98 フォレストハート
- 1 名前:98 フォレストハート 投稿日:2004/12/29(水) 04:50
- 98 フォレストハート
- 2 名前:98 フォレストハート 投稿日:2004/12/29(水) 21:02
- 気付けばわたしは巨木の足元に座り込んでいた。
冷たい外気は水分を含んでいるようで、前髪や衣服を湿らせている。
霧雨。周囲は細かい雨粒のカーテンで仕切ったようにぼんやりしていた。
ここは何処だろう――どうやらこの問いに答えてくれる人は居ないらしい。
腰掛けていた木の根から立ち上がり、露出した素足を地面につけると、
まるで身体の節々が放置されたままだったブリキ人形のように軋んだ音を立てる。
その刹那に揺らぐ視界。天から垂れるように生えていた蔦に掴まり事無きを得たが、
後もう少しで尖がったあの小石がわたしの可愛い足を傷つけてしまう所だった。
まるでいつもよりも重力が強く重くかかっているような錯覚。
頭も痛い。断続的に、巨大な鐘の音のように鈍く響く痛みが襲ってくる。
微かに付き纏う疲労感を振り払う様にわたしは霧の中へ踏み出した。
手探りで進むには当然限度があった。もしこの先に落とし穴があったら、
熊が出たら、川に落ちたら――イフの数は無限大。危険の数も無限大。
それでもわたしは進み続けた。進み続けなくちゃいけなかった。
ただ待ち呆けていても、助けは来ないだろうって予感があったからかもしれない。
次第に景色は――1メートル先も実はよく見えないけど――その色を変え始めた。
さっきまでは、どちらかと言うと好き勝手に生い茂っていた草木が姿を潜め、
まるで核実験を行った後かと思わせるほど荒れ果ててしまった大地に辿り着く。
地面は痛々しく肌を露出させ、頭上から舞い落ちる葉は全て茶色く変色していた。
地球温暖化の波はこんな所にまで影響を及ぼしていると言うんだろうか。
絨毯のように敷き詰められた枯葉を見つめていると不意に霧の向こうから声がした。
「誰か、居るの?」
――誰か、居る。
わたしは導かれるままその声の元へと歩いていく。
そして、荒れ果てた地面の真ん中で一輪の花と出会った。
- 3 名前:98 フォレストハート 投稿日:2004/12/29(水) 21:04
- 「こんにちは」
「こんにちは」挨拶を返すと彼女はその可愛い身体を揺らして歓迎の意を表した。
「嬉しいな、人に会うのは久しぶりなの。皆がこの森を追い出されてからどのくらいだろう?」
「追い出された? みんなって――」軽く周囲を見渡す。「……うーん」
相も変わらず霧雨のカーテンが邪魔をしていて何も見えなかったけれど、
少なくともここに辿り着くまでの道で生き物の姿を見つける事は出来なかった。
まるで音のしない、生気を失った森。
そんな印象を抱いていたわたしは彼女の視線に合わせるようと腰を屈める。
「ねぇ、ここには他に誰か居るの?」
「居ないよ」歌うような口調で、でも器用なぐらい微妙に外した音程で彼女は繰り返す。「皆、居なくなっちゃった」
「前までは居たって事だよね。その人たちは誰に追い出されてしまったの?」
「森」
「森?」
そよ風が吹いて、背の高い花は瑞々しいその葉をゆっくりと羽ばたかせる。
そういえば、荒れ果てた地に根を張りながら、彼女は枯れる事を知らないようだった。
「この森はね、皆を拒絶してしまったの。本当は皆この森が大好きだったのに、
森は皆が自分のことを好きじゃないんだって勘違いをして、自ら距離を置いたの」
拒絶――?
何故か頭が痛んだ。彼女の言葉が理解の範疇を超えていたから、というわけじゃない。
調子外れの歌を紡ぐ白い花の囀りが、わたしの大切な記憶を呼び覚まそうとするから。
「わたし、晴れの方が好きなの」茎を震わせている姿は見てる方も寒々しい。
「ちょっと前まではここも陽光の射す、とても住みやすい場所だったのに」
「いつからこんな霧が立ちこめるように……?」
「さぁ。わたしには日付の概念が無いから。でも、少なくとも――」
花びらの形が崩れるほど溜まっていた霧雨の粒を指先でそっと流してあげる。
彼女は「ありがとう」と答えてから、過去を懐かしむように口を開いた。
「お日様は二回見たの。霧が出始めてからの事はよくわからないけど……」
そうなんだ、とわたしは答えた。彼女にとってそれはとても辛い時間だっただろう。
霧の中は寒くて、寂しくて、重い。彼女はここで一人孤独に過ごしていたんだ。
追い出されてしまった皆とは違い、森の中に深く根を張ってしまった彼女にとって、
一番だと言える居場所はこの森の他に見つけられるはずがなかったから。
- 4 名前:98 フォレストハート 投稿日:2004/12/29(水) 21:05
- 「ごめんなさい――」彼女はくすくすと笑い、「って、声が聴こえない?」と訊いた。
わたしは言われるがまま、首をかしげながら耳を済ませてみた。
確かに。誰かの声が聴こえる、誰かの、誰の――不意にずきっと痛みが走った。
まるで誰かが意図的に妨害しているとしか思えないほど、タイミングのいい頭痛。
鈍く響く鐘の音に堪えながら、無駄だと知りつつも縋るような視線を彼女に向ける。
「……後悔してるの」彼女はそよ風に吹かれ、優雅に葉を羽ばたかせていた。
「素直な性格じゃないからすぐに謝る事も出来なかった。
嫌いだ、って言ってたね。でもあれは本心じゃないの、本当は好きなの。
だってそうじゃないと、わたしがここに居られる理由がなくなっちゃうもん」
白い花。
背の高い花。
調子外れの唄を歌い、ちょっと自信過剰気味な所がある可愛い花。
そして森の中で唯一その存在を認められた花。
「あっ……」
彼女の真っ白な花びらを見つめているうちにわたしはある事に気付いた。
たった一枚だけ、インクを落としたような黒い点を持つ花びらがある事に。
足元が崩れるような感覚。もしかすると本当に重力に従って落ちていくのかもしれない。
仕掛けに、気づいてしまったからだろうか。
「……ねぇ」痛みは耐え切れないほど酷くなっていたけど、わたしは必死に声を出す。
聞かなくちゃいけない。目覚める前に、訊かなくちゃいけない。
森の事。目覚めた後の、あの子の事。
「それは――誰の、話?」
ブラックアウトしていく視界。重力に耐え切れず、肌色の大地に沈む自分。
そして完全にわたしと言う存在がこの世界から消えていく寸前に、
「わたしの大好きな、この森の話だよ」と、背の高い花は歌うように答えた。
- 5 名前:98 フォレストハート 投稿日:2004/12/29(水) 21:05
- 濃い霧が晴れ、気付けばわたしは見慣れない白い部屋の中で眠っていた。
すぐ傍で「さゆ、さゆ」と必死に呼びかけていた彼女の姿がある。
ああ――この声だったんだ。わたしは少し不思議な気分で返事を返した。
ふんわりと雲のように漂っていた記憶が徐々に蘇ってくる。
些細なすれ違いから生まれた誤解。れいなと先輩たちの喧嘩、わたしとの喧嘩。
偶然に偶然が重なって起きた事故でコンサートステージから落ちそうになった事。
わたしが彼女を助けようとして――逆にステージから落ちちゃった事。
言葉にすればたったこれだけの事。でも、あの時のわたしはそれに気付けなかった。
「れいな、怪我、しなかった? だいじょーぶ……?」
身体が疲れているせいか、リハーサル中の事で声を少し枯らせてしまったのか。
それでもわたしは一生懸命彼女に話しかける。
「うん……さゆが助けてくれたけん」
そうか、よかった。心から安堵のため息を漏らす。
出来ればこのまま泥のように眠ってしまいたかったけれど――室内を見回しながらわたしは口を開く。
- 6 名前:98 フォレストハート 投稿日:2004/12/29(水) 21:06
- 「……まだ、謝ってないでしょ?」
案の定、彼女はばつの悪い顔で小さく頷いた。
きっと意地を張りすぎて自分から引き下がる事が出来なくなっちゃったんだ。
叱られる子供のようにしゅんと大人しくなってしまった彼女の姿が可笑しくて、
わたしはつい微笑んでしまった。
「わたしね」と、歌うように話しかける。「お天気なら晴れの方が好きなの」
れいなは拭いきれなかった涙を目尻に残し、怪訝そうな顔をしながらも同意した。
よし、と心の中でガッツポーズを取る。それならきっと――大丈夫なはずだ。
天から伸びていたあの蔦のように、わたしはしっかりとれいなの手を握った。
「だったらさ、謝っちゃお。……いつまでもぐずぐずしてるの、嫌でしょ?」
素直じゃないれいな。天邪鬼なれいな。ちょっと、横暴な所もあるれいな。
少しの沈黙。針の音だけが響く部屋の中で彼女は不意に席から立ち上がった。
外へ出て行く後姿を満足気に見送り、わたしはもう一度白いベッドに寝転がる。
ちょっと疲れてしまった。一眠りするぐらいならきっと許して貰えるだろう。
少しずきずきと痛む頭に顔をしかめながら、結露が覆う窓の外を見上げた。
どうやら今日は曇りらしい。
でも、それもきっと――じきに晴れるだろう。
わたしはゆっくり瞼を閉じて、雲間から射し込む陽光を待ち望んだ。
- 7 名前:Max 投稿日:Over Max Thread
- このスレッドは最大記事数を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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