27 二人羽織
- 1 名前:27 二人羽織 投稿日:2004/03/17(水) 15:51
- 27 二人羽織
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:52
- テレビの音が聞こえる。明るく、キラキラした音楽に混じって、雑踏から
拾ってきたようなざわめき。
もう夕方か。ニュースを読み上げるキャスターの声で分かった。一日の
時間なんてもうあまり意味はもってなかったけど。
もうさくらの咲くような季節なのか……、とわたしは思う。肌に感じられる
空気は、部屋の中にいてもまだ冷たい。こたつに入って膝をかかえながら、
妙になま暖かい床を指先でなでてみた。カーペットはざらざらとして、象の
皮膚みたいだった。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:52
- オレンジ色の夕日に映える、桃色のさくら。想像してすぐに気が滅入った。
うんざりする。こんな記憶、とっとと消えてしまえばいい。そう思って
いるのに、六時の時計が鳴ると、いやでも出て来てしまう。
今日はわたしの誕生日だった。たぶん、20回目になる。わたしは一人でいる。
お母さんは買い物にでも出かけたのかもしれない。どれほどこうして、ボーっ
と座っていたのか分からないけど、声をかけてきてくれないということは、
そういうことなんだろう。
メールが届いてるかもしれない、とふと思う。携帯はベッドの上に放り
出したままだ。
けど、そんなものも聞くつもりにならなかった。みな、明るい声で、わたし
のことを祝ってくれてるとは思う。それが、なんだか申し訳なく感じる。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:52
- 急に、テレビの音がうるさく感じられた。けど消してしまう気にはならない。
自分でつけた記憶はないから、お母さんが気を遣ってつけておいてくれた
んだろう。本当は、もうそんなことは気にならなくなっていたんだけど、
多分、いわない方がお互いにとっていいんだと、わたしは思っている。
インターホンが鳴る。間延びした音は二回鳴った後、しばらく沈黙して、
またもう一回鳴らされる。音は糸を引くようにして、空気の中をゆらゆら
と通り過ぎていった。そしてまた静かになった。
もう一度鳴ったら出ようか、と思ったら、タイミングを合わせるようにして
また音が聞こえた。さっきのに比べて、少しだけ小さくなったような気が
したけど、なにかの勘違いだろう。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:53
- 廊下に出ると、床の感触が変わる。足の裏の感じだけで、いま立っている
場所の光景が浮かぶようになっているのは、不思議な感じだった。
つるっとしたプラスチックのインターホン。最近磨かれたんだ。わたしは
受話器をとると、相手の声を受けた。
「あ……こんにちわ」
懐かしい声だった。わたしは口を開きかけて、慌てて閉じてしまった。舌を
噛みそうになった。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:53
- 「……れいな?」
わたしが言うと、微かな金属板の振動が、扉の向こうで息を呑む彼女の様子
を伝えてきた。口から吐き出された白い空気までが、見えるようだった。
「えり、いたんだ」
れいなが言い終わらないうちに、わたしは早足で玄関まで行くと扉を開いた。
冷たい風が吹き込んできて、髪を揺らした。わたしが扉に手をかけて身を
乗り出そうとすると、れいなの手が腕に触れるのを感じた。中指につけら
れたリングが、冷たかった。
「大丈夫だから」
わたしが少しムッとした口調で言うと、れいはな慌てて手を引っ込めた。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:54
- 「……ごめん」
「あがれば?」
そっけなく言うと、わたしは寒いのですぐ玄関を離れた。れいなは何も
言わず、ゆっくりと扉の閉められる音が背中越しに聞こえた。
「たまたま近くまで来たから」
どこか居心地の悪そうな感じで、れいなは言う。相変わらず、嘘をつくの
がへたくそだと思う。
「そうなんだ」
「いま、誰もいないの……?」
昔みたいに、きょろきょろしながら呟いているれいなの姿が想像できる。
わたしは急須に入ったままのぬるいお茶を注ぎながら、頷いた。
「その方が楽だから」
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:54
- れいなはなにも言わなかった。わたしもなにも言わなかった。
ただ年末の浮ついた雰囲気を伝えているテレビだけが、ひどく張り切って
この場を盛り上げようとしているようだった。
「あ、メール読んだ?」
れいなが突然声をあげる。わたしは声の方を向いて、また俯いて溜息を
ついた。
「まだ、聞いてない」
わたしがそう言うと、れいなが身を強張らせるようすが、なんとなく分かった。
自分のこういうところが、わたしはとても嫌いだ。でも変えられない。
「みんな……おめでとうって」
「ふーん」
聞きたいことがないわけじゃなかった。ただ、なんとなくくやしくて言い
出すことが出来ないでいた。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:54
- また沈黙。膝にかかったこたつの布団をひっぱると、机の上で茶わんが
少し耳障りな音を立てた。
「結婚式、行って来た」
れいながまた、なんの前置きもなく言う。
わたしは答えない。れいながかなり考えた挙げ句、ようやくそのことを
話し出したのは分かったけど、わたしにとってはあまり触れたくないこと
だった。
「来ればよかったのに」
その言葉には刺があった。かすかな棘だけど、わたしにだけ分かるように、
れいながこっそりと忍ばせた棘だ。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:55
- 「別に……行きたくないもん」
「さゆ、さみしがってたよ」
「そんなことない」
めずらしく語気を強めて言ってから、自分で驚いた。れいなも、出かかって
いた言葉を飲み込んだようだった。
そうだ、大体しあわせの中にいるはずなのに、わたし一人がいないだけで
さみしがるなんて、おかしいじゃないか。
「楽しかったんでしょ?」
「それは……そうだけど」
歯切れ悪く言う。れいならしくない。
「じゃそれでいいじゃん」
なにを苛立ってるんだろうと思う。わたしの中では、もういろんなことに
結論が出ていたはずなのに。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:55
-
わたしは手探りでリモコンを取ると、テレビを消した。
時計の針の動く音が、やたらうるさく響く。一秒がとても長く感じられる。
お母さんはまだ当分戻りそうにもない。
「きれいだったよ……さゆ」
れいなが小声で言う。どんな表情でそんなことを言ってるのだろう。想像
すると、わけもなく腹立たしくなった。
「教えてよ」
「え?」
わたしの尖った口調に、れいなは驚いたようだった。
またわたしの中にいる意地悪な心が、つけこんで来たみたいだった。
「見せてよ。さゆがどんな風にきれいだったか」
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:56
- れいなはどんな風にしてわたしを見てるんだろう。呆れてるだろうか、それ
とも、憐れんでくれてるのだろうか。
同情なんてまっぴらだ。わたしは、そんなに弱くない。
「……わかった」
少しの間をおいてれいなが言う。怒ったりとか呆れたりとか、憐れんだり
とか、そのどれでもなかった。ごく普通の口調だった。
バッグをごそごそとやっている音が聞こえて、それかられいなが立ち上がる
のが分かった。と、背中にぬくもりを感じた。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:56
- 「ほら、これ持って」
耳元で声が聞こえる。後ろからわたしを抱くようにして、れいなはわたし
の右手にペンを握らせた。細くて軽い、プラスチックのペンだった。
「力抜いて……わたしがちゃんと、見えるように書いてあげるから」
わたしの背中に、ぴったりとれいなが張り付いているのが分かる。不自然な
姿勢で、わたしはれいなに合わせて、小さな手帳の上にペンを走らせた。
暖かな体温と、鼓動が感じられる。わたしのはやくなった動悸は、れいなに
は伝わっているのだろうか。……
力を抜いた手を動かされながら、わたしは手帳に描かれていくさゆの姿を、
……れいなが全身で伝えようとしている姿を、感じていた。
それは、とてもきれいなものだと分かった。わたしは、わたし自身に少し
安心した。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:56
- 「おっけー」
軽く楽しげな口調でれいなが言った。わたしも、言われる前に完成したの
は分かっていた。
背中かられいなの身体が離れて、わたしは手に持ったままのペンを思わず
落としてしまった。
「どう?」
れいなが言う。わたしはなにも言わないで、左手に持ったままの手帳を
机の上に置いた。
「……やっぱ駄目だった?」
少し心配そうな口調だった。そんなときのれいなの表情が、わたしは好き
だった。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:57
- 「ううん」
わたしは首を振ると、少し笑った。
「努力は認めよう」
偉ぶった口調で言ってみるのに、れいなは吹き出した。
「なんだよそれー」
笑いながら、わたしの肩を叩いた。わたしも、つられて吹き出した。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:57
- 六時の時計が鳴る。記憶が鮮やかな光景を呼び覚まして、二人で描いた
映像とシンクロした。
こんな瞬間のためなら、まだもう少し、見えなくなった景色も消えてくれ
なくていいかもしれない。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:57
- -
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:57
- -
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 15:57
- -
Converted by dat2html.pl 0.1