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夢のあとに

「お疲れさまでしたー」
番組収録が終わり、スタッフが撤収を始める。
タレントもそれぞれ帰り支度を始める。
「あ・・・このアトひま?」
ジャニーズのなんとかと言う名前も知らない人が声をかけてきた。
「何か?」
「いや・・食事でもどうかと思って」
「すみません・・まだ仕事があるんで」
「あ・・そう。ごめんね。また」

帰ろうと楽屋へ歩き出す。肩越しに後ろで話す声が聞こえる。
「加護ちゃん固いんだよなぁ」
「しっ!聞こえるぞ」
十分聞こえているが何の反応も示さずそのまま歩いていった。
そして楽屋へ行き、帰り支度をした。
マネージャーの運転する車に乗り、家へ帰った。
仕事はもう終わりだ。

家に着いてテレビを見ながらくつろぐ。
テレビではCD売上ベストテンみたいな番組をやっていた。
「今週の一位は・・・」
「加護亜依さんです!」
「三週連続おめでとうございます」
それを見ても加護は何の反応も示さなかった。
退屈そうにテレビのチャンネルをころころ変えていた。

たとえCDの売上が一位でも、沢山の番組にレギュラーとして出ても、
ドラマや映画の主役の依頼があっても、
加護は退屈だった。
加護は一人だった。
何も楽しくなかった。

テレビの上に置いてあるフォトスタンドを手にとって見る。
写真には左から加護、吉澤、矢口、中澤、安倍が写っていた。
ため息を一つつく。
そんなに時間がたっていないのに、まるで大昔のように感じた。
みんな、いなくなってしまった。

加護も本当はもう芸能界など引退したかった。
加護にとって悲しい思い出しか残っていない。
しかし加護は重い十字架を背負ってこの業界に居続けなければならなかった。
少なくとも加護自身はそう思っていた。
安倍、矢口、後藤という十字架を背負っている。
加護は自分にそう言い聞かせていた。
そして、中澤の分も。

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加護は寝坊した。走ってテレビ局へ急ぐ。
「ああ・・もう10時半!」
雨が降っていて傘をさしながら走る。パシャパシャと音を立てながら急ぐ。
息を切らしながらようやく待ち合わせ場所までやってきた。
待ち合わせ場所には一人、吉澤が傘をさして下を向いていた。
「す、すみません・・今朝頭痛が酷くて」
大嘘だった。昨晩遅くまでレンタルビデオに夢中になっていたのが寝坊の原因だった。
吉澤が加護に気がついた。
「おはよう」

「おはようございます・・」
加護は申し訳なさそうに言った。
加護は一人足りない事に気がついた。
「あれ・・矢口さんは?」
「それが・・まだ来てないの。何度も電話してるんだけど、出ないよ」
吉澤は手に持った携帯電話を見せながら言った。
時間に厳しい矢口が遅刻なんて珍しい・・加護はそう思った。

「昨日の事とかで何かあるのかなぁ」
吉澤がポツリと言った。
「あ・・昨日の・・・安倍さんの話しかぁ」
加護はそう答えた。
そして二人は雨の中、じっと矢口が現れるのを待っていた。

しかし待てど暮らせど矢口は現れなかった。
「中澤さんに電話してみようか」
吉澤が沈黙を破って話した。携帯電話で中澤に電話をかける吉澤。
加護その様子をじっと見ていた。
吉澤は何も言わずに電話を切った。
「ダメ・・留守電になっちゃうよ」
二人はそろってため息をついた。

「雨も酷くなってきたし、中で待ってようか」
吉澤はそう言ってテレビ局の入り口を指差した。
加護は小さく頷いて、吉澤と共に中に入っていった。
傘をたたみ、がらんとした広いロビーの隅にある長い椅子に座る。
そこでまた二人で黙って矢口を待ち続けた。

「収録って何時からだっけ・・」
加護がふと思い出して吉澤に話しかけた。
「もう始ってる・・・」
吉澤が時計を見ながら話した。
二人は顔を見合わせ、またため息をついた。
「どうしたらいいんだろう」
吉澤の顔色に焦りが出てきた。

ずっと待ち続けたが結局矢口は現れなかった。
困った二人は何度となく電話を繰り返す。しかし誰も出ない。
「どうしよう」
吉澤が困った顔をして加護に言った。
「中澤さんの家に言ってみる?」
吉澤の提案に加護は頷いた。
二人は立ちあがり、中澤の家に向った。

中澤の家に着いた二人。
「あれ・・・」
ドアに手をかけた吉澤はカギがかかっていない事に気がついた。
吉澤と加護は顔を見合わせた。
「こんにちは」
吉澤がゆっくりと部屋に入っていく。加護もそれについていった。
部屋の中は静かだった。

部屋の中には誰もいなかった。しかし中澤のバッグは部屋に残されたままだった。
中澤の携帯電話もそこにあった。
吉澤と加護の二人はどうしたらいいのか分からず、とりあえず座って待ち続けた。
突然、中澤の携帯電話が鳴った。
「びっくりしたぁ」
加護は中澤の携帯電話を手に取った。
画面にはレコード会社の人の名前が表示されていた。
「ど、どうしよう」
加護は焦って吉澤の顔を見た。

「どうしようって・・・とりあえず出る?」
吉澤はそう言って加護の手から電話を取った。
「もしもし・・」
吉澤は電話に出た。
加護はじっと様子をうかがっていた。
「あの・・・私、吉澤です」
吉澤は事情を説明した。
「え・・・何ですか?」
吉澤の顔が曇った。
「自殺!?」

「はぁ・・・はい・・分かりました」
吉澤は力の抜けた返事をして電話を切った。
「なんだって?」
加護は身を乗り出して吉澤に聞いてみた。
吉澤はうつろな目をしながら答えた。
「矢口さんが・・・矢口さんが・・・」

話しの内容を聞いた加護は呆然としていた。
「そんな・・・」
ずっと中澤や安倍と共に行動してきた加護には理由は十分に理解出来た。
それだけにやりきれない気持ちだった。
中澤が矢口に神経質になっていた事も理解できた。
「中澤さんは?」
「それが・・病院から居なくなって・・それきりだって」

「え・・・?」
信じられないといった顔の加護に吉澤は続けた。
「居場所もわからないし連絡もとれないって」
「とりあえずレコード会社の人がどうするか検討するから自宅で待機しろって」
吉澤は涙目になりながら言った。
「加護ちゃん・・・どうなっちゃうんだろう?」
加護は何も答えられなかった。

それから一週間ほど自宅で加護は待っていた。
中澤から突然の連絡があった。
「あいぼん・・ごめんな」
「大手のプロダクションにアトをお願いしておいたわ。ごめんな」
加護の話しを一切聞かずに一方的に話しをして電話を切った中澤。
中澤からの連絡はそれきりだった。
加護は大手のプロダクションに移籍した。
加護だけ。

======================================

「中澤さん・・どこへいっちゃったの?」
加護はフォトスタンドの写真を見ながら寂しそうに言った。
「中澤さんと一緒だから、この世界に戻ってきたのに」
「一人にしないでよ・・」
加護は苦しかった。
それでも芸能界に居続けなければならなかった。
中澤が戻ってきたときに居場所が無いと困るだろう。
加護は中澤が戻ってくると漠然と信じていた。

ひさびさのオフの日。
加護は一人で電車に乗って遠くまで出かけて見た。
ただただ、現実から逃避したかった。
適当な駅に降り、街をブラつく。
ショーウィンドゥに写った自分の顔は悲しそうだった。

喫茶店に入る。
ぼんやりと窓から外の景色を眺める。
街を行く人々は楽しそうに見えた。
友達と恋人と歩く人々。
今の加護には友達と呼べる人も恋人と呼べる人もいなかった。
「いいなぁ・・・」
加護は普通の生活が羨ましかった。

「いらっしゃいませ」
窓の外を見つめる加護のところに店員がやってきた。
気にもせず外を見つめる加護。
ガタン、という音がして加護の服に水がかかった。
驚いて自分の服を見る加護。
「す・・すみません!」
店員は焦って頭を下げた。

「今、お拭きしますから」
店員は顔を上げてふきんを取りに行った。
加護は唖然とした顔で店員を目で追っていた。
すぐに戻ってくる店員。
「ほ、本当にすみません・・・」
水をこぼしたくらいで悲しそうな声で話す店員を見て加護は声をかけた。
「梨華ちゃん?」

「はい・・石川梨華です・・申し訳ありません」
夢中で加護の服を拭き続け、まだ気づかない石川。
「あの・・私・・加護亜依」
自分を指差しながら加護は言った。
「加護さんですか・・すみません」
加護はため息をついた。

「梨華ちゃん・・私だって!」
加護は大きな声で石川の耳元に向って言った。
驚いた石川は顔を上げて加護の顔を見た。
「はい・・ってあれ?」
唖然とする石川を見て加護は飽きれてしまった。
「相変わらずだね」

「何してるの?」
加護は石川の手からふきんを取って自分で服を拭いた。
「何って・・バイト・・」
石川はまだ驚いた顔をしたままだった。
「久しぶりだね。元気だった?」
加護は拭き終わったふきんを石川に手渡した。
「元気だったけど・・何でここにいるの?」
石川はまだ状況を理解出来ていないようだった。

「何時にバイト終わるの?」
加護はひさしぶりに会った石川とゆっくり話しをしたかった。
「えと・・もう少しで終わる」
「じゃ・・待ってるね」
加護はそういうとメニューを手にとった。
「オレンジジュース下さい」

石川のバイトが終わったので二人は店を出て石川の家に向った。
道中、他愛の無い会話をしながら歩いた。石川の家はさほど遠くなかった。
加護はごく普通の他愛の無い会話がとても楽しかった。
タレントではない加護亜依として扱ってくれるのが嬉しかった。
二人は石川の家についた。

石川の部屋にあがり二人で座った。
「梨華ちゃんバイトしてるんだ・・凄いね」
加護は石川の母親に貰ったジュースを飲みながら言った。
「凄くないよ・・これで5つめだし」
「5つめ?」
「私ってドジばっかりで・・」
石川の言葉を聞いて加護は吹きだした。
「梨華ちゃんらしいや」

「でも・・いいなぁ」
加護は少し寂しそうに言った。
「なんで?亜依ちゃんの方が凄いじゃない」
石川は言った。加護はそれを聞いて悲しそうな顔をした。
「何にも凄くない・・・」
「何にも良くない・・・」

石川は加護の表情を見て言った。
「どうしたの?何かあったの・・・?」
加護はますます悲しそうな顔になった。
「ツライよ・・・逃げ出したいよ」
加護の言葉に石川は驚いた。
「何で?」

「だって・・いつも一人だもん」
「自由も無いし。誰も私の気持ちなんて理解してくれない」
「誰にも何も相談出来ない・・・」
「私も普通に学校行って普通に遊んで普通に恋でもしてみたいよ」
石川は加護の話しを聞いていた。
「私はみんなと楽しくやりたかったのに、一人だけ残っちゃった」
加護は黙ってしまった。

石川は悲しげな加護の顔を見つめながら話した。
「でも・・・亜依ちゃんはみんなの希望でもあるんだよ」
「モーニング娘。だった私達の誇りでもあるんだよ」
石川の言葉を遮って加護が話した。
「そんなの勝手だよ・・・」
「私はもう辞めたい!こんな思いはもう沢山!」
そう言って加護は泣き出してしまった。

石川は泣きじゃくる加護をそっと抱いた。
「そんなにツライの?」
加護は泣きながら頷いた。
「可愛そうな亜依ちゃん・・・私が何かしてあげれればなぁ」
石川はため息をついた。
「元気出して・・・亜依ちゃん」
それでも加護は泣き続けていた。

「私で良かったら、いつでも相談にのるから」
石川は加護の頭を撫でてやった。
「亜依ちゃんがこんなに泣くなんて・・」
石川は泣き止まない加護に困ってしまった。
「どうしたらいいんだろう・・」
石川は途方に暮れてしまった。

加護はしばらく泣いたあと、急に静かになった。
そして石川の手から離れた。
「ごめん・・・梨華ちゃん」
石川は首を横に振った。
「ずっと気を張ってて・・・泣くのは久しぶり」
「梨華ちゃんの顔見たら・・気が緩んで」
「もう、すっきりした。ありがとう」
加護はそう言ってにっこり笑った。

「私で良かったら・・いつも泣きにきて」
「あ、それも変か」
石川はテレ笑いをしながら言った。
「うん。ありがとう」
加護の顔に元気が戻った。

「あ、そろそろ帰るね」
加護はそう言って立ちあがった。
「え?もう?」
石川は少し寂しそうに言った。
「うん・・ごめんね。また来るから」
「忙しいんだろうね・・・がんばって!」
石川はそう言ってガッツポーズをしてみせた。
加護は小さく頷いて、石川の部屋を後にした。

電車を乗り継いで、加護は東京まで戻ってきた。
電車の中で石川の姿を思い出していた。
「私もバイトとかしてみたいな・・・」
叶わない夢じゃないのに、遠い夢に思えた。
加護は迷っていた。このまま芸能界に居るべきか。やっぱり辞めるべきか。
「中澤さん・・・どうしたらいいんでしょう?」
加護は中澤の返事が欲しかった。

電車を降りて駅を歩いていると見なれた後姿に気がついた。
加護は走ってその背中を追いかけた。
「吉澤さん」
ようやく追い付いた加護は吉澤の真後ろで声をかけた。
吉澤は振り向いた。
「あー。加護ちゃん」

少し息をきらす加護。
「どこ行くの?」
吉澤は加護の方に向き直った。
「ごっちんの所・・・一緒に行く?」
加護は少し驚いた顔をした。そして少しうつむいて考えた後答えた。
「行く・・・」
二人は並んで歩き始めた。

二人は歩きながら色々話した。
「加護ちゃんどんどん凄くなってくね・・もう雲の上の人みたい」
「そんな事ない・・・ツライ」
「そうなの?」
「それより、吉澤さんは?何してたの?」
「私はまともに学校へ行ってるよ」
「そうなんだ・・いいなぁ」
「で、ごっちんの所に毎日通ってる」
「毎日?」
「そう」

加護は吉澤の顔を不思議そうに見ていた。
「やっぱりね・・友達だし」
「一番仲良くしてくれてたし・・・」
「こんな事になっちゃって・・見捨てられないよ」
加護は後藤の噂は聞いてはいたが実際今の後藤を見るのは初めてだった。
「そうなんだ・・・」
それきり二人は黙って歩き続けた。

二人は病院に着いた。
そのまま黙って長い廊下を歩いて後藤のいる部屋までやってきた。
吉澤がドアを開ける。加護は深呼吸をして心の準備をした。
そして吉澤の背中に隠れるように部屋に入った。
後藤はベッドの上に座っていた。
そしてまっすぐ壁だけを眺めていた。

「おはよう、ごっちん」
吉澤は何も無かったかのようにベッドの横にある椅子に座った。
加護はそのまま入り口に立っていた。
「今日はね・・テストがあったんだよ。勉強してなくって・・」
吉澤は何も言わない後藤に話しかけた。
後藤は吉澤の声にも反応せず、ただ壁を見つめていた。
吉澤が振り向き、加護に言った。
「どうしたの?こっちおいでよ」

加護は動けなかった。
正直、呆然と壁を見つめる後藤が怖かった。
「ずっと・・・こうなの?」
恐々とした口調で加護は言った。
「そう・・・ずっと。私が来るようになってからはずっと」
吉澤はさらりと言った。
「どうしたら元に戻るんだろうね・・・」
吉澤は寂しそうだった。

「さ・・そろそろ行くね」
吉澤はそう言って立ちあがった。
「また明日来るね」
吉澤は後藤にそう言って振り向き加護の方に歩き出した。
後藤は何も言わなかった。ただ壁を見つめていた。
「さ、行こう。加護ちゃん」
加護は吉澤に諭されて部屋を出た。
吉澤がドアを閉めるまで後藤を見ていた。
後藤は微動だにしなかった。

「じゃ、またね」
最初の駅まで戻ってきた吉澤は加護に向って言った。
「はい・・また」
加護は暗い声で答えた。
一度帰ろうとした吉澤だったが元気の無い声を聞いて立ち止まった。
「加護ちゃん・・・がんばって」
吉澤の声に顔を上げて加護は答えた。
「ありがとうございます・・・でも」
「でも?」
「後藤さんを見たら悲しくなってきて」
加護は下を向いた。

吉澤は加護の目の前まで戻ってきた。
「加護ちゃんは気にしないで・・・」
吉澤は加護の手を取った。
「いつかまた、みんなで一緒にやれる日がくるよ」
「だから・・今はがんばって」
吉澤の言っている事は嘘だと加護は思った。
しかし加護は吉澤の言葉に頷いた。
「はい・・みんなを待ってます」

「じゃ・・また連絡するね」
そう言い残して吉澤は行ってしまった。
加護はしばらく吉澤の姿を追っていた。そして見えなくなったところで自分も歩き出した。
吉澤の言葉は吉澤の精一杯の嘘だろう。加護は思った。
どうやったらみんな元通りになるのだろう。
いや・・・絶対に戻らない。
そう思うと加護は悲しくて泣きたかった。

次の日、加護は仕事の合間を見つけて後藤のいる病院へ一人でやってきた。
恐る恐るドアを開ける。
ドアの隙間から見えた後藤は昨日と同じだった。
音を立てないように静かに部屋に入った。
そしてゆっくりと後藤に近づいていった。
後藤は壁を見つめていた。
「後藤さん・・」
加護は声をかけてみた。

しかし後藤は何の反応も示さなかった。
しばらく沈黙。
加護はあまりの静けさに耐えられなくなり、立ちあがってテレビに向った。
テレビの電源を付け、またもとの場所に戻る加護。
加護は後藤の表情をじっと見ていた。
静かな部屋にテレビの音だけが響いていた。

突然、後藤の表情が変わった。
加護は驚いて身を乗り出した。
「後藤さん?」
加護の声には反応しない後藤。
後藤の目の先にはテレビがあった。
加護はテレビに視線を移した。
テレビには市井と保田が写っていた。

加護は立ちあがってテレビの前まで行った。
テレビのボリュームを上げた。
市井と保田でデビューする新ユニットのインタビューだった。
加護はテレビの内容に驚いて声が出なかった。
「後藤さんをおいて・・・?」
加護は後藤の方へ振り向いた。

後藤は涙を流しながらテレビに見入っていた。
加護はとっさに後藤にかけより、両手で肩を掴んで後藤を揺すった。
「後藤さん!後藤さん!」
加護は何度も叫んでみたが後藤は加護にまったく反応しなかった。
ただただ、後藤はテレビを見て泣いていた。
加護は手を離してまたテレビのところへ行き、電源を切った。
後藤は泣き続けていた。

「時間だ・・・もう行かなきゃ」
加護は後藤のそばに寄った。そして後藤の涙を拭った。
「また・・来ますから」
そう言って加護は部屋の出口へと歩いていった。
そしてドアを閉めて部屋を出た。
出るまぎわに見た後藤はまだ泣いていた。
ずっと何も映っていないテレビを見つめながら。

加護は仕事に急いで戻った。
仕事をしながらボンヤリと後藤の事を考えていた。
後藤が泣いたのは復活への兆しなのだろうか?
しかし、後藤をおいて再デビューを果たしてしまった市井と保田を見てどう思うのだろう。
加護は複雑だった。
もしかしたら復活しない方が後藤のためのような気がした。

仕事の最中に加護の携帯電話が鳴った。
加護はすぐには出れなかったが、休憩をもらって携帯電話を見た。
吉澤からの電話だった。すぐにかけなおす。
吉澤はすぐ電話に出た。
「あ・・・加護ちゃん?」
吉澤の声は震えていた。
「あのね・・ごっちんが」
加護は吉澤が何が言いたいのか分かっていた。
「泣いたの?」
加護は吉澤より先に言った。

「なんで知ってるの?」
吉澤は不思議そうだった。
加護は自分が現場に居合わせた事を話した。
「そうだったんだ・・・」
吉澤は悲しげな声で言った。
「今も泣いてるの?」
加護は聞いてみた。
「うん・・・ずっと」

吉澤は涙声になってきた。
「可愛そうだよね。あんまりだよね」
「悔しいよね」
吉澤はそんな言葉ばかりを繰り返していた。
加護は何も言えなかった。
加護は吉澤よりも後藤の無念さは分かっているつもりだった。
娘。を解散させてまでプッチモニに賭けてきた事を知っていたからだった。

吉澤は涙声になってきた。
「可愛そうだよね。あんまりだよね」
「悔しいよね」
吉澤はそんな言葉ばかりを繰り返していた。
「こんなになるまでプッチのためにがんばって来たのにね」
加護は何も言えなかった。

加護は電話を切った。そして仕事も終わらせ帰り支度をしてスタジオの外へ出ようとしていた。
出口が見えてきたところで誰かが入ってくるのが見えた。
加護は立ち止まった。
「い・・市井さん」
向こうも加護に気がついたようだった。
「加護ちゃん?お久しぶり」
市井はごく普通に挨拶をしてきた。

加護は挨拶をしようと思ったが声が出なかった。
後藤の泣き顔が頭をよぎった。加護は市井から目をそらした。
「どうしたの?」
市井は不思議そうに加護をみつめた。
加護はしばらく黙ったあと、ゆっくりと口を開いた。
「どうして・・どうして後藤さんをおいていったんですか?」

市井は驚いた顔をしたあと、困った顔をした。
「おいてってんじゃなくて・・・」
「じゃなくて?じゃ、なんで二人だけでデビューしたんですか?」
加護は市井の言葉を遮るように言った。
「後藤さんがどんな思いしてきたのか・・知ってますか?」
「今、後藤さんがどんな状況が知ってるんですか?」
加護は興奮ぎみに話した。

「知ってるよ」
市井はさらりと言った。
興奮する顔とは対照的に冷静そのものだった。
「じゃ、なんで?後藤さんは利用されただけ?」
市井は加護の言葉にぴくりと反応し、加護に一歩近づいた。
「利用なんてするわけないでしょ!」
市井は初めて感情をあらわにした。

「じゃ、なんでですか?教えてください」
加護は顔を上げて市井を睨んだ。
市井は悲しそうな目をしながら加護を見つめた。
「今のごっちんをどうしろと言うの?」
市井の言葉を聞いた加護は目を伏せて俯いた。
「あの状態でデビューさせろっていうの?」
加護は震えていた。

「でも・・・でも!」
加護の目から涙が出てきた。
市井はさらに一歩近づいて、加護の肩に手をおいた。
「ごめんね・・でも分かって」
「分かりません!」
加護は市井の手を振り払った。
「悔しいです・・」

「市井さんは分からないんです・・市井さんたちの復活のためにみんながめちゃくちゃになってしまった事が」
「中澤さんや安倍さんや矢口さんがどんな思いだったか分かりますか?」
「それなのに・・後藤さんまで見捨てるなんて」
「対立したりしたけど、みんな思いは同じです」
「もう一度やり直したいんです」
「何もかも全部元に戻したいんです」

涙目になって訴える加護を見て市井は少し困った顔をした。
「ごめんね」
そう一言言い残して市井は加護の横を抜けて行ってしまった。
加護はそのままそこに立っていた。
手には力いっぱいの握りこぶしを作って。
「悔しいよ・・中澤さん」

加護は夢中で後藤のいる病院に向った。
病院に着くと廊下を全力で走り、力いっぱいドアを開けた。
部屋には呆然とする後藤と吉澤が居た。
吉澤はドアの音に驚いて加護の方を向いた。
「加護ちゃん?どうしたの・・・」
加護は吉澤のところまで歩いてきた。
「悔しいよ!」
力いっぱいの大声で叫んだ。

加護は後藤の座っているベッドに飛び乗った。
そして両手で後藤の肩を掴んで揺さぶった。
「や・・やめなよ」
吉澤が加護の手を掴んで止めにはいった。
吉澤の言葉を無視して加護は夢中で後藤を揺さぶった。
「後藤さん!悔しくないの!?」

何度も何度も後藤を揺さぶった。
「目を覚ましてください!」
そして加護は後藤を抱きしめた。
「悔しくないんですか?」
加護は後藤の胸に顔を埋めて泣いた。
「私は悔しいです・・・」

「泣かないで・・・加護ちゃん」
その声に驚いて加護は顔を上げた。
後藤は呆然と壁を見つめたままだった。
吉澤も驚いてその場に硬直した。
後藤は壁を見つめたまま言った。
「後藤も・・悔しいよ」

後藤はゆっくりと視線を加護にうつした。
「ご・・・後藤さん」
加護は硬直していた。
「幽霊でも見るような目で見ないで」
後藤はゆっくりと話した。
喜ぶべきなのに、加護は驚きのあまり何も言えなかった。

「よっすぃーに加護ちゃん・・・本当にごめんね」
硬直して動けない吉澤と加護を見ながら後藤は言った。
吉澤は無言で首を横に振った。
「迷惑ばかりかけて・・・」
「こうなったのも自業自得だよね」
後藤は寂しそうな顔をして言った。
加護は俯き何も言えなかった。

「プッチをやり直すのが後藤の夢だったんだけど・・もうそれもダメだね」
後藤はそう言って下を向いた。
吉澤は突然立ちあがった。
「まだ・・諦めちゃいけないよ」
後藤は吉澤の方を向いた。吉澤は続けた。
「プッチはもう一組あるじゃない・・・」

「でも・・よっすぃーや加護ちゃんに迷惑かけて今さら」
後藤の言葉に吉澤は答えた。
「それはもう終わった事じゃない。ね、加護ちゃん」
加護は少し悩んだ後、小さく頷いた。
「一緒にもう一度やろうよ」
吉澤は言った。

「でも・・もう事務所も受け入れてくれないだろうし」
「こんなに騒ぎが大きくなっちゃって・・・・」
後藤がそこまで言ったところで加護が顔を上げた。
「それなら・・私のところにお願いしてみます」
それを聞いた吉澤の表情が明るくなった。
「みんなで・・・もう一度やろうよ」

吉澤と加護の視線が後藤に集まった。
後藤は複雑な表情を浮かべながらも小さく頷いた。
「良かった」
吉澤は嬉しそうだった。
加護は一つ心配があった。
「あの・・・私プッチモニじゃなかったんですけど」

「関係ないよ!一緒にやろうよ」
吉澤が間髪入れずに答えた。
加護は嬉しかった。
やっと孤独から解放されたからだった。
「早速、相談しに行ってみます」
加護はそう言ってベッドから飛び降りた。
「え・・・今から?」
吉澤は驚いた顔をしていた。

「今から」
加護はそう言って後藤の顔を見た。
後藤の表情はまだ複雑そうだった。
「後藤さん」
加護の言葉に驚いたように後藤反応した。
「え?なに?」
「全部リセットして・・最初からやり直しましょう」
加護はそう言って部屋を飛び出した。

加護は急いでマネージャーに携帯で連絡をとった。
マネージャーはまだ事務所で仕事をしていた。
事務所まで急いで行き、マネージャーのところまで行った。
マネージャーはかなり驚いた様子だった。
「どうしたの・・急用みたいだけど」
加護は息を切らしながら言った。
「私にユニットやらせてください」

マネージャーは俯いて黙ってしまった。
加護は不思議そうにマネージャーの顔を覗きこんだ。
「ダメ」
「な、なんでですか?」
「亜依ちゃん・・あんたは今が旬なの。今はソロの方がいい」
加護はマネージャーの言葉に納得がいかなかった。
「でも・・・どうしてもやりたいんです」

マネージャーは困った顔をした。
加護は訴えるような顔をしながらマネージャーを見つめた。
「ユニットって・・・誰と?」
マネージャーの質問に加護は答えた。
「あの・・吉澤さんと後藤さんです」
「吉澤と後藤?誰?」
加護は答えた。
「モーニング娘。の・・・」

マネージャーは表情を曇らせた。
「ダメダメ」
「ど・・どうしてなんですか?」
マネージャーはため息を一つついた。
「モーニング娘。は呪われてる」
「メンバーに問題ばかり起きてるしね」

「そんな・・・」
加護はマネージャーの言葉にショックを隠せなかった。
マネージャーは続けた。
「意識不明になったりおかしくなったり自殺したり」
「おまけに中澤さんは失踪しちゃうし」
「もう過去の事は忘れなさい」
加護は突然立ちあがった。
「酷い・・・・」
「酷いです・・・」
加護はそう言って泣きながら部屋を飛び出した。
「ちょっと!亜依ちゃん!」
マネージャーの声が背中に聞こえた。
加護は全力で走った。
事務所を飛び出して駅へ走っていった。

加護は無我夢中で石川の家に向った。
後藤と吉澤の元には戻れなかった。
二人になんて説明すればいいのか分からなかった。
石川の家の玄関チャイムを押すと石川が出てきた。
「あれ・・・どうしたの?」
加護は石川に飛び付いて大泣きした。
「亜依ちゃん・・・」
石川は何も言わずに加護を抱きしめた。

「もう・・・嫌!」
加護は泣きながら叫んだ。
「どうしたの?何があったの?」
石川は穏やかな声で加護に聞いた。
「私はどこにも行けない・・行きたくない!」
「梨華ちゃんお願い・・・ここにいさせて」
石川は小さく頷いた。
「いいよ」

=====================================

「ほんまにすまんなぁ・・・・」
「いいって。いつまでもここに居てよ」
まだ小さな子供を抱いて石黒は言った。
「気にしないで」
そう言って子供を抱いたまま別の部屋に石黒は行った。
「はぁ・・・」
毎日ため息ばかりが出てきた。

「いつまでもここに居るわけにいかんしなぁ・・・」
「どないしよう・・・」
またため息をついた。
「今さらどこに行けばいいんやろ」
考えても考えても何も思い浮かばなかった。
嫌な思い出ばかりが頭の中を渦巻いていた。

「ピンポーン」
玄関チャイムの音がした。
中澤は自分の存在が気づかれるのを恐れた。
部屋の中で息を殺して聞き耳をたてる。
「何してるんやろウチは・・・」
中澤は自分が情けなかった。

石黒が玄関に行きドアを開けたようだった。
話し声が聞こえる。その声は小さくてイマイチ聞きづらかった。
中澤はそのまま息を殺してじっとしていた。
どたどたと物音がして、声が近づいてきた。
「こっちへ来る・・」
中澤は思わず部屋のドアから見えないようソファーの影に隠れた。

ドアが開き、声の主は部屋に入ってきた。
聞いた事がある声だった。
「裕ちゃん?」
石黒の声が聞こえた。
中澤はそっとソファーの上から顔を出してみた。
「裕ちゃん・・・何やってんの?」
そこには福田と飯田が立っていた。

中澤はあっけにとられ、そのままそこに居た。
「いつまでそうしてるの・・・」
福田が呆れ顔で言った。
中澤は我に帰り、立ち上がった。
「なんで?なんでここにおるんや?」
三人は顔を見合わせて吹きだした。
「ここは私の家なんだけど」
石黒がいたずらっぽく笑った。

「そうか・・・あんたが・・」
中澤は誰が居場所を教えたのか良く分かった。
「ま・・座って」
石黒の言葉にソファーに座る。中澤も一緒に座った。
「おひさしぶり。元気だった?」
福田は言った。
「あぁ・・・まあ」
中澤は気のない返事をした。

「何しにきたんや?」
中澤は福田と飯田に聞いた。
「それなんだけどね」
福田はもったいぶって話し始めた。
「裕ちゃん、いつまでこうしてるつもり?」
中澤は何も答えられなかった。

「いつまで・・・雲隠れしてるつもりなの?」
「せっかく始めた会社も放置したままで」
福田の言葉に中澤は何も言えなかった。
「昨日ね・・石川から電話があってね」
飯田が口を開いた。
「加護が、石川の家に逃げ込んでるみたい」
飯田の言葉に中澤は驚いた。
「逃げ込んだ?」

「一人で、随分苦労してたみたいよ」
飯田は言った。
それを聞いた中澤は肩を落した。
「そうなんか・・・」
福田が中澤の肩を叩いた。
「一番頼りにされてた人が逃げちゃダメじゃない」

中澤は自責の念でいっぱいだった。
あの時、加護だってつらかったはずなのに、自分だけ逃げ出してしまった。
中澤はますます肩を落した。
「で・・・・」
福田が続けた。
「いつまでこうしてるの?」
「事務所は・・そのままになってるんでしょ?」

中澤は福田と飯田の言いたい事はわかった。
しかし、決心がつかなかった。
「この四人てさ・・・一人足りないよね」
福田は続けた。
「みんな聞いたよ。何があったか」
「でも、また元に戻るかもしれないんでしょ?」
「戻ったらどうするんだろうね」
「きっと、またこっちに来るだろうね」
「まっさきに裕ちゃんの所に来るだろうね」

中澤は福田の顔を見た。
そしてすぐに下を向いてしまった。
「ウチは・・・どないしたらええんやろ?」
中澤の言葉に飯田が答えた。
「決まってるでしょ」
飯田は立ちあがり、中澤を無理やり立たせた。
「さ、行きますよ、中澤社長」
そう言って飯田は力づくで中澤をひっぱった。

「ちょ・・ちょっと」
中澤は焦った。
「心配しないで。かおりも協力するから」
飯田はにっこり笑った。
「かおりが一緒なら安心だね、裕ちゃん」
福田がいたずらっぽく笑う。
福田と飯田に羽交い締めにされて中澤は部屋から廊下に引きずり出された。

「ちょっと待てぇ!」
騒ぐ中澤を見て石黒が大笑いしながら言った。
「裕ちゃん、いつでも遊びに来てね」

中澤は福田と飯田に連れられて行った。

「カギもかけないで出て行っちゃうなんてねぇ」
福田はそう言うとバッグからカギを取り出した。
「なんであんたが・・・」
中澤は不思議そうに福田を見つめた。
「彩っぺに話し聞いて、レコード会社の人に問い合わせたんだから」
福田はあきれた顔をした。
「大変だったんだから」

福田がカギを差し込んでドアを開けた。
中に入るとあのときのあのままだった。
中澤の頭に過去の記憶が蘇ってきた。
投げ捨てられたバッグ。
安倍の座っていたクッション。
すべてそのままだった。
中澤は胸が苦しくなった。

中澤は思わず留守番電話を見た。
メッセージが沢山入っていた。
関連各社からのものや、吉澤や加護の録音もあった。
ずっと古い録音まで遡っていく。
夢中で留守電を再生する中澤を福田と飯田は黙って見ていた。
「裕ちゃん・・ごめんね」
その声を聞いて中澤はその場に座りこんだ。

「裕ちゃん・・・」
福田が中澤の肩に手をかけた。
「もう、仕方無いよ・・悔やんでも矢口は戻ってこないよ」
福田の言葉を聞いて大粒の涙を流す中澤。
「お葬式にはみんな来てたよ・・・」
飯田が悲しそうな顔をして言った。
「なっちと後藤の二人を除いてね・・・さやかも来てた」

「加護がね・・・ずっと最後まで裕ちゃんが来るのを待ってたんだよ」
飯田が続けた。
中澤は俯いたまま泣き続けた。
しばしの沈黙。
福田は飯田を見て首を横に振った。
「もう終わっちゃった事なんだよ」
「このまま泣き続けてもなにも始らないよ」

「そうだね」
飯田は急に声を張り上げた。
そして泣き崩れる中澤に向って言った。
「裕ちゃん、しっかりして」
「まだ裕ちゃんにはやらなきゃならない事がいっぱいある」
「裕ちゃんを待ってる人がいっぱい居る」
「もう一度やり直そうよ」

「私とかおりの二人でサポートしていくから」
福田が言った。
「さ・・・立って」
福田は中澤の手をひっぱった。
中澤は顔を手でおさえながら小さく頷き、立ちあがった。
「ごめんな・・ほんまにごめんな」
中澤の言葉に福田は首を横に振った。

中澤は福田に手を引かれ、デスクのある部屋に移った。
そして福田に促されてデスクの椅子に座った。
そして俯き、しばらく目を閉じた。
中澤の耳にずっと付いて離れなかった言葉が蘇ってきた。
「まだ終わったわけじゃないよ!」
「負けたくないよ!」
中澤は目を開けた。

「さて・・・」
中澤の目を見た福田は和らいだ顔で話し始めた。
「復活に向けて、色々やらなくちゃね」
中澤は小さく頷いた。
「とりあえず・・挨拶まわりと、加護を連れてこないと」
飯田が言った。
「心配ないよ。一時休業って事になってるから」
中澤は飯田に向って頭を下げた。
「すまんな・・かおり」

飯田はにっこり笑った。
「役得だね」
「かおりがメディア関連のプロデューサーなんてね。世の中分からないね」
福田があきれたような顔をした。
「小さいとこだけどね。それなりに楽しいよ」
「根回しは任せておいて」
飯田は得意げに言った。

「じゃあ、とりあえず加護ちゃんを迎えに行きますか」
福田が言った。
「そうだね。あんまり時間もないし」
飯田が答えた。
中澤も頷いて立ちあがった。
「善は急げや・・・行こや」

電車に揺られて石川宅に向う。
中澤は石川の家が近づくにつれて不安になってきた。
加護は・・・どんな顔するのだろう。
置いて逃げてしまった自分を恨んでいないだろうか。
加護は自分を受け入れてくれるのだろうか。
中澤はまた逃げ出したい気持ちになった。

石川の家に着いた。
玄関チャイムを押した。
出てきたのは石川だった。
「こんにちは」
福田と飯田が挨拶をした。
中澤はなんとなく二人の影に隠れていた。
「迎えに来たよ」
飯田が言った。

「あ、はい。どうぞ」
石川はそう言ってドアを大きく開けて三人を招き入れた。
三人は石川に続いて歩いた。石川は部屋のドアを開けて、手で押さえて三人を先に入れた。
部屋の中では二人が座ってゲームを夢中でやっていた。
部屋の入り口からは背中しか見えなかった。
ドアが開いた事に片方が気づいた。
「あ・・・こんにちは」

もう片方はまったく三人に気がついていなかった。
「どうしたの・・ののちゃん、やっつけちゃうよ」
加護はゲームに夢中だった。
辻が加護の肩を掴み揺すった。
「亜依ちゃん・・・」
「ちょっと待って!」
加護の姿を見た三人は笑いだした。

笑い声でようやく気づいた加護が振り向いた。
加護は驚いてコントローラーを手から離した。
「な、中澤さん?」
加護はそう言うと突然立ちあがった。
そして少しずつ中澤に歩み寄った。
中澤は加護の顔をしっかりと見ていた。

福田が中澤を肘で突付いた。
中澤は福田に諭されて加護に話しかけた。
「迎えに来たで。あいぼん」
中澤がそう言うと加護は突然泣き出した。
そして、中澤に抱き付いた。
「ごめんな・・・」
中澤は加護を抱きしめた。

「泣いてるかと思ったらゲームに夢中とはね」
飯田が呆れ顔をして言った。
「まぁ・・・あいぼんらしいやないか」
中澤は加護の頭を撫でていた。
加護は中澤から離れた。
「中澤さん・・色々言いたい事もありますけど、もういいです」
「言いたい事ってなんや?」
中澤は加護に責められると覚悟した。
「いや、いいです。中澤さんが戻ってきてくれてすべて忘れました」
加護はにっこり笑った。

石川と辻に別れを告げ、四人は事務所への帰り道だった。
「あの・・・」
加護が中澤に話しかけた。
「どうしても行きたいところが」
中澤は加護に聞いた。
「行きたい所?」
加護は答えた。
「後藤さんの所へ・・・」
中澤は驚いた。
「ごっちんの所?」

「はい」
加護が答えた。
中澤はなぜ加護が後藤の所に行きたがっているのか不思議だった。
中澤の顔を見て加護が言った。
「後藤さんは、復活しました」
「私、後藤さんと吉澤さんと一緒にやりたいんです」
中澤は思わず声が裏返った。
「復活?」

加護は今までの経緯を中澤に話した。
中澤は大きなため息をついた。
「そうなんか・・・」
市井と保田のデビューはテレビで知っていた。
その時は後藤のことは気にかけなかった。
後藤は壊れていたから。
市井の言う事はもっともだと思った。

中澤は黙ってしまった。
後藤の本心はどうなのだろうか。
本気で市井と対峙するつもりなのだろうか。
「中澤さん?」
加護の声で我に返った。
「あ・・・いや、ごっちんの所へ行こか」
中澤は後藤に本心を問いただしてみたかった。

加護の案内で後藤のいる病院までやってきた。
部屋へ行くと後藤と吉澤が居た。
後藤は椅子に座っていて吉澤と談笑していた。
「裕ちゃん・・・」
後藤は中澤の顔を見ると少し緊張した面持ちになった。
そして加護の顔を見て言った。
「おかえり」

「梨華ちゃんから聞いてるよ。気にする事なかったのに」
吉澤が笑顔で言った。
「石川はあちこちに喋りまくってたんだね」
飯田の言葉に吉澤が答えた。
「梨華ちゃんらしいですよね」

中澤は後藤の元に歩み寄った。
「ごっちん・・大丈夫なんか?」
後藤は不思議そうな顔をして答えた。
「なにが?」
「いや・・・その・・・体調とか」
「体調はいいよ」
中澤はどう質問していいのか分からなかった。
後藤はどこまで記憶があるのだろう?

中澤は話題を変えた。
「ごっちん、ウチらと一緒にやってみるか?」
後藤は頷いた。
「あいぼんとよっすぃーと・・・」
中澤はどうしても市井の名前を出せなかった。
後藤は頷いた。
「本気でやる気あるんやな?」
後藤は頷いた。

中澤は後藤のはっきりとした態度に逆にうろたえた。
安倍や矢口のことが頭の中で蘇ってきた。
本当にこれで良いのだろうか?
中澤が迷っているのに気づいたのか、福田が中澤のそばによって話した。
「裕ちゃん、がんばろうね」
飯田も続いた。
「善は急げ、でしょ?裕ちゃん」

中澤は加護の顔を見た。
加護の顔は良い返事を期待しているようだった。
中澤は加護の期待を裏切ることは出来なかった。
中澤は後藤に向って言った。
「早く退院するんやぞ」
後藤はぎこちない笑顔で答えた。
「大丈夫だよ」

後藤が退院してくるまで中澤を中心に復活への準備が急がれた。
中澤は今度は自分でタレントに付いて回る事にした。
そのためにユニットは一つだけに絞る。
中澤はもうなりふり構っている場合ではないと思った。
都合三回目の復活になる。
もう、失敗は許されないだろう。

「二度ある事は三度ある」
「三回目の正直」
こんな言葉が中澤の頭に思い付いた。
どちらにしろ三回目というのは区切りのようだ。
今度失敗したらもう戻って来ない、と心に決めた。

後藤不在のまま、デビュー曲の詳細が決まっていった。
メインは加護の希望で後藤になった。
肝心のメインがレコーディングに参加出来ない。
イベントやテレビなどの予定は未定のままだった。
中澤は後藤の元へ行った。
これまでの状況を説明するために。

「よっすぃーから全部聞いてるよ」
後藤は笑顔も見せず、淡々と答えた。
「今日、退院の許可が出たから」
中澤はようやくメドが立ちそうな事に胸をなでおろした。
「裕ちゃん」
後藤は向き直って真剣な表情をした。
「デビュー曲の発売日は・・市井ちゃんのユニットと同じ日にして欲しい」
中澤はその言葉を聞いて驚いた。

「本気なんか?」
中澤は問いただしてみた。
後藤は頷いただけだった。
「分かったわ」
中澤はそう言って立ちあがった。
「じゃ」
中澤は後藤に別れを告げた。

市井と保田のユニットと同じ日にシングルを発売するには絶対的に時間が足りなかった。
中澤は福田や飯田と協力しながら必死に根回しをすすめた。
準備不足で負け戦になるのは避けたかった。
やるからには市井達をどうしても超えたかった。
鳴り物入りで復活してきた市井。
スキャンダルにまみれた自分達。
果たして勝てるのだろうか?
中澤は時々不安で眠れなかった。

後藤がようやく退院してきた。
中澤は後藤、加護、吉澤の三人を連れてスタジオへ向った。
後藤の顔に笑顔が無かった。
中澤はそれがとても気になった。
本当に再デビューなんて出来るのだろうか。
中澤の不安はますます加速していった。

スタジオに入った。
廊下を歩いていると市井と保田にばったり遭ってしまった。
険悪な雰囲気。
中澤は挨拶だけして素通りしようと考えた。
「こんにちは」
まるで他人のような挨拶をして通りすぎようとした。
「中澤さん」
加護が中澤を呼びとめた。

中澤が振りかえると後藤が立ち止まったままだった。
ここで揉め事を起こすのはまずいと中澤は思った。
中澤は後藤の元まで戻って手を掴んだ。
「時間が無いんや・・」
後藤は下を向いたまま動かなかった。
市井と保田が後藤に近づいた。

「後藤?いつ退院したの?」
市井が後藤に話しかけた。
後藤は黙ったままだった。
加護と吉澤も後藤の元に来た。
「早くいきましょう」
加護が言った。

吉澤が後藤の手を掴んだ。
何も言えない吉澤。
中澤と吉澤に両手を掴まれた後藤は下を向いたままで、市井の顔を見ようとはしなかった。
「行くで、ごっちん」
中澤は強く後藤の手を引っ張った。
後藤はようやく歩き出した。

「後藤・・・」
寂しそうな市井の声を聞いて後藤はまた立ち止まってしまった。
そこに居る全員が後藤の動向に注目していた。
「い・・・市井ちゃん」
後藤がようやく口を開いた。
「なんで、後藤を見捨てたの?」

市井は驚いた顔をした。
「見捨てたって?」
加護が割って入った。
「見捨てたじゃないですか!」
「やめ!あいぼん」
中澤は加護を制止した。

「見捨てたなんて・・・」
市井は寂しそうな顔をした。
「だって退院したのも今知ったんだよ?」
後藤は黙ったままだった。
「ちゃんと連絡してくれれば」
「連絡すれば?」
吉澤が市井に聞き返した。

「少し待って後藤とやり直すつもりだったのに」
市井の言葉に吉澤が言った。
「今さら・・・」
「後藤はどうなの?」
保田が後藤に聞いた。
全員が後藤の返事に注目していた。

「ご、後藤は・・・」
後藤は言葉に詰まった。
後藤は迷っているようだった。
中澤は後藤の表情を見てみた。
後藤は涙を流していた。
中澤が顔を覗いている事に後藤が気づいた。
後藤は何かを訴えかけているようだった。

「どうしたらいいんだろう・・」
後藤が中澤に小さな声で話しかけてきた。
市井と保田。
吉澤と加護。
後藤はどちらかに決めることが出来ないようだった。
どちらも、後藤にとって大切なものなのだろう。

中澤は黙って考えた。
後藤がどちらを選んでも誰かが傷つく。
もう、誰かが傷つくのは沢山だ。
どうするのが一番いい方法なのだろう。
中澤は全員の顔を見回してみた。
そして思いきって市井に話しかけてみた。

「みんなで一緒にやり直す、ってのはどうや」
「え!?」
吉澤や加護の驚く声が聞こえた。
市井は黙って考えていた。
「もう一度、モーニング娘。として」
中澤の言葉に後藤が言った。
「そうしたい」

「そうだね・・・」
市井が言った。
中澤は吉澤と加護の顔を見た。
吉澤はかなり驚いた顔をしていた。
加護は驚いてはいたが、中澤の顔を見て小さく頷いた。
後藤が言った。
「みんなで・・やりたいよ」

=====================================

結局すべての話しが流れた。
加護、後藤、吉澤の三人のユニット、市井と保田のユニットは解散した。
そして石川と辻が呼び出され、飯田は仕事を辞めた。
中澤の元に集まって全員で再デビューする事になった。
元の事務所と交渉の末、「モーニング娘。」の名称使用の許可を得た。
もう一度、再出発だ。

中澤は社長であるので、もう「娘。」としてはデビューを取りやめた。
少し寂しかったが、一番いい選択であったと自分に言い聞かせた。
ものすごい勢いで時間が流れていったような気がした。
失ったものはもう戻ってこない。
中澤はツライが現実として受け止めなければなからなかった。

多忙の中、中澤は花を持ってある場所にやってきた。
風の強い日だった。
中澤は髪をおさえ、その場所にしゃがんだ。
そして花をそえて、線香に火をつけた。
両手を合わせてしばらく目を閉じた。
「矢口・・・見守っててや」
中澤は立ちあがった。

中澤が去ったあと、一人の女が同じ場所へやって来た。
大きなスーツケースをかかえて。
強い風のせいで落ちてしまった花をしゃがんで拾い、またもとの場所へ置いた。
そして同じように手を合わせた。
女は目を開けて立ちあがり、ぽつりと呟いた。

「なっちはね・・・諦めてないよ」