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グラップラー真里

− テレビ東京地下30階 格闘ドーム −

居並ぶ観衆の中に各界の著名人の顔が見える、O総理、N官房長官、横
綱T、アメリカ合衆国C大統領、イギリス女王、つんく…

(有名人の叩き売りじゃん…)
真里は不思議と冷静に事態の推移を眺めていた。目の前では着ている物
は高級だけれども品の無い顔をしたジジイ(司会?)が喋り続けている。

「本日の出演者は『モーニング娘。』さんです。
 ルールは、いつもの通りの武器使用禁止の素手による格闘です。
 ノックアウトもしくは、TKOで負けが決定します。

 皆様今宵も興奮のバトルをごゆるりとお楽しみ下さい。
 それでは、組み合わせを発表いたします!…」

(あれ?彩っぺもいる…トーナメントだから8人にしたのかな?)
真里は、ゆっくりと視線を巡らしメンバー達を一人一人確認した。

(圭ちゃんは同じ前田道場だから手の内も実力も大体判る。五分か、良
 くて六四かな。いずれにしても苦戦は必死だなあ…
 さやかも同じ道場だった…けれど…
 あっ、そう言えば、裕ちゃんは昔はタイマンでならしてたって言って
 たっけ。かおりんと彩っぺはどうなんだろう?なっちやごっちんはそ
 う言うタイプには見えないけど…)

圭は、想像外の事態に驚いたいたが、命の危険は無さそうな事が判ると、
逆にすっかりやる気になっていた。

(こりゃラッキー!得・意・分・野・で・すぅ! まりっぺにさえ勝て
 れば優勝じゃーん?     後は、さやかかな…)

フィジカル面に恵まれた圭は、その広い視野と重厚な体格を存分に活か
したファイティングスタイルであった。天才とは言えないまでも、素質
の輝きは見られたし、そして何よりも努力を人一倍したので、道場では
真里と並んでダブルエースだった。
ダブルエースのもう片翼の真里は圭とは対照的だった。体格には恵まれ
ていなかったものの、バネ、キレ、そして格闘センスは群を抜いていた。
二人は全く異質のファイターであったが、過去の対戦成績は五分五分だ
った。ただ、圭には常日頃から感じている疑問があった…
真里には、かなり余裕があるのではないか?

そして、さやか…

始めは、ほんの軽い気持ちで道場に誘っただけだった。大人しく、内向
的な、さやかはそう言う事にチャレンジしてみるのも大切じゃないの?
ぐらいだったのだ。

さやかは圭の予想を遥かに越えていた。乾いたスポンジが水を吸収する
様に信じられないスピードで上達していったのだ。まるで詰め将棋の様
に理論立った闘い方をし、組み技では、あっという間に門下生ナンバー
1になった。圭が密かに、本人はそれと気が付いていなかったのだが、
危惧していたのは、さやかが、あまりにも躊躇無く極める事だった。

強くなるに従って、さやかは変わった。全てに自信が溢れ、圭の方が頼
る事が多くなったほどだ。

圭が練習で初めて、さやかに負けた日のことだった。
さやかは前田先生に破門を言い渡された。さやかは黙って一礼すると、
出ていったきり、二度と道場に姿を現さなかった。

圭は真里と二人で先生にさやかの破門の理由を聞いた。しつこく食い下
がった末、先生はポツリと呟いた、
「勝利する事にしか悦びをおぼえないというのは不幸なことだ。」と。

「それでは、組み合わせを発表いたします!
 第一試合 矢口真里 VS 保田圭
 第弐試合 安倍なつみ VS 後藤真希
 第参試合 石黒彩 VS 市井紗耶香
 第四試合 中澤裕子 VS 飯田圭織

 そして、第一試合の勝者 VS 第参試合の勝者
 第弐試合の勝者 VS 第四試合の勝者
 残った二人のお嬢さんに決勝戦を戦っていただきます!」

「それでは、第一試合開始します。」

(いきなり圭ちゃんかあ…
 でも、やらなきゃ…いつもの組み手のつもりで良いんだから…)

真里は闘技場に足を踏み入れた。

直径7m程度の7角形に、木材?の高さ1m程度の壁で囲われた闘技場、
その床面は砂が敷き詰めてある。滑る程ではないが、真里にとって自慢
のフットワークを発揮するのに決して適しているとは言い難い状況であ
る。尤も、小柄な真里にとって投げられた場合のダメージが、かなり軽
減されるであろう事は、大いに救いである。

「お互い全力でやろうね。まりっぺ」
「うん」
(圭ちゃん…やる気満々じゃん…負けないよ…)

静寂を打ち破りゴングの鐘の音が響き渡る。

いきなり真里の視界から圭の姿が消えた。視線を泳がし、やがて斜め上
方を見やった時に、白鳥の様に空中を舞う圭の姿が目に飛び込んだ。

(おぉ、飛んだ… 浴びせ蹴りっ?)

日頃の圭の、こう言っては何だがとても地味な面白みの無い闘い方を想
像していたおかげで、真里は完全に虚を突かれた。上体を倒し微妙に打
点をずらしダメージを軽減するのが精一杯であった。

息を入れる暇もない圭の連撃が襲い掛かる、左の掌底、右の正拳、右の
ローキック、3発目迄真里は認識できたが、四発目に何か良いヤツを貰
った。

「きゃぅ…」

そして…

(よしっ! クリーンヒットではないにしろ、手応えは充分あった。)

圭は、この気を逃さず一気に仕留めなければ、自分の勝ち目は多分無い
であろう事を、無意識の内に感づいていた。

掌底から右の手足のコンビネーション、真里の意識が逸れた所に、渾身
の左ミドルキックを放つ。

(よっしゃ、決まり〜。
 アーネスト・ホースト様、貴方のビデオを見て研究したお陰です!
 まりっぺ、これで、と・ど・め・よ!)

双拳を一瞬腰溜めすると魂魄の気合と共に一気に打ち出す。
「うっ!はっ!うっ!はっ!」
小柄な真里の体が中に舞った…

(名付けて、正中線四連撃! やったか?…)

「つぅ…」
危なかった… 一瞬攻撃が止まった瞬間に、力一杯後方に飛んでいた。
もし、その場で反撃なりガードを試みていたら、今頃は砂に塗れていた
に違いない。

(はははっ…やばぁ!何あれ?
 今まであんなの見せた事無かったじゃん…

 ちっ、膝が笑ってるよ…回復するのに10秒ぐらいかな…)

真里はバックステップで距離をとり時間を稼いだ。

(・・・・3・2・1 うっしゃ! 今度はコッチから行くよ!)

滑るような足取りで間合いを詰め左のローキックを放つ。間合いを取ろ
うとする圭に合わせ左側面から左の後ろ廻し蹴りをお見舞いする…
真里の必勝パターンだ。

(立ってる?浅かったの?あれは自分で飛んだの?何てこと…)

圭は、真里がまあ無事ではないにしろ立っている様を見て、落胆の色を
隠せなかった。全力で決めに行った分、後が続けられる攻撃ではないの
だ。仕切り直しには、正直言って自信が持てなかった。

暫しの対峙の後、真里が滑る様に襲い掛かってきた。右ローを防御し、
距離をとる為に離れる…

(くぅ、速い!…)
圭が後退する以上のスピードで左側に踏み込まれた。間髪入れず、恐ろ
しく速い扇風機の様な廻し蹴りがとbで来た。圭にとって、まるで後方
左下の地面からミサイルが飛んで来るような物である。頭を下げてかわ
せたのは、その特殊な視野のお陰以外の何物でもなかった。

しかし、頭を下げてかわしたと思った時には、圭の視界は真里の拳で一
杯だった…

後ろ廻し蹴りで終わりではない。回転の反動を利用し、そのまま超低空
からのアッパーカットをお見舞いする。勢いがつき過ぎてアッパーカッ
トのまま飛び上がってしまった程であった…

まあ、それでも手応えは完璧だった。もんどりうって倒れた圭は、立ち
上がる気配をまるで見せなかった。

(矢口タイフーン炸裂! って恥ずかし過ぎて口に出せないよぉ…
 ゴメンネ、圭ちゃん…顔…殴っちゃった…ごめーん…)

【1分14秒 矢口真里 ノックアウト勝ち】

その時リングサイドの興奮気味のモー娘。達の中で、一人市井紗耶香の
みが、真里のリズムと動きを冷静に観察していた。

真里と圭はお互いを称えあって席に戻った。

(痛…マジで効いた。逃げるのが遅れればやられていたし、逃げるのが
 早かったら、圭ちゃん打たなかっただろうなあ…
 勝ったのは、ホントに偶然だ…)

「それでは、第弐試合開始します。」

真里は、なつみと真希が闘技場に下りて行くのを、かなり苦労して平静
を装いながら見つめていた。

(マズイよ・・・、安倍はこう言うの苦手なんですって…)

なつみに特別な格闘技経験は無い。「娘。」の顔を格闘技で決めていた
ならば、多分、自分以外の者に決まったであろう事は自覚していた。

目前の真希とは基礎体力に差があることは、以前のTV番組撮影の時に
露見してしまっている事(若さの差であって、体重差じゃない筈・・・)や
真希の思いの他様になっているファイティングポーズ等に気圧されて、
なつみは先に手を出す事を躊躇していた。

(真希には負けたくない。私が主役なんだ、主役は私。
 デビューする時から、なっちがドレだけ苦労したと思ってんの・・・)

「っつ!?・・・・・・」
自分の世界に浸りかけたなつみの視界は突如奪われた。

(一回戦からラッキーだな・・・安倍さんとやれて。
 あたしが頼んだ訳でも無いのに、番組が露骨なプッシュをするお陰で、
 実力も無いのにメインでーとか、ルックスがどうとか色々言われて、
 いい加減ムカついてたんだよね。そんな時、決まって出てくるのがあ
 んたなんだよね。やっぱ、なっちじゃないと?やっぱり安倍?「娘。」
 がどうのは無いんだけど、気分悪いんだよねー、そういう風に言われ
 ると・・・ ここは恩返しさせてもらわないとね。あべなつみさん♪)

真希にも格闘技経験が特別にある訳ではない。しかし、なつみと決定的
に異なる点は、真希は格闘技体験がとても豊富だった。長い付き合いの
市井紗耶香から特訓と称し、絞め技、極め技、打撃技のフルコースを何
十セットも御馳走になっている為(その後、アレやらコレもされてしま
った・・・♪)、こういう事の大体のツボは飲み込めているのだ。

足元の砂を右足ですくい上げて、眼前のブリっ子面に叩きつける。さあ、
楽しいショーの始まりよ。真希は一歩踏み込んで右の掌底を繰り出した。

「いてっ」
なつみは反射的に手で顔を覆った。続け様に腹部に強烈な衝撃が襲った。

「ごばっ…」
体質的にある程度衝撃は緩和されるにしろ、人間一人の容赦無い一撃を、
身構える事も無く喰らったのである。なつみは半ば宙に浮くような形で
仰向けに倒れた。

涙による緊急清掃で、ようやく視界を確保した時には、なつみの腹部の
上には、真希が馬乗りになっていた。

顔面への打撃を恐れるなつみに、真希の打撃は次々と所構わず降り注い
だ。下からでは抵抗らしい抵抗も出来ず。なつみは強引に体を捻り、本
能的にうつ伏せに逃げた。

(お腹が、がら空き♪)
なつみの鳩尾の辺りに掌底を叩き込む。なつみの体がぶっ飛ぶ。
(この手応えなに?ダイエットしなよ、おデブちゃん)

倒れているなつみから、真希は易々とマウントポジションを奪った。一
呼吸入れて、なつみが現状認識したのを見計らってから、攻撃に移行す
る。体重を乗せた拳を、ガードしていようが、していまいが、所構わず
打ち下ろす。

(ははは、思い知った?)

耐え切れなくなり体を返した、なつみを見て、真希は余りにも簡単に事
が進むので、拍子抜けした。

(うふふ、亀のポーズですか?
 そいつはジエンド。ですぞ。)

顔とかお腹を殴られるのを避けようと仰向けになった瞬間、なつみの喉
に、真希の腕がまわった。背後からのスリーパーが完璧にきまったのだ。
もはや逃れるすべは無い。ほどなく、自分自身の「ヒュー、ヒュー」と
いう、か細い呼吸音だけが、なつみの感じ得る全てになった。

(真希に負けるの? 嫌だ…それだけは嫌だ……いや……い…や……)
やがて、本人の思いも虚しく、なつみの意識は強制的に断ち切られた。

【2分31秒 後藤真希 ノックアウト勝ち】

真里は、市井紗耶香が、さも楽しいと言わんばかりに、ニヤついている
のを見て、以前楽屋で紗耶香が、真希や小湊にサブミッションをかけて
いた時の表情を思い出した。冗談めかしてはいる物の、相手が苦痛に喘
ぐ姿を心底愉しんでいる表情だった。少なくとも、真里にはそう見えた。

真里は闘技場に降りていく彩に向かって口を開いた。

「彩っぺ、その、さやかは…」
「大丈夫、負けないよ。」彩は笑顔を一つ残して、闘いの場に赴いた。
その身体は、心地よい緊張感に包まれていた。正対する紗耶香は緊張感
の欠片も無い様子だ。ただ、僅かに上唇を歪めた様に見えた。

真里は嫌な予感を拭い切れなかった。
(彩っぺ、無理はしないで…)

「それでは、第参試合開始します。」

(身体が軽い、良い感じ。ダイエットを兼ねて、かなりジムに通ったか
 らボクシングには自信がある。負けない。)

彩は軽いフットワークで旋回を始めた。

(以前、真里っぺに聞いたことがある。さやかは組み技の天才だって…
 近寄らせなければ勝てる… パワーはこっちが上なんだ。)

距離を置いて牽制のジャブを繰り出す。

(ふーん、ボクシングか。相手にとって不足ありね。ボクシング自体が
 半端な格闘技だし、そもそも程度が良くないわ。ウォームアップにな
 るかなあ…)

彩のジャブを2、3度見送りタイミングを計ってから、次の一撃を軽く
キャッチ(欠伸が出るほど遅い。)して、飛び付き腕拉ぎに移行する。
そして、躊躇する事無く一気に極める。

間髪入れず、力を緩めて離す。
(一本頂き… 簡単にギブアップされちゃ面白くないからね。ククク…)

呆気なく手の止まったのを見て、紗耶香は自分から仕掛けた。
牽制のパンチから、タックル、引き倒した後は、魔法の様に(我ながら
上手♪)右手を極める。で、やっぱり直に離す。
(二本目ゲット… さあ、どうします石黒さん?♪)

真里は予感が的中した事と、自分ではどうしようもない事で、やりきれ
ない気持ちで一杯だった。

(さやか、遊んでる… 極めきらずに痛めて離す、そういう事をするか
 ら破門になったのに…。どうしよう? さやかに勝つ方法?どちらか
 と言えば打撃が得意ではないこと、多分打たれ弱い事ぐらいが弱点な
 のかなあ? 駄目… 正直言って、彩っぺじゃ勝ち目が無い…)

言ってはいけないと、頭では解っていても、言わずにはいられなかった。
「彩っぺ、もういいよ。ギブアップしてっ!」
真里は叫んだ。

客席からの真里の叫びが、彩の耳にこだまする。
(ありがとう真里っぺ。言いたい事は、良く解るよ…
 一回目の技は何とか外せたのかと思った。でも、二回目も外せた。否、
 全部外させられたんだ… 要するに遊ばれてる。ははは、多分勝ち目
 は無いでしょうね… でも、このままギブアップなんてしないよ。そ
 んな惨めな事、出来る訳無いじゃん…)

「打っ飛ばしてやるよ。この関節技オタク!」

紗耶香は、眉を気持ち吊り上げた後に、ただでさえ眠そうな目を、更に
細くして、吐き捨てるように言った。
「酷い言われ様。まあ、可愛そうだから楽にしてあげるよ。打撃でね…」

(本当に打撃で来るのか判らないけど、こっちは、どうせキックしか使
 えないんだから、目一杯蹴るだけ。当たれば儲け、ままよ!)

彩は慎重に、且つ、力一杯、右のハイキックを放った。
「だっ、しゃぁぁ!」

「すぱーんっ!」
大音響と共に、彩の身体が左真横に吹き飛んだ。崩れ落ちた彩は、失神
し痙攣を起こしていた。もはや誰が見ても起き上がれない事は明白だった。

「必殺カウンターK…」
紗耶香は技名を、ぼそりと呟き、蹴り足をゆっくりと下ろした。

【4分09秒 市井紗耶香 ノックアウト勝ち】

真里は彩の容態を心配する事を忘れる程、慄然としていた。

(彩っぺの右コメカミに傷が… 足を上げていた事から、「K」はキッ
 クの略だろうね。キックはパンチの3倍のダメージ、カウンターなら、
 更にその倍ぐらいの威力になる… そんなのをコメカミにくらったら…
 まさに必殺だよ…
 でも、一番問題なのは、技が見えなかった事… 紗耶香が右足を上げ
 ていくところは見えたけど、その後は、気が付いたら、彩っぺが吹っ
 飛んでいた… どうして右側のコメカミに傷があるの? なんで?)

担架で運び出される彩は、真里が呼びかけても、気付く気配すら見せな
かった。かなり危険な状態だ。

(ここまでする必要があったの?…)

真里が振り返ると、真希の肩越しに、じっと見つめている紗耶香の視線
に鉢合わせした。真里は、ふと昔の紗耶香の発言を思い出した。

(「私さ、興奮してくると訳解んなくなるんだよね。でも、気が付くと
  どんな試合でも勝ってるんだよ。不思議と。
  所謂戦闘モードってヤツかなあ? それも、実力?ははは…」

 でも、それとこれとは違わない? さやか…さやかは自分の本質を変
 えないといけないと思う。このままでは多分周りの人間だけでなく、
 貴方自身も不幸になる。ううん、もう不幸になっているけど気が付い
 ていないだけかも… 出来る事なら、私自身の手で変えてあげたい…)

真里の悩みを他所に、時は静かに、そして堅実に進んでいく。

「それでは、第四試合開始します。」

圭織は、正直言って殴るのも殴られるのも嫌だった。おそらく純粋な身
体能力で言えば、圭織が娘。で一番優れている(自覚はしていない。)
が、性格的に、そう言ったことには耐えられなかったのだ。

(裕ちゃんはやる気なのかな? なんか目がマジだよ…)

ゆっくりと距離をとろうとする圭織に、裕子の前蹴りが容赦なく降りそ
そいだ。

裕子は、負けるわけにはいかなかった。純粋な闘争行為で負ければ、己
のリーダーとしての沽券に係わるからだ。

(好きでリーダーやってる訳じゃないんやけど、リーダーなんやし、年上
 なんや。 負けらんない… 負けらんないで…)

喧嘩仕込み(格好良く言えばストリートファイトだ。)の力任せの前蹴り
(通称ヤクザキック)を、続け様に繰り出す。圭織は特別な格闘技経験が
無い様で、面白いようにヒットし、簡単に壁際に追い詰めた。もはやトリ
カゴ状態であった。

(蹴るべし!蹴るべし!
 後は蹴るだけやで…)

サンドバッグの様に蹴られ続けていた圭織は、我慢が限界に達した。
(何でそんなにマジなの? 裕ちゃんは、かおりが嫌い? もう我慢で
 きない!)

力任せに蹴り上げた足が、裕子の鳩尾を直撃した。
「うげぇ・・・」

圭織にはパワーがある上に、当たり所が悪かった。たまらず、裕子は崩
れ落ちた。悶えている裕子に、もう一撃加えようと、圭織は一歩踏み出
そうとした。

しかし、叶わなかった。膝が崩れ、圭織もまた倒れたのだ。無理もない、
頭部、腹部を問わず、散々蹴られたのだ。反撃できただけでも、かなり
のタフネスぶりだった。

勝敗を分けたのは、両者のモラールの差であっただろうか、立ち上がっ
たのは裕子だった。

【3分25秒 中澤裕子 ノックアウト勝ち】

真里は、頭の片隅で警鐘が鳴り響いている事に気が付いた。
(オカシイよ… 何故、みんなこんなに好戦的なの? そりゃ、これだ
 け一緒にいれば色々不満も溜まっていると思うけれども… それ以上
 に… みんな仲間でしょ… 絶対にオカシイよ…。)

5分あまり休憩時間は、それと意識する事無い間に過ぎ去った。

「それでは、準決勝第壱試合開始します。」

(いよいよ、さやかとか…)

向かい合って対峙している紗耶香は、左の掌を前に突き出した一風変わ
った構えをとっている。真里は慎重に間合いを詰めにかかった。

(基本的に組み技系では紗耶香に勝てない・・・ やはり打撃か・・・ リー
 チは負けてるけど、スピードでカバーすれば何とかなる。はず。)

真里は更にもう一歩慎重に踏み出した。
「ばしっ!」
顔面に、もろに喰らってから右ストレートを貰ったのだと解った。

(なっ? 殴られるまで、なにが何だか全然解らなかった・・・ そう言え
 ば以前師匠が言ってた技に似てる・・・「霞の正拳」ちょっとした予備動
 作が見えなくなるだけで、熟練の武術家ほど動きを読めなくなると。
 左手で相手の視線を遮るってわけね・・・)

真里は何度か間合いを詰めようとしたが、その度に右の良いやつを貰っ
てしまった。追い詰められた挙句、結局は、いけないと思いつつも廻し
蹴りを放った。

距離を詰めさせず足技を誘う、紗耶香は真里ほどの相手でも計算通りに
試合を進められた事に満足だった。

(頂き! 必殺カウンターK!)

超高速のカウンター廻し蹴りが真里にヒットした。
手応え(足応え?)からすると100%もろに入ったわけではない様なので、
すぐさま腕を極めにいく。

真里の右腕の腱が破壊される音が、紗耶香の耳に心地好いハーモニーを
奏でた。そして壊してから開放する・・・

(はうぅ・・・)
半ば失っていた意識を激痛で強制的に覚醒させられた真里は、数瞬の後
に状況を理解する事が出来た。右腕は想像を絶する痛みに襲われていた。

(紗耶香・・・ あなたは何処まで他人を踏みにじるような事をするの?
 その性根を叩きなおしてやる・・・ しかしながら強い。強すぎるよ。攻
 めても、守っても、打撃も組み技もほぼ完璧じゃん・・・
 考えられる唯一の突破口はカウンターKかな。一度見て、更に自分で
 喰らって技その物は相手の廻し蹴りの力に自分の力を加えた超高速の
 蹴りだと理解できた。あれを破る。紗耶香はあの技に自信を持ってい
 るからのってくる筈・・・ 武道は心だという事を教えてあげるよ。)

立ち上がった真里は言った。
「紗耶香、カウンターKを破ってあげるわ。」

唇に薄笑いを浮かべた紗耶香めがけて、真里は渾身の廻し蹴りを放った。

(くくく、何を言い出すかと思えば・・・ どんな企みを持っているのか知
 らないけれど、いいわ、受けてたとうじゃない。)

足を上げて添えるような形で、真里の廻し蹴りの勢いを吸収する。そこ
に自らの筋力を加え独楽の様に超高速回転し、流れた真里の側頭部に廻
し蹴りを叩き込む・・・

しかし、倒れたのは紗耶香の方だった。
真里はカウンターKのカウンターKを狙ったのだ。結果的に少なくとも
打撃技にかけては真里の才能は文句無しだった。

(どーだぁ! 見様見真似でやってみたけれど成功してよかったわ・・・
 んでも、ここで悪い知らせが二つあります! 一つは、多分足の骨が
 逝ってる事・・・ これは、無理矢理カウンターK受け止めたのだから
 致し方ないね。もう一つは、紗耶香は多分未だ動けること・・・。)

真里は見たのだ。蹴りがヒットする瞬間に、紗耶香は首を捻って一番硬
い額の部分で蹴りを受けた・・・ 避けれないと悟った時に、あれだけの威
力の蹴りを咄嗟に真正面で受けた。その紗耶香の底知れないセンスが真
里には恐ろしかった。

一瞬の遅滞はあったものの、真里は完璧な三角締めに移行した。紗耶香
本人の為、彩の為、真里自身は意識していなかったが無意識の内に、組
み技でのフィニッシュを望んでいた。

技は完璧に決まっていた。紗耶香の抵抗が段々弱くなっていった時、真
里は勝ちを意識した。その途端・・・

「ひぎゅ!?」

天井を見つめながら紗耶香は自嘲気味に唇を歪めた。

(ダサ・・・ 自分の僅かな実力に溺れ、おごった結果が今のこの様・・・
 それなりに動けるようになるまでに5分ぐらいはかかりそうだ。
 負けるかな・・・ まあしかるべくして負けるのか、ははは・・・)

真里が止めに絞め技に来た時、紗耶香は呆気に取られた。

(おいおい、頭でも蹴れば悶絶失神コースですよ? なんでわざわざ絞
 めに来るかなあ・・・ まあ、真里の考えているだろう事は大体解るけれ
 ど・・・ しかしまあ何て意地っ張りなんだ・・・ そんな所がムカつくん
 だよ・・・ でも、そんな所に負けたんだろうな・・・)

紗耶香は真っ当に技を外す努力を、ほんの二三回で諦めた。

(でもさ、打撃以外で負けるのはプライドが許さないんだよね。裏技を
 つかわせてもらうよ!)

紗耶香は己の右中指を、迷う事無く真里の後の穴に突っ込んだ。

(!?#☆)

ちょっと想像しなかった様な手段(キタナイ手?)で技を外された真里は、
もはやパニック状態であった。慌てて立ちあがり転げる様に距離を取ろ
うとした。

紗耶香は起き上がっていなかった。そして右手を軽く上げて、会場に通
るハッキリした声で言った。

「ギブアップです。」

二人の有様を見て主催者側も決心がついたらしかった。

【7分09秒 矢口真里 TKO勝ち】

真里は、自分が勝利の宣告を受けた後に、あっさり自力で立ちあがった
紗耶香を見て内心軽く溜息をついた。

(紗耶香は結局・・・?)

そんな真里に向かって、紗耶香は笑って言った。

「おめでとう、真里。
 そうだ、右手出してみな。私壊す方が得意だけど、治すのも一応出来
 るからさ。まあ勿論こんな短時間で完全には無理だけどね。」

「紗耶香・・・」

真里は紗耶香の温かみを久しぶりに感じることが出来て嬉しかった。治
療?が終わった後、紗耶香は少しはにかんだ様な笑顔を見せて言った。

「後藤は強いよ。才能あるし、ガタイも良いからね。それに何と言って
 も師匠が良いからね。楽しみにしててね♪」

「それでは、準決勝第弐試合開始します。」

真里は驚くべき光景を目にすることになった。開始数秒で中澤の蹴りを
すかした後藤のタックルが決まり、為す術無く中澤は数十秒でおとされ
たのだ。

【37秒 後藤真希 ノックアウト勝ち】

真里は呆然としていた。こんな衝撃は紗耶香が道場に入門してきた時以
来だった。むしろその時以上だったとも言えた。

(真希は天才かもしれない。たった一試合をこなしただけで、あの落ち
 着き様、動きの鋭さ、無駄の無さ・・・ 常人が何年もかかって覚え
 る事を真希はたった一試合であのレベルまで・・・)

真希の恐るべき成長スピードは嫌が応にも、紗耶香の台詞を真里の心の
中にリフレインさせた。

短い休憩時間はそれと意識する事さえないうちに過ぎ去った。

「それでは、決勝戦開始します。」

体格に恵まれない真里と、体格に恵まれた真希。満身創痍の真里と、傷
一つ無い真希。格闘技経験者である真里と、格闘技経験無しの真希。余
りにも対照的な両者だった。

そして、真里は対峙してみて、改めて真希の強さのオーラに驚かされた。
はっきり言って尋常では無い程の雰囲気を持っていたのだ。

(これは・・・ マズイよ、片手片足が使えない状態で・・・ 勝てな
 いかもしれない。それだけの能力を真希は持ってる・・・ こう言う
 時は下手に出し惜しみせず、初撃から全力で行くべしっ!当たって砕
 けろだね。)

片足の利かない真里には、万全の状態の時の稲妻の様なフットワークは
既に望めない。間合いを詰め勢いを付ける為に、使える左手一本での爆
転を決める。

(矢口式ぃ・・・)

そこから渾身の飛び廻し蹴り(正確には、対格差があるので、真里にと
っては飛び上段後廻し蹴りだ。)を放った。

(・・・竜巻旋風脚ぅ!)

格闘技未経験者に対して放つには、余りにも反則的な程のキレを持った
蹴りだった。真里には手加減する余裕が無かったのだ。蹴りは正確に真
希のテンプルにヒットするかに見えた。する筈だった・・・

(あはは・・・ 何だか体が軽いよ。さて、矢口さんはどんな闘いっぷ
 りを見せてくれるのかな?)

真希は一試合毎に場慣れしていく自分を感じていた。今では、かなり精
神的な余裕がある、元々身体能力がメンバーの中で最も優れている一人
であり、身心のバランスが取れてきた真希は、怖い物無しだった。

真里の動きが、まるでスローモーションの様に見える。落ち着いて、頭
を下げ蹴りを避けた後、真里をキャッチする。そのまま、まるで枕でも
投げるかの様にボディスラムを決める。

真里の小さな身体が、小刻みにバウンドしながら飛んでいった。

真希は、無造作に真里に近寄って、極めにかかった。

「はぁぅ・・・」

モロに叩きつけられて一瞬息が詰まり、涙がこぼれる。渾身の蹴りだっ
た分、真里には受身をとる様な余裕は無かった。それでもツカツカと歩
み寄って来る真希から、巧みに体を抜き、這う様にして距離を取る事が
出来たのは、格闘経験の有無で真里に体の使い方の一日の長があったか
らだったろう。

壁を背もたれに、必死の思いで立ち上がった真里の眼前には、既に真希
が迫っていた。

(うふふ・・・逃がさないよぉん。)

芋虫の如く無様に逃げまわる真里を見やって、僅かに鼻を動かした真希
は、軽やかに3ステップで間合いを詰めると、一気に止めにいった。左
右の重い、正確な連撃の嵐を小柄な真里の身体に際限無く浴びせた。

真里は守りに専念し耐えていた。真希には膂力があるので一撃一撃がか
なり重い。その上、格闘経験の少なさにもかかわらず真希の連撃は狙い
が正確で、しかも執拗だった。何度も良いヤツを腹や顔面に貰った。

涙で歪んだ視界の向うに紗耶香が見えた・・・

(紗耶香。あなたの弟子強すぎるよ、何とかして・・・)

真里は、既に半分意識が飛んでいた、やがてゆっくりと崩れ落ちかけた・・・

時として偶然は重なる物だ。真里の崩れていくのを見て真希が攻撃を止
めた事、最後に踏み出したのが痛めていた方の足で、そのお陰で真里が
意識を取り戻した事。偶然が真里にチャンスを与えてくれた。

空白の瞬間に、数メートル間合いを開けることが出来た真里は、一つ軽
く息を吐いた。長引けば長引くほど不利になるのは明白だ。真里は、最
初の飛びげりと同じ要領で爆転に行った。最後の一発勝負だ。

(あら?・・・逃げられちゃった。)

一呼吸後に攻撃に転じた真里を、真希は冷静に見ているつもりだった。

(また、飛び蹴りか・・・)

しかし、真希の予想を裏切り、真里は片手倒立の状態から蹴り上げに移
行した。絶好のタイミングで、真里の蹴り上げが真希の頭部を襲った。

(・・・んなぁ?!)

最初の飛び蹴りが心理的なフェイントにもなっていた為、真希の回避行
動は若干遅れた。それでも、驚愕しつつも、真希はその蹴りを避わす事
に成功した。まさに真希は格闘センスの塊だった・・・

最後に倒れていたのが真希自身の方だったのを、誰も責める事は出来な
いだろう。

タイミングをずらした二段蹴りだったのだ。一撃目を避けた真希の顎を、
二撃目が正確に撃ちぬいた。大柄な真希が若干浮かび上がるほど会心の
一撃だった。

真里自身は無我夢中で出しただけの技であったが、それは所謂中国拳法
の連環穿弓腿だった。必死さと過去の積み重ねが奇跡を生み出したのだ。

【5分11秒 矢口真里 KO勝ち】

(勝った・・・勝ったよ・・・はは・・・)

ボロボロの状態で、肩で息をしながら立ち尽くしている真里の前に、司
会のジジイ(今までの流れを見ているとコイツが主催者らしい。)と黒
服の男が二人降りてきた。ジジイが気味悪い陽気な声で喋り出した。

「優勝おめでとう、矢口真里さん。」

「いやあ、大変立派な闘いぶりだったね。会場の皆様にも、君の素晴ら
しさが存分に伝わっただろう。今日は、この後も楽しみだよ。」

(この爺さん、一体何を言ってるの?・・・ えっ?!)

すっと、二人の黒服が真里の両側から腕を極めた。真里には、もうそれ
に抗う体力も、気力も残っていなかった。ニヤつくジジイは、淡々と進
行役を果たしていった。

「さあ、ご来場の皆様。本日の商品は見ての通り、美貌、身体、若さ、
 極めて入手し難い最高級の商品です。さあ本日の商品『矢口真里』の
 お代は二千万円からです。」

すぐに会場に充満する観衆が、目をたぎらせ、口々に己の欲望の値段を
叫びだした。二千五百・・・二千七百・・・三千二百・・・四千・・・
五千・・・七千五百・・・一億・・・一億二千・・・

真里は、絶望に包まれて自分の評価額を傍聴している事しか出来なかった。

評価が一億五千万に届いた時、真里は両手は突如開放された事に気が付
いた。咄嗟に驚いて振りかえった真里に、黒服の動きを抑える圭と紗耶
香から叱咤の声が飛ぶ。

「真里、ジジイを抑えてっ!」
「・・・っ、早くっ!」

真里は残っている体力を搾り出し、電光石火(のつもりだった。)の動
きで、ジジイに近づいた。有無を言わさずスリーパーを極める。

まさか主催側も反撃されるとは思っていなかったのだろう、形勢は一気
に逆転した!

紗耶香が、静かに口を開いた。

「ジイさん。アンタさあ、私達に興奮剤のような物を盛って、メンバー
 同士で闘わせた上に、人身売買とは・・・ やり過ぎだよ・・・」

確かに、そう言われると自分も他のメンバーも、いつに無く好戦的な気
分だった事に、真里は思い当たった。

(・・・しかし・・・紗耶香は、それに気付いていた上で・・・ 紗耶
 香らしいな・・・)

圭が続けた。

「私達の身の安全と、今後関わりあわない事さえ保証してもらえれば、
 危害は加えない。とりあえず、出口まではついて来てもらうよ。」

ジジイを極めたまま、真里とメンバー達は出口の際まで移動した。真里
は最後に観客席のつんくを見やった。そしてアカンベーをした。

(さよなら、つんくさん。つんくさんの方が先に私達を売ったんだから
 文句無いよね?・・・)

テレビ東京の玄関を出ると、普段何気ない時では感じる事が出来ない程、
夜風が気持ち良かった。

深く深呼吸をし、額の汗を拭ってから、真里はメンバーの傷ついた顔を
見渡した。

(少し風が傷に染みるなあ・・・ 我慢しようと思ったけれど、やっぱ
 り許せないよ。 このジジイ・・・)

「ジイさん、ゴメン、やっぱ最後に一発だけ殴らせて。」

真里の左ストレートを受けとめた紗耶香が、力一杯ジジイを殴り倒した。
それから、晴れやかに笑って市井は言った。

「アンタが殴っちゃマズイよ、真里。私さあ、今日、真里に負けてから
 考えてたんだけど、『モーニング娘。』辞めるわ。」

驚いて、上手くは喋れなかったが、真里は言った。

「ちょ、あ、えっ? い、いきなり何言い出すの? それに今日の試合
 だって私が勝ったとは言えな・・・」

「2、3年修行して、強くなってから戻って来て再戦を申し込むよ。真
 里も怠け無い様にね・・・ でもさ、冗談抜きで、そこのジイさん殴
 っちゃったから、私が娘。にいない方が良いのよ・・・」

冗談めかしてはいるが決心の固そうな紗耶香の顔を見て、真里は一つ溜
息をついた。そして言った。

「ズルいな・・・ 解ったよ。 待ってるから、また戻ってきてよ。
 でも、紗耶香には負けないよ・・・」

憑き物が落ちた様に、みんなスッキリした顔をしていた。

「じゃあ、みんなで帰ろうか!」
「うん。」
「そうだね。」

拳を交わして一層絆を深めた?八人は、夜の街を肩を組んで歩き出した。
誰からとなく歌い始めた『恋のダンスサイト』が、星の瞬く夜空に何時
までもリフレインしていた。

ただ、真里だけは少し背伸び気味だったが・・・