14 F/A
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:03
- 14 F/A
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:03
- 私は水の中にいた。
当然息が出来ないので苦しくて本能的に上へいこうと必死にもがいた。
すると無我夢中でやっていたお陰か少しずつ体が浮上していって少し安心した、でもその瞬間
足を引っ張られて深く沈み込む。
何が何だか分からなくて私はとりあえず顔を下に向けると足を引っ張るものと目が合った。
それは私の父親だった。
正確には父親だったものといったほうが正しいのかもしれない。
父親の顔はもはや人間ではなくて鬼か悪魔のようだった、それが楽しそうに笑いながら
底が見えない暗い場所へ私を引き摺りこもうとする。
怖くなって乱暴に手足を動かしたけれどしっかりと足を掴んだそいつの手は離れない。
悲鳴や助けを求める声は水の中なのでただの気泡と化して、私は無駄だと知りながらも
水面に揺らぐ白い光に攣るくらい思い切り手を伸ばした。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:04
- 「うわぁ!・・・・・はぁ・・・はぁ・・・・。」
目が覚めるとそこは電車の中だった、向かい側にある窓からは山や家が後ろに流れて
消えていく。
さっきまでのことが夢だと分かっても心臓の鼓動が治まるまで多少の時間を必要とした。
そしてようやく落ち着くと大きく溜め息を吐き出してから改めて辺りを見回す。
その車両には私以外のお客さんは一人もいなくて田舎のローカル線で良かったとそのとき
初めて思った。
それから気分を変えたくて後ろの窓を少しだけ開けると青臭い匂いがすぐに鼻を掠めた。
「それにしても・・・・久しぶりに見たなぁ、あの夢。」
軽く溜め息を吐いてから少し固い背もたれに寄り掛かると苦笑いしながら呟いた。
事故に遭った当初はよく見たけれど最近は本当にご無沙汰だった。
このローカル電車の緩やかな揺れがまるで波みたいに思えてあんな夢を見たのかもしれない。
只さえ少し憂鬱だというのに夢見が悪いせいで今の私の気分は最悪だった。
親戚の家をたらい回しにされて早5年、今回行くところは都会からは縁遠い田舎のほうにある
父方の祖母の家だった。
一体どういう経緯で私を引き取ることになったかは分からない。
与えられた情報は住んでいる場所と旦那さんは随分前に亡くなられて今は一人暮らしという
些細なものだった。
私はまた窓に視線を向けると相変わらず山と家と畑しか見えない。
暮らすのに不便そうだなと思いながらその景色をしばらくぼんやりと眺めていたけれど、
それにも飽きてとりあえず携帯を取り出した。
開いて時計を見ると調べた到着予定時刻まではあと30分以上もある。
でももう一度寝る気にはなれなくて唯一の暇つぶし道具で遊ぶしか選択肢がなかった。
そして携帯ゲームにも飽きてきた頃に車掌さんがようやく目的地である駅名を告げる。
「はぁ・・・遠すぎ。」
私は携帯を丸く膨らんだスポーツバッグにしまうと降りる用意をしてから立ち上がる。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:04
- 5時間かけて遥々やってきたその町のホームには本当に何もなかった。
「ありえない。超ど田舎だし!はぁ・・・・今まで一番最悪かも。」
スポーツバッグを担ぎ直すと閑散とした外の景色を見回しながら私は軽く舌打ちをする、
それから人が居ないので少し大きな声でぼやいた。
どうやら新生活には全く期待できないことを悟りながら出口に向かうと改札にいた駅員の
おじさんは笑顔で対応してくれた。
優しそうな人だったけど男の人にはやっぱり良い印象を持てなくて、とりあえず手馴れた
愛想笑いでそれに応えた。
それから駅の外に出ると私はまず迎えの人を探す。
事前の連絡だと到着する頃にはいるという話だけどそれらしい人はいない、というか改札前に
立っているのは女の子一人だけだった。
一見外国人かと思ったけど近づくにつれてその子が堀の深い日本人だということが分かった。
私はこれから一緒に暮らすおばぁちゃんか大人の人が来ると思っていたので、迎えの人とは
思わずに誰か来るまで少し待つことにした。
でも女の子は私と目が合うと突然手作りらしい小さな旗を取り出して振り始めた。
そこには『有原栞菜様、歓迎』と書かれていた。
「それ恥ずかしいんで止めてもらえますか?」
「えー。昨日徹夜してまで作ったのに。」
「っていうか普通に迎えてくれると嬉しいんですけど。」
「だってさ、こういうほうがテンション上がらない?」
「普通に下がります。」
「それは残念。まぁとにかくさ、こんなところで立ち話もなんだしバス待たせてあるから
詳しくはそこで。」
「バス待たせてるんですか?」
「うん。あんまり人が乗らないからちょっとくらいなら融通利くんだよ。」
「は、はぁ・・・・。」
迎えに来た女の子も含めて田舎というのはよく分からないところだなと思いながら、
私は案内されるままにバスへと乗り込んだ。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:05
- バスが初めに料金を払わないことにも驚いたけれど、女の子が初対面なのにも関わらず
次々と話し掛けてくることのほうが驚きだった。
ちょっと慣れ慣れしいなと思ったけれどそのお陰である程度の状況は知ることが出来た。
おばちゃんは現在腰を痛めて動けないということとその代行としてやってきたということ、
そして女の子の名前が梅田えりかだということ。
「梅田さんはおばぁちゃんと仲が良いんですか?」
「梅田さんなんて他人ぽっいなぁ、えりかでいいよ。」
「じゃぁ・・・・えりかちゃんでいいですか?」
「まぁOkかな。で、おばぁちゃんとは仲良いと思うよ。今回はいつも野菜とか色々
貰ったりするからそのお返し。ちょうど今日は開校記念日で休みだったしね。」
「そうなんですか。」
「うん。それにご近所さんだしね、困ったときはお互い様じゃん。」
「・・・そうですね。」
あの夢のせいで無駄な体力を使ってしまい私はあまり話す気力がなかった、だから適当に
答えると声を掛けられたくなくて窓の外に視線を向ける。
すると拓けた場所に学校らしき建物が建っているのが目に入ってきた。
見た感じではかなり年代物で今時テレビでしか見ないような木造で白塗りの校舎なので
少しだけ私の興味を引いた。
「あれがかんちゃんの通う学校だよ。」
「えっ?あれですか?」
「うん。この町って子どもが少ないから小中は一緒の校舎なんだ。ちなみに高校生になると
隣町の高校へ行くんだけどね。」
「は、はぁ・・・・。」
私が通う学校はテレビでたまに見るような全校生徒数が5人みたいなところらしい、
そう思うと何だか先行きが不安になってきた。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:05
- それから五分くらいでおばぁちゃんの家があるというバス停に着いた、私はまた言われるまま
お金を払って降りる。
でもそこには家なんて影も形もなくてあるのは川と森だけだった。
私は降りたらすぐに家の前か近くだと思っていたので疑うわけではないけど聞いてみた。
「あの・・・本当にここなんですか?」
「うん。ここからあそこに橋があるでしょ?それを渡ってそうしたら雑木林に入るんだけど、
少し歩くとちょっとした坂と平坦な道と分かれてるの。それで坂のほうを登っていくと
大体五分くらいでおばちゃんの家に着くから。」
それはとても分かりやすい説明だったけど現実を受け入れたくなくて聞き直したくなった。
でもその気持ちを何とか堪えて代わりに深い溜め息を吐き出すと私は苦笑いしながら
小さく頷いた。
「それじゃまた。」
とえりかちゃんは他人事なので楽しそうに笑いながらまたあの旗を取り出して左右に
振っている。
その旗は止めてくださいと言う気力もなくて私は無理矢理笑顔を作ると軽く会釈した。
そして顔を前に向けると遠い道のりに自然と溜め息がこぼれる、でも野宿する気はないので
ゆっくりと歩き出した。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:06
- それからどれぐらい時間が経ったのかは分からないけれど坂を登り終えた頃には辺りは
すっかり夕陽に染まっていた。
私は汗で濡れて体に張り付く服が気持ち悪くて家にお邪魔したら即行でお風呂に入ろうと
心に決めていた。
だから家らしきものが見えたときは最後の力を振り絞って早足で近づいた、でもいざ玄関を
目の前にすると少し緊張してきた。
田舎だからかインタホーンも何もなくて声を張るしかないと思う余計に緊張感が高まる。
気休めだけど深呼吸を繰り返すとどうにか落ち着いてきて、私は軽く唾を飲み込んでから
意を決して声を張り上げた。
「有原栞菜です! こ、こんばんわ!おばぁちゃんいますか?」
文法的にというか日本語自体おかしかったし声も裏返っていたけどこれが精一杯だった。
すると少ししてから家の中から物音がしたかと思うと玄関のガラス戸に人影が写る。
それが軋んだ音を発しながらゆっくりと開けられて中にはモンペ姿の腰の曲がったおばぁさんが立っていた。
「あんたが栞菜か。大きくなったねぇ。」
と優しく微笑むと皺だらけの細い手を伸ばして私の頭を軽く撫でてくれた。
「これからお世話になります。」
「あぁ、何もないけど自分の家だと思って寛いどくれ。ここに来るまで大変だったろ?」
「はい・・・・いえ、大丈夫です。」
おばぁちゃんの言葉はこの町へ来るまでの道のりを言っているように聞こえたし、今までの
私の生活のことを言ってるようにも聞こえたので何となく否定した。
それから家に上がらせてもらってすぐにお風呂に入ると長旅のせいかご飯も食べずに
その日はそのまま眠ってしまった。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:07
- 眩しい朝日で目を覚ますとどこからか等間隔で何かを刻んでいるような音が聞こえてきた。
初めは寝惚けていて何も考えられなかったけれど少し経ってから今の状況を理解すると、
慌てて起き上がり台所へと小走りで向かう。
ちょっと迷ったけれどどうにか目的の場所まで辿り着くと背中越しにおばぁちゃんに
声を掛けた。
「すいません!私やります!」
昨日の初日ともかくただ居候させてもらうのは悪いので家事は手伝おうと決めていた。
それに腰が悪いと聞いていたから尚更無理させるわけにはいかない。
けれど既に台所の隣にある居間には湯気が立っているご飯とお味噌汁、それに焼き鮭と
お漬物が置いてあった。
「おはようさん。もうすぐ出来るから座っときな。」
「すいません作らせちゃって・・・・・腰はもう大丈夫なんですか?」
「あんなの一日寝たらすっかり直ったよぉ。それより大したもんはないけど食べな。」
「・・・・・はい、頂きます。」
少し自己嫌悪に陥りながらとりあえず朝ご飯に手をつけるとその気持ちを一瞬で吹き飛ぶ程
とても美味しかった。
それからご飯をおかわりして食べ終えるとおばぁちゃんに学校の場所を教えてもらった。
「一緒に行こうか?」と心配そうに言われたけどほぼ一本道だったのでやんわりと断って、
これ以上迷惑をかけたくないので一人で行くことにした。
けれど玄関に差し掛かったときおばぁちゃんが少し慌てて追いかけてきて
「学校まではダメみたいだけど外に置いてある自転車使いなぁ、歩くのは大変だろうから。」
に内心歩くのはちょっと面倒だなと思っていたのでそのご好意に甘えて私は橋の辺りまで
その自転車で行くことにした。
すると昨日は苦戦した坂も下りということもあってあっという間に駆け抜けて、橋までは
大体三分くらいで着いてしまった。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:08
- そこから教えてもらった地図通りに歩いて大体十五分くらいで学校に着いた。
近くで見ると昨日バスで見たよりもずっと古そうでどこか重厚な雰囲気さえ漂わせている。
校舎の概観に少し圧倒されたけれどすぐに本来の目的を思い出して私は校内に入った。
とりあえず職員室へ挨拶に行こうしたのはいいけど場所が分からなくて困っていると、
突然後ろから肩を叩かれた。
「えっ?」
「有原栞菜ちゃんでしょ?」
「は、はい。」
「それじゃこっちにきて。」
「えっ?・・・・あの・・・ちょ、ちょっと!」
後ろに振り返ると私より少し背が高い色白の可愛らしい女の子が立っていた。
初対面なのになぜ私の名前を知っているか疑問だったけれど、いきなり手を引いてどこかへ
行こうとするので聞きそびれてしまった。
「何なんですか?」
「ん?何?」
「いや何がっていうか・・・・ツッコミどころがありすぎるんですけどとりあえずは手。」
「手?」
「いきなり握られても困ります。それに手を引かれるのあんまり好きじゃないから。」
「それじゃ離します。というかもう着いたし。」
「えっ?どこに?」
女の子が立ち止まるので辺りを見回すとそこは何の変哲もない教室の前だった。
私は意味が分からなくて呆然とその場に立ち尽くしていると突然ドアが横に引かれる、
それから背中を押されてよろめきながら中に入った。
するとクラッカーみたいな音がしたかと思うと頭上のくす玉が割られて色とりどりの紙吹雪が
降ってくる。
何事かと思って辺りを見回すと黒板に『有原栞菜ちゃん、歓迎!!』白とピンク色の
チョークで大きく書かれていた。
色々思うことはあったけどこの町の人は歓迎大好きなんだなと一番初めに思った。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:08
- 「それじゃみんな席に着いて。」
と教卓の前に立っている女の人が手を叩いて周りにいる子達を促した。
私は未だに状況を飲み込めず戸惑っていると「栞菜ちゃんはとりあえず空いてる席に座って」
と言われたのでその指示に従う。
「それじゃ軽く自己紹介しようか。まず今日からこの学校に転入してきた有原栞菜ちゃん。」
「えっ?あぁ、どうも。有原栞菜です。これからよろしくお願いします。」
それから何の予告もなしに突然自己紹介することになったので私は慌てて立ち上がると
無難なことを言ってから頭を下げた。
転校は何回かしているから前もって言ってくれればまともなことを言える自信はある、
でも今回は唐突過ぎて言葉を考える時間が全くなかった。
人数が少ないので味気ない拍手ではあったけど私は愛想笑いを浮かべながらそれに応えると
とりあえず席に座った。
それから他の子の自己紹介があったけど四人しかいないのですぐに終わってしまった。
中学生は私を含めて三人とあとは小学生が二人だけで全員女の子だった。
そして教卓に立っている女の人は小学生の担任をしつつ中学の国語教師も兼ねているらしい。
でも私が教室に入ってきたとき生徒と一緒になってはしゃいでいた姿はその童顔も伴って、
とてもじゃないけれど先生には見えなかった。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:09
- それからチャイムが鳴って朝のHRが終わると小学生二人と先生は自分達の教室に帰っていった。
「栞菜、また後で遊ぼうね。」
「栞菜ちゃんバイバイ!」
「もうすぐ夏休みだからそんなに会えないかもしれないけどこれからよろしくね。」
と手を振りながら笑顔で仲良く出て行く姿は教師と生徒というよりは同学年の友達同士にしか
私には見えなかった。
それはともかく先生が言っていた通りあと一週間足らずで夏休みに突入してしまう。
本当は休み明けでも構わないと学校側は言ってくれたけれど、早めに顔見せしておこうと思い
中途半端だけど今日にしてもらった。
「そっかー、もうすぐ夏休みなんだよねぇ・・・・今年はどこ行こうかな?」
一番初めに会った鈴木愛理ちゃんは人差し指を唇に当てると小首を傾げて何やら考え込んで
いるような様子だった。
それを見て自己紹介で大人しそうな印象を受けた中島早貴ちゃんが私の耳に顔を近づけると
小さな声で囁いた。
「愛理はお嬢様なの。」
「えっ?」
「この町で一番大きな家に住んでてね、毎年夏休みは家族みんなで海外に行くんだよ。」
私がどう答えていいか戸惑っていると早貴ちゃんは耳元から顔を離して可愛らしい声で笑う。
小学生の二人もちょっと曲者だと思ったけど同じクラスになったこの中学生組二人もどうやら
一筋縄ではいかないようだ。
私はこれから先の学校生活のことを思うと少し不安になった。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:10
- 見上げると目眩を起こしそうなほど眩しく輝く太陽に私は思わず目を細める。
待ち合わせは二時に学校のプール入口ということだったけれど二人の姿は見当たらない。
私はポケットから携帯を取り出して時計を見ると予定の時刻十五分以上早かった。
初めて遊ぶので遅れないように早めに出たのは良かったけれど自転車で直接来たら予想より
随分と早く着いてしまった。
私がなぜ少し日が傾き始めたといっても夏の暑い日にわざわざ学校まで来たかというと、
あの二人に半ば無理矢理に予定を入れられたからだった。
転校して初日の昼休みに愛理ちゃんは何か思いついたように手を叩くと突然提案してきた。
「そうだ!栞菜ちゃんもプールに来ればいいんじゃない?」
「プール?」
「学校のだよ。ここの学校は夏休み中ずーっと開放してるの、だからタダで入り放題。」
私は意味が分からず困っていると早貴ちゃんが横から分かりやすく解説してくれた。
「この町って何もないから絶対ヒマだよ?」
「確かに娯楽施設っていえるものが公園か駄菓子屋さんしかないもんね。」
「っていうことで夏休みの初日にプールに行きましょう!」
「時間はどうするの?」
「二時ぐらいでいいんじゃない?」」
「あっ、ちょうどいいかも。」
「っていうことで二時に学校のプール入り口で待ち合わせね。」
私が口を挟む隙がないままあっという間に事が決定していた、そして口を開こうとしたら
チャイムが鳴ってそれ以上話せなかった。
それから結局その話題はそのままになってしまい私は夏休み初日の予定は確定してしまった。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:10
- 自然と口から溜め息が漏れて私はプールの外壁に寄り掛かった。
すると中から泳いでいるような音が聞こえてきた、初めは気のせいかと思ったけれど
耳を澄ますと今度は間違いなく聞こえた。
私はもしかしたら二人とも先に来ているのかもしれないと思い行ってみることにした。
更衣室を通り過ぎると普段は滝のように水が流れて体を慣らす場所があったけれど
それも今は止まっている。
その先に進むとプールで誰かが泳いでいる姿が見えた。
格好からして男の人ではないのが分かったけれど愛理ちゃん達ではないのも確かだった。
泳いでいる人は私の存在に気がついたのかそれともたまたま息が上がっただけなのか、
急に泳ぐのを止めると水面から顔を出した。
そして赤い水泳キャップに大きく太字で『矢島』と書かれていたのでこの人が矢島さん
ということだけは分かった。
「あっ、有原栞菜ちゃんだ!」
矢島さんはプールサイドに呆然と立ち尽くす私を見つけると笑顔で指差しながら言った。
この町の人はどうして私の名前をみんなして知っているだろうという疑問が第一印象より
先に浮かんだ。
「どうして私の名前知ってるんですか?」
「えっ?みんな知ってるよ。」
「それって答えになってないと思うですけど。」
「えっと、この町って人口少ないからみんな顔見知りなんだよね。だから・・・・。」
「つまり知らない奴がいたらすぐ分かるってことですか?」
「うん、つまりはそういうこと。」
矢島さんは会話にあまり脈略がなくて結論だけ言うので分かり難い、というか話していると
少し疲れる人だということが分かった。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:11
- それから矢島さんは軽く泳いで私の近くまで来ると少しだけ水飛沫を上げてプールから出た。
学校指定のような紺色の水着に白い肌が良く映えていて、すらりと伸びたしなやかそうな肢体に思わず見惚れてしまった。
「ふぅ、結構泳いじゃったなぁ。」
と矢島さんは独り言を呟きながら赤い水泳キャップを少し乱暴に取ると、重力に従って
落ちる黒髪は思っていたよりも長くて綺麗だった。
整った顔立ちと濡れた黒髪で佇む姿はまるで一枚の絵みたいで田舎にもこんな子がいるんだと
少し感心してしまう。
「一応自己紹介しとこうか。私は矢島舞美、高校一年生。この学校の元OGなんだよ。」
「私は・・・・知ってると思いますけど有原栞菜です。」
「栞菜ちゃんね。うん、これからよろしく!」
矢島さんは少し強引に私の手を取ると勝手に握手してきた、その手は濡れているはずのに
仄かに温かくて握力がある人なのかちょっと痛かった。
「それで矢島さんはどうしてこんなところにいるんですか?」
「矢島さんは止めてよぉ、何か慣れないし。」
「それじゃ舞美ちゃんでいいですか?」
「うんOKOK!矢島さんより全然良いよ。それで何の話だったけ?」
「・・・・だからなんでこのプールにいるのかって話です。」
「あっ、そっか。えっと、泳ぎたいけど高校まで行くのは面倒だから。だから夏休みだけ
こっちに来てるんだよ。」
などと世間話をしていると少し遠くのほうから足音らしきものが聞こえてきた、そして
入り口に顔を向けるとあの二人の姿が見えた。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:11
- 「卒業してもやっぱりみーたんは泳ぎに来るんだね。」
「舞美ちゃんって泳ぐの好きだもんね。」
愛理ちゃんと早貴ちゃんは舞美ちゃんに近寄ると顔馴染みなのか親しげに話し掛ける。
元OGと言っていたから面識があるのは当然かと思い、私はそんな三人の様子を少し離れた
ところから見つめていた。
すると愛理ちゃんがそんな私に気がついて近寄ってくると手を引いて舞美ちゃんの前に
連れて行く。
「お互いに自己紹介はした?」
「今さっき軽くだけどしたよ。っていうか栞菜の名前は前から知ってたけどね。」
「ふふっ、栞菜ちゃんのことは来る前から色々と噂になってたからね。」
「そう・・・・みたいだね。」
その噂というやつの詳細について追及したいところだったけれど聞いて凹むようなことを
言われるのも嫌だったのでその場は流した。
それから早貴ちゃんが空気を読んで気を利かせてくれたのか違う話題を振ってくれる。
「それよりせっかくプールに来たんだから入らない?」
「だね。栞菜はちゃんと水着持ってきた?」
「えっ?あっ、いや、その・・・・持ってきてない。」
「ダメじゃん。水着なかったら入れないよ。」
「それなら裸で入ればいいよ!私達目を瞑って入るから見えないし。」
「いくら女の同士だからって裸は厳しいと思うよ?それに目を瞑ったら遊べないし。」
「あははっ、そっか。ナッキーは頭良いなぁ。」
年下の早貴ちゃんに窘められて頭を掻きながら豪快に笑っている舞美ちゃんはまるで
頼りないお父さんみたいで私は少し苛ついた。
それから水着を忘れたのを口実にその日はプールに入らずに水の中で戯れるみんなの姿を
眺めていた。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:12
- あの事故に遭って以来水の中に入ったことは一度もなかった。
今は平気だけど初めの頃はお風呂にも入れなかったくらいで、学校のプールはいつも
適当な理由を言って見学していた。
プールは青くて広くて海に少し似ているから嫌いだった。
だから誘われたとき断ろうと思ったのに結局その機会を逃がしてしまい行く事になった。
でももう行くこともないと思っていたのに私はプールに来ている。
初めて会った日に「雨が降らない限りはいるからまた来なよ、栞菜ともっと色々話したいし」
と舞美ちゃんに微笑みながら言われたから。
そう言われて無視するわけも行かず一回だけ顔見せに行けばいいかなと思ったのが始まりで、
今となっては息抜き代わりにたまに顔を出していた。
学校の正門前に自転車を止めるとかごからリュックを取り出してプールに向かう。
中に入ると当たり前のように水を掻き分ける音が聞こえてきて、私はよく飽きもせずに
ずっと泳いでいられるなと思って苦笑した。
プールサイドに着くと舞美ちゃんは泳ぐのを止めて水面から勢い良く顔を出す。
「おはよう、栞菜!」
と疲れを知らないのか今まで泳いでいたとは思えないほど弾んだ声で元気に挨拶される。
「おはよう、舞美ちゃん。」
「今日のご飯は?」
「早速それですか?もうちょっと他に何かあると思うんですけど。」
「だってお腹ペコペコなんだもん。」
「今日はおばぁちゃんが作ってくれたお稲荷さんととうもろこしを茹でてきました。」
「ヤバイよ・・・・それ聞いてるだけで余計お腹が空いてきた。」
「ならお昼にしましょうよ。私もさっきまで畑仕事してきたからお腹ペコペコなんで。」
「大賛成!同じくお腹ペコペコだったんだ。」
その言葉に頷くと私は日陰になっているベンチに行ってリュックを下ろす、そして中から
お弁当と水筒を取り出して適当に配置した。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:12
- プールに行くと舞美ちゃんはいつも泳いでいて私の姿を見ると休憩に入る、それがちょうど
お昼時だとたまにお弁当を持っていって二人で食べる。
お昼時じゃないときはベンチに座って一時間くらい普通のおしゃべりをする。
「高校って遠いんですか?」
「んー、バスだと大体三、四十分くらいかかるのかなぁ。」
「それじゃ歩いては絶対行けないですね。」
「でも私はいつも自転車だよ。いいトレーニングになるしサイクリングみたいで楽しいから。」
「私は遠慮しときます、普通に無理なんで。」
二人の会話はまるで漫才のようで話していると少し疲れるけど楽しかった。
こんな風に誰かとのんびり過ごすのは初めてと言っていいかもしれない。
夏休みという特殊な時期なのを差し引いても都会と比べてこの町の時間はとてもゆったりと
流れている。
日が起きたら動き出して日が落ちたら帰るという生活に初めは戸惑ったけれど、時が経って
慣れていくと心地良いとさえ思えてきた。
舞美ちゃんは大体話がきりのいいところで再びプールに入りだす。
たまに水と戯れて遊んでいるけれど殆どの場合ひたすらプールの端と端を往復している。
私はいつもプールサイドで泳いでいる姿を見ているだけで、その様子に何か思ったのか
一回だけ舞美ちゃんに入ろうと誘われたことがある。
「栞菜、プール入らないの?泳ぐと気持ちいいよ、暑さも忘れられるし。」
「いや・・・・いいです。プール嫌いだし泳げないんで。」
「そっか。」
舞美ちゃんは納得したように頷くとそれ以上何も言わずに水中に潜ると少ししてから
普通に泳ぎだした。
その断った日以来一度も私を誘うことはなくてそれが少し嬉しかった。
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:13
- この町に来てから早いもので一ヶ月が経ったある日、畑仕事の手伝いが一区切り終えたので
プールに行ってみるとかなりの人数がいた。
行くと大体舞美ちゃんしかいなくてたまに小学生の二人と早貴ちゃんに会うくらいだった、
だからいつもと違う様子に少しだけ驚いた。
確かに入り口に着いたときから何だか騒がしいなとは思っていたけどこんなにいるとは
思いもしなかった。
でもそこにいたのは全員私の知っている人だったので少し安心した。
舞美ちゃんは予想通りとしても愛理ちゃんと早貴ちゃんの二人と、千聖ちゃんと舞ちゃんの
小学生コンビに今まで会う機会がなかったえりかちゃんもいた。
みんな私の姿を見つけると笑顔で出迎えてくれて普通のことかもしれないけど何だかすごく
嬉しかった。
「おっ、かんちゃん!久しぶりだけど元気してた?」
「はい。ようやくこっちの生活にも慣れてきました。」
「それは良かった。といってもこの町に来てからもう一ヶ月は経ってるし当たり前か。」
「ははっ、それもそうですね。」
私はえりかちゃんと一緒にベンチに並んで座ると二人で談笑していた。
ちなみにえりかちゃんは帽子にサングラスまでかけていて焼けるから絶対入らないらしい。
「おっ、栞菜じゃん。楽しんでる?」
舞美ちゃんはプールから上がるとこっちにやってきて相変わらずな調子で話し掛けてくれる。
それからみんなぞくぞくと上がってきてあっという間に周りを囲まれてしまう。
「栞菜はプール入らないの?」
「うん。あんまり泳ぐの得意じゃないから。」
「なら入って練習しなよ、大人になって泳げないと恥ずかしいぞ。」
「そうそう。チャレンジチャレンジ!」
「ちょ、ちょっと!」
小学生二人は笑いながら私の手を掴むとプールの方へ強引に引っ張っていく、でもそれは
ふざけてやっていることなので大して抵抗しなかった。
実際一歩手前くらいのところまで来ると二人はあっさりと私の手を離して身を引いた。
でもすぐに自分の読みが甘かったことを思い知る、次の瞬間いきなり背中を強く押されて
体勢を崩し水の中に飛び込んだ。
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:14
- 私は水の中にいた。
こうやって水の中に入ったのはあの日以来だった。
見渡す限り一面青い世界が強烈に目に焼きついて思い出したくもないあの光景を蘇らせる。
すごい速さで沈んでいく車、息苦しさと死の恐怖、そして私の足を強く引っ張る父親の
あの般若のような顔。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
上にいこうと必死にもがくのに水面は遥か遠くにあってどんなに手を伸ばしても届かない。
まるで足に重りが巻かれたかのように体がどんどん沈んでいく。
きっと今も父さんが足を引っ張っているんだと思った、私を暗く寂しい海の底へと
引き摺り込もうとしている。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ!離して!離してよぉ!!・・・・お父さん!」
逃げ出したいのに足を掴んで離してくれないから私は激しく暴れながら大声で叫んだ。
「栞菜!」
不意に誰かが私の名前を呼んだ。
その声はお父さんが怒ったときに少し似ていたから自然と抵抗する動きが止まる。
「栞菜!」
もう一度名前を呼ばれて我に返ると目の前には舞美ちゃんがいた。
既に顔は水から出ていて背中にはちゃんと壁があり舞美ちゃんが体を支えてくれているので
水中に浮かんでいる。
「栞菜!私を見て!ちゃんと見て!・・・・私は誰?」
その目は射抜かれるじゃないかと思うほど真っ直ぐで思わず呆然と見つめ返してしまった。
「・・・舞美・・・ちゃん。」
「もうっ!心配させないでよ、栞菜。」
「・・・・ごめんなさい。」
「いいよ。大丈夫。はぁ・・・・栞菜が無事で本当に良かった。」
安堵したような溜め息を吐き出すと舞美ちゃんは優しく微笑む、それに釣られたように
私も微笑むとそこで意識が途絶えた。
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:16
- 目が覚めると一番初めに視界に入ったのは白い天井だった、でも今は窓から差す夕陽で
橙色に染まっている。
見知らぬ場所に少し不安になったけどすぐに知った顔が横から覗き込んできたので
その気持ちは薄れていった。
「栞菜?もう大丈夫?」
「舞美ちゃん・・・・ここは?」
「学校の医務室だよ。栞菜ってばすぐに水面から顔出さないからさ、慌てて飛び込んで
助けに行ったんだけど無事で良かったよ。」
「・・・・ごめんなさい。」
「まぁ別にいいよ。それでどう?起きられそう?」
私は小さく頷くと舞美ちゃんに背中を支えてもらいながらゆっくりと上半身を起こす。
窓の外が既に日が暮れ始めているところから逆算すると多分三、四時間くらいは気を失って
ここで寝ていたことになる。
私が大丈夫そうなのを確認すると舞美ちゃんはベッドの端に腰を下ろして話始めた。
「みんな残るって言ってたんだけどいつ目を覚ますか分からないから帰ってもらった。」
「・・・・心配かけちゃったみたいですね、みんなに。」
「特に舞ちゃんと千聖は二人なりに責任感じてるのかなかなか帰らなくて困ったよ。」
「ははっ、悪いことしちゃいましたね。」
「いいよ。あの悪ガキコンビにはちょうどいい薬だと思うし。」
舞美ちゃんは少し苦笑しながら壁に掛けてある時計を見るとゆっくりとベッドから降りて
離れようとする。
私は無意識のうちにその手を取って軽く引っ張っていた。
「栞菜?」
「・・・・聞いてほしい話があるんですけどいいですか?」
そのときは勝手に口が動いていて気がついたら予想外のことを言っていて自分でも驚いた。
私はあの日の出来事を舞美ちゃんに話そうとしていた。
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:16
-
あの日、事故があった当日はまさかあんなになるなんて夢にも思わず私は少し浮かれていた。
お父さんが久しぶりに家族でドライブに行こうと言ってくれたから。
子供の頃でさえ遊びに行った記憶は数えるくらいしかなかったので、その話を聞いたときは
初めは冗談でも言っているのかと思った。
でもお父さんがそういう人ではないことを知っているので私はすぐに事を理解して喜んだ。
だけど今にして思えばあのときお父さんもお母さんも全然嬉しそうな顔をしていなくて、
それは多分二人の中では既に決まっていたんだと思う。
その日に無理心中するということが。
お父さんは厳しい人だった。
勉強も成績が良くないと怒られたし礼儀も大人同様にできないと叱られた。
滅多に甘えさせてくれなくて怒られた記憶のほうが圧倒的に多い、だから私はお父さんに
少しでも褒められたい一心で頑張った。
でも褒められたことは一度もなくて大きくなるにつれて私は自分が愛されているのか
疑問に思うようになった。
もしかして捨て子や血の繋がりがない養子など色々考えては自己嫌悪に陥った、それでも
反抗する勇気なんかなくて認められるように頑張るしかなかった。
それにお父さんは仕事一筋だった。
詳しくは知らなかったけど会社ではそれなりの地位にいるらしくて、家にはあまり帰らず
一ヶ月丸々会えないというのも珍しくなかった。
だからたまに帰ってくると嬉しかったけど私の顔を見るといつも怒るだけだった。
怒られない日は「大人になったら困らないように勉強しなさい」というようなことしか
言われた記憶がない。
そんな人だったから遊びに行こうと言われたときはすぐに信じられなかった。
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:17
- ドライブ当日。
私は浮かれていたけれどそれとは正反対に車内は静かで父さんも母さんもあまり話さなかった。
でも元々二人ともお喋りではないので大して気には止めなかった。
当然私も喋らず無言のまま車内にはお父さんがかけたクラシックの音楽だけが流れていた。
その音色が心地良くていつの間にか私は眠ってしまった。
そして頬を撫でる風と仄かな潮の香りで私は目を覚ました。
窓の外には海が広がっていて思わず窓に顔を押し付けると流れていく景色をしばらく見つめた。
その様子を見てなのかは分からないけれどお父さんが珍しく普通に話し掛けてきてくれた。
「・・・・・栞菜、海は好きか。」
「はい。好きです!」
「そうか。」
私は久しぶりにちゃんとした会話が出来て嬉しかったけど、バッグミラーに写ったお父さんは
なぜか悲しそうな顔をして笑っていた。
そのとき顔は今でもはっきりと覚えていて思い出すと胸が少しだけ痛む。
それから十分くらい経って海が見渡せる埠頭に辿り着いた。
私は砂浜でも行くのかなと思ったから少し不思議に思ったけれど海が見えるならどこでも
良かったので特に何も言わなかった。
そしてどこかに止めるのを待っていると車は一行に止まる気配がなくて、それどころか
どんどんスピードメーターが上がっていく。
私は何だか嫌な感じがして心臓の脈が異様に早まっていくのを感じた。
その間にもどんどん海が近づいてきて立ち入り禁止の柵があるのにも関わらず止まらずに
車でそれを壊してしまう。
「お父さん!?ねぇ、止まってよ!止まってよ、父さん!!」
私はたまらず後部座席から身を乗り出すと父親に向かって初めて強い口調で叫んだ。
その声はもはや悲鳴に近いくらい甲高くて途中少し掠れていた。
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:17
-
車は結局止まらずにそのまま海の中に飛び込んだ。
今からもう五年も前の話でそれが水に入れない理由だった。
海の中に入ってから後のことはあまり覚えていない、気が付くといきなり病院で私一人だけが
助かったと聞かされた。
助かったのに全然嬉しくなくてその気持ちは今でもあまり変わらない。
全部話し終えると舞美ちゃんはしばらく黙ったまま何も言わず少し難しい顔をして俯いていた。
そのいつ終わるとも知れない沈黙が気まずくて私は後日談を勝手に話し出した。
「これはあとで聞いた話なんですけどお父さんの会社は倒産したらしくて、それでどういう
事情かはよく分からないけど責任全部押し付けられたらしいです。だから借金とか億単位で、
それで将来を悲観して心中したんじゃないかって警察の人が言ってました。」
でもそれは聞いた話で本当の理由は分からない、大人は優しさだと言ってぼやかして話すから
私は何も知らないままだった。
「家もお金も全部持っていかれちゃったから私は行くところがなくて、だから色んな
親戚の家をたらい回しっていうか、代わる代わる面倒見てもらっていて・・それで・・・
それから・・ここに来て・・・みんなに会って・・・舞美・・ちゃんに・・・あっ・て・・」
私はもっと色々言いたかったのに段々と呂律がまともに回らなくなっていき所々で言葉が切れて繋がっていなかった。
「もういいよ。何も言わなくていいよ、栞菜。」
舞美ちゃんは私の手を引っ張ると自分の方へ抱き寄せてから耳元で優しく囁いた。
顔を埋めた胸が少し温かくてそれが親に抱き締められたときの感覚に似ていたせいか、
私は何だか安心してしまって子どものように声を上げて泣いた。
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:19
- それから舞美ちゃんに家の近くまで送ってもらった。
おばぁちゃんはいつもより帰りが遅かったせいか少し心配していたけど本当のことは
言えなくて熱射病で休んでいたと嘘をついた。
でもきっとその嘘はばれていたと思う、目は泣き腫らして赤かったし水の中で暴れたせいか
見た目でも分かるくらい疲れていた。
けれどおばぁちゃんは「あんまり無理するんじゃないよ」と言って頭を優しく撫でてくれた。
それからその日は軽く晩ご飯を食べてからすぐに布団に入った。
そして次の日から私はプールに行かなくなった。
舞美ちゃんと顔を合わせるのが何だか気まずかった。
私が傷つくようなことを言わないのは分かっている、それでも何だか怖くて行くことが
できなかった。
でもそれから一週間が経ったある日、おばぁちゃんに呼ばれたので居間に行くと
テーブルに大量のちまきが置いてあった。
「栞菜、いっぱい作りすぎたでこれ学校に持ってけぇ。」
「えっ?学校に?」
「んだ。学校に行けば誰かしらいるだろうしこれ食べてもらって。」
「・・・・う、うん。分かった。」
私は正直気が進まなかったけれどおばぁちゃんの頼みなので断るわけにもいかず、
久しぶりに学校へと向かった。
自転車を漕ぐと生温かい風が頬を撫でていって気持ちが良かった、最初は慣れなかった
土や草の匂いも今はすごく気持ちが落ち着く。
でも五分くらいすると学校の正門が見えてきて落ち着いた気持ちがまたざわつき始める。
とりあえず自転車を邪魔にならない場所に適当に止めると、私は溜め息を吐き出してから
意を決してプールに向かった。
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:19
- 入り口に着くと微かに水を掻いて泳ぐ音が聞こえてきた。
少し嫌だなと思ったけどどこか安心している自分もいて何だかとても変な気分だった。
でもプールサイドに近づくにつれて段々と緊張してきて一旦立ち止まると何度か深呼吸して
冷静になろうと心掛ける。
でも両手に大量のちまきが入った風呂敷を持って深呼吸を繰り返している姿は傍から見たら
随分と滑稽だろうなと不意に思った。
でもそう思うと少し肩の力が抜けてきて気軽に舞美ちゃんと話せそうな気がしてきた。
それから最後に小さく息を吐き出すと私は再び歩き出した。
舞美ちゃんは黙々と泳いでいて珍しく私の姿に気がつかなかった、でも声を掛けようか
迷っていると突然プールの真ん中で立ち止まって水面に顔を出す。
「・・・・・栞菜。」
「久しぶり・・・・でもないですね。えっと、あの、なんかおばぁちゃんがちまきを
たくさん作り過ぎちゃったんで持ってきました。」
「そっか。嬉しいなぁ、ちょうどお腹空いてきたところだし。」
舞美ちゃんの声はいつもより落ち着いた感じで明るく弾んだようなあの声ではなかった。
それから軽く泳いで私の目の前まで来たれどいつものようにプールサイドには上がらず
水の中にいたままだった。
そして何を思ったのか柔らかい笑みを浮かべるといきなり両手を差し出してきて、
「栞菜・・・・おいで。」
ととても優しい声でそう一言だけ言った。
私はその行動があまりに予想外だったので目を大きく見開くと何も言わずにしばらく
舞美ちゃんを見つめていた。
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:22
-
舞美ちゃんは全てを知っている。
それなのに私を水の中に入るように誘ってくる、悪ふざけじゃないのは当然分かったけれど
その真意は全く分からなかった。
でも不思議と嫌だとは思わなくて気がつくと荷物を下に置いてその手を取っていた。
私はプールサイドに腰を下ろすと恐る恐る水に足をつける、すると冷たくて不安定な感覚が
怖くなって舞美ちゃんの手を強く握った。
「大丈夫、私がちゃんと支えるから。」
と舞美ちゃんは手を握り返すと空いたもう一方の手を腰に回ししっかりと抱えてから
力強く頷いた。
すると少しだけ胸の不安が消えて軽く息を吐き出してから私はゆっくりと水の中に入った。
言葉通り舞美ちゃんは私を支えてくれたので溺れることはなかった。
「いきなり無茶言ってごめんね?」
「いや、その、大丈夫ですから。だって何か考えあるから私を水の中に誘ったんでしょ?」
「それが・・・・実は大して考えてない、とか言ったりして。」
「へっ?」
「いや、もちろん色々考えたよ?でも答えなんて出なくてさ、だからせめて水への恐怖心を
なくしてあげようかなと思って。そうすれば少しは楽になるじゃん?」
「えっ、まぁ・・・でも私の為に色々考えてくれて嬉しいです。」
過剰に期待していた分私は少し落胆した、でもすぐに舞美ちゃんらしいなと思って素直に
心配してくれたことを嬉しく思った。
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:23
- 「さてと・・・・何かグタグタだけどとりあえず潜ろっか?」
「えっ?は、はい。」
「怖いなら目を瞑っててもいいよ、まずは水に慣れることが大切だから。」
急な展開に少し焦ったけれど舞美ちゃんはそんな心情を私の顔色を見て読み取ったのか
無理強いはさせなかった。
私は静かに目を閉じると深呼吸を繰り返して少し乱れている脈を整える。
そして心身共に落ち着いてきた頃に舞美ちゃんは先程よりきつく抱き寄せると
「ごめん。ちょっと肩を押すよ。」
そう言って水の中に押し込むようにゆっくりと肩に負荷をかける、私は少しずつ自分が
沈んでいくのが怖くなって舞美ちゃんにしがみついた。
それから突然音が遮断されて目は閉じたままだったけど地上とは明らかに違う温度と圧力で、
自分が今水の中にいるのが分かる。
舞美ちゃんは相変わらず私の体を強く抱き締めたままだった。
でもそのおかげで恐怖心はあまり感じなくて錯乱したり暴れることもなかった。
だから今度はゆっくりと目を開けてみた、最初は水が入り込んできて少し驚いたけど
慣れるとちゃんと周りを見回せた。
憎くて怖くて悲しい青い世界の中で穏やかな微笑みを浮かべている舞美ちゃんがいる。
その笑みを見たとき不意に私の頭の中を父の顔が過った。
- 28 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:24
- 私の中で再びあの日の記憶が蘇る。
海に飛び込みその重さでどんどん沈んでいく車から逃げ出そうと私は焦っていた。
けれどドアも水の圧力で開かず窓は私が叩いた程度ではヒビ一つ入らなかった、もう自分には
死しかないのかと思うと今にも狂いそうだった。
そんなときお父さんが突然私の足を引っ張ってきて自分のいる運転席の方へ引き寄せると
強く抱き締められた。
お母さんも一生懸命腕を伸ばして頭を撫でてくれた。
でもそれは本当に僅かな間のことでお父さんはすぐに私の体を持ち上げると少し乱暴だったけど開いている窓から水中に押し出した。
するとゆっくりではあるけど体が水面に向かって少しずつ上がっていく。
最後に見たお父さんの顔はとても穏やかで優しい微笑みだった。
記憶の再生が終わり私は現実に引き戻される。
目の前を見るとあのときのお父さんと同じような顔をしている舞美ちゃんがいて、その瞬間
色んな感情が溢れて私は水の中で泣いた。
でも突然泣き出した私を見て舞美ちゃんは慌てて水面に向かって浮上してくれる。
「栞菜!?何かあったの?」
「・・・・ちょっと色々と。でも悪いことじゃないですから心配しなくて大丈夫です。」
「そっか。」
舞美ちゃんは言葉を濁すとそれ以上何も聞かなかった、ただ私の頭を手で軽く叩くと
満足そうに頷いた。
「何か・・・・舞美ちゃんってお父さんみたい。」
「何それ。」
「いや、言葉そのまんまの意味ですけど。」
「それって褒め言葉じゃないじゃん。あんまり嬉しくないんだけど。」
「うんん、褒め言葉だよ。」
「えっ?」
「私・・・・お父さんのこと大好きだから!」
淀みなくはっきりと言う舞美ちゃんはちょっと面食らったような顔をしていた、
でもすぐに頭を掻きながら照れくさそうに笑った。
- 29 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:25
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- 30 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/15(日) 23:25
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- 31 名前:Max 投稿日:Over Max Thread
- このスレッドは最大記事数を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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