「なぁ、ウチの新曲聞いたかぁ?なんで上海なんかなぁ?どこでもええやん」
「アホかい。曲書いてもらっとるくせに何言うてんねん。ええ加減にせんかい!」
平家の冷たい発言に中澤は軽く溜息を吐いた。いつも平家はこうだ。中澤
に対してはひどく冷たい。
(ま、それだけウチに慣れとるっちゅーことなんかな?)
中澤は口の端で軽く笑うと、コップに残っていた日本酒を一気に飲み干した。
(なんやかんや言うても、ウチが飲み行こう言うとついて来てくれるしなぁ〜)
中澤は隣に座っている平家をちらりと見た。平家はブツブツ言いながらもずく
をつついている。やはり平家にはもずくが似合う。中澤がそんなワケの分から
ない事を考えていると突然『ちょこっとLOVE』が店内に響き渡った。平家の
ケイタイに電話がかかってきたのだ。
「みっちゃん。その曲みっちゃんに合うてへんで?もっと演歌とかの方が似合う
とると思うんやけどなぁ?」
「しゃーないやん。後藤がやってくれたんやけど、アタシ変え方よぉわからへん
ねん」
「自分おっさんかい。それ21の女のセリフちゃうで?どうでもええねんけど、は
よ出たら?切れてまうで?」
「ああ、そやな。もしもし…」
平家が電話に出たのを確認すると、中澤はおかわりを注文した。
(はぁ〜、やっぱみっちゃんも若い子の方がええんかなぁ?ウチと飲んでても、
後藤の呼び出し入るとすぐそっちに行ってまうし…)
中澤は少し後藤に嫉妬した。まったく後藤もこんな不幸そうな女のどこがい
いのだろう?この間何かのイベントの時、ついその場の勢いで結婚しないなど
と言ってしまったが、結婚はしなくても恋愛はしたい。
中澤裕子27歳。いろんな意味でいっぱいいっぱいなのだ。
「あの〜、裕ちゃん?ちょお悪いんやけどアタシその…」
「後藤からの呼び出しなん?ええで、行ってきぃや。ウチは別にかまへんさか
い」
中澤はワザと不機嫌そうな態度でそう答えた。そんな中澤の態度に平家は
少しおろおろしている。
(こう言うとこがかわいいねんなぁ〜、みっちゃんは。…そうか、後藤もこう言うと
こが好きなんや)
そう思うと中澤はにっこり笑って平家の方を振り向いた。
「ホンマにかまへんて。はよ後藤んとこ行ったりぃや。待っとるんやろ?」
「裕ちゃん、ホンマごめんな!この埋め合わせは必ずするさかい!」
そう言うと平家は慌てて店を飛び出して行った。完全に後藤の尻に引かれて
いるようだ。
平家がいなくなると、狭い店内が異様に広く感じる。なんとなく、この世に存
在しているのは自分1人だけのような、そんな感覚に陥った。もう、帰ろう…。
そう思うと、中澤は静かに店を後にした。
「ただいま〜!って誰もおらんのにこんなん言うんは虚しいわぁ〜」
中澤はドサッとソファーに座り込んだ。まだ9時だ。こんな時間に家に帰って一
体何をしろと言うのだ。
(あぁ〜あ、みっちゃんは今ごろ後藤と…アホかい!ウチは何考えてんねん!!)
自分のバカな妄想を振り払うかのように、中澤は軽く頭を振った。そして、お
もむろにケイタイを手に取り番号をプッシュした。
『もしもし、裕ちゃん?どーしたの?』
「矢口かぁ?なぁ、自分今ヒマ?ちょおこっち来ぉへん?ウチ今メッチャ寂しい
ねん」
『なんだよ、裕子ー!矢口は裕子の便利なオモチャじゃないんだぞー!』
「オモチャみたいなもんやん。なぁ、来てぇな」
『しょーがないなー。…今から行くからちょっと待っててね』
矢口の言葉が終わると、ケイタイはプツッと切れた。
(便利なオモチャか…。ホンマにそうかもしれへんなぁ〜)
中澤はケイタイをソファーの上に投げ捨てると、深い溜息をついた。
数分後、玄関のチャイムが鳴る。どうやら矢口が来たようだ。中澤はゆっくりと
玄関のドアを開けた。
「裕ちゃ〜ん!矢口到着!!」
玄関先には矢口が立っていた。余程急いで来たのか、少し汗をかいている。
自分の為にそんなに急いでくれたのかな?そう思うと、中澤はそっと矢口の身
体を抱きしめた。
「ちょ、裕ちゃん!?寂しいってそう言うイミだったのー!?」
「他になにがあんねん。ええやろ?」
そう言うと中澤はひょいと矢口の身体を持ち上げ、寝室へと向かった。
(やっぱり矢口はちっちゃいなぁ〜。みっちゃんじゃこうはいかへんやろ…)
そんな事を考えながら、中澤は矢口の唇にそっと自分の唇を重ねた。矢口も
特に抵抗する様子はない。
そのまま2人はベッドへと倒れこんだ。中澤の手が、そっと矢口の服を脱がせ
ていく。
「裕ちゃん…やっ…」
「何がいやなん?なぁ、何がいやなん?」
中澤は口の端を軽く上げると、そのまま矢口の口を塞いだ。薄く開いた矢口
の唇からそっと口内に舌を滑らせる。
「んっ…あ……」
矢口のか細い声が、唇の端から漏れる。だが中澤はどうしてもその声に集中
する事ができなかった。先程から頭の中に浮かぶのは、平家と後藤の姿だけ
だ。2人の行為がまるでその場にいるかのように頭に浮かんでくるのだ。
(みちよ…。なんで後藤なんかがええねん…。みちよ…)
中澤は乱暴に矢口の身体を抱きしめた。まるで、頭の中から無理矢理2人
の姿を消そうとしているかのように。
「おはようございま〜す」
楽屋のドアを開けて、後藤が入ってきた。遅い!遅刻ではないか!中澤は
軽く後藤を睨んだ。
「後藤、遅いよ!新メンバーも入ったってのにアンタがそんなんでどうすんの
よ?」
「へへ、ごめんなさ〜い」
後藤はあまり済まなそうとは言いがたい表情で保田に謝っている。どうせ昨
夜は平家の所に泊まったのだろう。そう思うと中澤は、ふっと後藤から目をそら
した。なんとなく、なんとなく今は、後藤を見たくはなかった。
「あっ、裕ちゃん…ごめんなさい。怒ってる?」
中澤が目線をそらしたのを自分を怒っているせいだと勘違いしたのだろう。後
藤が先程よりは多少申し訳なさそうな顔で謝ってきた。中澤裕子、まだまだ
リーダーとしての威厳を失ってはいないようだ。
「別に怒ってへんて。ええからはよ着替えぇな」
中澤は早口に言い捨てた。後藤の顔を見ていると、自分の心の中に嫌な
感情が湧き上がってくる。嫉妬と言う醜い感情が湧き上がってくる。
「でも裕ちゃんなんか怒ってるよぉ。遅れたって言ってもちょっとだけじゃん。そん
なに怒んなくても…」
「ええからはよ着替えろ言うてんねん!!」
中澤の怒声が楽屋に響き渡る。メンバー達は一瞬何が起こったのかわから
ず、口をポカンと開けている。楽屋は沈黙に包まれた。
最低だ。自分はなんて最低なのだろう。これではただの八つ当たりではない
か。
中澤は無言のまま、静かに部屋を出ていった。
「はぁ…」
中澤はテレビ局のロビーに1人座り、そっと溜息を吐いていた。
時間が経つにつれて、どんどん自分に対しての嫌悪感が湧き上がってくる。
なんて事をしてしまったのだろうか。後藤はまったく悪くなどないのに。
「裕ちゃん!」
ふと後ろからかけられた自分を呼ぶ声に中澤は振り向いた。中澤の後ろには
保田が立っている。どうやら先程の事に対して文句を言いに来たらしい。
「裕ちゃん、何いきなり怒ってんのよ?そりゃ遅刻した後藤は悪いけど、だから
ってあれは言いすぎだよ?」
(そんなん分かっとる。それに別に後藤が遅刻したから怒っとるワケちゃうねん
…。そりゃ遅刻はちょっとはムカついたけど、けど…けど、そんなんちゃうねん)
「加護とか辻なんかもう半ベソかいてたよ?裕ちゃんいきなり怒鳴るんだも
ん。後藤も結構へこんでたしさ」
(もうええねん。もう、ええねん)
「ねぇ、裕ちゃんホントにどうしたの?なんか変だよ、最近」
「なんでもないねん。ちょおイライラしてて後藤に当たってもうただけやねん。ホ
ンマ、なんでもないねん」
「ちょっと、裕ちゃん!?」
自分を咎めるような保田の声を無視して中澤は立ち上がった。もう、いいの
だ。本当に、もういいのだ。
「なぁ、みっちゃん聞いてぇな。なんやねん、プッチの青春時代て?ウチあんな
恥ずかしい歌詞よう歌えへんわ」
中澤は、隣でチビチビと日本酒を飲んでいる平家に向かって話しかけた。中
澤がなんの連絡もなく自分の部屋に侵入して来た為、平家は少し不満そう
な顔をしている。
「ええやん別に。アンタが歌うワケちゃうんやから」
「なんやねん、みっちゃんやけに冷たいやん!?おいコラ、みちよぉ〜!ウチに
なんや文句でもあるんか!?あぁ!?」
「別にそんなんちゃうわ。もう裕ちゃんホンマに飲みすぎやで?ええ加減にしと
きぃや」
そんな平家の冷たい態度に、中澤は少しカチンときた。何故平家はこんなに
も冷たいのだろうか?確かになんの連絡も入れずにいきなり部屋に押しかけ
た自分も少しは悪い。それにしてもこの態度はひどいだろう。
「みっちゃん、今日はやけに冷たいやん!?ウチが来たらそんなに迷惑なん
か!?」
「迷惑やなんて、そんなワケないやん。裕ちゃん、どうかしたんか?」
「どうかしてんのはみっちゃんの方やろ!?なんでそんなにウチに冷たいね
ん!?なぁ、なんでなん!?」
「裕ちゃん、ちょお飲みすぎやで?そんなに怒らんといてぇな、な?」
そう言うと平家は、そっと中澤の肩に手をかけた。そんな平家の態度が、中
澤にはたまらなく嫌だった。まるでダダをこねている子供をあやすかのような、そ
んな平家の態度にたまらなく腹がたった。
「離しぃや!!」
中澤は力一杯平家の手をはたいた。乾いた音が部屋の中に響く。
「ゆ、裕ちゃん?いきなり何すんねん?」
「なんやねん、自分のその態度は!?そんなにウチは邪魔なんか!?そんな
にウチは迷惑なんか!!?」
「そ、そんなん言うてへんやん。裕ちゃん、ちょお落ち着いてぇな」
「もうええねん!!うっさいわ!!」
そう言うと中澤はいきなり平家の身体を押し倒した。突然の事に平家はなに
がなんだか分からないと言う顔をしている。
「ちょ、裕ちゃん!?いきなり何すんねん!?」
そんな平家の言葉を無視して、中澤は無理矢理平家に唇を押し付けた。
平家は必死に抵抗するが、非力な平家に自分にのしかかってくる人間から
逃れるだけの力はない。
「裕ちゃ…やっ…」
そんな平家の苦しそうな声を聞いていると、中澤は自分の気持ちがどんどん
昂ぶってくるのがわかった。平家が嫌がっているのは分かる。でも、もう止まら
ない。
中澤が、平家の着ているキャミソールの肩紐に手をかけたその時だった。
ピンポーン。
突然、玄関のチャイムが鳴り響いた。平家の動きが一瞬止まる。
だが中澤は、そんなチャイムを気にする様子もなく行為を続けていく。
「裕ちゃん、離してぇな!だ、誰か来たみた…んっ…」
ピンポーン。ピンポーン。
再びチャイムが鳴る。
「裕ちゃ…お願い。離して…」
だが中澤は平家の言葉を無視し、行為を止めようとはしない。嫌がる平家
を無理矢理押さえ付けたまま、そっと平家のその細い首筋に唇を這わせてい
く。中澤の唇は平家の首筋から鎖骨へとだんだん下へと降りて行く。もうダメ
だ。そう思い平家が身体を固くした時、ドアの外から声が聞こえた。
「平家さぁ〜ん、いないんですかぁ?平家さぁ〜ん!」
ドアの向こうから少し間延びした後藤の声が聞こえてくる。その瞬間、中澤の
動きがピタリと止まった。
「平家さぁ〜ん!…あれ?いないのかなぁ?今日は家にいるって言ったのに
ぃ〜」
ドアの外では後藤が何やらぼやいている。そんな後藤の声を聞きながら、中
澤は無言で立ちあがった。いったい自分は何を考えていたのだろう?いったい
自分は何を期待していたのだろう?始めから分かっていた事ではないか。無
理矢理平家を手に入れても何も変わらない。空っぽの平家の身体を抱いて
も何も変わりはしないのに。
「裕ちゃん…?」
足元から聞こえる平家の声を無視して、中澤は玄関の方に向かって行っ
た。もう嫌だ。もう、自分が何を考えているのか分からない。
中澤が玄関のドアを開けると、案の定そこには後藤が立っていた。
「あっ、裕ちゃんいたんだ?…ってあれぇ?裕ちゃん?」
中澤は後藤とは目を合わせずに、スッと横をすり抜けて行った。中澤の奇妙
な行動に、後藤はわけが分からないという顔をしている。
「裕ちゃん!!」
後ろから、平家が自分を呼ぶ声が聞こえる。今更平家は自分に何の用が
あるのだろうか?何故、必要ない人間に情けをかけたりするのだろうか?そん
な事をするから、そんな事をするから淡い期待などというものを抱いてしまうの
ではないか。
(なんでウチを呼ぶねん。なんでウチに優しくすんねん。なんでウチのこと嫌って
くれへんねん)
中澤の目の前で、静かにエレベーターのドアが開いた。
暗い部屋の中、中澤は1人膝を抱えて座っていた。
何故あんな事になってしまったのだろう?中澤は自分の行動をひどく後悔し
た。そっと顔をあげて窓の外を見ると、いつの間にか雨が降り出している。
「雨、か…。ウチの心もどしゃ降りやねんで?」
中澤は自嘲気味にポツリとそう呟いた。このままではいけない。そんな事は分
かってはいるが、どうしたらいいのか分からない。
「なんでやねん…。なんでこんなんなるねん…」
中澤はギュッと膝を抱く手に力を込めた。気が付くと、目からは涙が零れ落ち
ている。寂しい、どうしようもなく寂しい。だが、その寂しさを和らげてくれた人
はもういない。
「ウチはもう1人なんや…。ウチは…もう1人ぼっちなんや…」
中澤はそっと膝に顔をうずめた。とめどなく涙があふれ出てくる。暗い部屋の
中には、中澤の嗚咽だけが小さく響いていた。
ピピピピピ ピピピピピ ピピピピピ。
突然鳴り響いた携帯の着信音に、中澤ははっと我に帰った。一体誰だろ
う?中澤は立ちあがると、そっと携帯を手に取った。ディスプレイを見ると、今
一番声を聞きたくない人物の名前が表示されている。
ピピピピピ ピピピピピ ピピピピピ…。
着信音はまだ止まらない。中澤は無言のままじっと携帯を見つめていた。
様々な考えが頭の中をよぎる。このままではいけない。このまま終わらせては
いけない!
そう思うと中澤は部屋を飛び出した。携帯などでは嫌だ。会ってキチンと話し
をしたい。中澤は暗い夜道を電話の主の家へと急いだ。
どしゃ降りの雨が、中澤の身体に降り注ぐ。だが中澤はそんな事を気にする
様子はない。
今ならまだなんとかなるかもしれない。今ならまだ元に戻れるかもしれない。
数十分後、中澤は息を切らせて平家のマンションの入り口をくぐった。エレベ
ーターに乗りこむと、そのまま真っ直ぐに平家の部屋へと向かう。
ようやく平家の部屋の前に辿り着いた中澤が玄関のチャイムを押そうとしたそ
の時、部屋の中から聞こえてきた声に、中澤の動きが止まった。
『平家さん、そんなトコで待ってても裕ちゃんは来ませんよ。だって裕ちゃんケ
イタイも切っちゃったんでしょ?』
『そうやけど…でも…』
後藤がいる。もう後藤は帰ったとばかり思っていた中澤は少し驚いた。しか
し、後藤がいると言うのに自分に電話などかけてくるなんて、一体何を考えて
いるのだろう?
もう帰ろう、そう思った中澤だが、やはり2人の会話が気になる。盗み聞きな
ど趣味ではないが、話の内容が自分に関するものであるならば話は別だ。
『平家さんって結構ヒドイ人ですよね。なんでさっきアタシがいるのに裕ちゃん
に電話なんかしたんですか?』
『いや…。その、だってやっぱり裕ちゃんのことも気になって…。その…後藤に
は悪いと思うたんやけど…』
『悪いと思うんならしないでください!少しは…、少しはアタシの気持ちも考え
てくださいよ!!』
ドンという衝撃がドアに走る。
中で起こっていることを察した中澤は、その場を離れようとした。もう耐えられ
そうにない。だが、中澤の意に反して身体はその場を動こうとしない。自分の
勘違いであって欲しい。ただドアに身体がぶつかっただけであって欲しい。そん
なかすかな期待が、中澤の身体を停止させた。
『えっ?ちょ、後藤…。ア、アカンて、こんなとこで…んっ……外に…聞こえて
まうやん』
『こんな時間に誰も来ませんよ…。いいじゃないですか』
『あっ…ごと……んっ……』
『平家さん…。アタシだけ見てください…アタシだけ…』
中澤はドアの前でただ呆然と立ち尽くしていた。そうだ、これが現実なのだ。
自分は今まで都合のいい夢を見ていただけなのだ。
何故だろう?心がとても静かだ。もっと嫉妬に狂うかと思っていたのに、案外
冷静な自分に中澤は驚いた。
平家の心が自分に傾く事はもうない。平家の心の中には、もう後藤しかいな
いだろう。中澤は、ふと後藤が現れる前の事を思い出した。平家には中澤だ
けで、中澤には平家だけだった。だが、あの頃の平家はもういない。時間は
確実に流れていく。その時間の波に乗り損なってしまったのは自分だけ…。
中澤の目がすっと細くなった。
「後藤!アンタさっき全然やる気なかったでしょ!?まったくいい加減にしな
よ!」
楽屋に保田の怒声が響き渡る。どうやら先程のテレビ番組収録中の後藤
の態度が気に入らなかった様だ。メンバー達の目線が2人に集まる。
「圭ちゃん、そんな怒んなくってもいいじゃん。後藤だって一生懸命やってんだ
からさー」
保田のあまりの怒りに、見かねた矢口が口を挟んだ。
「一生懸命って、アンタあの姿から一体どうやってそんな言葉出てくんのよ!
いい加減な事言わないでよね!」
怒りの矛先が完全に自分に向いてしまった事に気付いた矢口は、少しひき
つった笑いを浮かべながらこそこそと2人から離れていった。保田の怒りはまだ
おさまらない。後藤はと言うと、申し訳なさそうな顔で保田の前に立ち尽くす
だけだ。
中澤はそんな2人を無言で見つめていた。そのうちに保田の怒りも収まったら
しく、メンバー達はそれぞれ帰り支度を始める。後藤を怒った保田は、やはり
少し居づらい雰囲気を感じたのだろう。早々と楽屋から去っていった。それを
合図に、他のメンバー達も次々と楽屋を後にする。
楽屋にいるメンバーがまばらになってきた頃、ようやく中澤は立ちあがり、そっと
後藤に近づいていった。
「後藤、さっきはえらい怒られてたな」
「うん…。でもやっぱアタシが悪いんだし…、圭ちゃんが怒ってもしょうがないか
なって…」
後藤は少しうつむいてそう答えた。やはり保田に怒られるのは、効くようだ。
「なぁ、後藤。自分今日時間ある?ちょお付き合ってほしいんやけど」
「えっ?別にいいけど…。なんで?」
「ん〜、ちょっとな…」
どうも腑に落ちないと言う顔をしている後藤を連れて、中澤は静かに楽屋を
出ていった。
「おじゃまします…」
そう言うと後藤はおずおずと中澤の部屋に上がった。中澤の部屋に来るのは
初めてだ。しかも自分を連れてきた理由もまったくわからない。後藤はチラリと
中澤の方を見た。中澤はと言うと、そんな後藤を気にする様子はまったくな
い。
「後藤、そんなトコにおらんとこっち来ぃや」
「あの…裕ちゃんなんの用?用がないんだったらアタシもう…」
後藤がそこまで言った時、中澤は素早く後藤の手首を掴んだ。後藤の身体
が一瞬固くなる。
「ゆ、裕ちゃん?」
「後藤、後藤は最近みっちゃんと仲ええらしいなぁ?なぁ、そうなんやろ?」
中澤は後藤の手首を握る手にグッと力を込める。決して後藤が逃げられな
いように。
「ちょ、裕ちゃん!離してよ!!」
後藤の言葉を無視して、中澤は後藤の身体を勢いよく自分の方に引き寄
せた。バランスを崩した後藤が床に倒れこむ。
中澤は口の端を軽く上げると後藤の顔を見た。後藤はまだわけがわからない
と言う顔をしている。
「後藤、自分なんでモーニングなんかに入ったんや?自分さえ現れへんかった
ら、全てがうまくいってたんやで?」
「裕ちゃん?何言ってんの?」
「自分さえ現れへんかったら、みっちゃんはずっとウチのモンやってんで?」
「裕ちゃん…」
「ウチ最近思うねん。昔の方が良かったって…。もうあの頃には戻れへんのか
なって…」
「裕ちゃん、何言ってんの?ねぇ…裕ちゃん!?」
「ウチはあの頃に戻りたいねん。その為には、後藤…自分が邪魔やねん」
中澤の目が妖しく光る。全てを察した後藤の顔はもう恐怖に歪んでいた。そ
んな後藤の顔を見ても、中澤は何も感じない。もう頭が麻痺しているのかも
しれない。これで全てが解決するのだ。そう確信した中澤の顔には、もうなん
のためらいも見えなかった。
ピンポーン。ピンポーン。
ふいに玄関のチャイムが鳴る。中澤の動きがピクリと止まった。
「裕ちゃん!いるんやろ!?開けてぇな!!裕ちゃん!!!」
玄関のドアがガンガンと叩かれている。中澤は後藤を掴んでいた手の力をス
ッと緩めた。
「なんでみんなウチの邪魔すんねん…。なんで、なんでみっちゃんまでウチの
邪魔すんねん…」
中澤の力が緩んだスキに、後藤は慌てて中澤から離れた。もうどうでもいい。
逃げたければ逃げればいい。玄関へと向かう後藤の後姿が目に入る。だが、
今の中澤にはそんな事はもうどうでもよかった。
「裕ちゃん!!アンタ一体何考えてんねん!!裕ちゃん!?」
平家の声が聞こえる。どうやら怒っているようだ。怒られて当然だ、中澤は口
の端だけで軽く笑った。自分はやはり夢を見ていただけなのだ。
「ホンマごめん…。ウチなんかおかしかったんや…。謝ってすむことちゃうねんけ
ど、ホンマごめん……」
「裕ちゃん?」
「もう、帰ってぇな。ホンマにウチおかしかっただけやねん…。もうホンマ大丈夫
やから…」
中澤はまるで自分に言い聞かせるかのように言葉を続けた。自分はただ夢
を見ていただけだったのだ。できれば、もう少しこの幸せな夢を見続けていた
かった。でももう終りだ。一度醒めた夢は、もう二度と見ることはできない。
2人を帰した後、中澤は1人部屋の隅にうずくまっていた。平家は中澤の様
子がどうもおかしいと言う事を矢口から聞いていたらしい。そう言えば後藤を
連れて楽屋を出る時、矢口が自分の方を見ていたような気がする。だがそん
な事はもうどうでもいい。もう、夢は醒めたのだ。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴る。誰だろう?もう誰でもいい。そんな事を考えながら、
中澤はゆっくりと玄関に向かった。
外の様子を伺いもせず、中澤は勢いよくドアを開けた。
「裕ちゃん。とうとうキレちゃったんだって?」
玄関の前に立っていたのは矢口だった。からかい混じりの笑顔で、中澤を見
上げている。
「なんやねん…。もうええやん…別に…」
「裕子ー!何怒ってるんだよー!せっかく矢口が来てあげたのにそういう態度
とるのかよー!?」
そんな事を言いながらも、矢口の顔は笑っている。そんな矢口につられて、中
澤は少し微笑んだ。
「だから最初っから矢口にしとけばよかったんだよ?裕ちゃんには矢口が一番
似合ってんだからさ!」
「…なんやねん、ソレ。自分なんかウチには合うてへんわ」
「コラ、裕子ー!なんでそう言うコト言うんだよー!そう言うコトばっか言ってる
と矢口帰っちゃうよ!?」
そんな矢口の様子を見ていると、中澤は妙にほほえましい気持ちになった。
「帰らんといてぇな…」
そう言うと中澤は矢口の身体をグイッと引き寄せた。そうだ、もう夢は醒めた
のだ。随分長い間、つまらない夢を見ていたものだ。中澤は矢口を抱く腕に
ギュッと力を入れた。
時間の波に乗り損なったのは自分だけ。だが、乗り損なったのならまた乗り
直せばいい。時間は流れ続けているのだから。今度はもっと幸せな夢を見よ
う。決して醒める事のない、幸せな夢を。
「裕子の居酒屋日記」 完