25 謝肉祭
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:41
- 25 謝肉祭
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:42
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冷たい空気の中、二人で息を潜めていた。
半ば崩れ落ちたビルの中は薄暗く、ただ握り締めた互いの手のぬくもりが
どうにか冷静さをその心につなぎとめていた。
遠くに悲鳴らしき声が聞こえる。
自分の指を握る手に力がこもるのを感じ、
麻琴は隣で奥歯を噛み締める端正な顔を不安げに見つめた。
視線に気がついたひとみは、わずかに口元を曲げる。
微笑んだつもりなのかもしれないが、それはとても成功しているとはいえなかった。
正義感の強いひとみにとって、自分の感知できる範囲で人が殺され、
しかもそれに対して何もできないでいることは耐え切れないことなのだろう。
もちろん、それは麻琴にとっても同じ事だ。
自分の無力さが思い知らされる。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:43
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大きく息をついたひとみが、立ち上がって麻琴のほうを向く。
「行くよ、麻琴」
その顔には拭い去れない疲労が見て取れる。
色白の肌はところどころ黒く汚れ、やや下がり気味の大きな目の下には
色濃い隈が浮かんでいる。
無理もない。そう麻琴は思った。自分の格好だって大差ない。
伸びきった髪の毛はぼさぼさにざらついて、
お気に入りだった緑のワンピースはすでにぼろぼろだった。
先日見つけたサイズの合わない大きなコートの上から、
自分の体をぎゅっと抱く。
「いつまで……こんなことをしなくちゃいけないんだろう……」
自分で想像していたよりもずっと弱々しい声だった。
認めたくはないが、限界なのだろう。
他にできることは、もう何もない。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:43
- 「諦めちゃ駄目だって」
見上げた視界には、唇を引き結んだ凛々しい顔があった。
頬は削げ、目は落ち窪んでいるものの、その瞳には強い力がある。
「あたしは、ヤツラにむざむざ殺されるのは嫌。
そして、麻琴を守る。……もう、決めたから」
ひとみが、その腕にはめたごついダイバーズウォッチを見た。
「もうすぐ陽が暮れる。早く別の場所に移動しよう」
すっと右手が差し出される。
「行こう。二人ならどうにかなるよ。ね」
にっこりと微笑んだその笑顔が、麻琴の心に染み入る。
一度目を閉じ、顔を上げると差し出された腕を取った。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:44
- 左右を伺い、そっと道に出る。
行く当てがあるわけではない。ただ、少しでもヤツラから遠のきたい。
その気持ちが足の動きを早くさせた。
バサリ。
大きな翼が空気を打つ音が聞こえた。
二人の体が電流に打たれたようにこわばる。
肌を切り裂くような冷たい風の中、頬を流れる冷たい汗を感じながら、
ひとみはゆっくりと振り返った。
今まさに自分達が出てきたビルの屋上。
そこにヤツラの一体が座っていた。
上を見上げたまま、ひとみが麻琴の体を背中に隠す。
そんな行為が無駄であることはわかっている。
それでも、ひとみは手を広げて立った。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:44
- すうっと音も無くヤツが屋上から飛び降りる。
グライダーのように風を切り、一直線に二人に向かう。
目の前にあるひとみの背中を見ながら、麻琴は腰の辺りを掴んだ。
やっぱり…運命だったんだ……。
逃れることのできない運命。
全ては……摂理のままに……。
次に訪れる惨劇を予感し、麻琴はゆっくりと目を閉じた。
激しい爆発音が響き、麻琴はその目を開けた。
目前まで迫っていた翼は真横に吹き飛ばされていた。
その体からはまだ黒い煙が上がっている。
「早く! こっち!」
呼ばれたほうを振り向くと、二人の女が立っていた。
そのうちの一人、丸顔の女性が手招きをしている。
状況を理解しきれていない麻琴の手を引き、ひとみはそちらに走った。
「急いれ! あんなもんじゃ無理!」
銃口から煙の出ているグレネードを抱えた少女が鋭く言い放つ。
瓦礫の散乱する路地を通り抜け、四人はその場から離れた。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:44
- 「どうにか振り切れたみたいだね」
「いやー、無事でよかったねえ」
全力で走り去った四人はようやくほっと息をついた。
「あの……ありがとうございました」
ひとみは立ち上がり頭を下げる。麻琴も慌てて後に続いた。
「あらら、そんなの気にしないでいいよ」
人のよさそうな笑みを浮かべた童顔の女性が、ひらひらと手を振る。
「それより、あんたたちこんなところで何してるのさ。
この近くにコニュミティはなかったはずだけど」
グレネードを肩にかけた少女が、舌足らずに聞いてくる。
「それは……」
ひとみは言い澱んだ。
「なんだい、もしかしてずっと彷徨ってたのかい。
行くところがないんだったら、わたし達のところにくればいいっしょ。
まだ少しくらいなら余裕はあるから」
笑顔を浮かべたまま女性は優しく話し掛ける。
「いえ……」
またひとみは言葉を濁した。視線があらぬ方向に流れる。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:45
- わたしのせいだ……。
麻琴は視線を落とす。
わたしのせいでコミュニティには入れない。
だからこそ、こうやって二人っきりで街を這いまわっているのだ。
わたしさえいなければ……。
麻琴はまた無意識のうちに腰の辺りをぎゅっと掴んでいた。
「あんた……」
厳しい声が聞こえ、麻琴は顔を上げた。
綺麗な顔立ちの舌足らずが、鋭くこちらを睨む。
「あんた、『三段腹』だね」
麻琴はびくんと体をこわばらせた。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:46
- 「のの! それは……」
「なちみ!」
ののと呼ばれた少女は短く言って制し、ひとみと麻琴を向いた。
「悪いけど、『三段腹』を連れて行くわけにはいかないの」
顔を伏せていても強い視線を感じる。
麻琴は服の上から腰周りをさする手に力をこめた。
そう、麻琴は三段腹だった。
あんな出来事があってさえ、痩せることができないでいる。
ありとあらゆるダイエットを試みたのに。
それでも身に張り付いた脂肪を落としきることができない。
そんな自分が麻琴は嫌いだった。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:46
- 「お願いです。吉澤さんは『三段腹』じゃありません。
吉澤さんだけでも連れて行ってください」
「麻琴! おめー、何いってんだよ!!」
振り返ったひとみは麻琴の両腕を掴む。
「言っただろ? おれが麻琴を守るって。
どんなことがあっても、おれは麻琴を見捨てたりしない」
強い目に見つめられ、麻琴は泣きたくなった。
この澄んだ目に、自分は応えることも抗うこともできない。
それが哀しかった。
「いいんです」
ひとみは助けてくれた二人を振り返り、はっきりとした口調で言った。
「あたしたちは二人で行きます。いろいろとありがとうございました」
「でも……二人だけじゃ……」
「大丈夫です。今までもやってこれたし……。
それにこれ以上ご迷惑をかけるわけにはいかないですから」
なちみと呼ばれた女性は哀しそうな顔でひとみ達を見つめていた。
ののと呼ばれた少女も、先程までの強い姿勢とは裏腹に、
苦悶を押し殺すように唇を噛み締め、あいぼん、と呟いた。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:46
- 「本当にありがとうございました」
そう言ったひとみが麻琴の手を引き立ち去ろうとすると、
ののが、これ、と小さなショルダーバックを渡す。
「ちょっとしかあげられないけど、なんかの役にたつとおもうから」
荷物を渡した仲間を、なちみは優しい目で見つめた。
その目がひとみ達のほうを向く。
「元気で……」
それは現状を考えると無理な注文ではあった。
だが、ひとみ達にとって何よりのはなむけでもあった。
ひとみは、深々と頭を下げ、力強く踏み出した。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:48
- 夜も更けた。
たまたま見かけたファミレスに二人は入っていた。
店内はほとんど壊された様子は無い。
客席が少し壊れているくらいで、厨房はそのまま残っている。
暖を取るため、寄り添って毛布に包まる。
麻琴はひとみの肩にそっと頭を乗せた。
「……ねぇねぇ」
「なんだよ、麻琴」
「本当に後悔してない? わたしといること」
「してねぇよ、バカ。何度も言ってるだろ? もう決めたんだって」
その言葉に麻琴はさらに身を寄せた。
「こうして寄り添ってると、お前の肉、あったかいし」
ひとみがそうおどけると、麻琴はやっと相好を崩した。
「思い出してたの。昔のこと」
「うん」
「ダイエットキャンプで、夜中みんなで抜け出して釣り堀の魚盗んで食べたの」
「うん」
「あの頃は……楽しかった……」
「……うん」
「……最終日はさ、みんなでバーベキューで」
「麻琴!」
ひとみは厳しい声で止めた。
「それ以上は……続けないで」
「あ…ごめんなさい……」
そのまま二人の間に沈黙が流れる。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:48
- 『それ』はやってきた。
ある日、突然に。
『天使』と呼ばれる翼を持った生物を使い、生物に攻撃を仕掛けたもの。
その正体がなんなのか結局わかってはいない。
異次元からの侵略か、あるいはどこかの国の軍事実験の失敗か。
だが、まことしやかに流され、人々に信じられた一つの噂があった。
『それ』は人の脂肉を好むと。
おろかなる人間達に罰を与えるために現れた『生態系の頂点』であると。
これこそが、偏った食生活に対する罰であり、滅亡それは『運命』であると。
脂肪の厚い国ほど崩壊するのは早かった。
アメリカでさえ3ヶ月持ちこたえることはできなかった。
とはいえ、所詮は早いか遅いかの違いだけだった。
飢餓の深刻だった中南米やアフリカですら、
冬の始まりを無事に迎えることはできなかったのだから。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:49
- 「麻琴」
「ん?」
「いつまで続くんだろうな」
「……うん」
「早く終わるといいな、こんなこと」
「……そうだね」
「さっきは怒鳴っちゃってゴメンな」
「ううん、気にしてないから」
「脂身、食いてーな……」
ひとみはそう呟いて眠りに落ちた。
今日はいろいろありすぎた。
麻琴は一日を思い出し、そっと息を吐く。
「わたし、三段腹じゃないもん。……ぽっちゃりなだけだもん」
──END
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:50
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- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:50
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- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/02(月) 23:50
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