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紗耶香の場合

市井紗耶香。16歳。モーニング娘。第一次追加メンバーの一人。
当初は影の薄い存在だったが、第二次追加メンバー・後藤真希の
教育係になった頃からブレイク。プッチモニでも注目される。

モーニング娘。に入ったとき、紗耶香は驚愕した。
仁義なきソロの奪い合い。怖いオリジナルメンバー。
有無を言わさぬ殺人的スケジュール。
最初など、その迫力に怯えてトイレで一人泣いていたものだ。
優しくしてくれるマネージャーの和田氏に、つい当たってしまったこともある。

しかし、紗耶香の本当の姿を知るものは少ない。
そのあどけない容姿と仕草に、溺れていった女たちの事も・・・。

最初にモーニング娘。メンバーと顔合わせしたときのことを、
紗耶香は今でも忘れない。同じく追加メンバーである矢口真里。
「こんにちは、市井さん。これからもよろしく。」
お互い緊張気味である。そして、保田圭。
「あたしちょっと市井さんより年上だけど、よろしくね。」
どちらかというとさばさばしたタイプのようだ。
そして、緊張のオリジナルメンバーとの対面。
「市井紗耶香です。よろしくお願いします。」

まず中澤が答える。
「あたしが一応リーダーやってます、中澤裕子です。
ま、これからいっしょにやっていくわけやし、そんな緊張せんと。」
次に飯田。だらだらしたしゃべり方だ。
「飯田圭織です。かおりってよんでね。」
石黒も続く。こちらはちょっと強めの口調。
「石黒彩です。これからもよろしく。」
そして安倍。淡々と自己紹介する。
「安倍なつみです。がんばろうね。」
最後に、福田。
「・・・福田明日香です。よろしく・・・」
心ここにあらず、といった風情である。

最初は同じ追加メンバーである、矢口・保田と一緒にいる時間が多かった。
特に矢口は年齢が近いこともあり、お互いのことをよく話した。
この日も、二人だけの控え室でいろいろおしゃべりをした。
「へぇ。紗耶香って、おっとりしてるようだけど、結構しっかりしてるんだ。」
「何、その言い方〜。真里こそ、すっごいボケボケしてて可愛い。」
「何それ〜」他愛ない会話が続くうちに、親密さを増していく。

ガチャッ
控え室の扉が開いた。
中澤が入ってくる。二人は黙った。
「あんたら、なにやってんの?もうすぐスタジオ行かんとあかんって
言っといたやないか。全く。」
「・・・ごめんなさい」
慌てて支度を始める二人。

紗耶香は最初、細かいことまでいちいち注意する中澤が苦手だった。
年齢が離れすぎていることもあり、考え方のギャップも激しい。
関西弁で叱られるインパクトに、いつも怯えていた。

この日も、中澤に呼び出された。
「市井、あんたほんとにやる気あんの!?いやならいつ辞めてもいいねんで。
もともとうちらは五人でやってきたわけやし。あぁん!?」
気づかないうちに、紗耶香の瞳からは涙がこぼれてきていた。
『何で、モーニング娘。なんかに入っちゃったんだろう・・・。
怒られてばっかり。みんな怖いし、もう辞めたい・・・。』
本当にそう思っていた。惨めさと悔しさ、恐怖で自然と涙が出てきたのだ。

それを見た中澤は、ふと黙った。「・・・ごめんな」
えっ?涙と鼻水でぐしょぐしょの顔を拭きもせず、紗耶香が顔を上げる。
「うちかて、最初はつんくさんや先生方に無茶苦茶言われたもんや。
だから、あんたら見てるとちょっと前のうちらを見てるように思えるんよ」
中澤から、思いもかけず優しい言葉を聞き、紗耶香は声をあげてすすり泣いた。
「んもう、あんたそんな泣くことあらへんよ。まるでうちが泣かしたみたいやないか。
もうちょっとこっち来な。拭いてあげるから。」
言われた通り、中澤のそばに寄る紗耶香。
中澤はハンカチを取り出し、紗耶香の涙と鼻水を拭ってやった。
ふと、中澤が呟く。
「なあ紗耶香、ちょっとだけ、眼をつぶって」
「?」また何かあるのかと、紗耶香は怯えながら目をつぶる。
突然、唇にとても柔らかい感触がした。
「?!」驚く紗耶香。
中澤は唇を離すと、微笑みながら言った。
「紗耶香の唇、いただきっ。美味しかった♪」
呆然として言葉が出ない。それが、紗耶香のファーストキスだった。

あのファーストキス以来、紗耶香は中澤とは親しく喋れるようになっていた。
「紗耶香」「裕ちゃん」と下の名前で呼びあうようになったし、
多少羽目をはずしても許してくれるようになった。
ちょうどその頃、たまたま同じ部屋になったのが福田だった。
年下だがクールで落ち着いた福田に、紗耶香はどこか尊敬の念を抱いていた。
逆に、その分素直に話が出来ない相手でもあった。
同じ部屋になったのをきっかけに、紗耶香は福田といろいろ話をした。

「ねえ、明日香って呼んでもいい?」
「うん、いいよ。あたしも紗耶香って呼ぶね」
「ありがとう。なんか、嬉しいよ」
「だって、もう仲間なんだし」
「でも、明日香ってすっごく落ち着いてる。あたしより年下だなんて思えないよ」
「そうかなぁ?私だって、普通の女の子だよ」
「だって、あたしよりずっとオトナだよ」
「・・・私だって恋とかしてハチャメチャしちゃうこともあるよ」

『へぇ〜』紗耶香は意外に思った。
そういえば、あたしも中学校に入ったばかりの頃は、
カッコいい先輩に恋心を抱いたことがあったっけ・・・。
明日香も、今ちょうど同じくらいの時期なのかなあ・・・。

「明日香は、どんなタイプの男の子が好みなの?」
「う〜ん」言葉を濁す福田。
「男の子っていうより、思いっきりカッコいい人か、
思いっきりカワイイ人かな。まだ、よくわからないけど・・・。」
『ん?男の子っていうより?』
まだ、紗耶香がカッコいい女性アイドルとして注目される前の話である。

入ったばかりの頃は、追加メンバー3人は後ろでコーラスをしていることが多かった=B
そんなとき、飯田と石黒で別ユニット「タンポポ」を結成することになり、
追加メンバーから一人選ばれるという。目立つチャンスだ。
紗耶香が矢口、保田といつものように雑談しているうち、タンポポの話になった。
「ねえ、あたしたちのうちで、誰が選ばれるんだろうね。」
「うーん、タンポポってちょっとオトナのイメージだよね。
だとしたら、圭ちゃんかな?」
「真里だって、かわいいイメージでいいんじゃない?」
「とにかく、誰が選ばれても恨みっこなしで、いこうよ。」
「うん」「うん」

しかし、保田はタンポポにずいぶん入れ込んでいたように思える。
現に、矢口が選ばれたときの、落ち込み方は凄かった。
紗耶香は、それほど自己顕示欲を見せないというか、
おとなしかった時期のことなので半分あきらめていたのだが、
保田は激しく悔しがり、紗耶香に愚痴を言った。
「ねえ、紗耶香、悔しくないの?あたしたち・・・」
涙ぐむ保田を見て、紗耶香は慌てたように言った。
「・・・うん、そりゃ、もちろん悔しいけど、結局みんな仲間なんだし」
「そんなこと言ってるから紗耶香は甘ちゃんなのよ!
この世界は競争、負けたらそれまでなのに・・・。」
矢口や保田まで、この世界の競争原理に取り付かれていたのか・・・。
紗耶香は怖さを感じていた。保田が続ける。
「ねえ、ビッグになりたくないの?この世界に入ったのに」
「そりゃ、有名になりたいけど・・・。」
「だったら、二人で有名になって、タンポポを見返してやろうよ。」
「うん」とりあえず返事をする紗耶香だが、困惑の表情を浮かべていた。

ようやくモーニング娘。にも慣れてきた紗耶香であったが、
泣き虫は変わらなかった。福田を除けば自分より年上、
時には厳しい言葉も投げ掛けられる。
そんな時、決まって紗耶香はトイレの片隅で独りで泣いていた。

ある日のこと。この日も、紗耶香はトイレに隠れて涙を流していた。
「グスッ、そんなこと言われたって、出来ないものは出来ないもん」
トイレの扉が開き、誰かの声が聞こえてきた。
「あ〜、今日も練習ハードだった・・・。あれっ?」
飯田と石黒である。トイレの奥から聞こえてくる泣き声に反応したようだ。
『まずい、こんなとこ見られたら』紗耶香は必死で涙を堪えた。
しかし、扉の鍵を閉めるのを忘れていたようだ。
バタッ 「紗耶香じゃん。どーしたの?」
「あれっ、泣いてるじゃん!!」

こうして見つかった紗耶香を、飯田と石黒はロビーへ連れ出した。
「そっか、まだつらいこともあるよね。」飯田が判ったように言う。
「あたし、紗耶香ってもっと気が強いのかと思ってたよ。」

そういえば、石黒には見られていた。
和田Mが紗耶香をちょっと見ていたときだった。
紗耶香は虫の居所が悪かったのか、和田Mに向かって
「何見てんですか?ムカツク!!」と言ってしまったのだ。
これも、普段から優しくしてくれた和田Mだからこそなのだが、
それを見た石黒は、紗耶香のことを気が強い子だと思っていたようだ。
『でも、気が強い紗耶香もいいけど、泣き虫の紗耶香もいいね』
と石黒は思っていた。

飯田のほうはというと、どうしたら泣き止むだろう、と思案中だった。
「でもねー、がんばれば絶対いいことあるから」慰めても駄目。
「うーん、今度焼肉連れてってあげるから」食欲も駄目。
「そうだねー、今度の新曲が1位になったのは、紗耶香のおかげだよ」
「?」紗耶香が顔を上げる。
「だって、紗耶香の苗字は市井でしょー?アハハハハハハ・・・」
隣で石黒が呆れた顔をしている。しかし、紗耶香は泣き止んだ。
「ほら、ちゃんと泣き止んだじゃん!!面白かったんだよ?」
いつしか、紗耶香も涙を忘れて笑い出していた。

泣き止んだ紗耶香と別れてから、二人は顔を見合わせた。
「彩っぺ、もしかして・・・」
「かおりんこそ?」
このときはお互いに否定こそしたけれども、
二人の中に恋の炎が燃え上がったのは言うまでも無い。

紗耶香が一番仲良くなっていたのは、もっとも年齢の近い福田であった。
他愛も無い話をしては笑いあうような、そんな仲になっていた。
そんなある日のこと。
「紗耶香って、キスしたことある?」
「え〜、何で急にそんなこと聞くわけ〜?」
と言いつつも、中澤の顔が浮かんできた。裕ちゃんの唇・・・。
「紗耶香?」「ううん、何でもない」
中澤を頭から追い払う。

福田が続けた。
「あたしも、キスしてみたいな〜」
「好きな男の子とかいないの?明日香は」
「今、気になる人なら・・・」
「えっ!だれだれ?」
「内緒。」「いいじゃあん、教えてよ〜」
「実はね・・・。」

「結構あたしの近くにいる人かな。」
「へえ〜。学校の友達?」
「学校には最近忙しくてあんまり行けないから。」
「あ、そういえばあたしもそうだ。」
「それで、気が強そうで。」「ふんふん」
「ちょっと泣き虫で」「うん」
「とっても可愛いの」
「ふ〜ん、・・・へ?」
「あたし、紗耶香を好きになっちゃったかも」

「・・・」紗耶香は呆然とした。
「ねえ、キスってどんな感じ?」福田が続ける。
「・・・ああ、突然のことでぜんぜんわかんなくて・・・」
「裕ちゃんでしょ?」
「えっ」動揺する紗耶香
「通りがかったとき、偶然見えちゃった。ごめんね。覗くつもりはなかったんだけど。
それよりも、裕ちゃんが羨ましかったな・・・。」
見つめ合う二人。紗耶香が瞳を閉じる。
「・・・いい?」「・・・いいよ」
そして二人は、長いキスを交わした。

それ以降、福田と紗耶香はより親密な関係になっていった。
しかし、別離は突然やってくる。
「私、福田明日香はモーニング娘。を脱退することになりました。」
何で?どうして?紗耶香の瞳から涙が止めどなく流れる。

「逢えなくなる訳じゃないじゃない。そんなに泣かないでよ」
「・・・だって・・・もう一緒にいられなくなるんだよ?」
「あたしもつらいけど・・・。でも、決めたことだし」
「だって、だって、ヒック、あたしは明日香が、」
「あたしも、紗耶香が好きだったのは本当よ」
「だったら・・・ヒック」しゃくりあげる紗耶香を抱きしめて、
福田は優しく言った。「紗耶香のこと、忘れない」
「ヒック、あだじも・・・。」声が出ない。
「いつまでも泣き虫なんだから。もっと強くなって。」
そういう福田も涙をこらえている。

最後のキスは、涙の味がした。

いつまでも泣き虫なんだから・・・
この福田の最後の言葉が、紗耶香の頭から離れなかった。
『もっと、強くならなくちゃ』
紗耶香は、変わろうとしていた。もっと強い自分に。

夏。モーニング娘。に新メンバーが加入することになった。
「後藤真希です。13歳です。よろしくお願いします。」
『・・・自分に無いものを持っている子だわ』
紗耶香はそう感じた。外見もきらびやか、芯が強そうだ。

紗耶香は、後藤の教育係となった。
ダンス、歌、芸能人としての心得など、さまざまなことを
教えていった。自然、二人で居る時間が長くなる。
厳しい言葉も掛けた。

「後藤、やる気あんの?」
「あんた、言われたこと守ってないじゃん。メモしろっていつも言ってるでしょ?」
『・・・そういえば、あたしも入った頃裕ちゃんによく言われてたよなあ・・・』
そしてよく泣いたっけ、と思いつつ後藤を見た。後藤も泣いていた。
「ごめんね、後藤、つい言いすぎちゃって。あたしも、昔裕ちゃんやつんくさんに
よく言われてたんだよ。気にしないで。」
「グスッ、全然気にしてないでず・・・」
「んもう、泣き虫なんだから」
『裕ちゃんに、拭いてもらったっけ・・・。』
後藤の涙を拭いながら、ふと思い出していた。そのとき、である。

「市井さん・・・。」
「照れるなあ。もっと親しげに紗耶香って呼んでよ」
「紗耶香、さん・・・。あたし・・・」
途端に、後藤が紗耶香に唇を合わせた。
「?!」まさか、と紗耶香は思った。
「私のことも、真希って呼んでくださいね♪」
先程とは打って変わって、笑顔の後藤が囁いた。

「逆じゃん、昔と・・・。」
呆然としつつも、久しぶりにキスの感覚を思い出していた。

小悪魔のような後藤に、紗耶香も惹かれていったようだ。
目立たなかった紗耶香が、いつしか美しく輝くようになった。
それを見て、他のメンバーが何も思わないわけはない。
「タンポポ落ちたとき、二人で見返してやろうって誓ったはずだったのに。
今、紗耶香ったら後藤に夢中じゃない。」保田は苦々しく思っていた。

そんな折、タンポポに続く新ユニット・プッチモニが結成された。
メンバーは、紗耶香、保田、後藤。保田は、内心思った。
『紗耶香と一緒になれるチャンスだわ。でも、後藤も一緒・・・。
絶対に、後藤には負けないわよ・・・!』

デビューも決まり、レッスンをするプッチモニの面々。
紗耶香は、ダンスについて来れない後藤に優しく指導している。
そんな姿を見て嫉妬の炎を燃やす保田。

しばらくして、プッチモニ3人でミニ合宿を行うことが決まった。
『チャンス!!紗耶香とより長い時間を過ごせるわ!!』
合宿スタート。3人で自炊しつつ、歌やダンスの練習に精を出す。

その夜。寝支度を整える3人。後藤はもう眠っているようだ。
「ねえ、紗耶香?」保田が話し掛ける。
「何?」
「・・・ようやく、ユニット持てたよね」
「うん、長かった・・・。」
「でも、嬉しいよ。紗耶香と一緒になれて」
「そうだね。去年、真里だけ先に行っちゃったからね」
「ねえ・・・」
「ファー・・・圭ちゃん、あたしもう結構眠いな。そろそろ寝ない?」
「・・・うん、そうだね。お休み」
「お休みー」すやすやと寝息が聞こえてくる。
苦笑いした保田は、声を掛けた。
「お休み、紗耶香。愛してる、他の誰よりも」
自分も眠ろう、と思った瞬間、思わぬ声がした。
「圭ちゃん、紗耶香さんは渡さないよ」
「真希!?起きてたの?」
反応がない。気のせいか?
しかし、保田は紗耶香をモノにするためのレースに、
自分が第一歩を踏み出したことを確信していた。

「さーやーか♪」
矢口が、後ろから勢いよく紗耶香に抱きつく。
「いやぁん、真里ー。びっくりするじゃぁん」
この二人も仲がよい。小さいが、矢口が姉貴分であり、
いろいろ相談ごとなどにも乗ってやっている。

「なーに、紗耶香。なんかうまくいかないことでもあった?」
「いや、別にそうじゃないんだけど、ちょっと参ってて」
「真希のこと?」「うん」
「いいじゃん、仲良さそうで」
「だけどさ、一応他のメンバーの目も気になるし」
「そうそう、裕ちゃんが、すっごい怖い目で見てたよー。
嫉妬してるんじゃない?」
「ちょっと、やめてよー。想像しちゃうじゃん」
二人の明るい笑い声が響く。

「本当のところ、どうなのよ」
「えっ・・・。真希のこと?」
「うん。紗耶香はどう思ってるわけ?」
「うーーん・・・。あの子すっごい可愛いんだけど、
何ていうか、一緒に居るとあたしがペースを握ってるようで
実は踊らされてる、っていうか・・・。」
「それ、分かる気がする。まあ、紗耶香が可愛いから、
そうなっちゃうんじゃない?あたしだって、もしあの状況だったら
分からない。紗耶香に迫ってたかもね。」
「ちょっと、やめてよー。真里まで・・・。」
「ウフフ、冗談だってば。」
と、言いつつも矢口も紗耶香の不思議な魅力に惹かれていた。
『どうやら圭ちゃんも、かな?』
矢口も、後藤・保田が色気を出していることは知っていたし、
中澤も悪い感情を抱いていない、ということまでは気づいていた。
知らないのは本人ばかり、である。

絶好調のモーニング娘。に、またもや騒動が巻き起こる。
石黒彩の脱退である。
脱退を前にして、紗耶香は石黒と二人きりになる機会があった。
「彩っぺ、どうしてなの?」
「う〜ん、燃え尽きちゃったのかな・・・。あんまり未練はないな。
今は、新しい道に行って自分を試したい。」
「・・・そんなこと言って、残ったあたしたちは淋しいじゃん」
「でも、やっぱり自分の人生だし」
「・・・そうだね」
「あと、負けちゃったことが原因かな。」
「へっ?負けちゃった?」
『あたしは紗耶香の心には入っていけなかった』
ふと微笑んだ石黒は、紗耶香の瞳を見つめながら言った。
「幸せに、ね。」

思えば、初めて石黒が紗耶香に注目した事件
〜『和田さん、何見てんですか?ムカツク!!』〜
から、石黒は紗耶香のことを思っていたのかもしれない。
しかし、二人の距離はそれほど近くはなかった。
いや、石黒は近寄ろう、近寄ろうとしていたのかもしれない。
そんなときに現れた、別の男性。
結果として、紗耶香への想いは実ることがなかった。

最近、飯田が紗耶香によく話し掛けるようになった。
「ねえ紗耶香ー、最近どー?」
「何が?あたしはもう元気元気!!」
すっかりリラックスした様子の紗耶香。後藤の教育係をやることで、
責任感も出てきたらしい。

「んもう、そうじゃなくって。いい恋愛してる?」
「かおりんったらそればっかりなんだから〜。」
「結構うぶだよね、紗耶香は。男の子とか、興味あるの?」
「ないわけないけど・・・」
今は真希が、と言いかけて止める紗耶香。

飯田は、紗耶香のはにかんだ表情を見て、複雑な心境になった。
『やっぱり、誰かいる・・・』
紗耶香の心の中を占めるのは、誰なんだろう・・・。
明日香?真希?裕ちゃん?それとも?
支配欲の強い飯田。人のものは俄然自分のものにしたくなる。
『今のところは圭織の負けだけど、ぜぇったい圭織が』
心に決める飯田だった。

紗耶香の居ない控え室。中澤、保田、飯田、安倍が
休んでいた。そこへ、後藤が入ってくる。
「あ、何だ、紗耶香さんいないや。」
出て行こうとする後藤に向かって飯田が言った。
「ねえ、真希、最近ちょっとやり過ぎじゃない?」
「何が?かおりん。あたし何かしました?」
「紗耶香とベタベタしすぎじゃない?」
「いいじゃないですか。妬いてるの?」
「何ですって、この小娘!!いい気になって!!」
飛びかかろうとした飯田を、中澤と安倍が止める。
「あんた、もういいかげんにしなさい。真希も困っとるやろ?」
「そうよかおりん、大人気ない」
こちらでは、保田が後藤を諌めている。
「真希、あんたも言いすぎよ。ちゃんと謝って」
この場はこれで収まったが、止めに入った中澤や保田にまで、
波紋を残したことは言うまでもない。

もちろん、そんなことがあったなんて紗耶香は知らない。
控え室に入ってみても、雰囲気が悪い。
『おっかしいなあ、何でみんなムスッとしてるんだろう』
しかし元来小心者の紗耶香はとりあえず巻き込まれないように、
黙っていた。そのうち、後藤がじゃれついてくる。
「さーやーかちゃーん♪」
飯田が凄い形相でそれを睨みつける。
中澤は頭を抱え、保田は平静を装いつつも内では嫉妬の念を抱いている。
そのうち、飯田が再び怒って文句を付け出した。
「もうあんたたち、いいかげんにしてよ!!目障りなのよ、
仕事場でイチャイチャされると!!それに、プッチモニが売れたからって
調子に乗ってるんじゃないの!?」

突然の飯田のブチ切れに戸惑う紗耶香。後藤が再び突っかかる。
「また、何を妬いてんの。うちらの仲だけならともかく、
プッチモニのことまで出してきて。いいじゃない、仲良くたって。
ねえ?紗耶香ちゃん?」紗耶香は正直困った。
『ちょっとちょっと、何で喧嘩すんのよ!あたしを巻き込まないでよ』
原因は紗耶香にあるのだが、本人が気づくはずがない。

飯田と後藤のいい争いを見て、またか・・・という表情で
傍観していた中澤だったが、立ち上がってドスの効いた声で一喝した。
「あんたら、いいかげんにしいや」黙る飯田と後藤。
「そんなん言うなら、紗耶香に決めてもらったらええやないか」
「はあ?」口を尖らせる紗耶香。
「もちろん、あんたらだけやないで。うちかて」
紗耶香の頬が赤らむ。中澤の唇・・・。
保田も立ち上がる。
「あ、あ、あたしだって真希には負けないんだから」
『何なんだよみんな、いったい何を言い出すわけ?』
「さ、決めてもらおか、紗耶香」
「紗耶香さん、あたしですよね?」
「ぜぇったい圭織よね?」
「あのキスの味、忘れたわけあらへんよな?」
「さやちゃん、誓ったよね?二人でビッグになるって」
詰め寄る4人。涙目の紗耶香はどうしていいか分からなくなった。
「もう、いいかげんにしてよーー!!」
泣きながら、紗耶香は控え室を飛び出していく。

久しぶりに、トイレに駆け込みこっそりと泣く紗耶香。
『みんな何だよ、あたしのこと全然考えてくれてないじゃない』
外では紗耶香を探すメンバーの声が聞こえてくる。
『つらいよ、明日香・・・』
明日香の唇が、言葉が、蘇ってくる。
そのとき、誰かが入ってくる音がした。
コンコン「紗耶香ちゃん?」「グズッ、誰?」
「あたしよ、なっちだよ」「なっち?」
「みんなには言わないから、出ておいでよ」

安倍と紗耶香はそれほど接点が多いわけではなかった。
ただ、安倍の純朴さに好感を抱いてはいた。

安倍は、スタジオからちょっと離れた喫茶店に紗耶香を連れ出した。
「何か飲む?紗耶香ちゃん」「・・・」
「とりあえず、泣いた分だけ水分補給しないと」
「プッ、なにそれ〜」紗耶香は吹きだしたが、安倍は大マジである。
「え?ジョークじゃないべさ」
しかし、紗耶香が泣き止んだのでほっとする安倍だった。

「ねえ、何か食べる?なっちは甘いものが食べたいなあ」
安倍は、あえて先程までの出来事に触れない。
やがて、大きなパフェが2つ運ばれてきた。
パフェを食べつつ、他愛もない話をしていた。
「紗耶香ちゃん、羨ましいな」急に安倍が呟いた。
「えっ?」
「それだけ皆に気にしてもらってるってことだよね」
「うん・・・。」複雑な気持ちの紗耶香。
「確かに、それだけめんこいもんね、みんなおかしくなるのも無理ないさ」
紗耶香は苦笑いする。

スタジオに戻る二人。
「もしまだ何かあったら、なっちがビシッと言ってやるから」
「うん・・・。」
控え室に入ると、みんな疲れ果てた顔をして座っていた。
安倍が切り出そうとする。「ねえ、みんな・・・」
それを制するように中澤が立ち上がる。
「ごめんなあ、紗耶香。みんなどうかしてたんよ。
圭織も真希も反省してるって言うてるから、許したってー。」
「ごめんね、紗耶香」「ごめんなさい、紗耶香さん」
飯田と後藤が頭を下げる。
顔を見合わせる安倍と紗耶香。
ふと笑って安倍が言う。
「よかったね。紗耶香」「うん」

そんな時、矢口が控え室に入ってきた。
「さーやーかっ♪」紗耶香に抱きつく。
『真里ー、場の空気を読んでよ』頭を抱える安倍だった。

紗耶香も、自分を取り巻く異常な空気に気づき始めていた。
上辺はみんな平静を装ってはいるが、内心どう思っているかわからない。
中立の矢口や安倍だって・・・。

後藤は相変わらず二人きりになると積極的に行動を仕掛けてくる。
「ねえ、紗耶香ちゃん、今度うちで遊びましょ」悪戯っぽく笑う。
後藤としては誰にも知られず、事を進めていたつもりではあった。
しかし、後藤の行動を、深く見守っていた人物がいる。保田だ。

一見さばさばしているように思えた保田だが、実は結構しつこい性格で
紗耶香に対する執着も、人知れずネチネチと育ってきていた。
そして、思いもよらない行動に出たのも保田だった。

保田の中で、相反する二つの心が揺れ動いていた。
タンポポに落ちたときから、プッチモニ結成へと続く紗耶香との友情。
後藤加入以前から少しずつ意識し、今はっきりと目覚めた紗耶香への愛情。
後藤がちょこまか動いているのは知っている。
そして、自分が後藤のように素直に気持ちを表現できないことも。
『私は私なりに愛情を表現できるはず。ここに止まっていても
始まらない。進まなきゃ』

この日も普通に会話をする保田と紗耶香。
「う〜ん、最近スケジュール、ハードじゃない?」
「裕ちゃんなんか、疲れきっちゃってるね」
「かわいそう」
「みんな、ちょっと機嫌悪いみたい」
紗耶香が能天気にこういうのを聞いて、保田は思った。
『紗耶香のこと、気になってるからだよ、みんな』

突然、保田が紗耶香の眼を食い入るように見つめた。
「何?圭ちゃん」
何も言わない保田。その瞳の力に、紗耶香は圧倒されそうになる。
「紗耶香は、友情と愛情、どっちをとる?」
「急にどうしたのよ」「いいから」再び強く見つめる保田。
「あたしは・・・」

紗耶香は大きく深呼吸をしてから、言った。
「友達は大事だけど、もしそれ以上に好きな人が現れたら、わからないな」
「もし、あたしが紗耶香に友情じゃなくて、愛情を抱いてたらどうする?」
強い目つきで紗耶香を見つめつつ、保田が言った。
しばらく考える紗耶香。
「圭ちゃんは、もちろん大事だよ・・・。圭ちゃんがいないなんて考えられない。
でも、それは他の皆にも言えることだけど、あたしが愛とか、そういう視線で
圭ちゃんや真希、圭織を見ることはまだ、考えられないな。」

保田はその言葉を聞いても、自分の気持ちを抑えられないように言葉を吐き出す。
「あたしは、もう止まらないな。紗耶香を、こんなに好きになるなんて思わなかった。
ここまできたら、力づくでも、あたしのものにしたくなっちゃう」
「圭ちゃん?」
「ねえ、裕ちゃん、言ってたよね。紗耶香とキスしたって」
「ちょっと、待ってよ・・・」そういえば、あの控え室の騒動のとき・・・。
「裕ちゃんとは出来て、あたしとは出来ないの?」
保田は椅子に座る紗耶香に近づき、両手で紗耶香の肩を掴んだ。

「ねえ、ちょっと圭ちゃん」抵抗しようとする紗耶香。
「紗耶香は、まだこんなこと知らないよね」
保田の強い力に抗しきれず、床に押し付けられる。
「痛っ・・・」紗耶香は顔を歪めた。
保田も相当興奮しているようだ。
「はぁ、はぁ、痛いのは最初だけよ。じきに忘れられなくなるわ・・・」
「いやぁ、止めて、圭ちゃん」
涙目の紗耶香が嫌がる表情を見てさらに興奮が高まる保田である。

カツッカツッ 人の歩いてくる音がする。
保田は紗耶香の衣服を取ろうとする手を止め、あたりを見回した。
「おかしい、今日は誰もいないはずなのに・・・」
ガチャッ 扉が開いた。

『誰でもいいや、助けてよ』保田に押さえ付けられながら、
紗耶香は必死で助けを求めようとした。しかし、声が出ない。
「真希?どうして?」保田が震えながら言う。そう、入ってきたのは後藤だった。
「・・・自主練しようと思って来てみたら・・・どういうこと?」
応えない保田。後藤は怒気を帯びた声で続ける。
「そうか、ここにこっそり呼び出して押し倒しちゃおうって事?
ずいぶんやるじゃない、圭ちゃんらしくないわよ」
「あ、あんたには邪魔させないんだから」
「邪魔するつもりはないわ。だって、圭ちゃん自分に自信がないから
そういうことするんでしょ?」
「・・・」
「自分に魅力があるなら、紗耶香ちゃんを振り向かせられるもんね」
「・・・」
「そういうこと。だからあたしは、いつか振り向かせようと努力してきたわ」

紗耶香を押さえている保田の眼が滲んでいた。
そのうち、紗耶香に覆い被さるように泣き崩れた。
後藤の言葉を聞いて、紗耶香はまた考えた。そして、ゆっくりと
立ち上がり、後藤と保田に向かってこういった。
「ごめんね。あたしは、あなたたちの想いには応えられない、いつまでも。」

「え?」後藤の動きが一瞬止まる。
泣いていた保田も顔を上げた。
「いろいろ考えてみたんだ、あれから。あたし、みんなには悪いけど、
やっぱり忘れられない人がいるもんね」
涙を拭き、微笑みながら、話しつづける紗耶香。
「真希もさ、すごく可愛い、いい後輩よ。あたしになついてくれてる。
でも、悪いけど、真希のことをその人の代わりとしてしか、見れないな」
じっと紗耶香のほうを見つめる後藤。
「圭ちゃんも、大事なんだ・・・。でも、気持ちはよく分かるけど、
大事な友達、仲間としてしか見れないよ。それは圭織や裕ちゃんもそうだよ」

唇を噛み締めながら、後藤が絞り出すような声で紗耶香に訊いた。
「・・・紗耶香さん、『その人』って誰なの?」
「・・・内緒。でも、あたしの本当に大事な人なんだ・・・」
「・・・そっか。わかりました。」吹っ切ったように後藤が微笑んだ。
保田も、自分の気持ちに整理をつけようと必死に涙をこらえている。

同じように、飯田や中澤にも、紗耶香は自分の気持ちをはっきりと伝えた。
飯田がある程度ごねることは予想がついていた。
「やっぱりぃ〜、かおりじゃだめなの?」
「・・・『その人』とは、比べられないな」
「まっ、しょうがないか。あ〜あ、つまんないの〜」
飯田は、結構あっさりしていた。予想外である。

中澤のほうは、オトナの対応だった。
「ま、しょうがないわ。うちも、紗耶香は可愛いと思うねんけど、
そんなことも言ってられへんトシやし。まじめにオトコを探すわ。」
紗耶香も、リラックスして聞いていた。そのとき、である。
「なあ、紗耶香?」
「何?裕ちゃん」
中澤は不意に、紗耶香の頬にキスをしてから言った。
「キスだけは毎日するねんでー♪」
「・・・もう!!裕ちゃん!!」

紗耶香を巡る騒動にも一段落がついてきたある日・・・。
安倍は、公衆電話から電話しようとしている紗耶香を見つけた。
紗耶香は何度もダイヤルしているが、つながらないようだ。
安倍は後ろからそっと近づき、軽く背中を叩いた。
「さーやーかっ」「わっ!!!」
紗耶香は必要以上に驚き、あたふたしている。
「なんだ、なっちかー・・・。驚かせないでよ」
「なしたの?そんなにあわてて」
「い、いや、ちょっとね、ね?」
「なしたのさー。ちょっとなっちに教えてよ」
「・・・みんなに言わないでね」

喫茶店。また、大きなパフェを食べながら、話す二人。
「誰かと会う約束してたの?」安倍が聞く。
「うん」「誰?」「えっと・・・」口篭もる紗耶香。
「ひょっとして、皆に断ったとき言った『その人』だべか?
だべ!!だべ!!」興奮して訛りがひどくなる。
「・・・・・・うん」
「誰さ?皆には言わないから、教えてよ」
「実はね・・・。」

「ええええっっっ!!!!」
「・・・ちょっと、声が大きいよ、なっち」
「でも、そったらこと言われたら興奮するのも無理ないべ。
あああぁ、びっくりしたー」
「ホント、お願いね。内緒にしてよ」
「わがってるべ。いやあ、しっかし紗耶香もよくやるね」
「うん、でも、こんなに好きになったのは初めてだよ」
「そういう気持ち、すっごくわかるよ。なっちも昔、ね」

パフェを食べ終わって店を出る二人。
「あれ?紗耶香、スタジオに戻らないの?」
「あ、今日は、ちょこっと遅れるって言ってあるんだ」
「そうなんだ。ひょっとして?」
「うん。ひさしぶりなんだー。」
「なっちも会いたいな。久しぶりに。よろしく言っといてよ」
「わかった。じゃ、あとでねー」
二人は背中を向けて歩き出した。

もうすぐ、会えるね。
受験に専念するから、しばらく電話もしなかった。
会うのも我慢した。やっと、だよ・・・。
目の前には見慣れた顔の少女が立っていた。
「明日香!!」