18 砕けない物語

1 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 22:40
18 砕けない物語
2 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 22:46
わあっ、と彼女は小さく歓声をあげた。

「すごい、すごいねー、みきたん。」
「あは…亜弥ちゃん、楽しそうだねぇ」
「うん!」

高温で炉の中から、真っ赤になるまで熱せられたそれを巻き取っていく。
かたちを整え、最後に一息で膨らませる。
ふうっ。
ガラス風鈴の工房―彼女と一緒に来るのは、はじめてだ。

きらきらと瞳を輝かせながら、思わず前に寄って行ってしまう彼女。
危ないよ、と引き寄せ――る、そのつかんだ細い腕が示す反応。
冷たく、硬い、かすかな拒絶。

気づかないふりして、手を離した。
3 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 22:50

またひとつ、風鈴のかたちが整えられていく。
ぐるぐると棒の先でまわされて。
4 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 22:53
ぽわぽわと金魚はいつもと変わらず泳いでいた。

畳の上に寝転がりながら、側に置いた金魚鉢に頬を寄せる。
ひんやりとした感触が、心地いい。
「…いい若いもんが昼間っからごろごろごろごろしてんじゃないよ。」
「そういうこと言い出すところをみると、吉澤さんはもう若いもんじゃないようですね。」
「ったく。相変わらず減らない口だな。」
遠慮など欠片も見せずに彼女は開けっ放しのドアから入り、腰を下ろした。

たぷん。金魚鉢の水が、揺れる。
5 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 22:56
「お土産。」
無造作に置かれた紙袋。開けてみるとガラスの人形。
「チェスの駒――ですか。」
「ご名答。」
よく通る声での返事とともにやや乱暴に床にばらまかれたそれらは、太陽をうけてきらきらと光る。
「紺野、ガラス細工――好きなんだって?」
「ええ。藤本さんが、好きですから。」
一瞬。虚をつかれたような表情が、色素の薄い顔に浮かんで―消えた。
「…そっか」
「そうです。」
藤本がね、と呟いて彼女は人形のひとつを指で弾き、倒す。
Knight。
ぐるり。頭を中心に円をえがいて転がり、止まる。

かんかんかん。
誰かが階段を歩く音がする。
6 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 23:00
「気になるんだろ。」
「…なにがですか。」
「無理しちゃってさ。」
くにゃりと彼女の薄い唇が歪んだ。
「今日、姫路から来てるんでしょ、あいつの」
「何をおっしゃってるのかよくわかりませんが―」
覆いかぶせるように、言葉を吐いた。
「―藤本さんは、昔のお友達に東京の案内をしてるはずです。」
言葉を途中で断ち切られた彼女は、あぐらをかいたまま二、三度自分の膝を軽く掌で叩いた。
「…そっか。」
「そうです。」
ならいいけど、と呟きながら立ち上がる。

次の瞬間にはいつものような悪戯っぽい口調に戻っていた。
「これから部屋、こない? それでひと勝負―どう?」
「結構です。寮長の部屋になんて恐ろしくていけたもんじゃありませんよ。――大体、ゲームはお嫌いなんじゃなかったですか?」

あはは、という快活な笑い声が、強い日差しの中に消えた。
7 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 23:04
よくきいた冷房の風に。
ちりん。
彼女の指がつるす風鈴が鳴る。
ちりん。
私の指がつるす風鈴も鳴る。
おそろいで買った風鈴を持って彼女はご機嫌だ。
肩を並べ、街を歩いて、喫茶店に入る。
一瞬、時を遡ったような錯覚。
けれど。
「亜弥ちゃん――煙草吸うんだ。」
「みきたん、吸うの止めたの?」
それは所詮――幻。

ちりん。
また風鈴が鳴る。
揺れるその表面に、虹みたいな模様がうかぶ。
ぐるぐると。
8 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 23:07
みんみんみーん。
みんみんみーん。
命を声に変えて吐き出すかのように、鳴く蝉の声。
暑さがさらにつのる。
金魚鉢の水も温くなってきたので、日陰に移した。
「…のど渇いた」
独り言をつぶやきながら立ち上がり、がちゃがちゃとコップを出すと冷えた麦茶を注いだ。
――と。
洩れる苦笑。
つい出してしまった机の上の、二つのコップ。

みんみん…み、ばしばしっ。
ふいに声が途切れる。
「あ…食べられちゃいましたね。」
窓の外、飛び去る鳥の後姿を見て麦茶を喉に流し込んだ。

読みかけの本が、まだ残っている。
9 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 23:10
「うわ、やっぱ暑いなー…さてと。次、どこ行きたい?」
「…あのさ。」
「ん?」
「みきたんにひとつ、お願いしていいかな?」
「んー、まあ聞けることなら。」
「一発、殴らせてくんない?」
「……はあっ?」
10 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 23:15
かんかんかん。
誰かが階段を歩く音がする。

無駄なことだ。
そんな思いが心をよぎる。
なぜそう思ったのかは、わからないけど。

見慣れた影が、遠くを歩いているのが見える。
聞いたことのある声が、ときたま聞こえる。
どんどんと、壁を叩く音がする。
それら全てを受け流して、私はじっと考える。
見えるけれど、進めない。
私を阻む透明の、冷たく硬い壁。
これはまるで―――
何か、苛立ちを覚えたこともあったのだろうけれど――今は、消えた。
きっとそういうふうにできてるんだろうと思うから。
私がこの壁を破ることは、きっとない。
そう、思う。
11 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 23:19
ちりん。

音が眠りを破る。
「――夢?」
変な夢だ。
いつの間に眠ってしまったのだろう。
振り払うように、起き上がる。
机の上のガラスのコップ。
ひろげられたままの文庫本。
日陰の金魚鉢。
吉澤さんが置いていったまま、床の上に転がった人形たち。
片付けようと手にとる――Rook。

「…あなたのせいかな。」
ふっと、笑み。
風がでてきた。
一日のうちで一番涼しくなる時刻だ。
私が好きな時間。
12 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 23:22
ちりん。
音とともに。
玄関に立つ影。

「ただいま。」
赤くなった頬を片手で押さえて、彼女はへへっと笑った。
「…お土産って言いたいけれど――いらないよね?」
もう片方の手にもった風鈴をぶらぶらとさせて、困ったときの、すこし眉を寄せるあの表情。
「いいえ…ありがとうございます。」
そっと、両手でくるむ。ひいやりとした、感触。

「おかえりなさい――それ、冷やしたほうがいいですね。」
「そう、かな。」
13 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 23:24

ちりん。
また、風鈴が鳴った。
日が沈もうとしている――暑い一日が、終わる。

14 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 23:29
ちりん。

また、風鈴が鳴った。
新幹線の中で窓の外を見ながらもう一度、彼女は手をふって風鈴を鳴らした。
ちりん。
「……ばか。」
涼やかな音と同じぐらい、小さな呟き。
ここまで、何度も捨てようと、割ろうとしたけど――どうやら、持って帰ることになりそう。
こつん。
窓ガラスに頭をぶつける。
冷たく硬い、その感触が。
今朝、駅で自分を迎えたときの彼女の表情のようで。
風鈴を二人で買ったときの彼女の表情のようで。
喫茶店で、私の言葉を聞いた彼女の表情のようで。
思い切り頬を叩いてやったときの、苦笑いを浮かべている彼女の表情のようで―――

「…ばか。」
映る自分の顔にまた呟いて、窓際に風鈴を置いた。
ぐるりと浮かぶ、七色模様。
15 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 23:31
おしまい。
16 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 23:31
ガラスは砕ける。
17 名前:18 砕けない物語 投稿日:2004/08/01(日) 23:32
物語は終わる。

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