bluff
1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/06(火) 23:36

恋なんて信じない。
自分以外の人を、自分よりも大切に思うことなんて絶対にありえない。

大人なんて信じない。
都合の良い言葉ばかりを口にして、子供のことを考えてるようなふりをしてるだけ。

この世の中で一番大切なのは自分。
一番信じられるのも自分。


2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/06(火) 23:37

だからあたしは、それなりに優しくて気が合う人と付き合って、それなりのことをして、
それなりに結婚して、それなりに子供を産んで、それなりに幸せになる。
決められた人生に期待するだけ無駄だから、初めからこんなもんだって思って生きていけばいい。

だけど、本当は心のどこかで待ってるのかも知れない。


3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/06(火) 23:37

退屈な日々。
お手軽な恋。
全てを諦めている自分。

こんなあたしを救ってくれるHEROが現われるのを。


4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/06(火) 23:38

高校一年、九月。

あたしは相変わらずなんてことない日々を過ごしている。

学校は嫌いじゃない。
友達もそこそこいるし、あたしはそれなりに明るい方だからクラスでも目立ってる。
ただ、派手な外見が災いして、変な噂の的にされることもある。
それは煩わしいことだけど、あたしの人生に影響を与える重大な出来事ではない。


5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/06(火) 23:38

普通に起きて学校へ行って適当に楽しんで家に帰って眠りにつく。
毎日同じことの繰り返し。

それでも、早く大人になれるならその方が都合が良い。
早く大人になってあの家を出ることが出来るなら。
あんな息が詰まる家、一分でも一秒でも早く出て行きたい。

あたしは家にいる時間を少しでも少なくするため、バイトを始めることにした。
部活なんてかったるい。
クラスで形成される人間関係だけで十分だ。
バイトだって面倒な人間関係はあるだろうけど、なんといってもお金が手に入るし。


6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/06(火) 23:39

なるべく人と係わらないようなバイトを探していたあたしの目に、たまたま通りかかった古本屋の張り紙が飛び込んできた。

『バイト募集 時給800円 内容…』

その古本屋は今流行りのチェーン店ではなく、昔からあるような、本当に古い本しか置いていないようなところだった。
中を覗いてみると客はほとんどいない。
こんな暇そうな店のバイトで時給800円なんてなんだか胡散臭い話だ。
だけど、不思議とその張り紙に惹かれるかのように、あたしは店内へと足を運ぶ。

「あの、表の張り紙見たんですけど…」

レジに座ってるおじいさんは耳が遠いのか、あたしの顔をじっと見る。


7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/06(火) 23:39

「あのー、張り紙見て!バイト募集の!」

あたしは大きな声で言い直す。

「ああ、あれか。ちょっと待っててな」

おじいさんはゆっくりと店の奥へと向かった。
この人が店長なのだろうか。
だとしたら、少し面倒かも知れない。
逃げようかどうか迷っていた時、おじいさんが戻ってきた。

「この子だよ、バイトしたいって」


8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/06(火) 23:40

おじいさんが連れてきた人に、あたしはほんの一瞬だけ目を奪われる。
綺麗な人だった。
とても綺麗で、だけどどこか怖い人。

「ホントにこんな店でバイトやってくれるの?」
「あ、はい…」

あたしはもう勢いだけで返事をしていた。

「ラッキー!これで少しは楽になる」

その人は綺麗な顔を崩して優しく笑った後、あたしの頭を撫でてこう言った。


9 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/06(火) 23:40

「よろしくね、あたしは藤本美貴」
「あ、た、田中れいなです。よろしくお願いします」

それが、あたしと藤本さんの出会いだった。


10 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/06(火) 23:44


本日は以上です。
まったりと更新していく予定。
宜しくお願いします。


11 名前:774飼育 投稿日:2005/12/07(水) 00:20
面白そうな話の予感が・・・
期待して待ってます
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/08(木) 12:23
おもしろそう。続き期待してます。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/10(土) 18:20


高校一年、十月。

古本屋でのバイトは思いの外大変だった。
少ないと思っていた客は意外と多くて、しかも一度に大量の本を売買する。
おまけに出張買取なんてサービスをやってたりするので、藤本さんが買取に行ってるときは
あたしが一人で店番をしなくてはならない。



14 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/10(土) 18:20


初日にレジにいたのはこの店の一応店長。
一応というのは、もう店長は働けるような状態じゃないから。
だから、実質店長の孫である藤本さんがこの店をやり繰りしてる。

バイトはあたし一人。
重い本を何十冊も運んだり、古い店内でちょっと癖のある客を相手にしたり。
意外ときつい仕事のため、なかなか続かないそうだ。



15 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/10(土) 18:20


あたしもあまりの大変さに辞めようと思ったのだが、なぜか辞めないままもうすぐ一月が
経とうとしていた。

シフトは特に決まっていない。
入れる限り入ってほしいと言われ、あたしはほとんど毎日店に通っている。

学校にも家にも心地のいい居場所がないのだから、ここに来る以外にやることがない。
ただそれだけのことだ。



16 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/10(土) 18:21


「じゃあ、美貴、買取に行ってくるから。店番よろしくね、田中ちゃん」
「はーい」
「こらこら、返事は延ばさない」

藤本さんは意外と細かいことにうるさい。
返事の仕方とか本の扱い方とか、さらにはあたしの髪型や化粧、制服の着方まで。

本来ならば煩わしい大人だって感じるはずなのに、藤本さんのことはそんなふうに思わなかった。
それは、大人といってもまだ20歳の藤本さんに親近感を感じているからなのか、
ただ単に説得力があるからなのか。



17 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/10(土) 18:22


藤本さんは北海道の高校を卒業後、一人で上京してきたらしい。
フリータとして働いていた時、おじいさんである店長が倒れて。
おじいさんっ子だった藤本さんは大好きなこの店がなくなるのが嫌で、自分が継ぐ決意をしたとか…。

「親とか反対しなかったんですか?」
「いやいや、あんたの好きなようにしなさい、だってさ。うちって恐ろしく放任主義でさあ、
 どんな親だよって感じ」

そう言った藤本さんの顔は笑ってたから、今の言葉は本心じゃないんだと気付いて、ちょっとだけ胸が苦しくなった。
あたしとは違うんだって。



18 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/10(土) 18:22


「田中ちゃんてさあ、地方出身?」
「は?」

ある日、唐突に言われた言葉にドキッとする。

「いや、たまにさ、ちょっと訛ってる時あるかなって」
「え…」
「あー、ごめん。触れられたくなかった?」
「そういうわけじゃ…」

そういうわけじゃない。
ただ、あたしは…。



19 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/10(土) 18:22


確かにあたしは小学校を卒業するまで福岡にいた。
その頃はバリバリの博多弁を話していたし、東京に出てきても変わりたくなかった。

だけど、今のあたしは違う。
あの人達と同じ方言を話してると思うと吐き気がする。
だから、意識して標準語を使うようにしてたのに。



20 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/10(土) 18:23


「あたしって、そんなに訛ってます?」
「いや、ほんと、時々だよ。たぶん、普通には気付かない」

藤本さんは普通じゃないのかと聞こうかと思ったけど、少し気まずそうな空気が流れたのでやめておいた。

人はいつからかこんなふうに言いたいことを我慢するようになり、少しずつ大人になっていく。
ずるく、都合の良いことしか言わない、あたしの大嫌いな大人に。



21 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/10(土) 18:23


「まあ、なんて言うの、もし無理して標準語使おうとしてんならさ、無理しなくていいっていうか」

藤本さんは本の整理をしたまま話を続ける。

「美貴はいいと思うよ、方言」

藤本さんはなぜかあたしの方を見ようとしない。
いつもはきちんと目を見て話してくれるのに。



22 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/10(土) 18:23


「うん、美貴はかわいいと思うよ、田中ちゃん」

そう言った藤本さんの耳が赤いのを見た時、こっちを見ないのはこの人の照れ隠しなんだと気付いた。
恥ずかしいならわざわざ言わなくてもいいのに。
それでも、そんな思いまでして「無理しなくていい」と伝えてくれる姿が、なんだかかわいく思えた。

大人をかわいいと思うのなんて初めてで。
この人のことは嫌いじゃない、そう思った。



23 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/10(土) 18:24


本日は以上です。



24 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/10(土) 18:26
>>11 774飼育 様
ありがとうございます。
予感通りなら嬉しいのですが…。

>>12 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
期待に応えられるよう頑張ります。
25 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/11(日) 09:42
や、なんだか面白そうな雰囲気ですね。
更新楽しみにしてます。
26 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 05:24
突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
27 名前: 投稿日:2005/12/14(水) 00:13


高校一年、十一月。

中学の同級生の男の子から突然電話があった。
男女合わせて四五人のグループで遊んでいたうちの一人。
グループ内で話すくらいで特に仲が良かったというわけでもないのに、何の用なんだろう。

くだらない近況報告をした後、「付き合ってほしい」と一言。



28 名前: 投稿日:2005/12/14(水) 00:14


ずっと好きだったとか、忘れられなかったとか言ってるけど、本当はそうじゃない。
高校に行って彼女を作ろうとしたけど出来なかっただけ。
周りに付き合ってく友達が増えてきて、焦ってるんだと思う。
そして、頭に浮かんだのがあたしだった。
あたしは周りから軽い女に見られてるみたいだし、割とあっさりとした性格だから言いやすかったのだろう。

断る理由もなかったから、その告白を受け入れた。



29 名前: 投稿日:2005/12/14(水) 00:14


高校生ともなれば、クラスの話題の半分は恋愛話。
別に彼氏の話を誰かにしたいとも思わないけど、正直、恋人同士がする『そういうこと』には興味がある。
話を聞く限り、クラスの1/3は既に経験済らしい。

別に好きな人もいないし、これから出来るとも考えられないし。
それなら、初めての相手は誰でもいい。
どうせ向こうも『そういうこと』が目的なんだろう。

電話の向こうで嬉しそうにはしゃぐ彼がひどく子供に思えた。



30 名前: 投稿日:2005/12/14(水) 00:15


十一月十一日。
今日はあたしの誕生日だ。

家を出ようとした時、母に引き止められた。

「れいな、今日は何時頃帰ってくると?」

あたしは振り向かずに答える。

「バイトだから遅い」
「…そう」

そんな声出さないでよ。
いない方がいろいろと都合がいいでしょ?

モヤモヤした気持ちを吹き飛ばすため、あたしは駅まで走った。



31 名前: 投稿日:2005/12/14(水) 00:15


学校では友達が「おめでとう」と声をかけてくれた。
プレゼントも何個か貰った。
それについては素直に嬉しかった。

昨日の夜、彼氏からメールがあって、『今日会わない?』と誘われた。
あたしは『バイトだから』と断った。
『休めないの?』と言われたが、休むつもりなんてない。
誕生日に会いたい人なんていない。

今のあたしにとって一番落ち着くのは、あの汚らしい古本屋だった。



32 名前: 投稿日:2005/12/14(水) 00:16


「客も少ないし、今日は早めに閉めようか」

午後八時。
いつもは九時まで開いてるから、一時間も早い。

「いいんですか?いつも結構遅くに来る人もいるけど」
「んー、今日は来ない気がする」
「なんでわかるんですか?」
「美貴の勘。結構当たるんだよ、これ」
「えー、怪しいと」

あたしは藤本さんの前で自然に方言を使うようになった。
あたしが方言を使ってることに気付くたびに、なぜか嬉しそうな顔をする藤本さん。
そんな嬉しそうな顔を見ると、あたしの気持ちも少しだけ柔らかくなる。



33 名前: 投稿日:2005/12/14(水) 00:16


「じゃあ、お疲れ様でした!」
「あ、田中ちゃん!」

閉店準備を終えて店を出ようとしたあたしを、藤本さんが引き止める。
引き止めたくせになかなか用件を切り出さない。

「あの…」

しびれを切らして声をかけると、藤本さんは長い指で頭を掻いた。
綺麗なこの人はどこか無造作で、あまり格好とか気にしない人だった。
だから、掻き乱された髪の毛を直そうともしない。

「藤本さん、髪の毛、ぐちゃぐちゃですよ?」

笑ったあたしに藤本さんは小さな袋を差し出した。



34 名前: 投稿日:2005/12/14(水) 00:17


「…なんですか?」
「あー、なんていうの、今日、誕生日じゃん、みたいな…」
「なんで知っとうと?藤本さんに言いましたっけ?」

覚えてる限りでは誕生日を教えた記憶はない。
藤本さんはちょっと気まずそうに目を逸らす。

「まあ、ほら、履歴書に書いてあった、みたいな…」

ああ、確かに。
あの日、即決で決まったバイトだけど、念のためにってことで履歴書を書いて提出していた。
そこに書いてある生年月日を覚えてくれたらしい。

「いや、なんか出すぎたマネかななんて思ったんだけど、でも、こんなに長く続けてくれてるの初めてだし。
お礼の意味を込めて」

一気に話しまくる藤本さんを見て、やっぱりかわいい人だなと思った。



35 名前: 投稿日:2005/12/14(水) 00:18


「…出来れば早く受け取って貰えると嬉しいんだけど」
「あ、ごめんなさい。ありがとうございます」

慌ててプレゼントを受け取ると、藤本さんはホッとしたように笑った。

「開けていいですか?」
「え?ここで、今?」
「え?ダメですか?」
「いや、ダメじゃないから。ダメじゃないけど…大したもんじゃないし。帰ってから開けた方が…」
「見ちゃおーと」
「あー!」

藤本さんが止める前に袋を開ける。
中身はシンプルなシルバーのピアス。



36 名前: 投稿日:2005/12/14(水) 00:18


「美貴の好みだから、気に入らなかったらつけなくていいからさ」

確かに原色好きで派手好きのあたしの好みではない。
だけど、シンプルなのにどこかかわいらしいそのデザインがすごく気に入った。
なんとなく、藤本さんみたいなピアス。

「超かわいい!すっごい気に入ったと。ありがとうございます!」
「あー、良かったあ。田中ちゃんの好みなんて、美貴わかんないからさあ、もうすっごい悩んで」

何年ぶりだろう。
こんなに嬉しいと思える誕生日は。
幸せなんてあまり感じたことのないあたしだけど、こういう気持ちを幸せと呼ぶということはなんとなくわかる。
小さい頃、家族でケーキを囲んで祝ってくれた遠い日の記憶と似ているから。



37 名前: 投稿日:2005/12/14(水) 00:19



その夜、あたしはガラでもなく貰ったピアスを抱きしめて眠った。
幸せだったあの頃の夢を見たいなんて、くだらない願いをかけながら。




38 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/14(水) 00:23


本日は以上です。
今後、若干男ネタがありますので、落とさせて頂きます。



39 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/14(水) 00:25
>>25 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
少ない更新量ですが、今後も読んで頂けると嬉しいです。

>>26 名無飼育さん 様
お疲れ様です。
40 名前: 投稿日:2005/12/16(金) 21:30


高校一年、十二月。

バイトは順調に続いている。

先月から付き合い始めた彼とは二、三回会っただけ。
メールも毎日してるけど、必ず彼から始まり、彼で終わる。
電話は面倒だからしたくない。
クラスメイトが毎晩電話してるなんて嬉しそうに話してたけど、そんなこと考えられない。

「それってさ、付き合ってるって言わないんじゃない」

クラスで一番仲の良いさゆが呆れた顔であたしを見る。



41 名前: 投稿日:2005/12/16(金) 21:30


さゆとは正反対の性格。
最初は絶対気が合わないと思ってた。
だけど、ぶりっ子に見えたさゆは意外としっかりしてて、自分の意見をきちんと言う子だ。
普通の友達なら遠慮して言いにくいこともはっきりと言ってくる。
そういうところは好きだなって思う。

「れいな、その子のこと好きじゃないんだよ」
「あー、やっぱわかる?」

あたしはおどけて見せる。
もともと好きで付き合ってるわけじゃないし、そんなふうに言われてもショックではない。



42 名前: 投稿日:2005/12/16(金) 21:30


「まあ、そのうち本当に好きな人が出来るんじゃない?」
「さゆにはいるわけ?」
「さゆみは、白馬の王子様を待ってるの」

いつものぶりっ子キャラに戻るさゆ。
あたし達の会話はいつもこんな感じで、真面目な話も最後には必ずどちらかがふざけて終わる。
言いたいことを言い合ってるくせに、どこか距離を置いてるからなのかも知れない。
あたしはさゆとのこの関係を心地よく思ってる。
たぶん、さゆも。



43 名前: 投稿日:2005/12/16(金) 21:31


クリスマスが近づくにつれ、みんなどことなく浮き足立つ。
学校が終わり、家にいる時間が増えるのは、あたしにとっては苦痛以外の何物でもないけれど。

彼とのメールでの会話も、当然のようにクリスマスの予定のことになる。

『25日どうする?』

まだ会う約束もしてないのに、会うことを前提に話が進んでいく。
恋人ってこういうものなのだろうか。
クリスマス、誕生日、特別な日には必ず会わなければならないのだろうか。
やっぱり面倒だ。
それとも、本当に好きな相手ならそんなこと考えたりしないのかな。



44 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/16(金) 21:31


『25日はバイトなんだけど』
『マジで?』

速攻で帰ってきたメールからは「信じられない」って声が聞こえてくるようで。
あたしはかなりうんざりしていた。

『バイト、何時に終わる?終わってから会おうよ』

二十五日はちょうど日曜日。
古本屋は火曜日が定休日だけど、土曜日と日曜日は七時に閉店する。
七時なら、その後会う時間は十分ある。
面倒だけど仕方がない。
それが、付き合ってるってことならば。

『七時まで。いいよ。もう寝るね、おやすみ』
『おやすみ』

メールは必ず彼から始まり、彼で終わる。
今日もいつも通りの日常が過ぎていく。



45 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/16(金) 21:31


「あーあ、今年ももう終わりかあ。早かったなあ」
「藤本さん、なんかそれ、オヤジくさいですよ」
「だってさあ、マジで早くない?もう十二月だよ?世間はクリスマスだしさあ」

藤本さんは深いため息をついた後、あたしに背を向けて売られた本の整理を始めた。

「…田中ちゃんはクリスマス予定あるの?」
「あたしですか?えーと、まあ、一応…」

藤本さんの手が止まる。



46 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/16(金) 21:31


「…あー、やっぱ、彼氏…とか?」

ほんの一瞬だけ言おうかどうか躊躇したけど、秘密にする理由が見当たらなくて素直に答えた。

「まあ、そんなとこですかね」
「あー、そっか、そうだよね。やっぱ、彼氏くらいいて当然だよね」

藤本さんは背を向けたまま。
なんで早口になってるのかわからないけど、今の答えに動揺しているみたいだった。
あたしみたいな子供に彼氏がいることが、そんなに意外だったのだろうか?



47 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/16(金) 21:32


そういえば、藤本さんはどうなんだろう。
付き合ってる人とかいるのかな。

この二ヶ月、ほとんど毎日顔を合わせて話をしている割に、そういう話題はしたことがない。
藤本さんはサバサバした性格で、結構人当たりが良い。
店の客にも評判が良くて、藤本さん目当てに通ってる人もいるくらいだ。
確かにすごく綺麗な人だから、普通に恋人がいたとしてもおかしくはない。
むしろ、いないと考える方が不自然なくらい。
もっとも、恋人がいたとしてもデートをする暇もないような気がするけど。



48 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/16(金) 21:32


「藤本さんは?付き合っとう人いるんですか?」

その言葉に、さっきから黙り込んでいた藤本さんの体が揺れる。
なんだか、いつもとは違う雰囲気。
あたしは何かまずいことを聞いてしまったのかと思い、慌てて謝る。

「あ、ごめんなさい。別にあたしに言うことじゃないですよね」
「…ううん」

振り向いた藤本さんは今まで見たことないような悲しそうな顔をしていた。
だけど、それは本当に一瞬のことで、気づいた時にはいつもの藤本さんに戻ってた。
あたしの勘違いなのかも知れない。



49 名前: 投稿日:2005/12/16(金) 21:32


「美貴は付き合ってる人はいないよ」
「えー、意外」
「そう?…好きな人はいるけど」
「え?誰誰?あたしの知っとる人ですか?」

こんな綺麗な人が片思いしてるなんて、どんな人なんだろう。

「…田中ちゃんは知らない人。高校時代の同級生だからさ」
「へえ!もしかして、高校のときからずっと好きだったとかですか?」
「あー、まあね」
「すごーい!」

藤本さんは今20歳だから、卒業してから約二年経ってるはずだ。
二年間も一人の人を好きでいるなんて、そんな人もいるんだ。

「美貴はこう見えても一途だからね」

そう言って笑った藤本さんがとても大人びていて、少しだけ遠い存在に思えた。



50 名前: 投稿日:2005/12/16(金) 21:33


「バイト休んでもいいよ?」
「え…?」
「だってせっかくのクリスマスだしさ、一日中一緒にいたいんじゃない?店なら美貴一人でなんとかなるし、
 いざとなればおじいちゃんもいるしね」

藤本さんは気を遣ってそう言ってくれたのだろうけど、あたしにとってはその提案はあまりありがたくない。

「別に平気ですよ。ちゃんと出ます」
「え、でもさあ…」
「あたし、こう見えても責任感強いんですよ」
「おお!てか、それ、さっきの美貴のマネじゃん!」



51 名前: 投稿日:2005/12/16(金) 21:34


こんなふうにふざけ合ったり笑い合ったり。
あたしにとってこの店は唯一の居場所。
出来ればずっとここにいたいくらい。
家になんて帰りたくない。



帰りたくないよ。




52 名前: 投稿日:2005/12/16(金) 21:34


ああ、また始まった。
毎回毎回、よくも飽きずに同じことを繰り返せるものだと感心する。

「…!」
「…!…!!」

階下から聞こえる言い争う声。
ほとんど家に帰ってこないあの人が帰ってきたみたい。
どうでもいいけど。



53 名前: 投稿日:2005/12/16(金) 21:35


MDラジカセのボリュームを上げ、イヤホンをしてベッドに潜り込む。

こんな家、早く出てしまいたい。
早く大人になりたい。
誰かに連れ出してほしい。
あたしを助けてほしい。

だけど、そんな白馬の王子様なんていないってこと、あたしはもうわかってる。
ありもしないものを信じて待っていられるほど子供じゃない。



54 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/16(金) 21:40


本日は以上です。



55 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/17(土) 11:20
おもしろいです。これからもがんばって下さい。
56 名前: 投稿日:2005/12/20(火) 20:41


クリスマス。

バイト先に向かったあたしは、店の前にある物を見つける。
昨日はなかったはず。
いつの間に…。

それはあたしの身長と同じくらいのクリスマスツリー。
クリスマスに大した感慨もないあたしだけど、思いがけない物を見つけたことで思わず
はしゃいでしまう。

「藤本さん!表!」

急いで店内に駆け込んだあたしは、さらに驚くべきものを発見する。



57 名前: 投稿日:2005/12/20(火) 20:41


天井と壁一面に張り巡らされている装飾。
『Merry X'mas!』と形作っているランプ。
そして…。

「な、なん、その格好…」

レジの奥でニコニコ笑ってるのは綺麗な顔をしたサンタクロース。
そのほとんどはヒゲで隠れて見えないけれど。

「メリークリスマ…」

セリフの途中で止まるサンタさん。

「もう、ヒゲが口に入っちゃったよ。せっかくビシッと決めようと思ったのに…」

つけヒゲを取って舌を出す藤本さんの顔は真っ赤になっている。
その格好でビシッとって言われても…。
真面目なのかふざけてるのかよくわからない。



58 名前: 投稿日:2005/12/20(火) 20:41


「昨日、練習したのになあ」

「メリークリスマス」の一言を必死で練習する姿を思い浮かべるとなんだか無性におかしくなって。
あたしはなにも考えずに大声で笑った。
こんなに心から笑ったのは久しぶりだった。
そんなあたしを見て、藤本さんも優しく笑ってくれた。

「藤本さんて変わった人ですね」

変わってるけどあったかい人。
クリスマスなんてくだらないって思ってたあたしの心を、一瞬で変えてしまった不思議な人。
博多弁も笑顔も自然に出てしまう。
そんな自分が嫌じゃないと思える。
藤本さんといると自分を好きになれる、そんな気がする。

「だってさあ、クリスマスはハッピーな日なんだよ。世間だけ楽しんでずるいじゃん!」
「あはは!ずるいって子供みたいですよー」
「いいの、いいの、子供でいいの。…だからさあ、田中ちゃんも楽しめばいいんだよ」



59 名前: 投稿日:2005/12/20(火) 20:42


何気ない言葉にドキッとする。
ぶつかり合う視線。
少し怖いけどとても綺麗なその瞳に全てを見透かされてるみたいで、思わず目を逸らす。

「田中ちゃんはまだガキなんだからさ」

続けて投げかけられる言葉にだんだん胸が熱くなる。

「ギャーギャー騒いでればいいんじゃん?」

この人はとっくに気付いていたのかも知れない。
あたしが心の奥に抱えている重くて深い闇に。
まだ、出会ってたったの三ヶ月なのに、今まで会った誰も気付かなかったのに。

胸の奥から込み上げてくるものを必死で堪える。

「田中ちゃん?」

まだダメ。
まだ見せられない。
この人は信用できる人だけど、まだ…。



60 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/20(火) 20:42


「…く、くるりんぱ!」
「…は?」

重苦しい雰囲気をぶち壊す意味不明な一言。

「な、なんですか、それ…」

込み上げてきたものが一気にどこかに吹っ飛んでしまった。

「や、美貴が考えたんじゃないから!これ、従姉妹がよくやってるギャグで、くだらないんだけど
 笑えるからさ」

必死で言い訳する藤本さん。
その従姉妹も従姉妹だけど、それで笑える方もどうかと思う。



61 名前: 投稿日:2005/12/20(火) 20:42


「さ!仕事仕事!」
「え?それ、脱ぐとですか?」
「いや、これじゃ仕事出来ないじゃん」
「じゃあ…」

聞きかけて気が付いた。
あたしのため…?
確認するとまた何かが込み上げてきそうだったから、あたしはいつも通り仕事を始める。
藤本さんも何事もなかったかのように仕事を始める。

藤本さんの優しさは、あたしの心に確実な変化をもたらしていた。



62 名前: 投稿日:2005/12/20(火) 20:43


バイトが終わった後、彼からメールが入ってることに気付いた。

『七時半に駅で待ってるね』

そういえば、約束してたっけ。
やっぱり少しめんどくさい。
そんなふうに思うあたしはひどい人間なんだろう。
人の気持ちを考えられない最低な人間なんだろう。
まあ、あの人達の子供なんだから仕方がない。

帰り支度をしているあたしの目に、店内の装飾を片付けている藤本さんの姿が映った。

「あ、藤本さん、手伝いますよ」

なるべく、ここにいたい。
この安心できる場所に。



63 名前: 投稿日:2005/12/20(火) 20:43


「は?いいって。田中ちゃんはデートでしょ?早く行きな」
「いや、でも…」

行きたくないなんて言ったら、この人はどんな顔をするんだろう。

「彼氏待ってるんじゃん?ほらほら、行った行った!」

まるで邪魔者みたいにあたしを追い払う仕草をする藤本さんに、少しだけ胸が痛くなる。

「あ、じゃあ、お疲れ様でした」

あたしは逃げるように店を出た。



64 名前: 投稿日:2005/12/20(火) 20:43


駅についたのは約束の十分前。
周りはカップルやら家族連れやらで賑わっている。
切符売り場の横で寒そうに身を縮めている彼の姿を見つけた。
そんな姿を見ても嬉しいと思えない自分に、さすがに罪悪感を感じた。

適当な店で食事を済ませて、街をブラブラ歩いて、それなりの時間になった。
中学の同級生であるあたし達は家も近い。
あたしは断ったのだが、彼は「送っていく」と譲らなかった。



65 名前: 投稿日:2005/12/20(火) 20:44


二人きりで歩く夜の道。
この辺は住宅街だから人影もほとんどなくて。
さっきまでおしゃべりだった彼が急に静かになる。
なんとなく何を考えているかわかるから、あたしも少し緊張する。

家の前に着く。
「じゃあ」と言って別れようとするあたしを呼び止めて、そして…。
あたしから離れた彼は少し照れくさそうに笑って、二人で歩いてきた道を戻っていった。

それはファーストキスだったんだけど、あまりにもあっさりとしていて何も感じなかった。
もっとドキドキしたり、胸がキュンとするものかと思ってたのに。
あったのは好奇心と初めてのことに対する緊張だけ。
きっと、初体験もこんな感じで終わるんだろう。
まあ、それならそれで別にいいけど。



66 名前: 投稿日:2005/12/20(火) 20:44


その夜、久しぶりに見た夢に出てきたのは、ヒゲのない間抜けなサンタさん。

「メリークリスマス!」

サンタさんはこんな最低なあたしを抱きしめて、優しく笑ってくれた。
だけど、あたしはちゃんと笑えなくて、やっぱり最低な人間なんだって思い知らされた。



67 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/20(火) 20:44


本日は以上です。



68 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/20(火) 20:45
>>55 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。
69 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/29(木) 05:56
なんともいえない雰囲気の小説だねぇ 好きだわこういうの
70 名前:  投稿日:2006/01/02(月) 14:20


高校一年、一月。

冬休みはほぼ毎日、古本屋と郵便局のバイトで時間を潰した。
だけど、大晦日と元旦だけは家にいるしかなくて、母と二人きりという息の詰まるような
二日間だった。

それでも、あの人がいない分だけ、マシなお正月かも知れない。



71 名前:  投稿日:2006/01/02(月) 14:21


あたしには年の離れた姉がいた。
『いた』といっても別に死んでしまったとかそういうわけではない。
この息詰まる家に嫌気が差して、数年前にアメリカに留学したのだ。
それ以来、日本には戻って来ていない。
姉の消息を知る唯一のものは、たまにあたし宛に届く手紙だけ。
たった一言二言。

『元気でやってる?』
『学校はどう?』

そして、最後は必ず、『ごめんね』で終わる。



72 名前:  投稿日:2006/01/02(月) 14:21


姉のことは大好きだったし、姉もあたしのことをかわいがってくれた。
だから、突然いなくなったこと、この家に一人で残されたことを全く恨んでいないといえば
嘘になる。
もちろん、当時小学生だったあたしを連れて行くことなんて不可能だってことくらい
わかってる。
わかってるからこそ、行かないでほしかった。
そばにいて、あの優しい手であたしを守っていてほしかった。



73 名前:  投稿日:2006/01/02(月) 14:22


あたし、あれからずっと一人ぼっちなんだよ、お姉ちゃん。



74 名前:  投稿日:2006/01/02(月) 14:22


あと数日で冬休みが終わるある日の夜。
バイトから帰ったあたしを待っていたのは、久しぶりに見るあの人だった。

「おう、れいな、久しぶりばい。元気にしとったか?」

それが実の娘に言うセリフ?
心の中で毒づきながらも口には出さない。

「うん、まあね」

あたし自身はこの人に殴られたことはない。
たぶん、姉も。
そういう意味では、子供から見れば優しい父親なんだと思う。
だけど、子供にとって絶対の存在である母親に対しての暴力は、あたし達にとっての暴力と
同じような意味を持っている。
あたしはこの人が嫌いだった。
酔って母を殴る姿は鬼以外の何者でもなかった。
怖かった。
そして、今でも。



75 名前:  投稿日:2006/01/02(月) 14:22


だから当り障りのない会話をして、早く自分の部屋に逃げたかった。
それなのに、あの人はさも当然のような顔をして、

「たまには一緒に飯ば食おう。座りんしゃい」

と言った。

『嫌だ』なんて言えない。
逆らえない、絶対の権力。
あたしは黙ってあの人の言う通りにする。

その時ちょうど、台所で食事の準備をしている母と目が合ったけれど、お互い何も言わなかった。



76 名前:  投稿日:2006/01/02(月) 14:23


食事中は極力テレビに集中しているふりをしたけれど、あの人は必要以上にあたしの話を
聞きたがる。
それが父親というものなのかも知れないけど。

そして、学校の話からバイトの話になった時、あの人はあからさまに不満そうな顔をした。

「そげな胡散臭いところで働いとるのか」
「別に胡散臭くなんか…」
「やめんしゃい。お金に不自由してるわけじゃなかと?」

あまりにも勝手な意見。
あたしは全身から溢れ出してくる怒りを必死で抑える。



77 名前:  投稿日:2006/01/02(月) 14:23


「でも、すごくいいところだし、店長もいい人で…」
「よか人言うても、所詮は高卒の女やろ?」

あたしの中で何かが壊れる。

あの店はあたしにとって一番安らげる場所。
藤本さんはあたしにとって一番信頼できる人。
所詮は高卒の女。

頭の中でぐるぐるぐるぐるいろんなものが回り始めて、気付いたらあたしは家を飛び出していた。
それは、初めて見せた些細な反抗だった。



78 名前:  投稿日:2006/01/02(月) 14:24


飛び出したものの行く宛もない。
フラフラと歩いているうちにいつの間にかバイト先に来ていた。
店の二階には藤本さん達が住んでいて、部屋には明かりが点いている。
だからと言って、いきなり訪ねるなんてことも出来ず、あたしはとりあえず店の前に腰を
下ろした。

冬の夜は当然寒くて、吐き出したため息が白く変わる。
かろうじてコートを羽織って出てきたものの、財布も携帯も置いてきてしまった。
さすがに寒いなあ。

このまま、もしものことがあったら、こんなあたしでも悲しんでくれる人はいるのかな?
弱気なあたしの頭に、何人かの顔が浮かぶ。



79 名前:  投稿日:2006/01/02(月) 14:24


さゆ。
学校の友達。
一応、彼氏。

…お姉ちゃん。



80 名前:  投稿日:2006/01/02(月) 14:25


ああ、結構いるじゃん…。
そう思うとなんだか少しだけ安心する。
自分が思ってるよりは孤独じゃないのかなって。

そして、一番最後に出てきたのは…。



81 名前:  投稿日:2006/01/02(月) 14:25


「た、田中ちゃん?」

両手に買い物袋をぶら下げて、綺麗な目を限界まで見開いて驚いている藤本さんだった。



82 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/02(月) 14:27


本日は以上です。



83 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/02(月) 14:27
>>69 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
とっても励まされました!
今後もまったり更新ですが、よろしくお願いします。
84 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 21:05
はじめてレスします。今日、いっきに読ましていただきました。
れいなの現代っ子的な雰囲気がすごく好きです。藤本さんも素敵ですね。
作者さん、頑張ってください。
85 名前:  投稿日:2006/01/11(水) 20:23



藤本さんが入れてくれたミルクティが体中に広がって、ようやく手足の感覚が戻ってくる。
外にいた時間はそんなに長くはないのだろうけど、あたしは心底冷え切っていたから。

あたしは今、藤本さんの部屋にいる。
黒と白だけの、ものすごくシンプルな部屋。
だけど、すごく藤本さんらしい。




86 名前:  投稿日:2006/01/11(水) 20:24


半強制的にお風呂に入れられて、用意されたジャージを着せられて、毛布を巻きつけられて、
こたつに入れられて。
正直、すっごく熱い。
毛布を取ろうとしたら、部屋に戻ってきた藤本さんに怒られた。

「は?田中ちゃんは凍え死ぬとこだったんだよ?おとなしくくるまってればいーの!」

その口調は少しだけきつかったけど、なんだかとても嬉しく思えた。
怒られて喜ぶなんてどうかと思うけど。



87 名前:  投稿日:2006/01/11(水) 20:24


藤本さんはリビングからお鍋を運んできてくれた。

「今日、鍋だったからさ。食べな?」

食事の途中で飛び出してきたせいでハラペコのあたしは、素直にお鍋を頂いた。
その間、藤本さんは何も聞かずに、ただそばにいてくれた。

食べ終わってお鍋を片付けても、何も聞かない、何も言わない藤本さん。
たぶん、それはあたしから言い出すのを待っているからで。
こんなふうに迷惑をかけている以上、やっぱり理由を言った方がいいのだろう。

だけど…。



88 名前:  投稿日:2006/01/11(水) 20:25


信頼していると言い切れる相手に対して、自分をさらけ出すことを躊躇してるのには、
それなりの理由がある。

小学校の時、姉が渡米してから明らかに元気がなかったあたしを気にかけてくれる人がいた。
それは当時の担任で若い女の先生。
先生はある日あたしを呼び出してこう言った。

「何か悩んでることがあるの?先生に言ってごらん?聞いてあげるから」

バカなあたしはその言葉を信じて全てを話した。
父の暴力のこと、姉がアメリカに行ってしまったこと。
寂しくて苦しくて痛くて、誰かに助けてほしかったから。



89 名前:  投稿日:2006/01/11(水) 20:25


話を聞いた先生は軽くため息をついた後、ちょっとだけ哀れな者を見るような目でこう言った。

「かわいそうに、辛かったね」

あたしはやっと救われたんだと思った。
この人があたしを助けてくれるんだと、待ち望んでいたHEROがやってきたんだと。
そう思ったのに。

「でもね」

先生が続けたその言葉は。

「世の中にはもっとかわいそうな子がいるんだから。れいなちゃんはまだ幸せな方なんだよ。
 これくらいで負けちゃダメ」

あたしを暗い闇へと引きずり落とした。



90 名前:  投稿日:2006/01/11(水) 20:25


確かに、先生の言うことは理解できる。
あたし自身が暴力を奮われているわけではないから。
世の中には実の親から殴られたり、性的虐待を受けている子がたくさんいるらしいから。
その子達に比べたらあたしは幸せだから。
だから、負けちゃダメって。

だけど、たとえそのあたしよりかわいそうな子達を目の前に並べられても、あたしの苦しみが
消えるわけではない。
ただちょっとだけ、歪んだ優越感のようなものを感じるだけだろう。
そもそも、人の苦しみや痛みは誰かと比較出来るものではないのだ。
あたしの苦しみは、あたしにしかわからない。

あの日から、あたしは人を信じることを諦めた。
自分の気持ちを話すことを止めた。



91 名前:  投稿日:2006/01/11(水) 20:26


藤本さんのことは信頼してる。
今まで出会ったどんな大人とも違う不思議な人。

だけど、本当にそうだろうか。
あの先生みたいに、哀れむような目を向けてあたしを突き放さないという保証はどこにもない。
あるのはただ、信頼してるという直感だけ。



92 名前:  投稿日:2006/01/11(水) 20:26


「美貴さあ、こう見えて昔ちょっと悪い時期があって。まあ、中学の頃の話だけど」

唐突に投げかけられる言葉。

「見えないでしょ?真面目ないい子ちゃんな感じでしょ?」
「いや、どちらかといえば悪く見えますけど」
「いやいやいやいや、いい子だから!」

藤本さんがおどけるから、あたしもいつもみたいに突っ込む。

「まあ、それはいいとして。前に言ったじゃん?うちの親って放任主義だって。だから美貴が
 夜遊びとかしてても別に怒ったりとかしなかった。まあ、そんな親を振り向かせたくて悪い
 ことしてたみたいな部分はあるんだけどね」

ああ、その気持ちはなんとなくわかる。
昔のあたしがそうだったから。
今はもう、構われるのが面倒だから、くだらない反抗なんてしないけど。

「美貴はさ、自分は好かれてないんだって思ってた。うちね、三人兄弟でさ。美貴は末っ子だから、
 別にもうどうでもいいのかなって」



93 名前:  投稿日:2006/01/11(水) 20:27


藤本さんは淡々と話を続ける。

「で、ある日、美貴、不良のケンカみたいのに巻き込まれてさ、補導されたんだ」
「補導…」
「そ。今の美貴からは想像つかないでしょ?」
「んー、どうですかね」
「こらこら。…まあ、いいけど。その時ね、親がすっ飛んできて、思いっきり殴られた」

やっぱり…。
大人はいつだって勝手で、普段は関心ないくせにそんな時だけ世間体を気にして怒ったりして。

うつむいたあたしの頭を軽く叩いた藤本さん。
自分の気持ちを見透かされたみたいで、少しだけ悔しい。



94 名前:  投稿日:2006/01/11(水) 20:27


「美貴もね、すっごいムカついた。こんな時だけ親みたいな顔してって」

うん。

「でもさ」
「え…?」
「その後、うちの親、泣きながら美貴のこと抱きしめて、『無事で良かった』って言ったんだ。
 そん時にね、悔しいけど愛みたいなものを感じちゃってさ。なんか反抗するのバカらしくなって、
 それで今の超優等生な美貴がいるわけなんだけど」

あたしを見つめる藤本さんの目はどこまでも優しい。
だから、そんな信じられないような話も素直に受け入れることが出来た。



95 名前:  投稿日:2006/01/11(水) 20:27


「…あの」

だから、この人に聞いてもらいたいと思った。
この人ならあたしを助けてくれるんじゃないかって。

「…あたし…」

そして、あたしは藤本さんに全てを打ち明けた。



96 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/11(水) 20:28


本日は以上です。



97 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/11(水) 20:29
>>84 名無し飼育さん 様
ありがとうございます。
作者は現代っ子ではないのでw、そういうふうに感じて頂けて嬉しいです。
これからも頑張ります。
98 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/01/12(木) 23:08
れいなが少しずつ素直になってきましたねー。
次回更新、お待ちしております。
99 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:29


小学生の頃、優しかった父が急に母に暴力を振るうようになったこと。
その光景に怯えながら、眠れない夜を過ごしたこと。
お姉ちゃんがあたしを置いてアメリカに行ってしまったこと。
小学校の担任の先生に話をした時のこと。

そして…。



100 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:29


「父にも母にも、他に恋人がいるんです」

父がほとんど帰ってこないのは、若い女の人のところにいるから。
母はパート先の店長と恋仲らしい。
近所のおばさんが腕を組んで歩いているところを見たと、わざわざあたしに報告してきた。

父と母は大恋愛の末に家族の反対を押し切って結婚したらしいが、その結末はこんなもんだ。
だから、あたしは恋なんて信じない。
『好き』なんて気持ちは永遠には続かないから。
どうせ別れたり冷めたりするなら、本気になるなんてバカらしいし意味がない。



101 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:30


こんな両親がそれでも離婚しない理由は、『あたしのため』らしい。
勝手な言い分。
本当に『あたしのため』を思うなら、とっとと離婚すればいいのに。
あたしはもう開放されたい。
こんな生活から、あんな家から。

そして、自分から。



102 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:30


長い長い打ち明け話の間、藤本さんはずっと真剣な顔をしていた。
終わった後もしばらく何かを考えていて。

あたしは話したことを後悔し始めていた。
こんなことを聞かされても迷惑なだけかも知れない。
うざいと思われたかも知れない。
先生に話した時のことを思い出す。
同じようなことを言われたら?
怖い。
もうあんな思いはしたくない。



103 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:31


「…ごめんなさい、こんな話、つまんないですよね」

笑顔を作るのは苦手だけど、この人に疎まれるのは嫌だと思ったから一生懸命笑った。
唯一心が安らげる居場所を手離したくなかったから。

「あー、ごめん、そうじゃなくて」
「え?」

藤本さんはすごく困った顔をしている。



104 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:31


「迷惑とかそういうんじゃなくて…何て言えばいいかわかんないから」
「…」
「美貴は田中ちゃんみたいな経験してないから、正直わかんない」
「…そう、ですよね」
「でも、話してくれて嬉しかった。それだけは自信もって言えるよ」

…ああ、良かった。

疎まれなくて良かった。
迷惑がられなくて良かった。
話して良かった。



105 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:33


「あー、あともう一つ。その先生のことなんだけどさ」

自分の顔が強ばるのがわかる。

「たぶん…。うん、あくまでもたぶんなんだけど。その先生もわかんなかったんじゃん?
 田中ちゃんに何て言えばいいのか。美貴と同じでさ。だけど先生だし、自分から聞いて
 おいた手前、わかんないなんて言えなかったんじゃん?」
「…わかんなかった…?」
「うん。田中ちゃんのこと心配してた気持ちはほんとだと思うよ」

藤本さんは、『だから、許してあげな』とか『わかってあげな』とか言うわけでもなく、ただ
『美貴はそう思う』とだけ言った。
不思議なことに、そのセリフはあたしの中に自然に入ってきて。



106 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:33


あたしは思い出す。
あの日、あたしの話を聞いていた先生の目が、すごく優しかったこと。
あたしの手を握ってくれた先生が、少し震えていたこと。

自分の期待通りの答えをもらえなくて、いじけて心を閉ざしていたのかも知れない。
それを先生のせいにして、全部悪い方に捉えていただけなのかも知れない。



107 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:34


あたしは思い出す。
間違いなく先生のことが大好きだったことを。



108 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:35


「ま、とりあえず、もう寝ようか?」
「え?」
「え?じゃなくて。もう遅いから。美貴も眠いし」
「あの、でも…」

それは泊まっていけということなのか。



109 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:35


「さっきね、田中ちゃんがお風呂入ってる間に、おうちの人に電話しちゃった。今日はうちに
 泊まらせるって。ごめんね、勝手に」
「あ、いえ、すいません…」

こういうところはやっぱり大人で、だけどあたしは嫌だとは思わなかった。

「あの…」
「ん?」

布団を用意してくれてる藤本さんに声をかける。



110 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:36


「なんで親とケンカしたってわかったんですか?」
「は?だって、友達や恋人とケンカしても家飛び出す必要ないじゃん?」

そういえばそうだ。

「…藤本さんて意外と賢いんですね」
「…それは美貴に対する挑戦?」
「藤本さんとケンカしたら絶対負けるっちゃ」
「そう?田中ちゃんも結構やると思うけど」
「えー、れいな、藤本さんには勝てんて」

あたしの言葉になぜかニヤニヤと笑う藤本さん。
なんかおかしなこと言ったかな。



111 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:36


「田中ちゃんて、自分のこと名前で呼ぶんだ」
「は?」
「今呼んでたよん」

全然気付かなかった。
別に呼ばないようにって意識してたわけじゃないけど、あたしはいつの頃からか自分のことを
名前で呼ばないようになっていて。
なんだか少し恥ずかしい。



112 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:37


「別にいいじゃん?美貴だって『美貴』だし。田中ちゃんも『れいな』でさ」
「…はい」

ドキッとした。
自分のことを名前で呼んだということよりも、藤本さんに『れいな』と呼ばれたことに。
なんでだろう。
他の人に呼び捨てにされても、なんとも思わないのに…。

「はいってなんか堅苦しいよね。もうさ、敬語とかやめない?美貴のことも『藤本さん』
 じゃなくていいし」
「…けど、なんて呼べばいいと?」

『美貴ちゃん』とか呼べないし、まして『美貴』なんて呼び捨てるわけにもいかないし。

「まあ、田中ちゃんの好きな呼び方でいいんだけどさ」



113 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:37


好きな呼び方…。
一つだけ、頭の中に思い浮かんだ呼び方がある。
それは、姉に対する呼び方と似ていて、姉を思い出してしまう呼び方で。
だけど、もしかしたら、藤本さんをそう呼ぶことで姉を忘れることが出来るかも知れない。

「…あの、『美貴姉』でいいと?」

『カオ姉』―――小さい頃、ずっとお姉ちゃんのことをそう呼んでた。
大好きだったカオ姉。
あたしを置いてアメリカに行ってしまったカオ姉。



114 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:38


「『美貴姉』?…なんか、ヤクザみたい…」
「ダ、ダメですか?」
「ううん、いいよ。田中ちゃんがそう呼びたいなら」

藤本さんは優しい手つきで頭を撫でてくれた。
その日から、『藤本さん』は『美貴姉』になった。



115 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:38


翌朝。

「…おう、帰ったと」
「今日は、れいなの好きな焼肉にするばい」

珍しく、穏やかに話すあの人。
久しぶりに笑顔を見せる母。

よく見ると、二人の目の下にはクマが出来ていて。
その姿に悔しいけど愛みたいなものを感じちゃって。



116 名前:  投稿日:2006/01/16(月) 19:38


「…うん」

だから、あたしも素直にうなずくことが出来た。
それは美貴姉のおかげだって、素直に思うことが出来た。



117 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/16(月) 19:39


本日は以上です。



118 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/16(月) 19:42
>>98 名無し飼育さん 様
ありがとうございます。
そうですね。その「少しずつ」を自然に描いていければいいなと思っています。
次回も頑張ります!
119 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/01/17(火) 01:13
あう…!良い。
藤本さんの優しさが素晴らしいです。
120 名前:  投稿日:2006/01/24(火) 23:11


久しぶりに彼と電話で話した。
最近は電話がかかってきても出るのが面倒で、切れるのを待ってメールで『今忙しいから』
なんて返事をしていたから。
今日もいつもと同じようにメールをしたんだけど、『どうしても話したい』と返ってきた。

『会いたいんだけど』

なんだか切羽詰ったような声だった。



121 名前:  投稿日:2006/01/24(火) 23:11


よく考えてみれば、あのクリスマスの日以来、会っていない。
あたしは放課後も土日もほとんどバイトだし、彼は彼で結構熱心に部活をやっているらしい。
それはやっぱり恋人同士としては大きな問題なんだろう。

正直言うと、別れるという考えが頭の中にある。
だけどそれはそれで結構面倒だし、今の関係ならばそんなに煩わしいことではない。
それに、やっぱりなんとなく、『彼氏がいる』ということに対して安心する気持ちがどこかに
あって。



122 名前:  投稿日:2006/01/24(火) 23:12


「いいよ」

打算的に付き合っている自分に嫌気がさすけど、世の中の恋人達がみんな純粋な気持ちだけで
付き合っているとは思えない。
恋なんてきっと、そんなもんだ。

電話を切った後、少しだけあの日のことを思い出した。
家を飛び出して、美貴姉の家に泊めてもらったあの日。

美貴姉はこんなあたしを見たらなんて言うかな。
何も言わずに、あの優しい手つきで頭を撫でてくれるだろうか。
それとも、今度こそ呆れてしまうだろうか。
だって、美貴姉には長い間一途に思い続けている人がいるんだから。



123 名前:  投稿日:2006/01/24(火) 23:12


数日後、バイトの後に彼の家に行くことになった。
どうやら両親は出掛けてて帰りは遅いらしい。
そういう状況になることにどういう意味があるのか、あたしにはわかっていた。
わかっていて行くことにした。

「お邪魔します」
「どうぞ。俺の部屋、二階の突き当たりだから」

そう言って案内された彼の部屋は、男の子らしくどこか殺風景だった。
壁際に無造作に重ねてある雑誌が慌てて片付けたことを物語っていて、少しだけ微笑ましい
気分になる。



124 名前:  投稿日:2006/01/24(火) 23:13


隣同士に座っていつも通りくだらない話をする。
なんとなくそわそわと落ち着かない彼。
だんだんと途切れていく会話。
あのクリスマスの日と同じような雰囲気が流れる。

そして…。



125 名前:  投稿日:2006/01/24(火) 23:13


「…いや」

あたしは反射的に顔を近付けてきた彼を押し退けていた。
なんでそんなことをしたのか自分でもわからない。
だけど、嫌だと思った。
初めてキスした時はなんとも思わなかったのに、今日ははっきりと嫌だと思った。

「…あ、ごめん」

うつむくあたしに謝る彼。

「ごめん、今日は帰るね」

彼は何か言いたそうだったけど、黙って玄関まで送ってくれた。



126 名前:  投稿日:2006/01/24(火) 23:13


その日の夜、彼からメールがあったけど、中身を見ることさえ出来なかった。
激しい自己嫌悪。
キスくらい、大したことじゃないと思ってたのに、どうして嫌だったんだろう。
自分のことがわからなくなっていた。

美貴姉ならわかるかな。
美貴姉なら。

美貴姉。
美貴姉。

いつの間にかあたしの中にはいつも美貴姉がいる。

「田中ちゃん」

少し怖いけど優しい笑顔であたしのことを見守っていてくれる。



127 名前:  投稿日:2006/01/24(火) 23:14


翌日。
学校でなんとなく昨日のことをさゆに話した。
重い感じではなく、あくまでも軽く。
さゆはただ一言、

「ふーん」

とだけ言った。

「なにそれ、冷たくない?」
「だって、前にも言ったじゃん。れいな、その子のこと、別に好きじゃないんでしょ?」
「うーん…」

それはそうなんだけど。



128 名前:  投稿日:2006/01/24(火) 23:14


「あたしは別にこんなこと言いたくないけど」

いつもと少し違う真剣な口調。

「ちゃんと別れた方がいいと思うよ」
「さゆ…」
「相手に好かれてないって結構寂しいんだよ」

そう言ったきり、さゆは黙り込んでしまった。
いつも通りにふざけた会話で終わらせなかったさゆに、あたしも何も言い返せなかった。
最後のさゆの言葉はものすごくストレートに胸に響いてきて、あたしは再び激しい自己嫌悪に
陥った。



129 名前:  投稿日:2006/01/24(火) 23:14


結局、美貴姉には何も話せなかった。
なんとなく、話しちゃいけない。
そんな気がした。



130 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/24(火) 23:15


本日は以上です。



131 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/24(火) 23:15
>>119 名無し飼育さん 様
ありがとうございます。
うまく表現できているか自信なかったので、そう言って頂けると嬉しいです。
132 名前:LS 投稿日:2006/01/26(木) 10:40
はじめまして。今日一気に読ませていただきました。
ミキティーのぎこちない優しさがなんともイイ感じです。
133 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:20


高校一年、二月。

バイトは相変わらず順調。
そして、あたしは美貴姉と本当の姉妹のように仲良くなった。
もうほとんど敬語は使っていないし、彼の話以外はいろいろな話をするようになった。

と言っても、話をするのはほとんどあたしの方で、美貴姉のことはあまり知らない。
家族のことや昔のことは聞いたけど、今の美貴姉のことは何も聞いてない気がする。
そう、たとえば、好きな人のこととか。

「美貴姉」
「んー?」

あたしは思いきって聞いてみることにした。



134 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:20


「好きな人に、告白しないと?」

美貴姉は少しだけ悲しそうな顔をした。
そういえば、前にこの話をした時もそうだったけ。
あの時もほんの一瞬だったけど、同じような顔をした。
触れられたくないのかな。
それなら、話を逸らした方がいいのかも知れない。

「あー、なんでもないと。ちょっと聞いてみただけやけん、気にせんで」
「…しようと思ってる」
「え?」

美貴姉にしては珍しく、小さなつぶやき。
だから、あたしは聞き逃してしまった。



135 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:21


「美貴ね、もうすぐ誕生日なんだ」
「そうなん?いつ?」
「二月二十六日」
「は?今月やん!」
「いや、だからもうすぐなんだって。…誕生日までにはさ、告白しようって思ってる」

今度ははっきりと、あたしの目を見てそう言った。
美貴姉の目は真っ直ぐで綺麗で、その人への思いが伝わってくるようで。
なぜか、胸の奥が痛くなった。
それはたぶん、自分には抱くことの出来ない、理解することの出来ない感情に対する嫉妬
みたいなものだろう。

美貴姉の誕生日。
来てほしいような来てほしくないような、複雑な気持ち。



136 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:21


二月中旬。
いつものように本を並べていると、美貴姉が話しかけてきた。

「田中ちゃんさあ、明日、暇?」

明日は日曜日。
いつもならばバイトの日。

「うん。バイトっちゃろ?ちゃんと出るけん、安心しとって」
「あー、そうじゃなくて」
「え?」
「明日ね、店休みにしようと思ってさ」



137 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:22


突然の言葉。

「なんで?」
「んー、なんとなく」
「はあ?」
「…田中ちゃん、最近突っ込み厳しくなってない?」

ああ、美貴姉のが移ったのかな。
確かにあたしは最近、学校でも容赦なく突っ込みを入れている。
その相手はほとんどさゆなんだけど。

「そんなことより、休みってなんで?」

バイトのない日曜なんてやることない。
休みか休みじゃないかは重要な問題だ。



138 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:22


「ほら、うちって火曜日だけじゃん、休みが。じいちゃんが、もっと休んだらどうだって。
 どうせそんなに儲からないんだからって」

自分の店なのにその言い方もどうかと思う。

「だから、毎月第二日曜は休みにしようって決めたわけ」
「…」

あたしは何も返せなかった。
美貴姉が決めたことなら仕方ないし、バイトが「休みにしないで」なんて言えるわけでもない。

黙り込んだあたしの頭を美貴姉が軽く叩く。
これは、美貴姉のクセ、というか合図みたいなもので。
いつも「大丈夫だよ」って言ってくれてるように感じる。
その度にあたしは安心する。



139 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:23


「でさ、田中ちゃんが暇だったら、どっか行かない?」
「え!?いいと?」

思いがけない誘いに、ガラでもなくはしゃいでしまう。

「うん。どこ行くか考えといてよ」
「えー、美貴姉は行きたいとこないと?」
「んー、美貴、基本的にインドア派だからねー。混んでないとこならどこでもいいや。田中
 ちゃんが決めていいよ」

インドア派なのにわざわざ休みの日に誘ってくれるのは、たぶん、この前話したことが原因
だと思う。



140 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:23


先月、美貴姉の家に泊まった時に何気なく口にした言葉。

「うち、こんなんだから、家族で出掛けた思い出なんてなくて、小学校の時は周りの子が
 羨ましかったとー」

それはもう、寝る直前にポロっと漏らした本音で。
でも、その後美貴姉はこう言ってくれた。

「じゃあ、その分、これからいろんなとこ行けばいいじゃん。まあ、家族でってのは難しい
 かもしれないけどさ」
「えー?一人で?」
「…いや、まあ、なんていうか、美貴で良ければ…みたいな…」

あの時は話の流れで冗談ぽく流してしまったけど、本気で言ってくれてたんだ。



141 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:24


「…美貴姉ってどうしてそんなにれいなに優しくしてくれるん?」
「…あー…」

美貴姉は髪をクシャクシャに掻き乱す。

「…優しくなんかないよ」
「そんなことない。美貴姉は…」
「田中ちゃんは美貴のこと買い被り過ぎてるんだよ」

真っ直ぐにあたしを見る、いつかと同じような真剣で綺麗な瞳。



142 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:24


「美貴は優しくなんかないよ」

だけど、その瞳には少しだけ怒りが込められてるように思えて、それ以上何も聞くことが
出来なかった。

美貴姉の前でなら素の自分でいられると思ってたけれど、やっぱり拒絶されるのは怖い。
だからあたしは、拒絶される前に相手から距離を置いてしまうのかも知れない。
美貴姉に嫌われたくない。
美貴姉にそばにいてほしい。

それがなぜなのかはわからないけど。



143 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:25


あたしは話題を元に戻す。

「れいな、水族館に行きたい」
「水族館?」
「うん、いいと?あー、でも、混んでるかもしれんけど、でも…」

あたしが水族館を選んだ理由。
それは、家族で最後に出掛けた場所だから。

「いいよ」
「ホントにいいと?」
「言ったじゃん、田中ちゃんが決めていいって」

美貴姉はもういつも通りの美貴姉に戻っていて、あたしはその笑顔にホッとした。



144 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:25


家に帰ってから、あたしは珍しく明日の準備をした。
どこかに出掛けることを楽しみにするなんて、久しぶりの感覚だった。
一番お気に入りの服を選び、美貴姉に貰ったピアスを用意する。
まるで、ドラマでよく見るデートの前の日みたいに。

怖くて寂しくて眠れない夜はいくつも迎えたけど、こんなに楽しくて嬉しくて眠れない
夜を迎えるのは初めてだった。
少しだけそんな自分に驚いて、ガキっぽくてバカみたいって思って、いつかの美貴姉の
言葉を思い出した。



145 名前:  投稿日:2006/02/02(木) 21:26


「田中ちゃんはまだガキなんだからさ」

そう、あたしはまだ子供だから。
こんなふうに眠れない夜を素直に喜んでいてもいいんだ。
そんなふうに思える自分は嫌いじゃなかった。

たぶん、それが美貴姉にそばにいてほしい理由。
今のあたしにわかるのは、ただそれだけ。



146 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/02(木) 21:28


本日は以上です。



147 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/02(木) 21:28
>>132 LS 様
一気に読んで頂きありがとうございます。
藤本さんは不器用な人っぽいのでそれが伝わればいいなあと思います。
148 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/02(木) 23:51
最近発見して読ませていただいてます。更新されてて嬉しいです。というより、こんな良作が埋もれていたなんて!

ここのミキティが大好きです。何だか読んでて安心します。
149 名前:you 投稿日:2006/02/07(火) 21:02
今日一気に読みました
みきれな好きなCPなんで引き込まれました…
自分もCP小説書いてるのですがこういう話書けるよう頑張ります。つづき楽しみにしてます。
150 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/07(火) 21:05
すみません…
あげちゃいました
151 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 09:57


朝起きると雲一つない良い天気だった。
ものすごく寒いけれど。

「ただの水族館じゃつまらないじゃん」なんて美貴姉が言うから、あたし達は早起きを
して隣の県の水族館まで行くことにした。
割と有名なところらしい。
インドア派のくせに意外とノリ気な美貴姉を見てると、あたしまでなんだか嬉しくなった。



152 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 09:57


古本屋の前で待っていると、シルバーの車が目の前に止まる。
運転席には美貴姉。
サングラスなんかかけて窓から手を出したりするから、思わず笑ってしまう。

「ちょっと、笑うところじゃないじゃん」
「えー、だって、それギャグじゃないとー?」
「は?ギャグじゃないから。マジだから。失礼だなあ」

そんなふうに怖い顔で睨まれても全然怖くない。

「まあ、いいけどさ。早く乗ってよ」
「はーい!」
「だから、返事は延ばさない」
「はいはい」
「…田中ちゃん」
「わかっとうよ、ちゃんと乗るけん」



153 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 09:58


まだブツブツと文句を言ってる美貴姉を尻目に助手席に乗り込む。
よく考えてみるとこうやって助手席に座るのなんて初めてかもしれない。
家族で乗る時はいつも後部座席だったし、そもそももう何年も車なんて乗っていないし。
そう思うと少しだけ緊張してきた。

「さてと、…て、田中ちゃん、ちゃんとシートベルトしないとダメじゃん」

その言葉に慌ててシートベルトを探すあたし。
勢いよく引っ張ったものの、途中で止まってしまった。



154 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 09:58


「あ、あれ?」

嫌な視線を感じて振り向くと、美貴姉がニヤニヤと笑っていた。

「それ、ギャグ?」
「…ち、違うと!」

反論するあたしの顔はたぶん真っ赤になってると思う。
美貴姉の顔はニヤニヤ顔からいつもの優しい顔に変わって、シートベルトを引っ張り
直してくれた。
一瞬、美貴姉の髪が揺れて、あたしの体の前で甘い香りが拡がった。
甘くて優しくて暖かい、そんな香り。



155 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 09:59


途中でコンビニに寄っておにぎりや飲み物やお菓子を買い込む。
高速道路に乗って料金所でちょっと渋滞に巻き込まれてイライラする。
流れてくるラジオに合わせて歌ったら、美貴姉がちょっと驚いた顔して、

「田中ちゃんてそんなかわいらしい歌声してるんだ」

なんて失礼なことを言うから、あたしは拗ねたフリをする。
そんな一つ一つのくだらない小さな出来事が、どうしようもなく楽しくてたまらない。



156 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 09:59


高速を降りて畑の間の道を抜けると、すぐに海が見えてきた。
照りつける太陽の光を反射してキラキラ光る海。
それは、真冬なのになぜか暖かく感じる。

「すごい、きれー…」
「うん…」

あたしはその景色に見とれて無口になる。
美貴姉も言葉を失っているようだった。
車内にはラジオから流れるDJの声とエンジン音、そして微かな暖房の音だけが響いてる。
その沈黙はとても心地が良いものだった。



157 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:00


更にしばらく走ると水族館までの道程を示す看板が見え、そこから二つ目の角を曲がると
大きな建物が現れた。
どうやら、目的の水族館に着いたらしい。

最近改装したばかりらしく、中は結構な賑わいだった。
一通り館内を見た後、イルカショーとかアシカショーを見学して、ちょうどいい時間に
なったため、お昼ご飯を食べることになった。

「美貴姉、大丈夫?」
「ん?」
「結構混んどるけん。混んでるとこ苦手っちゃろ?」
「あー、まあね。でも、案外楽しいし」

確かに、さっきのショーでもどちらかというと美貴姉の方がはしゃいでいて、あたしは
イルカやアシカよりも美貴姉を見て楽しんでいたくらいだ。



158 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:00


「次、ここ行ってみない?」

美貴姉は、水族館に置いてあった近郊の観光ガイドのある場所を指差す。

「ガラス工房?」
「そう、オリジナルのガラス細工が作れるんだってさ。やってみたくない?」

美貴姉の指の先にはテレビの旅番組とかでよく見るガラス細工作りの写真が載っている。

「すごい!やりたい!」

ずっと前からやりたいと思っていて、でも出来るわけないと諦めていたことだったので、
思わず大声をあげてしまった。
周りの人から注目を浴びて恥ずかしさのあまりにうつむいたあたしの頭を、美貴姉は
いつものように優しく撫でてくれた。



159 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:01


そのガラス工房は小さな通り沿いにあって、水族館とは対照的に静まり返っている。
気の良さそうなおじさんがニコニコしながら近付いてきて、紙とペンをくれた。
どうやら、最初にある程度のデザインを決めてから作るらしい。
思ってたよりも本格的な雰囲気にだんだん興奮が高まってきた。

あたしは昔からデザインをしたり絵を書くのは割と得意な方だった。
両親のケンカで眠れない夜は、よく姉と二人で絵を書いていたから。
姉は今、アメリカでデザイン関係の仕事をしているみたいだから、そういう時間も無駄
じゃなかったのかもしれない。
姉は元気で頑張っているだろうか。
今なら心から笑顔で迎えることが出来る、そんな気がする。

あたしはヒビの模様の上にハートマークをつけたコップを書いた。
あまりにもかわい過ぎてらしくない気もするけど、美貴姉に見られるのは別に嫌じゃない。



160 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:02


「出来た。美貴姉は?」
「…とっくの昔に」
「見せて」
「…ん」

なぜか元気のないように見える美貴姉。
あたしの方に向けられた紙には…。

「…なん、それ…」
「なんってコップだよ、コップ。どっからどう見てもコップ」
「コ、コップ…?」

美貴姉が書いたのは台形を逆さまにして口を開けただけの、本当にただそれだけの絵。
呆然としているあたしに開き直ったように説明してくれた。



161 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:02


「テーマはシンプル、ポイントはナチュラル、ちょっとムーディな感じで。まあ、色で
 勝負、みたいな」
「…美貴姉って…」
「うるさいなあ、絵は苦手なの、昔から」

そう言って子供みたいに拗ねる美貴姉がかわいくて涙が出るほど笑ったら、美貴姉も
真っ赤な顔して笑ってくれた。
なんとかデザイン通りに形を整えて、完成品を送ってもらう住所を教えてガラス工房を
後にする。



162 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:03


夕方になり、あたし達は海の近くに車を止めた。
砂浜ではなくて崖のようになっていて、下の方まで遊歩道が続いているみたいだ。

「行ってみよう」

という美貴姉の提案で一番下まで降りることになった。
日も暮れかけて少し寒い。
人もまばらでたまにすれ違うのはほとんどカップルばかりで、なんとなく気まずい雰囲気が
流れる。
美貴姉は黙々と歩いているから、あたしも何も言えずについていく。

「…ここが一番下かなあ」
「…うん」

これ以上先へと進むことが出来ない遊歩道の終点に着くと同時に、ちょうど太陽が沈んで
いく。



163 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:03


「きれー…」
「うん…」

朝と同じような会話なのに、あの時の沈黙とは違って胸が苦しい。
それはたぶん、美貴姉がすごく真剣な顔をしているから。
隣にいるのに遠くにいるように感じるから。
いつものように笑って頭を撫でてほしいのに、美貴姉はじっと沈んでいく夕日を見ている。

今、たぶん美貴姉の頭の中には『好きな人』が浮かんでるんだと思う。
その話題を出した時はいつもこんな顔をしてたことを思い出す。
誕生日に告白すると言っていた美貴姉の片思いの相手。
見たことのないその人に抱くこの気持ちは一体なんなんだろう。
悲しいとか悔しいとか寂しいとか…。
そういう一言では表せないような気持ち。



164 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:04


「…帰ろっか」

夕日が完全に沈んだ後、わずかな明かりの下でやっと美貴姉が笑ってくれた。
ただそれだけのことで安心してしまう自分に呆れながら、あたしも笑顔で返す。

「うん、帰ろ」

暗い足元でなかなか思うように歩けないあたしを、

「田中ちゃんて意外とどんくさいよねー」

なんて文句言いながらも待っててくれる美貴姉の優しさが嬉しかった。



165 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:05


帰りはあたしの家まで送ってくれることになったけど、住宅街で少し入り組んでいるから、
近くの道路脇で降ろしてもらうことにした。

「今日はありがとう。楽しかったと」
「うん、美貴も楽しかった」

「じゃあ」と言って車を降りればいいのに、なぜかその一言が出てこない。
いつもみたいにただ単に家に帰りたくないだけじゃない。

「…あ、そうだ」
「え?」
「ほら、田中ちゃん、写真撮ってたじゃん。あれ送ってよ」

たぶん、携帯で撮っていたイルカショーやアシカショーのことだろう。



166 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:06


「いいけど、れいな、美貴姉のメール知らないけん」
「ほとんど毎日店で会ってるしね。…はい、これ、美貴の番号とアドレス」
「ありがと。じゃあ、今送るけん、ちょっと待っとって」

素早く美貴姉のアドレスを登録して写真を送った。

「うわ、早いじゃん。さすが女子高生」
「うわ、その発言、まるでおばさんやん」
「なんだとー?」
「おばさんが怒ったー」



167 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:06


そんなくだらない会話をしていると、いつの間にか時計は10時を回っていた。

「ごめんね、遅くまで。もう帰りな」
「うん…」
「じゃあね、おやすみ」
「おやすみなさい」

別れ際の美貴姉の態度はあっさりしていて、少しだけ寂しくなった。



168 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:08


家に着いてしばらくするとメールが届いた。
送信者は『美貴姉』。

『今日は楽しかった。良かったら来月もどっか行こう。おやすみ』

絵文字も顔文字もないシンプルなメール。
だけど、美貴姉らしくて嬉しくて、さっきまで感じていた寂しさが吹き飛んでしまう。
美貴姉の態度一つで嬉しくなったり寂しくなったり、最近のあたしは本当に単純だなって
思う。



169 名前:  投稿日:2006/02/11(土) 10:08


今日一日で美貴姉のいろいろな一面を知ることが出来た。
子供みたいに無邪気で、ムキになったり大声で叫んだりするくせに、肝心な時にはやっぱり
大人。
突き放して反応を見てからかうくせに、最終的には結局あたしの言うとおりにしてくれる。
出会った頃とは少し違う、ぶっきらぼうな美貴姉の優しさ。

今日は何も考えずにぐっすり眠れそうな気がした。

『れいなも楽しかったとー。またどっか連れて行ってね、おやすみなさい』

おやすみなさい。
明日になればまた、美貴姉に会える。



170 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 10:09


本日は以上です。



171 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 10:10
>>148 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
良作だなんて恐縮ですが、完結後もそう言って頂けるよう、最後まで頑張ります。

>>149 you 様
ありがとうございます。
自分もいろいろな作者様の小説を読んで書きたいなあと思った人間なので、そう
言って頂けると嬉しいです。
172 名前:駆け出し作者 投稿日:2006/02/11(土) 11:46
初めましてです。最初の頃からずっと拝見していました。完結までこっそり見守ろうと思ってたんですがレスしちゃいます。
この暗いような穏やかなような雰囲気がすごく好きです。優しい藤本さん素敵すぎます。
今回、自分でも知っているネタが入っていたのはなんだか嬉しかった(w

次回以降も期待しています。
173 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 21:33
>>171

>>148です。
いや、実はこの小説でれなみきがかなりの好CPになったのもので。作者さんは私の中で偉大ですよ!(笑)
今後も頑張って下さい!
174 名前:konkon 投稿日:2006/02/12(日) 01:24
みきれなーーーっ!!!
最初っから読ませてもらって初レス・・・かな?
北海道のネタも使ってて面白かったです。
次もがんばってくださいね♪
175 名前:かちゃぼ 投稿日:2006/02/12(日) 08:56
更新お疲れさまです。
ここのミキティーホント最高です!

そして最後のれいなの一言、心にグッときました。
176 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:51


今日も一日の仕事が終わり戸締りをする。
明日は定休日。

「あー、疲れた」

シャッターを閉めた美貴姉が長い手を上に伸ばす。

「やっぱり年やけん、疲れるとねー」
「あのねー、年だ年だって言うけど美貴はまだ20歳だから」
「けど、もうすぐ21歳やろ?」

何気なく言った言葉に美貴姉の動きが止まる。



177 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:51


「…美貴姉?」
「…覚えててくれたんだ…」
「え?」

聞き返そうとした時、角からバイクが現れてあたし達の前に止まった。

「迎えに来たよ、ミキティ」
「よ、よっちゃん!」

ヘルメットを颯爽ととったその人は、まるで外国の人形みたいな綺麗な瞳をした女の人。
どうやら美貴姉の友達らしい。



178 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:52


「迎えにって?わざわざ?別に良かったのに」
「あたしもそう思ったんだけどさ、梨華ちゃんが「美貴ちゃんは主賓なんだから迎えに行け」
 ってうっさいからさ。まあ、あの二人の邪魔するのもなんだしね」
「ああ、なるほどね。…ま、今日は朝まで飲もうよ」

二人はそんな会話をしながら意味深にうなづき合っている。
ただそれだけで絵になるような雰囲気を醸し出していて、あたしは思わずうつむいた。
理由はわからないけれど、見たくないと思った。



179 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:52


「あ、驚かせちゃったかな?ごめんね」
「田中ちゃん?」

ふと顔を上げると美貴姉達が心配そうな顔でこっちを見ていた。
とても優しい表情なんだけどなんだか子供扱いされているみたいな気がして。

「じゃあ、あたし、帰りますね」

あたしは早口でそう言ってその場を去ろうとした。

「あ、田中ちゃん!」

立ち止まって振り返ったあたしに、美貴姉はいつもの笑顔で言ってくれた。



180 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:52


「お疲れ様。気をつけてね」

いつもなら嬉しい言葉なのに今日はなぜか胸が痛くなって、急いで角を曲がった。
そんな自分の行動がどうしようもなく子供に思えて、あの綺麗な女の人を思い出して、
また胸が痛くなる。

どうしてこんなに苦しいのか。
どうしてあんな行動をとったのか。
こういう気持ちをなんて呼ぶのか。
あたしにはわからない。

わからないから苦しいのか、答えや理由がわかれば楽になるのか。
とにかくなにもかもがわからなかった。



181 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:53


考えているうちにいつの間にか寝てしまったらしく、メールの着信音に起こされた。
時計を見ると午後11時半。

あたしはいつも通りの手つきで何気なく携帯を確認する。
どうせ、友達からのくだらないメールだろう。

だけど、送信者の名前を見たら一気に目が覚めた。

「美貴姉…」



182 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:53


こんな時間に何の用だろう。
別れ際の自分の態度を思い出し、そのことで気に掛けてくれてるのかなと思った。
美貴姉はそういうところによく気付いて、さり気なくフォローをしてくれる人だし。
もしもそうなら、それはとても嬉しいことだ。
だって、美貴姉はたぶん今、友達と一緒に飲み会をしている最中で、そんな状態でもあたし
のことを考えてくれてるってことだから。

あたしは期待と不安の入り混じった気持ちで美貴姉からのメールを開く。

「え…」

その瞬間、心臓が今まで経験したことないくらいのスピードで動き出した。



183 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:53


『好きです』

美貴姉から送られてきたメールにはたった一言、そう書かれていた。



184 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:54


「告白しようと思ってる」

今月の初め、美貴姉は確かそんなことを言っていた。
だとすれば、このメールはその片思いの相手に向けられたものだろう。
酔った勢いで間違えてあたしに送ってしまったのかもしれない。
そうに違いない。
そうであってほしい。

だって、こんなこと、ありえない。



185 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:54


30分ほど悩んだ後、とりあえず軽い感じで返事を打つ。

『送る相手、間違っとうよー!それとも冗談?』

たったそれだけの文なのにすごく時間がかかって、初めて自分が震えていることに気付いた。
なんだろう、この嫌な胸騒ぎ。
ううん、胸騒ぎともまた違う、わけのわからない複雑な感情。
美貴姉に恋人が出来ることの寂しさなのだろうか。
もう一緒に出かけたりすることも出来なくなるかもしれないから?
それとも…。

繰り返される自問自答。
だけど、当然のように答えなんて出てこなかった。
今はただ、美貴姉にいつもの笑顔で『間違えちゃったー』なんておどけて欲しい。



186 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:55


手の平から流れる着信音に我に返る。
ディスプレィに表示される『美貴姉』の文字。
あたしはどこかはっきりとしない意識の中でそのメールを開く。

『ごめん』

最初に飛び込んできた文字に少しだけ安堵する。
だけど、次の瞬間、再び着信音が鳴り響いて。
続けざまに送られてきたメールを見て、あたしの頭は真っ白になった。



187 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:55


『でも、間違えでも冗談でもないよ』

今まで以上に心臓がざわめく。



188 名前:  投稿日:2006/02/18(土) 13:55


『美貴は、田中ちゃんが好き』

―――美貴は、田中ちゃんが好き。

頭の中で、美貴姉の声が聞こえたような気がした。



189 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/18(土) 13:56


本日は以上です。



190 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/18(土) 13:57
>>172 駆け出し作者 様
ありがとうございます。
最後までこの雰囲気を保てるように頑張ります。

>>173 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
偉大だなんてとんでもないですが、正直嬉しいです。
191 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/18(土) 13:57
>>174 konkon 様
ありがとうございます。
ネタは今後も入れていきたいなと思ってます。

>>175 かぼちゃ 様
ありがとうございます。
最後の一言はわりと気合を入れて考えてるので嬉しいです。


返レスはどうも苦手なんでぶっきらぼうになってしまい、ごめんなさい。
今後とも読んで頂ければ幸いです。
192 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/19(日) 00:01
>>190


>>173です。余りにもの急展開に凄くテンションが上がってます。次の更新が楽しみです。れなが可愛すぎ(*´д`)ハァハァ
193 名前:P 投稿日:2006/02/19(日) 00:41
ROM決め込んで居るつもりでしたがあまりにも素敵だったので思わず出て来てしまいました…


ふじもとさんの告白に胸を刺されてしまいましたよ
こんなにイイみきれな初めて読んでかなり感動中ですっ

これからも無理をせず頑張って下さい
194 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/02/19(日) 02:29
更新お疲れ様です。
やばいです。すげーどきどきしました。
次回更新待ってます。作者様のペースで頑張ってください。
195 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/19(日) 15:07
とても良いお話ですね
タイトルの単語の意味知ってさらにこのお話が好きになりました
完結までがんばってください
196 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:17


バイトがない平日は暇以外の何物でもない。
だけど、今日だけはない方が有り難かった。

どんな顔をして美貴姉に会えばいいのかわからなかったから。

さゆはブラスバンド部の練習。
こんな時、普段はクラスで適当に仲が良い子達と適当に遊びに行ったりしてるけど、
今日はそんな気分になれなくて一人で帰ることにした。

何気なく、いつもは通らない自転車置場の奥にある裏道を通ってみる。
うちの学校は割と遠くから通学している子が多いので、この自転車置場はほとんど
使われていない。
昨日のことを誰にも邪魔されずにじっくりと考えたい、そう思って無意識のうちに
この道を選んだのかもしれない。



197 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:18


美貴姉からの突然の告白。
あのメールの後、美貴姉はわざわざ電話をくれた。
初めて聞く受話器越しの声は、いつもよりも高い気がして少しだけ違和感を覚えた。

「ごめん」

という第一声の後、メールと同じセリフを言われた。

「でも、美貴は本気で田中ちゃんのことが好きなんだ」

あたしは何も答えることが出来なくて、小さく「うん」と言うのが精一杯だった。

不思議なことに女同士なのに気持ち悪いとか、そういう嫌悪感は全く抱かなかった。
いつもはあたしの反応を確認しながら話を進める美貴姉だけど、昨日はそんな余裕
なんてなかったみたいで、早口に言葉を吐き出していた。



198 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:18


「前に田中ちゃん、美貴のこと優しいって言ったじゃん。だけどそれは田中ちゃんが
 好きだからで、なんの期待も持たずに優しくしたわけじゃない」

それはよく考えてみると酷い言葉なのかもしれない。
だけどあたしは怒る気にはならなかった。
だって、たとえその裏にどんな気持ちが隠されていようとも、向けられた優しさは本物
だって思ったから。

美貴姉は本当に優しかった。
その暖かさにあたしは救われた。
だから、美貴姉の優しさに嘘はないって信じてる。
少し前のあたしならきっと、やっぱり大人は信じられないなんていじけて、心を閉ざして
いただろう。
こんなふうに思えるようになったのは、間違いなく美貴姉のおかげ。



199 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:19


だからそばにいたいと思う。

だけど、それはたぶん恋とは違う。
恋がどういうものなのか、本気で人を好きになったことのないあたしにはわからない
けど、少なくとも未来を信じられるものではない。
必ず終わりがくる、儚いもの、不確かなもの。

そんな不安な関係になるのは怖かった。
このままがいいと思った。
今までの関係を壊したくないと思った。



200 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:19


あたしはうまく整理出来ていない気持ちを、なんとか口に出した。

「ごめんなさい。美貴姉のことそんなふうには思えん。今まで通りでいたい」

あれは確かにあたしの本音。

「…うん、そうだよね。大丈夫、今まで通りの関係でいよう」

それは確かにあたしの望んだ通りの美貴姉の優しさ。

それなのに、ホッとしたはずなのに、心の中に苦い気持ちが広がったのはなぜだろう。
こんなに胸が苦しいのはなぜなんだろう。



201 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:20


そんなことを考えながら歩いていると体育館の裏口で見慣れた後姿を見つけた。

一人はさゆだった。
そしてもう一人、並んで歩いている小柄な女の子。
後をつけるつもりも、覗くつもりもなかったけど、なんとなく二人を追いかける。



202 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:20


二人は古い倉庫に入っていく。
昔は体育で使う道具を置いていたらしいけど、今は使われていない倉庫。
いけないことをしているという気持ちを持ちながらも、あたしは窓から中を覗き込む。

中は薄暗いけど、並んで腰をかけて仲の良さそうに話している姿が見える。
あたしの方向からはさゆの顔しか見えなくて、初めて見る幸せそうな笑顔に少しだけ
嫌な気持ちになった。

ふいに、さゆの顔が真剣なものに変わる。
近づいていく距離、そして…。



203 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:20


「あ…」

二人の唇が重なった瞬間、あたしは思わず声をあげてしまった。
すごい勢いであたしを見る二人。
その時初めて、相手の女の子が三年生の高橋先輩だということに気付く。
ブラスバンド部の部長。
そういえばさゆは昔は毎日毎日高橋先輩の話をしていたのに、最近はまるで忘れたかの
ように名前を出さなくなっていた。
それは、ただ単に部活を引退したからだと思ってたけど…。

「れいな…」

あたしはその場から動けなかった。



204 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:21


「びっくりした?」
「…うん」

あの後、呆然としているあたしに高橋先輩はこう言った。

「れいなちゃん?いつもさゆから話は聞いてるよ。びっくりさせてごめんね」
「愛ちゃん」
「さゆ、ちゃんと話してあげな」

だから、あたし達はこうして二人きりで屋上にいる。
二月の風は冷たくてあたしは巻いてあるマフラーに口を埋める。



205 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:21


「軽蔑した?」
「…ううん」

それだけは絶対にないと言い切れる。
さゆがまだ不安そうな顔をしてるから、もう一度ちゃんと口に出して言う。

「軽蔑なんてしないよ」
「…そっか」

ようやく笑顔を見せてくれたさゆに、あたしも笑顔で返した。

「愛ちゃんとはね、文化祭の後から付き合い始めたんだ」

さゆが話してくれた高橋先輩との恋。
それは白馬の王子様を待っている女子高生には似合わない、辛く苦しい恋。



206 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:21


ずっと憧れていた高橋先輩が引退する時に思い切って告白した。
意外にもOKしてもらえて嬉しかった。
だけど。

「愛ちゃん、他に好きな人がいるの」

高橋先輩が見つめる視線の先にはいつも同じ人がいるらしい。
あったかそうな笑顔で太陽みたいに笑う人。

「麻琴はほんとにアホやなあって愛ちゃんの口癖。愛ちゃんは意外と鈍いから気付いて
 ないの。自分の気持ちにも、あたしがこんなふうに思ってることも」
「さゆは、それでいいと?」
「うーん、わかんない。よくないと思うけど、そばにいたいって思う。だから、今は
 それでいいんだと思う。それに愛ちゃんが気付く前に教えてあげるの、なんか癪だし」
「…そっか」
「…でも…」



207 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:22


さゆの瞳が揺れる。
なんだかどこかに消えてしまいそうな気がして、あたしは思わずさゆの腕を掴んだ。

「いずれはちゃんと言ってあげるつもり。愛ちゃんが好きなのはあたしじゃないでしょ
 って。いい加減、自分の気持ちに気付きなよって」
「さゆ…」
「そしたら…」

さゆの目から流れる涙。
こんな時だけど、こんな涙だけど、それはとても綺麗な涙だった。

「その時はれいな、慰めてよね?」

あたしはさゆを抱きしめながら何度も何度も頷いた。
つられて泣きそうになったけど、自分にはその資格がないと思って必死で堪える。
今のあたしには、さゆを慰める資格も、高橋先輩を責める資格もない。

あたしのいい加減な態度で、辛い思いをさせている人がいるから。



208 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:22


その日の夜、初めてあたしから彼に電話をした。
初めてかけた電話で別れ話をするなんて、最後まで最低な人間だと思った。

「うん、わかった」

彼は何も聞かずにそのことを受け入れてくれた。
だけど、最後に一言だけ残して電話を切った。

「れいなは俺のこと好きじゃなかったかもしれないけど、俺は結構本気で好きだったよ」



209 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:23


その夜は、昨日と同じようになかなか寝付けなかった。

さゆのこと、彼のこと、そして、美貴姉のこと。
いろんなことが一気に起きて混乱している。

何もかも放り出して楽になりたい。
それなりの人生をそれなりに楽しく生きれればそれでいいのに、どうしてこんなに
面倒なことが起こるんだろう。
誰かに答えてほしいと思ったけれど、その答えはあたしにしかわからないような気が
して、ますます頭が痛くなった。



210 名前:  投稿日:2006/02/23(木) 19:23


明日はバイトの日。

どんな顔で会えばいいのかはわからないくせに、無性に美貴姉に会いたい。
だけど、あたしはそんな思いを必死で打ち消した。

だって、あたしにはそんな資格なんてないから。
もう、美貴姉の優しさに甘えるわけにはいかないから。

今まで通りの関係でいられるわけないってことくらい、本当はわかってるから。



211 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/23(木) 19:23


本日は以上です。



212 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/23(木) 19:25
>>192 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
この小説の目的(の半分)はれいなをかわいく書くことなのでw、嬉しいです。

>>193 P 様
ありがとうございます。
感動だなんて照れくさいですが、めちゃくちゃ光栄です。
213 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/23(木) 19:25
>>194 名無し飼育さん 様
ありがとうございます。
これらもマイペースでしっかりと更新するので、よろしくお願いします。

>>195 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
タイトルはかなり悩んで決めたので、そう言って頂けると嬉しいです。
214 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:51


翌日。
いつもと何も変わらない朝。

結局ほとんど眠れなかったせいで、目の下にはくっきりとクマが出来ている。
情けない顔。
美貴姉も彼も、こんなあたしのどこを好きになったんだろう。

ふと、別れ際の彼の言葉が頭をよぎる。

「俺は結構本気で好きだったよ」



215 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:52


付き合ってるとはいえないような状態だったあたし達。
たった一度のキスと、数回のデート。
それでも彼はあたしのことを好きだったと言ってくれた。
誰でもいいわけじゃなく、あたしが好きだと。

一方的に別れを告げた今でもそんなふうに思ってくれてるのだろうか。
それとも、最低な女だって、好きにならなきゃ良かったって思ってるだろうか。
それなら、そっちの方がいい。
だって、あたしは本当に最低な人間なんだから。

「美貴は、田中ちゃんが好き」

美貴姉はこんな最低なあたしを知っても、変わらずに好きだと思ってくれるだろうか。



216 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:52


「れいなー?」

下から母の呼ぶ声が聞こえる。

「今行くー」

身支度を整えてリビングへと向かう。

「あらー、すごい顔やね」

あたしの顔を見るなり、母は目を見開いて驚いた。
だけど、そのすぐ後に笑いながらこう言った。



217 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:53


「まあ、お母さんもれいなくらいの頃はしょっちゅう眠れない日があったけん。仕方
 ないとね」
「…お母さんも?」
「なんね?意外?」
「うん…」
「お母さんにも悩みくらいあるとよ」

吐き出された言葉のわりに、母の顔は今までに見たことのないくらい穏やかだった。
最近はこんなふうに母と向き合って話すことが多い。
それはたぶん、家を飛び出して美貴姉のところに泊めてもらったあの日から。

美貴姉の話を聞いて少しだけ親を認めることが出来るようになったあたし。
初めて家を飛び出したあたしを見て何かを感じてくれた母。
あの人は相変わらず家には帰ってこないけど、母と二人の空間を息苦しいと思うことは
少なくなった。



218 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:53


「あんたはどっか諦めてるとこがあるけん。…まあ、それはお母さん達のせいなんかも
 知れんけど」

思わず下を向いてしまう。
母は言葉を続ける。

「悩むのは辛いことやけど、悪いことじゃないけんね」
「…ん、行ってきます」

あたしは何も返すことが出来なくて、そのまま席を立って玄関へと向かった。

「行ってらっしゃい」

背中にかけられた言葉はとても暖かくて、意味もなく泣きたくなった。



219 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:53


教室に入りさゆの姿を探す。
まだ来ていないみたいだ。
昨日、別れる時はもういつものさゆに戻ってたけど、大丈夫だろうか。

「おはよー、れいな」
「おは…」
「…」

お互いの顔を見て絶句する。
さゆの目は真っ赤だった。
たぶん、さゆはあたしのクマを見て驚いてるのだろう。

「…ひどい顔…」

ぽつりと呟くさゆ。



220 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:54


「そっちだって…」

そんな目をしてたら、一晩中泣いてましたってばらしてるようなものだ。
それっきり言葉を失ったあたしにさゆはいつものようにポーズを決める。

「これがホントのウサちゃんピース!」

今度は別の意味で絶句する。

「…それはさすがに…」
「えー、かわいいと思ったのにー」
「いやいやいや。それはどうかと思うよ」
「れいなよりはかわいいもん」
「うーん…」
「いーの!本当の王子様が現れるまでに、うーんとかわいくなるんだから」

さゆは一瞬だけ真顔になって、

「愛ちゃんが後悔するくらいにね」

と言った。
あたしは黙ってうなづく。
さゆにならきっと白馬の王子様が現れると思う。
うん、さゆになら、きっと。



221 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:54


「…れいなにクマは似合わないよ」

「なんかあった?」とか「大丈夫?」とか聞くわけでもなく、さゆはただそう言って
笑う。
今まではそれを一歩距離を置いた関係だと思っていたけど、今は違う。
さゆはたぶん待ってくれてるんだ。
あたしが話せるようになるまで。

誰にだって聞かれたくないことや言いたくないことがある。
それと同様に、聞いてほしいけど言いたいけど、うまく話せないこともある。
今あたしが抱えているのは後者の方。
誰かに相談するにはもう少し時間がかかる。
だけど、いつかは聞いてほしいと思う。

さゆに聞いてほしいと思ってる。



222 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:54


「もうちょい、待って」

まだうまく話せないとはっきりと口に出しては言わなかったけど、笑顔で頷いてくれた
さゆを見て、自分の考えは間違っていないと確信した。

さゆに美貴姉のことを話せるようになる時、その時までにこの胸のモヤモヤは消えて
いるだろうか。
それとも…。



223 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:55


放課後になり、店に向かう。
いつもより少しだけ重い足取り。
昨日の夜、休んでしまおうかとも考えた。
だけど、それはたぶん美貴姉を傷つけることになるし、余計な気を遣わせてしまうと
思って止めた。

…ううん、本当の理由はそうじゃない。
そんなんじゃなくて、たぶんもっと簡単で単純な理由。



224 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:55


店の外から中を覗くと、レジに座ってる美貴姉が見えた。
何かを考え込むかのように頬杖をついて、時々時計を気にしてる。
ため息をついて髪を掻き乱して、そしてまた時計を見て。

あたしはなんとも言えないせつない気持ちを抑えながら、店のドアを開けた。
その瞬間、立ち上がる美貴姉。
あたしの顔を見て一瞬だけ目をそらした後、再びこっちを見る。

「…良かった」

そして、力が抜けたように座り込む。



225 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:56


「来てくれないかと思った…」
「そ、そんなわけ…」
「うん。ホントは来てくれるってわかってたけど、なんかすごくビビっちゃって…。
 あーあ、情けないなあ、美貴」
「…そんなことない」

あたしがそう言うと、美貴姉はちょっと困ったような顔をして、

「ありがとう。…ごめんね」

と言った。

それからは美貴姉は何事もなかったかのように、今まで通りの態度で接してくれた。
あの約束通り、今までと変わらない関係を続けようとしてくれた。
だから、あたしも必死で平気なフリをする。
自分自身が望んだことだから。



226 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:56


二月二十六日。
今日は美貴姉の誕生日。

だけど、あたしは「おめでとう」の一言も言えなかった。
こっそりと用意していたプレゼントもあげられなかった。

意識せずにはいられない。
今でも頭の中で繰り返される、美貴姉の告白。

―――美貴は、田中ちゃんが好き。

あたしは心の中で何度も何度も打ち消して、その代わりに違う言葉を必死で呟く。
少しでもいいから、美貴姉に届いてほしい。
そんな願いを込めながら。

「誕生日おめでとう、美貴姉」

美貴姉は今日、21歳になった。



227 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/26(日) 00:56


本日は以上です。



228 名前:あお 投稿日:2006/02/27(月) 20:57
>>192の者です。

久々に見たらたくさん更新されていて嬉しかったです。
なんだかシゲさんもれいにゃも美貴姉も切ない・゜・(Pд`q。)・゜・
れいにゃー、自分に正直になってくれー!
229 名前:  投稿日:2006/03/02(木) 22:11


高校一年、三月。
美貴姉の告白から数日が経った。

「今まで通りの関係でいよう」

その言葉通り、美貴姉の態度はそれまでとほとんど変わらなかった。
最初はぎこちなかったあたしも、あまりにも自然な美貴姉につられて、気付いたら
普通に話せるようになっていた。
それはとても嬉しいことなんだけど、同時に少しだけ寂しくもあった。



230 名前:  投稿日:2006/03/02(木) 22:11


彼と別れたことは美貴姉には話していない。
あんなことを言われた後に別れたなんて、期待させてしまうような気がしたから。

美貴姉の告白が原因じゃない。
一つのきっかけではあったかもしれないけど。
だけど、それを認めてしまうことは出来なかった。
今さらだけど彼に悪いという気持ちもあったし、なぜか怖いという気持ちもあった。



231 名前:  投稿日:2006/03/02(木) 22:12


ところで、一見変化のない美貴姉の態度だけど、一つだけ決定的に違うことがある。
それは…。

「うわっ」

そんなことを考えながら本を運んでいると、積み上げてある雑誌の山につまづいて
倒してしまった。
それは買取をした雑誌でこれから棚に並べる予定のものだった。

「なんだよ、邪魔だよ」
「す、すいません」



232 名前:  投稿日:2006/03/02(木) 22:12


迷惑そうに通り過ぎるお客さんに謝りながら雑誌をかき集める。
こういう雑誌類はまとめて売りに来る人が多いので、思ったより手間がかかってしまう。
焦りながら集めていると、ふっと横に気配を感じる。
ドキッとした。
美貴姉の甘い香り。

「田中ちゃんは相変わらずどんくさいなあ」
「…ごめんなさい…」
「ま、美貴もよくやるから気にすんな」

美貴姉はそう言って笑うと、慣れた手つきで素早く雑誌を拾い上げて、レジの方へと
戻っていった。



233 名前:  投稿日:2006/03/02(木) 22:12


こんな時、少し前なら必ずあたしの頭に手を置いて、軽く叩いてくれた。
「大丈夫だよ」って安心させてくれた。

だけど、あの告白の日以来、美貴姉はあたしに一切触れてこない。
そのことに気付いた時、あたしが貰っていた優しさは言葉だけじゃないんだってわかった。
美貴姉の言葉、態度、仕草、表情…その一つ一つ、全てに優しさが詰まっていたんだ。

今の状況を物足りないと思ってしまうのは、わがまま以外の何物でもないんだろうけど。



234 名前:  投稿日:2006/03/02(木) 22:13


もうすぐ第二日曜日がくる。
先月、美貴姉と約束した日。

たぶん、美貴姉もちゃんと覚えていてくれてると思う。
だけど何も言わないのはやっぱりあんなことがあったからだろう。
自分からその話を切り出すことは出来ない。
誘うことなんて、出来るわけない。



235 名前:  投稿日:2006/03/02(木) 22:13


土曜日。
あたし達はいつもと同じように当り障りのない会話をして、閉店時間を迎えた。

「じゃあ、お疲れ様でした」
「あー…」

帰ろうとしたら呼び止められる。
少しだけ期待してドキドキしまう自分が情けない。

「…美貴姉?」
「あー、うん…」



236 名前:  投稿日:2006/03/02(木) 22:13


美貴姉は呼び止めたきり黙り込んでしまった。
ふと、あたしの誕生日の時のことを思い出す。
照れくさそうにプレゼントをくれた美貴姉。
あの時、すでにあたしのことを好きになってくれていたのだろうか。

「あの…さ」
「うん」
「明日…なんだけど…」
「…うん」
「もし、嫌じゃなければ…なんだけど…」

美貴姉はいつものように髪をクシャクシャって掻き乱して。

「映画でも行かない?あー、あの、ほら、美貴さ、友達からタダ券、もらっちゃってさ。
 せっかくだから無駄にするのもなんだし…」



237 名前:  投稿日:2006/03/02(木) 22:14


目を泳がせながら早口で言う美貴姉。
ジーンズのポケットから取り出したのは、小さく折りたたまれたチケットらしきもの
だった。
そういう無造作なところが美貴姉らしくて、少しだけ微笑ましい気持ちになって、
あたしは笑顔で答える。

「うん、行きたい」
「マジで?」
「うん、マジで」

そう答えると、美貴姉は大きく深くため息をついた。

「ふう…。断られたらどうしようかと思った…」
「…美貴姉はいいと?」

短い質問だったけどその意味は伝わったみたいだ。



238 名前:  投稿日:2006/03/02(木) 22:14


「いいも何も、美貴は田中ちゃんと行きたいなって思ってるから」
「…うん」
「…楽しみにしてたしさ」
「うん、れいなも」

照れくさそうに笑う姿を見て、思わず素直に発してしまった言葉。
言った後すぐに後悔してうつむく。
そんなあたしに美貴姉は相変わらず優しい口調でこう言ってくれた。

「ありがとう」

「ありがとう」なんて言ってもらう資格ないのに。
あたしの方こそ、お礼を言わなくちゃいけないのに。
誘ってもらった嬉しさと勝手すぎる自分の言動を責める気持ちを抱えながら、美貴姉との
二回目のお出かけの日を迎えた。



239 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/02(木) 22:16


本日は以上です。



240 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/02(木) 22:17
>>228 あお 様
いつもありがとうございます。
メチャクチャ励みになります。
なんだかグダグダな展開で申し訳ありませんが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
241 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/02(木) 22:43
更新お疲れ様です。
このじれったい感が何とも言えないです…
これからも楽しみにしていますね。
242 名前:konkon 投稿日:2006/03/03(金) 00:12
美貴姉の優しさがこう・・・擽られますねw
今後の展開が楽しみです。
243 名前:あお 投稿日:2006/03/04(土) 13:33
>>240

励みになりますか!それはとても光栄です。勿論最後までしっかり拝見させていただきますよ!
美貴姉、頑張れ〜!!!
244 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 21:58


その日はあいにくの雨だった。
午後からの映画なのでお昼過ぎに待ち合わせをした。

先月と同じ、古本屋の前。
先月と同じようにシルバーの車が止まり、美貴姉が手を上げる。
全く同じようなシチュエーション。

違うのは、つっかえることなくシートベルトを締めることが出来ることと、二人の気持ち。



245 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 21:58


映画を見るのは久しぶりだった。
美貴姉とやることは初めてのことや久しぶりのことが多い。
だから、あたしの中の思い出はどんどん美貴姉で埋め尽くされていく。
水族館といえば、車の助手席といえば、映画館といえば…思い浮かぶのは、全部美貴姉。

「なんか、いまいちだったなー」

美貴姉は映画館を出るなりそう言って体を伸ばす。

「田中ちゃんは?」
「んー、よくわからんかったあ」

話題のわりにいまいち内容が難しくて、よく理解できなかった。
しかも、三時間なんて長い間座ってたもんだから、腰が痛くなってしまった。



246 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 21:58


「まあ、あんなもんなのかもねー。タダだしなあ。あー、お腹すかない?」
「うん、超すいたー」
「よし、なんか食べに行こう。田中ちゃん、何が食べたい?」
「肉!」

あたしは即答する。

「はあ?」
「やけん、肉が食べたい」
「肉って…焼肉とか?」
「うん!焼肉大好き!」



247 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 21:59


美貴姉は目を大きく見開いて驚いている。
そんなに驚くようなことでもないと思うんだけど。

「焼肉かあ…。焼肉ねえ…」
「…美貴姉?」
「しょーがないなあ、美貴がとっておきのお店に連れてってあげる」

…とっておきのお店?
美貴姉はいたずらっ子のように笑ってアクセルを踏んだ。



248 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 21:59


車が止まったのは都心からは少し離れた郊外の焼肉屋。
焼肉屋特有の騒々しさはなくわりと落ち着いた雰囲気で、だけど敷居が高くて入りづらい
という感じでもない。

「ほれ、入った入った」

促されて中に入ると、

「いらっしゃいませー!…あ」
「あ!」

いつか美貴姉を迎えに来た綺麗な女の人が立っていた。



249 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 22:02


「美貴ね、フリーター時代、ここでバイトしてたんだ」

あの綺麗な女の人は吉澤さんといって、ここでのバイトで知り合った仲間らしい。
他にも二人、仲の良かったバイト仲間がいて、この前の飲み会もそのメンバーでやった
そうだ。
美貴姉はすごく嬉しそうに説明してくれた。
『この前の飲み会』ってところで一瞬だけ言葉に詰まったけど、それには気付かない
フリをした。

「はい、お待たせー」

吉澤さんは慣れた手付きでお肉を運んできてくれる。



250 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 22:02


「はい、これいつもの」

そう言って吉澤さんが差し出したのは、お皿にたっぷりと乗っかったレバ刺し。
どこからどう見ても一人前ではない。

「な、なん、これ…」
「なんって、レバ刺しだよ、レバ刺し五人分!知らない?」

いや、レバ刺しはわかるけど…。

「美貴、これ大好きなんだー。あ、言っとくけど、これ、美貴が一人で食べる分だから。
 田中ちゃん、食べたければ追加するけど」

あたしは黙って首を横に振る。

「れいな、レバ刺し食べられん…」
「はあ?マジで?かわいそうに、それって人生損してるよ、絶対」

そんなやり取りをしてる間にも、テーブルにはお皿が増えていく。
お肉ならなんでもいいので注文は美貴姉に任せっきりだけど、それにしてもかなりの量だ。



251 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 22:02


「心配しなくていいよ、美貴のおごり」
「え、でも、そんなん悪いけん」
「いいって。美貴、一応社会人だしさ。高校生に払わせるわけにいかないじゃん」
「でも、れいなだってバイトしとるし」

バイト三昧でお金を使う暇もないくらいだから、貯金は結構ある。

「いいってば。そういうお金は大事にしな」

いつになく強い口調で言われたので、返す言葉を失ってしまう。

「おーい、田中ちゃん、ビビっちゃってんじゃん。平気だよ、この店、わりと安いし、
 店長もサービスしてくれるってさ」

再びお肉を運んできた吉澤さんが、優しい笑顔でフォローしてくれた。
すごく綺麗で近寄りがたい気がしたけど、不思議なくらい気さくな人。
少しだけ、美貴姉に似てるなって思った。



252 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 22:03


「そういうこと。さ、じゃんじゃん食おうぜ!」

いきなりお箸を持ってお肉を焼き出す美貴姉。
呆然としていると、

「食わないの?全部食べられちゃうよ」

なんて吉澤さんが煽る。

「美貴、焼肉大好物なんだよねー」

そんな話は聞いていない。
あたしは負けじとお箸を取り、片っ端からお肉を焼き始める。
そんなあたしを見て、美貴姉もさらにスピードを上げる。

「肉の食い方、間違ってねえ?」

呆れ顔の吉澤さんを尻目に、あたし達は次々とお皿を片付けていった。



253 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 22:03


そして、網の上には最後の一枚。
この店で一番高級な特上カルビらしい。
美貴姉はじっとお肉を見つめている。
あたしもじっとお肉を見つめる。

「…田中ちゃん」
「…なん?」
「こういう時はやっぱり年上に譲るべきだと思うんだ」
「はあ?年は関係ないと。ここは公平にジャンケンっちゃろ」

あたしがそう言うと、美貴姉は頬を膨らませて「生意気だぞ」と呟いた。

「よーし、ジャンケン…あー!」

あたしがジャンケンをしようと掛け声をかけてお箸を離した瞬間、美貴姉はあっという
間にお肉を取って口に入れてしまった。



254 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 22:03


「ちょ!美貴姉!!」

あたしの抗議を気にも留めず、涼しい顔でお肉を噛む美貴姉。

「うーん、やっぱ特上はいいなあー」
「うー…」

恨めしそうな顔を向けても美貴姉は幸せそうに目を細めるだけ。

「美貴姉、ひどい…」
「田中ちゃんも食べたい?」
「食べたい!」
「即答じゃん。しょーがないなー、…じゃじゃーん」

美貴姉は変な効果音をつけながら、一枚にお皿を机の上に置いた。
そこに乗ってるのはさっき食べられなかった幻の特上カルビ。



255 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 22:04


「まだあったと!?」
「ちゃーんと残しといてあげたんだよ。美貴もそこまで大人気なくないしさー」

なんて威張って言う。
あたしはそれまでの大人気ない美貴姉の行動を思い浮かべながらも、

「さっすが美貴姉!大人っちゃねー!」

と褒めておいた。
美貴姉は満足そうに頷いている。

「…うわー…」

今まで見たことのないような特上のお肉。
あたしはゆっくりと慎重に焼く。

ふと、視線を感じて顔を上げると、美貴姉がすごく優しい目であたしを見ていた。
目が合うと、一瞬で横を向いてしまったけれど。
その視線にドキドキして、最後の一枚の味はほとんど覚えていなかった。



256 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 22:04


「ふう、さすがに食べ過ぎたー」
「れいな、こんなに肉食べたの初めてかも」
「あはは、美貴もー」

二人してお腹をさすっていると、店の人がやってきた。
吉澤さんではない。
だけど、美貴姉や吉澤さんに負けないくらい綺麗で、不思議なオーラを出している人だ。

「いらっしゃい、ミキティ」
「おー、ごっちん。食い過ぎちゃったよー」
「んあー、よしこが呆れてたよ、二人して頭おかしいってさ」
「はあ?よっちゃんに言われたくないけどね」

会話から判断すると、たぶん吉澤さんの他に二人いると言っていたバイト仲間のうちの
一人だろう。
見た目とは違ってのんびりした話し方がかわいいと思った。



257 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 22:05


「この子が田中ちゃん?」

急にこっちを見られてドキッとしてしまう。

「あ、はい、田中れいなです」
「あたしは後藤真希。一応、ミキティの友達」
「一応ってなんだよ、一応って」

吉澤さんといい、この後藤さんといい、美貴姉の友達はなんだかすごくサバサバしてる。
もちろん、美貴姉自身もそうだけど。

「今日、梨華ちゃんは?」
「んー、なんかサークルで新歓の準備がどうたらって。最近忙しいみたいなんだよねー」
「ふーん。ごっちん、寂しいんだ?」



258 名前:  投稿日:2006/03/07(火) 22:06


どうやら、梨華ちゃんという人が四人組の最後の一人らしい。
美貴姉の言葉にと後藤さんは大して顔色も変えずに反論した。

「んあー、別にー」
「おーおー、無理しちゃってー」

二人の会話はすごくテンポが良くて、本当に気が合うって感じが伝わってくる。
美貴姉の楽しそうな顔を見てるとこっちまで楽しくなってくる。

美貴姉が笑うと、あたしまで嬉しくなる。
美貴姉が元気がないと、あたしまで悲しくなる。

だから本当は悲しませたくなんかないのに、あたしはきっと美貴姉を傷つけてばかりいる。
美貴姉の笑顔を見たい、そう思ってるのに。



259 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/07(火) 22:07


本日は以上です。



260 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/07(火) 22:07
>>241 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
自分自身も書いていてじれったくてじれったくて…w

>>242 konkon 様
ありがとうございます。
その辺は今後も大切に丁寧に書いていきたいと思っています。

>>243 あお 様
ありがとうございます。
田中さんにも藤本さんにも頑張ってもらいたいものです。


今後ともよろしくお願いします。
261 名前:P 投稿日:2006/03/07(火) 23:20
微笑ましい二人
切ない心情
凄く好きです
262 名前:konkon 投稿日:2006/03/08(水) 01:10
ミキティすご・・・w
れいなのミキティを想う気持ちが可愛くて好きです♪
263 名前:あお 投稿日:2006/03/08(水) 12:14
二人の様子を想像してほのぼの(*´д`)ポワワ

今回、さり気ない小ネタにニヤリ。思わず「バイt…(ry」って言ってしまったりw
↑ネタバレ防止の為、自主規制w
264 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/08(水) 17:28
更新お疲れ様です。
はぁ…本当に良いですね。
これからも、楽しみにしています!
265 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:20


「また食べにおいで」

吉澤さんと後藤さんの優しい言葉に送られて焼肉屋さんを後にした。
辺りはすっかり真っ暗で、空には星が瞬いている。

「この辺は家の方に比べて田舎だからさ、結構綺麗でしょ、星」
「うん」

星を見上げて綺麗だなあなんて思うのも久しぶりで、なんだか懐かしい気がする。

「美貴の実家はね、もっとすっごい見えるよ」
「そうなん?見てみたいとー」

何気ない一言だったけど言ったすぐ後に後悔した。
まるで連れて行ってほしいって言ってるみたいで…。
あまりにも楽しかったから油断してしまったのかもしれない。

「…いつか…」

美貴姉の呟きはちょうど駐車場に入ってきた車の音で消されてしまったけど、聞き返す
ことも言い直すこともせずに、あたし達は車に乗り込んだ。



266 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:21


帰りはまた送ってくれることになって、先月と同じところに車が止まった。

「田中ちゃん」

その瞬間に美貴姉が真剣な表情で言う。

「ちょっと話があるんだ。いいかな?」

その言葉には有無を言わせない強い力があって、あたしは黙って頷いた。

「美貴さあ…」

美貴姉は一つ一つの言葉を選びながら話しているようだった。
ゆっくりとあたしに言い聞かせるように。
ううん、まるで自分自身に言い聞かせるような口調だった。



267 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:21


子供の頃からずっと女の子が気になってしまうこと。
認めたくなくて無理して男の子と付き合って、だけど全然楽しいって思えなかったこと。

初めて聞く美貴姉の秘密。
そんな少し重い内容なのに、話をする美貴姉はどこか晴れ晴れとしてるように見える。

「でもね、そんな時にね、一人の女の子と出会った。美貴が高三でさ、その子が高一で。
 …うん、ちょうど今の田中ちゃんと同じ年で。なんか知らないけど美貴にメチャクチャ
 懐いてきてさ、いつの間にか美貴も好きになってたんだ」

あたしは胸がしめつけられるような思いを必死で堪える。
なんだろう、モヤモヤする。
初めて吉澤さんに会った時と同じような気持ち。
それは、自分の知らない美貴姉の過去に対する寂しさなのだろうか。
それとも、いい加減認めるべきなのだろうか。

…この気持ちが嫉妬だってことに。



268 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:21


初めて付き合うことが出来た女の子。
彼女との日々はそれまでの苦しさを吹き飛ばすくらい幸せだった。

「自惚れてただけかもしれないんだけど、美貴は好かれてるって自信があったんだ。
 だから、その子には美貴が必要なんだって勝手に決めつけててさ。なんて言うんだろ、
 美貴の方が立場が上みたいな。…変な言い方だけどね。だけど、ある日、きっかけは
 覚えてないんだけど、気付いちゃったんだ」

美貴姉はその時に初めて辛そうな顔を見せた。

「美貴の思いの方が強いって」

耳を塞ぎたくなるような内容だったけど、知りたいという気持ちの方が強かった。
あたしは美貴姉のことをもっともっと知りたいと思ってる。
今よりももっと、あたしの知らない美貴姉のことを。



269 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:22


「もうすっごい怖くなっちゃってさ。この子がいなくなったら、手離しちゃったら、
 美貴は一生一人ぼっちなんじゃないかって思って、そしたらもう絶対に離れたくない
 って思って。…いつの間にか縛り付けてた。毎日毎日電話もメールもいっぱいして、
 他の子と遊びに行くなんて言ったら拗ねて怒って。そんなことしてたらお互い息苦しく
 なっちゃってね、結局フラれたんだ。…まあ、当たり前だよね」

あたしはなんて答えていいのかわからなくて、静かに首を振る。

「東京に出て来たのはその子のこと忘れたいっていうのもあったからなんだけどさ。
 別れてからはもう本気で人を好きになるのは止めようって思って、適当に遊んでた。
 そのうち落ち着いて適当な人と結婚でもして…。でも、もう一生あんな幸せな気持ちに
 はなれないんだろうなって諦めてた。本当に好きな人とは一緒にいられないんだろうな
 って。だけど…」

美貴姉は前を向いたまま、淡々と話し続ける。
その横顔は思わず見とれてしまうくらい綺麗だった。



270 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:22


「田中ちゃんと会って、美貴の中で抑えてたものが一気に溢れ出しちゃって。伝えたい
 って思ったんだ。美貴の気持ち、田中ちゃんに伝えたいって。伝えて、ずっとそばに
 いたいって、そう思った」

「言うつもりはなかった」と美貴姉は言った。
昔のこともあったし自信もなかったから、と。

「もう限界だったんだ、田中ちゃんに優しい人だっていい人だって思われてることが。
 自分にも腹が立ったし、田中ちゃんにもちょっとだけムカついちゃったりして。
 美貴、そんなにいい奴じゃないよ、優しくなんかないよ、下心ありありだよってぶちまけ
 たくなった」

一気に話し終えた美貴姉は一呼吸終えてから、あたしの方を向いた。

「ごめんね、田中ちゃんの気持ち考えられなくて。結局、昔となんも成長してないよなあ」



271 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:23


真っ直ぐな視線に耐えられなくて、思わずうつむいてしまう。
普段ならばこんなふうにあたしがうつむいたり目を逸らしたりすると、美貴姉はそれ以上
何も言わずに優しく見守ってくれた。
だけど、今日の美貴姉は少しだけ違う。

「田中ちゃん」

その声には「こっちを見て」という思いが込められてる気がして、恐る恐る美貴姉を見る。
逃げ場なんてなくて、真っ直ぐにぶつかり合う視線。
もう胸の痛みは感じなかった。
ううん、何も感じなかった。
自分が今どこにいるのかさえもわからなくなりそうな不安定な状態で、あたしはただただ
美貴姉だけを見ている。

「美貴は真剣な場面が苦手で、いつもふざけてごまかしたりするけど、このことだけは
 ごまかしたりしたくない」

綺麗な顔からゆっくりと言葉が発せられる。



272 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:23


「美貴は、田中ちゃんが好き」

初めてはっきりと目を見て言われた三回目の告白。
それはごまかしようのないくらい強い美貴姉の気持ちが伝わってくるもので、本当に
本気であたしを好きなんだってことが痛いほどわかった。



273 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:23


「でもね、別に付き合ってくれとかそういうんじゃなくて…。あ、いや、出来ることなら
 そういう関係になりたいんだけど、でも、この前はっきりとフラれたし、彼氏もいる
 ことだし…。だから、その…」

さっきまでの態度とは打って変わって急にいつもの照れ屋な姿に戻ったのを見て、どこか
ホッとした気持ちになる。

「…好きでいてもいいかな…」
「そ、そんなん…いいとかダメとかわからん…」

いいと言うことで、ダメと言うことで何がどう変わってしまうのか。
それがわからない限り答えることは出来ないし、そもそもあたしが決めていいことでは
ないと思う。
それは、美貴姉の気持ちだから。



274 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:24


「…そうだよね」
「けど…、嫌じゃない…」

こんなことを言う自分を卑怯だと思う。
だけど、言わずにはいられなかった。

「れいな、美貴姉に言われて嫌じゃなかった。こんなふうに一緒に出かけるのもすごく
 楽しいし、それに…」
「…それに?」
「…別れたけん」

美貴姉の気持ちなんて考えられなかった。
言わずには、いられなかった。
最低なあたし。



275 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:24


「…彼とは別れたけん」

美貴姉の瞳が揺れる。

「…そっか」

それっきり気まずい沈黙が流れる。
言ったことを後悔する気持ちもあったけど、あたしの心はどこかすっきりとしていた。
だけどそんな自分に気付き、また自己嫌悪に陥る。

美貴姉はどう思ってるんだろう。
こんなタイミングで彼と別れたことを切り出したあたしのこと、やっぱり卑怯だって
思ってるのだろうか。



276 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:24


「…あ、もうこんな時間か」

重い沈黙を破ったその一言で、いつの間にか10時を過ぎていることに気付く。
別に門限があるわけではないけど、美貴姉はバイトの時も出かけた時も、10時になると
必ず帰そうとする。
そういう子供扱いは特別な気がして、大切にされている気がして、素直に嬉しかった。

「とりあえず、さ…、田中ちゃんは今までと変わりたくないんだよね?」
「…うん」
「美貴もね、今まで通りで満足っていうか、田中ちゃんにはバイト続けてほしいし、
 こんなふうに出かけたりするの楽しいし」
「…うん」
「だから、意識しないってのは無理かもしれないけど、田中ちゃんはあんまりいろいろ
 考えないでそのままでいてほしいなって。…どうかな?」

あたしはもう頷くことしか出来なかった。
だって、美貴姉が言ってくれたことはあたしにとってものすごく都合の良い、たぶん
最善の方法。
その代わり、美貴姉にとっては…。



277 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:25


「ファイナルアンサー?」
「え?」
「だからー、ファイナルアンサー??」
「ファ、ファイナルアンサー…」
「違うじゃん。普通そこは突っ込むところじゃん?なん言うとーと?とか言ってさ」

美貴姉は「とーとー」「とーとー」って何度も何度も繰り返す。

「似てるっしょ?」
「…似とらん」
「えー、そっくりだってー。美貴、密かに田中ちゃんの博多弁に憧れて練習してるん
 だからさー」
「ぜーんぜん、似とらん。大体練習するもんやないし」
「あはは、そりゃそうだ」



278 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:25


いつもの雰囲気に戻った後、あたしは「じゃあ」と告げて車を降りた。

「気をつけて」

そんな美貴姉の言葉に送られて家へと向かう。
あたしの家は、車が止まっている道路沿いから角を一つ曲がった通りにある。

角を曲がる時、なんとなく後ろを振り向くと、とっくに出発していると思っていた車が
同じ場所に止まっていた。
運転席の美貴姉が「バイバイ」を手を振っている。

この前もずっとこうやって角を曲がるまで、見送ってくれていたのだろうか。
あたしはなぜか手を振り返すことが出来なくて、小走りに角を曲がった。



279 名前:  投稿日:2006/03/12(日) 11:25


二回目のお出かけ。
三回目の告白。

そしてその日、何度目かの眠れない夜を迎えた。



280 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 11:26
>>261 P 様
ありがとうございます。
その二つのバランスをうまく書いていければいいなあと思います。

>>262 konkon 様
ありがとうございます。
田中さんヲタの自分としてはその言葉はかなり嬉しいです。

>>263 あお 様
ありがとうございます。
ネタ好きなんでこれからも細々と出していきたいと思ってます。

>>264 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
これからも『良い』と言って頂けるよう頑張ります。


暖かいレスありがとうございます。
なかなか前進しない感じですが、今後とも見守って頂ければ幸いです。
281 名前:konkon 投稿日:2006/03/13(月) 00:21
にゃ〜〜〜!!!
なんか叫ばずにはいられないようなw
二人のもどかしさが可愛くて好きです♪
282 名前:あお 投稿日:2006/03/17(金) 17:48
>>280

うぉー、旅行に行ってる内に更新されてる!テンション上がる!
作者様はれいにゃヲタでしたか!私は基本DDですが、この小説の影響か今年入ってかられいにゃヲタになりましたw
自分も小ネタ好きです!今後も期待しています。
283 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:26


バイト三昧の春休み。
バイトが終わって家に帰ってボーっとしていると、突然さゆからメールがきた。
クラスでわりと仲の良い他の子達とは結構頻繁にメールのやりとりをしているけど、
不思議なことにさゆとはメールも電話もほとんどしていない。
いつの間にか、そういうコミュニケーションがなくても不安にならない、そんな関係に
なっていた。
だから、そのメールを見た時はかなり驚いた。

『れいな、今から会えない?』



284 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:27


時計を見ると11時を過ぎている。
こんな時間にそんなことを聞いてくるってことは、よほどのことなんだろう。
そう、それはたぶん、高橋先輩のこと。
三年だった先輩はこの前高校を卒業した。
別れ話をするタイミングとしては最適の時期。

さゆはすでにあたしの家の最寄駅まで来てるらしい。
急いで駅に向かおうと玄関で靴を履いていると、母がリビングから出てきた。

「こげな時間にどこ行くと?」
「…友達が困っとうけん、行ってくる」

反対されても飛び出すつもりでいたけど、意外な言葉が返ってきた。

「そう。だったらうちに連れておいで。こんな時間やし、危ないけん」
「う、うん…」

母の言葉に驚きながらも、あたしはさゆを迎えに駅へと走った。
こんなに走ったのは久しぶりってくらい、真剣に走った。
あの日、屋上で涙を見せたさゆが頭の中から離れなかったから。



285 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:28


住宅地に密接した駅は繁華街などはなく、この時間帯だと春休み中の学生はもちろん、
仕事帰りの社会人の姿もまばらで、ひどく閑散としている。
改札の横に一人で立っているさゆは思ったよりもしっかりとした顔で、少しだけ安心
した。
初めて見る私服はイメージ通りのかわいい感じで、あたしとは正反対。

「…さゆ」
「れーな」

あたしの顔を見るなり、さゆは笑ってこう言った。

「髪の毛クシャクシャ、かわいくないの」
「…誰のせいだよ、バカ」



286 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:28


家に着くと、母が飲み物とお菓子を用意してくれていた。
よく考えてみると、友達を家に連れてくるのなんて久しぶりだ。
やけに張り切っている母の姿を見て、そんなことを思い出した。

「こんな時間にすいません」
「よかよ。布団あるしもう遅いけん、泊まってってね」
「あ、はい、じゃあお言葉に甘えて…」

とびっきりの営業スマイルを見せるさゆ。

家に着くまでの間もずっと、くだらない話ばかりをしていた。
その明るさが逆に痛々しかったけど、あたしも一緒になってくだらない話をした。
さゆが言い出すまでは聞かない。
それがあたし達の暗黙の了解だから。



287 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:29


「うわあ、ド派手ー」

部屋に入った時のさゆの第一声がこれだった。
確かに紫やら赤やらで派手派手な部屋だけど…。

「さゆの部屋だって、どうせピンクだらけなんでしょ?」

行ったことはないが容易に想像はつく。

「さゆみの部屋のピンクはれいなの部屋みたいにどぎつくないもーん」
「なん、それ…」
「…ねえ、れいなって出身福岡?」
「はあ?」

話の流れに全く沿っていない質問だけど、核心をつかれてドキッとした。
別に隠してるわけではないけれど、学校では方言は使わないようにしてる。
今さらいきなり使い出すというのもおかしな話だし。



288 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:29


「…なんで?」
「おばさん、博多弁話してたじゃん」
「確かにそうだけど、なんで博多弁だってわかったの?」
「さゆは天才なの」
「はあ?」
「れいな、怖ーい」

いつもより数倍もテンションが高いのは無理している証拠なのか。

「あたしね、小学校卒業するまで山口にいたんだ。で、おばあちゃんが福岡に住んでる
 から、しょっちゅう遊びに行ってたの。だから、博多弁懐かしいなあって」
「へー、知らんかったあ」
「そう?結構みんなに話してるけどなあ」

みんなが当たり前のように知ってることを知らないあたし。
反対に、あたししか知らないさゆの秘密がある。
なんだか不思議なあたし達の関係。

「博多弁て『〜しとー』って言うでしょ?山口は『〜しちょー』って言うの」
「へー、そうなん?」
「そ。『と』と『ちょ』やね」

初めて聞いたさゆの方言は言い慣れてない感じがして、少しだけくすぐったかった。



289 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:30


「愛ちゃんに言ってきた」

さり気なく唐突にさゆが切り出す。

…やっぱり。
予想していたことだけに驚きはない。

「うん、そっか」
「それだけー?れいな、慰めてくれるって言ったのにー」
「うー…。なんて言ったらいいか、わからん…」
「あはは、れいな素直ー。かわいいー」

余裕がないはずのさゆにからかわれるのは悔しいけど、いつもと変わらない笑顔に安心
する。



290 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:30


「愛ちゃんね、気付いてたって、自分の気持ち。だけど、さゆみのことも好きだから
 このままでいられたらってずるいこと考えてたって。ごめんねって泣かれちゃった
 から、逆に慰めて帰ってきちゃった。バカみたいだね」
「後悔しとうと?」
「ううん。なんかすっごくすっきりしちゃった。やっぱり、自分のことちゃんと一番に
 好きなってくれる人がいいもん。…もう、愛ちゃんと会えないのは寂しいけど…」

うっすらと目が濡れていることは見て見ないフリをする。
さゆがつよがりたいならば、そうさせてあげるのが一番だと思うから。

「あーあ!早く現れてくれないかなあ、さゆみの王子様」
「すぐ現れるよ。さゆ、かわいいしいい子やけん、きっと素敵な人が現れる」

そんな歯の浮くようなセリフが、自然に自分の口から発せられたことに驚く。
だけど、さゆの反応はそれよりももっと驚くべきものだった。



291 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:31


さゆは意外にも真っ赤な顔でうつむいて、

「…こんな時だけ素直に言うな、バカ…」

と言った。
こんなに乱暴な言葉を聞いたのは初めてだった。
うつむいたままのさゆが少し震えているのがわかって、泣いていることに気付いた。

「大丈夫。ちゃんと現れるけん」
「…バカ」

泣きながら悪態をつくさゆは本当にかわいくて、早く王子様が現れてほしいと心から
願った。



292 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:31


さゆが落ち着いた頃、今度はあたしが打ち明けた。

「れいなも、彼氏と別れた」
「ふーん」
「いや、ふーんて…」

別に何か言ってほしかったわけじゃないけど、あまりにも無反応だとなんだか寂しく
なる。

「だってさ、さゆと違ってれいなは彼のこと好きじゃなかったでしょ。慰めてあげる
 必要ないじゃん」
「慰めてもらいたいわけじゃないけどさ…」
「でもまあ、偉かったね」
「え?」
「慰めてはあげないけど褒めてはあげる」



293 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:31


さゆはそう言って、「さっきのお礼だよ」なんてかわいらしく笑う。
その言葉と笑顔に触れてあたしの涙腺は緩くなる。
ああ、やばい。
人前では泣きたくないのに…。

「よしよし。今日は二人とも泣き虫さんだね」

頭を撫でてくれるさゆの手が暖かくて、素直に涙を流すことが出来た。



294 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:32


「…ねえ、れいな」
「んー?」

もう遅いから眠ろうってことになって布団に入って電気を消すと、さゆが眠そうな口調で
話しかけてきた。

「気付いてないみたいだから教えてあげる」
「んー、なん?」

あたしももう眠くて飛びそうになる意識を必死で繋ぎとめる。

「れいなねー、最近綺麗になったよ」
「…はあ?」
「たぶんね、恋してるから…」
「はあ!?」

思わず起き上がる。
眠気なんて一気に覚めるさゆの言葉。
だけど、当の本人はすでに夢の中だった。

「…そんなん言い残して自分だけ寝るな、バカ…」



295 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:32


―――恋してるから…。
さゆの言葉が頭の中を駆け巡る。

そんなわけない。
あたしは恋なんてしてない。
恋なんて信じられない。
本気で人を好きになったりしない。

だけど、それなら、今心の中に浮かんだ感情にはどういう名前をつければいいのだろう。
どうしようもなく美貴姉のことを思ってしまう、求めてしまう、この感情は。

―――恋してるから…。
それが答えだと認めてしまえば、楽になれるのだろうか。



296 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:32


本日は以上です。



297 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 19:33
>>281 konkon 様
いつもありがとうございます。
書いてる自分ももどかしくて叫びたい感じですw
これからも焦らずにじっくりと書いていきたいと思います。

>>282 あお 様
いつもありがとうございます。
自分もみんな好きですが田中さんは別格ですw
現実の田中さんの魅力を少しでも表現できるように頑張ります。
298 名前:あお 投稿日:2006/03/21(火) 23:16
>>297

更新お疲れさまです。いつもながら、人物にちゃんと温かみがありますね。素敵です。

作者様はれいにゃの魅力、存分に出せてますよ!
そうでなけりゃ、自分がこんなにれいにゃヲタになることなんてなか!
という訳ですわw
299 名前:konkon 投稿日:2006/03/22(水) 00:19
やよ〜〜〜!!!
さゆれなイイッ!
素直な二人が可愛すぎですよ♪
300 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/23(木) 08:23
やべぇ!!
ちょー好きだわこれ。
めっちゃハマる
あ、更新乙です。
がんがってください♪
301 名前:  投稿日:2006/04/02(日) 22:34


高校二年、四月。
あたしは無事に進級することが出来た。
バイトばかりで散々な成績だったけど、特に進学校ってわけでもないうちの学校では、
出席日数が足りていれば卒業することはさほど難しいことではない。
さゆとはまた同じクラスになった。

「れいな、よく二年になれたよね」

さゆはそう言ってバカにしたけれど、部活ばかりのさゆがあたしと大して変わらない成績
だってことはちゃんとわかってる。
どっちもどっちだ。



302 名前:  投稿日:2006/04/02(日) 22:34


「あーあ、またさゆと同じクラスかあ」
「またまたあ、嬉しいくせにー」
「はあ?それはさゆの方でしょ」
「もう、れいなったら照れちゃってー」
「別に照れとらん」

そうは言ったものの、あたしは自分の顔が熱くなるのを感じた。
さゆの言ったことはあまりにも図星だったから。



303 名前:  投稿日:2006/04/02(日) 22:34


学校にも家にも居場所がないと思っていた数ヶ月前。
だけど、今は違う。

煩わしいと思っていた人間関係だけど、ほんの少し勇気を出して踏み込んでみれば、
そんなに悪いものじゃない。
今はここにも自分の居場所はあるんだってちゃんと思える。
だから、さゆには感謝してる。
口に出しては言えないけれど。

さゆはあたしの嘘を見透かしたように、ずっとニコニコ笑っていた。



304 名前:  投稿日:2006/04/02(日) 22:34


美貴姉との関係も相変わらずで、お互い、特別なことは何もなかったかのように接して
いる。
それでも、美貴姉はやっぱりあたしには触れてこないし、ごくたまにだけど、気まずい
雰囲気になることもある。

あの告白をなかったことになんて出来ないから、仕方ないとは思うけど。

「いらっしゃいませー」

ドアが開く音がしたので入り口を見ると、この店には似つかわしくない、高校生くらい
の女の子が入ってきた。
たぶん、あたしと同じくらいの年齢だろう。
茶髪でショートカット、制服姿でなぜか大きな荷物を両脇に抱えている。
どう考えても、古本を求めて入ってきたとは思えない。



305 名前:  投稿日:2006/04/02(日) 22:35


「…あの…?」

あまりの違和感に思わず話しかけてしまう。
その子はあたしの問いかけに対して、人懐っこそうな笑顔を見せて、こう言った。

「美貴ちゃん、いますか?」

胸がチクッとした。

「美貴…ちゃん?」
「はい、あ、おじいちゃんでもいいんだけど…」
「お、おじいちゃん?」



306 名前:  投稿日:2006/04/02(日) 22:35


あ、もしかして…。
数ヶ月前、まだバイトを始めたばかりの頃の記憶が蘇る。

『…く、くるりんぱ!』
『…は?な、なんですか、それ…』
『や、美貴が考えたんじゃないから!これ、従姉妹がよくやってるギャグで、くだらない
 んだけど笑えるからさ』

「あたし、美貴ちゃんの従姉妹の亀井絵里っていいます」

再び向けられた優しい笑顔。
だけど、あたしはうまく笑顔で返せなかった。
それがなぜかはわからないけれど。

さっき感じた胸の痛みも消えないままだった。



307 名前:  投稿日:2006/04/02(日) 22:35


亀井さんはあたしより一つ年上の高校三年生。
同じ都内に住んでるらしい。
その亀井さんが大きな荷物を引きずって現れた理由。
それは…。

「また家出でしょ?」
「えへへー」

美貴姉の言葉にニコニコと笑う亀井さん。
どうやら彼女は家出の常習犯らしい。
しかも、家出先は必ずこの家。



308 名前:  投稿日:2006/04/02(日) 22:36


「ったく、最近来ないと思って油断してたら…。今回は何?」
「んー?進路のこと、かな」
「あー、なるほどねー。あんた、どうせまた『ダンサーになるから大学行かない』とか
 言ったんでしょ?」
「ピンポンピンポーン!さすが美貴ちゃん。絵里のことよくわかってるー」

その言葉にまた胸がざわめく。
『美貴ちゃん』と呼び、あたしより遥かに親しげに話す女の子。
従姉妹だから当たり前なのに、苦しくてうまく息が出来なくなる。

「今回こそは向こうが折れるまで絶対に帰らないんだから」
「あー、とりあえずじいちゃん達に挨拶してきな。おばさんには美貴から電話しとくから」
「はーい!」
「返事は延ばさない!」
「うへへー」



309 名前:  投稿日:2006/04/02(日) 22:36


そんな光景を見るのが嫌で本棚の整理をしていると、美貴姉が近付いてきた。

「ごめんねー、いきなり。あいつ、しょっちゅうここに転がり込んできてさ。しばらく
 いるから田中ちゃんにもいろいろと迷惑かけるかもしれないけど、よろしくね」

『あんた』『あいつ』。
乱暴だけど温かみのある言葉遣い。
あたしには見せない態度。
そんな美貴姉は見たくない。

「田中ちゃん?具合でも悪い?」

返事することも出来ずにうつむいたままのあたしに美貴姉が手をかけた。
それは、あの告白以来久しぶりの、本当に久しぶりの美貴姉の温もりで、抑えていた感情
が一気に爆発する。



310 名前:  投稿日:2006/04/02(日) 22:36


「…関係ない」
「え?」
「美貴姉には関係ないっちゃろ!れいなのことなんかほっといてよ!」

その瞬間、美貴姉がどんな顔をしていたか、全然覚えていない。
唯一覚えているのは、

「ごめんね」

という悲しそうな声だけだった。



311 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/02(日) 22:37


本日は以上です。



312 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/02(日) 22:37
>>298 あお 様
ありがとうございます。
自分の小説がきっかけで田中さんを好きになってくれるなんて嬉しい限りです。

>>299 konkon 様
ありがとうございます。
自分もさゆれなの関係は好きなんで大切に書いていきたいなあと思います。

>>300 名無飼育さん 様
なんだか照れくさい褒め言葉、ありがとうございますw
今後も頑張りますのでよろしくお願いします。
313 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/03(月) 12:28
更新お疲れ様です!!
待ってましたよぉー。ヤバイ楽しい!
なんだか、今後の展開が気になりますが…w
優しい美貴姉が凄く好きですw
314 名前:あお 投稿日:2006/04/03(月) 20:16
>>312

うぉぉ、これは新たな展開。どーなってしまうのだ……

作者様、これからもれいにゃ推しでいきまっしょい!
315 名前:konkon 投稿日:2006/04/04(火) 08:56
やべえ、作者さんのえりみきもイイと思ってる俺がいるw
316 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:04


その日からあたしと美貴姉は、仕事に関することくらいしか話さなくなった。
そんな状態でもバイトをする上では特に不都合はない。
大した問題ではない。

亀井さんは学校が早く終わったりするとお店の方を手伝ってくれる。
最初は苦手なタイプだと思っていたけど、少しずつ話をするうちにだんだんと打ち解けて
きて、わずか三日のうちにかなり仲良くなることが出来た。
それでもやっぱり、美貴姉と話してる姿は見たくなくて、そういう場面になると適当な
理由を作って二人から離れてしまう。



317 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:05


数日後。
いつものように本の整理をしていると、レジの方から二人の会話が聞こえてきた。
あたしのいる場所からはちょうど美貴姉だけが見える。
聞きたくないくせに耳を澄ませてしまう自分に腹が立つ。

「美貴ちゃん、明日お店休みなんでしょ?」
「ん?ああ、まあ…」
「じゃあさあ、絵里のダンス見に来てよ。友達と一緒にやるんだ」

亀井さんがそう言った瞬間、こっちを見た美貴姉と目が合ってしまった。
明日は第二日曜日。
いつものお出かけの日。
お互いが楽しみにしてる、休みの日。

何か言いたげな美貴姉の視線に耐えられなくて、思わず目を逸らす。



318 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:05


「…うん、いいよ」

仕方ないこと。
自分が招いたこと。

だけど、あたしは初めて美貴姉のことを少しだけ嫌いになった。
そんな勝手な自分のことがますます嫌いになった。



319 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:05


「困るなあ、急に呼び出すなんて。さゆみ、デートの予定がいっぱいなのに」

翌日。
家にいても嫌な気分が増すだけだったので、さゆにメールをしてみた。
二つ返事で来てくれたくせにブツブツと文句を言うさゆに、「相手いないじゃん」と
言おうと思ったけど、さすがにその冗談はまだ早いなあと思ってやめた。

二人でカラオケやら買い物やらをした後、ファミレスでお茶をすることになった。
さゆは明太子スパゲッティを、あたしは焼肉丼を頼んだ。

「れいな、かわいくなーい」
「いいの、れいな、肉好きやけん」



320 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:06


最近はさゆに対しても自然に博多弁を使っている。
自分で言うのもなんだが、博多弁はあたしにとって信頼のバロメーターみたいなもの
らしい。
自然に使える相手には素直な気持ちで接することが出来る。

注文したものを食べ尽くしてくだらない話を延々として笑い疲れた頃、話を切り出した。
どうしても聞きたかったことがあるから。

「さゆ、この前うちに来た時、寝る前に言ったこと覚えとる?」
「んー?なんだっけ??」
「…覚えてないと…?」

言われたことを口にして伝えるのは恥ずかしい。
覚えていないなら仕方がないと思い、

「じゃあ、いい」

と呟くと、さゆはニヤニヤしながら言った。



321 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:06


「れいな、恋してるんでしょ?」
「…覚えとうと?さゆの意地悪…」
「れいなが素直じゃないからだよ。話したいんでしょ?好きな人のこと」

その言葉に顔全体が熱くなるのを感じる。
『好きな人』…。
さゆに言われて初めて気付く、その言葉の重み。

「…まだわからん」

それは認めたくないからなのか、本当にわからないのか。
あたしの気持ちは美貴姉に告白されたあの日からずっと、行ったり来たりを繰り返して
いる。
会えることや話せることが嬉しかったり、真剣な表情にドキドキしたり、亀井さんにやき
もちやいたり、美貴姉のことを思って眠れない日々が続いたり。
これはたぶん、恋と呼んでいい感情なんだと思う。
素直にその気持ちを伝えれば、今の苦しさは消えるのかもしれない。



322 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:06


だけど、それと同時に思い浮かべてしまうのは、その先のことだった。
周囲の反対を押し切って結婚した両親の今、そして高橋先輩との恋が終わった時のさゆ。
仮に付き合ったとして、あたし達に明るい未来はあるのだろうか。
今の関係ならそばにいれなくなったとしても、まだ傷は浅い、そんな気がする。

「何が引っかかってるのかわかんないけど」

すっかりと氷の溶けた水を飲みながら、あたしの目を捉えるさゆの大きな瞳。
グダグダと心の中で繰り広げられている迷いを責められているようで、胸が痛くなった。

「人を好きになるって悪いことじゃないと思うよ」
「…さゆはまた誰かを好きになれる?」

あんなに悲しい思いをしても、別れの辛さを味わっても。



323 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:07


「なるよ」

自信満々の声。

「だって、あたし、愛ちゃんと付き合えて楽しかったもん。あんな終わり方だったけど、
 それはしょうがないなあって思うし。それに」
「それに?」
「愛ちゃんのこと、本気で好きだったもん」

さゆの表情からは本当に悲しさとか辛さとかは感じられなくて、そんなさゆを綺麗だなと
思った。



324 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:07


「…なんか、さゆ、綺麗っちゃね」

思わず漏らしてしまった言葉にさゆは一瞬驚いた顔をしていたけど、次の瞬間にはいつも
の調子に戻って、

「当たり前なの。さゆは宇宙一かわいいの」

と言った。

それからまたくだらない話をして、ウェイトレスに追い出されるようにしてファミレスを
あとにした。



325 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:07


家に帰ってシャワーを浴びてベッドに横になる。
ぼんやりと天井を見ながら考えるのは、やっぱり美貴姉のことだった。

今日、亀井さんとどんな一日を過ごしたのだろうか。
あの優しい笑顔は何回向けられたのだろうか。
あたしと過ごさなくても楽しい休みだったのだろうか。
あたしのこと、少しは思い出してくれたのだろうか。

むしろ、もうあたしのことなんか好きじゃないのかもしれない。
何度も真剣な気持ちを伝えてくれた美貴姉。
その気持ちに応えられないくせに、勝手にやきもちをやいて突き放したあたし。
美貴姉の優しさに甘えてばかりのあたし。

ねえ、美貴姉、もういっそのこと…。



326 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:08


その時、突然携帯が震えた。
マナーモードのままにしていたから、それは机の上でガタガタ動いてる。
ディスプレイの表示を見て息が止まりそうになる。
鼓動が早くなる。

「…田中ちゃん?」

受話器の向こうから聞こえるのは、さっきまで頭の中を支配していた人の声。
ううん、いつでもどこでも、頭の中も心の中も、今のあたしの全てを支配している人の声。



327 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:09


「…美貴姉…」
「…会いたい。いつものとこにいるんだ、出て来れない?」

前置きも前触れもない真っ直ぐなその言葉に、あたしは無意識のうちに「うん」と答えて
家を飛び出していた。

だって、あたしもすごく会いたかったから。
その気持ちを止めることは出来なかったから。



328 名前:  投稿日:2006/04/10(月) 23:09


短いですが、本日は以上です。



329 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/10(月) 23:09
>>313 名無飼育さん 様
待っていて下さってありがとうございます。
ヤバイ楽しいと言って頂いて、自分もヤバイくらい嬉しいです。

>>314 あお 様
ありがとうございます。
恐らく自分の田中さん推しは永遠に変わらないと思いますw

>>315 konkon 様
ありがとうございます。
そう思って頂けるなんて予想外の展開ですが、何気に嬉しいです。
330 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/11(火) 10:22
更新お疲れ様です!!
 
うわ、この展開やヴぁい!
読んでてこっちがドキドキしてしまいますw
恋するって素敵なことなんだと、この小説で学んだ気がします。
では、ドキドキしながら次回の更新マターリ待ってますんで、
頑張ってください。
331 名前:P 投稿日:2006/04/13(木) 13:19
うわぁーこのもどかしいの大っ好きです!
読んでてニヤニヤしてしまいました
次回も頑張って下さい
332 名前:あお 投稿日:2006/04/14(金) 00:34
うひょー、キタコレ!(・∀・)


れいにゃいじらしいなぁ。
美貴姉ストレートだなぁ。
さゆマジいいやつだなぁ。

いやぁ、作者様は素敵です。生涯れいにゃ推しな所も含めてw
333 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/04/18(火) 05:07
作者さま、更新お疲れ様です。
今、一番楽しみにしている作品です。
 
6期ひとりひとりをとても丁寧に描写してくださっていて、
それぞれが生き生きしていて健気で、リアルです。
無理がないペースで、頑張ってください!
334 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:20


角を曲がるといつもの場所にシルバーの車が停まっていた。
走ってきたことがバレないように、そっと息を整える。
運転席の美貴姉は下を向いていて、その横顔からは表情が読み取れない。

なかなか車に近付けないでいると美貴姉がこっちを向いた。
あたしを確認して車から降りる。
それでも動き出さないあたしを見て、髪をクシャクシャってかき乱した後、ゆっくりと
歩いてくる。

その顔は無表情で何を考えているのかわからなかった。
怒っているのかもしれない。
なんとなく、そう思った。



335 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:21


「…ごめんね、呼び出したりして」

美貴姉の言葉に黙って首を横に振る。

「立ち話もなんだからさ、車ん中で話さない?…嫌じゃなければ、だけど…」
「…嫌なんかじゃない」
「…そ。じゃあ、乗って」

淡々として強引な口調が少しだけ怖くて、うつむいたまま助手席に乗り込んだ。



336 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:21


美貴姉は気付いているのだろうか。
あたしが亀井さんにやきもちをやいていることを。
自分のものでもない美貴姉を取られたような気がして、子供みたいにすねていることを。
気付いているのなら、わざわざ何を話しに来たのだろう。

会いたくて仕方なくて、会えて嬉しくて、だけど、そのことを素直に伝える術をあたしは
知らなかった。
ただただ、美貴姉が話を切り出すのを待つことしか出来なかった。

「…あのさ」

美貴姉は大きくため息をついて、予想もしない、思いもかけない言葉を発した。



337 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:21


「店、閉めることになったんだ」
「え?」

顔を上げるとこっちを見ている美貴姉と目が合って、気まずくてまた逸らしてしまう。

「…そんな…急に…」
「急ってわけでもなくてさ、結構前からじいちゃんに言われてて。でも美貴が拒否してた
 だけなんだけどね」
「おじいさんが…?」
「そ。最近、かなり調子悪いらしくて『俺の目の黒いうちにこの店は閉める』なんて言い
 出して。今日、家に帰ったらなんかもう業者の人と契約したとかって。そりゃあ、じい
 ちゃんの店だし美貴が文句言う筋合いもないんだけど、ちょっと勝手すぎるじゃん?
 最近は美貴がほとんどやってたようなもんだしさ。…まあ、いいんだけど、別に」



338 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:21


淡々と話す美貴姉に違和感を感じる。
バイトを始めたばかりの頃、嬉しそうにお店の説明をしてくれた。
普段からお店をとても大切にしていた。
だからきっと、早口に吐き出された言葉は美貴姉の本心ではない。

「なんかさ、美貴じゃ頼りないみたい」
「そ、そんなこと…」
「だってそうじゃん?美貴、継ぐって言ってんのにさ、勝手に決めちゃって。まあ、これ
 から先、ずっと荷物背負わされること考えたら、今閉めちゃった方がいいのかもね」
「そんな言い方…」

美貴姉らしくないと思った。
家族が大好きで、特におじいさんとおばあさんをすごく大切にしていたから。
あたしは、そんな美貴姉を見て家族の大切さみたいなものを感じて、少しずつだけど両親
への接し方が変わってきているから。
だから、美貴姉にはそんなふうに言って欲しくなかった。
たとえ本心ではないとしても。



339 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:22


「…美貴姉らしくない…」

口に出してしまった後、その言葉があまりにも自分勝手だと気付き後悔した。
あたしは美貴姉のことをそこまで理解しているのだろうか。
『らしくない』と責めることが出来るほど、きちんとわかっているのだろうか。

「…だから言ったじゃん、田中ちゃんは美貴のこと買い被り過ぎてるんだって」

何も言い返せなかった。



340 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:22


「美貴は元からこういう奴だよ」

逆の立場なら、美貴姉はどんな言葉をくれるだろうか。
何度も救われてきたのに何も返すことの出来ない自分が情けない。
悔しくて腹が立つ。

たとえば、これが吉澤さんだったら、後藤さんだったら、亀井さんだったら、美貴姉を
救う言葉をかけてあげられるのではないだろうか。
あたしは何もしてあげられない。
それはきっとこれからも変わらないだろう。

あたしは美貴姉にはふさわしくない人間なんだと、そう思った。



341 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:23


「田中ちゃん」

重苦しい沈黙の後の突然の呟きに反応する間もなく、全身が甘い香りに包まれた。
心臓が誰かに掴まれたようにキュウってなるような感覚に襲われて、初めて気付く。
美貴姉に抱きしめられていることに。

「…み、美貴…」

「黙って」と言っているように更に強く抱きしめられて、あたしは完全に言葉を失う。
強引な抱擁にも関わらず嫌悪感は沸いてこない。
むしろ、心地良いとさえ感じてしまう。
首筋にかかる美貴姉の吐息に頭が麻痺する。
さっきまでの後悔や自己嫌悪なんて忘れて、もうどうなってもいいと思ってしまう気持ち
を必死で繋ぎとめる。



342 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:23


「…美貴…姉…」

再び強く抱きしめられた後、美貴姉の左手があたしの頬に触れる。
胸が跳ね上がる。
顔を上げてあたしを見つめる美貴姉。

だんだんと近付いていく二人の距離。

まるであたしの反応を確かめているかのようにゆっくりとした動作だったから、避けよう
と思えば避けれたのかもしれない。

だけど、そうしなかった。
確かに自分の意志で避けなかった。



343 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:24


それはほんのわずかな時間、そっと触れるだけのキスだったけれど、震えている美貴姉の
左手や唇から強い思いが伝染してきて、ようやくはっきりと自分の気持ちに気付かされる。

ずっと美貴姉にこうしてほしいと思っていたことに。
どうしようもなく美貴姉が好きだってことに。

だけど…。



344 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:24


「…なんで、避けないかなあ…」

あたしから体を離した美貴姉は、いつものように頭をクシャクシャに掻き乱して深いため
息をついた。
誰の目から見てもイライラしていることは明らかだった。
こんな美貴姉を見るのは初めてで、どうすればいいのかわからなくなった。
だからあたしはうつむいて黙り込んだまま、何も言えないでいる。



345 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:24


「田中ちゃんさ、美貴のことどう思ってんの?」

何も考えずに『好き』と言えばいいのかもしれない。
だけど、あたしにはそれが出来なかった。
だって、あたしは美貴姉に何もしてあげられない。



346 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:24


「この前、怒ったのは絵里にやいてたから?」

自分勝手にやきもちをやいてすねて怒って拒絶して。
なんて最低な人間なんだろう。
だから、美貴姉を好きになる資格なんてない。



347 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:25


「さっき、キスを避けなかったのは何で?」

うつむいて唇を噛み締める。
さっき、美貴姉に触れられた時はヤケドしそうなくらい熱かった唇が、まるで違う生き物
のように冷たい。



348 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:26


「美貴のこと、好きなんじゃないの?」

泣きたくないのに涙が溢れそうになる。



349 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:26


「…美貴じゃ、ダメ?」
「…ごめん…なさい…」

もう、それだけ言うのが精一杯だった。



350 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:26


「…うん、そっか」
「…ごめんなさい」
「ううん」

美貴姉の口調が変わったのを感じた。
少しずつ、気持ちが落ち着いていく。



351 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:26


「美貴こそ、ごめん。怖がらせちゃったね」
「…ううん、大丈夫」
「結局、昔と変わってないんだよね、こういう自分勝手なとこ。いい加減、大人になんな
 きゃって思うんだけどさ」

あたしは黙って首を横に振る。

「…お店ね、今月末までなんだ」
「…今月…」
「だから、悪いんだけど、バイトも今月末で辞めてもらうことになっちゃうけど」

バイトを辞める、それはつまり、美貴姉との別れを意味している。
この半年間、ほとんど毎日のように一緒にいた人との別れ。
美貴姉がそばにいない生活がどういうものなのか、想像することさえ出来ない。



352 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:27


「…どうする?」
「え?」
「んー、いや、ほら、やりづらかったらさ、もう辞めちゃってもいいし…」

確かにやりづらいという気持ちはある。
だけどそれ以上に、美貴姉のそばにいれる残りわずかな時間を無駄にしたくないと思った。

「最後まで、やらせて」

真っ直ぐに目を見てそう言うと、美貴姉は一瞬だけ戸惑って目を逸らしたけれど、再び
あたしの方を見て笑ってくれた。

「ありがとう。よろしく」

その笑顔は今まで見た中で一番悲しそうに見えた。



353 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:27


車を降りて角を曲がる時、後ろを振り返ったけれど、そこにはもうすでに美貴姉の車は
なかった。
この前は角を曲がるまで見送ってくれた美貴姉がいない。
美貴姉と会えなくなるということはこういうことなんだと改めて実感する。

それまで堪えてきた涙が急に溢れ出して、あたしはその場にうずくまる。
こんなところでと思いながらも止めることは出来なかった。

好きな人に好きと言えない、好きな人の前で泣くことが出来ない、そんな自分のつまらない
つよがりを責めるながら、思いきり泣いた。



354 名前:  投稿日:2006/04/20(木) 00:28


本日は以上です。



355 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/20(木) 00:28
>>330 名無飼育さん 様
「学んだ」なんて自分にはもったいない言葉、恐縮です。でも嬉しいですw

>>331 P 様
不器用な二人に自分自身もどかしい気持ちでいっぱいです…。

>>332 あお 様
三者三様の魅力を感じて頂けたようで、ありがとうございます。

>>333 名無し飼育さん 様
出来るだけリアルな感じを出したいと思っているので、そう言って頂けると嬉しいです。


レスありがとうございます。
こんな展開ですが、今後とも見守って頂ければ幸いです。
356 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/20(木) 08:34
更新お疲れ様です!!
 
ぐはっ。なんか切ないです…
でも凄くかわいらしくて、もどかしくて…
今回のはかなり胸を締め付けられましたよw
 
次回もワクテカで待ってますので、
マターリがんがってください。
357 名前:konkon 投稿日:2006/04/21(金) 01:27
・・・もうやばいです。
ちょっち泣きそうになってる自分がいます(汗)
れいなの想いが届くといいですね。
358 名前:あお 投稿日:2006/04/22(土) 10:54
毎度お疲れさまです!

うーん、なんか読んでて息が詰まりそうになりました。胸が痛いっす。
すれ違いますねぇ。。。
359 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 21:55


朝起きてあまりにも腫れている自分の目を見て、学校に行くのは諦めた。
これではさすがになんでもないなんて言い訳は通用しない。

「バイトには行くから」

そう言って布団に潜り込んだあたしに、母は何も言わなかった。

お昼過ぎにさゆからくだらなて笑えるメールが届いた。
返事を返すついでに自分の顔を鏡で確認すると、もういつもの状態に戻っていた。

そっと唇を撫でてみる。
昨日の美貴姉のキスを思い出す。

生まれてから二度目のキス。
比べるには経験が少な過ぎるし比べるものではないのかもしれないけど、あんなキスは
もう出来ないような気がする。
あんなに心が震えて胸が締め付けられるようなキスは、もう二度と------。



360 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 21:55


店には既に亀井さんがいた。
昨日まではやきもちの対象だった彼女がいてくれたことに、ホッとしている自分がいる。
その気持ちが何だか不思議だった。

「あ、れいなちゃん」

亀井さんがあたしを見つけて声をかける。

「美貴ちゃーん、れいなちゃん来たー!」

そして、大声で美貴姉を呼ぶ。
店の奥から出て来るその姿を見た時、鼻の奥が痛くなったけれど、それはほんの一瞬の
こと。
泣くわけにはいかない。
自分で選んだ答えなんだから。



361 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 21:56


美貴姉もいつもと変わらなかった。
そのことに安心している自分と少しだけ寂しく思う自分がいる。

「さてと、揃ったところで閉店セールのことなんだけど…」

今日から今月末までの間、激安で本を販売するセールを行うらしい。

「超格安だから結構人が入ると思うんだ。だから、絵里にもフル回転してもらう」
「えー…」
「えーじゃないの。文句があるならさっさと家に帰りな」
「…はーい…」
「田中ちゃんも今までよりも忙しくなると思うけど、よろしく」
「はい」
「よし、じゃあ、仕事仕事!」

美貴姉の予想通り、かなり多くのお客さんが来て、今までが嘘のように忙しい毎日が
始まった。
ほとんどのお客さんが、「寂しくなるね」とか「おじいちゃんによろしくね」なんて
言葉をかけてくれて、まるで自分のことのように嬉しい気持ちになった。

忙しいことはあたしにとっても好都合だった。
美貴姉と必要以上の会話をする暇もないのだから。



362 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 21:57


そして、閉店日前日。
仕事が終わって店を出ようとした時、後ろから声をかけられた。

「れいなー」

声の主は絵里だった。
あたし達はもう名前で呼び合うくらいの関係になっている。
自分ともさゆとも全く違うタイプだけれど、いつもニコニコしていて一緒にいてなぜか
ホッと出来る不思議な子。
あたしは絵里の前でも自然に博多弁を使うようになっていた。

「どうしたと?」
「んー、ちょいとそこのコンビニまで」

笑い合いながら肩を並べて歩く。



363 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 21:57


「いよいよ明日だねー」
「…うん」
「絵里ね、ちっちゃい時からしょっちゅうあの店に行ってたんだ」
「家出やろ?」
「えへへー、まあそうなんだけどねー。寂しくなるなあ」

絵里の笑顔は優しくて柔らかくて、少しだけ美貴姉に似ていてドキッとする。

「…店は閉まっちゃうけど、おじいさん達はあそこにおるんやろ?」
「うん、今のところはね。でも体調が悪くなって面倒見る人がいなかったら、うちに来る
 かもしれないし」
「そっかあ…」

美貴姉はどうするのだろうか。
あの家で暮らすのか、別の場所に行くのか、北海道に帰るのか…。



364 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 21:57


「美貴ちゃんもね、しばらくはあそこにいるみたいだよ」
「え?」

絵里は相変わらずニコニコしてる。

「美貴ちゃんはおじいちゃんとおばあちゃんが大好きだから、たぶんあの家で面倒見る
 つもりなんだと思う。…安心した?」
「あ、安心て、なんで、れいなが…」

思いがけない言葉に動揺を隠せない。

「だってさあ、れいなと美貴ちゃん、なんか変な空気なんだもん。明らかに意識して
 ますよーって感じで」

うまく立ち回れていると思っていたのは、どうやら自分だけのようだ。



365 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 21:59


「それにね、絵里が美貴ちゃんのことダンスに誘った時あったでしょ?」
「…ああ、うん」
「あの後、れいなが怒鳴ってるの聞いちゃって…」
「…そっか…」
「美貴ちゃんね、絵里のダンス見てる時もずっと上の空で、話しかけても返事もしてくれ
 なくて。夜ご飯も食べなかったんだよ。お肉だったのに…」
「…うん…」
「おじいちゃんから店閉めるって聞いて、思いつめたような顔で飛び出してくし…。
 あんな美貴ちゃん、初めて見た」

あたしは思わず立ち止まる。
絵里も一緒に止まって、あたしの目をじっと見て、やっぱり笑いながらこう言った。

「美貴ちゃん、目つきこんなんで口も悪いけど、結構優しいとこあるよ?」
「…うん、知っとうよ」

小さく呟くと絵里は少しだけ驚いたような顔をした後、笑顔で「そっか」と言ってくれた。
それは今まで見た中で一番優しい笑顔だった。



366 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 21:59


メルアドなんかを交換してくだらない話をしながら歩いていたら、いつの間にかコンビニ
を通り過ぎていた。

「あれ?コンビニ行くんじゃないと?」
「んー、あー、そうだっけー?」
「はあ?」
「うへへー、まあ、いいじゃんいいじゃん」

その時初めて、買い物というのが口実だということに気付いて、胸の奥が熱くなるのを
感じた。



367 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 22:00


「じゃあ、絵里、帰るね。気をつけてねー」
「あ、絵里…」

呼び止めたものの、素直に言葉が出てこない。
絵里はそんなあたしを見て、やっぱりニヤニヤしながら親指を立てて自分の方に向けて、

「ま、俄然強め?」

とわけのわからないことを言って走っていった。
ドンくさそうに見えて意外と足は速いらしく、あっという間に小さくなっていく。

その後ろ姿をぼんやりと見送りながら、あたしはやっぱり美貴姉のことを考えていた。



368 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 22:00


明日は四月最後の日曜日。
美貴姉と会うことの出来る、最後の日。



369 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 22:01


翌朝。
携帯のアラームが鳴る前に目が覚めた。
というよりも、ほとんど眠れなかった。

いつも通り身支度をして、少し余裕を持って朝食を食べる。
パンを食べている最中、テレビに映る自分の顔を見てふと思い付く。



370 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 22:01


急いで飲み込んで部屋に戻り、ピアスケースの中からシンプルなシルバーのピアスを
取り出す。
自分では絶対に買わないような、だけどとてもお気に入りのピアス。
美貴姉から貰ったもの。
前はしょっちゅうこのピアスをつけて出かけていたのだけど、美貴姉のことを意識し
始めてからはなんとなくつけることが出来なくなっていた。

最後の日にわざわざつけていくなんて不自然だろうか。
美貴姉は気付いてくれるだろうか。
気付いたらなんて思うだろうか。

散々悩んだ挙句、あたしはそのピアスをティッシュに包んだ。
無くならないように傷つかないように大切に、そしてもう二度と取り出すことが出来
ないように、ケースの一番奥にそっとしまって蓋を閉じた。



371 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 22:01


その日は、おじいさんが「この店始まって以来」と驚くほどの混雑ぶりで、あたしも
美貴姉も絵里も雑談する間もないくらい大忙しだった。
常連さんだけでなく、古くから付き合いがあるという近所の人まで足を運んでくれた。

そして、あっという間に閉店時間を迎えた。

最後のお客さんを見送り、鍵を閉めた後、静かにため息をつく。
疲れたからではない。
それはたぶん、近付いてくる別れに向けてのため息だと思う。
この店との、おじいさんや絵里との、そして、美貴姉との------。



372 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 22:02


「お疲れ様」

後ろから声をかけられる。
振り向かなくてもわかる、少し鼻にかかった特徴のある声。
泣いてしまわないように眉間に力を込めた。

「…お世話になりました。ありがとうございました」

美貴姉の目を見てそう言うと、

「田中ちゃんのそんな礼儀正しいとこ、初めて見た」

なんて笑われてしまった。



373 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 22:02


「れいな、こう見えて意外としっかりしてますから」
「うん、知ってる」

またからかわれると思っていたら、真剣な顔で言われてしまい、言葉に詰まる。
あたしはいつからかこんなふうに、美貴姉との距離をうまくとれなくなっていた。
その理由も解決策も本当はもうわかっているけれど。

「ホント、ありがとう」
「…ううん、れいなの方こそ…」
「…あと、いろいろとごめんね」
「…ううん…」

それ以上、言葉は出なかった。



374 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 22:05


「美貴ちゃーん、れーな!写真撮ろー!!」

沈黙を破ったのは絵里の声だった。
表を見ると絵里がカメラを片手にピョンピョンと跳ねている。
その横では、おじいさんとおばあさんが手招きしている。

「…行こっか?」
「…うん」

あたしと美貴姉は顔を見合わせて少しだけ笑った後、並んで外に向かって歩き出した。

今までのことを振り返りながら、一歩一歩ゆっくりと。



375 名前:  投稿日:2006/04/26(水) 22:06


------そして、明日から、美貴姉のいない日常が始まる。



376 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/26(水) 22:06


本日は以上です。



377 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/26(水) 22:06
>>356 名無飼育さん 様
ありがとうございます。マターリマイペースで頑張ります。

>>357 konkon 様
ありがとうございます。そこまで感情移入して頂けて嬉しいです。

>>358 あお 様
ありがとうございます。自分も書いてて胸が…。
378 名前:konkon 投稿日:2006/04/27(木) 00:34
んあ・・・涙が出そうでつ(汗)
さてさて、どうなることやらですね〜。
次回も楽しみにしてます。
379 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/27(木) 08:33
更新お疲れ様です!

うわー…なんかこの先どうなっちゃうんですかね…
切ないっすー
絵里がイイヤツでなんだか嬉しかったですw
次回もマターリ待ってます!
380 名前:あお 投稿日:2006/04/28(金) 00:56
あー、れいにゃじゃないけど、胸の奥が熱くなりました。
しかし、ぴょんぴょん跳ねるキャメイちゃん可愛いなー。
381 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 02:57
とっても面白いです
みんな好きなんだけど、その中でもれいなとさゆの関係が素敵すぎてやばいです
これからも期待して待ってます
382 名前:  投稿日:2006/05/11(木) 19:13


高校二年、五月。

バイトを辞めてから数日が過ぎた。
あたしは相変わらずなんてことない日々を過ごしてる。

学校は楽しい。
元々クラスでも目立つ方だったから遊ぶ友達には不自由しない。
バイトがない分放課後は思いきり遊べるし、貯金がかなりあるので欲しいものは
ほとんど買えるし。

普通に起きて学校へ行って適当に楽しんで家に帰って眠りにつく。
毎日同じことの繰り返し。
バイトをする前と変わらない生活。



383 名前:  投稿日:2006/05/11(木) 19:13


だけど、最近は友達から「れいな、なんか変わったね」と言われることが多い。

「変わったってどこが?」
「うーん、具体的にどこってわけじゃないんだけど、なんか話しやすくなった
 っていうか…」
「はあ?今まで話しにくかったと??」
「うん、ぶっちゃけねー」

みんな口々に言うのは、話しやすくなったとか積極的に話し掛けてくるように
なったとか、そんな内容だった。



384 名前:  投稿日:2006/05/11(木) 19:13


確かに自分でも変わったという自覚はある。
面倒くさくてそれなりに済ませようと思っていたことを、比較的前向きに捉える
ようになってきたと思う。
たとえば、クラスメイトとの人間関係だったり、学校の行事だったり。
気の合わないと思っていた友達も意外と話がわかる子だったり、行事だって面倒
ではあるけれどやってみると意外と面白かったり、そんな一つ一つの経験が更に
あたしを変えていくような気がする。

人よりも大人だと思っていた自分は実は全然そんなことなくて、むしろ嫌なこと
や面倒なことから目を逸らして逃げていただけなんだと思う。
早く大人になりたいとあれほど望んでいたのに、今はもう少しこのままでいたい。
子供のままで、今しか出来ないことをやっていたい。

それを教えてくれた人にはもう会うことはないけれど。



385 名前:  投稿日:2006/05/11(木) 19:14


五月も半ばを過ぎた頃、一通の手紙が来た。
差出人は絵里。
絵里とはたまにメールをしているけど、手紙を貰うのは初めてだった。

不思議に思い開けてみると、中には写真が同封されていた。

それはあの日、バイトの最終日に撮ったあの写真。
おじいさんとおばあさんを中心に、左にあたし、右に美貴姉。
そして、シャッターのタイマーをセットして急いで走ってきた絵里が前列で
しゃがんでいる。

久しぶりに見る美貴姉の笑顔に涙が込み上げてくる。



386 名前:  投稿日:2006/05/11(木) 19:14


今のあたしは、美貴姉がいないと生きていけないわけじゃない。
楽しいことはたくさんあるし、一緒にいて元気になれる友達もいる。
笑顔になれるし、別に毎日泣いて暮らしているわけでもない。

でも、いつもなにかのきっかけであの笑顔を思い出すたびに、あたしの胸は張り
裂けそうなくらい痛くなる。
たとえば、初めて二人で出かけた時に作った下手くそなガラスのコップを見たり、
テレビに映る特上のカルビを見たり、そんな些細なことで思い出してしまう。

そのたびに、後悔している自分に気付いてしまう。



387 名前:  投稿日:2006/05/11(木) 19:14


「…あれ?」

封筒の中をよく見ると、ルーズリーフらしきものに包まれた紙が入っていた。
ちょうど、手に取っている写真と同じような大きさと形。
ルーズリーフを拡げて中を見ると、もう一枚写真が出てきた。

…こんな写真、いつの間に撮ったのだろう。

そこには、向き合ってお互いの顔を見ているあたしと美貴姉が写っている。
最終日、絵里に写真を撮ろうと呼ばれる少し前の二人だった。



388 名前:  投稿日:2006/05/11(木) 19:15


その写真の自分の顔を見て愕然とする。
今までに見たことのないような、優しい柔らかい笑顔。
自分がこんなふうに笑うことが出来るなんて初めて知った。

美貴姉の前ではいつもこんな笑顔を見せていたのだろうか。
そうであってほしいと思う。
美貴姉の頭の中にいるあたしにはいつも笑っていてほしい。
自分勝手な願いだけど。



389 名前:  投稿日:2006/05/11(木) 19:15


ふと、写真を包んであるルーズリーフに文字が書いてあるのに気付く。

『れーなへ
 愛を込めて
 えりりんより』

それはやけに下手くそでキモい手紙だったけど、絵里の優しさが詰まっている
ような気がした。



390 名前:  投稿日:2006/05/11(木) 19:15


絵里にお礼のメールをしたら、いつもは返事が遅いのにも関わらず、今日だけ
はなぜか速攻で返ってきた。

『美貴ちゃんにも同じ写真あげといたよー。隠し撮りすんなって怒られたけど、
 大事にしまってたよ』

予想外のその一言は本当に嬉しい言葉で、思わず素直に返信してしまう。

『ありがとう』
『えへへー』

携帯の向こうであの独特の笑顔を浮かべている絵里を想像しながら、二枚の写真
を引き出しの奥にそっとしまった。



391 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/11(木) 19:16


本日は以上です。



392 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/11(木) 19:16
>>378 konkon 様
ありがとうございます。本当にどうなることやら…。

>>379 名無飼育さん 様
ありがとうございます。亀井さんも好きなんで自然にイイ奴になっちゃうみたいですw

>>380 あお 様
ありがとうございます。細かい描写に反応して頂いてw、嬉しいです。

>>381 名無飼育さん 様
ありがとうございます。二人の関係はこれからも丁寧に描いていきたいと思っています。
393 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/14(日) 09:19
从*´ヮ`)<更新おつかれいにゃ〜♪

何だか作者さんの作品を読むと温かい気持ちになれます。
次回も楽しみにしてます。
394 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/15(月) 21:26
更新お疲れ様です!
 
やべぇーなんかすっげぇ癒されました♪
れいなが可愛すぎるw
次回も頑張ってください。
395 名前:あお 投稿日:2006/05/15(月) 21:28
れいにゃも少しずつ成長しているのですねー。これからもれいにゃの成長を見守っていきたいと思います!
396 名前:  投稿日:2006/05/28(日) 20:05


五月末。
母が土日を利用して友人と旅行に行くことになり、あたしはさゆを家に呼んだ。
二回目のお泊り。

「相変わらず、ド派手だねー」
「うっさいなー」

ドタバタしながら夕飯を作り、お風呂に入り、見たいテレビを見終わった後、
一回目に泊まりにきた時と同じような状況で、あたしはさゆに美貴姉とのこと
を全て打ち明けた。
今日、誘った大きな目的はそれだったから。
さゆはあたしの話が終わるまでは相槌を打ちながらじっと聞いていたけど、
終わった瞬間にこう言った。

「れいな、バカじゃないの?」

なんだか怒っているように見える。



397 名前:  投稿日:2006/05/28(日) 20:05


「なん怒っとう?」
「怒りたくもなるよ。だってさ、やっと話してくれたかと思えば、もう終わって
 ます、なんてさ」
「うー…」
「しかもさ、両思いだったんでしょ?それなのに…。あー、もう、れいな、絶対
 バカ!!」
「そんなん言わんでも…」

さゆの言う通り、周りから見ればあたしはただのバカなのかもしれない。
好きだと言ってくれた人の手をわざわざ振り払ったのだから。

「今からでもさあ、言えばいいのに」
「…んー、それはムリ」

正直言うと、この一月もの間、何度も何度も美貴姉に会いに行こうと考えた。
偶然を装ってあの古本屋の前を通ろうかなんて思ったり、間違えたふりして
電話してみようかなんて思ったりした。
だけど、出来なかったし、してはいけないと思った。



398 名前:  投稿日:2006/05/28(日) 20:05


「…まあ、そんな頑固なとこもれいならしいけどね」
「れいな、らしい?」
「うん。れいなって軽そうに見えて案外頑固じゃん」

さらりと吐き出された言葉に、美貴姉とのやり取りを思い出す。
「美貴姉らしくない」と言ったあたしに、「買い被り過ぎてるんだって」と
返した美貴姉。
あたしはそれっきり言葉を失ってしまったけれど、さゆはやけに自信満々で
言い切る。

「…れいなってそんなイメージ?」
「ん?」

大きな真っ直ぐな瞳で聞き返してくるさゆ。



399 名前:  投稿日:2006/05/28(日) 20:06


「やけん、れいならしいって言うけど、本当のれいななんて自分でもわからんし。
 さゆが思ってるような人間じゃないかも知れん」

自分の発言に胸が苦しくなった。
これではまるで、今までさゆの前で見せてきた自分は嘘なんだと言っている
ような気がした。
そんなことないって、ちゃんとれいなのことわかってるって言ってほしかった。
美貴姉もあの時、同じような気持ちだったのだろうか。

「れいなってさあ…」
「…うん」
「やっぱ、バカ」
「…はあ?」
「そりゃあ、あたしだってれいなの全部を知ってるわけじゃないよ?その、藤本
 さんだっけ?のことも今日初めて知ったくらいだし」

さゆが少しだけ寂しそうな目であたしを見る。



400 名前:  投稿日:2006/05/28(日) 20:07


「でも、あたしが見てきたれいなは頑固でバカなれいななの」
「さゆ…」
「今ここにいるれいなも本当のれいなでしょ?」

さゆの言葉は真っ直ぐにあたしの胸に響く。

「…さゆって意外と頭いいかも」
「れいなはバカなくせにいろいろ考え過ぎなんだよ」
「…うー、確かにそうかも知れん…」

あたしは美貴姉のすべてを知っているわけではない。
だけど、一緒にいた時間に美貴姉が見せてくれた笑顔や優しさに嘘はないと思う。
買い被ってなんかいない。
あたしはバカだけど、それくらいはわかっていたはずだ。

あの時、それを自信を持って伝えることが出来れば、何かが変わったのだろうか。



401 名前:  投稿日:2006/05/28(日) 20:07


「ねえ、れいな。写真とかないの?」
「え、いや、ないわけじゃないけど…」
「見せて?」

さゆは両手を前に出して首を傾けて、お得意のかわいいポーズをしている。
そんなポーズはあたしには通用しない。

「イヤ」
「えー?なんでー??」
「なんでって、なんで見せなきゃいかんと?」
「だって、れいなは高橋先輩のこと見たじゃん。ずるいの」

わけのわからない理論が展開されていく。

「そんなん、高橋先輩は前から知っとうもん。ずるいとかじゃないと」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
「…そりゃそうだけど…」
「じゃあ、いいじゃん。見せてよー」



402 名前:  投稿日:2006/05/28(日) 20:07


結局、その勢いに負けて写真を見せることになってしまった。
数週間前にしまい込んだその写真の変わらない笑顔を見た瞬間、ドキッとする。
長いようで短い一ヶ月。
あたしの思いはちっとも色褪せてなんかくれない。
それどころか、自分の変化を感じる度に、美貴姉への思いは高まる一方だった。

「へー、そんなところに大事にしまってるんだー」
「…いちいちうっさい」
「見せて見せてー」

差し出した写真を覗き込んで美貴姉を確認したさゆは、

「…うわー、きれー」

と真顔で呟く。

「すっごい顔小さいし…」

最初はなんとなく自分が誉められたような誇らしげな気持ちだったのだが、
あまりにも真剣に写真を見つめる姿に、なんとも言えない不安が込み上げて
くる。



403 名前:  投稿日:2006/05/28(日) 20:08


「ねえ、れいな」
「…なん?」
「さゆみ、一目惚れしたみたい」
「はあ?」
「れいなが諦めたんなら、この人紹介…」
「ダメ!」

自分でも驚くほどの大声で叫んでしまった。
さゆはニヤニヤ笑っている。
どうやら、まんまとはめられたらしい。

「まだ好きなんじゃん、そんなにムキになるくらい」
「だ、騙したと…」

あたしが思いっきり睨むと、さゆはまるで悪びれた様子もなく当たり前のように
言った。



404 名前:  投稿日:2006/05/28(日) 20:08


「当たり前じゃん。だって、愛ちゃんの方が綺麗だし」
「はあ?美貴姉の方が綺麗やろ?」
「えー、この人、なんか顔怖いじゃん。愛ちゃんは優しいもん」
「なん言おうと?美貴姉だってホントは優しいと!それに高橋先輩なんて猿顔やん」
「あー、ひどーい!…てか、うちら、バカみたいじゃない?自分の恋人でもない
 のに自慢し合ったりして」
「確かに…」
「でも、れいなはまだ可能性あるんだからさ」
「…うん」
「あんな綺麗な人だもん。ボヤボヤしてると誰かに取られちゃうよ?」

それは素直にイヤだと思う。
美貴姉が他の人の頭を優しく撫でたり、他の人を助手席に乗せたり、あたしにして
くれたことを他の人にしている姿を想像するだけで、感情がうまくコントロール
出来なくなる。
だけど…。



405 名前:  投稿日:2006/05/28(日) 20:08


「ま、いいけどさー。なんか眠くなっちゃった。もう寝よ?」

黙り込んだあたしを見て、さゆはいつもみたいに話題を変えてくれた。
あたしは小さく頷いて電気を消す。

美貴姉と会わなくなって一ヶ月。
会わないくせに、あたしの心の中にはいつも美貴姉がいる。



406 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/28(日) 20:08


本日は以上です。



407 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/28(日) 20:09
>>393 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
自分もおつかれいにゃのAAであたたかい気持ちになりました。

>>394 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
かわいいと言ってもらえるのが何よりも嬉しいです。

>>395 あお 様
ありがとうございます。
本当に少しずつですが…。最後まで見守っていただけると幸いです。
408 名前:あお 投稿日:2006/05/30(火) 09:07
うーん、さゆイイヤツですねー。でも現実のさゆとれいなもこんな感じなんじゃないかな、って気がしてきちゃいましたw

話は動くのかな?次回更新も楽しみにしてます!
409 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:10


高校二年、六月。

さゆに話したことで、改めて美貴姉に対する気持ちを再確認したものの、あたしは未だに
踏み出せずにいる。
どうしても、付き合ったその後のことを考えてしまう。
子供の頃からずっとそうだった。
まだやってもいないのに悪い方向にばかり物事を考えるのは、あたしの悪いクセだった。

昨日、絵里がメールをくれた。
そこには、親が迎えにきて実家に戻ること、でもダンサーの夢は諦めていないこと、
そして、美貴姉のことが書いてあった。

『美貴ちゃんはヘルパーの資格を取るために学校に行ってるよ』

その文を見て、あたしはホッとする。
あたしの前で見せてくれた姿に嘘はないんだと確信する。

だけど…。



410 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:10


六月中旬のある日。
いつものように学校から帰ると、玄関に見慣れない靴があった。
いつもは母しかいなくて静まり返っているのに、誰かの話し声が聞こえる。
懐かしい声にハッとして急いでリビングに向かう。

「カ、カオ姉…」
「ハロー、れいな」

数年ぶりに見る姉の姿。
髪の色が明るくなってしっかりと化粧をしているけど、間違いなくカオ姉が目の前にいる。

「ハロー…って。…どうしたと?」

ひと月ほど前に貰った手紙には帰ってくるなんて一言も書かれていなかった。



411 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:10


「お母さんが呼んだとよ。ちょっと話があるけん」
「…話?」
「そう。ちょうどいい、れいなも座って。お父さんまだやけど先に話しとくと」

いつもと違う雰囲気に戸惑いながらも、あたしはカオ姉の隣に腰を下ろす。
昔と変わらないカオ姉の優しい香りで少しだけ落ち着いた。

「お母さん達、離婚することになったと」

突然のことに言葉を失う。
覚悟はしていたし、むしろ早くそうすればいいと思っていた。
だけど、実際にその事実を突きつけられると、頭の中がパニックになる。



412 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:11


「…やっぱりね」

隣でカオ姉が呟く。

「大事な話って言うからなんとなくそんな気はしてた。いいんじゃない?あたしはもう
 自立してるし、れいなも高校生だし、両親が揃ってないと辛い思いすることもない
 でしょ」

確かに辛い思いをすることはないだろう。
今までもあの人はほとんど家にいなかったのだから。

「お父さんが新しいとこで暮らすけん。今の生活とほとんど変わらんよ」

そう、今までと何も変わらないのだ。
それどころか、両親がケンカしているのを見て嫌な思いをすることがなくなる。
あたしにとってはいい話に違いない。
それなのに、心の中に広がる不快感を拭い去ることは出来なかった。



413 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:11


「…んで…?」
「ん?なん?」
「…離婚するくらいなら、なんで…駆け落ちなんかしたと?」

その言葉に一番驚いたのはあたし自身だった。
だけど、止められない。

どんなに愛し合っていてもこんな結果になるのならば、人を好きになることに意味なんて
あるのだろうか。
たとえば今、こんなふうに美貴姉を好きでたまらない自分も、いつかは両親のように心
変わりするのではないだろうか。
たとえ自分の気持ちが変わらなくても、相手の方が変わるかもしれない。

だから、あたしは怖い。
恋をすることが怖い。

母に向かって何を言ったのかよく覚えていないけど、気付いたらあたしは自分の部屋に
駆け込んでいた。
ベッドに潜り込んで、声をあげて泣いていた。



414 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:11


どのくらいの時間が経ったのだろう。
ノックをする音が聞こえて部屋に誰かが入ってくる気配を感じた。

「れいな」

布団越しに置かれた暖かい手。昔と何も変わらない、カオ姉の手。

「…カオ…姉」

あたしはカオ姉の腕の中で思いきり泣いた。



415 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:12


「気が済んだ?」

落ち着いた頃を見計らって声をかけるカオ姉。
いつもそうだった。
絶妙なタイミングであたしを助けてくれる、大好きなお姉ちゃん。
数年ぶりに会っても変わらないことが素直に嬉しかった。

「意外だったなー、れいながあんなこと言うなんてさ」
「…うん、れいなもそう思う…」

今さら恥ずかしい気持ちが溢れてくる。
あれではまるで、自分の思い通りにならなくて泣き叫ぶ駄々っ子と同じだ。



416 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:12


「でも、嬉しかったな」
「え?」
「れいな、手紙でもすごく冷めてるし、もうどうでもいいのかなって思ってたから」

ほんの半年前まではどうでもいいと思っていた。
いや、どうでもいいと思い込んでいた。
仕方がないと諦めていた。
本当はずっと元の仲の良い両親に戻って欲しかったのに。

「なんかね、れいなの心の中の壁がなくなったって感じがする」
「…壁?」
「そう、壁。「あたしは一人で生きていけるんだー」って精一杯突っ張って大人ぶってた
 のが、甘えたり頼ったりしてもいいんだって気付いた感じ」
「…なんで、そんなんわかると?」

ずっと離れて暮らしていたのに、カオ姉の言葉は実に核心をついている。



417 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:12


「知りたい?」

カオ姉は妙に意味ありげに笑う。

「知りたい」
「じゃあ、教えてあげる。あのね、お姉ちゃんはね、宇宙と交信出来るの」
「…はあ?」
「れいな、突っ込みが厳しくなったね。昔は「そんなん出来るとー?カオ姉すごーい!」
 って大喜びだったのに」

そういえば、小さい頃はよくカオ姉に騙されていたような気がする。
いろいろな不思議体験を聞かされて、それをそのまま信じ込んで友達に話したらひどく
バカにされた覚えがある。
あたしは昔から頑固だったけど、カオ姉の言うことだけはなぜか素直に聞いていたから。



418 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:13


「もう子供じゃないと」
「子供でもいいんだよ。大人になんていつだってなれるんだから。ピーターパンはね…」
「カオ姉」

放っておくとどんどん話がそれてしまいそうなので、本題に戻るように促す。
カオ姉は「しょうがないなあ」って苦笑いする。

「あたしもね、れいなと同じだったから」
「カオ姉も?」
「うん。向こうに行ったばかりの頃、周りの人は誰も信じられなかったし、もちろん誰か
 を好きになるなんて考えられなかった。一人で生きてやるってずっとつよがってたの」

知らない土地、慣れない言葉。
「自分だけが頼りだった」とカオ姉は笑う。



419 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:13


「でも、ある人と出会って変わった」

ドキッとする。

「なんか不思議な人で「つよがんなくていいんだよー」って優しい手で撫でてくれて。
 その人の前だとなぜだか素直になれて」

それはまるで、あたしにとっての美貴姉みたいで。

「子供みたいに喜んだり泣いたりすることも悪くないんだって思ったの。今ね、その人
 と一緒に暮らしてるんだ」

カオ姉はすごく優しい目で穏やかに話す。



420 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:13


「…カオ姉は、その人とずっと一緒におる自信ある?」
「自信なんてないよ。けど」
「けど…?」
「ずっと一緒にいたいって思ってる」

それはなんの迷いもない強い意思だった。

「母さん達みたいに変わっちゃう日が来るのかもしれないけど、それでもあたしは一緒
 にいたい。今の気持ちを大切にしたいから」

あたしの目からは再び涙が溢れ出す。
頭の中で美貴姉の笑顔が浮かぶ。
あたしは美貴姉とずっと一緒にいたい。
大切なのはその気持ちなのかもしれない。



421 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:13


「…カオ姉」
「んー?」
「もし、その相手の人がね…」

もう、あたしの心は99%決まっている。
残りの1%の迷いは、さゆにも美貴姉にもぶつけられないこと。
たぶん、美貴姉への思いをなかなか認められずにいた最大の理由。

カオ姉は大きな瞳であたしを見つめている。

「…女の人でもおかしくない?」

同性同士の恋愛に偏見は持っていないつもりだった。
さゆの話を聞いた時も美貴姉に告白された時も、嫌悪感は抱かなかった。
だけど、実際にそういう立場になった時、頭の片隅でそれを否定している自分がいる
ことに気付いた。
当事者になることに二の足を踏んでいる自分がいた。



422 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:14


カオ姉は一瞬驚いたような顔した後、

「ぜーんぜん、おかしくなんてないよ」

と笑った。

「だって、ほら…」

おもむろに携帯電話をいじって、あたしに差し出す。
画面に写っていたのは、カオ姉と綺麗な金髪の女の人だった。

「この人…」
「そ。あたしの大切な人」

その瞬間、今まで悩んでいたことが嘘みたいに、心の中に掛かっていたモヤモヤが一気
に吹き飛んでいくのを感じた。



423 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:14


「楽な道じゃないかもしれないけどね」

あたしの頭を撫でながらカオ姉は続ける。

「決めるのはれいな自身だよ」
「…ん、っく…」
「その人はれいなに本当の気持ちを伝えてくれたんでしょ?」

そう、美貴姉は何度も何度もあたしに言ってくれた。
「好きだ」って。
それは簡単に出来ることではなかったと思う。

「だったら、れいなも本当の気持ちで返さないと」

暖かい手に撫でられながら優しい声に包まれながら、カオ姉の言葉は不思議なくらい
あたしの心に入ってくる。

「その人が大切ならなおさらね」
「…うん」



424 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:14


顔を上げたあたしを見て、カオ姉は最後の魔法の言葉をくれた。
小さな頃からずっと、あたしが泣くたびにかけてくれた魔法の言葉。

「頑張り屋のれいな、頑張るんだぞ」

その言葉にあたしは笑顔で頷いた。



425 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:15


下に降りると、母とあの人が並んで座っていた。
久しぶりに見る並んだ姿。
母から話を聞いたのだろう。
あの人は珍しく困ったような顔をしている。

「…こんなことになって、悪かった」

初めて自分に頭を下げる姿を見て、長い間抱いていた恐怖感が薄らいでいくのを感じた。
簡単に許すことは出来ないだろう。
母が受けた痛みやあたし達が受けた恐怖は消すことは出来ない。
だけど、もう少し距離を置けば、時間が経てば、ひょっとしたら笑顔で会える日が来る
かもしれないと思った。
「お父さん」と呼べる日が来るかもしれない。



426 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:15


カオ姉と二人で外まで見送る。
あの人が持っているのは旅行用の小さなボストンバッグ。
それに入るくらいの荷物しかなかった事実に、少しだけ寂しくなった。

「じゃあ」
「…待って!」

不思議そうに振り返るあの人と心配そうに見ているカオ姉の視線を受けながら、大きく
一つ深呼吸をする。

「お母さんと出会えて幸せだった?」

終わってしまった恋でも、冷めてしまった気持ちでも。
あんなふうに傷つけ合うことしか出来なくなってしまった二人でも。
好きになったことを、かけおちまでして結婚したことを、あたし達が産まれたことを。

「後悔しとらん?」

あの人はさっきみたいな困った顔で、だけどはっきりと答えた。



427 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:15


「くだらんこと聞くな。…そんなん、当たり前たい」
「…そっか」
「…元気でな」
「うん」

あの人は小さなカバンを片手に遠ざかっていく。

「行っちゃったね」
「…うん」
「戻ろうか」
「…うん」

あたし達はゆっくりと家の中へと戻った。



428 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:15


「そういえば、カオ姉、いつまでこっちにおると?」
「んー、今月末くらいかなあ。仕事も残ってるし」
「そっかあ」
「まあ、れいながちゃーんと告白するのを見届けるまでは帰るわけにはいかないけど」

まるでいたずらっ子のように笑うカオ姉。

「…わかっとう、ちゃんと言う」

もう迷いはなかった。

「大丈夫?」
「うん。決めたけん、もう変わらんもん」

たとえ、美貴姉に他に好きな人がいたとしても、今の気持ちをはっきりと伝える。
それが今まで真剣に接してきてくれた美貴姉に今のあたしが出来る、唯一のことだと思う。



429 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:16


その日の夜。
あたしは初めて美貴姉に電話をかけた。

「…もしもし?」

久しぶりに聞く声に少しだけ泣きそうになって、なかなか用件を切り出せない。

「田中ちゃん?…大丈夫?なんかあった?」
「…ううん、平気」
「…そっか、よかった」

その声が本当に心から安心しているように聞こえて、あたしも落ち着きを取り戻す。



430 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:16


「元気だった?」
「うん。美貴姉は?」
「あー、もう、超元気。体がなまっちゃって大変でさ」
「なんそれ、おばさんくさーい」

普通を装ってくだらない会話をすることはそれほど難しいことではなかった。
だけど、それでは一向に前には進めない。
絵里に貰った写真を取り出して、気持ちを奮い立たせる。

「…あのね」
「ん?」
「話が、あって…。…会えん?」



431 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:16


少しの沈黙の後、美貴姉は小さく「いいよ」と答えた。
その言葉にあたしの胸は騒ぎ出す。
それは、告白に対する不安や緊張よりも、美貴姉に会えるという事実に対するドキドキ
なのかもしれない。

「次の日曜なら空いてるからさ。…うち、来る?ちょうど、じいちゃん達も出かけてるし」
「え?」
「あー、いや、変な意味じゃなくてさ。なんだろ、落ち着いて話せる場所ってなかなか
 ないだろうし…」
「…いいと?」
「うん。…嫌じゃなければ、だけど…」
「嫌じゃない」

迷うことなく返事をすると、受話器の向こうから美貴姉が小さく息を吐く音が聞こえた。

「…じゃあ、日曜に」
「…うん」
「…おやすみ」
「おやすみなさい」

約束を交わして電話を切った。



432 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:17


携帯を置いた瞬間、手が震えていることに気付く。

もう一度、写真を見る。
さゆと絵里とカオ姉の言葉を思い出す。
少しだけ気持ちが落ち着いて、大きく深呼吸をする。

ベッドに寝転んで目をつむるとすぐに、美貴姉の笑顔が浮かんできた。
自分の気持ちに少しの迷いもないことを改めて確信する。

あたしの気持ちは間違いなく、美貴姉に向かっていた。



433 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:20


本日は以上です。



434 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/07(水) 20:21
>>408 あお 様
ありがとうございます。
自分もさゆれながこんな関係だったらいいなあと思いながら書いています。
一応、話は動いた…のかな?



次回が最終回の予定です。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。
435 名前:konkon 投稿日:2006/06/08(木) 00:18
つ、ついにこの時が・・・いや、待ちますよ!
最終回ですか・・・(泣)
寂しくなりますけど、最後までがんばってくださいね。
436 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/06/08(木) 02:51
ああああ!胸がジーンってなった!
次回、楽しみに待ってます。
437 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/12(月) 21:35
>>435 konkon 様
ありがとうございます。
最後までしっかりと更新させて頂きます。

>>436 名無し飼育さん 様
ありがとうございます。
最終回も楽しんで頂ければ幸いです。


では、最終回です。
438 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:36


日曜日。

携帯のアラームの鳴る10分前に目が覚めた。
物心ついてからずっとそうしているように、当たり前に顔を洗い朝食を食べ歯を磨き、
出かける準備をする。
一番お気に入りの服を選んで着替えた後、一息ついて鏡を見る。
自分で思っている以上に落ち着いた表情をしていた。

引出しのアクセサリー入れの中、ティッシュに包んで大切にしまってあるピアスを取り
出して、肩耳ずつ丁寧につけた。
美貴姉から貰った大事な大事なピアス。
バイトを辞めてからは一回も表に出さなかったピアス。

あたしは今日そのピアスをつけて、美貴姉に会いに行く。



439 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:36


シャッターの閉まった店の前に立って、大きく深呼吸をする。
今ならまだ引き返すことは出来る。
だけど、今までの美貴姉との出来事を振り返ると、ここで逃げ出すわけにはいかない。

『だったら、れいなも本当の気持ちで返さないと。その人が大切ならなおさらね』

カオ姉の言葉を思い出す。
あたしにとって、美貴姉が大切な人であることは紛れもない事実。
伝えなければならないことはたくさんある。



440 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:36


インターホンを押すとすぐにドアが開いた。
ドアの内側には、気まずそうに頭をかいている美貴姉がいた。
どうやら玄関で待っていてくれたらしい。

「…いや、まあ、なんか、落ち着かなくて…」

そんなちょっと子供っぽいところをかわいいと思う。
待っていてくれたくせにジャージ姿で寝グセは全開だった。

「…うーん、ほら、どうせうちだし、別にいいかなって…」

そんな飾らない姿も愛しいと感じる。
気付かないうちに、あたしはこんなにも美貴姉が好きになっていた。



441 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:37


「あがって」

半年ぶりの美貴姉の部屋は何も変わっていなくて、あたしにとってはすごく落ち着ける
空間だった。
初めて泊めてもらった日には、こんな気持ちになるなんて想像もしなかったけれど。

小さな机を囲んで対面して座る。
何だか面接みたいで思わず笑ってしまう。
あたしはなぜかとても冷静だった。
逆に美貴姉は、髪をいじったり、あっちを見たりこっちを見たりで全然落ち着きがない。

「…あー、なんか、飲む?」

その場の雰囲気に耐えられなくなったのか、美貴姉が席を立とうとする。

「美貴姉」

あたしはその背中に向かって話しかける。
美貴姉は観念したように再び座った。
今日初めてまともに視線がぶつかる。
三回目の告白の時のように、逸らすことの出来ない、逃げ場のない視線。
だけど、あの時とは違う。
逸らせないんじゃなくて、逸らさないのだから。
あたしは、はっきりと自分の意志で美貴姉を見つめている。



442 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:37


「美貴姉」

もう一度、名前を呼んだ。
何度も何度も呼んでいたい名前。
大切で、大好きな人の名前。

「…れいなのこと抱いてくれん?」

自分でもなんて不器用なんだろうと思う。
ただ一言、「好き」と伝えれば済むことなのかもしれない。
だけど、あまりにもつよがり過ぎた恋は、最後の最後まで素直になれないらしい。
「抱いてほしい」という言葉が本当の気持ちであることには変わりないけれど。



443 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:37


美貴姉は何も言わずにあたしを見つめている。
笑ってごまかしたり冗談で片付けたりしないのは、たぶんあたしが本気だってことを
わかってくれているからだろう。
それくらいのことはわかり合えるくらい、そばにいたっていう自信はある。

美貴姉が静かに口を開く。

「…いいの?」

その言葉にゆっくりと頷く。
永遠とも思えるような沈黙が続いた後、美貴姉はあたしの手をとって、

「わかった」

と言った。



444 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:37


ベッドの上に横たわるとすぐ目の前に美貴姉の顔があった。
ほんの少しだけ美貴姉の手が触れている肩が、燃えるように熱い。
さっきまでの冷静な自分がどこかに飛んでいきそうになる。
何かに強く握りつぶされているように胸が締め付けられる。

ずっと、美貴姉にこうしてほしかったんだって、触れてもらいたかったんだって、そんな
簡単なことを改めて実感する。
心も体も、美貴姉を欲しがっている。



445 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:38


優しく髪を撫でられてそのまま頬に添えられた手。
その時、初めて美貴姉が震えていることに気付いた。

「…ヤバイ、なんか震えてるや、美貴」

発せられた声も震えていた。

「…美貴…姉…」

あたしの声も震えている。
それはもう、自分の意志でコントロール出来るようなものじゃなかった。

「美貴、やっぱ田中ちゃんのこと、好きみたい」

もう何度目になるのだろう。
美貴姉の口から紡ぎ出される「好き」という言葉は、少しずつだけど、あたしのつよがり
を解いていった。
そして今、あたしの心は遮るものなんて何もないくらい真っ直ぐに、美貴姉に向かって
いる。
あんなに何かにこだわって悩んで迷っていたのが、まるで嘘みたいに。



446 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:38


「れいなも…、れいなも、好き」

そうすることが当たり前のように、本当に自然にその言葉を発していた。
次の瞬間、目の前で固まっている美貴姉の目から涙がこぼれた。
それは、初めて見る美貴姉の涙だった。



447 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:38


「ごめんなさい」

ずっと素直になれなくて傷つけてごめんなさい。
手を伸ばして美貴姉の頬に触れる。
あたしと同じくらい、すごく熱かった。



448 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:38


「美貴姉が好き」

美貴姉はあたしの首筋に顔を埋めて、強く強く抱きしめてくれた。
あたしも美貴姉の背中に手を回す。
抱きしめられたことはあったけど、抱きしめるのは初めてだった。
思っていたよりも小さな背中が何だか嬉しかった。



449 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:39
 
 
 
450 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:39
 
 
 
451 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:39


どれくらい、そうしていたのだろう。
顔を上げた美貴姉はあたしを見て照れくさそうに笑った後、そっとキスをした。
優しいキスはいつの間にか激しいものへと変わり、美貴姉の手があたしの腰に添えられる。

「…み、美貴姉、なんしとう…」
「は?何って、田中ちゃんが抱いてって言ったんじゃん」

そう言って、今度は首筋にキスをする。
確かに自ら望んだこととはいえ、いざとなると戸惑いを隠せない。

「そ、それはそうやけど、ちょ、ちょっと待って…」
「ヤです」
「…ん…み、美貴姉…」
「ヤダヤダ」
「ねえ、待っ…」

美貴姉は少しだけ手の動きを止めてあたしを見つめる。
さっきまで泣いてたくせにもういつも通りの顔をしていて、それがすごく悔しかった。



452 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:40


「美貴、もうかなり待ったんだけど」
「う…」

そう言われると返す言葉を失ってしまう。

「美貴じゃ、ダメ?」
「え?いや、ダメじゃないけど…」
「よし」
「よしとかじゃな…」

美貴姉は再びあたしの口を塞ぐ。
さっきよりももっとずっと激しいキス。



453 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:40


「…っ、み…きね…」
「…ごめん、美貴もう、止めらんない」
「…も…バカぁ…」

何も考えられなくなって抗うことなく身を委ねる。
それは、激しいのに優しくて、ドキドキするけど心地良くて、今まで感じたことのない
不思議な感覚だった。
だけど、間違いなく幸せな時間だった。



454 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:40
 
 
 
455 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:41
 
 
 
456 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:42


六月末。
梅雨が明けて、雲ひとつない晴れの日。

カオ姉を乗せた飛行機が空の彼方へと消えていった。

「あーあ、やっぱちゃんと言えばよかったなあ…」

さっきから一人でブツブツ言ってる美貴姉。

「何を?」
「えー、ほら、『妹さんを幸せにします』とか『私に下さい』とかさあ」
「あはは、なん、それー」



457 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:42


空港のロビーで美貴姉を見た時、カオ姉は、

『れいなをよろしくお願いします』

と頭を下げた。
いきなり言われた美貴姉は戸惑いながら「あ、はい…」と答えるのが精一杯で、どうやら
そのことを悔やんでるらしい。

「だってさー、頼りない奴って思われたら嫌じゃん?」

飛行機が消えた方向を見つめて、美貴姉は言う。

「認められたいじゃん、やっぱ」
「大丈夫」
「はは、自信満々だし」
「うん、自信あるけん」

美貴姉ならきっとみんな認めてくれると思う。
だって、あたしが好きになった人だから。



458 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:43


恋も大人も信じられなかったあたし。
自分しか信じられなかったあたし。

退屈な日々。
お手軽な恋。
全てを諦めている自分。

そんなあたしの前にある日突然、HEROがやってきた。



459 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:43


ダントツでカッコ良いわけでもないし、無条件で守ってくれるわけでもない。
いつも何があっても優しいわけでもないし、何をしても怒らないわけでもない。
案外子供で、かなりぶっきらぼうで、たまに気分屋で、わりと泣き虫で、しかも何気に
エッチで。
思い描いていたような完璧なHEROなんかではない。
だけど、美貴姉はあたしを救ってくれた、あたしのつよがりを吹き飛ばしてくれた、
あたしだけのHERO。

これから先はすごく面倒くさくて苦しいことがいっぱいあると思う。
だけど、もうそれなりの人生でいいなんて思わない。
たとえどんなことがあっても、自分の未来を切り開くのは自分なんだから。



460 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:44


あたしは隣にいる大切な人の手をそっと掴む。

「美貴姉」
「ん?」

いつか、車の中で美貴姉が言っていた言葉を思い出す。

『もう一生あんな幸せな気持ちにはなれないんだろうなって諦めてた。本当に好きな人
 とは一緒にいられないんだろうなって―――』

繋いだ手に力を込める。
美貴姉は心配そうな顔であたしを見ている。



461 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:44


「れいなが美貴姉のこと幸せにする」

一瞬大きく目を見開いて驚いたような顔をした美貴姉は、「…バカ」と小さく呟いた後、
再び空を見上げた。



462 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:44


「美貴姉、泣いとうとー?」
「は、はあ!?別に泣いてなんかないし」
「えー、絶対泣いとー」
「…いちいちうるさい」
「ニヒヒー」
「…いなのクセに、生意気」
「え?」

聞き取れなくて思わず聞き返す。
真っ赤な目をした美貴姉は、それと同じくらい真っ赤な顔であたしの体を引き寄せた。



463 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:45


「れいなのクセに生意気だって言ってんの」

その優しい腕に包まれて、今度は自分の顔が真っ赤になるのを感じた。



464 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:45


―――終わり



465 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:47
 
466 名前:  投稿日:2006/06/12(月) 21:47
 
467 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/12(月) 21:47
以上で『bluff』は完結です。
読んでくださった方、レスをくださった方、ありがとうございました。
本格的な長編は初めてだったのですが、皆様に暖かく見守って頂いたおかげで
なんとか最後まで仕上げることが出来ました。
誤字脱字があったり、拙い文章で読みづらい部分もあったと思いますが、少し
でも楽しんで頂ければ幸いです。

まだ容量が残っているので、また何か書ければいいなあと思っています。
あと、現在、草板『弱虫ナイト』というスレでちまちまと短編を書いていますので、
暇な時にでも覗いてやってください。

それでは、長い間本当にありがとうございました。
468 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/12(月) 22:05
ついに完結ですね。おめでとうございます
そして何より、温かくて素敵なお話をありがとうございました!

从*´ ヮ`) 人(VvV*从
469 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/06/12(月) 23:10
毎回更新を楽しみにしていました。
すごく感動しています。素晴らしい作品をありがとうございました。
草板の方も応援しています。
470 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/13(火) 00:10
密かに毎回見てました!!
完結おめでとう御座います。
471 名前:konkon 投稿日:2006/06/13(火) 00:22
うぉぉぉっ!!!
ついに終わりましたか・・・ハッピーエンドでよかったです(泣)
素晴らしい作品をありがとうございました!
もう一つの小説、弱虫ナイトも・・・えっ?
作者さんが書いていたんですか!?
あれも毎回楽しみに読んでますw
今後も色々とお世話になります♪
完結お疲れ様でした〜。
472 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/13(火) 00:52
ありがとうございました。
473 名前:名無し猫 投稿日:2006/06/13(火) 04:12
完結おつかれさまです。
ここのれいながかわいくて好きでした。
新作も楽しみにさせていただきます。
474 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/06/13(火) 05:47
完結お疲れ様でした。初めてこの作品を見つけた時、あまりにも
自分のツボだったのでその日のうちに何度も読み返したことが懐かしい…

草板ともども、新作も心よりお待ちしています。
それまでは、草板チェックしつつ…bluffを何度も読み返すことにします。
本当に素敵な作品をありがとうございました。
475 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/13(火) 12:36
完結お疲れ様でしたー
 
更新されてるたびにドキドキしながら読ませていただきました。
素晴らしいお話をありがとうございました。
新作もモチロン読ませていただきたいと思います。
476 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/13(火) 12:55
完結、お疲れ様でした。
いつも更新、楽しみにしていました。
今飼育で書かれている作品の中で一番好きな作品だったので
終わってしまうのも少し寂しいですが、次回の作品にまた期待しています。
まさかあの人のあのセリフがあんなとこで使われるとは…(笑)
草板の方も頑張って下さい。本当にお疲れ様でした。
477 名前:駆け出し作者 投稿日:2006/06/13(火) 22:47
完結おめでとうございます、そしてお疲れ様でした。
何気なく1レス目の日付を見ましたが、半年経っていたとは。
ハラハラしたり、ニヤニヤしたり、胸が締め付けられる思いがしたりであっと言う間の半年間でした。
田中さんの成長を最後まで見守ることができて幸せです。温かいお話、本当にありがとうございました。

草板のほうもこっそり応援させて頂きます。
478 名前:サチ 投稿日:2006/06/14(水) 01:33
完結お疲れ様でした。
静かながらも奥が深い丁寧な気持ちの描写とか、
すごくステキで毎回更新が楽しみでした。
れいなの恋愛に対する気持ち、自分とすごく似ていて、
私にも美貴姉みたいなHEROが現れて、
幸せになれたらいいなあって思いました。
次回作も期待しています♪
479 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/14(水) 21:11
完結ありがとうございました。
毎回、各話の切り方が、早く続きを読みたい!って思う文章で
更新が楽しみでした。(思うツボ?)

最後に、藤本さん、やっと名前で呼んだ〜。
480 名前:あお 投稿日:2006/06/15(木) 01:43
うぉー、私が飼育に来てない内に完結されとったー!

いやぁ、作者様本当にオツカレサマです!
作者様のお陰でれなみきが一番好きなCPになりました。れいにゃの成長が見守れて嬉しい次第であります。草の方もチェキっときますね。
とにかく素晴らしい作品をありがとうございました!
481 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/04(火) 23:46
完結おめでとうございます。
かわいいれいなを堪能できました。ありがとうございます。

もしよろしければ、本編ではあまり触れられていなかった
愛ちゃんの番外編も読んでみたいです。
482 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/31(木) 21:26
>>468 名無飼育さん
温かいと感じて頂けて嬉しいです。
みきれな最高!

>>469 名無し飼育さん
感動して頂けるなんて光栄です。
草板の方は滞りがちですが生暖かく見守って頂ければと思います。

>>470 名無飼育さん
ありがとうございます。
読んで下さる方がいてこそ完結することが出来たと思っています。

>>471 konkonさん
草板ともどもレスして頂いて、本当に感謝です。
今後ともよろしくお願いします。

>>472 名無飼育さん
こちらこそ、読んで頂きありがとうございました。
新作も楽しんで頂ければ幸いです。
483 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/31(木) 21:27
>>473 名無し猫さん
自分が感じている田中さんのかわいさが少しでも伝われば嬉しいです。
新作は9月中には始められればいいなあと思っています。

>>474 名無し飼育さん
何度も読み返すほどハマって頂けるとは…本当に嬉しい限りです。
草板、新作共に頑張りますのでよろしくお願いします。

>>475 名無飼育さん
ドキドキして頂けたようで幸いです。
新作の方も楽しんで頂ければと思います。

>>476 名無飼育さん
あの人のあのセリフとはあの部分のことでしょうか?
あのセリフが使いたくてこういう展開にしたといっても過言ではないのでw、気付いて頂けて嬉しいです。

>>477 駆け出し作者さん
書いていて楽しかったせいか、自分でもなんだかあっという間の半年でした。
草板の方もこっそりまったり見守って頂ければと思います。
484 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/31(木) 21:27
>>478 サチさん
書いていてくどいかなあと思う部分があったので、丁寧と感じて頂けてよかったです。
余計なお世話かもしれませんが、サチ様にも素敵な出会いがあることを願っています。

>>479 名無飼育さん
まさしく思うツボですw
早く呼ばせたい気持ちを堪えて最後の最後まで引っ張ってしまいました。

>>480 あおさん
草板の方も見て頂けたようで重ね重ねありがとうございます。
飼育でもっとみきれなが増えれば嬉しいですね。

>>481 名無飼育さん
確かに高橋さんは微妙な立場のまま終わってしまったような感じですね…。
お約束は出来ませんが、機会があれば書いてみたいです。
485 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/31(木) 21:33
たくさんの温かいレスありがとうございました。

今回はbluffの番外編を一つ。
二月のある夜、藤本さんたちの話です。
486 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:33


よっちゃんのため息と共にドアが閉まる。

「平気?」
「なんとかね」

ごっちんと梨華ちゃんには絶対に見せない辛そうな顔で笑うから、美貴もとりあえず笑っておく。

「…飲み直しますか」
「そうしますか」
「よっしゃあ!これ以上飲めないってくらい飲んでやるぜ〜」
「はあ?それは勘弁してよ」
「いーじゃん、明日休みっしょ?」
「そういう問題じゃないし。潰れたよっちゃんを介抱するのはもうコリゴリだから」

酔っ払ったよっちゃんは非常に性質が悪い。
まあ、美貴も人のこと言えないけど。



487 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:33


「だいたいさあ、人が知らないうちにくっつくってどうなのよって。そう思わへん?おい、ちょっと、
 聞いてんのかよ〜」
「ああ、はいはい。もうそれ、何百回も聞いたから」
「あかん。美貴、君はまだまだ飲みが足りんわ」
「いや、もう十分だし。大体なんで関西弁?」
「ごっちんの抜け駆けヤロー!梨華ちゃんの鈍感ヤロー!ミキティのバカヤロー!」

いや、美貴は何もしてないから。
突っ込むだけ無駄なのはわかっているから、聞かなかったフリをして台所に逃げ込む。
哀れな相棒にお酒のおかわりを持っていくために。



488 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:34


焼肉屋のバイトで知り合った美貴達は同い年ということもあって(正確に言うと学年は違う)、自然と
仲良くなっていった。
もっとも、美貴と梨華ちゃんは打ち解けるのに多少の時間はかかったけれど。
都内で一人暮らしをしているよっちゃんのアパートに集まってはくだらない話ばかりしていたけれど、
北海道から上京して友達がいなかった美貴にとってはとても大切な仲間だった。
そして、バイトを辞めた今でも、こうしてお互いの誕生日を祝ったり、なんだかんだで集まっている。

だけど、その関係は前のものと少しだけ形を変えている。



489 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:34


よっちゃんとごっちんが梨華ちゃんを好きだってことは、だいぶ前から気付いていた。
たぶん、本人達が自覚するよりも早く。
経験上、同性同士の恋愛に抵抗はなかったし、割と周りの変化に敏感な方だから。
当の本人達が自分の気持ちを自覚して、お互いをライバルだと認識するのにもそんなに時間はかから
なかった。
どことなく似たもの同士の2人はなんとなく通じ合っている部分があって、「やっぱりね…」って感じ
だったらしい。

梨華ちゃんはずっと知らないままで、ごっちんと付き合うようになった今でもよっちゃんの気持ちには
気付いていないと思う。
人の世話ばっかりで自分のことに関してはものすごく無頓着だから。
どちらかというとゴーイングマイウェイでお互い深く干渉しない美貴達に対して、一人でお姉さんぶって
空回りばかりの梨華ちゃん。
だけど、そのおせっかいに助けられたことも何度かあって。
だから、二人が梨華ちゃんに惹かれる気持ちはわからなくもない。



490 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:35


「こんなになる前に言っちゃえば良かったのに」
「言えれば苦労しねーって」
「まあ、そうだけどさ」

ずっと平行線のままだと思っていた三人の関係は意外な形で決着が付いた。
詳しいことはわからないけど、先月の梨華ちゃんの誕生日にごっちんと梨華ちゃんは結ばれたらしい。
ごっちんは割と律儀な奴で、ましてやよっちゃん相手に抜け駆けをするなんて考えられない。
たぶん、お互いの気持ちが爆発するようなきっかけがあったんだと思う。
そのことはよっちゃんもわかっている。
わかっているから、二人の前では何も言わない。

「梨華ちゃんの気持ちもわかってたし」
「あー…」
「明らかにごっちんのこと意識してるってバレバレだし」
「まあね」

「泊まっていく」と言った梨華ちゃんを「イチャイチャされると困る」と追い返したよっちゃん。
「なんなのよ、なによ」なんてすねている梨華ちゃんを黙って連れて帰ったごっちん。
ドアの向こうに消えた二人の後姿は本当にお似合いで幸せそうだった。
いつかよっちゃんがその姿を笑って見送れるようになればいいなと思う。



491 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:35


「つーか、あたしのことより美貴はどうなの?」
「はあ?美貴ぃ?」
「田中ちゃんだっけ?かわいい子じゃん」
「…彼氏いるんだってば」
「そんなん奪っちまえよー。押して押して押しまくれー」
「よっちゃんに言われたくないし」
「…そりゃそうだ」

去年の秋。
いきなり店に飛び込んできた女の子。
気が強そうで生意気そうで礼儀知らずのように見えたその子は、本当は全然そんなことなくて。
クルクル変わる表情とかわいらしい話し方、そして時々見え隠れする寂しげな顔。
美貴はいつの間にか田中ちゃんに惹かれていた。

「でもさ、マジでまんざらでもないと思うんだけど」
「なにが」
「あの子、逃げるように走って帰ったじゃん?あれってあたしに対する嫉妬じゃねーの?」

嫌われてはいないと思う。
慕ってくれているとは思う。
だけど、その好意を恋と勘違いするわけにはいかない。
それで痛い目にあったこと、何度もあるし。



492 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:35


「だーもう!よし、ちょっと携帯貸してみ」
「はあ!?」

返事を待たずに携帯を取り上げたよっちゃんは、おもむろにボタンを操作して何かを打ち込む。

「ちょ、何して…」
「はいよ」

返された携帯のディスプレィに映されていたのはメールの送信画面。
本文には『好きです』の一言。
ご丁寧に送信先には田中ちゃんの名前が設定されている。

「…あのねえ」
「これであとはこのボタンをポチッと押せば素敵な告白の出来上がり〜」
「なにが出来上がり〜だよ」
「ええ〜、よくね?シンプルイズベストだよ」



493 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:35


やっぱり酔っ払ったよっちゃんは性質が悪い。
美貴はため息をつきながら、再び携帯を見る。

『好きです』

昔、潤んだ目で美貴を見つめて、その言葉をくれた女の子がいた。
生まれて初めての本気の恋は想像していたよりももっとずっと幸せなもので、このまま一生そばに
いたいと願っていた。
その願いはかなうことなく、儚く壊れていった。
壊したのは誰でもない、美貴自身だけど。

もうあんな思いはしたくない。
好きな人が離れていくなんて耐えられない。
だけど…。



494 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:37


携帯を見つめる美貴の目の前で、悪友は既に寝息を立てている。
よっちゃんは普段だったら絶対に人の携帯をいじることなんてしない。
踏み込んでいい部分とそうでない部分のしっかりとわかっている人。
そのよっちゃんが酔っ払っていたとはいえこういう行為をしたのは、何かの導きなのだろうか。

「あー、もう」

左手で頭を掻き乱す。

『それ、美貴姉のクセやね』

そう言って笑った田中ちゃんが頭に浮かぶ。
そんなクセに気付くくらい美貴のことを見ててくれたって、自惚れてもいいのかな。

「…はあ」

小さくため息をついた後、再び携帯に目を落とす。
…ん?



495 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:37



「ああああああああああああ!!」
「ぬわああああああああああ!!」




496 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:37


美貴の叫び声に驚いてよっちゃんが目を覚ます。

「なななんだよ、ミキティ。ビビったあ。…どうかしたの?」

携帯を見つめたまま固まっている美貴の顔を心配そうに覗き込むよっちゃん。
視線は感じるものの、今はそれどころではない。

「よよよよよよよよ…」
「よ、よよよ?」
「どどどどどどどど…」
「どどど?…って、美貴?」

只事じゃないと察したのか、よっちゃんは美貴の顔を掴んで自分の方に向かせる。
たぶん、美貴は今、今まで見せたことのないくらい情けない顔をしているだろう。
だって…。



497 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:38


「送っちゃった…」
「は?」
「メール送っちゃったの…」
「メールって…はあ!?」

ディスプレイには『送信完了』の文字が誇らしげに映しだされている。
どうやら、髪を掻き乱した拍子にボタンを押してしまったようだ。
美貴の心臓はバクバクと異常な速さで動いている。
ヤバイ、ヤバイヤバイ。

「あー、まあ、良かったんじゃね?」
「はあ?」
「いや、だってさあ、ぶっちゃけ美貴もぶちまけたかったんでしょ?良い機会じゃん」
「そんな、人事だと思ってさ、元はといえばよっちゃんがいけないんじゃん。うまくいく
 保障ないのに、コクったりなんか出来ない」

もう二度とあんなせつない思いはしたくない。



498 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:38


「なら、間違えちゃった〜とかって送ればいいじゃん。酔っ払ってたってごまかしてさ」

その言葉に何も言い返せなくなる。
それが一番良い方法だと思う。
そんなふうにごまかせばそれ以上追求されることはないだろう。
田中ちゃんもよっちゃんと同じで、聞かれたくないことや知られたくないことに無理やり踏み込んで
くるような子ではないから。

優しい店長を演じる美貴。
従順なバイトを演じる田中ちゃん。
だけど、美貴は心のどこかでその関係を壊したいと思っている。
よっちゃんの言う通りだ。
この思いをぶちまけてしまいたい。
これからのこととか、田中ちゃんの気持ちとか、彼氏がいる事実なんてどうでもいいと思うくらい。



499 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:38


そんな迷いを断ち切るかのように手の中の携帯が音楽を奏で始めた。
確認しなくてもわかる。
モノグサな美貴がわざわざ特別に設定した唯一の着信音。
この音楽を奏でられる相手は一人しかいないのだから。

『送る相手、間違っとうよー!それとも冗談?』

「…田中ちゃん?」

ずっと心配そうに見つめているよっちゃんに頷いて、送られてきたメールを見せる。

「なるほど。なかなか賢いんだね、田中ちゃん」
「うん」
「良かったじゃん。これなら簡単にごまかせるべ」



500 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:39


よっちゃんの大きな目が美貴を捉える。
その瞳は言葉とは裏腹で「ホントにいいの?」って訴えかけてくる。

「後は美貴次第でどうにでもなるってことか。さあてと、あたし、いい加減もう寝るわ」
「うん」
「そのソファと毛布使っていいからさ」
「うん」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」

立ち上がって肩をポンと叩いて自分の部屋へと移動するよっちゃん。
その手の温もりになんとなく「頑張れ」って励まされているような気がした。



501 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:39


そう、ここから先は美貴の選択次第。
自分の意思でどうにでも変えられる。
手元には三枚のカード。

『ごまかす』
『無視する』

そして…。

どうする?美貴。
どうなる?美貴。

大きく深呼吸をして小さく唾を飲み込んで、だらしなく震える指でボタンを押す。
頭の中に住み着いているいたずらっ子みたいな笑顔を思い浮かべながら――。



502 名前:card 投稿日:2006/08/31(木) 21:39



『美貴は、田中ちゃんが好き』




503 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/31(木) 21:40
以上で番外編cardは終わりです。
504 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/08/31(木) 23:50
うわぁぁぁ、更新キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
こうきたかぁ、といったところです、うん。
もっと読みたいなぁ…。
また最初から読み返しながら、気長に更新待ってますね〜。
505 名前:konkon 投稿日:2006/09/01(金) 00:56
作者さんは本当にすごいと思います。
また読み返したくなるような続編がくるとは・・・っつうかまた読みますw
続きを楽しみにしてます。
506 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/01(金) 08:27
最後の小ネタ?に、このシーンは本編のあの部分に繋がるのにと思いながらも笑ってしまいましたw
またここの藤本さんに会えて嬉しいです。

507 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/08(金) 23:21
>>504 名無し飼育さん
こうきちゃいましたw
また読み返して頂けるとは…嬉しいです、ホントに。

>>505 konkonさん
褒めて頂き光栄です。
また番外編とか外伝的な話が書ければいいなあと思っています。

>>506 名無飼育さん
基本的にくだらない小ネタが好きな人間なので…。
自分も久しぶりに藤本さんを書いて楽しかったです。
508 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/08(金) 23:26
次はbluffとは全く別の話を。
いわゆるCP物ではありませんが、楽しんで頂ければ嬉しいです。
509 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:27


アオゾラウサギ



510 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:27

雲一つない青い空。

そう思った瞬間に小さな白い固まりを見つけてしまい、新垣里沙は深いため息をつく。
ここ最近はどこにいて何をしていてもこんな感じだ。
あの雲のように新垣の心の中には常にモヤモヤとした固まりが存在する。

「…ウサギみたい」

呟いてみて更にせつない気持ちが押し寄せる。
今の彼女にとってウサギは禁句だ。いろんな意味で。


511 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:28

高校三年生になって一月が過ぎた。

ということは、このグラウンドに足を踏み入れなくなってから、二ヶ月が過ぎたと
いうことになる。
それまではほとんど毎日のようにここで走り回っていたことがまるで嘘のようだ。

いや、嘘や幻や夢の方が良かったのかもしれない。
もうあんな気持ちを味わうことが出来ないのだから。


512 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:28

新垣が所属する草キックベースチーム・メトロラビッツが事実上の解散を迎えたのは、
二月末のことだった。
といっても、実際はメンバーが足りなくて試合に出場出来ない状態だったので、チーム
として機能していたとは言いがたい。
それでも、一緒に声を上げ汗を流し走り回る仲間がいた。
たった一つのボールを日が暮れるまで追いかけて、くだらないことで笑ったり泣いたり
出来る仲間がいた。

新垣は今、一人だ。
みんないなくなってしまった。


513 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:29

メトロラビッツは今から五年前に結成された。
メンバーは高橋愛、紺野あさ美、小川麻琴、そして新垣里沙。
年齢こそ違うものの小さい頃からいつも一緒にいた幼なじみ四人組。

言いだしっぺは高橋。
テレビのバラエティ番組でやっていたキックベースに触発された彼女が目を輝かせながら
部屋に飛び込んできたあの日のことを、新垣は今でも鮮明に覚えている。
最初はみんな本気にしていなかった。
唐突になんの脈絡もないことを言い出すのは高橋の得意技だったから。
しかし、翌朝、玄関の前で新垣を待ち構えていたのは、真新しい四人分のユニフォームと
ボールを手にした高橋の姿だった。


514 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:29

彼女はニッコリと微笑んで、こう言った。

「ガキさん、キックベースやろ?」

そんな感じでなし崩し的に始まったメトロラビッツだが、想定外に面白いキックベースに
四人ともどんどん夢中になっていった。
その後、某プロ野球チーム主催の大会に参加するためにメンバーを集った結果、三好・岡田
の二人が仲間に加わり、結成から一年後には好成績を修めるまでのチームに成長した。


515 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:29

しかし、時が経ちそれぞれを取り巻く環境が変化するにつれて、キックベースに費やす時間が
少なくなっていくのは当然のことだった。

まず、チームを離れたのは紺野だった。
高校でフットサルの魅力にとりつかれた紺野は散々悩んだ末、フットサルに専念すると決断。
ちなみにその紺野が所属するフットサルチーム・ガッタスは、現在、フットサル界では屈指の
名門チームとしてその名を轟かせている。


516 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:30

そして、専門学校を卒業した三好が就職のため、高橋が大学進学のため、それぞれ地元から
離れることが決まり、チームは小川・新垣・岡田の三人となった。
この時点で試合には出場出来なくなってしまったのだが、それでもなんとか三人でチームを
支えていた。
いつかまた、みんなで集まってキックベースが出来ることを夢見て。
しかし、残る小川と岡田もこの春高校を卒業しチームを離れることとなり、新垣はとうとう
一人になってしまったのだ。

今年受験生である彼女にとって、それはある意味で都合のいいことなのかもしれない。
キックベースにかまけている余裕があるほど成績がいいわけではないのだ。
それはわかっている。
わかっているのだけれど――。


517 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:30

「あ〜、やっぱりここにいたぁ。探したんだから〜」

振り向かなくても誰だかわかる間の抜けた声に、新垣はわざとらしくため息をつく。
もっともそんなことに気付いて凹むような相手ではない。

「探したって言ったって、ここにいること知ってるでしょーが」
「えへへ。バレたぁ?絵里とガキさんの仲だもんね〜」
「はあ?別にあんたとの仲なんてなんにもないから」
「もお、ガキさんたら照れちゃって〜。このこのぉ〜」

こういう相手は放っておくのに限る。
そういえば、あの年上の幼なじみもこんな感じだった。
こちらの話などまるで聞いていない。
会話が成り立った試しなどただの一度もない。
自分はこういうタイプに付きまとわれる運命なのだろうか。


518 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:30

「ねえねえ、ガキさん」

新垣は空を見上げる。
雲が一つから二つに増えている。

「ガキさんってば〜」

新垣は頭を抱える。
ここ最近の憂鬱の原因の一つは、ストーカー並に付回してくるこのクラスメイトのせいだ。
間違いない。

「ガ〜キ〜さ〜…」
「もう聞こえてるから、何?」

きつい言い方にも関らず、その少女は笑みを絶やさない。

「だからぁ、絵里、キックベースやりたいんだってば」


519 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:31

新垣と亀井絵里は三年生になって初めて同じクラスになった。
隣の席でニヤニヤと薄気味悪い笑顔を向けてくる亀井を見た時、なんだか嫌な予感がした
のだ。
この子には関らない方がいいと新垣の体全てが警告していた。
その嫌な予感が最悪な形で当たってしまったのが、新学期が始まって数日後のこと。
手帳に挟んであったメトロラビッツの写真を見た亀井が唐突にこう言ったのだ。

「絵里もやりたい」

その日以来、彼女はこうして新垣のことを追い掛け回している。


520 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:31

「だからさ、あたしはもうキックベースなんかやらないって。やりたいなら他の人探しな」
「やだやだやだぁ。絵里はガキさんとやりたいんだもん。ガキさんとじゃなきゃやなの」
「はあ…」

亀井の気持ちは素直に嬉しいと思う。
だけど、今一歩踏み出せない自分がいる。
新垣の心の中に去来するのは大好きな仲間たちと過ごしたかけがえのない日々。
あの思い出を超えられるはずがない。
あの絆を壊せるはずがない。


521 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:31

「絵里、こう見えて結構運動神経いいんだよ?」

亀井はそう言って俯いている新垣の顔を覗き込んだ。
泣きそうな顔をしている。

同じクラスになったのは今年が初めてだが、亀井はずっと前から新垣のことを知っていた。
走ることが趣味の亀井にとってこの川原はお気に入りのマラソンコースだった。
このグラウンドで楽しそうにボールを追いかけている女の子たち。
その光景を横目に走るのが好きだった。

しかし、いつの間にか五人、三人と人数が減っていき、とうとう一人になってしまった。
残された女の子は一人になってからも毎日この川原に来て、じっとグラウンドを見つめて
いた。
いつも泣きそうな顔をして。


522 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:31

新学期が始まり、その子と同じクラスの、しかも隣の席になったとき、亀井は運命めいた
ものを感じた。
一緒にキックベースをしたい。
そして、もう一度あの笑顔を見せてほしい。
そう思った。

偶然を装って誘ったとき、新垣はこう言った。

「もうキックベースは卒業したから」

だけど、それならばなぜ、今でもあの川原に足を運んでいるのだろう。
あんなに悲しそうな目でグラウンドを見つめているのだろう。


523 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:32

「ねえ、ガキさん」
「…なによ?」

亀井はスウッと息を吐き出す。
もともと、それほど積極的なタイプではない。
断られても断られても喰らいついていくようなタイプではない。
だけど、今回だけは諦められなかった。
理由はわからないけれど。

「あのね」
「だーかーらー、何?」


524 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:33

亀井は新垣の目を真直ぐ見て、こう言った。

「ガキさん、キックベースやろう?」

その言葉にあの日の高橋のセリフが重なる。
早口な高橋と舌足らずの亀井では似ても似つかないはずなのに。
…やはり、自分はこういうタイプに弱い人間らしい。
そして、それが嫌いじゃないらしい。

新垣自身、もう気付いている。
キックベースがやりたくてやりたくて仕方がない自分の気持ちに。
初めて亀井と会ったときに感じた警告の本当の意味に。

新垣は小さくため息をついた。


525 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:34

「…カメって案外しつこいよね」
「ええ〜、そんなこと初めて言われたよ?」
「なんか動きとかキモイし」
「…それは、よく言われる、けど…」

その言葉に新垣は笑顔になる。
今日初めて見せてくれた笑顔に、亀井も笑顔になる。

「さてと、ほら、行くよ」
「え?行くってどこに?」
「やると決めたからにはこんなところでボヤボヤしてる暇はないの」
「やるって何を?」
「はあああ?キックベース、やるんでしょ?」
「ええ?ガキさん、絵里とキックベースやってくれるの?」
「あんたが誘ったんでしょーが!!」
「ホントに?」
「ホントに」
「嘘じゃない?」
「嘘なんかつくわけないでしょ」
「夢じゃない?」
「しつこいってば」
「やったああ!」

飛び跳ねる亀井の後ろに青空が広がる。
さっきまでの雲は跡形もなく姿を消していた。


526 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/08(金) 23:34

「その前に、カメ。あんた、ルール知ってんの?」
「ルールなんてあるの?ボール蹴るだけじゃないの??」
「…はああ。こりゃあ、大変だ…。今日はルール覚えるまで寝かさないから。わかった?」
「え〜、絵里、眠いよお」
「あのねぇ、ルールを知らなかったらキックベースは出来ないの!ほら、サッサと歩く!」
「やだやだやだぁ。ガキさんのバカ〜」
「うるさーい!!」

こうして、新生メトロラビッツは産声を上げた。


527 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/08(金) 23:35

本日は以上です。
全部で10回くらいの更新予定です。


528 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/09(土) 01:14
エエデ!
529 名前:konkon 投稿日:2006/09/09(土) 02:10
やべぇ、すげぇほのぼのしてていいですよ!
ガキさんはやっぱこういうキャラですよね♪
530 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/09/09(土) 02:31
更新キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
しかも、ここ最近株上昇中の彼女主役…嬉しい限りです。
作者さんは5、6期書くの上手いですよね。
次の更新も、心よりお待ちしております☆
531 名前:あお 投稿日:2006/09/15(金) 03:02
番外編と新作キテター!

毎度お疲れ様です。今回の題材はこれですかー、何処となくほのぼのとしてて良いですねー。
私の好きなあの子は出てくるのでしょうか……。これからが楽しみです。
532 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/16(土) 00:55
>>528 名無飼育さん
マイド!

>>529 konkonさん
ガキさんにはこれからもいっぱい苦労をかけそうです。

>>530 名無し飼育さん
ガキさんはあまり書いたことないので不安だったのですが、そういってもらえて嬉しいです。

>>531 あおさん
あの子の登場は…。楽しんで頂ければ幸いです。


それでは、第2回。
533 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 00:57

新生メトロラビッツの誕生から数日後。

あの日、結局朝までかかってルールを叩き込まれた亀井。
完璧とまではいかないが、大体のことを覚えることが出来た。
亀井にしてみればそれで満足なのだが、新垣はなかなか厳しく、週に一度確認テストを行う
という。
だから、亀井は授業中も復習に余念がない。
せっかくやる気になってくれたのだ。
このチャンスを逃すわけにはいかない。


534 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 00:57

そして、今日は念願の初練習日。
亀井は朝からずっとそわそわしている。
三年生ともなると授業はほとんど選択となり、同じクラスでも帰りの時間はバラバラになる
ことが多い。
今日は新垣が六時間目まで、亀井は午前中で終わりである。
そのため、グラウンドで待ち合わせをしている。

「じゃあ、ガキさん、後でね!」

チャイムが鳴り始めると同時に教室を飛び出していった亀井に呆れながらも、新垣自身も
逸る気持ちを抑えきれずにいた。


535 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 00:57

待ち合わせの10分前。
先にグラウンドに現れたのは新垣だった。
先に来ていると思っていた亀井の姿はまだない。
少しだけ不安になる。
ここで誰かを待つのは好きじゃない。

5分前。新垣は仕方なく一人で準備運動を始める。
しかし、待ち合わせ時間になっても亀井は現れない。


536 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 00:57

最初は心配していた新垣も、10分、20分…と時間が経過するうちにだんだん怒りの方が
強くなってきた。
大体、誘ったのは向こうなのだ。
あの笑顔にホイホイと乗せられて徹夜でルールを教えたりして…。
亀井にも自分自身にも腹が立つ。

かなうわけないのだ。
超えられるわけないのだ。
あの日々を、あの仲間を。


537 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 00:58

約束の時間から二時間が過ぎ、日もすっかりと暮れて、もういい加減帰ろうと思って立ち
上がったその時――。

「ガ〜キ〜さあああああん!!」

暗闇の中、土手からものすごい勢いで駆け下りてくるカメ、もとい、影。

「はあはあはあ…」
「…あんたねえ」
「ちょ、ちょっと待って…。息が切れて…はあはあ…」
「ちょーっとどころじゃなくて、こっちはいーっぱいいーっぱいいーーーーーっぱい待った
 んですけど」
「えへへ〜」

遅れたくせに全く悪びれた様子を見せない亀井。
それでも、なんとなく心の底から怒りが湧いてこないのはなぜだろう。
新垣は膝に手をついて肩を上下させている亀井を見つめながら、来てくれたことにホッとして
いる自分に気付いた。


538 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 00:58

「とりあえず、言い訳を聞こうか」
「言い訳ぇ??」
「そ、遅れた理由。それによって許すかどうか決め…」
「そんなことよりも、ホラ、見て!」
「はあ?そんなことってなによ、そんなことって。あたしはね、こんな薄暗い川原で二時間も
 待たされ…」
「ホラホラ、見てってばぁ」
「コラー!人の話を聞けー!!」

新垣の怒鳴り声など気にもせず、亀井はしきりに自分のシャツを引っ張ってアピールする。
こうなると何を言っても無駄だ。
結局折れたのは新垣の方だった。
亀井の言う通り、上着に目をやる。


539 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 00:59

「ね?ね?すごいでしょ?絵里、頑張ったでしょ?ガキさん、ちょっと感動しちゃったでしょ?」

新垣は微動だにせずに亀井を見る。
亀井は得意気に胸を張る。

「…ねえ、カメ」
「ん?なになに?」
「暗くてよく見えないんだけど」


540 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 00:59

まるでコントのようなオチで亀井がずっこけた後、二人は土手を離れて明るい場所へと移動する。
川原のグラウンドに照明設備などあるはずもなく、どっちにしろ今日は練習できそうにない。

何もしていないのに異様に疲れた新垣はスタスタと先を歩く。
亀井はニコニコしながらその後ろを歩く。
遅れたことも怒らせたこともわかっている。
そこまで鈍くはない。
ただ、遅れた理由はそれなりにあるし、これを見ればきっと新垣も喜んでくれるはずだ。
亀井はそのことで頭がいっぱいだった。


541 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:01

「ガキさんガキさん」

ようやくお互いの表情が見れるくらい明るい場所に着いた瞬間、亀井が声をかけた。

「あんたねえ、やけに嬉しそうだけど、あたしは全然許し…」

振り返った新垣の言葉を失わせたものは、亀井の笑顔と彼女が身に付けている赤いユニフォーム
だった。
胸に輝くのは白い「RABBITZ」のロゴ。
そして、Rの文字は逆さまになっている。

それは、新垣が家に大切にしまってあるものとほぼ同じデザイン――。


542 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:01

「…どうしたの、これ…」
「ガキさん知らなかった?絵里の家、スポーツ用品店なんだよ〜。お父さんに作ってもらったの」
「いや、そうじゃなくて」

どうして、同じデザインのユニフォームを作ることが出来たのか。
新垣はそのことが不思議でならなかった。
亀井は鞄から一枚の紙を取り出す。

「あの写真、ユニフォーム姿だったじゃん?すごいカッコ良かったからずっと頭に残ってたんだ〜。
 それを絵に描いてお父さんに頼んだの」
「…カメ」
「あ、大丈夫、ガキさんのもちゃんとあるよ。ホラ」
「…うん」
「…ガキさん?ひょっとして、ヤだった?ごめんなさい、絵里、勝手に…」


543 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:01

嫌なんかではない。
少しずつ塗り替えられていくこと、変わっていくことに戸惑う気持ちはあれど、その感情は決して
マイナス方向のものだけではなかった。

「…ガキさん?」
「…ありがと」
「え?」

新垣は亀井からユニフォームを受け取ると丁寧にたたんで鞄に入れた。
その行動に安心して亀井は笑顔になる。


544 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:01

「ねえガキさん、今なんて言ったの?」

亀井を無視して再び歩き出す新垣。

「もう、無視しないでよ〜」
「そんなことよりも、カメのお父さん、よくそれでわかったよね」
「え〜?」
「だってさあ、ぜーんぜんユニフォームに見えないじゃん、その絵」
「…うへへ〜」

お世辞にも上手とは言えない一枚の絵。
あれでよくここまで同じように作れたものだ。


545 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:01

「ホント、カメのお父さんに感謝だね。ちゃんとお礼言っといてね」
「うん!…て、ガキさん、絵里は?」
「あー、はいはい」
「ひど〜い、頼んだのは絵里なのに〜」

――感謝してるよ。言葉じゃ表せないくらい。

新垣はその夜、ユニフォームを枕元に置いて眠りについた。
幼なじみに渡された五年前のあの日と同じように――。


546 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:02

翌日。今度こそ正真正銘の初練習日。
今度は二人とも時間通りに集合した。
軽くランニング、準備体操をして、いよいよキャッチボール。

最初はごくごく至近距離からのスタート。
初めてのわりに、亀井のコントロールはなかなかのものだった。
さすがに「運動神経がいい」と豪語していただけのことはある。

少しずつ二人の距離を伸ばしていく。
さすがに厳しくなったのか、距離が足りなかったり方向が定まらなくなる亀井。

一方の新垣は軽々とボールを投げる。
しかも、ライナー性の強い球を。
疲れが見え始めた亀井を尻目に、新垣はどんどん調子を上げていく。
久々の感覚に胸が高鳴るのを感じていた。


547 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:03

新垣がメトロラビッツで担当していたのは外野だった。
タッチアップが許されるキックベースでは、キャッチしてからの送球が重要となる。
だから、新垣は必死で練習したのだ。
外野から一塁にも三塁にもホームにも正確に、しかも速い球が投げられるように。

その結果、彼女は相手チームから一目置かれるほどの速さと正確性を手に入れた。
その感覚は数ヶ月のブランクを経ても失ってはいなかった。
ちなみに、かつてのチームメイトは新垣の送球を、その球の鋭さと当時の彼女の眉毛にちなんで、
こう呼んでいた。

――眉毛ビーム。


548 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:03

「…ふうぅ。よし、カメ、少し休憩しよ」
「はぁ〜い」

二人並んで土手に腰を下ろす。
大して動いていないはずなのに汗ビッショリだ。

「結構疲れるでしょ」
「うん、絵里、もうクタクタあ〜」
「ま、初日だからねー。今日はこれくらいにしとく?」
「ええ?まだアレやってないよ」
「アレって?」
「コレだよ、コレ」

亀井は立ち上がって右足を前後に振る。
どうやら、ボールを蹴りたくて蹴りたくて仕方ないらしい。


549 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:03

「はいはい、じゃあ、やろっか」
「わ〜い!じゃあ、絵里が蹴るね」

やたらと張り切っている亀井に向かい、ボールを転がす。

「そ〜れ!…あ、あれ?」

亀井の足は見事に空を切る。
空振りだ。

「おーい、なにやってんのー!」
「もう、ガキさんが変な球投げるからだよ〜。もっと、蹴りやすいのにしてよ〜」

それじゃあ、意味ないじゃんと思いながらも言われた通りに易しいをボールを投げる。
しかし…。


550 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:03

「…あれれれ…」

何度やっても亀井の足がボールを捉えることはなかった。
しまいには、ボールではなく履いていたシューズが飛んでいく始末。

「…カーメー」
「きぃぃぃぃ〜、悔しいぃぃぃぃ〜」
「もう諦めなって。これから練習すればいいんだし」
「やだ〜!もう一回投げて」
「ねえ、もういい加減に…」
「今度は絶対に当てるもん!」
「…はああ。やっぱりしつこいじゃん…」

仕方がないのでもう一度だけ投げる。


551 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:04

新垣の手からボールが離れる瞬間、亀井は突如として閃いた。
――右足でやってダメなら、左足で蹴ればいい。
それは至極常識はずれのような気もするが、ある意味では名案なのかもしれない。
少なくとも亀井にとっては誇らしく素晴らしいアイデアだった。

「そ〜れ〜!!」

思いきり振り切った左足は見事にボールの芯を捕らえ――。


552 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:04

「あ、当たった…」
「…や…ったぁ〜!!ガキさん、見た!?すごいよ、当たったよ〜!!」
「すっごーい、カメ!ホームランだよ、ホームラン!!」

ボールは土手の向こう側へと飛んでいった。
――ガッシャーン!!!
鈍い音と共に。


553 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/16(土) 01:05

「…カメ」
「…ガ、ガキさん…」
「こぉらぁ〜!!誰じゃあ!!」

ボールが消えた方角から怒鳴り声が聞こえてくる。

「ちょ、ちょっと、カメ、早く謝りに行きなよ」
「え、えええ〜、なななななんで絵里がぁ?ガキさん、行ってきてよぉ…」
「はああ?なんであたしが?あんたが蹴ったボールでしょーが!」
「ガキさんだってすごいって言ってたじゃん!ホームランだって喜んでたじゃん!」
「あれは…」
「こおおおおおおらああああああ!!!」
「「ご、ごめんなさ〜い!!」」

その後、二人は雷親父にたっぷり1時間説教された。
どうやら亀井が安定したキックを手に入れるためには、まだまだ十分な時間が必要らしい。


554 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/16(土) 01:06

本日は以上です。


555 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/16(土) 03:37
エエヨ!
556 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/17(日) 03:11
カメガキ素敵!
557 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/28(木) 23:24
>>555 名無飼育さん
オオキニ!

>>556 名無飼育さん
カメガキいいっすよね。自分もはまってます!

第3回。
558 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:25

どうして寝ても寝てもこんなに眠いのだろう。
それは中高生特有のものなのか、亀井は今日も屋上であくびをしている。

選択授業のため、新垣は授業中。
グラウンドで待ち合わせをしているのだが、家に帰っても特別やることがないため、こうして時間を潰している。
普通の受験生ならばこの時間を有効に使って勉強でもするのであろう。
しかし、亀井にはそんな気は全くなかった。
寝ても覚めてもキックベースのことで頭がいっぱいなのだ。


559 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:25

練習を始めてから数週間が経ち、だいぶ形になってきている。
初日に苦戦したキックにしても、右足はコンスタントに当たるようになった。
残念ながら、あの日場外ホームランをかっ飛ばした左足は、100本中1本がホームランになるという超驚異的な低打率を誇って
いるため、試合ではまだ使えそうにないが。

ともかく、亀井自身、早くもキックベースの面白さにはまり、一刻も早く試合をやりたいと思うようになっていた。
そうなると必要なのは他でもない、メンバーである。
新垣の話によると、毎年七月にかなり大規模な大会が開かれるそうだ。
メトロラビッツは以前その大会で三位に入賞したことがあるという。

「…負けるわけにいかないじゃん」


560 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:26

新垣は今でも時々泣きそうな顔をする。
練習中だったり練習後だったり、何かを思い出しているように遠くを見つめながら。
その顔を見るたびに亀井も泣きたくなる。

昔のことを、昔の仲間を忘れてほしいわけじゃない。
忘れさせる自信があるわけでもない。
だけど、今そばにいるのは自分だし、一緒にキックベースをやっているのも自分だ。
一緒にやってよかったと思ってほしい、認めてほしい。

メンバーを集めて七月の大会に出る。
それが今の亀井の目標だった。
そのために必要な人数はあと三人…。


561 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:26

ふとグラウンドに目をやると、グレーのジャージが目に入る。
どうやら、二年生が体育の授業でスポーツテストをしているらしい。
体育だけは得意な亀井はスポーツテストも好きだった。
普段おとなしい亀井が目立てる唯一の時間だからだ。

そんな彼女とは別の意味で目立っている少女がいた。
グレーの中に一人だけピンク。
いや、よく見てみるとジャージはちゃんとグレーだった。
それなのになぜかピンクに見えるのは、頭についている大きな髪飾りのせいだろうか。
それとも、彼女自身から発せられるオーラのせいなのだろうか。
いずれにしても、亀井の視線はその少女に釘付けになった。


562 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:26

行われているテスト種目はハンドボール投げ。
ちょうど、その少女の番だ。
亀井が見つめる中、少女はおもむろにボールを手にし――。

「ええええええええ!!!!」

両手で転がした。

「な、なんで、なんでハンドボール投げなのに転がすの?」


563 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:27

しかし、驚くのはまだ早かった。
少女が投げた、もとい、転がしたボールはなんとピョンピョンと跳ねながらグラウンドを駆け抜けていったのだ。
そう、それはまるで意思を持ったウサギのように――。

「す、すごい…」

亀井が呆気にとられる中、先生の声がグラウンドに響き渡る。

「道重さゆみ、記録0m」


564 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:28

「却下」
「ええ、なんで?だってすごかったんだよ?ボールがね、こんなふうに跳ねてね、あんなの絶対に誰も蹴れないよ。魔球だよ」
「とにかく却下、却下却下却下」

その日の練習帰り、興奮しながら屋上で見た光景を話す亀井に、新垣はサラッと言い放つ。
亀井としてはせっかく見つけた逸材にケチをつけられて簡単に引き下がるわけにはいかない。

「ねえ、なんで〜?なんでダメなの?」

新垣は立ち止まり、亀井の顔を見る。

「カメ、知らないの?」
「なにを?」
「はあ…」

新垣はため息をつく。
そういえば、亀井といるとため息をついてばかりのような気がする。
こんなことでは自分は一生幸せになれないのではないだろうか。


565 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:29

「ねえねえガキさん、何が何が?」
「…だからー、二年の道重さゆみといえば校内じゃ変わり者として有名なわけよ」
「変わり者?…そんなふうには見えなかったよぉ?」

新垣の話を要約すると、次のようになる。
道重さゆみはピンク好き。
道重さゆみはいつも大きい手鏡を手放さない。
道重さゆみの趣味は小学生に大人気のキャラクターカード集め。
道重さゆみの口癖は「よし、今日もかわいい」。
道重さゆみは…。

「とーにーかーくー、道重って子はカメの数倍も数十倍も変わった子なわけ」
「え〜、絵里は変わった子じゃないよ、普通だよ、ふ・つ・う」
「いーや、カメは変わってるから。あたしが今まで会った中で三本の指に入るよ、絶対」

もちろん、その中には道重さゆみも含まれている。
一位はあの人以外には考えられないが。


566 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:29

「え〜、じゃあ、絵里はガキさんの中のベスト3に入ってるんだぁ。照れるぅ〜」
「そうそう、ベスト3に…っておーい!違うから、そういう意味じゃないから」
「えへへ〜」
「…はあ、疲れる…。とにかく、いい?カメ。あの子はキックベースなんてやるような子じゃないから」

新垣はきっぱりと言い切るが、亀井はどうしても諦められない。

「いいもん、絵里一人で誘うから」
「はいはい、勝手にどうぞ」
「もし入るって言ったらどうする?」
「そのときはちゃーんとチームの一員として認めるよ。ぜーったい有り得ないけど」

そう、このとき新垣はこれっぽっちも思っていなかったのだ。
まさか、あの道重さゆみがメトロラビッツに入ってキックベースをやるなんて――。


567 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:30

翌日。放課後。
いつものようにグラウンドへ向かった新垣を待っていたのは、いつもよりも気持ち悪い笑みを浮かべる亀井と、
いつもよりも更に全身をピンクで覆われた道重だった。
彼女たち自身はいつもの姿と変わりないのだが、新垣にはなぜかそう見えた。

「…あ、あのー」
「ガキさん、あのね、絵里が誘ったらすぐに「やる」って言ってくれたんだよ〜」
「…あー、そーなんだー、あ、あははー」
「道重さゆみです、よろしくお願いします!ウサちゃんピース!」

道重はそう言うと、頭の上に両手でピースを作った。


568 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:30

「あ〜、さゆ、自分だけずるい〜。アレやろう、アレ、せーの!」
「さゆで〜す」
「絵里で〜す」
「「二人合わせてさゆえりです、あっひゃあ〜」」

出会ってからわずか一日足らずでベテランの漫才師のようなコンビネーションを見せる二人。
嬉しそうなその姿を見て、新垣はため息の原因がまた一つ増えたことに気付き、頭を抱えた。


569 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:31

「道重さん、絵里とキックベースやろう」

いきなり現れた亀井のいきなりの言葉に、道重は二つ返事で頷いた。

道重は小さい頃からお姫様に憧れていた。
ピンクを好み、大きな手鏡を持ち歩いているのも、おとぎ話に出てくるお姫様の影響だった。
何人かの友達は一緒にお姫様ごっこで遊んでくれたけれど、それもせいぜい小学校低学年くらい
までのことだ。

ほとんどの女の子は高学年、中学生と年齢を重ねるにつれて、興味の対象がファッションや恋愛
へと移行していく。
高校生ともなると周りの子は髪を染めたりピアスを開けたり派手な化粧をしたり…。
学校帰りに遊びに行くところといえば原宿や渋谷だったり…。

道重はそんなクラスメイトたちの中で完全に浮いた存在だった。
仲間はずれにされているわけではない。
しかし、いつもどこか疎外感を感じていた。


570 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:32

本当はこうありたいと思う気持ち。
でも、そうすることで浮いてしまうことを寂しく思う気持ち。
本音と建前。自然体と世間体。
道重はちょうどその狭間で苦しんでいた。

そんな青春ど真ん中の悩みがピークに達しているとき、亀井からキックベースに誘われた。
亀井は、突然の訪問に驚いている道重に自己紹介もせず、ニコニコ笑いながらこう言った。

「絵里たちには道重さんの魔球が必要なの」

そんなことを言われたのは初めてだった。
自分に対して何の先入観も抱いていない、真直ぐな笑顔が嬉しかった。
だから頷いた。
キックベースがなんなのか、亀井がどこの誰なのか、そもそもなぜ自分が誘われたのか、何一つとして
わからなかったけれど。


571 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:32

「…じゃあ、とりあえず、練習しようか」

新垣としても仲間が増えるのは嫌なことではない。
三人はいつものメニューで練習を始めた。

準備体操、ランニングが終わり、三角形でのキャッチボール。
亀井→新垣→道重の順番で投げる。

「ガキさ〜ん、いっくよ〜」

亀井の投げたボールは緩やかな弧を描き、新垣の腕の中へと収まる。


572 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:32

「OKOK!いいよー、カメ」
「うへへ〜」
「道重さん、投げるよー!えい!」

新垣の投げたボールも緩やかな弧を描き――。

「きゃあああ〜!!」

なぜかグラウンドに転がった…。


573 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:32

「み、道重さん…?」
「さゆみ、そんなボール、怖くて取れなーい」
「…………はあ?」

寂しげにポツンと佇むボールを背にして、道重はお得意のポーズを決める。

「…道重さん、そのボール、取ってくれるかなあ」

震える手を極力押さえて新垣は笑顔を作る。
キレてはいけない、キレてはいけない。
亀井だったら怒鳴りつけてグラウンドを走らせるところだが、相手は道重だ。
一応、今日が初対面。
これからチームメイトになる子、…たぶん。
落ち着け、落ち着け。
必死で自分に言い聞かせる。


574 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:33

一方の道重も別にふざけてやっているわけではない。
本当にボールが怖いのだ。
このグラウンドに来る途中、亀井からキックベースのことやメトロラビッツのことについて大体の話は
聞いていたけれど、聞くとやるとでは大違い。
こんなに怖いものだとは思ってもみなかった。

「きゃあああ〜!!」
「み、道重さん、ファイトー」
「無理いいい〜!!」
「だーいじょーぶだってー。当たっても痛くないからー…」
「いやあああ〜!!」
「コラー!いい加減にしろー!」

ついにブチ切れた新垣は道重の元へと歩み寄る。
危険を察知した道重は後退りする。
それを見た新垣は速度を速める。
道重は走って逃げ出す。


575 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2006/09/28(木) 23:34

「待てー!話を聞けー!!」
「いやあああ」
「二人で鬼ごっこなんてズル〜イ!絵里もやる〜」
「鬼ごっこじゃなーい!」
「新垣さん、こわーい!」

逃げる道重と併走する亀井。
その二人を追いかけながら、新垣は自然と笑顔になっていた。

――こんな仲間も悪くない。
少しだけそう思った。
あくまでも、ほんの少しだけ。

この日、メトロラビッツに三人目の選手(?)が誕生した。


576 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/28(木) 23:34

本日は以上です。


577 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/29(金) 00:11
ええな!
578 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/29(金) 00:13
いいですねぇ。ほのぼのします(´д`*)
579 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/29(金) 23:38
か わ いーい(^ー^)
580 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 20:57
『bluff』読み終わりました。面白かったっす。

美貴姉の二つ下の元カノについては描写が少ないけど
4代目スケバン刑事のあの人のイメージ、なのかな?
581 名前: 投稿日:2006/10/15(日) 12:46
一昨日くらいに見つけて一気に読みました
美貴さんの気持ちが痛いくらい解ります苦笑
なんかGOGO7188の「こいのうた」思い出しました
これから何回も読み返してしまう予感ですww
582 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:09
>>577 名無飼育さん
まいどどうも!

>>578 名無飼育さん
自分もこのメンバーを見てるとほのぼのした気持ちになります。

>>579 名無飼育さん
ありがとう!

>>580 名無飼育さん
ありがとうございます。
いやあ、鋭いw まさしくその通りです。

>>581 P様
ありがとうございます。
自分も藤本さんの気持ちは痛いほど…。
また読み返して頂けるなんて光栄です。


では趣味丸出しの第4回。
583 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:10

なんだかんだで三人での練習は順調だった。
道重のボールへの恐怖心も徐々に少なくなり、最近では自ら進んでボールに向かって
いくこともある。

そして、亀井が惚れ込んだという道重の魔球。
その威力は新垣の想像を遥かに超えるものだった。
なにしろ、ボールがどういう軌道で転がってくるのか、全く想像がつかないのだ。
もちろん、道重本人でさえも。

しかし、そんなことよりも何よりも、複数の仲間と練習できることの喜び。
それが今の新垣の充実感に繋がっていた。


584 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:10

そんなある日の練習の帰り道。

「さゆみ、お腹すいたー」
「絵里も〜。ねえ、ガキさん、これからしょくにじでも…」
「はあ?食事に、でしょーが。しょ、く、じ、に!ほら、行くよ」

とは言ったものの、この辺りは住宅街で周囲には食事がとれそうな店は一軒もない。

「うーん、しょーがない。駅まで戻るか」
「ええ〜。もう絵里お腹すいて歩けないよぉ…」
「この状態で駅まで歩かせるなんて拷問じゃないですかー。新垣さんて結構鬼ですね」

実際は探し回るよりも駅に向かった方が、むしろ家に帰った方が早いのだが、三人が
気付くはずもない。

「はあ?鬼ってあんたねえ…。まったくもう。わかったわかった、じゃあ、もう少し
 探すから」

こうして、腹ペコになりながらようやく辿り着いたのは、女子高生三人組にはおよそ
似つかわしくない定食屋だった。


585 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:10

古ぼけた外観。
なにやらどんよりとした雰囲気。
風に揺れる暖簾にはかろうじて読めるか読めないかのような汚い文字でこう書いてあった。

「…く、黒…モニ、食堂?」

明らかなに怪しいその店の前で三人はしばし立ち尽くす。

「ガ、ガキさぁん、ここ入るの?絵里、怖い…」
「さゆみ、明太子スパゲティじゃなきゃ食べたくなーい」
「あのね、いい、カメ。ここはお化け屋敷じゃないから、怖くないから。OK?それから、
 さゆ。明太子スパゲティはないけど、ほら、タンメンがあるでしょ、タンメンが。それで
 我慢しなさい」

小さい子を諭すような新垣に、亀井は唇を尖らし、道重は呆れた顔をする。

「お化け屋敷じゃなくても怖いものは怖いもん」
「スパゲティとラーメンは全然違うじゃないですかー」
「うるさーい!ぜんっぜん怖くないし、麺は麺でしょーが!ウダウダ言ってないでさっさと
 入れー!」

もはや恒例となりつつある新垣の一喝で、二人はしぶしぶ店の中へと足を踏み入れた。
新垣も二人の後から続く。


586 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:11

「らっしゃーい!」

店に入るなりハイテンションな声が飛び込んできた。
古くさいシャツに腹巻、ちょびヒゲを生やしたおじさんがニコニコ、いやニタニタと笑って
いる。
格好のわりに顔だけはやけに整っている。
この店の主人なのだろうか。

「いやあ、久しぶりのお客さんがこんなカワイ子ちゃんだなんて嬉しいなあ」

…何にしても、かなり不気味だ。
三人は顔を見合わせる。

「ね、ねえ、ガキさん、なんかヤバくない?」
「だ、だーいじょうぶだって。…たぶん」
「やだあ、さゆみかわいいから、危ないかもー」
「ほらほらほら、お嬢さんたち、そこの席に座ってなー」
「「「…あ、はい」」」

おじさんの勢いに押されて窓際の席に腰掛ける。
客は当然のように三人しかいない。


587 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:11

「おーい!お客さん来たでー!頼むわー!」

おじさんはかなり怪しげな関西弁で誰かを呼んでいる。
他に従業員がいるのだろうか。
新垣はキッと神経を張り詰めた。
嫌がる二人を強引にこの店に押し込んだのは自分だ。
何があっても絶対に守らなくては…。
無駄に強い責任感、それは新垣の長所であり短所でもある。

「カメ、さゆ、いい?変な人が出てきたら即逃げるからね」

テーブルの中央に顔を寄せ、小声で囁く。
亀井と道重は黙って頷く。
三人に緊張が走る。

「おーい、れいなー?」
「もお、今行くってー!…ったく、人使い荒いとー…」

ブツブツ文句を言いながら現れたのは、時代錯誤な白い三角巾と古めかしいエプロンを
身に纏った少女だった。
イカついおじさんの姿を想像していた三人は唖然とする。
年齢はおそらく自分たちと同じくらいであろう。
茶髪にピアス。着ている服を除けば、まさにイマドキの女子高生といった風貌だ。


588 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:11

「お嬢ちゃんたち、これね、うちの看板娘のれいな。おじさんに似てべっぴんさんやろー。
 まあ、お嬢ちゃんたちもかなりかわいいけどね。ハハハ…」
「よっちゃん!」

陽気なおじさんの声を引き裂いて世にも恐ろしい怒号が響き渡る。
少女の後ろから姿を見せたのは、いかにも貧乏くさい服装にエプロン姿の女性。
こちらも顔だけはやけに綺麗だ。

「へー、美貴よりもその子たちのほうがいいわけ?」
「あ、あ、いや、その、これは…」
「それならそれでこっちにも考えがあるし」
「な、何言ってんだよ、美貴。美貴が一番に決まってるじゃないか」
「…ホントに?」
「ホントに」
「だよねー、美貴がこーんなガキ共に負けるわけないよねー」
「そうそう、美貴がこーんなガキ共に負けるわけないさー。アハハハー」
「もう、よっちゃんたらー」
「アハハハー」

目のやり場に困るくらいにイチャイチャし始める二人を横目に、少女は冷たく呟いた。

「…勝手にやっとって」

結局新垣たち三人は、奥さんらしき人に強制的にタンメンを食べさせられ、ご主人らしき
人に大して面白くもないノロケ話を聞かされ、練習よりも激しい疲労感を抱えながら、
それぞれの家路についた。


589 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:11

翌朝。
なぜかいつもよりも二時間も早く目が覚めてしまった亀井は、暇なのでなんとなく散歩に
出かけることにした。
ランニングコースだった川原をゆっくりと歩く。
いい天気だ、気持ちがいい。

「マリリーン!」

ふとよく通る元気な声が耳に入る。
声の方向に目をやると少女と大きい犬がボールで遊んでいる。
少女が投げたボールをひたすら無視し続ける犬。
そのたびに「もう帰ろうかなあ…」「泣きたいれいな」などブツブツと呟く少女。

その姿が面白くてしばらく観察していた亀井は、何度目かのボール投げで衝撃的なシーン
を目にすることとなる。


590 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:12

「もー、あったまきた、れいな。思いっきり投げちゃるけん。もう手加減せんけんね」

そう言って少女が投げたボールはものすごい速さで地面を駆け抜けていった。
そして、あっという間に川の中へ――。

「…あーあ、またママに怒られると…」

天を仰いだその少女こそ、あの定食屋の看板娘、田中れいなだった。


591 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:12

「却下」
「えー、でも…」
「…って言っても、どうせあんた誘う気満々なんでしょ?」
「えへへ、さすがガキさん」

今朝のことを嬉々として報告する亀井に、新垣は呆れた顔で答える。

「でもさ、あの子こそ、ぜーったいキックベースなんかやらないと思うけどね」
「うーん、でもさ、ホントにすごかったんだよ。さゆの魔球見たときと同じくらいビックリ
 したもん」
「まあ、カメが言うならそうなんだろうけどさ」

道重の件があるだけに、亀井の目が確かなのは疑う余地がない。
しかし、同じ学校で比較的自分たちと似ている雰囲気(あくまでも比較的)の道重に対し、
田中は明らかに違うタイプの子だ。
どこからどう見てもスポーツをやるようには見えないし、何よりもあの怪しい夫婦の娘と
いう事実が引っかかる。
また自分の悩みの種が増えるのではないだろうか。

「だーいじょうぶだって!絵里に任せて!」

自信満々に胸を張る亀井を見てものすごく嫌な予感がした新垣は、人知れず深いため息を
ついた。


592 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:12

田中の勧誘は道重ほど簡単にはいかなかった。
それもそのはずで、いつものように犬とボール遊びをしている最中に突然近づいてきた
女の子に、

「絵里とキックベースやろう」

なんて言われたら警戒心をむき出しにするのも無理がない。
しかし、「興味がないけん」「超ウザイ」「警察呼ぶと」と冷たい言葉を連発する田中に
対し、亀井は一歩も引かなかった。
顔に似合わず度胸があるのか、それともただのアホなのか。


593 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:12

一週間後、そのあまりのしつこさにとうとう田中が折れた。

「…もう、わかったと。やればいいっちゃろ。そのキックなんとかって奴」
「ホントに?ホントにやってくれる?」
「やるって言わんと一生付きまとわれそうだし…」
「え〜、やっぱり絵里ってしつこいかなあ…。ガキさんにもそう言われたし…」

一人で勝手に落ち込んでいる亀井を見て、田中は思わず吹き出した。

「ちょっと、なんで笑うの〜?」
「だって、れいななんも言っとらんのに、一人でいじけとうけん。それに動きとかなんか
 キモイし」
「…それは、よく言われる、けど…」
「アハハ、やっぱりー」

屈託のない笑顔を見せる田中は今までよりも幼く見えた。


594 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:13

その後、田中はそれまでの態度が嘘のように自分のことを話し始めた。

中学を卒業してすぐに家の手伝いを始めたため、高校には行っていないこと。
そのため、友達と呼べるのは犬のマリリンぐらいしかいないこと。
だけど本当は犬よりも猫が好きなこと。
あんな両親だし貧乏生活だけど、家族が大好きなこと。

話に夢中になっている間に、気付いたら一時間近くが経過していた。
それぞれ学校や店の準備のため、家に帰らなければならない時間だ。
なんだか名残惜しい感じがしたが、夕方迎えに行く約束をして、その場を離れた。


595 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:13

その日の放課後。
当たり前のようにグラウンドにいるジャージ姿の田中を見ても、新垣は全く驚かなかった。
学校で亀井がニヤニヤしながら、

「今日ね〜、すっごいビックリすることあるよ。絶対ガキさん、驚くよ」

と何度も何度も言っていたからだ。
そんなふうに言われたら、余程のバカでない限り大方の予想はつく。
そして、まさしく新垣の予想通りだった。

「田中れいなです。よろしくお願いします」

ニヤニヤ顔の亀井、かわいいアピールに余念がない道重、そして何が気に食わないのか
じっとこっちを睨んでいる田中。
顔も体型も、おそらく性格も全く違うのに、なぜか同じようなオーラを発していた。
そう、間違いなく、新垣里沙を困らせるオーラを。


596 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:13

「ねえ、ガキさん、ビックリしたでしょ〜。絵里偉い?すごい?ねえねえ」
「あー、あはは、すごいねー…」
「新垣さん、聞いて下さいよー。れいなったらせっかくさゆみがウサちゃんピースやって
 あげたのに、キモイって言うんですよ、ひどくないですかー?」
「あー、そうだね、ひどいねー…」
「はあ?キモイからキモイって言って何が悪いと?それよりも、新垣さん…やったっけ?
 れいな、キックベースとかよくわからんっちゃけど」
「あー、うん、OKOK…」
「ねえねえ、ガキさん、もっとちゃんと褒めてよぉ」
「新垣さん、今さゆみの話、聞き流しましたね。ひどーい」
「えー、でも、れいな、本当にルールとか知らんとよ?絵里みたいに徹夜とかテストとか
 無理やし」
「ねえ、ガキさんってばぁ」
「さゆみの話聞いてますか?」
「れいなはーれいなはー…」
「うーーーるーーーさーーーいいいいいいいい!!!」


597 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:13

鶴の一声が効いたのか、三人は一瞬口と動きを止めた。
しかし、わずか数秒後、今度は小声で話し始める。

「ガキさん、ひどい…。絵里、いっぱい頑張ったのに…」
「新垣さん、やっぱりこわーい」
「なんでれいなが怒られると?意味わからんし」


598 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:14

そんな三人を見て新垣は天を仰ぐ。
そして、いつの間にかどんよりと曇っている空に向かって呟いた。

「…こっちの身にもなってくれ」

大会まで残り一ヶ月、試合に必要な人数まであと一人―――。


599 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 20:14

本日は以上です。
遅くなったけど、田中さん誕生日おめでとう!


600 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/14(火) 01:48
ええよ!
601 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/15(水) 21:10
ガキさんがんばれw
602 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/20(水) 16:56
もう・・・終わりなのかな
603 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/15(月) 00:52
ありがとう
604 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/22(月) 12:28
 
605 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:44
>>600 名無飼育さん
毎度ありぃ〜!

>>601 名無飼育さん
苦労人ガキさんが好きな作者ですw

>>602 名無飼育さん
すいません。もう少し続きます。
お付き合いいただければ幸いです。

>>603 名無飼育さん

こちらこそ、ありがとうございます…。


更新遅くなりまして申し訳ございません。第5回。
606 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:45

澄み切った青空に元気の良いかけ声が響き渡る。

「カーメー、最後までしっかりとボールを見るー」
「はぁ〜い!」

亀井絵里。その逞しい左足には驚異的なキック力が秘められている。
ただし、ボールが足に当たる確率も驚異的。

「さーゆー、ホームベースはここだからー!ちゃんと狙って投げなー」
「えー、でも、新垣さん。さゆみはちゃんと狙って投げてるのにー。あ、そうだ。きっと
 さゆみじゃなくてこのボールが悪いんで…」
「はい、言い訳しなーい」
「…はーい」

道重さゆみ。予測不能の軌道を描く魔球の持ち主である。
ただし、ボールの行方は本人ですら予測不能。

「コラー、田中っちー。集中するー」
「はーい!…あー、なんあれ?れいな、あんな鳥見たことないとー」
「田中っちー!」
「はーい!…あ、サンタクロース!」
「いるわけないでしょーが!しっかり練習!」
「…はーい」

田中れいな。か細い腕からは想像も出来ない剛速球を放つ。
ただし、集中力が切れるのも剛速球。
607 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:45

「…ったく、こんなんじゃ先が思いやられる…」

三人を怒鳴りつけた後、大きくため息をつく少女。
彼女の名は新垣里沙。
メトロラビッツ創立時のメンバーであり、このチームのリーダー的存在である。

彼女たちは現在、一ヵ月後に迫った大会に向けて猛特訓中である。
キックベースを知り尽くしている新垣以外のメンバーは初心者同然。
それぞれ課題を抱えてはいるものの、日増しに上達しているのは確かであり、新垣は密かに
手応えを感じていた。

しかし、問題は技術面だけではない。
608 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:45

「あー、やっぱ練習の後はこれに限るっちゃねー」
「れいな、おじさんみたい」

麦茶を一気に飲み干した田中に対して、道重が毒づく。

「はあ?れいながおっさんならさゆだっておっさんやろ。同い年だし」
「同い年とかそういう問題じゃないし。さゆみはかわいいからおじさんにはならないの」
「はあ?さゆがかわいいなら…」
「あー、はいはい、二人ともケンカしない」

二人の言い争いは日常茶飯事で、それを新垣が止めるのも恒例となっていた。
そのやりとりを亀井がニヤニヤしながら聞いているのもいつものことである。

「それにしても、なかなか見つからないですね、あと一人」
「まあ、その辺に転がってるわけじゃないからねー」

そう、彼女たちが抱える最大の問題はメンバー不足。
大会に出場するために必要な人数は五人であり、どうしてもあと一人必要なのだ。
609 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:46

「そーゆーことなら、おじさんが助っ人として入ってやろうか?こーんなかわいい子ばっか
 のチームなら喜んで」

四人分のタンメンを軽々と運びながら、怪しげな笑みを浮かべたおじさんが近づいてきた。
田中の父でありこの店の主人でもあるひとみだ。
いつの間にか、練習後は田中の店に集まり、名物であるタンメンをご馳走になるのが日課と
なっていた。

「あのー、間に合ってますので…」
「そーんな遠慮することねーべ?おじさん、こう見えても運動神経抜群なんだぞ」
「あのー、女子キックベース大会なんで、おじさんはちょっと…」
「そんな固いこと言うなよ、里沙ちゃん」

いきなりファーストネームを呼ばれて、新垣はドキッとする。

「なななななななんで知ってるんですかー!?」
「かわいい子の名前は一度聞いたら自然と耳に残るもんだよ。どうだい、今度…」
「へーえ、ほーお、ふーん」

ひとみの後ろから、まるで地獄の底から這いずり出てきたかのようなドス黒い声が迫る。
610 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:46

「あ、ち、違うんだ、美貴!誤解だよ、世界のジョークだよ!」
「そのセリフ、もう聞き飽きたから」
「ちょ、美貴、待っ…、そんなの危な…、ごめんなさーい!!」

田中の母でありひとみの妻である美貴は、世にも恐ろしい形相でひとみの体を店の奥へと
連れていった。
その先になにがあるのかは知らない。
いや、知りたくもない。

「…田中っちの両親ていつもこんな感じなの?」
「はい、でもじゃれ合っとうだけですから、気にしないで下さい」
「あ、そうなんだー…」

苦笑いを浮かべる新垣の横で、亀井はやっぱりニヤニヤし、道重は鏡で前髪をチェックし、
田中は悠々とタンメンをすすっていた。
611 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:46

「そんなことより、メンバーだよ、メンバー」

すっかりと満腹になった亀井が息を荒げて訴える。

「早く見つけないと大会に間に合わなくなっちゃう」
「まあね、でもまあ、そんなに慌てなくてもいいでしょー」
「ダメ!ダメだよ、ガキさん!!」
「なによ、カメ。そんなにムキにならなくても…」
「とにかくダメなの!もう大会まで一ヶ月しかないんだよ?早く見つけて練習しないと優勝
 出来ないじゃん!!」

亀井が口にした言葉に唖然とする一同。

「…は?」
「絵里、それ本気で言っとうと?」
「絵里ってときどき大胆なの」

一斉に浴びせられる反論も意に介さない。
なぜなら、どうしても優勝しなければならない理由があるからだ。
612 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:46

「…あのさあ、カメ、あの大会って結構レベル高いのよ。だから、まだ数ヶ月しか練習して
 ないうちらには到底無理なわけ。わかる?」
「そんなのやってみないとわかんない」
「わかるって」
「なんで?なんでわかるの?じゃあ、なんのために絵里たち練習してるの?」

亀井が必死に練習している理由。
その一番の理由は―――。

「なんのためってカメが言い出したんでしょ?キックベースやりたいって。ただそれだけの
 ことじゃん」

亀井から視線を外し、吐き捨てるように呟く新垣。
優勝なんて絶対に無理に決まっている。
あの仲間たちとでも成し得なかった夢―――。

「ちょ、ちょっと絵里、落ち着きなって」
「あ、新垣さんもホラ、これおいしいんですよ、うち特製の…」
「ガキさんのバカ!知らないっ!!」

店を飛び出した亀井を誰も追うことが出来なかった。
613 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:47

翌日。教室。
隣同士であるにも関らず、新垣と亀井は朝から一度も口を利いていなかった。
亀井が出て行った後、新垣はやんわりと年下二人から説教された。

「優勝は確かに厳しいかも知れんけど、どうせやったら一番を目指したい」

真っ直ぐと前を向いて言う田中。

「こう見えてもさゆみ、結構負けず嫌いなんですよ」

そんなセリフもかわいくポーズを決めながら言う道重。

二人の気持ちも、亀井の気持ちもわからないわけではない。
新垣だって負けるのは嫌いだ。
優勝を目標に一生懸命練習することは決して間違ってはいない。

だけど、どうしてもそれを受け入れることが出来ない自分がいる。
理由を聞かれてもうまく説明することは出来ないけれど。
614 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:47

「…カメ」

放課後、新垣はさっさと帰ろうとする亀井を呼び止めた。
怒っているのか泣いているのか、微妙な表情を返す亀井。

「昨日はちょっと言い過ぎた、ごめん」
「ガキさん…」

優勝云々に関してはまだ納得していないが、このまま亀井と口を利かないのも面白くない。
亀井の頑固さは身に染みてわかっているだけに、ここは自分が折れるしかない。

「さゆも田中っちも優勝したいってさ」

そこに新垣自身が含まれていないことに気付きながら、あえて亀井は気付かないフリをした。

「うん、頑張ろうね」
「…うん」

新垣は真っ直ぐ亀井の目を見ることが出来なかった。
615 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:47

数日後の練習日。
四人はいつも通りのメニューをこなしていく。
そして、バッティング練習ならぬキッキング練習に入る。

「そーれっ!」
「えい!!」

亀井が珍しく真芯で捕らえたボールは綺麗な軌道を描いて遠ざかっていく。

「やったあ〜!久々のホームランだぁ!」
「おー!OKOK!…だけど、カメ、自分で取りにいってね」
「…は〜い…」
616 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:47

バシッ!

「ミラクルキャーッチ!」

渋々と走り出した亀井が向かうその先から、妙な音と甲高い声が聞こえてきた。

「ガキさぁぁぁぁぁ〜ん!なんか変な声がしたよぉ…。お化けかもぉ…」
「はあ?あんた、こんな真昼間からなに言ってんの?」

新垣が亀井に近づく。

「どうせ聞き間違いやろ」
「絵里は相変わらず臆病なんだから」

道重と田中もそれに続く。

しかし、その声は聞き間違いでも、ましてやお化けでもなかった。
四人が辿り着いたボールの落下点には、奇妙な黄緑色のジャージを身に纏った少女が立って
いたのだ。
617 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:47

少女はまだあどけない笑顔を浮かべながら、なぜかがに股で四人の方に向かってきた。
あまりにも不気味なその走り方に思わず後ずさる一同。
それでもなお、少女は笑みを絶やさない。

怖い、いろんな意味で怖い。

「ガ、ガキさん、話しかけてみてよぉ
「ちょっと、なんであたしが!元はといえばカメが蹴ったボールでしょうが!」
「ガキさんだって褒めてくれたじゃん!」

どこかで聞いたようなやりとりだ。

「れいなも新垣さんがいいと思う。しっかりしとうし、年上だし」
「田中っちー、こういうときだけ持ち上げようたってそうはいかないんだから」
「さゆみも新垣さんがいいと思います。理由は…特にないですけど」
「ないんかい!」

結局、三人に押し出される形で新垣がその少女に話しかけることになった。

「あのー…」
「久住小春、14歳!村のキャプテンやってます!!」

耳が痛くなるような高音だ。

「いや、だから、あのー…」
「みなさんの仲間に入れてくださいっ!」
「「「「えぇぇぇぇぇー!!!!」」」」
618 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:48

久住小春と名乗ったその少女の話によると、彼女は最近新潟の中学校から転校してきた
そうだ。
新潟では村のキックベースボールチームのキャプテンをやっていて、学校帰りに通る
このグラウンドで新垣たちが練習している姿を見て、一緒にやりたいと思うようになった。
そして今日、お気に入りのジャージに着替えて、話しかけるチャンスを伺っていたのだ。

「…そっかあ。でも、村…だっけ?キャプテンやるくらいならうちのチームなんかじゃ
 もったいないと思うんだけど…」
「ガキさん、なに言ってんの!すごいじゃん、キャプテンだよキャプテン」
「でも…」
「はい!よろしくお願いします!」
「キャプテンかあ、でも、れいなも負けてられんし」
「はい!よろしくお願いします!」
「小春ちゃん、エースの座は譲ってもいいけど、ピンク好きの座は譲らないからね」
「はい!よろしくお願いします!」

新垣を差し置いて話がどんどん進められていく。
619 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:48

「ねえ、ガキさんいいでしょ?」

亀井がそう聞いたとき、久住はすでにメトロラビッツのユニフォームに袖を通していた。
こうなったら抵抗しても無駄だ。
このチームで自分の意思が通ることは奇跡に近い出来事なのだ。

「…うん、いいよ」

こうして、久住は5人目、最後のメンバーとしてメトロラビッツに加入した。

澄み切った青空に光り輝く太陽。
嬉しそうな四人の笑顔。

―――だが、新垣の心のモヤモヤは消えないままだった。
620 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 01:48

本日は以上です。
621 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/21(水) 05:37
ガキさん感傷的だねぇ
乙女だねぇ
622 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/24(土) 02:26
いいたい!
623 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/25(日) 21:39
村のキャプテンきたあああww
624 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/06(火) 19:54
>>621 名無飼育さん
思春期ですからねぇ
いろいろと思い悩む年頃のようです

>>622 名無飼育さん
ありがとうったい!

>>623 名無飼育さん
今後の活躍(?)にご期待をw


それでは、第6回。
625 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 19:55

ようやく人数が揃い、新たなスタートを切った新生メトロラビッツ。
七月末の大会への申し込みも済ませ、現在はただひたすら練習の日々である。

自称村のキャプテン・久住の実力は…正直、微妙なところだった。
投げたボールはヘラヘラ、蹴ったボールもヘラヘラ、ついでに態度もヘラヘラと、見事に
三拍子が揃っている。

しかし、彼女のフライに対する反応は天下一品だった。
奇妙なガニ股走りで素早く落下点に入り、どんなボールでも食らい付いて離さない。
また、経験者と豪語するだけあってルールは完璧に理解しており、そういう面では非常に
頼もしい存在であった。
626 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 19:57

大会まで残り三週間となったある日のこと。

「練習試合ー?」
「そう、次の日曜日に決まったんだ〜」
「『決まったんだ〜』ってあんたねえ…」

亀井の言動はいつでも新垣の斜め上を軽々と飛び越えていく。

「だってさあ、ぶっつけ本番で試合なんてちょっと怖いじゃん?だから、その前に。ね?」
「『ね?』じゃなくてさあ…」

反対しても無駄なことはわかっているため明言は避けているが、ようやく人数が揃った
ばかりのチームが練習試合を行うなんてかなり無謀だ。
もっとも、そんなチームが数週間後の大会に出ること自体、無謀なのだが…。
627 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 19:57

「…ったく、カメは考えなしなんだからー」

ふと、新垣の頭の中に数年前の記憶が蘇る。

『もう、愛ちゃんは考えなしなんだからー』

あの年上の幼なじみも、いつもいつも勝手に物事を進めていった。
そのたびにフォローするのは、紺野でも小川でもなく、なぜか最年少の新垣の役目だった。
懐かしいと思った途端、そんなふうに感じる自分に寂しさを覚える。
このまま、思い出になっていくのだろうか。
新しい仲間、新しいチーム、塗り替えられていく記憶―――。
628 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 19:57

「…さん、ガキさんってばぁ」

亀井の声で我に返ると、いつの間にか全員が集合していた。
真新しいメトロラビッツのユニフォームを身に纏い、希望に満ち溢れた顔をしているメンバー。

しかし、その姿を見れば見るほど、新垣は思い出してしまう。
あの頃の仲間を、あの頃のチームを。
比べることなど出来るわけもなく、比べる意味も必要もないのに…。

「メトロラビッツー、ファイ!」

迷いを吹き飛ばすように叫んだ新垣の声は、青空に大きく響き渡った。
629 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 20:00

日曜日。練習試合当日。天気はあいにくの曇。

メトロラビッツのスタメンは以下の通り。

 1番 新垣里沙 ライト
 2番 道重さゆみ サード
 3番 亀井絵里 ファースト
 4番 久住小春 レフト
 5番 田中れいな ピッチャー

打順はベテランの新垣を先頭にして、とにかく塁に出ることを目標に。
そして、あわよくば亀井の一発で大量得点を狙う。
630 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 20:00

先発ピッチャーは田中。
集中力が持続しているであろう序盤に、得意の剛速球で押さえ込む作戦だ。
田中がピンチのときには、魔球の持ち主・道重がマウンドに立つ。
外野には送球の名手・新垣とどんなボールにも食らいつく久住。
現在、考えられる最強の布陣で臨む。

一方、対戦相手のチームはなんと小学生だった。
とはいえ、亀井の父親が営むスポーツ用品店のお得意先でかなり伝統のあるチームらしく、
侮るわけにはいかない。

期待と不安が入り混じる中、ついに練習試合が始まった。
631 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 20:01

一回表。メトロラビッツの守備。
先発・田中の調子はよく、豪快なストレートで最初のキッカーを三振に打ち取った。
続く二番手を外野フライ、三番手には出塁を許したものの、次のキッカーを再び三振に打ち
取り、無失点で一回を切り抜けた。
上々の出だしだ。

しかし、攻撃の方はなかなか噛み合わなかった。
新垣が出塁するものの後ろが続かず、結局、0−0のまま三回の表を迎えた。
632 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 20:03

ここで、好調だった田中に異変が生じる。
ボールの連続に加え、明らかに球速が衰え始めた。
恐れていた集中力の切れ、そして剛速球を投げ続けた肩に限界がきたのだ。

こうなると、メトロラビッツの守備は脆い。
もともと初心者の集まりである上に、数日前にようやくメンバーが揃った急増チーム。
守備の連携など練習する暇はなかったのだ。

最初のヒットは平凡な外野フライのはずだった。
しかし、緊張のせいか、この日初めて飛んできたボールを落としてしまう久住。
それからはもうボロボロだった。
内野フライをなんなくキャッチした亀井だが、タッチアップのルールを忘れて1点を献上。
ゴロを処理した新垣は絶妙なタイミングでサードに送球したものの、そのあまりの勢いに
道重がボールを取りきれず、顔面に直撃。

キッカーを抑えきれない田中、錯乱する守備陣。
結局、この回一挙に18点を取られてしまう。
633 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 20:04

その後、ピッチャーを道重に交代、少しずつ守備も安定してきたが、結局24−3の大敗。
メトロラビッツの初戦は痛く苦い思いと共に幕を閉じた。
634 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 20:04

次の練習日。
新垣と亀井はほとんど会話がないまま、グラウンドへと足を運んだ。

あの練習試合のあと、みんながみんな、努めて明るく振舞おうと無理やり笑顔を作っていた。
しかし、大敗のショックはまるでボディブローのように心にのしかかってくる。
唯一の経験者としてチームを引っ張りきれなかった新垣。
塁に出るどころか、まともにボールを蹴ることすら出来なかった亀井。
自分のミス、チームメイトのミス、いろんなシーンを思い出しては胸が引き裂かれるような
感情に襲われる。

そして、そんな感情に苦しんでいるのは二人だけではなかった。
635 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 20:05

「おはようございます!」

グラウンドに着くなり、久住の元気な声が迎えてくれた。
そういえば、久住はあの日も底抜けに明るかった。
空元気という言葉なんて彼女の辞書には存在しないようだ。

「おはよう。…あれ?小春ちゃん、一人?」
「はい!まだ誰も来てないです」

いつもならば、全員が揃っていてもおかしくない時間だ。
今までこんなことは一度もなかった。

「そっかあ、なんかあったのかなあ?ね、ガキさん」
「…さあ」

胸騒ぎがする。
三人とも、その心のモヤモヤを口に出さないまま、練習が始まった。

結局、その日、道重と田中はグラウンドに現れなかった。
636 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 20:05

「…どうしたんだろ、さゆとれいな」
「辞めたんじゃない?」
「え?」

聞こえなかったわけではない。
だけど、亀井はあえて聞き返した。
新垣の口から発せられた言葉を信じたくなかったから。

「辞めたんだよ、きっと」

新垣は吐き捨てるように繰り返す。
久住は二人のやりとりをじっと見守っている。
637 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 20:06

「キックベース、嫌になったんだよ」
「そ、そんなことないよ!さゆもれいなも一生懸命やってたもん!キックベース好きだった
 もん!いきなり辞めるなんて、そんな…」
「ホントにそう言い切れる?」
「…言い切れ、るよ…」

自信がなさそうな亀井の態度を見て、新垣は軽くため息をついた。
亀井自身、今日一日ずっと嫌な予感を抱えていたのだ。
もしかしたら。いや、そんなわけない。でも。

「ほーら、カメだってそう思ってたんでしょーが」
「そんなこと…」
「まあ、よかったんじゃない?」
「…なにが?」
「大会で恥かく前に終わって」

新垣は亀井と久住に背を向けた。
今の自分はたぶんものすごく嫌な顔をしているだろう。
こんな顔、見られたくない。
638 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 20:08

「まだ終わってなんかないよ!」

亀井の言葉を背に受けながら、新垣は土手に向かって歩き出した。
昔からいつも置いてけぼりだった。
年上の幼なじみたちはいつも自分を置いて先に進んでしまった。
あの頃と同じ思いはもうしたくない。

「ガキさん!絵里は絶対諦めないからね!」

亀井のことを信じていないわけじゃない。
何度も誘ってくれた。
一緒に練習してくれた。
嬉しかったし楽しかった。

だけど、新垣の中ではまだ超えられないのだ。
あの仲間たちを。
639 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/03/06(火) 20:08

「ガキさぁん!!」

―――ごめん、カメ。

亀井の声は新垣の心には届かなかった。
640 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/06(火) 20:08

本日は以上です。
641 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/07(水) 01:57
そんな態度はだめたい!
642 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/03(火) 15:27
更新待ってます
643 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/28(土) 12:40
待ってます
644 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:15
>>641 名無飼育さん
( ・e・)< かたじけないのだ…

>>642 名無飼育さん
>>643 名無飼育さん
ありがとうございます。
お待たせしてすいませんでした。


それでは、第7回。
645 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:15

放課後の屋上。

「はあ…」

亀井は力なくため息をついた。
道重と田中が姿を見せず、新垣も途中で帰ってしまった昨日の練習。

久住と別れたあと、亀井は一人で黒モニ食堂を訪ねた。
初めて会ったときと同じように接客をしていた田中は、亀井の姿を見るなり奥に引っ込んで
しまった。

「ごめんね。ああなると手がつけられないんだわ」

苦笑いするひとみに亀井は曖昧に微笑むことしか出来なかった。

翌日、朝一番で道重の教室を覗いてみた。
一時間目は教室移動だったらしく、運良くちょうど教室を出てくる道重を捕まえることが
出来た。
しかし、「ごめん」と小さく呟いたきり逃げるように去っていった背中を、ただただ見送る
ことしか出来なかった。

新垣とはまだ顔を合わせていない。
今日は来ないつもりかもしれない。
646 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:15

「はあ…」

あの敗戦がショックだったのは亀井も同じだった。
ましてや、自分が勝手にセッティングしてきた練習試合だっただけに、責任も感じている。

「もう無理なのかなあ…」

重苦しい気持ちを抱えたまま、ふと気付くとあのグラウンドに来ていた。
川原に座り誰もいないグラウンドをボーっと眺める。
そういえば、新垣もよくこの場所に一人で座っていた。
自分と同じような気持ちを抱えていたのだろうか。
647 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:16

「あんれー、今日は練習してないんや」

夕暮れのグラウンドに、突然妙なイントネーションの叫びが響き渡る。

「なーんだ、久々にガキさんに会えると思ってきたのに」
「しょうがないね、家に行ってみる?」

声のする方を見てみると、三つの影が揺れている。

「だいたいさー、愛ちゃんが突然過ぎるからいけないんだよー。もっとこう、ちゃんと連絡
 取ってからくるとかさあ。いつもいきなりなんだから…」
「そんなん、突然の方がええやろ?麻琴はロマンがないな」
「でも、いなかったら意味ないじゃん」
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
648 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:16

会話から判断する限り、どうやら新垣と顔見知りのようだ。
亀井は恐る恐る話しかけてみた。

「…あの〜…」
「あんたたち、いつもここでキックベースの練習してるんやろ?」
「はあ、そうですけど…」
「あーし、高橋愛」
「あたしは小川麻琴」
「紺野あさ美です。突然、ごめんね、あたしたち…」

三つの影は抜群のタイミングで声を揃えてこう言った。

「「「メトロラビッツの元メンバーです」」」
649 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:16
 
650 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:17

下校のチャイムが鳴っても、道重はずっと席に座ったままだった。
いつもなら真っ先に教室を飛び出して、あの仲間が待つグラウンドへ向かって走っている
のに…。
キックベースが嫌いになったわけではない。
気持ちはあのグラウンドへと向かっている。
だが、足がすくんで動かない。

あの練習試合の日、道重は新垣からの送球を顔面で受けた。
しかも、思いっきり直撃した。
幸い自慢の顔に傷はつかなかったけれど、一歩間違えれば大惨事になるところだった。
それがきっかけで、克服したと思っていたボールへの恐怖心が再び芽生えてしまったのだ。
今ではもう、丸いものを見るだけで体が震えてしまう。
自分の顔を狙っている悪者に見えてしまう。
こんな状態でキックベースなんて出来るわけがない。

練習を休んだ翌日、亀井が教室に来てくれた。
ありのままを話せばよかったのかもしれない。
しかし、まともに顔を見ることが出来なくて、逃げるように教室を後にした。
このままずっと練習をサボるわけにはいかない。
そんなことは百も承知だけれど。
651 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:17

重い腰を上げて学校を出ると、校門の前に一人の女の子が立っていた。
道重の顔を見るなり、薄気味悪い笑顔を浮かべて近づいてくる。

「道重さん、だよね?」

なぜ、自分の名前を知っているのだろう。
―――もしかして、誘拐!?
ふいに、小学生の頃、担任の先生が言っていたことを思い出す。

『かわいい子は誘拐されやすいから気をつけなさい』

自分はかわいいから狙われているに違いない。
そう思った道重は咄嗟に変顔を作った。
652 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:18

「ぷ…」

それを見て笑う女の子。
自ら変な顔を作ったとはいえ、笑われるのは面白くない。
道重は誘拐されるかもしれないという恐怖も忘れて、その女の子に近づいた。

「あなた、誰ですか?」
「え?ああ、ごめんね。私は紺野あさ美。メトロラビッツの元メンバーだよ」
653 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:18
 
654 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:18

お昼のピークが過ぎ静寂に包まれた黒モニ食堂。
誰もいない店内で、田中はボーっとしながらクリームソーダを飲んでいた。

脳裏に浮かぶのは頭上を越えていく数々のボール。
思い出すだけで泣きそうになる。
抑えられる自信はあった。
みんなも口を揃えて「れいななら大丈夫」と言ってくれた。
それなのに…。

あんな点差で大敗したのは自分のせいだ。
田中はそう思っていた。
655 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:19

「ちはー」

静寂を打ち破る突然の来客に思わず身構える。
昨日、同じようなタイミングで入ってきたのは亀井だった。
亀井の顔を見た瞬間、田中は奥へと駆け込んだ。
対応したひとみの話によると、新垣も道重も練習に参加していなかったようだ。
申し訳ないと思いつつも、あの試合での情けない姿を思い出すと合わせる顔がなかった。

店に入ってきたのは、金髪の女の子だった。
自分たちと同じくらいの年齢だろうか。
ニヤニヤしていて、見るからに怪しい。

「やあやあ」
「…いらっしゃいませ」
「れいなちゃん?」
「はあ!?」
656 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:19

ますます怪しい。
田中は再び身構える。
中学校の頃はよく先輩に呼び出されたものだ。
体は小さいけれどケンカなら負けない自信がある。

「やだなー、そんなに構えないでよー」
「あんた、なん?」
「あたしはー、麻琴」
「やけん、名前じゃなくて何しに来たと?れいなになんか用?」

田中の剣幕にビクともせず、女の子は馴れ馴れしく肩を叩いてこう言った。

「だからー、君を迎えに来たんだよ。メトロラビッツの元メンバーとしてね」
657 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:19
 
658 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:19

亀井の前に突然現れた三人は名前を名乗ったあと、現在のメトロラビッツの様子を根掘り
葉掘り聞いてきた。
亀井はありのままを話した。
新垣やチームメイトとの出会い、そして練習試合のこと、全てを包み隠さずに打ち明けた。
亀井自身、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。

一通り話を聞いたあと、三人は顔を見合わせて微笑んだ。

「しゃーないなー、ガキさんはー」
「ぜーんぜん、変わってないねー、意外と頑固なとこ」
「うん、なんだか懐かしいな」

その姿を見た亀井もなぜかつられて微笑んでしまう。
チームにとっては存続できるかどうかの緊急事態。
だが、頼もしい先輩たちの登場によって、亀井の心は少しだけ晴れていた。
659 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:19

「いつだったかなあ。同じようなことあったじゃない?」

紺野が目を細めながら話し出す。

「あー、あったあった!確かあさ美ちゃんがチームを抜けるって言ったときだよ」
「えー?そんなことあったっけ?」
「もう、愛ちゃんはなーんにも覚えてないんだから」
「そやかて、もう何年も前の話やろー」
「何年もって言うけど…」

言い争いを始めた高橋と小川をよそに、紺野が亀井に説明した。

「ガキさんから聞いてるかもしれないけど、あたし、高校に入ってから友達に誘われて
 フットサルを始めて。それにすごくハマっちゃってね。いっぱい悩んだんだけど、結局
 キックベースを辞めることにしたんだ」
「あ、はい…」

亀井は静かに頷く。

新垣は昔の仲間のことを話そうとしなかった。
亀井も聞こうとしなかった。
思い出したくなかった。
思い出してほしくなかった。
660 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:20

「で、辞めるって話をしたときね、みんなは一応納得してくれたんだけどガキさんだけは
 最後まで反対で。一週間くらい部屋に閉じこもって、出てきてくれなかったんだ」

昔から一番年下のわりにしっかり者だった新垣。
だけど、一番真直ぐで頑固なのも新垣だった。

「ガキさんはね、すごく仲間を大切にする子だから」
「…はい」
「だから、道重さんと田中さん?二人が来なかったこと、かなりショックだったと思う
 んだ」

亀井は唇を噛み締めて再び頷いた。
その様子を見た紺野は、優しく亀井の頭を撫でる。
661 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:20

「だーいじょうぶだってー」

いつの間にか二人の話を聞いていた小川が、あっけらかんと言い放つ。
明るい、無防備な笑顔。
その笑顔で言われると本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だ。

「ちょうど夏休みで暇やし、あーしたちも協力するから、亀井さんも諦めないで頑張ろう。
 キックベース、好きでしょ?」

亀井の正面に立った高橋がポンと肩を叩く。
力強い瞳と力強い言葉。
その力に押されるかのように、亀井は高橋の目を見て笑顔で頷いた。

「はい!!絵里、ぜ〜ったいに諦めません!」

こうして、亀井絵里+OG三人によるメトロラビッツ建て直し作戦が華々しく幕を開けた。
その結末はいかに―――。
662 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:20
 
663 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:21

紺野あさ美に連れられてきたのは、近所のファミレスだった。

「好きなもの頼んでいいよ。あたしのおごりだから」

その言葉に甘えて明太子スパゲティ、ラーメン、ハニートースト、チョコレートパフェ…
(以下略)を注文した道重。
一方の紺野も道重に勝るとも劣らないくらいの量を注文したため、テーブルの上には乗り
切らないほどの料理が並んでいる。
マイペースに食べていく二人。
ようやく食べ終わった頃には、既に日は傾きかけていた。

「道重さんてよく食べるんだねー」
「紺野さんこそ、人のこと言えないくらい食べてたじゃないですか。しかも超マイペース
 だし」
「うん、よく言われるんだー」

笑い合う二人。
同じ場所で同じくらいの料理を食べ合うことで、二人の間には妙な連帯感が芽生え始めて
いた。
664 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:21

「あの、なんでさゆみのところに来たんですか?」

ようやく本題に入った道重に、紺野は笑顔で答える。

「グラウンドで亀井さんに会って、いろいろと話聞いたんだ。それで」
「…絵里、なんて言ってました?」
「ん?」
「怒ってました?」
「あー、ううん。『諦めない』って言ってたよ。『七月の試合に向けて頑張る』って」
「…そうですか…」

道重は下を向いて黙り込む。
変わり者だと噂されている自分を誘ってくれた亀井。
練習を休んだ翌日も教室に来てくれた。
その姿を思い出すたびに胸が痛くなる。
665 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:21

「道重さんは、もうキックベース嫌い?」

紺野の言葉に大きく首を横に振る。

「嫌いじゃないです。ちょっとずつルールも覚えたし、出来ることも増えたし、それに…」
「それに?」
「絵里やみんなとキックベースやるの、すっごく楽しいし」
「うんうん」

紺野は優しく頷いた。
その柔らかい雰囲気に、道重は徐々に心を開いていく。
666 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:21

「でも、怖いんです」
「怖いって?」
「…練習試合のとき、ボールが顔に当たって」
「ああ、なるほど」
「なんかもう、丸いもの見るのもダメで、こんなんじゃキックベースなんて出来ないって
 思って…」
「うん、そっかあ」
「…はい」
「じゃあ、辛かったよね。やりたくても出来ないんだもんね」

その言葉に思わず涙が溢れてくる。
そう、道重はキックベースがやりたいのだ。
もちろん、試合にだって出たい、出て勝ちたい。
みんなと喜びを分かち合いたい。
667 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:22

「実はね、あたしも、道重さんと同じような経験あるんだ」

ハッと顔を上げた道重に紺野は微笑みながら自身の過去を話し始めた。
キックベースよりもフットサルを選んだあと、その選択を悔やまないように、送り出して
くれた仲間を裏切らないように真剣に練習に励んだ。
しかし、ゴールキーパーというポジションを与えられた紺野は、飛んでくるボールの恐怖
と戦うことになる。
何度練習しても怖くて目を瞑ってしまう彼女を見かねて、一人の先輩がとっておきの作戦
を教えてくれた。

「作戦?」
「そう、名づけて『ピンク大好き作戦』。ボールを大好きなピンクだって自分に言い聞か
 せる。そうやって自己暗示をかけることによって、ボールが怖くなくなるんだって」
「…はあ?」
「あ、今、くだらないって思ったでしょ?」
「はい、まあ、ぶっちゃけ…」
「あたしも最初は何言ってるんだろうこの人って思ったんだけどね、これが意外と効果が
 あったりして。…石川さん、今頃何してるかなあ」

その頃のことを思い出しているのか、紺野はクスクスと笑った。
優しげな風貌からみなぎる自信。
少しでも可能性があるのなら、試してみようか。
もう一度、キックベースが出来るなら。
668 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:22

「…あの」
「ん?」
「さゆみにも出来ますか?その、『ピンク大好き作戦』」
「うん、出来る出来る。だって、道重さん、ピンク好きでしょ?」

その言葉に、道重は力強く頷いてこう言った。

「紺野さんが石川さんから受け継いだ『ピンク大好き作戦』、さゆみが責任持って受け
 継がせていただきます!」
「しょーがないね、道重さんだったらいいよ。大事にしてね」
669 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:22
 
670 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:22

「いやあ、おいしいねー、このタンメン」

いきなり店に現れた小川麻琴は、貸切状態の店内で悠長にタンメンを味わっていた。
メトロラビッツの元メンバーと名乗っただけでそれ以上進展しない状況にも関らず、田中は
不思議な感覚を覚えていた。
その感覚をあえて言葉にするとすれば、『癒し』になるのだろうか。
怒りや苛立ち、全ての負の感情を和らげる、小川はそんなオーラを放っているように見える。

「っあー、おいしかった!ごちそうさまでした」
「いやあ、ねーちゃん、気持ちよく食うなあ…」
「そーんなことないですよー。やだなあ、おじさん、あたしに惚れないでくださいよー」
「大丈夫、それはない」
「なーんでですかー」
「あの!」

初対面のはずなのに息の合った二人の会話になんとか割ってはいる田中。
そろそろ、話を先に進めなければ。
671 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:23

「ん?」
「いや、ん?…じゃなくて。…迎えに来たって言っとったけど、誰に頼まれたんですか?」
「あーあー、そうだった。目的を忘れるとこだった」
「忘れるとこだったって…」
「亀井ちゃんから聞いて」

小川の口から出た『亀井』という単語に胸が苦しくなる。

「…絵里、なんて言ってました?」
「ん?んー、すっごい怒ってたよ」
「…やっぱり」
「じょーだんだってー。そーんな顔しない。ホレホレ、スマイルスマイル」
「冗談って…。怒ってないと?」
「全然。それどころか、『諦めない』って笑ってたよ」
「そっか…」

田中はその言葉に少しだけ安心した。
いつも一人ぼっちだった自分を誘ってくれた亀井。
普通に過ごしていたら出会うことの出来なかった四人の仲間たちは、わずか数ヶ月でかけ
がえのない存在になっていた。
672 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:23

「あたしがここに来たのはさ、亀井ちゃんから話聞いて、ひょっとしたらあたしと似てる
 のかなって思ったからなんだ」
「…似てる?」
「そ。あたしねー、大事な大事な試合のラストですっごいミスしちゃったんだよねー。
 あたしがミスしなきゃ勝ち進んで、もしかしたら優勝できたかもしれなかったのにさ」

重苦しい話をサラッと打ち明ける小川。

「…辞めたくならんかったと?キックベース」
「んー、すっごい思ったよ。悔しかったし申し訳ないし、みんなに合わせる顔ないしさー」
「れいなも…」
「ん?」
「れいなも、そう思っとって…。みんな、れいなのこと信じてくれてたのに、あんなに点
 取られて…。あの試合負けたの、れいなのせいやって…」
「…うん」
「れいな、もう怖くて投げれん…」

独白する田中の声は徐々に小さくなり、最後には沈黙が広がった。
673 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:27

「あたしもさー、すっごい悩んだよ。また自分のせいで負けたら嫌だなあって思ったら、
 いっそのこと辞めちゃおうかなあとも思ったし」

うつむいたままの田中に、小川は優しく話し続ける。

「でもねー、あたしは辞められなかった」
「…なんで?」
「えー、そりゃあ、やっぱりキックベースが好きだからかなあ」
「…キックベースが、好き…」
「そう。それに、みんなと一緒にやりたかったし」

キックベースが好き、みんなと一緒にやりたい。
その気持ちがあったから辞められなかった。
小川の素直な言葉は、田中の心に深く響いた。
674 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:27

あの日、蹴られても蹴られても、『大丈夫』『次抑えよう』と励ましてくれたみんな。
誰一人として、田中を責める者はいなかった。
もう一度、あの仲間の元へ戻れるだろうか。
もう一度、一緒にキックベースが出来るだろうか。

「…れいなもみんなと一緒にやりたい」

その呟きに小川は笑顔で頷く。
675 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:28

「…でも、どんな顔して会えばいいかわからん」
「あー、そんなの平気平気。ニッコリ笑って何事もなかったようにしとけばいいんだって」
「え…、そんなんで平気なん?」
「だーいじょーぶだってー」
「…小川さんて結構適当っちゃね…」
「なーに言ってんですかー。あたしはこの笑顔と、そしてこの変顔で今まで生きてきたん
 だから」

そう言うと、小川は自らの手で自らの顔を歪ませ、この世のものとは思えない表情を作った。

「ちょ…な、なんそれ…」

今まで落ち込んでたことが嘘のように大爆笑する田中を見て、小川は得意気に言い放つ。

「ほらね、笑っちゃえば大抵のことはなんとかなるもんでしょ」
「…あ、ホントだ…。れいな今一瞬、嫌なこと全部忘れとったもん」
「でしょー。あ、なんなら変顔も伝授しようか?」
「…いや、それは遠慮しておきます」
「なーんでですかー!」
676 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:28
 
677 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:28

亀井は新垣の家の前に立っていた。
かれこれ30分。なかなかインターホンを押せずにいる。
そんな亀井のことを、高橋愛は静かに見守っていた。

「ふう…」

何度目かの深呼吸で空を見上げる。
視線の先にあるのは青空…ではなく、ドンヨリとした曇り空。
先行きは決して明るくない。
678 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:29

昨日高橋たちと考えた作戦は概ね好調だった。
ついさっき、道重の元へ向かった紺野、田中の元へ向かった小川からそれぞれ『成功』の
メールが届いたばかりだった。
明日の練習には二人とも出席するだろう。
残るは新垣のみ。

亀井はどうしても直接新垣と話したかった。
だから、「あーしが話そうか」という高橋の好意を丁重に断った。
直接、話さなければならないと思ったのだ。
新垣が話せなかった、そして亀井が聞けなかった、昔のメトロラビッツへの思い。
そのわだかまりが消えない以上、たとえメンバーが揃ったとしてもメトロラビッツは復活
しない。
679 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2007/05/23(水) 22:30

亀井はゆっくりと目を閉じると「よしっ」と小さく呟いた。
そして、日に焼けた腕をそっと伸ばし、新垣家のインターホンを押した。
680 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/23(水) 22:31

本日は以上です。
681 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/24(木) 01:12
更新乙です!5・6期モノ大好物です!!
特にカメガキ!!
682 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/24(木) 01:26
ガキさん!心を開くのだ!、
リアルでもちょびヒゲおじさんが卒業したけど
前に進むのだ!。
683 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/03(土) 18:39
前進〜〜!心を開け!!!!。。


684 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/04(日) 10:21
ガキさん超キャワ!!!
685 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/04(日) 13:35
そうだぞ!!、  ガキさん前に進め。
       
686 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 04:06
>>684 >>685
あっちこっちのスレで上げまくってるけど
どうかsageを覚えるまでROMっててください!迷惑です!
687 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 19:30
お断り〜、そんなのかんけぇねー、そんなのかんけぇねー、そんなのかんけぇねー、そんなのかんけぇねー、そんなのかんけぇねー、
688 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 22:48
とりあえず落ち着きなさいよ
689 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/06(火) 00:23
HPの小説をいつも楽しく拝見させていただいてます
こちらの小説も応援しています
690 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/18(日) 17:37
更新乙デス!!5,6期大好きなんです★
その中でもガキさん。。
いつも通りのキャラでたまりませんです
691 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/19(月) 17:01
下げて下さいね
692 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/19(月) 18:57
 
693 名前:作者です 投稿日:2008/01/11(金) 19:43
すいません。
なんとか完結までは頑張りますのでよろしくお願いします。
694 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/13(日) 04:23
待ってます!!^^
自分のペースで!
695 名前:sage 投稿日:2008/01/15(火) 01:27
まってます!
696 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/15(火) 01:57
ヒューン
697 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/27(日) 03:27
まつ
698 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:38
お待たせしてすいません。
なんだかんだで約1年ぶりの更新となってしまいました。
完結まであと数回なので、もう少しお付き合い頂ければと思います。

では、第8回。
699 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:39
―――ポーン

静寂に包まれる部屋の中、壁の時計が夕方の5時を告げる。
それは祖母が買ってくれた時計で、少し古いタイプだけど新垣のお気に入りだった。
新垣の母が淹れてくれた紅茶を飲み干すと、亀井が静かに口を開いた。

「…ガキさん」

新垣は黙ったまま顔を上げる。

「さゆとれいな、明日から練習出るって。キックベース、やめないって」
「…そう」
「だから、ガキさんも…」
「あたしはやらない」

亀井の言葉を途中で遮った新垣は、聞く耳持たずと言わんばかりに視線を逸らした。
700 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:39
「大体最初からそんなに乗り気じゃなかったし、やるなら他にメンバー探せばいいでしょ」
「そんなのダメだよ。メトロラビッツはガキさんがいないとダメだもん。絵里はガキさんと
 一緒にキックベースやりたいし、みんなだって…」
「もうほっといてよ!」
「…ガキさん」

新垣は亀井たちに対して完全に背中を向けてしまった。
いろいろと説得の文句を考えていた亀井だったが、この態度にはさすがにショックを受けた。
亀井はふと、新垣を追いかけて川原に行ったあの日のことを思い出した。

―――「ガキさん、キックベースやろう?」

あの日、口では文句を言いながらも新垣は嬉しそうだった。
仲間と一緒にキックベースをやる新垣は楽しそうだった。
少なくとも亀井にはそう見えた。
その全てが思い過ごしだったのだろうか。

701 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:40
下を向いて黙り込んでしまった亀井の代わりに沈黙を破ったのは、それまでずっと二人の
やりとりを見守っていた高橋だった。

「あいっかわらず、ガンコやのー、ガキさんは」

場の緊張感が一気に台無しになるような、間の抜けたセリフ。
その懐かしい幼馴染の感覚に、新垣は肩を震わせた。

「…るの」
「ん?なんやて?」
「愛ちゃんに何がわかるの!いつもいつも、あたしを置いてどっか行っちゃうくせに!」

そう、全ての元凶は高橋にある。
もともとキックベースをやろうと誘ったのは高橋だった。
それなのに、あんなにメトロラビッツをかけがえのない存在にさせたくせに、勝手に遠くの
大学に行ってキックベースを辞めて…。

702 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:41
「あたしはずっとキックベースがしたかったのに!」

振り返った新垣の目には涙が浮かんでいた。

「愛ちゃんはいっつもそうやって自分勝手にどんどんどんどん決めちゃって。あたしの
 気持ちなんて何も考えないでどんどんどんどん先に進んじゃって。先にランドセル背負って
 先に制服着て先に電車通学して…」

新垣の脳裏に浮かぶのは、大好きな幼馴染と過ごした思い出の数々。
その思い出はいずれも、最後には高橋が遠いところへ行って終わってしまうものばかりだった。

「愛ちゃんのバカ!!」

泣きながら叫び、高橋を睨む新垣。
そんな新垣の姿を見て、再び落ち込む亀井。

703 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:41
「そんなん仕方ないやろ。あーしの方がガキさんより年上なんやから」

重苦しい沈黙を破ったのは、やはり高橋の間の抜けた一言だった。
十数年の思いを込めた渾身の『バカ』をいとも簡単に返され、新垣は弱々しく反論する。

「…いや、愛ちゃん、そういう意味じゃないから」
「は?違うの?」
「いや、全然違うわけじゃないけど、でも、あたしが言いたいのは…」
「いつまでもずっと同じ場所にはいられないよ」

高橋の声のトーンが変わる。
昔からずっとそうだった。
新垣を宥めたり言い聞かせたりするときはいつも、高橋は普段より少し低い声になる。
その声を聞くたびに新垣は実感する。
高橋が遠くへ行ってしまうことを。

704 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:42
「思い出はいつまで経っても綺麗だけどさ、ずっと立ち止まってるわけにはいかない」
「…わかってる」
「あたしたちのメトロラビッツは、もう終わったんだよ」
「…わかってるって」

そんなことは百も承知だった。
新垣の中では亀井の誘いに乗ったあの日から、メトロラビッツは全く新しいものとして生まれ
変わっていたはずだった。
だけど、どうしても思い出してしまう。
今のメンバーとのキックベースが楽しければ楽しいほど、昔の仲間との思い出や絆を。
そして、ついつい比べてしまう。
今のメンバーと昔のメンバーのことを。

新垣が誰よりも何よりも許せないのは、そんな自分自身だった。

705 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:42
「新しい仲間とキックベースやったからって、昔の絆がなくなるわけじゃないよ」
「…わかってるよ、愛ちゃん」

―――わかってるけど、前に進むのはそんなに簡単じゃないんだよ。

高橋はもうそれ以上何も言わなかった。

706 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:43
「さてと、あーし、もう帰るわ」
「え?た、高橋さん」
「言いたいことは言ったし、あとは任せる」

そう言ってすくっと立ち上がると、高橋は亀井の頭をポンポンと軽く叩いた。
亀井にはそれが「頑張れ」と言っているように聴こえて、不思議と勇気が湧いてくる。

「じゃあ、ガキさん、またなー」

片手をヒラヒラさせた高橋がドアの向こうに消えると、新垣は小さく呟いた。

「…愛ちゃんのバカ」

再び沈黙が訪れる。

707 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:43
「ガキさん」

最初の沈黙のとき同様、口を開いたのは亀井だった。
しかし、その言葉には、先程とは違う強い思いが込められていた。

「絵里、頼りないかも知れないけど、頑張るから」
「…カメ」
「絵里、いっぱいいっぱいい〜っぱい頑張るから、だから…」

亀井はあえてその先の言葉を言わなかった。
あんなふうに何年も大切に思い続けられるような、そんな仲間になれるだろうか。
そんなチームを作れるだろうか。
自信なんてこれっぽっちもない。

だけど、新垣が前に進むために、今の亀井が出来ることはたった一つしかない。
もう二度とあんな悲しそうな顔は見たくない。

708 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:43
「明日、待ってるね」

亀井はそれだけ言うと立ち上がり、ドアの前へと進んだ。

「…カメ、あたし…」

その言葉に振り向くと、亀井はいつもと同じような笑顔を見せて、新垣の部屋を後にした。

709 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:44
 
710 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:44
翌日。
グラウンドでは亀井と久住が淡々とウォーミングアップをしていた。
別に打ち合わせをしたわけでもないのに、二人ともなぜかメトロラビッツのユニフォームを
身に纏っている。
練習開始の時間はとっくに過ぎているが、三人はまだ来ない。

一晩のうちに心変わりをしてしまったのだろうか。
結局、作戦は失敗だったのか―――。

「…はあ」

亀井が思わずため息をつくと、久住がすごい勢いで飛びついてきた。

「ダメですよ、亀井さん!ため息なんかついちゃ」
「だってさ〜…」
「大丈夫です!絶対にみんな戻ってきますよ!大丈夫大丈夫」
「なんでそんな自信満々なわけ?」
「えー、だって、悪い方に考えたってつまんないじゃないですかー」

久住につられて、亀井もようやく笑顔を見せる。

「とりあえず、練習始めようか」
「はーい!」

711 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:45
そんな二人を遠くから見つめる影が一つ。

「…なんて言ったらいいとかいな」

亀井と久住同様、メトロラビッツのユニフォームを身に纏っている田中だった。
二人よりも随分早くグラウンドに着いていたくせに、どうしても姿を見せることが出来ずに
いる。

「まこっちゃんの言う通り、何事もなかったかのように『おはよー!』とか?…んー、でも
 なあ。それじゃあ、気まずいし、大体今は朝じゃないし…」
「れいな、何ブツブツ言ってるの、キモーい」
「は?」

突如浴びせられた言葉に振り向くと、そこにはやはりユニフォーム姿の道重が立っていた。

「さ、さゆに言われたくないと!」

見られたくない姿を見られてしまい、真っ赤になって立ち上がる田中。

「さゆみは独り言なんか言わないもん」
「未だにキャラクターカードなんて集めてるくせに」
「それとこれとは関係ないでしょ!」
「キモいのは変わらんやろ!」
「もー、れいなひどーい!」
「はあ?ひどいのはさゆの方っちゃろ!」

712 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:45
自分たちの置かれている立場を忘れて怒鳴り合う二人。
その声は当然、亀井と久住にも聞こえている。

「…何やってんだろうね〜、あの二人」
「まあ、いつものことですからねー」

二人の言い争いは日常茶飯事だった。
見慣れた光景が戻ってきたことに喜びを感じると同時に、いつもならそれを止める人がこの
場にいない寂しさも感じていた。
以前ならばニヤニヤと見ているだけの亀井だが、新垣がいない今、そういうわけにもいかない。

713 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:45
「しょうがないなあ。さゆ〜、れい…」
「コラー!何やってんのー!」

人一倍大きな声がグラウンドに響き渡る。
道重と田中の動きが止まり、亀井と久住もその声の主を呆然と見つめていた。

「ったく、こんなとこでケンカしないの。ほら、行くよ」

道重と田中を促してグラウンドへと降りてくる新垣もまた、ユニフォーム姿だった。

714 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:46
数日振りに五人が顔を合わせる。
みんな、どことなく照れくさいような笑顔を浮かべながら向き合っている。
それだけで十分だった。
余分な言葉はいらなかった。

「みんな〜、おかえりりん!」
「うわー、寒ーい。すいませーん、暖房ありませんかー」
「そんなくだらないダジャレ言うの、絵里かお父さんぐらいなの」
「はあ?何それ、意味わからんし。絵里、キモい」
「亀井さん、面白ーい!」
「うへへ〜」

四者四様の反応に、亀井は満足そうに笑った。

715 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:46
「さあさあ、カメはほっといて、練習始めるよ!もう時間がないんだから」
「え〜、ガキさん、もっとこの余韻に浸ろうよ〜」
「バカなこと言わないの。ビシバシやんないと間に合わないよ」
「え〜…」

不満顔の亀井に新垣は小さく告げる。

「…優勝するんでしょ」
「え?ガキさん、今なんて?」
「だーかーらー、優勝、するんでしょ!」

亀井の顔が再び笑顔に変わる。

あの頃、あの仲間たちと成し得なかった夢。
今度は新しい仲間たちとそれを追いかける。
新垣の心にはもう迷いはなかった。

716 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/04/23(水) 19:46
「メトロラビッツー、ファイ!」

大会まで残り二週間。
新生メトロラビッツの猛特訓が始まった。

717 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/23(水) 19:47
本日は以上です。
718 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/07/04(金) 00:46
続き待ってます!
719 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/18(木) 23:32
>>718
お待たせしてすいません。

最終回です。
720 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:32

放課後の教室。
開けっ放しの窓から爽やかな風が吹き込んできて気持ちがいい。
しかし、受験生である生徒たちはそんなことなどお構いなしに必死で机に向かっている。
約一名を除いて。

「…さん、亀井さん。いい加減に起きなさい」

ビクッ!ガタッ!

「…ん〜。おやすみなさ〜い…」

一瞬目覚めたものの、再び夢の国へと旅立つ亀井。
そのあまりにも健やかな寝顔を見て、先生も起こすことを諦めたようだ。

新垣はそんな亀井の姿を見て軽くため息をついた。

―――――ま、仕方ないか…。

この二週間、毎日の練習に加えて、朝は自主練夜はルールの復習と亀井はキックベース
漬けの日々を送っていた。
もちろん、それは亀井に限った話ではない。
道重も田中も久住も同じように特訓を重ね、見る見るうちに上達していった。

明日はいよいよ大会初日。
絶対に負けられない戦いがそこにある。
721 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:33

その日の練習後、新垣は翌日のスターティングメンバーを発表した。

「1番は小春、守備はレフト」
「はい!」

安定感のある久住を先頭キッカーに指名。
とにかく塁に出てチームに勢いをつけてもらう。
守備は前回同様レフトを任せる。

「2番はさゆみん。守備は…サード」

その瞬間、道重はうつむき唇をかみ締めた。

メトロラビッツのピッチャー候補は二人いる。
魔球を操り相手を翻弄する道重と剛速球で直球勝負する田中だ。
タイプは違えど、実力的には二人とも大差はない。
どちらが先発するか、密かにお互いをライバル視していたことを新垣は知っていた。

序盤は威力ある田中のストレートで威嚇し、田中が打たれ始めたら道重の魔球で翻弄する。
この二人の投手リレーが成功しなければメトロラビッツの勝利はない。
新垣はそっと道重の肩を叩いた。
道重は黙って頷いた。
722 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:33

「3番はあたし。守備はライト」

チーム一の打率を誇る新垣はランナーを確実に送る役割を担う。
守備では得意の眉毛ビームでホームベースを踏ませない。

「そして、4番、カメ。守備はファースト」
「え、絵里?」
「そう、カメ。よろしく」
「ちょっと待ってよ、ガキさん!絵里、無理だよぉ。4番なんて…」
「無理でもなんでもカメしか残ってないでしょーが」
「え?それってもしかしてまさかの消去法?」
「そう、消去法。とにかくよろしく」

大事な試合の大事な4番を消去法で選ぶ人間などいない。
今このチームの中で一発逆転の大ホームランを放てるメンバーは、亀井を置いて他には
いないのだ。
相変わらず沈黙を続けている亀井の左足。
しかし、それが爆発する日はそう遠くないということを、誰よりもそばで見てきた新垣
は確信していた。

「ラストは田中っち。ピッチャー」

普段なら大騒ぎをするはずの田中は珍しく黙って頷いた。
全ての自信を砕かれたあの日。
自分でいいのだろうか、自分に出来るのだろうか。
怖くないといえば嘘になる。
だけど、再び自分を信じて託してくれた新垣の気持ちを裏切るわけにはいかない。

それそれがそれぞれの思いを抱えながら、戦いの日を迎えた。
723 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:33

雲一つない青い空。

五人の少女は赤いユニフォームを身に纏っている。
胸に輝くのは白い「RABBITZ」のロゴ。
そして、Rの文字は逆さまになっている。

「おーい!みんなー!きばっていけよー!フレー!フレー!メトロ!」
「よっちゃん、それなんか違くない?」

グラウンドの横に設置された観客席では、ひとみと美貴が大きな横断幕を掲げている。
その横には高橋、紺野、小川の姿もあった。
何よりも心強い応援団だ。

その姿を確認し、五人は円陣を組む。
初戦の相手はこの大会ベスト4常連の強豪チーム。
だけど、決して勝てない、手の届かないという相手ではない。

―――――この五人ならきっと。

新垣は静かに目を瞑ると、大きく息を吸い込んだ。

「メトロラビッツー、ファイ!」
724 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:34

試合開始。先攻はメトロラビッツ。
久住、新垣が塁に出たものの、あとが続かず無得点で終了。
ピッチャー田中は先頭キッカーにヒットを許したが、その後はパーフェクトなピッチング
で連続三振を奪った。
しかし、相手のピッチャーも譲らず、なかなか点を取ることが出来ない。

試合が動いたのは四回の裏だった。
あの日同様、やや疲れの見え始めた田中。
新垣が交代を告げる直前のキッカーに甘い球を投げ、それがホームランとなってしまった
のだ。

頭上を越えていくボールの行方を追うことしか出来なかった。
あの日と同じだ。
また、負けるのか。
また自分のせいで…。

「ドンマイ!れいな」
「まだまだ、逆転のチャンスはありますよ。大丈夫大丈夫ー」

亀井と久住が田中へと駆け寄る。

「田中っち…」

目深に帽子を被った田中に新垣が声をかけようとした瞬間―――――。
725 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:34

「れいな、もう終わり?情けなーい」

後ろから聞こえるかわいい声に田中はぴくっと反応する。

「そんなんでさゆみのライバルを名乗るなんて1000年早いの。ま、れいなが泣きつく
 ならしょうがないからさゆみが投げてあげてもいいけど」
「ちょっと、さゆみん、それは言い…」
「…誰が泣きついたって?」

道重を止めようとした新垣の言葉を遮り、田中は一歩前に出る。
さっきまで肩を落としていた子と同一人物とはとても思えない。

「どうする?いつでも替わってあげるけど?」
「そこで見ときな。まださゆの出番じゃないけん」
「へー、言うじゃん。さっきまで泣きそうだったくせに」
「うっさい!」

負けたくない。負けられない。
何よりも誰よりも道重だけには。
田中はマウンドに上がり、帽子のつばをきゅっと上げた。
726 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:35

そんな田中の姿を見た四人は顔を見合わせて笑ったあと、それぞれ自分のポジションへと
戻っていった。
もう大丈夫だ。
ああいう目をしているときの田中に怖いものはない。
新垣は歩きながら道重の脇を突いた。

「やるじゃん、さゆみん」
「まあ、あれくらいでへこたれてもらっちゃ困るんで。一応、さゆみのライバルですし」
「最終回は任せるからね。準備しといてね」
「もちろんですよ、キャプテン」

道重の言葉に奮起した田中はものすごい気迫で、そのあとのキッカーを見事に抑えた。
727 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:35

そして、最終回。
メトロラビッツ最後の攻撃。
ここで点を取らなければ負けてしまう。

打順は5番の田中からだった。
ピッチングで見せた気迫で十数回のファウルを繰り返し粘るものの、最後はファースト
フライに倒れた。

次は先頭キッカーの久住。
張り詰めるような緊張感の中、一人だけ全く異次元にいるかのように飄々としている久住
は、メンバーの期待に応えてレフトの頭上を越えるヒットを放った。
1アウト、ランナー三塁。

続く道重は動揺する相手ピッチャーの初球を狙い、見事な当たり。
あわやホームランかと思われたが、なんと相手チームのファインプレーに阻まれアウト。

悔しそうにベンチに戻った道重の肩を亀井と田中が軽く叩く。
道重は黙って二人の間に腰をかける。
三人の視線の先には頼もしいキャプテンの姿があった。
728 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:36

新垣は無意識のうちにユニフォームの「R」の文字を掴んでいた。
あの頃も何度となくこういう場面に遭遇した。
ときには成功しときには失敗し、だけどいつも自分の周りには信じてくれる仲間がいた。
そして、今も新垣にはかけがえのない新しい仲間がいる。

ふと観客席を見ると、高橋も紺野も小川も、同じように自分の服の胸の辺りを掴んでいる。
新垣は思わず笑みを浮かべる。

それにつられて観客席の三人も笑う。

「ガキさん、笑ってやんの」
「この場面でやるねー」
「楽しいんだよ、きっと」

そう、新垣は楽しくて楽しくて仕方がないのだ。
仲間と一緒にキックベースが出来ることが。
こうやって一つの目標に向かって力を合わせることが。
729 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:36

そう、新垣は楽しくて楽しくて仕方がないのだ。
仲間と一緒にキックベースが出来ることが。
こうやって一つの目標に向かって力を合わせることが。

「いいなあ、青春やん」
「ちょっと愛ちゃん、おばさんくさいよー」
「うっさいなあ。どうせおばさんだし、麻琴だって一つしか変わらんやろ」

いつものように言い争いが始まりそうになったとき、紺野がボソッと呟いた。

「ガキさん、あれに気付いてんのかなあ」
「ん?なに?…あ」
「…あー、なーんか羨ましいねー。青春だねー」
「あー、麻琴、おばさんくさーい」
「ちょっと愛ちゃん!あたしはねー…」

三人の目に映っていたのは、ベンチの亀井と道重と田中、そして三塁の久住の姿だった。
四人とも新垣と同じように「R」の文字を掴んでいた。
730 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:36

みんなの思いを一心に受けた新垣は、見事にボールを捉えライト前へと蹴り出した。
三塁ランナーの久住がホームベースを踏む。
新垣は一塁で大きくガッツポーズをする。
土壇場でメトロラビッツは同点に追いついた。

しかし、そのあとが続かず、結局同点のままで攻撃を終えた。
731 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:37

この大会のルールでは『5回が終わって同点の場合、代表者一名によるキッキング対決に
よって勝敗を決める』となっている。
つまり、ホームベースからボールを蹴ってより遠くに飛ばしたチームの勝ちとなる。
メトロラビッツはまずこのイニングを0点に押さえ、キッキング対決に勝負を賭けるしか
ない。

先程は見事なピッチングを見せた田中だったが、やはり疲れて球威が落ちている事実は
否めない。
元より最終回は道重に託すつもりだったのだ。
新垣がそのことを告げようと立ち上がると同時に、田中が自分の目の前にあるボールを
取った。

「あ…」

田中はそのボールを道重へと渡した。

「さっきはれいながカッコいいところ見せたけん、次はさゆの番」
732 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:37

道重は、まるでこうなることがわかっていたかのように、表情を変えずに立ち上がる。

「悪いけど、さゆみはカッコいいよりもかわいいを目指してるから」
「はあ?なんそれ。意味わからんし」
「さゆみはれいなよりもかわいいってこと」
「それだけは絶対に有り得んね。断言してもいい」
「れいなってホント見る目ないよね」
「さゆに言われたくないと」

そんなことを言い合いながら、二人は自分の守備位置へとついた。
道重はマウンドに、田中は三塁に。
呆気にとられる新垣と亀井。

「…なんなんだろうね、あの二人は。まったく…」
「ほら、ケンカするほど仲が良いって言うじゃん?まるで、絵里とガキさんみたいだねぇ、
 うへへ〜」
「は?あたしはカメとケンカなんてしないし、大体大して仲も良くないし」
「またまたぁ。ガキさん、絵里のこと大好きなくせにぃ。このこのぉ〜」
「好きじゃないし、うざったいから。ほら、ちゃんと守備につく!」

久住はそんなやりとりを一人ニヤニヤしながら見ていた。
733 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:37

田中が直球で三振を狙うタイプなら、道重は蹴らせて取るタイプのピッチャーだ。
案の定、強烈な変化を見せる道重の球に、相手チームは当てることこそ出来るものの思う
ように飛ばせない。

そうなれば、ミラクルキャッチの持ち主・久住の出番だ。
自分の守備範囲を超えた球にまで飛びついて新垣に怒られながらも、道重と久住の活躍で
最終回を無失点で乗り切った。
734 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:38

「それでは、10分の休憩のあと、キッキング対決を行います。各チーム、代表者を決めて
 おいて下さい」

審判の声で両チームともそれぞれのベンチに戻る。
キッキング対決は一発勝負。
確実に遠くに蹴る必要がある。
チームの誰もが新垣が蹴ると思っていた。

新垣は足元のボールを拾い上げて、

「よーし、ガキさん、リラックスし…え?」

亀井に渡した。

「…ガ、ガキさん?」

いつものように冗談を言おうと思ったけれど、どうやらそういう雰囲気ではないらしい。
新垣はじっと亀井の目を見る。
735 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:38

「カメ、あんたが蹴りな」

しばしの沈黙ののち、なにかに弾かれたように亀井が騒ぎ出す。

「む、無理だよ、絵里」
「だいじょうーぶ」
「だって、この中で一番確実なのはガキさんだし、それに…」
「それに?」

亀井はうつむき黙り込む。

強豪チームをわずか1点に抑えた道重と田中。
守備に攻撃にと安定したプレーを見せた新垣と久住。
それに比べて、亀井はここまで目立った活躍をしていない。
表には出さなかったけれど、ずっとそのことを気にしていた。

新垣は亀井の持つボールにそっと手を添える。

「いい?カメ。このチームを作ったのはカメでしょーが」
「でも、でも、絵里…」
「でもじゃないの。カメがやらないで誰がやるのよ」
「…ガキさん」
736 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:38

新垣の手の上に白い手が重なった。

「さゆみを引きずり込んだのは絵里なんだから責任とってよ」
「責任って…」
「そうやね。絵里がおらんかったられいなもここにはおらんかったし」
「でも、それとこれとは…」
「亀井さーん、だーいじょうぶですよー。なんとかなりますって」
「…そんな適当な〜」

次々と重なる手。
その重みが亀井の体にのしかかる。

「あたしはカメの左足を信じてるから」

新垣の言葉に亀井はきゅっと唇をかみ締める。

「わかったらとっとと行ってこーい!」

四人の手が亀井の背中を押した。
737 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:38

震える手でボールをセットする。

数ヶ月前、新垣を追いかけて川原へ来たことを思い出す。
あの頃はとにかく必死だった。
どうしても新垣とキックベースがしたかった。

次々と仲間が増え、いろいろなことがあったけれど今まで頑張ってきた。
そして今日、ようやく一番欲しかった言葉を聞くことが出来た。

―――――「あたしはカメの左足を信じてるから」

昔の仲間を越えられたかどうかはわからない。
いや、きっとそれは越える必要なんてないもので。
大切なのは新垣が自分を必要としてくれたという事実だけだ。

深呼吸をするとなんだかやけに気持ちが落ち着いた。
亀井は無心でボールを見つめ、おもむろに左足を振り上げた。
738 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:39

亀井が蹴ったボールは大きな弧を描いて、青空へと吸い込まれていった。



さっきまで雲一つなかった空には、いつの間にか五つの白い雲が浮かんでいた。
それはまるで、五匹のウサギが楽しく遊んでいるように見えた―――――。
739 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:39
 
 
 
740 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:39
 
 
 
741 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:39
 
 
 
742 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:40

「ちょっと、れいな!ここはこの作戦でってこの前決めたでしょ?」
「それでこの前負けたんやろ!れいなが考えた作戦の方が絶対いいし」

道重と田中の怒鳴り声が響き渡る。
二人の言い争いは日常茶飯事で、チームメイトはもう慣れっこだった。

「あのう、二人とも、ちょっといいですか?」
「「はあ?」」
「それやったら、絶対この作戦の方がいいと思うんですけど、どうですかあ?」
「ワタシモ、コノホウガ効率的ニ点ガ取レルト思イマス」

光井愛佳とリンリンが絶妙なタイミングで仲裁に入る。

「バナナ食ベタイ!バナナ!」
「もう、ジュンジュン!ジュンジュンが自由過ぎるんです!!」

そして、久住とジュンジュンは今日も楽しそうにじゃれ合っている。

「だーいじょうぶなのかね、あれ」
「な〜んか絵里たちよりも適当そうだね〜」
「絵里たちって…。そうやって勝手にあたしを入れるのはやめてくれる?適当なのはカメ
 だけでしょうーが」

その様子を遠くから眺めている陰が二つ。
新垣と亀井だ。
743 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:40

あの大会のあとしばらくして、二人は受験のためチームを離れた。
その後、三人の新メンバーが加わり、メトロラビッツは道重と田中を中心に新しく生まれ
変わろうとしている。

―――――「ずっと立ち止まってるわけにはいかない」

あのとき高橋が言った言葉の本当の意味が、ようやくわかった気がした。
自分たちはチームを離れたけれど、そこでなにかが終わるわけではない。

「ねえねえ、ガキさん」
「んー?」
「大学行っても、一緒にキックベースやろう」
「…は?まさかカメ、同じ大学に行くつもり?」
「大正解〜!」

新垣は頭を抱える。
744 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:40

「だってさぁ、ガキさんはぁ、絵里のことぉ〜。ほらほら、なんて言ったんだっけ?あの
 とき」
「あれはカメに自信をつけさせるために言っただけだから!」
「えぇ〜!結構本気だったでしょ?だって、ガキさん、すっごい真面目な顔してたもん」
「試合中なんだから当たり前でしょーが!」
「もぉ照れちゃって〜」
「…あー、もう、先が思いやられるわ…」

新垣が立ち上がり歩き出す。

「あ、ガキさ〜ん、置いてかないでよぉ〜」

亀井は新垣のあとを追いかける。

「ガァ〜キィ〜さぁぁぁぁぁ〜ん!」
「ちょっとー、ついて来ないでよー」
「絵里を置いてかないでぇぇぇぇ〜」
「もーやだー!」

―――――
――――
―――
――
745 名前:アオゾラウサギ 投稿日:2008/09/18(木) 23:41


アオゾラウサギ   終わり
746 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/18(木) 23:44
以上で『アオゾラウサギ』は終わりです。

気がつけば第一回から2年が経ち、モーニング娘。にもいろいろな変化がありましたが、
なんとかあの頃の気持ちのままで完結させることが出来て良かったです。

最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございました。
747 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/25(木) 09:26
お疲れ様です
748 名前:GAKILOVE 投稿日:2008/09/25(木) 20:53
おもしろかったです
749 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/15(月) 10:55
待ってました。
すごいおもしろかったです。

ガキさんおつかれ!!!
750 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/03(木) 02:24
1年近く遅ればせながら完結お疲れさまです
あったかい気持ちになりました
またゆっくり読み返したいです
751 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:20
ご無沙汰しております。
表題作とは関係ありませんが、久々に書いてみました。

一部、登場人物の性別が変わっておりますので、苦手な方はスルーして下さい。
752 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:20


奇妙なあいつ



753 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:21

キーンコーンカーンコーン

終業のチャイムが鳴ると同時に、一人の少年がすごい勢いで教室を飛び出した。
クラスメイトやすれ違う女子から、

「くどぅー、どこ行くの?」

なんて次々と声をかけられるが、そんなものは全て無視だ。
彼、工藤遥はもううんざりしていた。
754 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:22

中学2年生になってから数ヶ月。

伸び盛りの遥は、身長と共に水泳の記録も驚異的なスピードで伸びた。
県内でもそこそこの成績を残し、学校で表彰されるようになり、同時に周りの
女子からも注目されるようになった。

年頃の男の子だし、最初はかなり嬉しかった。
しかし、毎日毎日好きでもない女子の黄色い声に付きまとわれると、迷惑なだけだ。

だから、部活のない日は速攻で学校から出ることにしている。
755 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:22

「あー!やっと見つけたー!!」

下駄箱で靴を履き替えていると、聞き慣れた甲高い声が耳に飛び込んできた。
その声にピクリと反応する遥。
ある意味、女子よりもうるさい相手に見つかってしまった。

「どぅ、一緒に帰ろうよ!」
「まーちゃん、わりーけど…」
「マサさあ、面白いゲーム買ったんだ。一緒にやろうよ!」

全く人の話を聞かないこの少年の名前は、佐藤優樹。
この春から同じクラスになったばかりだが、驚異的なコミュニケーション能力で
人の領域にずかずかと入り込んでくる。
最初は嫌がっていた遥だが、元来の面倒見のいい性格が災いして、いつの間にか
少し日本語が苦手な優樹の通訳係となっていた。

そして、遥自身もそのポジションを少しだけ気に入っていた。
756 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:23

いつものように二人並んで歩いていると、ふと妙な光景が目に入った。
道端にうずくまっているポニーテールの少女。
見たことのないような古ぼけた服を着ていて、とてつもなくダサい雰囲気。
明らかに関わらない方がいいオーラを発している。

怖がりな遥が見て見ぬふりをして通り過ぎようとした途端、

「だーいじょうぶですかあ?」

怖いもの知らずの優樹が少女の横にちょこんと座って声をかけた。

「お、おい!おまえ、何話しかけてんだよ!」
「え?だって、苦しそうじゃん」
「だからって、こんな訳わかんねー女に…」

遥の言葉を聞いた瞬間、それまで微動だにしなかった少女が振り向いた。
無駄にキレがいい。

「わあ!な、なんだよ…?」
「わあ、この子、目が茶色いよ?外人さん?」

同時に声をかけた遥と優樹に少女は一言呟いた。

「お腹すいた…」
757 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:24

 ・
 ・
 ・


758 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:25

遥の家は下町の定食屋だ。
今どきの洒落た雰囲気なんか全くないけど、味には定評があり、常連客も多い。

そんな常連客の中、目にも止まらぬ速さで食べ物に食らいつく少女。
周りの客も唖然として見つめている。

「ハル坊の彼女かい?隅に置けないねえ」
「な、バ、ちげーよ!彼女なんかじゃねーし!」

つい数分前に会ったばかりの、名前も知らない少女だ。
遥の大反対を押し切って、優樹が店まで一緒に連れてきてしまった。
ちなみに毎日のように工藤家に訪れている優樹は、遥の両親にも店の常連客にも
可愛がられている。

少女はよほどお腹が空いていたらしく、ここに来るまでの間は一言も発さず、
黙って二人についてきた。
759 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:25

「よく食べるねー」

連れてきた張本人はにこにこ笑顔だが、遥にとってはいい迷惑だ。
それにしても、本当によく食べる。
茶色い髪に茶色い瞳。
年齢は遥たちと同じくらいだろうか。
顔は大人びているが、体型は丸っきり子供だ。

「どう?うちの名物、サバ煮込み定食は?上手いだろ?」
「はい、すごく美味しいです!」

遥の母の問いかけにハキハキと答える少女。
その笑顔に遥は少しだけドキッとした。
760 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:26

「ごちそうさまでした!」

ご飯粒まで残さず完食した少女に、遥は畳み掛けるように質問する。

「あんたさあ、あそこで何してたんだ?それにその格好、どっから来たんだよ?」
「あたしはクリア」
「はあ??」

話によると、少女はN国という国の定食屋・パスカル食堂の一人娘らしい。
それがどこにあるのか、どうしてここにいるのかはわからないようだ。
最初の予感通り、危ない少女だった。
やっぱり関わらない方がいい。

「じゃあ、警察に…」
「じゃあ、しばらくどぅーん家にいればいいよ!」
「は、はあ!?」
「だってさ、なんかかわいそうじゃん、行くところないみたいだし」
「いや、ちょっと待てって。見ず知らずの女を…」

遥の反論を余所に優樹のとんでもない提案は続く。
761 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:27

「ねえ、おばさん?」
「まあ、しばらくしたらいろいろと思い出すかもしれないしねえ」
「か、母ちゃん!」
「困ってる子を追い出すわけにもいかねーだろ」
「父ちゃんまで…」

優樹に甘い遥の両親はすっかりその気になっている。
こうなったら遥の頼みの綱は本人だ。
いくら行くあてがないとはいえ、全く見ず知らずの、しかも同じ年頃の男がいる
家に居候なんて嫌に決まっている。

一縷の望みをかけ、遥は少女に懇願する。

「な、なあ、あんたは嫌だよな?俺、一応男だし、何するかわかんねーぞ?」
「またまたー。そんな度胸ないくせにー」
「おまえは黙ってろ!!大体、かわいそうならまーちゃんの家に連れていけよ!
 何でウチなんだよ!」
「だって、ここ定食屋だし、ちょうどいいじゃん?」
「わけわかんねー!!!」
762 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:27

「あの…」

ずっと考え込んでいた少女がようやく口を開いた。

「そうだよな?やっぱり、嫌だよな?」
「迷惑じゃなきゃ、しばらく置いてもらえると助かります」
「はああああああ?」

こうして、遥と奇妙な少女との一つ屋根の下の生活が始まった。
763 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/15(月) 00:29

本日は以上です。
764 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/17(水) 03:00
久しぶりにスレが動いたのでびっくりしました。

続きを楽しみにしています!
765 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/17(水) 03:50
すげー面白そう!
続きも期待しています。
766 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:18
>>764
ありがとうございます。
10期の仲の良さと舞台「ごがくゆう」に触発されて久々に書きたくなりました。
最後まで楽しんで頂ければ嬉しいです。

>>765
ありがとうございます。
期待に応えられるよう頑張ります!
767 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:19

キーンコーンカーンコーン

いつもはチャイムと同時に教室を飛び出す遥だが、この日はとてもそんな気分に
なれなかった。

なぜなら、家には奇妙な居候がいるからだ。

昨夜、遥はほとんど眠れなかった。

母親以外の女性と一つ屋根の下で過ごすのは初めてだった。
しかも、クリアの部屋は遥のすぐ隣。
工藤家の壁はそれほど厚くないので、隣の物音がよく聞こえる。
別に大した音は聞こえなかったのだが、変に意識してしまってなかなか寝付け
なかったのだ。
768 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:19

ようやく少しウトウトしかけた頃、夜が明けた。
それとなく耳をすませたが、隣の部屋は静まり返っていた。

寝ることを諦めて階下に降りると、クリアがエプロン姿で店の仕込みを手伝って
いた。

「あれ?ハル。あんた、やけに早いわねえ。そうそう、クリアちゃんねえ、店
 手伝ってくれるって。すごく手際がよくて 助かるわあ」

自称定食屋の看板娘というだけあって、クリアの仕事っぷりはすごかった。

「…あっそ」
「おはよう、くどぅー」

憮然とする遥に笑顔で声をかけるクリア。
いつの間にか、遥の学校での呼び名を使っている。

「何でその呼び方…」
「昨日、マサが教えてくれたから」

いつの間にか、遥でも使わない呼び方で優樹を呼んでいる。
少し面白くない。

769 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:20

「はい、お茶」
「あ、どうも…」

クリアは店の仕込みの合間に、テキパキと遥の朝食の用意をしてくれた。
なんだか妙にくすぐったくて、だけど悪い感じはしなかった。

クリアの動きは本当にキレがあって、次から次へと仕事をこなしていく。
物の扱いが乱暴なのが玉に瑕だが、下町の定食屋にはちょうどいいのかもしれない。
遥がなんとなく目が離せないでいると、急に振り向いたクリアと目が合った。

「ん?なんかついてる?」
「な、なんでもねーよ!…行ってきます」

恥ずかしくなった遥は、朝食もそこそこに家を飛び出した。

「行ってらっしゃーい!」

クリアのよく通る声を心地よく感じながら。
770 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:21

「はあ…」
「どしたの?ため息なんかついちゃって」

事の元凶が話しかけてくる。

「まーちゃんが全部悪いんだからな」
「え?何の話?」
「だからさ、昨日、あいつが…」
「あ!そうだよね!早く帰ろうよ、どぅ!」

質問しておいて全く話を聞かない。
数ヶ月ですっかりこういうところにも慣れたけど、たまに本気で殴りたくなる
ときがある。

「帰るってどこに?」
「どぅの家に決まってるじゃん」
「何でまーちゃんが俺の家に帰るんだよ?」
「もちろん、クリアに会いに!」

反論することを諦めた遥は、素直に優樹に従うことにした。

771 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:21

「へい!らっしゃーい!」

店の扉を開けた途端、いつもとは違う元気な声が遥の耳に入った。

「なーんだ、くどぅーか。おかえりー!」
「なんだとはなん…」
「こんちくわー!」
「あ、マサ!」

遥の隣にいた優樹が猛スピードでクリアに抱きつく。
突然の行動に目を丸くしつつも、嬉しそうに優樹を抱きしめるクリア。

「なんだ、ハル坊、彼女取られちまったのか?」
「だ、だから、彼女じゃねーし!行くぞ、まーちゃん!」
「え?もう行くのー?クリア、後でどぅの部屋に来てね!」
「勝手に約束するなって!行くぞ!!」

遥は優樹をクリアから引き離し、二階へと向かった。

772 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:22

自分の部屋に戻り、ベッドの上にダイブする。

「とーう!スパイラルムササビ!」
「うぐ…」

なぜか、優樹も遥の上にダイブする。

「ねえ、どぅ。クリアって、かわいいね」
「…そ、そうか?」
「うん。優しいし、マサ、大好き!」
「…わ、わかったから、とりあえず、どいてくれ」

ようやく優樹のムササビから解放され、遥は冷静にさっきの会話を振り返る。

「好きって、その…、どういう意味で?」
「ん?好きは好きだよ?」
「いやだから、好きにもいろんな好きがあるだろ?」
「たとえば?」
「うーん、だから…。家族に対する好きとか、友達に対する好きとか、その、
 女子に対する好きとか」

優樹はきょとんとした顔で遥を見ている。

773 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:22

遥たちは一応、中学2年生の男子なわけで、そろそろ女子に対してそういう
感情が芽生える年頃だったりする。
さっきもクリアにサラッと抱きついてたけど、もうそういうことが許される年齢
ではない。

少なくとも、遥はそう思っている。

「マサの好きは一つしかないよ。家族も友達も、どぅもクリアも同じように好き」
「そっかあ」

優樹はとことん無邪気で純粋だ。
思春期真っ只中の遥は、優樹のこういうところが少し羨ましかった。

774 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:23

いつものように二人がゲームに夢中になっていた頃、突然部屋の扉が開いた。

「仕事終わったよー」
「あ、クリア!おつかれー!」
「フフ、ありがと、マサ」

再び抱き合う二人。

「クリアも一緒に遊ぼ?」
「え?いいの?」
「いいよね?どぅ」

二人に見つめられては、ノーとは言えない。

「別に、いいけど」

優樹とクリアは嬉しそうに手を繋いで、隣同士に座った。
他愛のない話が続いているけど、二人ともとても楽しそうだ。

遥はなんとなく面白くなくて、漫画を手にとって読み始めた。
それでも、二人のことが気になって内容が頭に入ってこない。

すごくイライラする。
それが、優樹に対してなのかクリアに対してなのか、よくわからなかった。
このわからないという感情が更に遥のイライラを増殖させていく。

775 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:24

ふと話し声が聞こえなくなったので、顔を上げてみる。
目の前に飛び込んできたのは、クリアの膝に頭を乗せている優樹の姿だった。
二人とも目を瞑っている。
要するに寝ている。

「マジかよ…」

遥はしばらく二人の様子を眺めていた。
見ようによっては、姉と弟みたいでかわいいかもしれない。
しかし、殆ど体型が変わらない男女の膝枕姿は、遥にとっては刺激が強すぎた。

「…っくしゅ」

くしゃみをしたクリアを見て、慌ててベッドの上のタオルケットを取った。
外は暑いけど、冷房の効いた部屋の中は少し寒いのかもしれない。

なんとなくタオルケットの匂いを嗅いで特に問題がないことを確認してから、
クリアの肩にそっとかける。
かけるときに少しだけクリアの胸元が見えて、慌てて目をそらした。

776 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:25

考えてみれば、自分の部屋に女子を入れるなんて初めてのことだった。
二人きりではないにせよ、意識せざるを得ない。

「ん…」
「うお!」

突然クリアが漏らした甘い声に、思わず大声を発する遥。
その声に反応したクリアが目を覚ました。

「あ、ごめん、あたし寝てた?」
「いや、うん、まあ…」
「…フフ、マサも寝ちゃったんだ」

膝の上の優樹に気づいたクリアが、優しく髪を撫でる。

「マサってすごく無邪気だよね。ホント、子供みたい」

777 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:26

優しい手つき、優しい声、優しい眼差し。
少しだけ羨ましいと思っている自分をごまかすために、遥はわざとぶっきら
ぼうに答える。

「あっそ」
「くどぅーも膝枕する?」
「は!?バ、バカじゃねーの!?誰があんたの膝枕なんか…」

真っ赤になって反論する遥。

「ツ…、くどぅー、顔真っ赤だよ?フフ…」
「別に真っ赤じゃねーし!」
「くどぅーは素直じゃないよね、フフフ」
「うっせー!!笑うな!」
「ごめんごめん。フフフ」

カチンときた遥は、ずっと笑い転げているクリアめがけて枕を投げつけた。
枕はクリアの顔に見事にヒットする。

「アハハ!だっせー!!」
「ちょっと!」

クリアも負けじと投げ返し、枕投げ合戦が始まった。

778 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:26

その騒ぎは当然、クリアの膝の上の優樹にも飛び火する。

「あー、なんか二人だけで楽しいことしてずるーい!マサも入る!」
「お、おい、まーちゃん、あれだけはやめろよ!」
「え?あれってなーに?」
「マサのー!スーパー必殺技!」
「バカ、やめろって!」
「なになに?どんな技?」
「スパイラルー、み・の・む・しー!!!」
「ぎゃああああああ!」

こうして、2日目の夜は平和に過ぎていった。

779 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/20(土) 20:27

本日は以上です。


780 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/21(日) 01:54
うおおっキタ━━━━━━━川c ’∀´)* ^_〉^)o´ 。`ル━━━━━━━ !!!!
思春期どぅー可愛いっす!まーちゃんがまーちゃんで癒されます。
これからどうなっていくのか楽しみです!
781 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:20
>>780
ありがとうございます。
10期を書くのは初めてでまだまだ慣れませんが、まーちゃんを書くのは楽しいです。
782 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:20

キーンコーンカーンコーン

今日ほど終業のチャイムが待ち遠しい日はなかった。


783 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:20

昨日、三人で散々じゃれ合った後、自室に戻ったクリアが壁の向こうから声を
かけてきた。

「くどぅー、起きてる?」
「…お、おう。起きてっけど」
「今日はありがとね。すごく楽しかった」
「…そっか」

いつもはお喋りな遥だが、クリアの前だとどうにも上手く言葉が出ない。
その理由はよくわからない。
わからないし上手く話せもしないくせに、クリアともっと話したいと思う自分
がいる。
そんな気持ちに遥は戸惑っていた。

「また明日ね、おやすみ」
「おやすみ」

―――――また明日ね

その言葉がすごく嬉しくてドキドキして、その日の夜も殆ど眠ることが出来
なかった。

784 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:21

「はあ…」
「まーた、ため息?幸せが逃げちゃうぞー」

遥のセンチメンタルな気分を速攻で打ち消す優樹。

「今日もクリアと遊ぼうっと」
「おまえはいいよなあ、気楽で」
「んー?どぅはクリアのこと嫌い?」

優樹の言葉は相変わらずストレートだ。

「き、嫌いじゃねーよ、嫌いじゃない。むしろ…」
「むしろ?」
「いや、その…」

慌てる遥の顔はみるみるうちに赤くなる。

「どぅ、顔真っ赤だよ?熱あるんじゃない?」
「う、うるせー!!」
「だいじょーぶだよ、マサが家まで送るから!」

結局この日も優樹と一緒に帰宅することになった。

785 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:21

「へい!らっしゃーい!」

扉を開けると、昨日と同様に元気な声で出迎えてくれた。

「お、くどぅー、マサ、おかえり!」
「ただいま、クリア!」
「ただいま」

店は相変わらず常連客で賑わっている。

「すいませーん、お水くださーい」
「はーい!」
「クリアちゃん、キスエグ二丁お願い!」
「はーい!」

客や遥の母親の注文をテキパキとこなしていくクリア。

「クリア、すごい…」

さすがの優樹も呆然と見つめている。

「ほーら、邪魔邪魔!さっさと二階に行きな」
「は、はい!」

クリアに促され、遥と優樹は素直に二階へと向かう。

「なんだ、ハル坊、早速尻にしかれてんのか?」
「…うん。…って違うから!」

常連客のからかいに思わず頷いてしまい、慌てて否定する遥だが、店の喧騒に
かき消されて誰の耳にも届かなかった。

786 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:21

昨日と同じようにクリアが仕事が終わることを待っていた優樹だが、急な用事
で帰らなければならなくなってしまった。
優樹は酷く残念がっていたが、遥は少しだけホッとした。

昨日のような光景は心臓に悪い。
優樹には悪いけれど、二人の仲良い姿はあまり見たくない。

部屋で漫画を読んでいると、ここ数日の寝不足の影響か急に眠気が襲ってきた。
遥はその眠気に素直に従った。

787 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:22

暑さで目が覚めると、外はもう真っ暗だった。
寝汗で体がベタついていたので、シャワーを浴びようと一階へと向かう。

寝ぼけながら脱衣所の扉を開けると、お風呂の中からシャワーの音と陽気な
鼻歌が聞こえてきた。
洗濯機の上には見慣れた古びた洋服が置いてある。

間違いない、クリアの洋服だ。

一気に目が覚めた遥は慌ててその場を立ち去ろうとするが、あまりにも焦っていた
ためクリアの洋服を落としてしまう。
急いでクリアの洋服を拾い上げ、元通りに畳もうとしたとき、ふと裏地に書いて
ある文字が目に入った。
見てはいけないと思いつつ、手にとってその文字を読んでみる。

    モーニング女学院 演劇部


788 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:22

「演劇部…?」

運悪くクリアがシャワーを止めるタイミングと重なり、遥の呟きがお風呂場
まで聞こえてしまった。

「誰かいるの?」
「あ、ご、ごめん!」

逃げ場を失い、素直に謝る遥。

「…くどぅー、覗いたら、殺すよ?」
「ごめんなさい!」

クリアの恐ろしい一言で遥は自室へ逃げ帰った。


789 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:22

あまりにも刺激的な出来事に必死で自分を落ち着かせる遥。
何度か深呼吸をし、ようやく冷静な思考が戻ってきた。

脳裏に浮かぶのは、クリアの洋服に書かれていた文字。

    モーニング女学院 演劇部

モーニング女学院は隣町にある全寮制の女子校だ。
中高一貫で音楽や美術など芸術に力を入れている学校である。

演劇部と書いてあるということは、あの洋服は衣装なのだろうか。
クリアという名前やN国だのパスカル食堂だのという不思議な単語も、劇の
役柄だと考えれば納得できる。

問題はクリアがそのことに気付いているのかどうかだ。
気付いていて遥たちを騙しているとすれば、一体何が目的なのか。
逆に気付いていないとすれば、彼女の身に何が起こったのか。
いずれにせよ、クリア本人にそのことをぶつければ解決の糸口が見つかるかも
しれない。

790 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:22

しかし、遥はどうしてもその気になれなかった。

言ってしまえば、クリアはきっとこの家からいなくなってしまう。
もう少し、この奇妙な同居生活を続けたい、そう思った。

791 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:23

いろいろと考えているうちにお腹が空いてきた。
気が付けば夜中の0時を回っている。
そういえば、夕食を食べていないことを思い出した。

何か食べる物を探すため、遥は一階へと降りた。

「…っく、ひっく…」

店の厨房の方から何やら妙な音が聞こえる。
女の泣き声のようだ。

死ぬほどお化けが嫌いな遥は真っ青になって二階へ戻ろうとするが、ふと思い
立つ。
お風呂場で遭遇して以来、隣の部屋から物音が一切しなかったことに。

もしかして、と勇気を振り絞って厨房へと近付き、電気をつける。
そこには想像した通り、蹲って泣いているクリアがいた。


792 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:23

「クリア」
「く、くどぅー…」

振り向いたクリアの目は真っ赤で、遥はまるで自分が悲しい目にあったみたいに
胸が痛くなるのを感じた。

泣いている理由は聞かなくてもわかるような気がした。

「べ、別に、泣いてなんかないんだからねっ!」

わかりやすく強がるクリアが余計にせつない。

「絶対に違うから!泣いてないから!」

こんなときもう少し大人だったら肩の一つでも抱きしめて慰めたするのだろうか。
でも、遥には到底そんなことは出来ない。
だから、自分にしてあげられることをやるしかない。

「もしかして、お化けが怖くて泣いてたんじゃねー?」
「違うし!怖くないし!泣いてないし!」
「しょうがねーから、俺が一緒に部屋まで行ってやるよ」
「大丈夫だし!泣いてないし!」

遥に反論するうちに、クリアの涙はすっかり消えていた。

793 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:24

二人一緒に二階へ上がる。

「おやすみ」
「本当に泣いてないからね」
「まだ言ってんの?しつこいなあ」
「くどぅーが信じてないからでしょ」
「わかったわかった、信じるよ」

クリアはその言葉にようやく満足したらしく、笑顔で部屋の中に入った。

「おやすみー」

陽気な声と共に扉が閉まる。
少しの間を置いてから、遥が扉の向こうのクリアに話しかけた。

「…あのさ」
「ん?」
「大丈夫だよ、きっと」
「何が?」
「んー、いろいろさ。心配しなくてもきっと大丈夫」

794 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:24

遥の言葉の真意に気付いたのか、部屋の中から小さな返事が返ってきた。

「ありがと、くどぅー」
「うん、おやすみ」
「おやすみ、また明日」

―――――また明日

昨日の夜に言われて嬉しかった言葉を再び聞きながら、遥はある決意を固めた。

こうして、3日目の夜は静かに更けていった。


795 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 03:24

本日は以上です。


796 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 11:34
大好きだったこのスレで新たにまた読める日がくるとは…!
10期大好きだし、作者さんの書くお話も大好きなので嬉しいです
くどぅーの中学生らしい純情不器用さとクリアの秘密がどう絡まっていくのかこれからの展開が楽しみです
797 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/28(日) 22:08
だーいしヲタの自分は今、飼育で最も注目している小説です。
続きも楽しみにしてます。
798 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:48
>>796
ありがとうございます。
顔を真っ赤にしながら話す工藤さんをイメージして書きました。
純情不器用さが上手く伝わっていれば嬉しいです。

>>797
ありがとうございます。
自分も現メンバーでは石田さんに一番注目しています。
もっと彼女らしさを表現できるように頑張ります!
799 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:48

キーンコーンカー…

終業のチャイムが鳴り終わる前に、遥は教室を飛び出し下駄箱まで来ていた。
靴を履き替える時間すら煩わしい。
時間はいくらあっても足りないのだ。

今日はとても大事な用がある。


800 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:48

昨日の夜、遥はベッドに寝転びながら、ない知恵を絞って必死に考えた。

―――――また明日

そう言われた瞬間、遥はクリアを信じることに決めた。

信じるということは、自分の人間全てをかけてすることだ。
昔、どこかで耳にしたことがあるフレーズが遥の頭の中を駆け巡る。

何の確証もないけれど、クリアは嘘はついていない。
そう信じる。

問題はこの先どうするかだ。
クリアの洋服の文字、クリアの涙の理由、そして自分の気持ち。

どうすることがクリアのためになるのか、自分はどうしたいのか。
その二つが完全に一致していれば、結論はもっと簡単に出ていたに違いない。
しかし、残念ながらそうではなかった。

今までの遥だったら、間違いなく自分の気持ちを最優先にしていただろう。
まだ中学生。
他人のことを思いやれるほどの余裕はない。

だけどこの日、遥は生まれて初めて自分の気持ちを後回しにすることを決めた。
それはたぶん、大切な人のために。


801 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:49

校門を飛び出し、バス停まで猛ダッシュする。
バス停に着いたとき、ちょうど目的地行きのバスがやって来た。
一番奥の座席に腰を掛けようやく一息をついた途端、隣に見慣れた人影が座った。

「そんなに慌ててどこ行くのさ」
「うわ!」

なぜここにいるのか、佐藤優樹。

「マサを置いてくなんて酷いじゃん」
「…大事な用があるんだよ」
「ならマサも行く。どぅにとって大事なことなら、マサにとっても大事なこと
 だもん」
「まーちゃん…」

昨日からずっと緊張していた遥は、優樹の言葉に思わず泣きそうになる。
優樹はそんな遥の様子に気付いているのかいないのか、それ以上何も聞かなかった。

二人は何も話さず、ただただ隣に座り目的地へと向かった。
バスは隣町に着き、遥は優樹を促してバスを降りる。


802 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:49

モーニング女学院の校門前まで来たとき、遥がようやく口を開いた。

「ここに、クリアの知り合いがいるかもしれないんだ」
「え?ほんと!?」
「うん」
「すごいじゃん、どぅ!クリア喜ぶよ、きっと」

心の底から喜ぶ優樹に遥は複雑な心境になる。

「でもさ、まーちゃん」
「ん?」
「知り合いが見つかったら、クリア、帰っちゃうかもしれない」

遥の言葉に少しだけ表情を曇らせた優樹だったが、次の瞬間、いつもの笑顔を
見せた。

「それは寂しいけど、でも、きっとクリアはそっちの方が嬉しいよね」
「…うん、そうだよな」
「クリアが嬉しいなら、マサも嬉しい」

優樹はとことんシンプルだ。
そんな優樹にいつも振り回されている遥だけど、この日ばかりは優樹の言葉が
心強かった。

「そうだな。俺も嬉しい」
「まーどぅーコンビでクリアを喜ばせよう!」
「おう!」

もう迷いはない。
二人が決意を新たにした瞬間、モーニング女学院の終業を告げるチャイムが
鳴った。


803 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:49

知り合いを探すといっても、これといって方法は考えていなかった。
二人はシンプルに片っ端から声をかけていく。

「クリアのこと知りませんか?」
「クリアの知り合いはいませんか?」

女子校にやってきた怪しげな男子中学生二人。
当然ながら訝しげな目を向けられ、まともに相手にされない。
それでも、二人は諦めずに声をかけ続けた。


804 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:49

下校する生徒が徐々に減っていき、日も暮れてきた。
さすがの二人にも疲れの色が見えてきた。
一人だったらとっくに諦めていたかもしれない。
だけど遥は一人じゃない。
心強い相棒がそばにいてくれる。
そのことが遥の心を勇気づけた。

「あの…」

空が完全にオレンジ色に染まる頃、一人の少女が声をかけてきた。
くりっとした目が印象的な色黒の美少女だ。

「私、知ってます」
「は?」
「クリア…ううん、あゆみんのところに連れて行って下さい!!」

二人は、ようやく目的の人物に辿りついた。


805 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:50

遥の家へ向かうバスの中で、色黒の少女・飯窪春菜が事情を説明してくれた。

春菜たち演劇部は現在新しい舞台の稽古中で、その稽古の最中に大道具が倒れる
という事故があったこと。
その事故でクリア役の少女が頭を打ったこと。
少女はその衝撃によって、現実の自分と舞台の役を混同するようになったこと。
数日前、少女が突然姿を消し、必死に探していたこと。

そして、少女の本当の名前が石田亜佑美だということを。

「石田、亜佑美…」
「はい。あゆみんは私の親友で、ずっと探してたんです。警察にも届けたん
 ですけど、全く手がかりがなくて…。でも、よかった、見つかって」
「でも、まだ自分のことクリアだと思ってるみたいで…」
「そうですか…。でも、お医者さんも一時的なものだろうっておっしゃっていた
 し、きっと学校や部屋に戻れば思い出すと思うんです。とにかく早く連れて
 帰って、一刻も早くあゆみんに戻してあげたい」

春菜もまた、遥や優樹と同じようにクリア、いや亜佑美のことを心配していた。
この日、初めて出会った三人だが、同じ思いを抱える者同士、不思議な連帯感が
生まれていた。


806 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:50

家に帰ると、店はとうに閉店していた。

「ハル、おかえり。遅かったわねえ。あら、まーちゃんも。それにお友達も」

遥の母が笑顔で三人を迎える。

「初めまして。私、飯窪春菜と申します」

春菜が丁寧に挨拶した。
亜佑美の姿は見えない。

「母ちゃん、クリアは?」
「クリアちゃんなら厨房だよ。洗い物してくれてる」
「ごめん、母ちゃん、ちょっとクリアと話があるんだ。ハルの部屋に来るよう
 に伝えといて」

いつになく真剣な遥の表情にただ事ではないと感じたのか、母は遥たちが二階
に上がるとすぐに亜佑美を部屋へと向かわせてくれた。


807 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:50

「くどぅー?なーに、話って」

いつもと変わらない声で、何も知らない亜佑美が部屋に入ってくる。

「あ、マサもいたんだ?もう一人、お友達…、ミ、ミラー!?」
「…探したよ、クリア」

春菜の役はクリアの親友・ミラー。
クリアになりきっている亜佑美は、春菜のこともミラーだと思い込んでいる。
バスの中での話通りの反応だった。

「クリア、帰ろ?」
「ミラー、どうしてここがわかったの?」
「この二人が、くどぅーとまーちゃんが、必死に探してくれたんだよ。クリア
 のことを心配して」
「くどぅー、マサ…」
「だから、帰ろ?二人の努力を無駄にしないためにも」

春菜の言葉に亜佑美は静かに頷く。


808 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:50

「あとね、ちゃんと話しておかなきゃいけないことがあるの」
「え?」
「…落ち着いて聞いてね」
「ミラー?」

ここに来るまでの間、三人はどうすることが亜佑美のためになるのか、真剣に
話し合った。
亜佑美が自分のことを思い出すまで静かに見守るのか、それともきちんと話した
方がいいのか。
三人とも、気持ちは同じだった。
荒療治かもしれないが、事実をきちんと話すこと。
それが一番亜佑美のためになると考えたのだ。

「あなたはクリアじゃない。本当の名前は石田亜佑美。モーニング女学院演劇
 部の二年生なの」

春菜の言葉に呆然とする亜佑美。
遥と優樹は静かにその様子を見守っている。


809 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:51

「な、何言ってんの?ミラー。冗談はやめ…」
「冗談なんかじゃないよ」
「だって、あたしは」
「あなたは誰?」
「あたしは…」

亜佑美の顔が徐々に曇っていく。
クリアという名前以外殆ど覚えていないことに、自分でも不安を感じていた
のだろう。

「私は飯窪春菜。ミラーじゃないけど、あゆみんの友達だよ。だから、私を
 信じて」

亜佑美は俯いたまま黙り込んでいる。

「クリア…」

声をかけようとした優樹を遥が制する。
亜佑美が春菜を信じるか信じないか、それは亜佑美以外には決められない。
昨日、遥がそうしたように、今亜佑美は自分の全てをかけて悩んでいるのだ。
誰も邪魔できない。


810 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:51

重い沈黙を破ったのは、ポトリと落ちた春菜の涙だった。
ハッとして顔を上げる亜佑美。

「ご、ごめん、泣きたいのはあゆみんの方だよね。ごめんね」
「うぅ…」

それを見た優樹も泣き出す。
そして、遥も涙を必死に堪えている。

「ツ…、みんな、何泣いてんの、ウケるー」

三人の顔を見た亜佑美は、なぜか笑いながら泣き出した。

「ちょっと!あゆみんのことで泣いてんだからね!」
「クリア笑い過ぎー!マサもおかしくなってきた、ヒヒヒー」
「てか、俺は泣いてねーし!」
「くどぅー、目真っ赤だけど?」
「うっせー!」

今度は真っ赤な目で笑い合う四人。
いつの間にか重い空気はどこかに吹き飛んでいた。


811 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:51

ひとしきり笑ったあと、亜佑美は穏やかな顔で静かに言った。

「あたし、ミラー…じゃなくて、飯窪さんのこと信じるよ」
「あゆみん…」
「マサ、くどぅー、今までありがとね」
「良かったね、クリア」

優樹はいつもの無邪気な笑顔を見せる。

「…良かったな」

遥は亜佑美から目を逸らしながら答えた。
亜佑美の眩しい笑顔と、亜佑美が帰ってしまうという事実。
複雑な感情が入り乱れていた。

こうして、4日目の夜はそれぞれの思いを飲み込んで過ぎていった。


812 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 21:52

本日は以上です。

813 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/11(日) 23:08
続きが待ち遠しいです(*´Д`)
814 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/13(火) 23:24
>>813
ありがとうございます。
お待たせしてすいません!
楽しんで頂ければ嬉しいです。
815 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/13(火) 23:25

翌日。
遥は夜が明ける前に目が覚めた。
今日は亜佑美が寮に帰る日だ。

隣では優樹が大の字で寝ている。
隣の部屋ではきっと亜佑美と春菜がぐっすり眠っているだろう。
帰りが遅くなってしまったため、優樹も亜佑美も春菜も遥の家に泊まることに
なったのだ。


816 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/13(火) 23:25

昨日の夜。
遥はやっぱりよく眠れなかった。
ここ数日、殆ど寝ていないことが嘘のように目が冴えて仕方がない。

水を飲みに1階へ降りると、食堂の椅子に亜佑美が座っていた。
先日のように泣いているのではなく、ただ静かにそこにいた。
月明かりに照らされている横顔がとても綺麗だった。

思わず見とれていると、視線に気付いた亜佑美が遥の方を見た。

「くどぅー?」
「…寝れないの?」

心配そうな遥の顔を見て、亜佑美が優しく笑った。

「なんかね、いろいろ考えちゃって。くどぅーも眠れないの?大丈夫?」
「俺は…まーちゃんのいびきがうるさくってさ。逃げてきた」

遥は水を汲み、亜佑美の斜め前に静かに座った。
対面だと緊張して話せないからだ。

「こんなドラマみたいな話、本当にあるんだね」
「あー、記憶喪失、みたいな?」
「うん。なんか不思議」
「そうだな」
「でも、いつまでもくどぅーの家に迷惑かけられないしね」
「め、迷惑なんて…!」

亜佑美の言葉に思わずムキになって立ち上がる遥。

「…迷惑なんて思ってねーよ」
「ありがとう、くどぅー」
「べ、別に…」

ムキになった自分が急に恥ずかしくなり、遥は座って一気に水を飲んだ。


817 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/13(火) 23:25

「なんか、短い時間だったけどすごく寂しいね」
「まーちゃんもきっと寂しがるだろーな」
「マサも?」
「それに、父ちゃんも母ちゃんも」
「そっかあ…」

別れの瞬間を想像したのか、亜佑美は下を向いた。
本当はもう一人、ものすごく寂しくなる人がいるのだが、口には出せない。
そんな遥の思いを知ってか知らずか、亜佑美は俯きながら呟く。

「…くどぅーは?」
「は?」
「くどぅーは寂しい?」
「…え、いや、その…」

きっと今の自分は真っ赤な顔をしているだろう。
亜佑美が下を向いていて良かったと、遥は心底ホッとした。

「俺は…」

寂しいと素直に言えれば良かったのだが、遥にそんなことが言えるわけがない。
今さっき一気飲みしたばかりなのに、既に喉がカラカラだ。

「せ、清々するよ。元の生活に戻れるし」

緊張感に耐え切れず、思ってもいないことを口にしてしまった。
少しの間があり、亜佑美の乾いた声が耳に届く。

「そっか。…ごめんね、迷惑かけて」
「あ、いや…」
「あたし、もう寝るね。くどぅーも早く寝な。おやすみ」

遥の言葉を聞いた亜佑美は、逃げるようにその場から立ち去った。
残された遥はただ呆然と自分の愚かさを悔やむばかりだった。


818 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/13(火) 23:25

そんなことがあっただけに、今日、亜佑美の顔を見るのが気まずい。
たぶん、亜佑美は怒っているだろう。

もう帰ってしまうのに、もしかしたら二度と会えないかもしれないのに、
本当にこのままでいいのだろうか。
それがダメだということは、後悔するということは遥自身が一番わかっている。

後悔だけはしたくない。
だけど、どうすればいいのかわからなかった。


819 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/13(火) 23:26

「ふわあ、よく寝たー。おはよう、どぅ」

あれこれ考え事をしているうちに優樹が目を覚ましたようだ。

「おはよ。ぐっすり寝れたみたいだな」
「んー?どぅは寝れなかったの?」
「まーな」
「クリア、じゃなくてあゆみんが帰っちゃうから?」
「は、はあ?」

いきなり核心をついてくる優樹。

「違うの?」
「いや、違うわけじゃないけど…」
「けど?」
「…なんか、上手く言えなくてさ」
「何が?」
「なんか…いろいろだよ」
「ふーん、変なの」

優樹にはきっと遥の気持ちはわからないだろう。
寂しいとか好きとか、自分の感情をストレートに表現できる優樹には、きっと。

「まーちゃんはいいよなあ」

心底羨ましがる遥を優樹はただ不思議そうに見つめていた。


820 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/13(火) 23:26

その日の朝食は、遥の両親と遥、優樹、亜佑美、春菜で食卓を囲んだ。
両親には昨日のうちに事情を説明してあった。
だからなのか、朝から豪勢なおかずが並んでいる。

話題は自然と亜佑美のことになった。
春菜の口から亜佑美のエピソードが語られる。
優樹は爆笑し、亜佑美は顔を真っ赤にして「嘘だね!」と反論する。
そんな中、遥は一人口を開かなかった。

昨日の夜のことを亜佑美に謝りたい。
そう思っていたが、当の亜佑美は何事もなかったかのように振舞っていて、
謝るきっかけを掴めずにいるのだ。

「ハル、あんた、今日はやけに静かねえ」

不思議がる母の言葉を無視し、遥は黙ってご飯を口に詰め込む。

「どぅは昨日、眠れなかったんだよね」
「…まあな」
「へえ、いつもバカみたいに寝てるあんたでも、そんな日があるんだ」
「うっせーな。いろいろあんだよ、俺だって」

残りのご飯を一気にかきこみながら、遥はちらっと亜佑美を覗き見た。
亜佑美はいつもと同じように笑っていて、何を考えているかわからなかった。


821 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/13(火) 23:26

朝食が終わり、一同は亜佑美と春菜を送るために店の外へと出た。
春菜と並んで立ち、振り向いた亜佑美はうっすらと涙を浮かべている。

「いろいろとお世話になりました」
「寂しくなるねえ、クリア…亜佑美ちゃんがいなくなると。お客さんにも評判
 良かったし」
「おばさん…」
「またいつでも店に来なさい。今度はお客としてな」
「おじさん…。本当にありがとうございました!」

遥の両親に挨拶したあと、亜佑美は静かに優樹の前に立つ。

「クリアー…じゃなくてあゆみーん、寂しいよー」
「もう、泣かないでよ、マサー」

泣きながら抱き合う二人。

「また遊ぼうね、絶対だよ!約束だよ!」
「うん、約束。ありがとね、マサ」


822 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/13(火) 23:26

優樹から離れた亜佑美は静かに遥の方を向いた。
既に涙目の遥だが、やっぱり上手く言葉が出ない。

「昨日は…」
「いろいろとごめんね、くどぅー」

なんとか搾り出したセリフは、亜佑美の言葉に遮られる。

「え?」
「バイバイ」

昨日と同じように逃げるようにして立ち去ろうとする亜佑美。
その腕を遥は咄嗟に掴んだ。
どうしてそんな行動をとったのか、自分でもよくわからない。
わからないけど、伝えたいことは決まっていた。


823 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/13(火) 23:27

腕を掴まれた亜佑美は驚いて振り向く。

「…また、店来いよ」
「え?」
「今度は、ちゃんと石田亜佑美として…、絶対来いよ。待ってるから」
「くどぅー…」
「父ちゃんも母ちゃんもまーちゃんも、…俺も」
「…うん、ありがと、くどぅー」

その言葉と亜佑美の笑顔を見た瞬間、堪えていた涙が遥の目から溢れ出した。
男のくせに格好悪いと思ったが止めることは出来なかった。

「あー!どぅ、泣いてる!」
「う、うっせー!まーちゃんよりは泣いてねー!!」

そんな二人のやりとりを亜佑美と春菜は笑顔で見ていた。


824 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/13(火) 23:27

「じゃあ、またね」

亜佑美はそう言い残して、遥の家を後にした。

こうして、遥と奇妙な少女との一つ屋根の下の生活は終わりを告げた。


825 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/13(火) 23:29
本日は以上です。

今回で遥とクリアの話は一応終わりです。
次回からは遥と亜佑美の話を書きたいと思います。
更新は不定期となりますが、もうしばらくお付き合い頂ければ幸いです。
826 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/14(水) 08:48
むしろこれからが本番だと楽しみにしてます。
827 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/24(土) 04:30
不器用な二人ですね><
続きお待ちしてます。
828 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/25(日) 21:56
>>826
ありがとうございます。
そうですね、ここからが本当の始まりかもしれません。
見守って頂けると嬉しいです。

>>827
ありがとうございます。
実際の彼女たちもどこか不器用なイメージがあります。
最後まで二人を見届けて頂けると嬉しいです。
829 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/25(日) 21:56

授業中、遥はぼんやりと空を見上げる。
先生の話などいつも以上に上の空だ。

―――――会いたいな、何してんだろ。

ここのところはずっと亜佑美のことばかり考えている。
亜佑美が過ぎてから数日経ったが、まだ店には現れていない。

亜佑美の親友・春菜の連絡先は知っているものの、自分からは連絡出来ずにいた。


830 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/25(日) 21:57

昼休みに屋上でボーッとしていると、いつの間にか優樹が隣にやってきた。

「まーちゃんはいつも急に現れるよな」
「コンビなんだから、当たり前っしょ!」
「いつコンビニなったんだよ!」
「えー?一緒にあゆみんの友達探しに行ったじゃん」

優樹の口から出た『あゆみん』という名前にさえドキッとする。
相当重症なことは遥自身自覚していた。

「あゆみんとはるなん、どうしてるかなあ?」

遥の思いを知ってか知らずか、不意に優樹が呟く。

「…さあな」
「あゆみん、ちゃんと思い出してるといいね」
「うん」
「会いたいなあ」
「…うん」
「そうだ!今日会いに行こうよ!」
「うん…って、はあ!?」

相変わらず突拍子のない優樹の言葉に、遥は思わず立ち上がった。

「だって、会いたいんだもん」
「いや、だからっていきなり会いに行くのは迷惑だろ!」
「どぅも会いたいんでしょ?」
「え?いや、まあ…」
「だったら行こうよ。きっとあゆみんたちも喜んでくれるよ」

優樹を止めなければという気持ちと亜佑美に会いたい気持ち。
二つを天秤にかけた結果、遥は優樹と共にモーニング女学院に向かうことにした。


831 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/25(日) 21:57

この門の前で人を待つのは二回目だ。
今回は待ち人がはっきりしているため、無闇やたらに声をかけたりもせず、二人は
ただ校門の前で出てくる生徒を見つめていた。
女子生徒たちからの視線も二回目だが、こちらはなかなか慣れない。
居心地の悪さを感じていると、数人のグループに声をかけられた。

「あの、この前来てた子だよね?」
「え?あ、はい。すいません、今すぐどきますんで…」

てっきり怒られると思い、先に謝った遥だが、意外な返事が返ってきた。

「あ、そうじゃなくって。良かったら名前教えて欲しいなって」
「はあ?」
「この前見たときから気になってて。また会えると思ってなかったから」
「えっと…」

遥が返答に困り優樹を見ると、こちらも数人の女生徒に話しかけられていた。
いつの間にか二人の周りには人だかりが出来ている。

名前の他にも学校や学年など矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
クラスメイトとは違う少しお姉さんの攻撃に固まる遥。

「くどぅー、まーちゃん!」

ぐったりと疲れきった頃、ようやく待ち人が現れた。
甲高い声で二人を救ってくれた春菜の横には、数日前よりも少しおしとやかに
見える亜佑美が立っていた。


832 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/25(日) 21:57

モーニング女学院から少し離れたところにあるファーストフード店にやってきた
四人。
一番奥の席に腰を下ろし、ようやく一息つく。

「モテモテだったねー、二人とも。どこのアイドルかと思ったよ。もしかして、
 あたし、邪魔しちゃった?」
「勘弁してよ。大変だったんだから」
「マサも、超怖かった」
「まーちゃんにも怖いものがあったんだね」

軽快なトークが続く中、亜佑美はまだ一言も発していない。
そのことを気にしつつも、遥は斜め前にいる亜佑美の方に視線を向けられないで
いる。

数日間一緒に過ごしたクリアと同じ容姿ではあるが、明らかに雰囲気が違う。
間違いなく、『石田亜佑美』として彼女はそこにいる。


833 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/25(日) 21:58

「あゆみんはあゆみんになった?」

突破口を開くのはいつも優樹だ。

「うーん。完全ではないけど、だいぶ思い出してきたよ」
「そっかあ。良かったね、あゆみん!」
「うん。ありがとね、マサ」

呼び方が変わらないことに少しだけホッとする。

「そうだ!あゆみんのアドレス教えてよ。マサ、毎日メールするから」
「お、いいよ」

亜佑美が鞄から携帯電話を取り出す。

「えっと、ちょっと待って。ここを…こうで…」

手には最新のスマートフォンを持っているが、どうも操作が辿たどしい。

「赤外線は…ここ、って、あれ??…はるなーん」
「…プ」

結局、隣の春菜に操作してもらう亜佑美を見て、遥は思わず吹き出してしまった。

「な、何よ!しょうがないでしょ、まだ替えたばかりで…」
「いやいやいや、それにしたってさあ。おばあちゃんみてーじゃん」
「こんなのすぐに慣れるし!」
「普通は買って一日もすれば慣れるだろ?」
「酷いよ!そうやって馬鹿にしてさ!」


834 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/25(日) 21:58

対角線に言い争う二人を見かねて、春菜がそっと助け舟を出す。

「あゆみんはほら、クリアだったときのブランクがあるからね」

そう言いながらも手際良く操作を進めて、あっという間に優樹とのアドレス
交換を終わらせる。

「ほら、くどぅーも携帯出して」
「え?俺も?」
「え?交換しなくていいの?」

春菜の問いかけに数秒黙り込む。
もちろん、いいわけはない。
出来ることならば連絡先を知りたい。
しかし、さっきまで言い争っていた相手に素直になれるわけもなかった。
そんな遥を見かねた優樹がさっと遥の携帯を奪い取った。

「はい、はるなん、よろしくー」
「ちょ、まーちゃん!俺、別に…」
「私だって別に…」
「はい、登録完了!別に登録くらいいいでしょ?メールするかしないかは
 自由なんだし」

お互いの手元に携帯が戻ってくる。

「勝手に入れんなよな…」

小さく呟きながらも、遥は新しく登録された番号とアドレスをじっと見つめた。
そして、そのままポケットにしまう。

亜佑美も「別にいいのに」とぶつぶつ言いながらも、鞄に大事そうにしまった。

835 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/25(日) 21:59

ちょっとした沈黙が恥ずかしくて、遥は再び憎まれ口を叩く。

「てかさあ、まともにメールとか打てんの?」
「は?」
「確かに、あゆみんのメールってひらがなが多いかも…」
「ちょっと、はるなんまでそんなこと言って。ちゃんと打てるし!」
「ひらがなばかりだったら、マサと一緒だね」
「違うから!」

顔を真っ赤にしてムキになる亜佑美。

「だったら、後で二人にちゃんとしたメール送るから!」
「おおー、楽しみにしてるよ、ひらがなメール」
「だから違うってば!!」

ますますムキになる亜佑美を見て、遥は素直にかわいいなと思った。


836 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/25(日) 21:59

その日の夜。
遥は寝る準備をばっちり終わらせて、携帯とにらめっこしていた。
昼間はからかうことに楽しすぎて気付かなかったが、どさくさにまぎれてメールを
くれるという約束をしたのだ。

自宅に戻ってからは、食事のときもお風呂のときもトイレにまでも携帯を持ち歩き、
亜佑美からのメールを待っていた。
女の子からのメールを心待ちにするなんて、初めての経験だった。

「おっせーなあ」

ベッドに寝転がりウトウトしかけたとき、メールの受信を告げる音が鳴り響いた。
ディスプレイには登録したばかりの『石田亜佑美』の文字。
ガバッと飛び起き、メールを開く。

『ちゃんと送れてるでしょ?』

「おー、ちゃんと漢字じゃん」

たった一行がなんだかとても嬉しい。
ご丁寧に写真まで添付されている。


837 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/25(日) 21:59

その写真を開いた途端、

「プ…。アハハハハハハハ!マジかよ!」

遥はベッドの上で笑い転げた。

なぜかドヤ顔の亜佑美の顔も面白かったが、何よりも顔以外の部分が青く塗り
潰されていることに衝撃を受けた。

あのしっかり者のクリアからは想像もつかない亜佑美の意外な一面。
そのギャップがなんだか面白かった。

その夜は久々にぐっすりと寝ることが出来た。


838 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/25(日) 21:59
本日は以上です。
839 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/01(日) 00:21
会いに行って一歩前進ですね。!
840 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/05(木) 18:17
続き楽しみ
841 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/07(土) 09:51
お姉様方にもみくちゃにされるどぅーまー萌え
842 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:25
>>839
ありがとうございます。
そうですね。少しずつ進んでいければと思います。
見守っていて頂けると嬉しいです。

>>840
ありがとうございます。
お待たせしてすいません!

>>841
ありがとうございます。
現実でも先輩たちに可愛がられている二人だけに、男の子になっても年上に
モテるんじゃないかとイメージして書きました。
843 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:25

初めてメールをした日からずっと、亜佑美とのやりとりは続いている。
内容は他愛の無いくだらないものだが、受信通知が来る度にニヤけてしまう。
メールが途切れないようになるべく質問で返すようにしたりして、たかがメール
ごときに必死になっていることに、遥自身驚いていた。

直接話すと素直になれない遥だが、メールでは普通に会話をすることが出来る。
それがとても嬉しかった。

しかし、人間とは欲深い生き物で、メールが当たり前になると、それだけでは
物足りなくなってくる。

―――――声が聞きたい

日増しにその欲求は強くなっていく。
このボタンを押せば簡単に繋がるのに、遥はまだその勇気を出せずにいる。
毎日毎日、今日こそはと思いつつもいつも最後は諦めてしまう。
そもそも電話する用もないのに、なんて言えばいいのかわからない。


844 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:25

「声が聞きたくて、なんて言えねーよなあ…」

今夜も諦めかけて携帯を置こうとした瞬間、

「うわ!」

突然、手の中の携帯がけたたましい着信音を響かせた。
ディスプレイに映る名前に更に驚かされ、遥は思わず携帯をベッドに放り投げた。

『石田亜佑美』

たった今、声を聞きたいと思っていた相手だ。

「わわわわ…」

予想外の展開に慌てふためきつつも、せっかくのチャンスを逃すまいと携帯を取る。
いつもはスムーズにいく操作もなぜか覚束ない。
数回失敗を繰り返してから、ようやく電話に出ることが出来た。

「…もしもし」

なるべく平静を装う。

「あ、くどぅー?ごめんね、急に」
「べ、別にいいけど」

本当は飛び上がるくらい嬉しいくせに、やっぱり素直になれない。


845 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:26

「あのさ、今度の日曜日なんだけど…」
「うん」
「お店、行ってもいい?」
「え?あ、お、おう」
「おばさんたちにちゃんと挨拶出来てなかったからさ。それに…」
「ん?」

しばしの沈黙。
この間が遥の緊張を増殖させていく。
携帯の向こう側で亜佑美がすっと息を吸う音が聞こえたような気がした。

「…会いたいなって」
「ええ?」
「あ、別に、くどぅーにとかじゃないよ!ほら、おじさんとおばさんにね!」
「…あー、そうですかー」
「…ダメ?」

なぜか急に弱気になる亜佑美がなんだか面白くて、遥の心に少しだけ余裕が
生まれる。

「ダメ…って言ったらどーすんの?」
「え?そんな答え、予想外なんですけど」
「アハハ!」
「え?何?」
「あんたって面白いよな」
「…くどぅーってムカつくよね」

亜佑美の反応に遥は笑いが止まらない。
こうして話していると、彼女が3歳も年上だということは全く感じない。
亜佑美が幼いのか、遥が大人っぽいのかはわからないが、心地よい関係性だ。


846 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:26

「母ちゃんたちに話しとく。きっと喜ぶと思うよ」
「うん!じゃあ、日曜日にね」
「うん」
「おやすみ、くどぅー」
「…おやすみ」

本音はもう少し話していたかったけど、当然ながらそんなことを言えるわけも
なく、初めての電話はそこで終了した。

日曜日の嬉しい約束を残して。


847 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:26

そして、待ちに待った日曜日。
亜佑美が来るのは夕方だというのに、遥は朝からそわそわしていた。
遥の両親も「亜佑美ちゃんが来るなら」と夕食に加えてケーキまで用意して
張り切っている。

「誕生日じゃねーんだからさあ」

呆れながらも両親の心遣いが嬉しかった。
きっと亜佑美も喜ぶだろう。
普段家ではTシャツ・短パン姿の遥だが、今日は少しだけオシャレをしている。

亜佑美の到着が待ち遠しい。


848 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:27

『5時35分のバスに乗ったよ』

という亜佑美からのメールを受けて、遥はバス停まで急いだ。
店までの道が不安だという彼女を迎えに行くためだ。

バス停に着き、ひとまず乱れた息と髪を整える。
こんなにバスを待ちわびたことは今までにはない。
亜佑美からのメールを見返しながら待っていると、ようやくバスが到着した。

日曜日の夕方、帰宅する人も多く、亜佑美の姿は見えない。
最後の一人として制服姿の少女が降りてきた。

「ごめん、くどぅー。部活が長引いちゃって」
「おう、行こ」

店までの道は亜佑美の部活の話で盛り上がった。
クリア役で出演する劇は、今度の文化祭で披露するらしい。

迎えに来るときは遠く感じた道のりだが、亜佑美と一緒だとあっという間に
感じた。


849 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:27

店に着いた途端、遥の両親の熱烈な歓迎を受け、亜佑美は感激している様子
だった。
一緒に食卓を囲んでいると、クリアと過ごしたあの数日感が蘇ってきたようで
嬉しくもあり、照れくさくもあった。

目の前にいる少女はクリアではない。
容姿は同じでも仕草や話し方は違う。
それでも、亜佑美もクリアもどちらとも、遥にとって大切な存在であることには
変わりない。

そのことを改めて実感した。

「あ、そろそろ終バスの時間だ。帰らなきゃ」
「あらそう、残念ねえ。泊まっていけばいいのに」
「そうしたいけど、明日も学校だし」
「そうだよねえ。また遊びに来てね。遥、あんた、バス停まで送っていきな」
「え?」
「遅いから危ないでしょ。道もまだ完全じゃないだろうし。早く行きなさい」
「あ、うん」

母の言いつけに素直に従い、遥が亜佑美を送ることになった。

二人で並んで歩く。
明るかった夕方とは違い、夜の道はどことなく重苦しい雰囲気となる。

さっきまで盛り上がってたのに二人きりになると急に無口になってしまう。
あまりにも意識し過ぎて、隣にいるのに距離が遠い。


850 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:27

そんなに広くない道なので、前方から来る人とすれ違う度に二人の距離は少し
だけ近くなる。
一瞬ドキッとして、だけど通り過ぎればまた元の距離に戻るのが寂しくて、
遥の頭の中はそのことでいっぱいだった。
だから、前から来た自転車に乗った少年に気付かなかった。

「あれ?工藤じゃん?」

少年は遥のクラスメイトだった。
といっても、遥とは異なるタイプの子で、そんなに仲が良いわけではない。

「へー、おまえ、彼女いたんだ?モテるのに誰とも付き合わねーから、変だと
 思ってたんだ」

ニヤけ顔の少年の台詞に、遥はムキになって反論する。

「彼女なんかじゃねーし!」

その瞬間、亜佑美がすっと遥から離れたのを感じた。

「そーなの?あ、その制服、モー女だよね?アドレス教えてよ。今度遊ぼ?」
「ちょ、おい!」
「なんだよ?彼女じゃないならいーじゃん。ね?」

少年の勢いに亜佑美は困ったように遥を見る。


851 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:28

今さらダメとも言えないし、そもそも止める権利もない遥はいつものように
ぶっきらぼうに呟いた。

「…別にいーんじゃね」

遥の答えを受けて、亜佑美は鞄から携帯を取り出した。
その顔は無表情で何を考えているか読み取れないが、怒っているようにも見える。

「…えーと、赤外線は、ここを、あれ?なんか違うな。これだったかな?」

相変わらず操作に戸惑う亜佑美。
その様子を見ながら、遥は心の奥にドロッとしたものが流れるのを感じていた。

―――――今ならまだ、間に合う

「なんか変な画面になっちゃった。ごめん、ムリ…」
「貸してみ?俺、やってあげるよ」

少年が亜佑美の携帯に触れようとした瞬間、

「やべー!バスが来るぞ、走れ!」

遥は亜佑美の鞄の紐を掴んで走り出した。


852 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:28

バス停に着き、息を整える二人。
当然ながらバスはまだ来ておらず、バス停にも誰もいない。
気まずい空気が流れる。

「バス、来ないね」
「…ん」

随分とわかりやすく、子供っぽいことをしてしまったと少しだけ後悔する。

「はー、あんなにダッシュしたの、久々だよ」
「そっか」
「これでもね、結構足速いんだから」

気を遣っているのか、亜佑美はおしゃべりを続けている。
しかし、遥は上の空だった。
今話したいのはそんなことじゃない。
だけど、上手く伝えられない。
この胸のモヤモヤはどうしたら消えてくれるのだろう。
答えはわからなかったが、とりあえず言葉を絞り出す。

「あいつさ、さっきの奴」
「え?…あー」
「学校一チャラくてさ、片っ端から手出すって有名で」
「そーなんだ…」
「…だからさ」
「ん?」
「教えたら大変だったよ、きっと。やめた方がいいよ」

正確には「やめてほしい」のだが、さすがにまだそこまでは言えない。


853 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:28

「そっか。うん、わかった」

思いの外、深く突っ込まれることもなく亜佑美が納得してくれて、ホッとした
ような残念なような複雑な気持ちになる。

「それにしても、まだ操作慣れてないのな」

空気を変えるべくいつものように軽口を叩く遥の前で、亜佑美は携帯を素早く
操作し、赤外線通信の画面を開いて見せた。

「え?だって、さっき…」
「わざとだよ。…教えたくなかったから」
「だったら、ちゃんと断れば良かったのに」
「だって、くどぅーの友達だし、断ったらくどぅーが困るかなって。それに」
「それに?」
「くどぅーがいいって言ったんじゃん」

訴えかけるような亜佑美の視線に、遥は言葉を失う。
今の言葉をどう捉えればいいのか。
何も言えないまま、視界の隅にバスが見えてきた。


854 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:28

「バス、来たね」
「…うん」
「また、来てもいい?」
「…もちろん」
「じゃあね」

バスが目の前に止まる。
すっと乗り込んだ亜佑美が振り向いてこう言った。

「…さっき、止めてくれて嬉しかった。ありがと!」

ドアが閉まりバスが動き出す。
手を振る亜佑美を呆然と見送る。

必要以上に胸がドキドキして、上手く息が出来ない。
この感情をどうやって消化すればいいのかわからなくて、遥は来た道を全速力で
走って帰った。


855 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:29

翌日。
朝のホームルーム前、昨日の少年が話しかけてきた。

「工藤、昨日の子のアドレス教えてよー」

まだ諦めていないらしい。
昨日の亜佑美とのやり取りがあるだけに、遥の方も少しだけ強気になる。

「悪いけど、教えらんない」
「えー?なんでだよ?」
「なんでもー」
「んだよー、やっぱ付き合ってんじゃんかよ」

遥はもう否定はせず、静かに自分の席に着いた。

今日もきっと彼女からメールが来るだろう。
それだけで何でも出来るような、そんな気がした。


856 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/08(日) 22:29
本日は以上です。
857 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/11(水) 15:24
めちゃめちゃキュンとする><
858 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/15(日) 18:43
ういういしくて萌キュン(*´Д`) 続きも待ってます
859 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:01
>>658
ありがとうございます。
一番嬉しいお言葉です。これからも楽しんで頂ければ幸いです。

>>659
ありがとうございます。
現実の二人のやりとりにもどこか初々しさを感じ、日々妄想しておりますw
860 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:01

放課後のプール。
来週の大会を前に、厳しい練習が続いている。

「よーし、工藤。記録更新だ!」

顧問の声に遥は大きくガッツポーズをする。
ここ数日はコンディションも良く、タイムも順調に伸びている。
前回の大会では惜しくも二位だったため、今回は是が非でも優勝したい。

そして、出来ることならば格好いい姿を亜佑美に見せたい。
今まで純粋に水泳に打ち込んできたが、そう思うようになってからは更に練習に
力が入るようになった。
自分でも単純だなと呆れてしまう。

だけど、亜佑美とメールするようになってからは、まるでスーパーマンになった
かのように何もかも上手くいっている。
怖いくらいに、何もかも上手く。


861 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:02

夜、いつものように亜佑美からメールが来た。
毎日毎日、飽きもせずにくだらない会話が続いているが、今日はちゃんと伝えたい
ことがある。
そして、出来ればメールではなく、直接言葉で伝えたい。

『今、電話平気?』

ドキドキしながら返事を待っていると、数秒後、向こうから電話がかかってきた。

「もしもし?」
「あ、こっちからかけたのに」
「中学生にかけさせるわけにはいかないでしょ」

無料のアプリを使っているためどちらからかけても変わらないのだが、亜佑美は
ときどきこうやって大人ぶる。
遥からすれば全く年上感は感じないのだが。


862 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:02

「で、どうかした?」
「…あー、あのさ」
「うん」
「えーとさ」
「うん?」
「…来週の日曜日、大会があるんだけど」
「何の大会?」
「水泳。前は二位だったんだけど、今度は優勝狙ってる」
「すごーい!私、泳ぐの苦手だから羨ましいなあ」
「え?泳げねーの?」
「違う違う!泳げるし!」

ムキになっている亜佑美の姿が浮かんできて、遥は自然と笑顔になる。
彼女はかなりの負けず嫌いだ。
遥も相当な負けず嫌いだと自覚しているが、自分のテリトリー以外での負けは
それほど悔しくはない。
しかし、どうやら亜佑美はどんな場面でも負けたくないらしい。

「クロールってさ、息継ぎできなくない?」
「はあ?それ、やっぱ、泳げてないんじゃ…」
「いやいやいや、そうじゃなくてさ、なんか首まで水に浸かってると息苦しい
 っていうか。わかる?」
「ぜんっぜん、わかんねー」
「お風呂とかでも苦しくなっちゃうんだけど」
「はあ?」
「これ、誰かにわかってほしいんだけどなあ」


863 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:02

そんなやり取りをしつつも、遥は次の台詞を言うタイミングをそっと伺っていた。

―――――良かったら、見に来ない?

たった一言を何度も頭の中でシミュレーションする。

「ねえ、くどぅー、聞いてる?」
「え?あ、き、聞いてるよ」
「もう眠くなっちゃった?そろそろ切る…」
「み、見に来れば!?」
「え?」

切られまいと慌てたせいで、予定とは少し違う台詞を口走ってしまった。

「見に来ればって、何を?」
「あ、いや、だから…」
「うん?」

遥はすっと大きく息を吸う。

「…今度の大会」
「あ、うん」

あまりにもあっさりとした返事に拍子抜けしてしまう。

「行きたいけど…。何時から?」
「朝から。決勝はたぶん昼過ぎくらいだけど」
「そっか。その日、午前中部活なんだけど、終わってからなら行けると思う」

つまり、決勝まで残れば亜佑美が間に合うということだ。
遥の実力からすれば決勝進出は間違いないが、何があるかわからないのが大会だ。


864 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:02

「…間に合うかな?」

不安そうな亜佑美を安心させるように、遥は自信を持って断言した。

「間に合うよ。俺、決勝行くから」
「…ツ、くどぅー、自信満々ー」
「行くから、だから…」

―――――見に来いよ

やっぱりスマートには誘えない。
遥の次の言葉を察したかのように、亜佑美が優しく答えてくれた。

「じゃ、終わったら見に行くね」

こういうところは少しだけ大人を感じて、なんとなく悔しくなった。

彼女の前で優勝することが出来れば、自分も少しは大人に近付けるだろうか。
絶対に負けない、負けない、負けたくない。

何が何でも決勝に残って、そして優勝してやる。
そう心に誓った。

865 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:03

大会当日。
日曜日ということもあって、クラスメイトも何人か応援に来ている。
その中に優樹の姿もあった。

「どぅ、頑張ってね!」
「おう!」
「午後からあゆみんも来るんでしょ?」
「え?何で知ってんの?」
「ん?あゆみんが言ってたから」

どうやら優樹も定期的に亜佑美と連絡を取り合っているらしい。

「…まーちゃんさあ、あいつと毎日メールしてんの?」
「えー!毎日なんてするわけないじゃん!」
「おー、だよな、そーだよな!」

毎日メールをするということが特別だと実感し、遥は密かにガッツポーズした。

「くどぅー、頑張ってね!」
「応援してるね!」

クラスメイトの女子の黄色い声援を受けながら、遥は順調に予選を勝ち進んだ。


866 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:03

そして準決勝。
A組とB組の2レースを行い、それぞれの上位4名ずつが決勝に進むことが出来る。
予選のタイムで上位に入っている遥の決勝進出は誰の目にも明らかだった。

しかし、疲れもあるのかなかなかスピードが上がらない。
残り10メートルの時点での4位争い。
遥はがむしゃらに泳ぎ、精一杯手を伸ばした。

ほぼ同時に壁にタッチをし、電光掲示板での順位発表を待つ。
もし、5位だったら決勝には進めない。
掲示板を見ながら唇を噛み締める。

『4位 工藤遥』

遥はなんとか決勝に進むことが出来た。


867 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:04

決勝までは少し時間が空く。
控え室で簡単な食事を済ませた遥は、ベンチに横たわりながら携帯を確認した。

『決勝おめでとう!今から行くよ!』

優樹が連絡してくれたらしい。
遥は返事を打たず、静かに携帯を置いた。

さっきのような泳ぎでは優勝は狙えない。
亜佑美に負ける姿は見せたくない。
それだけではなく、水泳だけは誰にも負けたくないという気持ちが強かった。

じっと目を瞑り、精神を集中させる。
泳いでいる自分をイメージする。
飛び込みのタイミング、ストローク、ターン、そして壁にタッチする瞬間。
優勝トロフィーを手にする姿を想像したとき、集合のアナウンスが流れた。

すっと立ち上がりプールへと向かう遥は、いつもとは少し違う精悍な顔をして
いた。


868 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:04

途中で走って観客席に向かう見慣れた制服姿を見かけた。
部活から駆けつけた亜佑美と春菜だった。

向こうも遥に気付き、声をかけてきた。

「くどぅー!これから決勝?」
「うん」
「良かった、間に合ったね、あゆみん」
「…う、うん」

亜佑美はなぜか頬を赤らめていたが、既に集中していた遥はそんな彼女の変化に
気付かなかった。

「じゃあ、行ってくる」
「頑張ってねー、くどぅー!ほら、あゆみんも!」
「あ、が、頑張って!」

遥はすっと手を挙げてそれに応えた。

869 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:04

完全に調子を取り戻した遥は、2位以下に圧倒的な差をつけて優勝を決めた。


870 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:04

観客席に戻った遥を水泳部員やクラスメイトが祝福する。
キャーキャーと騒ぎ立てる女子に囲まれながら、遥は周りを見渡して亜佑美を
探す。
一番最初に自分の口から優勝を報告したい相手は彼女だから。

身長の低い亜佑美の姿はなかなか見つからない。

「どぅー!どぅー!どぅどぅー!!こっちこっちー!!」

聞き慣れた声のする方を見ると、少し離れた場所で優樹がピョンピョンと跳ね
ながら手を振っていた。
その傍らには亜佑美と春菜がいる。
心なしか、亜佑美の顔が曇っているような気がする。

三人のそばに行こうとするが、周りの女子が邪魔で身動きがとれない。

「ちょ、通して…」
「おーい、工藤!表彰式始まるぞ!下に降りろー」

顧問に呼ばれて一瞬目を離した隙に、亜佑美の姿はもう見えなくなっていた。


871 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:05

帰り際、ようやくいろいろなことから解放された遥の元に、優樹がやってきた。

「おつかれいなー」

憧れているガールズバンドの決まり文句を言いながら近づいて来る優樹だが、
なんとなくいつもと雰囲気が違う。

「おつかれー。来てくれてありがとな」
「どぅさあ」
「んー?」
「それ、言う相手、他にもいるでしょ?」
「う…」

まさかの優樹にビシッと指摘され、遥は返す言葉を失ってしまう。

「…あいつ、怒ってた?」
「んー、怒ってたっていうか、寂しそうだったよ」
「はあ…」

遥にも言い分はあるのだが、ここで優樹に言っても仕方がない。

「どぅ、人気あるもんね」
「え?」
「誰でもいいならさあ」
「まーちゃん?」

優樹の顔が今まで見たことのないような男の顔に変わる。

「マサが亜佑美のこと貰っちゃうよ?」

優樹の意外な言葉と視線の強さ、そして『亜佑美』と呼び捨てにしたこと。
その全てが遥の心を揺さぶる。
重苦しい沈黙が流れる。



872 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:05

何か言い返そうと遥が口を開きかけた瞬間、

「なーんちゃって!うっそぴょーん!」
「は、はああ!?」
「ビビったあ?」

優樹がいつもの調子に戻って茶化した。

「どぅってさ、わっかりやすいよねー」
「…んだよ、冗談かよ」
「ホッとした?」
「べ、別に!」
「ニヒヒー。ほんっと、わかりやすいなあ」
「うっせーよ!」

その後、優樹は「ちゃんとメールしなきゃダメだよ」と言い残して帰った。

「…んなことわかってるよ」

一人きりになり携帯を確認するが、亜佑美からメールは来ていなかった。


873 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:05

その夜。
疲れた体を休めつつベッドに横になりながら、遥は深いため息をつく。
いつもならば彼女から連絡が来る時間だが、携帯は沈黙したままだ。

こちらから連絡をした方がいいことはわかっているが、何を言えばいいのか
わからない。
謝るのも何か違う気がするし、普通に電話をするのも気が引ける。
ただ、今連絡をしなければずっとこのままで終わってしまうような、そんな
気がした。
それだけはどうしても嫌だった。

遥は意を決して電話をかけた。


874 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:05

数回のコールの後、亜佑美が電話に出る。

「…もしもし」

明らかにいつもと声の調子が違う。

「あ、えっと、今日はどうも…」
「あー、うん、おめでと」
「…うん」

嫌な沈黙が続く。

「くどぅー、人気あるんだね」
「え?」

さっき、優樹に言われた言葉を繰り返され、ドキッとする。

「なんか、中学生と高校生ってやっぱ違うなって」
「…んなことねーよ」
「あるよ」
「違わねーよ、なんも」
「違うよ」

どこか寂しそうな彼女の言葉に胸がざわつく。

「3歳も違ったらさ、別世界だよ、やっぱり」
「んだよ、それ。関係ねーよ、そんなの!」

思わずムキになって怒鳴る遥に、亜佑美は冷たく言い放った。

「ごめん、もう寝る。おやすみ」
「ちょ、待っ…」

一方的に電話を切られてしまった。


875 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:05

遥は何が起こったのか理解できず、しばらくボーッと天井を眺めていた。

もう昨日までのような関係には戻れないのだろうか。

亜佑美と過ごした日々が頭の中を駆け巡る。
クリアとの出会い、一つ屋根で過ごした数日間、初めてくれたメール。
大会を見に来る約束、そして今日の寂しそうな顔。

あの日、店の厨房で泣いていた亜佑美の顔と重なる。

「…ちっきしょう」

気付いたら遥は家を飛び出していた。


876 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/17(火) 00:06
本日は以上です。
877 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/20(金) 21:04
お祭りで食べるあんず飴みたいな甘酸っぱさがたまらないです。
878 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/23(月) 19:29
すれ違い川c*’∀´)<キタ━━━(゜∀゜)━━━!!!>ル ´。`;oハ
続き楽しみ(*´Д`)
879 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/29(日) 01:41
>>877
素敵な感想ありがとうございます。
すごく嬉しいです。

>>878
どうも自分はすれ違いが好きなようですw
続きも楽しんで頂ければ幸いです。
880 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/29(日) 01:41

勢いに任せて家を飛び出し、自転車を漕ぐこと一時間、遥は今モーニング女学院
の門の前にいる。
夜とはいえまだまだ暑い上に汗っかきなので、滝のように汗が流れてくる。

ここに来るのはもう三度目だが、昼間とは違い不気味な雰囲気を醸し出している。
情けないことにお化けが苦手な遥は、何度も何度も引き返そうとした。
だけどその度に亜佑美の寂しそうな顔が頭に浮かび、自分を鼓舞してようやく
たどり着いた。

「…これからどうすんだ、俺」

何がしたくて来たのか、遥自身もよくわからなかった。
亜佑美に連絡しようにも何て言えばいいのか。
ここまで来て拒絶されたら、立ち直れそうにない。

考え抜いた挙げ句、遥はある人に電話することにした。

「もしもし、くどぅー?どうしたの?」
「はるなん!Help me!!」
「ええ!?」


881 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/29(日) 01:41

数分後、遥は春菜が指定した場所へ来ていた。
女子校の寮とだけあって警備は厳重だが、代々生徒たちの間でこっそりと引き
継がれている抜け道があるらしい。
そこから寮の敷地内にある小さな広場へ入ることができた。

「そこなら密会には持ってこいだから。ただし、たまに見回りが来ることも
 あるから気を付けてね」
「密会って…」
「深夜の寮に忍び込む美少年、萌えだわ〜。フフ…」
「はるなん、キモい…」

なぜか一人で盛り上がる春菜によると、亜佑美は今お風呂に入っているそうだ。
お風呂というキーワードになんとなく反応してしまう自分が情けない。

礼を述べ電話を切ろうとした遥に、春菜はあることを教えてくれた。

「たぶん、あゆみんはこういうこと自分から言わないだろうから。じゃ、頑張れ、
 工藤少年」


882 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/29(日) 01:42

「くどぅー…」

遥の待つ場所に現れた亜佑美はお風呂上がりだからか、すごくラフな格好をして
いた。
慌てて来たのか、髪はまだ生乾きだ。
表情からは怒りは感じられず、少しだけホッとする。

「これ、はるなんが持ってけって」

亜佑美がお水とタオルを渡してくれた。
汗だくで喉も渇いていたのでありがたく受け取る。

「サンキュ」

ガシガシと髪をふいてからタオルを返すと、亜佑美はなぜか真っ赤になって目を
そらした。
やはり、怒っているのだろうか。

話のきっかけが掴めず、沈黙が続く。


883 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/29(日) 01:42

「…ごめん」

先に口を開いたのは亜佑美だった。

「さっき、あんな切り方しちゃって」

目の前で俯いている姿に胸が締め付けられる。

「なんか、言われたんだって?クラスの奴に」

春菜の話によると、亜佑美たちに気付いた遥のクラスメイトの女子が文句を
言ってきたらしい。

『なんでモー女生がここにいんの?』
『おばさんじゃん』

言い返そうとした春菜を亜佑美が止めたそうだ。

「…あー、うん。でも、しょうがないよ、ホントのことだもん。私も中学のとき
 は、高校生なんかおばさんだと思ってたしさ。そんなもんだよ」
「でも…」
「制服で行ったのも空気読めてなかったし」
「そんなの、しょーがないじゃん。誘ったの俺だし、文句言われる筋合いねーよ」
「なんでくどぅーが怒ってんの」
「だってさ!」

大切な人が傷つけられたのに冷静でいられるわけがなかった。

「俺は、あゆ…あんたのこと、おばさんなんて思ってねーから」
「うん…」
「嫌な思いさせてごめん」
「くどぅーのせいじゃないのに」

そう言うと、ようやく亜佑美は笑顔を見せてくれた。


884 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/29(日) 01:42

「そういえば、ちゃんと言ってなかったね。くどぅー、優勝おめでとう」

月明かりに照らされる亜佑美の笑顔がすごく綺麗で、遥の思考回路はショート
寸前になる。
今なら素直になれそうな、そんな気がした。

「…あゆ」
「誰かいるのか?」
「ヤバッ!くどぅー、こっち」

亜佑美の誘導で二人は少し離れた茂みに隠れる。
どうやら、見回りの警備員のようだ。
恐ろしく間がわるい警備員を睨みつけながら、彼が去るのをじっと待つ。


885 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/29(日) 01:43

体勢を低く保つため、遥は右手を地面について体を支えている。
ふと、小指に温もりを感じた。
それが亜佑美の左手の小指だと気付いた瞬間、遥の心拍数が一気に上がる。
シャンプーの良い香りがして、更に鼓動が速くなる。

触れ合っているのは第二間接あたりのほんの一部分だけれど、全神経がそこに
集まっているような気がした。
体がすごく熱い。
たぶん、顔も赤くなっているだろう。

亜佑美は気付いているのだろうか。
横目で彼女の方を伺うが、反対側を向いており、その表情は読み取れない。


886 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/29(日) 01:43

心臓の音がうるさい。
亜佑美に聞かれたら、生きてけないほど恥ずかしい。
必死に鼓動を落ち着かせているうちに、人の気配が消えた。
どうやら、見つからずに済んだようだ。

「行ったみたい」
「う、うん」

遥は動けずにいた。
微かに触れている小指が離れるのが嫌だった。
本当はもっともっと彼女に触れたいけど、今はまだそんな勇気はない。

―――――だから、せめてあともう少しこのままで。

なぜか亜佑美も動かずにいる。
相変わらず顔は向こうを向いたままだけど、彼女の左手はさっきから1ミリも
動いていない。

同じ気持ちでいてくれたらいいな、心からそう思う。


887 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/29(日) 01:43

「…くどぅー」
「え?な、なんだよ?」
「汗臭い」
「しょ、しょーがねーだろ!チャリンコ飛ばして来たんだから!」
「こんな夜に、隣町まで、バカだねー」
「うっせー!」
「ホント、バカみたい、フフフ…」
「笑い事じゃねーし。誰のせいだよ、ったく」

くだらない言い争いは寮の消灯時間まで続いた。
その間ずっと、二人の小指は触れ合ったままだった。


888 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/09/29(日) 01:43
本日は以上です。
889 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/06(日) 02:19
小指の触れ合い…( *´Д`)
はるなんはいつも良い仕事してくれますね。
890 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/08(火) 20:55
もどかしさにきゅんきゅん来ます
891 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:35
レスありがとうございます。

>>889
そうですね。
飯窪さんは二人にとってお姉さんみたいな存在なので、
これからもきっといろいろと助けてくれると思います。

>>890
早く先に進めたいと思いつつ、このもどかしさが好きだったりします。
照れ屋な二人を温かく見守って頂ければ嬉しいです。
892 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:35

「ていうかさあ、もう付き合っちゃえばいいじゃん」

放課後のファーストフード店。
春菜の言葉に、遥は思わず飲んでいたジュースを吹き出しそうになった。

「つ、つ、つ、付き合うって、そんな…」

数日前、モーニング女学院に押しかけたとき、助ける交換条件として一部始終を
春菜に報告することを約束させられたのだ。
早速、春菜から呼び出しがあり、根掘り葉掘り事情聴取された。

「だってさ、毎日メールしてるんでしょ?」
「うん、まあ」
「時々、電話もしてるんでしょ?」
「うん」
「で、自宅に来たり、寮に忍び込んだりもしてると」
「忍び込むっていうか…」
「それってもう、付き合ってるようなもんじゃん」

確かに言われてみればそうなのかもしれない。
でも、付き合うことがどういうことなのか、遥にはまだよくわからなかった。
クラスメイトにも彼女がいる子は何人かいるが、遥の周りの友達からはそういう
話は聞いたことがない。

「それにしても、そんな状況で手も繋がないってどうなのよ?」

春菜の追求は続く。

「どうなのよって言われてもさ」
「男なら、抱きしめてキスくらいしないと!」
「はるなん、それ変な漫画の読み過ぎだから」
「じゃあ、くどぅーはさ、このままでいいわけ?」
「このままって?」
「このまま、友達以上恋人未満的な関係で満足なの?」

満足かと聞かれたら、満足なのかもしれない。
毎日メールしたり、たまに電話したり、それだけでも十分嬉しい。
それ以上のことを望んでいないと言えば嘘になるけれど、今の遥にとっては
まだ想像が出来なかった。


893 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:35

「んー、とりあえずは今のままでいいかも」
「じゃあ、あゆみんにくどぅー以上に特別な人が現れても?」
「え?」
「言うか言わないか迷ったんだけど…」

春菜の話によると、亜佑美は数ヶ月前に教育実習に来た大学生に憧れていた
らしい。
その実習生は大学に通いながら演技の勉強をしているとのことで、演劇部にも
よく顔を出していた。
そして、実習が終わってからも演劇部顧問からの強い要望で、時々演技指導に
来ていたそうだ。

「最近は学校が忙しいみたいだから来てないけど」
「…憧れって、好きってこと?」
「うーん、好きまではいかない感じかな。女子校にありがちな、みんなの憧れ
 みたいな」
「あー…」
「でもね、それが恋に変わる可能性だってゼロじゃないわけで」

春菜の言葉に遥の表情が変わる。
亜佑美のあの笑顔が自分以外の男に向けられることを想像するだけで、胸が
張り裂けそうなくらい苦しくなる。
しかし、今の立場ではそうなったとしても文句は言えない。
自分は彼女の特別ではないのだから。


894 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:36

「その先生と最後に会ったのは、あゆみんが事故にあったあの日なんだ」
「てことは、あいつはその先生のこと、忘れてるってこと?」
「たぶんね。でも、会ったら思い出すかもしれない」

寮に戻ってから、亜佑美は徐々に失われた記憶を取り戻していった。
今ではもう殆ど元通りに生活をしているが、事故前後のことは覚えていない
らしい。

「今度の文化祭に来るよ、その先生」

いろいろな感情が遥の頭を巡る。
思い出したからってどうってことはないかもしれない。
憧れの存在なんてよくある話だ。
それによって、自分との関係が変わるとは限らない。
限らないけれど。

「文化祭っていつあんの?」
「来週の土日。演劇部が出るのは日曜だよ」
「…俺も行く」

遥の言葉に春菜はにやっと笑った。

「言うと思った。はい、これプログラム」

受け取ったプログラムを見ながら、遥はふと疑問に思った。

「はるなんさ、何でそんなこと教えてくれんの?」

春菜からしてみれば、遥はまだ出会って間もないただの中学生だ。
そこまで肩入れする理由はない。

「うーん、何でだろう?自分でもよくわからないけど」
「けど?」
「くどぅーといるあゆみんが好きだからかも」
「どういう意味?」
「あゆみんってさ、すごく明るいしポジティブなんだけど、意外と自分のこと
 話さなかったり、甘えるの下手だったり、あんまり本当の自分を見せない
 んだよね」
「そっか」
「うん。でも、くどぅーといるときは自然というか素直というか、そのままの
 石田亜佑美って感じがする。そういう相手ってなかなか出会えないじゃん」

くだらない言い争いの多い二人だけど、それは互いの感情を素直にぶつけること
が出来る証拠なんだと春菜は言う。

「くどぅーなら、大事な親友を任せられるって、そう思ったんだ」
「…はるなん」
「だから、頑張ってね、少年!」

遥はパンフレットを強く握り締めた。


895 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:36

その日から文化祭の日まで、時間はあっという間に過ぎていった。
毎日のメールは続いていたが、亜佑美は演技の練習に忙しいらしく、簡単な
やりとりで終わっていた。

遥は遥でシミュレーションに余念がなかった。
亜佑美にどうやって思いを伝えるか。
頭の中では格好よくスマートな自分がいるが、実際はどうなるかわからない。
だけど、ちゃんと彼女の顔を見て伝えたい。
彼女の特別は自分でありたい。
他の誰にも渡したくない。

一度心に灯った強い思いは、消えることなくどんどん加速していった。


896 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:36

文化祭当日。
モーニング女学院の門を潜る遥の隣にはなぜか優樹がいた。

「なんで、まーちゃんがついてくるんだよ」
「だって、どぅ一人じゃ心細いでしょ?」
「別に」

とは言うものの、女子校の文化祭に男子一人で行くのはかなり勇気がいるので、
ありがたいと思っているのは確かだった。

演劇部は体育館で行われるようだ。
開演の時間までまだ時間があるので、通りすがりにいろいろと見学することに
なった。
中学の文化祭とは違い、模擬店やお化け屋敷など興味深い出し物がたくさんある。


897 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:36

「あ!工藤君!まーちゃん!」

突然、大声で名前を呼ばれた。
いつか亜佑美を訪ねてここに来たときに話しかけてきた子だった。

「あ、どうも!」
「また会えた!嬉しいなあ」

すっと腕を掴まれて少しだけドキッとする。

「良かったらうちのクラス見てってよ」
「あ、いや、その…」
「マサたち、あゆみんを見に来たから」

口ごもる遥の代わりに優樹がビシッと言い放つ。

「あゆみんって演劇部の石田さん?付き合ってるの?」
「あ、いや、まだ…」
「その予定!でしょ?どぅ」
「えー、でも、石田さん、鈴木先生と付き合ってるんじゃないの?」
「え?」

一瞬、何を言われたのか理解が出来なかった。
鈴木先生?付き合ってる?そんなの初耳だ。

「す、鈴木先生って?」
「教育実習に来てた先生。この前、演劇部で事故があったとき、真っ先に
 石田さんのこと助けてたし、噂になってたよ」

春菜が言っていた実習生のことらしい。
しかし、そんなに噂になっているとは聞いていなかった。

「ほら、これ。そのときの写真」

彼女が見せてくれた携帯の画面には、亜佑美をお姫様抱っこしている男の姿が
写っていた。


898 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:36

開演のブザーが鳴り、ステージ上では迫真の演技が繰り広げられている。
遥は舞台をただ呆然と眺めていた。
内容なんて頭に入らない。
脳裏に浮かぶのはさっき見せられたあの写真だけだ。

お姫様抱っこなんてドラマや漫画の中の話だと思っていた。
もちろんしたこともないし、現実に見たこともない。
身長こそだいぶ伸びたが、まだ成長期で十分な筋力もついていない遥には到底
出来っこない真似だった。
写真の中の男は軽々と亜佑美を抱き抱えていた。
焦燥感と敗北感に打ちのめされる。

今ほど早く大人になりたいと思ったことはなかった。

「どぅ、クリア出てきたよ」

隣の優樹がそっと教えてくれた。
舞台の上には初めて会ったときと同じ格好の彼女がいる。


899 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:37

いくつもの偶然がもたらした、奇妙な出会いだった。
学校も学年も住んでいる町も違う何の共通点もない二人だから、本来なら知り
合うことはなかっただろう。

今更彼女との出会いをなかったことには出来ない。
出会う前の自分には戻れない。
戻りたくない。

もう一度、舞台上の亜佑美を見る。

『このまま、友達以上恋人未満的な関係で満足なの?』

春菜の言葉に今ならはっきりと言い切れる。

―――――満足なわけねーだろ。


900 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:37

演劇部の公演は大成功に終わった。
体育館中に拍手が鳴り響くなか、突然優樹が遥の手をとり席を立つ。

「行くよ、どぅ!」
「え?行くって、どこへ?」
「あゆみんのとこ!」

優樹に引っ張られ体育館の裏に行くと、公演を終えた演劇部員たちが続々と
裏口から出てくるところだった。
公演直後でみんな興奮している。

亜佑美の姿を見つけた優樹が声をかけようとした瞬間、

「みんな、お疲れさん。すごく良かったよ!」

遥の頭の上からよく通る声が聞こえた。

「鈴木先生!」

その男は遥を追い越して部員たちの輪の中に入っていく。
間違いなく、あの写真の中に写っている男だった。
遥はぐっと右手を握り締める。

鈴木先生は一人ひとりにアドバイスをしていく。
そして、ゆっくりと亜佑美の前に立つ。

「石田も、すごい成長したね。あの事故で大きな怪我がなくて良かった」

亜佑美は少し顔を赤らめながら、嬉しそうに鈴木先生を見ている。
遥の中のモヤモヤがどんどんどんどん大きくなる。


901 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:38

アドバイスを聞き終えた亜佑美が一歩後ろに下がった瞬間、そこにあった小道具
に躓き、尻餅をついた。

「あゆみん、大丈夫!?」

そばにいる友達が声をかける。

「うん、平気…っ」

立ち上がろうとするが上手くいかない。
どうやら、転んだときに足を捻ってしまったようだ。

「大丈夫!?」

鈴木先生が駆け寄る。

「念のため、保健室で見てもらおう。ほら」

それが当たり前のようにスマートに亜佑美を抱きかかえようとする鈴木先生に、
周りから黄色い声が上がる。
亜佑美の顔は遠目からでもわかるくらい、真っ赤だった。

「や、あの、平気です!歩けるし!」
「無理しない方がいい」

鈴木先生が亜佑美に触れようとした瞬間、遥の体は無意識に動いていた。
自分でも驚くくらい素早く力強く、鈴木先生の手を掴む。

「く、くどぅー!」

遥は無言で亜佑美の前にしゃがみ、背中を向けた。


902 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:38

「ん」
「え?」
「乗れよ」

格好よくお姫様抱っこは出来ないけど、おんぶして連れていくことくらいなら
遥にだって出来る。

「だ、大丈夫だよ。私、歩けるから…」
「いいから、乗れって」

周囲の注目がしゃがんでいる遥に集まる。
恥ずかしくて亜佑美の顔は見れないが、背後で戸惑っていることだけは何となく
伝わってくる。

「乗せてもらいなよ、あゆみん」
「でも…」

春菜が助け舟を出す。

「どーん!」
「わ…!」

優樹が軽く亜佑美の背中を押す。
その勢いで、亜佑美は自然と遥の背中におぶさる形となった。
背中のぬくもりを受け、遥はすっと立ち上がった。

「くどぅー、この裏道通れば保健室だから」
「え、でも、こっちは遠回り…」
「あゆみんは黙ってて!くどぅー、よろしくね」
「わかった」
「頑張ってね!」
「どぅ!ファイト!!」


903 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:38

裏道というだけあって、生徒は殆どいなかった。
体育館からは大きな音が響き渡る。
どうやら、次のステージが始まったようだ。

「ごめん、重いよね?歩くよ、私」
「平気」
「でも…」
「平気だって!」

思わず怒鳴ってしまい、すぐに後悔する。
どうして、格好よくスマートに出来ないのだろう。

「俺だって、あんた一人くらい運べるし」
「…うん。ありがと」

亜佑美はそれ以上は何も言わなかった。
ちゃんと認めてくれたように思えてすごく嬉しくて、そのことが遥に勇気を
与えた。

「あいつのこと、好きなの?」
「え?あいつって?」
「さっきの、あいつ…」
「…鈴木先生のこと?」
「うん」
「ち、違うよ!鈴木先生は好きとかじゃなくて。そりゃあ、演技は上手いし、
 尊敬してるけど…。そういうんじゃないよ」

はっきりと否定されて、遥はホッとする。
少しずつ胸のモヤモヤが晴れていくのを感じた。


904 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:39

「…気になる?」

亜佑美が遠慮がちに問いかける。
いつもの遥ならムキになって否定したかもしれない。
だけど、今は面と向かってないからか、すごく素直に認めることが出来た。

「…うん、気になる」

その瞬間、背中の亜佑美がピクっと動くのを感じた。
密着している彼女の動きに、遥も思わず反応してしまう。
沈黙が続き、徐々に恥ずかしさが増していく。

よくよく考えたらものすごく大胆なことをしてしまった。
数日前まで手を握ることさえ出来なかった相手を背負っているのだ。
しかも、あんなに大勢の前で連れ去るような真似をして。

亜佑美はどう思っているのだろうか。
黙って背中に乗っているのは、呆れているからなのか、それとも―――――。


905 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:39

「…くどぅー」
「え?な、なんだよ?」

急に名前を呼ばれてドキッとする。
亜佑美からは遥の顔は見えないはずだが、異常なほど熱を持っている自分に
気付かれたのではないかと不安になる。

すーっという深い深呼吸のあと、それまで遠慮がちに遥の肩に置かれていた
亜佑美の腕が首に回された。
つまり、後ろから抱きつかれているような状態だ。
二人の距離は更に近くなり、首元に亜佑美の吐息が触れる。
息が止まりそうなくらい、鼓動が早くなる。

亜佑美は何も言わないが、遥は首に回されている腕が震えていることに気付く。
自分の体内と同じくらいの熱が背中から伝わってくる。


906 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:39

「くどぅー」

もう一度、名前を呼ばれる。
ただ名前を呼ばれただけなのに、なぜだか泣きそうになる。


907 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:40

「好きだよ、くどぅー。大好き」

耳元で囁かれた言葉に何も言えず、遥は返事の代わりに彼女を支える自分の
腕にぐっと力を込めた。

触れている部分からこの思いが伝わればいい。
心からそう思った。


908 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/14(月) 21:40
本日は以上です。
909 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/19(土) 02:50
愛告キタ━━━━━━川c*’∀´)o´ 。`ル━━━━━━ !!!!
910 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/19(土) 02:51
あ、すいません上げちゃいました(´・ω・`)
911 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/25(金) 16:42
どぅーいしの魅力、工藤少年の魅力にこのスレで気付かせて頂きました。
ありがとう!
912 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:25
レスありがとうございます!

>>909
ついに…って感じですかね。
お待たせいたしましたw

>>911
こちらこそ、嬉しいお言葉ありがとうございます!
現実の彼女たちはもっともっと魅力的で、常に妄想を刺激されています。

本当は27日中に更新したかったのですが、間に合わず…。
一応、最終回です。
913 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:25

遥は激しく後悔していた。

あの日、亜佑美から思いを告げられたあと、無言のまま彼女を保健室に送り
届けた。
亜佑美の足は大したことはなく、保健の先生によると冷やしておけば数日で
腫れはひくとのことだった。

「しばらく冷やしてから帰るね。ありがと、くどぅー。もう一人で大丈夫」
「あ、うん…」

亜佑美にそう言われ、結局そのまま何も言えずに優樹たちの元へと戻った。
当然のごとく優樹と春菜に問い詰められ、「情けない」「ヘタレ」と散々
責められた。

その間もずっと、遥の頭の中には亜佑美の言葉が繰り返し響いていた。


914 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:26

そして、あれからは毎日のようにあの場面が夢に出てくる。

背中の温もり、震えている腕、首にかかる熱い息、耳元で囁かれた言葉。

―――――好きだよ、くどぅー。大好き。

「う、うわあ!」

いつもその場面で目が覚め、後悔に襲われる。

あの日以来、亜佑美からメールは来ていない。
今までお互いにやり取りをしていたつもりでいたけど、実際はいつも彼女から
連絡をくれていたことに今更気付く。
なんだかんだでいつも、年上の彼女に甘えていたのかもしれない。

ここから先へ進むには自分が勇気を出すしかないのだ。


915 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:26

遥は意を決して、亜佑美に電話をかけた。

「もしもし?」
「あ、あー、俺、工藤だけど」
「…ツ、わかるよ、フフ」

いつもと変わらない亜佑美の様子にホッとする。

「あ、あのさ、今度の日曜なんだけど…」
「今度の日曜って、…27日?」
「うん。夜なんだけど、ちょっと行きたいとこがあって」
「うん」
「一緒に、行かない?」
「…私で、いいの?」
「…うん」
「そっか。大丈夫だよ、日曜日」
「じゃあ、うちの近くのバス停で待ってっから」
「うん、わかった」

電話を切ったあと、ふと気付く。
そういえば、彼女と会うのはいつも日曜日だった。
お店に来たのも、遥の試合も、亜佑美の文化祭も。
それはただの偶然だけれど、今度の日曜日が27日ということに少しだけ運命的
なものを感じた。

きっと上手く伝えられそうな、そんな気がした。


916 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:26

そして、次の日曜日―――――10月27日。
遥は自宅近くのバス停で亜佑美のことを待っていた。

バスから降りてくる亜佑美の姿を確認した瞬間、あの日の感触が甦ってきた。
また彼女に触れたいと思う。
だけど、その前にきちんと伝えなければならないことがある。

「お待たせ」
「おう、行くよ」
「え?」

まともに亜佑美の顔を見れない遥は、ぶっきらぼうに彼女を促す。
目的地はすぐそこだ。
辺りはすっかり暗くなっていた。

遥はある公園の前で止まり、亜佑美を見た。

「ここ?」
「うん。あの中」

遥が指差した先には大きなオブジェがあった。
オブジェの中は滑り台になっているのだが、外からは全く見えない。

「ここから上がるんだけど、足平気?」
「うん、もう全然痛くない」


917 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:27

中高生には狭い階段を昇ると、少し開けた場所に着いた。
ちょうど二人が座れるような広さだ。
遥はすっと座り、亜佑美もその隣に腰を下ろす。
回りは壁に囲まれており、外の様子はわからない。
まるでこの世界に二人しかいないような、そんな錯覚に陥りそうになる。

「上、見てみ」
「え?…うわぁ、すご…」

二人の頭上には円い穴が開いており、その外には星空が広がっていた。
小さい頃、友達と別れたあとにこっそりとここに登り、こうして空を眺めるのが
好きだった。
まるで望遠鏡で覗いているかのように目の前に広がる星空は、遥だけの秘密の
場所だった。

「なんか、望遠鏡で見てるみたい…」

亜佑美がふっと呟く。
同じように感じてくれることが嬉しかったし、彼女を連れてきて良かったと思った。


918 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:27

「あのね、くどぅー」
「ん?」
「はい、これ」

亜佑美は手にしていた紙袋を遥に差し出した。

「え?これ…」
「誕生日おめでとう」
「知ってたの?」
「前にマサから聞いてて。男の子のプレゼントなんて何がいいかわかんなくて
 迷ったんだけど、くどぅーに似合うかなって思って…」
「開けていい?」
「うん」

思わぬプレゼントにワクワクしながら袋を開ける。
中からはシンプルだが格好いいキャップが登場した。

「おー!かっけー!」

亜佑美からのプレゼントなら何でも嬉しいのだが、自分の好みと一致していた
ことが更に嬉しかった。
遥は早速キャップを身に付けて、亜佑美に見せた。

「気に入った?」
「うん!すっげー気に入った!サンキュー!」

素直に喜びをぶつけると、亜佑美はホッとしたように「良かった」と笑って
くれた。
その笑顔が遥の心にストレートに響いてくる。


919 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:27

「…誕生日、いつ?」
「え?私?」
「うん」
「1月7日だけど」
「そっか。それまでは、16歳だよな?」
「ん?そうだよ?」

亜佑美はキョトンとした顔で遥を見ている。
その瞳に吸い込まれそうになって、遥は思わず星空を見上げた。

「俺、今日で14歳だから、たった2歳しか違わない」
「…2歳も、だよ。数ヶ月後にはまた3歳差になるし」
「でも、少しは縮まったじゃん?」
「うん、まあ…」
「それに、俺の方が背高いし、たぶん力も強いし」
「そりゃそうだけどさ」
「2歳も3歳もすぐに追い越すよ」

もちろん年の差は永遠に縮まらないけれど、遥はあえて自信満々にそう言い切る。
自分の強い思いが彼女に伝わるように。


920 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:27

「だからさ」

好きな人に気持ちを伝えることがこんなに苦しいなんて、思ってもいなかった。
深く息を吸い込む。

「俺たち、付き合おう?」


921 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:27

それまで微動だにしなかった亜佑美がピクッと動くのを感じた。

喉の奥が急激に渇いていく。
遥は情けないくらいに震える小さな声で、一番伝えたい言葉を絞り出した。

「…好きだよ」


922 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:28

無言の彼女が心配になり、亜佑美の方を見る。
彼女は顔の前で手をパタパタさせて、目には涙を浮かべていた。

「な、なんで泣いて…」

彼女の反応に急に不安になる。

「え、もしかして、イヤだったり?」
「ち、違う違う、違うよ!」

亜佑美はブンブン首を振った。

「じゃあ、なんで?」
「だって!…だって、くどぅー、この前、何も言ってくれなかったから…。
 もうダメなんだって、諦めなきゃって。メールも電話も我慢しなきゃって…」

そう言った瞬間、彼女の目から涙が溢れた。

「どうしよう、止まんない。どうしよう…」


923 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:28

その仕草がどうしようもなくかわいくて、好きだという感情だけでは言い表せ
ないような気がした。
好きだけじゃ足りない。
全然足りない。
だけど、それ以外に伝える術を知らない。

だから遥は、泣きじゃくる亜佑美の手にそっと触れた。
触れた途端に互いの感情が伝染するような感覚に陥る。

―――――ああ、やばい、泣きそうだ。

涙を亜佑美に見られたくなくて、貰ったキャップのつばを下げて顔を隠す。

そんな遥に気付いたのか気付いていないのかわからないが、亜佑美はぎゅっと
手を握り返してくれた。
ただそれだけのことがとてつもなく幸せで、このまま時間が止まればいいと
本気で思った。


924 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:28

バス停までの道を並んで歩く。
なんとなく無言になる。
気まずくはないけど、気恥ずかしい。

しばらく歩くと、前から自転車の少年が近付いてきた。

「あ!工藤!」

いつかと同じクラスメイトの少年だった。

「この前の子じゃん。今日こそアドレス教えてよ」
「ちょ、まだ諦めてなかったのかよ?」
「そりゃ、モー女の子と知り合えるチャンスなんてないし。それとも、やっぱ
 二人付き合ってんの?」

隣にいた亜佑美がすっと遥の後ろに隠れる。
それを感じた遥は大きく息を吸ったあと、はっきりと言い切った。

「そうだよ、俺の…彼女」
「まじかー。じゃあ、誰か友達紹介して…」
「急いでっから、またな。行こ?」

少年の台詞を最後まで聞く前に、遥はすたすたと歩き出した。
きっと今、自分の顔は真っ赤になっているだろう。
恥ずかしさのあまり、亜佑美の方をまともに見れない。

925 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:29

「フフ…」
「…何笑ってんだよ?」
「だってさ、だってね、なんか、嬉しいじゃん?」
「何が?」
「良い響きだね、『俺の彼女』って」
「う、うっせー!」
「エヘヘ…」

亜佑美はとても楽しそうで、バス停に着いてからもずっと笑っていた。

「ねー、くどぅー」
「なんだよ?」
「もう一回言って?」
「は、はあ!?そんなん、言えるかよ!」
「えー、誰もいないし、いいじゃんいいじゃん」
「ぜってー言わねー!!」

そんなやりとりをしているうちに、最終のバスが角を曲がってくるのが見えた。

「バス、来ちゃった」
「…あー、うん」

名残惜しいが仕方がない。
別れがたい、寂しい気持ちを上手く表現出来ずに、遥は近付いてくるバスを
睨み付け、静かにため息をつく。


926 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:29

あと数秒で到着するというときに、突然亜佑美が遥の上着の裾をくいっと
引っ張った。

「ねえ、くどぅー背デカイ。…しゃがんで?」
「ん?しゃがむってこう…」

遥が腰を屈めた瞬間、頬に柔らかく温かい何かが触れた。


927 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:29

それが彼女の唇だと気付くと同時に、バスが目の前に止まりドアが開いた。
呆然としている遥の前で、亜佑美はバスに乗り込む。

「じゃ、じゃあねっ」

振り向いて手を振る彼女の顔は真っ赤だった。

亜佑美を乗せたバスは静かに角を曲がっていく。
まるでスローモーションのようにゆっくりと。

バスが見えなくなってからも、遥はしばらくその場から動けなかった。


928 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:29

数分後、ようやく我に返った遥は頭をかきながらしゃがみこむ。

「…つーか俺、今日も寝れねーじゃん」

こうして、遥の家に突然やってきた"奇妙なあいつ"は"俺の彼女"になった。


929 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:30

数日後。
遥は目の前で繰り広げられる光景に頭を抱えていた。

「あー、やっぱ、ここの揚げたてポテトは最高だわー」
「マサはこのケーキが好きー!」
「あのさ、いくらなんでも、食べ過ぎじゃ…」
「愛しのあゆみんと上手くいったんだから、これくらい安いもんでしょ?」
「そうそう。あ、どぅ、ジュースおかわり!」
「少しは遠慮しろよ!」

亜佑美と無事に付き合い始めたことを二人に報告したところ、なぜか好きな
ものを奢るという話になってしまった。

ちなみに、亜佑美もあとで合流する予定だが、なぜか奢るのは遥だけらしい。
おかげで今月の小遣いはすっからかんになりそうだ。

「で、あゆみんとはもうチューしたの?」
「ブ…!ゴホッゴホッ…」
「どぅ、きたなーい!」
「チュチュチュ、チューって、まだ付き合い始めたばかりだし」

焦って水を噴き出す遥に対し、さして顔色も変えずに優樹が言う。

「もしかして、どぅ、チューしたことないの?」
「…なんだよ、悪いかよ。まーちゃんはあんのかよ?」
「あるよー」
「はあ!?」
「ええー!?」

これにはさすがの春菜も驚いたようだ。

「い、いつ?誰と?」
「んー?昨日。3年の小田ちゃん」
「ええー!?」
「な、なんで?どういう状況で?付き合ってんの?」
「んー、まあ、いろいろあってさ」

なんだか妙に優樹が大人に思えて、遥は言葉を失う。

「うーん、まーちゃんにも事情聴取が必要かもね」

春菜は何やら一人でぶつぶつ呟いている。


930 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:30

「みんな、お待たせー!…って、何この雰囲気。何の話してたの?」
「あ、あゆみーん!あのね、まだチュー…」
「ぬわあああああ!なんでもない、なんでもないから!」

遥は慌てて優樹の口を塞いだ。
亜佑美は首を傾げながらも深く追求はせず、空いている遥の隣に腰をかけた。

「変なのー?あ、くどぅー、裾にケチャップついてる」
「ん、サンキュー」

遥の裾をおしぼりで拭く亜佑美の姿を、春菜と優樹はニヤニヤしながら見ていた。

「ラブラブだねー」
「もー、目の前でイチャイチャしないでよー」
「ラ、ラブラブなんかじゃねーし!」
「イ、イチャイチャなんかしてないから!」

遥と亜佑美が同時に否定する。
それがなんだか面白くて、二人は顔を見合わせて笑った。

「やっぱりイチャイチャしてるしー」
「はあ、もう見てらんないわ。まーちゃん、行くよ」
「え?はるなんたち、どっか行くの?」
「お邪魔虫は消えまーす。あとは二人でごゆっくり!」
「バイバイキーン!」
「え、ちょ…」

戸惑う二人を残して、春菜と優樹は店を後にした。


931 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:30

「行っちゃったね」
「うん」
「私たちも出よっか?」
「あ、うん」

夕暮れの道を二人で並んで歩く。
ただそれだけのことなのに、なんとなく幸せを感じる。

彼女と手を繋ぎたい。
そう思った瞬間、亜佑美がすっと遥の手に触れた。
遠慮がちに小指を掴んでいる。

やっぱり亜佑美は少しだけ年上で、いつもさりげなくきっかけを与えてくれる。
これからも二人の年の差は永遠に縮まることはない。

だけど。


932 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:30

―――――2歳も3歳もすぐに追い越すよ。

その言葉を証明するかのように、遥はぎゅっと亜佑美の手を握った。

そのぬくもりだけで、少し大人になれたような、そんな気がした。


933 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:31

奇妙なあいつ




934 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 00:43
以上で終わりです。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

2005年に始まったこのスレですが、まさか8年近くも続くとは思っていませんでした。
自分でも驚くと同時に、読んで下さった方、レスを下さった方に感謝の気持ちでいっぱいです。

自分の中では永久に田中さんが一番で、6期が最強なのは変わりません。
しかし、こうしてまた娘。小説を書きたいと思わせてくれた10期の今後が楽しみで、しばらくはまだ娘。ヲタを辞められそうにありませんw
やっぱり、「モーニング娘。は永遠の愛の形」ですね!

また細々と書いていければ…と思っているので、どこかで見かけたら読んで頂けると嬉しいです。
それでは、長々とありがとうございました!
935 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 02:33
いやぁ、最高でした。
中高生ならではの甘酸っぱさや可愛さ、そして何より10期に対する愛を感じました。
またお見かけできる時を楽しみにしています!
936 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 22:12
ここ数日前に発見したのに一気に読み進めちゃいました。
登場人物の会話や情景がすっと自然と浮かんでくる素敵な小説、ありがとうございました。
工藤少年が可愛すぎて…是非続編を!
937 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/30(水) 06:26
同じく最近発見してあまりの面白さに一気に読みきってしまいました。
懐かしい歌詞から、ライブのMC、ラジオ、最近のブログのネタまで、
見事に散りばめられているのも読んでいてとても楽しかったです。
938 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/11/16(土) 10:16
凄く楽しかったです!
また作者さんの910期小説が読みたいです(*´Д`)
新作を心待ちにしてます
939 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/01/04(土) 01:57
感想ありがとうございます!

>>935
10期ヲタとしてはまだまだ新参者なので、10期に対する愛を感じて頂けるなんて嬉しいです。

>>936
工藤少年、かわいいですよね(笑)あまりのかわいさにどんどん妄想が膨らんでいます。

>>937
リアルネタを取り入れるのは完全な自己満足ですが、細かい部分まで気付いて頂けたことがとても嬉しいです。

>>938
9期は上手く書けるかどうかわかりませんが、挑戦してみたいと思います。


最終回と書きながら、続編を書いてしまいました…。
自分で思っている以上に、どぅーいしにはまっているようです。
新スレでも宜しくお願い致します。

恋人一年生
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