23 青い空

1 名前:23 青い空 投稿日:2004/03/17(水) 01:53
23 青い空
2 名前:23 青い空 投稿日:2004/03/17(水) 01:54



西に傾いた太陽が、世界を金色に染めてゆく。
ある光は空を紅く焦がし、ある光は河原の芝生の緑を彩り、そしてある光は二人の背中を照らした。
川面はきらきらと、横から差し込む日光を乱反射させている。
眩しいな、とあさ美は思った。
遠くの方で金属の爆ぜる高く澄んだ音が聞こえる。きっとどこかで少年たちが野球の練習でもしているのだろう。あさ美は、今の仕事をはじめる前はその少年たちのように、照りつける太陽のもとで部活動をしていたことを思い出した。それも今となっては、遠い日の出来事として色褪せつつあるが。
そう言えば隣の少女もバレーボールをやっていたという。あさ美の心にそれを聞いてみようという気持ちが頭をもたげたけれど、何の形も成さぬままそれは霧となって消えていった。
ここに来てから、あさ美と彼女はただの一言も話を交わしていない。誘ったのは彼女のほうなのに、と内心不満に思うあさ美だが、彼女の表情が余りにも険しいため理由さえ尋ねられなかった。そのうちあさ美は、諦めたように静寂に身を任すことに決めた。沈黙もたまには悪くない、そんな気がしたのだ。
3 名前:23 青い空 投稿日:2004/03/17(水) 01:54
彼女は、ずっと正面を見据えている。
視界に映るのはさらさらと流れる川の水か、風にそよぐ緑の芝か、それとも少しずつ赤みを増している大空か。もしかしたら彼女は、目に映らない何かを見つめているのかもしれない。でも、そんなことはただの推測に過ぎないことはあさ美も良く知っている。
だから、あさ美も彼女と同じように正面に視線を向けていた。彼女と同じことをすれば、同じものが見えるかもしれない。ばかげているかもしれない。ただ一言、「どうしたの?」と聞きさえすれば物事は目の前の川の流れのように先に進むかもしれない。だけどそれは多分彼女の本意ではないだろうし、あさ美の本意でもなかった。
合コンの時にさ、相手と同じ仕草をすると好印象なんだよね。
小さな先輩がキャハハと笑いながら言っていたことを、あさ美は思い出した。
4 名前:23 青い空 投稿日:2004/03/17(水) 01:55
けれどもあさ美の瞳には一向に何も映らなかった。
何も、というのは語弊があるかもしれない。正確に言えば、彼女の見ているものが見えなかった、と表現すべきか。
向こう岸の道路を、車が太陽光を跳ね返して走っているのは見える。大学生くらいの男が、飼い犬を連れて散歩しているのは見える。でも、彼女が見つめているものは、まったくと言っていいくらい見えない。
不可思議、という言葉がある。読んで字の如く、思いもつかない出来事。あさ美は頭の中でそっと、不可思議の「思」を「視」に置き換えてみる。
不可視議。
悪くはない。そんなことを思いついたからといって、何の解決策にもならないのは、悲しいことではあるが。
5 名前:23 青い空 投稿日:2004/03/17(水) 01:56
太陽の位置が、見る見るうちに低くなってゆく。
黄金色が、徐々に鮮やかな茜色に変わる。柔らかな風が、二人の髪の毛を撫でつけていた。
あさ美はしばらく辺りをさまよわせていた視線を、夕陽へと向ける。
力強い、赤。
それは命の躍動のようであり、ふと訪れる悲しみのようであり、失ったものを探すような憧憬であり、何かの終わりの象徴のようにも感じられた。そんな人間の思惑とはまったく関係なく、太陽は斜陽の光を大地に浴びせ続ける。たとえあさ美の隣の少女が、沈みゆく夕陽に何かの思いを重ねていたとしても。
あさ美は瞳を、閉じた。瞼の裏で、緋が色づき、蠢く。それを暫くやり過ごした後、今度は夕陽とは反対側の方角に目を向けた。必然的に、彼女の横顔が視界に入った。
いつもの彼女からは考えられないくらい、真剣な表情。ストレートの髪の毛に、細められた瞳に、高い鼻梁に、頬に、オレンジが映える。そう言えば、消防署でのロケの時も夕陽に照らされた彼女はこんな表情をしていた。あさ美がそんなことを思っていると、ふと彼女の口が開いた。
6 名前:23 青い空 投稿日:2004/03/17(水) 01:56
「ねえあさ美ちゃん」
「なに?」
猶も彼女は正面を見据えたままだった。あさ美は彼女も何かを探しているのだ、とその時直感で感じていた。
「夕陽ってさ、綺麗だよね」
彼女の表情が緩む。それでも幾分かの固さは残しつつ。
「そうだね」
あさ美は彼女の言葉に相槌を打った。彼女の言っていることは正しい。夕陽を美しいものとして感じられない人間はきっと夕陽に嫌な思い出があるに違いない、とまでは思わなかったが。
「でもさ」
そこではじめて彼女はあさ美のほうを向いた。
「どうせ沈んじゃうのに、終わっちゃうのに、どうしてそこまで綺麗でいる必要があるんだろうね。過ぎちゃった一日を、戻らない時間をどうして夕陽は綺麗に送り出せるのかな」
瞳の光が、あさ美を居抜いていた。
「ユウシュウのビ、だっけ? 終わりが良ければオールオッケーって感じの意味だよね。でも、何か無理してるって感じでやだな…」
彼女の見つめようとしていたもの、探していたものがようやくあさ美は理解出来たような気がした。卒業した先輩、グループから巣立つ自分、そして、終わりつつある一つの時代。
だからあさ美は、負けずに少女を見つめ返す。
7 名前:23 青い空 投稿日:2004/03/17(水) 01:57
「夕陽はさ、終わりじゃないんだよ」
あさ美がやさしく投げかける言葉。少女は目を見開いた。
「夕陽が沈んで、夜が来て、朝が来て。それで昇って来た朝日と夕陽は、同じ太陽なんだよ。それに…」
「それに?」
「赤い空の向こうには、青い空がある。夕陽はその青い空も見つめているから、綺麗に色づくことができるんだよ、きっと」
それはあさ美自身に向けられた言葉なのかもしれなかった。あさ美も残される側の人間として、何かの終わりらしきものを肌で感じていた。でもだからと言って、そのまま黒い渦に飲み込まれるわけにはいかない。それはきっと、本当に何もかもが終わってしまうから。
だから、あさ美は強く信じた。真っ赤な夕暮れの空の向こうにある、青く澄んだ空の存在を。
「赤い空の向こうは、青い空か。何か、いいね」
少女の表情に、柔らかさが戻る。澄ましている顔も勿論好きだけど、やっぱり笑っている顔の方がいい。あさ美は心から、そう思った。
「じゃ、そろそろ戻ろう? みんな、心配してると思うから」
「うん、そうだね」
少女が立ち上がった。ぱんぱん、とお尻についた埃やら草の切れ端やらを払い落としてから、もう片方の手を差し伸べる。八重歯を覗かせて極上の笑顔を見せる彼女は、何かを吹っ切ったように清々しかった。
あさ美は少女の手を力強く握り締め、そして同じように立ち上がった。
8 名前:23 青い空 投稿日:2004/03/17(水) 01:58
「ねえのんちゃん」
「ん?」
「どうしてわたしだったの?」
「何が?」
「一緒に河原に行こうって。加護さんでも石川さんでも吉澤さんでもなくて、どうしてわたしだったのかなあ、って」
「あさ美ちゃんは、頭いいからさ」
「何それ」
「てへへ」
河川敷脇の道路を、手を繋いで歩いてゆく二人。その背中を沈みかけた夕陽がオレンジ色に染め上げる。寄り添うように伸びる二つの影は、どこまでも長く長く続いていた。
9 名前:23 青い空 投稿日:2004/03/17(水) 01:59
10 名前:23 青い空 投稿日:2004/03/17(水) 01:59
11 名前:23 青い空 投稿日:2004/03/17(水) 01:59

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