プロローグ
世界中を巻き込み繰り広げられたあの戦争から早十年。
かつてその類稀なる能力とカリスマ性を誇った独裁者・市井紗耶香は、
その果てしなく大きな野望を、紅蓮の炎で自らの肉体ごと焼き尽くしてしまった。
世界は平和と秩序を取り戻し、急ピッチで復興が進められた。
人々の脳裏からあの忌まわしい戦争の記憶は徐々に失われていく・・・はずだった。
かつての経済大国としての姿を取り戻しつつある、日本。この国の人々は、
あの戦時中に自らの国から独裁者を生み出したことを忘れようとしていた。
いや、記憶から無理に消し去ろうとしていたのかもしれない。
ここに、一人の少女が居る。かつての独裁者・市井紗耶香に生き写しの。
戦争の副作用から産み落とされたこの少女の運命もまた、
どす黒い血で染められてしまうのだろうか・・・。
石川梨華。かつての独裁者・市井紗耶香に生き写しの少女の名である。
彼女は終戦当時に5歳になっていたが、市井紗耶香のことを覚えてはいない。
ただ、テレビなどで取り上げられる昔の市井紗耶香の映像を見るたび、
自らが独裁者に酷似していることを不思議に思ったりしたものだ。
彼女の両親はそのことについてあまり触れたがらなかった。
梨華が学校などでそのことを指摘されるたび、両親にそれとなく話をしてみるのだが、
両親はその話題を避け、友達付き合いや勉強の話に誤魔化されてしまう。
梨華が、市井紗耶香と自分の関係に疑問を持つまで、そう時間はかからなかった。
図書館で、梨華は戦争に関する記事を調べていた。
市井紗耶香の素性、TOY解放運動、大虐殺・・・。
そして、当時の写真を収めたグラフ誌を見つけた。
軍や民衆の写真に混じって、軍服姿の市井紗耶香と、
後ろにぴったりと寄り添う女が写っているものに目をやる。
キャプションは『「総統」市井紗耶香と後藤真希秘書官。』
総統府が陥落した時、中澤親衛隊長とともに3人の遺体が発見されている。
二人が寄り添う写真を見ながら、梨華は不思議な胸の高鳴りを
抑えられずにいた。
図書館で感じた胸の高鳴りは、これからの運命を暗示していたのかもしれない。
梨華が図書館の帰りに立ち寄ったマクドナルド。
少し眉の吊り上がった女の店長が、忙しく指示を出している。
列に並んだ梨華がレジの前に立つと、ちょうど店長が梨華の目の前に立ち、
注文を聞こうとする。梨華と目が合う。一瞬、その店長は絶句した。
梨華は、うんざりという表情を浮かべた。
市井紗耶香に似ているからって、何なのよ。私が何したって言うのよ。
先程感じた胸の高鳴りが嘘のように、今は鬱陶しかった。
ハンバーガーの袋を受け取り、足早に店を出る。苛立ち紛れに、
中からハンバーガーを一個取り出し、行儀悪くかぶりつきながら歩く。
その時ふと、紙袋の中に変わった紙切れが入っているのを見つけた。
「マジカル・ミステリー・ツアー・・・」梨華は呟いた。
『マジカル・ミステリー・ツアーへの招待状』とだけ書かれた黄色の紙。
犬のような顔の模様がうっすらと入っている。
さっきの店長に、ちょっとだけ似てる・・・。
マジカル・ミステリー・ツアーへの招待。
ここから、平凡な少女の運命は切り開かれていくことになる。
その道案内が、天使なのか悪魔なのかはまだ知る由もなかった。