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AYA'S PHANTOM

楽曲の善し悪しなんていうものは、ホントは存在しないんだ。あいまいな
売上げ記録、それが、曲の価値として、どうどうとのさばっている。
そして、いくつの大切な曲たちが、時間のながれのなかで、消えていって
しまったことだろう。
しかし、わたしは思うのだ。
わたしが心から愛した女たちの曲だけは、けして時間のながれに
うもれさせてはならない。
だから、わたしは、今、ここに記そうと思う。
ナッチという女と、サヤカという女の物語を……。

病院のベッドに横たわるナッチは、わたしの顔をじっと見つめながら、
ゆっくりと、その小さな口を開いた。
「あのー、失礼ですけど、どちら様でしたっけ?」
『ふるさと』の敗北によって、瀕死の重傷を負ったものの、なんとか一命を
取り留めたナッチ。しかし、ナッチの脳には障害が生じ、歌手として芸能界に
デビューしてからの記憶が、消えてしまっていた。

今朝もまた、人々はくたびれた顔をして、それぞれの目的の場所へと足を進める。
「何かついてるよ」
となりを歩くサヤカの背中から、紙切れをはがしとったわたしは、そこに書かれて
あった言葉を見て、ハッと息をのんだ。
『 お待たせしました。ゲームを再開します   あみいご 』
あみいご…。また、顔をかえて、わたしたちの前に現れるっていうの?
わたしからそのメモを取り上げると、サヤカはうっすらと不気味な笑みをうかべ、
行き交う人の波に向かって叫ぶ。
「上等じゃないか、あみいごぉぉ、出てこいよー」

「失礼します」
それまでさわがしかった事務所の一室は、先日退院したばかりのナッチが入って
くると、急に静まりかえった。ユーコは、食べかけの柿ピーを床にこぼす。
ふいにわたしと目が合ったナッチは、何かに気がついたような表情にかわった。
「えっ?ナッチ、わたしのこと思い出してくれた?」
ナッチはにっこりと笑う。「はい、ドラマーとの熱愛が、発覚した方ですよね」

そして、時はながれ…、ナッチの記憶は戻らないままだったが、
金髪の少女、マキの加入もあって、『らぶましーん』は大ヒット。

「あのーアヤさん、ペッティングって何ですか?」
事務所の廊下で、ナッチは立ち止まり、とうとつに聞いた。
「イタっ!」
ナッチの背後から、ゆっくりと近づいてきたサヤカは、勢いよく
彼女の頭をはたく。
「サヤカさ〜ん」ナッチはむじゃきな笑顔を見せた。
「サヤカさんに、バシッとなぐられるたびに、何か大切なことを、
少しずつ思い出してくるような気がします」
サヤカの口元に微笑がうかぶ。
「おやおやもっと、刺激の強いのお望みですね?そいつはこまった」
ナッチの頭を、何度もたたく彼女は、水を得た魚の表情だ。
わたしはただ、そこに立ち尽くし、ふたりの世界に入っていくことは
できなかった。

都内のスタジオの楽屋。歌番組の収録をすませたわたしたちは、
帰り仕度をはじめていた。
とつぜん、ドアが開いて、青白い顔の男が入ってくる。男は、
室内を見渡すと、くるったように叫び出した。
「おぉぉまえらのせいでなぁぁ、オレの曲が売れなくなったんだよぉぉ。
バカな聴衆は、すぐに乗り換えやがる。おまえたちだって聴いてたんだろ?
オレの曲をさぁ…。カラオケで歌ったりしてたんだろぉぉ」
「あたしは、聴いてねぇよ」
うっすらと、冷たい笑みをうかべて、サヤカは男のほうへ歩み寄る。
「聴きたくもねぇよ、そんなくだらねぇもん」
うむを言わさず、顔をけりつける。壁に激突して、床に倒れこんだ男を、
サヤカは容赦なくなぐりつづけた。
「サヤカさーん、やめてくださーい」ナッチが叫ぶ。

胸ぐらをつかんでいる手を離すと、サヤカはゆっくりと立ち上がり、
タバコとライターを取り出した。
「大丈夫ですか?」
駆け寄ってくるナッチを見ると、男は怪しい微笑をうかべる。急に立ち
上がると、隠し持っていたナイフを取り出し、ナッチに突きつけた。
一瞬の静寂のあと、男はクスクスと笑い出した。
「ボクの名前をよんでくれるかい?」
ナッチは、恐怖で顔がひきつる。
「ボクの名前をよんでくれるかい?」
「……コ、コムロさん…」
「ちがーーう」
おびえるナッチに、男はゆがんだ表情を見せる。
「おもしろくない女だな。それじゃあ、思い出させてやろう」
ニヤリと笑うと、男は口から大量のCDを吐き出し、そのまま床に
くずれおちた。スタジオの廊下に悲鳴がひびく。
ナッチの脳裏を、悪夢のメロディが駆け巡った。
びぃとぅぎゃあざ…びぃとぅぎゃあざ…。
「あみいごぉぉぉ」何かにあやつられるかのように、男の手から
ナイフを奪うと、ナッチはそれを頭上にかかげる。
ナッチの不審な動きに気づき、サヤカはタバコを投げ捨てた。
「ナッチ!」

ナッチの振り下ろしたナイフが、間に飛び込んできたサヤカの背中を
突き刺した。
「イテぇ…」よろよろと後退し、サヤカは床に倒れこむ。
そのとき、ナッチの頭の中を、サヤカと共に過ごした日々の思い出が、
悩ましくよぎった。
われにかえったナッチは、身悶えするサヤカを包み込むように、
そっと抱き起こす。
「サヤカさん…」
「なんだよおまえ、目ぇ、さ、覚めたのか?」
「はい」
込みあげてくる思いは、言葉にならない。
ナッチをいとおしむように見つめるサヤカの瞳に、涙がうかぶ。
「お、おまえ、あいかわらず頭くさいよ…。
ホ、ホントは『さら』使ってないんだろ?なっ?」
しあわせそうに笑って、ナッチの頭をたたくと、サヤカは彼女の胸に
からだをあずけ、ゆっくりと目を閉じた。
「サヤカさん…、サヤカさん…」
とめどなく涙があふれだし、声にならない悲鳴をあげる。
「サヤカさーーーん!!」

 涙 止まらなくても 昔のようにしかって MY MOTHER
 涙 止まらないかも わがままな娘でごめんね MOTHER

FMからながれる、なつかしい曲。わたしは、すっかり冷めてしまった
コーヒーを飲み干すと、部屋をあとにし、学校への道をいそいだ。