20 雨ふらし

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:47 ID:YNlR025Y

「今日カメに会うことになったんだけど」
ガキさんがメイクをしているさゆの後ろに立ちました。
鏡越しにでもさゆみの顔を見ないで、どこかそっぽを向いて。
「ごめんなさい新垣さん。さゆみパス」
そっか、とガキさんはあっさり引き下がりました。
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:48 ID:YNlR025Y

絵里が卒業して一年と少し。
ガキさんは二十一歳になり、さゆみは二十歳になり、愛ちゃんがいなくなりました。
その間に、さゆみが絵里に会いに行く回数が、毎回から二回に一回になり、
そして三回に一回と、少しずつ減っていきました。

「わたしなら大丈夫だよ?」
さやかちゃんが食い下がります。
「だーめ。おまえ一人にすると、なにすっかわかんないもん」
さゆみは鏡を向いたまま、とりつくしまもなく。
さやかちゃんは、ぶーっとふくれて、
「なんで愛佳ちゃんよりも子供扱いなんですか? 」
と精一杯の抗議をします。
「まだ14歳じゃん」
よくわからなけど、ガキさんはとりあえずさゆみの味方をしました。

さやかちゃんは複雑な家庭事情で、一人で上京してきました。
その頃あたりから会社の事情もいろいろと複雑になってきて、
どうしてもとこの子を入れたはいいものの、どう引き取っていいか途方に暮れ
ていたのです。
会社の人には、そんな余裕も情熱も、当たり前だけどなかったからです。

名乗り出たのがなにかを諦めた石川さんと、成熟していく家族関係に一人暮らしを始め
たさゆみでした。
消去法で、さゆみに決まりました。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:48 ID:YNlR025Y
やっぱり一人暮らしなんかできなかったさゆみは、同居人の存在に喜び、
炊事洗濯掃除、その他生活全般、年齢に似つかわしくない練達さを持っている
さやかちゃんを心から大事にしました。
そこにいる意義がはっきりしたおかげか、さゆみの優しさに救われたのか、
加入当初はすべてに怯えていたさやかちゃんも、次第に笑顔を見せるようになったのです。
今じゃHello史上、かつてないくらいにうるさいじゃじゃっ子です。

それに・・・
「おーい、さゆさやー、今日美貴行くから」
「おう!」とさゆみ。
「やった」とさやか。
こうやって暇な藤本さんもマメに様子を見てくれているので、愛に包まれさやかちゃんは元気いっぱいです。

そんな和やかさのなか、ガキさんは、さゆえりです、あひゃあ! を時々思い出し、
さゆは、さゆさやという呼ばれ方は実は気に入ってないのではないかと不安になってしまうのです。
ある日を境に、まあガキさんなので、いつからなんてのは覚えてないのですが、
さゆみは絵里と距離を置くようになったのです。
別段仲が悪いといった感じではないのですが、ずっと前みたいに踏み込まなくなったのです。
どこか怯えていたのです。
一体、絵里はさゆみにどんなことを!?
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:48 ID:YNlR025Y
ガキさんは一度、絵里の卒業前に二人を呼び出して話をしようとしたことがあります。
お願いだからちゃんと話してみて、そう切り出しました。
「仲いいじゃんねえ?」
「そうですよ新垣さん、絵里とは仲良しですよ?」
こんなときだけ絶妙のコンビネーションだ、とガキさんは何も言えなくなってしまいました。
なにかの本で読んだとおりにはいかないものです。
もしかしたら、自分がいたから二人は本音でわかりあえなかったのかもしれない。
ガキさんの人生で悔やんでも悔やみきれない三つのうちの一つです。

「だからさゆ、行っても大丈夫だよ」
美貴がにこやかに言いました。
さやかは顔をしかめます。
そうは言ってはいけない感じを、さやかちゃんは察しています。
「いいよ。今日さむいもん、行かない」
さゆみは事もなげに言います。
断りの理由としてはミもフタもない、最悪の部類に入ります。
ガキさんは言うべき言葉を見つけられず、すごすごと引き下がりました。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:49 ID:YNlR025Y

**


食事を終えた美貴は、他人の家のソファにそっくりかえって至福のひと時。
その隣で、からだの大きなさゆみがちんまり座っています。
「藤本さんもたまにはなにかしようと思わない?」
自分のことを棚にあげたさゆみが、美貴のほうを見ます。
ひぃ、美貴の幸せいっぱいの半目にかるく慄きながら。

美貴は目をしょぼしょぼさせながら首をふりました。
「いや、美貴はそういうのいい」
「なんで藤本さんが決めるん?」
「だっていいじゃん。さやかー、お茶ー」
まだ台所で洗い物をしているさやかちゃんに命令口調です。
「わたしやる」
「いや、さゆはやらなくていい」
「なんで?」
わかりきったことではありますが、さゆみは不服そうです。

「なんでって、さゆのお茶熱いっしょや」
「そういうもんでしょ」
「そんなこと言ってるうちは、まだまだだね」
なぜか勝ち誇ったような美貴にさゆみは、はぁーっと甲高いため息をつき、
「もういいやー」
ごろんと倒れこみました。
「重いって」
「つまんない」
「それは美貴が悪いんじゃなくて、さゆが悪い」
「なんでですか」
「だって美貴で楽しもうとしてないんだもん」
美貴もまた、腰のあたりまであるさゆみの髪をいじいじして退屈そうにしています。
今日の今日なので、絵里のことでも聞こうと思ったのですが、どうしても言い出せません。
さゆみはひた隠しにしていますが、滅多に出すことのない負の雰囲気に臆しているのです。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:49 ID:YNlR025Y
だったら、とテーブルにお茶を置いたさやかちゃんが、二人の上にのっかります。
「誰か呼んでくださいよ、高橋さんとか」
「じゃあ、れいな呼ぼー」
美貴がいじわるを言います。
この前、れいながこの家に来て、焼酎飲んで好き勝手しゃべって吐いて寝て帰った、
という話をさやかちゃんが苦々しげにしていたのが、妙に心地よかったのです。
「やだ。高橋さんがいい」
「最初っから愛ちゃんがいいって言えばいいのに」
さゆみが口をはさみます。
「呼んでくれるんですか?」
「呼ばないけど」
毎日のように会ってた人だから、わざわざ呼び出すこともないという感覚があるのです。
実際に今だって前ほどじゃないにしても会う機会はあるし、そのときでいいやと思ってしまうのです。

「つめたいねぇ」
「だって、いつでも会えるもん」
そう言ってさゆみは、なにに対してなのか気になりました。
さやかちゃんは落ち込むそぶりもなく、さゆみにしがみついています。
絵里のことなのかもしれない、と被害者意識で勝手にそう判断しました。
そして、ふんっ、と頬をふくらませて、叫びます。
「さゆみ、冷たくなんかないっ!」
ぽかーんとする美貴とさやかちゃんと目も合わせず、自分の部屋にこもってしまいました。

美貴がぽつりと呟きます。
「あ、怒った」
「うん、怒った」
さやかちゃんは現状を受け止められず、さゆみが乱暴に閉めたドアを見つめています。
二人とも、絵里のことが頭をよぎりましたが、お互いに言い出せませんでした。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:49 ID:YNlR025Y

**


渋谷もなんかきつくなってきたかな、ガキさんはそんなこと思いながら襟をたて、
雑踏にまぎれ、時折思い出し笑いをしながら、待ち合わせた居酒屋に向かいました。
十代の頃はランチでしか来たことがなかったけど、みんなと何度か来たことのあるお店で
す。

絵里はもう飲み始めていて、そろそろと席を見まわしているガキさんにひらひら手を
振りました。
「ひさしぶりー。先にはじめてたよー」
「はえーよ!」
「だってぇ、暇だったんだも〜ん」
「仕事見つかったのかよ」
「ガキさんこそ仕事あんのかよ」
ふわあっとだらしなく笑うカメに、ガキさんは心のこわばりまですっと解けていくの
を感じました。
「待ち合わせ時間ちょうどじゃん」
携帯で時間をたしかめてガキさんは唇を尖らせます。

まあまあ、絵里は気にするそぶりもなく、
「だって普通、時間通りに来れると思わないでしょー」
と近くに来た店員を呼び止めました。
ペースは相変わらずのんびりしたものですが、今の絵里にはどこか削げたような清廉な美しさがあります。

かんぱい。
グラスを合わせるのもそこそこに、ガキさんはすごい勢いでお酒を飲みます。
喉が渇いていたのもそうですが、早く絵里と話したかったのです。
「ガキさん、つぶれないでよ?」
「いいじゃないのよぉ、たまにはー」
「いつもじゃん」
絵里はけらけらと楽しそうで、ガキさんは、さゆも来ればよかったのにな、とそんなことを思い、
時を追うごとに自然になっていく、さゆみのそっけなさに心がチクリとしました。

「どう? 娘。は」
決まって絵里は、そんなことを聞きます。
「そんな変わんない、穏やかなもんだよ」
少しだけ言葉を覚えたガキさんは、より正確に人にものを伝えられるようになりました。
「新しい子は?」
「さやか? あいつうざいよ」
邪険だけど、やわらかい響きの言葉に絵里は小さく下を向きました。
「そっか」
「うん、さゆがいろいろ面倒見て、そこでいろいろ、なんか、あって」
「さゆが……。そうなんだ」
ガキさんのしどろもどろに、絵里はほぼ全てのニュアンスを把握することができました。

「それより、カメこそ今なにしてんの?」
「なんもしてない」
「なんで?」少しとがめるように。
「なんでって言われてもなー」
ふと思いついて、自分で勝手に笑い出して、それから格好つけて、やっと言い出します。
「みんなと過ごしたあの頃のままの絵里でいたいからかな?」
「うっせ」
「なんでよぉ」
「じゃあ辞めなきゃよかったじゃん」
おかげで藤本さんの卒業がまだで、カメが辞めたすぐあとは大変だったんだからとは
言えません。
「それとこれとはまた別のはなし」
絵里はさらりと流し、お酒を唇のうすい隙間に差すようにして飲みました。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:50 ID:YNlR025Y
かんぱいしてからまだ三十分ほどしか経っていませんが、ガキさんがスタートしました。
まぶたが緩くたれ下がり、吐く息は重そうです。
すこし肩を前に出して、斜にかまえているのが堂に入ってます。
今にも椅子の上であぐらをかきそうな勢いです。
「あんま飲まないね」
「絵里、もうすぐシンジャウの」
「あっそ」
ガキさんは、うそつけバカとでも言いたそうなふいんきです。
「そんなのわかんないじゃん」
絵里はつまらなそうに唇をゆがめ、おつまみの治部煮を箸でつまみました。

「今日こそは聞こうと思ってたんだけどさ!」
「なによ」
唐突に切り替わったガキさんに、絵里は身構えました。
「あんた一体さゆになにしたのよ! というか、さゆとどうなのよ!」
「直球だねぇ」
まるで他人事のような絵里は、グラスを飲み干しておかわりを注文しました。
「でもさガキさん、なんで絵里がさゆになんかしたって決めつけんの」
「なんでもいいから謝んなよ。わかんないけどカメが悪い」
「絵里はホントになんもしてないよ? さゆが勝手に距離を置きだしただけだもん」
「ウソだ。じゃあ言ってみなよ、いつから? どんな風に? どうさゆが距離置いたっていうのよ」
ガキさんは矢継ぎ早に、けっこう大きな声で、詰問しました。
ムキになっているわけでも、興奮しているわけでもなく、酔っているのです。

絵里は店員がそっと置いていったグラスで唇を濡らして、静かに話し出しました。
そう、あれは2006年の大晦日のことです。。。

9 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:50 ID:YNlR025Y

福袋ってどんなのが入ってるんだろうね。
他愛のない会話の中で、絵里がそんな話をしたのがきっかけでした。
服くらい定価で買えるモーニング娘。のことですから、本当にどうでもいい話です。

それでも絵里は、普通って感覚にものすごく興味があったのです。
古い友達は進路決定の時期で、こんこんちゃんの進路も決まった時期だったからです。
だから福袋というのもおかしなものですが、絵里が一生懸命考えて見つけた接点が福袋だったのです。

あとでネットで調べりゃいいじゃんくらいのさゆみは、どんなんだろうねぇで話を済ませました。
いつもならもうちょっと絵里をバカにするところなのに、そんな気も起きなかったのです。

それをいいことに絵里は、渋谷のNHKホールで紅白を終えるのだから、渋谷のホテルを取って、
渋谷の109あたりで福袋を買えばいいのではないのかと思い至ったのです。
ちょうど元旦のくだらないテレビもなくなった年でした。
すべての状況が福袋に向けて動いていると確信して、実行したのです。

ホテルを取って、どの店でどの値段で何万円相当の福袋を買えるのか下調べしてから、
絵里はもじもじしながらさゆみに切り出しました。
あきれ果ててものも言えなかったさゆみは、絵里の提案に渋々のりました。
なんでって、一番の友達だったからでしょう。
でもさゆみは照れ屋で、絵里には正直じゃない部分があるので、
「大晦日の夜に雪が降ったら、ホテルとかのほうがロマンティックだよね」
と理由をつけて絵里の福袋計画に付き合うことにしたのです。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:50 ID:YNlR025Y

「で? ぜんっぜん話が見えないんだけど」
身を乗り出して聞いていたガキさんは、ただの思い出話に焦れてしまいました。
「もう、せっかちだなぁ」
「つーかそれ、絵里の中で美化っていうか作り変えられてない?」
「そんなことないって。だいじょうぶダイジョウブ」
ガキさんの疑問をてきとーに大丈夫にした絵里は、さらに続けます。


大晦日当日、二十時まで仕事だったさゆみが先にチェックインをしました。
当たり前のように紅白は見ず、他も全部つまんなかったのでペイチャンネルで
エッチなのを流したまま寝てしまって絵里が帰ってきて大慌てだったらしいのですが別の話。

さゆみはちょっと怒った感じで、来る前に連絡くらいしてよ、と文句を言いながら、
吉澤さんと美貴と愛ちゃんとガキさんに、お疲れさまです代わりにありがとうございますメールを
いつもより丁寧に送っていたのですが、絵里にも送ったのです。
目の前にいるというのに、ずっと前から絵里が十八歳になって夜にも出るようになったら
送るメールの文言を考えていたらしいのです。

それを受け取った絵里は、へへーと笑って、あっちょんぶりけ、と言いました。
そして、明日も早いからもう寝ようと、さゆみの反対は無視して電気を消しました。
絵里は、初日の出よりもずっと早く列に並ぼうと決めていたのです。

そんなこと関係ないさゆみは窓際に座り、
「雪降らないかなー」
ネオンが差し込む蒼暗い闇の中、明るい夜空を見上げていました。
「へへー。大丈夫だよ、さゆ。明日には雪、ふるから」
理由もなく確信的な絵里に、さゆみはそうなんだと眠かったので寝ました。
当たり前のように、絵里と同じベッドで。
そっちのほうが暖かいから。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:51 ID:YNlR025Y

そして朝の五時。
朝早い仕事だってあるので、早起きは慣れっこです。
さゆみはかなりグズりましたが、絵里の熱意のほうが強かったのです。
二人はもうすでに、福袋の列に並んでいました。
でもチョイスが悪かった。
絵里が並ぼうとしていた店の列は、屋外にあったのです。
その店は、さゆみも愛ちゃんと一緒に服を買いにいった店なので、文句は言えません。

不運なことに、雨も降ってきました。
ちょっと傘買ってくるね、絵里が気を利かせて列を抜け、コンビニに行きました。
さゆみはひとりで心細く待たされた上、絵里は傘をひとつしか買ってこなかったので、
なんなんよ、それ。出会って初めて絵里に対して本気で怒りました。
絵里はちょっとびっくりしたけれど、
いつものようにへらへら笑って、わけわけだね、と仲良く相合傘をしました。



「ちょーっと待てぇい! 終わりが見えない。結論言って、結論」
あのさゆえりの仲違いの原因は? さゆみの恐怖の原因は?
我慢しきれなくなったガキさんは、叫んでしまいました。
周囲の二、三席が、ガキさんの怒気に一瞬だけ静まりました。

しょうがないなぁ。絵里はそう笑い流しました。
「じゃあ、言うよ。そんとき絵里ね、さゆにダッフルコートが似合うよって言ったの。
 福袋に入ってるといいね、って。絵里、それだと思うんだよねぇ」
「なぁんで」
「さゆがさぁ、心底かなしそうな顔してさぁ。きっと絵里、見限られちゃったんだよ」
絵里は心底さみしそうに言うが、どこか笑い顔なので悲愴感は漂いません。

ガキさんは思いました。
それ、絶対にちがう。

12 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:51 ID:YNlR025Y

**


「さやかちゃん、そのみかんおいしい?」
美貴が気持ち悪いくらいに甘い笑顔で聞きます。
手持ち無沙汰で蜜柑を食べ始めたさやかちゃんは戸惑いました。
「それねぇ、せとかっていうの。超高級みかんなのぉ」
美貴はほぼ愛玩動物に話すような口ぶりです。
「おいしいでしょう、愛媛のみかんなんだよ?」
さやかちゃんがまだ食べているというのに、丁寧に剥いてあげて、口元に持っていきます。
「うるせーよ。うめーよ。うめーから食ってんだよ、前から言ってるだろ?
 わたしを子ども扱いすんじゃねーよ。それにどこのミカンかなんてどーでもいいの。
 あるから食ってんだよ。愛媛のミカンだから食ってんじゃねーの。うぜーよ!」
さやかちゃんは子ども扱いされるのを極端に嫌います。

やけっぱちでキレているのですが、 美貴はひどく傷ついてしまいます。
お母さん流に飛び蹴りでもかまそうと思いましたが、できませんでした。
それは、さやかちゃんが恐ろしく整った顔立ちをしているからです。
美貴はきれいなものがなにより好きなのです。

「きーっ! 美貴にそんな口を聞くなんて許さないんだからぁっ!!」
余裕のなくなった美貴は、完全なる末っ子になり下がってしまいました。
指をわなわな震わせて、さゆみの部屋に飛び込みます。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:52 ID:YNlR025Y
え? え? え? なに? なになに、なんなの!?
ぼんやり窓辺に腰かけ、夜空を見上げていたさゆみが驚きます。
ここ最近はすっかり消え去ったあどけなさが垣間見えます。
「さやかが! さやかが! 美貴のさやかがー!!」
「いや、さやかはさゆみのものだから」
さゆみは冷静につっこんでから、状況を把握しようとします。
美貴がこれほどまでに取り乱すなんて、よほどのことです。
さやかはなにをしたんだろうと、さゆみは逆に怖くなりました。
そう、あのときのように。。。


お正月でした。
絵里のわがままに付き合わされて、さゆみは不機嫌でした。
でもそれは絵里のせいというよりも、自分自身に対する苛立ちでした。
思春期の苛立ちに理由などありません。
さゆみは自分と、自分のまわりにあるすべてに対して苛立っていたのです。

絵里がいたから、さゆみは世界中の誰よりも救われていた。
今ならそう思うこともできますが、もう遅いのです。
さゆみの側に、絵里はもういません。
さゆみの側に絵里がいたのは、もうずっと昔のことです。
あの頃を取り戻したいなんて、口が裂けても言えません。
壊したのは、さゆみだったのですから。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:53 ID:YNlR025Y
朝早く、日が昇る前に二人は福袋の列に並んでいました。
さゆみにとっては、並ばされていました。
雪が降ってほしいと願っていたのに雨が降ってきて、気分は最悪でした。

寒かったのでしょう。
絵里は降り出した雨をいいことに、ひとり列を抜けてコンビニに行ってしまいました。
そして、さゆみの苛立ちは最高潮に達したのです。
すぐに傘を買って帰ってきた絵里に向かって、
「この雨も、絵里のせいなんだかんね!!」
つい大きな声を出してしまったのです。
絵里がさゆみのために傘を買いに行ったのかもしれないと考えていても、
怒りと、それに付随する言葉はそうそう止められるものでもなく、言ってしまったのです。

絵里はひどく傷ついた顔をして、ごめんね、と静かにあやまりました。
それから、ダッフルコートがどうとかわけのわからないことを言っていましたが、
自分から出た言葉で誰よりも大好きな絵里を傷つけてしまったさゆみは、
このまま絵里と一緒にいれば自分はもっとわがままになってもっと傷つけてしまうと、
それがとてもとても怖くて、少しずつ距離を置いていってしまったのです。
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:53 ID:YNlR025Y

「いいから落ち着いてよ。雪が降ってきたの」
ほら、とさゆみは窓の外に目をやります。
さゆみの悲しい過去をふうわり溶かすように、雪が降っています。

ふっとさゆみの視線に合わせた美貴は、そんなことはどうでもいいというように吐きすてます。
「ほとんど雨じゃん」
「でも、さゆみにとっては雪」
地球が熱っちくなってしまった今、雪は北方でも多くはありません。
雨に近く、直線的におりてきていますが、たしかに雪です。
古い記憶には雪がたくさんある美貴でも、さゆみの感傷にひきずられてしまいます。
「そういえばさ、ずっと前、よっちゃんがモーニングにいた頃の話だけどさ」
「うん?」
「亀井ちゃんが雪ふらせるとかって変なダンス踊ってたの、なんか今急に思い出した」
「さゆみは雨女だから、そんなの必要ないもん」
「よっちゃんが辞めるちょっと前の、紅白だったかなあ。すげぇ鮮明に覚えてるわ」
「……そうなんだ」
「あんとき美貴さ、なんだっけかな、なんかすごい笑ったんだよ。そのダンスで笑ったのかな」
潜るように思い出話を進める美貴の手を、さゆみはそっと握りました。
ゆらゆら揺れる懐かしい記憶は、いつまでも手元にあるものではありません。

喋らないで、とっておきなよ。喋りたいって気持ちが、思い出を残してくれるんだよ?
さゆみはそう心の中で美貴に言いました。
でも美貴は、楽しいおしゃべりを邪魔されたとしか思ってません。
その、あ゙? とでも言いそうな顔に、さゆみは微笑みます。 
「リビングに戻ろう? きっとさやか、しょぼくれてるよ。許してあげてね」
「許すもなにも、さやかが許すかっつー話だよ」
珍しく気弱な美貴に、さゆみは、ああ、そうだったんだ、とひとり納得しました。
絵里はさゆみのことが好きだったのだから、本当に大好きだったのだから。
今はどうかはわからないけど、あの頃は絶対に。
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:53 ID:YNlR025Y
「絵里に連絡してみようかな」
さゆみが、美貴に聞こえるかどうかの小さな声で呟きました。
美貴は一瞬わからないといった顔をしましたが、すぐに察しました。
「よろこぶよ、きっと」
「え? なにが?」
わざとらしくとぼけるさゆみの目はせわしなく動き、口は半開きになっています。
このこのぉ、それが聞きたかったくせにぃ、美貴はいたずらっ子みたいな顔でさゆみのほっぺをつつきました。
「さゆみ、なんも言ってないけど」
「今日ガキさんと会ってるんでしょ? 行ってきなよ」
思いつきが、ずっと逃げてきた現実となり、さゆみの顔は情けなくしぼみます。

で、美貴が強引にさき回りします。
「さやかは大丈夫。今日美貴ここに泊まるから」
「でも場所わかんないし」
「どうせ渋谷だろ? 行けよ」
言うが早いか、美貴はその辺に捨ててあったマフラーをさゆみに巻きつけ、ケツを蹴り上げました。
17 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:54 ID:YNlR025Y
ほらほら、と美貴はさゆみをぐいぐい引っぱります。
「さやかー、さゆ出かけるから上着持ってきてー」
優しさもそうですが、本当の目的はこれでした。
こうやってさやかちゃんと話すきっかけがほしかっただけです。

二人が出てくるのを待ちかまえていたさやかちゃんが声を張ります。
「わたしも行きたいっ!」
「ダメ。これから絵里と仲直りしに行くんだから」
「べつに絵里とはケンカしてるわけじゃないもん」
「なら問題ないじゃん」
美貴はさゆみを玄関に押しやり、さやかちゃんが持ってきた上着を持たせて放り出しました。
ずっと、え? え? と困っていたさゆみの足音が、あっという間に遠ざかり、消えました。

「では……」
後ろ手に鍵をかけ、さやかちゃんを振り返った美貴がにやけます。
たぶんこの流れ、状況ならさやかは拒否できないでしょう、めくるめくスウィートタイムのはじまりです。

18 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:54 ID:YNlR025Y

**


ほかほか上気したガキさんと絵里が店の外に出ると、雪が降っていました。
歩道と店のすきまの、人があまり歩かないようなところには、うっすらと積もっています。
「雪だぁ」
絵里はネオンに明るい乳白色の曇り夜空を見上げ、気持ちよさそうに伸びをしました。
「通りで寒いと思ったんだよ」
「絵里の人生最後の冬に、こういう奇跡の夜もいいもんだねぇ」
「またそのネタぁ?」
大袈裟によろこんでいる絵里に、ガキさんはまたその話かと顔をしかめます。
「でっかい雪だるま作れるくらい、積もるといいね」
「どうだろうねぇ。明日は晴れるって天気予報で言ってたし」
「えぇ〜?」
残念そうに唇をとがらせ、眉をさげた絵里の顔が、ぱーっと明るくなりました。

「そうだガキさん、絵里、ガキさんに雨ふらしの踊り、やったげる」
「なにそれ」
「忘れちゃった? 絵里とガキさんが初めて紅白夜までいたとき、踊ってあげたじゃん」
「あー。そういえば、そんな気もする」
「ね?」
「いいよ、気持ち悪かったし、たぶん。それにあれ、さゆのためとか言ってなかった?」
「……そうだけど」
ちくりと痛むささくれを、踊りで吹き飛ばします。
くねくねくねくね、右に行ったり、左に行ったり、くねくねくねくね。
上にぐにゃぐにゃ、下にぐにゃぐにゃ、くねくねくねくね。
「やぁめなってカメぇ、恥ずかしいからあ!」
「えー? いいじゃ〜ん」

あのときは雨になっちゃったけど、本当にふるんだよ?
さゆも見てるかなぁ、たぶん見てると思うんだけどなー。

「やむなー、降りつづけー」
雪降る渋谷の雑踏で、絵里は人目も気にせずくねくね踊ります。
胸いっぱいの愛と生命をこめて、大事な人のところに届くまで、雪がやまないように。
「あ、電話。つーかカメ、いい加減やめなってー」
ぶつくさ言いながら、ガキさんが電話に出ます。
地球に落ちてとけた雪が水滴になり、街いっぱいのネオンを乱反射させています。
きらきらふくれあがった光の中で、絵里はくねくね踊りつづけけます。

あ、さゆ? うん、そうそう、渋谷にいる。え? 今いんの!?

今の絵里にはなにも聞こえません。
約束ではありませんでしたが、今がそれを果たすときなのかもしれません。
絵里の願いはくねくねくねくね雪に舞い、世界を覆いつくすまでくねくねくねくね。
この雪が、さゆみのところに届くまで。
「ふれぇ〜、ふれぇ〜、雪ふれぇー」
もっと降れ、いつまでも、どこまでも、続いていくように。



19 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:54 ID:YNlR025Y
 
20 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:55 ID:YNlR025Y
 
21 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/10(水) 22:55 ID:YNlR025Y
 

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