06 ずっとあたしの箱でいて
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:05
- 06 ずっとあたしの箱でいて
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:06
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よっちゃんが背負い直したギターケースは、うちらが浴びた光の分だけ色褪せていた。
「でさー、その時あいつが言ったわけよ」
「なんて」
「…………なんだったっけなあー忘れたけどめっちゃうけた」
「オチを忘れた面白い話なんて麺のないラーメン以下だと思うよ」
「あー、例えがイマイチ」
「うっせ、てめえは代わりになる爆笑必死のオチでも考えとけや」
「はいはいすいませんねいってぇー!!!」
よっちゃんのケツを後ろからかったいブーツで蹴り上げた。
よっちゃんは内側の方の痔を患った会社員のごとくケツを押さえて倒れこんだ。
ごっちんが、うちらのやり取りを見てうははーと笑った。
梨華ちゃんはふざけてると合わせてる時間ないよってカリカリしていた。
別に直前に合わせても合わせなくても変わらないと思ってるのは美貴だけなんだろうか。
だって毎日練習してるんだもん、いつだってベスト。
今ここで弾けって言われたって最高の低音響かせてやんよ。
まあ多分、これは生まれ持った性格の問題だ。
美貴がだらだらして、梨華ちゃんが必要以上に張り切って、それでちょうどいいんだ。
よっちゃんが必要以上にカッコつけてカウントすればいいんだ。
ごっちんがあーあーあーあーあーって発声してればそれでいいんだ。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:06
-
うちらは、今日解散するインディーズのバンド。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:06
- とはいっても音楽性の違いでの決裂とかそういう難しい問題でもない。
単に、色々重なったのだ。
ベースの梨華ちゃんは、違うバンドに入ることになった。
既にデビューしていて、ある程度のファンもついているガールズバンドだ。
突然ベースの子が出来ちゃった結婚をして芸能界を引退したので、急遽スカウトされたのだった。
そのバンドはアイドル色が強くて、一度ステージを見たけれどピンクとか好きな梨華ちゃんにはぴったりだった。
ギターの美貴は、ずっとバイトで雇ってくれていたところが正社員にしてくれるというのでその話を受けた。
音楽は今より少し趣味側に寄る感じになるが、十分だった。
ギターで一人で弾いて歌ったりとかしてるだけで楽しいし。
正直音楽で食っていこうなんて思ったことはなかったし。
ボーカルとギターのごっちんは、レコード会社から声がかかっている。
話し合いを重ね、やりたい歌を歌えそうだと言っていたので多分すぐソロデビューだろう。
ごっちんはギターも歌も上手いし、華もある。そして歌が大好きだ。
もしかしたらあゆこさんとかくみこさんとかになれるかもね。
ドラムのよっちゃんは、どうすんのって聞いたら
わかんねえと言ってヘラヘラ笑いながら、ごっちんのギターケースを背負っていた。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:06
- よっちゃんは、このバンドを誰よりも愛していた。
演奏中もずっとずっとこのバンドが大好きだと、顔に書いてあった。
だからよっちゃんが解散を一番先に言い出したときはきっと梨華ちゃんもごっちんも驚いていたと思う。
誰よりも誰かの様子の違いに気がつくのはよっちゃんだったし、
他三人がわからないような微妙なチューニングもよっちゃんがしていたし、
よっちゃんがいないことにはおそらく成り立たない何かもあったように思う。
でも、解散という言葉を口にしたのはよっちゃんだった。
よっちゃんはいつも何を考えているのかわからない。
けれど、ごっちんのギターケースを運ぶ後姿を見る度に感じていたあの何とも言えないやわらかな空気。
美貴はそういうのにだけ、敏感だったりした。
けれどそれをどうこうしようなんて思わない。めんどくさいし、余計こじれてもやだし。
四人でステージに立つのはこれが最後になる。
この小さなライブハウスも、嫌いじゃなかったな。
音響がイマイチなところも、ヘタすれば窒息しそうな狭苦しい客席も、
それを見下ろして思い切り音を響かせて失敗するのも、悪くなかった。
ちょっと接触の悪い照明と客の熱気にテンションを上げて、最後までみんな笑っていた。
誰もが自分でいられる場所。
ほんの少しだけ寂しいけれど、誰も口には出さなかった。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:07
-
Oo。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:07
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「じゃあ、またね」
「うん」
「またね」
「…じゃあ」
四人はそれぞれ二人ずつに分かれて歩いていく。
美貴と梨華ちゃん、ごっちんとよっちゃん。
三歩ほど歩いたところで、急によっちゃんの動きが止まったのが見えた。
「…あ、ごっちん」
「なぁに?」
「はい、これ」
おもむろに色あせたギターケースをごっちんに手渡す。
「これからはあたし、持てないから。ちゃんと自分の手で持っていきな」
「…………うん」
ごっちんは驚きと、少しの悲しみを見せていた。
けれどすぐに締まった横顔になって、
がっしりとしたギターケースに負けないくらい強い背中で歩いた。
よっちゃんはそれを見ていた。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:07
-
ごっちんのギターケースをよっちゃんが持って歩いていたのはいつからだろう?
多分、二人に会った時にはもうよっちゃんは背負っていた。自分の気持ちを。
ずっとずっと。
それが、こんな形で終わっていいの?
よっちゃん。
お前、夢に生きる人の邪魔はしたくないとか、そんなこと思ってるの?
それでいいの?このまま、会えなくなってもいいの?
じゃあまたね、なんて口約束で…もう、会えないかもしれないんだよ?
美貴が口を開こうとするより先に、梨華ちゃんに催促された。
「美貴ちゃん、終電に間に合わないよぉ」
「………梨華ちゃんはほんっとに間が悪いな」
「…何よ、それ」
「そのまんまの意味だよ」
とりあえずキーキー言い始めた梨華ちゃんを無視して走り出す。
関わらないと決めたはず。
今更何が出来るって言うんだ。
もう、うちらは関係なくなるんだから。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:07
-
Oo。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:07
- 現実に引き戻されると、自分が如何にちっぽけな存在か思い知る。
正社員と言う名目で働いてみるとかなりきつくて、
毎晩触れていたギターも、家に戻ると疲れて眠りに落ちてしまい触れなくなった。
働いているだけの日々が続いた。
めちゃくちゃに動き回っている瞬間に、思い出す。
あの空気がいかに好きだったかを。
正直、音楽は好きだけどなくてはならないものと言うわけでもないと思ってた。
けれど今になってわかる。
美貴は音楽が大好きで、音楽を空気としていたことを。
あー。
歌いたい。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:08
-
「一名様でよろしいですか?」
「よろしいです」
そういう時はカラオケっしょ。
仮病で仕事を早退して、カラオケボックスへやってきた。
ギターを抱えて、おもくそ声を張り上げて歌う。
四人で作った曲の中で、一番大好きなこの曲。
『こんなちっぽけなものに閉じ込めるには あたしはちょっとでかすぎる
そう思っていたけれど
あたしは もっともっと大きな
この目に見えないほどの箱の中で生きていたんだ』
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:08
- 今、美貴はわかっているつもり。
現実を飛び出したところで美貴たちはまだ外の世界には出ていけていないこと。
自由になんて生きられない、この地球に人間としている限り。
なのに。
何故か。
自分が思っていたよりも、自分が夢に生きていたことを知った。
現実主義だと思っていた自分もまた、新しい生活によって違う面が見えてきた。
平面だと思っていたものは、立体だったりした。
美貴は音楽が大好きだった。
美貴はあのバンドが大好きだった。
あのメンバーが、大好きだった。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:08
-
ばっかじゃねえの。
今頃になって気がつくなんてさ。
美貴、ちょっと気づくの遅すぎる。
もうあいつらは違う道を走っているんだから。
…。
と。
そこで、ある人物の顔が浮かんだ。
あいつなら…美貴の気持ち、わかってくれるかもしれない。
そう思って、走り出した。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:08
-
Oo。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:08
-
「…マジで、いやがった」
「……うわぁーやっぱりオメーが一番のりか。いやニ番か?」
顔を見るなり、苦笑いが浮かんだ。
よっちゃんはあの日の顔のまま、ライブハウスの前で立っていた。
その背中にギターケースはないけど。
「……美貴、気がついたんだ」
「何を」
「なんか、別に夢なんてないと思ってた。現実を見てると思ってた。
でも美貴さ、たぶんすごいロマンチストでさ。
……しかも厄介なことに、一人とか、他のとこじゃダメなんだよ」
「………」
「四人で、やりたい。また、音楽」
よっちゃんは、美貴の顔を見て噴出した。
それはそれは嬉しそうに。
そして、汗だくの美貴を包み込むように抱きしめた。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:09
- 「実はさぁ、あたし結婚の話あったんだよね。ていうかぶっちゃけ、もう籍入れる寸前だった」
「マジでか」
「マジでだ」
けっこん。
どちらかというと一番無縁そうな女からその単語を聞いたときの衝撃ってこんな感じか。
「…いい人だし、そこそこ見た目もいいし、あたしに対してすごく愛情を持ってくれてるのわかったし。
セックスも上手かったし、あたしの微妙な料理も喜んで食べてくれたし。それなりに収入もあるし。
あーこの人と結婚すれば幸せになれるかなと思った。普通に思った」
そこでよっちゃんは一区切りして、音もなくレモンティーを飲んだ。ぬるい、と言った。
よっちゃんにそんなことがあったなんて、全然知らなかった。
無意味にライダーファッションで化粧もしたがらないこの男女も、そういうのあるんだ。
まあ美人だし、梨華ちゃんよりは家事もできるし。
でも。
…美貴が思い出すのは、ごっちんのギターケースを背負う背中。
あの時が一番幸せそうだったよっちゃん。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:09
- 「…ごっちんは知ってたの?」
「うん。幸せになってねーって笑ってた。…うん。
美貴は多分気づいてたと思うから言うけどさ、ちょっと期待してたんだ。
寂しいとか、やだとか、そういう言葉をさ。
でもあの笑顔は本当に嬉しそうでさ、あーやっぱり無理なんだってわかった。
正直、死にたくもなった。こんなに近くで見てきても、やっぱり叶わないんだなって」
よっちゃんの目がなんだか泣きそうに見えて、美貴が視線をそらしてしまった。
よっちゃんに涙なんて似合わないよ。
でも、その気持ちがわかるような気がして、胸がきゅっとした。
誤魔化すのに、カフェオレを使った。
「どうせドラムも大して上手くないし。どうせ歌もそんな上手くないし。
別に、どうでもいいやって思った。その時にちょうど梨華ちゃんから相談された。
違うバンドから、熱心に誘われてるって」
そこでつじつまが合った。
大好きなものを一番最初に手放す言葉を発したよっちゃんの心理。
「そしたらなんか知らないけどごっちんのデビューの話も来て。美貴も正社員になるとか言って。
ああ、これってそういうことなのかなって思って、あたしは解散しようかって言ったんだ」
「…そ、っか」
「ホントにごめん」
突然、よっちゃんは深く頭を下げた。
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:09
- 「あたしがあんなこと言わなかったら、四人は四人のままでいられたかもしれない。
わかってたよ、あたし、この四人は最強だって。みんな音楽が大好きで、みんなこのバンドが大好きで。
後ろから見てたから…誰よりも見えてた。
なのに個人的な都合でちょっとほつれたところを利用したんだ」
顔上げて、と言ってもよっちゃんはそのまま。
こもった声で、震えた声で、小さな声で、よっちゃんは言った。
「ごっちんの顔を、見るのが辛かった」
いつもは何も言わない方だったよっちゃん。
でも、まるで懺悔のようにあの日言わなかった全てを話してくれた。
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:09
- 「でも、いざ結婚の話が具体的に進むほど、ごっちんのことばっかり思い出すんだよ。
ごっちんのギターの重みとか、ごっちんの笑顔とか、声とか、そんなのばっかり。
あたしわかったんだ、音楽が好きで。…ごっちんが、梨華ちゃんが、美貴がいるあの場所が
めっちゃくちゃ大切だってこと」
美貴は何て言ったら良かったんだろう。
何て言えば、この罪の意識をほどいてあげられるのかわからなかった。
「…結婚は」
「うん。だめになった。あたしに必要なのはライブハウスの空気と、
バンドのメンバーと、ギターの重みだけなんだって言った」
「…うわぁ、思い切ったね」
「親とかにも、夢なんか追いかけても仕方ないとか言われた。
でもあたしはもう夢なしでは生きられない」
「おぉーかっこいいねぇー」
「思ってねぇだろ」
「思ってるよ」
思ってる。
でも、それなら美貴だって同じだ。
かっこいいでしょ?
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:10
- 「あと、おまえドラムなんじゃないのかって言われた」
「そりゃ言うわな」
笑っている時に、携帯が震えた。
美貴は笑いながらメールをチェックする。
「……」
…あ。はは。
ははは。
「おい」
美貴はよっちゃんの頭を叩いて、立ち上がりその手を引いた。
「三番手のお出ましだよ」
「マジか」
「マジだ」
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:10
-
「なによぉー、二人して笑って!」
ライブハウスの前に、キンキン声の梨華ちゃんが跳ねていた。
その顔は笑っている。
「どうせあれだろ、おまえKYとか言われちゃったんだろ」
「…!」
「図星か」
「…わたしね、わかったんだ。わたしなんかの話につっこんでくれるのは三人しかいないんだって。
それにね、あの子達本当に仲悪いのよ?びっくりしちゃった。
合わせてて、バラバラだなあって思っちゃった。このままじゃダメなんじゃないかって言ったら、
………おまえKYって…」
「あっはっはっは!マジで言われてやんの!」
ばっしばし手を叩いて笑ってやった。
そうだよな。梨華ちゃんなんかの話に突っ込んであげる優しい人たちなんてなかなかいない。
梨華ちゃんはうちらみたいな奴じゃないと合わないんだ。
もお、と梨華ちゃんは怒ったフリをして、でも見る見る破顔した。
「おかえり」
よっちゃんは梨華ちゃんのことを美貴にしたみたいにやさしく包み込んだ。
梨華ちゃんも、ほくほくとした笑みでそれにもたれかかった。
「ただいま」
…あれ。なんだこれ。
今まで考えたこともなかったけど妙に絵になる光景を見て笑ってしまった。
「何笑ってんだよぉー」
「何よぉー」
「もうくっついちゃえば」
「あー勘弁マジ勘弁それだけは勘弁」
「否定しすぎ!」
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:10
-
3人で並んで、ライブハウスから漏れる音を聞きながら他愛もない話を交わして、待つ。
梨華ちゃんはいかにあのガールズバンドがねちっこかったかをずっと喋っている。
美貴はそれに突っ込みながら、いかに音楽とこのメンバーが好きだったかを語る。
よっちゃんは嬉しそうに聞いている。
それを見て梨華ちゃんはふいに真剣な眼になる。
「よっすぃ」
「うん?」
「あのね、ごっつぁんがいつか言ってたことなんだけど」
「…何?」
「うん、よっすぃはさ、ごっつぁんの箱だって」
「箱?」
よっすぃが食いついた感じがしたのか、梨華ちゃんは得意になって話す。
「あのねぇー、箱屋っていうお仕事があるんだって。
芸者さんが使う三味線を入れた箱を運ぶ人がいたんだって。
よっすぃ、いつもごっつぁんのギター持ってたじゃない?
だから、それを知った時にそう思ったんだって」
「へぇー」
「それに」
「ん?」
「…受け止めてくれる器だって、言ってたよ」
梨華ちゃんはにっこり綺麗に笑って、よっちゃんの髪を撫でた。
これだけじゃ、わからないことだらけ。
だけどよっちゃんには何故かちょっと涙ぐむほどに嬉しいことだったらしい。
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:10
-
ああ、機は熟しすぎているほど。
そして彼女はそういうタイミングでやってくる星のもとに生まれた。
「重いー―――!!!」
わかっていたように、絶妙なタイミングで声が聞こえてきた。
よっちゃんはその声のする方へ、体を翻して走っていく。
見えるのは、笑顔。
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:11
-
よっちゃんは足を止めるとすかさず地面に下ろされたギターケースを背負って。
誰よりも強く、二人は抱きしめあった。
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:11
-
END
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:11
-
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/26(水) 21:11
- ( ´ Д `)<あいらぶみゅーじっく
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