44 亡国の落日
- 1 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:46
 
-  44 亡国の落日 
 
- 2 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:47
 
-   かつて地球には、男という生物が存在していた。 
 男は争いを好み、欲望の趣くまま、殺戮を繰り返していた。 
 神は残酷な男達を許さず、根絶やしにしてしまった。 
  
 『ですから、産まれて来る赤ちゃんは、みんな女の子なのです』 
 人類保全センターのロビーでは、繰り返しビデオが上映されている。 
 そこに集まった妊婦達は、真剣にそのビデオを観ていた。 
 初春としては暖かい麗かな昼下がり、桜の芽が膨らみ始めている。 
 私はウーロン茶を飲みながら、妊婦達の後に座って窓から外を眺めていた。 
  
 「圭織、話があるの」 
 振り向いてみると、そこには私より一つ年下である看護師の矢口がいた。 
 矢口はこの国で、最も背の低い看護師に違いない。 
 私の幼い妹。希美よりも背が低いので、本当に小柄だった。 
  
 「なあに?」 
 「ちょっと来て」 
 矢口が白衣を引っ張るので、私は仕方なく彼女について行く。 
 階段を登り、私達が行き着いた先は、センターの屋上だった。 
 午後の日差しが降り注ぎ、上空にはトンビが滑空している。 
 ここからの眺めは格別で、この大都市を一望出来た。 
  
 「いい天気だなあ」 
 私は長閑な春の陽気が好きだ。 
 無機質な季節から脱却し、あたりには生命の息吹が聴こえる。 
 茶灰色だった山にも、僅かだが若葉の気配がしていた。 
 こうした陽気の中、日溜りでまったりするのは、私にとって至高の贅沢なのである。 
 そうした時間と場所を提供してくれるのなら、その人は私にとって神にも近い存在だった。  
- 3 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:47
 
-  「圭織、いつか話したよね。仲間が集まったの」 
 「・・・・・・そうなんだ」 
 センター前にある未舗装の道路では、青空市が開かれている。 
 往来の三分の一程度を占拠した露天商達は、 
 食糧品や雑貨等を戸板に乗せ、道行く人に陽気な声を掛けていた。 
 人間というのは、本当に逞しい生き物である。 
 こんな状況であるというのに、生きて行く事を忘れない。 
 しぶとい生き物なのか、それとも崇高な生き物なのか。 
  
 「圭織も一緒に行くよね」 
 矢口は泣きそうな顔で私を見ていた。私には判ってる。断れば殺すつもりだろう。 
 それは仕方ない事だ。何しろリスクが大き過ぎる。 
 私は矢口から眼を離し、春霞に煙る大統領官邸を見詰めた。 
  
 「一緒に行くのは、圭ちゃんと紗耶香だよ」 
 看護師の保田圭。ちょっと鈍臭いが、信頼出来る看護師だ。 
 事実、このセンターの中では、看護部長より信頼されている。 
 彼女は兵役の経験があるので、心強い仲間になるだろう。 
 しかし、問題は後者の市井紗耶香である。 
 彼女はセンターの事務員だったが、出産要員に選ばれ、現在、妊娠中なのだった。 
  
 「市井は無理だよ。外さないと」 
 「そんな事は出来ない!だから圭織に話をしたんだよ」 
 やっと本音を言ってくれた。これまで、何で私が誘われたのか判らなかった。 
 恐らく、最初はこの三人で計画していたんだろう。 
 でも、市井が妊娠して、看護師二人じゃ不安になった。 
 そこで、産婦人科・外科の医師である私に眼を向けたのだろう。 
 裏切られたという気分にはならず、かえってホッとした。  
- 4 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:48
 
-  「市井はまだ三ヶ月だよ。せめて安定期にならないと」 
 「待てないよ。だって、領事館は今月いっぱいで閉鎖されるんだよ」 
 ここから五十キロ東にある某国領事館。某国では積極的に難民の受け入れをしていた。 
 経済不況に泣く某国では、低賃金で使える難民を受け入れようとしていたのである。 
 それは決して、人道的な見地からでは無かった。 
  
 「大使館があんな状態じゃ無かったらね」 
 首都にある某国大使館は、数百人の国警隊に包囲されていた。 
 それは、大使館を駆け込み寺にしないための美貴の意思。 
 国を捨てる事は、美貴が許さなかったのである。それが、こんな国でも。だ。 
  
 「紗耶香は連れて行く。これだけは譲れない」 
 矢口がこれだけ自己主張するのは、むしろ珍しかった。 
 いつもは文句を言いながらも、キチッと自分の仕事をこなす。 
 だからこそ、みんなから可愛がられ、年下からは慕われていたのだ。 
  
 「判ったわ。でも、私の条件を呑んで貰うわよ」 
 妊婦を伴っての長距離移動は、ひとつ間違えば命取りになる。 
 流産になった場合、清潔な場所で緊急処置をしないと、 
 妊婦が死亡してしまう事もあったからだ。 
 止血剤と緊急輸血用の保存血液は持ち物に加えるべきである。 
 私は医師として、市井の命を預かる事になった。 
  
  隕石に乗ってやって来たウイルスは、瞬く間に全世界に蔓延し、Y型遺伝子を持つ者。 
 つまり男を根絶やしにしてしまった。今から百五十年前に、最後のアイヌ人男性が死ぬと、 
 この星から人類のY型遺伝子は消滅したのである。以来、人類を保全する目的で、 
 選ばれた国民に対し、他人の遺伝子を組み込んだ卵子を子宮に着床させる事になっていた。 
 いわゆるクローンなのだが、私を含め、人類はみんなクローンだった。  
- 5 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:49
 
-   一昨年の正月に起きた大攻勢以降、この国にも敗北の気配が漂って来た。 
 利権を求めて介入して来た軍事大国も、すでに見切りをつけて撤退を始めている。 
 それに呼応するかのように、『西』は勢力を回復し、彼等に支援されたゲリラは、 
 ここ『東』の首都で、誰に遠慮するわけでも無く、縦横無尽に暴れまくっていた。 
  
 「隊長!こいつは加護です!」 
 俄かに外が騒がしくなったので、私は何事かと思い、センターの玄関から出てみた。 
 すると、そこでは屈強な兵が、小柄な少女を地面に押し付け、後手に手錠をしている。 
 私はこの少女が何をして逮捕されたのか、全く見当が付いていなかった。 
 少しすると、国警長官の美貴がやって来て、少女を捕まえた兵達の労を労った。 
  
 「飯田さんじゃないですか。お久し振りですねえ」 
 迷彩服を着た国警長官の美貴は、かつて私が勉強を教えたのである。 
 大統領と同郷という事もあり、美貴は十六歳くらいから頭角を現し、 
 現在では国内の警備を任されるようになった。 
  
 「美貴、この子が何をしたの?」 
 「ちょっとぉ!国警長官に対して失礼じゃないのぉ!」 
 私はいきなり突き飛ばされ、気が付いたら視界に空だけが見えた。 
 少しだけ膝と背中が痛かったが、どうやら怪我はしていない。 
 スカートの裾を直して立ち上がろうとすると、美貴が私の腕を掴んで引き起こしてくれた。 
  
 「梨華ちゃん、暴力はいけないよ。白衣が汚れちゃったじゃないの」 
 美貴は私の白衣に付いた汚れを、自らの手で叩いてくれた。 
 しかし、白衣に着いた泥汚れは、漂白しないと落とせないだろう。 
 私を陰湿な眼つきで見詰めるのは、美貴の側近である石川だった。 
 世の中には、どうしても馬が合わない人がいるものである。 
 私と石川がそれに当たり、互いに嫌悪感を抱いていた。  
- 6 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:49
 
-  「まだ子供なんだから、乱暴しないで警察に・・・・・・」 
 「そうは行かないんですよ。飯田さん」 
 この騒ぎに、近くのホテルから通信社の記者が走って来る。 
 石川は嬉しそうに、加護と呼ばれた少女の髪を掴み、 
 集まって来た記者達に、その観念した顔を晒していた。 
  
 「この子は、ゲリラの幹部なんですぅ。指名手配中だったのぉ」 
 そういえば、首都でもゲリラが暗躍し、駐屯地を爆破したりしている。 
 昨日も繁華街の飲食店で、政府軍将校が拳銃で撃たれて死亡していた。 
 殺し合いは戦場だけで起きているわけでは無い。 
 世の中の裏で、平和に思える場所でも戦争は起こっていたのだ。 
  
 「加護亜依だね?尋問に協力する?」 
 「地獄に落ちや!民族万歳!」 
 「是非も無しね」 
 美貴は腰のホルスターからリボルバーを取り出した。 
 これで脅すようだ。美貴の事だから、まさか撃ったりはしないだろう。 
 気が強いところはあったが、美貴は虫も殺さない優しい子だ。 
 みんなニコニコしているから、この子を脅して自白させるらしい。 
  
 「飯田さん、見ない方がいいですよ」 
 何を言ってるんだろう。私はわけが判らなかった。 
 何か凄く嫌な予感がして、私は美貴に歩み寄った。 
 それを石川が、冷酷な笑みを漏らしながら阻止する。 
 私の背後からも、誰かが白衣を引っ張っていた。 
  
 「圭織、駄目だよ」 
 矢口だった。何が駄目なんだろう。 
 美貴は嬉しそうに笑っているが、リボルバーを少女に向けている。 
 観念した少女は眼を閉じ、どうやら念仏を唱えているようだ。 
 次の瞬間、美貴は少女の頭を撃ち抜いた。 
 側頭部から激しく出血しながら、少女は未舗装の地面に昏倒する。 
 即死した少女は、乾いた土の上に血溜まりを形成して行く。  
- 7 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:50
 
-  「美貴!自分のした事が判ってるの?」 
 私が矢口を引き摺りながら美貴に向かって行くと、 
 それに気付いた石川が自分の拳銃に手をやる。 
 慌てた兵士が私を掴み上げ、センターへと連れて行ってしまった。 
  
  追い詰められた『東』政府は、首都防衛のために、 
 何の罪も無い一般市民まで動員する計画を立てていた。 
 ゲリラとの区別をつけるため、知識階層を根絶やしにし、 
 『西』の言葉を使える人を暗殺していたのである。 
 俗に言う愚民化政策で、人の盾を作ろうとしていた。 
  
  男だけが殺戮を繰り返したというのは間違いで、人間は根本的に、殺し合う動物なのである。 
 進化の過程で知恵がつき、食べ物に困らなくなると、増えすぎた同胞が殺し合う事で、 
 繁殖をくい止めて来た。その証拠に、この国でも戦争が起こっている。 
 もはや、この星には男という生物がいないのにも関わらず。 
  
 「圭織、落ち着いてよ。ゲリラには捕虜になる資格が無いの」 
 私は矢口に、ロビーの椅子に座らせられた。 
 汚れた白衣を脱ぎ捨て、私は美貴を許せない気持ちでいっぱいになる。 
 あの子は裁判すら受けられず、弁解の機会も与えられずに殺された。 
 美貴は個人として、少女の将来を奪ってしまったのである。 
 こんなのは戦争なんかじゃない。言い逃れの出来ない殺人だ。 
  
 「矢口、あんたはあれが正しい事だと思うの?」 
 「正しいか間違ってるかなんて、そんな事は勝者が決めるんでしょう?」 
 そうだった。勝てば官軍負ければ賊軍の諺通り、 
 全ての主張は戦勝国の都合がいいように改竄される。 
 正しい戦争など、この世には存在しなかった。 
 一人を殺せば犯罪者だが、数万人を殺せば英雄になる。 
 とにかく、戦争には勝たねば何の意味も無い。 
 戦争とは大規模な殺人ゲームのようなものだからだ。 
 戦争に負けるほど惨めなものは無い。  
- 8 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:51
 
-  「捕虜の資格があるのは、軍服を着た正規兵だけなのよ」 
 私服を着たゲリラは、捕まれば即刻処刑されるのが常だそうだ。 
 確かに正面から銃を持って戦うのならまだしも、 
 破壊活動を繰り返して、民間人の中に隠れるのは卑怯である。 
 だからといって、弁解の機会も与えずに殺してしまうのは、 
 どう考えても、正当性を主張する事など出来るものでは無い。 
  
 「裁判もしないで殺すのが法治国家なの?」 
 「もう、法治国家じゃないよ。この国は」 
 私は矢口の言った意味が、どことなく判っていた。 
 それでも認めたくなくて首を振ったのは、 
 こんな私にでも愛国心というものがあったからだろう。 
 この国は私の生まれ故郷。これまでも、これからも。 
  
 「圭織、この国を出ない?」 
 ショックだった。 
 矢口がそんな事を考えていたとは。私が人類保全センターに就職したのは、 
 人間が好きだったから。民族が好きだったから。 
 そして、戦争中ではあったが、きっと良くなると思ったから。 
 でも、戦争は激しさを増すばかりで、毎日多くの人が死んでる。 
  
 「この国を捨てるの?」 
 私が睨み付けると、矢口は信念を持って首を振った。 
 捨てるんじゃない。外から見守るだけの事。矢口の眼は、そう私に語りかけていた。 
  
  もう、私が幼い頃に育った国は、どこかに行ってしまった。 
 戦争というものは、人の心を恐ろしいまでに捻じ曲げてしまう。 
 デコイの大統領は権限を持たず、この国は軍部が掌握していた。 
 軍事政権が長続きするわけがない。それは歴史が物語っている。  
- 9 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:51
 
-   戒厳令が布かれた中、私達五人は夜陰に紛れて逃げ出した。 
 武器となるものは、保田が持ってるワルサーP38しか無い。 
 私達の逃亡を知った国警隊は、きっと地の果てまで追って来る。 
 そんな時に、こんな拳銃だけでは、かなり不安ではあった。 
  
 「眠いのれす」 
 希美は私に手を引かれ、ベソをかきながら歩いている。 
 首都を出れば、一面の牧草地だから、そこまでは我慢だ。 
 時折、国警隊の兵士を乗せたジープが道路を走っている。 
 運悪く見付かれば、問答無用で銃撃されるだろう。 
 市井の身体が心配で、先頭を行く保田に何度も注意した。 
  
 「圭ちゃん、また速くなってる」 
 「ごめん。紗耶香、大丈夫?」 
 橋という橋には検問があるので、私達は舟を使って対岸まで移動した。 
 こんな世相になってしまうと、現金さえあれば、どんな事だって出来る。 
 私達のように平凡な所得しか無いと、こうした逃げ方しか出来なかった。 
  
 「時間よ。休憩しよう」 
 私は午前三時になったので、全員に休憩を促した。 
 昆虫の走光性を利用した害虫用捕獲網の近くで、私達は束の間の休息を味わう事にしたのだった。 
 保田が前方、矢口が後方を警戒する中、私は市井の脈拍を測り、たっぷりと水を飲ませる。 
 つわりで苦しむ時期だが、女には皮下脂肪という強い味方がいる。 
 吐き気で食べられなくても生きて行けるのは、この皮下脂肪があるからだった。 
  
 「何で矢口が意固地になったのか、ようやく判ったわ」 
 「え?」 
 もたれ掛って寝息をたてる希美を感じながら、私は市井の眼を真っ直ぐに見詰めてみる。 
 市井紗耶香。気品のある顔立ちは、どこかで記憶があった。 
 逃げるための荷物を整理している時、私は亡き母がコレクションしていた古銭を見付けたのである。  
- 10 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:52
 
-  「あんた、一之宮家の子孫なのね」 
 「な・・・・・・何ですか?一之宮家って」 
 「隠さなくてもいいの。私は敵じゃないわ」 
 一之宮家は旧宗主国の植民地になる前、この国を治めていた王家である。 
 今から三十年ほど前、この国が敵国に侵略された時、 
 『解放』という美声のもとに、一人の少女が担ぎ出された。 
 その少女こそ、一之宮家の血筋であり、紗耶香の母に間違いない。 
  
 「お母さんよね」 
 私が当時に発行された紙幣を見せると、市井は眼を剥いて俯いた。 
 紙幣にデザインされていたのは、若い頃の彼女の母親である。 
 その顔立ちは彼女にそっくりで、私はそこで確信したのだった。 
  
 「もう、私だけなんです。一之宮家の血筋を残すのは」 
 「お腹の中の赤ちゃんもそうでしょう?」 
 私が彼女の腹に触れると、心なしか表情が緩む。 
 かつては人類も他の生物と同じように、男女の交わりで種の保存を行って来た。 
 しかし、男が滅亡して以来、子供を産む事も大変な事になっていた。 
  
 「たくさん産めばいいじゃん。家族っていいよ」 
 市井の母親は、軍事クーデターが起きた二十年前、絞首刑になっている。 
 生まれたばかりの彼女は、家族というものを知らず、施設で育てられたのだ。 
 旧宗主国へ行けば、一之宮家の遺髪等が保管されているはずだ。 
 DNA鑑定で母子関係が判明すれば、彼女の生活は保障される。 
 どうやら、矢口はそこに眼を付けているらしかった。 
  
 「圭織、もうじき夜明けだよ。人目の無い所に移動しようよ」 
 二時間も歩いて来たとはいえ、首都からはジープなら数分の距離だ。 
 市井紗耶香が逃げたとなれば、国警隊は血眼で追って来るだろう。 
 今日は日曜日であるから、上手くすれば発覚は明日の朝になる。 
 時間の経過は、私達にとって有利になるのだった。  
- 11 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:53
 
-   私達は近くの森に入り、そこで眠る事にした。 
 窪地で煙の出ないプラスチック爆薬を燃やす。 
 C4プラスチック爆薬は、雷管がないと絶対に爆発しない。 
 そのかわり、火を点けると、とてもよく燃えたのである。 
 私達は交代で見張りをしながら、湯を沸かしてラーメンを食べた。 
  
 「矢口さん、一緒に寝るのれす」 
 「暑苦しいんだゴルァ!」 
 甘え上手の希美は、みんなから可愛がられている。 
 素直でニコニコしているせいか、あまり敵を作らない。 
 舌足らずで甘えられれば、母性本能を擽られる。 
 そう思っているのは、姉である私だけでは無いだろう。 
  
 「圭ちゃん、あなたは何で逃げようと思ったの?」 
 「もう、限界だったよ。この国は変り過ぎた」 
 保田は前方を見張りながら、振り返りもせずに言った。 
 この国が変ったのは、戦争のせいなのだから、 
 戦争さえ終われば、また元の国に戻ると思っていた。 
 だが、保田は戦争によって国が変わる事は無いと言う。 
  
 「戦争はきっかけに過ぎないの。初めからこの国は、こうなる運命だった」 
 どうやら保田は、市井が一之宮家の子孫である事を知らないようだ。 
 彼女は自分のために、この国から脱出しようとしている。 
 かつて、どこかの国では、道徳の授業で愛国心を教え込んでいた。 
 しかし、愛国心というのは教えられるもので無く、芽生えるものである。 
 魅力ある国造りをしなかった男達は、それから間も無く自滅したのだった。  
- 12 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:53
 
-   私は香ばしい白米を炊く臭いで眼が覚めた。 
 すでに太陽は西に沈み、辺りには夕闇が迫って来ている。 
 いくら窪地であっても、そろそろ火を使える時間では無かった。 
  
 「炊けたよ。のの、火を消して」 
 炊いた白米に、レトルトのクラムチャウダをかけて食べる。 
 炭水化物と乳製品、動物性蛋白質が採れる理想的なメニューだ。 
 矢口は看護師だけあって、サツマイモを入れる事も忘れない。 
 ビタミンCと食物繊維を摂取すれば、健康でいられるからだ。 
  
 「さあ、早く食べて出発の準備をしようよ」 
 保田は辺りを警戒しながら、私達に食べる事を促した。 
 午後七時から動き始めて、二時間移動したら一時間の休憩を摂る。 
 そうしないと、妊婦である市井の身体が心配だった。 
 一晩で約六時間。約二十四キロの移動が可能である。 
 目的地までは、これから二晩で到着出来る計算だ。 
  
 「圭ちゃん、交代し・・・・・・あれは国警隊?」 
 数百メートル先の道路を、三台のジープが疾走して行った。 
 ボンネットに青いマークが書かれているので、 
 あれは国警隊のジープに間違いないだろう。 
  
 「発覚したみたいね。日曜日だってのに」 
 全員が食事を終えると、飯盒や食器は掘った穴に埋めた。 
 これから先はパンや缶詰になるので、もう食器は必要無い。 
 私達は用意が出来ると、静かに出発した。  
- 13 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:54
 
-   夜間の移動は、発汗が少ないので楽だった。 
 市井の体調も問題が無く、私は幸先のいいスタートに安心していた。 
 ところが、朝方になり、寝る場所を探していた時、いきなり保田が木の陰に隠れてしまう。 
 私達は何事かと、ただ唖然として彼女を見ていた。 
  
 「気付かないの?赤外線よ。隠れて!」 
 そういえば、いきなり視界が暗くなった気がする。 
 赤外線に反応した瞳が、閉じてしまった証拠だ。 
 まだ、ようやく東の空が白みかけて来た頃である。 
 私は市井と希美を連れて、大きな木の根元に隠れた。 
  
 「圭ちゃん、どうしよう」 
 矢口が泣きそうな声を上げる。それを聞いた希美が震えていた。 
 これはいけない。このままでは士気に影響する。 
 私は怖くて仕方なかったが、あえて呑気な事を言ってみた。 
  
 「高い機材を使うねえ。マグライトで充分だっての」 
 その直後、何かが光り、私達の隠れた木が音を立てた。 
 悲鳴を上げる希美の口を押さえ、私は紗耶香を庇って地面に伏せる。 
 どうやら見付かって銃撃されたようだ。ここは逃げるしか無い。 
  
 「怖いよー!」 
 頭を抱えて泣く矢口に、保田は持っていたワルサーを渡した。 
 不思議なもので、武器を持っていると、意外に怖くないらしい。 
  
 「矢口、迂回して逃げるのよ!」 
 とりあえず、後退しながら迂回しなければならない。 
 敵よりも目的地に近く位置しないと、逃げる事が出来ないからだ。 
 矢口はワルサーを握り締め、自慢の素早い足で走り出した。  
- 14 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:55
 
-  「矢口!走らないで!」 
 私が叫んでも、矢口の耳には届かない。 
 市井の身体を考えると、走る事が一番よくなかった。 
 まだ、胎児は不安定な状態で、子宮壁に張り付いている。 
 激しい衝撃を受ければ、胎盤が剥がれてしまうのだ。 
  
 「それどころじゃないのれす!」 
 敵は私達を殺そうと思ってる。 
 あれは威嚇射撃では無く、明らかに私を狙ったのだ。 
 捕まれば殺される。だから、ここは逃げなくてはならない。 
 私達は潅木地帯を走り、少しでも敵から離れようとした。 
 敵に後を見せる事は、物凄く恐怖を感じるものだ。 
  
 「撃って来たよ!」 
 追っ手は情け容赦無く、私達に銃弾を浴びせて来る。 
 遠くの銃弾は長く尾を引く音がし、至近のものは小枝を折るような音がした。 
 硬いものに当たって変形した銃弾は、物凄い音をたてて飛行して行く。 
 矢口はえらい勢いで走り出し、私達はついて行くので精一杯だった。 
  
  どのくらい走っただろう。すでに夜は明け、あたりに視界が広がっていた。 
 矢口は狭い窪地に飛び込むと、疲労から倒れ込み、肩で息をしていた。 
 私は苦しそうに顔を歪める市井を抱き寄せ、とりあえず水を飲ませる。 
 酷い緊張状態にあるため、私は彼女に精神安定剤を飲ませた。 
  
 「だ・・・・・・大丈夫。大丈夫だからね」 
 私は必死で市井を落ち着かせようとした。酷いストレスは、体内の抗体に影響してしまい、 
 胎児を異物と判断してしまう事があった。そうなったら最後、白血球は胎児を攻撃してしまう。 
  
 「け・・・・・・圭ちゃんは?」 
 矢口は最後尾にいたはずの保田を探していた。私達も辺りを見回すが、彼女の姿を発見出来ない。 
 逸れてしまったのか?そう思った直後、どこからか声がした。  
- 15 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:55
 
-  「アハハハハ・・・・・・一人捕まえたよぉ。出ておいでぇ」 
 あの作ったような声は、美貴の側近である石川に違いない。 
 私が隠れながら様子を覗うと、百メートルほど先の小高いところに、 
 石川に銃を突き付けられた保田の姿があった。 
 保田は足を撃たれたようで、足元に血溜まりを作っている。 
 何とかしないと、保田が殺されてしまう。 
  
 「圭ちゃんを助けないと!」 
 私が窪地から這い出そうとすると、横にいた矢口が抱き付いて阻止する。 
 矢口を引き剥がそうとしても、彼女は渾身の力でしがみ付いていた。 
  
 「今出て行ったら、みんな殺されるよ」 
 「だからって・・・・・・」 
 「十数える内に出て来ないと、この人撃っちゃうよぉ」 
 殺人のカウントダウンが始まった。 
 石川の周囲には、アサルトライフルを持った兵士が四人もいる。 
 たった一つのワルサーP38では、手も足も出ない状況だ。 
  
 「一」 
 「みんなー!逃げてー!私に構わないで!」 
 「二三四五六七八九十。はい、時間切れ!」 
 石川は余裕を演じていたが、内心は焦っているようだ。 
 美貴に命に換えても捕まえろ。とでも言われたのだろう。 
 私が立ち上がろうとすると、矢口がワルサーを向けた。 
  
 「判らないの?出て行ったら殺されるの!」 
 「撃つ気なの?」 
 「圭織次第よ!」 
 矢口は本気だった。私が立ち上がれば、迷わず撃つだろう。 
 親友の保田を見捨てても、彼女は逃亡を諦めない。 
 生死を懸けているのだから、私も彼女を責めようとは思わなかった。 
  
 「残念だねぇ」 
 石川はそう言うと、保田の頭に向かって引鉄を引いた。 
 即死した保田を蹴ると、石川は部下に捜索を命じている。 
 逃げなくてはいけない。ここは、何としてでも逃げなくては。  
- 16 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:56
 
-   私達は慎重に且つ敏速に移動を開始した。疲労は頂点に達していたが、命が懸かっている。 
 このままでは包囲されるのが判っていたので、かなり大回りの迂回をする羽目になった。 
 石川は私達が領事館に行く事を察知しているため、それを考えた移動が必要だったのである。 
  
 「矢口、小休止」 
 私は掩蔽されている場所を選び、市井を連れて中に入った。 
 ここは、かつての陣地の跡のようである。 
 土嚢こそ積まれていなかったが、掩蔽壕が縦横無尽に走っていた。 
 私は市井を座らせ、とりあえず水を飲ませた。 
  
 「・・・・・・圭ちゃん」 
 矢口が市井に抱き付いて泣き出した。親友を失ったのだから、その悲しみは大きいだろう。 
 私も悲しかったが、こんなところで泣いている暇は無い。 
 私は矢口から保田の形見となったワルサーを取り上げ、辺りを警戒しながら水分の補給を行った。 
  
 「ねえたん、お家に帰ろうよー」 
 希美もショックから泣き出してしまった。 
 帰れるものなら帰りたいが、もう引き返す事は出来ない。 
 この雰囲気は、とても危険な状態である。 
 追い詰められて、自殺する精神状態に近かったからだ。 
 ここは私が何とかしなくてはいけない。 
  
 「最悪は隣の国まで歩こうよ」 
 国境までは百キロ以上あったが、歩けない距離では無い。 
 道路を避ければ、すんなりと国境を越えられるだろう。 
 私だけでも、少しは希望的な考えを持たねばならなかった。 
  
 「そ・・・・・・そうだね」 
 さすが矢口だ。この雰囲気を理解し、一掃する努力をしてくれた。 
 矢口の頭の回転には、いつも助けられている。 
 悲しいのは判るが、矢口が責任感を持ってくれれば、 
 きっと全員が前向きに考えられるようになるだろう。 
 私はワルサーP38の安全装置を外してみた。  
- 17 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:57
 
-  「うん?」 
 保田が持っていたワルサーP38。 
 速さのある九ミリパラベラム弾を使う軍用拳銃だ。 
 不思議な事に、そのグリップに何やら彫刻が施されている。 
 汗と泥を拭ってみると、そこには女性の顔が彫られていた。 
 そして、その下に小さくアルファベットが彫られている。 
  
 「・・・・・・M・・・・・・A・・・・・・K・・・・・・I・・・・・・」 
 きれいな顔をした若い女性だ。 
 反対側のグリップを見てみると、そこには保田の顔が彫られている。 
 そこには『KEI』と彫られているので、『MAKI』は人の名前だろう。 
 保田に姉妹がいるとは聞いていない。この女性は誰なのだろうか。 
  
 「矢口、マキって心当たりある?」 
 すでに陽は頂上に昇り、私達に容赦ない光線を浴びせていた。 
 名も無い小鳥達が囀りながら木々の枝を飛び回っている。 
 こんな長閑な風景であっても、この国は戦争をしているのだ。 
 そして、それから逃げようとする私達を、殺そうとする連中もいる。 
 男だけが殺戮を好んだのでは無い。人間は殺し合う生き物なのだ。 
  
 「オイラの妹の名前だよ。疎開してるけどね」 
 確か矢口の妹は、六歳違いだったような気がする。 
 私も見た事があるが、この彫刻の女性とは似ても似つかない。 
 どうやら、この彫刻の女性は別の『マキ』なのだろう。 
 長いストレートの柔らかそうな髪が印象的な女性だった。 
  
 「・・・・・・さあ、出掛けようか」 
 私が声を掛けると、束の間の休息で息を整えた三人が立ち上がる。 
 ところが、市井の顔が歪み、希美に抱き付くように倒れた。 
 下腹を押さえて苦しむ市井に、矢口が抱き付いて悲鳴を上げる。 
 私が恐れていた事が起こったようだ。市井は流産したのである。  
- 18 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:57
 
-  「のん!バッグを開けて!矢口!ズボンを脱がせるの!早く!」 
 こんな時期に、あれだけ激しく動いたし、保田が殺されたショックもある。 
 運が悪かったのかもしれないが、起こるべき状態だったのだろう。 
 私は応急処置をして、止血剤と抗生物質を注射した。 
 しかし、普通の流産にしては、やたらと出血が多い。 
 もしかすると、胎盤が剥がれた際、太い血管を傷付けたのかもしれなかった。 
  
 「矢口、モルヒネを打って」 
 「でも・・・・・・」 
 「いいから打って!」 
 私は躊躇する矢口に、モルヒネを打たせた。 
 瞬く間に市井の意識が混濁し、規則的な寝息をたて始める。 
 私は希美に穴を掘らせ、そこに脱脂綿やアンプル等を捨てた。 
 この場に残して行けば、敵はこちらの状況を悟ってしまうからだ。 
  
 「どうしてモルヒネなんか打つの?これじゃ、紗耶香は歩けない」 
 矢口は非難するような眼で私を見た。 
 看護師の矢口は、市井が危険な状態であるのが判らない。 
 センターであれば緊急手術を行うべき状況なのだ。 
  
 「胎盤剥離による出血が多いの。縫合が必要じゃないかな」 
 「そんな!」 
 センターであれば内視鏡を使って縫合や止血が出来る。 
 しかし、内視鏡が無い状態では、開腹手術をする意外に無い。 
 まさか屋外で開腹手術をするわけにも行かなかった。 
  
 「矢口、竹を見付けて来て。担架を作るのよ」 
 私達は竹と着替えを使って、急造の担架を拵えた。 
 とりあえず、市井を乗せて安全なところまで行かねばならない。 
 状態が良ければ緊急開腹手術をするが、問題は市井の体力だった。 
 流産したのは走った事による振動に加え、精神的ストレスが大きい。 
 体力も限界に近付いているのは事実だろう。  
- 19 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:58
 
-   市井を数キロ離れた廃屋に収容した頃には、すでに陽は西に傾いていた。 
 相変わらず出血が止まらず、市井の顔色は極端に悪くなっている。 
 脈を採っても弱々しく、かなり危険な状態であるのは間違い無い。 
 いくら輸血をしていても、これでは焼け石に水だった。 
  
 「何か饐えた臭いがするな」 
 矢口は市井を降ろすと、廃屋の奥へと入って行った。 
 そして、すぐに震えながら戻って来る。 
 眼を剥いて顔色を変えた矢口は、きっと恐ろしいものを見たのだろう。 
  
 「圭織、死体があるよ。兵隊みたい」 
 私が見てみると、それはミイラ化した死体だった。 
 どうやら政府軍の脱走兵のようである。 
 私はミイラからバヨネットと手榴弾、アサルトライフルを回収した。 
  
 「あうううううう・・・・・・」 
 市井が意識を回復し、痛みに唸った。 
 ここで開腹手術をしても、助かる可能性は少ないだろう。 
 妊娠〜出産を安易に考える人もいるが、 
 それは女性にとって、命を懸けた作業であるのだ。 
  
 「紗耶香!気が付いたんだね?これから手術を・・・・・・」 
 「もう・・・・・・いいの。・・・・・・今までありがとう」 
 どうやら市井は、自分の死を悟っているようだ。 
 私はなす術も無く、ただ市井の手を握る事しか出来ない。 
  
 「よくねーよ!旧宗主国へ行くんだろ?頑張れよォ!」 
 市井は痛みに顔を顰めながらも、私を見てニッコリと微笑んだ。 
 その顔には生気が無く、すでに死人に近い感じである。 
 血圧等は測れないが、総体的に見て、市井はもう助からない。  
- 20 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:58
 
-  「市井、あんたの遺伝子は保管しとくからね」 
 「・・・・・・どうやって?」 
 「この季節だし、アイスパックがあるもん」 
 私が説明すると、市井は嬉しそうに頷き、昏睡状態になって行った。 
 胎盤剥離による失血死。それが市井紗耶香の最終的な診断結果だった。 
  
 「紗耶香!紗耶香!死んじゃ駄目!生きて!生きるのよー!」 
 矢口は市井に馬乗りになり、心臓マッサージを始めた。 
 そんな矢口を抱き寄せる。もう市井は死んだのだ。 
 ここで仮に蘇生させても、市井が苦しむだけである。 
 それならば、このまま死なせてやった方が、彼女のためだった。 
  
 「矢口!落ち着いて!落ち着けっての!」 
 私が矢口を床に押さえ込むと、やっと冷静になって泣き声を上げた。 
 泣きたいのはこっちだ。医師でありながら、市井を救う事が出来なかった。 
 これがセンターなら、救急車を呼べる状態であれば、話は違ったのだが。 
  
 「矢口さん、二人の分も生きるのれす」 
 希美に諭され、矢口も落ち着きを取り戻していた。 
 幼い希美に諭されては、矢口も悲嘆に暮れてばかりはいられない。 
 私は市井の腹にメスを入れ、片方の卵巣を切り取った。 
 それをビニール袋に入れて、アイスパックの中に詰めておく。 
 これで二日程度は、市井の細胞が生きていられる。 
 それが私に出来る唯一の事だった。 
  
 「矢口、行くよ」 
 私が出発を促すと、矢口は大きく頷いた。 
 仲間を失って悲しいのは判る。 
 でも、私達は前に進まなければならないのだ。  
- 21 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 15:59
 
-   私がアサルトライフルを持ち、矢口はワルサーP38。 
 妹の希美には、万が一のためにバヨネットを持たせてある。 
 最後尾を行く私は、さっきから尾行されている事に気付いていた。 
 すると、先頭の矢口も歩を止め、何やら深刻な顔をしていた。 
  
 「圭織、前に敵が散開してる」 
 「そう、囲まれたみたいね」 
 敵の数は、それほど大人数では無かった。 
 私達を尾行していたのも二人くらいだったので、 
 攻撃を仕掛けて来なかったのである。 
 だが、前方から三人程度がやって来たので、 
 ここで本格的な攻撃を仕掛けて来るだろう。 
  
 「矢口、アンブッシュをするよ」 
 私達は小さな窪地に入ると、敵がやって来るのを待った。 
 耳を澄まして、少しでも敵の情報を得ようとしてみる。 
 どうやら指揮官は石川で、二人を迂回させたようだ。 
 私は初弾をチャンバーに送り込み、敵の足音を聞いていた。 
  
 「矢口、来るよ」 
 ジリジリと接近する足音を聞きながら、私は木の横から顔を出してみた。 
 すると、わずか二十メートル先に、迷彩服を着た敵が迫っているではないか。 
 私は迷わず、フルオートでアサルトライフルを撃った。 
  
 「うわっ!」 
 太腿に銃弾を受け、二人の兵士が倒れて唸っている。 
 その直後、激しい銃撃を浴び、矢口は頭を抱えて蹲った。 
 どうやら前方にも敵が接近していたようである。 
 私は矢口を抱き上げ、詳しい話を聞いてみた。  
- 22 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 16:00
 
-  「敵の位置は?」 
 「三十メートルくらい向こう」 
 三十メートルといえば、手榴弾で届く距離だ。 
 私は一個の手榴弾を取り出すと、ピンを抜いて安全把を飛ばす。 
 そして、前方に向かって壕の中から投げ込んでみた。 
 手榴弾が爆発すると、すぐに顔を出して敵に一連射してみる。 
 私は念のために、もう一個の手榴弾も投げ込んだ。 
  
 「矢口!マガジンを交換して支援して!」 
 私は矢口のワルサーとライフルを交換すると、窪地から出て、慎重に敵に近付いて行った。 
 バラバラになったライフルの破片が散乱し、敵の死体が転がっている。 
 そんな中、両足を吹き飛ばされ、瀕死の石川が木に寄り掛かっていた。 
  
 「痛いよぉ。アハハハハ・・・・・・手榴弾なんて持ってたんだぁ」 
 「お前だけは、絶対に許せない」 
 私はワルサーを石川のこめかみに押し付けた。 
 石川は自分でモルヒネを打ちながら、私を見上げる。 
 その眼には哀願の色などは無く、口惜しそうな光りだけを放っていた。 
  
 「市井紗耶香も死んだみたいねぇ。目的は終わったんだけど、あんたを殺したくってさぁ」 
 「涅槃で美貴に伝えて。育て方を間違ったってね」 
 私は引鉄を引くと、二人を連れて峠を越えて行った。  
- 23 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 16:00
 
-   峠を越えると、眼下に大きな都市が広がっていた。 
 ここに某国の領事館がある。私達の目的地だった。 
 矢口が持っていたアサルトライフルを捨てさせ、 
 私達は市民を装って、何食わぬ顔で市内に入って行く。 
 そして、夕闇が迫る頃、目的の領事館へとやって来た。 
  
 「領事館に何の用?許可が無ければ近付けないの」 
 どこか魚を連想させる顔をした兵士が、私達の前に立ちはだかった。 
 私は担いでいたバッグを開け、医療用品と白衣を見せる。 
 すると、女の横にいたホクロの多い兵士も、バッグの中を覗き込んだ。 
  
 「私は医師よ。二人は看護師。急病人が出たの」 
 「どうする?真希ちゃん」 
 真希!マキ、MAKI。もしかすると・・・・・・柔らかそうな髪の美人だった。 
 私は上着のポケットから、例のワルサーP38を取り出した。 
 それを真希と呼ばれた兵士に差し出してみる。 
 彼女はワルサーを受け取り、眼を剥いて凝視していた。 
  
 「オメエが看護師かァ?どうも怪しいなァ」 
 ホクロの多い女は、希美を穴が開くほど見詰めている。 
 矢口と希美なら、領事館に駆け込めるかもしれない。 
 私は希美が持っているバヨネットに手を伸ばした。 
  
 「ドクター、通って下さい。今まで診てた患者はどうなりました?」 
 彼女は泣きそうな顔で、私に質問して来た。 
 素直に保田が死んだ事を伝えてよいものだろうか。 
 隣にいる矢口を一瞥すると、彼女も困惑した顔をしていた。 
 私が見殺しにしたと思われないだろうか。 
 そんな不安が頭を過ぎるが、ここで誤魔化すわけにも行かない。  
- 24 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 16:01
 
-  「残念だけど・・・・・・」 
 「そうですか・・・・・・お引止めして・・・・・・どうもありがとうございました!」 
 間違い無い。彼女こそ、ワルサーのグリップに彫られていたMAKIなのだ。 
 保田と彼女が、どういった関係だったかは知らない。 
 しかし、彼女は確かに「ありがとうございます」と言った。 
  
 「ちょっと待ったァー!オメエは二人が帰って来るのを待ってろ」 
 希美がホクロ兵士に捕まった。 
 私が希美の持つバヨネットを掴むと、 
 その手を真希に掴まれてしまう。 
 こうなったら、矢口だけでも。 
  
 「護身用ですか?ご安心下さい。この子は自分が命に換えても預かりますから」 
 「アハハハハ・・・・・・真希ちゃんはオーバーだなァ」 
 そうじゃない。この場で希美を無理に入らせると、他の兵士が怪しむからだ。 
 不安そうな希美を残して行くのは気が引ける。でも、ここには矢口もいるのだ。 
  
 「のんちゃん、いい子にしてるのよ。・・・・・・ごめんね」 
 私は希美を抱き締めると、矢口を連れて領事館の中へ入って行った。 
 私は後悔でいっぱいになった。なぜ希美を置いて来てしまったのだろう。 
 後悔の念の押し潰されそうになりながら、私は希美の事ばかりを考えていた。  
- 25 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 16:02
 
-   私と矢口は某国に渡り、そこで診療所を開いた。 
 二人とも某国語が解かったので、開業医になるのも楽である。 
 センターからの誘いもあったが、私はもう産科医をやりたくない。 
 内科医として、地元の老人達と話すのが好きだったのである。 
 私が某国に逃れて一年後、ひょっこりと希美がやって来た。 
  
 「ねえたん!ののを見捨てた罪は重いれすよ!」 
 もう何も見えなかった。私は希美を抱き締め、号泣していた。 
 希美を連れて来てくれたのは、敗戦直前に脱出した真希である。 
 真希は私との約束を守ってくれたのだった。 
  
 「丁度良かった。ねえ、保証人になってくれませんか?」 
 真希は外人部隊に入隊するため、保証人を探していたのである。 
 希美を守ってくれた真希の保証人になるのに、私が嫌と言うわけが無い。 
 こうして、私と希美、そして矢口の生活が始まった。 
  
 「てめー、また薬を間違いやがって!」 
 「ごめんなさーい。こっちがルゴールなのれす」 
 まだルゴールとヨードチンキを間違えるくらいだからいい。 
 内服薬は薬局が揃えてくれるので、医療事故には繋がらなかった。 
 矢口と希美は、私を楽しくしてくれる。 
 三人の生活は楽しくて、ついつい時が経つのを忘れさせてくれた。  
- 26 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 16:02
 
-   あれから三十年。私達の帰化申請が、ようやく認められた。 
 移民局のロビーでは、西に向いた窓から西日が差し込んでおり、 
 壁と廊下をオレンジ色に染めていた。 
  
 「選挙権と被選挙権がありますので、詳しい事は市役所で確認して下さい」 
 私は帰化許可証を封筒に入れ、ロビーの椅子に腰を降ろした。 
 すると、チョコチョコと希美がやって来て、私に新聞を渡す。 
  
 「売店で買ってきたのれす」 
 もう四十六だというのに、希美は相変わらず舌足らずだった。 
 矢口は更年期障害で寝込んでいたし、みんな歳をとったものだ。 
 私は新聞を開きながら、記事を読んで行く。 
  
 「うっ!」 
 新聞の片隅に、軍事国で亡命生活を送っていた美貴が死んだという記事が出ている。 
 あれから美貴の安否は判らなかったが、どうやらこれまで生きていたようだ。 
  
 「ねえたん?」 
 「何でも無いよ。帰ろうか」 
 私は希美の手を引いて、移民局から外へ出た。 
 真横からの日差しに、私達は眩しくて顔を顰める。 
 あの国で起きた事は、いったい何だったのだろう。 
 たった二十五年しか存在しなかった幻の国。 
 私は希美の手を引きながら、西日の中を歩いて行った。 
  
  
         ― FIN ―  
- 27 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 16:03
 
-  オ 
 
- 28 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 16:03
 
-  ワ 
 
- 29 名前:44 亡国の落日 投稿日:2004/03/21(日) 16:03
 
-  リ 
 
- 30 名前:Max 投稿日:Over Max Thread
 
-  このスレッドは最大記事数を超えました。 
 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。  
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