32 雨女

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/08(日) 23:54 ID:cCQ14VC2
32 雨女
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:05 ID:NYrUl.0Q



今年の空梅雨の前には、あたしの雨女属性なんて大して影響はないらしい。
朝からのぼせてしまいそうな暑さ。団地の敷地を出てから、数10メートル離れた公園の木陰にさしかかるまで、ずっと直射日光の攻撃は続く。どちらかと言えば、いやかなり汗をかきやすい体質のあたしには日差しの強さは敵だった。
照り返しで白熱していたアスファルトが、黒に変わる。やっと公園についた。涼しげな木陰に入ると、気持ちまで涼しくなる。ハンカチで汗を拭いながら、いつものように公園の敷地を横切ろうとしたその時だった。

綺麗なハーモニカの音色が、足を止める。音のするほうへ、顔を向けた。
コンクリートで出来た遊戯用の山のてっぺんに、その子はいた。
近所の子だろうか。あたしより一つか、二つ、年下のように見える。夏らしい白地のかわいいワンピース、どこかのお嬢様なのかもしれない。
その子が、銀色の小さな楽器でどこかで聞いたようなメロディーを奏でていた。
えー、びー、しー、でぃー、いー、えふ…じー。
そうそう、アルファベットの歌だ。小学校の時によく歌わされた記憶がある。
学校に行く前に、音楽の課題の練習でもしてるのかも。
そんなことを思いながら、日差しの間を縫うようにして学校へ向かっていった。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:05 ID:NYrUl.0Q


教室に入ると、何やらクラスメイトたちがいそいそと作業している。机の上で忙しそうに色紙を切ってたり、折り紙を折っていたり。
「えり、何やってんの?」
隣の席の級友、梅田えりかに話しかけた。すると何故か不満な顔をされる。
「忘れたの? もうすぐ七夕だからみんなで願いの短冊の笹を作ろうってこないだのホームルームで決まったじゃん」
そう言えば。
「て言うか提案したの、舞美ちゃんじゃん」
ナッキーこと中島早貴の、厳しい突っ込み。そうだったそうだった、季節らしいことがやりたくて、先生に提案したんだった。
「自分から言っておいて忘れるとか凄いよね」
「でもまあそれが舞美らしいって言うか何と言うか」
二人は本人を前に顔を見合わせて笑っている。おのれ、好き勝手なことを。
でも忘れちゃったのは事実だし。認める代わりに、自分の席に座って短冊を作り始めた。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:06 ID:NYrUl.0Q
赤、青、黄色。
色とりどりの短冊が刻まれてゆく。
まだ何の願いも書かれていない、まっさらな短冊。みんなは、どんな願いを託すのだろう。
あたしは・・・どうしようかな。ステキな彼氏が欲しい、とか言って。でもまあ、短冊に書くようなことでもないか。パパのお給料が増えておこづかいが増えたらいいってのも、何かリアルすぎて嫌だし。うーん、迷うなあ。
「あーあ、この子もう願い事のこと考えてるよ」
「テスト勉強のほうは大丈夫なのかな」
そんなことを言われてることも気づかずに、あたしは自分の願い事に思いを巡らせる。ただ、こういう時はガーッと勢いで決めちゃったほうがいいって話もあるし。
「あのさあ、世界平和!! ってのは、どうかな?」
「何が世界平和なんだ?」
いつの間にか授業ははじまっていた。呆れたような先生の顔に、あたしはただただ恥じ入るしかなかった。何だかなあ。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:07 ID:NYrUl.0Q


夕方。
帰り道の公園から、朝聞いたのと同じメロディーが聞こえてくる。
また、あの子が吹いてるのかな。
強烈な西日を避けつつ山のある広場へ足を運ぶと、案の定あの子がハーモニカを吹いていた。その姿には、どこか見覚えがあって。
差し込む夕日のせいで、ハーモニカを一心に吹く彼女の顔はどことなく物悲しげに見える。いや、本当に悲しいのかもしれない。朝も、夕方も、一人であそこに座っていた。
オレンジ色。夏。一人ぼっち。あたしには、十分なキーワードだった。
「ねえ、何やってるの?」
気がついたら、声をかけていた。
明らかに不審な目で見られる。ま、そうだよね。でも、何となく放っておけない。
怯える仔犬が逃げないように、ゆっくり近づく。鉄のはしごを登れば、もう手の届く範囲。

「名前は?」
「すずき・・・あいり」
愛理ちゃんは、この近くの中学校に通っているらしかった。にしても朝も夕方も制服を着てなかったけど。でも今日話しかけたばかりなのにそこまで突っ込んで聞くわけにもいかなかった。いくら単純なあたしでも、それくらいの分別はある。その代わりに。
「今朝も吹いてたよね、ハーモニカ」
「あ、はい」
「上手だよね」
そう言うと眉を八の字にして、困ったような顔をして彼女は笑った。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:07 ID:NYrUl.0Q


今日の朝も短冊切り。
もうすぐテスト、ということもあってかみんなの作業も急ピッチだ。
ふと、オレンジ色の短冊が目に入った。
夕陽に照らされた、彼女の横顔を思い出す。
彼女は、愛理はどんな願いを託すのだろうか。
「ねえ、これ一枚貰っちゃっていい?」
お願いを口実に、昨日は聞けなかったことを聞いてみたかった。下心と言えば下心だけど、でもこれは探究心の下心。もしくは過去への自分への、ノスタルジー。
「困るんですよねー、クラスの子たち、学年全体の人数を数えて切ってるんですから」
えりかが普段はつけてない赤いフレームのメガネを、くいくいと動かしている。恐らく、伊達眼鏡。でもちょっと似合ってる。
「えーいいじゃん」
「じゃあ舞美のぶんはなしね」
「それでもいいから」
よくよく考えれば、それほど執心するようなことでもないけど。
「ははあ、さては・・・カレシ?」
「ないない」
とりあえず、笑い飛ばしておいた。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:08 ID:NYrUl.0Q


「はい、これ」
オレンジの短冊を前に、きょとんとする愛理。うむ、いきなり過ぎたか。
「ほら、もうすぐ七夕じゃないか」
「ああ、そう言えば」
そう言うと、彼女は思いなおしたようにハーモニカに口をつけた。
澄んだ音が、夕空に舞い上がる。曲がABCの歌なのはちょっと雰囲気損ねるけど、でもメロディーラインは焼き付けられたオレンジにはよくあってるような気がした。
「ねえ愛理。愛理のお願いって、何?」
「お願いって、七夕の?」
「うん」
しばらく考えて、それから出た言葉が、
「さっき演奏した曲が、そうかな」
「うーん、英語が上手くなりたいとか? 外国に行きたいとか?」
「外国には、行きたいかな。外国じゃなくても、どこか遠くへ」
この子はやっぱり孤独を抱えてるんだ、そう思った。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:08 ID:NYrUl.0Q



小さい頃、あたしはいわゆる「鍵っ子」だった。
お父さんもお母さんも仕事で遅くまで帰ってこないから、それまでずっと家でひとりぼっち。
何もすることがなかったから、ずっとベランダで沈んでゆく夕陽を眺めていた。
真っ青な空が、少しずつ黄色へ、オレンジへと色を変えてゆく。自分と同じくらいの年頃の子供たちがはしゃぐ声が遠くから聞こえてくる。どこかの家で、誰かがピアノを演奏するのが聞こえてくる。ラ・・・ド、ラ・・・ラ、ド・・・・・・ラ。音運びの拙さは、そのまま寂しさに繋がっていった。
あたしの中のオレンジ色は、あの当時に感じていた寂しさに直結していた。
そしてきっと、彼女も。


9 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:09 ID:NYrUl.0Q


さーさーのーはー、さーらさらー。
ナッキーが楽しそうに歌いながら、笹を飾り付けている。
テストも無事終了し、七夕のちょっとしたイベントの準備は再開された。
各クラスから集められた願いは、その日を待っているかのように静かにぶら下がっている。一つだけ、ぺらぺらのわら半紙の短冊が揺れている。あたしのだ。
そこへ、聞き覚えのあるメロディーラインが聞こえてきた。ただし、歌詞はエービーシーディーイーエフジーじゃなくて。
「えり、何その歌。自分で作ったの?」
歌の主に尋ねてみた。
「まっさかー。舞美、きらきら星の歌、知らない?」
「きらきら星?」
つまりはこういうことだ。もともとはきらきら星という歌だったのが、誰かがアルファベットの歌詞に摩り替えた。元歌があることに、何となく感動してしまった。
「でもさー、出るといいねきらきら星」
「だよね」
そんなことを言いながら、またも人の顔を見るナッキーとえり。
「どういうこと?」
「だってさー、7月7日の天気予報」
「雨。降水確率、100パーセント」
・・・・・・あたしのせいかよ。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:09 ID:NYrUl.0Q


いつものように夕暮れ時に公園を覗くと、やっぱり愛理がいた。
「舞美ちゃん!」
あたしの姿をみつけた愛理が、こっちに降りてこようとする。それを制し、あたしのほうからコンクリートの山に登っていった。
山のすぐ側の広場で、子供たちがバドミントンをしている。夕陽が細長く伸ばす影を見ながら、聞いてみた。
「愛理のお願いは、きらきら星なんだね」
「うん」
小さく頷く、愛理。
「あたし知らなかったよ。アルファベットの曲じゃないんだね。Twinkle, twinkle, little star・・・って。あってる?」
答える代わりに、彼女はハーモニカを吹き始める。
銀の羽を震わせ、メロディが夕陽に溶けてゆく。いい曲だな、素直にそう思えた。
吹き終わり、愛理は何も話さない。だから、あたしも何も言わなかった。
ようやく愛理が口を開いた頃には、辺りを夕闇が包んでいた。
「お父さんが、仕事で忙しくて。だから、1年中ずっと会えなくて。でも、七夕の日にきらきら星が見えたら、もしかしたら会えるかもしれないと思って」
それでずっとこの曲を吹いてたんだ。人の孤独はもしかしたら、同じ形をしているのかもしれない。
「そうだ愛理、この前あげた短冊は?」
差し出される、オレンジの小さな紙切れ。さっき話したことと同じことが、書かれていた。
「会えるよ、きっと」
根拠はなかった。でも、言葉が力に変換されるような、そんな気がした。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:10 ID:NYrUl.0Q


そんな気がした、だけだった。
7月7日、雨。
雨女の面目躍如、自分で言ってて情けなくなった。
「あーあ、これも明日に順延だね」
残念そうに言う、えりか。
沢山の願い事と大きな一つの星を携えた笹の木が、寂しそうに揺れている。
「一日遅れたら、願いも叶わなくなるのかな」
「チッチッチ、ナッキー。天帝さまも、そこまで無粋じゃないってさ」
おどけてそんなことを言うえりかの言葉を聞きながら、思う。
遠い空の天帝様が無粋な薄情者ならば、あたしが何とかするしかない。
教室の外は、どしゃぶりの雨。校庭のあちこちに水溜りを作りながら、その上で雨粒を躍らせている。彼女は、今日も公園にいるだろうか。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:11 ID:NYrUl.0Q


驚いたことに、この雨の中、彼女はオレンジ色の傘を差していつもの山の上に座っていた。でもまあ、何となくそんな気はしてたけど。
「愛理!!」
雨音に負けないように、大声で呼びかける。雨に濡れた鉄はしごをゆっくり登りながら、愛理の差す傘の中に入った。
「今日は、七夕だね」
「うん。でーもー、あーめーねぇー」
そう歌いながら、彼女は肩を落とす。最近の歌だろうか、メロディーの軽さとは裏腹に、彼女の表情には落胆の色が強く刻まれていた。
「あたしさ、雨女なんだ」
「えっ」
「でもさ、一年のうち一日だけ、晴れ女になる。愛理、ハーモニカ貸して?」
あたしの言うことの意図が掴めないのだろう、おそるおそるハーモニカを差し出す愛理。あたしはそれを手のひらに包み隠し、後ろ手にして、それから両の手のひらを彼女に見せた。
「あ・・・・・・」
片方の手のひらには、愛理のハーモニカ。
そしてもう片方には、きらきら星。
「ご利益はあると思うよ。何せたくさんの願いの頂上に立つお星様だからね」
「ありがとう、舞美ちゃん」
雨は止まない、けれど彼女の心の中の雨は止んだような気がした。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:16 ID:NYrUl.0Q


翌日。
雨はすっかり止んで、抜けるような夏空が広がる。
笹の木を校庭に立てる作業もあって、あたしはすっかり汗まみれだ。
「あれ、何かてっぺんの星、しょぼくなってない?」
ナッキーの鋭い指摘。やっぱ朝一で急仕上げで作った星じゃ無理があったか。
学校全体の願いをぶら下げて立つ笹の木の姿は、さすがに迫力があった。これだけ沢山の願い事があるのか、という思いのほかに。これだけあれば、一つだけ校外の願いがあっても誰も気付かないよね、という思いもひそかに込めて。
「でも、七夕と言えば思い出すことがあってね」
ふと、そんなことを漏らすナッキー。
「ん?なになに?」
何やら意味深な話題にさっそく食いつくえり。あたしも、ナッキーの話に耳を傾けた。
「あたしがいた小学校で、七夕の前日に公園の山で足を滑らせて死んじゃった子がいたんだ。何かその子、お父さんを早くに亡くしてたみたいで」
「うっそ。それ何かかわいそうだね」
「うん」
「大丈夫、きっとその子はお父さんに会えるよ」
「へー、って何で舞美がそんなこと言えるのさ」
会ったからね、その子に。
雨女は、一年のうちに一度だけ晴れ女になれる。
もちろんそんなことはないんだけれど、あの時だけは、真実であってほしい。
そう、思った。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:17 ID:NYrUl.0Q
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:17 ID:NYrUl.0Q
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/09(月) 00:17 ID:NYrUl.0Q

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