22 Kyrie

1 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:33
22 Kyrie
2 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:36
リィィィィィィという音、いや歌声が間近で響く。
恐る恐る薄目を開けて見るとすぐ目の前のコンクリートがまっぷたつに割れていた。
「ヒィィィ!」
「しっ!」
慌てて口を塞いだが、子供に声を顰めてじっと我慢させるのは無理な相談だった。
少女自身、恐怖の余り叫びながら駆け出してしまいそうな衝動に駆られる。
辛うじて抑制できているのは自分がこの中で一番年かさであるという自覚からだったが、
肌で感じる死への恐怖はそんなうすっぺらな理性など簡単に吹き飛ばしてしまいそうだった。

リィィィィ♪

今度は明らかに旋律の体をなしていた。
それもさらに間近で。
やつらは人間の殺戮を楽しんでいるのだろうか。
どこかで聞いたような敬虔なメロディが確実に少女を死へと誘っている。
「キャァァァァッ!!」
後ろの足許にしがみ付いていた女の子が叫び声を上げた。
少女たちがわずかに身を隠している瓦礫の隙間を天使の黒い目が覗いていた。

一瞬、ニヤリと笑ったように感じたのは少女の脳が作り出したまやかしだったのだろう。
天使に表情はないと聞いている。
だが、そんな知識はもう二度と役立ちそうになかった。
少女は死を覚悟し、足とで震える女の子の手を強く握った。

――リィィィエ……

バサリ
羽根が大きく開かれる音。
少女は不思議に思った。
気のせいだろうか。
歌声もさきほどとは少し調子が違うように感じられた。
思い切って薄目を開けると、そこには黒目がちな、だが確かに人間の瞳が見つめていた。

「大丈夫?」
ゆっくりと差し出された手に少女が手を伸ばす前に、足もとにしがみ付いていた女の子が
うわぁっ、と泣きながら飛び出して手を差しのべた相手に抱きついていた。
「さゆ、無事だった?」
「ハイ石川さん、二人とも無事なようです」
「よかったあ」
黒目がちな少女に石川さんと呼ばれたやや色黒な女性が近づいてきた。
黒いタンクトップを突き破りそうな胸の隆起が逞しい生命力を感じさせた。
3 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:38
「ちょっとやりすぎね」
彼女の指差す先を見ると白い体液に塗れた天使の亡骸がボロ雑巾のように横たわっていた。
不思議と気持ち悪さは感じなかった。
それよりも再びむくっと起き上がって攻撃してこないか不安だった。
「でも、焦ってたから。セーヴするほど余裕なかったし」
「言い訳しない。Sotto voce、囁くように、ね?」
「はぁい」
不満げに口を尖らせるさゆ、と呼ばれた少女が優しく足元の女の子の頭を撫でた。
少女はハッ、として慌てて礼を述べようとしたが、激しく緊張したためか口がうまくまわらない。

「ちゃ、ちゃいこーです!」

二人は黙ったまま顔を見合わせるとすぐに吹きだした。
「いやん、おもしろい、このこぉ」
「『ちゃいこー』ですよ、石川さん!『ちゃいこー!』」
「キャハハハ」
見れば先ほどまで泣き叫んでいた年下の女の子も自分を見て笑っている。
ペシッ、と軽く頭をはたいて少女の手を引き、相変わらず受けまくる二人におそるおそる切り出した。
「あ、あの……」
「ハイ?」
振り向いた石川の顔はまだ笑いをこらえているらしく頬がプルプルと小刻みに揺れている。
少女はもう一度ペシッ、と足もとの女の子の頭をはたいた。
頭を押さえて不満げに見上げるのを無視して少女は告げた。
「わ、わたし、亀井絵里っていいます。第36コミュニティの住人で、この子は梨沙子。ほら、あんたもお礼言って」
梨沙子、と呼ばれた女の子は目を輝かせてお辞儀をしながら二人に向けて言い放った。

「ちゃいこーです!」

「ギャハハハハ!」
「死ぬぅ、なに?この子たちおもしろーい」
絵里はものすごい形相で梨沙子を睨みつけて「メッ!」としかりつけ、爆笑し続ける二人に話しかけた。
「あ、あの、お礼をしたいのでよろしかったらコミュニティまでご一緒していただけませんか?」
笑いがパッ、と止まった。
顔を見合わせる二人。
「一緒に、って。いいの?」
「ハイ」
力強くうなずく絵里。
4 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:39
二人が戸惑うのも当然だった。
最近では天使の襲来よりもコミュニティ同士の収奪や争いが絶えなかった。
とてもよそ者を歓迎するような雰囲気ではなかったのだ。
「夏場だと思って油断してました。本来なら死んでいたところを助けていただいたのですから当然です」
梨沙子という女の子も本当にわかっているのかうんうんと大きくうなずいて絵里を援護する。
「それに…」
絵里は一瞬、地面の白いモノに視線を走らせた。
「いったい、どうやってアレをやっつけたのか…」
知りたかった。
見たところ武器を使ったようではない。
だが、何か秘訣のようなものがあるならばコミュニティを守る上で計り知れないメリットがある。
そして。
絵里はこのさゆという少女にどことなく好感を抱き始めていた。

「いきましょうよ、石川さん!」
「うーん…」
腕を組んで考え込む石川に対し、さゆは幼女のようにはしゃいで飛び回っている。
体は大分、大きいのに実際は梨沙子とそれほど年齢が変わらないのかもしれない。
「わたし、昨日から背中が痒くって仕方がないんですよ、コミュニティならシャワーあるでしょ、ね?」
自分に向けられたさゆの視線に対し、絵里は力強くうなずいた。
「ええ、シャワーもあるしお風呂も。じゃ決まりですね、行きましょう!」
「わーい、決まり、決まり♪」

実際に年齢が近いのか、それても精神年齢が近いのか。
さゆと梨沙子はすでに手を組んで先を歩き始めている。
「じゃ、石川さん、行きましょう」
「うーん……」
気乗りしない様子の石川の背中を押して絵里もまた歩き始めた。
二、三歩歩いてから振り返るとあの白いモノの凄まじい状態が見えた。

まるで「歌声」を浴びたみたい……

それは胴体からまっぷたつに別れていた。
5 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:41


「じゃあ『歌』には『歌』で、ってこと?すごぉーい!」
「うん。石川さんは音痴だから天使には耐えられないんだ、って言うけど」
「そ、そんな凄いの……?」
「全然。なんなら歌ってみようか?」
「あ、い、いいや……遠慮しとく」
「それよりさあ、さゆって肌の色白くてほっぺたなんか艶々してるよねえ、ストリートで生活してるのにすごいよね」
「ええ?れいなの方が白いじゃん」
「絵里は?絵里わぁ?」
「あっちの人は黒いのにねえ」
「や、それ言うとマズいから……」

雰囲気を察したのかコミュニティの長老たちと話し込んでいた石川が談笑する三人の方を向いて
「さゆ、もう寝なさい」と静かに告げた。
「はぁい」
「じゃ」
「おやすみなさぁい」
長老たちに満面の笑みで微笑みかけながら三人の乙女が去ると場の雰囲気がぐっと重々しくなった。
好々爺よろしく三人が立ち去る姿を見つめていた長老の表情も引き締まる。

「では、あの『歌声』は天使の『歌』に対して打ち消しあう干渉波の役割を果たすと」
「はい。詳しいことはわかりませんが彼女にはそうした特異な能力があるようです」
「人間があの化け物に対抗できようとは…」
「ええ。ただ私も彼女以外にそのような能力を持つ人に会ったことはありませんが」
石川はコップの水を飲み干してテーブルの上に置いた。
長老の横で畏まっていた童顔の女性が無言でその顔を見つめながら空のコップに水を注ぎ足す。
軽く会釈する石川から女性は視線をはずそうとしない。
その横にいるやや頬骨の張った猫目の女性が嗜めてようやく視線を外した。
そんな二人の様子に気付くことなく長老は石川にもうすでに何度も繰り返したはずの問いを重ねる。

「なんとか留まってもらうわけにはいかんだろうか……ここには充分な食料もある。
ストリートの連中も手を出せんし他のコミュニティとは協定を結んで友好関係にある。
アレさえなければここほど安全な場所はないんじゃ」
「申し訳ありません…ですが、どうしても行かなければならないんです」
石川はちらり、と猫目の女性の様子をうかがった。
6 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:43
「さいたま、ですか…」
「はい」
「残念じゃのぉ」
「ご好意はありがたいのですが……」
石川が目を伏せると待ち構えていたかのように猫目が「長老、お客様もお疲れですから、今日は…」と諭す。
「そうじゃった、ごゆっくり休まれよ」
「では失礼させていただきます」
ゆっくりと腰を上げる石川を童顔の女性が先導した。
長老のテントを出てそのまま着いて行くと後ろから声がかかった。
「あんた、あのときのクリスチャンだね」
ハッとして振り向くと猫目が大きな瞳で石川を見据えていた。

「悪いことは言わない。早く立ち去った方がいい。一応絵里と梨沙子を助けてもらった礼は言う。
でもクリスチャンはここにいられないんだ。わかるでしょ?」
目に涙を溜めて俯く石川に童顔の方が追い討ちを掛けた。
「泣いてもダメ。クリスチャンがいたらアレは必ずここを攻撃してくるはず。
今は小康を得ているからいいけど集団で襲われたら……第13コミュニティの話は聞いてるでしょ?」
石川はうなずいた。
不吉な数である13を冠したコミュニティは紛れ込んでいたクリスチャンのために天使団の襲来を受け、
ものの数分で壊滅したという。

「やつらはクリスチャンの臭いを嗅ぎつけてやってくる。
あたしたちがどれだけうまく隠れたってクリスチャンがいたら意味がないんだ」
石川は左腕に巻いた赤い腕時計をギュッと握り締めた。
「そこなの?」
石川は静かにうなずいた。
時計の下に隠しこんだクルスが肌に食い込む。
「あの子……さゆ、って言ったっけ。絵里やれいなと仲良く成り過ぎないうちに早く出てってほしいの」
「はい。明日の夜にも」
「そうだね。今日はゆっくり休んで。それじゃ」
「はい。おやすみなさい」
頭を下げる石川を置いて猫目と童顔は去っていった。
童顔の方は最後まで口を開かずじまいだったが。
石川は二人の後姿を見届けるとすぐ先に用意されたテントへと足を向けた。
中ではすでにさゆが静かに寝息を立てていた。
7 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:44


「シッ!」
廃材に足をかけてガタンと大きな音を立てたさゆを石川が短く叱責した。
だが石川とてさゆを責めるべきでないことは承知していた。
明かりも持たず夜中に廃墟の間を抜けて行くのがもともと無茶だったのだ。
それでも音を立ててコミュニティの住人に見つかるのはマズイ。
石川は音を立てぬよう慎重に足の置き場を探りながら進む。
と、突然後ろから光が差し出された。
「さゆ!危ないよ!今日の昼間、天使が出たって大人が騒いでたんだから!」
振り返るとれいながランプのようなものを二人の方に差し出していた。
その後ろから絵里がおずおずと顔を出して哀しそうにさゆを見つめる。

「ごめんなさい。天使のことは知ってるの。でも、さゆがいるから大丈夫。
それよりあなたたちの方が危ないから早く戻って」
石川が説得するもれいなは首を横に振って「ダメ!さゆはあたしたちと一緒にいるんだもん!」と叫ぶ。
「れいな!ダメ!帰って!お願い!」
たまらず泣きそうな声でさゆが叫ぶが少女二人はさゆが戻るまで帰るつもりはないらしい。
「ダメよ!あんたたち今すぐ帰りなさい!」
石川がすごい形相で叫んだその直後に絵里の足もとが割れた。

「キャァァァァッ!」
蒼白になる二人を目掛けて白い翼が襲い掛かる。
「危ない!さゆっ!」
石川の指示を待たずにさゆはすでに歌う態勢へと移っていた。

リィィィィィ♪

だが敵の方が一瞬早かった。
「れいなぁぁぁぁぁぁっ!」
狂ったような叫び声のあがった方を見ると血まみれのれいなを絵里が抱えながら必至で揺すっていた。
「れいなぁぁぁぁぁぁっ!」
さゆは目に涙を浮かべながらキッと白い翼を睨みつけた。
上空でゆっくりと弧を描いたそれは再び下界を睥睨して絵里に狙いをつける。
急に月が出て上空の白いモノを照らした。
さゆは翼を羽ばたかせて金色の髪をなびかせるそれに向ってありったけの声を張り上げた。

「キィーリィーーエッ!!」
8 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:49
凄まじい威力だった。
天使は原型のわからぬほど粉々に砕け散って瓦礫の上にパラパラと降り注いだ。
さゆは急いで絵里のもとに駆け寄るがれいなの負った傷は深く、すでに事切れているのは明らかだった。
「れいな!れいな!ダメ!頑張って!れいな!」
何か声をかけようとするさゆの肩を押さえて石川が「行こう」と耳もとで囁いた。

石川の指差す方向から人の近づいてくる音が聞こえていた。それも大勢の。
見るとコミュニティの方から大勢の大人がこちらに向ってくる。
「待ちやがれ!」
「やっぱクリスチャンかよ、きったねえ真似しやがって」
「お、おい!誰か倒れてるぞ!」
何人かの男が絵里の元に駆け寄ってれいなの死を確認した。
「このやろぉ!許せねえ!」
「やっちまえ!」
「おお!」

怒号と喧騒を貫いて甲高い金属音が響く。
焦げ臭い硝煙の匂いに石川は敵の本気を感じ取った。
男たちは容赦なく石川たちを狙っていた。
焦って退路を探る石川の頬を勢いよく何かがかすめた。
ジンジンと熱を帯びたような痛みに触れると血が滴っている。
「石川さん、大丈夫ですか?」
「それより、さゆ、逃げよ!」
「でも石川さん…」
手を引張ってめくら滅法に走り出す。
それでも後ろを振り向いて男たちを見つめるさゆの恐怖に充ちた視線に石川は不安を感じて懸命に諭す。

「ダメ!人間に向けては絶対にダメ!人殺しは絶対にダメ!」
「でも…でも石川さん、あの人たち、わたしたちを殺そうと――」
と言いかけた途端にビュンと熱い風がさゆの髪をなびかせた。
その毛先がちりちりと焼けた焦げ臭いにおいでパニックに陥りそうになるさゆを石川が逃げ惑いながらも必死に宥める。
「ダメ!ダメよ!ぜった――」
突然バタンと倒れた石川の背中から噴出する血流。
逆上したさゆは我を忘れて思い切り息を吸い込んだ。
9 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:51
「キィィィィ――」
恐ろしく冷たい波動が闇夜を切り裂いて武器を手に押し寄せる男たちを狙った。
「――ィィィィィリィーエッ!!!」
勝負は一瞬で決まった。
ズザッ、という何か工事現場ででも聞こえそうな音を立てて男たちの体が崩れ落ちる。
その首はすべて刎ねられ、切り口から膨大な量の血液が噴出して当たり一面を言葉通り血の海と化していた。
一人としてさゆの前で無事なものはいなかった。
しばらくその様子をぼうっ、と見つめていたさゆはハッ、として後ろを振り向き石川の元に駆け寄った。

「石川さん!大丈夫ですか?石川さん!」
「さゆ……」
「石川さん…大丈夫です…さゆが一緒です」
「さゆ、これを……」
石川は最後の力を振り絞って腕の時計を外し、さゆに差し出した。
もともと赤っぽかった時計だが、石川の血を浴びてさらに赤く輝いている。
「忘れないで、さゆは人間だから…だから――」
「石川さぁぁぁぁんっ!!」
事切れてだらりと弛緩した石川の体を揺すりながらさゆは叫び続けた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

しばらく泣き続けて、さゆはふと近くですすり泣く声に気付いた。
声を頼りに見回すと絵里がれいなを抱いてしくしくと泣いている。
「絵里……」
さゆは石川に渡された時計を腕に巻くと立ち上がり、ゆっくりと絵里の方に向った。
「絵里…」
絵里は聞こえないのか、れいなを抱いて泣き続ける。
「絵里…」
ほとんど背中に触れそうな位置に近寄って、ようやく絵里が振り向いた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!こないでっ!人殺し!化け物!いやっ!いやっ!いやっ!」
れいなの体をギュッ、と抱えて縮こまる絵里にさゆは何も言えず、俯いてその場を立ち去ろうとした。

そのとき――

10 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:52
バサリ
何かが羽ばたいた。
音の聞こえた方を絵里が見上げると月光の中に再び翼を広げた天使のシルエットが浮かび上がった。

キィリィーエ
エレーイソーン
クリィーステー
エレーイソーン

天使の歌だ。
絵里は慌てて身を伏せた。
ひどく音程を外した「歌」だったが、絵里に向けられたものではなかった。
不思議ともの悲しい旋律に顔を上げて目を凝らすとなんだかさゆに似ているような気がする。

「そんなことって……」

キィリィーエ
エレーイソーン
クリィーステー
エレーイソーン

歌いながら飛翔する天使の腕に何か赤いものが煌くのが見えた。
天使はそのまま月に向って消えていった。

11 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:53

おわり

12 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:54
Dona
13 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:54
Nobis
14 名前:22 Kyrie 投稿日:2004/08/02(月) 00:54
Pacem

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