03 水星と太陽

1 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:22

03 水星と太陽
2 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:24
1.

「だから、たとえばおまえが太陽だとすんじゃん」
「なんでうちが太陽?」
「無駄に明るいじゃん」
「ムカーッ! 無駄ってなんだよ!」
千奈美は両腕を外にだらりと垂らしながら窓枠にもたれかかり、頬を膨らませる。
俺の真正面。真向かい。
家と家のあいだ、窓と窓のあいだ、隙間、1メートルもない空間を隔てて。
何も道具を使わずに両手と両足だけでお互いの部屋を行き来できるだけの距離。
お隣さん。同い年。同じ学校。ずっと。
「それにおまえヒマワリなんだろ? サニーガールなんだろ?」
「ちょーっ! それ言わないでくれる!」
「ヒマワリっていったら太陽じゃん。だからおまえは太陽で、おまえだってまんざらじゃないだろ」
「そりゃーいいけどさー。無駄ってのがムカつくんですけど」
「いちいち文句言うなよ。いちいち。なんでもかんでも。俺の言うことにさ」
「あんたがいちいち文句言わせるんでしょうが」
「そこはおまえ、我慢しろよ。いいかげんにさ。いつまでもギャーギャーギャーギャーギャーギャーギャーギャーと」
「ギャーギャーが多いんですけど」
「むしろ足りないくらいですけど」
「マネしないでもらえます?」
「してませんけど」
話は脱線する。いつものように。まっすぐには進まない。
3 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:24
「おまえが太陽だとしたら」
「したら?」
「俺は水星とかだなって、まあ、そういうことを思わないでもないって話だよ」
「彗星?」
「ああ、水星」
「なんで? すぐ落ちて死ぬとか?」
「おまえ、それ、たぶん彗星だろ」
「だから彗星なんでしょうが」
「ほうき星の彗星じゃなくて、マーキュリー、惑星」
「まーきゅりー?」
「絶対わかってないよな、その言い方」

「なんで水星なの? 月とかじゃなくて」
「月はなんか女っぽいじゃん」
「水星もなんか女っぽいじゃん」
「そうでもねえよ。水星はギリシャ語でヘルメス。男の神様で足が速いやつ」
「へー。あんた足だけは速いもんね」
「だけとか言うなよ」
「いちいち文句言わないでもらえますぅ?」
ムカッ。
4 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:24
「ローマだとメリクリウス。英語でマーキュリー。ついでに、日本語で水星」
「めりくりうすってメリークリスマスっぽいね」
「ぜんっぜん関係ねー」
「えー? なんでー?」
「アホ……」
「アホじゃないです。アホじゃないですぅ」
なんで2回言うんだよ。それがすでにアホっぽいだろ。

「水星はな、太陽系の惑星の中で一番小さい星なんだ」
「へー」
「だから、まあ、そういうことだよ」
「そういうことって、どういうこと?」
「言わせんなよ。察しろよ、そこは」
「え? ああ、そういえば、うちら何の話してたんだっけ?」
「おまえは鳥か……」
「鳥じゃないですー。人間ですー」
「はいはい、知ってますー」
「じゃあ言わないでもらえますぅ?」
「はいはい、ごめんなさいごめんなさい」
5 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:25
千奈美は「友達はいっぱいいたほうが楽しくていいじゃん!」
俺は「友達なんて親しいのが数人いれば充分」
「だいたい何人も友達だとかいうのがいて、そいつらとどんなふうに付き合うんだよ」
「べつにおまえがそれでいいならいいけどさ」
「俺にはそんなキャパシティなんてねえよ」
――という話だ。
高校一年生になりたての。小中学校に引き続き同じ高校の、違うクラスになった俺たちの。

千奈美の周りには人が集まる。太陽系における太陽のように。こいつは中心になる。
明るくて、輝いていて。ついでに、太陽の光で焼けて肌の色も黒い。
だから、千奈美は太陽で、俺は水星。
そういう、比較的どうでもいい、くだらない話だ。
俺は結構ちっぽけなやつだということを、思っている。
そういうことを、比喩にして話してみる。
だけど千奈美には通じず、思っていたとおりにやっぱり通じず、結局は直接的に言うはめになる。
こいつには回りくどく言っても無駄だとわかっているけれど、俺は回りくどく言う。
そんなやりとりが今までに何度も何度も何度もあって、そして、たとえば、今日。

千奈美はバカだから、水星がどこにあるのか知らない。たぶん、間違いなく知らない。
水星は太陽の一番近くにある惑星だということを、知らない。
水金地火木土天海を知っていても、水星が太陽の一番近くにある惑星であることは知らない。
俺は言わない。教えない。
太陽の一番近くにある惑星が水星で、おまえが太陽で、俺が水星であることを。
絶対に、俺は言わない。
6 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:26
2.

中学のときだ。
よくあるような告白大会が始まる。
おまえ誰が好きなの?
友達の一人が言う。
俺、徳永……
控えめに。というより、恥ずかしそうに。
え? 徳永? マジで?
あれのどこがいいの?
うざいじゃん。かわいくねえじゃん。
俺は思う。ほっとけ。
あれ? そういえばおまえ徳永と小学校一緒じゃなかったっけ?
俺に話が振られる。
っていうか家が隣なんだっけ?
幼馴染なんだっけ?
俺は答える。「ああ、そうだけど」
徳永ってどういうやつ?
「いや、見たまんまだけど」「あれはやめといたほうがいいと思うけど」
へー。
千奈美のことが好きだと言った友達は、卒業間近に千奈美に告白して潔く玉砕した。
その日、千奈美の部屋のカーテンはずっと閉じられたままだった。
もしも顔を出したら「今日なんかあった?」とか聞くつもり――は、もちろんなかった。
「いやー、じつはさー」とか、みんなの前でそうしているように、明るく元気に、
「誰々に告白されて、フッちゃってさー、あははは」とか、言うやつじゃないことは、わかっていたから。
他人の好意に応えられない心の痛みは、俺も一度だけ知っていたから。
7 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:26
これはつい最近、高校生になってからの話だ。
いつもの距離。家と家を隔てたいつもの距離。窓と窓。
「ねえ、甲子園連れてってよ」
「はあ? いきなり何言ってんの? バカじゃねえ?」
「バカって言うな、バカって!」
「俺、野球やってねえし。そもそも部活とか入ってねえし」
「つまんなーい」
「そんなこと言われても知るかよ」
「だってさー、男の子の幼馴染は女の子の幼馴染を甲子園に連れてくって決まってんじゃーん」
「決まってねえし。だいたいおまえ野球とか興味ねえだろ」
「ないけどさー」
「何? ひょっとして、おまえ、好きなやつとかできたわけ?」
「ちょーっ! いきなり何!」
「えー、なんか、野球部の誰か好きになったとか。おまえのクラスに野球部のやついたっけ?」
「違うし! そんなんじゃないし! バカーッ! バーカッ!」
千奈美はピシャッと窓を閉める。
シャーッ、とカーテンを閉める。
「バカって言うな、バカって」俺はつぶやく。
そして、千奈美はカーテンをちょっとだけ開けて、その隙間からちらっと俺を見る。
口元は、ばーか、ばーか、と言っている。
それが可愛くて、俺は勘違いをする。
俺は勘違いをして、ますます千奈美のことが好きになる。
8 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:27
3.

日蝕。
太陽の光が消える。
千奈美の笑顔が消える。
太陽が消え、空は曇り、雨になる。
実際に、雨が降っていた。

千奈美と俺は同じ小学校で同じ中学校で同じ高校で家も隣同士だったけれど、
一緒に下校して一緒に帰ったりはしない。
逆に、できるだけそれは避けてきた。色気づいてからは。誤解が面倒だからと。
偶然に途中で合流する場合はある。家が隣同士なんだし。
でも、示し合わせたりはしない。

その日も偶然。
同じ電車に乗った。違う車輌に乗った。
お互いにそれは知っていたけど、声はかけなかった。
千奈美が先に改札を出る。距離を置いて俺が後に続く。
いつもならすぐに俺が追いつくパターンだ。

でも、その日、俺は千奈美に追いつけなかった。
千奈美は早足で、俺に追いつかれまいとするように早足で、歩いていた。
いくつもの傘を避けながら。びしゃびしゃと水をはね散らかしながら。
なんだよ、と俺は思い、思いながら、いつものペースで、遠ざかる千奈美の傘と後ろ姿を見ていた。
9 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:27
住宅地に入り、人がまばらになり、自宅が近づく。
角を曲がったところで、千奈美の傘と後ろ姿が、目の前にあった。
「うおっ」と思わず声に出す。
千奈美は少しビクッとして、それだけで、あとの反応はない。

さて、
声をかけていいものかどうか、俺は逡巡する。
周りには他に誰もいない。
だから、一応、後ろから、声をかけてみた。
「よう」
千奈美は反応しない。動かない。
なんだよ、と俺は思う。なんなんだよ。
「どうした?」
返答はない。
動いているのは雨粒だけで、聴こえるのは雨音だけだ。
なんだよ、こいつ。
俺は不機嫌になり、面倒になって、さっさと行ってしまおうとした。
ほっとけ、こんなやつ。
動かない千奈美の横を通り過ぎる。
地蔵だな。傘地蔵だ。とか思いつきながら、通り過ぎる。
10 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:28
千奈美の声が聴こえた気がした。
俺は立ち止まり、振り返る。

「好きな人がいるんだって……」

うつむいていた。
泣いていた。
涙を流していた。
声は震えていた。

俺の心臓はドキッと跳ね上がる。そして止まりそうになる。息ができなくなる。
ざーざーざーざー雨の音がうるさい。
なんだよ。

「あたしのことぜんぜん知らないから、って……」

ざーざーざーざー。うるせえよ。なんだよ。くそっ。
息が苦しかった。傘を強く握りすぎた指に痛みを感じた。

千奈美はひっくひっくとしゃくりあげ、やがて、うわーんと声をあげて泣き出す。
俺に近づき、傘と傘がぶつかってボンッと音をたて、千奈美の傘は千奈美の手から落ち、転がる。
そして、千奈美は、俺の胸で、声をあげて泣く。
心の痛みを涙にして、流しながら。泣く。
11 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:28
「泣くなよ」
今度は俺が動けなくなる。

なんだよ。
人の気も知らないで。
こんなふうに、俺の胸で泣くんじゃねえよ。
今、ここで。二人しかいない、ここで。胸が痛いのは、心が痛いのは、おまえだけじゃねえんだよ。
だのに。
だから。
俺の胸で泣くんじゃねえよ。

「泣くなって」
雨の音。
泣き声。
心臓の音。
俺はもう声も出せない。
12 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:29
千奈美。
おまえは笑ってろよ。
いつも笑ってろよ。
太陽みたいにいつでも笑ってろよ。
だから泣くんじゃねえよ。
泣くなよ、千奈美。
俺はおまえの笑ってる顔が好きなんだ。
だから。
もう泣くな。
泣かないでくれ。
千奈美。
泣かないでくれ。
13 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:29
4.

「ねえ、知ってる?」
「ああ、知ってる」
「まだなんも言ってないじゃん!」
「おまえが知ってることなんて、俺はたいてい知ってるわ」
「何それー」
いつもの距離。家と家を隔てたいつもの距離。窓と窓。俺と千奈美。

「太陽とか木星って気体でできてるんだって。なんかすごくない?」
「水素とかヘリウムとかな。あと、ついでに土星も」
「ちょーっ、なんで知ってんの」
「だから、最初に知ってるって言ったろ」

「じゃーさ、水星って何でできてんの?」
「鉄とか」
「へー。じゃあ冷たいの? 水星ってくらいだし」
「めちゃめちゃ熱いよ」
「なんで?」
太陽のすぐそばにあるからだよ。
「なんでとか言われても俺は宇宙の専門家じゃねえし。本に書いてあった」
「なーんだ、ただの受け売りじゃーん」
「おまえよりはマシ。あと、おまえ、受け売りって言葉知ってんだ」
「バカにすんな!」
「バカじゃん」
「ムキーッ!」
千奈美は窓の外に出した両手で、ぺちぺちと壁を叩く。
14 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:30
「あーあ、水星も冷たいし、あんたも冷たいし」
「だから、熱いって言ってんじゃん」
「あ、そうだっけ?」
「おまえ、何秒前の話だよ」
「うはははは」
「なんだその笑い方」

水星は太陽に一番近い。
だけど、太陽と交わり合うことは無い。
終わりのときまで。ずっと。
同じような距離で。
ただ、近くにいる。

いつ終わるだろうか。
いつか変わるだろうか。
秩序も法則も壊れて、水星と太陽が消滅することなく並び立つ日が。
新しい宇宙が生まれるときを。
俺は信じない。
壊れた宇宙に一人で存在する強さは、今の俺には、まだ、無い。
15 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:32
「じゃーねー、もう寝る。おやすみ」
「おやすみ」
互いに手を振る。
窓を閉じる。
カーテンを閉じる。

俺は少しだけカーテンを開けて、隙間から向かいの窓を見る。
少しだけカーテンを開けた隙間から、千奈美がこちらを見ていた。
にひひひー、みたいな感じで、千奈美が笑う。
お・や・す・み、と唇が動く。
返事を待たずに、千奈美はカーテンを引く。
俺に向けられた笑顔で、俺は勘違いをする。
勘違いをして、つい一秒前よりもずっと、ずっと、千奈美のことが好きになる。
16 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:32
 
17 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:32
 
18 名前:03 水星と太陽 投稿日:2008/06/08(日) 08:32
 

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