2 メルト

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:34
2 メルト
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:35
雨の日のバスの中、わたしは一番後ろの席で背凭れに寄りかかる。
通学鞄と部活用のスケッチブックを抱えてため息をひとつ。
早起きしてドライヤーと格闘した時間も空しく、神様は無情にもわたしの髪を、
ポニーテールの先をくねくねぐにゃぐにゃとウェーブさせてしまう。

バスは静かだった。
人がいっぱいで、新聞を読んでたり、携帯をいじってたり、眠ってたり。
エンジンとサーッと降る雨の音がバスの中に飽和してるのに、なぜか静か。

あ、わかった。
わたしは唐突に理解する。

誰も言葉を発してないからね。

改めて車内を見渡した。
わたしもそうだけど、みんな雨のときしか利用しないんでしょうか。
たとえば毎日バスに乗っている誰かさんが、毎日会う別の誰かさんと友達に
なって朝の会話をしたりすることはないんでしょうか。
ない、のかなとわたしは結論づける。
だからきっとこう――誰の会話もなく静かなんでしょう。
ひとりひとり自分の意識の中で、自分を世界の王として時間を過ごしてる。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:35
隣の席に誰かが座って、わたしの妄想にストップがかかる。
わたしの隣が埋まるということは、と前を見れば予想通り、
前方の全ての席が埋まっていた。

ちらと横を見る。

一瞬だったけど、それでも解るほど、横に座った人
――近くの高校の制服を着た彼女――は相当に美人だった。

妄想心が動き出し、わたしはそっと窓に顔を向ける。
細く速く落ち流れる雨を見る――振りをしてガラスの反射を利用して、
隣の美人さんをこっそりじっくり観察することにした。

すっと筋の通った横顔、やや釣り気味の瞳、眉の位置で横へと流された前髪、
後ろは肩よりちょっと下までの後ろ髪は漆黒で艶を放ち、
制服には皺のひとつも見られない。

そして彼女は、本も読まず、音楽も聴かず、携帯もいじらず、
背筋を伸ばしたまま席に持たれてじっと前を見ていた。
瞬きをしているようにも思えないほど、じっと。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:35
視線を前へ。
クールな彼女の役割は、とわたしは意識をまた飛ばそうとする。

この美人さんとわたし。
今こそバスが揺れるたびわたしの右肩と美人さんの左肩が触れたりするけれど、
実際には接点なんか何一つない。
違う学年で違う学校で、今日までわたし達はお互いの存在さえ意識してなかった。

けれど。
わたしの意識の、わたしの作り上げた世界の中でなら、
わたしとこの美人さんはすべて飛び越えた存在にさえなれる。
例えば、同じアイドルグループのツートップって設定も悪くない。

そうね。
クールビューティで一見何でも出来そうな彼女はリーダーを任されているの。
でも実はドジっ娘のあわてんぼうで、よく「愛理ぃ」なんてわたしを頼って甘えて来る。
なんて関係も悪くないわね。
くねくねしたポニーテールの毛先をいじりながら、わたし。
口の端に笑みを浮かべて。

次の瞬間――。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:36
バスが結構なスピードのまま右カーブに差し掛かった。
遠心力で体がぐっと左の窓へと押され、横の美人さんの左肩もわたしの右肩を押してくる。

「わっ」
「えっ?」

小さな声が響いて、彼女が大きくよろけた。
水や泥の落ちた床へ鞄を落とさないように、まるでお手玉みたいにしながら、
そちらだけに意識を集中しているようで、わたしの胸に彼女のほっぺたがあたってる。

「えへへ」

無事に空中で鞄を受け取った彼女は大きく安堵の息を吐き出し、
そしてわたしを見て恥ずかしそうに顔を赤らめ、それを隠すように笑った。

「ごめんね。押しちゃって痛くなかった?」

微笑みでやや細まった、窓の映り込みからは解らなかった大きく黒い瞳から、
目が離せなかった。
こんなにきれいな瞳だなんて。

クールビューティじゃなかった。彼女は本当にドジだった。
そして今の今までなかった接点まで出来た。
わたしは聞かれたことに答えられない、まだ瞳から目が離せない。

「……はい」

わたしの胸の奥で。
小さく。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:36
  
恋に落ちる音がした。
  
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:36


「なに溶けてんの?」

机に突っ伏すわたしに、中島早貴、なきこの呆れ声がかかる。
あかい顔、見られたくない。
さっきから頭の中であの微笑みと声が勝手にリピートされてしまう。

「わかった。雨だからでしょ?
 だいじょうぶ♪ 髪がくねくねでもあいりんは可愛いから」
「ほんとに!?」

がばっ、と体を起こすわたし。
その勢いになきこ、ちょっと引いてた。
でも止まらない。
聞いてしまう。

「ほんとにわたし――可愛い?」
「うん。ほんとに可愛いよ」

なきこはそれ以上なにも言わず話をせかすこともせず、
わたしの頭をぽんぽんと撫でてくれた。

「あのね聞いて……」

小学生の頃から使っていそうなお弁当入れの巾着袋に貼ってあったアップリケ。
『M.Yajima』の文字だけじゃあの人を探し出せない。
また次の雨の日を待つしか、わたしには、きっとない。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:37


早起きになった。
低血圧のわたしが、起きるなりカーテンを開けて空を見上げる。
澄み渡るような青空にまたため息ひとつ。
あれほど嫌だった雨を心待ちにするようになってからは快晴が続く。
神様は本当にいじわるね。

「てるてる坊主を作って逆さまにして飾ってみようか?」

なきこが真顔で言って、わたしは家に帰るなりそれを実行する。
なきこはいつでも一生懸命で、わたしも何度も助けてもらっていた。
そのなきこが言う通りしてみよう。

わたしには解る。
何も言ってないけどきっと、なきこも家に飾ってくれている。

そして翌日の朝、カーテンを開けるまでもなかった。
さーっと規則正しい静かなノイズが、わたしの耳に心地よく届いてきた。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:37
朝ごはんもそこそこに、髪を両サイドでアップにまとめるわたし。
ゴムのところには校則違反にならない程度の小さいお花の髪飾りを挿して。
くねくねな髪を目立たせないように。
おしゃれして登校だなんて、照れくさいけど、この姿見て欲しいから。

玄関の脇の鏡を覗く。
「よし」なんてつぶやいてしまう。
大丈夫、と自分に言い聞かせる。

いつもより、今日の私は、可愛いのよ!――のはず。

折りたたみ傘を手に家を出た。

バスに乗り、こないだと同じ一番後ろの席へ着く。
見える光景もなんだか同じにみえて、またあの出会いが繰り返されそうに思えた。
ゆっくりと発車するバスの中、雨音とエンジン音だけが響く中、
わたしはもうあの人を相手に再会の妄想が止まらない。

――隣失礼します……あれ、こないだの?

――あ、おはようございます。わたしも覚えてますよ。奇遇ですね。

――でもなんかこないだと違うね。あ、髪型が違うのね。可愛い。

足元の傘、ひざの上の鞄とスケッチブック、うつむいてぎゅっと手を握る。
いけない、にやけてるわきっと、わたし。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:37
隣に人の座る気配。
でもうつむいた視界に飛び込むのはスーツの足で、あの人じゃない。
顔を上げてバスの中を見渡すけれどあの人は居なかった。

いつもなら横の人を観察して妄想の世界に飛び込むところ。
だけど今日のわたしはバス停が見えるたび、並んでいる人をチェックするのに忙しい。

「あっ」

声を漏らしてしまう。
隣の人がちらっとこっちを見た。
バス停に並ぶ列、傘をさした制服姿の中に。

あの人だ。
でも。

きれいな人と一緒で、笑って、楽しそうに話していた。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:38
  
あの人がバスに乗る。

空いている席を探すため視線がバスの中を一回り。

ほんの一瞬、わたしと目があった。

気がするのに。

あの人は視線を止めることもなく、また一緒に乗った人との会話を始め出す。

静かなバスの中で、たまにあの人の言葉が聞こえる。

結構背が高いな。

あんな感じで笑うのね。

そういう風に人の肩を叩くんだ。

叩かれた側の人も美人で背が高くてあの人と居るとすごくお似合いで。

瞳が潤みそうになる。

知れば知るほど解ること。

わたしとあの人は果てしなく遠いってこと。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:39


妄想は浮かんでこなくなった。

思い浮かぶストーリーは、主人公が素敵なあの人で、ヒロインには一緒に美人さんで、
それを知らずに慕って傷つく引き立て役のピエロがいる、なんて笑い話ばかり。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:39


「溶けてないね」

授業の用意もせず頬杖つくわたしの背中から、なきこの声が聞こえる。
振り向いて返事をする前に、寄って来てわたしの頭を撫でた。

「その髪型と髪飾り、可愛いよ」

傷つく資格もないほど遠くにいたわたしだけど、
その言葉がすーっと体と心に溶けていく。
欲しいときに一番のものをくれる、わたしの親友。

「ありがと」

なきこのおなかにこつん、ともたれた。
やさしい。

「聞いてもいい?」
「あのね……」
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:40


もうすぐホームルーム。
でも教室はまだ騒がしく、わたしとなきこの潜めた声は他の誰にも届かない。
わたしの人生を変えかけたほどの話が、他の誰にも響かない。

「そっかぁ」

このお粗末なストーリーを聞き終えたなきこはふぅーと息をついた。

「で?」
「えっ?」
「あいりんはどうするの? ってかどうしたい?」

なきこの目が、わたしの目を射抜いている。
わたし?

あの人の姿が、微笑みが、照れた顔が、一瞬、浮かんで消えた。

わたしは――?

ベルが鳴りドアが開き、先生が姿を見せる。
なきこはわたしの答えを待たず、席に戻っていってしまった。
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:41


外さなかった逆さまてるてる坊主のせいか、たぶん梅雨のせいだろうけど、
起きたらまた雨の音が聞こえた。

わたしは昨日と同じく、より丁寧な仕種で髪をサイドアップにする。
髪を止めるゴムもお花飾りのついたので、鏡で暗示をかけて同じ時間のバスを目指して。

二分遅れて着たバスの、一番後ろの席でわたしはうつむきこぶしを握る。
なきこ、これがわたしの答え。

もっと、知りたいの。
あの人の名前は漢字だと矢島なのか谷島なのか。
エムで始まる名前ってめぐみなのかまいなのか。
一緒に居た美人さんとはどういう関係なのか。
美人なあなたはどれくらいドジっ娘なのか。

今までなら傷つくところまで入り込まず、妄想の殻の中で自分を守っていた。
相手と本気で向き合わないで、ステージの外で浸り夢だけ見てた。
だけどわたし、たとえ傷を負うことになったとしても、今はあなたの前、
あなたに認識されてステージに上がって勝負してもいいと思ってる。

相手があの一緒に居た美人さんなら勝てる気なんか欠片もないけれど、
負けたって何度でもステージに上がれそう。
わたしにはなきこって優秀なセコンドがいて、それに、敗者は復活するものよ!

そう思わせるほどきれいで素敵で響く音だったの。
わたしの胸の奥で、小さく響いたあの音は。
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:41
隣に人が着た。
顔を上げられない。
うつむいた視界に入るのは黒のスカートのプリーツ。

そっと顔を上げていく。
アイロンかけたてのような制服、昔からつかってそうな巾着袋、
肩よりやや下までの黒い髪、眉の位置で流された前髪、
美しく意志の強そうな横顔。

あの人だった。

何回も妄想してた。
今気づいたような振りしてその顔を見つめて目があったら
わたし達どこかで会いましたよねみたいな感じで小首を傾げて記憶なんか探る振りで
あなたが声をかけてきたわたしもあぁと答えてぺこりと挨拶して――。

できない。
顔が上げられない。
窓の映り込みごしにしか見れない。
今日はこないだの人はいないのか、確かめたいのに見渡せない。
バスが揺れるたびわたしの右肩と美人さんの左肩が触れるたび息が詰まりそう。

あっ待って、と私が思った瞬間だった。
バスが結構なスピードのまま右カーブに差し掛かった。
17 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:41
遠心力でわたしの体がぐっと左の窓へと押され、
横の美人さんの左肩がより強くわたしの右肩を押す。
まるで出会いのシーンのリフレイン、なんて思っていたら。

「わっ、わっ、わっ」

美人さんは小さく呟き鞄をお手玉し始める。
落とさないように無事抱えたときにはまた、わたしの胸にあなたのほっぺ。

「あはは」

美人さんは照れ笑いする。
きっとわたしも顔が真っ赤だわ。

「ごめんね。押しちゃって痛くなかった?」

顔が近い。
動悸が始まる。
答えなきゃ。
気のきいたこと。
なのに口が動かない。
わたしを覚えてほしいのに。
この人の前のステージに上がるって、さっき決意表明したばかりなのに。
殻を割れない。
何も変えらない。

「……ねぇ」
18 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:42
信じられないけど、きっかけをくれたのは、私の夢見た妄想のように、あなたから。

「あたし達、前にもさ、同じようなことなかったっけ?」

そう言って彼女はくすくすっと笑い出す。
私もふっと、緊張が溶けて笑ってしまう。

「そう言えばそうですね」

なんてやっとわたしの口から言葉が紡がれる。
求めたから与えられたんでしょうか?
だとしたら神様、いじわるなんて言ってごめんなさい。

エンジンと雨の音だけが響くバスの中、一番後ろの席からわたしたちの忍び笑い。
しーっ、とかって口に指をあてるけど、くすくす笑いがお互いに収まらない。
時間を止めて欲しいほどの、わたしだけに向けられた、笑顔。
美人さんの視線が一瞬だけだけど、お花の髪飾りに向いた。

鳴るといい。
いや、きっと鳴る。
わたしの胸を震わせたような、あなたの胸にも恋に落ちる音、響け!
19 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:42
  
……なんてね。
  
20 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:43
...
21 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:44
..
22 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/24(日) 22:44
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