏わせるのは――。
- 271 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:23
-
「な…んだ?」
驚愕に声は上ずり、痛みから語句が鈍る。
深く確かめるようにつかれた息に、苦悶と血が混じる。
通常であれば、致命傷。
さて。どうだ…?
「イチバチだったけどな…」
ふぅ。と深い息を吐き出し、ようやく手にした一打を、柄へ力を込めて留めた。
優位を放してはいけない。
ここが、分岐になる。
最上位の天軍の武官が手にしていた剣。
その形状。重さまでははかれなかったが、尺も鋭利さも記憶に留めるくらいはできる。
霊質を手にまとうのと感覚的に大差ないことに驚きはあるが、この程度の驚愕なら重ねすぎて麻痺してしまった。
やり方ならば目の前の人間がずっと手本をしめしてくれていたのだ。
血中の霊質を刃へ添付し媒介となす。
あとは、なつみの開けた扉のむこうから、純粋に霊質を取り出して変換すればいい。
人間の体に無理を承知で、この手に現した。
ホントウニセイコウスルトハオモッテイナカッタケレドモ――
…それだけ根深いってことだな。この同調が……
天使の霊質と自分の体が呼応している証拠。
体全体を貫くようだった熱が、軽い疲労を全身に埋め込んでいる。
手に陽炎のように纏わせる程度とは、エネルギー量がまったく違う。
視界の内側。
確かに。
後藤真希の腹部を、長剣が刺し貫いていた。
- 272 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:24
-
刀身はすりガラスのように半透明。
まるで特殊な水晶を研ぎだしたかのような刃先が、鈍い光をもって存在を誇示する。
生ぬるい赤をしたたらせて。
ハ。と呆れとも苦悶ともとれる息を吐き、堕天使はその手を捕縛師の握る柄へとのばした。
「まぁ……、よくも……。
苛烈なる王の怒りの手渡した剣を、血中の霊質から転送…顕現したか……」
ソウ、ヨクモ。ヒトノ、カラダデ………。
血液でさえも飾りのように艶を持つ。
歪んだ唇は怒りと愉快さとを絶妙に孕んで、笑みのカタチを刷いた。
「このダメージは久々だ…」
あの時は弾丸数発だったんだけどさ。
ぐ。と抗いがたいほどの力が腕にかかる。
刀身は中ほどまで体を穿っていて、引き抜こうにもすぐさまとはいかないだろう。
どうするつもりだ?こちらの腕ごと潰すのか?
この一手を絶対に放せない捕縛師を、極度の緊張が支配する。
が、聞こえたのは苦悶よりも平坦な声。
「参ったね。さすがに、毎度の手品とはいかないらしい」
- 273 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:26
-
っ――――
確かに鋭利。
あらゆるものを切断する力を持っているだろう、天軍の剣。
通常なら悲惨極まりない状況を見せるだろうに、内臓自体はひっかからずに済んでいる。
おびただしい量の血液。
破けた外套と防刃素材のインナー。
食いしばられた歯が、歪んだ表情が、その苦痛を顕にする。
遠心力のない状況で、刃がギリと繊維を断ち切る。
抗い難いほどの力で捕縛師の腕を掴んだ後藤真希の選択。
それは、自らの体の外へ向けて、刃を凪ぐことだったのだ。
「っああああああああああああああ!」
あまりの絵に瞠目する捕縛師から、脚力一つで間合いをあける。
口腔にあふれた錆び付いた味を吐き出し、絶叫とも怒号ともつかぬ叫びをあげて自らを律する。
不意に元騎士たちを襲っていた影が減り、その霊質を変換するのか、傷を庇うようにその手でふれた。
ズルリと血で手のひらがすべる。
捕縛師の得物のせいか、王の思うほど簡単には傷がふさがらない。
- 274 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:29
-
「反射速度がねぇ、おかしいとは思ったんだよ」
それも随分はじめの頃にね。
嘲るように吐き出して、王は捕縛師の手元を見据えた。
「捕縛師なんてのは確かに、人間の能力を最大限に使えなきゃいけない職だ。
それだってね、今まで覗かせて採取したデータも、人間としての最大値でしかなかった」
しれっと言い放って再度傷口を撫でる。
一度、二度ではふさがらないらしい。
なんというダメージ。
脳内で盛大に舌を打つ。
牙はなくとも天軍の武官という腕は落ちていないらしい。
目の前の捕縛師にこちらのダメージがわからないわけでもないだろう。
目も、耳も…五感すべて、それを上回る何かすら人間ばなれしている。
よくない。初めて思う。
これは危機的な状況なのだ。
「悪趣味な」
ようやく自らの立場を取り戻したのか、捕縛師は長剣の柄を握りなおした。
「覗き趣味は今に始まったことじゃないけどね」
手薄になったところで余裕が生まれるのか、元騎士も毒づく。
言うようになった二人を鼻で笑って、憶測を言葉にのせた。
- 275 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:30
-
「おまえ、天秤と同調してるのか」
この憶測が確信にかわるのなら、現在の状況も理解できる。
自分のように出生時から癒着している体でないなら。
霊質に聡い理由を考えられる原因は一つだ。
何らかの事由によって、捕縛師の体内に天使の霊質が滲入。
そのまま感応及び呼応を引起しているということなのだろう。
二重の思考から天使を引き上げるたのは、目に見えない二人の同調のせい。
深く閉じ込めていたはずの汝が罪を呼ばわる者の自我を、内側から呼び覚ましたのだ。
天秤のそばに立たせた偽りの影は、同調した捕縛師本人の呼びかけに霞んだ。
すり替えようとした偽りの記憶。
捕縛師に打ち据えられ、こちらが保護したことにするはずだったのに。
道理で。成立させられないはずだ。
磁石の間に下敷きを挟んでみても、磁力は引き合うよという小学生の授業そのものだ。
腹立たしい。
そして、今のこの苛烈なる王の怒りの剣の再現。
何の打ち合わせもないはずの状況で、ここまでの顕現がなされるということは。
ついさっき壁面へ追い込んだときに、きっとゼロ距離での会話が交わされたのだろう。
天使に音声は必要ない。感応があるのなら、捕縛師からの「言葉」も要らない。
高確率で同調しているらしい目の前の二人でなら、容易いこと。
…腹立たしい。
非常に腹立たしい。
最初その憶測にたどり着きそうだった自分を、否定した自らにも腹が立つ。
何もかもの可能性を否定することは良くないと、そう知っていたにもかかわらず、だ。
もともとの能力と、天使の霊質の同調。
なるほど。コレも、人としては異端なのだ。
一撃ずつに反射を早め、順応してくる異端の獣。
早く気付けばよかった。
遊んでいられる相手ではなかったことに――。
- 276 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:31
-
しかし相手は天秤だ。
力をこの世界に放つための扉の鍵。否、それこそ扉そのもの。
直接力の樹と繋がっている個体だと言うのに。
その天使と同調して壊れない人間なんぞ、それこそ…。
「自分で思わないのかな、気色悪いとかさぁ。
血液から侵されてなきゃ、そこまで同調できるわけないのに」
蔑む視線でねめつけながら、幾度目か腹部を撫でる。
「それに、下手したら霊質の強さで…」
医師から言われていた例文そのものの揺さぶりに、捕縛師はクツリと喉を鳴らした。
「残念だったな。こっちは主治医に言われて承知の上だ。
その程度の揺さぶりじゃ効かねぇよ」
それに。と付け加えながら、捕縛師は切れ味抜群の剣を構えなおした。
正段に。小細工もなにもなしに。
「あんたと遣り合ってる時点で、人間の枠は超えてるんでね」
否定のない言葉に、表面を取り繕いながら、憶測を理解へとすりかえる。
通っていた医者というのがデータベースに捕縛師のデータを置いてなかったということか。
そして、捕縛師も「同調」していることを知っていたわけだ。
深度はどうあれ……というところだろう。
重ねて腹が立つ。
「あー。そういう言い方するんだ。くやしいけど納得しとくわ」
戯言を紡いで、ようやく傷がふさがる…か。
王が苦々しく奥歯を噛む。
痛みが引かない…。
霊質が足りないのか、それとも――?
脳裏によぎる思いを振り切るように、前者を選択する。
- 277 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:34
-
そして、選ばなければいけない手段を、絞り込んで引き出した。
足りない霊質を補うために。
「けっこう最終手段だったんだけどなぁ、コレだけは…」
――ホントにバケモノっぽくなるからさぁ?
これ以上の状況があるのか?という目を向けられ、ふんと小さく嘲笑う。
「あんたの奥の手がソレなら、こっちはまだ手を出してないんでね」
不敵な笑みを刷いて、フシュルと息を一筋に吐き出す。
「扉を開けさせた今だからできるんだけど…さ」
ゾロリと翼が蠢く。
六枚羽の洗練された均整が破れていく。
一対は醜怪に、まるでかぎ裂けのできたこうもりの羽。
みずぼらしくも見えそうな漆黒の外套は、すべての闇を塗りこめたようにぬめっている。
まるで焼け焦げた英雄の外套のごとく、壮絶さを美として象っていく。
一対は純白の天使然りとした美しい翼として存在を増す。
そうして。最後の一対は、まるで光の糸を綯うかのように、縦横に毛細血管のように光の管が編まれている。
翼とも形容し難いその光が、ゾロリ、またゾロリと蠢いて王の体を包み込んでいく。
光で編まれた透過性のある繭だ。
まるで、内側で力が渦を巻くかのような―――――。
「やっぱり霊質もコレッポッチじゃ足りないか」
独り言のようにこぼしてから、彼女はゆっくりと口角を持ち上げた。
そうして一度だけ、チロリと舌を覗かせる。
かすかにこびりついた血液の赤が、いやに艶かしく、その笑みを欲深く見せ色濃く脳裏に残す。
- 278 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:35
-
「ほら、この世界にも食物連鎖ってあったでしょ?
生態系の意味を成さなくなった今は、この例えも微妙だけど」
絶対階級の天使が適用できないはずがないってね――。
今までの余裕だけが打ち棄てられたように、ただ硬質な音声が耳を通り抜けた。
誰の耳にも違わず、確かに同じ音を届けて。
これまでの状況でさえも異質異常と思っていたが、さすがにこの怪異は目に余る。
「これ以上はさせないよ!」
唯一応戦できるだけの状況を保つ武器屋が次元弾を撃ち込む。
しかしそれも、漆黒の羽がその鉤裂けを大きくするだけで損害は無い。
それどころか行動を読んでいたかのように、完璧な防御がなされてしまう。
さっきの合成獣の話が、彼女に霊質のインスピレーションを与えてしまったのだろう。
捕縛師さえも、次の太刀筋を失ってしまった。
ただ見ているだけでもない。
しかし剣を振りつけて繭を叩くにも、深く切りつけることができない。
ハタと思惑に気がついたのか、今まで壁に張り付いていた天秤が大きく慌てる。
本能的な戦慄からか、心話よりも音声を選択しようとしているあたり、彼女の混乱が見て取れた。
が。言葉は喉を通らない。
そこまでの、永遠とも思しき一瞬。
――二つ名の方、それはなりません!
声にならずに居た思念が、絶叫となって溢れる。
天秤には確かに見えたのだ。
かつて二つの名前で呼ばれた最上位の天使が、自らに施そうとしている術が。
- 279 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:37
-
光の斜幕の内側で、笑顔が紡ぐ。
「足りないんなら、喰らえばいいだけの話でね」
回復と、増長と。
できることなら、再度天使の指揮系統が掌握できればいい。
思惑は幾重にも重なる。
無明の笑顔がもつ彩を、武器屋の放つ銃弾の穿つ空間がかげらせる。
なおも銃弾を放つのは、少しでも間が開けばいいと心のどこかで願うから。
できたら。悪い予感も一緒に消えてくれればいいと思っているからなのだが。
「後藤!」
そんな希望を持つ余地もない。
切羽詰った武器屋の声にも、応えるのは視線だけだ。
まるで。怒られるのが解っていたような、怒られたがっているような……視線だけの応答。
「止められるなら、止めてごらん」
さすがにもう、そんな手もないでしょ?
そう。手に入るのなら、最終手段のソレも手にしてやる。
――扉ノムコウノ、力ノ大樹マデ…。
ただただ、あの時一度で裁きが終わっていれば、こうなることも無かったはずなのにね。
ふわりと思い描き、微笑み、そして紡ぐ。
「禍き者への裁きと呼ばれし
汝らの使徒 天の座における長兄が求むる」
――裁きの時だ 諸兄よ その身を吾に差し出したまえ――
- 280 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:39
-
ぞっとするほどの魅惑的な笑みと、その自らの頂点にある立ち位置を失わぬ声。
コールされた言葉は他でもない。
階位で縛られるものたちへの絶対の命令。
本当に階級の近い者や特別な位置取りの者以外は、従わざるを得ない呪言同様。
「なつみ!?」
捕縛師の視界の端で、天秤が耳を塞ぎその場に膝をつく。
聞こえてきたのは途方もないほどの、膨大な音量の怨嗟。
声にならない、悲鳴の渦。
ナゼイマサラ? ドウシテ? マダナニモオエテイナイ!
ナゼダ? ヨビダサレナケレバクワレズニスンダノニ――――
オマエノセイカ? オマエノセイダ!
タスケテクレタスケテクレタスケ……ッッ
フタツナノカタヨ、ドウシテ――?イママデドチラヘ…
絶望と懇願。
かつて裁かれる側であった人間が抱いた個体主義的な「エゴ」を、存在を許されたばかりの天使が嘆く。
何一つ果たされていない使命。
果たせない内に食われてなくなる、自分という存在。
取り込まれたくない。
でも、その望みは叶わない。
妄執に取り付かれた堕天使には、くもの糸ほどの慈悲もない。
- 281 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:41
-
階下にあったのだろう手近なものが、いよいよと餌食になっていく。
王にすれば光の内側は繭のようだが、天使の成れの果てとしては半透明の檻であり、悪夢の一語だろう。
フカァと深い息を吐き出し、素材を確かめるように瞼を閉じる。
圧として王へ向かう力は感じるが、通常の視力でうかがい知れる物事ではない。
「ん。こういう感じね。上々だ」
――私を覚えていてくれてるようで嬉しい限りだよ。兄弟。
満足そうに力の充足を感じ取りながら、再度刺し貫かれた腹部を撫でる。
すでに痛みは薄い。これなら、もう気にすることもない。
存分に暴れられるだろう。
千変万化。
まるで次元ごと摩り替えるように、容貌が変わる。
黄金の髪を。
亜麻の色に白銀の虹彩を持つ長い髪を。
その長ささえ留まらずに。
纏う色そのものを鮮やかに変えながら、王が笑う。
ばさり。
繭玉をつくりだしていた光さえも、外套のように優雅に展開する。
「そっちも得物に不足はないだろう?今度こそ、たたっ斬ってやる」
充填した霊質を再度剣へと構築、捕縛師の持つ刃へと打ちつけた。
金属ではない刃の奏でる、透明でありながら物悲しい剣戟がフロアを埋め尽くす。
階級的に従わなければならない、天使の宿命であり、使命。
今まで呼び起こされていた下級天使が、吸収されるためだけに、一つところへ集められようとしていた。
- 282 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:42
-
「なにこれ、なんなの?!」
そして、その階下に響いたのは怯えた高い声。
一瞬止まっていたはずの天使の顕現が再び始まった。
しかし、始まったのはよいが、どこか毛色が違う。
さっきまで見境なしにこちらを攻撃していたのに、逆にこちらにはかまいもしない。
不安になるのも当然だ。自分にだってこんなものは未知なんだ。
城壁は必死に声の主を腕の中に捕まえる。
万が一の被害を自分だけになるように少女を庇った。
見れば今まさに屠ったはずの天使の霊質の粒子が、何かに吸い寄せられるように天井へと消えていくじゃないか。
慌ててゴーグルの視界を切り替えると、まるで霧のように部屋全体に霊質が満ちているのがわかった。
消えていった天使の霊質の残留物程度だろう霊質さえも、靄のようになって天井の上へ吸い上げられていくのが見える。
それどころか、顕現するはずの天使すら強制的に吊り上げられていくようにも見える。
ゾクリとした悪寒。
背中に張り付くのが感覚の生み出すものなら、これは恐怖とか畏れとかいう類のものだろう。
認めたくはないが、まるで…上の階に呼び寄せられるように見える。
「ごっつぁん…」
思わず呟いて、奥歯を噛む。
- 283 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:44
-
最初は豪胆なだけの同期だと思っていた。
会社の上層部へ上がったときに、実は社長の一人娘だと周囲から耳打ちされた。
でも。もうその時には友人だったから、そんなことはどうでもよかった。
非番の日には遊びに行ったり、彼女のプライベートルームで一晩明かしたりもした。
ただただ。どこか孤独な部分を似通わせた、気の合う同僚と思っていたのだ。
しかし、あるときになって、事件は起こった。
そう。一夜のうちに繰り広げられた社長の惨殺事件と、同役の交替劇。
あの夜から、彼女の気配は一変した。
TSSPという会社の存在も、だ。
『目が覚めただけだよ』と笑った彼女は、心に蓋をしたように、鮮やかには笑わなくなった。
その代わり。シニカルなくせに目が離せなくなるほどの、不遜な笑みを手に入れていたのだけれど。
天使を集めて世界をひっくり返すなんて、九割冗談なんだと思ってたんだよ。
だけど。その目があまりに真っ直ぐその目標を見てるから、冗談でも手伝ってみようかと思ったんだ。
自分も、決して手に入らないはずの物を、諦めていたし。
その目が映しているものが、何なのか、確かに興味もあったけど……。
- 284 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:46
-
「ねぇよっすぃー、なんか聞こえる」
思考をまわしていると、ぐっとジャケットの胸元を握られた。
縋りつく手と声と。さっきまでの強さが翳っているのに、さすがにこちらも不安になる。
「聞こえる?」
言われて耳を澄ましてみるが、ひとみには聞こえるものはない。
しかしゴーグルの内側、一瞬で超濃度の霊質の塊が床から天井を突き抜けていくのだけが見えた。
まさか。と思う間もなく、
「すごい嫌がってるの。イヤダ、タスケテクレ――て。っ」
そこまで言って、腕の中の矢口真里が頭を抱えた。
声になりきれない悲鳴をあげて、うずくまると、その「聞こえぬ大音響」に意識を奪われまいと必死に耐えている。
天秤のそばにもっとも近く、長く居たせいか、霊質そのものに敏感になっていたのだろう。
本当に、呼び寄せてるのか…。
あの沢山の後悔を呼び覚ます幻が天秤の計測ならば、この霊質の移動こそキミの仕業なんだろうね。
そこまで思いついて、小さく息を吐く。
――…わるいね、ごっつぁん。やっぱ手伝いきれないよ。
この腕にあるものを手放してまで、生きることを放棄するなんてできやしない。
- 285 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:48
-
そっと膝をついて、少女を抱き起こす。
「マリィ。天使の時につかった霊質の中和剤、希釈してるんだけど。
これを投与することで、一時的に高くなりすぎた霊質を下げることもできる。
高濃度の霊質に対しての、予防措置にもなる。
でも、対人間だとね、副作用も出ないわけじゃないんだ」
――それでも打たないよりマシだって、きっと解ってくれるだろう?
生憎投薬用のカートリッジは一本しかない。
半分ずつの投薬でも彼女の体には多くなるだろう。
感染症のリスクも、投薬のリスクも、自分が受けるほうがマシだ。
空気を抜いて、まずは少ない量を彼女に投薬する。
針の打ち込まれる小さな痛みも、今の彼女には遠い。
同じ器材で自らに薬剤を投与し、カラになったカートリッジを投げ捨てる。
シャンというアンプルの割れる音も霞む。
濃すぎる霊質のうねりをゴーグルから睨みつけた。
「キミだけでも護ってみせるよ。
まだ始まってもいない…って、それだけで嬉しかった」
そう思ってくれたことが、嬉しかった。
聞こえるか聞こえないかの音量の、小さな呟き。
精一杯の祈り。決意と、重なる思い。
屑折れる体を、意識を保つように引き寄せながら。
逆流する流星群のように吹き上げる霊質に身を晒し続けていた――。
- 286 名前:御使いの笛 投稿日:2009/02/10(火) 21:49
-
- 287 名前:関田。 投稿日:2009/02/10(火) 21:52
- 御使いの笛26:悲鳴 更新しました。
今回は場面場面リアルタイムでお届けです。
三台ほどのモニターで、それぞれ一度にお楽しみください。
って、ムチャブリがすぎますねw
エルダの卒業公演も終わってしまいましたねぇ。
三月末までに本筋を終えたいな…と思いつつ。
再度筆をすすめていく次第。
ワンシーンずつ楽しんでいこうと思います。
- 288 名前:関田。 投稿日:2009/02/10(火) 21:55
-
では久々にお返事をば。
>249
眠ってくださいねー。
更新速度が速くなることもないのでw
前よりは眠れぬ夜も短かったかと思います。
次回はもっと短いと思いますので、またよろしくお付き合いください。
>250
納得。というか、
そのときにはベストという感じでしか居られませんが。
昔の文章の硬質さは今は見当たらなかったり(苦笑)。
できるだけのラストにしたいとは思ってます。
映像だけなら頭にすでにあるので。えぇ。
>251
はい。更新してました。
マイペースが過ぎて申し訳ないです(苦笑)。
それでもお付き合いくださる読者さんのおかげで、
どうにかここまで進んでこれた気がします。
もう少し、もう少しだけですがお付き合いください。
>252
すでに節分過ぎましたが(殴)、今年もよろしくお願いします。
名古屋の応援席も楽しかったようですね<エルダ
幸い中野単体も合同コンも参加できました。
なんか、単体コンはえらいいいもん見た…と思えました。
そういう気持ちも感謝と一緒に還元したいものです。
>253
お待たせしましたー。
コメントいただいてすぐさまの更新ですが、
すでに熟成中だったので急かされたわけでもありませんので。
待っててよかった!って言ってもらえるように頑張ります。
では次回更新でお会いしましょう。うふふふ(謎笑)。
- 289 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/11(水) 00:56
- 更新お疲れ様です。
毎日毎日楽しみにしていた続きを、液晶画面まで15cmで"ガン読み"しました!
ラストに近づいてもなお、次々と新たに物語が展開されて、さすが!です。
作者様の脳内映像をぜひ覗いてみたい〜、と毎度思う私です。
次回、近いうちに読む機会を下さるようで、楽しみに待たせていただきますね。
- 290 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/19(木) 10:57
- 更新お疲れさまです
次回も楽しみに待ってますね(^∀^)ノ
- 291 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/27(月) 00:53
- 続き楽しみにしてますね
- 292 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/12(金) 10:28
- まだかなまだかなぁ
- 293 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 00:14
- 読っ、読みたい…
- 294 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/31(金) 21:34
- 更新待ってるよぉ〜(;。;)
- 295 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/15(火) 00:35
- 続きプリーズ
- 296 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/06(火) 19:50
- 過去ログが読めなくなってしまう(今の時点ですでに読めなくなってますね)ようですね。
作者さまの方でどこかで#1&2を読める機会というか場所というか、頂けるとありがたいのですが。
更新も含めてお願いします!!!(泣っっ
- 297 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/07(日) 10:10
- まだまだ諦めずに待ってます
- 298 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/25(木) 19:32
- 二次小説から足を洗うなんて、しないでください
- 299 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/04/13(火) 21:54
- 更新して下さいm(_ _)m
- 300 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/07/15(木) 01:53
- 続きが読みたいです。
作者様が音沙汰なしなのが大変気がかりです。
近況だけでもお知らせ下さると嬉しいです。
- 301 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/11/03(水) 00:25
- 続きを書かれる気はお持ちじゃないんでしょうか?
期待して待っているのですが・・・
- 302 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/08/30(火) 23:26
- まだ待ってたりします。
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