32 あいそら

1 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:22
32 あいそら
2 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:23

 息が切れるほど走った。呆然とした彼女の顔が浮かぶ。

――違う、別にあなたを騙したかったわけじゃない…騙すつもりは…――
――そんな顔でみないで…お願い、見ないで――

そしてまた、走り続けた。 



 地面を向いている顔をそっと起こす。地べたに座ったまま寝てしまったようだ。
もうここ最近、ろくな睡眠もとっていなかった。
 独特な、コンクリートの臭いが鼻につく。
吉澤ひとみは建物の崩れた隙間に見つけた小さな地下へ続く階段に隠れていた。
 吉澤は逃げていた。



 「とうとうこの日が来たわ」
数日前まで毎日のように顔を合わせていた彼女の顔を思い出す。
「よっすぃー…あなたにしか、できないことなの。だから…行ってきて」
石川梨華は窓を見つめたまま、最後までこちらを振り向かなかった。
吉澤はテーブルの上に置かれた紺色のリュックと、その下においてある紙を取って、その部屋と、今まで自分が育った世界を後にした。
 その紙には、吉澤の最初で最後の仕事の内容が書かれてあった。


3 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:25
 大きな音がして、吉澤は再び顔を上げた。
またうとうとしてしまったらしい。
上から、人の悲鳴と、物が崩れ落ちる音がした。

「うわーん。やめてよ〜〜」
子供の声。
反射的に動く体を、必死で止めた。「今行ったら自分にも危険が…」
だが再び子供の叫び声がして、吉澤はその体を動かさずにはいられなかった。

 瓦礫の間から顔を出すと、もう太陽が大分西のほうに傾いていた。
その思わしくない状況に吉澤は一つ舌打ちをしてから、外界へ飛び出した。

 全身を黒で包んだ人物が、子供に銃を向けていた。
いくら真っ黒のヘルメットを被っていても、その身長からわかる。
あれは矢口真里だ。さっきまで共に、行動をしていた人物。
 吉澤は他に人がいないか周りを確認してから、音を立てぬよう矢口の背中にそっと近づいた。

「銃を捨ててから手を挙げて」
突然の吉澤の登場に、子供も矢口も驚いたように体をびくつかせた。
矢口の背中に硬い物を押し付けながら、子供に「逃げろ」と目で合図する。
矢口が銃を落とした。同時に、子供は一目散に逃げ去った。

「その声は、よっすぃー…?あなた、本当に…」
「黙って。すいません矢口さん。ちょっと時間、貰いますよ」

 吉澤は背中に銃を当てたまま、近くの、まだ崩れきっていない家の中に入った。
ドアを閉める時は、念入りに周りを警戒する。
4 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:27
「よっすぃー、本当に『光を司る者』達の仲間だったんだね」
「ヘルメットを被ってないこの顔を見ると、分かるでしょう」
吉澤は苦笑した。

「矢口さん、何で子供なんかを襲ってたんですか?
 あなたたち『闇を司る者』はどうせもうすぐこの世界を手に入れる。
 なのになんで罪のない子供にまで手にかけようとしたんですか?」

「…おいらだって、子供なんか殺したくないよ。
 でもちゃんと土に返らない者達はみんな殺せって。上の命令だから仕方ないんだ」

「上って…。まさかあの人が!そんな事、言うはずない」

「よっすぃー、あなたは知らないんだよ、彼女の本当の姿を。
 まぁ誰も、彼女の考えてることなんて分からないけどね」

吉澤は唇を噛んだ。やるせない想いが込み上げてくる。

「ねぇよっすぃー…もう無駄な抵抗はやめなよ。光を司る者はもう滅びるんだよ。
 あの太陽が完全に消えた時、この世界はおいら達のものになる。
 ずっとずっと待ってた、おいら達の時代が来る。
 そこであなた達…光を司る者は、生きていけないんだよ」

 完全に真っ黒なヘルメットごしにも、矢口が今どんな顔をしてるか想像できる。
途中で加わった新米の自分に親切にしてくれた。
今矢口は、敵である自分の事を本気で心配してくれてるのだろう。

 そう、無駄な抵抗などやめて本当は土に返らなくてはいけない。
もう半分以上の光を司る者は土に返っていってる。

それはある意味死と同じだが、それが一番自然の流れのため、苦しみはないという。
逆にこの世が完全に闇で覆われてから死ぬ方が、何百倍もの苦しみを味わうという。

矢口の言うとおり、ここは無駄な抵抗などやめ、まだ太陽が昇っている間に土に返る方がよっぽど吉澤のためにもなる。
だが吉澤は、石川から承った任務をどうしても果たしたかった。

 吉澤は矢口に近づき、銃を胸に押し当てた。

「矢口さん、今あの人は何処へ向かってるんですか?」
「…よっすぃー…」
「答えて下さい。私は、あの人が…安倍さんが向かってる場所へ、行かなければならないんです」
5 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:29
 闇を司る者に見つからないように、西へ向かった。
西には昔から近づいてはいけないとされている古い要塞跡がある。
闇を司る者の長、安倍はそこへ向かっているという。

 光を司る者の長でありずっと同じ地で育ってきた石川からの命令は、闇を司る者になりすまし、長をつきとめ、そしてその長が最終的に向かう場所へ同行する事だった。
吉澤の最初で最後の仕事は、スパイになる事だった。

 早足で歩きながら、空を見上げる。
もう大分、赤く染まっていた。
西に沈んでいく太陽の光は、とても眩しかった。
もう時間がない。
この太陽が完全に沈んでしまう前に、止めなくてはいけない。
荒れ果てた街を振り返る。
土に返ることを抵抗する光を司る者たちと闇を司る者たちの争った後だった。
吉澤は踵を返し、西へ足を急がせた。

 丁度、夕日になったといえるくらい太陽が傾いた時、要塞についた。
太陽は丁度要塞の中心部に埋もれていくように、体を傾けている。
ここが、この世界の西の果てだと気付いた。

 吉澤は矢口が被っていたのと同じヘルメットを被った。
闇を司る者はこれを被らないと太陽の光が降り注ぐ外界に出て行く事はできない。
逆に、光を司る者がこれを被り全身を黒でかためると、息絶えてしまう。
だが何故か吉澤だけ、このヘルメットを長時間被っても平気だった。
勿論、被り続けるのは24時間が限度である。
この吉澤の特殊な性質から、石川が自分をスパイに選んだのだと思っている。

 同じヘルメットを被っている人物が二人、入り口と思われる穴の前に立っている。
見張りをしているのだろう。
どうやら安倍はもうこの要塞の中にいるようだ。吉澤は偽装IDを見せ、中に入った。

 そもそもこんな単独行動をしなくても、吉澤は安倍と普通にこの中に同行できるはずだった。
6 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:31


 遠い異国から来たという吉澤の嘘を誰も疑わずに、闇を司る者は親切に自分を受け入れてくれた。
自分がスパイだとも知らずに。
 闇を司る者は昼は地中に住み、夜は光を司る者達が使う光が届かない場所で行動していた。
闇を司る者たちの生活は光の者たちに比べると非常に貧しく、行動できる場所も限られているので、肩身も狭かった。
だがみんな、もうすぐ訪れる『パラダイス』を楽しみにしていた。

 そう、悲劇の始まりは小さな地震から。
動物達の異変に異常気象。
そして、太陽が三日三晩沈まなかった。

 太陽が昇り続けて三日目の晩、石川は呟いていた。
「私達の時代は、もう終わるわ」と。

 闇を司る者たちと暮らすようになって、吉澤は毎晩、何かと理由をつけて外へ出て、村を離れた。
そこで、遠くの方に見える人工的な光を顔に当てた。24時間以上光がない場所で生きるのは無理だった。

 そんな吉澤の生活が暫く続いた。
全てが計画通りに進むはずだった。

 だが一つだけ誤算が生まれた。
理由は分からない。報われない恋だとも分かっている。
だが吉澤は、日に日に長である安倍に惹かれていった。
安倍は長としてなのか、それとも何か違う理由があるのか、突然やってきた来訪者である吉澤に優しく接してくれた。
そして彼女は美しかった。
誰もが振り向く美貌をもっていた。
彼女が長だという理由が分かった気がした。
7 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:32
 ある晩のこと。吉澤は安倍に呼ばれた。

その日安倍は何故か自分の過去を語った。
闇を司る者たちがどんな思いで生きてきたか。
長になる時の葛藤。自分達の生きている意味。
仲間達には決して見せない、苦痛の顔。
彼女の本当の姿を、吉澤は見た気がした。

「何でこんな事、あなたに話したんだろう」
話し終わった後、照れくさそうに笑った。

「私の事を何も知らないあなたなら、信じて聞いてくれると思ったからかな」
安倍は顔を隠した。手で目の周りをぬぐっている様子だった。
吉澤は無言で、彼女の体をそっと引き寄せた。

 だがその時、喉が詰まった。
激しい苦しみが体を締め付ける。
時計を見たら、24時間を越えていた。


 安倍は、吉澤の正体が分かっても何も言わなかった。
ただじっとこちらを見据えて、無言の返答をした。
逆にそれが吉澤にとっては辛かった。
明らかに、ショックを受けている顔だ。
自分の過去を言ってまで信用した相手が、実はスパイだったなんて知ったら、そりゃ驚くだろう。

 それからすぐに吉澤は、追われる身となった。
吉澤はすぐに、追われる身となったのだ。

 計画は失敗。
石川の元に帰るべきか迷ったが、どうせ帰っても後は死を待つだけ。
それなら、当初の予定通り、事を実行する方が賢いと思い、吉澤はこうして、安倍の後を追っていた。

8 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:33
 長い長い階段を下りていく。何処まで続くのだろう。
吉澤は時計を見た。日没まで、後30分を切ったとこだった。

 吉澤の任務は、太陽が沈むのを止める事だった。
歴史上、そんな事をした者は誰もいない。
だからこれが成功するか失敗するか、果たしてこれが正しいのか間違っているのか、何も分からなかった。
だが光を司る者たちを生かすためには、やってみるしかなかった。

 長い階段の終わりには広い空洞があった。
その中心に祭壇のようなものが見える。
時計を見た。完全な日没まで後10分。
吉澤は祭壇へ走った。

 祭壇の頂上には安倍が立っていた。黒いベールで身を包んでいる。
その安倍の前には紫色に輝く石があった。
もう殆ど、黒になりかけている。

 「あれだ」と思い吉澤は見張りの者達をなぎ倒して階段を上っていった。

完全な日没にするには闇の長が深い地の底にある石に手を触れなければいけないといわれている。
石川の話では、その時に闇の長ではなく光を司る者がその石を触れば、世界は永遠に光を司る者のものになるのではないかというのだ。

安倍が石に触ったら世界は闇で包まれる。
だが吉澤が石に触ったら世界は光で包まれる。
石川はそう言っていた。
9 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:34
 石に触れるチャンスはたった一瞬。
太陽が完全に沈む瞬間に、触らなければならない。

 見張りの声に気付いてか、安倍がこちらを向いた。
吉澤はヘルメットを取った。

「…やっぱり、きたのね」

安倍と目が合った。澄んだ瞳。だが悲しみを帯びたその憂い。

 その時、吉澤の中にふとした考えが浮かび上がった。
「もし世界が光で満ちたら、この人たちは…この人は消えてしまうんじゃないだろうか」
 今更になって、あってはならない感情が胸をよぎる。
自分がしようとしてる事は、好きになったこの人を、殺すんじゃないだろうか…。
吉澤の心に、迷いが生じる。

「ピッピッ」
腕時計のタイマーが鳴った。
3分前だ。早く安倍を押しのけて石の前に立って触る準備をしないといけない。
だが体が動かない。
何故、この人は何もいわないのだろう。
何でそんなにじっと、こっちを見ているんだろう。
私は一体、どうすれば…。
10 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:35

 「何やってるの!早くしなさい!」

その時、聞きなれた声が響いた。
吉澤は驚いて振り返る。石川が立っていた。

「早く、早くその石の前に立ちなさい!そして触りなさい!」

何故石川がここに…あれだけの見張りをどうやって倒したのだろうか。

「でも石川さん…私…。私が、私がしてる事は、闇の者達を、殺すことでは…」
「何言ってるの!闇の者達が死ななければ私達が死ぬのよ!」
「でも私達は土に返るのが定め…運命には逆らえないのでは…」

暫く、二人の言い合いが続いた。

 その時、横に立っていた安倍が「もういいわ」と呟いた。

「私達の事は、気にしないで。これも、何かの運命の悪戯。あなたがここにきたのは、運命だったのかもしれない。
 この世が光を司る者たちの世界になる事は、運命だったのかもしれない。
 私達闇の者は、消える運命だったのかもしれないわ…。私達は大丈夫。だから、さぁ、時間がないわ。手を、石に…」

そう言って安倍はどうしていいか分からない様子の吉澤の体を支えながら、その手をとった。
吉澤は半分抵抗しながら、だが半分抵抗できないまま、結局はその身を安倍に委ねた。
腕の時計を見た。後3秒だった。
11 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:36

 じゅわ…。
 手をつけた途端、体が燃えた。
いや、炎は出ていない。
だが熱いものが内からどんどん込み上げてくる。
全ての細胞が動いて分解していってるようだ。
体がばらばらにひねちぎられてるような感覚に陥る。

熱い…苦しい…息が、できない…。
熱い…熱いよ…これはナニ…?
体が、燃えるように熱い…。

どういうこと?と途切れ途切れの理性の中で思った。
必死の思いで、体を傾ける。
石川と安倍が笑って立っていた。
12 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:37

「ごめんね、ひとみ…こうするしかなかったの。
 あなたはこの世が生んでくれた救世主」

え…。救世主…?なんのこと…?

「太陽が三日三晩沈まなかった時、それは世界の終わりの時。
 太陽が完全に沈み二度とあがらないというのは自然に反する矛盾。
 私達闇の人間も光の人間もみんな滅亡する」

え…?闇を司る者の世界になるんじゃないの…?

「全人類が滅亡するのを止める方法はたった一つ。
 光を司る者と闇を司る者の間から生まれたあなたがこの石とともに命を燃やし続けること。
 そう、あなたの命が燃え続ける限り、この世界は安泰。人類はみんな安泰」

どういうこと…。私を…私を…騙したの…?

「ごめんね、ひとみ。こうするしか、なかったの、私達人類を守るには、これしか、なかったのよ」

 二人は残念そうにこちらを見た。
そしてその後、ゆっくりと踵を返した。

 後を追おうとしても、体が動かなかった。
意識が段々遠のいていく。
必死でもがいたが、吉澤の手は、石から離れなかった。

13 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:37
ソ
14 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:37
15 名前:32 あいそら 投稿日:2004/03/18(木) 02:37

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