Labyrinth〜迷宮〜
昏い部屋にディスプレイの明かりだけがあった。
スライドショウで流れる画像をぼんやりと眺めている。
「なに見てるの…?………ぁ………」
つい先程までそこで演じていた自分の痴態が次々に現れては消える。
「ひとみちゃん、ホント趣味悪いよ………」
梨華は消え入りそうな声で抗議する。
もっとも、そんな抗議を聞いてくれるような相手ではないこともまた知っているのだが。
「いいじゃん。可愛いよ。」
そう言って、やさしいそぶりで額や髪に口付けられるだけで、誤魔化されてしまうのだ。
そのまま、押し倒すようにベッドに倒れ込む。画面はそのままに。
「もう一回、しようか。」
低くて甘い声が、梨華の理性をくすぐる。
その眼は、レンズのように硬質で冷たいのに。
どうして、熱く見えるのだろう。
指先がまだ少し汗ばんだままの肌を探る頃には、考えることを脳が放棄していた。
望んでこの罠にかかったのは自分なのだから。
「………ひと、み………っあ………ぁ………」
内側から、掻き出されるように快楽がやってくる。
瞼の裏がちかちか光るのは、そのためなのか。
それとも。
空のスマートメディアを差し込んで、ポケットにデジカメを仕舞う。
メンバーは、ふたつめのカメラの存在を知らない。
最初に、その現場を目撃したのはただの偶然だった。
「ほら、こんくらいにしとき。誰か来たらイヤやろ…?」
「いいじゃん、誰も来ないよ。」
濃厚なキスシーン。
こんな表情をするのだ、そう思った瞬間。シャッターを切っていた。
暗い隙間で。
空いた時間を。
それは、昆虫のようにも見え。
愛し合うというには性急で粗雑な行為を。
次々とそのカメラは収めていった。
迂闊というよりは、むしろそれを見せるのが目的なのかというくらいに。
どこでも、だれも。
別に、それを制止するつもりもなかったし。抗議する理由もないし。
もっとも、こうして写真を撮っていることを言うつもりもなかったけれども。
もう何枚目かになったかも覚えていないようなファイルを眺めていた。
ふっと、梨華の顔が過る。
そういえば、まだ梨華の写真は1枚もない。
ひとつめの計画は、そこでかちりと音を立てた。
CASE 1 〜梨華〜
「別に普通の部屋でしょ?」
通された部屋の中で、梨華は視線を漂わせた。
「うん。」
わずかに開いた口から、曖昧な相槌。
デスクトップの電源を入れる。
「ちょっと、メールのチェックだけしてもいいかな。」
「いいよ、ホント好きなんだね。」
出した座布団の上に、ぺたんと座り込む。
それはたぶん、抱きたいという気持ちではなかったように記憶している。
かといって、写真だけを眺める趣味もない。
ただ、その欲望は不定形ではあったけれど、希薄ではなかったということ。
回線を切って、電源をそのままに立ちあがる。
「じゃあ、飲み物とか取ってくるよ。」
「あ、うん。」
そして、ディスプレイを指差す。
「適当に見ててもいいよ。ネットに繋げてもいいし。」
「ありがと。」
ぱたんとドアを閉めて、階段を降りる。
すぐに、見ようと思わなくても見られるはずだ。
3分そのままにしてあれば、スクリーンセーバーが立ちあがる。
マシンに触っていれば、きっと『開けて見たくなる』フォルダがあるはずだ。
何もなかったように、コップとジュースを持って再び階段を上がって部屋に入ったとき。
同じように、何もなかったふりをするか。
それとも、このことを問いただすか。
答えは、どちらでもいい。
この仮定を否定されてもいい。まだ策はある。
冷蔵庫の中には狙ったように飲茶楼が冷えていて、ほんのすこし家族を嗤った。
「おかえり。」
梨華は、マシンの前に座っていた。
立ったままキャップを開けて、手渡したグラスに注ぐ。
そういえば、このCMの撮影の時の写真もあったはずだ。
「これさ、6月OAだっけ?」
「え?あ、ゴメン、聞いてなかった。」
目を伏せてグラスに口をつけていた梨華が慌てて顔を上げる。
「撮影、行ったよね。」
「あ、うん。」
「そんときの写真あるよ。…見る?」
ぴくん、と一瞬表情が変わるのを見逃したりはしない。
第一段階は、たぶんクリアしている。
「えっと、ちょっと待って…」
画面と梨華の間に割り込んで、マウスに手を伸ばす。
「ひとみ、ちゃん。」
その手を梨華が制止した。
グラスを持っていた手が濡れて冷たい。
それを無視するようにファイルを開く。
「え、何?」
画面に大写しになるメンバーの笑顔。
梨華の頬が、さぁっと紅潮する。
「こん時もう、市井さんいなかったんだよね。」
「うん…」
重ねられた指が、徐々に温度を取り戻す。
そのまま次々に写真を開く。
それはどれも、『娘。たちの撮影風景』でしかない。
「そう、じゃなくて。」
「どうかした?」
ぎゅっと指に力を込めて、梨華が視線を合わせる。
見つめ返すと、ゆるゆるとその力が抜けて行くのがわかる。
「………ごめん。」
「どうして、謝るの?」
離そうとする指を捕まえて引き寄せる。
「写真、見ちゃったの。わたし…」
目を伏せる。小刻みに震える。
その髪を、指で撫でる。
「見てるよ、今。」
「そうじゃなくて…中澤さんとか…後藤さんとか…」
振り払うように、梨華が机から離れた。
「わたし、誰にも言わないから。見たことも。そんな写真があることも。」
「見ちゃダメ、なんて言った覚えはないけど?」
くっと息を呑む音がしんとした部屋に響く。
沈黙。
スクリーンセーバーが立ちあがる。
浮かんでは消える、梨華が見たであろう『写真』。
ピースがひとつひとつ、ぱちんと嵌って行く。
画面から目を背ける。下がった眉尻。
今にも、泣き出しそうな。
「……………キス、しようか。」
その声は、思っていたよりずっと低くて。
怯えた目。
ほら、こんなに簡単だ。
重ねた唇は思ったよりもわずかに乾燥していて、それでも柔らかかった。
引き寄せた体が、熱い。
腕に食い込む指は、痛いくらいで。
それは抵抗だったのか、しばらくしてふっと力が抜けた。
「………、つッ………」
唇に痛みが走る。
離れた唇を擦ると、指先に血がついた。鉄の味。
何故か嬉しくなって、口元を隠して笑う。
「………忘れるから。何があったのかも。全部。」
だから。
これ以上は。
唇に滲んだ血を指先でもう一度拭って。
手を伸ばして、梨華の唇に触れる。
「……………でも、好きでしょ?」
「!」
明らかに表情が固まる。
ちゃんと、知っていた。その感情がどこにあるかくらい。
梨華が何か言おうとしても、はっきり言葉にならない。
その、耳元で囁く。
「知ってたよ。ずっと。」
視線の意味も。笑顔の理由も。
だから、これ以上、嫌いにさせないで。
低く低く、呟く。
指先が頬に触れる。わずかに濡れているのがわかる。涙だ。
涙を唇で掬う。髪を指で梳く。
言葉を失ったままの梨華の体は、抵抗するともなしに、強張ったままだ。
何故。
梨華が呟く。
もしかしたら、それを聞きたいのは自分自身なのかもしれない。
乱暴に髪を掻きあげて、もう一度唇を貪った。
「ぃ、やぁ………ッ………。」
抱き寄せて、服の上から体をなぞる。
女の子らしい体だと思った。それは自分が違うとかそういう意味ではなく。
ただ、冷静に観察している。その感想でしかない。
首筋。鎖骨。胸元。ブラウスのボタンを外しながら唇で触れる。
がたがたと膝が震えているのがわかる。
反応、しているだけにしては過剰すぎる気がした。
「………ほんとに………もぉ………ゃ……め…………ッ……」
首を左右に振って、本気で抵抗する。
ふっと力を抜くと、そのまま床に崩れ落ちた。
両手で顔を覆って、すすり泣く声が部屋に吸い込まれていった。
『怖くないから』
『悪いことじゃないから』
『あなたが望んだことなの』
『…どうなっても、いいの?』
暗い部室。
埃の匂い。
ロッカー。
ユニフォーム。
腕。
指先。
掌。
唇。
全身が震える。
体は、忘れない。体に心が呼び戻される。
耳の奥に、羽虫が飛んでいるような音が響いた。
「梨華?」
蹲ってがたがた震えている肩に触れる。
激しい拒絶。
乱暴に床に押し倒す。
声にならない、悲鳴。
唇を塞ぐ。歯がぶつかる。抵抗される。
離さない。抑えつける。息が詰まる。
ふっと、力が抜ける。
見開かれた、瞳。
何か映っていて何も映っていなくて何も見えていなくて何もかも見ていて。
忘れない。覚えない。忘れさせない。覚えられない。
葛藤、している。
この手は、誰?
この指は、誰?
ここは、どこ?
真正面から梨華を捕らえる。
「ひ、とみ」
返事はしない。ただ黙ってその視線を絡める。
見開かれた目は、焦点を顔に合わせている。わかる。
手を伸ばして首筋に触れる。
わずかに喉は動いたが、先刻のような激しい抵抗はなかった。
先輩の手が頬に触れた。
りか。
名前を呼んだ唇が、近づいて重なる。
それは本当にわたしが望んだものだったの?
部長は石川。それは皆で決めたこと。
「梨華はあたしのおかげで部長になれたのよ」
かつん、と部室に響いた音が鍵を閉める音だなんて気付くはずもなく。
起こることのすべてを、ただ呆然と感じていた。
感じていたのだ。
唇を開かされ、中を舌で弄られる。
制服の、はだけた胸を探られる。
下着の上から。下着を外して。撫でさすられる体。
「………ぃやぁ………っ………」
抵抗する声はか細く、それが相手に火をつけた。
『しっかり、反応してるじゃない』
こんな声は嫌いだと、初めて強く思った。
スカートの中に手を入れられる。
膝の裏から太腿を、別の生き物のように這いまわる。
上半身では舌が、同じように這いまわっていた。
首筋を。鎖骨を。乳房を。乳首を。
時に歯を立て、時に唾液をたっぷりと含ませ。
ナメクジだ。カタツムリだ。こいつは人間なんかじゃない。
では、軟体動物に這いまわられて体のどこかに疼きを感じている自分は。
いったい、なんだ?
床は冷たい。軟体動物は熱い。そして自分も熱い。
机や椅子の足が、檻のように見える。
がたがたと揺れ、それでも逃げられない。
『あんまり動くと、ぶつけるよ』
愉しそうな声に、一瞬頭の芯が白く弾けた。
ぐいっと強い力を足に感じた。体を開かされる。
体をそこに割り込ませて、膝を閉じさせない。
「…ひぁ……ッ………!?」
ショーツの上を、指でなぞられる。
隙間から、指を滑り込ませる。かき回すように中で動く。
『ぬるぬる』
舐めて光った唇から擬音が漏れる。
その口元を嬉しげに歪ませて、指を目の前に突き出す。
『ほら』
同じように光った指先には、粘液がまとわりついていて。
その指先に絡まる黒いものを、唇でゆっくりと剥がした。
『梨華の』
唇を合わせる。じゃりっとした感覚が舌を、口腔内を撫でていく。
口に髪が入ったときの感触よりも、それはずっと硬く痛んでいるような気がした。
吐き気がする。
でも吐けない。
胃はぐるぐる回っている。
鳩尾のあたりで熱く蟠っている。
そのまま、軟体動物は体を下がっていった。
「やぁあッ!」
一気にショーツを下ろされて、開かされた中心に舌を押し当てられた。
自分で触れるのとは全然違う感覚。激しい嫌悪感。
なのに。
『すごいね、梨華のココ。超インランってカンジ』
ねばねばぬるぬるの液体は、自分の体から湧いたもので。
敏感な部分を指で、舌で弄ばれるたびにまた湧き出す。
「…ふぁ……あぁ……っ……ぃあぁッ!」
爪で、包皮を剥がされる。冷たい息が触れる。
ただどうしようもなく熱い。
体は、知っていたのだ。自分がこんな人間であることを。
待っているのだ。掻き回され疼きが癒されるのを。
指がぐぃっと侵入する。貫かれる感触がたまらなく痛い。
こんな細い指先に翻弄されている。穿たれている。
ざらざら。ぬるぬる。ひだひだ。べたべた。
ここがどこかももう忘れてしまった。ただ、声をあげて泣いた。鳴かされた。
その瞬間。
どうしてだか、いつか授業中に見たビデオのホウセンカの種が飛ぶ映像が浮かんだ。
あとには、だらだらと体の中から何かが流れていく感触だけがあった。
「いや………いや………いや………」
梨華が虚ろに繰り返している。血の気の引いた顔。
「梨華」
耳元で名前を呼ぶ。一瞬ぴくりと体が強張ってまた力が抜ける。
ゆっくりとブラウスを脱がす。白い肌。
ブラジャーを捲り上げる。寝ていても形の崩れない乳房。
フラッシュを一回。
弾けるように、その表情がここに帰ってくる。
「え………あ………?」