8 後退のようにも思える、一歩
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 22:35
- 8 後退のようにも思える、一歩
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 22:36
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志保とその取り巻きが、私の二つ前の席、転校生の田中れいなを机ごと囲んでいる。
どうにか言ったらどうなのよ、臭いんだよ、聞こえねーよ、お前の存在意義そのものが
わかんない、どっか行けよ、きもい、チビ、なんかムカつくから謝れ、死んでくれない?
田中れいなはじっと俯いている。後ろからでは、それ以外は読み取れない。
「くだらな」
私がそう呟くと、志保は怯えたように肩を震わせ、口ごもる。そのまま動かない。始業
のチャイムが鳴り、救われた顔をしつつも舌を打ち、田中れいなの机を苛立たしげに蹴り
上げると、自分の席についた。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 22:37
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◇
田中れいなの前は、私がイジメの対象だった。それまでは、家が近いせいもあってか、
志保とは仲のいい幼馴染だった。志保は勉強もできて、友達も多かった。いつでもどこで
も志保は輪の中心にいた。勝気な性格で、先生の信頼もあるのに、学校の悪い連中とも付
き合っているせいか、誰も志保に逆らおうとはしなかった。
私はクラスで一番勉強ができなくて、その分、男の子にモテる、という以外は大して取
り柄のない、明るいだけの女の子だった。志保はある日突然、それが気に入らなくなった
らしい。志保の片思いの相手が、私に思いを寄せていたからだ。その男は、それほどカッ
コいいわけではないが、何故か人気があった。女の視線を常に意識して、いい男であるよ
うに振舞っているからだと思う。
いつからか私に声を掛けてくる友達が減り、私が声を掛けてもへらへら笑い、避けてい
く子が増えた。他のクラスの子も、最初のうちは話しかけてくれていたが、それは私のク
ラスと三日遅れで同じ状況になった。
そうして、私が完全に孤立するのに一週間も掛からなかった。
私は、とうとう順番が来たか、くらいにしか考えていなかった。幼いながらも、情報が
氾濫する世界で生きている私の世代は、知っている。この世に幸福や希望がないことも、
社会全体が閉塞と停滞に喘いでいることも、これから先その中で生きていかなければなら
ないことも、妥協を切り崩し、幸せなフリをして生きていかねばならないことも、教えら
れたわけではないが、知っている。
転がるように加速していくイジメの陰湿化は、消えた夕焼けのせいだ、なんて言われて
いるけど、私達のそれはゲーム感覚だ。自分よりも不幸な人を見つけ、自分はまだマシな
ほうだと思いたい。そして、自分よりも不幸な人がいなければ、作ればいい。その対象を
探すのなんて席替えのようなもので、何の意味もない。実にシンプルでわかりやすい話だ。
この集団による、集団心理によるイジメには、抗いようがない。「私のなにが悪かったの?
直すから教えてよ」なんて言おうものなら、みんなの嘲笑を買い、喜ばせるだけだ。
私の存在など初めからなかったように、クラスの空気は何一つ変わらなかった。シカト
は一番陰湿な種類のイジメらしい。人間は他者との関わりの中で自分の存在を確認してい
て、存在を無視されるということは、自分の存在を確認できず、気が狂ってしまうからだ
そうだ。道徳の授業で見たビデオがそう言っていた。けど、私には家族がいたし、お姉ち
ゃんも、お姉ちゃんの友達もいた。一人で残りの中学生活を過ごそうと考えていた。鬱陶
しいだけのグループでの連帯や、気を使い、駆け引きばかりの人間関係はウンザリだった。
シカトされるようになって、そう考えた。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 22:41
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しかし、志保はシカトだけでは飽き足らなくなり、積極的に私をいじめてくるようにな
った。私が孤立したのをいい機会だと思ったのか、例の志保の片思いの相手がすりよって
きたからだ。甘く粘ついた口調で、私の肩に手をかけた。
「道重さん、困ったことがあったら、僕に言ってね。なんでも相談にのるよ」
うっさい、と、その手を跳ね除けた。
そのすぐ後、志保が私のところまで来て、「あんた、何様のつもり」と凄んできた。私は
ぼんやりと空を眺めて無視していたが、それがスタートだった。
教科書はあっという間に使いものにならなくなったし、学校指定の黒い革鞄には、コン
パスかなにかで白く「死ね」と傷がつけられるようになった。上履きの中に画鋲が入れら
れていたり、汚水が滲みこまされていたり、いろいろだ。髪の毛をライターで焼かれて、
毛先を三センチほどカットして揃えなくてはならなくなったりもした。そしてそれら全て
は、大人の目には届かないよう、私の不注意で片付けられる巧妙さでもって為された。私
にはその方が好都合だった。余計な心配や情けをかけられずに済む。
私が知らん顔して、無関心でいるだけ、志保達は苛立った。そして、新たなイジメの対
象が、田中れいなが、学期途中という半端な時期にやってきた。きれいとかわいいの中間
のような顔立ちで、意志の強そうな輝いた瞳が印象的だった。
「田中れいなです。福岡から来ました。好きな食べ物は焼肉です、よろしくお願いします」
ゆっくりと教室を見回しながら、ハキハキとした口調で自己紹介した。前の学校では
人気もあり、クラスの中心にもいたのではないか、というくらいに自信に満ちた自己紹介
だった。担任の教師が満足そうに頷いていた。
福岡ではどうだったか知らないけど、ここではそういう生命力に溢れた存在は、一気に
叩き落されるようなシステムになっている。落差が大きければ大きいほど、イジメは面白
いのだから。案の定、田中れいなが友達を作ろうとする前、志保達は担任が教室から出て
行くのと同時に、田中れいなに罵声を浴びせていた。訳もわからずに攻撃された田中れい
なは、声を荒げて抵抗していたが、志保ほか五人の取り巻きに勢いで追い詰められ、次第
に声は弱くなっていった。
そうして、私はイジメからシカトの対象へと戻り、田中れいながイジメの対象に躍り出
た。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 22:44
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一日の授業が終わり、帰ろうとしていると、田中れいなが私の前に放り出された。背中
を丸め、腕をぶらんと垂れ下げ、力ない瞳は私を見ているのかすらわからない。
転校生は大変なのだろうと、私は黙ってされるがままに受け入れようと思った。志保が
田中れいなの背中を乱暴に押した。
「言われた通りにすれば、それでいいんだよ」
有無を言わさない、悪意に満ち満ちた口調。田中れいなは口ごもり、がらんどうの瞳に、
微かに動揺が走った。
「早くしろよ」
志保の一番の腰巾着が、田中れいなの腕を取り、思い切り振った。力の抜けた田中れい
なの平手はスナップを効かせて私の頬を打ち、爪が皮膚を薄く裂いた。鋭い痛みを感じ、
指でなぞるとうっすら血で滲んでいた。
「自分の力でやんなさいよっ、田中ちゃ〜ん。あれぇ? どちたのかにゃ?」
志保が耳に絡みつくような猫なで声でおどけてみせた。志保の取り巻きだけではなく、
クラス全員が笑った。志保の取り巻きは、囃すように田中れいなを小突いている。中には、
シャープペンシルを突き刺している手もあった。
「どうなの? 田中ちゃんがやらないんなら、わたしがやっちゃうけどぉー?」
志保が私をねめつけていた。その目は、私、そして田中れいなを蔑み、舐めきっていた。
私は椅子を振り上げると、田中れいなのすぐ隣、志保にまっすぐ打ち下ろした。
志保は全治二週間の肩部打撲、私は停学四週間を受けた。親は何も言わなかった。それ
は私への理解ではなく、私を理解できないことへの恐怖だったと思う。自分達の理解を超
えた娘を恐れ、そういった自分達を認めたくなかったのだ。お姉ちゃんは、私の頭を撫で、
四週間も学校休めていいね、とだけ言った。目元にはべっとりと隈が張りついていて、寝
不足というよりも、憔悴しきっているように思えた。
停学が明けてからは、先生は私を腫れ物に触れるように扱う以外はできず、何をしてい
ても注意されることはなかった。志保は私を恐れるようになっていた。元友達の中には、
私を味方につけてイジメの順番が回ってくる不安から逃れたいのか、志保ちゃん酷いよね、
と人目につかないところで、媚びるように話しかけてくる人もいたが、志保もそいつらも
大した違いはない。もっと言うと、私も同じだ。積極的に関与してこなかったとはいえ、
私も遠からずシカトに参加してきたのだ。たまたま、シカトの対象に仲のいい友達がいな
かっただけ。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 22:45
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◇
「あ、愛ちゃん。どっか行くの?」
学校から帰ると、私のすぐ上のお姉ちゃんが家を出て行くところだった。
「うん、これから亜弥ちゃんと」
「今から? わざわざ帰ってこないで、まっすぐ行けばいいのに」
「休講とサボリが重なって、ずいぶん時間が空いちゃったから」
愛ちゃんは、私が去年の誕生日にプレゼントした時計を見た。私のお小遣いで買える程
度の安物で、半年もしないうちに文字盤を二つに裂くようにガラスが割れてしまったが、
それでも使ってくれている。
「じゃ、行くわ」
最近、愛ちゃんは目に見えて衰えてきた。体がひと回りもふた回りも小さくなったよう
に思う。原因は不眠によるものだけじゃない。愛ちゃんと相部屋の私にはよくわかる。肉
体的な疲労の蓄積ではなく、精神的な疲弊や消耗によるものだ。
愛ちゃんは小さな頃から夢に魘されていたが、私の知る限り、ここ数ヶ月はまともに眠
っていない。寝入っても、すぐに呻きだし、全身を掻き毟るようにして起きてしまう。そ
の後しばらく震えながら、呼吸が落ち着くのを待つ。そして、再び横たわる。怯えたよう
に歯をカチカチ鳴らしながら。その繰り返しだ。
私にできることは、知らないフリをすることだけ。愛ちゃんにしてあげられることを見
つけられない。
家には誰もいなかった。キッチンから袋詰めのプチシュークリームを持ち出し、学校で
読んでいたマンガの続きを読もうと、階段をあがった。
制服を脱ぎ、下着姿のまま二段ベッドの下の段に寝転び、枕元に取りつけてあるスタン
ドの灯りをつけた。シュークリームを一個ほおばり、マンガを開いたところで、携帯が鳴
った。愛ちゃんの友達の亜弥ちゃんからだった。
「はい、もしもし」
『さゆちゃん? 愛ちゃんいる? 携帯つながんなくって』
「もう出たけど。どうしたの?」
『いんやぁ、べつに。暇だし、これから遊ぼうかな〜、って』
「え? でも、愛ちゃん、亜弥ちゃんと遊ぶって出てったよ?」
『遊ぶ約束? してないよ、今日、愛ちゃんと会ってないから』
嫌な予感がぞわぞわと背筋を這い、ひとつの像を結んだ。亜弥ちゃんも同じだったよう
で、切迫した早口で言った。
『私は学校のほうに行くから、さゆちゃんは展望台に行って』
私は電話が切れる前に起き、服を着、家を飛び出し、ありったけの力で自転車を漕いだ。
街の冷気は肺を刺すように尖っている。光を失った青い空が、玲瓏とした暗闇に侵蝕され
ていく。きれぎれの呼吸に、視界が白く点滅し、覆いかぶさっていく。無理やり大きく息
を吸いこみ、ペダルを漕ぐ足にさらに力をこめた。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 22:46
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展望台に愛ちゃんはいなかった。上がった息に呼応するように、冷たい汗が噴き出して
くる。もう一度、ゆっくりと周りを見回す。犬の散歩をしている人がいるくらいで、やっ
ぱりいない。
街を一望できる展望台のある公園は、休日には人で賑わうものの、山の頭頂部にあるせ
いか、平日の、それも夕方とあっては、ここまで来るのはカップルと犬の散歩をしにきた
人くらいだ。私は展望台のフェンスに自転車を立てかけ、ベンチに座った。亜弥ちゃんか
らの連絡を待つ。私から連絡はできない。私が愛ちゃんの自殺願望を知っているというこ
とを、愛ちゃんは知らない。だから、亜弥ちゃんは学校、私は展望台に向かう。亜弥ちゃ
んが言うには、愛ちゃんは十中八九、死に場所を学校に選ぶらしい。それがどういうこと
なのか、私にはわからない。
息を整え、アルミのフェンスから切り立った斜面を見下ろす。当たり前だけど、愛ちゃ
んはいない。愛ちゃんの自殺願望は悲しいくらいに本気で深刻で、なのにいつも狂言に終
わってしまう。死よりも恐怖のほうが強いのだ。そう亜弥ちゃんが言っていた。愛ちゃん
が何に恐怖を抱いているのか、それは教えてくれなかった。
「あれ? 道重さん?」
そう言われて振り返ると、田中れいながそこにいた。赤いシャツという出で立ち、その
襟は豹柄でボーリング場の店員のような格好をしていた。「なにしてるの?」と聞いてくる
ので、赤く染まった夕焼けを見つけにきたと、ありもしない例えを使ってみたのだが、田
中れいなは感激したように私を家に招いた。どうしても見てほしいものがあるから、と、
私の腕を強引に引いて。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 22:53
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田中れいなの家には、パートに出ているらしく、母親はいなかった。三歳くらいの小さ
な男の子が、小さな床の間で眠っていた。彼女はそっと口元に指を当てると、足をするよ
うにして短く狭い廊下を歩いた。私もそれに習い、ゆっくりと軋む階段を上がった。
「ちょっと、これ見てほしいんだけど」
部屋に入り、田中れいなが指差した先には、家庭用の小型プラネタリウムの装置があっ
た。自分で付け替えたのだろう透明の半球型のドームには、砕かれたガラスが幾重にも重
なっているが、それを貼り付けているテープは黄ばんでいた。
「ちょっと見ててね」
装置の電源を入れると、厚いカーテンを閉じた部屋の天井に、ギザギザの赤い空が広が
った。TVで見た赤い夕焼け空に似ているが、それは拙いものだった。赤はオレンジという
よりも朱の単色で、隙間を埋める闇はセロハンを透過した淡い水色、ところどころに白熱
球の暖色が漏れていた。ポイントとなるべき赤は鋭角に抉れ、輪郭がぼやけて影が目立っ
た。
「まだまだ甘いし、全然だめなんだけどさ、けっこういいセンいってると思わない?」
田中れいなは誇らしげに言うと、ぱちんと電源を切った。私はその音で現実に帰り、間
を埋めるためではないけど、聞いてみた。
「なんで夕焼けにこだわるの? もう、とっくの昔になくなったものなのに」
「好きなんよ、赤」
初めて聞く、田中れいなの方言だった。明るく無邪気な笑顔で、私を見ている。私は何
も言わず、プラネタリウムの電源を入れた。
「まあ、いいけん。れいなが好きなだけやもん。この夕焼けも、そう悪くない」
笑顔のまま、一人ごちるように静かに言った。
空に赤がないから、心に血が流れずに空になる。だからみんな、無感情で鈍くなる。
愛ちゃんがそんなことを言っていた。愛ちゃんは純粋だからこそ、この世にない赤い空
を追い求め、縋ろうとして心を壊している。亜弥ちゃんは違うと言うけれど、私はそう思
う。田中れいなもそうなのだろうか。愛ちゃんのように、ありもしない赤い夕焼けを幻と
できずに、夜中魘されたりするのだろうか。私にとってはどうでもいいことだけど、れい
なの笑顔を見ていると、そんなことを考えさせられた。そういえば、私も亜弥ちゃんも、
白い月にも青い夕闇にも、何の疑問も抱かない。夢に魘されることもない。心が凍りつき、
麻痺しているのだろうか。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 22:54
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◇
それからしばらくは何もない日が続いた。愛ちゃんは日を追うごとに衰弱していき、私
はそれを見ているだけで何もできない。れいなは相変わらずいじめられていたけど、私に
助けを求めてはこなかった。
私は少し変わった、かもしれない。たまに、本当にたまに、いじめがあまりにも悲惨な
ものだったりするとき、それとなく現場近くを通り、一瞥して志保達が怯むのを鼻で笑う
ようになった。どういうわけか、それで志保達の気は削げるのだ。一昨日は教室のまんな
かで制服を脱がされかけていたれいなに声を掛けた。
田中れいなは何も言わない。私がすることも、志保達のいじめも、自分には全く関係な
いといったように、何事もなかったかのように。
そんなある日の朝、愛ちゃんが妙にすっきりした顔をしていた。昨夜持っていた、ハー
ト型の小箱のせいかもしれない。しっとりと濡れた木製のそれを指で弾き、「ハート」と祈
るように呟いていた。
そしてその日、志保の片思いのあの男が、れいなに話しかけた。内容までは聞こえなか
ったが、嫌らしい笑みを浮かべ、私にしたようにれいなの肩に手をかけた。れいなは全く
反応しなかったが、志保はそれに激昂した。
その日はクラス中、志保が吐き出すぴりぴりとした嫉妬に緊張していた。何事もなく一
日が過ぎ、ホームルームが終わると、志保はれいなの髪の毛を掴み、そのまま引きずるよ
うに教室から出て行った。クラスにいる取り巻き、イジメの実行班がその後に続いた。数
にして、十人くらいだろうか。他のクラスも合わせると、三十人は超えるだろう。
私はその男を見た。怯えたような顔をして、私と目が合うと、仕方ないな、といった風
にみすぼらしく肩を竦めて見せた。私は清掃係の持っていた箒を奪い取ると、その男の頭
めがけて大きく振った。止め具の部分が当たったのか、重々しく硬い感触がした。男が顔
を押さえ、手の隙間から暗い血がぼたぼたと滴り落ちていた。誰もその男を庇う者はいな
かった。
「おまえ、死ね!」
私はそう叫ぶと、衝動のままに教室を飛び出した。れいなの連れて行かれた方向は、野
次馬の行き先ですぐにわかる。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 22:57
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屋上で、田中れいなは大勢の生徒に囲まれていた。女生徒が圧倒的に多く、ちらほらと
男子生徒が混じっている。その中に、私にフラれた男も多く見受けられた。事が終わった
後、田中れいなを好きにしていい、とでも言われているのだろうか。当のれいな本人は、
相も変わらず興味なさそうに突っ立っていた。
「お前、なんかムカつくんだよ、あいつみたいに」
志保の視界に私は映っていないだろう、けど、そのあいつとはきっと私のことだ。取り
巻きの何人かが私に気付き、気まずそうに目を背けた。志保はそれに気付かない。気付い
たとしても、もうその言葉を引っ込めることはできない。志保は切羽詰まっているのだろ
う、口調に余裕がない。抗わず、表情も変えず、ひたすらに受け入れているれいなの存在
が気に入らないし、恐れているのだ。れいなは緑色のフェンスに身をもたせ、志保を感情
のこもらない目で見ている。バカにしているように。
「お前、マジ気に入らねぇ」
志保が一歩、れいなににじり寄る。その一歩は、何かを期待する周りの雰囲気に押され、
無理やり踏み出したようにも見えた。れいなは何も言わず、遠い空を眺めていた。ちらっ
とこちらを振り返り、私と目が合った。そして、いきなり志保の頭を抱えるように手を伸
ばした。その頭を引きつけ、力強く膝で打った。
れいなは何も言わない。志保は鼻から血を吹き出した。血はぼたぼたと顎を伝い、灰色
のアスファルトに落ちていく。志保はまだ、自分になにが起こったかわからない。
群集が動き出す。一斉にれいなに詰め掛けるか、一斉に逃げ出すのか、そのどちらかだ。
戦慄に近い緊張が、ここ一帯に走る。
私は近くにいた、長い襟足を金色に染めた男から鉄パイプを奪い取り、志保の側近の頭
を割った。どろりと血を流しながら倒れた。その頭部を中心に、黒い染みが広がっていく。
そして、もう一振り。今度は誰かの頬を掠め、皮膚をこそげとった。校舎を二つに切り裂
くような悲鳴が聞こえ、それで全てが終わった。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 23:01
-
一人が逃げ出すのを合図に、校内へと続くドアは一瞬にして溢れかえった。私は「誰か
こいつら連れていってよ」と鼻を押さえて呻いている志保を鉄パイプで殴りながら言い、
れいなに歩み寄った。れいなは知らん顔をして、さっきまでのように空を見ている。志保
達を抱え起こした何人かが、れいなの視線を追いかけ、短く悲鳴をあげてそそくさと去っ
ていった。
「いいの? こんなことしちゃって」
れいなが呟くように言った。私もれいなの視線を追った。暗く透き通った青い空、何千
何万という赤い物体が蠢きながら白い月へ向かっている。それは赤く、深い藍の影を纏い
ながら一直線に伸び、その数は爆発的に膨れ上がっていく。やがて私の視界にある空とい
う空を、深紅が揺らめきながら埋め尽くし、それは影を作り、闇を構成する。その赤と影、
黄金色のもやもやが薄く白んだ陽光を浴びてキラキラ舞っている。
私は皮膚の裏側から沸々と感情が湧き出していたことに気付いた。それは全身を駆け巡
り、体中の毛穴から抜けていくようで、揺れながら広がっていく赤と藍と黄金の溶け合っ
た空に吸い込まれていく。力が抜けた。緑色のフェンスに体をぶつけ、どうにかして体の
支点を保つ。れいなが私の背中に手を添えた。
「れいなと一緒にいても、ロクなことないよ?」
私はフェンスから身を離し、れいなの腕に身を預けた。
「少し黙っててよ」
そう言い、ゆっくりと目を閉じた。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 23:01
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- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 23:02
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- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 23:02
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