「真希ィー。一緒に帰ろっか!」
座っていたわたしに『市井ちゃん』が後ろから抱きついた。
彼女の顔がわたしの右耳あたりに来ているらしく、彼女の息遣いが右耳に伝わる。
なんだか、ちょっとくすぐったい。
「うん。ちょっと待ってて」
わたしは少し顔を右に向けて市井ちゃんの顔を見た。
ここまで近づいて彼女の横顔を見たことはあまりなかったりする。
いつもはりりしい顔立ちに、無邪気さが覗いている。そう思いつつバッグを手に取る。
「そ・れ・で、どこか遊びに行かない?」
彼女の台詞の後、
「いいよ、市井ちゃんの好きなところに行こ」
などという答えをわたしはしていた。
「じゃあね……、ディズニーランド!」
「はぁ?それじゃ、実家に帰る勢いじゃん!」
「うそうそ。真希の家でいいって」
ニッて笑いながら市井ちゃんは答える。
わたしは思わずニヤけちゃう顔を隠すようにして、椅子から立ち上がった。
抱きついてた市井ちゃんはさりげなく離れると、今度はわたしの右隣に並ぶ。
「じゃあ、行きましょーか」
「そうしよっか」
市井ちゃんは鼻歌を歌いつつ、楽屋の外へ出て行った。
わたしも、バッグをつかんで彼女を追いかけていった。
場面の展開上、もう私の家に着く。作者も手抜きしてるなぁ。
「じゃあ、上がって」
「お邪魔しやーす」
と、元気に市井ちゃんはわたしに続いて家に入っていった。
「ねえ、真希の部屋、見せてよ。いつも入らせてくれないからさ。」
たとえ市井ちゃんでも、わたしの部屋に入れた事は一度も無かった。理由は……。
「えっとぉ、わたしの部屋は汚いからさぁ……」
もちろん、これは表面上の理由。ホントは……。
「アタシが掃除してやるって。」
市井ちゃんは止めるのも聞かず、雪崩をうつようにわたしの部屋まで乱入していってしまった。
「案外、きれいじゃん」
市井ちゃんは部屋を眺め回してそう言った。そりゃそうだ。掃除は、ほぼ毎日してるもん。
小さな部屋だけど、ベッドと机と小さな洋服タンスと目線より少し低めの高さの本棚があるだけ。
その本棚の上には超大きな花瓶に花がいっぱい生けてある。わたしが一番お気に入りの花瓶。
花の名前まではわからないけれど、この花も大好きだったりする。
花も、これまた昨日生けたばかりだから、まだまだきれいに咲いている。
「これ、読ませてね♪」
市井ちゃんは大きな本棚に入っていた一冊の本を抜き取った。あ〜、その本は……。
「あ〜、これだけはダメ〜!」
「いいじゃない、減るもんじゃなし」
めざとく見つけてしまうんだもんなぁ……。わたしの攻撃を避けて、
市井ちゃんは日記帳を開いて読みだそうとした。これには、市井ちゃんのことばかり書いているのに〜。
「えーと……。『今日は市井ちゃんと一緒に渋谷まで行った。市井ちゃんは白の洋服ばかり買っていた。
そんなに買ってどうするのかな?』って…。着るに決まってんじゃん!」
ものすごくヤバイ状況。
わたしは読み上げている市井ちゃんに向かって手を伸ばす。が、市井ちゃんは必死に逃げる。
「で……。『その時知ったんだけど、市井ちゃんは案外プロポーションがいい。
あの体がわたしもほしいな』、か。
たしかに、あんた最近肥えてきたからねー。ほ〜れ、今すぐあげよーかァ。」
「もういい加減にしてよー!」
わたしの一撃が市井ちゃんを押し倒してしまった。その近くには本棚があり、
二人とも勢いあまってぶつかる。
ガッツーーーーン!
「い、いってぇー」
「大丈夫?」
わたしは、直接ぶつかった市井ちゃんに手を伸ばす。
どうにか、本棚が倒れて来なかったからいいけれど……、一瞬遅れて、別のものが落ちてきた。
本棚の上に置いてあった大きな花瓶が。わたしと市井ちゃんは花瓶をさけようと逃げる。
ボスッ。気が抜けたビール瓶の栓を抜くような音とともに、花瓶は運良くクッションの上に落ちた。
どうにか、二人とも直撃は免れた。けど、落ちてきたものはそれだけじゃなかった。
同時に花瓶の中の花と水がこぼれて落ちてきていた。さすがに、これだけは逃げられなくって。
バッシャッーーーーーーーーーーーツ!!
見事に頭から水をかぶってしまった。大きな花瓶だったから、水の量も多い。
「あーあ!ちっくしょー」
「だぁかぁらぁ。市井ちゃんが日記なんか読んだりするから……」
「まあまあ。とにかく着替えようよ。このままだと風邪ひいちゃうよ」
市井ちゃんはゆっくりとした動作で服を脱ぎだす。
もちろん、わたしも冷たいまんまじゃいやだったから、脱ぎにかかる。
「洋服貸してくれよン」
いち早く脱いで、タオルで頭を拭いている市井ちゃんは、わたしのタンスの扉を有無も言わさずに開ける。
「ど・れ・に・し・よ・う・か・な。」
「どれでも一緒だよー」
「せっかく真希の服を着るんだからぁ…」
市井ちゃんは、ハンガーに掛かっている服を一つずつ取り出して、体に合わせている。
「わたしの服は市井ちゃんの好みじゃないでしょ」
「いいっていいって、たまにはこういうのも良いってことよ」
「んもぅ」
わたしは市井ちゃんの隣に並ぶ。市井ちゃんは右手に花瓶にさしてあった花を持っている。
なんで持っているんだろう?
「その花?」
「きれいだからさ」
単純な答えをくらってしまった。
「けど、真希の部屋に花が生けてあったのには少し意外だったけどね」
「どうしてぇ?」
「あんたに花を愛でるほどの、高度な精神構造が…」
「馬鹿にしすぎだよっ。花は大好きなんだからね!」
「好き、か……」
市井ちゃんの声のトーンが下がったような気がしたけど、気のせい?
「あのね……」
「ん?」
「あのね……、真希は花が好きなんでしょ」
「うん、好きだよ」
「『好き』って何だと思う?」
市井ちゃんはわたしを真っ直ぐに見据える。一瞬、ドキっとした。なんだか、いつもの市井ちゃんとは違う。
「『好き』……。『好き』……う〜んと、、『こころがひかれる』とか、『愛する』とか『恋する』とかと同じ…かな?」
良い回答とは思えないがとりあえず答えた。
「そう?」
市井ちゃんは納得しなさそうにしている。どことなく……。
「もしかして、市井ちゃん、好きな人ができたんだ?」
探りをいれたい本心を隠すように、笑顔をつくって市井ちゃんを見る。
「そ、そう……」
すこし間があって、
「そうなのよ、アハハハハハ」
戸惑いながらも市井ちゃんは照れている。
少しショックだった。
――スキナヒトッテ ダレナノ?――
「じゃあ、もう一つ答えがあるかも」
わたしは、動揺を押さえつつ、続ける。
「どんなの?」
興味深そうに市井ちゃんはわたしの顔を覗く。
「ものすごく、クサイ台詞だよ?」
「いいよ」
「『相手を信用する』っていう答え。その人を『信じる』からこそ『好き』になれると思う……。
わたしにしちゃ、すごい台詞でしょー?」
思わずわたしは舌を出す。
(わたしの『信じる』人は、市井ちゃん、あなたなんだよ?)
市井ちゃんの方はというと、空を見ているかの表情で微動だにしない。
と、かすかに震えたと同時に、市井ちゃんがわたしに抱きついた。
「ど、どうしたの……」
市井ちゃんは何も言わずに抱きついていた。
渇きかけていたわたしの下着が、涙で濡れていくのが感じられた。
「どうしたの? ねえ、泣いてるの……? 市井ちゃんらしくないよ」
わたしの胸で泣いてる市井ちゃんの顔を、少しのぞき込む。
「う、うん……」
と言っても、市井ちゃんは泣き止みそうもない。彼女の涙が頬を伝いわたしの素肌に伝わってくる。
「相手はどんな人? 毎日会ってたりできる人?」
「うん、会っているには会っている」
「告白したの?」
「し、してないよ…!」
「じゃあ……」
「だって、言えるわけないし。」
必死になって涙を止め、市井ちゃんは力説する。口をとがらせて、半分キレてるかのようにぶっきらぼう。
「いくらアタシが大好きでも、いくらアタシが信じていても言えるはずないもん!もし言ったら、相手がアタシを好きにならなくなるかもしれない!もう、アタシの事を信じてもらえなくなるかもしれない…!今ある関係さえも壊れちゃうかもしれないんだよ!」
駄々っ子のような目で市井ちゃんはわたしを見ている。そんな姿を見ていると、ショックな気分はどこへやら。思わずおかしくなっちゃって、
「アハ、アハハハ……」
などと笑ってしまう自分が悲しい。どうせシリアスになんかできないんだ〜!
「わ、笑ったな。アタシは真剣なんだぞ!」と、市井ちゃんは食って掛かってきた。
「市井ちゃんはこれくらい元気じゃないといけないな」
しゃがんでいて、わたしの目線より下にいる市井ちゃんの頭を撫でる。
「アタシは幼稚園児かよ…」
「そうやって怒るところがかわいいな♪」
そんなギャップの激しいところが市井ちゃんの良いところなんだ。
わたしは素早く手を引いて、今度は自分の頭を撫でる素振りをする。
「アハハハハハ」
「アハハハハハ」
二人同時にハモって笑う。それがおかしくって、いつもの感じに戻ることができた。
「今度、市井ちゃんの好きな相手でも見物に行こうかなーっと」
気を取り直してわたしはタンスに向かいながら、再び、探りを入れる。不思議と、気分は落ち着いていた。
「や、それはムリな話ってやつで……」
そっけなく返されてしまった。
「けど、興味あるなー」
「そう? けど、会ってみるとガッカリするかもよ?」
市井ちゃんは先ほどの下着姿のまま、わたしのベッドに座わった。笑い顔が消え、無表情にこちらを見ている。
「そうなの?」
「別の意味で、そうだと思うよ」
市井ちゃんは持っていた花の匂いをかぐ。少し冷たい目をする。
「なんで?」
わたしは一枚のブラウスを取り出すと、市井ちゃんのほうへ向き直る。
「なぜ、って言われても答えらんない。」
「なにそれ。」
思わず冷たく反応してしまった。言ってから後悔……。
再び沈黙が訪れる。わたしはさっき取り出したブラウスを左手で持ったまま、
市井ちゃんの手元を見ていた。市井ちゃんは持っている花をもて遊んでいて、
何か考え事をしているみたい。やっぱり、なにかいつもと違う。もしかして……?
沈黙を破って。
「どうしたの、市井ちゃんってば。」
「え、なに?」
市井ちゃんは完全に意識が異次元逃亡していた。大丈夫かなぁ……。
「もう、早く服着ようよ。じゃあ…これでも着てて」
わたしは、持っていたブラウスを市井ちゃんへ投げる。
「これじゃイヤ」
市井ちゃんは左手で受け取ると、わたしに投げ返してきた。
「もう、ワガママいわないでよー。服が乾くまでのガマンじゃん。」
意を決したかのように、市井ちゃんは立ち上がってわたしの前に立つ。そして、わたしを見つめる。
「現状を維持しようと、たいていの人は思うもんだよね?」
「そう…なのかな」
なんでかわかんないけど、その質問にこう答えていた。
「『信じる』からこそ『好き』になれる、っていい言葉、だね…。『好き』だからこそ『信じる』ことができる……?」
すこしうつむきかげんで市井ちゃんは話す。
「いい言葉……、ハハ、照れるなぁ。 気に入ってくれた?」
どうにか、返答する。
「信じてみようかなぁ…」
ポソリと市井ちゃんが呟く。
この雰囲気、やっぱり、もしかしたりして…………?