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雨がやんだら 〜Let's go together as soon as the rain is over〜




自分をとりまく空気がゆっくりと流れ出したころから、すこしづつ
ズレを感じるのは仕方の無いことだと思っていた。
それでも、一緒に過ごす時間は大切だったし。
一緒にいられない時間も価値のあるものだと思っていた。

自分と違っていままでと同じような時間を過ごしているはずの相手
からの連絡は、時々空いた時間に届くショートメールが殆どで。
自分がそこにいないというだけの生活が澱みなく流れていることが、
ほんの少し安心させた。
それはまた、寂しいことでもあったのだけれど。

ポケットの中の携帯がかるく震えた。
『市井ちゃん、元気?』
ほんの一文だけのメール。最近はずっとこの調子だ。
覚えたての頃は、嬉しそうに長い文章を何回にも分けて送って来たものだが。
『元気だよ。』
返すメールだってこんなものだ。

送り終わって部屋の外を見る。
梅雨時の細かい雨が、ずっと降り続いている。

また、携帯が震えた。
『そっちは雨、降ってる?』
今、どこにいるんだろう。
遠くでも近くでも、だいたい今はどこでも雨が降っていそうな気がしたが。
『降ってるよ。』
答えだけの、かんたんな。
簡単で、大切な時間。

今はひとりだから、どこへも行ける。
だけど、こんな日は。
ふたりで出かける予定を立てたい。

『どっか、行きたいね。どこでもいいから。』
そうだね。
呟いて、もう一度窓の外を見る。
雨が、やさしく見えた。

あれはいつだったろう。
撮影が終って、ほんの少し空いた時間に二人で出かけた。
いつもはスタジオと駅の往復だけで、ほとんど寄り道しない街。
ゆっくり歩くだけで、いつもと違って見えた。

「あ!市井ちゃん、つりぼりがあるよ!」
道の向こうに看板を見つけて真希が指差す。
ちらりと時計を見て、そのまま手をとった。
「やってみたいなぁ。いいよね?ちょっとだけ。」
「そんなこと言って、後藤、魚なんか食べないじゃん?」
ぷうっと頬を膨らませて、コドモみたいに手足をじたばたさせる。
「食べるんじゃないもん、釣るんだもん。市井ちゃんのいじわる。」
そう言ってひとりで横断歩道を渡っていってしまった。慌てて追いかける。

平日の釣堀はまばらに、常連らしき人たちがひねもす釣り糸を垂れているようなカンジだった。
竿を借りて、空いているところに適当に腰を落ちつける。
「市井ちゃん、エサのつけ方、わかる?」
ひそひそ声で真希が話しかけてきた。
「あ?いいじゃんそんなの適当で。なんでそんな小声で喋るの?」
「だって大声だしたらお魚逃げちゃうじゃん。」
笑ったら、口に指を当てて注意された。

指でまとめた練り餌を針先につける。
「…後藤、そんなに付けてどうするの?」
親指の先よりも大きいくらいの塊を針先に刺しているところだった。
「それじゃ魚の口に入らないじゃん。」
「これが入るくらいの大きな魚、釣るの。」
思いきり手を広げてみせる。
「ふ、ふーん。」
「…今、笑ったでしょ。」
「笑ってない笑ってない…あ、痛っ。」
余所見をしていたら針を指に刺してしまった。

「あ。」
すぐにその手を真希に取られて指を咥えられる。
「…大丈夫だよ。」
所在なく真希の顔を見つめる。
急に顔をしかめて、指を離す。
「………変な味。」
「練り餌、持ってたからね。」
むー、と膨れた頬をかるくつついて。
誰からも見えないように角度をずらして。

「口直し。」
「………あはっ。」
こっそり、唇を重ねた。

「しっかし、釣れないなぁ………。」
日差しはやわらかく、風はほとんどない。
非日常的な日常からの、ほんの小休止。
ゆらゆらと動く水面を見ているだけで、カラダを巡る血液がさらさら流れるような。
ほどけていく、感覚。

ぴくん、と隣に並んだウキが動く。
しかし、釣り竿が動く様子がない。
「後藤、引いて…ありゃ?」
手にはしっかりと竿を握ったまま、舟を漕いでいる。
「後藤?ごーとーうーまーきっ!」
「………にゃ?」
ちょんちょんと水面を指差す。首を傾げる。ダメだ、気付いてない。
「引いてるの。」
「え?あ?…あらららら?」
慌てて、ぶかっこうに竿を引っ張り揚げる。遅い。
エサをとられた針から、ぽたぽたしずくが落ちる。
「う〜〜〜〜〜〜〜。」
「居眠りなんかしてるからだぞ。」
こんこん、とこめかみあたりを小突く。

今度こそ、と気合を入れてさらに大きく練り餌をつけて糸を垂らす。
じーっと水面を見つめている。
「魚って、来い来いオーラが出てると来ないのかもね。」
「だから寝てるときに引っ掛かったりしたのかなぁ。」
その言葉を実践したのかどうかはわからないけれど。
またすぐに真希は寝息をたてはじめてしまった。

つかれてるんだなぁ。
真希もそう。自分もそう。みんなも、そう。

「あたしも、寝ちゃおっかな。」
携帯のアラームを再集合のすこし前に合わせて、目を閉じる。
ほとんど感じなかった風が、さわさわと頬を撫でる。
外の通りを走る車の音も、ずっと近くに感じる。
そして、真希の寝息も。

何も考えないようにしようと思えば思うほど、なにかが浮かんでは消えて。
ココロのどこかをくすぐって、なかなか寝かせてくれない。
薄目を開けて伺うと、隣人はほんとうに気持ち良さそうに寝ているというのに。
安心しきった。
リラックスした。
悩みのなさそうな。

しあわせそーな、寝顔。

「えへへ。」
眺めているだけで、笑みがこぼれた。
皆の前でもよく寝るし、TVに映っているときでも寝てばかりだけど。
今、こーしている寝顔は、自分だけのものだ。

それだけでいい、時間があった。「ホント後藤、ずっと寝てたな〜。」
「あはっ。」
再集合の時間が近づいて、スタジオへ戻る道。
笑いながら、まだ少し眠そうに目をこする。
太陽は、さっきよりもずっと西に傾いていた。
「なんか、いつでもどこでも寝てて。ホントうらやましいよ。
市井も真似して寝ようと思ったけど、全然寝られなかったよ。」
「市井ちゃんが、いてくれたから。」
真希はにっこり笑った。
「何それ、目覚ましがわりってコト?」
わざとらしく意地悪く苦笑してみせると、否定するように手を振った。
「違うよう。そういうんじゃなくて、市井ちゃんが一緒だったから。
ああ、ここに市井ちゃんがいるんだなって。そしたら、眠くなって…
………何言ってんだかわかんないっ!」

こういうところ、ホント子供だなって。
かわいいなあ、って。

「大丈夫だよ、わかるから。」
くしゃくしゃと髪を撫でる。
「ホントに?」
「ホントホント。真希が言いたいことなら、ちゃんとわかるよ。」
うそぉ、と上目遣いにこちらを見る。
そして手を振り解くように、少し駆け出す。

10mほど前から振りかえって。
「じゃあ、今から後藤がなんか考えたら、当ててくれる?」
腕を組んで、自信たっぷりに。
「おーし!当ててやろうじゃん!!」

いちいちゃん、だいすき。

唇の動きがシンクロする。
それは自分が望んでいること。
それを叶えてくれるひと。
駆け出す背中を、つかまえる。

「ほら、当たった。」
首に回した腕を、引き剥がそうともがく。
「当たってないよう。」
「じゃあ、何て言ったの?」
顔は笑っている。すこし頬も赤く見える。
「市井ちゃんのバーカって。」
「うっそだよぉ。」
「うそじゃないよぅ。」

じゃあ、ホントは。
どう、思ってる?
なんて、言ったの?

手をつないだまま、スタジオまで歩いた。
「ね、市井ちゃん。」
「うん?」
掴んだ手に、きゅっと力を込めて。
「また、どっか行こうね。」
「うん。」
そのまま、小指を絡めて。
「二人でね。」
「うん!」
一緒に、行こうね。

そのあとの仕事は、驚くほどうまくいった。

それから、何度か二人で過ごす時間もあった。
仲間と過ごす時間がほとんどだった。
今はこうして、自分だけが別の場所で。
それでも、同じように雨の降るのを眺めている。

優しい雨は、誰かに似ている。
自分達を包んでいた、誰かに。

『そうだね。』
一緒なら、どこでもいいね。
返事を打って、携帯をポケットに仕舞う。
読みかけの文庫本に、手を伸ばす。

また、釣りに行こうかな。
それとも、海がいいって言い出すかな。
部屋でごろごろするのも、悪くないよね。
もう一度メールが来たら、こう返事するのだ。決めている。

『雨がやんだら、迎えに行くよ。』

雨がやんだら/FIN


Pinch Runner

「あ〜ん!これじゃ久々に遅刻しちゃうよう!」
さなえは走っていた。アスファルトに豪快な足音が響く。
いつもの『彼氏』たちはこんなときに限って通りかかってくれない。
「もぉ〜、そのへんのチャリ盗んじゃおうかなー。」
きょろきょろと見まわしてみても、手ごろな自転車はない。
だいいち、ただでさえ問題児で通っているのだ。自転車窃盗がバレでもしたら…。
せっかく最近は遅刻せずに稼いできたポイントがチャラだ。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
だから、ひたすら走る。

曲がり角から、見覚えのある背中が飛び出てきた。
「真穂せんぱあぁ〜〜〜〜〜〜〜い!!」
遠ざかろうとするその自転車に、大声で呼びかける。
きゅっと音をたてて、それは止まって振り返った。
「やっぱり先輩だぁ〜。お願い、乗せてってくださぁい。」
ステップも荷台もつけていない自転車に、器用に飛び乗る。

「珍しいですね〜。自転車でしたっけ?」
「今日は、遅刻しそうだったから。」
答えの後、真穂が低い声で唸る。
「どうしました?」
「いや、さなえがこんな時間だから、もう遅刻間違いなしだなって」
「…ひっどーい!」
「うわっ!バカッ!危ないってば!!」
しがみついた肩を揺さぶられて、真穂がよろける。

「今日は、いつもの彼氏はどうしたの?」
ぽそっと真穂が問い掛ける。
「え?あんなの、彼氏じゃないですよ。たまたまですよ、たまたまいたから」
「ふーん。」
不意に真穂がスピードを上げた。
「先輩?」
真穂は答えない。ぐんぐん頬に当たる風が強くなる。

「じゃ、あたしもたまたまなんだ。」

「え?」
風に紛れて、聞こえそうで聞こえない呟き。
ぎゅっと、掴っている指先に力を込めた。

「セ〜〜〜〜〜〜フ!」
ギリギリで校門に飛び込んで、自転車から飛び降りる。
必死で自転車を漕いでいたせいか、真穂の頬がほんのり赤くなっていた。
「じゃ、自転車小屋に置いてくるから。」
きゅっと方向を変えて、そのまま歩いていこうとする背中を呼びとめた。
「先輩!」
「?」
大きく息を吸い込んで、吐き出すように宣言した。

「もう、先輩の後ろにしか、乗りませんから。」

校舎に向かう生徒たちが次々に二人を見る。
「バーカ。」
声を出さずにそう言って真穂は、足早に自転車小屋に向かう。

昇降口で、さなえが待っていた。
「せんぱい…。」
その前を通りすぎようとすると、きゅっと袖口をつかまれた。
顔を、見せないように。
顔を、見られないように。

「…遅刻なんかしたら、乗せていかないよ?」
真っ赤になっているのが、恥ずかしいから。

「……………はいっ!!!」 
その日、真穂が自転車の荷台を買いに行ったというのは、ヒミツらしい。

自転車/FIN