35 いつもより少し短い夏

1 名前:35 いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:04

いつもより少し短い夏
2 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:05
あんな小さな体からどうやってそんなでかい音を出しているのかと不思議になるくらいの蝉の鳴き声が、降り注ぐように聞こえている。
だけど窓を閉める気にはなれない。
二週間の儚い命の叫びなのだ。煩わしがるわけにはいかない。
風が木々を揺らし、窓から見える葉桜の枝にとまっていた蝉が、ジッと鳴いて飛んでいった。
空はスクリーンのように限りなくブルーで、入道雲が遠くからそれを蚕食している。
疑いようのない、ドラマのワンシーンのような、ありきたりすぎて現実味がなくなるような夏の日だった。

さゆみは再び読みかけの本に目を戻した。
しかし、ある考えが窓から外を見たときから頭にこびり付いて離れず、集中できない。
諦めて本を閉じた。そして静かに瞼を閉じた。
3 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:06
さゆみは夏が大好きだった。
ここが高地でそんなに暑くならないということもあったが、
一番の理由は「懐かしいから」だ。
ただの錯覚かもしれないが、真夏の雰囲気がさゆみには不思議と懐かしく感じられるのだった。

けれど、おそらくこれが自分にとって最後の夏になるであろうことを、さゆみはうっすら自覚していた。
病院の先生も両親もさゆみがそれを言うと笑って否定していたが、特に母親はわかりやすかった。
彼女は嘘をつくのが下手すぎる。
症状も去年の夏よりかなり悪くなっている。

この部屋には鏡がない。
去年の春前までは、さゆみは鏡を見ることが大好きだった。
実際、昔は十人に聞けば十人が綺麗だと答えるだろう美貌を持っていた。
が、今では病気によって頬がこけ、髪の毛は抜け、特に好きだった目にも精気がなくなった。
だからさゆみは鏡を見ない。
4 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:07
。。。。

「さゆー! 遊びに来てやったぞー」
元気よく入ってきたのは、さゆみが一時期通っていた小学校の友達の田中れいなだ。
「おはよーれいな。今日も暑いね」
「なーにおばさんみたいな挨拶してんだよ」
れいなは苦笑しながら言った。
若い人には逢えないんだからしかたないじゃんか、とさゆみは思ったが口には出さない。
変に気を使われるのは辛かった。

「いやーここはいっつも涼しくていいね。あたしんちなんてクーラーもなくてさ。
 毎日犬みたいに舌出して寝転んで過ごしてるよ」
いささか勝手な所があったが、さゆみはれいなが大好きだった。
優しいし頼れるし、なにより一緒にいて楽しい。
さゆみはそれが今の自分に一番大切なことのような気がしていた。
5 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:08
れいなが来て10分ほど経った後、彼女の時とは正反対に控えめなノックがあった。
さゆみが返事をするとドアが開き、これまた静かで上品な笑顔で入ってくる見慣れた女の子。
「絵里だー。久しぶり」
彼女は亀井絵里。
さゆみとれいなの一つ上で、れいなの幼馴染だ。
「じゃーん、差し入れ」
言って絵里が突き出したのは、さゆみの大好きな作家の新刊だった。
「うわーありがとー。まー座って座って」

木漏れ日が悪戯に遊ぶような影を病室に落としていた。
さゆみもれいなも絵里も時を忘れてくだらない話に花を咲かせた。
6 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:08
。。。。

「あー、もう六時かぁ。私そろそろ帰らなきゃ」
「じゃああたしも変えろっかな…」
いつの間にか窓辺の陽だまりは消え去っていた。
「うん、じゃあ、また今度」

二人が去った病室は音がすべて真っ白な壁に吸収されてしまったように静かだった。
とても本を読む気になどなれない。
しかたなしにさゆみはテレビをつけた。
よく知らないアニメを、音量を大きくして見た。
いつになっても、友達がいなくなった直後の孤独に慣れることはできない。
7 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:09
しばらくして、今度は両親と、夕食を持った看護婦がやってきた。
いつものように二人は完璧な笑顔で話しかけてくる。
具合はどうだとか頑張ってよくなるんだとか。聞き飽きた。

いや、本当は二人がどれだけ苦しんでいるかさゆみにはよくわかっていた。
小さい頃はよく癇癪を思い切りぶつけて、母親に泣かれて後悔したものだった。
だが今は要領よくやっている。なにもかも無難にこなせるくらいに大人になった。
だから、どんなに嫌でも、腹が立っても笑顔で返す。

一時間ほどして、さゆみにとって味気ない時間が終わった。
再び部屋が静寂に落ちる。

なんだかむかむかして再びテレビをつけた。
8 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:10
やはりゴールデンだけあって、どのチャンネルも弾けるような笑いに満ちていた。
さゆみも、笑った。
しかしそれはテレビをつけて十分ほどした時だった。

画面上部に、ニュース速報のテロップが流れる。
「歌手の矢口真里緊急入院 病名は――」
うんざりするほど見飽きた文字列が右から左へ移動していった。
……。
頭の中が手品で消されたみたいに空っぽになっていた。
あの超が付くほどのアイドルが、自分と同じ病気で入院。

さゆみよりきっとずっと軽い。そんな気がした。
9 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:11
その後、記者会見の様子が映し出された。
東京のでっかい大学の医学部付属病院のベテランらしき医者が病状について説明をしている。
それによると命に差し迫った危険はないようだ。
やはりかなり軽く、数ヶ月で根治するらしい。
励ましのファックスなども殺到しているという。

さゆみの場合は先天性で、根治は現代医学ではまず不可能とされている。
いつ死んでもおかしくないと言われている。

さらに本人からのファックスも紹介された。
当たり障りのない内容の最後に、こんなことが書かれていた。
「応援してくださるファンの皆様や、今この病気と戦っている方々のためにも、
 はやく治したいと思います」

むかむかして、ため息をつきテレビを消した。
きっと今はどこもあのニュースをやっていることだろう。
10 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:11
。。。。

翌日、再びれいなと絵里が遊びに来た。
「おはよー。今日も相変わらず暑いね」
れいなのつっこみを期待したさゆみだったが、それは叶わなかった。
彼女は曖昧な苦笑を浮かべたまま、椅子に座る。
何かおかしかった。
考えるとすぐに、ピンと来た。

「昨日のニュース見たんだ」
れいなの顔が固まった。
そしてぎこちない動きで絵里のほうへ向けられ、すがるように絵里を見た。
絵里もまたどこか遠いところを見るような目で俯いていた。

「知ってたんだ…。さゆみも頑張って早く治さないとね」
まるで絵里から発せられたとは思えないような台詞だった。
11 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:12
「なに二人とも。そんなに気使わなくていいのに」
「うん…。ごめん」

沈黙。
深海を沈んで行く砂粒のような静寂。

その反動か、れいなは投げ散らかすように言った。
「なんであの人はあんなにいい扱いでさゆはこんな所で。悔しい!」
「そうだよ!さゆみだっていい病院入れば治るかもしれないのに。これは差別だよ!」
言って二人は子供みたいに泣いた。
騒がしい蝉の歌をバックに、二人の泣き声はさゆみの胸に深く突き刺さった。
矢口真里なんかより自分はずっと幸せな気がした。
12 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:13
。。。。

窓から見える空が真っ赤に染まっていた。
さゆみはそれをぼんやりと眺めていた。
二人の言ったことが胸の中で何度も繰り返される。

一時期、ドラマなんかでありがちな「あの葉っぱが落ちたら私も死ぬんだ」みたいに、
「今日太陽が沈んだら私は死ぬんだ」と信じていた頃があった。
そして斜陽が病室の壁を染め上げるのを見て何度も涙した。

人は太陽がいつか必ず沈むように、やがては最期の時を迎える。
それをさゆみは普通の人よりよく知っている。
それなのに矢口真里の病気がショックだったのは、
絵里やれいなのせいだ。

夕日みたいに、最後は美しく燃えるように輝いて死にたかった。
13 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:14


。。。。
14 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:14
―――五日後、れいなの元に手紙が届いた。
それは親友の死を告げるものだった。

前日も会いに行ったれいなはわけも分からず走った。
どうやって病院へ行ったのか、後から思い出せないほどに動転して。
ただ、病院のドアを開けた瞬間のことはよく覚えている。
しんと静まり返った薄暗い部屋のベッドに、顔に白い布を被せた誰かが横たわっていた。
その時はまるで立っている地面が溶け出し、どこまでも落ちて行くような感覚に襲われた。
立っていることも出来ずにその場に座り込んだ。

現実を見るために、れいなはゆっくり壁に凭れ掛かりながら立ち上がり、ベッドに近づいた。
顔にかかった布を退けようとする手が怖いくらいに震える。
15 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:15
一気に布を取った。息を呑んだ。
だいぶ薄くなっていたはずの髪の毛が、かつらなのか量が増え、色は茶色くなり、綺麗にセットされていた。
顔には化粧がされていた。頬は仄かに赤くなり、閉じられた目の周りは陰影がつけられ、唇はつやつやしてて赤かった。
服も可愛らしい格好になっていた。枯れ井戸に水が染み出すように涙がこぼれた。

その時、看護婦が入ってきて、言った。
「彼女、昔はすごいナルシストだったのよね。自分の顔大好きだったみたい。
 でも最近病気で顔も変わっちゃって、それから鏡見なくなった。
 昨日、私死ぬ時は綺麗に死にたいなんて言って。メイクとかしてあげたら嬉しそうにすごい久しぶりに鏡見てた。
 そしてそのまま、夕方くらいに……」

「さゆみらしいね……」
れいなは笑った。
「あたしじゃ不満かもしれないけど」
言って、口づけた。
その唇の冷たさに、また涙が堤防を崩して流れ出した。
16 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:15
あれからいくつもの季節がれいなの目の前を通り過ぎていった。
それなりに充実していたとは思うが、年老いた今となってはそれほど意味はない。
さゆみよりたった五十年くらい長く生きれただけのこと。

あんな小さな体からどうやってそんなでかい音を出しているのかと不思議になるくらいの蝉の鳴き声が、降り注ぐように聞こえている。
だけど窓を閉める気にはなれない。
二週間の儚い命の叫びなのだ。煩わしがるわけにはいかない。

やがてやってきた看護婦にれいなは言った。


「あたし死ぬときは美しく死にたい。夕日のように」
17 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:16
18 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:16
19 名前:いつもより少し短い夏 投稿日:2004/03/18(木) 23:16

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