10 Aftermyth

1 名前:10 Aftermyth 投稿日:2004/07/28(水) 02:19
10 Aftermyth
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:19
崩れかけたビルの隙間を、一台の軍用ジープで騒々しい音を立てながら
通り過ぎていった。
罅だらけのアスファルトを踏みしめながら、開けた場所に入ると少しスピード
をゆるめた。周囲を見回してもほとんど人の気配は感じられない。

眠い目を擦りながら、わたしはハンドルを握っていた。助手席で、先輩格の
藤本さんが、ダッシュボードに足を投げ出して地図へ視線を落としている。

わたしたちは、二人とも、全身を覆う不格好なスーツを身につけている。迷彩の
レインコートのようでもあるが、首から上は害虫駆除員の防護服にも似ている。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:19
「コミュニティ#B42、全滅、と」
藤本さんは事務的な口調で呟くと、赤ペンで地図上のマークに×印をつけた。
「いいんですか? もっとちゃんと確認しないと……。遺留品も」
わたしが周囲を見回しながら言うと、藤本さんに頭を小突かれた。
「なにもないっての。見れば分かるから。仲間割れして逃げてったんだよ」

断定的な口調に、わたしは黙って不承不承頷いた。
「なに? 田中ちゃん、不満そうじゃん」
藤本さんは助手席で座り直すと、地図を叩きながら腕にはめた時計を示した。
「いい、時間がないの。いちいち細かいとこまで調べてる暇なんてないの。
分かる?」
「藤本さんの言うことには従います。ただ……」
「ただ、なによ」
「その、田中ちゃんって呼び方、やめてもらえませんか?」
わたしは切り口上で返すと、ジープのアクセルを踏んで加速させる。
「……かわいくないの」

藤本さんはムッとしたように呟いたが、わたしを見ると苦笑いを浮かべた。
「もっと子供らしくしたら?」
「子供じゃないですから」
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:20
しばらくは、川沿いに走る一直線の街道が続いていた。
藤本さんはシートを倒してだらしない姿勢をとりながら、空を見上げた。
わたしも釣られるようにして空を見る。うっすらとした雲が一面を覆って、
ラベンダー色が広がっている。
順調にいけばあと2ヶ所くらいは調査できるかもしれない。自分たちのやって
いることを調査と呼ぶべきなのかは、よく分からなかったが。

やや大きめの街だったが、光景自体はこれまで見てきたコミュニティの跡地と
大差はなかった。荒廃した街並み、散発的に見られる戦闘の跡。
のろのろとジープを走らせながら、崩れ落ちたビルや爆心地を見て回った。
今まで見た中でも、かなり激しい戦闘が行われた場所なのは確かだ。藤本さんは
カメラを取り出すと、適当に撮影していった。

「藤本さん」
わたしが声を上げるのに、藤本さんは振り返った。視線の先に、折り重なるように
して連中の死体が堆く積み上げられている。白い体のあちこちに焦げ跡が残って
いたり、頭や翼のもげたものや、バラバラにされた肉片などもかき集められている。
「がんばったみたいだねー」
暢気な口調で言うと、藤本さんはそれもカメラに収めた。

わたしはジープを停めると、ドアを開けて飛び降りた。藤本さんも後に続く。
「ざっと15、6羽ってとこかな?」
ブーツで死骸を蹴り崩しながら、半ば呆れたような口調で藤本さんが言う。
「このコミュニティは……」
「相当の激戦だったろうから、まあ、ただじゃ済んでないだろうね」
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:20
死体を積み上げた場所は半壊したビルに囲まれた駐車場だった。二人で路地を
抜けて幅の広い通りへ出ると、遠景にもう一つの墓場が見えた。
『開発予定地』と書かれた看板がはがれ落ちて、風に揺られている。

「あれは……」
わたしが不安げな口調で言うのに、藤本さんは唾棄するように言い捨てた。
「クリスチャンどもの墓場か」

背の高い雑草があちこちに固まって生えている空き地には、多くの十字架が墓碑
として立てられていた。
「あれだけでクリスチャンだって断定するのも……」
わたしは慎重に言ったが、藤本さんは黙って肩を竦めただけだった。

二人はのろのろと空き地へ向かった。十字架は廃材を組み合わせて作られた
みすぼらしいもので、埋葬された人たちの名前が乱暴に彫りつけてある。
根元にはおそらく遺留品と思われるもの──帽子や、アクセサリーや、眼鏡など──
が置かれてあった。
藤本さんは近くの十字架の前に歩み寄ると、デタラメに十字を切ってみせた。
「アーメン、ジーザス・クライスト」
その声に、わたしはぎょっとして振り返った。藤本さんは笑いながら手を振った。
「冗談だよ、冗談」
「全然笑えないですから」
苛立たしげに言うと唇を噛んだ。空き地の奥まで進んでいくと、次第に十字架は
小さく、雑なものになっていった。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:21

「ピリピリすんなよ」
藤本さんが追いついてくる。わたしは小さな十字架のそばに置かれていた一冊の手帳を
拾い上げた。
「なにそれ? 聖書ってやつ?」
「違いますよ」
藤本さんには構わずに、ぱらぱらと手帳をめくった。細かい文字でびっしりと記録がつけ
られている。
これは日記だ。おそらく、連中との戦いで死ぬ寸前までつけられていたものだろう。

「田中ちゃん」
肩に手をかけられて、わたしは振り返った。藤本さんは空き地に面した二階建ての家屋
の屋根に目を向けている。
「はやいね。また集まってきてるみたい」
藤本さんの視線を追って屋根を見上げると、4羽ほどの“天使”が──“主”というような
呼ばれかたもしていたが──身を寄せ合って二人を見下ろしていた。

「殺しても殺しても……きりないんだよね。シロアリみたい」
「藤本さん」
緊張感の欠けた彼女を睨みながら、わたしは右腕に装着された細長い発振装置を
まくり上げた。しかし、藤本さんはすでに準備は終えている。
一瞬動きを止めたかと思うと、4羽はわたしたちに向かって、歌声を響かせながら舞い
降りて来ていた。

じっと接近を見つめながら、わたしは、かつてあれだけ憎悪を燃やした相手に向かって
憐れみすら感じていた。連中は死ぬ寸前まで、自分の持っている力が有効だという
ことを疑わないんだろう……思考する能力が与えられていたらの話だが。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:21

4羽は、わたしたちに飛びかかる寸前で突然全身を痙攣させ、地面に落ちてのたうち回った。
発振装置からの低周波が、“天使”たちの持っている器官にダメージを与えている。
断末魔のように、やたら澄んで美しい歌声をまき散らしているが、わたしたちの防護服には
なんの意味もなかった。

やがて、4羽とも地面に横たわったまま動きを止めた。絶命するまでに2分弱ほど。
派手な爆発もなければ、体液や内臓が飛び散ることもない。なんともスマートだ。

藤本さんは死体を蹴飛ばすと、嘲笑的な声を投げかけた。
「誰が作ったかしらないけど、こうなっちゃもう形無しだよな」
「藤本さんがこれ発明したわけじゃないですけどね」
防護服をなでながら、わたしは皮肉っぽく言ってみせる。
「共有財産っていうの、こういうのは」

こともなげに言うと、すっと踵を返した。
「さ、戻ろう。ここもダメ。全滅」
「は、はい」
わたしは手に持ったままの手帳と、悲しいほどおんぼろな十字架の墓碑を見比べた。
ためらいはあったが、そのまま手帳を持って、すでに歩き出してしまっている藤本さんの
あとを追った。
落ちかけた太陽が西の空ににじみ、オレンジ色の陽光を広げている。

8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:21

その日は予定の街までは動けず、中途の河原に野営を張った。
藤本さんは早々に寝袋に潜り込んで眠り込んでしまい、わたしはテントの表に座り、小さな
ランプの明かりの下で手帳を開いた。

“あの日”以前から使われていたものだろう。所狭しと貼られたプリクラからは、手帳の
持ち主──高校生の少女ようだった──の変哲のない日常が窺い知れた。
12月25日、クリスマス。
その日からの記述は、わたしにとっても辛い記憶を思い出させるもので、読む進める
のに苦労した。
正体不明の生物たちの来襲、クリスチャンへの迫害、親友と二人だけで逃げ続けた
こと、その親友も命を落としたこと、コミュニティとの合流、……。

藤本さんの推測は間違っていた。あのコミュニティはクリスチャンではない。彼女は、
親友の死んだその日に、信仰を捨てていた。
あの十字架はそれでも、死に瀕したときに現れる最後の希望なのだろう。
わたしには、それは都合のいい場当たりの信仰だと責める気にはなれなかった。

几帳面で小さなボールペンの文字で、克明に続いている記録を読みながら、わたしは
次第に重い気分になっていった。
今でも彼女たちがしていたのと同じように、旧弊な兵器で“天使”と闘い続けている
人々は大勢いるだろう。
しかし、自分たちの使命は彼等の支援ではない。

踏み絵を差し出す、と藤本さんは言っていた。わたしにはその喩えはよく分からなかった。
わたしたちがまず求めるのは、ユニティ──実体は不明だが、生物をもっとも効果的に駆除
できる装備を開発した人々──に対する絶対的な帰依だった。
クリスチャンは論外としても、彼等への服従を拒めばユニティへの参入は認められない。

敵対者たちを排除する必要すらなかった。こちらからなにもしないで放置しておけば、
勝手に“天使”たちと終わりのない戦闘を続け、やがて疲弊し死に絶える。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:22
自分の仲間たちと一緒にユニティへ参入したとき、わたしはまだ子供だった。それまでの
コミュニティがそのまま包摂させられる形での参加だった。
ユニティに対して不信感を抱くのは、ごく自然な反応として周囲にもあった。わたしも参入
して少ししたころ、仲間の一人からこんな話を聞かされた。

最初に、彼等が殺戮用に生み出された生物兵器──“天使”をばらまき、世界が死に
瀕したところで、自分たちが指導的な立場として世界の再編成へと動き出す。

噂の域を出ないものながら、説得力はあった。“天使”の駆除方法があまりにも合理的
だったこと──特殊な高周波で連中を呼び集め、指一本触れることなく一網打尽にする
──や、他のコミュニティに対する彼等の排他的な姿勢も、そうと疑わせるのには
充分だった。

もしわたしが大人だったら、果たして、絶対服従と引き替えに安全を手に入れることに、
なんの躊躇いもなかっただろうか。いくら考えても分からなかった。しかし、最後まで
果敢に闘い続けて、そして命を落としたこの手帳の持ち主だったらどうだろう……?
彼女は、意志を捨てることよりも、自分の力で闘い続けることを選んだかもしれない。
あるいは、クリスチャンの信仰を捨てたように、あっさり服従を選んだかもしれない。
わたしには、分からない。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:22

「居眠り運転とか勘弁してよ、マジで」
目をしょぼしょぼさせながらハンドルを握っているわたしに、藤本さんがからかうように
言った。
「なら運転代わってください」
「やだよ」

田舎道に広がる風景は延々と似たようなものだった。昨晩は結局一睡も出来ず、
下手したら本当に眠ってしまいそうだ。
放送が再開されたばかりのラジオから、古い歌謡曲が流れている。“天使”みたいな
透き通った声の女性歌手が歌っている。だって生きていかなくちゃ。生きて、生きて……

「藤本さん、ちょっと聞いていいですか?」
「なに? 眠気覚ましになるならつきあってやってもいいよ」
めんどくさそうに藤本さんが応じる。わたしはちらっと横目で一瞥すると、
「ユニティに参加するときに、悩んだりしましたか?」
「はあ?」

地図から目を上げると、藤本さんはきょとんとした表情でわたしを見つめた。
「悩むって、なにを?」
「だって、ほら、いろいろ変な噂とかあるし、絶対服従っていうのも……」
「ああ」
ようやく質問の意味が分かったように、藤本さんは頷いた。

風景が変わり始める。地図にある次のコミュニティの位置はそろそろだろう。
藤本さんは少し考えると、
「じゃ逆に訊くけど、田中ちゃんが美貴の立場だったらどうなのよ?」
「それは……」
即答できなかった。藤本さんは少し苛立ったような口調で、
「美貴は自分の命が一番大事。当たり前じゃん。死んじゃったらなんにも出来ないし、
そこで全部おしまいなんだよ? 命のためだったら、他のなんだって大したことじゃない。
違う?」
「わたしは……」
口ごもってしまう。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:22

「これがなかったら」
藤本さんは防護服の右腕に付けられた発振装置を叩いた。
「美貴もあんたもとっくに殺されてる。運が良くても小さいコミュニティなんてすぐに
やられちゃうし、どのみち野垂れ死にだよ。
下らないことに拘って大事な命捨てちゃうなんて、馬鹿げてる」
「でも、全部始めからユニティの計画どおりだったとしたら……?」
「だったら、なに? 美貴には関係ないもん。自分が生き延びるのが一番大事なの。
他のことなんて、知ったこっちゃないから。それって当たり前じゃない?」
まくし立てるように言うと、ダッシュボードを蹴りつけた。
「停めて」

鋭い声に、わたしは慌ててブレーキを踏んだ。足下でゴムとアスファルトが擦れ合って
不快な悲鳴をあげた。
「爆撃跡だ」
藤本さんが口笛を吹きながら言う。わたしは目を瞬かせながら、壊滅した大都市を呆然と
見つめていた。

混乱時には常の、無差別爆撃が行われた街だった。どこから飛来した戦闘機かは
分からないが、得体の知れない恐怖へのヒステリックな反応として、同じように世界中
で無数の街が被害に遭っている。
「噂には聞いてたけど、こりゃひどいね」
藤本さんはジープから降り立つと、まだあちこちから煙をたなびかせている街を眺めた。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:23

「……」
わたしはなにも言わず、藤本さんの隣に立った。
「出る前にははまだ生存者がいるって聞いてたけど……ありえないよね」
「一応調べてみましょう」
そう言うと、すたすたと先に立って進んでいった。藤本さんは舌打ちすると、早足で
追いついてきた。

瓦礫に埋もれた隙間を縫うように歩きながら、二人で黙って街の中心部まで進んで
いった。辺りは不自然なほど静まりかえっている。人の気配は全く感じられなかった。

上り坂を過ぎ、くぼんだ場所へ降りていった。以前は華やかなショップの並ぶ通り
だったように見える。それだけに傷跡も痛々しい。
焼けこげて鉄筋をむき出しにした瓦礫の山の隙間から、一輪のタンポポが鮮やかな
色で花開いていた。一面がくすんだ色の中で、誤って絵の具を一滴垂らしてしまった
ような、奇妙な違和感があった。

「瓦礫に花を咲かせましょう」
藤本さんは冗談めかして言うと、タンポポの側に転がっていたタイヤに座り込んだ。
「おかしくないですか?」
正面に立って藤本さんを見下ろしながら、わたしは言った。
「なにが」
「死体もないし、天使たちの集まってる様子もないって」

“天使”たちは都市を好む習性がある。これほどの大きな街なら、一度も来襲を受けて
いないということは考えられないし、空襲を受けたと言っても彼等のねぐらにもってこいの
場所はいくらでもありそうだった。
「……そうだね」
軽く一蹴しそうな顔つきになった藤本さんだが、すぐに思い直したように、真剣な表情で
考えこんだ。
「向こうの方」
わたしは数条の煙がたなびいている方を指さした。小高い丘があり、その上にも瓦礫が
積み上げられている。
「戦闘が行われたんですよ、多分」
「つい最近?」
「ええ」
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:23

そのとき、わたしは視界の端になにか動くものを見たような気がした。しかし、一瞬後
にはそれは倒壊した建物の影に消えていた。
「それにしちゃ静かすぎない? どっちの勝利でも勝ち組がもっと騒いでたりさあ」
いつもの軽い口調で藤本さんが言うのを、わたしは手を挙げて抑えた。
「どうしたの?」
「今、向こうに誰か」

わたしの言葉に、藤本さんが振り返る。が、それと丘の上に立ち並ぶ瓦礫の影から大勢
の人影が姿を現すのは同時だった。
「なにっ?」
「危ない!」
本能的に、彼等の攻撃性は察知された。わたしは立ち上がりかけた藤本さんに飛びつく
と、口を開けた瓦礫の奥へ転がり込んだ。一瞬遅れて、丘の上から一斉に射撃された
銃弾が土煙を巻き上げた。

「なんだってんだよ……!」
吐き捨てるように言う藤本さんに、わたしは咄嗟に思い出したことを口にしていた。
「多分うちらの……ユニティのことを知ってて、抵抗してる人たち……」
「はあ? そんなのいるの?」

噂で耳にしたことしかなかったが、ユニティが生まれてからすでに一年以上も過ぎて
いたし、その過程で参入を拒否した人々もいる。彼等がユニティに対して、連合して
反旗を翻し始めたとしても不思議ではない。

「だったら狙いはやっぱ、防護服と発振装置か……」
藤本さんが苛立たしげに言う。それへの返答のように、再三の機銃掃射が埃を巻き上げ、
火薬臭い空気を充満させた。
「バカなやつら」
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:24

強気な口調だったが、わたしたちの装備は人間を想定したものではなかった。手元にある
のは気休めにしかならないような拳銃が一挺ずつだけだ。
「どうするんですか……。完全に囲まれてますよ」
「だろうね」
不安げな口調でわたしが言うのにも、藤本さんは落ち着いたものだった。

「……?」
彼女は経験豊かだし頭の回転も速い。すでに方策を考えついたのだろうか。それとも、
あまり藤本さんらしくはなかったが、あきらめの境地なのか。
冷静沈着に瓦礫の奥で身を潜めている藤本さんに、わたしは耐えかねたように言った。
「どうするんですか!? このままじっと待って……」
「しーっ」
藤本さんは人差し指と唇を十字に交差させた。一瞬、昨日見た墓地の風景を思い出した。

「超音波を発振させた」
一瞬、藤本さんの言っている意味がよく分からなかった。
「それって」
「最大でね。あっという間に何百羽も集まってくるよ」
そう言うと、ふっと不敵な笑みを浮かべた。

わたしは反射的に後ろを振り返り飛び出しそうになったが、藤本さんに腕を捕まれて引き
戻された。
「バカ、死にたいの?」
「だって」
「あいつらは敵だ。今は、敵の敵は味方。合理的でしょ」
藤本が言い終わらないうちに、耳慣れた歌声と羽音、激しい銃声が入り交じって
聞こえてきた。ここからはなにも見えないが、声から判断するだけでもかなりの数
が集まっているのが分かる。“天使”たちがさらに増えるのも時間の問題だろう。
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:24

「……」
わたしは無言で、責めるような視線を藤本さんへ向けた。が、彼女はなにも言わず、軽く
肩を竦めて見せただけだった。

激しい銃撃戦の音は絶え間なく続いている。人々の悲鳴と、歌声が混じり合って、
耳が切り裂かれるようだ。
と、藤本さんはわたしの肩をつかむと、ぐっと引き寄せて直接目を覗き込んだ。
「覚えておいて。これが現実なの。生きていくってこういうこと」
「生きる……」
「死にたくなかったら、黙ってついて来な」

言うや、藤本さんは姿勢を低くして飛び出していた。わたしも、反射的に彼女の背中を
追っていた。
生々しい銃声と、血なまぐさい匂いが襲いかかってきた。わたしたちを取り囲んでいた
連中は、“天使”たちへの応戦で、わたしたちを追う余裕はないようだった。
坂道を駆け上がり、一直線に藤本さんは走り抜けていく。無駄な動きは全くないように
思えた。わたしは、その背中を睨みながら追い続けるのに精一杯だった。

なにも攻撃してくることはなかった。“天使”は発振器からまき散らされる危険を
察知しているのか、全く寄りついてこようとはしなかった。それは、わたしたちを
取り囲んでいた人々も同様だった。

無我夢中でジープに向かって走りながら、わたしはただ一つのことを考え続けていた。
生きること。生き続けること。自分にとって、それはどれだけ重要なことなのだろうか。
生きることは目的なのだろうか。それとも手段に過ぎないのだろうか。
藤本さんはどう考えているのだろうか。
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:24

目前で、藤本さんの体が踊った。一瞬、それは飽き飽きするほど聞かせられた彼女の
ジョークの一環のようにすら見えた。
細い彼女の体は独楽のように回転し、瓦礫にぶつかってうずくまった。膝をついて微動だ
にしない体は、死体にしか見えなかった。
「藤本さん?」
わたしの声に、藤本の体はスローモーションのような動きで裏返った。それはまるで、
コメディ映画のワンシーンのように、わたしの目には映った。

「だ、大丈夫ですか……?」
自分の声が、まるで空耳のように聞こえる。流れ弾に運悪く撃ち抜かれたのか、狙いを
定めたスナイパーにやられたのか、全く分からない。
迷彩の防護服に黒い影が広がっていく。晴れ渡った空に、突然広がり始めた雨雲
みたいに、それは不吉な雰囲気を伝えている。口元が動く。声は聞こえない。なにを
言おうとしているのか、分からない。
「生き延びろ」と言おうとしているのか、「助けて」と言おうとしているのか。
わたしには、分からない。

背中越しに音の塊が通り過ぎていく。それに押されるようにして、わたしは駆け出して
行った。ジープに戻って、このことを伝えるんだ。逃げて、危険な存在──わたしたちの
命を脅かす、危険な存在のことを、伝えないといけない。

わたしは、死にたくない。
それが背後からの声なのか、自分の内から出てきた言葉なのかは分からなかった。
ただ、追い立てるように走っていた。背後からの銃声と金切り声と歌声の混じり合った
エコーは次第に小さくなっていった。
瓦礫の隙間から、ジープの影が見えた。
17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:24
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18 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:24
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19 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 02:25
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