戦場には青い空 2
1 名前:さすらいゴガール 投稿日:2005/03/12(土) 03:00

同じく金板で書いております「戦場には青い空」の続きです。
不覚にも更新してから容量がいっぱいだということに気づくという……。

更新途中のものを改めて掲載しますとともに、どうぞ楽しんでいただければ幸いかと。

乙女組中心にりかみきメイン。なんとなくおがたかがちらほらと。
基本的にはsage進行ですがあんまり気にしないので、どうぞよろしくお願いします。
2 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:02

「はぁっくしゅっ!」

 ゲホゲホと咳き込むマコト。
 よしよしと頭を撫でてやるノゾミ。

 窓の向こうは冬の風が舞っている。
 薄い青をした冷たい空。
 冷たいガラスを通り抜ければ昼下がりの陽射しがゆっくりと部屋を暖める。  

 床にペタンと座るノゾミはようやく咳が治まったマコトの額から濡れタオルを取ると、ざばっと洗面器に突っ込んだ。
 
 ザバザバザバ。

「ごめんね…。のんつぁん」
「何が?」
「んぁ…。遊べなくって」
 こーら。訓練じゃないの?
 カオリかリカがいれば確実にそう言われたであろう言葉に、ノゾミはちょこっと首を傾げた。
「いいって。しょーがないじゃん」
 そう言われてしまうとどう返していいかわからないものである。
 マコトはむーっと唇をへの字に曲げて、熱のせいもあって情けなく潤んだ瞳を隠そうと布団を鼻先まで引き上げた。
「それにさ、いい休暇じゃん?」
 疲れてたんだよ。
 ノゾミがギューッとタオルを絞る。

 ザバーッ。

 吸い込みきれなかった水が洗面器の薄い水面をにぎやかに叩く。
「治ったらさ、めいっぱい遊んでもらうから」
 だから、訓練は?
 またしてもそんな声が聞こえてきそうである。
「んーーーっ…!」
 さらにぎゅうっとタオルを絞り込む。
 ポタリポタリと落ちる雫。
「…ぅん。でもさぁ、退屈でしょ?」
 ポツリとマコトが呟く。
 そんなに絞るとタオル、ぬるくなるんじゃないなかなぁ…。
 とは、とても言えないほど一滴残らず絞ろうと耳まで真っ赤にしてタオルの水分と格闘するノゾミ。

「んんーっ! っがぁぁぁっ!」
3 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:03

 ポタッ。

 まだかすかに波打つ水面にふわーっと広がった一滴の波紋。
 ノゾミはふぅっと肩を揺らすと、満足げにタオルを広げた。
「マコト」
「…ん?」  
「楽しいよ」
「…は?」
「んー。だからさ、こうして、マコトの看病してるのも」
 パンとタオルを伸ばすと、
「あ、ぬるい」
 と、結局また洗面器につけてタオルを今度は少し弱めにきっちりと絞りなおす。
「それにさ、熱下がったり、ちょっと食欲出てきたり、そういうのがわかると…」
 
 パン!

 タオルをぴしっと広げる。   
「うれしい」
 へへっと笑って、てきぱきとタオルを折ると、ぽんとマコトの額に置いた。
 やわらかいタオル地からひんやりとした冷たい感触。
「それにさ…アイちゃん、心配しちゃうじゃん」
「ぁ…」
「アイちゃんのことだからさ、もぉすっごい落ち込んじゃって、暴れだすかもしんないじゃん」
「えー…アイちゃんに限って…」
 あるかもしんない。時々何考えてるのかわかんないこと言い出すし…。
「うーん…」
「マコト…」
 否定しなよ。少しくらいは…。 
「それにさ、あんま長引くと……ぅん。のぉもさ、その……待ってるキモチは…ぅん。わかるから…」
「…」

 眩しい空。
 やんちゃな太陽。
 陽炎揺れる夏の日。
 ノゾミとマコトの間に嵐を呼んだ、少し切ない色をした空色の手紙。
4 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:04

「なんてーかさ、ぅん。さびしいのって…イヤじゃん」
 マコトのほんのりと赤いもちっとしたほっぺをうりうりと突くノゾミ。
 ちょっと照れくさいのか、視線は少しだけ床に落ちていた。
「いたっ…くすぐったいって。のんつぁん」
「うん」
 ふにふにと相変わらず突き続ける。
「…早く治してさ、手紙書いてあげなゃ」
「…」
「だから、少し寝なよ」
「…あぁ、そうだね。うん」
 マコトはちょっと目尻を押さえると、少し咳き込みながら横を向いていた頭の位置を正面に置き直した。
 なんとなく布団をパシパシと叩いて整えてやると、ノゾミはよいしょと立ち上がった。
「じゃ、またご飯の時来るね」
「うん」
「じゃ」
「うん…」
 マコトが目を閉じる。
 それを見届けて、ノゾミはドアに向かって歩き出した。

 きしっきしっと床が鳴く。

「のんつぁん…」
「んー?」

 ノゾミの足音が止まる。

「…」

 はぁ…。
 言葉の代わりに聞こえたのはため息。
 
「大丈夫だって」

 ノゾミは明るい口調でそう言うと、ベッドに引き返してちゅっとマコトの頬にキス。

「マコト、おやすみ」
「…ぅん」

 パタパタパタ。

 ベッドから離れて行く足音。

 キィ…。
 パタン…。

 ドアが閉まって、小さくなっていく足音を聞きながらマコトは目を開けた。
 
「…」
 
 天井の木目のうねりをなんとなく眺めて、ぼんやりと吐き出した重いため息。

 朝からなんか体が重いなぁ。寒気するし…。セキは出るし…。
 そう思ったおとといの昼下がり。
 食欲もなくて、
『マコト? 顔赤いよ?』
 カオリに言われて、熱を測ったら38度5分。
 別にシャワー室で遊んだわけでもなく、寒いカッコをしていたわけでもなく…。

 何でこんなときに……。

 ごろりと横を向いて、小さく軋む床板の音になんとなく耳を澄ました。
5 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:06
 
 キシ。
 キシ。

 ゆっくりと階段を下りていく。
 
 ノゾミはぼんやりと床を見つめたまま階段を降りきると、ぺたりと階段の上に座り込んだ。
「はぁ…」
 零れ落ちたのは湿った重いため息で、ひざを抱えて唇を尖らせて床を見つめる。

 明後日は出撃予定。

 大丈夫って言った。
 でもそんなものは気休めにもならない。
 だからマコトも言わなかった。
 言えばノゾミが気にするから。
 そして、返ってくる答えだって、わかっていたから。

 でも、言った。
 それでも少しぐらい気持ちが晴れるかもしれないから。
 大丈夫じゃない、なんてシャレじゃ言えない。
 だって、大丈夫じゃないからマコトは寝てるんだ。
 
 だから、大丈夫。そう言った。

「…」

 ノゾミは立ち上がると、食堂のドアを開けて中に入った。

 窓辺のテーブルで読書にふけるカオリ。
 レイナとサユミはつまんなそうに軍学で出されたレポート制作。
 リカとミキはとりあえず七並べ。

 静かな静かな昼下がり。

 いつもに比べたら何か足りない。
6 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:06

 ノゾミは相変わらず唇を尖らせたまま、なんとなくとてとてと歩き出すと、カオリの隣に座った。 
「…のんちゃん?」
「…ぅん」
 どこか思いつめたようにじーっとテーブルを見つめるノゾミ。
 カオリはマニアックでサイケな恋愛が綴られた文庫本を閉じると、頬杖をついて顔を覗き込んだ。
「ん? どうした?」
 ポンポンとあやすように背中を叩き、そのまま抱き寄せる。
 ノゾミはゆっくりと視線を上げて上目遣いにカオリを見つめた。
「ぅん…」
 どこか思いつめているような目。
 カオリがよしよしと頭を撫でる。
 リカもノゾミが気になるのか、盛り上がらない七並べをやめてカードをまとめると、ミキの手を取ってカオリとノゾミの向かいに座った。
 サユミとレイナもまだ日があるから…とレポートを切り上げてテーブルにやってくる。
 ノゾミはじーっとカオリを見つめたまま。
「…」
「…」
「…」
「…」
 そんなノゾミをじぃっと見つめるリカ、ミキ、サユミ、レイナ。
「のんちゃん?」
 カオリがもう一度声をかける。
「ぅん」
 ノゾミが顔を上げた。
「ねぇ、カオリ」

 それからしばらくして、ジープが基地を飛び出し、兵舎の倉庫ににぎやかな音が引き渡った。
7 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:07

    *

 目が覚めたら、カラスが鳴いている声が遠くに聞こえた。
 すっかり暗くなった部屋。

 なんだかまだ体がずしっと重くて、少しぼんやりとしたまま天井をじいっと見上げる。
 いつもならおなか減ってしょうがないのになぁ…。
 腹の虫も熱のおかげでずいぶんとおとなしい。
 なんとなく額の上に乗ったタオルを取ったら、すっかりとぬるくなっていた。
「今…何時だ…」
 あんまり静かなのもさびしく思えて、なんとなく自分と会話を試みる。
 窓から指すわずかな明かりでベッドサイドの小机の上の目覚まし時計に手を伸ばす。
「んー…。5時かぁ」
 ちょっと過ぎた頃合を示す時計の針。
 目覚まし時計が机に置いた小さな衝撃でカチンと鳴った。
 マコトはうーと腕を伸ばして、窓を見上げた。

 星がちらちらと部屋を覗き込んでいる。

 はぁ…。
 なんとなくため息をついて、ぼんやりと星と見つめあう。

 ちかちかと瞬いて、熱と寝起きでけだるい体。
 藍色に染まった部屋にぽつんと一人。
 机の上の写真立ても藍色の中に溶け込んでいて、中で笑っている仲間の姿は見えなかった。

  4人で肩を組んでおっきな口を開けて…。

  眩しい笑顔のリサ。
  くしゃくしゃな笑顔のアイ。
  写真から飛び出すんじゃないかって勢いで馬鹿笑いするマコト。 
  目を細めて笑ってるアサミ。

  ポーズを決めて撮った後、ノゾミとアイに思いっきり笑わされて、そのすきにとヒトミが撮った1枚。

  後ろには青い空。
8 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:08
 
「はぁ…」

 アイちゃん…何してるかなぁ?
 ごろりと転がって、また一つため息が零れた。

 アサミちゃん、今日は何食べたのかなぁ?
 ガキさん、元気かなぁ?

 向こうは…今日、何食べるのかなぁ?
 あー。今日、こっちはみんな…何食べるんだろう…?

 トントン。

 イイダさん、やさしいから…今日かぼちゃ料理とかってことはないと思うけど…。
 
 トントン。

 あーあぁ。たいくつだなぁ…。

「はぁ…」 
      
 トントン。

「はぁ、そーいえば…なんか静か?」

 一人ごちって、ようやく…。

 トントン。

 ドアがノックされてるのに気がついた。
 向こうでなんかボソボソと声が聞こえる。

 “まぁこぉとーっ。はーやぁくぅーっ!”

 “もぉ! ののっ!”
 “ツジちゃん、しーーっ!”

 んん? なんだなんだ?

 マコトは少しだけよっこらしょと体を起こした。
「はぃ?」
 ごほごほと咳き込みながら返事をすると、

 ぎいっ…。

 ドアがゆっくりと開いた。
「あれ」
 誰もいない。
 なんかぼそぼそと声が聞こえたし、よく耳を澄ますとギシギシと床板の軋む音もする。
 なのに開け放たれたドアから誰かが入ってくる気配もない。
 
 と、思ったら…。

「ふぇ?」
9 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:08

 ひょこっとドアの下の方から顔を出したのは一匹の少し不恰好なカーキ色のタヌキのぬいぐるみ。
「…わぁ…」
 ひょこひょこと手を動かしてるタヌキは、なにやら軍支給のジャケットやシャツなど古着を寄せ集めて作られたものらしい。
 それによく見るとタヌキの着ぐるみをかぶった人形という方が正しいようで、大きく開けた口の間から覗く簡単な刺繍で描かれた顔は誰かに似ている。
「…ぁれ? のんつぁん?」

   『んー。のん、なにかなぁ?』
   『そうねぇ、のんちゃんは…タヌキかな?』
   『でもなんか、それってポンちゃんっぽい気もすったい』
   『うん。そうねぇ。でもほら、のんちゃん、よくおなか叩いてるしね』
   『そうそう。ごはん食べた後にね』
    ってリカが笑って、てへへっと笑うノゾミ。

「こんばんはぁ」
 ちょっと機械みたいなだみ声でタヌキがぺこりと頭を下げるから、マコトも慌てて頭を下げた。
「あぁ、こんばんはぁ」
「キミィ」
 わざとだみ声にしているらしくて、ドアの向こうから、ミキが笑いを押し殺す声が聞こえる。
「あ〜はぃはぃ」
「キミィ、さみしくないかね?」
「え…?」
「一人でずーっと寝てるだろ?」
「あぁ…うん…」
「だから、トモダチを連れてきたんだ。一緒に遊んでくれるか?」
 ちょっとだけ高めのだみ声で妙な命令口調でそう言うと、タヌキは後ろを向いてひょこひょこと手招いた。
 パッと現れたのはネコのぬいぐるみ。
「んにゃぁ!」

   『レイナはいいでしょ』
   『なんで? みきねぇ』
   『いや…だってねぇ、いいじゃん。ねぇ、リカちゃん』
   『え? あー。うん。やっぱネコだよねぇ』
   『うん。ネコよねぇ。かわいい子ネコ』
    とカオリ。ノゾミがけってーとノートに書き込む。
   『やっぱネコなんかぁ…』
    なにやらフクザツそうな顔をするレイナの頭をよしよしと撫でるリカとサユミ。
10 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:09

「レイナ!」
「ち…ちがうっ! ちがうっちゃ!」
「でも、口の中の顔、どー見てもタナカちゃんだし」
 マコトが指差すと、ネコがむーっと体を丸める。
 後ろの方ではくっくっくっ…と相変わらず笑い声押し殺すミキの声と、一緒になってこらえながらなだめるリカの声が聞こえる。
「でも、かわいい」
 てへっとマコトが笑ったら、ネコは照れくさそうに頭をかいて、
「なら…よかたい。にゃぁ、マコっちゃん」
「うん? なぁに?」
「まだトモダチおるとよ。おーい!」
「はーい!」
「あっそびっましょっ!」
 ひょこっと現れたのはサンドカラーと遠目には黒っぽく見えるオリーブカーキの2匹のウサギ。
 
   『私、うさちゃんがいい!』
   『あたしもー!』
   『サユはともかく、リカちゃんはもーウサギってゆーんでもないんじゃない?』
   『じゃあ、何がいいの? ミキちゃん』
   『えー…。うーん…なんだろ』
   『ネコ、ダメですか? イシカーさん』
    レイナがきらきらした目でリカに向かってちょこっと首を傾げて見上げる。
    ムッとミキが微かに眉を顰めた。
   『あぁ、やっぱいいんじゃない。ウサギで。ほら、リカちゃんそればっか描くし』
   『そうねぇ。ネコも捨てがたいけど、サユとリカは雰囲気も似てるしね』
    とカオリが後押しして、にやりとレイナに向かって笑うミキ。むっと睨み返すレイナ。
    そんな二人をよそに大喜びでうさちゃんピースをするリカとサユミ。
11 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:10

 ちょっと耳の長い黒ウサギが、
「マコト、まだお熱下がらない?」
 甘ったるい声で心配そうに尋ねてちょこんと首を傾げる。
「さびしくってもぉ、うさちゃんたち、みんなそばにいるよ?」
 白ウサギがよしよしって黒うさぎの頭を撫でると、2匹はきゅっと肩を寄せ合ってマコトに向かって大きくうなずく。
「だから、元気出して?」
「ね。マコト。ほらぁ、何泣きそうな顔してるのぉ?」
 黒ウサギがへにゃっと口をへの字にして目の端を拭うマコトの頭を撫でようとふにふにと手を振る。
「そうだぞー。泣いてんじゃねぇ」
 がーっと黒ウサギの隣から現れたオオカミが両手を大きく広げて怒ったような仕草を見せた。
「だ…だって…フジモトさん…」
「…」
 ピタッと固まったオオカミ。
 ネコがくすくすっとおなかを押さえて笑っている。

   『ミキティはオオカミ』
   『えー…。まぁ、そーくるとは思ってたけどね。もー少しかわいいのがいいかなぁ、なんて』
   『なんて』と言ったリカと顔を見合わせて笑うと、すぐさまノゾミが一言。
   『トラ』
   『ええっと…。ツジちゃん。それってかわいい?』
   『かわいいじゃん。シマシマが。んーじゃなきゃぁ…ライオンとか?』
   『っていうかミキ、あくまでも肉食獣なんだ』
   『だってミキティ、肉大好きじゃん』
   『たしかにねぇ、ミキちゃん…肉食だもんね』
    リカにまでそう言われると、もう反論しようもない。
    そこに、
   『ふふっ。もうウサギ一匹、食べちゃってるしね』
    とカオリが微笑んで、真っ赤になるリカとミキ。きょとんとしているノゾミとサユミ。少し唇を尖らせたレイナ。
    ミキはそのウサギに時々食べられてるんですけど…とは、言えなかった。 
12 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:11

「あー。まぁ、とにかく、ほら。ね? だって…じゃなくってさ。てーか、泣くな!」
「だって…そんなこと言ってもさぁ」
 ぐすぐすと鼻をすすっているのはもはや風邪のせいだけでもないようで、目尻を拭って困ったように笑って見せる。
「こーら。オオカミさん。あんまり困らせちゃダメよ」
 オオカミの上から現れたのはキツネのぬいぐるみ。
「うれしいんだもん。ねぇ」
 
   『じゃあ、次はカオたん?』
   『イイダさん…うーん。なんだろう』
    サユミが首を傾げる。ノゾミはその横でぽつりと呟いた。
   『ロボ』
   『…』
  
    しんと静まり返って、それは沈黙という名の同意。
   
    カオリは鉛よりも重いため息を吐くと、みんなに背を向けて膝を抱えてイスに座った。
   『…カオも動物がいい…』
    呟きにようやくはっとリカが我に返った。
   『あぁ! かっ…カオたん! ね、こっち向いて? ごめんね? もぉ! のの!』
   『え…あ、だって…それしか浮かばなくって…あぁ、ごめんね? カオリ!』
   『あー、えっとぉ、どうしよ!』
     
    それから10分後。
  
   『カオたん、スラッとしてるからキツネってどうかな?』
   『スレンダーでなんか奇麗な感じだよね』
    なるほど、とミキがうなずく。
   『でしょ? それに、お話に出てくる銀色のキツネって、かっこいい感じもするし』
13 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:11

「いつもマコトがみんなを元気にしてくれるから、今度はみんながマコトが元気になるようにって、ね?」
 キツネが下にいる仲間達に『ね』とうなずきかけると、みんなもこっくりとうなずき返す。
「だから、ほら」
 キツネのぬいぐるみを手にカオリは部屋に入ると、廊下に向かってキツネの手を使って招くように振った。
「ほーら。また泣くー」      
「マコト、泣かないの。笑って」
 オオカミをだっこするミキ。黒ウサギの手を小さく振るリカ。
「オガーさん。ほらっ」
「まこっちゃん! えいっ!」
 サユミとレイナはぱたぱたとベッドに駆け寄ると、マコトのほっぺに白ウサギとネコを押し付けるように抱きついた。
「わぁっ! おーもいってぇ!」
 ちょっと泣き笑いだけど、明るい笑い声にカオリ、リカ、ミキから零れた微笑。
 ノゾミはつんつんとリカの足を突くと、リカがミキの手を引っ張ってまた部屋を出て行く。
 カオリはそれを見ると、ベッドの傍らにしゃがみ、まだくっついてきゃあきゃあと騒ぐマコトとレイナ、サユミの頭を撫でた。
「マコト、あっち見てごらん。まだお友達、いるから」
「へ?」
 マコトがポカンと口を開ける。
 サユミとレイナは顔を見合ってくすっと笑うと、廊下に向かって、
「おーい!」
「みんなー!」
 と声をかけた。

「はーいっ!」

 ノゾミの声とともに入ってきた仲間たち。

「あっ!」

 リスにパンダ。そして、サル。
 ノゾミ、リカ、ミキに抱かれた3つのぬいぐるみ。
14 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:12

「あの…これ…!?」
「へへへっ。だから、お友達」
 ノゾミがサルのぬいぐるみをマコトに渡すと、リカとミキもリスとパンダをマコトの膝の上にそっと置いた。
 マコトはサルのぬいぐるみをじっと見つめた。
 シンプルな線で刺繍された顔は、けっこうよく雰囲気が出ている。
「アイちゃん…」
 カーキ色のジャケットを使ったぬいぐるみ。口の中から覗く顔はにかっと笑っている。
 パンダは黒っぽく見えるオリーブカーキとカーキの二つの生地から。刺繍された顔はちょっとばかりシニカルだけど、まん丸な顔と軍支給の薄手のマフラーで作ったほっぺのピンクが愛らしい。
「こんこんだぁ」
 きゅっと抱きしめると、くるっと巻いたしっぽがかわいいカーキ色のリスを抱き上げた。
「ははっ。ガキさんガキさん!」
 ぎゅうっと抱きしめると、もう一度サルのぬいぐるみを手にしてじいっと見つめた。
 にかっと笑ってるサルのぬいぐるみ。
 マコトは顔をうずめるように抱きしめて、へへへへっと笑った。
「アイちゃんだぁ。へへへへっ」
 サルのぬいぐるみがちょっと照れくさそうに笑って見えるのは、はたして気のせいなんだろうか。
 カオリはそんなマコトの頭をそっと撫でると、ノゾミにうなずいて見せた。
「ほら。マコト」
「え?」
 顔を上げたマコトの前でほんわかと笑っている耳の垂れたイヌのぬいぐるみ。
「これ…」
 受け取って、ちょっとへたれな笑顔の刺繍のぬいぐるみを見つめる。
「やっぱさぁ、4人じゃん。いつも」
「…あぁっ!」
 たぶん、これは自分なんだろう。
 …かわいい…。
「ぁ…ありがと」
 ぐずっと鼻をすすって、ぎゅうっと4つのぬいぐるみを抱きしめた。
 ポンポンとあやすように背中を叩くカオリ。
 よかったねぇ…と、リカとミキが顔を見合って笑う。
 レイナとサユミがノゾミと一緒にぐすぐすと泣き始めたマコトの頭をやさしくやさしく撫でる。
15 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:12

   『ねぇ、カオリ』
   『ん?』
   『あさって…いつもどおりなんだよね?』
   
    出撃の予定は変わらない。
    マコトがいなくても隊は戦場に赴く。
    そうなるとここにはマコト一人。
    
    たぶんダメって言っても知ったら彼女は来るだろう。
    でも向こうはこっちよりもスクランブル出動率も高い。
    だからさくらの方からだれか来てもらうわけにもいかないし…。 

   『うーん…』
    カオリが視線をテーブルに落して口元に手を置いてなにやら考え始める。
    息を呑んで見守るノゾミ、リカ、ミキ、レイナ、サユミ。
      
    ポン。
    
    カオリが手を叩いて、5人がぐぐっと身を乗り出す。

   『そうだ。お人形さん、作ろっか?』
16 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:13

「これでさ、さびしくないでしょ?」
「…ぅん。たぶん」
 マコトは涙に濡れた目を腕で擦りながら顔を上げた。
「なんだよぉ。たぶん…って」
「だって、みんな…行っちゃうじゃん」
「…」
 ノゾミがふ…とやるせなさそうに唇を噛んで目を逸らす。
 マコトはそんなノゾミにちょっと申し訳なそうに眉毛を下げて笑った。
「ごめん。ごめんね。のんつぁん。でも…大丈夫。大丈夫だから」
「マコト…」
「ありがと」
「…うん」
 ちょっと照れくさそうに小さくうなずくノゾミ。
 マコトはうれしそうにぬいぐるみを抱えると、
「でも…これ、大変だったじゃ…」
「んー。まぁねぇ」
 ノゾミがタヌキの手をうりゃうりゃと動かしておどける。

   リカとミキは街まで綿を調達に。
   レイナとサユミとノゾミは倉庫で古着や着れなくなったボロを探しに。
   カオリはささっとデザインを書くと、今度は事務室から方眼紙を何枚か持ってきて型紙作りに悪戦苦闘。

  『あっ! これどこぉ!』
  『しまった! ヘンなトコ切ってた!』
  『えー! このミシンどうやるのぉ!』
  『イタッ!』 
  『あぁーっ! 布が足らんっちゃ! レイナ探してくるっ!』
  『ちょっとぉ! これの片側どーこー!』

   ある意味、それはまさしく戦場で、なんだかんだと11個。
  
   型紙さえ作れれば、縫っていくのはキチンと分類しておけばなんとかなるもの。
   仮縫いを済ませたら、

   ダダダダダタ…。
 
   倉庫に響くミシンの音。
   それでも兵舎の中にあった二つじゃ足りないから、他の兵舎のミシンを借りて…。 
  
   カオリはその間を縫って夕飯作りに。

   出来上がる頃には夕日も沈んで、ゆっくりと空が藍色に染まり始めていた。
17 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:15
 
「でも、思ったより早くできたよね」
 とリカが言うと、ミキもうんうんとうなずいた。
「ね。なんとかなっちゃったよね」
「めっちゃ楽しかったっちゃ!」
「うんっ! すっごくかわいくできたもん!」
 とレイナとサユミ。
「それだけ、みんな気持ちが籠もってた。一つになってたって証拠だよ」
 カオリはそう言うと、
「乙女隊に、不可能という文字はありませんから」
 と、一人一人の顔を見回した。
 そんな隊長に力強くうなずき返す隊員達。

 それぞれの手の中いる森の仲間たちも力強く笑っている。
 ちょっと不恰好だけど、それはどれもとても愛嬌があって素敵な表情で、心がふわっと温かくなる。

 マコトは腕の中の仲間たちを見つめると、ゆっくりと顔を上げて一人一人を見つめた。
 ノゾミがもらい泣きしてるのか、指を押し付けるように目頭を拭っている。
 隣を見ればレイナの瞳も潤んでいた。
 じわっとあふれ出して頬を伝っていく涙。
「ごめんなさい…。ごめんなさい…」
 ぐっと布団を握り締めてうつむくマコト。
「あたし…こんなときに……」

 厳しくなる戦況。
 一人抜ければ、どれだけ負担が圧し掛かるのか…。
 悔しい。

「ごめ…なさい……っ…」

 自分がいたって、全員が生きて帰って来れるとは限らない。
 だからといって、じゃぁ、いなければいいのかというものではない。
 そんなことわかってる。
 わかってるから、悔しい。

 そして同じ辛さ、苦しさを分かち合えないもどかしさ。
 思うほど悔しさとふがいなさがこみ上げる。

 一人少ない。
 その負担のせいで、もし…誰かが……。
18 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:15
 
「…っく…ごめん……なさ…っ……ぃ」
「マコト」
 カオリはふわりとマコトを包み込んで頭を抱き寄せた。
「大丈夫だから。乙女隊はね。無敵だから。でしょ?」
 はぃ…と涙で声を詰まらせながら答えると、
「うん。だからね、泣かないの」
 カオリはゆっくりと背中をさすって、こつんと額をあわせた。
「マコトが笑ってくれると、みんな元気出るから」
「…はぃ」
「だから、今はゆっくり休みなさい。病気の時はね、うんと甘えていいんだよ」
「イイダさん…」
「ね?」
 あったかいカオリの包むような微笑みに小さくこくりとうなずくマコト。
 カオリはキツネのぬいぐるみをマコトの隣に置いた。
「みんな…そばにいるから。ね」
「そうだよ。マコトの笑顔、だいすきだよ」
 リカが黒ウサギをキツネの隣に置くと、ミキはその横にオオカミを置いた。
「そうそう。元気出るからね」
「まこっちゃんの分もがんばるっちゃ」
 リカに寄りかかるようにネコを置くレイナ。
 サユミは白ウサギをネコの横に置いた。
「だから、ゆっくり休んで、早くよくなって」
 
 森の仲間たちも涙でくしゃくしゃなマコトにやさしく微笑んでいる。

 マコトは愛しそうに一匹一匹の頭をなでると、えへっと笑った。
「ありがとう」

 笑顔のその一言だけで、もう十分。
 
 当日は、自分達がちょっと頑張れば済むこと。
 だって、戦うのは一人じゃない。
 ここでたった一人で待つマコトと比べれば、苦しさはまだ分け合える。

 待つということの辛さほど、たぶん苦しいものはないだろう。

「さぁ、ご飯にしようか」
 カオリがそう言うと、ノゾミが思い出したようにおなかを押さえた。
「あぁ…そういえば腹減った…」
 そしてどっと部屋中が明るい笑いに包まれる。

 その日、マコトの夕飯はかぼちゃの牛乳粥。
 牛乳のほんのりとした甘さにかぼちゃのやわらかい甘さが妙に引き立つ。
 ちょっとお菓子のような不思議な味。
「あは。おいしぃ〜!」
 なんか、明日にでも熱が下がって治るんじゃないかって、そんな気がした。
19 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:16

              ■                ■    

 ゆっくりと目を覚ましたら、窓の向こうはすっきりしない曇り空。

 ミキは少し鼻をすすって、ごろりと横に転がった。
 セミダブルのベッドに一人だとやけに広く感じる。
 けだるい重さとすっきりとしない頭。
 熱っぽいのに包まった布団の中でも少し寒く感じる。

「っ…くしゅ!」
 
 昨日から熱を出して、今日も仕事はおやすみ。
 うつすとよくないから…と、リカはリビングで寝ている。
 だからなんだか物足りない。

 時計を見たら、そろそろリカの出かける時間だ。
『あたしも休もうか?』
 昨日からずっとそう言うリカに大丈夫だから…とは、言ったものの…。
 
「はぁ…」

 零れ落ちたため息。
 どたどたと近づいてくる足音に、ミキは慌ててドアに背を向けた。

 
20 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:17

「ミキちゃん」
「んー」
「どう?」
 ベッドの前に座ってミキと目の高さをあわせると、リカはミキの額に手を置いた。
 ひんやりと冷たいリカの手のひらに気持ちよさそうにミキが目を閉じる。
「うーん…。まだ熱いね」
「…うん。ちょっと寒いし…体重い」
「…そっか」
 そっとリカが額から手を離すと、ちょっと名残惜しそうに目で追うミキ。
「ねぇ、ほんとに大丈夫?」
「うん。大丈夫だから…」
 離れた手を捕まえて、なんとなく揉んでいじるように握り締める。
 リカは包むようにもう片方の手を添えた。
 ミキはその手に頬を寄せると、心配そうに見つめるリカを覗き込むように上目でちらりと見上げた。
「なんかさぁ…懐かしい夢見た」
「夢?」
「うん。ぬいぐるみ」
「あぁ…。ふふっ。懐かしいね」
       
   結局、軍特製の薬も流行病の風邪にはしぶとくて、当日になっても熱は下がらなかった。
   マコトは布団の中でぎゅぅっと仲間たち抱きしめていた。
   無事に帰ってきますように…。
   ただひたすらに思いを込めて。

   それから3日後。
   マコトの熱は無事に下がり、乙女隊に広がる元気な笑い声と騒々しい足音。

   帰ってきた騒がしい日常。

「大事にしてくれてるみたいだしね」
 おととい届いた手紙の中に入っていた写真には、ベッドに並んだ森の仲間たちに囲まれて幸せそうなマコト。
「うん。でもさ、たしか何匹かはさくらに行ったんだよね」
「そうそう。ネコとイヌと白ウサギ」 
21 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:18

   アイとエリ宛に届いたマコトからの小包。
   アイにはイヌの、そしてエリにはネコと白ウサギ。
      
  『カメちゃん、向こうじゃ一人だから』

   一人じゃないけど、一人だから。
   自分はこっちに同期がいないけど、ね? カメちゃんはそうでしょ…って笑ったマコト。
  
  『へへ。自分の代わりに…そばにいてほしいなぁ…って』
   
   アイちゃん、あれでけっこうさびしがりやだから。
   サルのぬいぐるみを抱きしめて、顔をほんのりと赤く染めて笑うマコト。
   アサミとリサには4匹と一緒に撮った写真。

   それから更に数日後。
   マコトの元に着いた手紙はどれもうれしさで字が躍っていた。

「そういえば…その後、結局全員作ったんだよね」
 リカはそう言って、自分の手を撫でたり揉んだりして遊ぶミキに愛しげに目を細めた。
「うん。なんだかこれじゃさびしいからって。よっちゃんさんがクマで、ヤグチさんがパグ。で、アベさんもタヌキだっけ?」
「そう。たしか。カメちゃんとあいぼんがネコ」
「うん。そうそう。ははっ。懐かしいよね」
「ねぇ。ちょうど今くらいの頃だよね」
 リカの手がミキの髪をいじる。
22 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:18

 穏やかに過ぎていく冬の朝。
 ちらりと時計を見たら、もう出かける時間が迫っていた。
 だけど手を放す気配のないミキ。
 リカはそっと鼻先にキスをすると、ミキの手を解いて立ち上がった。
「あぁ、ごめん」
「うぅん」
「…いってらっしゃい」
「うん」
 安心させるようにふんわりと微笑むと、リカは寝室を出て行った。

 遠くなる足音。
 
 ミキは小さくため息をこぼすと、ごろりとドアに背を向けて丸くなった。
 あーぁ…。
 気持ちがなんだか青く沈んでいく。
 退屈で、でもだからって何もできることがなくて、はがゆくて…。
 熱のせいでだるいのになんとなく落ち着かない。
 それでもゆるゆると落ちていくまぶた。
 たぶん、あの日のマコトもこんなだったんだろう。
 ミキはまた一つため息をついて目を閉じた。
23 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:19

 キィ。

 ドアが開く。
 足音が近づいて、ベッドの隣に座ったらしい。
 ほどなくして、そっと髪に触れた指先。
 梳くように撫でられて、ミキはその指先を捕まえると体を転がして振り向いた。
「リカちゃん…仕事は?」
「ん? 休んじゃった」
「ぇ…」
「ユイちゃん、おだいじにって。治ったら焼肉ランチサービスしてくださいねーって。あとエリカちゃんが早くよくなってくださいね、だって」
「…ぅん。でも…」
 どうして?
「だって、心配なんだもん」
 ずっと手、離そうとしないし、なんか…さびしそうだから。
「この方があたしも安心できるし」
「…」
 どう言っていいのか戸惑うミキの赤い頬にリカの冷たい手が添えられる。 
「ごめんね…リカちゃん」
 言葉の代わりにふわりと重なった唇。
「風邪、うつるよ」
「いいよ」
 そしたら、しばらく一緒にいれるよね。
 いたずらっぽく笑って見せるリカにミキはむっと頬を膨らませた。
「何言ってんの…もぉ」
 心配させないでよ。
 ミキはリカの首を抱き寄せると、唇を奪ってそのまま抱きしめた。
「…ありがと」
「うん…」
 リカは頬にキスをすると、少しだけ体を起こした。
「ねぇ、ミキちゃん。病気の時は、うんと…甘えていいんだよ」
「…そう。そうだったよね」
 ミキの腕が少しだけ離れたリカを抱き寄せようとするから、リカはベッドに入って熱ったミキを抱きしめると、また梳くように髪を撫ではじめた。
「リカちゃん」
「ん? なぁに?」
「かぼちゃと牛乳のおかゆ…食べたい」
「うん。わかった」
 カオたんからレシピももらってるし、後で準備しないとね。
 リカはちらりと時計を見てまだ時間に余裕があるのを確認すると、ミキをよいしょと抱きなおした。

 しばらくしてリカの耳に聞こえてきた穏やかな呼吸。
 しっかりと抱きしめていた手からわずかに力が抜ける。

 白い光が照らす静かな部屋。
 時間がいつもよりゆっくりと進んでいくのを感じながら、リカは夢の中へと遊びに行ったミキの額に口付けて目を閉じた。
24 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 03:20

     「森の仲間とカゼひきさん」      END
25 名前:さすらいゴガール 投稿日:2005/03/12(土) 03:27
いやいや…。ほんっとに不覚…。
容量勘違いしてました…。
久々に更新したと思ったらすっとこどっこいすぎる…自分。

和み系のお話を一つということで。
みなさんもどうぞ風邪には気をつけて…。

前スレ 467 名無飼育さん様
 本来なら前スレでレスをということなのに、申し訳ないです。
 ありがとうございます。
 そういっていただけるとありがたいです。
 今回はのんびりしたお話ですが、なんでしょう。
 和やかさと楽しさを感じてもらえれば…と。
26 名前:さすらいゴガール 投稿日:2005/03/12(土) 03:31
あっ…! 1レス目に張り忘れたの今さら気づいた。

前スレです。

「戦場には青い空」
http://m-seek.on.arena.ne.jp/cgi-bin/test/read.cgi/mirage/1078591385/
27 名前:ひろ〜し〜 投稿日:2005/03/12(土) 20:22
はじめまして。新スレおめでとうございます。
ず〜っと前から読ませてもらってます。
この話?ってかシリーズ、大好きです。爽やかで、なんとなく、ほのぼのしてて、
それに私、みきりか大好きなので。
これからも感想とかしちゃうので、どぞよろしくです。
28 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:46

 夕暮れの赤い空。
 早い早い、駆け足の冬の夕暮れ。
 朱色に染まった大きな雲が流れる。

 ぶぅんぶぅんと唸りをあげてひたすらに走るポンコツトラック。

 行く先はベースキャンプ。
  
 ようやく顔を出そうとしている太陽の白い光に薄められた青い青い冬の空。 
 相棒に乗り込むおとめ隊にまとわり付く吐きそうなほどの緊張感。
 冷たい冬の朝の空気はひどく新鮮で、そんな張り詰めた空気を解くような吐き出した息の白さがなんかうれしかった。
 
 そして、それから10時間。
 ところどころわずかに凹んだ車体を赤く染め、長い影を引き連れて走る相棒。

 ラジオから流れる歌はやけに軽やかで、リカはなんとなく2フレーズ口ずさんで、ラジオを消した。

 開け放した窓から流れる冷たい冬の風。
 それでも軍支給のボアライナーのコートに守られ、奥底でまだくすぶったまま消えない興奮が冷たい空気をほしがった。
 ミキはリカが口ずさんだフレーズを口笛で吹くと、少しだけシートを倒してダッシュボードに足を乗せた。
 
 ひゅう、ごぅと唸る風の音。
 タイヤがアスファルトに削られて時速87キロでまっすぐな道を行く。
 赤く染まった荒野の中の一本道。
 
 ゆるやかなカーブにあわせて動かすハンドル。
 なんとなく零れた疲れたため息。
 ミキはうーんっと一度体を伸ばすと、そのまま腕を頭の後ろにやって、ごそごそと座り直した。
29 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:46

    ドーンッ!

    大地が泣いた。

    ダダダダダダダッ!
    タタタタタタタッ! タタタタッ! 
  
    タタタタッ!
    タタタンッ! タララッタララララララッ!

    歯を食いしばって振動を受け止める。
   
    全身が震えてる。
    怖いから?
    それとも手にした銃が震えるから?

    一つ二つと着弾する砲弾の音に紛れた銃声は味方のもの。
    音もなく瞬きだけが知らせる凶弾の存在。

    塹壕に身を潜め、また顔を出して、また隠れて、また顔を出して…。

    タタタタタッ!
    タタタタタタッ!

    引き金を引く。
    この音も、きっと彼らには聞こえてない。

    たぶん。

    感じる死の気配。
    聞こえるのは天国への足音。

    くそっ! こっちくんじゃねぇっ!
 
    ギリッ…。

    味のなくなったロリポップの棒を奥歯で噛み潰す。

    ひゅーーん……っ…。

    頭の上を飛んでいく砲弾。

    タタタタタタタッ!
    タタタタタッ!
    タタタタタッ!

   『はっ! ちきしょおっっ!』

    また誰かが天国への階段を駆け上がっていく。

    タラララララッ! 
    タララララララッ!

    ドンッ!

    大地が泣いた。
    震えながら悲鳴を上げて。
30 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:47

 零れ落ちて風にさらわれた疲れたため息。
 ミキはコートの胸ポケットからロリポップを出すと、けだるそうに包装を剥して銜えた。
 ピンクグレープフルーツのすっぱさが妙に心地いい。
 少しだけ眉をしかめると、ころころと舌で転がしながら、ポンコツトラックに寄り添うように走る夕焼け色の雲をなんとなく見つめた。

 ドゥルルルルルル…。

 ヴンと唸るエンジン。
 ザリザリと砂利を噛み、黒い息を吐き出して必死に走るタイヤの音にまぎれて、荷台から聞こえてくる気の抜けたブルースハープの音。
 微かにビブラートして、歌にもなっていないバラバラのメロディーは夕暮れの空に力なく消えていく。

 ノゾミはカオリに体を預けて、わずかに差し込む夕日に照らされた疲れた荷台の底材の木目を虚ろな目で見つめている。
 銜えたブルースハープから弱弱しく漏れ出すメロディー。

   『きゃぁぁぁぁぁっ!』

    風がゴウと怒った。

    塹壕にうずくまり、風の唸りが消えるの待つ。

    ゴウ、ゴゥッ。
   
    風が唸る。
    その間を掻き分けて、飛び込んでくる鉛玉。
 
    トトトトトトッ!

    トトトトッ! 
    タラララッ! タラララララララッ!

    ドン!

    大地が叫ぶ。
    体が一瞬小さく浮いて、舞い上がった砂埃の茶色い景色が涙で歪んだ。
  
   『はぁ…っ。んぐっ!』
         
    ひゅーん…。

    頭の上を金切り声を上げて飛んでいく砲弾。
   
    ドドドドドッ!

    5メートル先の地面が吹っ飛んた。
    激しく足元が揺れて、大地が泣き叫んでる。

    青い空に向かって立ち上がった爆風からやってきて小さな体にぴたっとしがみついた死の臭い。
 
    “ おいで。こっちに。 ”
 
   『ぅぁ…ぅあああぁぁぁぁぁぁぁっ!」  

    ダダダダダダダダダダダダダダダッダダダダッ!
31 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:47

 淡い呼吸と一緒にふわーっと音符を吐き出すブルースハープ。
 ぷわーっ…。
 和音を奏でる疲れたため息。
 すとんとブルースハープを持つ右手が落ちる。
 ノゾミはカオリの胸にしがみつくと目を閉じた。
 
 マコトがブルースハープを握ったままの右手の上にそっと手を重ねた。

   『のんつぁんっ!』

    びりびりとすすり泣く大地。

    怯えた目をしてゆっくりとうなずくから、力強くうなずいて返して前向く。

    タタタタタタタタッ!

    パチパチと瞬く赤い火花。

    くっと体が強張る。
 
    はぁ…っ、はぁ…っ…。

    ダダダダダダタッ!
    ダダダダダダダダダダダダダダッ!

    赤い火花を噴く銃口。
    人差し指に痛いくらいに込められていた力が段々と記憶からかすれていく。

    ひゅーん…。
    ひゅーーーーーーーんっ…。

    やだ…やだ…っ!
    あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!

    ダダダダタッ!
    ダダダダダタッ!

    人差し指の感覚が記憶から消えた。
    パパパパッ、パパパパッと閃いた赤い火花は妙に冷たい。

    ドン!
  
    ドーン!

    目の端にゴミのように吹き飛んだ人の姿。
    腕、足、たぶん体のどこか。

    歯を食いしばって、ただ前を見た。
32 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:47
 マコトはぎゅっとノゾミの右手を握り締めた。
 
 ぶるるるるん…。      

 ポンコツトラックは赤い夕焼けの中をひた走る。
 
 カオリはノゾミとマコトの髪をそっとなでると肩を抱き寄せた。
 二人から零れたため息には微かに安堵の色。
 小窓から射す夕焼けの赤い光は今日の終わりを告げるというのにきらきらしてて、カオリはなんとなく目を細めて微笑んだ。

    スコープの向こう。
    二つの小さな背中が微かに震えていた。


    潜んでいる塹壕からいくらも離れていないところが次々と弾けては吹き飛んで大地を抉り取る。
    そのたびに照準がぶれ、じりじりと募る苛立ち。

    ふぅーっ…はぁ…。

    スコープの向こう。

    耳に聞こえる砲弾。
   
    ドンッ!

    ドンッ!

    消えろ…。消えろ…。

    タタタタタタタッ!
    タタタタッ!
  
    消えて…。うるさいっ!

    タタタタタッ!

    ドンッ!
    ドゥンッ!

    悲鳴が聞こえた。
    唸るような声。痛みを切れずに張り上げた声。

    目を閉じて、もう一度ゆっくりと息を吐く。

    …。
    …ぁ…。
    ぉ……ぃ………ぁ…。
 
    目を開けて、スコープの向こうを睨む。
   
    ……。
    …。

    引き金にかかる指力を込める。
33 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:48
 きらきらと光る赤い夕焼けの光。
 疲れた体をやしく包んでくれるようで、カオリも目を閉じた。

 ガタンガタン。

 ポンコツトラックが小さな石を踏んでガタガタと飛び跳ねながら、その振動がゆりかごのようで気持ちがよくて…。
 帰り道。ゆらゆらと漂って疲れた体は夢の中に遊びに行きたがる。
 エンジンの音。
 タイヤが荒れた路面を走る音。
 
 レイナはサユミの手を握ったまま、じっと小窓の向こうの赤い景色を見つめていた。

    タタタタタタッ!
    タタタッ! タタタタタッ!

   『うぁぁぁぁっ!』

    パチパチ!
   
    銃口が閃く。
    鋭い光は刃物のように胸を突き刺す。
    飛んでいった銃弾は兵士の体を一つ二つと弾いて消えた。

    行く先はたぶん青い空の中。
    そういうことにしておこう。

    パララララララッ!
    パララッ!
    タタタタタッ!

    銃の振動で体が痺れる。
    
    ひゅーんっ…。

    ドンッ!

    ドンッ!

    砲弾が着弾した地面の衝撃が漣のようにさーっと広がって足元を揺する。
    大地が震えて、体がふわっと浮いて、心臓がひやりといった。

   『くぁっ…。くっ!』

    血が出るくらいに強く唇をかみ締めて、悔しいのか、辛いのか、痛いのか。
 
    怖い。
    負けない。
    逃げたい。
    逃げない。
   
   『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』      
 
    引き金を引く。
    ひたすら引く。

    タタタタタッ!
    タタタタッ! パタララララララッ!

    唇の端を血が伝っていった。
    袖で乱暴に拭き取って、しっかりと前を見る。

    戦場の姿。
    人と人とがただひたすらに殺しあう、ただ結局はそれだけの場所。

    しっかりと前を見る。
    息を一つ吐いて、引き金に指をかけなおす。
    目を逸らさずに見つめていた向こうの空が砂埃で茶色く煙った。
34 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:49

 夕焼け小焼け。
 カラスがどこかで鳴いて、レイナはサユミの手を握り締める手に力を込めた。
 ノゾミとマコトはカオリにもたれかかって目を閉じている。なんとなく安心したような、だけどまだ残った余韻は神経を興奮させたままで、重く重くのしかかる疲労感の中に身体を沈みこませるだけで、結局は目を閉じただけ。

 サユミはうっすらと赤く照らされたレイナの横顔をぼんやりと見つめていた。
 そっと繋いでいる手を引いて引き寄せると、ふらりが倒れこんできたレイナの体を受け止めようとすっと体を寄せてもたれかかった。
 肩と肩を寄せて、繋いだ手を膝の上において、サユミはまだ眉をくっと吊り上げて怖い顔をしているレイナに微笑みかけた。

 レイナ。今日は、もう終わったんだよ。

 サユミはもう片方の手で痛いくらいに手を握るレイナの手を包んだ。
35 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:49

    小さな背中がさらに小さく感じた。

    一つ後ろの塹壕から目だけを出して前方を伺う。
    再び火を噴き始めた銃口の振動を受け止める体。
    深くかぶった迷彩柄のヘルメットの薄いひさしの影の瞳もきっと震えてるんだろう。かすかに。本当にかすかに。
    なのに、歯を食いしばって…。

    ダーン!

    ひゅうと音を立てて、砂色の長い砲身から弾き出された砲弾があっという間に頭を越していく。
    塹壕に屈んで壁強く身体を押し付けた。

    ドンッ!

    唸りを上げて地面が揺れて、頭を抱えてさらに身体を丸めた。

    “ うぁぁぁぁぁぁぁぁっ… ”

    まだ大地が唸ってる。

    泣かないで…。

    それでもまだ足元の震えは止まらない。
    体を起こして、前方に背を向けて塹壕の壁にもたれかかった。    

    熱のこもったヘルメット。
    汗で張り付いた前髪。
    つぅっと頬に向かって落ちる雫。

    内側の汗まとわり付く袖でゆっくりとぬぐって、大きく息をつく。

    ターン…。

    ヒュッと頭の上の方を何かが過ぎった。

    タタタタッ!
    タタタタタタッ!

    パララッパララララッ!

    テンポよくリズムを刻む破裂音。

    銃を構えると、少しだけ塹壕から目を出して前を伺う。
   
    パチパチときらめく銃口。
    迎え撃つ小さな背中はまだかすかに震えてて、それはいったい、何のせい?

    後ろの方からかすかに遅れて聞こえる銃声。
    兵士が一人、『あっ』といって倒れた。   

    大きく息を吸い込んで、2拍ほど止める。
  
    …ターン…。
    
    引き金に指をかけ直すと、ゆっくりと息を吐き出した。
36 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:50

 かすかに肩にかかる吐息。
 眠ったのかと思って顔を覗き込んだら、まどろんだ瞳がゆっくりとサユミを映し出して、ふわっと笑った。
「…ありがと」
 エンジンの音にかき消されそうな呟きにも似た言葉。
 サユミは寄せていた肩を引くと、そのまま膝の上にレイナの頭を乗っけた。
「…ぁ…」
 何か言いかけて、でも疲れた体が無駄な言葉を言わせたくなくて、おとなしくサユミの膝に甘えるレイナ。
 そっと頭に手を乗せると、まだこわばっている体を落ち着かせるように髪を梳き始めた。
 レイナはきゅうと顔をサユミのおなかにうずめて目を閉じた。
 
 ドゥルルルルルルル…。
   
 エンジンの音は低く低く、時々ガクンと飛び上がっては時速80キロで駆け抜ける夕焼け色の赤い道。
 小窓の向こうに目をやれば相変わらず赤く染め上げられた大きな雲が隣を一緒に流れていく。
 
 ゆったり広がる雲はいつの間に群れを成して並んでいる。
 低いところから少しずつ青の濃さが増していく東の空。
 エンジンの音、アスファルトをタイヤが踏み続ける音。
 淡々と続く景色と音にリカはまたカーラジオのスイッチを入れた。

 疲れきった夕暮れには少し場違いなかわいらしい恋の歌がステレオから流れる。

 ちらりと横を見ればミキはなんとなく窓の方を向いたまま目を閉じていた。
 ギアに乗っけたままの左手でそっと目にかかった前髪に触れたら、「んん…」と小さく唸って、ゆっくりと目を開けた。
「リカちゃん…?」
「起きてたんだ」
「なんかね…。寝れなくて」
 シートを起こしてダッシュボードから足を下ろすと、うーんっと体を伸ばして疲れて軋む体に新鮮な空気を送り込む。
「そっか」
 リカの左が今度はハンドルへと戻そうとしたところをミキはすかさず捕まえた。
「うん…」
 捕まえた左手に右手の指を一つ一つ絡める。
 リカはちらりとまた視線を投げてその手を見ると、視線を上げた。
 繋いだ手を大切そうに包んでいじりながら、少しまどろんだやわらかい表情で微笑むミキ。
 ふ…と、なんとなくリカの肩から力が抜けた。
37 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:50
 
    スコープの向こうは砂埃で煙っていた。

    乾いた血の臭い。
    乾ききった冷たい風が長袖のカーキオリーブの厚手のジャケット越しに肌を突き刺す。

    …。
    すぅっ…。ふっ…。

    呼吸音すら潜めるように、小さく小さく吐き出した息。
    風がさらって、つんと鼻をついた死の臭い。

    タタタタタタタッ!
    タタタッ!

    パララッ! パララララララッ!

    トトトットトトッ!
    トトトトッ!       
  
    ひゅーん……。

    ダダダダダダッ!

    ドンッ!

    ……。
    大きな振動。
    地面にうねるようなタテの波。
    そしてざわざわと゛をめいて後を突いていく小さな振動。

    かすかに銃身がぶれて、ぴりぴりと緊張感と苛立ちが交じり合っていく。
    
    ……。

    涼しい表情に苛立ちをにじませて、前進を試みながら引き金を引き続けるミキ。
    ようやく震えが止まって坦々と前進の機会を窺うノゾミ。
    ミキ、レイナ、ノゾミの援護をするマコトの不安げな背中と強く歯を食いしばる横顔。
    わずかに動揺していたカオリの気配が消えた。
    レイナの小さな小さな体が塹壕から飛び出して、銃弾の波を突っ切っていく。
    サユミの放った弾丸が前方の敵兵を真後ろに弾き倒した。
      
    …。 
 
    ゆっくりと腹の底からすべての息を吐き出す。

    スコープに映る兵士の顔。
    顔を覚えるより早く引き金を引いた。

    ジャキッ。

    空の薬莢が飛び出して、新しい弾丸を装てんする。
   
    …。

    また息を吐いて、その音すら出さないように今度は息を吸う。
    
    立ち上っていた砂煙はもう冬の風に流されて、覗いたスコープの向こうは青かった。
38 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:50
    
 夕焼けに赤く照らされた横顔。
「ミキちゃん」
「ん?」
 ちらりとリカの視線が手に流れて、
「うん」
 少しだけやわらかくほぐれた表情にミキはほっとした。
「うん」 
 なんとなく手を撫でたりいじったりしながら、まだ緊張感の抜けない小さな笑顔を見つめる。
 
 ようやく地平線の上に見えてきた基地の影。    
 ラジオから流れているやさしくてどこか切ない恋の歌は、ところどころノイズ交じり。
 ハンドルを握る右手の人差し指がトントンとリズムを取る。

「はるのうた…」
 
 春の風。 
 
「はるのにおいに…まかせ」

 開け放した車窓から北の風が、リカの歌声を藍色に染まり始めた空へとさらっていった。
39 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:51

      *

 ゆっくりと藍色に空を染めて、滑走路の最先端に座るヒトミの頭の上にも夜はもうやってきている。

「このこいが、そだっていくわ。そっとなら、いいよ……。」

 ヒトミはそこで歌うのをやめて空を見上げた。
 零れ落ちたのはため息。
 すぐに顔は下を向いて、胡坐をかいて座る体の両脇で支えるように置かれた手はぎゅっと握り拳。
 フライトスーツの上に背中に『Team Sakura』の刺繍とワッペンがあちこちに張り込まれたフライトジャケット。襟元のボアが冬の夜風になびいて頬をくすぐった。
40 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:52

 格納庫の方では飛行のスタンバイで慌しい声が飛び交う。

「はーい! 今行きます! あっ! これ、アイちゃんの、ここのところのチェックもう一度お願いします!」
 つなぎ姿のリサが飛行の状態確認のためバインダーを片手にいそいそとを走り回る。

「あー。なんかなっちおなかすいてきちゃた」
「なんだよー。もぉ、緊張感ないなー」

 ナツミとマリがヘルメットを片手に格納庫へとのんびりと歩いてくる。 

「こらムシ! うっさい! なっちだってこー見えてどきどきしてんだぞー!」
「えー。マジでー」

 そこから追いかけっこ始まって、ヒトミは元気だなぁと苦笑い。
 にぎやかな笑い声の中にもう一つ加わる。

「あべさーん!」

 エリがナツミを捕まえて、そのまま手を繋いで歩き出す。

「えへへへへ」
「なにカメちゃん、うれしそう」
「うれしいんだもん」

 うれしそうな表情とは裏腹に痛いくらい強く握りしめる手。
 ナツミはなんともない顔をして包むように握り返す。

「あー! いいなぁ」
「あいぼん、おいで」

 アイはナツミと手を繋ぐと、パッとマリの手を捕まえて繋いだ。
 ぶんぶんと手を振りながら、並んで歩く4人。
 
 その後ろからアサミとアイ。

「あー。星が見えるー」
「ほんとだぁ。日が暮れるの、早くなったね」
「ねぇ」

 そこにリサが走ってくる。

「アイちゃーん、アサミちゃん、ちょっとこれ見てほしんだけどさー」

 バインダーを見せて飛行機についての再確認。
41 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:52

 ヒトミは拳を地面から離してパンパンと手を払って砂を落とすと、藍色の空のあちこちに浮き出してきた星を見上げた。
 
 ぶーん…。

 2本先の滑走路から別の部隊の戦闘機が飛び立っていく。
 プロペラをぶんと唸らせて、あっという間に夜の闇の中へと消えていった機影。

 ヒトミはまだグラブをはめていない手をじっと見つめた。

 小さくもないけれど、決してすごく大きいわけではない手。
 長いすらっとした指先。
 ぐっと強く握り締めて、藍色の地平に向かって拳を一つ繰り出した。

 …。

 すとん。
 腕が落ちる。

 近づいてくる足音にため息を吐くのをやめて、振り返った。
「よっちゃん。行こう」
 アイが手を差し出す。
 その小さな小さなてをしっかりと掴んで、ヒトミは立ち上がった。
「よっしゃ。今日もがんばるか」
 フライトスーツのお尻を簡単にはたくと、アイの手を引いてヒトミは仲間達の方へと歩き出した。
42 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:52

 ぶぅーーーん…。

 プロペラ機の低い唸り。
 見上げれば夜の闇の中、かすかに見えるMM−10型戦闘機。

 リカとノゾミは手を繋いでピンクで落書きが施されているであろうそれを見つけると、ハンドルの真ん中を叩きつけてクラクションを鳴らした。
 もう夜だけど、かまうもんか!

 パァーーーーーーーーーーンッ!

 夜の中に吸い込まれていくクラクション。
 
 いってらっしゃい。気をつけて。

 あっという間に夜空は機影をその中に溶かし込んで、それでも二人はしばらくそこから動かなかった。
 
 さらに温度を下げた冬の風が星座を鮮やかに藍色のキャンパスに描き出す。
 夜は始まったばかり。
 耳を澄ませばようやく戻ってきた静寂がただそこに横たわっているだけだった。
43 名前:赤い夕暮れ、藍色の夜 投稿日:2005/05/04(水) 12:53

          「赤い夕暮れ、藍色の夜」         END
44 名前:さすらいゴガール 投稿日:2005/05/04(水) 12:58
たいへんお待たせしておりましてもうしわけないです。
ここのところ仕事+現場で忙しく……。

再確認、そんな位置づけで書いた物語です。ワタクシにとっては。

>>27 ひろ〜し〜様
 ありがとうございます。
 ちょっと今回はほのぼのとはしてませんが、何かを感じ取ってもらえたらうれしいです。
 感想もどうぞ遠慮なく。こちらこそ、よろしくです。 
45 名前:ひろ〜し〜 投稿日:2005/05/22(日) 01:43
さすらいゴガールさんの作品って
なんか、その場景(情景?)を思い浮かべやすくてかなりイイです!
仕事+現場、頑張ってくださいね。
作者さんのペースで更新、マターリと待ってまし。
46 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/07(火) 16:55
初めて発見、一気読みさせていただきました。
重いのにどこか優しいような不思議な空気がとても素敵です。
お仕事忙しいかと思いますが、お体に気を付けてくださいね。
次の更新もまったりとお待ちしております。
47 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:20

 小さな小さな駅のロータリー。
 ぶんと黒い息を吐き出してポンコツトラックが止まった。

 静かな駅の改札の向こうには、駅名の書かれた少し疲れた白い看板が冬の陽射しを受けて立っているのが見える。
 少しばかり短いホームには人の姿はないようで、すずめが連れ立って歩いているのが見えた。

 駅前に並んだ商店は陽射しの中のんびりとひっそりとしていて、そこに勢いよく開いたポンコツトラックの後部ドアからにぎやかな声が埋め尽くしていく。
 空に吸いこまれていく笑い声。
 ボン、ポンと飛び出てくる軍支給の大きなカバンや合皮のトランク。
 グレーのウールのコートにダークブルーのスーツとセルリアンブルーのベレーなんていう着なれない格好でドタバタと動き回るノゾミ、マコト、サユミ、レイナ。
 そのたびに右に左にタテにヨコにと揺れて、リカは小窓から荷台を見て苦笑い。
「あぁあぁー。まったく。荒っぽいなぁ」
「まっ、いいじゃん。はしゃいじゃってさ。かわいいじゃん」
「まぁね」

『よぉガンバっとるご褒美やて』

 ユウコから伝えられた1週間の特別休暇。
 緊迫し続けるこの状況での破格のご褒美。
48 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:26

 はしゃぐ声の明るさにリカはふわりと目を細めた。
「次…あるかないかだもんね」
「うん…」
 ミキは小窓から離れるとダークブルーのスーツに包んだ体をシートに深く沈めた。
 それとは対照的にブルーに袖に2本の線が入ったハーフジップのトレーニングジャージと厚手のカーキグリーンのカーゴパンツのリカ。
「そうなんだけどさぁ…」
 呟いて、ミキの視線が足元に落ちる。そこには軍支給のキャンパス地のトラベルバッグ。そしてちょこんとのっかったセルリアンブルーのベレー。
 リカもちらりとそれに目をやると、ハンドルに上半身を預けつつ、振り返って肩越しにどこかつまらなさそうな顔をするミキへと視線を移した。
「いいの?」
「んー」
「ほら。列車、来ちゃうよ」
「んー」
「ほら。ののたち、荷物下ろし終わったみたいだし」
 バタンと後ろのドアが閉まってがちゃがちゃと鍵をかける音。
 ミキはなんとなくうつむき加減のままもたれていたシートから体を起こした。
「ねぇ、リカちゃん」
「ん?」
「いいの?」
「何が?」
「何が……って…」
 やれやれと言わんばかりにミキは肩を揺らした。
 何か言いたげな機嫌の悪い唇。
 リカは寄りかかっていたハンドルから体を起こすと、所在なげに爪をいじる手を取って包んだ。
「しょうがないよ」
「…」
「もぉ。どうしたの? ミキちゃん」
「別に」
 吐き捨てて、うにっと尖った唇。
 リカは困ったなぁと眉毛を下げた。
「別にって感じじゃないんだけどなぁ。さっきから」
「…っさいなぁ。じゃあ何? ミキがいない方がリカちゃん、うれしいの?」
「そんなこと言ってないじゃん」
「だぁってさぁ」
 ぷーと膨らんだミキのほっぺ。また尖った唇。
 困ったなぁとますますハの字に下がるリカの眉毛。
「でもさ、しょうがないじゃん」
 どこに帰ったらいいか…わかんないんだもん。
 うにうにうにと相変わらずミキの手をおもちゃにして揉み続けるリカ。
 ミキはその手を止めると指を絡めて繋ぎ直した。
「…そうなんだけどさぁ…」
「大事なことなんでしょ。しょうがないよ」
「…」
 繋いでいるミキの指先に力がこもって、ゆっくりと零れた落ちたため息は重い。
49 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:27

 助手席の窓の向こうでは、ノゾミが駄菓子屋を見つけてマコトの手を引っ張って走っていく。サユミもまだ出てこないミキの様子をやきもきと窺っているレイナをひきずって後についていく。

 あーぁ。
 ミキからまた一つ大きなため息。
「リカちゃん」
「ん?」
「ホントにさぁ、いいの?」
 さびしいくせに。
「意地張っちゃってんじゃないの?」
「そんなことないよ。カオたんいるもん。ふふっ。独り占め」
 うふっと笑って、ミキがきしょっとやり返す。
 リカはトラベルバックの上に乗っかっているベレーを手にすると、ポンとミキの頭に乗っけた。
「それに、オオカミさんがちゃーんと守ってくれるもん。でしょ?」
「あー…まぁね。そうだけどさぁ。でもさ、やっぱホンモノの方がよくない?」
「んー。まぁ…そりゃあねぇ」
「だったら…」
 唇を塞がれて、ミキの言葉はそこで止まった。
 ぬくもりが伝わるまもなく重なった唇はあっさりと離れて、不機嫌そうに睨んだらそっと唇をなぞったリカの指先。
 指の温かさを唇に焼き付けながら目で追いかけると、手が荒っぽく結んだネクタイへと降りていく。
「大丈夫だから。ね?」
 きゅっとネクタイの形を直して整えると、リカはふわりと微笑んだ。
 この意地っ張り。
 乗っかったままのベレーを直す手を見つめながら、ミキはわざとらしくため息を吐いて大きく肩を揺らした。
「うん。これでよし…っと」
 軽く手櫛で髪を整えられて、きちんと乗せられたベレー帽。
「うん。カッチョイイ!」
「あぁー。なにそれ」
「いいの。ふふっ。うん。素敵だよ。ミキちゃん」
「ありがと」
 ふんわりと微笑むリカに照れくさそうににひひとはにかみ返して、ミキはようやくトラベルバッグの持ち手に手を掛けた。
「早く帰ってくる」
「ゆっくりしてきなよ」
「やだ」
「もぉ」
 わざとらしく膨れたリカの頬。
 ミキはくすっと笑って頬を突付くと、その手でそっと包み込んだ。
「じゃあ、行ってくるね」
「うん」
 大きくうなずき返したリカにすっと近づくミキの顔。

 助手席の窓の向こう。寒空の下でアイスキャンデーを頬張っているノゾミ、マコト、サユミ、レイナが慌ててポンコツトラックから顔を背けた。
50 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:28

 ガチャ。

 グレーのコートを脇に抱えてようやくポンコツトラックから降りたミキ。
「さむっ…」
 ちくちくと肌を刺す冬の風に慌ててコートを着ると、暖房で暖かった車内がひどく名残惜しい。
 リカはトラベルバッグを渡すと、そのまま助手席に座ってとりあえずドアを閉め、ウィンドウを下げて身を乗り出した。
「みんな! いってらっしゃーいっ!」
 ぶんぶんと手を振ったら、「はーい!」とノゾミ、マコト、サユミ、レイナから帰ってきた大きな返事。
 ミキはそんな4人に目を細めてくすくす笑うと、
「じゃ、行くね」
 よいしょとトラベルバックを肩にかけ、小さく手を振って4人の下へと歩き出した。
「気をつけてねー!」
 そして「はーい!」と帰ってきた5つの返事。

「もぉ。ミキティいちゃいちゃしすぎだってば」
「そーですよぉ」
「もー列車くるっちゃよー。みきねぇ」
「赤くなってるー。フジモトさん、かーわいいー」

「あーもー。うっさい。ほらっ。行くよ」

「はーい」
「はーい」
「はーい」
「はーい」

「ねぇねぇ、マコト。ちゅぅ〜」
「ちゅ〜ぅ」
「こらこらこらこら」
「やーん。ミキティだってさっきしたじゃーん。ねー」
「ねー」
「フジモトさん、耳真っ赤ぁ!」

 なんだかんだと待たされたノゾミにからかわれてひじで突かれているミキ。
 マコトが一緒になってやんやとはやし立て、なんかむっすりとしたレイナの手を引きながらサユミも一緒になってきゃあきゃあと騒いで笑っている。
 そんな後姿を助手席の窓から身を乗り出して笑顔で見送るリカ。
 改札を通って、ホームに上がる前にまた振り向いてみんながぶんぶんとリカに手を振って。
 だからおっきく腕を振って返した。
51 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:28

 ガタンガタン。

 ほどなくしてホームに列車が滑り込んでくる。
 駅のフェンスの向こうから手を振るようにひらひらと見え隠れするベレー帽が一つ二つ。

 ガタンガタン。

 レールの上を軽やかに駆ける弾んだ音がやわらかな空色の中へと駆けていく。
 短い車両は大きな街へと向かっていた。

 ロータリーの中をすずめがちち…とざらっとしたアスファルトを突きながら横切っていく。
 なんなとく見上げた空はよく晴れている。それだけに風は冷たく冴えて、簡単にジャージをすり抜け、中に着ている薄手のウールのニットをすり抜けてひゅうと耳元で笑って肌を刺していく。
 リカはぶるっと体を震わせた。
「さて」
 ぐるぐるとハンドルを回してウィンドウを上げると、運転席に戻ってキーを回した。

 どぅん。どぅるるるる……。

 リカは後ろから軍支給のファー付きのボアライナーのコートを引っ張り出して羽織ると、シートベルトをしてゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
52 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:29

    *

 夜の帳は落ちて、冬の星座はきらきらと瞬いて…。
 静かな夜。
 ひっそりと地平線から顔を出した月はそろそろ半分になろうかとしている。

 静かな夕飯。
 静かな食後のひと時。
 それまでだってたいした人数ではないのに、驚くほど静かな兵舎。
 いつもとは少し違うのんびりと穏やかな時間の流れ。
 翌朝のことを気にしなくていい夜。

 消灯時間も近くなって、部屋に戻ってベッドで横になって本を読んでいると、カオリはふと、ドアの向こうに気配を感じた。
 休暇中は特別…とカオリの足元辺りで丸まっていたれいにゃも『ん?』と顔を上げる。
 一人と一匹は顔を見合うと、またドアへとカオを戻した。
「…」
 ページをめくろうとしていた手を止めて少し集中する。
 星の瞬く音さえ聞こえそうな夜は、すぐにドアの向こうの様子を伝えてくれた。
53 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:30

 ひたひたひた…。

 …。

 ひたひたひた…。

 …。

 はぁ…。
 ため息が一つ。

「…」

 ドアの前を行ったり着たり。
 普段はスナイパーの習性か自然と抑えられた足音もずいぶんとはっきりと感じる。
 カオリは起き上がると、
「リカ?」
 ドアの向こうに声をかけた。

 …!!!

 ひたっ…。

「いいよ。どーしたの? 入っておいで?」

 …。
 ………ふー。

 …。

「…」

 じーっとドアを見つめるカオリ。
 たった一枚のこげ茶色の板の向こうから伝わってくる戸惑いと緊張。
「りか?」
 もう一度やさしく呼びかけてみる。

 …。

 暖房をつけていない冴えた部屋の空気がすうっと動いた。

 キィ…。

 ドアノブがゆっくりと回り、

 ガチャ。

 ドアが開いた。
54 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:30

「カオたん…」
 オオカミさんのぬいぐるみをぎゅうっと両腕で抱きしめ、不安と恥ずかしさにひよこみたいに口を尖らせてハの字眉毛で上目遣いにじっと見つめるリカ。
 く…くるしぃ…。
 しっかりと胸に抱きしめられて苦笑いのオオカミさん。ちょっと赤くなってるのは…たぶんの気のせい?
 カオリはじぃっと見つめて立ちすくむリカにふわりと微笑みかけた。
「ほら。りかちゃん。おいで」
 布団を少し捲り上げてぽんぽんと叩く。
 リカはなんか言いたげに口を開きかけては閉じてを3回繰り返すと、こくりとうなずいた。
 ドアを閉め、ぺたぺたぺたとベッドへ行くと、カオリの腕にぴたりと背中くっつけて腰掛けた。
「カオたん…」
 振り向きざま子ネコのようないじらしい目で見上げるリカ。
 カオリはよしよしと頭を撫でると、
「ほら。風邪引いちゃうから、入って」
「うん」
 こっくりとうなずいたリカがベッドに足を乗っけて布団の中にもぐらせると、軍支給のカーキオリーブのジップ・セーターを脱ぎ、そっと布団をかけて肩を抱くように横になった。
55 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:31
 
 カチン。

 手を伸ばしてベッドサイドの小さな電光ランプの明かりを消す。
 布団の上にいたれいにゃがカオリとリカの間に出来た隙間からもそもそと布団の中にもぐっていく。
 カオリはオオカミさんを抱きしめたままもぞもぞと体をくっつけてくるリカを包むように長い腕で抱きしめると、なにやら強張っている背中をゆっくりゆっくりさすった。
「カオたん…」
「ん?」
「うん…」
 むぎゅとオオカミさんの頭に口元をうずめるリカ。
「なんかね…」
「うん」
「あったかい……」
「うん。そうだね」
 さする手が、今度はあやすようにぽんぽんと背中を叩き始める。
「カオたん…」
「ん?」
「みんな…何してるかなぁ」
「んー。そうだねぇ…」

   『子分のみんなに会ってくるっちゃ!』
    声を弾ませ、目をきらきらさせてぴしっとスーツの襟を正すレイナ。
   『お姉ちゃんのお墓参りに行ってきます』
    ふんわりと微笑んで、でもちょっとさびしそうな目をしたサユミ。

   今頃は西へと向かう夜行列車の中。
   ガタゴトとにぎやかな列車の中で、サユミとレイナはいったんどんな夢を見ているんだろう。
56 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:31

「ふふ。おみやげ、楽しみだね」
 カオリの手がやさしくリカの髪を梳く。
 うれしそうに微笑んでリカはうなずいた。

   『へへっ。ひさしぶりのお母さんのごはん。楽しみっ!』
    ちょっとはにかんで、いつもとかわらないあまえんぼうな笑顔のノゾミ。
   『あたしもお母さんのかぼちゃ料理、すっごいたのしみーーっ!』    
    もうすでに食べたかのようにうっとりとしたかと思うと、うきゃーとはしゃいで飛び跳ねるマコト。

   久しぶりのお母さんの手料理。
   たっぷり食べたノゾミははしゃぎ疲れてたぶん今頃夢の中。
   夜行列車に揺られて眠るマコトの夢は、たぶんだいすきなかぼちゃ料理。
   
「今日のカオたんのごはん、おいしかったよ」
「ふふっ。ちょっと贅沢しちゃったね」
 五穀米のごはん。大根と青菜のみそ汁。
 そして普段はなかなか手が出ない牛と豚のあら引き肉を使った和風煮込みハンバーグ。
 さっぱりとしたしょうゆベースのだしの染みた肉。付け合せのナスにほうれん草、にんじん、じゃがいも。
 みんなが聞いたらさぞ悔しがるだろう。
 しーっ。ナイショね。
 って約束して、ゆったりと過ぎていったちょっとオトナのディナータイム。
 リカの腕の中のオオカミさんも、『ニク…いいなぁ』ってうらやましそうにカオリを見つめている。
 よしよしとオオカミさんの頭を撫でると、よいしょとリカを抱きなおした。
 リカは目を細めて鼻先をオオカミさんの頭にうずめた。
57 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:31

   『はい。リカちゃん』

    ミキはマコトの部屋からとってきたオオカミさんをむぎゅっとリカの胸に押し付けた。

   『ミキちゃん?』
   『ふふ。ミキいないから、リカちゃん一人じゃ寝れないかなぁってね。ま、お守り代わりってとこかな』
    クスクスと笑って、からかうようなやんちゃな瞳にリカが『もぉっ』って膨れる。
   『ミキちゃんこそ、さびしいんじゃないの? なんなら、うさぎ持ってく?』
   『ミキは大丈夫』
   『ホント?』
   『なぁによー。ホントだって』

 オオカミさんにうずめている口が不満げに尖る。
 なによぉ。自分だってさびしいくせに。もたもたしちゃってさぁ…。
 きゅうっとオオカミさんを抱き締める腕にこもる力。

   『なんかさぁ…。お姉ちゃん達が顔見せろっていうからさぁ』
    そう言って笑った顔はちょっと困ってて、だけどどこかでほっともしているようで…。
   『まぁ、それだけじゃないんだけどね。お墓のこととか、実家のこととかもあるし』
    手紙とかじゃ伝えきれないじゃん…と、ミキのちょっと困ったような笑顔に淡い影が落ちる。
   『行ってきなよ』
    あたしには…もう、ないから。
    言葉にはしなかったけど、ミキが困ったように笑うから、たぶんさびしそうな顔をしてたんだろう。
   『…ごめんね。リカちゃん』
   『なんで謝るの?』
   『ぁ…そうだよね』
   『いっぱい甘えてきなよ』
    そしたら、
   『いいよ。だったら今、リカちゃんに甘えたい』
    そう言って、だっこ…って舌っ足らずな口ぶりでにかっと笑うミキ。
58 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:33

 オオカミさんがちょっと息苦しそうにリカの腕の中で笑っている。
 うずめていた口元をあげて抱きなおすと、じっとカオリを見つめるリカ。
「リカ?」
「…」
 じいっと見つめてくるから、そっと額をこつんと合わせて見つめ返すと、リカから小さなため息が零れた。
「ねぇ、カオたん…」
「ん?」
「ぅん…」
 またわずかに強張ったリカの小さな背中。
 リカはすがるように背中に回した手でぎゅっとスリープシャツを握り締めて、カオリの首筋に顔をうずめた。
 オオカミさんが、ちょっと苦しそう。
 でもどこか心配そうに見上げているようにも見える。カオリは片手でしっかりと抱きしめられたオオカミさんをそっと取り上げると、自分の方に向いていた顔をリカの方に向けて腕の中に戻した。
 そして、背中に回っているリカの腕を取ると、仰向けになってリカの手を包むように握り、頭を上げさせて下に腕を入れると首筋にうずめたままのリカの頭を抱き寄せて腕枕。
 二人の間に挟まれて、それでも少しだけ楽になったのかむぎゅっと押し潰されていたオオカミさんの体にふっくらと丸みが戻った。
 オオカミさんを胸に、カオリの肩口に顔をうずめて目を閉じるリカ。
 指先でくすぐるように髪を梳いてやると、リカの小さな手がカオリのスリープシャツの胸元をきゅっと掴んだ。
 まだわずかに強張っている体。
「りか…」
 やさしい声で囁いて、髪を梳いていた手でゆっくりゆっくりと背中をさする。
「…カオたん」
 うずめていた顔を上げると、そこにはふんわりとしたやわらかな微笑。
 
   『いってらっしゃい』

    ガタガタと揺れるポンコツトラックの後姿に手を振るカオリ。
   
   『ただいま』

    リカが戻って食堂のドアを開けると、窓辺に座って読書していたカオリがにっこりと微笑んだ。

   『おかえり』
59 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:33
 スリープシャツを掴む手にさらに力がこもる。
 リカはまた肩口に顔をうずめて目を閉じた。

    星の瞬きが聞こえそうなほどの静かな夕食後のティータイム。
    カオリの部屋でベッドに座って、体を寄せ合ってのんびりと過ぎる冬の夜。
    カオリの膝にはれいにゃ。
    ロウソクの淡い灯。温かい紅茶のやさしい香り。
    しゅんしゅんとだるまストーブの上のやかんが白い息を吐く。

   『…カオたん。よかったの?』
   『ん? 何が?』
   『…んー…。みんな帰ったのに……カオたん…』
    カップの中でゆらゆらと揺れるブラウンの水面を見つめる不安げな視線。それとなくひよこのように尖った唇。
    カップに口をつけたものの、ふとためらってカチャとカップと皿が甲高い音を打ち鳴らす。

    ゆらりゆらりと揺れる水面。
    眉毛をハの字にした小さな笑顔が白いティーカップの中でゆらりと歪んだ。

    しゅん、しゅんと白い湯気を立ててやかんが歌う。
    ストーブの窓から見える橙色の炎が踊っている。

   『りか』
   『ん?』
    
    カオリはカップをベッドサイドの小机に置くと、どこか泣きそうな目で見上げるリカの肩を抱き寄せた。
   『お留守番、一人じゃ退屈でしょ?』
   『けど…っ…』
    スリープシャツ越しにじんわりと伝わってくるやわらかいぬくもり。
60 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:34

 しなやかな手がやさしくやさしくリカの心を解して、微妙に力が入っていた体からすっと力が抜けていく。
 カオリはさすっていた手を止めると、とん、とん…とゆっくりと背中を叩いて、子守唄を口ずさんだ。

 とん、とん…。

 心臓の鼓動にあわせた緩やかなリズム。
 ちょっとあやふやな歌詞を囁くようなハミングでごまかす。
 
 帰りたい場所。
 帰る場所。

 奪われて、見失って…。
 どこへ帰ったらいいの?

   『リカ。一緒に寝よっか?』
   『……うぅん。大丈夫』

    いつものリカらしくない返事。
    困ったように眉を下げた笑顔から覗く遠慮とどうしようもないほど燻った不安。

 わからなくて、そこにあるぬくもりがなぜが怖くて……。

 だきしめてほしい。

 心も。
 心を。

 帰りたい場所。
 自分だけの居場所。 
 
 失って、けど、新しい場所に気づく幸運。
 ふと気づく、あたたかさ。

 とん、とん…。

 規則的な穏やかな呼吸。
 しっかりとスリープシャツを掴んだまま、リカもようやく夢の中へ。
 もう片方の手でしっかりと抱きしめるオオカミのぬいぐるみ。
 
「バカね。意地張っちゃって」

 そっと髪をなでて、カオリも目を閉じた。
61 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:34

      * 
 
 のどかなのどかな小さな駅の前の小さなロータリー。
 人通りもなく、ちゅんちゅんと穏やかな冬の日差しの中、すずめがちち…と連れ立って歩いている。
 戦争中だというのに呆れるほどのどかなのは、戦争中だから人がいないからなのかなんなのか。
 ジープのエンジン音はそんな穏やかな空気の中ではやたらと騒々しい。

 ロータリーに入って正面に駅。
 その右手を見れば駄菓子屋さんの看板。
 リカはその店の前のベンチで寒空の下アイスキャンデーを銜えて足を組んで座っている姿を見つけると、やれやれと苦笑いして、大きくハンドルを右に切った。

   『もしもし。あ! リカちゃん!』

    それはなんとなくいつもの習性で朝の筋トレとランニングをして食堂に戻った直後の一本の話から。 
  
   『へへ。うん。もう近くの駅まできてるんだ』
   
 ひらひらとジープに向かって満面の笑みで手を振るミキ。
 制服のセルリアンブルーがなぜだか日差しの中、眩しく感じた。

   『迎えに来て。待ってるから』
62 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:35

「もぉ。まったく…」
 呟いて、でもしょうがないなぁ…と笑うリカ。
 ジープをミキの座るベンチの前辺りに停めると、トラベルバッグをよいしょと肩にかけてトトトトッとミキが走ってきた。
「ただいま!」
 ドアを開けて後部座席にバッグを放り込むなり、ぎゅっとリカに抱きついてほっぺにちゅう。
「ちょっ! ミキちゃん!?」
「なぁに? いいじゃん。したかったんだから」
 イヤなの?
 イヤじゃないですぅ…。
「でもさぁ…」
 びっくりすんじゃん…。
 とかなんとか言って、カオ、赤いよ。
「まぁまぁ。ね? ほらほら」
 まるで小さい子が甘えるような舌っ足らず声で、うりゃと食べかけのアイスキャンデーをリカの口に押し込むと、
「いいじゃん。なんかさ…うん」
 へへへっと照れくさそうに笑って、バタンとドアを閉めた。
 なんとも言えずフクザツな表情のリカの口の中に広がるもっさりなのにあっさりしたミルクの味。

 フロントガラスの向こうに広がっている澄み渡った冬の青い空。まだ白さを残す太陽の光。
63 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:36

 リカは口に押し込まれたアイスキャンデーを齧った。
「でもさぁ、おととい行ったばかりじゃん」
「うん。そうなんだけどね。ってかさぁ、言ったじゃん。早く帰るって」
「言ったけど、そうだけどもっとゆっくりしてくればいいのに…」
「うん…」
「ミキちゃん?」
 それまでのはしゃいだ明るい笑顔がすっと落ち着きと影を含んだ微笑に変わる。
 ミキはシートに乱暴にもたれかかると、ベレー後部座席に放り投げ、かしこまってきゅっとしまったままのネクタイを緩めた。
 ふぅ…ため息を吐き出し、影の差す笑顔のまま次の言葉を待ってじっと見つめるリカに視線だけ向けた。
「そうしたかったんだけどね」
 スーツの胸ポケットからロリポップを取り出すと、ペリペリとワインレッドにサクランボが描かれた包装紙をはがして銜える。
「なんかさぁ…。かわいかったんだよ。まだちっちゃいの。赤ちゃんなんだ。姪っ子」
「…」
「ミキのこと見て、にこーーって笑うの。ほんっとかわいいの。うん」
 ちっちゃな手をまるで空を掴むようにめいいっぱいミキに向かって伸ばすから、そっと握ったらふんわりとやわらかくてあたたかかった。
「かわいいんだけどさ、なんか…なんて言ったらいいんだろ……うん」
「……」
 なんとなく食べ終えたアイスキャンデーの棒を唇に押し当てたまま、リカはどこか思いつめるように視線を落とした。
 ミキはクスッと笑ってコツンとリカの額を軽くノックした。
「何リカちゃんが暗いカオしてんのよ」
「え…だって…。んー…そんなカオ、してた?」
「してた」
 ま、いいんだけどね。
 そう呟いて、ミキはシートを倒して寝転がった。
「ねぇ、リカちゃん」
「ん?」
「なんかさ、おねぇちゃん、お母さんしてた」
「うん」
「あんまりカッコよくないけど、でも…やさしいダンナさんとかわいい赤ちゃんに囲まれて」
 ここにいて…いいのかな……なんてね。
「…」
「しあわせそうだった」
 ガラスの向こうの真っ青な空を見つめたまま、ミキはそっと手を伸ばすとリカの手を握った。
64 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:37

 コロコロと舌先で飴玉を転がせば、ふらふらと白い棒が揺れてフロントガラスの向こうの青空に向かってタクトを振るように何かを奏でている。
 どこか切なげで、なのにそれとなく穏やかな、そんな冬の日のメロディー。
 覆いかぶさるようにリカは唇を寄せると、重なろうとしたその瞬間それでいいのかためらって、けど、それ以外には思いつかなくて、ゆっくりとやわらかく唇を押し当てた。

「帰ろっか」
「うん」

 のどかなロータリーをぐるっと回って低いエンジンの唸りを上げながらジープが駅から離れていく。
 ちち…と連れ立った歩くすずめの親子。
 人気のないホームで日差しを受けてひっそりと立つ看板。
 その足元に落ちた小さな影がもうそろそろ正午になろうかと伝えようとしていた。
65 名前:冬の日の歌 投稿日:2005/07/18(月) 17:38

    「冬の日の歌」        END
66 名前:さすらいゴガール 投稿日:2005/07/18(月) 17:56
お久しぶりでございます。
ようやく更新できました。

仕事もそろそろ落ち着いて……くれるといいんですけど。
近年まれに見る多忙に襲われておりましたので…。

久々の更新ですが、楽しんでいただければ幸いかと。

>>45 ひろ〜し〜様
 ありがとうございます。
 一つ一つのシーンを丁寧に書いて伝わってるかなぁと思うとうれしいです。
 お待たせすることが多いですが、そういっていただけることに感謝です。

>>46 名無飼育さん様
 はじめまして。
 思ったより長いので一気読みは大変だったのではと思います。
 ありがとうございます。
 救いのない舞台の物語ですから、せめて少しくらいはやさしく。そう思っています。
 お気遣い感謝です。のんびりとお待ちいただけたら幸いです。
67 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/25(月) 22:36
はじめまして
はぁあ・・・・すげぇ・・・カンドーっす
本物の娘。さんたちと被って仕方ない・・・
とくに4期以前の人たちのエピソードが
前作の姐さんと飯田さんと保田さんとりかちゃんとみきてぃがお酒飲みながら回想してるとことか・・・
もう涙出まくりっすよ
さくら隊の方も見てみたいなぁ・・・なんて言ってみただけっす(w
68 名前:名無しさん 投稿日:2005/08/04(木) 21:26
はじめまして
うわぁ………すげぇよ……
一つ一つの話しが丁寧に書かれていて分かりやすいし、
戦争つ言う難しいテーマについても真剣に書かれあってまるで自分もその中に居るかの様に感じました。
幼いながらも一人一人守りたい物を守るために戦う、そんな姿に心打たれました。
出来るならみんな幸せになってほしいですね。
作者さん、お仕事忙しいでしょうが体に気を付けて頑張って下さい。
次回更新マターリと待っております。
69 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/22(木) 20:07
スゴイいい話ですねー…
待ってますよ
70 名前:モノクロームのフォトグラフ 投稿日:2005/10/03(月) 03:31

 ビルの陰で息を潜める。
 ファインダー向こう。狭い窓越しの彼女はライフルを右手に、無表情ともつかぬどこかやるせない横顔をこちらに向けて彼方を見据えている。
 青い青い空の中、乾いた風がヘルメットからはみ出した髪を揺らす。
 シャッターを押さえる指にぐっと力を込めた。
 
 ふと振り向いたリカの警戒した眼差し。
 すっとさりげなくライフルの銃身に添えられた左手。
 ファインダー越しに目が合った気がした。

 カシャ。

「…!?」

 ぐっと息を詰める。
 きりぎりまで呼吸を押し殺す。
 リカがゆっくりと辺りを見回す。
 その様子に左手側からなにやら怪訝そうな顔をしてミキが歩み寄り、同じように辺りを見回す。
  
 人差し指に少しだけ力を込めて、シャッターを切った。

 カシャ。

「…ぁ」

 また?

 すっと流れたはずのリカの視線が50メートルほど離れたこちらを見据えて、ファインダー越しに目が合う。
 リカの視線を追うミキの鋭い眼差し。
 右手側から駆け寄ってきて二人の視線を追うサユミ。
 
 カシャ。

 とりあえずもう一枚。


 気づいてる?
 辺りを警戒しながらもほとんど離れることのないリカの視線。ミキの射抜くような眼光。サユミの不安げな瞳。
 ピントの微調整をしながら深呼吸をするようにゆっくりと息を吸い込んで、二つ止めてからゆっくりと静かに吐き出す。
 相手はスナイパー。
 そうだよね…。
 こんな陰に隠れて見つめてたら、怪しまれるよね。
 そこここで立ち上る重い灰色の煙。
 今は占領した街の混乱の収束させながら警戒に当たっているわけで、本格的な戦闘自体は終わっている。
 同行させてもらって取材しているはずなんだけど、なぜだかファインダー越しでにらめっこ。
 そう思うとちょっとだけおかしかったけど、何があるかわからないとこだから、ただ息を潜めてじっと互いの様子を窺う。
71 名前:モノクロームのフォトグラフ 投稿日:2005/10/03(月) 03:32

 パン!
パンッ!

 遠くから聞こえた銃声。
 傷だらけの銀色のボディを構える手のひらに汗がにじむ。
 
 パン!
 パンッ!

 そして、また二つ。
 どこかでささやかな小競り合いが繰り広げられているらしい。

「…!?」

 引き金に指をかけたまま、すっとリカがライフルを構える。
 スコープを覗く表情は相変わらず険しい。

 タタタタッ!

 軽快な破裂音が空に吸い込まれ、微かに聞こえてくる怒声。

「…よし」
 ゆっくりとむりやり押し出すように細く息を吐き出すと、シャッター切った。

 カシャ。

 小さなカメラの中にまた一つ、時間を切り取る。
 
 乾いた風がほこりを舞い上げながら走っていく。
 相変わらずファインダー越しに、スコープ越しに見つめあう二人。
 ドクンドクンと跳ねる心臓。
 微かに震える指先。

「…ぇ?」
72 名前:モノクロームのフォトグラフ 投稿日:2005/10/03(月) 03:33

 すっとリカがスコープから目を離した。
 ライフルの銃身から右手を離すと、ミキとサユミになにやらこそこそと話しかけている。
「…なに?」
 時々が笑顔が混じって、こちらの方に軽く向けられた人差し指。
 ミキとサユミの顔にも笑顔が見え始めてくる。
  さっきまでの緊迫感はどこへやら。ファインダーの向こうの和やかな空気。
 なんだなんだ?
 何があったの?
 リカはにこっと笑った。そして、『せーの』って動いた唇。

「あ!」

 リカとミキは指でLの字を作って顔の横でぴしっと止めてポーズ。
 サユミは両手を頭の上にやってピースを二つ。

 カシャ。

 嫌なドキドキがすーっと消えて、なんかおかしくなってきて自分も笑っているのがわかる。
 リカとミキは隣でぴょんぴょんと跳ねているサユミを見ると、にこっと笑った。
 なるほど。これがうさちゃんピースかぁ。

 カシャ。

 シャッターを切って、3つ並んだうさちゃんピースをフィルムに収めた。
 
 パン!
 パン! パン!

 風を突き破って聞こえてきた銃声。
 リカ、ミキ、サユミの表情が変わった。 
 
 ファインダーから目を離すと、さっよりはずっと小さい3人の姿。 
 ピルの影から出て敬礼をしたら、ピシッときれいに整った3つの敬礼が帰ってきた。 
 そして、くるりと背を向けると銃声の方へと向かっていく。
 
 カシャ。

 小さな、しかしどこか気高く力強い後姿を見えなくなるまで見送った。
73 名前:モノクロームのフォトグラフ 投稿日:2005/10/03(月) 03:33
 
    *

「はっ…はっ…」

 兵舎の裏。ちょうど食堂の真ん中辺りの壁のそばで腕立て伏せをするレイナ。
 穏やかな冬の太陽を浮かべて晴れた空の下、おんなじリズムで上下する体。
 同じくらいの目線になるようにちょっと離れてしゃがむと、カメラを構えた。

「はちじゅうぃち…はちじゅぅに…はちじゅぅさん…」

 顔にじんわりとにじむ汗。

 カシャ。

 くぁ…。
 そばでちょこんと座っていたれいにゃが大あくび。
 あ…。気づかなかった。
 そそそっと少しだけ離れて、またカメラをレイナに向ける。今度はれいにゃも入るようにと構図を決める。

「きゅぅじゅぅぃち…きゅぅじゅぅに…きゅぅじゅぅさん…」

 そのまましばらくテンポよく上下する小さな体を挟んで、れいにゃと黙々と腕立て伏せをするレイナを眺める。

 ひゅうと時々走り去っていく木枯らしが短く揃えた髪をさらりと流す。
 見上げれば薄く広がった雲。
 昼下がりの太陽はもう少しけだるい様子で黄色く色づいている。
 足元にもあちこちに枯葉。

「ひゃくさんじゅぅさん…ひゃくさんじゅぅよん…ひゃくさんじゅうご…」

 くぁ…。
 またれいにゃはあくびをすると、よいしょと地面に転がって体を丸めると目を閉じた。
 ぽかぽかと小春日和。ちょっと冷たい風が時折吹くけれど、それなりにさわやかな冬の午後。
 つーっとレイナの頬に汗が滑り落ちる。

「ひゃくごじゅぅご…ひゃくごじゅぅろく…ひゃくごじゅぅなな…」

 相変わらずまったく衰えないテンポで上下する体。
 時計を見たら5分近く経とうとしている。

 カシャ。

 滑り落ちる汗に一枚。
 そして…。

 カシャ。

 淡々と筋トレに励むレイナと冬の日差しに包まれて眠るれいにゃを撮ると、とりあえず立ち上がった。

「ひゃくろくじゅぅはち…ひゃくろくじゅぅきゅぅ…ひゃくななじゅぅ…」

 じゃぁ、あっちに行ってみようかな。
 ひっそりたたずむ射撃場。
 そちらに体を向けると、カウントを続ける小さな声を聞きながら歩き出した。
74 名前:モノクロームのフォトグラフ 投稿日:2005/10/03(月) 03:34
 
 少し高い木の塀に囲まれたドアを開ける。
 ギィッ…と軋んだ音を立てて板張りの床続くハンドガン用のショートレンジのスペースが続く。
 しんと静まり返って誰もいないようなので戻ろうかと思ったが、どうせなら…と北側の窓から差し込む光の奥でひっそりと待つロングレンジ用のドアの方へと向かう。
 ミシッ、ギシッと静かな小屋の中に響く思ったより大きな音に次第にヘンな緊張感が増してくる。
 ものの数歩であっという間にドアにたどり着くと、少しさびがついたノブをゆっくりと回した。
 
 キィッ……。

 甲高い声を上げてゆっくりとドアを開ける。
 そっと顔だけ出して中をのぞいて見ると、奥から2番目と3番目のスペースに並んでライフルを構えるリカとサユミ。
 ぎりぎりまで抑えた呼吸。張り詰めた緊張感。
 中に入ってカメラを構えると、ファインダーを覗いてゆっくりと呼吸を合わせてみる。

 ぴーひょーととんびの声。
 グレーのウールのジャケットでも肌寒く感じる風が揺らす木の葉の音。
 穏やかな日差しと、午後のゆるやかな空気の揺らぎを肌で感じる。
 
 あぁ…。なんかこの世界…わかるかも。

 ファインダーを通して一点、リカとサユミの表情に集中する。
 手のぶれ、鼓動を感じながらそれらをゆっくりと静かに呼吸の中に抑え込む。
 
 今、世界の真ん中にいる。

 絞りを調節して、ピントを合わせると1枚の画面の中にリカとサユミの凛とした横顔を収める。
 ふっと息を止めた。
 
 カシャ。

 この空間では思ったより大きいシャッター音にも微動だにしないリカとサユミ。
 やわらかい日差しの中の美しい二つのシルエットをカメラに収めると、そっとドアを閉めた。
75 名前:モノクロームのフォトグラフ 投稿日:2005/10/03(月) 03:35
 
 さて。
 ひっそりとした射撃場を出ると、レイナが黙々と筋トレをしていた方に二つの後姿を見つけた。
 ノゾミとマコトだ。
 行ってみると、
「しーっ」
 ノゾミが人差し指を唇に当ててみせる。その手にはマジック。
 見てみると、大の字になって眠っているレイナ。そしてその傍ら、右腕を枕にしてぴったりと寄り添って眠るれいにゃ。
 マコトがつんつんとレイナのほっぺを突いても起きる様子はない。
「んふっ」
「ぇへへっ」
 ノゾミとマコトは顔を見合わせて笑うと、きゅぽっとマジックのふたを開けた。
 あーあぁ…。かわいそうに…。
 さっきじっと見てたから、もしかしたらムリさせちゃってたのかな…そんなこと思いつつ、カメラを構える。
 
 きゅっきゅっと音を立てて、レイナの顔にひげが一本、二本…。

 カシャ。

 まずは1枚。
 シャッターを切ると、今度はノゾミからマジックを受け取ったマコトが鼻の頭を塗りつぶす。

 カシャ。

 そしてもう1枚。

「でーきたっ」
「あはっ。なんか兄弟みたいだねぇ」
 青い空の下、仲良く転がって眠る二匹をカチリとフィルムに収める。
 そしたらノゾミとマコトがこっちを見て『ぐっ、じょぶ』って親指を立ててニカッと笑うから、もう1枚。

「よしっ。マコト、行くぞ!」
「おーぅ!」

 マジックを片手にばたばたとノゾミとマコトは走っていった。
 残されたネコ2匹。
 足音にれいにゃが頭を上げたが、またすぐに転寝の世界へと帰って行った。
76 名前:モノクロームのフォトグラフ 投稿日:2005/10/03(月) 03:36
 
    *

 トントントン…。

 軽やかな包丁の音。
 炊事場を覗き込んだら、お気に入りの淡いピンクのかわいいエプロンをつけたカオリが夕食の仕度に取り掛かっている。
 考えてみれば一部隊の隊長が自ら炊事を行うというのも珍しい。そんなところがこの隊ならではなのかな…そう思いながら、軍支給のチョコレート色のVネックのニットにそんなピンクのエプロンはなんかそこはかとないエロスというかアダルトな感じがして、いやにそそる。
 …。
 いや、そうじゃないけど、そうじゃないんだけど…でも、なんか……セクシー。
 ちょっと別世界。
 そんなことを思いながらカシャッとフィルムに収めると、シャッターの音に気づいたカオリはことことと煮込んでいる寸胴にお玉を入れると、
「はい。どうぞ」
 醤油でキツネ色に色づいてみごとな照りを見せるサトイモを楊枝に刺して口元へと差し出した。
「わ! いただきまーす! …あちっ!」
 ほくほくのサトイモ。鶏肉と一緒に煮た甘辛醤油の絶妙なバランス。
「おいしーです!」
「ふふ。ありがと」
 ふんわりと微笑むカオリの後ろで、勝手口のドアを全開にして顔をひょこっと出しているノゾミ、マコト、サユミ、レイナ。
 
 カシャ。

 むーっとうらやましそうな顔やらきらきらと目を輝かせている顔をフィルムに収める。
「みんなはお夕飯までガマン。いい?」
 カオリの言葉に残念そうな「はーい」という4つの返事。
 クスッと微笑むカオリ。
 バタバタと走っていく4つの後姿を見送ると…。

 トントントントン…。 

 また軽やかな包丁の音が炊事場に木霊する。
 ことことと煮込んでいる鶏肉とサトイモの煮っ転がしの醤油のにおいが鼻をくすぐる。
 開け放たれたままの勝手口の向こうは、もう夜の帳が落ちようとしていた。
77 名前:モノクロームのフォトグラフ 投稿日:2005/10/03(月) 03:36

            ■           ■

 『
  隊員を前に敬礼するカオリのどこか不安げな影の差す厳しい表情。
                                           』 
 『
  整列して敬礼するリカの強いまなざし。
  ミキのまるで怒ったような横顔。
  ノゾミの真剣な表情。
  くっと口を真一文字に結んだマコト。
  キリッとした表情をしててもどこかかわいいサユミ。
  不安と緊張に少し強張ったレイナ。
                                 』
 『
  ガタンと揺れたポンコツトラックの後姿。
                          』
 『
  ノゾミとマコトを追いかけるマジックペンのネコひげを生やしたレイナ。
                                           』
 『 
  イチョウ並木。枯葉の敷き詰められたレンガ道の上、手を繋ぐミキとリカ。
  背景にちらほらと見える凶弾に倒れた屍。
                                             』

 白と黒のモノクロームの中にり取られた色鮮やかな一枚の光景。
78 名前:モノクロームのフォトグラフ 投稿日:2005/10/03(月) 03:37

 写真を机の上に置くと、窓に向かって両手を構えて親指と人差し指で枠を作り、んー…と片目で遠目から覗き込む。
 指で作った枠の中には手を繋いで歩くライムグリーンのストライプの制服姿のリカと銀色のトレーを脇に抱えたミキ。

「エリカちゃん。なにしてるん?」
 伝票整理をしていたユイが不思議そうに首を傾げた。
「うん。シャッターチャンスかなーって」
 枠の向こうを楽しそうに覗き込むエリカ。左目をつぶってしきりに構図を決めようとしている姿にユイは手を止めると、窓の外の二人を窺いながら同じように指で枠を作って覗き込む。
 今日の配達もすでに終わって、伝票のチェックを終えたエリカの机に散らばる白黒写真。
 そしてふと目をやれば、シンプルな写真立ての中で肩を組んで笑うエリカ、リカ、ユイ。

 エリカは1枚の写真を手に取った。
 ライフルを手に、遠く、何かを見つめる横顔は、どこかはかなくて美しい。 
 華奢な体を包んでいたサバイバルジャケットはライムグリーンのロングスリーブのシャツに変わった。 
 
 たった1年。

 見習いの戦場カメラマンだったエリカ。
 戦地で父親を失って事務のパートをしながら夜間高校に通うユイ。

 不思議なもんだよね。

 まだ1年。
 もう、1年?

 ファインダーの向こうにいた存在は、今こうして近くにいる。
 モノクロームの世界の中の鮮やかな表情。
 追いかけて、時間の一つ一つを小さなフィルムの中に収めて…。
 見つめ続けてきた世界の続きを見ている自分。
79 名前:モノクロームのフォトグラフ 投稿日:2005/10/03(月) 03:38

 エリカは再び指で枠を作ると、歩いてくるリカとミキをフレームに収めた。
 それに気づいたリカとミキは大きく手を振ると、いったん顔を見合って、指で作ったL字をぴしっと顔の横へ。

「カシャ」

 そして、今度は…。

「うさちゃん…ぴーす!」

 はしゃいだ笑顔のうさちゃんピース。
 やっぱり後ろには鮮やかで穏やかな冬の青い空。

「カシャ」

 胸の中に収めた2枚の写真。
 
「エリカちゃん?」
「ん?」
 どこか不安そうに見つめるユイに、エリカは指で作ったフレームを向けた。
「ユイちゃん。はい! チーズ!」

 リカとミキにつられたのか、ぱっと飛び出した笑顔炸裂のうさちゃんピース。

「カシャ」

 新しい写真をまた胸の中に1枚。
 色鮮やかな日々を胸に、そしてモノクロームのフィルムの中に収めていこう。
 見つめ続ける時間と表情は、いったい何を物語るのだろう。

 窓の向こうは相変わらずよく晴れて青い空。

「ただいまー。配達終わりましたー」
「こんにちはー。お皿取りにましたー」

 のんびりとしていた事務所の空気がわっとにぎやかで華やかに変わる。
 時計の針がゆっくりと午後3時を過ぎ去って、他愛ないおしゃべりとともにのんびりとしたティータイムが始まろうとしていた。
80 名前:モノクロームのフォトグラフ 投稿日:2005/10/03(月) 03:38

 「モノクロームのフォトグラフ」       END
81 名前:さすらいゴガール 投稿日:2005/10/03(月) 03:48
大変お待たせしておりました
2ヶ月超えてましたね…… 正直ちょっとショック…
待っててくださる皆様、ありがとうございます

思ったよりも短い…と更新してて思ったり…
ライブではないですが、ちょっとしたオフショットなんていうものを
微笑ましく楽しんでいただけたらうれしいかな…と

>>67 名無飼育さん様
 はじめまして
 ありがとうございます
 リアルを何が何でも意識しているわけではないですが、そこに何かを感じていただけてうれしいです
 さくら隊…、そうですね
 ご期待に添えられれば……うーん、きっといつの日か

>>68 名無しさん様
 はじめまして
 ありがとうございます
 切ない世界が舞台ですからできるだけやさしくありたいと思っています
 一人一人の真剣な姿を書ければいいかな、そこで何か思ってくれたら、そう思っています
 本当に時間がないのが口惜しいほどですが、お気遣いありがとうございます
 今回も何かを感じてもらえたらうれしいです

>>69 名無飼育さん
 ありがとうございます
 ようやく更新することができました
 お待たせする方が多いですが、また何かを感じてもらえたら、楽しんでもらえたらうれしいです
82 名前:はち 投稿日:2005/10/13(木) 22:53
ケータイからの閲覧でした。
が、パソでじっくり読みたくなりましたw

ホントにリアルに近い雰囲気大好きです
83 名前:初心者 投稿日:2005/11/07(月) 15:05
読ませていただきました
面白いですね、どんどん読めました
ウサチャンピースしながら次回更新まってます
84 名前:明日 投稿日:2005/12/06(火) 03:12

 ダダダダダダダッ!
 ダダダダダダダッ!
 ダダダダダダダッ!

 カチン。

 あぁ?

 カチン、カチン。
 
 ちっ…。

 わずかに身をかがめて塹壕に身を隠すと、手早く銃のマガジンを取り替えて一度辺りを見回す。
 後ろにはリカとカオリ。左手にはサユミ。そしてその少し離れたところにマコト。一つ前の塹壕にはレイナとノゾミ。
 
 再び銃を構えて少し頭を出したそのとき、
 
 …!

 弾丸が横を突き抜けていく軌跡を感じた。

 一つ…。
 二つ…。

 三つ。

 わずかなわずかな、ほんの一瞬の軌跡。

 ドサッ。

 足元を振るわせる振動を引き連れた砲弾とけたたましい銃声の向こうに微かに何かが倒れた音。

 “ リカーーーーッ! ”

 えっ…?

 振り向いて、目を疑う。
 カオリの腕の中でぐったりとしているリカ。
 胸に一つ。右肩に一つ。腹に一つ。
 弾痕から流れ出る血がゆっくりとリカのサバイバルジャケットを黒く染めていく。
 
 気がついたら塹壕を飛び出していた。
 周りでドカンドカン砲弾が飛び交ってようがヒュンヒュン弾丸が雨霰のように降ってようがどうでもいい。

 撃ちたきゃ撃て! こっちはそれどころじゃねぇんだよっ!

 リカちゃん…。

 肩を揺さぶってみても目を開けることはない。
 口元に耳を近づけても呼吸をしているのかわからなかった。
 うっすら開いたままの唇が微かに動いて耳たぶを弱弱しく掠めて、ミキは顔を上げた。

 ミキちゃん。

 リカ…。

 言った。確かに今…ミキのこと、呼んだよね?
 なのに…ねぇ、いっちゃうの? ねぇ? ねぇっ! リカちゃんっ!

 心臓は、もう止まっていた。
85 名前:明日 投稿日:2005/12/06(火) 03:14

「…!」

 目の前は、真っ暗だった。
 ただひたすら静かで、どこか肌寒くて…。

 ぽたり。

 何かが頬を滑り落ちた。
 
 一つ。
 また一つ。

 どこかやさしくて、なぜだかひどく切なくて…。
 呼ばれているような気がして、深い深い眠りの底からゆっくりと浮き上がって目を開いた。

 …ミキちゃん?

 うなだれるように頭を垂れて上に覆いかぶさっているミキの表情はカーテンを閉め切った部屋の中ではわからなかったが、それでも次から次から降ってくるやさしい雨は他でもないミキのもの。

 ぽたり。
 ぽたり。

 また一つ、二つ。

 頬に落ちてはすうっと滑り落ちていく雫。

 泣いてるの?

 口を開きかけて、ふと、リカは言葉にするのをやめた。
 パジャマのボタンを一つ一つ外し始めるミキの細い指。
 
 ぽたり。
 ぽたり。

 相変わらず雫は頬に落ちては流れていく。

 すべてのボタンを外すと、ミキはリカのパジャマを開いてシャツを引き上げた。
 すっかり冷えた部屋の空気に晒された肌が微かに震えた。

 ぽたり。
 
 胸に落ちた雫。
86 名前:明日 投稿日:2005/12/06(火) 03:14

 あっという間に冬の冴えた空気に熱を奪われた肌に、微かに震えるミキの指先が触れた。
 …。
 リカの体が小さく震えた。
 そっと壊れそうなものに触れるように静かに乗せられたミキの手のひらが確かめるようにリカの体を辿っていく。
 腹。
 右肩。
 そして、胸。
 手は心臓の上で止まった。
 穏やかな鼓動がミキの手のひらをノックする。
 安堵感の混じったため息を吐くと、ミキは心臓の真上に口付けを落とした。 
 …。
 そっか…。
 心の中で呟いて、リカが包むように頬に手を添えたら、びくっと震えた。
「…リカちゃん…?」
 震える声。
 手を濡らす涙。
「ミキちゃん」
 そっと囁くように名前を呼んで、頬に触れていた手を髪を梳くように流しながら、しっかりと両腕で頭を抱きしめて胸に抱き寄せた。
「…」
 頬に感じるリカのぬくもり。そして、鼓動。
 ぎゅうっと痛いくらいに強くリカの傷一つない美しい華奢な体を抱きしめるミキ。

 存在を確かめるように。
 二度と離さないように。
 二度と離れないように。
 強く。
 強く…。

 シャツ越しにドクドクとまだ落ち着きを取り戻せないミキの鼓動を感じて、ゆっくりとやさしく、やさしく、髪を梳くよう頭をなで続けるリカ。

 大丈夫。ミキちゃん。
 ここにいるよ。

 トク…トク…。

 落ち着いておんなじリズムを刻み続ける心臓の音。
 ふと、ちょっとしゃくりあげていたのに気づいて、ミキはむぎゅっと胸に顔をうずめると、なんか急に恥ずかしくなって小さく笑った。
「ミキちゃん?」
 不思議に思ったリカの声に帰ってきたのは…。
87 名前:明日 投稿日:2005/12/06(火) 03:15

 べしっ。

「いたっ」

 脳天直撃空手チョップ。
 撫でる手を止めると、ようやく顔を上げたミキがにへへと笑っていた。
「なぁによー」
「おしおき」
「えー。なんの?」
「ん? ミキを心配させた…おしおき」
 いっちゃうんだもん…。
 少し腫れた目もと。
 そっと親指で目元をぬぐうように撫でて、リカは小さく笑った。
「そっか。じゃあ…しょうがないか」
 そして、ぎゅうっとミキを抱きしめた。
「…ごめんね」
「…うん」
「怖かったよね」
「…うん」
「いるから…」
「うん…」
「ずっと…ずっといるから」
 言葉じゃなくて、帰ってきたのは小さなうなずき。
 ミキは顔を上げると、よいしょと少しだけ前に体をずらしてリカの唇にふわりと自分の唇を重ねた。
「…離れないから」
 嫌だと言っても。
 やさしくふわりと降ったキスとは裏腹に怒ったような口ぶり。
「うん」
 リカはうなずくと、
「離さないから…」
 嫌だと言っても。
 やわらかく、だけどはっきりと強い意志を持った囁きが首筋に深く顔をうずめるミキの耳を打つ。
 ぎゅっとリカのパジャマを掴んだミキの手。
 リカはまたあやすように背中を撫でながら、ぼんやりと薄闇を見つめた。
88 名前:明日 投稿日:2005/12/06(火) 03:15

   吹き上がる炎。
   爆音。
   崩れ落ちる建物。
   真っ青に染まった青い空の下、一面に転がる瓦礫の山。
   腐臭。
   焼け焦げた人、人、人。
 
   飛び交う銃弾。
   砂埃の向こうで赤く光る火花。
   足元を揺らす砲弾。
   声もなく倒れる兵士。
   一人、また一人。

   耳から離れない死神の囁き。

   吐きそうなほどの緊張感。

   いくつも体に穴が開いた兵士。
   割れて顔のない遺体。
   道路にぽつんと転がった右腕。
   あそこに右足。そっちには胴体。
   夏の日差しに焼けれて生乾きの飛び出した内臓。

   人なのかわからない変色して重なり合う人の山。
   壁に刻まれた深い爪の痕。幾重にも惹かれたどす黒い血の線。
 
   雲を割って覗く青空の下へ。
   どこまでも高く響く鐘の音。
89 名前:明日 投稿日:2005/12/06(火) 03:15
   
 ゆっくりと胸を大きく上下させてリカは暗闇に向かって気持ちを落ち着かせるように息を吐き出した。
 目を閉じてもまだ色鮮やかに流れていく光景。
 リカはミキの肩に手を置くと、そっと押し上げた。
「リカちゃん?」
 不思議そうに顔をあげてリカに促されるまま少しだけ体を起こしたミキに、リカは微笑みかけてぎゅっとミキのシャツを掴んだ。
「ねぇ、もっと…近づこっか」

 ベッドの下に散らばるシャツ、パジャマ、下着。

 直に触れ合う体と体。
 重なり合う鼓動。

 風邪を引かないようにしっかり肩まで布団をかけて、しっかり抱き合って温めあう。
 ぬくもりはどこまでもやさしくて、胸の中に渦巻いていた不安を溶かしていく。
 あの頃だって、そうしてた。
 それでも消えなくて、だから強く強く抱き合った。
 それは、結局今も変わらない。
 胸のずっと奥に深く突き刺さった記憶。そして、感触。

 …いつになったら、終わるんだろう。

 何一つ変わらない暗闇。
 カチカチと動く時計の秒針の音が淡々と響き渡る。
 いつものように眠って、起きて、仕事に行って、帰ってきて…。
 たったそれだけのことが当たり前の今。
 日はまた昇り、そして沈む。
 生きてるんだ。
 だからこそ、続く毎日。

 安心したのか、ぎゅっと抱きしめてリカの胸に顔をうずめるミキから聞こえてきた寝息。
 そっと髪を梳くように撫でて、リカも目を閉じた。

 カーテンの向こうは冬の冴え冴えとした空気の中、いくつもの星。
 澄み切った夜空は目覚めた時の高く広がる鮮やかな青い空へ。
 長い冬の夜は、それでもゆっくりと明日に向かって並ぶ星座たちを包んでいた。
90 名前:明日 投稿日:2005/12/06(火) 03:16

       「 明日 」             END
91 名前:さすらいゴガール 投稿日:2005/12/06(火) 03:20
ようやく更新
年内にはもう1、2本更新したところです

なんだか思ったより重めになったような気が……

>>82 はち様
 ありがとうございます
 携帯から読むの大変じゃないですか? ほんとうに感謝です
 リアルに近いと言ってもらえるとうれしいですよ 

>>83 初心者様
 ありがとうございます
 読みやすかったならなによりです。よかった
 そんなに文章力あるほうだと思ってはいないので


92 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/08(木) 07:42
更新乙です
泣きそうになりました
ホントに透き通ったほど綺麗な作品に脱帽です
93 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/08(木) 10:26
この作品が大好きです
情景が思い浮かんできて読んでるんだけど
ドラマを見てるような…とにかく大好きです
94 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 04:01
突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
95 名前:初心者 投稿日:2005/12/12(月) 22:39
更新お疲れ様です
ちょっとビックリしたけどよかったです
次回も更新楽しみに待ってます
96 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:22

 白い雪に包まれてそれはひっそりと立っていた。
 あの日とは違ってよく晴れた澄んだ青い空の下、きらきらと朝の光に輝く雪は黒い御影石はよく映える。
 静かな山間の村の奥。
 ぐるりと見渡せば小さな教会の小さな白い十字架。

 はぁ…。
 吐き出した白い息が空の青の中に溶けていく。
 アイは軍から支給された皮の手袋をした手をパンパンと叩いてこすり合わせると、それでもなおかじかんで冷えた指先にもう一度はぁ…と息を吹きかけた。
「寒いね」
 リカは手袋を外して軍支給のネイビーブルーのボア素材のハーフコートのポケットにしまうと、アイの手を取って手袋を外してぎゅっと両手で包んではぁっと息を吹きかけて揉むようにこすり合わせた。
「リカちゃんの手も冷たい」
 そう言って、アイもはぁっと重なり合った手に息を吹きかける。
「あいぼん、ありがと」 
 微笑みかけたら、あの頃と変わらないいたずらっこのようなニカッとした笑顔。
 そんな二人に目を細めていたカオリはもう一度辺りを見回した。
「静かね」
 あの日と何も変わらない。
「…今でもウソみたいだよ」
 そう呟いて、マリの目はひっそりと雪の中にたたずむ黒い御影石へと移る。 
「そうね…」
 言葉少なに呟いて、カオリもまた黒い御影石へと顔を向けた。
 アイとリカもじっと真っ白な雪を乗せた黒い御影石を見つめる。
 
 ゆっくりと脳裏に浮かんでくるさして大きくもない倉庫。
 重い扉。鉄の格子のついた窓。
 屋根に程近いところについた鉄の戸のついた小窓。
 山積みなっていた缶。   
 
 ちち…。
 鳥が小鳥が連れ立って空に向かって羽ばたいていく。 
 時々風にざわざわと木々が揺れて、ひゅぅと耳元で風が冬の歌を歌う。
 聞こえてくるのはただ、それだけ。
 きらきらと輝く雪は、何も語らない。
97 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:22

           ■            ■

 それは異様だった。

 9時32分。
 目的地に到着。
 小さな村の入り口でふいに感じた違和感はすぐに正体を現した。

 村にたどり着いた4人を待っていた静寂。
 聞こえるのは鋭い刃のような冬の山風と木々のざわめく音。
 山間の小さな小さな村。大して広いわけでもなく、人が多いわけでもない。
 それなのに、なぜこんなに静かなのか…。

 挨拶の声。
 仕事のやり取り。
 何気ない会話。
 子供のはしゃぐ声。

 聞こえるべきはずの声が聞こえてこない。

 何かある。
 4人は互いに顔を見合って一つうなずいた。

 調査。
 それが4人に課せられた任務。
 カオリをリーダーに編成されたこのチームの主な活動は調査、偵察、そして時として暗殺と隠密行動が主体となる地味な任務である。
 情報部のメロンではなく自分たちに回ってきたこと、そして場合によっては壊滅まで申し付かったことで何かあるだろうとすでに睨んでいたカオリだが、この静けさになにやら不穏な空気を感じ取った。ただおかしいならすでにみんな感じているが、どうにもただならない何か。不穏とかそういう言葉でも足りない何か…。
 結局は上手く言葉にできないが、
 “なんか…ものすごくいやな感じ”
 宇宙がぴんと教えてくれたはっきりとした確信。
 
 カオリは周囲の様子に気を配りつつ、すべての家の戸を叩いて回るように指示を出した。
98 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:23

 トントントン。
 トントントン。
 トントントン。
 トントントン。

 どの家を叩いても、いくら待っても反応はない。

 トントントン。
 トントントン。
 トントントン。
 トントントン。

 村の中にドアをノックする音が響き、雪を踏みしめて走る足音と吐く息の荒さが妙に耳につく。

 トントン!

「ごめんくださぁ〜いっ!」

 ドンドンドン!

「おーいっ! おはようございまーすっ! 」

 トントントン!

「おはようございまーすっ!すいませ〜んっ!」

 ドンドン!

「おーーぃっ!」 
 
 どんなに叩いても誰一人出てこない。
 誰かが顔を出してくることもなく、ひっそりと雪をかぶってたたずむ家々。
 すべての家を確認し終わったらしいようだから…と、カオリのところへ戻ろうとしたアイはふいにカーテンがうっすらと開いたままの窓に気づいて足を止めた。
「…よし」
 そーっと窓に近づいて窓枠に手を掛けると、よっと背伸びした。
「…!」
99 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:23

 もうすぐ食事だったのだろうか。テーブルに整えられた食器。
 消えてずいぶん時間がたっているらしいと感じる暖炉の火。 
 ついたままの灯り。

 誰もいない。
 やっぱりというべきなのか、それとも…。
 アイはペタンと足を突くと、ふとうつむいてあごに手をやり考え込む。
 誰もいない。
 誰もいない…?
 誰もいない…のに?
「ぁ…!」
 アイはハッと顔を上げた。
「おーい。あいぼーん」
 リカの声とこっちに向かってくる3つの足音にパッと体を向けると、アイは神妙な面持ちのままぶんぶんと手招きした。
 リカ、カオリ、マリが自分のところにつくと、アイはぶんぶんと振るように人差し指で窓を指した。
「ぇ…」
「なに?」
「…!?」
 のぞきこんで、すぐに3人を襲った強烈な違和感。
 アイはコクリとうなずいた。
「いた…」
「なのに…消えた」
 呟くようにカオリはアイの言葉に感じ取った推測を付け足す。
 マリは窓の方に恐る恐る目をやると、はーっと白いため息を吐き出してとほほと愚痴をこぼす。
「マジかよ…。消えたって…そんな冗談にもほどがあるって…」
「でも……」
 リカの表情も得体の知れない恐怖から任務への緊張感とは違った色で強張っていく。
 ひゅうと風が立ち尽くす4人の耳で唸って去っていく。
 ぞくっと背筋に冷たいものが走り、ゴクリと息を呑む。
「…行きましょう」
100 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:25

 もっと奥。もっと先へ。
 まだ見ていないところがあるはず。
  
 カオリは教会の十字架を並ぶ家々の屋根の向こうに見つけると、ひとまずそこに向かって歩き出した。
101 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:26

 幾重にも厚みを増して重なり合う灰色の雲。
 立ち並ぶ無人の家々を抜け、大きな通りを渡ると程なくして教会に辿りつく。

 そっと扉を開けてみたが、やはり誰もいなかった。
 とりあえず中に入っておのおの近くにあるイスに座ると、誰ともなしに零れ落ちたため息。
「どうなってんだよ…ここ…」
 お化け嫌いのマリにとってはどうにもたまらない。
「カオリ…ユウちゃんからなんか聞いてないの? なんかおかしいって」
「…うん…」
 カオリはただうなずいて応えるだけ。
 アイはそんな二人を不安げに見詰めていたが、ふーっと息を吐いて腕組みしたまま。
 結局のところ、何の手かがりも見当たりそうもなく、単にホンモノのゴーストタウンに紛れ込んでしまったのか…とやれやれとマリがため息をつく。
 しんと静まり返った教会の礼拝堂。奥でひっそりとたたずむマリア様はただ微笑んでいるだけ。
「そういえば…」
 リカが探るように口を開くと、カオリ、マリ、アイがぱっと顔を向けた。
 リカは一通り顔を見渡すと、
「そういえば…シバちゃん、なんか気にかかることがある…って」
「気にかかる?」
 マリが繰り返すと、リカは小さくうなずいた。
「171部隊がいなくなった…って」
「化学技術部隊…だったよね。そこ…」
 リカはうなずいて答える。
102 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:27
 カオリは考え込むように顎においていた指を離すと、腕組みして静かな口調で言った。
「そういえば…ユウちゃん、あの部隊、ちょっとキナクサイって言ってた」
「キナクサイ?」
 アイが不思議そうに言葉を繰り返す。
「うん。なんかね、ちょっとヤバそうな感じっていうのかなぁ…」
「じゃぁ、ここと何か関わってるっていうことも…」
「そうね。考えられるわね」
 リカにそう答えると、カオリは更に続けた。
「それから、そういえば…あたし、もう一つ気にかかってること思い出した」
「なになに!?」
 ゴーストタウンの正体が幽霊の仕業じゃないらしいことがわかってちょっとだけほっとしたマリがぐっと身を乗り出す。
「たしか…死刑が決まった凶悪政治犯の移送先って、たしかこの村だったと思う」
「え…!?」
「本当ですか?」
「ふぇ…」
 3人3様のリアクション。
 テロリストなど凶悪政治犯だった死刑囚の移送先は今回に限り、外部はもとより軍全体には伝えられてなかった。カオリ達
末端にはもちろんのこと。任務に当たるとはいえ、そのことも知らされず、まして今回の任務についても調査としか伝えられていない。
「なぁ、カオリ、それ…誰から聞いたの?」
「ん? ユウちゃん」
「ちょっとぉ…カオリぃ」
「しょうがないじゃん。その時はこんな風に関わってくるなんて思ってなかったもん。でも、何かしら見えてきたわね」
 マリ、リカ、アイが力強くうなずいて返す。
 とりあえず、ここに敵はいない。
 では、なぜ誰もいないのか…。
 目的ははっきりした。
 後は進むのみ。
「行くわよ」

 教会の裏手側へ回ってみると、そこは墓地。立ち並ぶ墓石にマリはさりげなくリカの腕にしがみついた。
 その墓地の脇を通って進むと、20メートルほど先の木に囲まれた奥に何か建物。
 確認するようにうなずきあって、慎重に歩を進める。
103 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:27

 ひゅう、ひゅうっと風が唸り、ざざっと木を揺らす。
 刺すような風と向かい合って木々の中の小道を進んでいった先にはあったのは石造りのこじんまりとした倉庫だった。
 重い黒に近い外壁の石の色。鉄の扉。
 どこか近寄りがたい重々しいたたずまいに何やらぴりぴりと体を掛けていく嫌な予感。
 リカはハンドガンをしまい、ライフルを構えた。

 マリとアイは周りを警戒しながら、ぐるっと倉庫の周りを確認。
 ところどころ錆びた鉄格子のついた窓から覗いてみても、中は真っ暗で何も見えない。
 ちょうど裏手に回ると、そこには少し大きめの果物の缶詰くらいの缶がたくさん積み重なっている。その数およそ50くらいだろうか。
「なんだこれ」
 アイが手に取ろうとすると、ぱっとマリが手首を掴んで止めた。
「ちょっと待て。これ…なんか」
 黄色と黒のラインが引かれた缶。
「ヤバイ…」
 本能的にこれはまずいとマリの脳をびりびりと刺激する。
 ぎゅっと力が入った手に、アイは自分の不用意さを感じた。
「…痛い…」
「あっ…あぁ…ごめん」
 手が離れると、アイはそっと手首を押さえながら、缶に少しだけ顔を近づけた。
 黄色と黒のライン。その下に何やら並んだアルファベット。読めはしなかったが、並んだ字の羅列がアイの鼓動を強くドクンと叩いてこみ上げる不安感。
 ゆっくりと立ち上がると、もう一度壁全体を見回す。
「ヤグチさん…」
 アイがマリの袖を引く。マリがアイの視線を辿っていくと、そこには鉄の戸がついた小さな小窓。
 ちょうど屋根との境あたりだろうか。扉は開かれたままになっていた。
 中を覗くことはできそうだが、小窓まではおよそ3.5メートルほどだろうか。思ったよりも高い。肩車しようかとも思ったが、なにぶんどっちも小さい二人。
 マリとアイは倉庫の正面で周囲の警戒に当たるカオリとリカの元へと戻った。
104 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:27
 
 カオリとリカは重い扉を見つめていた。
 緊張感に強張った表情。
 時々肩に入った力をほぐすように軽く飛び跳ねて体を揺らすリカ。
 一方、じっと扉を睨んだままのカオリ。
 マリとアイが戻ってくる。
 カオリはゆっくりと戻ってきたマリとアイの方に顔だけを向けた。
「どうだった?」
「うん。なんかさぁ、ヤバそうな缶が50個くらいつんであった」
「缶?」
「うん。たぶん薬物だと思う」
「薬物…。まさか……ね」
 妙な呟きだなと思うが何か強烈な不快感をずっと感じているカオリ。
 リカがライフルの前後を持ち替えて構えなおす。
 カオリがうなずくと、アサルトライフルを持ち替えたマリと扉の前に立った。

 ガン!

 鉄の扉の前にしっかりとはめられた木の閂に思い切り銃の柄を叩きつける。

 ガン! ガン!
 ガン! ガン!
  
 太い木材はなかなか二つに割れてくれない。
 マリがチラッとリカに目配せして視線を後ろに流し、リカはうなずいて答えると扉から離れた。
「よっしゃ!」
 
 ダダダダダッ!

 閂に向かってアサルトライフルの引き金を引く。
 太い木材に線をなすように穴が開いていく。
 
 ダタダダッ!

 木材にある程度の穴が開いたのを確認すると、撃つのをやめて銃を持ち帰ると、またリカと二人がかりで銃の柄をたたきつけた。

 ガン! ガン!
 
「くっ!」
「っしゃ! もう少しっ!」

 ガン! ガン!

 バキッ!

 木材を4人で取り払うと、重い鉄の扉の取っ手にリカが手を掛けた。
 カオリが大きくうなずく。
105 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:28
 
 ギィッ…。

 きしんだ音を立てて、重い扉がゆっくりと開く。
 暗い倉庫の中にゆっくりと光が差し込んで中が明らかになっていく。
 扉が完全に開かれて、リカがふらりと後ろに下がる。
「あぁ……」
 マリが目がくるんと白くなってストンと膝から崩れ落ちた。
 リカはそれに気づいてふらふらとマリの上半身を抱えて抱き起こすが、目は倉庫の中からは成すことはできなった。
 アイの目からすーっと涙が滑り落ちる。
 カオリもペタンと座り込んだ。その多く見開いた瞳からぼろぼろと零れる涙。

 扉の奥にあったもの。
 それが人だとわかってもどこか認めたくはなかった。

 無数の折り重なった物体の塊。
 どぎついまでにピンクに染まった肌に散らばる濁った緑の斑点。
 どれも口から泡を吹いて、のどをかきむしって…。
 助けを求めるように延びたいくつものと緑とピンクに彩られた手。
 苦しみに見開いたままこっちを向いている目。

 マリがようやく気を取り戻して目を開けると、苦しみにもがいて息絶えたうつろな目と目が合って、思わず逸らした。
「ごめん…」
 マリはゆっくりと自力で体を起こすと、また目を開いたままのドアへの奥へと戻した。
 リカはゆっくりと立ち上がった。
「…ひどい…」
「…」
 アイは何も言わず、ただただ涙を流している。
 鉄の扉に付着した青緑のシミ。
 カオリはポツリと言葉をこぼした。
「ひどい……神様…」
106 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:28

 ダッダッダッ…。

 何かが向かってくる足音。
 細い小道を抜けて出てきたその姿を認めると、マリはガバッと立ち上がって飛び掛った!
「うぁぁぁぁぁっ!」
 拳が顔面に炸裂する。
 拳を食らった男が着ているのは自分達と同じ軍から支給されたダークグレーのウールのコート。マリはそのまま馬乗りになると、
「あぁぁぁぁぁぁっ!」

 ガツッ!
 ガスッ!

 男の顔面に拳を浴びせ続ける。
 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、目一杯拳を振り上げる。
 そこへ、
「どうした!」
 殴られた男を追ってきたもう一人の兵士が現れた。
 それに気づかずにまだ男を殴り続けるマリ。
 すでに気を失っている男を助けようと銃を構えた。

 パンッ!

 火を噴いた銃口。
 うっと呻いて兵士は弾丸に貫かれた手から銃を落としてうずくまる。
 怒りに満ちた表情のリカの手の中のハンドガンから昇る細い煙。そのまま兵士の頭に照準を合わせた。
「リカッ!」
 カオリの声にリカが不満げに銃を下ろすと、カオリに目で促されてマリの横に立って手首を掴んだ。
「ヤグチさん、死んじゃいます」
「…」
 血に塗れて潰れた顔面。マリの革のグローブにも真っ赤な血。
 肩を大きく上下させて息をしながら、ゆっくりと立ち上がって離れた。
 カオリはうずくまる兵士の傍らに立つと、襟を掴みあげた。
「…どういうこと」
 しかし兵士は睨みつけるだけで口を開こうとしない。
 襟を掴むカオリの手に力がこもる。
「なんなの…あれは。あんたたちのせいなの?」
 しかし男は顔を背けたまま答えない。
 カオリは男の襟から手を離して投げ捨てると、腹を蹴り上げて兵士の灰色の空へと意識を飛ばした。
107 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:29
 
 倉庫の中の変色した死体の数々。
 自分達と同じコート、同じ紋章。
 読めなかったけど、ヤバそうだと本能が悟らせた山積みの缶の正体。

 考えたくない現実。

「恥さらしっ…」
 カオリは忌々しげに呟いて白い地面を蹴り上げた。
 ざっと雪が舞う。
 リカは気持ちを落ち着けようとゆっくりと深く息を吐き出すと、倉庫の中を見つめるアイの肩を抱き寄せた。
「あいぼん?」
「…リカちゃん」
 アイが静かに泣きながらぎゅっとリカの腰に左腕を回してしがみつく。
 マリも乱暴に目を少し毛羽立ったコートの袖でぬぐうと、アイの隣に立って肩を抱いた。
 そして、カオリがゆっくりとアイの後ろに立って、リカとマリの肩に手を置く。

 少し落ち着いてくるとまた新しいことに気づく。

 大人、子供。若者、老人。
 男の人、女の人。

 みんな同じようにもがいて苦しみ、口から泡を吹き、扉に向かって折り重なっている。
 
 大きい体、小さい体、細い体、太い体。
 誰も彼もかまわない。

 きっと地獄あるんだったら、こんなだろう。
 きっとこんな風に苦しんで、もがいて…。
 でもなぜ?
 ここはどこ?
 なんでこの人たちはこんな風にならないといけなかったの?

 わかった。
 嫌でもわかった。認めたくない、信じたくない。
 でも、わかった。
 何が起こったのか、何をしたのか。

 後は情報部が教えてくれるだろう。
 だからもう今は考えない。

 寒くて暗い倉庫の中。
 彼らは何を最後に願って、思っていたのだろう。
108 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:29

 アイはゴシゴシと目を拭うと、くるりと体を翻して走り出した。

「あいぼん!」
「カゴっ!」
「あいぼんっ!」

 走って走って、無我夢中でアイは走った。
 雪を蹴散らして、小さい体を必死に必死に前へと動かす。
 軍の中でも後ろから数えた方が早いくらいの足で一生懸命走る。

 走って、走って…。

 雪に足を取られてなかなか追いつけない。
 もどかしさを感じながらカオリ、マリ、リカは後を追いかける。
 小道を抜け、墓地を抜けて…。
 足跡を辿っていって教会の姿が見えた、その時…。
109 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:30

 ゴーン。
 ゴォーン…。

「鐘…」
 カオリが足を止めた。
 低く低く垂れ込めた灰色の空に高く高く響き渡ろうとする鐘の音。

 ゴーン。
 ゴォーン…。

「カオたん…」
「カオリ」

 ゴーン。
 ゴォーン…。

 雪に足を取られるなんてそんなのいいわけだ。
 走れ!
 
 雪を跳ね上げて、全身で走って、走って走って走って…。

 教会の扉を開けて奥に進むと、釣鐘の下、ロープの前に見えた小さな背中。
 鐘を鳴らそうとロープを一生懸命に引っ張るアイがいた。
 カオリ、マリ、リカはすぐにロープを掴むと、ぐっと下へと引っ張った。

 ゴーン。
 ゴォーン。

 ゴーン。
 ゴォーン。
  
 再び鐘が静まり返った村中に響き渡る。
 重く、澄んだ鐘の音。
  
 ゴーン。
 ゴォーン。

 響け。高く、高く。
 何度も何度も重いロープを4人の力をあわせて引く。

「なんでやねん! 何であんなんならなあかんねん! いややっ! あんなんおかしいねん!」
 アイが泣き叫びながらロープを引っ張る。
「何にも悪いことしてへんのにっ…かわいそうやっ! かわいそうやぁっ!」
 カオリ、マリ、リカの目からも一度は止まった涙がまた溢れ出してくる。
「あんなんじゃ誰も天国行かれへんねん!」
 
 だから…。

 だから鐘よ、もっと高く、もっと高く村中に響き渡れ!

 ゴーン。
 ゴォーン。

 ゴーン。
 ゴォーン。
  
 高く、もっと大きく、空に響け!
 天国まで、もっともっと大きく、もっともっと高く!

 ゴーン。
 ゴォーン。

 ゴーン。
 ゴォーン。

 鐘は鳴り続ける。
 風がゆっくりと雲を割り、そこにこれ以上ないくらい真っ青の澄んだ空が顔を出し、光が差し込んでいた。
110 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:30

            ■           ■

 白い御影石は雪に包まれて静かに佇んでいる。
   
 倉庫は取り壊された。
 そしてそこにあった無数の死体は無造作に焼かれた。大量に出た灰は森にまかれたり沼や湖に捨て去られたり…。

 毒ガス兵器実験による大量虐殺。
 それを隠した軍。

 結局、この任務の結果も1部隊の暴走として片付けられたのをカオリ、マリ、リカ、アイは後々になって情報機関に所属するアユミたちから知らされる。アユミたちメロンの悔しそうな顔は今でも忘れられない。
 言葉にできなかった。
 悔しくて、悲しくて…。

 この村にはまだ人は戻ってこない。
 いや、戻ってくることもない。
 いつか、この村に活気に満ちた声や笑顔は返ってくるのだろうか?
 
 村は一つの石碑を建てて閉鎖されたまま忘れ去られている。

 教会は変わらずにそこにあった。
 中は埃が舞っていて、あの日と比べるとすっかり疲れている。
「ここ…今度そうじしにこよっか」
 カオリはそう言って苦笑いした。

 奥のドアを開けて、そこから一つ角を曲がると、そこが釣鐘ある塔の下。
 カオリ、マリ、リカ、アイはしっかりと太いロープを握った。

 ゴーン。
 ゴォーン。

 あの日のように、今は誰もいなくなって死んだままの村に鐘の音が響き渡る。

 ゴーン。
 ゴォーン。

 ゴーン。
 ゴォーン。

 もう二度と、こんなことがないように。
 踏みにじられた魂がずっずっと安らかに眠れるように。

 鐘の音が高い空に響き渡る。
 冴え冴えとした冬の青はどこかやさしい色をしている。
 やわらかい光を広げる太陽を浮かべて、どこまでもどこまでも広がってる。

 ゴーン。
 ゴォーン。

 鐘は鳴り続ける。
 村の入り口でひっそりと花を開いていたどうにもせっかちなタンポポは、青い空を仰いで鐘の音に耳を傾けていた。
111 名前:鐘の音 投稿日:2005/12/31(土) 23:31

       「鐘の音」        END
112 名前:さすらいゴガール 投稿日:2005/12/31(土) 23:37
紅白をちらちら見ながら書いてました。なので微妙にレス分け失敗…。
最後の最後に重い話でなんですが……。
浮かんだ時からどうしても書きたかった話なので…。

どうか来年は心のそこから誰もが笑っていられる都市でありますように…。

>>92 名無飼育さん様
 ありがとうございます。
 そういっていただけるとうれしいです。
 何かを感じ取っていただけて、本当に本当にありがとうございます。

>>93 名無飼育さん様
 ありがとうございます。
 うれしいお言葉です。乙女組に感謝です。
 
>>95 初心者様
 ありがとうございます。
 驚かせてしまいましたよね。
 今回のお話も楽しんでいただければと思います。

113 名前:さすらいゴガール 投稿日:2006/01/01(日) 00:47
すいません…。
ちょっとだけ修正を。

106レス目 

誤   カオリはうずくまる兵士の傍らに立つと、襟を掴みあげた。
  ↓
正   カオリはうずくまる兵士の傍らにしゃがむと、襟を掴みあげた。


誤   カオリは男の襟から手を離して投げ捨てると、腹を蹴り上げて兵士の灰色の空へと意識を飛ばした。   
  ↓
正   カオリは男の襟から手を離して投げ捨てると、腹を蹴り上げて兵士の意識を灰色の空へと飛ばした。

なんか自分の締め文の最後も間違ってるし…。
どうぞ、今年はみんなが笑って過ごせる年でありますように…。
114 名前:さすらいゴガール 投稿日:2006/01/01(日) 00:58
度々…。
修正追加です…(汗)

110レス目

白い御影石 ⇒ 黒い御影石

9行目、 『 それを隠した軍。 』 の下に 『 いつから始まったのかも、なぜ村の人たちまで手にかけたのかも…。』を追加。

なんかバタバタですね…。
でもどうしてもクリスマスか、さもなくば大晦日に…と思っていましたので。
115 名前:孤独なカウボーイ 投稿日:2006/01/05(木) 01:01
戦争を直接体験せずに生まれた私達。
ゴガールさんの作品には色々と考えさせられる物があります。
今回の更新でも、やはり涙が止まりませんでした。
こうしてる今この瞬間にも、あの四人が体験した様な出来事が世界のどこかで起きてるかも知れませんね。
116 名前:ありったけの愛の歌 投稿日:2006/02/02(木) 18:27

 耳をやわらかく打つやさしい歌。
 甘い声はあたたかく胸を満たしていく。
 
 愛しいという想いがその声に、そのフレーズに乗って溢れるほどに伝わるから、涙が零れているのにも気づかないくらいうれしくて。
 抱きしめても、口付けても、きっとその想いに報いるだけの『ありがとう』を伝えることなんてできそうにないから、今、この歌をしっかりと胸に刻み込んで、きっと足りないかもしれないけど、それでも抱きしめて、口付けて、そして、ずっと…そばにいさせてほしい。 
 
 リカは抱きしめあって重なり合う肌の温かさと歌声のあたたかさに目を閉じた。
117 名前:ありったけの愛の歌 投稿日:2006/02/02(木) 18:28

          ■              ■

 高い空を駆ける月が部屋を藍色に染める。

 ベッドの上に二人。
 いつものように体を重ねて、ぬくもりを伝え合う。
 なんとなく腰の辺りにかかったままの布団を引き上げもせず、リカはまだ甘い余韻の中でゆらゆらと漂って火照るミキの体を両腕で強く抱きしめて目を閉じていた。それこそ、お気に入りのぬいぐるみを抱くように、それとも、どこかすがりつくように。
 ミキは目を開けると、そっと自分の上に重なったままのリカの背中に手を回した。
 指を滑らすようにやわらかなリカの肌に触れると、リカが目を開けた。
「おはよ」
「…おはよ」
 まだ夜だってば。
 ちょっと恥ずかしくって、ぶっきらぼうな口調で返すと、リカはくすっと笑って頬に口付けた。
 それだけでどこか仏頂面だったミキの顔がふわっと綻ぶ。
 ふふ。かーわいい。
 リカは唇をミキの唇にふわりと重ねると、また目を閉じてしっかりと抱きなおした。
 背中に回したミキの指がリカの髪をいじり始める。
「今日はあまえんぼうだね」
「ミキちゃんが?」
「リカちゃんが」
「そうかな?」
「そうだって」
 ほんの少し顔を傾ければミキの首筋に顔をうずめているリカ。囁くように話すたびに動く唇が微かに首筋をくすぐる。
「いいんだけどね。ミキとしては」
 むしろ大歓迎。
「なら、いいじゃん」
 リカがそう言って笑うと、ミキは「そうだね」と返して、髪をいじっていた指先を背中に戻してぎゅっと抱きしめた。
 しかたないのかな…。
 ミキはリカの頬に掠めるように口づけた。
118 名前:ありったけの愛の歌 投稿日:2006/02/02(木) 18:29
 
 ぼんやりと見上げる天井。
 月の明かりがうっすらと部屋の輪郭を描き出して、微かに木目の流れが見える。
 暖房も消して冴え冴えとした部屋。
 抱きしめている背中は熱を奪いとられてひんやりとしている。
「寒くない?」
 ううん。と首をふって答えるリカ。
「カゼ引くって」
「ミキちゃん、寒い?」
 リカが少しだけ体を起こすと、ミキは首を横に振った。
「そうでもないけど…リカちゃん、背中冷たい」
「んー。そう?」
「うん。ミキは…離れちゃったから今寒いけど…」
 二人の間にできた隙間にすばやく入り込んだ冷気が温めあったぬくもりをさっと奪っていく。
「うん」
 リカは少し申し訳なさそうに笑って、手を後ろに伸ばして布団を少しだけ引き上げた。
「ごめんね。本当は…寒かったよね」
 そう言って、肩の辺りまで持ってくると、またすぐにぎゅっとミキを抱きしめた。
 ゆっくりと布団の中が二人の体温で温まっていく。
 リカがまたミキの首筋に顔をうずめると、ミキもまたリカの後ろ髪を指先でいじり始めた。

 カチカチ。

 秒針が淡々と時を刻む。
 夜が明ければ、戦場に立つ二人。
 
 ぼんやりと見上げる天井。
 月の明かりがうっすらと部屋の輪郭を描き出して、微かに木目の流れが見える。
 暖房も消して冴え冴えとした部屋。
 抱きしめている背中は熱を奪いとられてひんやりとしている。
「寒くない?」
 ううん。と首をふって答えるリカ。
「カゼ引くって」
「ミキちゃん、寒い?」
 リカが少しだけ体を起こすと、ミキは首を横に振った。
「そうでもないけど…リカちゃん、背中冷たい」
「んー。そう?」
「うん。ミキは…離れちゃったから今寒いけど…」
 二人の間にできた隙間にすばやく入り込んだ冷気が温めあったぬくもりをさっと奪っていく。
「うん」
 リカは少し申し訳なさそうに笑って、手を後ろに伸ばして布団を少しだけ引き上げた。
「ごめんね。本当は…寒かったよね」
 そう言って、肩の辺りまで持ってくると、またすぐにぎゅっとミキを抱きしめた。
 ゆっくりと布団の中が二人の体温で温まっていく。
 リカがまたミキの首筋に顔をうずめると、ミキもまたリカの後ろ髪を指先でいじり始めた。
119 名前:ありったけの愛の歌 投稿日:2006/02/02(木) 18:30

 カチカチ。

 秒針が淡々と時を刻む。
 夜が明ければ、戦場に立つ二人。

 ミキは気だるい体に空気を送り込むようにゆっくりと吸い込んだ息を吐き出した。
 そして、ぽんぽんとリカの背中を叩く。
「ついてないね」
「…ね」
 せっかくの誕生日。
 迎えてくれるのは銃声と生臭い血とニヤリと微笑む死の気配。
 リカは抱きしめている腕に力を込めた。
 ぽんぽんと背中を叩くのをやめて、ほんの少しだけ顔を傾けて鼻先をリカの肩口にうずめるミキ。
 トクトクと緩やかな鼓動を直接肌で感じてぬくもりに満たされているのに、どうして心の奥底をひたひたと這い回る不安と恐怖。

 あるのかな?  
 このぬくもりも。
 この鼓動も。

 生きていれば、いつかは消える。
 それでも、それがたとえば明日とか、明後日とか…。

 いつだって死神はのんきなもので、人間達の醜いゲームを見てけたけたと笑っている。
 体を蜂の巣にされてあちこちから血を流し、背中にぴたりとくっついた恐怖と目の前の分裂した屍に発狂し、焼け付くような痛みに悶えて転げ回っている、そんな人間達を笑っている。
 どんな理由だろうが、何を思おうが、死の前にはみんな同じ。
 苦しまずに死ぬことができたなら、きっと戦場では幸せなのかもしれない。
 そんな錯覚。

 今はまだ綺麗な体も、たぶん偶然できっと奇跡に違いない。

 当然のようにまかり通る狂気と有無を言わさない暴力。
 戦場は、そんな場所。
120 名前:ありったけの愛の歌 投稿日:2006/02/02(木) 18:30

 トクトク…。

 二つの鼓動が一つに重なる。
 ぬくもりはゆっくりと溶け合って、リカとミキを包み込む。

 リカが少しだけ顔を上げると、ミキは不安げにきゅっと結んだ唇にそっと唇を押し当てて微笑んだ。
「帰ってこよう」
「…うん」
「ってかさぁ…帰ってくるに決まってんじゃん」
「ミキちゃん?」
 不思議そうに見つめるリカの額にコツンと額をあわせて、ミキはいつものようにニカッと笑った。
「だってさ、乙女は無敵なんだから」
 へへへって笑う顔がなんだか無邪気で、でもそれが心強くってリカもつられるように笑う。
 額をあわせたままクスクスと笑って、体を寄せてもう一度抱きしめ直した。
 小さな笑い声が薄闇の静かな部屋の中に陽気に響く。
 不安も恐怖もなにもかも打ち消すように。
 ぬくもりに包まれている今を抱きしめるように。

 カチ、カチ…。

 それでも時間は流れていく。
121 名前:ありったけの愛の歌 投稿日:2006/02/02(木) 18:31

 目を閉じてミキのぬくもりに浸るリカ。
 ミキはまた小さな背中に流れるリカの後ろ髪をいじり始めた。
「リカちゃん。何ほしい? プレゼント」 
「プレゼント…」
 んーと考え込むと、リカはゆっくりと目を開けて、ふと何か遠くを見るような目をした。
「そうだなぁ…。なんでもいい…かな」
 みんながいてくれれば。
「じゃあ…ミキちゃんだったら、何ほしい?」
「え…。んー…」
 肉はありきたりだし、いくら配給が厳しくなったって言ったって食べれないこともないし…。
「なんでもいい…かも」
 みんながいれば。
「ほら」
「ね」
 小さく微笑んで、ミキは少し困ったように笑った。
「でも、今はリカちゃんに聞いてるの。ない? 他には」
「他?」
 そうだなぁ…。そう呟くと、リカはずっとミキの背中に回していた右腕をゆっくりと引き上げて頭を抱くと、さらさらの髪をなんとなく撫でる。
「ねぇ。ない? ミキ、何でもするよ?」
「んー」
 なんとなく天井を見上げて考えるリカ。
「なんでもしてくれるの?」
「するよ? 決まってんじゃん」
「んー。じゃぁ…」
「じゃあ?」
「歌って?」
「うた?」
「うん」
 不思議そうにほけっと見つめるミキにやわらかい笑顔。
 髪を撫でるのをやめると、ミキのふっくらとした唇をなぞった。
「すきなんだ。ミキちゃんの歌」   
 少し乾いた唇を軽く押すと、まだどこか戸惑っているミキの頭をしっかりと抱き寄せて、耳に唇を寄せた。
「こうしてね、ミキちゃんの歌…聞きたい」

 来年も。再来年も。その先も。ずっと。
 こうして抱きあって。
 やさしい歌に包まれて。
 
「でもいいの? それで」
 そんなのいつでもしてあげるってば。
 うん。でもね…。
「いいの。それで」
   
 明日はないかもしれないから。
 次があるかだって、わからないから。

「じゃあ、ミキの時も…歌って?」
「うん。じゃぁ、愛を込めて歌うね」
 音外しても笑わないでね。
 えー。どーしよっかなぁ。なぁんてね。冗談。
「うん。ありがと…」
 ちょっと照れくさそうに笑うミキの頬が少しだけ熱くなって、リカはくすっと微笑んで口付けた。
122 名前:ありったけの愛の歌 投稿日:2006/02/02(木) 18:32

 かち、かち。

 秒針は淡々と明日に向かっていく。

 ミキはしっかりと自分を抱きしめるリカの半身を乗せたまま、ゆっくりと深呼吸した。

 少し鼻にかかったちょっとハスキーな声がやさしくリカの耳を打つ。
 囁くように、甘く、甘く。
 ありったけの想いを込めて。

 ずっとこうして二人でいられるように…。

 そんな願いを込めて、愛を込めて。
123 名前:ありったけの愛の歌 投稿日:2006/02/02(木) 18:32

          ■              ■
 
 すうっと滑り落ちた雫。
 ミキは歌いながら、リカの目元をそっとぬぐった。
 ぎゅっと抱きしめる腕に力を込めて、首筋に顔をうずめるリカ。
 少し息苦しさを感じながら、それでもミキは歌う。

 愛しいから。ここにいるから。離れないから。すきだから。
 有り余って行き過ぎればムカつくことだって多々あるけど、それだってすきだから。
 意地張って、素直じゃなくて、それはお互い様で、不器用で、一生懸命すきな証。

 だから、こんな特別な日だから、いつもよりももっともっと願いを込めて、愛を込めて歌おう。
 
 きっと笑っちゃうくらいやってることは些細なことなんだけど、それがとてもうれしい。

 だから、ほら。
 泣いちゃってるんだね。リカちゃん。
 だってさ、ミキも去年泣いたし。

 トク。トク。

 一つに重なり合っている鼓動。
 そのリズムに合わせて歌うミキ。
 首筋に触れているリカの唇が微笑んでるのがわかって、ミキはぽんぽんとあやすように背中を叩いた。
  
 春の星座がきらきらと瞬いて澄み切った夜空を駆け上がって行く。
 静かな静かな夜更け。
 冴えた冷たい空気の中に微かに聞こえるあたたかい歌声。
 カーテンが開いたままの窓の向こうで、月は目を閉じて聞き入っていた。
124 名前:ありったけの愛の歌 投稿日:2006/02/02(木) 18:33

        「ありったけの愛の歌」            END
125 名前:さすらいゴガール 投稿日:2006/02/02(木) 18:37
今更ながらですがいしかーさんオタおめが書きたかったので、
ちょっといつもよりも雰囲気違うかなと思いつつ…。
たまにはいしかーさんにも甘えてもらいました。
暗い話が続いていたからちょっとだけ息抜きのつもりで。

次は更に明るい話でも書けたらな…と。
近いうち更新したいと思います。

>>115 孤独なカウボーイ様
 ありがとうございます。
 現実はもっとこれよりもひどいことがなされているでしょうと思います。
 それでも、ふと、何かを思うことは大事なことです。
 ささやかな物語ですけど、そんなきっかけになるのならうれしいものです。



126 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/04(土) 23:46
更新お疲れ様です
レスすることはめったに無いんですけど
いつも読ませていただいています
二人の雰囲気がなんとも言えず好きです
これからも楽しみにしています
127 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:00

 木造の教室にかつかつとチョークの音が響く。
 黒板に書き出された戦略の概論やそれに対する考えを熱心に書き写す若い兵士たち。
 窓の向こうは鮮やかな冬の透明感の増した青い空。
 差し込む日差しの暖かさに、窓際の生徒たちは必死に目を開けてノートを取る。
 説明をしながらユウコは一通り書き終えると、チョークを置いて腕に目をやった。
 細身のベルトの軍支給の時計の針はまもなく11時50分を誘うとしている。
「では、今日はここまでにします」
 ユウコは教本を閉じた。
 まだセルリアンブルーの制服が初々しい30人ほどの少年少女達の顔にほっとした安堵感が浮かぶ。
 さぁ、お昼だ。
 そんなやわらかな空気に、それまで教官らしく凛々しかったユウコの表情もゆっくりと和らいでいく。
「課題は次回提出するように」
「はいっ」
 ぴしっと揃った返事に満足そうな笑みを浮かべて生徒達の顔を見回す。

 ん?

 ぴたりとある一点に目が留まる。
 窓側から2列目の一番後ろ。
128 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:00

『戦略概論 U』
 机の上に聳え立つハードカバーのやや厚い教本。
 その向こうには突っ伏して夢の中へと迷い込んだレイナ。
「ほぉ〜ぉ」
 ユウコはすうっと目を細めた。
「レイナ、レイナ…」
 隣の席のサユミがそっとレイナの腕を突く。しかし夢の世界に迷い込んだまま返ってくる気配のないレイナ。
 ふふっ…。いしかーさん…。そげなことしちゃダメたぃ……。
 よほどいい夢を見ているのか、幸せそうに微笑んでいる。
 あー。レイナ、やばいよぉ…。
 教卓の方から感じる気配にサユミは恐怖で自らの体をきゅっと抱きしめた。

 うららかな正午間近の教室が水を打ったように静まりかえる。
 
「タナカァーーーーーーーッ!!!」

「ハッ! ハイィ…いぃっ!!」

 ぼふっ!

「んが…」

 ガタガターンッ!

 甘い夢から怒声一発で引き戻されて跳ね起きたレイナを出迎えたのは、イスごとひっくり返ったレイナの顔の隣にコトンコトンと転がった黒板消しだった。
 げほげほと咳き込んでいると、カツカツと近づく冷たい足音。
「えー度胸やな。タナカ」
 不敵に笑うユウコに、
「お褒めに預かり、光栄であります」
 しっかりとタイトスカートの裾を右手で押さえて床に転がったまま敬礼。

 きーんこーんかーんこーん…。

 二人の間を昼を告げる鐘がゆっくりと通り過ぎていった。
129 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:01
 ……
 …

 解放感に包まれた校舎。
 木造校舎から少し古びた鉄筋の校舎にある食堂へと渡り廊下を歩く若い兵士達の顔は、美味いと評判の食堂の定食に胸が躍ってどれも活き活きとした笑顔。

 軍本営から車で西に40分。
 軍付属学校は中等部から大学まで。
 大幅な入隊基準の緩和によって義務教育を終えていない者は中等部に転入し、一般的な基礎教育から軍事に関する教練を受けることとなる。

「まだひりひりする…」
「大丈夫?」
 まだ少し寝ぼけているような目をしているレイナの鼻先に残ったチョークの粉を指先でサッと払うサユミ。

 二人は入隊して基礎的な訓練を半年積んだ後、娘。隊に配置されて前線へと送られたため、中等部予科で毎月4回のスクーリングを受けることが法によって決まっている。 
 朝早くリカにジープで送ってもらい、授業を受けてその日の夕方、迎えに来たリカと一緒に基地へと戻る。もちろん、行きも帰りも必ず助手席にはミキ。
 
 窓の向こうは風の冷たさまでわかりそうなほどに晴れた青い空。
 迷彩のバンダナに包まれたカオリのお弁当を手にとてとてと食堂へと歩きながらレイナがふぁーとあくびをすると、サユミもつられて大あくび。
 前方に教官のナカザーユウコという緊張感があっても、戦術に関する話は頭を使うことが苦手なレイナには夢の世界への扉の呪文にしか聞こえない。
「午後も座学かぁ…。レイナたぶんまた寝るかも」
「サユミも午後は自信ない…」   
 渡り廊下を越えてクリーム色の壁の校舎に入ると、まだ初々しいセルリアンブルーの制服姿に混じって、詰襟の制服姿が凛々しい未来の幹部将校であろう軍付属の大学生たちの姿。そして、実習があったのかつなぎ姿やトレーニングウェア姿もちらほらと見える。
130 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:01

 一つ目の角を曲がると突き当たりの奥が食堂。
 教室四つ分の広さの食堂のテーブルはすでにそこそこ埋まっている。
 レイナとサユミは並ぶテーブルとテーブルの間を縫うように歩きながら開いてる席を求めて奥の方へと進んでいく。
「あっ。あそこ」
 サユミが指差した窓際のまだ無人の6人がけテーブル。
 小走りでそのテーブルを確保すると、
「こらぁーっ! カメイ! 廊下走ったらあかんゆーとるやろっ!」
 今さっきも聞いたばかりの迫力満点のユウコの怒声にレイナがびくっと肩を震わせ、サユミと食堂の入口を見ると、
「はぁいっ! すいませんでしたぁっ!」
 ぴたっと立ち止まって屈託のない笑顔でエリが廊下の向こうにいるらしいユウコにぴしぃっと敬礼。   
 エリはえへっと笑うと、唖然としている生徒達を気にも留めずに中に飛び込んできた。
「あっ! いたっ!」
 ぴたっとサユとレイナの真ん中辺りをさして止まった人差し指。
 一瞬止まった時間がまた緩やかに動き出してにぎやかな食堂にパタパタと響く足音。
「サユ! レイナ! お昼食べよっ!」
 小脇に抱えた巾着をトンとテーブルに置いてさっさとサユミの隣の椅子に座るエリ。
 サユミとレイナはポカーンとしていたが、「早く早く。食べよっ」って笑ってるエリに急かされながらなんとなくイスに座る。
 そこに、
「カーメー。まぁた怒られたでしょー」
 と、リサがやれやれと苦笑いを浮かべながら、「よっ! たなかっち。シゲさん」とレイナの隣、エリの向かいのイスを引いた。
 エリはちょっと拗ねるように唇を尖らせた。
「だってー、早くサユとレイナに会いたかったんだもん」
「だぁからってさー、走ったらダメでしょ」
「えー。でもこないだガキさんも走ってたじゃん」
「しーっ。それは言っちゃダメだって。しょーがないでしょ。授業に遅刻しそうになったんだから」
「えー。だめですぅ」
「まっ、そーなんだけどね。じゃ、お互い今度からは気をつけましょーということで」
「いうことで」
 リサとエリは小さく会釈するように敬礼を交わした。
 そんなエリとリサに今度はレイナが苦笑い。
「なんやおかしいっちゃね。コントやね」
「いやいやいやいや。違うから。ねっ、カメ」
「うーん。どうだろ」
 えへっと首を傾げたエリに、「オイ」とつっこむリサ。
 サユミがくすくすっと笑った。
131 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:01

 迷彩のバンダナに包まれた弁当箱とベージュの巾着に入った紙袋。
 カオリお手製のスペシャルのりごはんは簡単な煮物と玉子焼きタコさんウィンナー。ハート型ののりの下にはおかか。
 紙袋の中に入っていたのはナツミお手製のサンドイッチ。ハムとチーズ、タマゴ、トマトとレタス。そして、パックの牛乳。
 4人はパンと手を合わせた。
「いただきます」
 きれいに声をそろえて、前に置いたお弁当にペコリ。
 さっそくレイナがウィンナーを頬張ると、
「あれ? たなかっち、ほっぺなんかついてるよ?」
 リサが頬に残っていた白い跡を指でなでる。
「んぁっ…それは…」
「そういえばさぁ…レイナ、なんかすっごく驚いた顔してたよね」
 タマゴサンドをかじりながらエリも身を乗り出すようにしてレイナをじっと見つめる。
「ありゃ。これチョーク?」
 跡を辿った指を不思議そうに見つめるリサ。サユミは口を押さえて笑いをこらえている。   
「なになになに?」
 リサがレイナとサユミの顔を交互に覗き込む。
「いや…その…」
 おろおろするレイナにサユミは、
「それナカザーさん」
 と、笑いをこらえながら何とか口にすると、リサが「ナカザーさん?」とますます目を丸くする。
「どういうこと?」
 エリがサユミに尋ねると、レイナがちくちくと箸でご飯をつつきながら答えた。
「ん…その…レイナ、授業中に寝ちゃって、そんで、ナカザーさんに……どーん、って黒板消しで」
「やられた…と」
 リサが続けると、レイナはこくんとうなずいた。
「うはぁ…黒板消し飛んできたんだぁ」
 エリが少し痛そうに顔をしかめる。
 レイナははぁとため息をついた。
「別にすきで寝たんじゃなかよ。けどさ…どうもレイナ、座学すかんばぃ…」
 頭使うの嫌いっちゃ…。
 まぁねぇ…。けどさぁ…。
「…勇気あるねぇ」
 しみじみと呟いて、リサはハム・チーズサンドの最後の一切れを口に押し込んだ。
 サユミは玉子焼きを端で割って掴むと、口にもとに運びながらちらりとしゅんとしているレイナを見た。
「私も一生懸命起こそうとしたんだけど、レイナ起きないし…」
「あれ? でもおとめって前の日出動だったんじゃなかったっけ?」
 そんなリサの言葉にもレイナの表情は曇ったまま。
「そんなん言い訳ったい…」
「…」
 そう言われてしまえば何も言えなくて、リサはむぅと眉をしかめてトマト・レタスサンドを口に運ぶ。
 ちょっとした沈黙が続く。
 はぁ…。レイナのため息が重い。
 エリがそっと手を伸ばして、よしよしとレイナを頭をなでた。
 ちょっとくすぐったそうな顔をしたが、すぐにレイナの顔の浮かび上がったどんよりとした影。
「黒板消しも痛かったけど、それよりも課題の方が痛い」
「課題?」
 リサとエリが少し身を乗り出す。
「うん。授業のはまだいいっちゃ。基本戦術の応用のレポートだし。いしかーさんやイイダさんに聞けばいいんだし。でも…」
132 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:02
  床に転がったまま敬礼をするレイナににやりと目を細めて笑うユウコ。
 『ほんなら、その勇気を称えてご褒美な』

「ナカザーユウコの美貌と魅力についての考察…って、何書いたらいいかわからんちゃ」
「はぁ…。そりゃまた難しい…」
 と、チューっとパックの牛乳を飲んでいたエリがストローから口を離して、同情のため息。
 いつのまにか食べ終えたサユミは弁当箱にふたをしてバンダナで包みながら、
「レポート用紙5枚以内だって。大変だよねぇ」
 と言いながら、きゅっと端と端を結ぶと、  
「ミチシゲサユミの天才的なかわいさについての考察だったら簡単なのにね。5枚あっても足りないよ」
 胸の前で両手を組んでにこっとスマイル。
 すかさずすぐ隣から、
「えー。カメイエリの天才的かわいさについての考察の方が簡単だってば」
 サンドイッチが入っていた袋をたたんで巾着に戻したエリがすちゃっとL字に作った右手を顎の下に構えてポーズ。
 やれやれとリサは笑った。
「いや。どっちも難しいから」
「えーーーー! 簡単ですよー!」
「そぉんなことないっですってぇ!」
「いやいやいや。そんなことあるから。ね。難しいから。それって」
「えー。そんなことないよねぇ。サユ」
「うんっ。そーだよねぇ。エリ」
「簡単だもんねぇ」
「そーだもんねぇ」
 言い争っていたかと思えば、キャハキャハ笑いながら肩をぶつけ合ったり、顔を寄せ合ってくすくす笑ったり、「何言ってんだコイツぅ」ってほっぺ突きあったり、「やー。くすぐったーい」って二人に世界に入っていくサユとエリ。
「はいはいはいはいはい。わかった。わかったから。ね。絶対難しいから。だからね、ほら。いちゃいちゃしないの」
「えー」
「えー」
「はいはいはいはい。文句言わないの。ね。どっちもかわいいから。ね。はい。これでおしまい」
「えー。じゃあ、ガキさんはレイナの課題簡単なの?」
「えっ!?」
 むーと拗ねたエリの一言に一瞬たじろぐリサ。
「んー…簡単って言うか…なんていうか…えー…うーん…」
 考え込むリサの背後にぬっと近づいた影に、ぴくっとレイナ、サユミ、エリが固まる。
「なっ。どないやねん」
 がしっ!
「うわぁぁぁぁっ!」
 がつっと肩を抱いて現れた横顔にリサがびくっと飛び跳ねた。
「なっ…ナカザーさんっ!! いっいつのまにっ!」
「ふふーん。えぇやんか。いつだって。で、どうなん?」
「えっ…えっとぉ…」 
 どきまぎしているリサにじわじわと込み上げてきた笑いを懸命にこらえるレイナ、サユミ、エリ。
 リサはコホンと一つ咳払いをした。
「ええっとぉ、ナカザーさんだけだったらぁ…そのぉ、ちょぉっと難しいかなぁ……って。へへへっ」
「なんなん、それぇ」
 わざとらしく呆れ顔を見せるユウコ。
 えへっと笑うと、きりっと表情を引き締めてリサは更に続けた。
「けど、娘。隊の功績についてなら、いくらでも書けます!」
 そこ自他共に認める娘。隊大好き娘。ドンと胸を張り、満面の笑顔。
 ユウコはムッと眉をしかめた。
「なんや微妙やな。それ。どーせほとんどなっちについてなんちゃうの?」
「なっ! ななな…なーに言うんですかぁ! そーんなことないですよぉ。わかりました。じゃあ、今ここで…」
「はいはいはい。ええって。その話、長いやろ?」
「はい。すごく。語り尽くせません」
 心に火をつけてしまったのか、話したくてたまらない生き生きと輝くようなまなざしを包むようなまなざしで見つめ返すと、ユウコは肩を離してくしゃくしゃとリサの頭を撫でた。
「また今度な。ゆっくり聞かせてや」
 やわらかい口調でユウコはそう言うと、
「午後はしっかり授業聞くんやで。ええな?」
 ひらひらと手を振りながら食堂のカウンターへと向かっていった。その背中に「はーいっ」と元気のいい4つの返事。
 にぎやかな談話の声や笑顔の向こうにユウコの背中が少し遠くなっていく。
 はぁ…。びっくりした…。
 リサ、レイナ、サユミ、エリはどっと疲れたようなため息をついた。
133 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:03

 時計の針は12時30分を指すにはまだちょっとだけ早い。
 パラパラと席を立ち始める生徒達。
 窓の向こうを見下ろせば、中庭でサッカーに興じる男の子達。向こうの木陰では3人の女の子達がなにやらおしゃべりに花を咲かせている。
134 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:03

 ガラスを抜けてきたあたたかい陽射しに、カウンターから持ってきたやかんに入ったお茶で和むりサ、レイナ、サユミ、エリ。
 おやつだよーと実家から送られてきた干し梅を広げたエリ。
 なんかシブイねーとリサが笑って、さっそく手を伸ばして口に放り込むサユミ。
 レイナはずずずっとお茶をすすった。
「エリ、次の授業なん?」
「んー? 次? 次は飛行技術実習だったかな」
「えーーー。いいなぁ。エリ、次実習なん?」
「へへー。いいでしょー」
 にひひっとVサインのエリ。
 レイナはちぇーと唇を尖らせると、
「ニーガキさんは?」
 と、ぺこぺことパック牛乳を畳んでいるリサに尋ねた。
「次? あたしは機体整備実習」
「ニーガキさんも実習なん?」
「そうだよ」
 畳んだパック牛乳を紙袋に入れて、ずずずっとお茶をすするリサ。
「たなかっちは?」
「私たちは数学Uでーす」
 テーブルにへたり込んだレイナの代わりに答えたのはサユミだった。
 エリもリサも「あーあぁ〜」という顔をする。
「でも、エリ、今日はこっちだから実習って言ってもホントの飛行機に乗るわけじゃないしなぁ…」
 実習といってもモノによっては、『高速体験実習』という名を借りたジープに連結したトロッコによるグランド引き回しだったりするわけで、ジェットコースターが大の苦手のエリにとっては座学の方が遥かにマシだと思うときがある。また飛行機に乗る場合は指定された基地での授業となる。もっとも航空隊にいるエリにとっては通常の訓練が実技演習でもある。
 はぁ…と重いため息をつくと、レイナはむくっと顔を上げた。
「あーっ! もーやだっ。絶対レイナ寝る」
「食べた後だしねぇ」
 と言って、のんびりとお茶飲むサユミ。
 レイナは、もう一度はぁとため息をついて気を落ち着けようとお茶を飲むと、のほほんと干し梅を食べるエリを覗き込むように見て言った。
「エリ、なんで高等部に進んだと?」
「んー? んー。なんでかなぁ」
「ちょぉ、エリ?」
 目を丸くするレイナにちょっと目を見開いていたずらっぽく微笑むと、ふっとエリの笑顔がどこか影を感じる穏やかなものに変わる。
「うん。何て言ったらいいのかなぁ。エリね、好きなんだよね。飛ぶのが」
 そう言って湯飲みを両手で包むように持ったまま、空を見上げるエリ。
「ジェットコースターとかは大っ嫌いだけど、でもね…操縦桿握ってると怖くないんだ」
 湯飲みを置いてぐーんって言いながら操縦桿を動かすまねをすると、
「飛ぶことに集中するから怖くないの。なんかね、真っ青な空に囲まれてるとね、なんか安心するの」
「安心?」
 レイナが不思議そうに呟いて空を見上げる。
 にこにこと楽しそうに話す横顔をどこか不安げな様子で見つめるサユミ。
「うん。なんかね、空に抱っこされてる感じ。ふわっ…って。そしたらね、なんか…勇気が出るの」
 エリは組んだ両手の上にあごを乗っけると、また空を見上げた。 
 リサもほんの少しだけ懐かしむように空を見上げ、ガラス越しに降るやわらかな冬の陽射しに目を細める。
「それにね…戦場だから」
135 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:03

 見上げる青い空はのほほんと微笑んで、伸びやかに伸びやかに広がっている。
 ちち…と中庭の常緑樹の枝から飛び立ったすずめたち。

 高い雲を目指して羽ばたいていく小さな姿に目を細めるエリ。その横顔は幾つもの激しい戦いを飛ぶ精悍な飛行乗りのもの。
 
 全身にかかる圧力。
 風に乗って、風に揺れて、風に流されて、一面を囲む青い空間がゆがんで回る。
 雲を突き抜けて、飛び出して、わっと現れた敵機の姿。

「すずめも大変なんだよ」
 エリはそう呟いて、青い空の向こうへと小さな点になっていくすずめたちを見つめて呟いた。
 ほんの少しの沈黙。
 窓の向こうを見つめる4人。

 やわらかい冬の透明な青い空。
 のびやかな陽射し。  

 窓越しにうららかな一時。
 うーんっと、リサが少し空気を換えるように両腕を伸ばして伸びをする。
 レイナはまだ少し重たげな真剣な目をしていた。
「ニーガキさんは…何で進学したと?」
「ん? あたし?」
 リサは伸ばしていた手をそのまま頭の後ろに持っていくと、少し考えるように目だけを天井に向けた。
「あたしは…約束…だからかな」
「約束?」
「そう。おやっさんとのね」

  銜えタバコでごつい手でリサの頭を撫でてニカッと笑う整備士長。
 『技術だけじゃぁダメだ。愛がない奴にゃぁ、かなわねぇ』
  真っ黒の手。真っ黒のつなぎ。真っ黒の頬。
  青い空がよく似合うベテラン整備士は、ちょこちょこと自分の飛行機を見に格納庫に来るリサに口癖のように語り掛ける。
 『愛がこもった飛行機はな、そう簡単にはくたばんねぇんだよ』
  
  気休めだってわかっていても、その言葉を信じたい。

  きっと守ってくれる。
  きっと奇跡を起こしてくれる。

  愛あれば、こそ。

  でも死神はいつだって、そんな満面の笑顔で思いを踏みにじる。
 
  そんなおやっさんが肺を患って血を吐いて倒れた。
  終わらない戦いのくすぶった重い緊張感。
  無理に無理を重ねて、肺を患った。

 『帰ってくるまで…頼んだぞ…リサぼう』

  迷った。
  困った。
  でも、信じてくれた。
  そして、託された。

  こんな私に。

「だからさ、勉強しないとね」

 『飛行機はすきか?』
 『はい!』
 『じゃぁ、さくら隊は…すきか?』
 『はいっ! だいすきですっ!』

  満面の笑顔のリサに、うれしそうに目を細めたやさしいおやっさんの微笑み。
136 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:04
 
「もう、飛ばないんですか?」
 サユミがどこか真剣な表情で聞くと、リサはその不安げな表情を消し飛ばしてやるように明るく笑った。
「そんなことないよ。今でも飛行訓練はしてるよ。ただ、整備のこともあるから、それに専念するとみんなほど練習はできないし、一緒には行けないけどね」
「つらくなか?」
「つらいよ。待つってさ。不安で不安でしょうがないよ。でもあたしは信じてる。さくら隊は無敵だから」
「…そやね」
    
 さくら隊は無敵だ。
 乙女隊も無敵だ。

「あたしは今は飛べないけど、できる限りのことをして、みんなを支えたいんだ」
 そう言ったリサの穏やかな微笑の奥にある責任と覚悟。それはどこかせつなくて、けれど凛々しくて。
 エリは干し梅をかじりながらサユミとレイナを交互に見た。
「サユとレイナは? 今年で終わりでしょ?」
「うん。でも…どうしようかなぁ…って。サユミは考え中」
「レイナもまだ決めてなか」 
「でもさ、そろそろ希望ださないとダメっしょ。たしか」
 リサがそう言うと、こくりとうなずいたレイナとサユミ。
 サユミはずずっとお茶をすすって、気持ちに一呼吸入れると、
「そうなんですけど、なんか…いいのかなぁって」
「いのかなぁ…って?」 
 エリが不思議そうに首を傾げる。  
「だって、いつ終わるかわかんないんだよ? このままでいいのかなぁ…って」
「でもさぁ、だからって…何ができるのかな? あたしたち」
「…」
 エリの言うことは正しい。
 手に職があるわけじゃない。
 何にもなければ普通の学生なはずの4人。
「でも、エリとニーガキさんは飛行機関係の仕事あるんじゃなか?」
 レイナに言われて、あぁそっかという顔をするリサとエリ。
「ほら。二人はあるじゃん。でもさ、それに…いつ死んじゃうかもわかんないんだよ?」 
 そんなことは戦場なんだから、当たり前。それはサユミだってよくわかってるから、
「私はかわいいから、神様ががんばれって守ってくれてるのかもしれないけど」
 なんて言ったりして、それにリサがちょっと苦笑いを浮かべる。
「でも、神様は気まぐれだから、こっちおいでって天国に行っちゃうかもしれないし」
 いたって真剣な表情のまま、サユミはふと目線だけ上げて空を見つめて呟いた。
「お兄ちゃんもお父さんも行っちゃったから…」
 襲撃された父。爆死した兄。
 自分だって、神様にいつ呼ばれるかもわからない。
「言ってもきりがないんだけどね」 
 そう言われてしまうと、リサもエリもレイナも何も言えない。
 小さく笑って、サユミは「あーあ」とため息をついて見せた。
「でも、サユ、もともと救護部隊志望って言ってたよね?」
「うん。そうなんだけど……うん。ちょっとね…」
 エリにそう言うと、サユミはどこか考え込むような目をしたまま、湯飲みに口をつけた。
 そんなサユミにあわせるように、なんとなく湯飲みに口をつけるリサ、エリ、レイナ。
 同時にコトンと湯飲みを置くと、なんとなくため息。
 1、2、3、4…と過ぎた無言を静かに破ったのはレイナだった。
「レイナも…まだどうしたいかわからんちゃけど、ただ…もっと…強くなりたいなぁ…って」
「だったら、進学したほうがいいんじゃない?」
 しかし、レイナは渋い表情をしたまま、エリの言葉に首を横に振った。
「でも進学したから、じゃあ強くなるかなんてわからんっちゃよ」
「…んー。まぁねぇ…」
「でも…今のままで強くなれるのかもわからんっちゃ」
137 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:04

  強い…って何だろう?

  それがどんなものかは、わからないけれど。
  それがどういうことかは、わからないけれど。

「でも…強くなりたい」 

 まっすぐに拳を見つめるレイナの瞳と固く結んだ唇ににじむ悔しさ。

  力がほしい。
  勇気がほしい。

  強く、ありたい。

「もっともっと…強かったらなぁ…って」

 みぞおちに突き刺さったリカの拳。
 プツッと途切れる視界の最後に映ったのは崩れ落ちるビルの映像。

『おい! ネコオンナ』
『れいちゃん』

 まだ耳にはっきりと残っているやんちゃな声。
 そして、胸に残っている無邪気な笑顔。  

 爪が深くやわらかな手に突き刺さる。
 思いつめるような眼差。
 レイナの心が記憶の中の時間へと戻っていく。
138 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:05

「レイナ」

 サユミが引き戻すように呼びかけると、レイナははっと顔を上げた。
 リサとエリの心配そうな顔。
「なん? 2人とも。大丈夫だってば。レイナ、そう簡単にくたばんないって」
 にひっと笑って見せたら、やれやれと帰ってきたリサとエリの笑顔。
 あえて何も言わない二人にレイナは心の中でありがとと呟いて、ちょっと重たい空気を作ってしまったことへのちょっとした罪悪感となんとなく恥ずかしさからすずっとお茶を飲む。

 窓の向こう、中庭で相変わらずサッカーをしている男の子たち。
 木下でしゃべっていた女の子たちがゆっくりと立ち上がって校舎のほうへと歩き出す。それでも相変わらず止まらないおしゃべりと笑顔。

 カオリの手料理の話。
 ナツミとマリのコントさながらのやりとり。
 それに負けないリカとミキのボケとツッコミ。
 アサミの食べたモノ話。
 ノゾミとマコトのいたずら被害報告にアイのいたずら話も加わってちょっとした被害者友の会ができあがる。
 アイが最近読んでいた本の話やヒトミのダンディズムついて、などなど。
 
 話は次々に咲いて、枯れる気配もなく穏やかな冬の昼時を彩っていく。

 壁にかれたなん変哲もない時計が12時50分指した。
139 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:06

 きーんこーん…かーんこーん…。

 予鈴が鳴って、
「うおっ! もーおー!? 次実習だったんだ!」
「エリもだ!」
 ガタガタッと慌しくイスが踊って、リサとエリが立ち上がる。
 リサはポンとレイナの肩を叩くと、ぐっと親指を立ててウインク。
 がんばれ! たなかっち。
 レイナもぐっと親指を立てて笑った。
 エリはちゅっとサユミに投げキッス。
「サユ、またね!」
「うん! またね。エリ!」
 そしてお返しの投げキッス。
 リサは夜間を手にすると、
「じゃ、これ、あたしが返しとくよ」
 と、一言、カウンターに向かって小走りに歩き出した。
「ありがと! ガキさん!」
 レイナの声に、「おーう」と振り向かずに手だけを振るリサ。
 カウンターにやかんを置くと、
「ありがとうございましたぁ!」
「ごちそーさまでしたぁ!」
 パタパタパタとにぎやかな足音を残してリサとエリは食堂を後にした。 
「廊下はは走っちゃだめですよー!」
 というサユミに、
「はーーい!」
「はーーい!」
 二つの返事。

 パタパタパタッ!    

木霊して聞こえてくる足音。
 くすくすっとレイナとサユミは顔を見合って笑った。

「さ、レイナたちも戻ろっか」
「うん。そうだね」

 食堂を出て廊下の窓から見える青い青い空。
 澄み切って深く、でもどこか淡い冬の空は透明に感じるほどせつなくて、晴れているのなんか少しフクザツなキモチ。
「レイナ」
 サユミはそっとレイナの手を取って繋いだ。
 大丈夫だよ。
 繋いだ手はやさしくて、あたたかい。
 レイナはふーっとゆっくりと息を吐き出して、繋いだ手をしっかりと握り返した。
 大丈夫。
 何がと聞かれたら困るけど、負けないから、だからしっかりと手を繋いで、っかりと前を見て。
 重なり合う小さな手から伝わるぬくもりは、なんだかすごく心強い。
 レイナとサユミはへへっと顔を見合って、なんかよくわかんないけどスキップして歩き始めた。

 きーんこーん…。

「えっ!?」
「なん!?」

 午後の授業の開始のチャイムが鳴る。
 ちょっとくすぐったそうだった弾けた笑顔がぱっと曇ってちょっと待ってと驚きに変わる。
 
 パタパタパタパタッ!

 廊下に響く二つの足音。
 おやおや。大丈夫なのかねぇ。走っても。
 サクラの枝から窓をのぞいているすずめが2羽、小さくなっていく2人の背中を見送って不思議そうに首を傾げていた。
140 名前:昼休み 投稿日:2006/04/06(木) 01:06

     「昼休み」                 END
141 名前:さすらいゴガール 投稿日:2006/04/06(木) 01:12
ようやっと更新でました
若者たちの胸のうちというところですかな
ほのぼのとしてもらえたらな…と

>>126 名無飼育さん様
 ありがとうございます
 のんびり更新ですが気長に待っていただけたらと思います
 この空気を壊さずに書けていければな…と 
 


142 名前:初心者 投稿日:2006/05/11(木) 01:51
更新お疲れ様です
雰囲気がとても素敵です
エリとリサも好きですがやっぱりサユとレイナいいなぁ
先のことはまだ分からない2人みたいだけど、2人ともがんばれ
次回更新楽しみに待ってます
143 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/05/12(金) 01:34
更新お疲れ様です。
なんだか学生時代を思い出しましたよ。
次回の更新も楽しみにしています。
144 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/09(日) 23:41
マターリ
待ってますよ
145 名前:孤独な名無し 投稿日:2006/08/02(水) 21:27
お待ちしております
146 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 00:58

「あーん。どれにしよぉ…」

 ランチタイムの喫茶店。
 白いレースのカーテン越しに太陽の柔らかい光が差し込む店内。
 その一番奥のテーブルでライムグリーンの事務服にはとても釣り合わない悩ましい声を出してメニューとにらめっこするユイ。
 目の前にはすでに食べ終えたAランチの皿。今日はポークージンジャーにサラダとスープにライス。もちろんコーヒーもしくは紅茶付。
「あれ? さっきプリンアラモードにするって言ってなかったっけ?」
 エリカがスパゲティ・ナポリタンをフォークで巻きながら聞き返すと、
「いや、な、そう思っとってんけどな、呼んでんねんて。イチゴパフェが私を食べてって」
「はぁ…」
そーなの?
「それになエリカちゃん。プリンアラモード…やなくて、プリン・ア・ラ・モード、やで」
 かわいらしい口調でそう言ってメニューを抱いてぷんぷんと膨れるユイ。
 エリカはもぐもぐと頬張っていた口の中のパスタを飲み込んだ。
「でもそれってどっちも一緒じゃん」
「いやいやいや。ちゃぁうって。プリン・ア・ラ・モードやって。フルーツとかアイスがドーンなんやで」

 プルンプルンの焼きプリンには香ばしいキャラメルソース。
 程よい甘さのホイップクリーム。
 パイナップルにバナナに季節の果物。
 そして乙女にうれしいバニラのアイスクリーム。その足元にはキャラメルソースが絡まって、あぁ絶妙なハーモニー。
147 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 00:58

「なぁ。素敵やん」
 きゅぅってメニューを抱きしめてうっとりのユイ。
「素敵だねぇ」
 クスクスと笑うエリカに「そうだねぇ」ってリカは顔を上げると、
「フルーツとかアイスがどーんだもん。そりゃぁ違うよねぇ」
 と、カレー・ランチを食べ終えて戦争中にエリカが撮った写真を見る手を止めた。
「で、決まったの?」
「え?」
リカの問いにユイが固まる。食べ終えたエリカが紙ナプキンで口元をぬぐいながらおやおやと顔を覗き込む。
「あれ? 決まってないんだ」
「あれあれ? 今熱く語ってたよねぇ」
 ですよねぇ…と、エリカとリカがうんうんと顔を見合う。
「だぁってぇ…。もぉ。いしかーさんのいじけずぅ。イジワル言わんといてくださ〜い」
「えぇ〜。ちょっとちょっと、言ってないからぁ」
 慌てて顔の前でパタパタと手を振るリカ。
「まーでも、イチゴパフェが食べてって言ってるんでしょ?」
「はぃ〜。そーなんですけどぉ…」
 リカにそう答えて、メニューで顔を覆ってちらりと目だけだすと何やらもじもじと体をくねらせる。
「そうなんですけどぉ?」
 リカとエリカが身を乗り出すように顔を近づけて覗き込む。
 3人が食べ終えた皿を片付け、コーヒーと紅茶の入ったポットとカップを持って戻ってきたミキもトレーをテーブルに置いてじっと言葉を待っている。
「そーなんですけどぉ…チョコレートケーキもえぇなぁ…って。…えへっ」
「…」
「…」
 やれやれとリカとエリカ。
「じゃあさ、全部食べたら?」
 ちょっとイジワルく笑いながらミキが紅茶とコーヒーをそれぞれカップに注いでいく。
「えぇ〜…。うーん…そーしたいんですけどぉ〜お給料日前やし〜」
 ユイがちらーりと視線を走らせると、リカはささっと再び写真を見始め、エリカは慌ててコーヒーに口をつけた。
「あちっ!」
「エリカ、慌てすぎ」
「あっはははははははははっ!」
 ミキが腹を抱えて笑いだす。
「もー。フジモトさん笑いすぎですよぉ」
 リカから手渡された水を飲んでふぅと気持ちを落ち着かせるエリカ。
 リカはまだくっくっく…と笑いが止まらないミキの背中を撫でる。
「あー! もー! ほんま迷うわぁ。何食べよ…」
 ユイは相変わらず。またメニューとにらめっこ。
148 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 00:58

 カランコロン。

 駅前から徒歩10分。
 海岸沿いの通りにあるランチタイムの喫茶店はそれなりににぎやかだ。
 ミキが慌てて立ち上がろうとすると、マスターがそっと手を出して止めて、ママが休憩中でしょとウインク。ありがとうございますと少し肩をすくめて軽く会釈をすると、リカの手の中にある写真を覗き込んだ。

  『 桜の木の下で便箋を膝に置き、何て書こうか思案顔のマコト 』
 
  『 抱きかかえたれいにゃの右手を持って「にゃー−−っ!」ってポーズをするノゾミ 』

「ふふっ。かわいいね」
 リカのお母さんな笑顔。ミキが「にゃー」ってけらけら笑いながらまねをしてみる。
「これもよく撮れてるねぇ」

  『 支給された新デザインのワークシャツを着たかわいさ具合を入念に鏡の前でチェックするサユミ 』

  『 何かを見つけたのか、どこかほわっとした顔で窓の外を見上げたレイナ 』   

「れいなはホント子ネコだよねぇ」
「そりゃあさぁ、だってれいにゃじゃん」
 ミキはリカの手から写真を撮ると、「ね、ほら」とエリカとユイに見せた。
「やぁ〜ん! めっちゃかわいぃぃぃっ!」
「かーわいぃーー! ウチで飼いたいですっ」
 思ったとおりの反応に満足気ににかっと笑うミキ。リカは微笑み返すと、次の写真へ。

  『 食堂の窓辺でお茶しながら読書するカオリ 』

  『 相棒の中でいつものようにまったりしているリカとミキ 』

 感心するように何度もうなずきながらミキがなんとなく呟く。
「懐かしいね…」
「うん。……懐かしいね」
 ミキが小さくうなずいて、リカが次の写真へ。
 
 食堂。
 兵舎の前。
 グラウンド。

 泣いたり、笑ったり、怒ったり、怒られたり。
149 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 00:59

 リカは一度とんとんと重なる写真の角を整えると、見ていた写真をテーブルの上に散らばって重なっているその上へと落とした。
 ふと、それまで穏やかだったまなざしがさびしさに変わる。ミキの笑顔に影が差す。

  『 銃を構えて荒れた街中を行くリカと、リカのサバイバルジャケットの袖をしっかりと掴むノゾミの後姿 』
 
  『 包帯を巻いた右足をひきずりながら野戦病院から出てきたレイナと肩を貸すミキ。不安げに寄り添うサユミ。 』

  『 配置についての確認を真剣な顔で聞くマコトと指示をするカオリ 』

 リカはゆっくりと肩を上下させて息を吐いた。
「エリカは戦場にも来てたんだよね」
「はい。見習いでしたから戦闘には同行させてもらえませんでしたけど」
「うん…」
 リカの細い指が写真を一枚また一枚とゆっくりと落としていく。
 ぴったり寄り添って覗き込みながらミキが時折ため息をついた。
「いろいろあったね…」
「うん…」

 イヤってほど、数え切れないほど。

 言葉では言いたくないようなことも、思い出したくもないことも。 

 そんなの二人の言葉の意味がエリカにはわかるから、何も言わずにゆっくりとコーヒーを飲む。
 隣でユイが真剣な顔をしてまだ何を食べようか悩んでいるのが、なんか微笑ましい。
 
 また一枚、写真がそっと重なった写真の山の上に重なる。
「あ…」
 リカの目が大きく見開く。
「イシカーさん?」
「うん…」
 ぼやけた返事をエリカに返して、リカは同じようにぐっと写真を覗き込むミキを見た。
「リカちゃん……だよね?」
「…うん」
 じわっと溢れそうになってきた目元をさりげなく指で押さえながらミキがうなずき返すと、リカは見ていた写真をエリカの前に置いた。
「これ、1枚でもいいから焼き増ししてくれないかな?」
「あ、はい…」
 でも…いいんですか? これで。
 エリカが不思議そうな顔をして写真を手にすると、リカは軽く目頭を指で押さえながらにこっと笑った。
「どうしても見せてあげたいんだ。ね。ミキちゃん」
「ね。リカちゃん」
 うれしそうに笑ってうなずくミキ。
 そんな二人の笑顔にエリカも笑顔で答えた。
「わかりました。何枚でもいいですよ。じゃあ、明日持ってきますね」
「うん。ありがとう」
 
 と、そこに…。

「すいませーん。白玉あんみつください」
 
 独特のイントネーションの弾んだ声が3人の間を駆け抜けていった。
150 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 00:59

                         ■                         ■

 春の気配を陽射しに感じる昼下がり。
 青い空の下に広がる街はあちこちが壊れている。
 瓦礫が散らばり、穴だらけのビルがぼんやりと建っている。
 
 決して大きいわけでも、でも小さいわけでもない、けれどいくつもの電車が乗り入れ、 首都へと続く大きな幹線道路が通る交通の要所。
 そんな街を制圧してから3日。
 中心地から車で10分ほどのところにある広い公園に柵を立てて拠点を構えた軍。
 その東側の入り口で交代勤務で見張りについていたレイナは、昼下がりのあまりののどかさにくぁ…と大きなあくびをした。
 んーっと大きく腕を上げて固まりかけた体をほぐそうと体を伸ばしながら、近道しようと資材置き場の脇を通っておとめ隊のテントへと歩く。

 キャンプの中に入ればのんぴりのんびりと流れる時間。
 駅からもほどほど近く、小高いビルもちらほらあるが住宅も多いそんなところにある公園。
 これだけよく晴れている日だったら、散歩をしに来たり、のんびり芝の上で昼寝をしたり、ちょっとしたスポーツしてたりなんていう光景を見ることができただろう。
 そんなことを考えながら、おなかすいたから食堂に寄って…と思ったところで、
「ん?」
 雑多に積んであるパイプやら余った金網やらの資材の間でちょろちょろと動く人影。
 どうもレイナには気づいていないらしく、そろりそろりと背後から近づいてみる。

 おなかすいたぁ〜。
 こらっ。しずかに!

「なん?」
 資材の影にいたのはぼっちゃん刈りの小さな男の子とおかっぱ頭の女の子。
 
 おにぃちゃん。かえろ?
 だめっ! きたばっかなんだから!

 どうやら兄妹らしい。
151 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:00
  
 レイナはぽりぽりと頭をかくと、そろりそろりと後ろから近づいて…。
「ボクたち何しよーと?」
「ひぁゃっ!!」
 びくっとおにぃちゃんの体が飛び上がった。そして、わたわたと手足をばたつかせ手後ろに下がりながらレイナを見るなり叫んだ。
「ねっ…ネコオンナぁっ!」
「はぁ!? …って、うわっ!」

 ひゅっ!

「くるなっ! くるなーっ!」

 ひゅっ! ひゅっ!

 小石を拾ってえいって力いっぱいレイナに向かって投げつけるおにぃちゃんと、しっかと服の裾を掴んでおにぃちゃんの後ろに隠れるおんなのこ。
「うわっ! ちょっ! もぉっ! こらーっ!」
 『うにゃーーーっ!』とレイナが両手を振り上げると、

「うわぁぁぁん! ネコオンナがおこったぁ!」

 と、おにぃちゃんがおんなのこの手を引っ張って逃げ出した。
「あっ! 待って!」
 資材を飛び越えると、どんどんキャンプの中の方へととてとてと走っていく小さな背中を追いかける。
 小さなコドモとレイナじゃ歩幅も違うし、ましてレイナは軍人。日々鍛えている…とはいえ、見た目はネコでも走るのは苦手なレイナ。なかなか追いつかない。

「あーーっ! もーーっ! ちょっと待ちなさーーいっ!」
「やぁだーーーーっ!」

 きれいに区画分けされて並ぶそれぞれの隊のテントとテントの間を通りを駆け抜ける3つの足音。

 タッタッタッタ。

 トテトテトテトテ。

「こらーーっ!」
 追いかけるレイナと、
「うわぁぁぁっ!」
 しっかりと手を繋いで半べそかいてで必死に走るコドモ二人。
 そんな光景をたまに通り過ぎる兵士達が不思議そうな顔をして振り返る。

「はぁ…っだぁっ! もおっ!」
 なかなか手が届きそうで届かない追いつかないジレンマ。
 任務直後でふらつきそうな足。諦めようかなぁ…と思ったその時…通りの角、テントの向こうから声が聞こえた。
152 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:00

「へー。のんつぁん、それおいしそーだねぇ」
「でしょ? でさぁ…」

 ドン!

「あだっ!」
「うわぁぁっ!」
「きゃっ!」

 曲がり角から現れたノゾミとぶつかってころころと転がったおにぃちゃんとぺたんとしりもちをついたおんなのこ。くぅーっと体を丸めて三角座りしているノゾミのそばでおろおろしているマコト。
 やっと追いついた…。
 レイナは駆け寄りながらホッと安堵の息をついた。
「大丈夫?」
 レイナがまだうずくまってるおにぃちゃんとおんなのこの傍らにしゃがんで頭をなでようとすると…。
「うわぁぁっ! ネコオンナぁ!」
 じたばたと暴れだしたおにぃちゃん。 
 あいたた…とおなかを押さえながらよろっと立ち上がったノゾミとポカーンとしていたマコトは互いに顔を見合うと、
「ネコオンナぁ?」
「ネコオンナ?」
 綺麗にそろった声にレイナがむかっと顔をしかめる。
「こらっ!」
「うっさぃやいっ! ネコオンナ!」
「ねこおんな! ねこおんな!」
 きゃっきゃとはしゃぐおんなのこと一緒に、
「あっははははっ! ねこおんなぁ」
「あっ…のんつぁんっまでっ! あぁーもぉっ!」
 真っ赤になって怒るレイナにごめんごめんって笑うノゾミと、一緒になって笑いながらよしよしとレイナの頭を撫でてやるマコト。
 レイナはやれやれと大きく肩を揺らして息を吐くと、
「ひざ…ケガしてるっちゃね?」
 真っ赤にすりむけた小さなひざこぞうについた砂をふっと息で払ってやったら、いてって顔をしかめた。
「そのままにしとくとよくないっちゃ」
 と、おにぃちゃんの前で背中を向けてしゃがんだ。
「…」
 けれど、むすっとほっぺを膨らませてうつむいたおにぃちゃん。
「ね。行こう。大丈夫だから」
 すると、ノゾミがおにぃちゃんのほっぺを撫でながら、うにっと顔を近づけた。
「そうだよ。この子まだ子ネコだから人間食べれないから」
「のっ…のんつぁんっ!?」
 驚くレイナをちらりと見て、おにぃちゃんが「ほんとに?」と顔を上げてノゾミを見つめる。
「そうだよ。でもね、あんまりわがまま言ってると変身しちゃうんだよ。うにゃーーーっ!!!!!て。だから早く背中に乗んないと、ネコオンナに食べられちゃうよ」
 おんなのこを肩車したノゾミがにゃーーって爪を立てるようにして両手を開いた。
 その横からマコトもケラケラと笑いながら続ける。
「そーだぞぉ! にゃーーーっ!」
 もぉ…。のんつぁんもまこっちゃんもむちゃくちゃばぃ。悪ノリしすぎたい…。でも、まぁ…しょーがないか。
「ほら。まだレイナ子ネコやけん。でも早くしないと、レイナ変身しよぅとよ?」
 レイナは体を向き直すと、ぽすっとおにぃちゃんの頭に手を乗っけてくしゃくしゃとかき混ぜた。
「…」
 よいしょとしぶしぶレイナにおぶさったおにぃちゃん。
「ははっ!」
 ノゾミがおんなのこを肩に乗せたままぴょんぴょんと跳ねる。
 レイナはにこっと笑ってみせると、
「じゃ、行くぞ!」
 と、歩き出して、ノゾミとマコトがぴしっと前方を指した。
「しゅっぱーつ!」 
「しゅっぱーつ!」
153 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:01

 ―――
 ――

 ネコオンナとお団子頭とヒバゴンの子分二匹に連れられて入ったテントには巨大ロボットがいた。
 その奥では白いお姉さんと黒いお姉さんがトランプをしてる。
 そして、その後から入ってきたふにっとした白いお姉さん。
 
 一瞬「あれ?」という顔をしたカオリ、リカ、ミキ。そして二人の顔をのぞこむサユミ。
 カオリはおにぃちゃんのひざこぞうのケガに気づくと、近くにあった丸イスを持ってきてレイナにそこに下ろすように促した。
「これから消毒して、ちゃんとキズが治るようにするっちゃよ」
 強張るおにぃちゃんの頭を撫でるレイナ。
 トランプを止めて救急箱を取ってきたリカから消毒液とコットンを受け取ると、カオリはよいしょとおにぃちゃんの前に屈んだ。
「ちょっと沁みるからね」
 すりむいたキズの下にコットンを当てると、ピンセットで摘んだボール・コットンに消毒液を浸し、とんとんとん…と傷口に当てる。
「いてっ!」
 きゅっと目をつぶってひざを引くおにぃちゃん。
「こら。おとこのこならガマンだぞー」
 ミキが頭を抱き寄せるように手を回してわしわしとおにぃちゃんをかき混ぜる。
 こう言われたら、そこはおとこのこ。グッとガマン。
 
 とんとんとん。
 とんとんとん。

「はい。おしまい」
 ぺたんとひざに絆創膏。
 よしよしとカオリが頭を撫でてやると、照れくさいのかぷいっとそっぽを向いたおにぃちゃん。
 ノゾミにだっこしてもらってにこにことご機嫌なおんなのこ。サユミがちょっと崩れかけた髪を手早く直してあげると、ぅふふふっと恥ずかしそうに笑った。
 そんな二人にミキがはいっとジャケットのポケットから2本のロリポップ。
「ありがとー」っておんなのこ。
「…」って唇を尖らしてむくれたままのおにぃちゃん。
 あれあれ?とちょこんと首を傾げて、
「ほーら」
 包装紙をはがしてそっと口元に差し出す。白と黒のコーラ味のアメ玉をちらりと見て、でも受け取らない。
 くるくるくるくるぅぅぅ…。
 おなかが鳴って。
 にかっとミキは笑った。
「…」
 ノゾミに抱っこされてうれしそうにロリポップを頬張るおんなのこ。
 おにぃちゃんはそぉっとロリポップを手にすると、一度唇をかみ締めてからパクッと銜えた。
「おいし?」
 楽しそうにニコニコと笑うミキに小さくうなずいて返すおにぃちゃん。
 リカもミキの隣にしゃがんで楽しそうにかわいい来訪者を見つめる。
 カオリは満足そうにやわらかい微笑を浮かべて一つうなずくと、ポンとおにぃちゃんの頭に手を置いた。
154 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:02

 おにぃちゃんの名前はケンタ君。
 おんなのこの名前はひなこちゃん。

 タコさんウィンナー。スパゲッティ・ナポリタン。ちょっとしたサラダ。綺麗なお椀型のケチャップライスの天辺には二人の似顔絵が描かれた旗。
 一枚のお皿に豪華なキャストが勢ぞろい。
 ネコオンナに会った緊張なのかなんなんのか。よほどおなかが空いていたらしく、カオリが食堂の厨房を借りて作ってきたお子様ランチをはぐはぐと一生懸命食べるちびっこ二人。
「おいしい?」
 尋ねたらひなこが小さな口の周りにケチャップをつけて「うんっ!」と元気にお返事。カオリが口の周りについたケチャップをナプキンで拭いてるやるとくすぐったそうに肩をすくめた。 
「二人は?」
 隣でようやく遅い昼食を食べているレイナとサユミも、
「はいっ! おいしーですっ!」
「すっごくおいしいですっ!」
 口の周りにケチャップをつけてにっこり。
 そんな二人の横で、
「いいなぁ。ちょーだい」
 ってノゾミに、
「のんつぁん、さっき食べたじゃん」
 ってマコト。
 ちぇって唇を尖らせたノゾミの頭を撫でながらカオリはケンタにそれとなく尋ねた。
「ねぇ。どうしてこんなところに来たのかな?」
「…」
 フォークをグーで握っているケンタの手がぴたりと止まった。
 パスタをくるくると巻きながらレイナがじっと見つめる。
「…」
 うつむいて崩れたケチャップライスの山の中のグリーンピースをじっと見つめるまなざしが重く沈んでいく。
 寂しげで、悲しげで、怒りの入り混じったケンタの瞳。
 その隣であいかわらずにこにことご機嫌のひなこ。
 
 入り口の向こうにはけだるげな午後の陽射し。
 時折聞こえる同僚達の話し声。足音。
155 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:02

 ふと聞こえた小さな呟き。 
「……ぶっ飛ばすんだ」
「…ぶっ飛ばす?」
 言葉を繰り返したのはレイナだった。
 コクリとうなずいたケンタ。
「ぶっとばすんだ! パパのかわりにボクがみんなみんなぶっとばしてやるんだっ!」

 ガタッ!

 ケンタが勢いよく前のめりに立ち上がってイスが揺れてカタンと倒れた。不思議そうにそんな兄を見つめるひなこ。
 目にいっぱい溜まった涙がポロリと零れる。

「パパはカッコイイひこうきのりだったんだ! いっぱいいっぱいてきをやっつけたんだっ!」

  抱き上げる力強い腕。
  最後にパパに会ったその日、飛行機に乗せてくれた。
  暑い太陽の日差しを受けて輝く計器。
  中央で静かに時を待つ操縦桿。

  パチリ。
  飛行機の前で写真を撮った。
  力強く腕を広げる鋼鉄の翼。きらめきを放つ機関銃の銃口。
  青い空を背景にダークグリーンの機体は凛と空を見上げていた。

「パパは…パパはつよかったんだっ!」

 胸の中のありったけの怒りを乗せて涙で掠れた声。

 ある日帰ってきたのは少し角が焦げているあの時撮った写真と愛用していたゴーグル。
 青い空に散って、パパは星になった。

「だからっだから…ボクがっ…!」

 びくっとケンタの体が震えた。
 ひざまずいて、ぎゅうっとレイナが強くその小さな体を抱きしめる。
「なっ! なんだよっ! はなせっ! はなっ…!」
 引き剥がそうとしてふいに見えたレイナの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
「…ごめ…。ごめん…」
「…ぁ…」

 なんだよ…。泣いてるじゃないか。
 ネコオンナが泣いてる。あっちじゃ子分だって泣いてる。
 そうだ。
 ボクの方が強いんだ。

 けど、けど…どうして?

 だって…泣いてるのに……。

 カオリはレイナの小さな背中に手を置くとゆっりとなだめるようにさすった。
 不思議そうにその様子を見つめるひなこ。
 ケンタは唇を固く結んでレイナの背中を流れる手を見つめる。
156 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:03

「わかんないよ……」

 ケンタの呟きに乙女隊の面々が顔を上げる。 

「てきのおまえたちに…ボクのきもちなんてわかんないよ」

「わかるよ」

 はっとケンタが顔を上げる。答えたのはリカだった。
 言葉には不釣合いなくらいの穏やかな微笑み。ミキは後ろ手にみんなには見えないようにリカの手を握った。
「あたしのパパも戦争で死んじゃった」
「……ほんとに?」
 リカは微笑んだまま小さくうなずいて返した。
「ママも…お姉ちゃんも妹もおばあちゃんも……みんな」
 一度ミキの手を強く握り返すと、手を離してケンタの前に行くとしゃがんだ。
「あたしも一緒だよ。みんな戦争で死んじゃった」

  青い空を埋め尽くした黒い機影。
  そして、空を焦がした真っ赤な炎。

「飛行機がいっぱい飛んできて…爆弾がいっぱい落とされて……」
 
  燃え上がる人、人、人。

  怒り。悲しみ。痛み。
  いくつもいくつも重なった声にならない叫び。
  
  無造作に転がった人のような形をした消し炭の山。
  愛を誓う神聖な場所もにぎやかな商店街もなにもかも煤けた瓦礫に変わった。

  真っ黒な荒野を歩きながら見上げた空の呆れるくらいに澄んだ青。 
  
「みんな焼かれて…一人になっちゃった」
「…」
 ぐっと息を呑んで目を見開いて強張ったケンタの手を取って包むようにリカは包むように握った。小さな手の指先は少しひやりとしていたけど、ゆっくりと伝わってくるぬくもりはやさくしてあたたかい。
 サユミもリカの隣に座ると、二人の手を包んだ。
「サユもね、いないんだ…」 
 更に大きく目を見開いて、じっとサユミを見つめるケンタ。
「お父さんとお兄ちゃんは戦場で死んじゃった。お姉ちゃんは……」
     
  そろそろ秋の気配を感じる頃。
  木の箱に入って戻ってきた父と兄。
  姉は暴力と欲望によって壊された。

「お姉ちゃんは……」
 呟いて、はかなげな笑顔がひどく痛々しい。
 リカが腕を回して頭を抱き寄せるとサユは手の甲を押し当てるように目じりをぬぐって笑って見せた。
 ケンタは重なっている手を見つめていたが、ゆっくりと顔を上げた。
「…ママは?」
「ママ…お母さん?」
 こくりとうなずいて返すケンタにサユミはさびしげに微笑んだ。
「いないよ。お父さんとお兄ちゃんの後、追っかけてっちゃった」

  夫に続いて息子。
  無言で兄が帰宅してから3ヶ月。心を患った母はあっという間に二人の後を追っていった。
  やせ細った手。こけた頬。
  病院の白いベッドの上で静かに息を引き取った母は、ひどく小さかった。

「…」
 目を見開いて、大きく息を吸って…。
 言葉にしようと口を開いても何を言っていいのかわからなくて、ただサユミを見つめた。 
 にこっと微笑み返すサユミ。
 隣にいるリカを見たら、どこか色褪せた瞳で微笑んでいた。
 レイナはまだカオリの腕の中でしゃくりあげている。

 抱きしめる腕の強さとあたたかさ。
 重なった小さな3つの手。
「…」   
 父親を殺した敵の国の兵士たちの手。
 なのに、やわらかいぬくもりはどこまでもやさしかった。
157 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:04

 ―――
 ――
 
 午後の太陽の光が広がって、見上げる空の薄いブルーがどこか春の近さを思わせる。

『二人をちゃんと送り届けてらっしゃい』
 
 カオリの命を受けて、ところどころ壊れた町並みを眺めながら、ちびっこ二人を間に挟んで肩にアサルトライフルをかけて武装する迷彩姿のレイナとサユミが手を繋いで歩く。
 二つ目の通りの銀行の角を曲がって路地に入り、小さな公園の前を通り過ぎてこの辺の中ではちょっと高さのある集合住宅の角を曲がったところ。少し離れたところにはちらほらと工場の姿。
 拠点にしている公園から歩くこと10分。
 青い屋根の家を指差して、ひなこが「あそこ!」と笑った。

 レイナとサユミは迎えに出てきたユウコぐらいの年の若い母親に二人を届けると、母親に敬礼。ひなこが手を振ってくるからり返しながら来た道を戻る。
 見えなくなるまで手を振って角を曲がると、そこそこに辺りを警戒しながらゆっくりと歩いた。
「レイナ」
「なん?」
「さっき……」
 言い淀んだサユミの言葉と心配そうに上目遣いで伺ってくる表情で察したレイナは、あぁと小さくうなずいて、なんとなく首をコキコキと動かしながら呟いた。
「なんかさ…思い出しちゃったっていうかさ…」
「レイナ?」
 薄いブルーの空を見つめている目はさらにその先を…どこか遠くを見つめている。
「レイナ、実家にあのコくらいの弟いるけん…なんか…切なくなったっていうか……なんかさ、なんて言っていいか…わからんちゃけど……悲しくて…」

 なんだかんだと生意気だけど、やんちゃなあの子があんな重たいを目をして、あんなことを言ったら…。
 自分がケンタのパパと同じようになったら、そんな風に思ってくれるのだろうか?
 そして、そんな風に思うようになってしまうのだろうか?
 寂しさと悲しみと怒りの入り混じった瞳の色を持つように変わってしまうのだろうか…。
  
「でさ…」
「ん?」
 サユミが小さく首を傾げる。
 レイナはゆっくりと息を吐き出してから続けた。
「なにしてんだろーなぁ…って」

 生きるために、守るために、銃を手にして誰か殺す。

 それが戦場。
 それが戦争。

 そんなことは言われなくてもわかってるんだけど、わかってるんだけど……。

 この指が引いた引き金で、その銃弾で…悲しむ誰かがいる。

「わかってるんやけど…」
「…」
 唇を噛んでうつむくレイナ。
 大きく肩を揺らしてため息を空に投げたサユミ。
「サユ…」
「ん?」
 ちょこんと首を傾げて見つめるサユミ。
 どこか不思議そうな顔。

『ねぇ…おねえちゃんたちは……つよいの?』  
 
 リカとサユミは互いの顔を見合うと、どこか困ったようにさびしげに笑うだけだった。

 いつもはどこかとぼけたその黒くて丸い瞳。そのずっと奥を覗き込むようにレイナはじっと見つめていたが、ふわっと笑った。
「んん…。なんでもない」
「レイナ?」
 ちょこんと首を傾げてきょとんとするサユミ。
 レイナはへへっと笑うと、サユミの手を取って繋いだ。

 欠けたビル。崩れた壁。燃えた街路樹。
 心の奥底にじりじりと這うような緊張感を感じながらも、午後の空気は穏やかだ。
 砂利やコンクリートの破片のくずで散らかったアスファルトをコツコツと分厚い軍用ブーツの硬質ゴムのソールが叩いて鈍くて重々しい響きを弾き出す。 
 手を繋いでなんとなく無言で歩くレイナとサユミの隣を、街の郊外で始まった銃撃戦の応援に向かう仲間たちを乗せたジープが走り去っていった。
158 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:04

   *

 ひゅ〜う。

 まだまだ冷たい冬の風がテントとテントの間を駆け抜けていく。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぃっ!」

 コドモは風の子。
 
 ドタドタドタ!

「まぁてぇ〜!」

 ドタドタドタ!

 テントとテントとの間を駆け抜けるちゃっちゃいボクとおこちゃまな軍人さん。

「べーだ! つかまんないよぉだっ!」
「言ったなぁ!」
 
 ドタドタドタドタ!

 逃げるケンタ。
 追いかけるノゾミ。 
 
「のんつぁ〜ん! こっちこっち!」
 マコトがプルルルルと顔を振って冷やかし、
「のーんつぁんっ!」
 レイナがテントの角から顔を出してひらひらと手を振ってみせる。

「あーもーっ! あったまきたぁっ!!」

 ドタドタドタ!

「まぁてぇ〜っ!!」

 にぎやかな足音がアイスブルーの冬の空にこだまする。
 のどかな休憩中のひと時。
 昨日の夜の会議が長引いてお疲れのカオリはテントの中でお昼寝中。
 怒られないといいけどねぇ…。 
 テントの前のベンチでささやかなティータイムを楽しんでいたリカは、猛然とダッシュしてケンタの後を追っかけていったノゾミの後姿にやれやれと苦笑い。
 周辺パトロールを終えて遅い昼食を取って戻ってきたミキはマグカップを手に右隣に座ると、ずずっとコーヒーを一口。ふうっと一息をついてにぎやかな音に耳を澄ませた。
「まっ、いいんじゃない? 楽しそうで」
「でもさぁ…意外だったな」
「うん…。まぁねぇ」
159 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:04

   『ねーこおーんなっ!』
   『おねーちゃん!』

    にひひひひと笑っておとめ隊のテントの前に立っていたケンタとひなこ。
    目を真ん丸くしてぽかーんとレイナ。

   『どっから入ってきたと?』 
   『へへへっ。ひーみーつ!』
   『ひーみーつー!』

    やんちゃな笑顔。
    なんかよくわかんないけど、でもほっとして、うれしくて…。
    言葉になんかうまくできないから、ほろっと涙が零れた。
    そしたら、『またないたー!』ってからかわれて、

   『あー泣いた泣いたー!』
   『ほらほら〜泣いたらダメでちゅよ〜』

    なぜかノゾミとマコトにもからかわれたけど。
   
    あの日から3日後の出来事。

    それから毎日毎日やってきて、気がつけば1週間。
160 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:05

「なんかさぁ、みんなおこちゃまだね〜」
「ふふ。新しい弟と妹ができたから、うれしくってしょうがないんだよね」
「ねー。ちょーっとうるさいけど、見てて飽きないし、かわいいからね」
「うん。それにさ、怒っても懲りないし」
「まぁねぇ〜」
「でも…このままであってほしいよね」
「リカちゃん?」
「…うん」
 カオリが会議からテントに戻ってきたのは予定より2時間遅い午前1時。ひどく疲れた様子で、寝付けにとリカが沸かした紅茶に重たい表情のままため息を一つ零して『来るわよ…』と呟いた。
 たかだか1週間前は戦場だった街。
 奪ったとはいえまだ小競り合いは終わらない。
「取られたら取り返す……だからね」
「…まぁね」
 ミキはマグカップを傍らに置くと、べりっと臙脂色のロリポップの包装を剥がして銜えた。くしゃくしゃと丸めてポケットに押し込むと、はぁ…と背もたれに寄りかかって足を組む。
「平和かぁ…」
 なんだろうね。
 さぁ…。
 リカはなんとなくマグカップに口をつけてすっかりぬるくなって渋くなった紅茶を一口すすった。
 薄いブルーの中をロリポップの白い棒がふらふらと右へ左へとさまよう。
「ミキちゃん」
「ん?」
「それ何味?」
「チェリー」
 いる?
 にっこりと目を細めて微笑むリカの顔がすぅっと近づく。
 ふらふらとさまよっていた白い棒をひょいと唇の端に追いやると、入れ替わるように重なったリカのやわらかい唇。
 すぐに離れたからミキは首を少しだけ伸ばして追いかけると、そっと押し当てた。

 背中の方からテント越しにわいわいとにぎやかな声。
 ひゅうと走り去る冬の風。

 もっと…。
 一度離れて、リカの肩に手を伸ばして抱き寄せよう…としたその時。

 ん?
161 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:05

 視界の端にちらりと映った小さな足。       
 リカも気づいたらしく、ちょっとだけ眉間にしわを寄せて小さく首を傾げている。
 互いに見つめあうこと3秒。  
 くるっと首を向けると、
「あ…」
「あ…」
 ひなこがにこにこと笑っていた。
 そして、その後ろには両手を腰に当てて困り顔のサユミ。
「もぉ〜。何してるんですか。二人とも」
「えー…何って…ねぇ。リカちゃん」
「ねぇ…。ミキちゃん」
 見ての通りです…。
 だ〜か〜らぁ〜。
「二人ともおねえさんなんだから、まだちっちゃいコにヘンなこと教えないでください」
 それにミキがえーと反発する。
「そーかなぁー。いいじゃん。すきでしてんだもん。ねぇ」
「ねぇ。それにサユだってこの前さくらの所に遊びに行った時アイちゃんに……」
「私のことはいいんですっ!」
「えー。シゲさんずるーい」
「自分ばっかりー」
「だってさゆみこの間はしてないもんっ! っていうかさせてくれないもんっ!」
 じゃれてるだけですっ!
 あ。問題発言。
「っていうか、そっちの方が問題なんじゃないの?」
 にやにやと不敵に笑って背もたれに上半身を乗っけて己を乗り出すミキ。
 むーっと頬を膨らませるサユミ。
 ひなこはくいくいっとサユミのシャツの裾を引っ張った。
「あ、そうだ」
 パンと手を叩くと、
「ひなこちゃん、ここ座って」
 とリカとミキの間をポンポンと叩いた。
 とてとてと走ってひなこがリカとミキの間に座ると、サユミはリカの後ろに腰を下ろすと、サユミはがっとリカの顔を両手で挟んでくるっと左に向けた。
「さっ…さゆ!?」
「はいはい。いいこだからおとなしくててね〜。じゃ、よく見ててね」
「うんっ!」
 元気のいい返事にうれしそうにうなずくと、さっさっと手際よくリカの髪をとって結っていく。

 ここをね、こうしてね、こうしてね…。
 うん。うん。
 ほら、やってごらん。
 うんっ!
 そうそう。上手上手!

 ミキもやっていい?
 えーっ! ちょっとっ! ミキちゃん!?
 どうぞどうぞ。遠慮なくやってください。
  
 で、そんなこんなでひーふーみーよーと太さのまちまちな編み込みのなんちゃってドレッドヘアに大変身。
 おなかを抱えてがっばっはと笑うミキとむーーっと唇尖らせるリカ。
 そこに鬼ごっこをしているおこちゃまたちがやってきて…。

「うっわっ! りかちゃーんっ!」 
「ぅは−−−っ! いしかーさんすっごぃあたまだぁ」  
「ひゃーーっ! いっ…いっしかぁさんっ…ふはっあはははっ」

 むっとするどころか泣きそうな顔になっていくリカ。
 ケンタもおなかを抱えて笑ってる。

 乾いた薄い色をした青空に高々と響く笑い声。
 涙まで流して笑っていたミキは、テントの入り口の布がひらりと舞い上がったことに気がついた。
 やべ…。
 どうやら、深き眠りを妨げしまったらしい。
 魔人よろしく恐怖のロボが目を覚ました。

「こらーーーーーっ!」
   
 それから6人正座でカオリにこってりと説教されること1時間。
 そんな軍人さんたちの様子をベンチに座って足をぶらぶらさせながら見ているケンタとひなこ。
 ようやく開放されて痺れる足に悶絶しながら見上げた空はうっすら黄金色に染まっていた。
162 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:06

………
……  
 
 夕焼け小焼けの帰り道。
 いつものように並んで手を繋いで途中まで送りながら、レイナはそれとなく聞いた。
「たのし?」
「うんっ! ボク、みんなことだいすきだぞっ!」
「ホントに?」
「だってみんなやさしいし、なかまだもんっ!」
「…なかま?」
 
 戦場で銃を手に戦う。

 それも仲間。

 同じ痛みを知っている。
 
 それも仲間。

 へへっと笑って、照れくさそうに鼻をこするケンタ。
 しっかりとおにいちゃんの手を握って、
「おともだち!」
 って笑ってレイナの手を握る小さな小さな手に力を込めたひなこ。

「…」 

 言葉はきらきら眩しい笑顔と一緒にまっすぐに胸に飛び込んだ。
 大きく見開いた目からほろっと零れて赤い夕日にきらりと光りながら頬を滑り落ちた雫。
「またないてるー。ネコオンナはなきむしだなぁ」
「うっさぃ」
 ごしごしと袖でぬぐってレイナは笑って見せた。
 そんなレイナを穏やかな瞳で見つめるサユミもぐすっと鼻をすすって目じりをそっと手の甲で拭った。

 かぁ…かぁ…。
 
 遠くでカラスが鳴いている。
 お家に帰ろう。
 並んだ4人の影はオレンジ色に染まったアスファルトに細長く伸びていた。
163 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:06

   *

 闇の中。
 荒野の中の一本の滑走路。
 わずかな明かりを頼りに一基、また一基、プロペラが唸りを上げて星の瞬く空へと飛び立っていく。
 機体はすぐに闇の中に消えた。

 ―――
 ――

 ウゥーーーゥゥゥゥゥゥー!!

 サイレンがけたたましく叫ぶ。
 キャンプを超えて、街全体に怒鳴るように叫ぶ。

 ウゥーーーゥゥゥゥゥゥー!!
 ウゥーーーゥゥゥゥゥゥー!!

 早く!
急げ!
もたもたするなっ!

 赤いランプがグルグル回る。
闇を斬るように速く、鋭く。

 急げ!
急げっ!

 サイレンが叫ぶ。
 
 ウゥーーーゥゥゥゥゥゥー!!
 
 片道2車線の道路一本を挟んで銃口からパチパチと火花が閃く。
 街路樹の陰。ピルの角。
 車を盾にして、地面に伏せて、体勢を低くして引き金を引く。
「ちっ!」
 ミキは背中のバッグパックのサイドポケットから手榴弾を取り出すと、口でピンを引き抜いて放り投げた。
「下がれっ!」
 その声にレイナ、サユミ、マコト、ノゾミが一斉に走りだしてリカとカオリがいる一つ後ろの建物の影に滑り込む。
 ミキも後に続いて建物の影に入ると、前方を睨んでからぐるりと周囲を見渡した。
「囲まれてるね」
 ライフルを担いだリカが傍らに座る。ミキはうなずいて返した。

   ドンッ!

   静かな夜を突き抜けた一発の号砲。

   20時58分。
   ほとんどの部隊の食事も終わってあとは寝るだけという、そんな時間。
   街の南東部、東部、北東部から侵入してきた無数の戦車と兵士に、キャンプは瞬く間に騒然と動き始めた。
   2分で着替え終えて戦闘準備を完了させたおとめ隊の面々もその5分後にはキャンプから飛び出していた。

   突然の襲撃。
   予想はしていたものの、その想像を少しだけ超えた数の兵力に高まる敗色。
164 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:07

 カタカタカタとキャタピラー音があちこちから聞こえる。
 決して深く入ってくるわけでもなく、街の郊外で繰り広げられる激しい攻防。
 
 ドン!
 ドン!

 砲弾がアスファルトに穴を開け、ビルに大きな風穴を作り上げる。
 途中に置いて隠してきたポンコツトラックまでは今いる場所から西へ500メートルほどの距離。
 
 タタタタッ! 
 タタッ! タタタタタッ! 

 煽ってくる兵士達を銃で威嚇しながら、少しずつ後ろに下がる。
「ちきしょぉっ!」
 
 タタタタッ!

 ミキの放った銃弾が兵士を一人地面に転がす。
 その後を続いてノゾミの放った銃弾がまた一人兵士を倒す。

 タタッ! 
 タタタタタタタッ!

 レイナとマコトが弾幕を張って、また少しずつ下がっていく。
 ポンコツトラックまでの距離はそれでも480メートルほど。
 なかなか近づくことのできないもどかしさに苛立ちと焦りが募っていく。
 カオリはサユミの顔色が悪いことに気づくと、ぎゅっと胸に抱きしめてポンポンと背中を叩いた。
「大丈夫。絶対帰れるから」
「…いーださん…」
「うん」
 やさしい微笑みに、ふわりと心があたたかくなる。
 一人じゃない。
 みんながいる。
 あの時と…違う。
 サユミはゆっくりとカオリから離れると、銃をしっかりと持ち直して前を向いた。

 タタタタタッ!
 タタタタッ!

 パラララッ!

 パラララッ! 
 パララララララッ!

 火花が弾ける。
 
 ドン!

 ドンッ!

 砲口からゆらりと立ち昇る灰色の煙。
 巨大な鋼鉄のバケモノがカタカタと足音を立てて通り過ぎるのを息を潜めて待つ。
 微かに揺れる足元。
 ガラガラと崩れるビルの壁や塀。
165 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:08

 レイナは下を向いて体を小さく丸めて息を潜めていたが、遠くからふと聞こえた音に顔を上げた。
「なん?」
 きょろきょろと空を見渡す。
 マコトも何か気づいたようで辺りを見回している。
 次第に大きくなってくる音。

 …ゥーーーーーーーッ…

「飛行機…」
 夜空の中にチカチカと瞬く不自然な青い明かりを見てサユミが呟いた。
 その刹那、

 ドーンッ!

 おとめ隊の面々が隠れてる建物の右手側、5キロほどのところで火が上がった。

 ドーン!
 ドーン!

 ひゅーと甲高い音を伴って地上で炸裂した爆弾がわっと膨らんで炎を広げていく。
 紺色の夜空があっという間に真っ赤に染まる。
「あっちって…」
 呟いたノゾミのあとをマコトが続けた。
「工場があったとこ。なんのか忘れたけど」

 ヒューーーン…。

 そしてまた一つ轟音が響き渡り、炎が立ち上がって空がまた一段と明るく赤く染まる。
 およそ3キロほど南東の方向。
 ぶーんとプロペラを唸らせて爆撃機が頭の上を通り過ぎていく。
 壁に身を寄せて体を小さくして通り過ぎるのを待つ。
 じっと息を凝らして、静かに、石のように…。

 ……。

 通り過ぎていったのを確認すると、赤く燃え上がった夜空と吹き込んできた熱気と灰にリカは体を強張らせた。
「リカちゃん…」
 ミキが肩を抱き寄せる。
 リカはじっと赤い空を見つめたまま、ゆっくりと呼吸を繰り返して肩に置かれたミキの手を握った。
 あの時ほどではないけれど、それでも所々に上がる炎、赤く焼け付いた空はあの日を思い出させる。
 
 ブゥーーーーーーン…。

 今度は左手の方から迫ってくるプロペラの音。
 ちかっと瞬いたライトが二つ。
 レイナが向かってくる音の方に目を凝らしたその時、

 ドンッ!
 ドンッ!

 一つ。二つ。

 ほぼ真横、2キロほどの所で火柱が上がって空が真っ赤に燃えた。
 少し目立った高さのある集合住宅がぐらりと揺らいだ。
 キャンプはその少し先。
 レイナは目線を少しだけ手前に戻して今爆弾が二つばかり落ちたそこへと目を戻した。
「あっ…!」

 無邪気な二人の笑顔が、すぅっと胸を駆け抜けた。
166 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:08
 
 バァンッ!

 工場にあった何かの薬品に引火したのか、次々と爆発して足元がひりびりと震えて泣き叫ぶ。
 体を大きく広げて迫ってくる炎に魅入られたようにレイナが呟いた。
「サユ…あそこ…」
 焼かれて崩れていく集合住宅を力なく指差すと、サユミもごくりと息を飲んで目を大きく見開いてうなずく。
「うん…」

  大きな集合集宅の角を曲がってちょっと行ったところ。
  近くには工場がちらほら…。

「あっ…ああ…!」

 燃える…。
 燃えてる…!
 
 死んじゃうっ…!

 死んじゃう!
 死んじゃうっ!

 やだっ!
 そんなのダメッ!
 絶対にダメッ! 

 いや…待って…。
 
 待って!
 まだ生きてるかもしれない!
逃げてるかもしれないっ…! 

「助けないとっ! 助けないとっ!」
 飛び出そうと立ち上がると、後ろからミキに抱えるように止められた。
「バカ! どこ行くんだよっ!」
「二人がっ! ケンタとひなちゃんがっ! 」
「バカッ! おまえも死ぬぞっ!」
「離してっ! みきねぇ離してっ! レイナ行かんとっ! 」
「バカっ! 死ぬっつってんだろっ!」
「やだっ!! 離してっ! レイナ行かんとっ! レイナ行かんとっ!!」

  『うっさぃやいっ! ネコオンナ!』
  『ねこおんな! ねこおんな!』

   歯を食いしばって目にいっぱいの涙をためて拳を握り締める横顔。
   そして、そんな横顔を不思議そうに見上げる横顔。
  
  『だってみんなやさしいし、なかまだもんっ!』
  『おともだち!』

   ちょっとはにかむような無邪気な笑顔と、小さな小さな手のぬくもり。

 ゴゴゴゴゴ…。

 集合住宅が足元から崩れて炎の中に重い灰色の煙が舞い上がる。
 炎は煌きながら真っ赤な手を広げて空を焼く。

「ちょっ! レイナやばいって!」
「ねっ! 無理だよっ! こっちも危ないよっ!」
「ケンタぁっ! ひなちゃぁんっ!」
 なんとかしようともがくレイナの力にノゾミもマコトも撥ね退けられて手が出せない。
 爆風が生んだ風が風を呼び、煽られて勢いを増していく炎が気がつけば近くへと迫ってきている。
 リカは立ち上がると、レイナの肩を掴んで思い切り拳をみぞおちに叩き込んだ。
「あ…ぁ…」
 カクンとレイナが落ちる。
 ミキがそのまま担ぎあげて肩に乗せると、カオリは後方を指差して叫んだ。

「全員、退却!!」
167 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:08

   *

   『れいちゃん。なんでおひげないの?』
 
    まだこどもだから? 

    ひなこが首を傾げる。
   『えっとぉ、だからぁ。レイナは…』
   『あー。ちょっと待って』
    へへっと笑って、ノゾミはテントの中に入ってすぐに戻ってくると、
   『はいはい。ちょっと動かないでね〜』
    ひなこから隠すようにレイナの前に座った。

    キュポッ。  
 
   『ちょっ! あっ! のんつぁんっ!!』
   『へっへっへ〜。いいからいいからぁ』   

    キュッ、キュッ。
    キュ〜ッ、キュッ。キュッ。
    
   『ほら。おひげだよ〜』

    仏頂面のマジックペンのネコひげを生やしたレイナ。
    それを見てキャッキャッと大喜びのひなこ。

   『あっ! ねこおんなにひげが生えてる!』

    ケンタも大喜びでおなかを抱えて笑った。

    なんかみんな笑うから、頭きたけど恥ずかしいけどなんかおかしくなってきて、なんか涙が出た。
168 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:09
 
「…っ!」

 跳ね起きたレイナの目の前に広がる薄闇。
 はっと辺りを見渡せば小窓から遠くの街路灯が流れては消えていく。

 ユメ…。

 声にならない呟きはすぐに闇に溶けて、ふいに感じたひどく冷たい空気。
 腹に痛みを感じてじわりと記憶がよみがえる。

   真っ赤な空。
   ひらひらと舞い踊る火の粉。
   焼け付くような熱い風。 

   ネコオンナ!
   れいちゃん!

「っ…く………」

 ぽたりぽたりと落ちていく大粒の涙。

 低く唸るエンジンの音がやけに耳につく。
 小さな窓向こうは藍色の空。闇よりも深く静かな冬の夜空が垣間見える。


「っく…ぁっ…ぁぁっ…うあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 バン! バン! バン!

 固く握り締めた拳が何度も何度も床を叩く。
 小さく体を丸めてうずくまってレイナは声を上げて泣いた。

 どうやったって圧倒的な暴力の前に人間は無力だ。
 その暴力を生み出すのもまた、人間なのに。

 胸の中でぐずぐすと鼻をすすって泣いているノゾミの頭を撫でるカオリ。
 きゅっと唇を結んで、窓の外を見つめるマコトの頬にも涙の跡。  
 目が覚めるまでずっとレイナに膝枕をしていたサユミが、そっと後ろから背中をさすってやる。何の慰めにもならないだろうけど、やさしく、ただひたすらにやさしく。頬を滑り落ちる涙を手の甲でぬぐいながら、小さく丸まって震える背中を撫で続けた。

 ハンドルを握るリカの真っ赤な目は夜の車内ではわからなかった。
 助手席でいつものようにダッシュボードに足を乗せてシートを倒して寝転がるミキは、滲んできた涙を押さえるように袖で拭った。
 リカはシートベルトの位置を少し直すと、ふいにミキに話しかけた。
「ミキちゃん」
「…ん?」
「歌って?」
「…うた?」
「うん。なんでもいい」
「…」
  
 レイナの泣き叫ぶ声と、エンジンの音と。
 流れる景色はどこまでも藍色でどこまでも静かで、ふいにすっと星が流れる。 

 ダッシュボードから足を下ろし、シートを戻して座りなおしたミキが口ずさんだのは神への賛美の歌。
 
 驚くべき恵みだ!
 罪深い私を神は救ってくれた。
 
 こんな歌を歌ったところで、神は何を救ってくれるのかわからないけれど、他に何も思い浮かばなかった。
 でも、せめて、本当にいるんなら…。 

 涙で掠れた声はエンジンの音に重なって消えた。
169 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:09
  
                           ■                            ■

 ドンドンドン!
 ドンドンドン!

 勉強に飽きたのか疲れたのか、いつのまにか眠ってしまったサユミを夢の国から連れ出したのはけたたましいドアの音だった。

 ドンドンドン!
 ドンドンドン!

「ん〜っ…。もぉ。なぁに〜」
 ちょっと口の端をぬぐって、ぷんぷんってドアに向かう。

「サユッ! おるんやろ? 早くっ! 早く開けてっ!」
「レイナ?」
 ドアを開けると、
「もぉ〜! いつまで待たせよぉとぉ」
 と、言うなり、「ほらっ!」と満面の笑顔で手紙を見せた。
「何? あれ? イシカーさん?」
「そう! もぉね、すごいのっ!」
「何が?」
 パタンと開きっぱなしのドアを閉めると、ベッドに座るサユミ。レイナはその隣に座ると、手紙の中から1枚の写真を取り出して見せた。
「あっ!!」
「ねっ! すごくない!? もぉっ…レイナさぁ。へへっ」
 そのあとは言葉にならない。
 サユミはぐすっと鼻をすすった。

『 
  松葉杖を使って歩く左足が膝から下がない男の子。
  そのシャツの裾をしっかりと掴んで笑っている眼帯をしているらしい女の子。
  
  顔を見合って楽しそうに笑っている横顔。
  服から覗いてる素肌にはやけどの跡。   

                                                』

 生きてた…。

 生きてる!

「ねぇ…すごいよ…。なんかよくわかんないけど」
 サユミはぽたぽたと滑り落ちる涙を拭いもせず、ただただ写真に見入る。
「うん…」
 レイナは胸に着けたシルバーのクロスを握り締めた。


  Dear レイナ

   元気ですか? 勉強、訓練がんばってますか?
   きっとレイナのことだから、がんばりすぎちゃってるかな?

   レイナは、ミヨシエリカさんのこと、覚えてるかな? 
   隊にいた頃、取材で来ていたカメラマンさん。
   今は私と一緒の会社で働いてるんだよ。なんか不思議だね。
   そのミヨシさんがすごい写真を持ってたので同封するね。

   びっくりするから!
                                          』

 そんなとても短い手紙と一緒に届いた1枚の写真。
 あの時よりちょっとだけ大きくなっていた。
 どんなに変わっても間違えるわけなんてない。
 今だって、ほら、耳を澄ませばいつだって声も聞こえる。

 『なかま』だから。
 『ともだち』だから。

「会いたいね」
「うん…」
「覚えるてかな?」
「覚えてるよ! だって、レイナ、ネコオンナじゃん」
「あっ! さゆ〜!」
「だーってホントのことだもん!」
「あーこらー!」
 にゃーっとレイナがサユミに襲い掛かってきゃいきゃいドタバタとベッドの上で転げまわる。

 すっかり忘れ去られた教本とノート。
 どうやらもう勉強は終わりのようだ。
 ベッドに寝転がって写真を見るレイナとサユミのうれしそうな笑顔。
 はしゃぎ疲れてゆっりとまどろんでいく体を窓から差し込む夕焼けの橙色がやさしく包み込む。

 どこかでネコがにゃーってないて、カラスがかぁかぁと連れ立って帰っていく。
 寮の食堂からいいにおいがしてきて、ほどなくレイナのおなかがなって、二人で笑った。
 今頃、あの子達は何してるかな?
 寝転がったまま首を少し伸ばして窓の向こうの夕焼け空を覗いたら、きらりと一番星が光っていた。
170 名前:来訪者とネコオンナ 投稿日:2006/09/21(木) 01:10

       「来訪者とネコオンナ」           END
171 名前:さすらいゴガール 投稿日:2006/09/21(木) 01:17
すいません
本当にお待たせしてしまいました
まさかこんなに長い話になるとは思わず……

つっこみどころはたくさんかと思いますが、何を感じていただければ幸いです

>>142 初心者様
 ありがとうございます
 若い人たちに幸あれという感じで書いてみました

>>143 名無し飼育さん様
 ありがとうございます。
 学生時代は私もずいぶんと前のことになりつつありますから、この空気がなつかしいです

>>144 名無し飼育さん様
 ありがとうございます
 たいへんおまたせしました

>>145 孤独な名無し様
 ありがとうございます
 お待たせしました
172 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/09/22(金) 19:49
更新お疲れ様です。
いやぁホロリときましたよ。
こちらの作品を読んでるときはいつも映像が浮かんできます。
映画を見てるような感覚というか…ほんとにすごいの一言です。
次回の更新も楽しみにしています。
173 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/29(金) 22:30
今日初めて1から読ませて戴きました。時折登場するナカザー姐さんが
とてもいい感じですね。普段は遠くから後輩であり仲間でもある彼女らを
見守り、いざという時には助け舟を出してくれる頼もしい人。
実際の中澤さんと彼女達の絆を見ているようで暖かい気持ちになりました。
174 名前:海岸通りの喫茶店 投稿日:2007/02/01(木) 22:04

 カランカラン。

「おはよーございまーす」

 ドアのベルが軽やかに歌う。
 マスターとママの挨拶を笑顔で受けながらカウンターの奥へと回ってカバンを置くと、赤いチェックのエプロンを着けながらすぐにカウンターから出る。
 エプロンの後ろを結びながらちらりと壁にかかった時計を見れば8時10分前。
「看板出してきまーす」 

 カランカラン。

 ドアのベルがまた軽やかに歌って、外は眩しい青い空。

 “ 喫茶 Memory ”

「よっと…。これでよしっと」

 ミキはうーんと空に向かって大きく腕を伸ばした。
175 名前:海岸通りの喫茶店 投稿日:2007/02/01(木) 22:04

    *

 軽やかなジャズとほのかに漂うやわらかいコーヒーの香り。
 どことなく忙しいモーニングの時間も少し落ち着いてきた頃、

 カランコロン。
 カランコロン。

 入ってきたのは幼稚園に子供を送り出してきたいつもの若奥様4人組。
「おはようさ〜ん」
 髪を金色に染めたにぎやかな柄の服と過剰に華やかなメイクの若奥様を先頭に空いているテーブルに着くと、かっちりとスーツできめたメガネの若奥様が軽く手を上げて、
「いつものでお願いね」
「はい」
 ミキは笑顔で返して伝票を切るとマスターに「お願いしまーす」と手渡した。
 テーブルでは黒いセル枠のメガネを掛けたコドモみたいな赤いエプロンの若奥様がチラシを手にうきうきと、
「ほら見てー! 今日は2丁目のスーパーでお豆腐が2円も安いのよぉ!」
 と、隣に座ったひらひらのフリル満載のピンクのエプロンドレスを着た若奥様に勧めている。
「わぁ、ほんとぉ。安いわねぇ」
「ほんまやなぁ。これもいつもより安いんとちゃう?」
 華やかメイクの若奥様もチラシを覗き込むと、キャリアスーツの若奥様はやれやれと吐き捨てた。
「まったくもう。1円1円ってみみっちぃったらありませんわね」
「な〜に言ってるのよ。1円を笑うものは1円に泣くのよ。こんな時だからこそ、しっかり節約しないとダメでしょ」
 赤いエプロンの若奥様が言い返して、いつものやり取りが始まる。 
 毎日飽きないねぇと思いながら、
「お待たせました。ロイヤルミルクティーとレモンティーとコーヒー、ホットを2つです」
 ミキがテーブルにカップを並べていく。
 それを見てエプロンドレスの若奥様が言い争う二人の間に入った。
「ね。お紅茶もきたし、楽しくお話しましょ」
「せやせや。それになんだかんだ言ったって、いっつも一緒にスーパー来てるやん」
「まぁ…まぁね。お付き合いは大切ですもの」
 と、ちょっとバツが悪そうにメガネのフレームを押し上げて紅茶をすするスーツの若奥様。

 ちょっとだけ砂糖を控えめに。
 ゆったりと昇る湯気と香りにほんわかと空気が和んでいく。
 窓の向こうは今日も冬らしい澄んだ青い空。
 今日もお洗濯物よく乾きそうね、なんていうところから始まって幼稚園の先生のことから他の園児のお父さんの品評会が始まって、いくつもいくつも話に花が咲いていく。

 カランコロンとその間にも思い出したようにベルは歌う。
 ミキが伝票に注文を書き終えてママに渡すと、じーっと絵を見ていた華やかメイクの若奥様に声をかけられた。前にも紳士が描かれた絵を見て『今この絵、動いたで』と言い出したことがあり、どうやら独特の感性をお持ちらしい。
「なぁ、この絵何なん?」
 4号のキャンバスに線のみで描かれた犬であるらしいその絵はある意味芸術的とも言えるだろう。けれど微笑んでるらしい顔と一本線の体。そのシンプルさとシュールさを理解するにはどうやら100年ほどかかりそうだ。
「犬…じゃないですかね」
「たぶんな。でもウチが聞きたいのはそうやなくて、これコドモの落書きかなんかとちゃうのん?」
 すると、ママが常連さんから店のお祝いにといただいたものだと教えてくれた。
「まぁたけったいなセンスしてんねんなぁ〜」
「あら、何言ってるのよ。素敵じゃない!」
 スーツの若奥様はカップを置くと絵を見てしみじみと目を細めた。
「知らないの? これケメコ・ダーヤスって有名な前衛作家の作品よ。買うとけっこういいお値段するんだから」
「へぇ〜…」
 ミキはまじまじと絵を覗き込んだ。
 これでいいんならミキの絵いくらで売れるんだろ…。
 思わず口が開いてしまう。
 なんとも言えない空気。
「最近はヴィクトリア・キャメイっていう新進気鋭の作家のもいい感じよ」
 たぶんこんな感じの絵なんだろう。
 マジでミキもなんか描いてみようかな…。
 芸術って、わかんない。
176 名前:海岸通りの喫茶店 投稿日:2007/02/01(木) 22:05

 時計の針が9時30分を示す頃、若奥様4人組は連れ立っていざスーパーへと店を後にした。
 にぎやかなおしゃべりが消えてすうっと店内が落ち着いていく。 
 カップとポットを片付けながら、店内を優雅に回るワルツに耳を傾けるミキ。

 カランカラン。

「おはようございまーす。らびっと運輸でーす」
「あ、リカちゃん」
「荷物をお届けに参りました」
 レジカウンターに小包を置くと伝票を取り出す。
 カウンターの奥にトレイを下げてミキがどれどれと荷物を確認すると、どうやらおとといマスターが知人から送ってもらったケーキに使う柿のようだ。
 伝票にサインをすると、
「ありがとうございます」
 リカは伝票をファイルに入れて制服のカーゴパンツのポケットにしまった。
「今日、またお昼にみんなで来るね」
「OK。また後でね。いってらっしゃい」
「うん。じゃ、行ってくるね」
 ちょっと照れくさそうに笑いながら『ぐっちゃ〜』と次の配達先へと向かっていた。

 ヴゥン…。

 ドアの向こうのエンジン音を聞きながらテーブルを拭く。
 車道に入って流れて遠ざかる後姿をちらりと見送ると、「よし」と布巾をトレイに乗せてカウンターへと戻る。
 モーニングの時間もひと段落。
 カップを洗ったり、ランチの下ごしらえを手伝いながら時々カランコロンとドアのベルに呼ばれてカウンターから出て…。
 ランチタイムまでのほんのひと時ののんびりした時間に緩やかな王様のワルツ。

 店内に飾ってある人気歌手のサインをうっとりと眺める主婦。
 もちろん彼女が座ってるのは来店したときに彼が座っていたイス。カウンター席のドアから二つ目。

 扇子をはたはたと動かしながらマスターと談笑する頭のてっぺんにちょこんと毛が乗ったちょびヒゲの初老の男性。

 曲が終わって針が上がる。
 ミキは手近にあったフレンチ・ポップスに替えるとレコード盤に針を置いた。 
 弾けたメロディーと華やかな女性の声。
177 名前:海岸通りの喫茶店 投稿日:2007/02/01(木) 22:05

 カランカラン。

「いらっしゃいませ」
「こんにちは」 
 藍色のメイド服に白のエプロンとフリルのカチューシャそしてソックスは丘の上のお屋敷のメイドさん。
「おととい注文をお願いしたシラユリです」
 皿を洗っていたミキは蛇口を閉め、エプロンで手を拭くと、
「ありがとうございます。今日はいつものにアッサム3袋ですよね」
「はい。あと、今日のお勧めのケーキってなんですか?」
「今日はショートケーキです」
 冷蔵庫から一つ取り出してみせる。
 たっぷりのクリームと鮮やかなイチゴ。メイドはにっこりと微笑んだ。
「じゃあ、6個ください」
「はい。ありがとうございます」
「奥様もお嬢様もここのケーキがお気に入りなんです」
 たまに変わった色のペンギンと一緒にいるとってもとってもかわいいショートカットの女の子を何度かミキも見たことがある。
 いつも高らかに優雅に笑う丘の上のお屋敷の夫人は一流のものしか好まないというから、そう言われるとなんだか自分のことのようにうれしい。
「本当にいつもありがとうございます」
 ミキはママからケーキ箱を受け取ると、軽やかにレジを叩いた。
「ブレンドコーヒー、ダージリン、アッサムを3袋にショート6個で…」
 チンと甲高い声でレジが歌う。
 お金を受け取り、レシートを渡すと持参した袋に入れるのを手伝う。 
「よいしょっと。それでは、ありがとうございました」
 メイドは袋を肩にかけ、大事そうにケーキの箱を抱えて店を出た。

 カランカラン
 カランカラン。

 にぎやかにベルが歌って見送る。
 時計に目をやればもうすぐランチタイム。
 ミキは大きく腕を伸ばすと、流しに残したままの洗いものの続きを始めた。
178 名前:海岸通りの喫茶店 投稿日:2007/02/01(木) 22:06

   *

 外はキラキラと太陽の光に溢れている。
 今日は空気も澄んでてよく晴れているかなんとなく暖かい。
 道行く人の重いコートの裾も少しだけ軽やかに見えて、どこかのんびりと過ぎていく穏やかな時間。

 お客さんに水を出したり、注文を取ったり。
 その合間を縫って下ごしらえを手伝ったり。

 そんなこんなで…。 

 ボーン。
 ボーン。

 柱の時計が正午を告げる。
 本格的なランチタイムの始まり。

 カランカラン。

「ミキちゃん。来たよー」
「こんにちは」
「こんにちはぁ」

 入ってきたのはライムグリーンの制服3人組。
 空いているテーブルに座ると、ママがミキにお昼に入るように言うから、ミキもエプロンを外して一緒にテーブルへ。

 今日は何食べようかな〜って、悩むこと5分。
 リカは今日のオススメAランチ。
 午後にたくさんの大荷物が待っているエリカはなんとなくカツカレー。
 いつまでたっても決まりそうにないユイはミキにせっつかれて迷った挙句焼肉ランチ。
 せっついたミキは言うまでもなく焼肉ランチ。

 店内をふわりと漂っていく香ばしいソースの香り。
 ずっーとメニューを眺めていたユイは難しい顔をしてパタンとメニューブックを閉じると顔を上げた。
「フジモトさん。今日のおすすめケーキってなんですか?」
「ショートケーキだよ。昨日すっごくおいしそうなイチゴが入ったからね」
「そうなんですかぁ。ショートケーキかぁ…それもえぇなぁ。あぁ…迷うわぁ。パフェも捨てがたいし」
「じゃあさ、両方食べれば?」
「なぁん。エリカちゃん。ココロこもってないなぁ。それにお給料日前やん」
「まぁねぇ。じゃあやめとけば…ってわけにはいかないんでしょ」
「あったりまえやん。それはイヤやねん。あ〜も〜どーしよぉ〜」
 むーと唸ってまたメニューとにらめっこ。
 見かねたリカが、
「じゃぁさ、あたし、パフェ食べるよ。」
「ほんまですかぁ!」
 きらきらと笑顔が眩しい。
「うん。イチゴパフェにする。せっかくおいしいイチゴ入ったんだし。ユイちゃん。少しあげるから、ちょっとちょうだいね」
「はぁいっ! もっちろんですっ! わーぃ! やったぁ!」
 もうすっかりテンション上上なユイ。
 ショートケーキで、あっそういえばとミキ。
「今日、丘の上のお屋敷のメイドさん来てさ、ショートケーキ6つ買ってったんだよね」
「あのオーッホホホホホッ。ごめんあさーせな奥様の?」
「エリカちゃん、それちょっとちゃう。こぉや。おぉーーっほっほっほっ! おぉーーっほっほっほっ! ごめんぁさぁせっ! ごめんぁさぁせっ!」
 エリカの3割り増しくらいの加減でモノマネをすると、なんだなんだと他のテーブルの客が振り向いた。
「ちょっとぉもぉ! ユイ! やりすぎたってば」
 とか言いながらおなかを抱えて笑うリカ。その隣でミキも足をバタバタさせておなかを抱えて泣くほど笑っている。
 そして、笑いすぎてイスから滑り落ちそうになっているエリカにまた笑いが溢れ出す。

 ふーふーと肩で息をして、なんとなく落ち着いた4人の周りをくるくると輪舞曲が流れていく。
 バカ笑いにようやく一息がついた頃にランチの出来上がり。
 店員1人と常連3人。なので出来上がった料理は各自でテーブルへ。
 座って両手を合わせたら、はい。
「いただきまーす!」
 めしあがれ。
 ママがにっこり。
179 名前:海岸通りの喫茶店 投稿日:2007/02/01(木) 22:07

 ママ自慢の手料理を食べながら、冬晴れのアイスブルーの空とコートの襟を立てて歩く人を見て、
「なんかお鍋したいね」
「じゃぁ、今日鍋にしようか」
 なんて話で盛り上がる。
「じゃあ、あたしキムチ鍋がいいですぅ」
「おいしいよねぇ」
 あったかい部屋で熱々の鍋をおこたでみんなわいわい。
 じゃあ週末はみんなでお鍋パーティしようか、なんて話がまとまって、食べ終わったら、さぁ、デザートタイム!

 たっぷりのイチゴ。まっしろのクリームに鮮やかにストロベリーソース。そして長いグラスの間にはストロベリーアイスとヨーグルト。
 まず一口食べて…。
「んーっ!! おいしーっ! ほら。ユイちゃん」
 リカがスプーンにたっぷりと乗せて手を添えて差し出す。
「わぁ! ありがとうございまーす!」
 あーんって、食べさせたらイチゴと同じくらい真っ赤になったユイ。
「どお?」
「めっちゃおいしいですけど、ちょっとはずかしぃ」
 キャッて手で顔を隠しなんだかくねくねしてるユイに満足そうなリカは、
「はい。ミキちゃん。あ〜ん」
 隣でポーカーフェイスを装っていたミキにもあ〜ん。
「ふふっ。ぅふふふっ。あ〜ん」
 ぱくって食べて、
「あま〜い。んふっ。おいし」
「いいなぁ。フジモトさん」
 エリカがにやけながら茶化すと、リカがほらっとたっぷりクリームとイチゴが乗っかったスプーンを向けた。
「はい。エリカ」
「え? あ。ありがとーございまーす!」
 ちょっと照れくさそうにスプーンにパクつくエリカ。
「わぁ〜! すっごいおいしい!」
「なぁ。次絶対パフェ食べる。はい。イシカーさん」
 ユイがイチゴとスポンジを重ねたイチゴたっぷりのショートケーキをフォークで一口サイズに分けて、お返しと少し身を乗り出して口元に差し出す。
「あ。ありがとー」
 ふふっ。ちょっと恥ずかしいねって笑って、イチゴとクリームの素敵な甘酸っぱいハーモニーにうれしそうに目を細めた。

 待ったり過ぎていくお昼時。
 でも楽しい時間は過ぎるのが速いから、時計をちらりと見たらそろそろ戻らないといけない時間。 
 食べ終えた皿を重ねてまとめてカウンターに返して、お会計。

「ごちそうさまでしたぁ」
「ごちそーさまでしたぁ」
「ごちそうさまでした。じゃあ終わったら迎えに来るね」

 カランカランカラン。

 あいかわらずイシカーさんたちらぶらぶですやん。
 な〜に言ってんのよぉ。当たり前じゃない。
 やー。顔赤くなってますよぉ。

 なんて声がゆっくりと閉まるドアの向から聞こえてくる、
 後姿が見えなくなるまで時折手なんか振ってやったりしながらカウンターの中に回って溜まっている洗い物を始めるミキ。

 冬の日差しはもう色も穏やかに淡くたそがれ始めようとしている。
 窓の向こうで木枯らしがひゅうと枯葉を舞い上げた。
180 名前:海岸通りの喫茶店 投稿日:2007/02/01(木) 22:07

 カランカラン。 

 時計の針がランチタイム終了を差し示そうとした頃、勢いよくドアが開いて若い営業マンが飛び込んできた。
「すいません! まだランチやってますか?」
「はい。まだ大丈夫ですよ」
「あぁ〜。よかったぁ〜」
 空いてるテーブルへと促すと、営業マンはパンパンに膨らんだビジネスバッグをよいしょとシートの奥に置いてどかっと座った。
「あー…。疲れたぁ」
 出された水を一気に飲み干してからメニューを見るとカツランチを注文。ふぅ〜とシートの背もたれに体を預けてぐったりと天井を見上げた。
「お疲れですね」
 ミキが空になったグラスに水を注ぐと、営業マンはちらりと八重歯をのぞかせて笑った。
「そーなんですよぉ。そーなんですけどねぇ、ちょっとした夢があるんですよ」
 そう言うと、ビジネスバッグから一枚のドーナツ盤のジャケットを取り出してミキに手渡した。
「愛の種…」
「すっごくいい歌なんですよ。ほら。かわいいでしょ。まだデビューしたばかりなんですよ」
 鮮やかなブルーを背景に寄り添ってどこか気恥ずかしそうに微笑む5人の女の子。
「僕ね、ずっと戦場にいたから…今度は銃弾を撒き散らすんじゃなくって、愛の種を撒いていきたいなぁなんて思って」
「…」
「歌は国境を超えるって言うじゃないですか。だからね、がんばって、たくさんの人たちに聴いて欲しいんですよ」
 さぁ〜出かけよう〜と口ずさむと、
「それ、サンプル盤なんでよかったら聴いてみてください」
 さしあげますよって、目を細めて笑った。
 
 出てきたカツに疲れもふっとんでハイテンションになった営業マン。もしゃもしゃとカツを頬張り、ガツガツとご飯をかきこむと、
「ごちそうさまでした。それじゃ毎度ありぃ!」
 来たときと同じ様に慌しく店を後にした。
「売ってないじゃん」
 ミキはレジにお金をしまいながら苦笑いして呟いた。
 ちょうど針が上がったプレイヤー。レコードをもらったドーナツ盤に換えると針を落とした。
181 名前:海岸通りの喫茶店 投稿日:2007/02/01(木) 22:07
 
    *

 ルルルルルルル!
 ルルルルルルル!

「はい。喫茶メモリーです」
『もしもし駅前交番です。出前お願いします』
 
 注文の品はミックスサンドイッチとコーヒー。

「それじゃ出前行ってきまーす」

 カランカラン。

 ベルも歌って見送る。
 一歩外に出たとたん、冷たい冬の風がミキの頬を撫でた。
「さむっ」
 コート着たって手袋したって寒いものは寒い。
 けれども子供はやっぱり風の子なのか、通りの反対側には仲良く手をつないで歩くくるくるほっぺに黄色のスクール帽の女の子と紺色の帽子に半ズボンのスーツの男の子。
 いやぁ、元気だねぇ…。
「今日もめおとまんざいのれんしゅうするでしゅ〜」って走り出した姿に目を細める。
 背中を丸めてぽてぽてと歩くミキの後ろから、
「バレぇーぶーっ、ふぁぃっ!」
「おーっ」
 笛に合わせて声を出しながら走るジャージ姿の学生たち。
 すれ違いざまちらりと目に入った1人の子の揺れる胸にミキはふと自分の胸を見た。
「…」 
 いいもん。リカちゃんかわいいって言ってくれるし。 
「……」
 さむっと呟いて、遠ざかる学生たちの後姿を見送った。

 小さな駅の姿が見えてくると、小さなバスロータリーの手前に交番が見えてくる。
 中にはデスクで事務作業をしている婦警さんの姿。引き戸を開けて、
「こんにちは。喫茶メモリーです」
「あっ。出前ですね。お疲れ様です。センパイ! センパーイ! 出前来ましたよー」
 ちっちゃい婦警さんが隣の部屋に声をかけると、犬顔の婦警さんが出てきた。
「あぁーお疲れ様ですー。っしゃ。食べるぞー」
 サンドイッチとコーヒーが入ったポットをデスクに置き、代金を受けとる。
「それじゃ、また後で取りに伺いますね」 
「はい。お願いします」
「ありがとうございました」と、交番を出ようとしたら、
「あのぉ、すいませーん」
 2本ラインの入った赤いジャージにベリーショートの渦巻きほっぺの女の子が入ってきた。手には大きなボストンバッグ。
「あのぉ。人を探してるんですけどぉ」
 ちらりと聞こえた尋ね人の容姿を説明する様はなんとなくのろけにも聞こえる。
 交番を出てなんとなくロータリーを見たらぽつんとベンチに座ってまったりしている作業着姿のおちょぼ口の男の人。
 枯葉がくるくると渦を巻いた風に舞い上げられてどこか物悲しい。
 忙しなく動いている売店のおばさんに軽く会釈するとミキは喫茶店へと戻った。
182 名前:海岸通りの喫茶店 投稿日:2007/02/01(木) 22:08

   *

 カランカラン。

「戻りましたぁ」
 トレーを置いてコートを脱いで奥に置いてくると、少し緩みかけてたエプロンの紐をもう一度結び直した。
 カウンターでは3軒隣の病院の女医さんがけだるげにティータイム。
 手前のテーブルでは買い物帰りのおばあちゃん。

 カランカラン。
 カランカラン。

「いらっしゃいませ」

「先生、しし鍋食べたいでーす」
「おいらも〜」
「何言ってんの。そんなものあるわけないでしょ」
 
 グレーのブレザーにエンジのタータンチェックのスカートの制服。入ってきたのはどうやらこの先にある女子高の教師と生徒のようだ。
 空いてる席へどうぞと促すと、
「先生、今日もキレイですよねぇ」
「いやぁ〜先生かっこいいなぁ〜」
「はいはいはい。じゃぁ、ここは先生がごちそうしてあげます」
 やったぁ〜とハイタッチする生徒二人。
「すいませーん。ケーキセット3つお願いします」
「おいらチョコレートケーキ」
「あたしチーズケーキがいい」
「じゃあ、あたしもチーズケーキで」
「あれっ? センセーはビールじゃないんですか?」
「まぁ、それでもいいんだけどねって、こら。さすがにまだ早いでしょ」
 ミキは一通り様子を伺って、
「以上でよろしいですか?」
「はい。お願いします」
「かしこまりました」
 
 こぽこぽとサイフォンの中のお湯が揺れている。
 暖めたティーカップをトレイに置きながら、レコードに合わせてふんふんと鼻歌なんて歌ってみる。
「ごちそうさま」
 女医さんの休憩タイムは終了のようで、会計を済ませると「ありがとうございました」というミキの声に軽く手を振って長い髪を冬の風に揺らしながらけだるげに店を後にした。
183 名前:海岸通りの喫茶店 投稿日:2007/02/01(木) 22:09
 
「おまたせしました」
 そこはやっぱり女の子。テーブルに置かれたケーキに生徒たちの表情も華やぐ。
 それを満足げに眺める先生。
「こんなに気前いいのに、なぁ〜んで失敗するんですかね。お見合い」
「あっ。それ言っちゃだめだって。ほら、センセーの頭に角が生えてうりゃーって、…あれ?」
「ふふん。いいの。もうそれは過去のこと。決まったの。次のお見合い」
「早っ」
「でもまーた次も失敗したりしてねー」
 ケーキを頬張りながらけらけらと笑うメガネの女の子。隣のちっちゃい金髪の子も今度は一緒になって笑っている。
 むっとしつつも、先生は固くこぶしを握り締めた。
「大丈夫。次こそは」
 と、そこへ…。
「大丈夫じゃよぉ〜。わたしだって結婚できたんじゃ。あんただって焦らなくてもいつかできるよ」
 と、おばあちゃんはよっこいしょと先生の隣に座った。ミキがおばあちゃんのテーブルの紅茶を持っていってやる。
「わたしがおじぃちゃんと出会ったのは、ありゃ〜25のときじゃった。おじぃちゃん、そりゃぁもぉかっこよくってねぇ〜」
 懐かしそうに目を細めるおばぁちゃん。
「おばぁちゃん…25で結婚したんだ…」
「へ〜ぇ。25ねぇ…」
 生徒二人のどこか哀れむような目が先生に向けられる。
「なによっ。何。なんか文句ある?」
「いえ…」
「別に…ないです」
「まぁまぁ。そんな怖い顔したらせっかくのきれいな顔がだいなしじゃよ。ただでさえ怖いんじゃから」
「ちょっとおばぁちゃん!?」
 掴みかかりそうな勢いで詰め寄る先生におばぁちゃんはまぁまぁと笑って返す。
「若い頃はわたしもいろんな恋愛をしたもんじゃよ」
 と、それからおばぁちゃんの長い長い恋愛談が始まった。

 窓の外には柔らかな金色の光が溢れて、太陽もそろそろお疲れのご様子。
 時計を見ると15時30分を少し過ぎたところ。
 ミキは奥に行ってコートを着てくると、トレイを手にしてドアを開けた。
「お皿取りに行ってきます」

 街路樹や建物の陰が大きく傾き始めている。
 弱くなった日差しに勢いをつけてきた冬の風。
 詰襟の学生服を着た綺麗な顔立ちの学生と冬なのに小麦色な女子高生が寄り添って手をつないで駅に向かって歩いている。
 どこか気恥ずかしそうで初々しい姿がなんとなく微笑ましい。
 届けたときは別の道を通っていこうと、今度は商店街に入れば魚屋さんが威勢よく「オイ! かかぁ!」「なんだぃ! とーちゃん!」と今日も商売に精を出している。
 帰り、買い物してかないとなぁ。 
 そんなことを思いながら商店街を抜けて駅前のロータリーに出ると、
 
 ちりんちりん…。

 風に乗って聞こえたさびしげな鈴の音。
 細い白木の角材の杖を手に白装束の幸薄そうな姉妹が刺すような冬の風を受けながら静かに横を通り過ぎて行った。

 ちりんちりん…。
 ちりんちりん…。

 鈴の音は冷たい風に乗って夕焼けの空の中に消えていった。
184 名前:海岸通りの喫茶店 投稿日:2007/02/01(木) 22:09
 
   *

 交番からポットと皿を引き取って戻ってきたら、ちょうどいい時間。
 16時。今日は早番なので本日のお仕事終了。
 時計の針が12の上を過ぎたのを確認してからエプロンを外してバックヤードに置いてくると、トートバッグを手に戻ってきて、同じく早番のリカのお迎えが来るまでコーヒータイム。
 ママと話をしながら、ゆっくりとちょうど1杯飲み終わった頃…。
 
 ブン…。

 赤いミニが店の前に止まった。
 「じゃあ、お先に失礼します。お疲れ様でした」
 ミキはコートを着ると軽やかに立ち上がった。

 カランカラン。

 ベルが歌って見送る。
 小走りでミニの助手席のドアを開けて中に飛び込んだ。
「さむーい!」
「お疲れ様。ミキちゃん」
「お疲れ様。リカちゃん」
 そしてお約束のように唇と唇が触れ合って…。

 ブン!

 エンジンがうなってミニがゆっくりと走り出す。
 
 夕焼け小焼けの帰り道。
 長い影を引き連れて家路へと向かう。
 
 信号待つ間、なにげなく通りを歩く人たちの姿を目で追いかける。
 買い物帰りの割ぽう着姿のお母さんの両手には痛んだ着物姿の子供たち。お兄ちゃんの手には買い物かご。
 弟が前を歩いていた父親の姿に気がついて大きな声で呼んで駆け出した。
 大工道具を担いで振り向いたお父さんは抱きついてきた弟の頭にぽすっと手を乗っけた。
 手をつないで並んで歩く親子の長い影。
「なんかいいね」
 リカが呟く。ミキはぽんっとリカの頭に手を乗っけるとぐしゃぐしゃと撫で回した。
「ミキちゃん!?」
「ふふっ」
 ミキがいるってば。
 …うん。

 信号が青に変わった。
 赤い夕日を受けながら、滑り出すようにゆっくりと動き出したミニ。
 青から藍色へと変わり始めた東の空の中には、ひっそりと真っ白な一番星が輝いていた。
185 名前:海岸通りの喫茶店 投稿日:2007/02/01(木) 22:09

「海岸通りの喫茶店」                END
186 名前:さすらいゴガール 投稿日:2007/02/01(木) 22:11
ようやく更新しました。
大変ご無沙汰しておりました。

今回は和んでいただければなぁ…と。
どこか懐かしいかも。
187 名前:さすらいゴガール 投稿日:2007/02/01(木) 22:24
レスありがとうでした。

>>172 名無し飼育さん様
 ありがとうございます。
 そのように言っていただけるとうれしいです。
 今回も楽しんでいただけたらうれしいです。

>>173 名無し飼育さん様
 ありがとうございます。そしてお疲れ様です。
 姐さんはこの物語の中でも大きな存在です。
 素敵な言葉ありがとうございました。
188 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/02/12(月) 22:33
更新お疲れ様です。
ハロモニ劇場ですねニヤニヤしてしまいました。
ミキティはDカップですからっ!次回も楽しみにしています。
189 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/20(金) 20:41
最近読み始めたのですが、勿体なくてなかなか読み進められずにいました。
が、やっと読破。
悲しい背景のはずなのにあったかい文章に毎回ホッとします。
更新待ってますよ〜。
190 名前:朝のひととき 投稿日:2007/07/08(日) 15:16
 勝手口のドアを開けるとカオリの目に飛び込んできた真っ青な空。
 春の面影を含んだ眩しい朝の光に目を細めて、胸いっぱいに澄んだた空気を吸い込みながらボアライナーのコートに包んだ背中をしゃんと伸ばしてみた。
 右手には真っ黒の厳ついラジカセ。左手にはシャツや作業着やらが山盛りに入った洗濯籠。脇に挟んだペンケースと色鉛筆とスケッチブック。
 勝手口から少し離れた所にベンチ代わりに置いた空き箱の上にラジカセを置くと、長身を屈めてアンテナを伸ばしてつまみを回しながら慎重にチューニングを試みる。
 キューンと甲高く鳴いた後ざらざらしたノイズが少しずつ遠のいて、ゆがんだ音がゆっくりと正されてやがて軽やかな音楽が聞こえてくる。
 つまみを微調整しながらべストポジションを見つけ出すと、ボリュームを上げてよしと立ち上がった。
 腕の時計は午前8時。

 ポーン!
191 名前:朝のひととき 投稿日:2007/07/08(日) 15:16
『ぐっども〜にぃ〜んぐ! おはようさん』

 さわやかなジングルが流れる。

『ハロー! モ〜ニーング!

 改めてましておはようございます。広報部のおちゃめなダンシングボンバー、イナバアツコですー。
 今日も始まりました朝なのに「ハロー! モーニング!」。今日もみなさんからもらったお便りや本営からのお知らせを音楽とともにお届けしますー。

 はいー。今日もいい天気ですねぇ。
 今日はまずお便りから読みましょうかね。ペンネーム、レインボーアフロさん。

 『イナバさん。おようございます。』

 はい。おはようございます〜。  

 『いつも楽しく聴いてます。自分は今南部の戦線にて活動中です。
  こっちはもう春ですよー』

 ということで、そのいただいたおたよりと一緒に桜の写真が入ってたんですよー。枝にぽつぽつなんですけどーきれーなちっちゃい花が咲いてるんですわ。南の方ではもう春なんやなぁ…と。        
 あれですよね。南部の戦線はここんところ激しいですから、なんかこういうおたよりもらうとホッとしますね。無事に帰ってきて今度はゆっくりと聴いてほしいと思います。ホンマうれしいです。ね。おおきに。ありがとうございます。

 南部では春が訪れてるようですけど、こっちではまだまだ寒いですねー。みなさんカゼなんかひいてませんか?
 今年のカゼもタチ悪いですから気をつけてくださいね〜。

 さて。今日はなんと素敵なゲストがきてくださってます。
 そして、さらに! ホンマ今日はめっちゃ豪華ですよー。なんとあの人からのメッセージが届きました!
 めちゃめちゃびっくりますよ。
 今日はあれですよ。このスタジオにも南風吹きまくりです。それでは乞うご期待ということで、今日も最後までよろしくお願いしますー。 

 では、今日最初の曲いきましょか。
 それでは聴いてください…』
192 名前:朝のひととき 投稿日:2007/07/08(日) 15:17
 トントントーン、トントントトーン。
 トントントーン、トントントトーン。

 軽快なイントロ。
 カオリは洗濯槽に洗濯物と洗剤を放り込むと、キュッと蛇口を回した。
「あにぃ〜ら〜ぶ、らぁ〜ぶ、とぅ、ぃじまぃまいん」 
 軽く口ずさみながらホースから勢いよく流れ出る水の様子を見つめる。
 
 車庫の前でドアを開け放った相棒のカーラジオから流れる恋の歌をハミングしながら朝のトレーニング前のストレッチをするリカ。
 普段はリカが座ってる運転席にシートを倒してふんぞり返ってるミキは後ろを向いてひょこっと顔を出した。
「メッセージって誰からだろうね」
「うーん。ゲストはなんとなく想像できるんだけどねぇ」
「あぁ〜ゲストはねぇ〜」
 ミキはラムネ味のロリポップのあめ玉を舌で転がしながら指先で軽くリズムをとってふんふ〜んと鼻歌を歌う。
 
「しーせぃ、らぶどん、かむいーじー」
 まだ裸のままの桜の木の下で便箋を膝においてラジオにあわせて歌うマコト。
 ノゾミはその隣でなんとなく手にした木の枝で地面に落書き。
「誰だろうね。ゲストって」
「ねぇ。あとメッセージだって」
「うん。あややかなぁ」
「う〜ん。豪華って言ってたねぇ」
 便箋から顔を上げて空を見上げると、また歌い始めるマコト。なんとなくノゾミも一緒に歌いだす。

「さゆ、誰やと思う? れいな、ゴトーさんがいいなぁ」
 サユミの部屋でイスを並べて軍学の課題に取り組むレイナとサユミ。
「ゴトーさん、今南部の戦線にいるんだっけ?」
 すでに飽きてる二人のノートは落書きだらけ。
 鉛筆を指先でくるくると回しながらレイナは顔を上げた。

 雲一つない青い空。

 今日も絶好の洗濯日和。
 水が溜まったことを確認すると、カオリはキュッと蛇口を閉めてレバーが洗濯になっているのを確認してタイマーを回した。
193 名前:朝のひととき 投稿日:2007/07/08(日) 15:17
『はい。今日最初の曲を聴いていただきましたー。

 えー。それではさっそくゲストに登場していただきましょう。
 今日のゲストは、もーこのラジオをお聴きのリスナーさんならおなじみですかね。幕僚部の鬼と呼ばれるこの方です。どうぞー!』
『おはようございまーす。指令部の鬼、ナカザーユウコでーす』

「えーーーーーー! おばちゃーーーーーん!」

『誰がおばちゃんやねん!』

 なぜかびくっと体を震わせて飛び上がったマコト。ノゾミは「ミソジー! おばちゃーん」とラジオに向かって茶々を入れて楽しそうにけらけらと笑っている。

『ね…姐さん?』
『あらー。いやん。もー。失礼しましたー。ほほほほほ』
『ほほほほほほ。ということで、ナカザーさん、今日はよろしくお願いしますー』
『なにがというわけでかわかんないけど、よろしくお願いしますー。ってか、アンタもなんちゅう振りすんの。いつもいつも。もっと他にあるでしょ〜』
『えー。姐さんいっつも乗ってくれはるやないですかー。それにこんなおたよりがきてるんですよ。えー。ペンネーム、カラスの旦那さん。ありがとうございます。

 『イナバさん、おはようございます。
 
  先日、休暇を利用して本部に申請書類をもらいに行った時のことです。
  前線部隊の自分にとってなかなか本部には行けないのでせっかくだからと食堂で昼飯をとったのですが、
  食堂を出たところであのナカザーユウコさんを見ました。
  いつも鬼とか暴れん坊とか言われてますが、間近で見たナカザーさんは凛々しくて美しくてむしろ華でしたよ』

 ということなんですがー』
『ありがとうごさいますー。ほら。ほらな。わかってるや〜ん。ちゃんと見てくれてる人はわかってる。そうです。幕僚部の華、ナカザーユウコですー。ところで、イナバさん。あんた鬼もやけど、暴れん坊って…なに?』
『なにって、ホンマのことですやん。入った呑み屋でササミ置いてなかったら暴れますやん』
『そりゃぁそやろ〜。生中とササミ、これ基本ですよって、コラ』
『ははははは。それに姐さん、娘。隊隊長時代はまさに戦場の暴れん坊やったやないですか』
『んー。そうやねぇ。ま、たしかになぁ。でもあたしはどっちかってゆーと暴れん坊たちを怒ってたちゅーかなぁ…』
『やんちゃなのばっかですもんなぁ』
『そうですよぉ。あたしが隊長の頃はまだ隊も分かれてないからちっちゃい怪獣が2匹もおってんで」

 てへてへと笑うノゾミ。
194 名前:朝のひととき 投稿日:2007/07/08(日) 15:21
『その二人だけやなくたってみんな個性的なのばっかりで。戦場でいきなり交信しだしたりし、ありえへんくらい天然だったり…。まーでもカオリもなっちも、今、よーがんばってると思いますよ』

 ふふっ。ユウちゃんったら。
 カオリは鉛筆を動かす手を止めて空を仰いでふわりと目を細めた。

『そうですねぇ。みんなめっちゃかわいいのに戦場ではホンマがんばってますねぇ。みんなおもろいコばっかりやからこのラジオでも大人気ですよ。めっちゃ彼女たちのお話聞かせて〜っておたより多いんですわ』
『そうなん? 毎日呼んでくれるんやったらナンボでもしゃべんで〜』
『あははははっ。うれしいですけどスタッフさんがびびってますがな。姐さん』
『あら。失礼ねぇ〜』
『はははっ。それにあのコらも聴いてますから。そこは、ね』
『せやね。ま、ぼちぼちだからえぇんやろね。ま、そのかわり、あたしとあっちゃんのことならまぁ、何しゃべっても』
『はははっ。みんな聞き飽きてるかもれませんけどねぇ』
『あら。そうですかぁ〜』

「そうですよー」
 と、課題は夜にでも…とノートを放り出してベッドに転がるレイナ。 
 サユミもノートを閉じて鉛筆を放り投げるとそれとなく呟いた。
「なんだったらさゆがでてあげるのになぁ」
 
『姐さんとは昨日、呑みにいきましたねぇ』
『いつものとこですね〜』
『新メニュ〜入ってましたねぇ』
『そーですねぇ。ささみのチーズ揚げ』
『これがまたビールに合うんですねぇ』
『よく冷えたビールと熱々のささみ。もうこれ最高やね』
『ま、おそらく今日も行くんですかね。どうです? 姐さん』
『そうですねぇ。まぁ、最近いろいろありますから正直呑まなやってられないんですけど、たまには他の子とも行きたいなぁって』
『あら。そんなこといいますかー?』
『いいますよぉ。イナバさんとはほとんど毎日じゃないですか』
『ははっ。そうですねぇ。また二人っきりっちゅうのがね。これがまた』
『イヤ。あたしはさびしくなんかないですよー』
『またぁ。でも、そしたら誰がいいですかね』
『んー。居酒屋やったらヤグチとかなっちやろうけど、せっかくだからカオリがえぇね』
『おぉ! なんかあれですなぁアダルトーな感じですねぇ』
『せやろ。なんやゆっくりしっとりと飲みたいってあるやん』
『あるある。二人で行くとなかなかそんな雰囲気なりませんからねぇ』
『ねぇ。それにね、かわいいんですよ。カオリは酔ってくると、こうね、ちょんって肩に頭乗っけてきて、『あのね、カオね』って話してかけてくるんですよ。もーかわいくないですか?』
195 名前:朝のひととき 投稿日:2007/07/08(日) 15:22
「かわいぃぃぃぃぃぃっ!!!」
 リカが身悶える。

『反則ですよ。あなた。こんなんされたらイチコロですよ』
『これこれ。オッサン』
『でもそやろ?』
『はい。あれは、あたしも見たことあるけどダメです。ホンマありゃ反則ですよ。かわいすぎる。またイイダさんだから、ホンマ色っぽいし、かわいいし。あれはもー』

「ばか…」
 しゅーっと顔から湯気が出るほど耳まで真っ赤なカオリは顔を隠すようにスケッチブックを抱きしめた。
「ユウちゃんだって酔ってくるとすっごくかわいいのに…」

『ね、いつかイイダさんも誘って呑み行きましょ』
『はい。是非〜』
『なんかすっかり居酒屋トークになってしまいましたが、えー、ここで一曲聴いてください…』

 びーーーっ!

 洗濯機が大きな声でカオリを呼び出す。
 熱い熱い。ふーっと息を吐き出して立ち上がると、赤い顔のままふらふらと洗濯機の元へ向かった。

 そんなカオリの後ろをスキップしながらイントロが追いかける。

 踊るように弾けたメロディーを口ずさみながら相棒の前で入念にストレッチをするリカ。
「いいなぁ。あたしもカオたんとお酒飲んでみたいなぁ」
「いつだか行ったじゃん」
「でもあの時ナカザーさんとケメちゃんいたもん」
「まぁねぇ」
 なんとなくそっけない口ぶりでそう言うと、ミキは運転席から飛び降りて足を大きく開いて前屈しているリカの背中に覆いかぶさった。
「ミキはふたりっきりがいいなぁ」 
「カオたんと?」
「ばーか」
 ミキは思いっきりリカの背中に体重を預けた。
「ちょっ…ミキちゃん! 苦しいっ…!」
「まっ、それもいいんだけどね。ミキも見たいし。かわいいイーダさん」
「んっ! ミキちゃんってば!」
 ペタンと地面に付いたリカの上半身。背中にはいじわるく笑ってるミキが容赦なく体重をかける。
「それよりもね」
 ミキはリカの両脇に腕を入れてよいしょと抱き起こすと耳元で囁いた。
「そんなリカちゃんが見たいなぁ」
「…」
 しゅう…と頭から湯気。耳やら首まで一気に真っ赤になったリカ。
「あのね。リカね。なーんてね」
 くすくすっと笑い声に耳をくすぐられて恥ずかしいやらで体が熱い。リカは唇を尖らせて拗ねたように呟いた。
「あたしだってみたいもん…」
「なにを?」
「ミキちゃんがお酒に酔って甘えるところ」
「いいよ〜。ミキは」
「え〜。かわいいのに」
「かわいいのにって、リカちゃん見たことあるっけ?」
「ふふーん。ない。でもかわいいと思うんだけどなぁ」
「そぉかなぁ〜」
「そうだよ。だってミキちゃんかわいいもん」
 今度はミキの顔がしゅーっと湯気を噴いて真っ赤になっていく。
 おなかに置かれた手の上にそっと手を乗せてニコニコと満面の笑顔のリカ。
 すっかりリカに体重を預けて、
「へへ。…もっと言って」
 と、にやけっぱなしのミキに、
「かわいい。ミキちゃん」
 って囁きながら、リカは再び前屈の続きを始めた。

 ゆっくりと暖まっていく空気にふと感じた春の予感。
 咲き始めた恋の花を歌ったアップテンポのメロディは、張り切って輝く朝の太陽の光の中へと溶けていった。
196 名前:朝のひととき 投稿日:2007/07/08(日) 15:23
『はい。えーそれでは次のコーナー行きましょか。ナカザーさんも引き続きお付き合いよろしくお願いしますー』
『はい。お願いしまーす』
『声のおたより。

 このコーナーでは今戦場にいるみなさんに声のお便りをお届けします。
 今週もたくさんのテープやお便りをいただいています。それではさっそく聞いていただきましょう』

 素朴だけどあたたかいピアノがゆったりと流れ始める。
 スピーカーから流れてるのは誰ともわからない人の声だけど、誰かにとっては懐かしく、誰かにとってはあたたかい声。

『元気ですか? 病気などしていませんか? 毎日あなたが無事でいるよう願ってます』

『先日、姉さんが赤ちゃんを産みました。お休みができたら帰ってきてください。姉さんも会いたがってます』

『兄ちゃん! ぼく昨日かけっこで一等賞とりました! ぼくもがんばるから兄ちゃんもがんばってください!』

 たった一言の、それもささやかな言葉。
 でもそんな短い言葉に込めたられた深い思い。

 元気ですか?

 無理だけはしないでくださいね。

 祈ってます。

 一つ一つの思いをスピーカはメロディーと一緒に運んでいく。

『それではここからは届けられたメッセージを、今日は姐さんと…ナカザーさんと読んでいきます』
『はい。それでは。

 姉さん。元気ですか?』

 一つ一つのメッセージを丁寧に読み上げていくアツコとユウコ。

 もう届いていないかもしれない。
 聞こえてないかもれない。
 それでも、一つ一つを丁寧に心を込めて読んで行く。

 なんか切なくて、どこかさみしくて…。
 そんな気持ちが、ふと今家族は…友達は…何をしてるんだろうなと顔を空に向けさせる。
 見上げたところで見えるのはただ青い空だけだけど、こんな気持ちをなんとなく届けてくれるんじゃないかなって…。

『毎日募集しておりますのでみなさんからのお便りをお待ちしております。

 さて、えーそれではですね、今日はラジオを聴いてくれてる皆さんに向けて、ある人からメッセージをもらっていますー。
 それでは、聞いてください』

『おはようございまーす! ごとーまきでーす』

「わぁ! ごっちん!?」
「ぅわー! ごっちん!?」

 驚くリカとミキのきれいなハーモニー。

 マキの声の後ろにはタイヤが砂利道を噛む音やいくつもの忙しない足音。

 『ラジオをお聴きのみなさん。元気ですかー?
  えーごとーは今、南部戦線でがんばってます。
  部隊のみんながいっしょーけんめーがんばってくれてるのでなんとか、ふんばってやっておりますー。

  まだまだ戦況はきびしいですけれども、えーがんばってみんなで帰れるように、そしていい報告ができるようにガンバリます!

  えーあっちゅ。無事に戻って、ぜひ、今度はスタジオに遊びに行きたいと思います!
  それでは、ごとーまきでしたー』
197 名前:朝のひととき 投稿日:2007/07/08(日) 15:23
『やーごっちんですよ。姐さん』
『ねー。ごっつぁんですよ』
『やー相変わらずですねー』
『ねぇ。でもホンマめっちゃ元気そうで…。そや。ごっつぁんがゲストの時はあたしも呼んでくださいよ』
『えー』
『えーって。ってか、呼ばれなくても来るで』
『来ますか。えー。ごっちん独占ダメですか』
『あったり前やん。ま、それはそれとして、ホンマ無事にね、戻ってきてほしいですね』
『はい。楽しみにね、待ってたいと思います。

 それでは、曲を聴いてもらいましょうかね。じゃあ、姐さん、お願いします』
『はい。それでは、今戦場で戦ってるみなさんへ。聴いてください…』

 タンタンタンターン!
 タンタンタンターン!

 軽快なイントロ。
 テンポのいいメロディーが力強く飛び出していく。

 レイナは起こしていた上半身をパタリと倒してよいしょと枕を抱きしめた。
「ごとーさんやったねぇ」
「うん。元気そうだったね」
「うん…」
 南部戦線は2日ほど前から激しい攻防が繰り広げられている。
 なんとかのところで踏みとどまったものの、少しの予断も許されない。
 南部地方の第一都市にかかわる攻防。サクラ隊など空からの援軍も決定されたのは昨日のこと。
「でもわかんなかった…。やっばごとーさんはすごいっちゃ」
「うん」
「どーしたらあんな強くなるんだろ」
 レイナはそう呟いて、なんとなく起き上がって窓の向こうに目をやった。
 サユミがゆっくりとため息をつく。
「エリ、大丈夫かな?」
「大丈夫だよ。でもあっち…今日はあそこで明日はあっちって感じだよね」
「ここんとこますますスクランブル増えてるらしいし…」
「…便利屋じゃないのに…」
 飛行機はひとっ飛び。
 だけどどっちに行きたいのか。どこへ行けばいいのか。
 その強さゆえに簡単に扱われ、その強さゆえに無茶を強いられる。
「…大丈夫。無敵やもん」
 自分達だってあっちこっちというわけではないけれど、過酷な戦況と戦場を歩いているのは変わらない。
「うん。そうだよね」
「レイナたちだってがんばんないと」
 そう呟いたレイナの横顔に険しさの影。
 ゆっくりとサユミの中に浮かび上がってくる作戦が指示された日の出来事。
 サユミは立ち上がると飛び込むようにベッドに転がった。

「どぅまぃべすっ」
 ふんふふふふふふーんと鼻歌を歌いながら手紙を書き続けるマコト。
 ノゾミはそんなマコトの手紙を覗き込みながら、なんとなく落書きに使っていた棒をふらふらと手の中でいじって遊んでいる。
「マコトー」
「んー」
「おなかすいたー」
「まだ朝だよ。のんつぁん」
「だってさぁ。なんかごっつぁんの声聞いたらケーキ食べたくなっちゃった」
「ごとーさん上手だもんねぇ」
 マコトは手を止めると空を見上げた。
 マキらしい素朴でやさしいどこかお母さんが作るようなケーキ。
「マコト」
「ん?」
「午後の自由時間さ、ケーキ作ろっか」
「うんっ!」
 たしか本もあったし、カオリいるからなんとかなるでしょって話が盛り上がっていく。
 うきうきしている二人の横をメロディーは包むように風に乗って流れていった。
198 名前:朝のひととき 投稿日:2007/07/08(日) 15:23
『はい。えーそろそろお別れの時間になりました』
『えー。もうですか?』
『そうなんですよー。いやぁ楽しい時間って早いもんなんですよ』
『ねーぇ』
『姐さん、今日はありがとうございました』
『は-い。また呼んでくださいね』
『はい。お待ちしております。えっと姐さんからお知らせはあります?』
『いやぁ。私からはないです。そうですねぇ。近く久々に一般の方向けのイベントを行うことが決まりましたんでね。詳細が決定したらまたその時は、お知らせしに来ます』
『はい。お願いしますー。
 この番組ではみなさんからおたより、そして声のお便りへのメッセージ、テープ、お手紙でもかまいません。お待ちしておりますあて先は…』

「イベントだって」
 ストレッチを終えてそのままあぐらをかいて座っているリカ。
 まだ背中にぺたっとくっついているリカの手をおもちゃにするミキ。
「基地開放かな? でもさ、危なくない?」
「そうだよねぇ。それか学校かな?」
「あーそっか。軍学かぁ」
「うん。基地の一般開放なんて今やれるわけないし。軍学って文化祭とか今はないから、いいのかもね。あそこ部隊所属の子以外は寮生だし」
「そっか。親御さんとかはコドモの生活見れるもんね」
「もしかしたら入隊希望者増えるかもしれないしね」
 長引く戦争。
 兵士が減るのは簡単だけど、増えることはなかなかこれで難しい。
「あたしたちも行きたいね」
「ね。何するんだろうね」

『はい。それでは今日の「ハロー! モーニング!」いかがだったでしょうか?
 今日も気持ちいい一日をになりますように。
 お相手はイナバアツコと…』
『ナカザーユウコでした』
『それではまた明日〜』

 エンディングの曲が流れ、洗濯機がカオリを呼ぶ。
 傍らにスケッチブックと色鉛筆を置いた。
「んーっ! さぁてと」
 よいしょと立ち上がると、ゆっくりと温まった風を胸いっぱいに吸い込んで腕をめいっぱい空に伸ばす。
 今日も乾くの速いだろうなぁ。
 輝きを増した白い光と伸びやかな青空に目を細めて、カオリはゆっりと動きを止めた洗濯機の元へと駆け出した。
199 名前:朝のひととき 投稿日:2007/07/08(日) 15:24

    『朝のひととき』               END  
200 名前:朝のひととき 投稿日:2007/07/08(日) 15:27
目指せ6月中が…
おまたせしてばっかりで…

んー
書いてから大変だこりゃと痛感
楽しんでもらえたらうれしいです

>>188 名無し飼育さん様
お待たせしました
楽しんでもらえましたか? よかったです
ワタシもニヤニヤながら書いてましたよ

>>189 名無飼育さん
ありがとうございます
たいへんお待たせしました
少ない舞台でもせめてほんのささやかなやさしさがあればな…と思ってます

201 名前:星降る夜に 投稿日:2008/01/03(木) 20:51

 窓の外から身を乗り出して空を見上げよう。
 ほら。星が降ってくる。

 一つ。二つ。三つ。四つ。

 こんな時くらいは戦うのはやめよう。
 こんな時くらい血を流すのはやめよう。

 ほら。まだまだ星が降ってくる。

 五つ。六つ。七つ。八つ。

 兵舎の上には満天の星空。
 オリオンの肩を掠めて天の川が流れている。
 ふうって吐き出した息が街頭でふんわりと白く輝いた。

 今日くらいは憎しみとか怒りとか捨てて笑いあおう。
 どんなことでもいい。
 そして楽しい夢を見て眠ろう。

 だって今日は、聖なる夜だから。
202 名前:星降る夜に 投稿日:2008/01/03(木) 20:52

    *

 時計は午前1時。
 
 寝静まった冬の夜はよりいっそう静けさを増すようで、聖なる夜ともなればどこか荘厳な空気が流れる。
 暗い兵舎の廊下。
 一つの部屋からぬっと顔を出したぶかぶかの赤い服にもしゃもしゃの白いひげ。肩には大きな白い袋。
 現われたのはずいぶんと華奢なサンタさん。

 キィ…。
   
 戦う乙女達が眠る2階の廊下に響いた軋む廊下の音にぴくっと足を引っ込める。
 ドキドキと弾む心臓。
 そーっと胸に手を当てると、キョロキョロと辺りを確認すると部屋を出てそろーっと足を踏み出した。

 キィ。

 どうやら廊下が軋むのは仕方がないらしい。
 しょーがないっか。安普請だもんね。
 たかが2歩の距離を爪先立ちでそろそろと歩きながら、そーっと向かいの部屋のドアノブを握った。

 おじゃましま〜す。ん?

 手ごたえもなくあっさり開いたドアにむむっと眉根が寄る。
 もぉ。ちゃんとカギ掛けなさいって言ってるのに。
 ぷんすかと怒りながらもそーっとドアを閉めると、そろりそろりとベッドに近づく。
 ふふ。赤ちゃんみたい。
 布団に包まってくーくーと寝息を立てるノゾミ。
 頭を撫でると「んーっ…」って唸るから慌てて手を引っ込めた。
 ごろんと寝返りを打って丸まっていた体が布団の中で大の字になったノゾミ。
 ほっと胸をなでおろすと、ポケットから紙片を取り出すとそっと片手で開いた。

   『サンタさんにお願い事書いてみよっか』

    ツリーを飾り付けした日の夕食後、サンタさんはいつまで来てたっていう話から、カオリが何気なく言った一言。
    思い思いに書いたメモはツリーに飾ってみた。
    叶うかな? どうかな?
    そんなワクワクした気持ちってどれくらいぶりだろう。

    次の日、ツリーから消えたメモ。

   『サンタさんが取りに来たんだね』
    
 開いたメモには、

“でっかぃぬいぐるみ”

 でっかい文字とかわいいイラスト。
 サンタさんはよいしょと袋を下ろした。

 おやすみ。のんちゃん。メリークリスマス。 

 なにやらおいしそうにむにゅむにゅと口を動かすノゾミ。その枕元にはイラストによく似たでっかいぬいぐるみとお菓子の入った赤いブーツ。

 パタン…。

 そーっとそーっとドアを閉める。
 カチャリと鍵をかけると、さぁ。次の部屋へ。
203 名前:星降る夜に 投稿日:2008/01/03(木) 20:53
 
 一歩、二歩、三歩とそろりそろりと進めばもう隣の部屋。
 ゆっくりとドアノブを回して確認。
 カツと抵抗を感じて、ちゃんと鍵がかかっているのがわかると、なんかほっとした。
 ほら。何があるかわかんないからね。兵士って言っても女の子だし。
 そんな自分の今をさておいてぶつぶつと呟きながら、マスターキーで開けて中に入る。

 おじゃましまーす。

 ッ……。

 静かな部屋にはそれでも大きく感じる音を響かせて戸を閉める。
 しんと静まり返った部屋。
 きちん整った女の子らしい部屋がなんか微笑ましい。
 もう。他の子たちも見習ってほしいわね。
 サンタさんは深呼吸をすると、そろりそろりとベッドに近づいた。
 ぬいぐるみに囲まれて鼻先まで布団を顔に掛けて穏やかな寝息を立ていいるマコト。ふと目に入った机の上の書きかけの便箋。
 
“ラジカセ”

 メモを確認して、よいしょと袋から出したのは少し古びたラジカセ。
 汚れを綺麗に落として、持ち手には赤と白のリボン。
 ごめんね。新しいのじゃなくて。 
 ラジカセの隣にそっとお菓子が入った赤いブーツ。

 マコト。いい夢見てね。おやすみ。

 タン……。 
204 名前:星降る夜に 投稿日:2008/01/03(木) 20:53

 そぉっとドアを閉めて部屋を出ると、次は向かいの部屋へ。
 そっと鍵を開けて、そっと忍び込む。
 なんか訓練や戦闘とは違う緊張感。
 ドキドキドキドキ。
 悪いことをしてるつもりもわけもないんだけど、なんでこんなに緊張するんだろう?
 サンタさんはそっとドアを閉めると、散らばっているシャツやトレーニングジャージの間をぬって、布団の中にもぐっているレイナの側へ。
 苦しくないのかなぁ?
 そんなことを思いつつ、ポケットからメモを出して確認する。

“おっきぃクリスマスツリー!”

 その横には『みんなで飾りつけしたいナ!』と、にぎやかなイラストや飾り枠が書かれている。
 食堂には一週間前にみんなで飾り付けをした小さなツリーがある。
 こんな小さなツリーでも願いを込めて飾りを付けたら、神様がささやかな願いくらいならを拾ってくれるかもしれない。そんなことを思いながら、笑って、歌って飾り付けをした小さなツリー。
 サンタさんはそっとポケットから取り出した小さな封筒を机に置くと、その横にお菓子の入った赤いブーツを置いた。

 レイナ。おやすみなさい。

 …。
 微かな音を立ててドアが閉まる。
 鍵を掛けて、次は隣のサユミの部屋。
205 名前:星降る夜に 投稿日:2008/01/03(木) 20:54

 きしきしと鳴る床板とドキドキと早鐘を打つ鼓動の音が見事に重なる。
 よし。
 気合を入れなおして鍵を開けると、おじゃしまーすと中に入った。
 なんだか服やら本やらが雑然と転がっている有様にちょっと苦笑い。
 さっきのレイナといい、もう少しお片づけしないとね。
 そんなサユミはというとすーすーと穏やかな寝息を立てて幸せそうに眠っている。

“おっきなクリスマスツリー”

 ハートマークとウサギのイラスト。
 サンタさんはメモをポケットにしまうと、レイナの時と同じように机に封筒とお菓子の入った赤いブーツを置いた。
 これでよしっと。
 さぁ、次の部屋へ…と歩き出そうしたその時。

 ガバッ!

「…っ!!」

 人の気配がふっと沸きあがって一瞬声が出かけたが慌てて堪える。そーっと振り返ると、上体を起こしたサユミが寝ぼけて座った目のままじーっとこちらを見ていた。
「…」
「…」
 しばし見詰め合う。
「…」
「…」
 サンタさんはそーっと人差し指を口の前に立てて置いた。
「しーっ」
 首を傾げるサユミ。
 サンタさんが精一杯の低い声で、「おやすみなさい」と声を掛けると、サユミはコクンとうなずいてパタンと横になるともぞもぞと布団にもぐって再び夢の中へと遊びに行った。
 微かに聞こえ始めた寝息を確認すると、慌てず急いで部屋を出た。

 パタ…。

 扉を閉めて、急いで鍵を掛けると、はーっと深いため息をついてほっと胸をなでおろした。
 びっくりしたぁ…。気づいたのかしら。
 最近はスナイパーとして訓練を積んでいるサユミ。これもその成果なのかなと思うと、自然と口元が綻んでくる。
 よし。次行くぞ!
206 名前:星降る夜に 投稿日:2008/01/03(木) 20:54

 向かいの部屋へとそろそろと移動すると、マスターキーを構えて、そっとドアノブを握る。

 あれ?
  
 そーっとドアノブから手を離すと、耳をそっとドアにくっつけて意識を集中する。

 …。
 
 …。
 ……。

 …。

 よし。次。

 サンタさんはさっさと隣の部屋に移動すると、またそーっとドアに耳をくっつけた。

  んっ…ミキちゃん。ダメ!
  やぁだ。

 はーーーっ。
 サンタさんから零れ落ちる海よりも深いため息。
 
  もぅ! 誰かいるってば!
 
 慌てて口を押さえるサンタさん。
 さすがは名スナイパー。侮れない。

  えー。ミキ知らないもん。だいたい今夜中じゃん。
  そうだけど、でも今廊下にけはぃっ…

 5秒ほど沈黙。

  もぉ! ミキちゃん!
  いーじゃん。隣の部屋に聞こえてなきゃ。
  そぉ〜だけど〜。
  ねっ? ね。リカちゃん。

  もぉ。ミキちゃんってば。しょーがないなぁ。
  ふふっ。そうそう。それでいいの。

 そして程なく聞こえてくるミキの甘い声。
 サンタさんはポケットからメモを取り出した。

“リカちゃん”

 にやけた顔が目に浮かぶような丸い文字。
 サンタさんはポケットからもう一つメモを取り出して開いた。

“ミキちゃん”

 えへっ。って声が聞こえてきそうな丸っこい文字。
 サンタさんはメモをしまうと、やれやれと肩をすくめた。

 ひんやりと冷たい空気に満たされた廊下をきしきしと微かな音。
 みんな。メリークリスマス。
 そっとリカの部屋の向かいのドアを開けてサンタさんも夢の中へ。
 廊下の窓の向こうで星達がキラキラと瞬いて、お疲れ様と微笑んでいた。
207 名前:星降る夜に 投稿日:2008/01/03(木) 20:55

   *

 ダンダンダン!
 ダンダンダンダン!

 階段を駆け下りる二つの足音。
 レイナとサユミはお菓子の入ったブーツを握り締めて、スリープシャツとズボンのまま玄関のドアを開けて外に飛び出した。
「わぁっ! でっかぃツリーっ!」
「おっきーい! すっごーいっ!」
 食堂の前には3メートルほどのまだ飾り付けられていない大きなクリスマスツリー。
 二人は改めて手紙を見た。

『窓の外を見てごらん』

「すごーい! 空に届きそう」
「本当。すごいねぇ。夢みたい」

 タッタッタッ!

 そしてまた二つ、足音が増える。

「わぁっ! すっごーーーい!」
「おっきーいっ!」
 ノゾミとマコトだ。ノゾミは背中におっきぃぬいぐるみを背負っている。
「わぁ! かーわいいっ!  のんつぁん、それサンタさんからのプレゼント?」
「そーっ! へへへへっ」
 はちきれんばかりの満面の笑顔のノゾミ。サユミは手ぶらなマコトに尋ねた。
「オガーさんは何もらったんですか?」
「あたしはラジカセ。たぶん中古なんだと思うけど、へへへへへへっ。すっごくうれしい!」
「わぁ! みんなサンタさん来たっちゃねぇ」
 大きなツリーの下でキャッキャとはしゃぐレイナ、サユミ、ノゾミ、マコト。
 レイナとサユミはツリーを見上げると、
「サンタさんってやっぱりおるんやねぇ」
「だってサユ、サンタさんも見たもん」
「ほんとにぃ!?」
「どんなどんなどんな!?」
 レイナとマコトが身を乗り出す。サユミは大きくうなずいて、
「うん。サンタさん、しーーーって」
「へ? しーーっ?」
 目をパチクリさせてきょとんとするレイナ。
 首を傾げるマコトとノゾミ。
 『はぁ?』と眉を顰めたマコト。
208 名前:星降る夜に 投稿日:2008/01/03(木) 20:55

 伸びやかな透き通った青い空の下、冴えた冬の風にも気づかずパジャマ姿で喜ぶおこちゃまたちに目を細めながら、リカは窓枠に腕を乗せて寄りかかった。 
「いいなぁ。サンタさんかぁ」
「ね。ミキたちのトコには来なかったね。」 
 ミキもリカに体をくっつけて同じように窓枠に腕を乗せて頬杖を付いた。
 そんな二人の前にぬっと現れたお菓子の入った赤いブーツ。
 振り向くと、カオリが微笑んでいた。
「いいじゃない。二人だってちゃーんとプレゼントもらったんだから」 
「カオたん?」
「イーダさん?」
 二人がきょとんと首輪かしげると、カオリは女神のようにふわりと微笑んだ。
「ね。リカちゃん。ミキちゃん」
「…ぁ」
「…へへっ」
 耳と首まで真っ赤になってきゅうっとブーツを胸に抱きしめるリカと、頬を赤く染めて照れ笑いするミキ。 
「さぁ、朝ごはんの支度するから、二人とも手伝って」
「はーい」
「は〜い」
 厨房に向かうリカとミキ。
 カオリは窓から身を乗り出した。
「ほら! もうすぐ朝ごはんだからみんなもちゃんと着替えてらっしゃい!」
「はーい」と元気よく返ってきた4つの返事。
 カオリはゆっくりと窓を閉めると厨房に向かった。
209 名前:星降る夜に 投稿日:2008/01/03(木) 20:56

    ■

 海沿いの町は暖かで雪の振る気配はないけれど風は冴え冴えとしていて、ミキは朱色から藍色へと移り変わっていく夕暮れの空に見えた一番星に向かってはーっと息を吹きかけた。
 それを見てリカも真似をしてはーっと息を吐き出す。
 テーブルには骨付きのチキンやレモンがたっぷりのサラダとかちょっとしたご馳走とシャンパン。ケーキはミキがママから二人で食べなさいと持たされたものだ。そして、真ん中には小さなスタンドに立てられた白いキャンドルが3つ。
 リビングには綺麗に飾りつけられた小さなツリー。
 リカは窓を閉めた。
「おっきかったねぇツリー」
「うん。飾り付けするの大変だったけどねぇ」

   日課の訓練が終わった後、訓練の時よりも機敏な動作で脚立を取りに行ったレイナとノゾミ。
   金や銀のモールを巻いて、雪の代わりの綿を乗せて。
   電飾は使えないけどその分ピンクや青や黄色のリボンを巻いた。
   歌声を青空に高らかに響かせて、段々と華やかに彩られていくツリー。

「いっぱい歌ったね」
 ミキが鼻歌を歌いながらテーブルに着く。
「そう。それでさ、マコトがプレゼントでもらったラジカセに録ったよね」

   飾り付けが終わったツリーの前でみんなで記念撮影。
   マコトは思い出したように手を叩くと、急いで自分の部屋に戻って持って来たラジカセ。
   さくら隊のみんなへのプレゼント。
   声を届けようよ!
   じゃあ、今撮った写真も添えよう!

   数日遅れの贈り物のお返しは、やっぱりにぎやかな歌声とメッセージ。

「歌とメッセージがさ、新年だったよね」
「そうそう。あけましておめでとうって。向こうが思ってたよりもちょっと早く届いちゃったんだよね」
 リカはワインクーラーからシャンパンを取り出して布巾でボトルを拭いてミキに渡すと、キャンドルに火を灯して台所とリビングの電気を消した。
 パチンという音と同時に部屋がキャンドルのやわらかい橙色の光に包まれる。
 ゆらゆら揺れる3つのあたたかい小さな光。
 ミキはシャンパンの口を廊下の方に向けた。
「よーしっ! いくよーっ!」

 パン!

 キャーって楽しげな悲鳴を引き連れて飛んだふたは天井にぺこんと当たって床に転がった。
 溢れ出すシャンパンを急いで注ぐと、声をそろえて、

「乾杯!」
 
 穏やかな日々に、あの頃の仲間達に。
 きっと今頃、あの頃の仲間達もそれぞれの場所で、こうして乾杯して笑って歌っているだろう。
210 名前:星降る夜に 投稿日:2008/01/03(木) 20:56

 今日は聖なる日。
 こんな日は笑って歌って過ごそう。
 そして楽しい夢を見て。

 冬の深い闇の中で輝く星達にささやかなお願い事をしてみようか。
 明日もこうやって穏やかに過ごせますようにって。
 いつもはちょっといじわるな神様だって、こんな日くらいは素直にお願いを聞いてくれるかもしれない。
 
 空一面に広がる星はキラキラと瞬いて冬の歌を歌っている。
 一つ、二つ、星が流れた。
 ささやかな願い事を乗せて、また一つ。
 歌を聴いた深い深い真冬の夜空にゆっくりと月が顔を出す。
 また、きらり星が閃いて、願い事を一つどこかへと届けに行った。
211 名前:星降る夜に 投稿日:2008/01/03(木) 20:57

『星降る夜に』            END
212 名前:さすらいゴガール 投稿日:2008/01/03(木) 20:58
年越して時期はずれですが…
本当なら年内に更新したかった…

みなさまにも素敵なことが怒りますようにと願いつつ
213 名前:さすらいゴガール 投稿日:2008/01/03(木) 21:00
ぬがぁっ!

「怒り」じゃなくって「起こり」でしょーに!

っていうかこんなことで連投してどうする自分。
214 名前:名無し飼育さん 投稿日:2008/01/03(木) 22:23
更新ありがとうございます。
いいっすねぇ。読んでて涙出ますわ。なんか。
戦場にはいきたくないけどこの世界にいきたいというか
おとめのみんなと会いたいんです。
215 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/16(水) 01:46
ここの世界観好きすぎでやばい…
更新されてる!!と見て早速読みましたが、やっぱり良い…

早くみんなが幸せな日々を送れると良いですね。
216 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/16(日) 13:52
続きが読みたいです
いつでも待ってます…
217 名前:名無し飼育さん 投稿日:2008/11/16(日) 13:55
同じくです。
218 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/26(金) 21:00
続きが読める日を待ってます
219 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:24

 真っ直ぐな一本道。
 見渡せば一面だだっぴろい荒野。
 それでも冬の冷たい風の中でくすんだ黄色の葉を揺らして広がる大地の上には澄み切った青い空。
 雲ひとつない空は延々と地平線の向こうに延びている。

 ジープの厳ついエンジン音。
 タイヤを削るアスファルトのざわめき。
 ラジオから流れるポップ・ミュージック。
 それにあわせた陽気な鼻歌。
 
 街を出てから大して代わり映えのしない荒野の一本道を走ること1時間。
 窓から入る日差しを頼りに暖房の入っていない車内は少し肌寒い。
 ユウコがちらりと助手席に目をやる。
「寒ないか?」
「ううん。大丈夫」
 ユウコの方を見ずに答えると、またラジオに合わせて歌を口ずさむ。
 ユウコはそっか…と声に出さずに呟いた。エアコンのスイッチに伸ばしかけていた指は胸ポケットに入れたタバコを取ろうか彷徨って、結局ハンドルに落ち着いた。
 
 窓の向こうは同じ雲一つない青い空。
 
 軽いため息を一つ。
 何の曇りもない空は、あの時と同じようにただ伸びやかに腕を体をいっぱいに伸ばして大地を、そして自分を包んでいる。

 目を閉じて耳を澄ます。
 聞こえるのはがおがお唸っているエンジンとざりざりと砂を噛むアスファルト。そして、どこか緊張気味なユウコのため息。

 ふう…。
 また軽いため息を一つ。

 目を開ければ、やっぱりそこには笑っている青い空。
 
「いい天気だねぇ」

 ナツミは独り言のように呟いて、ラジオから流れるメロディーに合わせてまた歌を口ずさんだ。
220 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:25

    ?

 窓の向こうには澄み切った青。
 狭い病室のベッドの上から見上げる空は途方もなく高く感じる。
 やってくる冬に背中を押された枯れ葉がひらひらと木枯らしにさらわれて、いっそ自分もあんなふうに飛んで行けたらな…そんなことを思ったら、なんだか途方もなく高く感じた空の色がますます遠く感じた。

 って、これ以上遠くなるってどんなだよ!

 …。

 首一つ動かすにも満足に力の入らない体。

 零れ落ちたため息。
 ナツミは能天気な青い空にベーっと舌を出した。

 トントン。

「ぁ、はい」
 
 ノックになんとか首だけを向けると、ゆっくりとドアが開いた。
221 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:26
「なっち」
「カオリ…」

「よっ」と軽く右手を上げ、カオリは丁寧にドアを閉めると、やれやれと安堵ともなんともつかないため息をついた。
「心配したぞ」
「うん…」
「でも思ったより元気みたいで……良かった…」
「ね…」
 
   金切り声を引き連れて青い空から飛んできた砲弾。
   音に気づいて空を見上げたら、

   ドン!

   低い唸りと同時に下から突き上げられて…

   あ。空飛んでる?

   そう思ったのも束の間、そこで意識も飛んだ。
 
「死んじゃったかと思ったんだから…」
「…」

   ジリリリリリリリリン!

   のどかな昼下がりをぶち壊して叫びだした電話のベル。
   あーもぉ。ハイハイハイ。今出ますよー。
   なんて、のんびり受話器を取ったカオリ。

  『カオリか』
   ユウコの落ち着き払ったように見せかけたそのたった一言の震えた声で、すぐにわかった。
  『ユウちゃん。なんかあった?』
  『うん。落ち着いて聞いてな』

「びっくりしたよ…ほんと…」
「…なっちもだよ」

  『なっちが襲われた』

   前線部隊との打ち合わせの帰り道を襲った一発の砲弾。
   同乗していた4人のうち二人が死亡、二人が重体。本部にいるユウコに情報が届いたのは襲撃からおよそ30分後だった。
   救護のヘリが現場に飛び、すぐにさくら隊の副隊長であるマリと乙女隊隊長のカオリが呼び出された。 

   どんなにリカがスピードを出して飛ばしていても、眩暈がしそうなくらい遠く感じる病院まで道のり。
   不安で心臓が嫌な音を立ててどくんどくんと耳に響く。
 
   ちょっと待ってよ!
   ずっと一緒にがんばろうって言ったじゃん!
   バカっ! イモっ!
   勝手にくたばっんなっ!
   そんなことしたらっ絶対許さないんだからっ!
 
  硬く目を閉じ、ぎゅっと爪が食い込むほど強く組んだ手。
222 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:27
「病院に着くまで…ずーっとお祈りしてた」   
「うん。聞こえた」
「そっか」
「どうせバカとかイモとか言ってたんでしょ」
「ふふっ。言ってた」
 カオリがふわりと笑うと、ナツミが「もぉーっ!」っと怒った振りをした。
 ふふっ。
 へへっ。
「ばーか!」
「べーだ!」
 そして今度は二人しておっきな声で笑った。
 カオリは近くにあったイスを持ってきて座ると、
「でもさ、ホント思ったより元気そうで良かったよ」
「うん。ありがと」
「ユウちゃんとはもう会ってるんだよね」
「うん。ユウちゃんは昨日…。ヤグチとは今日」
「あたしの方が速く着いちゃったね」
 リカの鬼気迫るような運転を思い出し、ちょっと苦笑い。
「ねぇ。びっくりしたよ」
「あたしも」 
 そしてまた二人同時にふふっとちょっと噴出すように笑った。そんなリカは病院の駐車場に車を止め、部屋に案内するために総合受付の前でさくら隊のマリとヒトミが来るのを待っている。
 ナツミとカオリはなんとなく同時にカレンダーに目をやった。
「1週間か…」
「ねぇ…」
 ナツミは窓の向こうに広がる青い空に目をやった。
 さくら隊は明日もあの青の中で戦う。
 何もなければ自分もいるはずの空の上。
「大丈夫…だよね」
「でしょ」
「うん…」

 こんなことになって突然隊を預かることになったマリの重圧はどれほどのものだろう?
 昨日ユウコから聞いた感じではだいぶ憔悴していたという。
 泣き腫らしたような目。精一杯の笑顔。
 どんなに気丈に振舞っても、ユウコには動揺した跡がありありと見えていた。
 ちょっと余計なことを言ったら崩れちゃんじゃないかと、怖かった…。

「大丈夫だよ。ヤグチはさ、ちっこいけどガンバリ屋だもん」

 3時間にも及ぶ大手術。
 リカとヒトミがいる手前泣くまいとずっとただ黙って手術室のランプを見つめていたマリ。
223 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:27
「こんなことになんか負けないって」 
「…うん。そうだよね。…ねぇ、カオリ、みんな…今どんな感じ?」
 みんなを信じてないわけではない。むしろ信じてる。それでも、襲撃されて、突然隊長が変わって…。
 変更されるフォーメーションと作戦。
 訓練はいっぱいしてきた。どんなことにだって対応できる。
 それでも広がる動揺と不安。
 戦いは待ってくれない。
「ユウちゃんからはちょっと聞いてはいるんだけどさ…」
「うん…」
  
  『ちょっ! なっ…なんだよユウコ。悪い冗談やめてよ』
  『…ホンマや。こんなこと…冗談で言うか。ボケ』
  『…だよね…』
   
   なんだよ…襲われたって………わけわかんないよっ! 

  『……なっち…』

   力を失った手から滑り落ちてゴトンと壁に当たって揺れる受話器。
   ガクガクと震えだした手と足。
   それでも伝えなきゃいけない。
   マリはなんとか受話器を戻すと顔を上げ、大きく深呼吸した。

   うつむいたままきつく唇かみ締め、ドン!ドン!と拳に血が滲むほど壁を叩き続けるヒトミ。 
  『うそっ! うそっ! 信じないからっ!』
   泣きながら何度もそう言って詰め寄るカゴ。
   ペタンと座り込んでぼろぼろと泣くタカーシ。
   ぎゅっと拳を握り締め、顔を覆って泣き出したアサミ。
  『ウソですよねっ! ウソですよねぇっ! ウソって…ウソだって言ってくださいっ!』
   マリの肩を爪がきつく食い込むくらいに掴んで叫ぶリサ。
  『いゃぁ…っ!』小さな背中を丸めてうずくまって泣くエリ。

「一命を取り留めたってわかって…みんなとりあえず落ち着いたけどね。うん…」
「そっか…」
 ナツミは白いシーツに包まれた足元をじっと見つめていた。
224 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:28
 木枯らしの中をスズメたちが連れ立って青い空へと飛んでいく。
 見上げた空は今日も呆れるほど高くて、深く深く透き通っている。
 カオリはそんな窓の向こうからナツミに視線を戻した。
「まぁ…でもさ、命が無事で…良かったよ」
「うん。…もう…飛べないけどね」
「…」
 カオリは白い布団をかぶった足の方へ目を向けた。
 
   『手術は無事成功しました』

    はーっとため息が零れて、カクンとひざから下の力が抜けた。
    よろめいてユウコに捕まると、ヘナヘナと座り込んだマリがちっちゃい子供みたいに小さくしゃくりあげ始めた。 
    リカとヒトミの強張った体が安堵でゆっくりとベンチの背もたれに沈んでいく。
    ユウコは少しうつむいて目元をぬぐうと、ゆっくりと深呼吸した。

   『無事なんですね。先生』
   『はい。ですが…』
   『ですが?』

    心臓が嫌な音を立ててドクンと強く胸を叩いた。

「なくなっちゃった…左足」
 おどけるようにへへっと笑ってみたナツミ。

    左膝から下の激しい損傷により…。

    ぐらりとユウコの視界が歪んだ。
    うつむいたままふらふらと医師に近づく。

    『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』     
   
    両手で自分の耳を塞いで小さくうずくまったマリの叫びが廊下に響き渡る。

    ドン!

    ユウコは医師の胸元を掴みあげて壁に背中を押し付けた。
   『ウソやろ…』
   『…』

    自分たちは兵士だ。
    足の一本や二本、戦場にいればいつ失うことだっておかしくないし、怖くない。    
    それが自分のだろうと誰のであろうとそれは仕方ないのこと。
    そんなもんイヤっちゅーほどさんざん見てきた。

    ましてや死んだわけじゃない。
    生きてるんだ。
    なのに…。

   『先生…そんな冗談……勘弁してぇな……』

    いざ突きつけられてみるとこんなに動揺している自分がいる。
    えぐられるなんてもんじゃない胸の痛みと、信じたくない言葉。
    悔しいのと悲しいのと怒りとが渦巻いて頭が真っ白になる。

   『なんで……』

    力なく襟から離れて落ちた手。
    顔を上げたユウコの頬に滑り落ちる涙。
   『ユウちゃん』
    自分も涙を拭って、カオリはそっとユウコを抱きしめた。
225 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:28
「夢だったら…よかったのにね」
 言ってみて、なんかバカだなぁって思えてきて…。
「ごめん…」
「あぁもぉ! ほら。泣かないの」
「だって」
「もぉ。カオリはぁ。なっちまで泣いちゃうじゃん」
 ナツミはわざと膨れて見せると、ありがとと呟いてぽつりと零した。
「でもさ。なっちも思った…」

   目が覚めたらそこはなんとなく白い天井。
   どこまでも沈んでいくように体が重くて目を開けているのさえどこか億劫だった。
   左足からはしびれるような痛み。
   再び目を閉じて、ぼんやりした頭で何がどうなってこうなったのか思い返して、やっと辿り着いた青い空の中の黒い塊。
   そっか…襲われたのか……。
   案外冷静な自分。

「先生に聞いたとき…。もうさ…泣いて泣いて…なんだかわけわかんなかった」

   左足を切断しました。

   は? 何それ。
   足? 切断?
   
「だってそうでしょ? いきなり足切断したって言われるし……」
 体は思うように動いてくれない。ただ泣くしか出来なかった。
 左足を切断したって言うけど、全身の痛みとだるさでその感覚がよくわからない。
「泣いて泣いて泣いて…。ホントどんだけ泣くんだって感じ。そしたら…」
「そしたら?」
「うん。思い出したんだ。そうそう。ねぇ、カオリ聞いてよ。お花畑ってさ、本当にあるんだよ」
「は?」
「うん。お花畑。なっちさ、行ったんだ」
「マジで?」
「うん。マジで」
226 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:29
   赤、白、黄色。青に桃色。そして紫。色とりどりの小さなお花や大きなお花。
   見渡す一面に色鮮やかなかわいい花。

   あんれまぁ〜。これはこれは…。ホントにあるんだね〜。

   足元にはそんなお花畑の真ん中をまっすぐに伸びる一本道。
 
「なんかさ、帰ったみたいで懐かしかった。すっごい綺麗でさ。空もすっごい広いの」

   穏やかな日差しと広い空。
   なんかふるさとに帰ったみたい。
   ちょっと鼻歌なんて歌いながら道を進んで行ったら河辺に着いた。
   広やかな河はゆっくりと流れていて、河の向こう岸は見えなかった。

   …。
 
   …。

   キョロキョロ。

   …。
   
   あっちって、どうなってるなかな?
   そう思って進みかけたら、

  『あれ? なっつぁん』

「って。ケーちゃんがいたの」
「ケメコが?」
「うん。振り向いたらさ、あれ、ケーちゃん!? って」

  『うわー。ケーちゃん久しぶりだね〜』
  『ねー。なっつぁん会いたかったよー』
  『ってうかさ、どうしたの? こんなところで』
  『ってかそれ聞きたいのこっちだってば』
  『だよねぇ。でもなっちもよくわかんないんだよね。気がついたらいたからさ』
   ま、たぶん…襲われたんだよね。と呟いたら、なんだろうねとケイ。
  『あーぁ。来ちゃったかぁ』  
  『ね。来ちゃったよ』
   そして顔を見合ってなんとなく苦笑い。
  『いいところだね』
  『でしょ。あったかいし、のーんびりしてるしさ』
  『うん。ふふっ。なんか…帰ってきたみたい』 
   ナツミは両手をめいっぱい広げると、目を閉じて胸いっぱいに大きく息を吸い込んだ。
  『いいなぁ』
    
   ゆっくり流れる広大な河と空との境が薄い水色で引かれている。
   そのまま視線を上げて見上げる空は果てしなく高くて青い。ふるさとの空のよりもたぶん。
   ぐるりと見渡せば穏やかな風に揺れる色とりどりの花。
227 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:29

  『いっちゃおうかな。このまま…』
  『なっつぁん?』
  『なんかさ…もう疲れた』
 
   あっちでもこっちでも天使とか言われてるけど、やってることは結局人殺し。
   平和の為とか、国の為とか。
   守るために手を汚さなきゃいけない。

   わかってる。
   わかってるんだよ。

   そんなことわかりきってるんだけど、でもふと気づいたらわからなくなった。
   なんで平和の為に争わないといけないの?
   なんで平和を守るために誰かを殺めないといけないの?

   戦うことも時に大切なことだって知ってる。
   でも、だからって誰かの命を奪っていいの?

   平和の為に戦うことは間違っちゃいない。
   でもだからって、誰かの命まで奪うのは……。

   それは、正しいかもしれないし、間違いかもしれないし…。

   殺らなきゃ殺られる。
   守らなければ奪われる。
   戦わなければ失う。
   それが戦争。

   でも、だから…。
   でも、だからって…。

   わからない。
   何が正しいのか。

   自分が信じる道を行け。

   そしたらどこに行くだろう?
   そしたらどうしたいだろう?
   
  『行ってもいい? そっち』

    あの河の向こうは行ったら帰ってこれない禁断の花園。
    っていうか、文字通り天国。
228 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:30
「そしたらさ、ケーちゃん…後ろって」
「後ろ?」
「うん。聞こえたの。みんなの声。みんながさ…なっちのこと呼んでるの」

   だんだん大きくなってくるみんなの声。
   何かに縋るように、祈るように、自分の名前を呼んでくれる仲間たちの声。

   あっちにいた頃のままのケメコスマイルで抱きしめられた。
  『なっつぁん。みんな待ってるよ』
   抱きしめてくれた腕は温かくて、なんかひどく懐かしくて。やばい…泣きそ。
   くるって体の向きを変えられて、ぽんって背中を押された。
  『ほら。行ってきな』
   
   ぼんやりと残った手の感触。
   気がつけば目の前には白い天井。
   なんとなく…『ごめんね』ってケイの声が聞こえたような気がした。

「ごめんね…って、このことなのかなって…足見て思った」
 わずか5センチの隙間が救ったナツミの命。
 吹っ飛んだ車体に挟まれた左足は潰れてしまったが、ナツミの体全体に大きな鉄の塊がのしかかるのをギリギリで食い止めてくれていた。
「そしたらさ…。なんか…泣いてちゃダメだなって。だって生きてるじゃん」
「うん」
「死んじゃったらさ、そこでおしまいだもん」
 ずっと天井を見つめていた目をゆっくりとカオリに向けて、小さく微笑んだ。
 大きくうなずいて微笑み返すカオリ。
「そうだよ。きっとさ、神様がまだなっちにやることがあるんだよってさ、教えてくれたんだよ」
「そうかなぁ?」
「そうだよ」
「そっかぁ。やっぱそうだよね」
「うん。だからさ、ケメコがいたんだよ。きっと」
 なんとなくカオリとナツミが空を見上げたら、『きゃはっ』って笑ったケメコの声が聞こえた気がして、ついついあの頃のように、
「うぇーっ」
「うぇーっ」
 なんてやってみた。
 ごめんね。ケメコ。
 だけどなんか懐かしくって、おかしくって、カオリとナツミはしばらく大きな声で笑っていた。『なによーっ』って声が聞こえてきた気がするけど、そんな声もあの頃のまま。
 冬の青い空は柔らかい日差しを包んでやさしい。
229 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:31

 トントン。

 ドアをノックする音がして、どうぞと返したらユウコが入ってきた。
「ずいぶんと楽しそうやん」
「よっ。ユウちゃん」
「おぅ。カオリ、早いやん」
「でしょ」と笑うカオリの隣にイスを持ってきて座ると、
「なっち。どう?」
「んー。そんな変わんないかな。そんな体動かないし。でもふふっ。元気でた」
「うん。なんか昨日より顔色えぇもん」
「でしょでしょ」
 えへへって笑うナツミの頭をやさしく撫でると、制服の胸ポケットから2通の手紙を見せた。
「懐かしいやろ」
 手紙の差出人の名前にふんわりと目を細めるナツミ。
「ねぇ、ユウちゃん。読んで?」
「えぇの?」
「うん。今こんなだからいつ読めるかわかんないし。気になるじゃん」
「せやな」
「じゃあ、あたし席外そうか?」
 ってカオリが立ち上がろうとすると、ユウコががっしりと肩に腕を回して引き止めた。
「なんでぇな。ねぇ、なっち」
「そうだよ。いいじゃん。いなよ。カオリ」
「いいの?」
「うん。っていうか、いてほしい」
「…そっか」
 じゃあ…とユウコが手紙の封を開けようとしたところで、

 …タッタッタッタッタッ!

 廊下から慌しい足音が響いてくる。
 ユウコ、カオリ、ナツミがドアに目をやる。

 タッタッタッタッタッ!

 3人は顔を見合わせて、くすっと笑った。

 ドンドンドン!

「ヤグチ! はよ入ってきぃ」
「ユウちゃん!?」
 ドアが開いて、ぜえぜえと肩で息をしながらマリが入ってくる。
 カオリがイスを持ってきてユウコの隣に置いてやると、マリはぺたりとイスに座った。
「遅かったやん」
「これでも…よっしぃ〜に急いでもらったんだってば。…っていうか…みんなが早すぎだよぉ!」
 もぉーって肩で息をしながら唸るマリに、
「ヤグチ。待ってたぞ」
「……なっちぃ」
 ふにゅっと顔を崩して泣き始めたマリ。ユウコは肩を抱いてよしよしと宥めるように背中を撫でた。

 窓から差し込む淡くやさしい冬の光は4人を見て穏やかに微笑むように包み込む。
 ユウコは一頻り泣いてようやく落ち着いたマリの肩を叩くと、手紙の封を開けてゆっくりと読み始めた。
230 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:33

   ?

 警備の兵士に敬礼して基地の門を潜り抜ける。
 特に何の特徴もない角ばった建物とカーキ色のジープとバイク。
 雑然としているようで整った殺風景な景色の中を迷彩色やらカーキオリーブの兵士たちが行きかう。
「なーんか懐かしいねぇ」
「そうかぁ?」
 うん。とうなずいてナツミはぐるぐるとハンドルを回してウィンドウを下げた。
 吹き込んで来る風に目を細めて冷たい冬の風を楽しむと、
「懐かしいよ。2ヶ月だもん」
「…せやな」
「ふふっ。2ヶ月なのにねぇ…」
 自嘲気味に笑って、ナツミは昔食堂でみんなとよく歌ったあの歌を口ずさんだ。

 いくつかの兵舎を通り過ぎ、一番端っこにある兵舎の前でジープは止まった。
「行くで」 
「うん」
 
 ガチャ。

 ドアが開く。
 ユウコがカオリに軽く片手を挙げて挨拶すると、助手席の方に顔を向けた。
 開いたドアからにゅっと松葉杖が出て、どこからともなく息を呑む音がした。
 ゆっくりと出てきたナツミの姿を見て、ほっとしたのかぼろぼろと大粒の涙を零して泣き出したノゾミ。
 ナツミがよいしょと体を向けると、綺麗な7つの敬礼が出迎えた。
 一人一人の顔をゆっくりと見回す。
 カオリと笑顔を交わしてナツミも敬礼をした。

 今にも泣きそうなのに口をへの字に結んでじっとナツミを見つめるレイナ。
 泣きそうになるのを堪えて凛と見つめるサユミ。
 ぎゅっと唇を噛んで堪えてるけど涙が背零れ落ちる寸前まで目が潤んでいるマコト。
 小さくしゃくりあげるノゾミ。
 そんなノゾミに寄り添い、手を繋ぐリカ。
 神妙な面持ちのミキ。
231 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:35
 ナツミが車から離れて乙女隊の面々の前に全身を見せると、ノゾミが力なく膝から崩れ落ちた。
「…なちみぃ…」
 しっかりと大地を踏みしめる一本の足。
 ゆらゆらと膝元当たりから揺れる左足のカーキ色のカーゴパンツの裾。
 ウソだと思いたかった。
 カオリやユウコ、マリの言葉を信じたくなかった。
 ゆらゆらと揺れる左足のカーゴパンツの裾が涙で見えない。
「のの…」
「のんちゃん」
 小さくうずくまって声にならない声を上げてなくノゾミの背中をカオリがやさしくさすり、リカがしっかりと手を繋いだまま支える。
 ミキはしゃがむと、
「ツジちゃん…」
 と、そっと前を向くように促した。
 ノゾミが何とか顔を上げると、しょーがないなぁって顔で笑っているナツミ。 
「……なちみ?」
 すぐに立ち上がったリカに松葉杖を預けてゆっくりとしゃがむと、大粒の涙を流してえぐえぐと泣きながら自分を見つめるノゾミの頭をよしよしと撫でて、ぎゅっと抱きしめた。
「ありがと。のん」
 そんな気持ちだけでもうれしいよ。
 でもね。
「大丈夫。負けないから」
「なちみ…」
「大丈夫」
 もう一度ぎゅうっと胸に抱きしめて、ぽんぽんとあやすように背中を叩く。
 ナツミの陽だまりのようなぬくもりと笑顔がもう離れていってしまうんだと思うと、涙が止まらない。
 こつんとおでことおでこをくっつけて、
「のの。負けるな」
「…」
「大丈夫。ずっと一緒だから」
 離れていても。
「心は一緒だから。ね。のの」
 ノゾミはぎゅうっとナツミの体を抱きしめた。
 グスッとマコトが鼻をすする。
 レイナもサユミもぽろぽと涙をこぼして、じっと二人を見つめていた。
 ミキはそっと空いているリカの左手を握ると、ナツミとノゾミに背を向けて空を仰いだ。リカは松葉杖を持ち直すと、繋いだ手を少し強めに握り返した。
 ぽんと肩に手を置かれてカオリが振り返ると、隣に立ったユウコの目は涙を滲ませて少し赤くなっていた。そっと手をとって、包むように握ってユウコと手を繋ぐ。
 ナツミは振り向いてそんなユウコに気がつくと、またしょーがないなぁって笑うから、ユウコはちょっと拗ねたようにふいっと顔を背けた。
「ありがとね。みんな」
 ナツミが立ち上がるのをカオリが手を差し出して手伝い、リカが松葉杖を返す。
 よいしょと松葉杖で体を支えると、
「今はこんなだけどさ、いつか自分の足で立つよ」
 しっかりと右足で地面を踏む。
「そして、あたしができることをする」
 何が出来るか、わかんないけどね…と笑って、
「隊を離れちゃうのは本当にさびしいんだけど、でも…」
 頭の上に果てしなく広がる真っ青な空を仰いだ。
 ユウコ、カオリ、リカ、ミキ、マコト、レイナ、サユミも顔を上げる。
 ごしごしと乱暴に涙を袖で拭いて、ノゾミも追いかけるように顔を上げて空を仰いだ。
 見上げたら、ナツミから降り注ぐ翼のような金色の光と澄み渡った青い空。
 ナツミはへへっと笑った。
「だから、またね。みんな」

 冬の空に低いエンジン音をうならせて、ジープは乙女隊の敬礼を背に、さくら隊の待つ基地へと向かっていった。
232 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:37

         ?                 ?

 よく晴れた冬の朝はまぶしいくらい清清しい。
 ラジオから流れるさわやかな歌声。
 ひんやりした空気をゆっくりとストーブで暖めると、はんてんを羽織って寒さで背中を丸めながらちょこちょこちょことやってきてテーブルに座った。
 ふわぁとあくびを一つ。
「おはよ。ミキちゃん」
「うん。おはよリカちゃん」
 朝の挨拶と軽いキスなんて交わして照れ隠しにずずっと音を立ててカフェオレをすする。
 リカは出来上がった目玉焼きを皿に乗せると、エプロンの紐をほどいてイスに掛けた。
「今日は早番だっけ?」
「そう。リカちゃんもだよね」
「うん。帰りは久しぶりに外でゴハン食べよっか」
「あー。いいねぇ」
 なんて話しながら、リカもテーブルに着いた。
 なくとなく二人して向かい合って黙々と納豆をしゃかしゃかをかき回す。
 そんな二人の間に流れる女性の優しい歌声。
 ふんわりしてるけど、どこか凛とした綺麗な声。
 しゃかしゃかと納豆をかき回す手を止めて、ふとリカが呟いた。
「アベさん?」
「へ?」
「ラジオ」
 なんなとくラジオに顔を向けるリカとミキ。
233 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:37

    『なっちさ、歌いたいんだ』

     ノゾミとマコトにせがまれて、隊を離れて軍付属病院で再び義足をつける為のリハビリに励むナツミを訪ねた時のこと。
     きゃっきゃっとノゾミとマコトと戯れる無邪気な笑顔が、その言葉を言ったとき、夏の太陽のように眩しかった。
     そして、いつかのあの日々のようによく食堂で歌っていた歌を歌い始める。
     
     恋の歌。
     別れ歌。
     やさしい歌だったり、悲しい歌だったり。

     誰かを慰めたり、励ましたり、癒したり…。

     ノゾミもマコトも一緒になって歌う。

     なんだかわからないけど、ほろりと涙が零れた。
     何泣いてるのって苦笑いでちゃかされて、一緒に歌おうって。

     食堂に響くにぎやかな笑い声。
     それとなく誰かが歌い始めて、ちょっとケンカして、また笑って、そして歌って…。
     明日も明後日もそこは血と死の臭いに満ちた暗い戦場だけど、みんなで歌っていた食堂は光に溢れていた。

     ケンカしたって、何したって、みんなで声と気持ちをあわせて歌い始めたら、気持ちよくなって、些細なことなんか飛んでいく。

    『やっぱさ。歌うって、楽しいよね』
234 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:38

「…そうですね」
 歌うのって、楽しいですよね。
「リカちゃん?」
「うん。そうだよね」
 一人納得して呟くリカにミキが不思議な顔をするから、ふふっと微笑みかけた。
「ね。ミキちゃん」
「だから、なんなの?」
「うん。歌うのって、楽しいよねってこと」
 ラジオから流れるやさしい歌は冬の冴えた空気を包むように広がっていく。
 ミキはふーんとラジオを見つめていたが、
「歩き始めてるんだね」
 と言うと、目玉焼きの黄身をご飯に乗っけた。

 銃から操縦桿へ、そして松葉杖を握っていた手はギターとマイクに変わった。
 自分の言葉と声でいくらでも世界を作ることは出来るけど、それで変えられるのはどのくらいのものだろう?
 どこまでもだたっぴろい平原の中を地図も持たずに行くようなもの。
 ちっちゃい一歩で、それでも進み続ける。

 自分はどう?
 今、歩いてる?

 一つ小さな息を吐いて、ミキははむっと卵掛けご飯を口に入れた。
 曲が終わって、天気予報が始まる。どうやら今日も良く晴れるらしい。
 リカが窓の向こうに広がる快晴の冬の空に目を細める。
 朝の穏やかなひと時。
 こうやって誰かとのんびり朝ごはんを食べて、仕事して、笑って、くだらなことでケンカして。そんな素敵な日々。
「いい天気だね。今日も」
「ね。すっごく寒いけど」
 冬だしね、って二人して笑った。

 穏やかな冬の朝。
 冴えた空気もゆったりと太陽の光で暖められていく。
 のんびり過ごしすぎたリカとミキ。
 赤いミニがぶおん!と唸り声を上げ、静かな朝を突き破って慌しく飛び出していった。
235 名前:青い空と歌 投稿日:2009/08/09(日) 04:39

   『青い空と歌』         END
236 名前:さすらいゴガール 投稿日:2009/08/09(日) 04:55
大変大変本当にご無沙汰しておりました。
しばらく書き込まなかったらなんか特殊文字が……

本当はこの話、せめて3月には更新したかった…

1年半近く止まってましたが、その間にずいぶんとまた色々変わって変わって…
この物語世界は相変わらず4〜5年くらい前の空気感ですが、
飽きずにお付き合いいただけたらうれしいかと。

>>214 名無し飼育さん

こちらこそありがとうございます
泣いていただくほどのものではないですので、ありがたいです
この世界のおとめ、リアル世界でのおとめも見てみたいかもです

>>215 名無飼育さん

ありがとうございます
良いと言って頂けてうれしいです
みんなが幸せな日々を送れる世界、どういう世界なんでしょね。
せめて物語の中だけでも穏やかであってほしいかな
うまく書けるかわかんないですが(苦笑)

>>216 名無飼育さん

本当に大変お待たせしました
これからもう少し更新できればと思っています

>>217 名無し飼育さん

本当にお待たせしました
楽しんでいただけたらうれしいです

>>218 名無飼育さん

ようやっと更新しました
本当に長い間お待たせしてすみません
待っていただき、ありがとうございます
237 名前:名無飼育 投稿日:2009/08/10(月) 00:28
待ってました。嬉しいです、すごく。
ありがとうございます。
やっぱりさすらいゴガールさんの世界観好きです。
これからも、楽しみにしてます。
238 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/08/16(日) 23:12
うお〜〜〜!
また、この作品が読めるなんて。
うれしいっす。
239 名前:名無し飼育さん 投稿日:2009/08/19(水) 22:27
更新きてた。うれしい。
切ない話だけどやさしい気持ちになります。
240 名前:ご褒美 投稿日:2010/08/02(月) 00:17

 草木も眠る丑三つ時…ではないが、とっぷりと日も暮れた21時35分
 白い街灯がぽつりぽつりと並ぶ暗い山道を、とりあえず中身が詰まってる感じに膨らんだ学校指定のカバンを肩に、ちょっと丈が短めのエンジのチェックのスカートを揺らしながら緩やかな坂を早足で下っていく少女の姿。
 ユイは後ろから時折自分を照らして流れていくヘッドライトに振り向きもせず、俯き気味にひたひたと歩いていた。
「…さむっ」
 早くこたつであったまりたいわぁ…。
 若々しく生足でも寒いものは寒い。吐く息が街灯に照らされて白くふわりと舞い上がった。追いかけるように顔を上げれば満天の星空。
「めっちゃキラキラやな…」
 呟きと一緒にわずかな明かりで微かに見える白い息が藍色の空に吸い込まれていく。
 いつもなら自転車でかっ飛ばしてものの10分ほどで町中に着くが、今日はローファーの靴音を山道にコツコツと響かせることかれこれ15分。まだちょっと町の灯は遠い。
「あー…足痛なってきた…」
 やっぱバスにするんやったかな…。
 さびしい夜道に負けないように自分としゃべってみる。
 バスが来るまで35分待ち。それやったら歩いても変わらへんし…と思ったが、ちょっと甘かったようだ。
「遠いわぁ…」
 寒いし、怖いし。
 なんて思っていたら、車の低い唸り声。
 振り返ると、暗くて色は分からないが小さな車が見向きもせずにスーッとユイの横を過ぎていく。
241 名前:ご褒美 投稿日:2010/08/02(月) 00:17

 …はずだった。

「なん!?」
 ユイから5mほど離れて止まると、今度はバックですすーっと近づいてくる。
 逃げな!…と走り出そうとしたユイの真横でピタっと止まって、助手席のウィンドウが下りて中から誰かが身を乗り出した。
「ユイちゃん!」
 聞き慣れてもちょっと緊張感を煽る高い声。
「イシカーさん!?」
 苦笑いしながらリカがよいしょとミニのドアを開ける。
「もー。逃げないでよって、仕方ないか。ほら乗って。送るよ」
 リカが運転席に戻ると、ユイは小さく頭を下げて助手席に座った。
「すいません。ありがとうございます。もーめっちゃ怖かったんです〜」
「真っ暗だもんね。この辺」
「はい。もーむちゃくちゃ怖くて」
 バタンとドアが閉まる。
 外に比べれば少し外気が入ったとはいえ、冬の山道に比べれば格段に暖かい車内に思わず深いため息が零れ落ちた。リカがカチカチと空調のスイッチをいじる。
「ごめんね。あったかくなるのちょっと時間かかるかも」
「大丈夫です〜。十分今あったかいですよ」
「外に比べたらね」
 設定を終えて、かちんとシートベルトをしめると、
「じゃ、行くよ」
 ぶん!と唸ってゆっくりとミニが前に滑り出した。
「もーほんま助かりました〜」 
「ふふっ。なんか見たことある後姿だなーって思ったから。良かったよ〜」
「でもイシカーさん、帰ったんじゃないんですか?」
「うん。帰ったけど、一回着替えてミキちゃんのお迎え」
「フジモトさん、今日遅番でしたっけ」
「うん。それに、ユイちゃん今朝自転車パンクして歩いて来たって言ってたから、もしかしたら会えるかな〜ってね」
「あーん! もーイシカーさん大好きーっ!」
「ふふっ。なんで、先にミキちゃんのお店寄ってくね」
「はーい」
 フロントガラスの向こうにはすっかり眠りに入った町が見えている。
 あのまま歩いていればこんな景色が見えてくるのもまだまだ先のことだろう。
 なんとなく忙しなく窓の向こうの物寂しい藍色の景色に目をやりながら、ユイははーっと冷たくなった指先に息を吹きかけてさすった。
 カーブを過ぎて見えた信号がタイミングを計ったかのように赤に変わって、静かにミニが止まる。
242 名前:ご褒美 投稿日:2010/08/02(月) 00:18

 …。

 なんとなく無言の車内。
 ルルルルル…と低く唸るエンジンの音がやけに耳につく。
 なんとなく漂う緊張感。
 はぁ…とユイが指に息を吐き、信号が青に変わってカクンとリカがシフトレバーを動かす。

 …。

 なんとなく無言。
 そんな空気に落ち着きなく指先を温めて気を紛らわせていたユイは、ちらりと横目でリカの表情を伺うと、少し硬い声音で声をかけた。
「イシカーさん」
「何?」
「あの…今日ナカザーさんから電話があったんです。それで…」
「それで?」
「はい。やっぱり計算が違ってたらしくって、改めてちゃんとしたのを送るって.。お父さんの在職年数が他の人のになってたらしいです。ナカザーさん、ほんま申し訳ないって…」
「そっか…」

   事務仕事もひと段落した午後。
   デスクで遺族恩給給付明細と申請方法の説明文を難しい顔をして眺めるユイ。
   あまりに難解な表情をしているユイから明細を見せてもらったリカはざっと目を通すと、
  『これ、年数おかしくない?』
   と言って、おもむろに受話器を手に取った。
   電話の先は、もちろんこの人。
  『あら〜。リカちゃん! ひさしぶりやん。元気〜』 

   それが2週間ほど前の事。
243 名前:ご褒美 投稿日:2010/08/02(月) 00:18

「あの…イシカーさん。ありがとうございました」
「あたしは何にもしてないよ。なんとなく知ってただけだから」
「そうなんですか? いしかーさんも…?」
「あたしは違うよ。近くにもらってる子がいたから」
「そうなんですか?」
「うん。…。ナカザーさんにはお礼しないとね」
「はい。ほんま…なんてお礼言ったらいいかわんないです。おかげでだいぶ楽になるんです。お母さんもーむっちゃ喜んで…」
 ユイはカバンをぎゅっと抱きしめた。
「知り合いもおらんし、あたしとお母さんの仕事だけやと暮してくのだけで精一杯やし…。あたし、学校行かんでずっと働くってゆったんです。でも…あかんて」
 勉強できるはできるうちにしとき。
 諭すようにそう言った母の表情には有無を言わせない強さがあった。
「弟も妹もまだちっちゃいから、ほんまはあたし…働きに出ない方がいいんです…。寂しい思いもさせるやろうし…。せやけどわがまま言ったんです。勉強もするからって」
 お母さんだけに苦労させたない!
 子供には子供なりの考えと強さ。そして責任。
「知らんところやし言葉とか違うからみんな大変なんやけど、お金のことならあたしも働きに出れる歳やから。だから……いしかーさん?」 
 ちらりと視界の端を何かが動いたなと目をやると、ズッと鼻をすすってリカが目の端を指先で押さえていた。
「うん。ごめん。なんでもない」
「って…いしかーさん…」
 泣いてますやん。
 …気のせいだよ。
 またほどなく信号が赤に変ったのでリカはゆっくりとミニを停車させると、さりげなく目尻押さえるように拭いながら笑ってみせた。
「…ありがとうございます。……二人目です。いしかーさん」
「へ? 何が?」
「そうして泣いてくれはったの。一人目はエリカちゃん。会社に入って…ほんままだ会ったばっかしの頃…。なんやええ人そうやし…エリカちゃんも地元の人やないし。なんでそれとなく家の事話してみたら、エリカちゃん…めっちゃ泣いてくれたんです」
 
 『えらい! えらいよユイちゃん。ぐすっ…』
  ぼろぼろと零れる涙を拭いもせず、しっかとユイの手を握って。

「なんかあったらすぐ言ってね。大したことできないけど、力になるから…って。顔めっちゃぐしゃぐしゃにして…。ほんま嬉しかった」
「ユイちゃん」
「はい?」
「あたしも、そしてたぶんミキちゃんも…同じ気持ちだよ。エリカと」
「いしかーさん…」
「本当に困ったときは、いつでもわがまま言っていいんだからね。たぶん大したことはできないけど」
 計ったように信号が青に変わって、ゆっくりとミニを発進させるリカ。
 ユイはぺこりと頭を下げて、ぽつりと呟いた。
「あたし…ほんま恵まれてるわ」
244 名前:ご褒美 投稿日:2010/08/02(月) 00:19

     *

 カランコロン。

 ドアの鐘が軽やかに歌う。
 18時を過ぎると喫茶ハーモニーは、長身でミステリアスなマスターの弟さんが作るカクテルと選び抜かれたこだわりのモルトが楽しめる大人の時間と変わる。
 暖色のほんのりとした照明の中をポンと飛び出した、
「いらっしゃいませ〜」
 リカちゃん。と弾んだ声。
 すでに帰り支度ばっちりでカウンターでお茶していたミキは、リカの後ろからひょこっと顔を出したユイに気づいた。
「いらっしゃい。ユイちゃん。学校?」
「はい〜。帰る途中でいしかーさんに拾ってもらいましたぁ」
 ありがとうございます〜。
 いえいえどういたしまして、とリカ。
「ミキちゃん、待った?」
「ううん。そんなでもないよ。ちょうどいいティータイムだったよ」
 ミキはカップを下げてカバンを肩にかけると、
「それじゃ失礼しまーす。お疲れ様でした」
 と、イスからぴょこんと降りた。
 するとママが3人を手招きしてカウンターの端にあるレジの前に呼んだ。
 おみやげ…と、そっと手渡された小さな白いケーキ箱。
 二人で食べてとミキとリカに。
 ちびちゃんたちにとユイに。
「わぁ! えぇんですか? すんません。ありがとうございます! ほんまちびたちめっちゃ喜びます〜!」
 今日の残り物だから気にしないでと笑うママ。
245 名前:ご褒美 投稿日:2010/08/02(月) 00:19
 
 カランコロン。

 店を出る前にもう一度お礼を言って、リカ、ミキ、ユイは藍色の空に白い息をふわりと吐き出しながらケーキを
崩さないよう早足でミニへと向かう。
 ひゅうと北風が頬を撫でて、
「リカちゃん! 早く! 早く!」
 と、ドアの前で急かす。
 リカが急いで鍵を開けて乗り込んで助手席の鍵を開けると、ミキは手際よく助手席を前に倒して後部座席に乗り込み、カタンとシートを戻した。
「おじゃましますー」
 ユイが助手席に座ってパタンとドアが閉まるととりあえず北風とはさようなら。リカはエンジンをかけると、すぐに空調のスイッチをいじる。
「ごめんね。あったかくなるの時間かかるかも」
「えーーーー」
 ミキの素直な反応に思わずユイが噴出す。
「めっちゃ素直ですね。フジモトさん」
「だって寒いんだもん」
 ミキはシートの間から顔を出して唇を尖らせた。
 リカは苦笑いを浮かべながら、サイドブレーキを戻してギアを入れた。
 ゆっくりとミニが動き出して道路に滑り出す。少し走り出したところでユイはそっとケーキ箱を開けた。
「わぁ! 6つも入ってる! なんか…ほんま申し訳ないわぁ…。こんないっぱい…」
「よかったじゃん。喜ぶだろうねぇ」
 リカがわずかに顔を動かしてミキに目をやると、ミキもうなずいて返した。
「ケーキってそんなに日持ちしないし、余りもんなんだからさ、遠慮しないでいいと思うよ」
「はぃ…」
 そっとふたを閉じて包むようにケーキ箱を抱えると、ユイはさりげなさを装うようにそっと頬に手を滑らせて目の端をぬぐった。
 ミキは後ろからにゅっと手伸ばしてぽすっとユイの頭に手を乗っけるとよしよしと撫でた。
「神様からのご褒美だよ。きっと」
「そうですか? なんか…いっぱいもらいすぎですわ。今日は」
「そう? いいんだよ遠慮しなくて」
「はい。でも…いいことありすぎて、なんか怖いです」
 なんでとミキが不思議そうな顔をする。
「今日、ナカザーさんから連絡があったんだって」
「あ! そうなんだ」
「そうなんです。やっぱり違ってたらしいです」
「そっか…。だいぶ楽になるんだ」
「はい! おかげさまで」
 どこか恐縮しつつも隠し切れないうれしさにぱっと弾んだユイの笑顔。ミキも「そっかそっか」とうれしそうに笑った。
246 名前:ご褒美 投稿日:2010/08/02(月) 00:19
 ―――
 ――

 小さな小さな古びた平屋の前でゆっくりとミニが止まった。
「いしかーさん、フジモトさん、ほんまありがとうございました」
「いいっていいって。ね、リカちゃん」
「うん。ほら、待ってると思うよ。早く行きな」
「はい。ほんまきょうはありがとうございました! お疲れ様でした。また明日」
 ドアを開けるとカバンをしっかりと肩にかけなおし、ユイは大事そうにケーキの箱を抱えながら小走りで玄関に向かった。
ミキはその間に助手席に移動してさむっと零しながらドアを閉めた。
 ユイがガラガラと引き戸を開けると、ちびたちが飛び出して抱きついてくる。ぶつかって落とさないようにさりげなく非難させたケーキの箱をちびたちに見せると、車の方を指差した。
 そして、なにやら一言告げると、ぺこりとちびが頭を下げた。
「「おおきに! いただきます〜」」
 そんなちびたちに目を細めるユイと、そして玄関口まで出てきていた母親が小さく頭を下げた。
 リカとミキは顔を見合わせて笑うと、パッと軽くクラクションを鳴らしてゆっくりと走り出した。
247 名前:ご褒美 投稿日:2010/08/02(月) 00:20

 小さな町の夜はひっそりと小さな息吹を立てながら寝静まっている。
 辺りが藍色の夜に包まれているとはいえ、気がつけばすっかり見慣れた景色。家まではもうすぐのよう。
 ずっと無言でぼんやりと窓の向こうを眺めていたミキはふーっと深く息をついた。
「えらいよねぇ」
「うん。知らない土地でね」
「おんなじ東の戦線にいたんだっけ?」
「うん。らしいね。もともとは西に所属してたんだけど配置異動になったんだって」
「そっか…。会ったことあるかもしれないんだね。なんか不思議…」
 リカも小さくうなずく。
「ユイちゃんもその異動に伴ってこっちに来たって言ってた」
「ふぅ〜ん」
 ミキは間延びした返事をしたかと思うと、少しだけ低めのトーンで言った。
「良かったのかな? この街に来て」
 リカは少し考えるようにうつむき気味やや顔を下げると、
「良かったんじゃないかな。少しくらいは。嫌だったら…いないと思うよ」
「そうだけどさ、帰れない事情があるのかもしれないじゃん」
「まぁね。でも、そこまではわかんないよ。あたしたちには」
「…まぁね」
 そう言ってしまえばそうでしかないわけで、ちょっと釈然としないミキはなんとなく唇を尖らせる。
 リカはそんなミキにクスッと微笑んだ。
「それにいつかは向こうに帰るかもしれないし。だからあたしたちは今できることをしてあげればいいんじゃない?」
 アヒル口のまま小さくうなずくミキ。
 リカはそんなミキをちらりと見ると、
「…ミキちゃんは?」
「は?」
「ミキちゃんは? 良かった? この街に来て」
 ヘッドライトが玄関のドアを照らしてミニがゆっくりと止まる。
 エンジンが止まって、パッとライトも消えた。
 ミキはじっと前を見つめて黙っていたが、
「リカちゃん」
 「何?」とリカが身を乗り出したと同時に唇を掠め取るように口付けて、
「そういうこと」
 と、どこか言い聞かせるような口調で言って、とっとと車を降りてさむっと体を小さく震わせながら足早に玄関へ。
 ぽかーんとリカはその後姿を眺めていたが、そっとまだしっかりと唇に残る感触を指先で触れて確かめると、思わずにやっと笑った。
「待って! ミキちゃん」
 車から降りて鍵をかけると、リカも小走りで玄関へと向かった。
248 名前:ご褒美 投稿日:2010/08/02(月) 00:20

 パタン。

 ドアが閉まって、ほどなく部屋の明かりが点く。
 早く部屋を暖めて、お湯を沸かしたらもらったケーキを食べよう。
 がんばっている今日へのご褒美。
 
 カーテン越しの窓の向こうは今日も冬の星座が冴え冴えと瞬いている。
 日付は藍色の空の中でゆっくりゆっくりと変わろうとしていた。
249 名前:ご褒美 投稿日:2010/08/02(月) 00:21

    『ご褒美』      END
250 名前:さすらいゴガール 投稿日:2010/08/02(月) 00:33
大変大変お待たせしております。
またも1年とか…
短いお話ですがようやっと更新しました。

その間にいろいろと変わりましたし…
ここ1年のは大阪の現場にはかなり行っていたので、
なんというかいろいろと思うところもたくさんあります。

お待たせすると思いますが
引き続きよろしくお願いいたします。

>>237 名無飼育様
 ありがとうございます。
 決して明るい世界観ではありませんが気に入っていただけでうれしいです。
 このお話も楽しんでもらえたらうれしいです。

>>238 名無飼育さん様
ありがとうございます。
 そんなに喜んでいただけるとは。

>>239 名無し飼育さん様
 ありがとうございます。
 救いのない世界というは背景を持つお話なので、
 ほんの少しでも小さな何かが書ければと思っています。 
251 名前:名無し飼育さん 投稿日:2010/08/06(金) 21:18
待ってました!
このお話を読むといつも暖かい気持ちになります。
しっかりご褒美いただきました。ありがとうございました。
252 名前: 投稿日:2010/08/15(日) 01:42

 窓の向こうは一面の白い世界。
 昨晩から深々と降り続けた雪は今もなお音もなく空から舞い降りている。
 ボア付の分厚い迷彩ジャケットに防水防寒使用のブーツで完全防備して、リカとミキは相棒がひっそりと待つ車庫へと歩く。
 二人の足跡を黙々と雪が埋めていく。
 普段は雪と縁の薄い地域だけに、少し水っぽいぼた雪。

 やっぱりちょっと違うね。
 ミキが目を細めて空を見上げて呟く。
 そうなの?とリカが言うと、重いんだよねと答えた。

 車庫に入って雪を払うと、リカは運転席の鍵を開けてリュックをシートの後ろに放ると、ドアを閉めて助手席の鍵を開けた。
 ミキはドアを開けてカバンを同じようにシートの後ろに投げて車に乗り込んだ。

 ドゥン!   
 
 相棒が黒い息を吐き出して起きだし、小さく体を震わせる。
 のっそりと相棒がじゃらじゃらとチェーンを巻いたタイヤで雪を踏みしめて車庫から出た。
 兵舎の前まで寄せると、ゆっくりと停車した。
 カチン、カチン。
 シートベルトを外して、ほんのつかの間のリラックスタイム。
 ミキはシートを倒すと、時々ワイパーが重たげに雪を払うフロントガラスをぼんやりと見つめる。
 リカはハンドルに寄りかかって、やむ気配なく降り続くガラスの向こうをぼんやりと眺める。
 明るい灰色の空から深々と降り続く雪。
 ミキは胸ポケットを浅瀬ってロリポップを出すと、ぺりぺりと包装紙をはがした。
253 名前: 投稿日:2010/08/15(日) 01:43

 空は広がる彼方の地平線の姿も舞う雪にぼかされて、延々と白い砂嵐が混じった灰色。
 兵舎のドアを開けると、マコトの顔にわっと降りかかった雪。
 ノゾミとマコトはしっかりと傍観装備を固めて重いリュックを背に、ぽんっと外に飛び出した、
 
 うっわっめっちゃ寒っ!
 と、顔をしかめたかと思うと、
 わーっ! 真っ白!
 と、おもむろに雪を手にしてすばやく丸めて、ずいぶん積もったねぇとのほほんと空を眺めるマコトに投げつけた。

 わっぷっ!
 顔面に命中してノゾミの笑い声が真っ白な世界ににぎやかな色をつける。
 マコトはやったなぁとすぐに雪を丸めてノゾミに投げつけた。

 わっ! 冷た! やったなぁ〜。
 へへーんだ!

 えいっ!
 とおっ!

 うわっ !
 ひゃあっ!

 やったなぁ〜!
 いっくぞーっ!
254 名前: 投稿日:2010/08/15(日) 01:44

 右から左から舞う雪の中を飛び交う雪玉。
 レイナとサユミが玄関の窓から外を見ると雪まみれのノゾミとマコトが大きな口を開けて笑っていた。

 元気やねぇ…。
 ホントだよね…。

 重い荷物と防寒着ですでに疲れている若い二人が寒さに背中を丸めながらさっと雪の舞う外に足を踏み出す。
 体がひょこっと出たところで、待ってましたとノゾミが雪球2発発射!

 わっ!
 きゃっ!

 ちょおっ! のんつぁん! まこっちゃん!

 にゃーっと雄たけびが聞こえて、ミキはロリポップの棒をふらふらと動かしながらぼそりと呟いた。
 元気だねぇ。
 ね。と相槌を打って、リカはちょっと袖を引いて腕時計を見た。
 あと30分か…。
 ぽすんとシートにもたれかかると、ミキが起き上がってカコンとシートを戻して同じように深くもたれかかる。そして、顔を向けずにそっと右手を伸ばすと、リカの左手を握った。

 兵舎の前で子犬のようにはしゃぐノゾミ、マコト、レイナ。
 雪玉の集中攻撃を受けたサユミは兵舎の玄関で避難。
 カオリは玄関でブーツの紐を結びながら、そんなにぎやかな声に苦笑い。
 バテなきゃいいんだけど。
 よし。と靴紐を結び終えて立ち上がると、雪の様子を確かめるように窓を見た。

 雪はただひたすらに静かに静かに何もかもを覆っていく。
 深々と、粛々と。
 淡々と積り重なってすべてを白く染めていく。

 やわらかいキスを交わして、リカとミキは相棒から出て再び白い世界へと降り立った。
 兵舎の前では相変わらず雪玉が飛び交って、リカとミキはやれやれと顔を見合って苦笑いしていると、
 べこっ! べこっ!
 わっ!
 きゃっ!
 突然飛んできた雪玉二つ。振り向けばおなかを抱えて大笑いしているノゾミ。
 リカとミキは顔についた雪玉を払うと無言でお互いの顔を見合った。

 こらっ! ののーっ!
 やったなぁーっ!
255 名前: 投稿日:2010/08/15(日) 01:44

 あーあぁ。まったく…。
 玄関に非難したサユミの上からひょっこり顔を出したカオリはやれやれと深いため息。
みんなコドモねぇ。
 ほんとですよねぇ。
 しょーがないねぇ。まったくと笑いあう。
 カオリはサユミの肩を抱くと、さ、行こうかと降りしきる雪の中へと踏み出した。

 決して激しいとはいかないまでも、やめ気配もなく灰色の空から舞い落ちる雪。
 カオリは時間を確認すると、大きく息を吸って集合をかけた。
 号令一下、雪玉を投げ捨て整列する隊員たち。
 美しく整った敬礼を交わすその表情は、先ほどまでの無邪気な笑顔から緊張感に強張った兵士ものへと変わった。
256 名前: 投稿日:2010/08/15(日) 01:45
 
   *

 ワイパーが重たそうに雪を払う。
 ガタゴト揺れながら、雪に足元を取られないように慎重に進むポンコツトラック。

 見渡すがきり一面の白い世界。
 道も、辺りに薄く草の広がる荒野も、木も。

 空から舞い降りる雪は、ただひたすらに冷たい風に乗り降り積もる。
 粛々と、深々と。
 静かに静かにそこにあるすべての物に降り積もる。

 振動を体で受けながら引き金を引き続ける兵士の上に。
 凶弾を受けて事切れた亡骸の上に。
 傷口は赤い血をうっすらと滲ませながら凍っていき、流れ出た赤い血は雪の中に溶けて消えていく。

 雪の降る音無き音。
 相棒が止まる音も、乙女隊の面々が戦場へ駆け出す足音も瞬く間に掠れていく。

 見上げる灰色の空は低く重く世界にふたをするようにのしかかる。
 舞う雪だけが軽やかに踊っていた。
257 名前: 投稿日:2010/08/15(日) 01:45

         ■                    ■

 ストーブの上のやかんがしゅんしゅんと音を立てる。
 リカはティーポットにやかんのお湯を入れていると、ママからもらった昨日のケーキを持ってミキがリカの横に座った。
 暖かい紅茶のいい香りが鼻をくすぐる。
 窓の向こうはちらちらと舞う淡い雪。

 どうりで寒いわけだ。
 ね。今日休みでよかったよ。

 まだ降り始めた淡い雪は地面につくとすぐに溶けて消える。
 暖かい海沿いの町には珍しい雪の午後。
 温かい紅茶と甘いケーキ。
 のんびりとした休日は、窓の向こうに雪を躍らせながら静かに穏やかに流れていた。
258 名前: 投稿日:2010/08/15(日) 01:46

『 雪 』       END  
259 名前:さすらいゴガール 投稿日:2010/08/15(日) 01:50
真夏に雪の話というのなんですが…、

短めなものを一つ。
ちょっと自分の中では実験的な感じだったりなのですが…。
楽しんでいただけたら幸いかと。

割と間隔あけずに更新できたので、
このペース付近で更新していけたらなぁ…と。

>>251 名無し飼育さん様

お待ちいただきありがとうございます。
ありがたい書き込みに私もご褒美いただきました。
ありがとうございます。
今回のお話も楽しんでいただければ幸いです。
260 名前:名無し飼育さん 投稿日:2010/08/20(金) 17:24
更新ありがとうございます。
この作品読むとチュッパチャプスが舐めたくなるw
さっそく買ってきました。
おとめ隊良いなぁ。

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