南向きの窓から、おひさまの光が優しく差し込んでくる。
「ん・・・」
その光に照らされて、真里が小さな声を上げる。
そしてゆるゆると目を開け、横にいるはずの彼女を無意識に確認する・・・あれ? なっち?
「・・・なっち・・・?」
半分寝ぼけた状態で、なんとか彼女の名を口にする。
その声に応えるように、なつみの声が響いた。
「あちっ!あちちち・・!」
「・・・どーしたのぉ?」
「ん〜、オムレツひっくり返したらさぁ・・・」
その後は聞かなくても分かる。きっと、手にオムレツが着地したとか。そんなたぐいに違いない。
そーゆーヒトだから。なっちわ。
真里は苦笑しながら、ベッドから身体を起こす。
ちょっとだけ、気だるいのはいつものコトで。
眠る前にシャワー浴びたけど、それでもなんだかまだ、全身になっちの匂いが残ってる感じがする。
腕のあたりをクンクンと嗅いで、にへっと表情を緩ませると、キッチンへと足を向けた。
おそろいのパジャマの上だけを着たなっちが、オムレツ相手にわたわたしてる姿が目に入る。
・・・まぁーったくぅ。料理人になりたいって言ってたのは、どこのどなたさんでしたっけ?
でも、そんなところもひっくるめて、全部かわいいハニーなんだけどね。
「ごはん、まだぁ?」
後ろからぎゅっと抱きしめる。
「ひゃぁ!なんだべ〜、急にもぉ!」
「だぁ〜〜〜ってぇ。オナカすいたよぉ・・・あんまり遅いとなっち食べちゃうよ?」
そう言って首筋にカプっと軽く噛み付く。なっちはくすぐったそうに身体をよじると、肘で矢口のオナカを小突いた。
どれもこれも、みんな必要な、大切なスキンシップ。
なっちを構うのも、なっちに構われるのも、だいすきだから。
---------- 10分後。ようやく出来た朝食をテーブルに運ぶ。 これくらいやんないとね。てへ。
「まったくさぁ・・・料理人目指すならもっと早く作れるようにならなきゃ。トロいんだからぁ。なっちは」
「うわ!そーゆーこと言うべか。ちょっとくらい手伝ってくれたっていいっしょー」
文句を言い合うものの、それがホンキではないのはお互いが一番よく分かっていて。
ほら、その証拠に瞳が笑ってるし。
まぁ、話の潤滑油みたいなモノですか?
「今日、どーするぅー?このあと・・・」
サラダをつつきながら聞いてみる。・・・今日はひっさびさのオフ!どっか出かけなきゃ!
「ん〜・・・寝るべ」
オムレツをモグモグやりながら答えるなっち。
・・・はい? なんか言いました?今。
「なっち先生!・・・質問です!」
「なんだべ?ヤグチくん」
「いまさぁ、矢口の耳が間違ってなければ・・・寝るべ・・って聞こえたんですけれど?」
「矢口の耳は間違ってないっしょ。そう言ったよ、なっち」
「あ〜、そうなんだぁ〜・・・矢口の耳は正常か。よかったぁ〜・・・・・って、んなワケないでしょぉーー!!」
矢口はテーブルをどん!と叩いて立ち上がった。何言ってるのぉ!なっちは!
それに驚いたなっちが、矢口の方を見やる。
「ひさびさのオフでしょ?今日って」
「うん」
「そーゆー日に遊ばないでいつ遊ぶのぉ!!」
「したっけ・・・なっち疲れてるんだ。体力回復しないとさ」
「だーかーら!遊んでストレス発散しなきゃ。そーんなんだから体型かわるんだってぇ」
なっちの瞳が一瞬険しくなる。・・・あちゃ!言い過ぎた・・・。
「・・・じゃあ、矢口1人で出かければいいべ」
静かな口調でそう言うと、俯いてまたモグモグとオムレツを口に運ぶ。
あぁ〜・・・怒っちゃったぁ・・・でも、ここで引いていらんないよ。
「矢口1人じゃつまんないから、こうやって誘ってるんじゃん。なっちと出かけたいんだよぉ、矢口は」
「・・・なっちは、矢口といたくないべ」
なにその言い草〜。・・そりゃ矢口だって言いすぎたけどさぁ・・・ム〜カ〜ツ〜ク〜!!あったまきた!
「あー、そうですか!わっかりましたぁ!じゃあお望み通り矢口は消えますよーだ!」
食べかけのゴハンもそのままに、矢口はドスドスと足音をたてて、キッチンを後にした。
・・・・というワケで矢口はひとり、渋谷をふらふらしてる。
いつもなら109とか行って、ガンガンに買い物するのに。なんだか今日はそんな気分にもなれない。
もぉ〜・・・すっごいいい天気じゃん・・・ばか。
天気になのか、自分になのか、なっちになのかわかんない悪態をつきながら、ぼんやりウインドウを眺める。
・・・なんであんなこと言っちゃったかなぁ・・・矢口はただ、なっちと一緒にいたいだけなのに・・・。
仕事や、こうしたオフなんかでいつも一緒にいるけれど、こんなんじゃ足りない。
もっともっとなっちと一緒にいたい。もっと、なっちのこと知りたい。
そう思う矢口は、ワガママなのかな・・・。
あーぁ。せっかくのオフなのに。
こんな風に終わっちゃっていいの?
でも・・・どうしよう・・・どうしたらなっち、許してくれるかな・・・。
・・・・・・・・・・。
「あ!そだ!」
ポンと手を叩くと、早速矢口はハンズへと向かった。
ガチャガチャとキーを回すと、そぉっと部屋に滑り込んだ。
午後6時を回った室内は、電気がないとすこし薄暗い感じがする。
やっぱり・・っていうか、案の定っていうか・・・なっちはぐっすり眠りこけてて。
でも、結構悶々としてたんだろうなってことは、ベットサイドのちっちゃなテーブルに山と詰まれた甘栗の殻で分かる。
クスクス笑いながら、矢口はその殻を片した。
あまりにも、なっちっぽくてなんだかおかしくて。
「・・・さて。なっちが目覚める前にセッティングしなきゃね」
そう呟くと、矢口は買ってきたものを取り出して広げ始めた。
「ん・・・」
目を開いたら、すっかり日の暮れた空が窓越しに目に映る。
あらら。すっかり暗くなっちゃった・・・矢口はまだ帰ってきてないのかな・・・。
て言うか・・・今日、戻ってくるのかな、矢口。
なっちもオトナげなかったかな・・・あんな風に言っちゃって。
いろいろ考えながら身体を起こそうと、上を向いた。
「あれぇ?!」
------------ そこには、満面の、星空。
すっごいキレイで。まるで、室蘭にいるみたい。暫く見とれてた。
「すごいべ・・・」
思わず、言葉が口をついて出てくる。
「気にいってくれた?」
声にパっと振り向くと、そこには矢口がいて。暗くて表情はよくわかんないけど、その声はとても優しかった。
「うん!なまら気に入ったべ!なんだか室蘭の星空を思い出しちゃったさ」
嬉しくて、ついコーフンして喋ってたけど、ハっと気がついた。 ・・ケンカしてたコト。
「・・・おかえり。矢口」
急に口調が固くなって。自分でもおかしいなぁって思うけど・・・。
「ただいま。なっち」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
顔も見えないし、何喋ったらいいのかわかんなくて、しばらく2人とも黙ってた。
そんな沈黙を破ったのは、矢口の方。
「あのさ・・・」
「ん?」
「・・・ゴメン、ね。昼間・・・」
「うん。なっちも悪かった。あんな怒り方してさ」
へへって微笑む気配が、暗がりの向こうに感じ取れる。
「そっち、行っていい?」
「うん。いいよ」
ベッドを乗り越えて矢口がやってきて、ちょこんとなっちの横に腰掛ける。そしてもう一度
「ゴメンね」
と小さく謝った。小っちゃな矢口が、いつもに増して小さく見える。
そんな矢口がとても愛しくて。答える代わりに触れた手をぎゅっと強く握った。
「これ、どうしたの?」
「んー、ハンズで買ってきたんだ。なっち、星空好きって言ってたから」
「そうなんだ。ありがと・・・」
小さなランプがこの星空の正体。でも、連れてきた幸せはなによりも大きい。
なっちの胸は、なんだかポカポカとあったかくなった。
「あ!そうだ」
「なあに?急に」
「いま、思い出した。今日゛おはよう゛って言ってなかったね」
「なんだよぉ〜・・・今更」
なっちはそう言って笑うけど。
「いいのぉ!だって、矢口となっちのオフは、いまからなんだもーん」
「あはっ。そうか」
「うん、そう・・・だから、ちゃんとあいさつ、しよ?」
そう言って、なっちの瞳をじっと見つめる。
なっちも矢口の瞳を見つめる。
「おはよう」
そう動いた唇をそっとかさねあった。・・・なんだか、おひさまの匂いがした。
゛おはよう゛って言える相手がいるって、幸せなこと。
この先もずっと、目が覚めたときそばにいてね。なっち。
<おしまい>
お揃いの浴衣に身を包んで。
背中にはウチワ挿して。
わたあめ、とうきび、よーく冷えたラムネに、チョコバナナ(裕ちゃんは怒るけど)。
そして、何てったって・・・夜空に咲く花火!
もう、うかれちゃったモノ勝ちでしょ?ね?そう思わない?
そーでーす!今日は、夏祭りなのです!
「ねぇねぇ、似合う〜?今日のヤグチ、色っぽい?」
そう言って真里は浴衣の袖口を掴んで、くるっと回ってみせる。
紺地に、淡いピンクの朝顔が咲き乱れている浴衣。(なっちと同じなんだ)
でも、髪を切ったばかりでさっぱりした彼女にも、とてもよく似合う。
ふぅわりと風を受けて揺れる茶色の髪が、ヤケに目についた。
なつみは、大きな瞳をもっと大きくして真里に見とれていた。・・・言葉も出ずに。
「ねぇってばぁ!なっち!」
真里に手を掴まれてハッと我に返る。
無邪気な瞳に見つめられて、更に返答に困るけど、なんとか
「・・・うん。似合うね」
とだけ言葉を押し出した。
「さ!行こっか。みんな待ってるかもよ」
その返事に不満そうな真里の視線を感じながら、半ば強引に彼女の手を握って歩き出した。
2人の下駄の音が、カラコロと小気味いいリズムを醸し出す。
8月初旬の空気は、夜といえども蒸し暑くて。
繋いだ手はすでにしっとりとした感触にかわっていたけれども、
それでも手を離す気は一向になくて。
「ねぇ、なっちぃ」
「ん?」
「金魚すくいさ、絶対にやろーね!」
「うん。どっちがいっぱい取れるか、競争だべ」
「よぉ〜し、負けないよぉ。ヤグチはぁ!」
そう言って繋いだ手をぶんぶん振り回す。・・・無意味に元気が有り余ってる感じがして、なんだかおかしくて。
なつみはポンポンと真里の頭を叩いた。
「なんだよぉ」
「べーつにぃ〜」
むぅ・・・と無言の抗議をする真里の頬に素早く口付ける。
「わっ!ダメだよ。こんなトコで」
慌ててなつみから身を引く真里。
「だいじょーぶだいじょーぶ。夜だし、そんなに見えないべ」
そう言って、なつみが再度真里の手をとったその時・・・
「あっついねぇ〜、おふたりさん」
右脇の公園の方から声がして、2人は弾かれたようにそっちを向いた。
公園の入り口にあるベンチに腰掛けていたのは・・・見覚えのあるオトコマエなその顔・・・。
「なぁーんだ、紗耶香じゃん。もぉ、絡まれたかと思ったよぉ〜」
真里がほっとしたようにベンチに向かって駆け寄る。なつみも苦笑してその後に続いた。
紗耶香も浴衣を着込んでいる。 薄いブルーの生地に大ぶりの花が咲いている。
珍しく前髪を全部下ろしている。・・・そのため、パッと見た印象では誰だか分からない。
なつみがその事を紗耶香に言うと、笑って「バレなくていいでしょ」と答えた。
「で、なんでここにいるの?待ち合わせって、この先の神社でしょ?」
「もうひとつの待ち合わせでーす」
「あぁ・・・ごっちんかぁ。相変わらずチコクの常習犯だねぇ」
「そーなんだよね・・・アイツ、だいじょうぶかなぁ。こんなんで教育係、つとまるのか心配でしょうがないよ・・・」
大袈裟にため息をついて嘆いてみせる。でもそれに愛情が篭ってることは、口調でも、彼女の表情でもよくわかる。
「おわびに何かおごってもらいなよ」
笑いながら真里が出した提案に、紗耶香も笑いながら首をタテに振った。
自然と、なつみと真里も真希を待つ格好になった。3人で紗耶香の元いたベンチに腰掛ける。
「・・・なんだかさぁ、゛ふるさと゛のPV思い出しちゃうよね。みんなで浴衣着てさ」
3人の浴衣を見ながら紗耶香が懐かしそうに口にする。 あれからやっと1年たっただけなのに。
「でもさ・・・あの頃は・・・」
なつみが紗耶香の言葉を受けとりながら、公園の奥の暗闇に目をやる。 そこには遅れて来てるのにも関わらず、
ノンビリ歩いている、真希の姿があった。
「来たよ。相変わらずマイペースだべ・・・」
「いちいちゃ〜〜ん、ごめぇーん。いちいちゃんに会うために支度に時間かけすぎちゃったよぉ〜」
そう言ってにへ〜っと笑う真希を、紗耶香はウチワでぱすっと叩いた。
「このバカもの!遅刻はいかんって何度言ったと思ってんの!」
でも、顔は正直で。ニヤついているのを隠そうともしない。
「えへへ。ごめんごめん。 あ、なっちもまりっぺもごめんねぇ」
このマイペースさには誰もかなわない。憎めないのだから、まったく得な性格。
さて、集合場所にいきましょうか・・・と、なつみや真里が立ち上がると、真希が「あ」と声を上げた。
「なに?」
なつみが真希の方に顔を向けて尋ねる。真希はニコニコしながら、なつみと真里の耳元を指差す。
「ふうりん、だ」
真希の言う通り、2人の耳には小さな風鈴をかたどったイヤリングが揺れていた。
「えへへ〜。バレたぁ? こないだ2人で買い物行った時に買ったんだ」
真里が嬉しそうに紗耶香と真希に話す。
「いいねぇ〜。何気にオシャレっぽくて。まさに今日のためにあるような感じじゃん」
言われて初めて気づいた紗耶香は、”見て見て”と言わんばかりにしている真里の耳をじっくりと眺めてそう言った。
「いいなぁ〜・・・ねぇ、いちいちゃぁん。あたしも何か欲しいなぁ〜。おそろいのヤツ」
紗耶香の浴衣の袖を掴んで、甘えた声色でおねだりする真希。紗耶香はコブシでトンと胸を叩くと
「よっしゃ!買ってあげよう」
「わっ!ホント?」
「うん。おそろいの水ヨーヨー」
「・・・なにそれ〜〜。いちいちゃんのバーカ、ケーチ!」
4人の笑い声が、蒸し暑さを感じさせる夜の空気の中に溶け込んでいった。
夜は、まだこれから。 みんなの笑顔がそう言っていた。
待ち合わせの神社には、すでに裕子、圭、圭織の3人がそろって4人の到着を待ちわびていた。
「遅い!」
真希たちを一目見ると、まず、圭が苦笑いとともに声をかけた。
「ごめーん。真希がいつものごとく遅れてきてさ・・・」
そんな圭に、紗耶香が舌をペロっと出して謝る。
「そーそー!ヤグチたちは悪くないんだよぉ〜!」
圭は、その声に初めて真里の方を見やり
「あ、真里いたの?ゴメン見えなかった」
「うわ!ひっでぇ〜。圭ちゃんム〜カ〜ツ〜ク〜!」
悔しそうにジタバタする真里。手を繋いでいるなつみは、そんな真里の動きに身体をとられてしまう。
「ちょ・・ちょっと、矢口。落ち着いて〜。なっち、転んじゃうよ」
「あ、ごめーん。でも圭ちゃん、ヒドイと思わない?」
てへっと肩をすくめる真里。 なつみは真里にニコと笑いかけると
「いいじゃん、いいじゃん。なっちにはちゃんと矢口が見えてるんだからさ。それだけじゃ不満かい?」
「えへへへへ・・・まんぞくぅ〜♪」
なつみの言葉に顔を赤くして喜ぶ真里。
自分から「すき」とか言うのは平気なクセに、他人から言われると弱いらしく、すぐに反応して赤くなる。
そんなところもかわいいんだけどね・・・と、なつみは胸の内で密かに思う。言葉の代わりに瞳を細めて柔らかな視線を真里に送った。
「はいはい・・・もー、なっちと矢口のバカップルは放っといて、行こかー。裕ちゃん早ぅビールが飲みたいねん」
ウチワで自らを仰いでいた裕子が、誰にともなく声をかける。頭の上で手をひらひらさせると、先頭にたって歩き出した。
それにならって全員がゾロゾロと移動を始める。
「ねー、裕ちゃーん」
「なん?」
「何時間後だっけ?また集まるの」
「あ〜・・・1時間か2時間もあればええやろ。場所はわかる?」
「うん。橋のたもとの広場・・でしょ?」
「そうそう。まぁ、わからんかったら携帯もあるし。なんとかなるやろ。・・・ハイ、じゃあこの辺で。また後でな〜」
そう言ってニンマリと笑うと、薄紫色の浴衣は人込みの中にスーっと紛れていった。
「あーぁ。あんなに嬉しそうに・・・よっぽど飲みたかったんだねぇ・・・ビール」
圭織が、そんな裕子の後姿にむかって呟く。
「やー、でもそれだけじゃないと思うなぁ・・・」
意味ありげに圭が笑う。残りの5人は「なになに?」と圭を取り囲む。圭はニヤニヤしながら
「あたし、聞いちゃったんだー。昨日裕ちゃんが彩っぺのところ電話してるの」
「えーっ、そうなの?」
「うっそぉ!」
「なんで言ってくれないのぉ〜〜」
圭の言った言葉に対して、様々な反応が返ってくる。そんな5人を、まぁまぁと手で制すると圭は続けた。
「・・・だから、今頃彩っぺと会ってるんじゃないかなぁ」
----------- 一方、噂の元となっているコトを知る由もない裕子は・・・
「くぁ〜〜!やっぱり夏は生やわ〜」
彩との待ち合わせの大きな樹の幹にもたれて、早速1杯。
時折、蒸し暑さをかきまわすように生ぬるい風が通り抜けてゆく。
その風に髪がなびくのをボンヤリ感じながら、彩を待っていた。
彩っぺと最後に会ったんは、いつやった?
電話やメールはしょっちゅうだけど、実際に会ったのは相当前のことのように記憶している。
それだけに楽しみもハンパではなくて。
「変わってへんかなぁ・・・」
小さくそう呟くと、紙コップを口にあて、ビールを喉に流し込む。 ふぅ・・と一息ついたその時、
「ゆーぅちゃん」
聞き覚えのある声と一緒に、後ろから肩をトントンと叩かれた。
裕子はその声に振り向き、懐かしい笑顔を瞳に映すと空いたほうの手で彼女に抱きついた。
「ヒト、多いねぇ〜」
「うん。でも、これならあんまりバレなさそうだし」
両脇に夜店がずらりと並んだ道を歩くなつみと真里。所々、興味深い店があると覗いてみたりして、適当にブラブラしている。
「なっち、おなか空かない?」
真里がなつみの顔を覗き込むようにして聞いてくる。
急に至近距離になった真里の顔にドキっとしながらも、なつみは首を横に振った。
「なっちは大丈夫。矢口こそどーなの?何か食べたい?」
「んーとねぇ・・・」
上目使いで考え込む真里に、なつみは待ったをかけた。
真里は「なあに?」というようになつみの顔を見る。
「♪なんにもいわないで 今当ててみるから〜」
悪戯っぽい顔で、真里の耳元でそう歌う。真里もその思いつきに乗ったと言わんばかりに笑顔を見せた。
でも、この後に続く言葉は、当然2人共分かっているわけで・・・
「「♪ヤキソバが食べたいの〜?」」
あまりにも綺麗にハモっていて。2人で思わず笑い出してしまった。
ひとしきり笑いがおさまると、真里が
「ちがくてぇ〜・・・ヤグチ、チョコバナナ食べたい!」
「あー、裕ちゃんもいないしね。今なら」
「でしょでしょぉ? 今のうちに食べとこ!」
「よっし!そうと決まったら行くべ行くべ」
なつみは笑ってそう言うと、真里の手をとって足を早めて歩き出した。
「あ!金魚すくいだ!」
バナナを食べながらフラフラ歩いていたら、今日のお目当てを見つけて真里が嬉しそうに声を上げた。
頭にタオルを巻いたおじちゃんが、真里を見てニヤリと笑い
「どうよ?活きがいいよ、取ってきな。お嬢ちゃんなら10匹くらいはいけそうだなぁ」
と、ウエハースで出来た網(?)をひょいと持ち上げてみせる。
真里は、なつみの腕を取り、
「だってさだってさ!やろ?」
とおおはしゃぎ。なつみも
「よーし。矢口が10匹なら、なっちは15匹取るべ」
浴衣の袖をまくったりなんかして、ヤル気十分に頷いた。
お金を払い、網と器を受け取ると、水槽の前にしゃがむ2人。
ややオレンジがかった照明を浴びて、透明な水の中、赤や黒や白の金魚が所狭しと泳いでいる。
「負けた方が、この後ジュースおごりね」
「トーゼン。・・・なんならカキ氷もつけていいべ」
自信満々に約束をかわすと、なつみの「ヨーイドン!」の合図とともに金魚に向かって手を伸ばした。
「2人とも、ごくろうさん。ホラ、これね」
おじちゃんが笑いながら金魚の入った袋を2人の前に差し出す。
中身はそれぞれ2匹ずつ・・・俗に言う『残念賞』
「おっちゃん、おかしいよぉ〜、このウエハース、脆いんじゃないのぉ?」
袋を受け取りながら、納得いかないと言うように、真里が抗議する。それに対しておじちゃんは
「んじゃ、まぁそういう事にしとこうか。・・・お嬢ちゃん達の名誉のためにもな」
と言うと豪快に、がっはっはと笑い声を上げた。
そう言われたらもう苦笑いするしかなくて。
それぞれ「ありがとー」と口にすると、その場を立ち去った。
「ホント、おっかしいよぉ〜・・・あー、悔しい!」
まだ納得いかないのか、真里は尚もブツブツ言っている。負けず嫌いなだけに、1匹も取れなかったコトが相当悔しそうだ。
なつみは、そんな真里の気をそらすように、金魚の入っている袋を持ち上げてみた。
街灯に照らされて、中の水がキラキラと光って見える。そんな中2匹の金魚が気持ちよさそうにあちこち泳いでいる。
「ほら、矢口。こうするとキレイだよ」
そう言って見せると、真里も自分の袋を光にかざしてみた。
「ほんとだー・・・なんか水が反射してキレイだねー」
そして、ふと気づいたように金魚に目を留めた。
「なっちと矢口みたいだね」
仲良く一緒に泳いでてさ。
そんな真里の言葉になつみも、
「そうだね」
と相槌をうった。そして
「じゃあねぇ・・・なっちのこの黒い方、矢口って名前にするね。・・で、こっちの赤いのがなっち」
「え〜〜、なんで自分をそんなにかわいい方にするかなぁ!」
「だって、矢口ガングロがいいって言ってるべ?」
「うわ!そうきたか!・・・じゃあ、ヤグチの方はこっちの大ぶりなヤツがなっち!細身の方がヤグチ!」
「・・・・かわいくないねぇ〜〜」
「お互い様でしょ」
そこまで言うとこらえきれずに笑い出す2人だった。
暫く歩くと、ふと真里がおもちゃ屋の夜店の前で足を止めた。
何やら真剣な表情をしてあちこち見ている。
「なに?おもちゃ欲しいの?買ってあげようか?」
なつみがそんな真里の背後から、からかうように声をかける。真里はその言葉に振り返るとなつみをピシリと1つ叩き
「ちがくてぇー。・・・ヤグチじゃないもん」
「え?じゃあ何?」
「う?・・・あのー・・妹の」
視線を泳がせて、ちょっと口篭もってそう言うと、また前を向いてしまった。
5分ほど、あーでもないこーでもないと悩んでいる風だったけど
「まぁ、いいや」
と呟くと、なつみに「ゴメンネ」と謝り手をとって歩き出した。
「いいの?お土産でしょ?」
真里に手を引かれて歩くなつみは、そう声をかける。
まだ時間少しあるし、なっちなら待ってるからさ
それを聞いた真里は、足を止めてなつみの方を振り向く。
「それじゃあ・・・ちょっとここで待っててくれる?すぐに買ってくるから」
「うん、いいよ。ノンビリ決めてきなよ。なっち、ここで休んでるからさ」
そう言って、なつみはそばにあるレンガを積み立てた小さな花壇に腰掛けた。
「うん、わかったー。すぐ戻るからねー」
その言葉を残し、真里は下駄の音をカラコロ鳴らせて先ほどの夜店の方へと駆けて行った。
程なくして、真里が小さな紙袋を持って帰ってきた。
なつみの視線に気がつくと、ふにゃっとした笑顔になって駆け寄り、
「おーまちどっ!」
となつみの前に立った。
「退屈だった?ヤグチいなくて」
「ううん。金魚とオハナシしてたから」
「なんじゃそりゃ〜」
真里はそう言って笑うと、「はい」と手を差し出した。「ん?」と顔を上げるなつみに
「もうそろそろ花火始まるんじゃない?集合場所行こうか」
なつみは頷くと真里の手を握り、よいしょっと立ち上がった。
すると、それが合図かのように、ドーーンという大きな音と共に真里たちの真上に光の花が咲いた。
「あ!始まっちゃった!急ごう!」
空を見上げて花火に見とれた後、なつみと真里は決められた場所へと急いで向かった。
集合場所になっている広場は、既に大勢の人であふれかえっていた。皆立ったりしゃがんだり、思い思いの格好で花火を眺めている。
「うわぁ〜・・・これじゃあみんながどこにいるかわかんないね」
「ホントだ」
辺りをぐるっと見回すと、なつみはお手上げ〜というように肩をすくめた。
「それに、ちょっと熱くない?ここ・・・」
「うん。熱いね・・もうすこし人が少ないところに行こっか」
ただ立っているだけでもじわっと汗ばんでくる季節。
ましてや、ここまで小走りにやってきた2人にとっては殊更この空間は熱く感じた。
次々とこの広場になだれ込んでくる人の流れに逆らいながら、なつみと真里はすこし離れた場所を目指した。
「この辺でいいべ」
「うん。ちょっと遠いけど、花火も見れるし。人も少ないし」
と、2人が腰を落ち着けたのは、偶然にも裕子と彩が待ち合わせた樹の下だった。さすがに今はこの場にいなかったけれど。
絶え間なく空に打ち上げられる花火を、言葉もなくただただ見つめていた。
「キレイだね・・・」
ぽつりとなつみが呟く。真里はその言葉になつみの方を見やった。
大空に大輪が咲く毎に、閃光がなつみの大きな瞳に一層の光を与える。光に照らされたことで生まれるコントラストがとても綺麗で。
「うん。キレイ」
花火に・・・と言うよりもどちらかと言うとなつみに対して真里は言った。
勿論そんなこと、なつみはまったく気がつかないだろうけれども。
火薬の匂いが、風に乗ってやってくる。その風がなつみの髪をふわっと持ち上げ、耳元の風鈴のイヤリングを揺らしていた。
真里は何も言わずに、なつみの肩にコテンと頭を預ける。なつみも何も言わずに真里の肩に手を回した。
そして、そのままの姿勢でまたしばらく黙って花火を見つめていた。
「あのね、なっち」
花火から目を離さずに真里が口を開いた。
「ん?なあに?」
視線だけを真里の方に向けて答えるなつみ。真里は続ける。
「ヤグチさぁ・・・10日ってラジオあるんだよね・・・その後も打ち合わせとかあって・・・
多分なっちのところ行けそうもないんだ」
「あー・・・そっかぁ。うん、分かったよ」
10日はなつみの誕生日で・・・正直2人で過ごしたかったなつみは、
言葉でこそ強がってはいたものの、口調には落胆の色を隠せなかった。
「ごめんね」
「矢口が謝ることじゃないっしょ。仕事だもん」
それでも何とか笑顔をみせるなつみ。真里はさっきの紙袋をがさがさと開けると、なつみの右手をとった。
「・・・?」
なつみはきょとんとした顔で真里の行動を見つめている。
真里はなつみに向かってにこりと笑顔をみせると、右手の薬指にプラスチックの指輪をはめた。
「・・・これ・・・?」
右手と真里を交互に見て、なつみが問う。
「えへへ・・・オモチャだけどね。とりあえず、プレゼントの代わりってことで。 ほら、ヤグチもおそろいっ」
てれくさそうに、同じデザインの指輪をつまんで小さく振る。なつみはそんな真里の首筋に腕を回してぎゅっと抱きついた。
「ありがと。なっち、嬉しいよぉ。すっごい嬉しい」
真里の髪に顔を埋めて。 すこし篭った声だったけれど、なつみの声と気持ちはちゃんと真里に届いた。
なつみの頭をヨシヨシと撫でて、
「ちょっと早いけど・・・誕生日、おめでとう」
そう、耳元で囁くと身体を離して、なつみの柔らかな唇にそっと口付けた。
人が通るかもしれなかったけど、そんなの全く構わなかった。
唇が離れると、なつみはいつも伏せ目がちの恥ずかしそうな顔をする。でも、今回ばかりは例外で。
真里の顔をしっかりと見つめると、もう一度真里を抱きしめた。
「矢口、ありがと。だいすき」
「えへへ・・・そんなの知ってるよ」
「うん。でも、もっとすき」
真里はなつみの言葉に再度てへへ・・と笑うと
「ねぇ、ヤグチにも指輪はめてよー」
と、身体を離すとなつみの手の平に指輪を落とした。
なつみはそれを受け取ると、同じように右手をとって、大事そうに薬指にそれをはめた。
2人の薬指の指輪は、花火に照らされて同じように輝きを放っていた。
花火が終り、人々が帰路につこうとする姿が見える。そんな時、なつみの携帯が圭からの着信を示した。
「モシモーシ、なっちでーす」
「あー、なっち?今どこにいるのー?探してるんだけどさぁ」
「ごめんね。なっちたち、今ちょっと離れたところにいるんだぁ。今からそっちにいくから」
「待ってるよ。・・・なるべく早くね〜」
圭の言葉の後に、圭織の、のんびりした声がついでのように小さく聞こえてきた。
ごめんね。すぐ行くから・・・そう言って電話を切った。
「あ、おーい。こっちこっち」
なつみの姿をいち早くみつけた紗耶香が、手を振って呼んでいる。その反対の手には水ヨーヨーが握られていた。
勿論、紗耶香の横にいる真希の手にも同じものがあって。
真里がニヤニヤしながらヨーヨーを指差すと、紗耶香は
「だって、お店の前で騒ぐんだもん・・・恥ずかしくてしょーがなかったよ。まったく」
と、唇をとがらせてそう言った。
「いちいちゃんが買ってくれるって言ったんじゃん。約束はちゃんと守らなきゃ〜」
横から真希が口をはさむ。 紗耶香はそれには取り合わず、言葉を続けた。
「しかも、”同じガラじゃなきゃイヤ!”ってさぁ、もぉ大変だったんだよ・・・。
1500円も使っちゃったんだから」
そこまで言うと、隣にいる真希に、大事にしろよ!と念を押す。真希は嬉しそうに「ウン」と頷いた。
「ヤグチたちもバカップルだけど、紗耶香んトコもそーとーバカップルだよねぇ〜」
真里がなつみに耳打ちする。なつみも苦笑いしながらそれに同意した。
視線を巡らすと、広場のもうすこし奥の方に残りの4人が立っているのが見えた。・・・ん?4人?
「もー、遅いやん、なっちぃ〜〜。 矢口と何しとったん?」
裕子の容赦ないツッコミが入る。なつみたちは苦笑しながら裕子たちの方へと歩いていった。
そこに・・・裕子の横で、以前と変わらない様子で微笑んでいる彩の姿を見つけた。
「あ〜〜〜〜〜!彩っぺだぁ!」
真里は早速彩に駆け寄り、抱きつく。彩はそんな真里の頭をペシペシと叩きながら
「ひさしぶりっ。相変わらずだねぇ・・・矢口は」
と言いながらも嬉しそうな様子は隠さない。すこし遅れてなつみも彩の横にたどり着いた。
「ひさしぶり」
なつみの言葉に笑顔で応える彩。
「今日、来るなら教えてくれればよかったのに。密会なんてしないでさぁ」
「アハハ・・・みんなを驚かそうかなって思ってサ」
「今更驚かないよぉ。そんな彩っぺくらいで」
茶々を入れる真里をぶつ真似をしてなつみに視線を戻す。
「上手くいってるみたいだね」
「おかげさまで。・・そちらこそ」
「ウチらはカタイよ」
自信満々の笑みで彩はそう惚気る。なつみもその言葉に微笑んだ。
「ほな、なっちと矢口も戻ってきたことやし、帰りますか」
裕子のハリのある声が響いて・・・それは同時にこの夜の終りを示していた。
ヨーヨーで遊んでる紗耶香と真希、花火の話題で盛り上がってる圭と圭織、なんだかこっち見て笑ってる裕子と彩。
そして、矢口となっち。
ウチらってほんとに幸せなグループだわ・・・なつみは心底そう思った。
見上げた夜空は、花火の煙もすっかり風に流され、無数の星が瞬いていた。
おしまい。
「ぷひゃーっ・・・おつかれぇ〜」
「おつかれーってゆーか、カンパーイ♪」
真里となつみはそう言うと缶ビールをぶつけた。
勢いよく、プルタブを開けて飲み込む。
缶を口から離すとアワがついてて、ヒゲみたいって2人で笑い転げた。
2人一緒だと、こんな些細なコトでも楽しくてたまらない。
ひさしぶりの2人きりの時間。
なんの約束もなかったけれど、自然になつみの家に矢口がやって来て。
キャーキャー言いながら食べるもの作って。
そして、今こうしてビール飲みながらくつろいでるわけで・・・。
未成年?そんなの気にしないしない!
「はぁ〜・・・それにしても、最近はまた輪をかけて忙しいんでない?」
「んー。もうカンベンしてよって感じ」
なつみが愚痴ると、真里もブンブンと頷きながら同意する。そしてグイっと煽ると、空になった缶をペコンとへこませた。
「矢口・・・ペース早くない?」
「だーいじょーぶ、だーいじょーぶ!心配むよぉ〜」
真里は結構しっかりモノっぽく見えるけど、こういうときはコドモモード全開で、だいたいなつみが面倒をみる・・という役回り。
今日もたぶん、酔い潰れた真里をなつみが介抱することになるだろう。
まぁ、それはそれでいいのだ。2人が納得していることだし。
1時間もすると、テーブル代わりのコタツの上には、空き缶がゴロゴロ転がっている有様。
ちびっこ2人は並んで座ってベッドにもたれかかっている。
1時間前と違うのは、2人ともかなり酔っている・・ということ。
「ねーねー、なっちぃ〜〜」
「ん〜?なんだべー?」
「呼んだだけぇーーあはははははは!」
「あははは〜そっかぁー呼んだだけねー。ふーん」
酔いのせいか、怒りの発火点もいつもより低目で。 なつみもへらへら笑っている。
「そう。・・・ねぇ、なっちーなっちーなっちぃー」
性懲りもなく呼びかけてくる真里に対して、なつみはしばし考え込んだ後・・・
「ち?・・・ちびんば」
「なにそれ?」
「しりとり」
いきなりしりとりを始めたなつみ。 脈絡も何もあったものではない。
普段の真里ならそこでツッコミの3つや5つ入れるところだが、酔っ払いの適応能力は素晴らしい。
ニマっと笑うと、そのままそれを続けた。
「ふーん・・・ば・・ねぇ・・・ばー・・・"ばんざーい♪きみにぃあえてよかったぁ〜♪"」
「"あーいーしーていーまーすーあいらびゅ〜♪"」
「"ゆーめーのーなーかー♪"」
「かぁ・・・?かって何があるぅ〜?」
そう言って、答えを探すようにあちこちに視線を彷徨わせるなつみ。
そんななつみの耳元に唇を寄せるようにして、真里は囁いた。
「"かえさないよ・・・"」
「あはは・・・くすぐったいべ〜・・・んじゃ、"夜はこれからだぜ"」
うれしそーに笑って切り返す。
ほんとに帰さないでくれればいいのに・・なんて思っちゃったりして。
「"絶対幸せにしてっ!"」
「"てれちゃうなぁ〜"」
「"なっち、すきだよぉ"」
「よ・・・って、えぇっ?」
あまりにも普通に口にするから、一瞬聞き逃しそうになったけど。
なつみは驚いて真里の方に顔を向ける。真里はてれくさそうになつみの肩をパシパシ叩いて
「だーかーらぁ〜、好きなんだってぇ」
「なんじゃそりゃ・・・ムードないなぁ」
「じゃあ、どーやって言えばいい?」
「えー・・・そーだなぁ・・・もっとちゃんと目を見て言って」
不満げな言葉を漏らしながらも、なつみの口元は微妙に緩んでる。
その言葉にちゃんと従って、なつみの瞳を覗き込んだ真里が、口を開く。
「"すきだあーーー"」
「"あたしもすきー"」
「き・・・"キスしていい?"」
「"いいよ"」
そう言って「ん」と目を閉じたなつみの顔に、真里は自分の顔を近づける。
ちゅっと大きな音をたてて、2人の唇が触れ合った。
「なっちの負けね〜」
顔が離れたあと、笑いながら真里がなつみを突付く。
「えー、なんで?」
「だって・・・キスする前に『ん』って言ったから」
「そんなこと言った?・・・言ってないべ〜」
「言いました〜」
「言ってまーせーんー」
ムキになり、言い合いを続ける2人。互いをどついたり、どつかなかったり。
・・・ちびっこの夜は、こうして平和に更けてゆくのだった。まる。
おわり。
バスルームから出ると、色違いのチェックのパジャマを着込んだなっちが、ベッドにひっくり返ってTV見てた。
ヤグチに気がつくと、顔だけ向けて「おかえり」って。・・・おかえり?
まぁ確かに風呂場から帰ってきたわけだけど。
だから、ベッドに倒れこみながらなっちの耳元に「ただいま」って返した。
「うわっ!髪の毛冷たいべ」
タオルでだいぶ拭き取ったけど、まだ幾分か湿り気のある髪。それがなっちの頬にあたる。
「え〜〜〜い!うりゃうりゃ!」
「だからやめてって言ってるっしょぉ!」
嫌がってるのを承知で、なっちの顔に頭をぐりぐりとこすりつける。
なっちもふざけてるのを承知で嫌がってて・・・なんだかややこしいけど。
まぁ、とにかくじゃれてるわけです。いつものことです。
ヤグチとなっち・・いくら身体がちっちゃいとはいえ、ベッドの上で暴れたらそりゃ落ちるわけで。
「わぁっ!」
「きゃぁ!」
・・・今回もご多分に漏れず2人仲良く転落。ヤグチの下になったなっちは腰をぶつけたみたいでしかめ面。
ゴメンね。重かった?
「もぉ〜・・・矢口のばかー。イタタ・・・」
口では文句を言いながらも瞳は十分優しくて。額をぺしっと叩かれて無罪方面。
そうです。なっちはヤグチには優しいのです。えへへ。
さて、身体を起こそう・・・と思ったその瞬間。
ふっと視線が絡み合って。
途端、心臓がどきりと大きな鼓動を身体に響かせる。
間近で見たなっちは、肌がまだほんのり桜色してて、ボディソープのいい匂いがヤグチの鼻と気持ちをくすぐる。
黒目がちの瞳がまっすぐにヤグチだけを見つめてる。・・・その瞳の奥には何かを待っているような光を湛えて。
こくり・・と唾液を飲み込む音が小さく鳴った。
そんな喉の動きでさえもなんだか艶めいて見えてしまう。
どうしよう・・・めっちゃどきどきしてる。
むちゃくちゃ なっちのコト、抱きたい。 そう考えただけで、胸がぎゅっとなる。
指先とか、足先がじーんと痺れる感じがして。息苦しくなって、深呼吸をひとつついた。
「なっち・・・」
なんだかヤグチの声じゃないみたい。遠いところから聞こえてくる感じがした。
なっちの瞳が「ん?」と語りかけてる。
「キス、していい?」
掠れたようなヤグチの言葉になっちは小さく頷いた。
「・・・・・・キスだけじゃないかもよ?」
正直、自信ない。1回触れたら止まらなくなりそうで自分がコワイ。
なっちは考えをまとめるようにあちこちに視線を彷徨わせていたけど、もういちどヤグチの瞳を見つめかえして
「いいよ」
と、ハッキリとした声で返事をくれた。
その声と共に、ほんの少し残っていた理性は、見事彼方へ。
何度も触れた柔らかな唇を、ヤグチのそれで塞いで。
その後は・・・まるで未知の世界。
ちょっとこわいけど、止める気もないし、第一止まらない。
そんな不安げな瞳をなっちに向けたら゛だいじょうぶ゛っていう風に微笑んでくれた。
組み敷いてるヤグチの手に指を絡めて、ぎゅっと力が入った。
ヤグチもぎゅっと握り返した。
すき
すき
だいすき なっち
そう、胸の中でつぶやくたびに気持ちが溢れそうだった。
「せっかくオフロ入ったのにねぇ」
額にはり付いた前髪をかきあげながら、そう言ってなっちがクスクス笑う。
「ごめんね・・」
うつ伏せにしてた顔を持ち上げてそう言うと「矢口が謝るコトじゃないっしょ」って柔らかく窘められた。
運動のためか、緊張のためか、汗ばんだ身体。それすらも今は嬉しい。
意味もなくニヤニヤしたりベッドをゴロゴロしたり・・・なっちにちょっかい出したり。
「ちょっとは落ち着いたら?」
さすがのなっちも呆れ顔。
だぁーってさぁーー、うれしいんだもん!じっとしてられないよぉ!
なっちは嬉しくないの?
「うれしいに決まってるっしょ。なぁーに言ってるべ」
苦笑いして、鼻のアタマにデコピンされた。
そしてなっちはベッドをするりと抜け出して、パジャマの上だけ羽織るとバスルームへと向かった。
その背中が、さっきよりも近くに感じられる・・・のは、気のせいなのかな。
ヤグチは広くなったベッドでごろりと寝返りをうった。ボンヤリと天井を眺めてると、
なんだかさっきまでのコトが全部夢とか、ヤグチの妄想みたく思える。
でも「そうじゃない」って言ってるのが、身体についた小さな紅いしるし。
さすがに、首筋や肩口みたいな目立つところにはないけれど。
胸の間、わき腹、大腿・・・。
なっちがつけた跡を指で辿ってみる。 なんだかまだ温もりが残っているような気がして顔が緩んだ。
「なっち・・・」
名前を口に出してみる。
どうしてそれだけでこんなに幸せな気分になれるのかな。不思議不思議。
ベッドが沈む感覚で目が覚めた。・・・いつの間にかウトウトまどろんでいたみたい。
ゆっくりと目を開けると、パジャマ姿のなっちがベッドに腰掛けてヤグチを見つめてた。
「ごめん。起こしちゃった」
ヤグチと目が合うと「あらら」って顔をした。
「ううん・・・シャワー浴びなきゃだし・・・丁度良かったよ」
う〜んと伸びをして上半身を起こす。中途半端に眠りについたせいで、身体が怠い。
「だるぅ〜〜〜い」
なっちの肩に頭を預けて甘えてみたりして。さっきと同じボディソープの匂いが、する。
・・・あ、いかん。また襲いそう。
腕をつっぱるようにして、なっちから身体を離す。
どうして? って顔をしてヤグチを覗き込むなっち。
「またシャワー浴びるコトになると困るでしょぉ?」
ヤグチが笑ってそう言うと、がっくりとうなだれる。
そんななっちの姿を目にしながらヤグチもバスルームへと向かった。
戻ると、まるでさっきの繰り返しみたいな場面。ベッドに横になってTVを見て笑ってるなっち。
ヤグチに気づいて「おかえり」って言う所までいっしょ。なんだか笑っちゃう。
ヤグチは、ドサっと音をたててなっちの横に倒れこんだ。
寝そべったまま、顔だけヨコに向けて見つめあう4つの瞳。なんだかテレ臭くて長いこと見ていれなくて。
ふいっと顔ごと逸らしたら、後ろから髪をイイコイイコされた。
髪に指が入り込む感覚が何故だかとっても気持ちよくて、背筋がぞくぞくするような感覚を覚える。
ぞくぞくが腰にまで伝染して、そこで痺れた感覚が広がる。
なんで、こんなに気持ちいいんだろう。
なんでなっちじゃないとダメなんだろう。
髪を梳かれながらボンヤリと考えた。答えはでなかったけど。
・・・・考え事したせいか、急に眠くなってきた〜。時々軽く意識が途切れる。
身体を動かすのがとても億劫に感じられて、なんだか腕や足が麻痺したみたい。
それでも何とかもう一度、なっちの方に身体を向ける。
「あらららら。矢口、おねむかい?」
笑いを含んだ優しい声。 それすらもどこか遠くから聞こえてくるような。そんな感じ。
「んー」
って言ったつもりだけど、声になってたかどうか・・・。
ふっとカラダが包まれる感触。
「おやすみ」
耳を通して身体中に響き渡る柔らかな声。軽く身体をゆすられる。
おかあさんに抱かれてるみたいで、とっても安心できる。
明日はなっちより先に起きて、ゴハンでも作ろうかな・・・。
なっちの驚く顔見たいし。
ほんわかした気分の中、ヤグチは最後の意識を手放した。おやすみ、なっち。
また明日。
おわり。
正しい休日の過ごし方。
おひさまはポカポカ。
一緒にいれてニコニコ。
でも、眠くなってウトウト。
ねぇ、さっきからずっと背中むけて何してるの?
顔にかけたフェイスタオルを少しずらして、彼女の背中を覗き見る。
この公園に来たときからずっとあちこちウロウロして。
「ねぇー、暑くないー?」
「うん。だいじょーぶぅー」
あたしが声かけても中断する様子はまったくないし。
退屈だなぁ〜・・・
ちょっとスネて、またタオルでおひさまの光を遮ろうとしたら
それより先に人影があたしの視界に入って来た。
「・・・どしたの?」
「ホラ!これ!」
ごっちんがあたしに見せたのは、四つ葉のクローバー。
テストで100点とった子供みたいな目をしてこっち見てる。
・・・誉めてくれるのを待ってるんだろうな。
じんわりと、優しい気持ちで胸が満たされる。
「すごいね。よく見つけたじゃん」
そう言うと、案の定、嬉しそうににっこり。
「なっちにあげようと思ってさぁ。がんばって探したんだよぉ」
そっかぁ。がんばってくれたんだね。ありがと。
あたしは、ごっちんの頬に流れる汗をそっと指で拭う。
くすぐったそうに肩をすくめる。くしゃっと崩れる表情。
こんなにかわいいコだった? 今更ながらにその魅力に気づく。
ずっとずっとライバルだと言われ、比較されてきてた。
仲間になることを許されずに。
好きになることも許されずに。
今は別に何かが変わったわけじゃないけど
・・・変わったのはお互いの気持ちなのかもしれない
『ごっちん・・・辛いの?』
『・・・・・』
『泣いてもいいよ。辛かったら・・・我慢することないんだよ』
『ふぇ・・・・』
あたしよりも背の高いその身体は
細かく震えていて、いつもよりもほんの少しだけ小さく感じた。
背中に回された手に、ぎゅっと力がこもった。
分かってる
分かってるから
だから あたしの前では無理しないでいいよ
一旦分かり合えれば、同じような立場にいるあたしたちは
誰よりもお互いのことが良く分かって
辛さも 苦しさも
手にとるように。
そこから、お互いに気持ちが傾いていくのは容易なことだった。
「なにボンヤリしてるのー?」
声をかけられてふっと我にかえる。
見上げればそこには いつもそばにある柔らかな笑顔
「ごっちんのこと考えてた」
あたしは上半身を起こして、洋服についた草を払い落としながらそう言った。
払った草が風にのって、みるみる遠くへと運ばれてゆく。
毎日が猛スピードで進んでいくあたしたちみたいに。
「えー、なにそれー」
「なにそれって、なにそれ」
言い合って、笑い合う。
「なになに?もう1回言ってよぉ」
1回しか言わないよーだ。 照れくさいんだから。
「バーカバーカバーカ」
「ひっどぉい〜。バカってぇ〜」
「いたたた・・・ホンキで叩かないでよ」
そう文句を言って笑ったあたしの目の前には、同じようにごっちんの笑顔。
手をとられて、その手にクローバーを握らされた。
「ぷれぜんと。大事にしてね」
なっちに幸せなコトがありますように って祈ったから。
そう動いた唇が近づいてきて、あたしの唇を軽く掠めた。
おひさまと、空と、風だけがそんなあたしたちを見ていた。
「ふぁ〜・・・なんだか眠くなっちゃったよぉ」
顔が離れると、照れくさいのかホントに眠いのか、大きなあくびを1つ。
「寝ていいよ。なっちの膝枕使う?」
「うん!」
そう言って嬉しそうにあたしのヒザの上でゴロゴロする
思った以上に甘えん坊な彼女。
メンバーでいる時とは全く違った色んな表情が見えてくる
あたししか知らない、あたしだけの特権。
次はいつごろ休めるんだろう。
でも、そのときも またここに来ようね
今度はなっちが四つ葉のクローバーさがしてあげるよ。
帰り道はごっちんに左手を引かれて歩いた。
右手のクローバーが風に揺れている。
見上げた先には どこまでも青く、絵の具を広げたような空。
うん、いいよね。 こんな休日。
のんびりできて 好きな人がそばにいて
それだけだけど でも、とても大事なことがたくさんつまってる。
正しい、休日の過ごし方。
それは今日みたいな日のことをいうんじゃないかな。
隣を歩く顔に、胸の中でつぶやいた。
『・・すきだよ』
おしまい。
ケイタイ。
メンバー内で流行ってるメール交換。
ポケボもあるけど、ちょっとしたメールならケイタイのが手軽だし。
みんな、ヒマがあると誰かにメールしてる。
今も移動の新幹線の中、爆睡中のごっちんをはさんで隣の席の矢口も、熱心になにやら打ち込んでる。
・・・と。着信だ。 携帯が細かく震える。
なっちはメール表示のボタンを押す。
゛ヤグチだよん。 いま、なにしてるの?゛
・・・バカ? なっちは思わず吹き出してしまった。
なっちも慣れた手つきでボタン操作。
送信ボタンを押すと、程なくして、矢口が携帯を覗き込む姿が目に入る。
そしてすぐにこっちを睨みつける・・・けど、なっちは知らん顔。くくく・・・。
また着信。・・・まぁだいたい内容は分かるけどね。
゛ヒミツってなんだよぅ!ケチ!なっちばーか゛
゛ばかで結構ですぅ〜 矢口のあほー゛
゛あほぉ? あほはどっちだっちゅーの!もぉ!゛
ムキになって打ち返してくる。
メールじゃなくて口で言って返せばいいのに。
でもそんなところが矢口っぽくてかわいらしい。
゛ヒマなんでしょ?眠れば?まだあと1時間くらい移動じゃん゛
゛なっちは眠らないの?゛
゛夕べ、珍しく早く寝ちゃったからね。あんまし眠くない゛
゛じゃあ、ヤグチも寝ない゛
なっちはかぶりを上げて矢口の方を見やる。
メールじゃラチがあかない。直接言ってやる。
・・・けれど、さっきのおかえしか、矢口は知らん顔。
あのバカ。
゛寝れるときに寝ておいた方がいいべ。いつも眠いって言ってるんだから゛
゛でも寝たくないのぉ!゛
゛なんでよ?゛
-----------しばらく返事がこなかった。
もう一度送信する。
゛どうして?゛
矢口の方に視線を送る。
2人の視線が絡む。いたずらっぽそうな口元で、矢口が何か打ち込んで・・・
着信。
なっちは急いでメールを表示させた。
゛なっちが起きてるからだよ。だから眠りたくないの゛
すぐには返事できなくて。
゛なーに言ってんの゛
そうやってそっけないフリをするのが精一杯。
あー!どうして矢口は、こう、表現がスナオなんだろう。
羨ましくて、嬉しくて。・・・でも、なっちはなかなかスナオになれない。
゛なっちと同じ景色を見てたいし、もっとこうやってなっちと話してたいもん゛
本当は1文字1文字が嬉しくてたまらない。
だから、なっちの精一杯の返事。
゛ありがと゛
これ以上は言えないよ・・・。
でも、矢口ならきっと分かってくれると思う。
なっちの気持ち。
送信した後、ゆっくりと矢口の方に目を向けたら、そこには笑顔の矢口。
pipipipipi・・・
着信。
受信ボタンを押すと、矢口の声が、携帯からとすぐ側からとでステレオで聞こえた。
「なっち、ちゃんと聞いててよ」
「?」
何を?と聞こうと思ったそのとき、携帯にあてた耳に「ちゅっ」と軽い音が飛び込んできた。
そして「へへへ・・・」と照れたような笑い。
・・・・バカだなぁ。矢口は。
でも、そんな矢口のことがたまらなく愛しいなっちは、もっとバカなのかも。
「ちゅっ」
間にいるごっちんを起こさないように、もうひとつのキスの音が、ちいさく響いた。
□やぐなち□
潮の香りで目が覚めた。
「んにゃ・・・?」
徐々に意識が広がる。
まず、目に入ったのが白い布。
・・・・あ、ベンチコートか。
誰がかけてくれたんだろ・・・。
次に気づいたのは、左肩に感じる誰かの体温。
誰かの身体の重み。
ゆっくりと頭を巡らせると、茶色い髪が見えた。
紫のメッシュ地のヒスグラのパーカー。インには黄色のシャツが見える。
なっちにもたれるようにして。
時々小さく すーすーと寝息が聞こえてくる。
・・・・やぐち。
オハヨウ、矢口。
なっちは起きたよ。
矢口を起こさないように少しだけ身体をずらす。
ロケバスの窓にかかったカーテンをスライドさせると
そこは、一面砂浜。
そして、一面の蒼。
「うわぁ・・・」
思わず口をついて出てくる感嘆の言葉。
それは、ほんの2年前に暮らしていた場所を
少なからず思い出させてくれて。
そこにいる大事な人達の顔が次々と現れては消える。
ねぇ、やぐち。
海だよ
海に来たんだよ。
・・・
仕事忙しくて
寝る間もあまり確保されず
当然プライベートな時間なんて
期待できる余地もなく
今振り返ると
まったく余裕がなかったあのころ
「あ〜〜〜〜!!どっか行きたいよぅ!」
収録の合間に2人で屋上に避難。
ムカツクくらい真っ青な空の下で
柵にしがみついてビルの群生を眺めてた。
「さんせい〜・・・ヤグチもどっか行きた〜い!!」
隣に並んだ矢口も空を見上げて叫ぶ。
・・・・・・・・・・・
暫くボンヤリと沈黙に時間を費やした。
「海」
なっちの言葉に矢口が振り向く。
「海、行きたいなぁ〜北海道のさ」
「北海道か・・・そりゃキビシイねぇ」
「やっぱりね・・・言ってみただけなんだけどさ」
コンクリートにぺたりと腰掛ける。
11月の日中の気温はセーターとジャケット1枚では肌寒くて
2人暖めあうようにピッタリと寄り添って
手を繋いでポケットへ。
それだけでも全然暖かい。
冬の空は高くて、どこまでもどこまでも昇っていける気がした。
「行こうね。いつか」
なっちのふるさとの海に。
「うん。行こう」
2人で。こうして手を繋いで。
上手く言えないけど
矢口と行くことがとても大事なんだと思った。
なっちがずっと見てきた景色を
矢口にも見て欲しい。
ポケットの中の手に力を込めた。
ぜったいに実現しますように。
・・・
それからも相変わらず忙しくて。
2人でいられる時間も少なくて、「海」のことは頭から消えていた。
そんな矢先の、今日。
台本読んで「海のシーンがある」って分かってたけど今になるまで忘れてた。
打ち寄せては引いていく波の音。
規則的に聞こえてくるそれは、疲れた身体に再度の眠気を誘う。
誘惑に負けてウトウトしかけた時に、隣のおねぼうさんがモゾモゾと身体を動かした。
「おはよ」
「・・・・・・おはよ・・・って、寝ちゃったんだー、あちゃ〜」
「気持ちよさそうだったよ」
「なっちの寝顔見てたらさぁ、ウトウトしちゃって」
そう言って矢口も窓の外に視線を泳がせる。
「海だね」
----- 矢口も同じこと思ったんだ -----
「うん」
「北海道じゃないけど」
「そりゃそうだ アハハ」
空間を埋めるように続いてゆく会話。
久しぶりの居心地いい時間。
ずっと続けばいいけど・・・そうもいかないよね。
そうもいかないから、大事に思えるのかもしれない。
コートの中の携帯が震えて着信を示している。
受信ボタンを押す。
受話口から聞こえてくるのは、柔らかな関西弁。
「なっちー、起きたかぁ?・・・もうそろそろこっち来た方がええよ」
「うん。起きた」
「矢口も起きたか?」
「うん」
「ほな、暖かい格好して来るんやよ。台本忘れたらあかんよ」
「うん。ありがとう」
「久しぶりに矢口と2人きりやったろ?これでも気ぃ利かせてんで」
「あははっ・・・アリガト」
「裕ちゃん?」
「うん。もうおいでって」
そう言って、うーんと大きく伸びをする。
小さくなって寝ていたせいか、気づいたら身体のあちこちが硬くなってたみたいで。
伸ばされてほぐれていく感じが、気持ちいい。
ぶるぶると頭を振った。
ロケバスから降りるといきなり海風に晒される。
予想以上に空気が冷たい。
思わず身体を屈めたら、ふわっと後ろから包まれた。
「暖かいでしょ?こうすれば」
耳元に矢口の声。
暖かいけど・・・矢口、アンタおぶさってるだけじゃんよぉ!
「おもぉ〜〜〜い!」
「文句言わないの!」
「じゃあ、反対になろうよ〜。なっちおぶさるからさぁ」
「やだよーーだ。ヤグチ潰れちゃうもん」
「言ったなー!」
背中の矢口を振り落とそうと。
矢口は落とされまいと。
じゃれあってるうちに、バランスを崩して。
あれれ・・・と思う間に、世界が回転して。冬の太陽が目に飛び込んできた。
そして、それを遮るように、矢口の顔。
見つめあって
顔が緩んで
唇が近づいて
軽く触れて
そして、離れて。
「・・・あーぁ。髪が砂まみれ」
照れ隠しにわざとぶっきらぼうに呟いた。
「これで今日もがんばれるじゃん」
「なんじゃいそりゃ」
軽く笑うと、すっと目の前に手の平が差し出される。
「あゆみ、行くべし!」
「行くべし!」
手を繋いで、砂浜に足を取られながらも走り出した。
まだまだあたしたちは走りつづけなきゃならなくて。
でも そばに矢口がいてくれれば
どこまでも
いつまでも
がんばれそうな気がする。
時間が出来たら
約束だよ
海に行こうね。
end.