52 イカアシジュポーン

1 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/21(日) 23:56
52 イカアシジュポーン
2 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/21(日) 23:58
女が一人、ソファーの上で胡座をかいて頭を垂れていた。ひどい有り様の部屋である。
四角いガラスのテーブルの上には、カップ麺の容器や食べかけのスナック菓子の袋、
大小様々の潰れひしゃげた缶が奇妙なバランスを保ちながら積み重なり、空の酒瓶が林立している。
床には雑誌や脱ぎっぱなしの衣類が点在し、もう随分と掃除がなされた形跡が無い。
カーテンを閉めきった中で背中を丸めた女の頭はボサボサで、よれよれの灰色のスウェット上下を着ている。
僅かなカーテンの隙間から差し込む夕刻のオレンジ色に包まれる姿は、人生の黄昏を迎えた老婆を思わせた。
3 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/21(日) 23:58
俯き陰になった女の顔は憔悴しているが、眼だけは妙に熱っぽくギラギラとしている。
老婆の様、とは言っても、その実、女はまだ二十三の若年であった。女の名は、保田圭という。
保田は、つい先日まで『モーニング娘。』というアイドルグループに所属していたが、
卒業を理由に脱退し、現在はソロで活動する。自身でも自覚する所ではあるが、
保田は、お世辞にも美人とは言い難い顔をしていた。
その為、グループ在籍時には他のメンバーに比べ見劣りする感があったのは否めない。
4 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/21(日) 23:59
不幸にして顔で勝負できない(アイドルとしての基準でではあるが)保田が武器としたのは、
歌唱力であった。ひとたび歌わせればメンバーで右に出る者はおらず、
それはメインを務めていた安倍なつみとて例外ではなかった。
なにより保田は歌を愛し、歌うことにプライドを持つ「歌手」であったのだ。
しかし結局、求められるのは姿形の美しさであり、それが女となれば尚更である。
脱退直後にはいくらか有った仕事も日を追って減って行き、
面食いで我侭な消費者達から保田は忘れられていった。
壁に掛けられたホワイトボードのそのままの白さが、保田圭の現実だった。
5 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:01
保田はデビューしてから常に走り続けてきた。
多忙を極めた毎日に、心休まる暇など無かったと言っても過言ではない。
しかしそれは、この上なく充実した濃密な時間であったし、
いつしか保田は仕事に生きがいを見出していた。そんな保田であったから、
自らが必要とされていないという事実は短剣の如く胸に突き刺さり、
確実にその心を負の方向へ向かわせていった。
心に空いてしまった穴には酒を注ぐ以外の術を、保田は知らなかった。
どうせ他にする事も無かったが、働かなくてもそれなりに有った蓄えが堕落した生活を助長させていた。
6 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:02
いつもの様に、ただ酒を呷っていた日の事である。滅多に鳴らない玄関の呼び鈴が音を立てた。
ピンポーン。来客の予定は無いが、元々訪ねて来る者もほとんどいなかったから、
新聞の勧誘かくだらないセールスだろうと保田は思った。相手をするのは面倒でしかない。
無視を決め込みコップを傾けると、また呼び鈴が鳴った。ピンポーン。やはり無視をする。次の瞬間であった。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン……
7 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:02
「うるさい! なんなのよ!」

猛烈な連打が始まった。誰だ、こんなふざけた真似をする奴は。ブン殴ってやる。
怒り心頭に達し玄関まで走ると、保田はドアを思い切り開け放ち、拳を振りかぶった。が、そこには誰もいなかった。
派手に肩透かしを食った気分だった。やり場の無い怒りを抱え左右を確認するが、やはり誰もいない。
悪質な悪戯か。腹立たしさを残しつつ仕方なくドアを閉じかけると、いきなり隙間に五本の指が入りこんだ。
その指はドアの淵を掴むと、保田の閉じようとする力に逆らってグ、グ、グ、とドアをこじ開け、
ある程度まで隙間が開くとヌッと頭が入りこんできた。
8 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:04
「やあ、保田さんいらっしるじゃないですか。てっきりお留守かと思いましたよ。ウッフッフッ」

「なッッ! なんですかあなたは!」

「これは失礼しました。私、株式会社イカアシジュポーンから参りました、
タコアシハポーン・トゥンクと申します」

「何も買いません! 帰って下さい!」

「まあ、まあ、まあ。そう興奮なさらないで下さい。
今日はあなた様の今後に関る大事なお話をお持ちしたのです。
別に何かを売り付けようという訳ではありません。あ、これ下のポストに溜まってましたよ」

トゥンクは、新聞と郵便物の束を保田に差し出した。かなりの量である。
9 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:04
「あ、どうも……!? ひ、人の家のポストを勝手に漁らないで下さい!」

「まあ、まあ、まあ。堅い事は抜きにしましょう。
それより保田さん、やはり当社からのお知らせを御覧になってませんでしたね。これはいけません。
さあ、立ち話はなんですから、中に入ろうじゃありませんか。さ、さ、さ」

「ちょっ、ちょっと待っ」

トゥンクは無理やり玄関内に入りこみ、後ろ手でドアに鍵をかけた。

「やあやあ、なかなかに散らかったお部屋ですね。私の部屋といい勝負ですよ。アッハッハッ。
ささ、どうぞお座りになってください。私はここに失礼しましょう」
10 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:05
靴を脱ぐと、トゥンクは保田を押してズカズカと歩を進め、保田が口を挟む間もなく捲し立てた。
そして保田をソファーに座らせ、自分はテーブルを間にしてカーペットの上に正座をした。
トゥンクはきちっとプレスされた濃紺のスーツに身を包み、銀縁の眼鏡を掛け一見ビジネスマン風であるが、
妙に浮世離れした空気を持った男だった。

「あなた一体何なんですか? 話を聞くなんて行ってません。さっさと帰って下さい!」

「まあ、まあ、まあ。改めまして、私、こういう者です」

トゥンクはスーツの内ポケットから名刺入れを取り出すと、一枚保田に差し出した。

「株式会社イカアシジュポーンから参りました、タコアシハポーン・トゥンクです。
そう警戒なさらないで下さい。先程も申し上げました通り、何かを売りつけようという訳ではありません」
11 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:06
「じゃあ何の用なんですか?」

トゥンクは眼鏡の位置をクイッと直すと言った。

「ズバリ申し上げましょう。今日お話するのは、神についてです」

「カミって……神様のことですか?」

「そうです、そうです」

「宗教だったら入りませんよ」

「いえいえ、宗教ではありません。ご安心下さい。
時に保田さん、随分と荒れた生活をなさっているようですね」

「ほっといてください」
12 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:07
「まるで神に見放されたようだ、と思いませんか?」

「……そう言えなくもないですけど」

トゥンクはニッと笑った。

「事実、見放されているのです」

「はぁ? どうしてあなたにそんな事がわかるんですか?」

保田は不愉快だった。勝手に上がりこまれた挙句、
言うに事欠いて神に見放されているとはどういうことだろうか。
大体、見放されているからどうだと言うのだ。保田は特定の宗教の信者ではないし、
軽々しく神頼みををする人間でもなかった。いつだって自分の力だけで勝負してきたのだ。
13 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:08
「あなたと神との契約は先月末で切れているのです。保田さん、その青い封筒を御覧なさい」

保田はトゥンクに渡された新聞と手紙の束を抱えたままだったが、
その中に一通、トゥンクの言う青い封筒が混ざっていた。
差出人は株式会社イカアシジュポーン。先月頭の消印だった。

「契約期間終了前に御案内を差し上げていたのですが、御覧になっていなかったのですね。
契約更新のお手続きをして頂けなかったので、あなたとの契約は終了となったのです」

「私、契約なんてした覚えはありません。それに神様なんているわけないじゃないですか」
14 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:09
「いいえ、神はいらっしゃいます。それに保田さん、あなたはご自分で契約を結ばれたのですよ。
もっとも、生まれる前の話ですがね。私共は一部の見込みのある方々と契約を交わして神のご加護を提供し、
ささやかな見返りを頂くのです。あなたの場合はそれが仕事だった訳なのですが。
保田さん、あなたはこの先大きな仕事をなさる方です。私共はあなたの才能を大変評価しています。
このまま切ってしまうのは非常に惜しいのです。
我がイカアシジュポーン神は芸能面で非常に多くの実績をお持ちの神です。
どうです、また新たに契約なさいませんか?」
15 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:09
「そんなの……信じられません」

「ふむ……どうしたら信じていただけますかね。」

「奇跡でも起きないことには」

「奇跡ですか。分かりました。天使の私でも少しならできますからね。ちょっとよろしいですか?」

トゥンクは立ち上がると、保田をベランダへと促した。保田の部屋はマンションの四階である。
マンションのすぐ向かいにはコンビニが有り、繁盛しているようで客が頻繁に出入りしていた。

「ほら、あの赤い服の男をですね、転ばせて見せましょう。三、ニ、一!」
16 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:11
トゥンクがパンと手を叩くと、コンビニに入ろうとした男は足を滑らせ、自動ドアに頭をぶつけて倒れた。
倒れた拍子にしたたか地面に顔面を打ち付け、大量に出血している。

「……うそ」

「いかがです? 一度契約は切れていますので、再契約の場合は少しばかり代償が大きいですがね。
まあ、人間はいつか必ず死ぬものですよ。今が楽しければいいじゃありませんか」
17 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:11
おわり
18 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:12
19 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:12
20 名前:52 イカアシジュポーン 投稿日:2004/03/22(月) 00:12

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