19 潜水プール

1 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:40
19 潜水プール
2 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:41
照明が落ちた室内プールの水は暗く、水音だけがねっとりと存在感を放っている。
水中での作業を終えて、今度は水面上のボルトにスパナをかけて回す。
キッ――。
甲高い音が室内に響き渡った。
潜水用6メートルプールのはしごにとりついたまま

ふと、下を覗きこんだ。

水はやはり暗く、窓からの弱い光は底まで届いていない。
底は全くの闇だ。

小さな水音が聞こえてくる。
全く無防備な人間は、はしごがなければ底に沈むより他ない。
いくら潜るスキルが向上したと自慢したところで
はしごがなければ陸には上がれない。暗い水からは出ることができない。
それなのに

―――あんなにしがみついていたのに

見ると、ボルトの一部がさび付いているのに気がついた。
この程度のさびならば作業に影響はない。
影響はないが、

―――あんなに必死に、しがみついてたのに

意味もなく悲しくなった。


3 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:42
「あれ?」
「どうしたの?」
「あたし、携帯置いてきたかも……」

愛はカバンの中を探る。

「更衣室かな?……ガキさん、今何時?」

里沙が自分の携帯を見て言った。

「10時半。終電まだ平気だよね」
「……うん」
「それとも、明日にする?」
「明日は、バイトない……。ごめんガキさん、あたし取ってくる」
「しょーがないな。私も行くよ」
「ごめん、ありがとう」

2人は、元来た道を歩き出した。

「まだ開いてるかな?」
「鍵?私持ってるよ」
「え?何で?」
「明日、私朝一なんだよね。電車的に石川さんより先に着くから」
「あの人も適当やなぁ。普通バイトに鍵預けんでぇ」
「これは合鍵で、元は石川さんが持ってるみたいだし、問題ないでしょ」
「まあな。ガキさんなら点検全部できるしね」

大学では愛の方が先輩だが、ダイビングクラブのバイトは里沙の方が長い。
というかこのバイトは、里沙に進められて始めることになったのだ。
「泳ぎが苦手」と愛が言ったのを聞いて「逆にチャンス」と説得してきた。
プール以外の清掃や受付業務なら泳げなくてもできるし
開いた時間に練習できるからお得だ、という話だった。
4 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:42
愛もちょうどアルバイトを探していたところだったし
里沙の話を聞いていると楽しそうだったのではじめることにした。

最初は水に慣れなかった愛も今では、2メートル潜水までできるようになっていた。



里沙が鍵を使って扉を開ける。中は予想通り誰もいなかった。
ただ自動販売機の低い唸りがジー、と耳につくだけだ。
自販機の明かりがあったので、そのまま更衣室に向かう。

しかし、更衣室から携帯は出てこなかった。

「どうしよう……どこいっちゃったかな?」
「私、鳴らしてみようか?」
「うん……お願い」

里沙が携帯を操作した。愛は目を閉じて耳に神経を集中させる。

―――聞こえる……

聴き慣れた着信音が、遠く小さく聞こえる。
この部屋ではない。隣の部屋。この扉の向こう。

―――プールに?

音を追うように、愛は重い扉を開けた。中に入ると音が大きくなった。
5 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:42
―――あった!

愛の携帯は、潜水プールのすぐ脇に置いてあった。
プールサイドの照明をつけて、駆けだす。1テンポ遅れて室内が白い明かりで満たされた。

―――どうして、こんなところに……

愛が身をかがめて携帯を取ろうとした。
そのとき

―――!

どん、と後ろから大きな力がかかった。

「きゃあ」

愛の身体がぐらりと前に倒れる。とっさに伸ばした手が空を切る。
倒れた愛の前に、大きな空洞が広がっている。

―――水が……!?

なぜかプールの水は減っていた。身体が落ちていく。
予想外のことに身構えることもできない。
そのまま2メートル落下し水面に身体を強く打ち付けた。
全身にしびれたような激痛が走る。
あまりの痛さに、呼吸が止まり、持っていた携帯を手放してしまった。

―――まずい…

愛はとっさに手を伸ばしたが携帯には届かない。
携帯は、プールの底深くに沈んでいった。

仕方がないので顔を上げて周囲を伺う。通常より水位が低い。
そびえ立つように高い壁面。囲われた水。息苦しさを感じた。閉塞感が胸を圧迫する。
6 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:43
―――あがらなくちゃ……

愛は手足を動かしてはしごのある場所まで移動する。
ジーンズが水を吸って重く、身体が思うように動かせない。
油断すると、足を絡め取られそうになる。
手に力を入れて掻きながら、プールのへりまで移動していった。

しかし、愛の動きが止まった。

―――はしごがない……

あったはずの位置に、はしごはなかった。
はしごを固定していたネジの穴だけが茶色く開いているだけだ。
これでは登ることはおろか、手をかけることもできない。

―――どこいっちゃったの?

ふと、愛は底を見た。その異様な光景に背筋がぞっ、と震え上がった。
白いはしごが、遙か4メートル下、プールの底に横たわっている。

―――外されてる。……それに、水位も下げてあった。

体温が急激に下がっていくような錯覚に陥る。
だんだん、自分の置かれている状況が把握できた。

はしごは、人の手によって外されていた。
下段のはしごはそのまま残されている。上半分だけが、沈められたのだ。
さらに上を仰いだ。3段ほどの小さな上陸用のはしごも残されていた。
水面に位置するはしご3メートル分だけが取り外された、ということだ。

これを……誰かがやったのだ。
7 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:43
水位も、まさに愛を嵌めるための高さまで下げられていた。
上のはしごには手が届かず
下のはしごには足が届かない、絶妙な高さだった。
悪意を持ってやったとしか考えられない。

「愛ちゃーん!」

上から里沙の声がした。

「ガキさん!どうしよう、あがれない」

上を見た。里沙が顔をのぞかせて、見下ろしている。

「ガキさん!ロープか何かない?」
「愛ちゃんさぁ」

里沙の顔は、無表情なままだった。

「最近、潜りが上達したって言ってるらしいじゃん」
「ガキさん?」

その無表情に、不安が走る。

「愛ちゃん全然、頼りなかったのにね。
 いつの間にそんなになったの?」
「……」

愛は、今更ながら、突き落としたのが里沙であることに気がついた。
ということは

 全身が緊張した。

この罠を張ったのも里沙か……。今日の閉めは、更衣室が愛でプールサイドが里沙だった。
そのとき既に水を抜いてはしごを外していたのだろう。
8 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:44
「愛ちゃん1人じゃ頼りなくってさぁ、私が助けてやってんじゃん。
 この間の合コンのときなんて、お店の予約1時間も間違えて……」

里沙が、口調も表情も変えずに続ける。

「ガキさん……それより、ここから出して……」
「あのとき私が『ゲーセン行こう!』て言ったから白けずにすんだんでしょうが。
 わかってんの?」
「お願い!!」

愛は叫んでいた。普段着が重く、立ち泳ぎの疲労が大きい。すでに息が切れ始めていた。
里沙は、さっきから無表情で愛を見下ろしている。ぴくりとも動こうとしない。

「愛ちゃんが仕切ってるわけじゃないんだよ。
 いっつも私がね、ちょうどいい所ではしご渡してやってるんだよ」
「わかったよ……。も、もうわかったから……」
「来月のダイビングも、私が行き方調べたのに、何勝手にみんなにメールしてんの?」
「え……?あ、あれは……早く知らせてあげようと……」
「私が調べたんでしょう!!」

突然、里沙が甲高い声を張り上げた。

「……ご、ごめん。だけど……、ちょっとガキさん!」

愛が言い終えるより先に里沙が立ち上がって歩いていってしまった。

「ガキさん!!」

姿が見えなくなる。

「……」
9 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:44
愛は、再び周囲を見渡した。もちろん、水と壁面しか見えない。
誰もいなくなると今度は、水音が大きく感じられた。
水を掻くたびに立つ音が絡むように愛の周囲に漂う。その音だけ。
静まりかえった水は、ねっとりと逆に存在感を持って愛を引きずり込もうとする。
身体が重い。油断をすると沈みそうになってしまう。
思わず下を見ると、プールはぞっ、とするほど深い。

―――どうしよう……

このままでは、誰も助けに来ない。助けを求めようにも、携帯は水没してしまった。
何とか里沙を説得して助けてもらうしかない。
しかし

 泣きたくなった。

さっきから里沙とはまともに会話ができていない。助けてもらえるだろうか……。

あるいは……

―――もし、戻ってこなかったら……

 絶望的な考えが頭をよぎる。

この状態で朝まで泳ぎ続けることなど不可能だ。
途中で力尽きてしまう。そうなれば、この深い水に……
愛は、必死に頭を振って、ネガティブな思考を断ち切った。

「ガキさーーーん!」

腹の底から、声を張り上げる。

「ガキさん!!いるんでしょう!?」

声が四方に反響して自分に返ってきた。焦りが身体中に回っていく。
10 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:44
「ガキさん!!いい加減にして!!」

そのとき
視界がいきなり暗くなった。

「きゃあああ!!」

里沙が照明を落としたのだ。愛はパニックに陥った。

「いやぁぁ!も、もうこんなの……。
 ガキさん!!何で……何でこんなことすんの!!」

愛がいくら悲壮な声を張り上げても、叫びはむなしく響くだけだった。


11 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:45



―――本店に納品書FAXすんの忘れてた……

梨華は、改札の手前で立ち止まった。
今日が締め切りの書類があることを思い出したのである。

―――どうしよう……

梨華は時計を見た。今から走って行けば、終電までには戻ってこられる。

―――面倒だな。

梨華は迷っていた。もうむこうも閉まっているだろうから
実際に本店の人間がFAXを目にするのは明日である。
しかし、本店は朝が早い。もし、朝一番にむこうから電話があったら
店に里沙しかいないことがバレてしまう。
開店をバイトに任せていたことを知られてしまう。そうなったら、かえって面倒だ。

―――戻るか……

梨華は、ため息をつき、来た道を引き返していった。


12 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:45
「愛ちゃーん」

里沙が戻ってきた。

「……」

四角く切り取られた天井に、黒いシルエットが浮かぶ。

「愛ちゃんさぁ」

声が先ほどと全く変わっていないのが、逆に愛を戦慄させた。

「……ガキさん。もう、もうやめて……」
「愛ちゃんさぁ」
「……」
「先週の打ち上げの会場、私に相談しないで勝手に決めたでしょう?」
「だって……ガキさんとシフトが合わなかったし」
「電話ってもんがあるでしょうが!
 ダメだよ愛ちゃん1人に任せてらんないんだから」
「……わ、わかった。ごめん……、だから……」
「ね。愛ちゃんじゃ頼りないんだから、ちゃんと相談してくれなきゃ。
 最近じゃあ、みんな愛ちゃん頼れるとか言ってんでしょう。何でそうなんのよ」

―――話が通じない……

里沙の耳に愛の懇願は、全く届いていない。
身体が震えだした。足に上手く力が入らない。

「ガキさん……足が…つりそう……」
「私がみんなのことを考えて、愛ちゃんの足りないところをフォローする。
 そういう役割だったでしょ?愛ちゃんに無視されたら、私はどこに行けばいいの?」
「あ、足が……」
「私の存在がなかったことになっちゃうんだよ!わかってんの!?
 一体私は、どこにいるのよ!」
13 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:45
―――!!

急に右足が張り、身体が沈んだ。

「う、……っぷ………」

手を大きく掻いて、どうにか身体を浮かそうとするが
足が引き攣って体勢を維持できない。

「はっ………が……きさん……」
「勝手に泳いでいっちゃあ、困るでしょうが」
「……足が攣って……。く……るしい……」
「愛ちゃんは、私の水槽の中にいればいいんだよ」

愛はもがきながら、顔だけをどうにか水面に出して叫んだ。

「ガキさん……お願い!……た……助けて!!」
「愛ちゃーん。大丈夫?水ん中真っ暗でしょう?怖くない?」
「助けて!!」
「……」

左足で水を蹴って、立ち泳ぎの姿勢に戻る。

―――落ち着け……

右足にゆっくりと力を入れて、伸ばしていく。痛みが少しずつ、ほどけていった。

―――落ち着け……

足の痙攣は治まったが、もう両足とも限界だった。
無理に力を入れれば、再び攣ってしまう。
暗闇に恐慌をきたしてはダメだ。落ち着かなくては……
14 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:46
「ふふっ……」

甲高い笑い声が聞こえた。

「ふふふっ……愛ちゃんが私に助けてだって……ふふふふふっ……」

―――狂ってる……。

「愛ちゃん?私のこと頼りにしてる?」
「……ガキさん」
「頼りにしてる?ねぇ……」
「た、頼りにしてるよ。いつも頼ってばっかじゃん。
 お願い……もう許して……」
「ふふふふふっ……いいなぁ。水槽にいるとかわいく見える……」

―――ダメだ……

愛はきつく目を閉じた。もう、手足に力が入らない。

そのときカチッ、と音がした。照明が灯って明るくなる。

「あれー?新垣さん。まだいたの?」

―――石川さん!

里沙が慌てて立ち上がった。

「あー。ちょっとコンタクト落としちゃって。もう見つかりました」

里沙が歩き出し、愛の視界から消えた。

「電気もつけずに探せたの?」
「あー、えっと……はい。まぁ……」
「ふーん」
15 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:46
ジャラ…。何か、金属の擦れるような音がした。聞き覚えのある音だ。

「あれ?新垣さんコンタクトだったっけ?」
「助けてー!!」

愛は、思い切り叫んだ。

「石川さん!!助けて!!」
「……愛ちゃん?……ってちょっと、新垣さん……何やって……」

ジャラ……。また音がした。

「やっ……ちょっとやめ……」

ゴツ、と鈍い音。続けて、人の倒れる音。

「石川さん!!」

愛は絶叫した。しかし、返事はない。ジャラ……。再び金属の音。

―――あの音は……確か……

ジャラ…。ジャラ…。音が徐々に近づいてくる。複数の金属が床に擦れる音。
あれは……

―――重りだ!

潜水に使うウエイトベルトを引きずっているのだ!まさか、あれで殴ったのか?

「石川さん!石川さん!!いしか……」
16 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:47
プールサイドに突如、梨華の顔が現れた。

「きゃあああ!」

頭から血を流して白目をむいている。梨華の身体はそのまま滑るようにプールへと落ちた。
白い泡を立てて身体が水没していく。里沙がウエイトベルトを巻き付けて放ったのだ。

―――なんてことを……

愛は息を大きく吸い込み、梨華を追って水に潜った。
頭を下にして手を掻き、沈んでいく梨華を目指す。
梨華の身体が底につこうというとき、愛の手が梨華に届いた。
梨華の腰に巻き付けられたウエイトを外し、脇に手をかけて持ち上げる。

―――苦しい……

足で底を強く蹴って、一気に浮上していった。耳抜きをしている余裕がない。
梨華の肩を揺する。すると梨華は激しく咳き込み、その両目が愛をとらえた。

―――よかった……生きてる……

しかし、すぐに目が混濁し、全身から力が抜けて沈もうとする。

「石川さん!!」

もう一度強く引き寄せて頬を叩いた。
梨華も必死に意識を保とうとしている。梨華の意識が闘っていた。
カチッ、と音がして照明が落ちた。わざわざ消しにいったのか。

―――早く助けないと……

愛はプールサイドを見上げた。里沙は戻ってきていない。
上陸用のはしごが見える。あそこまでの距離は1.5メートルくらい。
17 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:48
愛は思い立ち、来ているシャツを脱いだ。
下着だけになってしまったが、身体は軽くなった。

「石川さんのシャツも貸してください」

愛は、梨華のシャツに手をかけて脱がせる。2つのシャツの袖を結わいてつないだ。
梨華の身体を支えながら、一方のシャツを上方のはしごめがけて投げた。
しかしシャツは届かない。もう一度投げたが結果は同じだった。
袖の先を結んでこぶを作る。頭上で何度か回してから、はしごに投げる。
袖は、はしごのすぐ下までいったが、そのまま落下した。

―――いける……

4回、5回、6回、同じ動作を繰り返して投げ続ける。
途中何度も、梨華の身体が沈みそうになるのを腕を引いて支えた。
7回、8回、9回。シャツはなかなかはしごに届かない。

10回目、大きく振り回して投げた袖が、はしごにかかった。

―――よし!

はしごを通ったそでをたぐり寄せる。もう一端と結びつけて輪を作った。
顔を引き締めてシャツを強く引く。結び目はほどけそうもない。ロープの代わりになる。

「石川さん……これ登れますか?」

聞いてみたが、梨華は弱く首を振った。

「じゃあ、これ持って離さないでいてください。すぐに助けを呼んできます」
「あ、……愛ちゃん……」
「大丈夫、すぐに戻ってきます」

愛は、ロープ代わりになったシャツに両手をかけ、登っていった。
18 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:48
プールサイドに出る。里沙の影がゆっくりと歩いてくるのが見えた。
こちらに気づいている様子はない。愛は音を立てないようにすばやく
出口に移動していった。扉を開けるとき大きな音がしてしまう。

―――気づかれた!!

愛は、一気に駆けだした。受付ロビーの電話を取って110番に通報した。

「どうしました……」
「え……えっと、強盗です!」

受話器に向かって場所と状況を伝えていく。

ジャラ……。

「!!」

音に反応して振りかえった瞬間、側頭部に火花が散り、その場に倒れる。

―――殴られた……

「はしごなしで登ってきた。さすがだね。4メートル素潜りまで」

必死に意識をたぐり寄せ、声のした方を見上げた。

「愛ちゃんがそんなふうになったら、私はいないことになっちゃうんだよ?
 どうしたらいいの?私、もう消えた方がいいかな?」
「が…きさん……」
「だけど……存在が消えるんなら、愛ちゃんも一緒だよ。
 愛ちゃんも私と一緒に、死ななきゃいけないんだよ」
「ば……バカなこと言わないで!!」
19 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:49
「……」

愛が声を張り上げると、里沙が止まった。

「あたしは……ガキさんのこと頼りにしてるし尊敬してた……。
 でも、ガキさんはガキさんじゃん!あたしはあたしでしょう!
 お互いのこと、認めあえて……いい友達だって……思ってたのにどうして?」
「そんなこと言わないでよ……」

里沙の声が、震えている。

「ガキさん?」
「そんなこと言わないで!……愛ちゃんが、愛ちゃん1人だったら……
 私は、どうしたらいい?私の価値は?……愛ちゃん」

声の震えが、手につたわり、足につたわり、里沙は全身で震えていた。

「愛ちゃん……逃げられないからね、逃がさないからね……
 絶対、ぜーったい、私のもとから逃げられないから!」

里沙は手に持ったウエイトベルトを大きく振りかぶると、
愛の頭目がけて一気に振り下ろした。

脳内が激しく振動したかと思うと、愛の意識はすっ、と遠のいていった。


20 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:50
ジャラ……。

引きずられている。里沙の後ろ姿がぼんやりと見える。

ジャラ……。

愛は、マットの上に寝かされてマットごと引きずられていた。

「んんっ!!」

声を出そうとしたが、口が塞がれていた。
起き上がろうとするが、手足も粘着テープで拘束されている。

「愛ちゃん……もう大丈夫だよ。もう安心だからね……。水槽に、戻るからね……」

ジャラ……。

腰から、ウエイトを引きずっている。
これだけの量のウエイトをつながれたら絶対に浮上できない。

「よし……」

プールサイドに着いたのがわかった。
首を動かして見る。水が途中まで抜かれた潜水プールが見えた。

「さ、もう安心だからね……。もう、外に飛び出したりしないから」

里沙が愛を抱き起こした。

「んーーっ!!んーーーっ!」
21 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:50
「大丈夫!怖くない。愛ちゃんすぐに怖がるんだから……」

頭を撫でられた。背筋が寒くなるほど、優しい手つきだった。

「私にまかせておけばいいよ。私に全部、任せればいい。
 愛ちゃんは何も心配いらないからね」

朦朧とした意識の中で見る里沙は、幸せそうな笑顔で、愛を見つめている。

ジャラ……。

―――助けて……

里沙の手が、愛のベルトを引っ張った。
プールの縁ぎりぎりまで引きずられる。

「じゃあね、愛ちゃん」

―――助けて!!

里沙の手が愛の背中にかかる。
愛は両目を閉じた。そのとき

ジャラ……。

ゴッ、と鈍い音がした。

驚いて目を開けると、里沙の身体がふらつきプールの中へと落ちていくのが見えた。
里沙の悲鳴に続いて、水しぶきの音が上がった。
愛が呆然としていると、手が伸びてきて口のテープをはがされた。

「愛ちゃん!」
「い、石川さん!」
22 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:51
「よかった……まに…あって……」

そういうと、梨華は音を立てて愛の隣に倒れ込んだ。

「石川さん!大丈夫ですか?……」
「……」
「石川さん!!」

身体を梨華の方に向ける。
顔の真っ青になった梨華は、身体全体で大きく息をしている。
愛は、梨華の胸に顔を埋めた。


サイレンの音が近づいてくる。

「愛ちゃんに……助けられた……」

梨華が、耳元でささやく。

「かっこよかったなぁ」
「ううん。石川さんがあたしを助けてくれたんですよ」
「違うの。愛ちゃんが私を助けた。そういうことにしとこうよ」
「……石川さん」

耳元に梨華の温かい声を聞いて、
梨華の胸の中にいて
安心した愛は、意識を失った。

「愛ちゃん……おつかれさま……」

最後に聞こえたのは、そんな声だった。


23 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:51

再び目を覚ましたのは、ベッドの上だった。

「あ……目が覚めました」

暗い部屋の中。女の人の声がする。

「あの……私……」
「どこか苦しいところとかないですか?」
「あ……うーんと……大丈夫です」
「……よかった。CTの結果は異常なしでしたけど
 頭殴られてるんでね、安静にしてゆっくり休んでください」

そう言って、女の人は立ち去ろうとする。

「あの、看護婦さん」
「はい?」
「石川さんと、ガキさんは?」
「お友達2人とも無事でしたよ。向こうの病室で寝てます」

―――え……

「でも……私たちを襲ったのは……」
「強盗は逃げちゃったみたいですね。
 あの……新垣さんの意識がしっかりしてて
 警察の人に話してましたからすぐ捕まえてくれるんじゃないですか?
 高橋さんは、心配しないで休んでください」

そう言って、女の人はいなくなってしまった。
24 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:52

しばらくして、病室の扉の開く音がする。

―――誰?

カラカラカラ。音がして、車いすが近づいてきた。

―――だ、……誰!?

声を出そうとするが、喉が渇いて音が出ない。
全身が緊張で冷たくなっていた。

カラカラカラ。

心臓が狂ったように高鳴り身体中から汗が噴き出す。
絶望の暗闇が愛の心を支配していった。

車いすの人物は立ち上がり、愛のベッドに乗った。

「愛ちゃん……私、いなくなることにしたから……
 愛ちゃんも一緒だからね……」

里沙の両手が愛の首にかかった。

「ぐっ……」

喉に里沙の体重がかかる……

遠のく意識の中で愛は、里沙を見上げる。

―――が……き…さん……

なぜか必死の形相で首を絞めている里沙が
泣いているように見えた。


25 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:52
THE END
26 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:52
27 名前:19 潜水プール 投稿日:2008/06/16(月) 21:52

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