Raining

1 名前:Raining 投稿日:2005/09/18(日) 22:40
Raining
2 名前:Raining 投稿日:2005/09/18(日) 22:42

 なんてことないシーンだった。
 裕ちゃんとごはんを食べに行く話をしていたらなっちが来て、それなら三人で行こうということになった。今年の秋刀魚がおいしいということや、なっちの新曲や裕ちゃんの京都でのライブ、それぞれのペットの話と同じようなテンションでBerryz工房の舞波ちゃんの卒業の話が出てきた。裕ちゃんは「そんなこともあるやろ」と言い、なっちは興味ないのか「圭織、髪伸びたね」と私の髪を見ていた。
 私はふと舞波ちゃんが小春と同い年であることに思い至り、嫌な気分になった。舞波ちゃんのことはよく知らないけど、中学一年生という微妙な年齢の中で大きな変化を受け入れた。同じように大きな変化を経験してはいるが、身勝手な無遠慮さが愛おしい小春とは何もかもが違うような気がした。飛び込むのと、離れていくのが違うように。
「そういや圭織、なんで髪切ったん?」
「あ、それなっちも聞きたいと思ってた」
「べつに? ただの心境の変化だよ」
 誰に何をしようとするか、誰に何をしてあげられるか、誰が何を求めているか、ソロになった今でも、私はそんなことをよく考える。
3 名前:Raining 投稿日:2005/09/18(日) 22:42

「それ、かわいいですね」
 メイク室の前でばったり会ったよっすぃが私の束ねた髪を指して言った。まだ髪がそれほど長くないから、ぴょこんと細く結ばれている。
「こうしてると、髪を整えて出る必要ないから」
「あー、それってものぐさの第一歩だー」
 目に見えて精悍になってきたよっすぃの顔がかわいらしく崩れた。暖かい気持ちが込み上げてきて何か言いたかったけど、それは自己満足になりそうだから胸の奥にしまった。
「ダメね、一度楽を覚えると」
「そのうち甚平とか着るようになるから」
「着ないわよ」
 強めに言って前に一歩出ると、よっすぃが声をあげて二歩引いた。その時、しっとりと甘いような、えぐみのある匂いが漂った。
「あれ、よっすぃ、香水つけてる?」
 よっすぃは何でもない風を装ってるけど、みるみる顔が赤くなっていく。一時期、ずっと前、よっすぃは香水をつけてたけど、いつしかそれをやめてしまっていた。
「カオリンなんて、香水すらつけなくなったじゃないですか」
 話の矛先を逸らそうと、よっすぃが私を咎めるように言った。
「私、元からあんまりつけてないよ」
「じゃあ、あれは髪の匂いだったんだ。カオリンの匂い、けっこう好きだった」
「キモいよ、なんかそれ」
「長かったもんな、カオリンの髪」
 おかしな言葉の感触だった。伸びた私の髪が私と私の少し前を嘲笑った。そんな感じがした。
4 名前:Raining 投稿日:2005/09/18(日) 22:42

 小さくも大きくもない駅を出て、斜めに伸びている寂れた商店街に立った。
既視感に世界がすっと遠のいて上向いていくような気がした。息を止めて目を閉じる。これは既視感ではなく、風化して崩れかけていた記憶だ。
なんとなく足が向いた、ということではなく、決意して足を向けた。よく晴れた日の公園とウォークマン、この二つが今の私にはどうしても必要な気がした。
 愛の種の手売りをやり遂げ、札幌の高校に行きながら慌しくデビューシングルを発売した頃だ。横浜アリーナでの握手会が大失敗に終わり、落ち込んでいた。それが望郷と重なって、死ぬ以外にないと思えるくらいに追い詰められていた。いや、自分を追い詰めていたのだ。その間は二週間もなかったはずだけど、今でも強烈に残っている。
 詰め込まれたような軒の低い街並みに、穴が空いたような小さな公園。私が上京した頃のままだった。公園の輪郭を囲うようにポプラの木が等間隔に並べられ、中心には錆び付いた水銀灯、シーソーと砂場と滑り台がせせこましく配置され、塗料が剥げてささくれだったベンチもそのままだった。笑ってしまうが、私はここを札幌に重ねていたのだ。
 あの時のようにベンチに座った。ウォークマンはない。当たり前だけど、過去の自分と同じことをしてみても、何も変わらない。初めからあった強迫観念のようなものがはっきりしただけだ。
 私はどんな心境でウォークマンを聞いていたのだろうか。Coccoを聞いていたような気がするが、違うかもしれない。思い出そうとしても、膝元の鞄から耳に伸びていた黒いコードが脳裏にちらつくだけだ。デビュー当時の私は、今の私よりも舞波ちゃんや小春のほうに近い。
 身なりがそれなりなのでわからないが、ホームレスだろう、赤と灰のボーダーのポロシャツを着た中年の男がふらふらと公園に入ってきた。膨れたビニール袋を持った母娘が公園を横切っていく。遊ぶんじゃないの? 女の子が不思議そうに、目を伏せるお母さんに聞いている。お母さんは何も言わずに公園を通り抜け、ホームレスは薄ら笑いでぼんやりと母娘を見送った。
 少なくとも私は、ここにいる誰よりも幸福だろう。満足と甘んじるというのは、すごく似ている。そう思った。

5 名前:Raining 投稿日:2005/09/18(日) 22:43

 高橋の緊張した怯え気味の顔がかわいくて、「たかはしぃ、顔まるくなってかわいくなったねぇ」思わず、本当に思わずそう言ってしまった。傷ついたような顔をした高橋は、ぐっと唇を噛んだが、私が優しく髪を撫でると静かに話しだした。
「わぁし、太ったわけじゃないんですけど顔がまるっこくなってもうて……」
「それで髪を短くしようと思ったの?」
 もう一度、髪を撫でた。
「飯田さん、髪ばっさり切った時、どうでした?」
 そう言われて、私のところにきた理由がわかった。
 高橋はじっと私のことを見ている。
 どうだったのか、まったく思い出せない。長かった髪を切ることは、私の中で卒業とセットにされていて、それは卒業が決まった時に決めたような気もするし、直前まで迷っていたような気もする。恐らく、どちらもだろう。それほど意識をせずに、私は髪を切った。
雨が降っている。しとしといつまでもやまない雨は、空調の効いたこのビルでも影響している。とうの昔に切り捨てたはずの、腰まであった長い髪の重さが肩に甦ったような気がした。
「すっきりはしたけどなー。どうだったかな。でも高橋、顔かわいいし、小さいから似合うと思うよ。見てみたいし」
 たしかにすっきりはしたが、それは結果だ。高橋が聞きたいことはそうじゃないだろう。あとでもう一度おいで、そうは言えなかった。どんなに思い出そうとしてみても、切った瞬間よりも前は思い出せないだろう。すっぽりとそこだけ抜け落ちてしまっている。
6 名前:Raining 投稿日:2005/09/18(日) 22:43

 何もしないままに一日が終わった。
 部屋に戻って食事の準備をしようと思った時、急に面倒になってソファに寝転がった。後頭部に結われた髪の小さく固い感触を感じた。今の私は恐ろしく贅沢な時間の使い方をしているとも言えるし、無駄をひとつ増やしただけのような気もする。
 一緒に食事でもしようと、圭ちゃんに電話をかけた。コール音の最中、不意に思い出した。
 当時の私はあの公園で、諦めたのだ。歌手になりたかっただけなのに、それが現実に近付くに連れ、多くの人に失敗したら将来はどうするんだ、と言われるようになった。すっかり思考がそちらに傾いてしまい、ネガテブになっていた。だから、私は諦めた。とてもよく晴れた日に、未来を捨てた。どうなってもいい。歌手である現在が続けばいいと。
 小春や舞波ちゃんのことは、私の大原則にはまるで関係ない、まとわりつくものの一つだ。突き放すのではない。優しく見守るのでもない。心の中でそっと切り離すのだ。
 束ねていた髪に鋏を当てた。鼓動が高まり、思考が一方向に流れていく。それを食い止めようかどうか、迷った。目を閉じて息を吐いた次の瞬間、いい匂いがした。
私の好きなシャンプーの香りだ。



7 名前:Raining 投稿日:2005/09/18(日) 22:44
 
8 名前:Raining 投稿日:2005/09/18(日) 22:44
 
9 名前:Raining 投稿日:2005/09/18(日) 22:44
 

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