19 雄美葬紙

1 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:46 ID:GmWVZSBA
19 雄美葬紙
2 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:47 ID:GmWVZSBA
両手にかかえるは普段より数段重たい真っ白なバッグ。
いつもはお菓子が占領している空間に真っ黒な異物が一つ。
不本意に買わされたその真っ黒な本を憤懣と共に机の上に置いた。
道重の脳裏によぎるのはまだバッグが軽かった古本屋の前の自分だった。

気まぐれで入った古本屋に漫画なんぞは一切なく、
やけに狭い店内には棚から溢れ平積みになっている本が墓石のように彼女を取り囲んで聳え立っていた。
帰ろうとした途端バッグが当たり墓が崩れて、知らぬ間にバッグに入ってしまった黒い本が原因で
万引きに間違われしまい、なんだかんだで結局買わされるハメになってしまった。

よく考えてみれば、警察に連絡されなくてよかったな、とも思えるが、広辞苑ほどの分厚さを誇る得体の知れない本を
目の前にするとやはり不運でしかないのだと道重は悟った。

どちらから読めばいいのかわからないほど表紙も裏表紙も真っ黒な、真っ黒というより
こげ茶色と黒を混ぜたものにまた黒を混ぜたような涅色をしている。
背表紙も同じようになってはいるがかろうじて何文字か見えている。

「……イに……本?」

読める所を読んでみるが全く意味がわからない。
ただ道重には一つ気付いたことがあった。
それはこの涅色は本自体の色ではなく、なにかしらの汚れであるということだった。
でなければ背表紙の文字が隠れるわけはないし、指も心なしかザラザラするようなことはないからだ。
道重にはこの本が涅色の何かに憑りつかれているように見えた。
3 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:47 ID:GmWVZSBA
その本をよく見てみると半分はプラスチックのケースになっており、もう半分が本になっていた。
ケースを開けてみると大小様々なビンが愿朴さを秘めて静かに眠っている。
透明なガラスビンの中には水色の錠剤や乳白色の液体なんかが入っていて、ますます道重は意味がわからなくなった。
ケースを閉じて本を開くと、表紙に書かれていたであろうタイトルが外の様子も知らず潔癖な整列をなしていた。

『キレイになる本』

その書式は、バレンタイン、と書くのにふさわしいややキザッたらしい感じだった。
古本なのに黄ばみの一切ない純白のページに浮かび上がるしっかりとした黒の題名。
まだタイトルしか読んでいないのに道重は異様なまでの説得力を感じていた。

さらにページをめくると目次があったが、なぜかこのページは黄ばみと文字のかすれが酷くほとんど読むことができなかった。
同じ時を過ごしてきたとは思えないページが隣同士で同居することに違和感を感じたが、
もともと目次をあまり見ない道重にとってはわりとどうでもいいことだった。
白紙のページを挟んで次に現れたのは、これまたブレのないしっかりとした黒い字で『おやくそく』と書かれたページだった。


                 【おやくそく】
  この本を書かれていることを実行する際には必ずお守りください。
・本に書かれている数量をキチンとお守りください。
・身体に異常が出ない限り途中でやめないでください。
・一日一ページを基本とし、先に全てを読む等の行為はしないでください。
・この本に書かれていること、及びこの本の存在自体を他言しないでください。
                                                 』

優しい保母さんに語りかけられているかのように、何の障害もなくその内容は道重の頭の中に入り込んできた。
4 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:47 ID:GmWVZSBA
読み直すことなく更にページをめくる。
普段せっかちでもなんでもない道重がとにかく先を読みたいと内容の反芻もせずに手と目を動かしている。
そんな状態に道重自身も少し驚いてはいるものの、この本に対する欲求の高まりを考えれば当然のことかと納得した。
空白のページを二枚めくり、初日という文字が飛び込んでくる。


  美しさの基本は睡眠です。
  身体も精神も弛緩した状態で初めて美は形成されていくのです。
  付属のケースの中にある水色の錠剤の入ったビンをお取り出しください。
  今日から毎晩その水色の錠剤を一錠、就寝する直前にお飲みください。
  なお、市販の睡眠導入剤等をご使用されている方はそちらの使用をおやめください。
                                                       』

道重はケースを開け水色の錠剤の入ったビンを取り出す。
突き抜ける晴天だとか、それを映す渺漠とした大海だとか、燦然と輝くラピスラズリだとか、
そんな気の聞いた形容など一切いらないほど人工的な水色をしている。
道重はその色に気味悪さを感じたが、ビンを振ってみたりしている内に徐々にその気持ちは薄れ
きっとソーダ味なんだろうなぁと思い始めた頃には不信感もすっかり消えていた。
5 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:47 ID:GmWVZSBA
朝起きた時はほとんど実感がなかったが、その錠剤の効果はダンスレッスンの時に発揮された。
やたらと身体が軽く感じる。
いつもはレッスンの中盤からへばるのだが、その日の道重はダンスの先生に褒められるほど元気だった。

「重さん今日元気イイね」
「ハイッ!」
「アッ……ちょっと大きい声出さないで……」
「どうしたんですか藤本さん?」
「昨日、飲みすぎて……」

涙腺がいつもよりも腫れているのはそのせいか、道重は思った。
しかしいつもよりもただ元気というだけでダンスの方はいつも通り飲み込みが遅い。
美しくなるのとダンスはやっぱり関係ないか、と納得していると「道重よそ見しない!」と喝が入った。
6 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:47 ID:GmWVZSBA
結局ダンスの練習ビデオをもらい帰宅。
一通り練習した後お風呂、夕食、漫画と続いて、道重は椅子に座った。
ピンクや白で埋め尽くされている乙女チックな部屋で、その全ての色を飲み込もうとしているかのように光を吸収し続ける黒い本。
昨日ほどの畏怖は感じない。
しおり代わりに挟んでいたボールペンからページを開き、一枚分未来に進む。


  細部にわたる美しさを要求される体の部位は、手です。
  手が美しいことで触れる全てのものにその美しさが伝わることでしょう。
  付属のケースの中にある黄色のチューブをお取り出しください。
  そこからクリームを適量取り出し三日おきに手に薄くお塗りください。
  なお、市販の保湿クリーム等をご使用されている方はそちらの使用をおやめください。
                                                        』

何の表記もない黄色いだけのチューブを訝しげに眺める。
道重はこういったクリーム類を就寝前に塗るのはあまり好きではなかった。
ベタついたままベッドに入るのがイヤなのだ。
とはいえ実行しないわけにはいかない。

塗ってみると意外をすぐに肌になじみ、嫌悪していたベタつきもすぐになくなった。
ためしに掛け布団を触ってみたが塗る前と全くかわりがない。
それがなんだか嬉しくなって浮かれていたら、水色の錠剤を飲む事を忘れてしまった。
床について明日の収録のことを考えていたら水色の錠剤のことを思い出し、急いで飲んだ。
7 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:48 ID:GmWVZSBA
「さゆ?」
「何?」
「さゆの手、なんか触っててすっごく気持ちいいんだけど」

ハロモニの収録休憩。
何気なしに繋いだ道重の手をまじまじと見つめる亀井。
手を繋ぐことは幾度となくしていることだが、そんなことを言われたのは初めてだった。

「すっごくスベスベしてて、すっごくなんか、すっごくキレイなんだけど……」

そう言って道重の両手を取り亀井は自身の顔をそれで包んだ。
今にも白目を剥くのではないかという位、その感触に陶酔している。

「ちょっとえりぃ、どうしたの?」
「だってさゆの手が――」
「なにしとーと?」

ココアを飲んでいた田中がやってくると、亀井はなぜか必死に道重の手の感触を力説する。
百聞は一見にしかず、否、一触にしかずと田中が道重の手をとった。
のぉわ、と短く叫ぶと田中は亀井と顔を見合わせスゴイスゴイと騒ぎ立てた。

「さゆなんか使ってるの?」
「エッ! ……いや特に何も」

ハッキリと嘘と自覚している嘘をつくのは久しぶりだった。
8 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:48 ID:GmWVZSBA
その日一日の収録は全てが楽しかった。
手を褒められたこともそうだが、何より気分がいいのだ。
帰宅途中のタクシーの中で一日褒められまくった手を眺めていると自然とにやけてきてしまい、
運転手に不信な目で見られたが気にはならない。

帰宅後日常をさっさと済ませる。
早くあの本を開きたくてしょうがない。
しかし、読む必要のある時以外にあの本を開こうとは思わなかった。
秘密の箱をしょっちゅう開けていては秘密にならない。

寝るにはまだ早いがそんなこと構っていられない。


  髪は女性の命です。
  だからこそ特に気を使って常に美しくなければなりません。
  付属のケースの中にあるピンクのガラス瓶をお取り出しください。
  それを毎晩手に数滴落とし伸ばしてから、髪になじませるように手櫛してください。
  なお、市販のリンスをご使用されている方はそちらの方をおやめください。
                                                      』

美しく加工されたピンクのガラス瓶は先がタバスコ容器のようになっており、振れば数滴出てくるようになっていた。
やや冷たくほぼ透明な水滴を褒めちぎられた手で伸ばし、そして黒髪になじませていく。
こんな少量で足りるのか心配になったが、本の言う通りにしていれば問題はないはずと道重は思った。
やっぱりもう数滴足そうかと思ったが、やっぱりやめた。
9 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:48 ID:GmWVZSBA
吉澤さぁ〜ん、と駆け出した後輩の背中がやけに眩しく感じるのはやはり若さだろうか。
久住はマネージャーとの打ち合わせを終えた吉澤に向かって走り、スパイダーマンよろしく飛び抱きつく。
彼女が入ってくる前までは自分がやっていたことだと思うと道重は自身の成長を感じた。
とはいえ、やはりうらやましい。

「小春ちゃんずーるーいー」
「うわっ! ちょっとおも……」

遅れて道重も駆け寄り久住と並ぶようにして抱きついた。
吉澤の首元はいつだっていい匂いがする。

「ん……さゆ……う〜ん」

吉澤が頭をなでてくれることに頬を赤らめ、抱擁力を強める道重。
久住と道重の両方を抱きしめながら、吉澤はカラスの濡れ羽色をした道重の髪に顔をうずめている。
頭が少しくすぐったくなって、逃げるように首を傾けた。
こはるもー、という声が聞こえるが吉澤は一向に構うことなく道重の光芒携える黒髪に微酔していた。

「さゆどうしたの?」
「何がですか?」
「髪の毛からすっごくいい香りがするんだけど」
「ああ、いや別に……」

吉澤は二人から離れると改めて道重の髪に手をあて、馥郁とした香りと流水のごとき手触りを堪能している。
10 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:48 ID:GmWVZSBA
「前からこんな感じだっけ?」
「……あぁ、ハイ」

吉澤は、小春も触ってみな、と構ってもらえず少し不機嫌になった久住の手をとって髪を触らせた。
その指通りに引っかかりはなく、音さえない。
初めてにして最高の感触に久住は息をのんだ。

「シャンプー変えたの?」
「いえ、そんな」
「最近元気だし、なんかさゆいい感じだよね?」
「……ありがとうございます」
「もしかして、彼氏、できたとか?」
「い、いえ! 彼氏だなんて!」

吉澤はニヤッと笑うと道重の髪の先で道重の鼻をくすぐり、言った。

「冗談だって。でもいい感じなのはホントだよ」
「え、あ、ハイ!」

とりあえず元気よく答えてみた道重。
しかし道重の中で融和も調和もしない感情が芽生え始めていた。
11 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:48 ID:GmWVZSBA
他者を圧倒し誘惑する美を手に入れた優越感と、それを隠さなければならないためにつく嘘からの罪悪感。
いつの頃からか、最初に出会った時からか、本に対して絶対的な忠誠を誓ったのは。
そんなに仰々しいことではないのだが、なぜか本を裏切ることがどうしてもできないでいる。
本のことを他言してもいいかなという思いが頭をかすめる度に、あのしっかりとした『おやくそく』の文字が浮かんでくる。

かわいくなりたい。
嘘をつきたくない。

どちらも道重の本意であり、真意である。
両方を成り立たせることなんてできない、なんてことはないことぐらい頭ではわかっている。

だが、できないのだ。

道重にとって、それは代償としてはあまりに残酷すぎた。
いつだって素直に生きてきた今までの人生を裏切っているような感じがする。
以前の道重はもういなくなってしまった。
精神的にも、肉体的にも。
12 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:48 ID:GmWVZSBA
最初の頃はこんなことで悩み、食事もノドを通らない日さえあった。
ただ、人間とは恐ろしいものでどんなものにも慣れが生じてくる。
十字架だったはずの嘘の重さに、道重は慣れだしてしまった。
なぜなら、それ以上の至福の時が常にその十字架の重さを跳ね返すから。

周りの人間が異様なまでに褒めるのだ。

付属のやすりで爪を磨き付属のマニキュアを塗れば、誰しもが宝石のようなその指先に魅了される。

付属の歯磨き粉で歯を磨けば、眩い歯の輝きに皆その視線を奪われる。

付属の目薬をさして人に会えば、小宇宙一つ分の光を秘めたその瞳に心を吸い寄せられていく。

即効にして絶大な効果を誇る本の美容品。
日を追うごとに周囲の視線は憧憬の眼差しに変わっていく。

道重は褒められる快感に酔っていた。
何か絶対的な力を得たように、人々が自身の美しさに屈服する。
遅刻も、仕事のヘマも、ダンスが踊れないことも、どんなことも怒られなくなった。
道重の会う前にいかに憤懣を撒き散らす態度をとっていたとしても、彼女を見るとそれを表す言葉が出なくなってしまう。
言葉がでなくなるどころかその感情すら消滅してしまうのだ。

一切の「負」に触れなくなった道重だが、決してそれに奢ることはなかった。
ただし、今まで自身の中で生じていた「負」はとうに姿を消していた。
13 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:49 ID:GmWVZSBA
その日はいつもと違っていた。
というのも、昨日のページから一枚めくると全くの白紙だったからだ。
本の中に度々あった、何も新しいことはせず日課だけこなす日、とは違う。
そういう日はちゃんとそうやって書いてある。

『おやくそく』には基本一日一ページとあるが、これは一体どういうことなのか。
道重は鼻息を荒くして考えた。
本当にただ真っ白なページを眺めながら。

どれくらい考えたことだろうか。
結構短めな時間だった。
結論は、もう一ページめくることにした。
あくまで『基本』一ページなのだからこのような例外の場合は適用されないだろう、と考えたのだった。
しかし、その判断は間違っても合ってもいなかった。

また白紙。
今度は考えずにページをめくる。
またまた白紙。
そのまま流れでもう一ページめくる。
白紙。めくる。白紙。めくる。白紙。めくる。白紙。めくる。白紙。めくる。…………。

単調な攻防戦に道重はイラつき出していた。
何かしなければ褒めてもらえない。日々美しくなっていかなければならない。
それを強迫観念とも思わず、ひたすらページをめくり続ける。

そして、その扉に出逢ってしまった。
14 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:49 ID:GmWVZSBA
それはどこかで見たことのある色をした袋とじだった。
真っ黒、というよりか、こげ茶色と黒を混ぜたものにまた黒を混ぜたような涅色をしている。
道重は本をパタパタさせて表紙のシミと袋とじの色が同じであることを確認した。

袋とじというには少し雑な閉じ方をしている。
所々が閉じ切れておらず中身が見えそうなのだが、いくら電気スタンドの明かりを当ててみても全く中身が見えない。
道重は定規を当てて丁寧に開けようとした。
しかし、定規を当てる間もなく袋とじのつなぎ目はパリパリと音を立てて剥がれ落ちていった。
闇の居座っていた中身が光の下に晒される。

最初に目に入ったのは「お疲れ様でした」の文字。
そして順々に読んでいくと今日が最終日であることを知った。
寂しい気も、嬉しい気もしたが、やっぱり寂しかった。

机に落ちたシミのカスを手で払い、一旦立ち上がって握りこぶしを作る。
以前鏡の前でやっていた「よし今日もかわいい」のポーズだった。
そういえば最近やってないな、道重は思った。

「よし!」

鏡もないのに気合を入れた。
明日はコンサート。
最後のプログラムをこなすにはもってこいの日だな、道重は思った。
15 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:49 ID:GmWVZSBA
「おはよーございます!」

モーニング娘のメンバーが半分とスタッフが数人いる楽屋に道重は溌剌とした挨拶と共に入ってきた。
誰もが彼女を見て挨拶を返そうとし、一目見て言葉を失った。
皆一様にその双眸を見開く。
昨日まであれほど笑みを絶やさず接してきた道重に、誰もが驚嘆の表情を浮かべ絶句している。

「ちょっとだけ遅刻しちゃってスイマセンでした」

その言い方、その声、その頭の下げ方。
全てが道重さゆみだった。
ただそこにいる誰もがそれを道重さゆみだと思わなかったのは、彼女は顔が全く見えないほど顔に包帯を巻いていたからだった。

「ちょっとさゆ! どうしたのそれ!」
「何がですか?」
「何がですかじゃないよ! その顔どうしたの!」

あれほど執拗に道重の黒髪を褒めていた吉澤の顔はそこにはない。
驚愕と畏怖と奇異が混ざった表情をしていた。
16 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:49 ID:GmWVZSBA
「顔って……そんな大したことないですよ」

あまりにあっさり吐かれた言葉にそこにいる全員がたじろいだ。
風貌以外は全て日常の道重そのものだった。
だからこそ今の道重全てに恐怖を感じている。
すぐさまスタッフは楽屋を飛び出して各所に連絡し、吉澤はそんな光景に呆気に取られている道重を連れてマネージャーの元に向かった

しかし、何もかもが無駄だった。
道重をどんなに問い詰めても何も言わないし、顔の包帯をとろうともしない。
ついにはこのままコンサートに出させてくださいという無茶な要望まで通ってしまったのだ。

そのことについて吉澤は何も言わなかった。
というのも、それに吉澤も賛成したからである。
道重と一緒にいるうちに、道重の意見になぜか逆らえなくなってしまったのだった。
包帯をグルグル巻きにしたその姿は異様そのものであったが、マネージャーとの話が終わる頃には見慣れてしまっていた。
楽屋に帰っても誰も何も言わない。
それどころか昨日同様に道重に近づいてはその芳香や白魚のような手を褒めだしたのだった。

リハーサルもそのまま行い、なんの滞りもなく終わった。
その日の公演は夜の部だけで、みんないつものようにコンサートの準備を追われていた。

そして、コンサートの幕が開いた。
17 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:49 ID:GmWVZSBA
暗転。ライトと共に鳴り響く音楽。登場する彼女達。
会場は数秒盛り上がると、その勢いを失った。
最後に出てきた包帯女に歓声は無くなり、どよめきだけが広がっていった。
音楽だけがいつも通り鳴り響いているが、カラ元気のような虚しい響きにしか聞こえなかった。

その会場の雰囲気に他のメンバーも違和感を取り戻し始めていた。
自分たちと一緒に踊る包帯を巻いた道重。
そして徐々に冷静になっていくと、違和感は包帯だけではないことにメンバーは気付いた。
道重は手に何か持っている。

曲が終わりすぐに隊列を成してMCが始まった。
道重は端にいたがMCが始まったのは反対側からだった。
台本通りのMCに台本通りの歓声はない。
どよめきは細漣となって会場の隅々に広がっていた。

そして道重の番になった。
誰もが言い知れぬ恐怖を感じながらも凝視する。
そんな視線を包帯の奥の肌でも感じながら、道重はマイクを構えた。
もう一方の手で胸の前に抱えた黒い本に力が入る。
18 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:49 ID:GmWVZSBA
「みなさーん! コーンバーンハー!」

誰も返事をしなかった。否、できなかった。
今起きている事、今から起きる事、これから起きるであろう事。
誰も考えることが出来なかった。
ただただ道重を見つめることしかできなかった。

「道重さゆみでーす!」

そんな様子などに意も介さずMCを進める道重。
内容が全く台本通りではないことに気付くものはいない。
そんなことはどうでもいいのだ。

「さゆみは今日もかわいいですかぁ?」

かわいいとか、かわいくないとか、そんなことではない。
更に言えばそんなに簡単に形容できる雰囲気でもなかった。
唯一当てはめられる言葉といえば、恐ろしい。それだけだった。

「今日はみんなに見てもらいたいものがありまーす!」

そう言って道重はマイクと黒い本を足元に置いた。
19 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:50 ID:GmWVZSBA
どこに向けるでもなくバンザイをした道重は、真珠のような輝きを持ったその左手の指先から
飴玉のようなものを口の中に落とし、噛まずに飲み込んだ。
そしてそのまま左手をゆっくりと顔に近づけ、口の中に入れた。
顔を上に向けて包帯の奥の口を大きく開くと、思いきり左手を口の中に押し込んだ。
会場にいる全ての人間が何が起こっているかわからないまま、呆然と彼女の行動を見ているだけだった。

左手の指を尖らせできるだけコンパクトにすると指を付け根を越える辺りまで飲み込んでいく。
カッと見開かれた道重の瞳をライトが照らす。
身体は嘔吐いているようだがが全く苦痛はない。
右手で左の肘を持つと引き寄せるようにして口の中に押し込んでいく。
鼻息はその激しさを増しているがそんなこと誰も知らない。

グゴ

ガァッ

ァグィ

道重の喉が鳴っている。
左手は既に手首まで飲み込まれている。
右手は震えながらも力いっぱい左手を援護している。
先ほどまで華麗なステップを踏んでいたステージの上で、天を仰ぎながらよろよろとふらつく道重。
20 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:50 ID:GmWVZSBA
誰も動けない。
異様だとか、異常だとか、畏怖だとか、驚異だとか、そんなものは消し飛んでしまっている。
観客やメンバー、スタッフに至る全ての人間がただ道重を見ていた。
彼等の脳は全て彼女を見るためだけに働いている。

顎が外れ涎もダラダラと垂れ始めた。
それでも道重は倒れることなく左手を飲み込み続けている。
白目を剥き、よたよたとした足取りで左手を喰う。

右手はトンカチのように左肘を叩き、少しずつ左手を押し込めていく。
陸に上げられ瀕死の海老のように体をびくつかせながら、それでもやめない。

右手でガンガン左肘を殴っていると、包帯の端が触れた。
それはまるで意志を持ったかのように道重の顔からほどけていく。
あれほど取ることを嫌がっていた包帯がほどけているというのに依然正気を取り戻すことなく
左手を体内に押し込めている。

包帯は勢いをつけながら段々とほどけていった。
真っ白い布が徐々に黄色、オレンジ、朱色と色をつけはじめていく。
順番にほどかれる前に顔を覆っていた包帯はずり落ちて、その全貌が明らかになった。

かさぶたはひび割れ、その間からマグマのごとき真っ赤な血がダラダラと流れている。
生々しい血肉が表皮や真皮に隠れることなくその質感を見せつけ、雪を欺く道重の白肌はそこになかった。
一晩で治りきるはずのないその醜い顔はなお左手を飲み込み続ける。
21 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:50 ID:GmWVZSBA

  お疲れ様でした。
  本日を持って「キレイになる本」のプログラムは終了です。
  最後は人目に一番触れる箇所、顔です。
  今までのプログラムを消化してきたあなたは外見はもちろん、
  身体の内からキレイになっていることでしょう。
  ですから、肌を新しく作り直せばきっと今まで見たこともない美しい肌を形成できるはずです。
  付属のケースの中にある赤黒い皮剥き器をお取り出しください。
  それで顔の皮を剥けば古く悪質だった皮膚を完全に取り除けます
  なお、市販の皮剥き器をご使用されている方はそちらの使用をおやめください。
                                                      そして    』
22 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:50 ID:GmWVZSBA
既に上腕の半分近くを飲み込んでいる道重に意識らしい意識はない。
それでも倒れ込むことなく立ち続け、右手で左手を打ち続けている。

悲鳴。失神。嘔吐。失禁。
こんな状況を見てしまえば誰もがそういう行為をしてしまいそうだが、
道重を見つめる全ての人間の思考は停止していた。
そこにはなんの感情もない。
あまりに非現実的な光景を目の当たりにすると人間はただ止まってしまう。

そんな中、既に白目と呼べないほど赤く充血した道重の目が見開いた。
左手を激しく動かし、体が狂乱しているかのように動きまわす。
口から溢れ出る血しぶきはステージを真っ赤に濡らす。

一瞬動きが止まった。

道重は右手で左腕を掴むと、血糊を撒き散らしながら左手を引き抜いた。
鮮血に染まった左手は久方ぶりにその姿を現し、魂の抜けた観客たちに宣言していたあるものを見せつけた。
23 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:50 ID:GmWVZSBA


  美しくある者、その心も美しくなければなりません。
  どんなに過去の過ちを悔い改めようともその胸の内にあっては
  神さえその真偽を見抜くことはできないでしょう。
  付属のケースの中から人体図をお取り出しください。
  その人体図を参考に大勢の人達の前であなたの真紅の心臓をお見せしましょう。
  大勢にその心の美しさを認めてもらえて初めて、その心は美しいと言えます。
  なお、市販の人体図をご使用されている方はそちらの使用をおやめください。

  今回の作業はどちらも困難が予想されます。
  付属のケースの中から真っ黒な錠剤の入ったビンをお取り出しください。
  今回の作業の直前に飲むことで軽快に事を進めることができるようになるでしょう。
                                                       』
24 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:51 ID:GmWVZSBA
いまだ微弱な脈をとる心臓を左手に掴みながら、道重は音を立てて崩れた。
血だまりの中の彼女の姿を見るものはいない。
みんな正気を取り戻し、悲鳴を上げる者、失神する者、嘔吐する者、失禁するものが続出した。
ステージ上のメンバー達に意識のあるものはなく、少しずつ迫ってくる道重の血に反応さえしない。

地獄絵図さながらの状況で一つだけゆっくりと動くものがあった。
鮮血を浴びてその色を涅色からこげ茶程度まで明るくした道重の黒い本。
誰も触れず風さえ吹いていないのに、表紙が少しずつ開いていく。
最初からページがめくれていき、何ページも続いた空白、
最終回のページとライトに照らされなおページがめくれていく。

また空白のページが続きどんどん裏表紙に近づいていくが、そんなことを知る人間はいない。
そして、最後のページは天使の羽を思わせるくらいゆったりとめくれた。
煌々と照らされる最後のページには、ハッキリとした黒い文字でこう書かれていた。
25 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:51 ID:GmWVZSBA









26 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:51 ID:GmWVZSBA







     美しくなったあなたを地の底でお待ちしております





                                         』
27 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2006/05/05(金) 20:51 ID:GmWVZSBA



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