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孤独の太陽

それは、ある秋の日のこと。
澄み切った青空の中、春を思わせる太陽が眩しい。
仕事を終え、家路に就こうとする市井を、安倍が呼び止める。
「紗耶香!!ちょっと待って、一緒にかえろ。」
振り向いた市井は笑顔で応える。「うん、かえろー。」
「ねえ紗耶香、ちょっと買い物したいんだけど、付き合ってくれない?」
「いいよー。何買いたいの?」
「え、ちょっと待って。えっとね、洋服でしょ、それから、
えっと、何だっけ、あああ何だべかな〜〜〜」
「・・・早くしてよ〜」
口調こそ親しみを含んだものだが、明らかに
苛立っている市井であった。

・・・そもそもモーニング娘に加入したときから、
市井は安倍が苦手だった。メインボーカルで、
つんくに「モーニング娘の顔」とまで言わしめる安倍に、
市井がコンプレックスを抱かないわけがなかった。
それに、安倍の田舎育ち独特の純朴さ、純粋さが、
都会育ちの市井にとってうざったく感じることがあった。

「とりあえず、行こっか。どこで買うの?」
「え、どこで売ってるべか・・・。紗耶香、どこがいいと思う?」
『それくらい考えといてよ』心の中は仏頂面の市井である。
「う〜ん、とりあえず渋谷まで出てみる?」
「そうだね。とりあえず渋谷に行くべ・・・行こっか。」
独り言のときは訛りが抜けない安倍。
それがますます市井を苛つかせていた。

渋谷に出てきた二人。安倍は上京以来、ハードなスケジュールが
続いていたこともあって、あまり遊んだりはしていなかった。
当初同居していた飯田とは一緒に住むうちに険悪となったこともあって、
一緒に休日を過ごす相手もいないようだった。
「じゃ、何から見ようか?」市井が訊ねる。
「とりあえず、冬物が欲しいかな・・・。」答える安倍。

デパートの冬物コーナーをあれこれ見て回る。
「あ、このセーター可愛いね!なっちに似合うんじゃない?」
「うん、あ、これも可愛い〜〜」
そうこうしているうちに時間は過ぎていくのだが、
いつまでたっても何を買うのか決まらない。
最初は黙っていた市井も痺れを切らして言った。
「なっちー、買うの?買わないの?あたしもう疲れちゃったよ」
「・・・だめ?」意外な表情で安倍が答える。
「・・・だめじゃないけどさ、お店も閉まっちゃうし・・・」
二人の感覚のズレは否めないようだ。日ごろから迅速で柔軟な市井に対し、
安倍は頑固でかたくなで、且つマイペースである。
付き合いづらいタイプであることは間違いなかった。
この日は、気まずい雰囲気が流れたまま別れた。

次の日も早朝から仕事である。
前夜の疲れからか寝不足の市井は、機嫌が悪そうにスタジオに入る。
「紗耶香、おはよ〜う」
矢口が声をかける。
「おはよう、真里・・・ふぁ〜」
「眠そうだね。」
「いやね、昨日なっちの買い物に付き合ってたんだけど、疲れちゃって」
「そうそう!!なっちってすっごい優柔不断だから、買い物長いんだよね!!
あたしも、前一緒に行ったけど、すっごい疲れたよ!!で、結局何買ったの?なっち」
「何にも。見〜て〜る〜だ〜け〜」
「プッ!!何それ!!」矢口が吹きだす。
疲れと苛立ちのせいか、ついついキツい言葉になってしまう市井。
「もう、いいかげんにしてほしいよね。付き合ってあげてる立場も判れってカンジ。
結局、田舎育ちだし、都会に来ると何もわからないのよ。」
矢口の態度が豹変する。「あ、あたしちょっとお手洗いに行ってくる」
「ちょっと、真里〜?」不思議がる市井。
ふと振り向くと、後ろには悲しそうな瞳の安倍の姿があった。
『あ、ヤベッ』あせった市井は無理にフォローを入れようとする。
「いや別に、優柔不断なのが悪いって言ってるんじゃないじゃん?」
「・・・」
「だからさ、そろそろこっ・・・」
突然、安倍は無言のまま市井に背中を向けてスタジオを飛び出していった。
「なっち!!!なっちーっ!!!」

安倍の孤独は、決して今に始まるものではなかった。
中学のとき深刻ないじめにあった事をきっかけに、
少しづつ自分の殻に閉じこもることが多くなっていった。
好きな歌を歌うことで多少は癒されているはずだった。
しかし、安月給でハードなスケジュールを強いられることで、
本来音楽の持つ楽しさ、というものが感じられなくなっていたようだ。
そんな中、他のメンバーとの関係もうまくいかず、孤独を感じることが
最近つとに多くなってきたのである。
そんなときに、市井の不意な言葉を聞いて、衝動的に飛び出してしまった。

「なっちーっ!!!」
市井は慌てて安倍のあとを追いかけたが、見失ってしまった。
「ハアハア、ったくどこ行っちゃったんだよ」
軽率な自分の発言を後悔した。
『何であんなこと、言っちゃったんだろう』

安倍はまだ見つからない。
「だいぶ遠くまできたわね・・・」
タフな市井も多少疲れを感じている。

朝の公園は子供たちの元気な声も聞こえず、照りつける朝日が
ブランコに乗る安倍の顔に細やかな翳を映し出していた。
「あたし、やっぱり皆と合わないんだべか」
普段から感じていた孤独感が波のように押し寄せてくる。
「室蘭に帰りたい・・・。おかあさん・・・。」
気丈に振舞っていても、やはり18歳の少女である。
気が付くと、安倍は「ふるさと」を歌い始めていた。

涙 止まらなくても 昔のように叱って MY MOTHER
涙 止まらないかも わがままな娘でごめんね MOTHER・・・

安倍の歌声が聞こえてくる。
「・・・あっちか」
その声に気づいた市井がようやく公園を見つけた。

「なっち!!」
市井の声に驚いた安倍は歌うのを止めた。
「もう、急にどこか行っちゃうんだから、心配したじゃん・・・。」
「・・・」
「さっきはごめんね。つい言いすぎちゃって・・・。」
「・・・いいよ」
「なっち、前から気になってたんだけど」
「・・・何?」
「淋しいの?」
「・・・うん」
「どうして何か言ってくれなかったの?」
「・・・だって、みんなに言ってもわかってくれないもん」
「そんなことないよ、あたしたちだって・・」
「いいの。もう、どうせあたしみたいな田舎者の気持ち、
判ってもらえないよ」
「・・・」
思った以上に頑なな安倍の心に市井は入っていくことが出来なかった。

無言の市井と安倍。
安倍の瞳からは堰を切ったように涙が流れ落ちる。
市井が切り出した。
「ねえなっち、ちょっとついてきて」
「??」
「いいから・・・!」
市井は安倍を連れて歩き出した。

「あたしが落ち込んだとき、いつもここに来るんだよ」
そういいながら市井が安倍を連れてきたのは、古い一軒家だった。
「ここは?」不思議そうな顔で安倍が訊ねる。
「ここはね、あたしの秘密の場所」
中へ入ると、長い間手入れされていないようである。
廊下には埃が被り、所々蜘蛛の巣も張っている。
「こっちだよ」市井が安倍を促してドアを開ける。

「!!」
部屋へ入ると、安倍は驚いた。
廊下の汚さとは対照的に、綺麗に片付けられた部屋には、
一面に市井の「オモイデ」が飾り付けられていた。
生まれたときの家族の写真、そのころのおもちゃ。
幼稚園や小学校での友達との写真や、絵。
モーニング娘に入ってから、みんなと作った思い出。

「あたしだって、芸能界にいる寂しさは味わってるよ。
家族とも、友達ともめったに逢えないし、遠くにいてもう逢えない人もいる。
でも、ここに来ると、みんなに逢える。みんなが元気をくれる。
ここじゃなくても、みんな心の中にそういう場所があるんだよ」

何時しか、安倍は先程とは違う涙を流していた。
それに気づいた市井は、安倍をそっと抱きしめた。
市井のほうが年下なのだが、娘を慈しむ母親のように。
「・・・あたしが、東京のお母さんになったげる」
「・・うん、お母さん・・・。」

しばらく落ち着いた時間を過ごしたあと、二人は外に出た。
太陽はいつのまにか秋の空に高く昇っていた。
「そういえばおなかすいたね〜」安倍が思い出したように言う。
「うん、何か食べてこっか?」
「リンゴが食べたい!!」珍しくはっきりと安倍が希望を言う。
「どしたの?急にリンゴだなんて」
「そろそろリンゴの季節でしょ。食べたくなっちゃって」
北海道は青森、長野に次ぐリンゴの産地でもある。
「じゃあ、食べてこ。」
商店街の八百屋で北海道産のリンゴを買うと、
二人でかじりながら仲良く戻っていった。