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TSUNAMI・忘れられたBIG WAVE


TSUNAMI

その日は矢口の誕生日。
市井は矢口との密会マンションに足を運んでいた。
ハードなスケジュールの中、時間を作るのは大変だ。
しかし、矢口の無垢な瞳で
「・・さやちゃん、明日は特別な日なの・・・」
などと言われたら断るわけにもいかない。

マンションに着いたが、まだ矢口は到着していないようだ。
「まだ来てないか・・・。よーし・・・。」
市井はソファに腰掛け矢口の到着を待つが、なかなかやってこない。
そのうち、普段の疲れがたまっていたのだろう。
市井はソファの上で眠りこけてしまった。

「お待たせー、さやちゃ〜ん♪」
甘い声を響かせながら矢口が入ってきた。
「あれ・・・?あっ、こんなところで、ウフッ。」
ニヤリと笑った矢口は市井を起こそうとして寝顔を見た。
「・・・さやちゃん・・・。可愛い・・・。」
その寝顔を何時までも見ていたくなった矢口は、
起こさずにそっとしておくことにした。

市井の、普段の激しさからは想像も出来ない健やかな寝顔を、
矢口は飽きることなく見つめていた。
「そういえば、さやちゃんと見つめあうといつも、
素直にお喋り出来ない・・・。どうして?」
知らず知らずのうちに市井のペースになっていた二人の関係。
しかし、今は矢口が時間を支配している。
「本当に私だけのものにしたい」
矢口の中で、魔性の火がメラメラと燃え上がった。
「セクシービーム・・・。」
こうしている間にも市井への思いは募っていく。千載一遇のチャンス。
そして、矢口は眠っている市井にそっとキスをした。

「・・・ん??」
突然のキスに市井は目を覚ました。
「・・・なんだ、来てたんだ。」
「あんまり気持ちよさそうに寝てたから、起こしづらくって」
「ごめんね。・・・それより、誕生日おめでとう、真里」
「ありがとう!!さ〜やちゃん♪」
そして見つめあうふたり。矢口の中で、ひとつの決瑞Sが固まった。

矢口は、再び市井にキスをした。
『真里、積極的だね・・・』
市井は多少の困惑を感じつつも心地よい唇と舌の感触を味わっていた。
思いつめた表情で矢口が呟く。
「さやちゃん・・・。あたしさやちゃんが好きで好きでたまらないの」
「・・・わかってるわよ」
「お願い、これからも一緒にいて・・・。」矢口が涙目で懇願する。
「・・・」応えない市井。

矢口の思いは津波のように押し寄せてくる。
それがわからない市井ではなかったが、深入りするのは避けたかった。

矢口は涙をぽろぽろこぼしながら市井を見つめる。
本当は見た目以上に涙もろかった矢口。
いつもなら簡単にあしらうことが出来る市井であったが、
今日ばかりは打算で動くことが出来なかった。

市井は矢口の唇を味わいながらゆっくりと自分の正直な気持ちを考えてみた。
『あたしは誰が本当に好きなんだろう?真希?圭?』
自分が今までモノにしてきた娘たちの顔が浮かぶ。

何時しか外は雨が降り出してきたらしい。
ベランダに落ちる雨の音が心地よいBGMとなる。
「ねえ、真里・・・。」「なーに、さやちゃん」
「ちょっと歩かない?」「え、でも雨降ってるよ・・・。」
「いいよ、人目を気にせず歩けるじゃん。」
そして、ふたりは着替えて外に出た。
市井が思い出したように言った。「傘、一本しかないや。相合傘しよっか♪」
「うん・・・。」ちょっと頬を赤らめて矢口も応える。
「あたし傘持つね♪」市井は何時になくウキウキしている。

冬の雨の寒さは体をヒリヒリと差すように染み入る。
ふたりで傘を差して歩く。身長差を考えると市井が傘を持つのはもちろん。
しかし、小さい矢口が濡れないように気を遣う。
それにうっすらと気づいたのか、矢口はそっと体を寄せて、
傘を持つ市井の左手に自分の右手を添えた。

しばらく歩くと公園が見えてきた。
「ちょっと休もっか」
ベンチもブランコも濡れていて座れない。
「寒いね。コーヒーでも飲もうか」
市井が一本の缶コーヒーを買ってきて、矢口の頬にそっと当てた。
「熱っ・・・もおお、さやちゃ〜ん」
「びっくりした?エヘヘ」こんなに無邪気な市井は久しぶりだ。

雨も多少小降りになってきたが、やはり夜の寒さは堪える。
ふたりで少しずつコーヒーを飲んだあと、ふと市井が呟いた。
「ずっとこうしてたいね・・・。」
これは本心であった。計算づくで始めた矢口との関係だが、
いつのまにか癒されている自分を見つけた。
今日の矢口の誕生日にも二人で過ごしている。
結局、一番心を許せて、汚れていない相手であったのだ。
素直な、無垢な気持ちで矢口を愛せるかもしれない。

「うん!!」矢口が嬉しそうに頷く。
「ねえ、真里・・・。」市井は矢口の瞳をじっと見つめた。
「??」急に黙ったのでどう応えていいか分からない矢口。
突然、市井は矢口の唇に軽くキスをした。
「帰ろ!!夜は長いのよ!!」
矢口を促して部屋へ戻る。

新しい二人の関係はこうしてはじまった。
いつかこの光景が思い出にかわろうとも・・・。
はじまりは、そして思い出はいつも雨の中にあった。
これから二人を運命のいたずらが襲おうとは、
まだ誰も知る由もなかった・・・。


忘れられたBIG WAVE

「・・・あの時、紗耶香ちゃんは、『ずっと一緒にいたいね』
って、確かに言ってくれました。そしてあたしも、
『うん。紗耶香ちゃん大好き』って答えたんです。
あの頃は、この幸せがずっと続くんだ、ってそう思ってました。
でも・・・。」

矢口と市井の関係は、恋人というよりは姉妹のようであった。
手を繋いでいても、食事をしても、お風呂に入っても、
どんなに仲良くしていてもそれはプラトニックなものであった。
しかし、矢口は満足であった。心の繋がりを求めていたから。
きっと、幸せはずっと続く。紗耶香も、幸せなはず・・・。

しかし、運命は二人を引き裂く。
出逢えたのも運命(さだめ)なら、別離もまた運命なのか・・・。

「やっぱり、あの頃って本当に忙しくて、
お互い時間も取れないんです。タンポポとプッチモニで
離れてもいたし。次から次へとスケジュールが入って、
ホント殺人的でした。生放送で『ノイローゼェ!!』って
叫べばウケたんでしょうけど、そんな勇気無かった。
そんな時、紗耶香だけは、『あたしがついてるから。
もし何か嫌な事があっても、皆の前で変な顔しないで
全部あたしに言って。あたしを信じて』って、
言ってくれてたんです。それに甘えたのかもしれないけど、
あたしもついついわがまま言うようになっちゃって。
簡単なことで泣いたり、すねたりしてたんです。
そうですよね。みんなストレスのたまり具合は同じなのに、
紗耶香はあたしの分まで受け止めてたんです。
嫌われて当然ですよね・・・。」

「どんなにあたしがわがまま言っても、何も言わず
全部受け止めてくれたんです、紗耶香は。
でも、二人ギクシャクしてくるのがわかってきた。
紗耶香、笑わなくなったんです、あたしの前で。」

ある日、丸一日のオフを、二人は久々にマンションで過ごした。
昔のような、ピュアな関係・・・。矢口が欲しかったものはそれだった。
しかし、二人の関係を元に戻すのは、不可能だった。

「紗耶香、相変わらずあたしに笑顔見せなかった。
だから、思い切ってあたし、紗耶香に求めたんです。
『あたしの大切なもの、あげる』って・・・。
そのときの紗耶香の顔は、今でも忘れられません。」

「突然、部屋の灯りを暗くして、紗耶香があたしを押し倒してきた。
あたしも、『イヤッ!!やめて紗耶香ちゃん!!』って抵抗したんですけど、
体も大きいしスポーツやってた紗耶香にはかなわなくて。
・・・ずっと、『早く終れ』って考えてました、その間中」

それ以降、市井の態度は豹変した。
会うたびにカラダを求めるようになり、行為が終れば服を着てさっさと帰る。
矢口の理想としていたプラトニックな愛情は失われた。

「・・・結局、あたしたちって身体だけの関係なの?ってずっと思ってました。
でも、紗耶香がどこか遠くに行ってしまうのが怖くて・・・。
言うなりになっているしかなかったんです」

市井の行為はエスカレートしていく。言葉嬲りや緊縛。
普段のストレスが溜まる中、市井との行為が矢口の小さな肉体に
着実に傷を刻みこんでいた。

「紗耶香はだんだん激しくなってきて、もう耐えられなくなったんです。
それで、もうこの関係をやめようと思って、思い切って紗耶香に打ち明けようとした。
そしたら、紗耶香のほうから、言ってきたんです。『別れよう』って・・・。」

矢口が理由を聞くと、思いもかけない理由が市井の口から出た。
「今は、真希のことしか考えられないの。悪いけど。」
実は、市井はすでに後藤に手をつけていて、矢口との関係を清算しよう、
と考えていたらしいのだ。矢口は二重のショックを受けた。

「やっぱり、あたしの存在が鬱陶しかったんだと思います。
すごく悔しかった。あたしも悪かった、わがままばっかり言って。
でも、やっぱり酷すぎる。浮気して、苛めて・・・。
あたし、このままじゃ終らないぞって逆に思った。一泡吹かせてあげようって。
それで、あたし最後の思い出に二人で旅行に行こう、って誘ったんです」

「あたし、もう生きてることに未練なかった。死んでもいいって思ってた。
どうせ死ぬなら、あたしの最愛の、紗耶香の目の前で死んでやる、って。
だから、旅行の場所も近くに海のあるところがいいなって。
結局沖縄にしました。冬でも泳げるし。泳いでるときに、ね・・・。」

沖縄にやってきた二人は、言葉を交わすこともなく、ホテルで佇んでいた。
「・・・紗耶香?」
「・・・うん?」
「・・・最後なんだから、楽しく終りたいな。笑顔で遊ぼうよ。」
市井も観念したような表情で頷く。久しぶりに、手を繋いで外へ出た。

「あれ乗ろ!!バナナボート!!!」
「うん!!」
子供のような無邪気な表情でボートに乗る二人。
市井も久しぶりに矢口の笑顔を見ていた。
笑顔の裏に死の決心があるとも知らず・・・。

「『あたしはまもなく死ぬ。死ぬ前に、紗耶香と楽しい時間を過ごしたい。
そして、紗耶香の胸の中でずっと生き続けていたい・・・。』
なんて考えてました。でも、遊んでる間は久しぶりに楽しかった。
あ、死ぬ前に神様が幸せを返してくれたんだな、って思いました」

バナナボートで遊ぶ二人。水上バイクに引かれ、風を切って走っていく。
そんな中、いよいよ矢口は人生の幕引きについて考え始めていた。

「このまま死んでも、事故って事で片付けられかねない。
紗耶香にだけは、きちんと見取って欲しかったんです。
だから、ボートで近くの無人島に行ってもらって、
そこで全部打ち明けてから、海に入ろう、って思ってました。
一応遺書は書いてきてあったんですけど。
直接伝えたかったから、紗耶香にだけは・・・。」

しかし、予想外のアクシデントが二人を襲う。

「・・・何かおかしいな、って思ったんです。
そろそろ岸に着くはずなのに、水上バイクの動きが変だったの。
すごい勢いで逆向きになって、何度も落ちそうになりました。
なんだろうと思ってみたら、後ろから本当に大きい波が私たちを
飲み込もうとしてたんです・・・」

水上バイクの運転手がエンジンを全開にしたとたん、
後ろのバナナボートを繋ぐ鎖が切れた。
遠心力を受けて回転するバナナボートに、巨大な波が襲い掛かる。
「!!」

「鎖が切れて、『あ〜、もうだめだな』って思ったんです。
でも、どうせ死ぬことにしてたし、紗耶香と一緒なら怖くないかなって。
そのまま波に身を任せようとしてたんです。でも、
前に乗ってる紗耶香からは叫び声が聞こえてきた。波に抗おうとしていた。
結局波に飲まれて、近くの無人島に打ち上げられた。
まあ、生きてたのは奇跡に近いでしょうね」

「無人島に打ち上げられたのは、絶好のチャンスでした。
しばらく助けも来れないだろうし。だから、あたしは
はっきりと紗耶香に言ったんです。『ここで死のう』って」

矢口の告白を聞いても、市井は黙ったままだった。
「・・・ま、紗耶香には強制しないわ。でも、あたしはここで死ぬ。
止めさせないわ。・・・あたしはあなたの中で永遠に生き続けるんだもの」
市井が急に立ち上がった。
「・・・ふざけないで!!あたしにはまだやることがある。
死ぬなんて真っ平!!海水を飲んででも、生き残って見せる。
それに、さっきから聞いてれば何?死ねばあたしの心に残るとでも思ってるわけ?
冗談じゃないわよ!!!死んだ人間はそれ以上でも以下でもないわ。
確かに死んだ人の思い出は大事だけど、それに囚われて
何も出来ないようなあたしじゃない。そんな弱い人間は心にも残らないわよ」

「そのとき、判ったんです。紗耶香が私に冷たくなった理由。
あたし、なんでも仕事のせいにして、前向きさを失ってた。
弱いことを理由に紗耶香に甘えすぎてた。紗耶香に何をされても、
自分から拒否できなかった。そんな弱い人間、紗耶香には必要じゃなかったんです」

「あたし、ようやく紗耶香の本心に気づいた。
でも、無人島から脱出できる方法がない。
泳ぐといってかなりな距離があるし、食料も水もない。
しかも、日が暮れ始めて、雨まで降ってきたんです。」

雨が二人の身体を容赦なく打つ。
海で濡れた身体はさらに体温を奪われ、体力も消耗していく。
道具といえば、一緒に打ち上げられたボートくらいしかなかった。

「あたし、そのとき泣いてたんです。
どうしてだろう、死ぬって決めたときには涙も出なかったのに・・・。
そしたら、紗耶香が、ふと言ったんです。
『死ぬの?死なないの?死なないんだったら泣かないで
どうやって生きるか考えな』
言葉は厳しいけど、すっごい穏やかな顔で。
それで、とりあえずボートに乗って、岸まで交代で泳ぐことにしたんです」

「思った以上に夜の海は寒かった。紗耶香が最初2時間くらい引いてくれて、
だいぶ岸の明かりが近づいて見えてるんですけど、あたしも体力が減ってて、
つらかった。でも、これからは前向きに行こう、って考えると自然と力が出てきて、
疲れを忘れることが出来たんです。それで、無理しすぎちゃって・・・。」

ようやく岸にたどり着いたとき、二人は疲労困憊。
深夜で、ホテルにアクセスする方法もないため
とりあえず、海辺にある小屋で休むことにした。
雨はしとしとと降り続いている。

「沖縄って言っても、やっぱり冬だから、夜は結構寒くなるんです。
上着もないし、水着とウエットスーツだけじゃ凍えちゃうから、
小屋のそばに落ちてたダンボールで暖を取ろうとしたんです。
あたし、岸にたどり着くまですごく無理して泳いだから、
なんだか寒気を感じてきて。だんだん意識が遠くなってきて、
気絶しちゃったみたいなんです。」

矢口の異変に気づいた市井は、何とか体温を戻そうと試みるが、
この場所ではどうしようも出来ない。「・・・くっ、すごい熱・・・。」
身体は冷え切っているようだ。「・・・」市井は意を決した。

市井は、意を決すると、ウエットスーツと水着を脱ぎ捨て、全裸になった。
そして、同様に矢口も脱がせる。「今あっためてあげる」
矢口の身体に抱きつくと、ウエットスーツや水着をかぶせた。
「真里・・・。」
二人は翌朝、気絶していたところを発見され、病院に担ぎ込まれた。

『紗耶香・・・』
『さよなら。真里』
『待って、行かないで・・・!!!』
歩いていく市井の後姿
躓いて転ぶ矢口
『待ってってば、紗耶香!!紗耶香ーーー』

「大丈夫ですか?」看護婦に問い掛けられ、目を覚ます矢口。
目の前が明るくなる。ここは病室のようだ。
『夢か・・・。』
「2日間眠っていたんですよ。」看護婦に言われ、改めて
自分の生還を驚く矢口。『紗耶香、紗耶香は?』
看護婦に尋ねる。「あの、紗耶香、一緒にいた女の子は?」

看護婦はちょっと表情を曇らせて、首を横に振った。
「 すいませんが、発見されたときに、とても衰弱していまして・・・。」
矢口は耳を疑った。そして、発見当時の様子を詳しく聞いて愕然とする。
市井は、自分を暖めるために自分が防寒具代わりになったというのだ。

「目の前が真っ暗になりました。何で?どうして紗耶香が?
『紗耶香、あんた絶対生き抜いてやるって言ってたじゃん。どうして?
あたしを助けたとでも言うつもり?冗談じゃないわよ。
紗耶香がいないだったら、生きていたって意味がないじゃない!!』
って。後を追いたくなりました。本当に。でも、冷たくなった紗耶香を見て、 変わった。
紗耶香の顔、何か嬉しそうだったんだもの。
紗耶香の分まで、生きようってそういう気持ちになったんです」

「今ですか?身体のほうはようやくよくなってきてます。
心ですか。やっぱり、ダメージがないといえば嘘になりますけど。
確かに、紗耶香を失ったのは動かしがたい事実ですから。
でも、紗耶香ならちゃんとここにいますよ。あたしの胸の中に。」

外は、折しも雨が降り出したところである。雨を見ながら、
そっと矢口は呟いた。

「やっぱり、雨を見ると思い出しますよ。
紗耶香の面影。紗耶香の身体。紗耶香の言葉。
紗耶香の温もり。思い出はいつも・・・。」