プロローグ「生える」
夢を見た。
私は、魔法をかけられて、恐ろしい姿の野獣になってしまい、森の奥深くのお城に
住んでいるのだ。
迷い込んでくる、美人の村娘役は、なぜか市井ちゃんだった。
「こんな醜い姿の私を、誰が愛してくれるものか!」
「外見なんて関係ないよ。私、後藤のこと、大好きだよ」
「市井ちゃん……」
市井ちゃんの愛に触れ、魔法は解けて、私は元のカワイイ後藤に戻りました。
おしまい。
◇
「なんだ今の夢」
ホテルのベッドで目が醒めた。時計を見たら、まだ朝の4時だった。
夏のハロプロと娘。のコンサートに向けて、集中合宿に入っていた。今日から、
夏先生のキビしいダンスレッスンが始まる。
少しでも寝て、体力を温存させとかないとね。
私は、もう一度、眠ろうとして……、
「!!」
跳ね起きた。
なんかが、ズボンの中にいるッ。
それも、私の、大事な場所にッッ!
ピキーン、とその場に硬直する。なにか、熱を持った物体が……小動物系? それ
とも、お化け?
刺激を与えて、噛みつかれでもしたらと思うと、怖くて動けなかった。
10分後、私は、どうやら生き物ではない、と結論づけた。そろそろと、パジャマの
ズボンに手をのばし、股間をそーっと覗いた。
「???」
ビックリして手を引っ込めた。ぱちん、とゴムがお腹を叩いた。やっぱり、何かがいる。
今度は、ズボンと一緒に、パンツも引っ張り上げて、中を覗き込む。
「なにこれぇ?」
大声をあげてしまった。
信じられなかった。ぐん、と手を突っ込んで、それをつかみ、引っ張り出そうとする。
いたたたたたたたたっ!
痛い。つまり、これは、私自身なのだ。
「うっそぉ……」
私は、茫然と、呟いた。
バスルームに駆け込み、全部服を脱ぐ。
鏡に、自分の生まれたままの姿を写す。
すっかり膨らんできた胸や、女らしくなってきた腰のラインは、昨日と変わりない。
しかし、
(これは、悪い夢の続きに違いない)
……。
泣きたくなってきた。
(いや、現実を見つめろ、後藤)
って、こんなモノ、嫁入り前の娘が見つめるようなもんじゃないや。
でも、仕方ないので、もう一度、しげしげと見つめる。
私の股間には、しっかりと、……ええと、その……(おちんちん)……が、生えていた。
第1話「見せてみよう」
時計を見る。朝の五時だ。
(裕ちゃん、まだ寝てるだろうな〜)
やっぱ、こーゆーのは、リーダーに相談するべきだろう。
私は、枕で前を隠しながら、裕ちゃんの部屋へと向かった。股間に違和感があって、
すっごく歩きにくい。
ドアをノックする。
途端に、バタン、と扉が開いた。びっくりした。
「なかざわさんッ?」
中から叫んだのは、裕ちゃんだった。
???
わけ分かんないぞ。
裕ちゃんは、私を確認して、
「あ……ごとう、さん」
と言い直した。
裕ちゃんの様子はただごとではなかった。
なんだ? 娘。たちの中で、尋常じゃないことが連発してるのか?
だだだーっ、と誰かが走ってくる。
振り向くと、これもまた予想もしない人物が、
「おう、ごっちん、朝からどないしたんや。今日な、裕ちゃん、調子悪いねん。
ごめんやで」
……辻だった。
ドアの前で、私に手を合わせて、辻は裕ちゃんの部屋に入っていった。ばたん、
と扉は目前で閉められた。
私は、茫然と、扉の前で立ち尽くした。
一体、なにが起こってるんだ?
ひとつだけ確実なのは、裕ちゃんには相談出来ない、ってことだ。
……私は、どうしたらいいんだろう。
「なによぉ、朝からうっさいなあ」
上下のジャージ姿で現れたのは、軽く汗をかいている市井ちゃんだった。
「あ……市井ちゃん、お早う」
「おはよっ。後藤も早いじゃん。なんで枕持ってんの?」
「あ、これ、ううん、別に。市井ちゃんは、朝からどうしたの」
「うん、ちょっと走ってきた」
さっすがー、と私はハンサムな市井ちゃんの顔をほれぼれと見つめた。
市井ちゃんは、私の教育係だし、リーダーの裕ちゃんがダメなんだから、ここは、
市井ちゃんに相談するのがいいかな。
「市井ちゃん、あのね?」
「どしたの、後藤」
だんだん、ブルーになってきた。
「……私、娘。辞めないといけないかも知んない」
はあ? と市井ちゃんは、目を丸くした。
「またいきなり、なに言い出すのよ後藤」
ちょっと、ここじゃなんだから、部屋に来なよ、と私をうながして、市井ちゃんは
歩き出した。
「後藤、歩き方ヘンだね?」
振り向いて、私の奇妙な内股歩きを見て言う。
私はグジグジとべそをかきながら、
「私、もう娘。じゃなくなっちゃったんだ」
市井ちゃんは、急に真面目な顔になって、立ち止まった。
「それ、それって、ええと、……もしかして──その、キムスメじゃなくなったって
意味で?」
私は、勇気をふりしぼって、
「私のココに、あの、……おちんちんが」
市井ちゃんは、私の台詞を途中で遮った。
「後藤、あんた、男と付き合ってんの?」
私はかぶりを振る。
「昨日の晩までは……なんともなかったの。……だから、寝ているうちに、……こんな
ことになっちゃったんだって思う。無理やり、その、(引っ張っても)痛くて痛くて、
私にも、わけが分かんなくて」
鼻を詰まらせながら、言った。
市井ちゃんは、しばらく、茫然と私を見つめていて、それから、私をぎゅっ、と抱き
締めた。
「ゴメンね」
市井ちゃんは、なぜか、私に謝った。何か、勘違いしてるんだろうか?
「ゴメン。後藤、つらかったね。大丈夫、もう大丈夫だからなにも心配することなんて
ないからね」
市井ちゃんの、甘い汗の匂いが、私を包み込んだ。
と、なんか、股間が反応した。ムズムズする。
「イヤっ!」
私は、反射的に市井ちゃんから離れた。手にしていた枕を、素早く身体の前に持って
いって、股間の変化を隠す。しゃがみ込んで、外からは見えないようにする。
「後藤……」
哀れむような、もどかしいような、市井ちゃんの表情。
「後藤、私も、怖いの?」
「ううん、怖いとかじゃないよ。でも、今は、ダメなんだ。お願いだから、近づかない
で……」
股間の異常はおさまりつつある。
ああ、私はこれから、どうなってしまうんだろう。
タイヘンな事態なのに、どこか間抜けだ。
「ゴメン、急に抱き締めたりして。私、後藤の気持ち、考えてあげられなくて、
最低だね」
市井ちゃんの、痛々しいものでも見るみたいな目に、また泣けてきた。
私はへたり込んで、ひーん、とすすり泣いた。
市井ちゃんは、下唇を噛んで、じっと、窓の外に広がる夜を睨んでいた。
市井ちゃんの手が、おそるおそる、といった感じで、私のおさげにした髪に触れる。
私はきょとん、として、市井ちゃんを見上げる。市井ちゃんは、ほっとしたのか、
そっと私の頭を撫でる。
「ね、後藤。私の部屋においでよ。カフェオレ飲もうか。甘いお菓子もあるし」
すっごく優しい、市井ちゃんの声。
「うん。行く」
私は立ち上がって、市井ちゃんに手を引かれて、ひょこひょこ歩いた。もう市井ちゃん
は、その歩き方を見ても、なにも言わなかった。
外が、だんだん明るくなってくる。
あったかいカフェオレと、チョコレートで、気持ちも落ち着いてきた。
さっきまで、シャワーを浴びていた市井ちゃんは、下着とおっきめのTシャツを着た
だけの姿で、バスルームから出てきた。Tシャツのすそから伸びる、白い足を、私は
なんとなく眺めていた。
「後藤。あとでちゃんと、みんなにはうまいこと、私がやってあげるからさ、その、
言いにくいだろうけど、どういうことか聞かせてくれないかな?」
私は、ベッドの上に体育座りしている。マグカップを口元に、市井ちゃんをじっと見る。
「ね?」
(うーん、なんか今日の市井ちゃんは、妙に可愛いぜ)
落ち着きすぎた私は全然違うことを考えていた。
「あ……うーんとね。朝起きたらね、股間からおちんちんが生えてたの」
がーん、と音がした。
市井ちゃんが手にしていたトレイを落としたのだ。
「後藤、今、なんて──」
「後藤の股間は、男の子になっちゃったの、へへっ」
市井ちゃんは、ジャスト五秒、硬直し、突然憤怒の表情と化して、私に襲いかかって
きた。
ドスン、と私は市井ちゃんに組み敷かれる。
「こらあっ、後藤、てめえ、朝からなにそんな愉快なこと言ってンだっ! 私はね、
後藤が、その、誰かに乱暴でもされたのかって、心配して、怒り狂って」
「全然愉快じゃないよ、私、こんなんじゃもう娘。じゃないじゃん」
「よっし分かった。じゃあ、それを見せろ。かあさんに、その立派な男の子を見せて
みろってんだ」
市井ちゃんの手が、私のパジャマをずり下ろそうとした。
「やだっ」
私は反撃する。
じたばたあがいて、マウントポジションを入れ替わる。
両肩をひざで押さえ込んで、息を切らして、市井ちゃんの顔を覗き込む。
「市井ちゃんだってさ、私に、市井ちゃんの女の子を見せて、って言われたら、
恥ずかしいじゃん。それと同じだよっ。どーしても後藤のが見たかったら、先に
市井ちゃんのを見せてよ」
タンカを切る。
市井ちゃんは、抵抗をやめていた。
(あれ、市井ちゃんて、こんなに力弱かったっけ?)
なんだか、すっごく華奢に感じる。
市井ちゃんの目は、一点を凝視している。
市井ちゃんの両胸の間くらいにこんもりと位置している、私の股間の膨らみの辺りに。
微妙な空気が流れる。
市井ちゃんから慌てて飛び降りた。
「後藤、それ、マジ、なの?」
私はコクコクと頷く。
ふええ〜、と市井ちゃんはため息をつく。
「うっわ〜、ビックリした」
「ビックリしたっしょ。私なんか、当事者だよ」
2人で、しみじみと私の股間を眺めた。
市井ちゃんの呼吸は荒い。
そーだよなあ、いきなり胸に、こんなもの乗せられたら引くって絶対。
「状況は、分かった。で、そこ、見せてよ」
「さっき、ヤダって言った──」
市井ちゃんは、Tシャツのすそを押さえて、
「……私の、先に見ていいからさ」
ぼそっ、と言った。
2人とも、呼吸をとめていたみたいだ。30秒ほどの沈黙ののち、どちらからとも
なく、は〜っ、と深く息をついた。
「市井ちゃん、それって……」
私は、生唾を飲み込んだ。
(って、なんで、緊張しないといけないんだ)
一緒にオフロに入ったこともあるし、でも、改めて、見ていい、って言われると、なんか、
「いいの?」
「……うん」
なんか、見たくなってきた。
「じゃ、さ。Tシャツのすそ上げてよ。それじゃあ見えないよ」
私が男になった気分だ。
市井ちゃんは、自分でTシャツをめくり上げる。シンプルな青い下着が目に飛び込
んで来る。
私は、四つん這いで、市井ちゃんのそばに近づく。ベッドがきしきしと軋む。
近くまで寄ると、石鹸のいい匂いがした。
下着のふちに、指をかける。
「じゃあ、下ろすよ」
コクリ、とうなずく市井ちゃん。
見上げると、市井ちゃんと目が合う。ぷいっ、と市井ちゃんは横を向く。耳が、ほん
のりと赤くなっている。ほら、やっぱ恥ずかしいんじゃん。
指先に力を入れて、そっと、ゴムの部分を伸ばして、
「……」
(ごくり)
「……」
はああっ。私は、脱力して、その場に崩れ落ちた。
「やっぱ、やめやめッ。なに、この雰囲気。私がこれから市井ちゃんと初体験する
みたいじゃん」
市井ちゃんも、ばっ、とTシャツのすそを下ろして、座り込んだ。深く、深くため息
をつき、そうだね、なんでこんなに緊張するんだろうね、と言った。
「で、なんで後藤はそんなところにいるの」
私は、ベッドの頭のところまで移動して、枕を抱えて座り込んでいた。
「いやあ、なんか、後藤の男が反応しちゃって。今、ここから動けない状態なんッスよ」
「後藤──」
市井ちゃんは、目を細めて、
「さっきも廊下で、おんなじ体勢になってたよね。それってもしかして」
「そうでーす。今と一緒でーす」
「あ゛ーもう、私、どれだけ心配したかと思って……そんな、ギャグマンガみたいな
理由で……」
嘆いている市井ちゃんを横目で見ながら、私は、残りのコーヒーを飲み干した。
(なんか、市井ちゃんに話したら、安心しちゃった)
なんとかなるんじゃない? って気になってきた。
「とにかくさ」
市井ちゃんは、気を取り直したのか、
「後藤は、この問題はしばらく秘密にしてた方がいいね。男になった、ってバレたら、
本当に娘。クビだよ」
「そんなのヤだよ」
「だから」
市井ちゃんは、ベッドに両手をついて、私の目を覗き込むようにして言う。
「この件は、私に任せなさい」
お姉さんぶって言う。
(ブラジャー、見えちゃってるよ)
ちょっと、ドキッ、ってなった。
なんか、今日はよく市井ちゃんに『女』を感じる日だよなあ。精神もオトコ化して
きているんだろうか?
私がふと思った疑問は、間違いなんかではなかった。昼間のダンスレッスンで、いき
なり大問題が勃発してしまうのだった。
第2話「誘惑1」
朝、みんなでハイエースに乗り込み、ダンスレッスンのスタジオに向かう途中、
ちょっとした騒ぎがあった。
車から降りて、ビルに入る短い移動の際、至近距離で続けざまにフラッシュが光ったのだ。
なんか、大きなレンズのついたカメラを持った男たちが、こちらに向けて、何度も
シャッターを押していた。
(雑誌とかじゃないなあ。たちの悪いファン、ってところかな)
「すいません、写真はご遠慮願えますか」
マネージャーが間に入るも、無視してフラッシュを光らせる。
「あんたたち、ちょっといい加減にしてよ」
圭ちゃんが彼らに注意する。それがかえってマズかったみたいだ。
「うっせえよ」
「お前なんか知らねえんだよ」
大声で怒鳴り返された。
圭ちゃんや他の娘。たちはすっかり怯えてしまった。
なっちなんて、耳を押さえて、うずくまっている。
普通なら、男のスタッフが素早く割って入ってくれるはずなんだけど、コンサート
前のバタバタで、近くには誰もいなかった。今は、マネージャーも含めて、女ばか
りだ。だから、彼らも調子に乗っているんだろう。
男たちの人数を確認する。
太ったのと、やせたのっぽと、ちっちゃいの。
普段なら、私も怖くて震えちゃうはずなんだけど、今日は、なんかムカつくだけで、
ちっとも恐怖感は無かった。
つかつかと、望遠レンズを構えている男のところに歩み寄り、
「おっ、後藤だ」
「後藤真希じゃん」
カメラをガン、と蹴った。
「うわわぁ」
「なにすんだよ、てめえ」
「な〜によ」
睨み合いになった。
「ちょっと後藤」
後ろに市井ちゃんが来てくれた。怖くて仕方ないはずなのにね。
「ここはいいよ。みんな先に行っといて」
私はマネージャーに早く行け、と目でうながした。
「待てよ、ちょっとくらいいいだろ?」
またカメラを構えたので、
「全然良くないね」
髪をつかんで、ぐいっ、と引っ張った。
ちっちゃい男は、簡単に転がってしまった。
私は自分の腕をしげしげと見つめ、
(やっぱり、力がついてるみたいだ)
「女ばかりだからって、あんまりナメないでよね」
騒ぎを聞きつけて、ようやくスタッフたちが駆けつけてきた。男たちは「なんでも
ねえよ」とか言いながら、逃げてしまった。
なんでもありませーん、ちょっとムカつくカメラ小僧がいたんで、注意してましたー、
とか笑って言うと、スタッフの人たちもホッとしたのか一緒に笑ってくれた。
「ちょっと後藤ー、心配したよー」
「あれ、市井ちゃん、先行かなかったんだ」
「あれ、じゃないよー。あんな無茶しないでよね」
市井ちゃんは、泣きそうになっていた。
女の子だよなあ。
「ごっちん、すごい、カッコイイっ」
飛びついて来たのは、やぐっちゃんだった。
「あれ、やぐっちゃんもいたんだ」
「いたよ、ずっとみてたぞー。ごっちん、強いねえ」
ケラケラと笑う。
今まで気付かなかったけど、やぐっちゃんて、チビっこくて、いつも笑ってて、
可愛いんだよね。
思わず、イイコイイコしてしまった。
「こらっ、年上だと思ってないだろー」
……なんか、密着してくるやぐっちゃんの柔らかい身体の感触が、って私なに
考えてんだ?
「はいはい、じゃあ早く行こうね」
「子ども扱いしてるー」
市井ちゃんも、と言いかけて、振り向くと、さっさと歩いて行ってしまうところ
だった。待ってよー、と慌てて追いかけた。
「おっ、今日の後藤はいいねえ」
夏先生が誉めてくれた。
身体が軽かった。なんだか、シャープに動けるような気がする。
「ほらほら、みんなもバテてないで、メリハリつけて動く」
「もう動けませんー」
「仕方ないなあ。15分休憩ね」
いつもなら、すぐに座り込んで水飲んでたんだけど、今日は全然疲れてないんで、
一人で鏡の前で動きの復習をしていた。
「おっ、ごっちん、いつもと違って、やる気あるじゃん」
もう一人、調子のいい娘。がいた。
なんと、辻だ。辻は、新メンバー4人の中で、いち早く今日の分の振り付けをマス
ターしてしまっていた。しかし、様子がおかし過ぎた。
今朝のことを思う。裕ちゃんは、体調不良で、今日のレッスンは休んでいる。
いっぱしに、タオルを手にスポーツドリンクを飲んでいる辻に話しかける。
「辻さあ、あんた、なんかおかしくない?」
「え? そんなことあらへ──(ゴホン)そんなことないよ。普通や普通」
すっごい不自然な標準語。
「ふーん、まあいいや。ねえ、辻。今朝のことだけど、裕ちゃん、やっぱ様子おか
しいよね」
話題の方向を変えてみる。
「全然おかしくないない。……ごっちん、ちょっとこっち来」
辻に腕を組まれて、強引に廊下に連れて行かれた。
「ごっちん、ヘンなこといわないでよね。みんながふしんにおもうから」
私は屈み込んで、辻と視線を同じ高さにする。
12才が不審に思うなんて単語使うもんか。
「なにを、隠してんの」
信じられないことだけど、目の前の辻は、辻じゃない。
辻の視線が、宙を泳ぐ。
「ちょっとみみかして」
「なに?」
「んっ」
いきなり、唇を奪われた。
(うわっ、キスされたッ。それに、私の口の中でレロレロってッ)
「あんまし追求しないほうがいいよ。そのほうが、ごっちんの身のためだから」
にこっ、と笑って、辻は言った。このごまかし方、間違いない。絶対、中身は
裕ちゃんだ。
「それじゃね。もう、行くね。ごちそうさん」
辻の後ろ姿に向かって、
「裕ちゃん、待ってよ」
「なんやねん。ごっちん、しつこいで」
私は、辻の顔をじーっ、と見つめた。
「私、裕ちゃん、って呼んだんだけど」
(それに、もう標準語忘れてるじゃん)
「えっ」
辻の身体が硬直した。
「わたしはののちゃんだよ、てへへっ」
親指をしゃぶるみたいに唇に、片足をぴょん、と曲げて、ポーズを作る。
「可愛くない」
「……」
ぐい、と胸ぐらをつかまれる。
「まあええわ。そうや、私は裕子姉さんや。話が混乱するから、ごっちんは黙っと
いてや。私らは私らでなんとかするから。ええな」
この迫力。確かに、裕ちゃんだ。
私はガクガクとうなづいた。
「じゃあねえ、ごっちん」
無邪気な演技で、辻は走り去って行った。
「ごっちん、何してるのー。タオルだよ〜」
やぐっちゃんが、フラフラと、疲れたぁとかいいながらこっちへ来た。
「ん、ありがと」
がしがしと汗を拭く。
「ドリンクー」
ごきゅごきゅごきゅ。
やぐっちゃんは、じーっ、とこっちを見ている。
「どったの?」
「今日のごっちんって、なんか雰囲気あるね」
「そっかな」
へへへっ、とやぐっちゃんは笑う。
「さっきさ、なんかからまれたじゃん。ホントは、すっごく怖かったんだ。でも、
ごっちんが追い払ってくれてさ、その瞬間、惚れちゃったんだよね」
私の首に、両腕を回して、くんくんくん、と小犬みたいに私の匂いをかぐ。
「ごっちんの汗の匂いってさぁ──」
やぐっちゃんの胸元が見えそうだ。なんか、視線がそこに吸い寄せられる……
今日の私って、やっぱヘンだ。
「汗の匂いがどうしたの?」
なるべく、視線をそらして、言う。
やぐっちゃんは、耳元に唇を寄せて、
「ちょっとだけさ、2人っきりになろうか」
囁く。
え?
ええーっ!?
(そして、2人っきりになってしまった)
楽屋のソファーに私は座っていた。
私は、何を期待してるんだろう。
そりゃあ、同性から見ても、やぐっちゃんは可愛い、って思うけどさ。
「あのー、そろそろ戻らないと」
「ごっちんさ、私の胸に興味あるの?」
「は?」
「さっき、じっと見てたじゃん。中も見たい?」
女同士で、そういう欲求は、普通起こらんだろうが──実は、見たかった。
どういうことよ、これ?
やぐっちゃんは、私の片膝の上にまたがって、胸元をぐっ、と広げた。
なんか、甘い匂いがする。
(やぐっちゃん、表情が入ってる。私は今、完全に誘惑されております)
ちょこっと、勉強になるなあ。
「ね、キスしよっか」
やぐっちゃんの、ラメの入ったピンクの唇。
やばい、抵抗出来ない。
「なにするって?」
ガーン、と音がした。
今度は、手元にあった、でっかい灰皿を落としてしまったのだ。
「あ、市井、ちゃん」
「紗耶香ぁ?」
市井ちゃんは、つかつかと楽屋に入ってきた。冷たい目で私たちを見て、
「そろそろ休憩時間は終わり。やぐっちゃん、早く行ったら?」
「はーい」
やぐっちゃんは、私から降りて、すたたたっ、と楽屋を出ていった。ドアのところ
でパタパタ手を振って「続きはまたねー」と小声で言った。
市井ちゃんにジロリ、と睨まれて、やぐっちゃんは首を引っ込めた。
ははは、とごまかし笑いしながら、
「なんで市井ちゃん、ここに?」
市井ちゃんは、鼻息荒く、
「後藤が娘。内の秩序を乱さないように、見張ることにしたのッ」
「秩序〜?」
「後藤がメンバーにエッチなことをしないようにだよ」
「エッチなこと〜? しないしない」
ブンブン、と首を振って否定する。汗かいてきた。
市井ちゃんは、私の横に座った。
私は、背筋をシャキン、と伸ばして座り直した。
市井ちゃんは、口調を少し柔らかくして、
「ほら、ここって女ばっかじゃん? 男ってさ、こんな環境だったら、エッチな
気持ちになっても、仕方ないんじゃないかな」
確かに、今日の私は、ちょっとおかしいです。
「市井ちゃん、男に詳しいの?」
「そりゃあ、私は後藤よりもお姉さんだからね」
「でも、私は男じゃないし。ははっ」
市井ちゃんは、視線を落として、
「どうしてもしたくなったら、さ」
言いにくそうに、
「ちょっとくらいだったら、私の触らせてあげるよ」
理性が止まった。
昨日までは、市井ちゃんってオトコマエだ、ってばかり思ってたのに、今日の市井
ちゃんは、なんだか、……可愛い、かも知んない。
(触っていい、んなら、ちょっとだけ、いいかな?)
心臓がドキドキしてきた。
どこを触ろう。
やっぱり、定番は、胸か。
ほんのちょこっとだけ、市井ちゃんの胸を触ってみたいぞ。
そーっ、と手を伸ばす。
指先が、市井ちゃんの、胸の、先端に、
頭をはたかれた。
「ほらあ、やっぱり、娘。にエッチなことしそうじゃんか」
「ずるい〜」
市井ちゃんに騙されたっ。
「とにかく」
市井ちゃんは、立ち上がる。
「後藤、オトコ化してから、妙なフェロモン出てるんだからね。気をつけなよッ」
市井ちゃんは、赤い顔をして、出ていった。
フェロモン、出てるのか?
自分で自分の腕とかわきとか嗅いでみたけど、それがどんな匂いかはついに分かん
なかった。
第3話「誘惑2」
夜の10時。
はあ、今日のレッスン終了。
そろそろコンサートに向けてのフォーメーションも大詰めなもんで、キツかった。
「お疲れさまでした〜」
「お疲れさま〜」
メンバーたちはシャワーを浴びに行ったんだけど、私はそういう訳にもいかなくて、
タオルで汗だけ拭いた。ホテルに戻ってから、ゆっくりお風呂に入ろう。
ホテルに戻るハイエースの中、みんな無言だった。
(ね、後藤、起きてる?)
(起きてるよ。市井ちゃん、今日は疲れたっしょ)
みんな寝てしまってるんで、ヒソヒソ会話である。
(後藤、シャワー浴びれなかったんだね)
(さすがにねえ。みんなに見られたらパニックだよ)
(だよね)
クククッ、と肩を震わせて笑う市井ちゃん。ひどいよ。
(ホテル、露天風呂あるんだよね)
(でも、私は入れないよ。男風呂女風呂、どっちに入ればいいんだーっ、て感じ)
(夜中だったら、人来ないよ。多分、大丈夫だよ)
(そうかな?)
(ね……今夜さ、夜中の2時くらいに、一緒にお風呂に入んない?)
なに、一緒にだって!!
ってなに興奮してんだ私。女同士なんだから、普通じゃん、うん、普通普通。
しかし、ほんのりとなにかを期待しつつ、車はホテルへ走ってゆくのだった。
自分の部屋に戻る。夜中の2時に、市井ちゃんが露天風呂に誘いに来る。
(もう一回、シャワー浴びとこっかな)
落ち着けなくて、何度も身体をきれいにした。
股間のグロテスクなモノは、なるべく見ないようにした。
(……なんか、オトコ化が進行してるような気がする)
肩幅が大きくなったみたいだし、全体的に、うっすらと筋肉がついてきた。
それに合わせて、胸も小さくなってきてるような……。
(私、これからどうなるんだろう)
(やっぱり、娘。は脱退、かな)
市井ちゃんがいれば、大丈夫。
不安で、吹き飛ばされてしまいそうな自分に、何度も暗示をかける。
市井ちゃんがいれば、大丈夫。
市井ちゃんがいれば……
深夜零時。
なぜか、部屋には酔っぱらった圭ちゃんがいた。
「裕ちゃん、絶対、ヘンなのよ。私にも、会おうとしないんだから」
圭ちゃんは、当然、未成年だ。
同じく未成年の私のところに、なぜクダを巻きにくるんだろう。
「圭ちゃん。あのさあ、明日も早いんだから、もう寝たら?」
「なによ、ごっちんまで、私を除け者にするの?」
ダメだこりゃ。
今はジャージ姿の圭ちゃんだが、私は、持参してきたかたわらのボストンバックが
気になっていた。
(もしかして、今日は、私の部屋に泊まるつもりなのかな?)
それは、マズイ。
市井ちゃんが部屋に来て、露天風呂に行く、ってことを知られたら「私も行く」とか
言い出しかねない。当然、一緒に行ける訳ないし、かといって断れば「同じプッチの
メンバーなのに」とか言って拗ねること必至だろう。
なんとかして、午前2時までに、追い払わなければ。
(もっと飲ませて、酔い潰してから、圭ちゃんの部屋に運ぶ、って案はどうだろう?)
「そーよねー。裕ちゃん、水くさいよね。ま、一杯どうぞ」
「んー、そうなのよ、分かってるじゃん。ごっちんも飲みなよ」
「いえいえ、ご遠慮させて頂きます。ははっ」
圭ちゃんは、それほど酒が強いようでもなかった。すぐに、へべれけになった。
(よし、いいぞっ)
私は心の中で、びしっ、とガッツポーズを作った。
「へへへっ、酔っぱらっちゃった〜」
そう言って、圭ちゃんが、しなだれかかってきた。
何だ? 酔うとからんでくるタイプなのか?
「なんでだろうねえ。この前までは、単なるお子ちゃまだ、って思ってたのに。
今日のごっちん見てると、なんか、きゅん、ってなるよ」
はははは……、圭ちゃん、なんか目がトロン、ってなってるよ。酔い潰し作戦、失敗か?
「圭ちゃんさ、疲れてるんだよきっと。もう寝たほうがいいよ」
「後藤が一緒に寝てくれたら、寝る」
うーん、酔ってるから、横になったらすぐに熟睡してくれるだろう。
「うんうん、もう寝ようね」
「……」
優しく言ったつもりだったけど、圭ちゃんは、なんか色っぽい目でこっちを見ていた。
「じゃーもう電気消すよ〜」
圭ちゃんは、市井ちゃんと違って、真っ暗にしないと眠れない。部屋を真っ暗にして、
私はベッドに横になった。
「なんか、あっついよ」
圭ちゃんは、ジャージの上下を脱ぎ捨てた。
カーテンごしの月明かりが、圭ちゃんのナイスバディな下着姿を青く照らした。
(って、なんでそんなムードになっちゃってんのよっ)
「圭ちゃん、パジャマ持ってきてるんでしょ。早く着替えなよ」
私まで顔が赤いくなっちゃってるよ。
とりあえず、圭ちゃんの身体に目がいかないよう、私は毛布を顔まで上げて、
ぎゅっ、と目を閉じた。
圭ちゃんは、ベッドにもぞもぞと入ってきて、私の隣りに、滑り込んで、
「って、なんで上に乗ってくるのよっ」
圭ちゃんをどかそうとして、
目前に、胸の谷間のアップ。
(下着のままぢゃん!)
「ふふん、ごっちん〜」
かばっ、と首筋にキスされた。そのまま、あごのラインを舌がたどって、耳たぶを
噛まれた。そんなことされると、力が抜ける。
「くふぅ」
ベッドのシーツをつかむ。
「ごっちん、可愛い……」
圭ちゃんは、私の顔を見ながら、舌なめずりした。
圭ちゃんの熱くて柔らかい肌が、私の上で動いている。吸い付くような肌のこすれ
あう感触と、圭ちゃんの身体の重み。
吐息が、私の耳をくすぐる。
下半身に、血液が集中していく。
ダメだあっ。最悪の状態だっ!!
こつん、と、それが、圭ちゃんのアソコを叩く。
「ん、なにこれ?」
圭ちゃんが、私の下腹部に手をのばす。
ばんぢきゅうすっ!
(こうなったら、最後の手段だッ)
圭ちゃんの胸をむんず、とつかんだ。
きゃん、と可愛らしい悲鳴をあげて、圭ちゃんはびくびく震えた。
(よし、今だっ)
素早く圭ちゃんの下から抜け出し、ベッドから転げ落ちた。
圭ちゃんの様子を伺う。特に、動きはないようだ。
(ふう)
荒く息を吐いて、立ち上がる。圭ちゃんを見ると、ベッドの上で、青い顔をして、
ブラを外そうとした。
「……なにしてるの圭ちゃん」
「気持ち悪い……胸が締め付けられて、苦しい……吐きそう……」
わあっ、とシャワールームへ走った。洗面器とかはなかったんで、掃除道具入れ
から、金物のバケツを取り出した。それを手に、部屋に戻った。
「圭ちゃん、大丈夫? 吐きそうだったら、これに吐いてよね」
「酔って、指が動かないよ〜。ごっちん、ブラ外して〜」
大の字になって、フロントホックの部分を指さす。
「外してもいいけど、そのあと、ちゃんとパジャマ着る?」
「うん、着る」
「落ち着いたら、自分の部屋で寝る?」
「……」
「酔っぱらいは、自分の部屋で寝なさい」
「……はーい」
よしよし。私はバケツをサイドテーブルに置いて、圭ちゃんの胸に手を伸ばした。
(見ないように……見ないように……)
目は窓の外に向けて、手探りで、ホックの辺りを探す。
「やん」
「あ、違った」
「……触りたい?」
「そーゆーのはもういいの」
やっと、金具の部分を見つけた。
「外すよ」
「優しくね」
もう、とか思いながら、プチッ、とホックを外した。
(う……もの凄いイヤな予感がする)
扉を振り返ると、そこには……
ガーン、と音がした。
バケツに腕が当たって、床に落ちた。
「ご〜と〜お〜〜〜〜〜」
「なんでこんなお約束の展開にっ(泣)」
気持ち髪を逆立てて、逆光の中、市井ちゃんは仁王立ちしていた。
ベッドには、おっぱいばい〜んの圭ちゃん。
私の手には、圭ちゃんのブラ。
ははは……。
私は、力なく笑うしかなかった。
第4話「ごまいち」
すやすやと眠りについたお気楽な圭ちゃんを部屋に残し、とりあえず、
露天風呂に向かう。
「あれは、圭ちゃんが酔ったって言うから、その、介抱してただけで、ホント、
マジでマジで」
先を歩く市井ちゃんに、パタパタとついていきながら、必死で弁解した。
我ながら、すっごく言い訳くさいよなあ、って思った。
「圭ちゃんの口紅ついてるよ」
振り向きもせずに、冷たい口調。
私は反射的に、首に手をもっていった。
(やっばー)
「ウソよ」
市井ちゃんの、冷ややかな目。
(うっ、ズルイ)
「それは、一体、どういうことなのかな?」
にっこりと微笑みながら、言う市井ちゃん。
ダメだ。役者が違う。
「ゴメンなさい」
「別に、私に謝るようなことじゃないじゃん。後藤は後藤。好きなだけ娘。たちに手
を出してればいいよ。ハーレム状態で良かったね」
そんな言い方ってひどい。
……でも、反論も出来ない。
昼間もやぐっちゃんにキスされそうになってるところ、見られちゃってる前科者だし。
露天風呂には、誰もいなかった。
そんな時間帯を狙ってたから、当然なんだけど。
2人は黙って、もそもそと服を脱いだ。
気まずかった。
ホントなら、超ドキドキのシーンなんだけどね。
いや、横目でチラチラと市井ちゃんを見てたら、なんか手の込んだレースの下着とかが
チラッ、と見えたりして
(市井ちゃん、あんな大人っぽい下着持ってたっけ……初めて見た)
着やせするけどスタイル抜群の市井ちゃんのナマ着替えを間近で見れて、ちょっと
ラッキーだった。
「なんか、後藤、たくましくなっちゃったね」
しんみりと、市井ちゃんは言った。
少しは機嫌が直ったのかな? と市井ちゃんの様子をそっとうかがったんだけど、
おっきなタオルで身体を隠して、とっとと湯船に行ってしまった。
私もちゃっちゃーっ、と服を脱いで、男部分をタオルで隠して小走りで追いかける。
「待って、待ってよ市井ちゃん」
露天風呂は湯けむりで一杯だ。
一瞬、市井ちゃんの姿を見失ってしまった。
半分野外だから、けっこう寒くて、さっそく鳥肌が立ってきた。
ぱしゃぱしゃ、と水音がする。
市井ちゃんは、月明かりの差し込む岩場のかげで、胸くらいまでお湯につかっていた。
「市井ちゃん」
「こっちに来ないで」
その声に、びくっ、とする。
涙声だった。
「どうしたの市井ちゃんッ」
ばしゃばしゃと中腰でお湯をかき分けて、市井ちゃんの元に急ぐ。
「これ以上、私のこと、からかうのやめて」
「なに言ってるの市井ちゃんッ」
むんず、と腕をつかんだ。
「離してよ」
「ヤダ。離さない」
「なんで、後藤はそんななのよ」
市井ちゃんは、泣きながら、私に向かって叫んだ。
私は、どうしたらいいか、分からなくなった。
「市井ちゃん、私のこと、嫌いになった?」
返事はなかった。
市井ちゃんは、黙って涙を流していた。
胸をつかれた。動けなくなった。
お湯のちょろちょろ流れる音がする。
ときおり、風がふいて、私と市井ちゃんの髪を揺らす。
静かな夜。
2人だけの夜。
私は、市井ちゃんの泣き顔を、きれいだな、って思って見てた。
「きっと、後藤は悪くないんだよね」
市井ちゃんは、静かに喋りだした。
「元々、後藤はオーディションで勝ちあがってきた実力派なんだからさ。当然、
オトコになってもベクトルの方向が違うだけで、同じだけ魅力があれば、女の子は
みんなポーッ、ってなっちゃうよね」
市井ちゃんは、私に笑いかけた。
その笑顔があまりにも透明で、私は不安になった。
「これまでだって、ファンの男の子たちに大人気の後藤真希なんだもん。私がヤキモチ
焼いたりするのが、おかしかったんだよ」
「市井ちゃん、ヤキモチ焼いてくれてたの?」
「ふふっ。おっかしいでしょ? 私ね、昔っから、後藤のこと、どこかドキドキして
見てたんだよね。理由は分かんなかったけどさ」
「ね、市井ちゃん」
「でも、後藤がオトコになって、やっと分かった。私、後藤のことが、好きだったん
だなって」
「ねえ、市井ちゃんッ」
私の言葉を無視して、市井ちゃんは続けた。
「でも、それも今日でおしまい」
市井ちゃんは、湯船から立ち上がった。
腰から上が、白いお湯の上に出た。
生まれたままの姿の市井ちゃんは、泣きながら、笑った。
「初めは教育係だから、って思ってた。いつの間にか、後藤のことは、私が全部決める
権利がある、って思い違いしてたんだね。
これまで、ずっと後藤こと縛っててゴメンね。もう、いいよ。放してあげる。後藤は、
これからはもっと自由に――」
「違うよっ」
私も立ち上がる。
ちょっとだけ、市井ちゃんの目が丸くなった。
私は市井ちゃんの両肩をつかんで、
「やだ、やめてよ後藤」
「やめないっ」
強引に、キスした。
市井ちゃんは、キスされたまま、しくしくと泣いた。
唇を離しても、市井ちゃんは泣き続けた。
「ズルイ、ズルイよ後藤……。私、後藤のこと好きだし、今の後藤、すっごく格好
いいし、私に抵抗できる訳ないじゃん。後藤、きっと娘。の誰でも好きにさせるこ
とが出来るのに。どうして私にこんなことするの。後藤のこと、好きにするだけ好き
にさせて、そんなの残酷だよ」
「市井ちゃんはさ、私がオトコだから、好きになってくれたの?」
市井ちゃんは、ゆっくりと首を左右に振った。
そうだ。私だって、やっと気がついた。
私は、市井ちゃんに縛られてなんかない。私は、昔っから、市井ちゃんのこと、大好
きだったんだ。
そして、それをまだ市井ちゃんには言ってなかった。
よし、今、言うぞ。
「きっとさ、ほかのメンバーは、私がオトコになったから、異性として、好きになって
くれてるんだよ。無意識のうちなんだろうけど、私が女に戻ったら、きっと鼻も引っ
かけてくれないよ」
市井ちゃんは、黙って私の話を聞いてくれている。
「でもさ、市井ちゃんが、さっき言おうとしてくれたこと。私が女に戻っても、市井
ちゃんは好きでいてくれるっしょ?」
こくり、と市井ちゃんはうなづいた。
「もし、完全に男になっちゃったとしてさ、そんときは仕方ないよ、娘。は脱退する。
そしたら、戸籍、男に変えてさ」
市井ちゃんの目を覗き込む。
「私、市井ちゃんのこと、大好きだよ。だから、一緒に暮らそう。ううん、結婚しよ
うよ。一生、市井ちゃんのこと大事にするよ」
告白のはずが、プロポーズになってしまった。
でもいいや。市井ちゃんと一緒に暮らす。なんて素敵なアイデアだろう。
(ずっと一緒にいてくれるの?)
(ずっと一緒だよ)
(一生、私のこと守ってくれる?)
(一生、市井ちゃんのこと、守るよ)
市井ちゃんは、また泣き始めた。
私の提案を、市井ちゃんも受け入れてくれてるからだ、とその時は思ってた。
でも、本当は、市井ちゃんは、この時点で自分の将来の夢を決心していて……。だから、
一緒に暮らせる日なんて決して来ることはない、って分かってたから、泣いてたんだ。
そのことを知ったのは、ずっと、ずっと先のことなんだけどね。
私は、市井ちゃんの涙をキスでぬぐった。
何度も、唇を合わせた。
「私ね、まだ自分からは誰ともキスしてないよ。オトコになってからは、市井ちゃんが
初めてだよ」
言いながら、そういえば、辻@裕ちゃんには舌でレロレロまでされたよなあ、でも、
あれはいわば事故だから、と自分で自分を納得させた。
「うん……信じるよ」
市井ちゃんの顔が、のぼせているのとは別の理由で赤くなっている。
「ね……後藤、その、当たってるんだけど。それに、手が……」
右手を、市井ちゃんの胸に当てている。股間も、なんか異常な状態になってて、市井
ちゃんのおへその辺りをツンツンしていた。
「私、市井ちゃんとしたい。ここで」
市井ちゃんは、ちょっと驚いた顔をしたけど、恥ずかしそうに、こっくり、とうなづいた。
月と星の明かりしかない、お湯の中に立つ市井ちゃんの身体を見る。濡れた髪、潤んだ
瞳、お湯が弾けている肌、形の綺麗な胸、すっと細くなる腰、……その下は、白いお湯
につかっていて、見えない。
(……)
そっと、市井ちゃんの胸を、右手で包む。冷たくて、柔らかい。手のひらで、先端をこ
するように動かす。
「──ッ」
市井ちゃんが、小さく反応する。
首筋にキスし、ゆっくりと唇を動かす。耳たぶを噛む。
(さっき、圭ちゃんに教わった技なのだー)
「ううん」
市井ちゃんは、立っていられないのか、私に身体をもたれかけさせてくる。
私は左腕を市井ちゃんの右腕に絡ませて、身体を支える。
はう、と市井ちゃんの吐息が肩にかかる。触れあっている肌が熱を持ってくる。
そして、右手を、お湯の中に沈める。
市井ちゃんに、触れる。
市井ちゃんの身体が、ぴくん、ってなる。
右手が、お湯の中を動く。
ちゃぷん、ちゃぷん、ちゃぷん。
「後藤……」
切なげに、市井ちゃんが私の名まえを呼ぶ。
ちゃぷ、ちゃぷ、ちゃぷ、ちゃぷ……
市井ちゃんは、おずおずと、私のオトコノコに触れる。
私の下半身が、ビリビリと痺れる。
(くっ……なんだこの感覚。これは、行き着くところまで行っちゃうぞ)
「失礼やなー。それが大人の女やっちゅーねん」
「だって、だって……」
ガラガラガラ。
私たちは、ばっ、と離れて、ざぶん、と湯船に沈んだ。
(この声は……)
2人、だな。誰かが、賑やかにお風呂に入ってきた。
「うっ」
先客の存在に気付き(って普通脱衣場で分かるじゃん)絶句したのは、……辻、だあ。
向こうも、私だ、と分かったらしい。
「あれ、ごとうさん、いちいさん、こんばんは」
ぶりっこ辻(中身は裕ちゃん)は、戸惑っているらしい裕ちゃん(ってことは、中身は
辻か)を引き連れて、入ってきた。
「裕ちゃん、こんな時間にどうしたの?」
市井ちゃんが、普通を装って訊ねる。
「え、と……」
どもっている裕ちゃんを制して、
「なかざわさんの、ダンスのれっすんをしてたの。で、あせかいたから、オフロにきたの」
「ふーん、裕ちゃん、体調悪いって聞いたけど、大丈夫なの?」
続けざまに発せられる質問を(市井ちゃんも、実は焦ってるみたいだ)無視し、辻は、
とんでもないことを言い出した。
「ごとうさん、またチューしようね〜」
うわっ、話を逸らそうにもほどがある。
市井ちゃんは、私を横目で見て、
「ののちゃん、後藤がなにって?」
辻はにっこり笑って、
「おひるにチューされたの。おくちの中、ベロでれろれろって」
「レロレロしてきたのは、そっちじゃんかッ!」
たまらず叫ぶ。
市井ちゃんは、笑顔のままで、
(後藤さあ、オトコになってから、キスしたのって、私だけってさっき言ってたよねえ)
こそこそと言う。
(……はい。そう言いました)
(後藤はさ、どれくらい、私にウソついてるのかな?)
(いえ、そんな、ウソなんてとんでもない)
(ましてや、12才を、レロレロ……って……)
(それは、裕ちゃんがしてきたことでありまして、つまり、悪いのは、みんな裕ちゃん
ということに)
(ふーん。裕ちゃんともキスしたんだ)
私は、頭を抱えた。
もはや、ドロ沼だ。
(後藤、今日一日で、4人だね。ううん、私も入れて、5人か。プレイボーイ後藤は、
明日で、娘。全員攻略しちゃう訳?)
わはは。もうなにがなんだか。
「後藤ってさ」
市井ちゃんは、右手を大きく振りかぶった。
「片っ端から娘。たちに手を出さないと気が済まないのッ?」
ばっちーん、と強烈な平手打ちが、私の頬を襲った。
くらくらと目眩がした。
「市井ちゃん……待って……」
「待たないよっ」
市井ちゃんは、出ていってしまった。
「ごとうさん、ケンカさせちゃってごめんね」
しょんぼりと、裕ちゃんは言った。
「なんや、メンバー間でのいざこざは避けてもらわんとなあ。頼むでホンマに」
本性を現した辻は、湯船のふちで、足をブラブラさせて、笑いながら言った。
ちくしょう……今の状況を楽しんでるのは、こいつ一人に違いない。
第5話「活劇」
一晩中モンモンとしていた。結局一睡も出来なかった。
市井ちゃんに誤解された、っていうショックも当然あるんだけど、眠れない一番の理由は、
(湯けむりの中の、市井ちゃんの生まれたばかりの姿)
(市井ちゃんの、柔らかい肌)
(市井ちゃんの吐息。市井ちゃんの指)
それらが、頭の中をグルグルと渦巻いて、目をギンギンに開かせるのだ。
この感情を、どう処理していいか分からず、気が付くと、外はもう明るくなってしまって
いた。
「ごっちん、どこ行ってたべさ」
私は一人、一足先にダンススタジオに来ていた。
髪をタオルで拭きながら、メンバーの控え室に向かっていたとき、ちょうど到着して
いたらしいなっちと会った。
「ん、なっち。おはよっ」
「ごっちん、どうやってここに来たの? タクシーなの?」
なっちは、なんか私をまぶしそうに目を細めて見ながら、
「あれ、シャワー浴びてた?」
「ホテルからここまで、走って来た。汗かいたからね」
「走って〜?」
なっちは、びっくりしたのか、ヘンな発音で言った。
「ん……ちょっと、考え事してたらさ、なんかゴチャゴチャになって、いっそ走れー
って思って。1時間かかっちゃったよ」
「ふわあ」
2人で、並んで歩いた。
「……なっち、なんかおどおどしてるよ」
「そそんなことないさ。ないよ」
なんか、こっちをチラチラ見ている。目を合わせると、慌てて伏せる。
「なっちさ、熱あるんじゃないの?」
様子がおかしいし、ほっぺが赤くなってるんで、額に手を当てた。
なっちはびくっ、として、両手をきゅっと胸の前に合わせた。
「なにそのカワイイポーズ」
「なんでもないっ、びっくりしただけ」
やっぱ熱っぽいような気がする。
額をくっつける。
なっちは「ぎゅう」みたいな声を出して、目をきつく閉じて、そのポーズの
まま硬直してしまった。
「やっぱ、熱あるよ、なっち」
(挙動もおかしいし)
「これは……その……」
「うーん、もし無理そうだったらさ、夏先生には私からもいっとくからさ、
休んだほうがいいよ」
「うん、大丈夫。ありがと」
赤い顔して、でもにっこり笑う。
今日のなっち、なんか可愛いしぐさの勉強でもしてるんだろうか?
控え室に入る。
飲みかけの飲茶楼がある。シャワー浴びたばっかで、のど乾いてたんだよね。
「あっ、残りいただき〜」
ごくごくごく、と全部飲んでしまった。
「あ……」
声に振り返ると、圭織が口元に手をあてて、私を見てた。
「これ、圭織の? 飲んじゃダメだった?」
「う、ううん。いいよ。私もういらなかったし」
圭織は私の顔をじーっ、と見て、それから自分のバッグから、タオルを取り出した。
「後藤さ、髪、濡れてるよ。これで拭きなよ」
まだ濡れてたか。ドライヤー使う前に、タオルでちゃんと拭いておくか。
圭織のタオルは、香水の匂いがした。わしわし、と乱暴にタオルを使って、
「ごっちん、ちょっと」
圭ちゃんに呼ばれた。
「圭織、ありがとっ」
圭織は、なんか、自分の胸にぎゅっ、ってタオルを当ててた。
「ねえごっちん。昨日の夜さ、私、ヘンなことしなかった? ……その、朝起きたら、
ほとんどハダカだったし」
後半は、囁くような声で、圭ちゃんは言った。
「──昨日の圭ちゃんは、すっごく色っぽかったよ」
低い声で耳打ちする。人差し指を唇に持っていって、赤くなる圭ちゃん。
わはは、なんかいじらしいぞ。私が男だったら、襲っちゃいそうだ。
「昨日の夜、ってなによー」
やぐっちゃんが、身体をこすり付けてきた。
「ムネ押しつけるなっ」
「昨日はこの胸が好きだって、言ってくれたのに……」
「ごっちん、やっぱり胸が好きなの?」
と圭ちゃん。覚えてるんじゃん。
「やっぱり、ってなんだよ」
なっちも圭織も、なんかこっちの会話に聞き耳を立ててるみたいだ。
うーむ、妙な雰囲気である。
「で、圭ちゃんとなにかあったの?」
「いやー、子どもには刺激の強い話だよー」
例によって、頭を撫でてあげる。
「だーかーらー、私のほうがお姉さんだってば」
「ほーら、高い高いー」
「ばかー、おろせぇ」
心持ち、楽しそうなやぐっちゃんである。
(はっ!!)
突き刺すような、冷たい視線。
「後藤、朝から元気だね」
絶対零度の口調。
「あ、市井ちゃん、おはよう……」
ジャージ姿の市井ちゃんの、その下の姿を想像してしまい、なんとなくしどろもどろ
になった。
「なによ」
「え、と」
市井ちゃん、つれないスよ。
「はい、もうすぐレッスンのじかんなんで、みんな、スタジオにしゅうごうして
くださいっ」
裕ちゃんの力のない台詞に、なんかガクガク、ってなった。辻が、裕ちゃんの後ろ
で苦笑いしている。
「中澤さん、大丈夫なんですか?」
隅っこにいた石川が声をかける。
実は、昨日、石川は辻に泣かされて、結構落ち込んでいたみたいだった。
「うん、だいじょうぶだから」
ケナゲな感じの裕ちゃんである。
私の将来も不安だけど、裕ちゃんたちもこれから一体、どうなるんだろうね。
(っていうか、中澤@辻が一方的に可哀想だ)
「後藤、力強いのは、いいけどさ、小僧オドリになってるよ」
夏先生からの注意が飛ぶ。
スタートとストップが勢いよく出来るもんで、ビシバシダンスになってしまっている
みたいだ。
「もっと、女の子なんだから、柔らかく」
「うーっす」
タタン、ビシッ。
バッ、バッ。
なーんか、うまくいかんなあ。
最近、性格や行動も、オトコ化が進行してるんだよね。
時折、自分のことを「私」って呼ぶことに、違和感を感じることさえあるんだ。
いよいよ、ヤバイかな?
メンバーたちからの妙な接触と、市井ちゃんの冷たい態度に怯えながら、時間は過
ぎていった。
翌日のお昼。
お弁当をガツガツ食べていた。
「後藤さん、これ、ひどいと思いませんか?」
吉澤が、なんかのコピーを持ってきた。
「あさってに出る雑誌の試し刷りなんですけど」
私は残ったゴハンをお茶で流し込んでから、その記事を見た。
その雑誌名は知っていた。低俗なゴシップ記事ばっか載せてるヤツだ。
『増長する娘。たち、本誌カメラマンに暴行!』
(ああ、あれか)
おとといのカメラ小僧だね。なんだ、素人くさいと思ったら、ここのカメラマン
だったのか。
「今日も来てて、この記事を掲載してもいいか、って事務所に言ってきたみたいです」
「なんで? イヤだ、って言ったら、載せないでくれるの?」
「代わりに、この雑誌に広告を載せるように、っていってきてます」
「???」
「広告費として、お金を要求してる訳です」
おおっ、そういうことか。吉澤、なんでそんなに詳しいんだ?
「こっちとしてはご自由に、って追い返したみたいですけど」
ふーん。そんなことがあったんだ。
「ごっちん、そこにおったんか。顔かしてや」
辻が、控え室の扉から顔だけ出して、私を呼んだ。
(裕ちゃん、言葉なおってないよ)
「今はそんな場合とちゃうねん。ややこしいことになってもうてるで」
「なに、ややこしいことって」
コーヒーの自動販売機の前、周囲にひとけがないことを確認して、辻は話し出した。
「三流雑誌の記者が来てた、って話は知ってるな」
「うん。今、吉澤から聞いたよ」
「加護から聞いた話なんやけどな。紗耶香が、そいつらの車に一緒に乗っていくのを
見たって言うて──」
「なんでッ」
私は辻の胸ぐらをつかんだ。
「なんで、市井ちゃんが、そんなヤツらについていくのさ」
がくがくと、辻を揺さぶる。
「待て、待てって。落ち着き。落ち着きって。落ち着けやあっっ」
はあはあはあ、と荒い息の2人。
「紗耶香はな、多分、記事の差し止め要求をするつもりや。それで、うまいこと言われ
て、連れて行かれたんやと思うわ」
カッ、と頭に血が上った。
無法者たちの巣に市井ちゃんがッ!!
きっと、事務所に監禁されて、ヘンなクスリ飲まされて「へへへ身体が熱いだろう、
そろそろコレが欲しくなってきたんじゃないか」とか言われてビデオに撮られたり
してしまうんだ。
「裕ちゃん、警察に電話して。私、そこに行ってくる」
「ちょっと待ち、後藤。女一人で、なんとか出来る問題やないで」
「女だったらね」
ふつふつと、身体の底からわき上がってくる熱いエネルギーを感じる。
この力、今使わないで、いつ使うんだ?
(一生、私のこと守ってくれる?)
(一生、市井ちゃんのこと、守るよ)
使命感がメラメラと燃えあがる。
辻をそこに置き去りにして、私――オレは控え室にダッシュで戻った。
「吉澤あッ」
オレの勢いに、吉澤はビクッ、ってなった。
「その記事書いたヤツらの居場所知ってるか」
「はい。名刺をあずかってます」
どうやって入手したかは分からないけど、吉澤からその名刺を貰った。
うん、そんなに遠くない。
「そんなこと知ってどうするの」
やぐっちゃんもそこにいた。
「あいぼんから話、聞いたよ。紗耶香が連れていかれちゃったんでしょう?
そんなの警察に任せたらいいじゃん。なんで、後藤が行くのよ」
「オレさ」
にっ、とやぐっちゃんに歯を見せて笑う。
「市井ちゃんのこと、大好きなんだよね」
玄関に、辻が立っている。
「気合い入れていきや。みんなにはウチがうまいことゆうとったるわ」
なにか、光るものをオレに投げた。マウンテンバイクのキーだ。
「今日は道路、すっごい渋滞や。自転車やったら、追いつけるかも知れへんで」
キーを握りしめる。
「男はな、好きな女は命を張ってでも守ったらなアカンねん」
「裕ちゃん、知ってたのか」
「さっき、自分で認めたやんか。昨日、お風呂場でエエもん見せてもろうたしな」
玄関そばにとめてあったマウンテンバイクにまたがる。
「サンキュ、裕ちゃん」
ペダルを思いっきり踏み込む。
「ウチは辻やで〜〜」
あっと言う間に、辻の姿は小さくなっていった。
20分も全力でこぎ続けた辺りからだろうか。
心臓がズキズキ痛くなってきた。さっきからフル稼働をずっと続けている。
肺も、ごひゅう、ごひゅう、とに大きな音を立て始め、息を吸うたびにのどが痛んだ。
もう足の筋肉も限界だ。どうやって力を入れるのか、分からなくなっていた。
でも、もし、ここで5分遅れたせいで、事務所の扉を開けると、下半身ハダカの男
たちがタバコをふかしていて、その向こうに見えるベッドの上に、すべてが終わっ
てしまい、うつろな目をして死んだようにぐったりと横たわる市井ちゃんの姿……、
とかを妄想すると、さらにスピードアップしてしまうのだった。
30分で、目的地についた。
「市井ちゃんッ」
まだ足は動く。
階段を駆け上り『×××編集事務所』の扉を見つけ、
ドアノブを回すのももどかしく、全力で、蹴った。
扉は向こう側に倒れ、がしゃーん、とガラスが割れた。
「市井ちゃーんッ」
叫ぶ。どんなショッキングな光景が向こうに広がっていようとも、すぐさま飛び込ん
でいけるよう、気持ちを引き締める。
「後藤ッ――」
市井ちゃんの声。視線をめまぐるしく移動させる。どこだ? どこに市井ちゃんは??
ガーン、と音がした。
編集部の中に立てかけてあった、看板の倒れた音だ。
(う……イヤな予感)
「……あんた、なにしてんのよ」
事務所の奥の接客用スペースで、お茶を手に、絶句してこっちを見ている市井ちゃん
の姿があった。
「あのさぁ」
帰りのタクシーの中。
市井ちゃんは、あきれたように、ため息をついた。
「なんで、後藤はそんななのよ」
「……市井ちゃんの、貞操の危機だ、って思って」
はあ、ともう一度、市井ちゃんは深くため息をついた。
駆けつけてきた警察官に、こってりと怒られた。遅れてきたマネージャーさんと
平謝りだった。
編集部の記者は、結局、記事を面白おかしくするために、市井ちゃんを誘い出して
コメントをとって、信憑性をあげてやろう、って目論見だったようだ。
(あと、実は編集長が熱狂的な娘。フリークだった、ってのもあるみたい。ドアの
修理代は、私のサインとツーショット写真で勘弁してもらえた。『カメラマンに暴行』
以外に『後藤真希、編集部襲撃(ツーショット写真付き)』っていう特ダネも出来た
ことだし。向こうはほくほくだろう)
「市井ちゃんが、私にいじわるするからだよ……」
しょんぼりと、私は言った。
あの、とんでもないエネルギーの嵐は過ぎ去ってしまっていて、けだるさだけが残った。
ああ、すべては虚しい。
ぐったりしている私に、市井ちゃんは、
「でも、ありがとね。ホントは、嬉しかった」
小声で言ってくれた。
その一言で、少しは報われた。
「後藤さ、昨日言ってくれたじゃん。私のこと、守ってくれるって」
「うん。だって、私、市井ちゃんのことが大好きなんだもん」
沈黙。
でも、全然、気まずくない、幸せな時間。
「今夜さ、私の部屋においでよ」
「え? いいの?」
「昨日の続き、しよう」
ぺろっ、と舌を出して、市井ちゃんはいたずらっぽく笑った。
また、あの燃えるエネルギーが沸き上がってくるのを感じた。
(ただし、違う方向に)
第6話「くらいまっくす」
私は、ベッドの上に正座していた。
バスルームからは、お湯が流れる音。
市井ちゃんが、シャワーを浴びているのだ。
(やはり、暗い方がいいんだろうか?)
バタバタと、明かりを消してまわる。
(豆球は、いるよね)
(いや、こーゆー時は、真っ暗が礼儀か?)
落ち着かず、ラジオをつけてみたり、消してみたり。
(市井ちゃんて、初めてなのかな?)
初めてだったら、どうしよう。
やっぱ、経験者っぽい、圭ちゃんに実践で教えてもらった方が、良かったのか?
って、それこそ、その瞬間に市井ちゃんが部屋に来たりしたら、破滅だ。そして、
絶対にそういうときに限って市井ちゃんは来てしまうのだ。
市井ちゃん、16才。
微妙なお年頃。
シャワーの音が止まった。
ドキン、と心臓が大きな音を立てた。
ガチャ、と扉が開いて、
タオルを髪と身体に巻き付けた、市井ちゃんが出てきた。
市井ちゃんは、正座している私のベッドのすそに座った。
「後藤、緊張してるの?」
「はい」
「私もなんだよね。こんなの初めてだから」
「わたしもはじめてです」
「いいよ、後藤が好きなようにして」
市井ちゃんは、頭のタオルを取った。
ぱらり、といくつかの束になった髪が顔にかかった。
(市井ちゃん、やっぱ、可愛いな)
市井ちゃんの顔が、眠いのを我慢してるみたいな、子どもっぽい感じになっている。
私は、そっと、市井ちゃんにくちづける。
市井ちゃんの唇、ちょっと濡れてる。
気持ちいい。
市井ちゃんの、身体を隠しているバスタオルを外す。
「恥ずかしいよ。後藤も脱ぎなよ」
私はいそいそと、Tシャツを脱いだ。
だいぶ、オトコみたいな身体になったとはいえ、まだ胸の大きさは市井ちゃんに
勝っている。
「くやしいよなあ、それ」
市井ちゃんが、人差し指で、私の胸をつつく。
なんか、むずがゆい感じ。
市井ちゃんを、ゆっくりベッドに寝かせる。やっぱ、私が上になるべき、なんだろうねえ。
市井ちゃんの身体のすべてが愛おしくて、全部にキスしたい。私の唇で、市井ちゃんの
身体のすべてを味わいたい。
(市井ちゃんの首)
(市井ちゃんの肩)
(市井ちゃんの腕)
(市井ちゃんの胸)
市井ちゃんの肌が、少し塩っ辛くなる。
呼吸が浅く、早くなる。
(市井ちゃんのおなか)
(市井ちゃんのおへそ)
(市井ちゃんの腰)
(市井ちゃんの太股)
市井ちゃんの顔を見上げる。
私を見下ろしていた市井ちゃんと目が合う。
「やだ、顔、見ないでよ」
両腕で、顔を隠す。
(市井ちゃんの、太股の内側)
(市井ちゃんの……)
「──くうう」
くぐもった、か弱い、悲鳴のような声。
私は、市井ちゃんの反応を、少しでも見逃すまいと、全身で市井ちゃんを感じている。
「後藤ばっかズルいよ。私も、後藤にしてあげる」
市井ちゃんは、息もたえだえに起きあがり、私を下にする。
私と同じように、唇で全身を愛してくれた。
そう。好きって言葉よりも、何倍も強い感情が、市井ちゃんの行為から伝わってくる。
私も、市井ちゃんにこの気持ちを伝えたくて、起きあがる。向かい合った市井ちゃんの、
胸の先端に歯を立てる。
(市井ちゃん、私のこと好き?)
「はあっ」
市井ちゃんは、全身を使って、私のことを好きだ、って叫ぶ。
(後藤は私のこと、好きなの?)
市井ちゃんは、ずり下がって、唇を、私の大事な部分に触れさせる。
「──きゅぅ」
私も、少し恥ずかしいけど、一生懸命応える。
市井ちゃんのコト、大好き。
私も、後藤のこと、大好きだよ。
(……ねえ)
(……うん)
市井ちゃんを下にする。
市井ちゃんの両膝の間に、身体を割り込ませる。
──クライマックスだ。
ふと、思う。
今日は、こうしてオトコとして、市井ちゃんのことを愛せるけど、私がもしオンナに
戻ったら、どうなるんだろう。
市井ちゃんは、私の思いを読みとったのか、
「……後藤が、男でも、女でも関係ないよ。私が一番好きなのは、後藤だからさ」
嬉しかった。じーん、ってなった。
あ、そうだ。この前も、こんな感じの夢を見たっけ。
あのさ、市井ちゃん、美女と野獣、って知ってる?
野獣は、村一番の美少女の愛で、悪い魔法が解けて、もとのハンサムな青年に戻るんだ。
知ってるよ。ミュージカル、みたもの。
もしさ、私が恐ろしい姿の野獣になっても、こうして愛してくれる?
どんな姿になっても、私は後藤を愛してるよ。
だから、ね。
だから、なに?
ねえ、私、いつまでこの姿勢でいればいいのかな?
あ、ゴメンゴメン。
じゃあ、行くよ。
うん……。
ドキドキ。
ドキドキ。
市井ちゃんの鼓動と、私の鼓動がシンクロする。
ね、お願いがあるんだけど、
……やっぱさあ、美女と野獣の話、思い出したの失敗だったみたいだね。
その話はもういいよ。じらさないでよ。
ほら、愛の告白で、呪いが解けちゃうじゃん。
……ねえ、女の子がこの姿勢でいるのって、すっごく恥ずかしいんだよ。怒るよ。それ
よりもさ、
ははは、なくなっちゃった。
……。
……。
「なにっ、なんでッ」
市井ちゃんは、叫んで、がばっ、と起きた。
私の股間を、下から手のひらでパンパン叩いた。
「市井ちゃん、いやん」
私を仰向けにして、恥ずかしい格好にさせて、しげしげとアソコを眺められた。
「やー、市井ちゃん、えっちー」
「……」
市井ちゃんは、私の両膝を持ち上げたまま、無言で、私を見た。
それはある意味、今回の騒動の中でも一番怖い顔だった。
「おい、後藤」
「はい」
「これって、どういうことだよ」
ははは。どういうことでしょう。
私は、難しい顔をして、
「市井ちゃんの愛にふれ、魔法はとけて、私はもとのカワイイ後藤にもどりました。
おしまい」
「なにがおしまいだよっ!」
市井ちゃん、マジで怒り狂ってる。
枕とか、さっきまで着てた服とか、いろんなのを投げつけてきた。
(おっ……枕の下に、コンドーム発見)
市井ちゃん、もしかして用意してたのか?
しかし、それを指摘したら、本当に殺されそうだ。
疲れたのか、息荒く私を睨んでいる市井ちゃんに、恐る恐る、
「えー、市井ちゃん、やっぱ最後まで行っちゃわないと、欲求不満なのー?」
冗談っぽく言ってみる。
「知らないよっ」
ふん、と市井ちゃんは背中を向けてしまった。
微妙に、落ち着いてきたみたいだ。
私は、市井ちゃんの背に、ぴたっ、と頬をつけて、
「市井ちゃんは、言ってくれたよ。私が男でも女でも、おんなじように好きだって。
私は、女に戻っても、市井ちゃんのこと大好きだよ。市井ちゃんは、もう私のこと、
嫌いになっちゃうの?」
「うーん」
市井ちゃんは、しばらく黙っていた。
「あー、そうだよ。わたしゃ、欲求不満だよ。なにが悲しくて、あんなに覚悟決めて、
後藤の前で足開いてさ、歯を食いしばって、どんなに痛くても我慢しようと、そしたら
なんだよ……」
市井ちゃんは、くくくく、と笑い出した。
「最後の最後まで、ギャグマンガみたいな結末だよ。そしたらもう、笑うしかないって
感じじゃん」
私は笑っている市井ちゃんに、寄り添って座った。
一枚の毛布に、2人でくるまった。
「そうだね。おかしいね」
市井ちゃんの肩に頭をのせる。
「でもね、私が一度、オトコになったから、こうやって、市井ちゃんへの気持ちが
分かったんだ。市井ちゃんも、私への気持ちに気付くことが出来た、って言ってく
れたじゃん」
市井ちゃんは、まだ不満げに、ふう、とため息をついて、私の頭を撫でた。
「……まあね。悪いことばっかじゃなかったよ。ここしばらく、カッコイイ後藤を
楽しめたしね」
「うん。きっと、イジワルな神さまが、私と市井ちゃんを結びつけてくれるために、イタズラしたんだよ」
ふふふっ、って顔を見合わせて、笑いあった。
「女の後藤も可愛いよ」
女に戻ってからの、初めてのキスは、今度こそ、市井ちゃんでした。
エピローグ「ずっと、ずっと」
『(ごとうが、オトコでも、オンナでも関係ないよ。私がいちばん好きなのは、
ごとうだから)
カワイイ後藤にもどったワタシは、魔法をといてくれた市井ちゃんと、すえながく
幸せにくらすのです。。。。』
「後藤、なに書いてんの」
「ん……日記」
「なに、見せてよ」
「やだよ」
昨日までのモテモテハーレム状態を遠く懐かしく思い出しつつも、もはや市井ちゃんの
冷たい目線に恐怖することのない、平穏な日々が戻ってきた。
「なんや後藤、元に戻ったんか」
「裕ちゃんは違うみたいだね」
「いや、もう戻り方は分かってんけどな、辻がリーダー役、気に入ってもうてな──」
「ののちゃん、はやくいくよ。もたもたしてたら、だめでしょう」
(ちょびっとだけ、辻に、弱み握られてもうてな)
小声で言い、
「はあい」
仕方なさそうに、走って行った。
「後藤、ホントに赤い日記帳使ってるんだ」
「うん。市井ちゃんとの思い出で、この日記をいっぱいにするんだよ」
『赤い日記帳』の歌詞を口ずさむ。サビの部分で、少し泣きそうになる。
この歌、歌ってた時は、意味がよく分かんなかったけど、なんか今は、心に染みるよ。
「市井ちゃんは、私とすえながく幸せにくらすんだよね」
私の問いかけに、ただ笑って答えた市井ちゃん。
あたたかで、満たされていて、思い出すたびに、胸が苦しくなる、セピア色の風景。
私たちの将来に、なにがあるのか、見当もつかない。
そこはかとない不安は、きっと、今が幸せすぎるから。
市井ちゃんのことが、こんなにも大好きで、
市井ちゃんへの思いで、胸がいっぱいだから。
日記の最後に、思いを付け足す。
『市井ちゃん、ずっと一緒にいようね』
『約束だよ。ずっと、ずっと一緒だよ』
(「後藤Pの修業時代」終わり)